こんにちは~。
竣工書類を作り終えてから更新するつもりでしたが、変更設計書が来なくて書類が作れません…現在、お仕事、手待ち状態です。
なので、先に更新します。よろしくです。(*‘∀‘)
九つの魔法(3)魔法その3 水族館
どこからか、ハーブの良い香りがする。
そう思いながら青木は紙箱の蓋を開け、念願のカツサンドを頬張った。ソースの匂いにハーブの香りは消え失せたが、むしろ満足だ。何ならハーブよりもソースの方がいい匂いだと、個人的には思うけど他人には言わないでおこう。
M泉のヒレカツサンドは青木の大好物だ。M泉の本店は青山だが、ソラマチに支店がある。スカイツリー様様だ。
「これも食うか」
そう言って薪が、サンドイッチの箱を青木の方へ寄越した。
「食べないんですか?」
こくんと頷いた薪のサンドイッチは未開封のままで、もしかしたら先刻のシュークリームがまだ消化しきれていないのかもしれない。薪は小食で、普段から少ししか食べられないのに、消化まで遅いなんて。可哀想に。
青木は薪の軟弱な胃に同情したが、本人はまったく気にならないようで、その瞳は青木の手に渡ったサンドイッチに向けられることはなく、ひたすら、水槽の中を泳ぐ海洋生物たちに向けられている。
柔らかなカツを堪能しながら、青木もまた前方の水槽を眺めた。巨大なシャーレ型の水槽に満たされた水は青白く光っている。その中に、半透明のクラゲの群れがふわりふわりと浮いていた。水槽の下にはライトがあり、所々で赤や緑にドレスアップしたクラゲたちが、こちらは優雅に舞っている。実に幻想的な眺めだ。
「見事ですね」
「…ああ。見事な食欲だな」
皮肉られた。
ここに落ち着くまでに、ペンギンやらオットセイやらのエリアで散々足止め、いや、観覧に時間を掛けた。だから青木は飢え死に寸前でサンドイッチにありついたわけだが、薪は付け合わせにと買ったパプリカのピクルスをちょっと齧っただけで、それもこちらに寄越してしまった。
「薪さんが小食すぎるんですよ」
とても人間とは思えない。仙人のように霞でも食べて生きているのだろうか。それともどこぞのロボットみたいに、空気中の水素を取り入れて水素エネルギーで動いてるとか。
「だれがロボだ」
うん。やっぱり仙人だな。
薪は時々こうやって、青木の心を読むから怖い。だから浮気なんか絶対にできない。する気もないけど。
だって薪は誰よりもきれいで可愛くて、いっそ人間と言うよりは幻想世界の生き物に近い気がするのだ。
その証拠にほら、みんな見惚れてる。
青木に呆れて席を離れた薪は、シャーレ型水槽の上に張り出した観覧台に上り、手すりにもたれて下方を見下ろしている。クラゲたちの織り成す夢幻をやさしく見守る姿は、まるで幻想世界の神のよう。
と、その神に気安く話しかける男が現れ、青木のテンションは一気に落ちた。
「この水族館には、バーがあるんですってね。行ってみませんか」
明らかにナンパ目的の言葉に、青木は慌てて席を立つ。
一人にするとすぐこれだ。おちおち食事もできない。
「すみません、僕もここは初めてで。バーの場所は分からないんです」
この人は道を訊かれてると思ってるし。
「ボク? あ、失礼。男の人だったんですね」
「は?」
「いや、あんまりきれいだから、てっきり」
「バーならあの階段を上がって右側にありますよ」
男の言葉を遮り、青木は二人の間に割って入った。男は会話に割り込まれたのが面白くないような顔をしたが、むしろ感謝してほしい。あのまま会話が進んでいたら、今頃この男はクラゲたちと一緒に水槽に浮かんでいたに違いない。
「ちなみに、バーじゃなくてカフェですけど」
青木が自分の身体の後ろに薪を匿うようにすると、関係を察したらしい男は、少々複雑な顔をしつつも教えられた方向へ歩いて行った。
「助かった」と薪が笑った。自分の代わりに道を教えてくれたと思っているのだ。
観覧台に上がってきたカップルに場所を譲り、階段を下りながら薪は呟いた。
「やっぱり、パンフレットは見ておいた方がいいのかな」
先入観を持つのが嫌だから、と薪はパンフレットの類をほとんど見ない。映画でも、レジャーランドでもそうだ。情報を仕入れるのは専ら青木の役目で、例えばこの水槽には約500匹のクラゲがいるとか、カフェのお勧めカクテルはLED入りの氷を浮かべた光るオレンジリキュールだとか、パンフレットに明記されていることプラスアルファの勉強はしてきている。が、その努力は必ずしも役に立つわけではない。訊かれれば答えるが、青木は相手が興味を示さないことを長々と語ったりはしないからだ。
自分の努力が日の目を見ることを、青木は望まない。なぜなら青木は警察官だからだ。警察の仕事はそんなことばっかりだ。常日頃から準備は怠らず、けれども役に立たないに越したことはない。何も起こらないことが一番良いのだ。
「大丈夫ですよ。パンフレットはオレが持ってますから」
「でも、道を訊かれて答えられないのは、警察官としてちょっと」
だから道を訊かれたわけじゃないんですってば、明らかにナンパじゃないですか、なんで分かんないんですか、バカなんですか。
思ったことを口に出すわけにもいかず、青木は薪の隣を歩きながら、できるだけ婉曲な言い方を探す。
「あの人は、薪さんを警官だと思ってカフェの場所を尋ねたんじゃないと思いますよ。制服を着てれば分かったでしょうけど、私服ですし」
制服を着ていてさえ一般人にはコスプレだと思われていることは本人だけが知らない事実だが、それは置いといて。ていうか、カフェの場所なら店員に訊くよね、普通。
「ですから、お休みの時まで公僕の精神を発揮されなくても」
気を使って青木は言ったのだ。それなのに薪ときたら。
「ふ。バカだな、おまえは」
青白い光に照らされて、いっそ妖艶に微笑むと、
「制服なんか必要ない。僕くらいになると、どんな服装をしていても警察官だと分かるんだ。つまり、オーラってやつだな」
「……へー」
「僕も意識してるわけじゃないんだけど、ついつい滲み出しちゃうんだ。警察官は僕の天職だからな」
そうなんですかー。それでよく囮捜査ができますねー。
「見抜けないのはよっぽどの間抜けか、子供くらいのものだ」
そうですかー。世の中、間抜けと子供しかいないんですねー。
「本当だぞ。着ぐるみ着てたって分かる人には分かるぞ」
「三船千鶴子とか、サイキクスオとかですか」
「三船千鶴子は知ってるけど、もう一人は知らん。だれだ?」
「オレもよくは知らないんですけど」
くだらない会話を楽しみながら隈なく館内を回り、閉館まで後20分という頃合いを見計らって、青木は切り出した。
「たくさん歩いたら疲れましたね。喉も乾いたし。近くに夜景のきれいなホテルがあるんですけど、そこのラウンジで一杯どうですか」
大水槽にへばりついて、イワシの群れが一斉に方向転換を繰り返す様を熱心に見ていた薪は、胡乱そうな眼で青木を見上げた。それはイワシたちに向けていたキラキラ眼とは雲泥の差があって、青木は計画の頓挫を覚悟したが。
「ホテルのラウンジ…」
「あ、や、違いますよ。部屋とか取ってませんから」
本当は押さえてある。でもこれは一応、念のためだ。最初からそんなつもりでは、うんでもまあ連休だしちょっとは期待してたけど薪さんが嫌ならそれはそれで、……はあ。
「さっきの男と変わらんな」
「はい?」
「いや。――そこ、日本酒あるんだろうな」
「はい、もちろんです」
薪の好みは承知している。この人は見た目より中身、オシャレな店より旨い店、どちらかと言えば和食党、よってカクテルより日本酒だ。
「新潟の酒蔵から直接仕入れてて、お勧めは久保田の純米大吟醸です」
「! よし、行くぞ」
振り返った薪の眼はキラキラしていた。イワシを見てた時より2割増しで。
苦笑しつつも後に従う。薪が笑ってくれるなら、なんでもいいのだ。
思い出したように薪が立ち止まった。肩越しに青木を見て、ふわっと笑う。
「面白かった。また来ような」
「はい」
出口へ向かう2人の後ろで、イワシの群れが一斉に翻った。
テーマ : 二次創作:小説
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