パンデミック・パニック(1)

 こんにちは。

 先週はたくさん拍手いただいて、本当にありがとうございました! 1週間で1050拍手は新記録です~。 おばさんはびっくりしました~(@▽@)
 ずっと昔から見守ってくださってる方々、ご新規の方々、誠にありがとうございます。 
 みなさん、きっと最初は麗しの室長を求めて『秘密 薪さん』で検索なさったはずなのに、何の間違いかこんなブログに流れ着き、
 原作設定完全無視の二次創作、しかもクールビューティのクの字もないオヤジ薪さん等々、数々の「ありえねえ」をお許しくださり、
 なかなかくっつかない上にくっついたと思ったら今度はケンカばっかりしてる残念なあおまきさんに辛抱強くお付き合いくださいまして、なんてお礼を申し上げたらいいのかしら。 ありがとうございますとしか言えないんですけど、本当に感謝してます。
 みなさんに喜んでいただけるような話が創れるように、これからも精進します。 (←だったら甘いあおまきさんを書けばいいんですよね…… どうしていつも心臓に悪い話になっちゃうんだろう?)


 感謝を込めまして、
 本日から公開しますこちらのお話、本編の過去を発掘しまして、2066年10月のお話になります。 『女神たちのブライダル』で雪子さんと竹内が結婚してから3か月後くらいです。
 内容は、病気で死にかけてる薪さんに青木さんが早く死んじゃえみたいな、いやいや、そんな愛のない話じゃなくて、病名を宣告された薪さんが我を失って暴れて雪子さんに足げにされ…… なんか違うなあ……。
 年を取るとどんどん日常の言葉に詰まるようになって、もともと苦手なあらすじの説明が壊滅状態に~、すみません、とりあえず読んでください。 

 で、ですね、いつの話だよ、って感じですけど、15000拍手のお礼ということで、お納めいただきたいと思います。 薪さんの女装も入ってますし♪ ←書きたかっただけ。
 
 しばらく書けなくなってて、久し振りに描いた話なので、文章も構成も素でヒドイです。 公開するの、申し訳ないくらい。(^^;
 毎度のことながら、広いお心でお願いします。
 

 それと、コメレスお待たせしてて、申し訳ありません。
 28日に河川工事現場の検査なんです。(メロディの発売日に検査なんて(--;) 
 それでしばらくバタバタしてて~、
 少しずつお返ししていきますね。(^^ 






パンデミック・パニック(1)





 凝視していたモニターから視線を外し、青木は眼鏡を押し上げるように下方から指を入れて、眼精疲労に凝り固まった目元を揉みほぐした。瞼を閉じると液晶画面の残像が、夏の木漏れ日のように揺れる。
 目蓋の裏の点滅が治まってから眼を開き、後方に頭を巡らせば、そこに彼は一筋の乱れもなくピシリと伸ばされた華奢な背中を見る。自分より12歳も年上で、体力的にも劣るであろう彼が毅然と職務に打ち込む姿を見れば、青木の姿勢は自ずと正されて、再びモニターを見つめる黒い瞳には真摯な熱意が灯る。

 業務終了時刻から約5時間。青木と室長が行っているのは、MRIシステムの過負荷テストだ。
 本来、過負荷テストは宇野という職員の仕事なのだが、彼は腸イレウスで入院中だ。再来週には職場に復帰できるとのことだったが、テストの期限は今週末に迫っている。過負荷テストは3ヵ月に1回の履行を定められており、もしテストを行わずにシステムが誤作動を起こした場合、室長は管理責任を問われてしまう。青木は宇野に次ぐシステムに精通した職員で、だから彼にお鉢が回ってきたというわけだ。

 先週、青木は宇野の見舞いも兼ねて、室長と共に彼の病室を訪れ、テストのポイントについて詳しい説明を受けてきた。病気の同僚に教えを請わずとも、取扱説明書を参考にすればできないことはないと思ったが、所詮マニュアルは汎用的なもの。経験に基づく話を聞いた方が分かりやすいし、現場では役に立つ。
 それに、宇野はちょっと変わっていて、三度の飯よりもパソコンが好き、プログラミングもパーツいじりも大好き。果てはMRIシステムを恋人のように可愛がっている。見舞いの花束より、仕事の話の方がずっと彼を元気付けてくれるのだ。

 繁忙を極める職務の合間を縫って、見舞いとテストの時間を作り出そうとしている薪に、自分一人でも、と青木は言ったが、これも上司の仕事だ、と譲らない薪に折れた。
「おまえみたいなボンクラに、大事なテストを任せておけるか」
 口ではそう言ったが、薪は部下思いだ。宇野のことも心配して、ずっと様子を見に行きたかったのだろう。

 モニターに示されるゲージがレッドゾーンを振り切らないように注意しつつ、ブロックごとに負荷をかけていく。エラーが出たブロックは、この先、不具合が起こり得るということだ。問題ありとして番号を控えておく。
 黙々と作業を続けていた青木に、室長の疲れたような溜息が聞こえた。ちらりとそちらを見ると、肩を回して眉をしかめている薪の姿。
「肩凝りですか? よかったら、マッサージしましょうか」
 システムにストッパーを挟んで、青木は部下として、あくまでも部下として申し出る。決してシタゴコロではない。

「けっこうだ。明日、岡部にしてもらうから」
 さては警戒しているな、と青木は思った。
 先週の土曜日はどうしても薪がうんと言ってくれなくて、でも青木は是が非でもしたかったから、マッサージの名目で無理矢理ベッドに引き込んだ。最終的に協力はしてくれたものの、騙まし討ちみたいに奪われた彼は、翌日かなり不機嫌だった。
「遠慮しないでください」
 冷たい拒絶を受けて、でもそれを素直に聞いていたら、このひとの傍になんかいられない。彼と付き合う極意は、にっこり笑って図々しく。青木は当然のような顔をして、薪の後ろに立った。

「僕に触るな。余計なことしてないで、さっさと自分のエリアを終わらせろ」
 肩に置いた手を振り払われて、さすがにちょっと怯む。先週の今日だ、まだ機嫌が直っていないのかもしれない。謝っておいた方が無難だ。
「土曜日はすみませんでした。もう、あんな真似はしませんから」
「土曜? ああ、別に。おかげさまでな、おまえの人を人とも思わない非道な振る舞いにはすっかり慣れた」
 恒常的に、部下をドレイとして扱う薪に言われたくない。けど、ここは我慢だ。

「そんなに怒らないでくださいよ」
「怒ってない。でも、おまえと職場で触れ合うと、その後ロクなことにならないから」
「はあ?」
「今までさんざんひどい目に遭っただろ? 小野田さんにバレて叱られたり、人格が入れ替わったり、写真を撮られて脅されたり」
「別系統の話も混ざってる気がしますけど、言われてみればそうですね」
 どうしてだろう、と考えて青木は、嫌なことに思い当たる。ここは鈴木が死んだ場所だ。だから鈴木の霊は第九にこそ残っていて、薪にちょっかいを出すと祟るとか?
 でも、それはおかしい。だって、いつも酷い目に遭うのは薪の方だ。鈴木は薪のことをとても大切に想って死んだのだから、薪には被害が及ばないように計らうはずではないのか。

「平気ですよ。肩を揉むだけなんですから」
 有無を言わせずジャケットの上から薪の肩を掴むと、薪は一瞬抵抗する素振りを見せたが、すぐに気持ちよさに負けてしまったらしく、低く呻いて顎を上げた。白い喉が仰け反って、亜麻色の髪がさらりと青木の手の甲をくすぐる。
「そうだな。邪心が無ければ大丈夫かな……んふっ……」
 薪にはなくても、青木にはたっぷりある。いっそ邪心で出来ている。
 だって、マッサージを受けている時の薪の表情と言ったら、あの時の顔そのままで。呻き声もモロにアレだし、ドアの外で聞き耳を立てている人間がいたら、誤解されること請け合いだ。もしここに守衛が見回りに来たら、明日はとんでもない噂が科警研を席巻するのだろうな、限りなく真実に近い噂だけど、と青木は乾いた笑いを洩らした。
「なんだ?」
「いえ、なんでも……えっ?」

 地獄耳の薪が訝しげに眼を眇めた時、自動ドアが開いた。守衛はモニタールームに入ってはいけないことになっているのに、さては薪の声を聞かれたか、と思いきや、そこにいたのは警備服ではなく、白衣に身を包んだ男だった。
 首からIDカードを下げている。他の研究室の人間だろうか。こんな時間にアポも取らずに、ずい分非常識な話だが、何か緊急事態なのかもしれない。青木は薪の傍を離れて、訪問者の方へ足を進めた。
「何か御用で」
 
 口を開いた青木の横を、ひゅっ、と男は通り過ぎた。青木の眼に、白衣の残像が残る。男は真っ直ぐに薪の席に向かい、彼の腕を掴んで強引に立たせた。薪の背後に回り、細い首に白衣の腕を回し、頬に光るものを突き付ける。蛍光灯の光を反射してきらめく棒状のそれは、医療用のメスだった。
「薪さん!」
「騒ぐな。早く培地を用意しろ」
 白衣の男は、低い声で言った。
 侵入者の目的も要求もいま一つ意味が分からず、何よりも薪に危険が迫ったのを見て、青木はその場に立ち竦んだ。下手に動くと命取りになる。

「室長を放してください。オレが人質になりますから」
「あんたは人質にするにはデカ過ぎる。このくらいのサイズの方が、逃げるときも便利だしな」
 人より若干小さい体格を指摘されて、薪の表情が険しくなる。そんな細かいことに反応している場合ではないと思うのだが、もはや条件反射なのかもしれない。

「青木。G-8957のブロックにストッパー挟んどいてくれ。テストが途中なんだ」
「さすが法一の室長。この状態で口が利けるとは、肝が据わっている」
「暴走させてしまうと、最初からやり直しになる。ここまで3時間も掛かったんだ、冗談じゃない」
 自分の命を握っている者に対して、ズケズケと物を言う。それは確かに薪らしい行動だったが、青木は気が気ではない。相手を怒らせたらグサリということもあり得るのに、無鉄砲にも程がある。

 首にメスを当てられても顔色一つ変えない薪に、侵入者は舌打ちした。見れば、白衣を纏った彼からは、医療に携わる者が持つべき命に対する敬虔さも慈愛も感じられない。雪子が白衣を着ると輝いて見えるのは単なる白衣効果ではなかったのだと、今さらながらに青木は知った。
 薪を人質に取られて身動きもできない青木に比べ、当の薪は普段となんら変わらぬ声で、
「ところで君、訪問先を間違えてるんじゃないのか。ここは法一じゃなくて第九だぞ。培地なんか用意できない」
「えっ!? そんなはずは」
 冷ややかに薪が指摘すると、侵入者は上ずった声を発した。焦って周りを見回して、見たこともない機械に自分が囲まれていることに気付き、呆けたように口を開けた。

 その隙を、薪が逃すはずがなかった。
 靴の踵で相手の足の甲を思い切り踏みつけると、痛みに緩んだ手からメスを叩き落とし、素早く腰を屈めて一本背負いを決める。背中から床に叩きつけられた痛みにあっけなく気を失った相手に、薪は容赦なく手錠をかけた。

「薪さん、怪我は」
「ない」
 一瞬とは言え捕り物の後、薪の冷静さは憎らしいくらいだ。
 薪は強い。だからいつだってこの調子で、青木の手など必要としない。自分は彼のボディガードなのに、彼を守りたくてあんなに鍛錬を重ねてきたのに、それを殆ど役立てられていない現実が悔しくて仕方ない。

「この男、何者なんでしょう?」
「さあな」
「法一に侵入するつもりが、ここに来ちゃったってことですか?」
「似たような建物だからな。正門に名前が刻まれてるけど、一と九の違いだからな。慣れない人間が夜目に間違うのも無理はない。それより、この男が法一に侵入しようとした目的は何だったのか……」
 手錠で繋がれた犯人の両手を仰向けになった彼の胸に載せ、首から掛けられた身分証明のIDを確認する。カードに記された名前は山岡宏。偽名か本名か、盗んだものか偽造したものか、この時点ではまだ判断はつかない。

 薪はIDカードを抜き取ると、端末に繋がれたカードリーダーに挿入した。科警研の人間なら閲覧できるシステムにアクセスして、カードが有効かどうかを試す。
「IDは本物らしいな。守衛もこれに騙されたのか、それとも」
 薪はちょっと考えて、犯人の傍らに膝をついている青木を見た。叡智に輝く亜麻色の瞳は、この短い時間で事件の裏側を早くも悟ってしまったかのような落ち着きを湛えている。
 
 薪は壁に掛けられたインターフォンを押して、守衛室を呼び出した。しかし、応答は無かった。所要で席を外しているのか、あるいは。
「見回りに出てるんですかね」
 科警研の警備は、実はそれほど厳しくない。夜間の警備は基本的には監視カメラのみ。第九には専属の守衛室があるだけマシなのだ。
 逆恨みした犯罪者がいつ襲ってくるか分からない警視庁と比べて、科警研は平和だ。ここはあくまで研究所だからだ。第九もその一施設に過ぎない。捜査データの流出には気を使うが、セキュリティは機械任せだし、対人間用の警備は手薄だ。尤も、警察庁の警備部と連携しているから、異変があれば応援はすぐに来るのだが。

「おまえ、ちょっと見て来い」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

パンデミック・パニック(2)

 発売日まで、あと3日ですね。
 どきどきします~。

 コメントで「薪さん的に幸せなラストを望みます」といただきまして、
 うんうん、本当にその通り、薪さんさえ幸せになってくれればあとはどうでもいいよ。 悪い奴らが捕まって、薪さんと青木さんは無事に第九へ帰って、薪さんの願いはすべて叶って、
 ん? 願い? 薪さんの願いって、青木に殺……。
「ダメじゃんっ!!」
 と、思わず口に出てしまって、社員に白い眼で見られました。
 
 この時期は、どうしても情緒不安定になりますよね。 わたしだけ?

 


パンデミック・パニック(2)




「おまえ、ちょっと見てこい」

 薪の命令に、青木は難色を示した。
 自分が此処を離れたら、薪が犯人と二人きりになる。それは危険ではないのか。守衛がこの男に危害を加えられていたら、と心配する薪の気持ちも分かるが、青木には薪の方が心配だ。
「警備室に連絡して、誰か見に行かせた方がいいんじゃないですか?」
「その必要はない。守衛室に誰も怪我人がいないことを確認できればいい」
「どちらにせよ、この男は警備部に引き渡すんでしょう?」
「……事を荒立てたくない。少なくとも、このIDの山岡宏という人物の身元を確認するまでは」
 歯切れの悪い言い方に、青木は薪の真意に気付く。
 薪の大学時代からの親友は、法一の副室長を務めている。この男がもし、法一の正式な職員である山岡宏という人物から手引きを受けて科警研に侵入したとなると、彼女は立場上、窮地に立たされることになる。それを慮って、可能な限り秘密裏にことを運ぼうとしている。言ってしまえば、守衛に怪我がなければ、第九への侵入も自分への狼藉も不問に付そうというのだ。まったくもって、薪は雪子にはとことん甘い。

「三好先生に電話して訊きますか?」
 青木が解決法を提示すると、薪はいささか驚いたように眼を見開き、それからぷいと横を向いた。何か身元を示すものはないかと、気絶したままの犯人の白衣のポケットを探りながら、
「新婚3ヵ月だぞ、最中だったらどうす……いいや、電話しろ。雪子さんが酷い目に遭わされてるかもしれない、てか、そうに違いない。むしろ行け。雪子さんの家まで行って確認して来い」
「…………守衛室に行ってきます」
 嫉妬心剥き出しの顔をして、いつになったらこの人は雪子とその夫が相思相愛であることを認めるのだろう。呆れ果ててモノが言えない、てか、雪子が羨ましい。薪は一度だって、自分にこんなヤキモチを妬いてくれたことはない。

 モニタールームを出てエントランスを抜け、正門の近くにある守衛室を覗くと、顔見知りの守衛が缶コーヒーを飲んでいた。インターフォンを鳴らしたときは、エントランスの自販機にいたに違いない。あんな物騒な人物を通しておいて、呑気なものだ。
 青木の姿に気付き、立ち上がって敬礼する守衛に、青木は穏やかに訊いた。モニタールームで起こった変事を守衛に悟られないように、平静な口調を心掛ける。
「こんばんは。先刻ここに来た白衣の男の人なんですけど。受付表を見せていただいてよろしいですか?」
 守衛は「はい」と気持ちの良い返事をし、受付表の束を青木の方へ寄越した。そこにはIDカードに記載された氏名と所属が書かれてあった。
 守衛室にはIDカードを読み取るためのリーダーがあり、偽カードによる侵入を防いでいる。受付表には「カード確認」の欄にチェックが入っており、決して守衛が確認作業を怠ったわけではないことが記されていた。薪の推測どおり、本物のIDカードに騙されたのだ。

 法一と第九を間違えたことから、彼は間違いなく部外者だ。となると、このIDカードは本来の持ち主から強引に奪ってきたとも考えられる。まずは「山岡宏」という職員の安否を確かめないと。
 山岡本人に連絡を取って彼の安全を確認するためには、やはり雪子に連絡を取るしかない。薪に相談しようとモニタールームに戻った青木は、入り口のドアに嫌と言うほど鼻頭をぶつけてしまった。

「痛った……なんでドアが開かないんだ?」
 モニタールームの自動ドアは、中からロックされていた。ロックを掛けたのは薪だと思うが、自分の意志でしたとは考えられない。犯人が何らかの方法で、薪に施錠をさせたのだ。

「入るな!!」
「薪さん!?」
 中から薪の怒鳴り声が聞こえて、青木は我を失う。
 犯人に脅されているに違いない。彼の身に迫った危険を思えば、どうして大事な彼をこんな危険な場所に置き去りにしたのかと、自分を打ち据えたい衝動に駆られる。
 焦燥に唇を噛む青木の耳に、薪の鋭い声が響いた。

「青木、直ぐにこの建物を閉鎖しろ。誰も中に入れないように、おまえも早くここから離れるんだ」
 建物を閉鎖しろだの、ここから離れろだの、立て篭もり犯にしては要求が変だ。こういう場合、金と車を用意しろ、と言うのが普通ではないのか。
「いったい何が」
「極めて危険な細菌が播かれた。感染の可能性がある」
「感染……?」
 あまり詳しくないが、危険な伝染病と言えばコレラとかペストとか?あの男が伝染病の保菌者だったということか?
「細菌の種類は分からない。犯人が死んでしまったからな」
「えっ」
 犯人が死んだと聞かされて、青木は度肝を抜かれた。さっきまで、他人に刃物を突きつけるくらい元気だったのに、突然死んだなんて。彼の死因が薪の言う伝染病によるものだとしたら、死体と同じ部屋にいる薪の身は甚だしく危険なのではないか。

「薪さん、大丈夫なんですか?!」
「今のところ大丈夫だ。青木、おまえは早く行け」
「いや、待ってください。その男が保菌者だとしたら、オレも感染してるかも」
 伝染病の中には空気感染するものも多いはず。たしか、SARSのコロナウィルスも飛沫感染だった。
「安心しろ。細菌は密閉された容器に入っていた。それが割れて、中身が洩れ出した。その直後に、彼は血を吐いて死んだんだ。だからおまえから感染が広がることはない。速やかに避難しろ」
「そんなの駄目です、命の危険があるなら尚更です。オレは薪さんの傍に」
「いいから早くここを離れろ!」
 それまで穏やかだった薪の口調は、いきなり激しくなった。上司らしく青木を諭すのは諦めたのか、いつもの暴君に早変わりした薪は、怒鳴るというよりは喚く口調で青木に命令した。
「急いで建物の外に出て、念のために検査を受けろ。自動ドアの隙間から細菌が廊下に漏れないかどうかなんて、僕には保証ができないんだ!!」

 薪の怒号の原因が自分の身を案じてのことだと知って、青木の胸はぎりぎり痛む。そんな危険な場所に、薪を一人残して行けるものか。
 歯を食いしばって、ドアに額を付けた。ここを開けてください、と搾り出した青木の耳に、逼迫した薪の声が聞こえてきた。
「青木、青木、頼む。僕を助けてくれ」
 涙交じりの薪の声。無理もない、たった今、正体不明の細菌に侵されて目の前で人が死んだのだ。薪だって怖いに決まっている。

「この男が細菌を持ち出した研究所に行って、ワクチンを手に入れて欲しい。そうしたら、僕は助かる」
「研究所の場所が分かってるんですか?」
「ああ、容器に備品シールが貼ってあって、研究所名が記してある」
 青木は心底ほっとした。迅速に事を運べば、薪は助かる。
「じゃあ、それを警備部に」
「青木、僕はおまえに助けて欲しいんだ。僕の命を預けるんだ、顔も知らない警備部の人間なんか嫌だ。おまえがいいんだ」
 普段は決して言わない我が儘を、だけど今彼は平常心を保てない状態だ。もしかしたら間に合わないかもしれない、ならば愛する恋人に縋りたいと、彼のいたいけな気持ちは痛いほど伝わってきて、青木は彼の願いを叶えてあげたいと思う。

「僕はおまえのものだろう? だったら、おまえが守ってくれ」
「薪さん……」
 愛の告白とも取れる言葉をドア越しに聞かされて、青木の胸は震える。絶対に、彼は絶対に自分がこの手で助けてみせる。そのためには。

「研究所の住所は電話で教える。まずはここから離れてくれ。おまえが感染してしまったら、元も子もない」
「はいっ!」
 青木は全力疾走で廊下を走り、建物の外に出た。背広の内ポケットから携帯電話を取り出し、薪に電話を掛ける。
『青木。外に出たか?』
「はい、いま守衛室の前です」
『それは重畳。では、車でI県のT市へ向かってくれ』
「分かりました」

 研究所の管理棟に向かい、地下駐車場から第九の所有車を選んで乗り込む。エンジンをかけ、ナビに行き先を登録しようと、青木は電波という見えない糸でつながっている上司に尋ねた。
「ナビに入力します。研究所の名前と場所を―― 薪さん?もしもしっ、薪さん、もしもし!?」



*****


 
 切れた携帯電話から最後に聞こえた恋人の声に、薪はクスクスと笑いを洩らした。
 先刻、青木と話をしていたドアの場所から一歩も動かず、床に座ってドアに背中を預けていた彼は、寸前までつながっていた電話番号に着信拒否の登録を施した。これであのバカの吼える声を聞かずにすむ。

 ガラガラと、防火シャッターの閉まる音が聞こえる。薪の要請に従って、警備部が操作をしてくれたのだろう。シャッターで菌の飛散を防げるかどうかは分からないが、未消毒の建物内に入って来ようとする愚か者をシャットアウトすることはできる。
 第五室長への連絡は、青木が駐車場へ走っている間に済ませた。法医第五研究室はバイオテロに用いられる病原微生物及び細菌毒素研究の専門部署だ。衛生班の手配から細菌の特定まで、任せておけば間違いはない。青木が自分の嘘に気付いて第九へ取って返す頃には、入り口は閉鎖されていることだろう。

 薪の投げ出された足先、床に転がった密閉容器には、ラベルどころかナンバーすら無かった。何の変哲もない黒色の小型ケースで、出所の探りようもない。息を止めて蓋を開けてみると、中身は完全に気化してしまったらしく、内側のプラスチックに僅かに水滴が残っているだけだった。
 死んだ男の身体も徹底的に探ってみたが、身元を示すものは何も持っていなかった。お手上げだ。

「職場であいつといい雰囲気になって、エライ目に遭わなかった試しがないな」
 やれやれ、と薪は失笑する。
 青木が無事でよかった。神さまって本当にいるのかもしれない。エライ目には遭っているけど、僕の一番大事なものは奪わないでくれた。

 ズキン、と関節が痛んで、薪に急な発熱を教える。きたか、と覚悟を決めて、薪は立ち上がった。
 死に場所を何処に定めたら、一番迷惑が掛からないだろう。消毒が簡単なように、シャワー室とか? ああでも、既にこの部屋は汚染されているのだ。この中ならどこでも一緒だ、ならばここだ。
 左端、前から二列目の席。今は持ち主のいない、かつての親友の席だ。
「まさかこんな形で、おまえのところに逝くことになるとはな」
 机に突っ伏して、薪は眼を閉じる。冷たいスチールの感触が、火照った頬に気持ちよかった。

 多分、自分は助からない。この菌に感染したら、あっという間に血を吐いて死ぬのだ。この細菌を持ち込んだ男が死ぬ様子を見ていた薪には、よく解っている。
 次第に苦しくなる呼吸に死の影を感じ取りながら、薪はひっそりと呟いた。

「鈴木、もうすぐ会えるな。……楽しみだ」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

パンデミック・パニック(3)

 明日だっ、もう明日だよ~、あー、どうしよー、ねえ、どうしたらいいの? どうしたらいいと思う?!
 と言う会話を何日か前からオットに仕掛けては後頭部をどつかれておりますしづです。

 お話の方もパニック状態ですけど、リアルはもっと重症です。 あー、薪さん……。





パンデミック・パニック(3)





 青木がモニタールームを出た後、薪は気絶した犯人の頬を叩いて意識を回復させた。5回目のビンタでやっと目を覚ました男が、「なんて乱暴な女だ」とふざけたことを言うから、もう一発殴ってやった。

「おまえの名前は? このIDカードは? 盗んだのか」
 腫れ上がった頬を横に向けたまま、男は答えない。大抵の人間は手錠を掛けられると抵抗する気力を失うものだが、なかなか性根の据わったやつらしい。
「法一で、何をするつもりだったんだ」
 誰が言うか、と嘯く犯人に、薪は冷笑を浴びせる。
「黙秘する犯人に無理やり唄わせるのが取り調べの醍醐味ってもんだ。せいぜい僕を楽しませろ」
 喉の奥で笑って、薪は床に転がったままだったメスを取り上げた。先刻、自分の喉元に突きつけられた凶器をお返しとばかりに男の頬に当て、悪魔でさえ逃げ出しそうな残酷な笑みを浮かべる。

「へっ、脅したって無駄だ。監視カメラがあるところじゃ、警官は何もできないはずだ」
 犯罪者には厄介な設備であるはずの監視カメラが、自分の身を助けてくれる。ここは日本、法治国家だ。政治警察のような無体な真似は許されないはず。
 が、メスを持った男は戸惑う様子も見せず、それどころか鼻で嗤うように、
「知ってるか? ここは法医第九研究室と言って、死んだ人間の記憶を見るんだ。あのでかいモニターでな。個人情報の流出を防ぐため、システムが起動している間は監視カメラは作動しないようになっている。つまり、僕がおまえに何をしようと、真実は誰にも分からない」

 亜麻色の瞳が限りなく冷酷な光を宿しているのを認めて、男の背中に冷たい汗が流れる。
 第九研究室の悪名は、彼の耳にも入っていた。一緒に犯行を計画した友人から聞いたのだ。死神の棲まう研究室とか言われているらしい。特にそこの室長は冷酷非道な男で、本物の死神よりも恐ろしいとかサタンの生まれ変わりだとか稀代のファムファタールだとか、最後の意味はよく分からないが、とにかく、係わり合いにならないほうがいいと自分で注意したくせに、どうして建物の場所を間違えて教えるかな……。

「お、おまえ、警官だろ?」
「警察官だって人間だ。毎日毎日人殺しの画ばっかり見てたら、自分でも試したくなるのが人情ってもんじゃないか?」
「つっ、罪は必ず露呈するぞ! 完全犯罪なんかありえないんだ!!」
 もう、どちらが警官だか分からない。
 犯罪者側に片足を突っ込んだ第九の室長は、銀色に光る刃物をピタピタと男の頬に押し付けながら、
「おまえには生憎だが、僕は警視長という高い階級に就いている。僕の言葉は、ここでは絶対だ。誰も僕を疑ったりしない」
「さっきのデカイ男が帰ってくる! 彼は自分の正義に基づいて、正しい証言をしてくれるはずだ!」
 なるほど、と言って室長は、リモコン操作で自動ドアをロックした。ドアの前に立っても扉は開かない。ニヤニヤと笑いながら、彼はこちらに歩いてきた。……この男、本気だ。

 細い指が男の頬に添えられ、恐ろしいくらいに整った美貌が近付いてくる。至近距離で瞬きされて、重なり合う睫毛の音が聞こえたような気がした。
 これが男?あり得ない。こんな人間、この世に居るわけがない。この男の顔立ちは、人間を超えてしまっている。悪魔とか妖魔とか魔物とか、そういった人外の造形に近い気がする。
 要は、普通じゃないということだ。
「ずっとやってみたかったんだ……人間の身体中の皮膚を剥がしたら、どれくらいで出血死するものなのか。なあ、教えてくれよ」
 つうっと爪の先で男の頬を撫で上げれば、それがチェックメイトのサイン。

「わ、わかったっ!! 白状するっ! 実はこの細菌を増やして」
「細菌?」
 彼は手錠の掛かった手で、白衣のポケットから名刺入れ程の大きさの黒い箱を取り出した。
「うちの研究室で開発したばかりの細菌だ。これを培養して増やし、外国のテロ組織に売りつけようと」
「そんな物騒なことを考えていたのか。やっぱりここで殺しておくべきだな」
「いやっ、もうそんな気は失せ……あ、あれ?」

 ざざあっと幻聴が聞こえるほど、白衣の男は一気に青くなった。頬にメスを当てられていたときよりずっと、それは決して逃れられない死の恐怖に怯える者の顔つきだった。
「ケースが……壊れて」
 見ると、黒い小箱からは白い煙のようなものが立ち上っている。何らかの衝撃を受けたことが原因で密閉容器が破損し、中身が外に漏れ出してしまったらしい。
 ……もしかしなくても、さっきの一本背負い?

「あんたが投げ飛ばしたりするから!」
「人のせいにするなっ! 自業自得だろうが!」
 自分で認めてはいても、それを他者に指摘されると腹が立つものだ。特に、元凶の人間には言われたくない。
「い、いやだ、死にたくないっ、助けてくれ!」
「勝手なことを言うやつだな。それがテログループに渡ったら、何千人も死ぬんじゃないのか」
 犯罪者特有の身勝手な命乞いを、薪は足蹴してやりたい思いで退けた。
 多くの命が失われることが確実な行動を取っておいて、自分は死にたくない? ふざけるな、おまえが一番先に死ね。
 警察官の良識が飲み込ませた悪態を舌打ちに変えて、薪はぶっきらぼうに言った。

「ワクチンを出せ。打ってやるから」
「おれは持ってない」
「ワクチンも持たずに毒性のある細菌を盗み出してきたのか? 侵入する建物を間違うあたり、ドジな男だとは思っていたが。そこまでアホか」
 なんて杜撰な犯罪計画だ。容器の破損による自己の感染なんて、充分に考えられる事態ではないか。それくらいのことも計算に入れなかったとは、呆れ果ててモノが言えない。こんなオツムでテロ組織と取引しようなんて、恐れ入ったドリーム精神だ。

「研究所の名前と住所を言え。警察から働きかけて大至急取り寄せてや、――――っ!!」
 突然、男の口から大量の血液が吹き出した。近くに寄せていた薪の顔に、彼の吐血が掛かる。
「おいっ、しっかりしろ!」
 ゴボゴボと、男の喉奥で血泡が沸き立つ音がした。口端から赤い泡を垂らして、男は動かなくなった。カッと眼を見開いたまま、苦悶に歪んだ表情だった。
「嘘だろ、こんな劇的に発症する細菌なのか?! 冗談じゃないぞ!!」

 慌てて男の肋骨を探り、心臓の位置を確かめると、両手を重ねて体重を掛ける。薪は警察官だ。失われる命を、そのままになんてしておけない。
「研究所の名前を言え! 細菌の名称は!」
 懸命に心臓マッサージを繰り返しながら、薪は男に呼びかける。男の胸の上、重ねた手に、拍動は戻ってこない。それでも必死に圧迫を繰り返し、薪は彼に声を掛け続けた。
 心臓マッサージは重労働だ。薪の額には汗が浮き、呼吸は激しくなり、使い慣れない二の腕の内側の筋肉が痛みを訴える。
「帰ってこい! 僕の前で死ぬなっ!」

 鼻先から、汗が滴り落ちる。男の白いワイシャツに落ちた薪の汗は、赤かった。顔に浴びた彼の血のせいだ。
「ちくしょ……」
 自分の手から零れ落ちる命が口惜しくて、薪は美しい顔を歪める。知らなかったとはいえ、この男の死因は自分にあるのだ。
 MRIシステムを無謀な団体から守るため、守衛室の手前にはセンサーがあって、大量の火薬や危険物に反応して警報を鳴らすようになっている。警報が鳴った様子はないから、爆発物は持っていないと判断した。だから投げ飛ばしたのだが、それが命取りになった。
 
 汗だくになりながら薪が心臓マッサージを続けていると、入り口のほうから、ドンと鈍い音が響いた。
『痛った……なんでドアが開かないんだ?』
「入るな!!」
 その声を聞いた瞬間、薪は男から離れて、ドアに駆け寄った。
 犯人を脅して自白させるための偽装だったが、ドアをロックしておいて良かった。こんな危険な場所に、青木を入れてなるものか。

「青木、直ぐにこの建物を閉鎖しろ。誰も中に入れないように、おまえも早くここから離れるんだ」
 炭疽菌等の粉末細菌は空気感染する。ホワイトハウス宛の封筒に封入された炭疽菌で、郵便局員が感染した例もある。
 ケースから発生した白い煙を吸って、男は吐血した。モニタールームの自動ドアには防音効率を高めるためにかなりの密閉性を施してあるはずだが、絶対に外に洩れないとは保証できない。

『命の危険があるなら尚更です。オレは薪さんの傍に』
 窮状を理解せず、感情に流されようとする青木の愚かさに、腹が立った。思わず怒鳴ってしまった。
 これでは駄目だ、青木はもう薪の怒声には慣れてしまっている。いくら脅しつけたって、自分の命令には従わないだろう。

 落ち着くために、深呼吸をした。心臓マッサージの疲れか、立っているのが辛く、薪は扉に背を向けて体重を預けた。自然と目に飛び込んでくる、もはや手の施しようのない男の死体。
 フラッシュバックする過去の記憶。血溜まりに転がっていた親友の姿。男の顔は鈴木の顔になり、次の瞬間、薪の恋人の顔になる。
 ひゅっ、と喉が張り付いたみたいに、息ができなくなった。

『ここを開けてください』
 苦しそうな青木の声をドア越しに聞いて、薪は思った。
 感情に流されているのは、本当に駄目なのは自分のほうだ。
 青木の身に感染の危険があるかもしれないと、そう思っただけで自分はいとも簡単に、この男の蘇生作業を放棄した。自分がしなければならなかったのは、彼の蘇生を続け、この細菌の正体を聞き出すことだったのに。そうしておけば万が一感染が広がったとしても、被害に遭った人々を助けることができたかもしれないのに。

 薪はドアを離れ、男の死体に近づいた。開いたままだった彼の両目を閉じてやり、モニター用の埃避けに使う白布を亡骸に掛ける。
 結局自分は、テロ組織に細菌を売ろうとしたこいつと一緒だ。
 人の命は等しく重い、そんな当たり前のことすら分かっていない、実践できない。僕には青木の命だけが大事なんだ。
 世界中の人が感染してこの男のように血を吐いて死んだとしても、彼だけは無事でいて欲しい。今の自分の行動は、そんな利己的な心の現われだ。
 激しい自己嫌悪に駆られながら、しかし薪には悠長に自分を掘り下げている時間はなかった。感染エリアから青木を遠ざけなければ。
 再びドアに寄り、薪は悲痛な声で言った。
「……青木。僕を助けてくれ」
 
 自分はここに留まらなくてはならない。細菌に侵されて心停止した男の吐血を、顔面に浴びた。粘膜感染の可能性は極めて高い。
 死ぬ前に、やっておかなければならないことがある。

 礼儀を重んじている余裕はなかった。青木を屋外に避難させた後、薪はいくつかの番号に電話を掛け、そのうちの何人かをベッドから引き剥がした。
 その時点で打てるだけの手を打ち、モニタールームの中に今宵の寝床を定める。もしかしたら自分の最後の居場所になるかもしれないその場所で、薪は親友の名前を小さく呟き、襲いくる疼痛に身を震わせていた。





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パンデミック・パニック(4)

 こんにちは~!

 河川の検査がようやく終わりまして、今日からネット復帰できます。 ブログ様めぐりも我慢して、しばらく篭ってたんですけど、ぼちぼち出かけますので、またよろしくお願いします。


 で、
 メロディ、買って読みました!

 ネット封印してたので表紙のことも知らなくて、見た途端、「ほあっ!」と声を上げてしまい…… 立ち読みしてたおじさんに、ヘンな眼で見られたよ…… もう、あそこの本屋行けない。(--;
 でもっ、
 あの距離は反則だよね!?
 おばちゃん、どんなキワドイBLコミックの表紙よりもドキドキしちゃったよっ!! レジに出すときに、テレビガイド重ねちゃったよっ! ←エロ本を買う高校生のよう。

 感想はこの下にちょこっとだけ書いてありますが、ネタバレいやんな方の為に閉じます。
 あと、おまけで(??) SSの続きです。
 よろしくお願いします。



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パンデミック・パニック(5)

 日曜日、メディア芸術祭に行ってまいりました。
 仕事の都合で諦めてたんですけど、みひろさんのブログの記事を拝見したらどうしても見たくなってしまって~、オットとお義母さんに頼み込んじゃいました☆
 ご一緒させていただいたみなさま、ありがとうございました。 今回は4月号の影響でテンション上がってて、みなさんにメイワク掛けちゃった気がします。 ごめんなさい。 (え、いつも? ……すみません。)

 薪さん、お綺麗でしたよ♪
 カラー原稿の麗しさもさることながら、
 非常に貴重な生プロットが見られて大満足でした♪♪♪ ←30分くらい額の前に座って動かなかったやつ。 隅から隅まで読んで、興味深いところはメモした。

 
 第九編完結記念に、また原画展とかやってくれるといいな~。
 期待してます。(^^
 





パンデミック・パニック(5)




 深夜1時。岡部靖文は科警研の駐車場に降り立った。

 電話口で薪は、朝礼で今日の職務予定を告げる時のように平静な口調で、「ちょっと困ったことになった」と言った。
 正体不明の細菌を第九に持ち込んだ男がいて、その男は持参した細菌に感染して死んだ。至急、その細菌の詳細についての資料とワクチンが必要だ。第九の監視カメラに男の顔が映っているはずだから、前科者リストと照合の上、東京近辺の研究施設に顔写真付きの手配書を回してくれるよう、官房室の中園に手配を頼んだ。

 岡部に頼みたいのは、と薪は続けた。
 侵入者は、法医第一研究室の山岡宏という職員のIDを使って第九の中に入ってきた。力ずくで強奪した可能性も考えられるから、山岡氏の安否確認と、念のため、死んだ男との関係も調べて欲しい。
 自分は感染しているかもしれないから此処を動けない。だからおまえに頼みたい、と薪は言った。嫌味なくらい落ち着いた口調だった。
 大丈夫なんですか、と岡部が聞き返す前に、薪は電話を切ってしまった。岡部が盛大に舌打ちして掛け直したときには、もう通話中だった。感染を広げない為に、警備部や第五研究室に連絡を入れているのだろう。自分の命が危ういというのに、なんて可愛気のないひとだ。

「薪さん……」
 第九に着いて、物々しい警備の様子を目の当たりにし、岡部は思わず呻いた。丁度、科学防護服に身を包んだ第五研究室の職員たちが、黄色いバリケードテープの内側に入っていくところだった。
 タチの悪い冗談であってくれたらいいのにと、心の中で繰り返し縋った希望は消えた。レベルAの防護服(酸素ボンベ内蔵の宇宙服みたいなやつだ)が必要な場所に、薪はいるのだ。

 これまで何度も薪のピンチを救ってきた岡部だが、今回ばかりはどうにもならない。薪のことは第五の学者たちに任せるしかない。自分は自分にできることをする。最速でだ。

 ギリッと奥歯を噛み締めて、岡部は周囲に目を走らせた。野次馬の中、この近くに当然いるはずの男の姿を探す。が、岡部はそれを見つけることができず、白目勝ちの眼を不審に曇らせた。
 青木がいない。
 青木は一緒じゃない、と薪は言ったが、あの男がそう簡単に薪の傍を離れるわけがない。どうせ薪の二枚舌に良いように操られて、感染源から遠ざけられたのだろう。その後、薪の所へ行こうとして警備員に阻まれ、建物の周りをうろうろしているに違いないと踏んだのだが。

「ショックで倒れちまったかな」
 青木が抱いている薪への気持ちの強さを、岡部は知っている。岡部とて、足元を掬われる思いだった。ましてやあのヘタレのことだ、絶望して何処かで泣いている可能性は充分にあると思った。
 頃合を見計らって電話して、捜査に協力させよう、と岡部は考えた。こういうときは、何かしていた方が良いのだ。

 岡部は建物に背を向け、守衛室へ向かった。
 監視カメラの映像は、管理棟の警備システムに自動的にデータ送信されるようになっているが、この守衛室でも確認できる。1週間以内なら、ハードにデータが残っているはずだ。こちらの方が早い。
「ご苦労さまです。監視カメラの映像を確認させてもらえますか。12時頃、ここに来た白衣の男の写真が欲しいんです」
 岡部は侵入者の顔を知らない。法一の人間に聞き込みをするにしても、顔写真はあった方がいい。
 岡部の申し出に、顔見知りの守衛が不思議そうに首をかしげた。
「え、岡部さんもですか?」
「……も?」
「さっき、青木さんが来て。CDにデータを落として、警察庁の方へ行きましたけど」
 守衛の話を聞いて、岡部は感慨深く愁眉を開く。
 青木のやつ、ちゃんと成長してるじゃないか。
「すいません。俺の分もお願いします」

 写真をポケットに守衛室を出て、岡部は青木の携帯を呼び出した。警察庁の方角へ足を進めながら、電話の向こうで後輩が着信ボタンを押すのを待つ。
 5回、6回、とコール音が重なる。15回コールしても応答がなく、岡部は歩きながら、訝しげに携帯電話を睨んだ。小さな液晶画面には、後輩の名前と電話番号が表示されている。番号違いをしたわけではない。
「何やってんだ、あいつは」
 
 研究所の管理棟から地下を通って警察庁に到着した岡部は、真っ直ぐに官房室へ向かった。薪から中園へ連絡が行ったはずだから、彼がいると思った。
 午後6時以降は仕事をしない主義の官房室付け首席参事官は、難しい顔をしてデスクに肘をついていた。平生は洒脱なインテリ紳士を気取っている彼は、今日ばかりはお洒落に回す余裕がないと見える。ワイシャツの襟をだらしなく開けたまま、ネクタイも締めていなかった。
「やあ、岡部くん」
 岡部の姿を認めて、中園は右手を軽く上げ、
「どうしてここに?」
「室長から連絡をいただきまして」
 中園は大きくため息を吐き、背もたれにもたれて手を額に当てた。いつもはきちんと撫で付けられている銀色の頭髪の、乱れに現れた彼の焦燥。

「君のとこの室長は次から次へと、本当に色んなことに巻き込まれてくれるねえ。おかげで僕の白髪の増えたこと。4月の事件も苦労したんだよ。事件調書から青木くんの名前消すの、大変だったんだから」
 今年の4月、薪は通院を義務付けられていた病院の精神科医に殺されそうになった。青木は青木で彼に陥れられ、殺人事件の容疑を掛けられて所轄に拘留されてしまった。犯人の精神科医は薪と青木の関係を所轄に暴露し、裏付け捜査の結果証拠も上がって、薪の警視長の権威は使い物にならなくなった。
 最終的には現場の遺留品から精神科医の指紋が検出され、彼は逮捕されたのだが、薪と青木の特別な関係は所轄職員の知るところとなり、事件調書にも犯人の動機に係る部分として、その記載が残ることになってしまった。
 薪は官房長の秘蔵っ子で、彼の跡継ぎと目されている。スキャンダルはまずい。
 中園はI署の署長に圧力を掛け、まずは事件調書から青木一行の名前を削除させた。その見返りとして、青木を誤認逮捕した件についてはお咎めなし、というよりは、誤認逮捕自体をなかったものとして丸ごと隠してしまった。
 結果、美貌の警視正のお相手はどこぞの婦人ということになり、そこまでの証言は求められないことに、公判前から打ち合わせはできている。

「正体不明の細菌だそうですね。厚生省へ連絡を?」
「そんなに簡単に報告できないよ。まずは本当に毒性のある菌が播かれたのかどうか、確かめなきゃ」
「細菌を持ち込んだ男が死んだって言ってました。薪さんの目の前で」
「それだって、感染によるものと決まったわけじゃない! 先にその男の死因を調べてからだよ、まずはそれからだ!」
 怒鳴りつけられて、岡部はポカンと口を開ける。たじろぐよりも前に、驚いた。中園の怒号など、聞いたこともない。
 岡部はうれしかった。常に自分に課している冷静な皮肉屋のスタイルを忘れ去るほど、中園が薪の身を案じてくれていることが分かったからだ。

「すまん、大声を出して」
 感情を爆発させた自分を恥じるように、中園は細い顎に手を当て、一瞬だけ目を閉じると、すぐにいつものシニカルな参謀の顔になった。
「僕はね、時間外労働は大嫌いなんだ。だからちょっとイライラしてて」
「ありがとうございます」
 岡部が礼を言うと、なにが、と中園は不機嫌そうに返した。策謀家の彼にとって、自分の心を他人に見透かされるほど嫌なことはない。

「ところで、ここに青木が来ませんでしたか」
「ああ、来たよ。細菌を持ち込んだ男の写真を持ってきてね、東京中の研究所に手配書を回してくれって。薪くんにも頼まれたから部下に連絡は入れたんだけど、僕の部下より彼の方が早かった」
 青木が官房室へ来たのは正しい判断だ。テロ対策は警視庁の公安部の仕事だが、今回は細菌が持ち込まれただけだ。犯人は死亡しているし、だったら第五の学者たちにハッパをかけて、細菌の正体を突き止めさせるのが先だ。

「で、青木は今どこに?」
「薪くんのところに行きたいって言うから、第五に話を通してやった」
「えっ!! あいつを中に入れたんですか!?」
 ものすごく嫌な予感がする。
「青木くんの気持ちも分かるしね。彼が薪くんのことを心配するのは当たり前だし……どうしてそんな青い顔になるんだい? 防護服さえ着ていれば、大丈夫だよ」
 首の後ろがチリチリしてきた。予感が現実になる兆候だ。
 青木は薪のことになると自分を失う。薪は青木の強さの原動力でもあるが、それ以上に弱点にもなっている。捜査官としての青木の成長は、その弱点をいかに克服するかに掛かっていると、前々から彼を指導していた岡部だったが。

「いや、危険なのは青木じゃなくてですね、同行した第五職員の方だと」
 自分が抱いた危惧の内容を説明する前に、中園のデスクの電話が鳴った。受話器から聞こえてくる、取り乱した声。
『一緒に入った第九職員が、錯乱して』
「錯乱?」
 相手は第五の職員らしいが、大分混乱しているようだ。中園が聞き返すも、的確な説明が付けられないでいる。無理もない、第五の人間は警察官でなく、その殆どが科学者だ。暴力的なハプニングには慣れていないのだろう。

「君、落ち着いて。要点だけを言いたまえ」
 中園が厳しい声で諭すと、相手は僅かに冷静さを取り戻したようだった。一呼吸置いて、しっかりした声で、
『青木一行警視が薪室長を人質に、第九に立て篭もりました!』



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パンデミック・パニック(6)

 お礼を申し上げるのが遅くなりましてすみません。
 20000拍手、ありがとうございました~~!!!

 こんな長ったらしい与太話に辛抱強くお付き合いくださり、ポチポチと励ましの拍手を送ってくださったみなさまに、心からお礼申し上げます。 みんな、本当にやさしくて面倒見いい。(;▽;)
 これからもよろしくお願いします。 
 

 さてさて、
 お礼のSS、何にしよ~。 こないだ書いた滝沢さんリターンズじゃダメだよね? わたし的には明るくまとめたつもりなんだけど、やっぱり滝沢さんはちょっとアレだよね?
 じゃあ、『水面の蝶』にしようかな。 一応、あおまきさんの新婚生活っぽいシーンも入ってるし。 それほど明るい話じゃないけど、あおまきさんの絆はしっかり書いたつもりだから、お礼になるよね? よっしゃ、それで行こ。(←独り決め)
 Sさん専用の滝沢さんリターンズの後に公開しますので、よろしくお願いします。(^^



 で、お話の方なんですけど~、
 殆どのみなさんはしづが大嘘吐きだと言うことをご承知の上で読んでくださってると思うのですけど、もしも人の言葉を疑わないピュアな方がいらしたら困るので一応、
 お話の中に、バイオテロに対する基本対応みたいなことが出てきますけど、本格的な資料に基づいて書いたわけじゃないので、その辺、?? と思われてもスルーしてください。
 できるだけはネットで調べたんですけどね、バイオテロは第5が対応するとか厚生労働省に即連絡を入れて対策チームを組むとか、でも詳しくは書かれてなくて~、想像で書いちゃったところいっぱいある~。
 どうか見逃してやってください。 





パンデミック・パニック(6)





『何をやっとるんだ、おまえはっ!』
 室長室の直通電話が鳴ったので取ってみれば、いきなり怒鳴られた。どうして岡部が電話をしてきたのだろうと不思議に思ったが、こちらから質問ができる空気ではない。
『室長を人質に立て篭もりって、何を考えてんだ?!』
 受話器を耳から30センチほど離して、青木は眼をつむる。先に出て行った職員たちが、後の顛末を知らずに上に報告してしまったのだろう。第五にも慌て者がいると見える。

 いつの間にか犯罪者に仕立て上げられている自分の立場に青木は嘆息し、防護服の顎の辺りに付いたマイクに向けて、
「立て篭もりなんかしてませんし、薪さんを人質にした覚えもないです。オレは薪さんと一緒に、ここに残るって言っただけです」
『それを立て篭もりと言うんだ。それに第五の連中、おまえに脅されたって言ってたぞ』
 ひどい言いがかりだ。非人道的なことをしているのは第五の方なのに、青木の小さな反抗心を脅しだなんて。
「脅してなんか。ロッカーから竹刀は持ってきましたけど、振るってません。ちょっと構えただけで」
『有段者の帯刀は充分に脅しだ。素人は間近で見ただけでも怖いんだ』
 それを言ったら岡部は存在そのものが脅しだと思う。
「あの人たちが、オレの言う事を素直に聞いてくれないから」
『NBC(生物化学テロ)の調査現場では、指揮権は第五にあるんだぞ』
「だって! 薪さんを此処に置いたまま、放っておくって言うんですよ!」

 岡部は黙った。
 驚かないということは、事情は第五から聞いて理解しているのだろう。自分が飲み込んだそれを青木に納得させようとはせず、岡部は静かに言った。
『第五室長には、俺から詫びを入れておいた』
 自分の気持ちを尊重してくれる先輩に感謝して、青木は「ありがとうございます」と電話に向かって頭を下げた。




 決死隊に選ばれた第五の精鋭たちと共に第九へ帰ってきた青木は、スチール製の机に突っ伏して気を失っている薪の姿を見た。平静を保つことなど不可能だった。彼の名前を呼び、夢中で彼に走りよった。
「不用意に感染者に触るな!」
 第五の研究員に咎められ、青木は寸でのところで手を止めた。ここでは、彼らの指示に従う約束だ。

 薪はひどく辛そうだった。頬が紅潮し、呼吸が荒くなり、額にはびっしりと汗が浮いていた。高熱によって苦しんでいる、と一目で分かった。一刻も早く此処から連れ出して、治療を受けさせなければならない。
 ところが研究員の指示は、青木の思惑とはまるで反対の内容だった。

「治療ができないって、どういうことですか?」
 言われた意味が分からなかった。彼らがしていることも、理解できなかった。
 彼らが運び出す手筈を整えているのは、犯人の遺体だ。無菌シートで密閉して、三人がかりで担架に乗せようとしている。薪の命を救うために此処に来た青木にとって、それは信じがたい光景だった。
 どうして遺体を担架に? それは薪のために用意されたものではなかったのか? 今、まさに細菌に侵されて苦しんでいる感染被害者ではなく、もう苦痛を感じることもできない死体を優先するとは、一体どういうことだ。

「まずは遺体の司法解剖をし、死因を調べる。彼への手当てはそれからだ」
「何を悠長なことを! 室長は、もう意識も無いんですよ!? 死体よりも室長を運ぶのが先でしょう!」
 いくら叫んでも無駄だった。彼らは青木の言葉など聞こえないかのように、黙々と作業を続けた。
 思い余って、青木はロッカールームに走った。防火シャッターが開いている今がチャンスだ。自分のロッカーからタオルや着替えを持って、ついでに竹刀も携えて、青木はモニタールームに戻ってきた。
「青木警視、それは何のつもりだ。ここへは我々の指示に従うことを条件に、同行を許可し……!」
 訝しげな研究員の声を、青木は無視した。タオルとワイシャツを手近な机に置き、竹刀を構える。
「言う通りにしてください。でないとオレ、何するかわかりません」
 防護服の上からでも、彼らの焦燥が感じ取れる。威圧で相手に言う事を聞かせるやり方は青木の流儀ではないが、今は説得にかける時間が惜しい。

 一人だけ、硬直していない研究員がいた。この班のリーダーを務めている男だ。名前は、高橋と言ったか。少し厄介だと思ったが、この際、叩きのめしてでも薪の治療を優先させてやる。懲罰でも減俸でも、ドンと来いだ。
 竹刀を握り直した青木の前に、リーダーは無防備に出てきた。まるで恐怖を感じていない風情で竹刀の先を握り、
「仕事の邪魔をするな。素人は黙ってろ」と低い声で言った。

「法一に話は通してある。直接、解剖室へ運びこめ」
 青木が彼の剣幕に押された隙に、彼は部下たちを急かして死体を搬出させた。後には彼と、第九の二人だけが残される。
 部下たちがいなくなると、彼は竹刀から手を離し、薪の傍に歩み寄った。防護服の腕を薪の胸に回し、身体を起こして状態を目視する。だらりと腕を下げ、細い顎を天井に向けた薪の姿は、壊れた人形のようだった。

「仮眠室は?」
「あ、オレが運びます」
 彼が薪を助けてくれる。そう思った青木は、慌てて竹刀を放り出して彼のヘルプに入った。慣れた手つきで薪を抱え上げ、腰を抱いた手で器用に仮眠室のドアを開けて、手前のベッドにそっと細い身体を横たえた。

「いいか、ド素人が。教えてやるから聞け」
 高橋は青木の後ろから、台車を押して部屋に入ってきた。建物に入るときには彼の部下が押していたその台車には、大きな箱が2つとスタンドのようなものが載っていて、中身はおそらく点滴のセットだろうと青木は見当を付けていた。
「細菌感染の場合、下手な投薬は患者の命を奪うかもしれない。熱が高いからと解熱剤を飲ませたら、死んでしまった例もあるんだ。細菌の特定ができないうちは、彼には医療行為を施すことはできない」
 投薬が命取りになり得ることを知って、青木は自分の無知を恥じる。ならば仕方がない、せめて病院では自分が傍について彼の汗を拭いてやろう。

 そうして一時は口を噤んだ青木だが、箱の中から彼が取り出して組み立て始めたものを見て、どうしても黙っていられなくなった。
「どうしてここに心電図モニターを?」
「彼を建物から出すことはできない。細菌の種類が特定できるまで、感染者は隔離するのが基本だ」
「そんな……」
 それでは、薪はここに残していくというのか。何の治療もせず、モニターを身体に付けて、監視カメラとモニターの数字だけを道標に彼の命の灯火が消えるのを待てと言うのか。

「オレはここに残ります」
 薪の真っ白なワイシャツの前を開けて3本の電極を取り付け、モニターのテストをしている高橋に、青木は宣言した。
「投薬は無理でも、額を冷やしたり、汗を拭ってあげるくらいは大丈夫でしょう?」
「……第九はエリート揃いだと聞いていたが、例外もあるようだ。君はどうも日本語を理解する能力に欠けているようだから、幼児向けに噛み砕いて説明してやる。いいか、君がここに残っていかなる手を尽くそうと、彼の容態は1ミリも良くならない。感染者がもう一人増えるだけだ。我々と一緒に調査に入った君が死ねば、第五も迷惑する。我々の仕事を増やすな」
 言い方が、薪そっくりだと思った。彼もまた人の上に立つ者として、配下にある者の命を守ろうとする。これ以上犠牲者は出さない、その強い意志が彼の全身から迸っている。

「すみません。でも、こんな状態の室長を一人にするわけにはいきません」
「第九の恐怖政治の噂は聞いているが、君がそこまですることはない。命に係わる事なんだ。決して君の忠誠心が疑われるようなことはないし、危険な現場に足を運んだだけでも君の評価は上がるだろう。なんなら私が口添えしてやる」
「違います。オレは、薪さんの傍にいたいんです」
 職場では、ましてや他の研究室の人間の前では決して呼んだことのない室長の名前を、敢えて青木は口にした。真剣な相手を説得するなら、こちらも本音でいかないと駄目だ。

 高橋はモニターを調整する手を止めて、青木の方に頭を向けた。透明なプラスチック越しの彼の表情は、驚いているようにも呆れているようにも見えた。
「他の研究室の仕組みはオレにはわかりませんけど、忠誠心とか、ましてや査定とか、そんなものは関係ありません。オレがそうしたいんです。きっと後で薪さんに怒られると思うけど……」
「では聞くが、防護服の酸素が切れたらどうする気だ?」
「あ」
……考えてなかった。薪が苦しんでいる様子を見たら、それだけでパニックになってしまって。常識的な判断ができなくなってしまったのだ。
 沈黙してしまった青木に、「本当に馬鹿だな」と高橋は蔑みの言葉を放ち、耐え切れなくなったように失笑した。

「外付けの酸素ボンベを入れてやる。但し、付け替えには細心の注意を払えよ。細菌の播かれた部屋ではなく、別室で行うんだ。もし細菌が防護服に付着する微粒子タイプのものだったらジョイント部分から侵入しないとは限らないが、その時は運が悪かったと思うんだな」
「ありがとうございます!」
「死ぬかもしれないと言ってるんだ。礼なんか要らん」
 高橋は部下に命じてボンベを玄関前に届けさせ、自分が建物を出る際に内部に移しておいてくれた。酸素ボンベのリミットは1時間。5本あるから、朝までは薪の傍にいられる。

 給湯室の氷を使って薪の額を冷やし、タオルで汗を拭いてやる。熱を持った彼の唇は、砂漠に吹く風のような呼吸のせいでますます痛めつけられ、乾燥して割れ始めていた。スプーンで水を運んでやると、彼の口唇は嚥下できずともいくらかは潤って、うう、と低い呻き声を洩らした。
 何度目かの受水の折、口端から首に伝った水を拭こうと伸ばした青木の手が、びくりと止まった。
 首の付け根の辺りに、不自然な凹凸がある。リンパ腺の腫れのような大きなものではなく、疱疹のようなものだ。恐る恐る襟元を開いてみると、いつの間にかその凹凸は皮膚ををびっしりと覆って、不吉な赤白の斑模様に薪の薄い胸を彩っていた。
 いかにも伝染病らしい症状に、青木の胸は押し潰されそうになる。モニターに眼をやると、心拍数と血圧が高い。

「大丈夫ですよ、薪さん。大丈夫ですからね」
 薪を励ましたいのか自分が縋りたいのか判別のつかない声で、青木は何度もその言葉を繰り返した。




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パンデミック・パニック(7)

 今年は花粉、スゴイみたいですね。 花粉症の方々に、お見舞い申し上げます。

 うちのオットは重度の花粉症患者でして、殆ど廃人と化しています。 PCの前でね、鼻にティッシュ詰めて、口開いてボー。 ←薬飲んでてこの状態。 
 仕事にならないので、病院に行ったら薬を二倍に増やされて、でもこの薬はステロイド系とかであんまり身体にはよくないんだそうです。 だけど、外の仕事なのでね、服用しないとどうにもならないらしくて。 (くしゃみと涙でレベルが読めないらしい)
 本当に、花粉に殺されそうな勢いです。(--; 

 まだ発症してない人も、マスクとかした方がいいそうですね。
 わたしは現代人とは思えないくらいアレルギー皆無の女なんですけど、今年から花粉症予防のマスクをすることにしました。 夫婦してぼーっとしてたら、会社潰れちゃう☆
 みなさんも気を付けてくださいね。

 



パンデミック・パニック(7)





『というわけで、立て籠もりじゃありません』
 青木から大凡の事情を聞き終えた岡部は、口中に沸いた苦みを奥歯で噛みつぶした。青木は薪のことになると暴走する。今回もやってくれたか、と言う感じだ。
『岡部さんは、どうして状況を知ったんですか?』
「薪さんから山岡宏と言う男の保護を頼まれてな。今、法一に来てるんだ。彼の携帯番号を調べて、GPSで居所を特定しようと思って」
『あ、その件でしたら』

 青木の声を聞きながら、岡部は法一の廊下で擦れ違った白衣の女性を振り返る。短い黒髪を弾ませて彼女は、脇目もふらずに突き当りの部屋へと歩いて行く。彼女が向かう自動ドアの上には赤く点灯する標示板があり、第一解剖室と明記されていた。
 なぜ彼女が解剖室に? そもそも、こんな時間にどうして彼女がここにいる?

『オレが三好先生に連絡を。法一の連絡網をお持ちだと思って』
 おまえか――――!!!

「先生!」
 呼び止められて振り返り、雪子は初めて岡部に気付いたようだった。「あら、こんばんは」と当たり前の、しかしこの状況に置いては暢気と呆れられそうな挨拶を寄越し、岡部に会釈する。
「まさか、先生が感染者の遺体を解剖するわけじゃないですよね?」
「そのつもりですけど。……なんかマズイ?」
「第五の連中、なんて非常識な。新婚の先生に解剖を頼むなんて」
「新婚は関係ないでしょ」
 クスッと笑う雪子の鷹揚に、もしかしたら彼女は薪の窮状を知らないのか、と岡部が思ったのも束の間、雪子は厳しい顔になって、
「ごめんなさい、急いでるの。感染者の命が係ってますから」

「待ちなさい!」
 踵を返した彼女の背中に、鋭い制止が飛んだ。
 横通路から歩いてきたのは、第五研究室室長の佐伯だった。三人とも室長会議で顔を合わせているから、お互い顔は見知っている。
 佐伯は、縁なし眼鏡を掛けたインテリ然とした男で、見るからに神経質そうだ。ミクロサイズの生き物ばかりを相手にしているからか、彼はガサツな人間が苦手なんだと第五の副室長から聞いたことがある。雪子とは反りが合わなそうだ。

「勝手な真似はしないでください。あなたに解剖を頼んだ覚えはありませんよ、三好副室長」
「ええ。でも、佐伯室長ご指名の監察医がここに到着するまでには、あと1時間ほど掛かります。解剖は一刻を争うのでしょう? ならば現在研究室にいる職員の中で、わたしが一番適任だと思ったまでです」
「あなたは第九室長の友人だ。気持ちは分かるが」
「感染者が誰であろうと関係ありません。そこを退いて、わたしに仕事をさせてください」
 黒い瞳を熾烈に光らせて、自分より十も年上の第五室長に言い放つ。さすが女薪。仕事のことになると一歩も引かない。
 岡部とて、一秒でも早く細菌の種類を特定して、薪の命を助けてほしい。しかし、彼女が解剖室に入ったことで、気も狂わんばかりに心配する人間がいることも知っている。その人間の中には、当の薪も入っているのだ。それに、これは雪子の仕事ではない。彼女は青木から連絡を受け、部下の身を案じて職場に出て来ただけ。解剖のために出向いたわけではない。

「三好先生、俺からもお願いします。思い留まってください。あなたに万が一のことがあったら、竹内も薪さんも」
「夫には承諾を得ました」
 なんて夫婦だ。監察医と捜査一課の刑事なんか、結婚するもんじゃない。お互いの仕事に理解がありすぎる。
 夫の竹内が認めたなら、岡部に口を挟む権利はない。黙って道を開けるしかなかった。

「あ、そうだ。三好先生、山岡宏という職員の携帯の番号をご存知ですか?」
「山岡なら、竹内が捜索中です。見つけ次第保護してくれるって」
「その仕事は俺が薪さんに頼まれたんですけど。すでに竹内が動いてるんですか?」
「勝手な真似をしてすみません、わたしが頼んだんです。青木くんから聞きました。犯人は、彼のIDを使って第九に侵入したのでしょう? 山岡の身も心配ですし、もし彼の管理ミスで犯人の手にIDが渡ったのだとしたら、わたしにも責任がありますから」
 一を聞いて十を知る性質。そしてこの行動力。それもまた、彼女が女薪と呼ばれる所以だ。本人に言えば、「あたしは薪くんみたいな悪女じゃないわ」と笑い飛ばすだろうが。

 法一の副室長が解剖室へ姿を消した後、第五室長の佐伯は、チッと舌打ちした。広い額に青い静脈が浮いている。相当頭にきているらしい。
「ったく、生意気な女だ。20キロの防護服背負って解剖だぞ。女にできる仕事か」
「三好先生ならやるでしょうね」
「ますます生意気だ」
 ふん、と鼻を鳴らした佐伯室長は、白髪交じりのパサついた頭髪に手をやり、次いでハハッと苦笑いした。笑った佐伯の眼は人間味を帯びて、彼の「生意気な女」は「大した女だ」という意味だったのかもしれないと岡部は思った。

「彼女に解剖させたなんて分かってみろ。第一の室長はもちろん、あんたのところの室長にも何を言われることか」
「薪さんは、大丈夫でしょうか」
「当たり前だ、絶対に助ける」
 力強く言い切る細菌研究室の責任者に、岡部は頼もしさを覚える。彼の人となりを完璧に理解しているわけではないが、それでも専門家の強気の発言はありがたい。
「二度と彼の女装が拝めないなんて、考えたくもない」
 ……前言撤回。ヘンタイの言うことなんか、誰が信用するか。
 室長会のメンバーには多いと聞いたが、こいつもか。嘆かわしい。やはり原因は何年か前の暑気払いで披露した日本舞踊のせいだろうか。

「今、全職員を叩き起こして遺体から採取した血液の調査と、遺体の男の勤務先を洗わせている。研究員の中には、警察よりも民間研究所のネットワークを持っている者も多いからな」
 夜中の1時に全職員を総動員してくれるとは、しかもワクチンの入手にまで尽力して、佐伯はさすがに警察官だ。職務への熱意と厳しさと、何よりも人命を重んじる公僕の精神を持っている。
「あの頭脳は、日本警察の宝だ。失ってたまるか」
 佐伯の真剣さに岡部は感動すら覚え、先刻の女装云々はいささか場を弁えない彼のジョークだったか、と寛大な心持ちになる。心からの感謝を込めて、岡部は佐伯に頭を下げた。

「ありがとうございます。うちの室長のことを、そこまで」
「『女装を愛でる会』会員ナンバー1ケタの栄誉会員として、全精力を傾ける所存だ」
 高校野球の宣誓のように誇らしく言って、佐伯は自分の仕事場へ戻って行った。
 顕微鏡ばかり覗いているせいですっかり曲がった彼の背中をへし折るのは、薪が健康体に戻ってからにしようと岡部は思った。



*****


 薪さんが室長会で着物着たのって、元はと言えば岡部さんのせいなんだけど。(『新人騒動』及び『岡部警部の憂鬱Ⅱ』)
 人間、自分に都合の悪いことは忘れちゃうもんですよネ。(・∀・)


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ジャンル : 小説・文学

パンデミック・パニック(8)

 こんにちは!

 一昨日の夜から昨日に掛けて、たくさん拍手いただいた方、ありがとうございました♪♪♪
 おかげさまで、一日の拍手数の最多記録を更新しました。 多分、200超えたのは初めてだと思います。 拍手いただいた具体的な時刻は、一昨日の23時頃から朝の5時くらいまで、
 あのっ、いつお休みになられるんでしょう!?
 すみません、日中も引き続き、ありがとうございます、でも、
 寝てくださいーー!!!

 別々の方だったらいいのですけど~、わたしだったら気がkur、クルクルってなる~~~。
 どうか、お身体にご負担の無い範囲で読んでくださいねっ。

 でも、とっても嬉しかったので、がんばって(13)まで読み直ししました。(←現金)
 拍手はブロガーの栄養剤でございます。 いつもありがとうございます!!


 
 で、お話の方なんですけど~、
 薪さんに生命の危機が、ってそれはもはやうちのスタンダードなので、(<おいおい) どうか心配しないでくださいね。 これ、基本ギャグ小説だし。

 ということで、続きです。



パンデミック・パニック(8)






 山岡宏は、科警研管理棟の倉庫で発見された。
 口をガムテープでふさがれ、手足を縛られて用具入れに押し込まれていたのを岡部と竹内が見つけ出した。襲われたことにひどいショックを受けていたが、命に別状はなく、目立った怪我もしていなかった。

 犯人の男にはまったく見覚えがない、と山岡は言った。

 山岡は二日ほど前から、溜まった有給を消化するための予定もない休暇を取っていたが、今夜は実験途中の細菌のデータを取るために研究室に来ていた。法一の職員の多くは研究者であり、常に何がしかの実験を行って論文を著している。山岡のように休暇中に研究室を訪れる職員は珍しくもない。
 山岡は実験に没頭し、夜中になって空腹を覚えたので、管理棟のコンビニに夜食を買いに来た。その道中、犯人に出くわせてしまった。運が悪かったのだ。

「山岡からは、犯人につながるような証言は得られませんでした」
 中園に対する報告を終えて、岡部は電話を切った。細菌事件の詳しい情報は第五研究室から報告されるはずだから、岡部が言及したのは行方不明になっていた法一の職員のことについてだけだ。
 ふう、と岡部は溜息を吐いて、ソファにもたれた。まったく、大変な夜だった。
 此処は法一の副室長室、つまり雪子の部屋だ。岡部同様、今宵の騒動に巻き込まれた面々が集まっている。

「ご苦労だったな、竹内」
「いえ、俺はうれしかったです。久しぶりに岡部さんとご一緒できて」
 嫌味なく笑う後輩の顔は、相変わらず俳優のように整っている。まさかこの男が、結婚相手に雪子のような女性を選ぶとは思わなかった。人の縁とは分からないものだ。
「先生もお疲れさまでした。家に帰って休んでください」
「そうします。さすがに20キロは効いたわ」
 四時間掛かってもおかしくないハードな司法解剖を、雪子は二時間で終わらせた。助手に付いた職員の話では、その指先は普段となんら変わらぬスピーディさで、20キロの防護服をものともしなかったそうだ。雪子の「鉄の女伝説」がまた一つ増えるだろうと岡部は思い、その噂が薪の機嫌を悪くすることを予想して憂鬱になった。

「でも、これで臨月でも解剖ができるって自信がついたわ」
「……おい、竹内。何か言ってやれ。夫としてというよりは人として」
「さすが先生。惚れ直します」
 ……いいのか、それで。

 多大な疑問に太い首を傾げる岡部を他所に、新婚夫婦は眼と眼で想いを交わす。勝手にしてくれ、と岡部が匙を投げると、彼らは申し合わせたようなタイミングで立ち上がった。
「じゃあ、俺と先生は一旦帰ります。岡部さんは、病院へ?」
「ああ」
 司法解剖が終わり、血液検査の結果も出たおかげで治療方針が決まり、薪は病院に移された。第九には再び衛生班が入り、室内の洗浄と消毒を行って、今日の職務に支障が出ないように後始末を進めてくれている。
「こいつとの約束だからな。薪さんの傍に付いていてやらないと」

 そう言って、岡部は執務机の横を見やる。
 雪子が仮眠に使っている寝椅子に長々と伸びているのは、先刻まで第九に立て篭もっていた凶悪犯、もとい、暴走迷惑男の青木だ。こいつのせいで、今夜の疲れは二倍になった気がする。
 薪が病院に収容されて安心したのか、青木は目眩を起こして倒れてしまった。防護服を着て何時間も過ごしたのだ、体力を削られて当たり前だ。しばらく休めば元気になる。それまでは自分が薪についている、と青木に約束した。
「事件の顛末と、薪さんの身体について、説明もしなきゃならないし」
「室長に本当のことを言うの、勇気が要りますねえ。あの人のことだから、あまりのショックに暴れ出すかも」
「あたしから言いましょうか? 患者への告知は医者の仕事だし」
「すみません、その役目、オレにやらせてください」

 寝椅子から上がった声に、ソファの3人が一斉に振り返る。
「なんだ青木。起きてたのか」
 眠っているとばかり思っていた後輩はやおら起き上がり、秀でた額を押さえながら椅子に座り直した。
「薪さんにはオレから話します。だから、もし岡部さんが付き添っているときに薪さんが目覚めても、薪さんの身体のことは伏せておいてもらえますか」
「それは構わんが」
 薪の気持ちを考えたら、一刻も早く知らせてやった方が良いに決まっている。青木がそんなことも分からない訳はないから、青木なりに何か考えがあるのだろう。

 常なら「ありがとうございます」と素直に礼を言うはずの後輩は、未だ目眩が治まらないのか、岡部の応諾に頷くこともしなかった。眼鏡を外しているせいでいつもより鋭く見える青木の瞳は、暗い焔のような憂慮に満たされていた。




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パンデミック・パニック(9)

 連日更新、えらいぞ、しづ! ←自画自賛。  て、前の章短すぎだろ。(笑)

 多分同じ方、昨日も引き続き、読んでくださってありがとうございました~。 楽しんでいただけてるといいな。
 ……眠ってくださいねっ。(くどい)


 ちょっと私信です。

 Mさま。
 この章に、関白宣言出ます☆
 果たして青木さんは涙の雫を2つ以上こぼすのか?(笑)


 



パンデミック・パニック(9)






 眼を開けて、そこに白い天井と棒状の蛍光灯を見た時、薪は不思議に思った。熱のせいで茫洋とする頭を懸命に動かして、自分の置かれた状況を把握しようとする。
 天国でも地獄でもない。自分はまだ生きている。

「気がつきました?」
 ひょいと自分を覗き込んできた恋人に、薪は自然に微笑んだ。素直に嬉しかった。一時は、死を覚悟したのだ。彼にもう一度会えたのは幸運だ。
「なかなか熱が下がりませんね。苦しいですか」
 いや、と薪は首を振ったが、本当は頭痛がひどかった。首を振ると頭蓋骨の中で脳がゼリーみたいに揺れる感覚があって、吐き気がした。
 どうやら自分は病院に収容されたらしい。廊下から靴音が聞こえてくるから、ここは隔離病棟ではないようだ。つまり、二次感染の危険はないと判断されたわけで、だから青木がこの部屋にいられるのだろう。

 頭の下がひんやりして気持ちいい。水枕なんて何年ぶりだろう。
 毛布の上に載せられた腕に、点滴の管が刺さっている。その腕には、赤い発疹がびっしりと浮き出ていた。
 それを見た途端むず痒さを感じて、薪は点滴の管が刺さっていないほうの手で自分の首に触れてみた。指先に感じる凹凸。一つ一つがけっこう大きい。膿胞になっているのかもしれない。あちこち触ってみると疱疹は身体中を覆っていて、自分でも気味が悪いくらいだった。
 感染による症状だろうか。いや、あの男には発疹など出なかった。容器から細菌が漏れ出したと思ったら、瞬く間に血を吐いて死んでしまったのだ。それとも、人によって発症が異なるのだろうか。開発したての細菌だとか言っていたから、発症も不安定だとか?
 ……そんな細菌、テロに売れるのか? 犯罪者でも死んだ人間を悪く言うのはいけないことだと思うが、やっぱりあの男、底なしのアホウだ。

「山岡宏は無事に保護できたか? 犯人の身元は?」
 捜査の進捗状況を確かめようとすると、青木はゆっくり首を振って、
「事件のことは気にしないで。ご自分の身体のことだけを考えてください」
「そんなわけに行くか。あの男は何処かの研究室から毒性のある細菌を盗み出して、テログループに売ろうとしてたんだぞ。男の身元を確かめて、被害に遭った研究室を洗い出して、他に盗まれた細菌がないか確認しないと」
「それには時間が掛かります。残念ながら、間に合わないと思います」
 珍しいことに、青木は薪の命令を拒否した。
「間に合わない? なにが」
 薪の問いに、青木は苦しそうな瞳で薪を見た。それが答えだと薪は知った。

「…………僕、死ぬのか」
 昨夜よりも身体が楽になっているから、てっきり助かったと思っていたのだが、そうか、死ぬのか。
「薪さん……!」
 思い余ったように、青木が覆いかぶさってきた。個室だから人目を気にする必要はないが、不用意な接触は危険だ。
「青木、触らないほうがいい。伝染ったら大変だ」
「大丈夫です。オレには抗体がありますから」
「ワクチンの投与を受けたのか? じゃあ、細菌の特定ができたんだな?」
 ならば万が一、第九に入った誰かが感染しても、その者の命は失われないわけだ。薪は心底ホッとして、よかった、と安堵の溜息を吐いた。

「何が良かったんですか? ご自分の身体のこと、気にならないんですか」
 不意に薪の両肩を掴んで、青木は厳しい声で問い質した。肩をベッドに押さえつけられて、至近距離に青木の顔。何だかえらく不機嫌そうだ。
「ん? ああ、そうだな、仕事の引継ぎとかあるし……青木。岡部に言って、できるだけ早く」
「いい加減にしてくださいっ!!」

 いきなり怒鳴りつけられて、薪は驚いて青木を見上げた。青木は叫ぶと共に薪の身体から離れ、その長身でベッドに横たわった薪を見下ろしながら、
「なんでそんなにアッサリ受け入れちゃうんですか!? 自分が長くないって言われたら、もっと狼狽えるのが普通でしょう?」
「普通って言われても」
「この世に未練はないんですか? オレに会えなくなっても平気なんですか?」
「いや、平気ってことはないけど」
 上ずった声で質問を重ねる青木とは逆に、薪はどんどん冷静になって行く。
 青木の気持ちは分かる。最愛の恋人が死ぬ、その悲しみに耐え切れないのだろう。それを当の恋人にぶつけるのはどうかと思うが、やり場のない辛さが彼を突き動かしているに違いない。愛されている証拠だ、と薪は、彼の筋違いの怒りを微笑ましく思う。

「でも、現実的に無理なんだろ?」
「現実の話はどうでもいいです! 薪さんの気持ちを訊いてるんです!」
 ……それ、僕が死ぬのはどうでもいい、って聞こえるけど? 言葉のアヤだよな?

 青木の悲しみを少しでも軽くするにはどうしたらいいのだろう、と薪は考える。
 困らせるのは得策ではない。取り乱したり泣いたり、彼の負担を増やすようなことはしたくない。
 薪は深く自分に問いかけ、心の中から幾つかの気持ちを拾い、残りを打ち捨てた。拾い上げた気持ちを基にして声と表情を調整し、彼に語りかけた。
「そうだな。未練はないな」
「オレにも?」
 薪は、にこりと笑った。上手に笑えたかどうか自信がなかったが、今の自分にできる精一杯で彼への感謝を表した心算だった。
「たくさん愛してもらったからな。もう充分だ」

 こんな状況を夢見たときがあった。
 青木が僕を愛してくれるうちに僕の人生の終わりが訪れて、さらには彼が僕を看取ってくれる。彼の愛に包まれたまま、時を止めることができる。それはなんて幸せなことだろう。
 そんな幸運に恵まれたら、言おうと思っていた。
 この世の誰よりも、おまえを愛してる。

「青木。僕は」
「そんなに鈴木さんの処へ行きたいんですか?」
 尖った青木の声に、薪は言葉を失う。
 青木の被害妄想は今に始まったことじゃないけど、時と場合を考えて欲しい。鈴木のことなんか一言も言ってないのに。
 薪は口惜しさにくちびるを噛んだ。今、正に愛を告白しようとしていたのに、身に覚えのない疑惑を掛けられて。ちょっと気の弱い人間なら泣いちゃうぞ。
 高熱と憤慨に眼を潤ませて薪が目蓋を開けると、泣いていたのは青木だった。

「なんでおまえが泣いてんだ? どう考えても、ここで泣いていいのは僕のほうだと」
「オレはそんな言葉を聞きたくて、あなたを愛したんじゃありません!」
 青木の剣幕に押されるように薪は口を噤み、薪の言い分は三度遮られた。自分は明らかな被害者なのに、どうしてこんなに怒られなければならないのだろうという素朴な疑問が頭を掠めたが、涙を流しながら訴える青木の様子の切実さに、その疑問は吹き飛んでしまった。
「あなたにもっと積極的に生きて欲しくて、この世界はあなたにとって素晴らしいことでいっぱいだって分かって欲しくて、だからたくさんたくさんあなたを愛して!
 それをなんですか。もう十分? 未練はない? ふざけないでくださいよ、まだ何も成し遂げていないくせに!!」

 青木にこんな乱暴な物言いをされたのは初めてだ。青木はいつも慎重に言葉を選んで、薪の機嫌を損ねないように気をつけていた。薪の耳に痛いことを言うときでもその態度は温かで、薪のことを思いやるからこその苦言だと分かって、だから彼の言葉に傷つけられたことなど一度もなかった。

 青木は大股に歩いて、病室を出て行ってしまった。
 自分以外誰もいなくなって静まり返った病室の中、薪は再び白い天井に視線を据えて呟いた。

「言えなかったな……愛してるって」




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パンデミック・パニック(10)

 こんにちは。

 お彼岸の日曜日、みなさまいかがお過ごしでしたか? うちは当たり前のように仕事です。(←4週連続日曜日仕事)
 もうね、3月だけは60日あっても多くない。 土木業者はみんなそう思ってる、少なくとも友だちの業者はみんなそう言ってる。
 だって雨が~、埋設管の競合が~、仮設給水が~、公共桝位置の変更が~~。 その他もろもろ、えーい、
 期越えが怖くて工事ができるかー! ←役所に聞かれたら大目玉。

 せめて雨だけはカンベンして欲しいです。



 ところで、
 こちらの薪さんの病気についてですけど、
 なんかすっかりバレてるみたいで~(笑) 鍵でコメントくださった方、全員正解です☆
 
  



パンデミック・パニック(10)







 太陽が高くなるにつれて体温も上昇していくようで、朝はいくらか楽になったと思っていた薪の身体は、再び昨夜の高熱に痛めつけられていた。
 点滴に解熱剤が入っていると思われるのに、ちっとも効かない気がする。普通の病気ではないのだから当たり前かもしれないが、それにしてもこの熱と発疹は異常過ぎる。自分で見ても気持ちが悪くなるくらいだ。
 岡部を呼んで仕事の話をしたいのに、この調子ではまともな会話ができそうにない。身体はふわふわと宙に浮いているようだし、視界はときどきブラックアウトする。

「薪くん。具合どう?」
「雪子さん」
 スライド式のドアを開けて顔を覗かせた白衣の女性を認めて、薪はうっすらと微笑んだ。どうやら雪子もワクチンを投与されたらしい。開発中の細菌のワクチンのストックが、それほど多くあったとは考え難いが、犯人の遺体が司法解剖されたであろう第一の職員には優先的に投与されたのかもしれない。なんにせよ、彼女の安全が確保されていることは喜ばしい限りだ。

「今まで、本当にありがとうございました。僕がここまでこれたのは、みんな雪子さんのおかげだと」
 最後になるのだからきちんと礼を言っておこうと、薪が感謝の言葉を述べようとすると、雪子はそれを遮って、
「どうしたの、急に。薪くんらしくない」
 さすがに雪子は医者だ。患者に死期を悟らせないように、その演技は完璧だ。だが、その必要はない。
 今朝方、薪の恋人が座っていたパイプ椅子に、どすんと音をさせて腰を下ろした雪子に、薪は微笑を向けたまま、できるだけ穏やかに言った。

「いいんですよ、雪子さん。僕は知ってるんです。青木が本当のことを話してくれましたから」
「そう。ふふ、竹内ったらね、薪くんが本当のことを知ったら、あまりの衝撃に暴れだすんじゃないかって言ってたのよ」
「そんなみっともない真似はしませんよ。僕は男ですから」
 竹内の暴言も、聞けるのは最後だと思うと、寛大に許せる気持ちになれた。人間死ぬ前は仏様みたいにやさしくなれるって言うけど、あれは本当なんだ。

「警官になった時から、覚悟はしていました。これは謂わば、僕の最後の事件です。犠牲者が僕一人で済んだなら、満足の行く結果です」
「最後の事件? 薪くん、警察辞めるの?」
「自動的に辞めることになるかと」
「どうして?」
「どうしてって」
 薪は訝しそうに雪子を見て、口を結んだ。
 自分はもうすぐ死ぬ、それを薪は知っている。そう伝えたのに、雪子がいつまでも白々しい演技を続けることが、薪には意外だった。必要のない嘘を重ねるなんて、聡明な雪子らしくない。それともこれは雪子が医者である以上、避けられない欺瞞なのだろうか。

「僕、助からないんでしょう?」
 ズバリと訊くと、雪子は眼を真ん丸にして、はあ? と間の抜けた声を出した。本気で驚いているように見える。雪子は嘘が苦手な方だとばかり思っていたが、なかなかどうして、大した演技力だ。
「薪くん。青木くんから本当のことを聞いたのよね?」
「はい。引継ぎをしなければいけないことが幾つか残っていますから、教えてもらってありがたかったです」
 口紅が擦れるのも構わず、雪子は右手の拳を唇に強く当てた。女性にしてはキッカリした眉を寄せて、黒い瞳を細くする。
「もしかして青木くん、伝える病名を間違ったんじゃ」
「病名? この症状に、病名があるんですか?」
 なんだかヘンだ。開発中の細菌による感染症、それにもう病名が付いたのだろうか? 昨日の今日で? あれってある程度研究が進んで、学術発表とかされて決まるもんじゃないのかな。

「うん。麻疹」
「そうですか、ハシカ ―――― はああ!!?」

 薪は思わずベッドから起き上がり、するとぐらぐらと世界が揺れる。エアポケット級の失墜感。耐え切れず、ベッドに戻った薪の身体が描いた軌跡は、横たわるというよりは落ちるという表現が正しい。
 ハシカって子供が罹るあれか? いや、そんなわけがあるか。だって、あの男は死んだのだから。

「何を言ってるんですか? 犯人は血を吐いて死んだんですよ、僕の目の前で」
「遺体の解剖はわたしが担当しました。死因はアルカロイド系毒物による中毒死」
「アルカロイド? まさか。だって、犯人は吐血して死んだんですよ?」
 アルカロイド系毒物は嘔吐や呼吸困難を引き起こすが、吐血はしない。それに、彼の毒物は即効性があるが、犯人は何も口にしていなかった。
「食道に、焼け爛れたような痕がありました。吐血はそこからのものと考えられます」
 では、あの白煙は? 彼が持ち込んだケースの中身は、いったい何だったのか。
「第五の調べでは、空気中にも毒性のある物質は発見されなかったそうです。清掃と消毒は彼らが行ってくれたから、本日の第九の業務に支障はありません」
「ちょ、ちょっと待ってください」

 熱のせいで動きの悪い脳を回転させて、脳内シナプスを根性でつなげる。
 犯人は服毒によって死亡。彼が持ち込んだケースから出てきた気体は無害。自分の症状は、細菌とは関係ないただの病気。

「つまり、あれは狂言だったと? 僕は犯人に騙されて第五と警備部を動かした挙句、子供が罹るような病気で倒れてここに運び込まれたわけですか?」
「ご名答です、薪警視長殿」
「~~~~!!!」
 新人の時以来の大失態に、薪は反射的にうつ伏せて枕を抱え込んだ。強く引っ張られた点滴スタンドが倒れそうになって、それを雪子が咄嗟に足で押さえたが、そんなものは勿論薪の眼に入ろうはずもない。

 どうするんだ、この不始末!! 
 カンチガイで夜中に警備部と第五を動かして、てか僕、中園さんにも連絡入れちゃったから多分指揮は中園さんが取ってたはず、仕事の早い中園さんのことだから厚生省に連絡入れちゃってたりして、それが間違いだと分かったら中園さんの責任問題に……!

「ちょっと薪くん、起きちゃダメよ」
「悠長に寝てられません! もしも厚生省へ謝罪に行くなら、それまでに僕の処分を確定させてもらわないと中園さんに迷惑が」
 四足で起き上がった薪をベッドの上に留めようと、雪子は両手で薪を毛布ごと押さえる。薪が暴れるものだから点滴スタンドは益々揺れて、とうとう倒れ掛かってきたスタンドを受け止めるために雪子が左手を離すと、その隙を逃さずに起き上がった聞き訳のない患者を止めるため、ついには足が出た。
 雪子の長い脚がモロに背中に乗って、今の薪の体力では動かせない。観念して、薪が参ったと言おうとした時、スライドドアの滑る音がした。

「安心してください。中園さんは慎重でした。厚生省へは、今回の事件は伝わっていません」
 岡部の声がして、背中に掛かっていた重力が消える。素早く脚を下したものの、雪子はとんでもない場面を目撃されてしまった。
「三好先生……この拘束の仕方は医者としてと言うよりは女性としてどうかと」
「だって薪くんが暴れるから。つい」
「やっぱり暴れたんですか? 竹内の言った通りになりましたね」
 宿敵の暴言を思い出し、薪は反射的に沸き起こった憤りに胸を焼く。先刻の寛大さはどこへやら、脳裏に浮かんだいけ好かない女たらしの顔に、心の中で唾を吐いた。

「竹内もお見舞いに来たがってたんだけど、麻疹を発症した記憶が定かじゃないから我慢するって」
「薪さん、後で竹内にはちゃんと礼を言ってくださいよ。山岡氏の携帯からGPSを辿って彼を見つけたのは、あいつなんですから」
「どうして竹内が?」
 青木に連絡を受けた雪子が竹内と共に夜の研究室を訪れたことを知って、薪は驚く。竹内にはまるで係わりのない事件だったはずなのに、夜中に労を惜しまず動き回ってくれたのだ、と岡部に言われては、頑固な薪も彼に感謝せざるを得ない。山岡が無事に保護されたのは、竹内の迅速な行動のおかげなのだ。

「岡部さん、お願い。脚で薪くんを押さえてたことは、竹内にはナイショにして」
 雪子が苦笑いしながら頼むのに、はい、と岡部は頷いて、薪の耳元に顔を寄せてこっそりと、
「女心ですかね。先生もカワイイとこありますね」
 前言撤回。誰が礼なんか言うか。




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パンデミック・パニック(11)

 お彼岸ですね。 
 今日は実家のお父さんに、お花を手向けに行ってきます。 オットはどうしても仕事が抜けられないので、今年はわたしだけ。 母も祖母も、えらくオットを気に入ってるので、がっかりされちゃうかも。(笑)

 本当にね~、特に祖母はオットにメロメロなんですよ。
 オットとわたしと祖母の3人で旅行に行った時、車の運転代だと言って、ティッシュに包んだお札をオットに差し出して、
「まーくん (オットの愛称) にだからね。しづのじゃないよ」
 ……孫と婿とどっちが大事なんだか。
 そしてわたしにはこの一言。
「おまえ、取り上げるんじゃないよ?」
 あんたの孫でしょうが! 信用せんかいっ!!


 祖母は93歳。 現在は韓流ドラマにハマってるそうです。 





パンデミック・パニック(11)






 倒れ掛かった点滴スタンドを雪子から譲り受け、きちんと立て直した後、岡部は問答無用でベッドに手を入れて、薪の身体を仰向けにひっくり返した。これ以上面倒かけんでください、と腹心の部下に睨まれれば、昨夜の自分の失態に恐縮する気持ちでいっぱいの薪には、返す言葉も失われる。

「犯人の身元が分かりました。と言っても、調べたのは捜一の連中ですがね」
 壁際に立てかけてあったパイプ椅子を持ってきて雪子の反対側に腰を下ろし、岡部はこれまでの捜査で分かったことを薪に教えてくれた。さすが岡部だ。薪が一番気にしていることが何なのか、ちゃんと分かっている。
「T大学医科学研究所在籍の助手で、谷島史郎、28歳。こいつのやってた実験てのが俺にはさっぱり意味が分からんのですが、ソラなんとかって細菌を遺伝子操作して、微生物による病気の治療薬を作る事だったとか。今朝になって研究所の職員が確認したところ、彼が実験中だった細菌と研究データが持ち出されていたそうです。彼の仕業と見て間違いないでしょう。
 動機は金ですね。谷島には多額の借金がありまして、金が必要だったらしいです。その細菌を売って、金に換えようとしたんでしょう」
 岡部の口から事件の顛末について聞かされ、結局自分が犯人に踊らされたことを再確認する。底なし沼のような自己嫌悪に落ちかける自分を止めつつ、薪はかろうじていくつかの疑問点を口にした。

「科警研には、何の目的で?」
「谷島は、必要以上に毒性を高めた細菌を開発していることが上にばれて、今後、目的以外の研究を続けるなら研究所を辞めてもらうと言われたそうです。それで、彼は研究中の細菌をどこかへ移す必要があった。
 研究所の話では、谷島の作った細菌は微生物が発生する毒素によるもので、元が微細な生き物だけに、保温ケースから出すと半日で死滅してしまうんだそうです。衝撃や振動にも弱いとか。だから、自分の大学から一番近いこの研究所に眼を付けたんじゃないかと。
 保温ケースと一定の設備があれば、細菌は自宅でも育てられるそうで。設備を盗むつもりで侵入したというのが妥当なところかと」
 犯罪に使う細菌を培養する設備を調達するのに、警視庁の隣に建っている科警研を選定するのはどうかと思われたが、科警研への侵入目的は納得がいった。
 しかし、どうしても納得がいかないのが谷島の死だ。

「薪さんから事情聴取をすれば見解は変わるかもしれないとは言ってましたが、今のところ捜一は自殺で見ています」
「違うな。あれは死を覚悟した人間の態度じゃなかった」
「しかしですね、谷島の死因はアルカロイド系の毒物なんですよ。即効性の毒ですから、自殺じゃないとなると、犯人は薪さんてことになっちまいます」
 そこは薪にも謎だ。すでに薪の中でひとつの解答は導き出されているが、決定的なピースがいくつも欠けている。
「僕的には『薪剛犯人説』の方が、まだ賛同できるが」
「冗談は止してくださいよ」
 慌てて両手を振り回す岡部の好ましい愚直にクスクス笑いを洩らして、薪は質問を続けた。

「自殺の動機は」
「谷島はあまり質の良くないところから金を借りてまして。職場にまで押しかけられて、かなり追い詰められていたようです。ただでさえ取り扱いの難しい細菌を研究室から持ち出して、結果駄目にしてしまって、ヤケクソになってあんな真似を―― 納得してませんね?」
 長年の部下は、薪の微細な表情の変化を読み取ることなど造作もなくやってのける。薪はたった一度長い睫毛を瞬かせただけなのに、それだけで分かってしまうのだ、この男には。

「いいですか、薪さん。気持ちは分かりますが、あなたは病気を治すことに専念してくださいよ。どちらにせよ、この事件は捜一に渡ったんです。俺たちに口を挟む権利はありません」
「そんな常識のないことはしないさ。捜一の連中に、早く事情聴取に来いと言ってくれ。その場で覆してやるから」
「……挟む気満々じゃないですか」
 クスッと笑って薪は、自分の頬に手をやる。普段なら剥き身のゆで卵のようにつるんとした皮膚には、身体と同じ発疹の凹凸が感じられる。先刻、青木がこの頬に頬ずりしたことを思い出して、薪は何だか申し訳ないような心持ちになった。

 室長不在で忙しい岡部は、報告を済ませると第九へ帰らねばならなかった。薪の身体が心配でたまらない彼は、病室を出るまでに3回も振り返って、雪子を失笑させた。
 岡部がいなくなると、雪子は「何か喉越しのいいものでも買ってきましょうか?」と薪の希望を聞いた。食欲は無かったが、口の中が乾いてザラザラしていたので、アイスクリームを頼んだ。
 雪子はカップアイスを二つ買ってきて、一つを薪にくれた。秋のアイスもイケるわ、と大きくアイスを掬いながら雪子が笑う。本当に、雪子は何でも美味しそうに食べる。

「雪子さん。山岡さんてどんな人なんですか?」
「有能な職員よ。研究熱心で、職務態度も真面目」
「研究課題は?」
「今やってるのは大腸菌の培養と経過観察かな。でも、培養に興味を持ち出したのは今年になってからで、去年までは薬品の競合による相乗効果と拮抗効果について論文を書いてた覚えがあるけど……いずれにせよ、とても優秀」
「上司としての評価じゃなく、雪子さんの眼から見て、いい男ですか?」
 上司として、という条件が消えた途端、雪子の顔は苦々しく歪んだ。

「ゴスロリ好きのヘンタイ。机の中に、写真がいっぱい入ってた」
「彼の女性の趣味はどうでもいいです。性格的にはどうですか?」
「友だちにはなりたくないわね。優秀なんだけど、自分に自信を持ちすぎてて、他を見下してる感じ。あ、薪くんと一緒ね?」
 悪戯っぽく笑った雪子に、薪は大仰に顔をしかめて見せる。
「ひどいですよ、僕はそんな」
「あはは、冗談よ」
 雪子がそんなことを思っていないのは百も承知だ。薪は誤解されやすいタイプだが、何人かの人は自分の真実を分かってくれて、信じてくれる。それで十分だと思う。

「それにしても、本当にこれ、ハシカなんですか?」
「そうよ。発疹が出た時点で気が付かなかった?」
 不自然だとは思った。犯人には発疹が出なかったのに、自分には現れた。でもまさか、こんなタイミングで発症するなんて。
「ハシカって、子供が罹る病気じゃないんですか? それに、ハシカの発疹って、こんなに大きくないですよね?」
「麻疹ウィルスさえ取り込めば、大人も子供も関係ないわ。あんまりバカにしない方がいいわよ、麻疹って大病なんだから。大人になってから罹ると余計大変なのよね。発疹も大きくなって、熱も続くし。完治には2週間くらい掛かる人もいるわよ」
「でも僕、子供の頃に予防接種を」
「予防接種だけだと、身体の中にできた抗体が消えてしまうことが多いの。実際に罹病していれば抗体が消えることはないんだけど」
 そうなのか。知らなかった。

「それにしても、ハシカなんて一体どこで」
 宇野の見舞いに行ったとき、夜遅い時間だったから正面玄関が開いてなくて、救急センターから病院へ入った。急な発熱で親に連れてこられた子供の中に、麻疹に罹った子がいたのかもしれない。
「救急センターはね、本当に色んなウィルスがうようよしてるから。できるだけ避けたほうがいいわよ」
 肝に銘じます、と薪は神妙に言って、アイスをもう一匙口に含んだ。口の中が高温になっているから、冷たいものは心地が良い。風邪の菌が胃腸に悪さをしている時は別として、発熱時の栄養補給はだいたいこれだ。

 薪が熱を出すと、青木は必ず薪の好きなアイスクリームを買って見舞いに来る。それから頼みもしないのにおかゆだのスープだのって家政婦の真似事をして、それをものすごく楽しそうにされるものだから、僕が熱を出して寝込むのがそんなに嬉しいか、と皮肉の一つも言ってやりたくなる。
 熱を出した時とばかり限らない。青木は薪がほんのちょっと疲れを感じて休んでいるだけでも深刻な表情になって、あれやこれやと世話を焼きたがる。健康なときでさえ、風呂で髪を洗ってやるだの着替えさせてあげるだの、まあアレは下心てんこ盛りの親切心なのだろうけど、とにかく、薪が病魔に苦しんでいるのに、あんな捨て台詞を吐いて背中を向けてしまうような、冷たい恋人ではなかったはずだ。

「……青木のやつ、一体どういうつもりなんだろう」
 事もあろうに病人に対して「もう長くない」なんて、言っていい嘘と悪い嘘がある。許されていいことじゃない。病気が治ったら説教だ。エントランスの打ちっぱなしコンクリートの上で二時間、正座で説教聞かせてやる。
「まあ、あたしは薪くんのこと20年も見てるからね。仕方ないなって思うけど、青木くんは許せなかったんじゃないのかな」
「許せなかったって……騙されたのは僕ですよ?」
「その前に騙したのは薪くんじゃない」
「だってあれは」
 青木の命を守るためだった。あの時点で、薪は本物の細菌が播かれたと信じ切っていたのだ。止むに止まれぬ嘘だった。

 薪が不機嫌に押し黙ると、雪子は空になった紙製のカップをくしゃりと潰し、
「青木くんが薪くんの口からどんな言葉を聞きたかったのか、薪くんなら分かるでしょう?」
「分かりませんよ。言ってくれなきゃ分かりません」
「相変わらずズルイのね」
 ひょいっと雪子が放り投げた紙くずは完璧な放物線を描いて、見事ゴミ箱に落下した。フリーになった両手を彼女は豊かな胸の前で組み合わせ、いつものハキハキとした口調で遠慮なく言った。
「自分の気持ちは決して言わないくせに、相手には理解して欲しいと思ってる。そのくせ、相手の気持ちは『言ってくれなきゃ分からない』。
 大したものだわ。学生時代とちっとも変わらない。それがあなたのスタイルだものね」

 何故だろう、と薪は思う。
 どうして今日は、みんな自分に冷たいんだろう。病気だからってやさしくして欲しいわけじゃないけど、青木といい雪子さんといい、自分は何か彼らを怒らせるようなことをしただろうか。
 考えるが、まったく心当たりがない。
 確かに、自分のカンチガイでとんだ迷惑を掛けた、だけどそれで怒るような彼らじゃない。自分たちの労苦などどうでもいい、ただのハシカでよかったと喜んでくれる、彼らはそういう心根の人たちだ。

「雪子さん、あの」
「薪くんは正しいわ。薪くんの嘘も正しい。でも、青木くんに嘘を吐かせたのは、薪くんのその正しさだと思う。て、あたしが口出すことじゃないわね」
 座るときと同じくらいのオーバーアクションで立ち上がり、雪子は背筋を伸ばした。ひらひらと手を振って、そろそろ仕事に戻るわ、と笑う。笑うと目尻に皺が出来るようになったけれど、彼女は結婚して益々美しくなったと薪は思う。
 大分温んできた水枕に頭を預け、薪は扉の向こうに消える白衣の背中をじっと見ていた。





*****


 と言うわけで、薪さんの病状は麻疹によるものでした~。
 いやん、怒らないで、だからギャグだって言ったじゃん☆

 実はですね、2年前にオットがまんまこの状態になりまして。 
 実家の父が入院してたので、現場が終わってから2人でよくお見舞いに行ってたのですけど、当然のように玄関が閉まってて、救急から出入りしてました。
 ある日、いきなりオットが熱(39度越してた)を出したと思ったら、2時間くらいのうちに身体中に発疹が!! これが本当に大きなブツブツで、気持ち悪いのなんのって、すごく怖かった。 
 高熱と湿疹から直ぐにハシカを疑ったのですけど、お義母さんに訊いたら「子供のころ、予防接種はちゃんとした。それに麻疹のブツブツはこんなに大きくない」って言われて。
 とりあえず近くの内科に連れて行ったら、「うちじゃ手に負えないから大きな病院で検査してもらって」と紹介状を書かれました。 内科の先生、診察だけじゃ病名が判断できなかったんですね。
 見た目だけでは医者にも診断が下せないなら、素人には分からなくて当たり前ですよね。

 大きな病院で診察してもらって、「どうも麻疹っぽいですね」と先生に言われたのですけど、血液検査をしてみたら、
「麻疹の抗体はありますね。じゃあ、麻疹に似た別のウィルスかな? それともアレルギー反応かな?」
 結局、分かりませんでした。

 検査を重ねれば突き止めることはできるけど、それにはお金も時間もうんと掛かりますよ、症状が治まれば大丈夫ですから、と先生に言われて、そのままにしちゃいましたけど。 本当に、なんだったんだろうなー。

 みなさんも、救急センターの出入りの際には十分注意して、必ずマスクを着用してくださいね。






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パンデミック・パニック(12)

 先月くらいから、
 昔のお話にたくさん拍手いただいてて、とってもありがたいです。
 同じ記事に複数入ってるから、何人かご新規の方がいらっしゃってると思うのですけど。 コメントいただかないと直接はお礼が言えないので、こちらで返させていただきます。
 
 すみませんっ!!
 薪さんのイメージ壊してすみません、原作無視のストーリーですみません、オリキャラばんばん出してすみません、青木さんがストーカーで (あり得ねえ)、雪子さんと薪さんが仲良くて (もっとあり得ねえ)、薪さんにカンチガイ大王とかあだ名ついててすみません! (これが一番あり得ねえ)
 どうか寛大なお心で! 怒りを鎮める練習だと思って! いっそ精神修行だと思って!! 大目に見てやってください。

 ↑↑↑ ……お礼じゃなくて、お詫びじゃね? 

 本人は真剣です。
 追放しないでください。






パンデミック・パニック(12)





 O市の小さな公園で、山岡宏は指定されたベンチに座り、腕時計を確認して幾度目かの深呼吸をした。
 土曜日の昼間、しかもこんな場所を指定されるとは、山岡には全くの予想外だった。こういうことは夜中、怪しげなバーとか路地裏とかで秘密裏に行われるものだとばかり思っていた。ろくな遊具施設もない公園に人気はなく、それだけは今日の取引にプラスの要因だと思えたが……いや、逆にこういう場所の方が怪しまれないのかもしれない。多くの闇取引は日中、衆目の中で行われているものなのかもしれない。
 山岡は商品の入ったケースを鞄の上からそっと押さえ、その存在を指先で確かめた。鞄の生地に遮られて見ることは叶わないが、それは2週間ほど前、第九研究室のモニタールームで白煙を吹き上げた黒い小型ケースと寸分違わぬものだった。

 谷島とは、闇の賭博場で知り合いになった。

 ギャンブルは、この世の何よりも刺激的な遊びだ。山岡がこの味を覚えたのは2年前。親が死んで、それまで手にしたことがないような大金が転がり込み、軽い気持ちで買った馬券が大当りして、その金がさらに増えた。数時間で、元金が数倍に膨れ上がる。それも、山岡が夜中まで働いて手にする一ヶ月の給金の何倍もの額だ。真面目に働いているのが馬鹿馬鹿しくなった。
 山岡の最初の大当たりはビギナーズラックと言うやつで、それからは勝ったり負けたりを繰り返していたのだが、賭け事に夢中になる人間の心理と言うのは不思議なもので、勝った時の快感しか心に残らない。大きく負けた時はがっかりし、落ち込んだりもするのだが、そちらはすぐに忘れてしまう。

 時が経つうち、山岡は次第に強い快感を求めるようになった。
 賭け事の快感は、勝ち金の大きさに比例する。普通のレートでは、高額の勝ち金は得られない。そこで彼は、闇賭博に手を出した。
 科警研勤めの山岡が、何処から賭場の情報を、と思われるかもしれないが、これはちっとも不思議ではない。一般の競馬場や競輪場に、闇賭博の入り口は開かれている。闇賭博の主催者は殆どが暴力団で、その目的は資金集めだ。少しでも多くの顧客を集めるため、彼らは、競馬場で外れ馬券をばらまいている集団の中に賭場への案内人を紛れ込ませている。
 負けた者同士、妙な連帯感をうまく使って相手の勤め先や家族構成を聞き出す。特に公務員は眼を付けられやすい。給与が保証されているから、定期的な資金源になる。

 闇賭博へ出入りするようになって、あっという間に山岡の貯金は底をついた。主催者に言われるがままに借金を申し込み、その借金を返すため、という矛盾した目的のために賭博に精を出した。自分でもどうしようもない状態だと分かっていたが、抜けられなかった。抜けるためには一億近い金が必要だった。

 似たような境遇にあった谷島とは、話が合った。二人の職業には共通点が多く、それは益々彼らの親交を深めた。
 谷島はT大の研究室で細菌の研究をしていた。自分が培養した細菌を売って金に換える気でいたが、上司に仕事以外の研究をしていたことが知れて、研究を進めるのが難しくなってきた。既にサンプルは完成し、ワクチンもできている。これを捨てるなんて事はできない。かくなる上は、どこかの実験室を借りて細菌を増やし、ある程度の量を揃えたら賭場の暴力団を介して外国に売る。そこまで話が決まっていた。

 培地と設備を提供するから、うちの研究室で増やせばいい、と山岡は彼に持ちかけた。
 科警研とは灯台下暗しだ、と谷島は笑った。山岡の案を気に入ったようだった。

 決行の夜、細菌と研究資料を抱えて約束の場所に来た谷島を、山岡は歓迎し、自分の仕事場へと導いた。途中、これからすぐ培養に入るのだから腹ごしらえだと言って、用意しておいたパンと牛乳を彼に食べさせた。
 その後、ビタミン剤だと偽ってCメピジウムという薬品を飲ませた。
 自分も同じ瓶から出したタブレットを噛みながら、パンだけでは栄養が偏る、科学者は健康に気を使わないと駄目だ、と山岡が言うと、谷島は笑いながら錠剤を口に含んだ。
 警視庁のお膝元の科警研で殺人細菌を培養する。それを作る科学者が健康に留意する。谷島はこういう皮肉なシチュエーションを好む性癖があった。

 夜の科警研を訪れて、細菌だけを先に研究室へ運ぼう、と山岡は言った。
 研究データは段ボール2箱もある。これは研究室には置いておけない、もしも誰かに見られたら困る。だからこの場は山岡の車に残して行こう。これからは自分も細菌の世話をすることになるから資料は読んでおきたい、自宅に持って帰ってもいいか、と言葉巧みに資料を自分のものにする算段を付けた。

 正門を潜ってすぐ、山岡は急な腹痛を訴えた。
 牛乳を飲むと必ずこうなるんだ、先に行っててくれ、と目的の建物の方向を指さし、谷島に細菌の入ったケースと自分のIDを差し出した。どうして腹を壊すのが分かっていて牛乳を飲むんだ、と呆れ顔の谷島に、健康にいいからだ、と返すと、谷島は楽しそうに笑って黒いケースを受け取った。

 ケースには、眼に見えないくらいの小さな穴を開けておいた。中に入っているのはAラセプリルという薬液を注入したドライアイスだ。時間が経てば、薬もろとも気化して消える。
 様々な食物の中に危険な食べ合わせがあるように、ある種の薬物も、重ねて摂取することによって毒性を発揮するものがある。先に谷島に飲ませたCメピジウムという薬物は、それだけでは何の毒性も持たない。しかし、それを摂取した状態でAラセプリルから発生したガスを吸い込むと、肺の中でアルカイロイド系の劇薬に変化するのだ。

 谷島に多くの証拠を残して欲しくなかったから、できるだけ正門から遠い建物を選んだ。山岡が第九を指さしたのは、それが理由だった。
 計算外だったのは、ドライアイスの溶ける速度が意外と遅かったことだ。山岡の計画では、建物に到達する前、科警研の中庭で彼は死ぬはずだった。そうしたら彼からIDを回収して、死体は放置すれば良いと思っていた。細菌は、谷島の代わりに自分が売ってやる。もちろん、彼が得るはずだった報酬も。

 ところが、谷島はなかなか死なず、とうとう第九の建物に入ってしまった。
 これはまずい。IDカードから、自分との関係が露呈する可能性がある。

 咄嗟に山岡は管理棟に走って、谷島に襲われた風を装った。管理棟を選んだのは、ここだけがID無しで入れる唯一の建物だったからだ。
 谷島にIDカードを奪われた、と主張した山岡の証言は、あっさり認められた。なんでも、谷島は第九の室長相手にメスを振り回す暴挙に出たらしい。危険な人物との印象を捜査陣に植え付けてしまったのだ。
 以前から、科警研のことは少しずつ谷島に話していたから、冷酷無比な第九の室長と知って過剰防衛に走ってしまったのか、誰もいないと思っていた研究室に人がいて取り乱してしまったのか。詳細については不明だが、いずれにせよ、谷島の取った浅はかな行動が山岡に有利に働いたことは確かだった。

 第九が感染パニックに陥ったと聞かされて、山岡はひどく驚いた。谷島が細菌のことについて他人に話すとは思えなかったし、話したところで何故細菌がばら撒かれたという誤解が生まれたのか、見当もつかなかった。第五まで出動して、第九の室長は入院したというし、いったい何がどうなったのか、しかしその騒動に紛れて、山岡は単なる被害者の一人になりおおせた。
 谷島が死んだ後、山岡は直ぐにでも細菌を金に換えたかったが、あまり焦ってはいけないと考えた。証拠固めのため、捜査一課の人間が研究室をうろついている今、危険な行動は避けた方がいい。少なくとも事件解決までは賭場へも行かないようにしよう。
 山岡は何食わぬ顔で今まで通り日々の業務をこなし、平常の生活を続けた。そうこうするうち、事件は谷島の自殺で決着がついたという情報が入った。科警研をうろつく刑事の姿は消え、山岡はいよいよ大金を手にする時が来た、とほくそ笑んだ。

 そんなとき、山岡の携帯に一本の電話が掛かってきた。
『三億出しましょう』
 電話の相手は、いきなり言った。山岡がかろうじて理性を保ち、何の話だ、と返すと、相手は含み笑いをして、
『おや、これは失礼。てっきり谷島君から話が通じているものと思っていました』
 谷島の名前を出したところを見ると、細菌の取引に間違いない。しかし、谷島は賭場を開催している暴力団を介して売却するつもりだと言っていた。報酬も一億という話だった。買い手から直接連絡が来たうえ、報酬額が三倍に跳ね上がった。怪しい。

 谷島とは誰です、と山岡は惚けた。もう少し、相手のことを探った方がいいと思った。
『そう警戒されずとも。あなたにとっても悪い話ではないでしょう? 我々としても、間に彼らを入れたくないのです。我々は革命軍の指揮下にありますが、一研究所として社会活動を営んでいる。暴力団とのつながりなど、作りたくはない。
 あなただって、彼らを間に挟めば損をする部分も出てくるはずだ。研究資料を見せてもらった上でわたしが彼らに提示した額は五億。しかし、谷島君が受け取るはずだった金額は、もっと少なかった。違いますか? でなければ、彼はわたしに『三億欲しい』という交渉はしてこなかったはずだ』
 電話の相手は、谷島と山岡が通っていた賭場を経営している暴力団のことにも詳しかった。もちろん、山岡の勤め先や研究についても。これは谷島から情報が渡っていたものと判断し、山岡は相手を信用することにした。

『引き渡しは一週間後。O市にある××公園に、午後二時に来てください』
 一週間とは時間のかかる。早いところ証拠品を手元から離して、金を手に入れたいのに。もう少し早くならないのか、と山岡が問うと、三億となると用意するのに相応の期間がいる、と尤もな答えが返ってきた。なるほど、と山岡は考え、その日に指定された場所に赴くことを約束したのだ。
 
 そんなわけで山岡は、土曜日の公園に一人きり、ベンチに座っている。他人から見たら、妻に掃除の邪魔だと追い出された亭主のようにも見えるかもしれない、と心の中で苦笑する。ここが面白みのない公園でよかった。

「おじさん、山岡さん?」
 名前を呼ばれて顔を上げると、いつの間に現れたのか、2メートルほど離れた樹の傍に見知らぬ少女が立っていた。



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パンデミック・パニック(13)

パンデミック・パニック(13)





「おじさん、山岡さん?」


 高校生くらいの女の子だった。栗色の髪をツインテールにして、それが彼女にはとてもよく似合っていた。前髪はふわりと額に落ちかかって眉毛を完全に隠し、丸みを帯びた頬のラインと協力して彼女のあどけなさを強調していた。
 彼女の格好は特徴的で、それは山岡の好みにぴったりと合っていた。白くて薄い布地に、黒のレースラインが縦に三本入ったフリルだらけのワンピースを着て、頭にはドレスと同じデザインのヘッドドレスを付けていた。短いスカートから覗く太腿は彼女が身に着けている服と同じくらい白く、膝から下は編上げの黒いロングブーツに覆われていた。

 山岡は思わず席を立った。
 見たこともないくらい可愛い娘だ。山岡はゴスロリファッションの娘たちには多大な興味を持っていて、時々、その系統の店にも足を運んでいるが、ここまで人形みたいにかわいい娘には出会ったことがない。それも当たり前で、ああいう店は成人女性が客の趣味に合わせて商売用の衣装を着けているだけ、やはりゴスロリは少女にだけ許されたファッションなのだ。

「そうだけど、君は?」
 山岡が答えると、彼女は妖精みたいに歩いて山岡の傍に寄ってきた。
 近くで見ると益々かわいい。
 こういう服を着こなすには必須条件だと思われる小柄で華奢な体つき。亜麻色の瞳は文句なしの大きさ、しかも黒目がちで、びっしりと生えた睫毛に覆われていた。重量感のある睫毛は瞬きにすら支障をきたしそうだったが、逆に、彼女の軽やかな足取りは、重力の影響を微塵も感じさせなかった。

「シロヤマって言えば分かるって」
「えっ。君が城山さんの代理人なの?」
 鈴を転がすような美声が語った言葉に、山岡は驚愕した。予想だにしなかった、この娘が犯罪に加担するような娘だなんて。
 しかし、それは山岡の早とちりだった。
「代理人て何のこと? ミホ、知らない。この鍵を山岡って人に渡して、代わりの物をもらって来ればお小遣いくれるって言われて、それで」
「鍵?」
「滑り台の処にトランクが置いてあるって、あ、あれかな?」

 ミホが指差す先を見れば、公園の奥まった場所に古ぼけた滑り台が置いてあって、その陰に銀色のトランクが置いてあった。言われなければ分からないような置き方で、ミホが現れた方向とは全く別の場所であるし、彼女はトランクの中身をまるで知らないと思われた。
 ミホは鍵を持ったまま、やっぱり妖精みたいに重さを感じさせない歩き方で滑り台に近付いた。前を歩く彼女の短いスカートが揺れ、白い太腿が露わになるたび、山岡は今日ここに来た目的を忘れそうになった。

「わあ、大きなカバン。重いわ、持ち上がらない。中に何が入ってるの?」
 君には関係ない、鍵を渡してくれ、と言おうとして、山岡は言葉を飲み込んだ。言葉と一緒に、多量の唾液が喉に流れ込んできた。
 ミホは鞄を持ち上げようと、前かがみになって両手で取っ手を持った。力を込めると自然に内股になった彼女のスカートが上がり、下着が見えそうになる。そのギリギリのラインの色っぽいこと。
 お小遣いをくれるから、とミホは言った。彼女はお金が欲しいのだ。このトランクいっぱいの金を見せたらどうだ、彼女は自分の言うことに応じてくれるのではないか。何でも好きなものを買ってあげる、と言えば、どこまでも付いてくるに違いない。

「開けてごらん」
 山岡はトランクを地面に倒して、その前に屈んだ。一緒に膝を屈めたミホに、にこりと微笑みかける。
「え? わたしが?」
「うん、いいよ。君が開けて。きっと君の大好きなものが入ってるよ」
 ミホは不思議そうな顔をして(それがまた何とも愛らしかった)、でも従順に鍵をトランクの鍵穴に差し込んだ。その素直さも好ましい、と山岡は思った。

 パチン、と鍵の外れる音がして、トランクが開いた。わあ、とミホの驚く声が聞こえる。山岡も一緒に覗き込むと、大量の紙幣がぎっしりと詰まっていた。咄嗟に数えきれる量ではなかったが、一見して百枚の束が横に6列、縦に5列。下方を探って一束抜き出し、中身が本物かどうか確かめる。すべて本物だ。
 一瞬、金だけ奪おうか、と思ったが、それは得策ではないとすぐに考え直した。この細菌は犯罪の証拠。処分した方がいいに決まっている。それに、この娘。ここで別れるのは惜しい。

「じゃあこれ。君がお使いを頼まれた人に渡してもらえるかな」
「うん」
 黒い小箱と研究データを入れたUSBメモリを、ミホの手に握らせる。華奢で美しい手だった。ネイルアートはパールを散らした白とピンクの天使系で、彼女の雰囲気にぴったりだった。
「ねえ、君」
 彼女の手を握ったまま、山岡は言った。
「そのお使いが済んだら、またここに帰ってきてくれないか」
「……どうして?」
「お小遣い、欲しいんだろ? 見ての通り、ぼくは大金持ちだ。好きなもの、何でも買ってあげるから僕と」

 ミホは、山岡から預かったケースを慎重に地面に置き、スッと立ち上がった。つられて山岡が立ち上がると、驚いたことに山岡の腕に自分の腕を絡めて、もう一方の手を山岡のシャツの襟元に添えた。
「お金は要らないけど、山岡さんのことはもう離さない」
 何と言う幸運だ。金の力は偉大だと思うが、それでもこんなにかわいい娘が自分なんかに。
 身を寄せると、髪から身体から、とても良い匂いがする。我慢しきれなくなって、山岡は彼女のスカートから伸びた太腿に手を伸ばした。

 ぎりり、と強い力で手首を握られた。痛い、と思ったときには少女は山岡の後ろに回り、もっと強烈な痛みが山岡を襲った。
「いっ、痛い! 何をするんだ!」
 腕を捻じり上げられている。関節をおかしな方向へ曲げられて、山岡は悲鳴を上げた。痛いなんてもんじゃない、折れる瞬間の痛みがずっと続いているみたいだ。

 ちっ、と舌打ちする音を聞いた後、山岡の足を編み上げブーツの足が攫った。強い力で蹴られてバランスを崩し、山岡は正面から地面に突っ込んだ。硬い地面が山岡の顔にいくつもの傷を作り、山岡はその痛みに呻いた。
 次の痛みは背中だった。右腕の関節を決められた上、背中に膝頭を打ち込まれた。そのまま押さえつけられ、痛苦に喘ぐ山岡の耳に、澄んだアルトの声が聞こえた。
「雪子さんが言ってたとおりだ。とんでもない変態だな、こいつ」
 彼女の声を合図に、数人の男が茂みや木の陰から出てきて、山岡の身体を拘束した。山岡を男たちに預けると、少女はトランクの蓋を閉め、それを片手で持ち上げた。

「き、君はいったい」
 男たちに両側を挟まれて身動きの取れなくなった山岡が問うと、彼女はトランクを持ったまま、ヘッドドレスの顎紐を解き、それを髪の毛ごとむしり取った。
 ツインテールの下から現れたのは、亜麻色の短髪。この髪型なら彼だと分かる、幾度か仕事場で見かけたことがある。山岡が所属する研究室の副室長と仲の良い、科警研一の美人。

「そんな……」
 信じられないと呟く山岡を、ゴスロリ姿の麗人は、大きな亜麻色の瞳にゾッとするほど酷薄な光を浮かべて見下していた。





*****

 そしてまた謝罪の種がひとつ増えると☆ ←反省の色が見えない。


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パンデミック・パニック(14)

 こんにちは。

 ゴスロリ薪さんに非難コメがこなくて良かった、と密かに胸を撫で下ろしているしづです。
 ちょ、待て、薪さんに何してくれんの、と叫びたいのを我慢してくださってる方々、ありがとうございます。 このお話、あと3章で終わるので、もうちょっと我慢してください。(^^;

 しづと一緒になってきゃーきゃー言ってくださった方々、ありがとうございました。
 コメントいただいて気が付いたんですけど、ゴスロリ服と言えば黒のフリルが定番ですよね。 でも何故か、わたしは薪さんは黒のイメージがなくて。 定番のスーツはチャコールグレイなんですけど、むしろベージュや薄いグレーの方が似合う気がします。 
 そんなわけで今回も、白いゴスロリ服を着せちゃいました。 が、ここで大事なのはゴスロリ服なので。 みなさんの頭の中で、お好きなゴスロリ服を着せていただけたらと思います☆
 
 一応ですね、わたしが参考にしたゴスロリ服はこちらです。 
 姫系ワンピ ←ポチルと衣装のHPに飛びます。
 さすがに肩むき出しは無理があるので~、わたしは長袖で妄想しましたけど、こんなのと組み合わせてもいいかもしんない。
 上着

 可愛い服がたくさんあってね~、どれ着せようか悩むの楽しくて~。 こういう妄想してると、あっという間に時間が過ぎるの~。 
 ……世界一無駄な時間の使い方してる自信があります!(胸張って言うことか) 
  

 戯言に付き合っていただいて、ありがとうございました。
 お話の続きです。 本日も広いお心でお願いします。


 


パンデミック・パニック(14)







 事情聴取と言う名目で捜査一課と直接話す機会を得た薪は、山岡共犯説を提示し、裏を取るよう働きかけた。
 結果、山岡と谷島は同じ賭場に通っていたこと、二人ともかなりの借金があったこと、谷島の研究内容、それが上司によって中断されそうになっていたこと、と言った調査結果が上がってきた。

「君が賭場へ行ってくれれば、そこで違法賭博の容疑で捕まえるつもりだった。家宅捜査さえできれば、細菌の保存場所を見つける自信はあったからね。でも、賢い君は行こうとしなかった」
 上がってきた調査結果だけでは、山岡の犯罪を立証するのは難しかった。薪の主張は、小さな可能性に過ぎなかった。薪は谷島との最後の会話で、共犯者がいることを仄めかすようなことを言われたと証言したが、それが山岡である証拠は何処にもなかった。
「で、仕方なく、あんな電話で君を呼び出したわけさ」

 三億円入りのトランクに腰を下ろして、薪は優雅に脚を組んだ。こんな状況下にあっても、山岡の眼はその脚を追いかけてしまう。男だと分かっているのに、これは異常だと我が身を恥じるが、異常なのはこの男の方だと思い直した。山岡を両側から拘束している刑事たちも、自分と同じ反応を見せていたからだ。

「病み上がりなんですから、身体を冷やさない方がいいですよ」
 そう言って薪の隣に立ったのは、3ヵ月前に結婚したばかりの警視庁一のモテ男だ。この男が山岡の研究室の副室長を結婚相手に選んだ時には、パニックに陥る女子職員で一時業務が停止するほどの騒ぎになった。今では彼らの結婚は、科警研の七不思議のひとつに数えられている。
 彼は上着を脱ぎ、薪の脚に掛けた。明らかに男の目線から庇う仕草だったが、薪は彼の好意にチッという舌打ちを返し、それでも10月のミニスカートはやはり寒かったのだろう、上着の端を腿の下に挟むようにして暖を取った。

「あの電話は薪室長の部下の方が掛けてらしたんですね。さすがエリート集団。室長を初め、第九には芸達者な方が揃ってらっしゃるようで」
 山岡が皮肉を言うと、薪は人を見下すような嗤いを浮かべて、
「うちには小器用な男がいてな。あれはコンピューターの合成音だ」
「へえ、大したものですね。肉声にしか聞こえませんでしたよ。引き渡しを一週間後に指定したのは、衣装合わせのためですか?」
「違う。この格好は、おまえを油断させるためにって言われて」
 さすが稀代のファムファタール。見事な誘惑でした。
「僕はイヤだって言ったんだけど、この衣装で授受するのでなければ僕の介入を認めないって捜一が条件出してきて」
 近くの茂みで、キラッと何かが光った。多分、カメラのレンズだろうと山岡は思った。不憫な人だ。
「おまえのヘンタイ趣味のおかげで、こっちはえらい迷惑だ」
 ゴスロリファッションがここまで似合う四十男に言われたくない。

「どちらにせよ、捜一は動けませんでした。証拠がありませんでしたから」
「第九は証拠が無くても動けるのか……?」
「そこは薪室長だから」
「それで通るんだ……」
 証拠が無ければ動けないのは警察官の良識ではなく、上の判断によるものだ。第九では薪が法律だし、彼がGOと言えば大抵の違法捜査はまかり通る。恐ろしい集団だ。法律無視の国家権力ほど怖いものは無い。

「もう二度と、ゴスロリの女の子には付いて行かないようにしますよ」
「よかったな。おまえの腐った性癖が一つ改善できて」
 ふん、と嘲る口調で皮肉に笑う。鼻持ちならない高慢そうな笑顔が、しかしこの衣装にあっては最高に映える。

「作戦の決行を遅らせたのは、その、麻疹が」
「ハシカ?」
「……てっきり細菌による感染症だと思ったら、ハシカだったんだ」
 第九室長が入院したとは聞いていたが、そんな理由だったとは。
 そうか、それで感染パニックが起きたのか。これはこれで笑える。
「薪室長、犯人に呆れられてます」
「ハシカ舐めんなっ! 子供が罹る病気だと思って甘く見たら痛い目見るぞ!」
 だいぶ痛い目を見たらしい。

「何故第九が現場に?」
 不思議に思って山岡が尋ねると、薪は大きな亜麻色の瞳を冷酷に光らせて、
「おまえのせいで死にかけたんだ。自分の手で捕まえなきゃ気が治まらない」
「室長が死にかけたのは麻疹のせいで、てか、熱が高かっただけで死にかけてないし」
 隣の男に突っ込まれて、ぐっ、と呻いた室長の額には何本もの青筋。我慢ならないと言うように彼は立ち上がり、借り物の上着を地面に落として足を踏み鳴らした。
「うるさい、本当に死ぬかと思ったんだから、死にかけたのと同じだ!! おまえの罪状には僕への殺人未遂も付け加えておくからな!」
 冤罪だ。淫行未遂は認めるが、殺そうなんて思ってない。
 言ってることが無茶苦茶だ。第九の室長は氷の室長とも呼ばれていて、どんなときでも冷静な顔を崩さないと聞いたが。聞くと見るでは大違いだ。

「要するに、僕には谷島から辿り着いたんですね」
 バカと組むものじゃないな、と山岡は心の中で舌打ちした。
 谷島のことは、軽はずみで思慮の足らない男だと思っていた。賭け方を見ていても分かった。彼はヤマ勘に頼るタイプで、統計を取ることも勝負の裏を読むこともしなかった。
 しかし、自分は違う。何事も計画を立てて実行する。これも想定の内だ。

「認めます。細菌のことは、谷島に頼まれました。自分が騒ぎを起こすから、それを隠れ蓑にして細菌を培養してくれって」
 細菌を持って取引現場に来てしまったのだから、その罪から逃れることはできない。潔く認めてしまった方がいい。だが。
「僕も心が痛みましたよ。自分が作った細菌を守るためとはいえ、まさか自殺するなんて」
 自分が谷島を殺した証拠は何処にもない。殺人と窃盗幇助では、罪の重さがまるで違う。この細菌がテロに使われる予定だったことについては勿論、『自分は知らなかった』。

「バカな。そんな理由で人間が死ぬもんか」
 山岡が浮かべた沈痛な表情は、薪の信用を勝ち得なかった。彼は警察官だ。研究者の心情は理解できないのだろう。きちんと説明してやるか。
「そんなことはないですよ。細菌学者にとって、自分が開発した細菌は我が子にも等しいんです。僕も学者の端くれですから、その気持ちはわかります。だから彼の遺志を継いで」
「谷島は自殺じゃない」
 説明に力を入れる山岡に、薪は声のトーンを落とした。明確な敵意が伝わってくる。
「おまえが殺したんだ」

 断定的に、薪は言った。燃えるような瞳が、じっと山岡を見ている。
 あくまでも、自分を殺人の罪で逮捕するつもりか。ならば戦わねばなるまい。

「…………どうやって?」




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パンデミック・パニック(15)

パンデミック・パニック(15)






「どうやって?」

 好戦的に、山岡は薪の眼を見返した。普段の髪型に戻っても未だ男だとは思えない彼に、自分が犯人ではない証拠を叩きつける。
「副室長に聞きましたよ。谷島は、アルカロイド系毒物による中毒死だったそうじゃないですか。アルカロイドは即効性の毒物。その場にいなかった僕が、彼に毒を盛れるはずがない。あれが殺人だとしたら、一番怪しいのは彼が死んだとき同じ部屋にいた室長、あなたじゃないですか」
 薬品の相乗効果で人を殺せるなんて、その研究を極めたものでなければ想像もつくまい。第一、証拠は何処にもないのだ。
 絶対の自信を持って胸を張る山岡に、しかし薪は怯む様子も見せなかった。

「おまえ、彼と最後に一緒だった人物に罪を着せる心算で彼を第九に案内したのか? だとしたら、他の部署を選ぶべきだったな」
 薪はくるりと踵を返し、ふわりとトランクに座りなおした。細い足を組み、上になった右側の爪先を揺らしながら、滔々と語り始める。

「ケースから噴出した気体を吸って、彼は死んだ。それは間違いない。でも、僕もその場にいたんだ。どうして僕は死ななかったのか。彼と僕の違いは何か。
 現場の空気からも毒物は検出されなかった。あの気体は毒物ではなかった。しかし彼は死んだ。つまり、彼にとっては、あれが毒になったんだ」
 竹内が、地面に落ちた上着を拾い上げて埃を払い、それをもう一度薪の膝に被せてやった。しかし薪は、彼の姿が眼に映らないかのようにそれを無視した。否、本当に見えていないのだ。彼の琥珀の瞳は、非道な殺人者を追い詰める、そのことだけに集中していた。

「事前に薬物を摂取させておき、それを意図的に毒に変える。有名どころでは、蜂毒によるアナフィラキシーショックがあるな。君はそれと同じ状況を、たった二種類の薬物で作り出した」
 押されつつ、山岡は奇妙な胸の高鳴りを覚える。
 獲物を追う彼の、なんて美しさだ。きらきらと輝くのは瞳だけではない。身体全体から迸る波動のようなもの、眼には見えないそれが彼に鱗粉のようなフィルターをかける。
 ピンク色に塗られた愛くるしいくちびるが、その色と形状に相応しくない言葉を連ねる様子に、山岡は見蕩れていた。そしてとうとう、彼の口から出た二つの薬品名。

「CメピジウムとAラセプリルの複合摂取による中毒死」
 山岡の顔色が変わる。正確な薬品名だ。いったい何処からその情報を?

「どうして」
「言っただろ? うちには器用なパソコンマニアがいるって」
「まさか、僕のパソコンにハッキング……そ、それは違法捜査じゃないのか!」
「だからおまえは他の部署を選ぶべきだったんだ」
 美しい肘を反らして、薪は前髪を手櫛で上げた。

 ああ、本当に彼はきれいだ。
 真っ白な額、なんて造形の見事さだ。その奥に隠された頭脳にふさわしい、それとも逆か。収められたものの秀逸が彼の美を作ったのか。

「第九以外の研究室に捜査権は無い。捜査は捜一に委ねるしかない。そして捜一には出来ないことも、第九には出来るんだ。
 うちの職員が捜査のために為したこと、そのすべての責任は、僕が負うからだ」
 頭脳だけではない、と山岡は思った。
 その潔さも男らしさも、上司としての度量の広さも、全部彼の美しさに結びついているのだ。先刻の、ちょっとズレた癇癪さえ、彼の美にある種のスパイスを付け加えていると言っていい。

「あくまで否認するなら、第九にしかできない捜査に踏み切るぞ。僕の権限で、谷島の脳をMRI捜査に掛ける」
 完敗だった。MRI捜査の宣告をされる前に、山岡は自分の負けを悟っていた。
 項垂れる山岡に畳み掛けるように、薪の声は容赦なく響く。
「谷島の細菌培養も、おまえの薬物実験も、本来なら医療に貢献するためのものだろう。病気の人々を一人でも多く助けるため、そのための研究室だ。その成果を殺人に使うなんて、研究者が一番やってはいけないことだ。おまえに法一職員の資格はない」
 山岡だって、昔はそのつもりで実験を重ねていた。山岡の両親は揃って心臓が弱く、そんな彼らに一日でも長生きして欲しくて、薬物研究者の道を選んだのだ。それが、どこで道を違えたのか。

 いや、違う。自分は今でも薬物研究に勤しんでいる。谷島がドジを踏まなければ、借金を返して、元の研究に打ち込む日々に戻れる予定だったのだ。
「あの谷島のバカが。一人で死ねばよかったのに。あんたを脅したりするから」
 やり切れない口調で呟いた山岡の声を、薪の高性能の耳が拾い上げた。薄笑いさえ浮かべて山岡を追い詰めていた彼の表情が、にわかに氷の冷たさを宿す。

「おまえ、谷島とは仲間だったんじゃないのか」
「仲間?」
 薪の誤解に、山岡は笑い出したくなる。天才と称される彼の頭脳でも、こんなミスをするのか。
「よしてくださいよ。僕とあの単細胞とじゃ、釣り合いが取れないでしょう。谷島の研究だってね、アイディアは彼だけど、途中僕がずっと指示をしてたんですよ。その細菌は僕の作品なんです。だから報酬も、僕が手に入れて当たり前なんだ」
 すうっと瞳を細くして、薪は腕を組んだ。
 先刻まで彼を彩っていた犯人逮捕の高揚は消えて、無表情な、本物の人形のような冷えた硬質感が彼を包む。

「谷島は、おまえのことを最後まで喋らなかったぞ」
 抑揚のない無機質な声で、ビスクドールは語った。
「僕がどれだけ脅しても言わなかった。細菌のことや、それをテログループに売るつもりだったことはペラペラ喋ったのに、おまえのことは言わなかった。
 第九と法一の建物を間違えた件についても『そんなはずはない』。ワクチンについても『おれは持っていない』。
 この場所は相棒が教えてくれたのだから、間違っているはずはない。ワクチンは相棒が持っているのだから、自分が持たなくても大丈夫。彼はそう思ってたんじゃないのか」
 暗闇を氷で穿つような声音に、山岡は身を竦ませる。冷徹極まりない表情の彼は、最初に声を荒げていたときより数段恐ろしかった。

「谷島は確かに思慮が足りなくて粗忽者だったかもしれないが、彼はおまえを信頼していた。毒を飲まされたと知るその瞬間まで、いや、もしかすると訳も分からずに死んでいったのかもしれない」
 暖かさを微塵も感じさせない彼の顔の中で、亜麻色の瞳だけが強く輝いていた。長い睫毛に縁取られた美しいその輝きは、山岡の中に鮮烈な恐怖として刻み込まれた。
「殺人は許されない。それと同じくらい、友人の信頼を裏切ることは許されない大罪だ。おまえは一生かけて、その罪を償え」
 下された宣告の荘厳な響きに、山岡は一言も言い返せなかった。心中では谷島を仲間と認めることも、ましてや友人などと思うこともできなかったが、薪の言葉には逆らえなかった。強い敗北感が、彼を支配していた。

 山岡が完全に抵抗する気力を失ったのを見て取ると、責任者の竹内が、彼を連行するよう部下に指示を出した。「お先に」と彼が薪に挨拶をすると、返事の代わりに貸した上着を投げつけられた。相変わらずの手厳しさだ。
 捜一の刑事たちが山岡を連れて行ったのと入れ違いに、凶悪な面をした熊のような大男が現れて、トランクに腰かけたままの少女に近付いてきた。傍から見たら即座に110番されそうな光景だが、少女は男に微笑みかけ、戯れに自分が被っていたカツラを彼に放り投げた。
 代わりに男が着ていた上着を渡されて、少女はそれを素直に羽織る。礼のつもりか微笑みまで添えて、先刻、ひざ掛け代わりに上着を貸してくれた男への態度とは雲泥の差だ。

「悪いな、岡部。休みの日に」
「ご命令とあらば、いつでも馳せ参じますよ。休日でも夜中でも」
「おまえも皮肉を言うようになったか」
 岡部の言葉を素直に聞けないのは、薪の曲がった性格と、先日の失態による引け目のせいだ。自分の身体に何の変化もなかったら、とりあえずは第五の衛生班だけを手配して、検査結果が出るまで第九で待機、調査は翌日から行えば済んだ話だったのに。間が悪かったのだ。

「さてと。これ、中園さんに返さなきゃ」
「官房室の見せ金ですか?」
「そうだ。誘拐犯に掴ませて泳がせるための見せ金」
 ひょいと立ち上がり、当然のように重いトランクを岡部に持たせて、軽い足取りで前を行く。
「これで全部解決だな。あー、スッキリした」
「もうひとつ、残ってるんじゃありませんか? デカいのが」
 薪が上機嫌で閉幕を告げると、後ろを歩く大男がそれを引き留める。明らかに窘める口調に、薪は足を止めた。

「…………めんどくさ」
「薪さん」
 ますます責め気を強める男の口調に、薪は辟易する。
 岡部が指摘する残務は、薪にとっては山岡を罠に嵌めることより遥かに困難だ。自信もない。相手も、どう動くか分からない。そもそも、どうしてあの男があんなに怒ったのか、それもまだ、薪には解っていない。

「雪子さんには、僕が青木に嘘を吐かせたんだって言われたけど。岡部もそう思うか?」
「さあ。俺ならやりませんね」
「だよな。あいつの虚言癖まで僕のせいにされたんじゃ、たまったもんじゃない。やっぱりここは説教だよな」
 青木に正座させるのに、コンクリートの上と砂利の上、どちらが効果的だろうと薪は思案を巡らせる。幾らなんでも生死に係わることで嘘を吐くなんて、非常識すぎる。それを解らせるためにも、相応の痛苦は与えるべきだ。

「それはあなたの自由ですけど。どうして青木があんな嘘を吐いたのか、それくらいは考えてあげたらどうですか?」
「岡部、分かるのか?」
 薪はびっくりして振り返った。
 恋人の自分が分からない彼の嘘の理由を、知っているような口振りではないか。
「まあ、俺は薪さんだから仕方ないかとも思いましたけど。あいつには許せなかったんじゃないんですかね」
「……それ、雪子さんにも言われた」

 雪子も何か含むところがあるようだったし、分かっていないのは自分だけなのかもしれない。そう思ってしみじみ考えて、でもやっぱり分からない。あの場合、誰だってああしたはずだ。
 恋人の命が危ないと思ったら、どんな手を使ってでもその場から遠ざけるだろう? それのどこが間違ってるんだ?

 事件の裏側は、あんなに明確に分かるのに。物言わずに死んだ人間の気持ちまで、大凡の察しは付くのに。
 薪にとって恋人の気持ちは事件より遥かに難しく、早くも迷宮入りの様相を呈していた。




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パンデミック・パニック(16)

 ラストです。
 お付き合いくださったみなさま、ありがとうございました。





パンデミック・パニック(16)






 土曜の第九に一人、青木は溜まった通達類を片付けていた。
 こういった庶務的な書類は、事件が入るといつも後回しになってしまう。暇なときに片付けようと、溜めに溜めた回覧済通達の日付は遡ること半年前。さすがに限界だと思い、休日出勤に踏み切った。
 職員の自己啓発を促すための講習会の通知や、師範代による武道指導の案内、さらには職員食堂からメニュー改変のお知らせだの、売店の営業時間の変更だの、広報部からの人気女子職員アンケートに至っては絶対に職務に関係しないと思うものまで、配布されたものを捨てることはできないから、きちんと通達の種別に分けて綴りこまなくてはならない。そんなものまとめて焼いちまえ、と薪は言うが、公費で作られた通達類を焼いてしまえる訳がない。バレたら総務から何を言われることか。

 青木がせっせと書類を片付けていると、執務室のドアが開いて、適正より3サイズは大きいと見込まれる背広を羽織った薪が現れた。
「庶務系の書類整理か。ご苦労」
 焼いてしまえ、と言ったことなど忘れた素振りで労をねぎらうと、薪は上着を脱いで手近な椅子の背に掛けた。上着の下から現れたのは、白いミニワンピース。フリルが沢山ついていて、バレリーナが着る何とかいう衣装みたいだ。膝下を覆う編上げブーツはワンピースに付いたフリルラインと合わせた黒。薪の白い太腿と黒いブーツのコントラストが眼に痛い。
 急激に上がった心拍数を悟られないように気を付けて、青木は尋ねた。
「なんでそんな格好してるんですか」
「似合うか?」
「よくお似合いですけど、うわっ!」
 コードレスマウスが飛んできた。怒るなら最初から訊かないで欲しい。

「それ、後どれくらいかかる?」
「急ぎの仕事じゃありませんから。他の仕事があれば、そちらを」
 書類の束を指差して仕事の予定を尋ねる薪に、青木はいつでも彼の命令を優先する心構えがあることを告げる。うん、と軽く頷いて薪は、室長室に姿を消した。
「中園さんの所に行ってくる。直ぐに帰るから、待っててくれ」
 再び姿を現したときは、いつものチャコールグレイのスーツ姿。この秋流行のグレーと紺のストライプ柄のネクタイをきちっと締めて、一分の隙もない第九室長の姿だ。

 言葉通り、薪は半時もしないうちに戻ってきた。
 何を頼まれるのだろうと指示を待つ青木の前で、薪は上着を脱いでシャツの袖をまくった。それから青木が片付けていた書類に手を伸ばし、手早く分類を始めたものだから、青木はひどく驚いた。
「室長の手を煩わせるような仕事では」
 白くてきれいな手首をそっと包むように握って、青木は薪の手を止める。手の動きを止めたら身体全体の動きが止まってしまって、それは薪が平静を装いながらも必死で何かを考えていた証拠。

「ハシカ、治ってよかったですね」
 腕まくりしたワイシャツの、袖口から覗く滑らかな肌。元通りの美しい肌だ。
「皮膚がボロボロ剥がれてきたときにはびっくりした。蛇の脱皮みたく、抜け殻ができるんじゃないかと思うほど、大きく皮が剥けてな」
「ぶふっ。抜け殻は無理でしょう」
「指なんか筒になって剥けたんだぞ。慎重に剥けば出来たかも」
 真面目な顔であり得ないことを言うから何処まで本気なのかと疑ってしまうが、実は薪はこういうバカバカしいジョークが大好きだ。笑っておくに限る。
「そうですね。薪さんの抜け殻なら、家に飾っておきたいです」

 笑いながら青木は言って、薪から手を離した。再び書類の仕分けに戻る薪を今度は止めずに、彼が口を開くのを待つ。何か、自分に話があって来たのだろう。さっきは頭の中で、会話を組み立てていたに違いない。薪は仕事のことなら瞬時に判断するから、多分、これはプライベイトだ。
 しかし、薪は黙って書類整理を続け、結局口火を切ったのは焦れた青木の方だった。
「あんな格好で、今日はどちらへ?」
「捜一の連中と一緒に、殺人犯を捕まえてきた」
 さらっと打ち明けられた逮捕劇に、青木は手にしていた書類を取り落とした。せっかく分けたのに、とぶつぶつ言いながら薪が拾ってくれた紙束を、青木は受け取ることが出来なかった。

「なんでそんなことを!?」
「雪子さんから聞いたんだけど、山岡はヘンタイでな。ああいう格好の女に目がないんだそうだ。だからって、その役が僕に割り振られるのは納得いかないけど」
「そうじゃなくて! どうしてオレに黙ってそんな危険なことを!」
 青木が書類を受け取ろうとしないので、薪は仕方なくそれを自分の手で整え、ファイルに綴るための穴を開けようとパンチを手に取った。
「おまえの仕事とは、何の関係もないだろう?」
「オレはあなたのボディガードですよ。どうして関係ないんですか」
「中園さんに言われただろう。あれは便宜的なもので」
 華奢な肩を掴んで、こちらに無理矢理向けさせた。不意に与えられた強い衝撃のせいで、再び床にばら撒かれる紙片たちに、薪が困惑した息を吐く。
「……青木。これじゃいつまで経っても終わらない」

 床に屈もうとした薪の身体を、肩を掴んだ手で止める。さっきから仕事の妨害ばかりしている部下に苛立った視線を浴びせて、薪は自分を拘束する青木の手を振り払った。
「現場には岡部も竹内もいた。おまえがいなくても大丈夫だと思った」
「オレは、あなたのなんなんですか」

 質問を無視して、薪は床に屈んだ。もう一度書類を集め、ついでに床面で紙片の縁を揃えた。
 屈んだままの薪に合わせて、青木は床に片膝を付く。ようように薪から書類を受け取りながら、
「恋人だとは言ってくれないんですか」
「ここでは止そう。こういう話は、家に帰ってから」
 そのつもりで書類整理を手伝おうとしたのか。その気持ちは嬉しいけれど、青木はもう一分も待てない。

「嘘吐いたことは謝ります。あんな嘘吐いちゃいけないって子供にも分かる、でもオレはどうしても確かめたくて。オレといた6年間、あなたの気持ちは全然変わってないんですか?」
 薪と出会って6年、ずっと彼に望んできたことがある。
 人生に絶望した彼に、死を待ちわびるようですらあった彼に、生きて欲しかった。下を向いて過ぎ去るのを待つだけではない、本当の人生を生きて欲しかった。
 広報誌に載っていた古い写真のように、笑って欲しかった。世の中には楽しいことが沢山ある、と思い出して欲しかった。

「初めてオレと一緒にヘリに乗ったとき。今もあの時と、同じ気持ちですか?」
 言われて、薪は6年前のことを思い出す。彼が第九に入ってきて僅か一週間。一人の少年を助けるため、悪天候の中、無理矢理ヘリを発たせた。
 ――― あなたは、自分なんかいつ死んでもいいと思ってるのかもしれませんけど。
 彼の言うとおり、いつ死んでもいいと、いや、早く死にたいとすら願っていた。この世には辛いことしかなかった。苦しかった。楽になりたかった。でも、それは6年前のこと。

 静かな声で、薪は言った。
「死にたくないと思ったよ」
 潔くなれないのは幸せの証拠。この6年の月日が、目の前の男が、薪の潔さを奪った。

「おまえと、もっと一緒にいたいと思った。一人で逝くのは嫌だと思った。でも、それ以上に」
 奪われてなお、薪を支配したのは。
「おまえに生きてて欲しかった。目の前で谷島が死んだのを見て、世界中の人が彼と同じに血を吐いて死んでも、おまえだけは無事でいて欲しいと、僕はそんなことさえ思ってしまった。だから必死で」
 床に両膝を抱えてしゃがみ込んで、そうしていると彼はひどく小さく見えた。子供みたいに頼りなげに、誰かの庇護無しでは生きられない儚い生物のように。でも本当の彼はとても強くて、いざとなれば自分を盾にして他人を守れるくらいに強い強い生き物で、それを世間では男と言うのだ。
 敵わない、と青木は思った。薪にはとても敵わない。

「それなのに、おまえときたら。第五の職員と一緒に、僕を助けに来たんだって? しかも、僕を人質に取って第九に立て篭もったそうじゃないか」
「あれはちょっとした誤解で」
 青木が困った顔をすると薪はクスクス笑って、どうやら本当のことは既に聞き及んでいたらしい。
「雪子さんが遺体の解剖をしたことも、知らされて驚いた。まったく、僕が死んで欲しくないと思っている人間が、我先にと危険な場所に踏み込んできて……どうしてみんな、勝手なことばかりするんだろうな」
 世界自己中選手権があったらダントツ優勝間違い無しの薪に言われたくはないが、薪の気持ちは解っている。自分のせいで死んだ親友、自分のせいで殺された少年たち。彼はもう自分に関わることで、一つの死骸も増やしたくはないのだ。

「いつかおまえにも言ったよな。僕のために誰も死んで欲しくない、危険な目に遭って欲しくないって。その気持ちは変わってないけど、でも」
 薪は膝を抱えたまま、すっと顔を上げた。青木を見上げる、暖かく和らいだ亜麻の色。

「でもここに、みんなが僕を救おうと動いてくれた事実がある。こんなにも明らかに目の前にあるものを、頼んでないとか望んでないとか言うのは、男らしくないよな」
 薪はその瞳にいっぱいの幸せを、戸惑うように躊躇うように、でも確かに浮かべて、照れくさそうに笑った。
「感謝してる」

 その笑顔はほんの数秒、たったそれだけで青木はあれだけの憤慨を忘れてしまう。
 彼と過ごした6年間。自分がしてきたことはすべて無駄で、彼の心持ちを1ミリも変えることができなかったのだという嘆きも、これからいかなる術を用いて、たとえ自分の命を削ってまで彼を愛しても、彼は自分との未来を望んでくれないのだという絶望も、取るに足らないことに思えた。
 だって、薪は今、自分の前で笑ってくれているのだから。

「だけど青木。おまえがやったことは間違いだぞ。NBCの現場調査は第五の仕事だ。やりたかったら第五に異動してからにしろ」
 すっくと立ち上がって膝を伸ばし、背中をこちらに向けながら、薪は説教を始めた。
 薪の切り替えの早さは神業とも言えるくらい素早くて、青木はいつも取り残されてしまう。それは薪が元気な証拠だから責めるつもりはないけれど、ほんの少しだけ腹立たしくて、ついつい青木は薪の正論に邪論を返す。
「間違ってないです。薪さん、オレの異動願、受理してくれたじゃないですか」
「異動願? 聞いてないぞ。いつ出したんだ、そんなもの」
 びっくりして振り返った彼の一瞬の隙をついて、青木は彼のくちびるを自分の人差し指で制圧する。彼の動きも言葉も指先で止めて、青木はにこりと笑った。
「忘れちゃったんですか? ちゃんと承認印、押してくれたでしょ」

 承認印の意味を理解した薪が、青木の指を払うことも忘れて固まる。あの異動願は受理されたまま、未だ新しい届は出されていない。つまり、今でも青木の部署は変わっていないということだ。

「あなたが生きるか死ぬかの時、傍にいるのはオレの役目です」
 青木にすれば、それは職務規定の第一条。憲法で言えば冒頭の誓約部分で、この規律が存在する意義と目的を明確に記している、一番大事な魂の柱だ。同様に、その条文こそ青木一行と言う人間がこの世に存在する意義と目的であると、青木は主張して憚らない。その蒙昧さが、彼をしっかりと立たせている。
 薪には到底理解できない。できないが彼の主張だけは分かって、どうしようもない虚脱感に包まれつつ、だけどそれも、目の前にある明らかな真実。

「ったく。バカには勝てん」
 心底呆れ果てた口調で吐き捨てた言葉と一緒に、薪は右手の人差し指を折り曲げ、ちょいちょいと青木を呼んだ。応じて傍に立った青木に向かって、秘密の話をするときのように口の横に手を当てて見せる。青木が腰を屈めて耳を寄せると、薪は細い指を青木の髪に差し入れ、後ろ頭を押さえると、青木の唇に二度目の承認印をくれた。

「どうだ。舌の表面も口の中も、すっきりきれいになっただろ」
 我に返って青木が両腕を前に回そうとしたときには、薪はすでに青木から1メートルほど距離を取っていた。何事もなかったように書類の整理に精を出しながら、からかうような口調で、
「他のところも確かめてみるか?」
「はい、ぜひ、っ痛――っ!!」
 近寄って抱きしめようとしたら、靴の踵で足を踏まれた。急所に食らった痛みに、青木が飛び上がるのを愉快そうに見て、まとめた紙束を二穴パンチに差し込む。

「家に帰ってからに決まってるだろ、バカ。さっさと終わらせるぞ」
「はいっ」
 鼻先にぶら下げられた人参を追いかける馬車馬のごとく、青木は再び仕事に邁進する。通達書類の山に埋もれた青木の耳に、ガシャン、と薪がレバーを下ろす音が響いた。




―了―



(2011.10)


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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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毎日たくさんの拍手をありがとうございます。励まされてます。
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