破滅のロンド(1)

 こんにちは。
 春一番も吹き荒れまして、やっと春ですね。

 本日から公開しますお話は、心浮き立つ季節に相応しく~。
『破壊のワルツ』の続編、滝沢さんリターンズのクライムサスペンスでございます。
(おやあ? ふざけるな のお声があちこちで……)

 えっとね、
 話はハードかもしれないけど、この話は基本的にあおまきさんだから、根っこは明るくて、だから『破壊のワルツ』みたいに後味の悪い話ではないと思います。 「べるぜバブ」の主題歌をBGMに書いたくらいだし。
 ただクライムサスペンスなので、死んじゃう人はいるし、怪我をする人もいます。
 本誌が最終回を迎えようとしているこの時期、秘密ファンはみんな精神的に不安定になってると思う、ので、強くお勧めはできないのですけど。 うちの滝沢さんの決着として、原作とは切り離して楽しんでいただけたらと思います。

 なお、前作『破壊のワルツ』は、カニバリズム事件がメロディ本誌で飛行機事故だった頃に書いたものなので、続編のこちらもその設定が継続しています。 ご了承ください。




 

破滅のロンド(1)



 空港のロビーから一歩外へと踏み出した彼は、焼け付くような日差しに眼を細めた。
 今まで暮らしていた南国に比べれば故郷の太陽は春先の木漏れ日のように優しいはずだと予想していたのに、なかなかどうして、厳しい出迎えだ。彼がこの地を離れた6年前より、東京の温暖化は確実に進んでいるとみえる。

 タクシー乗り場へ向かうと、行列ができていた。一列に並び、雑誌や新聞を片手に大人しく順番を待っている人々を懐かしい思いで眺める。相変わらず行儀のよい国民だ。礼儀正しさと愚かしい従順を持ち合わせている。
 郷に入っては郷に従えだ、と自分に言い聞かせ、彼は列の最後尾に付いた。順番待ちの退屈な時間、彼は周りの人々のようにそれを紛らわす事を敢えてしなかった。
 彼にとって、無為な時間はとても貴重だ。こんな風にぼんやりとできて、かつ、命の危険を感じなくていいなんて。

 この数年、彼は異国の地で絶えず生命のやり取りをしてきた。工作員としての基礎を一から叩き込まれ、強制的に危険な任務に就かされた。
 平和な祖国に帰って来ることができて、彼は運が良かった。
 はずなのに。

 安息に満たされようとする彼の心に、それは唐突に投げ込まれる。水面に投じられた細い針のような、よって広がる波紋もさほど大きくはない。だが、その切っ先は鋭い。針は真っ直ぐに彼の一番深いところを目指して、その姿に似合わぬ威力でもって彼を切り裂いていく。
 乱れ破れた記憶の狭間から浮かび上がってくる雑多な映像。その多くはこの手で殺した人間の顔だ。新しいものから古いものへ、風景は南国の砂漠から都会のビル群に移り、やがては彼が最初に人を殺めた記憶へと行き着く。

 壁一面の大型スクリーンと、端末モニターだらけの部屋。スパコンのファンが回る音と、薄気味悪いくらいリアルな音の無い画。そこにいるのは4人の仕事仲間で、うち二人は彼が殺した。残る二人のうち、一人がもう片方の男を殺して、部屋にはたった一人が残された。
 独り生き残った男をこそ、彼は仕留めたかったのに。

 自分が未熟だった頃に仕損じた仕事を、そのターゲットの姿を、彼は鮮明に思い出すことができる。ターゲットは、一度会えば忘れられないような姿形をしていた。性別を超えた美しさとでも言うのか、見ようによっては人間ですらないような。
 でも、彼は知っている。あの綺麗な顔の裏には穢れきった脳みそが詰まっていて、その中には沢山の秘密が隠されている。彼が暴きたかった真実も、他の誰かの密事も、入り乱れて腐敗している。取り澄ました顔をして、でもその本質は吐き気を催すほどに汚らしい。

 その男を思い出した途端、鮮やかに甦る若い女性の姿。彼女は再び彼の名前を呼び、彼に手を振る。せっかく故郷に帰って来たのに、記憶の中の彼女は、やっぱり泣き顔しか見せてくれなかった。
 彼女の泣き顔を見ると、ポケットに忍ばせたナイフを己が胸に突き立てたくなる。
 彼女が泣くのは当然のことだ。6年前、必ず帰って真実を暴くと決意したものの、なかなかその機会は訪れず。生き残るだけに精一杯の毎日が、彼を当初の目的から遠ざけた。彼の中で次第に大きくなって行ったのは、事実の究明よりも失われてしまった命に対する罪悪感。
 彼女の死の真相を、自分は暴くことができなかった。悲しかろう、悔しかろう、すまないすまない。おれもそちらへ行くから。行っておまえに詫びるから。

 でも、生き残ってしまった。

 生きさらばえてこの国に帰ってきて、ならば必ず成し遂げて見せる。そのために、おまえはおれを彼の地で守ってくれたのだろう?

 彼の深慮は、上着ポケットの微震によって遮られた。携帯の着信を見ると、自分を母国に呼び戻した雇い主からだった。
「滝沢です。今ですか? まだ成田に着いたところですよ」
 雇い主の相変わらずの気短に、彼は苦笑する。
「ええ、そちらに着くのは午後になるかと。え、今日中に研究室へ? 今日は日曜ではなかったですか?」
 公休日にも関わらず、新しい職場へ行けと雇い主は言う。明日から彼が勤務する研究室の責任者は日曜日でも職場に出ている予定だからと、電話の後ろからは明るいモーツァルトが聞こえてきて、彼の雇い主は余暇を満喫している様子だ。
 いいご身分だ、と彼は皮肉に唇を歪め、しかし言葉は丁寧に承諾の意を示した。
「解りました。おれも早く、懐かしい顔に会いたいですし」
 そう、彼が赴くのは新しい職場ではなく、古巣だ。そこでは6年前と変わらず、壊し損ねたブラックボックスが室長を務めている。

 ―― 今度こそ、壊してやる。

 徹底的に破壊して、跡形もなく消し去ってやる。そうすれば、きっと。彼女は笑ってくれるに違いない。

 携帯のフラップを閉じ、薄く微笑みながら彼は思う。そのことを考えると、銃撃戦の最中に弾丸が耳の際を掠めたときのように、身体中の血が逆巻いた。

 そうだ。これが、生きるということだ。



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破滅のロンド(2)

 ある日の我が社の会話。

オット 「変更設計書、キターーー!!」
しづ  「ジャスドゥーイット! ダンジョンセレクト 『DA・I・KU』!」
オット 「作戦モード 『ガンガン行こうぜ』!」
しづ  「オーケェイ、我が命に代えても!」

(↑↑↑ 仕事中、いつもこんなアホをやっているわけではありません)

 今日の時点で、竣工検査が4月9日に決定しております。
 ので、4月8日までブログはお休みします。

 始まったばかりでぶった切ってすみません。
 その前に書類が上がれば再開しますので~、どうかよしなにお願いします。
 







破滅のロンド(2)






「岡部。今、何時だ?」
「18時35分22秒です」

 上司に時刻を尋ねられた岡部が秒単位で返してやると、薪はちょっと嫌な顔をした。が、文句は言わない。岡部の性質に似合わない嫌味な行為は、1枚の書類を精査し終えるごとに時刻を問うた自分に責任があると、頭では理解しているのだろう。なのに、次の書類を読み終えると同時に彼は、
「何時になった?」
「……お貸ししますから」
 舌打ちしたいのを堪えて、岡部は自分の腕時計を外した。6時を回ってから10回以上も訊かれているのだ。気が散って仕事にならない。
 岡部が差し出した時計を、しかし薪は受け取ろうとしなかった。亜麻色の瞳を困惑に曇らせ、書類で顔の鼻から下を隠すように覆う。報告書の活字に向かって彼は「悪い」と小さく呟き、見れば彼の細い手首にはオメガのビジネスウォッチが正確に時を刻んでいた。

「どうにも落ち着かなくて」

 6時までに片付けたい書類があるから手伝ってくれ、と頼まれて、岡部が日曜の研究室にやって来たのは午後4時。朝から仕事をしていたと思しき上司は、岡部の顔を見るとホッとしたように微笑んだ。
 よく来てくれた、コーヒーでも淹れるか、などと常にはあり得ない低姿勢で休日出勤の部下を労う彼の態度に岡部は多大な疑念を抱き、というのも薪は人生の最優先事項は仕事だと主張して憚らないワーカホリックタイプ上司の典型で、それを他人にも強制するという厄介な性癖を持っている。だから休日に仕事を言い付けたところで、部下にお愛想を言う訳がない。絶対に、何か裏がある。
 手渡された書類を見て、岡部の疑惑は確信に変わった。月末に目を通しても業務には支障のないような会議の議事録。休日の午後に職場に呼び出された理由がこれですか、と岡部が恨みがましい視線を向けると、薪はようやく白状した。

 一昨日、薪の恋人の姉が上京してきた。
 彼女は夫と一人娘の3人で大阪に住んでいるのだが、OL時代の友人の結婚式に出席するため、東京に出てきた。せっかくだからゆっくり羽を伸ばしてきなさいと言ってくれた寛大な夫に3歳になる娘を託し、単身で東京にやって来た彼女は、最新観光スポットのガイド役を依頼すべく、弟に連絡をしてきた。
 彼女の計画では、土曜日の昼に友人の式に出席し、その後は週末を利用して弟と東京見物などして過ごし、日曜の最終列車で大阪へ帰ることになっており、その話は岡部も彼女の弟から直接聞いて知っていた。薪の恋人というのは実は同じ研究室の捜査官で、岡部の部下でもあるからだ。基本的に研究室は週休二日制を採用しており、今のところ休日を返上しなければならないような事件もない。だから彼が姉孝行のために土日を当てることに、何ら問題はなかった。ところが。
 日曜日の夜、ぜひ薪と3人で食事を、と彼の姉が言い出したから大変だ。

「居ても立ってもいられなくて。仕事してるのが一番落ち着くから」
 そんな理由で日曜の朝から急ぎでもない書類の整理をしていた上司は、空調の効いた研究室が炎天下の路上でもあるかのように、パタパタと書類で顔を仰いだ。相手の顔も見ないうちから舞い上がっているらしい。
「でも、時間が迫ってきたら文字が頭に入ってこなくて。誰かいれば平常心を保てるかと思って」
 それで岡部が呼び出されたわけだ。まったく、はた迷惑なひとだ。
「6時ごろに、連絡をくれる約束だったんだ。もう30分も過ぎてる」
 鳴らない携帯電話を見つめ、薪はそっと息を吐き出した。青木は姉の希望に沿って観光スポットを巡っているのだろうし、業務連絡ではないのだ。30分くらいは誤差の範囲だと思うが。

「薪さんの方から、青木に連絡すればいいじゃないですか」
「電話なんかできるわけ無いだろ。お姉さんが一緒なんだぞ」
「別におかしくないでしょう。だって、これから三人で食事するんでしょう?」
「そうだけど……う」
 呻いて薪は、口元を左手で覆う。前かがみになって小さな肩を竦め、
「緊張のしすぎで胃にきた」
 上司の小心に、岡部は呆れる。緊張などと言う人並みの感覚が、この男にあったのか。警察大学の大講堂で何百人もの聴講生相手にMRIの講義をしたときも、警察庁の重鎮たちに第九の合法性を主張する説明会を開いたときも、平然とした顔でさらりとこなしていたのに。

「どうしてそんなに緊張するんです?」
「僕が彼女だったら、夕食に毒を盛る」
 物騒なことを言い出した上司に、岡部はたじろぎながらも尋ねる。
「毒を盛られるような覚えが?」
「だっておかしいだろ。どうして姉弟水入らずの席に僕を呼ぶんだ。青木のやつが何かヘマして、秘密がバレたに決まってる」
 薪は顎の下に右手をあてがい、肘を机について背中を丸めると、憂鬱そうに呟いた。彼らの関係は一般的に見ればマイノリティだ。薪の懸念は理解できなくもないが、卑屈な態度は相手に悪印象を与えてしまうだろう。要は気の持ちようだ。ダメだダメだと思っていると、本当にダメになってしまうこともあるではないか。

「薪さんのほうが、悲観的過ぎるんじゃないですか」
 もっとリラックスした方がいいですよ、と岡部がアドバイスをすると、薪はそれを跳ね返すように片手を突き出し、険しく目蓋を閉じて、
「僕には1時間後の未来が見える。席に着いた途端、コップの水をかけられて女狐とか罵られて、人の大事な弟に何てことを、ってめちゃめちゃに殴られて」
「どこの韓流ドラマですか」
 薪は映画やドラマに影響を受けやすいから、アクが強い韓流ドラマと任侠映画は見るなと言っておいたのに。岡部の忠告を守らなかったらしい。

「だったら行かなきゃいいじゃないですか。仕事じゃないんだし、強制される筋合いはないでしょう」
 青木の姉とて、薪の忙しさは弟を通じて聞いているはずだ。だから時間的余裕があったはずの金曜の夜ではなく、自分が帰らなければならない日曜の夜を指定してきたのだろう。全国的公休日なら薪の予定も空いている確率が高いと踏んだのだ。ならば、彼女の思慮深さに甘えさせてもらって、後は青木のフォローに期待してもよいのではないか。
「青木の身内に不愉快な思いはさせたくないんだ」
 断頭台に向かう罪人のような薪の表情から、一も二もなく飛びついてくるかと思ったが、彼は岡部の案には乗らなかった。盛大にしかめた眉を普段の凛々しい形に戻し、散らばった書類を机の上で揃えながら、
「どうしても譲れないことがあるから。だから、その他のことは何でも彼女の気が済むようにしてやりたい」
 カチリとホッチキスを握り、書類と一緒に自分の心も整理したかのように、薪は静かに言った。

 相手の身内に対する引け目や罪悪感。相手も合意の上なのだから、というか、青木の方から好意を寄せてきたのだから、そんなものを感じる謂われはないはずなのに。恋愛に関して、どちらか一方が悪いなどと言うことはあり得ないのに、年上の自分に責任があると独り決めしている。とにかく、薪は考え方が古いのだ。もはや化石だ。
 それでも。
 相手に対して誠実であろうと自分を奮い立たせる薪の姿に、岡部は心強さを覚える。「どうしても譲れない」と彼は言った。こちらの方面には限りなく後ろ向きだと思っていたが、それなりに成長しているようだ。

「ご機嫌伺いに、でっかい花束でも贈りますか」
「ラフレシアとか、スマトラオオコンニャクとか?」
 岡部の懐柔策はもちろん冗談だが、薪はくるっと眼を輝かせて、その話に乗ってきた。緊張の緩和には馬鹿馬鹿しいジョークが有効で、それは室長と副室長と言う役職をこなす二人の間でしばしば行われてきた試みだった。とかくストレスの多い管理職、冗談でも言わないとやってられないときもあるのだ。
「僕も考えたんだけど。今日、大阪に帰るなら荷物になるかなって」
「それもそうですね。じゃあ、かさばらなくて軽いもので、娘さんの洋服とか」
「僕が3歳の女の子の洋服を選ぶのか? カンベンしてくれよ」
 苦笑しつつ、薪は立ち上がった。書類に2穴パンチで穴を開け、ファイルに閉じるべく壁際の書類棚に向かって歩き出す。
 そのとき、室長室の扉がノックと共に開かれた。

「薪くん。いてくれてよかった」
「田城さん。なにか」
 言葉を飲み込むようにして、薪は口元を手で覆った。きれいな顔が、見る見る青ざめていく。取り落とした書類が床に散らばるのをそのままに、薪は強張った顔でドア口を見つめた。
 入ってきたのは田城所長ともう一人。ふくよかだが背は高くない所長の後ろから、大柄な男がドアを潜ってきた。

 すうっと、部屋の空気が変わった気がした。
 舞い降りる漆黒の羽ばたきを、確かに聞いたと岡部は思った。彼の放つ死臭を嗅いだと思った。長年、現場で鍛え上げた岡部の第六巻が告げていた。この男は危険だ。

「久しぶりだな、薪」



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破滅のロンド(3)

 こんにちは~。
 毎度のお運び、ありがとうございます。

 おかげさまで、書類上がりました♪
 今日から再開させていただきます。


 公開作、過去作共に、たくさんの拍手をありがとうございます。(〃∇〃) 
 このお話、サンショウウオさんにしか読んでもらえないと思ってたんですけど(笑) 意外や意外、二桁の「よし行け」コールをいただけて、嬉しい限りです。(あ、ふざけるなコールだった?)
 全部で28章あるので、お気を楽にして、のんびりお付き合いください。






破滅のロンド(3)







「久しぶりだな、薪」

 男は田城の後方から、真っ直ぐに薪を見ていた。岡部のことなど気にも留めていない。自分をここに連れてきた田城の存在さえ無視して、まるでこの部屋には薪と自分の二人しかいないかのように、気安く薪に話しかけた。
「6年ぶりだ。懐かしいな」
 懐かしい、と男は微笑んだが、それはひどく冷たい笑みだった。細めた眼は恐ろしいくらいに笑っていない。年は、おそらく自分とそう変わるまい。対等な口を利いているところから、薪のキャリア仲間かと想像した。しかし。

「…………滝沢」
 押し殺したような薪の声には、怯えと怒りが混じっていた。両手を身体の脇に下し、ぎゅっと拳を握り、薪は睨みつけるように男を見た。男の、塗りつぶされた闇のような、底の知れない黒い瞳と、透明度の高い亜麻色の瞳がぶつかり合う。
 滝沢と呼ばれた男の背中から、禍々しいものが立ち上る気配がした。岡部が捜査一課で凶悪犯を追い詰めていた頃、何度も感じたあの気配。警察庁勤めのキャリアが、何をしたらここまでの殺気を持ちうるのか。この男、只者ではない。
 睨み合ったまま、二人は一言も喋らない。部屋を満たした極度の緊張に刺激され、岡部の後ろ首がチリチリと疼いた。

「ちょうど良かった、岡部くんも一緒だったんだね。滝沢くん、紹介しておくよ。副室長の岡部警視だ」
 場を取り持つ才覚に優れた田城の声で、部屋の緊張は一気に緩んだ。我知らず、ほっと息を吐いて、岡部は滝沢に視線を向ける。
「岡部くん、こちら滝沢幹生警視。明日から第九研究室の新しい一員になる」
 えっ、と声を上げたのは岡部だけではなかった。頭を巡らすと、薪が驚いた顔をしている。室長の薪が新しい人事を知らされていなかったなど、普通では考えられない。

「薪くんは昔なじみだから、紹介の必要はないよね」
 ええ、と頷いた滝沢は人を見下す目つきで岡部を見た後、形だけは丁寧に頭を下げた。
「明日からよろしくご指導ください。岡部副室長」
「こちらこそよろしく」と岡部が応えを返すのを見届けて、田城は部屋を出て行った。滝沢はモニタールームを見学するという名目で残り、しかしそれは明らかな方便だった。疑うまでもない、彼の目的はこちらだ。
 田城がいなくなると、滝沢はスタスタと薪の傍に歩み寄り、包み込むように薪の肩に手を置いた。

「またおまえの下で働けることになって、本当にうれしい。どうだ、これから旧交を温め合おうじゃないか」
 薄笑いを浮かべながら、薪の腕や背中を軽く叩く。瞬間的に、岡部は怒りを感じた。青木のように特別な感情を抱いているわけではないが、薪の身体に気安く触られるのは不愉快だ。自分は室長のボディガードだという自負があるからだ。
 それに、滝沢の態度は副室長としても許せない。室長の薪に対して砕け過ぎではないか。現在、薪の周りにこんなフランクな態度で彼に接する者はいない。小野田でさえ、必要以外には薪の身体には触れない。薪の身体に触りたがる者と言えば警務部長の間宮がいるが、あれは例外だ。薪も遠慮なく蹴り飛ばしているし。
 普通なら払いのけるはずの過剰なスキンシップを、何故か薪は耐えているようだった。飲みに行こうと誘われて、即座に断らないのも不思議だった。薪にはこれから、大事な約束があるのに。

「病院からは、いつ?」
「1週間程前だ。何度も見舞いに来てくれたのに、まともな応対ができなくて悪かった」
「最後に行ったのは1ヶ月前だ。ずい分急激に回復したな。喜ばしいことだ」
「ああ、おれも驚いている。おまえが陰に日向に、おれの回復を祈ってくれたおかげだ。感謝している。ありがとう」
 自分の細い手を握って礼を言う滝沢の大きな手を、薪はじっと見つめて、
「よく日に焼けているな。病院では、日光浴が日課だったのか?」
「生っちろいと、いかにも病み上がりみたいで周りが気を使うだろう。日焼けサロンに行ってきたんだ。少し、焼き過ぎたかな」
 ちっ、と舌打ちして、薪が引いた。表面的には和やかな会話だが、聞いているほうはヒヤヒヤする。見えない火花が散っているみたいだ。昔なじみと言っても、どうやらあまり友好的な関係ではなかったらしい。

 薪はじっと新しい部下の顔を見て、彼から視線を逸らさずに携帯電話を取りだした。待っていた電話が掛かってきたらしい。いいタイミングだ、これでスムーズに断れるはずだ。
 ところが。
「今日は行けなくなった。急な用事ができて」
 素っ気無い言葉で、薪は電話を切ってしまった。日曜日の朝に朝寝もできないくらい重大な用事だったのに、自分にできることは何でもすると決意していたのに、この豹変ぶりはどうしたことか。

「あちらの方が先約じゃないですか。せっかく大阪からいらしたのに」
 思わず岡部が口を挟むと、余計なことを言うなと言わんばかりの目つきで睨まれた。常なら引き下がるが、この選択は薪を窮地に追い込むと分かっていた。
「彼は明日からここに勤務するんでしょう? いつでも飲めるじゃないですか」
「うるさいな。行きたきゃおまえが行け。元々乗り気じゃなかったんだ」
「薪さん」
 あまりと言えばあまりな物言いに、岡部の声が棘を含む。それに気付かない薪ではない筈だが、彼の態度は変わらぬまま。ふい、と岡部から眼を逸らし、自分の肩を抱いたままの男を見上げる。

「滝沢、行こう」
「ああ」
 優越を含んだ目つきで新人に見られて、岡部の三白眼に力が入る。が、相手はどこ吹く風だ。ヤクザでさえ竦み上がる岡部の睨みにたじろぎもしないとは、豪胆と言うかふてぶてしいと言うか。相当の修羅場をくぐってきたと見える。

「店は任せる。なんせ、6年も病院に入っていたからな。この辺もすっかり変わっちまった。ここに来るときも、迷いそうになったんだ」
「方向音痴は相変わらずか」
 クスッと薪は笑って、でも眼が笑ってない。それに応えて笑みを浮かべる滝沢の瞳も、永久凍土の氷壁並みの冷たさだ。
「おまえも変わってない。ティーンエイジャーのままだ」
 滝沢は手のひらを薪の額に当て、前髪を弄ぶように撫で上げた。薪の人形のような額が顕になり、しかしそこには普段は見られない嫌悪が微かな皺となって浮かぶ。
「まるで人ではないようだな?」
 薪はそれには答えず、するりと滝沢の手を抜けて、自分の机に戻った。鞄を持ち、帰宅の準備をする。

「岡部。それ、片付けといてくれ」
 床に散らばった書類を指差し、薪は平然と命じた。まるで薪と初めて会った時、床の掃除を命じられたあの時のように、それは他人を寄せ付けない態度だった。岡部は理解しがたい思いで薪を見たが、彼の横顔は完全な無表情になっていた。もう何年も見たことがなかったのに、どうやら滝沢という男の存在は、岡部には踏み入らせたくない領域であるらしい。

 二人が肩を並べて研究室を出て行った後、岡部は薪が散らかした書類を片付けながら、明日から自分の部下になる男の顔を思い出していた。
 態度はやや尊大だが、穏やかだった。言葉も丁寧で、粗雑な感じは受けなかった。でも、嫌な眼をしていた。何を考えているのか分からない、底の知れない眼だ。
 決して彼のことを好いてはいない風なのに、どうして薪は彼との交誼を優先したのだろう。気を使わなければいけない相手なのか? 自分の部下になる男なのに?

「……そうか」
 思い当たって過去の人事データを調べてみると、やっぱりそうだ。滝沢幹生警視。貝沼事件の折、精神を患って入院した職員だ。
 薪が特別扱いするわけだ。彼が入院したのは自分の責任だとでも思っているのだろう。彼にできるだけのことはしてやらなければ、と考えているに違いない。何でも自分のせいにする薪の自責癖は矯正すべき悪癖で、岡部もしょっちゅう注意するのだが、これがなかなか治らない。自分のお節介と一緒だ。

「やっかいな新人が来たもんだな」
 と、その時の岡部は、他の職員たちと彼の調整に頭を悩ませたが、すべてが終わってから振り返るに、何と呑気なことを考えていたのだろうと、恥じ入るような気持ちになった。
 迷わず、引き留めるべきだったのだ。殴り倒してでも、薪と一緒に行かせてはならなかったのだ。
 自分は彼に、不吉なものを感じ取っていたはずだ。危険な男だと思ったのだから、抑えることはなかったのだ。
 その後彼が巻き起こす、警察庁全体を揺るがす未曾有の事件の予想を、しかし岡部は予想だにせず。薪に命じられたとおり会議録をファイルに閉じて、研究室を後にしたのだった。



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破滅のロンド(4)

破滅のロンド(4)






 カラン、と氷の溶ける音がした。
 地下ビルのバーという場所でありながら、低音で流れるリストのピアノ曲の中では、その音は異質だ。それを証明するかのように、年季が入って艶を帯びたカウンターの内側でバーテンダーがこちらを振り返る。その視線から連れを隠すように、滝沢は細長い台の上に肘を付き、薪の方へと身を乗り出した。

「本当に変わらんな。あの頃のままだ」
「おまえはますます態度がでかくなった」
 亜麻色の髪に伸ばした滝沢の手を、薪は耳の横でパシリと払った。冷ややかに言い放ち、ロックグラスを傾ける。6年前より酒も強くなったらしい。

「岡部は副室長だが、鈴木ほど穏やかな性格をしてない。彼の前であまり僕にべたべたすると、投げ飛ばされるぞ」
「それは残念だ。おれはおまえのことが大好きなのに」
「そういう冗談もNGだ。何て言うかその……色々あって。彼は少し、過敏になってるんだ」
 薪の言う「色々」の具体的な意味は分からなかったが、彼が眉根を寄せた所を見ると、つまびらかにされるのは避けたいようだ。後で聞きだしてやる、と滝沢は心に決め、薪が嫌がると解っている猫撫で声で、
「冗談なんかじゃない。おまえのことは本当に好きだぞ」

 ―――― 殺したいくらい。

 あからさまに眉を顰める旧友に、滝沢は含み笑いをこぼす。
「6年間、おまえのことばかり考えていた」
 嘘ではない、本当のことだ。死んだ彼女を想うより、彼を身の上を想像する方が多かった。彼女には一筋の変化も見出せなかったが、彼には空想の余地があった。
 あれから彼はどうしただろう? 最後に見たときには死人のようだったが、生き永らえているだろうか。自ら命を絶ったとしたら、どんな方法で?
 あそこまでの絶望に叩き込んでやったのだ。浮き上がれるはずがない。彼女を失った自分が二度と昔の自分に戻れなくなったように、ましてや薪はその手で自分の半身を殺したのだ。まともな人生など歩めるはずがない。彼に比べたら自分はまだマシだ。
 そう思っていたのに。

 雇い主に渡された資料には、滝沢が予想もしなかったことが書かれていた。現在の第九メンバーと室長である薪との間には強い信頼関係が築かれ、見事な連携プレイによって幾つもの難事件を解決している。滝沢がいる頃はどちらかと言うと孤立気味だった警察内の立場も改善され、昨今では天敵だったはずの捜査一課や組対五課と協力し合って犯人を逮捕することも多くなってきた。長官賞、局長賞、警視総監賞など主だった賞はとっくに制覇し、第九の名声は室長の薪警視長の威光と共に日本中に轟くようになった。
 警察機構トップの検挙率を武器に、第九は現在も躍進を続けている。その頂点に君臨するのが滝沢の隣に座った小男だ。滝沢が与えた絶望は何処へやら、いつの間にか階級も上がっているし、順風満帆の人生ではないか。

 それを知って滝沢は、ひどく寂しい気分になった。
 自分が彼に施したものを、6年の間に彼は忘れ去ってしまった。自分は一時たりとて、彼を忘れたことはなかったのに。
 ―――― 思い出させてやる。

「おれはおまえに会えて、本当にうれしいんだ。以前のように仲良くしてくれ、薪」
「以前のように?」
 薪の顔が訝しげに歪んだ。おまえと馴れ合った覚えはない、と言いたげだ。
 よかろう。思い出せないなら、新しく関係を築くまでだ。

「薪、おれはおまえを恨んじゃいない。おれが精神を病んだのは、自分を過信したせいだ」
 相手の罪悪感を喚起するには、やさしい言葉が効果的だ。ストレートな非難を受けた人間が抱くのは反発だけ、反発心から人間が自発的行動を取ることはない。自分の首は自分で締めさせる、それが滝沢の戦術だ。
「おまえがあれほど無理をするなと言ったのに、限界を超えて貝沼の画を見続けた。おまえの言いつけを破って悪かった、でもおれは、少しでもおまえの役に立ちたかったんだ」
 滝沢が誠実な言葉を重ねるほどに、薪の瞳は憂愁に包まれた。
 薪は責任感の強い男だ。少々、過ぎる嫌いがあるくらいだ。鈴木のことはもちろん、上野や豊村のことも、室長としての自分の責任を強く感じていることを滝沢は知っていた。ならば当然、精神病院に収容された滝沢にも引け目を感じているはずだ。

「できるだけのことはする」
 予想通りの言葉が薪の口から零れて、滝沢は心の中で快哉を叫ぶ。
「おまえが病院に入らなきゃならなくなったのは、室長である僕の責任だ。許されるとは思っていないが、僕にできるだけのことはする」
「うれしい言葉だ。おまえは相変わらずやさしいな」

 お人好しめ、そんなことだから部下を全部殺されて、その上自分の手まで汚すことになったんだ。恨むなら自分の甘さを恨め。
 そう嘲笑う側から、否、根源はそこではない、と打消しの声が上がる。そうだ、忌むべきは甘さではない。愚かしくはあるが、それは罪ではない。憎むべきは彼の罪。的を一点に絞って、滝沢は心中で薪を罵倒する。
 上層部の言うがままに秘密を飲み込んだ、その汚い心根を恨め。

 言葉にならない呪詛を繰り返し呟きながら、滝沢は尊大に笑う。俯き加減にグラスに口をつける、明日から自分の上司になる男に向かって昂然と言い放った。
「おまえの誠意に期待する」



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破滅のロンド(5)

 こんにちはっ。
 すっかり春ですね~。 
 大好きな季節です。 お花もきれいだし、緑がやわらかくて、ほっこりします。 何より、
 仕事がヒマだから怠け放題。 ←そこか。

 さてさて、滝沢さんリターンズのこの話、覚悟していた 「薪さんにヒドイことしないで」 というお声が聞こえてこなくて、ホッとしてます。
 いつもやさしく見逃してくださってありがとうございます。
 本当は心配で 「やーめーてー」 と言いたいのを我慢されてる方も、決して泣くような話じゃないので、どうか気を楽にしてくださいね。 でもって、最後まで読んでくださるとうれしいです。 この話がないと、薪さん負け犬のままだし、滝沢さんも可哀想なままだから。


 ではでは、お話のつづきです。




  


破滅のロンド(5)






 翌日。岡部と同い年の新人の来訪は、第九に波紋を起こした。
 朝礼の際、室長の隣に立った新人は、その風貌だけで職員たちをざわめかせ、次いでその雰囲気で言葉を失わせた。静寂を見定めて、薪が「おはよう」と朝礼開始の挨拶をする。

「今日から一緒に働くことになった、滝沢幹生警視だ。6年ほどブランクはあるが、元々2課の生え抜きだった男だ。MRI捜査にも精通している。6年の間に更新されたシステムの操作法さえ習得すれば、即戦力になれる実力を持っている。しっかり指導してやってくれ」
「滝沢です。先輩方、よろしくご指導願います」
 職員たちの心に広がった波紋は、薪が新人の肩を持つような紹介の仕方をしたことも理由の一つだったが、一番の原因はやはり本人にあった。
 鋭い目つきと大柄な体躯。尊大な雰囲気と上から目線の態度は、新人と言うにはあまりに威圧的で、人の好い曽我などは思わず敬語で挨拶を返してしまったくらいだ。

 こちらが先輩なのだから気を使う必要はない、と岡部が経験年数を盾に曽我の立場を守ろうとすると、滝沢は、
「岡部副室長のおっしゃる通りです。年は行ってますし、MRI捜査の経験もありますが、普通の新人として扱ってください」
 と、慇懃無礼に返してきた。言葉と雰囲気が全く合っていないのは、わざとか無意識か。悩むところだが、彼が長い間入院していたことを考慮すると、コミュニケーションは不得手だろうと察せられた。
 薪は朝礼が終わると直ぐに室長室へ引っ込んでしまったし、フォローするのは事情を知っている者の役目だ。岡部は、細い眼に不満を浮かべた小池の肩を叩き、
「ここでは新人だが、滝沢は現場経験が長い分、捜査官としてはおまえらよりも上だ。階級もな。敬語の必要はないが、学べるところは学ばせてもらえよ」

 滝沢の実力を勘案して、指導員は宇野に担当させることにした。本来なら新人の指導は青木の仕事なのだが、いかんせん若すぎる。自分より一回り以上年下の職員に教えを乞うのは、滝沢のプライドにも障ると思われた。
 指導と言っても、滝沢は既にMRI捜査の基本は押さえている。必要なのは、この6年の間に新しくなったシステムの使い方、つまり操作方法の説明だ。システムに一番詳しいのは宇野で、様々なショートカットを効率的に使いこなせるのも彼だ。そんな理由から、宇野に白羽の矢が立ったのだ。

「よろしく。言っときますけど、俺、二回同じこと教えませんから」
「はい。心して聞きます」
「青木に当たれば優しく丁寧に教えてもらえたと思うけど。残念ながら、俺はやさしい人間じゃないんで」
 好戦的な会話が耳に入って来て、岡部は焦る。これは選択を誤ったか。
 宇野は意外と気分屋だ。人の好き嫌いもはっきりしているし、IT人間ならではの合理的精神で多少言いにくいこともズケズケ言う。しかし、曽我では滝沢の雰囲気に呑まれてしまうだろうし、小池では絶対に喧嘩になる。今井なら適当にあしらうと思われたが、指導内容がシステムのことに限られるなら、捜査の中心たる今井を取られるのは避けたかったのだ。

「どのくらい使えるか見たいから。とりあえずこのテストデータ、ラーニングしてみてください」
 CDを渡してあっさり言うが、6年前とはシステム起動の方法も変わっているのだ。いきなりは無理だろう、とまたもやフォローの必要性を感じて岡部が二人のところへ足を向けると、盆に載せたコーヒーの馨しい香りと共に、宇野曰く「やさしい男」がやって来た。
「すみません、滝沢さん。明日から、ご自分のカップを持ってきてもらえますか?」
 二人の机にコーヒーを置きながら、にこやかに話しかける。何人新人が入って来ても、一番年若い捜査官として雑事をこなしている青木は、業務開始前にこうして全員にコーヒーを配って歩く。強制されているわけではないが、日課のようなものだ。皆もそれに慣れてしまって、彼が出張の日など、青木のコーヒーを飲まないと一日が始まらない、と嘆く職員もいる。

「カップ、ですか」
 太い首を訝しげに捻り、滝沢は低い声で訊いた。ニコリともしない新人に向かって、青木はあくまで友好的に、
「ええ。今日はお客さん用のカップに淹れましたから。はい、どうぞ」
「普通は紙コップを使うのでは?」
「そうしてる部署もありますね。でも、カップの方がエコだし、コーヒーの味が引き立ちますから」
「しかし、瀬戸物のカップを使ったら、いちいち洗わなければいけない」
「流しに置いといてください。オレが後でまとめて洗いますから」
 にこっと笑いかけられて、滝沢が黙った。人を和ませる青木の笑顔は、彼の最大の武器だ。あの顔に向かって正面から毒づけるのは、薪くらいのものだ。

「そうだ、宇野さん。渋谷の放火事件で見て欲しい画があって。ちょっと機械借りていいですか?」
 宇野の返事を待たず、青木はシステムを起動させた。と、宇野がセットしたテストCDが自動的にセットアップされ、選択の画面が現れる。
「あれ、何か入ってました? すみません、邪魔しちゃいましたね。オレのは後でいいです」
 焦った振りのクサイ演技を織り交ぜて、青木は身を引いた。選択画面まで行けば、取っ掛かりができる。青木らしいフォローだ。
 余計なことを、と宇野は眉根を寄せたが、宇野は青木を気に入っている。肩を竦めてコーヒーカップを持ち上げ、「今日も美味いな」と青木の特技を褒めた。

「呑気にカップを洗える職員がいるとは。今の第九はよっぽど暇なんだな」
 ぼそりと、だがしっかりと相手に聞こえるように洩らした滝沢の言葉に、青木は苦笑し、会釈でその場を去った。真っ直ぐ室長室へ向かって行く。薪のカップを最後にしたのは、昨夜受けたドタキャンの理由でも説明してもらう気でいるのか。
 その背中を、滝沢はずっと目で追っていた。
 青木の気遣いを彼はちゃんと分かって、しかし素直になれなかったのかもしれない。精神を病んだ経験がある人間は、人の好意に甘えることが怖いのかもしれない。岡部は滝沢の心中を慮り、彼を皆に溶け込ませるためには肌理細やかなフォローが必要になると考えて、少しだけ憂鬱になった。面倒だが、職員同士の調和を図ることは副室長の仕事だ。

 青木が室長室に入った後も、滝沢はじっとドアを見つめていた。まるで中で起きていることを見透かすように、彼はとても鋭い眼をしていた。
「滝沢サンもどうぞ。青木のコーヒーは絶品ですよ」
 しばし無言でいた滝沢に宇野はコーヒーを勧め、すると滝沢は思い出したようにコーヒーカップを口に運び、馨しい液体を啜った。
「ね。美味いでしょ」
「さあ。わかりませんね」
 無感動で平坦な声だった。コーヒー好きにはたまらない味と香りも、好みが違えばさほど感じ入ることもない。まるで水でも飲むように滝沢は残りのコーヒーを飲み干し、空になったカップを給湯室へ持って行った。戻ると直ちに画面に向かい、マウスをクリックして一つのデータを選択した。

「オーケー。じゃあ次、ここ、拡大してみてください」
「はい」
「へえ、やり方覚えてるんだ。滝沢サン、記憶力良いですね。でも今は、ワンクリックで出来るようになって、こう」
「素晴らしい。便利になりましたね。MRIシステムも進化しているんですね」
「まあね。じゃあ、今度はこの画像をこちらへ移動してみて」
 スムーズに指導が行われていくのを見て、岡部は胸を撫で下ろした。
 青木のやつ、なかなかやる。職場の融和と勤労意欲を増進させる雰囲気作り。あいつには副室長の素質がある、と岡部は青木を評価し、しかし同時に彼は、青木の行動はただ一人の人物のためのものであることを知っている。職場の人間関係が悪くなれば、職務に影響が出る。そうなったら困るのは室長の薪だ。青木の行動規範は、薪のためになるかならないか、だ。
 青木の副室長としての才覚は、薪が室長でないと発揮されないかもしれない。それも、二人の関係が友好的であるという条件付きで。何とも限定されたアビリティだが、今のところ、岡部はずい分助けられている。

 青木は室長室に入ったまま、まだ出て来ない。職務中にプライベートの話を長々とする薪ではないが、昨夜のフォローをしているのだろう。薪が一言謝れば、青木がそれを快く許すであろうことは眼に見えている。とにかく、青木は薪に心底参っている。それは薪だって。
 青木のコーヒーを一番楽しみにしている人物が、愛用のマグカップを手に眼を細めている姿を思い浮かべて、岡部は穏やかな気持ちで朝礼の記録簿を閉じた。



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破滅のロンド(6)

 こんにちは。 

 今ね、わたしの大好きな人が新しい環境でがんばってるの。 遠いところにいるから彼女の健闘を祈ることしかできなくて、それがとっても歯痒い。
 自分では手の出せないことをあれこれ心配して、不安になって、そうすることに意味はない(直接彼女の役には立たない)と分かっているのに考えてしまうの。
 合理的でもない、建設的でもない愚かな思考、でも、
 こんなに他人のことを大事に思えるの、幸せなことだよね?
 今までも彼女はわたしにたくさんの幸せを与えてくれたけど、こうして彼女からのアクションが無いときでも、ちゃんと幸せは感じられる。 人を好きになるのって、本当に素敵なこと。
 今度はそういう話を書きたいなあ。


 あ、すみません。
 お話の続きはCさまとAさまの予想通り、めちゃくちゃひっくり返ってます☆
 どうか広いお心で~。





破滅のロンド(6)






 室長室で青木は、手に盆を下げたまましばらく立ち尽くしていた。
 約束を反故にされた件について、当然薪の方から詳しい説明があるものと思っていたのに、薪は何も言おうとしなかった。薪はとても潔い性格をしているから、事情を説明することは言い訳になると考えているのかもしれない。だから自分からは言い出しにくいのかもしれない、と青木は彼の立場を思いやり、譲歩する意味合いで尋ねた。
「昨日は、どんな用事だったんですか?」
「夕方、滝沢が此処に来て。飲みに行こうって誘われたから」
「それだけですか?」

 少々、咎めるような口調になってしまったかもしれない。それも無理からぬことだった。
 ものすごく素っ気ない断り方をされたから、急な仕事でも入ったのかと思い、姉にはそう説明した。もしも緊急の事件だったらと気になって折り返したが、薪は電話に出なかった。姉と別れてから何度も電話をしたのに、薪は一度も応えてくれなかった。幾度となく意図的に切られた携帯電話を見つめて、青木は眠れぬ夜を過ごしたのだ。

「オレ、昨夜何度も電話したんですけど」
「朝まで滝沢と一緒だったから。出られなかったんだ」
「朝まで?」
「久しぶりにロックなんか飲んだら足に来ちゃって。滝沢の部屋に泊めてもらったんだ」
 薪はそれを何でもないことのように告げたが、受け取る青木の方は到底平静ではいられなかった。滝沢は薪の昔の部下だと聞いているが、再会したその晩に部屋に泊まるほど仲が良かったのだろうか。
 薪が、朝のコーヒーを飲もうとしないのも気になっていた。薪はコーヒーが大好きで、だから青木は懸命に努力してドリップ技術を磨いたのだ。いつもなら飛びつくはずの室長専用ブレンドの香りにも、今日の薪は無関心だった。

「カンチガイするなよ? 別に何もないぞ」
 そこまで気を回したつもりはなかったが、恋愛の機微には鈍い薪がフォローを入れてくれたところを見ると、泣きそうな顔になっていたのかもしれない。
「安心しろ。世の中おまえみたいなヘンタイばかりじゃないから」
 薪さん、フォローになってません、と心の中で突っ込むが、これがこの人の気の使い方なのだ。このトゲの付いた鞭のようなフォローを有難く受け取れてこそ一人前だ。

「あの……姉は、薪さんに会えるの、とっても楽しみにしてたんです。オレ、姉には薪さんのこと、けっこう話してて。日本一の捜査官だからって、だから姉も薪さんのファンみたいになってて」
「青木。僕たち、距離を置こう」
 青木の言葉を遮るように、薪は唐突に宣言した。
「しばらくの間、プライベートでは会わない。職場でも仕事の話だけにしてくれ」
「何故ですか」
 反射的に飛び出した青木の問いに、薪は答えなかった。昨夜の電話と同じように、意図的に青木の気持ちを黙殺し、
「これは命令だ」
 冷たい声だった。まだ薪が遠い存在だったころ、彼の人となりを知らなかった頃の青木の耳に親しんだそれは、戦慄する過去からの呼び声のようだった。

「長居は無用だ。さっさと仕事に戻れ、青木警視」
 薪が階級を付けて部下を呼ぶときは、理性が吹き飛ぶほど怒っているか、命令に背くことは絶対に許さない、という強い意志が込められているかのどちらかだ。今回は、後者だ。
 青木は黙礼し、室長室を辞した。

 いったい、何があったのだろう。薪の気紛れには慣れているが、ここまで何の前触れもなく、直接的な言葉で遠ざけられたのは初めてだ。
 夕食を断った理由も、到底納得できるものではなかった。もしかしたらヤキモチだろうか。せっかくの週末だったのに、青木が姉を優先して、彼をほったらかしにしたから拗ねたのだろうか。だから自分も旧友を優先したと、そういうことか? しかし一昨日、「日曜の夜に姉と3人で食事を」と誘った時に彼は、「それは楽しみだ」と快諾してくれたのだ。多少緊張した声ではあったが、それが原因とはとても思えない。あるいは、自分の姉に会わせようなんて、結婚が決まった男女の段取りみたいなことをさせようとしたのがまずかったか。青木に深い考えはなかったが、薪にとっては重荷だったのかも。

 思わずドアの前で考え込んでしまった青木は、ふと、自分に向けられた視線に気付いた。
 興味、好奇心、それから、向けられる覚えのない敵意。じっとりと湿気を含んだ悪意に、ぞっと背筋が寒くなる。

 ハッとして顔を上げると、そこにはいつもの職場風景が広がっていて、自分を見ている者は誰もいなかった。ごく近い距離からの目線のように感じたのに、気のせいだったのだろうか。
 二日間、姉に引っ張り回されて疲れているのかと思った。まったく、我が姉ながらちゃっかりしている。舞が生まれてから初めての独り身だ、弟と時間は有効に使わなきゃ、と身勝手な理屈で土曜は夜中まで、翌日は朝の6時から東京中連れ回された。解放されたのは日曜の夜の9時過ぎだった。
 今週はしんどい週になりそうだ、と青木は思い、薪の笑顔が見られれば疲れなんか吹っ飛ぶのに、こんな時こそ癒して欲しいのに、と無い物ねだりの子供のように、つれない恋人のきれいな横顔を恨めしく思い出した。


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破滅のロンド(7)

破滅のロンド(7)




 昼休み終了の10分前。室長室にコーヒーを運ぶ青木を、岡部は呼び止めた。

「室長なら留守だぞ。午後から警視庁で会議だ」
「え。食事先から直行で?」
 午後からの会議のことは、青木も知っている。それでもこうしてコーヒーを運んできたのは、いつも薪は青木のコーヒーを飲んでから会議に赴くからだ。今日のように、昼食を摂った店から会議室へ直行というのは珍しい。ましてや。
「……また滝沢さんと一緒か」
 お供の部下と一緒に食事をして、そのまま出掛けるなど。

 ホワイトボードに書かれた各人の予定を見て、青木が低い声で呟く。表情には出さないが、面白くないのだろう。その気持ちは岡部も一緒で、多分、他の職員たちも同じだ。
 薪はとても公正な室長だった。部下の中で特に誰かを疎んじることなく、可愛がることはもっとせず、平等に厳しく、公平に叱った。職員たちの不満は室長に集中し、仲間内でいざこざが起きることはなかった。
 それが、滝沢にだけは違った。モニタールームに入って来るたび、彼に必ず声を掛けた。自分が外に出ることがあれば、常に彼を同伴した。まだ見習い期間中の滝沢は受け持ちの事件を持っていないから、と言うのがその理由だったが、青木が新人だった頃は一度も指名された覚えがない。

「よかったら」とカップを差し出され、岡部は隣に立った男を見上げた。椅子を回転させ、彼の真面目そうな顔を検分する。何処となく疲れて、元気がなさそうだ。
「薪さんも、どういうつもりなんだろうな」
 岡部はそれを、カマを掛けたつもりで訊いた。青木は薪の恋人だ。薪が滝沢に気を使う理由を、本人から聞いて知っているはずだと思った。ところが。
「オレには分かりません」
 力なく首を振る、そこまではあり得ることだった。薪は意地っ張りだ。自分の弱みを、例え相手が恋人といえども隠そうとすることは、充分に考えられた。しかし。

「もしかしたら昔、恋人同士だったのかも」
「ぶっ!」
 後輩の口から予想もつかない答えが飛び出して、岡部はコーヒーにむせる。何を根拠にそんな疑いを持ったのか、さては恋人の勘違い癖が伝染したのかと、岡部が咳き込みながらも青木の疑惑を否定すると、青木は何とも情けない顔になって、
「じゃあどうしてオレ、薪さんに振られたんですかね」
「はあ?」
 岡部はポカンと口を開け、間の抜けた声を出した。そんなわけは無い、自分は薪から何も聞いていない。薪が、青木の姉に会う直前の精神安定のために岡部を呼び出したのは4日前だ。この急転直下のラブストーリーをどう理解したらいいのか。

 岡部が日曜日の薪の様子を話してやると、青木は悲しそうに眉根を寄せ、岡部の隣の席に腰を下ろした。
「そうですか、そんなに嫌がって……オレ、薪さんの気持ち、全然分かってなかったんですね」
「いや、薪さんは別に嫌がってたわけじゃ」
「オレ、実はすごく浮かれてて。姉に自分の彼女を紹介するような気分でいたんです」
 それはそうだろう。薪は青木の恋人なのだから、どこも間違っていない。
「だけど、薪さんにはプレッシャーだったんですね。そうですよね。オレだって、もしも薪さんの両親がご存命でいらして、お会いする機会があったら、緊張で食事なんか喉を通らないかも」
「まあ、プレッシャーはあったみたいだが。薪さんは、おまえのためにそれを乗り越えようとしてだな」
 懸命に、薪は自分を奮い立たせていた。悲惨な未来図を思い浮かべながら、それでも逃げ出さず、立ち向かおうとしていた。そんな薪が青木を疎んじる道理がない。

「だから、薪さんがおまえを嫌いになったなんてことはない。滝沢の方を優先したのは、薪さんにも理由があって」
「理由ってなんですか。滝沢さんが此処に赴任した途端、オレと距離を置かなきゃいけない理由ってなんですか。仕事中は仕事のこと以外話しちゃいけない、プライベートでは近付いてもいけない理由って?」
「それは、おまえたちの仲が発覚するのを怖れて」
 苦しいこじ付けだった。それを危惧するなら、今までだって同じではないか。このタイミングで薪の警戒態勢がレッドゾーンに入った理由は他にある。

「岡部さん」
 縋るような瞳で、青木が岡部の顔を見た。岡部は第九内でただ一人、彼らの関係を知っている人間だ。困り果てた青木が他に頼る者はいなかった。
 迷ったが、話すべきだと思った。
 他の職員はともかく、青木は薪にとって特別だ。他人の過去、それもかなりの割合で推測が入る話だが、青木の気持ちを落ち着かせるのは大切なことだ。青木は大人しそうな外見からは信じられないくらい無鉄砲な男で、思い詰めたら何をしでかすか分からない。滝沢に詰め寄って直接問い質す、なんてことを平気でしてくれるからコワイ。

「滝沢は、貝沼事件の生き残りだ」
 えっ、と驚きの声を上げて、青木が背筋を伸ばした。貝沼の名前が出ただけで、ゴクリと唾を飲む。2065年の今でも、かの事件を上回る猟奇犯罪は起きていない。6年という歳月を経てなお、貝沼事件は日本犯罪史の頂点に君臨していた。
「当時の第九の職員は室長を除いて死亡したが、一人だけ、精神病院に入院した職員がいただろう。それが滝沢だ。6年間療養して、ようやく現場復帰することができたんだ」
「それで薪さん、あんなに気を使って」
 薪が滝沢から目を離さない理由を知って、青木は深く頷いた。薪の性格を知っているものなら誰でも察しがつく、室長として部下の精神的疾病の責任を感じているのだ。

「この話は、他の連中には黙っててくれ。下手に気を回されると、余計うまくいかなくなる」
 岡部が青木に秘匿を促すと、青木はもう一度頷いて、
「薪さんが滝沢さんのこと、気に掛ける理由は分かりました。薪さんらしいと思います。でも、だからってオレと別れなくても」
 多分、違うと思った。薪はポーカーフェイスが得意だが、こういうことはすぐにバレる。背中に張りがなくなったり、話し方が淡々とし過ぎていたり。ボーっとしたり、ミスが増えたり、人の話を聞いていなかったり。そういった兆候が一切現れていないところを見ると、別れ話は青木の誤解の可能性が高い。
 そう言って岡部が慰めても、青木は俯いたままだった。こと恋愛に関して、他人から告げられる恋人の好意は意味を持たない。希望を持たせようと耳に心地良いことを並べている、そんな風に受け取られがちだ。
 直接薪に確かめるのが一番良いのだが、プライベートでは会ってもくれない。電話ですら、仕事以外のことを喋ろうとすると切られてしまうと言う。何を考えているのか知らないが、そこまで徹底しなくてもよさそうなものだ。青木が落ち込むのも当然だ。

「折りを見て、ちゃんと説明するように俺が薪さんに話してやるから」
 最終的に、お人好しの岡部が介入を約束させられて、青木の悩み相談室は終わった。広い肩を落として自分の机に戻る後輩を、岡部は溜息混じりに見送ったのだった。



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破滅のロンド(8)

破滅のロンド(8)





「なんで勝手にタブを閉じたんだよ!」
 荒々しい声に岡部が振り返ると、冷静さが売りのシステムエンジニアが、仁王立ちになって怒っていた。珍しいこともあるものだ。
「切り替えの時には、必ず俺に声を掛けてくれって言っただろ?!」
「申し訳ない」
 宇野に怒声を浴びせられて滝沢は、それでも落ち着きを失わず、いつも通りの慇懃な態度で応えを返した。彼が第九に配属されて1週間。岡部はまだ、彼の焦った顔や困った顔を見たことがない。

「以前のシステムでは、タブが閉じる前に自動的に確認の画面が開いたものだから」
 滝沢が時々犯す旧システムとの相違による操作ミスは、ある程度仕方のないことと言えた。機械の操作法は、身体が習得しているものだ。頭で考える前に指が動いてしまうこともあるだろう。素早く処理をしようと思えば尚更のことだ。
 それは宇野も心得ている。問題は、滝沢のこの態度だ。申し訳ない、と言いながら、ちっとも悪びれる気配がない。口先だけで謝罪しているのが丸分かりだし、本人もそれを隠そうとしない。完璧に舐められている、と宇野が感じても仕方なかった。

「すまない。これからは気をつけよう」
「滝沢サン、あんたねっ!」
「宇野、落ち着け」
 宇野の激昂を嘲笑うような滝沢の横柄さを腹立たしく思いながらも、岡部は争いを収めようと二人の間に入った。四角いレンズを通した宇野の瞳が、常に無く凶悪な光を宿している。
「滝沢も、わざとやったわけじゃないんだから」
「それで済むなら警察要りませんよ! こっちは5日も掛かって入力したデータ、オシャカにされたんですよ?!」
「何の騒ぎだ」
 大声で怒鳴っていたものだから、薪の耳に入ってしまった。薪がこちらにやって来るのを見て、岡部はマズイと思った。岡部には薪がこの局面で、どんな態度を取るか分かっていた。それを受けた宇野がますます激怒するであろうことも。

 近付いて開口一番、薪は宇野に向かって、
「宇野。滝沢の指導員はおまえだが、滝沢はおまえより階級も年も上だ。頭ごなしに怒鳴ったりするものじゃない」
 岡部の予感は当たった。宇野の怒りは、2倍になったに違いない。普段はのっぺりとした彼の額に、幾本もの青筋が浮いたからだ。
 これまでの薪は完全な実力主義を貫いており、年齢や階級のことなど、一度も口にしたことがなかった。実績を上げたものが偉い。三つ子の魂百まで、初就任先の捜査一課で培われた彼の価値観は、研究室に於いても変わることはなかったのだ。そんな薪の方針を、第九の職員たちは恐れながらも支持してきた。それなのに。

「何があった。説明しろ」
 薪は宇野から事情を聞き、拳を握り締めて立っている宇野と、座ったままの滝沢を交互に見た。やおら腕を組み、軽くため息を吐く。くだらない、と口に出さんばかりだ。
「悪いのは宇野だ。このミスは、データ保存の手順を教えなかったおまえの責任だ」
「教えようとしましたよ! 切り替えの前に声を掛けてくれって、ちゃんと言いました! それを滝沢が勝手に」
「滝沢は悪くない。最初に手順を説明してから作業に入れば済んだ話だろう。おまえが説明を省いたのがそもそもの原因だ」
「そんなこと言われたって、画面を見ながらじゃないと説明できないし。目的の画面に進むまで、見てるわけにも行かないですよ。こっちにだって仕事があるんですから」
「指導と言うのはそういうものだろう。手を抜いたおまえが悪い」
「薪さん、なんでいっつもこいつのこと庇うんですか!?」
 一方的に叱責されて、宇野がキレた。この1週間、誰もが思って、でも言えずにいたことを、宇野は理性を失った人間特有の無遠慮さで叫んだ。

「別に、庇ってるわけじゃない。指導について僕の考えを述べただけだ」
 薪は本気でそう言ったのかもしれないが、逆上していた宇野には姑息な言い訳に聞こえただろう。宇野の形相は凄まじさを増し、それをさらに煽るように滝沢が口を挟む。
「薪。宇野警部の言うとおりだ。おれが悪かったんだ」
「なんでおまえは薪さんにタメ口なんだよっ! それが一番アタマに来るんだよ! 元同僚だか何だか知らないけど、職務中は敬語使えよ!!」
 正に決定打。それは岡部を始めとした部下たち全員の総意だった。
 鬼の室長として職員たちから遠巻きにされる薪に、滝沢は気の置けない友人のように話しかける。薪もそれを咎めることなく、終始和やかに応じる。それを目の当たりにすると、自分たちよりも滝沢、つまり旧第九の部下の方が薪と深い絆で結ばれているような気がして不愉快になるのだ。要は、ヤキモチだ。

「宇野さん、落ち着いてください。データの復旧作業、オレが手伝いますから」
 宇野を必死で宥めているのは、薪に関しては一番嫉妬深いはずの男だった。これまでに何度も彼は、薪の不公平な態度に憤る職員たちを慰めてきた。薪の立場を悪くすまいと、青木の努力は涙ぐましいほどだった。
 そんな彼の努力を蹴り飛ばすように、薪は滝沢の肩を軽く叩き、
「滝沢、気にするな。おまえの記憶力が良過ぎただけだ」
 などと世辞めいたことまで言った挙句、
「経験者とは言え、たった1週間で新しいシステムをここまで使えるようになったのは大したものだ。自信を持っていい」
 滅多に部下を褒めない薪の賞賛に、皆が目を剥いた。小池など「おまえが新人の時とはエライ違いだな」と青木の腹を肘で小突いた。それは皮肉屋の小池らしいリアクションで、しかし岡部には、滝沢に対する嫉妬心からの行動と思われた。
 滝沢には、心の病気だった過去がある。薪にしてみれば罪滅ぼしのつもりなのかもしれないが、あからさまな新人贔屓は他の職員の不満を煽る。これ以上は、第九全体のコミュニケ-ションに害を及ぼす。一言、注意を促しておくべきだ。

「薪さん。滝沢は完全に回復したと、医師が保証しています。薪さんが気を使われることはないと思いますが」
 室長室に戻った薪を追いかけて、岡部は進言した。話しかけられても薪は、岡部の顔を見ることもせずに室長席に座った。細い脚をスマートに組み、背もたれに寄りかかり肘掛に腕を置き、戯れにボールペンを回しながら薄く笑う。嫌な笑い方だと岡部は思った。
「昔なじみの贔屓は見苦しいと、正直に言ったらどうだ」
 岡部がせっかく包んだオブラートを無造作に剥がして、薪は嘯いた。
「分かってらっしゃるなら、どうして」
「僕は態度を改める気はない」
 突然厳しい口調になって、薪は言った。組んでいた脚を解いて、床にきちんとつける。背筋を伸ばして両手を机の上に置き、岡部の顔をしっかりと見据える。亜麻色の瞳は澄み切っており、彼の発言が確固たる意志の下に為されたものであることを証明していた。

「滝沢は優秀な捜査官だ。僕の目から見て、実力はおまえと五分。第九は実力主義だ。できる職員は優遇する」
 滝沢の実力は、岡部も認めていた。捜査資料を読み解くのも早いし、雑多な情報の中から重要なものを嗅ぎ分ける鋭い鼻を持っている。近年、科学警察に於いて非合理的なものは軽視される傾向にあるが、刑事の勘というやつは確かに存在する。それは豊かな現場経験から生まれるもので、一朝一夕に身に付くものではない。滝沢は、相当な場数を踏んでいるということだ。
「僕に眼を掛けて欲しけりゃ、腕を磨け。みんなにもそう言っとけ」
 話は終わりだ、と言う代わりに、薪は報告書のファイルを開いた。すかさず、岡部はその上にグローブのような手を滑り込ませる。A4判の中心に置かれたその手は書面の殆どを隠して、薪はうんざりしたように顔を上げた。

「滝沢が優秀な捜査官であることと、あなたのプライベートから青木を閉め出すことは、どう関係してくるんですか? 何故、同時なんです?」
「必要だったからしたまでだ」
「あなたに迷いがないと言うことは、仕事がらみですね?」
 これがプライベート、限定してしまえば恋愛問題なら、薪はもっと情緒不安定になる。以前、私的な懸念から青木を遠ざけようとしたときは、こちらが見ていられないくらい凹んでいた。その浮き沈みが今回は見られない。つまり、仕事だ。
 形の良い眉を思い切りしかめられて、岡部は安心する。ちっ、と行儀悪く打たれた舌打ちは肯定の証。薪が何かを隠し、決意し、一人で密事を為そうとしていることなど、岡部にはとうにお見通しだ。

「芝居なら芝居だと、青木に説明してやらないと。地球のコアまで落ちてましたよ。自分の姉に引き合わせようなんて、薪さんにプレッシャー掛けたから振られたのかもって」
「心配することはない。そのまま行けば、そのうち反対側に抜けるだろ」
「薪さん」
 岡部が非難がましい口調で名を呼ぶと、薪は肩を竦めた。少し苛々したときの癖で、人差し指で肘掛をトントンと叩きながら、
「別れようなんて言ってない。距離を置こうって言っただけだ」
「ほとんどイコールだと思いますけど」
「ぜんぜん違うだろ。プライベートでは会わない、職場でも仕事のこと以外は話さない、ってだけのことだぞ」
「……それ、事実上別れてますよね」
「えっ、そうなのか?」
 ズレているというか薪らしいというか。一般的な恋愛のニュアンスと薪のそれは、時に開いた口が塞がらないほど相違していて、しばしば相手に虚脱を感じさせる。

「説明してあげてください。他の連中は俺が何とか抑えますけど、青木のやつだけは薪さん本人の口からじゃないと聞きゃあしませんから」
「できない」
 自分の思い違いを認めてなお、薪は即答した。どうして、と訊こうとした岡部を遮って、薪の冷徹な声が響く。
「どんなことをしても、青木を巻き込むわけにはいかないんだ。これで青木が僕から離れるなら、そこまでの縁だったということだ」
 言葉面だけを追えば潔く切り捨てたように聞こえるが、薪に悲哀はない。青木が自分から離れることはない、と信じ切っているのか。岡部は薪の自信を頼もしく思ったが、残念ながらそれは違った。

「いつの間にそんなに自信家になったんです」
「自信なんかない」
 ニヤつきながら尋ねた岡部に照れ臭がる様子もなく、薪は硬い声で答えたのだ。
「共に過ごすより、もっと重要なことがあるだけだ」

 一番下の引き出しの奥から取り出した黒いファイルを抱え、薪はすっくと立ち上がった。殺人事件の捜査に挑むときと同じ声の響きに、岡部は表情を改める。薪は何かを考えている。そしてそれは、不退転の覚悟で挑まなければならないような厳しいものなのだと悟った。
「薪さん」
「警察庁へ行ってくる」
 一歩歩き出すと、小脇に抱えた黒いファイルから、挟み損ねたのか一枚の紙片が机上に落ちた。薪の細い手が素早くそれをさらう、その一瞬を岡部の眼は見逃さない。

 警察庁内に配布される広報誌の一部。『××年度 国家公安委員会』の文字がある事から半年ほど前のものと思われた。一瞬だったが、現在の国家公安委員長である大久保国務大臣、その下の欄に5人の委員たちの顔写真が名前入りで並んでいるのが見えた。
 どうしてそんなものを報告書に? 岡部が口を開きかけた時、薪の口から思いもよらない言葉が漏れた。

「岡部、滝沢を頼む」 
 下された命令に、岡部は顔をしかめた。室長が不在の折、第九を預かるのは副室長の岡部の役目だから薪は当然のことを言ったに過ぎないが、「研究室を」と言うところを個人名と言い間違えるなんて。どれだけ彼のことを気に掛けているのかと、咄嗟に反感を持ってしまったのだ。
「滝沢を、ですか?」
 やや皮肉な心持ちで岡部が間違いを指摘すると、薪は意外にもしっかりと頷き、
「ああ、そうだ。今日はどうしても滝沢を連れて行くことができないからな」
 言い間違えを恥じるどころか、開き直られてしまった。それから薪はモニターを睨むような眼で岡部を見上げ、顔を近付けて声を潜めた。

「絶対にやつから眼を離すな」



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

破滅のロンド(9)

 昨日は久しぶりに、行きつけ(?)の動物園に行ってきました。
 でも、すっごく風が冷たくて~、いつもみたいに動物とアイコンタクトが取れるまで柵の前に居座っていられませんでした。 桜はとってもきれいでしたけど、寒くて上見るの大変だった~。
 もっと暖かくなったら、また行こうと思います。
 




破滅のロンド(9)






 警察庁官房室は中央合同庁舎の八階に位置している。地図上ではその敷地は科学警察研究所の敷地とほぼ隣接しているものの、実際に歩いてみると10分ほどの距離がある。研究所の門と警察庁の門が対極にあることと、敷地の広さに因るものだ。
 国民の税金を費やして造られた警察庁の前庭に、無駄に大きい噴水やら前衛的なオブジェやらを置くのはいかがなものかと、中園紳一は今日も考える。八階の窓から下方を見下ろしつつ、仕立ての良いスーツのポケットに両手を突っ込んで、彼は独り言のように言葉を窓ガラスに放った。

「報告書と銘打つには推測部分が多過ぎる気がするけど。それでもまあ、よく調べたね」
「逃げっぱなしじゃ、男が廃りますから」
 背後から部下の硬い声が聞こえて、中園はふうむと唸る。
 6年前、自分が逃げたという自覚があるわけだ。その通り、彼は逃げた。親友を撃ち殺した衝撃から、自分の世界に逃げ込んだ。事件からも周囲の人間からも逃げて、彼との思い出が残る第九に閉じこもったのだ。
 その彼が長い雌伏のときを経て、中園の元へ持ち込んだ報告書には、驚愕すべきことが書かれていた。正式なルートを使わずにこれだけのことを調べ上げた彼の苦労は、並大抵のものではなかったはずだ。その根性だけでも、例の事件が彼にとってどれほど重大なものだったかが察せられる。何を失っても悔いはない、そんな覚悟で挑んだのだろう。

 遠からずキツネは動きます、と薪は言った。
 対するこちらの選択肢は二つ。狐に老鶏を与えて森へ帰らせるか、捕縛するかだ。前者を選択した場合、こちらの被害は最小限に留められる。問題はもう一つの選択肢だ。
 かなり危険な賭けだと思った。しくじれば無傷では済まないどころか、鶏の代わりに自分が噛み殺される可能性もある。しかし、事が上手く運んだときの利益は計り知れない。

「中園さん」
 呼びかけられたが、中園は振り向かなかった。まだ心が決まっていない。この状態で彼に口説かれるのは避けたい。感情に流されて冷静な判断を欠く可能性がある。
「どうして僕なんだい」
 前庭を歩いている職員たちを無感動に眺めながら、中園は尋ねた。
「小野田に直接頼めよ。僕を飛び越したからって、別に拗ねたりしないよ」
 官房長の小野田は、薪を気に入っている。彼の頼みなら大抵のことは叶えてやるし、人事や監査の面にも気を配ってやっている。もちろん、権限は参事官の中園よりも格段に上だ。動かせる人間も部署も比較にならない。彼に頼ったほうが、薪の目的は確実に達成されると思うが。

「小野田さんに知れたら、止められるに決まってますから」
 なるほど。それはありうる、というか絶対に止めるだろう。薪の立てた計画は、あまりにも危険過ぎる。不都合なことにその危険は小野田が一番大事にしている人間一人に集中し、つまりそれは薪自身だ。いつ死んでもおかしくない状況に大事な跡継ぎを置き続ける計画など、小野田が率先して潰すだろう。
「それで僕に?」
「中園さんなら、小野田さんにバレないようにフォローを入れた上で、僕のお願いを聞いてくれるでしょう?」
 甘いマスクをして、でも中身には激辛の香辛料がまぶされている。生クリームに包まれたハバネロみたいな男だ。騙されて噛みついたら口の中が焼けただれる。

「さて、どうしようかな。キツネ狩りは楽しそうだけど」
「いいえ、キツネ狩りはこちらでします。中園さんにお願いしたいのは、キツネの巣穴を壊すことです。できれば森ごと」
 中園は思わず振り向いた。畑を荒らす性悪狐にお灸を据えるだけでなく森ごと巣穴を壊そうなんて、そんな大それたことを考えていたのか。一研究室の室長風情が、身の程知らずもここまでくると笑い話だ。

「どうにも物騒な森らしいので。武力行使もやむを得ないと考えています。そこで中園さんのお力を」
「無理だ。この報告書だけでは、森には入れない」
「キツネの住処がその森であるという確たる証拠を掴めば、動いていただけますか」
 未だ証拠はないが、いずれキツネは動く。そこで証拠を掴んでみせると薪は豪語した。証拠さえあれば不可能ではない。不可能ではないが、しかし。

「大変なことになるよ?」
「でしょうね」
「社会的影響とか、ちゃんと考えてる?」
「失業率が何パーセント跳ね上がるか、とかですか? それを考えるのは僕の仕事じゃありません」
 抜け抜けと薪は言う。
「僕には第九を守ることが最優先です」
 一時的な打撃は大きいかもしれないが結果的には社会の膿を出すことになる、巨悪を見逃すわけにはいかない―――― そんな説得の仕方はしてこない。薪は中園と言う男を理解している。
 誉れ高き社会正義を、中園は信じない。人は常に利を考えて動く。自分も彼も、中園がすべてを託した男でさえ。勿論、利を得る人間は必ずしも自己ではない。尽力の還元先を自分に限定したいなら、警察なんぞを職場には選ばない。職務のため仲間のため社会のため。最終的には、己が信じるもののため。

「相変わらず薪くんは自分勝手だねえ」
 中園が呆れた顔をすると、薪は憎らしくなるほど綺麗に微笑んだ。
「いいのかな、小野田の信頼を裏切るような真似をして」
「裏切るなんてとんでもない。この計画が成功を収めれば、小野田さんの天下が来ますよ。中園さんなら分かるでしょう?」
「成功すればね。でもしくじったら、小野田も僕も窓際の席で一生日向ぼっこだ」
「そんなことにはなりません。途中で僕が死んだら、この計画はその時点で打ち切ればいい。中園さんにお願いしたいのは最後の幕引きだけですから。お二人に害が及ぶことは無いはずです」
 中園にとって大切なのは小野田だ。薪程度の部下はいくらでも替えが利く、そう思っていることを薪は知っている。自分が中園にとってどの程度の人間なのか、しっかり見極めた上で彼は駆け引きを持ち掛けてきたのだ。

 しかし、と中園は思う。
 薪は、裏切りの意味を履き違えている。自分の身を危険に晒すこと、それこそが小野田に対する裏切りだと、あと何回小野田に心配で眠れない夜を過ごさせれば、この男は理解するのだろう。

「もともと小野田にも僕にも、関係のない案件だと思うけど」
「関係はありますよ。第九の青写真を描いたのは小野田さんですから」
 薪はソファから腰を上げ、中園の机の前に立つと、中園が一読して放り投げた報告書をきちんと揃え、持ってきたときと同じようにファイルに挟み直した。
「第九の醜聞は小野田官房長の足を引っ張る。そうでしょう?」
 整理ついでに、いい加減な角度で重なり合った他の書類をきれいに重ね直しながら、
「それに、中園さんには彼個人に対する恨みもあるんじゃないですか? 中園さんを海外に飛ばした人間は、彼が警察庁に忍ばせた手駒だったんでしょう?」
 薪の言葉に、中園は反射的に眉を顰める。
 そこまで調べたのか。まったく、侮れない男だ。

「小野田は君の何処を見て、『薪くんは純真で困る』とかほざくんだろうねえ?」
「僕は順応性が高い人間なんです。どんな相手にも自分を合わせられる」
 机の上で紙の束を整えながら、薪はしゃあしゃあと言ってのけた。
「小賢しい人間には小賢しい知恵で対抗しようと?」
「そんなことは言ってません。ただ、秘密裏に事を進めるのが上手いのは、小野田さんより中園さんだろうなって。盗撮がご趣味のようですし」
 3ヶ月ほど前のことを当てこすられて、中園は肩を竦めた。何のことはない、これは体のいい脅しだ。薪は自分に、謝罪代わりに協力しろと言っているのだ。

「薪くん」
「はい」
「僕がデータを残してないとでも思ってるの?」
 ばさささっ、と盛大な音を立てて、中園の机の書類が床に散らばった。唯一無事だったのは、薪が持ってきた黒いファイルだけだ。咄嗟に薪がそのファイルで自分の顔を隠したので、中園の机の上は電話以外何もなくなった。中園の執務机が勤務中にこんなに綺麗になったのは、海外勤務の辞令が下った時以来だ。

「な、中園さ……!」
「冗談。データなんか残ってないよ」
 ファイルと前髪の隙間から亜麻色の瞳を覗かせて、わずかに見える肌は真っ赤になって、それでも薪は強気に眉を吊り上げて、動揺を抑え込んだ。
 苦手な分野の揺さぶりにも屈しない。強い決意が彼本来の気質をカバーしている。
 中園がにやりと笑いかけると、薪はたった一度の短い呼吸で顔色を元に戻して見せ、黒いファイルを中園の机の右端に置いた。中園はそれを机下のボックスにしまい、電磁ロックを掛けた。

「ま、君がそれくらい大人になれるなら勝算はありそうだ。協力しよう。まずは僕のほうで裏付けを取るから、それまでは軽はずみな真似は慎むように。いいね」
 はい、としおらしく返事をするが、亜麻色の瞳は彼の負けん気を隠し切れていない。成り行き次第だ、と考えているのがバレバレだ。
 仕方がない、と中園はとっておきのアイテムを机から取り出す。それを見た薪の眼が、大きく見開かれた。

「これ、持って行きなさい」
「中園さん。いくら官房室付の主席参事官でも、これはちょっと」
 当然の反応を示す部下に、中園はなおも執拗に、
「そう言わず。特注品なんだよ」
「いえ、僕はこんなものは、ちょ、あぶなっ!」
 要らない、と首を振る部下の手に強引に握らせて無理矢理引き金を引かせると、彼は2,3度眼を瞬いてからニヤッと笑い、
「お借りしてよろしいのですか。不自由されるのでは?」
「大丈夫。もう一個持ってるから」
 薪は何処かしら楽しそうにそれを弄り回していたが、ふと視線を外し、右横の何もない空間を見やった。つややかな唇に、コンマ2秒で浮かぶ微かな笑い。何か考え付いたな、と中園は思う。

「中園さん。もう一つの方もお借りできませんか」
「こっちもかい? いいけど、なるべく早く返してね」
「ありがとうございます。有効に使わせていただきます」
 薪は、借り受けたものをポケットに落とし込むと、文句のつけようがないくらい美しく敬礼して退室した。彼を飲み込んだ後、穏やかに閉じられたドアに向かい、中園は唇を尖らせる。

「ったく、小野田が甘やかすから。片付けて行けよ」
 床に散らばった大量の書類を見下ろして、中園は忌々しそうに舌を打ち鳴らした。



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破滅のロンド(10)



破滅のロンド(10)







 薪が単独で警察庁に赴いた日の午後、青木は初めて滝沢と二人きりで話す機会を得た。それは給湯室で、シンクに重なったコーヒーカップをいつものように青木が片付けている時のことだった。

「悪いな、先輩」
 自分が使い終えたカップをシンクに置き、滝沢は見下すような視線を青木にくれた。それはひどく挑発的な行為にも思えたが、青木は微笑んで彼のカップを手に取った。階級こそ同じだが、年齢、経験共に滝沢の方が上だ。第一、このくらいのことで逆立つほど青木の神経は細くない。

「滝沢さん。明日には忘れず、ご自分のカップを持ってきてくださいね」
 これまで何度も繰り返された説得を、青木は辛抱強く試みる。ああ、と滝沢は生返事をして、無表情に頷いた。
 そのまま執務室に戻るのかと思ったが、滝沢はそこに立ったまま、青木をじっと見ていた。職場でカップを洗う警視が珍しいのだろう、興味深げな視線だった。
「あの、何か?」
 滝沢にとっては自分の好奇心を満たすための行動に過ぎなくても、見られている青木の方は落ち着かない。それでなくとも狭い給湯室、早く出て行ってください、と言外に含ませて、青木は滝沢の方へと顔を向けた。

「ああ、すまない。昔の仲間によく似ていたものだから」
「……鈴木さん、ですか」
 洗い上げたカップを布巾で拭きながら、青木はその名前を口にした。薪の心に永久に住み着いた、今は亡き薪の親友。何年か前までは、寝ぼけた薪によく彼と間違われた。
「薪から聞いたのか」
「ええ、まあ」
「そうか。薪が自分から鈴木のことを話すとは……あいつはおまえを気に入ってるんだな」
「室長に対して、その呼称はどうかと思いますけど」
 1週間前に第九に来たばかりの滝沢に、自分がおまえ呼ばわりされたことより、彼が薪をあいつ呼ばわりしたことの方が百倍癇に障った。6年前、滝沢がどれだけ薪に重用されていたとしても、鈴木ほどではなかったはずだ。その鈴木でさえ、執務室では薪を室長と呼んで敬語を使っていたと薪本人から聞いたことがある。滝沢の馴れ馴れしさは、少し異常だ。

「室長には敬語を使えと?」
「それが当たり前だと思います」
「今さら敬語と言われてもなあ。薪も、気持ち悪がると思うぞ?」
「でも、親しき仲にも礼儀ありって」
「親しい仲にも色々ある。おれと薪は特別なんだ」
「どう特別なんですか?」
 滝沢の使った『特別』という言葉が、青木の心を乱した。明らかに色事を匂わせる表情で、滝沢は嘯いた。

「多分、おまえが考えている通りだ」
 青木は思わずカップを取り落した。ステンレス板の震える音が、手狭な部屋に木霊する。
「再会した晩に確かめ合ったんだ。あいつの身体はおれを忘れちゃいない」
「嘘です! 薪さんは浮気なんかしてないって、はっきりオレに」
「やっぱりおまえが今の薪の恋人か」
「あっ……」
 露呈した事実に、青木は真っ青になる。誰にも知られてはならないと、知られたら自分たちの関係はお終いだと、普段から何度も何度も念を押されて過ぎるほどに警戒していたのに。この話が滝沢の口から薪に伝わったら、本当に自分たちは終わる。

「た、滝沢さんっ!!」
 青木は必死で滝沢に手を合わせた。恥もプライドも、あったものではない。
「泣くなよ。誰にも言わないから」
「絶対、絶対にですよ? 手帳に懸けて誓ってくださいねっ」
「わかったわかった」

「あのお……それで、さっきの話ですけど」
「安心しろ、おれが薪を抱いてたのは昔の話だ。今は関係してない」
 昔の話とは言え、それも青木には納得がいかなかった。自分には鈴木がいるからと、薪はずっと青木の求愛を退けていたのだ。鈴木が死んだ後も彼に操を立てていた薪が、ましてや鈴木の存命中に、他の男と関係を持ったりするだろうか。
 否、鈴木には雪子がいた。彼の愛を得られない寂しさを埋めるために、他の人間を求めた夜もあったかも。
 青木が深刻な顔になると、滝沢は大仰に肩を竦めて、陽気な外国人のように両手を広げて見せた。

「そんなことでいちいち目くじら立ててたら、あいつの恋人なんかやってられないだろう。あいつに過去の男が何人いるか、知ってるのか? 関係してたのはおれだけじゃないぞ。ベッドの中のあいつは、そりゃあすごくって」
「滝沢さん」
 滝沢の不愉快な長舌を遮って、青木は冷静に言った。一時の激昂は、既に治まっていた。
「ヘンな噂、立てないでくださいね。此処にいるみんなには通じる冗談も、薪さんを知らない人は本気にしちゃうかもしれませんから」
 どことなく当てが外れたような顔をしている滝沢を残して、青木は給湯室を出た。自分の席に着き、仕事の続きに戻る。
 滝沢が後ろから、自分の様子を伺い見ているのが分かる。幾らでも見るがいい。自分は薪を信じる。信じられる。
 モニターを見つめる黒い瞳は、何かを固く決意したのかのように、強い光に満たされていた。



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破滅のロンド(11)

破滅のロンド(11)







 固く冷たい床に、薪は跪いていた。
 強張って自分の意志では解けない両手の間に、黒く重い金属の塊が不規則に振動している。いや、動いているのは自分の腕だ。腕だけではない、身体中が振動している。息もまともにできない。声も出せない。筋肉も内臓も自律神経すらも、自分の役割を忘れて勝手気ままに振る舞い出したかのようだ。
 目蓋は限界まで開かれて、乾いた薪の瞳は痛みを覚える。眼を閉じればこの悪夢は消えるかもしれない、そう思うのに薪はどうしても瞬くことができない。目の前の惨劇から、一瞬たりとて眼を離すことができないのだ。

「大丈夫ですか、室長」
 浅く短い呼吸を繰り返す薪の肩に、誰かの手が置かれた。この声は聞き覚えがある。あの夏、第九で命を絶った部下のひとりだ。
 振り返って確かめようとするのに、薪の首は動かない。壊れたからくり人形のように震える薪の横に、男の顔が回りこんでくる。と同時に、薪の視界に見覚えのある西陣織のネクタイが下りてきた。やはり彼だ。顔を見なくても分かる、彼の首に食い込んで彼の気管を押し潰したネクタイは、薪の私物だ。親友と一緒に買い求めて、とても大切にしていた。

「大丈夫ですか?」
 豊村は心配そうに尋ねた。彼は薪の体に触れることなく、前に顔を回してきた。身体のバランスがおかしいと薪は思った。こいつ、こんなにリーチがあったか。
 そうだ、豊村は首を吊ったのだった。だから首が長いのか。
 首吊り遺体の首は20センチから30センチくらい伸びる。さほどの身長差のなかった豊村でも、それだけ首が伸びればこの体勢は不可能では――。

「―― っ!!」
 舌が上顎にぴたりと張り付いて、呻き声も出なかった。薪の背後にいた男はオールバックの黒髪にスクエアな眼鏡。それは豊村ではなかった。
 どうして、と薪は叫んだ。声にはならなかったが、叫んだつもりだった。
 あり得ない、こんな光景はあり得ない。彼は死んでない。死んだのは豊村だ、この映像は間違っている。

「こんな物騒なもの、いつまでも持ってちゃだめですよ」
 別の声に呼ばれて下を見ると、薪の両手をこじ開けるようにして、男の手が拳銃を取り去った。彼の手は血にまみれていた。手から上を辿ると、胸にナイフが突き刺さっていた。
 その彼も、やはり上野ではなかった。第九の資料室で発見された時と同じように、上野が気に入っていたブランドのネクタイを締め、胸を血で真っ赤に染めていたが、顔は薪の恋人の顔だった。
 薪は絶望して、自分が撃ち殺した親友の亡骸を見た。彼はゆっくりと起き上がって、こちらに歩いてくるところだった。3人の死者は、まったく同じ顔をしていた。

 胸にナイフを刺した男が、彼にピストルを渡した。ピストルを渡された男は、薪に銃口を向けた。背後にいた男が、首に絡んだネクタイを外した。それを薪の首に巻き付けた。最後に胸を真っ赤に染めた男が、自分の胸からナイフを引き抜いた。その切っ先を薪の胸にあてた。
「大丈夫ですか?」
 3人の青木は、にっこりと微笑んだ。




*****




 ハッとして薪は眼を覚ました。恐々と周囲に眼を走らせると、室長室の自分の席だった。うたた寝して、悪い夢を見たらしい。
 首に触れると、じっとりと汗をかいていた。寒気がして身体が震えた。汗を流して着替えないと風邪を引く、シャワーを浴びようと考えた。今、悠長に寝込んでいる暇はない。
 バスルームへ行くため室長室を出ると、モニタールームにはまだ明かりが点いていた。時刻を確認すると、9時を回っている。急ぎの事件もないのに誰が残っていたのだったか、と頭の中で職員たちのシフト表をめくるまでもない。そもそも、彼が残るから自分も残ったのではないか。

「滝沢。まだ頑張ってるのか」
「ああ、もう少し。どうもこの新型のマウスは感度が良すぎて」
「感応レベルを下げることはできるが、それだと折角の解析速度を落としてしまうからな。できるだけ慣れる方向でやってみてくれ」
 仕事熱心な新人に労いの言葉をかけ、薪はバスルームへ向かった。驚いたことに、湯船には湯が張ってある。多分、これは青木の仕事だ。帰り際に「まだお帰りにならないんですか」と訊かれたから「滝沢の練習に付き合う」と答えた。泊まりになるかもしれないと考えて、用意して行ってくれたのだろう。

 お湯は清潔で温かで、それはそのまま彼の温もりのようだった。
 落ち込んでいると岡部から聞いた。訳も分からず遠ざけられて、普通の男ならとっくに逆ギレのするか他の女性に目先を向けるかするだろうに、青木ときたら。薪の言い付けをきちんと守って、仕事以外では近付いてこない。でもこうして、彼はいつも自分のことを考えてくれる。きっと今も。

 湯船に浸かり、しばし頭を空にする。滝沢が来て2週間、緊張続きだ。あの男の相手は本当に疲れる。でも仕方ない。見張っていないと、滝沢は何をするか分からない。まだ確証は掴んでいないが、6年前あの男は――――。

 滝沢のことを考えると、自然と部下たちの死に顔が浮かぶ。滝沢と再会して記憶が刺激されたのか、最近、彼らの夢をよく見るようになった。だが、今日のような夢は初めてだ。
 夢の内容を思い出すと、吐き気がした。
 薪は思わず自分の肩を抱き、湯船の中で身体を縮こめた。眼を閉じてくちびるをぎゅっと噛み、しっかりしろ、と自分を叱咤する。

 一番恐れていることを夢に見る、だから悪夢と言うのだろうが、そんなものは自分に自信が無い人間が見るものだ。この期に及んで、そんなことでどうする。第九と部下たちには傷一つ付けない、そう大言してこの計画を発動させたのは自分だ。後戻りはできない。だったら最後までやり抜くしかない。

 身体が温まると、気力も湧いてくる気がした。よし、と誰にも聞こえない決意表明をして、風呂から上がる。以前、薪の平均入浴時間は1時間だったが、滝沢のことが気になって長風呂を楽しめなくなってしまった。これが最大のストレスだな、と失笑交じりにドアを開けると、脱衣所にストレスの原因が待ち構えていた。

「何か質問でも?」





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破滅のロンド(12)

破滅のロンド(12)





「何か質問でも?」

 男の視線を軽くいなしてバスタオルで身体を拭く。滝沢のこういう下劣な嫌がらせには慣れっこだ。
 薪は無礼な男を真っ直ぐに見据え、すると嫌でも彼の手に握られたものが目に入った。自分の携帯電話だ。迂闊だった、脱衣籠に放った上着に入れっぱなしだった。

「この携帯電話に保存された男の写真について、説明してもらおうと思ってな」
「断りも無しに他人の携帯を見るのはマナー違反だろ」
 そんなハッタリには引っかからない。滝沢は昔、自分の鈴木への気持ちを見抜いていたようだが、6年前のようにはいかない。もう、あの頃のように初心じゃない。
「部下の顔写真を保存しておくと、他部署の人間と打ち合わせするとき便利なんだ。事件担当者の顔を教えるのに、端末から人事データを引き出すより早い」
 二人で撮った写真にはロックを掛けてある。暗証番号なしに見られるのは、パブリックなものばかりだ。その中には部下たち全員の顔写真も含まれている。
「おれの写真が無いのは何故だ」
「……撮る機会が無かっただけだ」
 ふむ、と頷いて滝沢は、携帯のカメラを自分に向けてシャッターを切った。それからデータを保存フォルダに入れようとしてか、親指を何度か動かした。

「おい。勝手にいじるな」
「ゼロ発信は副室長かと思ったが、違うんだな」
 髪の毛を擦っていた薪の手が止まる。しまった、登録を変えておくべきだった。
「アイウエオ順に並べてあるだけだ」
「だったら2番目は宇野じゃないのか」
 咄嗟に返した理屈は通らなかった。滝沢は昔から、重箱の隅をつつくような捜査をする。供述の矛盾を拾うのは得意中の得意なのだ。ここは黙秘権発動だ。

 薪が無言になると、滝沢はククッと思い出し笑いをした。薪に携帯を返して寄越しながら、
「あの犬っころ、おまえからの電話だと思ったんだろうな。『薪さん、何か御用ですか』って異常なテンションだったぞ」
「僕の携帯を使って青木に電話したのか」
「ちょっと弄ってたら、偶然掛かっちまったんだ。わざとじゃない」
「他人の携帯を勝手に弄ること自体、偶然ですまされることではないと思うが」
 怒ったヤマアラシのように、薪はその声に無数の針を忍ばせる。薪が本気で怒っていることが伝わったのか、滝沢は突然素直になって、
「いや、すまなかった。おまえが今誰に関心があるのか、気になって仕方なかったんだ」
 いやらしい含み笑い。底の見えない黒い瞳は、標的を見つけたと言わんばかりの興奮に輝いている。
 見たばかりの悪夢がフラッシュバックする。目眩のような酩酊感に襲われ、薪はさりげなく脱衣篭で身体を支えた。膝が崩れそうになっているなんて、相手に気付かれてはならない。

「滝沢、おまえの誤解だ。僕と青木は何でも」
「関係ないわけがないだろ」
 一瞬で間合いを詰められて、薪は壁に押し付けられた。背中と後頭部を壁面に、細い首を男の大きな手ががっちりと留めている。動けなかった。気管を圧迫されて、息が苦しい。第九の室長がバスタオル一枚の姿で壁に張り付けとは何とも締まらない話だと、自分に向かって毒づいた。

「あれだけ鈴木に似てるんだ。おまえが平気でいられるわけがない」
 親友の名前を出されて、薪の額に青筋が立つ。一番深い傷を無造作に抉られて、思わず足の力が抜けた。
「虫も殺さぬような顔をして、大したタマだ」
 滝沢は薪の首を押さえたまま、もう片方の手で薪の顎を掴んだ。上向けさせ、触れ合わんばかりに顔を近付ける。滝沢の息が鼻先に掛かるのを不快に感じる。薪は苦労して顔を背けた。
「おまえが鈴木を殺した時も驚いたが、なるほどな、自分を捨てて女を選んだ鈴木を許せなかったってわけだ。その上でヤツに似た男を見つけてきて、破れた恋路を実らせたのか。それでおまえのプライドは保たれたのか?」
 刹那、目の前が赤くなるほどの怒りに囚われ、薪は爆発的な力でもって自分の顎に掛かった滝沢の手を払った。首を捉えた手も外そうとしたが、そちらは敵わなかった。圧倒的な力の差で、薪が最初に払いのけたと思った手も、滝沢の方から引いたのだと分かった。

「あの坊やは知ってるのか? 自分が鈴木の身代わりだってこと」
「黙れ」
「無駄だ。力じゃ敵うまい」
 薪の両手が無様に空を切るのを見下して、滝沢は勝ち誇った笑みを浮かべた。が、次の瞬間、その笑みは驚きの表情へと変わった。
「黙れと言ってる」
 ゴツリ、と腹に重い感触。滝沢は瞬時に理解する。銃口だ。

「おまえ、風呂場にまで銃を持ち込んでるのか」
「力じゃ敵わないからな」
 滝沢がゆっくりと両手を挙げ、少しずつ後ろに下がった。相手との間にできた距離を両腕を伸ばすことで補い、薪はしっかりと相手の胸に狙いを定める。
「僕を侮るな。6年前の僕じゃない」
 厳しい顔つきで威嚇するも、やっぱりタオル一丁じゃ締まらないな、と思う傍から滝沢に反撃された。覚悟はしていた。滝沢がこの6年間何処で何をしていたか、薪はとある筋からの情報を得ていた。
 滝沢の動きは素早かった。薪の優れた動体視力はそれを捕らえてはいたものの、身体の反応が間に合わなかった。迷わず撃鉄を起こして引き金を引けるほどには、薪は射撃訓練を積んでいなかった。

「そっくり返してやる。成長してるのは自分だけだと思うな」
 あっけなく床に引き倒され、上から押さえつけられた。拳銃を奪われ、逆に突きつけられた。が、滝沢はすぐにその銃の違和感に気付き、腹立たしげに舌打ちして壁に投げつけた。
「さすがだな。重さも本物と同じに作ってあるのに」
 自分に馬乗りになった男を、薪は下から皮肉った。腹の筋肉がひくひく震えた。笑えて仕方なかった。
「プロのおまえがアマチュアにモデルガンで脅されて、悔しいか」
 挑発は、平手打ちになって返って来た。意外と気の短い男だ。

「いい気なるなよ。おれがその気になれば、おまえもあの坊やも」
「おまえの目的は僕の命か? 違うだろう」
 叩かれた頬は腫れ上がって熱を持った。口の中が切れて血の味がした。腫れが引かなかったら、明日岡部がうるさいだろう。寝ぼけてベッドから落ちたことにでもしようかと、薪は呑気に考える。
「その気なら、会った初日に殺せたはずだ」
 久しぶりに会った部下に見栄を張りたくてオンザロックなど飲んだものだから、3杯目の途中で酔い潰れてしまった。足に来てしまって、結局は滝沢が仮住まいをしているホテルに泊めてもらったのだ。

「おれの目的を、おまえは知っていると言うのか」
「そんなことも知らずに、どうして僕がおまえを第九に受け入れたと思うんだ?」
 滝沢にとって薪の言葉は、よほど意外だったに違いない。肩を押さえた手を緩め、自分の身を浮かせて掛けていた重量を取り除くと、床に打ち付けられて傷んだ薪の背中に手を回して丁寧に抱き起した。

「滝沢。耳を貸せ」
 自分の背中と腕を支えた男の首に、薪は自分の右腕を回し、彼の頭を引き寄せた。きれいに刈り込まれた短髪から覗いた耳元にくちびるを寄せ、魔法の呪文を囁く。
「…………どうしてその名を?」
 呪文の効果は絶大だった。滝沢は軽々と薪の身を持ち上げ、床に立たせると、質問の答えを待った。
「僕だって6年間、無為に過ごしていたわけじゃない」

 予定よりは少し早いが、話すことにした。滝沢を抑えるのも限界に来ていた。部下たちに被害が及ぶようなことになってからでは遅いし、この辺が潮時だろう。
「おまえが千葉の倉庫で資料を探していた2057年の事件から、おまえの関係者を洗い出した。ひき逃げ事件の調書も見直した。彼は、っくしゅっ!!」
 裸でやりあっていたものだから、すっかり湯冷めしてしまった。薪はぶるっと身体を震わせると、振り向きざま滝沢に向かって、
「おまえのせいで湯冷めした。もう一回温まってくるから待ってろ」

 一人残されて滝沢は、再び浴室に戻ってしまった上司が落としたバスタオルを拾い、篭の縁にきちんと掛けた。それから床に転がっていたモデルガンを取り上げ、色々な角度からじっくりと検分した。
 実に精巧にできている。拳銃に慣れ親しんだ自分が見間違えたのだ。プロの目から見ても、外見だけではまずオモチャとは気付かない。このオモチャでプロを騙したのだから、薪の度胸は大したものだ。

「冷や汗をかいたの間違いじゃないのか」
 クスリと笑いを洩らした滝沢の耳に、風呂好きの上司が勢いよく湯船に飛び込む音が聞こえた。



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破滅のロンド(13)

 発売日まで10日を切りまして。 
 みんな同じ気持ちだと思うのですけど、どうにも落ち着きませんね~。
 でも、この感覚を味わうのも最後かと思うと、気を紛らわしたりせずに、いっそ味わい尽くそうという心持ちになってきます。

『秘密』自体は、まだ続くのかもしれない。 第九編が終わるだけで、新しい舞台で新しい話が紡がれるのかもしれない。 その可能性があることは分かっているのですけど、わたし個人は、
 第九編が終わってあおまきさんが誌面から姿を消したら、こんな気持ちで待つことはなくなると思うの。 仮に第九の未来が描かれたとしても、こんな居たたまれない気持ちにはならない。 薪さん個人でも青木さん個人でも、この気持ちは生み出されない。
 そう思うと、日常生活すら危ういこの状況が、失い難いものに思えてきます。

 今わたしたち、貴重な体験してますよね?








破滅のロンド(13)







 その日、薪は警察庁から直帰した。
 タクシーを降りてマンションに入ると、エントランスの隅に影法師のように大男が立っていた。人目に付かないように気を配ったつもりかもしれないが、その身長では何をやっても無駄だと言うことをそろそろ学習して欲しい。
 自動ドアを開けた途端に彼に気付いて、でも知らぬ振りをしてキーパネルに向かう薪を、彼はしょんぼりと見ていた。何か聞きたいことがあって来たのだろう。でも、プライベートでは薪に取り合ってもらえないことが分かっているから言い出せなくて、懸命に信号を送っているのだ。

「何の用だ」
 タッチパネルで玄関のロックを解除しながら、薪は低い声で訊いた。
「確かめたいことがあって」
「仕事のことだろうな?」
「……違います」
「では帰れ」
 冷たく突き放すと、青木はますますしょんぼりと項垂れた。節電対策で端まで行き渡らない照明のおかげでその姿はいっそう恨めしく、薪をげんなりさせた。

「オレ、薪さんに迷惑掛けてますか」
「ああ」
 薪は本心から頷いた。こいつがいなければ、自分はもっと潔くなれた。あの頃の自分なら、とっくに勝負をかけていただろう。例えこの身が滅ぼうとも、そうせずにはいられなかったはずだ。
 それがこの体たらく。
 青木と付き合いだしてから、自分はひどく欲張りになった。何も残されていなかったはずの人生に、多くのものを望むようになった。欲して与えられて望まれて差し出して、そんなことを繰り返すうち、時が過ぎるのを待つだけの人生は、いつの間にか楽しむものへと変わっていた。

「さっさと来い。人に見られたくないんだ」
「入ってもいいんですか」
 つくづく自分の甘さが嫌になって、薪は投げやりに言った。
「おまえも岡部も、どうせ僕を放っておいてくれる気なんかないんだろう?」

 薪は振り返り、だが青木がいる場所とは全く違う方向に顔を向けた。観葉植物の陰からぬうっと出てきた一人の男に、青木が驚きの声を上げる。
「お、岡部さん!? いつから」
「青木。張り込みの極意は気配を断つことだ。岡部によく教えてもらえ」
 言い捨てて、薪は玄関を潜った。その後ろに二人の部下が付き従う。薪の背中はしゃんと伸びて、でも、絶対拒絶のオーラはそこにはなかった。



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破滅のロンド(14)

 お話はここから中盤です。(長い……)
 本当はメロディ発売前に終わらせたかったんですけど、ちょっと無理っぽい、てか、絶対ムリ。 やっとこさ半分だもん。(^^;
 最終回の後に公開の気力が残ってるといいな、と不吉なことを考えつつ~、
 お話の続きです。 よろしくお願いします。




破滅のロンド(14)






 尊大な新人が第九に入って、3週間が過ぎた頃。第九に新たな爆弾がやって来た。

「監察官主査の服部です。こちらは副査の米山。これから1週間、みなさんには監査に協力していただきます」
 監査課の人間らしくきっちりと撫で付けた黒髪に銀縁眼鏡を掛けた服部は、見るからに神経質そうな男だった。中肉中背でやや猫背気味、額は狭く、垂れ気味の眉は細い。もう一人の監察官、米山はシニア職員らしく、頭頂部が禿げ上がった小柄な老人だった。陰気で気弱そうな眼をして、黒い額縁眼鏡を掛けていた。
 薪のらしからぬ振舞いに、諦めという手段を用いて職員たちがようやく慣れてきた、ちょうどその頃合を見計らったかのようなタイミングだった。岡部は監察官に敬礼しながら、次の休みには神社に厄落としに行こうと心に決めた。

 監査とは、職員たちに不正がないか、職務が規則を逸脱せずに行われているか、公費の無駄遣いがないか、など、正しく職務が遂行されているかどうかを調べるものだ。監察官は帳簿や議事録を精査するため、1週間ほど対象部署に滞在する。捜査一課にいた頃、岡部も監査を受けたことがあるが、実に仕事がしづらかったのを覚えている。間違ったことはしていなくても、自分が為した仕事の正否を判断する人間にいつも見られているというのは、何となくソワソワするものだ。

 第九に監査が入るのは初めてだった。
 それは捜査の特殊性に因るものと思われた。人間の脳を見るという、人権擁護団体の槍玉に挙げられる捜査法。情報漏洩には最大限の注意を払う、そのため、MRIシステムが作動している間は防犯カメラも動かないし、他部署の人間は基本的に出入り禁止になっている。
「監査課としても、第九の特殊性は心得ています。よって我々は、捜査を行っている間は執務室には入りません。別室で、職員の皆さんから個別の聴取と、帳簿、記録簿等を見せていただきます」
 おそらく、その条件で薪が監査を受け入れたのだろう。監察官もたった2人、それも一人はシニア職員だ。普通よりもかなり緩い監査体制に岡部は、もしかしたらこれは形だけのものかもしれないと考える。
 監査を受けるのは誰だって苦痛だ。忙しく職務をこなしながら、監察官の命じる書類を揃え、聴取に応じ、大抵は何かしらの注意を受ける。ところが、第九は職務の特質性から監査を逃れている。不公平だ、と他部署から非難の声が上がるのは必至だ。それを抑えるため、簡易的監査で実績を作るつもりなのかもしれない。

「では、早速監査に入ります。最初に鍵類の保管状況を確認しますので、室長の立会をお願いします。次に皆さんの机の中も確認しますので、それまでは机に触れないように」
 金庫室や捜査書類を収納するキャビネットの鍵類は差し込み式のキーボックスに収納されており、室長または副室長のIDがないと取り出せないようになっている。職員達の机の鍵も毎日職務終了時に金庫室の中にしまわれ、個人が持ち帰ったりすることは許されない。

 2人の監察官と室長が金庫室へ入ると、職員たちは目に見えてうろたえ始めた。どうしよう、あれが見つかったら、などと小声で囁き合っているところから、保管場所は鍵の掛かるキャビネットと定められた捜査資料等を、自己の机に放置していたらしい。本当はいけないことだが、翌日もまた同じ資料を使う時にはついやってしまいがちなショートカットだ。こういうのは見つかる前に申告してしまうに限る。監察官も鬼ではない。隠し立てせずに正直に謝れば、減点せずに勧告だけで済ませてくれることも多い。
「おまえら。机の中にヤバイもんがあるなら、今のうちに俺に言え。こっちから報告したほうが、減点が少なくて済む」
 自分たちのミスを話しやすいよう副室長が穏やかに告げると、部下たちはわらわらと岡部の周りに集まり、
「昨日俺、机の中にゲーム機忘れて行っちゃったんですよ!」
「黒木メ○サの写真集が!」
「ガ○ダムのプラモが!」
「「「監察官に没収されちゃうんですか!?」」」
「…………おまえら、中学生か」

 ひときわ青い顔をしていたのは、一番年若い後輩だ。岡部を部屋の隅まで引き摺っていくと、誰にも聞こえないよう耳に口を寄せて、
「どうしましょう、岡部さん。オレ、あれがないと仕事にならなくて、だからつい」
 深刻そうに話すが、どうせ青木の「ヤバイもの」は食べ物だ。身体が大きい分食欲も旺盛な彼は、休み時間に栄養補給をしないと夜まで腹が持たないのだ。嫌味くらいは言われるかもしれないが、掠り傷ほどの失点にもならないはず。
「デートの時に撮った薪さんの超ビューティフルな写真が」
 致命傷だ。
「おまえ、そういうものを職場の机に、……あっ」
 言いかけて岡部は、自分の机の中のバクダンを思い出す。見る見る青くなる岡部の耳に、金庫室の確認を済ませた監察官が職員たちの机の施錠を解除する音が聞こえてきた。

「薪室長。これは」
 次々と出てくる玩具や雑誌を見て、薪の額に青筋が立った。中学生の持ち物検査ではあるまいし、いい恥さらしだ。
「申し訳ありません。私の指導不足で」
「まあ、息抜きも必要です。良しとしましょう」
 話の分かる監察官でよかった。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、3人の傍らを通りざま、薪が低い声で「没収」と呟いた。さめざめと泣き始める3人を哀れと思うが、岡部と青木は自分のことで手一杯だ。

「おや、これは」
「!! こ、これは宴会の余興でっ!」
 青木の机を開けた服部主査が、中の写真を手に取って感心したように眺めた。遠目に見えた、それは薪の女装姿だった。デートのときに撮ったとか言ってたけど、この二人、何をやってんだか。
 薪は必死で言い訳したが、主査は少し厳しい口調になって、
「研究室の宴席にコンパニオンを? それは公費の無駄遣いではないですか」
 監察官の眼をも欺くとは、さすが薪。服部の眼が節穴なのではなく、薪の女装が完璧過ぎるのだ。よほど彼に近しい者でなければ、目の前にいるスーツ姿のきりりとした男と、妖艶に微笑む写真の美女が同一人物だとは気付くまい。
「あ、いや、あの……こ、これは友人でして。謝礼等は払っていません」
「ふむ。まあ、今回は注意に留めておきましょう」
 はああ、と安堵の溜息を洩らす青木の傍らを通り過ぎた薪が、小声で「焼却」と囁いた。そんな、と情けない顔になった青木に同情している余裕は岡部にはない。次は自分の番なのだ。

「おや、こちらの机にも写真が」
 問題の写真は、引き出しを開けて直ぐに目に付く所に置いてある。見逃しようが無かった。主査に随行している薪も、それは同様だ。
「この机は誰の?」
「岡部警視です。副室長を務めています」
「さすが副室長ですな。モチベーションの上げ方を知っている。恋人の写真を見て意欲を増進させるというのは、実に有効な方法です」

 余計なことを言わないでくれ! と心の中で叫んでも、現実には何の効力も無い。岡部が一旦吸った息を吐き出さない間に、彼の周囲にはドッと部下たちが詰め寄り、
「「「恋人の写真!? 岡部さん、見せてくださいよ!!」」」
「ち、違う! 恋人じゃない!!」
「「「またまた、照れちゃって! どんな女性なんですか? どこで知り合って?」」」
 監査中だということも忘れて、タブロイド記者のように質問を浴びせる部下たちに聞こえるように、薪がフォローを入れた。

「服部主査、ひとつ訂正を。岡部警視のそれは、恋人ではなく母親です」
「「「なーんだ」」」
 母親と聞いて途端に興味を失くし、それぞれの机に戻っていく部下たちの背中に、岡部が心底助かったと室長に感謝したのも一瞬のこと。すれ違いざま薪に、
「雛子さんが服を着ている写真でよかったな?」

…………監査なんか大っきらいだっ!!




*****


 一応注記しますが、
 監査課による定例監査は創作上の作り話ですから信じないでくださいねっ。
 実際は内部告発でもない限り、監査課は動かないと思います。 警視庁は都警察ですから東京都の定例監査(会計検査)は受けますが、監査課が調べるのは基本的に問題を起こした職員とその事実関係ですから、業務内容そのものを確認をすることはまずないでしょうね~。
 でもほら、あったらあったで面白いでショ?<おい。
 
 何処の会社にも社内検査制度はあるんだし、科警研にあってもヘンじゃないと思うな~。 検査って気分的に嫌なもんだし、第九に検査が入ったらみんなどんな反応するかな~。
 竣工検査で検査官にイジメられながら、しづがこんな妄想をしていたのは、監督員にはナイショです☆

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破滅のロンド(15)

 こんにちは。

 迫ってきましたね~っ。
 落ち着かなくて記事が読み直せない、タイプミスのチェックなんかできやしない。<おい。
 だって文字が頭の中に入ってこないんだもんっ!!
 もう仕方ないからぶっつけで……。<こらこら。

 誤字脱字、ありましたらすみません。 落ち着いたらチェックし直します。 今はカンベンして下さい。




破滅のロンド(15)






 業務開始前、つまりMRIシステムを作動させる前、監察官が調べておかなければならない机がもう一つあった。室長のデスクだ。
 室長が扱う書類は、職員のそれとは比べ物にならないほど重要度が高い。自然、監察官の眼も厳しくなる。さらに、室長は部下を指導する立場にいる。先刻の中学生トリオのように職務に関係ないものが見つかったりしたら、それは減点の対象になる。上に立つものが規律を守るのは、励行ではなく責務だからだ。

「初めに言っておきますが、考え違いをされているようなら、直ちに訂正していただきたい。監査課が、いつまでもあなたや第九を特別扱いすると思ったら大間違いだ」
 職員たちの前では多少柔らかかった服部の口調は、室長室に入ると急に冷たくなった。薪はそれを当然のことと受け止め、誠実な態度で主査に相対した。
 階級が高い者ほど、受ける監査は厳しくなる。権限を持つ者こそが堅実でなければ、警察機構は瞬く間に腐敗する。それを防ぐのが監査課の仕事だ。服部の態度は、自分の職務に対する熱意の表れであり、彼が優れた監察官であることの何よりの証明だった。

「職員達の前では遠慮しましたが、薪室長。あなたには聞きたいことが山ほどある。6年前の事件も含めて」
 咄嗟には、声が出なかった。「6年前の事件」が何を指すのか薪は瞬時に理解し、それは薪の表情を強張らせたに違いない。服部は皮肉な笑いを浮かべ、銀縁眼鏡の縁に手を当てて、
「あなたが手塩に掛けて育てた部下たちは、みな優秀だ。あなたがいなくなっても、第九は存続できるでしょう。つまり、あなたの6年前の罪が明らかになった所で、困るものは誰もいない」
「もとより、捜査情報の秘匿以外で特別待遇を受けたいとは思っていません。厳正な監査をお願いします」
 薪は凛然と答え、すると服部は薪を睨みつけたまま副査を呼んだ。
「米山さんは、あちらのキャビネット類をお願いします。室長のデスクは私が」
 指示を受けた副査は、緩慢な動作で書類棚へ向かった。ひとつひとつ鍵を開けるのが、ひどくゆっくりだ。シニア職員では仕方ないが、その分、服部主査の仕事ぶりは嫌でも精力的に見えた。

「では始めます。引き出しを開けてください。……素晴らしい」
 薪の机には、仕事に関係しないものは一切入っていなかった。抜き打ち検査にも関わらず、隅々まできちんと整理された引き出しの状態は、まるで彼が監察官の襲来を予想していたかのようだった。
「この奥は?」
 室長の机の一番下の引き出しの奥には、シークレットボックスがついている。ここには部下たちの査定書や、室長しか閲覧してはいけない書類を入れてある、と説明する薪に、服部は箱を開けるように要請した。
 コンマ1秒で暗証番号を入れてロックを解除し、薪は箱の中身をすべて取り出した。ファイルに挟まれた査定書、官房室からの指示書、室長宛と明記された何通かの封書。それから。

「これは?」と服部が取り上げたのは、薄い冊子のアルバムだった。
「僕が殺した男の写真です」

 バサバサと、驚いてファイルを取り落としたのは、キャビネットの前にいた副査だった。
「す、すみません」
 米山は、気弱そうな眉をますます下げると、消え入るような声で謝った。薪は彼をちらりと見、すぐに目の前の主査に視線を戻した。亜麻色の瞳が強く輝く。
「時々見て、自分を戒めています。彼のためにも、第九を警察機構一の捜査機関にしたいと考えています」
「彼の写真が、あなたのモチベーション向上策というわけですか」
 薪はそれには答えなかった。主査の見解は正当でもあり、間違いでもあった。薪はまだ完全には、岡部が義母の写真を見るような気持ちで彼の写真を見ることができなかったからだ。

 薪の沈黙をどう捕らえたのか、服部はやにわに薪の両手を取り、
「やっぱりあなたは私が考えた通りの人だ」
 は? と思わず薪が首を傾げるのに、服部は、先刻まで冷静そのものだった銀縁眼鏡の奥の瞳に突如として熱っぽい光を宿し、大きく何度も頷いた。
 どういうことですか、と薪が尋ねると、服部はチラッと米山の背中を見た。米山の貧相な背中は丸められて一層小さく、キャビネットの扉に隠れてしまいそうだった。彼は相変わらずのんびりとファイルをめくっており、その姿はシニア職員特有の西から東精神の現れと思われた。当然、こちらの話など聞いていない。

 服部は、「他の職員には内密の話があります」と薪に耳打ちし、薪はチーム別のディスカッションに使う小会議室に彼を案内した。円卓の周りに置かれた椅子に並んで腰を下ろすと、服部はせっつくように、
「正直なところを申し上げますと、監査課は第九に対してあまりよい感情を持っていない」
「でしょうね。これまで、機密性を理由に監査を断り続けてきましたからね」
「その通りです。だから今回の監査には、監査課全体の期待が掛かっている。上司には、あなたを室長から引き下せるようなネタを掴んでこい、とまで言われました」
 そんな大事な監査を任されたと言うだけで、服部がどれほどの監察官なのか察しが付く。さぞ多くの部署の暗部を暴き出してきたのだろう。

 焦るでもなく媚びるでもなく、薪が冷静に服部の話に頷くと、服部は薪の潔さに感じ入ったようだった。監査を受ける当人に話すべきではないと思われる内容のことを、ペラペラと喋り始める。
「上司の中には、薪室長が監査を拒むのは何かしら後ろめたいことがあるのだろうと思う者もいます。6年前の事件のことも怪しいと。客観的に見ても、当時の第九が貝沼事件の捜査をしていたのはわずか5日。たった5日間の崩壊は急激過ぎる。どうしても隠滅したい何かがあって、室長が裏で糸を引いたのではないかと」
 薪は、立ち上がろうとした膝を両手で押さえつけて留め、ふざけるなと怒鳴ろうとした声帯はくちびるを噛んで止めた。事件当時、あらゆる中傷の嵐に晒された。中にはそんな内容のものもあった気がする。
 噂と言うのは掴みどころのない雲のようなもの、それでいて多分に悪意的だ。薪が耳にしたことのある最悪の噂は、「薪室長と鈴木副室長は表面上は仲が良かったが、陰では憎み合っていた。その端は副室長の婚約者を巡る三角関係にあり、室長が副室長を撃ち殺したのは計画的だった」という、三流週刊誌記者垂涎のゴシップだった。それでも。

 あの頃は、どんなに現実から外れた誹謗に対しても怒る気持ちなどなかった。何を言われても仕方ないと思った。処罰を下されなかった自分にとって、他人から貶められることは救いのようにすら感じられていた。
 怒りが湧くということは、少なからず回復した証だ。もう二度と立ち上がれないと、血を吐くほどに絶望しても、人間というのは存外図太くできている。

 微かに罪悪感すら感じる薪に、服部は熱心に続けた。
「しかし私は、あなたが彼らの言うような人間には思えなかった。6年前の事件で、あなたは何の利益も受けていないからです」
「計算が狂ったのかもしれませんよ」
 薪が皮肉に笑うと、服部は顔の前で否定の形に手を振り、
「それはない。あなたが何かを隠したかったのなら、生き証人はすべていなくなったはず。官房室への栄転を断る理由が見つからない」
 服部の言うことは正しい。薪があの時第九を離れれば、第九は存続することもできなかった。MRIシステムを扱えるものは他になく、研修施設も廃止され、警察内の立場も権威も地に落ちていた。凋落した研究室に居続けることは、エリートにとってはマイナスにしかならない。
 しかし、薪は第九を守り続けた。

「あなたは潰れかけた第九を必死で立て直した。その努力は正当に評価されるべきです」
 服部の言葉は、薪には複雑だった。他人の称賛が欲しくて為したわけではない。彼が遺した第九を守ることは自分の使命、否、あの頃の自分にとっては生きるための免罪符だった。他に進んでよい道など、猫一匹が通れるほどの小道すら見当たらなかった。

「ありがとうございます。しかし、6年前の不祥事はすべて室長たる僕の責任です。もっと僕が彼らの心のケアに努めていれば」
「自分を責めることはありません。あなたは出来る限りのことはした。あなたが一部の人間に疑われたのは、あまりにも急激な崩壊だったからです。たった三日の間に、三人死んで一人狂った。自然なこととは言い難い」
「もしも主査が仰るように、あれが誰かの陰謀だとしたら。僕はその人間を殺すかもしれない。そいつは部下たちの仇だ」
 亜麻色の瞳に暗い狂気が宿る。想像したこともなかった、彼らが誰かの手によってその命を奪われた可能性など。そんなことがあるはずはないと考えて、しかし現実にそんなことがあったなら、薪には自分を押さえ切れる自信はない。何を犠牲にしても、彼らの仇を討つだろう。

「失礼。警官にあるまじき発言でした。減点なさるならご自由に」
「なにを仰いますか。部下を大切になさるお気持ちがあってこその発言ではありませんか。男気に溢れた方だ、惚れ直します」
 おかしな言い方をされて、薪は目の前の男をおずおずと見る。薪と眼が合うと、服部は銀縁眼鏡の向こう側に暗緑色の瞳を輝かせて、
「はっきり言いましょう。薪室長、私はあなたのファンです」
「……それはどうも」
 ファンと言われても。自分はタレントではないが。

「女性のように美しい容姿を持ちながら、態度は毅然として立派だ。職務態度も業績も、非の打ちどころがない。私はあなたの完璧さに憧れているんです。あなたの要望なら、多少のことは見逃してあげても」
「結構です。監査は他部署と同様、厳正に行ってください。でないと、うちは監査課にずっと睨まれることになる。むしろ、適度なお土産は持って帰ってもらった方がいい」
「さすが室長。監査を分かってらっしゃる」
 完璧すぎるのは却ってよくない。交通課に交通違反者摘発の割り当てがあるように、監査課にもノルマがあって、指摘ゼロは彼らを意固地にするからだ。勧告止まりの軽微なものを2,3件、それがベストな成績だ。

「じゃあ、さっきの職員たちの机の私物は勧告に付けておきますね」
「いや、あれはちょっと。何か別のものでお願いします」
 実情はどうあれ、第九はエリート集団で通っている。その職員たちの机の中にゲーム機だのプラモだの、それは恥ずかしすぎる。せめて捜査メモの一枚でも紛れ込んでいたらよかったのだが、第九職員たちは薪の恐ろしさを知っている。仕事に関してほんの少しでも手を抜いたら、雷が落ちることが分かっているのだ。だから彼らは些細なことでも、決められたことはきちんと守る。

「では、室長の机のシークレットボックスの暗証番号があなたの誕生日になっていることにしておきますか。部下の査定書を保管する鍵にしては、安易すぎるということで」
「……僕の誕生日を?」
「ファンだと言ったでしょう」
 照れ臭そうに笑うと、服部は意外なくらい人懐こい雰囲気になった。対外的な場に立つとき薪が第九の室長という仮面を被っているように、服部もまた冷徹な監察官の仮面を付けているだけで、本当は人情味溢れる男なのかもしれない。

「さて。次は帳簿類を見せてもらいましょうか」
 赤くなった顔を隠すように素早く立ち上がった監察官の背中に、薪はクスリと小さな笑いを洩らした。



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破滅のロンド(16)

 60000hit ありがとうございます!
 本当にみなさんマメに覗いてくださって~、うれしいです。 感謝しております。
 最終回を目前にして不安ばかりが募る最中、うちのホラ話が少しでもみなさまの慰みになればと……………(公開中の話の内容を考えてみた)
 いつもいつも恩を仇で返してすみません~~~!

 続きです。 怒らないでねっ。
 


  


破滅のロンド(16)






 監査が入って3日目、職員たちは監査官の聴取を受けた。
 聴取と言っても取り調べではなく、面談のようなものだ。職員たちは一人ずつ監査官と向き合い、自分が行っている業務について監察の立場から質問を受ける。緊張を強いられる談話だが、職員にはいいこともある。普段はなかなか口に出すことができない職場の不満を監査官に告げることによって、それが室長に伝わるからだ。当然ながら、不満の出所は完全に秘匿される。薪の圧政に虐げられている彼らにとって、これは自分たちの待遇を改善する絶好のチャンスだった。

「とにかく、部下を人間扱いしてくれないんですよ。忙しいときは、寝ないで仕事しろって言うんです。こないだの連続殺人の時なんか、みんな4日で8時間しか寝てないんですよ。1日2時間睡眠ですよ、信じられますか?」
「その労働体制は問題ですね」
「でしょう? しかも室長ときたら、自分は4日間一睡もしないで、事件解決と同時に貧血起こしてその後半日爆睡ですよ。どんだけ傍迷惑なんだか」
「はあ」
「どうしてあの人、あんなに無茶するんですかね? 俺たちがいくら言っても聞かないんですよ。査官さんから言ってやってくださいよ。でないと俺たち、おちおち仮眠も摂れません」
「……あなたもですか」
「は?」
「いえ、わかりました。私から室長に話しておきます。次の方、どうぞ」

 密室でそんなやり取りが繰り返されたことは、もちろん薪は知らない。面談室から出てきた監査官の雰囲気で何となく、米山副査が受け持った職員たちからは大したものは出なかったように感じただけだ。
 問題は主査の方だ、と薪はそっと溜息を洩らす。個別聴取が終わった6時、薪は服部から厳しい声で、話があるから研究室に残るようにと命じられたのだ。

 服部の面談相手は岡部、今井、宇野、滝沢の4人。正確に言うと、滝沢を除く3人が服部担当のメンバーだった。第九の職員は7人。副査と分担し、より階級が高く重要な職務を遂行していると思われる職員を主査の服部が受け持った。宇野は役職的には小池よりも下だが、システムの中枢を担っていることから選定されたのだろう。
 滝沢は日も浅く、まだシステムの操作もおぼつかない部分があることから、米山副査の聴取を受けるはずだった。が、一人になった米山は自分のペースを頑なに守り、曽我一人を相手に延々時間を捏ね回した。曽我の話では、途中、鼾が聞こえたとか聞こえなかったとか。そんな調子で、服部が3人目の聴取を終えた時にはまだ青木が面談室へ入ったばかりだった。これでは明日からの監査に差し支えると服部は判断し、米山が担当するはずだった最後の男、滝沢を自分で聴取することにしたのだ。

 室長室で主査を待つ間、服部が指摘してくるのはどの違反だろうと薪は考える。
 一番心配なのは宇野のことだ。あいつにはハッキングやらプログラムの違法改造やらサイバー犯罪まがいのこと(まがいではなく完全に犯罪なのだが)をさせてしまっている。と言うのも、薪は凶悪犯を捕まえるためなら多少の違法性には頓着しないという誤った潔さを持っており、宇野は優れたエンジニアであるが故に、しばしば薪の行き過ぎた捜査活動の犠牲になっているのだ。
 昔、署内ネットで回された女装写真を消去するために警察庁のメインコンピュータに侵入してデータを破壊したことがバレたら、宇野も自分も一貫の終わりだ。その他にも、捜一のバカが捜査資料の出し惜しみなんかしやがるから警視庁のコンピューターにハッキング掛けて自動的に第九へ情報が流れるように隠しルート組んだこととか、何かと薪に突っかかってくる二課の課長の弱みを握ろうとして警務部しか閲覧できない部類の人事データに侵入したこととか。
 思い当たることが多すぎて、薪は頭を抱える。ちょっと派手にやり過ぎたか、と反省するが、やってしまったことは戻せない。

「室長。大変なことが分かりましたよ」
「す、すみませんっ、僕も良くないとは分かってたんですけど! あいつ、言えば何でもできるもんだからついついエスカレートしてしまって!」
「はい?」
 銀縁眼鏡の奥の瞳はキョトリと瞬いて、薪の勇み足を知らせる。どうやら宇野のことではなかったらしい。
「大変なこととは?」
 薪は咄嗟に冷静な室長の仮面をつける。岡部や今井から得た情報なら、そう大きな減点になることはない。自分と同様監査の何たるかを理解している彼らなら、減点になるか勧告で済むかの境界は心得ている筈だ。

「本当に大変なことです。人払いをしていただきたい」
「人払い?」

 妙な話だと思った。通常、主査が室長に勧告を為すのはすべての監査が終わったあと、総合評価と共に下されるものだ。それが監査の中日で、それも人払いなんて。
「万が一にも他人に聞かれてはならない。職員たちが帰った後、私の話を聞いてもらいたい」
「定時を5分ほど過ぎていますから、部下たちは退室させますが。監査の事でしたら、副室長も一緒に」
「いいえ。室長お一人でお願いします」
 薪一人を指名するのもおかしいと思った。監査による勧告と言うものは、室長と副室長が雁首を揃えて主査と副査に叱られるのが普通ではないのか。

 不思議に思いながらも薪は、服部に言われた通り職員たちを全員研究室から追い出し、単身で室長室に戻った。そこには服部がやはり単独で待ち構えており、変わらぬ厳しい顔つきで薪を迎えた。
「全員、研究室から退去させました」
「けっこう。では早速」
 言いかけて服部は口を噤み、思案する顔になって声を落とした。

「この部屋の会話が盗聴される恐れは?」
「そこまで警戒されるとは、いったいどんな失点なんです」

 やっぱり宇野にやらせたことが全部バレたか、と心の中はパニック寸前に陥りながらも薪は盗聴器用のソナーを机から出し、スイッチを入れた。ピーと低い機械音がして、その音は部屋の何処へアンテナを向けても音程を変えることはなかった。
「安心されましたか」
「ええ。しかし、盗聴器ソナーが直ぐに出てくるとは。用意の良いことですな」
「第九では情報漏洩対策として、毎朝盗聴器や盗撮カメラ類のチェックをしています」
「なるほど。個人の情報を扱う第九にとって、情報漏洩は命取りになりますからな。素晴らしい心掛けです」
「いや、以前仮眠室に盗撮カメラを仕掛けられて大変なことになっ……ええ、まったくその通りで!!」
 自分ではパニックを寸前で食い止めた心算でいたが、とっくにパニックになっていたらしい。危うく宇野のサイバー犯罪以上の秘密を暴露しそうになって、薪は自分の舌を引っこ抜いてしまいたい気分だ。

「この通り、他人に聞かれる心配はありません。監査報告をどうぞ」
「監査報告ではありません」
「監査じゃない?」
 驚いて、薪は鸚鵡返しに尋ねた。
 監査官が室長を呼び出して、監査以外の何について話すと言うのだろう。訝しく思いながらも、薪は服部に椅子を勧めた。服部の深刻な表情から、腰を落ち着けて聞いたほうがよいと判断したのだ。勧められるままに服部はソファに腰を下ろし、向かいに座った薪の方に身を乗り出してきた。緊迫した声音で彼はようやく、話の内容を告げた。
「6年前の事件のことです」

 驚きを声にすることすらできず、薪は大きく眼を瞠った。6年前の事件に関して、大変なことが分かったと彼は言う。監査官の彼が、いったい何を掴んだと?

「滝沢警視の聴取で、私は6年前の事件について尋ねました」
「滝沢と、6年前の事件について話した?」
 無謀とも言える主査の行動に、薪は背筋が寒くなる。服部の質問を、滝沢はどう受け止めただろう。
「彼は怪しい」
「……怪しいとは?」
 木霊のように返してくる薪の質問に、服部は俯き、膝の上で握った拳をじっと睨みつけた。それから決心したように顔を上げ、大きく息を吸って、
「室長、私は恐ろしい想像をしているのですよ。6年前の第九崩壊を、裏で画策していたのは滝沢警視ではないでしょうか」

 ぎくりと薪の背中が強張った。それを相手に悟られないためには、仮面の厚さを2倍にする必要があった。幾重にも心の防壁を張り巡らせ、薪は冷静に応えを返す。
「画策と言われましても。旧第九の崩壊は貝沼事件に起因するものです。彼らは貝沼の画に引き摺られ、発狂し、自ら死を選んだ。痛ましい事故です」
 薪が沈痛な面持ちで苦渋を表すと、服部はいいやと首を振り、「果たして彼らは本当に自殺だったのでしょうか」と頑固に自分の主張を通そうとした。
「当時の第九が機能停止に陥るまで、わずか5日。1人目の職員が死んでからは何と3日で室長を残した全員が死亡或いは精神崩壊を起こしている。前にも言いましたが、このスピードは異常だ。むしろ、誰かが意図的に彼らを殺して行ったという方が自然ではないですか」
「何を言い出すんです」
 服部の言葉に、薪は失笑する。
「まるで小説の世界だ。現実はもっと散文的ですよ」

 6年前の部下たちの死を、連続殺人だと彼は考えているらしい。お堅い監察官かと思ったらこの男、大した想像力の持ち主だ。
「仮にですよ、あなたの言う犯罪が行われたとして、どうして滝沢なんです?」
「簡単な引き算です。5人いた職員のうち、生き残ったのはあなたと彼の二人。あなたが犯人でなければ、彼が犯人に決まっている」
「お話にならない。滝沢は事件の後、精神を患って入院してしまったのですよ」
「それこそ計算が狂ったのかもしれない。自分でもそれほどまでに貝沼の狂気に引き摺られるとは、予想していなかったのかも」
「熟練した警察官を二人も殺し、第九を壊滅させたほどの男がですか? 何とも間抜けな話ですね」



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

破滅のロンド(17)

 とうとう明日ですねっ。 みなさま、どきどきしてますか?

 こんな大事なときに、お義母さんが温泉に行こうって……薪さんが心配でそれどころじゃない、って言ったら分かってくれるかな? ←無理。
 28日~30日の予定なんですけど、オットに相談したら、
「行きがけに買って、温泉で読めば」
「読んだら廃人になるかもよ?」
「……オレがフォローしてやるから」
 えらい、オット、よく言った! 今回、お義母さんのお世話は君に任せた!
 耐え切れない展開だったら、わたし旅館の押入れに籠もるけど、フォロー宜しくねっ!!

 人前では読めないので(通報されちゃう)、どこか一人になれるところを探してこっそり読もうと思います。
 みなさまも、気をしっかり持ってくださいね! 健闘を祈ります!
 

 今回は海沿いの宿じゃないので、Eモバイル使えると思うので、お義母さんの目を盗んで(笑)元気だったら更新しますね。
 よろしくお願いします。




破滅のロンド(17)







「何とも間抜けな話ですね」

 即座に返ってくる薪の否定に、服部は乗り出していた身体を徐々に引き、終いにはソファの背もたれに預けた。やっぱり考え過ぎですかね、と照れ臭そうに笑う服部に、薪はふふと微笑み、
「コーヒーでも淹れましょうか」と席を立った。

 服部の考えは素人の妄想に過ぎない。おそらく彼は現場に出たことが無いのだろう、だが時に。
 素人の妄想は、発想の自由さと言う一点に於いて現場を踏んだ捜査官の推理を上回る。経験がない分、通例に縛られること無く想像の羽根を広げることができる。そして百万に一つの確率で、真実に近付いてしまったりするのだ。

 コーヒーを淹れながら、青木を残しておけばよかったかな、と薪は少し後悔したが、薪のコーヒードリップの腕前は第九のバリスタ直伝だ。ここの給湯室で薪が手を濡らすことは皆無に近いが、薪は第九で二番目に美味いコーヒーを淹れることができると自負している。だから大沢の表情は、薪には心外だった。無感動で上の空、香りを楽しむこともしない。まるで白湯でも飲むようにコーヒーカップを機械的に傾けるだけだ。
 第九にも一人、青木の超絶美味のコーヒーをこんな風に飲む男がいたな、と思い出して薪は、いささか不愉快になる。そんな薪の心中には全く気付くことなく、服部は無言のままコーヒーを飲み続けた。途中、カップをソーサーに置いて「ところで室長」と薪に話しかける。

「言えば何でもできるあいつと言うのは誰のことですか?」
「それは仕事とは関係のないことです」
 嘘は言ってない。自分の女装写真を破棄しただけだ、肖像権は自分にある、悪いことはしていない。
「では、仮眠室の盗撮カメラと言うのは?」
「友人の悪戯で。僕がヨダレ垂らして寝ているところを写真に」
 薪がヨダレを垂らして寝ている写真を撮られたのも嘘じゃない、別の意味で寝てただけで。

「室長のご友人には、遊び心に富んだ方がいらっしゃるんですね」
 薪の言い訳を素直に信じて、服部は銀縁眼鏡の奥の暗緑色の瞳をほころばせた。そんなに人の好いことで監査課の仕事が務まるのかと多少気になったが、彼は薪のファンだと言っていた。見逃してくれているのだろう。

「しかし、あの古い友人にはお気を付けください。私はあなたの身が心配で堪らないんです。彼があなたについて話すとき、彼の眼には凶悪な光が宿る。あなたのことを快く思っていない証拠です」
 服部は再び深刻な顔になって、両手を組み合わせた。彼の声は憂いに満たされて、本心から薪の身を案じているようだった。
「滝沢と、どんな話をしたんです?」
「それはお答えできません」
 聴取の内容について、監査官には守秘義務がある。それを曲げることはできないと、服部の言い分は尤もで、しかし薪はどうしても彼から滝沢の言を聞き出したかった。滝沢も人の子だ。薪には隠さなければいけないことも、部外者の彼には喋ったかもしれない。
 人は、あまりにも大きな秘密には耐えられないものだ。沢山の秘密を飲み込んできた薪には、それがよく解っている。時々、全部大声でぶちまけたくなる。そんな衝動に日夜駆られている人間にとって、絶対秘匿が条件とされる監査官との二者面談は格好の舞台ではないか。

「服部さん」
 薪は両手を伸ばし、固く組み合わされていた服部の手を自分の手で包み込むように握った。弾かれたように顔を上げる服部に、ぐっと顔を近付けて、
「あなたの立場は解っています。あなたがとても頭が良くて、慎重な人だということも。だから僕は、先刻のあなたの言葉に頷くことはできない」
 職種の割りにはゴツゴツと固い服部の手をそっと撫でながら、薪は下から彼の顔を覗きこむようにして、うっすらと微笑んだ。
「簡単な引き算ですか? そうじゃないでしょう。あなたのように優秀な人が、ただの想像で他人を犯罪者呼ばわりする訳がない。あなたは滝沢との面談で、何か彼の犯罪の確証になるようなことを耳にされたのではないですか」

 亜麻色の瞳に吸引されるように、服部の暗緑色の眼が薪の美しい顔に引き付けられる。そこから1センチたりとて視線を動かせないまま、服部は乾いた声で語り始めた。
「6年前、同僚を亡くされて悲しかったでしょう、と私が言うと、滝沢警視は『あいつらは見てはいけないものを見た、だから死ななければいけなかったのだ』と答えました。見てはいけないものとは貝沼清隆の記憶のことですか、と尋ねたら、首を振りました。では何ですか、と訊いたら、ニヤニヤ笑って返事をしないんです。どう考えても不自然でしょう」
 話を聞いて、薪は服部から手を離した。考え込むときのクセで、右手の拳を口元へと当てる。言葉を拳の中に埋めるように、薪は呟いた。
「それは……自白に取れないこともない……」
 来るべきときが来た、と薪は思った。今こそ、最終計画を発動させるときだ。

「服部さん。こうなったら正直に言います。実は僕も、ずっと彼を疑っていたんです」
 薪が本当のことを告げると服部は驚きの声を発し、どういうことかと薪に説明を求めてきた。そこで薪が語ったことはすべて事実で、彼がこの6年間、彼の事件の真実を追い続けていたことの証であった。

「滝沢は事件の後、精神を病んで病院に収容されましたが、彼がいつ発病したのか、僕には不思議でした。滝沢は、僕が鈴木警視を射殺する直前まで元気だったんです。少なくとも僕には、彼が狂いかけているようには見えなかった」
 薪はふと言葉を切り、辛そうに目蓋を閉じた。伏せられた長い睫毛が震え、それは彼の深い悔恨を表していた。
「でも僕は、先に自殺した豊村も上野も、そこまで追い詰められているとは気付かなかった。僕が狂気の兆候を見つけられたのは、鈴木警視だけでした」
 そのことで薪は、長い間心を痛めてきた。自分の注意不足で、彼らのSOSに気付かなかった。だから彼らは死んでしまったのだと、自分を責め続けてきた。
 薪の心痛を察して気の毒そうに頷く服部に、薪は言葉を続ける。

「自分の観察力の欠如によるものだと、その時は納得しました。それから何度滝沢の見舞いに行っても、彼と話をすることはできませんでした。彼は僕を見ると怯えて暴れて、手の付けようがなかった」
 薪はやりきれない瞳をしてくちびるを噛み、当時のことを思い出しているようだった。しかし次の瞬間、薪の瞳は清冽に輝き、服部の瞳を真っ向から見据えた。
「だけど、僕は見たんです。滝沢の顔をして入院している男が、部屋でのんびりと雑誌を眺めているのを」

「……彼の顔をした男、ですか」
 薪の言い回しに、服部は直ぐに気付いた。おそらく彼はこのカラクリを察しただろうと薪は思い、それでも賢明に口を噤む服部に感謝してその時のことを話した。
「その日は病院内で何か騒ぎがあったらしくて、受付のひとが不在でした。僕は時間に追われていて、だから無断で滝沢の病室へ行きました。そしたら、彼は楽しそうにロック系バンドの雑誌を読んでいた」
 滝沢の、滝沢らしからぬ行動。それを目の当たりにした時の衝撃と、瞬く間に膨れ上がった疑惑がもたらしたおぞましい感覚を、薪は昨日のことのように思い出せる。
「あの本は滝沢の趣味じゃない。滝沢はクラシックが好きで、ロックなんかに興味は無かった。本当にこの男は滝沢なのかと疑いました」
 確かめたのですか、と結論を急ぐ服部に、薪は細い首を横に振り、
「その日は彼に会わずに帰りました」
 服部は、詰めいていた息をホッと吐き出した。彼が緊張するのも無理はない、と薪は思った。薪の疑惑が真実なら、彼の恐ろしい空想も現実のものである可能性が高いのだ。

「でも、その次の機会に」
 緩和した空気を凍りつかせるような冷たい声で、薪は言った。
「彼の病室から、こっそりと彼の湯飲みを持ち帰りました」
 予め、滝沢が使用していた湯飲みと同じものを用意し、何食わぬ顔で病室を訪れた。いつものように滝沢が暴れ出し、看護師が彼を押さえている間に素早くすり替えた。
 何も出なければいいと願っていた。自分の思い違いであって欲しいと、たかが雑誌、たまたま病院に置いてあったものを手にしただけのことかもしれない。だが。

「室長はその湯飲みを」
「保管されていた滝沢の指紋と照合しました。結果は不一致でした」
 服部は、喉の奥で低く呻いた。血の気の引いた顔色が、彼の動揺を物語っていた。
「病院に入っていたのは、滝沢幹生の替え玉です」
「まさか……本当にそんなことが」
 薪の断定に、服部は逃げ腰になった。自分で言いだしておきながら、服部の顔は蒼白で、今にも気を失いそうだった。それも仕方のないことだ。現場に出たこともない人間に、この陰謀は大きすぎる。

「滝沢そっくりに整形手術を施され入院させられて、僕が来たら狂気を装うように、命令を受けていたんです。そうとしか考えられない」
「それが本当だとしたら、いったい誰がそんな命令を」
「それはまだ分かりません」
 薪は力なく首を振り、消沈して肩を落とした。幾ら手を尽くしても、本当に分からなかった。滝沢の背後には何者かの力が働いている。それは確実なのに、どの方向から辿って行ってもその糸は途中で切れてしまうか、こんな大掛かりな策謀を構えられるはずもない小物に行き着くばかりで、薪はその度に自分の無力さを痛感した。

「服部さん、僕は」
 だが、諦めたわけではない。諦めてはいけないと薪は思った。
「僕にとって、あの事件の記憶はとても辛いものです。できれば掘り起こしたくなかった。でも、こうして疑惑が証明された以上、滝沢を放ってはおけません」

 薪の話を聞き終えると、服部は考え込んでしまった。裏で糸を引いているのは、捜査官の替え玉を用意して、病院にまで詐偽を強要することができるくらいの権力を持つ何者かだ。下手につつくと自分の首が危なくなる。
「室長は、どうなさるおつもりですか」
「僕だって、藪を突いて毒蛇に噛まれたくはない。しかし、これは第九で起きた事件です。室長の僕が逃げるわけにはいかない。でもあなたは違う。この話は、聞かなかったことにしておいた方がいいでしょう」
「何をおっしゃいますか」
 服部は大きく頭を振った。決意を固めた眼をしていた。
「監査室に話を通して、滝沢を取り調べましょう。私の情報と室長の情報を合わせれば、ほぼ容疑は固まったも同然です」
「いいえ。まだ、滝沢の入院が偽装だと言うことが判明しただけです。彼が上野と豊村を殺した証拠は何もない」
「それを調べるのが監査室の仕事です」
 服部は携帯電話を取り出し、どこかへ連絡を取ろうとした。相手はおそらく直属の上司だと思われたが、薪はそれを決河の勢いで止めた。何を焦ったのか、服部の手から携帯を奪うという性急さだった。

「待ってください。監査課の取り調べを受ける前に、僕が彼に直接話を聞きます」
「な……彼は危険だと申し上げたのを聞いてなかったんですか」
「僕は第九の室長です!」
 張りのある声が響くと同時に、周囲の空気が震えた。服部は思わず身を引き、目の前の男をまじまじと見直した。こんな迫力のある彼を、初めて見た。
「滝沢は第九の職員、僕の部下だ。部下の不始末の責任はすべて僕にある」

 女のような顔の、女のように華奢な身体の、しかし彼はあらゆる意味で男だった。行く手に何が待ち構えようと勇気を持ってそれに立ち向かい、決して己の責務から逃げない。第九の職員たちが骨抜きになるわけだ。
「お願いです、今夜一晩でいい。僕に時間をください」
「薪室長……」
 服部は、頷くしかなかった。

「解りました。くれぐれも気を付けてくださいよ」
「ありがとうございます」
 ふわりと微笑みを浮かべて携帯を返して寄越した薪を、服部はやっぱり女性のようだと思い、その不可思議な魅惑に酩酊する自分を感じてゆるゆると首を振った。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

破滅のロンド(18)

 発売日ですねっ!

 最終回が気になって、昨夜は殆ど眠れなかったしづです。 ……眠いぞ……。

 今日は更新する予定じゃなかったのですけど、(みなさん、それどころじゃないと思う、てか、わたしがそれどころじゃない。(^^;)
 Mさんに、「ここで切らないで~」と仰っていただいたのが嬉しかったので、更新しちゃいます。
(レスはすみません、ちょっと遅れるかも~。 旅行から帰ってからにさせてください。)

 本日も広いお心で。 よろしくお願いします。

 





破滅のロンド(18)







 青白い月が正中する時刻、法医第九研究室には未だ明かりが点いていた。と言っても、それはたった一部屋、研究室の一番奥まった場所にある室長室であった。
 その明かりを目指して、がっしりとした体躯の男がモニタールームを横切って行った。部屋のドアをIDカードで開けたところを見ると、彼はここの職員であるらしかった。

 男は行き当たりのドアをノックもせずに開け放つと、部屋の主に向かって横柄に語りかけた。
「こんな夜更けに呼び出しとは。逢引きと解釈していいのか」
 ドア口と男の隙間から、室長室の明かりがモニタールームに差し込み、薪の姿がちらりと見えた。彼は腕組みをして、不機嫌そうに室長席に座っていた。
 パタンとドアが閉まり、部屋は密室になった。室長室のドアに窓は付いておらず、モニタールームで得られる情報は音声だけになった。

 男が室長室へ姿を消すと、モニタールームにはもう一人の男が現れた。きっちりと撫でつけた黒髪に銀縁眼鏡の几帳面な監察官、服部であった。
 服部は、薪が心配で堪らなかった。 
 今夜一晩だけ待ってくれ、と薪は言った。ということは、今夜中に滝沢に真相を問い質すつもりなのだろう。事務仕事ばかりしてきた服部の眼から見ても、滝沢は危険な男だ。
 薪を一人にはしておけない。万が一のことがあってからでは遅いのだ。服部は、退庁したふりをしてモニタールームに潜み、薪を見張ることにした。

「冗談を聞ける気分じゃない」
 服部の耳に、薪の声がハッキリと聞こえる。いつもの澄んだアルト。彼の声からは、焦燥も憤激も感じ取れなかった。
「滝沢、単刀直入に訊く。6年前の事件、豊村と上野の自殺について、おまえが知っていることを洗い浚い喋ってもらおう」
 単直にも程がある! と思わず服部は声に出そうになった。なんて無鉄砲な。
 それに応える滝沢の言葉もまた、実に直線的だった。
「聞きたいことがあるのはこっちの方だ。2057年のカニバリズム事件について、この薄汚い脳みそにしまい込んだことを吐き出してもらおう」
 声を聞きながら、服部は滝沢のクセを思い出した。きっと『この脳みそ』と言いながら、彼の髪に触れているのだろうと想像した。
 滝沢は薪の身体にやたらと触っては、薪が嫌がるのを楽しんでいるようだった。本人はスキンシップのつもりかもしれないが、服部の眼にはセクハラにしか見えない。いや、別に妬いているわけではなく、それは服部も薪の身体に触ってみたいと思ってはいたが、そう言えばさっき薪に手を握られた時はドキッとした……。

「人食いに興味があるのか?」
 薪の声に、服部は我に返った。滝沢と薪が深夜の室長室に二人きりでいることに妄想を掻き立てられて、危うくここに来た目的を忘れるところだった。
「だったらお勧めのDVDを教えてやるから、僕の質問に答えろ」
「人食いになぞ興味はない。おれが知りたいのは、飛行機事故の真実だ」
「真実? 事故原因のことか。あれは確か、機体が疲労限界を超えて」
「惚けるのは止せ。あの事故は人為的なものだ。公安と政府がグルになって隠した真実が、おまえの頭には仕舞われているはずだ」
 古い飛行機事故の話が始まって、薪は困惑しているようだった。話が見えない、という口振りで、
「何を言ってる。あの事故に事件性はない」
「どうでも口を割らない気か。だったら喋れるようにしてやる」
「何をする気だ……よせ、滝沢! ふざけるな」

 室長の危機だ、と服部は思った。矢も楯もたまらず、立ち上がって部屋に飛び込もうとする。その彼の腕を、別の誰かが掴んだ。服部の背中を押して床に屈ませ、「静かに」とその誰かは囁いた。
 服部は、心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。本気で喉元くらいまで飛び上がった気がする。それくらい驚いたのだ。声を出さなかったのは奇跡だ。

「今頃まで監査のお仕事ですか?」
「あ、青木さん」
 服部を止めたのは第九で一番年若い捜査官だった。と言っても経験年数は丸5年になる。立派に一人前だ。
 室長室の二人に聞こえないよう、服部は小さな声で、
「あなたこそ、どうしてこんな時間に」
「室長に呼ばれました」
「室長が? 何故あなたを?」
「オレ、室長のボディガードなんです。官房室から正式に任命されてます」
 服部は青木の履歴書を素早く頭の中でめくり、彼が柔道初段、剣道3段、AP射撃2段の腕前だったことを思い出す。なるほど、薪が強気だったのは彼を控えさせていたからか。

「もしかして服部さん、うちの室長を心配してここに?」
 服部がこくりと頷くと、青木は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げ、
「こちらも状況は把握してます。危なくなれば、室長から合図が来ることになってます。どうしても聞き出さなきゃいけないことがあるから、それまでは邪魔をしないように言われてます。服部さんも、堪えてください」
 耳元で囁くように喋る、青木もまた薪の危機を理解している。青木はまだ若いが、官房室のお墨付きと言うからには、それなりの修羅場も潜ってきたのだろう。

「しかし、今、薪室長の悲鳴が」
「え? オレには聞こえませんでしたけど」
「……聞こえたような気が」
「気のせいじゃないですか? 緊急信号は発信されてませんよ」
「ボタンを押せないように拘束されてるんじゃないですか? 私、耳はいいんです」
「大丈夫。室長はああ見えて、とても強いんですよ。柔道はオレよりも上なんですから」
「はあ」
 呑気なボディガードだ、と呆れながらも、服部は不承不承頷いた。薪の声は自分にしか聞こえないのだ。それをこの男に悟られるのはまずい。

 青木との会話の間にも、服部の耳には室長室のやり取りが届いている。
『この頭がどんなに汚れた秘密でも飲み込むように、この身体も、相手がどんな男でも受け入れるんだろう』
『安く見られたもんだな。僕を抱けるのは局長クラスの男だけだ。僕と寝たけりゃ出世して出直してこい』
 挑発的な言葉が聞こえて、服部の心臓はどきんと跳ねる。薪のあのきれいな顔でこんなことを言われたら、大抵の男は征服欲に火を付けられて理性を失ってしまうのではなかろうか。
「い、言われてみたい……」
「服部さん、なんか言いました?」
 無意識のうちに願望を呟いてしまったらしい。訝しげに首を捻る若い捜査官に、服部は曖昧に笑って見せた。

『やめとけ。おまえ、そんな趣味ないだろ』
『それらしき写真を撮ることくらいはできる。全世界にネット公開してやる。警察にいられなくなれば、秘密を守る義理もなかろう』
 滝沢の卑劣な計画を聞いて、服部の心に義憤が渦巻く。しかし、ここまで危険が迫っているのに薪が助けを呼ばないのは何かしら策があるからだと服部は考えた。仕事振りからも分かるように、薪は抜け目のない男だ。
『馬鹿馬鹿しい。ネット公開なんかしたら、おまえも外を歩けなくなるじゃないか』
『頭は良いのに、どうしてそう間抜けなんだ? 自分の顔には修正入れるに決まっているだろう』
 そのくらいのことは薪も分かっているはず、彼には何か滝沢を思い留まらせる切り札が。
『な、なんて卑怯な』
『普通だ』
 ……うん、薪室長はちょっと抜けてるところが可愛いんだな。放っておけないっていうか。

『ちょ、待て! おまえ、ホントいい加減にしろよ!』
 何をされているのかは想像するよりないが、薪の声には焦燥が滲み出ていた。衣擦れのような音がしている、ワイシャツくらいは脱がされてしまったのかもしれない、もしかしたらズボンまで、と考えるだけで服部は眩暈がしそうだ。
「服部さん? なんで鼻息荒くしてんですか?」
「いや、音声だけというのもなかなか……」
 はあ? とまたもや不思議そうに首を傾げる若い捜査官。ああもう、こいつ邪魔。

『わかった! おまえが僕の質問に正直に答えたら、僕も本当のことを言う!』
 薪が譲歩した。カニバリズム事件はレベル5の案件だ。一般の捜査官が知ることは許されない。その規則を破ることを薪は滝沢に約束し、すると滝沢は、
『おれの質問に答えるほうが先だ』
『いいや。こちらが先だ』
 どちらも譲らず、睨み合う光景が目に見えるようだ。それからしばらく続いた沈黙を破って、薪の厳しい声が響く。

『6年前、豊村と上野を殺したのはおまえか』
 ゴクリ、と服部の喉が鳴った。薪は核心に切り込んだ。果たして滝沢はどう出るか。
『今頃気付いたのか』
 拍子抜けするくらいアッサリと、滝沢は自分の罪を認めた。完璧な証拠を手に入れた、と服部は心の中で手を叩いたが、直ぐにひとつの危険を予知した。この自白を、降伏と取ってよいのだろうか。
 死人に口無しとか冥土の土産とか、不吉な言葉が服部の頭の中でぐるぐる回る。滝沢の両手が薪の細い首を締め上げている場面が脳裏に浮かび、服部は慌ててその画像を打ち消した。

『そうだ、あいつらはおれが殺した。おれがこの手で殺して、自殺に見せかけた』
『っ、貴様ぁ――――ッ!!!』
 がたん! と大きな音がした。隣で青木が身構えたが、手に持った受信機に救難信号の着信がないことを確認すると、再び床に片膝をついた。

『なぜそんなことをした! 同じ職場の仲間を殺すなんて』
『おれはおまえから飛行機事故の真実を聞き出すために、第九に入った。その過程で邪魔になったから殺しただけだ』
『なんだその言い草は! おまえ、それでも人間なのか!』
『おまえが悪いんだ! おまえが事故のことを隠したりしなければ、おれはそんなことはしなかった!』
『僕が隠したわけじゃない! 社会への影響を考えて、上層部が決めたことだ!』
 言い争いは激しくなり、取っ組み合いのような音まで聞こえてきた。あの体格差だ、力で来られたら薪に勝ち目はない。隣に無能なボディガードがいなければ、とっくに中に入っている所だ。
「大分揉めてるみたいですね。大丈夫かな、室長」
 争う物音が青木にも届いたらしい。服部はこっそりと、左耳に入れた受信機のボリュームを下げた。衣擦れの音まで拾える超高感度は有難いが、気を付けないと鼓膜を破られる。

『同じことだ。あんなむごたらしい事実を隠して。事故で死んだ100人もの乗客に、その遺族たちに申し訳ないと思わないのか』
『どうしてそんなにあの事故に拘る。だれか知り合いでも乗ってたのか』
『おれの恋人は、あの飛行機事故で死んだんだ』
 明かされた滝沢の動機に、薪はハッと息を呑み、それでも彼が口にできることは決まっていた。
『事故に関しては何も隠していない。情報を公開しなかったのは、人食いの事実があまりにも衝撃的だったからだ。本当にそれだけだ』
『あくまでもシラを切る気か』
 薪は嘘など吐いていない。それを服部は知っていた。

『最後の手段だ。おまえの脳を取り出して、MRIに掛けてやる』
『僕を殺す気か』
 嫌な予感が当たった。やはり滝沢は、初めから薪を殺すつもりだったのだ。
『それ以外、真実を知る術はない。覚悟しろ、薪!』
『やめろ、滝沢! 銃を下ろせ!』

 突然の大音量に、服部は一瞬、左の耳が聞こえなくなった。思わず耳を押さえた服部の横で、青木が室長室に飛び込んで行った。
 室長室に轟いたのは、紛れもない銃声だった。




*****

 そしてまた、こういう場面で切れるという。(笑)
 「ケンカ売ってんのかコラ」というMさんのお声が聞こえてきそうデス☆
 
 最終回を読んだ後でも、こういうギリギリの冗談が言える心境でいられますように……!! 切実に祈ってます。 
 薪さん、幸せになって!!

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破滅のロンド(19)

 ただいまです~。
 おかげさまで、旅行から無事に帰ってまいりました。

 が。
 すみません、最終回がショックで押し入れから出て来れません……。

 とはいえ、我ながら鬼畜なところで切ってるので、先を公開します。 
 書き上がっててよかった。 今の心境では妄想すらできません。
 コメレスは、もうしばらくお待ちください。 今返すと恐ろしいことを口走ってしまいそうな気がします。 


 それと、
 一昨日くらいから、
 最初の記事から拍手をたくさんくださってる方、ありがとうございます。 慰められました。 
 せっかくいただいたのに、テンション低くてすみません。 もう少し浮上したら改めてお礼します。








破滅のロンド(19)






 青木に一歩遅れる形で室長室に入った服部は、目の前の惨状に思わず息を飲んだ。
 床に仰向けになり、腹から血を流して転がっている男。そこから3メートルほど離れた場所に、銃を構えて立っている男。部屋に篭る火薬の匂い、それを覆い隠すような血の匂い。

「ま、薪室長……!」
 裏返って、我ながら何とも情けない声だった。しかし服部は監査室の人間だ。血塗れの現場には慣れていない。赤いペンキをぶちまけたような色彩も衝撃的だったが、もっと参ったのは血の匂いだ。鼻孔から脳を直撃して、嘔吐を催させる。

「僕を甘く見るなと言ったはずだ。6年前の僕じゃない」
 両脚を肩幅に開き、両腕を真っ直ぐに伸ばして銃口を標的に定める。射撃の基本を忠実に守ったスタイルは、彼にあっては凄まじく美しい。亜麻色の髪を乱してワイシャツは片袖を脱がされ、明らかに暴行を受けた様子の彼の、蛍光灯の光に曝け出された左半身は眩しいくらい白かった。

「薪室長、これは」
「服部さん、あなたのカンは正しかった。やはり滝沢は黒でした」
「殺したんですか」
「急所は外したつもりですが、咄嗟のことだったので……青木、そいつは危険だ! 不用意に近付くな!」
 薪の忠告を青木は無視し、被害者に駆け寄った。床に屈み、横たわった男の太い首に指先を当てる。その間、滝沢はピクリとも動かず、やがて青木は沈痛な面持ちで首を振った。

「薪室長!」
 薪の美しい顔が、苦悶に歪んだ。乱れた姿のまま、彼はへなへなと床に膝を付き、自分の両手に握られた拳銃を呆然と見つめた。
「……撃たなければ僕が撃たれていた」
 薪の言葉は嘘ではなかった。絶命した滝沢の右手には、自分の拳銃が握られたままになっていた。

 まるで6年前の再現だ、と服部は思った。

「服部さん、僕と滝沢の話を聞いていたでしょう? 滝沢の殺意は明らかだ。証人になっていただけますよね」
 薪は縋るような瞳で服部を見上げた。何としても服部の証言が欲しいのだろう。部下の青木より、部外者の服部の証言の方が重用されるに決まっている。加えて監査官の服部が証言台に立てば、薪の正当防衛は認められる可能性が高くなる。
 服部は深いため息を吐き、一晩で10も年を取ったかのように疲れ果てた声で言った。
「上司に報告をさせてください。正直、もう監査どころではないでしょう」
「待ってください、先ずは僕の身の潔白を」
「室長、二度目はありません。以前も申し上げたでしょう。あなたがいなくとも、第九は存続できる。あなたはもう特別ではないんです」

 服部が言わんとすることの意味を悟って、薪はぺたんと床に尻を落とした。正当防衛とはいえ、二度も部下を撃ち殺したのだ。どんな手段をもってしても、彼を救うことはできない。映画なら彼の背後にスタッフロールが流れる場面だ。

「外で電話をしても良いでしょうか? 血の匂いで気分が」
「どうぞ」
 床に座って俯いたまま、薪はぼそりと答えた。丸めた小さな背中は、絶望と哀愁に満たされていた。

 未来を失くした男と、命を失くした男。二人の男の終焉に背を向けて、服部は室長室を出て行った。コツコツと響く革靴の音が、足早に遠ざかっていく。
 それを見送って青木は、室長室のドアを閉めた。それから左の耳に手をやると、薪の傍に歩み寄り、彼のはだけた肩にワイシャツを着せかけた。

「薪さん」
 背後から、囁くような声。
「キツネは巣に帰りました」
「そうか。では、いよいよだな」

 薪はすっと顔を上げると、ワイシャツの左袖に腕を通した。持っていた拳銃を青木に預け、自由になった両手でボタンを留める。細い指先は僅少の震えもなく滑らかに動き、1分後には彼の反らせた胸をグレーに青のストライプタイが凛々しく飾った。
 甲斐甲斐しい若妻のように青木が背後に広げてくれたスーツを身にまとい、しゃきっと襟を正す。そこにいたのは平生通りの、一分の隙もない第九の室長。

 薪は上着の内ポケットから携帯電話を取り出し、耳に宛がった。相手が呼び出しに応じると、にやりと好戦的な笑いを浮かべ、
「待たせたな。さあ、楽しいキツネ狩りの時間だ」
 亜麻色の瞳を雄々しく輝かせ、薪は威圧的に命令した。
「狩りまくれ。一匹も逃がすな」




*****



 ということで、薪さんは無事でした。
 安心していただけたと思います。

 で、この先はすみません。 精神的に安定するまで、ブログお休みさせてください。 
 長く落ち込んでるのは好きじゃないから、GWの間に何とかします。 同じ考えをお持ちの方を見つけたので、その方と連絡取ったりして、自分の気持ちに整理を付けたい。
 たかが漫画のことでオオゲサな、
 しかもこのラスト、全体的に見ればハッピーエンドの大団円じゃないの、先生、そういうの苦手だっておっしゃってたけど、ちゃあんとみんな生きて幸せになってるじゃないですか。
 それなのに、一部の偏った見方に囚われている人間にとっては、これ以上ない残酷な終焉なんです。 偏り過ぎだよ、と言われれば言い返せませんけど。
 でもわたし、
 4年間、ひたすら青薪さんのことだけ考えて生きてきたんです。 他人の眼からどう見えようと、わたしにはこれが真実。 砂を噛むような今の気分も現実なんです。
 ここはわたしのブログだし、この気持ちを吐露することも考えましたが、後ろ向きな考えはここには書きたくないんです。 わたしはここを楽園にしたい。 来てくれた人みんなが笑顔でリアルに帰れる場所にしたい。 そのスタンスでブログをやってきたので、ここに来てそれを壊したくないんです。
 
 お話の続きを待ってくださってるみなさま、
 ごめんなさい、少しだけ我儘させてください。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

破滅のロンド(20)

 長らく放置してすみませんでした~。

 再開させていただきます。 よろしくお願いします。 (見限られてないといいな~(^^;)







破滅のロンド(20)






「そうなんです、薪室長が滝沢警視を撃ち殺して」

 第九の正門を潜りながら、服部は携帯電話で今夜あったことを伝えた。電話の向こうで「なんと恐ろしい」と痛ましい事件に対する衝撃を吐露した相手に、耐え切れず、服部は笑いを洩らした。
「本当に恐ろしいですね。ここまで狙い通りに行くとは」

 ここはまだ第九の敷地内、不用意な言動は慎むべきだと思ったが、いま服部は天下人になった太閤秀吉の気分だ。今宵彼が修めた成果は、彼の偉業にも等しい。
「羽生先生のご推察通り、薪室長は入院している滝沢が偽者であることを見抜いていました。コップの違和感に気付いた彼を褒めてやるべきでしょうね」

 事の発端は1ヶ月ほど前。
 薪は自分に疑いを持っている、どうも湯飲みをすり替えられたようだ、と滝沢の替え玉を務めていた仲間が言い出した。それが事実だとしたら、厄介なことになる。滝沢ともども口を塞がねばならない。
 雇い主はとっくに滝沢のことは見限っていて、ロクに実戦経験もなかった彼を危険な任務に就かせたのもそのためだ。滝沢は6年前の事件の実行犯だ。彼と自分たちの関わりが公になるのはまずい。このまま現地で死んでくれたらいい。そうしたら院長に死亡診断書を書かかせて、本物の滝沢の死体と入れ替える計画だった。
 しかし、彼の死の報告はなかなか為されず、そのうち薪が替え玉に気付いてしまった。薪は頭の良い男だ。6年前の第九壊滅の裏側には何者かの意図が隠されていたと察しただろう。が、替え玉の事実が発覚したところで、事件の解明には至らない。となれば、病院や当時の人事に係わった人間等から内偵を進め、確たる証拠を掴もうとするに違いない。
 彼が真実を掘り起こす前に、滝沢もろとも葬らねばならない。
 そこで雇い主は急きょ滝沢を呼び戻し、永遠に彼の口を塞ぐよう、自分に命じたのだ。洒脱にも、舞台を第九に用意して。

「薪室長は食えない男ですよ。今夜のことも、彼は最初から滝沢を殺すつもりだった。しかも、私を利用する計画を立てていたんです」
 天才と名高い第九の室長の企みを見破ったことも、彼の高揚感を高める一助になっていた。薪がいかに切れ者でも、それは通常の職務に対しての評価だ。これが小説の世界なら、優れた捜査官は優れた犯罪者に早変わりするものだが、現実にはその確率は意外なくらい低い。確かに彼らは一般人よりも犯罪に関する知識は豊富だが、犯罪に於いて一番肝要なスキルに欠けている。
 自分の行為を正当化することだ。

「彼は、私が室長室に盗聴器を取り付けたことを知っていました。その上で、私を証人に仕立て上げようとした。二度目の正当防衛ですからね、自分の部下の証言では弱いと思ったんでしょう。そこで私に眼を付けた。第3者的立場の私の証言なら間違いなく正当防衛が通るであろうと、しかし、そんな見え透いた手には乗らない」
 大事なのは、自分の正当性を信じること。それができれば、妊婦の腹を切り裂いて赤子を引き出すこともできる。何の罪もない女性を焼き殺すこともできる。魔女狩りの狂気のように、大切なのはそれを正義だと思って為すことだ。薪には迷いがあり、それが彼に確かな保証を求めさせた。彼は自分で墓穴を掘ったのだ。

「慣れない殺人なんかに手を染めて、焦ったんでしょうね。彼は私の前でボロを出しました。証言を急ぐあまり『話を聞いていましたよね?』と、つい確かめてしまったんです。彼が盗聴に気付いて、それを利用した動かぬ証拠です」
 盗聴は明らかに行き過ぎた行為だが、監査に熱心なあまり、という言い訳が通る。何等かの処分は受けるかもしれないが、そんなものは服部にとっては痛くも痒くもない。
 自分に課せられた任務は、完璧な成功を収めたのだから。

 素晴らしい、と電話の向こうで自分を賛辞する声が聞こえる。これをネタにして薪を意のままに操ることも可能だと、相手は手放しで服部の仕事を褒め称えた。
 やはり先生に報告して正解だった、と服部は舞い上がるような心地になる。尊敬する先生から、お褒めの言葉をいただくことができた。本来なら直属の上司に連絡すべきだったのだが、その電話はつながらなかった。どうせまた若い愛人の所にでもシケこんでいるのだろうと判断し、そこは飛ばして、服部の本当の雇い主に掛けたのだ。

「滝沢と薪。一晩で障害物を二つとも取り除くことができました。これも羽生先生のご威光の賜物で」
 遠くに聞こえた芝生を踏む微かな音に、服部は口を噤んだ。電話を切り、上着のポケットにしまう。ポケットに手を入れたまま、彼はゆっくりと振り向いた。

「上司への報告はすみましたか?」
 神無月の夜の青白い光を身にまとって、薪が立っていた。細い手に、たった今部下の命を奪った銃が光っている。
「では、あなたの役目はお終いです。退場していただきましょう」
 すっと右手を伸ばし、真っ直ぐに銃口を服部の胸に向ける。亜麻色の瞳は冷静そのもので、先刻まで床にへたっていた男とは別人のようだ。この短時間に、この男の変わり身の早さはギネス級だ。

「ポケットから手を出して。両手を頭の後ろに」
「薪室長。物騒なものはしまってください。私は証言を拒んだりしません。あなたが殺人罪に問われるようなことはありませんよ」
「殺人? なんのことです」
 呆れ果てるような虚言に、服部は眉をしかめる。薪が冷静だと思ったのは、服部の間違いだった。彼は既に、現実と夢幻の境界が分からなくなっている。

「落ち着いてください、室長。こんなことをしても無駄です。監査室にはすでに報告をしました。大丈夫です、私に任せて」
「監査室に連絡など行っていないことは百も承知です。何故ならあなたは、監査室の人間ではない」
 服部は息を飲み、用心深く一歩下がった。瞬間、動くな、と厳しい声が飛ぶ。

「どうして解ったか不思議ですか? うちには飛び切りのハッカーがいましてね。監査課の人事データを入手することなど朝飯前」
「何を寝ぼけたことを。私の名前は監査官名簿にちゃんと載っていますよ」
 第九研究室のITの申し子、宇野のことは服部も知っていた。監査が入ればその対策を練るために監査官のデータを入手する程度のことはやってのける、それくらいは予想済みだった。だから、監査課の人事データに細工をしておいたのだ。基本的な事前準備だ。
「人の話は最後まで聞くものです。人事データを引き出すことも朝飯前なら、書き替えられたデータを復元することも朝飯前なんですよ」
 宇野の手腕を聞かされて、服部は思わず唸った。限られた時間の中、いくつものセキュリティをかいくぐって、しかもデータを復元するとは。宇野と言う男は稀代のハッカーだ。自分たちの組織にスカウトしたいくらいだ。

「まあ、データを確認するまでもなく、あなたが監査課の人間でないことは分かっていましたけどね」
 クスリと笑って、薪は銃を持っていない方の肩を軽く竦めた。
「一緒に監査に来た米山さんですけど。あれは偽者です」
「えっ」
 咄嗟には言葉が出なかった。あのシニア職員が偽者?
 そんなわけはない。彼は副査として、服部を助ける立場にいた。服部の命に、つねに従順だった。自分が室長を連れ出した隙に室長室に盗聴器を仕掛けろと命じたときも、聴取を長引かせて服部が自然に滝沢と話せるように仕向けろ、と命じた時も、彼は一言も逆らわずに唯々諾々と従って――――。

「まさか」
 その可能性に気付いて、服部は首を振った。ご明察、と薪が嫌味っぽく笑う。
「彼は監査課に紛れ込ませた僕の手駒です。あなたが彼に命じたことは、彼から僕に筒抜けでした。だから盗聴器のことも知っていた。あなたが本当に監査室の人間だったら、彼が偽者だと言うことに気付いたはずだ」
「何のことです。室内に盗聴器の類がないことは、あなたご自身が確認されたでしょう」
「受信側から電波のオンオフを操作できるタイプの盗聴器をお使いでしたね? 電波が発信されなければ、ソナーは役に立たない。わざわざ自分から盗聴の危険性を疑って見せたのは、盗聴の事実はないと、万が一見つかっても自分の仕業ではないと僕に信じ込ませるためでしょう」

 服部は必死で頭を働かせた。
 落ち着いて考えれば、まだ言い逃れはできる。米山が薪の手先だったからと言って、それがどうした。薪は絶対に、否、この世の誰にも自分の正体を暴くことはできないはずだ。もしかしたら気付かれるかもしれない、と危惧していた相手はいた。が、彼はもう此処にはいない。

「まあ、他にも小さなボロは出てましたよ。例えば、シークレットボックスの暗証番号を一瞬で見切るなんて、訓練を積んだ人間じゃないと難しいでしょう」
 あれは、自分は薪の味方だとアピールするためだった。相手の警戒心を解くためのパフォーマンスが裏目に出た。
「決定的だったのは、僕が淹れたコーヒーの味が分からなかったことですね。あれで確信しました」
「はあ?」
 暗証番号はしくじったと思ったが、コーヒーは意味が分からない。コーヒー好きの人間に悪者はいないとでも? この男、本当は山ほど冤罪作ってるんじゃないか。

「薪室長、それは誤解です。二週間ほど前に人事データの更新があったと聞いています。前回の名簿では、たまたま私の名前が漏れてしまったのでしょう。単なるオペレーションミスですよ。それに、監査官は百人以上いる。お互い顔を知らない監査官もいて当たり前です」
「おかしいですねえ。彼は、あなたと同じ班の人間だったはずですけど。名簿にちゃんと書いてありましたよ? 2週間前に正しく更新された名簿にね」
 薪はニヤニヤと笑いながら、皮肉っぽく言った。気のせいかもしれないが、彼はとても楽しそうだと服部は思った。
「ダメですよ。上から受け取った資料には、きちんと眼を通さないと」
 にっこりと彼は笑った。その笑顔の美しいこと。気のせいじゃない、この男、本気で楽しんでいる。

「それで私の弱みを握った心算ですか。それを利用して私に証言をさせようと? あなたがそんな態度に出るなら、こちらにも考えがある。本当のことを言ってやる、あなたは滝沢警視を意図的に射殺し、ひいぃっ!!」
 糾弾の途中で、服部の声は悲鳴に変わった。薪の横に、いきなり血まみれの男が現れたのだ。服部とて警察官。それくらいのことでこんな悲鳴は上げない。それが先刻室長室で死亡を確認されたばかりの男でなければ。

「滝沢。おまえの出番はまだ先だろ」




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破滅のロンド(21)

 こんにちは~。

 すみません、ここまでコメントのお返事滞らせちゃったの初めてですっ。 
 必ずお返ししますので、気長に待ってやってくださいね。 具体的な日付の目安は5月20日くらいまでに、ということで、ごめんなさい、遅過ぎですよね~~(^^;)
 でも、コメントもレスも、原作について濃密なお喋りができるのはエピローグまでの何回かでしょう? だったら語り倒したいじゃない? (わたし、レビュー書けないし)
 そう思うとついつい長くなっちゃって、時間が掛かってしまうんです。 (ちょっと言い過ぎだわ、とか、あらら、これじゃ原作否定だわ、とか思って、けっこう削ったりもしてる)
 どうか、ご容赦くださいね。

 お返事するごとに気持ちの整理も付くのか、おかげさまで大分前向きになってきました。
 人と話せるのっていいですね。 自分とは違う視点で見てる方の意見も聞けて、言われてみれば、と気付かされることも沢山ありました。
 やっぱり籠もってちゃダメだな。 一つの考えに囚われちゃうもん。
 と言うことで、今日辺りからレビュー書いてるブログさんにお邪魔したいと思います。 よろしくお願いします。(^^) ←レスは? 



 で、お話の続きですけど。

 滝沢さん、生きてますよ~。
 薪さん、いらんことぺらぺら喋ってますよ~。 この人はこうやって買わなくてもいい恨みを買っていくんだな。(笑)








破滅のロンド(21






「滝沢。おまえの出番はまだ先だろ」
「うるさい、おれはおまえみたいに茶番を楽しむ趣味はないんだ。てか、この服が臭くて堪らん。さっさと終わりにしてくれ」
 順番を狂わされて、薪は軽く舌打ちした。腹を真っ赤に染めた男は、気持ち悪そうにシャツの濡れた部分をつまみ上げた。服部は、そんな二人の呑気なやり取りを聞き取る余裕もなかった。

「まさか……あんなに血が……」
 あれは本物だった。匂いも色も、間違いなく本物の血液だった。
「本物ですよ。法一の友人に頼んで、廃棄する予定の輸血用血液を回してもらったんです。内緒にしてくださいね、これは違法ですから。ちなみに、音は爆竹で」
 何を思ったか、薪は銃口を滝沢の腕に向け、躊躇なく引き金を引いた。ハッと息を呑む服部の耳に聞こえたのは、カチッという軽い金属音。筒の先から出たのは銃弾ではなく、小さな炎だった。
「この銃もモデルガンなんですよ。知り合いからの借り物なんですけどね、よく出来てるでしょう? ほら、引き金を引くとライターになるんです」
 騙された、と悟るのにしばらくかかった。なんてことだ、専門家の自分がこんなド素人が描いたコンゲームに、こんなにも鮮やかに引っかかるなんて。

「さあ、そろそろ潔くしましょうよ。西野浩平さん」

 自嘲する暇さえ、薪は与えてくれなかった。彼のつややかなくちびるから歌うように吐き出された人物の名前に、服部は飛び上がるほどに驚いた。
「……どうしてその名を」

「おい、さすが長年の親友だな。おまえと全く同じセリフだぞ」
「やかましい。こんな男は忘れた」
 忘れた、と言う言葉は、昔は知っていた、という意味だ。
 この世でたった一人、自分を、親からもらった顔さえ変えた自分の真実を、白日の下に晒せる人間がいるとすればこの男だけだと思っていた。物心ついた頃から共に過ごし、同じ刑事と言う道を選び、お互いの存在をその魂に刻んだ相手。

「罠に掛けられたのは、俺の方だったということか」
「6年前のお返しだ。よくも騙してくれたな、西野」
 苦々しく吐き捨てた滝沢の、見れば懐かしい歪んだ唇。尊大な頬も胡乱そうな瞳も、彼は何も変わっていない。
「なんだ、そのツラは。インテリ風なんて、おまえの性格にちっとも合ってない」
「悪かったな。この仕事が終わったら、元の角刈り頭に戻すよ」
 西野は舌打ちして、生来の口調に戻った。両手をポケットに入れ、はああ、と上を向く。

「いつから気付いていた?」
「最初から」
 西野は滝沢に訊いたつもりだったのに、説明を始めたのは薪だった。

「僕が滝沢の替え玉に気付いたのが1ヶ月前。3週間前に滝沢が第九に帰って来たときには、秘密を知った僕を消しに来たんだと思った。罠に掛けるつもりで隙を見せたのに、彼は事を成そうとはしなかった。
 滝沢には僕を殺せと言う指令は下っていない。ならばどうして彼は此処へ帰って来たのか」
 滝沢の偽者が存在している時点で、旧第九壊滅の裏側には彼と彼を操る者の暗躍があったと察しがついた。彼の背後にいる人間が、滝沢そっくりに顔を変えた替え玉を用意したり、病院に偽装工作をさせたり、果ては第九の人事にまで口を挟めるほどの大物であることも。

「そいつが邪魔になった滝沢を、亡き者にしようと画策した。その舞台を第九に選んだのは、僕を二度と浮かび上がれなくするためだ。滝沢の急な人事にはそんな理由があったのではないかと、僕は仮説を立てました」
 天才の名前に恥じない名推理だ。病院の方から辿って、その大人物とやらにも凡その目星を付けているに違いなかった。
「滝沢の口を封じるために、必ず誰かがやってくると踏んでいた。そんな折、突然監査がやってきた。疑うのは当然でしょう?」
 飛んで火にいる何とやらってね、と薪は西野を揶揄し、ますます楽しそうに、
「滝沢が以前したことを思えば、あなた方のやり方が乱暴なのは想像がついた。下手をすると、滝沢が一人の時を狙って彼を撃ち殺すかもしれない。まあ、僕はそれでもよかったんですけど」
「おい」
 漫才の相方みたいに滝沢が突っ込む。互いに憎み合ってるはずなのに、この二人、息はぴったりだ。
「第九で事を起こされたくなかったのでね。僕が滝沢に殺意を持っているように見せかけて、あなたを牽制したんです。僕に滝沢を殺させればいい、そうあなたが考えるように。先刻も、隙さえあれば室長室に飛び込んでくるつもりだったでしょう? 僕を守ったという名目で、あなたは滝沢を殺す気だった。だから青木にあなたを留めるよう指示しておいたんですよ」
 うざったい男だと思った。自分がいかに上手くやったか、嵌めた相手に対して自分の手並みを自慢している。自信過剰で自己顕示欲が強い。西野の大嫌いなタイプの人間だ。

「観念してください、西野さん。滝沢が落ちたということは、あなたに指示を出している人間も割れたということですよ」
 先刻、どうして直属の上司に電話が通じなかったのか、西野は理解した。西野の直属の上司、それは元警察庁次長の桐生三郎であったが、滝沢が寝返ったのでは言い逃れのしようがない。すでに後ろに手が回っていて、電話に出られなかったのだ。
 薪の言葉を無感動に聞き流し、服部は肩を揺すった。あの小物がどうなろうと服部の知ったことではないが、取り調べで余計なことを喋られたら困る。捕まるくらいなら死んで欲しかった。

 非情なことを考えている服部を見て、薪はやれやれと肩を竦め、
「どうやらあなたも滝沢と同じで、彼のことは利用していたに過ぎないようだ。警察庁次長職にあった男だというのに、何とも哀れな話だ。でも仕方ないですよね、あなたが本当に忠誠を誓っているのは、その上にいる人物ですものね」
 薪の言葉に、服部の顔色が変わる。思わずゴクリと唾を飲み込む服部の目前、美貌の警視長が妖艶に微笑む。
「僕がそこで止まる男だと思いましたか?」

 ハッタリだ、と西野は自分に言い聞かせる。桐生や病院の線から彼に繋がる糸を見つけたとしても、確かな証拠は残されていないはずだ。この手で消去し、確認して回ったのだ。
「観念してください、西野さん。あなたが心酔しているおエライ先生の手にも、今頃は手錠が掛かっているはずです」
 嘘だ、そんなことはあり得ない。西野の雇い主は政界にまで影響を及ぼす法曹界の元重鎮だ。しかも現在は警察庁の監視をする立場にいる。いかに官房長の覚えがめでたくとも、一研究室の室長ごときが手を出せる相手ではない。
 万が一辿り着いたとしても、自分と同じように彼に命を捧げてもいいと考える人間が彼の周りを固めている。連中は、決して彼を敵の手には渡さないはずだ。

「現場の陣頭指揮は岡部に執らせてます。計画の成功を、僕は確信している」
「うそだ。先生は、おまえの手が届くような」
「ええ、とても手が出ませんでした。中園さんにも止められましたよ。でも、今さっき、あなたが証拠をくださった」
「証拠?」
 薪は銃を持っていない方の手をポケットに入れ、中から金属の棒のようなものを取り出した。ボイスレコーダーだ。
 スイッチを押すと、意気揚々と話す自分の声が聞こえた。羽生先生、という呼びかけもしっかり録音されている。盗聴されたということは分かったが、いつそんなものを仕掛けられたのか、まるで見当が付かなかった。

「どうやった?」
「あれ、まだ分からないんですか? いつもいつも自分が騙す立場に回っている人間は、自分が逆の立場になったとき意外なくらい鈍くなるものだって、二課出身の僕の部下が言ってましたけど。本当なんですね」
 薪と言う男は、癇に障る喋り方をする。丁寧な言葉遣いもその美しい笑顔も、皮肉にしか感じられない。これだったら無愛想で口下手な滝沢の方がまだ可愛げがある。
「うまく人を騙すと自分がその相手よりも頭が良くなった気がするけど、勿論それはカンチガイで、でも彼らはその間違いになかなか気づかないんだそうです。自分は利口だから騙されるわけはないと考える。えらく傲慢で愚かな生き物ですね、詐欺師ってのは」
 当てこすられて、西野は奥歯をぎりっと鳴らした。組織の一員であるこの自分を、詐欺師扱いするとは。この男、万死に値する。

「会話が録音されてるんですから、電波を傍受したに決まってるじゃないですか。もちろんあなたの携帯に発信装置は仕込ませてもらいましたけど」
 いつの間に、と言いかけて、西野は今日の夕刻、薪が自分の携帯を取り上げたことを思い出す。あのとき、しかしあれはほんの一瞬のことだった。
「手先は器用でね。と言っても、通信ポートの蓋を取り換えただけですけど」
 西野はポケットの中の携帯を探り、細工されたと思われる部分を指でなぞった。僅かな凹凸、幅は狭いが長さは2センチ弱くらいある。この大きさなら、それは十分可能だろうと思われた。

「小さいけれどスグレものでね、妨害電波も出せる。桐生元次長に電話がつながらないの、ヘンだと思いませんでした? 羽生氏以外の誰に掛けても同じだったはずですけど、そこまでは確認しなかったでしょうね」
 まあ、あれだけ浮かれてればね、と薪はまた余計なことを言い、
「桐生氏と話ができなければ、あなたは羽生氏に連絡を取る可能性が高いと思った。テストで満点取ったらお母さんに報告して、褒めてもらいたいのが人情ですものね」
 小生意気な第九の小僧、と西野の直属の上司は薪を評したが、小僧なんて可愛いもんじゃない。幼い顔をして、中身は警察庁の妖怪どもと同じだ。笑顔で人を欺く。

「小賢しい真似を。先刻の猿芝居といい、おまえのやってることは刑事の仕事じゃない」
「あなたなんかに刑事の道を問われる謂れはありませんよ」
「俺の同志たちが先生を守っている。何があろうと、おまえらなんぞに先生の御身を渡すものか」
「羽生氏の私設部隊については調べがついてますよ。だからこっちも、SATまで借り出さなきゃいけなくなった」
 薪はふっと鼻先で笑い、細い顎を挑発的に上げた。まるでゴミを見るような目つきで西野を見据え、指し棒で人を指すように銃先を揺らすと、
「あなたたちは正式な組織ではない。権力にしがみつく者が金の力で揃えた雑兵に過ぎない。雇い主の力はそれなりに大きいようだが、それでも絶対的ではない。政府や議会を牛耳れるほどの力はない。それどころか、自分の影響力が大きい部署に自分の手下を紛れ込ませるのが精一杯。その程度の輩だ」
 黙れ、なんて五月蠅い男だ。

「昔は法曹界のトップに近い場所に居た。現在は職を退いて、でもその頃の人脈と手に入れた幾つかの秘密を使って、警察や政界から甘い汁を吸い続けている。要は社会のダニだ」
 黙れ、黙れ、黙れ。
「羽生善三郎はそんな男だ」
 ちがう。あの人は。

「あなたの電話が羽生氏の携帯に繋がった時点で、彼の罪は確定した。羽生氏を確保する段取りはとっくについてて、後はもう、本当に証拠だけだったんです。あなたと羽生氏がつながっているという証拠さえ挙がれば」
 薪は言葉を切り、上着のポケットに手を入れて、携帯電話を取り出した。耳元に当ててニヤッと笑う。彼にとっては朗報、西野にとっては地獄の沙汰が届いたようだ。

「1時24分、元東京高等裁判所長官、現国家公安委員、羽生善三郎氏を確保しました。西野さん、ご協力感謝します」
 痛烈な皮肉と共に、薪はその整った顔に美しい笑みを浮かべる。
「ありがとうございました。あなたのおかげです」



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破滅のロンド(22)

破滅のロンド(22)






「それで、双方の被害はどれくらい? え、救急車はたった4台、死者はゼロ? さすが岡部くん、首尾がいいね。君に陣頭指揮を任せて良かったよ」
 お疲れさん、と浮かれた様子で受話器を置いた主席参謀に、小野田は剣呑な視線を注いだ。真夜中の官房室である。
 上司の不興に気付いて中園は、緩み切っていた頬を引き締めた。愛想笑いを浮かべて小野田の机の前に立ち、
「どうやら官房長にはご機嫌斜めのようで。お年を召されて夜更かしは辛くなりましたか」
 と神経を剣山で撫でるような軽口を叩いた。

 目に入れても痛くないほど可愛がっている自分の跡継ぎが、この男に持ち掛けた計画の全容を、小野田は今日初めて知った。海外出張が重なった時期だったせいもあるが、第九に再入庁した男には十分注意してくれと、中園に頼んだのがそもそもの間違いだ。この男は必要だと判断すれば平気で嘘を吐く。薪も薪だ、自分をつんぼ桟敷にして二人でグルになって。

「そう怒るなって」
「のけ者にされて楽しい人間がいると思う?」
「じゃあ聞くけど。この話、最初におまえに話したら」
「止めてたよ! 全力でねっ」
 小野田が一喝すると中園は大げさに後ろにのけぞり、降参するように両手を挙げた。
「だから言わなかったんだよ。薪くんも僕も」

 読んだばかりの報告書の内容を、小野田は忌々しく思い出す。
 6年前、第九研究室で起きた事件の真相と、その裏で糸を引いていたものの存在に関する考察。さらに、その上にいる権力者の存在。
 第九研究室の職員であった上野、豊村は、稀代の殺人鬼貝沼清隆のMRI画像を精査、その影響を多大に受けて発狂、自殺したとされていたが、これは巧妙に仕組まれた殺人であった。実行犯は同研究室の職員であった滝沢幹生。滝沢は元警察庁次長桐生三郎の密命を受け、研究室に潜入。自殺を装って二人を殺害した。
 つまり当該事件は、桐生次長が政敵である小野田聖司官房長の失脚を狙い、彼が設立した第九研究室の不祥事と破壊を目論んだものである。

 事件後、精神病院に収容された滝沢は整形手術を施された別人であることが、当人の湯飲みの指紋から判明している。彼の身元は不明で、いくら探っても桐生次長との関わりは出てこない。ここで薪は、一歩考えを進めた。
 桐生次長の上の更なる存在。その力を借りたのではないか。いや、そもそも桐生を唆してこのような事件を起こさせたのは、その存在ではなかったのか。
 桐生のような小心者に、こんな大それたことができるとも思えなかった。桐生次長が小物であることは、当時警察庁にいたものなら誰でも知っている。官房長に就任したばかりの小野田に今にも次長の座を奪われそうだと、もっぱらの噂であった。そもそも彼が次長職などと言う重要なポストに就けたのは、強力な後ろ盾があったからだ。

 この後ろ盾が、長年法曹界の長を務めた後に国家公安委員会入りしたという大物で、相手取るには少しばかり覚悟がいる。
 その名を、羽生善三郎。生まれながらに財閥の出で、実力財力共に国務大臣である委員長の上を行くと警察庁の内部では囁かれている。実質的に、公安委員会は彼の意のままに動くと思って間違いない。
 どう考えても、相手が悪すぎる。
 国家公安委員会は、警察のお目付け役だ。その公務の内容は、警察庁に対する管理指導、必要があれば監査を行う権限まである。

 委員会と警察庁は密接な関係があり、会の庶務・実務は警察庁が行っている。因って、癒着や委員会の形骸化は当然の帰結である。たった6人きりの委員たちに会務はこなせないとはいえ、管理される立場の組織がそれを為す制度は、癒着を生み出すためのシステムと言い換えてもいいくらいだ。
 桐生三郎は、その典型だった。
 実力的には小野田の足元にも及ばない小物だったくせに、彼が次長職まで昇り詰めたのは、羽生氏の縁故だったからだ。この国は三権分立を掲げながら、裏ではこれ以上ないほどに干渉し合っている。むしろ侵食と言っていい。法曹界の人間が警察庁の人事を左右する、そんな暴挙がまかり通るほどに、警察という組織はその独立性を守れていない。

 警察組織の弱体化に対する憂いはとりあえず脇に置いて、問題は羽生善三郎だ。警察庁の人間がその管理者たる国家公安委員にケンカを吹っかけるなんて、常識で考えてもありえない。が、彼が確実に6年前の事件に関わっていたという証拠が挙がれば話は別だ。
 薪が探し出してきた羽生氏に繋がる糸は、偽りの入院患者やそれを受け入れた病院だけではなかった。もう一つのルートである滝沢に深い関係を持つ人物が二人、事件の1年半年ほど前に死亡しているのを発見したのだ。
 一人は椎名ゆかり。滝沢の恋人だった女性だ。この女性は例の、カニバリズム事件の発端となった飛行機事故で死亡している。そしてもう一人は、滝沢の親友だった男だ。
 彼の名前は西野浩平。I県にある大きな湖沿いの町でひき逃げに遭って死亡した。事件の資料を取り寄せてみて薪は、その杜撰さに驚いた。明らかに何かが隠されている、おそらく滝沢も同じことを考えたに違いない。それで桐生次長の甘言に乗ったのだ。

 しかし、薪はそのひとつ裏を読んだ。
 当時、滝沢がカニバリズム事件について異常なくらいの執着を見せたのは何故か。それは自分の恋人がこの飛行機事故で死んだからだ。恋人の最期を知りたいと、それは遺族として当たり前の感情だろう。ならば、どうして薪にそれを問わなかった? 恋人の写真を見せて、この女性がどのように亡くなったか教えてくれと訊けば済んだはずだ。
 あの日、千葉の倉庫に資料を探しに行ったのも、それが目的だった。自分を地下倉庫に閉じ込めたのも、室長室や自宅を調べる機会を得るためだった。なぜそんな回りくどい真似をしたのか。

 答えは簡単だ。正面から訊いても、答えてくれないと思った。では、何故答えてくれないと思ったのか。事故の真相を薪が隠していると確信していたからだ。

 あの事故は、本当に金属疲労による機体の破損が原因だった。それを薪は自分の眼で見て知っていた。しかし滝沢は、事故原因の隠蔽を頑なに信じていた。それはつまり、滝沢にあの飛行機事故には裏があったと、悪意を持って信じ込ませた者がいたということだ。それは誰か。
 桐生次長か。いや、彼にはそんな器用な真似はできない。第一、滝沢の恋人のことは彼の職場仲間ですら知らなかった。次長がそんな情報を得られたとは思えない。それに、この計画の鍵は第九に潜入した滝沢がどう動くかにかかっている。彼を熟知した人間でないと、この絵図は引けまい。

 滝沢のことをよく知る人間、滝沢が信用している彼に近しい人間。
 彼の唯一の親友、西野浩平しか考えられなかった。

 薪は、当時ひき逃げ事件を担当した所轄の人間を探し出し、警視長の身分証で圧力を掛けて、事件の真相を聞き出した。死んだのは身元の分からないホームレスで、死体検案書もすべて偽造だった。署長の指示だったと彼は言い、しかし署長は既にこの世の人間ではなく、その先は手繰れなかった。

『西野浩平は生きている』

 それこそが、薪が滝沢に囁いた呪文だった。
 呪文の効果で、滝沢は薪の使い魔になった。二人は協力し、いずれ滝沢の命を狙ってやってくるであろう人物を返り討ちにするため、その背後の人間を捕獲するため、大掛かりなコンゲームを展開したのだ。

「ぼくに隠れてこんなことして。おまえも薪くんも始末書だ。明日の夕方までに、いいね」
 憤怒を隠すことなく、小野田は厳しい口調で罰則を申し渡す。本音では降格処分にしてやりたいくらいだ。
「おいおい、警視監と警視長に始末書書かせるのか?」
「書いてもらうよ。上司に何の相談もなく、多数の部署を官房長命令で動かしたんだから」
「ちゃんと報告しただろ」
「よく言うよ、全員配置に付けた後じゃないか。あれは報告じゃなくて事後承諾だろ」
 言葉を飾ることなく小野田が責めると、中園は肩を竦めて唇をすぼめた。この男の洒脱な仕草は、時々張り倒したくなるほど癪に障る。どんなに厳しく叱っても、それを平然と受け流す。反省とか後悔とかいう言葉は、この男の辞書には存在しないのかもしれない。

「薪くんに習ったんだよ。イエスとしか言えないように、外堀を固めてから報告を上げるんだ」
「薪くんはそんな狡すからい真似はしないよ」
「おまえ、騙されてるよ」
 ククッと笑って首席参事官は腕を組んだ。ふと横を向き、そこにいない誰かを見つめるように眼を細めて、
「仕事に関しちゃ大した策士だよ、あの子」
「知ってるよ」
 薪の実力は知っている。わずかな手がかりから真相を見抜く力も、真実に辿り着くためにはどんな労苦にも耐え抜く根性も、自己の危険を顧みない潔さも。だから彼に目を付けた。彼を育てたいと思った、守ってやりたいと思った。

「いいや、おまえは分かってないよ。彼は自分の部下を殺した男と手を組んだんだよ? 並の神経じゃない。信用し過ぎると、そのうち痛い目に」
「そんなことで驚いてるの?」
 中園の軽挙を返すように、小野田は片眉を吊り上げて右肩をそびやかした。中園はまだまだ、薪という人間を知らない。
「あの子は目的を達するためには手段を選ばないんだよ。自分の命すら計画に利用する子が、自分の胸の痛みに頓着すると思う? 
 例え心が張り裂けようと、彼は自分がしなければいけないことをする。守りたいものがあるからだ」

 第九と仲間を守るため。それだけのために、薪は死力を尽くす。どんな恥辱にも耐えられる、どんな苦痛も甘んじて受け入れる、自分が汚れることも厭わない。

「なるほど、それで……ていうか、薪くんのあの弱点、何とかならない?」
 急に憂鬱な表情になって、中園はため息を吐く。薪の弱点はプライベート(恋愛方面限定)だが、また何か?
「裁判の時に滝沢の証言が必要になるから、彼とも話したんだけどさ。青木くんのこと、バレちゃってるみたいだ」
 詐欺のプロを騙すほどにポーカーフェイスも作り話も上手なのに。どうしてそういうことだけは簡単にバレるかな……。

「偏ってるねえ」
 殆ど同時に失笑して、二人の高等幹部は顔を見合わせたのだった。





*****



 ちょこっと補足説明しておきますね。
 国家公安委員会は、こんなにコワイところじゃないです。 わたしが調べた限りでは、警察庁とは仲良しこよしで、すっかり形骸化してるって。 ←それもまた問題では?
 それと、科警研所属の岡部さんがSATの指揮を執るのはあり得ないんですけど~、彼はこの功績で警視正になる予定なので、ここはごり押しで。
 あくまで物語上の設定なので、よろしくご了承ください。



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破滅のロンド(23)

 母の日ですね。
 母親に日頃の感謝を表す日。 愛と慈しみに溢れた一日です。

 そのよき日に、なんでしょう、この話。
 まあ季節感の無さとKYはいつものことなので~、すみません、見逃してください。








破滅のロンド(23)





「ありがとうございました。あなたのおかげです」

 この世のものとも思えぬほどに美しい顔で、彼は西野に礼を言った。
 すべてが明るみに出た今、自分の取るべき行動は定まった。西野はポケットに潜ませた手にぎゅっと力を入れて、奥歯を噛み締めた。

「罪状はとりあえず、病院の院長の自白が得られた診断書偽証教唆ですが。桐生や他の財界人の取調べが始まれば、腐るほど出てくると」
 突然の破裂音に、薪は反射的に眼をつむった。至近距離で聞いた銃声は薪の鼓膜を激しく震わせ、薪は思わず携帯を取り落した。かろうじて銃は手放さなかったが、そのことにあまり意味はなかった。血にまみれた男の体がこちらに倒れ込んできたからだ。

「た、滝沢……」
 滝沢の体に付いた血液が、薪の手を濡らす。今度は輸血用の血液ではない。

 重みに耐えきれず、薪は滝沢と一緒にその場に倒れ込んだ。その情けない姿に向けて、西野はポケットから出した銃を構える。
「形成逆転だな」
「こんなことをしても無駄だぞ。羽生氏は逮捕され、っ!」
 再びの銃声。薪の舌は上顎に張り付いて、悲鳴すら上げられなかった。
「羽生先生はおまえが言うような人間じゃない。死んで先生に詫びろ」

 二発目は威嚇だったが、三発目の銃口はぴったりと薪の額に向けられていた。薪がぎゅ、と唇を噛んだその瞬間。
 一発の銃声が轟き、西野の拳銃が弾き飛ばされた。飛来した弾丸は西野の右手の甲を撃ちぬき、西野は自分の手を押さえてその場にうずくまった。

 芝生の上を滑って行く拳銃に駆け寄り、それを取り上げたのは薪のボディガードだった。彼は二つの銃を片手で持ち、薪の傍らに寄って滝沢の体を慎重に持ち上げた。薪が滝沢の背中に銃創を見つけ、そこにハンカチを押し当てる。圧力が加わって、滝沢がうっと呻いた。携帯で救急車の手配をした後、青木はすまなそうに、
「すみません、ポケットに手を入れたままで銃を撃つとは思わなくて」
「どうしておまえが此処にいるんだ。岡部の応援に回るよう命じたはず」
 青木を見て、薪は言葉を飲み込んだ。青木は真っ青になって震えていた。

「すみません」
 青木はもう一度謝り、薪に向かって深く頭を下げた。緊張の汗が彼の額を濡らし、数本落ちた前髪を貼りつかせていた。
「オレ、人に向けて銃を撃ったの、初めてだったんです。こんなに怖いものだと思わなかった」
「銃ってのは元々人を殺すための道具だ。怖くて当たり前だ」
 薪は諭すように言い、青木の眼をじっと見つめた。青木は薪の瞳に何かを、薪自身にさえ見つけられない何かを見つけ出し、ふっと肩の力を抜いた。

「西野浩平を連行します」
 青木は立ち上がり、西野の逮捕に向かった。西野は芝生の上に放心したように座っており、抵抗する気力もないようだった。青木が彼の腕を取り、歩くよう促すと、素直に彼に着き従い、その場を離れて行った。

 薪はネクタイを解いて、止血用のハンカチの上に更に押し当てた。元々付いていたフェイクの血と混じって、どれくらいの深手なのか判断ができない。
「だから言っただろう。茶番はほどほどにしておけって」
「喋るな。けっこうな出血だぞ。まあ、おまえがこのくらいでくたばるとは思わんが」
 言葉を発せるくらい滝沢の意識が確かであることに安堵して、薪はようやく憎まれ口を叩くことができた。
 もう、誰の死も見たくはない。それが例え大切な仲間を殺した罪深き男であろうと。

「そんな顔しなくていい。おまえがおれを殺したいくらい憎んでることは知ってるさ。おまえと鈴木が創った第九を潰したのはおれだからな」
「おまえだって、僕を殺したかったんだろう。彼女が死んだ本当の理由を知るために、僕の脳を見たかったはずだ。なのに、どうして僕を庇った?」
 滝沢は西野がポケットに銃を隠し持っていることも、躊躇なく引き金を引くことも知っていた。滝沢が足を踏み入れてしまった世界では、それが普通だからだ。薪に予測できなかったのも無理はない。それは薪には想像がつかない世界であり、知って欲しくない世界だった。
「おれはいいんだ。やっとゆかりが笑ってくれたから」
「そうか。よかったな」

 ふ、と頬を緩める薪の甘さを、滝沢は嘲笑う。
 そうだ。おまえは一生甘ちゃんやってろ。おまえが甘ちゃんのままで生きられるように、おれが蛇を退治しておいてやる。

 瞬間、滝沢の大きな拳が素早く動き、薪の腹にのめり込んだ。
「……っ、た……」
 鳩尾に入れた拳をさらに押し込むと、薪は身体を二つに折って意識を失った。気絶した薪を丁寧に芝生の上に押しのべて、滝沢は彼の腰の辺りを探り、ホルダーにしまわれた自分の銃を取り戻した。
 当然のことだが、薪は滝沢のことを完全に信用したわけではなかった。だから銃も取り上げられた。これが手元にあれば、自分の身体を盾にするなんて鈍くさい真似をせずに済んだのに。

 疲れて寝ころんだ子供の様に芝上に手足を投げ出す薪に、自分の上着を掛けてやる。滝沢の上着は血で汚れて見るも無残な有様だったが、無いよりはマシだろう。乱れた髪を整え、頬に付いた血を拭い、息が苦しくないようにワイシャツの一番上のボタンを外す。
「悪いな、薪。これはもともと、おれのヤマなんだ」
 最後に、薪のスーツの襟裏についている発信機のスイッチをオンにして、滝沢は立ち上がった。
「自分の始末は自分でつける」



 

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破滅のロンド(24)

 おはようございますっ。

 今日は人間ドックなんですよ。 
 5/1の予定だったんですけど、旅行から帰ったら組内のお葬式があって、延期してたのが今日。
 イヤだなあ、胃の検査したくない~、肩に注射するの、痛いしー。 台の上で回るのはいいとして、バリウム飲むのがイヤ。 だってアレ、牛乳みたいな色してるし(しづは牛乳が超苦手)、温くておいしくないし、量が多過ぎていつも全部飲めません(><)
 みなさんはバリウム平気ですか?


 わたしのことはどうでもいいとして、事件の方はやっと決着つきました。
 終章まであと4章、宜しくお付き合いください。
 
 




破滅のロンド(24)






 薪はその報告を、青木から聞いた。西野を連行して行った青木は、その一部始終を見ていたのだ。
「西野は銃を2丁持っていました」
 最初からそのつもりだったのだろう。若い青木なら隙多しと見て、わざと素直に連行される振りをした。
「滝沢さんが助けてくれなかったら、オレも今ごろ……」



***



 西野を警備部に連行するように指示を受けていた青木は、彼の左腕をがっちり掴んだまま、科警研の中庭を歩いていた。西野に手錠を掛けなかったのは、彼に逃げる様子が無かったことと、彼が右手に怪我をしていたからだ。彼の右手に血を流させたのは自分だと思うと、青木はこれ以上の苦痛を彼に与えることができなかった。
 足を引きずるように歩いていた西野は、うう、と呻いてそっと右手の甲を押さえた。そこには青木が巻いてやったハンカチが、滴る程の赤い血を含んでその色を染め変えていた。

「痛みますか。先に、救急の先生に診ていただいた方がいいですか」
 西野は大事な身体だ。彼にはこの後、検察側の証人として羽生の有罪を確定させる証言をしてもらわなければならない。羽生の下で数々の悪事に手を染めてきたと思われる西野の証言は、とても重要だ。
「やさしいねえ、青木くんは。ありがとう。でも、それより先に行かなきゃいけないところがあるんだ」
「え? あ、ちょっとすみません」
 ポケットに入れておいた受信機が音を立て、青木の注意はそちらに向けられた。この受信機は、薪の救難信号を受信するためのものだ。しかし、いま薪には滝沢がついているはず。誤作動の可能性が高いが、念のため確認しておきたい。

「すみません、薪さんに電話を、――っ!」
 いきなり腹を固いもので殴られて、青木はその場に膝をついた。込み上げてきた胃液にえづいていると、頭に銃口が付きつけられた。どうやら青木を殴ったのは、この銃尻らしい。
「服部、いえ、西野さん!」
 西野の中ではすべてが終わった、と青木は思っていた。まさか彼が、こんな行動に出るとは予想していなかった。
「これ以上、罪を重ねないでください。あなたは羽生氏に唆されただけなんでしょう? 罪を償って、これからの人生を、ひっ!!」
 耳元で銃声が轟き、青木の脳はその音量に痺れた。射撃訓練の時は、必ず耳にガードを付ける。実戦ではそれもないのだ、と本物と模擬の違いを改めて教えられ、青木は固まった。
 怖い。怖くて動けない。

「勝手におれの人生を語るなよ。唆されてなんかいない、おれはおれの意志でここに立ってるんだ」
 西野の言うことは、青木には信じられなかった。親にもらった顔を変え、友を裏切り仲間を殺し、自分の存在を殺してまで、闇で汚れ仕事を続ける人生を? 自ら望んで?
「どうして」
「世の中にはな、おれみたいな仕事をする人間が必要なんだよ」
 青木の疑問に西野は平然と答え、両手で銃を握り直した。
「羽生先生は、おまえらみたいな腐った警察官僚を撲滅するために尽力なさってるんだ。おまえら第九の人間は室長ともども官房長の小野田に傾倒しているみたいだけどな、知ってるのか? あいつが官房長になるために、これまで何をやってきたのか。そのために代議士の娘と結婚して、警察と議会に利権と金を通すぶっ太いパイプを作っちまったんだぞ。第九は謂わば、その象徴だ」

 憎々しげに歪んだ西野の眼には、一片の迷いもなく。怒りで濁ることも後悔で淀むこともない、それはいっそ清冽なまでの輝きだった。こんな瞳をどこかで見たことがあると、それは青木にとってとても好ましい輝きだったことを、青木は疼くような感情と共に思い出す。
 事件解決に向けて形振り構わず少々の反則には目をつぶる、人命を守るためには手段を選ばない。青木の尊敬する上司が捜査に挑むとき、いつもこんな眼をしている。
 彼もまた、自分の信念に従って生きている。

「小野田は警察を腐敗させている。あいつには天誅が下るべきだ。それに付き従うおまえたちにもな」
 青木はようやく、自分の勘違いに気付いた。羽生と言う男と西野は、雇用者と非雇用者の関係ではなく、同志だったのだ。利用されただけの滝沢とは立場がちがう。彼を危うくする証言など、するはずがなかったのだ。
「おれはこれから小野田を殺しに行く。その前に中園だ、あいつが小野田を肥え太らせた張本人だからな。いや、その前に」
 冷酷な声と共に、銃口が青木の頭にあてがわれた。
「おまえだな」
 青木はぎゅっと眼をつむった。自分はここで死ぬのだ。

 最後に薪のことを思い出そうとして、それが為せないことに驚いた。死ぬ直前には絶対に薪剛オンリー総天然色肌色多めの走馬灯が回るものだと思っていたのに。いざとなると頭の中は真っ白になって、薪のマの字も浮かんでこない。人間の生に執着する本能は思いのほか大きくて青木は、「あなたのためなら死んでもいい」などと口にすることはできても、現実にはそう簡単にできることではないのだと思い知った。

 つうっと頬を流れる冷たい汗が顎から芝の上に滴り落ちた時、青木は二度目の銃声を聞いた。
 続いて、どさっという物音。自分の体が倒れた音かと思ったが違った。青木は地面に正座したままだった。恐怖でカチカチと音を立てる口元から、ハッハッ、と短い呼吸がこぼれている。自分はまだ、生きている。

「寝てるのか?」
 ぎこちなく首を回し、視線を上げるとそこには尊大な新人が立っていた。
「滝沢さん……あっ?! 西野さん!」
 地面を見ると、西野が倒れていた。胸から血が流れている。
「西野さん、しっかりしてください! 西野さん!」
 青木は西野の耳元に口を近付けて、大声で呼びかけた。銀縁眼鏡が外れて、薄い目蓋が閉じられていた。細い眉は僅かな苦悶を浮かべ、しかしそれが痛苦によるものなのか断ぜられた志の無念さによるものなのか、青木には判別がつかなかった。

「西野さん、目を覚ましてください! どんなに高尚な理念をもってしても、羽生氏がやってきたのは悪いことです。あなたは彼のしてきたことについて、法廷で証言してください。生きて、真実を」
「無駄だ。もう死んでる」
 滝沢の手が西野の首に当てられ、残酷な事実が告げられた。先刻、青木が滝沢にしたことを今度は滝沢が為して、でもこれは芝居じゃない。青木は自分でも手を伸ばし、西野の首に触れてみた。そこには無機質な静かさだけがあって、青木は叫ばずにはいられなかった。

「滝沢さん、どうして!」
「撃たなきゃおまえが死んでたぞ」
 滝沢に当たるのは筋違いだ。滝沢は自分の命を救ってくれたのだ。感謝すべきだった、でもできなかった。何もかも自分の未熟が原因なのに、それを認められない自分に腹が立った。

「……親友だからな」

 滝沢の呟きに耳を塞いで、青木は唇を噛んだ。青木の視界の隅で、滝沢はいつもの尊大な頬に微かな憂いを浮かべ、西の空へ移ろい行く月を仰ぎ見た――――。



***



「すみません……オレのせいで、大事な証人を死なせてしまいました」
「僕の責任だ」
 病院のベッドに座ったまま、薪は静かに言った。
 薪は患者衣を着ていた。気を失っているところを警備部の人間に発見されて、病院に運ばれた。薪の救難信号は、官房室でも受信できるようになっている。警備部に連絡を取ってくれたのは中園だった。
「予想すべきことだった。僕の手落ちだ」
 あの時薪は、西野に撃たれた滝沢のことで手一杯だった。目の前の、失われるかもしれない命に心が囚われて、判断を誤った。
 薪はそんな自分が許せないようですらあったが、青木には薪の行動は当然のことに思えた。誰かが自分を庇って銃弾に倒れたら、その人の安否以外のことをどうして考えられるだろう。人間ならそれが当たり前だと青木は思い、それでも自分を責める薪の厳しさに切なくなった。薪は多くの人間に対して優しくなれるのに、どうして自分にだけはそれができないのだろう。

「滝沢の様子は?」
「それが、思ったより傷が深くて」
 薪が収容された病院のオペ室で、滝沢の緊急手術が行われていた。病院に運び込まれた時、彼は虫の息だった。
「動いたものだから、出血も」
 薪が発見された場所から西野が死んだ場所へと至る道は、万遍なく滝沢の血を吸いこんでいた。滝沢は、激痛に耐えながら連行される親友を追った。西野が何を考えているのか、彼にはきっと分かっていた。
 止めるには、ああするしかなかった。

「滝沢さん、オレに『このまま死なせてくれ』って」
 多量の出血による貧血で、滝沢は意識を失いながらも、救護班を呼ぶ青木の携帯を取り上げようとした。余計なことはするな、やっと終わりにできるんだ、と呟いて、気を失った。青木がいくら呼びかけても、滝沢は答えなかった。
「恋人が事故で死んで、それを長年の親友に利用されて騙されて。殺人まで犯して、最後にはその手で親友を殺してしまった」
 そんな凄惨な人生に、人は耐えられるのだろうか。青木には想像も付かなかった。滝沢の絶望が、悲しみが、痛みが憎悪が。事件被害者の無念と同じくらいの切なさで、青木の胸に迫ってきた。
「オレ、滝沢さんが可哀想で」

「何を甘っちょろいこと言ってんだ。おまえはそれでも警察官か」
 薪は下半身を覆っていた毛布を払い、ベッドから降りた。患者衣の紐を解き、サイドスペースに置いてあった新しいワイシャツに着替える。
「犯罪者は捕まえて、法の裁きを受けさせる。それが僕たちの仕事だ」
 青木が第九のロッカーから持って来ておいたスーツに袖を通し、紺青色のネクタイをきりりと締める。スーツの襟を両手で正して、薪はしゃんと背中を伸ばした。

「何が『やっと終わりにできた』だ。あいつは僕の部下を二人も殺した男だぞ。満足した死なんか与えてやるものか」
 苦々しく吐き捨てると、彼は病室を出て行った。
 薪は法を犯した者には厳しい。彼の主張は明確で、どんな事情があろうと殺人は殺人、罪は罪。だから彼は、いつまでも自分に厳しい。

 俯くと、薪の靴が目に入った。急いて履き替えるのを忘れたのか、外に出るなら必要だろう、と靴に手を伸ばせば、その横には病院のスリッパが。裸足で駆けて行ったのか。どんだけ急いでたんだ、あのひと。
 慌てて後を追うと、ナースステーションでオペ室の場所を尋ねる彼の姿。青木は苦笑して薪の隣に立ち、彼の足元にスリッパを置いた。



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破滅のロンド(25)

 いつまでも、ウジウジしてちゃいけないなって思いました。 
 たくさんの方に慰めてもらって、
 メールで愚痴を聞いてもらって、色んな方のブログでぶーたれて、
 気が付いたら他人様にいっぱい迷惑掛けてました。 ごめんなさい。 

 色々な方と話をして、『秘密』がハッピーエンドだったことを喜びをもって感じられるようになったし、青薪的にも明るい要素はたくさんあるって分かったし、
 ほどほど前向きに(笑)エピローグを待てそうです。

 本当に、ありがとうございました。

 実はこの話、原作薪さんの意に副わないSSになってしまったので、この駄文の山、どうしよう、と途方に暮れていたのですけど。(個人的な解釈です。「結婚しろ」は本心ではなく、薪さんは本当は青木さんのことを心から求めているとお思いの方は、ご自分の考えを大事にしてくださいね)
「帰ってきてね」「これからもブログ続けてね」と何人もの方に励ましてもらって、「このブログはまだ存続してもいいんだよ」と言っていただいたような気分になりました。
 
 みなさんのおかげで、わたしは今日、此処に居ることができます。

 お礼に、SS書きますねっ。
 思いっきり明るいやつ。
 原作薪さんがああいう決断をした以上、うちの話はもはや二次創作とは言えないのかもしれませんが、お礼代わりに書かせてください。 わたし、これしかできないから。
(感謝の気持ちは目いっぱい込めますが、作品の良し悪しはまた別なので~、あんまり期待しないで~~)
 


 ではでは、お話の続きです。
 よろしくお願いします。













 破滅のロンド(25)






 羽生善三郎氏逮捕の報道は、日本中を駆け巡った。
 彼の経歴は様々なメディアで取り沙汰され、その私設部隊が行ってきた凶行が白日の下に晒された。彼の一派に与していた者、彼から何らかの恩恵を受け取っていた者は次々と捕縛され、逮捕者リストには多数の財界人が名を連ねた。
 その中には、小野田と敵対する警察庁次長、間宮重蔵の首席秘書官も含まれていた。明らかに次長の身代わりと思われたが、そこはさすがに次長職に就いた者の力か、それ以上の追求は為されなかった。また、小野田派にとってはそれで充分だった。トップの身をかろうじて守ったとはいえ、彼らの勢力が大幅に削がれたことは確実であった。

「あのタヌキおやじがいなくなって、大分やりやすくなった。めでたいね」
「中園さん」
 当然、この成果にご満悦の中園が嬉々として薪に同意を促すのに、薪は厳しい顔つきで答えた。
「人が一人、死んでます」

 西野浩平が死んだことは、薪には誤算であり、取り返しの付かない失敗だった。誰の命も失われず、この計画は完遂されなければならなかった。その勝算があったからこそ、薪は実行に踏み切ったのに。
 この計画は、失敗だ。

 悔しさにくちびるを噛む薪の耳に、中園の軽快な声が聞こえた。
「それがなに?」
 思わず、薪は眼を瞠った。中園の顔には失われた命に対する一縷の哀悼も見られず。西野浩平という男は中園にとっては人格すら持たない、死亡者欄に記載された数字だけの存在であると、その事実に薪は打ちのめされる。
「これは失礼した」
 中園は、薪の憤慨と悲嘆を嘲笑うかのように、あるいはそんな些事に拘るようでは大事は為せないと窘めるように、にっこり笑って薪の傷を抉った。
「たった一人しか死ななかった。優秀だねえ、薪くんは」
「中園さん!」
「もともと君が言い出したんだよ? 僕は君に協力しただけだ」
 責めるような口調で呼びかけた薪の声に、返された中園の言葉は正当過ぎて、薪は何も言えなくなった。中園の言うとおりだ。これは自分が計画し、実行するに当たって彼に協力を頼んだもの。しかも、中園が担当した羽生陣営の捕縛に於いては、多少の怪我人は出たものの死んだ人間は一人もいない。ミスをしたのは薪だけだ。

「失礼します」
 薪は一瞬で表情を消し、報告書のファイルと中園に借りた二丁のモデルガンを彼の机に置いて一礼した。
「僕が貸したものは役に立った?」
「ええ、3つとも。特に3番目の秘密兵器は有能でした。西野の人物像を正確に測れたのは、彼の功績です」
「じゃ、約束どおり、彼は第九に配属させるよ」
「お願いします」

 背筋を伸ばし、昂然と頭を上げて首席参事官の居室を後にする。その背中には悔恨も責念も無い。清廉で潔い、いつもの彼だった。
 あの切り替えの速さは高評価だな、と中園はほくそ笑み、部下が置いて行った報告書に手を伸ばした。が、中園が内容を確認している最中にも、ゴツッ、と壁を殴る音が聞こえてきて、小野田陣営の首席参謀は苦く笑う。

「まだまだだねえ」
 中園は呟き、読み終えた報告書にライターで火を点けた。




*****

 ちょっと私信です。

 まゆさん。
 中園のイメージ、伊武さんでは年齢的にもちょっと、とわたしも思いました。(^^;
 わたし、本当に俳優さんに明るくなくて、芸能人の誰と誰が付き合ってるだの結婚しただの二世が誰だのって、まったく分からなくて。
 でね、オットに中園の性格を説明したら(性癖ではない) 大杉蓮さんはどうかって。
 いかがでしょう?

 

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破滅のロンド(26)

 事件も終わりまして、お話は終焉に入ります。 (メロディ用語でクライマックスとも言う。(笑))
 次で最終章です。
 長くてごめんなさい、もうちょっと我慢して、よろしくお付き合いください。





破滅のロンド(26)






 ジリジリと背中を焼く痛みに、滝沢は目覚めた。いつものクセで眼を開けずに周囲の気配を探り、それは自分には既に必要のない習性であったことを思い出す。無造作に目蓋を開けると、白い壁に薄緑色のカーテンという病室の景色が広がっていた。

 また、生き残ってしまった。

 異国の地で毎朝目覚めるたびに、同じ事を思った。今日もおれは生きている。どうして生きているのだろう、否、ただ死んでいないというだけだ、まだ死んでいない、それだけだ。

 ―――― ゆかり。

 滝沢は心の中で、喪くした恋人の名前を小さく呟く。
 薪を庇って銃弾を受けた瞬間、彼女が笑ってくれたような気がした。やっとわたしのところに来てくれるのね、そういう意味だと思った。なのに。
 彼女の期待を、また自分は裏切ってしまった。申し訳なくて、彼女の顔を思い浮かべることもできない。

「あ……薪さん! 滝沢さんが気付きました!」
 滝沢のすぐ横には、日本人にしてはとても背の高い男が座っていて、滝沢が目を開けると同時に興奮した声で、窓際の手すりに腰掛けて何やら小難しそうな本を読んでいる男に呼びかけた。それは病室で出すにはいささか大き過ぎる声で、しかし彼の気持ちを考えれば致し方なかった。レンズ越しの彼の眼の下には、うっすらとクマができている。滝沢の身を案じて、昨夜は眠れなかったのだろう。

「滝沢さん、分かりますか? 傷は痛みませんか?」
「助けるなと言っただろう」
 彼の心配を理解したうえで、滝沢はそれを邪険に切り捨てた。照れや気恥ずかしさからではなく、本当に余計なことをしてくれたと思った。

「すみません。でも」
「謝る事なんかないぞ、青木。僕だって同じことをしたさ」
 ぱたりと本を閉じ、こちらに向かってツカツカと歩いてくる薪を見て、滝沢は怪訝な顔をする。青木の行為は人として当たり前のことだと、警察官として褒められることをしたのだと、そういう意味合いの弁護にしては、薪の口調と表情はあまりにも憎々しかった。

「今ここでおまえが哀れっぽく命乞いするなら踏みつけにして殺してやるけど。死なせろってほざくようだったら迷わず医者を呼ぶ。僕が自ら24時間体制で看護してやる」
 すっと人差し指を立て、綺麗な爪先で不躾に滝沢を指して、
「おまえの望みなんか、何一つ叶えてやるか」

 そう吐き捨てた薪の顔には、普段の取り澄ました表情は何処にもなく。覆うものの何もない剥き出しの彼が、彼本来の鮮烈な輝きを持って息づいていた。
 見誤っていたのか、と滝沢はため息と共に眼を閉じる。
 6年前、先入観が滝沢の眼を曇らせた。親友から得た情報を、疑いもしなかった。薪の人間性を知る前に、事件について考え過ぎてしまった。狭められた視野の中に、本当の彼は映らなかった。
 すべては、自分の未熟さゆえか。

 滝沢は眼を開けた。新しい眼で、彼らを見直した。薪は真っ直ぐに滝沢を見つめ、若い捜査官は俯いて何やらブツブツと呟いている。
「薪さんの24時間看護……う、羨まし…… あ、薪さん、オレも何だかお腹が痛くなって」
「そうか。じゃ、看護に岡部を呼ぼう」
「治りました」
 昨日の今日で、もうこんな冗談が言える彼らのタフさに、滝沢は呆れる。
 こいつらの精神構造はおかしい。あんなに大変なことがあったのに。自分たちも、一つ間違えば死ぬところだったのに。一夜明けたら何事もなかったかのように平気な顔をして、いつものように惚けた会話を交わして。

「…………ははははっ!」
 あんまり呆れたものだから、つい笑ってしまった。笑ったら背中に響いて、焼け付くような痛みが錐で抉られるような痛みに変化したが、震えだした横隔膜は直ぐには止められなかった。
「っ、痛つっ、はははっ」
「おまえ、笑えるんだな」
 横柄に腕を組み、上から見下すような目線で薪が呟いた。侮蔑の視線を受けて、滝沢は笑いを収める。
「笑い方なんか、忘れたよ」
「そんなことはない。ちゃんと笑ってたよ」

 昨日、友人を殺したばかりなのによく笑えるな、と責められている気がした。
 ――― 薪の言うとおりだ。笑うことなんか、おれには許されない。

 再び無表情になって天井に眼を据える滝沢のベッドの縁に、薪は腰を下ろした。ちらりとそちらに眼をやると、彼のきれいな横顔に続く優雅な首と細い肩のライン、そしてそこから伸びる形の良い腕の曲線が薄いシャツに透けて見えた。

「罪じゃない」
 真っ直ぐ通った鼻筋に見惚れていると、その下のくちびるが動いて、やわらかい息が吐き出された。アルトの声は温かさを含み、滝沢はそれが自分に対して向けられたものだということに疑問を抱いた。
「笑えるのは、悪いことじゃない。人間はそういう風にできてるんだ」

 長い睫毛が伏せられ、彼の瞳は奥ゆかしく仕舞われた。警察病院の安っぽい蛍光灯のせいか、薄い目蓋は青みがかって、でもその頬は薔薇色に透き通っている。

「大事なひとを亡くして。許されない罪まで犯して」
 薪がわずかに首を右側に傾けたので、滝沢からは彼の顔が全く見えなくなった。視界に残ったのは彼の白い首筋と、それを絶妙なバランスで彩る亜麻色の頭髪。毛先まで光沢のある彼の髪は、空調の微細な流れを拾っているのか微かに震えているように見えた。

「心が死んだようになって、本当に死んでしまいたいと思い続けて。それでもいつか」
 薪は顔を上げた。
 強い瞳で空を睨み、キッパリした口調で言い切った。
「人は、笑えるようになるんだ」
 滝沢は眼を瞠った。6年前の姿からは想像も付かない彼の言葉に、自分は夢を見ているのかとすら思った。

「失っても失いっぱなしじゃない。必ず戻ってくる。完全に同じものは戻ってこないけど、同じくらい大切なものは戻ってくる」
 それは多分に自分に言い聞かせる口調ではあったけれども、彼が本心からそれを信じようとしていることは解った。彼がその人生で失くしたもの、取り返したもの、戻りきらないもの、新たに得たもの。
 姿かたちは違っても、自分を取り巻く大切なそれらを、彼は守り続ける。
「生きてさえいれば、必ず」
 ぎゅ、とくちびるを引き結び、見えない誰かを睨むようなその眼差しは、怒っているようでもあり、何かに挑むようでもあった。

 同じ愛する人を喪った者同士、でも6年経った今、薪と自分はあまりにも違う。

 彼が眩しくも感じられて滝沢はふいと横に眼を逸らし、彼を慈しむように包み込む視線に出会う。節度を保って離れた場所から慎ましく彼に注がれるその視線は、かつて彼を包んでいたものと似て非なるもの。けれどもその発祥は間違いなく同一の感情からなる一つの希求。
 彼を守りたい。

「生憎だが。おれにはそんな日は、永遠に訪れない。おまえとは過ごしてきた環境が違うんだ。おれの中には何も残っちゃいない」
 薪が羨ましいとは思わない。差し伸べられた手があったとして、自分がそれを受け取ったかどうかは甚だ疑問だ。滝沢にはどうしても、明日に希望を抱く自分の姿が想像できない。

「あの土壇場で」
 薪はひょいと肩越しに滝沢を振り向き、片頬を歪めて皮肉に笑った。亜麻色の髪がさらりと流れ、光の粒がキラキラと飛び散る。
「どうしておまえが急に、あんな打ち合わせに無いことを始めたのか不思議だったんだ。でも、途中で分かった。僕がおまえの立場だったら同じ事をしたかもしれない」
 皮肉な口元と、やさしい瞳がアンバランスだった。けぶるように繁った睫毛のせいか、緩やかに垂れた眦のせいか、彼はとてもやさしい人間に見えた。
「それが残っていれば大丈夫だ」
「また、誰かを愛せるようになるとでも?」
 頷く代わりに、薪は不遜に笑った。自分が信じることをおまえも信じろと、それはひどく勝手な言い分だと滝沢は思った。誰もがおまえのように身も心も自分に捧げてくれる誰かを得られるわけではないのだと、思い知らせてもやりたくて、でも逆にこのままそのお気楽な考えを貫かせてやりたくもあって、滝沢は自分の身の振り方に迷う。
 結局滝沢はいつも通り、薪の嫌がりそうな言動を取ることにした。

「おまえのようにか。なるほど?」
 薪の気を引く為、不自然に語尾を上げる。意味あり気に二人を交互に見ると、薪のポーカーフェイスには忽ちヒビが入る。
「ぼ、僕はっ、別に好きな人なんて! こ、こいつのことは、そのっ、つまり、お、おまえの誤解だ!」
「おまえの恋の相手が青木一行だなんて、おれは一言も言ってないが」
「う」
 両手で口を押さえるが、もう遅い。というか、気付かれていないと思っていた時点で終わってる。
「相変わらず分かり易いやつだな」
 滝沢は、しれっと薪の恋愛スキルの低さを指摘した。『相変わらず』という言葉には無論、鈴木の時もバレバレだったぞ、との揶揄も含まれている。察しの良い薪には当然そのことも分かって、だから彼はますます焦った顔になる。

「まあ、本人から聞いてたけどな」
 きょとん、と目を丸くした薪に、滝沢は警察手帳に懸けて誓った誓いをアッサリと破った。薪との関係を青木に聞かれて、身体の関係を持っていたと嘘を吐いたことだ。
「なんだってそんな嘘を……おまえ、まさか信じたわけじゃないだろうな?」
 僅かな不安を滲ませて、薪が青木を振り返る。青木はにっこりと笑って、薪の懸念を払拭した。
「もちろんです。薪さんを疑ったりしません」

 あの時も思ったが、どうして青木を騙せなかったのか、滝沢には不思議だった。鈴木のときは上手く行ったのに、この男は鈴木よりも御し易しと踏んでいたのに、青木は滝沢の嘘に微塵の動揺も見せなかった。
「どうしてだ? おれに確かめたと言うことは、疑いを持ったからだろう?」
「簡単です。滝沢さんが、薪さんが関係していた男は何人もいる。ベッドの中ではすごかった、って言ったから。それ、薪さんには絶対に無理だなって」
「なんでいっつも真偽の判断基準がそこなんだっ!!」
 薪は弾かれたように立ち上がり、長身の恋人に向かって食って掛かる。よっぽどアタマにきたらしい。

 青木は薪の剣幕を苦笑いで受け止めて、それからまだ意味が分からない顔をしている滝沢に向かって、
「あ、あのですね、薪さんて顔に似合わずそっちの方はてんでダメで。付き合い始めた頃なんてマグロどころか冷凍マグロ状態で」
「ほーう」
「痛がるばっかで全然先に進まなくて、苦労したのなんのって、ぐほっ!!」
「それ以上一言でも喋ってみろ。ICU送りにしてやるぞ」
「すいません、滝沢さん……医者を呼んでください……」
 さぞ華やかな恋愛遍歴を重ねてきたに違いないと誰もが想像するであろう麗しの室長の、情けない暴露話に噴き出しそうになるのを必死で堪え、滝沢は深呼吸をした。もう一度、あの錐を打ち込まれたような痛みを味わうのはごめん被りたい。

「薪」
 呼びかけると、薪はいくらか紅潮の残る頬で滝沢を振り向いた。ケンカなら買ってやるぞ、とでも言いたげに、亜麻色の瞳が好戦的にくるめく。
「おまえ、おれのことを許す気か」
 滝沢は訊いたが、そんな可能性がないことは分かりきっていた。でも、聞きたかった。先刻からずっと他愛もない冗談ばかりで、一向に滝沢の罪を責めようとしない薪の本音を。彼の真実を聞いておきたかった。
「誰が許すか。この人殺しが」
 予想通りの冷たい言葉が返ってきて、滝沢は安堵した。それでいい。許すなんて言われたら、窓から飛び降りなきゃいけないところだった。

「じゃあ、どうして助けた」
 決まっている。死ぬより生きるほうが苦しいからだ。精神的にも肉体的にも、死んだほうが楽だからだ。
 刑務所に入った警官が同房の囚人達にどんな目に遭わされるか、滝沢にも解っている。自分の手を汚すまでも無い、警察に恨みを持つ犯罪者たちに嬲り殺されればいい。きっと薪も、それを期待しているのだろう。
 そんな意味合いのことを言われると思った。が、返って来た答えは、滝沢の予想とはまるで違っていた。
「第九から殉職者は二度と出さない。それだけだ」

「……くははっ! やっぱりおまえは面白いよ」
 堪えきれず、滝沢は笑った。背中の奥がものすごく痛むが、この痛みは時間と共に薄れていく。そう思うと、痛苦が貴重なものであるような気さえした。
 痛みを感じるということは、生きているということだ。

「あの、滝沢さん。これ、使ってください」
 痛みのせいで浮かんだ涙を拭っていると、青木が自分の鞄から何やら取り出して、滝沢の目の前に持ってきた。それは陶器製のコーヒーカップだった。取っ手のところに、寄り目になって舌を出したパンダが付いている。
「滝沢さんが用意してくれないから、オレが買ってきました。滝沢さんのイメージに合わせたつもりなんですけど、どうです? 気に入ってくれました?」
「カンベンしてやってくれ。こいつ、悪気はないんだ。バカなだけで」
 何と返していいものか見当もつかない滝沢の横で、薪が額に手を当てる。滝沢は少し考えて、青木に礼をすることにした。
「ありがとう。お礼に、いいことを教えてやろう」

 人差し指を鍵の形に曲げ、くいくいと青木を呼ぶ。顔を近付けてきた青木に、そっとあることを耳打ちした。それを聞いて青木はひどく難しい顔になったが、直ぐにキッパリとした声音で「させません」と宣言した。
 それを聞いて滝沢はニヤニヤ笑い、薪は怪訝な顔になった。何だ? と薪が聞いたとき、病室のドアが開いて巡回の看護師が入ってきた。それを機に病室を出て行く二人を見送りつつ、このあと彼らの間で交わされるであろう会話を想像し、滝沢はもう一度、笑った。




*****


 と言うことで、うちの滝沢さんは生き残っちゃいました。
 このお話は4月号を読む前に書いたので、原作で滝沢さんが生きてるうちに彼が死ぬ話を書くわけにもいかなかったんですけどね☆

 4月号で「第九から殉職者は出さない」と言う薪さんのセリフが、創作と被って嬉しかったです。
 それと、このSSを書いた直後だったせいか、滝沢さんが薪さんをグラサンの銃弾から庇ったようにしか見えない。(笑)
 妄想の副作用ですかね。 だから青雪さんも受け入れられないのか、そうか……。



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ジャンル : 小説・文学

破滅のロンド(27)

 こんにちは。

 観ました? 金環日食。
 綺麗でしたね~♪

 うちには仕事柄、アーク溶接作業用の防護面が倉庫に転がってて、それで見たのですけど。 (太陽を見るためのものじゃないので、みなさんは真似しないで、って、一般家庭にアレはないか。(^^;))
 本当に綺麗でした。
 黒い丸の周辺に、輪になった太陽の光が輝いて。 使ったアイテムの関係で、いくらか緑掛かって見えたのですけど、それがまた綺麗だった……!! 本当に、光の指輪が空に浮いてるみたいでした。

 みなさんはちゃんと専用の眼鏡でご覧になったと思うのですけど、あれで見ると太陽が赤く見えるんですね。 (義妹が持ってたので貸してもらった) 
 ならばこれはけっこう珍しい写真かもしれないので、載せておきます。

 
金環日食



 写真になるとバックの色がボケちゃうのでイマイチですね。 実際はもっと、背景が黒くて光とのコントラストが強くて、(いかにも目に悪そうだ(笑)) 美しかったのですけど。 輪も、もっと細くてキリッとしてました。 
 ちゃんとお伝えできなくて残念です。 


 しかし、朝、いきなりオットが防護面を付けて部屋に入ってきた時には何事かと思いました。 だって、防護面ってこんなんですよ? 

覆面強盗かと思ったよ
 

「しづー! これで見れるよ! 面白いよ!!」
 おまえが面白いわ。 

 

 以上、しづ家の朝の模様でした。
 アホな相棒のおかげで本当に退屈しないよな、うちは。




 
 で、お話の方は、こちらで最終章です。
 読んでくださったみなさま、長くてお疲れになったことと思います。 2ヶ月も掛かっちゃいましたもんね。(^^;
 お付き合いくださってありがとうございました。







破滅のロンド(27)







「滝沢に何を言われた?」
 病室を出て開口一番、薪はストレートに訊いた。
 青木は素直な男だ。信じやすく騙されやすい。疑心の無さ、それは彼の美徳でもあると同時に大きな欠点で、だけどどうしようもなく薪が彼に惹かれてしまう最大の要因は、彼のそんなところだったりする。

「『僕と寝たけりゃ局長クラスに出世して来い』って薪さんに言われたって」
 それは西野の尻尾を掴むための芝居の最中、いきなり滝沢が打ち合わせにないことを始めたから咄嗟にアドリブで返しただけのこと。無論、そこには真実の欠片もない。
「まさかと思うけど。本気にしたわけじゃないだろうな?」
「本気にはしてませんけど。でも、もしかしたらって」
「バカだな、おまえは」
 薪を信じ切れなかったことを後悔するように、青木は眼を伏せた。自分の恋人がそんなことを言ったら、誰だって動揺する。当たり前の感情を申し訳ないと思える、彼の誠実に薪の胸がきゅうっと苦しくなる。僕の青木はどこまでもかわいい。

「安心しろ。あれは西野を引っ掛けるためのアドリブで」
「オレが局長に出世するまでお預けってことなのかなって、ったいっ!! ちょ、薪さんっ、痛いです! 蹴らないでください、すねは許して、あいたぁっ!」
「病院で何してるんですか」と通りすがりの看護師に叱られたが、薪の怒りは収まらない。だから、彼女がいなくなると同時に繰り出した中段突きを軽く左手で止められたときには、髪の毛が逆立つほど腹が立った。青木は強くなった。もう、本気でやり合ったら勝てないかもしれない。もとより、力では絶対に敵わない。数え切れないほどベッドに押さえつけられた記憶が、それを証明している。

「もう一つ、聞いてもいいですか?」
「なんだ」
 パシッと音を立てて青木の手を払い、薪は彼を睨みつける。力で勝てなくても、年長者の威厳と言うものがある。上司として、彼の庇護者として、青木の前ではいつも毅然としていたい。
「さっき、滝沢さんが打ち合わせにないことを始めたって言ってましたけど。あれってどういうことですか?」
 西野にわざと聞かせた室長室での芝居の内容を、青木は知らない。盗聴器を持たない彼は、薪と滝沢が交わした会話を聞くことはできなかった。尤も、あれを青木が聞いていたら、自分に割り振られた役目も忘れて中に飛び込んできたのではなかろうか。

「部屋に入ったら薪さんが片袖脱いでて。それも説明してもらいたいんですけど」
「滝沢が襲ってきたんだ」
「えっ」
 驚きの声を上げると同時に、青木は男らしい眉根を寄せた。眼鏡の奥の瞳が、暗い熱を持つ。青木は正直な男だ。怒りも嫉妬も全部顔に出る。そういうところも可愛いと思う。
「滝沢さん、やっぱり薪さんのこと」
「ちがう。あれは西野に対する警告だ」
『警告』の意味が分からず、青木は首を捻る。ストレートな反応が好ましい。本音では頭を撫でてやりたいくらいなのだが、此処は病院の廊下、もとい、二人きりのときでもそれができないのが薪という男だ。

「滝沢は僕と同じで、ガチガチノーマルな男なんだ。同性の身体は気持ち悪くて触れない。西野もそれは知っていたはずだから、“らしくない”と思ったはずなんだ」
 昔は鈴木の恋人で今は青木と特別な関係を持っている薪が自分を“ガチガチノーマル”と評するのは可笑しい気もするが、薪は本気だ。鈴木以外の男に抱かれたいと思ったことも、青木以外の男をかわいいと感じたことも、ただの一度もない。

「いや、でも滝沢さんて、薪さんの身体によく触ってましたよね?」
「あれは純粋な嫌がらせだ」
「そうですかあ?」
「男の体なんか身震いするくらい嫌いな滝沢が男を襲う真似事をする。西野が違和感を感じて引き下がってくれればいいと、滝沢は考えたんだ」
「あの時の西野さんは完璧に喜んでたと思いますけど……」
 自称ガチガチノーマルの室長は、青木が言葉に含ませた微妙なニュアンスをきれいに無視して、執務室で見せる叡智を美しい横顔に湛え、「決定的だったのは」と続けた。
「滝沢が僕の脳を見て飛行機事故の原因を調べるって言い出したことだ」

 ほんの僅かな沈黙の後、青木は「ああ」と呟いて、薪の言わんとすることを理解したようだった。
 MRIの限界は過去5年。飛行機事故は2057年11月、8年前の出来事だ。8年も経ってしまったら、映像は再生できない。MRI捜査の基本だ。あれは滝沢が西野に出したヒントだった。これは茶番だ、何もかも分かっている、だから引いてくれ。
 しかし西野は、彼の思いに気付かなかった。

「それが分かっていれば、もしかしたら西野さんは」
「いや」と薪は首を振った。
 MRI捜査に携わる者には基本中の基本でも、部外者には知られていない事実。しかし、西野は第九に監査官としてやってきたのだ。そのくらいの基本は押さえていると滝沢は判断し、それは多分、間違いではなかった。
「それでも彼は、自分の道を進んだだろう。西野はそういう男だったんだと思う。だから滝沢は、ああするしかなかったんだ」
『自分のようなことをする人間が必要だ』と西野は青木に言った。同じ男として、その言葉には頷けないこともない。男には自分の信じる道がある。どうしても譲れないものがある。薪が黒い秘密を飲み込むのも、その信義に則ってのこと。

「滝沢さん、大丈夫でしょうか」
「大丈夫だ。あいつは殺しても死なん」
 薪が素っ気なく、でもしっかりと保証すると、青木はホッと頬を緩めた。

『死なせてくれ』と言った滝沢の気持ちは、よく分かった。

 自分の親友を、意志をもって殺すことがどれ程の苦しみを伴うものか。薪には想像もつかない。誤って殺してしまった、殺意は無かったと認識してさえ、罪の意識は消えないのに。
 一心に自分を想ってくれる恋人を得、さらには多くの人々の助けを借りることができた薪ですら、ここまで来るのに何年も掛かった。滝沢に安息の日々が訪れるのは、自分よりもずっと遠い未来のことに思える。
 それでも。

 自分がここまで来れたように、彼にもきっとその道はあると。今は信じたい。
 薪に蹴られたすねを擦りながら薪の隣を歩く、年下の恋人からもらった多くのものが、薪にその考えを抱かせる。

 それを希望と、ひとは呼ぶのだ。




―了―


(2012.2)

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ジャンル : 小説・文学

破滅のロンド~あとがき~

 法十のあとがきと言えばこちら。 
 恒例の第九劇場、今回は後日談でございます。 (←マトモなあとがきを書こうとする努力すら投げ出している。 だってっ、苦手なんだもんっ)
 
 本編にも増して広いお心でお願いします。









             『破滅のロンド 後日談』




青木 「おはようございます、米山さん。……あれ? 監査は延期になったのでは?」
小池、曽我、宇野 「「「?」」」
米山 「わたくし、今日から第九に配属になりました、本名、山本賢司と申します。以後、よろしくお願い致します」
小、曽、宇、青 「「「「えええええ!!」」」」

今井 「米山副査が室長側のスパイだったことは聞いてましたが。まさか第九に配属予定の職員だったとは」
岡部 「第九に相応しい人材かどうか、テストの意味も兼ねていたらしい」
今井 「適性試験がスパイって……」
岡部 「だから、目的のためには手段を選ばない薪さんの捜査スタイルに着いて来れない人間は要らん、ということだろ」
小池 「山本は、見事室長の期待に応えたわけだ」
曽我 「ああ、なんかまた厄介な同僚が増えた気がする」

(薪が室長室から出てくる)

全員 「「「「「「おはようございます、室長」」」」」」
薪 「おはよう。山本、来たな」
山本 「これからお世話になります。よろしくお願いします」
薪 「畑違いの職場だから色々と大変だと思う。分からないことがあったら誰にでもいい、遠慮なく訊くといい」

小池 「薪さん、妙にやさしくね?」
岡部 「いきなりあんな無茶させたからだろ」
宇野 「転属先から就任前にスパイになれって言われたら、普通なら断るだろうな」
曽我 「そこをやってのけたんだからな。労いの気持ちもあるんだろうな」

薪 「山本。早速だが、面談室で話した内容について報告してもらえるか?」
小池・曽我 「「えええ!?」」
小池 「ちょ、待て山本、いえ、山本さん!」
曽我 「まんま報告したりしないですよね!?」
山本 「……報告してはいけませんか」

小池・曽我 「「やめてください! 俺たち、室長に殺されちゃいます!」」
薪 「なるほど。殺したくなるような内容だったわけだ」 (ブリザード警報発令)
小池・曽我 「「あっ……」」
山本 「室長に報告するのは改善が必要と思われる点だけで、情報源は秘密厳守です。いくら部下の立場になったからと言って、その規則を曲げる気はありませんが」
小池・曽我 「「それを早く言って、ひいっ!」」
薪 「山本、報告は後でいい。小池、曽我、僕の部屋に来い」
小池・曽我 「「……!!!」」

岡部 「さー、仕事仕事」
今井 「宇野、昨日の報告書だけど」
宇野 「あ、俺も自分で気付いて。訂正しておきました」
小池・曽我 「「だ、誰も俺たちと眼を合わせようとしない……」」

青木 「みなさん、コーヒーどうぞ」
小池・曽我 「「青木っ、薪さんに何とか取り成してくれ!」」
青木 「え、無理ですよ。室長室の扉まで凍り始めてますもん」
小池・曽我 「「怖いから見ないようにしてたのに、超無邪気な笑顔で指摘しやがって……じゃあ山本! 俺たちは薪さんの悪口なんか言ってないって、証言してくれ!」」
山本 「わたしは後でよいと言われましたので」
小池・曽我 「「そんな冷たいこと言うなよ! 助けると思って……青木! おまえからも何か言ってくれよ!」」

青木 「山本さん」
山本 「はい」
青木 「明日から、ご自分のカップをお持ちになってくださいね」
小池・曽我 「「そういうことじゃなくて!!」」

薪 (室長室の中から) 『早くしろ、イトメタボ!(←まきまきさん命名) 僕は忙しいんだっ!』 (怒声+雷)
小池・曽我 「「た、只今っ!!」」

山本 「し、心臓が……」
青木 「あれ、一日五回くらい落ちますから。早く慣れてくださいね」
山本 「みなさん平気なんですね。脇目も振らずに仕事を」
青木 「慣れてるのと、本当は室長は優しい人だって分かってますから」
山本 「恐怖から逃れるために必死で仕事に集中しようとしているような感じも受けますが」

青木 「気のせいですよ。薪さんは本当にやさしいし。……さて、そろそろ室長用のコーヒーを淹れてもいいかな」
山本 「え、この状況でコーヒーを室長室へ? 今は拙いんじゃないですか? タイミング的に」
青木 「いいえ、今がベストだと思います。小池さんと曽我さんのリミッターが満杯になって、室長もスッキリしたけど引っ込みが付かなくなってる頃だと。室長」(knock、knock)

薪 『だれだっ!』
山本 「うわ、スゴイ声。言わんこっちゃない」
青木 「青木です。コーヒーお持ちしました」
薪 『……』
青木 「今日のブレンドはモカをベースにしてみました。すごくいい香りがしますよ」
薪 『…………入れ』
青木 「失礼します」

(青木がドアを開けると、転がり出るように小池と曽我が出てくる)

小池・曽我 「「た、助かった。さすが青木」」
山本 「?? どうして解放されたんですか?」
小池 「室長は青木の淹れるコーヒーが大のお気に入りなんだ」
曽我 「青木がコーヒー持って来ると、機嫌直してくれるんだよ」
山本 「たかがコーヒーにそんな力が?」
小池・曽我 「「山本も飲んでみろよ。美味いから」」

(全員、カップを傾ける山本に注目)

宇野 「表情変わんないっすね。あいつとはウマが合わないかも」
今井 「コーヒー好きがいいやつって決まったわけじゃないけど、こう続くとなあ」
岡部 「好みだから仕方ないだろ。紅茶党かもしれん」

小池・曽我 「「どうだ? 山本」」
山本 「……ああ、本当に。これは美味しいですね」
一同 「「「「「そうか! 青木のコーヒーが美味いか。よかったよかった」」」」」
山本 「??? どうして皆さん、そんなに嬉しそうなんですか?」


(おしまい)
 



 長いお話に最後までお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました。




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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
毎日たくさんの拍手をありがとうございます。励まされてます。
おかげさまで、しづは元気で仕事してます。(10/28)
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