チャレンジャー(1)

 あらやだ、4月になっちゃったわ。先月の記事数、2つ? どこのイツツユビナマケモノの話?

 4月4日に下水の書類検査がありまして。それが済んだら完工です。
 いやー、長い現場だったなー。みっちり半年かかったもんなー。おばさんは疲れました。


 更新が滞ってしまった間にも、暖かい拍手や励ましのコメント、ありがとうございました。とてもうれしく受け取り、感謝の気持ちを持って拝読しました。どうもありがとうございました。
 現場があまりに長くてSSの書き方なんざすっかり忘れちまいましたが(^^;)
 メロディ8月号からはシーズン0の連載も再開されるそうですから、新しい妄想も生まれると思います。それまでは昨年書いた妄想の残骸(←いっそゴミと読んでください)を公開していきますので、ぼちぼちお付き合いください。



 えーと、今日のお話は、
「楽しい第九」第3弾でございます。
 薪さんと青木さんの新婚家庭に小池さんと曽我さんが遊びに来る話です。
 雑文ですので、ゆるーく読んでやってください。






チャレンジャー(1)





 柔らかな電子音が訪問客を告げる、休日の午後。
 1月ほど前まで、薪はその音を心待ちにしていた。土曜の午後に此処を訪れる来訪者は、八割方彼に決まっていたからだ。そのときめきが今は失われてしまったことを、ほんの少し残念に思う。約束の時間に向けて気分と心拍数がぐんぐん上がって行くあの感じ、当時は幸福感より切なさの方が勝っていたはずなのに、振り返ると微笑ましく思えるから不思議だ。
 何年もの間、数えきれないくらい薪の家のチャイムを鳴らし続けた男は、薪の隣から腰を上げて、来客を迎えるために玄関へと足を運んだ。それは家人としての行動であり、薪が彼の来訪を待たなくなった理由でもあった。

「いらっしゃい、小池さん、曽我さん」
「よお。これ、みんなで食べようと思って」
「ここのシュークリーム、美味いんだぜ」
「わあ。ありがとうございます。オレ、シュークリーム大好きです」
 玄関先で交わされる部下たちの会話を聞きながら、薪はローテーブルの上に広げていたテーマパークのパンフレットを素早く片付けた。休みが取れたら行きましょう、と青木が手に入れてくるそれらの見境のなさに、薪は本当は辟易していたが、いつ取れるか分からない休日の予定を彼があまりに嬉しそうに語るから、仕方なく付き合ってやっている。それもまた年上の恋人の仕事だと、自分の認識とは裏腹の丁寧さでパンフレットを揃え、ハードケースに大事そうにしまい込む。パチンと音を立てた留め金の上を、細い指が愛しげに撫でた。

 彼らがリビングに入ってきたのは、薪がケースを腕に抱えたときだった。「お邪魔します」と揃って頭を下げた部下たちに向かって、薪は軽く頷いて見せ、
「ゆっくりしていくといい。僕は書斎にいるから」
「薪さんの分もシュークリーム買ってきたんですよ。一緒に食べましょうよ」
 書斎に向かおうとしていた足を止めて、薪は首を傾げた。彼らは薪を訪ねてきたのではない。青木のところへ遊びに来たのだ。
 そもそも彼らを家に招いたのは、青木が薪の家に住むことを知った小池と曽我の二人が、「これからは青木の家に気軽に遊びに行けなくなった」と零していたからだ。それほど残念がっているようではなかったが、自分と同居したせいで青木の友人付き合いを抑制してしまうのは良くないと薪は思った。だから言ったのだ。住まいが替わっても青木の家に変わりはない、今迄と同じように遊びに来たらいい、と。

「いや、僕は」
 上司である薪がいたら3人とも気づまりだろうし、だったら自分は此処に居ない方がよい。そんな気持ちから出た薪の言葉を遮って、曽我がソファの座面を指し示した。
「ほらほら薪さん、ここに座ってください」
「そうそう、青木の隣に」
 彼らの口振りに些少の違和感を感じる。うっすらと背後に迫る、嫌な予感。
 これは逃げた方が利口だと判断し、薪は踵を返した。その肩を青木が押さえて、すとんとソファに落とす。
「薪さん、座ってください。今、コーヒー淹れますから」
 こういうときは逃げちゃダメです、と青木の瞳が語りかける。確かに、こんな局面はこれから先、数えきれないくらい迎えることになるだろう。いちいち逃げていたらキリがない。薪はソファに深く座り直した。

 曽我が不器用な手つきでシュークリームの箱を開けようとしていたので、貸してみろと手を出した。ケーキ屋特有の持ち手が付いた箱は、一枚の厚紙が凹凸によって互いを支える仕組みになっている。男でこの箱に慣れている者はあまりいないから、人によっては開ける前から中身が悲惨なことになるのだ。
 細くて器用な指先が留めになっている箇所の凹凸をやさしく外し、箱はふわりと開いた。中には薪の好きな窯焼きタイプのシュークリームが4つ。カリカリに焼き上がったシュー皮に、シュガーパウダーが振りかけてある。
 包み紙ごとそっと持ち上げ、ケーキ皿に取り分けていると、コーヒーの香りと一緒に青木が現れた。
「うわあ、美味しそう」
「……ガキが」
 子供みたいに歓声を上げる、青木の単純な感情の発露にいつだって薪はときめいてしまう。それを隠したいからついつい口に出る、お得意の憎まれ口。そこに鉄壁のポーカーフェイスが加わって、彼らの秘密を手堅く守っている。
 冷たい言葉でも薪に構ってもらえる、青木はそれだけで嬉しい。へらっと笑ってコーヒーを配り、薪の隣に腰を下ろした。
 お持たせのシュークリームを食べながら、気ままなお喋りを楽しむ。もともと口数の少ない薪は聞き役に回ることが多いが、彼らと同じ話題を共有していることに変わりはない。美味しいお菓子と絶品のコーヒーと冗談を交し合える友人と、休日の午後を過ごすには最高のアイテムが揃って、それはとても楽しいひとときだった。

 そこに僅かな危険が混じり始めたのは、コーヒーのお代わりを淹れるために青木が席を外したときだ。
「室長。青木と一緒に住むの、大変じゃないですか?」
「気を使うでしょう。今まで一人で気ままにやってた空間に他人が入るわけですから」
「べつに。食費が3倍になったことを除けば不自由はない」
「2倍じゃなくて3倍か」
「さすが青木」
 そこ、感心するところ違う。
 薪は心の中で曽我を窘める。青木も30を過ぎたことだし、そろそろ節制させないと。代謝の低下と共にぶくぶく太ってしまう、まではいいとして、その後に待ち構える成人病が怖い。彼の健康を守るのはパートナーである自分の役目だ。

「部屋割りとかどうしてるんですか?」
「特にしてないけど」
「してない? じゃ、寝る時も同じ部屋ですか?」
「同じ部屋って言うか同じベッ」
 今日の夕飯はヘルシーに和食で、なんて呑気に献立を考えていたのがまずかった。とんでもないことを言い掛けたことに気付いて、薪は口を閉ざす。沈黙の理由に持ち上げたコーヒーカップは空っぽで、その単純なミスが焦る気持ちを加速させる。やばい、パニックになりそうだ。
「べ?」
「べ、べらぼうに美味かったな、このシュークリーム!」
 自分たちの手土産に対する称賛を胡乱な表情で受け取って、小池と曽我のコンビは顔を見合わせる。その横顔に、同時に浮かんだ悪戯っ子の笑みを薪は見逃さなかった。
 例え住み込みのボディガードと言う名目があっても、世間一般に見て自分たちの同居が不自然であることは承知している。それらしきことを言われても軽く受け流すくらいの心構えを持たなければ、この先やっていけない。

「薪さん、もしかして」
 丸っこい顔に人好きのする笑みを浮かべる曽我を見て、薪は瞬時に決意する。
「青木と同じ部屋で寝てるんですか」と訊かれたら、「さあ、どうかな」と意味深に微笑んでやろう。そのくらいのクールさで返せば、相手も自分の幼稚さに気付いて、この手の質問をしなくなるに違いない。
「もしかして、青木と同じベッドで寝てるんですか?」
「さ、ああああああるわけないだろそんなこと!」
「さ」までしか言えなかった。
 だってっ、モロ聞かれるとは思わないだろ、こんなの! 曽我のKYを甘く見た、てか、そんなんだから26回もお見合い撃沈するんだぞ。

 あまりにもストレートなその質問は、薪のパニックを一気に爆発させた。どもってしまったのは大失敗だった。好機逃すまじと小池が追撃の一手を繰り出す。
「でも今、同じベッドって言い掛けたでしょ」
「そ、それは」
 小池は昔捜査二課で、口から生まれてきたような詐欺師の言葉尻を捕えて自白に追い込んでいたのだ。プライベートの薪なんて、赤子の手を捻るようなものだ。
 眼を逸らしたら負けだと、薪は必死に恥ずかしさと戦った。が、いつもは真珠みたいに白い頬が真っ赤になってる時点で勝負はついている。頭の中がホワイトアウトする感覚。こうなったらお終いだ、子供でも答えられるような問題も解らなくなってしまう。

「べの付く言葉って、他に何かあるか?」
「弁当、ベーグル、ベリージュース」
 さすが曽我。青木に負けないくらい食欲中枢が発達している。
「食いものばっかだな、おまえは」
「じゃあ小池は?」
「ベターハーフ、ベーゼ、ベッドイン」
 きゃああああ!
 悲鳴こそ抑えたものの、薪の身体は勝手に跳ね上がり、一瞬でソファの端まで移動した。飛ぶように退いたものだからテーブルの脚に足元を掬われて、ソファとテーブルの隙間にすこんと落ちる。

「「何やってんですか、薪さん」」
「や、あの」
「「どうしたんですか。顔が真っ赤ですよ」」
 詰め寄られて、でも背中にソファが当たって動けなくて、逃げることも応えを返すこともできない。かくなる上はこのテーブルを引っくり返し、その騒ぎに乗じてコトを有耶無耶にするしかない。
 細い膝が襲撃の意志を持って曲げられたとき、そっと脇の下に入った大きな手が、薪の身体をひょいと持ち上げた。ソファに座らされた薪の頭の上から穏やかな男の声が、
「別々」と薪に解答を示した。
 逆ギレ寸前の薪に助け船を出してくれたのは青木だった。彼は薪とは対照的に余裕の笑顔で、二杯目のコーヒーを静かに客人に配った。

「別々の部屋に決まってるでしょ。オレはリビングに布団敷いて寝てます」
「そうなのか?」
「ええ。布団の方がいいんですよ。普通サイズのベッドじゃ、足を伸ばせませんので」
 先刻までの世間話と何ら変わりない口調で青木は言った。彼らの会話に耳を傾けながら、正直者の青木に嘘を吐かせたことを、薪は申し訳なく思う。
 隠す必要はない、恥じる必要はもっとない。自分たちは普通の恋人たちが普通にすることを普通にしているだけ。見ず知らずの他人ならともかく、身内同然の彼らに姑息な嘘を吐いてまで隠さなきゃいけない理由はないはずなのに。
 薪は黙って席を立ち、洗面所に入った。気持ちを立て直すため、独りになりたかった。

 居間から主の姿が消えると、小池と曽我は堪りかねたように噴き出した。
「見たか、室長のあの顔」
 青木は先輩二人に困ったような視線を送り、深いため息を吐く。ちょっと眼を離しただけでこの始末。まったく油断も隙もない。
「あんまり苛めないでくださいよ。お二人に悪意がないのは分かってますけど、薪さんはそういうの苦手なんですから」
「悪い。つい」
「こんな機会、滅多とないから」
 青木との関係が第九のみんなに知られていることを、薪には知らせていない。薪の性格からして、そんな環境に耐えられるとは思えない。必要以上に意識して、研究室を混乱させるのがオチだ。部下たちにしてみれば、室長が部下の一人と特別な関係にあったとして、それを職務に持ち込まない限りは口にする必要もないことで、だから何も気にすることはないのだが、そうはいかないのが薪のメンドクサイところだ。

「頼みますよ。とばっちりはオレに来るんですよ」
「そりゃ仕方ないだろ。それがおまえの運命だ」
「えらく人為的な運命ですね」
 青木が不平をこぼすと、小池が細い眼をますます細めて、
「承知の上で一緒に住むことにしたんだろ」
 ――小池は飲むと必ず薪の陰口を言うけれど。本当は第九の誰よりも、室長としての薪を尊敬しているのだと思う。最近、小池にチクチクと皮肉を言われるようになったのは、プライベートの薪を独り占めしている青木へのやっかみだ、と言うのが岡部の見解だ。
 青木はにっこりと笑って、「はい」と頷いた。
 口調に込めた揶揄も言葉に忍ばせた棘も、青木には効かない。薪と違って鈍い、と言うよりは、覚悟ができているのか。

「そろそろ引き上げるか」
 二杯目のコーヒーを飲み終え、二人は同時に席を立った。
「あ、薪さん呼んできます」
「いいって。明日、研究室で礼は言うから」
 じゃあな、と手を振って、二人は帰って行った。青木は彼らを玄関先まで見送ったあと、テーブルの上を片付けに戻った。テーブルの上では薪の為に淹れた二杯目のコーヒーが、飲み手を失ってやるせなく湯気を揺らしていた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

チャレンジャー(2)

チャレンジャー(2)






 薪がリビングに戻ってきたのは、来客が帰った5分後。
「帰ったのか、あの二人」
「はい。薪さんによろしくって言ってました」
 薪のマグカップだけを残してすっかりきれいになったテーブルを見て薪が尋ねるのに、青木は微笑む。「ふうん」と頷いた横顔はいつもの澄まし顔。パニックは治まったようだ。

 放置状態のコーヒーはすっかり冷めてしまっていたが、薪はそれを飲み干した。喉が渇いていたらしく、彼はスポーツドリンクを呷る勢いでコーヒーカップを傾けた。
「青木。あいつらもしかして、僕たちのこと」
「まさか」
 空になったカップを弄りながら、薪がその疑惑を口にすると、青木は即座にそれを否定した。彼の憂い顔は増やしたくない。
「大丈夫です。誰にも気付かれてませんよ」
「本当に?」
「ええ」
 それならいいけど、と安堵のため息をつき、背もたれにもたれかかる。よっぽど神経を磨り減らしたらしい。
 薪が必死で二人の関係を隠そうとするのは、青木のためだ。羞恥心や保身が全く無いとは言わないが、青木の将来に影を落とすことを怖れているのだと思う。
 青木も昔は似たようなことを考えていた。自分の存在は薪の足枷になると、だったら身を引くべきではないのかと、らしくない考えに囚われたりもした。でも今はそうは思わない。

 極論してしまえば。
 例え自分の存在が薪を不幸にしたとしても、青木は彼と別れない。

 細かいことを言えばきりがない。同じマンションの住人にだって、自分たちの関係は疑われているだろう。小野田の友人である管理人に至ってはもっと大変だ。彼は薪と小野田の娘が婚約していたことを知っている。世間的には薪が当て馬になった形だから、もう完全に彼の中で薪は『女に騙されて女性不信になった挙句男に走ったカワイソウな男』になっている。網膜認証手続きの際、「あんたは薪さんを裏切ったりしないであげてよね」と言われたのは、彼の中でそういうストーリーが出来上がっていた証拠だ。
 そんな調子で、自分の存在は薪にとってマイナスになる事も多い。薪の出世の妨げになっていることも分かっている。
 それでも。彼と離れたくない。
 自分が彼をこの世で一番幸せにできるのだという確固たる自信もないくせに、人間的に考えてそれってどうなんだろう、と己の中で迷う声もあるけれど。意識的に耳を塞ぐことにしている。
 相手は天才警視長。凡人の青木が並大抵の努力で追いつけるものじゃない。なりふり構わず挑み続けなければならないのだ。

「青木」
 思い詰めた様子で青木の名前を呼んだ薪は、カップを弄るのを止めて、それをテーブルに置いた。
「これからこういうことがあったら、おまえは何も言わなくていい。対処は僕がする」
 でも、と青木は言い掛けた。が、薪は青木の反論を待たずに、
「この次は上手くやる。これは僕の仕事だ」
 常に同等でありたいと望む青木の気持ちとは裏腹に、薪は自分の仕事を増やしたがる。自分は年上だからと言う理由で、常に青木よりも多くの責任を持つ必要があると考えている。どちらも大人なのだから年なんか関係ないのに。
 だから青木は言ったのだ。
「どちらか片方の仕事ってことはないと思います。薪さんは何でも一人で抱え込むのがお好きですけど。一緒に暮らしてるんですから、オレにも分けてくださらないと」
 これが仕事の事だったら、青木は絶対に余計な口は挟まない。だが、プライベートなら話は別だ。
 しかし薪は頑なに首を振り、青木の申し入れを拒否した。
「僕は嘘が上手いし。吐き慣れてるから」
 たしかに、薪は嘘が上手だ。捜査上の秘密を守りつつマスコミの質問に答えなければいけない彼は、幾つかの情報を故意に隠すことがある。そういうときの薪の嘘は実に巧みで、質問者達を完璧に煙に巻いた上、本当のことを知ってから聞けばそんな風に取れないこともない、という話し方をするから騙されたと非難することもできない。
 だけど、それはあくまで仕事の話。近しい人たちに嘘を吐くことを薪は好まないし、心苦しく思っていることを青木は知っている。

「いいえ。いつまでも薪さんにばかり嫌な役目を押し付けるのは」
「だっておまえ、嘘は苦手だろ」
 思わず青木は黙った。
 自分はそんなにいい子じゃない。嘘を吐いたくらいで胸が痛むような純情な人間ではない。この瞬間だって、恋人を騙している。誰も自分たちのことに気付いていないと、白々しい嘘を吐いている。
 ずん、と心が重くなる。苦しさを吐き出すように青木は言った。
「薪さんは誤解してます。オレは、そんなに心のきれいな人間じゃ」
「僕の力が足りないせいで、青木を嘘つきにするのは嫌だ」

 嘘を吐くのは辛いだろうと、おまえにそんな思いはさせたくないと。
 そんな風に思えるのは、嘘を吐くことの苦しさを知っている証拠。吐かざるを得ない嘘に、隠さなければいけない真実に、彼がずっと傷ついてきたことの証なのだと青木は思った。
 警察機構の隠蔽体質が清廉な彼にどれほどの負担を強いてきたのか、想像に難くない。階級が上がるにつれて隠さなくてはいけない秘密は増え、その闇は深まって行く。それは薪に限ったことではない。匿った秘密のどす黒さに誰もが呑まれ、同じ色に染まって行く、そんな組織の中で。
 割り切ってしまえば楽になれるものを、真面目な彼はそれができない。その度に悩んで傷ついて悔し涙にくれて、辛ければ他に道もあっただろうに、分岐点では必ず険しい方を選んでしまう。それが亡き親友の願いであったと彼は信じているから。
 鈴木の願いは、薪の心からの笑み。それは自分を騙していては決して得られないのだと、薪には分かっているのだ。

 不意に、強い力で抱きしめたから。
 驚いた薪の手が空を泳ぎ、指先に当たったカップが床に転げ落ちた。「青木?」と薪は青木の腕の中で不思議そうな声を上げたが、青木はそれに応える言葉を持たない。
 孤高の戦いを続ける薪が、切なかった。




*****



 青木の腕の中で、薪は必死に考える。自分はまた何か、彼を傷つけるようなことを言ってしまったのだろうか。
 青木はやさしい。その分、他人の痛みに敏感だ。彼がこんな風に薪を抱きしめるときは、誰かの痛みに同調していることが多い。
 感情に支配された人間を言葉で慰めるのは、あまり上手いやり方ではない。言葉を理解するための左脳が麻痺した状態だからだ。だから薪は、黙って青木のしたいようにさせてやる。他人の体温を感じることで青木が落ち着くなら、このまま動かないでいてやろう。

 折り畳まれた右脚の感覚が無くなる頃、ようやく青木は腕の力を抜き、薪を少しだけ自由にしてくれた。薪は深呼吸をしながらそろそろと足を直し、ジンジン言う独特の感覚に眉をしかめる。今だけは誰にも触られたくない。反射的に殴り倒してしまいそうだ。
 苦痛に歪む薪の顔を見て何を誤解したのか、青木が深刻そうに言った。
「薪さん、オレも同じです。オレの未熟であなたに嘘を吐かせたくありません」
「おまえの下手くそな嘘なんて、吐けば吐くほど墓穴だと思うぞ」
「たった今、薪さんが掘ってらしたのは何ですか」という質問はスルーした。済んだことをぐちゃぐちゃ言うなんて、男らしくない。
「悲しいことも苦しいことも独り占めしないで。オレにも半分、分けてください」

「……わかった。じゃあとりあえず殴らせろ」
 は? と点目になった青木の横っ面を裏拳で撫でる。床に尻もちをついてぽかんとしている青木に、薪は右脚を庇いながら、
「おまえのバカ力で動けなかったから脚が痺れて、~~~っ!」
 それから青木を殴った拳をぐいと突き出して言った。
「半分だ」
「いやあの、そういう意味じゃなくてですね、これは二人の問題ですから二人で対応するべきだと」
 青木はなおも言い募ったが、薪はもうそれどころじゃない。ううう、と呻きながら右脚をさすっている様子に、やがて青木も諦めた。肩の力を抜いて失笑する青木に、今なら自分の気持ちを言葉で伝えることができると薪は考える。

「分かったよ。どちらにせよ、全部はカバーしきれないしな」
 青木に同情されていたことを知って、薪は苦笑を隠せない。この状況を、自分も落ちたものだと思うか優しい恋人を持って幸せだと思うかは人それぞれで、世間一般では後者の方が幸せに近い人間の思考と言える。が、残念ながら薪は前者だ。
「考えてみたら無理だよな。おまえの友だち関係とか」
 自分の力不足を素直に認めて青木の助力を請うと、青木は途端に元気になって、
「安心してください。こう見えてもオレ、先輩たちの飲み会から逃れるための嘘は吐き慣れてるんですよ」
「その割には次の日、罰ゲームとか言って、1時間近く並ばなきゃ買えない人気店の弁当買いに行かされてないか」
「……どうして先輩たちってあんなに鋭いんですかね」
 青木が小池たちの誘いを嘘を用いて断るのは、薪との約束がある時だ。当然、翌日は顔が緩んでいる。あれで気付かない方がおかしい。

「よし。僕がウソツキの極意を教えてやる」
「はい?」
「いいか、一番大事なのは平常心だ。パニックはいかん」
「説得力ないんですけど」
「あ? まるで僕がパニックに陥って要らんこと言って自分で自分の首を絞める様子を見ていたような言い方だな?」
「……薪さんて本当にご自分に都合の悪いことは一瞬で忘れますよね」
 ふてぶてしくシラを切る薪に、青木は額を押さえて溜息を吐いた。それから少しだけ悪戯っぽく笑って、
「あのシュークリーム、べらぼうに美味しかったですね」と聞き覚えのあるセリフを繰り返した。なんて意地の悪い、青木はいつの間にこんなに性格が曲がったんだろう。きっと小池辺りの影響に違いない。

「そんなところから聞いてたのか。なんでもっと早く助けに来ないんだよ」
「は? 全部自分に任せろとかおっしゃいませんでした?」
「それは今の話だろ。僕が言ったのはその前だ。僕があんなに困ってたのに知らん顔して、冷たいやつだ」
「ちょっと待ってくださいよ。ちゃんと助けたじゃないですか」
「遅い。グズ。ノロマ」
「結局オレのせいなんですね」
 青木はもう一度額を押さえ、でも今度は逆襲してこなかった。いい判断だ、次に何か生意気なことを言ったら問答無用で蹴りがいくところだ。

「でもあれ、本当に美味しかったですよね。もっと食べたかったな」
 青木は空のケーキ箱をひっくり返して店舗名を見つけ出し、ネット検索を掛けた。彼の熱意に、薪は引く。洋菓子なんて一日に何個も食べるもんじゃない。
「一日百個の限定品を並んで買ってきたって言ってたぞ。もう売り切れてるんじゃないか」
 冷たく言われてガッカリする恋人に、薪は仕方なさそうに、
「僕が作ってやるから。それで我慢しろ」
 青木はたちまち嬉しそうな顔になって立ち上がると、「お手伝いします」とキッチンへ向かった。恋人の現金さに苦笑しつつ、薪は、未だ痺れの取れない右脚を引き摺りながら青木の後を追った。



*****



 青木はいつも考える。自分は彼のために何ができるのだろう。
 薪にはいつも不安がある。自分の非力な手で、どうやったら彼を守りきれるのだろう。

 一生かけても完全な解は得られないであろう命題に、彼らは今日も取り組む。互いを水先案内にして、複雑怪奇な迷路に挑む。
 二人は肩を並べて前を向く。横を見て、相手が笑っていれば正しい道を進んでいる証拠。眉根を寄せれば行き止まりの予感。涙を浮かべればその先は袋小路、速やかに回れ右だ。
 迷って悩んで行き詰まり、苛立って壁を叩いたりする。壁は簡単に壊れてしまうときもあれば、叩いた手が傷つくほど強固だったりもする。そういう時は戻るしかない。
 臨機応変に柔軟に。一歩一歩進んでいく。彼らはやや不器用な者とひどく不器用な者のペアだから、そんな地道な進み方しかできないけれど。クリアしてきた迷路はなかなかに高度で、その分、確かな実力を身につけている。

 新しい迷路に、再び彼らは挑む。心から笑い合えるゴールを目指して。




(おしまい)



(2013.5)←また1年寝かすところだったー。

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

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毎日たくさんの拍手をありがとうございます。励まされてます。
おかげさまで、しづは元気で仕事してます。(10/28)
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