カエルの王子さま(1)

 毎度、いらさりませ♪

 本日から公開しますこのお話、半年ぶりに書いたストーリーSSでございます。ちょっと文章の流れが悪いのはブランクのせいだと思ってください。(単なる力量不足)

 時期は2068年の5月。二人が一緒に暮らし始めた頃ですね。
 

 それとこちら、4万5千拍手のお礼に、あ、10万ヒットのお礼もまだ、
 ……一緒にしちゃダメ? ←ダメに決まってる。そもそもとんだS話でお礼にならない。
 じゃあ、こないだ書いた雑文3連作を10万ヒットのお礼にしますね。 (雑文でお礼とか図々しくてすみません)
 
 そうだ、一言いいですか?
 現在の妄想欄、「薪さんが変態科学者の実験台になる話」のあと、「青木さんが薪さん似の女と不倫した挙句に殺して逃げる話」になってますけど、その間に雑文が3つほど入ってまして、なにが言いたいかと申しますと、
 決して物騒な話ばかり考えているわけじゃないんですよ。合間にギャグも考えてるの。
 だから、今回の話の物騒さには目をつむってくださいねっ。←理屈も日本語もおかしい。

 どうか大海原のようなお心で! お願いします!




カエルの王子さま(1)




 西洋の童話に出てくるような、美しい部屋だった。
 文机、椅子、洋タンスにベッド。居室を彩る家具はすべてアンティークで、中々に高価なものだ。壁紙は薄いクリーム地で、葡萄の模様がくすんだ緑色で描かれている。天井からは古めかしいシャンデリアがぶら下がっている。いささか古風だが、趣味の良い部屋だ。
 繊細なインテリアから女性の部屋だと察せられるのに、部屋には鏡がなかった。実を言えば、この家の何処にもないのだ。この家の主人は鏡が大嫌いだった。

 彼はひどく醜かった。その姿を目にした者が残らず嘲りの笑みを浮かべるほどに。

 その輪郭は異様なほど横に広く、だから目と目の間があり得ないくらい離れている。鼻は見事な団子鼻で、唇は分厚く、頬にはびっしりと痘痕が浮いていた。短身でひどい猫背で、足はがに股で短く、などと細かい説明は不要だ。彼にピッタリの形容詞がある。
『イボガエル』だ。
 そんな自分が、このように優美な部屋にいるだけでも他人の失笑を買うに違いない。男はそれをよく理解していたのだ。

 真鍮の手摺が付いたベランダに続くフランス窓は僅かに開いており、薄いすみれ色のカーテンがはためいていた。窓の先に広がる風景は、一面に深い森であった。
「どうしたもんかな」
 空っぽの部屋を見渡し、男は軽く肩をすくめた。
「仕方ない。代わりを探しに行くか」
 人の形に窪みが残るベッドを直し、シーツに残っていた髪の毛をつまみ上げる。長くて黒い、女の髪。白いシーツの上で、それは果敢に持ち主の存在をアピールしていた。
 他には何もなかった。彼女が寝ていたベッドを抱き締めたくなるような幸せな思い出も、心を疼かせるような別れの言葉も。何ヶ月か一緒に暮らして、挙句、彼女が自分に残していったのはこれだけだ。

 男はベランダまで歩いていき、それをポイと捨てた。雨上がりの地面に落ちたそれはすぐに泥にまみれ、一瞬のうちにゴミになった。


*****


 日本にも未だこんな場所があったのか。
 いつものように助手席のドアに肘をつき、うつらうつらと船を漕ぎながら、薪は心のうちで何度目かの呟きを漏らした。どこまで走っても続く樹海、なんて生易しいもんじゃない。これは所謂「秘境」だ。何年か前に訪れた妖怪が住むと言う森より、更にヤバそうだ。妖怪を通り越して妖魔が住んでる感じだ。
 眼下に広大に広がる鬱蒼とした森を眺めていると、そんな世迷言まで浮かんでしまう。あれ以来、森はこりごりなのだ。間違っても足を踏み入れたくない。

 くあ、と小さな欠伸を漏らす薪の隣で青木は、カーブの多い山道を都会の大通りのようにすいすいと車を走らせる。二人は、Y県で起きた猟奇事件の折、事件解決の為に脳データを提供してくれた被害者遺族に挨拶に来た。その帰り道。
 車がやっとすれ違える程度の幅しかない道は平坦性の低い古びたアスファルト舗装で、左は山になった雑木林、右は切り立った崖っぷち。安全のためのガードレールは所々抜け落ちている。よく落下事故が起きないものだと感心する。元より、接触事故を起こすほど車が通らないのだろう。近くに集落がないから落ちても気付かないとか、そういうオチは勘弁してほしい。
 シュールな想像に乾いた笑いを浮かべる薪の左眼が、ドアミラーの中を過ぎる白い影を捕えた。

「停めろ」
 速度を落として路肩に車を寄せながら、「トイレですか」と青木が問うのに裏拳で応えを返し、薪は後ろを振り返った。
「なんか山から落ちてきた」
「イタチか狸じゃないんですか」
「ちがう。もっと大きくて白っぽい」
 こんな不気味な場所で自分だけが目撃した白い影――さては人知れず朽ち果てた自動車事故の被害者かと気弱な人間なら怯えるところだが、薪はバリバリの現実主義者だ。畏れる様子もなく、窓に乗り出すようにしてドアミラーを覗き込んだ。
 そこに映るものを確認した彼は、はっと息を飲んだ。車外へ飛び出し、来た道を全速力で駆け戻る。青木が慌てて運転席から降りた時には、薪は道に倒れた女性を助け起こしていた。

「大丈夫ですか。僕の声が聞こえますか」
 彼女は雑木林から転がり落ちてきたらしく、ひどい有様だった。着衣は半袖の、元は白かったと察せられるワンピース。山の中を何時間も歩き回ったと見えて、顔と手足は傷だらけだった。
「どうしてこんな所に若い女性が」
「スカートにサンダル履きか。ハイキングでもなさそうだな」

 薪の腕にぐったりと身を持たせかけた彼女の眼はうっすらと開いていたが、その焦点は空を彷徨っていた。緩んだ口元からは唾液が零れ、それは彼女の精神に綻びがあることを暗示していた。
「近くに病院か民家があるのかもしれない。とりあえず車に乗せて、地元の警察に保護を」
「あ、オレ、運びます」
「大丈夫だ」
 大の男が女性の一人くらい運べなくてどうする、と見栄を張ったのがまずかった。脚を踏ん張って彼女を持ち上げた、まではいい。一歩踏み出すのに1分くらいかかった、それも大した問題ではない。悲劇は、自分の身体が他人の手によって抱き上げられたことで彼女の意識が戻り、急に暴れ始めたことだ。

「お、落ち着いてください。僕たちは怪しい者じゃ」
 薪の左頬に女の爪がヒットして、彼は呻き声と一緒に言葉を飲み込んだ。金切り声をあげて暴れる彼女の両腕を、青木が素早く戒める。勢い余ったのか、彼女は痛そうな顔をした。女性相手に無体な真似をと思うが、青木は薪のボディガードだ。主人に危険が迫れば少々手荒な真似もする。
「青木、乱暴はよせ。彼女は一般人だぞ」
 頬に血を滲ませながら、薪が青木を諌める。が、青木は到底承諾できない。薪の顔に傷をつけられたのだ。彼女を崖から突き落とさなかっただけでもよく我慢したと褒めてもらいたいくらいだ。
 その考え方は警察官としてと言うより人としてどうかと思うが、こと、薪に関してだけは青木は道徳者になれない。青木は普段はとても優しい男で、その言動はいっそお人好しと称しても差し支えのないレベルで、なのに薪が絡むと突然人が変わるのだ。殆どジキル博士とハイド氏の世界だ。

「こんなに暴れられたら危なくて車に乗せられませんよ。県警に連絡して、保護を求めましょう。PC(パトカー)でここまで迎えに来てもらって」
「大丈夫だ。僕に任せろ」
 くい、と手の甲で傷を撫で、薪は、青木に拘束されて地面に膝を折った女性の前に屈んだ。項垂れた彼女の、髪の毛の奥に仕舞われた顔を覗き込むようにして、穏やかに話しかける。
「落ち着いてください。僕たちは警官です。あなたの味方ですよ」
 彼女はゆっくりと顔を上げた。長い黒髪はもつれて汚れ、肌も荒れ放題に荒れて、濁った目の下には黒いクマができていたが、きちんと手入れをすれば美しくなると薪は思った。彼女にそれをさせない何かが訪れたのだ。

 よくよく見れば、彼女の身体の傷は山の中で自然に付いたものばかりではない。拘束されて初めて顔を出した右腕の内側の切り傷は、明らかに刃物によるものだ。山を転がり落ちたのだから傷があるのは当たり前だと思うかもしれないが、人間は転がる時には体を丸めるものだ。その状態で内側に傷ができるのは不自然だし、何よりも傷口がきれいすぎる。枝に引っ掛けたのなら、かぎ裂き状の傷になるはずだ。
 犯罪の匂いがした。

「安全な場所までお送りしますから、まずはゆっくり休んでください。詳しい事情はその後で」
 薪がそうっと彼女の肩に手を置くと、彼女はこくりと頷いた。薪の合図を受けて、青木が慎重に彼女を解放する。
「ほらみろ。紳士的に話せば」
 得意げに胸を張る薪にハイハイと生返事をしながら、青木は彼女に手を貸した。青木の腕に縋るようにして立ち上がった彼女は、やおらに薪の方に向き直り、突如。

「え」
 泥まみれの両手が自分に向って突き出され、薪はバランスを崩して後ろに転倒、できればちょっとした事故で済んだのに。そこには薪の背中を打ちつけるべき地面が無かった。
「薪さんっ!!」

 一瞬、時が止まった気がした。
 空に投げ出された身体がその場に留まっているのを不思議に思い、僕ってもしかして空が飛べたのか、と本気で思いかけた。
 そんなわけがない。薪は重力に縛られる普通の人間だ。他にも思い込みとか常識とか警察機構のしがらみとか色んなものにがんじがらめになっているが、今彼の身体を奈落の底に落とそうとしているのは、精神論では太刀打ちできない物理の法則だった。

 悲痛に叫んだ青木の顔が、見る見る遠ざかっていく。けたたましい彼女の笑い声も。と同時に、薪の意識も遠くなった。投身自殺は大抵は地面に激突する寸前気絶してて痛みなんか感じないって、あれ、本当だったんだ、などと人生の最後になるかもしれない貴重な瞬間を俗説の検証に費やし、薪は、絶対に立ち入りたくないとついさっき思った森に飲み込まれていった。


*****

 1話目からこれだよ。
 ホント、お礼にならない☆


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ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(2)

 毎度ですっ。
 更新、空いちゃってすみません。入札の時期になりまして、内訳書5本作ってましたー。
 新しいSS書いてるとブログが放置状態になるクセはいい加減直したいです。←仕事してないじゃん。


 続きです、どうぞ!



カエルの王子さま(2)





 カーキ色の訓練服を着てリュックを背負い、手に探索棒を持った男たちが、深い森の中に入って行く。その数約20名。彼らは訓練を積んだ兵士のように俊敏な動きで、手入れのされていない灌木や伸び放題の下生えをかき分け、森の中に道を作っていく。
 彼ら捜索のプロ集団とは別に、軽装で森に挑もうとしている一団がいる。スーツ姿に革靴で、とても苛立った様子だ。彼らは探索棒も持たず、救助隊が木に結びつけたロープを伝って歩いていることからも分かるように、捜索については素人だと思われた。特に年長の二人はどう見てもホワイトカラーで、現場の人間ではなかった。

 そのうちの一人、中園紳一は、足元を刺す草の穂先を八つ当たり気味に踏み散らしながら、
「ったくあの子は次から次へともう……岡部くんっ、副室長の君が出て来ちゃったら第九の仕事はどうするんだい」
「あっちは今井がいるから大丈夫だと、っ、大丈夫ですか」
 失踪者への苛立ちを手近な部下にぶつけた直後、木の根っこに引っ掛かって転びそうになるのをその部下に助けられる。前を歩いていた仕立ての良いスーツを着た男が、振り返って辛辣に言い放った。
「中園。岡部くんには僕が声を掛けたんだよ。大体、おまえに人のことが言えるのかい。会議をすっぽかしてきたくせに」
「はて。会議をすっぽかしたのは官房長殿では?」
「ぼくの代わりに出てって言ったじゃない」
 岡部と呼ばれた男が「大事な会議だったんじゃないんですか」と問うのに、彼はひょいと肩を竦め、
「いいんだよ。どうせ消化会議なんだから」と公僕にあるまじき発言で会話を締めくくった。それを咎めるように、後ろの男が小声で言い返す。
「小野田。僕はね、おまえのお守に付いてきたんだよ。危ないからよせって言ったのに、行くって聞かないんだから」
「頼んだ覚えはないよ」
「SP断った時点で僕が行くしかないだろ? だれがおまえの身を守るんだよ」
「岡部くんと青木くんがいるじゃない。それにおまえ、ぼくより射撃下手じゃなかった?」
「わかった、訂正する。誰がおまえの無茶を止めるんだよ」
 中園の返しに、岡部は思わず苦笑いする。室長の無茶は上司譲りか。

「岡部くん。悪いね、忙しいのに」
「いいえ。俺も室長の身が心配ですから」
 済まなそうに小野田が言うのに岡部は沈痛に、それでもにっこりと笑った。瞬間、すぐ隣を歩いていた捜索隊の一人が木の陰に身を隠した。
「何か出ましたか」
「す、すいません。なんか怖くなって。ホントすいません」
 歯切れの悪い答えに、岡部は近年の若者に対する不甲斐なさを感じる。危険を察知したなら身を挺して官房長を守るくらいの気概が欲しいものだ。彼らはSPではないが、警察官たるもの自分よりも弱いものを守るのは当然のことだ。
 岡部の不興を買い、慌てて探索棒を構え直して配置場所に戻った彼に周囲から同情の眼差しが注がれた。岡部を除いた全員が思っていた。鬼瓦が笑ったら、それは怖いよ。
 見た目と中身にギャップがあるのは第九職員のスタンダードで、室長の薪は言わずもがな、副室長の岡部も見かけの凶悪さとは掛け離れた優しい心の持ち主だ。小野田に言われずとも探しに来ていた。青木の報告から、薪は怪我をしている可能性が高い。一刻も早く探し出して、医者に連れて行かないと。

「まあ、中園さんが言いたいのは、俺か青木か片方でいいだろう、と言うことなんでしょうけど」
「青木くんはどうせ仕事にならないだろ」
 官房室の二人がケンカにならないようにとの岡部の気遣いに、小野田は中園以外の人間に怒りを向けることで応えた。小野田は岡部には優しいが、青木には厳しい。それはいつものことで、しかしその理由がまた、自分の娘婿にと望んでいた薪が青木と恋仲になってしまったからという全く職務には関係のない理由だと知っている岡部は、ついつい青木の弁護をしたくなる。
「そんなことはないですよ。青木の報告は明瞭でした。奴も警察官として成長して」
「保護が必要な一般人を車のトランクに閉じ込めた時点でアウトだと思うけど」
 青木は薪が絡むと、警察官としての正しい行動がとれなくなる。今回の場合、警官である薪よりも一般人の保護が優先されるべきで、県警に薪の捜索の依頼をした後は、速やかに彼女を病院若しくは地元の警察に送り届けるべきだった。しかし、青木はすぐに薪を探しに落下地点へと向かった。その際、邪魔になる彼女を車のトランクに閉じ込めておいたのだ。
 彼女が正気を失っており、放っておいたら何処へ行ってしまうか分からない状態だったとは言え、トランクに閉じ込めて鍵を掛け、1時間以上も放置したとなるとこれは大問題だ。トランクに閉じ込められた彼女は夢中で暴れ、爪が剥がれるほどにトランクの蓋を掻き毟っていたのだ。事情が明るみに出たら間違いなく査問会だ。

「だいたいね、青木くんは薪くんのボディガードだろ。この状況自体、彼が職務を全うしていない証拠じゃないか」
 小野田の厳しい言葉が耳に入ったのか、捜索隊と一緒に先を歩いていた青木が立ち止まった。振り返って、深く頭を垂れる。
「申し訳ありません」
「薪くんが危なっかしいのは今に始まったことじゃないだろ。ボディガードのきみがしっかりしてくれなきゃ」
 問題があるのはむしろ薪の方なのに、責を押しつけられた形で叱責を受けた青木は、それでも素直に「はい」と返事をした。小野田も認めているように薪の暴走は折り紙つきで、副室長の岡部でさえ止められないのだ。若い青木に至っては、何を進言しても耳も貸さないに違いない。

 薪がこんなことになって、一番心を痛めているのは青木だ。そこに追い打ちを掛けられるように上官に責め立てられる彼を不憫に思ったのか、中園が二人の間に割って入った。
「まあまあ小野田、その辺で。ここで青木くんを責めても意味ないだろ。第一おまえ、いつ青木くんが薪くんのボディガードだって認めたわけ?」
「なにを言ってるんだい。官房室から任命書を出せって言ったのはおまえだろ」
「形だけでも認めないって最後まで言い張ってたくせに」
 自己の不明と矛盾を指摘されて、小野田は口を噤んだ。が、その顔は不服そうだ。薪のことが心配で、普段の冷静さを欠いているのだろう。小野田は薪を盲目的に可愛がっている。娘との婚約が破談になっても彼を許したくらいだ。もはや上司と言うよりは親バカのレベルだ。
「薪くんの無事を確認したら、次は査問会とマスコミか。厄介だな」
「何とかしなさいよ。そのためにおまえがいるんだろ」
「官房長殿は首席参事官の職務内容を誤解なさってます」

 僕の仕事は薪くんの尻拭いじゃない、と中園がぶつぶつ言うのを気の毒に思いながら、岡部は上官からやや不当に評価されている後輩の傍に寄り、端的に尋ねた。
「青木。薪さんはどっちだ?」
 青木は黙って首を振った。
「なんだ、肝心な時に。おまえ得意だろ。薪さんの居所見つけるの」
 口唇を引き結んだまま、長身の後輩は空を見上げた。遥か上方、崖の上にグレーの布がはためいている。落ちた場所の目印にと、青木が自分の背広をガードレールの支柱に結び付けておいたものだ。ガードレールが剥がれて、支柱だけがぽつんと立っている崖っぷち。しっかりと道路整備が為されていれば、薪は無事だったかもしれない。

「いません」
 俯き、絞り出すように青木は言った。
「薪さんが、何処にもいないんです。岡部さん、薪さんが」
 語尾が震えている。薪が被害に遭ったとき、青木は彼と一緒にいた。居ながら彼を守れなかった。強烈な罪悪感がもたらす焦りと不安。それらが青木の顎を震わせ、声を乱している。後輩の心中を慮り、岡部は力強く青木を励ました。
「落ち着け青木。いま、みんなで探してる。大丈夫だ。彼らは遭難者を見つけるプロだ」
「そういうことじゃなくて。オレ、いつもなら薪さんがどっちに居るか何となく分かるんです。でも、それが全然分かんないんです」
「それはおまえがパニックになってるからだ。もっと心を落ち着けてだな」
「感じないんです」
 岡部の肩を掴み、青木は訴えた。取り縋られて分かった、青木が抱いているのは不安ではなかった。
 これは、恐怖だ。
「薪さんが、この世の何処にも感じられない」
 薪は既にこの世のものではないかもしれない。その仮説から引き起こされる恐怖だ。

「現場付近に死体はなかった。血の跡もない。何ものかに襲われたなら、その痕跡が残るはずだ」
 青木の機転が功を奏して、落下地点はほぼ正確に分かっている。周辺の木には折れたばかりの枝もあったし、下生えの乱れも確認された。が、そこには野犬が人間の身体を引き摺って行った跡も、熊の足跡もなかった。動物に襲われた確率は低い。
 何の痕跡も残っていないことから、薪の意識もなかったと考えられる。意識があれば上着に付けた救助信号を発信しただろうし、必ず捜索隊の為に目印を残すはずだ。
 おそらく、薪は崖から落ちて気絶したところを何者かに運び去られた。その何者かが悪人とは限らない。親切な通りすがりの人が病院に運んでくれたのかもしれない。薪が意識を取り戻せば、連絡をしてくるだろう。車で運べる範囲の病院は、地元の警察に応援を頼んでローラーを掛けてもらっている。もうすぐ中園のところに連絡が入るはずだ。
 だが。

「薪さんが何処にもいないんです。こんなの初めてです」
 子供のように繰り返す青木に、3人の顔色が曇る。
 青木と薪の間には、超自然的としか言いようのない繋がりがある。何となく居場所が分かると言うのはその一例に過ぎない。青木は薪に関することだけは、ズレまくっているように見えて必ず真実を選び取っている。その青木が怯えている。恐ろしい想像に震えている。
 薪の身に、只ならぬ災厄が降りかかっている可能性は高い。青木の畏れが伝染したように、皆の予想は悪い方向へと向かって行った。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(3)

 こんにちは!

 こないだの入札、2件も落札しちゃいました♪
 着工書類の作成も2件分なんで超忙しくなるんですけど、そこは自分の会社なんでね、仕事ないと会社潰れちゃうから頑張るです。書類を作る間、少し更新空くかもですが、よろしくです。
 9月からは現場に出ることになると思います。工事が終わる3月末までは去年みたいに更新減っちゃうかもですが、気長に待ってやってください。

 それと、一昨昨日あたりからたくさん拍手くださってる方々、どうもありがとうございますっ。
 過去作への拍手はクオリティ的には恥ずかしさMAXでございますが、昔の話の方ががっつり恋愛してて、読んでは面白いかもと思ったりします。薪さんも青木さんも、悩んで傷ついてぐちゃぐちゃになってるあたり。そこから大事なものを見つけ出していくんですよね。
 現在もこのスタイルは変わってないのですけど、「タイムリミット」の後の二人は永遠を誓い合っちゃってるので~、見つけるのが愛以外のものになってしまう傾向が強く、恋愛小説にはなってないと思います。何より、薪さんが大人になっちゃって、書いててもつまんない。とは言え、彼ももうすぐ50だしねえ。いつまでも男爵やっててもねえ。
 現在の青薪さんに波風立てるのは嫌なので、日付を戻して、男爵がカンチガイで地球の裏まで突っ走る恋愛話を書こうかなー。


 さてさて、続きです。
 短いですがどうぞです(^^




カエルの王子さま(3)





 開け放しのフランス窓から舞い込む冷たい風に、男は身を竦めた。立ち上がって窓を閉める。快晴だったはずの空は、いつの間にか濃灰色の雲で埋め尽くされていた。山の天候は変わりやすい。特に今時期は不安定だ。
 暦は既に5月だが、山際の森では季節の足運びに1月程度の遅れがある。新芽の芽吹く頃で、旧い深緑と新しい黄緑色、それと冬の間に死んだ枯れ木の砂色が広大な山麓で不規則に混じり合い、さらには山桜のぼやけたピンク色が点在する。この時季は毎年思う、見苦しいことこの上ない。

 男は窓の反対側に置かれたベッドまで戻り、再びその上に腰を下ろした。大きな枕の上にちょこんと載っている小さな顔を見つめ、ふうむ、と何度目かのため息を漏らした。
「本当にきれいだなあ」
 目を閉じた彼の、長い睫毛を人差し指の先で弄びながら、男は独り言を言った。彼は長い間話し相手のいない生活をしてきたせいで、独り言を言うのがクセになっていた。
「これで男なんだもんな。惜しいなあ」
 人里離れた山奥の屋敷の、豪奢な部屋の中に居るのはたった二人。どちらかが女性ならドラマになるのに残念だ。男はそんなことを思いながら掛け布団をめくり、仰向けになった男性の胸に手を当てた。
 規則正しく上下する胸の奥に、力強い鼓動を感じる。女性にはない筋肉の固さと、高い体温。女性のように揉みしだきたくなる感覚は生まれないが、手触りは悪くなかった。彼の肌はさらっとしてすべすべだ。一般的に評価の高い「手に吸い付くようなもち肌」ではないが、男の好みは痩せ形の女性だ。もち肌は纏わりつくようで気持ち悪い。

「ありか? いやいや、さすがにそれは」
 過去の恋人たちの中には、まだ乳房の膨らまない年齢の少女もいた。付き合ううちに、彼女は少女特有のエロスを醸し出すようになった。少女がイケるなら男もイケるかもしれない。男は中性的な体型が好きだったし、何よりもこの顔。
「顔だけなら文句なしにナンバー1だ」
 小枝にでも引っかけたのか、頬に小さな傷がある。それを除けば非の打ちどころがない滑らかさだ。どれだけこまめに手入れをすれば男の頬がこんなに綺麗になるのか、それとも最近は男でもエステに通って肌の手入れをするのが普通になったのか。一緒に暮らしていた彼女が、そんな話をしていた気がする。

「しかしこいつは……まずいな」
 それは彼の身分と職業を証明する手帳だった。上部には、制服を着て真面目な顔をした彼の写真があった。
 上着にこんなものが入っていると分かっていれば、助けなかった。あんまりきれいだからつい拾ってきてしまったが、彼がこんな職業に就いているなら、自分の計画は無謀すぎる。もう夕方だし、今夜一晩は泊めるしかないだろうが、明日は早々にお引き取り願おう。

 念のため、幾つかの部屋に鍵を掛けるべきだと気付き、男は彼の傍らを離れた。
 ドアに近付いた時、んん、と微かな声がした。振り返ってみれば、寝台の上に身を起こす彼の姿があった。意識を取り戻したらしい。思わず、男は舌打ちした。
 面倒なことになった。彼が眠っているうちに片付け物をしておくのだった。

 心に感じた痛痒をおくびにも出さず、男はにっこりと微笑んで彼に近付いた。街に出て、好みの女の子に近付くときのように。
「眼が覚めましたか。どこか、痛むところは?」
「ここはどこです。いったい何がどうなって、あ、痛っ」
 覚醒したばかりで混乱している様子の彼は、起き上がったことで急な痛みに襲われたらしい。倒れるようにして、再びベッドに沈んだ。包帯や絆創膏だらけの自分の身体を見下ろして、深く息を吐く。
「僕は何故こんな怪我を」
「森の中に倒れていたんですよ。上の道から落ちたんでしょう。でもあなた、ラッキーですよ。それくらいの怪我で済んで」
 男は、彼を見つけた時の状況を頭に思い浮かべた。彼は厚く積もった落ち葉の上に仰向けに転がっていた。彼の身体の下には折り取られたばかりの枝も数本あったから、崖から落ちて木に突っ込んだのだろう。あの崖はかなりの高さがあった。骨折や内臓破裂など、重傷を負っても不思議ではない高さだ。それが打撲に擦過傷、捻挫程度で済むとは、えらく幸運な男だ。顔がいい男は運も強いと見える。

「無理をしないで。もうしばらく休んだ方がいい」
 自分の額を包む彼の手に、男は自分の手を重ねる。そうされて、彼は初めて男の存在に気付いたらしい。彼の眼がぱっちりと開き、亜麻色の瞳が男の顔を映しだした。
 瞬間、男はいつも最初の時に味わう手酷い絶望を覚悟した。
 相手の眼に浮かぶ、嫌悪の色。蔑み、恐怖、同情か嘲笑か判じ難い曖昧な笑い。そんなものばかり向けられてきた。特に、若く美しい者からは。

 ところが彼は違った。眠りから覚めたばかりだったせいかもしれないが、男の顔を見て、ふんわりと微笑んだのだ。
「あなたが僕を助けてくれたんですか。ありがとうございました」
 その顔はとても愛くるしかった。一瞬、男は彼との生活を脳裏に描いた。悪くないと思った。詮索好きで細かいことばかり気にする女性より、返って上手く行くかもしれないと期待さえした。

「あなたのお名前を教えてください」
「桂木省吾だ」
 つい本名を答えてしまってから、自分の抱いた幻想に失笑する。そんなこと、できるわけがない。だって彼は。
「桂木さんですね。ありがとうございました。僕は」
 潰えたとばかり思った夢が蘇ったのは、次の瞬間だった。彼は右手を口元に当ててしばらくの間口ごもり、何とも不思議そうに言ったのだ。

「僕は誰でしょう?」



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(4)

 昨日の日曜日、プチオフ会に参加してまいりました~。
 幹事さんになってくれたうかさん、お疲れさまでした。わたしのようなド田舎のおばちゃんにまでお声掛けてくださって、ありがとうございました。
 東京のお洒落なお店で美人さんに囲まれて薪さんトーク。とても楽しいひと時でございました。遊んでくださったみなさん、感謝です。途中、えらい羞恥プレイになって身体溶けるかと思いましたケド(・◇・)
 機会があったらまた参加したいです(^^


 



カエルの王子さま(4)






 当日の探索は断念するとの決断が下ったのは、日没の1時間前であった。天候の崩れもあり、これ以上の捜索は危険であるとの判断がされたのだ。

 まだ日が沈む時間じゃないのに、と駄々を捏ねたのはもちろん現実が見えていない若造だ。他には誰も隊長の判断に異を唱える者はいなかった。彼らはこの道のプロだし、経験豊かな先達たちは全員二次災害の危険を承知していたからだ。
「オレだけでも残って探します」
「あのね青木くん。君が森でのたれ死ぬのは勝手だけど、僕たちの眼の届かないところでやって欲し、……岡部くん、ちょっと乱暴じゃない?」
 頑固に言い張る青木を説得しようと言葉を重ねる中園の努力を無視して、岡部は一言も発せずに青木のみぞおちに拳を入れた。急所への不意打ちに、青木はあっさり気を失う。
「なに言ったって無駄ですよ。こいつのことです、一晩中どころか3日でも探してますよ」
「1週間後には野犬のエサだねえ。それもいいなあ」
「小野田。冗談に聞こえないよ」
 繰り返すが、青木は薪の秘密の恋人である。薪を自分の後継者にしたい小野田としては、もう自分の娘じゃなくてもいいから彼に女性と結婚してほしいのだ。青木は当然邪魔者だ。新聞で死亡事故の記事を見るたびに、「これが青木くんならよかったのに」と呟く小野田を日常的に見ている中園には、まったく冗談にならない。

「ありがとうございます、中園さん。青木を心配してもらって」
 小野田が青木を疎んじていることはもはや、第九と官房室の人間なら誰でも知っている。その情況下で、中園が青木を庇ってくれるのはありがたかった。
「青木くんも薪くんも、代わりはいくらでもいるからね。死ぬのは勝手だけど職務中は困る。僕の責任問題になる。それだけだよ」
 中園は素直じゃない。本当は薪のことも心配でたまらないのだ。常になくイライラした様子に、不安が表れている。
 ここにいる3人は全員、気持ちは青木と同じだ。できることなら一晩中でも森の中を探し回りたい。その行為が間違いなく二次遭難につながること、助かった薪がその事実を悲しみ、自分の罪として背負うだろうことを確信しているから言わないだけだ。それを証明するかのように、中園がこっそりと岡部に耳打ちした。
「ただ、僕もちょっと早い気がする。日没までまだ1時間もあるんだ。空が曇ったところで道しるべのロープもあるし、保険の掛け過ぎじゃないかな」

「おっしゃる通り、保険を掛けてます」
 岡部だけに聞こえるように言った中園の皮肉を、3mほど後方にいた隊長が聞きとがめた。さすが森林捜索のプロ。耳がいい。
「この森は行方不明者が多いんです。それも、ここ3年ほどで20人以上と言う異様な数です。今は正常にコンパスが使えますが、応援に入ってもらった地元の消防団員の話では、これがまったく役に立たなくなる時があるそうです。そういう時は捜索を諦めてしまうのだとか。だから、見つけられることを嫌う自殺者も非常に多い」
 それは、岡部たちが知らされていない事実だった。コンパスがまるで役に立たないとなると尋常ではない。磁鉄鉱を多く含む地層は磁気を発してコンパスを狂わせるが、かの有名な富士山麓の樹海とて、せいぜいが1,2度ずれるだけで方向が分からなくなるほどではない。コンパスを無効にするほどの強烈な磁力が、この森のどこかから発信されているのだろうか。

「この森は人を喰うと、近くの町の住民は恐れているくらいです」
 青木に聞かれなくて良かったと、岡部は心から思った。そんな曰くつきの森だと分かったら、青木が何をするか分からない。原因不明の病に侵された薪の治療をしろと、第五の職員たちを竹刀で脅した男なのだ。隊長を人質に取ってでも、捜索を続けさせるかもしれない。
「危なかった……岡部くんグッジョブ、――っ、だからおまえは何処に行くの!」
 森から出ようとする岡部たちと、無言ですれ違おうとした男の腕を、中園は遠慮なく捕えた。指先が白くなるくらいの強さで握りしめる。男の顔も蒼白であった。
「話を聞いてたか?」
「聞いてたよ。薪くんの命が危ないってことじゃないか。あの子に何かあっ」
 相手が言い終る前に、中園は相手の頬を平手で引っ叩いていた。岡部の眼が点になる。思わず肩に担いだ青木を落としそうになった。先輩である岡部でさえ青木の言い分を全部聞いてから殴ったのに、そもそも参事官が官房長をひっぱたくって。

「頭を冷やせ」
 瞬間、二人の間に生まれた稲妻のような感情の衝突に、岡部は軽いパニックを起こした。官房長と首席参事官のガチバトルなんて滅多に見れるものじゃない。ていうか見たくない。絶対に出世にひびくよ、これ。
 が、小野田はすぐに自分の激情を収めた。さすがは官房長を務める男だ。
「ありがとう中園。おかげで冷静になれた」
 叩かれた頬の赤味以外は、普段とまったく変わらぬ穏やかさで、
「上官に対する暴力行為は査問会の対象だ。首席監察官にはぼくから電話しておくよ」
 ……さすが官房長。

「それだけは勘弁してください、官房長殿。査問会は嫌いです」
 説教は、するのは好きだけどされるのは嫌いだ、と言っていた身勝手な上司を思い出す。この森のどこかで、救助を待っているかもしれない彼。しかしこの状況にあっては、まだ所轄の調べが及ばない何処かの病院に収容されていることを願うしかなかった。
「3年連続で減俸処分なんて。これ以上給料減らされたら生活できなくなる」
 減俸と聞いて、岡部は中園に同情した。多分、2066年のウィルス事件と翌年のテロ事件だ。犯人逮捕に協力したとはいえ、あれだけの騒ぎを起こした薪に何の処分も下りないのはおかしいと思っていたが、中園が被ったのか。
「男の子が買えなくなるの間違いじゃないの」
 ……うん、減俸くらいはいいんじゃないかな。ウィルス事件の翌月、薪は中園に命じられた潜入捜査のおかげで死にかけたんだし。

 その捜査に協力することを自分が薪に勧めたことはちゃっかりと棚上げにして、岡部は青木の巨体を担ぎ直した。筋肉がしっかりと付いた青木の身体は、以前にもまして重くなっていた。
 青木自身のスキルアップもあって、最近は寝技を返すのが難しくなってきた。次の昇段試験では青木に二段を受けさせてみようと岡部は思い、その階級が薪と同じであることに気付いた。たった一つ、薪が青木よりも上に位置する武術として拠り所にしているそれに青木が追いついてしまったら薪はどう思うだろうと余計なお世話を焼きつつ、岡部は森を抜けた。

 暗い森の中から外へ出る。自然に振り仰いだ夕暮れ間近の春の空は、いつの間にやら濃灰色に染まって、彼らの不安を映し出すかのようだった。




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ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(5)

 こんにちは。少々暑さでへばっておりました、しづです。
 コメントのお返事、滞っててすみません。テンション上がらなくて~。実はね、
 よいお天気が続いていたので、梅干しの土用干しをしたんですよ。あの暑さの中、梅干し引っくり返してて、まんまと熱射病になりました☆ 
 苦労の甲斐あって、今年の梅干しはとってもフルーティにできたんですよ~。市販のものよりは大分酸っぱいですけど、甘い梅干しが苦手なオットには大好評でございました。よかったよかった(^^



カエルの王子さま(5)





 来客のために用意した寝巻きを脱衣籠の上に置き、省吾は浴室のガラス戸に向かって声を掛けた。
「ここに着替え置いておくからね。お湯加減、どう?」
「ありがとうございます。ちょうどいいです」
 中から彼の声が聞こえる。透き通ったアルト。男にしてはやや高めだが、ケチの付けようがない美声だ。きっと歌も上手いのだろう。

「すみません、何から何まで。迎えに来てくれる人間の一人や二人、いるとは思うんですけど、どうしても思い出せなくて。桂木さんにご迷惑を」
 恐縮する彼に「省吾でいいよ」とフランクに話し掛ける。できるだけやさしい声で、省吾は言った。
「気にすることはない。今はショックで記憶が飛んでるだけだ。すぐに思い出すさ」
「思い出そうと頑張っているんですけど。頭の中に霧がかかったみたいで」
「無理に考えない方がいい。どうせ今夜はここに泊まるしかないよ。迎えが来るとしても、日が落ちてからでは道に迷うのがオチだ。ここは森の中だからね。一晩ゆっくり眠りなさい。明日の朝には記憶が戻るよ、きっと」
 ガラス越しに二人は言葉を交わした。彼は決して口数の多い方ではなかったが、省吾は彼の遠慮がちな態度に新鮮な感動を覚えていた。今どきの若者にしては礼儀をわきまえている。美人なのに遠慮深い子なんて、今まで一人もいなかった。

「そろそろ出ます。ごめんなさい、手を貸してもらえますか」
 入るよ、と断ってから、省吾は浴室の中に入った。彼の身体には多数の打撲痕があり、中でも右足首の捻挫はひどかった。左足の倍ほどにも腫れていたことから骨折を危惧したが、つま先を自分の意志で動かせることから折れてはいないと判断した。が、一人で歩ける状態ではない。松葉杖か車椅子があると良かったのだが、そんなものを常備している民家は少ない。
 自分がひどく汚れていることに気付いた彼は、風呂を貸して欲しいと言った。打ち身に風呂はよくないと注意したが、泥まみれのままでいるわけにもいかない。さいわい、右足の捻挫以外は軽傷のようだったので、無理をしないで省吾の手を借りるという条件付きで風呂の用意をしてやった。
 ベッドから浴室に移動するのも、洋服を脱ぐのも、省吾が手伝った。脱がせてみて、省吾は心底驚いた。衣服の下、土に汚されていない彼の肌は、これまでに見たどの女性よりも白かった。

 美しいと思った。女の身体よりも、ずっと。
 その上、妙な色香がある。くびれたウエストから腰のラインなんて、まるで――。

「すみません、桂木さん。服が濡れちゃいますね」
「省吾だよ」
「……省吾さん」
 彼は、困ったように微笑んだ。なんて愛らしい笑みだろう。こんな風に微笑む人間を、子供以外で見たことがない。
「気にしなくていいよ」
 そう返すのがやっとだった。心臓が激しく打って、彼に聞こえてしまうのではないかと不安になった。
 浴槽から上がったばかりの、濡れて火照った身体を抱き留めながら、すっかりきれいになった髪から立ち上るフローラルな香りを吸い込む。草やら葉っぱやらが付いていた時には分からなかったが、艶の良い亜麻色の髪だ。長く伸ばしたらさぞや美しかろう。
 こんな美しい人の身体に、肌に、この自分が触れている。この醜い自分が。今までの女たちとは違って、彼にはまだ何も与えていない。それなのに自然にこうして、言葉を交わして笑顔を見ることができる。同じ性別が有利に働くこともあるのだと知った。

「きみ、出身は東北かもしれないね。肌が白くてきめ細やかだ」
「そうでしょうか」
「眼と髪の色からすると、外国人の血が混じっているのかもしれないね。フランス人のお父さんと、秋田美人のお母さんとか」
「そうかもしれませんね」
「職業はきっと、タレントとかモデルとか、そういう華やかな世界にいたんじゃないかな」
「いや。もっと男らしい職業だったと思うんですけど」
 何故だかそこだけはきっぱりと否定する彼の肩を掴み、脱衣籠の前に立たせる。生まれたままの美しい姿。
「普通の男だなんて思えないな。こんなに綺麗なのに。……なんで怒るの、褒めたのに」
「すみません。なんか不愉快な気分になって」

 省吾の心からの称賛を不機嫌な顔つきで辞退して、彼はパジャマに手を伸ばした。脱衣籠の中に、汚れて丸められた自分の衣服があるのを見て、
「ワイシャツにスラックスに無地のネクタイ。タレントやモデルなら、もっとそれらしい服装をしていると思いますけど」と省吾の意見を否定した。
 なるほど。観察力はあるし頭もよさそうだ。となると、あの身分証は残念ながら本物だ。
「上着はどこでしょう?」
「なぜ?」
 急に尋ねられて、つい質問で返してしまった。彼は、自分が上着を着ていたことを覚えている、その上着を省吾が隠したことに気付いた。その予想が省吾を焦らせた。
「上着の中に、財布や身分証が入っていたかもしれないと思いまして」
「上着はなかった」
 省吾は強く言い切った。
「崖から落ちた時、木の枝にでも引っ掛けてしまったんだろう。でなけりゃ猿が毛布代わりに持って行ってしまったか」
 咄嗟に考えた言い訳が、するする出てくる。幾人もの恋人たちと仮初めの日々を送るうち、省吾が身に付けたスキルだ。
「そうですか。残念です」

 肩を落として、彼はパジャマに袖を通した。白いレースの付いたパジャマは、彼の透き通るような美貌によく似合った。
「……これって女物ですよね」
「我慢してくれよ。僕のじゃ大き過ぎるだろ」
「いいえ、構いませんけど。誰のなのかなって思って。省吾さんの彼女ですか?」
「うん、そう。別れちゃったけどね」
 え、と可愛らしい声を上げた後、彼は省吾に向かって済まなそうに頭を下げた。「立ち入ったことを聞いてすみませんでした」と素直に謝る態度に、省吾はますます彼に惹かれていく自分を感じた。人間、素直が一番だ。ツンデレだかヤンデレだか知らないが、いま流行りの女の子は複雑で面倒臭い。

「いいよ。彼女とは潮時だったんだ。そのおかげで君に会えたようなもんだし」
「え?」
「実はね、彼女が黙っていなくなったから探しに出たんだよ。この森は迷いやすいから心配でね。そうしたら君を見つけた」
「いいんですか。彼女を探さなくて」
「書置きがあった。男と一緒だとさ。君を家に連れ帰ってから、サンルームで見つけたんだ」
「一緒に暮らしていたのに書置きだなんて。ひどい話ですね」
「仕方ないよ。僕はこのご面相だからね」
「そんな」
 彼は省吾の言葉を鵜呑みにし、気の毒そうな顔つきになった。同情心が篤くて人を信じやすい性格。実に好ましい。施術を施すにも最適の人格だ。懸念があるとすればただ一つ。彼の上着の中に入っていた身分証だ。
 あの身分証が、省吾の決断を鈍らせていた。気持ちの上ではゴーサインは既に出ている。自分のような醜い人間は、美しいものにはとことん弱いのだ。とはいえ、彼の記憶が戻ったら。もし彼の仲間が彼を助けに来たら。彼の職業は省吾にとって、あまりにも危険だった。

 進むべきか戻るべきか、迷う省吾の背中を押したのは、他でもない彼だった。
「そんなの、ロクな女じゃないですよ。切れて良かったんじゃないですか」
「言うね」
「男の魅力はここです」
 そう言って彼は自分の薄い胸を叩き、ウッと顔をしかめた。背中の打ち身に響いたのだろう。
「省吾さんは親切で、初めて会ったばかりの僕にとてもよくしてくれる。僕は記憶を失って、何処の誰とも分からないのに。素敵な人だと思います」
 微笑まれて、省吾は泣きそうになった。
 本当に、この世には天使のような人間がいるのだ。人を疑うことを知らない、邪心のない美しい人。外見だけでなく、心の芯まできれいなひと。

 美しい人の美しい顔が、ふと曇った。躊躇いがちに訊いてくる、やさしさで潤った瞳。
「あの。僕、何かいけないこと言いましたか」
 堪えたと思っていたのは錯覚だった。省吾はとっくに涙を流していた。
 泣き笑いの顔で省吾は言った。
「そんなことを人に言われたのは、生まれて初めてだったから」




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ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(6)

 お盆休みも終わりました、と思ったら入札が6件(・◇・) 
 休み明けの積算、きついー。アタマ回んないよー。
 第九メンズがこんなこと言ったら、ものすごい雷が落ちるに違いない。仕事しよ。

 お話の方は、今日からカエル再開でございます。
 こっちもいい加減ヤバい状況ですけど、お盆SSに比べたらへっちゃらだよねw




カエルの王子さま(6)






 その夜一晩中、中園はテーブルに置いた電話を眺めて過ごした。自宅に帰ってから掛かってきた電話は4件。そのすべてが同じ男からのものだった。
 地元警察から発見の電話があったらすぐに連絡するから、と再三言い聞かせたにも関わらずしつこく掛けてくるから、「君からの電話を受けている最中に所轄から連絡が入って、こちらの対応が遅れたらどうするんだ」と脅してやったら静かになった。その代わり、30分おきにメールが来るようになった。

 ふと壁掛け時計を見やれば、深夜の3時半。夜半過ぎから降り始めた雨の音だけが、静まり返った家の中にひっそりと響いている。
「寝なさいよ、青木くん」
 明日も仕事なんだから、と、それは中園も同じことだったが。
 自分と青木だけではない。今夜はまんじりともせず夜明けを迎えるものが何人もいるはずだ。おそらく、中園の上司も。

 崖から落ちた薪が重傷を負って動けない、上着につけた救難信号のスイッチさえ押せない状態であろうことはほぼ確定的だった。県内の病院を虱潰しに当たった県警が彼を見つけられなかったなら、彼はまだあの森の中にいるのだ。この雨に体力を奪われて、人知れず命の灯を消そうとしているかもしれない。それだけでも十分過ぎるほどの脅威なのに、さらにもう一つ、中園の白髪を増やす仮説が浮かび上がった。
 薪が自分の身と引き換えに助けた、件の女性だ。
 彼女は精神的にも肉体的にも、健常者の領域を遥かに超えていた。何かにひどく怯えており、話を聞くどころか、安定剤なしには傷の手当さえできない状態だった。彼女の身体には、ありとあらゆる種類の傷が数えきれないほどに刻まれていた。打撲痕に切り傷、火傷、鞭の跡まで。明らかに他者の手によるものであった。
 おそらく彼女は何者かに長期間監禁され、日常的に暴行を受け、ついには精神に異常をきたしてしまったのだろうと言うのが医師の所見であった。

 知らなかったこととはいえ、そんな女性を車のトランクに閉じ込めた。青木が彼女にしたことは、何が何でも隠さなくてはいけない状況になってきた。
 いや、重要なのはそこではなく。薪がその犯人の魔手に落ちたかもしれないという可能性だ。

 明らかにサディズムの傾向を持った相手だ。すぐには殺されないだろうが、何をされるか分からない。死んだ方がマシだと言う目に遭わされるかもしれない。実際に、彼女は精神に異常をきたしてしまったのだ。
 一刻も早く犯人を見つけ出す必要がある。だが、捜査資料は白紙だ。被害者の供述が得られない以上、森の近辺に住居を構えているであろうことくらいしか指標を立てられない。加えて、薪がその犯人に捕まったと言う確証は何処にもない。でも。
「薪くんだからなあ」

 薪は運が悪い。目を瞑って右と左どちらかの道を選べば、必ず行き止まりかひどい時には崖。そういう男なのだ。しかし、中園個人の予感だけでは、県警を動かして森を一斉捜索させるなんて大がかりな戦術は取れない。万が一、薪がひょっこり出てきたりしたら官房室の失点になる。自分のミスは小野田の足を引っ張る。軽はずみな真似はできない。
 官房長だ首席参事官だと権力が服を着て歩いているように思われているが、様々な制約があって、思うように動けないのが現実だ。警察機構に於いて肩書は大事だが、その分不自由を強いられるのも事実だ。

 ――こんなとき。薪を助けられるのは、何物にも縛られずに行動できる人間なのだろう。

 ふと、薪を人質にして第九に立てこもった男を思い出す。
 まったく、青木は薪が絡むと無茶をする。普段の温厚な彼からは想像もつかない無茶ぶりだ。愛ゆえだか何だか知らないが、そのたびに尻拭いをさせられるこっちは堪ったものじゃない。

 そんな風に、つらつらと愚にもつかぬことを考えながら夜明かしをした翌朝、中園は出勤直後に第九を訪れた。朝になって急に激しさを増した雨に、ズボンの裾を濡らしながらの訪問であった。
 室長不在の第九は騒然としていた。薪が行方不明になったことは昨日のうちに伝わっていたはずなのに、こうも尾を引くものだろうかと訝しがっていると、中園の姿を見つけたメタボ体系の第九職員が泡を食ってこちらにやってきた。
「おおおおおおはようございます、中園参事官! ご機嫌うるわしゅう!」
 明らかに様子がおかしい。徹夜明けのテンションにしても突き抜けすぎだ。

「今朝は何のご用で?」
「青木くんに会いに来たんだよ」
「なんでピンポイント!?」
 どういう意味? と尋ねたが、曽我は両手で口を押さえてしまった。ぶんぶんと首を振る。窮地を察した小池が、助け船を出しに駆けつけて来た。
「おはようございます、中園さん。青木に何かご用ですか」
「以前岡部くんと一緒に飲んだ時さ、青木くんは薪くんが第九に居ない日は使い物にならない、て零してたんだ。面白そうだから見に来たんだよ」
 中園が得意の憎まれ口を叩くと、糸目とメタボのコンビは顔を見合わせ、
「なら岡部さんの自爆ってことで」
「仕方ないよな」
 頷き合って道を開けた、その先には机の陰にしゃがみ込んで電話をしている岡部の姿。人目を忍んでいるつもりかもしれないけど岡部くん、声も身体も大きすぎだから。

「青木、いいから帰ってこい。おまえが勝手な行動を取ると薪さんに迷惑が掛かるんだよ。いや、確かに今はその薪さんがいない状態だけど。この雨で救助隊も足止めを食ってるそうじゃないか。そんなところに素人のおまえが行ったところで……そりゃ俺だって薪さんのことは心配だよ。でもおまえにみたいに職務を放り投げて探しに行くなんて真似は」
「青木くんかい」
 中園が声を掛けると、岡部はびっくりして飛び上がった。どうしてここが分かったのかと言うように辺りを見回す。自分の大きさに自覚のない男だ。
「や、あの」
「ちょっと貸して」
 戸惑う岡部から強引に携帯電話を奪い取る。耳に当てて、冷静に尋ねた。
「青木くん。なにしてるの」
 全員が固唾を飲んで中園の行動を見守っている。みな一様に目を腫らし、不安な表情をしている。多分、昨夜安眠できた者はこの中には一人もいない。

『すみません、中園さん。これはオレが勝手にやってることですから。どうか室長や副室長の責任問題にはしないでください』
「君はどうしてそんなに無鉄砲なの」
『捜索の仕方は昨日見てましたから。百メートルのロープも3体用意しましたし』
「そういう意味じゃないよ。なんで薪くんのことになると見境なく突っ走っちゃうのか訊いてるの」
『どうしてって』
 中園自身、答えが返ってくるとは思わなかった問いに、青木は易々と答えた。
『薪さんが怪我をしてたら助ける。いなくなったら探しに行く。当然のことです』
 それは部下の思考じゃないと中園は思った。今どき奴隷だってこんなに主人に尽くさない。ここまで主人に忠誠を誓える生物と言えば。

「犬か、君は」
 ハーッと思い切り、昨夜の寝不足による倦怠感を硬直している岡部に向かって吐き出すと、いくらか心が軽くなった気がした。
 精一杯の軽蔑を込めて、中園は冷酷に言い放つ。
「薪くんのイヌならイヌのプライドに掛けて。ご主人さまを探しだせ」



 

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カエルの王子さま(7)

 新しくリンクさせていただいたブログ様のご紹介です。

 なみたろうのブログ ←ポチると飛べます。

 すでにご存じの方も多いと思いますが、なみたろうさんは優れた絵師さんです。本当に上手。
 技巧もさることながら、描かれる薪さんがわたしの好みど真ん中なんですよ~!
 表情がね、とっても良くて。綺麗で凛々しくて切ないの。イラストの背景を深読みしたくなる、物語性のある絵を描かれる方です。
 わたしが紹介文を書くより、見てもらった方が早いし、間違いなく伝わると思います。まだチェックがお済でない方は、ぜひご覧になってくださいねっ!
 

 さて、お話の方は、あー、けっこう放置してましたね(^^;) ごめんなさい。
 入札は終わったんですけど、施工計画のやつがね、元請2本あるからね。下請けと合わせて3本だからね。打っても打っても終わらない(笑)
 今日もこれから仕事しますー。これを提出しないと工事に入れないと言う建前もありますが、本音は、
 全部終わらせて、すっきりした気持ちでメロディ読みたいから。←社会人失格。
 いいのよ、仕事さえきちんとやれば。心掛けなんか見えないんだから。←人間失格。




カエルの王子さま(7)





 さっきから一向に減らない皿の中身を見て、省吾は、彼と此処で暮らすなら使用人を雇わなければならないと思った。省吾は不器用で、家のことなど何もできない。今夜の夕食もレトルトのおかずとパンとインスタントスープだ。彼も男だから似たようなものだろう。家政婦が必要だ。

「ごめんね。こんなものばかりで」
「あ、違います」
 彼に食欲がないのは食べ物が口に合わないせいではなく。では怪我が痛むのかと聞けば、それも違うと言う。
「ちょっと不安になって」と彼は零した。
「男のくせにって思われそうですけど。自分が誰だか分からないことが、こんなに怖いものだとは思いませんでした」

 省吾が彼を自分の家に連れ帰ってから、3日が過ぎていた。打撲による痛みは大分治まって、怪我による発熱もなくなった。無理をして風呂を使ったせいか初日は熱が高くて、省吾は慣れない看病に大わらわだったのだ。
 翌日には熱も下がって、彼はベッドの住人になった。生憎の雨で山の風景も楽しめず、退屈そうにしていたから自分の小説を何冊か貸してやった。しかし彼は恋愛小説には興味がないそうで、推理小説かサスペンス物はないかと聞いてきた。残念ながらそのジャンルは省吾の方が苦手で、苦し紛れに父が購読していた古い科学専門誌を与えてみたら、それが大層お気に召したらしく、一日中、飽きもせずに読んでいた。まったく変わった子だ。
 その間、彼を訪ねてくる者はいなかった。それを不思議とも思わない。3日前から降り続いている雨が救助隊を足止めしている事実は省吾の与り知らぬことであったが、これまでもずっとそうだったのだ。この家は、森のほぼ中心に位置している。ここに家があること自体、だれも知らないのだ。

「本当に、僕は何者なんでしょう」
 3日目に入り、残る不自由は右足の捻挫のみとなった。食事もこうしてダイニングで摂れるようになった。しかし、肝心の記憶の方はさっぱりだった。彼は未だに自分の名前すら思い出せなかった。
 記憶はすぐに戻るものと、彼も始めは楽観的に考えていたのだろう。それが3日たっても思い出せず。頭の中の霧は晴れたのに、そこには何もなかったのだと、彼は困惑しきった瞳で省吾を見上げた。
 こんな瞳で頼られたら、誰だって慰めずにはいられない。その細い肩を抱いて、「元気を出せ」と励ましてやりたくなる。省吾は自分をいい人間だとも優しい人間だとも思っていないが、どういうわけか、彼はひとにそんな気を起こさせるのだ。
「大丈夫だよ。きっと今頃、君の知り合いも懸命に君を探しているよ。明日になっても君の記憶が戻らないようだったら、僕が街の警察署に行って、捜索願が出されていないか確認してきてあげるよ」
「警察……」
 そのキーワードを、彼は口の中で繰り返した。何の気なしに発してしまったが、それは彼の記憶に密接に結びついているに違いなかった。

 とんでもないドジを踏んでしまった。彼がそこから記憶を引きださないうちに話題を変えなければと、省吾はやや唐突に昔話を始めた。
「僕の母も失踪したんだ」
 え、と彼が思索の淵から顔を上げる。驚きに目を見張った彼の顔にどきりとした。なんて可愛らしい。
「父と僕を捨てて、男と逃げた。母は大層きれいな女性だったけれど、父との間に愛はなかった。父は資産家でね、優れた科学者でもあった。特許をたくさん持っていて、だから僕も生活に困ったことはない。母が父と結婚した理由も、つまりはそういうことだったんだろう」
 省吾の打ち明け話に、彼は気の毒そうに眉を下げ、省吾を慰めようとしてかこんなことを言った。
「母親が子供を置いて行くのは、身を切られるような辛さだと聞きます。きっとお母さんにも事情があったんですよ」
「普通の母親ならね」
 省吾は苦く笑った。あの女のことは思い出したくもない。

「母は、一度も僕を抱かなかった」
 そう、ただの一度も。

「理由は僕が醜かったからだ」
「まさか。自分の子供でしょう?」
「母は僕が小さい時に家を出てしまったから、父から聞いた話だけど。実際、僕にも母に抱かれた記憶はないんだ。世の中にはそんな母親もいるんだよ」
 自嘲する省吾に、彼は言葉を失った。とても困った顔をしている。彼の素直さが愛しかった。
「あの女に最後に言われた言葉だけは、今も胸に突き刺さっている。『なんて醜い。お父さんそっくり』」
 美しい女性ばかりを選んで苛む己が性癖は、母親に捨てられたことが原因になっているのだと、省吾自身理解していた。自分を捨てて行った女への思慕が自分をサディズムへと駆り立てる。不毛極まりないサイクルだと分かっていたが、自分でも止められなかった。

「いやあ、劣性遺伝て怖いねえ。僕は父の醜さと母の残酷を受け継いでしまったんだね」
「そんなことはありませんよ。省吾さんはご自分でおっしゃるほど不細工じゃないし、やさしい人です」
 世話になっている礼のつもりか、彼は省吾の外見に対してお世辞を言い、だけどそれは少なからず省吾のプライドを傷つけた。だから次に省吾の口をついて出た言葉は、多少の毒を含んでいた。
「きれいな人にはね。君がブスだったら助けなかったよ」
「ふふ。冗談ばっかり」
 省吾は冗談を言ったつもりはなかったが、彼は可笑しそうに笑った。彼の笑い声は、部屋を明るくした。テレビもオーディオもない部屋で、それは貴重な音楽になった。

 省吾の家には娯楽と呼べるものは何もなかった。テレビもラジオも置いていない。そもそも電気がきていないくらいだから固定電話もないし、もちろん携帯電話も通じない。しかしながら最低限のライフラインは確保されており、日常生活に不便はなかった。水は深井戸で街の水道水より余程美味だったし、電力は太陽光システムと自家発電まで完備されていた。家の南側にずらりと並んだ太陽光パネルは、父が市販のものを改良した高効率のパネルで、家一軒には十分すぎるほどの電力を生み出していた。
 省吾と同じくらい醜かった父は、その優秀さゆえに世間に注目されることも多く、結果、省吾以上に辛い目に遭ってきた。優秀な科学者であり技術者でもあった彼は、この森の中に秘かに研究施設を設立し、住居スペースに美しい妻と幼い子を住まわせ、人目を避けて研究に没頭した。研究に使う材料を仕入れるために父が街へ出ることはあったが、誰かが訪ねてくることはなかった。父は誰にも自分の住居を教えなかった。
 だから省吾は、小さい頃からずっとひとりぼっちだった。勉強は父が教えてくれたが、学校には行っていない。調べたことはないが、もしかすると戸籍もないのかもしれない。ともかく、極端に人付き合いを拒んだ父親のせいで、省吾が孤独な人生を送ってきたことは確かだった。

 それは、自分そっくりの容姿を持った息子に対する父なりの愛情だったのかもしれない。子供だけは自分のような辛い目に遭わせまいと、世間の残酷から省吾を必死に守ってくれたのかもしれない。だけど。
 省吾には、楽しいことなど何もなかった。こんな風に、他人の笑い声に包まれたことも。
 こんな気持ちになったのは初めてだ。この子といると癒される。美しいだけじゃない、彼には人をやさしい気持ちにする何かがあるのだ。美しい女性を前にすると、省吾は必ずと言っていいほど凶暴な衝動に襲われた。それがないのは、彼が男性だからという理由だけではない。彼は特別な人間なのだ。
「省吾さんは善い人ですよ。見れば分かります」
 やり直せるかもしれないと思った。彼がいれば、彼が自分の傍にいてくれれば。

「ねえ。君の名前を決めないか? 短い間とはいえ、名前がないと不便だし」
 そうですね、と彼が頷いたので彼の意見を聞いたが、彼は右手を口元に当てて考え込んでしまった。自分で自分に名前を付けると言うのはあまり例がないことで、要は一般的ではない。普及しないのはそれが困難を伴うからだ。
 名前には、将来の夢や希望が詰まっている。こういう人間になって欲しい、と願って親は子に名をつける。それは親が子に一番最初に示す人生の道しるべだ。親から与えられたものならそれに報いる努力はするだろうが、名前通りの人間になれなかったとしても自分に責任はない。が、自分がそれを為してしまったら逃げ場がなくなってしまう。だから自分に名を付けるという行為は難しいのだろう。

「僕が決めてもいいかな?」
 どうぞ、と微笑んで、彼はパンをちぎった。一口で食べることができる上品な大きさ。一つ一つの仕草が洗練され、品が良くて、それが嫌味にならない。元子爵とか、そういう世界の人かもしれないと、省吾は彼の血筋を想像した。
「ええと、何がいいかな」
「いいですよ、なんでも。省吾さんが呼びやすい名前で」
「イメージから言うと『静』とか『薫』とか、女性的で綺麗な名前が浮かぶんだけど」
「もっと男らしい名前だった気がします」
 なんでもいいって言ったじゃない。苦笑して、省吾は冗談とも皮肉ともつかない応えを返した。
「俗に言う名前負けってやつだね」
「ンだと、こら」
「えっ」
 聞き間違えかと思った。本人もびっくりしたらしい。あのような言葉を吐いたとは思えぬ愛くるしい口元を手で覆って、あれ? と首を傾げた。
「すみません、反射的に……なんか僕、キレイとか女っぽいとか言われるの、すごく嫌みたいです」
「そうかい。これから気を付けるよ」
 美しいという言葉が褒め言葉にならないなんて。変わった子だ。

「じゃあ、サトシはどう? 聡明の聡と言う字でサトシ」
「漢字は必要ないんじゃ」
「必要だよ。聡明の聡と俊敏の敏ではイメージが全然違うだろ」
 はい、と彼はうなずいた。その瞬間から、彼は『桂木聡』と言う人間になった。
 いい名前だと思った。美しく聡明な彼に相応しい名だ。

 苗字に自分の姓を付けていることから察せられるように、省吾はもう、彼を元の世界に帰すつもりはなかった。彼がもしも正常な記憶と健康な体を持っていたなら、今までの女たちと同じように、例の施術を行っていたところだ。
 しかし、できればあれはやりたくない。何度も繰り返せば壊れてしまうし、何よりもあれで作られるものは紛い物にすぎない。その事実が余計に省吾を残酷にするのだ。
 省吾だって、本当は彼女たちに優しくしたかった。自分が凶悪な人間であると罵られるより、優しい人間であると褒められた方が誰だって嬉しいに決まっている。それをさせなかったのは彼女たち自身だ。
 でも彼なら。省吾をやさしいままの人間でいさせてくれる。
 記憶が無く頼る人もなく、不安の中で遠慮がちに省吾に手を伸ばす。この状態の彼こそが、省吾の魂を救ってくれるのだ。

「天使みたいだ」
 思わず零れた本音は、彼の耳に入って彼を戸惑わせた。持っていたスプーンを置いて、そっと右手を自分の口元に当てる。俯き加減になる彼を見て、省吾は慌てて謝った。
「ごめんごめん、こういうこと言われるの嫌だって言われたばかりだったね」
「いえ、そうじゃなくて」
 彼はそれを言っていいものかどうか迷う風だった。口に出すことによって嫌な予感が現実のものとなる。そんな不安からくる躊躇いが、彼の口を重くしていた。
「僕はとても罪深い人間のような気がします」
 しばしの沈黙の後、彼は言った。
「熱が高かった時、夢を見たんです。僕の両手は、誰かの血で真っ赤に染まっていました」
 その夢は、彼が恐れているような過去を彼にもたらすものではないと省吾は思った。彼の職業は刑事。ならばそれは殺人事件の捜査か、最悪でも犯人を射殺したとか、そんな記憶が見せた夢だろう。
「もしかしたら犯罪に手を染めていたのかも。不安でたまらないのも、そのせいかもしれません。せっかく省吾さんに助けていただいたのに……」
 省吾を見上げた縋るような亜麻色の瞳に、彼の躊躇いにはもう一つの意味があったのだと知る。自分の経歴が他人に言えないようなものであった場合、省吾が自分に悪感情を抱くかもしれない。嫌われたくないと思ってくれたのだ。嬉しさに舞い上がるように、省吾は彼を明るく勇気づけた。

「そんなことはないよ。万が一、君が人を殺めたことがあったとしても、それは仕事だったからだろう?」
「仕事? 僕の仕事について何か分かったんですか」
 また口を滑らせてしまった。そして彼は刑事。人の言葉尻を捕えるのが上手い。
「いや、あくまでも一般論でさ。例えば軍人とか、仕事で人を殺さなきゃいけない人だっているじゃない。いくら仕事だと言っても実際に人を殺してるわけだから、罪悪感は付き物だろう。君のもそういうことじゃないのかな」
 省吾の説明に、彼はいつものように素直に頷いた。それから遠くを、まるで自分が置いてきた世界を俯瞰するように眼を伏せて、
「もしもそうなら」と呟いた。
「思い出さない方が幸せなのかもしれませんね。そんな仕事に戻りたくないし」
 どくん、と省吾の心臓が跳ねた。彼も今の状況の継続を、省吾との生活の延長を望んでいる。もしかしたら、本当に彼と愛し合って暮らしていけるかもしれない。

「すみません、勝手なことを言って。省吾さんにご厄介になってるのに」
「僕はいいよ。ずっと君に此処にいて欲しい」
 食事を終えてトレイを差し出した、彼の右手を捕まえた。邪魔な食器を横に追いやり、小さな手を包み込むように握る。
「こんな森の奥で一人ぼっちで暮らしているの、本当は寂しいけど仕方ないんだ。この容姿じゃ人前に出られないから」
 そんなことないですよ、と彼が入れてくれたフォローを、省吾は敢えて無視した。自分の醜さは自分が一番よく知っている。実の母親にさえ疎まれた、この顔。
「だから君が此処にいてくれるの、僕はとても嬉しいんだ」
 省吾は彼の細い身体を抱いた。抱きしめてしまえば顔は見えなくなる。彼にとってもその方がいいはずだ。相手の醜い顔を見なくて済む。こうして眼を閉じてしまえば、人肌のぬくもりだけが感じられる。

「君さえよければ僕と、うわっ!」
「あ、すみません。手が勝手に」
 投げ飛ばされた。さすが警察官。腰をさすりながら起き上って、省吾は自嘲した。
「いいよ、無理もない。僕みたいな醜い男じゃ」
「いやあの、顔がどうこうじゃなくて。省吾さん、男でしょ。男に触られるの気持ち悪いです」
「え。きみ、男ダメ?」
「普通ダメでしょ」
 この顔と身体で普通とか言われても。
 そういうことなのか、と省吾は我が身を省みて納得した。自分が醜いせいで他人から謂れのない迫害を受け続けたように。彼はその美しさゆえに他人に誤解を受けて、だからキレイという言葉は彼にとって禁句なのだ。

「ごめんなさい。省吾さんのことは好きですけど、こういうことはちょっと」
「今、なんて」
「……キスは無理です」
「ちがう、その前」
「手が勝手に」
 戻りすぎ。
「僕のこと、好きだって言った?」
 恐る恐る聞いてみる。聞き間違えだったらえらい赤っ恥だが、どうしても確かめたかった。
「好きですよ。当たり前じゃないですか」
 省吾の問いに、彼はにこりと微笑んだ。誰かに面と向かって好きと言われたのも初めてなら、好意を打ち明けた相手にこんな風に微笑まれるのも初めてだった。それから、
「こんなによくしてもらってるのに。省吾さんが変態だったからって、嫌いになんかなれません」
 さらっと変態扱いされたのも初めてだっ!

「違うよ、僕は変態じゃない。今まで男の子を好きになったことなんかないよ」
 省吾の言葉を信じたのかどうか、彼は曖昧に笑った。しかしそのはちみつ色の瞳は曇ることなく、糖度を増したかのようにゆるりときらめいた。
 今や省吾は彼との出会いに運命すら感じるほど、彼に惹かれていた。
「君は特別だ……聡」



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カエルの王子さま(8)

 明日はメロディの発売日!
 ツイッター情報によると、今回は岡部さんが表紙らしいですね(笑)←嘘です。でも、本当にそうだったら記念に2冊買います♪

 嬉しいことに、今年は仕事の出が早くて、8月から準備に追われてます。おかげでブログに割ける時間が減ってしまっているのですが、お話には気長にお付き合いくださると嬉しいです(^^


 

カエルの王子さま(8)





 桂木家に闖入者があったのは、その翌朝。降り続いた雨がようやく上がった日のことだった。
 どうやらあの雨の中、森を彷徨ったらしい。その男はずぶ濡れの上にひどく汚れて、風体はまるで浮浪者のようだった。無精ひげの生えた頬は枝に引っかかれて傷だらけだったし、眼鏡には泥汚れの跡があった。
 だが、その体格はとても立派だった。長身で足が長く、汚れを落とせば顔もよさそうだ。年は省吾よりも10歳くらい年上に見える。となると彼との年齢差は15歳くらい。彼の上司かもしれない、と省吾は男の素性を類推した。

 眼鏡の奥の充血した眼でしっかりと省吾を見て、男は青木と名乗った。
「人を探しています。この森で行方不明になったんです」
 心当たりはありませんか、と彼は思い詰めた様子で訴えた。
 知らない、と省吾は答えた。青木が省吾の嘘を見破ったのかどうかは分からない。青木は、この家の中を調べさせてくれと言いだした。
「なんだい、失礼な」
「あなたのではない靴があるようなので」
 玄関に置きっぱなしになっていた彼の靴を指して、青木は言い募った。目ざとい男だ。思った通り青木は彼の上司、つまりは刑事だ。中に入れるわけにはいかなかった。
「それは弟のものだ。ここには僕と弟の二人だけだ」
「弟さん、ですか」
 泥に汚れたメガネの奥で、黒い瞳がきらりと光る。疑いを持った刑事の眼。脛に傷持つ身だからか、青木の一言一言に過敏に反応してしまう。落ち着け、と省吾は自分に言い聞かせた。
「弟さんにも話を聞きたいんですけど」
「あいにく弟は病気で療養中だ。会わせられないよ」

 玄関先で押し問答をしていると、騒ぎが耳に入ったのか、彼が部屋から出て来てしまった。手摺に掴まり、未だ痛みの残る右足を引きずるようにして歩いてきた彼は、階下の様子が眼に入ったのか、踊り場で立ち止まった。
 部屋に入っていなさい、と彼に声を掛ける暇もなかった。青木は非常識にも靴のまま、省吾を一足飛びに置き去りにして階段を駆け上った。階段は全部で12段あるはずなのに、廊下に響いた彼の足音はたったの3回だった。

「よかった。無事だったんですね」
 あっけにとられた省吾が我に返って振り向いた時には、青木は彼をしっかりと抱きしめていた。会社勤めをしたことがない省吾にはよく分からないが、上司と言うのは部下の無事を確かめた時、こうして抱きしめるものなのだろうか。
 否々、そんなはずはあるまい。夜の森が非常に危険であることは子供でも知っている。野犬は多いし、灯りがないから遭難の危険も高い。青木はそれを推して彼を探しに来たのだ。単なる仕事仲間の為にそこまでするものか。少なくとも、青木は彼に特別な感情を抱いているに違いない。
 百歩譲ってそれが友情だとしても、その光景は省吾にとって大きな打撃だった。昨夜、省吾を投げ飛ばした彼が、青木の抱擁は受け入れてじっとしている。青木に抱きしめられて、うっとりと眼を閉じている。ショックだった。
 男に触られるのは気持ち悪いと言った彼の言葉は、やはり嘘だったのだ。自分がこれほどまでに醜くなければ、彼に受け入れられる可能性は十分にあった。
 いずれにせよおしまいだ。知り合いに会えば、彼は記憶を取り戻すだろう。省吾が恋をした「桂木聡」という人間は何処にもいなくなる。いつかは来ると覚悟はしていたが、その終焉はあまりにも唐突だった。

 しかし次の瞬間、青木は彼に投げ飛ばされていた。省吾の時よりも時間が掛かったのは、立っていたために右足の踏ん張りが利かなかったのと、青木が省吾よりも遥かに大きかったせいだ。
 突然響いた男の悲鳴と共に、家の床全体が振動した。何が起きたのかと顔を上げれば、階段を転がり落ちてくる青木の姿。階段落ちする人間を省吾は生まれて初めて見た。はずなのに。
 これと同じ光景をどこかで見た、と省吾は思った。
 何故、階段落ちにデジャビュを感じたのかは分からない。或いは小説の中だったか、それとも昔、プレイ中に女を階段から突き落としたことがあったのか。

 玄関の大理石にしたたか背中を打ち据えた青木を、省吾は思わず助け起こしていた。身体が自然に動いたのは、図らずも昨夜の自分と同じ憂き目に遭った青木に同情したからだろうか。
 振り仰いで彼を見ると、彼は踊り場に座り込んでいた。力を込めた右足が痛むのか、下を向いて、痛みに耐えるように眉を寄せている。前の彼女が残していった服を着て、それはなんとも可愛らしい姿だった。
「聡。大丈夫かい」
 省吾は苦笑し、彼に話しかけた。
「何もここまでしなくても。知り合いなんだろう」
 本音では、彼が青木を拒絶してくれたのがうれしい。それを気取られないよう僅かな非難を口調に忍ばせる。彼のいる踊り場まで省吾が階段を昇っていく間、彼は顔を上げ、じいっと省吾の顔を見つめていた。研磨された宝石のように澄んだ琥珀色だった。

 省吾が踊り場に到達すると、彼はちらりと階下にいる青木を見下ろし、
「いえ。知らない人です」
「な、なに言ってんですか。オレです、青木です」
 青木と同じくらい、省吾もびっくりした。知り合いの顔を見ても記憶が戻らないとは。記憶障害は省吾には馴染み深い病気だが、天然ものは初めてだ。やはりマニュアルは使えないようだ。

 彼に投げ飛ばされて幾らか冷静になったのか、青木は、やっと気が付いて靴を脱ぎ、靴下のまま階段を上って来た。森を歩いているうちに靴の中に泥が入ったのだろう、彼の靴下は土足となんら変わりなかった。
 省吾たちと同じ踊り場までやってきた青木は、彼の前にその長身を屈め、
「本当にオレを覚えてないんですか」と彼に自分の顔を近付けた。彼がやや邪険に首を振ると、青木はすっと身を引き、
「仕方ないですね。この手はあんまり使いたくないんですけど」
 言いながら、彼は気乗りしなさそうに眼鏡を外すと、オールバックにまとめた髪を手櫛でほぐし、前髪を額に垂らした。
「この顔に見覚えは?」
「あ、鈴木」
「じゃあこっちは?」と青木が再びメガネを掛けて手のひらで前髪を上げると、
「知らない」
「はいはいはいはい! どんな状況でも鈴木さんのことだけは覚えてるんですよねっ、オチは分かってましたけどね!」
 さめざめと涙を流す大男を見て省吾は思った。この男、ちょっとアタマ弱いんじゃないか。

「鈴木ってだれだい?」
「さあ。なんか自然に浮かんできて」
 どうやら青木の奥の手は効かなかったらしい。省吾は聡に手を差し延べ、彼の身体を抱き上げた。聡は省吾の首に腕を回して自分の身を安定させると、床にへたり込んだままの大男を冷たい目で見下した。
「どうせオレなんか何年経っても鈴木さんに比べたら」
「なにを言ってるのか分かりませんけど。とにかく、僕はあなたなんか知りません。帰ってください」
 冷たくて厳しい声だった。省吾は初めて見る彼の厳格に、思わず唾を飲み込んだ。それほどの威圧感だったのだ。彼の職業を思えば、それは普通の態度だったのかもしれないが。

 だが青木も警察官。彼と真っ向から睨み合った。場の緊張が極限に達すると一般人の省吾は居たたまれなくなり、均衡を崩す目的で彼の言葉に追従した。
「聡もこう言ってることだし。帰ってくれないかな」
「サトシじゃありません。あなたの本当の名前は」
「誰かとお間違えじゃないですか」
 彼はその先を青木に言わせなかった。
「僕は桂木聡です。省吾兄さんの弟です」
 亜麻色の瞳がギラリと光った。まるでゴーゴンの瞳でも見たかのように、青木はその場に凍りついた。

 はっきりとした拒絶。彼は全身で青木を拒んでいた。

 それを悟ったのか、青木は深々と一礼し、「申し訳ありませんでした」と自分の暴挙を詫びた。名残惜しそうに彼を見ていたが、彼が自分に一瞥もくれない事を知ると、肩を落として帰って行った。





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カエルの王子さま(9)

 メロディ読みましたー。
 追記にちょこっとだけ感想入れておきます。ネタバレいやんな方、見ないでね☆







カエルの王子さま(9)





「ありがとう、聡。話を合わせてくれて」
 青木に付けられた泥靴の跡を拭き取りながら、省吾は彼に礼を言った。彼は踊り場に座って左足を抱え、省吾の働く様子をじっと見ていたが、省吾に話し掛けられるとクスッと笑って、
「あの男、どう見ても普通じゃありませんでしたから。関わり合いにならない方がいいと思って」
「それにしても、聡は強いな」
「ありがとうございます」
「それに、怒るとおっかない」
「それは相手によりますよ」

 危機を脱した興奮が、省吾を包んでいた。口をついて出る軽口はその証拠だ。二人は共犯者のように微笑み合い、軽い揶揄を含んだやり取りを楽しんだ。彼も乱入者を撃退したことに興奮していたのかもしれない。掃除を済ませた省吾が彼を迎えに行くと、手摺に掴まって立ち上がりながら、はしゃいだ調子で言った。
「それよりも省吾さん。今日は僕が朝食を作ったんですよ」
「な。怪我が未だ治らないのにどうしてそんな無理を、――聡、料理なんかできるの?」
「普通できるでしょ」
 どうも彼とは普通の概念が噛み合わない。尤も、省吾の「普通」はこの狭い世界の中の普通だから、彼の方が正しいのだろう。
「足はもう大分いいんですよ。さっきの背負い投げ、見たでしょう?」
 悪戯っぽく笑って、彼は省吾を食堂に案内した。

 彼の作った朝食は見事だった。材料は冷蔵庫にあったものを適当に使ったと言っていたが、大したものだ。あれらをどう調理すれば食べられるものになるのか、彼女がいなくなってからはお手上げだったのだ。
 省吾は朝は苦手で普段から朝食は食べないのだが、招かざる客のおかげでテンションが上がっていたせいもあって、食事がとても美味しく感じられた。温かなスープの湯気の向こうには彼の美しい顔がある。朝食が食べられる時間に起きれば、毎朝この顔が拝めるわけだ。
 明日からは7時に目覚ましをセットしよう、と省吾は心に決めた。
「すごく美味しいよ。これなら家政婦を雇う必要はないね」
「家政婦を雇う予定があったんですか?」
「いや。でも、君のために食事が作れる人間が必要だと思って。僕は不器用だから、洗濯と掃除くらいは何とかなるけど、料理は難しいよ」
「そうですか? やってみると案外楽しいですよ」
 これだけ料理が上手いところをみると、彼は独身だったのだろうか。指輪もしていなかったし、刑事は農家の次に嫁の来てがない職業だと何かの本に書いてあった気がする。だとすると、彼の捜索願を出すのは彼の親だろうか。

 これが一般人なら、このまま隠しおおせたかもしれない。
 失踪人の捜索は、形ばかりのものとなることが多い。それは失踪したとされる人間たちのなんと6割近くが自発的な蒸発であるという現実があるからだ。残りの3割は依頼者の錯誤や本人との連絡不足で、いなくなったとばかり思っていたのに友だちの家に転がり込んでいたとか単なるプチ家出だったとか、実際に事故や事件に巻き込まれてしまった者は全体の1割に満たない。だから警察も本腰を入れて探してくれないのだ。
 しかし、彼は警察官だ。
 さっきの青木とかいう上司が、署にこの家のことを報告するだろう。そうしたら、もっと多くの仲間が此処に押し寄せてくる。そんなことになったら、省吾は身の破滅だ。
 青木を、このまま帰すわけにはいかない。

「聡がこんなに料理が上手いなら、今日は街に出て食料品を買ってくるよ」
 幸い、省吾はこの森に精通している。街に出る秘密の近道も知っている。森の出口で青木を待ち伏せることは十分に可能だった。
「買い出しですか。お手伝いしたいのは山々なんですけど、僕の右足、長時間は無理みたいです。さっき無理をしたせいか、段々痛くなってきちゃって」
「いいよ。聡は家で待ってて」
 願ったり叶ったりだ。街に出れば彼は様々なものを見るだろう。その刺激が彼の記憶を呼び起さないとも限らない。
「あの、おねだりしてもいいですか?」
 おずおずと申し出た彼に、なんなりと、と省吾は答えた。
「コーヒーが飲みたいんですけど、買ってきてもらえませんか」
「いいよ。銘柄は?」
「特にありません。普通のブレンドでいいです」
「わかった。他には?」
「男物の服を買ってきてください」
 彼があんまり真剣にそれを言うから、省吾は思わず笑ってしまった。女物の服がよほどお気に召さないらしい。

 食事が終わって後片付けに入ろうとした彼を、省吾は止めた。「僕が後でするから」と彼の手を取り、二階の一番奥の部屋に案内した。
「僕がいない間、話相手がいなくて退屈だろう。この部屋を使うといい」
「……すごい」
 父の自慢のオーディオルームを見回して、彼は感嘆の声を上げた。
 研究一筋で趣味らしい趣味も持たなかった父だが、音楽だけは好きだった。古今東西の音楽CDを収集し、専用の部屋を作った。金に糸目を付けずに高価な音響機器を組み合わせ、最高のサウンドで部屋を満たした。CDラックの殆どは著名なオーケストラによるクラシック音楽だったが、ジャズやブルースも混じっていた。その代わり、時代に合わせたホップスは見当たらず、流行りの歌謡曲は皆無だった。

「良い趣味ですね」
「僕じゃないよ。父の趣味だ」
 省吾は父ほど音楽に興味が持てなかった。この部屋はもっぱら、家に招いた彼女たちのために使用していた。
「では、このオーディオルームはお父さまの形見ですか。そんな大事な場所を僕が使っていいんですか」
「もちろん。ここには大事な人しか入れないよ」
 そう、今までにも結婚しようと決めた女性しか入れたことがない。美しく華やかで愛らしく、一生傍に置いておきたいと思った女性しか。
「言っただろう? 聡、きみは特別だ」
 愛を込めた省吾の言葉に、彼はいつものように曖昧に笑い、CDラックを覗き込んだ。

 CDケースに薄く掛かった埃を払いながら好みの音楽を物色している彼に気付かれないように、省吾は一枚のディスクを自分の鞄に入れた。それから、朝の光にきらきらと輝く彼の亜麻色の頭をぽんぽんと叩き、
「じゃ、いい子でお留守番してるんだよ」
「はい」
 鍵のかかった部屋に入ってはいけないと、敢えて省吾は言わなかった。人間、禁止されると余計に気になるものだ。彼はこの家に来て1週間も経たない。遠慮深い子だし、まだ足も痛むようだし、鍵をこじ開けてまで屋敷を探索することはないだろう。

 省吾は彼に見送られてオーディオルームを出ると、屋敷の裏に回った。ここから森を抜けると1時間ほどで街へ出られるのだ。正規の林道――と言っても、一見道とは分からないくらいの獣道だが――を通ると車でも1時間、徒歩では半日は掛かる。あの男の様子では徒歩で来たのだろう。家から林道に出るまで半時間、そこから半日。先回りする時間は十分にある。
 彼を見つけて、青木は仲間に連絡を取ろうとしたに違いない。が、この森では携帯電話は使えない。応援を呼ぼうにも自分が一旦戻るしかないのだ。省吾の目的は、それを阻止することだ。

 省吾は鬱蒼とした森を見やり、ぎゅ、とくちびるを噛んだ。
 ――彼は渡さない。
 財布とディスクの入った鞄を胸に抱き、省吾は森への一歩を踏み出した。



*****



 この下、メロディ10月号の一言感想です。
 あんまりいい感想じゃないので、不快に思われた方ごめんなさい。


* TLで話したりコメントいただいたりして、考えが変わりました。次の記事で新しい感想を上げてます。ので、こちらの感想は消してしまおうかとも思ったんですけど~、
 敢えてこのままにしておくことにしました。消したら反省の気持ちも消えちゃいそうだから。

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カエルの王子さま(10)

 こんにちは。
 続きでございます。


カエルの王子さま(10)





 一方、屋敷を追い出された青木は、困惑して道端に座り込んでいた。
 自分が間違えるはずがない。あれはたしかに薪だった。抱き締めた瞬間硬直し、時間と共に弛緩する身体を青木はよく知っていた。鼻腔を満たした百合の花にも似た彼の香も。
 しかし、薪は自分を知らないと言った。

 考えられる可能性は2つ。薪そっくりの顔と身体と香りを持った人間が偶然あの屋敷にいた可能性。そしてもう一つは、崖から落ちたショックで薪が青木のことを忘れてしまったという可能性だ。
 前者はあり得ない、と青木の捜査官としての経験が告げていた。そんな偶然が横行したら、世の中の9割の犯罪は偶然の産物になる。薪は記憶を失っている可能性が高い。
 昔の親友の顔は分かったのに青木のことはあっさり忘れ去られて、けっこう可哀想な恋人だと自分でも思うが、このくらいで諦めるような青木ではない。薪の非道な仕打ちには慣れている。問題は、どうやって彼の記憶を呼び覚ますかだ。

「応援を頼むか」
 薪が無条件で思い出しそうな人物が、もう一人いる。鈴木と密接に係わっていた女性、雪子だ。しかし、彼女に此処まで来てもらうには時間が掛かるし、目印のロープが張ってあるとはいえ森の中は危険も伴う。
「まあ雪子先生なら大丈夫だと思うけど……あ、そうだ」
 先日、雪子夫婦と四人で食事をしたとき、携帯で写真を撮った。雪子と薪がツーショットで写っている写真もあったはずだ。
「これを見せれば」
 屋敷に引き返そうと思った。省吾とかいう男に門前払いを食うかもしれないが、この写真があれば自分が薪の知り合いだと分かるだろう。さっきは焦って警察手帳を提示することも忘れていた。疲れと空腹でまともな行動が取れなくなっていたのだ。きちんと手順を踏んで協力を求めれば、彼も応じてくれるだろう。

「よし。そうと決まれば、――でっ!」
 いきなり、後ろ頭を誰かに引っぱたかれた。振り返ってみると、そこには恐ろしい顔をした大男が仁王立ちになっていた。
「岡部さん。どうしてここに」
「どうしてじゃねえよ、バカヤロウ。おまえのしたことは職務放棄だぞ」
 自分の行動が規律違反であることは分かっていた。「すみません」と謝りながら青木が叩かれた後頭部をさすると、
「薪さんならこうした」と岡部はしかつめらしい顔で言った。
 やっぱり岡部は甘い。薪なら絶対に蹴りがくる。「すみません」と青木はもう一度謝った。

「こうして岡部さんまで出てきてしまって、第九の方は大丈夫ですか」
「曜日の感覚もねえのか。今日は日曜だ」
 なんと。それでは青木が森に入ってから三日も経つのか。森の中には日の光が届かないほどに暗い場所も多かったし、青木は薪のことが心配で昼夜を問わず歩き続けていたから、時間の感覚を失くしてしまったらしい。
 青木が張っておいたロープのおかげで、岡部は迷わず此処に来ることができた。岡部も登山スタイルにリュックと、それなりの装備を固めてきたようだが、青木のように疲弊してはいなかった。

「ずいぶん時間が掛かったな」
「方向は何となく分かったんですけど、100メートルロープ3体じゃ全然足りなくて。街で新しいロープを調達して、何度も往復しましたから」
「で? 薪さんは見つかったのか」
「はい。ここから30分ほど歩くと大きなお屋敷がありまして、そこに」
「無事なのか」
「ええ、お元気でしたよ。オレを投げ飛ばすほど」
「投げ飛ばされたのか?」
 驚いて口を開けた岡部に、青木は薪を襲ったであろう災厄の内容を語った。

「記憶喪失? 薪さんが?」
「自分の名前も分からないみたいなんです。家の人には『サトシ』て呼ばれてて。オレの顔も覚えてませんでした」
「薪さんがおまえを忘れちまうなんてことがあるのか」
「そりゃあもうさっぱりと。そのくせ鈴木さんのことだけは覚えてるんですよ。オレが前髪下ろしたら『鈴木』って……うううう」
 思い出したら泣けてきた。苦労して探し出した薪に冷たくあしらわれたことより、鈴木に負けたことの方が悔しかった。
「ふうん」
 青木の嘆きに岡部は些少の同情も見せず、太い腕を組んで目を閉じた。なにやら考え込むような岡部の態度が、青木には意外だった。薪の居所が分かったのなら早くそこへ案内しろと言われるとばかり思ったのに。
 肩透かしを味わう青木をよそに、岡部は携帯電話を取り出した。ここでは携帯は通じませんよ、と青木が注意すると、衛星電話だと返された。そこまで用意をしてきたと言うことは、岡部は上官の命を受けてここに来ているのだろう。電話の相手は中園か小野田か、いずれにせよ警察の人間には違いない。

「青木が薪さんを発見しました。ええ、中園さんの予想通りで。はい、プランBです。予定通り決行します。そちらの手配はお願いします」
 どうやら電話の相手は中園で、岡部と彼の間では薪の救出に関する計画が立てられていたらしい。青木は岡部がその計画について、自分に説明してくれるのをじっと待った。

 やがて岡部は電話をポケットにしまい、我慢強く待ち続ける青木を見た。
「青木。家の人ってのは、どんな奴だ」
「省吾って名前らしいです。苗字は分かりません。薪さんのことを自分の弟だって言い張ってました」
 彼は薪の記憶喪失をいいことに、嘘を吐いている。ただ、これまでの経験から青木は知っていた。人が嘘を吐くのには何らかの理由があるのだ。もしかすると省吾は愛していた弟を亡くし、助けた薪を身代りにしているのかもしれなかった。その仮説を裏付けるように、省吾は薪のことをとても大事にしていたし、薪も彼を慕っているようだった。つまり、危害は加えられていないと言うことだ。

 青木は自分の考えを岡部に話した。話を聞いた岡部はしばらく考えていたが、やがて大きく「よし!」と頷いた。いざ、奪還作戦の開始だ。
「青木、メシにしよう」
「はいっ、――はいぃ?」
 てっきり屋敷に乗り込むのだと思っていた青木は、岡部の掛け声と同時に立ち上がり、反対に地面に腰を下ろした岡部を見下ろす格好になった。
「なに呑気なこと言ってんですか」
「薪さんは元気なんだろ。だったら急がなくてもいいだろう」
 岡部は背負っていたリュックを下ろし、その中身を取り出した。水筒と、大きな握り飯が4つと缶詰。タッパーに入った糠漬けの色合いがとてもきれいだった。
 食べ物を見た途端、青木は強い空腹感に襲われたが、ぐっと耐えた。薪をあの家から連れ出す方が優先だ。

「薪さんは記憶が無いんですよ。早く病院へ連れて行かないと」
「記憶喪失ってのは、医者にかかればたちどころに治るってもんでもないだろう。それに、もう一度訪ねたからってその省吾って男が簡単に薪さんを差し出すか?」
「きっと岡部さんが行けば怖くなって本当のことを、い、いえその」
 ギロッと睨まれて青木は口を噤んだ。薪といい岡部といい、どうして優れた刑事ほど目つきが怖いのだろう。
「焦る必要はないさ。日が暮れてからでも」
「日暮れまで待つんですか。どうして」
 日暮れどころか食事をする間すら待てない、と青木は言った。
 省吾の首に回された薪の細い手首が、青木の脳裏には映っていた。薪が元気だとしても、いや、元気になったからこそ安心できない。今までは怪我をしているからと遠慮していた男がオオカミに変身する理由として、先ほどの一本背負いは十分ではないか。

 いても立っても居られない青木とは対照的に、岡部は余裕の構えだった。
「おまえが先走ってる間に解ったことがある。ゆっくり話してやるからとにかく座れ。飯を食ったら顔を洗って、それから夕方まで眠れ。飲まず食わずで森の中をうろついていたんだろう。ひどい顔だぞ」
 ほらよと握り飯を差し出して、岡部はニカッと笑った。
「いつもの甘ったれた間抜け面に戻れば、薪さんだっておまえのことを思い出すさ」


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カエルの王子さま(11)

 今回ちょっとグロイかも~。
 気分悪くなったらごめんね(^^;



カエルの王子さま(11)




 いよいよ日が暮れようとする頃、岡部と青木は丈の長い草に隠れるようにして目的の屋敷に向かった。これだけ遠くから薄暗さに紛れて歩を進めれば、家人に気付かれることはまずないだろうと思われた。

 食事の後、岡部に強制されて横になった青木は、耐えがたい眠気に襲われた。3日間、殆ど眠らずに森を彷徨っていたのだ。当然の顛末だった。
 そんなわけで青木が、自分たちが助けた女性が監禁の被害者だったことを聞いたのは、つい先刻だ。その犯人として有力なのが、薪を保護している省吾であることも。

 岡部が夕方まで待ったのは、実は最初からの計画であった。
 もしも薪の身柄が犯人の手に落ち、青木がその奪還に失敗し居場所のみを突き止めていた場合。救助隊は森の外に待機させておき、岡部と青木によるゲリラ作戦を敢行する手はずになっていた。昼間の電話は、それを報告するものだったのだ。
 犯人の隠れ家には、薪の他にも監禁されている人間がいるかもしれない。だとすると、救助隊が団体で屋敷に急行するのは危険だ。突然屋敷が外敵に取り囲まれたら、犯人はどうするか。普通の人間なら呼びかけによる投降を期待できるが、相手は異常者の可能性が高い。逆上したあげく人質全員を皆殺しにして自殺、なんてことになったら警察幹部は総辞職だ。当然、薪の命もない。

 岡部に命じられたのは、犯人の隠れ家に潜入し、監禁されている人間の数と位置を調べて本部に報告することであった。もちろんこれは第九の職務ではない。捜一の特殊班あたりの仕事だ。それを強硬に志願して勝ち取った。それが警察官として大事な人を守ると言うことだ。職務を放り投げて先走った青木とは違うのだ。
 小野田も中園も、そして自分も。仕事を放りだした青木のことをさんざんに悪く言ったが、その裏には、他のすべてを投げ打ってでも愛する人のために一直線に走っていける、そんな青木への羨望が混じっていた。要は羨ましかったのだ。そこまで誰かを愛せるなんて、幸せな男じゃないか。

「そんな男と二人きりなんて。薪さんは大丈夫でしょうか」
 3人の複雑な胸中など察する様子もなく、青木は心配そうに言った。これから犯人の隠れ家に潜入しようという緊迫した場面で、本当に薪のことしか考えられない男だ。
「あの手合いの男はな、相手が自分に好意を持っている段階では優しすぎるくらい優しいんだ。それが、相手が自分以外の人間に好意を向けたり、自分から離れようとすると手のひらを返したように豹変する。あの女性も多分、逃げようとして折檻されたんだ」
 それはあくまで岡部の予想であって、彼女から供述が取れたわけではなかった。だから令状も下りないし、所轄に捜査を依頼することもできなかった。
「彼女も記憶を失くしていたんですか」
「記憶どころか、完全に壊れちまってたよ。可哀想に」
 それが事実であの男の仕業だとしたら、許せない。省吾が本当にそのような人物なら、何がきっかけで悪魔に変わるか分からない。薪の身が心配だ。
 しかし、と青木は、昼間見た省吾の顔を思い出す。とてもそんな風には見えなかった。線が細くてナイーブそうで、まるで――。

「青木、表門は目立つ。裏に回るぞ」
 岡部の厳しい声が青木の思考を止めた。こくりと頷き、音を立てないように方向を変える。二人の男は静かに屋敷へと近づいて行った。

 屋敷の門扉と塀は高く、中の様子を探ることは不可能であった。裏門には鍵は掛かっていなかった。岡部はそっと中を窺い、大きな体躯に似合わぬ俊敏さで門の内側に身を滑り込ませた。
 青木が自分の後を着いてくるのを確認し、裏扉に手を掛けた。そこに掛かっていた鍵は、岡部が力技で壊した。無音と言うわけにはいかなかったから、少しの間その場で様子を伺っていた。少々手荒いが、省吾が出てくるようなら二人掛かりでふん縛るつもりだった。
 幸いにもそんなことにはならず、二人はほっと胸を撫で下ろした。確たる証拠もないのに家に侵入しているのだ。警察に捕まるとすれば、今は自分たちの方だ。罪の上塗りはしたくない。

 家の中は、異様なくらい静かだった。
 青木は耳を澄ませたが、何も聞こえてこなかった。それでも青木には、薪がいる方向は何となく分かった。それは不思議な感覚で、上手く説明することは青木にもできない。敢えて例を挙げるなら、動物の帰巣本能のようなものだろうか。
 薪は、上にいる気がした。
 青木は岡部にそれを伝えたが、人質の確認が先だと言われた。青木の報告からも解るように、薪は監禁の被害には遭っていない。となると、人質がいるとしても薪とは別の部屋だろう。例え記憶を失くしていても、あの薪が、監禁されている人間を放っておくとは思えないからだ。

 省吾がいくら薪を弟扱いしていても、寝室は別だろう。省吾が自室へ戻る時刻を見計らって薪の救出に向かう。それまでに人質の確認と証拠を集める。それが岡部の計画だった。
 それでは森を抜けるのが夜中になってしまう、と青木は言ったが、相手を刺激すれば薪の身に危険が及ぶと説得されれば反論もできなかった。寝込みを襲って省吾を拘束した後、薪の部屋で彼と一緒に夜明けを待ち、日が昇ると同時に森に入るであろう救助隊を待つ。省吾の抵抗を封じて記憶の無い薪に協力を求めるためにも、省吾が犯罪者であるという証拠は必要なのだ。
 決定的な証拠でなくともよい。女を折檻した部屋でも発見できれば、それで十分だ。調べれば被害者の血が発見されるはずだし、そうしたら傷害罪で告発できる。監禁罪は彼女の証言がないと立証が難しいが、傷害だけでも屋敷に潜入した正当な理由にはなる。

 証拠を探して一つ一つ、順番に部屋を調べていく。二人の注意を引いたのは、裏口から4番目の部屋だった。そこは書庫になっているらしく、大きな本棚がいくつもあって、難しそうな本がたくさん詰まっていた。物理学、音響工学、量子力学、地学など、科学系の専門誌が多かった。
 それに混じって数冊の、きわどい写真雑誌があった。裸の女性が黒い縄で縛られている。いわゆるSM雑誌だ。他の本に比べて発行年月日が新しく、この屋敷の主人がこの趣味を持ったのはここ5年以内のことだと推測された。

「岡部さあん」
 薪がこんな目に遭わされていたらどうしようと、青木は殆ど泣きそうになりながら岡部の名を呼んだ。岡部はカエルの死骸でも見たように顔をしかめ、
「理解できねえなあ、こういうの」
「人の趣味は勝手だとは思いますけど、もしも薪さんが」
「あー、薪さんは好きそうだよな。あの人、他人を苛めるの大好きだもんな」
 誤解です、岡部さん。
「時々犯人が可哀想になる――と、なんだこれ」

 一番奥にある本棚の左端が壁から60度程ずれており、先頭を行く岡部はそこで立ち止まった。裏に回るとドアがある。明らかに隠し部屋だ。驚くことに、ドアには鍵が掛かっていなかった。
 ドアを開けると、さらに奥の方からゴオンゴオンという低い音が聞こえてきた。大型のモーターのような音だ。
「ナフタリン臭えな。消毒薬の匂いか」
 岡部が言う通り薬品のような匂いもするし、なにか大掛かりな電気設備があるのかもしれない。書庫の蔵書から推測するに、ここには科学者が住んでいるようだし、この隠し部屋は実験室とも考えられる。素人が予備知識もなしに入るのは危険ではないのか。

「岡部さん。もう少し周りを調べた方が」
「後ろ首がちりちりしやがる。この先に証拠がある」
 岡部の刑事としての勘が進めと言っている。間違いなく犯罪に関係した何かがあるのだ。それは同時に、危険もあると言うことだ。罠と言う言葉が青木の頭を掠めた。
「ちょっと不自然じゃないですか。勝手口には鍵が掛かっていたのに、この隠し部屋のドアが開いてるなんて」
「ああ? 普通、家にいれば部屋の鍵は必要ないだろ」
「でも」
 この家には薪さんがいるんですよ、と青木が言おうとした時だった。信じられない光景が青木の目に飛び込んできた。

「こりゃあ……」
 岡部の口から漏れ出たのは、押し潰されたような呻き声だった。岡部のような豪胆な男でも、そのような声を出すほどに。そこに広がっていたのは凄惨な光景であった。
 血飛沫の飛んだ壁。床に染み込んだ大量の血液と汚物。人体を切り刻むのに使われたであろう様々な形状の凶器類。被害者が横たわったと思われる血塗れの寝台には、拘束ベルトが付いていた。
 それだけでも気の弱い者なら卒倒したであろう。岡部を呻かせたのは、さらにその奥にある巨大な墓標であった。
 大きな水槽に折り重なる女たちの死体。ある者は頭がパックリと割れ、脳みそを水槽にゆらゆらと漂わせている。またある者は首が文字通り皮一枚でつながっており、割けた喉元から食道と気管を水に揺蕩わせている。手足を切られたもの、腹を開かれたもの。中でも悪魔の所業は、子宮に胎児を貼り付かせている死体だった。
 防腐処理のつもりか哀れな女たちを包んでいるのはホルマリン液で、漂ってきた薬品の匂いの正体はどうやらこれだ。

「サイコ野郎め」
 監禁の証拠などと言う生易しいものではなかった。彼は殺人鬼だ。
 省吾を甘く見たのは岡部の失敗だった。いや、甘く見ていたのは薪の性質の方か。薪はやたらと変態凶悪犯に好かれやすいのだ。省吾が薪を気に入ったなら、それがもう凶悪犯罪の証拠だったのだ。

「青木、やばいぞ。薪さんが、て、気絶かよ!」
 大量の死体を見て貧血を起こしたらしい。まったく頼りにならない男だ。
「めんどくせえな」と言いながら、岡部は青木に活を入れた。程なく目覚めた相棒が、眼の前にあった死体の群れに再び気を失いそうになるのを「バカヤロウ」と一喝して止め、
「おまえが踏ん張らないと薪さんが死ぬぞ」の一言で立ち上がらせた。青木を動かすには薪をエサにするのが一番だ。

「いくら人の趣味は勝手だって言っても、女の身体を切り刻むなんざ外道のすることだ」
「でもこの死体、殆どが自殺体です。死体損壊の証拠にはなりますが」
 貧血で倒れながらも、見るべきところは見ていたらしい。褒めるべきか叱るべきか、判断に迷うところだ。
 青木の言うとおり、水槽の中の死体はその8割が縊死であった。その証拠に、首が異様に長い。首を吊ると自重で首が30センチから50センチほど伸びるのだ。女たちの死体で遊んだはいいが処分に困り、腐敗臭を防ぐ目的も兼ねてホルマリン漬けにしたというところか。

 彼女たちが自殺なら、犯人は殺人鬼ではないのかもしれない。しかし、彼女たちを自殺に追い込んだのは犯人の暴虐だ。絶対に許せない。

 まだふらつく足元を庇って、青木は部屋の隅に寄せられたローチェストのようなものに手を着いた。それは、青木が3人くらい入れそうな大きな冷凍庫だった。物置に使われているらしいそれは周期的に振動していた。動いている証拠だ。
「岡部さん、これ」
 不吉な予感に身を竦ませる青木を押しのけて、岡部はその扉を開いた。予想通り、そこには死体があったが、岡部を驚かせたのは後ろから中を覗き込んだ青木の言葉だった。
「省吾さん?!」
「なに? この死体が省吾だって言うのか」
「あ、いや、これは女性ですよね。髪型も違うし……でも、すごくよく似て」

 そのとき下方で、ドオンと大きな音が響いた。恐ろしい予感に囚われて、青木は声を飲む。一瞬の静けさの後、ずずずと地面が揺れ始めた。
「なんだ。地震か」
「ちがいます、多分これ」
「なんだよ」
「爆弾です。証拠を消す気なんですよ」

 青木は急いで冷凍庫の蓋を閉め、岡部を引っ張って出口に向かった。急いで戻らないと逃げられなくなる。ところがドアはいつの間にか閉まっており、しっかりと鍵が掛けられていた。
「くっそ、やっぱり待ち伏せてやがったのか」
「これ、電子扉ですよ。どこかから操作してるんです。さすがは科学者の館ですね」
「感心してる場合か! 逃げるぞ!」
「逃げるったって鉄のドアですよ。それこそ爆弾でもなけりゃ」
「いいから退けえ!!」
 岡部の咆哮にタイミングを合わせたかのように、研究室の床に大きな亀裂が入った。割れた床材が地面に飲まれていく。最初に被害を受けたのは重量の重い水槽で、耐荷重を超えた歪みに割れたアクリルガラスから女たちの死体が無残に放り出されるさまは、正に地獄絵図であった。

 夢でも見ているのかと青木は思った。あまりに残酷過ぎた。ふやけて柔らかくなった彼女たちの身体が瓦礫によっていとも簡単に分断され、共に地中に飲み込まれていく光景は、現実と呼ぶには情け容赦が無さ過ぎた。
 ホルマリン漂白された女たちの青白い肌に、薪の雪のような肌が重なった。頭蓋骨の変形がはっきり分かる短髪の女性に、薪の小さな頭が重なった。彼女たちが土に沈んだとき、青木の中で何かが壊れ、青木は彼女たちと同じ闇に飲み込まれそうになった。

 思わず目を閉じたら薪の後ろ姿が見えた。薪さん、と心の中で呼びかけた。振り向いて薪は言った。
『青木! この役立たずが!』
 ……こんなときくらい励ましてくれてもいいんじゃないかな。

 絶体絶命の大ピンチに追い込まれた人間を罵るのが薪らしくて笑えた。クスッと笑みをこぼした青木を訝しむように、岡部が振り返る。
 青木は岡部の眼をしっかりと見て、部屋の奥を指差した。青木のひとさし指の先で、崩れた壁が女の死体を潰しながら土に沈んでいった。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(12)

 ブログを開設して丸5年になりますが。
 最初の頃は月に100記事とか更新してたんですけど(今思うとキ●ガイ)、現在は3日に1度くらいのペースに落ち着きました。これくらいが普通だと思います。

 最初からこのペースで更新してたとすると、現在は本編のどの辺りなんだろうと計算した結果、「桜」から順に公開したとして、2066年の「緋色の月」辺りだと判明しました。実際は過去編やら男爵シリーズやらが混じってるので、2063年の「ロジックゲーム」辺りでしたが。
 いずれにせよ、原作の第九編終わって2年経っても一緒に暮らしてなかったのね、うちの青薪さん。
 でも、原作であの辺を描いてくださるなら逆に原作に近くてよかったかも、や、キャラが離れてたら意味ないか、そーか。




カエルの王子さま(12)





「この部屋の音楽は、お気に召さなかったのかな」
 省吾の問いに、彼は答えなかった。つややかなくちびるを引き結び、こちらを睨んでいる。今朝とは打って変わって反抗的な態度だ。
「残念だなあ。僕は以前の素直な君が好きだったのに」
 省吾は眉を寄せて彼を見つめた。彼は椅子に座り、両手を肩の高さに上げていた。降参の証であるはずのそのポーズはしかし、亜麻色の瞳がそれを痛烈に裏切っている。彼は怒りに満ちた眼をしていた。
「銃で脅されて素直でいられる人間がいたらお目に掛かりたいね」
 彼はふっと鼻先で笑い、嘯いた。惜しがってみせたものの、省吾は興奮を抑えることができなかった。穏やかに微笑む彼よりも、今の彼の方が数倍美しいのだ。これまでとは肌の色が、瞳の輝きが違う。こんな苛烈な美しさを省吾は見たことがなかった。

 隠し部屋の爆破より時を遡ること1時間。省吾は自宅に戻って来た。
 買い物を済ませてから森の入り口で青木を待ち伏せたが、彼はやって来なかった。昼過ぎまで待って、青木が単独で彼を奪いに戻る可能性に気付き、慌てて帰ってきたのだ。
 家では省吾が懸念した事態は起こっておらず、だが、代わりにもっと厄介なことが起きていた。彼が部屋にいないのだ。自室にも食堂にもいない。さては青木に連れ去られて森の中を彷徨っているのかと玄関を見たが、彼の靴は朝のままそこにあった。
 まさかと思いつつ、鍵を掛けておいた幾つかの部屋を順番に探した。部屋の鍵は悉く開けられていた。発見した時、彼は省吾が一番秘密にしたかった部屋で棒立ちになっていた。

「悲しいよ。どうしてあんなことをしたんだい」
「それはこっちのセリフだ。なぜ彼女たちをあんな目に遭わせた」
「怖いなあ。どうしてそんなに怒るの?」
 死体を見つけて怖がるなら分かる。今までの恋人たちはみんなそうだった。あの部屋を見た途端、省吾を恐れるようになるのだ。しかし彼からは、怯えは伝わってこなかった。彼を満たしているのは純粋な怒りだった。他人の事で彼がどうしてこんなに怒るのか、省吾にはピンと来なかった。

 彼の変貌にある種の予感を抱いて、省吾はわざと言った。
「聡。きみはもっとやさしい子のはずだよ」
「僕の名前は聡じゃない。薪だ」
 やはりそうか。彼は記憶を取り戻していたのだ。
 いつのことだろうと考えて、青木と再会した時だと確信する。いま考えれば省吾が街に行くと言ったとき、彼が一緒に行きたがらなかったのは変だ。自分の捜索願が出されているかもしれないのだ。一刻も早く記憶を取り戻したい、家族に会いたいと思うのが人情だろう。そういった意味では、自分のことを知っていると言った青木の話を聞こうともせず追い返したのは不自然だった。
 彼はあの時すでに記憶を蘇らせ、省吾に犯罪の匂いを嗅ぎ取っていたのだ。証拠を見つけるために、わざと家に残った。

 刑事と言うのは最低の職業だ。犯罪を暴くためには、恩人に対しても平気で嘘を吐く。少々頭にきて、省吾はわざと彼が嫌がりそうなことを口にした。
「マキ? 本当に女の子みたいな名前だな」
「名字だっ!」
 知っている。身分証を見たのだから。
 彼の名前は薪剛。名前負けの見本みたいな男だ。
「ああん?! だれが名前負けグランプリだ、こら!」
 心、読めるのか。

 刑事としての自分を取り戻したせいか、彼は別人のように荒っぽくなっていた。気迫に満ちた彼は魂を抜かれるほどに美しい。が、省吾の求める癒しはそこにはなかった。
「記憶を失くしていたときの方が、きみはいい子だった。あれが本来のきみなんだよ。今のきみより、ずっと素直で愛らしい」
「悪かったな、可愛くなくて。てか、僕の年で可愛かったら気持ち悪いだろ」
「え。きみ、いくつなの」
「今年で45だ」
「うそお! じゃあ僕、20も年上のオヤジにキスしたの?!」
「いつの間にそんなこと、ちょ、おまえそれ青木に言うなよ?」
 心の底から驚いた。省吾が知らないだけで、警官というのは年を取らない生き物なのだろうか。いやいや、そんなことはどの本にも書いてなかった。きっと薪が特別なのだ。ていうかサギだ。

「年のことはともかく、きみはとてもきれいだ。きみに相応しいのは記憶を失くしていた時の穏やかで素直な性格だ。僕が戻してあげるよ」
「戻す? どうやって?」
 施術の前に、省吾は術の説明をすることにした。今までも可能な限り、この手順を踏んできた。省吾は罪深い男だが、父親のことは尊敬している。これは亡き父に対する礼儀だ。

「僕の父が優秀な科学者だった話はしたっけ」
 銃口を彼の胸に向けたまま、省吾は語りだした。
「音楽が好きだった父は趣味も兼ねて、楽曲が人間の脳に及ぼす影響を研究していたんだ。
 音楽は一種の振動波形だから、脳内では固有振動型となって神経に作用する。簡単に言うと、景気のいい曲はドーパミンを分泌させて人間を興奮状態にし、スローテンポの曲はアセチルコリンの分泌を促して休息状態を作る。そして、良質の音楽は脳内麻薬とも言われるエンドルフィンを大量に分泌させる。これはそれぞれの振動波形が、脳内ホルモンの分泌器官と共鳴する波形になっているから生じる現象なんだ。
 ところで、君はコルチゾールという脳内物質を知ってるかい。代謝を制御するホルモンで、普通に分泌される分には人体に悪影響はない。だが、このホルモンは過剰なストレスに晒された時にも分泌され、その状態で発生したコルチゾールは海馬を著しく委縮させる」
「委縮? つまり、脳細胞が破壊されると言うことか」
 そう、と省吾は満足そうに頷いた。今までの恋人たちにはあり得なかった反応だ。彼女たちはこれから自分が何をされるのか、そればかりが気になって省吾の説明には上の空だった。キチンと聞いていれば、怖いことなど何もなかったのに。

「海馬は記憶を司る脳内器官だ。もしも音楽の振動波形によって人間の限界を超えてコルチゾールを大量分泌させたら、どうなると思う?」
 海馬は破壊され、その機能を失う。人為的に記憶喪失症を作り出せる。

「この発想を元に作り出したのが、このCDだ」
 部屋を出るときから肌身離さず持っていた鞄には、省吾の切り札であるCDと、小型拳銃が入っていた。この二つのアイテムは、街で狩りをするときの必需品だ。言葉巧みに、あるいは銃で脅してCDを聴かせる。銃で撃たれる事を思えばCDを聴くくらいなんでもないと、人は判断するだろう。しかし、1時間足らずで彼女の海馬は破壊される。
 自己の脳内ホルモンによる破壊であるから、脳細胞が完全に死滅してしまうわけではない。ストレス社会の現代、ストレスホルモンによる健忘症は珍しくもないが、適切な治療と投薬で社会復帰が可能である。
 しかし、それも何度も繰り返せば。人は廃人になる。

「なるほど。それでわざわざ僕を、あの部屋からこのオーディオルームまで銃で脅して連れてきたのか」
「僕は野蛮な人間は嫌いでね。音楽で人が穏やかな性格に生まれ変わるなんて、素晴らしい研究だと思わないか」
「穏やかな性格ね。……崖から落ちる前に、女性を一人保護した。彼女には暴行を受けた痕があった。あれはおまえの仕業だろう」
 彼が何故自分に疑いを抱いたのか少し不思議だったのだが、それを聞いて納得がいった。ここから逃げ出した女と、薪は接触していたのだ。

 記憶を失った人間は、当然のように不安を抱える。自分が何者であるか分からず、自分に自信が持てないからだ。彼も記憶を失くしていたときは奥ゆかしくて控え目で、とてもいい子だった。それが今はどうだ。銃口を突き付けられていると言うのにこのふてぶてしい態度。可愛らしさのカの字もない。省吾がそれを指摘すると、彼はくちびるをへの字に歪め、
「人間の性格ってのは、色々な経験を積み重ねて作られるもんだ」
 他人の言葉を素直に受け取ってたら刑事なんかやってられないんだよ、と彼は言い、なるほど、と省吾は頷いた。
「だとしたら、僕が彼女たちを殺めたのは仕方のないことだ。楽しい思い出なんか何もないからな」
 省吾は寂しそうに呟いた。
 幼い頃、母親に捨てられた。醜い容姿のせいで他人に疎まれ続けた。唯一の味方だった父親も死んだ。それからはひとりぼっちで生きてきた。なるべく人目につかないように、日陰ばかりを選んで。

「大事なのは経験の良し悪しじゃない。経験の中から何を学ぶかだ」
 同情心の欠片も見せず、薪は省吾を責めた。
「人格も人生も、自分で作るものだ。お前の人生はおまえ自身が作ってきたんだ。自分の努力不足を他人のせいにするな」
 厳しい言葉と厳しい態度。年相応の説教口調。省吾が愛した聡と言う少年は、もうどこにもいなかった。
「幼少期の出来事には同情する。でも、そんな人間は世の中にいくらでもいる。彼らがすべておまえのように歪んだ性格になるかと言えばそんなことはない。親を反面教師にして、立派に家庭を築いている人間は数えきれないほどいる。おまえもそうすべきだったんだ」
「家庭か。この顔じゃ無理だ」
「顔なんか関係ないだろ。大事なのはここだ」
 彼は右手を少しだけ動かして、自分の胸を指した。聡と同じことを言う。聡よりも凄味のある顔で、聡よりも自信に満ちて。

「それは美しい者の言い分だよ。きみ、容姿のせいで苛められたことなんかないだろ」
「いや。子供の頃は女みたいで気持ち悪いっていつも苛められてた」
「小さい頃の話だろ」
「中学の時も高校の時も、ホモくさいとか言われて友だち一人もできなかった。いま思い出しても頭にくる」
「……今はそんなことないんだろ?」
「今は! おとり捜査で女の格好させられたあげく写真とか撮られてそれを職場にばら撒かれたりして、男からラブレターは来るわストーカーは付くわちょっと油断するとトイレに引きこまれるわでおちおち廊下も歩けなくなっ、……なんか僕、世界一不幸な男のような気がしてきた」
 けっこう苦労しているらしい。なんだか可哀想になってきた。

 省吾は薪の肩を叩き、俯いた彼の顔を下から覗き込むようにして言った。
「まあ、そのうち良いことあるよ。元気だしなよ」
「ありがとう、て、なんで僕の方が慰められてんだ!」
 それは一瞬のことだった。怒声が上がると同時に、彼の身体は空に浮いた。次の瞬間には、省吾は床に組み伏せられていた。腕を捻じり上げられて銃を奪い取られる。省吾の方が身体は大きいが、武術に親しんだ刑事に敵うわけがなかった。
 彼の右足の捻挫は、その動きを全く制約していなかった。青木を投げ飛ばした直後に彼が踊り場に座り込んでいたのは足が痛くなったからではなく、記憶を取り戻したばかりで混乱していたのだと、いまハッキリと分かった。
「形勢逆転だな」




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ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(13)

 先日、過去作にたくさん拍手くださった方、ありがとうございました。公開中の話と合わせて大量のエール、うれしかったです。
 くだらない与太話に付き合ってもらって、コメントいただいて拍手いただいて、それが5年も続いてる。もちろん「薪さん」の魅力ゆえですけど、それでもすごいことだと思います。本当に感謝してます。と同時に、
「サボってんじゃねえぞコラ」と、なけなしの良心に叱られました。
 妄想中はテンション上がるので時間を忘れて書くことに没頭したりするのですけど、公開作業はまた別のものなので、ついつい滞りがちに……。
 せめて休みの間くらいは頑張ろうと思いましたら、連休はお義母さんのお伴で温泉です。口ばっかりですみません(^^;
 次の更新は休み明けです。よろしくお願いします。 



カエルの王子さま(13)





「形勢逆転だな」
「嘘だね。きみは僕からこの秘密を聞き出したかった。それで脅しに屈した振りをしたんだ。そうだろ」
 銃を恐れている振りをして、その実ちっとも彼は怖がってなどいなかったのだ。彼が恐れているのはもっと別のなにか。省吾にはそれが分かっていた。青木に抱きしめられたときの彼の恍惚とした表情。それがすべてを物語っていた。
 切り札は、こちらにある。

「逆転なんかしていないよ。嘘だと思ったらモニターを点けてごらん」
 薪は省吾に銃口を向けたまま、用心深くモニターの電源を入れた。不鮮明な画像が浮かび上がる。DVDの画像にしては妙に荒い。しかも今時、白黒画面だ。じっと目を凝らすと、モノクロの世界に薪のよく知った顔が二つ、驚きの表情で映し出された。彼らの後ろでリモートコントロールされた隠し扉が音もなく閉まる。閉じ込められたことにも気付かず、彼らは部屋の惨状に呆然と立ち尽くしていた。
「あのバカ、なんで戻って……」
 一瞬で青ざめた彼の顔色で分かった。彼は青木を追い返したんじゃない。危険を感じて遠ざけたのだ。

「中に人が入ったら自動で閉まるように、さっき仕掛けておいたんだ。片方は青木さんだよね。やっぱり彼はきみの上司だったんだね」
「部下だ!!」
 そうか、そう言えば年が。
 何処をどう見たらそんなことになるんだ、あれが上司って顔か、僕は警視長だぞ、などと薪はブツブツ言ったが、今はそんな場合ではないことに気付いたらしい。サッと顔を緊張させて、低い声で省吾を威嚇した。
「二人を解放しろ」
「嫌だね」
「悪あがきはよせ。何を企んでいる」
「そんなに怖い顔しないでよ。さっきも言ったけど、美人が台無しだよ」
 鞄の中に入れておいた最終兵器を取りだし、省吾はニヤリと笑った。醜い自分が笑うともっと醜くなることを、省吾は知っていた。予想通り薪は秀麗な眉をひそめ、ついでに眼も細めた。伏せ目がちになると彼の豊かな睫毛が重なり合う。実に美しかった。

「あの部屋の下は、空洞になっている」
 多くの特許を残した父だが、生前彼は、その秘密を他人に奪われることを恐れていた。彼は自己の醜さから森の奥へと引きこもったのだが、そこには自分の研究を守ろうとする意図も多分に含まれていた。
 父は書庫の奥に地下室に作り、そこで研究を重ねた。その研究が万が一他人に盗まれそうになった時には、盗人を研究室ごと葬ってしまえるよう、床下に爆弾を仕掛けておいたのだ。
「いま、スイッチを押した。離せばドカンだ」
「きさま……!」
「僕を撃てば彼らも死ぬよ」
 ジャキリと銃を構え直す薪に、脅しの一言を放つ。効果は覿面で、薪は自分が銃で脅されているかのようにじりじりと後ずさった。
「きみが大人しく僕の言う事を聞いてくれれば、彼らを助けると約束しよう」
「信用できるか」
「信じる信じないは君の勝手だけどね。いずれにせよ、きみに選択肢はないよ」
 ちっ、と舌打ちして、薪は拳銃を床に投げた。省吾は片手でそれを拾い、再び脅迫者の立場を手に入れた。

「捨てないでよかった。はい、これ。自分でやって」
 青木を襲うときに役立てようと、省吾は薪の上着に入っていた手錠を鞄に入れておいた。薪は命じられるがままその手錠を自分に掛け、でも瞳だけは決して屈せずに、省吾を睨み上げた。
 挑発的な瞳も魅力的だが、それもここまでだ。省吾は薪を寝椅子に横たわらせ、細紐で身体を椅子に縛り付けた。それからブラウスのボタンを外し、右の肩を露出させた。そこに一本の注射を打つ。
「海馬に直接作用する薬で、記憶機能を一時的に麻痺させ、施術の効果を高めるんだ。バリウム検査前の造影剤の注射だとでも思ってよ」

 省吾は悠々とCDをプレイヤーにセットした。拘束した薪の髪をやさしく撫でる。人質を取られた薪は、別人のように大人しかった。
「痛いことなんてないよ。ただ、この音楽を聴くだけだ」
 このCDは、このオーディオ機器で掛けてこそ本来の力を発揮する。父が改造を施した音響機器は強い磁力を発するように作られており、受聴者の脳細胞を激しく振動させる。それが施術の効果を何倍にも高めるのだ。市販のCDプレイヤーを使った場合は2,3日で元に戻ってしまうが、この器械の効果は絶対だ。街でCDを聴かせた後家に連れ帰り、再度この機器を使って施術を施す。そうすることで彼女たちは、省吾の可愛い恋人に生まれ変わる。
 施術の際の強烈な磁力は行方不明者捜索隊のコンパスを狂わせ、彼らが森へ侵入するのを防いでいる。そこまで計算していたわけではなかったが、その現象は省吾の凶行に有利に働き、犯罪の発覚を遅らせていた。

「その前に、邪魔者を始末しないとね」
 一旦はしまったスイッチを、省吾は再び取り出した。ぎょっ、と薪が椅子の上で身を硬くする。見開かれた亜麻色の瞳に、紛れもない恐怖が浮かんでいた。
「約束が違うぞ!」
「きみだって僕を騙したじゃない。記憶が戻っていない振りをした。そのお返しだよ」
「やめ……!」
 ゴオン、と下方で大きな音が轟いたのち、激しい震動が部屋を襲った。研究室は周りを鋼鉄で覆ってあり、爆破しても屋敷は崩れない設計になっている。が、さすがに振動まで抑えることはできないようで、2階のオーディオルームは激しく揺れた。
 揺れが治まってからモニターを見ると、画面は真っ暗だった。爆発でカメラが壊れてしまったのだろう。

「岡部……青木……」
 部下の名前だろうか、薪は幽霊でも見たような顔で呟いた。
「青木……青木……あおき、あおっ……!」
 オカベはどこへ行った、などと突っ込みを入れても省吾の気持ちは晴れない。自分の正体がばれてからは厳格な警察官の顔を崩さなかった薪が、真っ暗なモニターに向かって彼の名前を呼び続けている。届くはずのない人に、届くはずのない声。そこに滲んだ焦燥は、記憶を失っていたときの比ではなかった。
 その様子を見れば分かる。彼は青木と恋仲だったのだ。

「やっぱり青木さんとデキてたのか」
 省吾がぽつりと落とした言葉が、薪に自分を取り戻させた。薪はキッと眦を上げ、省吾を振り返った。その顔のきれいなこと。
「きさまっ!」
 激しい怒りを露わにして、薪は身を起こそうとした。しかしそれは能わず、代わりに彼は蒼白な顔で呪いの言葉を吐いた。
「刑務所にぶち込んで終身刑にしてやるからな。覚悟しておけよ」
「無理だよ。彼らのことも、彼らが死んだことも忘れちゃうんだから」
「あいつらはまだ死んでない!」
 壮絶に薪は叫んだ。その眼光の鋭さは、彼の叫びが現実を受け入れられない人間の哀れな悲鳴ではなく、強い信念の元に発せられた言葉であることを物語っていた。
「あの程度の爆発なら、物陰に隠れればやり過ごせる。地下の床下に仕掛けたと言ったな。ならば建物の基礎を破壊しないように、爆弾の威力は最小限に抑えたはずだ」
「いい読みだ。でも残念。研究室全体がそっくり落ちて、そこにいた人間は地中深く埋まるようになってる。放っておけばいずれは死ぬさ」
「生き埋めになったくらいで連中が死ぬもんか。モグラみたいに穴を掘って地表に出てくるさ。あいつらを甘く見るな」
「強情だねえ。だけど、きみは彼らの顔も忘れちゃうんだよ」
 省吾がせせら笑いを浮かべる。と、薪は今度は静かに、いっそ省吾を憐れむように言った。

「人には何度壊されても蘇る記憶がある。それは人を愛した記憶だ。人に愛された記憶だ」
 薪の言葉に、省吾は笑いを禁じ得なかった。省吾だって何人もの女性を愛してきたし、彼女たちに愛されてきた。でも、昔の女のことは忘れてしまった。何人の女性をこの家に誘い込み、何人の命を奪ったのか、はっきりとは思いだせない。
「ぜったいに忘れない。彼らのことは、何度でも思い出す」

 頑固に言い張る薪の肩を、注射の痕を揉んでやりながら、省吾は楽しそうに言った。
「忘れるよ。彼女たちもそうだった。恋人がいる娘もいたし、結婚してる娘もいた。妊娠したばかりの娘もいたよ。ずっと生理がないからもしかしてと思って、中を開けてみたら胎児が入ってた。あれは笑えたな」
 饒舌は上機嫌の証拠。省吾は興奮していた。
 剥きだしにした彼の細い肩の、なんて優美なことだろう。首筋から鎖骨のラインなんて、神の奇蹟とでも称したくなる造詣だ。この美しい人が、数時間後には自分のものになる。その美しい顔に歓びを湛え、省吾に抱かれるようになるのだ。
 それを思えば、彼の怒った顔は貴重だ。本気で怒る彼は滅多に見られなくなるのだから。

「よくもそんな酷いことができるな。殺人鬼め」
「そんなに沢山は殺してないよ。殆どの娘は自殺したんだ。最初の頃は加減が分からなくて、セックスの最中に死んじゃった娘もいたような気もするけど、それは昔の話。今はギリギリの線が分かるようになった」
 女の白い肌に縄目を付ける行為が、省吾は好きだった。背中や尻を鞭打たれて上がる女の悲鳴が堪らなかった。秘部に針を刺したり、男性器より遥かに大きな張り型を挿入したり、それを相手が失神するまで続けた。それは彼女たちの望みでもあった。
「だから、きみのことも殺さないよ。僕から逃げようとしなければ、痛い思いなんかさせない。きみが喜ぶことだけしてあげる」
 痛いのは最初だけだ。1週間もすれば凌辱されることに悦びを感じるようになる。縛られたり鞭打たれたり、そんな新しい快感も享受できるようになる。それは省吾にとって、何度も繰り返されたローテーションであった。
 この器械を使えば、痛みを快感に変えるβエンドルフィンを大量に分泌させることができる。一般にも知られていることだが、βエンドルフィンには依存性がある。セックスがやめられないのはそのせいだ。そのうち、サディスティックな行為をねだるようになる。

 彼の白い身体が倒錯した快楽に悶える様子を想像して、省吾は自分が欲情していることに気付いた。その衝動に冷水を浴びせるように、薪の冷ややかな声が響く。
「やっぱりおまえは殺人鬼だ」
 熟した身体はこんなにも誘惑のフェロモンを発しているのに、その美しい顔は微々とも緩まず。彼は、厳しい糾弾者の姿勢を崩さなかった。
「人生は記憶の積み重ねだ。人の記憶を奪うと言うことは、人生を奪うことだ。記憶を奪うことで、おまえは彼女たちを何度も殺したんだ」
 この硬い表情が快楽に蕩けるようになる。省吾の愛撫を、鞭をねだるようになる。そのギャップが男を狂わせるのだろう。あの青木と言う男も彼に狂わされた男の一人だと、今や省吾は確信していた。この色香を漂わせた身体が男を知らないなんて言わせない。

「それだけじゃない、死んだ彼女たちの遺体をおまえは切り刻んだ。なぜだ。何故おまえは彼女たちを安らかに眠らせてやらなかった」
「理由なんてないよ。敢えて理由付けをするなら……復讐かな」
 それはなかなかにドラマティックな動機付けだと省吾は思った。自分が発した言葉に酔い痴れるように、省吾は芝居めかした口調で、
「僕を捨てた母に。醜いと言うだけで父や僕を迫害した世の中に。一皮剥けば人間はみんな同じなんだって、思い知らせてやりたかった」
「……ずっと気になってたんだけど。醜い醜いって言うけど、おまえの顔、そんなにひどくないぞ」
「ここまできておべんちゃら? 怖くなったの? 意外だな。きみはそういうタイプじゃないと思ってた」
「あほ。殺人なんか、それも女を殺すやつなんかクズ虫だ。クズ虫相手にお世辞なんか言うか。僕は見たままの」
 薪の憎まれ口は途中で途切れ、亜麻色の瞳はその輝きを鈍くした。頭痛に襲われた時のように、どさりと頭をカウチに落とす。
「薬が効いてきたみたいだね」

 これまでの女性たちと同じように、薪は言葉を失って目を閉じた。いよいよ施術の開始だ。省吾はヘッドフォンを手に取って、それを薪に被せた。
 プレーヤーのスタートボタンを押すと、アンプの針が右側に触れた。彼の脳に、記憶をリセットする振動波形が流れ込む。頭を振ってヘッドホンを振り落すこともできなくなった彼は、眼を閉じたままで、くそ、と口汚く罵った。
「睡眠薬も混ぜておいたから、眠くなったら寝ちゃっていいよ。寝てる間に嫌なことは全部忘れちゃうから」
 仰向けになった彼の前髪を右手で掻き上げ、緩やかな曲線を描く額を顕わにする。上から下へと指先で辿る、神に祝福されたかのような美貌。この麗人に背徳の快楽を教え込む。神に愛された彼を神の手から奪いとる。それくらいしてもいいはずだ。神は、たった一片の愛も省吾の人生には与えてくれなかったのだから。

 緩く結ばれたくちびるを指先でくすぐると、彼は素直にそれを開いた。小さく開かれた隙間から零れだす、甘やかな誘惑。堪らず、省吾はそこにくちづけた。
 規則正しく並んだ前歯を舌でこじ開け、中の柔らかい実を吸い上げる。ベルベットのような舌触りと彼の苦しそうな息遣いが、省吾を煽り立てた。
 存分に味わってからくちびるを離すと、上手に飲み込めなかった二人分の唾液が彼の口元から流れ出た。天井の灯りに照らされて光る、それはひどくエロティックな光景だった。
「ゆっくりお休み。目が覚めたら――」
 彼の頬を伝う液体をべろりと舐め上げ、省吾は薪の耳元で囁いた。
「君は僕の恋人だ」


*****

 薪さん、ぴーんち!←すっごい楽しそう。

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カエルの王子さま(14)

 お久しぶりですー。
 今週から現場に出ることになって、PCに向かう時間が取れませんでした。コメントのお返事や更新が滞ってしまい、ごめんなさいでした。


 先週の連休は敬老の日もあったんで温泉に行ってきたんですけど、珍しくお天気に恵まれまして。海がとってもきれいでしたー。
 日の出がすごく眩しかったです。朝焼けがきれいでね~。感動しました。
 
 わたしが旅館で食っちゃ寝してる間に、ブログの拍手が5万を超えました♪
 どうもありがとうございました~(^^)/
 軽く言いましたけど、5万てすごい数だよね? 押そうと思ったら根性いるよね?
 本当にありがとうございましたっ!
 お礼SS、青木さんが薪さん似の女性と不倫して殺して逃げる話でいい? ←いいわけない。別のお話考えますね。なるたけ平和なやつ。

 今日のところはひとまず、感謝を込めてお話の続きを、
 あ、今日の内容、この話の中で一番ひどかった気が、
 …………。
 わざとじゃないのよ。信じて?




カエルの王子さま(14)






 CDの音量を調整しようとした省吾の指先が、ふと止まった。横を見れば意識を失くした薪のしどけない姿。注射を打つために寛げた胸元が、予想以上の威力で省吾を誘っていた。
「たまらないな。邪魔者もいなくなったことだし……」
 異例のことだが、順番を変えることにした。セットしたCDを、彼が鞭の快楽を覚えるための補助に使う予定だったCDと取り替える。例え眠っていても、脳内ホルモンが分泌されれば人間の身体は反応する。理性を持たない分、本能のままに動く。その快楽は凄まじい。前の彼女で実験済みだ。
 省吾の指先が再びスタートボタンを押し、するとアンプの針は激しく左右に振れた。10分もすれば、彼は意識の無いまま省吾の快楽に奉仕する人形になる。

「う……ん……」
 薪が微かに呻いて、尖った顎を上に上げた。シャープな顎から続く首筋の滑らかなこと。これが男の首だなんて信じられない。
 先刻、貪りつくしたと思ったばかりのくちびるに、またくちづけたくなる。白い首筋を啜り上げたくなる。この薪と言う男は麻薬と同じだ。一度味わったら手放せなくなる。

 省吾は薪のくちびるを再び奪い、舌で犯しながらシャツを剥ぎ取った。彼の平らな胸に、夢中でキスの雨を降らせた。小さな乳首を吸いながら、ズボンも脱がせた。薪のそこはまだ反応していなかったが、そんなことはどうでもよかった。もう待ちきれないと思った。
 それは目も眩むような性衝動だった。ズボンの中で暴発しそうになる分身を、省吾は必死に押さえた。なんとかやり過ごし、ズボンを下ろすことに成功する。省吾のそこは今までに経験したことがないくらい、いきり立っていた。
 天使のような美貌が自分のような醜い男に尻を犯されて射精する。これ以上の倒錯があるだろうか。
 その思い付きが省吾を昂ぶらせ、欲望を増大させる。彼の身体から最後の一滴を絞りつくすまで、この疼きは止められない。

「ほら、口を開いて。きみの大好物だろ」
 大人しい口元に、取り出したそれを近付ける。意識の無い彼はそれを咥えようとはせず、焦れて省吾は彼のやわらかい頬にそれを擦りつけた。
 省吾の欲望は、薪の白い頬をぬらぬらと汚した。薪に、未だ変化は現れない。薬に混ぜた睡眠薬のせいか、はたまた年のせいか、反応が鈍いようだ。ならば、この澄ました寝顔を自分の吐精で汚すのも一興だと思い、省吾は彼の顔に跨った。彼の頬を右手で挟み、小さな口を開けさせる。そのときだった。

 バットでぶん殴られたような衝撃を腹部に受け、省吾は床に叩き落とされた。仰向けになった省吾の股間に、ドコッと蹴りが入る。勃起状態をへし折られたのだ。転げ回らずにはいられない痛みだった。股間を押さえてエビのように身体を丸める省吾の耳に、ドスの効いた男の声が聞こえてきた。
「薪さんに汚ねえもん押し付けてんじゃねえよ。磨り潰すぞ、こら」
 涙に濡れた目で見上げると、とてつもなく大きな男が鬼のように恐ろしい顔をして省吾を見下ろしていた。先刻、爆破した部屋にいたはずの男の一人だった。

「どうやって」
「爆発でドアが壊れたので。簡単に脱出できました」
 省吾の問いには青木が答えた。声がした方を見ると、青木は薪の胸に耳を付けて、彼の心臓の音を聞いていた。それから「9つ」と意味不明の数字を呟くと、落ちていたシャツを拾って薪に被せた。
「嘘だ。父が言ってた、爆破すれば部屋全体が地下に落ちるようになっていたはずだ。どうやって助かったんだ?」
「あなたのお母さんの部屋に入らせてもらいました」
「母の……」

 そう、あの部屋には省吾の母がいた。
 母は男と逃げたと父は言ったが、それは嘘だった。逃げようとして、父に制裁を加えられたのだ。だから省吾も同じことをした。自分から逃げようとする女たちに、制裁を加えた。何度も何度も。
 母に見せつけるように、省吾はあの部屋で凶行を重ねた。おまえが自分を捨てたから、だからこんなことになったのだと、死してなお苦しむがいいと、それほどに父と自分の傷は深いのだと。省吾はそんな気持ちでいたのに。
 母は死んでまで省吾を裏切った。息子の敵である彼らを助けたのだ。父が誂えた棺に、男たちを連れ込んだ。
 あの女の哄笑が聞こえるようだった。

「よくもまあ、あんなに殺せたもんだな。しかもその死体を切り裂いてホルマリン漬けにするなんて。人間のすることじゃねえぞ」
 蹴り飛ばされた痛みに呻く省吾に、容赦のない言葉が向けられる。おまえら日向の人間には分かるまい。日陰を生きることしか許されなかった自分たちの気持ちは。
「僕は、父と同じことをしたまでだ」
「中二病真っ盛りの不良中学生か、おまえは。いい年した男が、自分がやったことを親のせいにするんじゃねえ」
 大きな口を歪めて歯を剥きだしにする、男の表情はサルの威嚇のようだ。無精ひげと三白眼が、それに迫力を添えていた。

「なるほど。彼が僕を怖くないと言ったのは嘘じゃなかったんだな。普段からその顔を見てれば、大抵の顔は」
「ああ?!」
「岡部さん、抑えて。オレも殴りたいの我慢してるんですから、抑えてください」
「なんでおまえが。コケにされたのは俺だぞ」
「だあってぇ……薪さんの身体にキスマークがあぁ……」
「泣くな、それくらいのことで。泣きたいのは薪さんの方だろ」
 岡部と呼ばれた男は青木を慰めながらも手際よく周囲を調べ、省吾の鞄から手錠の鍵を取り出した。それを使って薪の手錠を外すと、その手錠で、痛みに動けないでいる省吾を後ろ手に拘束した。
「リモコンで部屋を吹っ飛ばすようなイカれた屋敷だからな。他にどんな仕掛けがあるかわからん」
 用心に越したことはない、と岡部は見かけによらず慎重な男だった。

「薪さん、大丈夫ですか」
 岡部に呼び掛けられると、薪はうっすらと目を開けた。睡眠薬の効果がこんな短時間で切れてしまったことに、省吾は驚きを覚えた。年寄りは眠りが浅くなると言うが、それにしたって。
「ここは……ダメだ、何も思い出せない。僕は誰なんだ」
「えっ?」
 薪は記憶に混乱をきたしているようだった。薪が記憶消去のCDを聴いていたのは僅か5分。たった5分ではさしたる効果もないように思えたが、効き目には個体差がある。投与した薬との相乗効果で、予想以上にコルチゾールが分泌されたのかもしれない。
「肩に注射痕がありました。もしかして薬物を」
「そう言えば、記憶野を麻痺させる薬を打たれた」
「「「記憶あるじゃん」」」
 思わず3人で突っ込んでしまった。どうやら斑ボケの状態らしい。

「とにかく服を着てください」と岡部にせがまれて、薪はシャツの袖に腕を通した。当然のように青木がそれを手伝う。その流れは自然で、隣で岡部も普通に見ているしで、つまり二人の付き合いは長く、しかも公認の関係なのだろう、と省吾は思った。
 服装を整えてカウチにふんぞり返った薪は、やたらとエラそうだった。頭の後ろで手を組み、凝り固まった肩をほぐすように左右に曲げた。なんだかオヤジくさい。

「困りましたね。本当に何も覚えていないんですか」
「何かきっかけがあれば思い出せそうな気がする」
「よし青木、あれやれ」
「えー、イヤですよ。心理的ダメージが計り知れないんですから」
「今は緊急時だ。薪さんとおまえのメンタルとどっちが大事なんだ」
 岡部に言われて仕方なく、青木は前髪を下ろした。眼鏡を外して薪の前に顔を突き出す。
「あ、鈴木」
「相変わらず鈴木さんのことだけは一発で思い出しますよねっ」
 2度目とあって、青木は今回は泣かなかった。と思いきや。
「いや、違うな。鈴木はあんな間抜け面じゃない。もっとカッコよかった」
「うわーんっ!」
「ええい泣くな、うっとおしい!」

 岡部に怒鳴りつけられて泣き声を潜める。シクシクと、うっとおしさはあまり変わらない。青木の辛気臭い涙の横で、薪は記憶の再生に成功した。
「思い出したぞ。おまえは岡部、僕は薪だ。この男は桂木省吾。女性をかどわかして殺したゲス野郎……岡部、そいつだれだっけ」
「なんでオレだけ!!」
 出た。マダラボケ。
「こいつは青」
「待て。自分で思い出す。最初はアだな」
 額に人差し指を当て、眼を閉じる。千里眼のように、薪は自分の中に彼の存在を探す。彼が決して忘れないと豪語した愛し愛された記憶とやらが、そこにはあるのだろうか。

「あ、アイ、相川、相沢、会田、相原」
「アイウエオ順に並べてるだけですよね、それ」
「赤井、秋山、阿久津、朝倉、麻生」
「すみません。神奈川県警本部長と3課課長、公安2課の係長、官房室秘書長までは分かりましたが、最後の麻生さんてだれでしたっけ」
「職員食堂のおばちゃんだ」
「食堂のおばちゃんより後ろですか、オレの記憶!!」
 岡部がぽんぽんと青木の背中を叩く。うん、泣いていいと思うよ、青木さん。

「あおき」
 クスクス笑いながら、薪は青木の名を呼んだ。
「おまえは青木だ。青木一行」
「そうです。青木です」
 椅子の傍らに膝を着き、青木は嬉しそうに薪に笑い掛けた。食堂のおばちゃんより後回しにされた恨みは、その笑顔のどこにも見出せなかった。

 微笑みを交わす二人の姿は、省吾にとっては実に不愉快だった。二人の間に割って入るように、省吾は乱暴に言葉を投げかけた。
「朝までぐっすりの筈だったのに。どうして睡眠薬が効かないんだ」
「日常的にお世話になってるからな。規定量の3倍は摂取せんと効かん」
 ドーピングポリスめ。
 もう一つの振動波形も効き目が薄いようだ。父の研究の成果を悉く無にする臨床者に、省吾は不快そうに言った。
「きみ、βエンドルフィンを分泌する器官に異常があるんじゃないの」
「? それ、無いとなんかマズイのか」
「極端に性欲が少ないとか、1年くらいセックスしなくても全然平気だとか。――なんで青木さんが泣いてるの」
「心当たりがありすぎて、っ痛あい!!」
 薪が青木の背中を蹴り飛ばし、青木が悲鳴を上げる。省吾の気分は少しだけ上向きになった。

「おい、僕の上着は何処だ」
「勝手に探せばいいだろう」
「探したけど見つからなかったから聞いてるんだ」
 施錠しておいた部屋が一つ残らず開いていたのは、彼が自分の上着を探して回ったせいだと知った。その上着に救助信号を発信できるバッジが付いていたことを、省吾は知らなかった。そうと分かっていれば処分したのに。
 薪の上着は、青木が父のクローゼットの中から見つけて来た。木を隠すには森の中、似たようなスーツ類に紛れ込ませたつもりだったが、青木には簡単な探し物だったらしい。「薪さんの匂いがしますから」って、この男の前世はイヌに違いない。
 所々にかぎ裂きができているスーツを見て、「まだローンが終わってないのに」とため息を吐く薪を、岡部が「経費でいくらか」と慰める。いじましい連中だ。

「救助信号は必要ありません。さっき、信号弾を打っておきましたから。もうすぐヘリがここに来るはずです」
 そう言って岡部は、薪にGPS発信機を見せた。さすがだな、と満足そうに笑う薪に、三白眼の男が照れ笑いをした。ものすごく怖かった。
 岡部の言う通り、程なく2台のヘリが桂木邸に到着した。正門前の原っぱに着地する。中から二名の警官がやってきて、省吾を両側から挟んで連れ去った。

 省吾がいなくなった後、薪は岡部に尋ねた。
「彼の母親の遺体は無事か」
「ええ。俺たちと一緒に冷凍庫の中でしたから。しかし、他の遺体はみんなバラバラにちぎれて地面の底です」
「電力の供給が止まって溶け始めている頃だな。彼女の脳を第九に持ち帰り、急いでMRIに掛けろ」
「なぜです? 母親を殺したのは彼じゃありませんよ」
「そんなことは分かっている。おそらく父親の犯行だろう。問題は」
 カウチから立ち上がり、薪は言った。
「奴の顔だ」



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カエルの王子さま(15)

 こんにちは。

「オールバックと泣き虫ガンマン」のちえまるさんに相互リンクしていただきましたー。
 皆さんもうご存じと思いますが、一応ご紹介を。

 イラストありSSありレビューありの、バラエティに富んだブログさんです。ちえまるさん、マルチな才能をお持ちで羨ましいです。わたし、文字しか書けないんで(しかもフィクション限定)、尊敬しますです。
 未読の方、あまりいらっしゃらないとは思うのですけど、もしもいらしたらリンクから飛べますので、ぜひどうぞ。


 お話の方は解決編です。
 あちこち綻びてるかもですが、見逃してやってください。




カエルの王子さま(15)





 桂木省吾の取り調べは難航した。
 彼は徹底して黙秘を貫いていた。どんな脅しにも恫喝にも屈しなかった。元より、彼にはもう何もない。自分がどうなろうと、知ったことではなかったのだ。

 自供が取れなければ物証を挙げる他はないが、行方不明になった女性が桂木邸にいたと言う証拠は多数見つかったものの、肝心の遺体は地中深くに埋まってしまい、掘り出すのには相当の時間が掛かるものと思われた。家の中でなければ建設機械による掘削が可能だが、屋内とあってはスペースの制約と作業場の確保が難しく、作業は人力による他はなかった。当然、拘留期限には間に合わない。
 桂木邸から証拠品として押収したCDと音響機器は、専門家の調べで、人間の記憶を完全に失わせる効力はないと判断された。一時的に記憶の混乱を起こすことは可能で、被害に遭った女性たちは施術と暴行を繰り返し受けていたと考えられる。過大なストレスに晒されればコルチゾールが分泌されるのは必然で、それが施術による記憶障害を助長したのだろう、と言うのが専門家の最終的な見解であった。予想の部分が多く含まれるため、いずれも証拠としては弱い。

 加えて、省吾を調べるうちに、とんでもないことが分かった。
 まず、省吾には戸籍がなかった。正確には5歳のとき、鬼籍に入っていたのだ。だからあの家には、小学校から入学の案内が届くこともなかった。市の民生委員が訪ねてくることもなかった。省吾は存在しない子供として、あの家で育ったのだ。
 次に彼の脳を調べた結果、脳の一部分に損壊が見つかった。これも専門家の調べで、彼自身、過去に施術を施されていたことが分かった。脳の損壊はその時のものだと推測された。あの音響機器は強烈な磁力を発するよう改造されている。未発達な子供の脳であったこと、調整された磁力が強すぎたことなどが原因であると考えられた。

 これを行ったのは父親であると思われた。他にあの機器を扱える者がいるとは考えにくい。しかし、何故彼の父親が自分の息子にこんな真似をしたのか。捜査員たちの考えはこうだ。
 冷凍保存されていた母親の死因は後頭部の脳挫傷。転倒事故でも起こりうる死因だが、遺体が隠匿されていたことから他殺である可能性が高い。他殺となれば実行犯は父親だろう。その様子を目撃した息子に施術を施し、記憶が混乱した彼に母親が男と逃げたと信じ込ませようとしたのではないか。

 かように、省吾の生い立ちには情状酌量に値すべき点が多々あった。とは言え、世間の同情を集めるには、彼の起こした犯罪は凶悪過ぎた。
 しかし、ここに問題が立ちふさがった。刑法第39条である。
 幼い頃、父親の施術によって脳に損傷を受けた省吾が、そのせいで凶悪犯罪を引き起こしたと言うのはあり得る話だ。省吾の自白が得られない以上、弁護側は徹底して第39条、精神薄弱者の犯罪免責の適用を要求するに違いない。
 父親のこともある。戸籍ひとつをとっても想像がつくが、省吾の父親は普通ではなかった。義務教育すら受けていない省吾の学力は意外に高く、それは父親の教育によるものと思われたが、彼が息子に人間として一番大事なこと、つまり道徳や常識を教えたとはとても思えなかった。
 その証拠と言ってはあまりにも無残な事実があった。省吾は死んだ父親の遺体を荼毘に伏すこともなく、裏庭に無造作に埋めていた。捜査員が数人掛かりで掘り上げた父親の遺体は、すでに白骨化していた。目立った外傷は見つけられなかったことから病死又は自然死と判断されたが、猫の死体を埋めるように自分の親の遺体を庭に埋めるなど、普通だったら考えられないことだ。

 幼い頃から善悪の区別を誰にも教えられずに育った子供。学校にも行かせてもらえず、他人との交流を完全に断たれて成長した子供。果たして、そんな人間に責任能力を問えるのか。

 そのような被疑者の家から、女性の髪の毛や衣類が発見されたという状況証拠しか書類に起こせない状態で、送検は難しかった。
 合意の上でのプレイ中の死となれば、これは傷害致死。殺人罪は成立しない。桂木邸に潜入して犯行の証拠を目撃した刑事の証言によると、女たちの死体はホルマリン漬けにされていたらしいが、これは保存と、臭気を防ぐ目的もあったと思われる。死体には切り裂いた跡があったそうだが、その遺体も崩れてきた瓦礫に分断され、元の形状はなくなってしまった。殺人罪どころか死体損壊罪も危うい状況である。
 捜査員たちが頭を抱える中、犯人逮捕に多大な協力をした薪警視長が捜査一課を訪れた。

「桂木省吾を第九へ連れてきてくれませんか」
「何故です。桂木の脳はもう調べましたよ」
 面喰った一課長が薪室長の真意を尋ねると、薪はにこりと微笑んで、
「ご存じでしょう。第九で扱うのは死者の脳です」
 薪は、それ以上は言わなかった。この薪という男が秘密主義であることは一課でも有名な話だったから、課長もそれ以上は聞かなかった。口が堅いことでも有名な男なのだ。

 省吾はその日のうちに第九へと送られた。一課の刑事が2人付き添ってきたが、岡部が彼を引き取りに出向くと、連絡をいただければ迎えに来ますと言って去って行った。取調べ中の被疑者を別の部署に渡すのだ、立会いを求められれば第九は拒めない立場にある。が、そこは岡部の実力だ。岡部が捜査一課にいたのは10年近くも前の話だが、未だに伝説の刑事として一課の刑事たちに尊敬されているのだ。
 岡部の後についてモニタールームに入ってきた省吾は、感心したように周囲を見回した。初めて見る第九の最先端技術に感動を覚えているようだった。

 やがて奥の部屋から出て来た薪に、省吾は自分から話しかけた。
「元気そうだね、聡」
「僕の名前は聡じゃない。薪だ」
 どっちでもいいよ、と省吾は鼻先で笑い、「相変わらずキレイだね」と小馬鹿にしたように言った。薪がムッと眉をひそめる。
「思ったよりもやつれていないな。おまえの泣き顔が見られるかと楽しみにしていたのに」
「一課の刑事さんは優しい人ばかりで。どっかの誰かさんみたいに人を投げ飛ばしたり、いきなり腹を蹴ったりしないんだよ」
 ガタン、と椅子を蹴って立ち上がった岡部を、隣にいた青木が留めた。せっかく名前を出さないでやったのに、人の気配りが分からない男だ。

「それにしても、ここはすごいな。モニターがいっぱいだ」
「興味があるみたいだな」
「父は優れたエンジニアでもあったからね」
 父が作った太陽光発電と自家発電システムは、20年以上も壊れなかった。おかげで省吾は森の奥深くに住みながら、街の人々となんら変わりの無い生活ができたのだ。

「ところで、いまさら僕に何の用?」
「君に見せたいものがある。小池、頼む」
 小池と呼ばれた眼の細い男が、操作盤に付いた幾つかのボタンを押し、ダイヤルのようなものを回した。すると前面の大きなモニターに、省吾が知っている風景が映った。省吾の家だった。
「これは」
「そうだ。きみのお母さんの脳に残った映像だ」
「脳?」
 世間から隔絶されて育った省吾は、第九のMRIシステムのことを知らなかった。薪がそこの室長でもあることも、捜査の天才と呼ばれていることも、知らずに彼を助けたのだ。もしも知っていたなら見殺しにしていたはずだ。少なくとも、女たちの死体が置いてある家に連れて来たりはしなかった。

 巨大なスクリーンには、2歳くらいの愛らしい子供が映っていた。省吾の知らない子だ。子供はよく動き、よく転び、よく笑った。天真爛漫と言う言葉がぴったりの、元気の良い子供だった。
「だれ?」
「きみだ」
 隣に座った薪が、前を向いたまま言った。冗談を言っているようには見えなかったが、本当のことを言っているとはもっと思えなかった。
「ちがうよ。これは僕じゃない。僕の顔は」
「あれはきみだ。鏡に映ったお母さんが見えるだろう」
 鏡の中で、母は子供を抱いていた。子供が鏡を指さし、次いで母親を指差した。鏡の中の母が何か喋ったが、内容は省吾には分からなかった。この映像には音声がないのだ。

「『省吾の耳はお父さんそっくりね。なんてかわいい』」
 機械を操作していた男が、突然そんなことを言った。びっくりして振り返った省吾に、薪が「読唇術だ」と補足説明をした。
「小池の読唇術は第九で一番だ。なにしろ20年も冷凍保存されていた脳だからな。画像が荒くて、普通の人間には唇が読めない」
 だから小池に頼んだんだ、映像を再生するのも第九総出で三日も掛かったんだぞ、と省吾が頼んでもいないことで恩を着せようとした。性格の悪い男だと思った。
「なんのつもりだ。こんな合成画像までこしらえて」
「合成じゃない。見れば分かるだろう。きみは父親の英才教育を受けたはずだ」
 悔しいことにそれは事実だった。父が遺してくれた知識と技術が、その映像が本物であることを省吾に告げていた。

 画面に醜い男の姿が映った。蛙を連想させる容姿。省吾の父親だ。
 しかし何故か、その姿は見るものに悪心を起こさせない。父親の写真を見る度に省吾を襲った絶望は、この映像からは感じとれなかった。代わりに伝わってきたのは、何とも言えない暖かな感覚。それを何と呼ぶのか、悲しいことに省吾は知らなかった。
「お世辞にもハンサムとは言えないが。愛嬌のある顔だ」
 ヒキガエルと友人に罵られた父親の容姿を薪はそんな言葉で表し、MRIシステムの原理を知らない省吾に、MRI画像を読み解く上での大事なポイントを教えた。

「これはお母さんの脳の映像だ。お母さんの主観が、つまりは気持ちが入っている。お母さんにはお父さんが、こんな風に見えていたんだ」
 一般の女性たちに嘲笑された父の容姿が、母にとってはそうではなかった。そうとでも言いたいのか。
「見た目なんか関係ない。愛してたんだよ、お父さんを。だからきみが生まれたんだ」
 うそだ、と省吾は心の中で叫んだ。こんなものは信じない。信じられない。
「そしてお父さんも、お母さんを愛していた。その証拠がそこにいる二人だ」
 薪が頭をめぐらした方向には、あの深い森から薪を探し当てた青木と、省吾を蹴り飛ばした岡部がいた。彼らは爆発に巻き込まれたが、母の棺代わりの冷凍庫に入って難を逃れたのだ。

「お母さんの棺は穴の中に落ちなかったんだよ。だから彼らは助かったんだ」
 冷凍庫が爆発の衝撃に耐えたとしても、他の死体たちと共に地中深くに埋まってしまえばそこから抜け出すことは、自力では不可能だっただろう。彼らがオーディオルームにやって来れたからくりに、もっと早く気付くべきだった。
「お父さんはお母さんの遺体を大事にしていた。あの棺だけは地中に埋没することのないよう、計算の上で爆弾をセットしていたんだ。お父さんがお母さんの遺体を冷凍保存したのは、お母さんに呪い言を聞かせるためじゃない。死んでも離れたくなかったんだ」
 モニターの中では相変わらず、カエル似の男が愛嬌を振りまいていた。その特異な顔を自分の手でさらに歪めると、子供はたいそう面白がって笑った。どこにでもある、親子の光景。
「きみの戸籍を抹消し、きみを外界と隔ててしまったのもおそらくはそのせいだ。外とのつながりを持てば、だれかにその秘密を暴かれないとも限らない。お父さんはお母さんを失いたくなかったんだ」

 愛していたと言うなら、どうして父は母を殺した。どうして母は父から逃げようとした。なぜ。

「その一方で、お父さんはきみのことをとても愛した。自分の手元に置いておくためには手段を選ばなかった。それできみが自分から外の世界に行かないよう屋敷中の鏡を撤去し、きみの外見について間違った認識を植え付けた。歪んだ愛情だ」
 おまえは醜い、私と同じでとても醜い。母親さえもおまえを捨てて男と逃げた。おまえを愛してやれるのは、同じ容貌の私だけだ。私がいなければ、おまえは一生誰にも愛されない。
 繰り返し繰り返し、耳元で囁かれた呪文が蘇る。リピート数は文字では表せないほど。

「世界で唯一自分を愛してくれた女性を、自分が殺めてしまったとき。お父さんの中では何かが壊れてしまったんだろう。――よく分かるよ」


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カエルの王子さま(16)

 おはようございますっ。
 今日は朝一で代理人会議があって、下請けさんと一緒に役所に行きます。
 早く電柱移設してくれないかなー。頼みますよ東電さん、工事ができないよー。
 
 さて、お話の方は解決編の続きでございます。
 ヘンなとこいっぱいありますけど、気にしないように。細かいこと気にしてると大きくなれないよっ。(逆ギレ?)




カエルの王子さま(16)





「――よく分かるよ」
 今や食い入るようにモニターを見つめる省吾の隣で、薪は言った。冷静だけど、どこか悲しそうな声だった。

 母の記憶映像を見せられ、薪に解説を受けても、省吾はまだそれを信じることができなかった。幼少期に刷り込まれた父親の教えは、彼の中に深く根を下ろしていた。
「うそだ。母は僕と父を捨てて男と逃げたんだ。父を愛してなんかいなかった」
「その話が真実であると言う証拠は?」
「それは……父がそう言ってたから」
 証拠と言われれば、省吾は黙るしかなかった。その事件は今となっては父と自分の記憶の中だけに存在することで、記録も写真も残っていない。

「男と逃げたと言うが、きみはその男の顔を覚えているのか」
 勿論、覚えていなかった。省吾はまだ幼児だったのだ。母親の顔も写真で覚えたようなものなのに、その浮気相手の顔など知るはずもなかった。
「きみは僕に、お母さんに最後に言われた言葉が忘れられないと言った。お母さんの遺体を司法解剖した結果、亡くなったのは20年以上前であることが分かった。その時、きみはせいぜいが2歳かそれくらいだ。そんな子供の頃の記憶が正確に残っているのは却って不自然じゃないか」
 それだけショックだったんだ、と省吾は言おうとした。母の口調も嫌悪に歪んだ表情も、はっきりと覚えているのだ。父もそう言って――。

 ふと、省吾は不安になった。父から繰り返し聞かされた母の話に、母の最後の言葉もあった。省吾を悪しざまに罵った母の姿は、省吾自身の記憶なのか、父の話から想像した妄想なのか。
「父親が嘘を吐いているとは考えなかった?」
 その可能性はゼロではなかった。当時、省吾は子供だったのだ。が、それは結局は物事の枝葉でしかない。母が父に殺された、この事実を前にしては。
「僕はこの目で見たんだ。父が暖炉の火かき棒で母を殴り殺すところを」

 薪はついと省吾から眼を逸らすと、操作盤の前にいる小池に合図を送った。画像が一旦消え、再び映し出されたスクリーンの中には父親の背中が映っていた。省吾は直感した。これから惨劇が始まるのだ。
 しかしそれは、省吾の記憶とは少し違っていた。場所は暖炉の前ではなく、階段の踊り場だった。踊り場にいた父の背中がどんどん大きくなる、つまりそれは母親が階段を駆け上がっているのだ。
 父の背中がアップになったところで映像を止め、小池がこの状況に到った経緯を説明した。これより前の画像は荒く、訓練を積んだ職員でないと判別は難しいので、と前置きした後、
「この少し前、二人はちょっとした言い争いをしています。会話は解析できませんでしたが、おそらくは子供のことです。
 他のことでは諍いらしい諍いも見られず、非常に仲の良い夫婦でしたが、一つだけ、子供の教育については意見が対立していました。母親は、子供を保育園に通わせて友だちを作らせてあげたいと言い、父親はそれに強く反対していました。多分この時も、その件で言い争いになったのだと思われます」

 父の背中に迫った母が、父の肩を掴んだ。父は母の手を振り払った。そのはずみに母はバランスを崩して踊り場に尻もちを衝きそうになった。慌てて下を見た、その視界に突如として現れた影。
 母親を追ってきたのか、階段を這い上がってくる子供の姿。あどけない笑みで自分の上に倒れこんでくる母親を見ている。このまま倒れたら。
 母親の視界が大きく回転した。単に後ろに倒れたにしては不自然な動きだった。
 思わず省吾は画像から顔を背けた。あれが自分だとしたら、母が死んだのは。

「しっかり見ろ! これが現実だ!」
 髪の毛を掴まれて乱暴に前を向かされた。薪の怒号は、取調室の刑事よりも怖かった。
 母の映像はもう、はっきりと焦点を結ぶことができなくなっていた。急速に霞む視界に、蛙のような風体の男が青い顔をして走り寄って来た。それもすぐに見えなくなり、モニターは真っ暗になった。母が死んだのだ。

「ちがう……母を殺したのは父だ、父がそう言ったんだ」
「いつまでも自分の都合のいい幻想に浸ってるんじゃない!」
 その映像が真実であるとは、到底認められない。必死に首を振る省吾に、薪の厳しい一喝が飛んだ。
「いいか。お父さんがお母さんを殺したと言う筋書きは、きみが自分で作ったんだ。事故の様子をお父さんは正確には説明しなかった。自分のせいだ、とだけ言った父親の言葉からきみは勝手なストーリーを作り上げた」
 そんなことがあるはずがない。あれが妄想だとでも言うのか。まざまざと思い出せる、鬼のような父の形相も、鉄の棒で打ち据えられてぐしゃりと潰れた母の後頭部も。あんな生々しい妄想があるものか。
「きみの記憶にやたらと鮮明な映像が残っているのは、きみが行っていた例の施術のせいだ。ヘッドフォンを付けなければ音は聞こえない。でも、機器が発する強大な磁力は人間の脳に作用し、幻覚を見せる。
 きみはその幻覚の断片から話を捏ね上げた。それを自分の記憶だと思い込んだんだ」
 それは、記憶を奪われ、人生を奪われた女たちの復讐であったかもしれない。彼女たちに向けた省吾の毒は、自分にも返ってきていたのだ。

「きみはお母さんからもお父さんからも愛されていた。それが真実だ。復讐なんて、する必要はなかったんだ」
「うそだ、そんなはずはない、僕が愛されるわけはない。こんなに醜いのに」
「姿形じゃない。そんなものに左右されるほど、母親の愛情はヤワなものじゃない。そもそも、おまえは醜くない」
 省吾は自分の顔を手でこすった。何度も何度もこすった。

 僕は醜い。誰にも愛されない。
 だから。

 だからきっとお父さんはお母さんを殺さなきゃいけなくなったんだ、だって本当は男の人なんかいなかったもの、お母さんがあの家から出ようとしたのは、僕の醜さに嫌気が差したからだ。
 ぼくのせいなんだ、ぼくのせいなんだ、お父さんがお母さんを殺したのはぼくのせい。ぼくがみにくいからお母さんに愛してもらえなかった、みんなぼくのせい。
 そんなぼくがそれでも生きて行かなきゃいけないなら。
 ぼくは、悪魔になるしかないじゃないか。

「じゃあ、きみは僕にキスができる? こんな醜い男に」
 冷たい美貌が省吾を見下ろしていた。すい、と指先で顎を掬われる。ほんの数センチ上向かされた瞬間に、薪のくちびるが省吾のくちびるに重なった。
 遠くでガタガタと何客もの椅子が倒れる音がしたが、省吾の耳にはうっすらと響いただけだった。やわらかなくちびるの感触が、他の感覚を鈍化させていた。
 とても長い時間が過ぎたように思ったが、実際はほんの僅かな時間だったらしい。目を開けるとそこには薪のきれいな顔があって、省吾の眼をじっと見つめていた。

「お母さんはきみを愛した。お父さんもきみを愛した。お母さんに生き写しのきみを」
「なにを」
 差し出されたのは鏡だった。省吾があれほど避けてきた鏡。恐怖にも似た心地でそれを覗き込めば、そこにいたのは色白で線の細い青年だった。
 母と同じ薄茶色の髪に鳶色の瞳。ほっそりとなめらかな頬も慎ましい鼻梁も、ピンク色のくちびるも。在りし日の母にそっくりだった。
「どんな魔法を使ったんだい」
「きみが本当のお母さんを思い出した。それだけのことだ」
 ふい、と薪は横を向いた。きれいな横顔が、真っ直ぐにモニターを見ている。そこには、鏡の中の我が子に向かって微笑む母の姿があった。

「きみもお母さんを愛していたんだろう。桂木聡美。きみの母親の名前だ」
 ――字は大事だよ。聡明の聡と俊敏の敏ではイメージが違うだろ。

「お」
 身体の奥底から、なにかが突き上がってきた。防ぐべくもなく、口から迸った激しい嗚咽。手近にあった布を掴み、それを顔に押し付ける。
「お母さんっ……お母さ、あ、あ」
 自分の胸に顔を埋めて泣きじゃくる省吾を、薪は咎めなかった。部屋にいた職員たちも、引き離そうとはしなかった。ただじっと、彼の慟哭が治まるのを待っていた。
 ひたすらに待っていた。





テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(17)

 最終章ですー。
 お付き合いくださってありがとうございました。






カエルの王子さま(17)





 湯船の中で、薪は両手を前方に伸ばした。それから手を組み合わせて肘を開き、頭の後ろに持ってくる。その動作は、入浴時のストレッチは肩こりの緩和に有効だと雪子に教えてもらってからの薪のクセみたいなものだが、我ながらオヤジくさいと思っている。でもキモチイイ。年には勝てない。

「自供調書、取れたみたいですね。竹内さんから連絡がありました」
 向かいに座った青木が取り調べの進展について報告するのに、薪は、
「なんとか終わったな」と気のない返事をした。
 どうして室長の自分よりも先に青木が、しかも竹内は今回の事件の担当じゃないのに、まったく、捜査一課の礼儀知らずにも困ったものだ。ちょっと犯人の自供に協力したくらいで、第九が自分たちの手柄を掻っ攫うとでも思っているのか。て言うか、そもそも犯人を捕まえたのは岡部と青木だ。手柄を横取りしたのは捜一の方じゃないか、と思いついて止めた。そんなことはどうでもいい。事件は解決したのだ。
 第九の存続に必死だった昔は、薪も手柄に拘ったりもした。しかし、今はその必要はなくなった。第九の捜査機関としての地位は確立され、薪が自ら捜査に乗り出すことも減った。代わりに増えた官房室の法令制定関連の仕事より捜査の方が百倍楽しい薪としては複雑だが、後進に経験を積ませることも大事だと上司に言われて捜査への口出しを控えている。人間、年を取ると仕事の内容がつまらなくなる。今回青木と出張に行ったのだって、気晴らしみたいなものだ。

「おまえと二人で出張に行くと、ロクなことがないな」
 身に覚えのある青木が、バツが悪そうに俯く。前のときは、犯人の罠で青木が所轄に逮捕され、濡れ衣を晴らすべく奔走した薪が大変な目に遭ったのだ。
 今回もお疲れさまでした、と青木が言うので、身体を回して彼に背中を向けた。後ろから抱きついてくる腕をピシリと叩くと、薪の意向を理解したらしく、黙って肩を揉み始めた。

「やさしいですね、薪さんは。あんな酷いことをされたのに。省吾さんが母親に愛されていたことを教えてあげようなんて」
「馬鹿を言え。殺人鬼だぞ、あいつは」
 何年経ってもお人好しの青木にイライラする。そんなことで刑事が務まるか、といくら叱っても懲りない。薪が見るに確信犯的なところもあったりするから、3歩歩けば忘れてしまうニワトリよりタチは悪い。
「生い立ちなんか関係ない。どんな理由があろうと犯罪は犯罪だ」
 犯人に情けを掛け過ぎる傾向のある青木を諌めるため、薪はことさら冷酷に言い放った。
「あんな人間に、僕が同情するとでも思うか。被害者たちの遺体が地中深くに埋まってしまって書類に起こせない、自供が取れなかったら送検できない状態だった。だから奴に揺さぶりを掛けたまでだ」
 反論してくるかと思ったが、青木は何も言わなかった。代わりに、肩を揉む力を少しだけ強くした。肩甲骨と背骨の間のツボを揉みこまれて思わず呻く。ある程度コリが解れるまでは痛いけれど、これがめちゃめちゃ気持ちよくなるのだ。人間の身体って不思議だ。

「父親は、省吾さんに暗示を掛けたんですね。自分の元に縛り付けるために」
 犯罪者をさん付けするなって何度言ったら分かるんだ。注意しようと思ったが、ツボを押されて機を逸した。息を詰めて痛みに耐える。薪の口元から漏れる吐息が、密閉された浴室で湿った華を咲かせた。
「人間の感覚って不思議ですね。『あばたもえくぼ』て言葉がありますけど、思い込むと、そういう風に見えちゃうもんなんですかね。女の子がほいほい引っ掛かる時点で、自分が美形だって気が付いてもよさそうなもんですけど」
「省吾の場合は、脳に欠損があったことも関係してるんだろう。父親が幼い彼に施術を施したのは、母親の死体を見られた時だろうな。妻と離れたくなかった彼は、息子の記憶を消す必要があったんだ。ひどい父親だ」
「では省吾さんは、施術と暗示を幼い頃から繰り返し受けて」
「多分な。やつのコンプレックスはすごかったぞ。二言目には自分は醜いって、んっ」

 ああ、そこ。
 ここですか?
 うん、そこだ。あー、気持ちよくなってきたー。

 時折マッサージの指示を挟みながら、二人の会話は続く。一緒に風呂に入って肩を揉みながら仕事の話なんて、同じ職場の上司と部下ならではの恋人関係だと思う。
「可哀想なひとですよね、省吾さん」
「バカを言え。自分がされたからって、それを他人にやっていいわけないだろ。他人の記憶を奪うことは、人生を奪うことと同じだぞ。あの地下室の死体は首を吊ったものが殆どだったけれど、彼女たちを自殺に追い込んだのはやつだ。断じて許せん」
「省吾さんは寂しかっただけなのかもしれませんよ。誰かに、ずっと自分の傍にいて欲しくて。彼女たちの遺体をホルマリン漬けにしたのだって、省吾さんなりの愛だったのかも」
「彼女たちの遺体を見ただろう。無残に切り刻まれて、あれが愛だって言うのか」
「サディストの愛情って、相手を痛めつけることなんでしょう?」
「おまえたちが助けに来るのがあと何時間か遅かったら、僕も彼女たちと同じになってたわけだけど」
「……許せないですっ、終身刑が適当だと思います!」
 なんだ、その変わり身の早さは。
 犯人の気持ちを理解しようとする、それは刑事にとって重要なことだけれど、同調してはいけない。絶対にいけない。お人好しだけならまだしも、なるほどと頷いてしまっては駄目なのだ。

 やがて肩の凝りはスッキリと解消されて、薪は青木の胸に自分の背中を預ける。青木の体温が心地よい。薪のバスタイムはとても長いので、湯の温度は体温に近い38度。この季節だと、夜は少し寒いのだ。
「それにしてもおまえ、よくあそこが分かったな。地元の捜索隊でも見つけられなかったって聞いたぞ」
「薪さんを見つけるのは得意ですから」
「それなんだけど。いつもどんな手を使ってるんだ?」
 薪はふらっといなくなるのが得意だ。わざとやっているわけではなくて、推理に没頭していると、いつの間にか、自分でも思いもよらない場所を歩いていたりするのだ。そういう意味では薪は、年中記憶喪失になっている。
 そんな薪を見つけるのは青木の役目で、青木の特技は必要に駆られて開発されたスキルとも言える。これまでの統計、薪の性格及びその日の気分など、誰よりも薪を理解しようと努めてきた青木だからこそできる技だ。が、それはあくまで捜索範囲が決まっている職場の場合。今回のように、まったくの新規かつ情報の無い場所で対象を探し出すなど、普通ではあり得ない。薪が秘密を聞きたがるのも無理はなかった。

「決まった方法なんかないですよ」
「隠すな。少々変わった方法でもいい。それを救助隊の訓練に組み込めば、能力アップにつながるだろ。どうやってるんだ?」
「どうって言われても。なんとなくとしか言いようが」
「それじゃ訓練のしようがないじゃないか。役に立たない能力だな」
 仕事を絡めても白状しないとは、どうやら明確な手順は存在しないらしい。そんな曖昧なことで、よくもあれだけ高確率で薪を見つけられるものだ。半ば呆れて、薪は後ろを振り仰いだ。
「ちなみにそれ、だれでも探せるのか」
「いいえ。薪さんのことだけです」
 後ろに反らした細い顎が、一瞬固まる。上から見下ろしてくる漆黒の瞳と、それを見上げる亜麻色の瞳が絡み合った。
「本当に役に立たずだな、おまえ」
 ニヤッと笑って痛烈な一言。いつだって青木には容赦ない薪は、だけど、軽くなった肩が楽しそうに上がる。細い背中から伝わってくる、抑えきれない躍動。
 それを青木は後ろから抱き締める。薪の手は、今度は青木の腕を叩かなかった。

「記憶が戻ってよかったです。あのまま忘れられちゃったらどうしようかと思いました」
 薪が自分のことを知らない人だと、そう言った時の絶望がありありと蘇る。当然のように薪を抱き上げて連れ去った省吾が憎らしくて、本気で家に火を付けてやろうかと思った。薪には絶対に内緒だが。

 本当はあの時。薪は記憶を取り戻していたのだ。
 青木に抱き締められたとき、自分の中から何かがふわりと浮かび上がってきた。濡れた草木と泥の匂いの中に青木の匂いを嗅いだ時、それは暖かく薪を満たした。
 眼を開けたら青木がいて、もうその場で裸で抱き合いたいくらい嬉しかったのに。犯罪捜査を優先させたのは、さすが薪と言うかどこまでも薪と言うか。

「もう、忘れないでくださいね」
「それは約束できない。なんたって、記憶を消す施術を施されたんだから」
「え。じゃあ、何かの拍子にまた忘れられちゃうんですか、オレ」
 不安を感じて薪を抱く腕の力を強くする、青木の素直さに薪は毎回ほだされる。こいつ、なんて可愛いんだ。
「心配するな。おまえのことは必ず思い出すから」
「すみません。食堂のおばちゃんより後に思い出された身としては素直に信じられません」
「根に持つなー、おまえ」
 あの時も、本当は一番最初に思い出していたのだ。
 最初に薪の身体を検めたのは青木だ。青木の手に触れられたとき、この手を知っている、と薪は夢の中で思った。だれだっけ、と考えたらすぐに青木の顔が浮かんだ。抱きつきたかったけれど、身体が動かなかった。

「本当だ。何度でも思い出す」
「オレもです。何度でもあなたを見つけます」
 それはとても簡単で、しかも当たり前のことのような気がした。

 何度でも。青木は薪を見つける。
 薪は何度でも青木を思い出す。
 例え何億個の脳細胞が消滅しても、それは記憶とは関係のない本能行動。彼らが互いに互いを刻んだ記念碑は、脳細胞よりもっと深い場所にある。それを人は愛とか呼ぶのかもしれないけれど、彼らにとってはそんな大仰なものじゃない。それが普通だと思うことができる、簡単だと思えることのなんて強さ。

「ところで、薪さんの浮気の件ですけど。慰謝料、身体で払ってもらっていいですか」
「なんの話だ」
 突然会話が不穏な方向に流れて、薪はぎょっと身を硬くする。身に覚えのないことだが、記憶を失っていたのは事実だ。記憶を取り戻すと記憶を失くしていた間のことは忘れてしまう事例もあることだし、覚えていないだけで本当はなにかあったのかも。
 自分の非を認めそうになって、薪は思い直す。記憶が無かった時の記憶も、ちゃんと残っている。怪我をして動けなかったから、省吾に手伝ってもらって風呂に入った。青木以外の男に裸を見せたわけだけれど、あれは仕方がなかった。オーディオルームで襲われそうになったときには意識がなかったのだから、あれも薪に責任はないはずだ。どちらも浮気ではない。

「9回、いや、こないだのキスも入れて10回分かな」
 10回分、何をする気なのか。分かってるけど知りたくない。
「こないだのは仕事だろ? ああでもしないと自供を引き出せないと」
「じゃあ最初の9回で我慢します」
 いや、9回でも充分死ねると思うけど。
「どこから出て来たんだ、その数字」
「薪さんの身体に付いてたキスマークの数です」
「不可抗力だろ!」
「どんな理由があろうと浮気は浮気です」
 いみじくも、薪の犯罪に対する姿勢と青木の浮気に対する姿勢は同じらしい。薪はザバッと湯の中で身体をねじった。
「いや、ちょ、待て、待ってくれ! 明日は早朝会議が、うぎゃー!」


*****


 翌月、開かれた裁判で、検察側は情状酌量の余地なしとして桂木省吾被告に死刑を求刑。裁判官は検察の主張を全面的に支持し、死刑を宣告。被告人による控訴は行われず、刑が確定した。


*****


 東京に初雪が降った日、薪に一通の手紙が届いた。東京拘置所から検閲を経て送られてきたその手紙には、短い文がしたためられていた。

『お姫さまのキスで、僕は人間に戻れた。ありがとう。
                                             みにくいカエルの王子様より』



―了―


(2014.5)


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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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