女神(1)

 このお話は、雪子さんが主役みたいに出張ってます。
 うちの雪子さんは心から薪さんのことを心配し、薪さんと青木くんの仲を応援する女性です。(腐女子ではありません(笑) しかも、薪さんとめっちゃ仲良し。
 薪さんの気持ちを知っている雪子さんが、こんな風になってくれたらな、って願いを込めて書きました。
 原作の設定とは違うので、苦手な方にはごめんなさいです。





女神(1)







 ヒールの音を響かせて、彼女は颯爽と歩く。

 白衣を翻し肩をそびやかし、女王然とした雰囲気が良く似合う。両手には、テイクアウトのサンドイッチが入った大きな紙袋を抱えている。
 女にしては高い背丈。短く切りそろえた漆黒の髪。派手な顔立ちに合わせたはっきりしたメイク。勝気そうな黒い瞳に高い鼻。大きめの唇は真っ赤なルージュに彩られている。白衣よりも、豪奢なドレスが似合いそうだ。
 が、本人はあまりファッションには興味がない。彼女の興味は今のところ、監察医の仕事ともうひとつ――。

「はーい、薪くん。サブウェイのサンドイッチよ」
 第九の自動ドアから室長の姿を見つけて、彼女は快活に声を掛けた。今井の後ろからモニターを見ていた薪がすぐにこちらにやってくる。
「雪子さん。ありがとうございます、いつもすみません」
 にこっと笑いかける薪に、紙袋を手渡す。身体の小さな薪の上半身は、大きな紙袋に隠れてしまいそうだ。その様子に微笑んで、雪子は周りをぐるりと見回した。
 第九の職員たちが「ごちそうさまです」と笑顔で答える。しょっちゅう差し入れをしてもらっているからというわけでもないのだが、みな雪子とは仲がいい。

「あれ? 新人くんは?」
「青木なら、ちょっと出てます」
 みんなにサンドイッチを配り始めた曽我が、雪子の質問に答える。
「まだ続いてるんだ。結構がんばるわね」
「ああ見えて根性ありますよ、あいつ」
 今井が気を利かせてコーヒーを運んでくる。本来なら新人の役目だが、外出中では仕方がない。
「なんか青木のやつ、このごろ妙に張り切ってるんですよ。いつも遅くまで残って機器操作の練習とかしてるし、事例集や専門書も勉強してるみたいですよ」
「あら大変。追い越されちゃうわよ、先輩」
「昨日今日、警大出たばかりのヒヨッコにそうそう追いつかれませんて」

 軽口をたたきながら、束の間の休息を楽しむ。いくら忙しい第九でも、このくらいは許されて然るべきだろう。
別段、室長もとがめだてはしない。少々行儀悪く机に腰掛けて、岡部と話しながら野菜サンドをかじっている。
 薪はここで、雪子が身内のように振舞うことを認めてくれている。ゆえに第九の職員も一目置いている。だからといって、その上に胡坐をかくような浅はかな真似はしない。雪子は頭の良い女性だった。

「室長。見つかりました、この本です」
 突然開いた自動ドアから慌しく駆け込んできた男によって、ゆったりとした空気は破られた。やたらと張り切っている新人である。
 今井の言葉通り、仕事にやりがいを見出したもの特有の生き生きとした顔をして、眼鏡の奥の黒い目をきらきらさせている。その喜びに満ちた瞳は研究室の中の誰よりも早く室長の姿を捉えて、薪に屈託のない笑顔を向けている。

 雪子の存在に気付いて会釈をする。が、その目にはわずかに敵意が感じられる。その敵意の理由は、なんとなく察しが付く。部外者の自分がちょくちょく第九に出入りするのが気に入らないのだ。

「ここに映っているこの本です。限定本で、日本で200部しか発行されていません」
 差し入れには見向きもせず、自分のモニターに飛びついて薪を呼ぶ。
 サンドイッチを口に咥えたまま、薪はモニターを覗きにいく。青木の肩越しにモニターを見て、自分の目で確認する。
「よく見つかったな」
「古書店を20件くらい廻っちゃいました」
 薪に褒められて、嬉しそうに笑う。若さの溢れる頬が紅潮している。
 女特有の鋭さで、雪子は青木の気持ちに気付き始めている。考えすぎかとも思うが、この様子を見ているとまるっきり見当違いとも言い切れない。こういうことに関して雪子の勘は外れたことがない。

「雪子さんから差し入れ貰ったぞ。礼を言っとけよ」
「あ、どうも」
 素直に雪子に頭を下げるが、取りに来ようともしない。捜査に夢中のようだ。
「この限定本、ナンバーが打ってあるんです。ほらここ。画の中にこの部分が映っていれば特定できます」
「青木。それは後でいい。とりあえずそれを食べてからにしろ」
「今はいいです。ここから虱つぶしに見ていけばきっとどこかに」
「おまえ、昼も食べてないだろ」
 薪が眉をひそめる。
 それだけで少女めいた雰囲気が消えて、厳しい男性の顔つきになるから不思議だ。薪くんて性別あるのかしら、と医者にあるまじきことを考えながら、雪子は2人の様子を伺っている。
 「平気です。あっ、今のとこ……」
 
 突然、青木のモニターがザ――ッ、という音とともにブラックアウトした。
 操作ミス、いや、人為的なハプニングである。

「メシはちゃんと食え。健康管理は社会人の基本だ」

 電源キーを押してしまったのは確かに青木の手なのだが、その原因は青木の後ろにいた人物にある。
 青木はキーボードの上に手を置いたまま、固まってしまっている。硬直の理由は画面の暗転ではなく、自分の口に突っ込まれたサンドイッチのせいだ。
 薪が今まで咥えていた野菜サンド――― 気の短い室長は、実力行使が得意なのだ。

「なんだその顔。僕は病気なんか持ってないぞ。いいから、それ食え!」
 かわいそうに、と雪子は思った。
 昔から薪は、こういうことには鈍感なのだ。たぶん、というか絶対に、彼の気持ちには気付いていない。

 今年の1月に第九に入ってきた新人は、やたらと背の高い青年だった。昨年の9月に警察大学を卒業したばかりで、雪子より1回りも年下だ。平凡な見かけによらず東大法卒と聞いているが、高学歴でなくては第九には入れないので本当なのだろう。
 キャリアで警察庁に入ってきているので、階級は警部補。地方なら署長クラスの階級である。もっとも、ここの職員はすべて警部以上なので、やはり青木はただの新入りに過ぎないのだが。

 真面目で気弱そうな新人を見て、1週間で辞めるほうに賭けたのは雪子だけではない。第九の職員の殆どがそちらに賭けてしまって、賭けが成立しなかったくらいだ。全員の思惑通りにこの新人は、最初の2ヶ月ばかり第九の精神攻撃に打ちのめされて憔悴していたが、今はどうにか立ち直り、この仕事の醍醐味が分かってきたところらしい。
 自分の読み通りにうまく手がかりを見つけることができるようになると、思いついたことをすぐに確かめたくなって、寝食を忘れてのめり込んでしまう。薪といいこの新人といい、困ったものだ。そういう自分も解剖台で死体の隣に寝ていて、助手の女の子によく怒られるのだが。

 その新人の目が薪ばかりを追うのに雪子が気付いたのは、4月の終わり頃。
 薪に憧れて第九に来たそうだから当然かとも思っていたのだが、その目にちらちらと見え隠れする甘いものが混じりだしたのは、つい最近のことだ。
 第九の職員たちは、こういうことには疎い連中だから、まだ誰も気付いていない。まあ、男なんてみんなそんなものだ。表面に現れるものしか見えない。
 だが、女はその裏を読む。
 中には薪のようにひとの気持ちに鋭い男もいるが、その薪にしてみても、こういうことに関しては雪子に遠く及ばない。仮説を立てて検証を繰り返す捜査の手法とは、根本的に違うからだ。

 なんとなく。

 それが女の理屈である。
 男が永遠に女に勝てない理由のひとつだ。

 食べかけのサンドイッチをいつまでも見ている青木を横目に、雪子は笑いを堪えている。
 薪のほうに目をやると、罪作りな室長は既にやりかけの捜査に戻っていて、哀れな新人のことなど見向きもしない。
 青木はそんな室長を見て軽く嘆息すると、思い切ったように残りのサンドイッチをほおばって、モニターの電源を入れ直した。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

女神(2)

女神(2)







 第一から第九までの研究室は、すべて同じ敷地内にある。

 建物は4つに分かれており、第一から第四までの生化学研究所と第五から第八までの物理学研究所、MRI捜査を行う第九、それから職員食堂やレクリエーションルーム、売店やコインランドリーなど、さまざまな施設を盛り込んだ管理棟。広大な敷地の中に、それぞれの正門があり建物がある。社会平和の名の下に、巨額の国家予算が投じられた結果の大規模な設備である。

 設立当初、科学警察研究所は千葉県に建てられていたが、警視庁との連携のため、また交通の便の良さなどから、今は警視庁と同じ霞ヶ関に移転している。警視庁と研究所は地下通路で繋がっており、その距離は歩いて5分ほどだ。当時は第四研究室までしかなかったが徐々に専門機関が増えて、2056年に第九が設立され、研究室は9つになった。
 その中でも第九は最先端の技術を用いて、日々進化するIT技術に対応していかなくてはならないため、科学警察研究所の金喰い虫と酷評されることもある。

 予算の交渉も、室長の仕事である。

 第九には職員が多くないため、人件費はさほどかからない。が、MRI装置の維持費、管理費、メンテナンス費用は莫大なもので、他の研究室の倍は掛かっている。その上に新技術のためのシステム更新費用は、なかなか捻出できないのが現実である。
 確かに、新しい技術は仕事の能率を上げる。しかし、とにかく金がかかるのだ。
 国民の税金でこの費用は賄われているのだから、あまり無茶なことは言えない。それは薪も解っている。が、この新しいシステムがあれば、第九の平均残業時間を1時間は減らせる。部下の負担を少しでも軽くしてやりたい室長の親心だ。

 追加予算の交渉のために所長の田城の所に出向いた薪は、しかしそこで、最も苦手とする人物と遭遇してしまった。
 警務部長の三田村である。
 年の頃は五十二、三。脂ぎった感じの太った男で、何かと薪を目の敵にしている。
 これは出直したほうが良い。田城だけなら何とか説得できるかもしれないが、三田村がいたら絶対に不可能だ。逆に予算を削られるかもしれない。
「失礼しました、出直します」
「待ちたまえ。その資料は何かね? まさか、また金のかかる話じゃないだろうね」
 別にあんたに話をしに来たわけじゃない―― そんな気持ちが顔に出てしまったとも思えないが、三田村はやたらと薪に突っかかってくる。
「どうにも君は目つきが悪いな。何か言いたいことがあるなら、言ったらどうかね」
 階級は三田村の方が上なので、薪は何も言い返せる立場ではない。警察は完全な縦社会だ。俯いて、すみませんと頭を下げるしかない。
 しかも、三田村は警務部長だ。一般の会社でいう人事部長に相当する権限を持っている。いくら薪が出世に興味がないと言っても、ここで三田村に逆らったら、その被害は第九の部下たちにも及ぶ。それだけは避けなければならない。

「まあ、三田村さん。目つきの良い捜査官なんていませんよ。特に第九は、朝から晩までモニターを見続けているんですから。目つきが悪くなって当然です。
 薪くん、話があるんだろう? 構わないから言いたまえ」
 所長の田城が助け舟を出してくれる。上層部の中で、上役に媚を売らない薪はあまり評判が良くないが、田城だけは薪の実力を近くで見ているためか、何かと力になってくれる。第九の追加予算の殆どは、田城の尽力によるものだ。
 田城に促されて、薪は用意してきたIT関連の資料を渡す。最近注目され始めた新しいタイプの半導体を使ったもので、アクセスの時間が大幅に短縮できるのが、そのシステムのセールスポイントだった。
 システムの詳しい内容についてはよく解らない田城のために、薪は商品の概要を簡単に説明し、これによってスピーディに解析が進むことを強調した。
 
「しかし、この金額はちょっとキツイな」
「そこを何とか、田城さんのお力でお願いします。
 うちは人手が足りないんです。九つある研究室の中で、一番時間外作業が多いのはうちです。みんな体力的にもぎりぎりなんです。このままいくと過労死する職員が出ますよ。そうなったら田城さんにも、迷惑を掛けてしまうことになるかと」
 田城の机に両手をついて、薪は身を乗り出す。
 普段は無口の部類に入る薪だが、こういうときだけは雄弁で、次から次へともっともらしいセールストークを繰り広げる。警察をクビになってもセールスマンで食いつなげそうだ。

 巧みにアメとムチ、もといお願いと脅しを練り混ぜて、薪は田城を説得する。30分も粘れば大抵は薪の要請(わがまま)が通るのだが、この日は事情が違った。
 三田村警視長の存在である。
「薪くん、無茶をいうもんじゃない。どこから金が出てると思ってるんだ。国民の血税だよ。国民を守るための警察機構が、国民の生活を苦しくするような真似をしてどうする」
 やっぱり口を出してきた。嫌な予感はしたのだ。
 三田村の言うことは確かに正論だ。それは薪も重々承知している。が、正直に言って、薪には自分の部下たちの体のほうが大切だ。

「私は所長と話しているんです。人事に関することではないのですから、口を挟まないで頂けませんか」
 もう少し、というところで掛けられたダメ出しに、薪はつい口を滑らせてしまった。しまった、引っかかった、と思うが後の祭りである。
「なんだ、その口の利き方は。わしは警視長だぞ。自分の立場をわきまえろ、薪警視正! だいたい君は」
 言葉尻を捕らえて、三田村は薪を糾弾し始めた。薪個人のことから第九のことや部下たちのことまで、言いたい放題である。
 こうなったら黙って下を向いて、頭の中で羊の数でも数えるしかない。

 そういえば青木のやつ、ちゃんとメシを食ったかな。どうもあいつはこの頃オーバーヒート気味だ。気をつけてやらないと、などと、三田村の非難とはまったく関係のないことをつらつらと考える。

「君は人手が足りないというが、こっちは優秀な人材ばかりを選んで送り込んでいるんだ。彼らが次々と第九を辞めてしまうのは、室長としての君の責任じゃないのかね」
「まあまあ三田村さん。それくらいで」
 田城の弁護も、三田村の耳には届かないようである。
 薪も悪い。
 しおらしく頭を垂れてはいるものの、まったく三田村の叱責を聞いていない。そういうことは相手に伝わるものだ。
「なんとか言いたまえ!」
 本当に『なんとか』と言ってそれきり口をつぐんだら面白いだろうな、と漫画のようなことを考える。やってみたいが、さすがにまずいだろう。

 当たり障りなく、すみません、とだけ言っておく。役立たずばかり送り込んでくるくせにと思うが、言葉にはできない。
 やる気がある人間なら、別にキャリアじゃなくてもいいのだ。MRI機器の操作は確かに複雑だが、そんなものはやってるうちに慣れていく。
 勉強ばかりしてきて、ひとの心の機微や世間の常識に疎く、更には昔からエリート扱いされてきたせいで、ほんの少しの挫折や他人からの叱責に驚くほど弱く、すぐに心が折れてしまうような人間に、第九の仕事が勤まるわけがない。
 その点、青木は合格だ。
 落ち込んでいたのは最初のうちだけで、今は毎日のように薪に怒鳴られているのに、平気な顔で元気に仕事をしている。打たれづよい性格なのだろう。最近の若い者にしては見所がある。

「君のところに人を送るのも大変なんだよ、薪室長。何故か分かるかね?」
 唐突に猫なで声になった三田村を訝しんで、薪は顔を上げる。薪の両肩に肉付きの良い毛深い手が置かれ、腫れぼったい目が薪の目を捉えた。
「人殺しの下で働きたくない、と言う者も、たくさんいるからだ」
 斬りつけられた言葉に、薪の両肩がびくりと上がる。
「三田村さん!」
 さすがに田城が声を荒げた。それを薪は遠くで聞いていた。

 自分の動揺をこの男に知られるのは屈辱だ。が、体の震えを止めることができない。とっさのことで、身構える余裕がなかった。
 青ざめている自分を悟って、薪は負けを認めた。
 「……申し訳、ありませんでした。失礼します」
 田城の机から持参した資料をひったくるようにして、薪は所長室を辞した。三田村の嘲笑に追い立てられるように、誰もいない廊下をひた走る。

 階段を駆け下りて、建物の外に出た。今は誰にも会いたくない。こんな気持ちのまま、第九に戻れない。
 科学警察研究所の敷地には、緑がたくさんある。多くの樹木が植えられていて地面は芝生になっており、ちょっとした公園のようだ。
「ちっくしょ……」
 一本の樹に辿り着いて、薪は呼吸を整えた。
 いつの間にか涙が出ているのに気付いて、慌てて拭う。木に背中を預けて空をあおぐ。霞ヶ関の空は今日もきれいな夕陽に彩られていて、今の薪の乱れた心中にてんでそぐわない。

 この樹は、薪にとって少し特別だ。
 むかし、親友とこの樹の下に座って、よく昼食を摂った。
 第九の建物が見える場所で、日当たりもいい。満腹になると、彼はいつも芝生に寝転んで、薪と色々な話をした。たまにそのまま眠ってしまうこともあった。彼の寝顔を見るのは薪の密かな喜びであり、休み時間が終わりに近づいた頃に彼を起こすのは、薪の楽しみのひとつだった。

「鈴木……」
 あの頃のように芝の上に座り込んで、薪は親友の名を呼んだ。
 夕刻の風が、薪の短い髪をなぶる。亜麻色の髪がさんざめき、前髪が赤くなった目を隠してくれる。
「おまえに会いたくなっちゃったよ。はやく、迎えに来いよ……」

 やがて、夜の帳が辺りを包むまで。
 薪はその場にうずくまっていた。



*****


 三田村部長はオリキャラです。
 これからもうちの話にはバンバンオリキャラが出てきますが、寛大なお心でスルーしてくださいますよう、お願い致します。

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女神(3)

女神(3)







「よっ、新人くん」
 馴れ馴れしい呼びかけに、青木は思わず眉をひそめた。
 法一の女傑、三好雪子の研究室である。別に雪子に会いに来たわけではない。解剖所見を取りに来たのだ。
 部署違いの女医に新人呼ばわりされる筋合いはない。まあ、社会人としても自分は確かに新人なのだが。

 青木は、この女が嫌いだった。
 同じ研究室ならともかく、部外者のくせに頻繁に第九に来ては室長と親しげに話をする。室長も室長で、この女のことだけは特別扱いだ。それはつまり……その先は、考えたくない。

 先日の、夜桜の一件から青木の心中は複雑だった。
 あれからついつい、薪の姿を目で追ってしまう。その一挙一動が気になって仕方ない。
 薪に認めて欲しくて、夢中で仕事をこなす。機器操作の練習もMRI技術の解説書を読むことも苦にならない。難しい専門書も、薪に教えを乞うことができる貴重なアイテムだからだ。その情熱の釣り合いを取るように、薪が出張などで不在のときは心の中が空っぽになってしまう。

 自分でもヘンだと思う。
 たしかに、薪に憧れて第九に来た。だからもちろん敬愛している。
 でもこれは……。

 この気持ちは、それとはまた別のもののような気がしてならない。
 薪と親しげに話す女医に、苛立ちを覚えるのは何故だろう。自分は室長のことを独占したいと思っているのか? 好きな女の子と仲のいい男に嫉妬するように? いや、でも室長は男のひとだし。

 ただでさえ自分の不安定な気持ちに振り回されている青木の心を、ますます不安にさせる女医の態度に、青木は憤りを感じている。
「何かご用ですか」
「室長の食べかけのサンドイッチの味はどうだった?」
―――― こういうところが、大嫌いだ。
「べつに、普通でしたよ」
「ふう~ん」
 含みのある言い方だ。やたらと勘に障る。
「何が言いたいんです?」
 挑戦的に言い放った青木の言葉に、勇ましい女医は、更に強い言葉で切り返してきた。

「あなた、薪くんのことが好きなんでしょう」

「なっ!何をバカな……!」
 根が正直な青木は、心の中がそのまま顔に出てしまう。頬が火照っているのが自分でも解る。これでは認めているのと同じことだ。
 それでも否定しておかないと、ここはまずい。室長に迷惑が掛かる。何より、この女から室長にその話をされるのは願い下げだ。まだ自分でもよく解らない感情なのに。

「そりゃ好きですよ。てか、第九に室長を嫌ってるひとなんかいませんよ。好きじゃなきゃ、あのひとにはついていけないでしょう」
「なかなかうまい言い方だけど、その顔じゃバレバレよ」
 この無神経さが嫌なのだ。どうして薪はこんな女がいいんだろう。
 薪にはもっと、細やかな神経の女性が似合うと思う。容姿にしてもこんな大女じゃなくて、小柄な薪にも釣り合う女性がきっといるはずだ。そういう相手だったら、自分も納得したかもしれないのに。
……いや、多分ダメだ。どんな相手でも、たとえ相手が深窓の令嬢でも、きっと自分は相手の女性のアラを探すのだろう。

 これは、嫉妬だ。

「だったらどうだって言うんですか」
 自分は室長にとってただの部下だ。嫉妬する資格なんかないのに、この女性に当たってしまっている。なんて勝手な男だ。
「あなたが誤解してるみたいだから解いておこうと思って。あたし、薪くんの恋人じゃないから」
「えっ?」
 女医は、思いもかけないことを言い出した。
 てっきり、余計なちょっかいを出すなと言われると思っていたのだ。それが薪との関係を否定している。どういうつもりだろう?

「お二人のことは、見てれば解りますよ。べつに今更隠さなくたって。オレ、邪魔するつもりはありませんから、安心してください」
「だから違うって。ありえないから、薪くんだけは。……誰からも聞いてないの?」
 いつもはポンポン言葉が出てくる彼女にしては、めずらしく言い淀んでいる。なにやら言い難いことらしい。
「何をですか?」
「みんな口が堅いのは認めるけど、今回は裏目に出たみたいね」
 独り言のように呟いて、真っ直ぐに青木の目を見る。これは真剣な話のようだ。
「あなた、去年の夏に起きた事件のことは知ってるわよね? あのとき薪くんに射殺されたのは、あたしの」
 そこまで言われてようやく気がついた。
 事件には関係ないと判断して流してしまった画の中に、彼女がいたような気がする。
 彼女は鈴木の――――。

「いくらあたしが非常識だからって、婚約者を殺した人の恋人にはなれないわ」
 法一の女薪は、きっぱりと断言してあっけらかんと笑った。




*****




 夜の第九に、薪はひとりで残務整理をしている。
 薪の就労時間は極端に長い。いつも朝の8時前には職場に入って、帰りは夜の8時過ぎ。12時間労働が日常になっている。
 が、家に帰れるのは余裕がある証拠だ。忙しいときには第九に泊り込みで捜査をする。それも一日二日の話ではない。今までの最長記録は、たしか3週間だった。
 研究所にはシャワー室も仮眠室もコインランドリーもあるから生活できないことはないのだが、仮眠室のベッドでは熟睡できないし、シャワー室には湯船がない。やはり家に帰って休まないと疲れをとることはできない。

 仕事が一段落ついて、そろそろ戸締りをしようと開け放していた窓に近付いた薪の目に、雪子の姿が映った。庭のベンチに腰掛けて、隣には青木がいる。珍しい組み合わせだ。

 雪子と一緒だからだろうか、その姿に鈴木が重なる。
 昔、こうしてよくあのベンチに腰掛けて楽しげに話している2人の様子を、ここから見ていた。見る事しかできなかった。
 あのときの切なさは、忘れられない。
 もう何年も前のことなのに、その記憶は薪の身体の奥に刻み込まれていて、一向に色褪せない。今でも思い出すとちゃんと泣けてくるから、自分でも驚きだ。

 自分はいつまで鈴木のことを忘れられないのだろう―――― そう思っていたところに、あの事件が起きた。
 そして薪は、鈴木への想いを忘れる努力を放棄した。

 僕が彼のすべてを奪った。彼の人生は、僕が終わらせた。
 だから。
 僕の人生もそこで潰えた。僕の残りの人生は、彼のものになった。
 彼の愛した第九を守って彼の愛した女性を見守って、一心にその身を聖職に捧げようとした彼の遺志を継いで、僕は生きることを決めた。彼が僕を迎えに来るまで、僕は自分のすべてをこの仕事に捧げる。

 薪の決心は固い。もともと頑固なのだ。
 言い出したらきかないし、思い込んだら止まらない。それは捜査官にとっては粘り強いという長所になるかもしれないが、人格としては少々困りものである。

 こうして見るとあの2人、なかなかお似合いだな、と薪は思う。
 雪子は女にしては175cmと背が高いが、青木は190cm近い長身なので身体の釣り合いも取れている。ただ年が若すぎる。雪子は薪と同い年だから、一回りも年下だ。雪子を任せられる男性を探していた薪だが、青木ではまったくもって頼りない。
 しかし、将来性はある。キャリア組の青木は望めば出世できる立場にいる。今年中に昇格試験を受けさせて警部にして、4年後には警視だ。それから警視正になるには多少かかるだろうが、それでも頭は悪くないから40前には昇進できるはずだ。

 何より、青木は鈴木によく似ている。
 雪子の心に入っていくには、それはどんな甘いマスクよりも強い武器になるはずだ。

 明るく振舞っているが、雪子は鈴木のことを忘れたわけでも乗り越えたわけでもない。彼女が法一の女薪などと呼ばれるようになったのは、解剖台の上で眠るほど仕事に没頭し始めたのは、鈴木を失ってからのことだ。つらい記憶を忙しさで紛らわせ、心に開いた大きな穴を仕事で埋めようとして、自分を追い込んでいるだけだ。
 それが薪には痛いほどわかる。自分も同じだからだ。
 周りの人間は、自分と雪子をよく似ていると評するが、もともとはまったく通じるところなどない。
 ただ、ふたりの間には鈴木がいた。
 鈴木というひとりの男を愛した者同士、それを失って絶望に打ちのめされた者同士、同じような方法で残りの人生を歩もうとしているに過ぎない。

 決定的な違いは、薪は加害者で雪子は被害者だ、ということだ。
 薪が死んだ鈴木にこの世で償うことは、もうできない。償えるのは、いま生きている雪子や鈴木の遺族に対してだ。
 鈴木の家には大学の頃から出入りしていて、薪と鈴木の両親とは15年近い付き合いだったが、それでも葬儀への出席は許してもらえなかった。香典も献花も返された。マスコミも来ているし、ご親族の手前もあるから、と雪子が薪に言いづらそうに事情を説明してくれた。
 遠くから、火葬の煙が上がるのをずっと見ていた。
 葬儀場から遠く離れた人目につかない道端で、電信柱の陰に隠れて、うずくまって泣いた。

 去年の夏―――― あと3ヶ月で1年だ。今年は墓参りを許してもらえるだろうか。

 自分のしたことを、許してもらおうとは思わない。薪の望みは、雪子にも鈴木の両親にも平穏で幸福な生活を送ってもらうことだ。
 自分だってもし、他の誰かが鈴木を殺していたら、一生その人物を怨むだろう。
 怨みが消えることなどない。鈴木はもう、絶対に帰ってこないのだから。死ぬまでこの憎しみが薄れることはない。
 雪子のように、加害者の自分と友人関係を続けることなど思いもよらない。自分にはそれは無理だ。

 彼女には敵わない、と思う。

 鈴木が死んでから、雪子の凄さがわかった。鈴木が雪子を選んだのは、性別の問題だけではない。雪子の方が人間として自分よりも勝っていたからだ。
 強さも、やさしさも、鈴木への愛も―――― きっと自分より上だった。
 自分の鈴木への気持ちは誰にも負けないと思っていたけれど、あれは愛とは呼べない代物だった。執着心と、独占欲。嫉妬と我儘。あの頃の自分は、本当に醜かった。

 雪子は違った。
 雪子の愛は、もっと大きかった。鈴木が雪子と付き合い始めてからも、鈴木が僕のところに来るのを許していた。僕が鈴木を見つめることを咎めなかった。気付かなかったはずはないのに、僕たちの関係について問い質すことをしなかった。
 引き換え、僕がしたことといえば、鈴木に縋り付いて縛り付けて、結局かれを困らせただけだ。あんなのは愛じゃない。だから、鈴木との関係は長くは続かなかった。

 今なら、もっとうまくやれる自信がある。でも、鈴木はもういない。
 僕が、殺したから。
 鈴木の人生も、雪子の人生も、僕がめちゃめちゃに壊したから。

 だから雪子には幸せになって欲しい。自分の贖罪のためにも、雪子には良いパートナーを見つけて欲しい。そうしたら、この胸を切り裂きたくなるような自分への嫌悪感も少しは薄れるかもしれない。

「う~ん。青木か……候補リストに加えておくか」
 まずは再来月の昇格試験だな、と頭の中の室長メモに書き込んで、薪は窓を閉めた。




*****

 補足説明させていただきます。
 薪さんがこの中で昇格試験について触れていますが、実際には存在しない試験です。
 キャリアは自動昇任ですから。でもそうなると、原作の岡部さんの階級が……??
 ということで、その帳尻を合わせるために作者が勝手に作った制度ですので、ご了承ください。


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ジャンル : 小説・文学

女神(4)

女神(4)







「なるほどね。薪くん、こういうことには鈍いからね」
 差し入れの残りのターキーサンドをかじりながら、雪子は頷いた。隣では第九の新人が、同じくチキンサンドを頬張っている。
 時刻は夜の8時。どうやらこれが今夜の夕食になってしまいそうだ。

「そうなんですよ。今日のサンドイッチだって、無神経ですよね」
「自覚がないところが始末に終えないのよ、あのひとの場合。悪いと思ってないから、直す気もないし」
 話してみると、雪子はとても良い相談相手だった。
 親身な相槌と的確な質問。青木の曖昧な気持ちをはっきりとした言葉に変換して、小気味よく返してくれる。
 雪子と話しているうちに青木の心中は次第に整理されて、どうやら薪への感情には『恋』という名がついたらしい。
 が、もちろんそこには抵抗がある。何と言っても、室長は男のひとなのだ。

「でもまあ、男同士だからね。自分だって缶ジュースの回し飲みとか、学生の頃やったでしょ。それと同じ感覚なんじゃないの?」
「今でもダチとはよくやりますけど。……そうですよね、ヘンに意識するオレがおかしいんですよね。ああもう」
 青木は思わず頭を抱える。
「なんで男なんだろう、あのひと。女の子みたいな顔してるくせに。室長が女性だったら、こんなに悩まなくて済むのになあ」
 今まで、誰かに聞いて欲しくて仕方なかったのだ。しかし、こんな気持ちは誰にも話せない。
 それを雪子の方から気付いて、水を向けてくれた。気持ち悪がられると思っていたのに、彼女はそんな気配は微塵も見せなかった。ひたすら親身になって、青木の逡巡する想いを聞いてくれた。

 自分の気持ちを、正直に話せることが嬉しかった。
 この女が誰かにこのことを喋ってしまうかもしれない―――― 初めはそう思った。だが、雪子と薪の関係を聞いてしまっては、雪子を信用するしかなかった。この女性は、常識を超えている。自分の婚約者を殺した男と友人でいられるなどと、普通では考えられない。

『親友で、ライバルなの』
 雪子は薪と自分の関係をそう表現した。それ以上は、語ろうとしなかった。

「あんた、いつの時代の人なの? 今時そんなことで悩む人いないわよ」
「親が悲しみますよ。孫の顔が見れないじゃないですか」
「養子もらえばいいじゃん」
「そういう問題じゃ」
「じゃあ、やめたら? 他にいいひと探せば良いじゃない」
「薪さん以上のひとなんていませんよ。かわいいし、やさしいし、気は利くし」
「……だれのこと?」
 あばたもえくぼというが、本当に薪のことなら何でも好ましく思えてしまう。
 相変わらず仕事には厳しくて、怒鳴りつけられる毎日だが、叱責に落ち込むと同時に怒った顔もきれいだな、などと思ってしまう。それに上手くできたときは、ちゃんと褒めてくれる。先日、誰よりも早く手がかりの画像を見つけたときには、青木に笑いかけてくれた。
 その微笑のために、どんなに辛い仕事でもこなせる。この人のためなら何だってできる。恋は魔法とはよく言ったものだ。

「仕事のときは怖いですけど、本当はすごくやさしいひとなんですよ。こないだだって、夢にうなされてるオレの手を握ってくれて」
 薪と一緒に夜桜を見に行ったときのことをざっと話して、青木は雪子の返答を待った。それは気の迷いよ、と言われるかと思ったが、彼女は何も言わなかった。
「本気なんだ、青木くん」
 青木の気持ちを茶化すことなく、真剣に聞いてくれる。さすが自称『薪の親友』だ。
「本気で好きになれる相手と巡り会うのって、奇跡みたいなものよ。その気持ちは大事にしなさい。性別なんて些細なことでしょ。
 人間なんてね、いつ死ぬかわかんないのよ。鈴木くんだって突然だった。無理やりにでも籍入れときゃよかったって思ったわよ。そうしたらほんの少しでも、鈴木くんの奥さんできたのに」
 この年で結婚歴なしってけっこうツライのよ、と雪子は大口を開けて笑い飛ばした。
 強い女性だ。『女薪』の称号がふさわしい。

「そのときになって後悔しないように、自分にできることはしておいた方がいいわよ。ただ、相手の立場も考えてね」
「はい」
 サンドイッチを3つもたいらげて、雪子は仕事に戻っていった。残りはあげるから、と空の袋だけを渡される。マイペースなところは誰かに似ている。

 ひとりになって、青木は夜空を仰いだ。
 今夜も星がきれいだ。薪もこの星空を見ているだろうか。
 桜の中で微笑んでいた薪の姿を思い出す。たったそれだけで、胸が締め付けられるような、やりきれない切なさ―――― 甘い、痛み。

 これは恋だ。
 雪子のおかげで、はっきりと分かった。
 オレは室長に恋をしている。

「ささいなこと、か」
 まだ青木には、雪子の言うように性別の問題が些細なこととは思えない。このままこの気持ちが育っていって、そんなことはどうでも良くなるのか、逆に薄れていって、このジレンマから抜け出すことができるのか―――― それは青木にもわからない。恋の行方は予測がつかない。誰にもそれを誘導することはできない。
 今はただ雪子の言う通り、自分にできることをするまでだ。

「まずはゴミの始末だな」
 雪子が食べ散らかしたサンドイッチの袋を拾い集めて、青木は勢いよく立ち上がった。


 ―了―



(2008.9)


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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