二年目の桜(1)

 このお話は、次の話と時期的に絡んでいます。
 当初はひとつのお話だったのですが、長すぎるのとカラーが違いすぎるので、分けてみました。
 その為、途中、脈絡のない会話が混じったりしますが、たいして意味のない会話なのでスルーしてください。

 真面目にお仕事のお話です。
 でもやっぱりR系ギャグは外せません(笑)





二年目の桜(1)






 モニタールームの椅子に座って頬杖をつき、薪はモニターを見つめている。
 凄まじい勢いでアスファルトの道路が迫ってきて、ふいに画面が暗転する。犯人がビルから飛び降りて、その生涯を終えたのだ。
「くそっ」
 思わず舌打ちして、薪はマウスをクリックする。最初の画がモニターに映し出される。さっきから何度この場面を見ているだろう。

 3月の初めに起こった殺人事件で、犯人の女性は自殺し事件は片が付いているのだが、どうしても動機が見つからない。捜一の捜査でも、犯人と被害者の接点は何も浮かばなかった。そこで第九に犯人の脳が送られてきた。
 ところが加害者の女性は、ビルの屋上から飛び降り自殺をした為、脳の大半が潰れてしまっている。そのせいで、途切れ途切れの画像しか手に入れることができない。
 第九に脳が届いて3日目。色々やってみたが、これ以上のデータは取れそうにもない。
 この映画の宣伝のような継ぎ接ぎの画を組み合わせて、事件の骨子を組み立てなくてはいけない。その中から争点となっている、犯行の動機を探り当てなければならないのだが。

「室長の眼でもダメですか?」
 この事件を担当している曽我が、がっかりしたような声を出す。いつもなら諦めるな、と叱り飛ばすところだが、今回ばかりはさすがの薪もグロッキー気味だ。
「がむしゃらに画を見続けても駄目だ。情報を整理して仮説を組み立てないと」
「でも、見ることができる画がこれだけじゃあ」
 曽我の言う通りだ。今回は情報が少なすぎる。仮説を立てようにも、材料が足りない。

 半分潰れた脳に残されているのは、事件に関係のない場面ばかりだ。
 朝起きて食事をして、会社へ行き仕事をする。家に帰って夕飯を摂り、風呂に入って床に付く。なんの変哲もない日常の風景。そこからあの陰惨な事件が起こった理由を探し出さねばならない。

 この事件の被害者は、若い男だった。
 犯人の女性は30代の独身OL。大手の商社に勤めるキャリアウーマンだった。被害者の男はいわゆるニートで、日がな一日ネットサーフィンをして時間を潰していたらしい。住む場所も世界もまるで違う。ふたりの間には恋愛関係どころか、何一つ接点は見つからなかった。

 被害者の男は惨い殺され方をしていた。アイスピックで体中刺されていて、その数なんと100箇所以上。特に顔はひどかった。両目は完全に潰されて、頬や額にも無数の穴が開いていた。
 一流企業に勤めるOLが、縁もゆかりもない青年をメッタ突きにして惨殺する。その憎悪と殺意は、いったいどこから来たのか。

「いくら画を見ても、被害者の男が出てくるのは犯行の場面だけだ。潰れてしまった脳の中に動機となる画があるとしたら……お手上げだな」
「MRIに解明できない事件はないと思ってましたけど」
 粘り強さが取り得の青木は、もっと多くの脳データを取り出せないかと、様々なアプローチを重ねている。専門書の研究にも余念のないこの新人は、特殊な機器操作をいくつか習得していて、いまはそれをひとつひとつ試しているところらしい。
「肝心の脳が潰れてしまっていてはな。MRIシステムがいかに優れていても、所詮は機械だ。人間の心まではわからん。人間の心が理解できるのは、人間だけだ」

 薪は、捜一から回ってきた資料にもう一度目を通した。
 ごくごく普通の家庭に育ってきた真面目な娘。結婚を約束した恋人もいた。
 事件の1週間前に突然別れているが、それは彼女から言い出したことで、理由はどうしても話してくれなかったと相手の男は証言した。職場でも仕事熱心で、上司の評判も同僚の評判もいい。誰に聞いても、あのような事件を起こすような人間ではないと言う。

 そんな人間が、あれだけのことをしたのだ。何かしら理由があったに違いないのに。
 このままではこの女性は、突然発狂してたまたまこの被害者の家に入り、犯行に及んだ後ビルから飛び降り自殺をしたことになってしまう。32年間も真面目に生きてきて、そんな人生の結末は可哀相すぎる。
「理解してやりたいな。この女性の気持ちを」
 しかし、接点が見つからないことには……。

 薪は手の平で目を揉む。朝から何時間もモニターを睨んでいたから、目が痛い。肩もバリバリに凝っている。
「室長。気分転換なさったらいかがですか?」
 目薬を点している薪に、第九の新人がそんな提案をしてくる。
 煮詰まってしまっては柔軟な発想は生まれてこない。中庭の散歩かプールでのひと泳ぎか、どちらにしようか迷っていた薪に、彼は第3の選択肢を提示してきた。
「風呂、沸いてますよ」
 風呂と聞いて、亜麻色の目が俄かに輝く。薪は大の風呂好きだ。

 第九には最近、ちゃんとしたユニットバスがついた。
 手足がゆっくりと伸ばせる湯船に、広い洗い場とシャワー。湯船の底にはバブルバスと、背もたれにはジャグジーまで付いている。このジャグジーがめちゃめちゃ気持ちいい。
 これは薪の高熱を伴う3日間の苦痛と引き換えの、言わば戦利品のようなものだ。だから薪には、これを優先的に使う権利がある。
 しかし、それはある事情で今は取り外され、第九の地下倉庫の片隅にひっそりと眠っている。今後も目覚めることはないだろう。

「青木。まだジャグジー直らないのか?」
 故障を理由に、薪のお気に入りのマッサージ器具を湯船から取り外して行ったのは、第九の新人である。薪は修理品が返ってくるのを信じて、ずっと待っているのだ。
「メーカー修理は時間がかかりますから」
 もちろん嘘だ。が、薪は青木の言葉を疑わない。
 こういうときには、普段の信用がモノを言う。この新人は室長には絶対の忠誠を誓っていて、決して命令には逆らわないし、職務にはとても誠実だ。周りの職員からも、お人好しとバカ正直のレッテルを貼られており、犯人との駆け引きが必要な捜査官という職業には向いていないのではないか、と将来を心配されているくらいだ。
 しかし。
 こと薪の不利益になることに関してだけは、青木は鮮やかなペテン師になる。

「あれ、気持ちよかったんだよな。自腹でここにつけようかな。そういえばおまえ、業者に値段訊いといてくれたか?」
「200万円だそうです」
「そんなに高いのか? 僕の給料じゃ無理だな」
 200万もあったら、ジャグジーどころか大理石の立派な浴室ができてしまう。
 だいたい、クレームのお詫びにと業者がおまけで付けてくれた備品なのだ。そんなに高価な品物のはずがない。常識で考えれば分かりそうなことだが、事件の捜査に関係のないことについては、薪はびっくりするくらい疎い。

「まあいいか。じゃ、ちょっと入ってくるから」
「どうぞごゆっくり」
 ちょっと、というが薪は長風呂だ。1時間くらいは出てこない。捜査に夢中になると食事も仮眠も取らなくなってしまう薪を休ませるには、風呂に入れるしかない。

 薪がいなくなったモニタールームでは、曽我がひとり残ってまだモニターを見続けていた。
「室長でも見つけられないとなると、お宮かなあ」
 一般に『お宮』と言えば犯人を検挙できない事件のことだが、この場合はそうではない。犯人は判っているし、犯行の手口も現場検証から判明している。ただ、動機だけが解らない。これ以上被害は拡大しないが、犯行動機は闇の中に埋もれたままだ。
 第九の迷宮入りとは、完全な報告書が作成できない事件を指す。人間の脳から直接事件の画を抽出し、真相を解明する第九にとって、これは甚だ不名誉なことだ。
「MRIの限界ですか」
 MRIシステムは神様ではない。すべてを見通せるわけではないのだ。

 事件が迷宮入りとなった際の薪の気持ちを考えると、青木はとても歯がゆい気分になる。薪は負けず嫌いでプライドが高い。この不名誉な結果に塞ぎこんでしまうことだろう。
 その薪に元気を出してもらえるなら、地下倉庫に隠してあるアイテムに、もう一度日の目を見せてやってもいい。ただし、それを使っている薪を見るのは自分だけ、という条件の下にだ。

「曽我さん。オレ、昼の弁当買ってきます」
「青木。俺のもついでに頼む」
「岡部さんもですか? 岡部さんの案件て、もう報告書だけって言ってませんでした?」
 自分の仕事に余裕があるのなら、モニタールームで冷たい弁当を食べることはない。職員食堂の炊き立てのごはんと、揚げたてのフライのほうがずっと美味しい。
「何人もの眼で見れば、また違うものが見えてくるかもしれないだろ」
「岡部さん。ありがとうございます」
 岡部のありがたい申し出に、曽我と青木は素直に礼を言った。

 岡部はコワモテだが、中身は面倒見がよくてとてもやさしい。
 第九に入ったばかりでこの職場に慣れない頃、岡部にはどれだけ助けられたか。岡部がいなかったら、きっと青木は第九を辞めてしまっていた。
 そうしたら……あのひとを好きになることもなかった。自分を取り巻く世界が、こんなに輝き始めることもなかっただろう。

「から揚げとスタミナ弁当ですね。行って来ます」
「悪いな」
「いえ、これはオレの仕事ですから」
 新人の青木にとって、買出しやお茶汲みは立派な仕事である。
 梅の季節も終わり、暖かい日が寒い日を上回るようになってきたこの季節、買出しの仕事は決して不快ではない。薪のコーヒーも切れる頃だし、青木の机に常備してある非常食(シリアルバー)も底を尽いて来た。今日は街まで足を延ばして、品川屋の弁当を買ってきてやろう。

 外に出ると、どこからか鶯の鳴き声が聞こえる。
「もう春だなあ」
 2年目の春は、そこまで来ていた。

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二年目の桜(2)

二年目の桜(2)





 茶色の革靴のつま先が、苛立たしげに上げ下げされている。
 美貌の室長は、細い指でモニターを指差し、急き立てるように部下に問いかけている。
「宇野。おまえでも駄目か? 側頭部は? 前頭野は?」
「どっちも手のつけようがありません。完全に潰れちゃってます」
 システムに一番詳しい部下の判断を聞いて、つややかな唇がぎりっと噛み締められる。「八方塞がりか。ちくしょう!」

 捜査開始から4日目。新しい情報は得られず、薪は焦りの色を濃くしている。
 その焦燥に、青木は若干の疑念を持っている。
 室長の指示で、曽我も青木も昨夜は第九に泊まりこみだった。自分たちは12時から5時間の睡眠を取っているが、薪は寝ていない。
 捜査に没頭すると、飲まず食わず眠らずになってしまう薪の困ったクセは健在のようだが、今回は進行中の事件ではない。犯人は死亡しているし、被害者がこれ以上増える心配もない。証拠品も押収済みで、あとは動機の問題だけという案件だ。室長がこれほど根を詰める必要はないはずだ。
 被害拡大の恐れがないのだからのんびりやればいいとは言わないが、徹夜してまで捜査を続ける案件でもないように思う。なにより室長の身体が心配だ。薪はいつも体力の限界まで仕事をして、突然倒れてしまう。その度にこちらは、どれだけ冷や冷やさせられることか。

「くそ!」
 薪は手近な椅子に乱暴に腰を下ろし、亜麻色の髪に両手を埋めた。
 確かに、このままでは『お宮入り』という不名誉な結果になりかねない。それゆえの焦燥なのだろうが、これ以上無理が続くと、薪はまた倒れてしまう。
「室長。そんなに焦っても、捜査は捗りませんよ」
 ささくれ立った薪の気持ちを和らげようと、青木は努めてなごやかな口調で言った。
「今回の事件はもう終わったものなんですから、そんなに焦らなくてもいいじゃないですか。ゆっくり仮眠を取って、それから散歩にでも行って来たらどうですか? 日比谷公園の桜も咲き始めましたよ。暖かくなってきたし、鶯の声も聞こえたりして。気分転換にはもってこいですよ」
 気持ちにゆとりを持てば仕事の能率も上がるし、薪の健康にもいいはずだ。もう3日も2、3時間の仮眠だけで働いているのだから、今日は半日くらいゆっくり休むべきだ。

「青木。薪さんはな」
 曽我が何か言いかけたとき、いつも閉じられっぱなしのブラインドがさっと開かれ、眩しい春の光がモニタールームに差し込んできた。
 青木は思わず目を細める。
 光の影響で、すべての液晶画面は鮮明さを失った。ぼんやりとした輪郭が、発光する画面の中で踊っている。
「青木の言う通りだ。今日はこんなにいい天気だし、部屋の中にいるのはもったいないな」
 やわらかい陽光を背に、春の女神のような淡い美貌が青木に微笑みかける。
 なんてきれいな微笑だろう。光に溶けていきそうだ。

「青木。僕とデートしよう。いいところに連れてってやる」
 どんなときも仕事最優先の室長がそんなことを言い出して、第九の部下たちは、みな目を丸くしている。この新人はたしかに薪のお気に入りだが、仕事中に薪がそれを表面に出したことは一度もない。

 他の職員たちの前で、自分を特別扱いしてくれたことが嬉しくて、青木は舞い上がりそうな気分になる。
 去年の秋ごろから、青木は薪との距離を徐々に縮めていて、すでにただの上司と部下の関係ではない。ここだけの話、キスもしている。まだ恋人というわけではないが、いつかそうなれたら、と青木は思っている。

 モカブラウンのスーツ姿を追いかけて、室長に贔屓されている幸せな新人は、嬉しそうにモニタールームを出て行く。その大きな背中を見送って、残された第九の職員たちは、みな一様に複雑な表情を浮かべた。
「とうとう薪さんの『デート』が出ちゃったよ」
「青木も1年経ったからな。そろそろ大丈夫だと思ったんだろ」
「アレはきついんだよな。俺、あの後、1週間くらい立ち直れなかったよ」
「俺もやられたとき、泣きそうになった」
「俺は我慢できなくて泣いちゃいました。室長の前で」
「あそこまでやるのが薪さんだ。だから俺は薪さんの部下でいるんだ」
 口々に薪とのデートの思い出を語る職員たちに、室長の留守を託された岡部が誇りを噛み締めるような口調で言った。

「優秀な捜査官としての能力や、天才的な推理力も充分尊敬に値するけど。俺が一番尊敬してるのは、薪さんのああいうところだ」
「俺もです。でなけりゃ、あの性格にはついていけませんよ」
「まったくですよ。薪さんが意地悪と皮肉だけの人だったら、とっくにあのひとの部下なんか辞めてます」
「割合から言うと、9対1ってところなんだけどな」
「その1割が、俺たちをこの仕事にのめり込ませたんだろ」
 最初こそ上からの異動命令でいやいや集まった職員たちは、室長の仕事に対する姿勢に感化されて、この職場に愛情を抱くまでになっている。室長を介して職員同士が繋がりあい、仲間意識が芽生えて、強い連帯感が生まれている。

「よし、曽我。メインスクリーンに加害者の画を映し出せ。全員の目で、もう一度検証してみよう」
「はい!」
 岡部の指示に、全員が力強く頷く。
 再生から1年半。
 新しい第九の結束は日々を追うごとに深まって、旧第九を凌ぐ力を手に入れつつあった。



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二年目の桜(3)

二年目の桜(3)





 外は今日もすこぶるいい天気で、最高のデート日和だった。
 職務中にこんなことをするのは気が引けるが、薪のほうから誘ってくれたのだし、青木にはそれを断るなど思いもよらない。欠勤扱いにされて、ボーナスの査定が低くなっても文句は言わない。青木にとって薪との時間は、最優先最重要項目だ。

「どこへ行くんですか? 公園はこっちですけど」
「せっかく出てきたんだ。そんな近場で済ませないで、少し遠出しよう」
 薪のうれしい提案に、青木は満面の笑顔になる。
 薪がこんなふうに、自分との外出を楽しんでくれるなんて。

 なんでもない周りの風景が、輝いて見える。きっと薪が一緒だからだ。
 道の両側には民家があり、庭には樹木や花が植えられている。T字路を左に曲がったところの家では、遅咲きの白梅が満開だ。
 長い塀の上に、猫が昼寝をしている。可愛らしく体を丸めた小動物の姿に、酔っ払って座布団を抱いて寝ている薪の姿を重ね合わせて、青木は思わず微笑んだ。

 薪は、さっさと青木の前を歩いていく。
 もっとゆっくり散策して、春めいてきた周りの風景を楽しめばいいのにと思うが、薪はもともと早足なのだ。足の長さはだいぶ違うのに、歩く速度は青木とたいして変わらない。

 やがて十字路に差し掛かり、薪は迷わずに右の道を選んだ。次の三叉路では左の道に足を進める。どうやら薪には目的地があって、そこに向かって歩いているようだ。
「薪さん? どこへ向かってるんですか?」
 それには答えず、薪は無言のまま先を歩いていく。華奢な背中が会話を拒否している。デートと自分で言っておきながら、とてもそんな雰囲気ではない。

 やがて薪は、一軒の家の前で足を止めた。
「な……なんですか、この家」
 思いがけない薪の誘いに舞い上がっていた青木だが、ここに至ってようやく真の目的に気付いた。薪は、これを青木に見せたかったのだ。
「ここって、もしかして」
「前川美佐子の自宅だ」
 やはりそうか。
 ここは、あの事件の加害者の家なのだ。

「ひどい……」
 ブロック塀に囲まれた、ごく普通の一軒家。よくあるタイプの2階建ての建売住宅で、ベージュ色の外壁に洋式の出窓が数箇所突き出ている。その出窓はすべてダンボールで塞がれており、割れた窓ガラスがそのまま放置されていた。
 ブロック塀には『人殺しの家』『キチガイ娘』などという中傷が、スプレーで殴り書きされている。庭には石ころや生ゴミが散乱しており、これらがこの家に向かって外から投げ込まれたものであることは明白だった。
 生ゴミを漁りに、幾羽ものカラスが庭に舞い降りてくる。ギャアギャアと鳴くその黒い不吉な鳥は、この家に突然降りかかった不幸の象徴のようだった。

「わかったか。事件は終わってなんかいないんだ」
「どうしてこんな」
「殺人事件の加害者家族は、多かれ少なかれ世間の迫害を受ける。今回みたいに突然気が狂って被害者を惨殺したと風評が立った場合、家族が受ける弾圧は想像するも恐ろしいものになる。それに耐え切れず、自ら命を絶つ者も少なくない」
「そんなの、周りの人たちの方がおかしいですよ。だって、いまここにいる人たちは、何の罪も犯していないじゃないですか」
 青木の理屈は正しい。が、現状はこの通りだ。
 群集の行動は理屈が通用しない。団体の中に生まれた思想(エネルギー)は、個人の理性や道徳心を粉砕してしまう威力を持っている。

「彼らを非難することは出来ない。彼らだって怖いんだ。自分と違うことをするものが、怖い。だからしゃにむに攻撃することで自分を守るんだ。群集心理も働いてるけど、大本の要因は恐怖だ。おまえだって、隣の家の主人がいきなり殺人者になってみろ。今までみたいに気軽に訪ねて行けるか?」
「うちの隣のご主人は、温厚なひとです。そんなことはありえません」
「この家の娘も、真面目ないい子だったんだ。それが突然あんな事件を起こして、自分たちの見てきたものが信じられなくなる。自分たちの日常を守るために、彼らはこんな馬鹿げたことをしてしまうんだ」
「ちょっと待ってください」

 加害者の家族が世間から白い目で見られて、迫害を受けるのはよくあることだと薪は言う。しかし、その犯人を検挙したのは自分たち警察ではないか。
「オレたち警察は、罪を犯したひとを捕まえるのが仕事ですよね。でもそれは、こんな不幸な加害者家族を作ることにも繋がっているってことですか」
「そうだ」
 青木の言葉を、薪はあっさりと肯定した。
 それは逃れようのない真実だった。自分たちが犯人逮捕の祝杯を挙げる裏側で、この悲劇は確実に繰り返されている。
「じゃあ、オレたちの苦労ってなんなんです? 何日も徹夜して犯人を見つけ出して、被害者遺族の無念を晴らすことはできても、その影で結局は不幸な人を増やしてるってことですか?」

 青木は所轄の経験がない。その手で犯人に手錠を掛けたことはない。しかし、今まで何件かの事件をMRIで解明に導いている。
 自分が事件を解明したことで、こんなに悲惨な目に遭っている人がいたなんて。被害者の無念を晴らすことが、加害者の家族を地獄に突き落とすことになるなんて。

「犯人を突き止めても、死んだ人間は帰ってこない。被害者の遺族は嘆き続け、加害者の家族は地獄を味わう」
 薪は、淡々と救いのない現実を青木に突きつける。その中には一筋の光もない。
「それでも、僕たちは捜査を続けるんだ。それが僕たちの仕事だ」
「その仕事に意味はあるんですか? こんな―――― こんな可哀想な人たちを作ってまで」
「だから僕たちは、何が何でも真相を突き止めるんだ!」

 華奢な両手が青木のネクタイを摑み、青木はぐいっと下方に引き寄せられた。
 亜麻色の大きな瞳が、燃えるようにきらめいている。強い光が青木の瞳を捕らえ、その輝きを焼き付ける。
「僕たちが、この人たちを助けるんだ。娘さんが被害者を殺さなければならなくなった理由を探し出して、狂気に駆られて衝動的に殺人を犯したわけではなく、やむにやまれぬ事情がそこにあったと解れば、いくらかは世間の目も違ってくる。場合によっては同情も集まるかもしれない。それがこの家の人たちを救う唯一の方法なんだ」

 青木は、自分の甘さを思い知らされる。
 薪は、ここまで考えを巡らせていたのだ。被害者側のことだけでなく、加害者側の悲劇にまで思いを寄せて。不幸な人間をこれ以上作り出すまいと、自分のからだに鞭打って。

 このひとは、どこまで深い愛を持っているのだろう。
 その小さな手で、どれだけの人々の幸せを守っていきたいと考えているのだろう。

「はい……はい!」
 このひとの部下であることを誇りに思う。この人になら一生を捧げても悔いはない。
「早く第九へ帰りましょう」
「ちょ、ちょっと待て。何も走らなくても」
 普段なら青木よりもずっと早いスピードで走る薪だが、睡眠不足と栄養失調で足が前に出ないらしい。青木は途中のコンビニでおむすびをひとつ買い込むと、後ろから追いついてきた薪に、それを放り投げた

「室長。この仕事は体力勝負ですよ! 食べなきゃ駄目です!」
 おかかのおむすびを受け取った薪が、呆れた顔で青木を見ている。その可愛らしい顔に笑いかけて、青木は先を急いだ。
「先に行きます。薪さんは、それ食べて少し休んでください。風呂沸かしておきますから!」

 薪の目が、自分の背中を見ているのが分かる。
 いつも見守ってくれている。自分に手を差し延べてくれる。
 こっちへ来い、この方向を目指せ、と捜査に向かう薪の真摯な姿勢が、青木を導いてくれる。ぐいぐいと引き寄せられる。

 この想いはもう、誰にも止められない。

「やっぱり薪さんは、オレの神さまです」
 口の中で呟いてひとり微笑み、青木は第九の門を走り抜けた。



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二年目の桜(4)

二年目の桜(4)






 湯の張られたバスタブの中に、きれいな足がゆっくりと沈んでいく。
 踵から爪先まで真っ白で、小指の爪の形まで美しい。きゅっと締まった足首から、理想的な形のふくらはぎ。かわいらしい膝頭。細すぎるきらいはあるが、充分に優美な太もも。それが徐々に曲げられて、思わず手を伸ばしたくなるような、魅力的なヒップが現れる。

 右の尻の下、太ももの付け根のところに黒子がある。
 これはきっと本人も知るまい。ベッドを共にした相手なら、知っているかもしれないが。

 下着のCMモデルのような下半身が湯の中に沈んで、細いウエストから続く白い背中が見えてくる。この背中がまた素晴らしい。華奢な肩と肩甲骨のラインがたまらない。この背中が自分の下でビクビクと蠢く様子を想像すると、身体の芯が熱くなってくる。
「まったく。あの爺さんにはもったいないな」
 間宮隆二はPCの画面にそんな光景を映し出して、ひとり悦に入っている。PCのマウスをクリックすると画像が切り替わり、今度は前方からのアングルが映し出された。

 画面に映っているのは、現在間宮が目を付けている青年だ。
 亜麻色の短髪に幼げな顔立ち。小さな鼻とつややかなくちびる。
 これで36になるというから驚きだ。どう見ても高校生くらいにしか見えない。どんな秘薬で、その若さと美しさを保っているのか。謎としか言いようがない。

 彼の名前は薪剛。階級は警視正で、第九の室長を務めている。
 警察官という職業も室長という立場も、その外見からは想像もつかない。
 女性の嫉妬を掻き立てそうな美貌の青年は、とっぷりと首まで湯につかって、気持ち良さそうに目を閉じている。見られているとは気付いてないから、その姿はとても自然でのびのびしている。

 薪が湯船から上がるのを見て、間宮は画面に目を近づけた。
 いつもの手順通り、薪は髪を洗い始めた。シャワーで髪を下方に流している。白いうなじが眩しい。男でありながらここまできれいなうなじを持っているものは見たことがない。
 髪の次は体を洗う。腕を上げて脇の下や横腹を洗い、足を上げて膝の裏や足の裏を洗う。ひとりで風呂に入っているわけだから、タオルで腰を隠すなんて真似はしない。だから薪の美しい身体のすべてが見える。

 その身体にはいっさいの無駄な肉はなく、控えめではあるが筋肉もそれなりについている。しかし、それは決して薪のたおやかなイメージを損なうものではない。あくまで優美でほっそりとして、しなやかで限りなく色っぽい。
 きれいな鎖骨やピンク色の乳首。形のいい臍やそれからもっと下のほうの部分まで、何もかもが間宮の理想だ。
淡い繁みも好みだし、その下の男の部分も可愛らしい。官房長の愛人の噂があることからも、薪は男に愛される側の人間らしく、そこはまだ経験のない少年のようなきれいな色をしている。
 それをきゅうきゅうと自分の口で扱いてやったら、この美人はどんなよがり声を上げてくれるだろう。やわらかい尻の奥を指で犯しながら絶頂に導いてやったら……。
 きっと堪らなくなって、自分から尻を差し出してくるに違いない。

「そろそろ見せてくれてもいいのになあ」
 このCCDカメラを第九のバスルームに設置したときから、間宮はずっとあることを期待してきた。それが見たくて、こんなものを仕掛けたと言っても過言ではない。
 いま、薪は職場に泊まり込んで捜査に当たっていると聞いた。それは本当のことらしく、間宮は連日薪の入浴シーンを楽しんでいる。
 今日で4日目。年齢的に言っても、一度くらいはやりそうなものだ。

 薪がどんなに仕事熱心な人間でも、男には男の事情というものがある。特に下半身の事情はどうにもならない。仕事が忙しくてそのヒマがなければ、必ずひとりきりになれる場所で解消するはずだ。風呂場は、正にうってつけだと思われるのだが。
 あの冷静を絵に描いたような室長が、その時にはどんな顔をするのか、どうしても確かめたい。普段取り澄ましている人間ほど、そういうときには激しく乱れるものだ。

 男とセックスする場合、ビギナーはいただけない。ある程度行為に慣れていないとこちらも痛い。
 これが、局部を緩めたり締めたりが自由にできるくらいのベテランになると、経験の浅い若い女より遥かにいい。その点薪なら、10年も前から官房長の相手を務めているらしいから、テクニックのほうも大いに期待できる。
 あんな幼げな顔をして、ベッドの中ではきっと娼婦のようになるのだ。そうでなくては10年もの間、ひとりの男を自分に夢中にさせておくことなどできまい。

 やがて薪は立ち上がり、シャワーで自分の体についた泡を流し始めた。
 磨き上げられた肌は、思わず性別を疑ってしまうほどきれいだ。
 あの白い肌を吸い上げて、赤く印をつけてやりたい。自分のものだという証拠を体中に刻んでやりたい。表面だけではなく、からだの奥にまでその標を打ち込んでやりたい。

 石鹸の泡を流し終えるとさっぱりした顔になって、薪はシャワーを元の位置に戻した。今日のお楽しみはこれでお終いだ。
 浴室を出て行く色っぽい後ろ姿を見ながら、間宮は頑なな麗人を陥落させる手立てをあれこれ考えている。

 顔から身体から、薪はパーフェクトだ。何としても欲しい。
 一目見たときから、絶対に落としてやろうと決めていた。何度か粉を掛けたのだが、どうしてもあの氷のような鎧を溶かすことができない。部屋に呼び出せば必ず部下と一緒に来るし、会議の後に捕まえようとすると、第九の部下や捜一の人間が邪魔をする。
 そういえば、会議の時にはいつも薪に引っ付いている捜一の竹内という男も、かなりのハンサムだ。薪のように美しいというタイプではないが、俳優のような甘いマスクで男の色気をぷんぷんさせている。
 しかしあれは女好きする顔立ちだ。好みではない。自分の好みはあくまで薪のような麗しいタイプだ。

 薪が官房長の愛人でなかったら、とっくの昔に無理矢理にでも抱いてしまっていたのに。今回ばかりは相手が悪い。
 官房長の恨みを買うのは、いかに間宮が警務部長とはいえ避けたい事態だ。小野田は警察庁内で大きな力を持っている。たしかな実績と実力に加え、どこから手に入れてきたのか、政財界の大物の命運を左右する秘密のリストを所持しているという噂だ。だから間宮の後ろ盾である次長も、迂闊に手を出せない。

 しかし、間宮にしてみれば、こんなに長いこと目的の美肉にありつけない、というのは初めてだ。我慢も限界だ。もともと気が長いほうではない。
 どんな手を使ってもいい。とにかく1度抱いてしまえば、こっちのものなのだ。あとは薪のほうから摺り寄って来るはずだ。薪のほうから来る分には、小野田も文句は言えまい。結婚しているわけでもなし、恋愛は自由だと言い切ってしまえばいいのだ。
 今までずっとそうだった。初めは抵抗しても、次の時には「お願い」と自分から身を投げ出してくる。自分のテクニックに夢中にならない人間などいない。

 おめでたいことに、間宮はそう信じている。
 間宮は警察庁次長の娘婿だ。つまり、寄って来る人間にはそれなりの下心があるのだ。

 自惚れが強くて、相手の言動を自分の都合のいいように解釈するのが得意な間宮は、今日もまた薪を口説く手段を考えている。
 仕事が混んでいて、小野田との逢引の時間がとれない今がチャンスだ。きっと欲求が溜まっているはずだ。そこをつけば――――。

「最終手段はこれか」
 小さく呟いて、机の引き出しから茶色の薬瓶を出す。

 要は薪のほうから、「抱いて欲しい」と言わせればいいのだ。これさえ飲ませることができれば、それが可能になる。が、薪にこれを飲ませるには、いくつかの下準備が必要だ。
 間宮はその準備のひとつのため、携帯電話を取り出した。愛人のひとりと今夜会う約束を取り付けて、電話を切る。
 電話の相手は自分の虜になっている。ということは、薪をこの手に抱く日も近いということだ。

 PCのフォルダに今日の貴重な映像を保存して、間宮は下卑た笑いを浮かべた。




*****


 くははは!
 間宮サイコー、書いてて楽しい!
 ドヘンタイもここまでくると、いっそ清清しいと思いませんか?(と言い残して逃げる)


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二年目の桜(5)

二年目の桜(5)





 シュッと自動ドアの音がして、VIPな客が現れた。モニタールームの全員が立ち上がって敬礼する。

「どうしたの。暗い顔して」
 飄々とした雰囲気をまとい、のんびりと歩いてくる熟年の紳士。薪のパトロンと陰で噂される、小野田官房長その人である。
「ははあ。さては例の事件、動機が出てこないんだね」
「ご明察です」
 岡部が小野田の言葉に答える。薪がいないときは岡部が室長の代わりだ。
「今日はどのようなご用件で?」
「決まってるじゃない。愛する薪くんの顔を見に来たんだよ」
 小野田はこういう色モノジョークが大好きだ。薪本人がそれを聞いて厭な顔をするのも楽しいし、第九の新人が焦りまくるのを見るのは、もっと楽しい。

「室長なら、いま風呂に入ってますよ。官房長のおかげでちゃんとした風呂がついたもんだから、喜んじゃって。ほとんど室長専用の風呂になってます」
「そっか。じゃあ邪魔しちゃ悪いね」
「仕事のことなら、俺が代わりに伺いましょうか」
「いや。仕事のことじゃなくて。ちょっと薪くんに確かめたいことがあったんだ」
 小野田は少し困った顔をしていたが、コーヒーを持ってきた新人の姿を見ると、思い出したように言った。
「そうだ。青木くんて薪くんのこと詳しかったよね。もしかしたらきみ、知ってるんじゃないかな」
「何をですか?」
「薪くんのお尻に、ホクロがあるかどうか」
 がしゃん! という音がして、小野田のコーヒーは床に飲まれた。第九の新人が純情なのは知っていたが、ここまで過敏に反応しなくてもいいのに。

「そんなこと知るわけないじゃないですか!」
「そうだよねえ」
 顔を真っ赤にしている新人を心の中で笑いながら、小野田は肩を落としてみせた。
 やはり本人でないと無理か。あまり本人には聞かせたくないのだが。

 そんな小野田のジレンマを解消してくれたのは、第九のベテラン捜査官だった。
「ああ。ありますね」
「本当かい? 岡部くん」
 さすがは腹心の部下である。薪のことなら何でも知っているらしい。
「右側の尻だったよな、曽我」
「そうでしたっけ? ホクロはたしかにありましたけど」
「岡部さんの言う通り、右側だよ。間違いない」
「俺も覚えてる。足の付け根のところだろ」
「そうそう。前かがみになるとよく見えるんだよな」
 話を聞いていた第九の職員たちが、口を揃えて証言する。薪の体の特徴を知っているのは、岡部だけではないらしい。慰安旅行で、温泉にでも行ったことがあるのだろうか。

「なんでみんな知ってんですか!? 前かがみってなんですか!?」
 小野田の疑問を代わりに口にしてくれたのは、一人だけその事実を知らなかった第九の新人だった。

「なんでって。薪さん、風呂から上がったらいつもすっぽんぽんだろうが」
「パンツ穿くとき、前にかがむだろ。その時に見えるんだよ」
 小野田には初耳だった。
 風呂上りの薪が、そんなオヤジのように裸でうろうろしているなんて。しかもここは職場ではないか。
「そうなの? あの薪くんが?」
「はい。肌が湿っているうちに服を着るのは気持ち悪いって、いつもロッカールームで裸のまんまうろちょろしてます。青木だって何度も見てるだろ?」
「オレにはとても直視できません」
 純情な新人は、同性の裸を見るのも恥ずかしいらしい。今は共同浴場に入れない若い男が増えているそうだが、この新人もそのクチだろうか。

「だって、あの顔だろ。つい見ちゃうよな」
 薪は顔だけ見たら、女優が裸足で逃げ出しそうな美貌の持ち主だ。その人間がはだかで歩いていたら、目を奪われるのが当たり前だ。
「そんでもって下のほうを見てさ、ああやっぱり付いてんだなって思って、そこで現実に戻って来るんだよな」
「オレはもう戻れないです」
「ん? なんか言ったか?青木」
「いえ。何でもないです」

 多少、意味不明の会話はあったものの、小野田の疑問は解消された。が、これによってもうひとつの疑問が首をもたげてくる。
「岡部くん。ちょっといい?」
 小野田は岡部にだけは事情を説明することにした。主不在の室長室に連れ立って入り、薪がいつもベッドの代わりにしている寝椅子に腰をおろす。
 岡部は薪がいちばん信頼している部下だ。プライベートでもよく一緒に飲みに行くし、自宅の出入りも自由だ。誠実で温厚な人柄に加え、体格もよく力も強い。しかも柔道5段剣道3段という武道の達人でもある。薪のボディーガードには最適の人物だ。

「薪さんの尻にホクロがあると、何かまずいんですか?」
「間宮が知ってるんだよ。薪くんのホクロのこと。不思議だろ?」
「間宮って警務部長の?」
 間宮の名前を聞くと、岡部は顔をしかめた。
 この下半身に節操がない警務部長が、薪を執拗に狙っていることは、岡部も知っている。
 警務部には決して薪をひとりでは行かせないようにしているし、第九の人間が参加できない会議のときには、捜一の後輩や友人にそれとなく気を使ってくれるように配慮している。
ただ、薪本人はそれほどの危機感は持っておらず、自分のほうが強いから平気だ、と岡部の心配性を笑い飛ばしている。薪が柔道2段の腕前とはいえ、体は間宮のほうがずっと大きいのだし、自由を奪う手段は何も腕力だけとは限らない。薪の考えは甘いのだ。

「なんで間宮とそんな話になったんです?」
「あいつ、ぼくのところの事務員に手を出したんだ。あんまり見境がないから、ひとこと言ってやろうと思ってね」
 見目麗しい者を見れば、男女の見境なくベッドに連れ込むと評判の男だが、官房長のテリトリーの者まで毒牙に掛けるとは。いい度胸というか、バカというか。
「本当にケダモノみたいなやつですね」
「猿並みだけど知恵もあるんだよ。その事務員、ぼくがいない間にぼくの机をごそごそ嗅ぎまわっていたから」
「……例のリストですか」
 岡部は、もと捜一のエースだ。勘もいいし頭も切れる。学歴ばかり高くて現場慣れしていないキャリアより、よほど優秀だ。
 
「もちろん、そんなところには置いておかないから。事務員は来月付けで異動にすることにしたし、そっちは済んだんだ。問題は薪くんのほうだよ。薪くんがいくらシャワーのあと裸でうろうろしてるって言っても、警察庁内を歩き回ってるわけじゃないだろ?」
 それでは露出狂である。

「当たり前です。第九のロッカールームの中だけのことですよ」
「じゃあ、間宮はいったいどこでそれを見たんだろ」
「薪さんの話は、どこからでてきたんですか?」
「ぼくも事務員のことで頭に来たからさ。正式な妻と子供がありながら次々と他の人間と関係するのは、警察官として如何なものかと注意してやったんだよ。そしたら、僕と薪くんの噂を引き合いに出してきてさ」
 もちろんその噂は根も葉もないデマだ。薪の早すぎる出世をやっかむ者たちによる、陰湿な陰口である。
「失礼なやつですね。あんな噂を真に受けて」
「いいんだよ。ああいう輩を牽制するために、敢えて否定しないでいるんだから」
「それで、小野田さんはなんて答えたんです?」
「ぼくは君みたいに目移りしないで、薪くん一筋だからいいんだって言ってやった」

 それは敢えて否定しないというよりは、噂に尾ひれをつけているような。薪が聞いたら、青筋を立てて怒りまくるに違いない。
 しかし、間宮のような男に、本当のことを言っても無駄かもしれない。
 色欲抜きの好意というものが、あの男の思考には存在しないのだ。捜査官としての薪の才能に惚れているとか、高潔な人柄に惹かれて彼の後押しをしている、と言ってもどうせ信じないだろう。
 
「そうしたら間宮のやつ、よっぽど頭にきたらしくて。薪くんの身体はそんなにいいんですか、とか始まっちゃってさ。
 細いけど、腰周りの筋肉はけっこう発達してるから、さぞ腰の使い方は上手なんでしょうとか。男にしてはウエストのくびれが強いのは頻繁にその運動をするからでしょうとか。そんなことを言い出すから見たことがあるのかって聞いたら、『右のお尻の下にホクロがあるでしょう』って」
 不思議だ。
 間宮は第九に来たことはないし、薪の自宅にも行ったことがないはずだ。他に薪が下着を脱ぐ場所といえば、トイレくらいのものだが。

「あと考えられるのは、警視庁のプールかな」
「いえ。あそこではちゃんと、腰にタオルを巻いて着替えてますよ。あのジムはいろんな人が利用しますから」
 薪は羞恥心がないわけでも、常識がないわけでもない。ただ薪にとって、第九はもはや自分の家と同じで部下たちは身内同然だから、気を使う必要もないと思っているのだろう。
「まあ、どこかで見たんでしょう。そんなに気にすることはないですよ。薪さんのことは、俺ががっちりガードしてますから」
 間宮が薪に接触した事実はない。そんなことがあれば、薪は必ず岡部に言うはずだし、室長室のキャビネットはとっくに蹴り壊されているはずである。

「それがね、ぼくも咄嗟に言われたもんだから言葉に詰まっちゃってさ。そしたらあいつ、そんなことだけはめっぽう勘が働くみたいで。薪くんとぼくの間には何もないって分かっちゃったらしいんだ」
 実際に何もないのだから、それでいいではないか。ひとりでも誤解する人間が減れば、薪は喜ぶだろう。
「真実を理解してもらえて、良かったじゃないですか」
「良くないよ。薪くんがぼくの愛人じゃないって分かったら、間宮のやつはもう遠慮しないよ。これまではぼくに気兼ねして、薪くんに手を出さなかったんだから。あいつがその気になったら、力づくでも脅しでも何でもやるよ。拳銃を突きつけられて辱められた女子職員もいるって噂だよ」
 本当だろうか。警察署内でそんなことが。
「犯罪じゃないですか、それ。なんで放っておくんですか」
「レイプは申告罪だからね。被害者からの届出がなければどうしようもないんだよ。とりあえず間宮には『薪くんは自分が上になるのが好きだから、僕は知らなかった』って言い訳しといたけど」
 たしかにその体位だと、尻の下は見えないが。薪に聞かれたら大変なことになりそうだ。

「とにかく、間宮には気を付けるように、薪くんに言っといてくれる?」
「わかりました。俺もそのつもりでいますから」
「頼んだよ、岡部くん」
 目の回るような忙しさを調整して、小野田は薪に忠告に来てくれたのだろう。岡部に薪のことを託すと、すぐに第九を出て行った。

 残された岡部は、間宮が何処で薪のからだの特徴を知ったのか、もう一度考えてみた。
 接点のない人間が、その人の秘密を知りえるとしたら。
「まさか」
 ある考えが浮かび、岡部はそれを確かめるために、警視庁の鑑識課に出向いた。
 鑑識課には、岡部が捜一時代に仲の良かった係員がいる。彼に頼んで、岡部はその機械を調達してきた。
 箱型の小さな機械を手に、バスルームへ向かう。薪は風呂から上がったようだ。
 まだ温かさの残る浴室で機械のスイッチを入れると、ピピピピという電子音が岡部の推理を裏付けた。

「いつの間に」
 機械の針が大きく振れるのを確認して、岡部はその周辺に目を凝らす。果たして、洗い場に付けられた鏡の縁に、わずか1センチほどのレンズが設置されているのを発見した。それは鏡を壁に取り付ける金具にとても巧妙にカモフラージュされており、岡部のように疑って探査機でも用いなければ見つけることはまず不可能だった。

 どこまで性根の腐った男なのだ。薪にはこの事実は教えられない。自分が覗きの被害にあっていたなどと知ったら、どれだけ傷つくことか。

 全部で3つも取り付けられていたCCDカメラをそっと回収し、岡部は研究室へ戻った。自動ドアをくぐると、薪が夢中になってメインスクリーンを見ている。画像はもちろん、例の事件の加害者のものだ。
 岡部が薪の隣に立つと、薪はスクリーンに顔を向けたまま、唐突に喋りだした。

「覗かれてたんじゃないかと思うんだ」
 なんと。
 薪はCCDカメラの存在に気付いていたのか。その上で放置しておいたと?

「青木が気付いたんだ。僕のケツにホクロがあるかって話で」
「青木! おまえ、何てことを薪さんに言ったんだ!」
 なんて無神経な男だ。それを聞いた薪がどんな気持ちになるか、考えなかったのか。
「二人の間に接点がないなら、そういう可能性もありかと思いまして」
 青木の推理は正しい。
 しかし、何もそれを本人に話すことはない。このままそっとしておけば、薪は嫌な思いをせずに済んだのに。

「だからって何も、薪さんに言わなくてもいいだろう」
「え? でも、気付いたことを室長に報告するのは、部下の義務だと思いますけど」
「事と次第によるだろう。自分が風呂に入るところをずっと誰かに覗かれてたなんて、薪さんが知ったらどれだけのショックを受けるか考えなかったのか!?」
 岡部の糾弾に、青木と薪が揃って岡部の顔を見る。ふたりとも、ひどく訝しげな表情だ。
 
「おまえ、何の話をしてるんだ?」
「覗かれてたって、誰が?」
「……あれ?」
 ふたりの言葉に、岡部は自分のとんでもない間違いに気付いた。

「ああ! 事件の加害者が覗きの被害に遭っていたかもしれないってことですね? なるほど、それなら加害者の脳に被害者の画がなくても、殺意を抱く理由になりますね。
 いやあ、青木。おまえ、いいところに目を付けたな。やるようになったじゃないか! 薪さん、青木も成長しましたよね。褒めてやってくださいよ。わっはっは……」
 上ずった声で喋り続ける岡部を、薪が冷たい眼で見据えている。腕を組んで相手を睥睨し、無言のプレッシャーを掛ける得意の戦術。
 
「はは……は……」
 厳しい追求者の瞳に、岡部は自白を余儀なくされたのだった。




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二年目の桜(6)

二年目の桜(6)





「第九の風呂場にCCDカメラがついてた!?」
 岡部のしぶしぶの供述に、青木が素っ頓狂な声をあげる。
 このど素人が、小野田の最初の質問だけで自分と同じ結論に辿りついたなどと、どうして考えてしまったのだろう。

「それじゃ、誰かに薪さんの風呂が覗かれてたってことですか?」
 正確には薪の風呂だけでなく、全員の風呂が覗かれていたわけだが、青木にとってそちらはどうでもいいことらしい。
「許せないですよ! オレだって背中しか見てないのに!!」
 青木は論点がずれている。
「誰なんですか、その覗き野郎は!」
「わからん」
 カメラを仕掛けた犯人は99%の確率で間宮だが、それは青木には言わないほうがいい。
 青木は、普段はとても穏やかで大人しい男なのに、薪のことになると理性を失う。以前にも、薪を人身御供にしようとした三田村という警務部長を、締め上げてしまった前科がある。今回もこの事実を知ったら、何をしでかすか判らない。ここは自分の胸に仕舞っておいたほうが賢明だ。

 薪はショックを受けているらしく、さっきから押し黙ったままだ。身じろぎすることも出来ず、メインスクリーンの前に立ち尽くしている。
「薪さん。お気持ちは分かりますが、もうカメラは取り外しましたし、あまり気に病まず」
「第九の風呂なんかどうでもいい。問題は加害者の家の風呂だ」
 青木がこの仮説を立てたのは、小野田の質問がきっかけだった。
 薪のホクロの事実を、自分ひとりだけが知らなかったことにショックを受けた青木は、第九の職員たちの前で裸でうろちょろするクセを直してくれるよう、薪に直談判したのだ。

「風呂上がりには、せめて腰にタオルを巻いてください!」
「どうしたんだ、急に」
「薪さんのお尻の下にホクロがあることまでみんなに知られてるんですよ。恥ずかしくないんですか?」
「ケツの下にホクロ? 僕ってそんなところにホクロがあったのか」
「知らなかったんですか? 自分のことなのに」
「だってこんなところ、鏡でも使わなきゃ見れないだろ」
「そういえばそうですね。自分じゃ見れないですよね。でも、それって余計恥ずかしくないですか?意識してないところを、いつの間にか見られてるなんて」
 そこで、この可能性に気付いた。

 加害者は、覗きの被害にあっていたのではないか。
 覗いていたのは被害者のほうで、おそらくは手に入れた映像を会社やネットに流すなどと脅されて、殺害に及んだのではないか。それならば、犯行時に初めて被害者に会ったという理由も頷ける。
「見つけたぞ! 曽我、3秒戻せ!」
 薪の指示に従って、曽我がMRIの画を操作する。薪の言うとおり右側の上方を拡大すると、換気扇の隅にレンズの光が確認された。
「よし、あとは現場検証だ。前川美佐子の自宅に行くぞ。曽我、捜一から令状借りて来い。岡部、その探知機借りるぞ。青木、車用意しとけ」

 令状がないと家には入れない。曽我が捜一から戻ってくるのを待つ間、第九の風呂から回収した鉛筆の太さほどの盗撮器具を細い指先で弄びながら、薪は何事か考え込んでいた。
 平静を装っているが、やはり薪は傷ついているのだ。覗きなどという卑劣な辱めを受けて、傷つかない人間などいるはずがない。

「薪さん。済んでしまったことは仕方がありません。この件はもう忘れて」 
「間抜けなやつもいたもんだな。カメラを仕掛ける部署の人員構成も調べないなんて」
「は?」
「だって、うちには女の子がいないんだぞ。僕や岡部の風呂を覗いて、いったいどうするんだ?」
 それは薪が岡部と同じような容姿だったら、の話だ。しかしそれを言うと、薪は確実に機嫌を悪くする。青木も岡部と同意見だったらしく、口の中で何やらもごもご言っている。
「岡部さんのはどうしようもないでしょうけど、薪さんのはいろいろと使い途が」
 どんな使い途だか、聞くのが怖いような気がする。

「使うとしたら第九への中傷か。……宇野。このカメラの信号に、ウイルス入れられるか?」
「映像の破壊ウイルスですね。いま作ってます」
 CCDカメラは特定のPCにその映像を送るため、固有の信号を発信する。その電気信号にウイルスを混ぜ込み、保存先のPCを叩こうという作戦である。それにはもう一度カメラを設置し、人物を感知させて映像をピーピングトムのPCに送る必要がある。
 問題はその設置場所だが。

「警視庁の男子トイレの個室にでもつけといてやれ」
「薪さん……エゲツナイです……」
 やられたことは3倍にして返す。
 この上なく美しく微笑んで、美貌の警視正は部下に報復を命じたのだった。



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二年目の桜(7)

二年目の桜(7)






 現場検証の結果、青木の仮説は裏付けられた。
 加害者前川美佐子の家の風呂場の換気扇と反対側の天井の壁から、2台のCCDカメラが発見されたのだ。
 この事実から、捜査一課は被害者西田聡史の自宅の家宅捜索を行なった。
 西田はこれまでにも何人かの女性の家から、同じ方法で盗撮映像を入手していた。その映像を種に、被害に遭った女性たちに、金品や肉体関係を迫っていたらしい。その証拠となる写真や写真を相手に送りつける際に使われたと思われる封筒などが発見され、それは青木の仮説を強く支持するものだった。

 だが、前川美佐子に関しては、覗き行為を行なっていたという事実は判明しなかった。おそらくは殺害時に壊されたパソコンの中に確証となるデータが保存されていたと考えられるが、PCのハードは粉々に粉砕されており、データの抽出は絶望的であった。
 PCの固定番号から辿った西田のネット遍歴には、多くの盗撮HPがヒットしており、自分自身何度かネットに盗撮ビデオを流していることが判明した。西田によって以前ネットに公開された映像は、前川美佐子のものではなく、他の女性のものだった。

 自分の仮説を証明するため、青木は西田聡史の脳を見ることを主張した。
 このような猟奇的な事件の場合、当局からの指示で2週間は被害者の脳が冷凍保存されることになっている。被害者はアイスピックで目を潰されているが、後頭部は無事だ。西田の脳を見ることは充分可能だった。
「両目が潰されている時点で、この可能性に気付くべきだった。今回はおまえの手柄だ。よくやったな、青木」
「ありがとうございます」
 尊敬する室長に褒められて、青木は頬を紅潮させている。よくやった、とたった一言ではあるが、薪のきれいな微笑が、青木にとってはなによりの褒美だ。
「でも室長。まだ確たる証拠はありません。西田の脳に、前川美佐子の盗撮画像が残っていることを確認しないと」
「そのことなんだが」

 室長席の回転椅子をくるりと回して、薪は左手のPCに向かった。
 神業のような速度でキーボードを叩き、目的のHPを開く。読んだばかりの捜査報告書に記載されたHPのURLをすでに暗記している辺り、やはり神レベルだ。青木にはとても真似できない。
「動機が薄すぎると思わないか」
 HPには、様々な場所で盗み撮りされた人々の秘め事が、赤裸々に公開されている。
 風呂やトイレは言うに及ばず、ラブホテルや夫婦の寝室までが、不特定多数の無遠慮な視線に晒されている。

「風呂を覗かれてその映像をネットに流すと脅されて、犯行に及んだ。でも、そのくらいのことでひとを殺すだろうか」
 顔にモザイクがかけてあるのは良心的なほうで、殆どが素顔のままだ。HPのアクセス件数は10万件を超えている。ピーピングという卑劣な行為の犠牲となった不幸な羊たちが、どれだけ多くの人々にその秘密を知られてしまっているのか、本人が知ったらその嘆きはいかばかりだろう。
「第九の風呂にもカメラが仕掛けられてて、僕やおまえの裸の映像も誰かが持っているはずだけど。それをネットに流すって言われたくらいで、その相手を殺そうとするか? 僕だったら勝手にどうぞって感じだけどな」
「それはオレたちが男だからですよ。女の人はそうはいきません。ましてや前川美佐子には、結婚を約束した相手がいたんですよ。そんな映像がネットに流れたら、結婚話までダメになっちゃうじゃないですか」

 前川美佐子は32歳。この辺で落ち着きたいと思っていたはずだ。
 西田聡史による金品の脅迫と肉体関係の強要。それが婚約者に知られたら、すべてがお終いだ。会社だってクビになるかもしれない。殺害の動機には充分だ。
 しかし、薪にはまだ納得がいかないようである。
「前川美佐子の家の風呂場に仕掛けられたカメラは、換気扇と天井の隙間だ。遠すぎて局部までは映らない。第九のカメラみたいに、洗い場の鏡とかに設置してあれば話は別だけど、あれじゃ全体像しか映らない。そんなぼやけた映像をネットに公開されたくらいで、どうってことはないと思うんだがな。ほら、これだ」

 薪がHP上で捜していたのは、脅しに屈しなかった女性の盗撮映像を、西田が見せしめとばかりにネットに公開したものだった。
 たしかにその画は不鮮明で、女性の顔は判別できるが肝心の身体は輪郭がぼんやりして、この程度ならそれほど屈辱的なものとは思えない。しかし、それは青木が男だから言える事であって、前川美佐子にとっては死んでも見せたくない画だったのかもしれない。

「カメラの性能と仕掛けられた位置から、前川美佐子の映像もこの程度のものだったと推察される。それから婚約者のことだが、美佐子は事件の1週間前に自分のほうから別れを切り出している。これは犯行を決意してのことなのか、それとも何か別の理由があったのか。別の理由だとしたらそれはなんなのか」
「どちらにせよ、西田の脳を見ればはっきりしますよ。西田の脳を第九に送ってくれるよう、所長に申請書を提出してください」
 確実な証拠となる画を添付した報告書を提出するためには、それ以外に方法はない。青木の嘆願は当然受け入れられるものと思っていた。

 ところがその2日後。
 薪は青木の予想を裏切って、とんでもないことを言い出した。

 西田の脳はいつ届くのかと聞いた青木に、薪は『西田の脳は検証しない』と宣言したのだ。そればかりか、これ以上の捜査は打ち切るという。
「僕はこの件は、このまま捜一に返そうと思ってる」
「どうしてですか!?」
「捜一の公式発表で、前川家の人々に対する世間の迫害は止むはずだ。これ以上の何を望むんだ?」
 先日の家宅捜索の結果から、捜一はこの事件についての公式発表を行った。
 前川美佐子は西田聡史によって覗きの被害に遭い、金品やからだの関係を迫られて、已む無く被害者を殺害するに至った、というのがその内容だった。

「そんなことしたら、全部捜一の手柄になっちゃいますよ!」
 薪が5日も不眠不休で頑張ったのに。全員で泊り込んでモニターを見続けたのに。
 目を閉じると、前川美佐子のMRIが始めから終りまですべて思い出せるくらい、何度も何度も繰り返し。その自分たちの苦労は何処に行くのだ。捜一に事件を返すということは、あの苦労をすべて水の泡にするということだ。

「手柄? おまえは何のために警察官になったんだ」
 亜麻色の瞳が厳しい光を宿す。
 厳格な上司の目になって、薪は青木を睨み据えた。
「おまえは何のために、この仕事をしてるんだ? 第九の名誉のためか、実績のためか。違うだろう。前川家の人々のような、弱い立場の人たちを守る為にやってるんじゃないのか。MRI捜査は、社会を平和にするための捜査だ。もう死んでしまっている人の恥辱を遺族に突きつけるための捜査じゃない。そんな捜査は必要ない」
「でも! 西田の脳を検証して報告書をつけなかったら、第九としてはお宮入りじゃないですか。室長の失点になるんですよ!」
 青木は、激しい口調で薪の翻意を促そうとした。
 この判断は絶対に自分が正しい。第九の人間なら、第九の実績を上げることを最大の目標にするべきだ。
 しかし、薪は首を縦には振らなかった。

「せっかくのおまえの金星を捜一にくれてやるのは僕だって業腹だけど、これ以上の捜査は藪から蛇を出すようなものなんだ。前川美佐子が人を殺し、自分も死んでまで守ろうとした秘密だぞ。それを暴き立ててどうする気だ」
「オレは別に自分の仮説に拘ってるわけじゃないです! 手柄が欲しいわけでもない。真実が知りたいんです」
「思い上がるな! おまえの好奇心を満たすために捜査をしてるわけじゃない!」
 そんなつもりはない。
 でもこれは、つい先日薪が自分に言ったことだ。
「事件はまだ終わってない、何が何でも真相を突き止めると言ったのは薪さんですよ。それなのにどうして」
「あの時とは事情が変わったんだ。いま西田の脳を見ても誰も救われない」
「それはどういう意味ですか」
「これは僕の判断だ。おまえが知る必要はない」

 青木には、薪の気持ちがまるで理解できなかった。
 部下たちの苦労を水泡に帰しても、加害者の秘密を守ると薪は言う。
 その加害者の秘密とは、どうやら入浴を盗撮されたという単純なことではないらしい。だったらその真実を追究するのが、捜査官の仕事ではないのか。そのためのMRIではないのか。真相の解明以外に重要視しなければならないことが、第九の捜査官にあっていいのか。
 
「納得できません」
「この事件の担当は曽我だ。曽我と僕とで決めたことだ。おまえにはこの事件に関して、意見をする権利はない! さっさと持ち場に戻れ!」
 険しい表情で、青木は室長室を退室した。
 そのままモニタールームを素通りして、研究室の外へ出て行ってしまう。青木のことだから少し頭が冷えたら帰ってくるだろうが、こんな風に薪に逆らうことは滅多にないだけに、仲間たちは一様に眉根を寄せた。

 青木がいなくなった室長室に、二人のやり取りを心配そうに聞いていた曽我が、コーヒーを持ってきた。薪にマグカップを差し出し、おずおずと進言する。
「室長。あのこと、青木に言ったほうがいいんじゃないですか? 青木だって子供じゃないんですから。事情を説明すれば、青木も必ず室長の考えに賛同しますよ」
「青木には黙ってろ」
 愛用のマグカップを受け取って、薪は一口だけコーヒーを啜る。相変わらず、曽我のコーヒーは味が一定しない。今日は妙に味が薄い。
「確証が取れたわけじゃない。下衆の勘繰りってやつかもしれない」

 青木が淹れたコーヒーが飲みたい。
 あいつのコーヒーは、香りが良くてコクがあって後味がすっきりして。口中に広がる深みのある苦さが、薪を恍惚とさせてくれる。あれは青木以外の部下には出せない味だ。

「青木には……まだ早い」
 薄くて苦味ばかりが強いコーヒーを飲みながら、薪は小さくため息をついた。



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二年目の桜(8)

二年目の桜(8)






 青木は憤っていた。
 薪は青木の進言を無視して、この事件から第九は手を引くと、正式に報告してしまった。
 所長に提出した報告書には、前川美佐子の脳に残っていた自宅風呂場のCCDカメラの映像だけが添付され、なんとも曖昧なまま事件は捜一に返された。そのためこの事件については、すべて捜一が捜査をしたものとして記録に残されることになった。
 警察内部のことでありながら、それはたちまち世間の知るところとなり、『MRIの限界・捜一が第九に勝つ』などと週刊誌に書きたてられてしまった。

 この事件の加害者と被害者の関係を暴きだしたのは、第九だったはずだ。
 それなのに、第九はモニターばかりを見ていて人間を見ることができないとか、人間味のないエリート集団は人の心を忘れてしまった、などと職員の人間性を否定するようなことまで書かれて。
 青木は、こんなに腹が立ったのは生まれて初めてだった。

 週刊誌に第九の悪評を書かれる度に塞ぎこんでしまう室長は、今回ばかりは普段通りの冷静な態度で職務に当たっていた。他の部下たちは室長の機嫌が悪くないことを素直に喜んでいるようだが、青木にはその冷静さが返って頭にくる。こうなることが分かっていて、薪は事件を捜一に返したのだ。
「ちょっと、買い物に行ってきます」
 青木は研究室の外に出て、少し頭を冷やすことにした。頭に血が上ったこの状態では、とても仕事にならない。

 目に付いたコンビニで、非常食代わりのシリアルバーを買い込む。前川美佐子事件の泊まり込みのせいで、ストックが底を尽いていたのだ。
 好みのチーズとナッツ入りのものを選んで、カゴに入れる。食べることが大好きな青木は、大抵これで気分が良くなるのだが、今回ばかりは効き目がない。気分は最悪のまま、浮上の気配は認められない。

 薪の言うことはさっぱり分からない。
 こないだは真相の究明こそが前川家の人々を救うと言ったくせに、今度はこれ以上の捜査は打ち切るという。矛盾だらけだ。
 西田の脳に残されているはずの前川美佐子の秘密にこだわっているようだったが、例えそれがどんなにきわどい画像だったとしても、美佐子の動機を強くするだけのことであって、事件そのものの骨子は変わらない。だとしたらMRIの検証をして報告書を作成すれば、これは第九の実績になる。それをみすみす捜一に渡すなんて。
 手柄に執着するわけではないが、初めての自分の金星を消されたのはやはり頭に来る。
 ちゃんと理由を説明してくれるならまだしも、この事件に口を挟む権利はない、なんて酷いことを言われてしまった。自分はたしかに未だ半人前だが、それでも今回の事件に関しては、それなりの働きもしたはずだ。それなのに、薪の言い分はひどすぎる。

「あれ。いつの間にかここに来ちゃった」
 怒りに任せて歩いていた青木が辿りついたのは、前川家の前だった。
 薪の言うとおり捜一の公式発表がなされて、前川家は一応の平穏を取り戻したらしい。ブロック塀の落書きは塗りつぶされ、庭の生ゴミは消えていた。割れた窓ガラスは相変わらずだったが、今日はベランダに洗濯物も干してある。

「刑事さん。まだ何か?」
 青木が家の様子を見ていることに気付いて、家の中から父親が出てくる。
 前川美佐子の父親は温厚そうな男で、白髪交じりのふさふさとした髪をふわりと後ろに流している。家宅捜索に立ち会った際も思ったが、母親が老けて見えるのに比べて、父親はとても若々しい。
「いえ。特に用というわけじゃないんですけど」
「先日の件なら、こちらの意見は変わりませんよ」
 父親の言う『先日の件』に心当たりがない青木が訝しげな顔をしていると、彼は少し迷惑そうな顔で言った。
「あなたは第九の方でしょう? こないだも室長だと仰る方が見えましたよ。でももう、うちのことは放っておいてください。これ以上娘の恥を……」
 父親の言から察するに、どうやら薪は何日か前にここに来たらしい。しかし、ここでの捜査はすべて終了したはずだ。捜査を続ける気のなかった薪に、ここに来る理由があるとは思えないが。

「あなた。そんなところで立ち話なんて。中に入ってください。刑事さんもどうぞ」
 たしかに道端でする話でもない。
 家の中から声を掛けてくれた母親の勧めに従って、青木は前川家の門をくぐった。
「すみません、散らかってて」
 散らかしたのは前川家の人間ではない。警察である。
 家宅捜索の後、家の中はぐちゃぐちゃになる。手当たり次第に引き出しや戸棚を開けて中のものをぶちまけて証拠を探す様子は、強盗犯が金品を探すのとなんら変わりない。警察が市民に歓迎されないはずだ。

 それでも前川家の両親は、青木には親切だった。応接間に通してくれて、お茶を出して貰った。
 応接間のサイドボードには、娘の写真がたくさん飾ってあった。どれも父親とふたりで写っているものばかりで、この家ではカメラマンは母親の役目らしい。

「うちの室長が伺ったそうですね」
「ええ。あんなことをしでかした娘に、とても同情してくれて。お嬢さんのお気持ちは分かりますと仰って、わたしどもを慰めてくれました」
 青木にだって、美佐子の気持ちは分かる。同じ覗きの被害に遭ったもの同士だ。
「優しい方ですね。これ以上娘の秘密を暴いて欲しくない、と言ったわたしどもの勝手なお願いを聞き届けてくださいました」
 なるほど。
 薪はこのふたりと話して、西田の脳を検証しないことに決めたのだ。両親の意見を尊重して。ということは、このふたりを説得することができれば、西田の脳をMRIに掛けられるということか。

「そのことなんですけど。私はむしろ、美佐子さんの画を西田の脳から抽出して、美佐子さんがどれだけの屈辱を味わったのかを知るべきだと思うんです。なにも世間にその画を公表するわけじゃありません。ただ、美佐子さんの口惜しい気持ちを、私たちだけでも理解してあげたい。そうすることで美佐子さんも浮かばれると」
「駄目だ!!」
 雷のような声が轟いて、青木は思わず肩を竦めた。
 今の今まで温厚そうに微笑んでいた父親の顔が、まるで修羅のごとく憤怒の表情に歪められている。その豹変振りは1世紀前のロンドンに住むマッドサイエンティストのようだ。

「絶対に許さん! 娘の秘密を暴くことは、誰にもさせん!」
 突如として鬼のように怒り出した父親をなだめることは難しく、青木はほうほうの体で前川家を辞することになった。怒りをあらわにした父親とは対照的に、母親のほうは青木を門まで見送ってくれて、主人の非礼を詫びてくれた。
「あのひとは、昔から娘のことをとても可愛がっていたんです。本当に仲の良い父娘で。わたしはいつも仲間はずれでした」
 母親の言葉におかしなニュアンスを感じて、青木は首を傾げた。
 なんだか、この家族は不自然だ。夫婦はなんとなくギクシャクしているし、父親は娘のこととなると妙にむきになる。

 ふと、青木は思う。
 薪は昨日ここでこの夫婦を見て、何を考えたのだろう。あのサイドボードの写真を見て、どんな家族の肖像を思い描いたのだろう。
 美佐子の秘密。それがとても重大な秘密だとしたら。
 温厚な父親が我を失うほどに。
 婚約者と別れなければならないほどに、恐ろしい秘密。

 自分の心の底にゆらりと湧き上がった疑念に、青木は思わず身震いする。
 薪は―――― 薪は、どうしてここに来たのだろう。

 美佐子の母親は、白髪が目立つ小さな頭を丁寧に下げた。
「わたしも主人と同じ考えです。このままそっとしておいて欲しい。娘が命を賭けてまで守った秘密も……わたしたちのことも」
 震える足を踏みしめて、第九のへ道を辿る。
 三叉路を戻り、十字路を左へ曲がる。塀の上で今日も猫が昼寝をしているのが目に入ったが、先日のように青木を微笑ませてはくれない。

 T字路まで続く長い塀の角から、モカブラウンのスーツの肩が覗いている。青木が歩いてくるのに気付いて、人影は美貌の警視正にその姿を変えた。
 小柄な上司と向かい合って、青木はしばし黙り込む。
 言葉がみつからない。笑うこともできない。
 そんな青木の様子を見て取れば、どんな小さな情報からでも見事な推理を組み立ててしまう薪のこと、この経験の浅い新米捜査官に何があったかはお見通しに違いない。そして青木が自分の中に沸き起こった疑念に、尻込みしていることも。

『だからおまえが知る必要はないと言っただろう。ばかもんが』
 つややかなくちびるが開きかけたとき、青木はそこからそんな言葉が出てくるものと思っていた。が、薪が言ったのはまったく別のことだった。

「日比谷公園の桜が見ごろだ」
 それだけ言うと、薪は先に立って歩き出した。



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二年目の桜(9)

二年目の桜(9)






 ピンポン、という電子音は間宮のお楽しみの合図だ。

 にんまりと笑って、自分のPCに注目する。第九に仕掛けたCCDの画像が、自動的に転送されてきている。必ずしも薪が映っているとは限らないが、今の時間帯ならまず間違いはない。昼間から風呂に入っているのは、薪くらいのものだ。
 薪の白い裸体が脳裏に浮かぶ。
 あのきれいな肌、細い首、魅惑的な背中―――― 思い出すだけでぞくぞくする。
 ところが。

「げっ!!」
 PCの画面に映ったグロテスクな画に、思わず間宮は椅子から転がり落ちた。
 それは中年のいかつい男がトイレの個室で用を足している光景で――――。

 なんでこんなものが俺のPCに送られて来るんだ!?

 慌てて画像を消すが、見てしまったものの記憶は消せない。毛むくじゃらの足やら気持ち悪い3段腹やら、黒ずんだ男の……。
「うあああ、目が腐る!」
 しかも場所はトイレの個室だ。当然、それも見てしまった。間宮にはスカトロ趣味はない。対象が薪だったらひたすらあの可愛い顔を楽しむという手もあるが、どこかのオヤジのそんなシーンを見てどうしろというのだ。
 何の間違いだかは知らないが、早くこの画像を消去しなくては。PCが汚染されてしまう。

 間宮は画像フォルダを右クリックし、今の画像を消去した。
 その途端。
「あ、あれ!?」
 画面に意味不明の英文字が並び、凄まじい勢いでスクロールしたかと思うと勝手にPCが動き始めた。次々と画像フォルダを選択し、削除していく。
「ちょっと待て! それは薪警視正の!」
 いくらマウスをクリックしてもESCを押しても、PCは止まらない。あれよあれよという間にフォルダは画面から消えて、間宮が大事に保存しておいた薪の入浴シーンの画像は全部なくなってしまった。
「そんな……なんでだ?」
 がっくりと肩を落として、間宮はことの真相を考え始めた。
 間宮は決して馬鹿ではない。色事に関してはキチガイだが、仕事はできる。46歳で警視長というのは、誰でも手に入れられる階級ではない。

「小野田だな」
 間宮が薪のからだの特徴を知っていたことから、小野田はこのことを察知し、第九からCCDカメラを撤去したのだ。そしてどこかの男子トイレに仕掛けた。今のPCの暴走もハッキングによるものだ。カメラからの情報がPCに到達する際に起動するよう、ウイルスを仕込んでおいたに違いない。
 見かけによらずなんて陰険な男だ。自分は薪と楽しい夜を過ごしているくせに、間宮には見ることも許さないつもりか。

 が、間宮が出した結論は間違っていた。
 小野田が、こんな手の込んだことをするはずがない。もし、CCDカメラを見つけたのが小野田だったら、カメラをゴミ箱に捨てて、後は知らぬ振りを決め込むだろう。
 カメラをトイレに仕掛けたのは、第九の職員のひとりである。PCのデータを破壊したのは、もちろん宇野の仕業だ。どちらも薪の指示によるものだ。こんな意地の悪いことを考え付くのは、警察庁中探しても薪しかいない。
 そんなこととはつゆ知らぬ間宮は、小野田への怒りに顔を赤らめている。

 こうなったらもう容赦しない。小野田から薪を奪い取ってやる。

 小野田が薪の尻のホクロを知らなかったことから、もしかするとこのふたりの間には肉体関係はないのかと間宮は思った。しかし、あの時も間宮への牽制球は鋭かったし、こんな恨みがましいことをしてくるところをみると、やはり小野田と薪はできている。そうでなければ特別承認や異例人事など、そうそうあるものではない。ましてや、相手はあの薪だ。例えノーマルな男でも、一緒にいれば自然とそういう誘惑に駆られるに違いない。

 予てからの計画を実行に移す時が来た。
 どんな形でもいい。一度抱いてしまえば、薪は自分の言いなりになる。
 自分に夢中になった薪に別れ話を告げられて、哀れっぽく若い恋人に取り縋る小野田の姿が見えるようだ。
 間宮は携帯電話を取り出し、計画の1歩を踏み出した。




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二年目の桜(10)

二年目の桜(10)





「なんだ、ぜんぜん咲いてないじゃないか」

 日比谷公園の桜は、まだ蕾が膨らみかけたところで、見頃というには早すぎる。自分が『見頃だ』と言ったくせに、花のない桜に薪はくちびるを尖らせている。まったく勝手な人だ。
「おまえがここの桜が咲き始めたって言ったんだぞ」
 今度は人のせいだ。始末に終えない。
「ここは北側ですから。南側に行けば、何本か咲き始めの桜が見られますよ」
 本当だな、と念を押して薪は遊歩道へ足を進めた。
 反対側に移動するなら、公園の中を横切れば早いのに、わざわざ遠回りして外周の遊歩道を通るつもりらしい。
 つまりそれは、薪のいつもの不器用な気の使い方だ。

 薪はゆっくりと、青木の右隣を歩いてくれる。その歩幅と速度が、言葉には表れない薪のやさしさを青木に教えてくれる。

 研究室を出たきり帰って来ない青木の行動を見抜き、薪はあの道で待っていてくれたのだ。前川家で青木が真相に辿りつくことも、その真実の重さに打ちのめされるであろうことも、予想がついていた。
 このひとに、見通せないことなどないのだ。
 
 一本だけぽつぽつと花をつけた桜の前に立ち、薪は両手をズボンのポケットに入れてその見事な枝振りを見上げた。青木に背を向けたまま、静かに尋ねる。
「前川美佐子の父親と話したのか」
「はい」
「……そうか」
 薪の声はひどく憂鬱そうで、その背中は何かに耐えているようにも見えた。
 前川美佐子の悲しい人生を思っているのか、それとも。

「薪さんは……知ってたんですか」
 黙ったまま、薪はゆっくりと振り返った。その亜麻色の瞳に湛えられた、どうにもならないやりきれなさ。

 青木の脳裏にその光景が浮かぶ。
 CCDカメラが仕掛けられた風呂の中で、父親に犯される娘の姿を。それをPCで見ている西田の姿を。
 薪には始めから分かっていた。
 青木が考え付いたようなことは、最初から仮説の一つに入っていた。それを確かめるために、前川家に行ったのだ。父親と娘の話をすることで、彼の心情を読み解いたのだろう。そして結論を出した。前川美佐子の秘密は秘密のままにしておくことに決めたのだ。

 やはり薪はとてもやさしい。
 そのやさしさは、事件の被害者やその遺族だけでなく、加害者やその家族にまで注がれる。それを可能にしているのは、薪の優れた推理力だ。
 あらゆる仮説を瞬時に導き出せる明晰な頭脳。数限りない可能性の中から真実を選び出す洞察力。誰よりも早く真相に辿りつくから、その先のフォローができる。
 どれだけ真剣にこの仕事に向き合えば、薪のようにすべてを見通せるようになるのだろう。
 起こってしまった悲劇に、その渦中で苦しむ者達が、それ以上傷つかずに済むように泣かずに済むように、どこまで強くなればすべてを守れるようになるのだろう。
 薪もきっとそれを願って、だからあんなに捜査に没頭するのだ。自分の身を削って、凄絶なまでの真摯な態度で。

「薪さんがやってることは犯罪です」
 青木の非難に薪は少しだけ怯み、肩を竦めた。
「そうかもしれない。証拠隠蔽といえば言えないこともない。前川美佐子が父親との関係を望んでいたとは思えないからな。強姦罪が成立する可能性は充分ある。でも」
「違います。ドロボーです」
 長い睫毛がぱちぱちとしばたく。わけがわからない、という顔だ。めちゃめちゃかわいい。
「ドロボーというより、強盗ですかね」
 盗まれる、などという生易しいものではない。いまの青木の心理状態には、強奪という表現がぴったりだ。

 このひとは、自分からどれだけのものを奪えば気が済むのだろう。
 こころもからだも魂も、何もかも持っていかれてしまった。
 すべての日常は薪に埋め尽くされて、未来を自由に思い描くこともできない。これから先、薪以外の人間の下で働くことなど想像もつかない。薪の側を離れることなど考えられない。
 もう自分には何も残っていない。あるのはこの想いだけだ。

 また、惚れ直してしまった。

 去年の春、薪のきれいな横顔にときめいて、薪から目が離せなくなって。
 あれから1年。
 色々なことがあって、なおさら薪のことが好きになってしまった。
 こんなに長く片恋が続いたのは初めてだ。こんなに激しい片思いも、初めてだ。

「おまえ、残りの本数ちゃんと数えてたのか」
「は?」
「シリアルバーだろ? おまえの机にたくさん入ってるやつ。昼飯代わりに食べてたんだ。買って返すつもりだったんだけど」
 ……ぜんぜん気がつかなかった。そういえばここのところ、やけに減りが早かったような。


「わかった。『一乃房』で寿司奢ってやる。それで水に流せ」
「はい」
 勘違いの名人は盗み食いの罪を認め、素直に詫びを入れる代わりにランチの提案をしてきた。和解案は成立し、ふたりは公園の出口に向かって歩き始めた。

 薪は青木の前を歩く。青木は薪の背を見ながら、その後ろについて歩く。
 先日と同じように自分を導いてくれる、その背中。青木の半分くらいしかない細い背中なのに、女のような華奢な肩なのに、どうしてこんなに頼もしく見えるのだろう。

 その背中が、公園の門の前で立ち止まった。ひとりの女性が薪を呼び止めたのだ。
「官房室の。松永さんでしたか?」
 薪は1度見た人の顔は忘れない。人間離れした記憶力は、こんなところでも役に立つ。
「官房長から伝言を預かってきました」
 その女性は、薪にメモを渡して去って行った。メモには『Pホテルで待ってるよ』と書かれている。どうやらランチの誘いらしい。

「悪いな、青木。小野田さんからデートのお誘いだ」
 相手が官房長では仕方ない。薪とふたりきりのランチは次回に持ち越しだ。このまま永久に持ち越されてしまう可能性のほうが高いが。

 第九とは反対の銀座方面に向かって歩いていく薪の後姿を見送り、青木は自分の非常食(シリアルバー)のラインナップに、薪の好きなオレンジピールを追加することを決めた。


 ―了―





(2009.2)


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二年目の桜~あとがき~

 青木くんが薪さんを好きになって、1年経ちました。
 本当にちんたらやってますね。1年もかかって、キスしかしてませんからね。それも、同情のキスって。絶望的な展開ですね。(笑笑)

 このお話の主旨は、ヘンタイ間宮が書きたかった
 1年経って、また思いを新たに薪さんに惚れ直す青木くんの、学習しないアホさ加減を書きたかっただけです。 あんなに振られまくったのに。ちっとも懲りてません。
 それがなんでこんな後味の悪い事件を持ち出して、長ったらしくなったかといいますと、やっぱり ヘンタイ間宮を 筆者の力量不足というより他はありません。
 ご不快になられた方には、こころからお詫び申し上げます。
 って、わたし、どんだけ間宮のこと、気に入ってるんでしょうね。でも、あーゆー突き抜けたキャラは書いてて楽しいんですよ。やっちゃえやっちゃえ! ってカンジです☆

 このお話の中の薪さんがやってることは、本当はいけないことだし、実際にはありえません。いちいち加害者側のことまで気にしてたら、仕事にならないです。
 でも、薪さんなら。
 行動に表さなくても、きっとそのことに思いを巡らせて、心を痛めてるんじゃないかな、と思ったんです。二次創作の中でくらい、それを行動に出させてあげてもいいかな、と。

 わたし的には、カッコイイ上司の薪さんが大好きなんです。 Yさんとこの薪さんとか。惚れてます。

 あおまきすととしては邪道かもしれませんけど、薪さんの美しさよりも、他の追随を許さない圧倒的な推理力に惹かれます。
 薪さんの天才性も、神さまのような洞察力も、もっともっとカッコよく書いてあげたかった。
 書いてる最中は楽しいんですけど、振り返ると後悔ばかりが残ります。自分の才能と知識の不足が、口惜しいです。



 さて、次のお話は、だれかさんの期待通り、ほんのりピンク色です。
 全体的に、鍵付きにしたほうがいいような内容です。

 あ、待てよ。
 あおまきのRネタって、初めてじゃないか? ……初めてで、あんなん?
 自分の無謀さに、脱力……。

 いつものように、無駄に長いお話ですが、のんびりお付き合いくださるとうれしいです。




*****




 どうでもいいことですけど、今日は美容院に行ってきます。
 わたし、20年以上ロングヘア、もしくはセミロングだったんですけど、薪さん愛が高じて、今年の3月に薪さんヘアにしました。(>▽<)
 ↑バカですね。
 でも自分では、40年の人生の中で、いちばん気に入ってます。(←究極の自己満足)

 薪さんヘアは、意外と手間がかかります。
 前髪をキープするのに、男性用のワックスが欠かせません。薪さんはワックスは使わないと思いますけど、現実的には前髪が目に刺さるので。
(昔のイラストには、ワックス使わないと不可能な髪形とかもありましたね。現在は前髪長いままですけど)
 ワックスを選ぶときも、薪さんもこーゆーの、遊びに行くときは使うかな、とか、バカなことを考えてます。果てしないです。もう、救いようがないです。
 自分でも呆れますが、なんでしょうね、この幸福感は。(爆)



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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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