竹内警視の受難(1)

 遅くなりましたが、2000拍手のお礼です。

 竹内が主役の特別編です。
 彼の報われない人生に幸あれ。(笑)



 ご要望により、今回よりこちらに本文を書くことにします。
(鍵付きのお話に関しましては、これまでどおり『つづき』からお願いします。)
 わたしのSSは異常なくらいに長いため、なるべく読みやすくしたいと考えておりますので、こういうご指摘はとてもありがたいです。
 その他、読みづらい点等ありましたら、ご遠慮なくどうぞ!

 あ、文章自体が読みづらいですか。
 そうですか……。





竹内警視の受難(1)






 夜の9時を回ったスーパーマーケットは、買い物客もまばらで、閑散としている。活気のない店内で、しかしその分ゆっくりと、薪は商品を選んでいた。
 
 昔から歓楽街が少なく、夜の早い街として有名だった吉祥寺には、深夜営業の店はとても少ない。薪が住んでいるマンションの近くで夜の10時まで開いているスーパーは、ここ一軒しかない。
 何十年か前までは、24時間営業のスーパーは珍しくなかったと聞く。しかし、2062年の現代においては、エコロジーの観点から、真夜中まで営業する店舗は減少してきている。
 地球の資源が限りあるものだ、という当たり前のことに人類が気付いてから100年あまり。その事実によって促されるべき行動が端部にまで及んできたのは、つい最近の話だ。

「ネギと白菜、白滝に焼き豆腐に、あ、青木、シイタケはだめだ。岡部がキライだから」
「じゃ、人参も省きましょうよ」
「なに言ってんだ。すき焼きに人参は欠かせないだろ」
 これはもちろん、青木に対する意地悪だ。
 普通、入れないと思いますけど、と口の中で呟いて、青木はシイタケのトレーを棚に戻した。代わりにエリンギのパックを取って、カゴの中に入れる。

「明日の朝のサラダにも使うし」
「わかりましたよ」
 薪に促されて、青木は渋々オレンジ色の根菜を手に取る。
 青木の嫌いな人参と、薪の好きな黄色いパプリカ。アスパラガスにブロッコリー。何も言わなくても自分の好物がカゴに入ることに、薪は満足そうな笑みを浮かべる。

「後は、すき焼き用の肉だな。800じゃ足りないよな。1キロ買うか」
「そうですね。お給料出たばかりだし」
 薪ひとりなら200グラムもあれば充分だが、青木も岡部も、とにかくよく食べる。前のときは800グラムで足りなかった。

「あれ? 薪室長」
 食後のデザートにと、イチゴのパックを手にしたとき、嫌な声を聞いた。
 聞こえなかった振りをして、精肉売り場の方へ行こうとする。それを青木のバカが、いりもしない返事を返して、薪は仕方なく足を止めた。
 いやいや振り返ると、思ったとおり、不愉快な人物がそこに立っている。
 薪の天敵、竹内誠警視だ。

「こんばんは。買い物ですか?」
「……ええ」
 無愛想に会釈でその場を離れようとするが、青木と竹内は仲がいい。買い物で一緒になった近所の主婦同士のように、買い物カゴを片手に喋り始めてしまった。

「なんでおまえ、室長といっしょなの?」
「今から岡部さんと、3人で飲み会なんです。竹内さんは?」
「この近くで張り込みやってて。夜食買いに来たんだ。この辺て、コンビニないんだな」
 確かに竹内の出で立ちは、スーパーに買い物に来る人間のものではない。
 黒い光沢のある皮のジャケットに、胸の開いたインナー。幅広のベルトとジーンズは、やはり黒。靴は爪先が細い流行のもので、あの飾りの形はイタリアの有名ブランドだ。
 上から下まで黒で固めて、首には細かい黒曜石をつなげたネックレスをつけている。ペンダントトップは、金色の小さな長方形のプレート。刻印が読み取れるから、たぶん24金。

 ……チャラつきやがって。
 まるでファッション雑誌から抜け出してきたような竹内の服装に、薪は心の中で唾を吐く。
 薪だって出かけるときにはおしゃれを楽しむが、張り込みのときにこんな格好はしない。TPOを解しない人間は、好きになれない。

「ご苦労さまです。コンビニだったら、駅の近くにありますよ」
「パンと牛乳さえ手に入れば、どこだっていいんだ」
 そんなどうでもいい会話は早いところ切り上げて、さっさと肉を買いに行こう。喉まで出かかったセリフを、ため息と共に噛み殺す。
 薪は、この竹内という男が嫌いだ。なぜ嫌いかと言うと。

「このカゴの内容からすると、今日はすき焼きだな? いいなあ。俺、一人暮らしだから。すき焼きなんて、もう何年も食べてないよ」
「またまた。彼女に作ってもらってるくせに」
「この頃、あんまり女運良くなくてさ。金が掛かる女ばっかりだよ。いつも外食」
「あれ? 夏のころに、彼女に弁当作ってもらったって言ってませんでした?」
「いつの話してんだよ。その彼女から、今はもう4人目だよ」
 こういうところだ。

 竹内は、俳優と言われれば信じてしまいそうな美形で、都会的なセンスの持ち主だ。
 やや細めの眉とその下の涼しげな瞳。奥二重だが、そのぶんやさしく見える。黒目の部分が大きくて、一見誠実そうな印象を受ける。日本人にしては高い鼻。男のフェロモンを漂わせる、頬の削げ具合。適度な丸みを持ったシャープな顎。くちびるは理想的な厚さと形で、口角に締りがある。
 ところどころふわりと浮く焦茶色の髪は、計算された無造作ヘア。薪と3つしか違わないくせに、今時の若者みたいな頭をしている。左に流した前髪が長いのも、襟足が長いのも気に食わない。警察官ならきちんとするべきだ。彼の向かいで笑っている、薪の部下のように。
 身長は青木より低いが、それでも薪よりは10センチ以上高い。逞しいという体躯ではなく、スマートだが筋肉がついている、という感じだ。
 一番気にいらないのは、その日本人離れした足の長さで、身長は薪と10センチしか変わらなくても、股下は20センチくらい違うような……くっそ、柔道は体の重心が低い方が有利なんだ。別に、足の長さで人間の価値が決まるわけじゃない。

 この顔でこのスタイルで、京大出のエリートで、しかも警視庁の花形部署、捜査一課のエース。女性がなびく要素がてんこ盛りだ。
 薪もそれは認めているが、次々と付き合う女性を変えるという、その恋愛スタイルが許せない。もともと、恋愛ゲームを楽しむような人間は好きになれない。決して、自分よりも女にもてる竹内をやっかんでいるわけではない、と薪は心の中で叫んだ。

「すごいですね。半年で4人ですか。オレにはとても真似できません」
 まあ、青木にはムリだろう。
 容姿の違いもさることながら、青木の性格は一途でしつこくて。一人の女性を何年でも思い続けられるタイプだ。
「なんだ、青木。おまえ、まだ彼女できないのか。紹介してやろうか?」
 余計なことをしなくていい! こいつは……。
「竹内さん」
 薪の呼びかけに、竹内が「はい」と応えを返した。
 失敗した。口を挟むつもりはなかったのに。
 竹内がおかしなことを言うから、つい……別に、おかしくないか。彼女のいない男友だちに、知り合いの女性を紹介する。ごく普通のことだ。

「お仲間が張り込み中なんでしょう? いいんですか、こんなところで油売ってて」
 口調が剣呑なのは、いつものことだ。竹内のお節介に、腹を立てているわけではない。
「そうですね。早く行ってやらないと。失礼します」
 竹内はにこりと微笑むと、薪に軽く頭を下げた。
 昔は薪がこういうことを言うと、第九の引きこもりには現場の辛さは分からないだろうとか、逆にじっとしているのが得意な第九こそ張り込みの仕事をするべきだとか、こちらの神経を逆撫でするようなセリフを嫌味な口調で言ってきたのだが、ここ1年ばかりで、竹内は態度を改めている。
 しかし、薪にはその謙虚さすら面白くない。

 うさんくさい。バカにされている。
 心の中では嘲笑っているくせに、態度だけはしおらしくして。騙されてたまるか。
 とにかく、気に食わない。

 薪は不機嫌な顔で、もうひとつ意地悪を重ねた。こういうムカついた気分の時には、意地悪を言うと気が晴れるのだ。
「残念ですね。竹内さんがお暇でしたら、うちにお誘いしたのに」
「え?」
「今日は冷えますから。鍋を囲んで日本酒で一杯、と思って、いい酒も用意したんです。竹内さんとご一緒できたら、楽しい飲み会になったでしょうに」
「本当ですか?」
「ええ。歓迎しますよ。ああ、でも職務中じゃ仕方ないですね」

 自分たちがパンと牛乳の食事で張り込みをしなければならないときに、こちらは温かい部屋の中で、すき焼きと熱燗。
 ザマーミロ。せいぜい、悔しがるといい。

「伺います!」
「……は?」
「張り込みをしているのは、大友と木下です。俺は今日は非番なんです。差し入れだけしてやろうと思って、出てきたんですよ」
 うれしいなあ、薪室長に誘っていただけるなんて、と心にもないセリフを言って、竹内はパン売り場に歩いていった。思いついたように振り返って、張り込みの現場は薪の自宅への道の途中にあるので、そこにちょっと寄り道して下さい、とにこやかに笑う。

「いや、あの、ちょっ……!」
「薪さん」
 なんだ、と荷物持ちに連れてきた部下に目を向ける。
 青木は呆れ果てた顔で口をへの字に曲げると、軽く嘆息した。
「お肉、1キロじゃ足りないかも、って、痛ったあ!」
 目に付いた足に蹴りを入れて、薪はさっさと歩き出す。
 竹内が来るなら、牛肉は止めて豚肉にしてやろうか。いっそモツ鍋に……くそ!腹の立つ!

「なんでオレを蹴るんですか、もう!」
 青木は不満げな声を洩らしながら、薪の後ろを付いてくる。
 理不尽な八つ当たりを受けた部下の情けない声を聞いたら、少し気分が良くなった。

 それでも、アメリカ牛だな。

 肉の等級をワンランク落とすことで、招かざる客に対する憤懣に折り合いをつける薪だった。



*****


 自分の意地悪で墓穴を掘るお子ちゃま薪さん。(笑)
 果てしなくアホっすね☆


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ジャンル : 小説・文学

竹内警視の受難(2)

 すいません、コメレス遅れてます。
 近所にお葬式ができてしまいまして、お手伝いに行かないといけないのです。 田舎の定めです。しかも今年は班長だったりする。(^^;
 月曜日にはお返しできると思いますので、申し訳ありませんが、どうかご了承ください。m(_)m
(記事の方は下書済みなので、予約投稿でアップします)



竹内警視の受難(2)





 目的のマンションは、7階建ての建物だった。
 1階がエントランスになっており、地下に駐車場がある。建物の外壁はベージュ。周囲は低い塀で囲まれ、垣根の緑がそれを覆っている。ごくごくありふれた、中等級のマンションだ。
 そのエントランスが見える位置で、しかも木の陰になって目立たない場所に停められた一台の車に、竹内は近付いていく。
 見張っているマンション以上にありふれたセダン。闇に隠れやすいように、当然、色は黒だ。

 竹内がコンコンと窓を叩くと、車の窓が開いて、後輩の大友が顔を覗かせた。スーパーの袋を渡してやって、職務に邁進する後輩に労いの言葉をかける。
「ごくろうさん。ほら、差し入れ」
「ありがとうございます、竹内さん」
「こっちの栄養ドリンクとシリアルバーは、薪室長から」
「え、なんで?」
 第九と捜一の因縁を知っている大友は、不思議そうに竹内を見た。
 ドリンクを買い物カゴに入れたのは青木だが、お金を払ったのは薪だった。何やらコソコソと言い争いをしているように見えたが、レジで財布を出そうとした青木の手をピシャリと叩き、ムッとした顔で支払いを済ませていた。

「一緒だったんすか?薪室長と?」
「偶然。そこのスーパーで会ったんだ」
「へえ。薪室長も、スーパーで買い物なんかするんですね」
「そりゃ、するだろ。後でちゃんと、礼を言っておけよ」
 竹内がそう言って車を離れると、大友は窓から首だけを出して、電信柱の陰に隠れるように立っている第九の凸凹コンビの方に頭を下げた。人目についてはいけないから、ここは会釈だけでいい。

 竹内は、軽く走って薪たちの方へ寄っていき、すいませんでした、と声をかけた。
 薪は軽く頷いて、先に立って歩き始めた。細身のトレンチコートの背中を追って、荷物を両手に持たされた青木がついていく。竹内は青木から荷物の半分を受け取ると、青木に並んで歩き始めた。
 薪のマンションへは、ここから徒歩で20分くらい。住所はとっくの昔にチェック済みだが、もちろんそんな素振りは見せない。
 薪は両手をコートのポケットに入れて、肩を竦めている。寒さに弱いのか、そんな姿も愛くるしい。
 ……本当は、竹内を自宅に招く羽目になったことに腹を立てて、肩を怒らせているだけなのだが。世の中には、知らぬが仏という言葉もある。

「誠さん!」
 突然、甲高い声に名前を呼ばれて、竹内はびっくりする。
 声のした方向を見ると、マンションの地下駐車場から表に出てきた親子連れが目に入った。
 このマンションの住人で、先日の聞き込みに協力してくれた母娘だ。母親の名前は忘れてしまったが、娘の名は――。
「やあ、美穂ちゃん。この前はありがとう。おかげで助かったよ」

 竹内たちがいま追っているのは、西荻窪で起きた宝石店強盗殺人事件。
 犯人は夜更けに店を訪れ、ひとり暮らしの店主を刃物で脅し、何点かの宝石を奪おうとした。が、店主に反撃され、苦し紛れに振り回したナイフが相手の胸に刺さってしまった。故意ではなかったのかも知れないが、彼は逃走した。そのままにしておけば、相手が死ぬかもしれないのを分かっていて逃げたのだ。
 結局、店主は出血多量で亡くなった。
 証拠品をあちこちに残していることから、犯人が犯罪に慣れていないこと、宝石が盗まれていないことから、自分のしたことが恐ろしくなって逃げたのだということは容易に察せられたが、だからと言って罪が軽くなるわけではない。これは、殺人事件だ。

 近隣の聞き込みを始めて2日目。竹内たちはこのマンションにやってきた。
 そして、この少女の証言から、竹内はこのマンションの4階に住む男が犯人であるとの確信を持った。美穂は、塾の帰りに被疑者の姿を目撃していたのだ。
 子供の言うことだからと、課長は彼女の証言に懐疑的だが、美穂はとてもしっかりした娘で、その記憶力も観察眼も素晴らしかった。

「塾の帰り? 大変だね」
「うん。誠さんは? 今日はお仕事じゃないの?」
「今日はお休み。あのお兄さんたちと一緒に、お酒を飲みに行くんだよ」
「……あの女のひと、彼女?」
「え?」
 いくらか険を含んだ少女の視線を追うと、10メートルほど離れた場所に立ってこちらを見ている薪の姿があった。寄り道の時間が長引いたことに腹を立てているのか、とても苛立った様子だ。
 が、美穂のいう「女のひと」の姿はどこにもない。

 またか、と竹内は思う。
 美穂の眼は、明らかに薪を見ている。確かに、コートで体の線が隠れると、薪は女性と言っても通用してしまう。しかし、これが聞こえたら確実に薪の不興を買う。
 薪は、自分の性別を間違えられることを嫌う――― まあ、当たり前の反応だが。

「美穂ちゃん。あのひとは、男のひとだよ。俺の友だちなんだ」
「ウソお!」
 頼むから、声を抑えて欲しい。それでなくても子供の声というのは、よく響くものだ。
「美穂。ご迷惑よ。竹内さんのお友だち、お待たせしちゃいけないわ」
「はあい。またね、誠さん」
 母親の気遣いがありがたい。竹内は母親に会釈をし、美穂に手を振って、その場を離れた。



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ジャンル : 小説・文学

竹内警視の受難(3)

 ちょっと私信です。
 鍵拍手いただきました、かのんさん。(←鍵の意味ない(笑)
 はい、その通りです! また見抜かれちゃいました。相変わらず鋭いです!(>▽<)


竹内警視の受難(3)




「すみません、室長」
 思いがけず、長い寄り道になってしまったことを謝りながら駆け寄ると、薪が氷のような無表情になっている。薪がこの表情になるときは、めちゃめちゃ機嫌が悪いのだ。
 さっきまでは、ちょっと不機嫌ないつもの顔だったのに。どうやら美穂との会話は、薪に聞かれていたらしい。

「竹内さん、さすが女性キラーですね。あんな幼い子にまでモテるなんて」
「冗談よせよ。あの子は、そのマンションの5階に住んでてさ。こないだ聞き込みに行ったときに知り合ったんだよ」
「そうなんですか? 誠さん、なんて呼ばせてるから、てっきりあれが新しい彼女かと」
「俺はロリコンかよ! ってか、犯罪だろ、それ!」
 青木がわざとおかしな冗談を言って場を和ませようとしているのがわかったので、少々大げさに突っ込んでみる。そっと薪のほうを伺うと、いくらか気配がやわらかくなっている。
 白磁のような頬を緩め、寒さの中でも艶やかさを失わないくちびるを、まるで薄ピンクの山茶花が咲き初めるように開き、連なった真珠を覗かせる。
 うっとりするような光景なのに、出てくる言葉は辛辣だ。

「どうせ、目当ては母親の方でしょう」
 薪の悪意に満ちたセリフには、すっかり慣れた。まるっきり無視されるより、嫌味でも皮肉でも、会話をしてもらえるだけマシだ。
「俺は、不倫なんかしませんよ。監査課に目をつけられるような真似はしません」
「それじゃ、本当に娘のほうと? 女と見れば、子供でも口説くんですね」
 ……違います、薪室長……。

「監査課って、そんなにすごいんですか? 不倫とかも、すぐに解っちゃったりするんですか?」
「すごいなんてもんじゃないよ。あいつら、全員諜報部員で構成されてるんだぜ。不倫どころか、自分の奥さんと週に何回セックスしてるかまで、全部わかっちまうよ」
 青木があまり不安そうな顔で尋ねるので、思わず大げさなことを言ってしまった。こいつは年の割りに初々しいところが可愛くて、ついつい構いたくなるのだ。

「「本当に!?」」
 竹内のジョークを聞いた二人の声が重なる。
 ……どうして、薪まで反応しているのだろう。
「そっか、それでか。そうだよな、そうとしか考えられない。ずっと不思議だったんだ。なるほど、諜報部員か」
 なにやら納得しているようだが、身に覚えがあるのだろうか。

「あの、冗談で」
 薪はぶつぶつ言いながら、ふと立ち止まった。コートのポケットに手を入れたまま、後ろを振り向く。
 その視線が竹内を通り越して、長身の部下に注がれた。つられて竹内も後ろを向く。
 歩き続ける薪の背中についていたのは、いつの間にか竹内ひとりだった。青木はずっと後ろの方にいて、自分が歩いてきた道を見つめていた。
 いや、見つめているのは、空だ。

「どうした、青木」
「あれ、煙じゃないですか?」
「ほんとだ。夜だから見えにくいけど……っ、あの方角って!」
 竹内が火災現場の可能性に思い至ったとき、隣を小さな人影が走り抜けていった。疾走する小柄な人物を追いかけて、青木も後に続く。竹内も慌てて後を追った。

 薪は足が速い。荷物を持っていない分、身軽なのかもしれないが、それにしても速い。しかもペースが落ちない。毎日、警視庁のジムで走りこんでいるだけのことはある。
 それにぴったりと、青木がついて行く。最近は剣道の腕前も上がってきたと岡部が言っていたが、基礎体力のほうもばっちりらしい。なるほど、射撃の腕も上がるはずだ。発砲の反動に耐えうる強靭さを、身につけつつあるわけだ。

 現場へ走りながら、竹内はどうしてこいつは彼女を作らないんだろう、と疑問に思う。
 年も若いし、見た目も悪くない。キャリアだし、穏やかで明るい性格だから、女子職員の間でも評判がいい。実際、青木との仲を取り持って欲しい、という話も何件か来ている。本人が興味を示さないので、一度も会わせたことはないが。
 だれか、こころに決めた女性がいるのだろうか。三好雪子以外の女性が、青木の周りにいる様子はないのだが、やはり彼女が……いや、違う。どんな理由があっても、大切な女性をクリスマスディナーの席にひとり残して立ち去ったりするはずがない。

 などと、呑気なことを考えている場合ではなかった。
 嫌な予感は的中し、竹内の後輩が張り込みをしていたマンションは、激しい焔に包まれていた。
 先刻の、安穏とした風景が信じられない。
 燃え盛る炎は、哄笑を響かせる悪魔の舌のように暗闇に踊り狂い、人々の悲鳴や嘆き声がその饗宴に絶望を添えていた。火のはぜる音とバキッと何かが折れる音、ガラガラと重いものが崩れる音。
 この火の回り方は、尋常ではない。ガソリンか何かを撒いて、意図的に火を点けたのではないか。

「大友! どうしたんだ、これは」
「マルヒの部屋から急に火が出て。火事の混乱に乗じて逃げようとしていたところを、確保しました。消防には連絡済みです」
 容疑者の部屋は4階。火の元はマンションの西側だ。
「住民の避難は? 怪我人は?」
「今日はたまたま公民館で集会をやってて、住民は20人ほどしか残っていなかったそうです。木下が、いま人数を確認しています」
 大友の視線の先を見ると、木下が集会の責任者に連絡を取り、火災のことを伝え、マンションに残っているはずの住民の名前を聞いて、書き出している。そのリストができたら、中庭に避難している人々と照合を取る。逃げ遅れた住人が居ないといいのだが。

「犯人はどうした?」
「手錠掛けて、車のトランクに押し込んどきました」
「トランクっておまえ」
「だって、非常事態だし。逃げられたら困るし」
「……よくやった」
 竹内でもそうしただろう。こいつも機転が利くようになった。
「すいません、竹内さん。リストができたところから照合作業をしますんで、手伝ってもらえますか?」
「わかった。おい、青木、おまえも――ちょっと、待て!!」
 エントランスから中へ入っていこうとする青木の腕を掴み、竹内は彼を引き戻した。こいつが無茶なことをするのは知っているが、この火災の中に飛び込むのは自殺行為だ。

「放してください! 薪さんが、中にっ!」
「なんだって!?」
 こいつも無茶だが、上司はもっと無茶だ。第九は無鉄砲野郎の集団か。
「どうしたんすか?」
「薪室長が中に入って行ったって!」
「なんで!?」
「分かんないです。避難した人たちに、逃げ遅れたひとがいないかどうか、聞いてたんですけど」
「誰か、逃げ遅れた人がいたのか?」
「いいえ、みなさんパニック状態で、とても話が聞ける状態じゃなくて」

 竹内は中庭に身を寄せ合っている人々の顔ぶれを、ざっと見渡した。そして瞬時に理解する。薪がどこへ向かったのか。

「美穂ちゃんたちがいない!」




*****

 楽しいすき焼きパーティは、どこへ行ったんでしょう(笑)


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竹内警視の受難(4)

 お葬式が終わりました。
 今日は、いただいたコメのお返事をさせていただきます。
 いただいたコメントを読んで、そのお返事を書いてるときが一番楽しいです。(〃▽〃)



竹内警視の受難(4)





 住民たちの確認作業を木下に任せ、3人は薪の後を追った。
 もしも逃げ遅れた人が判明した場合には、大友の携帯に連絡が入ることになっている。見切り発進に近いが、一刻を争うこの状況には、有効な手段だ。
 薪の行き先は分かっている。美穂たちが5階に住んでいる、と言った竹内の言葉を、あの薪が覚えていないはずがない。

「くそっ! 煙がすごい……吸うなよ。一酸化炭素中毒で、あの世行きだぞ」
 出火現場は4階。目的の部屋は5階だから、かなり火の回りが激しいところだ。口元を濡れたハンカチで覆い、身を低くして階段を駆け上る。エレベーターはもちろん使えない。電気系統がいかれて閉じ込められたら、オーブンの中で焼かれるようなものだ。

「竹内さん、木下から連絡ありました。どうやらマンションに残っている住人は、あの母娘だけのようです」
「そうか。よかった。よし、ちゃっちゃと片付けるぞ。俺はこれから大事な用があるんだ」
「いいっすね、竹内さんは。オンナにもてて」
 相手は女性ではないが、女性よりも遥かに竹内のこころを乱す人物だ。ふたりきりではないが、薪の自宅へ招いてもらったのは初めてだ。何があっても逃したくない。
 左隣で身をかがめていた青木が、何となくこちらを睨んだような気がしたのは、気のせいだったろうか。

 大友の誤解を敢えてそのままにして、竹内たちが何とか5階まで登ると、轟々と燃え盛る炎の音に混じって、半狂乱で泣き喚く女性の声が聞こえてきた。
「美穂を! 美穂を助けてください!」
 次いで、どすっ!と何かがぶつかる音。「くそっ!」という聞き慣れた声がして、ドアを蹴り飛ばす音が聞こえてきた。
 声のした部屋に駆け込むと、果たしてそこには薪と美穂の母親がいて、内部屋のドアを破ろうと躍起になっていた。

「大友! 先にお母さんを保護して差し上げろ!」
「美穂っ!」
 自分を娘から遠ざけようとする男の手から逃れようと、母親は必死で身を捩った。気持ちは分かるが、いまは早く避難してもらわないと。
「大丈夫です。美穂ちゃんは、俺が必ず助けます」
 なおも渋る母親を、大友は無理矢理引き摺っていった。
 スポーツ刈りの頭がガテン系の職人を思わせる外見の後輩が、女性の身体を羽交い絞めにして連れ去る姿は、事情を知らない人間が見たら誘拐犯のように見えるに違いない。

 竹内たちが母親の保護に当たっている間に、第九のふたりは子供の救出に力を注いでいた。
「薪さん!」
「部屋の中に、子供がいるんだ。鍵が掛かってて」
 何度か体当たりを繰り返したのだろう。薪は細い肩を押さえていた。
 この部屋に美穂がいる。事情はよく分からないが、何らかの原因で閉じ込められたか、煙を吸って動けなくなったか。
「このドア、破れるか?」
「はい!」
 大きな体躯を武器に力任せにぶつかって、木製の障害物をぶち破ろうと試みる。何度目かの体当たりで、メリメリッという音が響き、ドアが内側に倒れた。

「やるもんですね。青木はやっぱり捜一向きですよ」
「あげませんよ」
 気の抜けた会話とまるでそぐわぬ素早さで、薪と竹内のふたりは部屋の中に飛び込んだ。
 美穂は後ろ手にガムテープで拘束されて、床に転がされていた。口にもガムテープが張ってある。助けを求めることもできなかったわけだ。

「だれがこんな」
「あの強盗犯です。母親の証言が取れてます。母親は、キッチンのテーブルの足に縛られてました。美穂ちゃんを部屋に閉じ込めて外から鍵をかけ、鍵は窓から放り投げたそうです」
 子供部屋の場合は、外から鍵が開けられるように、両側から施錠開閉ができるタイプのドアが主流だ。今回はそれが裏目に出た。
「そうなの? 美穂ちゃん。あのお兄ちゃんだった?」
 ガムテープの痕がひりひりするのか、美穂は細い手首をさすりながら、こくりと頷いた。
 彼女の証言によって追い込まれた犯人が、腹いせにこんな真似をしたのか。このまま放置して、焼け死ぬように仕向けるなんて。こんな子供に、なんて残酷なことを。
 最初の被害者も、放置の結果死亡した。初犯とはいえ、もう同情の余地はない。いっそトランクに入れたまま署まで運んで、いや、車ごと海に落としてやりたいくらいだ。

「美穂ちゃん、落ち着いてね。おうちが火事になったんだよ。俺たちと一緒に、ここから逃げるんだ」
 犯人に対する怒りは一旦、胸にしまって、今は無事に脱出することだ。この子を守らなければ。
 部屋に入り込んできた煙や匂いから、美穂は状況を把握していたらしい。竹内の言葉に取り乱すこともなく、くりっとした愛らしい目を瞠って、神妙に頷いた。
 母親より、よほど落ち着いている。今時の子供は大したものだ。

「さ、急いで」
 薪が差し出した手を、美穂は何故か振り払った。両手で竹内の腕を、ぎゅっと抱きしめるように身を寄せてくる。
 もしかして、誤解している……?
 まだ、薪のことを女性だと思っているのだろうか。薪の声は中高音のアルトで、女性の声に聞こえないこともないが。
 あの時は夜目の遠目と慰めることもできたが、今のこれは、ええと……。

 美穂を負ぶって、竹内は立ち上がった。
 恐る恐る横を見ると、薪は微笑んでいた。子供が無事でよかった、とホッとしている顔だ。さすがにこの状況では、自分の容姿のことを誤解されたくらいで、怒ったりはしないか。
 歩きながら、薪は自分の肩を押さえている。痛むのだろうか。
「室長。肩、大丈夫ですか?」
「平気だ」
 何でもないような顔をして見せるが、微かに眉がしかめられている。きっと内出血で、熱を持っているに違いない。そんな華奢な身体で、ドアに体当たりなんかするからだ。まったく、薪の勇ましさにはハラハラさせられる。
「あれ? 薪さん。空手二段じゃ」
 それは竹内も疑問に思っていた。空手の有段者なら、ドアを蹴破るくらい、簡単ではないのか。
「僕のは型空手で、実際にドアを破ったりはできない。もともと取調べのときに、容疑者に舐められないようにと思って習い始めただけだから」
 なるほど。
 たしかに容疑者を脅すだけの目的なら、型空手で充分なわけだ。

「なんだ、やっぱり薪さんて非力、っ!」
 ビュッと風を切って、青木の右頬3センチの場所に、華奢な拳が打ち込まれる。型空手とはいえ、そのスピードと威力はなかなかのものだ。
「人間の鼻くらいなら、折れるぞ」
「すいません……」
「じゃれあってる場合か! 早く逃げるぞ!」

 背中に背負った少女が、驚いたような声をあげた。
「あのひと、本当に男のひとなんだ」
「そうだよ」
「なんだあ。てっきり、誠さんはあの人のことが好きなのかと……誤解してごめんなさい」
 それは誤解ではない。

 美穂は、自分に微笑みかけた竹内の顔に、うっとりしたような声で言った。
「誠さん。美穂ね、昨夜誠さんの夢を見たのよ。美穂がきれいなお嫁さんになって、誠さんと結婚するの」
「はいはい。ここから無事に逃げられたら、結婚でもなんでもしてあげるからね」
 いまひとつ緊迫感のない会話に、竹内はため息を吐いた。



*****


 実は、この型空手というのを甥が習ってます。
 見た目だけはすごいんですけど、板は割れないそうです。
 見掛け倒しのうちの薪さんにはぴったりです。(笑)


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竹内警視の受難(5)

竹内警視の受難(5)




 再び廊下に出た竹内は、自分たちを取り囲む状況の厳しさを目の当たりにした。美穂を助け出して気が緩みかけていたメンバーに、さっと緊張が走る。
 いまや下方へ降りる階段は、完全に火に埋め尽くされて、来た道を辿ることは不可能だった。玄関からの脱出は、無理だということだ。
 残るは、非常階段と窓。
 高層マンションにおいては、各階に2箇所以上の脱出シュートを備えることが励行されているが、あったとしても何処の部屋に設置されているかわからないし、確認しているヒマもない。少なくとも、美穂たちの部屋にはなかった。
 
「非常階段は?」
「こっちです!」
 非常階段付近は、黒い煙に包まれていた。なんだか、火の音も激しいような気がする。
 そうか、こちらの方角は。

「ちっ。やっぱりこう来たか」
 非常階段は、ちょうど犯人の部屋のすぐ側にあった。鉄骨でできた階段は、1000度を超えた高温に炙られ、ぐにゃりと曲がっている。人間が歩ける形状をしていない。
「お二人の運動神経なら、いけるんじゃないですか?」
「鉄骨は、熱によって強度が下がるんだ。500度で1/2、600度で1/3。1000度でほぼゼロになる。住宅火災の最高温度は約1200度。危険だ」
 命の危険が差し迫っているというのに、薪は憎らしいくらい冷静だ。まったく、見かけによらず豪胆なひとだ。そこがまた、魅力なのだが。

「くっそ……生きて戻れたら、取調べのときに腕の2,3本、折ってやる」
「竹内さん」
 薪に、不穏な発言を聞きとがめられた。どんなときでも、竹内の揚げ足取りは欠かさない人だ。
「腕は2本しかありませんから。もう1本は、足にしてください」
 そこですか。
「上へ逃げるしかありませんね。なるべく火元から離れて。窓際で救助を待ちましょう」
「階段、もうひとつある」
 竹内の背中にしがみついていた美穂が、意外なことを言い出した。
「むかし使ってた階段が、反対側にあるの。こっちから火が出たなら、あっちの階段は大丈夫かも」
「えらい、美穂ちゃん! よく思い出したね」
「ただ、今は使わないように、階段の入り口に三角形のとんがり帽子みたいなのが置いてあって、黄色と黒の縞々の棒が掛かってるの。それを退かさないと」
「青木!」
「はい!ルート確保します!」
 薪が命令しようとしたときには、もう走り出している。走りながら、返事をする。
 この、打てば響くような動き。状況判断の速さ。やっぱり、青木は捜一に向いている。

「青木は使えますね。ますます、欲しくなりました」
「あげませんよ、ぜったいに。あいつは僕のものです」
 竹内から岡部を取り上げておいて、贅沢な。他にも第九には、精鋭が揃っているというのに。まあ、デキのいい部下は何人いてもいいものだが。

 青木の後を追って、走り出そうとしたそのとき。
 突然、轟音と共に廊下の天井が崩れて、火だるまになった梁が落ちてきた。咄嗟に身をかわすが、舞い上がった火の粉は避けきれない。
 美穂を抱きこんで床に伏せ、降り掛かる灼熱の雨を背中で受け止める。ジャケットには細かな穴が開き、髪の毛の焼けるいやな匂いがした。

「大丈夫? 美穂ちゃん」
 震えながらも泣くことはせず、何度も頷く少女に、竹内は胸を撫で下ろす。
 気丈な子だ。将来は、きっといい女になる。それもとびきりの美女に。
 ここで死なせてたまるか。美人の損失は、国家予算を投じても補填できない。
 問題はその方法だが。

 断続的に落ちてくる瓦礫の衝撃に床に伏せたまま、竹内は必死で逃げ道を模索していた。




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竹内警視の受難(6)

 うちの薪さんの身の上を案じてくださってる方々へ。
 えーっと、えーっと、えーっと、
 ご、ごめんなさいいいい!!!





竹内警視の受難(6)





 目前に横たわったガレキの山に、薪は思わず呻いた。
 この大量のコンクリートの塊は、1階分の量ではない。おそらく、上の階の分も一緒に落ちてきている。塊の中から鉄筋が突き出しているが、その数は数えるほどしかない。
 工事の際に、鉄筋の数を故意に減らしている。手抜き工事だ。そのせいで、こんなに簡単に廊下の天井が落ちてきたのだ。
 3人は、崩れてきた天井によって分断された。こちら側には竹内と薪。もちろん、竹内から離れようとしない美穂も一緒だ。
 
「薪さん! 竹内さん、聞こえますか!?」
「青木。そっちは大丈夫か」
「大丈夫です! でも、このガレキを退けないと」
 ガレキの隙間から、青木の顔が見える。うまい具合に窓のような形になって、向こう側に通じている。この大きさなら、子供一人くらい抜けられそうだ。

「美穂ちゃん。さっきのメガネをかけたおじちゃんが、あっちにいるから。おじちゃんと一緒に、先にお外に行っててくれないかな」
「いや。美穂、誠さんといる」
「美穂ちゃん。俺のお嫁さんになってくれるんだろ? お嫁さんは先に帰って、俺のごはんとお風呂の用意をしといてくれなきゃ」
「誠さんは?」
「仕事が終わったら、すぐに帰るよ」
 美穂はこくりと頷いて、ガレキの隙間から青木の手を取った。

「早く行け、青木! 彼女を安全な場所に避難させるんだ」
 苦渋に満ちた青木の瞳が、薪の顔を見る。

 ―― あなたを残していくなんて。
 ―― そんなことを言ってみろ。このガレキの下敷きにしてやる。

「絶対に、絶対に助けに来ますから!」
 ぎゅっとくちびるを噛んで、青木は美穂を抱え走っていった。
 ホッと息をつく間もなく、またもや熱膨張で割れた天井のコンクリートが落ちてくる。危ういところでそれを避け、更なる襲撃を予測して上を見上げると、2階上の天井に十字に組み合わされた網状の鉄筋がむき出しになっていた。
 まるで、篭の中に捕らわれた虫のようだ。
 もう、どこへも逃げ場がない。ここは5階だし、階下へ降りる道も上へ登る道も、閉ざされてしまった。窓に寄って救援を待つしかないが、この火の回りでは。

「ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ!」
 毛先が焦げていやな匂いがする頭を振り、薪は咳き込んだ。
 天井が抜けて空気の通りが良くなったせいか、火の勢いが増して来た。不燃材を多く使った壁材からは大量の有害な煙が発生して、薪をその中に閉じ込めようとする。
「薪室長。こちらへ」
 竹内の手が薪の腕をつかみ、手近な部屋へと連れ込んだ。建物火災の場合、火は廊下から回るから、救助を待つなら部屋の中にいた方が得策だ。
「屈んでください。これを」
 水に濡らしたハンカチを差し出す。
 いつの間にこんなものを。竹内の俊敏さに、薪は少しだけ感心した。

 ハンカチを口に当てて目で彼を追うと、竹内は窓際によって、窓から外を見た。
 助けが来るかどうか、階下の火の回りはどうか。この状況で取り乱すこともなく、冷静に逃げ道を模索しているようだ。
 なかなか肝が据わっている。竹内のことは大嫌いだが、やはりここで死なせるには惜しい男だ。

「薪室長。この窓から飛び降りましょう」
「5階の窓からですか?」
 体勢を低くしたまま、竹内の隣に寄る。窓から下を見て、薪は目眩を覚えた。
 一瞬、窓から飛び降りる可能性を考えたが、やはり無理だ。この高さでは、確実に死ぬ。

「あそこに木があるでしょう? 枝に掛かれば、助かる可能性はゼロではない」
 あるにはある。
 が、この建物からはかなりの距離だ。助走もなしにあそこまで飛ぶには、体操選手並の脚力が必要だ。
「お一人でどうぞ。僕は高いところが苦手なんです」
 飛び降りても、結果は同じだろう。焼け死ぬよりは楽かもしれないが、死んだときに脳の一部でも残ってしまったら厄介だ。それよりはこのまま、全部焼けてしまった方がいい。
 以前、岡部に自分の頭を潰してほしいと言ったことは、もちろん本気ではない。犯罪に手を染めるようなことを、部下にさせるわけにはいかない。
 あれは、自分の覚悟を岡部に見せておきたかったから。何としても、かれが欲しかったから。
 岡部は、期待通りに成長してくれた。自分がいなくなっても、立派に第九を守っていってくれるだろう。

 人間、いつどこでどう死ぬかなんて、わからないものだ。
 まさか、竹内と心中する羽目になるとは。

 雪山で青木と死ぬのと、どっちがマシだったろう、と考える。
 答えは、その質問が形を成さぬうちに出た。

 青木が生きててくれて、よかった。
 あいつがまたここに飛び込んできて、危険な目に遭ったりしないように。消防隊員たちがしっかりとあのバカを止めてくれるように、願うばかりだ。

 薪がその場に残る意を示すと、竹内はとても彼らしい表情になって言った。
「アクションは苦手、というわけですか」
 懐かしささえ覚える、その皮肉な口調。片頬だけを上げた、傲岸不遜な顔つき。
「はっ。これだから、第九の引きこもりは」
 亜麻色の瞳がぎらりと光って、竹内の顔を睨みすえた。
「じゃ、俺ひとりで行かせてもらいますよ。でもって、助かったらあなたの腰抜け振りをみんなに話して、第九は臆病者の集まりだってことをマスコミに暴露します」
「何を勝手なことを――ッ、ゴホッ、ゴホッ!」
 死を前にして、なお第九を愚弄する男に、こころからの憤りを覚える。
 こんな男と心中なんて。冗談じゃない!
 
「じゃ、お先に。薪室長。あなたは勝手にしたらいい」
 竹内も激しく咳き込みながら、それでも憎まれ口を叩き続ける。フェラガモの靴が窓枠にかかったのを見て、薪は竹内の腕をつかんだ。
「早まらないでください。ここで救助を待ちましょう」
 竹内の言うように、確かに木はある。
 でも……これは死ぬ。
 どう考えても、この高さからでは無理だ。うまく枝に飛べたとしても、加速度で枝が折れて地面に墜落だ。それよりは、ここで救助を待った方が可能性があるかもしれない。

「やれやれ。現場に出ない捜査官というものは、こうもカンが鈍るものですかね。危機感が麻痺しているとしか思えない。ま、無理もないか。第九の捜査は、死人が相手ですからね」
 この期に及んで、まだこんな皮肉を。なんてやつだ。
「間に合いませんよ、どう見ても」
 竹内に促されて、薪は後ろを見る。
 振り返るまでもなく、熱気で炎の激しさが分かる。
 すでに、炎は部屋の中に侵入してきている。ガラガラと大きな音で壁が崩壊していく地響きがしているし、煙もすごい。目が痛くて、開けていられないくらいだ。
 それでも、飛び降りたら確実に死ぬ。
 薪は、覚悟を決めることにした。

「僕が先に行きます」
 自分の死を目の当たりにすれば、竹内も思い留まるかもしれない。こんなやつ、死んだって痛くも痒くもないが、心中だけはゴメンだ。

 竹内を押しのけて、薪は窓枠に足をかけた。
 情けないことに、足が震えている。奥歯を噛み締めていないと、歯がカチカチと音を立ててしまいそうだ。窓から身を乗り出すが、やはり眩暈がするほど高い。下腹の辺りがひゅうっと冷えて、まともに息もできない。
 死ぬことなんか怖くないと思い続けてきたのに、人間の生存本能ってのは厄介だ。

 何を迷うことがある。これで、鈴木に会えるんじゃないか。
 親友の笑顔を思い浮かべると、少しだけ震えが止まった。ぐらぐらと揺れていた視界が、クリアになる。

 今だ。

 目的の枝を目指し、薪は右足をぐっと踏み切って、空に飛んだ。




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竹内警視の受難(7)

 薪が5階から落ちてきた。
 ……『重力ピ●ロ?』(笑)

 お礼のSSとは思えない展開になってまいりました。どうしてこういう方向に、話が進むんでしょう。(^^;
 それはわたしがSだから、って、みなさん、もうご存知ですね☆



 すいません、ちょっと私信です。
 Mさま、素敵なイラストをありがとうございました!
 自分の書いたお話からイメージを膨らませてイラストを描いていただけるというのは、作者としては、ものすごく感激することで。 嬉しくて背筋が震えました。
 で、実際に拝見しましたら。
 萌え死にしそうっ!!
 Mさま、素晴らしいです!
 朝から幸せです。今日は一日中、ニヘラニヘラして過ごします。(〃▽〃)





竹内警視の受難(7)





 飛んだ瞬間。
 時が止まったように感じられて、薪は様々なことを思い出した。

 両親のこと。
 子供の頃のこと。
 鈴木のこと。
 雪子のこと。
 第九のこと。
 それから―――― 青木。

 青木は、僕が死んだら泣くだろう。
 でも大丈夫。あいつは若いし、僕のことはすぐに忘れる。もう、雪子さんじゃなくてもいいから、ちゃんとした相手を見つけて欲しい。
 色々あったけど……一線を越えなくて、本当に良かった。
 あいつの悲しみが、倍になるところだった。

 落ちていく。
 ただ、落ちていく。風圧で、目が開けられない。
 薪は力を抜いて、目を閉じた。

 ――― 鈴木。これでようやく……。

 大好きな鈴木の笑顔が目蓋に浮かんだ刹那。風を切る感触以外のものが自分の身体に訪れて、薪は我に返った。
 誰かの腕に抱かれる感覚。ぎゅ、と抱き込まれる。
 鈴木? 鈴木が迎えに来てくれて――――。

 ちがう。
 これは鈴木の匂いじゃない。鈴木は香水なんかつけない。これは。

 バキッと耳をつんざくような音と共に、落下運動のエネルギーが僅かに緩和される。それを意識する間もなく、地面に叩きつけられた。
 身体が跳ね返される。強い衝撃に、呼吸が止まる。重力が逆転するような感覚に、内臓が口から飛び出してきそうだ。

 ボキボキッといやな音が聞こえて、薪は顔を歪めた。
 この音は、知っている。人間の骨が折れる音だ。
 意識がある。生きている。
 耳に残った不快な音から察するに、骨は何本か折れたらしいが、それほどの痛みはない。今は無我夢中で、痛覚も麻痺しているのだろう。
 とにかく、生きている。
 奇跡だ――――。

「うっ……」
 普通に喋れるほどの軽症でもないが、声も出せるようだ。
 額に手を当てると、手のひらが真っ赤に染まった。どこか派手に切ったらしいが、患部は不明だ。血が吹き出ているという感覚がない。
 患部を突き止めるのは後だ。なんとか身体を動かして、ここにマットを持って来るように指示をしないと。そうすれば竹内は助かる。

 浅い呼吸を何度か繰り返して、やっと薪はその異変に気付いた。
 自分がうつ伏せになっている地面。それは土でも木の枝でもなかった。

「た、竹内!?」

 何故だ?
 5階で待っているはずの竹内が、なぜ自分の下になって、しかも口から血の泡を吹いているんだ!?

 痛みも忘れて、薪は身を起こした。飛び降りるときより遥かに青い顔になって、瀕死の宿敵を見る。
「馬鹿な……なんで、こんな」
 奇跡でもなんでもない。
 竹内が自分の身をクッション代わりにして、薪を助けてくれたのだ。

 初めからこのつもりだったのか?
 それであんな、挑発的なことを言ったのか。薪に自発的な跳躍を促し、自分がフォローに入るつもりで?
 計画的な行動でなければ、この現象はありえない。薪が足を踏み切った瞬間、竹内も飛んでいなかったら、薪の落下速度に追いつけないはずだ。
 薪の額にたっぷりと付いた血液は、竹内の吐血だったことを知り、薪は真っ暗な穴の中に落ちていくような恐怖に震えた。
 
「た、竹内っ!! しっかりしろ! いま、助けがくるから!」
 そんな保証はなかった。
 助けが来るかどうか、この状態の薪に分かるはずがなかった。しかし、そう叫ばずにはいられなかった。
 竹内の意識は、すでに混濁していた。あれだけの高さから落ちたのだ。しかも薪の体重を受けて。大量の吐血は、内臓破裂の証拠だ。

「竹内! しっかりしろ! 死ぬなっ、死ぬな……!」
 声を張り上げると胸に激しい痛みが走ったが、それどころではない。
 痛みを感じるのは、生きている証拠。いま竹内は、痛みを感じることができているのだろうか。
「死ぬなっ!」

 ちくしょう。
 青木といい、竹内といい、みんなしてよってたかって。僕が鈴木に逢いに行くのを、邪魔しやがって!

 竹内の口元に、薪の涙がぼたぼたと落ちた。
 それは竹内の口から溢れ落ちる命の雫に混じって、真っ赤に染まった。



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竹内警視の受難(8)

 拍手SSなのに、絶叫コメをたくさんいただいちゃいました。(^^;
 逃亡準備は万端に整えて。
 はい、つづきです。




竹内警視の受難(8)





 竹内は、病室の窓から外を見ていた。
 窓辺には大きな銀杏の樹があって、先日の雪がまだ枝の付け根の部分に融け残っている。2月の空は暗い雲に覆われて、とても寒そうだ。こんな日は暖かい部屋の中で、気の置けない友人と鍋を囲んで一杯やりたいところだ。
 あとどのくらい、ベッドに縛り付けられていなければならないのだろう。痛み止めが効いているから痛みはさほどでもないのだが、とにかく退屈だ。これなら、いくら寒くても現場で張り込みをしていたほうが遥かにマシだ。

 ノックの音がして、竹内はドアの方を見た。
 もしかして、彼女だろうか。先週、来てくれたときは痛みが激しくて、キス以上のことはできなかったが、今日はもう少し、いい思いができるかも。

 弾んだ声で、どうぞ、と声をかける。
 しかし、入ってきたのは竹内が予期した人物ではなかった。
 濃灰色のスーツに落ち着いたブルーのネクタイを締めた、美貌のひと。左腕にコートをかけ、右手にはかれのイメージにぴったりの、華やかで愛らしい花かごを持っている。

「薪室長」

 相も変わらず気の強そうな瞳で、竹内のことを真っ直ぐに見る。仲の悪い人間と出会ったときの、硬い表情。キッと吊り上げられた眉と、不機嫌そうに結ばれた口元。
 薪の不興が顔に表われていることに、竹内は安堵と喜びを覚える。
 彼のきれいな顔になんらかの表情が宿るのは、相手に対して気を許している証拠だ。昔は、完璧な無表情だった。自分の気持ちは少しずつ、薪に伝わっていると解してもいいのだろうか。

 竹内と共に死地から生還した彼が、あばら骨を2本も折る重傷だったことを聞いて心配していたのだが、こうして見る限り元気そうでよかった。
「見舞いに来てくださったんですか? お忙しいでしょうに。ありがとうございます」
 薪は持っていた花かごをサイドテーブルに置くと、黙ってベッドの横の丸イスに腰を下ろした。
 膝の上に手を置いて、無言のまま竹内を見ている。見舞いに来たのかにらめっこをしに来たのか、よくわからない。
 薪が黙っているから、竹内も無言になる。その静寂を重いと感じないのは、薪の瞳がいつもよりずっと穏やかだからだ。

「冬は、それほどではないんです」
 長い沈黙の後、薪はぼそりと言った。一瞬、何のことだろうと思ったが、すぐに仕事のことだと気付いた。
「ああ、そうですよね。第九に回されるような猟奇事件は、夏のほうが多いでしょうね」
 薪はまた、黙り込んだ。
 穏やかだった薪の瞳に、苦渋めいたものが浮かんだ。
 竹内の身体に巻かれた包帯や、腕に刺さった点滴や、ギプスで固定された足を見て、自分のことを責めている。

 僕のせいで、こんなことに。
 僕を庇って、こんな怪我を。
 僕は、どうやってこの償いをすれば……。

 薪との会話は、とても不思議だ。
 口数は少ないのに、かれの気持ちは伝わってくる。それは言葉にしない分、生まれたままの純粋さを持って、竹内の心に浸透する。
 これまでにも、薪は何度も様子を見に来た、と竹内の母親が言っていた。竹内が眠っている頃合を見計らうかのように、こっそりと来ては寝顔を見て帰って行ったそうだ。
『自分のことを庇って、ご子息は怪我をされました。申し訳ありませんでした』
 そう言って竹内の母親に、深々と頭を下げた。それに対して、あの母親が何と答えたのか、実は竹内は聞いていない。なにか失礼なことを言ったのでなければよいのだが。竹内の母は夫を早くに亡くして、女手ひとりで竹内を育て上げたせいか、性格も口も、かなりキツイのだ。

「どうしてあんなことを」
 目を伏せたまま、薪は独り言のように呟いた。
 長い睫毛が震えている。弱気な薪の表情は、竹内の心をざわざわと騒がせる。
「あんなことって?」
「僕を庇うなんて。あなたは、僕が嫌いじゃなかったんですか」

 嫌ってなんかいません。
 俺は、ずっと前からあなたのことを。
 ええ、もう一年にもなります。ずっとずっと、あなたが好きだったんです。

「あなたが先に落ちたら枝が折れて、俺のクッションがなくなっちゃうじゃないですか。そうしたらカクジツに死にますからね。だからああしたまでです」
「まあ、そんなところでしょうね。あなたが僕のことを嫌っているのは、わかってます」
 膝の上に置いた白い手の甲に、ぼたたっ、と透明な雫が落ちる。
「お互い様ですよね。僕だって、あなたのことは大嫌いですから」
 器用なひとだ。
 ボロボロ泣きながら、平気で喋れるのか。普通だったら呼吸が乱れて、言葉が途切れそうなものだが。

 そんな薪の姿に、竹内は胸が詰まる。
 憎まれ口を叩きながらも、薪の泣き顔は、とても幼くて。眉が弱気に下げられるだけで、これほど庇護欲を掻き立てる顔つきになるとは。
 そういえば、ずっと昔、青木のジャケットに顔を伏せて泣いていた薪を見たことがあった。あのときは遠目だったし、青木の服で顔が隠れていたから気付かなかったが、こんなに可愛らしい顔をして泣くのか。

「……ごめんなさい」
 謝罪の言葉など、竹内は望んでいない。
 薪が元気で生きていてくれること。それだけで充分だ。

 下を向いた亜麻色の頭のつむじから、きれいに流れる絹糸のような髪に反射する室内灯の明かりを、まるで聖職者の後光のようだと感じながら。
 竹内は何も言わず、窓の方に顔を向けた。



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竹内警視の受難(9)

 とりあえず、ふたりとも生きてましたよ!!
 て、生きてりゃ良いってもんじゃないですね。はい、反省してます。(^^;) でも、またこういうの思いついたら、書いちゃうんだろうな。(笑)




 続きです。





竹内警視の受難(9)






 ごめんなさいって、なんだろう。

 自分の口から出た子供っぽい言葉に、薪は耳を疑った。
 自分はもう少し、まともな謝罪の言葉を考えてきていたはずだ。
「申し訳ありませんでした」「お詫びの言葉もございません」「治療費は、こちらで持たせていただきます」
 それが、竹内の痛々しい姿を見たら、頭の中が真っ白になってしまって。まるで子供みたいに泣いてしまうなんて。
 どんな状況でも、竹内に自分の弱いところを見せるなんて、冗談じゃない。今回は確かにこいつのおかげで命を助けられたが、竹内は第九の敵だ。敵に弱味を握られるわけにはいかない。自分は第九の室長なのだ。
 そう思うのに。
 薪は、涙を止めることができなかった。ごめんなさい、と繰り返すことも、止められなかった。

「あなただけじゃない。青木のやつも以前、僕のせいで」
 自分の一番の弱点を敵に教えようとしている自分に気付いて、薪は口を閉ざそうとした。しかし、乱れる呼吸が、それを許さなかった。

「俺の怪我が自分のせいだと? 自惚れないでくださいよ。俺は相手があなたじゃなくても、同じことをしましたよ。一緒にいたのが美穂ちゃんでも、美穂ちゃんの母親でも。目の前に消えそうな命があったら、助けるのが当たり前でしょう」
 竹内は、そんな言い方で薪の罪悪感を消そうとしてくれた。
 自分は警察官としての規範に従って行動しただけだ、あなたのせいじゃない。
 竹内の気遣いは分かったが、薪にはもう、こみ上げる嗚咽を止めることができなかった。

「僕はもう……見たくない。僕のせいで誰かが死ぬのも、傷つくのも」
 震える吐息と一緒にこぼれだす言葉が、この先自分を追い詰めることになる。それが理性ではわかっているのに、吐き出さずにはいられなかった。
「僕は……僕なんかのために、誰にもなにもして欲しくないんです。僕はそんな価値のある人間じゃない……」

 自分のくちびるが、弱音を吐くのを止められない。
 きらいだ。
 こんな弱い自分が、大嫌いだ。

「どうして、そんなふうに考えるんですか」
 どうしてもなにも、それが事実だから。
 生きている価値など何もない人間が、それでも生きながらえているのは……死ぬことも許されないから……。

 いや、それは詭弁だ。
 僕はあのとき、死ぬことが怖かった。地面に叩きつけられて死んでいる自分の姿を想像して、心底こわいと思った。死にたくないと思った。
 足が震えて仕方がなかった。鈴木に勇気をもらわなかったら、一歩も踏み出せなかった。
 僕は、ただの臆病者だ。
 生きてる資格もないくせに、ちっぽけな生に執着して。どこまで汚い生き物なんだ……。

「俺なんかが口を出すことじゃありませんけど」
 宿敵の惨めな姿を前に、竹内が言った。その口調に嘲笑の響きがないことを、薪は意外に思った。
「そろそろ、前を向いてもいいんじゃないですか。俺はかれとは面識がありませんが、彼もそれを望んでると思いますよ」
 竹内の言う『彼』が誰を指すのかは、明らかだった。
 おまえなんかに言われる筋合いはない、と思いかけたが、図らずしも鈴木と同じ行動を取ったこの男に――― 自分を犠牲にして薪の命を助けようとした愚か者に――― 敵意を向けることはできなかった。

 薪は黙って頷いた。
 頭を軽く振るだけで、ぽつぽつと滴り落ちる涙が情けなくて、薪はスーツの袖に自分の弱さの証を吸い込ませた。

 こんなやつの前で、みっともなく泣いたりして。またこいつの皮肉のタネを提供してしまった、と後悔したが、竹内は薪のほうを見ていなかった。なにが面白いのか、特に変わり映えしない窓からの眺めを、ずっと見ていた。

 ―― 見ない振りをしてくれているのだ。

 今回ばかりは、竹内の心遣いに気付かないわけにはいかなかった。
 そういえば竹内は、親の敵のように薪のことを悪く言うが、あの事件のことだけは、ただの一度も口にしたことがなかった。そこが薪の唯一の弱点だということを、竹内は知っていたはずだ。それなのに、そこを衝こうとはしなかった。
 岡部が育てたにしては出来の悪い後輩だと思っていたが、見誤っていたのは自分の方かもしれない、という考えがちらりと頭を掠めた。

 竹内と一緒に窓を見ると、先刻まで暗く空を埋め尽くしていた雲が微かに割れて、やわらかな冬の太陽光が、一筋の光を地表に投げかけていた。




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竹内警視の受難(10)

 ちょっと私信です。


 昨日、『ラブレター』をはじめとする作品にたくさん拍手を下さった方、ありがとうございました。(^^)
 とっても励みになります。
 以前、『官房長の娘』とか『新人騒動』に拍手を下さったのと同じ方かしら。精神崩壊してらっしゃらないかしら。(笑)

 すみません、もうひとつ私信です。

 Kさま。
 拍手欄で「(私の)光の君が報われた、良かった」と仰ってましたが。(光の君、の呼び名が出た時点で、イニシャルの意味がない(笑))

 あの~、素朴な疑問なんですけど。
 竹内が薪さんにしてもらったことって、泣いて「ごめんなさい」って言ってもらっただけですよね。
 たったそれだけのことで、報われたことになっちゃうんですか?

 竹内って、今までどんだけ不憫だったの!?
 てか、わたし、そんなに竹内のことを不幸に書いてた!?
 しづは、改めて自分のドSっぷりを思い知りましたよ。(←何を今さら)

 可哀想なので、竹内にはもうちょっとだけ、いい思いさせてあげましょうね。今回は特別編だし。(^^







竹内警視の受難(10)





「僕に、何かできることがありますか」
 平静を取り戻した薪の声に、竹内は振り返った。
 落ち着いたいつもの顔。薪は立ち直りが早い。切替えの早さは、優秀な指揮官の条件のひとつだ。
 が、そこにはやはり、拭いきれない悲哀の痕跡が残っていて。
 濡れた睫毛の麗しさが、噛み締めたために赤みを増したくちびるのあでやかさが、竹内の心をずくりと疼かせた。

「キスしてもらえますか?」
「はあ?」
「俺、キスをしてもらうと、傷の治りがよくなるんです。脳内ホルモンが分泌されて、痛みもやわらぐし」
「僕は男ですよ」
「性別は関係ないです。人間なら、誰でもいいんです」
 突拍子もない竹内の申し出に、薪は呆れ返った顔をしていたが、やがて頭を一振りした。火事の熱で焦げた毛先をカットした為に大分短くなった亜麻色の髪は、軽く振るだけで全体がさらりと動き、かれの周りに小さな光の粒をまとわせた。

「わかりました。じゃ、目をつむってください」
 言われた通り、竹内は目を閉じた。
 竹内の視界が闇に変わると、薪の気配が薄くなった。席を立って、竹内から離れたようだ。

 このまますっぽかされるのだろうな、と竹内は予想する。
 薪が自分に、そんなことをしてくれるはずがない。きっとしばらくして目を開けたら、ここには誰もいなくなっているに違いない。
 そうしたら、自分は宿敵の情けない姿を思い出して、ひとり悦に入るのだ。

 初めて見た、薪の泣き顔。
 きれいに生え揃った下睫毛の上に盛り上がった、透明で限りなく清らかな液体。瞬きによってそれは溢れ、重力の法則に従って下方へと流れた。
 やわらかそうな曲線を描く頬を、ほろほろと伝い下りていった美しい雫たち。記憶は定かではないが、自分はこの甘露の味を知っているような気がした。

 濡れた睫毛が縁取った、亜麻色の大きな瞳。そこにいつもの厳しさはなく、絶望に満ちた哀惜が見て取れた。
 余計なことだと思っても、慰めずにいられなかった。どうにかしてこの涙を止めてやりたい、と痛切に感じた。

 弱気な眉に弱気な瞳。
 乱れた呼気に、わななくくちびる。
 素直で純粋な薪の言葉。
 愛らしい声。
 それらは、薪に恋焦がれながらも諦めようとしていた竹内の気持ちを揺すぶり、覚醒させた。

 もう、自分に嘘を吐くのは止めようと思った。
 やっぱり、俺はあのひとが好きなのだ。
 出来ることなら、薪の涙を自分のくちびるで受け止めてやりたかった。抱きしめて、この胸の中で泣かせてやりたかった。

 ふと、ひとの気配がした。薪が戻ってきたらしい。
 体重がベッドの端に掛かったのか、ぎしっとベッドが軋む音。密やかな息遣いが聞こえてくる。
 胸がドキドキしてきた。本当にキスを?

 小さくてやわらかい手が、竹内の両頬を挟んだ。やさしいくちびるが、そっと竹内の頬に触れて、すぐに離れていこうとした。
 とっさに、頭を押さえつけていた。
 さらさらした髪に指を絡ませ、片手に余る後頭部をしっかりと掴んで、竹内は深く唇を重ね合わせた。
 舌で前歯を割って、濡れた口中に入り込み。過去に一度だけ味わったことのある甘美な果実を、再び捕らえる。あの時とは違う、アルコール抜きの純粋な味わい。

 薪は逆らわなかった。
 ぎこちなく、竹内の舌におずおずと応えてきた。その技巧はひどく幼く稚拙で、夏の日の彼とは別人のようだった。
 素面の時には、こんなに初々しいのか。なんてかわいい人だろう。
 かれを味わいつくして、竹内は唇を放す。薄目を開けて、激しいくちづけに恥らっているであろう、薪のかわいい顔を見ようとして―――。

「いえええええ!!???」
 あまりの衝撃に思わず叫んだ。まだつながっていない肋骨が、激しく痛む。しかし、そんなことに構っている場合ではない。
 竹内の目の前で頬を真っ赤に染めて、うっとりと瞳を潤ませていたのは、まだ10歳にも満たない少女だった。

「みっ、美穂ちゃ……!」
「あなたというひとは、子供相手にあんな」
 あからさまに侮蔑の響きを含んだ薪の声が、上から降ってくる。ベッドの横に立って腕を組み、細い顎をツンと反らせ、竹内を見下ろしている。
「いや、ちがっ」
 てっきり薪が相手だと思ったから!だから!!

「うれしい、誠さん。美穂、しあわせ」
 恥ずかしそうに竹内の胸に額をつける美穂を見て、薪の目が普段の冷ややかさを取り戻した。
「呆れ果てて、モノも言えません」
 軽蔑しきった目を向けられて、竹内は弁解を諦めた。

 やっぱり、薪との関係は今まで通りでいい。
 竹内が見たいのは、こういう薪だから。
 傲慢で居丈高で、皮肉屋で陰険で。それでいて陰では気配りの名人で、意外なくらいの熱血漢で。ときどき見せる素の顔が、理性を毟り取られるほどにかわいくて。
 強がる薪でいい。突っ張った彼でいい。
 薪が竹内に見せたがっているのは、強い自分だ。ならば竹内は、薪のことを強い人間だと認めて付き合おう。

「さて。僕はお邪魔のようですから、退散します」
 嫌味な捨て台詞とともにコートに袖を通し、ドアに向かって歩いていく。華奢な背中はしゃんとして、それはいつもの薪の姿だ。
「竹内さん」
 ドアの取っ手に手を掛けて、右にスライドさせてから、薪は思い出したように振り返った。
「怪我が治ったら、僕の家で快気祝いにすき焼きパーティやりましょう」

 引き戸が閉まるまでの、ほんの僅かな時間に垣間見せた薪の笑顔は、とても愛らしくて。
 竹内の決心は、早くも揺らぎそうになる。
 このまま、宿敵としての立ち位置を貫くか。
 それとも、正直な気持ちを伝えて、礼賛者としての立場を確保するか。
 竹内の中で、答えは出ない。

 薪と入れ違いで病室に入ってきた美穂の母親の姿に、竹内は慌てて美穂の耳元で「今のことは誰にもナイショだよ」と囁くと、良く似た顔立ちの母娘に微笑みかけた。



*****


 竹内がイイ思いしましたよ!(笑)
 てか、薪さんたら子供に何をさせてるんだか☆


 お礼のSSは、ここでおしまいです。
 次の章は、リクエストをしてくださったのに、さんざんハラハラさせてしまった可哀相なかのんさんに、お詫びの印です。ごめんね、かのんさん。(^^;



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竹内警視の受難(11)

 お礼です。

 過去作品を読んでくださってる方がいらっしゃるみたいで、連日たくさんの拍手をいただいております。 昨日は『新人騒動』からでした。 一昨日の方とは、別の方かしら。
 誠にありがとうございます。 とってもとっても、うれしいです。
 新しい方が来て下さるたびに、どの辺りでドン引きされるのかしら、といつも心配になります。(^^;) ←心配しなきゃいけないようなものを書いてるから。 自業自得。

 どうか、広いお心でお願い致しますm(_)m



 お話のつづきですが。

 この章の内容は、いただいたリクエストの主旨から外れてしまうんですけど。
 時系列的にこの時期のお話ですし、なによりもあおまき至上主義のかのんさんのリクですから(笑)、あおまきでシメたいと思います。

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
 終章です。






竹内警視の受難(11)





 病院の玄関を出て、薪は冷たい外気に身を竦めた。
 通りを隔てた駐車場まで、急ぎ足で歩く。待たせておいた部下の車に無言で乗り込んで、温かい車内の空気に肩の緊張を解いた。

「竹内さんの様子は、どうでしたか」
「うん。だいぶ良くなってた。あいつが退院したら、うちですき焼きパーティやるから。おまえも参加しろ。そうだ、雪子さんも誘おうかな」
「三好先生が来たら、お肉は2キロ必要ですね」
 国産牛は諦めて、オーストラリア牛にしようかな、とまたセコイことを考える。竹内の治療費のことを視野に入れると、しばらくは倹約しないと。もしかしたら、共済に借入を申し込むことになるかもしれない。
 実は、薪は殆ど貯金がない。
 あまり長く生きているつもりがないので、将来の蓄えなどする気がなかった。やたらと気前がいいのはそのためだ。しかし、今回のようなことがあると、今までの浪費癖を少しだけ改めようか、とも思う。

「薪さん。傷が痛むんですか?」
 無意識に、左脇下の折れたあばらに手を当てていた。先刻の嗚咽の後遺症だ。あれはかなり痛かった。
「大丈夫だ」
 竹内以上に、こいつには弱いところを見せたくない。青木は部下だし、それに……。
「あんまり無茶しないで下さいね。オレ、今回はマジで寿命縮みました」
 こいつにだけは言われたくない。
 僕のことが絡むと、すぐに暴走するくせに。

 青木は薪たちと別れた後、東側の非常階段から外に出て、美穂を消防隊員に預けると、すぐさま火の海に取って返そうとした。そこまでは予想していたが、消防隊員の制止を振り払おうとして、ずい分すったもんだしたらしい。
 挙句、消防活動の妨げになると判断されて、竹内の部下に手錠を掛けられて拘束されていたという話を聞いたときには、搬送された病院の屋上から飛び降りたくなった。
 情けないにもほどがある。どうしてこいつは僕のことになると、常識を忘れてしまうのだろう。

 それでも、薪たちがマンションの裏側に飛び降りる可能性を示唆したのはこの男だったというから、まったくの役立たずではなかったらしい。素早い救助作業のおかげで、竹内は一命を取りとめたのだ。

「自分の命を顧みない行動は、捜査官として慎むべきだと思います」
「おまえがそれを言うか」
「オレは、相手があなたじゃなきゃ、命を懸けたりしません。オレはそこまで、やさしくなれないです」
「僕はやさしくなんかない」
 そう。
 やさしさからの行為ではない。自分が楽になりたいだけだ。

 自分のせいで失われた多くの命の代償に、出来る限りのひとを救いたい。その気持ちが、薪を職務に駆り立てる。身を削ってまで捜査に没頭するのは、そうしている間だけは自分の罪を忘れられるから。だから、今回のように目の前にそのチャンスがあれば、例えどんなに危険でも、それを為さずにいられない。
 それで、自分の罪が消えるわけではないけれど。亡くなった人が、帰ってくるわけではないけれど。
 だれかの命をこの手で救うことができれば、自分の罪深さも少しは薄れるような錯覚を覚えて……そのわずかな慰めが欲しいだけだ。

「オレは、何をしたらいいんですか」
 不意にそんなことを訊かれて、薪は運転席に顔を向ける。
 こちらを向いていた部下と、目が合った。眼鏡の奥の純粋な瞳が、薪に語りかけてくる。

 あなたが何を思い、何を為そうとしているのか、オレは知っています。
 自分のことを省みないあなたの行動を、他人のオレがいくら止めても無駄だ、ということも解っています。
 でも、せめて。
 ほんの少しでもいいですから。
 あなたの痛みを、つらい気持ちを、オレに分けてもらうことはできないんですか?
 オレの前でつらいことはつらい、と仰っていただくだけでもいい。オレの前で泣いてくれたら、もっと嬉しい。
 だけど、普段のあなたは何ひとつ、表に出そうとしないから。
 平静を装い続けるあなたに、オレは何もできない。あなたが他人の手を欲していないのは、承知してますが。
 あなたのために、オレができることは何もないんですか。

「何をしたらって、おまえが今握ってるのは何だ? その状態で、車の運転以外なにができるんだ」
 熱を帯びた黒い瞳から溢れる自分への想いには気付かなかった振りをして、薪は言った。青木は口を開きかけたが、軽く息を吐いただけで何も言葉を発せず、イグニッションキーを回した。車のエンジン音が響く。

 薪はシートベルトを装着し、シートにもたれかかった。
 昼間でも陰鬱な、真冬の曇り空が見える。先刻、病室の窓から見た一条の光は、再び雲間に隠れてしまったらしい。
 先ほど宿敵がしたように、さして美しいとも思えない空に視点を固定して、薪は呟いた。

「立派な捜査官になれ」
 隣の男の頬がぴくりと動いたのを目の端に留めて、薪は言葉を続ける。
「おまえが僕にしてくれるどんなことよりも、僕はそれがうれしい」
 青木は何も言わなかった。頷きもしなかった。
 ただ、哀しそうな目で薪を見ただけだった。そして黙って車をスタートさせた。

 それは、青木が望んだ答えではなかったのかもしれない。
 だけど。
 僕がおまえに望むのは……望んでいいのは、それだけだ。
 上司として室長として。部下に望んでいいのは、ただそれだけ。そのことを肝に銘じなければ。

 それを忘れたとき、僕たちの関係は崩壊するだろう。
 この名前のつけられない、微妙で居心地のいい関係には、二度と戻れなくなる。
 僕はそれが―― こわい。
 この関係を壊すのが、ひどく怖いんだ。おまえにはわからないだろうけど。

 青木。
 僕はおまえに、何も望まない。
 そのままでいて欲しい。
 僕との関係も、今のおまえの僕に対する気持ちも、ずっとそのままで。
 もちろん、それを望むのは無茶苦茶なことだと解っている。だから、僕は何も言えない。願いを口にすることはできない。

 僕はずるい。
 自分からは何もしようとせず、この関係を保とうとしている。おまえから見れば、そんなふうに見えるのだろうな。

 でも、青木。
 おまえは知っているか?
 僕がどれだけおまえと過ごす時間を、大切に思っているか。
 週に何時間か、おまえの友人として共に過ごせるひとときこそが、今の僕を生かしてるって、気付いているのか?
 ひとりになってからも、おまえの一挙一動を思い出してはニヤニヤしてる愚かな僕を、見たことがあるか?

 おまえとの時間は、僕にとって至福のときだ。
 ふたりで出かける前の晩は、新しい推理小説を読むときよりワクワクして、おまえに会ったときは、レーシングカーに無理矢理乗せられたときよりもドキドキする。
 あっという間に時間が流れて、もっともっと一緒にいたい、と何回言いかけては飲みこんだことか。

 その楽しい時間の後には、例の悪夢が必ず襲ってくると分かっていても。
 たとえ、鈴木に何回殺されても。
 おまえと会うのを止めようとは、爪の先ほども考えない。

 ただ。
 僕はそんなふうに、おまえのことを大事に思っているけれど、やっぱりおまえが僕に望んでいることとは微妙に違っていて。
 僕は正直、おまえと抱き合ったりキスしたい、とは思わない。ましてやそれ以上のことなんて。
 僕はゲイじゃないから、その欲求には応えられない。僕にだって経験がないわけじゃないから、応えられないことはないかもしれないけれど……進んではいけない関係だと思う。
 鈴木と関係していた頃みたいに、無鉄砲にはなれない。
 僕もいい大人だし、物事の分別はつけなければ。さもないと、色々なひとを悲しませることになるし、これ以上、自分の罪が増えるのもごめんだ―――――。

 つらつらと考え事をしながら、薪は自分の目がいつの間にか、運転席の男の横顔に釘付けになっていたことに驚いた。トクトクと響く心臓のリズムが速くなっていることに焦って、慌てて助手席の窓のほうに顔を向ける。さりげなく頬に手をやると、最悪なことに火照っている。

 ちょっと気を許すとこれだ。まったく、救いようがない……。

 風が出てきたのか、暗雲は再び動いて、太陽の光があちこちから地上に注ぎ始めている。
「あ、晴れてきましたね。良かったですね、薪さん。寒いの苦手でしょ?」
「……べつに」
 薪の素っ気無い返事に眦を下げて、青木は丁寧にブレーキを踏んだ。
 赤信号だ。停止線で静止し、横断歩道を渡る人々をなんとなく眺めている。
 地表に届く幾筋もの光が、黒いアスファルトをまだらに彩っている。

 その白さと暖かさは、薪のこころを満たす至福のときのように。
 交差点付近のガラスミックスアスファルトに反射して、まるで宝石のようにキラキラと輝いていた。



 ―了―




(2009.8)


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竹内警視の受難~あとがき~

 このたびはうちのオリキャラ、竹内警視の受難話にお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました。

 いただいたリクエストは、『不憫な竹内警視』ということでしたが、書いてみたら『悲惨な竹内警視』になってしまいました。合掌。(←普段から容赦がないけど、オリキャラになるとさらに鬼)
 竹内の何が不憫って、命を懸けてまで薪さんを助けたのに、薪さんは青木くんに夢中、と! ここが一番、不憫。(笑)


 竹内という男は、あれでけっこうな正義漢でして。
 以前はそうでもなかったのですが、薪さんに恋をしてからは、職務に対しても昔の情熱を取り戻しています。なので、作中で竹内が薪さんに言っていた「一緒にいたのが美穂ちゃんでも、美穂ちゃんの母親でも、俺は同じことをしました」というのは本音です。
 相手が薪さんだから、命を懸けたわけじゃないんです。自分より弱いものがいればそれを守り、助ける。それが警察官だ、と岡部さんに仕込まれてますから。
 せっかく竹内の純愛に感動していただいてたのに、水を差すようなことを申し上げてすみません。(^^;

 今回のことで薪さんにもそれが伝わって、「竹内は警察官としてはなかなかの男」という気持ちが彼の中に生まれます。(自分を好きだから助けてくれた、という発想は皆無です。うちの薪さんですから) ですから、これから先、捜査活動に関してはいいコンビになっていきます。
 でも、プライベートでは相変わらずです。 想いが通じないから面白いんですよ。(^^)(←果てしなく鬼)


 さて。
 次のお話は、3000拍手のお礼SSです。
 これがまた、えらく長くなってしまいまして。
 この『竹内警視の受難』も29ページあったんですが、次の『ナルシストの掟』は39ページあります。どこがSS(ショートショート)なんだか。
 お礼なのに、読んでいただく方に負担をかけてどうする!と自責の念にかられております。
 でも、内容的にR系ギャグにまとまった感があるので、それほど読みづらくは、あ、やっぱりタルイかも。 すみません。


 次のお話も、欠伸をかみ殺しながら、お付き合いいただけたら幸いです。


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ラストカット 前編(1)

 第2部、最後のお話です。
 事件も起きない割に、ひたすら長いです。


 このお話の時期は、2061年の10月。
『岡部警部の憂鬱Ⅱ』の後に入るお話です。
 なので、薪さんの気持ちがバックしてます。この時点では、まだふたりは恋人同士ではありません。
 この後に、『鋼のこころ』の後半が入り、『ラストクリスマス』が入り、『竹内警視の受難』が入るわけです。その後、ラストカットの後編に続きます。
 前編と後編の間が半年くらい空いているので、そういう流れになります。
 ご了承ください。






ラストカット 前編(1)




 真白い風花が白銀色の空から落ちてきたのは、ホテルの遅い朝食を摂り終えたころだった。
 今年初めて見る雪は、日本という国の湿度の高さを証明するかのような大きな牡丹雪で、ふわりふわりと花びらのように、至極ゆっくりと落ちてきた。

 食後のコーヒーを飲みながら、青木は珍しい風景を楽しんでいる。

 季節のうちでは春が一番好きな青木だが、冬は冬にしかない美しさがある。雪や霜や氷の世界などは、この時期でなければ見ることができない。いま目前に広がる雪景色は、ことのほか美しく見える。
 それは向かいの席でコーヒーを飲んでいる、きれいな横顔のおかげだ。

 亜麻色の大きな瞳に、舞い落ちる雪のかけらを取り込んで、うっとりと微笑む美貌のひと。
 人間を相手にするときは皮肉な形に歪められることが多いつややかなくちびるは、自然の美しさに対しては素直な賞賛の笑みを浮かべる。今まで彼の賞賛を受ける僥倖に浴したのものは、咲き乱れる夜桜であったり、すべてを金色に染め替える夕陽であったりしたが、今日はこの雪景色にその幸運が訪れたようだ。

 舞い落ちてくる雪にも負けない白い肌が清雅に映えるそのひとは、名を薪という。
 青木が勤める研究室の室長で、直属の上司に当たる。下の名前は剛。顔も身体も小作りで華奢で儚くて、名前負けの見本のような外見をしているが、一皮むけば泣く子も黙る鬼の室長と職員たちから恐れられている。
 国家公務員Ⅰ種試験を優秀な成績で合格したキャリアで、階級は警視正。まったく見かけからは想像もつかない。外見と中身のギャップが激しいのが薪の特徴である。
 その落差は警視正という肩書きや、他に追随を許さない優秀な推理能力といった仕事関係のことだけにおさまらない。性格や習慣や食べ物の好みまで、とにかく自分の華人たる外見を裏切ることに全てをかけているかのような薪の言動は、青木を思わず微笑ませる。

 今だってそうだ。
 空を見上げて、亜麻色の頭をあちこちに動かしている。手元がお留守になっているから、コーヒーカップが傾いて中身がこぼれそうだ。
 しかしここで「雪が珍しいんですか?」とか「コーヒーがこぼれそうですよ」などと、相手の子供っぽい仕草を揶揄するようなことを言ったら、大変なことになる。表に降っている静かな牡丹雪など比較にならない、雪嵐(ブリザード)が青木を襲うことになる。
 薪の機嫌は、秋の空のようにころころ変わる。天候を崩さない為には、細心の注意が必要なのだ。

 こういう場合の薪の取り扱いは、下記の通りだ。
「わあ。降ってきましたね。雪っていいですよね。なんかワクワクしちゃいますよね」
 青木がわざと弾んだ声を出すと、薪はバカにしたような顔で大人の意見を吐く。
「雪ぐらいでなんだ。子供か、おまえは」
 ことさら冷たい口調で青木を嗜めるが、薪の目は外の風景に釘付けだ。尻のすわりも悪く、椅子の上でもぞもぞしている。外に出たいのだ。

「滅多と見られないじゃないですか。こういうのは楽しまないと損ですよ。これ、飲み終わったら外に行きましょうよ」
「この雪の中をか? バカじゃないのか」
「オレ、九州の生まれだから、あまり雪を見たことがないんです」
 嘘である。
 たしかに青木は九州の生まれだが、福岡は北九州なので雪は珍しくない。都市化が進んだ東京よりも多いくらいだ。しかし、尤もらしい理由をつけると、薪は納得しやすくなる。だからこれは嘘も方便というやつで、きっと神様も許してくれる。
「お願いです。付き合ってください」
「ったく、お子様はこれだから。しょうがないな」
 面倒くさいな、寒いのは苦手なんだよな、と言いつつ、薪はすでにマフラーと手袋を身につけている。行く気マンマンである。

 さも雪に興味がある振りをして、薪よりも自分のほうが精神的に子供であることをさりげなくアピールする。そうすると薪は自分が青木よりも大人だという優越感を味わいつつ、年下の我儘に仕方なく付き合うというポーズをとることができる。
 とにかく、薪が優位に立てるように場の雰囲気を持っていくことが、このひとの機嫌を損ねないコツなのだ。まったくもって疲れる上司である。

「行くならさっさとしろ。僕は読みたい本があるんだ」
「はい」
 雪の中を薪について歩き出す。
 厚いコートのフードを被って弾むように歩く薪の姿は、まるで少年のようだ。本当にかわいらしい。
 仕事中のあの冷徹な室長と、同一人物とは思えない。この二面性がまた、青木にとってはたまらない魅力なのだが。

 そしてもちろん、この怜悧な頭脳も薪の大きな魅力である。
「青木。気がついてるか?」
「はい。着いてきてますね」
 ふたりがホテルの庭に出ると、ひとりの男が後ろから同じ方向に歩いてくる。青木たちと同じように雪に誘われて出てきたような素振りをしているが、視線は雪ではなくこちらに向けられたままだ。
「やっぱりマークされてるみたいだな。情報が洩れたかな」
「だから夫婦ってことで、カモフラージュしときゃよかったんですよ」
「絶対にいやだ。もう女装はこりごりだ」
 女装などしなくても、ユニセックスな服を着て女言葉さえ使えば完璧なのに、と喉まで出かかった言葉をぐっと堪える。不用意にそんなことを言おうものなら―――― 想像するも恐ろしい。

「でも、薪さんとオレとじゃ全然似てないし。兄弟はムリですよ」
「そんなことないだろ。年の離れた兄弟ってことで。もちろん、僕のほうが兄貴だぞ」
「そこがいちばん不自然なんですよね」
「なんか言ったか?」
「いえ」

 当たり前のことだが、ここへは仕事で来ている。
 長野で起こった殺人事件のMRI捜査のために遺体を引き取りに来たのだが、遺族のたっての望みで、ふたりが第九の職員であることを隠している。遺体から脳を抜き取るなど、死者を冒涜する行為だと周囲の人々から責められる、というのがその理由である。
 世間ではまだまだMRI捜査に対する偏見が多い。田舎に行くほどその傾向は顕著に現れるようだ。この地方にはまだ遺体を土葬する習慣が残っていて、亡骸を焼いてお骨にすることは死者の怒りに触れる行為だと信じられている。そんな風習の残る地方でMRI捜査に協力してくれた老夫婦の理解の陰には、薪の熱心な説得があった。

 昨日の午後。
 薪は部下の今井と共に車で老夫婦の家を訪問し、当然のように門前払いを食らわされた。
 その時点で今井を帰らせ、薪は単身で説得に当たることにした。矢面に立つのは室長である自分の仕事だし、第九は万年人手不足だ。
『後は僕に任せろ。手筈が整ったら、青木をヘリでここに寄越せ。一刻を争うことになるかもしれない』

 土葬の風習が残る地方だから遺体が焼かれてしまうことはないが、MRI捜査にかけるには死亡から4日以内に脳を取り出すか、冷凍保存をかけておく必要がある。被害者は死亡から既に2日が経過している。あと2日以内に病院で処置をしなければ、情報を得ることはできなくなる。
 説得が成功したとしても、この村落には脳を抜き取る手術ができる病院がない。遺体ごと東京までヘリで運んで手術を施し、脳データを取得後遺体を返却する。そのための書類を整えるよう今井に指示をして、薪は長野に残った。
 青木は航空機免許を持っている。民間の運転手を雇うより経費はかからなくて済むし、遺体の搬送も手伝わせることができる。この局面には便利な部下だ。

 薪の熱意のこもった説得に老夫婦は折れ、MRI捜査への協力を承諾してくれた。ただし、周囲の人々に第九に脳を提供したことが分からないように、というのがその条件だった。
 薪は自分たちの身分を隠すことを約束し、ヘリも周囲の住民に気付かれないよう、この村落から30キロほど離れた市立病院に着陸させることにした。
 青木が薪の泊まっているホテルに到着したのは、今から1時間ほど前のことである。
 朝一番で警視庁機動隊のヘリを借り受け、安曇市立病院の中庭に降り立った。遺体の運搬のため病院のバンを借りて、2人分の白衣も用意してきている。遺体を運び出す際に、病院関係者を装うためだ。

 いま、ふたりの後をついてきているのはホテルの従業員だ。
 この時期、この地方は大勢訪れるスキー客と観光客とでなかなかの賑わいを見せる。その客数に対応するため、ホテルは臨時雇いの従業員を多数募集する。その臨時職員の中には、老夫婦の住む村落出身者もいる。薪が老夫婦の家に行ったことは、すでに村中に知れ渡っている。田舎の噂話の伝播速度は、テレビのニュース速報並みだ。

 都会に出て行った娘が殺されるという悲劇に見舞われた老夫婦の元に、テレビでも見たことのないような美しい青年が訪ねてきた。いったい、どういう関係なのだろう。娘の会社の同僚か、それとも恋人だろうか。
 田舎の楽しみは噂話。薪はここに来てからずっとだれかに見られている。
 別に悪意を持たれている訳ではなく、単なる好奇心なのだが、それでも自分たちの身分を明らかにするわけにはいかない。雪見にかこつけてホテルを出てきたのはそのためだ。

 後ろの男はまだ着いて来る。ここはもう一芝居必要らしい。青木はわざと声を張り上げて、薪の背中に話しかけた。
「ホテルの人に聞いたんですけど、ここから5キロくらいの奥平ってところに、猿が来る温泉があるみたいですよ」
「本当か? それは是非、行ってみないとな」
「そういうと思って。車のキーを持ってきました」
「よし、でかした! さあ、行くぞ!」
 温泉にはしゃぐ振りをして、薪が雪の中を走り始める。青木が慌ててその後を追う。
「そんなに走らなくても温泉は逃げませんよ」
「温泉は逃げなくても、猿は逃げるかもしれないだろ」
 なんだかおかしな理屈だが、もちろん尾行者を撒くためだ。
 ホテルから駐車場までは約3キロの距離がある。フロントに言えばホテルの車で送ってくれるのだが、この外出はお忍びである。徒歩で行くしかないのだ。

 薪は陸上選手のように走っている。そのスピードに青木はついていけない。後方の男は尾行を諦めたようだ。
 すっかり息のあがってしまった青木を、一足先に駐車場に着いた薪が待っている。手に腰を当てて、余裕綽々といった表情だ。相変わらずの持久力である。
「す、すいません。遅くなって」
「ふん。3キロは走れるようになったみたいだな」
 以前、薪と一緒にジョギングをしたとき、青木は2キロも走らずにへばってしまった。その時に体を鍛えるよう薪に言われて、青木も少しずつではあるがトレーニングを始めていた。薪や岡部のようにハイペースというわけにはいかないが、なんとか10キロを完走できるようになった。薪には内緒だが、岡部について柔道も習っている。どういう理由からか、岡部は青木を心身ともに鍛えたがっているようだ。

 車に乗り込み、目的の家を地図で確認する。この辺りはナビも役に立たない。とにかく田舎なのだ。携帯も圏外だし、インターネットも使えない。原始的だが、ここでは地図に頼るしかない。
 その村落までは、20キロほどの道のりだ。薪は一度説得のために目的の家を訪れているが、運転していたのは今井である。ろくに目印もない田舎道で道順を覚えているとは思えない。だから半分ほど進んだところで、薪がルートに異議を唱えてきたとき、青木はとても驚いた。

「おまえ、道が違うんじゃないのか」
「え? 薪さん、道わかるんですか?」
「これは安曇村に向かう道だろ」
 覚えているらしい。薪の記憶力は、相変わらず人間離れしている。
「第一、とっくに5キロは過ぎてるぞ」
「は? 5キロってなんですか?」
「なんですかって、猿の温泉に行くんじゃなかったのか?」
 ……本気にしてたんですか?

 薪は青木の膝の上から地図を取り、ナビゲート役を買って出た。
 「次の分かれ道を左に曲がれば奥平に行けるぞ。ほら、あのお地蔵様の先だ」
 田舎道でよく見かける石地蔵を指差して、薪は明らかにうきうきしている。
 ……しまった。
 風呂好きの薪に温泉という言葉は、サルにバナナをチラつかせるようなものだ。
 そのバナナが皮だけで中身がなかったら、騙されたと知った猿は、間違いなく青木に襲い掛かってくるだろう。

 いかにして薪を怒らせずにこの場を切り抜けるか―――― 第九の捜査官になって2年。青木はいま、最大の難問に頭を悩ませていた。



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ラストカット 前編(2)

 すみません、懺悔します。

 原作の薪さん、ごめんなさい。
 雪子さんへのあの言葉は、彼女を褒めてたんですね。嫌味じゃなかったのか。
 いや、だってあんなん、監察医じゃなくたって気付くようなでっかい刺し傷で、針の痕とかならともかく、わざわざ「あなたが『みて』なかったら」というのは皮肉にしか聞こえなかったのよ~。
 雪子さんが頬染めて眉毛吊り上げて怒るのも無理ないわ、と、その後、平静に仕事してるのを見て、雪子さん大人だわ、と感心し、青木は何にもわかってねえよ、こいつ、と。

 で、みなさんのレビューを読んで、ようやく自分の大カンチガイに気付いて、青冷めました。
 さすがカンチガイ男爵の生みの親、ってちがう!

 あああ!
 宇宙のように果てしなく、読解力皆無でごめんなさいいいい!!!
 原作の薪さんにとんでもない誤解を!!(いや、だって珍しいことするから(^^;))

 考えてみたら、あのエレベータの後で、あの飲み会の後で、そんな嫌味を言うわけないじゃん!!
 こんなに読むチカラなくて、こんなにバカで、わたし二次創作者やってていいのか!?
 ヤバイ、ヤバイよー。

 みなさまのレビューなしには、マトモに原作を読むこともできない自分のアホさ加減を思い知り、笑うしかありませんでした。
 ということで、わたしはレビューは死んでも書きません。(^^;)



 お話のつづきです。
 この程度の頭の人間が書いてますからね、話の辻褄なんかもう言わずもがなと言うことで。すみませんです。





ラストカット 前編(2)




「ご協力感謝します。ご遺体にはなるべく傷を残さぬよう、細心の注意を払います」
 白衣を纏った亜麻色の髪の青年は、畳の上に正座して深々と頭を下げた。隣の背の高い若者も、同様に謝意を表す。誠実な態度は老夫婦の気持ちを和らげた。

 この青年は昨日、穏やかな外見とはかけ離れた熱心さで老夫婦に捜査協力をしてきた。
 警視正の肩書きを持ちながら居丈高な振る舞いは一切なく、心から娘の不幸を悼み、その無念を晴らすため、またこれ以上の悲劇を生まないため、と真摯な瞳で訴えかけてきた。
 最初は聞く耳を持たなかった彼らも、その情熱に心を動かされた。夫婦の哀しみを慮ってか彼の口調は静かだったが、強い正義にきらめく亜麻色の瞳は、夫婦の信頼を得るに充分だった。彼らはこの青年に好感を抱くまでになっていた。

 この青年なら、娘を大切に扱ってくれるだろう。そして必ずや犯人を見つけ出し、娘の無念を晴らしてくれるに違いない。そう信じて彼らは、MRI捜査承諾書に判を押したのだ。

「あいにくの天気だで。気を付けて行きんさいよ」
 棺をバンの荷台に運び込み、出発しようとする二人の若者に、娘を亡くした父親は心配そうに言った。
 雪は先刻より激しさを増してきている。天候が回復するまでここで待つことを勧めたのだが、彼らは恐縮しながらもその申し出を断った。早く処置をしないと捜査ができなくなる、というのがその理由だった。

「ありがとうございます」
 亜麻色の髪の青年が、にっこりと笑って礼を言う。まるで女優のようだ。これが男だとはまだ信じられない。世の中には不思議なひともいるものだ。

「これ、顔に塗っときんさい」
 玄関先で、妻が背の高いほうの男に傷薬を手渡している。この男は何故か顔中引っかき傷だらけで、傍目にも痛々しく見えた。世話好きの妻はそれを放っておけなかったのだろう。

「痛そうやねえ。どげんなさったと?」
「ここへくる途中、サルに引っ掛かれたんです」
「そりゃあ災難だったねえ。野生のサルはけっこう怖いけん。肝が冷えたやろ」
「ええ。もの凄く怖かったです」
 これでこの男の生傷の原因が分かった。しかし、それを聞いた青年が、長身の男を睨んでいるのは何故だろう?

 ふたりはもう一度丁寧に礼を言ってから、車に乗り込んだ。黒髪の男が運転席に座り、地図を広げて行き先を確認後、車をスタートさせる。家の窓からその様子を見ていた夫婦は、ふと風が出てきたことに気付いた。
 北からの湿気を含んだ冷たい風。雪もどんどん激しくなってきている。
「大丈夫やろか」
 不安げに眉根を寄せて、老夫婦はふたりの車が見えなくなるまで窓辺に立っていた。



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ラストカット 前編(3)

 11/4 に鍵でコッソリと歌って(自白して)くださったSさま。
 ああ、お仲間がいて良かった!
 しかし、お互い物事をナナメに見るのは反省しないとマズイですかね。(^^;




ラストカット 前編(3)





 激しく降りしきる雪の中、車のワイパーを全開にしてゆっくりとアクセルを踏みながら、青木は注意深くハンドルを右に切った。
 市立病院までは車で約1時間の道のりだが、この天候ではもう少しかかるかもしれない。遺族の家の電話を借りて、病院と第九には連絡を入れておいたのだが、到着は予定より20分程遅れそうな按配だ。

 慣れない雪道の運転で緊張している青木に、薪は何事か喚きたてている。さっきの母親との会話のことだ。
「だれがサルだ!」
「じゃあ、どういえばよかったんですか」
「本当のことを言えばよかっただろ。嘘をついた天罰が下ったって」
「えらく人為的な天罰もあったもんですね」
「ああん?」
 馬に人参、薪に温泉。
 鼻先にぶら下げられた大好物が贋物と分かって、薪はいたくご立腹だ。
 まったく、子供みたいなひとだ。この調子ではもしかすると、雪を見て外に出たがっていたのも演技ではなかったのかもしれない。

「大うそつきめ。僕の純真をもてあそびやがって」
「やめてくださいよ。ひとに聞かれたらなんだと思われるじゃないですか」
 たしかに薪の言葉は他人に聞かれている。死体だが。

 他人の死体を車に積んで走るなど、青木には初めての経験だ。遺体搬送用のバン車には後部座席はなく、棺を載せるための空間がある。だから青木が座っている席のすぐ後ろには棺桶があり、その中には女の死体がある。

 それを思うとゾッとする。

 薪が一緒でなかったら、きっと滅入ってしまっていた。いや、いつものように薪が黙りこくったままだったら、やはり怖気づいてしまっていたかもしれない。
 薪がこんな風に会話を仕掛けてくることは珍しい。プライベートのときはともかく、今は仕事中だ。ムダ口を叩かないのが薪の仕事のスタイルだったはずだ。

「大丈夫だ。聞いてるのは道端の地蔵と、助手席のサルだけだ」
「……サルが気に入らなかったんですね」
 たしかに薪のイメージは猿ではない。サル並みに身は軽いが。
「じゃ、アメリカンショートヘアあたりで」
「雪の中に猫がいるか、バカ。僕のイメージだったら、熊とか狼とかだろ」
 それならサルのほうがまだましである。
「あそこでそんなこと言ったら、村民総出で山狩りが始まっちゃいますよ」
「あはは。狼少年も真っ青だな」
 薪が楽しそうに笑う。
 さっきまでぷりぷり怒っていたのに、薪の感情は変化が激しい。

 そして、雪山の天気の変化はもっと激しい。
 空からふわりと落ちてきていた雪は、いつの間にか横殴りの吹雪に変わってきている。ワイパーはほとんど役に立たない。真っ白な世界に塗り込められていくようだ。

「ちょっと、やばくないか」
「かなりやばいです。チェーンが利かなくなってきました」
 うまくハンドルを操作しないと、スリップしてしまう。雪がどんどん視界を埋めて、どこに道があるのかも判らなくなってきた。

「ちゃんと道の上を走ってるんだろうな。気が付いたら崖だったとか言うなよ」
「もう、道なんか分かんないです。けど、ゆっくりでも進んだほうがいいです」
 止まったらお終いだ。タイヤがスリップして、二度とそこから動けなくなってしまう。
 青木はそれを経験から知っていた。大学時代にスキーに来たとき、同じ目にあったのだ。そうなってしまったら雪山専用のトラックで牽引してもらうしか脱出する術は無い。あの時はゲレンデの近くだったし、携帯も通じたからすぐに助けが来たが、今回のこの状況は。

「進めるうちはいいんですけど、雪に埋もれちゃうと――ああ、やっぱりダメですね」
 積雪量が限界を超え、とうとう車は止まってしまった。青木が危惧した通り、何度アクセルを踏んでも前に進まない。
「ダメです。ここで助けを待つしかないです」
 到着時刻が大幅に遅れれば、病院の方で気付いてくれるだろう。この雪に立ち往生していることを察知して、救援を寄越してくれるはずだ。しかし、それはいつのことか解らない。

 青木は不安に押しつぶされそうになる。下手をしたら本当に死ぬかもしれない。
 車が完全に埋まってしまったら、見つけることもできない。今は昼間で視界もきくが、救助が夜になってしまったら。
 こんなときこそしっかりしなくては。自分がこんなに怖いのだから、薪も怯えているに違いない。安心させてやらなくては。

「大丈夫ですよ、薪さん。オレがついてますから。オレがあなたを守りますから」
 薪を勇気付けようと、何の根拠もないことを口にした青木だったが、薪はちっとも不安そうではない。それどころか青木の真剣な表情を見て、にやにやと笑っている。

「心配するな。救難信号は出してある」
 薪はジャケットの襟裏に貼り付けた小さな円盤状の金属を示し、落ち着いた声で言った。
「これだ。初めて役に立ったな」
 第九の室長である薪は、普段から様々な嫌がらせや脅しを受けている。それを心配した上層部が薪の安全のためにと発信機をつけることを義務付けてきた。この発信機には危険信号を送信する機能もついており、信号は第九に届くようになっている。

「信号が届けば岡部がすぐに気付く。県警を通して消防隊に連絡が行くはずだ」
「もしかして、これ、想定内なんですか?」
「雪山の天気は変わりやすいからな。万が一に備えて、用意はしておいた」
 さすが薪だ。
 青木の出る幕などない。これが室長の実力である。
 起こり得るすべての事象に対して予防線を張り、どんな突発事故にも対応出来るよう準備を怠らない。それが管理者の仕事で当たり前のことだと薪は言うが、実行できる者はそう多くはない。

「で? おまえは僕を何から守ってくれるんだ?」
「すみません……忘れてください……」
 青木は思わずハンドルに顔を伏せた。恥ずかしくて薪の顔が見られない。
「頼もしい部下を持って、僕は幸せ者だな。僕の身に何が起こっても、おまえがついていれば大丈夫なわけだ」
 薪の意地悪が始まった。
 もの凄く楽しそうだ。こういう皮肉を言うときが、薪はいちばん生き生きしている。

「そうですよね。薪さんのほうがオレより強いし頭もいいし年も上だし。オレが薪さんを守るなんて、おこがましいですよね」
 ハンドルに額をつけたまま、呟き始める。青木は落ち込むとぶつぶつ言うクセがある。
 その様子は薪の意地悪心を大いに満足させるらしい。青木のこのクセがでると、薪はとても楽しそうな表情になるからだ。
 しかし、今日の薪は様子が違った。
「そんなことはない」
 真面目な顔で青木の落ち込みにストップをかけると、薪はシートベルトを外して運転席の方に身を乗り出してきた。
「僕を寒さから守ってくれ」

 小さな手が車のキーを回し、エンジンを切る。運転席のレバーを引かれ、背もたれが倒される。不意打ちを食らって、青木は後方へ倒れこんだ。
 薪が上からのしかかってくる。青木のシートベルトを外して、ぴったりと体を密着させてくる。亜麻色の髪から細いからだから、薪の匂いがする。
 甘やかで清冽な百合の香り。それは青木を虜にする媚薬だ。
「薪さん? 暖房を」
「脳が腐る」
「あ」
 遺体の脳は、今日中に処理をしなければ使い物にならなくなる。温度が高いと傷みも早い。病院へ運ぶ間くらいなら保冷剤があるから大丈夫だが、もう予定の時間はとっくに過ぎている。これ以上暖かいところに置いておくと、脳が腐敗してしまう危険がある。
 何か理由がなければ薪のほうから接近してくれることなどないと思っていたが、やっぱりこんなことだ。

 暖房が止まった車内はたちまち冷えてくる。互いの体温で温め合わないと、本当に凍死してしまう。薪の体をぎゅっと抱きしめて、上から二人分のコートを被せる。それでもかなり寒い。薪は微かに震えている。吐く息も白くなってきた。
 こんな寒いところで周りに人影もなくて、しかもすぐ後ろには死体がある。気分的にも寒い状況である。
 しかし、青木の心は暖かかった。

「薪さん。さっきはありがとうございました」
「なにが」
「薪さんは、わざと賑やかに話をしてくれてたんですよね」
 薪の心遣いに、青木は気がついていた。
 もともと死体や血には弱い青木が、遺体の搬送をする。その恐怖とプレッシャーを和らげてやろうと、薪はわざと軽口を叩いていたのだ。
 薪は被害者の遺体を前に、あんな会話をするような人間ではない。ひとの死に対してはだれよりも敏感で、それを悲しみ、心の底から哀悼する。だからこそ遺族も薪のことを信用して、大切なひとの亡骸を預けてくれるのだ。

「嬉しかったです。でも、オレは大丈夫ですから」
 青木の言葉を、薪は肯定も否定もしなかった。ただ長い睫毛を伏せて、少しだけくちびるを尖らせる。薪がこういう顔をする時は図星ということだ。
「オレ、いつまでも新人じゃないですから。まだ頼りないかもしれませんけど、きっとあなたを守れるような男になりますから」
「守ってもらわなくて結構だ。自分の身は自分で守れる。僕は強いんだ」
「ええ、薪さんは強いです。でも、オレはきっとあなたより強くなります。強くなってあなたを守ります」
 コートにうずもれるようにして俯いている薪の頬に手を当てて、上向かせる。片手にすっぽりと収まってしまうその大きさが、愛おしさを掻き立てる。

「そうなったら、防弾チョッキを脱いでもらえますか?」

 亜麻色の瞳が大きく瞠られる。きょとんとした幼い顔。青木のセリフが、薪の不意をついた証拠である。
「寝言は寝て言え。僕より弱いやつがなに言ってんだ」
 首を左右に振って青木の手をさっと払い、薪はコートの中に潜り込んだ。寒そうに肩を竦めて目を閉じる。青木は慌てて薪を揺さぶった。
「寝ちゃったらやばいですよ。間違いなく死体が3つになります」
 車内の気温はどんどん下がって、多分いまは零度近い。
 救助はなかなか来ない。この吹雪だ。消防隊のほうでも動けないのかもしれない。連絡を取る術がないから、あとどれくらいこの寒さに耐えたらいいものか、見当もつかない。
「寝なくてもやばそうだな」
 薪にも、この猛吹雪は計算外だった。
 天気図も見てきたし、天候のシミュレーションもしてみたが、ここまで荒れるとは予想がつかなかった。薪の頭脳はたしかにずば抜けているが、所詮は人間という枠組みの中のことで、それを簡単に上回るのが自然の脅威というやつだ。

「青木。眠気覚ましに少し運動しようか」
「はい?」
「僕と楽しいことしよう」
 青木の心臓がどきんと跳ね上がった。狭い車中でぴったりと体を寄せ合って、そんなことを言われたらそういう意味かと思ってしまう。

 しかし、薪の顔を見た途端、青木の心臓は急速に冷えた。
 きれいな顔がにっこりと微笑んでいる。薪がこの顔をするときは、恐ろしいことの前触れなのだ。

「楽しいことってなんですか?」
「雪あそび」
 薪はさっと青木の腕の中から抜け出すと、助手席のドアから外に飛び出した。




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ラストカット 前編(4)

ラストカット 前編(4)






 一歩外へ出ると、そこは寒風地獄だった。

 雪がまるで雹のように顔を叩く。めちゃめちゃ痛い。一瞬で手足の感覚を奪われる。
 しかし、もう時間がない。こうでもしないと、この脳は使えなくなってしまう。
 
「青木、こっちへ来い!」
 吹雪の音がうるさくて、叫ばないと声が聞こえない。薪は車の後ろに回って片開きのドアを開け、棺の蓋を取った。
「いったい、何をする気なんです?」
「遺体を雪に埋める。凍らせないと脳が腐ってしまう」
「バカなことはよしてください! 薪さんのほうが先に凍っちゃいますよ!」
「もう時間的に限界なんだ! おまえも手伝え!」
「捜査より薪さんの身体のほうが大事です! 車に戻ってください!」
「僕の命令が聞けないのか! 指示に従え、青木警部!!」
 躊躇している時間はない。
 女性でも、人間は死ぬとかなり重くなる。所轄の経験もなく死体に不慣れな青木には気の毒だが、この遺体を薪ひとりで動かすのは不可能だ。

「足のほうを持ってくれ。動かすぞ」
 雪に足を取られて踏ん張りが利かない。背の低い薪は、遺体を棺から引っ張り上げるのも大変である。
「オレがそっちを持ちます」
「大丈夫か?」
「言ったでしょ。オレ、いつまでも新人じゃありません」
 青木は薪の手から遺体の上半身を譲り受けると、軽々と彼女を棺から運び出した。
 平然とした顔で遺体を雪の中に降ろすと、その上に積もった雪を被せていく。MRIの画に怯えて青くなっていた、以前の青木とは別人のようだ。

 たしかに、青木は逞しくなった。精神的にも肉体的にも。
 近頃、青木はからだが締まってきたような気がする。さっき触ってみて分かったのだが、筋肉がしっかりとついている。前々から太っているわけではなかったが、あんなに硬い体ではなかったように思う。
 柔道の試合になれば、まだ負けるとは思えないが、寝技に持ち込まれたらまずいかもしれない。あの筋肉を撥ね返せるだけの力は、薪にはない。

「早く車の中へ。本当に凍っちゃいますよ」
 薪たちが車へ戻ろうとしたとき、ビュオオッという猛りと共に黒い大きなものが飛んできて、車のフロントガラスを直撃した。
 吹雪の音の中でも、はっきりと聞こえた轟音。
 見ると、薪の身体ほどもありそうな巨木である。フロントガラスが粉々になって、車は大破している。
 特に運転席はぐしゃぐしゃだ。シートが裂けて、木の幹が深く刺さっている。あと10分外に出るのが遅かったら、確実に死体は3つになっていた。

「……命拾いしましたね」
 しかし、このまま雪の中にいたら結果は同じことだ。

 車の荷台で吹雪だけでも避けようとするが、衝撃でドアが歪んでしまったらしく、びくともしない。他のドアも試してみるが、どのドアも開かない。周りを見渡すが、風除けになりそうなものは何もなかった。
 本気でやばい。
 車の陰に身を潜めるしか、手立てがない。薪の人生における危機的状況ベスト3の順位が変わりそうだ。

「大丈夫ですか?」
「あんまり大丈夫じゃない。寒いのは苦手なんだ」
 うずくまって身を寄せ合うが、これは長く持ちそうにない。頭からすっぽりとコートを被っていても、雪は容赦なく吹き付ける。
 目が開けていられない。声も出せない。身体の感覚はとっくにない。

 そのまま、どれくらい経ったのだろう。
 いつの間にか寒さを感じなくなっていることに気付いて、薪は目を開けた。ふわっと身体が浮き上がるような浮遊感がある。なんだか、とても気持ちがいい。
 ああ、これが雪の中で笑顔で死んでいる人の心理なんだな、と頭のどこかで納得する。目の前は雪景色のはずだが、薪の目にはなぜか暖かそうな光が見える。

 その光の中から、薪の親友が姿を現した。
 ようやく。
 ようやく迎えに来てくれたのか。

「遅いよ、鈴木。待ちくたびれちゃったよ」
 鈴木はにっこりと笑って、薪が来るのを待っている。その距離は、ほんの1mほどだ。一歩踏み出せば鈴木に届く。大好きな鈴木のところへ行ける。

 歩き出そうとして、ふと気付く。
 この死に方は、薪にとっては甚だ不本意だ。
 凍死では頭が残ってしまうし、遺体を預けてくれた老夫婦に礼を言うこともできなくなる。岡部に頼んであるから頭は潰してくれるかもしれないが、それでは岡部の人生を狂わせることになってしまうし、薪はいまひとりではない。

 ここには青木がいる。
 ここで自分が死ぬということは、こいつも死ぬということだ。
 それはダメだ!

「バカ!! 起きろ、死ぬぞ!」
 案の定、青木のバカは半分眠りの中にいた。
 思い切り頬を張る。一度では目覚めない。2度3度、10回以上叩いたが、それでも目を覚まさない。引っかき傷だらけの頬が、今度は腫れ上がってきた。
 額に頭突きをくれてやると、青木はようやく目を開けた。

「眠るな! 本当に死ぬぞ!」
「……いいです。薪さんと心中できるなら。本望です」
 そう言うと、青木はまた目を閉じてしまった。
「男と心中なんかまっぴらだ! 目を開けろ、バカ青木!」
 こいつ、何が『あなたを守ります』だ!ぜんぜん役に立たないじゃないか。
「ちくしょう、図体ばかりでかくなりやがって。だからでかけりゃいいってもんじゃない、っていつも言ってるんだ! 起きろ、バカヤロウ! 起きないと殺すぞ!」
「はは。どっちにせよ死んじゃうんですね、オレ」
 呑気なセリフとは裏腹に、青木の顔色は真っ白である。吹雪のために、急速に体温を奪われているのだ。眠ったら終わりだ。

「僕より強くなるんじゃなかったのか! 先に死んでどうするんだ!」
 部下の頭を抱きしめて、薪は必死で叫び続ける。薪の叫びは吹雪に掻き消され、雪に飲み込まれて木霊も返ってこない。

 このままではこいつは死ぬ。
 僕を迎えに来た鈴木に、一緒に連れて行かれてしまう。

「鈴木、鈴木! 僕の声が聞こえるか!」
 口を開けると、痛いくらいの冷気が舌と喉を凍らせる。唾液まで凍りつきそうだ。
 それでも薪は叫び続けた。
「こいつは関係ない。僕とこいつはなんの関係もないんだ! 連れて行くなら僕だけを連れて行け!」
 薪のくちびるは色を失って、紫色に変わっている。寒さのためにひび割れて、普段のつややかさはどこにもない。

「おまえが僕を恨んでいることは百も承知だ。でも、関係のないやつを巻き込むな!」
 薪の頬で、涙がぱきぱきと凍っていく。
 もう痛みは感じない。泣くこともできない。ただ、夢中で叫ぶだけだ。

「僕がそっちへ行ったら、何度でもおまえに殺されてやる。どんな責苦でも受けてやる。貝沼や他の被害者と一緒に、僕を気の済むまで犯して殺せばいい。それでおまえの気が晴れるなら、僕は喜んでこの身体をくれてやる。肉の一片まで神経の一本まで、好きなように切り刻めばいい。
 鈴木。おまえを殺したのは僕だ。おまえが憎んでいいのは僕だけだ。おまえが殺していいのは僕だけだ。
 だからっ」
 最後の力を振り絞る。これだけは、鈴木に伝えなければ。
「こいつは連れて行くな!」

 薪の耳にはもはや、自分の声も聞こえない。
 叫んでいるつもりではいるが、声は出ていないのかもしれない。
「こいつだけは……たすけて、すずきっ……!」
 とうとう声も出なくなって、薪はその場に崩おれた。青木の頭を抱きしめたまま、雪の中に埋もれていく。

 視覚も聴覚も嗅覚も、すべて雪に塞がれた薪に残されたのは、胸に抱きしめた青木の頭の重みだけだった。
 やがて、それすらわからなくなり――。
 薪は白い闇の中に、ゆっくりと落ちていった。



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ラストカット 前編(5)

 日曜日に、オフ会に出席させていただきました!
 お集まりのみなさまには、大変お世話になりました。とてもとても、楽しかったです!
 どうもありがとうございました!!


 ……感想、これだけ!?(小学生の絵日記よりひどいよ)
 いや、ホントに、レポとか日常の文章は苦手で。しかも、昨日食べた夕飯も思い出せない残念な脳で。
 すいません、オフ会のレポは、みなさまにお任せします。(^^;






ラストカット 前編(5)






 亜麻色の瞳が最初に映したのは、真っ白い天井だった。
 あまりに白かったので、まだ雪の中にいるのかと思ったが、それにしては身体の節々が痛い。あのまま雪に埋もれてしまったのだとしたら、自分はとっくに死んでいるはずだ。痛いのは、生きている証拠だ。

「気がつきましたか? 薪さん」
 岡部が心配そうな顔で、こちらを覗き込んでいる。
 ここはおそらく、市立病院だ。どうやら助かったらしい。

「危ないところだったんですよ。あんまり無茶せんでください。吹雪いてきたと思ったら、すぐに連絡を入れてくれる約束だったでしょう。だいたい薪さんはいつもいつも」
 岡部はすぐに説教だ。
 こいつといい青木といい、自分の周りにはなんだってこう口うるさいやつばかり、と薪は岡部の心配を怒りに変えるようなことを考えている。神妙な顔で聞いてはいるものの、悪いことをしたとは思っていない。自分の行動が、岡部をガミガミと怒ってばかりの母親のような心理にしていることを、まったく理解していない。

「青木は?」
 岡部の説教を遮って、薪は青木の安否を尋ねた。自分と同じ状況だったのだから大丈夫だとは思うが、隣のベッドに寝ていないのが少し気にかかる。
「無事ですよ。薪さんより、ちょっと重症ですけど」
「重症? どんな具合なんだ」
「顔が傷だらけで、腫れあがってます」
「……強い吹雪だったからな」
 なんだか理由になっていない気がするが、岡部は聞き逃してくれたようだ。

「脳は?」
「大丈夫です。薪さんが冷凍保存をかけておいてくれたおかげで、無事データを引き出せました。いま、捜査中です。遺体は今井が遺族に返しに行きました」
「そうか」
 一か八かの賭けだったが、うまくいったようだ。
 部下にまであんな思いをさせて、これで脳がダメになってしまっていたら、泣くに泣けないところだった。

 薪は慎重に起き上がり、自分の身体の状態を確認する。
 どこにも異常はない。
 少し喉が痛いが、これはたぶん雪の中で怒鳴りまくったせいだ。怪我もしていないし、凍傷にもなっていない。救助を待つ間は長いと感じていたが、そう大した時間ではなかったらしい。

「今回は事なきを得ましたが、二度とこんな無謀な真似は」
 岡部がまた説教を始めた。今日はいやにしつこい。
 薪は説教が苦手だ。するのは得意だが、されるのは嫌いだ。
「うるさいな。うまく行ったんだからいいじゃないか。僕も青木もピンピンしてて、脳も無事だった。結果オーライってやつだ。そうだろ?」
 薪に反省の色がないのを見て、岡部は急に深刻な顔つきになった。

「ぜんぜん無事じゃありませんよ」
 まずい。本気で怒らせてしまった。
 いつものように聞き流しておけばよかった、と後悔するが、もう遅い。

「あと30分救助が遅れてたら、薪さんはともかく、青木は本当に死ぬところでしたよ」
 岡部は低い声で言った。
 その口調は薪を叱るというよりも、哀しそうな響きを含んでいた。

「僕はともかくって、どういうことだ?」
 おかしなことを言う。
 青木と自分は同じように雪の中に埋もれていたのだ。たしかに、気を失ったのは青木のほうが先だったが、岡部がそのことを知っているはずがない。最後は薪が青木を庇うような体勢で倒れていたはずだ。その自分に異常がないのに、若い青木のほうが重症だというのは頷けない。

「薪さんは棺桶の中に入ってたんですよ」
「棺桶の中!?」
 思わず鸚鵡返しに聞いてしまった。驚きに声が大きくなってしまったが、周りに気を配る余裕はなかった。
「青木が薪さんを棺桶の中に入れて、吹雪が直接当たるのを防いだんです。薪さんの身体に凍傷がないのは、そのおかげですよ」
「どうやって? あいつのほうが、僕より先に気絶したんだぞ」
「さあ? 俺は見てたわけじゃありませんから。でも、発見されたときには青木は雪の中に倒れてて、薪さんは棺桶に入って車の中にいたんですよ」

 そんなはずはない。
 あのとき、棺は車の中に残ったままだった。あの棺を車から取り出すには、後方の扉を開けるしか方法はないはずだが、そんなことはもちろんやってみた。あの吹雪の中、車の中に避難する為に二人がかりで力を込めたが、どうしても開かなくて諦めたのだ。

「青木を褒めてやってくださいよ。あいつ、頑張ったじゃないですか。もしあのまま雪の中に埋もれてしまっていたら、肝心の発信機が浸水して使い物にならなくなっていたかもしれませんよ。青木がそこまで考えて薪さんを棺桶の中に避難させたのかどうかは疑問ですけど、とにかく今回はあいつのお手柄ですよ」
「……バカなやつだ。僕のことなんか放っておけば良かったんだ」
 避難できる場所があったのなら、自分がそこに入ればよかったのだ。そこに他人を押し込めて自分は雪の中に倒れていたなんて―――― バカだ。

「そんな言い方はないでしょう。青木のやつ、自分のコートまであなたに着せてたんですよ。自分はセーターに白衣姿で。助かったのが不思議なくらいでしたよ」
 薪は大きく目を瞠る。
 あの状況でコートを脱いだ? 呆れて声も出ない。本物のバカだ。

「青木は」
「今は会えません。ICUに入ってます」
 ICUと聞いて、薪の顔が青ざめる。生死の境をさ迷っているということか。
 薪は急に寒気を覚えた。
 身体が勝手に震え始める。雪山の空気が、戻ってきたようだ。

「大丈夫です。峠は越えました」
「おまえさっき、僕よりちょっとだけ重症だって言ったじゃないか」
「すいません。青木に口止めされてまして」
 口止めされたということは、意識はあるということか。薪はひとまず胸を撫で下ろした。

「青木には、いつ会える?」
「明日には普通の病室に戻れそうだ、って先生が言ってましたよ。薪さんも休んでください。昨夜は熱が高かったんですから」
 道理で気がついたとき、体の節々が痛いと思った。寒さに耐えようと身体に力を入れていたせいで筋肉痛になったのかと思っていたが、高熱のせいだったのか。

 横になったら途端に咳が出た。
 風邪を引いたようだ。喉の痛みはこのせいか。しかし、あの状況で風邪くらいで済んだのは奇跡だ。
 布団を被って目を閉じると、途端に眠気が襲ってきた。
 やはり疲れているのだ。点滴に薬も入っているのだろう。

「岡部。心配かけて済まなかった」
「はい」
「青木が病室に戻ったら、報せてくれ」
「はい」
「あいつには言っておかなきゃいけないことが……」
 言葉の途中で、薪は眠りに落ちた。
 安心して眠れることは、実は幸せなことなのだと薪は思った。



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ラストカット 前編(6)

 10000ヒット、ありがとうございました!(〃∇〃)

 桁が増えると嬉しさもひとしおです。
 マメに覗いてくださって、本当にありがたいです!


 それと、新規のお客様で、最初のお話から読んでくださってる方。
 律儀にポチポチと拍手を押していただいて、どうもありがとうございます。
 しづは単純なので、拍手をいただくと、読んでくださってるんだわ、喜んでくださってるんだわ、と思えて、とっても嬉しくなります。
 どんな方かしら、どの辺で引かれるのかしら、といつものようにビクついております。(笑)
 どうか、太平洋のように広いお心でお願いします。
 以上、お礼でした。






ラストカット 前編(6)




 隣のベットに座って美味そうにカレイの煮付けを食べている男は、顔と両腕を包帯で巻かれて、まるでミイラのようだった。
 顔の傷は覚えがあるが、腕は薪のせいではない。腕や足は凍傷を起こしていたそうだから、その薬が塗布してあるのかもしれない。

「オレ、病院の食事って生まれて初めてです。けっこういけますね」
 青木は味の薄い病院食を夢中で食べている。
 第九に入ったばかりの頃は、こんなによく食べるやつだとは思わなかった。あの時期青木は、初めて見るMRIの画の凄惨さに打ちのめされて、一時的に食欲を失っていただけだったのだろう。たしかにこのくらいの食欲がなければ、この体格は維持できまい。
 プラスチックの飯椀が空になり、青木は周りを見回した。嫌な予感がする。
 大きな手が枕もとのボタンを押す。「どうしました?」と言う看護師の声が聞こえてくる。

「すいません、ごはんお代わり」
「間違えましたっ、何でもありません!」
 薪は大声で言葉を被せて、スイッチを切った。
 昨日までICUにいたやつが、ごはんのお代わりって……!
 ICUを出たばかりの患者に普通食が供されるわけはないから、青木が今食べているのは薪の食事だ。青木の食事は5分粥と梅干だけだ。熱のせいで食欲のない薪は、青木と食事を取り替えることにしたのだ。こういうことは本当は良くないのだが、実際はけっこうやっていることだ。

「僕に恥をかかせるな! これを食え!」
「いいんですか? ありがとうございます」
 結局二人分の病院食を平らげて、それでもまだ物足りないらしい。食い意地の張った重症患者は、岡部が持ってきてくれた果物篭に手を伸ばし、中から林檎と蜜柑を取り出した。

「オレ、入院するの初めてなんです。なんかわくわくしますね」
「入院したことないのか」
「ないです。病気も怪我もしたことないです」
 果物ナイフで、林檎の皮をくるくると剥いていく。なかなか手際がいい。
 青木は、ちょくちょく薪の家に来ては夕飯を食べていく。部下には当然手伝いをさせる。初めはまったく役に立たなかったが、この頃はそうでもない。最近は包丁の使い方も上手くなった。
 少なくとも、雪子よりは遥かに上手い。雪子が林檎を剥くと、食べられるところは芯の周りだけになる。だから雪子は林檎は丸のまま齧ることにしている。
 
「風邪くらいひいたことあるだろう」
「まあそれくらいは。でも、最後に風邪ひいたのいつだっけ」
 器用に手の上で四つに割って、ひとつを薪に差し出す。
 飯粒は喉を通らなくても果物は大丈夫かもしれない。そう思って自分に剥いてくれていたのか、と気付く。
「たしか中学2年の夏に」
「そこまで遡るのか。どんだけ丈夫なんだ、おまえ」
 林檎は、カシッとした歯ごたえで瑞々しかった。蜜入りで、とても甘い。

「ていうか、バカは風邪ひかないってホントなんだな」
「薪さんはよく風邪ひいてますもんね。確か去年も風邪で入院してましたよね」
「あれはおまえが」
 ドアが開いて、岡部が入ってくる。
 手に捜査報告書を持っている。第九から薪のPCに送ってもらったものだ。病棟で電子機器は使えないから、病院の設備を借りてプリントしてきてくれたのだ。

「薪さん。犯人が判りましたよ」
「本当か」
「薪さんの言った通りです。会社の同僚の男でした。捜一のほうへ報告はしましたから、今日明日中には捕まるんじゃないですか」

 あの老夫婦の娘を殺害した犯人は、薪が睨んだ人物だった。
 別に、猟奇殺人ではなかったわけだ。それを装って捜査を攪乱しようとしただけだ。あまりに凝りすぎたのが仇になって、MRIにかけられてしまった。普通の殺害方法だったら、こんなに早く捕まらなかったかもしれない。
「担当は今井だったな。ご苦労だったと伝えてくれ」
「電話でもいいですから直接言ってやってください。喜びますよ」
「わかった。後で電話しておく」
 これで一安心だ。何もかもうまく行った。あとは、青木にお灸を据えるだけだ。

 薪は怒っている。
 青木がしたことに対して、心の底から憤っている。

「青木。もう二度とあんな真似はするな」
「はい? あ、やっぱり病院では、ごはんお代わりしちゃダメなんですか?」
「ちがう。僕を助けるために、自分を殺そうとしたことだ」
 食べかけの林檎を盆の上に戻して、青木は薪のほうを見た。静かな目だった。

「僕にコートを二枚とも着せて、棺の中に入れたそうだな。あの吹雪の中でコートを脱ぐなんて、自殺行為だ」
 薪の怒りを含んだ視線を受けてなお、青木は端然と微笑んでいる。
 オレはあなたを助けたのに、何故怒られなければいけないんですか――そう反論してくることを予想していた薪だったが、青木は何も言わなかった。

「次からは自分の安全を第一に考えるんだ。避難できる場所があれば、自分がその中に入れ」
「あの棺は小さくて、オレじゃ入れませんでした」
「そういうこと言ってんじゃないだろ! 僕なんかを助けようとして、自分を危険な目に遭わせるなって」
 薪の怒りを含んだ視線から目を逸らし、青木は蜜柑の皮を剥き始める。白い筋を丁寧に取って、房を小皿に並べ始めた。

「もう一度同じ状況になったら、オレはまた同じことをします」
「なんだと? 僕の命令が聞けないのか!」
「薪さん」
 岡部が口を挟んできた。
 岡部は何かと青木に甘い。後輩を庇うつもりなのだろうが、これは室長としての指導だ。邪魔はさせない。
「岡部は黙っててくれ。僕はいま青木と話を」
「いい加減に自覚してください。あなたは室長なんですよ」
「わかってる」
 部下を守るのは上司の仕事だ。だからこそ眠ってしまった青木を起こそうと、喉が痛くなるほど叫んだのだ。

「わかってません。いいですか。あなたはいつも室長として、俺たち部下を外敵から守ろうとする。それは上司として正しい姿です。でも、逆にあなたが危険な目に遭えば、俺たちはそれを守るんです」
「そんなこと、僕は頼んでない!」
 青木も似たようなことを言っていたが、岡部の影響だったのか。つまらないことをこの単純バカに吹き込んでくれたものだ。
「頼まれなくてもやるんです。俺たちはあなたの部下ですから。俺があなたと一緒だったら、たぶん青木と同じことをしましたよ」
 岡部の言葉に、亜麻色の大きな瞳が揺らめいた。
 視界がぼやける。熱が上がってきたらしい。こいつらがあんまり聞き分けのないことを言うからだ。

「……もう、たくさんだ」
 部下たちの目を見れば、彼らの言葉が口先だけのものではないことが分かる。薪のことを本気で心配し、大切に思ってくれている。薪に危険が迫れば、身を挺してでも守る気でいる。
 しかし、それは薪の望んだことではない。

「僕はもうたくさんなんだ。僕のせいで誰かが死ぬのは、もう見たくないんだ」

 稀代の殺人鬼、貝沼清隆の起こした28人殺し。その原因となったのは、薪への歪んだ恋情だった。
 貝沼の脳を見て自殺した旧第九の部下たちを含め、40人もの尊い命が失われたのは自分のせいだ―――薪はそのことで、ずっと自分を責めてきた。
 そんな自分を守るために、また誰かが命を失う。それは薪の背負った罪をさらに重くすることだ。
 これ以上、十字架(つみ)はいらない。すでにこの世では償いきれない量刑だ。
 今でさえ精一杯なのだ。ここにさらに重みが加わったら、間違いなく薪は潰れる。だから部下たちの気持ちは受けられない。

「大丈夫ですよ。オレたちは死にませんから」



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ラストカット 前編(7)

 こんにちは。

 遅ればせながら、ご紹介です。
 K24さんが、うちのお話のオリキャラの新しいイラストを描いてくださいました。
 K24さん、いつもありがとうございます(^^

 あのヘンタイキャラが、あんなにカッコよく! しづは目が点になりました。
 あの顔で、あーんなことやこーんなことしてたなんて、って、作者が驚いててどうするよ。

 うちのお話を読んでくださってる方には、ぜひご覧いただきたいです。
 こちら からどうぞ。





ラストカット 前編(7)





「大丈夫ですよ。オレたちは死にませんから」

 うつむいた薪の鼻先に、小皿に乗った蜜柑が差し出される。オレンジ色の小房に、透明な液体がぽたぽたと落ちた。
「オレも岡部さんも、殺したって死なないです。オレなんか、あれだけ雪の中にいて、風邪もひかなかったんですよ。この腕の怪我さえなければ、薪さんよりオレのほうが元気なくらいです」
「そうですよ、薪さん。俺は捜一のターミネーターって呼ばれてたんですよ」
「ターミネーターと言うよりはキングコングって感じで、痛っ!」
 後輩の尤もな見解に、岡部は遠慮のない拳を青木の後頭部に叩き込む。怪我人に対する仕打ちとは思えないが、病院のごはんをお代わりするような非常識な患者には良い薬かもしれない。

 乱暴なんだから、と青木はぶつぶつ言いながら、小皿から蜜柑を取って食べ始める。薪の涙の味の蜜柑は、少し塩辛いはずだ。
「青木。それ、僕の鼻水ついてるぞ」
「眼から出でも鼻から出ても、体液に変わりはないんですけど。印象が違うのは何故なんでしょうね」
 そんなことを言いながら、平気で食べている。こいつには汚いという観念がないのかもしれない。

「そういえばおまえ、どうやって車の中から棺を出したんだ?」
 薪の頭脳を持ってしても、その方法は解らなかった。青木の腕の怪我から察するに、リアガラスを割って棺を取り出したと思われるが、あのときスパナのような工具の類は何も持っていなかったはずだ。まさか素手で割ったわけではあるまい。人間の手で簡単に割れるようなガラスだったら、それこそ欠陥品だ。

「そのことなんですけど」
 青木は急に言い淀んだ。ひどく神妙な顔つきになって、下を向いてしまう。
「オレ、祟られるかもしれません」
「祟られる?」
「足を持って叩きつけて、リアガラスを割ったんですけど。その時に首が飛んじゃって」
「おまえ、まさか……!」
 雪に埋もれた死体を掘り起こしている、青木の姿が脳裏に浮かぶ。
 死後硬直と絶対零度の雪の中でカチカチに凍りついた死体の足を持ち、車のリアガラスに何度も叩きつける。リアガラスは割れ、その衝撃で死体の首が飛ぶ。恨みがましい目をした女の首が宙を舞い―――。
 その光景を想像して、薪は青ざめた。いくら非常事態とはいえ、人間としてそれはしてはいけないことだ。

「何て事をするんだ!」
「薪さんの命には代えられないと思ったんです」
 青木はたしかに成長した。精神的にも強くなった。
 でも、こいつはもっとやさしくて良識がある男だったはずだ。強さを求めるあまり、大切なものを失くしてきてしまったのだろうか。

「おまえがそんなことをするなんて、信じられない」
「すみません。非常識だとは思ったんですけど」
「何て謝ればいいんだ……」
 自分を信じて大切な娘の遺体を預けてくれた、あの人の良い老夫婦に、何と言って詫びればいいのだ。
 いや、遺体は今井が返しに行ったと岡部が言っていた。ここで悠長に寝ている場合ではない。室長として、謝罪に行かなければ。

「まあ、代わりのものを用意するしかないでしょうね」
「代わり!? そんなもん、どこで調達する気だ!」
 青木は人が変わってしまったのだろうか。
 薪はいつも、MRI捜査に協力してくれる遺族に対する感謝を忘れるな、と部下に言い聞かせてきたつもりだった。青木はその気持ちを一番よく理解くれていると思っていたのは、薪の買いかぶりだったのだろうか。

「それが問題ですよね。友達にも、そんな商売に就いたやつはいないし」
「商売?」
 臓器売買は聞いたことがあるが、死体も扱っているのか。しかし、それは重大な犯罪だ。
「まあ、ネットで検索してみますよ。そうしたら同じものを用意してもらって」
「同じものなんかあるわけないだろう! 死体置場(モルグ)にも墓場にも、彼女の代わりはいないんだ!!」
「彼女? あれって女性だったんですか?」
 死んだらもう女ではないというのか。こいつはこんなに冷たい人間だったのか。
 第九での激務が、こいつの温かさを奪ってしまったのか。それとも―――僕への気持ちが、こいつを変えてしまったのか。
「当たり前だ。死んでしまっても、女性は女性だ」
 青木は、しばらくのあいだ黙り込んだ。ようやく自分がしてしまったことの罪深さに気付いてくれたのだろうか。

「……薪さん。なんか凄いこと考えてませんか?」

 突然、岡部が腹を抱えて笑い出した。病院だというのに大きな声で、涙目になるほど笑いこけている。
「さすが薪さんです。オレ、それは思いつきませんでした」
 青木も笑いを堪えている。身体に響くのか、笑いながら顔を顰めている。
 どうやら、青木が遺体でガラスを割ったと思ったのは、薪の早トチリだったらしい。しかし、あの場所に他に何かあっただろうか。
 リアガラスが割れるくらいの強度があって、足を持って首が―――。

「……地蔵か」
「そうです。石のお地蔵様です」
 あの田舎道には、ところどころに道祖神に見立てた石地蔵が祀ってあった。青木はそれを使ったのか。
「死体の首が飛ぶほど叩いたら、頭が潰れちゃうじゃないですか。MRIにかけることなんかできませんよ」
 それもそうだ。
 気付かなかったのは薪のミスだが、それにしてもこいつら。

「し、死体でガラスって……!」
「薪さんならではの発想ですよね。ぷくくくっ!」 
「突拍子過ぎるだろ、いくら薪さんでも!」
「そこが薪さんのスゴイところなんですよ。なんたって薪さんは天才ですから」
「「カンチガイの!」」
 ……何故そこでハモる。

 青木はとうとう痛みも忘れて、ゲラゲラと笑い出した。岡部に到っては、床に突っ伏してヒーヒー言っている。
「おまえらの気持ちはよーく分かった」
 地の底から聞こえてくるような上司の声に、岡部はぴたりと笑いを収めた。薪の周りの空気が、冷ややかなブルーに変わっていく。

「今回のこれは、『薪さんの勘違いベスト1』に輝くかもしれませんね。第九のみんなに話して、ランキングの順位を決めなおさないと」
 岡部は、そっとドアのほうへ後ずさった。目を逸らさずに少しずつ逃げるのは、熊に遭った時の対処法である。今回の恐怖は、それを上回るかもしれない。
「ね、岡部さ……あれ? どこ行ったんだろ?」
 岡部がドアの隙間から最後に見たのは、ベッドから下りて準備体操をする薪の姿だった。ドアを閉めた途端、ドカッ! という音とガン! という金属音、そしてドサッと何かが落ちる音が聞こえてきた。
 その後訪れた、怖いくらいの静けさ。岡部は廊下に立ち尽くした。
 そこに看護師がやって来る。食事の膳を下げに来たのだ。入院患者に明るく話しかける彼女の声が聞こえる。
 
「薪さん、青木さん。食事終わりましたか? あら? 青木さん、床で寝ないで下さいね。……なんで傷が増えてるんですか? 何があったんですか?」
「さあ。僕は眠ってましたから。寝ぼけてベッドから落ちたんじゃないですか?」
「まあ。困った人ですね。青木さん、起きてください」
 眠っているのではなく気絶しているのだ、という事実を果たして彼女に告げるべきか否か。岡部は命がけの選択を迫られていた。




*****



 リアガラスの件は解明したが、薪にはもう一つ気になっていることがあった。
 あの時、青木は自分より先に気を失ってしまったはずだ。それがどうして意識を取り戻したのだろう?
 なんとなく目が覚めたとか、都合よく木片が飛んできて青木に当たった、などということではあるまい。本人に尋ねても、よく覚えていないと言う。
 これは、自分の声を聞いた鈴木が助けてくれたのか、とついつい非科学的なことを考えてしまった薪である。

 薪がその本当の訳を知ったのは、それから半年も後のことだった。




―後編へ続く―



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ラストカット 後編(1)

ラストカット 後編(1)





「もう一度、長野に行きませんか?」
 青木の小旅行の誘いに、薪はしぶしぶ頷いた。その目的が、自分に深く関わっていたからだ。

 半年ほど前、ふたりは長野の山中で猛吹雪に遭い、もう少しで死ぬところだった。
 MRI捜査のための遺体を搬送中の出来事で、経過時間の関係から遺体を冷凍保存しなければならない状況に追い込まれた彼らは、雪の中に遺体を埋めるという非常手段に出た。その作業の最中、突風で飛ばされてきた巨木が車両に激突し、彼らは降りしきる雪の中で救助を待たなければならなくなった。
 吹雪の中で意識を失い、死を覚悟した薪だったが、青木の機転により九死に一生を得た。青木は道端の石地蔵で車のリアガラスを割り、気絶した薪の体を棺の中に避難させたのだ。

 壊してしまった石地蔵と同じものが出来上がったので、それを元の位置に祀って来るという。青木が勝手にやったことだが、自分を助けるために行ったことであるし、きちんと礼を述べて拝んでくるのが人間として正しい行動だろう。
 せっかくの休日だが、仕方ない。人として部下の見本になるように努めるのも、上司の仕事だ。

 季節は変わり、街はすっかり春の気配に包まれている。
 桜前線も訪れて、先週第九でも職員総出で夜桜見物をしたばかりだ。もちろん薪は行かなかったが、場所は青木のアパートの正面にある例の公園だったと聞いている。あそこの桜は一昨年前から見ているが、実に見事なものだった。今年も1度くらいは見ておきたい。
 そう思って、薪は青木の家まで出向くことにした。

 約束の時間より早めに行って、公園をぶらつく。桜はすでに満開だ。
 とても美しかったのだが、休日の公園は人出が多く、昼間だというのにすでに酩酊している輩もいて、ゆっくり散策を楽しむどころではなかった。
 子供の金切り声と酔っ払いの笑い声に辟易しながら、薪は公園を素通りした。
 いまここに、花を愛でているものなど存在するのだろうか。もっとも花見の目的は花だけではない。仲間と過ごす楽しい時間こそが、彼らの本当の目的なのだろう。青木のように、料理が目当てという意地汚い奴もいるが。

「おはようございます。今日はお付き合い頂いて、ありがとうございます」
「おはよう」
 時間よりはだいぶ早かったのだが、青木は公園の出口で薪を待っていた。
 青木の部屋からはこの公園が丸見えだ。窓から薪の姿に気が付いて、出てきたのだろう。

 ふたりとも春の出立ちだが、手には冬のコートを持っている。
 長野は春の訪れが遅い。特にあの地方は、まだ雪がたくさん残っている。荷物にはなるが、準備は必要である。

 霞ヶ関の駅で、薪は青木から電車の切符を渡された。旅費は自分で出すつもりでいたが、律儀な部下は薪の分まであらかじめ切符を購入していたらしい。
 しかし、その切符の目的地がいささかおかしい。
「なんで横浜なんだ?」
「ここが一番近いヘリポートなんです」
「ヘリポート?」
 長野に行くために、わざわざヘリを調達したのだろうか。電車で充分用が足りるのに、それは無駄遣いというものだ。
「なんでヘリなんか借りたんだ? もったいない」
「今日はオレ、かけてますから」
「なにを?」
 青木はにっこり笑って薪の口を封じる。この疑問に答えてくれる気はないようだ。

 ここ最近、青木は少しおかしい。
 長野から帰って来た頃からだ。口数が減った気がするし、いくらか元気がないようだ。
 だが、仕事はこれまで以上に頑張っている。薪が帰ったあとも研究室に残って自己学習をしているようだし、宇野について特別なMRI画像の引き出し方なども学んでいるようだ。
 さらには、身体的な鍛錬も積んでいるらしい。
 よく岡部と一緒に道場へ行っているし、警視庁のジムも利用しているようだ。何故か薪には秘密にしたいらしいが、そんなことは先刻お見通しである。

 青木の努力を、薪は見守るつもりでいる。
 男というものは、こうしてがむしゃらに自分を鍛える時期があるものだ。
 薪も捜一に入ったばかりの頃は、必死でトレーニングに明け暮れた。周りの体力についていけなかったからだ。柔道だけは雪子に習っていたから、現場ではまったくの役立たずというわけでもなかったのだが、負けず嫌いの薪は何事においても人より優位に立ちたかった。そのためには自分の能力を高めるしかない。薪はずっと陰で努力してきたのだ。
 他人が言うように、自分は天才などではない。ただ、努力を続けられる才能があるだけだ。

 薪自身はそんなふうに自分の能力を評価しているのだが、やはりその頭脳だけは生まれつき飛び抜けている。そこに努力が加わって、昇格試験の最高得点やら最年少警視正昇任やらの記録を塗り替えてきたのだが、今のところ薪の快進撃は停滞している。本人は打ち止めだとさえ思っているが、薪の実力を知る者たちは、こぞってその復活を願っている。
 あれだけの才能を、埋もれさせるのはもったいない。
 第九の職員をはじめ、所長の田城や官房長の小野田まで、薪に警視長の昇格試験を受けるよう説得を試みているのだが、本人はどうしても首を縦に振らない。

 それはさておき、今日は絶好のフライト日和だった。
 澄み渡った空に暖かい太陽。空からの眺めは素晴らしかった。
「薪さん、見えます? この下、オレのアパートですよ」
 喧騒に気を削がれて、先刻は見る気にもならなかった桜が、ピンク色の絨毯のように眼下に広がっている。人々の姿はとても小さくて、まるで蟻のようだ。

「空から花見をするのは初めてだな」
「そこにクーラーボックスがあるでしょう? 中に薪さんの好きなものが入ってますよ」
「お、綾紫。わざわざ銀座まで買いに行ったのか?」
 薪の一番好きな酒は、京都伏見の『綾紫』という吟醸酒である。一般の酒屋では取り扱いがない酒で、会員限定の通信販売か銀座の専門店まで行かないと手に入らない。値段もいいから薪も特別な日でないと開けないのだが、この素晴らしい眺望には相応しい酒だ。
 クーラーボックスには保冷材がたくさん入っており、吟醸酒は薪の好みに良く冷えていた。つまみもちゃんと用意されていて、薪の好きな貝柱とあたりめ、ピーナツ抜きの柿の種。至れり尽くせりという感じだ。

 薪は紙袋の中から柿の種だけを取り出すと、後は元に戻してクーラーボックスの蓋を閉めた。袋を開けてカリカリと食べ始める。
「あれ? 飲まないんですか?」
「だっておまえ、操縦で飲めないだろ?」
「オレはいいですよ。それは薪さんのために」
 手を伸ばして、運転手の口にいくつか放り込んでやる。せっかくの美しい風景に、言葉は要らない。
 薪の気持ちを察したのか、青木は黙ってヘリの操縦に集中した。



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ラストカット 後編(2)

ラストカット 後編(2)




 眼下の風景は移り変わって、今は海が見える。きらきらと輝く水面はとても美しいが、目的地までの間に海はなかったはずだ。
「なんで長野に行くのに海が見えるんだ?」
「せっかくですから、風景のいいところを飛ぼうと思って。飛行距離が増えてもレンタル料金は一緒ですから」
 なるほど。それには薪も大賛成だ。

「どうです? 東京湾もこうしてみるときれいでしょう。あれ、海ほたるですよ」
「おまえ、この手で今まで何人口説き落としてきたんだ?」
「はい?」
「それで航空機免許取ったんだろ」
「あはは。バレました?」
 そんな冗談を言い合いながら、長野までは1時間ほどだ。車より電車より、遥かに早い。このペースなら夕方までには帰って来れそうだ。
 密かに薪が立てていたプランより、だいぶ早い帰宅時刻だ。てっきり夜になると踏んでいたから、公園の夜桜を見て帰ろうと思っていたのだが。

 市立病院の中庭を再び拝借して、長野に降り立ったのは午後2時を回ったところだった。
 ここからは、病院の車を借りるように手筈を整えていたらしい。前回、薪たちが借りたバンはスクラップになってしまったが、古いバンが新車になって返ってきたというので、病院側としては逆に喜んでいる。二匹目の泥鰌を狙っているわけでもあるまいが、病院の事務長は快くワゴン車を貸してくれた。
 青木はヘリから荷物を降ろし、ワゴン車に載せるとハンドルを握った。地図を片手に薪が助手席に座ろうとすると、青木はナビは要らないと言う。
「大丈夫です。任せてください。もう庭みたいなもんです」
 風邪をひいただけの薪とは違って、青木の容態はそれほど軽いものではなかった。
 特に腕の凍傷はひどくて、入院生活を余儀なくされたのだ。あの後、薪はすぐ東京に戻ったが、青木はここに3週間ほど滞在していた。その間に道を覚えたのだろう。リハビリと称して、ふらふら遊んでいたのかもしれないが。

 薪は当然のように後部座席に陣取った。前回は遺体運搬用のバンだったが、今回はツーリングワゴンだ。シートも柔らかいし、乗り心地もいい。
 石像を頼んだ石材店は、病院から車で30分ほどの距離だ。壊した地蔵と同じものを作るなら、やはり地元のほうが良い。

 4月だというのに、長野はまだ雪が残っている。
 市立病院の辺りには見られなかったが、田舎道に入るとかなりの量が溶け残っている。道の上はきれいなものだが、両側の林には地面が真っ白に見えるほどの雪があって、ともすると季節を間違えてしまいそうだ。
「けっこう雪が残ってますね。これは好都合だな」
「好都合? おまえ、あれだけの目にあっておいて、まだ雪が楽しみだとか言うんじゃないだろうな。僕はもう雪はこりごりだ」
「吹雪には参りましたけど、この風景はなかなかですよ」
 枝々のそこかしこに雪を飾った林は、クリスマスツリーが林立しているようだ。道端の地蔵にも雪がついている。たしかに東京ではお目にかかれない風景だ。

 石材店から地蔵を貰い受け、問題の場所に戻しに行く。地蔵の代金は薪が払うことにした。その値段に少し驚いたが、こういうものは値引きが利かない。坊主の読経が値切れないのと同じ理屈だ。
「薪さん、いいです。オレが払います。ちゃんと用意してきましたから」
「大丈夫だ。経費で落とすから」
「……いいんですか?」
「だってこれがなかったら、僕は死んでたかもしれないんだぞ。病院の車代が出せてお地蔵さまの代金が出せないなんて、おかしいだろ」
 たぶん経理課で撥ねられるとは思うが、ここはそういうことにしておかないと青木が気を使う。薪にとっては月給の3分の1程度だが、青木にはほぼ1月分だ。警部の給料などたかが知れている。キャリア組でも役職に就かないと、大した給料は貰えないのだ。

 石材店では設置を申し出てくれたが、青木は断った。感謝の気持ちを表すためか祟りを恐れてかは知らないが、自分でやると言う。ありがたいことに、石材店では設置手間の分を値引いてくれた。
 ワゴンの荷台に石像を積み込み、ベルトで固定する。見かけよりかなり重い。こんな重いものを振り回したとは、人間死ぬ気になればなんでもできるものだ。

 40分ほど走って目的の場所に辿りつく。3体の地蔵のひとつが無くなっているのが目印だ。あの日の極寒地獄のような光景とは打って変わって、今日のその場所は穏やかだった。
 薪の命を救う重要なアイテムとなった石像を元の位置に設置して、お祀りする。こういうものは設置する前に神主に頼んで祝詞を上げてもらうのだが、石材店の方でそれは済ませておいてくれた。神主への礼金も入っていたとなると、先程の料金はそう高いものでもなかったのかもしれない。
 元通りに3体の地蔵が並んで、この風景は完成する。
 やはりここには、このオブジェは必要なものなのだ。青木はワゴンからお供え物を出して、地蔵の前にしゃがみこんだ。季節に合わせて桜餅を用意してきたらしい。薪も隣に屈んで手を合わせる。

 心の中で礼を言って、薪は顔を上げた。青木はまだ熱心に何事か祈っている。
 当然だ。こいつが首を折ったのだから、祟られないようにしっかり拝んでおいたほうがい。
 ……青木が地蔵を壊したのは薪を助けるためだったのだが、祟りのほうは全部青木に被せるつもりらしい。

 再び車中の人となり、病院への道を戻る。が、青木はハンドルを逆の方向に切って、横道に入った。
「道が違わないか?」
「この道でいいんですよ」
「なんかだんだん、山の中に入っていくみたいだけど」
「大丈夫ですってば。信用してください」
 信用してくださいと青木は言うが、以前にもこいつの方向音痴にはひどい目に遭った。

 車はどんどん道ならぬ道に分け入っていく。やっぱり自分が案内をすればよかった、と後悔するが、今からではたぶん地図を見てもわからない。
 車の行く手には、幾重にも雪に覆われた枝が重なり合い道を塞いでいる。その5センチほどの隙間に車体を進めていく青木のドライビングテクニックは、確かにすごい。しかし、運転技術がいかに優れていても、道に迷ってしまっては運転手失格だ。

 やがてこれ以上は進めないところまで来て、ようやく青木は車を止めた。
 完全に迷ったらしい。
 運転席の役立たずが、後ろを振り返る。このままバックで来た道を戻るしかない。だからこいつに任せるのは心配だったのだ。
「おまえなあ」
「薪さん。降りてもらえますか?」
 皮肉のひとつも言ってやろうとした薪の言葉を遮って、青木は奇妙なことを言い出した。
「降りろって……おまえ、僕をここに置き去りにする気じゃ」
「まさか。薪さんのためにここまで来たんじゃないですか」

 青木はさっさと車を降りて、クーラーボックスとボストンバックを手に雪道を歩き出した。仕方なく薪もその後ろをついて行く。この先に、避難所でもあるのだろうか。
「もうすぐ着きますよ」
「どこに」
「天国です」
「置き去りじゃなくて、心中のつもりか?」
「あはは。薪さんの冗談は、相変わらず笑えないですね」
 しっかり笑っている。

「天国っていったい――― お!?」
 木の枝をくぐって目にした光景に、薪は思わず声を上げた。
「サルがいる!」



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ラストカット 後編(3)

 半年近く前になりますけど。
 500拍手のお礼のリクを募集したとき、『ふたりきりで露天風呂』というのをいただきまして。(かのんさん、覚えてらっしゃるかしら)
 後の話に出てきますので、とその時は先送りにさせていただいたのですが。
 それがこの章です。

 これはもう10ヶ月も前に書いたお話なので、細かいところは忘れちゃったし、あれー、なんでこんなこと書いたんだっけって、あちこち綻びているのに修正もままならず。
 残念な記憶力ですみません。(^^;





ラストカット 後編(3)







 雪に囲まれた岩の狭間に、滾々と湧き出る熱いお湯。それが自然に出来た溝を通って窪みに溜まり、大きな池になっている。
 ここは地元の人しか知らない温泉だ。
 お湯の中には先客がいる。野生のサルだ。ここは彼らの大浴場なのだ。
 
「ここに来るサルは大人しいですから。ひとを襲ったりしませんよ」
 青木は回復期には、この温泉に日参していた。病院の看護師に凍傷に良く効くと勧められたからだ。サルたちはまだ自分のことを覚えているかもしれない。

 ボストンバックから大きな布とバスタオル、海水パンツを取り出す。手ごろな木の枝を探して布を掛け、簡易式の脱衣所を拵える。
「薪さん、この中で水着に着替えてください」
「ん? なんか言ったか?」
 ……もうお湯に入っている。
「薪さん……脱ぎっぷりよすぎです」

 薪が脱いだ服が、岩の上に置いてある。
 防寒対策の白いロングコートに、パステルグレーのジャケット、同系色のズボン。春らしい薄緑色の開襟シャツに深緑色のネクタイ。よほど急いで服を脱いだと見えて、ズボンと下着が重なったままだ。
 青木は苦笑して薪にタオルを差し出し、薪の衣服を脱衣所に運んだ。コートは雪が積もっていない木の枝に掛けておく。こんなところに置いたら濡れてしまう。
 ここには着替える場所もないし、地元の人が来るかもしれないから、それなりの準備をしてきた。布を木の枝に掛けて簡易式の脱衣所を作り、その中で薪に水着に着替えさせて、温泉に入ってもらうつもりだった。

「薪さん。水着、着たほうがいいですよ。誰か来たらどうするんですか?」
「こんなとこに、男の裸を見て悲鳴を上げるような若い女の子なんて来ないだろ。それに、僕は男だから見られたって平気だ。だいいち温泉に水着で入るなんて。サルに失礼だ」
 最後の理屈はよくわからない。しかし、薪がわけのわからない理屈をこねるのは、機嫌がいい証拠だ。

「サルが来る温泉があるって、あれ嘘じゃなかったんだな」
「はい。ホテルの人に聞いたんじゃなくて、病院の守衛さんに聞いたんですけど。場所も奥平じゃなくて、病院のすぐ側なんです。あの時は後ろにいた男を撒こうと思って。嘘ついて、すみませんでした」
「ちゃんと説明してくれれば、引っかいたりしなかったのに」
 もちろん、正直に話そうとした。後で必ず連れて行きますから、と叫んだような覚えもある。聞く耳を持たなかったのは薪のほうだが、それを言うとまた傷薬が必要になる。

 クーラーボックスから吟醸酒を出して、木の盆に載せてお湯に浮かべてやる。亜麻色の瞳がいっそう輝いて、つややかなくちびるが冷たい甘露にキスをする。
「天国だ~!」
 雪景色に温泉に『綾紫』。自分を幸せにしてくれる3大アイテムが揃って、薪は大はしゃぎだ。今回の青木の計画は当たりらしい。
 
 実は、今日のデートに青木は勝負を賭ける気でいる。
 告白してから1年半。薪は一向に答えをくれない。
 いや、何回かきっちり振られているのだが、この1年半の間には色々なことがあって、そのたびに薪との距離は縮まっていくように思える。
 今日だって、二つ返事でついてきてくれた。決して嫌われているわけではない。その証拠に、薪はこんなことまで言い出した。

「あ~、気持ちいい。おまえも早く入れよ」
 恐ろしいことをさらっと言ってくれる。青木の自制心を信用してくれているのかもしれないが、他の人間がいる公衆の大浴場ならともかく、2人きりの温泉なんて危なすぎる。
「オレはいいですよ」
「なんで?」
「なんでって」
 このひとは自分の気持ちを知っているはずなのに、どうしてこう鈍いのだろう。
 事件のときは視覚者の心情をあんなに的確に見抜くくせに、と恨みがましい目つきになってしまう。
「なんだ、その顔。いいから入って来い! 僕の言うことが聞けないのか。僕はおまえの上司だぞ!」
「はいはい。わかりましたよ」
 薪は早くも絡み酒だ。温泉で身体が温まっているから、酒の回りが早いらしい。

 薪のために用意した脱衣所を使うことにする。
 服を脱ぐところを見られるのは、変に恥ずかしいものだ。脱ぎ終わった後のほうが露出度は高いはずなのに、あれはどういう心理なのだろう。薪はぜんぜん気にしないようだが。
「なんだおまえ。男のクセに裸になるのが恥ずかしいのか?」
 腰にタオルを巻いて出て行くと、ひとにイチャモンをつけるのが得意な上司が、また何か言っている。男らしくないだの、さては自分の身体に自信がないんだろうだの、勝手に言っててくださいという感じだ。酔っ払いの戯言をいちいち真に受けていたらきりがない。

「タオルはお湯につけないのが温泉のマナーだろ」
「ほっといてください。いいんですよ、ここは。水着も大丈夫なんですから」
 こんなことなら、自分の水着も持ってくればよかった。薪のために用意した水着では、片足しか入らない。
 マナーを説くだけあって、薪はタオルを頭に載せている。しかし、普通こういう場合は前を隠すものだが。薪の羞恥心はサル並みだ。

 周りを雪に囲まれているから、気温はかなり低い。お湯に入って温まらないと、10年ぶりに風邪を引いてしまう。
 なるべく薪から離れた位置でお湯につかる。ここへ来るのは5ヶ月ぶりだが、やっぱりとても気持ちがいい。

「あれ? おまえって」
 薪がこっちを見ている。サルは他人の裸も気にしない。
「なんですか?」
「おまえって、こんなにいい身体してたっけ」




*****


 ま、薪さんがセクハラオヤジに……青木くん、ピンチ?(笑)


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ラストカット 後編(4)

ラストカット 後編(4)





 薪は、お湯の中を滑るようにして青木に近付いてくると、華奢な手をこちらに伸ばしてきた。ためらいもなく、青木の胸に触れてくる。無邪気な触り方は、性をまったく意識していない。
「いつの間にこんなに筋肉ついたんだ? 2キロも走れないやつが、どうしてカチカチの足をしてるんだ?」
「ちょっ、さわらないで下さいよ」
 上半身はともかく、下半身はヤバイ。薪の手は遠慮というものを知らないのか、腰につけたタオルの中にまで入ってきそうな調子である。
 
「薪さんがオレに身体を鍛えろって言ったんですよ。それから少しずつ、トレーニングしてたんです」
「おまえって、どんだけ素直なんだ」
「おかげで10キロ走れるようになったんですよ。薪さんのハイペースには、まだついていけませんけど」
「2年くらいで、そんなに筋肉つくのか」
 走り込みもしているが、岡部について柔道と剣道も習っている。背の高い青木は柔道が苦手だが、剣道のほうはなかなか筋が良いと褒められた。
 
 薪には絶対に秘密だが、捜一の竹内に射撃も教えてもらっている。岡部が口をきいてくれて、竹内も快諾してくれた。竹内の射撃の腕前は全国レベルだ。
 竹内は、意外なほど面倒見が良くて親切で、頭もいいから話も面白い。これで薪に惚れてさえいなければ、心の底から友人になれるのだが。
 薪はそんな竹内のことを、何故か毛虫のように嫌っている。機会があれば薪の誤解を解いてやりたいところだが、それは竹内が薪のことを完全に諦めて、他の誰かに心を移すのを確認してからだ。恋敵に塩を送るほどの余裕は、青木にはない。

「ふん。ずるいやつ」
「な、なんのことですか?」
 心を読まれたのかと焦るが、薪の憤慨はまったく別のことだった。
「なんで僕は筋肉がつかないんだ? あんなに努力してるのに」
 薪はたしかによくトレーニングをしているが、捜査が混んできてしまったときはそんな時間はない。休日も休み時間も仮眠すら取らないのだから、合間を見て警視庁のジムを利用することもできない。使わない筋肉はどんどん落ちていくものだが、薪の場合、一番の原因は食事を摂らなくなってしまうことだ。

「ちゃんと食べないからですよ。筋肉を作る材料が身体の中にないと、いくらトレーニングをしても筋肉はつきません」
「そうなのか?」
「それだけじゃありませんよ。食事を抜くと生命維持に必要なエネルギーを得るために、身体は筋肉を分解して糖を作り出すんです。だから薪さんの身体には、筋肉がなくなっちゃうんですよ」
「おまえ、よくそんなこと知ってるな」
「三好先生の受け売りです」
 雪子には、効率よく筋肉をつけるための食事指導をしてもらっている。それにかこつけて、色々と薪のことを教えてもらっている。大学時代のことや捜一にいたころのことなど、ロスに研修に行っていた話も雪子から聞いたのだ。

「だから捜査に夢中になっても、食事を抜くのはやめてください」
「詰めのときはダメだ。食べると緊張感がなくなる。せっかく積み上げた推理が崩れてしまうんだ」
「そういうもんですかね。オレなんか腹減ってると、考える気にもなりませんけど。どっちかっていうと、おなかいっぱいのときのほうが、いいアイディアが浮かびますよ」
 脳の栄養源は糖質だけなのだから、これは青木の意見が理論的には正しいはずだ。勉強疲れのときは甘いものを食べろ、というではないか。しかし、頑固な上司は自分の困ったクセを矯正する気はないようだった。

「おまえは胃袋でものを考えるタイプだからな」
「なんですか、それ。オレが食欲だけで生きてるみたいじゃないですか」
「おまえ、ひょっとして胃袋の中に脳みそがあるんじゃないのか?」
「めちゃくちゃ言ってくれますね。胃液で溶けちゃうじゃないですか」
「いくらかでも溶け残ってるといいけどな」
 青木が怒った顔をすると、薪は楽しそうに笑ってくれた。
 もう、むちゃくちゃかわいい。本気で脳が溶けそうだ。
 
「雪見風呂に雪見酒かあ。これで隣に美人のお酌がついたら最高だな」
 薪は吟醸酒の盆に手を伸ばし手元に引寄せると、青木の肩を背もたれ代わりにして寄りかかってきた。温泉で温まった背中が腕に当たって華奢な両肩が目の前に来て……もしかしてこれは、忍耐力のテストだろうか。
「こんなところに、美人なんか来ませんよ」
「仕方ない。おまえで我慢するか」
 猪口を青木の方に差し出す。桜色に染まった細い腕。

「サルにでもお酌してもらってください」
 素っ気無く言って、青木はお湯から上がった。
 まだ体は充分に温まっていないが、我慢の限界だ。ここで無理やり襲ってしまって薪に投げ飛ばされるか、風邪を引くかの二者択一。これからのことも考えて、青木は後者を選ぶことにした。
 
 着替えを済ませて浴場に戻ると、薪は岩の上に座っていた。のぼせてしまったのか、顔が赤い。
 さすがに腰にタオルを置いているが、見えない分よけいに扇情的だ。腰の辺りから、ふるいつきたくなるような色香が立ち上っている。とても直視できない。これが水着だといくらかは落ち着いて見られるのだが。露出度はそう変わらないのに、不思議なものだ。

 薪のほうを見ないようにして、冷たいミネラルウォーターを渡してやる。コクコクと水を飲む音がする。
「そろそろ帰りましょうか?」
「うん。……もう、帰らないとダメか? ヘリのレンタル料とか、嵩んじゃうのか?」
「それは大丈夫ですよ。ヘリは明日の夜までに返せば、料金は同じです」
「じゃあさ、今日はここに泊まっていかないか?」
「え!?」
 デートプランを念入りに計画していた青木は、もちろんそのつもりで宿の予約もしてあった。薪にそれをどう切り出すかで頭を悩ませていたのだ。都合の良いことに、それを薪のほうから申し出てくれた。
 
 どういうつもりだろう。
 自分の気持ちに応えてくれる気でいるのか、それとも――。
 「そうしたら、明日もここに来れるだろ」
 ……単に温泉に入りたいだけなんですね。

 このひとはこういう人だ。自分の都合しか考えない。
 青木の気持ちなど、ちっとも考えてくれないのだ。どうしてこんな自分勝手なひとを好きになってしまったのだろう。
 今ここで、このピンク色に上気したからだを組み敷いてやりたい。柔道の技では負けても、腕力では負けない。力任せに奪おうと思えばできないことはないはずだ。
 でも、それをやってしまったら、永遠にこのひとを失ってしまう。せっかく縮めた距離が、また遠くなってしまう。だから何もできない。
 多分、薪は自分のそんな気持ちを見抜いている。だから自分の前で平気ではだかになれるのだ。襲うだけの勇気もないと思われているのだろう。くやしいが、事実だから仕方がない。

「わかりました。じゃ、2、3軒、宿を当たってみますね」
 本当はもう予約を入れてあるのだが、ここはこう言っておいた方がいい。あくまで薪のほうから誘った形をとっておかないと、後でまた何を言われるかわからない。
「当てがあるのか?」
「車に住宅地図と電話帳がつんでありましたから。電話してみます」
 青木はそれを理由に、その場を離れた。

 肩越しに振り返ると薪はまだ岩の上にいて、両手を後ろにつき、胸を反らせていた。
 片足を立てて目を閉じている。吐く息が白い。その姿は雪の化身のように白く清廉で、生身の人間とは思えないくらいきれいで――。
 どうしてこんなにきれいなんだろう。
 傷つけることなどできない。無理やり穢すことなどできない。
 少しだけでもいいから、汚いところがあればいいのに。そうしたら、こんなに躊躇わない。
 
 どこから見ても何をしていても、薪の美しさは損なわれることはない。惚れた欲目ではあるのかもしれないが、薪が泥酔してくだを巻いていたときでさえ、可愛くて仕方なかった。
 ラーメン食べても納豆食べても可愛かったし、自分の目はおかしくなってしまったのだろうか。このまま病状が進行すると、例え目の前でゲロを吐かれても可愛いと思うようになってしまうのかもしれない。
 ……人間を辞めたくなってきた。

 薪を口説くのは命賭けだが、もう自分でも抜けられない。
 近付けば近付くほど好きになって、薪に想いを告げた一昨年の秋よりも、今のほうが青木の熱は上がっている。この熱を冷ますのは、雪女にも不可能だ。
 
 とにかく、今夜が勝負だ。
 絶対に、返事をもらうのだ。
 決意を胸に、青木は車を置いてきた場所へと歩き始めた。



*****


 次はお泊りですね♪
 ベタな展開だなあ(笑)




 私信です。

 わんすけさん&コハルさんへ。
 正解は4番の『青木くんをなめきってるから』でした!
 ……すみません、ふざけすぎました。怒らないで。


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ラストカット 後編(5)

ラストカット 後編(5)





 獅子嚇しが響く雪景色の中庭は、松の木や石灯篭といった日本特有のオブジェに彩られて、宿泊客の目を楽しませている。
 国際化が進んだ今の世でも、からだに流れる血には大和民族の名残があるのか、こういう風景を見ると懐かしいような気がする。

 和風の静かな温泉宿を、薪はとても気に入ってくれたようだ。
 建物の中を見回す目がきらきらと輝いている。薪の目は、言葉よりも雄弁だ。
 その外見にそぐわず、薪は日本のものが大好きで、だから青木はここを選んだ。
 純日本風の建物、畳と障子と襖の部屋。窓を開ければベランダに露天風呂があって、中庭の雪景色が楽しめる。薪の好みにあったこの宿は、彼の笑顔を増やしてくれるに違いない。

 客室に露天風呂が付いているのを見つけた薪は、部屋係が挨拶に来る前に風呂に入ってしまった。さっきも雪山の温泉に入ってきたばかりなのに、そんなにお湯につかっていたら身体がふやけてしまうのではないだろうか。

 やがて、客室係が挨拶に来た。
 畳の上に正座して丁寧にお辞儀をし、お茶を淹れてくれた。定番の温泉饅頭をお茶請けに用意して、客がひとりしかいないことに気付いた彼女は、首をかしげた。

「ものすごく風呂が好きなひとで。もう、そこの風呂に入ってます」
「まあ。これを選んで頂こうと思ったんですけど」
 年配の人の良さそうな仲居が差し出したのは、何枚かの浴衣だった。
 模様はそれぞれ違う。水玉や小花柄、朝顔に金魚。渋めのものでは竹や梅。無地のものはピンクや水色、浅葱色に薄紫。
 しかし、これは当然女物だが。
 
「あの?」
「女性の方には浴衣をサービスしております。後ほど、お連れ様がいらっしゃるときに、またお伺いいたします」
「いや、それは困ります」
 受付の時、薪は青木の後ろにいて、一言も喋らなかった。ロビーに飾られた豪華な生花や、小さな橋の下に小川に見立てた水路がある様を、目を輝かせて見ていた。
 そんな子供っぽい表情のせいか、温泉に入ったせいで髪が濡れて前髪が額を隠していたためか、体型を隠すロングコートのせいか、薪は完全に女性に間違われているようだ。

 この事実を薪が知ったら、確実に怒り出す。絶対に帰ると言い出すに違いない。
 ここまで漕ぎ着けておいて、それはない。なんとしても避けたい事態である。
 薪が男だということをこの仲居に告げるべきか。しかしそれを言うと、また注目を集めてしまう。誤解させておいた方が、薪の機嫌を損ねないかもしれない。
 こういう田舎では、薪のようなタイプの男性は皆無に等しい。東京でも薪ほどの美貌には滅多と出会えないが、都会の人々はさりげなく見るだけだ。田舎の人は悪気はなくても、露骨に指を差してきたりするから困るのだ。

「じゃあ、旦那さまが選んで下さいますか?」
 青木の迷いをどうとったのか、仲居はくすくすと笑い、青木に浴衣を選んでくれるように頼んできた。
 
 青木はとりあえず、一番地味な浅葱色の浴衣を手にする。
 しかし、仲居は断然こちらの色が似合う、と薄紫の浴衣を推してきた。たしかにこちらのほうが薪のイメージだが、薪がこれを着ることはないだろう。
 
「奥様は肌がとても白くていらっしゃるから、こちらのほうがお似合いになると思いますよ。ほんと、おきれいな方ですよねえ」
「えっ。いや、奥様って」
「帯はこちらをお使い下さい。旦那さまにはこちらの浴衣を。これ以上、大きな浴衣はございませんので」
「はあ。ありがとうございます」
「夕食のお時間まで、お邪魔は致しませんので。ごゆっくりお寛ぎください」
 ……なにやら誤解されたらしい。
 客室係の再度の来訪を青木が断った意味を、そっちの方に取ったのか。
 彼女が仲居部屋に帰って仲間内でどんな話をするのか、薪には絶対に聞かせられない。

 猿と一緒にのぼせるほど温泉につかっていた風呂好きの奥様は、さすがに飽きたのか、ほどなく部屋に入ってきた。
 一応、腰にバスタオルを巻いている。ここは旅館だから、人の出入りもあるかもしれないと思っているのだろう。これが自宅だったら間違いなく素っ裸だ。
 
「どうでした? 露天風呂」
「サイコーだぞ。中庭の景色がきれいでさ」
 今日の薪はにやけっぱなしだ。温泉三昧のフルコースに、笑いが止まらないらしい。

 薪はキョロキョロと目を動かして、何かを探しているようだ。風呂上りに探すものと言ったらビールか着替えだ。
 やがて亜麻色の瞳が、薄紫色の浴衣の上で止まった。

「これ、まさかと思うけど僕のか」
 しまった、薪のサイズの男物の浴衣を用意してもらうのを忘れていた。
「そ、それはその、旅館の人が間違えて」
 何を間違えたのか、目的語を濁すところがポイントである。ここを明確にしてしまうと、雪嵐警報が発令されてしまう。
「いま、フロントに」
「まあいいか」
 よほど機嫌がいいらしく、薪は薄紫色の浴衣を素肌に纏うと、濃紫の幅広の帯をぎゅっと締めた。
 びっくりするくらい良く似合う。仲居の見立ては大したものだ。
 女の子のように帯の形を作ったりはしないが、それでもやはり浴衣姿というものは、男をクラクラさせる。めちゃめちゃ色っぽい。

「じゃあ、僕は大浴場に行ってくるから」
 ……まだ入るんですか。
 
 いや、だめだ。この状態のこのひとを男湯に入れたら、大変なことになる。
 露天風呂で温まった薪のからだは、柔らかそうな薄ピンクに色づいて、さっき飲んだ吟醸酒が目元を艶っぽく染め上げて――これでは襲ってくださいと叫んでいるようなものだ。警察官が犯罪者を増やすような真似をするわけにはいかない。
 
「そんなに続けて入ったら、湯疲れしちゃいますよ。もう少し休んでからにしませんか?」
「何度入ったって宿泊代は変わらないんだから。入らなきゃ損だろ」
 湯疲れして体調を崩すほうが、よっぽど損だと思うが。
 もとより、青木の言うことなど聞く耳を持たない薪である。こうなったら自分が付いていって、薪の身を守るしかない。
 そう決心して1階の大浴場まで下りていったのだが、薪は不意に庭に出たいと言い出した。いつもの気まぐれである。






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ラストカット 後編(6)

 みなさまにいただいた拍手が、6000を超えました(〃∇〃)
 ありがとうございますっ、とっても嬉しいですっ!

 読んでくださるだけでもありえないくらい幸せだと思いますのに、(いや、ここがよそ様のように、ロマンチックでラブラブなあおまきさんならそこまで卑下することもないと思うのですが、置いてあるものがモノだけに。原作のイメージぶち壊してすみません(^^;)
 ひと手間かけてぽちっと押していただける。そこに、励ましや共感のお気持ちを感じて、じーんとします。
 心が温かくなって、元気が出ます。


 うちは本当に、細かい文字ばっかりずららっと並んでる地味なブログで。
 しかも拙い小説しか置いてなくて、レビューとか考察とか、人様に喜んでいただけるような記事もなくて、こんなんでブログやってていいのかしら、と思いかけたこともありましたが。
 みなさまの励ましのお陰で、ここまで続けてこれました。
 とてもとても、感謝しております。

 これからもよろしくお願いします!

(あとでちゃんと、お礼記事書きます。リクエストの投票フォームも設置しますので、よろしかったらご参加ください)



 お礼の気持ちを込めまして。
 と、思ったらなんかビミョーな展開だな。(笑)





ラストカット 後編(6)





 雪に彩られた日本庭園はたしかに美しくて、自然が作り出す芸術を好む薪の心を捕らえるに充分な魅力を持っていた。

 1歩外へ出ると、当たり前だが気温は低い。こんなに雪が積もっているのだ。
「さむ」
 大浴場までだから、と薪は半纏を着てこなかった。青木が自分の半纏を着せてやろうとすると、おまえが寒いだろ、と手を止められた。
「オレは平気ですよ」
「部下に風邪を引かせるわけにはいかん」
「それじゃ戻りましょう。薪さんが風邪を引いちゃいますよ」
「いやだ。あそこの獅子脅しが見たいんだ」
 獅子脅しは中庭の奥のほうだ。けっこう距離がある。

「こうすればいいんだ」
 青木の半纏の片袖だけを脱がせると、薪はからだをぴったりと寄せてきた。
「な? あったかいだろ」
 亜麻色の髪から立ち上ってくる甘やかな香り。温泉のいい匂いがして、きめ細かな肌がとてもきれいで――人目もはばからず、抱きしめてしまいそうだ。

 理性を働かせるために、自分の半纏の中の人物から目をそらせた青木は、中庭に面した廊下に、さきほど部屋に来た仲居の姿を見つけた。
 ひとつの半纏にふたりで入って、中庭の散歩をする。
 これはどこからどう見ても、仲の良い夫婦か恋人同士だ。仲居の誤解はますます深まったことだろう。もう薪が男だということは、隠し通さないとヤバイ状況になってきた。

 雪の中をゆっくりと歩いて、薪は幸せそうな笑みを浮かべる。
 青木に対してこんな風に微笑んでくれたことはないが、美しい風景や動物などにはやさしそうに微笑む薪である。その十分の一でも第九の職員に分け与えて欲しいところだ。

 獅子脅しを見たいという薪の好奇心を満たしているうちに、ふたりの体はすっかり冷えてしまった。急ぎ足で館内に戻り、大浴場に直行する。
 大浴場は、意外なくらい空いていた。青木たちの他には、2,3人の客がいるだけである。この宿は全室に露天風呂が付いているから、1階にあってあまり眺めの良くない大浴場は人気がないのかもしれない。
 掛け湯を使ってから、まずは体を洗う。サルの温泉とは違うから、ここではきちんとルールを守らなければならない。薪もちゃんとタオルを腰につけている。薪は常識がないわけではなく、仲間同士というカテゴリーの中ではあまり羞恥心が働かないだけなのだ。

「背中、流してあげましょうか?」
「うん」
 薪の背中は細くて小さい。真っ白ですべすべしている。男にしてはウエストのくびれが強くて、きれいな腰骨へと滑らかな曲線を描いている。
 これを部屋の中で見せられたら飛びかかってしまいそうだが、明るい風呂場で周りに人もいる状態だと理性もきちんと働くようで、昼間のようにタオルを取ったらヤバイという現象は起きずに済んでいる。

「もういいぞ。今度は僕が、ってこれ、どう考えても僕のほうが損だろ」
 青木の背中を洗いながら、なにかぶつぶつ言っている。
 人間でかけりゃいいってもんじゃないとか、男はガタイじゃなくて中身だとか、これが薪でなかったら「たかが背中を流してもらうくらいのことで四の五言われる筋合いはない」と断るところなのだが。
 薪に背中を流してもらえるなんて、青木は天にも昇りそうな気持ちである。何日もかかってデートプランを組んだ甲斐があった。

「ほら、終わり」
「わ!」
 ざばっと頭から、盥のお湯を掛けられた。
 眼鏡も髪も、びしょびしょになってしまった。手櫛で前髪を上げ、眼鏡を外す。
 ひどいですよ、と振り返ると薪は意地悪そうに笑っている。
 ――はずだった。

「薪さん?」
 薪は、びっくりしたような眼で青木を見ていた。
 亜麻色の瞳が感傷を含む。切なげに寄せられた眉根。小さく開かれたくちびる。
「そんなに鈴木さんに似てますか?」
 はっとしたような顔になって、薪は横を向いた。黙って湯船のほうへ歩いていく。つまり、それは肯定の意味だ。
 青木はわざとその後を追わずに、髪を洗い始めた。洗髪を済ませて顔を上げると、鏡の中から青木のほうを見ている薪の顔が見えた。
 眼鏡をしていないので、表情はわからない。でも予想はつく。きっと誰かを思い出して、切なそうな顔をしているのだ。
 
 広い湯船をいいことに、青木は薪と離れて湯につかった。
 薪がちらちらとこっちを見ている。甘さと愁派を含んだ視線。
 青木は、薪の視線に気づかない振りをする。薪が今見ているのは自分ではない。だからここは知らない振りだ。

 ときどき、薪はこんな眼で自分を見る。
 死んだ親友に生き写しだと、何度も言われた。昼寝から覚めたときには、100%間違えられる。それはもはや、間違いとは言わない。
 薪は、彼に恋をしていた。いまでも夢中で恋焦がれている。
 薪が自分を突き放さないのは、その彼に顔が似ているからだ。だから薪の前で、眼鏡は取りたくなかったのに。

 青木は曇りを覚悟して眼鏡をかけ、前髪をきちんと後ろへ撫で付けた。鈴木との印象を違えるためにも、眼鏡は必需品だ。
 そのうち冷静さを取り戻したのか、薪は青木の方へ寄ってきた。
「悪い」
 俯いて、小さな声。このひとが謝るなんて、転変地異の前触れではないか。
 
「何がです? あ、まさか薪さん、オレの分もお饅頭食べちゃったんですか?」
 本当は、わかっている。
 薪は自分の気持ちを知っている。鈴木と間違えられる度に傷ついている青木の心を、わかってくれているのだ。
 でも、鈴木と自分が重ねられていることに青木が気づいていることを認めてしまうと、薪がまた自分自身を責めてしまう。

「おまえじゃあるまいし。って、ひとつしか残ってなかったじゃないか」
「あれは2人で1個なんです」
「じゃあ僕は中身のアンコで、おまえは皮だけだな」
 青木のとぼけた会話に乗ってくれる。エスプリのきいた意地悪が、薪の会話の基本である。
「ずるいですよ、平等に分けましょうよ。あのお饅頭、皮は薄くてアンコがたっぷりなんです。甘さを抑えた漉し餡で、皮には味噌の風味が」
「なんで中身知ってんだ?」
「あ」
「何が平等だ! やっぱ、食ってんじゃないか!」
 ざばざばとお湯を掛けられる。青木はもう一度眼鏡を外すが、薪の表情が変わることはなかった。

「夕飯、楽しみですね」
「おまえはホントに食うことばっかだな。色気より食い気か。子供だな」
「ここは山の中ですから、国産マツタケの土瓶蒸しが名物料理みたいですよ」
「マジでか!? よし、早く食べに行こう!」
「ひとのこと言えませんよね」
 
 薪はさっさとお湯から上がって、浴室を出て行った。
 からりと引き戸を開けたとき、すれ違った中年の男が驚いたような顔で薪を見た。浴室の入口に立ったまま、男は薪の裸を目で追っている。
「……ちっ」
 青木は舌打ちして湯船から上がり、薪の後を追いかけた。



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ラストカット 後編(7)

ラストカット 後編(7)





 懐石風の夕食に、薪は満足してくれたようだった。
 この宿は、料理も良いが酒もいい。特に地酒の種類が豊富だ。
 薪好みの口当たりの良いやや甘めの地酒を選んで出してもらったのだが、昼間だいぶ飲んだとみえて、薪は口をつけなかった。

 料理を運んできた客室係に、お風呂はいかがでしたか、と尋ねられて、薪はにっこりと笑う。
 薪は、初対面の人には愛想がいい。とりあえず笑顔で相手を油断させておいて、腹の中を探ろうとする。第九の室長として様々な団体との交渉ごとを行なっている薪にとって、この行動はもはや本能である。

「先ほど中庭を散歩されてましたね」
「ええ。素敵なお庭ですね。獅子脅しは、今では珍しくなりましたよね」
 ビール党の青木は、当然冷たいビールを飲んでいる。珍しいことに、薪がお酌をしてくれる。
「旦那さまと仲がよろしくて。羨ましいですわ」
 仲居の不用意な発言に、青木は思わず噎せ込んだ。ビールが鼻から出てきそうだ。
「大丈夫ですか?」
 あなたが大丈夫ですか、と叫びたい。薪の氷のような目つきと、礫のような言葉の暴力が始まってしまう。

「新婚なんです」
「は!?」
「まあ、そうなんですか。おめでとうごさいます」
「まだ指輪もくれないんですよ、このひと」
「あらあら。それはいけませんね」
 何を思ってか、薪は仲居の勘違いに付き合うことにしたようだ。

「仕事が忙しくって。このひとの上司がとても怖い人で、休日出勤も残業も断れなくて。あんまり家にも帰ってこないんです。今日の休みも3週間ぶり。ひどいでしょう?」
 怖い上司が怖いことを言い出した。この仲居がいなくなったら、自分は殺されるのかもしれない。
「だから今日は、思い切り甘えさせてもらおうと思って」
 ふたりの女性は、揃って青木の顔を見た。意味ありげな視線を向けてくる。
「……マツタケの網焼き、追加で」
 薪とその共犯者は、楽しそうに手を打ち合わせた。

 最後の汁物と鯛めしを置いて仲居が部屋から出て行くと、薪は足を崩して浴衣の裾を割り、いつもの胡坐の姿勢になった。正座をしていたため足が痺れたのか、手で揉んでいる。
「薪さん。あの、今のは」
「浴衣がおいてある時点で、間違えられてるのは解ってた。だから話を合わせただけだ」
「いいんですか? 誤解を解かなくて」
「今日はいいんだ」
 いつもはあんなに怒るくせに、いったいどうしたのだろう。
 もしかすると、薪も自分と同じように、この夜を大切なものにしたいと思ってくれているのだろうか。つまらないことで怒ったりして、せっかくの夜を台無しにしたくないと考えてくれているのだとしたら――。

「ここの露天風呂は気に入ったから」
 ……結局それなんですね。

「ああ、もうおなかいっぱいだ。旅館の食事って、なんでこんなに大量なんだろうな。絶対に3人分はあるよな」
 普段から薪は食が細い。定食屋でも一人前を完食する事は稀だし、今日だって皿が空になったのはマツタケの土瓶蒸しと追加の網焼き、刺身くらいのもので後は半分ずつくらいしか食べていない。信州和牛の陶板焼きに至っては、まだ生肉のままである。
「そうですか? オレにはちょうどいいですけど」
 青木は薪の食べ残しの皿を引き寄せて、当然のように食べ始める。しばらく前から青木は、どこへ行っても一人前を食べきれない薪のディスポイザーと化している。

「ひとの分まで食っといて、なにがちょうどいいんだ」
「残したら旅館のひとに悪いじゃないですか。この牛だってゴミ箱に入るより、人間の胃に入りたいに決まってますよ」
「……昔の事件でさ、牛の胃袋の中から人間の頭部が出てきたことがあったんだ」
 意地悪そうな笑みを浮かべて、薪はこと細かく発見の状況を語り始めた。
「顔中の皮膚が胃液でどろどろに溶けててさ。神経とか血管とかぐずぐずになってて。髪の毛は残ってたんだけど、頭皮が溶けちゃってるから簾みたいになって」
「やめてくださいよ! 食べられなくなっちゃうじゃないですか」
「食いすぎなんだ、おまえは」
「薪さんは少し飲みすぎですよ」
 仲居がいなくなった直後から、薪は地酒を飲んでいた。さっきは女の振りをしていたから、酒を控えていたのだ。2合瓶がすでに空である。

「この酒、美味いな。ちょっと柚子の風味があって、いくらでも飲めそうだ」
 四つん這いになって電話のところまで行き、酒の追加を注文する。きっと厨房では、青木が飲むと思われているのだ。
「蒼山をもう1本と、寒椿、それから」
 なんと3本も追加を入れている。
 仲居がすぐに注文品を部屋に運んできた。地酒の瓶が2本と生ビールが1杯。変わり身の早い薪は、正座してお茶を飲むフリをしている。
 仲居がいなくなると、早速瓶に手を伸ばす。大して強くもないくせにやたらと飲みたがる。そのあとは周りの人間が大変な思いをするのだ。

「ダメですよ、薪さん。昼間も1本空けてるんですから」
「いいだろ、旅行のときぐらい。ほら、おまえもじゃんじゃん飲め」
「オレはこれだけでいいです」
 自分まで酔ってしまったら、薪の世話をする者がいなくなる。
 このひとは多分このまま眠ってしまう。自分で布団に入ることもできない。青木が運んでやらなくてはならないのだ。

「ケチケチするな。おまえの分の宿泊代も、僕が払ってやるから」
「お金の問題じゃありません。オレは薪さんの体を心配して」
「カラダ?」
 薪はそこで、軽蔑したような顔で青木を見た。

 


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ラストカット 後編(8)

ラストカット 後編(8) 





 薪はそこで、軽蔑したような顔で青木を見た。

「おまえ、ヤラシイこと考えてるだろ」
「はい!?」
「飲みすぎると、役に立たなくなるとか思ってんだろ」
 亜麻色の目は据わりきっている。完全に酔っ払いの目だ。

「何をバカなこと言ってんですか」
「だっておまえ、僕のこと好きなんだろ。今夜はチャンスだとか思ってんじゃないのか」
 チャンスだとは思っている。でも、それはからだの関係を持つチャンスだと考えているわけではない。
 青木は、保留中の答えを聞きたいだけだ。いくらかでも自分を好きになってくれているのか、それとも恋愛の対象にはなりえないのか。きちんと答えて欲しいだけだ。

「思ってませんよ」
「嘘つけ。この旅館だって、計画済みだったくせに」
「妙なことを言いますね。ここに泊まることは、急に決まったんじゃありませんか。第一、泊まるって言い出したのは薪さんのほうですよ」
「じゃあ聞くけど。この宿の予約、どうやって取ったんだ?」
「どうって、電話で」
「あの山の中のどこに電話があったんだ?」
「何言ってんですか。携帯があるじゃないですか」
「携帯電話ね」
 薪は腕を組んで顎を反らし、青木を睥睨した。
 亜麻色の瞳が煌いている。これは確たる証拠を掴み、今から容疑者(青木)を自白させ(イジメ)ようとするときの薪の表情だ。それを見て、青木は誘導尋問に引っ掛かったことに気付いた。
 ……あそこは圏外だ。

「おまえの携帯は便利だなあ。アンテナがなくても使えるのか」
 薪の嫌味が始まった。
 酒の席だし、ここは明るく冗談で返すことにしよう。
「いやあ。オレのは特別で、海の底でも宇宙でも使えるんで、――っ!」
 軽口を叩き終わる前に、薪の拳が飛んできた。顔面3センチのところで止まっている。華奢な手だが速度が速いので、急所を殴られるとかなり痛い。
「あの世でも使えるかもしれんな。試してみるか?」
「……すみません」
 さすが薪だ。
 青木の計画など、最初からお見通しというわけか。
 でもそうすると、それを解っていて自分についてきてくれたことになるが、その辺はどう解釈すればいいのだろう。もしかして薪もその心算で……いや、温泉に入りたかっただけだ、このひとは。

「僕は、おまえの思い通りにはならないからな。おまえなんかにいいようにされるくらいなら、サルと寝たほうがマシだ」
 ひどい。サル以下だ。
「オレはそんなことは考えてません。薪さんがちゃんとオレのこと好きなってくれるまで、そういうことはしません」
「おまえ最初、僕に無理矢理キスしてきたじゃないか」
 薪に初めて想いを告げたとき、薪は青木の気持ちをジョークにしてしまおうとした。それは決して青木の心を踏みにじったわけでも茶化したわけでもなかったのだが、恋情を募らせていた青木にはひどく冷酷な仕打ちに思えた。
 自分が本気だということを薪にわかってもらいたくて、行動に出てしまったというのがキスの理由だ。

「あのときのことは謝ります。でも、それからは無理強いしたことはなかったと」
「その後もあったろ。おまえが実家から帰ってきたときとか」
「あれは薪さんのほうから」
「僕はおまえの涙を拭いてやっただけだ。おまえが押さえつけたんじゃないか」
 ……そうだっけ? 舌を絡めてきたのは薪のほうだったと思うが。
「こないだも車の中で、僕が眠ってるときに盗んだだろ」
 だってあんまりかわいくて、つい……これは男の本能というやつで、どうにも逆らいがたいものなんです。
「すみません」
「すみませんで済んだら、第九は要らないんだよ」

 決まり文句を吐いて、薪は2本目の瓶の封を切った。手酌でコップに注ぐ。
 薪は飲むピッチが早い。少量しか入らない猪口は面倒なので使わない。いつもぐい飲みかコップである。
 
「キス以上のこともしたいとか思ってんだろ」
「思ってませんよ」
 本当は、力いっぱい思っている。
 夢の中でも頭の中でも、薪との情事は何度も繰り返されている。そこに出てくる薪は妖艶で淫らで、男を悦ばせる術を知っている。そのくせ夢のようにきれいで可愛くて。実際夢なのだが、それが現実になったらどんなに幸せだろうといつも思っている。
 しかし、いまは言いたくない。素面のときならともかく、この状態の薪に何を言っても無駄だ。明日の朝にはきれいさっぱり忘れている。

「おまえがいくらとぼけたって、僕にはわかるんだぞ」
 自分の夢の内容を知られているとしたら、殺されても文句は言えない。
 昨日の夜は今日の旅行が楽しみで、薪が温泉に入っているところを想像しながら眠った。
 当然のように夢を見て、薪は露天風呂の中から裸で青木を手招きした。誰か来るかもしれない野外のスリル満点の風呂で、薪は恥ずかしがりながらも切ないよがり声を上げて、青木を受け入れてくれた。
 しかし、それを薪が知っているはずがない。ここは地の果てまでシラを切りとおすところだ。ハッタリに引っ掛かって迂闊なことを喋ったら命はない。

「何のことだか分かりませんけど」
 青木が素知らぬふりでジョッキを呷ると、薪は両手を畳について、内緒話でもするように青木の方へきれいな顔を近づけてきた。
「おまえ、今日僕に欲情してたろ」
 咄嗟に否定できなかったのは、身に覚えがあるからだ。
「昼間、岩場の温泉にふたりで入ってたとき、やばくなってただろ」
 ……ばれていたのか。

 しかし、そのことで青木の邪心を疑うのはあんまりだ。
 嫌がる青木を無理やり風呂に入れて、あちこち触ってきたのは薪のほうだ。自分の気持ちを知っているくせに、あんな誘うような真似をして。応えてくれる気なんかないくせに、あれで青木が我慢できなくて襲いかかっていたら、きっと岩の上に投げ飛ばされていたのだ。このひとはそういうひとだ。

「タオルの下で、ここが」
 薪の白い手が、青木の太腿に置かれる。小さな手は青木の浴衣の裾を割り、迷うことなくその中に入ってくる。その手は膝から内腿へ滑っていき――――。
「こ……」
 亜麻色の頭が不意に落ちてきて、青木の下腹にぶつかった。
 足の間から、すくーっという音が聞こえる。薪の眠りはいつも唐突だ。
 
「薪さん……これはセクハラです」
 やわらかい頬がそこに当たっている。ちょっとでも動いたら、薪のくちびるが下着の上からそこに触れそうだ。
 まずい。これは昼間の状況よりやばい。
 薪の体勢は、畳に両膝をついて腰を上げ、顔を青木の股間に埋めている形だ。何をしているところか、100人中100人が間違った答えを出しそうだ。

「お待たせいたしました。蒼山をぬる燗でお持ちいたし――!」
 ……絶対にこうなると思った。

 仲居は床の上に静かに盆を下ろし、優雅にお辞儀をしてゆっくりドアを閉めた。
 旅館の仲居というものは、時に第九の室長をも上回るポーカーフェイスを持ちうるらしい。現況の理解は100%間違っていたにしても、青木にそれをどうしろというのだ。
「もう二度とここへは来れないな……」
 せっかく見つけた薪好みの宿を、一軒失ってしまった青木だった。




*****


 R系のギャグって、ほんっとに楽しいです!(ロマンチックはどこへ行った?)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ラストカット 後編(9)

ラストカット 後編(9)





 夕食の膳を片付けてもらったのは、それから1時間後のことだった。
 手際よく食器を運び出す仲居の顔には、先刻の誤解の片鱗もなかったが、彼女が仲居部屋でどんな話をしたのかは判らない。薪には何があっても、その誤解の内容は教えられない。

 部屋を出る際に、仲居はにっこりと微笑んで青木に話しかけてきた。
「青木さま。当店はご高齢の方も多くいらっしゃいまして。皆様テレビの音を大きくされますから、防音設備も整えてございます。かなり大きな音でも隣の方には聞こえませんので、テレビのボリュームを絞る必要はございません」
 突然の宿自慢に、青木は心の中でがっくりと肩を落とす。
 絞らなくていいのはテレビのボリュームではなくて、つまり。

「明日の朝は7時から9時の間に、1階の朱雀の間でバイキング形式の朝食をご用意しております。こちらに手前どもが伺うことはございませんので」
 完璧に誤解されている。もう言い訳する気もなくなってきた。旅の恥はかき捨てだ。
「ではごゆっくりおやすみ下さいませ」
「……ありがとうございます」

 彼女の誤解を助長させた張本人は、とっくに布団の中である。青木の苦労も知らず、健やかな寝息を立てている。
 その寝顔は、やっぱりかわいい。見ているだけで幸せな気分になれる。これだからどんな目に遭わされても、青木は薪から離れられない。
 
 畳の上に布団で寝るのは、学生のときに仲間と一緒に旅行に行ったとき以来だ。清潔な寝具とイグサの香り。枕が変わると眠れない人間もこの世にはいるらしいが、もともと寝つきが良い青木はものの2分で眠りに落ちた。

 その眠りが破られたのは、夜半過ぎのことだった。
 どこからか泣き声が聞こえたような気がして、青木は目を覚ました。
 横を向くと、薪の姿がない。さてはまた風呂か、とベランダのほうを見ると、小さな影が部屋の隅っこにうずくまっている。
「何やってるんですか、薪さん」
 部屋が暗くてよくわからないが、薪は膝を抱えて座っているようだ。なぜ布団から出たのだろう。
「座敷わらしかと思いましたよ。早く布団に戻って」
 近付いてみて、驚いた。
 薪は瘧のように震えている。歯の根が合わないほどにガタガタと揺れ動いて、それを止めようと両肩を手で押さえている。
「薪さん? どうしたんですか?」
 怖い夢でも見たのだろうか。それにしては雰囲気が異様だ。

 薪を安心させようと、青木は部屋の明かりを点けた。震える薪の姿が、明るい照明の下にさらされる。
 亜麻色の瞳が、涙に濡れている。
 普通の泣き方ではない。滂沱、という感じだ。
 その目が青木の姿を捉える。大きな瞳に青木の顔が映っている。しかし、その眼はいつもの冷静な眼ではない。これは……狂気を孕んだ眼だ。

「迎えに来てくれたのか? 鈴木」
 寝ぼけているときは必ず間違えられる男の名を聞いて、青木は言葉を失う。普段なら違います、と否定するところだが、今の薪にそれを言ったら大変なことになりそうな気がする。
「ずっと待ってた……早く連れて行って」
 両手で青木の浴衣の前をつかみ、薪は自分の身を寄せてくる。薪が自分から近付いてくるのは、青木を死んだ親友と間違えているときだけだ。

「おまえが満足するまで、僕を好きなようにしていいから」
 抱きつかれて、耳元でそんなことを囁かれる。涙に濡れた頬を青木の頬に擦り付けて、愛してる、と繰り返す。
 今日の寝ぼけ方は強烈だ。
 鈴木の夢でも見たのだろうか。それで恋しくなってしまって、泣いていたのだろうか。
 なにもわざわざこんな日にそんな夢を見なくたって、と心無い薪の行動を非難したくなってしまう。
 しかし、青木の夢占いは外れたようだった。

「血の一滴までおまえにやるから。何回でも殺していいから」
 愛の言葉が物騒な話に替わって、青木は思わず身を離す。
 これは、早く正気に戻したほうがいいかもしれない。薪はとんでもない悪夢を見たのかもしれない。

「薪さん、オレです。青木です。しっかりしてください」
 華奢な肩をつかんで揺する。亜麻色の髪が揺れ、瞳も揺れた。
「心配いりません。ただの夢ですよ。だれもあなたを傷つけるものはいません」
 ややあって亜麻色の瞳に焦点が戻り、薪は自分を取り戻したようだった。
 ぺたんと畳に尻を落として、背中を丸める。普段のきりりとした室長の顔からは想像もつかない、弱々しい表情。それを隠すために両手で顔を覆っている。

「大丈夫ですか?」
 このひとは、まだあの事件の夢を見るのだろうか。あれから2年も経ったというのに、まだその衝撃を忘れられないのだろうか。
「いつも、こうなんだ」
 ほそい指の隙間から、透明な雫が垂れてくる。薪が泣き虫なのはもう分かっているが、その涙を止めてやりたいとこれほど強く思ったのは初めてだった。

「楽しいことがあると、決まってその日の夢は凄くキツイんだ」
 薪はまだ震えている。抱きしめてやりたいが、余計に怖がらせてしまいそうだ。青木の顔は薪にとって、自分が殺した男の顔なのだ。
「わかってるんだ。なんでこんな夢を見るのか。鈴木が僕を嗜めてるんだ」
 親友を殺してしまった悔恨。愛する人をその手にかけた痛み。青木には想像もつかない、深い慙愧の念。
 それは薪の精神をゆっくりと蝕んで、時に幻覚となって薪の前に姿を現す。先刻の狂気のように、薪のこころをずたずたに切り裂いて。

「ひとを殺しておいて、なんでそんなに楽しそうにできるんだって。人殺しのクセに、なにヘラヘラ笑ってんだって」
「鈴木さんはそんなこと思ってません。オレ、言ったじゃないですか。薪さんの命は鈴木さんが守ってくれた命だって。薪さんの人生は鈴木さんが守ってくれた人生なんですよ。楽しく笑ってていいんです」
 鈴木はとてもやさしい男だった、と誰に聞いても同じ答えが返ってくる。薪の親友をやっていたくらいだから、ちょっとやそっとのことでは怒らない性格だったのだろう。
 
「鈴木さんはそれを望んでます。鈴木さんがそういう人だって薪さんが一番良く知ってるはずでしょう」
「うん、知ってる。でも、どうにもならないんだ。夢の内容までは制御できない」
 それはきっと、薪の心が見せる悪夢だ。
 自分のせいで大勢の人が死んだと思い込み、自分自身を許すことができない。薪の誰よりも強い正義感が、薪自身を苦しめている。
「今日は……今日はとっても楽しかったから、絶対に来ると思ってた。誰かと一緒なら大丈夫だと思ったんだけど」
 それで泊まろうと言い出したのか。ひとり寝が怖い子供のように、だれでもいいから傍にいて欲しかったのか。
「オレがついてますよ。ずっとここにいますから」
 今のこのひとは、子供と同じだ。だれかの庇護が必要なのだ。

「おまえ、僕を守ってくれるって言ったよな」
「はい」
「じゃあ、この夢からも守ってくれるか?」
 弱気な瞳が、青木に縋り付いてくる。
 果てしなく繰り返される悪夢は、薪の精神の均衡を崩していく。2年以上もこの夢に悩まされて、薪は藁をもつかみたい状態になっている。

「もう、忘れたい……何もかも、忘れてしまいたいんだ」
 薪は立ち上がり、自分から浴衣の帯を解いた。
 合わせを広げて肩を出す。畳の上に浴衣を落とし、下着も取って生まれたままの一番美しい姿に還った。

 青木は決意を固めた。
 薪を救うには、やはりこの方法しかない。それは青木にとっては甚だ不本意な手段だ。確実に嫌われてしまうし、薪が自分を好きになってくれる望みもなくなる。
 だが、いちばん大切なのは薪の幸せだ。自分と薪がうまくいくことではなく、薪が幸せになることだ。薪の幸せに自分の幸福は関係ない。

「……何も……考えられないように」
 薪の手が青木の浴衣の帯をほどく。浴衣を脱がせて半身を露わにする。
 白い腕が青木の頭を抱いた。耳に甘やかな吐息がかかる。やさしい肩が薄い胸が、青木の肌に触れ、擦り合わされる。
 
「夢なんか見ないくらいに……」
 青木は目を閉じて、愛しいひとの身体を抱きしめた。




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ラストカット 後編(10)

ラストカット 後編(10)





『薪さん。愛してます。大好きですよ』
 半分夢の中にいるようなゆったりとしたまどろみの中、耳元で繰り返し囁かれるその言葉は、とても心地好い響きを持っていた。
 逞しい腕が自分を抱き上げて、まだぬくもりの残る夜具の中に入れてくれた。すぐに暖かい体温を持ったはだかの胸に抱きこまれる。
 薪は、手を伸ばして相手の背中を抱きしめた。ぴったりと密着すると、心の底から安心感が湧き上がってくる。

 こうなるかもしれないと予想はしていた。青木が予め宿を用意していたことは、気が付いていた。
 山中の温泉で青木は電話を掛けたと言っていたが、あの場所は圏外で携帯電話は使えない。しかし、宿の予約は取れていた。つまり、事前に予約がしてあったということだ。知っていて、着いてきた。

 だって、こいつと過ごす時間はとても楽しくて。時を忘れてしまうくらい楽しくて楽しくて。
 もっと一緒にいたいと……今日だって帰りたくなくて、こいつと離れるのがいやで。
 でも、そうやって楽しい時間を過ごした後の悪夢は、決まって凄まじいものになる。心に刻まれた幸せな気持ちを帳消しにしようとするかのように、悪夢は繰り返され、眠れない夜は増えていく。

 人殺しが人生を楽しもうなんて、それじゃ殺された人間はどうなるんだ?
 こんな不平等な話があっていいのか?

 薪の心の底で、通奏低音のように鳴り続けているその責め言葉は、永遠にそこの住人になった親友の弾劾なのか、それとも罪の意識から逃れられない薪の弱さなのか。薪にはもう、判断がつかない。

 できることなら忘れてしまいたい。忘れて楽になりたい。
 鈴木のところに行けば、楽になれると思っていた。鈴木はいつだって、僕が必要とするものをくれたから。きっと今度も、くれるに違いない。僕が切望する、この罪に相応しい罰を。
 それさえ与えられれば、僕はもう苦しまない。何も考えず、彼に身を任せていればいい。もっとも、あの夢の内容じゃ、なにか考えてる余裕はないだろうけど。
 
 この世でしなければならないいくつかのことを済ませたら、鈴木のところへ行ける。きっと鈴木が迎えに来てくれる。自分はそれを心待ちにしていたはずだ。
 第九のことも目途がついてきて、その日も近いというのに。今の僕はこいつとの時間を失いたくなくて、刑の執行を先延ばしにしようとしている卑怯者になってしまった。
 そんな僕を、鈴木は見破っている。あの男が好きなんだろう、あの男に抱かれたいんだろう、と冷たい眼で責められた。
 それは違うと必死で言い訳したけれど。……本当は、自信がない。

 こいつに告られる前から、僕はずっとこいつのことを見てて。
 それは鈴木の面影を探していたつもりだったけれど、今となってはどこから気持ちが変化したのか、よくわからない。けど、今でも鈴木と見間違うこともあって、こんなどっちつかずの自分は浮気者みたいで嫌だけれど、たしかに僕はこいつと一緒にいるのが楽しくて。

 その証拠に、さわられても鳥肌が立たない。
 抱きしめられてもぞわぞわしない。
 キスはうっとりするくらい気持ちいい。

 そうやってこいつと触れ合うたびに、鈴木を忘れていく自分を感じていた。それが自分で許せなくて、僕は鈴木のことだけを愛していくのだと自分に言い聞かせて……言い訳だと分かっていても、僕にはそうすることしかできなかった。

 薪の髪を撫でていた大きな手が、背中に下りていく。腰の辺りをまさぐられて、薪は思わず肩を竦める。
 腕をとられて仰向けに寝かされる。くちびるにやさしいキスが降りてくる。耳元に熱い息がかかる。ぞくりと背筋を嫌悪感ではない何かが這い上がってくる。

 こいつに抱かれてしまえば、何か変わるのだろうか。
 こんな夢を見なくなるのだろうか。鈴木のことを忘れられるのだろうか。
 ……忘れていいのだろうか。
 
 鈴木のことを忘れて、新しい恋人と新しい人生をやり直す。そんなことが許されるのだろうか。
 それができれば、どんなにか楽だろう。
 身体の関係ができてしまえば、そうなっていくのだろうか。鈴木とのときもそうだった。寝たら、ますます鈴木のことが好きになって。
 関係を結ぶのは簡単だ。このまま目を閉じていればいい。こいつが勝手にやるだろう。
 
 久しぶりに触れる人肌はあたたかくて心地よくて、薪を安心させてくれる。
 このぬくもりが、ずっと欲しかった。
 鈴木が教えてくれて、でも途中で放り出されて。放置プレイの末にとうとう顔も見せてもらえなくなってしまった、非情な恋人。
 そんな冷たい恋人とは別れて、自分を熱愛してくれる新しい恋人と幸せになる。それのどこがいけないんだ。

 ……そんなことが許されないのは、分かっている。
 でも、一晩くらい。
 僕だって一晩くらい夢が見たい。幸せな夢が見たいんだ。
 
 僕を愛してくれる恋人と愛戯を交わす幸福な一夜。今夜だけでいいから、目を瞑っていて欲しい。
 明日になったらまた、鈴木の恋人に戻るから。鈴木に永遠の片恋をし続ける、いつもの僕に戻るから。
 今夜だけは……。

 薪は心に蓋をする。
 鈴木の声が聞こえない世界に、薪は自分の身を投げ出した。



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ラストカット 後編(11)

ラストカット 後編(11)





 スズメの声で、薪は目を覚ました。
 なんだかすごい夢を見たような気がする。
 青木が出てきた。どこかの温泉宿にふたりで泊まって同じ部屋で寝て。いやな夢を見て、あいつに抱きついたらそんな気分になって、自分から服を脱いで関係を迫ったような―――。

「……っ!?」
 目の前に誰かの裸の胸がある。残念ながら男の胸だ。薪より広くてとても逞しい。羨ましい、ってそんなこと思ってる場合か!
 慌てて起き上がってみると、裸だったのは相手だけじゃない。相手はまだ下着を着けているけど、自分はパンツも穿いてない。

「しまった~、やっちゃったか~」
 薪は、真っ青になって頭を抱え込んだ。
 夢じゃなかった。ここは長野の温泉宿だ。昨日は青木とお地蔵様を祀りに来て、ここに泊まったのだ。
 
 昨夜のことはよく覚えていないが、状況証拠から有罪は決まったようなものだ。なにをどうした記憶はないが、ひとつの布団でハダカで抱き合って寝ていれば、それはもう。
 男同士だけど、青木は自分に惚れている。これが他の部下だったら何もないと思えるけど、いや、パンツ脱いでたら相手が誰でもアウトか。

 急いで浴衣に袖を通し、帯を締める。別に寒くはなかったが半纏も着込んで、薪は眠っている男から離れた位置に座った。
 鈴木と初めてしたときは、翌朝は動けないくらい痛かったが、今回は大丈夫だ。長いこと使ってなくてずい分狭くなってしまったように思っていたけれど、一度経験したことは身体のほうが覚えているらしい。どこにも痛みはない。きっと上手くできたのだ。
 青木の寝顔はとても幸せそうで、満ち足りているように見える。好きな人と結ばれた翌朝は、あんな顔になるのかもしれない。
 
 けっこう、いい男になってきたような気がする。
 鈴木と顔が同じなんだから、もともとの造作は悪くないのだ。ただ、いままでは甘ちゃんというか学生くささが抜けないというか、カッコイイとは思えなかったのだが、この寝顔は悪くない。頬のラインも男っぽくなってきた。以前はやさしさが前面に押し出された顔立ちだったが、武道に親しんだせいか、このところは精悍さを加えてきた。
 
 眼鏡を取ると、男っぽい眉が目立つ。目は切れ長の二重。高い鼻。口はいくらか大きめだ。
 この口唇と、昨夜キスをした。
 このくちびるが僕の肌に触れてきた。耳から首から胸、それからもっと下のほうへ。大きな手がそうっと背中や腰を撫でてくれて……こいつの愛撫はとてもやさしくて気持ちよくて。
 でも、薪が覚えているのはそこまでだ。後は夢中になってしまったのかもしれない。
 鈴木との時もそうだった。翌朝覚えていたのは幸せだったことと痛かったことだけで、自分がどんな風に鈴木に迫ったのかもよく覚えていなかった。

 薪は、自分の困った性癖に頭を抱える。
 あの時も酔っ払ってた。きっと自分は、酒で失敗するタイプだ。
 気が付いたら女の子が裸で隣に寝てて、責任取らされて結婚までいくパターンだ。こいつが男で良かったのかもしれない。これからは気をつけないと。

 微動だにしなかった睫毛がぴくぴくと動いて、ぱちっと黒い目が開いた。ゆるゆると上半身を起こして、青木は盛大な伸びをする。長い両腕を上に上げて背中を反り返らせ、ぎゅっと眉根を寄せた。
 薪の嫉妬を掻き立てずにはおかない筋肉質の上半身。
 昔は図体ばかりでかくて根性も持久力も無くて、道場で組み合ったときには1分もしないうちに投げ飛ばしてやった。今だってできないことはないと思うが、それほど簡単にはいかないかもしれない。特にあの腕力は厄介だ。道着をつかまれて力任せに投げられたら終わりだし、引き倒されて押さえつけられたら身動きできない。

「おはようございます。早いですね」
 薪の姿を見つけて、屈託無く笑う。この笑顔を曇らせてしまうのは忍びないが、昨夜のことは忘れて貰わないと困る。なんて言えば――。
 そうだ、遊びだったことにしよう。旅先のアバンチュールってやつだ。あっちは真面目だったのかもしれないけど、でもそれを受け入れるわけにはいかない。
 何と言っても僕たちは上司と部下だし、雪子さんのこともある。誰かに喋ったりしないように口止めしておかないと。監査課にでも知れたら二人とも左遷だ。

「青木。昨夜のことだけど」
「昨夜? なにかありました?」
 なかったことにしてくれるつもりなのか。それはそれで好都合だが。
 薪の困惑に気付かないのか、青木は自分の浴衣を着て帯を締めた。日本人らしいその衣装は、黒髪に長身の男を2割増しで好男子に見せてくれる。

 こいつ、こんなにいい男だっけ。
 一度そういう関係になってしまうと、情が沸くのかもしれない。こいつを傷つけるようなことはしたくない。「昨夜のことはただの遊びだ。おまえも早く忘れろ」なんて、言わなくて済むものなら言いたくない。

「薪さん。ビッフェに行きましょう」
 何事もなかったように話しかけてくる。青木があまりに自然な態度を取るから、本当に夢だったのかと勘違いしてしまいそうだ。
「いま起きたばっかりだろ。起き抜けでメシが食えるのか?」
「だってオレ、腹減って目が覚めたんです」
「昨夜あれだけ食っといてか!? おまえの胃袋って」
 旅館の朝食はバイキング形式だと仲居が言っていた。つまり、食べ放題だ。こいつより後に食堂に行ったら、何も残っていないかもしれない。

 薪は戸棚を開いて、昨日着ていた服を出した。下着は旅館の売店で買えたが、服はなかった。同じシャツを2日着るのは抵抗があるが、着替えを持ってこなかったから仕方がない。
「あれ? 着替えちゃうんですか?」
「この格好、動きづらいんだ。ビッフェだったら自分で取ってこなくちゃならないだろ」
「ああ、そうですよね。バイキングは戦いですもんね。オレも着替えようっと」
 青木はバイキングの意味を取り違えている。

 バカは放っておいて、薪は洗顔と歯磨きをする。青木は薪の後ろで髭剃りを始めた。鏡の中から澄んだ亜麻色の目が、背後にいる男を見ている。
「昨夜はよく眠れたみたいですね」
「まあな」
 歯ブラシを口に入れたまま、もごもごと返事をする。
 こいつのおかげでよく眠れたのは確かだ。こいつは悪夢から僕を守ってくれたのだ。
 
 青木は嘘を吐かない。
 きっとこれから、こいつは僕よりも強くなるのだろう。強くなって、僕を守ってくれるのだろう。
 余計なお世話だが、青木はそういう気持ちでいるのだろう。

 青木に気持ちを打ち明けられてから、もう1年半だ。
 その間、きちんとした返事もせずに、終始あやふやな態度を取って。他の女性と青木をくっつけようとしたり、自分は女性にしか興味がないふりをしてみたり、かと思うと自分からキスしたり、青木に彼女ができたと勘違いしてやきもちを焼いてみたり。
 自分でも何をやっているのか、よくわからない。青木にはもっと理解できないだろう。

 そろそろ返事をしてやらなくてはいけない。きっちり断らないと。
 そうしないと、こいつはずっと僕に恋をしたままだ。そのうち冷めると思っていたのに、1年経ってもこの調子だ。
 自分の愚かな行動に、バカはなかなか気付かない。だから、僕のほうから教えてやらなくてはいけない。
 昨夜したことはただの遊びで、おまえの恋人になる気はない、とはっきり宣言しなくてはならない。それがこいつのためだ。

 いま、僕を生かしているこいつとの楽しい時間。
 それを失いたくなくて、答えをずるずる引き延ばしてきたけれど、こいつにこれ以上無駄な努力をさせるのは忍びない。
 
 青木の努力が実ったとしても、結果はこういうことになる。
 仕事中はただの上司と部下。プライベートでは友だち。僕がさびしい夜には必ずそばにいてくれて、キスをしたり抱きしめてくれたり、そういう気分になれば昨夜みたいなこともしてくれる相手。
 言い換えれば都合のいい相手。呼び名をつければセックスフレンド。
 恋人にはなれない。僕には鈴木がいるから。
 そんな悲しい役目を、こいつにさせたくはない。でも、こいつを受け入れるとしたら、そんな受け入れ方しかできないだろう。
 だから僕のことは早く諦めさせなければ。このやさしい男に、悲しい思いはさせたくない。

「青木。ちょっと話を」
「薪さん、早く着替えて下さい。オレ、飢え死にしそうです」
「……できるもんならやってみろ」
 食事に行くときと薪のそばに来るときだけは、誰よりも素早い青木である。頭からつま先まですっかり身支度を整えて、薪が来るのを待っている。
 空腹時の青木に何を言っても無駄だ。こいつは腹が減ると、小学生の算数の問題もまともに解けなくなるのだ。早く空腹を満たしてやらないと、人間の肉でも食いかねない。以前、首の肉を食べられそうになった。

 食事を済ませたら部屋に戻ってくる。そうしたら、ちゃんと話をしよう。昨夜のことも含めて、こいつが納得するまで諭してやろう。
 薪はそう心に決めて、浴衣の帯を解き始めた。



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ラストカット 後編(12)

 年の瀬のご挨拶です。
 今年、当ブログにお越しいただいたすべての方に、こころからお礼申し上げます。
 ひと手間かけて拍手を押してくださった方、更にはお時間を割いてコメントを入れてくださった方、本当にありがとうございました。

 つたないSSしか置いてない殺風景なブログではありますが、どうかお見捨てなきよう。
 来年もよろしくお願い致します。

 それではみなさま。
 よいお年をお迎えください。






ラストカット 後編(12)






 濃紫の帯が解かれ、浴衣が畳の上にぱさりと落ちる。
 昨夜と同じ光景だが、夜の人工的な明かりと朝の清々しい光の中とでは、その美しさの種類が違う。昨夜の妖艶でなよやかな雰囲気は、今朝の薪にはない。痛いくらいに清冽で、眩しいくらいきれいだ。
 それは見るものを驚かせるほどの美しさだったが、青木が目を瞠ったのはもっと別のことだった。
 
「防弾チョッキ、脱いでくれたんですか?」

 薪は白い素肌の上に、直に薄緑色のシャツを着た。休みの日らしく、ボタンの一番上は留めずに、両の手で襟を直す。
「なんだ。今頃気が付いたのか」
 そういえば、薪は昨日から防弾チョッキを着ていなかった。
 山中の温泉で、岩の上に脱ぎ散らかされた薪の衣服の中に防弾チョッキはなかった。部屋の露天風呂から出た後、薪は素肌に直接浴衣を着ていた。

「おまえと一緒のときは、僕はもう防弾チョッキを着ない。おまえが守ってくれるんだろ?」
 薪のその言葉は、青木にとって最高の名誉だ。薪の信頼を、自分は勝ち得たのだ。
「はい……はい!」
 心の底から喜びが湧き上がってくる。この信頼に応えたいと、体中の細胞が叫びだす。今なら岡部にも勝てそうだ。
「オレの命に代えても守ります」
 嘘偽りのない言葉が、勝手に飛び出してくる。
 以前、薪に注意を受けたかもしれないが、この気持ちは本物だ。そのときになったら自然に身体が動いてしまう。どんなに薪に叱られても、自分は身を挺して薪を守ろうとするだろう。

「それはダメだ。何度も同じことを言わせるな」
 ……やっぱり怒られた。

 薪はシャツの上にジャケットは着ず、薄手のストールを羽織ると青木のほうへ歩いてきた。ストールは明らかに性別詐称策だ。旅館の売店で下着と一緒に購入したものだ。
「約束しろ。おまえは僕より先に絶対に死ぬな。何があってもだ」
 亜麻色の瞳が、強い光を宿す。
 今の薪の顔は厳しい上司の顔だ。青木がいちばん尊敬している警察官の顔だ。
「返事は」
 命令に逆らうことなど考えられない。縦割り社会に生きる警察官にとって上司の命令は死守すべきものだが、青木にとって薪の指示は神のお告げにも等しい。

「はい。絶対に死にません」
「簡単に言うな!」
 ……どう言えというのだろう。
「何があってもだぞ。車の事故でもヘリが墜落しても、絶対に死んじゃだめなんだぞ!」
「え。いや、ちょっとヘリはムリかも」
 乗ったヘリが落ちて生きていたら、それはもう人間ではない。
「ダメだ、死ぬな。おまえは絶対に死ぬな」
 青木のジャケットをつかんで、顔を寄せてくる。至近距離からの強い視線と、青木の視線が絡む。第九で捜査に夢中になっているときのような口調で、薪は言い募った。
「僕に拳銃で胸を撃たれても、おまえは生きるんだ! それができなきゃ僕の恋人とは認めない!」
 
 それは無理です。撃たれたら普通死にます。
 しかし、いまはつまらない揚げ足を取っている場合ではない。
 突っ込むところはそこではない。薪が言った最後のセリフだ。

「薪さん、今……恋人って」
 亜麻色の目が、まん丸になる。長い睫毛が何度もしばたかれる。
 大きな瞳があちこちに動いているのは、記憶を探るときの薪のクセだ。自分がいま言ったことを思い出しているのだ。
 「いや、ちが、こ、……」
 目を伏せて視線を泳がせる。下を向いて右手で口を覆う。薪のことをずっと見てきた青木には、その行動が何を意味するか分かっている。
 考えている。
 なにか上手い言い逃れを考えているのだ。こういうとき、薪の次のセリフは確実に笑えるものになる。

「恋人じゃない。交尾相手って言ったんだ!」
 きた。予想通りきた。
「なんですか、交尾相手って」
「セフレの日本語だろ」
「なんでわざわざ日本語に直したんです?」
「僕は日本人だからだ!」
 ここで吹き出してはいけない。ちゃんと会話をつなげてやらないと、薪の機嫌は最悪になる。コーヒーのセットがあれば回復も可能だが、ここには豆もドリッパーもない。

「セフレって言われても。オレ、昨夜なにもしてませんけど」
「え!?」
 素っ頓狂な声を上げた薪の反応に、青木は自分の予想が当たったことを知る。
 やっぱり、薪は何も覚えていない。
「だって……朝起きたらあんな格好で」
 眠りを妨げたくなかったから、服を着せなかっただけだ。と言うのは建前で、本当は薪のきれいな裸体をずっと見ていたかったからだが。

「だから、お酒はほどほどにしてくださいって言ったじゃないですか。薪さん、酔っ払ってヘンな夢見て裸になっちゃったんですよ」
「……僕、なんかヘンなこと言わなかったか?」
「言ってましたよ。金髪美人がどうとか、僕のテクニックがあれば女なんかイチコロだとか。一回僕と寝た女は僕を忘れられなくなるんだ、とか。挙句の果てにオレを女と間違えて抱きついてきて、終いにはオレの服まで剥ぎ取ったんじゃないですか」
 全部口からでまかせだが、薪は自分の弱いところを青木に知られたくないはずだ。
 青木はもともと嘘が苦手だが、薪に付き合っているうちに、こういうウソが得意になってしまった。ウソで隠さなければいけない真実もあるし、ウソで伝わるやさしさもあるのだ。

「本当に何にもしてないのか? セーフなのか、僕たち」
 セーフとアウトの概念がわからない。12歳という年の差のせいだろうか。
「はい」
「なんだ……何にもなかったんだ。道理でどこも痛くないと思った」
 よかった、と薪は自分の胸を撫で下ろしている。明らかにほっとした表情だ。昨夜の青木の忍耐力に感謝して欲しい。
 
 夢に見るほど欲しかったものを目の前に出されて我慢できる人間というのは、この世にどれくらいいるのだろう。
 風呂に入っている姿を見ただけでもそういう状態になってしまったくらい、欲しくて欲しくて堪らなかったのだ。悪夢を見た直後の薪の感情が、一時的に乱れているだけだと分かっていても、とても我慢できないと思った。
 自分からはだかになって、身を寄せてきたのだ。青木の服を脱がせて「忘れさせて欲しい、何も考えられないようにして欲しい」と言いながら抱きついてきた。青木の耳元や首につややかなくちびるを押し付けてきて、小さな手が青木の背中に絡みついてきて――。

 我ながら、見事な忍耐力だった。雪子の厳しい意見が聞こえてきそうだ。
『この、ヘタレ! あんたそれでも男!?』
 雪子にこの話をしたら、絶対にこう言われる。前にも同じようなことがあったのだ。
『それ、完璧に据え膳じゃん。なんで食べないのよ?』
 だって三好先生。
『だってじゃないわよ! 薪くんのほうから食べてくださいってきてるのに』
 薪さん、ずっと泣いてたんですよ。
『……』
 青木の頭の中で、赤い唇が沈黙した。
 雪子は薪のことを大切に思っている。青木の行動が正しかった、と認めてくれたのだ。




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ラストカット 後編(13)

 あけましておめでとうございます。
 昨年中は、うちのあおまきさんにお付き合いいただいて、ありがとうございました。
 今年もお暇がありましたら、是非ふたりの様子を覗いていただきたく、お願い申し上げます。


 えーと、ご挨拶の記事を別に上げるべきなんでしょうけど、ちょっとそういうのは苦手で。
 なのでこの下はいつも通り、この前の続きで、すみません。

 どうかよろしくお願いします。






ラストカット 後編(13)





 泣き続けるひとの弱さにつけこんでどうこうするなんて、青木にはできない。たとえ下着の中で自分の分身が、男泣きするくらい痛かったとしても、である。

 裸の薪を自分の胸に抱きこんで、青木は薪の頭を撫でてやった。布団の中でも、これは儀式だ。薪が元気になれるよう、鈴木が薪に残してくれた大切なジンクスなのだ。
 しかし、薪の震えはなかなか止まらなかった。子供をあやすように背中を撫でてやっても、薪は泣くのをやめなかった。
 そこで青木は、むかし薪が自分の涙を止めるためにしてくれたことを思い出した。
 同じことをしたら、止まるかもしれない。
 この涙は、泣くだけ泣いてすっきりする類の涙ではない。止められるものならどんな犠牲を払ってもいいから、止めてやりたい涙だ。
 小さな顔を上げさせようとしたが、薪はしっかりと青木の背中にしがみついていた。
 やむを得ず、からだごとくるりと回して薪を仰向けにし、くちびるにキスをした。薪の手が青木の背から離れないので、上から覆いかぶさる形になってしまったが、薪は逆らわなかった。
 甘い舌を味わったらつい夢中になって、首筋や腰の辺りまでキスをしてしまった。腰骨の辺りを舐めたとき、薪のからだがびくびくっと震えて、青木は我に返った。

「すいません。ちょっと、てっぺん越えちゃいました」
 薪の涙は止まったようだ。青木の顔に笑顔が戻る。
「このまま朝まで抱いててあげますから」
 安心して眠ってください、と青木が口にしかけた時には、薪はすでに眠っていた。
 くーくーという可愛らしい寝息は、安眠している証拠だ。やはり先刻の行動は、悪夢による一時的な錯乱だったのだろう。そうでもなければ、薪のほうからあんなことをしてくれるはずがない。

 結局、正気ではなかったのだ。そんな精神状態で関係を持っても、あとで後悔するだけだ。自分はいいが、そのときの薪の苦悩を思うと、これ以上先には進めない。
 夢中で恋をしている相手が、一糸纏わぬ姿で自分の腕の中にいる。据膳食わぬは男の恥だが、食べることはできない。
 薪には滅多と訪れない幸せな眠り。それを奪うことは、もっとできない。

 生き地獄のような状況だが、薪を好きになってからというもの、こんなことは恒常化している青木である。これまで、何度寸止めされてきたことか。さすがに慣れてきた。
 小さな子供のように眠る愛しいひとの体を抱いて、青木は目を閉じた――。
 これが、昨夜あったことのすべてである。

「それならそうと早く言えよ。余計な心配させやがって」
 青木との間に何もなかったと分かった途端、薪はいつものように横柄な口をききはじめた。さっきまではいくらか控えめで、可愛らしかったのに。もう少し誤解をさせたままにしておけばよかった。
 
「どんな心配ですか? さっきの恋人ってセリフに関係ありますか?」
「恋人? なんの話だ」
 しゃあしゃあと言ってのける。
「だって何にもなかったんだろ? だったら、おまえはただの部下だ。それ以上でもそれ以下でもない」
 しまった。
 薪が落ち着くのを待っていたせいで、冷静さを取り戻す時間を与えてしまったらしい。

「じゃあ、何を心配してたんですか?」
「決まってるだろ」
 薪はそこで、いつもの意地悪そうな微笑を浮かべる。
 この笑顔がでてしまったら、もうどこから攻めても無駄だ。薪の心が難攻不落の要塞になった証拠なのだ。
「どうやって完全犯罪を成立させようかなって」
「え?」
「とりあえず頭は潰して、死体はサルの温泉にでも浮かべておこうかと」
「そんなことしたら、薪さんが真っ先に疑われるじゃないですか」
「僕がおまえとここにいることは誰も知らないし、旅館の人間はおまえが女連れだったと証言するだろ。男の僕に嫌疑がかかる可能性はまずない」
 薪の意地悪は限りない。これでは自分におかしなことをしたら殺すぞ、と遠まわしに言われているのと同じだ。

「良かったな、青木。本能に負けなくて。負けてたら」
 薪は華奢な指をピストルの形にし、青木の顎の下に人差し指を当てた。
「今朝の食事が、最後の食事になっていたところだ」
「……肝に銘じておきます」
 冷や汗をかきながら青木がそう言うと、薪はふふん、と鼻で笑った。他の人間があんなふうに笑ったらとても高慢な印象を与えるのに、薪がするとかわいく思えるのは何故だろう。
 それは青木の感想であって、世間一般のひとが受ける印象とはだいぶ違うが、恋は盲目ということで説明がつく現象である。厄介なことに、これはどんな名医でも治せない病気で、青木の場合は最近ますます悪化する傾向にあるようだ。

「さあ、メシだメシ」
「バイキングって楽しいですよね。美味しそうなものが沢山並んでて、好きなものを好きなだけ食べられるんですよね」
「おまえが通った後は、何も残らないんだろうな」
「器は残りますよ」
「他の宿泊客が来たときのことも考えろよ」
「そうですね。空になった器って、何が入ってたんだろうって気になるんですよね。そうだ、器ごとテーブルに持って来ちゃえばいいんですよ」
「……一緒の席に座るなよ。恥ずかしいから」

 いつものように、くだらなくて楽しい馬鹿話をしながら、青木は隣の美しい微笑をうれしく思う。
 そして、願う。
 昨夜の自分の決心が、この微笑を消し去ることのないように。大切なひとの安らかな眠りを、妨げることのないように。再びあの写真のような、全開の笑顔を取り戻せるようにと。

 決行は今夜。
 青木には、2つのプランがある。青木としては最初のプランで終わりにしたいが、そちらはあまり自信がない。昨夜の薪の様子では、たぶん無理だと思う。
 もうひとつのプランは最終兵器だ。できれば実行したくないが。

 でも、それは今夜。まだ、薪と過ごすことができる楽しい時間は残されている。
 その後は口もきいてくれなくなるか、もしかすると本当に脳を潰されてしまうかもしれない。あれを自分が見たことを、薪が知ることになる。その事実を、薪は決して許してはくれないだろう。

「青木? 腹減って歩けないのか?」
 大広間の入口で、薪がこちらを振り返っている。歩みの遅くなった青木を、不思議そうな眼で見て小首をかしげている。……なんて可愛いんだろう。
「もう、めまいがしそうです」
「一食でも抜いたら確実に死ぬな、おまえは」
 目眩を覚えたのは、薪の可愛らしさに対してなのだが。ここはそのままにしておこう。
 呆れ顔の薪に笑いかけて、青木は広間に入った。




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ラストカット 後編(14)

ラストカット 後編(14)





 最高に楽しい休日になった4月の連休。
 とっぷりと日が暮れた頃、二人は長野から帰ってきた。
 今日も朝から温泉三昧で、さすがに湯疲れしたのか、薪はヘリに乗ってすぐに眠ってしまった。気がついたら横浜だった。
 せっかくの風景を見損ねたことを青木に訴えると、まだレンタルの時間があるという。それなら時間いっぱいまで飛べ、と命じて遠回りさせた。青木の宿泊代も払ってやったのだから、これぐらいしてもらってもいいはずだ。

 空からの夜景は素晴らしかった。
 俗物と言われても否定できないが、レインボーブリッジやお台場の辺りは七色の光がきらきらしていて、男の薪ですら思わずため息が出た。
 これが女の子だったら、間違いなく落ちる。青木がその目的のために航空機免許を取ったというのは、あながち冗談ではなかったのかもしれない。

「すごいな。これ、全部人間が造ったんだよな」
「そうですよ。人間が創り出した芸術も、なかなかでしょう?」
「うん」
 いつもなら捻りのきいた皮肉の一つも返すところだが、この光景を見てしまってはとてもそんな気になれない。きらめく夜景は、人の心を素直にする力を持っているのかもしれない。

 夜の空中散歩を楽しんだ後、薪はもうひとつのお楽しみに出向くことにした。
 夜桜見物である。

 場所は、青木のアパートの正面に位置する公園。
 ここの桜は見事なもので、昼間はたくさんの花見客が訪れていた。しかし、日曜の夜ともなれば明日の仕事のことも視野に入れて、人出はぐっと少なくなるはずだ。薪の狙い目はそこだ。
 読みは当たり、ざっと見た限りでは煩い酔っ払いはいないようだ。人影もちらほらといったところで、ベンチに座って桜を見上げている男女が何組かいるだけだ。桜並木を散策しているものはおらず、薪はゆっくりと夜桜を楽しむことができた。

「ああ、もう桜も終りですねえ」
 隣を歩く背の高い男が、桜の木を見上げながら寂しげに言う。食い気ばかりのこの男に、行く春を惜しむ気持ちがあるとは驚きだ。
 青木の言うとおり、桜は時おり吹いてくる弱い風にも花びらを散らしている。その光景は先刻の夜景に負けず劣らず美しくて、薪の顔をうっとりとした微笑に変える。

「薪さん。憶えてます? 2年前も一緒に、ここで夜桜を見ましたよね」
 青木は突然、昔話を始めた。
 ああ、と適当に相槌を打って、薪は桜に意識を向ける。こんなにきれいな桜に、人間の声は似合わない。薪の花見は、沈黙がセオリーだ。
 しかし青木は喋り続ける。
「あのとき、薪さんはオレのことを助けてくれましたよね。第九に入ったばかりで、MRIの画に慣れることができなくて、不眠症だったオレに睡眠薬をくれました」
 先刻の夜景を見ていたときには奥床しく口数の少なかった男が、突然饒舌になっている。なにか、話したいことがあるのだろう。
 薪は自分のセオリーを、少しだけ緩めることにした。
「ああ、あの酸っぱいの」
「よく効きましたよ。今でも眠れないときは飲んでます」
「単純バカにはよく効くんだ、あれは」
 その薬の正体が、ただのビタミンCであることは、青木にも分かっているはずだ。今でも飲んでいると言うならば、同じものを探して自分で買い足したのだろうから。

「それから、安眠できる方法をオレに教えてくれて。あれからオレ、よく眠れるようになったんです」
 悪夢防止策として、眠る前に好きなものを見るといい、と青木に勧めたことがある。それくらいで安眠できるとは、羨ましいくらい単純な男だ。
「おまえ、寝る前になに見てるんだ?」
 薪の問いかけに、青木は返事をしない。無視しているのではなく、言おうか言うまいか迷っているようだ。
「わかった。食べ物の写真だろ。ごはんのおかず100選、とか」
「まあ、オカズといえばオカズですかね……」
「意地汚いやつ。ここに、こんなにきれいなものがあるのに」
 ひときわ美しい桜の前で、薪は足を止める。上を向いて、陶然と微笑む。
 
「ええ。本当にきれいです」
「なんで僕の顔見てんだ。花を見にきたんだろ」
 ひとと話をするときは相手の顔を見ろ、と部下に指導している薪だが、こういうときはまた別だ。応用の利かないやつだ。

「一昨年も薪さんはここで足を止めて、この桜を見上げてました」
 2年も前のことを、よく憶えているものだ。薪に苛められたことはすぐに忘れて、またそばに寄ってくるくせに。
「その横顔がとてもきれいで。オレはあなたから目が離せなくなった」
 いつになく真剣な青木の声音に、薪は肩を強張らせる。
 頭を巡らせると、青木の視線は真っ直ぐこちらに向けられている。
 
「オレは、あの時からあなたに恋をしました」



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ラストカット 後編(15)

ラストカット 後編(15)





 やさしい風が、桜の枝と薪の髪を揺らす。薄紅色の花びらが、薪の肩にふわりと落ちる。
 2年前と同じ場所。同じ桜。
 同じ人間なのに、ふたりの関係だけは2年前とはまるで違っていて。
 それは正にここから始まったと、自分にとってはここがスタート地点だったのだと、青木は言った。
 薪には初耳だ。そんなに前から自分を見ていたなんて、夢にも思わなかった。

「あなたを好きになって、2年経ちました」
 いろいろなことがあった2年だった。
 事件の爪痕も生々しい薪には、辛い日々だった。その中で、この新人と過ごす時間は、薪にとっては唯一の光だった。
 
「答えを、聞かせてもらえますか?」
 この時間を失ってしまうのは、薪にすべての楽しみを捨てろというのと、もはや同義語だ。
 なんの喜びも見出せない人生に戻る―――ただ、鈴木が迎えに来てくれるのを待つだけの人生を再び歩き出すことは、身を裂かれるような思いだ。

 知らないうちは、それでも良かった。青木が自分に近付いてくる前は、鈴木のことだけを考えて一日を過ごすことに、何の不満もなかった。
 それがこいつに押しかけられたり連れ回されたりして、始めは迷惑していたはずなのに、薪はいつの間にかそれを心待ちにするようになっていた。
 映画を見たり食事をしたり、ただ街をぶらついてみたり。そんな当たり前の友達付き合いが、楽しくて楽しくて。
 本当はこの小旅行だって、前の晩は眠れないくらい楽しみだったのだ。

 あのワクワクもドキドキも、ぜんぶ無くなる。
 それはもう、生きているとは言わない。

 青木の視線を受け止めて、薪は腹の底に力を込める。しっかりと相手を見て、はっきりと答えを告げる。
「僕の気持ちは変わらない」

 つややかなくちびるが動いて、淀みなく言葉が出てくる。
 何度も言おうとして言えなかった答え。分かりきっていた答えなのに、言葉にしてしまったらこの関係は消えてなくなる。居心地のよいこのポジションは、誰か他のひとに取って代わられる。それが怖くて、言い出せなかった。

「僕には鈴木がいる。おまえの気持ちには、永遠に応えられない」

 ……言えた。
 最後まで、ちゃんと言えた。
 これで終わった。きっちりと片が付いた。
 2年もかけて口説いたのに、振り向きもしなかった冷たい男の事なんか早く忘れて、新しいひとを見つけて欲しい。

 薪の最終通告に、青木は何故か微笑みで応えた。
「じゃあ、オレも諦めなくていいんですね」
 ……こいつ、耳がおかしいのか。
「ダメだって言っただろ。僕には鈴木が」
「鈴木さんはもういません」
 分かってる。
 でも。

「いる。ちゃんといる。僕のこころの中に、鈴木は生きてる」
「それは生きてるとは言いません」
 青木の言い分が正しい。たしかにこういうのは、生きているとは言わない。
 でも。
「鈴木さんは死んだんです」
 知ってる。僕が殺したんだから。
 でも!
「生きてても死んでても関係ない! 僕は鈴木のものなんだ。髪の毛1本まで、ぜんぶ鈴木のものなんだ!」
「関係なくないでしょう。死んだ人と、どうやって恋愛するんです? キスは? セックスは? ぜんぶ薪さんの想像でしょう? そんなひとりよがりの恋愛、鈴木さんだって迷惑ですよ」
 そんなことは分かってる。
 でも、ひとにそれを言われると腹が立つ!

「うるさい!!」
 薪の大声に驚いたカップルが、そそくさと席を立つ。これでは昨日の酔っ払いと変わらないが、薪には声を抑えることができなかった。
「自分のすべてを鈴木さんに捧げるってことですか? 鈴木さんは薪さんに、そんなこと望んでません」
「おまえに何がわかるんだ!? 鈴木と会ったこともないくせに。僕は鈴木の親友を15年もやってたんだぞ。鈴木のことなら、自分のことのようにわかるんだ!」
 青木は額に手を当てて上を向き、これ見よがしに大きなため息をついた。
「本当に何にも分かってないんですね。勘違いの天才ですものね、薪さんは」
 なんて失礼なやつだ。
 確かに長野では、笑われても仕方のない勘違いをしてしまったけれど。

「薪さんは何も分かってません。鈴木さんの気持ちも、自分のことも。思い込んで解ったような気になってるだけです。鈴木さんとは親友だったって言ってるけど、それも怪しくなってきましたね。薪さんがそう思ってただけじゃないんですか?」
「なんだって!?」
 そこまで言われる筋合いはない。
 たしかに僕は思い込みが激しいのかもしれないけれど、だからってなんでこいつに鈴木との友情まで疑われなきゃならないんだ。
 
「僕と鈴木は本当に仲が良かったんだ。お互い、かけがえのない友だちだったんだ」
「それは認めます。おふたりの友情は本物でした。でも、鈴木さんの薪さんに対する気持ちは、薪さんが考えているのと少し違ってたみたいですけど」
 まるで鈴木に会って、彼の気持ちを聞いてきたかのような口ぶりだ。その根拠はどこから来るのか、薪には見当もつかない。
 
 青木は、確たる証拠も無くこんなことを言う男ではない。何の目的も無く、ひとを傷つける言葉を使う男ではない。
 青木のやさしさは、薪がいちばん良く知っている。想いを告げられてからの1年半――いや、一昨年の春からの2年。薪はずっと、そのやさしさに包まれてきたのだ。

「なにか、知ってるのか」
 薪の問いかけに、青木は哀しそうな眼で薪を見た。
 まるで、傷つけられたのは自分だとでも言いたげな表情。言いたい放題言ったくせに、なんでこっちが加害者意識を味あわなければならないのだ。
 
「着いてきてください。鈴木さんの本当の気持ちを見せてあげます」
「鈴木の……?」
 薪の返事も聞かず、青木は薪に背を向けて歩き出した。



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ラストカット 後編(16)

ラストカット 後編(16)





 彼らが行きついた先は、ふたりの職場だった。
 科学警察研究所法医第九研究室。
 ふたりはここで出会って、ゆっくりとその距離を縮めてきた。ふたりが一緒にいる時間は、此処でのものがいちばん多かった。
 顔見知りの守衛が正門の鍵を開けてくれて、ふたりは休日の研究所へと足を進めた。他の研究室には物好きな、あるいは已むに已まれぬ事情をもった研究員たちがいるらしく、明かりのついているフロアもあったが、日曜の夜の第九に人影はなかった。

 モニタールームに入り、青木はMRIシステムの電源を入れた。自分のモニターを起動させ、12桁のパスワードを淀みなく打ち込む。
 10桁以上のパスは、特定の脳データにアクセスするときのものだ。暗記しているところを見ると、青木は今までに何度もその脳を見てきたと思われる。
 キーボードの上を滑る青木の指はかなり速かったが、薪の優れた動体視力はその動きを見逃さなかった。

「そのパスワードは、鈴木の」
「はい。鈴木さんの本当の気持ちは、もうここでしか見られませんから」
「鈴木の脳は前にも見た。おまえが見せてくれたんじゃないか」
 また同じものを見せる気でいるのだろうか。
 鈴木が、薪の罪を隠蔽しようとしてくれたことは分かっている。それ以上の秘密が、あの画像には隠されていたとでも言うのだろうか。

 モニター画面にデータの転送状態が、棒グラフとパーセンテージで表示される。
 転送速度が、ひどく遅い。データが膨大だとこうなるのだが、そんなに大量のデータを鈴木の脳から引き出して、何をする気なのだろう。
 薪は、青木の隣の席に座った。データの抽出は長引きそうだ。
 青木は席を立って、給湯室へ向かった。ほどなくコーヒーを持って帰ってくる。差し出された飲み物を、薪は断った。飲んだり食べたりできる心境ではない。

「薪さん。オレの質問に正直に答えてくれますか」
「それは質問の内容による。僕は室長だ。捜査上の秘密は、部下にも言えないことがある」
「大丈夫です。仕事のことじゃありません」
 青木は苦笑した。ここに来て、初めて見せた笑い顔だった。あの公園から、青木はずっと哀しい顔をしていたのだ。
 しかし、その笑みはすぐに消えた。また辛そうな表情になって、薪の顔をじっと見つめる。

「鈴木さんは、薪さんのことを恨んでると思いますか?」
「……わからない」
「鈴木さんのことなら、何でもわかるんじゃなかったんですか?」
 青木の言葉に、薪はくちびるを噛んだ。
 本当は、分かっている。でも、それを言葉にはしたくない。
 言葉にしたら、その事実が確定してしまう。そうしたら自分は平静ではいられない。こころが乱れて、またこいつの前で醜態をさらしてしまうだろう。
 青木はそれを理解しているはずだ。解っていてこんな――こいつはこんなに意地の悪いやつだったか。

「薪さんてほんと、口ばっかりなんだから」
 ……言えばいいんだろ、言えば。
「恨んでるさ」
「どうしてそう思うんです?」
 青木の質問に、薪はムッと眉をひそめる。
 自分で仕向けておいて、『どうして』もないものだ。
「どうしてって、当たり前だろ。自分を殺した相手を憎まずにいられるような人間が、この世にいると思うか?」

 ずきりと胸が痛む。
 傷口が開くのがわかる。
 言葉の刃は薪の胸に突き刺さって、じわりと見えない血を流す。

「オレならあの状況であなたに殺されても、あなたを恨んだりしません。例え薪さんが撃たなくても、鈴木さんは誰かに射殺されてた可能性が高いです。
 鈴木さんは拳銃を保管庫から強奪して、職員を3人も傷つけてます。明らかに錯乱状態でした。薪さんは知らなかったかもしれませんけど、他の職員の人命を最優先に考えて、射殺許可が出されていました」
 知らなかった。
 あの時は拳銃の携帯許可が出て、薪は信じられない思いで田城から拳銃を受け取った。
 研究所長では、射殺許可は出せない。出せるとしたら、上層部か警視総監だ。
 しかし、青木が警察庁に勤務し始めたのは2年前の10月からだ。あの事件が起きたのは8月。青木が、その当時のことを知っているはずがない。
 
「なんで僕が知らないことをおまえが知ってんだ。おまえ、そのときはまだ警大にいたはずだろう」
「竹内さんに聞きました。正確には、許可待ちの状態だったらしいですけど。でも、許可は時間の問題だったろうって言ってました」
 捜査一課の竹内と青木は仲がいい。バカはバカ同士で、話が合うのかもしれない。

「他のひとに殺されるくらいなら、あなたの手にかかって死にたい。オレだったらそう考えると思います」
「それは、おまえが僕に特別な感情を抱いているからだ。好きな人と心中するんだったら話は別だけど、この場合はそうじゃない。室長の僕が、部下の鈴木を撃ち殺したんだ」
「心中?」
 薪の例え話が可笑しかったのか、青木はひどく驚いたような顔をした。
「それは気が付かなかったな……そうかもしれませんね。無理心中だったのかも」
「なんのことだ?」
 青木の言うことが意味不明なのは今に始まったことではないが、今回は分かるまで説明してもらわなければならない。鈴木のことだけは、おざなりにするわけにはいかない。

「鈴木さんも、オレと同じ気持ちだったとしたら?」
 あまりの馬鹿馬鹿しさに、笑い出したくなる。
 こいつは何も知らないのだ。鈴木の本当の気持ちを教える、なんてただのはったりだったのだ。
「おまえのくだらない当て推量を聞きにきたわけじゃない。そんなことなら、僕は帰る」
「当て推量じゃありません。それに、オレは話を聞かせたくてあなたを第九に連れてきたわけじゃありません。見せたいものがあったから」

 モニターのゲージがやっと100%になって、画が映し出された。
 それは、このモニタールームの画だった。職員がモニターを覗き込んで捜査をしている。職員は旧第九のメンバーだ。つまり、これは鈴木の画だ。
 右の奥に、薪の姿がある。他の職員たちが背景の一部に紛れてしまっているのに比べて、薪だけは輪郭がくっきりと映っている。ちょうど薪に焦点を合わせた、カメラアングルのような具合だ。
 きりっとした横顔は、厳しい捜査官の顔つきだ。しかしそれは、殊のほか美しくて――周囲の空気が微光を発しているかのように、淡く輝いて見える。

「長野で遭難しかかったときに、あなたより先に眠ってしまったはずのオレが、どうして目を覚ましたのか。不思議がってましたよね」
 青木の話は、あちこちに飛ぶ。
 こんな風に報告書を上げてきたら、目の前でびりびりに破り捨ててやるところだ。
「薪さんは、どういう解釈をつけましたか?」
 薪も一応、仮説は立ててみた。だが、それはあまりにも現実離れしていて、口にするのは憚られた。

「鈴木さんが助けてくれたんだ、と思いませんでしたか?」
「おまえもそう思うか?」
 青木の意見が自分と同じだと解って、薪は自分の仮説に自信を持った。あまりに非科学的なので、言葉にすることを躊躇っていたのだ。
「あのとき鈴木に頼んだんだ。おまえだけは助けてくれって。やっぱり、鈴木がおまえのことを起こしてくれて」
「なにバカなこと言ってんですか。第九の室長ともあろうものが、オカルト話を真に受けてどうするんです」
 自分で言い出しておいて、青木は薪の仮説を鼻で笑い飛ばした。なんてムカツクやつだ。

「おまえが今」
「オレ、あのとき本当は起きてたんです」
「……起きてた?」
「もちろん、身体は動きませんでした。でも、薪さんが言ってることは全部聞こえてたんです」
 聞かれていた?
 夢中だったから何を言ったか憶えてはいないが、とにかく青木を助けてくれと頼んだ。自分のことはいいから、こいつだけはと。

「オレ、実を言うと、本当にあそこで薪さんと一緒に死んでもいいと思ってたんです。ちょっと他の人から言われたこともあったりして、けっこう思いつめてたんで。薪さんと一緒になれるとしたら、この方法しかないのかもしれない、なんて……。そんな風に思ってたら、どうしても生き抜いてやるって気力が萎えてしまって」
 あんな暢気な顔をして、そんなことを考えていたのか。ひとの心というものは、他人からは解らないものだ。
「でも、薪さんの言葉を聞いて、このままこのひとを死なせるわけにはいかないって思ったんです」
 薪は、そのときの自分の言葉を思い出そうとした。
 自分は何を言ったのだろう。青木を助けること以外、何か鈴木に頼んだだろうか。

「オレ、ずっと不思議だったんです。どうして鈴木さんは薪さんに発砲したんだろうって」
 また話が飛ぶ。
 いい加減、厭になってきた。

「僕を殺したかったからだろ」




*****



 お話の中の『鈴木さんが拳銃を強奪した』というくだりは、原作とは違います。
 原作では第九には独自に捜査権が与えられており、拳銃も装備している、という設定ですよね。
 勝手に原作を曲げてすみません。鈴木さんの罪を増やしてすみません。
 その他にも、なんかすみません……。


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ラストカット 後編(17)

ラストカット 後編(17)





「僕を殺したかったからだろ」
 投げやりな調子で、薪は言った。青木はいったい何が言いたいのだろう。
 
「オレもその意見には賛成です。錯乱して発砲したことになってますけど、怪我をした他の職員は正確に足を撃たれています。薪さんに対する銃弾だけが頭部を狙ったものだった。これは明らかに殺意を感じます」
「貝沼の脳を見て、僕がすべての元凶だと解って。鈴木は僕を殺そうとしたんだ」
「違います。鈴木さんは薪さんに、自分の脳を撃ってくれって言ってましたよね。鈴木さんは、薪さんの手にかかって死にたかったんです」
「それで僕が恐怖から引き金を引くように、威嚇射撃を?」
 だから薪さんは悪くありません――そう慰めようと思っているのだろうか。
 そんなことは気休めにもならない。鈴木を殺した事実は消えない。

「オレも始めはそう思いました。でも、威嚇射撃にしては、急所に近すぎました。あと20cm右にずれてたら、薪さんは頭を撃ち抜かれて死んでました」
 そのほうが良かった。
 そうしたらきっと今頃は、あの世で鈴木と一緒にいられたのだ。
「薪さんの言う通りかもしれません。あれは心中だったのかも」
「心中?」

「鈴木さんに伝染したのは貝沼の狂気じゃなく、恋情だったんです。鈴木さんはずっと薪さんのことが好きだったんです。
 心の底に押し込めていたその気持ちが、貝沼の異常なまでに強いあなたへの想いを見たことで、抑えられなくなってしまった。それで薪さんを殺して自分も死にたいという思いに囚われてしまった。もちろん、貝沼の狂気に感化されて、正気ではなかったでしょう。
 だけど鈴木さんは、そんな自分の中の狂気と戦おうとした。それで自殺しようとしたんです。薪さんを傷つけないうちに、自ら命を絶とうとした。そこにあなたが来てしまった。
 あなたを見てしまったら、もう我慢できなくなってしまったんです。それで発砲してしまった。
 そうじゃなきゃ、説明が付かないんです。だって、オレも見てるんですよ。鈴木さんの脳を通して、貝沼の悪魔のような所業のすべてを。貝沼の動機が薪さんを自分のものにするためだったことも、全部。条件は鈴木さんと同じだったはずです。けど、オレは薪さんを殺そうとはしなかった。あの頃のオレは、薪さんに恋をしていなかったからです」

 青木の仮説を、薪は黙って聞いていた。
 鈴木と同じ画を見た青木が、彼と同じ行動を取らなかった理由を説明したつもりらしいが、人間というのは個人差があるものだ。青い色を見て空を連想する人もいれば、海を想像する人もいる。それと同じことだ。
 青木の仮説には、決定的な欠陥がある。
 鈴木は当時、雪子と婚約したばかりだった。青木はそれを知らない。薪と鈴木との間に、そんな感情は断じてなかった。鈴木はそんな不誠実な男ではなかった。
 薪が鈴木と恋人同士だったのは、事件が起きる14年も前の話だ。それも別れようと言い出したのは、鈴木のほうだった。鈴木は雪子に出会って心を移して、薪を捨てた。青木はそのことも知らないはずだ。

「鈴木とはずっといい友だちで、それ以上の感情は鈴木にはなかった。僕が一方的に好きだったんだ。だから、おまえの仮説は成り立たない」
「そうでしょうか」
「鈴木の気持ちを証明できない以上、おまえの話は仮説の域を出ない。こんなMRIの画をいくら見たって無駄だ。鈴木が死ぬ5年前までの画に、それを証明するものなんて絶対に出てこない」
 それは確実だ。
 鈴木が薪を愛してくれたのは、15年も昔。1年にも満たない短い期間だった。5年前までしか遡れないMRIに、現れるはずがない。

「この、モニタールームの画ですけど。鈴木さんの目から見た薪さんは、他の人に比べてとてもきれいに映っていると思いませんか?それに、ずっと薪さんのことを見てます。ほら、薪さんが部屋のどこに移動しても、そこに焦点が合わされている」
 仕事中の研究室で、鈴木は薪を目で追っている。しかしこれは、青木が主張するような邪な気持ちからの行動ではない。上司というのは、常に部下に見られているものだ。
「仕事のことで相談したいことがあって、話しかけるチャンスをうかがっていた。そんなところだろ」
「じゃあこれは?」
 芝生の上に寝転んで、安らかな寝息を立てている薪の姿が映る。周りの建物の様子から見て、場所は研究所の中庭だ。
「眠ってる薪さんを、ずっと見てますよね」
「天気がいい日は外で昼メシ食って、代わりばんこに昼寝をしてたんだ。僕は低血圧で寝起きが悪いから、起こすタイミングを見計らってたんだろ」
 簡単に説明がつくことばかりだ。
 こんな希薄な状況証拠から、そんな仮説を導き出すなんて。こいつがしていることは、捜査官の仕事じゃない。ただのホラ吹きだ。

 青木は両肘を机の上について、頭を抱えた。
「なんでそんなに鈍いかなあ」と失礼なことをほざいて、薪のほうに顔を向ける。
「これ、できれば言いたくなかったんですけど。薪さんがそんなふうに言い張るなら、やっぱり言わなきゃダメですね」
 青木は肩を落として、ため息混じりに言った。
 言いたくないなら言わなければいい。こっちだって、もうたくさんだ。
「オレ、薪さんと鈴木さんが、昔そういう関係だったの知ってます」

 青木の爆弾のような言葉に、薪は思わず腰を浮かした。
 そんなはずはない。こいつが知っているわけはない。これはブラフだ。
「馬鹿馬鹿しい。何を根拠に」
「鈴木さんの脳に残ってました。もう一度、見たんです。今度は貝沼の事件は飛ばして、鈴木さんの日常を5年分、全部」
「見え透いた嘘を吐くな!」
 5年の間に、そんなことはしていない。青木が見られるわけがない。

「鈴木さんの最後の画は、薪さんでした」
「当たり前だ。僕が鈴木を殺したんだ。最期に僕の画が映っていて当然だ」
 僕が人殺しになった瞬間を、こいつは見たのだ。
「いえ、そうじゃなくて」
 青木はそこで椅子ごと薪のほうに向き直り、薪の目をしっかりと見据えた。
「ラストカットです」
 
「……ラスト……カット?」

 ラストカットは、新皮質に残る微細なデータだ。ここ数ヶ月、青木が宇野について学んでいたのは、このデータの検出方法だったのか。
 殺人事件の捜査で、その作業が必要になることはない。何故なら、ラストカットには通常、視覚者の人生の中でいちばん幸せだったことが映し出されるからだ。そこに自分を殺した犯人が映ることは、まずない。
 普通の捜査では必要ないから、当然その手順も簡略化されていない。膨大なデータを網羅して、その中から拾い集めていくしかない。気の遠くなるような作業だし、とても難しい作業だ。システムのエキスパートの宇野でさえ、実際に行ったことはない。

「鈴木さんのラストカットは薪さんでした」
 青木の言葉の衝撃に、薪の仮面は剥がれ落ちた。
 弱気な形に眉尻を下げ、大きく目を開いている。その瞳は疑惑と不安とで震えていた。
 生命の最後に見る、その人の人生の中でいちばん幸せだったときの光景。鈴木のそこに自分の姿があったと?
「鈴木さんの腕に抱かれてる、裸の薪さんでした。とってもきれいでしたよ」
「そんな……嘘だ。だって僕は……鈴木は、雪子さんを」

 薪の頭の中は、パニック状態だった。何度も同じ言葉が繰り返される。
 そんなはずはない。そんなことはありえない。

「はい。鈴木さんは三好先生のことも、ちゃんと愛してたと思います。鈴木さんの脳に残っていた三好先生は、とっても女らしくてかわいくて、びっくりしました。でも、魂の深いところでいちばん大切に思っていたのは、薪さんだったんです」
 うそだ。
 こいつは嘘をついている。
「だからあのとき、貝沼の秘密を墓場まで持っていこうと――システムを破壊して自分の脳を撃ってまで、薪さんを守ろうとしたんです。鈴木さんは、薪さんのことを愛してたんです。
 これこそ、トップシークレットですよ。三好先生には絶対に内緒です」

 言葉も出なくなってしまった薪に、青木は一枚のDVDを差し出した。
 目を大きく開いたまま、気を失ってしまったかのように身じろぎひとつできないでいる薪の手に、プラスチック製のCDケースが握らされた。
「MRI捜査の基本は、仮説と検証です。報告書には証拠となるデータの添付が必要です」
 それは薪が、まだ新人だった青木に教えたことだ。新人は、いつの間にか立派な第九の捜査官になっていた。
「これが証拠です」
 青木は薪の腕を掴んで立たせると、室長室へ引き摺るようにして連れて行った。
「それは薪さんひとりで見てください。オレは」
 薪を残し、青木は部屋を出て行こうとした。室長室のドアを閉めるとき、青木は泣きそうな顔になって言った。
「オレはもう二度と、あなたと鈴木さんの邪魔はしません」

 両手にDVDを持って、薪は呆然と立ち尽くした。
 そのまましばらく自失していたが、やがて我に返って、DVDとドアを交互に見た。それから室長席に近付くと、パソコンの電源をオンにした。



*****



 書いちゃった後でなんなんですけど。
 わたしの原作に対する解釈と、二次創作は全然別物です。二次創作はあくまでもお話なので、この方が面白そうだ、と思われる方向に合わせて人物像は変えていきます。なので、これはわたしの鈴木さん像ではありません。ていうか、こんな鈴木さん、イヤ。(笑)
 原作の鈴木さんは、純粋に雪子さんを愛していたと思います。薪さんとの間に恋愛感情はなく、あったとしても薪さんからの一方通行だったと思います。恋愛の要素が皆無でも、友人のために死ぬ男はたくさんいますから。(←少年漫画ばっかり読んでるとこういう偏見が)

 でも、実際のところはどうだったのでしょうね。
 原作に描かれていないので、想像するしかないんですけど。やっぱり謎ですね。そこがまた、鈴木さんというひとの魅力を増しているのでしょうね。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ラストカット 後編(18)

ラストカット 後編(18)






 室長室のPCモニターは、32インチという大型のものである。
 薪のパソコンは、MRIシステムの端末としても利用できる。そのため、ディスプレイもこのサイズのものが使われている。
 
 その液晶画面に。
 一昨年の11月以来の、無修正AV画像が映し出されていた。

「……うそだ」
 5課の要請で、裏AVの確認作業を手伝っていたときとは別人のように、薪はその映像に慌てふためいていた。
 画面の中では、2人の男が裸で抱き合っている。無修正のホモポルノだ。思わず椅子ごと机から離れるが、画面から目を離すことはできない。
 出演者の2人は、自分が良く知っている人物だ。ひとりは自分の親友だし、もうひとりは自分自身だ。まったく身に覚えのない映像を目の当たりにして、薪は青木の馬鹿げた仮説のルーツを知る。 

 青木が言ったことは嘘ではなかった。でも、これはラストカットではない。
 ラストカットは、ほんの十秒くらいだ。こんなに長く続くものではない。
 これはたぶん鈴木の想像か、でなければ夢のどちらかだ。現実ではない。画の中に、鈴木自身が映っているからだ。鈴木は昔の情事を思い出していただけだ。
 それだけのことで、あんな極端な仮説を捏ね上げるとは。青木は、捜査官より小説家になったほうがいい。このDVDを見終わったら転職を勧めてやろう。

 ディスプレイの中の薪は、ベッドの上にうつ伏せになって尻を高く上げている。そこに鈴木が後ろから覆いかぶさってくる。羞恥に頬を染めて、それを受け入れる。
 激しく突き上げられるうちに、薪の表情が変わってくる。恥ずかしそうな表情から、快楽に喘ぐ淫らな貌に。やがては自分から、夢中になって腰を動かし始める。
 たしかに、これは鈴木と自分に間違いない。
 でも、こんなにすごかったっけ? これじゃ、まるで……。

 読唇術の心得がある薪は、画の中に映る自分のくちびるを、おっかなびっくり読んでみる。
「言ってない! 僕はこんなこと言ってないぞ!」
 PCの画面に思わず突っ込みが入るほど、モニターの中の自分は淫らなことを叫んでいた。気持ちいいとかもっと深くとか、それから……とても言葉にできない。
 やってることも凄い。
 このDVDはのっけからセックスシーンだったが、様々に体位を変えて、その度にふたりは興奮を高めているようだった。薪の色欲に溺れた顔が鈴木の欲望に近付いていって、愛しそうにそれを口に含む場面もあった。今は薪が鈴木の上になって、からだを仰け反らせながら腰をくねらせている。

「やってない! 僕はこんなことまでしてない!!」
 こ、これを青木が見たのか!?
 あいつ、これが鈴木の想像だって解ってるよな? あいつの観察力は当てにならないから……不安だ……。

「鈴木……いったい、僕をどうゆう目で見てたんだよ……」
 あまりにも現実と違う画像に、薪は両手で頭を抱え込んだ。憂鬱な気持ちで、当時のことを振り返る。
 セックスが上手にできたことなんか、数えるほどしかなかった。
 相手とひとつになる幸福感と、肉の快楽はまた別のものだ。幸せだったけど、その行為には必ず痛みがセットになっていて。正直な話、鈴木が終わるのをひたすら待ってるときのほうが多かった。
 それでも、回数を重ねるごとに痛みはだんだん薄くなって。半年以上かかって、ようやく痛み以外のものも感じられるようになったけど。うまくすると鈴木を受け入れたまま、射精できることもあったけど。でも、それはほんの数回のことで。まぐれと言ってもいいくらいの確率でしか、訪れてはくれなかった。
 そのまぐれですら、こんなふうに感じられたことは1度も……きっと僕は、そっちの才能がないんだ。

 鈴木のことは好きだったけど、セックスは女の子のほうがずっと気持ちよかった。
 男はとにかく痛くて汚い。きれいでしたよ、と青木は言ったけど、そんなはずはない。あれは、見たら吐き気がするほど汚い光景だ。

 鈴木に恋をしていると自覚したころ、もしかしたら自分は女の子より男のほうが好きなのかと悩んで、そういう系統の雑誌やネットを見てみたことがある。それまで女の子にもいまひとつ本気になれなかったのはそのせいか、とも思った。でも実際に見たら、気持ち悪くて吐きそうになった。
 結局、僕は女の子も男も本気で愛せない、愛情の欠落した人間だということが分かった。それが何故か、鈴木だけは特別で。
 これが恋の魔法というやつなんだな、と自分でもびっくりするくらい、やさしい気持ちや相手を大切に思う気持ちが自然に沸き上がってきて。
 こんな冷血な自分でも、やさしい人間になれる。暖かい血の通った人間になれる。それがうれしくて、僕はますます鈴木のことを好きになった。

 画面は遷り変って、スーツ姿の薪が現れる。場所は室長室のようだ。
 ほっとして薪は画面に近付く。
 室長室の窓から外が見えた。雪が降っている。季節は冬だ。
 キーボードを叩きながら、薪は何かぶつぶつ言っている。これは現実の画らしい。画の中に鈴木の姿がなく、薪だけが映っているからだ。

 また場面が変わって、テーブルの上に置かれた美しい和懐石の膳が映る。それを美味そうに食べている自分の姿が見える。
 これは、山水亭だ。
 画面の中の薪はとても楽しそうに笑い、次の瞬間にはくちびるを尖らせ、その次にはまた笑っている。その美貌が、こちらにぐいと近付いてくる。目を閉じて口を大きく開く。10分前の画像では男の欲望を咥え込んでいたつややかなくちびるに、今度は大粒のイチゴが投入される。薪はリスのように頬を膨らませている。

 鈴木の前では、自分はこんなにやりたい放題だったのか。笑って怒って甘えて……そうだ、僕がこんなふうに自分を出せる相手は鈴木だけだったんだ。

 唐突に、画面の中の薪の顔が悲しげな翳りを見せる。が、それは一瞬で消え、穏やかな微笑を取り戻す。しかし、それはさっきまでの無邪気な笑顔ではない。薪は明らかに自分の心を隠している。

 思い出した。これは、鈴木が死ぬ前のクリスマスイブの夜だ。




*****


 鈴木さんと過ごした最後のクリスマスイブの様子は、カテゴリADの『聖夜』というお話に書いてあります。
 興味のある方はどうぞ。


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ラストカット 後編(19)

 ヌルイRありです。 苦手な方はご注意ください。





ラストカット 後編(19)





 雪子が仕事でデートの相手にあぶれた鈴木は、薪を誘ってきた。そこで雪子との結婚話を告げられた。これはそのときの画像だ。
 自分もこのときは頑張った。動揺を表に出さないように、自分の感情を見事に抑え込んだ。
 この夜はたしか鈴木が部屋に飲みに来て、そのまま泊まって行ったのだ。図々しく薪のベッドを占領した鈴木は、雪子と間違えて自分にキスを――ほら、ここだ。
 鈴木にベッドに引き込まれて、赤い顔をした薪が映っている。リビングに行こうとそっとベッドを抜け出すが、鈴木の寝顔につい見蕩れて誘惑に負けそうになる。慌ててかぶりを振って、己を戒めている。困惑した薪の顔が急に近づいてきて、その亜麻色の目が大きく開かれて画面いっぱいに広がり、不意に暗転する。鈴木が目を閉じたのだ。

「あれ?」
 この画は少しおかしい。
 あのとき、薪はてっきり鈴木が自分と雪子を間違えたのだと思い込んでいたが、それならここには雪子が映っていないとおかしい。これは鈴木の脳の画だから、鈴木が見間違いをしていれば、現実とは違う画が映るはずなのだ。

 くちびるが離れた後の画にも、はっきりと薪の姿が映っている。これだと鈴木は、相手が薪だと分かっていながらキスをしたことになるが。まあ、寝ぼけていたのかもしれない。
 人騒がせな話だ。あの後、薪は千々に乱れたこころを抱えてリビングに逃げ込んだのだ。ソファの上で毛布にくるまって、さんざん泣いた。鈴木を忘れることができない弱い自分が、情けなくて口惜しくて。

 しかし、次の画は間違いでは済まなかった。
 ソファで丸くなって眠っている薪が、だんだんこちらに近づいて来る。鈴木のほうが薪へ向かって歩いているのだが、鈴木の視覚で見るとそうなるのだ。
 そして。

「何してるんだ、鈴木……?」
 薪の頬は涙で濡れていた。それを鈴木のくちびるが吸い、愛しげにくちびるにキスをした。
 それから鈴木は、長いこと薪の寝顔を見ていた。窓の外が白むまで、ずっと。
「嘘だ……こんな……だって……」

 それから再び、薪は娼婦のようになって画面の中に現れた。
 今度は室長室だ。薪の身に憶えはないから、これは完全に鈴木の想像だ。
 最初のころ、薪の体に透けて部屋の天井みたいなものが映っていたから、仰向けになった姿勢でこれを想像していたと思われる。
 これは男なら誰でもやることで、薪にも経験がある。つまり自慰行為だ。
 男が自慰をするときに、だれかとの情事を想像する。それはよくあることだけど、ただの友達だと思っている相手にすることじゃない。

 薪は立ったまま白いワイシャツを袖の部分に落とし、上半身をさらけ出している。鈴木を見て、嬉しそうに微笑んでいる。鈴木の手が薪のベルトを外し、ズボンを足元に落とす。そのまま薪の下腹部を口で愛撫しだした。
 立っているのが辛くなった薪は、執務机に手を伸ばす。机の縁に捕まって、快感に身悶えする。充分に潤った薪のからだを机の上に載せると、鈴木は自身を薪のそこに埋めてくる。薪はびくびくと震えながら鈴木を受け入れる。
 そのつややかなくちびるが、また叫びだす。しかし、今度のセリフは薪にも憶えがあった。
『すずき、だいすきっ!』
 大きく足を開いて男を受け入れながら、相手を抱きしめて、その耳元で何度も叫んでいる。
『愛してる、愛してるっ! すごくしあわせっ……!』
 鈴木のくちびるも、薪と同じ動きを繰り返している。

 男同士のセックスなんて、端から見たら吐き気がするほど汚い光景だけど、でも。
 でも、鈴木の脳に残されたその画はきれいで――青木が言う通り、確かにとてもきれいで。

 これは現実じゃない。鈴木の脳が作り出した画だ。
 だけど。
 鈴木には――鈴木の目にはこんなふうに見えていたと。
 僕と同じように、繰り返し繰り返し夢に見たと……あのころのことを思い出して、僕との情事を想像して、眠れぬ夜を過ごしたと。
 想いは通じ合っていたのだと――。

 画面の中の薪の眼には、うっすらと快楽の涙が浮かんでいる。それを映し出す亜麻色の瞳からもまた、涙が零れ落ちていた。
「鈴木……」

 もう、迷わない。
 おまえのまがい物に、惑わされたりしない。
 おまえはここにいる。ちゃんとここにいたんだ。

 僕の夢の中で、僕を抱いてくれたおまえが真実だった。
 僕に、夜な夜な逢いに来てくれていたんだ。僕の捻じ曲がったこころがおまえの愛情を信じられなくて、夢は悪夢に変わってしまったりしたけれど。鈴木は僕に逢いたくて、ただそれだけで。
 そうだ。鈴木はそういうやつだった。
 僕には限りなく甘くて、僕のすべてを許してくれて。

 薪は自分の手でベルトを外した。
 華奢な手が、ズボンの中に滑り込む。画の中の自分が鈴木にされているように、自分自身を愛しはじめる。
 触る前から薪のそこは痛いくらいに膨らんでいて、それはこの画像が、薪のからだの奥に眠った情事の記憶を引き出した結果だった。
「あっ、あっ、鈴木っ……!」
 昔の恋人を思い出しての手淫は何度も経験済みだが、今日は画像付きだ。頭の中の空想と視覚では、与えられる刺激に格段の差がある。その強烈な刺激は、薪の時計を一気に15年前に巻き戻した。

 独りよがりじゃなかった。
 鈴木は僕を愛してくれてた。もちろん雪子さんのことも愛してたけど、ちゃんと僕のことも愛してくれていたんだ。
 不誠実とか二股とか、部外者は勝手にほざけばいい。鈴木を知らない人間に鈴木の気持ちが解るわけがない。鈴木は雪子さんにも誠実で、僕のことも本気だった。

 興奮が高まるにつれて、体に纏いつく衣服が邪魔になる。夢中でズボンと下着を下ろし、床の上に脱ぎ捨てる。両手が自由に動くようになって、薪の快楽はいっそう深くなる。
 両膝を折り、椅子のふちに腰掛けて、画の中の自分と同じように大きく足を広げる。腰を浮かせて鈴木を受け入れている部分に自分の指を忍ばせ、画の自分と同じ愉悦を味わう。
 音のないMRIの代わりに、薪は大きなよがり声を上げる。堪らなくなって、ありったけの声で叫ぶ。
「すずきっ、すずきっ! 愛してるっ! あああ!」

 ひときわ大きな喘ぎと震えのあと、薪はぐったりと背もたれに寄りかかった。
 荒い呼吸を整えて、目蓋の裏の恋人に微笑みかける。汚れた手をティッシュでぬぐい、涙を拭く。床に脱ぎ散らかしたズボンを拾い上げ、身につける。
 再びディスプレイの前に座って、薪は画面に向き合う。頬杖をつき両手で口許を覆って、愛撫の余韻を味わいながら、自分たちの愛し合う姿を切ない瞳で見つめる。

 あのとき、僕が取った行動は間違っていた。
 鈴木を撃ち殺した後、僕がしなければならなかったことは、所長に連絡して救護班を回してもらうことではなく、雪子さんの携帯に連絡を入れることでもなかった。

 その場で自分の頭を打ち抜くことだったんだ。

 それが判ったいま――僕は鈴木に会いに行ってもいいんだ。
 きっと、鈴木は僕のことを待ってくれている。バカな僕が思い違いをして、鈴木にこんなに長いこと待ちぼうけを食わせてしまった。

「ごめん、鈴木……ごめんな」
 でも、明日は逢える。鈴木に逢いに行けるんだ。



*****


 なんか、すっかりすずまき小説に。
 が、がんばれ、青木くん!


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ラストカット 後編(20)

ラストカット 後編(20)





「明日が待ち切れないよ……」
 朝一番で、所長に適当な申請書を上げて拳銃の携帯許可を貰おう、と薪は考えている。

 どんな死に方でも、頭さえ潰れてくれれば文句はない。だから首吊りとか服毒自殺とかは論外だ。しかし、ビルの屋上から飛び降りると後始末が大変だし、電車に飛び込むのはもっと多くの人々の手を煩わせなければならない。しかも、必ず頭が潰れるとは限らない。銃で頭部を打ち抜くのが一番確実なのだ。
 誰もいないところへ行ったほうがいいのだろうが、それをすると自分の死体を見つけるまで、第九のお人好したちが探し回るだろう。後始末のことを考えるとここで死ぬのはためらわれるが、死体というのは腐ったら物凄く臭いし、早期発見の上さっさと焼いてもらったほうが良い。銃を撃つときに脳漿が飛び散らないよう、上着で頭を包めば壁紙を張り替えるくらいで済むだろう。

 そうだ、やりかけの書類があった。あれだけは処理していかないと岡部が困る。
 薪は引き出しの鍵を開けて、目的の書類を取り出した。スチール製の事務机の上に数枚の紙を広げる。
 左手のPCの画面では、もうひとりの自分がまだ快楽に喘いでいる。まったく鈴木ときたら、いったい何十分こんなこと――。

「僕はそんなに長くはもたないよ、鈴木」
 高級そうなマホガニーの机の上で、足を相手の腰に絡みつかせて鈴木を受け入れる自分を、先刻までの興奮とはかけ離れた冷静な目で見る。男の生理など、一度抜いてしまえばこんなものだ。もともと薪は、そちらの方面には興味がない。

「うん?」
 書類を見たせいか、薪の目が熟練した捜査官の目になる。
 マホガニーの机。画面の端に映った飾り棚。これは室長室ではない。
 これは鈴木の想像の画だから、現実と多少の食い違いがあってもおかしくは無いが、それにしてはやたらとはっきり部屋の様子が映っている。しかも薪には見覚えがある。

 官房長室。
 これは官房室長の部屋だ。
 じゃあ、鈴木は官房長になった僕とセックスしてるのか?
 想像とはいえ、なんてやつだ。おとなしそうな顔をして、どれだけの野心をその羊の皮の下に隠していたのか。

 そういえば、と薪は何年か前に鈴木と交わした、たわいも無い冗談を思い出す。
 鈴木の脳にも残っていた、あの事件の前のクリスマスイブ。雪子との結婚が決まったことを聞いた薪は、自分がそれにショックを受けていないことをアピールするために、冗談で官房長の娘との結婚話を口にした。そのときに自分が官房室室長、鈴木が首席参事官になって、などと言った憶えがある。
 鈴木はその冗談を本気にしていたのだろうか。

 画面の右下に、ダークグレイのジャケットが落ちている。大きさからして薪のものだ。その胸に着いている襟章。警視正の襟章より白い線が何本か多い。階級が上がるほどにこの線は増えていくものだから、これはきっと官房長の――。
 
 ちがう。
 官房長の襟章はこれじゃない。これは……この線の数は――。

 薪は画面に顔を近づけて、その部分を凝視する。画面右下。ジャケットについた小さな襟章。これが鈴木の望んだ画だとしたら。
 鈴木は、自分と一緒に死ぬことを望んでいたのではないかもしれない。
 
 あの事件の時の鈴木の行動は、明らかに貝沼の影響を受けていた。そうでもなければあのやさしい鈴木が、銃を強奪して他人を傷つけるなんて事をするはずがない。薪に発砲してきたことも、いわば貝沼に操られてのことだ。貝沼の狂気は鈴木のこころの底に潜めていた小さな願望を増幅されて、それが鈴木をあんな凶行に走らせた。
 あれが鈴木の本心だったとは思いがたい。

 画像の違和感に、薪はいつもの冷涼な頭脳を取り戻す。さっきまで薪の身体を支配していた感傷も肉欲も消えて、そこにはただ冷静な捜査官の顔がある。

 このDVDは、青木が編集したものだ。
 その目的は、鈴木が薪を憎んでいないことを薪に解らせることだった。つまりこのDVDには、鈴木が薪に好意を持っていたことを示唆する画ばかりを集めてあるはずだ。
 鈴木だって薪のことを見るたびに、こんなことばかり考えていたわけじゃない。親友として上司として、友情と尊敬を感じていたはずだ。それは共に第九で過ごしてきた薪が、一番良く分かっている。
 
 これと同じ位、いや、きっとこれより遥かに多く、雪子を愛している証拠となる画が鈴木の脳には残されていたはずだ。そこには現実のセックスも映っていただろうし、感動的なプロポーズのシーンもあっただろう。そのときの雪子は、この画以上にきれいだったはずだ。
 それを意図的に抜いた青木の行為は、べつに薪を騙そうとしたわけではない。青木はただ、鈴木の本当の気持ちを薪に伝えたかっただけだ。

 プレーヤーを一時停止にして画像を止め、薪は必死で目を凝らす。なるべく襟章が大きく写るシーンを選んで範囲を指定し、拡大をかける。

 だめだ。このモニターじゃ、解像度が荒くて確認できない。
 画を止めるとブレが出て、拡大したら線がぼやけてしまって、余計にわからない。逆に普通に流したほうがよく見えるくらいだ。停止画像の白線はどう見ても20本以上はある。こんな襟章は存在しない。

 官房長の部屋で鈴木に抱かれる自分と、自分のジャケットにつけられたありえない襟章。
 この矛盾は検証する必要がある。

 ――――メインスクリーンなら、見られる。
 この画像が、あの壁いっぱいのスクリーンに映し出されるのはちょっと、いやかなり恥ずかしい。
 しかし、確かめたい。鈴木が本当は自分に何を望んでいたのか。

 DVDをPCから取り出して、薪は立ち上がった。迷いもなくモニタールームに向かう。室長室のドアを開けると、そこにはこのDVDを編集した職員が座り込んでいた。
「あお……!」
 思いがけない事態に、薪の顔が真っ赤になる。
 こいつ、帰ったんじゃなかったのか。しかも、どうして自分の席ではなく、こんなドアの側に青木はいたのだろう。まるで中の様子をうかがうように。

 ああ、そうか、と薪は思う。
 青木は、薪が自殺するのではないかと危惧していたのだ。
 自分の推理の中で、鈴木が薪に無理心中を仕掛けた可能性を指摘した青木は、それを薪が実行するかもしれないと後から気付いたのだろう。でも、室長室であの画像を見る薪の邪魔はできない。あれは他人と一緒に見るものではない。 だから、何事かあったらすぐに対応できるように、ここで待機していたのだ。

 少し考えれば分かったはずなのに、あの時はそんなことは頭の隅にも浮かばなかった。鈴木が想像する情事に同調してしまって、夢中で。
 自分の恥ずかしい声は、こいつに丸聞こえだったに違いない。その証拠に青木の頬が赤い。薪の顔を見ようとしない。
 気まずすぎる状態だが、こうなったらもう開き直るしかない。
 どうせ、この画を見られているのだ。淫乱な人間だと思われていることだろう。構うものか。この検証の結果によっては、本当にそうせざるを得なくなるかもしれない。

「青木。これ、メインスクリーンに映せるか」
「はい!?」
 びっくりしている。当たり前だが。
 
 こいつの中の自分の偶像を、きれいなままで残してやれなかったことに罪悪感はあるが、もともとこいつの勝手な思い込みだ。この際、そんなものは木っ端微塵に砕いてやったほうがいい。そうすれば新しい恋を見つけることもできるだろう。能うなら、相手は雪子にして欲しいが。

「やればできますけど」
「頼む。カウンター40601から始めてくれ」
「……はい」
 青木は渋りながらも薪の命令に従って、DVDをセットした。いくつかの作業をしてパスワードを打ち込む。
 メインスクリーンに薪の痴態が大写しになる。青木は下を向いて、その画像から目を逸らせた。

 薪は食い入るように画面を見つめる。ジャケットが映るはずの、スクリーンの右端で待機する。やがて問題の場面が映し出される。
 それはやはり、官房長の襟章ではない。これは――。

「果てしなく大それたやつだな」
 薪の声に、青木は顔を上げた。スクリーンの中の人物とは別人のように落ち着き払った薪が、腕を組んで立っている。自分の浅ましい姿を冷めた目で見つめている。
 その横顔は、いつもの冷静な室長の顔だ。スクリーンの中で、男に抱かれてよがる人物と同じ人間にはとても思えない。

 やがて画面では、光の点滅が始まった。
 すべての背景は消え、光に飲み込まれるように画面が輝きだす。ラストカットの始まりだ。

 メインスクリーンに、ゆっくりと浮かび上がる人物の顔。
 それは薪の極上の笑顔だった。

 うれしそうに、この上なく幸せそうに微笑む美しい顔。壁一面のスクリーンに引き伸ばされてさえ、きめ細かさを失わない白い肌。
 裸の肩が見えて、男の腕が回されているから情事の際の画かもしれない。亜麻色の髪に乱れがないから、これから鈴木に抱かれようとしているのかもしれない。

 青木の言葉は嘘ではなかった。鈴木は自分のラストカットに、薪を残していた。
 愛されていた。
 現実の恋人にはなれなかったけれど、自分は鈴木に愛されていた。

 青木が、心配そうな目でこちらを見ている。薪は青木のほうを向いて、その視線をきちんと受け止めた。
「安心しろ。僕は自殺したりしない」
 薪は力強い声で、きっぱりと言った。
 
 MRIで脳を見たからと言って、そのひとのこころがすべて分かるわけではないけれど。鈴木が取った行動の真実を見抜くことができたとは思わないけれど。
 それでも、長年の経験から言える確かなことはある。

 ラストカットに残した人物に、自殺することを望む人間などいない。
 鈴木は僕に、生きろと言っている。



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ジャンル : 小説・文学

ラストカット 後編(21)

ラストカット 後編(21)




 ラストカットに残した人物に、自殺することを望む人間などいない。
 鈴木は僕に、生きろと言っている。


「僕は警視長の昇格試験を受ける」
 つややかなくちびるが、薪の決心を言葉にする。
 新しい目標に向かって邁進しようとする意欲的な瞳。その前向きな気持ちが、薪の美貌を輝かせている。
「僕は上に行く。おまえもついてこい」
「はい!」
 青木は、即座に薪の命令に服従する。
 見るものすべてを虜にする強いオーラ。その絶対的な求心力。黄色い嘴の取れない若造を言いなりにすることなど、朝飯前だ。

 鈴木が僕に何を望んでいたのか、やっと解った。
 あの襟章。あれは警察庁長官の襟章だ。
 つまり、鈴木は警察庁のトップになった僕とセックスしてたんだ。憶測だが、官房長室は鈴木の部屋だったのかもしれない。まったく恐ろしいやつだ。虫も殺さないような顔をして、ものすごいことを考えていたものだ。
 でも、それが鈴木の望みなら。
 僕は精一杯、それに応えよう。僕のありったけの力で、鈴木の願いを叶えよう。

「鈴木。見ててくれよな」
 メインスクリーンがシャットダウンされて、システム保存の静止画面になる。そこには薪の、とびきりの笑顔が映っている。
 青木は、呆然とそれを見ている。魂ごと持っていかれている状態だ。
 ピピッと電子音が鳴って、MRIシステムが安全に終了されたことを告げる。不意に画面が暗くなり、その画像は実在のうつし身に姿を変えた。

「青木。おまえ、まだ僕のこと好きか」
「はい」
「あんな姿を見てもか」
「はい」
 青木の答えに迷いはなかった。
 オールバックのきちんとした頭を両手でつかみ、薪は背をかがめた。目を閉じて顔を近づける。
 自分からくちびるを重ねて、相手の口に舌を忍ばせる。絡みつかせて吸い、引き込み捉え――やがて相手も、薪の口中を自分の舌で愛撫してくる。相手が満足するまで、薪は苦しい呼吸の下でそれに応える。逞しい腕が、薪の身体をぎゅうっと抱きしめてくる。

「これは、鈴木の本心を見せてくれた礼だ」
 ようやく開放されたときには、薪の息はだいぶ上がってしまっていたが、平静を装って事務的な口調で告げる。
「保留中の例の件だが、この場で処理をしよう」
 相手の目を見る。ここからが大切なところだ。
「僕は官房長の娘さんとの縁談を受ける。結婚して小野田さんの跡を継ぐ」

 薪の爆弾宣言に、青木はびっくりした顔をする。
 相変わらず正直なやつだ。心の中がそのまま顔に出る。

「薪さんに愛のない結婚なんか、できるわけないじゃないですか。そんなことができるくらいなら、とっくに鈴木さんのことを忘れられたはずです」
「できる」
 自分はもう子供ではない。青木のように素直な性格でもない。目的のために自分の心を殺すことも、好意を装うこともできるくらい大人なのだ。
「恋愛感情がなくても結婚はできる。夫婦生活も子供も作れる」
 鈴木の遺志を継ぐためだったら、僕はなんでもする。なんでもできる。そのために生きると決めたのだ。

「おまえは僕のことを諦めろ。ちゃんと女性に恋をするんだ」
「無理です。薪さんがその女性を好きになって、結婚するんなら諦めます。でも、会ったこともない女性と結婚するから諦めろって言われても納得できません。官房長の娘さんだって可哀想です。薪さんはこれからも、鈴木さんのことだけを思い続けていくんですよね?」
 それは間違いない。自分の気持ちは、これからも一生変わらない。
 たったいま、鈴木の愛を見せられてそのことに自信が持てたところだ。これからはもう、迷わない。

「夫の愛が一生得られない妻の苦しみ、考えたことがありますか?」
 薪は、はっとして目を伏せた。
 たしかに、それは青木の言う通りだ。薪は自分のことだけを考えていた。
 自分の都合のために不幸な女性を作るなど、鈴木はきっと喜ばない。

「わかった。結婚は諦める。僕は鈴木以外は愛せない」
「オレもです。薪さん以外は考えられません」
「それはダメだ」
 自分はこのまま一生独り者でかまわないが、青木は駄目だ。青木には親も姉もいる。彼女たちを悲しませるような真似を、させるわけにはいかない。



*****


 ますますマズい展開に。
 本当に恋人同士になるのかしら、このふたり(笑)


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ラストカット 後編(22)

ラストカット 後編(22)


 



「どうしたらいいんだ? 僕が何をしたら諦めてくれるんだ。僕がおまえに抱かれれば満足するのか」
「気持ちが入らない薪さんなんか、いりません」
「心はやれない」
 この心だけは鈴木のものだ。今までもこれからも、ずっとずっと鈴木だけのものだ。

「僕がおまえにやれるのは身体だけだ。もう手段は選ばない。この身体も道具の一つとして有効に使う。今までは鈴木のものだったけど、これからはただの道具だ。必要とあらば、間宮にだってくれてやる」
 結婚を諦めるなら、他の手段でのし上がるしかない。娘との縁談を拒否すれば、小野田の後ろ盾はもう得られないだろう。他のバックが必要になる。間宮は次長の娘婿で、将来的には確実に次長の椅子に座る男だ。味方につけておいて損はない。幸い、間宮は自分に執着を見せている。これを利用しない手はない。

 薪は強い目で青木を睨む。青木の哀しそうな視線が返ってくる。
 幻滅すれば良い。なりふりかまっていられない。今の立場から出世競争に参戦しようと思ったら、意地もプライドも捨てるしかない。

「他の誰かに奪われるくらいなら、オレが先にもらいます」
 しばしの沈黙のあと、青木は低い声で言った。
 言うが早いか、飛びかかってくる。不意を衝かれて、薪はモニタールームの床に組み敷かれた。冷たいリノリウムの床に仰向けにされて、肩を押さえつけられる。
 薪の心臓が跳ね上がる。こんな展開になるとは思わなかった。
 でも。

 鈴木以外の男で、薪の身体に触れたものはいない。女の子もずっとご無沙汰で、正直な話、10年以上も人肌のぬくもりに触れていない状態だ。
 その行為がスムーズにできるかどうかも、自信がない。特にあそこは使ってないから狭くなってしまって、初めは苦労しそうだ。
 だから最初は、少しでも心を通わせた相手のほうがいい。
 こいつならやさしいし、未熟な性技でも文句は言わないだろう。それに――。

 とことん利用すると決めたからには誰とでも寝てやるつもりだが、一度くらいは……好きな相手と、したい。
 鈴木ほど好きになったわけではないが、心が揺れたのは確かなのだ。まだ他の人間に汚されないうちに、こいつにあげられるものなら捧げてしまいたい。

 今朝の青木の嘘に、薪は気付いていた。
 たしかに途中から記憶はなかったが、それでも何もなかったと言うのは、青木が薪を思いやって吐いてくれた嘘だ。
 ちゃんと憶えている。
 愛してますと耳元で囁く声と、やさしい愛撫。蕩けそうな甘いキス。首筋から胸に、それからもっと下のほうに降りていった口唇。腰の辺りから這い上がってきた、ぞくぞくするような感覚。

 こいつは僕が欲しくて堪らなかったくせに、それでも僕のことを考えて我慢して、朝まではだかの僕を抱きしめていた。あのまま奪おうと思えば簡単だったはずなのに、自分の欲望よりも僕の安眠を優先してくれた。
 やさしい青木。
 僕がおまえにしてやれるのは、これだけだ。たぶん、これが最初で最後の……。

 薪は目を閉じた。
 自分で服を脱ごうとするが、青木は薪に自由にさせてくれる気はないようだった。それどころか、引きちぎるような勢いでシャツの前を開かれた。ボタンがいくつか弾け飛ぶ。乱暴に乳首を捻られ、むしゃぶりつかれる。
「――ッ!」

 急にされたら、痛い。
 いつもはあんなにやさしいくせに、こんなときに乱暴になるなんて。
 でも、仕方がないかもしれない。身体だけの関係だと明言してこちらから誘ったのだ。それに自分は男だ。やさしくされるのは女の特権だ。鈴木はとても優しかったけど、かれは特別だ。

 ベルトを外されて、下着ごとズボンを下ろされる。足を肩の上に載せられて、からだをふたつに折り曲げられる。ジャケットは着たたまま靴は履いたまま、ズボンと下着は膝のところまで下ろされて、乱暴に秘部をさわられる。
性急で暴力的な行為。固い床が背中に響いてとても痛い。
 ムードや甘い言葉など期待してはいなかったが、これは少し、いや、かなり……。
 ひどい。
 というか――――こわい!!

「いやだああっ!」
 気がついたときには、声の限りに叫んでいた。
 この恐怖は、薪が今まで味わったものとは種類が違う。
 殴られたら痛いとか怪我をするかもしれないとか、生命の危険に関する恐怖ではない。それだったら意志の力でねじ伏せることができる。捜査一課で現場の捕り物の経験もある薪は、そういった鍛錬も積んでいる。
 だが、これは違う。
 これは人間の尊厳を根こそぎ奪われる恐怖だ。これを許してしまったら、自分はひとではなく、ただの肉の塊になってしまう。もう人間としては生きられない。そんな恐怖が薪を怯えさせる。

 体が勝手に助けを求めて動き出す。大声を上げてかぶりを振り、自分の上になった男を撥ね退けようとする。だが、大きなからだはびくともしない。
「いやだいやだいやだっ……!」
 力では敵わない。薪にはこの巨体から逃れる術はない。これほど激しいパニックに陥ってしまっては、得意の武術も発揮できない。

 薪の声は涙声になっている。自分では気づいていないが、両眼からは大粒の涙がぼろぼろと溢れ落ちている。
「助けて……鈴木、鈴木っ……」
 ずっと前にもこんなことがあった。
 鈴木に振られて自暴自棄になって――あのときは雪子が助けてくれた。
 ダメだ。あの頃から自分は何も成長していない。
 こんなに弱くて子供で。これくらいのことに耐えることもできないなんて。

「ほら。やっぱり無理でしょう? 薪さんにそんなこと、できるわけないんです」
 苦笑と共に、薪の上から重みが消えた。
「オレだからここで止まれますけど、他の男だったらきっと許してくれませんよ。言い出しっぺは薪さんのほうなんですから」
 大きなジャケットがはだかのからだに掛けられる。ジャケットからはコーヒーの匂いがする。薪にやすらぎを与えてくれる香りだ。
「すみませんでした。二度とこんなことはしません。オレはもう、薪さんには指一本触れませんから。安心してください」

 ジャケットの下で、薪は懸命に嗚咽を止めようとする。
 みっともない。恥ずかしい。
 自分から誘っておいて、いざとなったら怖くてできないなんて。

 青木は薪を置いて、モニタールームを出た。
 大きなジャケットにくるまって、薪は床の上で小さくからだを丸める。深く呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせる。



*****

 次でラストです。
 大丈夫かー、おまえたちー。(笑)


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ラストカット 後編(23)

 これまでお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました。
 終章です。




ラストカット 後編(23)





 薪の嗚咽が収まったころに、青木は戻ってきた。ジャケットの下で思わず身構える。
 しかし、青木は薪に近づこうとはしなかった。床に盆ごとコーヒーを置いて、黙って離れて行く。薪の顔を見ようともしなかった。なんだかひどく傷ついたような顔をしていた。
 冗談じゃない。レイプまがいのことをされて、傷ついたのはこっちのほうだ。

 芳しい香りが漂ってくる。この香りは薪を落ち着かせてくれる。自分を暴力的に犯そうとした男が淹れたものであっても、コーヒーに罪はない。第一、誘ったのはこっちのほうだ。それを責める気はない。
 でも、あんなに乱暴にしなくたって。
 もっとやさしくしてくれれば、何とかなったかもしれないのに。昨夜みたいに甘いキスから始まって、愛していると耳元で囁いてくれれば、僕だって少しは……。
 そこで薪は気づいた。

 わざとだ。
 こいつ、わざと乱暴にして僕の本音を引きずり出したんだ。

 このコーヒーの味がその証拠だ。
 繊細で薫り高くて、薪の好みにぴったりと合わせた苦味と酸味のバランス。コクがあって後味は爽やかで。気持ちが入らなかったらこんな味は出せない。自分のことを大切に思ってくれていなかったら、このコーヒーは淹れられない。

 薪はジャケットに身を包んだまま立ち上がった。モニタールームの自分の席に座っている男に、空のコーヒーカップを差し出す。
「お代わり」
 青木は複雑な顔で席を立った。
 個人用のモニターに電源が入っている。何かの画像を読み込んでいるようだ。読み込みのゲージが100%を指し、やがて画が映し出された。

 亜麻色の髪を揺らして、笑い転げる青年。
 大きな亜麻色の瞳を輝かせて、ほそい足を子供のようにばたつかせて、こちらを指差しながら―――― 鈴木の脳に残っていた、薪の全開の笑顔だった。
「鈴木さんが望んでたことって、オレはむしろこっちだと思います」
 青木がコーヒーを持って、後ろに立っている。マグカップを机の上に置き、薪のほうを見ずに離れていく。

「出世も望んでたかもしれませんけど、鈴木さんの性格を考えるとこっちかなって。鈴木さんはきっと、薪さんがいつもこんなふうに笑っていてくれることを願っていたと思います。だからラストカットに」
 青木は言葉を切って、首を振った。
「すみません。また関係ないのに出しゃばっちゃいました。わかるわけないですよね、オレなんかに。オレは鈴木さんと会ったこともないのに」
 関係がないと言ったのは、薪のほうだ。あのときはそう思っていた。
 でも、今は。

「青木。僕は……がんばるから」
「はい。出世のことはともかく、警視長の試験を受けることは大賛成です。オレもできるだけ協力します。そうだ、母に言って大学時代の法規の参考書とか、送ってもらいますね。ポイントが書き出してあるから少しは役に立つかもしれません」
「いや、そうじゃなくて」
 それも頑張るつもりではいるけれど、もっとがんばりたいことがある。

「そうですよね、オレと薪さんとじゃ頭のレベルが違いすぎますもんね。役に立つわけないか」
「だからそうじゃ」
 青木は薪のことを、思い込みが激しいだの勘違いの天才だのと、さんざん言ってくれたが、自分だって人のことは言えない。薪が言いたいことを、まるでわかっていない。

「警視長の試験がうまくいくように、おまじないしてくれるか?」
 メインスクリーンの側に立っているやさしい男に、薪は近付いていく。
 が、青木は胸の前に両手を上げ、薪を押しとどめる仕草をした。
「オレには、そんな資格ないです」
 言っている意味が解らない。急に、どうしたのだろう。

「無理やり暴力であなたを奪おうとして、傷つけて」
 こいつは、そんなことはしていない。
 青木は薪に、自分の本心をわからせてくれようとしただけだ。薪を傷つけるような真似は死んでもしたくないくせに、薪のために敢えて乱暴に振舞った。
 しかし、それを言葉にしてしまうと、その真実はたちまち言い訳に変わる。だから青木はそんなことは言わない。男は、言い訳をしない生き物だからだ。

「オレ、自分のしたことには責任持ちますから。もう二度とあなたには近付きません」
 それは願ってもないことだ。
 しかし、『おまじない』はしてもらわないと試験に落ちてしまうかもしれない。不名誉な結果は、薪のプライドが許さない。

 自分の身体に触れることを躊躇う青木の胸に、薪は自分から額をつけた。
 たくましいからだに両手を回す。目を閉じてコーヒーの香りを吸い込む。
 青木の手が、おずおずと薪のからだに触れる。さっきはあんなに乱暴だったくせに、と薪は思わず笑い出しそうになる。

 …………こいつは僕のことを、一番に考えてくれる。

 自分の優しい心を殺してまで、僕に大切なことを教えてくれようとした。 
 僕のことが大好きでたまらないくせに、僕に嫌われるかもしれない嫌な役目を自分から選んで。僕が他の男に抱かれてる画を見るのは、心がずたずたになるほど辛かったろうに。僕の重荷を軽くするために、きっと泣きながらあのDVDを編集したのだろう。

 大きな手が亜麻色の頭を撫でる。細い背中を抱きしめる。いつも鈴木が薪にしてくれた、大切なジンクス。
 でも、鈴木はもういない。

「違うだろ。手を抜くな」
「はい?」
 両手で相手の頬を挟む。背伸びをして顔を近づける。
 そっとくちびるにキスをする。眼鏡の奥の黒い目が、子犬のようにまん丸になった。
「おまえが言ったんだぞ。この次は自分がしてやるから、いつでも言えって」

 これは僕の人生だ。
 これからは鈴木に頼らずに生きていく。
 ちゃんと自分の力で、自分の意志で。鈴木の遺志を継ぐのはもちろんだけど、そう決めたのは自分だ。

 だから。
 ジンクスもここで新しいものにしよう。

「これでおしまいか? 僕はもう少しちゃんとしたものを、おまえにしてやったと思っ」
 薪の言葉は、途中で相手のくちびるに吸い取られた。
 激しいキスに、心ごと奪われる。その強さと濃密さ。息もできない。吸い上げられる舌が痛いほどだ。でも、今度は恐怖はない。激しく求められるのがいっそ心地好い。
 呼吸を整える余裕はない。乱れた吐息の合間に囁かれる声。愛してます、と繰り返し繰り返し―――― それは薪を生まれ変わらせる魔法の言葉だ。

「青木。僕はがんばるから」
 やっとくちびるが離れて、薪はさっき伝え損ねた言葉を今度ははっきりと告げる。
「おまえのこと、恋人として受け入れられるようにがんばってみるから」
 青木は、ぽかんと口を開けて薪を見る。
 息を呑んだまま、動かない。呼吸が止まっている。もしかしたら心臓も止まってしまったのかもしれない。

「だけど、僕は鈴木のことは一生忘れられないと思うし、忘れる気もない。それでもおまえが僕を好きでいてくれるなら、僕もそれに応えられるように努力してみるから」
 勝手な言い分だとは思うが、今の薪にはこれが精一杯だ。
 
 鈴木のことは、これからも忘れられない。
 それでも、誰かと未来を形作っていくことができるなら。
 その誰かは、こいつしかいないと思う。僕が鈴木にすべてを捧げているのを知ってなお、僕のことだけを愛してくれるバカなやつなんて、他にはいない。

「すぐには無理かもしれないけど。でも、頑張るから」
「本当ですか」
 こくりと薪が頷くと、もの凄い力で抱きしめられた。
「痛い痛い!」
 本気で背骨がぼきぼき音を立てている。
「うれしいです。オレ、いつまでも待ちますから」
「いや、たぶん今死ぬかもっ……」

 早まったかな、と薪は思う。
 こいつのしつこさは半端じゃない。この1年、本当に何を言われても諦めなかった。
 こいつを諦めさせる、これが最後のチャンスだったのかもしれない。こいつはさっき僕を傷つけた責任を取って、自分から遠ざかろうとしてたんだから。

 力加減の分からない大男に抱きしめられながら、薪は自分が言ったことをほんの少しだけ後悔していた。


 ―了―





(2009.3)



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ラストカット~あとがき~

 長々とお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました!

 ということで、ビミョーな結末でこざいましたね。
 2年もかかって最終的にもらった言葉が、『努力してみる』ですからね。ひどいですねー。(すみません……いいです、もう。あおまきすと失格で)



 このお話を最後として、わたしのあおまきさんは一旦閉めたいと思います。

 
 わたしが書きたかったのは、実はここまでの二人なのです。
 わたしはあおまきすとですけど、この創作の目的は二人が恋人同士になることではなく。薪さんに、前向きに生きる決意をしてもらうことでした。
 原作の薪さんの何が哀しかったって、「あのひとの笑顔なんか見たことない」と言われるほどに、周囲との間に壁を築いてしまっていることでした。
 1巻の写真の薪さんは、あんなに屈託なく笑っていたのに。コピーキャットでも、旧第九のメンバーとは笑い合っていたのに。まるで、自分には誰とも笑い合ったり心を交わしたり、そんなことは許されない、自分は彼を殺したのだから罪人に相応しい人生を歩んでいかなければならない、と本来の自分を檻の中に閉じ込めているように見えて。
 わたしはそんな薪さんに、笑って欲しかったんです。それだけです。
 
 ここまで書くことができて、幸せでした。
 読んでいただいて、ありがとうございました。いっぱい励ましていただいて、ありがとうございました。
 みなさまに、ありったけの感謝を捧げます!



 この後は第3部に入りますが、そちらはもう、目的を達成した後の蛇足的なものでして。
 『秘密』の二次創作と言えるかどうかもあやしく。なんか、薪さんと青木くんでなくても、この話できるじゃん? みたいな。ただのBL小説としか思えないので、自分でもあまり公開は乗り気ではなかったのですが。
 実は、ラストカットの最初の頃は、第3部は公開しないつもりだったので、最終話です、と書いたんです。 
 が、水面下で色々ありまして、公開することになりました。
 とても奥ゆかしい方なので、お名前の明記は控えさせていただきますが、ある方に説得されました。説得、というか、おねだり? ううーん、かわいい女の子にはとことん弱いです。 


 そんなわけで第3部は、薪さんと青木くんの名前を冠しただけの、下品でつまんないBL小説になっちゃってます。きっとがっかりされちゃうと、
 はい? 今までもそんなものだったろうって? だれも期待してない?
 なるほど、そうですねっ!!
 引き続き、お付き合いいただけると嬉しいですっ!(開き直った)



 さて、次のお話は、4000拍手のお礼です。
『運命のひと』というお話です。
 長いです!ラストカットの後編より長いです。70ページあります!!(すみません~~~(><))
 ああ、どうして短編が書けないの、わたし。(;;)

 
 どうかゆっくりお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。


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土曜の夜に花束を(1)

 ここから第3部に入ります。

 再三申し上げました通り、これまでとはカラーが違いますので、ご注意ください。具体的にはBL色が強いです。
 これまでのお話は恋愛問題ばかりではなく、色々なことを書いてきたつもりなんですけど。仕事のこととか、青木くんの成長とか、薪さんの苦悩とか。
 でも、ここからはそれしか書いてないです。まるっと恋愛小説です。ギャグは入れてるんですけどね。なので、お好みの方だけ読んでいただきたいです。
 Rも当たり前みたいに出てくるので、18歳未満の方、Rが苦手な方はご遠慮願ったほうがよろしいかと。

 そ、それと~~、
 3部以降の作品につきましては、勝手ながら、
 Rに関する苦情は一切受け付けません。(言い切ったよ、サイテー)
 すみません、自分でグロイの分かってるので~~~、でも美しく書けないの、あれで精一杯なの、見逃してくださいっ。


 どうか、女神さまのように広いお心をお持ちいただいて、(いや、女神さまはこんなもん読まないだろ)
 よろしくお願い致します。






土曜の夜に花束を(1) 






 井之頭通りに何軒かある花屋の中で、閉店時間が一番遅いのは『しらいし』という店だ。
 亭主に先立たれた女主人が経営する小さな花屋ながら、花の種類は豊富で質も良く、値段は安くはないが、そのぶん長持ちする。加えて、店主のラッピングと花束のセンスはなかなかだと、近所でも評判の店だった。
 ホステスへの手土産にと夜更けに花を買う客が多い銀座や歌舞伎町と違って、吉祥寺では夜の9時過ぎまで営業している花屋はめずらしい。ここは夜の店が少ない街だからだ。が、これには理由があって、実はこの店を訪れるひとりの客が仕事の関係で、この時間に花を買いに来ることが多かったからなのだ。
 といっても、彼はそう頻繁に店を訪れるわけではない。それほど大量の花を購入する上得意客というわけでもない。しかし彼女には、彼のために店を開けておいてやろうと思えるだけの理由があった。

 初めて彼がこの店を訪れたのは、たしか3年前の夏だった。
 その日はバイトの娘が花の配達先を間違えて、そのフォローに回ったため、閉店時間を1時間も過ぎてしまった。明日は早いのにと心の中で愚痴りながらシャッターを閉めようとしたところに、彼が現れたのだ。
「すみません。まだ間に合いますか?」
 亜麻色の短髪に同じ色の大きな目。長い睫毛とつややかなくちびる。夏の夜だというのにダークグレーのスーツをピシリと着こなして、そのひとは涼やかに佇んでいた。お客を外見で判断するわけではないが、かれがこれほどの美貌の持ち主でなかったら、「どうぞごゆっくりお選びください」と言うセリフは出てこなかったかもしれない。
 そのとき彼は、迷うことなく白い百合の花を選んだ。その花はまさに彼のイメージにぴったりで、店主はこころの中で密かにこの青年に『白百合のきみ』という乙女チックなあだ名をつけた。

 最近この近くに越してきたばかりで、前に住んでいた街と違って、どの店も早く閉まってしまう事に驚いている、と話した。仕事の関係で9時前に自宅に帰ることは殆どないので、平日は買い物を諦めていたが、今日はこの店が開いていて良かった、と微かに笑った。
 それはひどく悲しそうな微笑で、店主はそのことに違和感を覚えた。花屋に花を買いに来て、悲しそうな顔をする客というのは少ないからだ。
 店主の持論は『花はひとを幸せにする』というものだった。たいていの客は自分が花束を作って渡すと嬉しそうな顔になるし、中には「わあ、きれい」と感嘆の声をあげてくれる人もいた。
 そこで店主は、頼まれてもいないラッピングをこの客にサービスすることにした。自分もこの技術にはひとかどの自信を持っていたし、なにか悲しい出来事があったらしい青年を元気付けてやることは、悪いことではないと思えたからだ。
 店主が花束用に花を重ね始めたのを見て、ラッピングは不要です、と青年は声を掛けてきた。謙虚で気遣いを含んだ態度に、店主は好感を抱いた。

「初めてのお客さんですから、これはサービスです。奥さんだってこの方が喜びますよ」
「僕には妻はいません」
 左手に指輪はなかったが、男の人が自宅用に自分で花を購入することは少ないから、てっきり妻帯者だと思った。
「それは失礼しました。じゃ、恋人ですか?」
 苦笑して首を振る。口元は優雅に微笑みの形を作るが、今にも泣き出しそうな顔だ。
 どうして彼がこんなふうに笑うようになったのか、店主は気になった。
 彼はまだ若く身なりも良く、とてもきれいな顔をしているのに、まるで年老いた老人のように人生を諦めた表情をしていた。

「それじゃ、ご自分へのご褒美ってことで。リボンは何色がいいですか?」
 リボンの見本を差し出すと、青年は困ったように目を伏せて低い声で言った。
「お祝い事ではないので。リボンは結構です」
 これはしくじった。さては弔事用だったか。それなら先刻からの悲しそうな表情も頷ける。もしかしたらこの青年は、大切なだれかを亡くしたばかりで、この花はそのひとに供えようとしていたのかもしれない。

「そういうことなら、シルバーのリボンはいかがですか? こちらならお供え物にしても」
 おずおずと申し出た店主に青年は頬を緩めて、亜麻色の頭を掻いた。
「すみません。よけいな気を使わせてしまいましたね。そういうわけでもないんです」
 それから青年は、リボンの見本の中から濃い緑色のリボンを選ぶと、これでお願いします、と切ない目をして言った。
「ありがとうございました。これからもどうぞご贔屓に」
 大きな花束を抱えて、夜の街に消えていく頼りない背中を見ながら、店主はその青年のことが気になって仕方なかった。今日はたまたまバイトの娘の失敗のせいでこんな時間になってしまったが、もしもあの青年がこれからもここに来るようだったら、この時間までは店を開けておいてやろう。

 果たして、それから彼は月に2回くらいのペースで、この店に来るようになった。
 彼が買う花はいつも決まって、白い百合の花だった。その端麗な容姿を見て、アルバイトの娘も、店主がこっそりとつけたあだ名で彼のことを話すようになった。
 白百合がお好きなんですか、とかれに訊くと、自分ではなく大切なひとが好きだった花なのだ、と語った。過去を振り返る話し方に、やはりこの青年は自分と同じように大事な人を亡くす痛みを知っているのだ、と店主は確信した。

 季節が移るごとに、少しずつではあるが明るくなっていく彼に、店主は安心を覚えていた。特に最近は花を渡す際に笑顔を見せてくれることが多く、それは彼女にとっても喜ばしいことだった。
 かれは痛手から立ち直りつつあるのだ。もしかしたら、亡くしたひとに代わる誰かを見つけることができたのかもしれない。

 その青年はここ1年ばかり、仕事が忙しくなったのか、1月に1度くらいの割合でしか店を訪れなくなっていたが、この店の白百合の売り上げは変わらなかった。別の固定客がついたからである。
 新しい白百合のリピーターは、黒髪のメガネをかけたとても背の高い男だった。
 彼は『白百合のきみ』とはまったく逆で、最高に嬉しそうな顔をしてこの店を訪れた。店主の花束作りの技術を絶賛し、どの花屋よりもきれいだと言ってくれた。

「恋人へのプレゼントですか?」
「いや、まだ恋人ってわけじゃ」
 テレテレと頭を掻いている。独り者の店主にしてみたら、後ろからどついてやりたくなるようなヤニ下がった顔だ。 
「花は白い百合だけでいいんですか? 他の花も混ぜたほうが、華やかになると思いますけど。お値段もその方が抑えられますよ」
 女の子は、色とりどりの花束を好むものだ。それに百合は夏の花だから、冬の季節はかなり値が張る。他の花を加えてバランスを取ったほうが、安く上がるのだ。
 が、店主の提案を、彼は申し訳なさそうに断った。
「白い百合が好きなひとなんです。そのひと自身も白百合の化身みたいなひとで」
 白百合の化身とは恐れ入った。この男の想い人と白百合のきみと、果たしてどちらの美貌が上だろう。
「おきれいな方なんですね」
「はい。身も心も、すごくきれいなひとです」
 恋人に贈るための花束を買いにくる男は大勢いるが、ここまで言い切った男は初めてだ。後ろからではなく、横から蹴りを入れてやりたい。

「リボンはどれにします?」
 彼が選んだのは、濃い緑色のリボンだった。20種類以上ある色の中から、白百合のきみと同じものを選ぶなんて、人物像は正反対なのに面白い、と思った。
「ありがとうございました」
 スキップでも踏みそうな弾んだ足取りで、かれは去っていった。選ぶ花は同じでも、両極端なふたりだ、とその当時の店主は思っていた。



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土曜の夜に花束を(2)

土曜の夜に花束を(2)




 青木の家のカレンダーには、毎日バツマークが付けられる。
 それは4月の3週目の月曜から始まった習慣で、今朝は4つ目のバツマークを書き込んだ。二重丸の付いた目標の日まであとわずか。その日が近付くにつれて、青木の頬は緩んでいく一方である。その日はきっと、青木にとって生涯忘れられない日になるはずだ。
 今週末の土曜日。2年も掛けてようやく口説き落とした可愛い恋人と、初めて一夜を過ごす予定なのだ。

 青木が2年もの長い間、わき目も振らずに恋をしてきた相手は、自分でもびっくりすることに12歳も年上の男の人だ。しかも職場の室長という役職に就いている。自分など足元にも及ばない、とても優秀な捜査官である。
 そのひとの名前は薪剛。年は37歳。しかし見た目が異様に若くて、どう見ても青木より年下にしか思えない。

 先週の日曜日。玉砕覚悟で望んだ勝負に、青木は見事に勝った。前半戦であっさり敗退したときにはすべてを諦めたのだが、物事はやってみなければわからないものだ。勝算はマイナスだと思っていた後半戦、何故か相手は青木の気持ちに応えると言ってくれた。
 正確には『受け入れられるように努力する』と言われたのだが、これは恋人になってくれる、という意味にとって間違いないはずだ。青木としては2年近くも恋情を募らせていたのだから、その場で抱いてしまいたいくらい相手のことが欲しかった。せっかく相手がその気になってくれたのだ。このチャンスを逃す手はない。

「薪さん。これからオレの家に来ませんか?」
 愛しさを掻き立てる華奢な体を抱きしめたまま、青木は薪に誘いを掛けた。が、明日の仕事を理由に、その誘いは断られてしまった。その理由付けはいかにもとってつけたようで、まだそこまで許す気にはなれない、という意味かと思ってしまった。
 しかし、それは違った。

「週末なら。土曜日に、家で待ってるから」
 恥ずかしげに顔を伏せたまま、薪は固い声で言った。
 その場凌ぎの言葉ではない。このひとは、自分の言ったことには責任を持つ人だ。
 受け入れると言ったからには、心も身体もすべて受け入れる。そこまでの覚悟がなければ、初めからそんなことは言わない。

 青木はその言葉を信じて、こうしてカレンダーに印をつけている、というわけである。まったくおめでたい男だ。彼のそんな特性も、勝因のひとつだったのだが。
 そんなわけでその週の青木は、傍目から見ても浮かれていて、それを第九の先輩たちに指摘され「春だから」という曖昧な理由で追求を逃れていた。薪はさすがに大人の余裕か冷静そのもので、これまでとなんら変わりがなかったから、青木に巡ってきた春と氷の室長とを結びつけるものは誰もいなかった。

 そして決戦の土曜日。
 その日はたしかに青木にとって、生涯忘れられない日になったのだ。
 ただし――― とても苦い思い出として。




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土曜の夜に花束を(3)

土曜の夜に花束を(3)








 土曜日の夕方。
 約束通り薪は、自宅で青木の来訪を待っていてくれた。予定の時間よりだいぶ早く着いてしまったのだが、ドアを開けて青木を迎え入れてくれた薪の身体からは石鹸のいい匂いがして、薪もそのつもりでいてくれたのだとわかった。
 
「夕飯、どうする?」
「薪さんは? おなか空いてます?」
「いや」
「オレもです。さすがに今日は喉を通りそうにありません。っていうか、早く薪さんが食べたいです」
 青木が正直に言うと、薪は何故か困った顔をした。
「そのことなんだけど……まあ、ちょっと座れ」
 リビングのソファを青木に勧めて、薪は隣に腰を下ろした。その困惑顔に青木は不安を覚える。
 今になって、薪はなにを言い出すつもりだろう。今日という日を指折り数えて来たというのに、やっぱりあの約束はなかったことにしてくれとでも言われたら、青木は泣き出してしまうかもしれない。

「その……どうしてもしたいか?」
 したい。腕の1本くらい引き換えにしてもいいから、したい。
 どれほど夢に見てきたと思っているのだ。数字にしたら3桁を上回っている。寸止めされた回数も二桁に近い。その願いがやっと叶うと思ったのに―――ここで引き下がっていては今までと同じだ。恋人になると決めたのだから、この一線はなんとしても越えたい。
 しかし。

「恋人ってそれだけが目的じゃないだろ。身体の関係なんかなくたって、今のままでも充分楽しいだろ?」
 薪の不安そうな顔を見てしまっては、無理強いなどできない。とにかく、ぞっこん参っているのだ。薪の表情を曇らせる原因になどなりたくない。
「わかりました。薪さんが嫌なら」
「……泣くほどしたいのか」
 顔に出てしまったらしい。

 薪は両膝をソファの上で抱え込み、右の肩に首を倒して頬をつけた。困った顔になって、嫌そうに言葉を重ねる。
「おまえ、男とセックスしたことあるのか?」
「ないです。男の人を好きになったのは、薪さんが初めてですから」
「夢は夢のままにしておいたほうがいいぞ。僕の身体は普通の男の身体だぞ。おまえと同じモノついてんだぞ」
「知ってますよ。薪さんの裸は何度も見てますから」
 その裸を見て、青木の男の部分がそういう状態になってしまったことも、薪は知っているはずだ。そのことを承知の上で、なおも薪は青木の決心を鈍らせようとその行為に辛辣な批評を加える。薪は往生際が悪い。

「男とのセックスなんか、そんなにいいもんじゃないぞ。男の体は固いし汚いし。女の子のほうがずっといいぞ。相手の何処に何を入れるか、知ってんのか?」
「それくらいは知ってます。オレ、何回も夢に見ました」
「夢っておまえ」
 薪の身体が一瞬で1mほどバックした。
 退いている。身体ごと青木から離れようとしている。
 そういう夢の中で、自分がどんな役回りをさせられていたのか、察しがついたらしい。本当は夢だけではなく、毎晩のように青木の頭の中でその光景は繰り返されていたのだが。

「すみません」
「……どんなだった? その、夢の中の僕は」
「とってもきれいでした」
「それは夢だ。現実を見たら、絶対に幻滅するぞ」
 そんなことはありえない。鈴木の脳の中に残っていた薪は、とてもきれいだった。
「幻滅なんかしません」
 薪は大きなため息を吐くと、ソファの背もたれにどさりと寄りかかった。額に手を当ててしばらくの間考えを巡らせているようだったが、やがてぱっと立ち上がった。

「よし、僕も男だ。覚悟決めた」

 開き直ったように、服を脱ぎ始める。
 青木としてはもう少しムードが欲しいところだが、薪はもともとこういう性格だ。例え女の子が相手でもムードを大切にして、などという面倒なことはしない。それがかったるいから素人女は嫌いだ、と公言して憚らない男なのだ。
「男役はおまえがやれよ。僕はおまえのハダカ見ても勃たないから」
 下着まで全部とって全裸になると、青木を指差して仕事の割り振りをするように役割を決める。しかもその理由が『勃たないから』ときた。
「早く来い。僕の気が変わらないうちに」
 さっさと自分だけ寝室に入っていってしまう。こんな初夜があるだろうか。

 鈴木さんとはきっと素敵な初夜を過ごしたんだろうな、と青木は心の隅で死人に嫉妬する。薪は鈴木のことが大好きだから、鈴木に初めて抱かれた夜は幸せそうに微笑んでいたはずだ。年もまだ20歳くらいだったというから、もっと初々しく恥ずかしそうに、可愛らしかったに違いない。

「いいなあ。鈴木さんは」
 ふと、無意識のうちにサイドボードの上に何かを探して、青木の目が止まる。
 写真がない。
 白百合はきれいに咲いているが、その隣にいつも必ず飾ってあった鈴木の写真がない。

 青木は、胸が熱くなる。
 やっぱり薪は優しい人だ。鈴木のことは忘れられない、一生忘れる気はないと言いながらも、自分のために写真をしまってくれたのだ。
 鈴木が薪にとってどんなに大切なひとか、青木は知っている。だからここまで強制する気はなかったのだが、正直に言うと寝室の写真だけは外しておいて欲しいと願っていた。それが家中の写真を片付けてくれたようで、こっそり見てみたローテーブルの引き出しの中にもアルバムはなかった。

 薪はとても照れ屋だから、きっとあんな態度しか取れないのだ。仕事中の薪からはその片鱗も伺えなかったが、いくらかは今日の日を楽しみにしてくれていたに違いない。
「大急ぎでシャワー浴びますから、待っててくださいね」
 寝室に声を掛けておいて、バスルームへ向かう。
 青木の胸は早鐘のように打っていた。




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土曜の夜に花束を(4)

 こちら、地獄の初夜です。
 痛い薪さんがいやんな方は、ご遠慮くださいね~。
 薪さんがレイプされても許せる人だけ読んでください。(←いるわけない)
 特に、甘いあおまきさんが好きな方は、絶対に読んではいけません。不快に思われても書き直せません、ごめんなさい。
 読めない方のために、次の記事の冒頭にあらすじを入れますので、どうかご無理なさらずに。









土曜の夜に花束を(4)



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土曜の夜に花束を(5)

 前回の記事を読めなかった方へ、あらすじです。

 大事な初夜でしたが、お互いの経験不足から上手にできず、かなり気まずい状態でふたりは別れてしまいました。
 薪さんは身体も心も傷ついて、という状況です。 S展開ですみません。







土曜の夜に花束を(5)






 先週と打って変わって落ち込みムードの青木に、第九の職員たちは彼に訪れた春が早くも散ったことを悟っていた。
「短かったなあ、青木の春」
「1週間しか持たなかったな」
「最初のデートでがっついて振られたんだろ」
 鋭い観察眼である。エリート集団の名は伊達ではない。
「これだから童貞は」
 それは誤解である。

「そういや、薪さんもちょっとヘンじゃないか?」
「どこが」
「なんか……座り方とか」
 たしかに、今日の薪は妙にゆっくりと動いているような気がする。特に歩くときや椅子に座るときは慎重で、腰痛持ちの動き方のようだ。しかし、薪は柔道二段の猛者だ。柔道は足腰の強さが決め手だ。投げ技を得意とする薪に、腰痛の持病があるはずがない。となると、考えられる病気はひとつしかない。

「まさかあ」
「だって、今日は前傾姿勢だぜ。いつもは深く椅子に座ってるのに。俺の叔父さんが同じ病気でさ、よくあんな格好で座ってたんだよ」
「あれは辛いらしいぜ。可哀相に室長」
 ものすごい誤解を受けている。青木の童貞説のほうがまだマシだ。
 季節は春だというのに、突然の不幸に見舞われた哀れな同僚と上司のため、やさしい第九のメンバーたちは心ばかりのプレゼントを用意することにした。

「なんでオレの机にAV置いてあるんですか」
「それ見て元気出せよ。5課から借りてきたやつだぞ」
「要りませんよ」
「無理すんな。おまえにはもう、それしかないだろう」
「どーゆー意味ですか!?」
 せっかく小池が5課から借りてきた押収品の無修正AVのコピーは、ゴミ箱に捨てられてしまった。喜んでもらえなかったようだ。青木も難しい年頃らしい。
 青木の方は失敗してしまったが、室長に用意したプレゼントはきっと喜んでもらえるに違いない。実用的で即効的で、この瞬間から役に立つアイテムだ。

「僕の椅子にこのクッション置いたの誰だ?」
 ドーナツ型のクッションを片手に、薪が室長室から出てくる。きっと礼を言いに来たのだ。
「室長。この薬よく効くって叔父さんに聞いたんです。あと、これは病院のリストです。評判の良い順に並べてありますから」
「この薬って」
「恥ずかしくても、早く病院に行ったほうが良いですよ。あれはひどくなると手術しなきゃならなくなるそうですから」
「ひとをおかしな病気にするなっ!!」
 薪はクッションの輪の部分を猛烈な勢いで小池の頭に通し、真っ赤になってリストを破り、軟膏と一緒にゴミ箱の中に叩き込んだ。これも失敗だったらしい。

「なんか、ふたりとも難しい年頃みたいだな」
「そうだな」
 気難しい上司と反抗的な後輩の態度に、頭を悩ませる第九の面々であった。






*****

 
 どんなにシリアスな状況でも、ギャグは欠かせません。
 だって、ギャグ小説だもん!


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

土曜の夜に花束を(6)

土曜の夜に花束を(6)







 かように勘違いの多い第九の職員だが、その多くは優れた情報収集能力と大胆な仮説を展開させる飛び抜けた想像力の副産物である。これが実際の捜査のときには、とても役に立つのだ。勘違いのほうは、単に室長の影響かも知れないが。
 その情報収集能力は時として、公安や監査課の実力を上回る。特に背の高い後輩のことについては、いつの間にか色々なことを調べ上げている。薪に憧れて第九に異動願いを出した変り種だということは言うに及ばず、大学時代の彼女とは2年前に別れたきり新しい彼女はいないとか、どうやら法一の女薪と呼ばれる三好雪子に片思いしているようだとか。
 その最後の情報に関して、最新情報が第九に舞い込んで来た。

「青木のやつ、大逆転したみたいだぜ。昨日の夜、ホテル街で青木のこと見たんだ」
 第九で唯一彼女持ちの今井が、その情報をもたらした。今井が何故ホテル街にいたのかは、誰も追及しない。不愉快な話を聞かされることが解っているからだ。
「マジ!? 見間違いじゃないのか」
「あの長身とメガネだぞ。いくら遠目でも間違うかよ」
「それもそうだな。相手はやっぱり三好先生だったか?」
「それがさ。三好先生もいたんだけど、もうひとり女がいたんだよな」
「それって3Pってことか? 童貞には無理だろ」
「だよなあ」
 だから童貞ではない。

 第九の仲間たちは、青木の性経験を甘く見ている。
 青木の初体験は、なんと中学3年生のときだ。ここだけの話、薪よりもずっと早い。相手は図書館で知り合った大学生だった。その頃から長身で老け顔だったので、相手のほうもまさか中学生だとは思わなかったらしい。関係を持った後に本当の年を知って、それで終りになってしまった。
 しかし、一度経験をすると男でも女でもそういうフェロモンが出るようになるらしく、それからは女性に好意を打ち明けられることが多くなった。同年代の女の子にはあまり興味がなかったのでそちらは断ったが、年上の女性の誘いは嬉しかった。最初が年上だったので、そのせいかもしれない。
 ただ、あまり長続きはしなかった。
 付き合い始めてデートを重ねて、身体の関係もできるのだが、年が若いのとやさしすぎるのがネックになって、物足りないとか頼りないとかいう理由で別れを告げられることが多かった。
 友人に彼女を譲ってしまったこともあった。その頃の青木には、まだ彼女よりも友人のほうが大切で、友人が自分の彼女に本気で恋をしていることを知ると、自分から身を引いてしまった。友人にも彼女にもめちゃめちゃ怒られたが、その後でふたりは付き合いだして今は子供もいる。
 かように、青木は10年も前から女性には不自由していない。見かけの純情そうな顔に騙されて、第九の仲間たちは青木を見くびっているだけだ。ぶっちゃけ、第九の中では今井の次に経験豊富である。逆に一番経験が少ないのは……いや、彼の名誉のためにここでは名前は伏せよう。

「やべっ。薪さんの部屋のドア、開いてるぞ」
「大丈夫だろ。眠ってるさ」
 今は昼休みだからお喋りを咎められることはないが、色事は室長のイメージに合わないし、なんとなく軽蔑されそうで嫌だから本人の前では慎んでいる。昼休みには室長は自分の部屋で昼寝をしていると誰もが思っているから、室長室のドアが開いていても気に留めないでいたが、もしかすると聞かれていたかもしれない。
 もっとも、聞かれたところでどうということはない。青木がようやく一人前の男になったのだ。室長も喜んでくれるかもしれない。

 なおも青木の話をしていると、青木が目覚めのコーヒーを持って行くまでは決して目を覚まさない第九の眠り姫が何故か起きてきて、井戸端会議を中断させた。
「あれ? 室長。今から食事ですか?」
「今日はカフェテリアのBランチ、鰆の塩焼きでしたよ」
 小池と曽我が声を掛けるが、何も言わずにモニタールームを出て行く。なんだか機嫌が悪いらしい。ここ2,3日は以前のように深く椅子に腰掛けているから、例の病気が悪化したわけではないと思うが、なにか別の心配事だろうか。
 入れ替わりに、第九のバリスタがコーヒーを運んでくる。薪が出て行ってしまったことを知ると、がっかりした顔をして「よかったらどうぞ」とコーヒーを輪の中に置いた。
 室長用の特別ブレンドを争って、職員たちがじゃんけんを始める。皆さんの分も淹れてきますね、と場を去ろうとした後輩を今井は追いかけた。
 
「青木。昨夜は楽しかったか?」
「なんのことですか?」
「俺たちの情報網を甘く見るなよ。新宿のシャルムってホテルだったよな」
「あれ。見られちゃってたんですか? 参ったな」
「どうだった?」
「すごく勉強になりました。もう失敗しません。この次は絶対にうまくやってみせます」
 青木の初体験が失敗に終わったことを知って、今井の目に哀れみの光が宿る。今井はぽんぽん、と青木の肩を叩くと、がんばれよ、と声を掛けてみんなのところへ戻った。

「青木のやつ、初体験失敗したみたいだぜ」
 こういうことは他人に黙っていてやるのがやさしさというものかもしれないが、『報告・連絡・相談(ホウレンソウ)』は第九の基本である。それに、情報を公開しておいたほうが不用意な発言で青木を傷つけることもない。今井は口が軽いのではなく、純粋に後輩を心配しているのだ。
「うわ。青木らしいというか。童貞はこれだから」
「初めから2人相手にやろうなんて、背伸びするからそんなことになるんだ。相手は一人に絞らなきゃ」
「そうだよな。俺だって3人でなんてやったことないよ」
「じゃ、この話はタブーだな」
「さすがに可哀相だよな」

 やがて全員分のコーヒーを持ってやってきた後輩に、彼らは一斉に哀れみの視線を送る。初めての経験には失敗が付き物だが、男にとってこの手の失敗はことのほか痛手が大きい。
「青木、このコーヒーカップ、俺が洗っといてやるから」
「伝票の整理、手伝ってやるよ」
「頼んどいた資料、自分で探すから」
「今夜のMRIメンテの当番、代わってやろうか」
「……みなさん、何かあったんですか?」
 突然自分に親切になった先輩たちに、青木は首を傾げたのだった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

土曜の夜に花束を(7)

土曜の夜に花束を(7)







 週末の金曜の夜に自宅のリビングでたったひとり、薪は膝を抱えている。
 テレビを見るわけでもなく、雑誌を繰ることもなく、ただぼうっとソファに座っている。亜麻色の瞳はとても陰鬱で、長い睫毛は下方に伏せられている。
 昼間、モニタールームから洩れ聞こえた会話が耳に残って離れない。職務時間中は何とか平静を保っていたが、自宅に帰ってひとりになると、頭の中がそのことでいっぱいになってしまった。
 ホテル街で、青木が雪子と一緒だった。そういう場所で男女が一緒にいれば、疑われても仕方ない。この1週間、青木に避けられていると感じていたが、やっぱりそういうことか。

 薪は1週間前の、苦い初夜を思い出す。
 あれがきっかけで、青木は女性の素晴らしさに目覚めたのかもしれない。ただ3Pは何かの間違いだろう。偶然知り合いに会ってしまったとか、そんなことだったに違いない。ふたりとも、そんなことを楽しめるタイプじゃない。
 優しい青木は翌朝謝罪に来てくれたけど、薪は素っ気無い言葉でドアも開けずに追い返した。心配して来てくれた相手にあの態度は良くなかったと自分でも思うが、あの時はとても人と会えるような状態じゃなかった。身体中痣だらけで、腰から下は言うことをきかなくて、まともに立つこともできなかった。眼は真っ赤に腫れて顔は思いっきりむくんで、あんな僕を見たら青木が気にする。持たなくていい罪悪感を抱えられて、気を使われるのはまっぴらだ。
 
 何より、申し訳なくて。青木に合わせる顔がなかった。
 1週間も前から、いや、何ヶ月、もしかしたら1年以上も。青木があんなに楽しみにしてたのに。夢にまで見た初めての夜だったのに。薪も男としてその気持ちは良く分かる。気になる女の子との初めてを想像するときの高揚感は体験済みだ。青木のことだから、きっとロマンチックで穏やかな情交を思い描いていたのだろう。なのに、僕が未熟なばっかりに、その夢は粉々に砕かれて、醜い残骸だけが残る結果になってしまった。
 覚悟はしてたけど、あそこまで痛いとは思わなかった。本当に死ぬかと思った。鈴木としたときの方がまだマシだったような。あの夜のことはよく憶えてないけど、命の危険は感じなかったと思う。それとも、死んでもいいと思ってたのか。

 セックスって、楽しいもののはずだ。
 薪だって女の子とするときは楽しいし、気持ちいいし、幸せな気分になれる。性的な快感はもちろん、あの柔らかい肉に包まれているだけで夢心地になる。
 でも、僕は男だから。そんな感触をあいつに与えてやることはできない。第一、男の身体は女の子みたいに綺麗なものじゃない。それは初めから分かっていたことで、つまりこの結末も決まっていたということか。
 だったら、初めからこうすればよかった。もっと早くにあいつの目を覚ましてやればよかった。そうすれば青木は、2年もの時間を無駄にすることもなかったのだ。
 自分の我儘で、ずるずると青木の気持ちを引っ張ってしまった。あいつの隣の席は居心地がよくて、誰にも譲りたくなくて。

 俯くと、ぽたりと手の甲に水滴が落ちる。だれに見られているわけでもないが、薪は慌てて涙を拭った。
 いいんじゃないか、これで。雪子さんと幸せになって欲しいってずっと思ってたはずだ。なんで涙なんか。

 止まらない涙に、薪はようやく自分の心に気付く。
 ばかだ、僕。
 ちゃんとあいつのこと、好きになってたんだ。こんなに泣けるくらい。
 鈴木のときで懲りてたはずなのに。絶対に最後はこうなるって分かってたはずなのに、だから男は好きにならないって決めてたのに、また同じ間違いを繰り返して。

 短い夢だったな、と薪は思う。
 わずか1週間の夢だった。
 2年もの間僕を好きでいてくれたのに、寝たら1週間で終わってしまった。2年も続いた片思いが恋人になったら1週間で冷めてしまうなんて。まるで蝉だ。
 予想はしていた、こうなるかもしれないって。寝たら青木は僕から離れていってしまうかもしれないと、不安はあった。昔からこっちの方面は苦手で、女の子だって本当は片手に余るほどしか経験してない。ましてや男なんて。
 鈴木もそうだった。僕とのセックスに満足できなくて、だから僕との関係は長く続かなかった。僕が鈴木とうまく行かなくなった理由は他にもたくさんあったけど、そのことも大きな要因だった。事実ケンカの原因は、鈴木の女関係が一番多かった。
 もし、僕が鈴木の想像のように彼を悦ばせてあげられたら……鈴木は僕を愛してくれてたんだから、僕たちの関係も変わっていたのかもしれない。でも、僕にはその才能はなくて。どうしても鈴木が望むように、あの行為を快く感じることはできなかった。
 特に鈴木の心が見えなくなってからのセックスは、耐え難いくらい痛かった。いくら感じようとしても駄目だった。鈴木に愛されてる実感がなければ、あの行為はただの地獄だった―――。

 そんな過去が、薪に過剰な思い込みを与えたのかもしれない。自分は決して男同士のセックスで快感を得られない。あんなに愛した鈴木が相手ですらあの有様だったのだから、他の男なんか言わずもがな。そんな気持ちが彼の身体を固く強張らせたのかもしれない。
 いずれにせよ薪の過去の経験は、新しい恋人との関係に有利には働かなかった。
 
「やっぱり僕にはおまえしかいないみたいだな」
 一旦はしまった親友の写真をクローゼットの奥から取り出して、寝室に向かう。ベッドに座って、薪はそのやさしい笑顔に話しかける。
「ごめんな、鈴木。ちょっと浮気しちゃった」
 薪はまた、鈴木のところに帰るしかなかった。他の誰も自分を受け入れてくれる人はいない。
「うん……ただの気の迷いだよ。少し寂しかっただけ」
 青木の恋人になっても拒絶しても、結果は同じことだった。あの楽しい時間は戻ってこない。だったら余計なことをしなければ良かった。せめて普通の上司と部下でいられたかもしれないのに。
「大丈夫だよ。明日になったら、また元気になるから。僕にはおまえがいるもんな」
 親友の笑顔の上に、ぼたぼたと涙が落ちる。
 今夜の寂しさはひとしおで、このままだと夜中泣き通してしまいそうだ。
 それもいいかもしれない。いっそ枯れるほど泣いてしまえば、明日は泣かずに済むかもしれない。

 いつものように薪は、鈴木の写真を胸に抱く。これからも自分は鈴木のことだけ想って生きていく決意をしようと試みる。
『僕は鈴木だけのものだよ』
 ひと月前は自然に口から出てきた言葉が、なぜか言えない。そう思うだけで涙が溢れてくる。でもこれは、鈴木を想って流す涙じゃない。そのときの涙は、自分に深い愛情と誇らしさを与えてくれた。こんな絶望に満ちた気持ちにはならなかったはずだ。

 すすり泣く声にチャイムの音が重なって、薪は顔を上げた。
 今日は定例会は中止だと岡部には言ってある。青木との関係が破綻した今、彼のほかにこの家を訪ねるものはいないはずだ。まさか、金曜の夜に新聞の勧誘でもあるまい。もしそうだったら表に出て行って、腹いせに小股払いを食わせてやる。
「どうして」
 リビングで防犯カメラの映像を確認すると、信じられない人物がそこには映っている。
 たった1週間、自分の恋人だった男だ。腕に百合の花束を抱えている。
 何をしに来たのだろう。律儀な男だから、正式に別れを言いにきたのだろうか。でも、あの花束は?
 雪子が好きな花は、チューリップとひまわりだ。それを薪は青木に教えたことがある。百合は、鈴木が……いや、薪が好きな花だ。

 どういうつもりなのか、ドアを開けるのが怖い。しかし、青木はとてもしつこい性格だ。薪がここに居るのは明かりを見て確認しているから、居留守は使えない。薪がドアを開けなければ、一晩中でもそこで待っているだろう。
 薪は涙を拭いて、ぎゅっと唇を噛む。鏡を見て自分が情けない顔になっていないことを確認する。いくらか目が赤いが、PCの画面を凝視していたせいだとでも言っておけばいい。
 深呼吸をして、腹の底に力を入れる。絶対に弱気な顔なんか見せない。何を言われても平気な顔で「わかった」と言ってやろう。僕が破局をつらく感じていることなんか、こいつは知らなくていい。

 悲壮な決意とともに薪がドアを開けると、青木はうれしそうに微笑んで花束を差し出した。薪がいま考えていたような目的で、この男がここに来たとはとても思えない。
「間に合ってよかったです。お出かけはこれからですか?」
「べつに出かける予定なんかないけど」
「そうなんですか? 定例会が中止だって岡部さんから聞いたから、出かける用事があるのかと思ってました」
 用事はないが、酒を飲む気にもならなかっただけだ。薪は落ち込んだときは酒を飲まない。あれは楽しい気分で飲むものだ。不味い酒は飲みたくない。

「会えてうれしいです」
 いつものように薪の手に花束を押し付けて、青木は満面の笑顔になった。この笑顔に、薪は弱い。腹の底に沈めた弱い自分が顔を出してしまいそうになる。
「おまえ、今日はMRIのメンテ当番じゃなかったか」
「小池さんが代わってくれるって言うから、甘えちゃいました」
「なんでここに来るんだ。時間が空いたら雪子さんを誘えばいいじゃないか」
 少し躊躇して、だが薪はきっぱりと言った。アフターにここを訪れた青木の気持ちを確かめたい。

「どうして三好先生が出てくるんですか?」
「今井が言ってた。おまえが雪子さんとホテル街を歩いてるのを見たって」
 薪は、言い訳を聞きたがっている自分に気付く。
 別れる覚悟をしたはずなのに、青木の顔を見た途端、その決心が早くも揺らいでしまっている。「三好先生とは何もないです。今井さんの見間違いですよ」そんな言葉を、自分は聞きたがっている。
 しかし、青木は一切の言い訳をしなかった。ただ一言、
「オレは薪さんを裏切るようなことはしてません」
 黒い瞳は、真っ直ぐに薪の目を見ている。青木はこんなウソが吐ける男ではない。ならば、青木がここに来た理由は。
 
「ところで、オレ腹ペコなんですけど。なにか残ってませんか?」
 メシ食いに来たのか!?
 僕の家は食堂じゃない、と怒鳴る気力も無い。薪は胸のうちでため息を吐くと、青木を中に招き入れた。

 青木の能天気なバカさ加減のおかげで、友だちには戻れるかもしれない。
 それでもいい、接点がなくなってしまうよりずっといい。あれはなかったことにして、知らない振りで記憶の底に封じ込めて鍵をかける。放射性廃棄物より深いところに埋めて、二度と掘り起こさない。僕の気持ちも、青木の気持ちも。僕たちにはそれ以外、一緒にいられる術はない。
 薪が望んでいた友人関係に戻ってホッとするはずの心がズキズキと疼くのは、先刻の涙の余波だ。これが一番、ベストな選択だ。付き合い始める前、もう何十回も同じ思考の迷路に迷って、そのたび同じ結論にたどり着いた。自分が考える最適な関係に落ち着こうとしているのに、何を悲しむことがある。
 
 思考と感情が見事に反対を向いた自分の精神状態に翻弄されつつ、薪はアルファベット柄のエプロンを身に着けた。




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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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