言えない理由 side A (1)

 5000拍手のお礼です。
 薪さんが鈴木さんに振られる話です。 暗いです。
 でも、読み直したら報告書みたいに書かれてたんで、そんなに辛くないと思います。(←突っ込んで書くのが辛かったらしい)

 そんなわけで、中途半端なお話で申し訳ないんですけど、
 リクエストをくださったドSの方々に捧げます☆






言えない理由 side A (1)







 後戯は恋人たちにとって、大切な時間だと青木は思う。
 激しい交歓のあと、お互いを慈しむように抱き合う時間。男というものは欲望が去ってしまうと愛情も冷めてしまうものだが、青木は違う。性欲に支配されがちなセックスの最中より、むしろこちらのほうがより強く相手を愛おしく感じることができる。
 しかし、青木の恋人はイヤになるほど男の特徴を持ったひとだった。それもそのはず、相手は12歳も年上の男性なのだ。

「ウザイ。離れろ」
 行為が終わった途端、口にしたセリフがこれである。ひどい、というよりいっそムゴイ。セックスの余韻を楽しむどころか、先刻までの情熱を消し去るような言い草だ。
「もうちょっと付き合ってもらえません?」
「いやだ。眠い」
 青木を受け入れたまま、そう言って大きな欠伸をしたかと思うと、ことりと横を向いて目を閉じてしまう。余韻も何もあったものではない。

「もう少しこのままでいたいです。お願いですから」
「うるさい、早く退け。もっとやりたきゃどっかの女に処理してもらえ」
 きれいな顔を歪めて、ぞんざいな口調で吐き捨てる。
 青木は穏やかで滅多に怒らない男だし、この恋人は2年もかかって口説き落とした相手で今もメロメロに惚れているし、しかも職場の上司だしで何を言われても口答えなどしたことがないのだが、さすがにこれには黙っていられなかった。

「薪さんて、オレのこと本当に好きなんですか?」
「さあ」
「さあって……オレのこと、なんだと思ってるんですか?」
「セフレ」
「そんなあ」
 このひとは平気でこういうことを言う。その無神経さが、青木をどれだけ深く傷つけているか知っているのだろうか。

 がっくりと肩を落として、情けない顔になった青木を、薪は心の中で嘲笑っている。
 青木のこういう顔を見ると、腹の底がぴくぴく震えてくるのは何故だろう。妙にハイな気分になって、笑い出したくなる。薪には自分が意地悪だという自覚はない。
 青木はため息混じりにベッドを出て、それでも薪にパジャマを着せてくれる。実際、薪は眠くて仕方がない。服を着る余裕もないのだ。
 正直な話、もともとこちらの方はあまり強くない。12歳も年下の男の欲望に付き合いきれるほどの体力も性欲もない。終わった後はぐったりしてしまって、指一本動かしたくないくらいだるい。

「シャワー借りますね」
 若い恋人が薪にキスをして寝室を出て行く頃には、薪はうとうとと夢の世界を彷徨い始めている。恋人に抱かれたすぐ後で、薪は昔の恋人を夢に見る。
 自分にベタ惚れの恋人をセフレと言い切ったり、ベッドの直後に昔の男のことを考えたりするなんて限りなく不実な行為だ。薪にも自覚はあるが、それを改めるつもりはない。

 だって、これは青木のためだから。

 付き合いはじめてもうすぐ1年。
 ちょうどこれぐらいの時期だった。鈴木との間がギクシャクし始めたのは。
 あの当時は分からなかったが、今の薪にはその原因が理解できる。自分の愚かさも、鈴木のやさしさも、雪子の愛情の深さも。
 今度はしくじらない。蒙昧だった幼い自分はもういない。

 深い眠りに落ちていきながら、薪は16年前の苦い日々を振り返っていた。




*****





 20歳の薪は、人生で最高の幸福期にいた。
 恋焦がれた相手が、自分の恋人になってくれた。自分の身に訪れた幸せが信じられなくて、毎日が夢のようだった。
 
 相手は同性の同級生で、薪は想いを打ち明けることもできずにいた。それまで男を好きになったことなどなかったから、そのうち冷めるだろうと自分でも思っていたのだが、彼を好きだという気持ちは薪の中でどんどん膨れ上がって、挙句の果てには我慢しきれず、無理やり彼にからだの関係を迫ってしまった。ずい分勝手な話だ。それなのに限りなくやさしい彼は、薪の気持ちに応えてくれて、薪のことを恋人として認めてくれた。

 この当時の薪は、文句なしに輝いていた。
 こころから愛した相手に自分も愛されているという自信が彼をきらめかせて、周囲の人間を虜にした。男女の別なく、引きも切らさず誘いが掛かった。
 しかし、薪が見ていたのは鈴木だけだった。他の人間など、眼中になかった。どうでもいい人間のことで、鈴木にあらぬ誤解を受けることのほうが怖かった。だから薪は、自分に寄せられた好意をことごとく跳ね除けた。そのせいで、薪の交友関係はひどく狭いものになっていった。

 鈴木によって開かれた薪の世界は、鈴木一色に塗りつぶされて収束しようとしていた。
 鈴木とただの親友だったころは付き合っていた他の友だちともゼミ仲間とも、プライベートでは一切関わらなくなった。いつも鈴木とふたりきりでいたかった。他の人間は必要なかった。

 僕の世界には、鈴木だけいればいい。
 薪は本気でそう思っていた。

 恋に溺れるというのは正にこういう状態を云うのだな、と後で分かったけれど、そのときはこんなにも深く愛せる相手と巡り会えた幸せに浸っていて、客観的に自分を見ることなどできなかった。
 思えば、それがよくなかった。あまりにも相手を愛しすぎた。大きすぎる愛情で相手を窒息させ、激しすぎる恋情で相手を焼き尽くしてしまった。

 鈴木との別れは薪に深い傷を残したが、薪には一生に一度の激しい恋だった。後にも先にも、あれほど強く誰かを欲したことはなかった。
 全世界と引き換えにしても、鈴木が欲しかった。命を捧げてもいいから、自分を愛して欲しかった。
 そんな身を滅ぼすような恋をしていた、あのころ。

 あの時代に戻りたいとは思わない。そこでなら鈴木が自分を愛してくれると解っていても、あんな愚かな自分に戻るのは嫌だった。どこまでも子供で果てしなく無知で、なにひとつ分かっていなかった20歳の自分。
 そんな嫌でたまらない過去の自分を、薪は鮮明に夢に見る。

 忘れてはいけない。
 恋をしたとき、自分がどれほど残酷な人間になるのか。自分の恋心だけに捕らわれて、相手をどれだけ傷つけてきたのか。
 あの過ちを二度と繰り返さないために、薪は幾度も辛い過去を思い出しては自分を戒める。

 薪の夢の中で20歳の自分が、またバカなことを考えている―――。



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ジャンル : 小説・文学

言えない理由 side A (2)

 すみません、お願いです。

 しづはアタマ悪い上に家が貧乏で、大学に行ってないんです。なので、大学の授業のこととかゼミのこととか、よくわからないのです。(←だったら調べろ←調べたんだけど、よくわかんないの!)
 その辺、かなーりいい加減に書いてしまってるので、おかしいところがあったら教えてください。ストーリーに影響しない範囲で直しますので。
 よろしくお願いしますm(_ _)m








言えない理由 side A (2)






 ――昨夜の鈴木はすごかった。
 まだからだの奥がジンジンいってるみたいだ。セックスはそんなに好きじゃないけど、鈴木にしてもらうと愛されてるって気がして、すごく幸せな気分になる。
 今夜も会えるかな。……あ、だめだ。ゼミがあるんだっけ。面倒だな。
「薪くん」

 遅くなってもいいから、ちょっとだけでも逢えないかな。逢いたいな。キスだけでもいいから、したいな。
 机の下にこっそりと忍ばせた携帯で、鈴木にメールを打つ。
 ―――アイタイ。
「薪くん!」

 厳しい声に我に返って、僕は顔を上げた。
 いつも僕に目を掛けてくれる葛西教授が、渋い表情でこちらを見ていた。
「このレポート、書き直しだ。君がこんな完成度の低いものを持ってくるとは思わなかったよ。身体の調子でも悪いのか?」
「いえ」
 しおらしく答えながらも、僕はちょっと不満だった。
 今日の講義は終わって、ゼミ仲間はみんな近くの喫茶店で時間を潰してる。僕だってコーヒーぐらい飲みに行きたいのに、こうして教授に呼び出されてお説教なんて。

「この頃成績が落ちてるぞ。先月の定期試験、15位だったな。君がトップから落ちるなんて、何かあったのか」
「すみません。気をつけます」
 レポートの不可を食らったのも首席から落ちたのも初めてのことだったけど、そんなことはもうどうでもよかった。
 鈴木のことしか考えられない。他の事なんてどうだっていい。

 僕はただ、鈴木が喜んでくれることだけ、鈴木が僕を愛してくれることだけを考えていたい。鈴木のためなら何だってする。どんなことだって受け入れる。もしも鈴木が望むなら、大学を辞めたって平気だ。
 だいたい、勉強なんてもともとそんなに好きじゃない。他に面白いことがないからやってただけで、そんなつまらないことをしているヒマがあったら、鈴木の好きな料理の一つも鈴木のお母さんに習ったほうがいい。
 今夜のゼミだって、僕がいなきゃ進まないってわけじゃない。前回も休んじゃったから今週は出ようかと思ってたけど、やっぱり気が乗らない。

 てか、鈴木に会いたい。
 
 薄い携帯が手の中で震えて、メールの着信を知らせる。そこに彼の名前が表示されるだけで、無機質な金属の塊が、まるで宝石のようにキラキラして見えるのはどういう作用なんだろう。

「あの、教授。今日のゼミなんですけど、ちょっと用事があって。抜けちゃダメですか?」
 他の学生から非難の声が上がるほど僕に期待を掛けてくれていた教授が呆れた顔をしていたけど、そんなことは気にもならなかった。
 教授の承諾をもらう前に、僕は研究室から出た。教授は追いかけては来なかった。
 こんなことを繰り返していると見放されてしまうかもしれない、と頭の隅にちらりと浮かんだけれど、そのときの僕には今夜の夕食のメニューの方が大事だった。

 とにかく、鈴木に逢いたくてたまらない。
 今夜は鈴木の好きなハンバーグにしよう。ケチャップとソースで煮込んだやつ。鈴木の味覚は子供に近いから、ケチャップ多めが好きなんだ。人参は少なめに、玉ねぎは細かく、挽肉は潰しすぎないで荒く食感を残して。
 足取りも軽く夕食の買い物をし、鼻歌交じりで料理を作る。鈴木のために何かできることがうれしくて、ひとりでいても自然に笑顔になる。端から見たら、何をそんなに浮かれてるんだと呆れられそうだが、約束の時刻が迫るにつれて踊りだす心を止めることはできない。

 チャイムが鳴って、鈴木の声がする。
 走って行ってドアを開ける。ドアを閉めると同時に、玄関口で鈴木に抱きついてキスをねだる。鈴木はやさしくキスしてくれて、僕をぎゅっと抱きしめてくれる。その瞬間、僕は世界でいちばん幸せな男になる。

「鈴木。今日は何時ごろまでいられる?」
「おまえが泊めてくれるんなら、明日の朝まで」
「僕はいいけど、鈴木のうちのひとに怒られないか?」
「薪と一緒だって言えば大丈夫。薪は絶対の信用があるから。オレの言うことよりおまえの言うことを信じるもんな、うちの親」
 たしかに。
 鈴木とこうなる前は、鈴木が彼女と夜を過ごすときのカモフラージュに、僕は何度も利用されていた。僕が1本電話を掛ければ、鈴木は無罪放免になるらしかった。

 鈴木と朝まで過ごせるのが嬉しくて、僕は自分でも恥ずかしいくらいはしゃいだ気持ちになる。食事もそのあとのことも、すごく楽しみだ。
「あ、ダメだよ。料理が冷めちゃう」
 背中から下方に下りていく手に、僕はストップを掛けた。いくらなんでもこの場でなんて。まだ外が明るいのに。
「こっちが先。もう我慢の限界」
「なにが我慢だよ。昨夜あんなにしたくせに」
「そんなにしたっけ?」
「したよ。僕がイヤだって言ってるのに、3回も」
「おまえ、嫌だなんて云ってた?」
 言ってない。
 だってイヤじゃなかった。

 恋人同士になって10ヶ月。ようやくベッドの方も慣れてきて。痛み以外のものもそこはかとなく感じられるようになって。そんな状態で大好きな恋人が自分を求めてくれることが、嬉しくないはずがなかった。
 だから今の「ダメ」はただのポーズに過ぎなくて。一応、言ってみたというかお約束というか。鈴木もそれは解っているからこっちの言うことなんかお構いなしに、その場で僕の服を脱がせ始めた。
「や、やだよ、こんなところで。ベッドに行こうよ」
「相変わらずお堅いやつだな。明るいところでするエッチも楽しいぞ」
「いやだ。絶対に嫌だ」

 以前ネットで見た男同士のセックスの映像は、僕の中でかなりのトラウマになっていた。部屋を暗くしなかったら、あんなことはできない。自分の身体も相手の身体も、あまりよく見えないほうがいい。
 苦笑とともに鈴木は僕のわがままを聞いてくれて、寝室に移動してくれた。カーテンを閉め切って、明かりは点けない。薄暗い闇の中に、ふたつの影が蠢き始める。
 性急に抱きしめあい、求めあう。せわしなく手を動かして、互いに相手を快楽に導こうとする。ふたつの呼吸が激しさを増していき、二種類の声が互いの名を呼び合う。その声には溢れるほどの愉悦が滲んでいる。
 やがてふたつの影はぴったりと重なって、ひとつになった。

「鈴木、鈴木。ね、気持ちいい?」
「うん。おまえは?」
「僕もすごくいいよ」
「ウソつけ。痛いくせに」
「大丈夫だよ。最初のときに比べたらぜんぜん平気。だからもっと」
 本当は、まだかなり痛い。
 でも、鈴木が僕を求めてくれる。鈴木が僕を愛してくれる。
「あっ、あっ、すずきっ!」
 そのよろこびが、痛みを消してくれる。愛される幸せが、僕のすべてになる。
「大好き、大好きだよ。僕、鈴木の他は何にも要らない……いっ!」
「いたい?」
「平気。だから止めないで」
 僕は夢中で腰を振る。鈴木が悦んでくれるなら、この痛みさえも幸福感に変わる。
「もっと、もっと! 僕のこと愛してっ……!」

 最高に幸せな時間を共有したあと、僕たちは空腹に気付く。情事の余韻の中で身体をつなげたまま、ぐう、と鈴木の腹が鳴って、僕は思わず吹き出した。
「鈴木ってば、ムードが台無し!」
「やっぱ色気より食い気だな。オレの場合」
「まったく、お子ちゃまだよな。鈴木は」
 笑いながらベッドを出て、手探りで服をさがす。鈴木と早くひとつになりたくて床に脱ぎ散らかしてしまったから、下着を見つけるのも一苦労だ。

「あ!」
 床にしゃがんで下着を探していたら急に部屋が明るくなって、僕は慌てて床に落ちていたシャツでからだを隠した。鈴木は裸のままでも恥ずかしくないみたいだけど、僕はダメだ。鈴木とこうなる前は平気だったけど、今は恥ずかしい。
「鈴木! 電気消せよ!」
「だってこんなに暗くちゃ、何にも見えないだろ。おまえのパンツ間違えて穿いてっちゃったらどうすんだよ」
「鈴木が僕のパンツ穿いたら破れちゃうだろ。無駄にでかいんだから」
「無駄ってことはないだろ。そのうち、この大きさが良くなるって」
「なんの話だよ!」
 いやらしいことを言うから、顔めがけて下着を投げつけてやった。それは見事に鈴木の顔にヒットして、ふたりしてゲラゲラ笑った。
 笑ったらおなかが空いた。

 台所から居間に料理を運んでいくと、鈴木はなにやら難しい顔をして机に向かっていた。右の手に数枚のレポート用紙を持っている。その表紙には大きく赤い文字で『不可』と書かれている。あまり他人には見られたくない代物だ。
「薪でもレポートに不可なんてつくことあるんだな。あれ? これ提出期限、明日までじゃん。いいのか? こんなにのんびりしてて」
「いいよ。それ、そのまま出すから」
 昼間、葛西教授に返されたレポートだ。今夜書き直す予定だったが、鈴木が泊まれるって言うから、そっちはどうでもよくなってしまった。
「そのままって。不可ついてんぞ、これ」
「じゃあ、読んでみろよ。そんなにひどくないから」
 鈴木は素直にレポート用紙を繰り始めた。鈴木がレポートを読んでいる間に、僕は食事の準備をする。テーブルに湯気の立つ料理を並べ、缶ビールを開ける。季節はもうとっくに秋に入っていたけど、今日はとても天気が良くて昼間は暑いくらいだった。鈴木はこういう日にはビールを飲みたがる。

「本当だ。なんで不可なんだ? これくらい書けてりゃ、オレなら可だな」
「だろ? あの教授、意地悪なんだよ。いいよ。これこのまま出して、これ以上のものは僕にはムリですって突っぱねるから」
 鈴木はレポートの出来と評価の差に首を傾げていたが、思慮深げにうがった意見を述べた。
「でもさ、きっと教授はおまえならもっといいものが書けるって思って、わざと不可にしたんじゃ」
「買いかぶりだよ、そんなの。迷惑」
「もしかしたら、論文コンクールに出すつもりなんじゃないのか? おまえ、たしか去年はグランプリ獲っただろ? 葛西教授は今年もおまえに賞を取らせようと」
「要らないよ、あんなもの」

 大学連盟主催の学生論文コンクールのグランプリは、たいして魅力のある賞じゃなかった。もらえるものは、賞状と盾と報奨金。奨学生の僕にとって賞金は魅力だったけど、論文作成に費やす時間をバイトに当てたほうがずっと見返りは大きかった。
「僕は鈴木とこうしていられたら、何にもいらない」
 シラフのときに言うのはちょっと照れくさかったけど、僕は本音を白状した。こう言えば鈴木はきっと『かわいいやつ』とか言って、僕を抱きしめてくれるんじゃないかと思った。
 でも、鈴木はそうしてはくれなかった。
 
「それはちょっとまずいだろ。オレたち学生だぞ。本分は勉強だろ?」
 今からでも大学の図書館に行ってレポートの手直しをした方がいい、と言い出した鈴木を、僕は子供じみた不満顔で睨んだ。
「鈴木は僕との時間が減っても平気なのか? 僕はいやだ」
「そういうんじゃなくてさ」
「つまんない話はおわり。さ、ごはん食べよ。今日は鈴木の好きなケチャップ味の煮込みハンバーグだよ」
 鈴木の母親に習ったハンバーグはとても好評で、その夜はすごく楽しかった。食事のあとは当然のようにもう一度ベッドで愛し合って。一緒に眠りに就いて、一緒に朝を迎えて。
 寝ても覚めても鈴木と一緒にいられることの幸福感が、僕の愛情を膨らませていく。こうして鈴木に抱かれるたびに、同じベッドで朝を迎えるたびに強まっていく愛情を、僕はこころから歓迎した。

 翌日、僕はレポートをそのまま提出した。
 教授はため息を吐いたが、なにも言わずにそれを受け取った。彼はとても悲しそうな目をしていたが、そのときの僕にはその意味が解らなかった。



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言えない理由 side A (3)

言えない理由 side A (3)







 そんなに幸せだった僕たちの関係が壊れ始めたのは、その年の冬。
 鈴木の笑顔と口数が減って、ときどき黙り込むようになった。
 自分以外の人がその心の中に住み始めてる。僕はそう思った。

「あのさ、薪。オレたち」
「今日はビーフカレーだよ。昨日から煮込んでたんだぞ」
「薪、ちょっとオレのはなし聞けよ」
「話なんか後でいいだろ。僕、おなか空いたよ」
「……うん。食べよっか」
 鈴木は何度も別れ話を持ち出そうとした。そのたびに僕はそれを遮って、鈴木の逃げ道を閉ざした。
 話を聞く代わりに、新しく買ったアクセを見せて。別れを告げようとするくちびるをキスでふさいで。離れようとする身体をセックスの快楽でつなぎとめた。

 でも、僕がどんなに努力をしても、離れていく心はどうしようもなかった。心だけは縛りようがなかった。
 僕はそれが悲しくて苛立たしくて、次第に鈴木に当り散らすようになった。些細な言い争いも増えた。その度にやさしい鈴木は折れてくれて、僕の癇癪を許してくれたけれど、イライラは募る一方だった。

 こんなはずじゃなかった。
 その頃の僕は、いつもそう思っていた。

 こんな関係は僕が望んだものじゃない。これなら友だちだったときの方がずっと楽しかった。きっと鈴木もそうだ。少なくとも僕は、こんな嫌な人間じゃなかった。
 鈴木を好きになって、いつも一緒にいたくなって。誰よりも大好きで誰にも渡したくなくて。鈴木のやさしさにつけこんで無理やり関係して縛りつけて。気持ちを押し付けることでがんじがらめにして、鈴木はとうとう息もできなくなってしまった。

 だから鈴木は、他の女の処へ頻繁に出かけるようになった。
 ただの友だちだよ、と鈴木は言ったけれど、僕はその言葉をウソだと決めつけた。
 どこかの女と鈴木の噂が流れる度に、僕は派手に泣き喚いて鈴木を責めて。僕が怒ると鈴木はその女とは別れてくれたけど、すぐにまた新しい女を作って。

 鈴木が僕と別れたがっているのは分かってた。
 でも、絶対に嫌だった。鈴木の心がもう僕にないのは明らかだったけど、それでも嫌だった。
 当たり前だけど、一緒にいてもぜんぜん楽しくなかった。鈴木といるとあれほど世界がきらめいて見えたのに、その年の冬は以前よりもくすんでしまったみたいだった。

 そのうち鈴木は……雪子さんと出会ってしまった。
 雪子さんと知り合ってから、鈴木の心は加速度的に僕から離れていった。僕と話をしながら彼女のことを考えている、と思えることが何度もあった。
 その度に僕は鈴木の意識を自分に向けさせようと、セックスをねだった。僕のことを確かに愛してくれた日々を思い出してもらいたくて、必死だった。

「鈴木、僕のこと好き?」
 行為の最中に、僕は何度もそう訊いた。質問の形式を取っているけど、この状況では完全に強要だ。鈴木が口にできる解答は一つしかない。
「好きだよ。でも」
「僕も! だいすきっ!」
 訊いておきながら最後までは言わせずに、僕は言葉を重ねた。愛してる、と繰り返しながら無理矢理に身体を重ねた。そんなもので相手を繋ぎとめられるとでも思っていたのか、僕は哀しいくらいに愚かだった。

 そんな気持ちでするセックスは、すごく痛かった。心の中がカラカラに乾いていて、それが身体にも影響してくるみたいだった。心は拒んでも身体の方は行為に慣れて、というのが普通なのかもしれないけど、経験の不足からか僕の身体はそうならなかった。でも、それを鈴木に悟られるわけにはいかなかった。
 下手なセックスをしたら、鈴木に抱いてもらえなくなる。鈴木はますます僕から離れて行ってしまう。
 僕は懸命に演技した。甘い声を上げて、身体をくねらせてみせた。だけど、男の身体はとても正直で。僕のそこは射精どころか勃起もしなかった。

 そんな僕とのセックスを、鈴木は拒むようになった。
 初めて拒否されたとき、僕はものすごく悲しかった。おまえはもう要らない、と言われたような気がした。実は気のせいじゃなくて、とうに僕のことは要らなくなってたんだけど、それを認めるくらいなら死んだほうがましだった。
 雪子さんは僕みたいな下らないことは考えなかった。他の女とは違って、鈴木と簡単に寝たりしなかった。鈴木はどんどん雪子さんに惹かれていって……。

 そして破局が訪れた。



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言えない理由 side A (4)

言えない理由 side A (4)







 どうしてあんなひどいケンカになったのか、原因は忘れてしまった。
 僕はとにかく情緒不安定で、つまらないことにもイライラするようになっていたから、きっと些細なことだったんだろうと思う。
 いつもなら苦笑して僕の癇癪を許してくれるはずの鈴木は、その日に限って何故か狭量で、むっとした顔で僕のアパートを出て行こうとした。また他の女のところへ行こうとしてる、と思った僕は、ドアの前に立って鈴木を引き止めた。

 「雪子と約束してんだ」
 他の女ならともかく、あの女だけはいやだった。鈴木の心を僕から引き離すのは、あの女だけだ。
 「どこがいいんだよ、あんな女!」
 僕は鈴木から、彼女を友だちとして紹介されていた。鈴木はあの女と気が合うみたいだけど、僕は大嫌いだった。
 がさつで乱暴で、無神経で大雑把だった。女のクセに僕より背が高くてからだが大きくて、しかも柔道は2段の腕前だった。口も悪いし手も早いしで、女としての魅力には欠けていると最初は思った。
 彼女は鈴木がおかしな冗談を言う度に、鈴木の大きな背中や後頭部をバンバン叩いていた。優柔不断だとか八方美人だとか、そんな言い方で鈴木のことを貶した。
 僕は大事な鈴木に乱暴されるのが許せなくて、鈴木の悪口が許せなくて、彼女に食って掛かった。腕力では到底敵わなかったが、口喧嘩なら負けなかった。
 僕は心の底から彼女を憎んでて、彼女もきっと同じ気持ちだったと思うのに、鈴木は僕たちの仲がいい、と何故か勘違いしているらしかった。鈴木がどうしても、と言うから何回か3人で遊びに行ったのが誤解の原因だったのかもしれない。

 「雪子はそういうんじゃないんだよ。知ってるだろ?おまえも一緒に来ればいいじゃん」
 「冗談じゃないよ。顔も見たくない」
 僕にとって、雪子さんは僕から鈴木を奪う魔女だった。
 あの女のせいで鈴木とうまくいかなくなった、と僕は思っていた。僕と鈴木の間に亀裂が入ったのは鈴木が彼女と出会う前のことだったのだけれど、僕はなにもかもを彼女のせいにした。
 自分が悪いとは考えなかった。
 だって、僕はこころの底から鈴木を愛していて。
 わき目も振らずに鈴木だけを見ていた。こんなに愛してるのに、鈴木だって僕を愛してくれていたのに、僕たちのこころはしっかりと繋がっていたのだから、外部的な作用がなければ壊れるはずがないと信じ込んでいた。

 「あいつ、女のクセにスパイ映画が好きなんだよ。変わってるだろ?映画の時間に遅れちまうからさ、そこどいてくれよ」
 「・・・行かせない」
 「薪」
 「いやだ!」
 雪子さんの存在が、僕を平静でいられなくした。ここで鈴木を行かせてしまったら、僕のところには帰ってきてくれなくなる。僕はそう思い込んでいた。

 「・・・どうしたんだよ。おまえこの頃、少しおかしいぞ」
 「鈴木が悪いんだろ!?僕がいるのに他の女なんかと!」
 刺々しい口調は鈴木のこころを遠ざけるだけだと解っていても、僕はこういう風にしか喋れなくなっていた。もう、何ヶ月もこんなギスギスした会話ばかりしていた。僕自身、いやでたまらなかった。鈴木はもっと不愉快だったはずだ。

 「おまえ、オレに女友だちも持たせないつもりなのかよ」
 「僕は鈴木がいれば他のひとは要らない。友だちもサークル仲間も必要ない。なのに、なんで鈴木はそうじゃないんだよ!僕だけじゃどうしてダメなんだよ!」
 「いい加減にしろよ。ふたりだけで生きていけるわけないだろ?社会に出たらどうする気だよ。結婚もしないつもりなのか?」
 「・・・結婚?」
 僕はそんなことは、ぜんぜん考えていなかった。鈴木も同じ気持ちでいてくれてるとばかり思っていた。
 「じゃあ、僕とは卒業したら終わりってこと?」
 「そういう意味じゃないけどさ。よく考えてみろよ。おまえ、警察官僚目指してんだろ?男とこういう関係持ってたら、世間的にもまずいだろ」

 意外だった。
 鈴木がそんな現実的なことを考えているなんて。

 そのときの僕には、現実なんか何の意味も持たなかった。鈴木との関係を邪魔するものはすべてが悪で、僕の敵だった。子供のころからの憧れでさえも。
 「それなら警官になんかならなくたっていい。IT関連の企業からもオファーはあるし」
 卒業は来年の春だったけど、僕のところには既に幾つもの会社から誘いが掛かっていた。その中でいちばん条件のいいところを選んで就職するのは、べつに悪いことじゃないと思えた。
 しかし、鈴木は僕を非難するように眉をしかめた。僕が警官にならなくてもいい、と言ったことが腑に落ちなかったらしい。
 「なに言ってんだよ。警察官になるのが子供の頃からの夢だって言ってたじゃないか」
 「なんで分かってくれないんだよ、僕は鈴木さえいればいいんだよ!鈴木を失うくらいなら、何にも要らないよ!」
 それは僕の本心だった。僕は全身全霊をかけて鈴木を愛してた。だけど鈴木が僕に返してきたのは、さよならの言葉だった。

 「もうお終いにしよう、薪。オレたち、別れたほうがいい」
 ひどく悲しそうに、鈴木は僕に別れを切り出した。
 僕は鈴木に捨てられたくなくて、必死で首を振った。鈴木に抱きついて、関係を迫ろうとした。それは拒絶された。しばらく前から鈴木は僕のからだには、興味を持たなくなったみたいだった。
 
 「今のおまえは、オレが惚れた薪じゃない」
 なりふり構わず取り縋る僕に嫌気が差したのか、鈴木はとうとう冷たい声で言った。
 「オレが好きだったのは、警察官になってこの世から犯罪を完全撲滅してやるって息巻いてたおまえだよ。警察官僚になって警察機構を上から改革してやるんだって、エラそうに言ってたおまえだよ。オレはそんなおまえが好きだったんだよ。男に縋り付いて泣いてるおまえなんか、魅力もなにも感じない」

 僕は声も出せなかった。
 鈴木が、あのやさしい鈴木が。
 僕にこんなひどいことを言うなんて、信じられなかった。

 「さよならだよ。もう会わない」

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言えない理由 side A (5)

言えない理由 side A (5)







「さよならだよ。もう会わない」

 そして、僕のアパートのドアは閉ざされた。
 それと一緒に、世界も僕の前で閉じていった。僕は再び独りぼっちになって、でも、今度はもう耐えられなかった。一旦は僕を受け入れてくれた世界にまた閉めだされるのは、我慢できなかった。
 死んだほうがマシだと思った。
 僕なんか、どうなってもいいと思った。

 どうやってアパートを出て、あんな場所を歩いていたのか覚えていない。気がついた時には、僕はホテルの一室でどこかのオヤジに抱かれようとしてた。
 我に返ったのは、行為の寸前で。
 目の前に知らない男の顔があって、僕は足を開かされて下腹部をまさぐられていた。男の指が僕の中に入ってきて、その痛みで僕は自分を取り戻した。

「放せ! 僕の身体に触れていいのは鈴木だけだ!」
 突然暴れだした僕に、相手の男はびっくりしてた。でも、途中で止めてくれる気はないみたいで、僕はベッドに押さえつけられた。
「いやだ! 鈴木、鈴木っ! たすけて!」
 必死で鈴木の名前を呼んだ。助けに来てくれるなんて都合のいいことは思わなかったけど、僕にはそれ以外、すがるものは何もなかった。
 だけど、助けは現れた。

「あたしの友だちに何すんのよ、このエロオヤジ!!」
 大きな女の声がして、太った中年男の身体が宙を舞った。とっさには何が起きたのか解らなかった。
「そいつは自分から服脱いだんだぞ! なんで俺が、ひっ!」
 黒いハイヒールの足が、備え付けのソファを蹴り飛ばした。ドガッという鈍い音がして、二人掛けのソファは床に転がった。
「窓から投げ落とされたい? それともこのソファの下敷きがいい?」
 彼女はめちゃめちゃ怖かった。男は服を抱えて、裸のまま逃げていった。
 
「あんたのせいで映画の指定券、無駄になったんだからね。後で弁償しなさいよ」
 僕に乱暴に服を投げつけて、彼女は後ろを向いた。僕から鈴木を奪った張本人に助けられるなんて、最悪だ。
「助けてくれなんて、頼んでない」
「よく言うわよ。泣きながら助けてって叫んでたくせに」
 かあっと目の前が赤く染まった。恋敵に自分の情けない姿を見られて、しかも窮地を救われて、とことんカッコ悪い自分を認めたくなくて、僕は自分に向けるべき怒りを彼女に突きつけた。

 ふざけるな。
 だれのせいでこうなったと思ってんだ。おまえが僕から鈴木を奪ったから。
 鈴木は僕のすべてだったのに!

 その時の僕は、心の底から腐っていた。助けてもらっておきながら、相手に感謝することもできなかった。それどころか彼女の顔を見た途端、憎しみが湧きあがってきて。僕はいとも簡単に、そのどす黒い感情に飲み込まれた。

 僕が。
 今までどれだけ僕が、おまえを恨んでいたか、知っているのか。
 作り笑いの裏側で、乾いた笑い声の奥で。
 いつもいつも、殺してやりたいと思っていた。
 鈴木と3人で仲良く肩を並べて歩きながら、ここに車が突っ込んできて、この女の命を奪ってくれればいいと思っていた。気の狂った男が刃物を持ってやって来て、この女を刺し殺してくれればいいと思っていた。
 その考えは普通じゃない、と自分でも解っていたけれど。僕にはその空想を止めることはできなかった。
 そうしなかったら、自分が崩れそうだった。
 だって、鈴木は僕にとっては、世界そのもので。それを僕から奪っていく彼女を憎むなと言われても。

 僕は雪子さんを憎んで憎んで、でも、その気持ちを鈴木に悟られるわけにはいかなかった。だから彼の前では、一所懸命に自分の感情を押し殺した。
 僕たちは鈴木を挟んで、ずっとライバルだった。雪子さんだって僕のことを決して快く思っていないはずなのに、それをおくびにも出さないところが狡猾だと思った。友だち面して親しげに話しかけてくるのが、許せなかった。
 今だって、僕のことなんか、どうでも良かったくせに。こうすれば自分の株が上がると計算して。鈴木を自分のものにするために、おためごかしの善意をひとに押し付けて。
 そんな捻じ曲がった考え方しか、僕にはできなくなっていた。他人の好意もやさしさも、何も信じられなくなっていた。
 自分自身を黒く塗りつぶした僕は、彼女に見当違いの非難を叫ばずにはいられなかった。

「僕なんかどうなったっていいんだよ! もう僕には何にもないんだから!」
 言い返したら、引っぱたかれた。しかも往復ビンタだった。ものすごく痛かった。
 他人に、それも女の子に顔を叩かれたのは初めてだった。
「あんた、鈴木くんの親友なんでしょ。だったら、彼に恥をかかせるようなことしないでよ」

 親友。
 鈴木の親友。
 恋人という甘い響きに釣られて、僕が捨てた宝物。思い返せば鈴木の恋人になったときより、親友だと言われたときの方がずっと嬉しかった。それこそが僕に相応しい、鈴木との関係だったんだ。
 そのポジションに戻れるなら。この1年をやり直すことができるなら。
 魔女に魂を売ってもいい。

「鈴木は……僕とはもう会わないって」
「あんたは? 会いたくないの?」
「会いたいけど。僕は鈴木に嫌われちゃったから」
 言葉にしたらそれが現実になって、鈴木に嫌われたって思ったらすごく悲しくなって。
 この女の前でなんか泣くもんか、と思っていたのに、涙はぼろぼろ溢れてきて。男のクセに泣くなんて情けないわね、とか蔑まれることを覚悟していたけど、雪子さんはそんなことは言わなかった。

「会いたいときに会えるのが親友。ほら、早く服着なさい」
「でも」
「鈴木くん、あんたのこと夢中で探してるわよ。待ち合わせに遅れてきたと思ったら、『薪を探してくれ!』って」
 雪子さんは何故自分がここに来たのか、事情を説明してくれた。鈴木がどんなに僕のことを心配してくれているのか、ということも。
「あんたとケンカして、頭が冷えてからアパートに戻ったら、鍵が開いてるのにあんたがいなくなってたって。ひどいことを言ったから、きっとどこかで泣いてる。早く見つけてやらないと大変なことになるかもしれないからって、すごい剣幕でまくし立てられたのよ。あんな鈴木くん、初めて見た」

 雪子さんの話を聞いて、僕は泣いた。
 鈴木はやっぱりとてもやさしくて。それが恋人に対する愛情ではないことは分かっていたけれど、でも嬉しくて。
 鈴木の親友に戻りたいと思った。
 だけど、今はできない。僕はあまりにも最低の人間に成り下がってしまっていて、もう一度自分を見つめなおす期間が必要だと考えた。

 僕が泣き止むまで、雪子さんは何も言わずに待っていてくれた。ただ黙って、僕に背中を向けていた。
 思い切り泣いたら、いくらかすっきりした。
 僕は顔を上げて、雪子さんの方を見た。凛として、しっかりと地に足をつけた立ち方だった。僕の頭の中で、数え切れないくらい駅のホームから線路に突き落とされていた女の後ろ姿は、僕の目に初めて美しく映った。

「鈴木に伝えて下さい。僕は大丈夫だって。心の整理をつけたら、ちゃんと会いに行くから心配しないでくれって」
「なに寝言言ってんの。行くわよ」
「今は、鈴木に会わせる顔がありません。もっと自分に自信が持てるようになったら、必ず鈴木の友だちに戻りますから」
 僕は自分の気持ちを正直に言ったのに、雪子さんは聞く耳を持たなかった。腕を引っ張られて部屋から引き摺りだされて、強制的に廊下を歩かされた。僕が渾身の力を込めても、抵抗しきれなかった。こいつは本当に女なのかと疑った。
「今はダメなんです。いま鈴木の顔を見たら、またひどいことを言ってしまうかもしれない。自分を抑えきれる自信がないんです。だから」
「あんたのそれは、ただの逃げ」

 彼女はぐいぐいと僕の腕を引いて、力ずくでホテルの外に連れ出した。傍から見たら、僕たちは修羅場のカップルに見えたかもしれない。この状況はどう見ても「浮気の現場を押さえられた男が彼女に引き摺られている画」だ。
「もっと自分に自信が持ててから?自分を抑えきれないかもしれない? なにその意味不明の言い訳。友だちの間にそんなもん必要ないでしょ」
 普通の友だちだったらそれでいいかもしれないけれど、僕たちはただの友だちじゃない。からだの関係まであった恋人同士で、その関係が破綻したから友だちに戻るなんて無謀なことをしようとしてるのに、何の計画もなしに動くなんてできない。

「違うんです、僕たちは」
「薪!」
 人ごみの中から、大声で名前を呼ばれた。顔を上げると鈴木が息を弾ませて、向こうから走ってくるところだった。
 雪子さんとのデートのためにおしゃれに整えた髪はぐしゃぐしゃで、冬なのに顔中汗まみれで。走るのが嫌いな鈴木がずい分走ったとみえて、まともに喋れないくらい呼吸が乱れていた。
「すずき……」
 僕は咄嗟に足元に視線を落とした。鈴木の顔が見られなかった。
 鈴木がここに来たということは、雪子さんから事情を聞いたということだ。僕がどこかのオヤジとホテルに入って何をしようとしたのか、知っているということだ。

 うつむいた僕の視界に、さっと影が差した。鈴木が僕に近付いてきた、と分かった。
 雪子さんみたいに僕をひっぱたく気かもしれない、と思った。そうされても仕方ないと思った。
 でも違った。
「よかったあ……無事だったんだ」
 広い胸に抱きこまれて、頭を撫でられた。僕は部屋着のままで外に出てきてしまっていたから、薄いシャツを通して鈴木の大きな手の暖かさがじわりと伝わってきて。

 その手は恋人の手じゃなかった。
 僕の性感を刺激しようと蠢く手じゃなくて、大切なものを慈しむ手だった。
「あんまり心配させないでくれよ。心臓に悪いよ」
 僕は鈴木に抱きついて、わあわあ泣いた。道端で、しかも場所はラブホテルの前で。
 道行く人たちが目を丸くして見ていただろうな、と後で気付いたけど、その時は人目を憚る余裕もなかった。ただ、雪子さんの凶悪な声が「なに見てんのよ!」「見せもんじゃないわよ!」「ブッ飛ばすわよ!」と怒鳴り散らしているのが聞こえてきただけだ。

 僕が落ち着くのを、ふたりはずっと待っていてくれた。雪子さんは自分の彼氏に抱きついて泣き続ける僕を不快に思ったはずなのに、何も言わなかった。
 鈴木は薄いシャツ一枚だった僕に、自分のダッフルコートを着せてくれた。雪子さんは首に巻いていたカシミヤのマフラーを貸してくれた。ふたつの防寒具は、僕を心地よく暖めてくれた。
 僕が泣きやむと、二人は携帯を取り出して何本もの電話を掛けた。

「あ、木村? うん、見つかった。ありがとな。今度メシ奢るから」
「麻子? うん、大丈夫だった。ありがとね。はいはい、ケーキバイキングね。OK」
 その調子で二人とも、10本以上の電話を掛けていた。サークル仲間やゼミのメンバー、クラスメイト。僕を探すのに二人がありったけの知り合いに声を掛けてくれて、みんなが僕のことを探してくれていたのだと知った。
 僕はその温かさを噛み締めていた。こんな大事なものを、今までずっと自分から捨ててきたのだと、ようやく分かった。

「走ったらハラ減った」
「あたしも。ちょっと暴れたから、おなかペコペコ。なんか食べに行きましょか」
 30人近い相手の飲食費をどう都合するか、二人はコソコソと相談しながら歩き始めた。割のいいバイトを探さないと、と言う雪子さんに、鈴木が肉体労働はイヤだ、とわがままを言って、後頭部をどつかれていた。
「三好さん」
 雪子さんは、ぎくっとした顔で振り返った。
 今まで鈴木に乱暴なことをすると、僕に怒られていたのを思い出したらしい。でも、僕にはもうそんな気はなかった。雪子さんの手に込められた溢れんばかりの愛情を、僕は自分の両頬で知っていた。

「助けてくれて、ありがとうございました」
 ぐっと奥歯を噛み締めて、腹の底に力を入れた。両足を踏ん張って、背筋を伸ばした。雪子さんの顔を見て、僕ははっきり言った。
「鈴木をよろしくお願いします」
 言ってから頭を下げた。それは僕の敗北宣言だった。

 雪子さんは、こっくりと頷いた。隣で鈴木が『だから雪子とはそういうんじゃないって』とか言い訳してたけど、僕は雪子さんと話してるんだ。鈴木の話は聞かない。
 もう涙は出てこなかった。さんざん泣いた後だったから、枯れてしまったのかもしれない。
 悲しみは僕を支配しなかった。それよりも肩の荷が下りた感じで、身体が軽かった。

「じゃ、『昇楽』の特盛りチャーハン食べに行くわよ」
「おっそろしい女だな。あれに挑戦するつもりなのか」
「こないだ、あと3口ってところだったの。今日はいける気がするわ」
「マジで? オレ、あれは諦めたのに」
 肩を並べて歩いていくふたりから、僕はそっと離れた。お似合いだな、と思ったらまた泣きたくなったけど、奥歯を噛んで我慢した。そして自分のアパートに帰るために、二人とは反対の方向に歩き出した。
 ところが、2,3歩歩いたところでぐいと後ろ襟を掴まれた。

「逃がさないわよ、薪くん」
 雪子さんが気を使ってくれてるのは分かっていたけど、仲の良いふたりを見るのはやはり僕には辛いことで。できればこのまま帰りたかったのに、彼女はそれを許してくれなかった。
「友だちでしょ。付き合いなさいよ」
「ともだち? 僕が?」
 恋人の元カノ(いや元カレ?)と友だちになろうなんて、僕が知っている女性の中にこんな考え方をするひとはいなかった。
「薪と友だちって……おまえ本気?」
「鈴木くんだけじゃ面倒見切れないでしょ。こんなの」
「そうだけどさ。薪の友だちは半端な根性じゃ務まんないぞ」
「わかってる。覚悟してるわよ」

 おかしな女だと思った。
 むちゃくちゃな女だと思った。
 ……とても敵わないと悟った。

「大変。早く行かないとランチタイム終わっちゃう。薪くん、早く!」
「三好さん」
「雪子でいいってば」
 大きな口を開けて屈託なく笑う彼女に、僕は心からの笑顔を返した。
「はい。雪子さん。お供します」



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言えない理由 side A (6)

言えない理由 side A (6)








 鈴木との苦い経験で、僕は学習した。
 誰かを好きになっても、その気持ちを全部相手に押し付けてはいけない。特に男同士は絶対にうまくいかなくなる。
 相手の100%を欲しがってもいけないし、自分のすべてを捧げようとするのも駄目だ。何故なら、そんなものを捧げられてもお互い責任が取れるわけではないからだ。僕たちは結婚もできないし、家庭も作れない。この関係は一時のものに過ぎない。
 その場限りというには長すぎるけれど、これはバカンスみたいなものだ。男同士で一生恋人でいることなんか、できない。それが良く分かった。

 男女の仲もそうだけれど、恋は一生続くものじゃない。ひとはそんなに強いものじゃないから、同じ感情を永遠に持ち続けることなんか不可能なんだ。でも、男と女の場合にはその間に夫婦という絆があったり子供という楔があったりで、それを支えに愛し合っていくことができる。激しい恋愛感情がなくなっても、もっと崇高でやさしい気持ちで相手を思いやる関係が作れるのだ。
 だけど、僕たちの関係はそうじゃない。
 なにも作れないし、なにも残せない。だからお互いの、いやどちらかの感情が冷めてしまったら、そこでお終いだ。鈴木と僕のように気持ちが通じ合っていてさえも、人間が感情の生物である限り、それは避けられない運命で。
 だから問題は、そこから後をどうフォローするかだ。

 鈴木とは、二度と会えなくなるところだった。
 フォローのしようがないくらい、僕が鈴木を傷つけてしまった。やさしい鈴木が僕に別れを告げるのに、僕に言葉の刃を向けるのに、自分自身をどれだけ深く傷つけたのか。あのころの僕は、そんなこともわからなかった。
 あの時は雪子さんがいてくれたから鈴木と僕は親友に戻れたけれど、青木とはそうじゃない。上司と部下の関係なんか、書類一枚で簡単に切れるつながりなんだ。

 今度は失敗しない。
 おまえを失いたくないから。
 避けられない別れを迎えたときに、傷つけあいたくないから。
 別れた後も、おまえの顔を見ることができるように。ただの上司と部下にいつでも戻れるように。その絆だけでも、僕に残しておいて欲しいから。

 だから、僕はおまえを好きだって言わない。
 おまえがその言葉を望んでいることは分かっているけど、これは二人のためだから。

 青木。
 おまえは知らなくていい。
 僕が、おまえの顔も見ることができないのなら死んだほうがマシだと思うほど、おまえのことを好きだなんて。仕事中だけでもいいから一緒に過ごせれば、それを支えに生きていけると思えるほどに、おまえの存在が大切だなんて。
 おまえは知らない方がいい。
 知ってしまったら、やさしいおまえは僕を捨てることを躊躇うはずだから。鈴木のように、僕を傷つけたくなくてずるずると別れを引き延ばして、それは結局おまえを苦しませることになるから。
 身体の関係だけだと思っていれば、そんなに苦しまずに済む。また新しいセフレを見つけるから大丈夫だ、と僕が笑ってみせれば、次の日から元の上司と部下に戻れるはずだ。僕たちの関係はそれでいい。

 でも、万が一。
 おまえが僕を好きでいてくれるうちに、幸運にも僕に死が訪れて、おまえが僕を看取ってくれるようなことがあれば、そのときは。
 そのときはちゃんと言葉にしよう。

 ずっと愛してる。心の底から、おまえだけを愛してる。

 その日が来るまでは。
 愛してるとは言わない。


 ―了―



(2008.11)



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言えない理由 side A ~あとがき~

 薪さんの失恋話にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。


 うう、ツラかったです。青木くんと別れる話は平気で書けるのに(??)鈴木さんが相手だと、ものすごくイタイです。
 だって、鈴木さんには未来がないから。
 どんな幸せな話を書いても死んじゃうのが分かってるから、思い出にしかならないから、だから何を書いても苦しいです。 それでこんな、表面的に流して書いちゃったんですね~。 根性なしですみません。
 
 この話はsideAで、当然sideBもあるんですけど、そっちは鈴木さんの視点からの別れ話なんですけど、あまりに辛くて書けません。もう、薪さんの殉職話とどっこいどっこいのキツさで、勘弁してくださいってカンジです。
 でもこれを書かないと、鈴木さんがどれだけ薪さんのことを想ってたのか、分からないんですよね。きっと薪さん以上に相手のことを大事に思っていたはずなんですけど。
 なんて思いつつ、大して好きじゃなかったらどうしよう。 薪さんの一方的な片思いで、鈴木さん他に彼女いたらどうしよう。 そんなのやだー。(@@) 書いてみるまで本当にわからないんですよね、わたしの場合(^^;
 春になって気力が充実したら、書いてみようと思います。
 
 
 最終章の、薪さんのモノローグですが。
 とっても後ろ向きな考え方をしてるんですけど、この頃はまだ付き合い始めて1年くらいなので、こんなもんなんですね。ずっとこのままでいるわけじゃないですから、ご安心を。
 何年か後には「僕のためにおまえの親を捨てろ」と言い切るほど前向きになりますから。(←ヒトデナシMAX)
 



 次のお話なんですけど。

 痛いすずまきさんのお口直しに、甘いすずまきさんを。
 7000拍手のお礼の『楽園にて』を公開します。

 って、読み返してみたら、Rキツっ! なんだ、これ!?
 甘いんじゃなくて、エロいんじゃん!?
 ????
 

 どうしてこんなの書いたんだろうとプロパティを調べたら、初書きが2008年の10月だから『若いってこわい』を書いた直後でした。 薪さんが痛い思いしてかわいそう、じゃあ次はキモチイイ薪さんを書いてあげよう、とでも思ったんですかね?(1年半も前のことなんか、記憶にない) 


 本当は3部の地獄の初夜(笑)を公開しようと思ってたんですけど、あれはあちこち修正しなきゃいけないので~、もう少し、お時間をいただきたいと思います。


 ではでは、すずまきすとのみなさま、よろしくお願いします。
 あおまきすとさんは、もう少々お待ちください。
 



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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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