聖夜(1)

 こちらのカテゴリには、すずまきさんのお話が入れてあります。
 うちの薪さんは、とっても鈴木さんのことが好きなので、青木くんに対する時とは別人のように可愛らしいお姿になって、る、かなあ?




聖夜(1) 







 その日の街は、皆が浮き足立っているように思えた。

 赤と緑。洋服の柄にしたら絶対に趣味の悪い配色に街中が包まれて、さらに金銀のモールがこれでもかというほどに飾り付けられ、極めつけは眼がチカチカするような派手な電飾。街を歩けばそれがいやでも目に入る。
 2058年のクリスマスイブ。恋人たちにとっては年に一度の大切な日だ。
 しかしここ、法医第九研究室には関係のないことだ。
 特に、独善的で仕事の鬼と称される室長にとっては。

「なあ、頼むよ鈴木。今日のデートすっぽかしたら、本当にやばいんだよ。室長に、今日だけは定時退室できるように頼んでくれよ」
 第九の職員たちにぐるりと周りを取り囲まれて、鈴木は困った表情を浮かべた。
「なんでオレ?」
「室長はおまえの言うことだったら聞くだろう? 親友なんだろ、おまえら」
「無理だよ。仕事とプライベートはきっちり分けるやつだからな」

 断ろうとするが人のよい鈴木のこと、同僚に拝み倒されては無下にもできない。言ってはみるけど期待するなよ、とぼやきながらも室長室に入っていく。

 背の高い後姿を見送って、同僚たちは心の底から彼の健闘を祈った。



*****



「クリスマス? 仕事と何の関係があるんだ」
 細い指で鈴木の書いた報告書をめくりながら、室長は12月の外気より冷たい声で言った。
 鈴木は広い肩を竦める。予想通りの答えだ。
 仕事には厳しい親友のことだ。必ずこういう答えが返ってくると思っていた。
 しかし、いつもいつも厳しいばかりでは部下はついて来ない。室長と言う立場を考慮に入れても、薪と他の職員の間には、かなりの温度差があるように感じられる。
 ここは薪のためでもある。鈴木はもう一歩、説得を試みることにした。

「べつに急ぎの案件はないんだろ? 今日はみんな、約束があるんだよ」
「僕にはない」
 鈴木の気遣いをコンマ1秒で切り捨てて、華奢な手を左側のキーボードに伸ばす。手元を見もしないが、片手でも鈴木の操作より格段に早い。

「薪。おまえ、その性格すこしは直せよ」
「ここでは室長と呼べ。鈴木警視」
 PCの画面と報告書の内容を照合していた亜麻色の眼がぎらりと光って、鈴木を睨みつける。怒ったときには捜一の強面より怖いと評判の表情に、鈴木は苦笑で答えた。
「はい、室長」

 氷の室長と噂される親友は、回転椅子を回して左の机に置かれたパソコンに向きなおり、報告書に添付する室長所見を人間離れした速さで打ち込み始める。冷たい横顔には、はっきりとした拒絶が顕れている。取り付く島もない。
 薪とは大学時代からの長い付き合いだ。その頃から怒ると怖かったが、第九の室長という重責に身を置くようになってからは、さらに凄みが増したようだ。

「だいたい、今日はキリストの誕生日だろう。やつらは彼の友達なのか? 誕生パーティにでも呼ばれているのか? バカバカしい。エリート集団が聞いて呆れるな」
 皮肉で辛辣な物言いも、ますます磨きがかかっている。ある意味で成長している、と言えるのだろうか。
「どうせおまえも、雪子さんと約束があるんだろ」
「うちのキリストさまは急ぎの解剖が入って、予約したレストランが無駄になりそうなんだ。よかったら一緒に行きませんか? 室長」

 鈴木の誘いに、薪はキーボードを叩く手を止めた。
 亜麻色の大きな眼を丸くして鈴木を見る。きょとん、とした表情。
 薪は昔から、予想外のことに対してはとても無防備な貌になる。それはひどく可愛らしくて、普段の冷徹な室長の顔とは別人のようだ。

「……キャンセルすれば」
「予約に5万もかかったんだぜ。もったいないだろ」
 薪は小さな口唇にひとさし指をあてて、逡巡している。鈴木のタメ口に、今度は怒らない。
「どうせ雪子さんの好きなフレンチだろ。僕はフランス料理はあんまり好きじゃないから。他のやつを誘えよ」
 くちびるを尖らせて、子供のように拗ねた言い方をする。こういうところは変わらない。親友の鈴木にだけ、見せる表情だ。
「クリスマスに予定のないやつなんか、おまえくらいのもんだよ」
「予定がないって、なんで決め付けてんだよ!」
「あれ? あるのか?」
「……今日は、この報告書をまとめようかと」
 それはクリスマスの予定とは言わない。仕事の計画と言うのだ。
 が、ここで突っ込んではいけない。そんなことをしたら職員全員を巻き込んで、MRIのメンテナンスが始まってしまう。鈴木は言葉を選んだ。
 
「それ、明日でもいいだろ。付き合ってくれよ、薪」
 目が泳いでいる。もう一押しだ。
「……室長」
 なかなかしぶといが、もう網の中だ。声にも目にも、厳しさがない。
「付き合ってください、室長」
「……いやだ」
「どうして」
「男同士でクリスマスのレストランは――イタイだろ」

 たしかに。
 しかし、それは普通の34歳の男性同士だったらの話だ。
 薪は見た目が異常に若くて、鈴木と同い年にはとても見えない。服装によっては高校生で通るくらいだ。
 しかも、女のようなきれいな顔立ちをしている。
 完璧に整った卵型の輪郭。肌はぬきんでて白く、男にしてはふっくらとした柔らかそうな頬をしている。ばさばさと音を立てそうな長い睫毛。小さな鼻とちいさな頤(おとがい)。幼げな外見を何故かくちびるだけが裏切っていて、妙に色っぽくつやめいている。これできりりと吊り上った眉がもう少しやさしければ、スーツを着ていてさえ女性と間違われそうだ。もちろん、ユニセックスな格好をしたら100%女性に見える。
 その容姿ゆえに大学時代から男女問わずモテまくっていたが、本人は恋愛方面には一向に興味を示さず、鈴木が知っている限りでは彼女いない歴15年の強者である。まあ、誰も信じないだろうが。

「ぜんぜん大丈夫。おまえなら」
「どういう意味だよ」
 自分の外見に自覚がないところも変わらない。
 薪の口調がこなれてきたところで、鈴木は取って置きの切り札を出した。
 
「それに、今日は山水亭の懐石料理にしたから。個室だし」
「山水亭? 銀座の?」
 山水亭は薪のお気に入りの料亭だ。人気店で完全予約制、しかもクリスマスイブともなれば、特別メニューで料金は目の玉が飛び出るほど高い。
 きっと薪も、クリスマスの限定メニューは食べたことがないに違いない。これで落とせなかったら諦めるしかない。
 果たして、鈴木の読みは当たった。

「今日くらいは、定時退庁するか」
「はい、室長」
 鈴木は室長室のドアを開けると、モニタールームの同僚たちに向かってVサインを出して見せた。





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聖夜(2)

聖夜(2)












 目にも美しい日本料理は、もはや芸術品だ。

 九谷焼の鮮やかな色彩に負けない、品格ある料理の数々。前菜の段階から、薪はすこぶる上機嫌だ。
 純和風の部屋も、薪を喜ばせているようだ。周りを見回しては目を輝かせている。
 畳に障子、襖に欄干。床の間には掛け軸と美しい花が活けられている。繊細な料理の匂いを妨げないよう、控えめな香りの花だ。

 座布団の上に胡坐をかき、座卓を挟んで親友と熱燗の酒を酌み交わす。薪の好みは冷たい吟醸酒だが、こういうときはやはり熱燗だ。外の寒さに凍えた身体を温めてくれるし、せっかくふたりで来ているのだから、お互いに差しつ差されつしたいものだ。
 プライベートと仕事には、明確な線を引くのが薪の主義だ。よって先程とは打って変わって薪の表情は明るい。気を許せる親友と大好きな和懐石。しかも山水亭の特別メニューとくれば、少しくらいはしゃいでも無理はない。

「そうだ。今日のメシ代、半分払うよ」
「いいよ。オレが誘ったんだし」
 料亭の代金は、鈴木が予約のときに支払い済みだ。薪がいなければ無駄になるところだったのだから気遣いは無用なのだが、こういうところが薪らしい。
「でもさ」
「薪、今日誕生日だろ? お祝いってことで」
 亜麻色の眼が大きくなって、やがて嬉しそうな笑顔に変わる。この親友は、時々とても無邪気で愛らしい表情を見せる。
「じゃあ、ごちそうさま」
 素直に礼を言って、軽く頭を下げる。どういたしまして、と鈴木が返しながら薪の猪口に酒を注ぐ。小さい手が徳利を受け取って、すぐに鈴木の猪口にも返杯してくれる。

「さすが山水亭だよな。この土瓶蒸、めちゃめちゃ美味い」
「おまえってほんと、顔と好みが合ってないよな」
 亜麻色の髪に亜麻色の瞳。日本人離れした肌の白さとスタイル。どう見ても薪にはフランス料理に赤ワインのほうが似合うのだが、薪の好みは昔から日本食だ。
「だって僕、日本人だもん」
 仕事の時には絶対に見せない、全開の笑顔と気安い口調。薪の幼い外見には、こちらのほうが遥かにしっくりくる。

「オレだって日本人だけどさ。洋食のほうが好きだもんな」
「オムライスとかカレーとかハンバーグとか、そういうんだろ。鈴木の好みはお子ちゃまなんだよ。もっと大人になれよ」
 ジャケットを脱いでネクタイを外しているせいか、どう見ても高校生にしか見えない薪にそんなことを言われて、鈴木は笑うしかない。
「おまえに言われたくないよ」
「なんで」
「なんでっておまえ。鏡、見てみろよ」
「あっ、また僕が背が低いことバカにして」
「そうじゃなくて」
「どうせ僕は、雪子さんより背が低いよ」
 高けりゃ良いってもんでもないと思うけどな、とぶつぶつ言いながら、平目の刺身に箸をつける。子供のようにむくれた表情が、刺身を口に入れた途端ころっと笑顔になる。
 可愛らしくて目が離せない。これも昔からのことだ。

 揚げたての天ぷらが運ばれてきて、薪の目が嬉しそうにくるめく。新鮮な魚介と野菜の天ぷらは薪の好物だ。
「鈴木。天ぷらは好きだろ。やるよ」
「いいよ。おまえも好きじゃん」
「でも、これ全部食べたら、このあと何も食べられなくなるんだよな」
 昔から薪は食が細い。
 警察庁に入ってから大学時代よりは食べるようになったのだが、それでも鈴木の半分くらいだ。薪に言わせると、自分のほうが食べすぎだということだがそんなことはない。男なんだから2人前は基本だろう。

「やっぱり、海老だけ食わせて」
 一度は鈴木のほうに寄越したものを、物欲しそうな目で見ている。
 人が食べているのを見て、自分も食べたくなったらしい。本当に子供みたいなやつだ。
 かるく塩をつけて、顔の前に出してやる。つややかな口唇がそれをぱくりと咥える。満足げに微笑んで、うんうんと頷く。頭を撫でてやりたくなるくらい可愛い。

 この姿を第九の連中が見たらどう思うだろう。

 むしろ、こういうところを少し出したほうが良いのではないか、とも思う。薪は室長の威厳を保つことを重要視するあまり、自分の魅力を殺してしまっている。本当の薪はあんな評判を立てられるほど、冷血漢でも鬼でもないのに。
 室長として、設立したてで不安定な状態の第九を守るためには仕方のないことかも知れない。外部からも部下からも、なめられてはいけないと肝に銘じているのだろう。職場で薪が笑顔を見せることは滅多にない。親友の鈴木に対してはいくらか優しい顔をするが、こんな風に全開の笑顔ではない。

 本音を言うと、こんな薪を独占していることが嬉しくもある。
 他の誰にも見せない表情。誰にも聞かせない口調。誰にも触らせない髪も、鈴木が撫でるのだけは許してくれる。
「子供じゃないんだからさあ」
 そういいながらも、振り払わない。
 さらさらした短髪は実にさわり心地がいい。職場でこれをやったら殴られるが、今は大丈夫だ。

 金目鯛の煮つけと牛ヒレ肉の炭焼き、鴨鍋と締めの牡蠣飯が出て、会食は終わりに近づいた。牛ヒレ辺りから薪はひと口くらいずつしか食べられなくなってしまったようで、ほとんどは鈴木が平らげたのだが。
「いいなあ、鈴木は。いっぱい食べられて」
「これからケーキ出るぞ。クリスマスだから」
「げ。マジ?」
「オプションで頼んだんだ」
 コーヒーとケーキが運ばれてきて、これで最後だ。
 薪は当然のように、ケーキの皿を鈴木のほうによこしてきた。甘いものはそれほど好きではないのだ。が、実は薪は料理が得意で、ケーキも作れる。それがまた美味い。昔はよく食べさせてもらった。この頃はさすがに忙しくて、ケーキを焼くようなまとまった時間は取れないらしいが。

「鈴木。いちご」
 目を閉じて、あーん、と口を開く。食べさせろ、ということらしい。
 赤いイチゴをちいさな口に入れてやる。薪の口には少し大きかったようだが、美味しそうに目を細めている。
 自分のケーキについている苺を食べてみて、鈴木は首を傾げた。
「あれ? すっぱくないか、この苺」
「ケーキ用の苺は、わざとそうするんだ。生クリームの甘さを中和して、後味を良くするためなんだって。苺を最後に食べる人がいるけど、あれは理に適ってるんだ」
「なんでもよく知ってるな、おまえ」
「ケーキ好きの誰かさんのために、むかし研究したから」
 食後のコーヒーをブラックのまま飲みながら、薪は笑った。

 その笑顔に、鈴木は息苦しさを覚える。
 ……今日は初めから、薪を誘うつもりだった。
 鈴木は薪に告げたいことがあった。これを聞いても、薪はこの笑顔を自分に見せてくれるだろうか。

 コーヒーに砂糖を2杯も入れる自分を見て、また子供の味覚だと笑う親友に、鈴木はその言葉を口にするのを躊躇う。しかし、言わなければならない。
「あのさ、薪」
「ん?」
 暖かい部屋と程よいアルコールのおかげで、桜色に上気したきれいな顔が無邪気に微笑む。その微笑がこの告白によって消えないことを祈りつつ、鈴木はその言葉を口にした。

「オレ、雪子と結婚することにした」

 亜麻色の目が大きく見開かれて、コーヒーカップがガチャンと耳障りな音を立てた。その瞳に一瞬宿った哀しみを、鈴木は見逃さなかった。
 が、それは瞬時にかき消され、薪はにっこりと微笑んだ。
「そうなんだ。おめでとう」
「喜んでくれるか?」
「当然だろ。長い春だったよな、おまえら。いつ結婚するんだろうって、こっちがやきもきしてたよ」
 先刻までと変わらない笑顔。
 鈴木から眼を逸らしたりしない。コーヒーカップを持つ手に震えもない。
 一瞬の翳りは自分の見間違いだった―――― それもまた淋しいな、と鈴木は勝手なことを思う。

「よかった。おまえのことだけが心配でさ。おまえとはその……色々あったから」
 色々、という言葉で過去をごまかしてしまうのは、卑怯な気がした。
「ちょうど14年前の今日だよな。オレたち」
「いつの話してんだよ。もう忘れたよ」
 薪は、平然とコーヒーを飲んでいる。まるで他人事のような口ぶりだ。
言い出した鈴木のほうが言葉に詰まって、視線を自分のコーヒーカップに落としてしまう。

「あれは若気の至りっていうかさ。気の迷いみたいなもんじゃん? 酔ってたし、興味もあったし。ただのアソビだよ、あんなの。その証拠に、すぐに飽きちゃっただろ? やっぱり、セックスは女のほうが気持ちいいよな」
 薪もまた、曖昧な言葉に逃げたりはしない。過去は消せない。だからきちんと清算して、その上で乗り越えていかなくては自分たちに未来はない。

「僕も彼女作ろっかな。そんで、おまえらより早く結婚してやるよ」
「クリスマスに予定もないやつがよく言うよ」
「ばっか。僕がその気になれば、相手なんかわんさかいるんだぞ。官房長の娘だって僕に気があるって噂、おまえ知らないの?」
「マジで? すげえじゃん、それ」
 出所は不明確だが、そんな噂があるのは確かだ。しかし、あくまで噂である。だいたい、官房長の娘はまだ中学生だったはずだ。
「出世コースど真ン中だろ。狙っちゃおうかな、警察庁官房室室長」
「おまえなら行けそうなところが怖いよ」
 政略結婚なんかしなくても、薪の実力なら本当にいけそうだ。しかし、それにはもう少し、上役に媚を売ることを覚えなくてはならないが。
「僕が官房長になったら、おまえを首席参事官にしてやるよ」
「えー? オレ、一生おまえのお守り役かよ」
「あたりまえだろ? 結婚くらいで僕から逃げられると思うなよ」
 薪は声を上げて、あはは、と笑う。

 十余年の歳月は、人をこれほど成長させるのか。
 役職や仕事の面ではとうてい敵わないが、精神的な面では自分のほうが大人だと思っていたのに。いつの間にか置いていかれていたのは、自分の方だったらしい。

「は~。とんでもないやつと友達になっちゃったよな」
「そう言うなって。親友」
 薪が悪戯っぽい笑顔でコーヒーカップを突き出す。それに応えて、鈴木も同じように自分のカップを掲げた。
「じゃあ、未来の官房長に」
 かちん、とカップを触れ合わせる。
 やわらかい瀬戸物のぶつかる音が部屋に響いて、特別なディナーは終わりを告げた。




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聖夜(3)

聖夜(3)








 聖誕祭の夜、この街は不夜城に変わる。

 街中が浮かれているようで、ふたりともこのまま真っ直ぐ家に帰る気にはなれなかった。
「薪。これからどうする?」
「う~ん、なんか飲み足りないよな」
 2人で徳利を3本では確かに物足りないが、料亭で好きなだけ飲んだら勘定書きが恐ろしいことになる。
 結局、薪の家で飲みなおす事にして、途中の酒屋で好みの酒とつまみを買い込んだ。鈴木は実家から職場に通っているので、こういうときは自然と一人暮らしの薪のマンションに流れることになる。

 玄関の前で、薪は鈴木にストップをかけた。

「掃除してないから、ここで待ってて」
 強引に押し留めて先に中に入るが、1分もしないうちにまた出てくる。
「いいよ」
 部屋の中はきれいに片付いている。えらく早い掃除だ。
「どこ掃除したの?」
 それには答えずに、薪は台所へ行ってグラスとつまみを載せる皿を用意する。焼酎用のお湯と梅干。冷酒用のぐいのみ。鈴木が手伝いに来て、ついでに冷蔵庫を物色していく。

「お、美味そうな煮物。あ、卵焼きがある。薪、これ食っていい?」
「いいけど。でもおまえ、あれだけ食ってきてまだ食うのかよ」
「だって薪の卵焼き、絶品なんだもん」
 一切れつまんで、鈴木は満足そうに頷いた。
「なんでおまえの料理って、こんなに美味いんだろ。オレの好みドンピシャっていうか」
 その理由は簡単だ。
 このレシピは、鈴木の母親に習ったのだ。もちろん鈴木には内緒で、こっそりと教えてもらった。だから薪の料理は家庭的なものが多く、鈴木の好みの味付けなのだ。当然これは、鈴木の母親と薪だけの秘密である。

 場所をリビングに移して、2人は酒盛りを始めた。
 根菜の煮物と卵焼きを肴に、鈴木は焼酎のお湯割を飲んでいる。買ってきたサラミやチーズには手をつけていない。
「雪子もこのくらい料理が上手かったらなあ」
 ため息交じりに鈴木が愚痴る。雪子は料理が大の苦手なのだ。
「結婚したら料理は鈴木の担当だぞ、きっと」
「どうなんだろうな。包丁もろくに使えない監察医って」
「外科医じゃなくて良かったと思うしかないんじゃないか?」
 顔を見合わせて、くすくす笑う。いまごろきっと雪子はくしゃみをしているだろう。

 冷えた吟醸酒をぐいのみに注いで、薪はその芳醇な香りに目を細める。さりげなさを装って、気になって仕方のなかった話題を振ってみる。
「結婚式って、いつの予定なんだ?」
「まだ決まってない。結納は3月の予定だけど。そういや、婚約指輪とかも要るのか」
「なんだよ。指輪も買ってないのかよ」
「指輪っていえば―――― おまえ、昔オレがやった指輪、どうした?」
 どうした、と言われても咄嗟にはうまい言葉が見つからない。ここは冗談に紛らすことにして、薪はわざと冷たい顔を作った。
「鈴木。まさか使い回す気じゃ」
「無理無理。あれは細くて雪子の指には入らないよ。そうじゃなくてさ、まだおまえが持ってるのかなと思って」
 薪は眼を閉じて冷酒をすする。肩を竦めて投げやりな口調で、鈴木の問いに答えた。
 
「さあ。どっかいっちゃったよ」
「人から取り上げといて失くしちゃったのかよ? ひでえな」
「引越しとかしたからな」
「あれ、けっこう高かったんだぞ」
「いったん人にやったものを今更ぐずぐず言うなよ。セコイやつ」
「そういう問題じゃないだろ。大事に持っててくれるんならともかくさあ」
「いいから、結婚式の日取りだよ。仕事の都合とか、調整しなきゃならないだろ」
「まあ、来年中にはってカンジかな」
「……勤務表の組みようがないんだけど、それ」

 ずいぶんいい加減な話だ。結婚を決めたというだけで、まだ形になっていないらしい。
 それでも雪子とは両家ともに公認の仲だから、親のほうでいろいろと準備を進めてくれるのだろう。

「ほんと美味いなあ。この卵焼きだけでも雪子に教えてくんない?」
 結婚式の予定より、鈴木には卵焼きのほうが重要らしい。
「前に教えようとしたんだけどさ、雪子さんすごい不器用で。いくらやってもスクランブルエッグになっちゃうんだ。しかもカチカチのやつ」
「いいや。オレ、ここに朝メシ食いにくるから」
「僕のうちは定食屋じゃないぞ」
 そこで結婚の話題は途切れた。
 そこからは、大学時代の友達のことや警察庁の噂話や第九の七不思議、気に入らない上役のこきおろしまで話は弾み、聖なる夜は更けていった。
 薪は、鈴木と過ごすこういう時間が大好きだった。やっぱり男同士は気楽でいい。
 鈴木になら何を言っても安心だし、どんな言い方をしても自分の本意を汲み取ってくれる。薪がいちばん信頼し、心を許せる相手―――― それが鈴木だった。

「あれ、もうこんな時間か。薪、オレ、泊まってっていい?」
「いいよ」
 話に夢中で、終電が無くなったのにも気付かなかった。
 明日は平日だ。もうそろそろ休まないと、仕事に差し支える。
 薪は風呂の用意をして、食器を台所に運んだ。シンクに水を溜めて汚れた皿をつけておく。洗うのは明日の朝だ。今日はもう、風呂に入って眠りたい。
 
「鈴木。風呂は?」
「オレいい。面倒」
「汚いなあ。雪子さんに嫌われるぞ」
 アルコールが回ってしまうと、確かに少し面倒くさい。でも、薪は大の風呂好きだ。特に冬は必ず湯船につかりたい。

 風呂から上がると、鈴木の姿がない。てっきりソファで寝ているものと思っていたのに、用意してやった毛布ごとどこかへ行ってしまったようだ。
 まさかと思って寝室を覗いてみると、長身の男がちゃっかりとベッドに寝ている。
「鈴木。僕のベッドだぞ」
 肩をつかんで揺さぶり起こす。まったく図々しいやつだ。
「このベッド、セミダブルだろ。半分貸してくれよ」
「狭いよ。おまえ、ソファで寝ろよ」
「いいじゃん、クリスマスなんだし」
「それ、どっかで聞いた……」

 腕を掴まれて、ベッドに引きずり込まれる。広い胸に抱きこまれて、薪は身体を強張らせた。
「うわあ。薪、ほかほかしてる」
「風呂から出たばかりだから」
 他の男なら気持ち悪いけど、相手が鈴木だと心地よい。不思議なものだ。
「いい匂い。あったけー」
「僕は抱き枕じゃないぞ」
 鈴木はそのまま、眠りに戻ってしまった。

 ひとの気も知らないで呑気なものだ、と薪は思う。
 鈴木とこんなに密着していたら―――― とても平静ではいられない。

 先刻、料亭で僕はへまをしなかっただろうか。
 声は震えていなかったか? 涙は浮かんでいなかったか? 不自然にはしゃぎ過ぎなかったか? 座卓の下の膝は震えてしまっていたが、気取られずに済んだだろうか。
 僕の本心に、鈴木は気付かなかっただろうか。
 ―――― きっと大丈夫だ。
 薪には上手くできた自信があった。

 警察庁に入庁して12年。なかでも、第九の室長として5年を過ごした日々が、薪の心を強くしてくれた。
 どんなに心が乱れていようとも、冷静な表情を繕うことができる。相手をどれだけ不快に思っても、にこやかに笑うことができる。そうでなくては室長として、世間や警察庁内の迫害から第九を守ることなどできない。

 薪はそっと鈴木の腕の中から抜け出して、ベッドを降りた。
 これは自分がソファで寝るより仕方がない。鈴木と同じベッドで熟睡できるはずがない。

 そのまま振り返らずに、ベッドを離れればよかった。しかし、薪は不覚にも立ち止まってしまった。そして鈴木の寝顔を見てしまった。
 薄明かりの中、あの頃より大人びて色香を感じさせる―――― 男らしい寝顔。
 薪の心臓がとくんと高鳴って、息が苦しくなる。見えない力に引き寄せられるように、薪の顔が鈴木の寝顔に近づいていく。

 だめだ、しっかりしろ! また鈴木を困らせるつもりか!?

 激しくかぶりを振って、薪は奥歯をぎりっと噛み締めた。十余年の間に培ってきた理性が、薪を思いとどまらせてくれる。乱れた呼吸を整えて両の拳を握り締める。
 ところが、鈴木はどこまでも薪の心を揺さぶってくれた。
 
「む~……」
 何事か呟くと、薪の頭を掴んで自分のほうに引き寄せる。
 寝ぼけているとは思えない、深いくちづけ。

 時が―――― もどる。
 14年前の今日に。初めて鈴木とキスをした……初めて鈴木と結ばれた、僕が生涯で一番幸せだったあのときに。

 くちびるが離れて、鈴木は再び安らかな夢の世界へ降りていく。

 ……これ以上はとても無理だ。

 薪は足音を殺して、リビングへ逃げた。
 暖房の切れた居間はひどく寒い。持ってきた毛布にくるまって、薪はソファに蹲った。自分の両肩を抱くようにして、小さな身体を丸める。ふと思いついて、ローテーブルの引き出しから一枚の写真を取り出した。
 鈴木と二人で、第九の前で撮った写真。
 鈴木は薪の背後からふざけて薪に抱きついている。そのたくましい腕に両手を掛けて、薪が嬉しそうに笑っている。薪の気持ちがひと目で分かってしまうような、幸せそうな笑顔。

 さっきは掃除と偽ってこの写真を隠した。こんな写真を見られたら、自分の気持ちが一発でばれてしまう。鈴木が気にしていた指輪も、もちろん大事にしまってある。あの指輪は薪にとって大切な思い出の品だ。

 薪のきれいな顔が悲しみに歪んで、写真立てのガラスカバーに透明な液体が滴り落ちる。
 声を殺して、息を殺して、溢れ出す気持ちを押し殺して。
 いったい、いつまで――。
 いつになったら、この想いから解放されるのだろう。
 いつになったら、鈴木を忘れられるのだろう。
 こんな……こんなつらい、想い。
 もう10年以上も昔のことなのに、どうして。どうして、僕の中からこの感情は消えてくれないのだろう。

 仕事が一緒だから? 毎日、鈴木の顔を見ているから?

 結婚するって聞いただけでこの有様だ。こんなことで、ちゃんと自分の役目が果たせるのだろうか。
 友人として上司として、結婚式に出席して祝辞を述べて。誓いのキスに拍手をして。子供が生まれたらお祝いにベビーカーを贈って。
 幸せそうな3人を見て、笑うことができるのか? 狂わずにいられるのか?
 無理だ。僕には無理だ……。
 
「なんだよ、ちくしょう」
 僕は14年前から、まるで成長していない。
 鈴木の親友に相応しい男になろうと、頑張ってきたつもりなのに。雪子さんにどんどん引き離される。

 涙には終わりがない。後から後から溢れ出して、薪のすべらかな頬を濡らしていく。
 やがて泣き疲れて眠るまで―――― 薪の慟哭がおさまることはなかった。





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聖夜(4)

聖夜(4)







 静まり返ったリビングに、月の光が差し込んで彼のひとを照らしている。
 小さく折り曲げられた細い身体。やさしい美貌。長い睫毛は涙に濡れて、白い頬にはその痕跡がある。

 膝を折り、長身をかがめて、鈴木は薪の寝顔を見つめている。
 薪の上に流れた十余年の歳月は、その美貌を損なうどころか彼をますます美しくした。あの頃より今のほうが、幼さの中にも大人の色香を漂わせて鈴木の心を惹き付ける。

 ―――― オレがいちばん大切なのは、おまえだよ。

 亜麻色の髪を撫でて、そのさらさらとした手触りに、酔う。

 ―――― おまえが好きだよ、薪。
 でも、そのために何もかもを捨てることは、オレにはできない。
 雪子のことも、確かに愛している。親や恋人や自分の将来を捨てて、おまえだけを求めることはオレにはできない。オレにそこまでの勇気はない。

 それに。

 それはそのまま、おまえのすべてを奪うことにも繋がるから。第九の室長としての地位も名誉も、おまえの夢だった警察官の職も、全部おまえから奪うことになるから。

 だから、愛しているとは言わない。

 おまえの気持ちはあの頃と変わっていない。オレには分かってる。
 だからこそ言えない。
 オレがそれを口にしたら、大学の時と同じようになってしまいそうで、それが怖い。
 あの頃のように、恋に溺れてオレに溺れて、仕事も何も手につかなくなって。今のおまえは20歳の子供じゃなくて、自分自身を制御できるかもしれないけれど。

 でもやっぱりそれは、おまえの本当の幸せじゃない。

 せっかく神様が与えてくれた明晰な頭脳を、もっともっと上まで昇りつめられる可能性を捨ててしまうことが、おまえの幸せだとはどうしても思えない。
 もしも、オレとあの頃のように愛し合ってしまったら、正直なおまえのことだ。言葉に態度にその事実を露呈させてしまうだろう。我儘なおまえは偽装のための結婚なんか思いもよらないだろうし、本当はやさしいおまえが傷つけ合うだけの関係を他人に強いるわけがない。

 仮に関係を隠し通せたとしても、一生、日向には出られない。
 そんな悲しみをおまえに味あわせるぐらいなら、オレはこの言葉を飲み込んで墓場まで持っていく。生涯ただの親友として、おまえのことを見守っていく。

 薪の頬を濡らした液体を唇で吸い、万感の想いを込めて、そのつややかなくちびるにくちづける。

 薪―― 薪……愛してる。
 これは、オレのトップシークレットだ――――。






 そして、翌年の8月。
 貝沼事件の捜査が始まる。




 ―了―



(2008.9)


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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

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