女神たちのブライダル(1)

 こんにちは。

 こちら、はるか昔にお約束いたしました、6千拍手のお礼です。
 薪さんが雪子さんにプロポーズするお話です。<ちがう。

 
 書いたのがなんと、2009年の1月でした。
 そうです、青木さんと雪子さんの婚約発表の直後です。 
 もう、頭の中わやくちゃだったんですね~。 それでこんなしょーもないことを書いたんですね。

 かなり初期に書いたものなので、文章も、ひゃー、拙すぎ。(^^;
 最近のものに比べると読みづらいと思いますが、てか、読み直すの大変だった。 下手な文章は読むの疲れる。
 そんなものを人に読ませるのかと、お叱りもありましょうが、すみません、カンベンしてください。 書き直せない、てか、今のわたしにはこの話は書けません。 
 時間と共に萌えも変わりまして、今はジャイアントキリングする薪さんを書いてます。 やっぱり男は仕事ですよ。


 そんなこんなで、(どんな?)よろしくお願いします。


 このお話の時期は、付き合い始めて4年目です。
 すっかり落ち着いてるかと思えば、相変わらずだったりして。(笑)






女神たちのブライダル(1)






 純白のドレスを身にまとった美しい花嫁と、白いタキシードに身を固めた凛々しい花婿が、祭壇の前に並んで立っている。
 教会のステンドグラスから注ぐ七色の光は、彼らを祝福するかのようにやさしい。
 厳かな神父の声が響き、誰もが知っている誓いの言葉を参列者たちは耳にする。

『病めるときも、健やかなる時も――――』



*****




 1年に3回くらい、昼にとてもお腹が空くことがある。
 部下に強引に誘われない限り、売店のおむすびくらいで昼食を済ませてしまう薪だが、こういうときには職員食堂を利用する。ごった返している食事処は苦手だが、今日は是非ともここの焼き魚定食が食べたい。

「久しぶりね、剛くん」
 自販機で食券を買ってからカウンターの列に並ぶと、調理場の方から声を掛けられた。昔は親友とよく食べに来ていたから、食堂のおばさんも顔を覚えてくれていたらしい。
「こんにちは。Bランチお願いします」
「今日は剛くんの好きなカマスよ」
 自分の好みを覚えてくれていた彼女に、薪はにこりと微笑んでみせる。大勢の職員が訪れるカフェテリアなのに、プロというのは大したものだ。

「ごはん、大盛りにする?」
「いえ。普通で結構です」
 普通盛りでも、ここのご飯はかなりのボリュームだ。残ったご飯を引き受けてくれる親友はいなくなってしまったから、薪がここで大盛りのご飯を頼むことは、もう永久にないかもしれない。

「はい、お待ちどおさま」
 プラスチックの四角いトレーに載ってきたのは、ご飯と味噌汁、カマスの塩焼きにほうれん草のおひたし。働き盛りの男性の昼食にしてはあっさりしたものだが、どんなにお腹が空いていても、薪の食欲はこの程度だ。
「それと、はい」
「あれ? 僕、コーヒーは頼んでませんけど」
「おばさんの奢り。剛くん、コーヒー大好きだったでしょ。ここでお昼にコーヒーだけ飲んでたのは、あなたくらいのものよ」

 彼女は少し、薪の好みについて誤解をしている。コーヒーが大好きだったわけではなく、食事を摂りたくなかっただけなのだ。
 捜査に夢中になっているときには、何も食べたくない。ところが、薪の親友は食べることが大好きで、いついかなる時も薪を無理やり食堂まで引っ張ってくる。推理が佳境に入っているときに食事をすると、気分がダレる。四方八方から手繰り寄せた糸が、バラバラになってしまう。そんなときには、薪はコーヒーだけを飲んでいた。その様子を彼女は見ていたのだろう。
 コーヒーは、第九に戻ってからバリスタに淹れてもらおうと思っていたのだが、せっかくの好意だ。ありがたく受け取っておこう。
「ありがとうございます」
 にっこり笑って礼を言う。好意には好意で返すのが、薪の主義である。何故か周りにいた職員たちが一斉に身を引いたようだったが、多分気のせいだ。

 混み合った食堂で空席を探す。部下の誰かがいればベストなのだが、ざっと見た限りでは見つからない。
 その代わり、白衣姿の黒髪の美女を見つけた。
 彼女の前には、豚肉のしょうが焼き定食と酢豚の皿が置かれている。ご飯はもちろん大盛りである。それを、わき目も振らずに一所懸命食べている。薪の食欲など足元にも及ばない。
 食べているときの雪子は、本当にかわいい。鈴木が大好きだった雪子の姿だ。

 今日は雪子もひとりのようだ。いつも一緒にいる助手の女の子は、別行動らしい。
「雪子さ……」
 声を掛けようとして、薪は雪子の手が止まっていることに気がついた。

 何かを見ている。雪子の視線を追って、薪はそこに自分の部下の姿を発見した。
 第九で一番若くて、背の高い捜査官。黒髪に黒い瞳、チタンフレームの眼鏡を掛けている。隣には、薪の大嫌いな捜査一課のエースの姿がある。あいつとは付き合うな、と薪がいくら忠告してもきかない。大人しいくせに頑固な部下の名前は、青木一行という。

 薪は声を呑んだまま、動けなくなった。
 あの雪子が、食事の箸を止めて誰かを見るなんて―――――。

「薪くん。ここ、空いてるわよ」
 立ち竦む薪に、雪子が気付いて声を掛けてくる。薪は笑顔を作って、雪子のほうへ足を進めた。
「お邪魔します」
「どうぞどうぞ。ひとりでつまんなかったの。今日、スガちゃん研修で」
 明るい笑顔を薪に向けてくるが、雪子はどこかしら淋しそうに見える。

 鈴木を失ってからの彼女は、仕事一筋で生きてきた。その努力の甲斐あって、女だてらに今は法一の副室長という役職に身を置いている。未だに男社会の風潮が強い警察内部で法一の副室長を務める雪子の実力は、かなり高いということだ。
 しかし、果たしてそれは、雪子の望んだ人生だったのだろうか。
 鈴木は雪子に家庭に入って欲しがっていたが、雪子は結婚後も監察医の仕事を続けると宣言していた。専業主婦なんてまっぴらごめんだわ、と言いながらも、雪子は薪にちらりと洩らしたことがある。
『子供が出来たら、考えるかもね』
 鈴木がこの世を去ってから6年。あの事件がなかったら、雪子は育児に追われていたかもしれない。監察医の仕事のほうが楽だわ、とぼやきながらも楽しそうに、鈴木との愛の結晶を慈しみ育てていたに違いない。

「薪くん。もう食べないの?」
 1年に数回しか起きない薪の旺盛な食欲は、いつの間にか失せていた。かろうじて空になったのはほうれん草のおひたしだけで、焼き魚もご飯も半分以上残っている。
「残すんならちょうだい」
 トレーを引寄せて、雪子は薪の食べかけのご飯を頬張る。なんだかどこかで見たような光景だ。
「やっぱり秋は秋刀魚よね」
「雪子さん。それ、カマスですけど」
 そうなの? と無邪気に聞き返して、美味しければなんでもいいわ、と雪子は笑った。
 
 その笑顔の裏側に。
 このひとは、どれほどの涙を流してきたのだろう。眠れない夜を過ごしてきたのだろう。たったひとりで恋人も作らずに、鈴木だけを想ってここまで来たのだろうか。

 2人前の食事をぺろりと平らげて、雪子は席を立った。
「あとはデザートね。おばさん、マロンパフェちょうだい」
 大声で追加のオーダーを入れる雪子は快活そのもので、悩みなど何も無いように見える。しかし、それは見せかけの明るさだ。自分には分かる。
 大きな口でパフェを食べる雪子を見ながら、薪はさきほどの雪子の切なそうな瞳を思い出す。あれは―――― 恋をする女性の瞳だった。

「雪子さん。いま、好きな男性とか、います?」
「なに。藪から棒に」
 鼻の頭にクリームがついている。くすっと笑って、薪は雪子にティッシュを差し出した。
「なんか最近、雪子さんきれいになったから。誰か気になる人でもできたのかな、と思って」
 お世辞ではない。雪子はこのところ化粧の仕方を変えたらしく、昔のような派手なメイクはしていない。口紅の色も昔は真っ赤だったが、この頃はピンク系のものが多いようだ。

「まあね。ちょっとだけ、気になってるっていうか」
「誰ですか?」
「薪くんには言えないわよ。怒られちゃうもの」
「なんで僕が怒るんです? 誰にも言いませんから、教えてくださいよ」
「いやよ。薪くんと喧嘩したくないもの」
 薪の心臓が、ぞくりと冷たくなった。
 僕には言えない。僕と喧嘩になる。……そんな相手は、ひとりしかいない。

「んんん~、このパフェ、おいしー! 生クリーム万歳!」
 顔には出さないつもりだったが、雪子は薪の動揺を悟ったらしかった。ことさら明るい調子で、残りのパフェを平らげる。
「まあ、そのうちね。ちゃんと報告するから」
 空になったパフェの容器を持って、雪子は立ち上がった。薪に軽く手を振って、食堂から出て行く。

 いつものように白衣を翻して颯爽と歩く後姿を、薪は見えなくなるまで見送っていた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

女神たちのブライダル(2)

女神たちのブライダル(2)








続きを読む

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

女神たちのブライダル(3)

女神たちのブライダル(3)








 今日の薪は、最初から様子がおかしかった。
 自分から青木を家に誘って、風呂の中で戯れてくれて、ベッドの中で積極的に自分から求めてきて。
 何かあるとは思っていたが、こういうことか。

「どうしてですか」
 青木にとっては、天変地異が起こったに等しい。それ相応の理由がなければ、とても納得できない。

「小野田さんの娘さんと付き合ってるんだ」
 初耳だ。前々から縁談を勧められていたが、今まではきっぱりと断っていたはずだ。
「会ってみたらいいひとでさ。結婚しようと思ってる」
 ついさっきまで、自分の腕の中で悦びに震えていた恋人は、そんなことを言い出した。

「おまえ、前に言ったよな。僕に好きな女性ができて、結婚するなら身を引くって」
 たしかにそう言った。
 そこまでが自分の役目だと思っていた。薪のようなすごい人が、自分のことをいつまでも相手にしてくれるわけがない。もっと早くに薪が結婚を決意していれば、薪はとっくに警視長になっていたはずだ。そうしたら今頃は、警察庁初の40前の警視監が誕生していたかもしれない。薪にはそのぐらいの実力がある。
 それに、自分では薪に家庭を持たせてやることも子孫を残してやることもできない。薪のように優秀な遺伝子を持った人間の子供がいないなんて、薪にとっても人類にとっても大きな損失だ。

「僕が小さいころ、両親亡くしてるのは知ってるよな。だから僕はずっと家庭の暖かさに飢えていて、自分の家族が欲しかったんだ。あんな事件があって、それを一旦は諦めてたけど、おまえのおかげで僕はこうして立ち直ることができた。
 栄子さんと結婚して自分の家庭を持って、子供もたくさん作って、孫に囲まれて死ぬんだ。僕がそんな幸せな未来を思い描けるようになったのは、おまえのおかげだ」
 薪はそこでにっこりと笑った。完璧な笑顔だった。

「おまえには感謝してる。これまでありがとう」

 いつかは、こういう日がくると思っていた。
 薪が本当に立ち直ったときに、自分の役目は終わると解っていた。その日が遂に来たのだ。喜ばなくては。大切なのは、薪が幸せになることだ。自分の恋が成就することではない。

「それで今日はやさしかったんですね」
「うん。感謝の気持ちってところだ。満足してくれたか?」
「はい。最高でした」
 萎えてしまいそうになる気力を必死で掻き集めて、青木はむりやり笑顔を作った。
 ここで自分が泣いたら、このひとは困ってしまうだろう。冷たく見せかけて、本当はとてもやさしいのだ。今だって平気な顔をしているが、心の中は自分を切り捨てる罪悪感でいっぱいになっていることだろう。

「よかった。ごねられたらどうしようかと思ってたんだ。おまえが物分りのいいやつで助かったよ。
 まあ、もともと僕たちはセフレみたいなもんだったからな。おまえもこの次は、ちゃんと女の子の恋人を見つけるんだぞ。結婚して子供作って、親を安心させてやれ」
「……はい」
 笑顔のままで喋り続ける薪を見ているのがつらい。残酷なことを言う人だと思ったが、その裏の真実を知っている青木には、薪を責めることも恨むこともできなかった。

「明日からは、普通の上司と部下だぞ」
「はい」
「いいか。社会人てのはな、プライベートでどんなことがあっても、仕事には全神経を集中させることができなきゃ駄目なんだ。仕事中に少しでもボーっとしたりしてみろ。後頭部に回し蹴りが行くからな」
 薪は、早速上司らしく説教を始めた。辟易した顔を作って、青木はベッドから逃げ出す。シャワーを借りて身支度を整える。薪はパジャマ姿で玄関口まで送ってくれた。

「寄り道せずに、真っ直ぐ帰れよ。明日も仕事なんだからな」
 これでこのひとのこんな姿は見納めかと思うと、泣きそうになってしまう。薪のようなポーカーフェイスは、まだ習得できそうにない。

「青木。いままで楽しかった」
 薪は、最後に極上の微笑を青木にくれた。
 それを目に焼き付けて、青木は薪のマンションを後にした。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

女神たちのブライダル(4)

女神たちのブライダル(4)








 大きな男の背中がドアの向こうに消えて、薪はようやく肩の力を抜くことができた。
 両膝がかくんと崩れて、その場にへたり込む。肩だけでなく、体中の力が抜けてしまった。なんだか、周りの風景もよく見えない。霞がかかったようにぼんやりしている。
 
 それが涙のせいだとわかったのは、激しくしゃくりあげる声が聞こえてきたからだ。
 これは自分の声ではない。
 だって、みっともない。来月40になろうという男が、こんなことで泣くなんて。

 ……こんなに辛かったのか。

 数年前、雪子さんが僕の背中を押してくれたとき、彼女はこんなにつらい思いをしていたのか。あのとき彼女はこんな痛みに耐えて、僕に笑ってみせたのか。雪子さんは女の人なのに。男の僕よりずっと弱いはずなのに。
 だから、僕が泣くのはおかしい。女の雪子さんが耐えられたんだから、僕だって泣かずに頑張れるはずだ。涙は止められるはずだ。
 そう思うのに止められない。止めようとすればするほど溢れてきて。
「う……」

 いいや、泣いちゃえ。

「わああっ!!」
 僕はやっぱりてんでダメだ。そもそも雪子さんに張り合おうってのがムリなんだ。

 完全防音をいいことに、声の限りに叫んで泣き喚く。ここには自分しかいない。誰にも迷惑はかけない。血を吐くほどに泣いても、誰も気がつかない。
 玄関口の床の上で、薪は子供のようにうずくまる。土下座のような格好で、拳で床をばんばん叩く。あまり何度も叩いたものだから、手が切れて血が出てきた。

 その痛みが、薪にわずかな落ち着きをくれる。
 計画は未だ折り返し地点だ。泣いてなんかいられない。まだ後半戦が残っている。

 薪は泣きながらも立ち上がった。ふらふらと歩いてリビングに入り、机の上のPCを起動させる。震える指でパスワードを打ち込み、目的のソフトをダウンロードする。
 画面に地図が映し出される。10桁の英数を淀みなく叩くと、緑色の点滅するマークが画面の右下に現れた。1箇所に留まって、動きは無い。
 青木の携帯につけたGPSだ。青木は家に帰っている。

 薪は寝室へ歩いていき、携帯電話を取り上げた。メモリーから、とある番号を選び出す。
 大きく息を吸い、発信ボタンを押す。腹の底に力を込めて、眉をきりりと吊り上げる。ここが正念場だ。
『薪くん? どうしたの、何か急用?』
「大変なんです! 雪子さん、助けて下さい!」
 相手の言葉を聞かずに、薪は一方的にがなりたてた。

「青木の家から僕に連絡があって、あいつ大変な怪我をしたみたいなんです! 僕もすぐに行きますから、雪子さん先に行って様子を見てもらえませんか?」
『怪我!? どんな具合なの?』
「分かりません。途中で電話が切れてしまって、そのあと繋がらないんです。雪子さんはまだ研究所にいますよね? そこから青木の家は、車で3分くらいです。住所を言いますから、すぐに向かってください」
 目印となる公園の名前を告げる。青木のアパートはこの公園の目の前だ。行けばすぐに分かるはずだ。

「部屋は2階の202です。お願いします!」
 雪子の返事を待たずに、薪は電話を切った。
 用事の済んだ携帯を手に持ったまま、ぼんやりと佇んでいる。先刻まで恋人と愛し合っていた褥が目に入る。ゆっくりとそちらに歩いていき、どさりと倒れこんだ。
 
 目蓋を閉じた薪の目の奥に、シナリオに沿った映像が映し出される。
 雪子が慌てて青木の家に行く。豪放磊落に見せかけて実は心配性の彼女は、きっと青い顔をして青木の身を案じているだろう。
 ドアを開ければそこには、僕に振られて泣いているバカがいる。青木は僕が大好きだから、この世の終りみたいな顔してびーびー泣いているはずだ。
 やさしい雪子さんは、それを放っておけない。僕が傷つけた青木を、彼女が慰撫してくれるだろう。今夜だけでなく、これからずっと。僕が青木に与えてやりたいと望んで叶わなかったもの、家庭、子供、未来―――― そのすべてを、雪子さんが青木に与えてくれるはずだ。

 雪子さんは、青木が好きなんだ。
 カフェテリアで青木を見ていた雪子さんの瞳。あれは恋をしている瞳だ。
 自分でも意識の無いままに、いつの間にか目で追ってしまう。僕もそうだった。気がつくと青木を見ていて……恋をしていると自覚したのは、そのずっと後だった。

 僕はあのやさしい女性を、また不幸にしていた。彼女の婚約者を殺して、その幸せをすべて奪っておいて、またそれを繰り返していた。彼女の気持ちには薄々感づいていたのに、ずっと見て見ぬふりをして、そこから目を背けていた。きっと何年も雪子さんは引き裂かれるような思いで、それでも僕と青木のことを応援してくれて―――――― なんてすごいひとなんだろう。
 親友の愛した大切な女性。薪にとっても長年の友人で、よき相談相手で、いま薪がこうしていられるのも、みんな彼女のおかげといってもいいくらいだ。返しきれないくらいのやさしさと気遣いをもらって、薪はあの事件から立ち直ることができたのだ。

 今度は、自分の番だ。
 雪子さんのためなら、僕は何でもする。彼女が幸せになってくれれば、それが一番だ。

 それに、これは青木の為でもある。
 青木が自分とこういう関係でいることは、青木にとって決してプラスにはならない。関係がバレたら間違いなく左遷だし、下手をしたら懲戒免職だ。薪には過去の失点もあるから仕方ないと諦めることもできるが、青木はまだまだこれからだ。
 自分が青木の未来を奪うかもしれない。青木の将来を閉ざしてしまうかもしれない。青木にとっても雪子にとっても、これが一番ベストなシナリオなのだ。

「鈴木。僕、ちゃんとできたよな」
 携帯のフォルダを開いて、一枚の写真を画面に映す。亡き親友が、小さな液晶画面から薪に微笑みかけている。
「頑張ったよな、僕。えらいだろ。褒めてくれよ」
 鈴木の笑顔の上に、透明な雫がぼたぼたと零れ落ちる。相変わらず泣き虫だな、と鈴木が笑う。

 鈴木を失って何もかも無くして、生ける屍のようだった薪に生きる意志を与えてくれたのは、青木だった。その粘り強さと深い愛情で、泥の中に沈み込んだ薪を少しずつ少しずつ引っ張り上げてくれた。
 僕はそんなあいつを好きになって。こんなふうに、あいつと愛し合うようになって。たくさんの愛情をもらって、傷ついた分だけ強くなって。
 だから僕は頑張れる。がんばれるはずだ。

 僕が頑張らなかったら、青木だって困る。青木が僕のために流した涙が無駄になる。今はどれだけ泣いても辛くても、また笑えるようになってみせる。
 しばらくはムリかもしれない。けれど、鈴木のことも乗り越えてきた。今回もきっと乗り越えられる。今度は青木の助けは借りられないから、前よりも時間はかかるかもしれない。でも時間はかかっても、きっといつか――――。

 いつかって、いつだろう。

 40年の人生の中で、深く傷ついたことはたくさんあった。それを全部克服して今の薪があるわけだが、それは自分一人の力で越えてきたわけではない。
 幼い頃に両親を亡くしたときには、叔父や叔母が薪に愛情をくれた。鈴木に振られたときには雪子が助けてくれた。仕事で嫌なことがあれば鈴木が『おまじない』をしてくれて、薪を元気にしてくれた。
 薪に最大の傷を残したあの事件の直後は、岡部が自分を支えてくれた。岡部だけじゃない、雪子や小野田や第九の部下たちも、みんな陰ながら薪のことを心配し、応援してくれていたのだ。薪は長いことそれに気付かなかったが、薪の周りは常にやさしさで包まれていた。
 
 いつも独りではなかった。

 でも、今回のことは誰にも言えない。言ったらすべてが壊れてしまう。
 このことは秘密にしたまま、墓場まで持っていかなくてはならない。それが自分にできるだろうか。だれの力も借りずに、自分の力だけで再び歩き出せるだろうか。

 大丈夫だ、と薪は自分に言い聞かせる。
 人はこうして強くなるのだ。自分独りの力で立ち直ってこそ、強くなれるのだ。
 たとえ何年かかったって、今度は誰にも頼らずに立ち上がってみせる。僕は本当の強さを手に入れる―――――。

 突然、薪の手の中で携帯が震えだした。気付いて着信を見ると、雪子からだ。
 ここで雪子からの電話――――― これは薪のシナリオにはない。時間からして雪子はもう、青木の家に着いたはずだ。嫌な予感がする。
 
「もしもし、雪子さん?」
『薪くん、早く来て!!』
 金切り声で思い切り叫ばれて、薪は思わず携帯を耳から遠ざけた。雪子のこんなに取り乱した声を聞くのは初めてだ。
「何が」
『青木君が自殺したのッ!!』
 息を呑んだきり、薪は言葉を失った。

 まさか――――― まさか!?

「な、なんで」
『知らないわよ! あたしが行ったときには、お風呂場で手首切ってたの』
 雪子は半狂乱になっている。完全にひっくり返った声で、早く来てと繰り返した。ここは自分が落ち着かなくては。男の自分がしっかりしなくては。
 
「落ち着いて、雪子さん。青木はまだ生きてるんですね? 救急車は?」
『呼んであるけど、出血量から見てショックパンツじゃ病院までもたないと思う』
「危ないんですか?」
『力いっぱい切ったらしくて、傷が動脈まで……だから、いくら止血しても止まらないし、意識もない。とにかく、この場で緊急の輸血ができるようにスガちゃんに器具と血液パックを頼んだから、薪くんは早くここに来て!!』
「すぐ行きます」

 薪は駆け出した。財布を掴んでマンションを出る。表でタクシーを捕まえて、青木の住所を告げた。
「急いで!」
 薪の剣幕に驚いたのか運転手は引き攣った顔をして、それでも猛スピードで車を走らせてくれた。完全にスピード違反だが、白バイがついてきたら自分の身分証で黙らせればいい。

 青木は大丈夫だろうか。
 万が一のことがあったら雪子さんは……愛する男の死に目に二度も遭わせるなんて、それもまた僕のせいで!

 裏道を通って一方通行を逆走して、1時間の道のりを30分に短縮してくれたタクシーの運転手に1万円札を渡し、薪は全力で走り出した。外から回るより、公園の中を通ったほうが早い。小道を抜けて茂みを突っ切って、胸の高さのフェンスをひらりと飛び越える。後ろで何人かの男女が悲鳴を上げているようだったが、知ったことではない。

 薪の心臓は早鐘のように打っている。
 それが全力疾走による動悸なのか、大切な人を失うかもしれない恐怖によるものなのか―――― 考える余裕も無く、薪は闇の中を夢中で走り続けていた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

女神たちのブライダル(5)

女神たちのブライダル(5)









 部屋の主は寝室にいた。
 左手首に包帯を巻かれ、力なくベッドに横たわり、右腕には輸血の管が刺されている。命は助かったらしい。急に力が抜けて、薪は思わずその場に膝をついた。

「薪くん……」
 雪子は薪を見ると安心したのか、床に突っ伏して泣き出した。肩が震えている。雪子の泣いている姿なんて、鈴木が死んだとき以来だ。自分のせいで、このやさしいひとをまた悲しませてしまった。
 雪子は気丈にも嗚咽を抑え、顔を上げた。息を詰めていたせいか、頬が赤くなっている。

「青木くん、薪くんが来てくれたわよ。青木くん」
 雪子の呼びかけにも、青木はなんの反応も示さない。雪子の声の震えに、薪の心の鎖がぶつりと切れた。

「起きろ、青木!」
 ワイシャツの襟元を掴んで引き摺りあげる。左右の頬を平手で何度も叩く。先刻、自分の家の床でつけた傷口が開いて、青木の頬に血がついた。
「ま、薪くん。それ、ほんとに死んじゃうから」

 腹が立って仕方がなかった。
 こんなことくらいで自殺なんて。自分から命を捨てようなんて。
 死んでしまったら、未来も何もない。雪子を幸せにすることもできないし、自分が幸せになることもできない。何のために僕があんなに泣いたと思ってるんだ。僕の涙を無駄にしやがって……!

 青木はようやくうっすらと目を開けた。黒い瞳が薪の顔を見る。弱々しく微笑み、そのくちびるが薪の名前を呼んだ。
 僕のせいで絶望して自殺未遂までして、それでも僕を見て笑う。どこまでバカなんだ、こいつは。国宝級だ。天然記念物だ。人類最高のバカとして博物館に陳列したいくらいだ。

「―――――― バカヤロウ」
 許せない。
 なにが許せないって、一番許せないのは、こいつが僕との約束を破ろうとしたことだ。
 こいつは僕に誓ったはずだ。絶対に僕より先に死なないと。僕をおいて逝かないと。僕を独りにしないと―――――この僕にかけて誓ったはずだ。それを裏切るなんて。

「おまえ、僕に言ったよな。僕より先には死なないって。約束したよな」
 それだけじゃない。一生僕を愛してるって、ずっと一緒にいるって、そう言ったはずだ。
「一生僕のそばにいるって、そう言っただろ!」
「だって。薪さん、結婚するんじゃ」
「関係ないだろ!」
 約束は約束だ。それを勝手に破ろうとしたこいつが悪い!

「僕が結婚したって他の人を好きになったって、おまえは僕のそばにいるんだ! 約束したんだから、おまえは一生僕のことを好きでいるんだ!!」
 怒りに視界が染まるというのは本当だ。
 いま、薪の視界は真っ赤でしかも極端に狭い。青木のバカ面しか見えない。自分がどこにいるのかも分からなくなってきた。何を言っているのかは、とっくにわからない。

「おかしくないですか? それ」 
「おかしくない! これから何があっても、僕の一番そばにいるのはおまえなんだ! 結婚しても子供ができても孫ができても、ずっとずっと僕を一番好きでいろ! 僕の一番近くにいろ!!」
 薪の怒鳴り声に驚いたらしく、雪子は肩を竦めて薪に背を向けた。青木の耳元に顔を寄せて、なにやらこそこそと内緒の話を始める。

「でたー……薪くんの真骨頂。薪節炸裂ってカンジ」
「このひと、昔っからこんな無茶苦茶な理屈通してたんですか?」
「普通の人には言わないんだけどね。自分のテリトリーだと思ったら、すべてこの調子よ」
「鈴木さんも苦労したでしょうね」
 なんだかとても失礼なことを言われているような気がするが、頭に血が上った薪の耳にはその正確な意味は伝わらない。

 怒鳴りまくったせいか、呼吸がうまくできない。大声を出したら、それに感情が煽られるように昂ぶって、部屋の中のものが歪んで見えるくらいに心がぐちゃぐちゃになっている。アタマがおかしくなりそうだ。
 言いたいことは全部言ってやったはずなのに、全然すっきりしない。胸の中に黒くてどろどろした塊が詰まっている感じだ。だから、呼吸がうまくできない。泣いているわけじゃない、ただ、自律神経がうまく働かないだけだ。

「ふ、ううう―――っ!」
 薪の脳は、自分の身体に指令を出すのを諦めたようだ。
 脳の支配を離れた薪の身体は、感情のままに動き出す。ベッドに起き上がった男の身体に渾身の力ですがりつき、その胸の中でわあわあ泣いた。
 そこに雪子がいることも青木の将来のことも、ぜんぶ吹き飛んでしまった。薪が苦心して書いた脚本は、思わぬ事態の急変にストーリーの変更を余儀なくされた。

「こわかっ……おまえが死、じゃ、うっ、うっ、~~~っ!」
「すみませんでした。心配かけて」
 うまく喋れない。自分でも何を言っているのか、よくわからない。しかし、青木にはそれが解るらしい。本人にもよくわからないことを、こいつはどうして解ってくれるのだろう。

「オレが悪かったです。全部薪さんの言うとおりにしますから」
 いつも通りのジンクスを、青木は薪に施してくれる。片方の手で頭を撫でて、もう片方の手でやさしく抱きしめてくれる。
 この儀式が始まりだった。繰り返すたびにふたりの距離は近付いて、近付くほどに濃度を高めたジンクス。
「一生、薪さんを好きでいますから。ずっとそばにいますから」
 自然にくちびるが重なる。これもジンクスのひとつ。

 泣くという行為は、激した感情を落ち着かせる最も有効な手段なのかもしれない。ひとしきり泣いた後は頭がすっきりするし、胸のつかえもきれいさっぱり無くなった。自分の中にあったもろもろの汚いものが、涙と一緒に流れ出たかのようだ。
 冷涼な薪の頭脳が帰ってくる。瞬間、雪子のことを思い出し、薪は慌てて青木から離れた。

 しまった。
 やってしまった。雪子の前で、こんな……まるで、彼女に見せつけるみたいに。

「ゆ、雪子さん」
 雪子はこちらに背を向け、うなだれて座っていた。白衣の背中が震えている。肩がびくびくと、不規則に上げ下げされている。
 泣いている。
 自分の好きな男が他の人間と抱き合ったりキスしたり、それを目の前で見せられたのだ。泣きたくなって当たり前だ。

「ち、違います、雪子さん! 僕は」
 否定の言葉は中途で止まった。目の前で黒髪が左右に振られ、薪は言葉を失う。
 なにが違うと言うのだろう。自分は、何をどう取り繕う気でいるのだろう。僕はまたこのひとを傷つけて。

「薪くん、ごめんなさいっ、あたしっ……!」
「雪子さんが謝ることなんかありません。僕のせいです、みんな僕が」
「だめっ、もうだめっ! 我慢できない!!」
 叫ぶや否や、雪子はその場に仰向けにひっくり返り、腹を抱えて笑い出した。

「雪子さん……?」
「だ、だって、薪くんの格好! あははははっ!!」
「かっこう? ―――― あ!」
 言われて初めて気がついた。
 薪はパジャマを着ていた。ベッドの後だったから寝巻きに着替えて、そのまま来てしまったのだ。雪子からの電話で動転して、服装のことなど頭に無くて。
 なるほど、タクシーの運転手が引き攣った顔をしていたわけだ。危険人物に思われたに違いない。よく考えたら身分証も持っていない。スピード違反で捕まっていたら、大恥をかくところだった。

「三好先生、そんなに笑っちゃ悪いですよ。薪さんはオレのこと心配して、ぷくくっ」
「パジャマ! 鬼の室長が、パジャマでタクシー!!」
「あはははっ! ダメですってば、笑わせないで下さいよっ」
 悪いと言いながら、青木もしっかり笑っている。
 たしかに可笑しいが、雪子の笑いは少し不自然だ。いまは笑っている場合ではないはずだ。未遂とはいえ、青木が自殺を図って―――――。

 ……あれ?

 電話では、青木の命が危ないような話だった。風呂場で手首を切って、生命に危険を及ぼすほど血が流れ出てしまっている、と言っていた。傷が動脈まで達していて、いくら止血しても止まらないと叫んでいたはずだ。そんな人間が、腹抱えて大笑いって。
 
「青木。おまえ、やけに元気そうだな」
「え?」
「動脈まで切れてるんじゃなかったのか、その右手」
「そ、そうなんですよ。もう、痛くって」
 誘導尋問に引っ掛かって、咄嗟に右手を押さえている。バカはどこまでもバカだ。
「ふーん。右利きのおまえが、左手で右の手首を切ったのか」
「あっ。いや、あの」
「30分前は意識不明の重態だったのに、ずいぶんと顔色がいいな。輸血とは大したものだな」
 青木の顔がザーッと青ざめる。輸血の効果が切れたようだ。

 バキボキと、華奢な指からは想像もつかないような音を立てて、薪が青木に近づいてくる。
「何か言い遺したいことは?」
「こ、これは三好先生が言い出しっ」
 そんなことだと思った。雪子の知識がなければ、このペテンは仕組めまい。

「雪子さん」
「な、なにかしら?」
「青木の解剖所見は階段から落ちたことによる打撲傷でお願いします」
「了解しました、薪警視長殿!」
「変わり身はやっ!」

 薪の拳が青木の頬を掠める。びゅっと風を切る音が、その威力を慮らせる。
「11月26日、22時17分。青木警視宅に強盗が侵入。警視は果敢に立ち向かうも揉み合いになり、階段から転落死」
「ま、薪さん、あの」
「よかったなあ、青木。殉職特進でおまえも警視正だ」
 にっこりと笑った薪のこの上なく美しい笑顔。それは、これから青木の身に降り注ぐ薪の怒りを表している。怒りのボルテージが高いほど、薪の笑顔は美しくなるのだ。

「た、たすけ―――――ぎゃあああっ!!」
 かくして。
 青木の悲鳴が夜の闇をつんざき、雪子と薪の計画は共倒れに終わったのだった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

女神たちのブライダル(6)

女神たちのブライダル(6)








「おかしいとは思ったんですよ。こいつが自殺なんてする度胸、あるわけないんです」
 リビング兼住居スペースのカーペットの上に胡坐をかいて、薪は吐き捨てるように言った。投げやりな口調に合わせて右足に肘を当て、頬杖をついている。
 
 いつもの冷静な薪なら、初めから気付いていただろう。
 薪がここに駆けつけたとき、アパートの前に救急車がなかった。命に関わる怪我だというのに、救急隊員も病院関係者もいなかった。その時点で気付くべきだったのだ。
 青木の手にはそれらしく包帯が巻かれていたが、ワイシャツには血の痕もなかった。輸血の管は刺さっているように見えたが、パックの血液は一向に減らなかった。

「だから、やりすぎだって言ったんですよ。三好先生のせいですよ、このコブ」
「薪くんには荒療治が必要なの。これぐらいしないと、本音なんか言わないでしょ、あのひと」
「それにしたって」
「あたしだってね、それなりに忙しいの。いつまでもあんたたちのお守りばっか、してられないのよ」
 コソコソと不愉快な会話を交わす詐欺師たちは、薪がこんなに怒っているのにどこかしら楽しそうで、その原因は、彼らのブラフに見事に引っかかった自分のうろたえ振りを思い出してのことだと考えて、薪はもう一度拳を握り締める。くそ、あと2、3発殴ってやる。

「いくら何でもひどいんじゃないですか。狂言自殺なんて」
「狂言自殺なんて、そんなオオゲサな。ただのお芝居よ」
 青木の部屋に飛び込んできた薪を見た雪子は、突然床に突っ伏してしまった。泣いているものと思っていたが、あれは薪の姿を見て笑っていたのだ。声が震えていたのは青木の身を案じてのことではなく、笑いを堪えていたせいだ。道理で顔が赤かった。
「雪子さん」
「薪くん、こわーい」
「当たり前です。僕は怒ってるんですから」

 雪子の考えは読める。
 青木から事情を聞いて、薪の嘘に気付いたのだ。それでこんな大掛かりな芝居を打って、薪の本音を引きずり出そうとした。薪はそのコンゲームにまんまと引っかかって、先程のような醜態を晒してしまったというわけだ。
 もう、笑うしかない。自分のバカさ加減に目眩がしそうだ。

「雪子さんには、僕の芝居は通じないんですね」
 肩をすくめて、苦笑とも自嘲ともとれる笑みを浮かべ、薪は雪子への怒りを治めた。
 ずっと前にもこんなことがあった。
 あれは確か、雪子と青木のデートを演出してやろうと思って、ムードたっぷりのディナーを用意してやったのだ。その時も、薪の策略を看破した雪子に逆に騙されて、恋人同士が群れを成すレストランで後ろ指を指されながら、男ふたりの寒いメシを食う羽目になった。

「女のカンてやつですか」
「違うわよ。薪くんの嘘を見破ったのは、青木くんよ」
「え?」
 そんなはずはない。
 青木は典型的なO型人間だ。信じやすく騙されやすい。特に、薪の言うことは妄信する傾向にある。今まで何度薪のウソに踊らされて、泣いたり喚いたりしたことか。それでも次の時にはやっぱり騙される。捜査官にはとことん向かない男だ。
 そんな青木(バカ)に見抜かれるなんて。自分は何か、ヘマをやらかしただろうか。

「美和子さんですよね」
 信じられないという表情で青木を見ている薪に、青木が笑いながら言った。
「官房長の娘さんの名前は、栄子さんじゃなくて美和子さんです」
「……そうだっけ?」
「はい。上から美和子さん、裕子さん、香ちゃんです」
 思い出した。青木の言うとおりだ。小野田さんの長女の名は美和子だ。
「栄子ってだれだっけ?」
「この前観た映画のヒロインじゃないですか?」
「あー……」
 
 亜麻色の大きな瞳が天井を見て、左右に動いた。自分のミスを年若い部下に指摘されて、白い額に手を当てる。
「結婚しようと思っている女性の名前を間違うなんて、普通ありえないでしょ。だから結婚の話は嘘だって判ったんです」
 わずかな手がかりから被疑者の嘘に辿り着いた捜査官は、自分の推理を話し始めた。こいつもいくらかは成長しているらしい。

「ただ、結婚の話はカモフラージュで、本当はオレと別れたいだけなのかな、とも思って。それで騙された振りをして家に帰りました。
 ここで薪さんの本心を考えてたら、ちょうど三好先生が来てくれて。それで相談してみたんです。そうしたら三好先生は、薪さんの性格だったらそんな回りくどい事しないで、はっきり言うだろうって。飽きたから別れてくれって」
 そう言えばよかったのだ。余計なことを考えて余計なことになって。策士策に溺れるとはこのことだ。
 薪剛人生最大のミスだ。こんな大事な局面で、あんなつまらないミスで、結局なにもかも自分でダメにしてしまった。

「そろそろ、本当のことを話してくれてもいいんじゃないですか? どうしてあんな嘘を吐いたんですか?」
「それは」
 薪は、チラリと雪子のほうを見た。
 雪子の気持ちは、すでに確認済みだ。この機会にはっきりさせた方がいいかもしれない。やはり嘘を吐いてどうこうするよりも、正直に雪子の気持ちを青木に伝えることによって、彼らの未来を考える方向に持っていくのが正しいやり方だ。
 薪がそのまま雪子を見つめていると、雪子は観念したようにふっと息を吐いた。

「ごめんなさい。あたしのせいよね」
「三好先生?」
 薪の気持ちは、雪子に伝わったようだ。
 自分は席を外したほうがいい。あとはふたりの問題だ。

 薪は立ち上がり、部屋から出て行こうとした。その背中を雪子が慌てて追いかけてくる。
「待って、薪くん。違うの。あたしが好きなのは青木くんじゃなくて」
「もう嘘はやめましょう。雪子さんの気持ちは解ってますから」
 雪子なら許せる。
 雪子以外の女性だったら恨みがましく思ってしまうかもしれないが、彼女はすべてにおいて自分より遥かに優れている。とても勝ち目がない。

「あー、そうよね。薪くんの勘違いは名人芸だもんね。はっきり言わなかったあたしが悪いのよね」
 先刻の薪と同様、額に手を当てて雪子は上を向いた。目を閉じて、大きなため息をつく。
「この年になると、さすがに恥ずかしくって。それに、薪くん絶対に怒るから」
 怒ったりなどしない。恋愛は自由だ。
 それに、青木と自分の間に確かなものなど何もない。結婚できるわけでもないし、家庭を作れるわけでもない。だから、薪は青木に対して何の権利もない。雪子の恋を咎める資格などないのだ。

「あの日、薪くんとカフェテリアで会ったとき、あたしは彼を見てた」
 雪子は、自分の気持ちをようやく認める気になったらしく、密かに青木を見ていたことを告白し始めた。恥じらいからか、俯き加減に顔を横に向けている。
「あたしの視界には青木くんがいて、それを薪くんが見ていたのが事の始まりだったわけだけど」
 雪子はそこで言葉を切って、薪のほうを見た。
 ライバル宣言でもするつもりだろうか。だとしたら、不戦勝で雪子の勝ちだ。薪には雪子と争うつもりはさらさらない。

「もう一人、いたでしょ」
「……もうひとり?」
 薪は記憶を探る。混み合ったカフェテリアで青木の隣にいた男。あれは――――。

 その男を思い出すと同時に、薪のきれいな顔が歪む。薪はその男が大嫌いだった。
 警察官のクセに俳優のような顔をして、女にはモテるらしいが、次々と相手を変える不誠実な男だ。薪はそういう男がこの世で一番キライなのだ。

「雪子さん。まさか」
 自分の予想に青くなった薪にこっくりと頷いて、雪子は薪の「まさか」を肯定した。
「あたし、竹内のことが好きなの」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

女神たちのブライダル(7)

女神たちのブライダル(7)








「実はもう、何回かデートもしてるの」
 雪子の告白に、氷の警視長はその美しい頬を真っ赤に染め、形の良いくちびるをまるで似つかわしくない罵りの言葉で彩った。
「あのやろう、いつの間にっ!」
 
 怒りを抑えるように大きく息を吸い、ハッと一気に吐き出して、薪は雪子のほうを強い目で見た。その亜麻色の瞳に、いつもの冷静さは欠片もない。
「ダメです、雪子さん! 竹内は人間のクズです、女性の敵です! あいつの女好きの噂、知らないわけじゃないでしょう。あいつは女なら誰だっていいんです。8歳の女の子だって口説くんですよ!」
 それは薪の誤解である。
 その事件の時には青木も居合わせていたから、事情を知っている。しかし、敢えて弁明はしてやらなかった。竹内が薪に惚れていることを知っていたからだ。

「それは昔の話でしょ。今はそんなことないわよ」
「だまされてるんですよ! 人間、そんなに簡単に変わるもんじゃないんです。女好きは一生、女好きのままです。傷つくのは雪子さんなんですよ」
 雪子の抗弁を聞こうともせず、薪は頭ごなしに竹内の人格を否定する。薪は思い込みが激しい。薪のこの性質には何度も泣かされてきた青木だが、竹内のことに関してだけは結果オーライだ。他のことならともかく、薪のハートを射止めることに関しては、青木は一流の策士になれる。

「大丈夫だったら。ああ見えても竹内は結構真面目で」
「まさか、まだ何もしてないでしょうね? ムードに流されて許したらおしまいですよ。犯り捨て御免なんですから、あの男は!」
 血の気の引いた顔で、たらりと冷や汗までかきながら、薪の狼狽振りは滑稽ですらある。まるで年頃の娘を心配する父親のようだ。
 雪子は薪の娘ではないし、もう40を超した大人なのだから、そんなことは大きなお世話だと思うのだが、それを指摘したりしようものなら薪の怒りは青木に向けられる。青木の顔の腫れは、間違いなく倍になるだろう。

「うーん。エッチは克洋くんより上手かも」
「なんて軽はずみな真似を! あの男は穴さえあれば何でもいいんですよ!」
「そこまで言う?」
「許しませんよ、僕は絶対に認めませんからね! 今ならまだ間に合います。即刻、別れてください!」
 なんて横暴な言い方だろう。許さないと言うが、薪に何の権利があるのだろう。

「だから、薪くんには言いたくなかったのよね」
 薪の理不尽な横車を予想していたのか、雪子は軽くため息をついて、助けを求めるように青木の方を見た。
「薪さん。薪さんは竹内さんのこと、誤解してます。竹内さんは三好先生のことを、本当に大切に想ってるんですよ」
 雪子のSOSを察知して、青木は竹内を弁護することにした。それはもちろん、雪子たちを応援する気持ちからの行動だったが、青木の中には策士としての考えも存在した。
 昔のことはさておき、竹内は現在真剣に雪子との未来を考えている。が、そう簡単に思い切れないのが恋というものの厄介なところで、まだ薪に些少の未練を残しているようだ。青木としては、ここで薪に竹内と雪子の仲を認めさせ、ふたりの仲を確実なものにして、恋敵にとどめを刺しておきたい。
 卑怯? 上等だ、きれいごとだけで自分のものにしておけるほど、薪を狙っている人間は少なくない。標的になっている本人に自覚が無いとなればなおさら、青木は狡猾になるしかない。

「おまえまで何言ってんだ! 雪子さんを竹内のクソなんかに奪られていいのか、くやしくないのか。おまえはそれでも男か!」
「いや、別にオレ、三好先生のことは何とも思ってないし」
 雪子にはいくらか怒気を抑えていた薪が、青木には遠慮なしに噛み付いてくる。さっきも青木のことはさんざん殴ったくせに、雪子にはちょっと睨んでみせただけでお咎めなしだ。この差はなんなのだろう。

「竹内みたいな外道に比べたら、このヘタレのほうがまだマシです! 雪子さん、考え直してください!」
「薪さん! なに言い出すんですか、オレの気持ちは」
「おまえの気持ちなんかどうだっていいんだ! 大切なのは雪子さんの幸せだ!」
「どうだっていいって、そんなあ」
 薪の優先順位はとても明確だ。好きなひとにはどこまでも甘く、そうでない人間には限りなく厳しいのだ。

「悪いけど、12歳年下の男はちょっとね」
「じゃあ雪子さん! いっそのこと僕と!」
 薪は完全にテンパッている。
「ごめんね、薪くん。あたし、自分より小さい男には興味ないの」
 スパッと急所を攻められて、薪はがっくりと肩を落とした。

「女の人に振られたの初めてだ、僕……」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

女神たちのブライダル(8)

女神たちのブライダル(8)








 

続きを読む

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

女神たちのブライダル(9)

女神たちのブライダル(9)








「ダメです、雪子さん! あんな男と結婚なんて。苦労するのが目に見えてます。僕は絶対に認めませんからね!」
 色とりどりの花束が埋め尽くす小部屋の中、設けられたパーテーションに向かって、薪は喚き続けている。まったく、往生際の悪い人だ。

「今日が結婚式だっていうのに。まだ言ってんですか?」
「だっておまえ。だいたい、おまえが悪いんだぞ。しっかり雪子さんのこと捕まえておかないから、竹内みたいな男に騙されて!」
「はいはい、すいませんね」
 適当な謝罪文句で謂れのない非難を受け流す。このひとの八つ当たりを真面目に聞いていたら、胃薬がいくらあっても足りない。

 シルバーグレイのタキシードに白いネクタイを締め、胸に白い百合を飾って、今日の薪はとびきりの美人に仕上がっている。にも関わらず、その表情は険しい。晴れの日に相応しくない不穏な言葉を並べ立てて、事情を知らない者が聞いたなら、この美しい青年は実は花嫁に横恋慕していて、彼女の結婚をぶち壊そうとしているかのようである。いや、実際壊れて欲しいと思っているのだが。
「今からでも遅くありません、雪子さん。あんな男と結婚するくらいなら、僕と結婚してください!」
「花嫁に何言ってんですか!」
 他人が聞いたらどうする気だ、てか、マジでぶち壊す気だよ、このひと!

「ごめんね、薪くん。あたし、自分より小さい男は対象外なの」
 パーティションの向こうから、最後の化粧を済ませた花嫁が現れる。
 短い黒髪にきらきら光るティアラを差し、白いヴェールをつけている。豊かな胸元を華やかなネックレスで飾り、ピンクの薔薇のブーケを持っている。純白のドレスに身を包んだ彼女は、間違いなく今日の主役だ。
「うわあ……雪子さん、すごくきれいです」
「ありがと」
 薪は、頬を赤くして雪子を見ている。他人が見たら、本当に雪子に恋をしているようだ。

「薪くんにキレイって言われても、なんだかね」
「本当に綺麗ですよ。今日だけはオレの目にも、薪さんより綺麗に見えます」
「……この格好じゃなかったら、一本背負い決めてるわよ」
 口は災いの元。どうやら青木は命拾いしたようだ。

「雪子先生、おめでとうございます!!」
 ノックと共に勢いよくドアが開いて、雪子の助手の女の子が顔を出した。薄茶色のウェーブヘアを今日はシニヨンにまとめて、顔の両側にくるくるとした巻き毛を垂らしている。どちらかといえば幼い顔つきの彼女は、大きな向日葵の花束を雪子に渡すと、嬉しくて堪らない、と言った口調で祝いの言葉を述べた。
 
「わああ、綺麗です、雪子先生。よく化けましたね!」
「……ありがと」
「それにしてもまさか、署内ナンバー1のモテ男を雪子先生が射止めるとは。事実は小説より奇なりって、本当ですね!」
「どーゆー意味かしら」
 怖いもの知らずの物言いに、隣で聞いている青木の方が青くなる。こんなことを青木が口にしたら、間違いなく薪にぶちのめされる。

「いいですか、雪子先生。結婚したからって、調子に乗っちゃダメですよ。浮気のひとつやふたつ、目くじら立てちゃいけません。何たって、相手はあの竹内さんなんですから。女優もモデルも選び放題の彼が、雪子先生みたいなトウが立って雲の上まで到達しちゃったようなオバサンを選んでくれたんですから、感謝の気持ちを常に忘れずに。それが夫婦円満のコツです」
「まー、スガちゃんたら、心のこもったアドバイスありがとう!!」
 慣れているのか、雪子は引き攣りつつも笑顔で菅井に応えたが、治まらないのは雪子の信奉者だ。自分とは真逆の意見に、眉を寄せている。

「お言葉ですけど、菅井さん」
「きゃ、薪室長!」
 薪に気付いた菅井は、たちまちしおらしい女性に変貌した。彼女は薪のファンなのだ。さっきは青木の陰になって、薪の姿が見えなかったらしい。

「雪子さんを妻にできるなんて、男にとってこれ以上の幸運はありません。雪子さんがどれだけ素晴しい女性か、ずっと雪子さんを支えてきたあなたなら解っているでしょう?」
「ええ、もちろんですわ、薪室長。なんてステキなお姿」
「そうです。雪子さんは世界一素敵な女性です」
「そのタキシード姿で竹内さんの隣に立ったら、最高の絵になりますわ。ああ、ウットリ」
「はい?」
「あの、ちょっとでいいですから花婿の控え室へ参りません? 並んだ写真を一枚。こないだの間宮部長とのスクープ以上に盛り上がるかも」
「はあ??」

 わけのわからない会話を繰り広げている二人を尻目に、雪子は青木を手招きした。
 動きづらそうな裾引きのドレスを引き摺りながら、パーテーションの向こうに歩いていき、自分の鞄の中から一枚のメモリーカードを取り出す。
「これ、あげる」
「なんですか? これ」
「証拠物件」
 にやーっと笑って、雪子はメモリーカードを青木に手渡した。純白のドレスが紫色に染まりそうな、清純な花嫁が浮かべるには妖しすぎる笑みである。意味がわからない。
 わからないが、雪子がこういう笑い方をするときはだいたい相場が決まっている。つまり、夜の生活のことだ。このメモリーカードは、その様子を録音したものなのだろう。

 青木の耳に、雪子はこっそりと耳打ちする。
「薪くんのあのときの声って、本当にすごい声ね」
「ど、何処で……まさか、盗聴したんですか!?」
「あら、人聞きの悪い。偶然に決まってるでしょ。ほら、去年青木くんの家に携帯落として」
 あの時だ。
 昨年の狂言自殺のとき、雪子を駐車場まで送って行ったあと、アパートで薪と愛し合った。
「何故か、仕事用の携帯と通話中になってて」
 発信したまま置いていったんでしょ、それ!!

「あんたたちの会話が丸聞こえに」
「三好先生。プライバシーって言葉、知ってます?」
「なにそれ? 食べられるの?」
 独り占めしておきたかった薪の声を雪子に聞かれたのは頭に来たが、どうして雪子がそんなことをしたのか、と考えればそれ以上怒ることもできない。

 雪子は、薪が心配だったのだ。
 荒療治が必要だと言いきった彼女は、それでもやはり薪のことが心配で。あの時の薪には必要なことだと思って実行に移したけれど、彼が深く傷つくであろうことは予想に難くなかった。そのフォローを青木がちゃんとしてくれるかどうか、心配でたまらなかったのだろう。
 だから、雪子にとってはその後のベッドは想定外のことで、聞くつもりなんかなかったのについ――――――。

「ケンカばっかりしてるかと思えば、あんたたちってラブラブなんじゃない。好きだの愛してるだの、よくあんなに繰り返せるわね?」
 ……わざとだ!
 細部まで聞いてるし、てか録音してる時点で明らかに計画的じゃないか!!

 確かに、このデータは貴重だ。
 薪が青木を好きだと言ってくれるのは、理性を失うわずかばかりの時間だけ。シラフのときには一度も言ってくれたことがない。ベッドの中でもいつも聞けるとは限らないのだが、あの夜はお互いの気持ちが昂ぶっていたから、薪は何度もそう口走っていた。
 しかし。

 はいどうぞ、と差し出された証拠物件を、青木は受け取ろうとしなかった。大事なのは録音された音声ではなく、それを叫んだ薪の心だ。
「要りませんよ。オレには本物がありますから」
 自分たちのセックスをDVDに録画するのが流行っているそうだが、青木はそういうことをする気はない。本音では興味もあるし、薪の美しい姿を映像に残したいという気持ちもあるのだが、薪にそんなことを言ったら半殺しにされる。このメモリーカードも喉から手が出るほど欲しいが、こんなものを持っていることが薪にばれたら確実に殴られる。

「でも、捜査が混んできたときには必要になるんじゃない?」
 さすが雪子だ。痛いところをつかれた。
 進行中の事件があるとき、薪は仕事の鬼になる。当然、青木はかまってもらえない。薪はもともと性欲が薄いほうだから、青木が仕掛けない限り自分からは求めてこない。それが何ヶ月続いても一向に平気だ。若い青木には地獄の日々である。
 そういうときは仕方なく、薪との情事を思い出して自分で処理をするわけだが、その時に役に立つ、と雪子は言いたいわけだ。
 雪子の言うとおり、これがあれば我慢しきれなくなって無理やり迫って、薪に投げ飛ばされることも減るかもしれない。
 だが。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

女神たちのブライダル(10)

女神たちのブライダル(10)








「薪くんの真骨頂も、ちゃんと入ってるから。まあ、本人は忘れちゃってると思うけど」
「え?」
 薪が我を失って身勝手な理屈を叫んでいたのは、まだ雪子が青木の家にいたときだ。ということは、初めから録音していた? もしかしたら、研究所に戻って輸血の道具を取ってくる、と言って外出したときに、すべての仕掛けを済ませていたのか?
 どうしてそんなことを、また何故あんな強引な方法を取ったのだろうと考えて、青木はあの事件の直後、雪子が竹内と婚約したことを思い出した。

「今度薪くんが馬鹿なこと言い出したら、それで黙らせなさい。動かぬ証拠よ」
 人の妻になったら、今までのように青木の面倒は見られない。雪子はこれから、竹内のことを一番に考えて生きていくのだ。これは、青木に残してくれた雪子の置き土産だ。

「ありがとうございます」
 本当に感謝している。薪が雪子に返しきれない恩があるように、青木も雪子に限りない優しさをもらった。強くてやさしくて美しくて聡明な女性。心から幸せになって欲しい。

 青木がメモリーカードを受け取って内ポケットに落としたとき、控え室のドアが再びノックされた。年配の女性が顔を出し、花嫁の友人たちに微笑みつつ会釈をする。初めて見るが、雪子の母親だろう。娘と良く似た強くてやさしい目をしている。
「雪子、早くしなさい」
「はーい。じゃあね、薪くん、青木くん。披露宴でね」
 母親に呼ばれて、雪子は控え室を出て行った。集合写真に親族の顔合わせ、来賓への挨拶に司会との最終打ち合わせ。花嫁は忙しい。今日一日は、食べる暇もゆっくり腰を落ち着ける暇もない。

 やがてアナウンスが流れて、結婚式の始まりを告げる。式場の敷地内にある小さな教会に人々が集まって、一組の夫婦の誕生を見届ける。
 祭壇の前に立ち、ふたりの男女は神父の言葉に誓いを立てる。集った人々は、その証人になる。指輪の交換をして誓いのキスをする。法一の仲間たちや第九の職員たちにも愛されていた彼女は、一人の男性のかけがえのない人になる。
 
 ふたりを祝福するために集まった人々は一足先に教会を出て、フラワーシャワーの準備をする。腕を組んで教会を出てきた主役たちに、歓声とともに色とりどりの花びらが降り注ぐ。
 花嫁のブーケがふわりと投げられ、一人の女性がそれを受け取った。次は彼女が主役になるのかもしれない。花嫁のブーケには、たしかそんな言い伝えがあったはずだ。

 誰もいなくなった教会内に、ひとり立ち尽くしている細い人影がある。亜麻色の頭を上に向けて、ステンドグラスを見つめている。
 つややかなくちびるが開いて、微笑みの形を作る。彼が笑いかけたのはおそらく、遥か頭上にいるはずの親友。そして新婦の昔の恋人だ。

「見てるか? きれいだろ、雪子さん」
 ―――― ああ、見えるよ。すごくきれいだ。
 一度も聞いたことのない彼の声が、青木にも聞こえたような気がした。

 ゆっくりと教会の中に戻り、薪が親友との会話を終えるのを待つ。薪はしばらくそのままでいたが、やがて青木に気がついた。
「三好先生、輝いてますよね。本当にきれいです」
「惜しいことしたと思ってんだろ。雪子さん、おまえに気があったんだぞ」
「だから、それは薪さんの誤解ですってば」
 青木はきっぱりと言い切ったが、本音では少しだけ、その可能性を考えたこともあった。
 でも、雪子はそれを口に出したことも態度に表したこともなかった。だからここは、薪の勘違いで通しておこう。どちらにせよ、自分にはこのひとしかいないのだから。

 薪はふっと遠い目をして、十字架に掛けられた神の化身を見上げる。その美しい横顔はこの場所に相応しく、限りなく穏やかで清廉だった。
「鈴木に振られて自棄になってたところを、雪子さんが助けてくれたんだ」
 このごろ薪は少しずつ、鈴木との過去を青木に話してくれるようになった。それは薪が、鈴木のことを大切な思い出として心にしまい始めている証拠だ。
「もう二度と鈴木の顔を見られないって思ってた僕を、鈴木のところへ連れて行ってくれた。雪子さんのおかげで、僕は鈴木と親友に戻れたんだ」
 薪は後ろを向いて、青木の目を見た。亜麻色の瞳がやさしく笑う。

「雪子さんはあの時から、ずっと僕の女神なんだ」

 それは薪の本心だった。
 薪は雪子のことを、とても大切にしてきた。雪子からもらったやさしさを糧に、つらい日々を乗り切ってきたのだろう。
 だから薪は、雪子に幸せになって欲しかった。例えあの事件が起こらなくても、薪の思いは同じだったはずだ。その幸せのためなら、自分の気持ちを殺してもいいと思うくらいに大切な女性。決して恋愛感情には変化しないが、この世で一番幸せにしたい女性。
 そんな男女の関係もあるのだ。

「三好先生が薪さんの女神なら、オレの女神は薪さんです」
「僕は男だから女神じゃないだろ、男神だろ。ヘラクレスとかアポロンとか」
「なんでみんなマッスル系なんですか?」
 自覚のなさは相変わらずである。そこが薪の面白いところなのだが。

 青木は薪に向かって、右手を差し出した。訝しげに瞬く亜麻色の瞳に、青木は騒ぎ出す心を抑えきれない。
「せっかく神さまが見ていてくれるんですから、ここで誓いを立てましょうか。薪さんを永遠に愛しますって」
「バカ。キリスト教はソドム禁止だぞ。そんなことしたら、地獄の業火で焼かれるぞ」
 決死のプロポーズを、薪はあっさりと拒否した。しかもバカ呼ばわりだ。

 青木は高々と掲げられた十字架を見上げる。すべてのものを受け入れた超越者の表情を見つめながら、祭壇の周りを回って薪のところに歩いていく。
「そうかなあ。真剣な気持ちで愛し合ってるって判れば、神様も納得してくれるんじゃないですかね。だって、愛と寛容の――――― 痛っ!」
 祭壇の裏側に置いてあった神父用の木製の台に、向こう脛を打ちつけてしまった。打った場所が場所だけに、思わずうずくまってしまう痛さである。
「ほらみろ。天罰テキメンじゃないか」
 薪が青木の方へやってくる。小さな手を青木の前に出して、薪は満面の笑みを浮かべる。以前は古い写真でしか見ることのできなかった、その希少な笑顔。

 差し出された華奢な手を掴んで、青木は彼を自分のほうへ強く引っ張った。バランスを崩した細い身体が、青木の上に倒れこんでくる。

「青木?」

 愛しい人の身体を抱きしめて、青木は神さまに宣戦布告する。
 できるものならやってみればいい。業火でも洪水でも起こせばいい。神さまからだって、この笑顔は守ってみせる。

 祭壇の陰に引き込んで、軽く口付ける。慌てる薪の顔がかわいらしい。
「バカ、おまえ。こんなとこで」
「永遠に愛してます。死がふたりを別つまで」
 青木の誓いに亜麻色の瞳が揺れて、困惑の表情が微笑に変わる。青木の好きな、少し意地悪そうな薪の貌だ。

「それはキリスト教徒の誓いだろ。僕のは」
 小さな両手が青木の頬を挟む。薪のきれいな顔が近づいてきて、つややかなくちびるが不遜に歪められた。
「死んでも僕を好きでいろ、だ」
 薪の傲慢さは果てしない。ソドムの罪より業(カルマ)のほうが重そうだ。

「神さまより厳しいですね」
「当たり前だ。おまえにとっては、神さまより僕の方がエライんだ。神さまは、こんなことしてくれないだろ」
 やわらかいくちびるが重なってくる。青木が仕掛けたような軽いものではなく、熱のこもったディープなキス。薪の手は青木のズボンにかかる。服の上からそこを撫でられる。嬉しいが、ここではさすがにヤバイ。
「薪さん、ダメですよ」
「僕は半端なことは嫌いなんだ。やるならとことんだ。でなかったら、初めからするな」
「……すみません」
「度胸のないやつ」
 ふふん、と嫌味な笑い方をして、薪は立ち上がった。

 これ以上何かしようとしたら、拳が飛んでくるに決まっている。キスより先のことをする気など自分でも毛頭無かったくせに、要は自分が優位に立てればこのひとはそれで満足なのだ。まったく困ったひとだ。これから一生、自分はこのひとに振り回されるのだろうか。
 どうやら、それは確定らしい。
 一生傍にいろと言われてしまったのだ。薪が結婚しても、誰かを好きになっても、一番近くにいるのはおまえだと命令されてしまった。警察官にとって、上司の命令は絶対だ。逆らうことなど思いもよらない。

 青木は、自分の受難を歓喜と共に噛み締める。
 死んでも薪を愛し続けることを、神さまの前で誓わされてしまった。神さまもさぞ困ったことだろうが、この際検察側の証人になってもらおう。薪のことだ。これからだってどんな勘違いをして何を言い出すか、わかったものではない。その時、薪の口から青木を遠ざける言葉が出た際には、雪子のくれたメモリーカードと共に、この証言がモノを言うのだ。
 そのときはよろしくお願いします、と心の中で頼み込んで、青木は教会の入り口に目をやる。薪は青木を置き去りにして、もう教会を出て行くところだ。

「青木、早く来い。披露宴が始まるぞ」
 岡部が教会の入り口で、青木を呼んでいる。青木たちを迎えに来てくれたらしい。
「よーし、今日は朝まで飲むぞ。岡部、付き合えよ」
「あんまり飲みすぎないで下さいよ。薪さんの場合は、周りのほうが大変なんですから」
「これが飲まずにいられるか! 雪子さんを竹内なんかに奪られたんだぞ、あんなゴミみたいな男にっ!」
「はいはい」
 岡部と一緒にさっさと歩いて行ってしまう薪の背中を追いかけて、青木は走り出す。建物を一歩出ると、強い日差しが肌に突き刺さるようだ。

 6月の空は眩しく晴れ上がって、蒼く蒼くどこまでも澄み渡っていた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

女神たちのブライダル(11)

 こちらは以前お目汚ししました、『幸せな薪さん』のコピーです。
 もともとあのSSは、この話のエピローグだったので。


 最終章です。
 読んでいただいてありがとうございました。(^^






女神たちのブライダル(11)






続きを読む

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
メロディ6月号、読みました。
一言感想 「どひゃー……」
文字サイズをお選びください
最新記事
最新コメント
拍手のお返事
いつもありがとうございます!

最新拍手コメのお返事はこちらです。

過去の拍手レスの確認は、該当記事の拍手欄を押してください。
鍵拍手コメのレスは、記事のコメント欄にお返しします。
月別アーカイブ
カテゴリ
詩 (1)
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
QRコード
QRコード
FC2カウンター
こんにちは(^^
現在の閲覧者数: