もしも彼らが出会ったら

 ものすごくバカバカしい内容なので、隠してみました。
 誰にも見つかりませんように。(???)



 こちらはお話ではありません。
 ストーリーは全然なくて、ただ、鈴木さんと青木さんが会ってお喋りしたらどんなんかしら、と思って書いてみただけです。
 書いてみましたら。
 すっげーギスギスフィーリング(笑)

 だってうちのふたりだもん、仕方ないよなー。
 愛情溢れる美しい世界がお好きな方にはすみません、その他にもいろいろすみません。
 あんまりヒドイので隠しましたが、見つけてしまわれた方は、どうか広いお心で。

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テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ニアリーイコール(1)

 こんにちは。


 こちら、先月書きました雑文です。 (あ、また予告とちがう)
 ストーリーのないお話なので、だからとってもつまんないんですけど、実はこれ、
 6月号を読まれたあおまきすとさんならみんな気になってると思う、
『青木さんと薪さんの気持ちは絶望的にすれ違っている。 これであおまき成立と言えるのか』
 という命題に対するわたしなりの答えでございます。
 なので、8月号が発売される前に公開しておきます。 
 いえ、8月号でちゃぶ台返しはないと思いますけど、一応念のため。(←だって何度もイタイ目に遭ってるから(^^;)


 雑文はね、いつもこういう感じで、原作を読んで何かしら思ったり、音楽を聴いてあおまきさんに転換&妄想したり、そんな他愛もないことで生まれてくるんです。 
 本来なら、レビューにしたり日記にしたりして公開するものなんでしょうけど、わたし、日常の文章はどうも苦手で~、SSにしたほうが、自分の気持ちがちゃんと文章になるような気がします。 少なくとも、文を書いてる途中で自分の考えが分からなくなったりしない。 ←もうバカとしか……。
 ということで、よろしくお願いします。

 なお、こちらのふたりは付き合って6年越え。
 将来を誓い合っちゃった後だと思って読んでください。






ニアリーイコール(1)






「カエルの声がする」
 そう言って薪は、不愉快そうに眉をしかめた。

 せっかくの露天風呂なのに、蛙の鳴き声がうるさくてゆっくりできなかった、とこぼしながら、濡れた髪を拭き始めた彼の手から青木がタオルを取り上げたのは、その拭き方があまりに乱暴だったからだ。
 そんなに手荒に扱ったら、細くてやわらかでサラサラの、青木の大好きな彼の髪が傷んでしまう。濡れた髪は、とても傷つきやすいのだ。薪はこんなにきれいなのに、自分の美貌を維持することに無頓着すぎると青木は思う。
 備え付けのソファにすとんと腰を下ろし、後ろに立った青木に髪を拭いてもらいながら、薪は軽く舌打ちする。
「青木、窓閉めろ」
 そんなに気になるのだろうか。田舎育ちの青木には、田んぼの畦道で懸命に鳴く両生類の声は懐かしく、子供の時分を思い出したりして、いっそ愛しく聞こえるのだが。

「閉めたら暑いですよ。今時期はまだ、冷房入れてないんですから」
「ったく。東京なら、こんな不愉快な思いをしなくて済むのに」
 休暇を利用して、T県に来ている。薪がナイトサファリに行きたいと言うので、土日を利用した小旅行と相成った。ここはサファリパークの近く(と言っても車で20分ほど走ったが)にある小さなペンションで、6月からでないとエアコンのメインスイッチは入らないようになっている。
 そんな不自由なペンションをどうして青木が選んだかと言うと、実はこの宿は全室掛け流し温泉露天風呂付き、「カップルで泊まりたいペンション(関東圏)ベスト5」にランクインしているのを旅行誌で読んで知っていたからだ。しかし、その記事にはエアコンの記述はなかった。蛙の声がこんなに煩いことも。泊まってみないとわからないことはけっこうある。

「来るんじゃなかった、こんな田舎」
 サファリパークでは大はしゃぎだったくせに。相変わらず勝手なひとだ。
「風情があっていいじゃないですか。カエルの大合唱なんて、東京では聞きたくても聞けませんよ」
 薪の憤慨を軽くいなしながら、青木はドライヤーの用意をする。薪の我儘は今に始まったことではない。この位の不満声でいちいち慄いていたら、彼の恋人は務まらない。

「あれのどこが風情だ。ただの騒音だろうが。あまりに喧しくて、早々に引き上げざるを得なかった」
 1時間も風呂に浸かっていたら充分だと思うが。
「月がすごく綺麗だったのに」
 可愛らしく唇を尖らせる薪の髪に、指を埋めながら青木は、
「まあまあ。薪さん、カエル、お好きでしょう? だったら大目に見てあげましょうよ」
「好きじゃない」
 また心にもないことを、このひとは。
 薪は動物が大好きで、だから手っ取り早く彼のご機嫌を取りたいと思ったら、動物園に連れて行くのが一番簡単で確実な方法だ。園内にある爬虫類のブースで、子供に紛れやすいようにラフな服装をした彼が、アクリルの透明な板に鼻先を付けんばかりにして色鮮やかな両生類を凝視している様子を、青木は数え切れないくらい目撃している。
 よって青木には、薪が明らかに虚言を発していると分かったが、目撃証言を元に彼のウソを暴くようなことはしなかった。そんなことをしたら逆ギレされて、2階の窓からガラスごと蹴りだされかねない。

「そうでしたっけ?」
 曖昧に疑問を投げかけるだけにとどめて、薪の髪を乾かし始める。
 最初は地肌から。髪の根元を持ち上げるようにして、襟足に温風を送る。傷みやすい毛先からかけてはいけない。ドライヤーをかける目的は、速やかに頭皮を乾かすことによって雑菌の発生を防ぐことだ。
 青木の左手は薪の短い髪を丁寧にほぐし、その右手はドライヤーの先端を小刻みに動かす。同じ箇所に長く当ててはいけない。熱による髪のダメージを低く抑えるためだ。
 行きつけの美容室で教えてもらったことを思い出して、青木は注意深く恋人の髪を乾かしていく。濡れた髪はつやつやと光って、普段よりもいくらかダークな色合いに見える。その水分が青木の手に移り、部屋の空気に移り、やがて薪の髪はいつもの輝きと手触りを取り戻す。

 こんなにきれいなのに、と青木は再び独語する。
 薪の行きつけのヘアサロンが、警視庁内の簡易床屋だなんてあり得ないと思う。髪形だって、こんなありきたりの短髪じゃなくて、カリスマ美容師とかがいる店で流行の髪形にカットしてもらったらどんなにか彼の美貌を引き立てることか。てか、今どき床屋って。岡部や曽我でさえ近所の美容室を利用しているというのに。尤も、曽我の場合は美容室の女の子が目的のようだが。
 でも以前、美容室を使うよう薪に進言したら、何故かものすごく怒られた。「おまえは僕をアクマの巣窟に放り込む気か!」とわけのわからないことを言われたが、あれはどういう意味だったんだろう。薪の言動は、ときどき理解不能だ。

「カエル自体は嫌いじゃない。鳴き声も単体なら、おまえの言うところの風情を認めよう。でも集団になったときの、あの競い合うような浅ましい鳴き方は嫌いなんだ。おまえ、あいつらが今、何のために鳴いてるか知ってるのか」
「知ってますよ。メスを呼ぶためでしょう」
 孔雀がその美しい羽根を広げてメスを魅惑するように、カエルは鳴き声で異性を惹き付ける。そう思うと彼らの騒がしい声も、情緒的な響きをもって聞こえてくるから不思議だ。
「暗闇の中、声だけを頼りに愛する人を見つけるなんて。ロマンティックじゃないですか」
「なにがロマンティックだ。おまえはそれでも警察官か。暗闇に紛れてあいつらがやってる犯罪行為を見逃すのか」
「なんですか、カエルの犯罪って」
 のどかな田園風景を演出する陰の役者たちに掛けられた疑惑に青木が首を傾げると、薪は、ふん、と高慢に笑った。この仕草、普通の人間がやったら絶対に鼻につくと思うのだが、薪がやるとどうしてこんなに可愛く見えるんだろう。

「蛙の鳴き声にも巧拙があって、上手に鳴く蛙には、メスがたくさん寄ってくるんだけど」
「アイドル歌手は人気者ですか。人間と同じですね」
 美声でイケメンのアイドル歌手に熱を上げる女性たちを連想して、青木は苦笑した。人間も蛙も、女性と言うのは基本的に同じなのかもしれない。しかし薪は、とんでもない、と言うように首を振って、
「これは人間の女性がアイドル歌手に群がるミーハー心理とはまったく別のものだ。賢い彼女たちは、種全体を繁栄させるため、より強い子孫を残すため、どうしたらいいかを考えて行動している。彼女たちの接近は対象の表面的なものに惹かれてるんじゃなく、強い鳴き声の個体は生命力も強いはずだと判断した上でのアプローチなんだ」
 そうなのか、知らなかった。
 蛙にそこまで考える能力があるわけないから、これはDNAに組み込まれた行動パターンのひとつに過ぎないのだろうけど、逆にそれを本能的にやってのけるところが動物のすごさで、薪が動物たちに敬意を払う理由のひとつだ。
 どうだ、彼女らはすごいだろう、と自慢げに瞳を輝かせて、薪は蛙のラブアフェアの講義を続ける。

「でも人間と同じで、彼らも喉を鍛えるにはある程度の年月が必要だ。だから、メスを引き寄せられるような魅力的な声が出せるのは、たいていは身体の衰え始めた年寄り蛙なんだ。
 反対に、身体機能は盛んでも、若い蛙は弱々しい声しか出せない。これではいくら頑張って鳴いても、メスは寄って来ない。
 で、若い彼らはどうすると思う?」
 使い終わったドライヤーを元の位置に戻しながら、青木は「さあ?」と首を捻った。ソファに座った薪は身体を捩り、左腕をソファの背もたれに載せて、
「年寄り蛙の側に隠れていて、寄ってきたメスの上に有無を言わさず乗っかっちゃうんだ」
「えっ。じゃあメスは騙されて、目当ての蛙とは違う蛙の子を身篭ってしまうわけですか?」
「そうだ。これは明らかな詐欺罪、しかも相手の合意なくコトに及ぶわけだから、強姦罪も適用される」
 カエルの世界に法律があったとして、それを証明するのは限りなく不可能だと思われるが。だいたい、レイプは申告罪だ、ていうか、どうやってカエルから調書を取るのだ。
「蛙の大合唱の裏では、女性の尊厳を脅かす犯罪が横行しているんだ。実に許しがたい。検察として、死刑を求刑したいくらいだ」
 カエルに裁判制度があったとして、以下略。

「薪さんて本当に、色んなコトを知ってますね」
「当たり前だ。僕はおまえより12年も長く生きてるんだ。知識も12年分多くなかったらおかしいだろ」
 年長者は物知りで当たり前。薪のこういう考え方が、とても好きだ。
 薪は天才だけれど、それ以上に勤勉だ。激務をこなしながらも、毎年、自分に何かしらのスキルアップを課している。それは語学の習得だったり武道の嗜みだったりするが、決して現況に満足せず、より高い位置を目指して努力をし続ける彼の生き方を青木は尊敬している。

 すっかり乾いた髪を軽くかき上げて、薪はソファから立ち、窓辺に寄った。窓から入ってくる弱い風にも揺れる、彼の亜麻色の髪は天女が纏う羽衣みたいだ。耳にかけていない毛先の風に遊ぶ様が、重さを感じさせないその動きが、そんな幻想を青木に抱かせる。
「彼女たちの英知を嘲笑うみたいなからくりを思うと、この声が詐欺師の哄笑めいて聞こえる。だから僕はこいつらの合唱は嫌いなんだ」
 それは不正を憎む薪らしい憤慨で、青木は彼のそういう頑なさが大好きだったけれど、これが原因で薪の機嫌が悪いまま夜が終わってしまうのはどうにもやりきれなかったので、被告側の弁護に立つことにした。

「でも、若いオスの精子の方が、受精の確率も強い子孫になる可能性も高いんじゃないんですか?」
「それは結果論だろ、僕は彼らの奸計が許せないって……いや」
 薪は最初、青木の意見に一層怒りを高めるように激しく振り返ったが、ふと言葉を止めて、
「もしかしたら、彼女たちはそこまで計算してるのかも……うん、確かに、それが一番効率がいい方法だ。そうか、気が付かなかったな」
 考えるときのクセで右の拳を口元に当てた薪は、ふむ、と頷いて青木の方へ身体を向けた。窓ガラスを背にした彼の背後に、白いバスローブを着た彼の背中が映っている。

「なるほど、おまえの説にも一理ある。ていうか、そっちの方が正しいんだ、きっと。やっぱり彼女たちは賢いな」
 そんな言葉で、薪は青木の珍説を支持してくれた。それから窓枠にもたれると、月を見上げながらさばけた口調で、
「結局、見てくれに騙されてバカを見るのは人間だけってことか」
「そうですねえ。何だかんだ言って、男も女も美人の方がモテますからね。人間、見た目じゃないって言いますけど、あれって絶対にウソ……」

 外見に心を左右される人の滑稽さを揶揄する薪の言葉に、青木は追従し、しかし重大なことに気付いて口を閉ざした。
 それから自分の罪深さに初めて気付き、ぞっと背筋を粟立たせ、今までそのことに思い至りもしなかった自らの愚かさに嘔吐しそうになった。
 軽い眩暈に襲われて青木は、その場に膝を付きそうになった。が、薪に心配をかけるわけにはいかないと咄嗟に踏みとどまり、さりげなくソファの背もたれに手を置いて自分を支えた。
 青木が途中で言葉を切ったので、薪は視線をこちらに寄越した。先刻まで月を捕らえていたその瞳に青木を映して、話の続きを促すように軽く微笑んでいる。

「……オレも、風呂に入ってきますね」
 青木が話題を変えたので、薪はちょっと面食らったようだったが、すぐに気分を切り替えてそれに応じた。
「じゃあ、僕ももう一度入ろうかな」
「そんなに続けざまに入ったら湯疲れしちゃいますよ。もう少し、インターバルを置いてください」
 薪の申し出を、彼の身体を気遣う振りで体よく断って、青木は部屋を出た。一人になりたかった。
 狭い廊下を浴場へ向かう青木の足取りは、牢獄へ帰る囚人のように重かった。





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ニアリーイコール(2)

ニアリーイコール(2)




 蛙の声が聞こえる。
 内風呂はそうでもないが、露天風呂に来るとひどく耳につく。薪が言ったとおりだ。
 その声は、青木に自分の罪を思い知れ、と弾劾するかのように強く激しく、飽くことなく繰り返された。

 薪が彼らの秘め事について教えてくれたとき、青木の頭に浮かんだのは、過去の自分の行いだった。
 自分は、薪の昔の恋人にそっくりなこの顔を利用して薪に近付いた。
 偶然顔が似ていた、それだけじゃない。雪子から聞いた薪の過去や鈴木との様子を参考にして、彼が鈴木を思い出すであろうシチュエーションを用意してまで、彼の心を自分に向けさせようと画策したのだ。白百合の花束や食べ物の好み、鈴木の無邪気さ、遠慮のなさ、それらは雪子から得た情報で青木が意図的に作り出した偽りの青木の姿だった。

 それは紛れもなく薪が憎む不正の一種で、そんな方法でしか彼にアプローチできなかった愚かしい自分を、青木は今こそ殴りつけたかった。
 彼に近付きたくて、自分のことを見て欲しくて、それがどんなに欺瞞に満ちた行為だったか、あの時は気付かなかった。あの頃、いつも青木は鈴木のことを意識していた。薪の前で、鈴木ならこうしただろうと思われる行動をわざと取った。そうすれば薪は断れない、鈴木にそっくりの自分を拒否できない、そこまで計算していた。

 自分は彼に関心を持ってもらうために、彼の大切な思い出を利用した。
 薄汚れた詐謀で、薪の一番大事なひとを汚した。

 鳴き上手な同胞を利用して自分の欲望を満たす狡猾な雄蛙のように。
 自分も、彼らと同じことをしてきた。薪が対峙したときに平常心を失うこの世でただ一人の人物の虚像を使って彼に近付き、最終的に彼を手に入れた。浅ましさと欲にまみれた行為。自分と彼らと、どこが違うのだろう。

 ――――― 昔の話だ。
 青木は自分にそう言い聞かせる。
 
 今は違う。鈴木を意識したりしていない。それに、そのことではちゃんと報いも受けた。ベッドの中で鈴木に間違われて……よくよく考えたら、自分は怒れる立場ではなかったのだ。自分は「昔の恋人にそっくりな男」という触れ込みで薪の心に入る作戦を立てていたのだから、当然の帰結だったのだ。
 あの時は青木だって辛かった。それでチャラでいいじゃないか。

 だけど。
 薪はそのことに気付いていない。薪は青木の謀に乗せられただけ、なのにあんなに自分を責めて、何ヶ月も責め続けて。
 ベッドの中で、申し訳なさそうに瞳を伏せていた彼を思い出すと、今でも胸が痛む。
 彼が悪いのではないのに、悪かったのは自分なのに。
 やってしまったことは取り返せないし、現在はこうして上手く行っているのだから、蒸し返すことは得策ではない。薪だって、今更そんなことを言われても困惑するだけだろう。
 分かっているのに、どうも気持ちが悪い。腹の底がムズムズして、落ち着かない。薪の顔が真っ直ぐに見られない。

「おまえにしては、長湯だったな」
 風呂から上がって部屋に戻った青木に、読んでいた文庫本の頁から顔を上げて笑いかけてくれた薪に、ぎこちなく微笑み返して青木は備え付けのサニタリーに入った。青木が入ると一人で満員になってしまう狭い空間で、肘に当たる壁を気にしながら髪を乾かす。
「夜が更けたせいかな、蛙の声が低くなったみたいだ。空気も冷たくなってきたし」
 薪は文庫本を閉じて、ソファから立ち上がった。テーブルの上に本を置くと、スタンドの灯りを消して、常夜灯に切り替えた。
「涼んだら、窓を閉めておけよ。僕はもう休むから」
 そう言ってベッドに入った。

 髪を乾かし終えると、青木はソファに座り、天井の常夜灯を見上げた。後頭部を背もたれに載せ、ぼんやりとオレンジ色の光を眺める。
 しばらくそうしていても、薪の寝息は聞こえてこない。ベッドの中で自分を待ってくれているのだろうな、と思ったけれど、青木はソファから動く気になれなかった。

 薪が寝返りを打つ音が聞こえた。後ろ頭に、視線を感じる。こちらをじっと見て、慎ましく青木を待っている。
「青木、まだ暑いのか?」
 焦れたらしい。
「薪さん、ベッド使ってください。オレ、こっちで寝ますから」
「どうしたんだ?」
 青木の返答にびっくりして、薪はベッドから青木のいるソファにすっ飛んできた。薪が驚くのも無理はなかった。土曜の夜に外泊して、そこで別々に休むなんて、初めてだ。何事かあったと思うのが普通だろう。

 青木が返答に迷っていると、薪はちょこんと青木の隣に腰掛けて、青木の顔を覗き込んだ。思わず青木が眼を逸らすと、薪も視線を外し、青木と同じように背もたれにその身を預けた。青木がそっと彼の様子を盗み見ると、薪の澄ました横顔には亜麻色の瞳だけが不安げに揺れていて。きっと恋人が急にふさぎこんだ原因を探っているのだろう、でもさっぱり分からなくて困っている。

 貴重な休日に薪を連れ出しておいて、その上彼に気を使わせるなんて申し訳ない、と青木は思う。
 ごめんなさい、薪さん。こんなことで凹むなんてオレらしくない、明日になったら元気になりますから、すみません、今夜は放っておいてください。

 心の中で謝るが、そんなものは自分への言い訳にしか過ぎなくて、だから彼に伝わるはずもない。青木の心中を知りようのない薪は、惑い、思案し、不安になって、彼にしてみれば精一杯の行動に出る。
 細い指が、青木が着ているバスローブの紐にかかった。大抵のことなら青木はこれで機嫌を直す、と薪に思われているに違いない。たしかに、日常のちょっとした落ち込みなら喜んで誤魔化される青木だが、今日のは事情が違う。
 結び目を解こうとした薪の手を、青木は自分の手で制した。拒まれたことに驚いた薪の瞳が丸くなる。

「青木?おなか痛いのか?」
 …………オレが拒む原因て、薪さんの想像では腹痛しかないんですね……。
「いいえ、どこも痛くないです。でも、ペンションは壁が薄いから。声が隣に聞こえちゃいますよ」
 ここは角部屋で、隣の部屋は空き部屋で、そんなことは最初からチェック済みだったけれど、青木は敢えて知らない振りをした。欺瞞の象徴とされる声を聞きながら、欺瞞で彼に近付いた自分が、彼に触れるのは許されない気がした。
「……抑えるから」
 気が付いてみれば、薪はまだバスローブのままでいて、その下にはシャツも着ていない。薪もちゃんとその気でいてくれて、でも今の青木には、そんな彼の健気さが息苦しかった。

 自分の気持ちを吐き出せば楽になる、きっと薪は許してくれるとも思った。だけどそれはあまりにも利己的な考えで、正直と言えば聞こえはいいが、薪のやさしさに頼り切った卑怯者の行動だ。聞かされた薪の気持ちを考えたら、絶対に口にすべきではない。

 鈴木の存在は薪にとって、魂の奥深くに大切にしまった至宝だ。
 薪がどれだけ彼を愛していたか、別れてから十年の上もその想いを捨てきれないでいた、その事実を知りながら、青木は薪の消すことのできない恋情を利用した。自分は、薪の一番大切なものを穢したのだ。

 最も許しがたいのは、と青木は激しく胸を疼かせる。
 今の今まで、己の罪を知ることもなく、のうのうと彼の傍で、彼に愛されていたことだ。気付かなかった、知らなかった、それは免罪符ではなく、最も深い罪だ。

「青木?!」
 薪の驚いた声が聞こえて、青木は初めて自分の頬に涙が伝い落ちていたことを知る。慌てて手で隠すが、薪の心配は一気に加速して、
「そんなにお腹痛いのか?待ってろ、オーナーから薬もらってくるから。いや、医者に行ったほうがいいかな、よし、いま救急車を」
 得意のカンチガイが始まった。

「違います! どこも痛くないですから!」
「じゃあ、どうして泣いてるんだ?誰かに苛められたのか。もしかしてあれか、3つ隣の部屋の若いカップルか。すれ違いざまにおまえのこと、ウドの大木とか言って笑ってたやつら」
 思い込んだら即行動の薪の手から携帯電話を奪い取って、一安心と思いきや、数秒の間もおかず次のカンチガイループに走りこむ。頭の回転がよすぎるのも考えものだ。
「よし、僕が百倍にして返してきてやる!」
「え、オレ、そんなこと言われてたんですか? てか、違いますから!」
 ドアノブに手をかけた薪を後ろから抱きしめるように留めて、青木は焦る。
「今、彼らの部屋に飛び込んだら大変なことになりますよっ!!」
 多分訴えられると思う、絶対にそうなると思う、だってこのペンション、全室ダブルベットのカップル仕様になってるし、そういう時間だもん!

「じゃあ、なんなんだ」
 青木の腕の中で、若魚が跳ねるようにくるりと身体を反転させて、薪は青木の両頬を両手で挟んだ。そうして自分から眼を逸らせないように青木の顔の向きを固定すると、容赦なく尋問用の厳しい視線をぶつけてきた。
「何をグダグダ考えてるのか知らないけど、考えすぎるとロクなことがないぞ?おまえはバカなんだから、仕事以外で無理に頭使うな。負荷を掛け過ぎるとニューロンがショートして、耳から煙が出てくるぞ」
 薪の漫画みたいな喩えに、青木はつい頬を緩める。振動が彼の手のひらに伝わって、それでようやく薪は吊り上げた眉をなだらかにしてくれる。

 平常に戻った形の良い眉の下に、叡智を宿す宝玉がふたつ。今それは、青木の沈痛と薪の不安を映して、かすかに震えている。
 薪に、こんな瞳をさせてはいけない。

 自分が楽になりたいだけかもしれないけれど、彼の憂いを増やすことはしたくない。それでまたひとつ自分の罪が増えることになっても、それはすべて自業自得だ。
「薪さん、ごめんなさい。オレ……あいつらと一緒です」
 あいつらって?と薪は首を傾げ、鸚鵡返しに訊いた。
 曖昧な表現だったな、と青木は反省し、薪に分かるように直接的な言葉を選んだ。

「騙したんです、あなたのこと」




*****

 原作の青木さんて、けっこうこういうとこあると思うの。
 彼は、薪さんの想いに気付かない。 雪子さんがあそこまで口にしているのに、気付こうともしない。 
 鈍いというわけではなくて、自分の中にないものは想像するのが難しいから、そういうことなんだとは思うけど、それもまた罪だなって。
 そういう青木さんだから薪さんも惹かれたのでしょうけどね。




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ニアリーイコール(3)

 こんにちは。

 明日はメロディ発売ですね。
 あー、緊張します……!!!
 6月号に比べたら、楽なもんですけど。 (←明るい未来しか考えてません)
 たーのーしーみー♪♪


 すでにご覧になった方も多いと思いますが、
 先日、『晴れときどき秘密』のみひろさんが、『天国と地獄』に登場する裸ワイシャツの薪さんを描いてくださいましたっ!! 
 この薪さんが、えらい色っぽくていらして、まあなんですか、うちの男爵とは大違い! 眼福とは正にこのこと!!

 まだご覧になられていない方は、ぜひぜひ飛んでみてください!! → (裸ワイシャツ薪さん
 
 




ニアリーイコール(3)





 何が原因だったのか、薪には見当もつかなかった。
 さっきまで機嫌よく話をしていて、薪の髪を乾かしながら首筋に触れ肩に触れして夜のサインを送ってきていた恋人が、突然その矢印の向きを変え、ベッドで待っている自分に見向きもしない。と思ったら突然懺悔を始めて。彼の中でどんな変異が起きたのか、薪には全く理解できなかった。

「薪さんが」
 薪は青木をベッドに座らせて、黙って手を握った。薪の手を握り返して、青木はとつとつと言葉を紡ぎだした。
「薪さんが鈴木さんのこと好きだったの、最初から知ってました。オレは薪さんに好いて欲しくて、オレに関心を持って欲しくて、鈴木さんとそっくりのこの顔を利用したんです」

 青木の言っていることが、薪にはよくわからなかった。
 どうして今になってそんなことを。それは確かに、薪が青木に心を惹かれた大きな要因だった。でもきっかけなんかどうだっていい、大事なのは今の気持ちじゃないのか。
 あほらしい、と薪は思ったが、そんな取るに足らないことを気に病む彼の純真が愛おしくもあった。こいつは本当にかわいいと、風呂上りで下ろした彼の前髪に、薪はやさしく手を差し入れた。
 滑らかな額を指先で撫でて、それは人に慣れない子猫の額をそっと撫でるように細心の注意を払って、怖がらないように、安心させるように、指先から僕のこの想いが彼に流れ込むようにと祈りを込めて、薪は彼の額を慈しむ。

「青木。あんまり僕を見くびるな。僕が外見に騙されて、そいつに心を奪われるような愚か者に見えるのか」
「普通なら惑わされないと思いますけど。薪さん、鈴木さんのことになると人が変わるから」
 ……………否定したいけどできない。

「おまえはそんなことはしていない」
 非難されるべきは自分のほうだ、と薪は思う。
 青木の中に、彼を探していた。ずっとずっと、彼の面影をこいつに求めていた。青木はそれを読み取って、僕の我欲を満たしてくれただけ。

「おまえが意識的に鈴木を装ったのは、あの時だけだ。僕を慰めてくれた」
 第九にやってきた女子職員の策謀に巻き込まれた時のことを思い出して、薪は言った。

 その時は何も考えられず、親友にするのと同じ行動を取ってしまった薪だが、後になって色々と考えた。
 一番最初に、青木はつらかっただろう、と思った。
 僕はあのとき、青木を見ていなかった。僕の身体を抱きしめて慰めてくれたのは、鈴木だった。
 自分が誰かの代わりにされる、それはどんなにか人の心を傷つけることだろう。それが分かっていながら、青木は自分のために己の存在を捨ててくれたのだと知って、薪は彼に傾く気持ちを抑えることができなくなった。
 そうして彼を愛し始めたはずなのに、それからも僕は……青木が鈴木とは全くの別人だと、どんなはずみにも間違えることがなくなるまでには何年もかかった。

 青木はそんな僕を、許してくれた。変わらず愛してくれた。
 その彼を、例え彼と出会ってから今まですべてが偽りだと知らされたとしても、僕が許さないなどあり得るだろうか。
 今現在、青木が僕を騙していてさえ、僕は彼を許す。彼の愛情は疑うべくもないけれど、それは僕の彼へと向かう気持ちには何の関係もないこと。

 僕たちの想いはいつもどこかしらすれ違っていて、理解し合えたと感じた時ですら完璧なイコール記号では結べない。どちらかが僅かに大きかったり、ベクトルの方向がコンマ1ミリほどずれていたりして、そこにあるのは必ず、イコールの上下にドットマークのついたニアリーイコールの記号だ。
 今だって、彼は僕にはまったく理解のできないことでしょぼくれて、せっかくの夜を台無しにしようとしているし、僕は僕でそんな彼に同調することもせず、泣きべそをかいた彼をとても愛おしいと思っている。

 いま、僕たちの想いは見事なまでにすれ違っている。
 だけど僕たちの根底にあってそれぞれの想いを生み出しているものはドットマークとピリオドほどに相似していて、青木の憂鬱も僕の中に突き上げる衝動も、そこから派生したもの。それを思えばこんな具合に、てんで勝手な方向を向いた自分たちでさえもニアリーイコールで包括できる。
 こんな状況をとても幸せだと感じる僕は、数学者にはなれないのだろう。

「あの時だけじゃないんです。初めて薪さんにデートしてもらった時だって、鈴木さんから白百合の花を贈られていたって聞いて、それで」
「そういうのは利用したって言わない。だれだって最初は好きな人に気に入られたくて、相手の好みにあった行動を取ろうとするだろう?それは好かれる努力であって、奸計じゃない」
「オレのはそんなかわいいもんじゃありません。薪さんにとって、鈴木さんの思い出がどれだけ大事だったか、知っててオレは」
 青木の目の縁に浮いて留まっていた水の粒が、張力の限界を超えて零れだす。それを指先で拭ってやりながら、薪はとても満たされた気分になる。自分の前で感情をさらけ出してくれる、それは彼の信頼の証。

「僕が違うと言ったら違うんだ。おまえ、僕に意見する気か」
「そうじゃありませんけど、でも」
 未だに薪の眼を見ようとしない青木の黒い瞳を覆うのは、透明な水膜。それは悲しみなのか口惜しさなのか、何を嘆くのか何に憤るのか。
「オレは……自分のしたことが、それに気付きもしなかった自分が許せなくて」
 ずっと昔、目の前で青木に大泣きされたときのことを思い出して、薪は頬に浮かぶ微笑を抑えられない。あの時はうろたえるばかりだった自分が、今はこんなに落ち着いている。彼を慰められる自信がある。元気付けてやれる自信がある。

 他人の哀楽を自分が操れると思うなんて、と嘲笑いたくば笑え。笑われても僕は平気だ、何故なら。
 僕の傲慢は彼の愛を信じていることの証明であり、僕が彼を愛していることの履行に他ならない。

 だから僕は、どこまでも高飛車に彼の心を支配する。
「僕が許してやる」

 あくまでも高慢に、明らかに上からの目線で、薪は言い放った。
 亜麻色の瞳に宿らせた熾烈な輝きは、見るものすべてに激しい沈黙を強いる。青木の意識は一瞬で彼に吸い込まれ、自分がどうしてあんなに悲しい気持ちになったのかを忘れそうになる。

「おまえがおまえ自身を許せなくても、僕が許してやる。この僕が」
 許すと言う言葉は正当ではない。そう思いながらも、薪は続けて宣告する。
「全部、許してやる」

 許すのではない、僕は、『享受する』のだ。
 青木にされることならどんなことでも、喜びをもって受容する。彼の根底にあって彼を僕へと向かわせるもの、その正体を僕は知っている。それは僕の中にもあって、青木のそれと双子のように似ている、枝葉に差異はあっても本質は同じもの。
 同じ場所から生まれてきてそれぞれの中で育って、大きく大きく成長して、今僕たちを包み込んでいるもの。
 それさえ感じ取ることができたら、他には何もいらないと薪は思う。

「反論は」
「……ありません」
 青木は素直に引き下がった。
 よし、と頷いて、涙の乾き始めた若い頬に薪は愛しく接吻する。少しだけ塩辛い、これも青木の味。
 気がつけば、5月の夜はすっかり更けて、開け放した窓からは湿気た夜気が流れ込んでくる。薪は窓から首を出して中空に上った月を眺め、その美しさに満足して窓を閉めた。
 それからベッドに横たわり、左手を真横に広げ、右手で軽く自分の二の腕を叩いた。

「今日は特別だ。僕が腕枕してやる」
 えっ、と青木が目を丸くするのに、強く睨んで反問を許さない。
 おずおずとベッドに乗ってきて、こわごわと薪の腕に自分の頭を乗せて、青木は心配そうに訊いた。
「重くないですか?」
「おまえのノミの脳みそなんざ、重いわけないだろ」
「オレ、男のひとに腕枕してもらったの、初めてです」
「だろうな」

 青木に上目遣いに見られて、薪は庇護欲を掻き立てられる。遠慮がちな瞳で自分を見上げてくる彼は、自分の未来を知らない子供のようだ。いとしくて、抱きしめたくて、薪は自分の右手が彼の頭を抱くのを止められない。
 横向きになって、青木の頭を胸に抱え込む。黒髪からはフレッシュグリーンの香りがして、薪は今宵の夢が楽しみになる。

 きっと、青木の夢を見る。
 彼を抱いて、彼の匂いを嗅いで、僕は彼の夢を見る。

「あの、本当に大丈夫ですか? 腕、痛くないですか?」
「うるさいな。さっさと寝ちまえ」
 出てくる言葉はぶっきらぼうだけど、青木の髪を撫でる薪の右手はとてもやさしくて、だから青木はまたたく間に夢の世界へいざなわれる。
「薪さん、いい匂い……」
 青木の腕が、薪の右腕の下を通って薪の背中に届く。薪を抱いて裕に余る長い腕。

 抱いて抱かれて眠りに就けば、夢で再び出会うだろう。そのことを彼らは疑いもせず、安心しきって意識を手放す。ふたつの身体でひとつのオブジェを創るようにぴたりと寄り添って、互いの体温をゆりかごに拍動を子守唄に、ゆらりゆらりと落ちゆく先は彼らしか知らない秘密の領域。
 他には誰も入れない、何ものにも侵されない、彼らにしかその扉を開かない、彼らだけの絶対領域。
 朝になれば消えてしまう、だけど毎夜、彼らはここに帰ってくる。ここは彼らの約束の地、たとえ肉体が離れていてさえ彼らはここで巡り会う。そこが彼らの想いを生み出す源泉の地である限り。
 今宵も迷わず辿り着く。




*****


 6年超でもこの程度にしか甘くならないうちのあおまきさん。(T∇T)
 Sさま、ごめんなさいね、でろ甘なあおまきさんへの道は遠いみたいです……。


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ニアリーイコール(4)

 発売日ですよっ!

 うきうきうきうきうき♪

 
 あ、すみません、お話の方はこれでおしまいです。
 命題に対するわたしの答えは、つまり、

『すれ違っててもいいじゃん、想い合ってるのは間違いないんだから☆』
 
 あらら、一行に書けちゃった。 ええ、それだけの話でございました。 ペラくてすみませんです。(^^;





ニアリーイコール(4)




「っ、ゔぁおぅっっ……!!!」
 踏み潰される蛙のような声を聞いて、青木は荷造りの手を止めた。見ると、洗面所の鏡の前で薪がうずくまっている。顔を洗おうとして、洗面台に肘が触れてしまったらしい。
 青木の頭を抱いたまま眠ってしまった薪の左腕は、朝には指先の感覚が無くなるほどに痺れていた。その痛痒感は薪の美しい声帯に、風に吹かれただけでも声にならない悲鳴を上げさせ、固体に触れようものなら先刻のような何処の言語だか判別の付かない不思議な言葉を喋らせた。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないっ!!」
 青木の心配を即行で打ち返して、薪はきれいな額に青筋を立てる。床にしゃがんだ体勢のまま、青木の顔をキッと見据えて、
「おまえのせいだぞ、青木!」
「はいはい、すみませんね」
 怒り心頭の薪に恐れを抱く様子もなく、青木は彼の手助けをするためにタオルを持ってサニタリーへと向かう。
 自分の身体の不調を青木のせいにする、そんなことは珍しくもない。この人の責任転嫁主義にはもう慣れた。

「ったく。スカスカの脳みそしか入ってないくせに重いアタマしやがって」
「ぜんぶ許してくれるんじゃなかったんですか?」
「だれが許すか!!!」
 顔を洗っている途中のハプニングの為に、濡れたままの薪の顔を拭きながら、青木はこっそりと呟く。
「ころっころ変わるんだから」
「何か言ったか」
「いいえ、なにも」

 薪は、指の感覚を取り戻そうとしてか、左手を何度も開いたり閉じたりしている。その細い指が白百合の花弁のように、あるいは可憐な蝶の羽根のように、動くさまを青木はうっとりと見つめる。
 なんてきれいな指だろう、なんて白いてのひらだろう。
 この手が昨夜、自分の頭を撫でてくれた。繰り返し繰り返し、母親が幼子を慰撫するように、やさしくやさしく撫でてくれた。
 前夜に与えられた慈悲を思い起こせば、その手はとても気高いものに思えて、神の御手を押し頂くように、青木は両手で彼の左手を包み込む。

「薪さ、おごぁっ!!」
「触るな!! ビリビリしてるんだからっ!!」
 だからって、いくらなんでも右アッパーはないんじゃ。
 
 青木が涙目になって顎をさすっていると、薪は自分の左肘を右手で抱え込むように握って、
「おまえ、いつも僕の頭載せてくれるけど、こうなったことないのか?」
「ないです」
「それは僕の頭が軽いという事か?そういう意味か!?」
 また怒られた。正直に答えただけなのに。
 
 腕枕にはコツがあって、相手の首の部分に腕を入れるのが基本形だ。こうすると相手の頭の重さは枕が支えてくれることになるから、腕の痺れは軽くて済む。昨夜の薪のように、相手の頭をまともに腕に乗せて、しかも胸に抱え込んでしまったら、こうなって当たり前だ。
 女の子を腕枕で眠らせた経験のある男なら誰でも心得ている技術を、全然知らない薪が可愛い。見栄っ張りの薪は認めないだろうが、多分、彼の腕枕第一号は自分だ。

「ちょっとくらい痺れても、薪さんとくっついて眠れるの、うれしいです」
 青木がニッコリ笑って正直に言うと、薪は、うっ、と何かを喉に詰まらせたように呻いて、ぷいと横を向いた。
「……ちょっとってレベルじゃないだろ」
 そのまま青木の方を見ずに、薪はドアへと向かった。壁の時計は8時を指している。朝食の時間だ。

 鍵を掛けて部屋を出て、青木は細い廊下を歩く薪に追いつく。
「薪さん、片手じゃ不自由でしょう。オレが食べさせてあげましょうか」
「そんな生き恥を晒すくらいなら、僕は餓死を選ぶ」
「ええ~……」
 相変わらず、薪はシビアだ。青木は薪に食べさせてもらえるなら、腕の一本くらい無くなってもいいと思ってるのに。

――――― でも、昨夜の薪はすごくやさしかった。

 彼に許されて、それでいいと思えるほど青木も単純ではないけれど、悩んでも仕方のないことは考えないのが青木の性分だ。過去は消せない、でも、きっと何かしらの形で取り返す事ができる。やり直せない失敗はない。自分が諦めない限りは、どこからでも再スタートは切れると信じている。

「朝食は、テラスだそうですよ」
「そうか。天気もいいし、気持ち良さそうだな」
 掃除の行き届いた階段を下りて、ロビーを通り抜け、ガラスの扉を開いてテラスに出る。朝食会場では、すでに3組ほどの泊り客が朝食をしたためていた。
 丸テーブルの上に掛けられたクロスは緑と白の二枚重ね。四つ角をずらして重ねることで、交互に出現する色のコンビネーションは、今の季節にぴったりの爽やかさだ。その上に準備されたグラス、コーヒーカップ、ピカピカの食器類に手作りらしいランチョンマット。オーナーの奥さんが、パンのバスケットと木製のボウルに盛られた野菜サラダを持ってきて二人に席を勧め、目印の部屋番号が記されたプレートをエプロンのポケットにしまって戻っていった。
 バスケットからは、焼きたてパン特有の香ばしい匂いがする。サラダはレタスとトマトの色合いがとても鮮やかで、青木の大好きな冷たい牛乳もグラスに満たされていて、青木は自然とうれしくなる。

「美味しい! 牧場直送の牛乳ですね」
 牛乳嫌いの薪が冷ややかな眼差しで、自分のコップをこちらへ寄越す。ありがたく受け取って、右手でコップを持ち上げる。
 2杯目の牛乳を飲みながら、青木は空を見上げる。
 5月の美空は高原の空気に映えて、泣けてくるほど青かった。



(おしまい)



(2011.5)

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インタビュー

 こんにちは。 ちょっとご無沙汰でした。

『タイムリミット』のあとがきを書こうかな、と思ったんですけど~、
 いただいたコメントを拝読しましたら、わたしが伝えたかったことはほぼ伝わったみたいなので、いいかなって。 ←リアルの文章は苦手なので、できるだけ書きたくない。(^^;
 
 なのでお礼だけ。
 お付き合いいただいて、まことにありがとうございました。
 読んでくださる方がいるから、続けてこれました。

 この先は、
 ぼちぼち雑文など公開していきますので、お暇があったらまたお寄りください。(^^


 で、最近書いた雑文です。
 てか、文にもなってないな~、お遊びって言うのかな~。 でもこういうの、楽しい♪ です。









 インタビュー



 

   『巷で噂のラブラブカップルに突撃インタビュー』


(『突撃』と銘打ちながらも暗黙の事前打ち合わせ)
 いいですか? 今回は、『ラブラブカップル特集』ですからね。 企画内容を念頭に置いて、質問には正直に答えてくださいね。 
 特に薪さん、不必要に場を荒らさないで……あ、時間ですね。 
 じゃ、よろしくお願いします。



 最初に、お名前と年齢をどうぞ。
「青木一行、30歳です」
「薪剛、42歳」


 見た目には信じられませんけど、けっこうな年の差カップルですね。 世代の差とか、話が噛みあわないとか、苦労されませんか?
「そうですね。世代の差と言うより、薪さんは考え方が独特だから……常に宇宙人と会話してるみたいですけど、それも含めて愛してますから」
「世代も何も、バカとは話が合いません」
 のっけから攻撃的ですね。 覚悟はしてましたけどね。 気を取り直して次行きます。


 ズバリ、相手の何処が好きですか?
「すべてです! 顔も身体も髪の毛も手も足も、全部好きです」
 それはすべて容姿だというツッコミはこの際無しで、薪さんは?
「さあ。僕が訊きたいです」
 企画を盛り上げようとか、チラッとも思わないんですね。 そういう人だって分かってましたけどね。 


 お互いの第一印象を教えてください。
「綺麗なひとだな、って」
 また容姿に関することですね。 いいですけどね。 薪さんは?
「でかいな、って」
 お互い、表面的なものしか見てないんですね。 普通はもっと運命を感じたりするもんだと思うんですけどね。……はあ、盛り上がらないなあ、今回は。


 恋人同士になってから、相手への気持ちに変化はありましたか?
「以前より、もっともっと薪さんのことが好きになりました」
「ウザさが倍増しました」
 盛り上げる気がないどころか、盛り下げようとしてますね。 企画そのものを潰したいという意図すら感じ取れます。


 将来の夢は?
「できれば一緒に住みたいです」
「第九の全国展開が夢です」
 仕事のことじゃなく、プライベートのことでお願いします。
「健康で長生き」
 ……………徹底的に盛り下げますね。


 一番怖いものはなんですか。
「薪さんに嫌われることが一番怖いです」
「いきなり押し倒された時に偶々ベ○ピだったりするとめっちゃ怖…………僕に怖いものなどありません」
 なんかとんでもない裏事情を聞いた気がしますけど、無視してサクサク進めましょう。


 相手のためにしている、一番の心配りは?
「いつも相手の気持ちを考えて、意見を尊重しています。相手の言いなりとかよく言われますけど、そんなつもりはなくて、薪さんの機嫌がいいと、オレも楽しいから」
「……食物繊維の多い食事を……」
 ? それは、相手の健康を気遣って食事の内容に気を配っているということですか?
「いや、繊維を摂らなきゃならないのは僕の方で」
 ?? どうしてですか?
「…………」
 ああ、もしかして、大分年上でいらっしゃるから? 相手のためにも、いつまでも若々しく、健康でいようということですか?
「………………………………はい」
 素直じゃないですか。 じゃあ、次行きます。


 此処だけは直して欲しいと思うところは?
「薪さんは、仕事に夢中になると食事を摂らなくなってしまう癖があって。あれだけは直して欲しいです」
「夢中になると朝までノンストップで吹っ飛ばされ……いやその……」
 なるほど。 お二人とも、仕事に夢中になりすぎる、と言うことですね。 ……薪さんはどうして顔が赤いんですか?
「………なんでもないです」
 ? 訳は分かりませんが、可愛いので許します。


 相手がしてくれることで、一番嬉しいことは?
「薪さんが笑ってくれることです」
「残飯処理」
 相変わらず人間ディスポイザーなんですね。 青木さん、糖尿病まっしぐらですね。


 相手にしてあげたいことは?
「薪さんが望むことなら、なんでもしてあげたいです」
「出世させてやりたいです」
 めちゃくちゃズレてますね。 他のカップルはみんな、僕も同じです、って返答が返ってくることが多くて、こちらも幸せのお裾分けをいただいてるようで温かい気分になったもんですけど。 

 さっきから聞いてりゃあんたたち、1ミリも意見が合いませんね。 実に不快です。 いっそのこと、別れた方がいいんじゃないですか。
「「いやです」」
 息ピッタリですね。 やればできるじゃないですか。


 最後に、相手に対して一言どうぞ。
「いつも美味しいご飯をありがとうございます」
「残さず食えよ」
 最後の最後まで、ロマンチックのロの字もないやり取りですね。 もういいです。 
 
 質問に答えていただき、ありがとうございました。 


*****


 どうやって編集したらキャップに怒られないで済むのか、頭が痛いです。
「えっ、上の人に怒られちゃうんですか?」
 企画のテーマ、『ラブラブカップル特集』だって言ったでしょう? それなのにあんたら、全然ラブくないから。 怒られるだけならまだしも、下手したら減給ですよ。
「それは可哀相ですね。じゃあ、今からオレが薪さんに素早くキスしますから、その瞬間をカメラに捉えてください」
 いいんですか? 後で薪さんに怒られませんか?
「大丈夫ですよ。オレは薪さんの恋人ですから。 ――――― 薪さん」


 CHU。
 どかばきぐしゃ。


「ど、どうでした? 撮れました?」
 はい、ばっちり。青木さんが薪さんに蹴り飛ばされる場面が。
「それじゃ『ラブラブカップル特集』に使えないんじゃ」
 ご安心ください。キャップに相談して、『バイオレンスカップル特集』に企画変更しましたから。


 (おしまい)



(2011.11)


 

シングルズ(1)

 今週は忙しかったです~~。
 眼精疲労による肩凝りで、吐き気がするくらい。(@@) 
 
 きっとみなさんも、師走だからお忙しいのでしょうね。
 そんな中、今日もこのヘタレブログにお出でくださいまして、誠にありがとうございます。


 気が付いたら、来週はもうクリスマスですよ!
 と言っても、例年通り、うちの会社は仕事なんですけどね。(^^;
 気分だけでも味わおうと思って、25日までの期間限定ですが、テンプレをクリスマス仕様に変えてみました。

 お話の方も、クリスマス特別企画でございます。 
 なんつって、今年書いたんじゃないんですけど。

 実は昨年、クリスマスに合わせて公開しようと書いた話がまんまと間に合わなくて、そのままになっていたんですね。 ちょうど軽いお話でもあることだし、すずまき話の前にこちらを公開します。
 よかった、思い出して。 また1年、寝かすところだった。(笑)


 クリスマスのお題で書いたもので、ストーリーはありません。
 よって、カテゴリは雑文 (=ぐだぐだ) です。

 大した話ではないのでね、お暇な方だけ覗いて行ってください。(^^



 

シングルズ(1)





 きれいに片付けられた自分のデスクの上に一片の仕事も残っていないことを確認し、今井は席を立った。引き出しの施錠を点検し、モニタールームの同僚たちに声をかける。

「すいません、お先に」
「ちょっと待ってくださいよ、今井さん。まだ報告書のまとめが残ってますよ。このヤマ、俺と今井さんの担当でしょう」
「いや、悪いけど今日は」
 自分を引き止めた仕事熱心な糸目の同僚に、今井はこっそりと鞄の蓋を開けて、中に入っているリボンのついた箱を見せる。長さ20センチほどの長方形のその箱は、光沢のあるピンク色の包装紙に包まれており、結ばれた赤いリボンの尻尾は『Xmas』という文字が型押しされた金色のハート型のシールで止められていた。

「……彼女へですか?」
「まあな。わかるだろ? 今日、約束の時間に遅れたりしたらどうなるか」
「ええ、そりゃあもう」
 今井がコソコソしている理由が解ったらしく、小池は声を潜めて頷いた。二人してちらりと奥のドアを見やり、彼らは微笑とも苦笑ともつかぬ形に唇を歪める。
 
 ふたりが勤務する法医第九研究室は研究所の中で最も仕事に対してストイックな部署として、その名を科警研内だけでなく、隣接する警察庁及び警視庁にまで知らしめている。と言うのも、この研究室に君臨する室長はとても厳格な人物で、仕事の鬼どころか魔王とまで噂されるほど職務には厳しいからだ。
 『報告書を上げるまでが捜査』が持論の室長に、手付かずの書類を残して退室しようとしていることを知られたら、間違いなく今井の今日の予定は握りつぶされる。

 今井は仲の良い同僚の顔を見て、「悪いな」と笑いかけた。ニコッと笑いを返してくれる、小池の細い目に確かな友情を感じる。
 男の友情というのは、本当にいいものだ。何故引き止めなかったと、後で自分が鬼上司に叱られるかもしれないのに、こうして今井の私事を優先してくれようとしている。
 篤い友情に感激する今井の前で、小池はおもむろに立ち上がり、両手を自分の口の横に置くと、
「大変です、室長! 今井さんが仕事よりプライベイトを優先しようとしていますっ!!」
 ……信じた俺がバカだった! 男の友情なんか幻想だよ!!

「なに叫んでくれてんだ、裏切り者!」
「裏切り者はどっちですか!! 第九に彼女持ちなんて、あっちゃいけないことなんですよっ!!」
「自分がクリスマス直前に彼女に振られたからって、俺まで巻き込むなよ!」
「ちょっと今井さん」
 言い過ぎた、と思った瞬間、謝るより前に曽我が口を挟んできた。曽我は小池の親友だ。親友の生傷に無遠慮に踏み込んだ今井を許せなかったのだろう。非難される立場でありながら、彼らの間に確かな友情を感じて、今井は頬を緩ませた。
 
 曽我は同情心いっぱいの顔で、
「小池はまだ失恋の傷が癒えてないんですよ。それなのに、そんなにハッキリ『振られた』とか言ったら、小池が可哀相ですよ。そりゃー、クリスマスの3日前になって彼女に振られる小池の方がしょっぱすぎるってことは解ってますけど、それでも振られたことは事実なんですから、そこはそっとしといてやるべきだと。まあ、彼女の方も、クリスマスのデートも危ない小池より、公務員の彼のほうへ流れるのは当たり前かも知れませんけど……あ、知ってます? 今井さん。小池の元カノの新しい彼氏って、市役所に勤めてて、顔も小池よりカッコよくて」
「曽我、その辺でカンベンしてやれよ。小池、泣いちゃったぞ」
 慰めるつもりが逆に傷に塩を塗ってしまっている。曽我のKYは何とかしないと、そのうち刺されるかもしれない。

「ふっ。俺を出し抜いて彼女作ったりするからですよ。当然の報いです」
 わざとかよ!? なんて醜いんだ、男の友情!!
「曽我、おまえなんか彼女を作ることもできないから、振られるまで行き着かないくせに! だったら俺のほうがマシだ!」
「ああっ、言ってはならないことを! この糸目!」
「何を! このメタボ体型が!」
 みにくい。醜過ぎる。

「おまえら、いい加減にしろよ? 身体的特徴を攻撃対象にするなんて、小学生以下だぞ」
 地の底から響くような凄みのある低い声が聞こえて、二人はパッとお互いの口を手で塞ぎ合う。何をやっても息の合う二人だ。
「室長に聞かれたら、全員ここに泊まりになるぞ」
 副室長の岡部が、ボキボキと指の骨を鳴らしながらこちらを見ている。細い眉を吊り上げた三白眼にぎろりと睨まれて、思わず身を寄せ合う小池と曽我のコンビが、震えながらコクコクと頷いた。

「まあ、俺はそれでもいいですけどね」
 カタカタとキィを叩きながら、眼鏡の奥の眼はモニターに据えたまま、第九随一のシステムエンジニアはシニカルに言い放つ。
「俺の恋人はコイツですから」
 コンピューターオタクの宇野は、MRIシステムをこよなく愛している。犯罪捜査よりもプログラム開発が好きな宇野は、心の底ではシステム開発室へ行きたがっているのではないかと思うのだが、現場にも一人システムメンテナンスのプロを置いておきたい室長の意向を汲んで第九に留まっているものと、今井は見ている。

「俺たち、宇野に比べればまだマシかもな」
「そうだな。少なくとも、現実の女の子と話をして楽しいと思えるもんな。画面の美女じゃなくて」
「ちょっと待て、人をアキバのオタクと一緒にするな」
 こそっと呟いた小池と曽我の会話を耳ざとく聞きつけて、宇野はモニターから目を離した。執務椅子をくるりと回して、椅子ごとこちらに向き直る。

「俺はな、その辺の女じゃ満足できないんだよ。室長が女装したときくらいの美女じゃないと、食指が動かないの」
「はあ!? どんだけメンクイだよ」
「鏡見たことあるのか、おまえ」
「仕方ないだろ? 毎日あの顔見てんだから。あのクラスじゃないと、ときめかないんだよ」
「あ、それ分かります。オレも、薪さん以外のひとには何にも感じなくなって、痛い!」
 会話に入ってきた瞬間にいらんことを言って岡部にどつかれたのは、第九最年少の青木だ。突かれた衝撃で持っていたコピーの束を床にばら撒いてしまい、慌てて拾い集めている。

 コピー紙を拾うのを手伝ってやろうと床に屈んだ今井の前に、ふと人影が差した。
 ダークグレイの細身のスラックスに包まれた二本の足。磨き上げられたカルツォレリア・トスカーナの黒い革靴。このブランドが気に入りの上司が、自分の部下たちの中で唯一、鞄を持ってコートを着込んで帰り支度を整えている自分に向けているであろう氷の視線を予想して、今井は固まる。

「すみません、今日は帰らせてください!」
 謝るが勝ちだ。幸い、土下座に近い格好をしていることだし、誠意も伝わり易いかも。
「お願いします、室長。今日だけは見逃してください。西葛西の報告書は、明日の午前中に必ず提出しますから」
 必死になって頭を下げる今井の傍に、室長はひょいと屈んだ。みんなと一緒になって床に落ちているコピー紙に手を伸ばしながら、穏やかな口調で、
「構わんぞ。西葛西の事件は急ぎの案件ではないし。みんなも、キリの良いところで帰っていい」
「「「えええ! そんな!!」」」

 嬉しそうな今井の笑顔のその向こうに、いくつかの悲壮な声音が重なり、薪は目を丸くする。クリスマスイブに定時で帰っていいと部下に申し渡して、ブーイングを食らうとは思わなかったのだろう。
「帰りたくないのか? おまえらにだって、イブの予定くらいあるだろう」






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ジャンル : 小説・文学

シングルズ(2)

シングルズ(2)





「帰りたくないのか?おまえらにだって、イブの予定くらいあるだろう」

 そんなのありません、と一様に首を振る一部の部下たちに、薪は大きな瞳の虹彩を小さく引き絞って、
「ないのか?」と繰り返した。
「だって、俺たち恋人もいないし」
「年中、約束を違えてるものだから、誘ってくれる友人もいなくなっちゃったし」
「家に帰っても誰もいないし。かと言って街に出ればカップルばかりだし」
 小池、曽我、宇野……なんて寂しいやつらだ。本気で可哀想になってきた。

「だったらみんなで仕事してた方がマシだよな。気も紛れるし」
「そうそう。淋しいのは自分だけって思わなくていいし」
「でも、俺たちだけで仕事するってのは、あまりにも不公平だと思う」
「「「みんな一緒に不幸になればいい」」」
 …………この僻み根性さえなければ。

「ぷっ」
 3人のあからさまな呪詛の言葉に、薪は失笑した。
 右手の拳を口元に当て、いつもはきつく吊り上げられた眉をゆるりとたゆませ、亜麻色の眼をやさしく細める。すべらかな頬は丸みを強め、持ち上げられた口角には華やぎと愛くるしさが添えられる。
 なるほど、宇野の言葉も納得できる。これを見た後に街へ出て女性を見ても、何も感じないかもしれない。

「おまえらはそれで良いかもしれないが、予定の有る者にはいい迷惑だろ。残りたい者だけで残れ。今日は僕も定時で帰るから、後は好きにしろ」
 意外だった。
 特に急ぎの仕事がなくても、書類や報告書の整理で一番遅くまで第九に居るのが当たり前になっている薪が、クリスマスイブとはいえ、定時で帰るなんて。この人に恋人がいるわけはないし、友人はもっといないだろう。残る可能性は部下に気を使ってくれている、ということになるが、それも何だか後が怖い。

「ではすみません、お言葉に甘えまして。私は先に帰らせていただきます」
 室長の言に一番最初に乗ったのは、土下座までして定時退室を申し出た今井ではなく、第九に入って一年にもならない新人の山本だった。
 意外な言葉に、執務室の全員の眼が彼に注がれた。
 山本はある意味、薪の対極に位置する人間だ。それは、この世には必ず相反するものが存在する、という理の証明とも言えた。
 山本は薪と正反対の外見を持っている。つまり、薪が年の割りに異常に若いのと反対に、異常に老けているのだ。年齢は薪と一つしか変わらないはずなのに、贔屓目に見ても50代後半。下手をしたら還暦を過ぎた今井の祖父より年上に見える。
 そんな彼に、クリスマスイブを共に過ごす誰かがいる、という可能性は、限りなくゼロに近いように思えた。問い質すのも失礼かと思いつつ、今井は真実を追究するのが宿命の捜査官だ。確かめずにはいられない。

「山本。予定、あるの?」
「はい。家で妻と娘が待ってますから」
 
 …………。

 今井が自分を取り戻したときには、壁に掛かった時計の秒針はゆうに一回りしていた。
 人間、あまりにも予想外の言葉を聞くと、思考を停止させてその衝撃に対抗しようとするのかもしれない。謂わば、自己防衛に基づく意識の喪失というわけだな、うん。

「ツマ……」
「ムスメ……」

 今井と同じように自失していた同僚たちが我に返り、記憶の中からその言葉の持つ正確な意味を探し出そうと、二つの言葉を繰り返し発音している。ひとりだけ平気な顔をしているのは室長だが、これは驚くに当たらない。彼は職務上、部下の家族構成をすべて把握しているからだ。

「き、きっと尻に敷かれてるんだぜ。山本って気が弱そうだし」
「もちろんさっ」
 引き攣った半笑いの表情でヒソヒソとやっかむ小池に、曽我が意気込んで相槌を打つ。が、その声もまた魂の抜けたような声音だった。
「休みの日には粗大ゴミ扱いされて、奥さんに邪険にされてさ」
「娘には疎ましがられて、お父さんの服とアタシの服一緒に洗濯しないで、とか言われてんだぜ。カワイソウに」
「俺はそうはなりたくないな!」
「まったくだ! 独身の方が自由でいいよな!」
「「はははは……はあ……」」

 いかに不幸な夫、不憫な父親像を山本に重ねても、彼が聖なる夜を愛する家族と共に過ごすという事実は少しも揺らがず。哀れな彼を想像するほどに虚しさは募るばかり。
 帰り支度を整えた山本が、寒そうな頭に中折れ帽を乗せ、内ポケットからおもむろに携帯電話を取り出した。画面を開き、それを無言で小池たちの方へ向ける。
 大きめの液晶画面には、デコレーションケーキの後ろで微笑む中学生くらいの可愛らしい少女と、彼女に良く似た妙齢の美女。通信欄に打ち出された文章に、小池の眼が――――― 開いた。
『パパ、ケーキできたよ! 早く帰ってね♪』

 度の強い角縁眼鏡の奥の暗い眼が光り、薄い唇が勝ち誇ったように笑った。
 かちーん。 
 次の瞬間、山本に向かって繰り出された小池の右腕は、彼の数倍の筋力を持つ腕に阻まれた。

「押さえろっ、小池! 手を出したらこっちの負けだ!!」
「あいつが笑うと異様にむかつくんすよっ!!」
 力自慢の岡部に後ろから羽交い絞めにされ、身動きの取れないまま、小池は尚も山本を罵ったが、山本本人は何処吹く風。自分の優位を自覚しているのだ。

「山本、おまえ早く帰れ」
「はい。失礼致します」
 山本は慇懃無礼スレスレの深さに頭を下げて、出口に向かって歩き始めた。が、すぐ何かに気付いたように足を止め、
「ああ、岡部副室長。副室長が書かれた報告書の誤字を訂正しておきましたから、後で確認しておいてください」
「う……わ、分かった」
 何もみんなの前で言うことはあるまいに、と山本にそんな気遣いを期待するだけ無駄だ。岡部もそれくらいのことで怒るほど、度量の狭い男では―――――。

「あの、副室長。もしよろしければ、娘の漢字検定の参考書のお下がりがありますから、それを差し上げましょうか。クリスマスプレゼントということで」
 …………ぷっつん。

 今井が危険を察知したときには、既に淋しんぼトリオの3人組が、理性を失った岡部を取り押さえている状態だった。
「抑えてっ! 抑えてください、岡部さん!」
 さっきまでと逆の体勢になった岡部が、怒りのために青ざめた顔を般若のように歪め、振り絞るような声で叫んだ。

「このっ、ウスラハゲがっ!!」
「おや、ご自分の学力をお認めになられましたか」
「ああ!?」
「先ほど岡部副室長は、身体的特徴を攻撃対象にするのは小学生以下の発想だと仰られました」

ぶっつん、ばっつん、ぼっつん!!

「うおおお!!!」
「やばい、小池と違ってマジで死人が出るぞ!!」
「3人じゃ押さえきれん! 青木、手伝え!」
「はい! 岡部さん、落ち着い、いったあいっっ!!!」
 青木が蹴られた。角縁眼鏡が山本と被ったらしい。
「室長、何とかしてください!」
 今井は薪に向かって懇願する。暴走し始めた岡部を止められるのは薪だけだ。

 薪は重々しく頷いて室長の威厳を見せ、余裕の表情で腕を組み、涼やかな視線を二人に向けると、
「そんなに楽しそうにジャレ合えるようになるなんて。山本と岡部は、すっかり仲良くなったな。組ませて良かった。次の案件も、その調子で頼むぞ」
「「「「「カンベンしてください――――っっ!!!」」」」」
 恐慌状態の執務室でひとりだけズレまくった見解を発する上司に頭を下げ、今井は山本の腕を引いて、阿鼻叫喚のるつぼと化した部屋から飛び出した。




*****

 法十名物、第九ギスギスフィーリング。
 ホント、うちの連中ってみんな仲悪い。(笑)

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シングルズ(3)

シングルズ(3)





 山本の姿が見えなくなってからも上手く怒りを収められずにいた岡部は、それでもズボンのポケットに入った携帯の着信に気付いた。
 身体の力を抜き、携帯のフラップを開ける。着信メールを確認した途端、現金なことに彼の顔は、先刻の怒りが嘘のように穏やかなものへと変化する。
「すみません、室長。俺も帰っていいですか? お袋と約束があって」
 
 岡部は母親との二人暮らし。親孝行の彼は、母親をとても大事にしている。
 この年になって母親と二人で食事に行ったり、買い物に付き合ったりするのはマザコン扱いされかねないが、彼の場合はその外見と質実剛健たる実績が見事にそれを許さない。硬派の彼が女性にデレデレする姿すら想像できないのに、ましてや相手が母親ともなれば、それは尊敬の対象にしかならない。

「岡部さんのお母さんは幸せですね。こんな親孝行な息子、何処にもいないですよ」
「俺も少し、見習わなきゃなあ。たまには田舎の母ちゃんに、クリスマスプレゼントくらい贈ってやるか」
 感心した口調で小池と曽我が岡部の美徳を讃えると、岡部は複雑そうな顔になって、しかし取り立てて反論はせずに帰り支度を始めた。そんな岡部を、薪が妙にニヤついた顔をして見ているのを不思議に思った青木が首を傾げたが、やはり何も言わずに口を結んだ。

「すいません、室長。俺も帰ります。今、ネトゲ仲間からイベントの誘いが来て」
 素早く返信メールを打ちながら、宇野が朗らかに言った。彼の私物のノートパソコンには、イベントの内容だろうか、ゲームキャラクターの格好をしてケーキを食べている人々の姿が映っている。ちょっと普通の人間には入れない雰囲気だ。

 母親に、ネトゲ友だち。
 どちらも歯軋りするほど羨ましい相手ではないが、自分たちより幸せなことに変わりはなかった。が、先刻のように表立った妨害工作はできない。岡部には逆らいたくないし、宇野に到ってはゲームオタクのイベント。そんなものまで羨んだら、自分がミジメすぎる。
 ただ、やはり取り残される寂寥感はわだかまって、二人の姿が執務室から消えた後、小池は誰にともなく叫んだ。
「ちくしょーっ!! 今日は徹夜で書類整理だっ!!」
「分かる、おまえの気持ちすごくよく分かるよ、小池!男は仕事に生きてナンボだよな。俺も付き合うからな」
 仕事の上でもこの二人は実にいいコンビだが、漫才をやらせたら研究所内で右に出るものはいないに違いない。

「さて、僕も帰るぞ。後はよろしくな」
 黒いカシミヤのコートを着た薪は、机に置いた鞄を小脇に抱えた。小池と曽我は、声を揃えて頭を下げる。
「お疲れさまでした!」
 さすがに、室長を引き留める気はない。それに、どうせこの人は家に帰っても独りだし。
 と、思っているのはこの部屋の中では2名だけ。
 恋人たちが愛を語り合う聖なる夜、薪も当然、秘密の恋人と約束している。ちらりと彼に眼を走らせれば、すぐに返ってくるアイコンタクト。

 ――――― 家で待ってるから。
 ――――― はい。
 ――――― ……なるべく、早く来い。
 ――――― はい!

 彼の黒い瞳が四角いレンズの向こう側で熱っぽく輝くのを視認して、薪は出口に向かって歩き出した。
 彼とのことは、誰にも明かせないトップシークレット。自分たちを取り巻く環境の厳しさを思うと疼くような切なさが込み上げるが、それは今宵に限ってはとても甘く。やはりクリスマスイブには、恋するものだけが掛かるある種の魔法があるらしい。

「青木、夜食買って来い」
「あ、はい」
 篭城を決め込んだ二人が、後輩の青木に買出しを命じる。こんな寒い日に可哀相だと思うが、これも後輩の務めだ。だから薪は何も言わない。
 代わりに薪は、自宅の冷蔵庫の中にいっぱいに詰まっている下拵え済みの材料にどの順番に火を入れるべきか、頭の中でタイムスケールを組み立てる。青木が買い物に要する時間を勘案して、待たせず焦らさずアツアツの料理を食べさせてやりたい。

「夜食だけ用意したら、今日は帰らせてもらえますか?」
「……おまえまで俺たちを裏切るのか!!」
 後ろから聞こえてきた小池の激しい声に、薪は足を止めた。
 給湯室の戸締りを確認する振りをして、薪は出口から遠ざかる。地獄耳と陰口を叩かれることすらある高性能の聴覚をフルに発揮して、彼らの会話に聞き耳を立てた。

「ヒマなんだろ?おまえも付き合えよ」
「えっ……いや、あの、それはちょっと……」
 まずい。青木は頼まれるとイヤと言えない性格だ。同情心も強いし、こいつらに押されて今夜のデートはおじゃんという可能性も出てきたぞ。
 他の日ならともかく、今日は僕の誕生日だぞ? 気合入れろよ、青木。

「彼女か!? 彼女できたのか!?」
「い、いや、彼女はいませんけど。その、友人と約束があって」
 よし、いいぞ。頑張れ。
「友人? 友人と俺たちと、どっちが大切なんだ?」
「そ、それは、まあ……」
 そこで口ごもるからダメなんだ、おまえは! 切るならスパッと切れ!
「先週の水曜日も友達と約束があるって、メンテ当番代わってやっただろ? 代わりに、土曜と水曜以外ならいつでも当番代わってくれるって言ったじゃないか。今日は火曜日だぞ? 当番だと思えばいい」
「うっ……」
 そんな屁理屈にやり込められてどうするんだ! それでも幹部候補生か、おまえは!
「安心しろ。おまえが寂しくないよう、俺たちが朝まで付き合ってやるから」
「……ありがとうございます……」
 ダメだ、こいつは。

 今度こそ呆れ果てて、薪はモニタールームを後にした。
 外に出ると、突き刺すような冷気が襲ってくる。この寒さでは、いつものトレンチでは荷が重い。カシミヤのコートにして良かった。
 まだ時刻は5時を回ったばかりなのに、辺りはすっかりモノトーンの世界だった。1年に1度の特別な夜、ここが霞ヶ関でなかったら、通りは華やかなイルミネーションに彩られていただろうに。

 無機質な風景に寂しさを感じることも無く、薪はポケットに両手を入れて、駅までの道のりを辿る。家路を急ぐ人の群れに混じり、寒さに肩を竦めながら、彼は先刻の部下たちのやり取りを思い出している。
 まったく、ふざけた連中だ。揃いも揃って、バカばっかりだ。面倒見切れん。
 中でもダントツは、やっぱり青木だ。1ヶ月も前から何度も何度も予定を確認してくるほど、今日の日を楽しみにしていたくせに。

 泣き出しそうだった青木の声を思い出して、薪は心の中で笑いながら駅の自動開札を抜けた。



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シングルズ(4)

 メリークリスマス。
 みなさま、素敵なイブを過ごされますように。(^^





シングルズ(4)




 右手でドアを開き、客人を玄関に招き入れてもなお、薪は驚きに跳ねる心臓を落ち着かせることができなかった。
 それは、扉を閉めて外界と遮断された瞬間に薪を抱きすくめた彼の腕の強さのせいかもしれなかったし、摺り寄せられた頬の冷たさのせいかもしれなかった。そして、その冷たさに慣れても一向にドキドキが治まらないのは、首筋に掛かる彼の熱い吐息のせいか。

「お誕生日、おめでとうございます」
『消えもの』なら受け取ってもいい、と以前言った薪の言葉を憶えていたのか、青木は白いカサブランカの花束を差し出した。両腕で抱き取って、その清冽な芳香に眼を細めながらも薪は、彼特有の甘ったるい憎まれ口を叩く。
「子供じゃあるまいし。誕生日が嬉しい年でもない」
 胸中はトランポリンの上を歩くような心地でも、言葉と声音は平静を装える。鉄壁のポーカーフェイスは恋愛における自分の最大の武器だと、薪は本気で思っている。

「あの二人が、よく解放してくれたな?」
「夜食を買いに行くって言って外に出て、ピザ屋にデリバリーを頼んで、そのままバックレちゃいました」
「……おまえ、明日大変な目に遭わされるんじゃないのか」
「いいんです。だって、今日は薪さんの誕生日で」
「別に、今日じゃなくてもよかったのに」
 誕生日だとかクリスマスイブだとか、そんなものに特別を感じる感性は、薪にはない。だが、青木はやたらとこういうことには拘って、誕生日を祝うのは当日でないと意味がないとさえ考えているようだった。
 何年前だったか、夜中の12時の5分前に薪の自宅までプレゼントを持ってきたことがあった。その時の青木は「間に合った!」と息を弾ませて笑っていたが、薪には何が間に合ったのか、意味がよく分からなかった。電車の発車時刻でもあるまいに、自分は何処にも行ったりしない。明日、職場で渡しても同じだろう、と言うと、青木はがっくりと肩を落として帰っていった。

 気のない口調の薪に対し、青木はにっこりと笑って、
「オレがお祝いしたかったんです。迷惑ですか?」
 ……くっそ、この顔はアレだ、僕が本当はすごく嬉しがってることを見通している顔だ。年下のクセに余裕こきやがって、後でオボエテロ。

 だけど、『今日じゃなくてもいい』というのは薪の本心だ。
 自分の誕生日を憶えていてくれて、お祝いしてくれる誰かがいる、それはもちろん嬉しいことだけれど。
 こいつがいれば、僕はいつだって嬉しい。
 
 そんな想いを決して声には滲ませず、薪はぷいとそっぽを向くと、素っ気無さに輪をかけて吐き捨てた。
「メシはまだ出来てないぞ。食いたけりゃ手伝え」
 はい、と元気な返事が後ろからついてくる。薪が花束を花瓶に活ける間に青木は手を洗い、薪の家に置いてある自分専用のエプロンを着けて、キッチンを覗き込んだ。
「わあ、おいしそう!」という歓声が、リビングにまで聞こえてくる。食い物のことでそんなに喜べるなんて、単純なヤツだ。
 ダイニングテーブルの上に並べてあるのは、オードブル代わりのブルスケッタ。チーズとトマトとバジルでシンプルだけど彩りよく作った。それと定番のミモザサラダ。とろ火に掛けられた鍋の中には、玉ねぎのファルシー。青木の好きなトマトソースでじっくりと煮込み、味を染み込ませてある。
 オーブンの中のチキンは、あと10分で焼きあがる。青木の仕事は皿を用意することくらいだ。

 薪はキッチンへ戻り、冷蔵庫の中から赤ワインを取り出した。赤ワインは16℃くらいで飲むのが正しいそうだが、何となく冷たいほうが美味い気がする。冷やしすぎると渋くなると言うけど、生ぬるい液体が喉を通る、あの感覚の方が許せないと思うのは自分だけだろうか。
 オープナーで瓶の口のラベルを切っていると、青木がワイングラスを持ってきた。
「ここで赤ワイン飲むの、初めてじゃないですか?」
 実は薪も青木も、ワインはあまり好きではない。薪は日本酒党だし、青木はビール党だ。でも、やっぱり今日くらいは。
 特別な相手と、イヴに相応しい飲み物で。この夜を祝いたい。

「居酒屋でビールの方が良かったか?」
「吟醸酒じゃなくて、良かったんですか?」
 お互い同じことを思っているのが分かっていて、だけど言葉はふたりの間をつむじ風のようにくるくる回る。
「あ、そうか。お子さまはアレだ、シャン○リー」
「薪さんこそ。リカーショップの店員に、年齢確認されてたくせに……痛ッ!」
 普通のスリッパでははみ出してしまう大きな足を、小さな踵がバン!と踏む。冷たい瞳でひと睨みすれば、青木は薪のご機嫌を取るように笑って、ワイングラスを彼の手に持たせた。

 かちりとグラスを触れ合わせて、赤い果実酒を口に含んだところで、オーブンから焼き上がりのメロディが流れた。キッチンミトンをつけた青木がオーブンからチキンを取り出し、嬉しそうに頬をほころばせる。周りをパプリカとブロッコリとトマトで飾った大皿が既に用意されていて、青木はその美しい彩りを崩さないよう慎重にチキンを盛り付けた。
 一緒に席に着いて、「いただきます」と手を合わせる。四方山話に花を咲かせながら、いつものように楽しく食事をする。
「すごいですね。丸ごとの鳥なんて」
「腿肉のほうが食べやすいんだけどな。量もちょうどいいし。まあ、おまえなら食べきるだろ」
「ええ~、いくらオレでも無理ですよ。他にも料理があるのに」
「と言いつつ、なんで僕の皿からチキンを奪う?」
「なんか人のって、美味しそうに見えるんですよね」
「そーかそーか、じゃあこの人参スティックも美味そうに見えるんだな? 5本くらいまとめて行っとくか?」

 美味しい料理と弾む会話、応酬される軽口とジョーク。ほらやっぱり、と薪は思う。
 今日が何の日だって、関係ない。青木がいれば、13日の金曜日に仏滅がブッキングしても楽しい。

 ぎゅっと眉をしかめた青木の口に、親鳥よろしく人参スティックを差し込みながら、薪は意地悪そうに微笑んだ。



*****




 隣に寝ている男を起こさないように、薪はそうっとベッドから抜け出した。
 手探りでパジャマの上着をはおり、裸足で冷たい床に立つと、チカチカしている携帯電話の充電器の灯りを目印に本棚まで歩く。
 
 いつ仕事の連絡が入るか分からないから携帯はベッドシェルフに置いておきたいのだが、「あのときだけは、携帯はベッドから2m以上離れた場所に置いてください」と青木が必死になって頼むものだから、仕方なくそうしている。
「電話が何メートル離れていても、着信があれば中断するぞ?」と薪が言うと、「あの状態(身体をつなげた状態)で応答されるのがイヤなんです」と言われた。おまえがさっさと抜けばいいだけの話だろう、と言ったら泣かれた。面倒なやつだ。

 携帯のフラップを開いて、時刻を確認する。午後10時20分。
 まだ眠ってしまうには早い時間だが、飲み慣れない種類のアルコールを摂取したせいか、青木はぐっすりと寝入っている。特別な夜だと張り切っていた割には、セックスもしごくあっさりしたものだったし。
 薪には好都合だ。おかげで予定通り出掛けられる。
 これから夜のデートには赤ワインを用意しよう、と薪は思い、次の朝、目覚めて自分の不甲斐なさを呪う青木の姿を想像して、くすりと笑った。

 忍び足でクローゼットに入って、ワイシャツとネクタイを手に取り、少し迷ってネクタイは元に戻した。いつものダークスーツを着て、カシミヤのコートを手に持ち、薪は部屋を出た。




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シングルズ(5)

シングルズ(5)





「おかしい。絶対におかしい」
「俺もだ。不思議で堪らない」
 モニターに映った車のナンバー部分を拡大し、プリントボタンを押しながら、小池と曽我は何度も首を捻っていた。
 さすがは科警研随一のエリート集団、法医第九研究室だ。クリスマスイブ、それもあと1時間で日付も変わるという時刻に、こんなに仕事熱心な人材が二人もいるとは。常日頃から『職務には120%の力を注げ』と室長に指導されているだけのことはある。

「「山本があんな美人と結婚できるなんて」」
 …………他人を導くのは難しい。

「実は彼女はむかし犯罪に手を染めたことがあって、たまたまその事件を担当した山本が、求刑の軽減を条件に彼女に結婚を迫ったとか」
 常日頃から『最大限に想像力を働かせろ』と室長から、以下略。
「ある! ありうる、そんなことやってそうな顔だよ、あいつは!」
「前科者が検事の妻になれるはずがないだろう」
「あ、そっか。じゃ、隠蔽だ。握りつぶして不起訴にしちゃったんだ」
「くっそ、俺も検事になればよかった! そうすりゃ今ごろ」
「世の中は美人の犯罪者で溢れかえってるな」
「「あははは……室長!?」」
 あまりにも自然に話に加わってきたものだから、ひとり増えたのに気付かなかった。無駄話をしていても、眼はモニターに据えられたままの第九の仕事では、よくこんなことが起こる。

「どうしたんですか、こんな時間に」
「ピザだけじゃ、腹が減っただろうと思ってな」
 大きい手提げ袋から次々に出てくるタッパーには、何種類もの料理。魚介のテリーヌを載せたブルスケッタ、サーモンとホタテと野菜のカルパッチョ、玉ねぎとミートボールのスープにメインのラムロースト、更にはデザートのブッシュ・ド・ノエルまである。

「「うわあ、すごい!!」」
 小池と曽我は、飛びつくように料理が置かれた机に寄り、前菜のブルスケッタを口に入れた。それから給湯室に、メインディッシュとスープを温めに行く。電子レンジを購入してもらっておいてよかった。最もあのときは、素直に喜べなかったが。
 捜査中の第九職員は、昼休みもロクに取れない。職員食堂に足を運んでいる暇はないから、売店の冷たい弁当で我慢するしかない。夏場はともかく、冬は温かいごはんが食べたいです、と室長に頼んだら、電子レンジを入れてくれた。そういう意味じゃない、とそのときは思ったが、あればあったで役に立つものだ。

「「めちゃめちゃ美味しいですっ!」」
 嬉しそうに割り箸でクリスマス料理をつつく二人を横目に、薪は彼らがまとめていた報告書にざっと目を走らせる。ヤケクソで仕事をしているから荒さが目立つかと思いきや、そんな様子は何処にもない。いかなる心境でもクオリティの高い仕事をする、そんな彼らに薪は誇らしさを覚える。
 当然だ。こいつらは、僕が育てた部下だ。

「このラムロースト、やわらかくて、バジルソースがサイコー!」
「ああ~、熱いスープが五臓六腑に染み渡るっ」
 真夜中近いというのに、旺盛な食欲を見せる部下たちを微笑ましく思いながら、薪はスープをマグカップで飲む。夕飯に作った玉ねぎのファルシーのアレンジだが、けっこういける。
「これ、いつもの総菜屋さんですか? 室長のご自宅の近くの?」
「そうだ」
 小池の問いかけに、薪は平然と頷いた。休日出勤の褒美にと、今まで何回も差し入れは持ってきているが、総菜屋から買ってきた、というウソを貫いている。
 料理は薪の趣味の一つだが、男らしいとはお世辞にも言えない。男の中の男を自称している薪には、なるべくなら他人に知られたくない側面なのだ。

「総菜屋さんて、今頃までやってるんですか?」
「――――― っほ、ごほっ! い、イブは、特別営業でなっ!」
「うわあ、ラッキーだったなあ。聞いてくださいよ、青木のやつ、夜食買って来てくれって頼んだのに、デリバリーのピザでバックレ……あれ?
 なんで室長、俺たちの夕食がピザだけだって分かったんですか?」
「!!! そ、それはそのっ、えっと、つまり……け、刑事のカンだ!」
「「へええ」」
 二人の尊敬の眼差しに、心がチクチクと痛むのをやり過ごし、薪はケーキを箱から取り出した。

 ノエル1本は、3人では余ってしまうだろう。青木に出してやればよかったか、と思うが、甘いもの好きの青木のことだから全部ひとりで食べてしまうかもしれないし、残っても「残りはどこへ?」と聞かれるに違いない。食い意地の強さは誰にも負けない男だ。
 適当な大きさに切り分けようと薪が包丁を構えたとき、
「あ――――っ!! 待ってくださいっ!」
 予期せぬ大声に、包丁を取り落としそうになる。意識して右手に力を込めて、薪は入口を見やった。聞き間違えかと思ったが、そうではなかった。やはり、彼だ。
 自宅のベッドで眠っていたはずの大男が、そこに立っていた。手にはコンビニの袋を持っている。

「青木。どうしたんだ、今頃」
「ただいま買出しから戻りましたっ!」
「「ウソを吐け!!」」
 ウソもここまでくると立派な冗談になる。

「すみません、さっき友人たちとのパーティが終わったところでして……これ、お詫びのアイスクリームです」
「おお、気が利くな。冷たいものが欲しかったところなんだよ」
「許してもらえますか?」
 恐る恐るといった口調でカップアイスを机に並べる青木に、小池は笑って、
「いいよ。おまえが手を抜いたおかげで、こんなに美味しいクリスマス料理が食べられたんだし」
「そうだな。いつもの勢いでとんかつ弁当とか食ってたら、この時間に腹が減らなかったかもな」
「曽我、おまえと青木は大丈夫だろ。なに食っても2時間で消化するじゃないか」
 第九で一二を争う大食漢二人に、小池が放ったきつい一言に、皆は笑い、薪も笑った。

「それとですね、ケーキを切る前に。これ」
「なんだ?」
 青木が差し出したのは、4本の蝋燭だった。長さは15センチほど、普通の蝋燭よりずっと細く、カラフルな色がついている。
「コンビニのケーキ売り場に、『ご自由にお取りください』て書いてあったんで、もらってきたんですけど。ちょうどケーキもあるみたいだし。
 薪さん、今日お誕生日ですよね。おめでとうございます」
「え。そうなんですか?」
「なんだ、曽我。知らなかったのか?」
「小池は知ってたのか?」
「当たり前だろ」と小池は答えたが、薪はそれは違うと思った。

 上司の誕生日を覚えることは、職務に含まれていない。薪は上司として、万が一に備えて部下全員の生年月日と血液型を把握しているが、部下のこいつらにその義務は無い。
「すいません、薪さん。でも、俺も今覚えましたから。もう忘れません」
 そう言ってやろうとしたのに、3人の部下たちがあまりにも自然に笑うものだから。職務や義務を引き合いに出そうとした自分が、薪は何だか恥ずかしくなる。

「……そんな下らないことを保管しておくスペースが頭の中にあるなら、MRIシステムのバックアップの手順でも覚えたらどうなんだ、曽我。毎回毎回、ポートを保存するのを忘れるのは、あれは何か、わざとやってるのか?」
「照れなくていいですから、ほら薪さん」
「てれ……! だ、だれがっ!!」
 蝋燭の立てられたケーキが薪の前に置かれ、モニタールームの明かりを消すために、青木が壁へと歩いていく。小池が応接室から持ってきた卓上ライターで蝋燭に火を灯したのを確認して、青木はスイッチを押した。

 部屋の照明がすべて消えると、一瞬視界を奪われる。ぼうっと光るのは小池のデスクのモニターの灯りと、ケーキの上に立てられた4本のろうそくの、ゆらゆらと揺らめく焔。頼りなく、不確かで、でも見る者の心を温めてくれる。

「一息で吹き消してくださいね」
「こ、子供じゃあるまいし、こんな真似」
「薪さん、早くしてください。ロウが溶けてケーキに着いちゃいます。せっかくのケーキがダメになっちゃいますよ」
 仕方なく薪は息を吸って、ふっと蝋燭の火を吹き消した。複数の拍手が響く中、蛍光灯の白い光が室内を再び照らし出す。
「「「おめでとうございます!」」」
「だから、僕はもう誕生日が嬉しい年じゃ」
 視界を取り戻した亜麻色の瞳には、何がそんなに嬉しいのか満面の笑顔で上司を見ている3人の部下の姿が映る。ボーナスが出たときみたいに浮き浮きした顔をして、合コンの計画がまとまったときのようにはしゃいでいる。
 それを彼らの純然たる好意と受け取れないのは、薪の悲しいクセだ。
 上司と部下の間には、利害が絡むものだ。彼らの人事考課やボーナス査定も、薪の胸先三寸に掛かっている。だから、部下である彼らは自分には逆らわないし、よっぽどのことがなければ機嫌を損ねるような行動も取らない。それを計算高いとかいやらしいなどと考えるのは間違いだが、鵜呑みにして喜ぶのも愚かなことだと―――――。

「…………ありがとう」
 薪は途中で自分の思考を止めた。止めて、礼を言った。
 鵜呑みにするのは愚かなことかも知れないが、こんな風に考えるのはもっと下らないと思ったから。

 薪が照れ臭そうに言い慣れない言葉を口にすると、お調子者の曽我が立ち上がって、
「薪さん、俺、そのチョコレートプレートのところがいいです!」
「俺にはイチゴの飾りのあるところを下さい」
「じゃあ、残りは全部オレが引き受けますねっ」
「……僕の分は?」
「「「はい、ローソク」」」
 なんて美しいコンビネーションだ、こいつら。
「きれいにハモりやがって。僕の誕生日なんだからなっ、これは全部僕が食う!」
 ぎゃあぎゃあ喚きながらゲラゲラ笑いながら、薪が適当な大きさにケーキを切り出すと、青木はコーヒーを淹れに席を立つ。しばらく待っても帰ってこないところを見ると、さすがは第九のバリスタ、インスタントで済ませるつもりはないようだ。

 食事の続きに戻った小池たちを置いて、薪は給湯室へ向かう。薪はコーヒーを淹れるときの、あの馨しい香りが大好きだ。この機会を逃す手はない。
「青木。ゆっくりでいいぞ。曽我たちはまだ、料理を食べてるから」
「はい」
 狭い給湯室、クッキングヒーターの前に並んで立って、お湯が沸くのをじっと待つ。細く窄まった薬缶の口から白い蒸気が上がってきて、その時が近づいたことを知らせる。ミル挽きしたコーヒーのいい匂いが部屋中に広がって、真夜中には相応しくない飲み物の、しかしこの強烈な誘惑にはどうしても逆らえない。

「……何故わかった?」
 コーヒーフィルターをドリッパーにセットしている青木に、薪は訊いた。
「僕がここに来るつもりだったって、おまえ、最初から分かってただろ。だからその、今日は……あ、アッサリ済ませてくれたっていうか」
 丁寧に動く大きな手が、ミルからコーヒーをドリッパーに移し、トントンと叩いて表面を平らにする。シュンシュン言う薬缶を濡れ布巾の上に置いて、待つこと1分。
 薬缶の中のお湯の温度は約90℃。ドリップ作業の開始だ。

「料理が」
 大きな手が薬缶を取り上げ、粉の中心に、細くゆっくりとお湯を落していく。ふわあっと広がる、強い香気。
「キッチンに残った匂いと、料理の内容が合わなかったから」
「匂い? そんなに強く匂ったか?」
「オレ、鼻が利くんです。ラムローストの香草の香とか、カルパッチョのビネガーの匂いとか、生クリームのバニラの匂いとか。なのに、それを使った料理が無かったから。きっと何かの理由で取り分けてるんだと思いました」
 粉が丸く膨らんできたら、手を止める。腕時計の秒針を確認し、30秒後に再びお湯を注ぎ始める。

「周到なあなたのことですから、予定外のことでもなければ当日の分から取り分けるなんてことはしない。だから、突発的に差し入れたい相手ができたんだなって」
 サーバーにコーヒーが落ち始めたのを確認して、青木は手の動きを大きくする。やや大きめの『の』の字を書くように、しかし決して縁には掛からぬように細心の注意を払って、粉をムース状に保つよう努める。
「小池さんと曽我さんしか、考え付きませんでした」
 サーバーにコーヒーが大分落ちて、青木は落す湯量を増やす。目的の目盛りまで抽出液が到達するのを待って、サッとドリッパーを外した。

 サーバーを持ち上げて一言、
「一応、言っておきますけど。オレは、ワインを飲んでも眠くなったりしませんから」
 ……やっぱりタヌキ寝入りか。食えないやつだ。
 不自然だと思ってはいたのだ。飲み慣れないとはいえ、あれぐらいのワインで青木が寝入ってしまうなんて。

「どうしてそんな」
「だって。薪さん、オレが起きてたら気兼ねして出られなかったでしょ。オレがどんなにあなたと過ごす夜を楽しみにしてるか、ちゃんと分かってくれてるから」
 お湯を注いで温めておいたコーヒーカップに、静かにコーヒーを注ぎ分ける。4人分のコーヒーを注ぎ終わったところで、青木はふっと苦く微笑んだ。

「でも、ホント言うと、ちょっと寂しかったです」
 空になったコーヒーサーバーを水に浸け、コーヒーを運ぶための盆を用意しながら、
「『今日じゃなくてもよかった』って言われたことも、小池さんたちに差し入れに行きたいって話してくれなかったことも。薪さんが他人に気を使う性格なのは、もう解ってますけど。オレには遠慮しないで、何でも言って欲しいです」
「それは助かる。じゃあ、赤十字は半年に1ぺんてことで」
「……そう来ますか」
 
 薪は日付には拘らない。クリスマスも誕生日も正月も同じ1日24時間、世界は廻り、いつもと変わらぬ日常が重なっていくだけだ。
 だけど、やっぱりそこにはある種の魔法が存在するのかもしれない、と絶望に打ちのめされた青木のベソかき顔を見ながら、薪は思う。そうでもなければ、いま薪の感情のすべてを支配している、飛び跳ねたくなるようなこの嬉しさは説明がつかない。
 青木を苛めるのは楽しいし、彼の淹れたコーヒーを飲めるのも嬉しいが、これはそんなレベルの嬉しさじゃない。何年経ってもこの日のことを思い出せば、またこの感覚が取り戻せる、永久に霞まない喜びのメモリィ。そんなものはありえないと分かって、でもどうしても今だけはそれを信じたくて、薪は口を開いた。

「気を使ったわけじゃない」
 盆の上から自分のコーヒーを取り、薪はその香りに眼を細める。行儀悪く立ったままでカップを傾け、一口含んで幸せそうに頬をほころばせる。
「本当に、今日じゃなくてもかまわなかった。僕は」
 くるっと身体を反転させ、細い背中を見せて薪は言った。
「僕はおまえさえいてくれれば、日付なんかどうだって」

「「青木、コーヒーまだかー?」」
 薪の声に重なるように聞こえてきた二人の声に、青木は薪の言葉を聞き逃し、薪は自分を取り戻す。
 あぶないあぶない、またもやクリスマスマジックに引っかかるところだった。

「はーい、今お持ちします」
 盆を持って給湯室を出ようとした青木に一歩先んじて、薪は歩き出した。薪の耳元で、青木がそっと囁く。
「薪さん、すみません。今、『おまえさえ』の後、なんて?」
「おまえみたいな冴えない男に祝ってもらったって、嬉しくも何ともない、って言ったんだ。かわいい女の子がいい。深田○子似の。僕を喜ばせたかったら、どっかから調達して来い」
「……また、脇田課長にでも頼みますか」
 虚ろな目をして組対5課の課長へのお願いを提案した青木を、薪は横目で見てにやりと笑う。
 薪の顔の高さで、盆に載った3つのコーヒーカップから漂う湿った香気が、不発に終わった魔法の残骸のように揺らめいた。




(おしまい)




(2010.12)



 クリスマス企画のクセに、ぜんぜん甘くなかったですね。 しかもこれ、クリスマスと言うよりは誕生日ネタだし。 ←テンプレ、変えた意味ない。
 まあ、無理ないよ。 結婚して15年、クリスマスは毎年仕事というわたしが書いたんだもん。
 今年だって、世は3連休でクリスマスイルミが何とか、レストランの予約がどうとか言ってるのに、ずーっとパソに向かって下水道管がどうのマンホールがこうのって、しかも農集の設計書、見るのめんどくさっ!! 300Pもある数量計算書、一枚一枚めくってたら年が明けるわ!!

 ……『みんな一緒に不幸になればいい』 ←やがて自分に還る呪詛。 


 ところで、
 メロディ発売まで、あと3日ですね♪
 カレンダー、楽しみだなあ。 早く続きが読みたいなあ。


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今日もジーンは道に迷う

 こんにちは。

 「シングルズ」に於きましては、クリスマス企画とか言いつつ、ぜんっぜんロマンチックじゃなくてすみませんでした。 お読みくださった方にはご承知の通り、完璧にギャグでしたね。 せっかく変えたクリスマス仕様のテンプレートと、話の内容がまったく合いませんでしたからね。

 クリスマスの甘いデートを期待していた方々に、肩透かしの罪滅ぼしといっては何ですが、
 つい最近書きました糖度高め (←あくまでも当ブログ比) の雑文でございます。
 よろしければどうぞ。(^^
 
 
  

 


今日もジーンは道に迷う







 薪とは意見が合わない。
 感じ方も考え方も違う。頭のデキも違うし、年も大分離れているから、そのせいもあるのかもしれない。でも一番の原因はきっと、薪の天邪鬼な性質によるものだと思う。

 例えば、合わせた肌から伝わる熱が互いの体温を奪い合い且つ与え合い、温度を等しくしていくのと同じにその感覚すらも共有していると感じ。相手への愛しさで溺れ死にしそうな気分を味わう、こんなとき。
 青木はいつも思うのだ。
 地球上に生命が誕生したのがおよそ40億年前、気が遠くなるほど長い時流の果て、正にこの時代、この国に生れ落ち、世界の人口75億人の中でたった二人巡り合えた幸運とか、互いにその性癖を持たなかったはずなのに男同士愛し合えた奇蹟とか、これはもう神さまが定めた運命だったと、青木は本気でそう思っているのに。

 青木がそれを言葉にしようものなら、薪は心底呆れ果てた溜息と共にやや乱れた前髪を指で梳き上げて、
「なんかヘンな宗教でも始めたのか」
 それがベッドの中で恋人に言うセリフですか?

 ちょうど一回目が終わって、小休止のピロートークの時間。二回目につなげるためにも愛情を高める会話がしたかったのに、この切り捨て方。薪さんが二度目したくないのは知ってますけど、ちょっとヒドくないですか?

 これで青木は、けっこうなロマンチストだ。もともとドラマティックな恋愛に憧れる傾向があった彼は、薪という恋人を得て、ますますその憧憬を強くした。薪は見た目、ドラマの主演女優が霞んでしまうような麗人だったからだ。
 しかし、それはあくまで見た目だけ。中身はものすごくシビアなひとで、恋に酔うことなんかあり得ない。それもそのはず、彼の中では恋愛はさして重要なものではなく、譬えるなら夏の夜を彩る花火のようなもの。あれば楽しむのはやぶさかではないが、なくても一向に困らない。
 青木は愛する人のいない人生なんか生きる価値もない、とまで思っているが、薪にとって人生の最重要課題は仕事だ。それは青木との数少ない逢瀬の時を狙いすましたかのように掛かってくる所長からの緊急呼び出しに、薪が微塵の躊躇もなく応じる姿に表れている。部屋でのんびり過ごしている時ならまだしも、こうして身体をつなげている最中でさえ一瞬で仕事モードに切り替われるのだから恐れ入る。青木には絶対に無理だ。

「薪さんて、どうしてそんなにドライなんですか?」
 青木の肩に頭を乗せて呼吸を整えていた薪に、いささか尖った青木の声が掛かる。薪は眼を開け、青木の憤慨をいなすように苦笑いした。
「おかしいのはおまえだろ」
 心外だ。熱愛中の恋人に運命を感じる、それの何処がおかしいのだ。
「運命の相手が男って、どう考えてもヘンだ。そんなんがまかり通る世の中だったら、とっくに人類は滅びてる」

 それはあくまで生物学的見地によるものであって、恋愛の教義ではない。恋愛は精神的なものでしょう、と青木が意見を返すと、薪は人を見下す眼になって、
「恋愛感情なんか、遺伝子に組み込まれた信号に過ぎない。感情を伴った生殖行為の方が、そうでない行為よりも成果を上げやすいことは知ってるだろ? いつだったかおまえも言ってた、オーガズムを感じると女性は妊娠しやすくなるって、あれだ。つまり恋愛感情も、種を繁栄に導くために遺伝子が仕掛けた戦略の一つに過ぎないってわけだ」
「だったら、オレが男のあなたに恋をするのはおかしいでしょう? 子孫は望めないわけですから」
「よくそこに気が付いた」

 よしよし、と薪は青木の頭を撫でてくれた。完全に馬鹿にされているのは分かったが、薪の手を払うなんてもったいないことは青木にはできない。プライドなんかとっくに捨てた。

「その通りだ。おまえの遺伝子はエラーを起こしてる」

 断定されて、青木はつむじを曲げる。
 何年も捧げた恋心をタイプミスみたいに言われて、面白いわけがない。命に代えても惜しくないと思うくらいなのに、この気持ちが遺伝子のエラー?

「薪さんが運命論者じゃないのは知ってますけど」
「勘違いするなよ、僕は運命の相手の存在を否定してるわけじゃない。でもそれは異性に限られる、って言ってるんだ」
 恋愛感情さえ種族保存の本能に基づいた遺伝子の為せる業だと考えるなら、運命の相手は必然的に異性になる。理屈は分かるが、青木は納得しない。

「じゃあ、1億歩ほど譲って、オレに運命の女性がいたとしてですね」
「地球二回り半か」
「地球の外周は約4万キロだから1歩を1mに換算すると譲った距離は地球二回り半、ってそういう意味で言ったんじゃないですっ!」
 日本語って難しい!

「嫉妬してくれないんですか? その女性に」
 薪の小さな頬を手で包んで彼の顔を覗き込むと、薪は森の奥の湖面のように澄んだ瞳をしていた。先刻からの薪の言葉は、青木をからかっているわけでも意地悪を言っているわけでもない、本気でそう思っているのだと分かって、青木の背中を冷たいものが駆け下りる。
 自分は薪以外の人なんか考えられないのに、薪はそうではないのだろうか。何度抱き合っても、それは一時の感情。そんな風に思っているのだろうか。

「オレは、薪さんに自分以外に運命の相手がいると思ったら、ものすごく悲しいです。悲しくて、腹立たしい。薪さんは違うんですか?」
「悲しくもないし、腹も立たないけど」
「どうしてですか!?」
 訊いたけれど、聞きたくないと思った。
 薪がさらりと答えるものだから思わず尋ねてしまったけれど、理由は分かってる。分かっているから聞きたくない。しばらく聞かなかった薪の得意のセリフ、『おまえが望むなら、いつでも別れてやる』。できれば二度と聞きたくなかったのに、一緒に暮らし始めてからは聞かされたことはなかったのに。不用意な質問を悔いてももう遅い。
 薪の唇が開くのを見て覚悟して、だけど青木の耳に届いたのは、聞き慣れた薪の憎まれ口ではなく、初めて聞く言葉だった。

「だって、僕が勝つから」

 勝ち負けの意味が分からなくて、青木はぱちくりと目を瞬く。青木の闇色の瞳の中、鱗粉を纏ったように仄かな輝きをもって、薪は傲慢に言い放った。
「世界中の女性を集めて、一人一人おまえに引き合わせたとしよう。その中には絶対に、おまえの運命の女性も混じってるはずだ。それでも、おまえは僕を選ぶに決まってる。
 何処の誰だか知らないけど、おまえの運命の女性に僕は勝った。そういうことだろ?」
 分かりきったことを訊くな、というように、薪の顔つきは普段通りの澄まし顔。驚きに瞬く青木の黒い瞳を自分の瞳で縫いとめて、余裕の確認作業に掛かる。
「ちがうのか?」
「いえ、違いません」

 運命より強い何かで。
 自分は彼に愛されている。

 人生に於いて恋愛感情などさして重要ではない、まったく重要ではないと繰り返す彼の愛はきっと、もっと大きな何か。地球規模だか宇宙レベルだか、それは青木には想像もつかないほど大きな何か。
 薪への恋愛感情に囚われているうちは永遠に見えてこないであろう彼の真意は、決して複雑でもなく屈折してもいない。彼の曲がりくねった性格とは対照的に、それはそれはイノセンスな波動。

 絶対的な信頼と一欠片の疑念もない未来観。
 相手を信じるって、こういうことじゃないのか。

「薪さん」
 青木はやにわに薪を抱き寄せ、腕の中に閉じ込めた。唐突な拘束にもがく細い身体を更なる強さで封じ込め、やがて諦めた薪が青木の背中に腕を回してくるのを心地よく感じる。
 薪が自分に預けてくれた信頼が、どんな愛の言葉よりも嬉しい。

「薪さんも同じですよね」
 腕を緩めて、薪に自由を返し、青木は彼の肩に手を乗せた。この方が、薪の顔がよく見える。
「世界中の女性を集めて、その一人一人と会ったとして、それでもオレを選んでくれますよね?」
 分かりきっている答えを聞きたがる青木を、見上げた薪の顔は意地悪そうな笑い顔。嫌な予感がする。

「さあ。それはどうかな?」
 裏切られて呻く青木に、ははは、と笑って薪はベッドから抜け出した。




(おしまい)


(2011.11)



 あれっ、やっぱり甘くならない……?
 いいやもう。 早いとこテンプレ戻そう。(笑)

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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 こんばんは。

 大晦日のこの時間になっても大掃除が終わらないしづです。 ←事務所、窓しか拭いてない。
 しかも、個人的な年賀状は今日投函したと言う。 なんてまあ段取りの悪い嫁でしょう。 わたしなら絶対にこんな嫁もらわないな。 外したな、オットよ☆


 明日から新年ですが、うちの会社は仕事でございます。
 工業団地の配水管工事で、元日しか断水できないとか。 3日からは工場が動くので、それまでに繋ぎ込みするんですって。
 おそらく1日の夜は夜間工事になるので2日の昼間は爆睡。 よってうちのお正月は2日の夜に来る予定です。 だから、事務所の大掃除は明日やってもいいよね? おせちも明日作ればいいや。 


 と言うことで、年末のご挨拶です。 ←何が「と言うことで」なんだか。

 今年は色々と大変なことがございました。 そんな中、当ブログにお越しいただきましたすべての方に、お礼申し上げます。
 また、様々な事情から更新が滞りがちだった最中、励ましてくださった方々に、心からの感謝を捧げます。 
 それと、幸運にもオフでお会いできた方々、面倒見ていただいてありがとうございました。
 来年も仲良くしてくださいね。(^^


 以上です。
 ……お礼、みじかっ!!

 すみません、言葉が出なくて、ご挨拶とかあんまり得意じゃないので~、(←社会人失格)
 お礼代わりに一昨年の年末、大掃除をしながら思いついたSSを。
 (その前にコメントのお返事を返すべきでは、と思ったんですけど、すみません、まとまった時間が取れなくて……本当にすみませんっ!)


 ツイートは本来「さえずる」という意味なのですけど、この場合はツイッターのツイートで「呟く」という意味です。
 よろしくお願いします。




ツイート




 土曜日、AM9:00

 36回目の寝返りを打った後、拝跪するイスラム教徒のごとくベッドの上に突っ伏して5分、心地よい毛布の温もりと柔らかな枕の誘惑を断腸の思いで振り切って身を起こす。正座の姿勢で更に5分、頭に血液が上がってくるのをじっと待つ。このプロセスを省略すると、低血圧の身体は床に下りた途端、膝が崩れてしまう。
 重い頭のせいで、身体のバランスを取るのに苦労する。起き抜けはいつもこの調子だ。壁やソファの足にぶつかりながらリビングを通りぬけ、まずは風呂のスイッチを入れる。サニタリーの床にうずくまり、湯が沸くまでの10分を待つ間にも眠りそうになる。
 給湯器に「お風呂の用意ができました」と声を掛けられ、びくっとして眼を醒ます。
 ……眠ってた。

 のろのろと寝巻きを脱いで風呂に入る。41度のお湯に身を浸して、はーっとため息を吐く。自堕落にバスタブの背にもたれて、とっぷりとお湯に浸かる。眼を閉じて、血流が脳に行き渡るのを実感し、そこでようやく覚醒する。
 ザバッと湯から上がり、簡単に身体を洗う。シャワーで泡を流した後、もう一度湯船に浸かりたいと思うが、給湯パネルの時刻を見て諦める。

 今日は、彼が来る。




 同日、AM10:00

 朝食を済ませた後、布団を干す。シーツと布団カバーをはがして洗濯機に入れる。自分の枕と、予備の枕をひとつ用意してマットレスの上に並べて干し、リビングへ戻る。
 エプロンの紐をぎゅっと締めて、気合を入れる。ハンディモップを右手に持って腕まくり、「よし」と自分を鼓舞する。
 本棚の上方の埃を落とすことから始まって、机、パソコン、ローテーブル。サイドボードにテレビにソファ。一人暮らしの2LDK、でも生活には様々なものが必要で、そのすべての埃を払おうと思うとけっこう手間が掛かる。

 ソファは特に念入りに拭く。
 このソファには、彼が必ず腰を降ろす。ここに並んで座って、テレビを見たり、コーヒーを飲んだり。同僚の噂話をしたり、次の休みの計画を立てたり、とにかく色んな話をして、笑って、ふざけあって。
 そうこうしているうちに、手が触れたり身体が近付いたりして、キスくらいはしちゃうかも……おっと、掃除掃除。

 掃除機をかける。
 床にものを置くのは嫌いなので、障害物はない。おかげで掃除機のヘッドはすいすい進む。それが済んだら床磨き。平日はモップで拭いてお終いだが、今日は丁寧に雑巾がけをする。裸足で歩いてみれば解るが、モップと雑巾では、床の滑らかさが違う。別に裸足で歩く予定があるわけではないが、あ、でも、もしかしたら裸の背中が触れることになるかも知れ……その事態は回避してみせる、絶対。

 余計なことを考えていたら、床を拭く腕に力が入りすぎた。靴下で歩いたら滑って転ぶくらいにピカピカになって、仕事の質としては合格だけど、明日は筋肉痛確定。




 AM11:00
 次はキッチンの掃除。

 夕食はここで摂る。彼と一緒に作って、二人で食べる。
 四方山話をしながら、冗談を言い合いながら、楽しく料理をする。彼が刻んだ玉ねぎを僕が炒めて、彼が皮を剥いたジャガイモを僕が煮込む。僕が味をつけた肉を彼が焼き、僕が用意した皿に彼が盛り付けをする。そんなふうに、ひとつの料理をふたりで作る。
 
 同じ皿から料理を取り分けて、戯れに相手の皿から肉だけ掠め取ったりして、笑いながら食事をする。ここにテレビはないけれど、彼と一緒に食事をしていて退屈したことはない。彼が食べているのを見ているだけでも楽しい。
 彼はすごく幸せそうに食事をするから、見ているこっちにも幸せが伝わってくるようで。彼が幸せなら僕もしあわ……だから掃除だってば。

 テーブルやシンク、クッキングヒーター周りはもちろん、レンジとかポットとか炊飯器とか、器具の汚れや埃もきちんと拭う。それから冷蔵庫の中の整理も。ダイニングは隅から隅まで清潔にしておきたい。食事をするときに電灯の笠の埃に気付いたら、せっかくの料理が台無しになる。
 ていうか、ダイニングテーブルの上に仰向けにされて、身体を揺すられたときに上から埃が落ちてきたら困……巻き戻しの上訂正。

 腕の痛みが倍増。テーブルを拭きすぎた。





 AM12:00

 食事の次は風呂だ。
 たいていは彼と一緒に入る。背中を流してやったお返しに、髪を洗ってもらったり。お互いの身体を洗いっこすることもある。もちろんふたりとも裸だけど、別にヘンなことにはならない。くすぐったいところをわざと丁寧に洗ったり、湯船のお湯を頭からかけたりして、ケラケラ笑い合うことが多い。

 危ないのは湯船に入っているときだ。
 彼が僕の後ろに座る体勢になるから、彼の手は僕の身体をさわり放題。肩や足を触ってるうちはいいけど、段々に身体の中心に手が伸びてきて。外から触るんならまだしも、内側にまで入り込まれると、もうどうにでもしてくれって感じに……頼むから掃除しようよ、僕。

 窓を開けて換気扇を回し、タイルにカビ取り剤をスプレーする。3分間放置した後、湯船のお湯を再利用して、床や壁の掃除をする。シャワーヘッドやホース、桶や椅子の汚れを落とし、蛇口や鏡もピカピカに磨いておく。水垢専用のクリーナーを使うと面白いくらいに汚れが落ちて、ついつい時間を忘れる。

 壁も床も天井も、眼に入りそうなところは真っ白に仕上げたい。排水溝の奥まで、しっかりと洗浄しておきたい。
 だって、はだかで抱き合ってるときにふと天井の隅のカビが目に付いたり、排水溝から嫌な匂いがすると興ざめ……前二行削除。


 

 寝室の掃除に行く予定を急遽変更。ちょっと気分を変えないと、筋肉痛が腱鞘炎に進行しそうだ。
 玄関とトイレ、クローゼットを掃除する。
 玄関は靴箱の中から三和土の隅々まで、きちんと雑巾をかける。見た目にそれほど汚れていなくても、バケツの水は真っ黒になった。

 トイレの掃除は毎日しているから、今日はタンクの中と壁と電灯に重点を置いた。タンクの中は水垢がびっしりで、黒ずんだ汚れを落とすのに一苦労した。
 さすがに、この空間では思考の暴走はない。玄関やトイレで何をどうしろって、あ、でも、クローゼットは姿見があるから、彼の好きな羞恥プレ……だれか僕の思考を止めてくれ。
 てか、右腕がパンパンに張っちゃったんだけど。






 PM1:00

 寝室の掃除はいかにもヤバそうなんで、(何が、とか突っ込まないのが良識の見せ所だ)先に買い物に出ることにした。昨夜のおかずの残りで簡単に昼食を済ませて、歩いて30分のスーパーマーケットに到着。
 今日は歩きで来たから、カートは使わない。買いすぎ防止のためだ。持って歩けないほどの量を買ってしまったら、帰りの30分は苦行だ。

 いきなりだけど、メインディッシュから選ぶ。野菜や果物の買い置きは家にあるから、足りないのは肉と魚。今日の分だけあればいいのだから、それほどの量にはならないと踏んでの徒歩だ。買い物は計画的に。無駄遣いを防ぐ基本だ。
 肉売り場に行くと、国産牛の特売をやってて、メインはすぐに決まった。自分では肉より魚が好きだけど、彼は肉の方が好……特売だったから! 彼の喜ぶ顔とか、どうでもいいから!!

 でも、ちょっとだけ想像してみる。
 鉄板の上のステーキを見た彼はきっと、「わあ、美味しそうですね!」って子供かおまえは。あんなバカ面、知性の欠片も感じられない、でもバカな子ほどかわいいってのは言い当て妙で、こんな単純なことで喜ぶ彼を見てると抱きしめて頬ずりしたくなるくらい愛おし……買い物っ! 買い物に来たんだ、僕は!!

 買い物カゴの中を見ると、何故か肉のパックが5個も入ってた。誰が食うんだ、こんなにたくさん。まあ、ステーキ肉をステーキ以外の料理に使っちゃいけない決まりもないし、特売だし、って、必要以上に買ったら節約にならない、と考えるそばから浮かぶ彼のリアクション。
『これ、全部食べていいんですか?』(笑顔付) ……いいや、もう。

 予想以上に重くなってしまったから、後は明日のパンだけ買っていこうと思い、パン売り場への通路を通る。途中、オレンジジュースを手にとって、隣に並んでいる牛乳のパックに気付く。
 僕は大の牛乳嫌い、でも彼は牛乳が大好き。
 朝はコーヒーとオレンジジュース、別に彼もそれに文句を言ったことはない。オレンジジュースも好きみたいだし、両方買ったら荷物が重くなる。だからここは、
『あー、風呂上りの牛乳って最高!』(超無邪気な笑顔付) ……1本だけだぞ、1本だけ!

 別に飲んでもいいけど、僕にキスする前には必ず歯を磨いて欲し、ストップ、マイ妄想! 周りに人がいるのに、お願いだから止まって!!

 冷凍食品のコーナーに差し掛かった。
 ハーゲンダッツのアフォガードを探すが、見当たらない。人気が無いのか、取り扱う店が減ったみたいだ。残念。
 彼の好きなクッキー&クリームはある。買って行ってやろうかと思いかけて、でも、帰りは30分も歩かなきゃならないからアイスを買うとドライアイスも必要になって、ますます荷物が重くなる。肉と牛乳で只でさえ重いのに、
『わあ。オレ、このアイス大好きです』(天使みたいな笑顔付) ……仕方ないな、1個だけだぞ。
 早くパンを買って帰ろう。でないと、買い物カゴが二つに増えちゃいそうだ。

 パン売り場がやたらと遠い。
 あ、新発売のこのお菓子、彼が食べたがってた。お、たい焼きのパックがある。そう言えば最近、和菓子の美味しさに目覚めたとかって言ってたような。いや、それなら僕が作ってやったほうが喜ぶかな? 牛乳も買ったことだし、小豆で餡を作って、小麦粉でパンケーキを焼いて挟めば、ドラ焼きもどきが簡単にでき……誰か、僕のこの右手をつかんで、「目を覚ませ!」って怒鳴りつけてくれないかな…………。

 食パンの袋が置かれたのは、牛乳とカップアイスと新発売のチョコレート菓子と小豆の袋の上だった。
 結局帰り道は、両手に大荷物を持って30分の筋力トレーニング。
 ……両腕が痛い。




 PM2:30

 買ってきた食材を冷蔵庫と戸棚にしまう。干しておいた布団を取り込む前に、寝室の掃除をする。
 ベッドシェルフの埃を払い、掃除機をかけ、ベッドの下の埃をよーく掻き出して、モップで拭き取る。繰り返し、何度も拭き取る。
 ……ベッドの上で激しく動いたときに埃が立つと嫌だからだけど、それが何か!?

 布団を取り込んで、乾燥機の中でふんわりと乾いたシーツとカバーを掛ける。お日さまの匂い、すうっと吸い込むと身体の中が温かくなるみたいだ。
 この布団に彼とふたりで包まって、安らかな眠りに就くことを想像する。
 彼の寝顔はとても満ち足りてて、僕の寝顔は、
 なんでだろう、疲労困憊して青白い顔で死んだように寝てるんだけど。どうしてそんな状態になってるんだろう。

 糊を利かせた清潔なシーツを、マットレスとベッドパッドを包むようにかける。ダブルベッドは幅が広くて、皺を作らないようにするには技術がいる。まあ、どうせ眠るまでには色んなモノがついてぐちゃぐちゃになっちゃ……いいだろ、自分で洗濯するんだから! 誰にも迷惑掛けてないだろ!!

 暖まって膨らんだ枕。二つ並べるのは、ちょっと気恥ずかしい。だけど必要なものだし、あ、いや、眠るときは多分、彼の腕で、
 何か文句ある?!
 ベッドシェルフの引き出しを引いて、中の在庫を確認、
 何を確認したかは聞かないでっ! お願いだからもう放っといてっ!

 寝室の掃除完了。
 なんか、ものすごく疲れた……。




 PM3:00

 約束の時間まで、あと1時間。シャワーを使う。
 髪と身体を丁寧に洗う。寝る前には彼と一緒に風呂に入るけど、その前に何かあったら大変だから、って別に期待してるわけじゃないからな!?

 実は、この頃ベッド以外の場所でいきなり始まっちゃうことが多くて、僕としてはすごく困ってるんだけど、それはどうやら彼ばかりが悪いわけじゃないことが分かって、それを拒めない僕にも原因がある、というよりは僕が誘ってるって彼は言い張って、でも僕にはそんなつもりは全然なくて、ただ、彼に求められるのは嫌な気分じゃないから、彼がくれる刺激は決して不快なものじゃないから、身体が勝手に動いちゃうっていうか、本能が理性に勝るっていうか、要するにすっごくキモチイイ……じゃなくて! 念のためだ、念のため。保険みたいなもんだ。

 足を広げて、石鹸を泡立てて、指で丹念に洗って、
 何をって聞かないでねっ! 僕は答えないからねっ!!
 それから指を入れて、奥まできれいにして、
 何処をって聞いたら殴るよ!?

 寝室からこっち、すっごく疲れるんだけど、この心のつぶやき。
 もう、やめていい?




 PM3:30

 リビングで彼を待つ。
 床もサイドボードもピカピカに光ってる。掃除は完璧。夕食の材料も、風呂の備品も、彼の歯ブラシとタオルとパジャマも用意した。
 
 ローテーブルに置いておいた携帯電話が鳴った。きっと彼からだ。時間には少し早いけど、着いたという連絡をくれたのだろう。
 恋人なんだから、玄関のチャイムを鳴らせば中に入れてやるのに。奥ゆかしいやつ。そういうところもかわいいと思……。

 着信の名前を見る。フラップを開き、耳に当てる。
「薪だ。……分かった、すぐ行く」





 PM6:00

「よって、一刻も早い容疑者の確定と被害者の共通点を割り出すことを最重点項目として捜査を進める。以上、各人、分担のデータ検証にかかれ!」
「「「はいっ!」」」
「いいか、この事件の犯人は極悪非道冷酷無比、人として断固許すことの出来ない重罪を犯している。 我々はこの凶行を見逃すわけには行かない」
「「「はいっ!」」」

「細部まで余罪を追及して、二度と太陽を拝めないように、ぜーったいに刑務所にぶち込んでやる、検察に圧力かけて無期懲役にしてやる」
「「「……はい?」」」
「ていうか、取調べは僕がしたい。竹内に頼んで取調室に呼んでもらって、見えないところで骨の2,3本」
「「「……室長?」」」
「あんなに苦労したのに、恥ずかしい思いもたくさんしたのに、こいつのせいで全部水の泡に……ええい、おまえら何やってんだ、さっさと仕事にかかれっ!!!」
「「「は、はーいっ!」」」

「さすが室長。仕事の鬼」
「正義感の塊というか。土曜も日曜も関係ないもんな、見上げた根性だ」
「ていうか、あのひとから仕事取ったら何にも残らないんだろ」
「ほんと、イキイキしてるよなあ。仕事してるときの薪さんて。――――― どうした、青木。なんで捜査始まる前から机の陰に屈んで泣いてるんだ」
「いいんです……デートよりも仕事が優先なのは当たり前ですから」

「青木、女とデートの予定だったらしいぞ」
「青木のくせに生意気だな」
「薪さん、仕事大好きなの知ってますから……オレよりも仕事の方が大事だってことも……でも、あんなにあからさまに生き生きされちゃうと……取調べまで自分の手でやりたいなんて」
「なんだ、その神さまに見捨てられた殉教者みたいな泣きっぷりは。さては今回のドタキャンが原因で、彼女に振られたのか」
「違いますよっ、放っておいてくださいよ! うううう……」

 気になる会話が聞こえてきたけど、今は仕事が最優先。
 でもちょっとだけ。

 泣き顔も、かわいいと思った。





(おしまい)


(2010.1)



 読んでくださってありがとうございました。
 それではみなさま、よいお年を。(^^




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

ヘアサロン(1)

 こんにちは~。
 1週間のご無沙汰で、しかもまだお返ししてないコメントレスが2桁と言うヘタレな管理人で誠に申し訳ありませんっっ!! どうか広いお心で、もうしばらくお待ちくださいね。

 わたしが不義理をしている間に、新しいお客さまに来ていただきまして、過去作に拍手をたくさん、本当にたくさん、いただきました。 ありがとうございました。 おかげさまで、総拍手が18000を超えました。 うれしいです。(^^)←お礼のSSはどうした?
 最初から最後まで通して読んでいただいたみたいで、フルマラソン並にお疲れになったのではないかと、てか、それはもはや苦行だったのではないかと、
 うぎゃー、すみませんでした!! でも、ありがとうございました。 


 
 先週はずーっと現場で測量しててね~、ものっそい風が冷たかったの~。
 田舎の現場だから周りがオール畑で、風除けが無くてですね。 霜柱のせいでぬかるんだ土が道路端にはみ出してて、そこで滑って転ぶし。 ←バナナの皮を踏んづけて転ぶアニメキャラのように尻もちをついて、オットに爆笑された。
 8日の水曜日に開発公社の検査が入ってるから、(現在、その書類作りに追われています) 10日くらいには一段落着く予定です。 それ以降は通常運転ができると思います。 4月号発売の前に『ぱんでみっく・ぱにっく』も公開しておきたいし。 滝沢さんリターンズの話も、4月号を読む前じゃないと書けない気がする。
 がんばります。 
 

 それまでの場つなぎと言うわけではございませんが、その間、こちらでお暇を潰してください。

『言えない理由』が重かったのでね、毎度バカバカしいお話を一席~、というわけで。
 最近書いた雑文でございます。 (最近とか言いつつ、確認したら去年の11月でした。 年を取ると、月日の流れが速いねー) 


 うちの薪さんは街の美容室を利用しないばかりか「悪魔の巣窟」とまで酷評する、と言うかいっそ恐れている? というエピソードを『二アリーイコール』というSSの中でチラッと書いたのですけど。
 その理由を書いてみました。
 青木さんはその訳を知らなかったので出演させられなかったのですが、代わりに岡部さんにお付き合いいただきました。

 軽いお話なので、気楽に楽しんでくださいね。(^^






ヘアサロン(1)





 警察官の服装については、『勤務中規則及びこの規定の定めるところに従い端正な服装の保持に努めなければならない』と定められている。他にも、ワイシャツは白いものを着用するとか、棒タイは警察官の品位を保てるものとする、とか、事細かに規制されているのだが、そんな条文を暗記せずとも、警察官たるもの国民の安心と信頼を得るため、常にきちんとした身なりを心掛けるのは当然の姿勢だ。
 が、その日岡部が上司に向けた苦言は、警察官の良心が彼の服務違反を見逃せなかったなどという堅苦しい判断に基づくものではなく、単純に美観の問題だった。

「前髪を目玉クリップで留めるのはやめてください」
 窓から差す陽光にきらきら輝く亜麻色の髪。天使もかくやのその輝きを、銀色の無粋な文房具が挟み、頭頂部に毛先を捻じり上げている。最近は男でも前髪をヘアピンで留めたりするのが流行っているみたいだが、このひとのこれはオシャレではなく、ただ単に、無精の証である。
 叱責を受けた上司は悪びれる様子もなく、それどころか書類に目を落としたまま、しれっと言い返した。
「毛先が眼に刺さるから」
「切ったらいいでしょうが」
 それもそうだな、と今度は素直に受けて、彼は引き出しを引いてハサミを取り出した。目玉クリップを外し、前髪を一房左手で持って、そこに鋏の切っ先を向ける。
「ちょっ、なにするつもりですか!」
 薪の危なっかしい所作を慌てて止めて、岡部は彼の手から鋏を奪った。手から零れた前髪が、さらさらと彼の睫毛にぶつかる。右に流して耳に掛けるが、癖を持たない髪はすぐに耳から外れて、大きな瞳をその奥にしまい込んだ。

「切れって言ったの、おまえだろ」
「床屋へ行ってくださいよ」
「そんな暇があったら、この案件を」
 左手で髪を押さえながら右手で取り上げた書類は、ハサミ同様、部下にサッと奪われた。不機嫌な顔つきで見上げれば、そこには困ったような部下の顔。

「髪の毛にクリップを付けて、部長会議に出席なさるおつもりですか?」
「ダメなのか?」
 上層部が出席する会議でそんな非常識なことをするつもりはないが、部下の困った顔はもっと見たいから、ついつい意地の悪い返答になる。部下を困らせて楽しむのは、彼の悪いクセだ。
 だが、今回ばかりは部下の方が上手だった。

「ラブレターと一緒にピンク色の髪留めが送られてくると思います」
「…………1時間ほど留守を頼む」
 確認していた書類を未処理の書類箱に放り込み、薪は無表情に立ち上がった。



*****



「―――――― というわけなんです」
 職務中に理髪店を訪れた理由を説明し終えて、薪は不満そうに唇を尖らせた。
 問わず語りに経緯を語ったが、職務時間中に散髪を済ませる職員は別に珍しくもない。刑事にとって定められた就業時間など有って無いようなもの。薪も捜一に籍を置いていた頃はそうしていたが、研究室に移ってからは一応の休憩時間が取れるようになったので、昼の時間を利用していたのだ。

「何処の部下も、あんなに小言が多いのかな」
 やれやれと肩を竦める薪に、店主は笑いながらカットクロスを着せる。「見かけによらず細かいんですねえ、岡部さんは」と失礼な相槌を打って、しかしそれも止むを得まい。岡部の外見から、心配性とお節介が共存する彼の性格を推察しろと言う方が無理だ。
「でも、それくらいじゃないと第九の副室長は務まらないんでしょうね。目配り気配りが必要とされる役職でしょうから」
「そうですね」
 軽い気持ちで答えを返し、正面に眼を向けると、そこには水色のカットクロスの効果で晴天を祈願するマスコットのようになった自分が映っている。襟元のネクタイが見えないせいか、何とも間抜けな姿だ。

「ところで、今日はどうなさいます?」
「いつものでお願いします」
「かしこまりました」
 いつもの髪型で、と言えばそれで通じる。行きつけならではの気安さだ。警視庁にいた頃から利用しているから、もう15年にもなる。科警研の管理棟にも理髪店は入っているのだが、薪はこちらの店を気に入っているのだ。

 一般的に、ヘアサロンの選定条件は理容師のカット技術だと思うが、薪は違う。
 ヘアサロンと言っても、ここは警視庁の地下にある職員専用の店舗だ。公共の施設に入っているくらいだから、とびきり腕が良いわけでもカリスマ美容師がいるわけでもない。大して客が入るわけでもないから店員は店主を含めて2人しかいないし、技量も極々平均的。特に流行の探求については、街中の美容室の足元にも及ばない。
 そんな店にどうして通っているのかと言えば、まずはいつも店が空いていて、待ち時間が殆ど無いこと。警察官らしい落ち着いた髪型に仕上げてくれること、などが挙げられる。特に二番目の要因は大事だ。薪の場合、下手に街の美容室に入ると、勝手にシャギーやらセニングやらをされて、気がついたら何処ぞの高校生みたいになっていたりするから油断がならないのだ。

 警官らしい髪型を求めるだけなら科警研の理髪店を利用しても良さそうなものだが、わざわざ薪が警視庁まで足を運ぶのは、三番目の理由からだ。つまり、
「相変わらず、室長は勇ましいお顔をなさってますね。特にこの眉」
 薪の前髪を後ろに撫で付けながら店主が言うのに、
「そうですか?」
 ついつい綻ぶ口元を意識して引き締めて、薪は何気ない素振りで返事をする。薪も、自分の顔の中で眉毛だけはけっこう男らしいと自負しているのだが、それを教えてくれたのは何を隠そう彼なのだ。言われてみて初めて、そうかと思った。裏を返せば、言われなければ分からないくらいの微妙な男らしさだったわけだが、こういうことは裏返したりしないのが薪の薪たる所以だ。

「男の度量は眉に顕れるって言うの、本当なんですねえ」
 そんな格言は聞いた事がないが、彼が言うのだ、きっと何処かにあるのだろう。もしかしたら理容師の間では有名な話なのかもしれない。

「せっかくだから、もっと眉毛が出るヘアスタイルにしようかな。オールバックとか」
「いやいやいや! 前髪に隠れてた方が絶対にかわい……ここまで男らしい眉だと、全部出すのは嫌味ですよ。前髪からちらりと覗く程度がいいんです。ほら、筋肉隆々の男がタンクトップ姿で街を歩いてるのって、自分の筋肉を自慢してるみたいで、見せられるほうはイヤでしょう? あれと同じです」
「それもそうですね。警察官にとって、謙虚さは大事ですからね」
「まあ、室長は美人だからクールビューティも似合うと思いますけど。ぼくはどっちかって言うと可愛い感じの方が好みなんで」
「は?」
 薪が訊き返すと、店主はいいえと首を振った。この店主はこうして時々、聞き取り難い声でブツブツ言う癖があるのだが、スタイリングについて考えていると独り言を言ってしまうそうで、それはきっと、自分が推理を組み立てるときに断片的な言葉を口にしてしまうのと同じことなのだろうと薪は理解している。

「それにしても、カットクロス巻くと女の子にしか見えませんね。ああ、抱きしめて頬ずりしたくなっちゃう」
「え? 女の子?」
 店の中には店主と自分だけだ。もう一人の店員も、今日は休みらしい。
「……先日、バイトの女の子を雇ったんです」
「へえ、頬ずりしたくなるほど可愛い娘なんですか。彼女はどこに?」
「カズミちゃんは10時からの約束なんで。あと10分もすれば出勤してきますよ」
 カズミちゃんと言うのか。自称面食いの店主が褒めるくらいだから、相当可愛い娘なのだろう。会うのが楽しみだ。

「ああ、なんてサラサラでやわらかい髪……」
 雑談の間、店主は薪の髪を何度も指で梳いている。これは悪戯に髪を弄っているのではなく、毛髪のタイプと流れを確認しているのだそうだ。
「しかも、いい匂い」
 頭に顔を近づけて匂いを嗅ぐ、これは整髪剤の種類を決めるために必要な作業なんだそうだ。整髪剤には香料が入っているから、それが客の体臭とマッチしないと、周囲の人間が吐き気を催すような匂いになってしまうと、これも店主に教わった。

 それから店主の指は、薪の頬に添えられる。シミひとつない白い頬を指先が滑っていく、これはもちろん。
「ついでに、ヒゲ剃りもなさいます?」
「はい。お願いします」
 倒れてゆくリクライニングシートに身体を預けて、薪は満足そうに眼を閉じる。
 さすがこの道30年のベテランだ。僕の顔に生えているのは産毛じゃなくてヒゲなんだと、ちゃんと分かっている。細すぎて電気シェーバーは使えないけど、1週間くらい剃らなくても肉眼で確認できるほどに伸びないけど、これはヒゲだ。この見極めができる理容師はなかなかいない。彼が本物である証拠だ。
 かように、薪は心から店主を信頼していたが、彼がその時泡立てていたのは男性用のシェービングフォームではなく、女性の顔を剃るときに使う保湿性の高いクリーム状のフォームだった。

 スパスパに研いだ剃刀の刃が、白い肌の上の金色に透ける産毛を刈り取っていく。仕上げの蒸しタオルを済ませると、彼の頬は一層の白さを纏う。まるで、奥ゆかしく輝く真珠のようだ。
「白さといい、肌理細かさといい、本当に男らしい肌ですね」
「いやあ、それほどでも……あるけど」
『白く肌理細やかな肌』と『男らしい肌』がどうしてイコールで結ばれるのか、店主の言葉は矛盾しまくっているが、薪の頭脳はそれを解析しない。『男らしい』という枕詞が、薪から日本語を解する能力を奪っている。

「室長はホント、男も惚れる男の中の男、ですよね。ラブレターを送りたくなる男子職員の気持ち、分かるなあ」
 この店主は岡部の次に自分の真実を理解している、と薪は思う。『男の中の男』とは、実に的確な表現ではないか。しかし、
「いや、男からのラブレターはちょっと」
「そりゃあ仕方ないでしょう。真の男ってのはね、男にも女にもモテるんですよ。ロバートデニーロとか矢沢栄吉とか、どちらかというと男性ファンの方が多いでしょう」
「真の男か……なるほどなるほど」
 男の中の男に寄せられた手紙の内容が、どうして女装に対する賛美と恋人になって欲しいという要望に限られるのか、その疑問を店主にぶつけることはせず、薪は大いに納得して深く頷いた。

 第三者が聞いていたら脱力感で膝も砕けようという彼らの会話を遮るように、店の電話がリリリンと鳴る。
 店主が受話器を取り、ちょっと困った顔をした。「今、お客様が一人いらして、そのあとお伺いしますので」と丁寧な口調で説明しているが、相手がなかなか納得しないようだ。
「出張サービスの依頼ですか? 誰から?」
「それが総務部長でして。会議前に、顔を当たって欲しいと」
 なるほど、我が儘を言ってくるわけだ。警視庁に出入りしている店舗を総括しているのは庶務課、総務部はその統括部署だ。ぶっちゃけた話、この店の存続は総務部長の胸先三寸と言っても過言ではない。

「顔を当たるだけなら、30分くらいで済むでしょう。僕はその後でいいですよ」
 今日の会議は12時から、昼食会を兼ねて行われる。今は10時前だから、その後散髪に入っても充分間に合う。
「いや、そうはいきませんよ」
「気にすることはありません。僕だって、マスターがこの店からいなくなったら困りますから」
「……すみません、絶対に30分で帰ってきますから」
 焦って部長の顔に傷をつけたりしないように、と快く店主を送り出して、薪は眼を閉じた。
 慢性的な睡眠不足に悩まされている薪のこと、柔らかいシートに仰向けになれば当たり前のように眠くなってくる。薪はその眠気を従順に受け入れ、2分もしないうちに眠りに就いた。薪はいつもこの調子で、散髪の最中に寝てしまうのだ。あの店主なら、薪が眠っていても完璧に仕上げてくれる。

 店の外では、店主が総務部に向かって急ぎ足で歩いていた。エレベーターに乗ろうとして、箱から降りてきた一人の女性に眼を留める。バイト店員のカズミちゃんだ。
「カズミちゃん! よかった、ここで会えて。あのね、ぼく、今から部長の部屋へデリバリーに行かなきゃいけないんだけど、店にお客さんを一人待たせてるんだ。頼めるかな?」
 彼女はバイトだが、腕は確かだ。以前の仕事場は、銀座の美容室。そこに10年近くも勤めていたのだが、この不況で店が潰れてしまい、バイトに応募してきたのだ。

「お客さまのご希望はAコースだ」
 警視庁内の理髪店では、指定される髪型はほぼ決まっている。短髪、オールバック、スポーツ刈りのどれかだ。それにシャンプーと髭剃りをセットして、お得なコース料金を設定している。Aは短髪のコースだ。
「Aコースですね。わかりました」
「お客さん、多分眠っちゃってると思うけど、可哀想だから起こさないであげて。あの人はいつもそうだから、Aコースの基本形でカットして構わないから」
 任せてください、とにこやかに請け負って、カズミは自分の職場へと歩を進めた。

 笑顔で引き受けたものの、彼女の心の中はなかなかに複雑だった。と言うのも、型に嵌ったような面白味のないカットばかりが要求される仕事内容に、彼女のビューティーコーディネイターとしての鬱憤が溜まっていたからだ。
 彼女が美容師を目指したのは、女性を美しくしたかったからだ。自分の手によって変貌する女性たち。彼女たちの変身をこの目で見るのは何よりの楽しみだったし、彼女たちから寄せられる感謝の言葉はカズミの生きがいであった。
 それが、この仕事場では発揮のしようもなく。何故なら来る客は男性のみ、しかも年配の男ばかりだ。それも当たり前、若い世代の職員、オシャレに興味のある人間なら街の美容室を利用するだろう。女子職員なんか、店舗の前を通る事すらない。

 女性を美しくしたくて美容師になったのに、ここにはカズミが夢中になれる素材がない。お金のためとはいえ、自分の才能を腐らせてしまうような日々の繰り返しに、蓄積していく憂鬱を抱えていたカズミだったが。
 その憂いは、店に入ってスタイリングチェアに横たわった客を見た瞬間に吹き飛んだ。
「まあ」
 思わず、カズミは小さな驚嘆の声を洩らした。

 なんてきれいな人。こんな人は、銀座の店でも見たことがない。
 サラサラした亜麻色の髪。長い睫毛に慎ましやかな鼻梁。白く輝く肌。つやつやした薔薇色の唇。

 警察官にもこんなに見目麗しい人がいるのだわ、とカズミは感心し、どうしてこんな美人がうちの店を、と疑問に思った。聞きたかったが、客は店主の言った通り、よく眠っている。起こさないであげて、と注意を受けたのを思い出し、カズミは音を立てないように散髪の準備をし、チェアの後方に立った。

「さてと。女性用のAコースは、ガーリー系のショートボブね。久しぶりに腕が鳴るわ」





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ヘアサロン(2)

ヘアサロン(2)





 怒りを含んだ男の声で、薪は眼を覚ました。
 女の声と何やら言い争っている、いや、一方的に男が怒っているだけのようだ。「どうしてこんなことに」とか「確認しない君が悪い」とか、相手の非を責める言葉が聞こえてきて、薪は目蓋を開いた。
 声がする方向を見やると、いつも穏やかな店主が女の子を叱りつけていた。どうやら、自分が眠っている間に何かトラブルがあったようだ。

「そりゃ、総務部長に捕まって帰ってこれなかったぼくも悪かったけど、ていうか、君がカンチガイするのも無理はないけど、靴を見れば分かったはずだよ」
 トラブルの内容については不明だが、どの仕事にも苦労は付き物だな、と彼らに少しだけ同情して、軽く頭を振る。低血圧の薪は、眼が覚めてもすぐには起き上がらないようにしている。急に起きると貧血を起こす恐れがあるからだ。
 リクライニングチェアに仰向けになったまま、腕時計を確認する。カットクロスが外されていないことから、さして時間は経っていないと思われたが、文字盤を確認したらとんでもなかった。

「…………嘘だろ!」
 なんと、二時間も眠ってしまった。会議の時間まで、あと10分しかない。

 慌てて飛び起きて、カットクロスを椅子の上に脱ぎ捨てる。低血圧なんかに構っている余裕はない。
「あ、室長! 誠に申し訳ありません、こちらのミスで、オーダーを間違えてしまいまして」
 薪が起き上がるや否や、店主が気付いて謝罪をしてきた。彼がバイトの娘を叱りつけていた理由は解ったが、そんなことはどうでもいい。ここから警察庁の12階の会議室まで、全力で走って間に合うか。
「すぐにやり直しさせていただきますので」
「悪いけど時間がないんだ。とりあえず、前髪が眼に刺さらなきゃ何でもいいよ」
 料金をカウンターの上に置いて、猛ダッシュで店を出た。本当に、髪型なんかどうでもいいのだ。触ってみた限りでは、オールバックに固められた様子もないし、五分刈にされたようでもない。分け目を間違えたとか、前髪を短く切りすぎてしまったとか、そんなところだろう。

 廊下を走ってエレベーターに到着し、下のボタンを連続で押した。何回押しても箱が下りてくる速度は変わらないと分かっていても、急いでいる時はついついやってしまう行動だ。
 幸い、エレベーターは1分もしないうちに来た。中には2人の男が乗っていて、彼らは薪とは一面識もなかったが、何故か薪を見てびっくりしたような顔をされた。
 時間に追われて血走った形相をしていたのかな、とその時は思ったが、各階止まりのエレベーターの扉が開くたび、入って来る職員たちがみな、薪の顔を見て一様に眼を見開くのだ。何だかおかしい、とは思ったが、腕時計のアラームが薪にその違和感を放棄させた。会議開始時刻、5分前だ。
 警視庁から警察庁へは、一旦建物の外に出なくてはならない。短距離走には自信があるが、それでもギリギリだ。若輩者の自分が会議に駆け込みなんて、後で部長たちに何を言われるか。

 1階に着いて外に飛び出し、警察庁まで必死に走る。警察庁のエレベーターに乗ったのが、定刻の3分前。12階の会議室に入ったのは、定刻の1分前だった。
 ドアを開けると、既に薪以外の全員が顔を揃えていて、一斉にこちらを見た。若造のくせに定刻1分前の到着とは非常識な、そう言わんばかりの非難がましい視線が突き刺さる。
 部長会議の出席者は全員が薪よりも10近く年上の重役ばかり。若輩の薪が事前準備に駆り出されるのは当たり前だ。もちろん、手伝いではなく第九の代表者として出席しているのだが、そんなものに拘って第九の立場を悪くしたくない。薪は重役たちの前で、捜査以外で自分の主張を通そうとしたことはなかった。出世にも保身にも興味はないし、プライドもない。大切なのは、親友が遺した第九を守ることだ。

「すみません、遅くなりました」
 素直に頭を下げて、末席の自分の席に着こうとする薪を、途中で科警研所長の田城が呼び止めた。
「薪くん、その頭」
「はい?」
 慌てて理髪店を出てきたから、もしかしたらヘアクリップでも付きっぱなしになっていたか、と恥ずかしく思いながら、両手で髪を確認してみる。が、手に触るものは何もなく、いつもと変わらぬサラサラした感触があるだけだった。
「なにか、ヘンですか?」
「いや、よく似合ってるけど……完全に高校生にしか見えないねえ」
「はあ?」
 
 不思議に思いながらも、時間がそれ以上の質疑を許さず、薪は自分の席に腰を下ろした。レジュメと黒い折箱に入った弁当が置いてある。強制されているわけではないが、こういった用意の手伝いは一番若くて階級が低い自分の仕事だ。だから必ず定時の30分前には会議室へ入るようにしていた。開始時刻ちょうどに現れた薪が謝罪をしたのは、そういう理由からだ。
 会議の席次は、出席者全員の顔が見えるディスカッション式になっている。最後に到着した自分を、みんながジロジロ見ている。そんなに責めなくても良さそうなものだが、眠ってしまった自分が悪いのだ。居心地の悪さは仕方のないことだと諦めた。
 
 やがて会議が始まると、出席者の注視は進行担当の刑事部長と弁当に振り分けられたが、薪に注がれる視線は止むことが無かった。末広亭の松花堂弁当は薪の好物だが、絶えず重役たちに睨まれては、さすがの薪も味覚が鈍ろうというもの。何とか残さず食べたものの、味はよく分からなかった。
 会議の間中、いくつかの不穏当な視線は薪に向けられたままだったが、昼食会を兼ねた会議自体は滞りなく進行し、定時の14時にはお開きになった。
 
 議長が席を離れたのを確認して、薪は重役たちに一礼し、廊下に出た。入室は時間に余裕を持ってするが、退室は速やかに為すのが正しい処世術だ。何故なら、刑事部長を筆頭とする警察機構の実力者たちが、会議録に残してはいけないことを語るべく、その場に残るのが常だからだ。薪のような一介の室長ごときが係われる密事ではない。
 ドア口を出るまで、薪の背中には彼らの視線が突き刺さっていた。一番身分の低い自分が定刻ギリギリに滑り込んだのは失礼だったかもしれないが、会議の時間に遅れて皆に迷惑を掛けたわけでもないのに、あそこまで不快に思われるなんて。それはつまり、第九を快しとしない彼らの気持ちの顕れなのだろう。
 これからは気をつけなきゃ、といささか気落ちして科警研に帰って行く薪の後方、会議室の中で交わされた会話のありえなさ。

 口火を切ったのは刑事部長だった。

「いやー、驚きましたな! 今日の警視正、むちゃくちゃ可愛かったじゃないですか」
「前々から美人でしたけど、髪型一つでああも変わるとはね。見惚れてしまって、眼が離せませんでしたよ」
「いやまったく。何と言う髪形なのか、街ではよく見かけますが、彼がすると特別なもののように見えますな。奇跡的な美しさだ」

「わたしなんか、ほら。携帯のカメラで」
「総務部長! 隠し撮りは会員規則違反ですよ!」
「固いこと言わないで、この場に残った会員には全員に送信しますから」
「そういうことなら……あああ、なんて愛らしさだ」
「ちょ、画面にキスはないでしょう!」
「うるさい、あんたらだって陰じゃこんなこともあんなこともしてるでしょう!」
「してませんよ! 警視正は私にとっては女神です、劣情の絡む余地はありません」

「何を白々しいことを。刑事部長がシャワーシーンの写真を闇で購入したことは、我々公安部の調べで分かっていますよ」
「自分の部下に何を調べさせてんですか、公安部長! こっちだって知ってますよ、あなたが諜報部の連中を使って密かに彼に想いを寄せる男たちを潰していることくらい」
「いや、それは我々会員の公共の利に寄与することだ。警視正の純潔を守っているんだからな。責めを負うべきは、シャワーの写真を独り占めしたあなたの方ですよ、刑事部長。あれは会全体で保有すべき宝物だ」
「そういう警務部長だって、警視正がプールに置き忘れたタオルをオークションで競り落としてたじゃないですか。彼の肌についた水滴を含んだ、あの聖布を!」

「いやいや、あれは会の運営費を賄うためのオークションだったんですから、警務部長は間違ったことはしていませんよ。むしろ問題はあなたの方だ、総務部長。カフェテリアに手下を紛れ込ませて、警視正が使った割り箸を手に入れたと言う噂が」
「何ですか、自分のことを棚に上げて。地域部長こそ、彼の隣の席をいいことに、先月の会議のとき彼がコーヒー飲んだ紙コップ、捨てといてあげるとか上手いこと言って持って帰ってたじゃないですか」
「そこを責めますか。なんて恩知らずな。誰のおかげで今日、警視正の食事風景を見ることができたと思ってるんです。昼食会を兼ねた会議を提案したのは私ですよ?」

「そうですよ、地域部長には感謝すべきですよ。彼と一緒に食事をしたい、という我々の望みを叶える方法を思いついた英雄なんですから」
「ええ、夢のような二時間でした。彼と一緒に、彼と同じものを食べて。他の会員たちが悔しがるでしょうな」
「いや、可哀想なのは我々の方です。一般職の会員たちはカフェテリアで彼の食事風景を見ることもできるでしょうが、我々の階級になると職員食堂の利用は憚られますから、こんな策でも取らない限り彼と一緒に食事なんてできませんからね。不自由なものです」

「それだけに、貴重な体験をさせていただきました。彼の優雅で上品な箸使い、小鳥のような唇の動き……眼に焼き付いておりますよ」
「ええ、とても可愛らしくて。彼、里芋を挟もうとしてね、箸の先がつるっと滑ったんですよ。そうしたら、あ、って小さく声を洩らして。まあ、隣の席にいた私にしか聞こえなかったと思いますけど」
「わたしも見ましたよ、向かいの席ですから。ちょっと焦った顔をして、実に可愛かった」

「少し狡いんじゃないですか、お二人とも。そんなプラチナショットを独り占めしていいと思ってるんですか? 警視正はみんなのもの、携帯のカメラに収めて全員に配信すべきでしょう」
「総務部長のおっしゃる通りですよ。この際、はっきり言わせて貰いますけど地域部長と生活安全部長。あなた方が毎回警視正の隣と真正面の席に座れるってのも不公平だと思うんですよ。あの席は、いわば特別席。もっと平等にすべきです」
「「いや、それは階級順ですから」」
「しかし、この会議は忌憚無く意見を交わす場のはず。階級に拘るのはおかしいでしょう。その姿勢を表明するためにも、これから警視正の隣の席と向かいの席は、くじ引きで決めることにしませんか」

「「「「「「賛成!!」」」」」」
「「反対!!」」
「6対2でくじ引き案は可決されました」

 翌月に開かれた部長会議で、薪の隣に刑事部長が座ったのにはこんな理由があったのだが、その時、いつもと違う席順に不思議そうに小首を傾げる警視正の様子が、彼らを喜ばせたのは言うまでもない。





*****


 こんな警察機構だったら、本部内手配されても安心なのに。(笑)






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ヘアサロン(3)

ヘアサロン(3)





 結局、薪が自分の変化に気付いたのは第九へ帰ってからだった。
「どうしたんですか、その頭」
 帰るなり岡部に言われて、そういえば田城にも訊かれた、と思い出し、トイレに直行して鏡を覗き込んだ。

「えっ、なんで?!」
 普段はストレートに流れる亜麻色の髪が、ふんわりと空気を含んでやわらかく膨らんでいる。カールした前髪は眉を隠し、内側に巻かれた両側の毛先は幼い頬を強調して、限りなく中性的、というより9割方女の子だ。
「ちなみに、後ろはこんな感じです」
 背中に立った岡部が手鏡の角度を合わせ、薪の後頭部を壁の鏡に映しだす。バックはフェミニンな感じの二段カットになっていて、一段目が内巻き、裾は躍動感を出すためにコテで跳ねさせてあった。もう絶対に女の子にしか見えない。

「仕上がりを確認しなかったんですか?」
「それが、眠って起きたら会議の10分前になってて。確認する暇が無かったんだ」
 眼が覚めた時に見たのは、理髪店の天井と腕時計。時計の針を見たら、焦燥で周りの物が見えなくなった。これでは店主がバイトの娘を叱るのも無理はない。頼んだ髪型とまるで違うのだから、やり直しを申し出るわけだ。
「そうか、それで部長たちにガン見されたのか。チャラついた髪型しやがって、とか思われてたんだ、きっと。それじゃなくてもこないだ代議士の息子捕まえたせいで、白い眼で見られてるのに」
 頭を抱える薪に、岡部は三白眼を鈍く光らせて、
「いや、多分、部長たちが薪さんを見ていたのは別の意味だと」
「? どういう意味だ?」
「…………知らない方が幸せだと思います」

 疑問を提示しておいて解答を示さないのは結構最低の行為だが、今の最優先課題は部下に人の道を説くことではない。この頭を何とかしなくては。
 再度理髪店に行こうかとも考えたが、今日はもう時間がない。それでなくとも会議で仕事が押されているのだ。下手をすると、午前中岡部に取り上げられた報告書が期限に間に合わない。
 自分で何とかしようと、薪は必死に髪を撫でつけてボリュームダウンを図った。が、銀座の美容師が腕を振るったガーリーヘアは見事なセット力で、毛先の跳ね一つ直すことができない。

「そのままでもいいんじゃないですか? 似合ってますよ」
「これ以上、部長たちに睨まれたくない。捜査に関しては絶対に譲らないけど、それ以外のことでケンカ吹っかける気はないんだ。明日、マスターにやり直してもらって……あ、土曜日か」
 土日祭日は、庁舎内の店舗は休みだ。すると月曜日までこの髪形と言うことに、いや、月曜の朝は警察庁の定例会議がある。またそこで顰蹙を買うのはごめんだ。

「どうしよう。困ったな」
「街に出れば床屋なんかいくらでもありますよ」
「いやなんだ。街の床屋って、こっちが言うとおりに髪を切ってくれないだろ?」
「確かに、行き慣れない店だとイメージの相違ってのはありますね。そういう場合は写真を持っていくといいですよ」
「やってみたけど無駄だった」
 薪がそう言うと、岡部は鏡の中で不思議そうな顔をした。仕方なく薪は、自分がいくつかの美容室から受けた不愉快な対応について話してやった。

「左分けの短髪にしてください、って頼むと、今はこういう髪型が流行りだとか、前髪は下ろした方が似合うとか、段を入れた方がいいとか、それも周りをぐるっと囲まれて一斉に喚かれるんだ。うるさくて」
 鏡に映った部下の顔が、憐れみを含んだ困惑顔になる。やはり岡部は自分にとって最高の理解者だと、浮かれる気持ちが薪を饒舌にする。
「こんなに綺麗な髪を伸ばさないのは罪悪だとか言われて、毛先しか切ってもらえなかった店もあった。それから一番困ったのは、僕に似合う髪形はどっちかで、美容師同士がモード系とガーリー系とに分かれてケンカになっちゃって。どちらか選んでくださいって迫られても、意味わかんないし。
 とにかく、誰一人として僕の要望を聞いてくれないんだ。だから街の床屋へは行きたくない」

「薪さんて、本当に不憫ですよね……せっかくの容姿が、ただの一つも有益に働いてないんですね……」
「ん?」
 なにか言ったか、と振り返ると、岡部は苦笑して、
「よかったら、俺の馴染みの店を紹介しましょうか」と提案した。

「俺の名前を出して、同じ髪型で、と言えば短髪にしてくれるでしょう。どちらにせよ、毛先にコテ当てられちゃってるから、真っ直ぐにしようとするとかなり短く切ることになるでしょうし」
「本当か? それは助かる」
 警察官らしく、きちんとした髪型なら何でもいいのだ。以前、火事に遭って焦げた髪を短く切ったことがあったが、今日みたいな目で見られた記憶はない。短いのは許されると言うことだ。

「よし。そうと決まれば明日に仕事を持ち越さないよう、さっきの案件をさっさと片付けちまおう」
 モニタールームに戻ると、何となく部下たちがざわめいている感じはあったが、直接それを口に出すものは一人もいなかった。第九の人間はみな、薪の逆鱗を理解している。自分が働いている研究室を氷河期にしたい職員はいないし、金曜日の午後に室長の機嫌を損ねて強制残業の憂き目に遭いたい酔狂者もいない。
 
 室長室に入ると、岡部は簡単な地図を描いてくれた。
「住所は此処、店の名前はこちらです」
 見ると、岡部のマンションからそう遠くない場所で、隣のコンビニへは行ったこともある。迷うことはなさそうだった。
「もしもし、岡部ですけど。いつもどうも。明日、予約をお願いしたいんですが、先生は? 出かけてらっしゃる? じゃあ伝えていただきたいんですけど、明日の予約は俺の友人で、俺と同じ髪型にして欲しいんです。そうです、職業に合った髪型に」
 仕事の早い岡部は、その場で電話もしてくれた。これで今日のような失敗は無い。明日は眠っていても安心だ。

「これでよし、と。いや、今日は青木が研修でよかったですね。でなきゃ今ごろ、大騒ぎになってましたよ」
「え? 青木に何かあったのか?」
「あ、いや。何でもないです」
 岡部の言う青木の大騒ぎには全く心当たりがなかったが、気がかりだった床屋の件が消えたおかげで、薪は仕事に集中することができた。今日が期限の報告書も検証を終え、その後は何事も無く業務を終了し。失敗した髪型を気にしながらも、薪は帰途に着いたのだった。




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ヘアサロン(4)

 この章をアップしようとして気付いたんですけど。 
 このお話、男爵シリーズの『天国と地獄3』を読んでないと意味が分からないかも。 ←今ごろ!!!
 雑文は設定とかいい加減で~(だって雑文だし)、薪さんの階級も警視正のままだったり、男爵系統の設定も混ざってたりして、分かり難くてゴメンナサイです。


 
 ちょっと私信です。
 Rさま。

 そう、そうなんですよっ!! あの歌、正に本誌の薪さん状態じゃないですか!!!
 ちょっとだけ引用 ↓↓↓

「例えば今此処で君が消えてさ 例えば何もかも終わり行く運命でも 変わらないよ二人で見た景色もこの気持ちも 支えあう強さを感じてonly you 」
 さらに2番、 
「例えば今此処で僕が消えてさ 例えば世界は知らぬ顔で回ろうとも 願うのは君の心で輝き続けること 通い合う喜び感じて to be with you 」 

 歌詞だけ読むと鈴薪っぽい気もしますが、ここは敢えてあおまきで! この曲の明るさ、前向きさは、どうしようもなくあおまきだと思うの。
 なのでね、現在、この曲のイメージで滝沢さんのお話を書いてるんですよ~♪ 
 ……「なんでこの歌で滝沢!?」とRさまが絶叫なさるのが目に見えるようデス。(笑)






ヘアサロン(4)






 翌、土曜日の午後1時5分前。
 部下が描いてくれた地図と自己の記憶を頼りに、薪は目的の店を見つけ出した。それほど大きな店舗ではなかったが、落ち着いた外装の店だった。
 入り口のドアには『ヘアサロンNANA』と書かれていた。岡部の行きつけの散髪屋が理髪店でなかったことは少し意外だったが、薪の苦手な、客の姿が外から丸見えの壁面ガラスの店舗でなくてよかった。通行人の見世物になったような気がして、あれはどうも落ち着かないのだ。

 ドアを開けると、カランとカウベルが鳴って、いらっしゃいませ、と複数の店員の声が掛かった。店には2人の先客がおり、それも仕上げに近付いているようだった。
 受付のカウンターで薪が、岡部の紹介で来たことを告げると、店員は、少々お待ちください、と待合スペースのソファを手で示した。促されて腰を下ろすと、それを見計らったようにコーヒーが運ばれてきた。なかなか接客の行き届いた店だ。

「店長。1時にご予約の方で、岡部さまのご紹介だそうです」
「ああはい、伝言メモにあった人ね。岡部さんと同じ髪型にしてくれって」
「岡部さまと同じ、ですか?」
 店長らしき男と話をしていた受付の女性美容師は、ちらりと薪を振り返った。コーヒーを飲んでいる薪を見て、ほんの少しの思案した後、テキパキと言った。

「じゃあ、エクステの用意しますね。お色はA12くらいで?」
「うん。頼むよ」
 店員同士の話は専門外の薪には意味不明だったが、客の髪にスプレーを掛けながら、もう少しお待ちくださいね、と薪に笑いかけた彼らの笑顔は気さくで、薪はこの店に好感を持った。店内も落ち着いた雰囲気でくつろげるし、さすが岡部のお勧めの店だ。
 
 コーヒーカップが空になると、シャンプー台へ案内された。天井を見上げる形式のシャンプー台は馴染みが薄いが、慣れてしまえばこちらの方が楽かもしれない。
「綺麗なお色ですね。染めたばかりですか?」
「…………あ、地毛です」
 気が付いたら眠りかけていて、質問に答えるのが遅れた。年のせいか、横になるとすぐに眠くなって困る。
「まあ、羨ましい。生まれつきなんですか?」
 店員の次の言葉には答えられなかった。女性のやさしい指先による頭皮のマッサージは気持ちがいい。シャンプー台に横になって2分も経たないうちに、薪はすっかり夢の中だった。

「あら、眠ってしまったわ。……それにしても、きれいな人ですねえ。岡部さんの奥さんも美人だけど、またタイプの違う美人だわ」
「違う違う、雛子さんは奥さんじゃなくて、お母さん」
「えっ? 息子さんとは似ても似つきませんけど」
「雛子さんは後妻さんだから」
 洗い上がった髪を乾かしながら、そうなんですかあ、と彼らがお客のプライバシーについて話をしているのは、店内には眠った客と3人の店員しかいないからだ。2人いた先客は仕上がりに満足してお帰りいただいたし、残る一人の客は眠っている。お得意様との未来の会話の中で、トラブルの原因になるかもしれない誤解は解いておいた方が賢明だ。

 今日の予約客は、このお客で最後だ。初めてのお客だから、これからリピーターになっていただくためにも満足してもらえるように自ら腕を振るおうと店長は考えていた。
 今日、こんなに客が少ないのには理由がある。
 実はこれから、業界一のファッション誌、『Hモード』の取材が入っているのだ。あの雑誌に載れば店の宣伝になる。そのための、専用のモデルも雇った。取材の対象はあくまで店の技術だが、モデルの見た目に左右されるのも事実だ。撮影が始まれば自分はモデルに掛かりきりになるから、他のお客には眼が届かなくなる可能性が高い。そんな失礼をするくらいなら、と予約を調整させてもらったのだ。

「乾かしたら、カット台に移っていただいて」
「はい。お客さま、お疲れの処すみません」
 店長の命に従おうと店員は、客に声を掛けてから徐々に背もたれを起こし、すると彼女はゆっくりと眼を開けた。風に吹かれる花弁のように、ふわりと揺らいだ長い長い睫毛。
 店員の言うとおり、なんて綺麗なひとだろう。
 計算づくで作られた人形のように、完璧に整った目鼻立ち。透き通るような白い肌。美容師として注目せずにはいられない、あの亜麻色の髪の輝きはどうだろう。洗い上げただけなんて、信じられない。職業柄、美髪モデルには知り合いも多いが、彼女たちよりずっと意欲をそそる素材だ。

 寝不足なのか、彼女は軽く目をこすりながら鏡の前のスタイリングチェアに移動した。髪質を手で確かめながら、ヘアスタイルの確認をする。
「岡部さんと同じ髪型でいいんでしたよね?」
「はい。お願いします」
「かしこまりました」
『岡部さんと同じ髪型』は真ん中分けのウェーブヘアだ。髪の長さはエクステで調整するとして、分け目は髪の流れに合わせた方がいい。彼女の額はとても美しいが、意外と強気な眉をしているので、このまま左分けにして前髪は下ろしたほうが愛らしさが強調できる。

「前髪はこれくらい長さがあった方が、お客さまにはお似合いだと思いますが。岡部さんのように、額は出したほうがいいですか?」
「あ、いえ。そこまでそっくりにしたいわけじゃないんで。適当でいいですよ」
「では、前髪は残しますね」
 はい、と彼女が頷いたのを確認し、店長は彼女の後ろ髪に手をかけた。
 それから幾つか細かいことを訊いたが、彼女はあまり髪型に拘る女性ではないらしく、「適当でいいです、お任せします」という答えしか返ってこなかった。美人と言うのは案外こんなものだ。これだけ元が良ければ、細部に拘らなくても美しく見えるからだ。

 確認を済ませ、店長は彼女の地毛にエクステンションを添えた。エクステンションの先にはケラチンが付いていて、ヒーターに挟むと超音波でケラチンが溶け、地毛に接着する仕組みになっている。少々値は張るが、髪のダメージを考慮すると超音波以外のエクステンションはお客に勧めたくない。こんな美髪なら尚更だ。
「お客さまの髪の色ですと、こちらのものが最適かと。長さと形は調整できますので」
「ええ、適当で……ちょっと待った!!」
 それまで大人しかったお客が、突然振り返ったので、店長はヒーターを取り落しそうになった。超音波式だから火傷はしないが、それでも急に動いたら危ない。動かないように忠告しようと店長は口を開いたが、彼女の声の方が早かった。

「なんでそんなもの付けるんですか!?」
「……岡部さまと同じ髪型をご所望では?」
「そうですけど。そんなものを付けないと、あの髪型にならないんですか?」
「岡部さまの髪は、背中まで届くゆるふわウェーブですよ? 絶対的に長さが足りません」
「そうですか、背中まで届くゆるふわ、ってどこの岡部だ、それは!!」

 何故だか分からないが、怒られてしまった。ショートボブの客がロングヘアを希望したら、エクステで対応するのが当たり前だ。店側に落ち度はなかったはずなのに、彼女はどうしてこんなに怒っているのだろう。
「いったい、岡部の電話の何を聞いていたんです!」
「伝言メモには、ご紹介者様の岡部さまと同じ髪型にと……岡部雛子さまのご紹介では?」
 店長が得意客の名前を出すと、初顔の客は眩暈でも起こしたかのように額に手を当て、沈痛な面持ちで言った。
「紹介者の名前はフルネームでメモするよう、従業員に徹底すべきです」
 初めての客に、社員教育について諭されてしまった。失礼な、と思ったのも束の間、彼女の次の言葉に、店長の憤慨は一瞬で吹き飛んだ。

「僕の紹介者は岡部靖文。彼と同じ髪型を希望します」
 
 寺島公延、42歳。20年美容師をやってきて、お客の言葉に開いた口が塞がらなかったのはこれが初めてだった。



*****


『天国と地獄』を読んでない方に、補足説明です。
 うちの岡部さんには、雛子という義母がいます。 岡部さんより年下で、ファンシー系のおっとり美人です。 

 でねっ、実は岡部さんは彼女が好きなの~。 
 でも母親だから結婚できないし、それに二度と彼女を警察官の妻にはしたくないって思ってて、それは岡部さんのお父さんが殉職でね、そのときお義母さんがたくさん泣いたからって、でも薪さんは二人を見て、本当は好き合ってるんじゃないかなって思って、雛子さんは雛子さんで、岡部さんは薪さんを好きなんだと思って、母親として協力しますって言うんだけど、わたしが思うに彼女も本当は岡部さんのこと好きなんじゃないかと、いや、どうなんだろう、薪さんの思い込みかなあ?? ←補足説明どころか自分が混乱している。
 

『天国と地獄3』に書いてありますので! 読んでください。 ←投げた。

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ヘアサロン(5)

 そうか、世はバレンタインだったんですね。
 すっかり(今年も)失念しておりました。 ごめんね、オット。(今年も) 来年は忘れないようにするからね。(多分無理)


 過去作品に連日の拍手をありがとうございます。
 4日連続で3ケタだった~、たくさん拍手してもらってすっごくうれしい、でも話の内容を思い出すとこんなん読ませてごめんなさいっ!! て夢中で謝りたくな…… とにかくありがとうございます。 あなた様の寛容に感謝します。


 毎度バカバカしいお話、こちらでおしまいです。
 読んでいただいてありがとうございました。 笑っていただけたら、とってもうれしいです。





ヘアサロン(5)







 どうにも治まらない腹の虫を力技でねじ伏せて、薪はスタイリングチェアに座り直した。
 まったく、失礼な。岡部の年若い義母がフェアリー系ロングの美人なのは知っているが、どうして彼女の髪型を男の自分に当てはめるのだ。悪ふざけにも程がある、と薪の憤りは尤もだが、残念ながら美容師たちはふざけていたわけではない。

「改めて確認しますけど」
 おずおずと掛けられた質疑に、薪はうんざりする。さっきも細かいことをぐちゃぐちゃと訊かれて、いい加減イヤになっていた。街の美容室はやっぱり面倒だ。
「平気です。短くなってもいいですから、クセのついた毛先を全部切って」
「本当に男の方なんですか?」
 確認、そこ!?

 性別も判断できないような腐った目玉ならいっそのこと刳り抜いてやろうか、と物騒な脅し文句が頭を過ぎるが、ここは岡部の馴染みの美容室。彼の立場を悪くするようなことは控えるべきだ。
「いや、失礼しました。ガーリー系のショートボブにされてたから」
「理髪店の店員のミスで。眠って起きたらあの髪型になってたんです」
 ガーリーだかパーリーだか知らないが、それは薪の咎ではない。カットクロスに包まれた彼の姿を見て、100人中100人が女性だと判定しようと、罪は錯誤した100人にあるのであって自分は悪くない。多数決なんかで性別決められてたまるか。

「男子警察官に相応しい髪型にしてください」
「かしこまりました」
 どうにか意思の疎通を果たし、薪はクロスの下で肩の力を抜いた。
 これで一安心だ。ここに来る途中、いつになく男に声を掛けられたが、今思うと、そのガーリーなんとかのせいだったのだろう。髪を切れば、あの不快な体験ともおさらばできる。

 しかし、運命は薪に冷たかった。

 過酷な運命の始まりは、ルルル、というやさしい電子音だった。それを薪は、店内に流れるヒーリング音楽と共に聞いていた。
 この曲はトロイメライのアレンジだな、とぼんやり考えていると、ゆったりした楽曲の流れを破るように、店員の大きな声が響いた。
「店長、大変です! 頼んでおいたカットモデルさんが、ここに来る途中、交通事故で」
「なんだって!?」

 店長はそれを聞くと、薪の髪に吹きつけていた霧吹きを放り出すようにキャスターに置き、泡を食って電話口へ向かった。引っ手繰るように受話器を受け取った彼の口から、それは困る、とか、誰か代役を、など、途切れ途切れの言葉が聞こえてくる。
 店長と入れ替わりに電話を受けていた店員がやってきたので、薪は彼女に事情を聞いてみることにした。
「何かあったんですか?」
「実は、これから雑誌の取材が入ってたんですけど、カットモデルの娘が事故に遭ってしまって。怪我は大したことないみたいなんですけど、病院と警察に止められてるから撮影には間に合わないって」
「それは困りましたね」
「ええ。今からじゃ、代役を頼むって言っても」
 気落ちした様子で答える店員の声を遮って、店長の激した声が響く。

「困るよ、同レベルの娘を用意してくれないと! 『Hモード』の取材なんだよ? 店の存亡が懸かってるんだ!」
 受話器を投げつけんばかりの勢いに、薪の眼が丸くなる。お客に不快感を与えていると察した店員が、申し訳なさそうにフォローした。
「すみません、お見苦しいところを」
「いいえ、僕は警官ですから。もっとすごい怒鳴り声を日常的に耳にしてますよ」
 僕が部下を怒鳴りつけるときはあんなもんじゃありません、と喉まで出掛かったセリフは意識して臓腑に収めた。岡部のテリトリーで、彼の男を下げるようなことを言うべきではない。

「『Hモード』は、業界では有名な雑誌なんです。それに載れば優良店として認められたことになるし、店の宣伝にもなるからって、店長、張り切ってたから」
「店長さんのお気持ちは分かりますよ。どんな仕事でも、長という名が付いた人間の苦労は大きいものです」
 店の存亡が懸かっているとなれば、店長が必死になるのも当たり前だ。薪だって、第九の存続が危ぶまれたりしたら、なりふり構っていられない。長たる者の責任と使命を果たそうとする、彼の情熱には共感すらできる。

「察してくれよ、下手なモデルなんか使えな……なにい!? モデルの問題じゃなくて、カット技術の問題だろうって? そんなことは解ってる、でもね、肉眼ならともかく、写真はモデルの美醜に左右されるんだよっ! そんなことも分からないで、よくモデルの派遣なんかやってられるな!!」
 憤る店長の様子は痛々しいくらいで、薪は少しだけ彼に同情する。長く続く不況で、美容業界も大変なのだろう。
「はあ? お宅のモデルがA級品の粒揃い? それは何処の美的基準なんだ、猿の惑星か、地底人か。ふざけちゃいけない、うちの店に来てくれるお客さんの方がずっと美人だよ! 今いるお客さんもね、今日頼んだ娘なんか比べ物にならないくらいの美人なんだ」
 自分の美意識を満たすモデルを派遣してもらえないことに腹を立てた店長は、派遣会社にクレームをつけ始めた。自分のことが話題になっている気もするが、美人という形容詞が付いているので、これは店長の見栄だろう。男の自分に付くのは、凛々しいとかカッコいいという形容詞のはずだ。

「なんか店長さん、怒りのあまり話がズレてるみたいですけど。今は一刻も早く、代わりのモデルさんを斡旋してもらうべきじゃないんですか?」
「店長、普段はやさしい人なんですけど。頭に血が上ると口が止まらなくなるって言うか、売り言葉に買い言葉で。いつもとんでもないことになっちゃうから気を付けてくださいって言ってるんですけど」
 薪も頭に血が上ると失言が多くなるクチだから、彼の心理は分からなくもなかった。あれって、その場の勢いに押される感じで自分でも止められないんだよな、と我が身を反省し、他人から見るとこんなに滑稽に映るのか、と恥じ入るような気分になった。

「じゃあ、そのお客にモデルを頼めばいいだろうって? 言われなくてもそうするさ!!」
 叫ぶと同時に電話を切った店長に、薪の眼が点になる。
 本当に、買い言葉で通してしまった。取材の時間が迫っているのにモデル会社とケンカしてどうする気だろう、と他人事ながら心配になる薪の傍らに、店長はさささっと走ってきて、
「そういうことになりましたから」
「…………えっ?」
 お願いします! とスタッフ全員に頭を下げられたが、もちろん薪には何のことやら分からない、てか、分かりたくない。

「冗談ですよね? だって僕は」
「大丈夫です! うちはメイクも自信があります!」
「いやあの、メイクの問題じゃなくて」
「店長、モデルさんに用意したドレス持ってきました!」
「ドレスってなに!?」
 思い切り突っ込んだのに、誰も薪の言葉なんか耳に入っていない様子だ。「もっとエクステ用意して」「メイクの用意を」などと、次々に店員に飛ばされる店長の命令が、薪の抗議を掻き消していく。
 まずい、このまま行くと化粧をされてドレスを着せられて写真を撮られてしまう。そんなものが職場に出回ったら、恥ずかしくて仕事に行けなくなる。

「あのっ!! ちょっと僕の話を、わぷっ!」
 失礼いたします、と言う優しい言葉と一緒に薪の首に通されたのは、黒いサテンのロングドレス。
「おお、サイズもぴったりだ! これで安心ですね!」
 めちゃくちゃ不安なんだけど!!
「我々スタッフにお任せください。業界最大手のモード誌、『Hモード』に相応しいモデルに仕上げて差し上げます!」
 そんな目的で来たんじゃないし!!

「では、メイクに入らせていただきます」
「待ってください、僕は、うっ」
「動かないでくださいね、ビューラー掛けますから」
「僕は引き受けるなんて一言も、んっ」
「喋らないで。口紅塗りますから」
「ちょっ、少しはひとの話を」
「この肌の白さだと、アクセサリは銀の方がいいわね」
「それならアイメイクにも銀ラメを入れて。アクセと合わせた方がいいわ」
「待って、それはお客さまの清純な雰囲気を台無しにしてしまうわ。ラメは無いほうがいいと思う」
「私もそう思う。本当のメイクは、お客さまの肌の色、服装の好み、そこから発せられる無言の要望に耳を傾けて為すものよ」
 メイクの真髄はどうでもいいから、僕の話に耳を傾けてっ!!!

 何人もの女性の手が薪の顔の上を滑り、彼の面に華やかさを添えていく。彼女たちはとても楽しそうだ。人形遊びでもしているかのように、無邪気にはしゃいでいる。
「「「いかがですか、お客さま」」」

 彼女たちの手が遠のき、薪に視界が戻ってくる。美容室の大きな鏡の中にいたのは、亜麻色の髪を可愛らしく巻いた絶世の美女。
「オボエテロよ、岡部……」
 写真用の派手なメイクを施され、黒いドレスに身を包んだ彼女の呟きは、誰の耳にも留まらなかった。




*****




 木枯らしの吹く街をクリスマスソングが彩る頃、岡部の元に、行きつけのヘアサロンから一冊の雑誌が送られてきた。
 不思議に思って添えられた手紙を読むと、『紹介してくれたお客様に渡してください』と書かれており、岡部はますます訳が分からなくなった。岡部がこの美容室を紹介した相手といえば勤め先の上司だが、彼はこんな雑誌には興味が無いはずだ。

 パラパラと頁をめくると、特集記事が組まれた優良店舗の中に件の店が入っているのに気がついた。ということは、薪に対する宣伝のつもりだろうか。
 残念ながら無駄だったな、と岡部は顔なじみの美容師を気の毒に思う。

『僕は一生涯、ヘアサロンには行かない』

 彼の店を紹介した後、岡部は薪にそう宣言されたのだ。岡部には薪の髪はとてもよく仕上がっているように見えたのだが、薪は気に入らなかったらしい。フィーリングの相違と言うやつだろうか。前髪をクリップで留めるような人だから、髪型にそれほどの拘りがあるとは思わなかったのだが。
 どれだけ気に食わなかったのか知らないが、彼は恨みがましい眼で岡部を睨み、その不機嫌は1週間近くも続いた。岡部に対してはいつも寛大な薪が、どうしたことかと訝しく思っていたのだ。

 次に店を訪れた時、雑誌に掲載されたお祝いを言うため、岡部は彼の店の紹介記事に目を通すことにした。『魔法のエクステンション』とか『得意のテイストはフェミニン系』とか、岡部にはちんぷんかんぷんの文字が躍る中、彼はそこに信じられないものを発見した。

『ガーリー系ショートからグラマラスウェーブへの華麗な変身』『ストレートロングで深窓のお嬢さま風』『巻き髪アップでパーティの主役』などなど、女性の興味を引きそうな謳い文句の上に配置された数枚の写真。それを見た途端、岡部は薪の不可解な言動のすべてを理解し、同時に心から彼に同情した。

「薪さん……おいたわしや……」
 衷心から呟くと、岡部は雑誌をぱたりと閉じ、資源ごみの袋に投入した。




(おしまい)




(2011.11)


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嘘と桜

 こんにちはっ!
 
 過去記事に毎日拍手くださってる方、更新のない日でもご訪問くださる方、ありがとうございます!
 励まされてます!
 

 予告ではこの後、『水面の蝶』を公開する予定でしたが、間に一個、雑文を挟ませていただきます。

 最終回の予想をしていた際、こんな風になってくれたらいいな、というモヤモヤした光景があって、記事にしようとしたのですけど、例のごとく上手く言葉にならなかったので、SSにしてみました。
 なんでわたしって考えてることを文章にできないのかなあ……書いてるうちに訳が分からなくなっちゃうんだよなあ。 バカなのかなあ。 (今頃わかったのかと言うお声がどこからか……(^^;)



 このお話の時期は『タイムリミット』の少し後。 二人が一緒に暮らし始めるちょっと前です。
 少々長いのですけど、一発で行っちゃいます。 携帯等でダウンロードエラーが出てしまったら連絡ください。 よろしくお願いします。 


 




 嘘と桜






 宵の風は未だ肌寒い。
 暦の上では2ヶ月も前、でも現実の春は始まったばかり。薪が青木のアパートを頻繁に訪れるのは、毎年この時期だ。
 家主と自分、2人分の夕食の材料を片手に青木の家を訪れる彼の目的は、新年度を迎えてMRIシステム教育の責任者に任命された部下を励ますことではなく、愛しい恋人の顔を見ることでも、残念ながら無い。彼のお目当ては、青木の家から見下ろすことができる公園の桜景色だ。
 その日も彼は青木の家に上がりこむと同時に窓辺に寄り、家主に断りもなくカーテンを開け、次いでガラス戸を開けた。ソメイヨシノは香りが薄いから窓を開けても無駄ですよ、と薪の身体を冷やしたくなくて青木は注意するが、そんなことはない、と薪は頑固に首を振る。仕方なく自分のコートを彼に羽織らせて、そうするとまるで親の衣服を着せられた子供のようになった彼が異様に可愛くて、「今年もきれいだな」と彼が花を愛でるのに「はい」と頷きながら、青木の眼は彼ばかりを見てしまう。お約束だ。

「食べ終わったら、ちょっと歩きましょうか」
「そうだな」
 夕食の若竹煮を頬張りながら青木が差し出した提案を、薪は二つ返事で受け入れた。天邪鬼な彼が素直に頷いたのは、今年が最後になると分かっていたから。だから彼が訪ねてくる頻度も、この春は例年より格段に多かった。

 食器は後で洗うことにして、とりあえず水に浸けておく。珍しいことに薪は缶ビールを二本ポケットに入れ、青木の先に立って玄関を出た。コンクリートの冷たい階段を軽やかに下りていくベージュ色のスプリングコートを、青木は懸命に追いかける。急いでコートを着て、ドアに鍵を掛ける。青木が鍵穴から鍵を抜いた時には、薪はもう公園へのショートカットである鉄の柵をよじ登っていた。
「薪さん。不審者通報されちゃいますよ」
「見つからなきゃいいんだ。さっさと来い」
 公園の正門まで歩いても300メートルくらいなのに、薪はせっかちだ。見つからなければいい、という発言も誉められたものではない。自分たちは警察官なのだから。

 ベージュの薄布をはためかせ、薪は柵の向こう側に降り立った。くい、と顎で青木を呼ぶ。青木はサッと辺りを見渡し、人目が無いのを確かめると、鉄柵に手を掛けて軽く飛び越した。
「もう。子供じゃないんですか、ら……」
 青木の小言を、薪は言葉ではなく行動で遮った。青木の手を掴んで歩き出したのだ。
 何年か前までは、屋外で触れ合うことにひどく臆病だったのに。最近の薪はこんな行動も取るようになって、青木は嬉しい驚きを隠せないでいる。

 昨年の事件で、彼はまた少し変わった。あまり人目を気にしなくなったと言うか、自分の感情に素直になったというか。それは開き直りにも近く、要は、あそこまでして別れられないなら何をしても無駄だと、裏返せば何があっても結論は同じだと、だったら我慢するだけ損だと判断したのかもしれない。
 青木は、薪の心境の変化を想像しながら小さな手を握り返す。眼下の、小さな頭の中に繰り広げられる奇想天外な飛躍思考は理解できずとも、青木は彼の転化を歓迎する。変わるたび、薪の笑顔が増えていくから。

 野外パーティには寒すぎる気温だったが、土曜の夜で、公園には大勢の人がいた。賑やかな宴会の音も響いているし、姦しいお喋りも聞こえてくる。雑多な音と人混みと、これだけ溢れ返ってしまえば逆に他人のことは気にならなくなるものだ。手をつないだままぶらぶら歩く彼らを、見咎める者はいなかった。
 青木の手を引いてゆっくり歩く、薪の行先は分かっている。もう何度も来ているから、パターンが読める。此処には薪のお目当ての彼女がいて、彼はそこに向かっているのだ。

 彼女は、今年も見事な枝ぶりで彼らを迎えた。

 闇に映える薄紅色は、ライトアップ用の照明を受けてあでやかに咲く。夜風に弄ばれた枝先が、女の手のようにやわらかく手招きする。まだ花びらは風に散らないけれど、いくばくもなくその日はやってくる、その儚さもやっぱり女性的だと青木は思う。
 この樹の下で恋に落ちたと青木が白状した日から、毎年一度は二人でここを訪れている。1回だけ、蕾も膨らまない彼女を見上げた年があったが、それ以外は開花に合わせて、仕事が忙しくても何とか時間を作って、美しくドレスアップした彼女を愛でることにしている。

 薪が立ち止まり、彼女を見上げて目尻を下げる様子を、青木は桜と共に堪能する。顔を前に向けて、視線は横に流して、そんな不真面目な見方をしていたおかげで、夫婦らしき中年の男女がベンチから立ち上がったのにすぐ気付いた。
「薪さん」
 席を確保してから、声を掛ける。呼ばれて横を向いた薪は、隣にいたはずの男がいないことに初めて気づき、慌てた様子でこちらを振り返った。亜麻色の瞳が青木の姿を補足し、ゆっくりと瞬く。

 大きな桜の木を背後に、薪は微笑んだ。
 畏怖さえ感じる壮麗な桜花をいとも簡単に引き立て役にしてしまう、その美しさ。尋常でないのは彼の美貌か、そう感じる自分の心なのか。判ぜられぬまま、青木は茫洋と彼を見つめる。魂を抜かれるとはこのことだ。
 こういう薪を見ると、青木はいつも落ち着かなくなる。本当に桜の精になってしまうのではないか、自分の手の届かない処に行ってしまうのではないかと、根拠のない不安に駆られる。青木が座った時にはギシッと音を立てたベンチが、薪のことは無音で受け止めるのも納得いかない。まるで人じゃないみたい。

「何かついてるか?」
 主役の夜桜をそっちのけで薪の顔ばかり見ている青木に、薪は首を傾げた。もしかしてワカメ? と唇の周辺を指先で撫でる。青木は苦笑した。
「薪さんがあんまり綺麗だから見惚れてました」と青木が正直に答えると、
「バカなこと言ってないでちゃんと見ろ。もう見納めなんだから」
「そうですね」と返して、青木は群れを成す花弁を見上げた。この桜を見るのは、多分今年で最後になる。青木の新しい住まいは此処から車で1時間も掛かるし、通勤ルートからも外れている。加えて、転居先にも桜はある。それもかなり有名なスポットが。

 ほら、と差し出された缶ビールは、薪のポケットの中でいくらか温んでいたけれど、肌寒い夜気の中にあっては充分に冷たかった。プルトップを開けて口を付けると、苦くて辛い炭酸が喉を心地よく刺激する。
「ビールには寒いな」
 半分ほど飲んでから、薪が肩を竦める。昼間ならともかく、夜はスプリングコートでは寒かろう。
 青木が自分のコートを貸そうとすると、薪は素早く傍に寄ってきて、
「入れろ」
 と、青木の返事も待たずにコートの中に入った。反射的に周囲に目を走らせると、周辺にある4つのベンチはどれもふさがっていたが、ライトアップされている桜が観客の目を釘付けにしてくれるおかげで、自分たちに注目している人間はいなかった。それを確認して下方に目を落すと、薪は悠々とビールを呷っている。青木は自分が恥ずかしくなった。
 衆人の中では、辺りに気を配るのが条件反射になってしまっている。薪から口酸っぱく注意され続けたせいもあるが、青木自身、いつの間にか自分たちの関係は隠すべきものだと思うようになっていた。でもその思いは元を辿れば、自分たちの関係が誰かに知られる度に、薪がとても辛い目に遭ってきたからだ。当の薪が気にしないなら、無論青木に異存はない。

「いつだったかこうして、一緒に湖を見たことがありましたよね。真冬で、しかも夜で、すごく寒かったの覚えてます」
「僕は知らない。どこかの女との思い出じゃないのか」
「またそんな意地悪言って。第九の慰安旅行の時ですよ。冬なのに七夕飾りがあって、ええっと何処だったっけ」
「おまえ、本当に記憶力悪いな。河口湖だろ」
「あ、そうでしたそうでした。て、やっぱり憶えてるんじゃないですか。そう言えばあの冬は、薪さんが風邪ひいて倒れて大変な思いをしましたよね」
「毎年冬はロクなことがない。次の年には雪山で死にかけたし」
「その後いくらも経たないうちでしたよね、火事に遭ったの」
 桜を見ながら冬の思い出を語る。思い返せば数えきれないくらいたくさんの出来事があって、その積み重ねが自分たちを寄り添わせているのだと青木は思う。
 薪と出会って、もう、8年にもなるのだ。

「8年前、薪さん、オレに嘘吐いたでしょ」
「ウソ?」
 薪の疑問符は、「そんな憶えはない」ではなく、「どの嘘だ?」である。薪はホラ吹き男爵の血筋だと言われれば信じてしまいそうなくらい嘘が上手で、青木は何度騙されたか知れない。

「オレが初めて薪さんを此処にお誘いしたとき、今年は未だ桜を見ていないって。あれ、嘘ですよね。薪さん家、井之頭公園の直ぐ近くじゃないですか」
 井之頭公園は桜の名所だ。薪のマンションから吉祥寺の駅まで、彼の通勤路はそのまま桜並木になっている。
 薪の嘘を、青木は責めているわけではない。逆だ。感謝しているのだ。
 あの頃は薪の性格をまったく理解していなかったから言葉通りに捉えてしまったが、今なら分かる。あの時薪は、青木のためにあんな嘘を吐いたのだ。慣れないMRI画像に憔悴しきっている青木を心配して、元気付けようとしてくれた。

 ところが薪は首を振り、
「嘘なんか吐いてない。本当に見てなかったんだ」
 苦いアルコールを湿った吐息に変えて、自嘲めいた笑いを浮かべた。
「眼には入ってたんだろうけど、記憶には残ってなかった。おまえに言われるまで、そんな季節だったことも忘れてた。あの年は」
 あの年、と言われて気付いた。そうか、あの頃の薪はまだ。
「本当にあの年は、ここでおまえと見た桜が初めてだったんだ」
 しまった、と青木は焦る。自分は何をやっているのか、昔話なんかして、薪の傷口を掘り返すような真似をしてしまった。
 恐る恐る覗き込んだ薪の顔に、青木が心配した傷心は見つけられなかった。沈痛に呻くでもなく、明るさを取り繕うでもなく、そこにいたのは普段通りの彼だった。

「桜だけじゃなかった。入道雲も茜の空も雪景色も。大好きだったはずなのに、何を見ても記憶に残らなくて。おまえと一緒にこの桜を見るまでは」
 青木を見上げてくる亜麻色の瞳は濡れたように光っている。アルコールの作用か冷たい夜気のためか、頬は微かに赤い。
「だから嬉しかったよ。ここの桜が綺麗だって思えて」
 薪はうっとりと微笑んだまま、それは決して強がりではないと、感じ取った青木は身体が震えるほど嬉しくなる。
 薪があの頃の話をするのに、慟哭を伴わない。傷は消えずとも、穏やかに思い起こせるようになった。
 傷は少しずつ、塞がっているのだ。

「オレを気遣ってくれたのかと思ってました。家まで送ってくれるつもりだったのかと」
「なんで僕が野郎相手にそんなこと」
「心配してくれてたでしょう? オレがなかなかMRI画像に慣れることができなかったから」
「まさか。心配なんかしても部下の能力は伸びない。するだけ無駄だ」
「あの……薪さんて、最初の頃オレのこと……」
「おまえは第九始まって以来のダメ新人で、さっさといなくなればいいと思ってた」
 ぐうの音も出せず、青木が情けない顔になると、薪はククッと鳩が鳴くみたいに笑った。
「嘘だ、バカ」
 もちろん分かっていた。薪は自分の部下になった人間を疎んじたりしない。

「初めから気になってたよ。眼が離せなかった」
 その理由は説明されずとも分かった。彼にそっくりな、この顔のせいだ。
 恐る恐る、青木は訊いた。

「オレの顔見るの、辛かったですか」
「半々かな」
 薪は眼を伏せ、ビールを一口飲んだ。過去を振り返っているのか、閉じた睫毛を揺らしながら、
「苦しいのと嬉しいのと……うまく感情が抑えられなくて苦労した」
 当時の薪が異様に怖かったのは、感情を表に出すまいと自分を戒めていたからなのか。その頃の青木は薪の苦労も知らず、どうして室長はいつも自分を睨むのだろう、彼に嫌われているのだろうかと、利己的なことばかり考えていた。

「今思うと、おまえには結構当り散らしてたよな。二言目には『異動願い』だったもんな」
「翌年の新人にはやさしくて。妬けました」
「仕方ないだろ。みんなおまえよりデキが良かったんだから」
 ええ~、と青木が不満の声を上げると、薪はまたクスクスと笑った。

「あれから8年も経ったんですねえ」
「おまえが31、僕が43。お互い年取ったな」
「薪さんはあんまり変わってない気がしますけど」
 というか、若返ってるような。彼の子供っぽい面を知ってしまったせいか、最初よりも年の差を感じない。
「今のアパートも8年か。モノが増えるわけですね」
 引っ越しに向けて少しずつ処分しているのだが、その量に驚いている。大して広い部屋でもないのに、よくもあんなに詰め込んだものだ。
「荷物はゆっくり整理すればいいけど。おまえはなるべく早く越して来い」
「そんなにオレが恋しいですか?」
 一緒に住もうと薪に言われた。表向きは住み込みのボディガードだけど、内情は、
「別に。ただ年を取ったら掃除が面倒になって。早く解放されたいから」
 …………下僕だ。

 くい、とビールを飲み干し、薪はそれを振って缶が空になったことを青木に教えた。そろそろ行くか、と腰を上げ、もう一度しっかりと夜の桜を仰ぎ見る。
「青木」
 温かな恋人の懐から冷たい風の中へ、春物のコートの裾をひらめかせて薪は、身を竦めるでもなくしっかりと立つ。すっきりと伸びた背中は天に向かう若木のように、生気に満ち満ちている。
「やっぱり、来年も来よう」
 そよそよと風は吹き、末節の桜花をゆらゆらと揺らす。ふわふわと薪のコートの裾が波打ち、彼の髪がさらさらと靡く。
「来年も再来年も、その次の年も。毎年この桜を見に来よう」
 春の宵は何もかもが薄ぼんやりとして曖昧で。青木の視界も霞がかかったように、その輪郭を不確かにする。
「ずっと二人で、……」

 振り返った薪は、言葉を呑んだ。大きな眼をいっぱいに見開いて、ベンチの前に立ち尽くしていた青木に駆け寄ってくる。
「ど、どうしたんだ? おなか痛いのか?」
 ―――― 違います、嬉しいんです。だって薪さんが。

 薪の誤解は子供みたいで滑稽で、そうしたら余計に涙が止まらなくなった。喉が詰まって、鼻の奥が痛くて、不快なはずの感覚が何故かとても幸せだった。
 薪が困惑しながらも貸してくれたハンカチを目に当てて、青木は呼吸を整える。心配そうに見上げる薪に、青木は嘘を吐いた。
「目にゴミが入りました」
「眼鏡を潜っておまえの小っこい眼に入ったのか? 根性のあるゴミだな」
「ぷっ。なんですか、根性のあるゴミって」
「困難な対象に敢えてチャレンジする、その精神が立派だ」
「オレの眼、そんなに小っちゃいですか? 埃も入らないほど?」
「最強は小池だろうな。そう言えば何年か前、みんなで焼肉喰いに行ったとき、あいつの目にレモンの汁を」
 昔話に興じながら帰途を辿る。他愛もない会話を重ねながら、でも自分たちがこの瞬間重ねているのは本当はとても大切なものだと、青木は今更ながらに気付いて、そうしたらまた涙が出そうになったけれど、大きく息を吸って堪えた。

 こうして昔の話をしたり来年の話をしたり、或いはずっと先の話をしたり。それは極普通のことで、泣いて感激するようなものじゃない。特別じゃない、代えがたく幸福なことではあるけれど、平凡なこと。普通の人間が当たり前に享受できること。

 そうでしょう? と青木は、心の中で薪に語りかける。
 それをあなたが自然に、何も構えず何気なく、口にしてくれたのに。ようやく此処に辿り着いてくれたのに、オレが大仰に反応したりしたら、せっかくのあなたの平凡を壊してしまうでしょう?

 だからオレは嘘を吐く。性根を入れて嘘を吐く。
 嘘の上手なあなたに負けないように。




(おしまい)



(2012.4)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

クエスト(1)

 雑文、その2です。 (さっさと本編に戻れ? もうちょっと待って~、読み直し、あと5章だから~(^^;))

 薪さんの時計は 『ヴァンクリーフ&アーペル』 という高級ブランド品だそうですね。 一本、100万円以上もするそうじゃないですか。
 すごい、薪さん、お金持ち。(@@)

 うちの薪さんはめっちゃ貧乏で、通帳残が254円といういつ破綻してもおかしくない経済状況なのですけど、それはあるだけ使っちゃう乱費癖が原因なんですけど、
 原作薪さんも案外浪費家だったりして。 自宅のマンションの家賃、50万くらいだったりして。 あのスーツも全部、オートクチュールだったりして。
 だからきっと通帳残はうちと一緒で3ケタだと、あ、すみません、石を投げないでください、銃も下ろしていただけるとわたしのノミの心臓が落ち着きます。


 と言うわけで、雑文です。
 雑文なので商品の相場とか色々いい加減です、あ、いつもですね、すみません。

 時期は、二人が一緒に暮らし始めて半年くらい? 春だから、1年経ってるのかな? ←適当過ぎ。
 あんまり深く考えないで、かるーく流していただけると助かります~。
 





クエスト(1)





 その形状は、縦9センチ横15センチの薄い冊子。本のように横に開くのではなく、上下に開いて見る。
 頁のベースカラーは薄い黄緑色。白抜きの白線で6列に区切ってあって、一番左に日付が、その隣に文字が、あとは数字が並んでいる。

 青木は長いこと、それを見ていた。
 人が長時間同じものを見続けるにはそれなりの理由があると思うが、その対象が散文的な書類に限られた場合、そこに浮かぶのは主に2つの可能性だ。
 書類の内容が難解で、なかなか理解できない場合。そしてもうひとつは、書類に記された内容が信じがたいものである場合だ。今回は、疑いようもなく後者。

「なんですか、これは」
 その衝撃的な内容に固まってしまった首と肩を無理に動かして、青木は恋人を見る。ソファに座った青木の横で、ディーラーからもらってきた新車のパンフレットを眺めていた彼は、目を丸くして青木の問いに答えた。
「知らないのか? それは預金通帳と言ってだな、銀行に預けてある預貯金の出し入れの明細と残高を記したもので」
「それは知ってます。オレが訊いてるのは」
 いささか乱暴に相手の言葉を遮り、青木は通帳の最後のページを彼の目の前に突き出す。右手で通帳を開き、左手で右から二番目の欄を指差して、
「この残高欄の数字のことです!」

「ああ、おまえにはちょっと難しかったかな。
 いいか? ここが百の位で、次が十の位、その下が一の位。それぞれの数字に単位を当てはめて」
「わあ、さすが薪さん、わかりやすい、って、オレは入園前の幼稚園児ですか!!」
 やさしい口調と笑顔なんかでごまかされませんよっ! ここがベッドルームで薪さんがパジャマ着てたら喜んでごまかされますけど、て、そんな呑気なことを考えられる数字じゃない。
「なんなんですか、この892円て!」

 事の起こりは3日前。
 この春、青木が前々から欲しがっていた車のニューモデルが発売された。昨年秋の展示会で一目惚れして、この車に薪を乗せて走りたいと思った。
 発売の情報を得て、早速ディーラーに足を運び、実物を見てますます欲しくなり、でも一応は薪に相談してからと思って、パンフレットとオプション品のカタログをもらってきた。
 以前から車両購入に関する同意は得ていたし、車選びは車オタクのおまえに任せると一任されていたとはいえ、安い買い物ではない。一緒に暮らすことになった以上、青木の預金も薪との共有財産だ。相談するのは当然だ。
 新車のパンフレットを見せると、薪は軽く頷いて、
『これ、使っていいぞ』
 そう言って、この通帳を差し出したのだ。
 ……その残高が892円て!!

「ありえないでしょ! 入庁して何年になるんですか!?」
 青木が強い口調で言うと、薪はそれに押されたように上半身を後方へ引き、持っていたパンフレットで顔の下半分を隠した。亜麻色の大きな瞳が困ったように青木を見て、細い眉毛が寄せられて、普段強気な薪さんがたまにそんな表情をすると、そのギャップで萌え死にしそう、て、だからごまかされませんてば!
 
 何かの間違いだとしか思えない。
 薪は今年で44歳、勤続年数は20年以上になるはずだ。しかも、上層部の仲間入りを果たしたのが27の時、ということは16年も高給取りの立場にあって、なのに貯蓄額が3桁なんて。こんなことが現実であるはずがない。
 畳み掛けるように青木が怒ると、薪は、うなだれると同時に右手を口元に持って行き、しおらしく膝を揃えて斜め方向に身体を向け、目元に涙まで浮かべて、
「ひどい……青木、僕のお金が目当てだったんだ」
「ちがいますっっ!!!」
 相も変わらず、薪の冗談はシュールすぎて笑えない。

「違いますけど、いくらなんでもこの残高はないんじゃないですか? 六桁の月給と七桁の賞与もらってて、三桁の残高しか残らないって。どんなお金の使い方してんですか!?」
 一撃必殺の上目遣いも、究極奥義『ツンデレの涙』も効果がないとわかって、薪は背もたれにそっくり返った。いつもの尊大な態度になって腕を組み、命令口調で言い返す。
「青木、落ち着け。ここをよく見ろ」
 細い指が差した場所は日付欄。そこには、3年以上前の日付が記載されていた。
 言われてみれば青木だって、銀行の窓口に行く機会は滅多にないから通帳の記帳なんか何年もしていない。現金はコンビニでだって引き出せるし、買い物も食事も、殆どがクレジットカードだ。

 薪は流れるような動作でソファから降り立つと、リビングの一角に設けた仕事用のスペースに向かった。立ったまま机に左手を付き、右手でPCのマウスを操る。
 何桁かのパスワードを入力して、取引銀行のNETサービスにログインすると、彼は自分の口座の残高を調べ始めた。
「僕は警視長だぞ? 警察官僚の通帳残が、三桁のはずがないだろう」
 でも事実、3年前にはこの残高だったわけで、薪はそのとき警視長になって3年目。それだって常識から言うと、かなりありえないと思う。
「毎月確認してるわけじゃないけど、車の頭金くらいは軽く貯まってると思……」

 不意に、薪の手と言葉が止まった。
 そこに何とも不吉な間を挟んで、薪の不思議そうな声。
「あれ?」
 青木は薪の肩越しに、パソコンを覗き込む。液晶画面には最近の日付と入出金の摘要、金額、そして。

 残高 254円。

「減ってるじゃないですか!!」
 それもキャッシュカードで引き出せないような細かい金額、よく減らせましたね!?

 勢いよく突っ込む青木を、薪は手のひらでいなした。細い眉を優雅に吊り上げ、片方の手を腰に当てると、左肩だけをそびやかすように上げて、
「青の字、よーく聞きな。男ってぇ生き物は、宵越しの金は持たねえもんさ。あの世に金は、持って行けねえからな」
「ま、薪さん、カッコい、って、昨日見た仁侠映画の台詞なんかでごまかされますか!」
 仁侠映画は薪の趣味ではないのだが、たまたま彼の好きな女優が姐さん役で出演してて、て、そんなことはどうでもいい。

「いったい何につぎ込んでるんですか? まさか、ギャンブルとか」
「僕は警察官だぞ。賭け事なんかすると思うか」
 よくお昼ご飯を賭けて、岡部さんとオセロゲームしてますよね? てか、8年前、第九に入ったばかりのオレが1週間で辞めるほうに薪さんも賭けてたって岡部さんがバラしてましたけど。
「じゃあ、何に使ってるんですか? 服とか、時計とか?」
「わかんない。気がつくとなくなってて」
 典型的な濫費家だ。何に使ったか覚えていない、一番改善策の講じにくいパターンだ。

「預金が無かったら、生活に困るでしょう。もし月の途中でお金が無くなったら、次のお給料までどうやって過ごすんですか?」
「べつに。無けりゃ無いで、何とかなる。物を買わなければいいんだ」
 最悪だ。
 このひとはアレだ、あればあるだけ使っちゃうタイプだ。贅沢な暮らしに憧れているわけでもないのに、お金が手元にあると必要の無いものを買い込んだり、周囲の人たちにご馳走したり、つまりお金に執着が無い。基本が贅沢に慣れた人間ではないから、無ければ無いで平気、よって貯める必要を感じない。だから貯金をしない。
『貯金ができない人間』の王道だ。

「今はそれでいいかもしれませんけどね、年を取って働けなくなったらどうするんです? お金が無かったら、ごはんも食べられないんですよ」
「青木。僕、そんな先のことを考えてもいいのかな」
 亜麻色の瞳が、ふっと遠くを見た。
 薪の人生に陰を落とした過去の事件、その罪に慄くように、長い睫毛がそっと伏せられる。
「僕に、そんな権利があるのかな」

「薪さん……って、ごまかされませんからねっ!! そんな殊勝な気持ちがあるなら、慈善事業に寄附のひとつでもしてるはずでしょ! この通帳の明細、全部クレジットカードの引き落としじゃないですか!!」
「ちっ、目ざとい奴だ。だけどな、僕は寄附はしないぞ。行き先や使われ方を確かめようのないお金は払いたくないんだ。怪しげな団体に寄附するくらいなら、おまえらの飲み代にした方がいい」
 たしかに。第九の一員として、薪にはずい分タダ酒を飲ませてもらった。
 事件解決後の打ち上げに始まって、新人の歓迎会、暑気払いに忘年会。同僚同士の個人的なアフターにまで、一声掛ければ「僕は行けないけど、おまえらは楽しんで来い」と気軽に軍資金を出してくれる。
 太っ腹で金離れのいい室長はカッコイイと青木も思っていたが、残高254円の通帳を見せられては、幻滅を通り越して怒りが湧いてくる。

「とにかく! これからは、無駄遣いは慎んでもらいますからね。人並みの貯金はしてください」
 年下の立場から言うのは憚られる言葉だが、このままだと彼の未来が心配だ。薪が警察を退職したあと自分が彼を養うのはいいとして、今のうちにこの浪費癖を直しておかないと、消費者金融を渡り歩くハメになりそうだ。
「人並みって、どれくらい貯めればいいんだ?」
「そうですね。一般的な日本人の平均貯蓄額が400万くらい、でも薪さんの場合は収入額を考慮して、最低でも1千万」
「そ、そんな天文学的なお金……やっぱり青木、お金目当てで僕のこと」
「違いますってば!」
「じゃあ、カラダ?」
「それはちょっとだけ、って、何を言わせるんですか!!」
 可愛らしく小首を傾げたりして、たどたどしく言葉を継いだりして、顔が顔だけにロリ系MAX、たまんない、何でも許してあげたくなっちゃ、
 いーや、騙されないぞっ!

「どこが天文学的なんですか! 薪さんの場合、ボーナス3回使わなきゃ達成できる数字ですよ!? 扶養家族がいないんですから、定例給だけで充分生活できるはずです」
「そんなこと言われたって。ここの家賃、高いし。お給料だけじゃ、食べていくだけで精一杯で」
「あれ? 薪さん、時計替えました?」
「いいだろ、オメガの新作。冬のボーナスで買ったんだ」
「ステキですね。高かったんじゃないですか?」
「そうでもない。百万はしなかった、たしか86万」
「へえ、いい買い物しましたね。でも、いい時計を買うと、それに合わせて服や靴も凝りたくなるんですよね」
「そうなんだ。時計のイメージに合わせてオートクチュールで3着仕立てたら、150万もかかっちゃってさ。靴とカフスとネクタイピン買ったら、ボーナス全部なくなっ……」
 やっと気がついたか。
「僕を誘導尋問にかけるとは。おまえも成長したな」
 こんなグダグダの誘導で褒められても。

「まずはその、壊れた金銭感覚から直さなきゃダメですね」
「壊れてるとは何だ、失礼な」
「なくても困らないものにお金をつぎ込むのは、金銭感覚が壊れてる証拠ですよ。薪さん、時計たくさん持ってるじゃないですか。わざわざ新しいのを買わなくたって」
「これは、必要なものだ」
 薪は、開き直ったように腕を組み、長い睫毛を重ねて鷹揚に頷いた。つんと顎を上げ、得意の高慢な口調で言い訳を始める。

「想像してみろ。僕がこの時計だけを身につけて、ベッドにいるところ」
 それはぜひ見た……いや、引っかからないぞ。
「な? 時計だけだと、ちょっと間が抜けてるだろ。だから次は、このネックレスだ」
 シャツのボタンをひとつ外して、薪はそこから細い鎖を引き出す。スミレみたいに可憐な人差し指と白鳥のように優雅な首に渡された銀色の輝きは、まるで彼の肌の色に合わせて調合されたかのようだった。金よりも銀よりも、薪にはプラチナが似合う。
 真珠色の肌にプラチナのリストバンドとネックレス……は、鼻血が出そ、いやいやいや! これは大切なことだ、うやむやにしてはいけない。

「でもって、これは不要かとも思ったんだけど。おまえの耳の側に僕のくるぶしが来るときのことを考えると、やっぱり必要かなって」
 すい、とズボンの裾をまくると、裸足の足首にプラチナのアンクレット。
 薪の膝が自分の肩に乗って、ベッドが軋むたびに、彼の細い足首を飾るプラチナのチェーンが揺れ――。
「必要ですねっ!! アンクレットは絶対に必要っ……!」
 じゃなくて!

 ロリロリ攻撃の次は、お色気作戦で来る気か。青木が自分に夢中なのを分かっていて、その気持ちを利用して自分に都合の良い結論を導き出そうとしている。なんて狡猾で非道い人だろう。

「今夜、このアクセサリの必要性を確認してみようか?」
 騙されない、絶対にだまされないぞ。耳元にかかる甘やかな息とか、艶っぽい囁き声とか、そんなものに乗せられてたまるか。付き合って6年になるのだ、耐性だって少しはできて……。
「それとも、今から?」
 耐性……たい……。
「ここでしちゃおうか?」
 で、できて…………。
「ね? あ・お・き?」
「……薪さんっ!!」

 あとは野となれ。



*****

 色々あり得なくてすみません、怒らないで。




 

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

クエスト(2)

 こんにちは~。

 先月の末あたりから過去記事にずーっと拍手をくださってる方々、ご新規さんかな、ありがとうございます。
 どの辺でドン引かれるのかなー、とビクつきながらも(←罪悪感はもはや習性)、とっても嬉しいです。(^^
 この話の薪さん、「ありえねえ」のオンパレードなんですけど~、すみません、そこは最後まで読んでも改善されないので、
 あと、話に無理があるとか訳が分からないとかも筆者の限界なので早々に諦めていただいて、
 それから話がつまんないとか長さの割りに中身が無いとかくだらないとかバカ丸出しとか、……ぐすん。(自分で言ってて悲しくなった)

 どうか広いお心でお付き合いくださいっ!!!

 

 そんなわけで、(??)
 お話の続きです。
 よろしくお願いします。






クエスト(2)





「おっ、エルメスの新作。次の給料で買っちゃおうかな」
「いいんじゃないですか」
 空になったコーヒーカップを回収しつつ、青木が軽く応じると、薪は驚いたように青木を見やり、次いでつまらなそうに眼を逸らした。
 
 もう、このネタでは青木をかまえない、と判断したらしい彼は、インターネットのブラウザを閉じるとパソコンの電源を落とし、青木の後について台所へ入ってきた。ダイニングの椅子の背に掛けてあるエプロンを手に取って、
「夕飯、何が食いたい?」
「炊き込みご飯がいいです」
「うん。じゃあ春らしく、筍とエンドウ豆でいくか」
 はい、と返事をして、青木は冷蔵庫から灰汁抜き済みの筍とグリンピースを取り出す。風味付けのシイタケと鶏肉は分量を控えめに、その方が筍の香りが引き立つ。シイタケの隣に慎ましく立てかけられていたオレンジ色の根菜は、グリンピースの緑をいっそう鮮やかに引き立てると思ったけれど、見ない振りで扉を閉めた。

「青木。ニンジン忘れてる」
………ばれたか。
「炊き込みご飯の彩りに、人参は基本だろ。料理は見た目も大事だぞ」
「グリンピースの緑だけでも、充分きれいだと思ったんです」
「朱が加わったらもっときれいだ」
 薪はそう言って、野菜室から青木の天敵を取り出すと、青木の手のひらにポンと載せた。

 筍を薄く切り、シイタケの表面を固く絞った布巾で軽く拭う。きのこ類は流水で洗うと旨味が抜けてしまうことを、青木は薪から教えてもらった。
 下拵えをしている青木の隣で、薪は出し汁の準備をする。長さ約10センチの昆布の両側に、互い違いに鋏を入れ、水を満たした鍋に放す。10分ほど置いたら火に掛け、沸騰する寸前に昆布を引き出す。そうしないと、だし汁が海草臭くなる。鰹節はたっぷり入れて、3分間煮出して濾す。それから人参や玉ねぎなどの甘みの強い野菜をその汁で煮る。そうすると、だし汁に甘みがつく。
 料理は薪の趣味で、だから手間は惜しまない。特に高級な食材は使わないけれど、どんな高級料亭にも負けない味だ。個人的には、薪が絶賛する山水亭より美味だと思う。

 腕まくりしてだし汁のアクを掬う薪の手首には、普段使いのミュラー。デフォルメされた数字が踊る特徴的なデザインは、くだけた休日を演出するのに相応しい。
「その時計、いいですね。オレも同じの買っていいですか?」
「え? ……欲しけりゃやるぞ。バンドだけ替えれば使える」
「お揃いでしたいんですよ。いいでしょ?」
「おまえ、ひとに無駄遣いはダメとか言っておいて」
 茹で上がった人参を鍋から取り出して、まな板の上に置き、薪は訝しそうに青木を見ている。薪の注意が他所に向いている今のうちに、人参をディスポイザーに入れてしまえば……さすがにバレるか。
「薪さんとのペアウォッチは、無駄じゃありません」
 にっこり笑ってそう言うと、薪は大きく眼を開き、2回続けて瞬きをした。

 薪にまんまと誘い込まれて、青木の決心も薪の身体も、ソファの上でわやくちゃになってしまったあと。
 落ち着いて検証してみたら、薪の供述には無理がある。現物との収支が合わないのだ。
 20年もの間、収入のすべてを全部買い物につぎ込んでいたら、クローゼットには物が溢れかえっているはずだ。でも、薪の収納スペースはいつもきちんと整理されていて、充分な余裕がある。リサイクルショップという手もあるが、その類の店に足を運ぶ彼を見たことはない。今までの彼を思い起こすに、頭のてっぺんからつま先までブランド品で固めている様子もなかったし、365日違うスーツで出勤してきたわけでもない。
 何よりも薪の性格からして、「自分が稼いだ金の使い途をおまえにとやかく言われる筋合いはない」と怒るなら自然だが、こんなことで誤魔化そうとするなんて。そこが一番、らしくない。青木には知られたくない何かがある証拠だ。
 画面に表示された銀行口座の引き落としは、すべてクレジットカード。その中には公共料金から家賃まで、生活に係る殆どのものが含まれている。
 そう思って青木はやっと、クレジットカードでも募金はできると気がついた。

 その後は必ず眠くなる薪が、ソファの上でうとうとしている隙に、いけないと思いつつもこっそりと、薪のクレジットカードの明細を調べた。
 青木の予想通り、そこには『日本学生支援機構』『交通遺児育成基金』の二つの財団法人と6桁の数字が並んでいた。
 この二つを選んでいるのは多分、薪が昔世話になったことがある基金だからだ。自分がしてもらったことは返そうと、彼の律儀さの表れなのだろう。
 正面からお金の使い途を聞いた自分がバカだった。考えてみれば、このひとが素直に自分の善行を認めるわけがないのだ。

「車、欲しいんだろ? 貯めておいた方がいいんじゃないのか?」
「買いますよ。それくらいは持ってます」
「えっ、本当か。おまえって、セコセコ貯めるタイプだったんだな」
「普通です、普通」
 そう、青木は普通だ。普通の人間は、通帳残が3桁になるまで寄附はしない。
 おそらく薪も、始めからそんなことをしていたわけではないと思う。家族もいない自分の老後より、子供たちの未来のために、なんて、薪はそんな殊勝な人間ではない。ずっと彼を見てきた青木には、彼の収入に合わない寄附の背景を容易に想像することができる。
 多分きっかけは、あの事件だ。そうでなければ、このマンションには入れなかっただろう。一定の収入があることはもちろん、ある程度の残高が銀行口座に残されていないと、この手のマンションは入居を断られるからだ。

 おそらくそれは、高潔な精神から生まれる純粋な善意ではなく。
 明日が来なければいいと思いながら、それでも生きなければならなかった日々の中で、罪を贖うことすら許されなかった彼の、代償行為に過ぎなかったのかもしれない。あるいは、長く生きる予定もない自分が持っていても仕方ない、という投げやりな気持ちから始めた自虐的な行動だったのかもしれない。それは青木には判断しかねるが、彼の重ねてきた行いは確実に多くの子供たちの役に立っているはずで、大事なのはそこだ、と青木は思う。

「車買ったら、僕にも運転させろ」
「いいですよ」
「半分は僕が払ってやる」
「お願いします」
 残高三桁がどうやって? などという、嫌味は言わないことにした。
 薪は一瞬、何かに気付いたようだったが、素知らぬ振りで料理の続きに戻った。青木が研いだ米をザルに上げると、後は自分がやるからいい、と青木を台所から追い出した。
 
 リビングと風呂の掃除を終えた青木が、薪に呼ばれて再び台所に入ると、ダイニングテーブルには春の食卓が用意されていた。
 筍とエンドウ豆の炊き込みご飯に、鰆の塩焼き、菜の花のおひたし。蛤の吸い物に、高野豆腐と野菜の炊き合わせ。高野豆腐の器に盛られた絹さやの緑と、人参の朱がとてもきれいだ。
 薪が茶碗によそってくれた炊き込みご飯を見て、そこに自分を少しだけブルーにする朱色が混じっていないことに気付いた青木は、「あ」と声を上げたが、
「なんだよ」
 と、低い声で薪が凄むので、慌てて口を噤んだ。
 でもやっぱり薪の気遣いはうれしくて。だから青木は、そのことを言いたくてたまらなくなる。
「炊き込みご飯の彩りは、グリンピースだけでも充分きれいですよね」
 緑茶を淹れる薪の横顔は、つんと澄ましたポーカーフェイス。応えは返って来ないが、その肩は穏やかに開かれている。

 薪はいつも本当のことを言わないから、青木は懸命に彼を観察して、彼の真実を見つけようとする。その過程には数々のトラップやミスリードが張り巡らされており、そうまでして彼が何を守りたいのか、青木にはよく分からない。
 でも。
 やっとの思いで開けてみた宝箱の中身は、一度も青木を裏切った事がない。
 
 それは、永きにわたる壮大なクエスト。
 彼の中に隠された数多の秘密。ひとつ箱を開けるたびに、青木は彼をもっと好きになる。
 どんな困難が行く手を阻もうと、ドロップアウトは絶対にしない。制覇の可能性は限りなく低いけれど、コンティニューはプレイヤーの意志に任されている。
 毎度、正解に辿り着くには苦労するのだけれど、そこには必ず青木を嬉しくさせるものがあって、だから青木はこのクエストから抜けられない。

「いただきますっ」
 薪が席に着くのを待って、青木は吸い物に手を伸ばした。
 やわらかく火が通った蛤と、その香りを邪魔しない昆布ベースの澄まし汁は絶品で、旬のサワラは滑らかに舌の上でその身をほどく。
「やっぱり、旬の魚は美味しいですね」
「サワラが美味いのは冬だぞ」
「え、そうなんですか?」
「サワラは魚編に春って書くけど、回遊魚だからな。1年中獲れる。サワラが春に旬を迎える地方っていうと、瀬戸内海辺りになるかな。関東じゃ、冬の方が脂が乗ってて美味い」
 毎回、薪の雑学には舌を巻く。青木が薪に勝てることと言ったら、車の運転と乗り物に関する知識だけだ。
「薪さんて、そういう知識をどこで身につけるんですか? 料理もやたら詳しいですよね。誰かに習ってたんですか?」
「さあな」
 軽くはぐらかされて、薪の謎がまたひとつ増える。コンプリートへの道は遠い。

 まあいい。ずっと一緒に暮らしていくのだ。時間とチャンスはたっぷりある。

 翡翠を散らした餐の、春の息吹で炊いたようなやさしい味わいに目を細めて、青木は新しいクエストへの第一歩を踏み出した。




(おしまい)



(2011.4)

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

好きだ、バカ

 お話の途中ですが。

 遡ること数ヶ月前、表題の言葉を叫ぶ映画のヒロインが可愛いと話題になりましたね。
 きっと薪さんも、
 心の中では何度もこう言っただろうな~、と想像すると、萌えます。(〃▽〃)
 絶対に口にはしないでしょうけど、薪さんはそれでいいんです。 そのために二次創作があるのよ。(え)

 そんなわけで、うちの「好きだ、バカ」です。
 なんで今日公開なのかと言うと、今日はわたしの大事な人の大事な日だから。 私事ですみません。

 あと、すっごく恥ずかしい文章なので、いや、
 文が恥ずかしいんじゃなくて青木さんの言葉に被せて自分の気持ちを語ってるよね感ありありでしかも公開が6月20日だし読む人が読んだら裏事情が分かっちゃいそうでとてもじゃないけどオープン公開はできないので追記でごめんなさい突っ込まないでください。
 ノンブレスで言い訳する間にも顔から火が出そうです……。




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テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

GIANT KILLING (1)

 あんまりアホな話ばっかり公開してると本物のアホだと言うことがバレそうなので、薪さんのお仕事の話をひとつ。
 
 みなさん、『GIANT KILLING』てご存知ですか?
 スポーツ用語、主にサッカーに使われる言葉で、直訳すると「王者殺し」。 弱小チームが強豪チームを倒すことを言うんだそうです。 サッカーは得点するのが難しいスポーツなので、それが起きる確率が高いとかで、だからサッカー用語みたいになってるんですね。
 この題名のサッカー漫画もあって、アニメにもなったんですけど、観てた人いないだろうなあ。(^^;


 書いたのはアニメがBSでやってた頃だから、2年前の7月です。 
 第九が解体された今となっては賞味期限が過ぎてる気がしますけど、しかもカテゴリは雑文なので意味もないんですけど、よろしかったらどうぞ。






GIANT KILLING (1)






「釈放だ」
 警視総監の剣呑な声が響いた。
 予想はしていた。それに対して自分が反論するであろうことも、この男は予想していると知っていた。

「総監。もう少しだけ、時間をください。せめてあと1日。必ず証拠を掴んで」
「確実に証明されるかどうかも判らないMRIの画に、現役の大臣を拘束する力があるはずがないだろう。拘束中の秘書は釈放。この件に関して、これ以上の捜査は不要だ。下がりなさい」
 相手が悪いのは解っている。しかし、これは殺人事件なのだ。被疑者の職業が捜査に影響を与えるなど、あってはならない。薪は食い下がった。

「これを見て下さい。画面右下の男、顔は映っていませんが、この服は当日の朝、被疑者が着用していたジャケットと同じものです。今はここまでですけど、もう少し解析が進めば」
 年若い警視長が机に広げた何枚かの写真を、総監は押しのけた。これ以上、話を聞く気はない、ということだ。
「こんな不確かな証拠で、現役の外務大臣を引っ張れというのか」
「責任は僕が取ります、僕の首を懸けてでも」
「思い上がるな」
 警視庁の頂点に立つ男が、厳かに言った。それは静かな恫喝だった。
「君が警視長に昇任したところで、第九の地位が向上したことにはならない。あくまで第九は研究室、警察庁の出先機関に過ぎんのだ」

 その気になればいつでも潰せるぞ―――― 声にならない脅迫を受けて、薪は口を噤む。引き下がるしかなかった。
 今まで、何度こうして煮え湯を飲まされてきたことだろう。正義の名の下にあるはずの警察機構、しかしその実態は、出世と保身にまみれた汚い裏取引がまかり通る世界。自分が警察を離れた後も利用できる有力なツテには決して捜査の手を伸ばさない、それが上層部の意思だ。

「……っ!」
 上からの圧力に屈して膝を折るしかない自分の存在が、とてもちっぽけなものに思える。ここまで捜査を続けてきた部下たちの努力を、室長の自分が摘まねばならない、屈辱に震えるこの口唇で、捜査中止の命を告げなければならないのだ。
 これまでにも何度か、薪はこの耐え難い職務をこなしてきた。自分ひとりのことなら決して譲らない、しかし第九を、部下を守るためには必要なことだった。

 過去に幾度も試みたように、薪は研究室に帰る前に中庭に出た。第九の建物が見える場所に大きく枝を繁らせた、一本の樹。そこはかつての親友と、自分たちの未来について語った思い出の場所だ。

 ―――― すごいよな、第九だぜ。最先端の捜査方法だぜ。

 薪の脳裏に、いつか親友と話した会話が甦る。懐かしい声に涙腺が緩みそうになり、薪は俯いた。

 ―――― 被害者が死んでも「おしまい」じゃない。今までヤブの中だった犯行動機や犯人が。

 黒い瞳を輝かせて、未来の捜査に夢を馳せていた親友の姿。やさしい彼が望んでいたのは、非業の死を遂げた被害者の無念を晴らし、その遺族たちの未来にほんのわずかでも寄与できればと。
 自分の大切なひとの命の鼓動が誰の手によって止められたのか、遺族には知る権利がある。知ったところで亡くなった人は還らない。だが、それを受け止めることができれば、前に進める。どんなに深い悲しみからも、前に進む気概があれば抜け出せる可能性が生まれる。
 しかし、闇に埋もれた事件の被害者には、その活路は見出せない。何故死んだのか、誰がこんなことをしたのか、どうして彼が被害に遭わねばならなかったのか、何も分からず何も知ることができず。被害者の無念は残り、遺族の時間は止まる。

 神のごとくすべてを見通すMRIは、それを防ぐ最終兵器だったはずなのに。そう信じたからこそ、倫理や道徳を乗り越えて、この職務に身を投じてきたのに。

 ―――― これからはわかる。何でもわかる。

「分からないよ、鈴木」
 昔こんなとき、親友の胸に額を預けたように、薪は固い樹皮に額をあてた。そこには当然、今の薪に必要なぬくもりも労わりもなく。物言わぬ静かな生命が、彼の慟哭に関係なく端座しているだけだった。
「見ることすらできない……被害者の視界さえ、藪の中なんだよ」
 かつては親友の温かい胸に吸い込まれた涙が、風に散った。彼を失ってから薪はたったひとり、この痛苦に耐えてきた。薪の涙を拭いてくれるひとは、もういないのだ。
「鈴木……ごめん。ごめんな……」

 僕はおまえの理想を叶えてやれない。
 おまえの人生を奪っておきながら、おまえの夢ひとつ実現できない。おまえが自分で成し遂げたかっただろう、MRI捜査による被害者の魂の救済を、せめて僕が代行しようと思ったのに。

 僕の手は小さくて、あまりにも小さくて、ほんの一握りの人々の最期しか掬うことができない。
 そのわずかな成果でさえ、この手から零れ落ちていく。意志とは裏腹に大きく開いた指の狭間から、落ちて落ちて落ちて。
 
 落ちて行く彼らを見送りながら、薪は自分の無力を嘆く。
 許して欲しいと願うことすらおこがましい。ならば、自分は最下層に堕ちよう。そこに落とされた彼らの痛みを知ろう。
 闇に葬られた事件の犠牲者たちの、せめてもの慰みに。
 



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

GIANT KILLING (2)

 お暑い中、本日もお運びありがとうございます。

 みなさんにいただきました拍手が、とうとう3万を超えまして!
 どうもありがとうございますー!! と舞い上がりつつも、今書いてる話は2万5千のお礼SSだったりして。(しかも内容的に超ビミョー)
 すみません、3万のお礼はいつになるやら分かりません。
 でも、いっぱい感謝してます!! いつもありがとうございます!!!



 ところで、
 お盆はお休みの方が多いと思うのですけど、何かと忙しいですねー。
 わたしもけっこう忙しいです。 漏水当番とか電子入札の準備とか積算とか。 ←盆、関係ねえ。
 今日は漏水当番で事務所にいなきゃなので、ゆっくりSS書けます~。 
「どうせ事務所にいるなら仕事しろ」とオットがうるさいのですけど、会社のみんながお休みなのに自分だけ仕事なんて、そんな薪さんみたいなことやってられません。(笑)






GIANT KILLING (2)






 
 自動ドアから現れた華奢なシルエットに、モニタールームの全員の視線が集まった。副室長の岡部が、室長不在の間の進展を報告する。
「室長。4日の深夜に、気になる画が」
「みんな、ちょっと聞いてくれ」
 氷のような無表情で報告を遮った室長の横顔に、職員たちはこれから彼が告げるであろう言葉を予期する。
「現在、捜査中の三鷹の殺傷事件だが」
 続く言葉は分かっていた。それは彼らにとってとても不快な言葉だったが、誰一人室長の言葉を邪魔するものはいなかった。それを一番望んでいないのは、決定を告げる本人であることを、彼らはみな知っていたからだ。

「青木はどうした」
 新人の不在に気付いて、室長は話題を転じた。もしも外に出て実地調査をしているようなら直ぐに帰るよう命じなければいけない、そう思ってのことかもしれない。
「仮眠室です。あいつ、3日も寝てなかったみたいで」
「貧血か」
「ええ、多分」
 本当は机の上で熟睡していたのを、4人がかりでベッドに運んだのだ。普段なら床に転がしておくのだが、進行中の捜査の真っ最中に執務室で眠っていたら、超ド級のブリザードが吹き荒れるに違いない。とばっちりはごめんだ。

 青木の昏倒を聞いて、薪の無表情の仮面にヒビが入った。ぎゅ、とくちびるを噛んで、辛そうに眉を寄せる。伏せられた亜麻色の瞳が、年若い捜査官の席を映した。
 急な失調を物語る、雑然と散らかった机上。幾枚もの写真と、捜査資料に手書きのメモ。
 室長はゆっくりと彼の席に歩み寄って、それらを悲しそうに眺める。

「……これは?」
 被疑者の顔が車のサイドミラーにしっかりと映っている写真を手にして、室長がこちらを振り返る。目の合った曽我が、淀みなく説明した。
「青木が見つけたんです。それ見つけて、気が緩んだんでしょうね。一気に眠気が勝っちゃったみたいで。プリントアウトしながら、もう爆睡してて」
「ば、バカ! 青木が居眠りしてたって、薪さんには秘密だって言っただろ」
「ああっ、しまった!」
 例え証拠を見つけても、警視総監から下された決定は覆らないことを、彼らは今までの経験で知っている。だからこの間抜けなやり取りは、室長の痛みを少しでも和らげるための緩衝材だ。

「室長、眠ったのは青木だけです、ブリザードは仮眠室限定でお願いします!」
 友情は脆くも崩れ去り、ひたすら保身に走る第九の職員たちを尻目に、薪は仮眠室へ入った。
 4つあるベッドの右奥、大きな身体を横たえて、黒髪の青年が眠っている。長い手足がベッドからはみ出している。シングルサイズでは、青木の身体には小さすぎるのだ。
 疲れ果てて眠っているはずの青木の顔は、どことなく満足げで。きっとそれは、自分が見つけ出した証拠が事件解明の役に立つと信じてのこと。あの写真がシュレッダーに掛けられて燃やされる運命にあるなどと、夢にも思っていないのだろう。
 
 メガネを外して前髪を額に下ろして目を閉じたその寝顔に、自然に重なった面影に、薪は胸を熱くする。繰り返し繰り返し、薪の中で木霊するその音声。

 ―――― やりがいのある仕事だよ。とてもやりがいのある仕事だ。

 仮眠室へ行ったきり帰ってこない室長を気にして、職員たちはそっと中を覗きこむ。室長はじっとベッドの傍に立ち尽くしていたが、不意に強い声で命令した。
「マジックペン、よこせ。油性のヤツ」
 唐突な要求に顔を見合わせるが、第九の面々は室長の気まぐれに慣れている。差し出した手のひらに与えられた筆記具のキャップを、薪は迷いなく開けた。
 ペン先の柔らかいフェルトが、すっきりと開かれた眉の間を黒く塗りつぶした。すうっと一直線に伸びた眉毛の上を何重にもなぞり、見事なカモメ型にその形を整えると、
「なかなかのオトコマエだ」と薪は呟いた。

「10年早いんだよ、半人前が。おまえなんかに言われなくたって、解ってるさ」
 眠っている男におかしな言いがかりをつけて、室長は背中をしゃんと伸ばした。大股に足を運び、勢いをつけてドアを開く。モニタールームを走り抜けるようにして、薪は研究室を出て行った。




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GIANT KILLING (3)

GIANT KILLING (3)







 1時間も経たないうちに引き返してきた若き警視長に、総監は再び迫られていた。
 先刻とは、顔つきも声音もまるで違う。それは彼の右手に握られた幾枚かの写真の力か、この半時ほどの間に彼を見舞った何かの作用か。

「証拠は挙がったんです。この画の発見時刻は、中止命令が下る前です。これは命令違反ではありません」
「それは屁理屈と言うのだよ」
 確かに、それは決定的とも言える証拠だった。しかし、問題の焦点はそこにはない。証拠が見つかろうが見つかるまいが、この被疑者が政界にもたらす影響の前には、どうでも良いことだった。
 それを理解できない愚鈍な警視長は、まだ何やら騒いでいる。

「僕の部下たちが3日も徹夜して、やっと確たる証拠を手に入れたのに、今度はそれを揉み消せなんて。僕だけが知っている事実ならともかく、彼らにまで隠蔽の片棒を担がせるなんて、僕にはできません」
 まったく、どうして上層部はこの男の昇進を許したのか。彼の階級が上がるほどに、保守派の彼らの首は絞まっていく。それが予想できなかったのだろうか。
「責任は僕が取ります。事件の報告書を提出させてください」
「君ごときの首でどうにかできるくらいの相手なら、わしとて反対はせんよ」
 逆に都合がいいくらいだ。何かと意見の合わない第九の室長の首を挿げ替えることができたら、総監の職務は、今よりずっとやり易いものになるに違いない。

「ならば、あなたの首も懸けてください」
 警視庁の古だぬきは、あんぐりと口を開けた。目の前で静かな怒りに震える男が何を言ったのか、咄嗟には理解できない。
「犯罪を撲滅し国民を守る警察が、そのトップに立つ人間が、正義を貫かないでどうするんです。誰がそんな警察を信用してくれますか」
 薪の口調は、決して激しいものではなかった。脅しつけるような威圧感も、同情を買うような哀願もなかった。
 そこにあるのは、純粋な熱意だった。

「ま、薪……きさまっ……!」
 怒りのために蒼白になった顔を引き攣らせて、総監が席を立つ。重厚な執務椅子が、ガタン、と耳障りな音を立てた。
 じっと自分の目を見つめる亜麻色の瞳の中に、先刻は見られなかった彼の覚悟が燃えている。その頑迷な輝き。
 こんな目で見られたのは、久しぶりだ。

「今回きりだ。二度は無いからそう思え」
「ありがとうございますっ!」
 即座に礼を言われて、総監は面食らう。
『そう思うなら、二度とこんな理由で中止命令を出さないでいただきたい』
 皮肉屋で、しかも青臭い彼からは、そんな言葉が返ってくるものと総監は予想していた。しかし、そのときの彼はポーカーフェイスが信条の警察官僚の風上にも置けず。頬を紅潮させた少年のような笑顔で、亜麻色の瞳を希望に輝かせていた。

「感謝します、総監」
 ばっと頭を下げると、急いで部屋を出て行く。一刻も早く部下たちにこの事を報せてやりたい、そんな思いから彼の足は走り出す。
「廊下を走るな!」
 閉めたドアの外に総監の声が聞こえたかどうかは疑問だが、バタバタと響いていた足音は静かになり、総監室に静寂が戻ってきた。
「ったく、小学生か、あいつは」
 吐き捨てる口調で言う総監のたるんだ頬には苦笑が浮かび、絶対に警視正に降格してやる、と毒づく言葉とは裏腹に、妙にサバサバした仕草で執務椅子にもたれかかった。

「くくくくっ……いやー、笑いを堪えるのがこんなに苦しいとは。死ぬかと思いましたよ」
 くつろいでいた総監の顔つきが、一瞬で固くなる。奥の部屋から笑い声と共に現れた男は、明らかに自分の敵だ。
 彼の名は中園紳一。階級は警視長、役職は官房室付首席参事官。つまり、小野田官房長の現在の右腕だ。

「相変わらず面白いことやってくれるねえ、薪くんは」
「まったく、面倒な子ですな。ハチの巣を突いて騒ぎを起こして、その後始末はこちらに被せる気でいる」
 薪が小野田官房長の後継者として育てられつつあることは、衆目の知るところだ。彼の我が儘がまかり通る裏側には、この大物の力が働いている。
「だから、言ったじゃないですか。警視庁で立件が不可能と判断するなら、警察庁で引き受けますって。もともと第九は、うちの管轄機関ですしね」
 総監の顔が不快に歪む。
 先刻この男は、薪が総監室を辞したあと入れ替わりにやってきて、そんな勝手なことを言い出したのだ。

『捜査はこちらで引き継ぎます。もちろん、責任は官房室でとりますよ。あなたと同じ、警視監の首だ。文句はないでしょう』
 そんなことが、できるはずがない。
 この件は、既にマスコミに洩れている。捜査をしていたのが警視庁であり、MRI捜査を発動させるまでに被疑者を追い込んだのは警視庁の捜査一課だ。それが、犯人が現役の大臣とわかった途端に捜査を中断し、さらに警察庁の継続捜査で犯行の証明が為されるとなると、これでは警視庁は完全な道化役だ。
 しかし、あの段階では確たる証拠が摑めるという確証もなかったはず。その状態で責任の引継ぎを申し出た中園の、いや、官房室の真意は。
 そこまで、薪を信頼しているのか。それとも、警視庁のプライドを読んでのことか。

「察庁(サッチョウ)さんの手を煩わせるなど、とんでもない。もちろん、そちらのお心遣いには感謝しますが、これは初めに我々が手掛けた事件ですから。道理から言っても、うちがカタをつけるのが当然かと」
 謙虚な言葉を選びながら、総監は幾重にもガードを固める。政敵の前で弱味を見せてはならない。
「官房長殿にも、くれぐれもよろしくお伝えください」
 言葉の裏側に、いくつもの声にならない呪詛を隠し、総監は中園の目を見る。自分と同じ、冷たく、奥底の知れない瞳。

 先刻の亜麻色の瞳との、それは何と大きな隔たりだろう。
 単純で、純粋で、迷わない瞳。
 あれが警視長? ……まったく、迷惑な男だ。

「ほだされちゃダメですよ、総監」
 いつの間にか、頬が緩んでいたらしい。不愉快な冤罪を掛けられて、再び総監の顔つきが厳しくなった。
「おかしなことを言いますな。わしが薪くんに傾いた方が、あなたたちには都合がいいはずだが」
 中央の権力争いは、次長・官房長・警視総監の3つ巴。が、どちらかというと総監は、保守派の次長を支持している。自分たちの勢力を増したいのなら、総監を取り込むのが手っ取り早い方法だと思われるが。
「総監が次長よりの立場を取っているから、今の警察庁と警視庁の関係はうまく行ってるんです。間違っても官房室に靡くようなことはしないでくださいよ。現段階で次長に全面戦争を仕掛けてこられたら、こちらもお手上げですから」
 たしかに、次長と官房長の勢力は7:3と言ったところだ。しかし、総監が次長側についているから次長は焦らず、小野田派を見逃している部分もある。
「まあ、もちろん、相手も無傷では済ませませんけどね」
 食えない男だ。
 小野田は薪のような男に肩入れするところからも、捨てきれない甘さが窺い知れるが、この中園という男は冷酷極まりない。目的のためなら何でもする男だ。敵に回したくはない。

「大捕り物の準備でお忙しいでしょうから、これで失礼しますよ。抜け穴を掘られないように、頑張ってください」
 不遜に笑って、中園は部屋を出て行った。静まり返った広い部屋で、総監は背もたれに背中を預け、肩の力を抜く。
 中園の、もとい官房長の圧力が掛からなかったら、中止命令は覆らなかった。これは総監の本意ではない。しかし、この気分の軽さはどうしたことだろう。

「今ごろ第九はお祭り騒ぎだろうな。ったく、忌々しい」
 悪意たっぷりの口調で呟きつつ、警視庁の最高権力者は、笑った。




*****


 ご指摘いただいた通り、この話のあおまきさんは付き合ってないんですけどね。 何故か中園が出てくると言う矛盾。 (付き合ってたとしても、中園が出てくる頃には薪さんは、青木さんに鈴木さんを重ねたりしない)
 すみません、雑文の設定はいい加減なんです。(^^;






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GIANT KILLING (4)

 終章ですー。
 読んでいただいてありがとうございました。




GIANT KILLING (4)







「捜査続行だ!!」
 ドアが開くと同時に、薪は高らかに宣言した。一瞬の静寂の後、モニタールームに歓声が満ちる。

「本当ですか!」
「やった! おい、さっきの画! おまえも見つけてただろう、ジャケットの返り血」
「じゃあ、これも証拠になりますよね? 5日の早朝の」
 俄かに活気付いた研究室に、活発な声が飛ぶ。プリンターがフル回転して、次々と証拠の画が提示されていく。
 彼らが自分を信じて、あれからも捜査を続けていたのだ、と薪は知る。
 ぶつかってみて、良かった。何度打ちのめされても、僕にはこいつらがいる。こいつらが、僕に勇気を与えてくれる。僕を強くしてくれる。

 自分がいなくなった後の警視総監室で何が起きたか、また、中止命令の撤回の裏に働いていた陰の力を知る由もない薪は、ただ純粋に捜査の続行を喜び、眼を輝かせてモニターを見つめる。
 積み重ねてきた努力は、無駄にはならない。葬られる事件をすべて明らかにすることはできないけれど、こうして少しずつ、その数を減らしていくことができたら。

「薪さんっっ!!!」
 後ろからびっくりするような大声で怒鳴られて、薪は思わず椅子の上で飛び上がった。この声は青木だ。目が覚めたらしい。起きて、髪を整えようと鏡を見て、イタズラ描きに気付いたのか。
「ひどいですよ、顔に落書きなんて! 子供じゃあるまいし!」
「捜査中に居眠りなんて、気を抜くおまえが悪い」
「だからって、こんなに顔中描くことないじゃないですか!」
「顔中? ……あははははっ!! なんだおまえ、その顔!」
 青木の抗議内容に不審を覚えて、薪は振り返った。見ると、青木の顔は単なるカモメ眉毛のダサイ男から、ヒゲともみ上げをボウボウに伸ばされた原始人のような顔になっていた。額には横に3本のしわが描かれ、目の周りには睫のつもりか、幾本もの斜線が添えられている。それがきちんとスーツを着て角縁のメガネを掛け、ユデダコのように真っ赤になって怒ってる姿は、薪でなくても噴飯ものだ。
「なに言ってんですか、自分でやっといて!」
「こ、こっちに来るな、笑い死ぬっ!!」
 部下は上司の姿を見て育つ。良いところばかり受け継げばいいが、そうはいかない。大抵は、短所7割長所3割の割合で似るものだ。薪の思い込みが強いところや頑固なところ、そしてシャレにならない悪ふざけも。

「室長、資料が揃いました!」
「よし、先にデータを伝送しとけ。岡部、捜一にハッパかけに行くぞ!」
 薪は資料を抱え、岡部を引き連れてモニタールームを出て行く。背筋を伸ばし、その横顔を未来への希望で輝かせて。

 ―――― すごいよな、第九だぜ。最先端の捜査方法だぜ。

 鈴木。
 おまえと夢見たMRI捜査の理想を。僕がそれを現実にしてみせる。
 僕の手はこんなに小さくて、とても一人じゃ無理だけど、僕には頼もしい仲間がいる。何本もの手がある。僕と一緒に被害者たちの最期を掬ってくれる手が。たとえ僕の手から零れ落ちるものがあったとしても、それを受け止めて、僕に返してくれる手が。
 彼らが、僕の背中を押してくれる。だから僕は走り続けることができる、恐れずに挑むことができる。

 おまえと見た夢を、こいつらと一緒に追い続けるよ。
 僕の命の続く限り。

『Let’s  start  now  GIANT KILLING 』




 ―了―



(2010.7)




*****



 舞台裏を書くほどの話じゃないので、こちらにちょこっとメモ書きを。

 この雑文は「ジャアントキリング」というアニメの主題歌『 My Story ~まだ見ぬ明日へ~ 』を聞いて書いたんですけど、(どの辺が? と言われてましても)
 わたし、原作のジャイキリは未読でして。 アニメも見たのが2年くらい前なので、監督のタツミさんくらいしか覚えてません。 Nさん、Rさん、めっちゃすみませんです。(^^;


 この歌は、とってもいい曲です。 
 サッカー漫画の主題歌なので応援ソングになってて、聴くと元気がでる。 原作読んで凹んだときに、よく元気付けてもらいました。 超オススメです。

 で、薪さんとの共通点が、(←関連付けずにいられない病)
 全身全霊を傾けてスキルアップに努めるイレブンの様子に、悩みながらも捜査を続ける薪さんのひたむきさが重なることもさることながら、
 やっぱり2番のこの歌詞。

『明日を待ちきれなくて もがいたあの夜 人知れず流した 涙に夢は宿る
時が流れていつか 挫けそうな時 君と見た景色が 胸の奥よみがえる』

 あああ! 鈴木さんっ!! ←ドツボ。

 意に副わぬ隠蔽工作にどれだけ涙しても。
 薪さんはこれからも、鈴木さんと一緒に夢見たMRI捜査の理想を懸命に追い続けていくんだろうな、と思ってこの話になったのでした。
 
 第九が解体された今となっては、こんな風に同じ場所で捜査をする彼らを見ることはできなくなってしまいました。 それはとても寂しいことですけど、でも、
 もっと大きな意味合いで彼らは共にある。 薪さんと第九メンズは、これからも一緒に戦っていくんですね。


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パーティ(1)

 コミックス最終刊、発売されましたね。 みなさん、もう読まれましたか?

 これを機に、9巻から(エンドゲームの始まりから)読み直してみたんですけど、通読したら全然感じが違いますね。
 やはり、重厚な物語は通読に限ると思いました。 事件のことも含めて、話がすんなりと頭に入って来るし、メロディで追っていたときに感じた中だるみと言うか、話がなかなか進まなくてイライラすることもありませんでした。 キャラの心情も行動も、納得して共感できました。
 思うに、続きを待っている2ヶ月の間に色々考え過ぎてしまって、逆に素直に読めなくなっていたんですね。 ジェネシスからはコミックス派に切り替えようかと、できもしないことを考えたりしました。(←我慢できるわけがない)

 それはそうと、読み直してみたら、憶えてないコマがたくさんあってびっくりしました。 加筆がこんなに? て、自分の記憶が残念なだけだったと言う。
 その殆どが雪子さんと青木さんが仲良くしてた後のコマでねー、そんなに拒否していた心算はなかったんですけど、いやー、身体は正直だわー。 よっぽど見たくなかったのねー。(笑) ←骨の髄まで腐っててすみません。
 
 加筆によって、青木さんの素晴らしさが浮き彫りになりましたね。
 すべてが明るみに出ても、誰も憎まず恨まず、嘆くことさえしない。 正直、自分の姉を殺した実行犯の写真にさえ動じなかった彼の神経が理解できなかったんですけど、彼はあの時すでに「この責を一生背負っていく」と、その覚悟を決めていたのだと分かりました。 本当に強い人って、こういう人を言うんでしょうね。
 すごいなー、青木さん。 薪さんが惚れるわけだよ。
 わたしも惚れそう、て、またにに子さんと女の争いになるのか。 ふふふふ、青木さんは年上好き、若い子には負けないわよー。 でも、薪さんに勝てるわけないから二人とも失恋だねー。 慰め合おうね、にに子さん。(笑) 
 


 メロディでは過去編も始まりまして。
 一読後の感想は、
「おお、ヒヨコだ!」←意味の解らない人はみちゅうさんの「ひよこ系」を読んでください。
「君と手をつなごう」に引き続き、原作の方から接近してくるとは、みーちゃんすごいな~。 惚れる。(〃▽〃)


 さて、
 こちらは2ヶ月くらい前に予告した「薪さんが警視長昇任の祝賀会を開くお話」です。 (kakoさん、お待たせしました(^^))
 時期は、薪さんが警視長に昇進した時なので、2063年の春です。 まだ二人が付き合い始めて1年くらいですね。
 ストーリーは無いので、カテゴリは雑文です。
 気楽に読んでいただけたらうれしいです。
 


 なお、先日のエロSS(←何人かの方に「ヤラシイ」と言われたので開き直りました) にコメントくださった方、ありがとうございました。 恒例により記事は下げましたので、こちらの記事のコメント欄にお返事させていただきます。
 解り難くてすみません、よろしくお願いします。
 
  




パーティ(1)






 報告書の束がその高さを競い合う執務机の上、上司が無造作に放り投げた一枚の紙片を恭しく両手に掲げ、岡部は嬉しそうに微笑んだ。
 岡部の無骨な指に挟まれたそれは、新しい役職に就く際に人事部から交付される書面、つまり辞令だ。氏名欄には岡部の上司の名が記され、階級欄には警視長とある。

「今週の定例会には、俺が『綾紫』をお持ちします」
 室長室に戻るが早いか報告書の検分に取り掛かった薪は、岡部の口から自分の好きな酒の銘柄が出ると、わずかに紙をめくるスピードを落として、
「別に祝うほどのものでもないけど。飲むのは大賛成だ」
 くちびるの端を少しだけ上げて、白い歯を覗かせる。週末の予定を立てるときには気分が上昇気流に乗る。勤め人のサガだ。

「俺たちからも、お祝いの花束くらい贈らせてください」
 ドアを開けて入ってきたのは、今井と宇野だった。修正済みの報告書を手に持ったまま、岡部と一緒になって上司宛の辞令を覗き込む。3人とも、他人の辞令の何がそんなに嬉しいのかと、当の本人が不思議に思うくらいに相好を崩している。自分の部下ながら、こいつらは根本的にズレている、と薪は呆れ顔で溜息を吐いた。
「そんなものは要らん。贈られる謂れもない」
「薪さん」
 副室長の岡部に咎める口調で名前を呼ばれるも、薪の気持ちは変わらない。だって、本当に祝福されるべきは自分ではない。

「第九に実績がなければ、その辞令もない。第九の実績は、僕一人で築いてきたわけじゃない」
 薪は右手をピストルの形にして、岡部が持っている紙片を撃ち抜くように指差した。細い顎を上げて、他人を見下すような視線。事実彼は今、部下たちを見下しているのだ。どうしてこんな当たり前のことが分からないのかと。
「それは、第九全体の評価と考えていい。室長の僕が代表として受け取っただけだ」
 時として、薪の人間性が誤解される理由はこういう所にあると部下たちは思う。今は岡部が咎めたから補足説明をしてくれたが、普段は最初の「要らん」で会話を打ち切ってしまう。長い付き合いの自分たちは慣れたものだが、これが他所の部署の人間だったら完全に怒らせているところだ。相手が他部署の職員なのだから少しは気を使って、などという細やかな気遣いを薪に期待しても無駄だ。何故なら薪の中で、その論理は明白過ぎて、誰もが理解して当たり前のことだからだ。自己の昇進を部下たちの努力のおかげだと考えることができる薪の精神は称えられる類のものだと思うが、問題は、世間一般的な考え方と大幅なズレがあることを本人が認識していないことだ。

 それはさておき、祝賀会である。
「じゃあ今度の定例会は、みんなでお祝いしますか」
「いいぞ。会場は任せるから、予約をしておけ」
 室長のGOサインが出れば、あとは宴会部長の曽我の仕事だ。モニタールームに戻って早速、今井は曽我に、祝賀会に相応しい店を探してくれるように頼んだ。丁度昼に差し掛かる時刻で、曽我の傍らにはいつも彼と一緒に昼食を摂っている彼の親友と後輩がおり、彼らは今井の話に、まるでクリスマス会の相談をする子供のように乗ってきた。

「室長が参加する飲み会は久しぶりだな。となると、日本酒が美味い和食の店か」
「室長の酒は岡部さんが用意するって言ってたぜ? アヤ何とかって、限定酒らしい」
「持込OKの店って言うと、限られるぜ。マトモな料理店はみんな持込禁止だ」
「でも、料理の不味い店はイヤだぜ。酒まで不味くなる」
「それなら室長の家が一番ですよ。何たって、室長の料理は天下いっぴ、っ!」
 ビュッ、と鋭い唸りを上げて、青木の眼鏡の3センチ先を黒色の矢のようなものが通り過ぎた。命の危険を感じて後ずさり、ゴクリと生唾を飲む。恐る恐る凶器が飛んできた方向を見れば、昼食休憩に出てきたらしい美貌の上司が、ダーツ投了後のポーズでこちらを睨んでいる。
「手が滑った」
 青木の鼻先を掠めて壁に突き刺さったのは事務バサミ。『絹』というシリーズ名の高級事務鋏を、室長は愛用している。

「ち、近くにものすごく美味しい総菜屋さんがありまして! そこからデリバリーするのが一番かと」
「もしかして、休日出勤のときに薪さんが差し入れてくれるあれか? だったら五目稲荷が食えるな」
「あそこは中華も絶品だぞ。あんな美味い酢豚食ったの、生まれて初めてだった」
「ハンバーグ! 誰が何と言っても煮込みハンバーグ!」
「ふっ、おまえら甘いな。あそこのエスニック料理はな、スパイスの使い方が絶妙で」
 部下たちが口を揃えて惣菜屋を絶賛するのに、薪の後ろに付き従うように立っていた岡部が首を捻る。
「和洋中何でもござれの総菜屋? 薪さんの家の近くに、そんな店があったか、っ!」

「今度は足が滑った」
 突然、向こう脛に激痛がきて、岡部はその場に蹲る。前を向いたまま、後ろ足で部下の脛を蹴り飛ばした室長は右手にペーパーナイフを構え、つまり次に滑る用意も万全だ。
「ああ、あったあった! 年中無休24時間営業の総菜屋がっ!!」
 下手を打てば命が危ないと、岡部は薪の傍を急いで離れた。薪は、部下の前では男らしい自分を演出することに拘っていて、それを邪魔する者には容赦しないのだ。

 定例会の常連である二人を除いた部下たちは、緊迫した三人のやり取りに気付かぬ振りで話を進めていたが、やがて最終決断を下した。上司の家という緊張感と過去に味わった絶品料理、どちらの秤が重いかと問えば、若い彼らにはやはりこちらだ。
「みんなで室長のお宅にお邪魔してもいいですか?」
「構わんが。料理はいつもの惣菜屋でいいんだな」
 はい、と声を揃えて頷く部下たちに軽く頭を振り、薪は執務室を後にする。食堂に向かいつつ、彼は頭の中に様々な料理を描いたが、それは今日の自分の昼食ではなく、祝賀会用のパーティメニューだった。





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パーティ(2)

パーティ(2)







「大丈夫ですか? 10人分のパーティ料理なんて」
「別に。3人分も10人分も変わらん」
 啜っていた味噌汁のお椀をテーブルに置いて、薪は平然と言い放った。若竹煮の器に箸を伸ばしながら、少し考えて、
「でも、仕込みの時間は欲しいから。祝賀会は土曜日の午後にしようと思う」
「賛成です。オレも、昼間の方がいいと思います」
 薪の家は広いから全職員が横になれるスペースは充分にあるが、9人分もの寝具は置いてない。あまり遅くならないうちにお開きにして、片付けは下っ端の自分がやるからと先輩達を帰らせて、そうしたら薪と二人きりの時間も作れるだろう。

「当日は手伝いますから。何でも言いつけてください」
「じゃあ、マンションの通りの端から端まで、ダッシュ50本」
「……それ、どういう具合に祝賀会の役に立つんですか?」
「おまえの苦しそうな顔を見ると僕のテンションが上がって、料理の出来が良くなる」
 えらく捻じ曲がったモチベーションの上げ方だ。
 青木が盛大に眉を寄せると、薪は意地悪そうに笑って、メインディッシュの牛ヒレ肉を自分の箸でつまみ、青木の皿に入れてくれた。

 食事が終わると、青木はいつものようにコーヒーを淹れる。薪のために心を込めて、ほんの一時でも彼が安らいでくれるように、その心を癒せるようにと、真剣にお湯をフィルターに注ぐ。
 そんな青木を、頬杖をついて薪は見ている。広い背中や長い手足や、ポットを扱う長い指。職務中以上に熱心な眼差しや、慎重に間合いを計る表情や、青木が為す諸々の所作を薪の眼は追いかける。
 薪を喜ばせることに懸命過ぎる青木は、薪のその視線を知らない。コーヒーそのものよりも、青木がコーヒーを淹れる姿に薪が癒されていることなど気付きもしない。
 やがてサーバーを満たしたコーヒーを薪のマグカップに注ぎ、青木は「どうぞ」と差し出した。薪が一口含んで頷くと、合格点を貰ったものと解釈してその場を離れる。いつもなら薪が飲み終わるまで見守っているのに、不思議に思って後を追うと、青木は手に額縁を持ち、リビングでウロウロしていた。

「これ、何処に飾ったらいいですか?」
「……そんなものを額に入れてどうする気だ?」
 薪の返答に不自然な間が空いたのは、青木の意図がまったく分からなかったからだ。
 額縁なんか持っているから、てっきり絵画だと思った。それか、青木のことだから100歩譲って車の写真。透明なガラスに挟まれたそれは、そのどちらでもなく。印刷文字が並ぶただの紙切れだった。
「飾らないんですか?」
「飾る? 辞令を? どうして」
「だって、祝賀会の名目はこれでしょう?」
「だからって、額に入れることはないだろう」
「オレ、警部補から全部額に入れて実家に飾ってありますけど」
「この紙の何処に芸術的要素が?」
 薪は形式的なものに興味を示さない。辞令証書を失くしても、警視長の階級が取り消されるわけではない。となれば、それは単なる紙切れだ。例えゴミ箱に落ちても拾わないだろう。

「おまえは結婚したら、婚姻届を額に入れて飾るタイプだな」
「そんなことしませんよ。ついでに言っときますけど、結婚もしません」
 薪の次のセリフは察しがついたから、青木は先手を打つ。薪は青木の恋人のクセに、青木に女性との結婚を勧める。好きな女性ができたら直ぐに言え、いつでも別れてやるからと、愛のない言葉で青木を傷つける。
 それは薪の十八番の意地悪だと最初は決めて掛かっていたが、どうやらそうではないらしいことが最近わかってきた。
 自分たちの関係は永遠のものにはなり得ない。いつかは離れて、別々の道を行くことになる。薪の中でそれは必然の未来図らしい。
 つまり薪の「別れてやる」は愛情の欠如ではなく、むしろ彼の愛の証。自分たちが選んだ道の困難さを、彼は経験から知っている。決して無理はするなと、何も辛い道を行くことはないと、青木が望んでもいない逃げ道を用意してくれているつもりなのだ。
 見当違いだけれど、それも愛情の一形態。
 だからこういうときには、青木は薪を抱きしめることにしている。薪の頭を自分の胸に押し付けて、心臓の音を聞かせる。凄まじいまでの存在感でそこにある想いが、彼にしっかりと届くように。

 薪はしばらく大人しくしていたが、やがて、ぐいと両手を突き出して青木を遠ざけた。お預けを喰ったコーヒーをローテーブルから取り上げ、両手で持って口に付ける。
「この際だから、竹内にも声を掛けようかな」
「ど、どうしてですか?」
 伝えたかったことと掛け離れた答えが返ってきて、青木は焦る。オレには一生あなただけです、と伝えたつもりなのに、なんでここで竹内?
「僕、去年あいつに大怪我させちゃっただろ。そのとき『全快祝いにすき焼きパーティやりましょう』って約束したんだ」
 心音を聞いて竹内と一緒に死にかけたことを思い出すなんて、青木の恋のときめきは、薪にとっては生命活動の証拠にしかならないらしい。
 情緒欠乏と青木に嘆かれる薪の性癖は、彼の凄絶な過去に起因する。生きていること、それが薪にはとても重要なことなのだ。恋愛感情など一時のこと、愛するひとが生きてこの世に存在していること、大事なのはその一点だとすら思っている。未だ塞がらない、深い深い彼の傷痕。

「でも、あいつの顔見るの嫌だから延ばし延ばしになっちゃってて。このまますっぽかしちゃおうかとも思ってたんだけど、5課に頼まれた潜入捜査の時、また世話になっちゃったから。いい加減、返しておかないと」
 受けた恩は返すと律儀に主張しながらも、薪は気乗りしなさそうだ。それもそのはず、薪は竹内のことが大嫌いなのだ。この機会に、と言い出したのも、要は、
「人数いれば、あいつと喋らなくて済むだろ」
 相変わらず、見事な嫌い方だ。
 青木と竹内は友人同士で、青木は彼の良いところをたくさん知っている。青木のように彼と友人付き合いをしていない第九の先輩たちから見ても、仕事はできるし心根はやさしいし、後輩の面倒見もいいと評判だ。欠点と言えば、女性にモテすぎることくらい。だから、どうして薪がこれほどまでに彼を嫌い続けることができるのか実は不思議でたまらないのだが、その疑問は敢えて解かないことにしている。理由は、竹内が薪に対して特別な感情を抱いているからだ。竹内ほどの男と正々堂々恋のライバルをやれるほど、青木は自分にも、自分の立場にも自信がない。
 薪には全くその心算がないのは分かっているが、それでも竹内の動向は気になる。好きな人の家を初めて訪れる、その高揚感と嬉しさは青木もよく分かる。浮かれ気分でアルコールも入って、薪に気持ちを告られでもしたら。

「あの! 三好先生をお呼びするのはどうでしょう」
 思い余って、青木は新たなゲストの招聘を提案する。自分たちの事情を把握していて、竹内を牽制することができて、青木の味方になってくれる人間と言えば、雪子以外に思いつかない。
「雪子さん? 僕は嬉しいけど、女性一人じゃ気兼ねするだろ」
「先生は、薪さんの手料理が食べられるって言えば、ライオンの檻にでも飛び込むと思いますけど」
「酷いな、おまえ」
 と、雪子びいきの薪は憤りを見せて、
「まあ雪子さんのことだから。ライオンくらいは素手で倒すだろうけど」
 薪の方がよっぽどヒドイ。

「そんなに雪子さんと食事がしたいのか?」
 マグカップの向こうから、何かを含んだ視線がやってきて、青木の顔を検分していく。つい、と素っ気無く外された視線はカップに落とされ、焦茶色の水面をゆらゆらと漂った。
「だったら、雪子さんを誘って食事に」
「薪さん」
「勘違いするな。僕も一緒に行く。ここしばらく、雪子さんの顔見てないし」
 咎める口調の呼びかけに潔い応えが返ってきて、青木は口を噤む。薪と付き合い始める前、薪は青木を雪子と付き合わせたがっていて、だからてっきりそれの延長だと思ったのだが、違ったらしい。

「ごめんなさい。オレ、余計な気を回して」
「もう、他の女性と付き合えなんて言わない。答えが分かっているのに、おまえの気持ちを確かめるようなことを言うのは卑怯だ」
 薪は再びカップに眼を落として、すると彼の睫毛は美しく重なり合う。何気なく目を伏せただけなのに、青木の心を根こそぎ持っていく。愛しいと思う気持ちが急速に膨れ上がって、青木は息が苦しくなるほどのときめきを覚えた。

「コーヒー、冷めちゃったでしょう。淹れ替えましょうか?」
「これでいい」
 すとんとソファに腰を下ろし、残りのコーヒーを大事そうに飲む。澄ました顔をしてはいるが、マグカップの向こうに見え隠れする頬が微かに赤い。
 少しずつ、薪は変わってきている。青木もまた。
 ふたりの関係も変化する。日ごとに温みゆく水のように微細な変化ではあるが、確実に前へと進んでいる。
 込み上げてくる嬉しさを微笑みに変えて、青木は額縁をサイドボードの上に飾った。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

パーティ(3)

パーティ(3)






 水曜日、法医第一研究室。
「で? あたしに何しろっての?」
「だから、竹内さんが必要以上に薪さんに近付かないようにガードして欲しいんですよ」
「そんな狡っからしい真似しなくたって、薪くんはちゃんと」
「だって心配なんですよ。あの二人が並ぶと、めちゃくちゃ絵になるじゃないですか。周りに煽てられて、薪さんがちらっとでも竹内さんを意識するようなことがあったら、オレ、もうどうしたらいいか」
「誰かに言われた時点で薪くんは怒り狂うと思うけど」
「話しているところを見るだけでも、平常心でいられないんです。オレが暴れて、パーティをメチャメチャにしてもいいんですか?」
「どういう説得の仕方よ。……はあ、仕方ないわね」
「先生なら引き受けてくれると信じていました。よろしくお願いします」

「「「「「先生、我々もお供します!」」」」」
「え、あんたたちも来たいの? でも、薪くんの都合もあると思うし。ねえ、青木くん」
「そうですね。あんまり人数多くなると、料理の手配とか大変なんで。みなさんは遠慮してもらえますか」
「「「「「料理もお酒も必要ありません! 一目、薪室長のお住まいを拝見できれば!」」」」」
「来ないでください。(ちっ、ここにも薪さんの隠れファンが)」
「まあまあ、青木くん。あたしがちゃんと言い聞かせるから」
「お願いします。では、当日」




*****



 木曜日、官房室。
「薪くん。土曜日に、警視長就任のパーティやるんだって?」
「そんな大層なもんじゃありませんよ。研究室の連中と有志とで、僕の家に集まって飲み会するだけで」
「ぼくも行っていい?」
「えっ、小野田さんがですか?」
「邪魔にならないように、お祝いだけ置いたら直ぐに帰るからさ」
「いえ、小野田さんなら大歓迎ですけど。それと、お祝いなんて……お礼を申し上げなきゃいけないのは僕の方です」
「そう言わず、花くらい贈らせてよ。きみが警視長になってくれて、ぼくは嬉しくてたまらないんだから」
「ありがとうございます。では当日は、小野田さんのお好きな茶巾ずしを用意しますね」

「「「「「私たちも、みんなでお祝いのお花をお持ちしますねっ!」」」」」
「え? そんな、秘書の皆さんまで。どうかお気遣いなく。……なんか皆さん、眼が据わってらっしゃるんですけど。分かりました、お待ちしてます」



*****



 同日、警務部長室。
「法一の娘から聞いたんだけど。土曜日、薪くんの家で警視長就任パーティやるんだってさ」
「「「「「間宮部長、薪室長のご自宅なら、わたしたちも是非ご一緒させてください」」」」」
「残念ながら、土曜は接待ゴルフの予定が入ってるんだよ。自宅宛てに、お祝いの品を送ることにするよ」
「「「「「それなら私たちがお預かりします! みんなで、間違いなくお届けしますわ!」」」」」
「いや、大勢で行くのはどうかと……どうして君たち、そんなに血走った眼をしてるんだい? なんだか寒気がしてきたな、今日は帰るよ」



*****



 金曜日、捜査一課。
「明日ですか? えらく急ですね」
「ええ、都合が付かなければ無理にとは言いません。公私共にお忙しい竹内さんのことですから、週末に用事が無い方がおかしいですよね。女性とのお約束、絶対に入ってますよね。それが目的で前日まで黙ってたとか疑わないでくださいね、単に、こちらに伺う時間がなかっただけですので。
 断っていただいて、一向に構わないんですよ。しかし、これで快気祝いの約束は果たしたことにさせていただきます。僕はちゃんとお誘いしたのに、断ったのはそちらのほう」
「喜んで参加させていただきます」
「えっ、来るんですか? ちっ……では、土曜日に。失礼」

「「「「「竹内班長、室長のお宅に行くんですか? おれたちも連れて行ってください」」」」」
「大勢で押しかけたら迷惑だろ。お祝いの品があれば、俺が預かるから」
「「「「「それもそうですね。じゃあ、これからも頑張って下さいって伝えてください」」」」」
「ああ、伝えておくよ」
「「「「「ちっ、竹内の野郎、プライベートの薪室長を独り占めする気だな。そうはいくか」」」」」



*****



 同日、組織犯罪対策課。(組対5課)
「警視長就任パーティ? 薪室長の家で?」
「警視長に昇任したお祝いか。そりゃあ、おれたちも何かしないとな」
「薪室長には世話になってるからな。お祝いの花くらい、届けるべきだろうな。課長に頼んで、約束を取り付けてもらおう」
「おお。脇田課長が薪室長と懇意で良かったな。これで義理を欠かずに済む」
「その通り。これは礼儀から派生するものであって、決して薪室長の自宅に行ってみたいとか、普段着姿の室長が見たいとか、あわよくば下着の一枚も手に入れようとか思っているわけではない」

「おい、なんだ最後の不届きな目的は」
「そうだそうだ、室長はみんなのアイドルだぞ? 穢すような真似は慎め」
「まったくだ。下着なんて、いやらしいことを考えやがって。まあ、正直に言うとおれも、風呂場の排水溝から毛の一本くらいは拝借してもいいかな、なんて考えてたが」
「風呂場だと!? どこの毛を拝借する気なんだ?」
「どこって、髪の毛に決まってる」
「髪の毛なら洗面所のブラシだろう」
「えっ。ち、ちがう! そんなことは考えていない! あっ、おまえら、鼻血を出すとは何事だ! いったい何を想像してるんだ!」
「なにって、うっ」
「……室長、風呂に入ったら何処から洗うのかな」
「や、やめろ、想像を掻き立てられるじゃないか!」
「うあああ、仕事にならん!」
「幻聴が、シャワーの音が!」
「「「「「あ、課長が帰ってきた。――脇田課長、お願いがあるんですけど!!」」」」」



*****



 同日、室長会。
「警視長就任パーティ? 薪室長の家で?」
「警視長に昇進したお祝いですか。ならば、祝辞の一つくらい述べませんと」
「薪室長には世話になってますからね。こちらから足を運ぶべきでしょうね」
「しかし、誘われてもいないのに出向くのはどうかな」
「所長に頼んで同行してもらいましょう。そうすれば薪室長も、我々を追い返せますまい」
「「「「「それは良い考えだ」」」」」
「薪室長、自宅にいるときはどんな装いをされてるんですかね? やっぱり、ミニスカートですかな?」
「まさかミニはないでしょう。大人っぽいロングドレスですよ、きっと」
「皆さん、悪ふざけも大概に。室長は日本男児ですよ。振袖に決まってるじゃないですか」
「「「「「なるほど、それもそうですな」」」」」


*****


 他、多数部署。
「警視長就任パーティ? 薪室長の家で?」
 …………以下同文。






*****

 税金ドロボーばっかだよ、うちの桜田門。(笑)

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ジャンル : 小説・文学

パーティ(4)

 こんにちはー。
 本日もご来訪、ありがとうございます。

 過去作への拍手、ありがとうございました。(〃▽〃)
 ジェネシスの影響か、ADカテゴリの鈴薪さんのお話にもたくさん拍手をいただきまして。 ありがとうございます。 捏造し過ぎてしまって、まったく原作と合わなくなってしまった鈴薪さんですみませんです。(^^;
 他にもうちの薪さんの過去は、
 6つのときに交通事故で両親死亡とか、育ててくれた叔父さんがちょっとヘンな眼で薪さんを見るようになったため高校生から一人暮らしすることにしたとか、高校時代唯一の友だちだった男子にある日突然襲われそうになってそれから人間不信になってしまったとか、鈴木さんとは19歳(大学2年)のときからの付き合いだとか、そして1年足らずで恋人関係になってさらに1年で別れちゃったとか、
 とにかくいっぱい作り過ぎちゃって~~、
 収拾付きません。 原作の設定で書き直すの、無理。

 と言うことで、うちのすずまきさん及び薪さんの過去はこのままで。
 すみません、よろしくお願いします。


 以上、言い訳でした。
 






パーティ(4)







 ブロンズ色の玄関ドアの前で、竹内は右手に抱いた花束を確認するように眼を凝らした。憧れの人の自宅を初めて訪れるのに相応しい手土産として最適なものをと迷った末、無難な花束なぞを選んでしまった自分の消極性にため息が出る。女性相手ならアクセサリとかバックとか、もっと個人の好みに合わせたものをピンポイントで選ぶのだが、薪が相手だとどうしても保守的になる。外したくないからだ。
 事前調査の結果、薪の好きな酒は岡部が持って来ると言うし、食べ物はデリバリーすると青木から聞いた。お金は受け取らないだろうし、花なら無難だろうと思ったのだが、薪のことだ、何かしら文句を言われるに違いない。
「男の僕に花束ですか? 僕を馬鹿にしてるんですか?」くらいは覚悟した方がいいな、と考えて竹内は、それを口にする彼の様子を思い浮かべて微笑した。
 きっと、尖らせたくちびるがすごくキュートだ。

 肩の力を抜いて、インターフォンを押す。1分ほど待たされてから開かれたドアに向かって、竹内は一歩踏み出した。
「こんにちは、室長」
 玄関を開けてくれた薪の涼やかな立ち姿に、竹内の胸は激しく高鳴る。舌を噛まずに挨拶できただけでも、自分を褒めてやりたいくらいだ。
 初めて見る彼のプライベートスタイルは、ライトグレーのロールアップシャツに黒いジーンズ。さりげなく胸元から覗くシルバーのネックレスが奥ゆかしい光を放っている。その姿はラフでお洒落で、職場でのお堅い彼からは想像もつかない。ファッション誌のモデルのよう、いや、先月まで付き合っていた本物のモデルよりずっと可愛い。
 竹内は、職場の薪しか知らない。いつものスーツ姿と、ジムでのトレーニングウェア姿しか見たことがないのだ。ずっと昔、クリスマスイブの夜に偶然街で出会ったときは、白いカシミアのコートを着ていた。あの時は妖精みたいだと思ったが、今日の彼はグラビアアイドルみたいだ。世俗的な可愛らしさ、だけど男にはこちらの方がグッとくる。妖精は触れないけれど、生身の人間には触れるからだ。

「これ、よかったら」
 なんてことだ。声が上ずってしまって、自宅に招いてもらったお礼も、警視長に昇任したお祝いの言葉もまともに言えない。単語と一緒に花束を出すのが精一杯だ。
「どうも」
 文句を言われると思った花束を、薪はあっさりと受け取った。言葉は素っ気無いが、亜麻色の瞳は綻んでいる。薪の好みの花は白い百合だと、以前青木から聞いていた情報が役に立ったようだ。
 治まらない動悸を抱えたまま、竹内は三和土から、初めて訪れる憧れの人の部屋をさっと見渡した。
 玄関は直接リビングに通じていて、目隠しになるものは何もなく、広々とした空間が見て取れた。全体を淡いクリーム色で統一された、とても明るい感じのする部屋だった。薪の清楚な雰囲気に、よく似合っている。

「どうぞ。上がってください」
 促されて部屋に上がると、20畳ほどあるリビングには、すっかり宴席の用意が整えられていた。中央に寄せられた集会用のローテーブルの上には、多数のパーティ料理がその彩りを競い合い、卓の周囲には薄いクッションがずらりと並べてあった。
 生活空間であるはずのリビングを片付けて、これを一人で用意するのは大変だっただろうと、竹内が主催者の苦労に思いを馳せていると、キッチンからグラスを運んできた青木に声を掛けられた。
「いらっしゃい、竹内さん」
「青木。もう来てたのか」
「オレはお客さんじゃなくて、手伝いですから」
 なるほど、室長命令で手伝わされたのか。青木は第九で一番年若い職員だから、それも仕方ない。きっと掃除からテーブルの運搬から、全部彼がやったのだろう。

「じゃあ、来客としては俺が一番乗りか」
「いえ、一番は間宮部長です。ゴルフに行く前に寄ったとかで、朝の4時に」
 薪は筋金入りの低血圧だから朝には弱くて、間宮がべたべた触ってくるのにロクな抵抗もしなかったものだから増長されて、見るに見かねた青木が力づくで追い出したそうだ。
「同じ警視長同士、これからは会議で顔を合わせることも多くなるから仲良くやって行こう、とか調子のいいこと言って、その間中薪さんのお尻撫でまわして。いっそ、窓から蹴りだしてやればよかったと」
 自分ならドライバーで頭を殴ってたな、と竹内は物騒なことを考え、ふと気付いて首を傾げた。
「おまえ、朝の4時に此処にいたのか? もしかして、昨夜から?」
「えっ。いえあの、えーっと、……掃除は、昨日のうちに済ませておきたかったものですから」
 竹内がその可能性を指摘すると、青木は何故か慌てた。引っ込み思案な子供のようにしどろもどろになって、言い訳を添えて薪の家に泊まったことを認め、不思議なことに少しだけ頬を赤らめた。
「掃除は、明るくなってからの方が効率がいいんじゃないのか」
「でも、今日は朝から料理を、でっ!」
 ごん! と大きな音がして、竹内は肩を跳ね上げる。後頭部を押さえてうずくまった青木の向こうに、花瓶を構えた薪の姿が見えた。
「どうも先日から手が滑って」
 謝罪の言葉もなく、活けておけ、と青木に花瓶を手渡す彼からは、怒りのオーラが感じられる。間宮にされた不愉快なことを思い出してしまったのかもしれない、と竹内は見当違いの推理を働かせたが、それも無理はない。薪の秘密の特技を竹内が知るのは、ずっと先のことだ。
 
 肩を怒らせた薪がキッチンへ姿を消したのを確認して、竹内は気の毒そうに、青木に声を掛けた。
「そうか、昨夜から泊まりがけで準備してたのか。今日も終わったら片付けがあるんだろう? せっかくの休みなのに、大変だな」
「いいえ。室長のお役に立てるの、嬉しいですから」
 青木は竹内が持参した花を花瓶に活けながら、言葉通りに笑った。
 相変わらず、青木は薪に心酔している。青木は元々、薪の優秀さに憧れて第九に来たという話だが、3年経ってもその尊敬が薄れないところがすごい。青木が一途なのか、薪が優秀すぎるのか。おそらくは両方とも正解で、相乗効果を上げているのだろうと、竹内は二人の関係を想像した。

「俺も手伝うよ」
「すみません。じゃあ、台所から取り皿を運んで、テーブルに並べてもらえますか?」
 任せておけ、と竹内はジャケットを脱ぎ、カットソーの袖をまくり上げた。こういうときの竹内は機敏だ。モテ男にとって、マメさは重要なポイントだからだ。
「室長、ちょっと手を洗わせてくださ……」
 青木の後ろからキッチンに入って、竹内はその場に棒立ちになった。
 収納式の食器棚から小皿を取り出している薪は、薄い水色のエプロンを着けていた。普段着だけでもノックアウト寸前だったのに、エプロン姿なんて。
 掃除の行き届いた明るいキッチン。そこに佇むエプロン姿の美女。思わず、結婚してください、と言葉に出そうになって、いやいや、彼は男だったと自分を戒める。ここで下手なことを言ったらプレーボーイの竹内誠はこの世から消える、とそれは重々承知の上だが、頭の中に勝手に流れていくホームドラマの映像を止めることができない。朝起きて、朝食を摂りにダイニングへ足を運べば、そこに彼女がいてくれる毎日。最高じゃないか。

 自分が何故ここに足を運んだのかも忘れて、竹内は陶然とその場に立ち尽くした。薪の小さな身体はくるくると動いて、でも職場での機敏な動作とは違う。その動きはやわらかく、品があって、どこかしら楽しそうにさえ感じられる。
 目的の枚数分の小皿を出し終えると、薪はこちらを見た。ふ、と頬に微かな笑みを浮かべ、ダイニングテーブルに歩み寄る。一瞬、自分に微笑みかけてくれたのかと竹内は自惚れたが、すぐに思い直した。薪が自分に敵意以外の物を向けてくれるわけがない。自分の後ろにいる、彼の部下に微笑みかけたのだ。
 リビングのテーブルに載せきれなかった料理の皿がテーブルの上に並んでいる。海老のフリッターらしきものを細い指先が摘み上げ、青木、とアルトの声が呼んだ。

「これ、どうだ?」
 両手に花瓶を持ったままの青木に、薪は問う。薪の手から、ひょいと口に放り込まれたものを咀嚼して、青木はニコニコと笑う。「美味しいです」と褒めるのに、「おまえは食えれば何でもいいんだろう」と皮肉を返して、だったら味見なんかさせなきゃいいのに、と竹内は小さくツッコミを入れ、だけどそれは微かなジェラシー。
 青木は薪に気に入られている。
 青木はまだ若いが、捜査官として優れた才覚を見せている。竹内も何度か、彼を捜査一課に引き抜こうとしたくらいだ。しかし、それは悉く失敗に終わった。青木自身が第九を離れたがらないし、室長の薪も首を縦に振らなかったからだ。
 薪に目を掛けてもらっている青木が、少しだけ妬ましかった。

「ずい分たくさん料理を用意したんですね。今日はそんなに大人数なんですか?」
 自分の中に生まれた醜い感情を振り捨てるように、竹内は明るい声で尋ねる。竹内は、捜一の光源氏と異名を取るほどのプレイボーイだ。嫉妬なんて情けない感情とは無縁でありたい。
「第九の連中の他は、竹内さんと雪子さんだけですけど。みんな、1人前じゃ足りないって言うか」
「ああ、そうでしょうね。野郎ばっかですからね」
 第九の食事情に通じているわけではないが、竹内は、友人の青木が大食漢であることを知っている。それと、かつて自分の相棒だった岡部が毎日3人前の昼食を平らげていたことも。さらには、他人には言えない理由でたびたび夕食を共にしている雪子が、女性とは思えない食欲を持っていることも。その3人が集結するだけでも、10人前の料理が必要になるであろうことは容易に察しがついた。

「あと、途中で小野田さんが顔を見せるって言ってました」
「えっ、官房長がこちらに?」
 薪が小野田官房長の秘蔵っ子であることは知っていたが、自宅での内祝いにまで足を運んでくれるとは。公私共に可愛がられているという噂は本当らしい。
「秘書の皆さんも来られるような話でしたけど。官房長の前ですからね、自重してくださいね?」
 冷たい視線で、薪は釘を刺した。官房室の秘書は美人揃いと聞いているが、さすがに上官の前で彼女たちを口説くほど竹内はバカではない。間宮ではあるまいし、職の方が大事に決まっている。
 竹内の女性への姿勢について、彼の悪名高き警務部長と同一視されているような気がして、ぜひともその誤解は解きたいと竹内は思ったが、薪の耳は自分の言い分を聞いてくれるほど寛大にはできていないことも充分に心得ていた。言い争いを避けるため、彼は賢明にも口を噤み、はい、と素直に頷いて、花瓶に花を活けていた青木に声を掛けた。
「この皿と箸を並べればいいんだな?」
「すみません。あと、おしぼりもお願いします」
「了解。ついでに、グラスのセットもしておくよ」
「ありがとうございます。助かります」
 20人分の皿と割り箸が載ったトレーの上に、竹内は紙おしぼりを更に載せ、青木の深いお辞儀を笑顔で受け取った。礼儀正しい青木の態度を竹内は好ましく思い、やっぱりこういう部下が欲しいものだと薪を羨ましく思った。
 
 竹内がリビングで皿を並べていると、薪がやってきて、一緒にセットを始めた。エプロン姿で甲斐甲斐しく立ち働くその姿は、いつもとはまるで違う印象を竹内に与えて、こうして一緒に同じ作業をしていると、なんだか家族といるみたいだ。
 もしも室長と結婚したら、こんな風に二人で準備をして来客を迎えることになるのかな、と想像し、それが絶対に有り得ないことに思い至って、どっぷりと落ち込んだ。薪のエプロン姿に当てられて、まともな思考ができなくなっているらしい。おかしなことを口走らないように気を付けないと。
 それにしても本当に可愛い、と横目でちらちらと彼を見ながら、竹内は20人分の皿を並べ終えた。最後のグラスを薪が竹内の前に置き、「ありがとうございました」と一本調子で礼を言った。

「予定よりも、人数が増えてしまって。官房室の人は長居はしないと思うんですけど、飲み物くらいは用意しないと」
「うちの連中も来たがってましたよ。『これからも頑張ってください』って伝えてくれって言われました」
「捜査一課の人たちが? 何故ですか?」
 薪の顔が純粋に不思議そうだったので、竹内は思わず微笑んだ。捜一の連中なんかに祝いなぞ言われたくない、そんな曲がった感情ではなくて、きっと彼は本気で連中の気持ちが分からないのだろう。
 何年か前まで、第九と捜一は不倶戴天の仲だった。捜一が現場で調べた証拠を取り上げ、犯人検挙の手柄を攫って行く第九に、捜一はずっと悪感情を抱いていた。特に課長たちは、自分よりも15歳も若い警視正を苦々しく思っていた。
 竹内も昔は似たような感情を抱いていたが、今は違う。現在、現場の人間で、第九に悪感情を持っている捜査員は殆どいない。課長連中が何を考えようと、現場の捜査が行き詰れば第九に助けを求めるのが常だし、それをいちいち僻んでいたら犯人検挙率世界一の座は守れない。現場の人間は現実を解っているのだ。

「室長は、捜一の職員に好かれてますよ。少なくとも俺の班には、室長を悪く言うやつはいません」
 薪は最初、驚きに満ちた瞳で竹内を見つめた。彼の大きな眼は丸くなり、亜麻色の虹彩は小さく引き絞られた。それはやがて捜査資料を読むときの厳しい目線になり、事件の裏側を推理するときの玄妙な目つきになり、最終的にはいつもの不機嫌な表情に落ち着いた。
「食事に招いたからって、お世辞はけっこうですよ」
「お世辞なんかじゃありませんよ。俺だって、室長のことは」
 わざとタイミングを見計らったかのように、竹内の言葉をチャイムの音が遮った。薪は弾かれたように立ち上がって壁の来客モニターを確認し、パネルを操作してロックを解除した。それからエプロンを外し、来訪客を出迎えようと玄関に向かう。

「雪子さん、ようこそ!」



*****

 雪子さん登場でパーティの始まりです~。
 楽しいパーティになると……いいですねえ。(←山本さんの口調でお願いします)



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ジャンル : 小説・文学

パーティ(5)

 こんにちは、いらっしゃいませ! 本日もありがとうございます!

 先週は連日、カウンターは100人超えで拍手は50超えで、毎日PCに向かって手を合わせておりました。
(と言いつつ、更新空いちゃってすみません~~、今ちょっとうちのすずまきさんのジェネシスを書いてて、そっちが何だかすったもんだで……むにゃむにゃ)

 最近、秘密ファン、増えたんですかね? 完結したから読んでみよう、と思った方、多いのかもしれませんね。
 完結してからの一気読みは、読みごたえありますよね。 健康にもいいし! ←コミックスの表紙には『薪さんへの感情移入のしすぎはあなたの健康を害する恐れがあります』って注記を付けるべきだと思うのはわたしだけですか? 








パーティ(5)






「雪子さん、ようこそ!」
 
 自分を出迎えた時とは雲泥の笑顔で、薪は法一の女医を部屋に招き入れた。羨ましい限りだが、彼女は薪の大学時代からの友人だ。その上、彼女は薪が亡くした親友の婚約者だったと聞く。薪が特別扱いするのも仕方ない。
「お忙しいところをありがとうござ……えっ?」
 不自然に途切れた薪の声を、竹内は訝しく思う。立ち上がって覗くと、雪子の後ろには咄嗟には数えきれないほどの人の頭が。
「「「「「薪室長。警視長昇任、おめでとうございます!」」」」」
「ごめん、薪くん。連れて行かないと実験シャーレを全部洗い流すって脅されて、仕方なかったの」
「ちっ、あれほど言ったのに」
 花瓶を持ってリビングに入ってきた青木が、耳慣れない舌打ちを鳴らすのを聞いて竹内は意外に思ったが、薪の態度はもっと想定外だった。
「雪子さんの職場仲間なら、僕にとっても大事なひとたちです。歓迎しますよ」
 申し訳なさそうに手を合わせる雪子に、薪はにこりと微笑んで、それで彼女の罪は免責されたらしい。竹内の眼から見ても、薪は雪子には徹底的に甘い。

 ざわざわと入ってきた三好班の総勢7名によって、部屋の中は一気に騒がしくなった。
 彼らは物珍しそうに部屋の中を見回し、「綺麗なお部屋」「薪室長にぴったり」「家具のセンスがいいですね」などと言いたいことを言い合っていたが、飲み物を運んできた青木に渋い顔をされて声のトーンを落とした。
「先生。オレ、言いましたよね。薪さんの負担が増えるから、班の人たちは遠慮してくださいって」
「だって。150時間掛けた実験シャーレを水に浸けられそうになったのよ」
「実験なんか、やり直せば済む話でしょう」
「150時間よ? やり直せっての?」
「いいじゃないですか。先生、他にすることないんだから。早く帰って、実験の続きをどうぞ。何なら、オレが全員窓から放り投げて差し上げましょうか」
「あんたって本当に薪くん以外の人間にはシビアよね………」
 薪の耳には入らないようにブラックな会話を交わす青木が、竹内には新鮮だ。バカが付くくらいのお人好しだと思っていたのに、薪に被害が及ぶとなれば結構キツイことも平気で言うのか。

 全員に飲み物が回ったところで、もう一度チャイムが鳴った。法一の職員たちから贈られた花籠をサイドボードの上に並べていた薪が、壁のカメラに歩み寄る。
 あれ? と小さく呟いて、薪は小首を傾げた。それはとても愛らしい動作だったが、竹内以外に気付いたものはいなかった。青木と雪子は未だ約束不履行について他人に聞こえないように口論をしていたし、他の職員たちは部屋の中を見るのに忙しかったからだ。
 薪は口元に握った右手を当てて、ちょっと考える風だった。気になって竹内は、薪の後ろからマンションのエントランスを映し出しているカメラを覗き込んだ。

 一瞬ヤクザの殴りこみかと思ったが、それはもちろん竹内の見間違いで、だけど間違うのも無理はない。つまり、脇田課長と組織犯罪対策課の面々だ。エントランスにいる他の住民達は、さぞ怯えていることだろう。
「組対5課にも招待状を?」
「いいえ。でも、下まで来てるのに入れないわけにも」
「エントランスまで下りて行って、お祝いだけ受けてもいいんじゃないですか? ホールでの祝賀会ならともかく、自宅でのホームパーティですから。招待客以外の接待の必要はないかと」
 尤もな竹内の言い分に薪は軽く頷き、なのに彼はパネルに向かって「みなさんでどうぞ」と声を掛けた。竹内が驚いた顔をしていると、
「5課の人たちには、こないだの事件で青木が大迷惑掛けちゃいましたから。お詫び代わりです」

 薪が囮を務めた麻薬捜査で、青木は薪の身を心配する余り、犯人が潜伏していたホテルに単身で突っ込んでしまった。それも、引き留める5課の連中を薙ぎ倒して行ったのだから恐れ入る。岡部から武道を習っているとは聞いていたが、暴力団相手に日夜喧嘩三昧のマル暴職員を力で捻じ伏せたのだから、その実力は大したものだ。
 他部署の捕り物を妨害したのだから、それは勿論重大な違反行為で、脇田の出方に依っては青木は査問会を覚悟しなければならなかった。が、脇田は薪の謝罪を笑い飛ばし、マルヒから情報を聞き出すために作戦外の行動を取ったお前さんも同罪だ、と青木を庇ってくれた。脇田と薪が懇意になったのは、それからだ。

「おう、悪いな、薪。ちぃと邪魔したら、すぐに帰るからよ」
「こんにちは、脇田課長。遠慮なさらず、時間さえ許せばゆっくりして行ってください」
「「「「「薪室長、おめでとうございます!」」」」」
「……全員、入れますかね?」
 脇田課長率いる組対5課の連中が、どやどやと部屋に入って来た。こちらは青木の渋顔くらいで大人しくなるような輩たちではない。暴力団相手に武力行使の毎日、地声も自然と大きくなって、その喧噪たるや尋常ではなかった。

 不公平だ、と竹内は思った。
 自分なんか、大怪我して何ヶ月も入院して、それでようやく薪の家に招いてもらったのに。課長の脇田はともかく、5課の連中はなんだかズルイ。

「よお、竹内。こないだは世話になったな」
「脇田さん、どうも」
 課長と竹内が親しく挨拶を交わす間にも、粗野な男たちはずかずかと部屋を歩き回り、
「これが室長の部屋か」「美しい」「なんて良い香りがするんだ」「女神の住処に相応しい」「ああっ、このカーテンに室長の手が触れて」「この床をあの可愛らしい足が踏んで」「風呂場は何処だ?」「いや、むしろ寝室に」「タンスの中も忘れるな」
 最後の3人は何を考えているのか分からないが、とにかく全員まとめて蹴りだしたい、と竹内は思った。

「誘われてもいないくせに、ちょっと図々しいんじゃ」
「仕方ねえだろ。会議から帰ったら、連中、団体戦で来やがって。こちとら一人で分が悪かったんだ」
 口の中でこぼした言葉を脇田に聞かれて、竹内は振り返った。連れて行ってくれと部下にせがまれたのは自分も一緒だ。脇田の「仕方ない」は言い訳にしか聞こえない。
「天下の脇田課長がですか? いつの間にそんなに部下に甘くなったんです」
「おまえにあの時の俺の恐怖が分かるってのか? あいつら、全員鼻血吹いてやがったんだぞ。ただでさえいかつい顔の連中が、異様に鼻息は荒いわ眼は血走ってるわで。その団体に囲まれたら、さすがの俺も」
 5課の職員の間でどんな会話が交わされたのか大凡の予想がついて、竹内は虚脱する。
 本人は知る由もないが、薪は、暴力団相手に鎬を削る5課職員たちの女神的存在になっている。原因は、脇田に頼まれて為した囮捜査だ。大胆にスリットが入ったチャイナドレスなんか着たものだから、色気に当てられたのだろう。まったく、女に免疫のない連中はこれだから困る。

「それにしたって。他人の家を訪ねるには、少しばかり人数が多いんじゃありませんか?」
「あれでも絞ったんだ。俺を入れて10人、成績順てことで。先例を作ったからな。これから連中、血眼になって売人どもをしょっ引いてくるぞ」
 ピンチをチャンスに変える、機転の速さは見事だ。さすが荒くれどもを束ねる脇田組長。転んでもただでは起きない。
「ならばせめて、薪室長に失礼の無いように。プライベートエリアを覗きに行こうとする連中を止めて」
 薪の名誉のためにも苦言を呈そうとした竹内を遮って、三度目のチャイムが鳴った。性懲りもなくドアを開けた薪の、戸惑った声が聞こえる。

「田城さん。皆さんも」
「薪くん、ごめんね。室長会のメンバーがどうしてもって」
「「「「「おめでとう! 薪室長にぴったりの服を皆で選んできたよ!!」」」」」
 皆を代表して第五研究室の室長が差し出したのは、女性のワンピースで有名なブランドのショッピングバック。中身を見たら、薪が怒り出すこと請け合いだ。

 所長の田城を含めた室長会の9人が入ると、部屋の人数は30人を超えて、移動するのが難しい状態になってきた。
 薪は玄関から戻って来れず、プレゼントされた品々を持って立ち尽くしている。右手にバラの花束、左手にはショッピングバックを4つ。足元には缶ビールの箱が3つと、一升瓶の箱が2つ重なっている。招待客と招かれざる客がそれぞれに用意したプレゼントは、彼を少なからず閉口させているようだった。

「青木。これを一旦、別の部屋に」
 置き所に困って部下の名前を呼ぶが、彼は早くも5課の職員たちに揉みくちゃにされていた。先日の事件以来、5課の連中は青木に一目置いているのだ。
 竹内は素早く席を立って、薪のところへ歩いていった。途中、何人か踏んづけたが、この混雑の中では気にしていられない。
「室長、俺が運びますよ。クローゼットはどちらです?」
「すみません。クローゼットにはソファを入れてしまったので、スペースがないんです。飲み物はキッチンに、花はサニタリーにでも」
 サニタリーはキッチンの隣ですから、と教えられて、竹内は再び人を踏みながら部屋を過ぎった。
 青木ではないが、招かれていない連中は早く帰ればいいのに、と竹内は腹を立てる。予想外の人数に、薪は少しパニクっているようだった。自分に対してあんなに素直に頼み事をするのが、彼が平常心を保てていない何よりの証拠だ。

 サニタリーに入ってドアを閉めると、リビングの喧騒がいくらか遠のいた。
 その狭い空間には、洗濯機や洗面所や脱衣篭といった生活に必要なものがきっちりと整えられていて、実に生々しく、住人の息遣いが聞こえてくるような気がした。パジャマ姿の彼が、ここで洗顔をし歯を磨き。スーツに着替えた彼が、ブラシで髪を梳かし身だしなみを整える。そんな生活の所作を為す彼の幻影が、次々に浮かんでくる。
 仕事から帰った薪が風呂に入るために服を脱ぎ始めたところで、竹内は慌てて幻影を掻き消し、目的のものを探すことに神経を集中した。程なく彼は洗濯機の横にバケツを見つけ、それに花を活けた。持ち手の部分に結ばれたリボンと包装紙は、洗面所にあった剃刀で切った。

 剃刀を手に、竹内はふと、薪も男だから髭を剃ったりするのだろうか、と考えて、でもちっとも想像がつかない。だって彼の頬は少女のようにやわらかくて桃のように瑞々しくて。あの肌理細かな肌から剛い毛が生えてくるとは、どうしても思えない。至近距離で目を凝らしたところで、毛穴も見えないのだ。生えてくる道理がない。
 剃刀を洗面台の棚に戻し、次いで竹内はそこに置かれた洗面用具を眺めた。あの美しさを維持するために特別なものを使っているのかと思いきや、そこにあるのは何処にでも売っている一般的な品ばかりだった。性別を選ばない洗顔料と、乾燥時につけるスキンローション。昨今では顔をパックする男性も珍しくないが、そういった美容に関するものは見当たらなかった。
 いつも薪からはいい香りがするが、香水もなかった。浴室のドアを開けた時に確認したシャンプーも普通のものだったし、歯磨き粉も――。
 そこまで観察して、竹内は息を呑んだ。

「……歯ブラシが二本、ね……」
 二本とも薪のものか、と言えば、その可能性は低いと思った。大きさが違うのだ。では泊まりに来る女性がいるのかと考えたが、歯ブラシの色が引っ掛かった。青と緑なのだ。寒色系の色を好む女性も大勢いるから一概には言えないが、彼氏の家に置く場合、取り違いを防ぐためにも色は明るいものを選ぶのではないだろうか。
「ん? ……あ、なんだ」
 見ず知らずの女性に嫉妬を覚えて、しかし竹内はすぐに自分の勘違いに気付く。よく見たら、この歯ブラシは普通サイズと特大サイズだ。普通の男性よりもかなり小口な薪が、特大サイズの歯ブラシを使うとは考え難い。きっとこの歯ブラシは、昨日ここに泊まったという青木のものだ。泊まりで手伝いを命じられて、職場のロッカーから持ってきたのだろう。朝使って乾かしているうちに、しまい忘れてしまったのだ。
 でなければ、薪の恋人は特大サイズの歯ブラシが適合する口を持った女と言うことになる。それよりは、ずっと真実味のある説明だ。

 サニタリーを出ようとしたとき、またもやチャイムが鳴った。もしも第九の職員たちが訪れたなら、それは薪にとって大事な仕事仲間だ。脇田と雪子に頼んで、それぞれの部下たちにはお引取り願ったほうがいい。彼らは招待客ではないのだから、会場の混み具合を見て早々に引き上げるのが常識というものだ。そもそも、招かれてもいない部下を連れてくるなんて、二人とも上司としての指導がなってないと――。
「「「「「薪室長、こんにちは!」」」」」

 合唱みたいに揃った男たちの声を聞いて、竹内は平らな床に蹴躓きそうになる。
 気のせいか、ものすごく聞き覚えのある声だ。てか、毎日聞いている声とそっくりだ。恐る恐る振り向くと、大友を初めとした捜査一課第二班、竹内班の見慣れた顔が。

「なんでお前らが此処に?!」
「おれたちだって、薪室長には世話になってるんですから」「お祝いくらいは直接言いたいです」「大体、竹内さんだけ呼ばれるなんて、狡いっすよ」
 なんてことだ。上司に相談もせずに来るなんて、うちの連中が一番タチが悪い。
「よく室長の家を知ってたな?」
「竹内さんの後を尾行させてもらいました」「全員で代わる代わる」「携帯のGPSも併用活用して」「花屋でラッピング代をサービスしてもらったのも知ってますよ」
 8人体制の尾行なんか、連続殺人犯にもしたことがない。その情熱を仕事に傾けてくれ、と竹内は心の中で絶叫した。

「捜一のエースに気付かれることなく尾行を完遂するとは」
 冷ややかな声に視線を走らせれば、意地悪そうな澄まし顔。連中をエントランスで追い返すこともできたはずなのに、せめて玄関を開ける前に一声掛けてくれればよかったのに、薪がそれをしなかったのはひとえに竹内を困らせるためだ。
「優秀な部下をお持ちですね」
 連中が持ってきたピンクのバラをメインにしたアレンジメントを抱えて、薪は皮肉に笑った。




*****

 カオス状態っすね☆
 てか、竹内全然気が付かないし。 本当に捜一のエースなのか?(笑)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

パーティ(6)

 こんにちは。

「いなにわ」というブログさんを、新しくリンクさせていただきました♪ (お名前をポチると飛べます)
 こたさん、ありがとうございました。

 最近始めたばかりということで、とっても初々しいブログさんなんですけど、こたさんはとにかく楽しい方で。 爆笑必至です。 どうも笑いのツボが一緒みたいで、こちらにお邪魔した後は思い出し笑いもしょっちゅうです。
 すごく元気な文章を書かれるので、読むと元気になれます。 オススメです。
 ぜひ、リンクからどうぞ。(^^



 さて、パーティの続きですね。
 うん、もうパーティじゃなくて乱痴気騒ぎですね。 薪さんのマンション、完全防音で良かったね☆






パーティ(6)






 眼の前でブロンズ色のドアが開いたとき、岡部は開いた口がふさがらなかった。
「なんだ、この人数!?」
 ドアを開けたのは家主の薪ではなく、捜一の竹内だった。彼は俳優のように整った顔を申し訳なさそうに伏せると、「招かれざる客たちです」と状況を端的に説明した。
「アルコールの副作用で混ぜこぜになっちゃってますけど。うちのバカどもと法一と組対5課と室長会と、あ、警備部もいましたね。後で官房室も来るみたいですよ」
 まるでラッシュ時の満員電車だ。鮨詰め状態で、足の踏み場もない。主役の姿を探すが、障害物が多過ぎて見つけるのも困難だ。薪は身体が小さいから、人々の間に完全に隠れてしまう。

「俺たち、お祝いだけ置いて帰ったほうがいいですか?」
「いや、帰るのは呼ばれてもいないこいつらの方です。待ってください、今すぐうちのバカどもを退去させますから」
 紙コップのビールを呷り、法一や警備部の女の子と歓談している部下たちを、竹内は無理矢理立たせた。酒の入った部下たちは不服な顔をしたが、来客のためにスペースを空けろ、と班長に言われて素直に部屋の隅にいざった。
 薪が喜びを分かち合いたかったのは、何よりも大切な自分の部下たちだ。薪の身になってみれば分かる。竹内だってそうだ。自分が昇進したら、一番に部下たちを労ってやりたい。

「おまえら、そろそろ帰ったらどうだ。室長に直接お祝いを言いたい、という目的は済んだだろう」
「あっ、また室長を独り占めしようとして」「薪室長の恋人に相応しい男ナンバー1に選ばれたからっていい気になって」「おれたちを帰して、その後室長と何する気なんですか?」
 一言言ったら10くらい文句が返ってきて、竹内は天井を仰ぎ見る。
 ダメだ。こいつら全員、完璧に酔っぱらってる上に集団心理が働いて、無敵モードに入ってる。例え一課長を此処に呼んできても、聞く耳を持たないだろう。

「ちょっと、あんたたち。いい加減に帰りなさいってば」
「野郎ども、いい加減にしねえか」
 向こうでは雪子が、その隣では脇田が、竹内と似たようなことを言って似たような逆襲に遭っていた。青木ではないが、全員窓から蹴り出してやりたい。
 竹内も、かなり頭にきている。
 招かれてもいないのに、他人の家に居座って大騒ぎとは何事だ。自分たちが飲み食いするものは持参しているものの、場所を占拠されるだけでも大迷惑だ。あの薪が、よく怒り出さないものだ。

「竹内さん、大丈夫です。第九の連中はダイニングテーブルに着かせますから。こちらにも料理は用意してありますし」
 捜一の部下たちの間から薪の声が聞こえて、竹内は目を凝らす。身体の大きな刑事たちの陰に隠れて、全く見えなかった。
「しかし、――おっと」
 ダイニングに移動しようと立ち上がった薪は、ふざけて身体を押し合う竹内班の連中にぶつかって転びそうになった。咄嗟に竹内の腕を掴んで、すみません、と謝罪する。薪が竹内に素直に謝るなんて、精神的疲労はピークに達しているようだ。

「室長。みんなに、迷惑だとはっきり仰ってくださっていいんですよ。ここは室長の家なんですから」
「べつに構いませんよ。滅多に見られるもんじゃないですし」
「は?」
 竹内の腕に掴まったまま、薪はうっすらと微笑みさえ浮かべて、眼下で笑い合う人々を眺めて言った。
「僕は初めて見ましたよ。警察庁と警視庁の人間が、仲良く酒を酌み交わしている光景なんて」

 薪が彼らを追い出さない理由はこれか。
 警察庁と警視庁は犬猿の仲。うちは国家機関、警視庁を監督する立場にある、と警察庁が嵩にかかれば、桜田門は警察発祥の地で日本警察の本丸、県警と同一視するとは何事だ、と反発心を露わにする。お互い、自庁の権勢を強めることに夢中で、依ると触ると喧嘩になる。昔の竹内と薪のようなものだ。
 竹内が生まれる前から繰り返されてきたその抗争は、しかし子供が考えても不毛極まりない争いだ。同じ警察機構でありながら、所属が違うと言うだけでいがみ合い、時には情報を隠し、援助を拒み、組織としての発展を妨げている。
 そこに働く職員たちは、こんなに楽しそうに笑いあえるのに。

「警察庁と警視庁の垣根は、現場の人間にとっては案外低いのかもしれませんね。上の連中には、天まで届く城壁にも見えているんでしょうが」
 我知らず微笑んで、竹内は頷いた。これは確かに貴重な光景だ。
「協力し合えないなら、複数の機関があることに意味はない。一般職の彼らにできることが、どうして連中にはできないのか」
 薪は微かな憤りを声に表して、きゅ、と唇を噛んだ。
 上層部だけが出席を許される警察全体の新年会に、薪が警視正として初めて参加したのは27歳の時。若い薪には彼らの確執が、さぞ醜いものに映ったに違いない。さらには同じ警察庁の中でさえ繰り広げられる権力争いに、とことん嫌気が差していたのだろう。警視長の昇格試験を拒んでいたのは、過去の事件だけが原因ではないのかもしれない。
「彼らはキャリアですから。自分の能力を信じる人間は、権力に固執するものです」
「キャリアなんてロクなもんじゃないですね。あなたも僕も」
 薪はにやりと皮肉な笑いを浮かべると、竹内の手を離した。玄関先に佇んだままの岡部と第九職員に顔を向け、彼らに声を掛ける。

「みんな、っ、よく来たな、とっ。こっちへ、うわっ!」
 人の間を通って奥へ進もうとした薪の行く手を、重なり合った人々の脚が地を這う木の根のように阻み、あちこちで躓かせる。足取りがおぼつかないところを見ると、大分アルコールも回っているのだろう。祝い酒と称して何十人にも酒を注がれたに違いない。見るに見かねて、竹内は薪の腕を取った。
「室長。ちょっと失礼しますね」
 ひょいと抱き上げると、部屋の中が騒然となった。
「きゃあ」「素敵」「ケータイ、カメラっ!」「やっぱり絵になるわ~」
 女心には詳しい竹内だが、彼女たちの気持ちは今一つ分からない。そして、
「ちくしょう」「コロス」「気安く触りやがって」「生きて此処から出られると思うな」
 男心には興味のない竹内だが、彼らの気持ちは痛いくらい分かった。

「すみません。なんか、頭がふらふらして」
「少し、休まれた方がいいですよ。これから官房室の方々もお見えになるんでしょう?」
 大人しく竹内の腕に抱かれる薪の従順に庇護欲を掻き立てられつつ、竹内はダイニングに入った。そこには裏方の青木が汚れたグラスや取り皿を洗っていたが、ぐったりした薪の姿を見ると心配そうに走り寄ってきた。
「薪さん、どうしたんですか?」
「眩暈がするらしい。ちょっと横になった方がいいかもしれないな。ベッドに寝せてこようか?」
「オレがやります。竹内さんは、会場に戻ってください。お客さまなんですから」
 青木はよほど心配だったのか、硬い表情をして、竹内の手から奪うように薪の身体を抱き取ると、リビングの端を通って寝室へ向かった。自分が彼を抱き上げた時には騒然となった人々が、その姿を見ても何も言わないのは、青木は薪の部下で、つまりは業務だと分かっているからだろうか。

 竹内は薪の代わりに、第九の職員たちをダイニングに招き入れた。椅子は4つしかなかったから、彼らは立食パーティのように立ったまま乾杯をした。
「室長、大丈夫ですか?」
「疲れたんでしょうね。とにかく、すごい数でしたから。挨拶だけして帰った客も、ずい分いるんですよ」
「すごい数って、どれくらい?」
「最初に用意したグラスが20。50個入りの紙コップの2袋目が開封されているということは、単純に数えても70人は越してるってことですよね」
「薪さん、人ごみ苦手だしな。仲間内だけでワイワイやるのは好きだけど、大掛かりなパーティとかは嫌いで、警察庁の新年会も出たがらないもんな」
「ちょっと休めば大丈夫だと思いますよ。今、青木が付いてますから」
「じゃあ、薪さんは青木に任せて、俺たちは飲むか」
「その前にメシ。いっただきまーす!!」
 賑やかに飲み食いを始める彼らに、竹内は苦笑する。彼らだけではない、リビングにいる連中も似たようなものだ。宴が進むと、主役の存在は希薄になる。こっそりいなくなっても気付かれないことは結構多い。

 薪に酔い覚ましの水を持って行ってやろうと考え、竹内は冷蔵庫を開けた。飲みさしのミネラルウォーターを見つけ、それを片手にダイニングを出る。
 騒動を避けるため、青木が入って行ったドアをこっそりと開けると、ベッドに腰掛けて薪の寝顔を見ている青木の姿が眼に入った。
「竹内さん」
 ドアが開いたことに、青木はすぐに気付いた。他の人間が入ってこないか、神経を尖らせていたのだろう。薪の寝姿なんて、あの酔っ払いどもに掛かったら、白雪姫だのなんだのとエライ騒ぎになる。見せないに越したことはない。

「室長の具合は?」
「疲れと、たぶん寝不足だったんだと思います。昨夜眠ったのは1時頃だった上、朝の4時に叩き起こされましたから」
「そんなに遅くまで掃除してたのか?」
「――っ、ごほっ、ごほっ! ま、まあイロイロ……」
 水も飲んでないのに噎せこんで、青木は口元を押さえた。歯切れの悪い言い方で語尾を濁す。嘘の下手な犯罪者みたいだ。

「とにかく、少し仮眠を取れば大丈夫だと思いますので。薪さんにはオレが付いてますから、竹内さんはみなさんとご一緒に」
 その時、ピンポン、と新しい来訪者がチャイムを鳴らした。
 青木は腰を上げ、楽しんでいってください、と微笑んで寝室を出て行った。薪の代わりに、来客を出迎えるつもりなのだろう。

 ならば自分が青木の代わりにと、竹内は、青木が今まで座っていた場所に腰を下ろした。薪の安らかな寝顔がよく見える。穏やかに垂れた眉と、長い長い睫毛。胸の辺りが、ゆっくりと上下している。それでようやく人形ではないと分かる、それほどまでに整った信じがたい美貌。
 ふと、その眉が微かに歪んだ。
 息を詰めて見ていると、小さな口唇が薄く開き、くぐもった声が聞こえた。
「……みず」
 アルコールのせいで喉が渇いたのだろう。持ってきて正解だった。
 竹内は薪の背後に回り、身体を起こしてやり、細い手にペットボトルを持たせた。水を飲む間彼は竹内の腕に背中を預けて、そのことにも驚いたが、ペットボトルを返した後、竹内の胸に顔を伏せてきたときには天が割れたかと思うほどびっくりした。

「室長?」
「すこし……このままで………」
 抱きしめた腕は、振り払われなかった。髪を撫でると、百合の香りがした。香りを吸い込むと、身体中が彼の匂いで満たされていくようで恍惚となった。薪の身体は相変わらず華奢で軽くて、だけどシャツの下に息づく筋肉は男性特有の弾力を持っている。竹内が知らない、不思議な生き物。

 やがて眠ってしまった薪を見て、いま彼の頭の中にいたのは誰だろうと考える。
 安心しきった様子ですべてを預けていた。彼がここまで心を許せる相手といえばおそらくは第九の人間、岡部あたりか、かつての親友か。
 そのどちらかだと竹内は判断した。さっきまでこの場所に居た男に、その可能性があるとは考えなかった。薪はプライドが高いから基本的に部下に頼ることはしないだろうし、頼るとしても年齢の近い相手を選ぶだろう。その点岡部は薪よりも年上だし、彼のボディガードのようなこともしているし、だけど。
 寄りかかって眠ってしまうほど信頼しているとなると、上司と部下と言う関係からは遠ざかる気がする。

 薪の眠りを破らないように、慎重にベッドに横たえて、竹内は彼から目を逸らした。
 彼の寝顔を見ていると、おかしな気分になってくる。ドア一枚隔てて沢山の人間がいるのに、この心理状態はヤバイ。
 ふと気が付くと、ドアの向こうの喧騒が止んでいた。
 不思議に思ってドアの隙間からリビングを覗くと、何故か全員床に正座して背筋を垂直に伸ばし、不動の体勢を取っている。何事かとドアを開ければ、玄関口で岡部と訪問客が談笑していた。

「薪くんが寝ちゃってるなら仕方ないね。花だけ置いて帰るよ」
「とんでもない。後で薪さんに知れたら、俺が叱られます。今、起こしてきますから。おい、青木」
「いいよ、可哀想だから」
 小野田が止めても、そこは宮仕えの宿命だ。官房長がわざわざ足を運んでくれたのに、挨拶無しなんてあり得ない。

 竹内は薪を起こそうと、肩を揺すった。起きてください、と声を掛け、彼の覚醒を待つ。薪は低血圧だと青木が言っていたが、彼の目蓋を開かせるのはひどく時間が掛かった。
「室長」
 至近距離から呼びかけると、彼はやっと眼を開き、ぼんやりした眼で竹内を見て、両腕を竹内の首に回した。
「ちょ、ちょっと室長。寝ぼけてるんですか?」
 寄せられた薪の頬はやわらかくて、髪の毛はサラサラと心地よく、竹内は脳の血管が切れそうだ。心臓がばくばくする。いったい誰と間違えてるんだ、と思わず口に出かかった。

「……き」

 薪の呟きは、最後の一文字しか竹内の耳には届かなかった。しかし、竹内にはそれで充分だった。竹内は、薪のかつての親友の名前を知っていた。日本で一番多い苗字だと聞く、どの部署にも必ず一人はいる、そのポピュラーな響き。
 彼と彼の親友を見舞った惨劇を思い起こし、竹内は腕の中のひとを哀れに思う。あの事件から4年も経っているのに、この人は未だに彼の幻を見るのか。

「何してるんですか」
 咎めるような固い声に、竹内は頭を巡らせた。見ると、ドア口に青木が立っている。射撃練習のときのように男らしい眉をぎりりと上げて、いつもの穏やかな彼とは別人のようだ。それを竹内は、引きも切らない来客に苛立っているものと解釈し、青木のささくれ立った気持ちを宥めることが目的の柔らかい口調で状況説明をした。

「官房長がお見えのようだから起こそうとしたんだけど。寝ぼけてるみたいで」
「薪さんを起こすときにはコツがいるんです。貸してください」
 青木は暴力に近い性急さで竹内をベッドから立たせ、薪の耳に素早く唇を寄せると、
「薪さん、原宿三丁目の通り魔殺人で第九に捜査要請です」と大嘘を吐いた。
「青木…… いくら室長が仕事命の人だからって、そんなミエミエの嘘を、って起きてるし」
 脈絡も根拠もない虚言に竹内は呆れたが、「直ぐに皆を集めろ」とベッドから飛び出した薪にはもっと呆れた。なんというか、いろいろと常識離れした連中だ。上司を引っ掛けるなんて、竹内の部署だったら課長に殴られてる。

「すみません、事件は嘘です。小野田さんがお見えです」
 青木は、自分の言葉を信じて職場に向かおうとする薪の肩を掴んで留め、何でもない事のように手の内を明かした。薪の普段の狭量さを思えば、青木を怒りの刃が襲うのは当然だと思われたが、意外にも薪は憤りを表さず、それどころか素直に頷いて、手櫛で髪を整えると確認を取るように青木を見上げた。
「大丈夫です。寝癖も付いてませんし、お顔もきれいです」
 彼らの間に素早く交わされたアイコンタクトの的確さに、竹内は疎外感を覚える。薪が何を言いたいのか、あの一瞬で青木は理解したのか。まるで長年連れ添った夫婦みたいだ。

 青木は薪の後について、寝室を出た。二人がいなくなった居室で竹内は、気が抜けたようにベッドに腰を下ろし、今までそこに横たわっていた美しい人が残した温もりを、そっと手のひらで撫でた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

パーティ(7)

 こんにちは。
 毎日、ご訪問と拍手をありがとうございますー!
 アホなこと考えてて (詳細は聞かないでください) コメレスと更新遅れてすみませんー!!

 
 新しいリンクのご紹介です♪
 『秘密の青空』 というブログさんです。 (お名前ポチると飛べます)
 管理人は しおんさん とおっしゃって、わたしの個人的な印象ですが、とっても上品できれいなひと!
 でもって、すごく優しい目線で色んなものを観ている方だと思います。 何に対しても温かい気持ちを持つことができて、そこに美を見いだすことができる方。 人間的に尊敬できる方です。 うちみたいな腐れブログとリンクしてもらえて光栄です。(^^

 ブログ内容もバラエティに富んでいて、『秘密』の感想に読書レビュー、イラストに動画 (すごい! 絵が描ける人はみんな神だと思う!)、それと、お茶目な一面もおありで、
 思わず笑ってしまう4コマ漫画。(>m<)
 わたしは文字しか書けないので、しおんさんのマルチな才能がすごく羨ましいです!

 みなさんも、リンクからぜひどうぞ。(^^ 



 さて、パーティの続きです。
 以前あやさんにお尋ねいただいたんですけど、「この話の青木さんはどうしてそんなに自分に自身が無いの?」
 同じ疑問を抱かれている方に、ちょっと補足説明を~。

 本当はもっと裏の無い話にしたかったんですけど、警視長就任パーティとなるとどうしてもこの時期、2063年の春、になってしまうんです。 で、うちの青薪さんが当時どんな状況だったかと言いますと、
 8ヶ月ほど前に最初のバクダン落ちて(『トライアングル』)、その後薪さん4ヶ月くらいEDになって(『斜塔の頂』)、一応は恋人関係を維持しているものの、『サインα』の前なので青木さんの覚悟も固まってなくて、実はとっても不安定な時期なんです。 だから青木さんが後ろ向きなんですね。
 年号付けて本編に入れた方が分かりやすかったんですけど、周りの人間がみんなアホ過ぎて、ちょっと現実味が……(^^;

 特にこの章、上記の理由で、青木さんが少しウジウジしてます。 ご了承ください。







パーティ(7)






 小野田官房長の威光で、来客は潮が引くようにいなくなった。
 酩酊していた招かざる客たちは、薪に向かって我先にと暇を告げ、争うように帰って行った。官房長に非礼を働いたりしたら、一生浮き上がれなくなる。アルコールに浸された自分の脳の状態を勘案して、彼らは保身に走ったのである。
「蜘蛛の子散らすようにいなくなりましたね」
「傷つくなあ。ぼくって、そんなに嫌われてるのかな」
「そんな。みんな、気を使っただけですよ。座る処もありませんでしたから」
 残っているのは、薪が本当に招待したかった客たちばかり。パーティはこれからだ。

 青木は手早くテーブル周りを片付けて、彼らの座席を用意した。卓を囲んだのは、第九の職員たちと、小野田に雪子に竹内。最後の二人は、緊張で硬い表情をしている。小野田の役職のせいだ。
 引き換え、第九の連中の緊張感はそれほどでもない。小野田は薪の顔を見に、ぶらりと第九に寄ったりするからだ。人間、どんなことも結局は“慣れ”だ。

「三好くんに竹内くん。いつも薪くんが世話になってるね」
 彼らの緊張を解くためか、小野田は自分の席に着く前に、自分から二人に声を掛けた。物怖じしない性格の雪子は気丈に応じ、冷静なエリートの竹内は当たり障りの無い応えを返した。
「竹内くん。火事の時は、薪くんを助けてくれてありがとう」
「いえ。私は当然のことをしたまでです」
「あの子は時々、想像もつかないような無茶をしてくれるから。君たちみたいに有能で勇敢な人間が、彼の友人でいてくれると安心だよ」
 薪の友人だと言われて雪子は微笑み、竹内は少々複雑な顔をしたが、黙って敬礼した。焦りも媚びもない、エリートと呼ばれるに相応しい態度だった。
 さすが竹内だ、と青木は彼の卓抜性を見せ付けられる思いだった。初めて小野田にコーヒーを運んだときには、手が震えてしまった自分とは大違いだ。
 これからもよろしくね、と小野田は気安い笑みで竹内と雪子から離れた。傍にいた青木には、声を掛けてくれなかった。以前はもっと親しく話しかけてくれたのだが、薪との関係がバレてからは、巧妙に遠ざけられるようになった。無理もない、青木は薪に付いた悪い虫だと思われているのだ。

 隣に腰を下ろした小野田に、薪はにっこりと微笑みかけ、
「小野田さん、お一人ですか? 秘書の方々は?」
「遠慮させたよ。大人数で押しかけたら、薪くんだって困るでしょ」
 しっかり部下を管理できている。これが本当の上司と言うものだ。
 咳払いして雪子を見ると彼女は、分かってるわよ、とばかりに唇を突き出した。その隣で竹内が、秀麗な眉を寄せて苦しげな顔をした。多分、青木が同じ表情をしたら情けないだけだと思うが、彼が為すとそれは舞台俳優が苦悩する様にも似て、腹立たしいほど絵になった。

「すみません、気を使わせて」
 小野田の隣に座った薪が、甲斐甲斐しく彼に料理を取り分け、グラスにビールを注ぐのに、小野田はにこにこと笑い、
「いいんだよ、ぼくは。薪くんが作った茶巾寿司さえ食べられれば」
「僕が食べさせて差し上げますねっ!」
 口の中に突然押し込まれた酢飯の塊に、小野田は胸を叩き、喉に詰まった寿司をビールで胃に流し込んだ。せっかくの寿司がビールの苦味に侵食されて、さぞや複雑な味になったことだろう。

「室長が作った? これ、デリバリーじゃ」
 不思議そうに部下たちと竹内とが首を傾げるのに、薪は強張った表情で、
「もちろん! 僕は男ですから、料理なんかできません!」
 必要以上に強く否定するものだから、みんなが不思議がっている。仕事のことは完璧なポーカーフェイスで通すのに、薪はプライベートの嘘は下手くそだ。加えて、
「謙遜しなくたっていいじゃない。薪くんは」
「小野田さんっ、もう一つどうぞっ!!」
 官房長に対してまで実力行使に躊躇いが無いのはどうかと思う。まったく、どれだけ秘密にしておきたいのだか、と青木は心の中で溜息を吐く。

「そう言えば、デリバリーにしては皿がプラスチックじゃないな」
「さっきまでキッチンにいたけど、容器が捨てられてる様子もなかった」
「小袋の醤油とかソースも見当たらないし」
「「「「「室長、どうしてなんですか?」」」」」
「そ、それはそのっ……」
 不自然な言動が墓穴になって、薪はじわじわと追い詰められた。一流の捜査官がこれだけそろっているのだ。いかに薪が天才でも、そう簡単にシラを切り通せるものではない。

 料理が上手だからと言って、男が下がるとは青木には思えない。シェフも板前も、立派な男の職業ではないか。
しかし、と青木は数時間前までキッチンに立っていた彼の姿を思い出し、ついでにその姿に見惚れていた恋敵の顔も思い出し、心の中で舌打ちした。
 薪にとって、料理は仕事ではない。自然に肩の力も抜けるし、笑顔も浮かぶ。よって、料理に没頭する薪からは、プロの料理人のような緊張感は感じられない。見ようによっては夫のために手料理をこしらえる良妻のような。それも新婚家庭の新妻だ。
 やっぱり、薪のあの姿は誰にも見せたくない。彼の特技は秘匿するに限る。

「惣菜屋さんから、オレが車で運んできたからですよ」
「青木が?」
「惣菜屋のプラスチック皿じゃ味気ないから、自分でお皿を持って行って、それに盛り付けてもらったんです。その方が美味しそうに見えるでしょ」
 正直者で通っている青木の証言に、なるほど、と来客たちは納得して料理に箸をつけた。忙しく動く何組もの箸の向こうで薪は胸を撫で下ろし、一瞬で共犯者になった青木に、満足げな視線を送ってきた。明日のデートは期待してよさそうだ。
 他の誰よりも先に薪の昇進を祝いたくて、昨夜は薪と二人きり、ささやかに前祝をした。楽しい気分のままベッドに入ったら、ついつい調子に乗って真夜中を越えてしまった。今日は早めに休ませてやって、明日の日曜は薪の好きな温泉にでも連れて行こう。

 楽しい会話を繰り広げる仲間たちの輪に加わりつつ、青木は明日の予定に胸を弾ませる。隣に座った曽我の、年若い彼女の自慢話に空虚な羨望を含ませた相槌を打ちながら、時折、テーブルの奥に収まった主役に眼を向ける。小野田と岡部に挟まれて吟醸酒を傾ける端正な美貌に、見惚れてしまいそうになる自分を戒め、理性で視線を外す。
 何度かそんなことを繰り返しているうちに、彼は、自分と同じことをしている男の存在に気付いた。
 雪子の隣に座った彼は、会話が途切れると薪のことを見る。それはパーティの主役に注目する自然な動作に見せかけていたけれど、青木には不愉快な行為だ。眼に熱が込もり過ぎている。
 青木に言い含められていた雪子は、それに気づくたびに彼に話しかけ、彼の視線を他に転じることに成功していたが、所詮はその場凌ぎの小技でしかない。彼の想い自体を断ち切らなければ根本的な解決にはならないし、青木の不安も消えない。

 薪に恋人がいると匂わせたら、諦めてくれるだろうか?
 彼にすることはできない質問を、ならばと自分に投げかけてみて、青木はその質問の馬鹿馬鹿しさに笑い出したくなる。

 恋とは果てしなく利己的なもの。相手に好きな人がいようと関係ない。それは自分が何年もの間、思い知らされてきたことではないか。
 もしかしたら、今も。

 振り向いてもらえない辛さは、青木にはよく分かる。昔のことを思い出すと、当時の切なさも絶望も甦ってきて、竹内に同情する気持ちさえ生まれてくる。結局は、バカが外せないお人好しなのだ。
「竹内さん。この筑前煮、美味しいですよ」
 青木は、味が沁みて艶よく色づいた筍や蓮根、牛蒡や人参などを新しい取り皿に載せて、3つ隣の席の竹内に差し出した。竹内と青木は友だちだ。何度か夕食を共にしているから、彼の好物が和食、それもおふくろの味的な食べ物を好むことを知っている。
「どれどれ。俺は煮物にはちょっとうるさいぞ」
 厚切りの牛蒡を口に入れて、竹内は言葉を止めた。驚いたように目を瞠る、それだけで彼の整った顔は周囲の女の子の視線を集める。ここには女性は雪子しかいないから、あの燥いだざわめきは聞こえてこないが、青木の眼から見てもやっぱりカッコいい。

「これ、どこの総菜屋?」
「吉祥寺です」
「吉祥寺の何処?」
 他県へでも買いに行こうかという勢いで、竹内が身を乗り出してくる。これを薪が作ったとは、絶対に言えない状況になってきた。
 青木が返答に困っていると、隣の曽我が助け船を出してくれた。坊主頭に恵比寿のような笑みを浮かべて、
「ダメですよ、竹内さん。俺たちが何度お願いしても、室長は絶対に教えてくれないんです。おまえらに餌場を荒らされたら、自分の夕食がなくなる、って」
 嘘ではない。実際に、岡部と青木が薪の家で食事をすると、しばしば薪は自分のおかずがないという憂き目に遭っている。あんまり美味しいからつい夢中になって、自分が食べて良い数を忘れてしまうというのがその原因だ。
「自分の部下にも秘密じゃ、俺なんかが教えてもらえる道理がないな」
 竹内は、明るい苦笑いで質問を引込めた。微笑みを浮かべたままの口元に、花の飾り切りを施した人参を運ぶ彼に、青木は微かな罪悪感を覚えた。

 薪の特技を知っている小野田と岡部、雪子の3人は、薪の意向を理解し、口を噤んでくれた。
 特に小野田は、「薪くん、今度ぼくにだけお店の場所を教えてね」と見事なフォローを入れてくれた。それから視線を全員に向けると、
「じゃあ、ぼくはそろそろ。みんな、これからも薪くんをよろしくね」
 殺人的な忙しさの合間を縫って顔を出してくれた彼は、「もっと食べたかったけど」と名残惜しそうに料理を眺めながらも腕時計をかざし、席を立った。

 全員がその場に正座をして上官に敬礼する中、よろしかったらお持ちになりますか? と薪が勧めると、事情を知らない者たちは大層驚いた。官房長なら当然、高級な料理に慣れているはず。その彼に総菜屋の料理を土産にどうか、などと訊いたら失礼ではないか。
 ところが小野田は嬉しそうに、「いいの? じゃあ、あれとこれとそれと」と好みの料理を指定し始めたから、周囲の人々は開いた口が塞がらなかった。呆然とする先輩たちを尻目に、青木は台所からタッパーを取ってきて、小野田の指示通りに料理を詰めた。
 薪の料理は高級レストランにも引けを取らない。舌の肥えた小野田が言うのだから間違いない。自分の鈍い舌では断じられなかったことに確証を得た思いで、青木は誇らしかった。





テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

パーティ(8)

 またまた更新空いちゃいましてすみませんー。 
 来月早々経営審査があるので、その書類作りをしておりました。 決して、秘密版人生ゲームのボードを作っていたわけではありません。(笑)



 そんなこんなで、
 パーティ終了です。
 お付き合い下さってありがとうございました。(^^






パーティ(8)







 小野田がいなくなると、宴席は無礼講になった。
 室長の家だという緊張感はアルコールが消し去ったようで、職員たちは大いに食べ、したたかに飲んだ。
 酒の席ではいつものことながら、話題は他愛もない事ばかりだった。小池が経理課の女子を美人揃いだと褒めれば、今井は秘書課の方がレベルが高いと言う。女の子は綺麗でツンケンしているよりも可愛い方がいい、と宇野が言うと、それなら庶務課かな、と曽我が請け合った。薪は雪子と、最近読んだ推理小説に使われていたコンピューター仕掛けの義手を使ったトリックについて現実に可能かどうか検討し、竹内は岡部と昔話に興じていた。
 
 気の置けない仲間たちと楽しい時間を過ごし、卓上の料理があらかた無くなって、ふと気付けば太陽は西のビルの端に隠れようとしている。日の長いこの時期、時刻は6時半を回ったところだ。
 ふと薪が横を向き、くあ、と小さな欠伸をした。話に夢中だった殆どの人間は気付かなかったが、何かにつけて彼を見ていた2人の男だけはそれに気付いた。

「俺、そろそろお暇します。室長、ごちそうさまでした」
 竹内の声で、窓の外がすっかり朱色に染まっていることに気付いた客たちは会話を中断し、顔を見合わせて、じゃあ俺たちもそろそろ、と居ずまいを正した。
 ごちそうさまでした、と彼らが声を合わせるのに、薪は軽く頷いて「気を付けて帰れよ」と室長らしい一言で場を締めた。それから、片付けを手伝います、と申し出る彼らに、
「大丈夫だ。こいつがやるから」
 と非情に青木を指差した。休日の業務を言い渡された後輩に、先輩たちは憐みの視線を送ったが、青木にとってその言葉はデートの誘いと同義語だ。もしかしたら今夜も薪の傍で眠れるかも、なんて思っただけで顔がにやけてくる。
 
 テーブル等の大物だけでも、と岡部が言葉を重ねると、薪はちらっと青木を見て、すまないな、と岡部にやさしく微笑んだ。昨夜二人でソファを動かすのはけっこう大変だったのだ。
 部外者の二人にまで手伝わせる気はなかったのだが、結局は竹内と雪子の二人も手を貸してくれた。竹内は空になった皿をダイニングテーブルに運び、雪子は「力仕事ならあたしに任せて」と性別に合わない仕事に立候補した。彼女が一人で重いソファを楽々と運び、もう一つのソファを二人組で運んでいた小池と曽我を瞠目させる中、竹内はキッチンで手早く皿を洗い、その手際の良さは薪を驚かせた。
「ずい分、手馴れてるんですね」
「俺の家は母親しかいませんでしたから。子供の頃から、皿洗いは俺の仕事で」

 竹内が母子家庭で育ったことは、彼の母親から聞いていた。
 昨年の冬、業火の中で薪を助けるために大怪我をした竹内を見舞った折、彼の母親に会って話をした。
『自分のことを庇って、ご子息は怪我をされました。申し訳ありませんでした』
 薪が頭を下げると、彼女は息子そっくりの涼やかな茶色の眼を薪に向けて、
『わてのアホぼん(バカ息子)も、ようやっと人さんの役に立つことができまして』
 優雅に京言葉を操るたおやかな女性を薪は驚嘆の思いで見つめ、竹内が為した信じがたい行動の源泉は彼女にあると確信した。この美しく強い女性に、彼は育てられたのだ。成長し、刑事になり、岡部によってさらに鍛えられた。竹内にとってあの行動は当たり前の、必然とも言える行為だったのだと薪は理解して、しかし自分のせいで誰かが傷付くことはやはり耐え難かった。

 薪は、病室でこの男に自分の弱さを晒してしまったことを思い出した。それを彼が見ない振りでやり過ごしてくれたことも。ついでに彼が薪に騙されて年端もいかない少女とキスをしていたことまで思い出し、クスッと笑った。
 なんですか、と薪の笑いを疑問視する竹内に、薪は汚れた皿をシンクに置いて、
「素敵なお母さんですよね。羨ましいです」
「とんでもない。見た目は大人しそうですけど、中身はオニババですよ。怖いのなんのって」
「そうなんですか?」
「子供の頃、学校サボってゲーセンで遊んで家に帰ったら、担任からの電話でバレまして。包丁持って追いかけ回された記憶があります」
 見かけからは想像も付かない武勇伝に、薪は思わず吹き出した。竹内の母親はかなりの烈女らしい。

「結婚相手って、母親に似るそうですよ。浮気なんかしたら、それこそ包丁で刺されるんじゃないですか」
「いいえ、俺は絶対に母のような女性は選びません。妻にするなら、華奢でか弱くて、守ってあげたくなるようなタイプが理想です」
「どちらにせよ、浮気性の夫を持った女性が幸せになれるとは思えませんね。妻の理想を語る前に、ご自分の性癖を直されてはいかがですか」
 剃刀のような嫌味を連発しつつ、薪はクッキングヒーターに載せてあった鍋から筑前煮の残りをタッパーに移し、竹内に差し出した。

「よろしかったらどうぞ」
「いいんですか?」
「あなたがお持ちにならないなら、ゴミになります」
「ありがとうございます。いただきます」
 最後までキツイ口調を崩さない薪に、竹内は素直に礼を言い、ふと訝しげな表情になって、
「あれ? どうして総菜屋で買ってきたものが鍋に?」
「! そ、それはそのっ、温めた方が美味しくなると思って!」
「おや、そっちの鍋にも何か残ってますね。あ、こっちのトレーには天ぷらと唐揚げが。カルパッチョの残りも」
「!!! あとは僕と青木で片付けますから! 帰ってください!」
 薪は竹内の背中を押し、無理矢理キッチンから追い出した。これ以上、この男に弱味を握られてたまるか。

 竹内の身体をリビングまで押し込むと、部屋はすっかり片付いていた。本来の位置にテレビとソファーセットが置かれ、マンションの集会所から借りてきた折り畳み式のローテーブルは壁際に立て掛けられていた。
「「「「「室長、ごちそうさまでした!」」」」」
 一人が一つずつ、合計6個の長方形のテーブルを抱えて、部下たちは全員部屋を出て行った。帰りに管理人室に寄って、集会所にテーブルを戻してくれる気らしい。昨夜、集会所から青木と二人でテーブルを運んだ苦労を思い出し、薪はやれやれと肩を緩めた。強く疲労を感じていたから、正直、助かった。

「じゃあね、薪くん。あたしも帰るわ」
「貴重な休日に、ありがとうございました。帰りは青木に送らせますから」
 薪が携帯電話を取り出すと、雪子は忙しなく右手を振って、
「いいわよ、一人で帰れるから」
「いけません。雪子さんだって、一応は女性なんですから」
「一応は、ってなによ」
 キッパリとした眉根を険しく寄せる雪子に薪はタジタジとなって、とにかく送らせますから、と携帯のフラップを開いた。

「分かったわよ。じゃあ、竹内に送ってもらうから」
「ダメですよ! こいつが送りオオカミになったらどうするんですか!」
「大丈夫よ。あたしの方が強いから」
 雪子は柔道4段だ。比べて、竹内は射撃こそ全国トップ3の腕前を持っているが、柔剣道は共に有段者ではない。肉弾戦になったら、雪子に膝を付かせることもできないだろう。
「それはそうかもしれませんが、でも」
「心配いりませんよ、室長。さっき言ったじゃないですか。俺は絶対に母みたいなタイプは選びません。では」
 止める間もなく帰っていく二人を玄関で見送り、薪は自宅にひとりになった。静まり返った部屋の中、薪は気が抜けたようにため息を吐き、ふらふら歩いてソファに倒れ込んだ。

「疲れた……」
 ものすごく疲れた。身体も重いが、精神の方が重症だ。擦り切れてメッシュみたいになってる。元々、社交的な付き合いは苦手なのだ。逆に、一人の方が落ち着く。少年時代の体験がこの性質を作ったのか、薪は孤独を寂しいとは思わない。

 でも。
 たった一人の空間は、妙に広く感じる。

 百人近い人々がここを訪れたのだ。一時は足の踏み場もないくらいだった。祝辞を述べるだけなら職場で事足りるだろうに、わざわざ吉祥寺くんだりまで。みんな、どれだけヒマなんだ。
 見慣れたリビングに彼らの幻を描いて、薪はふっと笑った。瞬間、玄関のチャイムが鳴る。のろのろと起き上がってカメラを確認すると、第九の年若い捜査官が映っている。
 大人しく帰るわけがないと思っていたが、やっぱりUターンしてきたか。

 迎え入れると、彼はにっこりと笑って「お疲れさまでした」と労いの言葉を発した。青木の優しい言葉に薪は苦笑し、ソファへと戻った。いつもなら得意の皮肉で返すのだが、今日はその気力が残っていない。
 座面に仰向けになって眼を閉じていると、コーヒーの香りが漂ってくる。キッチンとリビングの間には扉がないから、換気扇を回し忘れると居間に焼き魚の匂いが充満したりするのだが、この香りなら大歓迎だ。
「どうぞ」と声を掛けられて、薪はうっすら眼を開ける。横目で見ると、ローテーブルの上にコーヒーが置かれていた。淹れた本人は、と頭を巡らせれば、サイドボードの上に来訪客が持ってきた花籠を飾っている。殆どの客が花篭を選んでくれた。花束は花瓶が必要になるから、との気遣いはさすがだと思うが、問題はその数だ。
「まだまだ沢山ありますよ。リビングに並びきるかな」
「僕に花屋でも始めろってのか」
 専属バリスタのコーヒーでいくらか元気を取り戻したのか、客たちの好意を、薪は皮肉った。青木は、小野田が持ってきた白百合の花篭をローテーブルに置き、
「よかったですね。たくさんの方に祝ってもらえて」

「バカだな、おまえは。あの中の何人が本気で僕の昇進を祝っていたと思う? せいぜい一割」
「全員ですよ」
 左端の口元だけを釣り上げた薪の皮肉な笑みは、青木の断言に固まる。皮肉顔から呆れ顔に移行していく薪の前で、青木は何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを浮かべて言った。
「みんな薪さんにお祝いを言いたくて来たんです。オレと同じ気持ちなんです」
「おまえと?」
 強い正義感を携えた新しい警視長が、どれだけ仕事熱心か。どれほどの情熱を職務に注ぐのか。被害者とその遺族にどこまで誠実か。いかに部下を守り、彼らを導くことか。
 青木は知っている。皆も知っている。
 青木が言いたいのはそういうことだと、もちろん薪には分かっていたけれど。

「勘弁してくれ。ヘンタイはおまえ一人で充分だ」
「ちがいますよっ!」とむきになって否定するのを心の中でにやにや笑って、表面上はいかにも辟易した顔を取り繕って見せる。青木を構うのはとても楽しい。

 坊ちゃん育ちの青木らしい意見だが、世の中そんなに優しく出来ていないことを薪は知っている。笑顔で祝辞を述べながら後ろ手にナイフを光らせる、それがこれから薪が入って行く警察上層部だ。それでも。
 目の前のお人好しを見ていると、今日くらいはそんな幻想に浸ってもいいか、などとお気楽な考えが浮かんでくる。それは、過労死するために立てたとしか思えないスケジュールを調整して訪れてくれた慈悲深い上司のおかげかもしれなかったし、鬼の室長の自宅という居心地の悪さを感じる様子もなかった直属の部下たちの図太さのせいかもしれない。あるいは警察庁と警視庁の職員たちが仲良く酒を酌み交わすという、貴重な光景を目の当たりにしたことの衝撃による錯誤ですらあったかもしれぬのだが。

 これから自分が進む道には、数多の苦難が待ち受けていることだろう。消せない罪を背負う薪にとって、過酷な試練が続くことは予想に難くない。
 それでも、自分は一人ではないと。支えてくれる人も大勢いるのだと。
 素直に思えるのはきっと、この男の悪影響。両手に花篭を抱えて、リビング中をウロウロしている大男のせいだ。こんな甘い考えでこれからやって行ける訳がないと、それは分かりきったことなのに。その危険な考えに傾いてしまう自分を止めることができない。

 葛藤のあげく薪は、今日だけだ、と自分を許すことにした。

 コーヒーを飲み終えて、薪は再びソファに寝転がった。眼を閉じて、目蓋の裏に来客たちの笑顔を思い浮かべながら、恋人がせっせと飾っている花々の香りを吸い込む。
 華やいだ香りに満たされた部屋に、風呂の沸き上がりを報せる電子音が福音のように響いた。




(おしまい)



(2011.12) あら。書いたの1年も前だったのね~。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

シルエット

 発売日ですねっ!
 昼間は仕事があるので、夜、買いに行こうと思います。

 以前は居ても立っていられず、役所に行くとか嘘を吐いて(←!) 仕事を抜け出して(←!!) そのまま自室にバックれたりしたものですが(←!!!) 今は夜まで待とうと言う理性があります。
 真っ当な人間に戻れて良かったです。 とりあえず、今夜はメロディ抱いて寝ます。(←戻れてない)



 予告のお話の前に、雑文をひとつ~。

 こちら、新春記念SSです。 ←いまごろ!? ←いやだって、来年のお正月まで10ヶ月もあるし。
 クリスマス合わせ、とか、元日合わせ、とか、ちゃんと目的の日に合わせてお話が書ける方、尊敬してます。 計画性がないことも事実なんですけど、わたしが季節イベントに乗り遅れる一番の原因は、
 お正月が来ないと自分がお正月気分にならないので書けない。

 結局自分の都合ってことで、ああー、やっぱり人間性に関わってくるんだなー。 申し訳ないです。


 この雑文、本当は、この次に公開する『キセキ』のあとがきにするつもりだったんですけど、スピンオフでドヘンタイギャグSSができたので、あとがきはそっちにします。
 だれかこのおばさんに、「あとがきってSSのことじゃないよ」ってやさしく教えてやってくださいww。






シルエット





 2068年の最初の日、日の出前の現在。第九研究室の壁掛け時計は、5時22分を指している。
 創立以来、科警研規定労働時間超過記録ナンバー1という不名誉な座から退いたことの無い第九研究室といえども、年末年始はさすがに記録更新の努力を放棄することにしている。職員たちはそれぞれの自由時間を楽しみ、今ごろは年越しパーティの疲れから布団の中にいるか、あるいは誰かと一緒に初日の出を見に行く途中か。いずれにせよ職場には出て来ない。
 はずなのに。

「静かにな」
「わかってるよ」
 研究室に、怪しく蠢く人影が二つ。一つは細く、もう一つはやや太め。どちらも男性のシルエットだ。
 彼らは慎重に室内を移動していたが、暗さに視覚を塞がれてか、後方の太目の男が机の脚に躓いてしまった。スチール机は軽い金属音を立てて、しかしこの静けさの中にあってはかなりの騒音だ。
「バカ、曽我! 音立てるなよ!」
「小池、声でかい!」
 いささか間抜けな会話を交わした侵入者たちは互いの口を手で塞ぎ合い、要はどちらも相手が悪いと思っている。この二人は息もピッタリだが、考えていることも常に一緒だ。

 二人がコッソリと無人の第九にやって来たのは、捜査機密を悪の組織に売り渡すため、なんてスパイ映画みたいに話のタネになるような目的ではない。
 内幕を晒せば実に下らない。普段の土日と違って、帰省や旅行などで緊急呼び出しに応じられない可能性がある年末年始は職員が交代で当直を務めることになっているのだが、今年はそれをたった一人の職員がこなしている。青木というその男は、先月初旬、1週間の長期休暇を彼らしくない強引さで捥ぎ取った。その交換条件が年末年始の4日間の当直、というわけだ。
 つまり此処には今、彼らの後輩の青木が独りで留守番を務めている。二人が行こうとしているのは、彼が眠っているはずの仮眠室だ。小池と呼ばれた男の手にはデジタルカメラ、机に躓いた曽我の手にはレコーダー。要するに彼らの目的は。

『寝起きドッキリ』である。

 断っておくが、これはイジメではない。仕事場でひとりで寂しく年末年始を過ごしている後輩に対する先輩の気遣いだ。その証拠に、差し入れの朝ごはんもちゃんと調達してきた。コンビニのおにぎりとカップのなめこみそ汁だが、レンジで温めて3人で食べればそれなりに美味しい。

 音を立ててしまった警戒心から、彼らはしばらく動きを止めていたが、部屋は静まり返ったままだ。どうやら気付かれずに済んだらしい。
「まあ、青木は一度寝たら雷の直撃を受けても起きないから」
「直撃受けたら、起きたくても起きられないんじゃないか?」
「岡部さんなら頭に釘刺して起きてきそうだけどな」
 副室長の似合いすぎるモンスターコスプレに失笑しつつ、二人は再び歩き出した。研究室の明かりは密やかに動くMRIシステムが点滅させるランプのみ、だがその数は百を超えているため、眼が慣れればそれを頼りに室内を移動することも可能になる。程なく、彼らは目的の場所に辿り着いた。
 省エネモードに切り替えられた研究室内の気温は摂氏12度とかなり低めで、仮眠室のドアノブは冷え切っていた。その冷たさに背中を震わせつつも、小池はそっとドアを押し開いた。
「お、あそこだな」
 4つあるベッドのひとつ、右奥のそれがこんもりと山になっているのを暗闇に慣れた小池の眼が捉える。抜き足差し足、二人がベッドに近付いていくにつれて聞こえてくるのは安らかな寝息。

「よしよし、良く眠って、――っ!!!」
「なんだよ小池。急にロボットダンスなんか踊り出して、――ふぉわふぉとぅっ!」
「バカ曽我、声出したら殺されるぞ! てか、何語だよっ!!」
「だから声でけえっての!」
 図らずも彼らは本物のスパイになったように、生と死の境界線に立たされていた。自分たちがこの部屋に入ったことが知れたら、本気で命が危ない。いや、現実に殺されはしないと思うが、死んだほうがマシだという目には遭わされる、絶対。

 ベッドの中で青木はよく眠っている。それはこの際どうでもいい、問題はその横で寝ている人物だ。
 ただでさえ狭いシングルベットで、ガタイの良さがモノを言う警察の中でも高身長では三本の指に入る青木の隣に、申し訳程度のスペースを与えられて眠っている彼。寝台を占める体積量とは裏腹に、その脅威は科警研一、いや、警察機構全体を俯瞰しても比肩する者はほんの数名だ。二人がパニックに陥るのも当然であった。
「聞いてないぞ、薪さんが一緒だなんて」
「薪さんのことだから、いつものように差し入れに来たんだろうけど。泊り込むとは」

 ベッドの空きが在るにも関わらず、自分たちの上司と後輩が一つのベッドで眠っている事情については理解していた。この二人が特別な関係にあることはしばらく前から何となく分かっていたし、そういう眼でもって注意深く観察すれば、彼らの態度はあからさまでさえあった。彼らの言動自体は完全な上司と部下のそれであり、同僚の前で自分たちの関係を匂わせるような真似は決してしなかったが、あにはからんや。彼らの視線は絡み過ぎなのだ。
 とはいっても、視線は眼に見えないもの。こうして実態を目の当たりにするのは初めてのことで、だから二人の惑乱は無理も無かった。

 飛び上がった心臓がやっと落ち着くのに、2分ほど掛かっただろうか。音を立てないように深呼吸をした後、曽我は小声で言った。
「あ、一応服は着てるんだ」
「何考えてんだ、おまえ」
「だって」
 恋人なんだろ、と曽我の丸い眼が無邪気に言い、小池は焦る。想像したことがないわけじゃないけど、同僚の、しかも男同士のそういうこと、赤裸々過ぎて気軽に思い浮かべたりできない。
「職場だぞ。あの薪さんが許すと思うか?」
「でも一緒に寝てんじゃん」
 抱き合って眠っているわけでも腕枕で寝ているわけでもなかったが、たしかに曽我の言うとおり、他にベッドが空いてるのにわざわざ狭苦しい想いをして共寝するなんて。
「そりゃそうだ」

 見せつけられて、思いのほか早く平常に戻れた自分を、小池は心の中で褒めてやる。この眼で見たら、もっと嫌な気持ちになるかと思ってたのに、なんだおれ、けっこう余裕じゃん。

「ねだられたんじゃないのか? 薪さん、なんだかんだ言って青木に甘いから」
「あの人もともと自分の部下には甘いとこあるけどさ、青木はやっぱり特別なんだろうな。薪さんが自分を見失うのって、青木が絡んだときだけだもんな。去年のテロ事件の時だって」
「ああ、あのスタンドプレーは薪さんらしくなかったよな。一歩間違えりゃ……まあ、あんなことに巻き込まれた青木も気の毒だったけど」
 眠っている青木の顔に落書きでもしてやりたい誘惑に駆られるが、ここは我慢だ。ほんの少しでも自分たちがこの場にいた痕跡を残せば、薪が犯人探しに乗り出すだろう。そうなったら地球の裏側まで逃げても逃げ切れない。

「あれだけの死地を潜り抜けてきたって言うのに。二人とも、この世の平和みたいな顔で寝てるなあ」
 曽我が使った『この世の平和』という表現は大げさだと思ったが、見ればまったくその通りで。彼らは安心しきって寝具に身を委ねている、でも多分、掛け布団に隠れて見えない部分では互いに互いを委ね合っているのだろう。

 そこは二人だけの秘密空間。誰も暴いちゃいけない。

 くい、と親指を立てて、小池は退出を促した。頷いて、曽我が踵を返す。入ってきた時とは反対の順番で、二人は仮眠室を出た。
 3人で食べるはずだったコンビニの朝ごはんを、二人は第九のエントランスで食べた。まだ日の出には間があり、外は真っ暗だったが、自販機の周辺だけは防犯のため常夜灯が点いていた。
 給湯室が使えなかったことから諦めたみそ汁の代わりに、自販機の温かい緑茶で冷たいおにぎりを喉へ落とし込む。独男の証明みたいな朝食がそれほど惨めに感じないのは、気心が知れた友人との会話があるからだ。

「俺さ。初めて知ったとき、正直、気持ち悪いと思った」
「え、そうなの? おれが二人のことを仄めかしたとき、『別にいいんじゃね』って言ってたじゃん」
「あからさまに非難もできないだろ。青木はいいやつだし、薪さんには世話になってるし。趣味趣向は、それこそ自由だしな」
 そこで小池はペットボトルに口をつけ、ごくりと緑茶を飲み込むと、思い切ったように言った。
「だけど、ずっとモヤモヤしてた。どうしてそんなことになっちゃうんだろうって。二人とも仲間だと思ってたから、なおさら」

 親友にも初めて聞かせる胸のうち。誰にも言えなかった。小池は彼らのことが大好きで、だから口にできなかった。自分が諸手を挙げて二人の幸せを喜べないこと。

 小池はもう一度緑茶を口に含み、ペットボトルと一緒に仰のいた。横目でちらっと隣を見れば、心配そうに眉根を寄せるお人好しの間抜け顔。小池はにやりと笑って、
「でもさ。なんかもういいかなって」
 おにぎりの残りをポイと口に投げ込んで、奥歯でモゴモゴと噛みながら、真剣味が足らないように見えるけれど仕方ない。小池は照れ屋で、こういう言葉を口にするのはとても照れ臭いのだ。

「薪さんがあんなに安心しきった顔で眠れるなら、それでもいいかって」
 親友の、そんな性質を心得ている曽我は、ほんわかと笑って頷いた。
「昔はよくうなされてたもんな」
 小池に賛同の意を示し、曽我は3つ目のおにぎりを頬張る。曽我は親友だけど、いま彼が食べているエビマヨネーズおにぎりは個人的には納得できないと小池は思っている。おにぎりの具の王道は、梅・シャケ・昆布。だけど何処のコンビニでも、人気ナンバー1はツナマヨネーズだとか。

 そう、彼らのこともそれと同じ。なにも特別なことじゃない。
 せいぜいがおにぎりの変り種。美味しく食べられればそれでいいじゃないか。

 曽我が緑茶を飲み干したのを確認して、小池は席を立った。
「よし。初日の出、今から見に行くか」
「あと一時間も無いぞ。それに今からじゃ、スポットは何処もいっぱいだぜ」
 困り顔で小池を見上げる親友に、小池は力強く親指を立てて、
「屋上だよ」
「ナイスアイディア、と言いたいところだけど。あの二人と鉢合わせしたらどうするんだよ」
「起きないだろ。あれだけ熟睡してりゃ」
「解んないぞ。初日の出に合わせて目覚まし掛けてるかも。青木ってそういうの、マメにやりそうじゃん」
 曽我の懸念は尤もだ。ロマンチストの後輩が、1年の最初の太陽を愛する人と一緒に見ることもなく寝こけるなんて、逆にあり得ない。

 日の出は地球上の何処からでも見える、と開き直って小池は、太っているくせに寒がりの曽我を庭に連れ出した。日の出の時刻は迫っていたが、じっとしていると寒くて堪らないので、中庭に向かって歩いた。
 ほどなく東の空が明るくなってきて、二人は空を見上げる。第九の建物が、光線の関係で黒い塔のように見えた。

「あ、ほら。やっぱり」
「うーん。青木らしいな」
 屋上に大きさの異なる二つのシルエットを見つけて、二人は顔を見合わせた。
 二つの影は寄り添うことはなく、職場仲間の距離を保って立っていた。徐々に明けていく空が夜明けの美しさでもって人々の心を震わせても、彼らは決して節度を失うことはなく、それは自分たちの立場を誰よりもよく彼ら自身が弁えているから。
 守りたいと、強く願っているからこその空隙。あの空隙にこそ相手を想う気持ちが詰め込まれているのだろうと、小池は思った。

 逆光で、マトモな写真になるとは思えなかったが、小池は持っていたカメラにその光景を収めた。
「写真なんか撮るなよ、小池。薪さんに知れたら」
「青木に渡すんだよ。お年玉だ」
 カシャリとシャッターを切り、小池は、ビルの谷間から顔を覗かせ始めた今年最初の太陽に向かって背筋を伸ばした。
「青木には、今年も薪さんの面倒を見てもらわなきゃならないからな」
「はは。違いない」
 望遠レンズも付いていないカメラで撮影したその写真は、カメラの画面で確認してみたら朝焼けの空に第九の建物が黒く映っているだけの風景写真になっていた。目を凝らしたところで、人影なんか見えない。
 だけど青木はきっと、喜んで写真を受け取ってくれるだろうと小池は思った。



(おしまい)



(2013.1)

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雨の名は沈黙(1)

 放置プレイがすっかり長引いてしまいました。

 メールやコメントで励ましていただいて、どうもありがとうございました。 
 なんかすみません、みなさんに心配掛けちゃって~~。(><)
 しづは元気、本当に元気なんですよ!
 バリバリ仕事してます。 明日も測量だし……風、吹かないで!!←切実。 巻尺がたわんで正しく測れない。

 年度末の書類もさることながら、先日見積もりやってた建築の現場、めでたく落札しまして、その着工書類ですったもんだしてたから~。 
 見積もり段階であれだけ意味不明だったんだもん、実際に仕事に掛かったらもっと分かんないよねっ! コリンズ登録からしてやばいよ!! ←役所にばれたら落札取り消されそう。
 仲の良い業者友だちに教えてもらうことになってますけど。


 以下、ネタバレになるので畳みます。
 それから、こちらのSSもメロディ4月号を元に書いてるので、コミックス派の方にはごめんなさいです。


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雨の名は沈黙(2)

 おはようございます!
 今日もいいお天気ですねっ! でも、夜は雨なんだって! お出かけの時には傘を忘れずに!! ←なに、この異様なテンション。

 こういう重い話はサクサク行きます。
 ええ、レスも返さんと、
 すーみーまーせーんーー!!!
 ごめんなさい、今日と明日は測量なのです。 でもって、15日が工期です。 なので、来週まで待っていただけると助かります。 ド畜生ですみません。


 あ、あと、今回のSSはメロディのネタバレになるので、追記からお願いします。
 面倒掛けてすみません。



 

澤村さんいい人計画(2) ←題名、まだ思いつかない。

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雨の名は沈黙(3)

 こんにちは!
 昨夜は竣工書類作ってて、今日が工期ですから当たり前ですけど寝てません。
 
 先刻、やっと終わりまして、これから元請さんに届けます。 でも、元請さんが見直しする時間が必要だから、役所に届くのは月曜になっちゃうんだよねえ。 うちから監督員さんに、一言言い添えておかないとなあ。
 
 睡眠不足のハイテンションで遅延謝罪文を書いてみる。


 OH、NO-!
 頑張った、BUT、残念無念!
 やっぱり書類、間に合わなかったYO!
 HEY、YOU、男なら、気にしちゃダメだゼ、細かいコト!
 月曜、朝に届けるYO、そこんとこYOROSHIKU!


 ラップ調で監督員に謝罪メール送ったら、次から指名停止になるんだろうか。





澤村さんいい人計画(3) ←だんだん考えるの面倒になってきちゃry。


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雨の名は沈黙(4)

 3週間ぶりの日曜日です!(仕事の日は黒く塗り潰されるこの時期の我が社のカレンダー。4日と10日はそれぞれ夜間工事で黒かった)
 
 今日は、「プラチナデータ」を観に行きます♪
 楽しみにしてたんだ~。 
 原作本買って、未だ読んでないんですけど。 「脳男」も未読のまま……脳男は、映画よかったです。 泣けました。 ああいう話、書きたいなあ。
 




澤村さんいい人計画(4)  ←これ以外の題名思いつかなくなってきた。



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雨の名は沈黙(5)

澤村さんいい人計画(5) ←もうこのままで……ダメ?

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雨の名は沈黙(6)

 ここからは澤村さんの回想編でございます。
 何分にも思い込みで生きてるようなおばちゃんの妄想ですので、原作の何処をどう読めばこんな話が出てくるんだ、というツッコミは無しでお願いします。 突っ込まれても説明できませんwww。




澤村さんいい人計画(6) ←どうやら定着したらしい。

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雨の名は沈黙(7)

 一昨日と一昨昨日、過去作品にたくさん拍手くださった方、どうもありがとうございました。
 過去作は、懐かしいと言うか恥ずかしいと言うか生き恥と言うか、すみません若かったんです許してください。
 そして今公開してる話はもっとごめんなさいです許してください。





澤村さんいい人計画(7) ←このままではいけないとわたしの中の何かが叫ぶ。



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雨の名は沈黙(8)

 お話も8章まで来ました。
 早く題名決めないと終わっちゃう。






澤村さんいい人計画(8) ←でもやっぱり思いつかない。



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雨の名は沈黙(9)

 この度のしづの暴挙、静かに見守ってくださってありがとうございます。
 原作曲げてんじゃねーよ、という尤もなご意見、寄せられるかと思ったんですけど今のところ来てません。 みんなやさしい、ていうか、
 そもそも、原作からズレた話がダメな人はうちの話は読めないんだな☆(笑)


 澤村さんはああいう役回りなんだと思うし、それが覆ることはないと、わたし自身予想しております。 この話は本当にわたしの精神安定のために書いたので、読まれる方に於かれましては、
『ねーよ』
 の連発だと思うのですけど、すみません、続けます。

 その代わり、早く終わりにしますね。 予告した話の公開も控えてるし……にに子さん、ウソ吐いてごめんねっ! (初めは2月中旬くらいって言ったのに、もう3月終わっちゃうよ。 澤村しづって渾名付きそうだよ)





澤村さんいい人計画(9) ←……。(すみません、ツッコミ疲れました)


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雨の名は沈黙(10)

 こんにちは。
 連日、励ましの拍手をありがとうございます。(^^ 
 おかげさまで昨日、妄想中のSS書き上がりまして、読み直し作業に入ります。 実はわたしは、この作業がすっごくタルくて嫌いなんですけど、これをしないと他人が読んで分かるものにならないので……最低2回は読み直すので、書くのと同じくらい時間かかるし。 一発で書ける方、羨ましいです。


 ところで、今日は今期最後の竣工検査なのですよ。 これから現場です。
 いい点取れますように♪




澤村さんいい人計画(10) ←どうしよう、次、終わっちゃうのに。




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雨の名は沈黙(11)

 最終章です。
 お付き合いいただいてありがとうございました。

 題名、やっと決まりました。
 いくつか候補はあったんですけど、決断したというか、時間に迫られて妥協したというか。(^^;







雨の名は沈黙(11) 

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ミッション(1)

 予告のお話の前に雑文をひとつ。

 これ書いたの2年以上前なんですけど、あまりにもくだらない内容なのでお蔵入りにしておいたら、次の東照宮SSの中にこの話がないと何のことやらな部分があって、仕方ないので引っ張り出してきました。
 そんな経緯なのであんまりデキのいい話じゃないです、すみません。 しかもRなので、苦手な方には二重にすみませんです。 どうか広いお心で。




 
ミッション(1)






 
 薪が、またおかしなことを始めた。
 
 牛ヒレのカットステーキを口に運びながら、青木は疑問が顔に出ないように注意して向かいの席を見た。
 青木の恋人はダイニングテーブルの下で優雅に足を組み、シャンパングラスを傾けている。こくりと白い喉を鳴らし、取り澄ました顔でグラスをテーブルに置くと、青木の視線に気づいてにっこりと笑った。
 ……悪寒がする。
 いや、視覚的に気持ち悪いわけじゃなくて。

 自分の恋人の自慢になってしまうから出来る限り控え目に言うと、薪はこの世で一番可愛くて美しい。断っておくが、これはふざけている訳ではなくて、本気で控え目に表現しているのだ。
 遠慮なしに言わせてもらうなら、疑うべくもなく宇宙一。さらに本音を言わせてもらえば、この世が始まってから滅亡するまでの間に、彼以上の美しい生物は生まれ得ないと断言できる。彼を見た後では、世界三大美女ですらただのおばさんに見える。
 勿論これは青木の主観であって、一般論とは大きく隔たりがあるが、青木の中では紛れもない真実だ。そうでなければ、このややこしい性格の男を恋人にしたいなんて思わないだろう。

「美味いか?」
「あ、はい。とっても美味しいです」
 これは青木の主観ではない。薪の料理の腕前はプロ級だ。彼の料理が舌に合わなかったと言う人間には、未だお目にかかったことがない。
「良かったら、僕の分も食べるか?」
 やさしそうに微笑んで、薪は自分の皿を青木の方へ差し出した。
 ――気持ち悪い!

 薪は意外とやさしい、でもそれは表面に現れることは滅多となく、ましてや言葉に表れることは絶対に無い。態度はぶっきらぼうだし言葉は乱暴だし、何か余計なことを言わないと気が済まない性格だし。こういう場合は「そんなに意地汚くしてると、そのうち餓鬼に取り付かれるぞ」なんて嫌味の一つも添えるのが普通だ。
 あまりにも普段と違う薪の態度に、青木は薄ら寒さを覚える。これまでの経験が教えてくれる、このひとが自分にやさしくしてくれるときは、必ず裏に何かあるのだ。

「どうした?」
「いえ。なんか、胸がいっぱいで」
 遠まわしに薪の好意を断ると、薪はこの上なく美しく微笑んで、
「遠慮しないで。君のために作ったんだ。たくさん食べなさい」
『君』? 『食べなさい』……?
 言葉遣いまでヘンなんですけど!! 絶対になんか企んでるよ、このひと!

 薪は、こんな喋り方はしない。青木のことは『おまえ』もしくは『バカ』と呼ぶ。職場でも家でも丁寧語なんか使われたことがない。青木は部下だし、それが普通だと思っていたが、こうしてデスマス調で話されると想像を絶する気持ち悪さだ。どうしてだか夢中で謝りたくなってきた。
 だいたい薪が自宅でシャンパンなんて、何かの記念日でもなければありえない。床に胡坐で日本酒がこのひとの飲酒スタイルだ。それは確かに薪の見た目を甚だしく裏切って、でも見慣れるとこの上なく可愛くて、青木は薪のそんな姿を見るのがとても楽しみだった。
 今、目の前にいる薪は優雅で穏やかで、その麗しい外見からもたらされるイメージを髪の毛一筋も損ねることなく完璧に振舞っている。それは神が造りたもうた奇蹟のような彼の造形にはとても相応しい所作だと思うし、政界の重鎮とも会合を持つ立場にある彼には、必要欠くべからざる技能のひとつだ。

 でも、今はプライベイト。
 堅苦しい職務の反動か、家にいるときは自堕落一歩手前までリラックスする、そんな薪を知っている青木に迫ってくるのは、圧倒的な違和感。吐き気がするくらい気味が悪い。何だか肉の味が分からなくなってきた。

 居心地の悪い食卓を早く離れたくて、青木は薪にもらった肉を急いで頬張る。その様子を薪は、穏やかな瞳でじっと見守っていた。



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ミッション(2)

 3連休ですね。
 みなさん、いかが過ごされますか?

 わたしはお義母さんのお伴で温泉行ってきます。
 帰りは月曜日になるので、次の更新は来週の火曜日です。 よろしくですー。






ミッション(2)






 始まりは、一本のメールだった。

『今夜は忘れられない夜にしたい。18:00に家で待っている』

 スペシャルな夜を予感させる文面に、青木は背筋が震えるような感覚を味わった。薪からこんなロマンチックなメールが届いたのは初めてだったからだ。
 薪からのお誘いメールは実にシンプルで、その書式は『帰宅(又は在宅)予定 ○○:○○』というものだ。丸の中の数字が変わるだけで手紙といえるものではない。たまに買ってきて欲しいもののリストが追記されていることはあるが、それだって「米」「味噌」「ミネラルウォーター」という具合に品名が連なっているだけだ。業務連絡だってここまで味気なくはない。
 そんな薪が、『忘れられない夜にしたい』なんて。
 彼にどんな心境の変化があったのかは不明だが、きっと今夜はとびきりのサプライズが待っているに違いない。逸る心を抱えて、青木は彼のマンションへと急いだ。
 天にも昇る心地で彼の部屋のチャイムを押すと、薪は直ぐに出てきて青木を中に招き入れ、ニッコリと笑って青木を地獄に突き落とした。

「これまでのことは無かったことにしてくれ」
 あまりにも突然で、咄嗟には言葉が出なかった。『忘れられない夜』ってこういう意味?
 薪が自分にサプライズを用意しているとは思っていたが、それが別れ話だなんて。予想もしなかった。別離を言い渡された理由に、心当たりはまるでなかった。

「どうしてですか」
 声が震えないように気を付けたつもりだったが、やっぱり語尾が揺れてしまった。青木の視界は薄暗く曇り、立っているのが精一杯だった。
 実際に貧血を起こしそうな青木に畳み掛けるように、薪は非情に言葉を継いだ。
「ずっと後悔してた。だから全部忘れて欲しい」
 後悔――。
 薪は、自分とこういう関係になったことを後悔していたのか。
 たしかに今まで良いことばかりじゃなかった、ケンカもすれ違いもたくさんあった。でも青木はそれで薪と別れようなんて思ったことは一度も無いし、こうして彼との関係が続いている限りすべてが大切な思い出で、忘れるなんてできるはずがない。

「そんなの、無理です」
 青木が辛そうに首を振ると、薪は上目遣いに青木を見上げて、
「おまえの気持ちも分かるけど。僕だって考えに考えた上での提案なんだ。聞き分けて欲しい」
 直情型の青木と違って、薪は物事を広い視野で考えるタイプだ。恋人関係においては相手と自分の気持ちが一番大事だと青木は思うが、薪は周囲の人間に与える影響や仕事のこと将来のこと、とにかく色々なことを考えてしまう。その結果、別の道を歩んだ方がお互いのためになると判断したのだろう。

「どうしてもダメか?」
 困惑した薪の表情に、青木は心が張り裂けそうになる。
 恋人に別れを切り出されて、嫌だとダダを捏ねられるほど青木も子供ではない。同性の恋人を持つことの危険性もデメリットも、嫌と言うほど分かっている。薪が尊敬している上司に自分たちの関係を否定されてさんざん悩んでいることも知っているし、もっと現実的なことを挙げれば、薪ほどの天才が自分の遺伝子をこの世に残さないなんて世界的な損失だと思う。
 何よりも、薪がそう決心したのなら。
 自分の想いは二の次だ。彼の意向に副うよう、彼の憂いを増やさぬよう。薪が新しい幸せを見つけてくれるならそれは自分の幸せでもあると、泣き叫ぶ心を必死になだめ、青木は小さく頷いた。

「……わかりました。薪さんが、そう望むなら」
「そうか!」
 薪はパッと明るい笑顔になって、青木の手を取った。
「良かった。これは僕一人じゃできないミッションだからな」
 相変わらず勝手なひとだ。一方的に別れを切り出しておいて、自分一人じゃできないって、意味が分からない。
 それになんなんだ、この異様に明るい笑顔は。
 思ったよりすんなり別れられて、薪は嬉しいのかもしれない。でもここは嘘でもいいから寂しそうな顔をするとか、苦渋の決断だったと辛そうな顔をして見せるのが3年も付き合った恋人に対する思いやりってもんじゃないのか。
 くそ、あんなに簡単に頷いてやるんじゃなかった、などと遅すぎる反発心を抱えながらも薪の笑った顔はやっぱりかわいいと彼に見惚れている自分がいて、本当にどうしようもないのは自分自身だと青木は悟る。
 恨むだけ無駄だ。自分は、骨の髄までこのひとに溶かされてしまっているのだから。

「じゃあ今から始めるぞ」
 明らかに浮き浮きした口調で、薪は青木に笑いかけた。まるで水族館のイルカショーを見ているときのようなはしゃいだ表情で、青木の首に両腕を回してくる。
 始めるって何を、と訊こうとした青木の唇に、薪の細い指が当てられた。人差し指1本で青木の唇を封じた薪は、いつになく大人っぽく微笑んで、
「そんなに緊張しなくていい。僕に任せておけば大丈夫だから」
 ……なにを?
「食事の用意ができてる」
 ……お別れ会ですか?
「おまえの気持ちも分かるけど、何か腹に入れておいたほうがリラックスできるぞ」
 振られ男にリラックスもクソもあったもんじゃないんですけど。
 って、なんか違う。これは違う、別れ話じゃない。きっと自分はとんでもない勘違いをしている。そして多分薪は突拍子もないことを考えている。

 青木のその予感は、食事とシャワーを終え、薪に手を引かれて寝室のドアをくぐったとき確信に変わった。
 暖かな色合いの間接照明に浮かんだベッドの上に、チューリップの花束が置いてあった。薪から差し出されたそれを受け取って、青木はその可愛らしい花の中に隠された危険物を見つけ出す。小さい正方形の、周囲がギザギザになったカラフルなアルミの袋に密閉された、これはそのいわゆる大人のアイテム。
 絶対に最後の思い出とかじゃない。別れのエッチでこんな茶目っ気のあることができるほど、薪は恋愛慣れしていない。

 取り上げた花束の代わりに青木をベッドに座らせると、薪は青木のパジャマのボタンを外し始めた。いまひとつ真意はつかめないが、それでも薪が何をしようとしているのかは分かったので、いつもするように青木も彼のボタンを外そうと手を伸ばした。
 しかしその手は薪の右手に制された。
「焦らなくていいから」
 いや、別に焦ってませんけど。
「大丈夫。僕に任せろ」
 任せるも何も、薪さんいつも『好きにして』状態じゃ。
「誰だって初めてのときは緊張するだろうけど。僕を信じて」
「初めてって、何がですか?」
 その一言が、今宵の魔法を一瞬で消し去る反魂の呪文だった。

「せっかくここまで運んだのにっ! 台無しだ!」
 薪はピタリと手を止め、それまでの穏やかな微笑を消し去って、
「おまえのせいだぞ、青木!」
 あ、元に戻った。
「すみません、ちょっと詳しく説明してもらえないですか? 薪さんが何をしようとしているのか、オレにはさっぱり」
 何時間もの苦労を水泡に帰された腹立ちから、薪は投げやりな動作で床に胡坐をかき、身体を斜めにして、右ひざの上に肘を当てて頬杖をついた。
 うん、完全にいつもの薪さんだな。

「さっき説明しただろ。おまえ、納得してたじゃないか」
「何をですか?」
「これまでのことは忘れてくれって言ったら、分かりましたって頷いただろ」
 推理ドラマで名探偵が犯人を言い当てるときのように鋭く指差されて、青木は薪の言葉をしっかり理解しようと努める。
『これまでのことは忘れてくれ』、それは確かに聞いた、聞いて頷いた。それで?

「だから、今おまえは僕と付き合い始める前ってことだ」
 …………はい?
「要するに、今夜が初めてなんだ」
 そうなるのか!? 
 わからない、やっぱり薪の考えることは全然わからない!!

 ぐるぐると渦巻く疑問符が、青木の身体中を埋め尽くしている。頭の中だけじゃなくて文字通り身体中、耳の穴どころか爪の間からさえクエスチョンマークがぽわわんと浮かび上がりそうだ。
 しかし、青木は腐っても第九の捜査官。考えろ、推理しろ、薪の言動のどこかに謎を解く鍵は隠されているはず……いや、聞いたほうが早い。薪の思考経路は常人には理解できないし、青木の推測など一度も当たった試しがない。逆に思い違いをして余計なことになるのがオチだ。

「どうして今更こんな」
「どうしてって」
 怠慢にも考えるという捜査官にとって不可欠の作業を放り出して青木が疑問を口にすると、薪はそれを咎めるでもなく、頬杖を外して口を開いた。
「ずっと後悔してたって言っただろ。おまえに悪いことしたって」
 胡坐の形に広げていた両膝を立てて細い腕を回し、小学生が体育の授業のときに体育館の床に座るような体勢になると、小さな顎を膝頭につけて、薪はベッドに座ったままの青木を見上げた。

「あの時おまえ、すっごく期待してただろ」
 3年も前の、でも決して忘れられないあの夜のことを薪が口端に上らせれば、その時の自分の切羽詰った心理状態が消しようのない罪の意識と共に浮き彫りになってくる。あの件については100%青木が悪いのだから薪に恨まれていても仕方ないと思っていたのに、申し訳なさそうにしているのは何故か薪のほうだ。
「僕が年上だから、上手に導いてくれるって信じてただろ。それがあんなことになっちゃって……ずっと悪いことしたと思ってたんだ」
「悪いことしたのはオレのほうで」
 青木が謝罪しようとすると、薪は細い首を左右に振って、青木の言葉を遮った。
「僕が正直に言えばよかったんだ。年は上だけど経験は少ないって。スムーズにできる自信はないって。だけどそんなこと言うの照れ臭かったし。見栄もあって」
 そう言えば、と青木は当時の彼の矛盾を思い出す。
 薪は『僕がリードするから』とか言ってたけど、あれはリードとは言わない。青木は年上の女性とばかり付き合ってきたからよく分かっているが、彼女たちは青木の手を取って自分の身体に触れさせたり、自らの局部を押し付ける仕草によって、時には具体的な言葉まで用いて、青木に自分の身体が青木を受け入れる準備をさせる。だけどあの時の薪にはそういった行為が一切なくて、ちゃんとほぐさなきゃいけないとか慣らしてからじゃないと怪我をするとか、そういう大事なことをぜんぜん教えてくれなかった。勿論、勉強していかなかった青木が一番悪いのだが、薪のリードと言う言葉に青木が誤解させられたのも事実だ。

「だから、初夜のやり直しをしてやろうかと」

 ……何を考えているんだろう、この人は。
 そんなことをしても過去が変わるわけじゃない。自分が薪を傷つけた罪は消えない。青木はそう思ったが、すぐに考え直した。
 薪が年上らしくリードしてくれる、そんなベッドも楽しいかもしれない、てか絶対に楽しい。薪は恥ずかしがり屋で、なかなか自分から積極的に動いてくれないのだが、こういうシチュなら攻めの彼が見られるはず。

「ぜひっ! 是非お願いしますっ!!」
 青木はパッと床に膝をつき、薪の方へ身を乗り出して叫んだ。
「最初から素直にそう言えばいいんだ」
 最初からそう説明してくれれば良かったんです、などと思ったことを口に出すような愚行は犯さない。青木は黙って薪の肩に手を伸ばした。

「じゃあ仕切り直すぞ。まずはメールを」
 ……そこからですか。



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ミッション(3)

 ただいまですー。
 無事に帰って参りました。
 旅行先の海は濃霧がすごくって、せっかくのオーシャンビューが真っ白でした。 悔しかったので青薪さんのプールネタを考えました。 今度書くー。


 で、こちらの続きですね~。
 今さらですが、なんでこんな頓狂な話を書いたのかようやく思い出しました。
「消せない罪」で青木さんが薪さんをレイプしたって思ってたことを薪さんが知って、じゃあ何とかしたろってんで男爵脳が動いたんでした。 2年も経つと忘れちゃうねえ。


 ここからRなので追記からお願いします。




ミッション(3)


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ミッション(4)

 辻褄合わせの雑文、これでおしまいです。 つまんないもの読ませちゃってゴメンナサイ。 
 次の本編はこれよか幾らかマシだと思います。 よろしくです。






ミッション(4)





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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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