クッキング(1)

 新しい年が始まりました。
 本年もよろしくお願い致します。
(失礼ながら、実は昨年、近しいひとを亡くしておりまして、個人的に新年のご挨拶は控えさせていただきます)



 さて、こちらのお話は、当ブログ初のスピンオフ、雪子さんと竹内のラブストーリーでございます。
 男女の恋愛ものを書くのは久しぶりです。
 ええ、ざっと……中学校以来ですね(笑)
 大人になってから男女の恋愛ストーリーを組み立てたのは、マジで初めてですね。
 と言っても、わたしが書くものですからね。 結局はギャグにしかならないんですけどね☆


 一応注記しておきますと、
 雪子さんのお相手は、当ブログオリジナルキャラの竹内誠という男性です。なので、
 原作のイメージを大切になさりたい方、
 青×雪派及び鈴×雪派または薪×雪派の方は、ご遠慮ください。

 よろしくお願いします。





クッキング(1)




『三好先生。晩飯、付き合ってもらえませんか』
 携帯電話から聞こえてきた陰鬱な声に、雪子は内心のため息を隠して、「いいけど」と気乗りしないニュアンスを含んだ言葉を返した。

 電話の相手が待ち合わせ場所に指定してきた渋谷駅に赴き、彼を探す。
 水曜日の午後8時、駅は夜の街に繰り出そうとする人の群れでごった返している。しかし、彼を見つけるのは簡単だ。若い女の子たちがこそこそと、少し頬を赤くしながら視線を送る先にいる人物、それが彼、竹内誠警視だ。
 ハチ公像の傍、街路樹にもたれかかって腕を組み、遠い目をしている。焦げ茶色の髪は無造作に流れ、長めの襟足にふわりと落ちかかっている。眉はすっと伸びて、その下の瞳は涼やかな秋風のように澄みきって、それでいて暖かを感じさせる茶系色。鼻は高く、口元はきりっと締まっていて、顎は細い。
 何処から見ても文句のつけようがないハンサムな顔が、細身の長身に載っていれば、女の子の目線が集中するのも仕方のないことだ。それは本人の咎ではない。
 しかし。

「先生」
 竹内は雪子を見つけると、親しげに手を振って微笑みかけてきた。途端に自分に向けられた敵意ある視線の数の多さに、雪子は彼の誘いに応じたことを早速後悔する。
 もし竹内が雪子の恋人で、今自分は女性たちの嫉妬を一身に集めているというのなら、そこに優越感を抱いて自分を鼓舞することもできるかもしれない。が、この男と自分は何の関係もない。なのに、こんな陰険な目つきで見られて、しかも『なに、あの女。オバサンじゃん』『きっとお金よ。お金で言うこと聞かせてるのよ、いやらしい』って、聞こえてるわよ、そこの小娘っ!!

「何が食べたいですか?」
「チャーシューメンとギョーザ。もしくは吉×家の牛丼、特盛」
「あははっ、安く上がって助かります。でも、できればもう少し落ち着いたところで」
 落ち着きたくないからこそのリクエストだったのに。鈍い男だ。
 彼の話題は分かっている。彼の服装を見れば解る、今日はデートだったのだ。夜を待たずして自分が呼び出されたということは、つまり。

「また振られたんだ」
 駅に近い居酒屋のボックス席に落ち着いて、開口一番に核心に切り込む。無駄な時間は使いたくない。2月のこんな寒い夜は、早いところ家に戻って、ワインでも飲みながら007の続きが見たい。
「……聞いてくださいよ! 俺、別に黒髪のワンレングスが嫌いだって言ったわけじゃないんですよ」

 隣の席のOLが、こちらを見てひそひそ話をしている。店員の女性が、通り際に竹内のコップにだけ水を足していく。
「あの女」「釣りあわない」「身の程知らず」などという単語が途切れ途切れに聞こえてきて、雪子は心の中でため息を吐いた。
 だからこの男と食事に来るのは嫌なのだ。ったく、割りに合わない。男女関係のダの字もないのに、どうしてこんな見ず知らずの女性たちに陰口を叩かれなくてはならないのだろう。

「どんな髪型が好みかって聞かれたから、亜麻色のショートカットが一番好きだって言っただけなんですよ。なのに、彼女はそれをおかしな風に誤解して、亜麻色のショートカットの娘と浮気してるんでしょう、とか始まって」
 水割りのグラスを片手に、竹内はまくし立てた。浮気を疑われたのが、よっぽど口惜しかったらしい。
「それができれば苦労しな、いやそうじゃなくて。そもそも、あっちが何とかなるようなら最初からあの娘とは付き合わな、違う違う……」
 次々と運ばれてくる料理に箸をつけながら、雪子はふんふんと話を聞いてやる。
 別に自分はこの男の友人でもないし、姉でもない。彼を親身になって励ましてやる義理はないのだ。しかし、そこは性分というもので、嘆いている人間がいれば慰めたくなるし、泣いていれば涙を拭ってやりたくなる。姐御肌で面倒見がいい、だから余計に男が寄り付かない、と助手の女の子は言うが、持って生まれた性質はなかなか直らない。

「せめて黒髪のショートカットって言えばよかったじゃない。なんで彼女の髪の色にしなかったのよ」
「亜麻色が、一番きれいだと思うから」
 竹内の言う亜麻色が、特定の人物を指している事を雪子は知っている。竹内が心に隠した思い人は、雪子の友人だ。竹内は知られていないつもりでいるが、雪子にはとっくにお見通しだ。
「そう?」
「きれいです。日の光が当たるとキラキラして、宝石みたいに光るんです」
「ふーん。でもさ、髪は長いほうがきれいなんじゃないの」
「髪が短いと、ちょっと動くだけで髪の毛全体が動くでしょ? 光が飛び跳ねるみたいに輝くんです。毛先から、小粒のダイヤモンドが零れてきそうな感じで。その躍動感がたまらないっていうか」
 うっとりと夢見るような目つきになった竹内に、雪子は頭を抱える。彼女の前でこの賛辞を並べ立てたら、振られて当たり前だ。

 竹内は、何年か前から雪子の友人に心を奪われていて、そのために付き合っている女性から振られ続ける、という悲劇に見舞われている。雪子に言わせれば、自業自得だ。気になっている相手がいるのに、他の女性と付き合おうというスタンスが間違っているのだ。
 このルックスだから、大抵の女性は口説けば落ちる。しかし、問題はその後だ。口説いておきながら、いざデートの時になると、竹内は目の前の女性のことでなく、別の誰かのことを考えてしまう。いつの間にやら上の空、意識してやっているわけではないのだろうが、相手の女性にしてみれば不愉快この上ない。

「亜麻色のショートカットなんだ。あんたの好きな人」
 ぎくっと顔を強張らせ、竹内はそっぽを向いた。落ち着こうとしてか水割りを口に含み、むせそうになっている。
 竹内には、自分の思い人を雪子に知られたくないわけがある。雪子の友人であることも一つの要因だが、もっと大きな理由は、そのひとが竹内と同じ男性だからだ。
 しかし、雪子以外に『警視庁モテ男№1の竹内誠警視』が次々と女に振られまくっている事実を知っている者はいない。そんな情けない真実を広めたくない竹内としては、泣き言を聞いてもらえる相手は雪子しかいないのだ。

「詮索はしない約束だから、これ以上は追及しないけど」
 雪子は大根サラダを食べながら、空っとぼけて言葉を継ぐ。
「あんたさ。そんなに好きな相手がいるなら、他の女の子と付き合うのやめれば」
「いやですよ! 俺から女の子を取ったら、キャラ的に何が残るんですか?」
「『捜査一課のエース』が残るでしょうが」
「いりませんよ、そんな野暮ったい渾名。俺は『捜査一課の光源氏』でいたいんです。クールでスマートなプレイボーイのイメージを崩したくないんですよ」
「あんたねえ」

 呆れ果てたように雪子が肩を落とすと、竹内は、あはは、と快活に笑った。




 

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

クッキング(2)

 こんにちは。
 
 うちの看板は『R系BLギャグ小説』、しかもFC2お墨付きのAサイト指定なのに、(なんて穢れたブログ)
 健全な男女のラブコメ、しかも雪子さんとオリキャラなんて、コメいただいた何人かのウルトラマニアックな方々(失礼)しか読んでくれないだろーなー、と思っていたんですけど、
 なんと拍手が17も!

 どうもありがとうございます。
 みなさん、付き合い良いですねえ。(笑)

 
 
 



クッキング(2)





「いつもすみません、三好先生。でも、なんか先生に愚痴を聞いてもらうと、元気になるんですよね」
 
 竹内の好きな人には、恋人がいる。そのことも雪子は知っている。それは周りには知られてはいけない恋で、もちろん竹内はその事実を知らない。
 雪子の立場としては、友人の恋を守ってやりたい。だから、竹内が次の恋人を見つけられるように、こうして彼が振られるたびに彼を元気付ける役目を引き受けてきたのだが。

「まあ、あたしは美味しい物が食べられればいいけど。あんたのその癖は、何とかしないとね。自分が悪いのよ? デート中に目の前の彼女に集中するって、最低限の礼儀でしょう」
「分かってます。俺だって最初は気を引き締めてかかるんですよ。相手の顔を良く見て、褒められそうなところを探したりして。でも、どうしても考えちゃうんです」
 両手を組み合わせ、そこに自分の鼻先をつける。眼を閉じて、はあ、とため息を吐く。ひとつひとつのポーズが絵になる。ファッション雑誌の写真みたいだ。どうしてこんな男が刑事をやっているのだろう。本当に、職業を間違えたとしか思えない。

「例えば、彼女の口紅の色がこの冬の新色で、『きれいだね、よく似合ってるよ』って言おうと思うでしょ。そうすると、自然にあのひとのくちびるが浮かんできて。何もつけてないのに艶めいてて、蠱惑的で、でもちょっとあどけないところも残ってたりして、なんて魅力的なんだろうって考えてるうちに、彼女が怒り出すんです」
 過去の出来事を思い出している人間の多くが右上方を見るように、竹内もまた茶色の瞳を上方に動かし、すると完璧に整っていた俳優顔が僅かに崩れて、でも雪子はそんな竹内の顔をかわいいと思う。
 そう、割と可愛らしい顔もするのだ、この男は。

「彼女が赤いコートを着てくれば、あのひとには白が似合いそうだな、とか思ったり。香水を変えれば、あのひとからは百合の匂いがしたな、とか」
 いけ好かないカッコつけ野郎だとずっと思っていたが、こうして近くで見る機会があると、大多数の女性の意見は正しい、と改めて思う。砕けて話をしてみれば、性格もそう悪くない。
「とにかく、何を見ても聞いても、あのひとのことを思い出しちゃうんですよ。しかも、あのひとの方がずっと素敵だと思ってしまって」
「はあ。絶世の美女を探してくるしかないわね、こりゃ」
 今までの相手も、モデルだとか女優の卵だとかで、美人ぞろいだったはずだが。見慣れてしまって美的水準が上がってしまっているのか、竹内の中の『あのひと』が美しすぎるのか。

 たしかに、と雪子は友人の姿を思い出す。
 彼はとびきりの美人だ。そんじょそこらの女性では、彼に太刀打ちできない。
 白百合の花のような、可憐な佇まい。線が細いから一見大人しそうな印象を受けるが、中身はとんでもなく激しい。年を取って少しは穏やかになったようだが、本質は変わっていない。我儘で頑固で自分勝手。好きになったひとにはとことんやさしいが、嫌いな人間には果てしなく冷たい。
 竹内は捜査一課に在籍していることからも、後者のカテゴリに分類されている。その彼を好きになってしまったなんて、この男もたいがい面倒な男だ。

「無駄だと思います。実は、元ミスユニバースと付き合ったこともあるんですけど。やっぱりダメでした」
「もういっそ、精神科に診てもらえば? 催眠術かけてもらうとか」
 雪子の冗談に竹内は笑って、雪子と同じ皿から大根サラダを自分の箸で取った。
「造作的に彼女が負けてるわけじゃないんです。どっちに心を惹かれるか、なんですよね。容姿にだけ惹かれてるわけじゃないから、だからあのひとの方が好ましく見えてしまうんでしょうね。
 仕事してるときとか、男友達とつるんでるときは平気なんですよ。女性を見ると、連想されちゃうみたいで」
「ふうん。厄介な症状ね」
「まったく、これじゃ誰とも」
 そう言いかけて、竹内はふと気付いたように、
「あれ? そういえば、先生といるときは、あのひとのこと考えてないです」

「はあ? なに言ってんの。たった今、『あのひと』について力説してたじゃない」
「そうじゃなくて。先生とあのひとを比べてみたことはないな、って。なんでだろう?」
 その理由は、すぐにわかった。だが、口に出すのはためらわれた。屈辱的な理由だったからだ。
 しかし、目の前で考え込む人間がいて、自分がその解答を知っていれば、教えてやらずにはいられないのが雪子の性格だ。墓穴だと知りつつも、雪子は言った。

「……それって、あたしを男友達だと思ってるってことじゃないの?」
「ああ、そうか。なるほど」

 なるほどじゃねえよっ!!
 軽く手を合わせて素直に納得する竹内に、雪子はあからさまに舌打ちする。「すいません、チューハイ追加!」と大きな声で店員を呼んで、さらに堅焼きそばとエビチリと肉じゃがを追加注文した。
「相変わらず見事な胃袋ですね。俺にもイモください」
 上品に箸でつまんで、取り皿に分ける。一緒に食事をするたびに思うのだが、竹内は、箸の使い方がとてもきれいだ。親のしつけが良かったのだろう。
 じゃが芋と絹さや、人参を2切れ確保し、竹内の箸はそこで止まった。

「なに見てんのよ」
「いや。一生懸命だなあって思って」
 ふわっと笑って、竹内は雪子を見つめた。反射的に早くなる心臓の鼓動を意識して、雪子の肩が強張る。
 竹内に、一度もときめいたことがないと言えば嘘になる。ハンサムな男の人がいれば自然に目が行くのが女の本能。その男に笑い掛けられたり接近されたりすれば、ドキドキして当たり前だ。愛とか恋とか、そんな高尚なものではなくて、これはもっと原始的なものだ。

「先生みたいに一生懸命に食べる女の人、俺の周りにはいないから。めずらしくて」
「仕方ないでしょ。あたし、これ以外楽しみないんだから」
「どうしてですか? 先生は大食らいで色気はないけど、見た目はそんなに悪くないし。うまく騙せば、恋人くらいできますよ。俺の友人は紹介できませんけどね、恨まれちゃいますから」
 竹内のリップサービスは、女の子限定だ。雪子はその対象外。本音でズバズバ切り込まれる。菅井の男版、と言ったところだ。

「あたしが恋人作ったら、あんたの愚痴は聞いてあげられなくなるけど?」
「あ、それは困ります。先生はやっぱり、仕事と食事に生きてください」
「言われなくてもそうする、てか、それ以外できないわよっ、どうせ!」
 雪子が逆切れすると、竹内は机に突っ伏して笑った。よっぽど可笑しかったのか、ひーひー言っている。捜一の光源氏が聞いて呆れる、クールなプレイボーイはどこへ行ったのやら。

「ちょっと、あんた笑いすぎ」
「先生見てると、安心するんですよ。ほら、失恋すると落ち込むじゃないですか。でも、世の中にはこんなに寂しい人生送ってる人もいる、俺なんかまだまだ幸せな方だって」
「捜一の光源氏のお役に立てて光栄ですことっ! オホホホホ!!」
 竹内が本当は誰に惚れているのか、署内に怪文書で回してやろうかしら。

「でも俺、本当に先生には感謝してるんですよ」
 美味しそうに煮えたじゃが芋を箸で割って口に運びながら、竹内は急に真面目な口調になった。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

クッキング(3)

クッキング(3)





「先生にこうして話を聞いてもらうようになって、3年くらい経ちますけど。ずい分、慰めてもらったなあって」
 
 竹内はエリートで、仕事もできるし女性にもモテる。彼のような人間は、中々他人に弱音を吐く事ができないものだ。
 そんな彼が、雪子を相手に失恋の憂さを晴らすようになったきっかけは、3年前のクリスマスイブ。
 ある男性と食事をしていたら、その男性は雪子を置いてレストランを出て行ってしまった。実際は雪子がそうしろと言ったのだが、傍目から見れば、『クリスマスイブに男に振られた可哀相な女』の構図だ。人からどう見られようとさほど気にならない雪子だが、たまたま同じレストランに竹内がいて、一部始終を目撃されてしまった。

 嫌なやつに見られた、と雪子は思ったが、竹内も彼女に振られた直後だと言う。そんな理由でその晩は意気投合して、一緒に食事をした後、助手の女の子にもらったコンサートのチケットを捨てるのももったいないから、とイブの夜を共有したのだ。
 クリスマスイブというロマンチックな夜に、しかし話題は失恋話。それも竹内の失敗談を延々と聞かされた。
 自分の前で情けなく愚痴る男を、なんだかどこかで見たような光景だわ、と思いつつ、面倒見のよい雪子は相槌を打ちながら彼の話を聞いてやったのだ。

 自分の愚痴を誰かが親身になって聞いてくれるという癒し。それに味をしめたのか、それからは彼女と別れるたびに、雪子を呼び出しては一緒に食事をする、というパターンが定着していた。途中、竹内が火災による事故で大怪我をして何ヶ月も入院したり、という中断はあったものの、この秘密の会合は多いときで1月に2回、間が空くときで3月に1回くらいの割合で繰り返されてきたのだ。

「先生に話聞いてもらうと、元気出るんですよね。先生、俺の愚痴、一生聞いてくださいね」
「いいわよ。その代わり、食事はあんた持ちね。3回に1回は中華にして。ラーメン屋でもいいから」
「あはは、ラーメン屋って中華料理に入るんですか?」
「あたしの中では立派な中華料理よ」
 雪子の庶民的な主張に竹内はひとしきり笑って、
「俺、一人っ子なんですよ。だからずーっと、こんな風に相談できる兄貴が欲しくて」
「ちょっと、兄貴ってなによ。あんた本気であたしの性別間違ってんじゃないの!?」
「あ、すいません。つい本音が。俺って嘘のつけない性格で」
 形の良い唇から、次から次へと出てくる軽口を聞いて、雪子は彼の心が元気になったことを知る。
 これで今夜の自分の役目は終わった。後はこの料理を平らげて家に帰ろうと思った矢先、竹内が妙なことを言い出した。

「先生。今度の日曜日、俺と遊びに行きません? 遊園地なんかどうですか?」
「なんで? 土曜の夜に振られる予定でもあるの?」
 雪子の切り返しにアハハと笑って、竹内はテーブルの上に身を乗り出す。腕を組んで、雪子の顔を下から覗きこむように、
「この2ヶ月で5人もの女の子と付き合ったら、ちょっと疲れちゃって。久々に男友達と過ごしたい気分なんですよね」
 ……この男、本気であたしの性別誤解してるんじゃ。

「じゃあ、男友達を誘えばいいでしょ」
「ダメですよ、休日に男を誘うなんて。『光源氏』の名折れです。その点、三好先生は生物学的には一応女性ですから」
「あたしを女性だと認識するのに、生物学からのアプローチが必要なわけ?」
 引き攣った笑顔で唐揚げを頬張る雪子を見て楽しげに、竹内は水割りを飲み干す。グラスを上げて店員を呼び、お代わりを頼むついでに雪子にもオーダーの確認をする。言うことは失礼極まりないが、よく気がつくし、けっこう優しい。

「三好先生って、見た目はイケルでしょ。俺の眼から見ても、ぎりぎり合格ラインだと思いますよ」
 どうだろう、この傲慢な言い方。ギリギリで悪かったわね、と返す間もなく、竹内は次の攻撃を繰り出してきた。
「でも、ぜんっぜん口説く気にならないんですよね。つまり、俺にとっては女じゃないんですよ」
 女じゃないってどういうことよ! 生理はまだ上がってないわよっ!!
 さすがにそのセリフは飲み込んで、もう少し婉曲な言い回しを考える。要は、自分が女だということをこの男に分からせればいいのだ。脱いで見せるという方法はダメだ、生物学的見解では雪子のプライドは治まらない。

「三好先生が女らしいことをしてるところが想像つかないっていうか……例えば料理とか。先生、できないでしょう?」
「できるわよ、料理くらい」
 反射的に口から出たウソを、雪子は後悔しない。できないでしょう、と決め付けられて、『はい、できません』なんて言えるほど可愛らしい性格はしていない。

「本当ですか? じゃ、日曜日、お弁当作ってきてくれます?」
 ……オベントウってどんな生き物だっけ。尻尾は何本だっけ、空は飛べるんだっけ。
「任せて。リクエストはある?」
 できればカップラーメンかレトルトカレーで……。
「三好先生の得意なものでいいです。食べ物の好き嫌いはありませんから」
「そう言われると迷っちゃうわ。和食も洋食も中華も、何でも得意だから」
 傷つけられたプライドが言わせるのか、女の意地か。見栄のために二枚目の舌を使ったことなどなかったのに。

「楽しみだなあ」
 両手で頬杖をついて、竹内は無邪気に笑った。
 にかっと子供みたいに笑う、それは雪子だけが知っている彼の顔。男友達は知っているだろうけど、きっと女の子たちは知らない。
 スマートで都会的で、女性なら誰もが酔わされる甘いマスク。洗練された会話にお洒落な演出。女性の前ではそのスタイルを崩さない竹内の舞台裏は、普通の女性では見ることができない。

 今、感じているこの気持ちは、なんだろう。
 優越? それとも、女性扱いしてもらえないことに対する落胆?

 どちらも自分が感じる必要のないものだと考えて、しかしざわめく気持ちを抑えることができない。
 ハッキリしないのは苦手だ、曖昧なものからは誤解や錯誤が起こる。だけどハッキリさせるのも何故か怖いような気がして、雪子はいつもその感情を気づかない振りでやり過ごす。

「先生。携帯鳴ってますよ」
 竹内に言われてバックを見ると、中の携帯が震えていた。マナーモードにしておいたのに、刑事の眼は鋭い。
 電話に出てみると、12歳年下の第九職員だった。
「どうしたの? 何か急用?」
 公衆電話のある位置に移動しながら、雪子は小声で尋ねた。この男が自分に連絡してくるときは、恋人、つまり竹内の想い人とのトラブルと相場が決まっている。内容を竹内に聞かせるわけにはいかない。

『三好先生、今から会えますか?』
 しばらくぶりで聞く彼の声は、落胆を滲ませた涙声。自分の感情に素直な彼の声を、雪子の耳は心地よく聞く。自分の気持ちをストレートに表に出せるのは、彼の一種の才能だと思う。

「悪い、竹内。ちょっと友達がトラブっちゃって」
 席に戻ってみると、竹内は帰り支度を整えていた。テーブルの端に置かれていた伝票もなくなっている。敏いというか、気が回るというか。薪といい勝負だ。
「俺、そろそろ帰ります。明日も仕事なもんで」
 相手に気遣わせない細やかな心配り。これくらい気働きが出来ないと、光源氏は務まらないのかもしれない。

 じゃあまた、と手を上げて去っていく竹内の後姿を見ながら、雪子は数十分後にここに来るであろう男のことを考える。

 トラブルの原因は分からないが、どうせまたつまらないことに決まっている。なんのかんの言ったって、あのふたり、相思相愛なんだから。放っておいても元鞘に収まるだろう。自分は少し、口と手を貸すだけ。
 そうでなくては、困る。
 去年の夏、久しぶりに悔し涙以外の涙を流した。あの涙が無駄になる。

 テーブルの上に残っている料理を眺め、ふと雪子は思う。
 竹内が食べたのは、肉じゃがと鮪の生姜煮と揚げだし豆腐。大根サラダに卵焼き。エビチリや堅焼そばには箸をつけなかった。これまでの傾向からも察するに、彼の好みは和食か。
 そんなことを思って、雪子は自嘲する。日曜日の遊園地なんて、あれはその場のノリというやつだ。その証拠に、約束の場所も時間も決めなかった。だから彼の好みをリサーチする必要はない。

 やがて電話の相手が現れて、雪子の前に腰を下ろした。ビール好きの彼は店員に中ジョッキを注文し、ハイペースで飲み始める。
 190近い長身の、黒髪に黒い瞳。スクエアなチタンフレームの眼鏡にオールバックの落ち着いた髪型。竹内とは正反対のタイプだが、十人並みの容姿は軽く超えている。

「すいません、チューハイお代わり」
 通りかかった店の女の子に声をかけるが、あからさまに無視された。隣の席のOL集団が、ひそひそと「ちょっと、別の男よ?」「うっそ、二股? ありえない。しかもカッコイイ」「何様よ、あのオバサン」だから聞こえてるっつーの!!

「聞いてくださいよ、三好先生。薪さんたらひどいんです!」
 
 いつものように愚痴り始めた男の言葉を聞きながら、雪子は大儀そうに腕を組んで椅子の背もたれに寄りかかった。


*****

 このときの薪さんと青木くんのケンカの顛末は、『サインα』というお話に書いてあります。
 よろしかったらどうぞ(^^



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

クッキング(4)

 こんにちは。

 うちのお話はですね、薪さんに幸せになって欲しい、と願うひとりのオババが、原作から彼の障害をひとつひとつ取り除いて出来上がったものなんですけど。

 例えば、
 薪さんが青木さんへの恋に悩むなら、青木さんの方から薪さんに恋をすることにしよう。
 薪さんが雪子さんへの罪の意識に苦しむなら、雪子さんと薪さんは親友で、お互いを大事に思い合っていることにしよう。
 薪さんが雪子さんに気兼ねして、青木さんへの気持ちを殺そうとするなら、雪子さんには別の相手を用意しよう。

 他にも、
 薪さんが孤独を感じるなら、第九の皆が薪さんを好ましく思っていることにしよう。
 薪さんが職務上の重責を一人で負わなければならないなら、岡部さんとの間に強い絆を作ろう。
 薪さんが警視総監に責を問われるなら、強い権力を持った庇護者を作ろう。

 てな調子で、どんどん彼に都合の良い設定を作っていったわけです。
 だから、うちの薪さんは瞬く間に幸せになれるはずで、おやあ?
 いや、この設定を有効に使えない男爵が悪いんであって、わたしは悪くな……すみません……。
 
 とにかく。
 竹内は最初から、雪子さんのお相手として作ったキャラなんですけど。
 原作にもこんなふうに、雪子さんをさらってくれるキャラがいたら、薪さんももっとスムーズに雪子さんの婚約を祝う事ができただろうに、と思、あれっ!?
 うちの薪さん、バリバリ引っ掛かってんじゃん!!
 薪さんが二人の障害になってんじゃん!(『女神たちのブライダル』参照)
 
 仲が良すぎてもダメなんですね。(笑)
 





クッキング(4)





 朝のミーティングの30分前、法一の自席で雪子は頭を抱えていた。
 机の上には死体検案書の山が築かれており、片肘を付いて手のひらを額に当てる彼女の姿は、他人からは徹夜仕事に疲れたキャリアウーマンの姿にも見えたが。

「お疲れのようですね。また徹夜されたんですか?」
 執務机の上に置かれたコーヒーに礼を言おうとして、それを差し出したのが助手の女の子の手ではないことに気付く。これは男性の手だ。白くて清潔な、医療に携わるものの手。
「ええ、まあ」
 眼を上げると予想通り、白衣に身を包んだ男性の姿があった。
「仕事熱心なのはいいけど、あんまり無理しないでくださいね。徹夜は肌によくないですよ」

 雪子の憔悴の原因を仕事だと決め付けて疑わないお人好しの彼は、法一の同僚で風間という。雪子と同じ監察医で、3班のチーフを務めている。1班のチーフを務める雪子とは同じ責任者同士、何かと接触の多い人物だ。
 風間の家は代々医者の家系だそうで、彼もそれに相応しく品の良いインテリと言った風情だ。実際、育ちもよいらしく、実家の資産も相当あるとかで出世競争にあくせくする様子はない。おっとりした性格で丁寧な研究をする、少々せっかちな雪子には学ぶところが多い尊敬すべき人柄だ。
 広く秀でた額と銀縁の眼鏡が、いかにも賢そうに見える彼に微笑みかけて、雪子は素直に礼を言った。

「ありがとうございます。気をつけますわ」
 こういう人物と相対すると、こちらも自然と身を正してしまう。同僚とはいえ彼は雪子より5歳年上、職場では目上のものに敬意を払い、丁寧な物言いをするのが当然だ。
「でも、実は今日は」
「おはようございまーす」
 ドア口から明るく響いた挨拶の声で、雪子の言葉は遮られた。声の主は雪子の助手の菅井祥子。彼女はいつも元気だ。

 菅井の姿を認めると、風間は雪子ににこりと笑いかけて部屋を出て行った。3班の部屋に戻るのだろう。
「おはようございます、雪子先生。風間先生がお見えでしたけど、なにか用事……」
 入れ替わりに雪子に近付いてきた菅井は、風間とはまるで反対の態度で、
「うっわ、先生、お酒臭い。サイテーですね、二日酔いで酒臭い30女なんて」
 いつにも増して辛辣な助手の攻撃にも、反撃する気力が起こらない。菅井の見解が事実だったことと、二日酔いによる頭痛が半端なかったこと、さらには彼女の暴言などどうでもいいくらいの深刻な悩みを、その時の雪子が抱えていたからだ。

 その電話はついさっき、雪子が法一のドアをくぐったときに掛かってきた。
『先生、昨夜はどうも』
 彼の声を聞いて、雪子はひどい疲労感に襲われた。昨夜の出来事が、走馬灯のように脳裏に甦ってきたからだ。
 昨夜はめっぽう忙しかった。
 竹内と居酒屋で飲んで、次に青木に会って彼をホテルに連れ込んで、彩華を呼び出して青木にお灸を据えて、それから薪の家に行って飲み会をやって、最終的には彩華と二人、自宅マンションで朝まで飲んだ。登場人物のうち女性は雪子ひとりで、状況説明だけ聞くとイケイケの発展家みたいだが、現実には色気のイの字もない。一夜が明けて雪子に残されたのは、二日酔いの苦しみだけだった。

 電話は、一番最初に会った男からだった。
『日曜日のことなんですけど。先生さえ良かったら、×××園に行きませんか?』
 咄嗟に断りの言葉が出てこなかったのは、止まらない吐き気のせいか、じりじりと焼ける胃のせいか。
 雪子が口ごもっていると、電話の向こうから『はい、今行きます』という彼の声がして、すぐに慌てた口調で、
『チケットは俺が用意します。10時に正門の前で待ってますから。お弁当、楽しみにしてますね』
 言いたいことだけ言って切ってしまう彼は、捜査一課のエース。おそらく、事件のことで課長にでも呼ばれたのだろう。仕事ができる人間ほど忙しい、警察はそういうところだ。

「ひっどい顔ですねえ。ちょっと来てください、目の下のクマだけでも隠さないと。死体と間違われて解剖されちゃいますよ」
 動くのが億劫でたまらない雪子の腕を無理矢理に引っ張って、菅井は化粧室へ雪子を連れ込む。体つきは小さいが、力はあるらしい。「ある」と言い切れないのは彼女が、実験に使う液体窒素のボンべ(40キロ)は軽々と運ぶのに、男性の前では重い荷物が持てなくなるという特性を持っているからだ。

「先生。30過ぎたらお化粧に手を抜いちゃダメですよ。女が身だしなみを忘れたら、オバサン一直線ですからね」
 自称恋愛マスターの菅井は、毎日のように雪子にこんな説教をくれる。余計なお世話だと思うが、菅井が本気で自分の身を案じてくれていることは知っているから、黙って聞くことにしている。
「それじゃなくても先生は、女らしいこと何にもできないんですから、せめて見た目くらい取り繕わないと。ますます男が寄り付かなくなっちゃいますよ」
 自分で言うだけあって、菅井は女としては上等の部類に入る。少し前に流行った言葉で、「ステキ女子」というやつだ。常にメイクは完璧だし、寝癖をつけたまま出勤してきたこともない。外見だけでなく、内面の努力も怠らない。仕事をきっちりこなした上で、料理や生花も習っているし、着物の着付けもできる。女を磨くことに関しては、雪子よりも遥かに努力家なのだ。

「スガちゃん、ちょっと頼みがあるんだけど」
 助手の有能さを認めて、雪子は遠慮しながら申し出る。日曜日の一件は、自分だけの力では解決できない。誰か助っ人を頼まないと。
「なんですか?」
「料理を」
 言いかけて、雪子は菅井がどんな反応を示すか考える。
 日曜日に、竹内と一緒に出かけることになって、お弁当を作らなきゃいけない。内情はどうあれ、竹内は署内1のモテ男だ。そんなことを不用意に菅井の前で言おうものなら、どんな騒ぎになるか。

「久しぶりにスガちゃんと一緒に作った料理が食べたいなあ、なんて。今週の土曜の夕飯とか、日曜日の朝食とか、どうかな?」
「無理に決まってるじゃないですか、土日なんて」
 チークとファンデーションを重ねて上手に目の下の黒ずみをカバーしながら、そのやさしい手つきとは掛け離れた冷たい口調で、菅井は雪子の頼みを一刀両断にした。
「だって、今日はもう木曜日ですよ? 今日の時点で週末の夜に予定のない女なんて、世界中探しても雪子先生だけですよ。先生って本当に、独りで年老いて誰にも知られずに死んで3年も発見されずに屍蝋化した老人よりも孤独な人生送ってますよね」
 ちょっと待って、あたしをどこまで孤独な女にすれば気が済むの、この娘。

 そこまで言われたら、とても頼みごとをする気になれない。百歩譲って頼んだとして、雪子が2人分の弁当を作らなければならない理由を追求されたら、隠しきれるかどうか不安だ。仕事のことならいざ知らず、菅井はこういうことには鼻が利くのだ。
「あ、ところで、風間先生の用事ってなんだったんですか?」
「あー、なんだろう。特に何も言われなかったけど……ぶらっと寄ったんじゃないの」
「そんなヒマなひとは法一にはいません。きっと何か頼みたい仕事があったのに、雪子先生がお化けみたいな顔してるから言い出せなかったんですよ」
 ここまで言われて頭を下げたら、本当のバカだ。

 菅井に頼れないとなれば、雪子の知る限りで料理の達人はあと一人しかいない。昨夜も彼の手料理をご馳走になったが、恒常的に料理をふるまう相手ができたせいか益々腕を上げて、この料理が毎日食べられるのなら彼の家の飼い犬になってもいいと、思わず人間の尊厳を忘れそうになった雪子である。
 ただ、これもまた複雑な事情の絡む人物で、竹内と一緒に出かけることを打ち明けるわけにはいかない。彼は竹内の思い人そのひとなのだ。
 しかし、彼は竹内の想いにはまるで気付いていないどころか、竹内のことを蛇蝎のように嫌っている。友人である雪子が竹内と共に休日を過ごすことを知ったら、凄まじい勢いで怒り出し、竹内のところに怒鳴り込むに違いない。
 
 トラブルに発展する危険性はあるものの、縋る糸は一本しかない。それに、彼は雪子にはいつもやさしいし、詮索好きでもないから、雪子が頼めば詳しい事情を聞かずとも協力してくれそうだ。彼はとても忙しい男だから頼むのも気が引けるのだが、口頭でもいいから教授してもらえればその場でレシピを作成して、あとは自分で何とかしよう。
 彼の仕事が落ち着く時間まで待って、雪子は第九研究室を訪れた。彼はここの室長を務めている。

「作り直せ! 何年この仕事をしてるんだっ!!」
 自動ドアをくぐると同時に聞こえてきた罵声に、雪子は足を止める。折りも悪く、鬼の室長が糸目の部下の顔に書類を投げつけたところだった。
 どうやら仕事の真っ最中だったらしい。研究所が定めた退室時刻は1時間前に過ぎているが、ここでは薪が法律だ。第九の労働基準法は薪の匙加減で左右され、それに逆らうことは許されない。
 これはまずい。出直してこないと。

「あ、三好先生、こんにちは!」
 そっと後ずさりする雪子を目ざとく見つけた曽我が、必要以上に大きな声で雪子の存在をアピールした。ハッとしてこちらを見た薪の顔が、厳しい室長の顔から大切な友人に向けられるやさしい顔になる。雪子にだけは甘い薪の特性を、咄嗟に同僚の救済に利用するとは、曽我はけっこうちゃっかりしている。

「提出は明日まででいい。犯行の動機について、もう少し詳しく頼む」
 先刻とは別人としか思えない穏やかな口調で小池に言うと、薪はにっこりと微笑みまで浮かべてこちらへ歩いてきた。
「雪子さん、昨夜はどうも。僕に何かご用ですか?」
「うん、ごめんね、薪くん。忙しいところ悪いんだけど、ちょっとお願いがあって」
「僕にできることなら何でも」
 内容を聞く前から承諾を約束するのは、薪が雪子に絶対の信頼を寄せているからだ。雪子のおかげで今日の自分があるとまで思っている薪は、彼女のためなら自分の立場が危うくなることまでしかねないが、雪子は決して薪の負担になるような頼みごとはしない。そして雪子もまた、薪の信頼を裏切ったことは一度もなかった。

 薪にいざなわれて室長室へ入り、カウチに腰を下ろす。隣に腰掛けた薪の顔は、完璧に整ったマスコミ仕様の笑顔ではなく、心を許した一握りのひとにだけ向けられる特別な笑顔だ。相も変わらず、妬ましくなるくらいかわいい。
 時を置かず、曽我が室長室へ紅茶を持って入ってくる。香りでわかる、F&Mのダージリン。この頃すっかり第九とは疎遠になってしまっていたのに、まだ雪子の好みの銘柄の紅茶を置いてくれている、その事実に胸が暖かくなる。一番若手の青木にではなく、曽我に紅茶を運ばせたのだって薪の指示だろう。薪は自分に気を使っている。

 薪は昔からそうだった。
 表向きは暴君ともいえるくらい我儘で自分勝手なのに、裏では色々と気を使って手を回して。心から大切に思う人々を守るための努力は、決して怠らない。薪がどんなに彼らを愛しているか、雪子は知っている。
 それなのに、薪が一番大切に思っている肝心要の男は、つまらない嫉妬心にいつまでも囚われて。あんまりふざけたことを言うから頭に来て、昨夜はキツクお灸を据えてやった。あれで眼を醒ましてくれると良いのだが。

「それで、雪子さん。僕に頼みって?」
「あ、うん。その……」
 薪に訊ねられて、雪子はここを訪れた本来の目的を思い出す。
 思い出して、柄にもなく緊張している自分を自覚し、気持ちを静めるために曽我が淹れてくれた紅茶を飲み干した。



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クッキング(5)

クッキング(5)




 長年の友人である女性の口元を、薪は訝しげに見つめていた。
 質問が聞こえなかったのかと思うほど、雪子の取った間は長かった。紅茶を飲み干し、更には空になったカップを弄り回している。

「雪子さん?」
 再度、薪が声を掛けると、雪子はカップとソーサーをカシャンと触れ合わせ、その音にびっくりしたように短い髪を揺らした。赤いルージュを塗った唇が開く。

「お、お弁当が必要なの」
「お弁当?」
「日曜日に、友だちと遊園地に行くことになって、お弁当を持っていく約束をしちゃったの。で、薪くんに」
 なるほど、そういうことか。
 雪子は図々しく見えて、本当は気遣いのできる女性だ。必要に迫られて止む無く薪の手を借りたいと思っても、薪の忙しさは承知しているだけに言い出しづらかったのだろう。

「いいですよ。朝の何時までに、何人分用意しましょうか?」
「あ、そうじゃなくて、その」
 再び言葉を途切れさせる彼女の様子を、薪は不思議に思う。
 慎重な問題ならともかく、気風の良い姐御肌の彼女との日常会話が、こんなに詰まったことはない。いつも打てば響くようなのに。今日はどうしたことだろう。

「つ、作り方を教えて欲しいの。自分で作りたいから」
「えっ!?」

 作る? 雪子が、弁当を作る!?
 いや、そこまではいい。しかし、彼女が弁当を作るということは、日曜日に会う友人とやらは、それを食べさせられるわけだ。
 雪子の料理と言ったら、その破壊力は凄まじい。昔、鈴木に手料理を食べさせてやりたいという彼女に協力して、一緒に料理をしたときのことを思い出して、薪は身震いした。
 一口味見をしただけで、気絶しそうになった。何故限られた材料しか鍋に入っていないのにこんな味になるのか、見当もつかなかった。鍋の中で、なにかとてつもない化学反応が起こって、この世のものではない物質に変化している――――― そう確信した薪は、雪子のスキを見て足元の醤油瓶に躓いたふりで、危険物をディスポイザーに投入することに成功した。我ながらいい仕事だったと思う。

「えっと、雪子さんの得意料理の鍋と刺身は、どっちもお弁当には不向きでして。プチトマトとかブロッコリーとか、サラダ的なもので何とか」
 雪子のプライドを傷つけないように、薪は慎重に言葉を選んだ。しかし雪子は、薪のアドバイスを受け入れてくれる気はないようだった。
「和風のお弁当がいいかなって。魚の照り焼きとか、煮物とか、炊き込みご飯とか」
「えっ! 調味料が必要なものを作るんですか!?」
 死人がでる!!

「分量は2人分。法一の友だちと一緒だから」
 家族連れで賑わう日曜日の遊園地、そこに響き渡る救急車のサイレン。担架で運ばれる雪子の友人と、それに取り縋る雪子の姿が眼に浮かんだ。
 ……雪子に殺人の容疑がかかったらどうしよう。僕は彼女の無罪を証明できるだろうか。料理が一部でも残っていたらアウトだ、決定的な物証になる。

 頭の中に繰り返される光景と、どこからともなく聞こえてくる般若心経に眩暈を覚えながら、薪は必死に考えた。
 弁当箱にバイオハザードのシールを貼っても、この被害は防げないだろう。ここは自分が一緒にいて、悪魔の化学変化を防がなければ。

「作り方を教えてくれればいいの。ネットで料理本も読んだんだけど、よくわからなくて」
 医学書よりも料理本は難しいと、首を捻っていた昔の彼女を思い出して、薪は懐かしい思いに囚われた。と同時に、ある疑問が首をもたげる。
 女性が突然料理を作りたがるというのは、ある種の疑いを生じさせる。つまり、彼女はその料理を誰に食べて欲しいのか。その誰かというのは、特別な相手ではないのか?

「料理は実践あるのみですよ。よろしかったら、僕が直接お手伝いに伺います。日曜日は早いんですか?」
「10時に待ち合わせだから、9時には家を出ないと」
「じゃあ、朝の7時に雪子さんのところへ伺いますね。材料は、用意しておいてもらえますか?」
「うん。よろしくね」
 肩の荷が下りたというように頬を緩め、雪子は礼を言って室長室を出て行った。

 彼女を見送って、薪は執務机に頬杖をつき、しばし考えを巡らせる。
 雪子は、法一の同僚と一緒に遊園地に行くと言っていた。彼女が自分の手料理を食べさせたいと思う人間が、法一の中にいるということだろうか。
 もしもそうだったら。

 雪子には幸せになってもらいたい。が、薪はそれを彼女に伝えることはしない。その資格が、自分にはないことが分かっているからだ。
 彼女の婚約者を殺し、彼女の幸せのすべてを奪い、彼女の青木に対する気持ちを知りながら青木のことを受け入れた。青木とは充実した時を過ごしているけれど、ずっと罪悪感はある。僕たちがこうしていることで、きっと雪子さんは泣いている。
 昨夜だって、本当は辛かったのかもしれない。初めて会った雪子の友人の強烈なキャラクターに当てられて、ついつい当て付けるようなことをしてしまって。酒の席のこととはいえ、傷つけてしまったかもしれないと後で気付いた。

 そんな彼女にもしも、青木以外の思い人ができたなら。彼が雪子を愛しく思い、彼女を幸せにしてくれたなら。どんなにかうれしいことだろう。

 心の底で安堵している自分に気付いて、薪は羞恥に頬を染める。
 純粋に彼女の幸せを願うのではなく、自分の都合のいいように運べばいいと、恥知らずにも僕は思っている。万が一にも彼を奪られたくないと、そう思っている。

「ごめんなさい、雪子さん」
 眼を閉じて口中で呟き、薪はひっそりと誰にも届かない謝罪を繰り返した。



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クッキング(6)

 この章が山場ですね。
 だって、題名が『クッキング』ですからね。(^^




クッキング(6)




 日曜日、雪子は6時に目を覚ました。
 休日に6時起きなんて、何年ぶりだろう。鈴木と休日を過ごしていたころは早起きして出かけることもあったが、彼を失ってから、休日の朝を雪子と一緒に過ごしてくれる人はいなくなってしまった。
 
 洗顔を済ませてから台所へ向かう。いつもはゴミ屋敷のような台所も、今日はきれいに片付いている。季節外れの大掃除は、土曜日の朝から晩まで掛かった。
 昨日のうちに揃えておいた食材をテーブルの上に並べて、友人の到着を待つ。久しぶりに過熱面を現したクッキングヒーターに、お湯を沸かすという本来の役目を割り振ると、自分が物置ではないことを主張するかのように、ヒーターは勇んで過熱を始めた。

 薪が来る前に下準備をしておこうと思い立ち、雪子は食材を見渡した。
 今日、これを食べるであろう人物は、和食好きと見た。それに合わせてメニューを考えた。寒い季節に美味しくなるブリ、唐揚げ用の鶏肉、筑前煮に使う根菜ときのこ。調味料も一揃い買い求めた。家にあったものはコチコチに固まって、使い物にならなくなっていたからだ。
 まずは材料を洗おうと、シンクに水を溜めた。水を流しっぱなしにして洗い続けること10分。チャイムの音が鳴って、頼りになる友人が姿を現した。

「リクエストは和風のお弁当でしたよね。さあ、ちゃっちゃと作っちゃいましょう」
「ありがとう。材料は洗い上げておいたから」
 水気を切るためにザルに上げておいた食材を見て、腕まくりをする薪の手が止まった。彼のきれいな笑顔が、引きつったように見えたのは気のせいだろうか。

「あの、雪子さん。魚の切り身を洗うときは、タワシでゴシゴシ擦るんじゃなくて、手でやさしく洗ったほうが、より美味しくなるかと」
「やだ、そんなことするわけないじゃない。ちゃんと手で洗ったわよ」
「えっ。じゃあ、どうしてこんなに身がグズグズに? あっ、野菜も……葉物は全滅か。根菜類は何とか。えっと、あと無事な食材は」
 台風が直撃した畑を見舞うような深刻な表情で、食材を手にとって考えを巡らせる薪を見て、雪子は少しだけ不安になる。生の食材はみんなやわらかくて壊れやすくて、だから洗うと砕けてしまうのは当たり前だと思っていたけど、もしかしたら違ったのかも。

 雪子が心配そうに薪の様子を伺っていると、それに気付いた薪はニコッと笑って、
「いいんですよ、雪子さん! どうせ食べるときは一口サイズに切るんですから。初めから切ってあったほうが親切ですよね、小さめの方がお弁当箱には詰めやすいしっ」
 早口で、不自然に力の入った口振りで、薪は雪子の不安を払拭する。マイ包丁を片手に握り、素早く材料を刻み始めた友人に、雪子は頼もしさとありがたさを覚える。料理上手の友だちがいて助かった。

 薪の手は魔法のように動いて、次々と美味しそうな料理が仕上がっていく。そのままでは食べることのできない食材が見事な料理に生まれ変わる様子は、魔術か錬金術か。
 むかし、鈴木のために料理を覚えようと頑張ったこともあったが、何故か料理教室のほうから、月謝は返すからもう来ないで欲しいと頼まれた。それ以来、包丁を握ったことはない。
 若い頃は、包丁なんかなくてもメスがあるわ、と茶化すこともできたが、この年になるとそうもいかない。この機会に簡単な料理くらい、作れるようになっておかなくては。

「薪くん、あたしにも何か仕事ちょうだい」
「はい。じゃあ、ブリの水気をキッチンペーパーで拭き取ってもらえます? 照り焼きのたれは僕が」
『グシャッ』(雪子の手の中で魚が潰れる音)
「やっぱり僕がやります。牛蒡と人参を千切りにしておいてもらえますか?」
『どかん! ばこん!』(雪子の包丁の音)
「雪子さん、まな板は割らないで、あっ、それじゃ千切りじゃなくて乱切り……いいや、根菜の煮物にしよう。あとは僕がやりますねっ。唐揚げ用の鶏肉に塩を振っておいてください」
『ザザーッ』
「袋から直接!? ……脂の多いもも肉はやめて、サラダ用のささみ肉を使いましょう。健康が一番ですからねっ」
 雪子が手伝えば手伝うほど、薪の仕事が増えていくのは気のせいだろうか。

「かぼちゃは煮物にしましょうね。まずは半分に切ってください。硬いですから、レンジで2分くらい温めると包丁が入りやす」
『バゴッ』
「・…………素手で割れるんだ……」
 雪子の20年来の友人は、もともと白い顔を紙のように白くして、彼女を畏怖の眼差しで見つめた。


*****


 ああ、楽しかった♪
 料理はバトルですよね(笑)





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クッキング(7)

クッキング(7)




 バシャンと派手な水音を立てて、ゴムボートが1メートルほどの滝を滑り降りた。ボートのヘリに取り付けられた取っ手をぎゅっと掴み、雪子は衝撃に備える。盛大に立った水飛沫が、冬の陽光に照らされてキラキラときらめいた。

「きゃあ!」
 甲高い悲鳴は、もちろん雪子のものではない。偶然乗り合わせた女性たちの声だ。
『デッドリバー』と銘打たれたアトラクションのボートは6人乗りで、雪子と竹内が乗ったボートに居合わせたのは、カップルが一組、仲の良い友達同士の若い女の子が二人。カップルの女性に到っては、取っ手には摑まらず彼氏の胴体に抱きついたままだ。安全ベルトも勝手に外してしまっているし、見ているこっちがハラハラする。最近の若者は、係員の注意も満足に聞けないらしい。

「けっこう揺れますね、これ。濡れませんでした?」
「あたしは大丈夫だけど」
 座った場所が悪かったのか、竹内は左側の髪とダウンジャケットの肩が濡れている。夏ならともかく、今は冬だ。濡れたままでは震えてしまうだろう。
 バックからタオルを出そうとして、雪子の手は途中で止まる。

「あのう、良かったらこれ。使って下さい」
 竹内の隣に座った2人組みの若い女性が、イチゴ柄のタオルを差し出しているのを見て、雪子はバックの中でラルフローレンのハンドタオルを握り締めた。
 実情はどうあれ、一応は男と女が並んでいるのだ、どうして他の女性にタオルを差し出さなければならないのだろう。
 ふたりで人前に出るたびにこんな思いをするが、そこまで不釣合いかしら、と雪子は首を傾げる。なんだか芸能人とでも付き合っているような気分だ。

「いえ、結構です。すぐに乾きますから」
 ニコッと笑ってタオルを断ると、竹内は雪子の方へ向き直った。
「あ、やっぱり濡れてますよ、先生。ほら、ここ」
 右耳の下に、竹内が自分のハンカチを当ててくれる。彼の後ろで、女の子たちが複雑な表情になる。「シュミ悪いよね」とこっそり囁く声が聞こえる。心配しなくても大丈夫、あたしは彼の男友達から、と彼女たちに教えてやるべきだろうか。
 失礼な彼女たちの態度に対してもそんな余裕を持てるのは、多分竹内のおかげだ。日曜日の遊園地、若い女の子たちは大勢いて、イケメンの竹内は何処へ行っても彼女たちの熱いまなざしを一身に集めている。それなのに、彼は楽しそうに雪子と喋り、笑ったりふざけたりしている。

「かわいい娘たちだったわね。せっかく向こうから話し掛けてきたんだから、口説けばよかったのに」
 5分ほどのアトラクションが終わり、ボートから降りて雪子は、順番待ちに並ぶ人々を眺めながらゆっくり歩く。
 同じ速度で隣を歩く竹内が雪子の言葉にふっと笑い、ズケズケした口調で言うのに、
「言ったでしょ。『モテ男』はしばらく休業したい気分なんですよ。女の子に気を使うのは、けっこう疲れるんです」
「……あたしも女だけど?」
「ご安心ください。三好先生は同性だと思ってますから」
 ちょっと待って、いつの間に転換されたの、あたしの染色体っ!

 スカートを穿いている自分相手にどういう言いがかりだ、と腹を立てるが、竹内の思い人が止むを得ない事情で女装したときの姿を思い出し、あれが竹内の基準になってしまったとしたら、普通の女性のスカート姿など小学生の女児と変わるまいと確信する。どこまでも不憫な男だ。
 かくなる上は、もっとメンタルな部分で、女らしいとかセクシーだとか、そういう認識を――――― そこまで考えて、雪子は39年の人生の中で一度も他人にその評価をされたことがないことに気付いた。雪子に与えられるのはいつも、『勇ましい』『凛々しい』『カッコイイ』といった男性に相応しい形容詞ばかり。某歌劇団の男役ではあるまいに、そんな言葉が褒め言葉になるはずもない。

「不思議だなあ。あのひととは、まるで逆だ」
 相手が男だと分かっているのに自分の気持を止められない。そう言いたいのだろう。

 それは別に珍しいことでも何でもない、雪子の知り合いにだって、男しか愛せない男も女しか愛せない女も、何人かいる。が、次々と女性と関係を持っていることからも分かるように、竹内はノーマルな男だ。
 彼だけが特別。この男も、きっとそうなのだ。

『薪は特別なんだ』
「特別」というキーワードで、不意に甦ってきた昔の恋人の面影に、雪子はじりっと胸の奥が焦げるような感覚を覚える。
『薪さんは、特別なんです』
 恋人のやさしい笑顔は、若い第九の職員の顔に取って代わる。艱難辛苦を舐め尽した片思いの時期、幾度となく彼の相談に乗ってやった折、数え切れないくらい聞かされたその言葉。

 特別特別特別。
 たしかに彼は特殊だ。人から天才と称される頭脳を持ちながら、人間関係にはひどく不器用で。自分が幸せになることにはもっと不器用で、未だに恋人とのトラブルは絶えない。彼の恋人の相談役でもある雪子は、その殆どを知っている。


「先生、腹空きません? あの辺で昼にしましょうよ」
「えっ、なんで」
 竹内が屋外のフードコートを指差したことに、雪子は驚く。スタンドではホットドックやハンバーガー、焼きそばにラーメンにカレーといったものが売られていて、野外で食べるそれらの簡単な食事は妙に美味しいことを雪子も知ってはいたが。

「軽いものでいいでしょ? 夕飯はちゃんとしたものをご馳走しますから」
「そうじゃなくて。お弁当は?」
「え? 本当に作ってきてくれたんですか?」
 あんたが作れって言ったんでしょうが!

 竹内の勝手な言い草に、雪子はムッとして唇を尖らせる。慣れない包丁と格闘しながら、これでも精一杯頑張ったのだ。まあ、味付けは全部薪がしたのだけれど。
 というのも、何故か薪はすべての調味料を抱え込み、雪子には触れさせてもくれなかったのだ。彼とは20年近い付き合いになるが、未だによくわからないところがある。

 自販機でペットボトルの緑茶を買って、芝生の上にレジャーシートを敷く。周りを見ると、広場になった芝生には幾組もの家族連れやカップルがたむろして、手料理に舌鼓を打っている。
 平和で楽しい風景。その中に身を置くのは、心休まるひと時だ。殺伐とした職業に就いているからこそ、こういう時間は貴重だ。

「えっ!?」
 頓狂な声に驚いて振り向くと、竹内が弁当の蓋を開けて眼を丸くしている。
 弁当の中身は、一口大のブリの照り焼き、鳥ささ身のシソ巻き、かぼちゃの含煮に根菜の煮物にアスパラベーコン。海老の天ぷらに牛蒡と人参の掻き揚げ。海苔を巻いた俵型のおむすびは、じゃこと青菜の混ぜごはん。
 我ながら会心の出来、というか、さすが薪というか。実は雪子は材料を洗っただけ、作ったのは彼だ。

「食べれば?」
 ハッと我に返ったように、竹内は割り箸を割って、シソ巻きを口に入れた。雪子も同じものを食べてみる。うん、さすが薪くん。甘辛いたれが肉にしっかりと絡んで、でも青紫蘇の香りでさっぱりすっきり、ささみ肉もパサつかせないプロの腕。
 なのに竹内と来たら、
「あれ? あれえ?」
 何だか思惑と違った事が起きたようで、しきりに首を捻っている。竹内は知らないが、今彼は、自分の思い人の手料理を食べているのだ。もっと感動すればいいのに。
 
 本当のことを教えてあげたら、竹内は喜ぶだろう。でも、それをすると竹内がますます薪のことを好きになってしまう。あのふたりの仲を掻き乱したくない雪子としては、ここは唇にチャックだ。
「煮物の野菜はちゃんと面取りしてあるし、鳥ささみは湯引きしてある。これ、どこで買ってきたんですか?」
「どういう意味よ。全部作ったのよ」
 薪くんが、という言葉を心の中で付け加えて、雪子はおむすびを齧った。程よい固さに握られたおむすびは、口の中でふわりとほぐれ、食べる者の心をやさしい気持ちでいっぱいにする。おむすびくらいは雪子も自分で作って食べるが、いつも餅のようになってしまう。あれはどうしてなんだろう。

「本当ですか? ふうん……」
 なにもそこまで疑わなくたって。刑事と言うのは厄介な人種だ。
 尚も訝しがる様子を見せていた竹内だが、一度軽く肩を竦めると、そこからは軽快に箸を動かし始めた。
「美味しいです」
「そう。よかった」
「いや、驚きました。三好先生、料理上手なんですね」
 まあね、と雪子は竹内の方を見ずに頷く。罪悪感を覚えつつ、本当のことは言えない。最初は友だちに作ってもらったと白状しようかとも思ったが、あそこまで疑われたら言いたくなくなった。

 それに。
 上機嫌で弁当を平らげる彼を見ていたら、余計なことは言わない方がいいような気がした。これを作ったのが薪だと知ったら、彼はきっと苦しくなる。

 ちくりと胸が痛むのは、良心の呵責か。それとも。
 それとも――――― 他に何がある?

 痺れを防ぐために足の向きを変えようとして、雪子はスカートの裾を押さえる。中身が見えないように足を組み替えるのは、けっこう気を使う。
「そういえば。先生、今日は珍しくスカートなんですね」
 別に深い意味はない。定番のパンツルックをやめてスカートにしたのは、ただの気分だ。おかしな勘繰りをするようならとっちめてやる、と思ったが、竹内はそれ以上、何も言わなかった。
 
 言葉はなかったが、自分を見る竹内の眼がいつもとは違うような気がした。竹内は雪子の前ではいつも、澄んだ無邪気な瞳をしていた。
 この眼は、裏に色々と含んだ眼だ。相手の気持ちを探ったり、駆け引きをしたり。狡賢さと欲を秘めた眼だ。

「これ食べたら場所を変えましょうか。それとも、もう少し遊んでいきますか」
「なに甘いこと言ってんのよ。あたしは遊ぶわよ。フリーパス買ったんだから、元取らなくちゃ」
 雪子が息巻いて言うと、竹内は面食らったように表情を固めて、次いで噴き出した。
「あははっ、さすが三好先生。そうこなくちゃ」
 ケラケラと笑ってもう一度雪子を見る、その眼はいつもの無邪気な瞳。
 それに安心して雪子は、大きく口を開けて海老の天ぷらを一口で食べた。



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クッキング(8)

クッキング(8)






「先生、この書類に判を」
 言いかけて止まった可愛らしい声に、雪子は振り向いた。

「あ、すみません、風間先生とお話中でしたか。では、また後で伺います」
「大丈夫よ、緊急の打ち合わせじゃないから」
 急いでその場を立ち去ろうとする助手の背中に声をかけて彼女を留め、雪子は今まで会話をしていた人物に背を向ける。班長会議の後、先日彼と一緒に参加した最新医療のシンポジウムについて、ついつい話し込んでしまった。チーフ仲間の風間は専門も同じだから、研修内容も重なることが多いのだ。

「いえ、こちらこそ急ぎじゃないんです。どうぞごゆっくり」
「ゆっくりもしてられないでしょ、仕事中なんだから。どれ、貸して」
 菅井に渡された書類を確認する雪子の眼は、すぐさま冷静な監察医のそれになる。彼女が仲の良い同僚から仕事の鬼に切り替わったのを見て、風間は穏やかな表情で口を閉じた。

 じゃあまた、と手を上げて去っていく風間に雪子は会釈で応じ、菅井は、雪子には向けたことのないしおらしい態度でぺこりとお辞儀をして彼の後姿を見送った。
「けっこういいセン行ってますよね」
「いいえ、これでは不十分だわ。薬品投与から2時間後と6時間後のデータしか採らなかったの? 遺体が置かれていた現場の気温を考慮すると、最低でも12時間後のデータは必要になってくるはずよ」
「違いますよ、風間先生のことです。彼、雪子先生に気があるんじゃないですか?」
「はあ?」
 また始まった、菅井の悪い癖だ。男女が一緒にいるところを見ると、すぐに恋愛方面に発展させたがる。青木のときで懲りたかと思いきや、全然反省していない。

「風間先生はいい人ですよ。やさしいし、大人で包容力はあるし。顔だって、標準以上です」
「そお? 白衣効果ってやつじゃないの」
「先生。薪室長や青木さんを基準にしちゃダメですよ。そんなことしたら、世の中の9割の男性が醜男ってことになっちゃうじゃないですか」
 これもハンサムの弊害かしら、と雪子は自身の思い上がりを恥ずかしく思う。
 雪子のように、ハンサムな友人がたくさんいるというのはいいようでよくない。さすがに薪を基準にするつもりはないが、菅井が『かなりのイケメン』と評する青木は、雪子の感覚では普通だ。

 たぶん一番の原因は、竹内だ。
 遊園地に遊びに行ってから、休日の昼間、竹内に呼び出される事が多くなった。取り立ててしなければいけないこともなく、のんびりテレビを眺めていると彼から電話が掛かってくる。映画を観ないかとか、昼食を一緒にどうですか、とか、それに応じなければならない義理はないが「どうせヒマでしょ?」と言われると、嘘を吐いてまで彼の誘いを断る理由は見つからず、行けばけっこう楽しい事が分かっているから軽い気持ちで応じてきた。友だちと会うのと一緒だ。
 そんな具合に頻繁に会っているせいか、彼のビジュアルが標準に設定されつつある。慣れとは恐ろしいものだ。

「結婚が遅れたのだって、家や本人に問題があるわけじゃなくて、仕事が忙しかっただけでしょう。監察医なんて、本人が積極的に動かなかったら出会いもありませんしね」
 くりっとした愛らしい眼で大分下から雪子を見上げ、菅井はニコッと笑った。菅井は笑うとかわいい。彼女の笑みは、小動物を思わせる。庇護欲をそそるというか、守ってあげたくなるというか。このかわいい口からあんな毒のある言葉が出てくるなんて、男は誰も信じないだろう。

「確か今年で44。5つくらいの差なら許容範囲ですよ。雪子先生、彼にしておきましょうよ」
「何を勝手に決めてんのよ。バカなこと言ってないで、さっさと12時間後のデータを採ってちょうだい」
「はあい。うふ、照れちゃって。先生、可愛いんだから」
「あのねえ」
 疲れる、菅井のこういうところは本当に疲れる。立場も境遇もまるで違うが、竹内がしばらく恋愛から離れたい、という気持ちが分かるような気がする。

 腰に手を当ててギッと助手を睨むと、菅井は慌てて実験室へと戻っていった。プライベイトでは友だちでも、仕事中は上司と部下。睨みが利かないようでは困る。
 
 そんな具合に、菅井の言うことにはまるで取り合わなかった雪子だが、後に彼女は自称恋愛マスターの実力を知ることになる。
 風間が雪子に結婚を前提とした付き合いを申し込んできたのは、それから1ヵ月後のことだった。




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クッキング(9)

クッキング(9)





 第九にその噂が伝わってきたのは、桜の花が咲き誇る4月半ばのことだった。

「三好先生がプロポーズされた!? うっわ、勇気あるなあ、相手の男」
「無謀と言うよりは命知らずだな」
「いや、強度のマゾヒストかもしれな……はっ」
 言いたい放題の第九職員たちに降りかかる、絶対零度の雪嵐。外には桜が咲いているというのに、モニタールームは一気に季節が巻き戻されたかのようだ。

「小池、曽我、宇野。データのバックアップ、明日までに更新しておけ」
 いきなりの残業命令に、3人は一様に顔を歪める。薪にしてみれば大切な友人を侮辱されたのが気に障ったのだろうが、公私混同によるパワハラなんて。どうしてうちの室長はこんなに狭量なのかと泣きたくなるが、薪の雪子びいきは今に始まったことではない。これは自分たちの迂闊さが招いたことだと肩を竦めて、仮眠の順番を決めるためのじゃんけんを始める3人を尻目に、薪はしたり顔で室長室へ入った。

「バカだな、おまえら。室長の前で三好先生の悪口はNGだろ」
「冗談のつもりだったんですけど」
「室長はともかく、青木の前では言うなよ? 色々と複雑な心境だろうから」
「ああ。相手の男は法一の同僚だって話ですよね。部屋は別々みたいですけど、同じ職種ってことで話も合うだろうし、年も上だとか」
「青木は一回りも年下だからなあ。頼りがいっていう点では、不利だろうな」
「将来性と腕力は負けてないぞ。それに、身長は絶対に負けない」
「そうだな、身長だけは完全に青木の勝ちだろうな」
「オレの男としての魅力って、要約すると身長だけになるんですか?」
「おまえ、それ言っちゃお終いだろ、って青木!」
 いつの間にか話の輪に入っていた後輩の姿に、一斉に職員たちが引く。副室長にコピーを頼まれた書類を片手に、青木は不思議そうに訊いた。

「オレが誰に負けてないんですか?」
 どうやら噂を聞いていないらしい青木の翳りのない質問に、友情に篤い仲間たちが心からのエールを贈る。
「いやいやいや、青木。自信を持っていいぞ、おまえにもいいところは沢山あるから」
「そうそう、気は優しくて力持ち。科警研のウドの大木といったらおまえの、ゴホゴホッ」
「曽我の言うことなんか気にするな。おまえのいいところは優しくて、傷ついたひとを放っておけない情の篤さだ。それを行動に移す勇気もある。まあ、大抵は暴走しすぎて薪さんを怒らせ、ゲホゲホッ」
「おまえら、青木が可哀相じゃないか」

 正直すぎるのか褒め言葉が苦手なのか、次々と言葉の暴力を振るう仲間たちを咎めて、年長者の今井が彼らの長舌を遮る。ぽん、と青木の肩に手を置き、
「気にするな、青木。大丈夫、俺たちはみんなおまえの味方だからな。室長を除いて」
「ちょっと待ってください、なんで室長だけ?」
「そりゃあおまえ。薪さんは三好先生の幸せを一番に考えるから……あれ?」
「ひっでー」
「ひどいっすよ、今井さん」
「毒舌には自信ありましたけど、そこまで鬼にはなれないです、俺」

 彼らの会話が今ひとつ見えない青木は、雪子の名前が出た時点で書類のコピーに立つ振りをしてその場を離れた。
 第九の先輩たちが、自分と雪子の仲を誤解しているのは知っている。しかし、本当の恋人が誰なのか隠さなければいけない立場の青木は、その誤解を敢えて解かずにいた。
 今現在、雪子に関する噂といえば、きっとあれだ。それは署内の其処此処で囁かれていて、青木の耳にも届いている。青木には、喜びこそすれ反対する理由はない。雪子さえ幸せになってくれればそれでいい。青木の幸せは他にあるからだ。

 自分の幸せの存在を確かめたくなって、青木は用もないのに室長室へ赴く。先刻持っていったコーヒーが空になっている頃だろうから、カップを下げに来たとでも言い訳しておくか、などとかなり苦しい理由をつけて、青木は扉をノックした。
「失礼します。……薪さん、何をしてらっしゃるんですか?」
 ドアを開けて、青木は思わず立ち竦む。数え切れないほどの紙片を床に並べ、それを屈んで見下ろしている薪の姿がそこにあったからだ。

「こうすると、いっぺんに6枚ずつ読めるんだ。おまえも急ぎのときは試してみろ」
 いや、それはきっと薪さんにしかできない妖術だと思います。百目小僧の本領発揮ってやつですよね?
「何をそんなに熱心に」
 床に並べられた紙に打ち出されているのは、ある職員の個人情報だった。

 在籍部署、法医第一研究室第3班、通称「風間班」。そこのリーダーの男性の履歴書だ。
 入庁からの経歴、賞罰、習得資格。そこまでは室長のIDで引き出せるデータだが、次に並んでいるのは小学校からの経歴と成績、資格試験の合否の回数。同僚の評判に上層部の評価、ってそれは機密事項のはずだが。
 一番右側の書類に添付されている写真に、見るからに穏やかそうな紳士が写っている。きちんと整えた短髪に銀縁の眼鏡、秀でた額が学者然とした雰囲気を漂わせている。優秀な医師、もしくは大学教授といった印象を受ける好男子だ。

「このひと、もしかして三好先生の」
「ああ。弁当が効いたみたいだな」
「は? お弁当がどうかしましたか?」
 青木の質問はスルーして、薪は異様な速度で書類を読む。本当に集中しているときは、薪は周囲の音も聞こえなくなる。特に都合の悪いことは完全に聞こえない、但し自分の悪口だけは聞こえる。実に便利な耳をしている。

 薪が書類から眼を離すのを確認して、青木は恐る恐る訊いてみた。
「薪さん。まさかハッキングしたんじゃ」
「僕がそんなリスクの高いことをすると思うか。間宮に頼んで送ってもらったんだ」
「えっ、間宮部長にですか? よく情報を流してくれましたね」
「頼んだときに、ケツ触られたけどな」
 ハイリスク! それ、めちゃくちゃハイリスクですからっ!!
「そんなことはどうでもいい。彼は雪子さんの夫になるかもしれないんだぞ。しっかり見定めないと」
 普段、あれだけ間宮からのセクハラを嫌がっているくせに、雪子が絡むと『そんなこと』になるのか。

 間宮の情報は流石で、彼の私生活から嗜好から、高校時代に付き合っていた同級生の名前まで記載されていた。一体間宮は、何処からこういう情報を仕入れてくるのだろう。
「人格OK、将来性もある。女性関係もきれいなものだ。ちょっと気になるのは、潔癖症のきらいがあるというところだな。雪子さん、掃除が苦手だからな。結婚した後でうるさく言われたら可哀相だ。事前に誓約書を入れさせないと」
「ちょっと待ってください。三好先生がプロポーズされたって噂はオレも聞きましたけど、まだそれを受けると決まったわけじゃ」
「なにを呑気なことを。雪子さんにプロポーズする資格があるのは、最高ランクの男だけだ。少なくとも僕が認めた男でなければ、彼女と付き合うことも許さん」
 薪の勝手な理屈に、青木は呆れ果てる。自分には雪子の恋愛を制約する権利があると、彼は本気で思っているのだろうか。

「結婚となると、相手の母親のことは重要だな。その辺、もうちょっと探ってくるか」
 床の資料を片付けてシュレッダーにかけておくよう青木に言いつけて、薪は研究室を出て行った。間宮のところへ行くのだろうか、それはやめて欲しいと言いたかったが、薪が青木の言うことなど聞き入れてくれるはずもなく。余計な怒りを買うだけだと分かっていて、でもやっぱり納得できない。
 薪が雪子のことを大切に思っているのは知っているが、これが青木のことだったら、ここまで熱心になってくれたかどうか。薪は青木に見合いを勧めたこともある。薪は自分の恋人なのに、彼の言動から自分への愛情を感じ取るのは砂漠に落とした一本の針を見つけるよりも難しい。

 難しいけれど。
 現在、青木はその困難を励行中だ。2ヶ月ほど前、雪子に気付かせてもらった年上の恋人の奥ゆかしい健気さ。それを青木は確かに見たのだ。

 床に散らばった紙片を集め、マグカップを持って室長室を出る。カップを給湯室に置いてからシュレッダーに問題の紙片をセットし、自分の持ち場に戻ろうとして、青木は足を止めた。モニタールームの自動ドアから、捜査一課のエースが入ってくるのが見えたからだ。
「竹内さん」
 声をかけて歩み寄る。青木は竹内とは友人に近い付き合いをしている。何度か一緒に飲んだこともあるし、洋服を見立ててもらったこともある。

「こんにちは。捜査依頼ですか?」
「いや、そうじゃないんだ。実はその」
 珍しく歯切れの悪い竹内を不思議に思いながら、青木は彼が会いに来たであろう人物が何処にいるか教える。
「岡部さんなら、第四モニタールームで特捜に掛かってます。呼んで来ましょうか」
「いや、岡部さんじゃなくて、えっと」
「じゃあ、室長ですか? すぐに戻られると思いますので、どうぞお待ちになってください」
 少しだけ疼く心を隠して、青木は竹内に応接コーナーのソファを勧めた。竹内が薪に好意を抱いていることは知っている。感情では「今日はもう戻りません」と言いたいところだが、青木の理性はそこまで脆弱ではない。
 しかし、竹内のお目当ての人物は、青木の予想とは全くの別人だった。

「違うんだ。おまえに訊きたい事があって」
「オレに?」
 捜査に関することなら、竹内の実力から言って青木に示唆を求めることなどない。残るはプライベイトだが、忙しい竹内がわざわざ第九まで足を運んで直接話をしたがるとなると、飲み会や合コンの相談ではなさそうだ。
 竹内は青木の腕を掴んでモニタールームの外に出ると、さらに廊下の隅まで青木を引っ張って行き、声を潜めて切り出した。

「おまえ、三好先生と仲いいだろ。彼女、プロポーズされたって本当か?」
「ええ、本当みたいですけど。なんで竹内さんが三好先生のことを気にしてるんですか?」
「いや、気にしてるわけじゃないんだ。ちょっと小耳に挟んだもんだから」
 竹内は青木の疑問を似つかわしくない慌しさで否定して、しかし直ぐに更なる質問を繰り出してきた。よっぽど気になるらしい。

「で、相手は? どんなやつか知ってるか」


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クッキング(10)

クッキング(10)





「で、相手は? どんなやつか知ってるか」

「オレもよくは知りませんけど。法一の同僚で、班のリーダーになってて、年は三好先生より5歳上。人格、将来性ともに良好、女性関係も心配なし。敢えて欠点を挙げるとすれば、少しだけ潔癖症のきらいがあるみたいです。 両親共に健在で、四谷の1戸建てに親と一緒に住んでます。好きな食べ物はエビのチリソース、嫌いな食べ物はオクラや納豆のネバネバ系。お酒はウィスキーやバーボン等の洋酒が好みで」
「……めちゃめちゃ詳しいじゃん」
 やや呆れ顔の竹内は、やっぱり俳優みたいにかっこいい。どんな表情をしてもサマになる、ハンサムは得だ。

「そっか。同じ職場で、5歳年上……顔は? いい男か?」
 青木は自らがシュレッダーに掛けて極細に分断した男の顔を思い出す。白衣姿がよく似合う、穏やかな紳士だった。
「イケメンの部類に入ると思いますよ」
「完璧じゃないか」
 なにやら難しい表情になって、竹内は右手の拳を唇に当てる。この春の連ドラで売れっ子のイケメン俳優が名探偵の役をやっていたが、彼より遥かにカッコイイ。薪は男性には興味がないはずだが、ここまでカッコイイ男が自分を好きだと知ったら気持ちが揺れるかもしれない、などと意味のない仮定をして青木は焦る。
 本当に薪が男に興味がなくて良かっ……待って、それだとオレにも興味ないってことになるんじゃ? うう、凹みそう。

「先生、プロポーズ受ける気なのか?」
 さりげない仕草が青木の不安を煽っているのに気付かず、竹内はあからさまな野次馬根性で質問を重ねてくる。その浅ましさに1割、残りは完全なやっかみで、青木は彼の質問を素っ気無く跳ね除けた。
「知りませんよ」
「なんで知らないんだよ。おまえ、先生と仲いいだろ」
「悪くはないですけど、別にオレ、三好先生とは何でもないし。てか、竹内さんには関係ないじゃないですか。なんでそんなに気にするんですか?」
「だから気にしてるわけじゃないって。受けるかどうか、そこが知りたいだけなんだ」
 両者の違いが分からない。青木にはどちらも同じことのように聞こえるが、気のせいだろうか。

「どうしてそんなこと、オレに訊くんですか? そんなに知りたきゃ本人に訊いたらいいじゃないですか。知らない仲じゃないでしょう」
 竹内は捜査一課、雪子は監察医。それなりに仕事上の接点もある。顔見知り以上の間柄ではあるのだから、自分で聞けばいい。青木がその程度の気持ちで言ったことに対して竹内が返してきた言葉は、少なからず青木を驚かせた。
「な……ち、違うからな! あれはそういうんじゃない、そういう意味で付き合ってるわけじゃないんだ!!」
「は? 付き合ってる?」

 鸚鵡返しに尋ねて、尚も青木は自分の耳を疑う。
 竹内が雪子と?何がどうしてそんなことに??

 びっくり眼で固まった青木に今度は竹内が驚いて、強張った顔で詰め寄ってくる。形の良い唇から弾丸のように放たれる言葉は、不自然なくらい強い否定口調。
「付き合ってない! ただ一緒に食事したり、酒飲んだり、休みの日に遊園地とか映画館とか、あ、プラネタリウムも行った。それから先週は水族館でホウジロザメを」
「それ、普通に付き合ってません?」
「だから違うって言ってんだろ! 先生とは、男友達みたいな感覚で」
 たしかに雪子は性を感じさせない女性だ。男に媚びないというか、男を男とも思わないというか。青木も雪子とは数え切れないくらいのプライベイトを一緒に過ごしたが、そんな雰囲気は生まれなかった。
 まあ、雪子は自分よりも12歳も年上だし、そういう対象には見てもらえないだけかもしれな……だから待ってくれってば、薪さんもオレより12歳年上じゃないか。やっぱりオレのことなんか……ダメだ、泥沼だ。

「それに」
 虚ろな目になった青木に頓着せず、竹内は言葉を継ぐ。普段は気配り上手な彼だが、今は自分のことでいっぱいいっぱいらしい。
「先生も俺のこと、男として見てないし。何度か誘いを掛けたこともあったんだけど、うまくはぐらかされちゃって」
「あの」
 なんだか恋愛相談みたいになってきた会話に、青木は休符を挟んだ。薪の怒り狂う様子が目に浮かんだからだ。
 薪は竹内が大嫌いだ。彼を嫌悪する最大の理由は、竹内が警視庁一のプレイボーイだからだ。察するに、10年以上も同じひとを想い続けていた薪には、竹内の行動は不誠実さの象徴のように見えて、自分の不器用さを思い知らされるようで、耐えられないのだろう。
 その一方で、亡き妻の忘れ形見の一人娘を盲目的にかわいがる父親もかくやという状態で雪子を大切にしている。そんな薪が、彼らが付き合っているなんて知ったら何をしでかすか。青木には薪の暴走を止める自信はない。

「竹内さん。もしかして三好先生のことを?」
「それが……自分でもよく分からないんだ」
 分からない? 警視庁一のモテ男で、恋愛経験は星の数ほどあるはずの竹内が、自分の気持ちが恋愛感情かどうか分からないなんてことがあるのだろうか。

「ときめかないんだ、先生といても。幸せな気分になったり、ウキウキしたり、手を握りたいと思ったりキスしたいと思ったり、そういう風にならないんだ。だからこれは恋ではないんだな、と自分では割り切っていたんだけど」
 竹内の主張はもっともだ。ときめきのない恋なんか恋愛とは言えないだろう。
 青木なんか、薪と一緒にいるときには心臓がドキドキしっぱなしだ。次はどんな意地悪をされるんだろうとか、いきなり別れるって言い出されるんじゃないかとか、て、なんか、これも恋のときめきとは別物のような気が……ああ、泥沼に底が見えない。

「じゃあ、どうして一緒にプライベイトを過ごしてるんですか?」
「楽だから」
 そりゃーまた、明確な答えで。

「とにかく、先生が相手だと楽なんだ。何にも飾らなくていいし、わけのわからない女性ファッションの話を聞かされることもないし、話を合わせるために雑誌を買ってその情報を仕入れておく必要もない。相手のチャームポイントを探して褒めなくてもいいし、高級なレストランとか行かなくてもいいから、金もかからないし」
「プレイボーイって大変なんですね」
「毎日が緊張と気配りと勉強の連続だ」
 自分には無理だ、と思いかけて青木は、薪と接するときには自分もまた強制的に竹内と同じ状況に陥っていることに気付く。でも、あれは薪が相手だから頑張れるのだ。それが不特定多数を相手取るとなったら、とても続かない。やっぱり竹内はすごい。

「そんな調子だったから、今まで先生の男関係なんか気にしたことなかったんだ。でも、先生がプロポーズされたって聞いて、だれか他の男のものになるかもしれないって思ったら、何も手につかなくなって……確かめずにはいられなくて」
 竹内の話を聞いて、青木は複雑な気分になる。
 竹内のことは友人として好きだし、優秀な先輩刑事として尊敬してもいる。しかし、彼は何年も前から薪に恋をしていて、青木の立場からは目障りな男だった。薪が竹内のことを嫌っているのは分かっていたから頭痛の種というほどでもなかったのだが、喉に刺さった小骨くらいには邪魔だと思っていた。だから彼に好きな女性ができるのは喜ばしいことなのだが、相手が雪子となると、そう簡単に首を縦に振ることはできない。

 雪子に恋愛感情はないが、今までさんざん世話になった恩義がある。だから彼女には幸せな恋愛と結婚をしてもらいたい。それは薪が切望することでもあるし、青木も心からそう願っている。
 竹内は、自他共に認めるプレイボーイだ。恋愛は上手かもしれないが、平和な結婚生活は望めないだろう。友人として付き合うにはいいが、恋人や夫にするには不向きな男だ。彼の妻になった女性は、女性関係の心配を一生しなくてはならない。
 はっきり言って、お勧めできない。

「竹内さん。真剣な気持ちじゃないなら、余計な真似しないでくださいね」
「まだ手は出してない」
「まだって、今から出す気なんですか?」
「出せないんだよっ、この俺が! 初めてだ、こんなこと」
 竹内には珍しく逆ギレされて、青木は口を噤む。オシャレでスマートで軽い恋愛が得意な竹内らしくもない。

 迂闊に手を出せないのは雪子の武勇を恐れてのことか、あるいは。
 大切に思っているから、簡単に手が出せないのか。

「そうだ、おまえ、俺に嘘の情報教えただろ。三好先生、料理めちゃめちゃ上手かったぞ」
「えっ。そんなはずは」
 ない、と言い掛けて、青木はその情報が他人からの伝聞だったことに思い当たる。実際に彼女の手料理を食べたことはないのだ。あれはむかし薪から聞いたのだが、さては冗談だったのか。薪が雪子を悪く言うとは思えないが、その場のノリだったのかもしれない。

「俺が食べたのは和食の弁当だったけど。今まで食った差し入れの中で、一番美味かった。聞いたら料理は得意で、和洋中なんでもござれだって言ってたぞ」
「そうですか。すみませんでした」
「ったく、ガセネタはカンベンしてくれよ」
 イラついた表情で腕を組み、抑え切れないため息を吐く年上の友人を見やり、青木は困惑するばかりだった。



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クッキング(11)

 またもやあおまきすとにあるまじき発言なんですけど。
 わたし、雪子さんとスガちゃんのガールズトークが大好きなんです。 スガちゃん、言葉はキツイんですけど、きっと雪子さんのことが大好きで、ずっと彼女を支えてきたんだろうなあって。

 スガちゃん、これからも雪子さんをよろしくねっ!
 いま青木さん、それどころじゃないから。 もしかしたら、ずっとよろしくねっ! 未来永劫よろしくねっ!!(←わたしが今後の展開に何を期待してるのかとか、追求しないでください)  





クッキング(11)





「ぜ――ったいに逃しちゃダメですよ!」
 雪子の手首を万力のように締め付ける小さな手の持ち主は、耳にタコができるほど繰り返したセリフをまたもや口にした。
「雪子先生にプロポーズしてくれる男性なんか、あと百年待っても出てきませんからね」
 この娘はいったい、あたしが何年生きると思っているのだろう。

「あのね、スガちゃん。風間先生はプロポーズしてくれたわけじゃなくて、『結婚を前提としたお付き合いをしましょう』って言ってきただけよ? OKするかどうかも、あたしはまだ決めかねて」
「20代ならともかく、40に手が届く先生に迷う時間なんかあるわけないじゃないですか。ここで会ったが百年目です」
 なんだか親の仇みたいになってきた。

「だからって何も、勝負服まで用意しなくても。ただ一緒に食事しようって誘われただけよ? 返って引かれちゃうんじゃない?」
「甘いっ!!」
 ブティックの店内という場所柄も忘れて、菅井は大きな声で雪子を一喝する。プライベイトになると、菅井は雪子より優位に立つことが多いような気がする。

「甘いですよ、雪子先生。いいですか、白衣姿の先生しか見たことのない風間先生が、こういうフェミニンなワンピース姿の先生を見たら、どういう反応を示すと思います?」
 フワフワしたピンク色のワンピースを手に取り、菅井はそれを自分の身体にあてがう。童顔で華奢な彼女に、その服はとてもよく似合っていた。
「男はギャップに弱いんです。コロッと落ちますよ、わたしが保証します」
 言いながら、菅井は値札を確認する。まさか、この服を着て行けという気だろうか。ありえない、30超えてパステルピンクを着るくらいなら、雪子は迷彩服を選ぶ。

「まさかスガちゃん、あたしにそれ着ろっていうんじゃ」
「そんな社会的公害を引き起こすような真似はしません。雪子先生がこれを着て街を歩いたら、お年寄りなんかショック死しちゃうじゃないですか」
 失礼を通り越した菅井の切り捨て方に、咄嗟には上手い切り返しが浮かばない。この後輩相手に言語能力を競ったら、雪子の完敗だ。
「でも、形はいいから色違いで……これなんかどうですか? きれいなライトグリーンですよ」
 口惜しさに歯噛みする雪子の険悪な表情を意に介することもなく、菅井は同じ列にあった同型のワンピースを取り出す。さっと雪子の身体にあてがって、「なかなかいいじゃないですか、馬子にも衣装ですよ」と失礼を重ねた。

「こういう色合いのスーツなら持ってるわ。わざわざ新しいものを買わなくても」
「スーツなんかダメですよ。どうせ色気のないビジネススーツでしょ」
 鋭い。でも、30過ぎの女性が洋服を買う場合、公私共に使える服を選ぶのが普通だと思うが。
「男性に誘われたら、着飾って行くのが礼儀ですよ。ロクにオシャレもしないで行くってことは、相手を男性として意識していないってことでしょう? 失礼に当たります」
 そういうものだろうか。
 あまりゴテゴテとアクセサリーをつけたりする事が苦手な雪子は、鈴木とのデートのときもそれほど飾り立てたりはしなかった。現在も、青木や竹内とふたりで会うことはあるが、あれは友だち感覚だし。ていうか、この子に礼儀を諭されるとは。

「はー。ガラじゃないと思うけどなあ、こんなの」
 そうぼやきながらも、菅井に押し付けられたワンピースを試着室で着てみて、鏡の中の自分を覗き込む。スタイルの良い雪子は大抵の服は着こなせるが、ふんわりしたシルエットのスカートは生理的に受け付けないので、これまで穿いたことがなかった。

 初めて出会う自分の一面に、雪子は新鮮な驚きを覚える。
 悪くないかもしれない。
 服に着られている感じがしないでもないが、これはこれでありかも。

 菅井に勧められたワンピースを購入して、それに合わせた靴も買う。美容院へも行くんですよ、と命令口調で言う後輩に辟易して、雪子はため息を吐いた。
 自分のことでもないのに気張りすぎの後輩は、その情熱のすべてが雪子を思ってのことだと分かっているから無碍にもできない。

「よかった、先生を任せられる人が現れて。おかげで雪子先生の老後の面倒は、わたしが見なくても済みそうです」
「なんでスガちゃんがあたしの老後の世話をするのよ」
「だって、雪子先生を屍蝋化死体にするわけにはいかないじゃないですか。だからわたし、将来的には雪子先生をわたしの家庭に引き取ろうかと」
 いったい、どんな将来設計してたの、あんたは。

 口は悪いが、菅井は本当に雪子のことを心配してくれている。鈴木のことも、その後のことも知っている彼女は、雪子の傷を癒そうと懸命に働きかけてくれた。『男の傷は男で癒す』が持論の彼女の好意はありがた迷惑な部分も多大にあったが、それでもそこまで自分を案じてくれる誰かがいるということは、雪子にとって大きな支えとなってきたのだ。
 そんな彼女を喜ばせてあげたい気持ちは、雪子の中にもある。ましてや、こんなに楽しそうに雪子の服やアクセサリを選ばれたのでは、止めることもできない。
 結局は美容院まで菅井に連れて行かれて、彼女の指示で髪をカットされた上に色を染められた。もう、彼女の言うがまま。お洒落に関しては、雪子は菅井の足元にも及ばない。
 そうして仕立てられてみれば元は良い雪子のこと、何処に出しても恥ずかしくないシックな美女の出来上がりというわけだ。

 姿見の中の自分を見て、雪子は何だかこそばゆいような気分を覚える。
 最初は完全にありがた迷惑だと思っていたけれど、雪子だって女性だ、お洒落が楽しくないわけがない。特にこの髪形は気に入った。前髪を左から斜めに分けたショートカットは薪とスタイルが被るような気もするが、今までの真っ直ぐに切り揃えた髪型よりも軽やかで、季節に合っている。新しい服にもマッチして、「らしくない」と「悪くない」が半々くらいになった。
 
 菅井は自分のプロデュースに満足して何度も頷き、次いでいつもの命令的な口調で言った。
「いいですか。風間先生は仕事中の雪子先生しか知らないんですから、気を抜いちゃダメですよ。先生の本性がガサツで女らしさ皆無の干物女だってことがバレたら、この話はおじゃんですからね。お淑やかに振舞ってくださいよ」
 本音が出せないようでは付き合いも長くないだろうと思ったが、最初から全開というわけにもいかない。菅井の言葉は、ある程度は正しい。
「はいはい。せいぜい気をつけるわ」

 素直に賛同の意を示しながら、雪子はふと、この姿を竹内が見たら、それでも自分を男友達として扱うのだろうか、と詮無きことを考えた。



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クッキング(12)

クッキング(12)





『先生。夕飯一緒にどうですか?』
「あたし今日は胃袋がラーメンだけど、それでいい?」
 わかりました、と苦笑する声が聞こえて、電話が切れた。雪子は上機嫌で白衣を脱ぎ、仕事場を出る。春とはいえ、夜は冷える。温かい麺類が恋しいのだ。

 研究所の正門に出ると、既に電話の主は来ていて、彼がここから電話をしてきたことを知る。平日の呼び出しは久しぶりだが、何か聞いて欲しいことでもあるのだろう。竹内が話すことと言ったら、どうせ引っ掛けた女のことだろうが。
 そう思って、カウンター式のラーメン屋ではなく中華飯店のテーブル席にしたのだが、その夜に限って竹内は妙に静かだった。食事の前も後も、ロクな会話もなく、頬杖をついて雪子が食べる様子を見ていた。
 以前も「自分の周りにはこんなに良く食べる女性はいないから珍しい」と言っていたが、そんなに面白いのだろうか。自分が食べているところを自分で見たことはないが、そう変わった食べ方はしていないと思うが。

 食事を終えて、店を出る。歩道には多くの人々が楽しげに語らいながら歩いている。ふたりもまた夜の街を並んで歩く、それでも竹内は黙ったまま。話したがらない相手に口を開かせるのは雪子の流儀ではないが、さすがに沈黙が重くなってきた。
「ねえ。なんか話があったんじゃないの?」
 単に夕飯の相伴が欲しかっただけだったのだろうか。だったらラーメン専門店にしたのに。中華飯店と専門店では、味も値段も違う。専門店なら値段も安いし、トッピングとか脂の量とか、色々注文も付けられるし、替え玉だって、などと食べた後まで意地汚いことを考えていた雪子の耳に、竹内の歯切れの悪い声が届いた。

「なんで急に髪型変えたんですか」
「え? 特に理由もないけど。ヘン?」
「いえ、お似合いですけど。もしかして、誰か見せたいひとが」
「誠?」
 一旦通り過ぎた女性が立ち止まり、こちらを向かずに彼の名前を呼んだ。雪子が立ち止まると、ちょうど振り向いた相手と眼が合った。

 職業、モデル。そんな字幕が現れそうな女性だった。華やかでセンスが良くて、当たり前のように目鼻立ちがいい。
 十中八九、竹内の元カノだ。
 
 竹内の昔の女性に会うのは初めてではない。あれだけ多くの女性と付き合っていれば、出先で偶然遭遇する事だってあって当然だ。しかし、これまでは竹内の方が先に気付いて、彼女たちの目を逃れるようにさりげなく立ち位置を変えるとか、手荷物を顔の近くに持ってくるとか、非常手段としては雪子の後ろに隠れるとかして、彼女たちと顔を合わせないよう気遣ってきたのだが。夜ということもあって、今日はニアミスを許してしまったらしい。

「久しぶり。元気だった?」
「ああ。君も、元気そうで」
「そちらは? 新しい彼女?」
 否定しようと雪子が口を開ける前に、竹内がさっと彼女のほうへ歩み寄った。雪子の前に立ちふさがる形で、たぶん彼女の顔を見られたくないのだと思ったから、雪子は口を噤んで2,3歩下がった。

「うん。君は?」
「いいわね。あたしはまだ独りよ」
「どうして。蓉子ほどの女なら、引く手あまただろ?」
「誠以上の男なんか、そうそう見つかるもんじゃないわ」
「よく言うよ。君が俺を振ったくせに」
「振ってあげたのよ。あなたが別れたがってるの、解ったから」
 数歩離れた場所で、二人の会話を聞くともなく聞いている。彼女と話している竹内の瞳も声もやさしく甘く、雪子がついぞ見たこともなければ聞いたこともない、それは雪子が知らないもうひとりの彼。
 女性に対しては、彼はきっといつもこんなふうに接するのだ。心地よい言葉と涼やかな眼差しで、相手を夢心地にさせる。男友達の自分とはエライ違いだ。

 それからほんの僅かな時間、竹内と元彼女とは穏やかに話して穏やかに別れた。いい付き合い方と、きれいな別れ方をしていたのだろう。さすが捜一の光源氏。
「いいわけ? 彼女、絶対に誤解したわよ?」
「誤解? ああ、すみませんでした。つい」
『つい、先生の性別忘れちゃって。しまった、彼女に男に走ったと思われたかな』
 雪子はそんな軽口を期待して、でも竹内は何も言わなかった。つい、の後に続くセリフは、その後も彼の口から零れることはなかった。彼の唇が形作ったのは、人間が言い難いことを言うとき特有の、曖昧な空隙だった。

「あの……噂を聞いたんですけど。先生、同じ課の」
「あっ!! 竹内、アレは何っ!?」

 竹内の焦げ茶色の髪の向こうに、雪子は知り合いの姿を見つけて、彼の注意を別方向に向けるべくわざとらしく声を上げた。
 薪と青木だ。仕事帰りのようだったが、どこかに用事でもあるのか、研究所から直接駅へ向かわなかったらしい。

 食事の後、すぐに職場に変えるつもりだったから科警研の近くの店を選んだのだが、失敗した。青木はいいとしても、竹内と一緒にいるのを薪に見られたら、どんな騒ぎになるか。
 冷静なのは見た目だけ、薪はけっこうケンカっぱやい。『雪子さんを毒牙に掛ける気か!』などと見当違いの言い掛かりをつけるや否や、問答無用で飛び蹴りがきそうだ。そんなことになったら、捜一VS第九の全面戦争が勃発してしまう。

「アレって……あ、焼き芋屋じゃないですか? 珍しいですね、もう春なのに」
「そうよ、今シーズン最後の焼き芋屋よっ! 逃せないわ、行くわよ!」
「って、いまラーメン食ったばっかり、ちょっと先生!」
 反対車線の路肩をトロトロと走る軽トラック目掛けて、雪子は近くの歩道橋を駆け上がった。後ろから竹内が付いてくるのを確認して、胸を撫で下ろす。

 階段を駆け下りて、歩道をダッシュする。「おじさん、ちょっと待って!」と声を上げて、トラックを止める。
 何本買おうか思案していると、竹内が横から出てきて、大きい方の袋をひとつ、と言って札入れを出した。
「どうせ今からまた仕事なんでしょう?」
「ご明察」
 袋の中から一本取って、半分に割って雪子は嬉しそうに笑う。ヤキイモは雪子の大好物。満漢全席を食べた後でもこれなら食べられる。お義理で竹内に差し出すと、袋を片手に抱え直し、いただきます、と礼儀正しく断ってから受け取った。

 トラックの陰から向かいの歩道に視線を走らせ、問題の二人が歩き去っていくのを確かめる。彼らの様子を見て、無駄な労力を使ったかもしれない、と雪子は思った。
 なにやら楽しげに喋りながら、ちらちらと互いに視線を交し合って、その視線が長く絡み合うことはないけれど、それでもあれだけ頻繁に目を合わせていれば、周囲の人間の顔なんかロクに見ていないに違いない。
 人前では常に距離を置いている彼らだが、こうして知り合いがいないところでは、言葉以外の温かいものを通わせあっている。数ヶ月前、青木が『薪さんの気持ちが分からない』などと寝ぼけたことを言ってきたが、どうやらお灸が効いたようだ。

 あのふたり、わりと仲良くやってるじゃない、心配して損したわ、と雪子は自分の杞憂に憤慨し、でもその表情は明るく。大切な友人たちの幸せを心から望む彼女の瞳は、やさしい光に満ちている。

「俺、女の人とヤキイモ屋の追っかけやったの初めてです。ほんっと、先生って……ククククッ」
 突然噴き出すように笑われて、雪子は一緒にいる男の方に顔を向ける。竹内の身長は雪子より2,3センチ上といったところ、昔のように見上げる必要はない。
 何がそんなにおかしいのか、竹内はしばらく笑い続けていたが、やがて笑いを収めて上空のおぼろ月を見上げ、大きな独り言を言った。

「あー、やっとわかりました。すっきりした」
「なにが?」
 黄金のスローフードをかじりながら雪子がモゴモゴと訊くと、竹内は空に視線を固定したままで、
「俺が欲しかったのはイモじゃなくて、モチだったみたいです」

「えっ。あんたの田舎には、石焼モチってのがあるの? おいしいの、それ」
 食べたことはないが、どんな食べ物かは想像がつく。焼いた石を使って調理するのだろう。石焼だと遠赤外線効果で中身はふっくらやわらかく、外はこんがりと仕上がるから、味には期待できそうだ。
「ええ。そのうち先生にも、絶対に味わってもらいますから。それも大量に。覚悟しててくださいよ」

 竹内がいつもの無礼なお喋り男に戻ったのが嬉しくて、雪子は心が軽くなる。腰に手を当てて肩をそびやかせ、横目で彼を見下すように軽口を返した。
「ふん、あたしの胃袋舐めんじゃないわよ。鏡餅サイズで持ってきなさいよ」
「あははっ、さすが先生。頼もしいですね」
 当然、と豪語して雪子は大きく口を開け、ヤキイモを頬張った。



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クッキング(13)

クッキング(13)





 銀食器の優雅な光沢が慎ましく輝く店内で、雪子はフォークを操る手を止め、にっこりと向かいの男性に笑いかけた。流れるモーツァルトの調べに合わせたやわらかい声を心掛け、小さめに口を開く。

「ステキなお店ですね。よくこういうお店でお食事を?」
「いいえ、今日は特別です。雪子先生をお誘いしたんですから、おかしな店へはお連れできません」
 お腹いっぱい食べられればラーメン屋でも牛丼屋でも大歓迎だけど、と心の中で返しつつ、雪子はニコニコと微笑み続けた。
「うれしいわ。ありがとうございます」
 ドレスアップに注ぎ込まれた菅井の苦労を無にしないように、雪子は淑やかな言動を心掛ける。それほど得意ではないが、そこは年の功。こういう店の出入も慣れているし、ツラの皮も厚い。

「素敵なのは貴女のほうだ。今日は驚きましたよ。前から美しい人だとは思ってましたけど、こんなにきれいだったなんて。もったいないですよ、どうして普段からそういう格好をなさらないんですか?」
 これを毎日やってたら神経衰弱で入院だわ、と心の中で呟き、「おだてても何もでませんよ」とありきたりの応えを返す。
 美辞麗句は雪子の心を動かさない。人間の美醜は皮一枚、服一枚のことだとイヤになるほど分かっているからだ。
 むしろこんなときは菅井のように、『馬子どころか馬にも衣装ですよ!』などと無礼極まりない言葉を吐きながらもハシバミ色の瞳をキラキラさせる、そんな真実が雪子を喜ばせる。

 無礼つながりで思い出すのはやっぱりあの男のことで、彼なら何て言うだろう、と雪子はまたもや考える。暖かい茶色の瞳を無邪気に細めて、悪戯っ子みたいにニヤッと笑う。彼の口から出るのは、そう、きっとこんなセリフ。
『先生、女装似合うじゃないですか』
 クスッと笑って雪子は、桜色のテリーヌにナイフを入れる。季節に合わせて桜のソースをあしらった、上品な味わいの一品。食器を縁取るピンクの曲線が、春らしさと華やぎを演出している。

「なんですか? 思い出し笑い?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと助手の女の子に言われたことを思い出して」
 後から思い浮かべたひとのことは内緒にして、菅井に言われたことを正直に話す。そうして菅井ひとりに罪を被せると、雪子は何食わぬ顔で風間と笑い合った。

 こんなふうに、自分の心と身体をバラバラに操る術を覚えたのは、いつの頃からだったろう。監察医の仕事は滅入ることが多くて、だけどそれを表に出したくない雪子は、人前で虚勢を張ることがいつしか当たり前になっていた。
 他人は口を揃えて自分のことを強い女性だと言うけれど、それは過大評価だ。自分は弱さも狡さも併せ持った、ただの女。でなかったら、あんなバカな真似はしなかった。

 4年前の夏。
 彼を喪って、自分の中に穿たれた底の見えない空虚に飲み込まれ、挙句の果てに自殺未遂。その傷は今も雪子の左手首に残っている。整形手術で消えないことはない。だけど、雪子はその傷をわざと残している。これは自分への戒めだ。もう二度と、弱さに溺れないように。

 わたしは強い女性。他人に頼らずとも生きていける。
 少なくとも、自分の気持ちを偽り続けることと寂しさの二者択一なら、後者を選ぶ。それくらいの強さはある。

「風間先生。先日のお話ですけど」
 コースがメインに移ったころ、雪子はそう切り出した。
「申し訳ありませんが。私には、もったいないお話だと」
「そんなに答えを急がなくてもいいじゃないですか。これからゆっくり付き合って、その上で僕が貴女の夫に相応しいかどうか、見極めてくれればいい。
 僕だって、貴女に投げ飛ばされるかもしれないと思いつつ、勇気を出して告白したんですよ。そのくらいの猶予は与えてください」

「投げ……どうして私の特技を知ってるんですか」
「菅井さんに聞きました。柔道のことだけじゃなくて、先生が本当はすごく気さくで、勇ましい方だということも。今度は、そんな貴女も見てみたい」
 風間から菅井との会話の内容を聞くと、雪子が家事全般が苦手なこと、特に料理は壊滅的なこと、痴漢を投げ飛ばして肋骨を折る重傷を負わせてしまい、裁判沙汰になりかけたことまで筒抜けだった。
 あたしにはお淑やかに振舞えとか言っておいて、自分がバラしてどういう気だ、と思いかけて雪子は、菅井が雪子のためにフォローを入れてくれていたのだとすぐに気付く。虚勢は張っても見栄っ張りな嘘は苦手なのだ。付き合い始めたらすぐにバレてしまう。

「菅井さんが言ってましたよ。先生は正義感が強くて、勇気があるって。その痴漢ていうのも、菅井さんに付きまとってたストーカーだったんでしょう? 彼女、すごく感謝してましたよ。
 それに、先生は努力家だから、料理も習い始めたら上手になる筈だって。メスを扱う監察医が包丁を使えないわけはないから、上達も早いでしょうって」

 ――――― 先生、がんばってくださいね。

 両の拳を胸の前でぎゅっと握り、小動物のような笑顔で自分を送り出してくれた後輩の顔を思い出す。彼女のエールが耳に届いて、雪子は何も言えなくなった。

 曖昧に微笑み、運ばれてきたメインディッシュを見る。雪子の好きなサーロイン。薄切りのレモンの上に載せられたバターが溶け出して、食欲をそそる匂いをさせている。
「僕はコレステロールが高いから、肉は控えてるんですけど。今夜は特別です。先生をダシに使わせていただきます」
「あら。じゃあ、私を誘った本当の目的はこれだったんですか?」
 顔を見合わせてクスクス笑う。ユーモアを交えた穏やかな会話は、最高のスパイスだ。美味しい食事がもっとおいしくなる。

 答えは今でなくともよいと風間に言われたことで、大分気持ちが楽になった。何も風間のことが嫌いなわけではないし、彼の言うことにも一理ある。
 自分の中に生まれかけている感情があることは認めるが、それが必ず育つとは、雪子自身はっきりと断定できないものだし、風間との間に同種の感情が芽生えないとも限らない。
 アラフォーの恋愛は日和見主義。鈴木に恋をした20代とは違うのだ。

 鈴木の恋人だった、あのころ。
 この人以外に考えられない、どんな立場でもいいからこの人の傍にいたいと思った。彼が心の奥底で一番大事にしているのが誰なのか、雪子は薄々感づいてはいたけれど、決してそれを表面に出すことはしなかった。大らかに許したと見せかけて、本音では鈴木を失うのが怖かった。それに、鈴木の愛情は贋物ではなかった。一番にはなれなくても、愛されていた。それで充分だった。

 雪子は右手のワイングラスに手を伸ばした。美しい赤色の液体が、芳醇な香りを漂わせる。グラスを空けたとき、彼女は初めて2つ向こうの席の人影に気付いた。

「……なんでいるわけ」
「はい?」
「あ、いえ。何でも」
 僅かに首を傾げた風間は、雪子の微笑に安心したように笑って、ボトルのワインを雪子のグラスに注いでくれた。テーブルに置いたワイングラスの足を押さえ、雪子はチラリと風間の先に視線を送る。

 見間違いであって欲しいとの願いは、虚しくも消えた。
 やっぱり竹内だ。あんな俳優顔が、そう多く存在しているはずがない。
 
 彼女と来たのかと思いきや、竹内はひとりだった。一人分の食器の前に、ひとりでぽつんと座って、それは彼の華やかな容姿にまるで相応しくなかった。
 いったい、いつからそこにいたのだろう。 
 雪子の疑問は、レストランのホールスタッフが彼のテーブルにメインディッシュを運んで行ったことで解決された。この店は夜はコース料理しか扱っていない、ということは、雪子たちのすぐ後に席に着いたのだ。

 竹内は品良くワインを飲みながら、嫌な目つきでこちらを見ている。まるで自分が犯人になって、彼に張り込みをされているような気分だ。
 いやだ、あんなにジロジロ見られたら、せっかくのステーキの味が台無しだ。ていうか、彼が同じ店にいると知った時点で、料理の味なんか分からなくなったんだけど。

「雪子先生? ステーキがミンチになっちゃいますよ?」
「え? あ」
 風間に指摘されて雪子は手元を見る。無意識のうちに、肉を切り刻んでしまった。しかも検査用に5ミリピッチで。習性とは恐ろしい。
「ちょっと、緊張してるみたいです」
「今になってですか? ユニークなひとですねえ、先生は」
 急にソワソワしだした雪子をどう思ったのか、風間は大人らしい落ち着きを見せているが、本心は分からない。申し訳なさでいっぱいになって、雪子は激しく自分を恥じる。
 風間は真面目な気持ちで交際を申し込んでくれて、それを承知の上で自分はここに来たのに、他の人が気になって彼の存在を忘れるなんて、最低だ。

 しかし、真の最低野郎は別にいた。
 そいつは礼儀知らずにも、食事の途中で席を立った。そして他人が食事をしているテーブルにつかつかと近寄ってきた。
 ナイフを持った女性の右手を出し抜けに掴み、威嚇するような声で、
「三好先生。行きましょう」
「……どこへ」
「ここじゃないとこなら何処でもいいですから。とにかく、出ましょう」
 あまりのことに唖然として、風間は声も出ない様子だった。周りの客はひたすら下を向いて、雪子たちの席を見ないふり。でも聞き耳はしっかり立てている。

「いやよ」
 当然、雪子は断った。当たり前だ、ここで応じたら自分もサイテー野郎の仲間入りだ。
「まだデザート食べてないもん」
 その理由はどうかと思われたが、雪子にはそれ以上の断り文句は浮かばなかった。
「コンビニでハーゲンダッツのトリュフショコラ買ってあげますから」
「ふざけないでよ」
 流石に頭にきて、雪子は強い口調で言い返した。

「レストランのデザートよ? せめてサーティワンにしてよ」




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クッキング(14)

クッキング(14)





 春の宵の街には、薄ぼんやりした灯りがよく似合う。霞が掛かって、まるでガス燈のように見えるLEDの光が、ロマンティックな夜の演出に一役買っていた。

 その街灯が照らす青山通りの歩道に、一組の男女が肩を並べて歩いていた。
 彼らとすれ違う人々は、だれもが思わず彼らに見惚れた。プラズマ画面の向こう側でしか見られないような、美男美女の組み合わせだったからだ。
 特に男の方は、芸能プロダクションに所属していること請け合いの美形で、だから隣の女性に向けられる同性の眼は厳しいものがあった。しかし彼女たちも結局は、ライトグリーンのワンピースに身を包んだ彼女の美しさを認めて、口を噤むのだった。

 傍目にもお似合いのふたりで、並んで歩いていることからも彼らは恋人同士だと思われたが。彼らの心中は、憤怨に満ちて荒々しく乱れていた。
「どうしてくれるのよ。あんたのせいでA5等級のサーロイン、味が全然分からなかったじゃないの」
 つんけんした態度で憤慨を口にして、雪子は忌々しそうに舌打ちした。フェミニンなワンピースが台無しだ。
「俺なんか、前菜の時点から分かりませんでしたよ」
 相手の男も相当怒っていて、肩を並べているふたりの間にはギスギスした空気が流れていた。

 雪子はこれ見よがしにため息をつき、ショルダーバックを肩に掛け直した。
 レストランが少し暑かったのか、頭に血が昇っているようだ。おかげで外気が心地よい。季節は春でも夜の空気はまだまだ冷たくて、レストランの空調以外の理由でも火照っている雪子の頬を冷ましてくれる。

「風間さん、って言うんでしたっけ。大人ですね、あのひと」
 いくらか気持ちが冷えたのか、竹内が静かに言った。
 レストランでの一幕を思い出し、雪子は自責の念に駆られる。自分たちの大人気ない振舞いを、風間は寛大にも許してくれた。

『僕は最初から気付いてましたよ。あなたが席に着いたときから、ずーっと睨まれてましたから。それに』
 何故レストランの場所が解ったのだろうと考えて、竹内の職業を思い出す。竹内は捜査一課のエース。尾行はお手の物だ。
『雪子先生もずっと、心ここに在らずでしたよね?』
『……ごめんなさい』
『いいえ。僕がお願いして来てもらったんですから、贅沢は言いませんよ。僕は充分楽しかった』
 そう言って笑うと、自分もデザートはキャンセルする、コレステロールの他に血糖値も高めだから、と片手を上げて、さっさと会計を済ませて堂々と店を出て行った。彼は本当の紳士だった。
 ひきかえ、この男ときたら。

「あんたがコドモなんでしょ」
「先生だって、アイスクリームに釣られて出てきたくせに」
 あんたはアホか、と怒鳴り返してやろうとして、雪子は口を大きく開く。が、隣を歩く未熟な男の玄妙な横顔に出会って口をつぐんだ。
 きっと、同じことを考えている。

 自分の感情を厳密に突き詰めることは、怖くてしんどい。曖昧な気持ちのまま友だち感覚で付き合っていたほうがずっと楽しい。認めてしまったら、この関係が終わってしまうかもしれない、そんなことを考えてしまうから。
 それは自分たちの勝手で、そのまま関係が途絶えるのも自然の摂理だと思うけれど、こんなふうに誰かを巻き込んで、負う必要のない傷を負わせていいわけがない。

 滅多に吐かないため息を吐いて、雪子が口を開こうとした、そのとき。
 一陣の風が、ふたりの間を吹き抜けた。
 軽い生地のスカートはふわりと舞い上がって、雪子は慌てて裾を押さえる。その仕草は女を感じさせて、通りすがりの男性のさりげない視線を集めた。

 竹内がじっとこちらを見ているのに気付き、次いでその目つきが険悪なことに気付く。まだ怒っているのか、この常識知らずは。
「分かってるわよ、ガラじゃないって言いたいんでしょ。どうせ似合わないわよ、こんなフワフワしたワンピース」
 これは菅井が選んでくれたのだ、自分の趣味ではない。でも鏡を見たとき、似合わないこともない、と少しだけ思った。思ったのに。

「似合わないです。ぜんっぜん似合ってない」
 ……そんなに力を込めて言わなくても。
 他人に100%の否定を食らうと、かなり凹む。竹内はセンスが良いから尚更だ。

「そんな、女みたいな服を着て、男の傍でニコニコ笑ってるだけの先生なんて。全然、似合ってません」
「女みたいって、生物学的には一応女なんだけど?」
 雪子が控えめに抗議を挟むと、竹内はくわっと眼を剥いて叫んだ。

「俺、頼んだじゃないですか! 先生は仕事と食事に生きてくださいって!」
「……はあ!?」

 竹内の主張を聞いて、雪子は思わず大声を上げる。わずかに間が空いたのは、一瞬、言葉の意味が解らなくなったからだ。なんて無茶苦茶なことを言う男だ。
 冗談じゃない、ひとの人生の貴重な瞬間を台無しにしただけでは飽き足らず、仕事と食事以外の楽しみをすべて諦めろと言う。どうしてそんなことをこの男に強制されなければならないのだ、少しでも心を揺らした自分がバカだった。

「あのねえ。あたしにだって恋愛の自由くらい」
 抗議の言葉は突然途絶えた。
 何が起きたのか、咄嗟にはわからなかった。鼻先に竹内の肩がぶつかってきて、あっと思う間もなく身体を拘束された。
 数年前までは婚約者がいたのだ、男に抱きしめられるのはもちろん初めてではない。
 だけど雪子が知っている抱擁はもっとやさしくてあたたかく、すっぽりと包み込まれるような感触で。まるで自分のオモチャを他所の子供に取られまいとするような身勝手で懸命な竹内の抱き方は、正に拘束という言葉が相応しかった。

 驚きのあまり硬直した雪子の耳に、男の情けない声が聞こえた。
「約束したじゃないですか。俺の泣き言、一生聞いてくれるって」

 それは、雪子が今まで聴いたことのない彼の声だった。
 男友達と喋る陽気な声でもない。女性に向けるやさしい声でもない。初めて聞く、だけど何故かそれとわかる、これが本当の彼の声。

「他の男の話なんか、聞かないでください。俺の話だけ聞いてください」
 自分にだけ聞かせてくれる、彼の真実。雪子の心がざわざわと騒ぎ出す。
 この気持ちは優越? それとも……。

 ―――――― 認めよう。これは恋だ。

「わかった。わかったから、放してよ。人が見るわ」
「本当に?」
 雪子の言葉は確かに聞こえたはずなのに、竹内は腕を緩めようとはしない。都合よく前者だけ聞いて、後者は無視するつもりか。まったく、自分勝手な男だ。

「約束ですよ」
 雪子の耳元を彼の声がくすぐる。春の夜にはぴったりの、ひそやかな囁き声。桜の花びらのようにふわりと雪子の耳に忍び込んできて、聴覚から脳髄を痺れされる。

「一生、俺の傍で。俺の泣き言聞いてください」




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クッキング(15)

 最終章です。
 読んでくださって、ありがとうございました。(^^





クッキング(15)





「そうだったんですかあ。そんなことが」
 雪子のマンションのリビングで、昔話を聞き終えた菅井が、感無量といったため息を吐いた。まではよかったが、その後がよろしくない。
「ほんっと竹内さん、気が狂ってたとしか思えませんね」
「そうね、この子ができたってことは、今も狂いっぱなしってことねっ!」
 新居へ訪ねて来て、『おふたりの馴れ初めを聞かせてください』と頼むから話してやったのに。なんて言い草だ。

「先生、怒っちゃだめですよ。胎教に悪いです。もっと穏やかな心持ちでいないと、短気で意地悪な子が生まれちゃいますよ」
「スガちゃんが黙っててくれると、優しい子になると思うんだけど」
 いつもの小競り合いを楽しんでいると、夫が紅茶を淹れてきてくれた。本来なら妻である自分の役目なのだが、最近つわりが始まって、動くのが億劫なのだ。

「先生。その昔話、ちょっと脚色しすぎじゃないですか? それじゃあ俺、ただの我儘小僧じゃないですか」
「そう? 客観的に語ったつもりだけど」
「いくらなんでもひどいですよ。カッコ悪すぎ」
 あたしはそういうあんたの方が好きだけど、と心の中で呟いて、夫が淹れてくれた紅茶を飲む。雪子のお気に入りの銘柄の茶葉を、好みの濃さで出してある。香りも味も、満点だ。

「風間先生にとっても良かったんじゃないですか? だって、雪子先生と上手く行ってたら、今の奥さんとは結婚できなかったんですから」
 あれから1年もしないうちに、風間は10歳も年下の女性と結婚した。お見合いだったらしいが、夫婦仲はうまく行っているようだ。
 風間に結婚のお祝いを言ったとき、『先生のおかげですよ。自分に自信が持てました。彼にもよろしく伝えてください』と耳打ちされた。皮肉を言うようなひとではないから本心だとは思うが、意味が良く分からなかったので彼には伝えていない。

「風間先生、命拾いしましたね」
「だからどういう意味よっ」
「怒っちゃダメですってば。胎教が」
 この娘が自分の友人でいる限り、優しい子供は望めそうもない。

 キッチンからは、軽快な包丁の音が聞こえてくる。ジュウジュウという油の音も聞こえて、雪子は久しぶりに食事が楽しみになる。
 つわりが始まってからは食欲がなくて、本音を言うとかなり参っていた。こういうときには母親の作った手料理が食べたくなるものだが、雪子の実家は青森だし。そこで、雪子がこの世で一番美味しいと絶賛する友人の手料理を作ってもらおうと、夫が彼に頼んでくれたのだ。

「はい、雪子さん。お待ちどうさまでした」
 雑談も一区切りついたころ、幾皿もの料理を友人の一人が運んできた。雪子たちが座っているリビングのテーブルの上に皿を置き、さあどうぞ、と箸を並べる。
 
 エプロン持参、食料持参で雪子のマンションに来てくれた彼は、警察庁の上層部に籍を置く警視長。来年あたりは警視監に昇進するとの、もっぱらの噂だ。
 そんな大層な肩書きとは掛け離れたその容姿。さらさらした亜麻色の短髪と、きれいな顔立ち。細い手足に小柄な身体。チェックのエプロンがここまで似合う41歳の男って、染色体の異常じゃないかしら。加えて、この肌の透明度。この人、大学のときから年を取ってないんじゃないかしら、と雪子は監察医にあるまじき非科学的なことを考える。

「たくさん食べてくださいね」
 笑いかける彼の笑顔は、雪子向けの特別仕様。その笑顔を瞬時に消して、彼は雪子の夫に話しかける。
「竹内さん、飲み物を持ってきてもらえますか? 大丈夫です、雪子さんの隣には僕が座って給仕しま」
「みなさん、飲み物麦茶でいいですよね?」
 もう一人の友人が麦茶のポットとコップを持ってきて、テーブルの上に置いた。菅井が素早く取り皿と箸を分け、麦茶をコップに注いでそれぞれの席の前に置く。
「ちっ。余計なことを。青木、後でオボエテロよ」
「はいはい」

 仕方なく菅井の向かいに腰を下ろした薪は、面白くなさそうに麦茶を飲んだ。その隣に青木が座って、雪子たちと彼らが相対する形になる。
 卓の上には、寿司桶に入ったちらし寿司、秋刀魚の青紫蘇揚げに定番の鳥唐揚げ。付け合せのマッシュポテトは固めて花の飾り切りを施し、ダシで煮た人参は季節に合わせて紅葉の形に整えてある。筑前煮と生野菜、口直しのサーモンマリネ。生野菜には雪子の好きなマッシュかぼちゃとさらし玉ねぎのマヨネーズ和えが添えてあった。

「わあ、すごい、美味しそう。薪室長って、本当に何でもできるんですね」
 菅井が素直に賞賛する。この素直さの10分の1でもいいから、直属の上司に向けて欲しいものだ。
 お口に合うかどうか、などと儀礼的な謙遜を菅井に返して、薪は雪子の顔を見る。
「雪子さんがつわりだって言うから、お寿司にしてみたんですけど。どうですか? 食べられそうですか?」
「ええ。ありがとう、薪くん」
 温かいご飯は匂いが辛い。友人の気遣いに微笑んで、雪子は礼を言った。

「食べたいものを言ってください、僕が……あ」
 薪が行動に移る前に、夫が雪子の好みのものを小皿に取り分けてくれた。寝食を共にしている彼よりも雪子の好みを知っているものは、ここにはいない。

「ううう~~、竹内のやつ~~~! 僕が取ってあげたかったのに!」
「仕方ないでしょ、ご夫婦なんですから」
 青木が取り皿に薪の好きな生野菜を彩りよく盛り付けて、不平タラタラの彼の前に置く。それで薪の気持ちを宥めようという目論見らしいが、そんなもので落ち着くほど彼の恨みは浅くない。
「おまえはそれでいいのか。口惜しくないのか。それでも男か、プライドないのか。ここで引いたら一生負け犬のままだぞ」
「はいはい、帰ったらゆっくり聞きますから」
 小声でなにやら言っているが、聞こえない振りをしておいた方が無難だろう。

「うん、すっごく美味しいです。さすが室長ですね」
 好物の筑前煮を口に入れて目を細める竹内に、薪はぶすっとそっぽを向いたまま、
『おまえに作ったんじゃない』
 と声を出さずに口だけ動かした。竹内は、見てみない振り。薪のこういう行動には慣れている。

「それにしても、最初に知ったときは驚いたなあ。室長にこんな特技があったなんて、ぜんぜん知りませんでした。さっき菅井さんに話してた遊園地の弁当も、室長が作ったんですよね」
「くっ。こいつが食べると分かってたら、手伝わなかったのに……!」
 罪人が懺悔をするような、苦悩に満ちた薪の声を掻き消すように、菅井が明るい声を響かせる。

「それより、雪子先生が料理作れないって知ったときの方が驚いたんじゃないですか?」
「ええ。プロ級だって母親に自慢しちゃったもんだから、大変だったのなんのって。あのときも室長に助けてもらったんですよね」
「本当は僕は手伝いたくなかったんだ、これで結婚が白紙になるかもしれないと期待してたのに。雪子さんがあんまり一生懸命だったから。ていうか、この話ってなにか? 結果的に僕の料理がふたりをくっつけたとか言うオチじゃないだろうな? 認めない、僕は絶対に認めないぞ」
 小さな声で暗示を掛けるように繰り返して、薪は黄色いパプリカを口に運ぶ。カラフルなピーマンの爽やかな甘さを、彼は気に入っている。

「結局、薪さんの料理がふたりを、グホッ!!」
「言葉にするな! 本当になっちゃうじゃないか!!」
 薪が乱暴に青木の背中を叩いても、この場にいるものは誰も止めない。青木が余計なことを言って薪に怒られるのは、このふたりのパターンだ。菅井がズバズバと雪子に物を言うように、これがふたりのコミュニケーションなのだ。放っておくに限る。

「うん、このサーモンマリネ、美味しい」
「あ、それ、オレが作ったんです。けっこう腕上がったでしょ?」
「へえ。青木くん、すごいじゃない。あ、このお吸い物も美味しい」
「それは俺が作ったんですよ。先生の好物でしょ? はまぐりの吸い物」
「そうなの? 二人ともすごいわね」
「雪子さん、僕は? 他は全部僕が作ったんですよ、美味しいですか?」
「あー、はいはい、おいしーおいしー」
「なんか僕だけ投げやりじゃないですか……?」

 むうっと膨れて、腹いせに青木の膝を蹴る。なんでオレに当たるんですか、と青木が抗議するのに、うるさい、と一喝。その様子があまりにも可愛らしくて、全員で笑い出してしまった。
 あの当時、雪子も竹内も大人気ない自分たちを恥じたものだが、薪には全然敵わない。

 夫が作ってくれた吸い物を飲み、雪子はほっと息をつく。
 見回すと、自分の周りには楽しげに食事をする友人たちの姿。隣には愛する夫がいて、お腹の中には新しい生命が宿っている。

 雪子は密かに左手の手首に触れ、かつてこの世で一番大切だったひとのことを思い出す。それから腹に手を当てて、生まれてくる子供のことを思う。

 ――――― 出産を終えたら、整形外科に行ってみようか。

 そうしたら再来年の夏は、半袖の服を買わなくちゃ、と雪子は思った。


―了―


(2010.11)

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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

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