スキャンダル(1)

 こんにちはっ。

 
 お待たせしました、セカンドインパクトです!(だれも待ってない)
 例のごとく、あおまきすとさんは避難、しなくても、今回は大丈夫だと思います。 たぶん。
 いや、読み直したら大したことなかったんで。 うん、ぜんぜん大丈夫。 今書いてるのに比べたら、なんてことない。(自社比というのは基準としてどうかと)


 えっと、これを書いたのは2010年の2月です。
 確か、玉里の下水道の推進工事の現場でネタ帳書いた覚えが。(←……)
 1年前なのでちょっと文章が、うーん、どうだろう。 読みづらかったらすみません。


 広いお心でお願いします。




スキャンダル(1)






 金曜の夜の電話は不吉だ。

 明日訪れる予定のテーマパークまでの道順を確認していた青木は、携帯電話の着信画面に表示された名前を見て複雑な気分を味わう。それは青木が、誰よりも聞きたいと願っている大好きな声の持ち主の名だ。しかし、彼がこれから語るであろう用件を察すると、憂鬱になってしまう。

 はい、と電話に出ると、思ったとおり恋人の沈んだ声が聞こえてくる。言い辛そうに口ごもり、それでもはっきり「明日は行けない」とデートの予定をキャンセルした。
「わかりました。残念ですけど、仕事じゃ仕方ないですね」
 相手も、好きでこんな電話をしてくるわけではない。それを青木は知っているから、せめて声に失望が滲まないように、なるべく明るい声で返事をする。
「じゃあ、また来週にしましょうね。楽しみにしてますから」
 時計の針は夜の9時。まだ薪は官房室にいる。私用電話は長くはできない。青木は自分から電話を切った。
 
 携帯を閉じ、その小さな機械から聞こえてきた愛しい声を思い出し、青木は深いため息を吐く。
 これで何回目だろう。
 今年、薪が官房室との職務を兼ねることが決まってから、恋人として過ごせる時間は皆無と言っていいくらい減ってしまった。アフターも土日も、薪のプライベートはその殆どが小野田に押さえられてしまっているのが今の状況だ。
 しかし、これはれっきとした職務だから、薪も一切文句を言えない。詳しいことは教えてくれないが、どうやら小野田は執務時間以外の時間を利用して、政界の人物と薪を引き合わせているらしい。将来のために顔をつないでおこうというわけだ。非公式な訪問だから、自然に公休日が充てられるのは致し方ない。

 最後に薪とふたりで過ごしたのはいつだったかな、と青木は考える。
 2月のバレンタインのときは薪の家で、楽しい夜を過ごした。チョコレート会社の戦略に乗る気はないと言いながらも、しっかりチョコレートケーキを作っていた彼が愛しくて、これは別にそういう意味じゃないから、と言い訳する赤い顔がかわいくて、ケーキはそっちのけで薪に抱きついた。チョコレートより甘い彼の肌に溺れて、夢中になって責め立てたら、薪は溶けたチョコレートのようにとろとろと蜜を垂らして青木を受け入れた。導かれてひとつになって、たまらない幸福感の中で一緒にあの瞬間を見て。
 覚えているのはそれが最後だ。今は6月だから、ええと……。

「4ヶ月かあ」
 こんなに長く薪とデートができないのは、初めてだ。正直、我慢できないくらい淋しい。
 こころも寒いけれど、ひとり寝のベッドも辛くなってきている。薪は淡白だから平気だろうけど、若い青木はそうはいかない。だけど、薪以外の相手となんて考えも付かないから、まだ薪と友だちだった頃のように自分を慰めるしかない。

「いつになったら、薪さんとデートできるのかなあ」
 アフターの1時間でもいいから会いたい。上司と部下でなく、恋人として過ごしたい。エッチできなくてもいいから、いや、本当はしたいけど、やり始めたら朝までノンストップでぶっ飛ばしてしまいそうだしって、そうじゃなくて。

 抱きしめて、愛してる、って言いたい。
 
 自分がそう言ったとき、亜麻色の目に浮かぶ満足そうな色、あの輝きを見たい。自分の言葉が彼の喜びを生むという確かな証拠。それを確認したい。

 青木は想像する。
 薪の意地悪そうな顔。抱きしめたらそれは一瞬怯んだ表情に変わって、でもすぐに長い睫毛を伏せて、ほんの少し頬を赤らめる。
 未だにおずおずと青木の背中に手を回す、何度身体を重ねても初々しさを失わない純情な恋人は、青木が顔を覗き込むと恥らうように拗ねるように、青木にきれいな横顔を見せる。
 その頬を手で包み、くちづければ彼はもう観念して、その花弁のようなくちびるを開いてくれる。中のかれを慈しみ、そこから洩れる吐息を奪う。薪の両手がしっかりと青木の背中に絡むのを感じて彼のくちびるを解放すれば、亜麻色の瞳は微かに震えて、言葉だけでは生まれ得ない歓びをその琥珀に湛える。

「あ」
 ズボンの前が急にきつくなって、青木は自分の若さを嘆く。
 肝心の相手がいないのに、どうして臨戦態勢に……。

 やばい。想像しただけでこの調子では、本物を目の前にしたら本当に朝までやり倒してしまいそうだ。連休の時でもなければ、迂闊に薪に会えないかも。
 
 その時にはちゃんと下準備をして薪を苦しめないようにしようと、理性と衝動の挟間で青木は薪の幻を抱きしめた。





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スキャンダル(2)

スキャンダル(2)





 土曜日の夕方。薪は、乗り心地のよい車の助手席で眠気と戦っていた。
 ハンドルを握っているのは、小野田の運転手兼ボディガードの坂崎という男だ。丁寧なハンドルさばきと穏やかなブレーキで、乗客を夢の世界へ誘う名人だ。
 これが恋人とのデートの帰りなら100%高鼾で眠っている薪だが、上司の手前、そんなことはできないと必死で欠伸を噛み殺している。

「お寝みになってはいかがですか?」
「あ、いえ。大丈夫です」
 坂崎に声を掛けられて、薪は出掛かった欠伸を両手で押さえる。後部座席の小野田には隠せても、運転席の坂崎には見えてしまったか。
 薪は慌てて姿勢を正し、眠気を追い払おうとした。

「官房室の忙しさは存じ上げております。特に期始めのこの時期、悠長に眠っている時間などないことも。移動中に睡眠を摂らないと、身体が持ちません。官房長もそうしてらっしゃいますよ」
 促されて後ろを向くと、なるほど小野田が熟睡している。
 確かに、官房室の就業は連日深夜に及ぶ。昨日も家に帰ったのは、2時を回っていた。今朝は早朝会議があって、睡眠時間は3時間弱。第九で徹夜には慣れている薪だが、官房室の仕事には一刻も早く犯人を突き止めなければ被害者が増える、というプレッシャーはない。そうなると本能が勝るのは当然のことで、睡魔との戦いは最近の薪の深刻な悩みになっている。
 官房室の仕事に携わることが決まってから、薪の生活は仕事一色に塗りつぶされた。休日どころかアフターもなかった。書類整理か資料作成か、あるいは接待のいずれかで、小野田についていくか首席参事官の中園に呼び出されて無理矢理付き合いを強いられるか、どちらかだった。

「マンションに着きましたら、起こして差し上げますから」
「すみません。じゃあ、お願いします」
 眠る前に、薪はメールを1本打った。
『帰宅予定20:00』
 それだけの文章だが、あいつにはこの意味が解るはず。
 
 何ヶ月ぶりかで、青木と一緒に過ごせる。今夜はいつものポーズは捨てて、うんと素直に甘えてみようか、などと恥ずかしいことを考えながら、薪は眠りについた。
 夢は見なかった。このところずっと見ていない。忘れてしまっているだけかもしれないが、官房室に勤務し始めてから、薪には夢の記憶がなかった。


「薪くん、起きて」
 小野田の声に揺り起こされたとき、薪は自分がどこにいるのか分からなかった。
 白い天井。見慣れない照明器具。顔を横に向けると、趣味のいいソファとテーブルが目に入った。ソファは革張りで、テーブルは木目が美しいアンティーク。床に敷かれた絨毯は、多分ゴブラン織りだ。
 さっと払われたカーテンの間から差し込む朝の日差し。薪はハッと我に返った。

「小野田さん。ここは」
「ぼくんちだよ。きみがあんまりよく眠ってたから、坂崎に運んでもらったんだ」
 何という失態。出張の帰りの車の中で眠りこけた挙句、官房長の家に泊めてもらうなんて、失礼にも程がある。
「すみませんでした。ご迷惑を掛けました」
 慌ててベッドから下りて平身低頭謝ると、小野田はひとの良さそうな笑顔を浮かべ、いつもの暢気な口調で言った。
「疲れてたんだね。ごめんよ、無理をさせて」
 こんなふうに、部下に優しい言葉を掛けてくれる上司は、警察機構では非常に少ない。小野田の言葉は口先だけではなく、薪の身体を心から気遣ってくれている。
「朝ごはん用意してあるから食べて。行きがけにきみのマンションに寄ってあげるから、着替えなさい」
「いえ、食事までお世話になるわけには……今、何時ですか!?」
 いや、時刻はどうでもいい。朝ごはん、てことは朝に決まってる。
 昨夜恋人に送った無責任なメールのことを思い出して、薪は青くなった。

 即刻マンションに帰りたい、いや、青木のアパートに行って謝りたいと思ったが、上司の手前そんなことはできない。小野田の予定は今日もてんこ盛りで、すぐに支度をしなくては間に合わない。4ヶ月以上もほったらかしの恋人のしょげた顔を思い、自分の睡眠欲の深さを呪いながらも、薪は上司の言葉に従わなければならない自分の立場を受け入れた。
 後悔で一杯の心を抱えつつ、小野田の妻と当たり障りのない会話をし、朝食の味噌汁の味を褒め、何とか電話だけでもできないかと機会を伺うが、小野田が隣にいてはそれも能わず、結局薪が恋人に謝罪できたのはそれから1時間後のことだった。

 その謝罪が電話ではなく、4ヶ月ぶりに逢えた恋人としての会話だったことは、幸運か、皮肉か。
 小野田と共に車に乗り、坂崎の運転でマンションに戻った薪は、自室の空気が入れ替えれていることに気付いた。もう長いこと帰って眠るだけの生活ですっかり淀んでしまっていた空気が清浄になり、ほのかに百合の香りが漂っている。その香りに心を和ませながらも、昨夜ここで自分の恋人が為したであろういくつかのことを思い、薪は眉根を寄せた。
「あ、薪さん。おかえりなさい」
「!?」
 ここにいるはずのない男の声を聞いて、それは確かに自分が呼び出したのだが、だけどいるなんて夢にも思わなかった彼の姿を見て、薪は驚愕した。

「お疲れさまでした」
 昨夜恋人に呼び出されて、でもすっぽかされて、その理由すら知らされずに怒り心頭に発しているはずの彼は、薪に向かって明るく笑いかけた。
 申し訳ない気持ちで一杯になるが、言い訳ひとつすることもかなわない。だったらやさしい言葉のひとつもかけてやればいいものを、気恥ずかしさが邪魔してそれもできず、ただ俯いてくちびるを噛んでいる薪の肩に、青木の両手が置かれた。
「気にしなくていいです。薪さんが大変なのはわかってますから」
 4ヶ月ぶりに会った恋人は相変わらずやさしくて、薪をどこまでも甘やかす。
「顔が見れて、うれしいです」
 顔を近づけられて自然に閉じようとした目蓋を、リビングに置かれたベル式の目覚まし時計の長針が止める。小野田が外で待っている。

「青木、あの」
「着替えに戻られたんですよね?」
 見ればリビングのソファには、クリーニングの掛かったスーツが一揃い出してある。夏らしく、薄いグレーのスーツに涼しげな水色のネクタイ。薪が予定していた今日の服装がそこにはあって、それは彼が薪のこれからの行動を知っているということだ。
「どうして」
「窓からずっと外を見てましたから」

 ずっと。
 昨夜からずっと、今朝もずっと。こいつは一晩中、僕を待って……。

 不意に薪の中にこみ上げてきた感情は驚くほどに強く、一瞬で薪を支配して青木の胸にその身を預けようと試みたが、長年培ってきた彼の理性はそれを押し留めた。流されてしまったら、この後の仕事に支障が出る。
 薪は青木のほうを見ないようにして、黙々と着替えを済ませた。
「朝ごはん、食べました?」
「小野田さんの家でごちそうになった」
 おそらく薪のために夕食も朝食も用意したであろう恋人は、それを聞いてもがっかりする素振りも見せず、美味しかったですか? とのん気に笑った。

「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
 最後までニコニコと笑う恋人に、やっぱり我慢ができなくて、薪は玄関口で青木にくちづけた。いつものように舌を絡ませることなく、甘い吐息を吸いあうこともない短い接触が、薪の焦りを物語っていた。

「ごめん」
 滅多なことでは口にしない台詞を搾り出すように言って、青木から離れる。いいえ、と嬉しそうに笑う恋人の顔を目に焼き付けて、薪はドアを閉めた。



 

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スキャンダル(3)

スキャンダル(3)




 


 そんな、逢瀬ともいえない一時の触れ合いで薪の中に生まれた感情は、ひどく彼を苦しめることになった。
 いや、気付いてしまったと言うべきか。

 青木との時間が取れなくなって、芽生えないはずのない淋しさを、環境の変化に余裕をなくしていた薪の心は自覚することができなかっただけで、それはとっくに自分の中に溢れていたのだ。いったん堰を切ってしまったら、もう止めることができないほど大きく膨れ上がったそれは、すべてを壊しかねない危うさを秘めていた。
 それでも、自分を騙すことにかけて薪はスペシャリストだ。自分の感情には気付かないふりをし、目の前の職務に没頭することで色々な局面を乗り切ってきた。今回もそれでうまくいく。時間と共に、この痛みも治まるはずだ。今にも破裂しそうな風船を胸の中に抱え、冷静な室長の仮面をつけて、彼は週3日という約束の第九の職務をこなし続けた。

 しかし。
 間が悪いというか、貧すれば鈍すというか、とにかく薪は恋愛の神さまにはとことん嫌われているらしい。

 中園と行くはずだったH友会の接待が相手の予定でキャンセルになったと聞かされて、それならばと恋人の予定を思い出せば、今日はあいにくデータ整理の残業が入っている。せめて彼の顔だけでも見たいという本音を「気になっている案件があるから」というオブラートにくるんで、薪は夜の第九を訪れた。
「室長。お疲れさまです」
 プライベートと仕事のけじめはきっちりつけろ、と口が酸っぱくなるほど言い聞かせている年下の恋人は、研究室では薪を室長と呼ぶ。例え周囲に誰もいないことが明白でも、だ。
 薪もまた、ご苦労、と上司が部下を労う態度で返して、青木の机の上とPCの画面に目をやり、仕事の内容を把握する。青木が眺めているモニターには死者の脳内映像ではなく、英文字と数字が並んでいる。新システム移行に伴うデータ整理をしているのだ。

 システム開発室の若き天才の手によって、MRIシステムの新しい局面が開かれる計画が立ち上げられたのは3年ほど前だが、ようやくそれが試運転の段階まで仕上がってきた。
 新しいシステムとは、ずばり音声。人間の唇の動きを機械が判断し、音声にして出力する。更に現場の状況から周囲の音、屋外なら車の音、雑踏のざわめき、雨の音―――― これによって、より正確な犯行現場の再現が可能になるというわけだ。
 これから何度かのテストを行い、ゆくゆくは新しいシステムで捜査を行なうようになる予定だが、それまでの間にこの膨大なデータを整理し、スムーズに移行できるようにしておかなくてはならない。青木がやっているのは、そのための作業だ。

「おまえがひとりでやってるのか?」
「あ、いえ。さっきまで岡部さんと一緒にやってたんですけど。中園参事官がお見えになって、岡部さんに話があると仰るので、オレひとりでできるとこまでやっておくことにしたんです」
「中園さんが? あのひとがアフターにすることって言ったら、ナンパか酒か、どっちかだぞ」
「そうなんですか? 官房室の首席参事官が?」
「親の遺言で、6時以降は仕事ができないそうだ」
 あはは、と青木はお人好しに相応しい屈託のない笑顔を見せる。相棒が美味い料理と酒を楽しんでいる間に、自分ひとりが仕事をしている状況に、腹も立たないらしい。
 薪は呆れた顔を作って、青木の隣の席に腰を下ろした。

「おまえも帰ればよかったのに」
「帰ってもやることないですから」
「友だちもいないのか? 寂しいやつだな」
「週末ならともかく、月曜から飲みに行くような友人はいませんよ」
 何ということもない会話の中で、薪は息苦しさを覚える。クールビズ励行中の第九は、MRIシステム適温ギリギリの25度。当然、青木は半そでのワイシャツ一枚の姿だ。

 束の間、マンションで青木に会った日からすでに1月近い。
 亜麻色の眼が、マウスを操る青木の腕に釘付けになる。彼が小さく指を動かすたびに、手の甲に骨っぽく筋が浮き、腱がしなやかに連動する。
 
 もう何ヶ月、あの腕に抱きしめられていないのだろう。
 そんなことを考えている自分に、狼狽する。ここは職場だ、自戒しろ。

「室長。コーヒー淹れましょうか」
「いや、いい」
「遠慮なさらないでください。オレも一息吐こうかと……薪さん?」
 気がつくと、給湯室に向かおうと立ち上がった青木の腕をつかんでいた。触ってはいけない、と思いつつ、放せなかった。この手を放して室長室へ行き、目的の書類を持ってここから出ろ、と理性が叫んだ。

 自分の身体が理性の制御を離れたことは何度かあったが、職場でそんな状況に陥ったことは一度もなかった。
 薪にとって、職場は神聖な場所だ。親友が命を落とした場所なのだから、彼の最期の想いが残るのもここだと思っている。だから、こんな気持ちに駆られることはとてもいけないことだし、警察官としての良識を踏まえても、職場でこういう行為に及ぶ不届きな輩は厳重に処罰するべきだと薪自身つねづね思ってきた。
 でも……。

 手のひらから伝わる彼の皮膚の感触は、薪のからだの芯に眠る情動を呼び覚まし、内部深温を上昇させた。5ヶ月ぶりの感覚に、どうしても我慢がきかなくなった。
「薪さん?」
 相手の腕を引き寄せ、自分も立ち上がり、互いの進路を故意にぶつける。意図的な接触事故は計算された正確さで青木のくちびるを捕獲し、薪はむさぼるようにその獲物にかじりついた。

 これまで何度も薪の身を助けてきた理性と言う名の番人が、ここから先に進んではいけない、取り返しがつかないことになる、と頭の中で警鐘を鳴らした。身を滅ぼすことになっても知らぬぞと、薪の喉に鋭い槍を突きつける。
 わかっている、いくら欲しくてもこれ以上は、と彼に従おうとしたとき、青木が舌を返してきた。甘い痺れが薪の背筋に走り、彼の声は聞こえなくなった。

 薪を止めるものはいなくなり、薪のからだは自由に動き出した。
 慣れた手つきで相手のネクタイをほどき、ワイシャツのボタンを外す。開かれたシャツの襟口から手を忍ばせ、僅かに汗ばんだ青木の肌をまさぐる。シャツの前をはだけ、露わになった若い肌に舌を這わせる。
 だんだんに下方へ下りていく頭部に合わせて、薪の膝は床に着く。膝立ちの姿勢になって、青木の腰に抱きついた。迷わずベルトを外そうとする薪の手を握って、青木がためらいがちに言った。
「あの、嬉しいですけど……ここでは、ちょっと」

 薪は無言のまま立ち上がり、青木の手を引いて仮眠室の扉を開けた。
 相手の躊躇いを無視して、薪は力任せに彼を突き飛ばした。足がベッドにぶつかって、青木は仰向けに倒れる。
 薪はさっさと上着を脱いで、ネクタイを取った。ワイシャツのボタンを3つほど外し、青木の手を取る。それを自分のはだかの胸に導き、心臓の上にあてがった。

 手のひらを密着させることで伝わる、胸の動悸。今にも破裂してしまいそうなほどに、いっそ壊れてしまうかと思われるほどに。
 それはまるで、ふたりで一緒にあの階段を駆け上がる瞬間のようで。

「僕が今どういう状態だか、理解したか?」
 
 青木の眼鏡を取り上げて、ベッドの横についている簡易式のクロゼットに置く。時計を外し、2人分のネクタイもそこに放り込んだ。
 弱気な恋人を奮い立たせるように、薪は強くくちづける。触れてしまったら、もう我慢ができなかった。ここが職場で、深夜とはいえ誰が来るかも判らない場所で、などという常識的な判断ができなくなってしまった。
 でなければ、薪のようなお堅い人間が、職場でそんな行為に及ぶはずがない。5ヶ月もの間引き離され、寂しさは頂点に達していた。

 すべてを忘れ、今は互いのことだけ。久方振りの逢瀬は、激しかった。




*****

 きゃー、薪さんの襲い受け、一度書いてみたかったんですー、許してー!(そんな筆者の下らない気まぐれのために、この後あんな目に遭ううちの薪さん。不憫(笑))


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スキャンダル(4)

 こ、ここは~~~、
 追記で!
 絶対に追記で!
 お子様は読んではいけません。
 大人の方も、人前で読んではいけません。


 すみません~~~~!!





スキャンダル(4)

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スキャンダル(5)

スキャンダル(5)







 金曜日。薪は今日も警察庁8階の廊下を歩いている。
 小野田と取り決めた基本シフトは、第九は月水金の3日、残りの2日は官房室の仕事をするというものだが、急ぎの事件があれば捜査を優先させていいことになっている。が、それ以外の時には遠慮なく官房室から突発的な呼び出しが掛かる。人事異動のこの季節、様々な団体の役員に挨拶回りをしなければならない。相手の都合によってはシフトの変更を余儀なくされるというのが、薪の今の立場だ。
 今日はどこのお偉いさんだろう、と滅入る気持ちを抑えて、薪は官房室に入った。

「薪くん、こっち」
 官房室の職員たちに目礼し、小野田の部屋へ入ろうとした薪を、首席参事官の中園が呼び止めた。
 中園は小野田の昔からの友人で、現在の彼の右腕だ。去年の春、前任の田端が定年で退職した際、小野田がわざわざロンドンから呼び戻したくらいだから、その実力は相当なものだと思われる。

 薪の前に立って自分の部屋に入った中園は、執務席に着くと渋い顔で腕を組んだ。険しく眉根を寄せて、唇を歪めている。
 中園とは知り合ってまだ4ヶ月ほどだが、彼が薪の前でこんな顔を見せるのは初めてだ。
 彼はひとつだけ困った性癖を持っていて、かわいい男の子が大好きなのだ。小野田の目があるから何もしてこないが、個人的な興味から薪を気に入っていることは確かだ。薪としては不本意な気に入られ方だが、まだ官房室の仕事に慣れていない現況では仕方がない。

「なにか、困ったことでも?」
 中園の表情から不穏なものを感じ取った薪は、彼を促した。中園の憂いは、小野田に関することだ。官房長の平穏を脅かす何事かが起きたに違いない。
「それを君が訊くのかい?」
 逆に質問を返されて、薪は戸惑う。
 どういう意味だろう。中園の渋面の原因は、自分にあるとでも言いたいのだろうか。
「僕がなにか」
 数枚の写真が中園の机の上で、ばさっと音を立てた。自然に落とした薪の目に飛び込んできたのは、絡み合うふたつの裸体。

 一瞬、頭の中が真っ白になった。
 大声で叫んだような気もするし、怒りに任せて机を叩いたような気もする。気が付いたときには薪は、床の上にへたりこんで、奪い取った写真を隠すように身を伏せていた。
 遠くで、中園の声がする。

「今朝、官房長宛に送られてきたんだ。差出人は不明。封筒もありふれた市販品、指紋もなし。手紙もないし、連絡もないから犯人の目的はわからない」
 中園の言うことをやっとの思いで理解して、薪は肩を竦ませる。ガタガタとみっともなく震える唇を動かして、一番心配だったことを聞いてみた。
「小野田さんは、このこと……」
「まだ知らない。僕の処で止めてある」
 そのことに安堵した卑怯な自分を恥じて、薪は深く息を吸った。

 これは十中八九、小野田の政敵が仕掛けた策謀だ。部下のスキャンダルをタネに、彼に脅しをかけてきているのだ。
「辞表を、いえ、懲戒免職にしてください」
 こんなことで小野田の名誉に傷がつくなど、あってはならない。事が公になっても、自分が処罰を受けていれば世間の非難は和らぐはずだ。しかし、短絡的な薪の進言は、首席参事官によってあっさりと却下された。
「無駄だよ。そんなことしたってね、君が10年以上も第九の室長をやってた職歴は消えないよ。小野田が君をその地位に就けた事実もね」
 それはそうかもしれないが、こういう場合の常套手段としては、懲戒免職が王道だ。警察機構から切り離すことで責任の所在を有耶無耶にするのは、この世界の基本ルールだ。

「それに、小野田になんて言うの?」
「正直に話します」
「こんなことくらいで、彼が君を切り捨てると思う?」
「小野田さんだって、リスクを知ればきっと納得してくださると」
「やれやれ、小野田もかわいそうに。あんなに大事にしてるのに、当の相手はそれをまるで分かってないときた」
 床に腰を落としたまま、薪は中園の洒脱な顔を見上げた。
 小野田の友人に相応しく、穏やかな微笑を刻んでいることの多いその口元は苦々しく歪められ、いつもすっきりと開かれた眉根はぎゅっと寄せられている。

「小野田に余計な心配をかける前に、君にはやることがあるだろう」
「離職以外に、僕に何ができると」
「彼と別れるんだよ。当たり前だろ?」
 つややかなくちびるが開き、何か言おうとした。しかし、それは言葉にはならなかった。不安定な吐息が幾度か繰り返された後、薪は「はい」と頷いた。
 薪にとってはようやく絞りだした言葉だったが、中園は厳しい態度を緩めてはくれなかった。
 当然だ。薪は今、官房室を窮地に陥れようとしている不安因子なのだ。

「本当に別れられるの?」
「大丈夫です。青木には、ちゃんと僕から」
「青木くんなの? それ」
「えっ?」
「相手の顔が写ってなかったから。誰だか解らなかった」
 薪は慌てて写真を見直した。
 中園の言うとおり、はっきりと顔が判るのは薪だけだった。どれもこれも相手の男の顔が写らないアングルで撮られていて、もしこれが世間に公表されたとしても責を負うのは自分だけで済む―――― 薪はそのことに、安堵のため息を漏らした。

 パニックになって、冷静な判断ができなくなっていた。中園は、薪が青木とこういう仲だということも知らないはずだ。ここは上手くフォローしないと。処罰が青木に及ばないように、何とか抑えなければ。
「すみません、これは僕の病気みたいなもので。若い男を見ると、つい」
「これまでにも、こんなことを?」
 悪びれた様子もなく、いっそふてぶてしく、薪はヘラヘラと笑ってみせた。
「警察(ここ)は縦社会なので。階級を振りかざせば、大抵の男は言うことを聞きます。彼もそうでした」
「君が無理矢理、彼に行為を強要したってこと?」
「はい。僕がその気になれば、ちょろいです」
 青木は被害者。事情を知らない中園なら、この話が通じるはずだ。

「じゃあ、電話して」
「はい?」
「いまここで、青木くんに電話して。二度とこんなことはしないって、彼に言いなさい」
「……ここで、ですか?」
「できるよね?」
 薄いグレーの瞳が、すべてを見透かすように薪の顔を見ていた。その視線に操られるように、薪は携帯電話の発信ボタンを押した。



*****

 ここまで読み返して、やっと面白くなってきたと思うわたしって、アクマなんですかね??

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スキャンダル(6)

 ちょっと私信です。
 Mさま、
 すみません、たくさんお気遣いいただいちゃって、なのに昨日に限って日中測量に引っ張っていかれて、夜は夜間工事の現場パトロールに行かなくちゃで、お返事返せなくって~~(言い訳してすみませんっ)
 これからちょっと入札なので、戻りましたら改めてお返事させていただきます!
 Mさまのご心配を長引かせてしまってすみません! わたしの方は全然平気なので、どうかお気遣いなく!!
 これからもよろしくお願いしま、はっ、この後の展開で見放されたらどうしよう……見捨てないでください~~~っ!!


 それとですね、
 この章は短いので、帰ったら次の章も上げます。
 書いてるときはページ数のことなんか何も考えてないので、こういうマヌケな状態に。 平均して一定の量で書ける人って、尊敬します。







スキャンダル(6)






「今度の週末は、のんびりできそうだよ」
 今年から官房室の新しい顔になった若き警視長に、小野田はやわらかく微笑んだ。執務机の前に姿勢よく立った彼は、小野田の笑みを受けて書類を机に置き、内ポケットから取り出したスケジュール帳に何事か書き込んだ。

 7月に入り、怒涛の挨拶ラッシュはいくらか落ち着いて、官房室全体の寝不足はようやく解消され始めた。
「きみもゆっくり休みなさい。体調管理も仕事のうちだよ」
 はい、と返事をして、じっと手帳に目を落とす。薪の肩が力なく落ちている様子に気付いて、小野田は彼の疲れがピークに達していることを知る。小野田の繁忙は年中無休だが、今年から非公式ではあるが官房室に招き入れた秘蔵っ子の忙しさも、この数ヶ月は常軌を逸していた。いくら若いとは言え、疲れも溜まるはずだ。

「風邪は治ったの?」
「は?」
「先週のいつだっけ、すごくだるそうにしてただろ? 風邪でも引いたんだろうって中園が言ってたけど、違ったの?」
 薪は困ったように睫毛を伏せて、曖昧に首を振った。常なら生き生きと輝く亜麻色の瞳に最近覇気が見られないのは、体調のせいではなかったのか。
 身体に異常がなければメンタル面だ。となると、解決法は。

 小野田は暢気な口調で、思いついたように言った。
「温泉にでも行こうかな」
「いいですね。ご家族も喜ばれるでしょう」
「あー、ダメダメ。今度の土日は妻は同窓会だし。行き先が温泉じゃ、娘なんかついてきやしないよ」
「香ちゃんもですか?」
「それがさ、香のやつ高校生になったら途端に色気づいてさ。週末はボーイフレンドと海に行くとかって……父親なんてね、淋しいもんだよ」
 4年前、14歳だった香は薪に夢中だったが、高校生になると現実の男性に目を向け始めた。父親としては薪に対して叶わない憧れを抱いていてくれたほうが安心だったのだが、いつまでも夢を見てはいられないのが現実というものだ。

「よろしかったら、僕がお付き合いしましょうか」
「何言ってんの。きみにだって、プライベートの予定があるだろ」
「いいえ。特にありません」
 この数ヶ月、図らずも彼のプライベートは殆ど小野田が押さえる結果になってしまった。近頃薪に元気が無いのも、きっとそのせいだ。だから、温泉は自分が行こうとしているのではなく、「彼と温泉にでも行ってきたら」という控えめな提案だったのだが、こういうことに鈍い薪には伝わりにくかったようだ。

「気を使わなくていいよ。休みの日も上司と一緒なんて、疲れるだけだろ」
 まあ、薪の相手にしてみれば同じ状況なのだから、一概には言えないが。
「薪くんが付き合ってくれるって言ってるのに、それを断るなんて不届きなやつだな」
 首席参事官の中園が、皮肉な口調と共にドア口から現れた。
「薪くん、僕と行こうよ」
「中園。薪くんにはちゃんと相手がいるって言っただろ」
 薪が現在の恋人と付き合い始めた当初から、中園はその事実を知っている。こちらの方面のことに疎い小野田は、困った性癖を持つこの悪友に相談を持ちかけたのだ。つまり、薪に付いた悪い虫をどう退治したらいいか、ということについて。
 その当時は何が何でも別れさせてやる、と意気込んでいた小野田だが、以前と比べて格段に明るく穏やかになった薪を見ていると、ふたりの仲を裂くことばかりが得策ではないように思えてきた。今回のように会えない時間が長くなると、薪は明らかに憔悴する。諸手を挙げて賛成するわけにはいかないし、できることなら真っ当な道に立ち返って欲しいと願っているが、自然にふたりの気持ちが冷めるのを待とうか、という気持ちも生まれてきている。
 ところが。

「青木くんとは別れたんだよね、薪くん」
 薪の前では素知らぬふりをしていろと言ったのに相手の名を出すなんて、いやその前に、いま何と言った?
 驚いて薪を見ると、薪はペンを持ったまま固まっている。

「ね?」
 中園に促されて、はい、と答える。その声は硬く、まるで機械音のように何の抑揚もなかった。
 小野田の前では滅多と見せたことのない能面のような無表情に変わった薪に、小野田はそれ以上言葉を継ぐことができなかった。


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スキャンダル(7)

 本日、2個目の記事です。
 同じ章にまとめようかとも思ったんですけど、場面が違うし~。 この辺は、何となく感覚で。




スキャンダル(7)





 官房室を辞して、薪は研究所へ向かった。今日は水曜日。第九の日だ。
 仕事は仕事だ。別れた恋人のいる部署でも、拒む理由にはならない。相手も大概気まずいだろうが、そこはお互い様だ。

 長年鍛えたポーカーフェイスをつけて、薪は第九の自動ドアをくぐる。さっと室内に目を走らせて、一番に長身の男の姿を探すのは、もう習性のようなものだ。
「あ、室長」
「おはようございます」
 部下たちが次々と挨拶の言葉を発するのに、おはようと軽く頷きつつ、副室長の岡部を誘って室長室へ入る。捜査中の事件の報告を一通り聞き、火急の事案が無いことを確認した後、何気ないふりをして薪は尋ねた。

「青木は?」
「青木は来週まで出張です。薪さん、ご存じないんですか?」
 岡部は訝しげに、細い眉を寄せた。
 岡部は薪と青木の関係を知っている。だから、青木の出張を薪が知らなかったことを不思議に思ったのだろう。別れたことを知らないからだ。

 来週まで、青木はここには来ない。
 無意識のうちに、薪はホッと息をついた。

 この1週間、中園の指示で青木からの電話はすべてシャットアウトしてある。第九に来たのも、2週間ぶりだ。つまり、あの電話以来、青木とは一切の連絡を取っていない。直情的な青木が薪の顔を見た途端取り乱して、『オレと別れるってどういうことですか』などと訴えてきたら目も当てられない。
 青木の顔を見ても自分は平気だが、青木はそうはいかないだろう。あの電話一本で彼が納得しているとは、とても思えない。

 ――― そう、あの電話が最後だ。

 耳に残る、青木の最後の声。それは薪の胸の中心に居座って、何度も何度も繰り返される。
『薪さん? こないだは、会えてうれしかったです』
『からだの方は大丈夫でした? 今度はいつ会えますか?』
『あ、ごめんなさい、わがまま言って。待ちますよ、2ヶ月でも3ヶ月でも。ずっとあなたのことを想ってます』
『……もしもし?薪さん?』
「おまえとはもう、終わりだ」
 乾いたアルトの声がそこに重なって、愛しい恋人の声は途切れた。後に残ったのは、無機質なツーツーという機械音。

「番号の削除と、着信拒否もしときなさいね」
 呆然と佇む薪の耳に、中園の冷静な声が聞こえた。
「青木は部下です。仕事上の連絡まで断ち切るわけには」
「そのために副室長がいるんだろ。人員が10人に満たない第九に副室長を置いてるのは、何のためだい」

 自分が何をしたか解っているのか?
 おまえのせいで、官房長がどんな窮地に追い込まれようとしているのか、ちゃんと理解しているのか?

 中園の言葉の裏側にあるそんな非難を読み取って、薪は何も言えなくなった。罪悪感に押されるように薪の手はパネルを操作し、青木一行という名は薪の携帯から消えた―――。

「名古屋のイベントの手伝いをするようにって、中園参事官の方から……薪さん?」
「えっ」
 薪ははっと我に返った。岡部が不思議そうな顔をして、薪を見ている。
 岡部の話を、まるで聞いていなかった。今、何か事件に関する重要なことを話していたのだろうか。

「疲れてるんじゃないですか? ずっと働きづめなんでしょう」
 岡部の心配性は、相変わらずだ。顔に似合わぬ細やかな気配りを見せる部下に、薪はにこりと微笑みかけた。
「大丈夫だ。今週末には休みも取れることになったし。家でのんびりするよ」
「そうしてください。こっちも今は、急ぎの案件はありませんから」
 既に所長に提出済みだという新システム導入に関する稟議書のことと、先週の室長会議で決まった今年の懇親会の場所についての報告を済ませ、岡部は室長室を退室しようとした。その背中に、薪の声が掛かる。

「あ、岡部。あの」
 呼び止めておきながら、その先を継ぐのはとても躊躇われた。しかし、言わないと。ここで青木をフォローできるのは、事情を知っている岡部しかいない。
 岡部にはあまり効果の無い室長の仮面をつけて、薪は事務的に聞いた。

「青木はどうしてる?」
「どうって」
 岡部は、薪の質問の意味がわからないようだった。
「落ち込んでるとか、食欲が無いとか」
「そう言えば、いくらかしょげてるみたいでしたね」
 苦笑して、岡部は薪に背を向けた。
「日曜にはやつの身体も空くはずですから。月曜にはイヤになるくらい元気になるでしょうよ」

 あなたに会えなくて寂しいんでしょうよ。週末に時間が取れるなら、青木も喜ぶでしょう。

 岡部の言葉の裏に隠された軽い冷やかしが聞こえて、でもそれは今の薪にはひどく辛い響きで、薪は閉ざされたドアのこちら側で憂鬱そうに頬杖をつく。
 どうやら、青木は普段と変わりなく過ごしているらしい。自分から別れを告げられた青木が平常心を保てるなんて、少し意外だ。心配して損した。
 青木も人間的に成長したのか。それとも、大したショックではなかったのか。

 ずきっと胸の真ん中が痛くなって、ジクジクと膿んだような疼きが走る。
 あの日から、ずっと。青木のことを思うたびに、毎日毎日……。
 平気じゃないのは自分のほうだ。

 差し込む疼きに耐えるように、薪はぎりっと奥歯を噛み締め、岡部から預かった報告書のファイルを開いた。





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スキャンダル(8)

スキャンダル(8)





「薪くん。週末の予定、入れちゃったかい?」
 やさしい上司が軽い調子で話しかけてきたとき、薪はてっきり温泉のお供に連れて行ってもらえるものと思った。だから、いいえと首を振りつつ、今頃の時期なら奥日光か那須高原あたりが涼しくていいかもしれない、などといくつかの候補を思い浮かべた。小野田好みの静かでくつろげる温泉宿を探し予約を入れ、かれを宿まで車に乗せていくのが部下である自分の役目だ。

「じゃあ、出張の付き添いを頼める? 土曜日なんだけど、どうしても出席しなきゃいけない会合があってさ」
 それを聞いて、薪は忙しい上司を気の毒に思う。
 第九の室長を務めてきた自分も警察庁の中ではかなり繁忙な部類に入ると自負していたが、小野田の仕事ぶりを見ていると、自分はまだまだ甘いと痛感させられる。あれだけ大量の懸案事項を抱え、多くの人と接見を持ちながら、小野田にはいつも余裕がある。自分では、ああはいかない。書類を捌くだけでキャパシティを振り切ってしまいそうだし、この忙しいのに下らない用事で訪ねてくるな、と来訪客を怒鳴りつけてしまいそうだ。
 薪は小野田のことを尊敬している。彼のような人間になるのだと自分に言い聞かせて、なるべく穏やかな気持ちを保つようにしている。

「はい。よろこんでお供します」
「悪いね。坂崎には休暇をあげるって言っちゃったから、新幹線を手配してくれる?」
 小野田の命に笑顔で応じ、薪はさっそく名古屋の国際会議場までのルートを調べ、会合の時間に合わせて新幹線のチケットを手配した。東京から名古屋までは約1時間。昔は2時間近くかかったそうだが、新幹線も速くなった。
 東京発8時10分のグリーン車の席を2つ。自分は普通車両で充分なのに、公費がもったいないな、と密かに思う。
 以前、小野田の席だけをグリーン車に指定したら、押し問答の挙句普通車両に移って来られて、えらく肩身の狭い思いをした。それに懲りてそれからは、何も言われなくとも2人分の特別席を用意することにした。

 当日の朝は、小野田と東京駅で7時半に待ち合わせた。間接照明の落ち着いた車内に入り、窓際の席に腰を下ろした途端、小野田はそわそわした口調で言った。
「薪くん、あれ、作って来てくれた?」
「はい。え、もう食べるんですか?」
「当たり前だよ。これが楽しみで、朝ごはん食べないで来たんだから」
 子供みたいに主張する上司に苦笑して、薪は自分の荷物の中からタッパを取り出した。蓋を開けると、薄黄色の薄焼きたまごに包まれた丸くて小ぶりな寿司が現れる。

「うん、美味しい。きみの茶巾寿司は相変わらず絶品だね。きみは食べないの?」
「僕は家で済ませましたから」
「じゃ、これ全部食べていいの?」と聞かれて、我慢できずに薪は噴き出した。
 何がおかしいんだい、と小野田は少しへそを曲げたようだったが、寿司を口に入れると直ぐに笑顔を取り戻した。笑いをこらえて、薪がステンレスポットに入れてきた緑茶を差し出すと、小野田はごくりと口の中のものを飲み込んで、心底羨ましそうな顔をした。
「いいなあ、きみはいつもこんな美味しいものが食べられるんだね。贅沢だなあ」
 何年か前に誰かにも、似たようなことを言われた気がする。
 小野田さんたら時々子供みたいなんだから、と心の中でクスクスと笑って、でもこれは彼の気遣いだと、ちゃんと薪にはわかっている。

 先日、中園は小野田に事情を話した、と薪に教えてくれた。とんでもない不始末をしでかした部下の身の振り方については、『かれを守ることを最優先に考える』と宣言したそうだ。免職どころか異動も考えていないと言う。
 薪からも、青木とは別れたこと、懲戒免職は覚悟していることを進言したが、小野田はまったく取り合ってくれなかった。そんなことを考えている暇があったら、この書類を頼むよ、と言われてファイルを重ねられた。言えば言うほど仕事が増えるので、薪もとうとう根負けした。
 こんな面倒を起こされて腹が立たないわけは無いのに、薪に対する態度を1ミリも変えない。それどころか、こうして自分を元気付けてくれようとしている。小野田に報いるためにも早く過去のことは忘れて、職務に邁進しなくては。

「きみの茶巾寿司を食べたら、市販のものが不味くってさ。妻が困ってる」
「よろしかったら、奥様にレシピを差し上げましょうか」
「できれば家に来て、作り方を教えてくれるとうれしいな。会議の後、時間ある?」
「はい」
「そうだ。せっかく名古屋に行くんだから、名古屋コーチンも食べなきゃね。それから、徳川園を見にいこうよ。きっと緑がきれいだよ」
「いいですね」
 徳川園は、名古屋駅近くにある日本庭園の名所だ。龍仙湖と名づけられた人工の湖を抱き、四季折々の花が観光客を楽しませる造りになっている。薪は心から喜んで、小野田の提案を受け入れた。

 なにか、していたほうがいい。無為の時間があると、余計なことを考えてしまうから。

 名古屋の国際会議場で行なわれた市民団体による犯罪遺族者の救済に関するイベントは、正直、小野田本人がどうしても出席しなければならないほど重要な催しだとは思えなかった。題目の重要性は認めるが、規模はそれほど大きなものではなく、部屋も中程度のレセプションホールが使われていた。この程度のイベントに官房長を呼び出すなんて、主催者は度胸があるな、と思ったくらいだ。
 しかし、主催者が小野田に駆け寄ってきて、その小太りな身体を必死に丸め、赤ら顔の頬を更に赤くし、しきりに恐縮するのを見て、薪はこの茶番の裏側に気付いた。

 それで、名古屋コーチンだの徳川園だのと。
 小野田はおそらく薪の気を引き立てようとして、この小旅行を目論んだのだ。温泉では薪が気を使うと考えて、だから会議にかこつけて。

 自分は幸せ者だと薪は思った。上司にこんなに可愛がってもらえる部下なんか、日本中探したっていやしない。
 この恩情に報いたいと、小野田が一番喜ぶことはなんだろうと考えて、すぐにあることに思い当たって、でもやっぱりそれだけは承諾できないと薪は暗い気持ちになる。
 いくら青木と別れたからと言って、小野田の娘と結婚することはできない。そんなに簡単に、薪の心のスイッチは切り替えられない。

 会合は2時間ほどで終了し、軽く食事を摂ろうということになった。
 7階にレストランが入っているからそこで、と薪が言うと、小野田は2階の喫茶ラウンジに行こうと言う。名古屋コーチンを食べたがっていたから、ここは軽食をつまんで、本格的な昼食は外で摂るつもりなのかもしれない。

「うーん、このコーヒーはいただけないな」
 席に落ち着き、運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、小野田は苦笑した。会議場にあるラウンジのコーヒーなんか不味いに決まっているが、これは曽我が淹れたものよりひどい。
「薪くんのコーヒーの味に慣れちゃったからな。寿司といいコーヒーといい、いろいろ不便だな」
「すみませんね、器用で。僕って何をやっても上手にできちゃうんですよね」
 薪はそれをヌケヌケとした口調で言って、その高慢な態度は上司を喜ばせた。
 薪の恋人はコーヒーを淹れるのがとても上手な男で、薪も彼から手ほどきを受けている。コーヒードリップの腕前は、官房室の誰にも負けない。

 …………いや、元恋人だ。今はもう、仕事以外では顔を見ることも許されない。薪のバリスタとしての技術は、ここで頭打ちだ。

「人目があるってのに、ガン見か。中園の心配も分かるな」
「はい?」
 沈もうとした薪の気分を止めたのは、小野田の脈絡の無いセリフだった。
 小野田の視線を追って、薪は開け放たれた喫茶コーナーの入口に背の高い男の姿を見つけた。亜麻色の瞳が驚愕に引き絞られる。

 どうして。
 どうして青木がこんなところに。

「あの背高のっぽが突っ立ってたら、目立って仕方ないね。薪くん、注意してきて」
「で、でも」
「別れたんでしょ? だったら問題ないよね。上司として部下に注意してきなさい」
 小野田に命令されても、薪はその場から動くことができなかった。
 ひと目見ただけで、胸が苦しくてたまらなくなった。話なんかとてもできないと思った。薪は俯いて、自分の靴先をじっと見た。膝の上で拳を握り締める。

 薪の向かいでゆらりと影が動いて、ひとの気配が消えた。小野田が立ち上がったのだ。
「ぼくは一足先に帰るから。明日は休んでいいよ」
「……小野田さん」
「きちんと話し合って、後々トラブルの無いようにしてきなさい。いいね」
 薪の尊敬する上司は悠々と歩いて、入口の側にバカのように立っている男に近付いた。自分に対して頭を下げる長身の男に、ポケットから何やら紙片のようなものを差し出す。

 まさか、例の写真だろうか。こんなところでそんなものを、あのバカに見せたら。

 が、薪の心配は杞憂に終わった。それは写真ではなかった。
 小野田の背中を深いお辞儀で見送って、青木はこちらに歩いてきた。小野田に渡された紙片を薪に見せて、にっこりと笑う。
「オレ、ここの手伝いが二時に終わるんです。もう少し待っててもらえますか」
 大きな手が差し出したそれは、徳川園のパンフレットだった。



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スキャンダル(9)

スキャンダル(9)





 薪たちがコーヒーを飲んでいたラウンジの斜め向かいにあるカフェテリアで、青木は数人の男女と話していた。
 レセプションホールで見かけた人間も、何人か混じっている。ということは、先刻のイベントのスタッフたちか。
 即興の仲間とは言え、共にひとつの仕事をやり終えた連帯感から、彼らは朗らかに笑い合っている。薪の元恋人も、不思議と人を信用させる暖かい笑みを見せている。

 青木の呑気な顔を見ていたら、ものすごく腹が立ってきた。
 あいつ、なんであんなに平気な顔をしてるんだ。僕と別れたってのに、落ち込んだ様子なんかこれっぽっちもないじゃないか。こっちは夜が明けるまで泣き倒し……いやいやいや、あれはそうじゃない。半年くらい前に見た犬の映画が急にフィードバックしてきて、哀しくて涙が止まらなくなったんだ、そうなんだ、ってだれに言い訳してるんだ、僕は。

 深刻な我が身と引きかえ、平生と変わらぬ青木に軽いショックを受ける。岡部も青木に変わった様子は無いと言っていたが、本当に何も感じていないのか。なんて冷たいやつだ。たとえ何ともなくたって、少しくらい凹んでみせるのが思いやりというものだ。
 
 青木の心無い態度に心底腹を立てていた薪は、それでも青木が用事を終えるのを待って、しかし当然のように徳川園のパンフには見向きもせず、真っ直ぐ出口に向かった。
「薪さん、待ってくださいよ。せっかく小野田さんが割引券くれたのに」
 知るか!
 なんで別れた恋人と一緒に日本庭園を散策せにゃならんのだ。イジメか? これは、一方的に別れを告げた身勝手な恋人に対する報復なのか?
「徳川園がイヤなら、別のところにします? 近くに白鳥庭園て所もありますけど。ここなら人が少ないから落ち着けるかも」
 なに普通に誘ってんだ! 僕たちはもう、別れたんだぞ?! もとから図々しいやつだとは思っていたが、ここまで厚顔だとは。

 電話で一言言っただけだから納得していないだろうと予想してはいたが、何もなかったように振舞えるこいつの神経が理解できない。こうなったら説教だ。諄々諭してやる。
 それにはゆっくりと秘密の話ができる場所が必要だと考え、昼間は殆ど人がいないという小さな庭園に案内させた。が、行って見て、薪はその美しさに驚いた。もとより日本の美しい風景には魂を抜かれてしまう薪のこと、思わずふらふらと遊歩道の左に連なる力強い緑に惹かれて歩いていけば、右手には芝生の広場が広がり、そのまた向こうには夏の太陽を浴びた湖面がキラキラと光っている。
 いないはずの観光客もそこここに散っていて、青木の言葉の一部がウソだったことを薪に教える。これは苛立った自分を落ち着かせるための作戦だったか、と理解したところで一旦抜けてしまった牙は戻らない。
 庭園の中ほどに位置する汐入亭の方角に歩きながら、薪は穏やかな声で言った。

「どうしてこんなところにいるんだ。おまえ、まさか僕をつけてきたのか?」
 だとしたら自分も衰えたものだ。青木の尾行は小学生レベルだ。その稚拙な尾行にも気付かないほど、精神的に不安定になっていたのか。
「恥ずかしいと思え、男のクセに未練たらしい。僕が終わりだと言ったら終わりなんだ」
 恥ずかしいのは自分だ。未練を断ち切れないのも自分だ。
 自分で切り捨てておきながら、こころの中ではぐずぐずと青木のことを考えている。今だって、何もかも忘れてこの男を抱きしめてしまいたい、と思っている自分がいる。

「あの、オレ、先週からここに詰めてたんですけど」
「プライベートではもう、一切会わな……え?」
「岡部さんから昨日電話があって。薪さんにオレの出張のことを伝えたって言ってたから、てっきり会いに来てくれたのかと思ってたんですけど。違うんですか?」
 あまりにも厚かましい青木の勘違いに、薪は一度は落ち着いた怒りが再度沸騰するのを感じた。ここではマズイと思いつつも言わずにはいられなくて、薪はコースを外れて木々の間に青木を引き込んだ。

「なんで僕がおまえに会いに来なきゃいけないんだ!? 僕たち、お終いだって言っただろ!?」
「え? あれ、本気だったんですか?」
 本気にしてなかったのか!? なんなんだ、この危機感のなさは!!
「冗談であんなことが言えるか!」
「いや、だって薪さんの言うこと全部鵜呑みにしてたら、とても付き合ってられないですよ。あなたがオレに、今まで何回『別れる』って言ったか、覚えてます? 100回はとうに超えてますけど、わかってます?」
 ……言われてみれば、確かに……『文句があるならいつでも別れてやる』は口癖のようなものだし。
 だからって、今回は携帯まで繋がらないように着信拒否にしたのに。

「携帯に出てくれないことなんか、日常茶飯じゃないですか。忙しいときにはオレの番号だと解ると、無言で切って。それも面倒になったから拒否られちゃったんだとばかり」
 なんてポジティブな理由付けだろう。そう言えば、昔から青木はこういうやつだった。薪の言葉を良い方へ良い方へ解釈して強引にこじつけて、鈴木のことでいっぱいだった薪の中に無理矢理入ってきたのだ。

「ばかばかしい。帰る」
 こちらの気も知らないで、どこまで自分勝手なやつなんだ。僕がどれだけ―――――。

「あ、待ってください、これだけ!」
 青木は慌てて薪の腕をつかむと、道に戻った。人目も憚らず薪の手を引き、庭園の中心にある東屋に連れ込む。
「やめろ、ひとが見るだろ!」
 薪は小声で、しかし鋭く叱責する。あんな写真が送られてきて過敏になっている今、青木の行動は無神経で思慮の浅い行為に思えた。

 なんて浅はかなんだ、こいつは。青木が考えることといったら、享楽的で単純で。
「ほら、見てください、これ」
 こいつが考えることは、いつもいつも。
「獅子おどし。覚えてます? 3年前の春に、長野の温泉宿で一緒に見ましたよね。あのとき、薪さんすごく楽しそうに見てたから。だからここにお連れしようと思って」

 ――――― いつも。
 僕のことばっかり。

「薪さん?」
 細い手が伸びて、青木の腕をぎゅっとつかんだ。手のひらから伝わるのは、あたたかさと微かな震え。
「……帰ろう」
 下を向いたまま小さな声で、薪は言った。
「一緒に帰ろう」
 掠れたアルトの声に重なるように、獅子脅しの音が高らかに響いた。




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スキャンダル(10)

 こんにちは~。

 お天気が渋いですねえ。 また雪になるのかなあ。 困るなあ。
 夜間工事では特に天候に気を使います。 普段は夜間動かさない合材プラントとか、うちのために稼動してもらうわけですから。 それに、NTTケーブルの立会いの人とか。 夜中の1時ごろ来てください、って頼んでおいて、雨で中止になったからまた明日、なんて申し訳なさすぎです。
 付近住民の方にも、夜の騒音で迷惑かけてるし~、
 あー、どうして昼間やらせてくれないんだ!! って、県道でバスが通ってるから仕方ないんですよね(^^;
 現場付近の方、申し訳ありません。(て、ここで謝っても)



スキャンダル(10)





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スキャンダル(11)

 あ、この章も異様に短い。
 ということで、もう1個上げます。




スキャンダル(11)





 清潔に整えた寝具に包まれて、パジャマ姿の恋人は健やかな寝息を立てている。
 薪を眠らせるにはこの手に限る。どうせまた何日も寝てないのだろう。疲れた顔をして、先月見たときよりさらに痩せて。

 膝に乗せて揺すった薪の軽さを思い出して、青木の胸が苦しくなる。
 あんなに激しく青木を求めてきた直後の電話だったから、何かあったのだろうとは思っていたが。尊敬する小野田のところへあんな写真が送られてきて、このひとはどれだけ悩んだのだろう。
 ひと目見てわかった、薪の憔悴と絶望。あの電話は苦渋の決断だったのだ、と確信した。
 これから自分がどうすべきか、青木は一瞬で心を決めた。あのカードを発動するときがきたのだ。

「心配しなくても大丈夫ですよ。あなたのことは、オレが守りますからね」
 秀麗な額にキスをし、寝室を出る。リビングに戻って、床に落とされた情事の名残を片付ける。
 床についた染みからは、薪の匂いがする。汚れをふき取った布を記念に持っていこうかとバカなことを思いつくが、気が付けば部屋中が彼のにおいに満たされていて、この空気の中には薪が溶け込んでいる、と思えばそんな必要も無い。

 薪は、自分の中にいる。
 それだけで充分だ。

 青木は清々しい顔になると、ソファにかけてあったジャケットのポケットから、携帯電話を取り出した。
「青木です」
 用心のために声は極力抑えて、青木は穏やかに言った。
「薪さんから事情は聞きました。はい、すべてお任せします。決して手遅れになりませんよう」
 これは、薪には絶対に聞かれてはいけない会話だ。この事実を薪が知ったら、とんでもない暴挙に出かねない。自分も電話の相手も、それだけは防ぎたいと思っている。

「遠慮はいらないです。オレの気持ちは変わりません。スパッとやっちゃってください。では」
 自分より遥かに階級の高い相手に、少し馴れ馴れしい物言いだったかと反省したが、この上下関係もあとわずかだと思えば気にもならない。

 緊急の事件に備えて携帯を持ったまま、青木は寝室へ戻った。
 ベッドヘッドに携帯を置き、薪の隣に潜り込む。すやすやと幼子のように眠る恋人の手を握って、青木は満足そうに目を閉じた。




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スキャンダル(12)

 ということで、本日2個目の記事です。
 よろしくお願いします。




スキャンダル(12)












 翌朝、不覚にも強制的な睡眠を摂らされたおかげですっきりと目覚めた頭を、専属バリスタの特製ブレンドでさらに冴え渡らせ、薪は問題の写真を検分した。朝食を摂った後のダイニングテーブルに何枚ものきわどい画を並べ、捜査官の眼でそれを見る。
 捜査官モードになってしまえば、それがどんなに恥ずかしい写真だろうと関係ない。例えそこに自分と母親のセックスが映っていても平気な顔で見られるくらい図太くないと、第九の捜査官は務まらない。

 検証の結果、写真は3方向から撮られている。おそらくは高精度のCCDカメラが仮眠室に設置されていたのだろう。問題は、それを設置したのが誰か、ということだ。
「犯人は一体、何が望みなんでしょうね」
 昨夜あれだけ体力を消耗することをしておいて、目の下にクマもなく食欲も旺盛な部下を見て、薪は彼の若さを羨ましく思う。薪がもし女性相手にあの回数をこなしたら、次の日は多分、腰が立たない。

「小野田さんの失脚を狙ってるに決まってるだろ? 」
 コーヒーの香りを吸い込み、脳神経を活性化させる。集中力を高めるのに、臭刺激は効果的だ。
「オレは、このターゲットは薪さんだと思うんですけど」
「なに言ってんだ。写真は小野田さんのところに送られてきたんだぞ」
「でも、まだ何の要求もないんでしょう?」
 それは薪も不思議に思っていた。この写真が官房室に届いてから、すでに3週間が経過している。その間、動かない敵の真意はまったく理解できない。

「時期を待ってるのかもしれない。将来、小野田さんが次長に推挙されるときとか」
「だったらその時に使うんじゃないですか? だって犯人にとって、これは大切な切り札でしょう。それを前もって提示してしまったら、対策を立てられてしまうかも知れないじゃないですか。例えば、今のうちに薪さんを免職にするとか。そうすれば小野田さんは無傷ですよね」
「小野田さんは、それはしないって」
「でも普通は、小野田さんがそこまでして薪さんを庇うはずがないと考えるんじゃないですか?」
 それはそうかもしれない。

「犯人の狙いが薪さんだと思ったのには、もうひとつ理由があります。この写真なんですけど」
 昨夜とはまったく違う引き締まった顔つきで、青木は写真を指差した。その厳しい目つきにどきまぎする自分を見つけて、薪は慌ててそれを押さえ込んだ。
「薪さんの顔ははっきりと写っているのに、オレの顔は写ってないですよね? どの写真も身体の一部分で切れている。これは、オレが薪さんを庇えないようにするためだと思います」
「庇うって、どうやって」
「この写真にオレの顔が写っていれば、オレが薪さんを無理矢理襲ったことにして、そうすれば薪さんは被害者ということで、お咎めなしでもいいでしょう。だけどこの写真だけでは、その方法は無理です」
「バカ! 例え写真におまえの顔が写ってたって、そんなことできるわけないだろ!」
 青木の浅知恵に怒りを爆発させ、薪は椅子を蹴って立ち上がった。

「あれは、合意の上だったんだから。ていうか、僕の方から、その……」
「あくまで対策のひとつですよ」
 赤くなって語尾を濁す薪に青木はゆるりと微笑み、直ぐに真面目な顔になって自分の推理を話した。

「でも、不自然だと思いませんか? あのとき、オレたちかなり動いてましたよね。定点カメラで薪さんだけが写るなんて、ありえないと思うんですよ。何十枚かあった写真の中から意識的にこの数枚を選んだ、あるいはオレの顔が映らないように取り込んだ画像を調整した、と考えるのが自然でしょう」
 青木の言うことは、いちいち尤もだ。
 動揺のあまり、冷静な捜査官としての思考を失っていたことに気付いて、薪は己を恥じた。
 いきなりあんな写真を見せられて、小野田に対する申し訳ない気持ちで一杯になってしまって、物事を順序立てて考えることが出来なくなっていた。青木と別れろと命令されて、この状況では仕方ないと思いつつも、こんな別れ方はいやだと、そればかり・……。

「だけど、そうなってくると分からないことがあるんですよね」
 青木は人差し指を鼻の上に置き、眼鏡を押し上げる仕草をした。モニターを見るときに、よくやる動作だ。青木の集中が高まっている証拠のそれを、薪は頼もしいと感じた。
「犯人はどうして何も行動を起こさないんでしょう。この写真をマスコミや上層部にばら撒くとか、ネットで公開するとか、いくらでも手はあるのに。早くしないと、間に合わなくなってしまいますよね?」
「間に合わないって、何が?」
「官房室付け参事官の辞令ですよ。今のうちなら第九の醜聞で済みますけど、薪さんが正式に官房室の人間になってしまってからじゃ、警察機構全体のスキャンダルになってしまうでしょう? 」
「そんなの、犯人にとっては関係ないだろ」
「大有りですよ。犯人が葬りたいのは薪さんであって、警察機構ではないはずです。これは内部犯行ですから」
 内部犯行であることは、薪にも予想がついている。しかし、これを小野田の政敵と考えず薪の政敵と捉えるなら、彼(あるいは彼ら)の矛盾した行動にも説明がつく。相手は、小野田が薪を見限るのを待っているのだ。

「警察内部に犯人がいるという根拠は?」
「根拠は2つあります。第一に、第九のセキュリティは特別製です。外部の人間がそう簡単に入れるとは思えません」
 機密漏洩防止の観点から、第九のセキュリティは特別製だ。毎週月曜には玄関からモニタールームまでにある5つのゲートのセキュリティがすべて新しくなり、パスワードも変更される。
「第二に、月曜日の朝、つまりこの写真が撮られた1週間後ですね、盗聴器類のチェックをしたときには、すでにカメラはありませんでした。犯人が持ち去ったものと思われます」
「ちょっと待て。盗聴器類のチェックって、おまえそんなことしてたのか?」
「以前、風呂にCCDカメラが仕掛けられてた事があったでしょう? あれ以来、毎週月曜、それと外部から人が入ったときには必ず調べることにしてるんです。オレ以外の誰かに薪さんのはだかや寝顔を見られるなんて、我慢できませんから」
「……理由はともかく、よくやった。と言うことは、犯人は、月曜日の日中カメラを設置してこの画像を手に入れ、翌週の朝までには証拠を持ち去ったことになるな」
「でも、それが誰かは判らないです。仮眠室の入口には目隠しのパーティションが置いてあって、職員に気付かれず中に隠しカメラを仕掛けることは、第九のモニタールームに入れる人なら誰でも可能です。今はボールペンやUSBメモリに偽造したカメラがありますからね。仮眠室のクロゼットに置いてあっても、不思議には思わないでしょう」

 仮眠室のクロゼットは4つあるベットの横にそれぞれ付いていて、扉は無い。ジャケットやネクタイを掛けるハンガーが2つ、それと眼鏡や時計を置くための棚があって、そこにこのカメラは置いてあったと推測される。
「だけど、あの1週間に第九を訪れたのは、みんな薪さんと親しい方ばかりで。その中の誰かを疑うことなんか、できないです」
 薪は頭の中で、恒常的に第九に出入りしている彼らの顔を思い浮かべてみる。そのうちの一人が取ったあの夜の行動を思い出して、薪はある可能性を導き出した。

「そんなに……?」
 急に黙り込んでしまった薪に気付いて、青木は心配そうに声を掛けた。
「薪さん?」
 事の深刻さは青木にも解っている。自分が原因で小野田を窮地に立たせることになるかもしれないのだ。責任感の強い薪には、これ以上の苦痛はない。

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。小野田さんには、切り札がありますから」
「切り札?」
 きょとんと首を傾げて、鸚鵡返しに薪が訊く。
「なんでおまえがそんなこと知ってんだ?」
 そう、自分はそれを知っている。でも、薪は知らなくていい。

「薪さん」
 青木は席を立って薪の椅子の右隣へ回り、その場に膝をついた。テーブルに置かれた小さな手を取って、両手で包み込む。
「離れてても、会えなくなっても。オレ、あなたのことがずっとずっとずうっと好きですからね、一生あなたが好きですからね」
「なんだ、急に。気持ち悪いやつだな」
「本当です、信じてください。オレ、薪さんの幸せをずっと祈ってますから」
「なに会えなくなるようなこと言ってんだ。別れないって言っただろ?」
 青木はそれには答えず、黙って薪の身体を抱きしめた。
「青木? どうしたんだ?」
 自分の腕の中で不思議そうに瞬くかわいい恋人に、限りない愛しさを感じながら、青木は不確定な未来しか持てない自分の現状をもどかしく思う。

 名古屋のコンベンションホールで小野田にパンフレットを渡され、すれ違いざまに囁かれたセリフ。
『気をつけなさいよ。ぼくにあれを使わせたくなかったら、慎むことだ』

 青木の命綱は、小野田が握っている。あれを使われたら、薪との関係も自分の人生もお終いだ。しかし、それを後悔する気はない。
 それはとても簡単な数式だ。
 薪への愛と自分の人生は、等記号で結ばれている。どちらかが消えれば、もう一方も消滅する。青木の頭の中にあるのは、それだけだ。その両方が消えた後のフォローは、小野田に頼んである。きっとうまくやってくれるだろう。

 3年前、青木と小野田の間に交わされた密約。一枚の事件調書に込められた青木の決意と覚悟のほどを、薪は生涯知ることはなかった。





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スキャンダル(13)

スキャンダル(13)





 遡って、4日ほど前のこと。
 
 恋人と別れたことを薪が認めて官房室から出て行った後、中園紳一はソファに腰掛けて優雅に足を組んだ。官房長の小野田は自分の上司だが、幼馴染みの腐れ縁。仕事以外の話をするときには、フランクな態度で通している。
「中園。薪くんになにしたの?」
 職務以外の話の時には中園の隣に腰を下ろすはずの悪友は、執務机についたまま、固い口調で言った。
「おまえは知らなくていいよ」
「そうはいかないよ。薪くんはぼくの大事な跡継ぎだ。彼を娘婿にすることを、諦めたわけじゃないんだからね」
 小野田が剣呑な声を出すことなど、滅多とない。よほど薪が大事らしい。

「実は……おまえ宛に、こんなものが送られてきて」
 中園は懐に忍ばせた一枚の写真を取り出して、小野田に渡した。小野田の目が驚愕に見開かれる。縦9センチ横12センチの小さな紙片に込められた凶悪な思念が、小野田の顔を強張らせた。
「これは、いつ?」
「先々週の金曜だ」
 好々爺とした小野田の目が細くなり、濃灰色の瞳がじっと中園を見た。普段の和やかな雰囲気などカケラも無い、小野田の捜査官としての瞳。この事件の裏側を探って、彼の頭の中はめまぐるしく動いているに違いない。

「これを薪くんに見せたの?」
「仕方ないだろ」
 その時の薪の様子を思い出すと、僅かに心が痛む。しかし、これは自分の仕事だ。小野田の歩く道に転がっている石やゴミを取除くのは、自分の役目なのだ。
 あのとき薪は、紙のように白い顔をして、ガクガクと身を震わせていた。衝撃に声を出すことも能わず、せっつくような呼吸を繰り返すばかりで、無力な子供のようだった。それでも自分の恋人に非難が及ぶとなれば、あんな見え透いた嘘を吐いてまで彼を庇おうとした。男同士でそんなふうに相手を思いやれるなんて、正気の沙汰とは思えない。

「誰かが悪意を持って、おまえを陥れようとしている。この際、薪くんを切り捨てることも視野に入れて対策を立てないと」
「それは却下だよ。薪くんを守ることを最優先に考える」
 間髪入れず返ってきた答えに、中園は心の中で舌打ちする。一番有効な対策を、考える余地もなく除外するなんて。
 小野田の執着に、中園は危険なものを感じる。跡継ぎと見込んで長年手塩にかけて育ててきた薪を大切に思うのは当然だが、これは入れ込みすぎだ。

「この写真を理由に、薪くんたちを別れさせたの?」
「こういう事態になった以上、止むを得ないだろ。薪くんも納得してくれたよ」
 小野田はしばらくの間、その写真を見ていた。
 考え込むときの癖で右手の人差し指で机の端をとんとんと叩き、何らかの解答に行き当たったのか、どっと背もたれに身を沈めた。天井の照明器具を見つめて、小野田は言った。

「……他に方法なかったの?」
「他の方法? どうしろって言うんだい。敵に要求を突きつけられる前に、マスコミの前でカミングアウトさせろとでも?」
「中園」
 おどけた中園の口調を諭すように、しかし小野田の目は静かな怒りと密かな哀しみに満ちて、長い間彼を見てきた中園には、それが何を意味するのか直ぐにわかった。

「はは。やっぱりおまえの目は誤魔化せないか」
 両手を肩の脇に上げ、降参の意を示す。小野田官房長殿には、何もかもお見通しというわけだ。
「なんだってこんな真似」
「おまえの出世の障害物を取除くのが、僕の仕事だからな。後継者候補の薪くんに男の恋人がいるってのは、どう考えてもネックだ。おまえだって、あのふたりに別れて欲しかったんだろ?」
「そりゃそうだけど。何もこんなエゲツナイやり方しなくたって」
「このくらいしなきゃ、あのふたりは別れないよ。僕の計算に狂いはない」

 自分の計算が、小野田を官房長の役職につけた。中園は、そう自負している。
 人間の性格や行動パターンを読み取り、データに基づいてその人間の次の行動を見抜くのは、中園の得意技だ。腹の探り合いの派閥争いには、これ以上役に立つ能力はない。
 中園は、去年の春からずっと彼らを見てきた。一見、それほど強い絆で結ばれているようでもないし、熱烈に愛し合っているようでもないのだが、困難な局面には妙に強い。男同士のカップルなんて、ケンカ別れが定石なのだが、彼らはしょっちゅうケンカしている割に別れる気配はないし、その度に関係を深めているようでさえある。
 何がふたりをつなぎとめているのだろうと考えて、薪のからだはそんなにいいのだろうか、と下世話な思考が浮かぶ。自分は若い子専門だが、薪のことは一度試してみたいものだ。
「そうかもしれないけど。これじゃ肝心の薪くんがボロボロになっちゃうだろ」
 やっぱりやめだ。情の深い子は苦手だ。のちのち面倒なことになる。

 薪の顔を思い出しているのか、小野田の表情が憂いを帯びる。しかし、あのふたりを別れさせたいと誰よりも強く願っているのは小野田だ。
 それは決して邪な嫉妬心などではなく。
 小野田は薪のことを、本当に大事に思っている。自分のすべてを渡してやりたい、彼を守りたい、輝く未来を彼に与えてやりたいと考えているのだ。だから、薪についた虫が許せない。要は、父親の心境だ。自分の子供が同性と恋に落ちて、それに反対しない親は限りなく少ないだろう。

 だから。
 小野田は中園の策謀を止めることはできない。

「青木くんの方から身を引くように、作戦を変更できない?」
「そんなことはしても無駄だよ」
 中園は、小野田の机の引き出しを開け、奥のシークレットボックスの暗証番号を押し、中から一枚の紙切れを取り出した。忌々しそうにそれを見て、バシリと指で弾く。
「こんなものを敵の首領に預けるようなバカ、僕だってどうにもならないよ。ここまで覚悟を決めた人間を翻意させるなんて、カリスマ司教でも無理だ」
 男相手のかりそめの愛に、ここまで懸けるバカがいるのか。中園には理解できない。理解できない人間は、行動の予測ができない。中園が一番苦手な人種だ。

「弱いところから切り崩すのが、戦略の基本てもんだろ?」
 単細胞の青木と違って、薪は様々なことに考えを巡らすタイプだから、その想いも複雑になっていく。周囲の人間や相手の肉親や、将来のこと仕事のこと。考えれば考えるほど、この関係が不利益なものだと聡明な薪には理解できるはずだ。そこに、つけいる隙が生まれる。青木にはそれがないから、何を仕掛けてもムダだ。得てして、単純なものほど強いのだ。
「薪くんのほうから、青木くんに別れるって電話をしてたよ。僕がこの耳で聞いた。この件は、このまま流しておいたほうがいいんじゃないかな」
 小野田は頷くことも首を振ることもしなかった。机に肘をつき、両手を組み合わせてその上に鼻先をあてがい、物思いに耽るようだった。

「どうした、小野田。今までさんざんやってきただろ? 邪魔者は消さなきゃ、自分が消されるぞ」
「薪くんは敵じゃない」
「主もろとも沈む要因を持った部下なんか、敵よりも始末が悪い」
 いつの間に、こいつはこんなに弱くなったんだろう。昔の小野田はこうじゃなかった。もっと冷酷で利己的な部分も持ち合わせていた。
 小野田が官房長の役職に就くために汚してきたのは殆どが中園の手だったが、小野田とて何も知らずに過ごしていたわけではない。裏で何が行なわれているかちゃんと解っていて、それでも何食わぬ顔をしてこの椅子を手に入れたのだ。
 そうしなければ、警察機構で権力を握ることはできない。権力がなければ、どんな理想も貫けない。中園の理想は小野田に託した。だから中園は、自分がどんなに汚れても小野田だけは守り通すと決めているのだ。
 例え、小野田本人からどれだけ疎まれようとも。

「いずれ、本当の政敵からこんな脅しがこないとも限りません。これは、訓練だと思ってください、官房長」
 捨て台詞のように言って中園は席を立ち、部屋を出た。ドアを閉める際ちらりと中を覗くと、小野田はまだそのままの姿勢で、陰鬱そうに空を見つめていた。



*****

 実は、中園参事官お気に入りです♪
 ヒールを書くのって、楽しいんですよ~。(^^)←ひとでなし。

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スキャンダル(14)

スキャンダル(14)






 真夏の日射しが眩しい昼下がり、薪は研究所の中庭の特等席で膝を抱えていた。
 親友との思い出の残る樹の下、考え事がしたいときやひとりになりたいとき、薪はいつもここで無益な時間を過ごす。それは忙しすぎる日常との釣り合いを取るためであり、精神の安定に欠かせない大切な習慣だった。

 ぼうっと芝面を見ていると、薪の大事なひとたちの顔が次々と浮かんでくる。青木や、岡部や第九のみんな、雪子に小野田に……誰もが薪のことを大事に思ってくれている。そのことを嬉しく思う。薪もまた、彼らを大事に思っている。だから。
 だから、誰も悲しませたくないのに。

「あれ? 薪くん」
 ガサガサっと茂みが動いて、中から人間の顔が現れた。一見爽やかな印象を与えるダンディな彼は、警察庁一の色事師だ。
「間宮部長」
 ここでなにを、などと聞くまでもない。彼が人目に付かないところでコソコソしていることと言ったら、恋人との逢引に決まっている。
 枝葉の隙間から、相手の姿が見える。ちらりと見えたのはピンク色のネクタイ。どうやら今日のお相手は、若い男性らしい。

 常ならば急いでこの場を立ち去るのだが、個人的な理由で、薪は今は動きたくない。心が死んでしまったようで、活動する気力が湧いてこない。
 それでも視線だけはあさっての方向に向けて、そのまま意識を浮遊させていると、昔の記憶がぼんやりと甦ってきた。普段の1%にも満たない集中力を傾ければ、はっきりと思い出す、あれは3年前の初夏。

「なにしてるの?」
 気が付くと、警務部長が隣に座っていた。薪がそっぽを向いている間に、間宮の恋人は立ち去ったようだ。
「何年か前にも、同じことがありましたよね」
「そうだっけ?」
「僕は覚えてます。相手は庶務課の女の子でした」
「さあ、忘れちゃった。ここで抱いた人間の数は、とっくに3桁だからなあ」
 3桁ってことは100人以上!?
 齢50に差し掛かるはずの彼の顔は若々しく、下半身はもっと若いらしい。分けて欲しいくらいだ。そうすれば青木の要求にもう少し応じられるのに。

「なんだい、涙なんか浮かべちゃって」
「泣いてなんかいませんよ」
「そうかい? きみがベソかいてるように見えたから、彼を行かせたのに」
 自分がここを退かないから場所を変えることにしただけだろう、と心の中で呟いて、薪は俯いた。前回のときもそうだ、仕切り直すのだと言っていた。

 あの時も、と薪は思った。
 薪がひどく落ち込んでいたとき、間宮はここでしていた行為を中断して自分を追いかけてきた。その時は頭に血が上っていて分からなかったけれど、あれは。

「もしかして、失恋かい? よし! 俺が慰めてあげよう、カラダで!」
 きっと今も。
「さあ! 俺の胸に飛び込んでおい」
 間宮の胸に亜麻色の小さな頭が押し付けられた。震えながら、洩れる嗚咽を殺そうと口元を押さえる。
「……薪くん?」
 
 この男に弱味を見せたりしたら、付け込まれる原因を自分から作るようなものだとか、百人以上もの男女と見境なく関係しているような穢れ切った身体に自分から近付くなんて正気の沙汰じゃないとか、後から思い出して薪は発作的な自殺願望及び相手に対する殺人衝動と戦わなくてはならなくなったのだが、その時には何も考えられなかった。

「こういうのは、俺のキャラじゃないんだけどな」
 ぽん、ぽん、と鼓動を刻むリズムで背中を軽く叩かれる。やわらかい手が髪を撫でる。おぞましいと思っていた男の手は意外なほどに心地よくて、目の前のワイシャツを濡らす雫が一気に溢れ出した。

 情けなく、しゃくりあげる声が聞こえる。込み上げる慟哭も自分のからだも、今は薪の思い通りにはならない。
 間宮の首がぐっと伸び、彼が上を向いたのがわかった。声が物理的な振動になって、薪の耳に伝わってくる。
「空がきれいだねえ。下ばかり向いてると、見逃しちゃうよ。今日の空は今日しか見れないのに。もったいない」
 呑気な声には同情も蔑みも無い。そこから感じ取れるのは、ひとの暖かさだけだ。

 ああ、きっとこんなふうに。
 僕が気付かないだけで、僕はたくさんの愛情に包まれている。僕に向かう行為は、それが例え刃の形を取ったとしても、僕の大切なひとたちから発せられる限りは愛情の一形態に過ぎない。
 だからどんなに傷ついても、痛みは直ぐに治まる。僕が彼らを信じてさえいれば、簡単に塞がる。
 だって、僕は愛されているんだから。

 高そうなブルガリのネクタイで涙を拭いて、薪は顔を上げた。
「本当に。きれいな空ですね」
「だろ?」
 間宮の言うとおりだ。下ばかり向いていたら、こんなにきれいなものを見逃してしまう。凝り固まった思考にとらわれていたら、大切なものまで見失ってしまう。

「この青空の下で、自分を解放してみないか? 俺が手伝ってやるからっ、あっつ!!」
 腰に伸びてきた不届きな手をねじり上げ、肘の関節をびしりと決める。軽く外側に捻ってやると、間宮は哀れっぽく悲鳴を上げた。
「いたた!! 痛いよ、薪くん!」
「我慢してくださいよ、手伝ってくださるんでしょう?」
「きみの解放とこの痛みと、どういう関係があるんだい」
「実は僕、サディストなんです。オトコの悲鳴を聞くと、コーフンしちゃう」
「うぎゃああ―――っ!!!」
 あははは、と笑って、薪は男の腕を解放した。

 動けなくなった間宮を残して、薪はその場を離れた。歩きながら見上げた空は、青いカンバスにぽっかりと白い雲が浮いて、泣きたくなるほど美しかった。



*****

 3年前の間宮との出来事は『2062.5 きみのためにできること』に書いてあります。
 実はあの話は、今回のお話の伏線にしようと思って書いた話だったりします。 だから、あの題名の『きみのために』は、間宮→薪さんへの言葉だったんですね。
 何年前の話してんの、って突っ込まれそうですが(^^;


 

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スキャンダル(15)

スキャンダル(15)




 薪に痛められた肘をさすりつつ、間宮は顔をしかめていた。

 まったく、容赦のない。素人相手なのだから、もう少し手加減してくれても良さそうなものだ。
 まあいいか。おかげであの魅惑的なヒップにさわれたし。

 一昨年あたりから、薪は急に色っぽくなった。周囲にはそれと気づかせていないが、自分にはわかる。あれは男に愛されているもの特有の色気だ。
 味をみてみたいと思わないこともないが、いまひとつ食指が動かないのは、薪が相手の男と相思相愛だという事実だ。相手に満足しきっている状態の人間を口説くのは、至難の業だ。10人以上の愛人とラブゲームを繰り返している自分に、効率の悪い新規開拓をしているヒマはない。
 それに。
 なんとなく、このまま彼を見ていたいような気もする。相手がどこの誰かは知らないが、薪はどんどん美しくなる。表情が柔らかくなったし、雰囲気も丸くなった。色気も増したし、身体の方も熟してきた。いい恋愛をしている証拠だ。

「噂ほどじゃないみたいだな、君も」
 薪が歩いていった方角とは逆の方から皮肉とともに現れたのは、官房室の首席参事官だった。
「ああいう類の男は、弱ってるところを慰めてやれば簡単に落ちるって教えてやっただろ? なんで真面目に口説かないんだ?」
 中園のシニカルな口調に、間宮は薄いくちびるを歪めると、階級を無視した言い方でそれに反論した。大丈夫、自分には次長(義父)がついている。
「どうも俺は官房室の人間とは相性が悪いみたいだな。あんたのボスも苦手だけど、アタマ張ってる分、あんたよりはマシらしいな」

 近頃薪がここで泣いている、と教えてくれたのは、何を隠そうこの男だ。どうしてそれを自分に教えるのか不思議だったが、ようやく合点がいった。
 この男は、自分と薪に関係を持たせて、何かしようとしているのだ。おそらくは官房室の利になることで、薪と自分には不利な何か。この男が薪に悪意を持っていることは、この言い草が証明している。

 中園は小野田の右腕だ。小野田が自分の跡継ぎにと定めている薪に攻撃を仕掛けるということは、小野田の意志に背くことになるはずだ。それを理解した上で薪を追い込もうとするのは……薪が小野田にとって有害だと判断し、彼を排除しようとしているのか。

「ああいう類ってどういう類だ? あんたはひとを分類してるのか? 薪くんは薪くん、あんたの恋人とは別の人間だろ。ていうか」
 仕事のとき以外は絶対にしない真面目な目になって、間宮は中園をねめつけた。
「金とセックスを等価交換できるような人間と、薪くんを一緒にするな」
 間宮は中園のように、セックスを金で買ったことはない。別にそういう職業の人間に偏見を持っているわけではないが、それはプレイボーイのすることではない。
 恋愛はゲームだと思っているし、ひとりの相手に貞操を誓うべきだなどとはカケラも思っていないが、そこに金銭を絡めるなんて、興が冷めるようなことはしない。セックスの対価はあくまで、一時の夢と快楽であるべきだ。からだだけでなく気持ちの上でも楽しくなければ、ゲームとは言えない。
 
 間宮は不愉快そうに眉をしかめて立ち上がると、警察庁の方へ歩いていった。その場に残された最後の男は、腕を組んだまましばらく考えを巡らすようだったが、不意に苛立ったように足元の芝生をつま先で蹴ると、他人に聞かせたことのない乱暴な口調で毒づいた。
「ちっ、どいつもこいつも……腑抜けばかり揃いやがって」

 口汚く吐き捨てると、中園は官房室へ取って返した。目的は、小野田の執務机の奥、シークレットボックスの切り札だ。

 こうなったら最終手段だ。騒ぎが大きくなるのは中園も本意ではないが、あの事件調書を公にすれば完全にふたりを別れさせることができる。検察にも手を回して青木を葬ってしまえば、薪が何を主張したって無駄だ。マスコミも世論も、こちらで操作する。情報操作は中園の得意分野だ。

 ところが、中園の探し物はなかなか見つからなかった。
 そんなはずはない、ここに切り札が保管されていることを確認したのは先週のことだ。小野田が保管場所を変えたのだろうか? 何のために?

「おまえが探してるものは、そこにはないよ」
 不意に聞こえた声に、中園は思わず固まった。無断で探っていた机の持ち主が現れて、咎めるような目つきで自分を見ている。
「ていうか、もうこの世のどこにもない」
 その言葉の意味を、中園は正確に理解した。小野田がこんな馬鹿げた行動に出るなんて、とても信じられない。

「……おまえまで、僕の計算を裏切るのか」

 衝撃を皮肉に紛らせる余裕もなく、中園は心中を吐露した。小野田はいつもの少し困ったような表情になって、若い頃に比べると幾らか貫禄のついた肩を軽く竦めた。
「土曜の夜ね、青木くんから電話があってさ」
「土曜日? 温泉に行ってたんじゃないのか」
「ちょっと出ておきたい会議があったから。薪くんと一緒に行って来たんだ。そうそう、これ、お土産。渡すの忘れてた」
 小野田がキャビネットから出した有名な関西土産を見て、中園は顔色を変えた。
「おまえ、わざと」

 小野田の行動が何を見越してのものだったか理解して、中園は彼の愚かな行動に心底腹を立てた。
 青木を薪に会わせないよう、彼を名古屋に追いやったのは中園だ。接触を持たなければ、記憶も好意も薄れていくだろうと踏んでのことだ。ひとがコツコツ積み重ねた仕事を、根っこからひっくり返しやがって。

「僕の好みを忘れたのか。僕は羊羹のたぐいは大嫌いなんだ」
「そうだっけ? 八町味噌にすればよかったかな」
 怒りを込めた攻撃をひらりとかわされて、中園は拳を握り締めた。衣を被せている余裕はない、ここは直球だ。
「青木くんはなんて?」
「ぼくの好きにしていいって言ってたから、好きなようにさせてもらった。なんか急に、火が見たくなっちゃってさ」
 青木の行動は常識から大きく外れていて、中園には計算不能だ。青木だけではない、あの間宮という男も、いや、長年見てきた友人である小野田まで。

 自分の中のコンピューターが火を噴いて、ガシャガシャと勘に障る音が鳴り響いた。中園の書いたシナリオは意味を成さない電子記号になって、泡のように消えていった。
 小野田に掴みかかる自分が簡単に想像できるくらい、作戦の失敗を口惜しく思いつつ、この事態を喜ぶ自分がどこかにいて、それは多分、ずっとむかし小野田に託した自分の一部分だ。すべて彼に与えたと思っていたのに、まだいくらか残っていたのか。それとも、新しく生まれたのか。

 打算のない行為。ただ、誰かの笑顔が見たいとか、誰かに幸せになって欲しいとか、そんな警察機構で生き残るためにはあってはならない感情。
 だけど、それを小野田には捨てて欲しくなくて、だったら小野田の代わりに自分がそれを成そうと思った。魑魅魍魎の跋扈する警察庁の頂点に立ってすら、彼が人間らしくいられるように、自分は小野田の影になろうと思った。彼の暗部をすべて引き受けようと思った。

 だから、と中園は彼の行動を承認する。
 小野田の愚行は、自分が望んだことでもあるのだ。

「官房長は、放火魔のプロファイリングでもなさるおつもりで? 付き合いきれませんな」
 やっとの思いで皮肉屋のスタイルを取り戻して、中園はドアに向かった。小野田の側を無表情に通り過ぎ、ドアノブに手を掛ける。

「中園」
 引いたドアの隙間に足を進めようとしたとき、上司のすまなそうな声が聞こえた。
「ごめんね」
 応えを返すこともなく、中園はドアを閉めた。ドアの閉まる音と上司の声が重なって、中園の耳にいつまでも残っていた。




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スキャンダル(16)

スキャンダル(16)





 金曜日、定時を回った官房室に今日は研究室にいるはずの部下が訪れたとき、小野田はついに来るべき時がきたことを悟った。

 この1週間、常に自分への尊敬を含んでいた亜麻色の瞳は暗く、小野田の前ではついぞ見せたことのない陰鬱な表情で彼は日々を過ごしていた。彼が真実に到達し、そのことで思い悩んでいるのはわかっていたが、小野田にはどうすることもできなかった。
「どうしたの、薪くん。何か急用?」
 仕事の手を一旦止めて部下をソファに座らせ、自分も向かいに腰を下ろす。心臓の鼓動が早くなっていることに驚き、いつの間に自分はこんなにこの子から受ける尊敬を失いがたいものだと認識していたのかと更に驚く。

「申し上げたいことがありまして」
「言ってごらん」
 小野田が促しても、彼の口唇はなかなか開かれなかった。言いあぐねているのか言葉を選んでいるのか、小野田に気を使っているのか。俯いたきりくちびるを噛んで、長い睫毛を伏せている。

「薪くん」
 小野田が彼の名を呼ぶと、薪はようやく顔を上げた。
 寡黙なくちびるより遥かに雄弁な彼の大きな瞳が、悲しみを湛えて小野田を包み込んだ。亜麻色の瞳から響く、悲痛な叫び。

 ――――― あなたが、こんなことをなさるなんて。
 
 そこまでして断ち切らねばならないと、あなたのようなやさしい方が思われるほどに。
 僕らの関係は、忌み嫌われるものなのですか。
 僕たちは別に法を犯しているわけじゃない、誰にも迷惑なんか掛けてない。ただ一緒にいたい、愛し合っていたい。それだけしか望まないのに。
 それは許されないことなのですか。あってはいけないものなのですか。

 彼の穢れない瞳は、そう訴えていた。小野田が取った卑怯な行動を非難するでもなく、ただただ哀しみに満ちて、そんな彼のつややかなくちびるがついに発したのは、しごく控えめな願いの言葉。

「信じてください」

 じっと小野田の瞳を見つめ、真剣な声音で誓うように言う。まるで教会で神に祈るように姿勢を正し、信者が神父に洗礼を受けるときのように敬虔に。
「小野田さんと約束したことは、必ず守りますから。もう少しだけ、猶予をください」
 かれの望みに頷くでもなく首を振るでもない小野田を、薪は静かに見つめ続けた。その視線に含まれるのは、変わらぬ尊敬と敬慕の色だった。

「小野田さん。僕は」
 またもや薪は言い淀んで、それは彼が実はこういう本音の会話が不得手だということを暴露する。そのくせ一旦口を開けば、照れながらもひどくストレートに、亜麻色の瞳を煌かせて薪は言った。
「僕は、小野田さんが大好きなんです」
 まるで小さな子供が自分の親に言うように、無邪気に、何の計算もなく。
 薪は、こういう男だっただろうか?天邪鬼で皮肉な物言いはポーズで、本当の彼は他人のことを慈しめる愛情溢れる人間だと知ってはいたが、それをストレートに表わせるような強さを持っていただろうか。

「小野田さんはずっと僕のことを守ってくれて、いつもいつも庇ってくれて……小さい頃に死んだ父や、僕を育ててくれた叔父より、僕は小野田さんのことを本当の父のように思っています」
 以前の薪はこうではなかった。人付き合いが下手で、特に他人に言葉で好意を伝えることは壊滅的に不器用だった。それでも薪がいつもひとの輪の中にいられたのは、それを見抜く仲間に恵まれたのと、時おり見せる薪の素の顔の魅力のおかげだった。

「だから、僕は小野田さんに嫌われたくないんです。がっかりさせたくないんです。それくらいなら、あなたの目の届かないところに行きたいです」
 素直な言葉と素直な表情。人が人と心を通じ合わせる時に、それ以外のものは必要ないと、そんな単純なものが人の世の核を成しているのだと、彼はどこで学んだのだろう。いつ、だれから?

 薪はまた新しい武器を手に入れた、と小野田は思った。
 認めるのはシャクだが、これもあの男の仕事か。

「お仕事の邪魔をしてすみませんでした。失礼します」
 薪は立ち上がり、小野田に深く一礼した。さらりと流れる亜麻色の髪に光の粒が輪になって、それは彼の心が天上のものであることを示しているように思えた。
「ああ、薪くん」
 ドアから出て行こうとした彼を、小野田は呼び止めた。もう、小細工は必要ない。
「ゴルフコンペはキャンセルしたから。明日は休んでいいよ」
「ありがとうございます」

 薪がいなくなった後、小野田は共犯者に電話を掛けた。相手の男は受話器の向こう側で大げさに驚き、小野田官房長殿からお電話をいただけるなんて恐縮であります、と思い切りおどけてみせた。どうやら、大分飲んでいるらしい。
「バレちゃった」
『なに凹んでんだよ。あの薪くんに隠し通せると思ってたわけじゃないだろ?』
「そこまで楽天家じゃないよ」
『小野田さんなんか嫌いです! とでも言われて、落ち込んだか』
「いや。本当のお父さんだと思ってる、って言われちゃったよ。だから、嫌われたくない、失望させたくない、ってさ」
 悪友のズケズケした言い方に、不思議と気持ちが軽くなっていく。ヘンに優しい言葉をかけたりしないところが、こいつのいいところだ。

「いいよ、今回はぼくの負けだよ。おまえもこれ以上、あのふたりに手を出さないでくれ」
『認めるのか? あのふたりのこと』
「そうじゃないけど……薪くんてば、青木くんと別れたって言ったときより、自分を懲戒免職にしてくれって言ったときより、ずっと悲痛な顔しちゃってさ。あんな顔見せられたら、これ以上は、もう」
『天下の小野田官房長殿が、おやさしくなったもんだ』
「自分をやさしいと信じている相手に、冷たくするのは難しいんだよ。特に薪くんみたいなタイプにはね」
『じゃあ、このまま放っとくのか』
「うん。あの子の言葉を信じることにするよ」
『薪くんはなんて?』
「自分できちんとケリをつけるから、猶予が欲しいってさ」
『甘いな』
 中園はそれを吐き捨てる調子で言い、小野田はフォローの必要性を感じた。中園はまだ、薪という人間が解っていない。幾重にもトラの皮やら蛇の皮やらを被っている薪の本性を見抜くには、それ相応の時間が要る。

「薪くんの性格は知ってるよ。その場凌ぎの言い逃れをする子じゃない。尤もそういう子だったら、もう少し簡単にことが運ぶんだけどな」
『わかったわかった。久しぶりに一緒に飲もうぜ』
「今日はケンジくんとデートじゃなかったのかい」
『ああ、あの子とは先週切れた。今週の恋人はまだいないよ』
「珍しいな。おまえが恋人のいない週末を過ごすなんて」
『薪くんのせいだよ』
「彼らの純情が羨ましくなった?」
 だとしたら、これは思わぬ天佑だ。中園の困ったクセが、治るかもしれない。
『そんなわけないだろ。男同士であんな関係が築けるほうが異常なんだよ。そうじゃなくてさ、薪くんの顔を毎日見てるだろ? 合格ラインが上がっちゃって、食指が動かないんだよ』
 なんとも中園らしい。彼は絶対に、男同士に男女間のような愛情が育つとは認めないのだ。

「実にいい傾向だね」
『いいから出て来いよ。慰めてやるから』
「いらないよ。たまには早く、家に帰ってあげなさいよ」
 中園の答えを待たず、小野田は電話を切った。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

スキャンダル(17)

スキャンダル(17)





 小野田からの電話が切れて、中園は自分の予感が的中したことを知った。
 夕刻、研究所から警察庁に足を運ぶ官房室の新人を見て、彼と自分の上司の間に何かしらのトラブルを予見した中園は、警察庁の正門の影でずっと薪が出てくるのを待っていた。小野田の電話はその間にかかってきたのだが、薪はまだ出てこない。あの脆弱者のことだ、どうせその辺でヘタレているのだろうと予想をつけて、警察庁の中庭を探してみることにした。

 薪はひと目につかない中庭のベンチに、膝を抱えて座っていた。
 彼には研究所にお気に入りの場所があるのだが、何故か今日はそこは避けたらしい。警務部長とのニアミスを警戒したのだろうか。

「ああ、薪くん、ちょうど良かった。実はね、……どうしたの?」
 何も知らない振りをして、隣に腰を下ろす。今回の事件で中園が何をしたのか、薪は解っているはずだ。しかし、自分を糾弾することはしないだろう。警察機構において、上司に逆らうことは許されない。
 こういう人間がどんな行動をとるか、中園は良く知っている。ここでは素知らぬ振りを通し、でも心の中では決して恨みを忘れず、中園の失脚を狙って影で足を引っ張るようになる。少々厄介だが、かわせないことはない。狡猾さも騙し合いのスキルも、自分の方が遥かに上だ。

「すみませんでした。中園さんにまで、いやな思いをさせて」
 自分の予想が気持ちいいくらい外れて、中園は戸惑った。

 驚いた。直球でくるか。

「小野田さんはもともと、僕たちのことには大反対で。それは良く分かってたんですけど、まさかこんな……」
 薪はどうやら勘違いをしている。この計画の首謀者を、小野田だと思っているのだ。
 上司をさしおいて、部下が独断で物事を進めることはありえない。常識で考えれば、薪の導き出した解答は尤もだ。

「小野田の指示で動いたわけじゃない。これは僕の独断だよ。信じる信じないは君の勝手だけど」
 薪は訝しげな眼で中園を見て、長い睫毛を瞬かせた。小さな頭の中では、中園の言葉の真実を探って様々な仮説が立てられているのだろう。
「本当に優秀な部下ってのはね、上司に言われなくたって上司の望むことを自ら行なうもんだ」
 自分は、小野田の影だ。小野田がしたくてもできないこと、倫理や正義と言った厄介な障害物に引っかかって遂行を躊躇われることを行なうのが自分の仕事だ。
「だから、君が小野田を恨むのは筋違いだ。そりゃ、途中からは小野田も知ってたけど。でも、それを君に言わなかったのは」
「恨んでません」
 薪はポツリと言った。

「たとえ小野田さんがあの計画をご自分で立てられて実行されたのだとしても、恨んだりしません。官房室を辞める気もありません。仕事も今までどおり、きちんとやります。ただ」
 滑らかに動き出したくちびるが不意に止まり、白い前歯が軽く下くちびるを噛む。再び口を開いたとき、戒められていたくちびるは赤みを増し、濡れていっそ扇情的にひとのこころを惑わし、しかしそこから零れる言葉は哀しみに満ちて、中園の胸に不可解な衝動を呼び起こした。
「小野田さんが……あの優しい方が、そんなことをしてまで僕たちを……そう思ったら、小野田さんに申し訳なくて」
「やれやれ。僕の計算がことごとく狂うのは、君のせいか」
 自分に起きた異変は危険なものだ、と中園の本能が告げていた。この子に深入りすることは、自分には命取りになる。

「警察機構の人間なら、僕の計算通りに動くのになあ。君に感化されるのかな。君の周りの人間まで。やりづらいな。こんなやりづらいステージは初めてだ」
「人間を思い通りに動かすことなんかできませんよ。自分のことだって思うようにいかないのに、ましてや他人なんて」
 苦笑した薪の眉は困ったように下げられて、それだけで彼はとても可愛らしい顔になる。普段の取り澄ましたイメージが崩れて、壁の向こうに本当の彼を見つけたような、そんな興奮を覚える。

「ここにいるのは人間じゃない。ただの歯車だ。巨大な組織の中の、君も僕もひとつの部品に過ぎない。また、そうでなくてはならない。組織とはそういうものだ」
「まるで機械みたいですね」
「そう、機械だ。人と違って機械は正確だからね。もちろん、メンテナンスは必要だ。古くなったり傷んだりしたパーツは除外し、より性能のいい部品に交換する。そのために昇格試験があり、人事異動があるんだ」
 中園の持論は、そのまま警察機構の現実だ。自分の代わりはいくらでもいるし、薪の代役もまた。

「市民はそれを喜ぶでしょうか」
 いきなり飛んだ薪の質問の意図が解らず、中園は目を丸くした。警察の人事異動に、国民投票はないが?
「僕はいま、組織について話をしてるんだよ? どうしてそこに民間人がでてくるんだい」
「だって、僕たち警察は市民を守るために存在しているんでしょう? 僕が彼らだったら、機械に守ってもらって嬉しいとは思わないと思いますけど」
 どこかの小学生の作文みたいな薪の言い分を聞いて、中園はたっぷり2分間自失した後、小野田の跡継ぎ候補から薪のことは完全に除外すべきだ、と考えた。にも関わらず、中園の口はそれを薪に告げようとせず、ただゲラゲラと笑い続けた。

「そんなにおかしいですか? 青臭いって思われるかもしれませんけど、でも」
 笑われて恥ずかしくなったのか、頬を赤くしてくちびるを尖らせる。でも、の後は賢明にも声にしなかったが、心の中で薪が何を言っているかは想像がついた。
 なるほど、小野田が骨抜きになるわけだ。
 この子はやっぱり危険だ。小野田の弱いところをガッチリと捕まえている。小野田が絶対に失いたくないもの、失わないように精一杯守っているもの、それを薪は当たり前のように持っているのだ。

「とりあえず、君たちのことは応援するよ。せいぜい仲良くするこった。でも、忘れるなよ。僕が君に協力するのは、あくまで小野田のためだ」
 中園のこれまでの言動とは矛盾した宣言に、薪は子供のような顔になって首をかしげた。不意打ちみたいに繰り出してくるあどけない美貌に、またもや胸がざわつくのを感じて、取り込まれてたまるかと中園は気を引き締める。

「小野田が大事にしている君のその性質は、彼といるからこそ保たれている。そうだろう?」
 その言葉に目を瞠り、薪はゆっくりと笑顔になった。
 幸せそうな、慈しむような笑みは、中園が初めて見る類の美しさだった。

「そうかもしれません。あいつがいてくれたから。でなければとっくに僕は、自分を失っていたと思います。あのとき、何もかも無くして……でも、あいつが僕の人生にそれを返してくれたから」
 ちょっとその顔は反則だろう、これじゃ何も言えやしない、ちくしょう、これはこの男の計算じゃないのか、と無茶な言いがかりを付ければ憎まれ口を叩く気力も湧いてきて、それで中園はようやく普段の自分を取り戻すことができる。

「いや、聞いてないから。ノロケ話はいいから。ていうか、男同士のノロケ話は気持ち悪いからやめてくれ」
「ノロケなんかじゃありませんよ。僕は、彼がいなかったら生きてなかったかもしれないから、だから青木のことはとっても大事で、……あれ?」
 ようやく自分の台詞の恥ずかしさに気付いたらしい薪は、とっさに顔を伏せて頬を赤くした。その様子はやっぱりとても可愛くて、一時の情欲以外の衝動を男に感じるなんて狂ってるとしか思えなかった気持ちが自分の中にも隠れていたことを悟って、そんなことを知ってしまったらこれからの夜遊びに影響が出る、それだけは避けなければと本能的に中園は薪から目を逸らした。

「だから、なんでそこで赤くなるんだよ。ほんっと、勘弁してくれよ」
「僕になにか用事があったんじゃなかったんですか」
 気恥ずかしさをごまかすように強い口調で薪が言うのを、自分の耳が心地よく感じていることを自覚しつつ、その理由を深く考えまいと努めて、中園は言った。

「ああ、そうだ。小野田が君に写真を返したいって」
「小野田さんが?」
「事情を説明するのに、小野田に証拠を見せないわけに行かなかったからさ。僕が一番恥ずかしいと思った写真を渡しといたから。君に渡したものなんか比べ物にならないくらい強烈なやつ」
「えっ!! あの写真よりすごいのがあったんですかっ!?」

 小野田があの写真を持っていると知って、自分の浅ましい姿を彼に見られたと思い、頭を抱え込む薪の姿を尻目に、中園はニヤニヤと笑いながら警察庁の正門に向かって歩いた。
 途中、いつものように今日の恋人に電話をしようと携帯を取り出すが、何故かボタンを押す気にならず、たまには早く家に帰るか、と何年か振りで思う自分を激しく嫌悪しつつも悪くないと思っている自分もいて、こりゃ今日は早く寝たほうがいいな、と健全的な結論に達し―――――。

 最終的に、彼は笑った。



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スキャンダル(18)

スキャンダル(18)





 官房長室のドアの前で、薪は逡巡を繰り返している。

 小野田が、あの写真を持っている。それもとびきりの恥ずかしい写真を。
 そう考えるだけで、頭が爆発しそうに恥ずかしい。あの写真よりスゴイ、ってそれもうAVを超えちゃってるっていうか、キングオブAVってことで、ああもう……死にたいっっ!!!
 自分たちの行為が汚らしいものだという自覚はあるが、それをよりにもよって尊敬する小野田に見られるなんて、これ以上の恥辱はない。どんなに恥ずかしくても、返してもらわなければ。

 ようやく覚悟を決めて、薪は目の前のドアをノックする。取り乱さないように無表情の仮面をつけるが、多分、写真を見たら落ちてしまうだろう。職務なら被り通してみせるが、仕事が絡まないとあの仮面は剥がれやすいのだ。
 部屋の主の返事を待って中に入り、敬礼する。今さっき部屋を辞したばかりの部下が舞い戻ってきて、小野田は面食らっているようだ。

「忘れものでも?」
「小野田さんが不愉快な写真をお持ちだと、中園さんが」
 小野田は思い出したように背広の内ポケットに手を入れて、中を探った。薪の心臓がばくばくと激しく打つ。

「はい、これ。――――― なに?」
 いきなり懐から問題の写真を出されて、身体が勝手に1mほどバックした。被ったはずの平静は粉微塵に壊れて、頭の中が真っ白になる。
「いらないなら、ぼくがもらっておくけど」
「い、いえ! 返してださいっ!」
 家にある写真は全部燃やした。残る証拠はこの写真だけだ。何としても消去しなくては。

 小野田の手から目的の写真を受け取って、薪は目を丸くした。
 中園的に『一番恥ずかしいと思った写真』――――― そこに映っていたのは。

 場所は第九の仮眠室。窓から差し込む太陽光に照らされた、ふたりの男性。
 かれらはベッドの上に並んで座っていた。きちんと服は着ていて、でもふたりの間に置かれた互いの手はしっかりと組み合わさって。ふたりの視線はうれしそうに絡んで、その微笑みはここが天国だとでもいうように、穏やかで満ち足りていた。
 これは、あの朝だ。
 あの夜は第九の仮眠室で眠って、というか失神してしまって、朝早くに青木に起こされた。服を着て、でも離れがたくて、しばらく黙って座っていた。そのときの写真だ。

「今更なんだけど……中園は、悪いやつじゃないんだ」
「ええ。わかってます」
 薪は本心から頷いた。小野田に渡す写真としてこれを選んだことからも、それは明白だった。
「あいつはずっとぼくのために、汚れ仕事をしてきてくれたんだ。ぼくが官房長になれたのは、あいつのおかげだと言っても過言じゃない。ぼくをここまで押し上げるために、あいつは自分の中にあった人間らしさを捨ててきたんだ」

 中園の気持ちは、薪にもわかる。
 薪にも、守りたいひとがいる。自分が汚れても傷ついても、守りたいひとたちがいる。中園の場合はそれが小野田で、今回のことはその発露に過ぎなかった。薪を傷つけようとしたのではなく、小野田を守ろうとしただけだ。

「ぼくはあいつの理想も夢も、全部背負ってるんだ。だから、立ち止まるわけにはいかない」
「はい」
 下のものの理想を負うのは、上に立つものの務めだ。自分もまた、第九の部下たちの理想を背負っている。
「僕も、ここで止まる気はないです」
「そう? じゃあ、明日の休みは返上してもらって、この書類を仕上げてくれる?」
「わかりました」
 張り切って返事をしたら、小野田に笑われた。ここはブーイングをするところだったのかと気付いて、薪は照れたように笑った。

 早く帰りなさい、と促されて、薪は官房室を辞した。廊下を歩きながら、小野田に返してもらった写真をこっそりと出して、眺めてみる。
 確かに、見ようによってはものすごく恥ずかしい写真だ。いい大人がふたりして、なにやってんだか。写真はすべて燃やしてしまうつもりでいたが、これだけは取っておこうかと愚にもつかないことを考える。

 警察庁の正門の前で、薪は立ち止まった。ポケットから携帯を出し、片手で開いてふっと微笑む。
 それから、1本の短いメールを打った。

『帰宅予定 21:00』




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スキャンダル(19)

 最終章です~。
 お付き合いくださって、ありがとうございました。
 読んでくださった心優しい方に、ちょっとでもお楽しみいただけたらうれしいです。(←心優しい人はこんなS話は読まないのではという突っ込みは無しで(^^;)





スキャンダル(19)





 その週末は、とても甘い2日間だった。
 ここ半年ばかりのすれ違いや淋しさ、その分積み重ねられた愛しさをお互いの身体に溢れさせるようにして、片時も離れることなく過ごした。それでもやっぱり離れがたくて、日曜の夜、薪はつい我儘を言った。それに応じて青木は月曜の朝、薪の家から出勤した。青木が金曜の夜から月曜の朝まで薪の家に居続けたというのは、多分これが初めてだ。

 今回のように、青木との関係が壊れそうになるたびに、自分の気持ちが強まっていることを実感する。
 離れたくない。一緒にいたい。それ以外、なにも望まない。
 青木も同じ気持ちでいてくれている。いまは、それだけでいい。

「おはよう!」
 第九の自動ドアをくぐると同時に明るい第一声を放った薪に、しかし押し寄せてきたのは不自然な沈黙だった。
 おはようございます、と口中で呟きつつも、みな薪の顔を見ようとしない。小池と曽我は何故か頬を赤くしているようだし、宇野にいたっては薪を哀れむような目で見ている。青木は困ったような怒ったような複雑な表情だし、岡部はとびきり渋い顔だ。唯一平静なのは今井だったが、その彼にしてもモニターに集中する振りで薪の視線を避けている。

「どうした? なにかあったのか?」
「いえ、別に何も……」
 歯切れ悪くモゴモゴと言って、目を逸らす。訝しがりながらも薪がその場を離れると、寄り合ってヒソヒソとナイショ話をしている。ものすごくイヤな態度だ。
「なんだ、おまえら! 言いたいことがあるならハッキリ言え!」
 室長室の扉の前で振り返りざま大声で叱りつけると、曽我がびくっと身体を震わせて、その拍子に何枚かの紙片が落ちた。
 
 モニタールームの床に裏返しに散らばったそれを見て、薪の顔色が変わる。縦9センチ横12センチの長方形の厚紙は、この1ヶ月薪を悩ませ続けた画の大きさと同じサイズだった。

 ドクン、と薪の心臓が跳ね上がる。
 まさか、あれが第九に!?

「な、なんでもないですよっ!」
 曽我が慌てて床に落ちた紙片を拾う。彼から写真を奪い取って破り捨てたい衝動に駆られるが、足が動かない。
 目の前が真っ暗になって、足元が崩れていきそうだ。なんとかしてこの場を誤魔化せないかと思案するが、薪の頭はまともな思考ができる状態ではなかった。羞恥と恐れと怒りとが、ミキサーに掻き混ぜられるように凄まじい勢いで回っている。その円運動に酔わされ、薪はその場にへたり込んでしまった。

 青ざめた室長の様子を心配して、部下たちはおずおずと彼の側に寄ってきた。床に座った上司に合わせて自分たちも屈み、薪を力づけるように言葉をかけてくる。
「こんなの合成に決まってます。性質の悪いイタズラですよね」
「そうですよ。俺たち、薪さんのこと信じてますから」
 口々に訴える部下たちの目に、薪に対する軽蔑の色はなく。こころから自分を案じてくれているのだと分かれば、彼らを欺き続けることも心苦しくなって、薪はとうとう観念する。

 僕は男だ。卑怯者にはなりたくない。

 じっと床面を見つめたまま、薪は搾り出すように言った。
「その写真は、本当だ。そこに映っているのは、僕の真実の姿だ」
「えっ!?」
「まさか室長……いつからそんな」
「すまない、ずっと黙ってて」
「ええええ!? ウソでしょう!」
 ひときわ大きな声を上げたのは、青木だった。
 なんでおまえがそんなに驚いてるんだ。昨夜もその写真と同じことしただろうが。
 あ、そうか、演技か。にしても、えらく真に迫っているな。部屋の隅から3段飛びでここまで来て、小池と曽我を両手で押しのけて、曽我がひっくり返って机の脚に頭ぶつけて脳震盪起こしたみたいだけど、放っといていいのか?

「いつから間宮部長と!?」
 …………あ??

「間宮? 間宮ってなんだ?」
 どうしてここに警務部長の名前が出てくるのかまるで理解できず、薪は顔を上げた。目の前に、問題の写真が突き出される。
「なっ!!」
 長四角の紙の中で、プレイボーイの警務部長が亜麻色の髪の青年を抱きしめていた。場所は野外、この風景はおそらく研究所の中庭。間宮の手は青年の背中と頭に置かれていて、青年は間宮の胸に取りすがるようにして顔を伏せていた。
 これは、あのときの。

「ななななっ、なんだこれ!! いつの間にっ!?」
 青木の手から写真を奪い取ると、薪は夢中でそれを破った。立ち上がって床に落ちた細切れの紙片を、足で何度も踏みつける。
 いったい、だれがこんなことを!?

「そうだったんだ……とうとう薪さん、間宮部長と」
「ちがう!」
 あのときは、下半身でものを考えるような外道ですら自分のことを気遣ってくれていたのだと、それも何年も経ってからその事実に気付かされたことで、自分自身の預かり知らぬ愛情が自分の周りにはどれほどあったのだろうと思わされて、僕はそのたくさんの愛情に包まれ支えられて生きていると分かったら、涙が止まらなくなって。
 しかし、こうして情景を切り取ってしまえば、その断片には彼のそんな複雑な心境など現れるはずもなく。自分が警察庁一の色事師に抱きしめられているという事実だけが、残酷に映し出されている。

 煮詰まっていたとはいえ間宮に縋ったなんて、それも自分の方から、しかも現場を写真に撮られて、ああもう!! なんであんなことしちゃったんだろうっ、だれか僕にタイムマシンをくれ!
「デキちゃったんだ。薪さん、押しに弱いから」
「ちがうっ!!」
 恥ずかしい、てか自分が許せないっ! この事実も間宮も自分も、この世から消し去りたい!!

「うがああ!! あいつ殺して僕も死ぬっ!!!」
 残りの写真をすべて破り捨てながら、薪は絶叫した。煮えくり返ったはらわたの熱で、脳細胞が焼き切れそうだ。
「え? 薪さん、心中まで考えるほど思い詰めてるのか?」
「間宮部長、奥さんと子供がいるから」
「ああ、そうか。辛いな、薪さん」
 薪の反応を見れば付き合いの長い彼らのこと、間宮と薪の間には深い関係などないことも直ぐに分かって、だからこれは彼らのいつものお遊びだ。深刻な表情を装いながらも、腹の中では薪の慌てぶりに爆笑している。

「ちーがーうううううう!!!!」
 真っ赤な顔をした室長の咆哮がモニタールームの空気を振動させ、彼の気力が充実していることを職員たちに知らしめる。それを彼らは我がことのようにうれしく思う。

 今日もうちの室長は、元気一杯だ。



*****



「中園。何を考えてるんだい」
 右手に一枚の写真を持ち、小野田は憂いを帯びた声で言った。
 先月に続く秘蔵っ子のスクープ写真に、深いため息を吐く。まったく、首席参事官の隠し撮り趣味には困ったものだ。警察庁を定年退職したら、週刊誌の記者にでもなるといい。

「どうするんだよ、薪くんが間宮とデキてる、なんて噂が広まったら」
「大丈夫だよ、実際に何もないんだから」
 ニヤニヤと意地悪そうに笑いながら、中園は写真を見ている。ソファに足を組んだ横柄な態度で、自分の作品の出来栄えに満足する芸術家を気取り、伸ばした右手の先に挟んだ画を眺めている。

「その写真の真実を探られたところで、出てくるのは敵対する派閥の後継者のご乱行だけだ。これで連中もしばらく大人しくしてるだろうし」
 中園の言う『連中』とは、小野田の政敵、つまり次長の派閥のことだ。
「真実が判らない間は、連中も目立ったケンカは仕掛けてこれない。間宮から薪くんにどれだけの情報が流れているか、疑っているだろうからな」
 なるほど。相変わらず食えないやつだ。

「それに、カモフラージュは多いほうがいいだろ」
「カモフラージュ?」
 中園が何を偽装したがっているのか解らず、小野田は写真から目を離して悪友の顔を見た。こんな不愉快な写真で、何を隠すと言うのだろう。
「変態を隠すなら変態の影だ。この写真があれば、薪くんの本当の恋人が誰だか解りにくくなる」
 これは驚いた。あのふたりを別れさせるために最終兵器まで使おうとしていたのは、この男ではなかったか。

「そこで官房長殿。もうひとつ提案があるのですが」
「……なに?」
 何となく不吉な予感がして、小野田は注意深く悪友を見る。小野田の掛けるプレッシャーをものともせず、中園はいつものようにシニカルに笑って、
「この際、青木くんを薪くんの正式なボディガードとして任命したらどうだろう」
 と、天をも恐れぬ暴言を吐いた。

「正式な任命書があれば、あの二人が休日を一緒に過ごしてるところをスクープされても、護衛に付いていただけだと言い逃れができる」
 中園の言うことにも一理ある。
 いくら言い聞かせたところで、あの二人は当分付き合いをやめない。ならばこの先、二人でプライベイトを過ごしている所を他人に目撃される場面も出てくるだろう。決定的瞬間を押さえられなくとも、その回数が増えれば疑惑は深まるに違いない。そのときの言い訳を、あらかじめ用意しておこうというわけだ。
 しかし、正式な任命書を出すということは青木が薪の傍にいることを小野田自身が承認するということで、そんなことは死んでもしたくない。

 中園の提案の有効性を理解しながらも、何とかして彼の提案を退ける上手い理屈は無いものかと考えて、小野田は自分が最強の切り札を自ら捨てたことで、この友人を深く傷つけたことを思い出す。
 おあいこ、ということか。

 小野田が沈黙を守っていると、中園は洒脱な紳士の気取った座り方を止めて、両足をきちんと床につけ、膝に手を置いて、小野田のほうをじっと見た。
「守りたいんだろ? あのふたりのこと」
 ふたりを守る? 薪を娘婿にしたがっているこの自分が?

「いつから宗旨替えしたの? あのふたりは別れさせたほうがいいって、こないだまで言ってたじゃないか」
 大きな勘違いをしている部下に呆れて、小野田はつっけんどんに答えを返した。
「ぼくが大事なのは薪くんだけだよ。青木くんはこの際、どうでもいい」
 他の人間には見せたことのないやさぐれた表情で吐き捨てた小野田の言葉を、中園は苦笑で受け止め、肩を竦めて、とても不愉快なことを言った。

「もう、分かってんだろ? おまえの大切な天使くんの中枢(コア)は、青木くんがいるからこそ守られてるって」
「かれは関係ないよ。あれは薪くんの天性のものだ」
「まあ、父親ってのは娘のボーイフレンドには点が辛くなるもんだ」
 身に覚えのある一般論は聞こえなかった振りでやり過ごして、小野田はもう一度写真に目を落とす。どうして薪が間宮とこういう状況になったのかは不明だが、そして何故中園がこの写真を撮れたのか不思議だが、たかが写真一枚で幾つもの策を弄する彼には感心する。この男が味方で、本当によかった。

「しかし、転んでもただじゃ起きないね。おまえは」
「ここに来る前まではそうだった。転んだら、そこに宝石が転がってた。ていうか、手元にあった石を相手に宝石だと信じ込ませることができたんだけど」
 今まで不敵に笑っていた腹心の部下は、急に嫌なことを思い出したように、唇をへの字に曲げた。
「薪くんにはそれが通じなくてさ。転んだら手に当たったのが犬のクソって感じだ。しかも、あの子はすでに本物の宝石を持ってるし。今更まがい物を見せたところで……どうにもやりにくい子だよ」

 それを聞いて、小野田は薪が中園に魔法をかけたことを知る。
 中園は、薪の真実を垣間見たのだ。そこに自分が失くしたものが信じがたいほどの純粋さで息づいていることを知り、かれを守りたくなった。おそらく、自分と同じように。

 これから中園は、薪を小野田と同様に大事にするようになるだろう。彼を小野田の後継者と認めて、自分の理想を託すに相応しい男として、彼のために様々な策謀を巡らすに違いない。もちろん、薪に気付かれないように、こっそりと。

「なるほどね」
 あははと笑って、小野田は右手に持った部下のスキャンダルを握りつぶした。




―了―


(2010.2)


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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

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毎日たくさんの拍手をありがとうございます。励まされてます。
おかげさまで、しづは元気で仕事してます。(10/28)
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