秘密の森のアリス(1)

 震災から1ヶ月が過ぎ。
 聞こえてくる情報は、残念ながら明るいものとは言いかねます。
 余震はまだ続くだろうと予想されているし、原発はレベル7に引き上げられましたし。
 
 でも、こんなときだからこそ、笑いは必要だと思います。
 ほんの少しでいいから現実の心配事を忘れて、楽しいと思える一時を過ごす。 そうやって心に栄養を与えてやらないと、人間も萎れてしまうと思うんです。
 そのお手伝いができたらいいな、とおこがましくも考えまして、わたしの少ない手持ちのカードの中で、一番バカバカしい話を公開することにしました。

 すみません、本来ならみなさんに楽しんでいただける話を改めて書くべきだとは思うんですけど、1ヶ月以上書かないでいたらすっかり書き方を忘れてしまって~~、いざ書こうと思ったら、言葉が出てこないの~。 考えがまとまらなくて、ストーリーも組み立てられないし~~。
 いくら原作で落ちても、すずまきさんなら書けるとか、男爵なら平気だとか、そんな感じで書けなかったことなんかなかったんですけど……。
 ただいま、リハビリ中ですっ!


 で、
 こちらは新作ではないんですけど、『破壊のワルツ』の反動に書いたものなので、脱稿は今年の2月です。  
 お話の時期は、ふたりが付き合いだして4年目、『スキャンダル』の半年くらい後です。


 コンセプトは、
『秘密で銀魂のグダグダアクション』です。←ここで何人の方がタブを閉じることやら。
 内容は、
 ギャグで、バトルで、少年漫画、です。←…………。(セルフ突っ込みすらできない)


 太平洋より広いお心でお願いしますっ!






秘密の森のアリス(1) 





 長い眠りから醒めた3人は、空腹を覚えて立ち上がった。

 深い森の中に彼らの食料は豊富にあったが、一番のご馳走は見つからなかった。眠りに就く前には、日に1度くらい、少なくとも3日に1度は訪れた『ごちそう』。しかし何日待っても、それは現れなかった。
 仕方なく、彼らは森の奥から少しだけ出てみた。が、そこにもご馳走の影はなかった。
 そうして徐々に徐々に、彼らは森の外れまで来た。

 森が切れると、そこは崖になっていた。木々が生い茂っていたはずの山は、彼らが眠っている間に地肌を晒し、その身体に道を横切らせていた。あんなところに道が作れるなんて、と彼らは驚いたが、そこを通っていく物体にはもっと驚いた。

 平たい箱のような形の鉄の塊が、すごいスピードで走っていった。
 その中から、ご馳走の匂いがした。

 彼らはふわりと空に浮き、崖上の道に降り立った。そして無造作に手を伸ばすと、耳障りな音と共に突っ込んできた鉄の塊を受け止めた。
 彼らは鉄の扉を破り、中にいたご馳走を貪り食った。



*****



 旅行プランを曽我が立てたと聞いたときから、薪はなにか不吉なものを感じていた。
 季節は第九の閑散期の2月。年に1度の第九の慰安旅行は、近場の温泉に1泊で出かける。緊急に呼び戻されても対応できる都心から3時間までの圏内で、できるだけ静かで心穏やかに過ごせる場所を選ぶ。宿と観光先を企画する幹事は順番に交代していくのだが、今年は曽我の番だった。

「あー、田舎っていいですねえ。空気がおいしいです」
「緑がいっぱいですね。駅前なのに、商店街もない」
「かわいい小鳥がたくさんいますよ。スズメじゃないですね、十姉妹かな」
 さびれた田舎の駅に降り立ち、旅行風体の8人は歓声を上げる。
 常日頃から、IT技術の最先端に身を置いている彼らだからこそ、自然のものに癒しを求める。それは当然の摂理かもしれなかった。

 バスの乗継までの半時間を辺りの散策に費やそうとして彼らは、しかし、2月の寒さに早々と引き返す羽目になった。一面に白く塗りつぶされたような空と、ピンと張った冬の空気の中にちらちらと白いものが混じり始め、慌てて駅舎に戻った彼らは、待合室に灯油を使うタイプのストーブを見つけ、その骨董品のような暖房器具を珍しそうに取り囲んだ。
 ストーブの天井に、薬缶が置いてある。薬缶の口からはシュンシュンと蒸気が吹き出し、待合室の湿度調整に一役かっている。透明な丸い窓から見える炎は人間の脳に直接訴えかけ、体感温度を一気に上昇させる。火災の危険性から徐々に廃れていったこのレトロな暖房器具は、実はかなりの合理性を持ったスグレモノだったと、妙に感心したりする。

「曽我。かなり地方まで来たようだが、第九まで3時間で帰れるんだろうな?」
「大丈夫ですよ、薪さん。電車で2時間、バスで1時間。ぴったり3時間です」
 第九から東京駅まで20分、ここで30分の待ち時間があったら、すでに小1時間超過しているのではないか、と薪は思ったが、年に1度の慰安旅行だし、どうせ緊急の呼び出しが掛かっても、遺体を病院に搬送して脳を抽出するには手続きやら何やらで3時間は掛かるから、と自分を納得させて口を噤んだ。多分、他の連中も同じようなことを考えているだろう、と顔を上げると、マヌケな幹事の坊主頭の向こうに、バスの運行表が見えた。

「帰りは?」
「帰りも同じですよ。バスで1時間、電車で2時間」
「そうじゃなくて。ここのバス、日に2本しかない。緊急で呼び出されたとき、どうやって帰るんだ?」
「…………え」
 笑顔のまま固まった曽我の、思わずこぼれた素の声に、薪は自分の嫌な予感が的中したことを知る。

「『え』ってなんだ、『え』って! まさか考えてなかったのか!?」
「いや、だって。『都心から3時間・温泉』でネット検索かけたら、ここがヒットしたから」
「岡部、おまえが付いていながらなんだ。気付かなかったのか」
「す、すみません」
 自分が官房室との掛け持ちになってから、事件以外の瑣末な決め事は、全部副室長の岡部に任せてきた。始めはざっと目を通していたのだが、官房室の仕事が増えるにつれ、それも次第にしなくなり、現在では報告を聞くだけになっていた。だからこれは自分の怠慢が招いた結果でもあるのだが、それを素直に認めるようなら薪にあんな渾名はつかない。

「大丈夫ですよ、慰安旅行は毎年行ってますけど、今まで1度も呼び出されたことなんてないじゃないですか」
「今までなかったからって、今回もないとは限らないだろ」
 怒り出した薪をなだめようと、何人かの部下が口々に彼を安心させようとしたが、どんな時にでも仕事に万全を期したがる薪のこと、その怒りはそう簡単に収まるものではない。
 険しく眉を寄せた薪と、困惑した職員達が黙って対峙する重苦しい雰囲気の中、第九最年少の捜査官が控えめに口を挟んだ。

「あの、どうしても薪さんがご心配なら、オレ、第九に引き返して今回は留守番してます。ですから皆さんは、このままご旅行を続けてください」
「おまえ1人じゃ」
「大丈夫です。万が一のことがあっても、脳データの抽出作業だけならオレ1人でもできますし。みなさんが帰ってくるまでに、できるだけ解析を進めておきます」
 青木は若いが、すでに6年目のベテランだ。任せて安心できるだけの実力はあるし、彼の犠牲は室長の憂いを払う唯一の手段だと思われたが。

「バスが来たぞ」
 駅の停留所に滑り込んできたバスに気付いて、薪はついと頭を振る。
 それから青木の首に巻いた手編みらしきマフラーを引っ張り、彼を引き摺るようにして表に出た。

「あの、薪さん」
「おまえ、僕のボディガードだろ。だったら対象から離れるな」
 先月、官房室から正式に下った辞令を振りかざし、薪は青木の進言を却下する。カモフラージュ目的の護衛役でも、役目は役目だ。
「でも」
「いざとなったら小野田さんに頼んで、ヘリ飛ばしてもらうから」
 後ろから付いてくる他の部下たちには聞こえないよう小さな声で、薪はこそっと囁いた。
「……いいんですか?」
 それは、様々な事情から、これ以上小野田に借りを作りたくない薪にとっては好ましくない選択肢だった。それが分かっている青木の気遣いは尤もだが、背に腹は替えられない。

 だって。
 おまえがいなかったら、つまらないから。

 子供っぽい我儘を、つんとそびやかしたポーカーフェイスの下に閉じ込めて、薪は乗り合いバスに乗り込んだ。 運転席側に2人掛けの座席が7列、乗り口側に一人掛けの椅子が5個、後部に5人掛けのベンチシートがある中から、薪はバスの中間にある一人掛けの椅子を選び腰を降ろした。窓の外に顔を向け、風景を眺める振りをしながら、背後にいる大男の気配を探る。
 彼が通路を挟んで薪の隣に腰を下ろしたのを感じ取って、薪は少しだけ頬を緩めた。
 身体の大きな青木は、二人掛けの椅子に独りで座るだろうと思っていた。自分たちの他に乗客がいないことを確認した同僚達も、次々と二人掛けの座席を単独で占有する。いくら身体が小さいとはいえ、薪もそのほうが楽なのだが、でも。

「薪さん。こちらの席の方が広いですよ」
「僕はここでいい」
 後ろの席に移ってしまったら、青木の顔が見えなくなる。この旅行の間は見ていることしか許されないんだから、それぐらいの自由を与えてくれたっていいだろう。
 決して顔には出さない、絶対に口にはしない、自分でも恥ずかしいと思うこの気持ちを、だけど捨てることはもっとできなくて、だから薪は必死に抑え込むしかない。

 青木と知り合って6年、付き合い始めて4年。
 年が重なるほどに想いは募って、彼を拒んでいた頃の自分が思い出せないくらいだ。昔は友だちでいたいと願っていたはずなのに、今では恋人としての彼しか考えられない。そのせいか、仕事時間以外の彼と友人のように振舞わなくてはならない今の状況に、薪は僅かばかりの歯がゆさを感じていた。

 前後の席に陣取った小池と曽我に挟まれて、持参した雑誌やスナック菓子で先輩達と無邪気に盛り上がる彼を、薪はそっと横目で伺いながら、本格的に降り始めた雪を見つめる。
 バスは山の中腹に造られた道を走っており、車窓からは下方に見渡す限りに広がっている深い森が見えた。森には針葉樹が多いのか、真冬でも濃い緑色が美しかった。その研ぎ澄まされた緑に、そっと降り積もる雪の白。

 みんなでワイワイやるのは嫌いじゃないけど、ふたりきりだったらもっと別の楽しみ方があるかもしれない。もしも休みが取れたら、この美しい雪景色が残っているうちに、彼とふたりで見に来たい。
 知らず知らずのうちにそんなことを考えて、我に返って頬を染める。
 どうも自分は、雪とか満天の星空とか、そういうものを目にすると彼とふたりで見たい、と短絡的に考えてしまう傾向があるようだ。気をつけないと。

「ずい分、降ってきましたね」
 雪の山道を進むバスの運転手に、一番前の席の岡部が声を掛けた。
「ええ、この辺りは昔から雪が多くてねえ。今はこの道ができたからいいけど、以前は冬になると、街に出るのも命がけだったらしくて」
 田舎のバスの運転手らしく、彼は客の話に気軽に応じ、地元に伝わる伝承などを話してくれた。

「お客さん、あっちにでっかい森があるでしょ? あの森には、妖怪が住んでるんですよ」
「よ、妖怪?」
 実は怪談の類は苦手な岡部が『妖怪』と言う忌まわしい単語にぎくりと顔を強張らせるのに、前を向いたままの運転手は悪気なく話を続けている。
「私らが小さい頃は、『森の妖怪に食わせるぞ』っていうのが悪さしたときの親の切り札でね、そんな言い伝えが残ってるんですよ。
 種を明かせばこういうことです。この道ができる前、私らの曾爺さんくらいの頃は、あの森を抜けて街へ行ったんですって。だから冬は本当に命がけで。森で行き倒れて、帰らない村人が何人もいたそうです。それがいつの間にか、妖怪に食われたってことになって」

 実際に住んでみないと、その土地の苦労は分からないものだ。
 他所から来た自分たちは美しい森に感動すら覚えるけれど、つい100年ほど前は、この地域の人々にとって、この森は畏怖すべきものだったのだろう。自分の家族を森に奪われた、と嘆く人々もいたに違いない。

「今は安心ですよ。この道がありますからね」
「まったく。文明とはありがたいものですな」
「まあ、最近はその文明が逆に禍してか、カーブも雪道も関係なしにスピードを出し過ぎて、自損事故を起こすような連中も増えました。こないだの事故も、いったい何キロ出してたんだか。車体が潰れて、半分の長さになってましたよ」
 文明は、必ずしも人の命を救わない。以前森で亡くなった人の数と、現在交通事故で亡くなる人の数を比べてみたら、案外今の方が多いのではないか、と薪は皮肉なことを考える。

「それはひどい。ドライバーは即死だったでしょうね」
「多分ね。遺体は見つかってないんですが、助からなかったでしょうね」
「遺体が見つからないって、どうして」
「おそらく、窓から投げ出されたんじゃないかって。この道の下は崖になってて、すぐ側まで森が迫っているでしょう。森には野犬が多いですからね、その餌食になってしまったんじゃないかと」
 皮肉な薪と違って人の好い岡部は、同情に細い眉を寄せ、
「それは遺族の方も、悲しまれたことでしょう」と死者を悼む口調で言った。
「ええ、母1人子一人の家庭で」
 岡部の言葉に相槌を打って、運転手が言いかける。

 その言葉が終わらないうちに、センターラインを大きくオーバーして突っ込んできた対向車が、薪の目に映った。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

秘密の森のアリス(2)

秘密の森のアリス(2)




――――― どうして2匹も連れてきた? 食いでがありそうなのを1匹だけって、おれの言ったことを聞いてなかったのか。
――――― ちゃんと兄ちゃんの言う通りにしたさあ。でもこいつが放さんけん。
――――― そうよ。仕方なく一緒に連れてきたのよ。

 聞きなれない声に、薪は目を覚ました。意識を失う前の光景を思い出し、慌てて周りを見回す。
 雪道で、事故に遭ったのだ。みんなは無事だろうか。

 隣の席に座っていた青木が横に寝かされているのを確認して、薪はホッと胸を撫で下ろす。よかった、青木は無事だ。他のみんなは?
 そこで薪の思考は止まった。
 まだバスの中、でなければ病院だと思っていた。聞き覚えのない声が聞こえてきたから、誰かが自分たちを助けれくれたのだと解った。しかし、ここは。
 
 洞窟のような、暗い部屋。てか、どう見ても洞窟なんだけど。壁が土だし。
 病院じゃないな、じゃあ洞窟風の民家? ……ありえないだろ、それ。
 それに、さっきこいつら何て言った? 食いでがありそう、とか何とか、ホラー映画みたいなことを言ってなかったか?

 不穏なものを感じ取った薪は、未だ目覚めぬ振りで周囲の動向を伺うことにした。薄目を開けて声の主たちを探すが、彼らの姿は薪の視界にはなかった。なかったはずなのに、
『はあ、こりゃ駄目だ。こんなに小っさくて痩せっころげてちゃあ、骨を除けるのも面倒だ。森の奥に捨てて、野犬の餌にでもくれてやれ』
 後ろ襟をつかまれて、ひょいと身体を起こされた。声は前から聞こえるのに、姿は見えない。小さくて悪かったな、と普段なら言い返すところだが、こんな奇妙な状況にあっては流石にそれはできなかった。

『それはもったいねえよ、兄ちゃん。捨てるくらいなら、おらにおくれよ』
『三郎。こいつの全部の肉を合わせても、こっちの男の足1本分くらいだぞ?』
『食べるわけじゃなかよ。食うのは、そっちの男だけで充分だあ』
 信じがたいことだが、この連中は自分たちを食べようとしているらしい。しかも、姿が見えないということは……どういうことだ、どんなトリックを使っているんだ?

 ふと薪は、乗り合いバスの運転手が岡部と話していた、この地方の伝承のことを思い出す。
(あの森には、妖怪が住んでるんですよ)
 ……そんなことがあるわけがない! 第九の室長ともあろうものが、妖怪なんて言葉を知ってるだけでも恥だ!
 相手の正体が解るまでは、不用意に動かないほうがいい。そう判断して薪は、気絶した振りを続けることにした。

『また、おまえは』
『へへ、おらあ、こんなにきれいな娘っこ見たの初めてだあ』
「おまえの目は節穴か! スーツを着てるのに娘とはどういうことだ!?」
 思わず突っ込んでしまってから、ハッと気付く。
 しまった、つい。こいつら何て卑劣な手を、と薪は思うが、端から見たらカンペキなボケだ。
 
 こうなったら仕方がないと割り切って、薪はその場にすっくと立ち上がった。大胆に周りを見回すが、やはり部屋の中に青木以外の人間の姿は見当たらない。
 岡部や他のみんなは何処へ行ったのだろう。彼らに呼びかける意味もあって、薪は声を張り上げた。
「おまえらは何者だ! こそこそ隠れていないで姿を現せ!」
 自分が寝せられていた粗末な寝床(土の上に草を敷き詰めたものだった)から降りて、薪は叫ぶ。しかし、応えは返らなかった。
 薪は険しく眉を寄せ、舌打ちして、さっと床に屈んだ。気を失ったままの青木の肩を揺さぶって、彼を覚醒させようと試みる。

「青木、起きろ。帰るぞ」
『そいつは駄目だあ』
『帰るなら、おまえ1人で帰れ』
 後ろから羽交い絞めにされて、青木の傍から引き離される。正体不明のその力は非常に強く、じたばたともがく薪の足が宙に浮いても、薪を拘束した力は緩む気配がなかった。
『その前に、なあ、兄ちゃん』
『おまえは本当に女が好きだな、三郎。さっさと済ませて来い。待っててやるから』
『ええ~、アタシもう、お腹ペコペコなのに~』
『こいつを食う前に、おまえには別の仕事があるだろう』
『う。面倒だなあ』

 バタバタと動かしていた足を揃えて抱え上げられ、薪は荷物のように担ぎ上げられた。足を戒められ、腹部を支点に頭の方が下になる形で、どんどん青木から離されていく。
「青木っ! 僕の声が聞こえないのか!! 起きろ、このバカっ!!!」
 ありったけの声で叫ぶが、青木は身じろぎもしない。何かの薬物で眠らされているのか、それとも妖力というやつか。
 いや、妖力なんか認めない。こいつがヘタレなだけだ。

「青木!!」
 薪の叫びは虚しく響いて、土壁に吸い込まれた。
 
 不自由な体勢で、薪は焦る。何が原因でこんな世界に入り込んでしまったのかさっぱり解らないが、とにかく逃げないと。今自分を戒めている者とその仲間は、青木を食べる心算なのだ。
 焦燥する薪にお構いなく、薪の身体はずんずんと洞穴の奥へ運ばれていく。途中、いくつか横道があり、その中には外へ通じている道もあるらしく、冷たい空気が流れてきていた。

「おい、おまえらは何者なんだ。どうやって姿を隠している?」
『おめえ、おらたちの姿が見えねえのか。さては、ゲンダイジンってやつだな』
「どういう意味だ?」
『おらたちは、存在を認めねえ人間には見えねえのさ』
「……妖怪ってことか」
 認めたくはないが、認めざるを得ないようだ。これは夢だと思って成り行きに任せていたら、永遠に夢から目覚めなかったという結末になりかねない。

『その呼び方は好きじゃねえ。兄ちゃんみたく、『三郎』って呼んどくれ』
 妖怪である彼にも、名前はあるのか。人間と同じに、親がつけたのだろうか。だとしたら、親子の情とか兄弟の情とかもあるのだろうか。そこに訴えかければ、あるいは道が拓けるかも。
「三郎って、いい名前だな。ご両親が付けてくれたのか」
『おらが一番最初に食った人間の名前が、三郎だったんだあ』
 ……聞くんじゃなかった。

 三郎と名乗った妖怪は薪を抱えたまま、何度か角を曲がった。パニック状態の、しかも逆さになった頭で、それでも薪はその道順をしっかりと覚えた。
 入り口に大きな葉が暖簾のように吊り下げられたその部屋は、どうやら寝室らしかった。先刻、薪が寝かされていた粗末な草の敷物より、ずっと厚手の寝床がしつらえてある。ベッドは3つ。つまり、ここにいるのは3人。
「3人で暮らしているのか?」
『ああ、ずーっと前から3人だあ。兄ちゃんが700歳、姉ちゃんが500歳、おらが300歳』
「そんなに生きてるのか。すごいな」
『おらはそうでもねえ。けどな、兄ちゃんと姉ちゃんはすごいぞ。おらも早くああなりてえ』
 
 少しずつではあるが成り立ってきた会話に、薪は僅かばかりの希望を抱く。話が出来るということは、意志の疎通が可能ということだ。交渉次第では、ここから無事に帰れるかもしれない。それには、こいつから様々なことを聞き出して、交渉に有利な材料を揃えることだ。
「長生きの秘訣はなんだ?」
『人間を食うと精がつくだ。鳥や鼬ばっかじゃ、こうはいかねえ。人間を食わなかった仲間は、みんな死んじまった』
 ……無理だ! 人間を食料としか考えていない生物に、ネゴシエイトなんか不可能だ!!

 彼らにとって、自分たちは牛や豚に見えているのだ。言葉が通じるからと言って、マトモに話を聞いてくれるわけがない。
 再びパニックに陥った薪を三郎はベッドに座らせ、両肩に手を置いた。姿は見えないが、重みは感じる。触れられた感触はたしかにあった。

『おらの言うこと聞けば、おめえは殺さねえでいてやる。おめえの心掛け次第によっちゃ、森の外れまで送ってやるけん。大人しゅうしとれ』
 しゅ、とネクタイの結び目を解かれて、慌てて薪は相手の見えない手をつかむ。触感だけだが、いかつい農夫のようなその手は、固い毛に覆われていた。
「男相手に何するつもりだ、このエロ妖怪っ!!」
 手に力を入れて、薪は怒鳴った。

『オトコ?』
「そうだ、僕は男だ、ほら証拠!」
 相手の手をワイシャツの胸に導いて、その平坦さを強調するように胸をそらす。三郎は自分からサッと手を引いて、
『…………コロス』
 うあああ、しまったっ!! 自分で死刑執行のスイッチを入れてしまった!

『おらのこと騙しただな。ふてえヤツだ』
「そっちが勝手に誤解したんだろうが! 自分が女性だなんて、僕は一言も言ってないぞ!」
 それには一理あると思ったのか、三郎はしばし沈黙した。余計に怒らせたか、と不安に駆られる薪の耳に、意外にも優しい言葉が。
『神さまも間違う事があるってことだべかな。そんな顔で男さ生まれてきて。可哀想に、おめえも色々苦労してきたんだべな』
 妖怪の目にも涙、って、
 腹立つ! 顔のことで妖怪に同情されるって、むっちゃ腹立つ!!

『けど、女じゃねえなら生かしとく意味もねえ。森に捨てるだ』
 彼らが言う『森』とは、バスの窓から見えたあの広大な森のことだろう。その奥に置き去りにされたら、助けを呼びに行っている間に青木はおそらく骨になっている。
「ちょ、ちょっと待て!」
 つまみ出される猫のような格好で不可思議な力に持ち上げられつつ、薪は必死で頭を巡らせる。
 青木を救い出すには、ここで捨てられては困る。苦し紛れの口八丁が、追い詰められた薪の口から飛び出した。

「おまえ、男としたことないのか? 300年も生きてきて、それは哀れなことだな」
『ああ? 何を言っとるだ?』
「女なんかよりずっといいぞ。少なくとも、僕を抱いた男はみんなそう言う」
 妖怪相手に2枚目の舌が通用するかどうかは解らないが、何もしないわけにはいかない。第九の室長として、こんな訳の分からない死に方をしてたまるか。

『男が男に何をするだ?』
 すとん、と床に降ろされて、薪はホッと息をつく。さあ、ここからだ。
「そんなこと……口ではとても言えない」
 口元に手を当てて、もじっと身体を捩ってみせると、相手はにやけた声で、
『恥ずかしいんか。おめえ、男にしちゃあメンコイなあ』
 芸は身を助けるとはよく言ったものだ。おとり捜査の為の演技訓練、やっておいてよかった。

『じゃあ、さっそく身体で教えてもらうとすっか』
「ちょ、ちょっと待って!! えっと、えっと、そうだ、まずは風呂! 風呂に入らないと男同士はできないっ!!」
『なんでだ?』
「つ、つまり、男が使うところはその、事前に洗わないと細菌に汚染されて病気になる可能性が」
『おらたちは病気になんかならねえ』
 そりゃそうだ、性病に侵された妖怪なんか聞いたことがない。でもここは断固死守!

「入れたら腐り落ちるぞ! それくらい強力な毒性なんだ!」
『そうなんか? そりゃあ困るな。仕方ねえ、湯を立ててきてやる』
「あ、ありがとう」
『大人しく待っとれよ』
 だれが待つか、バカ。

 心の中で毒づいて、見えない相手にニコッと笑いかけ、バイバイと手を振る。部屋からひとの気配が完全に消えたのを確認して、薪は立ち上がった。




*****


 薪さんの美しさは万国共通。
 妖怪の世界でも通用しちゃうのでした☆


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

秘密の森のアリス(3)

 こんにちは。

 久しぶりに、昨日はお出かけしてきました。
 行き先は、国営の海浜公園。
 こちら、年間を通して美しい花が咲いているので、わたしたちの定番お散歩コースなんです。 今時期は水仙とチューリップ、それからネモフィラが真っ盛りでした。

 中でもネモフィラは、みはらしの丘という場所に無数に群生してまして、これが真に見事だったんですけど、なんだろう、職業病? というのも、遊歩道がいつの間にか舗装道になってて、
 以下、オットとの会話です。


「これ、密粒13?」(←アスファルトの種別)
「うん、透水性舗装してるね」

 道はいいから花を見ようよ。(←みはらしの丘の呟き)

「この丘って、建設残土で作ったんだよね?」
「そうだね。第2種発生土と、第3種も混じってるのかな」
 
 ねえ、向こうに海も見えるよ? きれいだよ、とっても。  

「急勾配でもクラック(ひび割れ)入ってないね。上手だね」
「この急なカーブ、ASフィニッシャーのオペレーター、苦労しただろうなあ」

 ……おまえら、何しに来たんだ。 

「うわ、見て。あの道、地震で亀裂入ってる」
「本当だ、補修掛けてある。グースアスファルト使ったのかな」

 ……………………………………帰れ。


 何をしに行ったのやら。(笑)


 



秘密の森のアリス(3)






 部屋から三郎がいなくなると、薪は直ぐに行動を開始した。
 携帯電話は取り上げられていなかったが、思ったとおり圏外で使い物にならなかった。岡部たちに連絡を取りたかったが、それは諦めるしかないようだ。外部からの助けは期待できない。何とか自力で脱出しないと。

 青木が寝かされていた部屋に戻ろうと、薪は入り口に垂れ下がっている大葉を掻き分け、洞窟内の通路に出た。似たような土壁ばかりが連続しているが、そこは天才の強みで、先刻通ってきた道をあやまたず戻っていく。
 途中の横道にもチェックを入れ、外界につながっていそうなルートを探る。特に冷たい風が吹いてきた通路に寄り道をすると、薪の胸の高さにぽっかりと穴が開いており、寝室の入口と同じ大葉でふさがれていた。
 葉の隙間から覗けば、外は森の中らしく、太い樹木の幹だらけだ。雪はそれほど積もっていない。上空を覆う葉が重なり合って、地面まで落ちてこないのだろう。これなら、かなりの速度で走れる。密集する樹木は、彼らから自分たちの身を隠してくれるはず。右も左もわからないが、ここから遠ざかることだけはできそうだ。

 あと2つほど角を曲がれば、目的の部屋に着く、というところまで来て、薪は何かにぶつかった。
 しまった、三郎が帰ってきたのか、それとも残りの2人のどちらかが、と身構えるが、相手は何も言わなかった。気のせいか、とも思ったが、ひとの気配を感じる。

「あのう」
 おずおずとした声が下から聞こえ、見ると、女の子が床に座り込んでいた。中学生になりたてくらいの小柄な女の子で、くせっ毛のショートヘアに眼鏡を掛けている。
 なんと、自分たちの他にもやつらに囚われた人間がいたのか。それも、こんな少女を。
「きみもあいつらに捕まったんだね?」

 彼女は洋風の、ひどく古臭い服を着ていた。
『不思議の国のアリス』というロリコ……いや、夢一杯のファンタジー小説があったが、あれの主人公が纏っているような提灯袖のエプロンドレス。頭には猫耳をつけて――――― そうだ、これってあれだ、秋葉原を闊歩しているコスプレイヤーとかいうやつだ。都心のコスプレイヤーが、どうしてこんなところに?

 彼女が立とうとするのに手を貸し、薪は彼女を安心させようと力強く言った。
「怖かっただろうね。もう大丈夫だよ、僕は警官だ」
「……けいかん?」
「そうだよ。仲間もいる」
 気絶したままでは青木の巨体はお荷物以外の何ものでもないが、覚醒すればそれなりに使える。青木は剣道2段、射撃3段。柔道以外の種目なら、薪より強い。
 
 薪は少女の手を取って一旦来た道を戻り、さっき見つけた横道に入った。
「いいかい、きみはここに隠れているんだ。この道の突き当りから外に出られる、でも1人じゃ危険だ。僕が仲間を連れてくるから、それまでここで待ってて」
「うしろ! 伏せて!!」

 薪は咄嗟に屈んだ。
 次の瞬間、ボゴッという鈍い音と共に、向かいの土壁が何かに抉られたように砕けた。高さはちょうど薪の身長くらい。屈むのが一瞬でも遅れていたら、壁に叩きつけられていた。

『部屋さ待ってろと言っただに……おらの言いつけを破っただな。言うことを聞かんなら、こうしてくれる!』
「右よ! 後ろへ避けて!」
 慌てて身体を反らすと、ごおっと音をたてて目の前を何かが過ぎていった。巻き起こった風で薪の前髪が持ち上がり、きれいな額が顕になる。見えない敵の攻撃は、かなり強力だ。

「下、跳んで!」
 少女に言われるがままに身体を動かしつつ、薪は叫んだ。
「やつはどこだ!?」
「右!」
 言われた方向に拳を突き出すが、そこには何もなかった。ならばもっと右かもしれないと、得意の回し蹴りを繰り出すが、それもまた空を切るばかり。

「もっと奥です! 3歩先で○ボタン!」
「格闘ゲームじゃないからねっ!」
『ぐっ!』
 確かな手応えがあって、薪の拳に痛みが走った。普通の人間より、固い身体をしているらしい。これは足技を多用したほうがいい。

「左、下、斜め右上!」
「もっと細かく指示してくれ!さっきみたいに何歩先とか」
「了解! R2△○、R1×□L1!」
 ゲーム語で指示するのやめてっ!!

「日本語で頼むよ!」
「はいっ、左に2歩、胸の高さに蹴りです!」
 少女のアドバイスは正確で、薪の攻撃は確実に敵を捕らえていった。
 どうして自分に見えない妖怪の姿が、この少女には見えるのだろう。不思議に思ったが、今はそれどころじゃない。ここでこいつを仕留めないと、もしかしなくても殺される。

「真向かいにいます!」
 薪は軽く跳んで足を高く上げ、思い切り降り下げた。踵に強い衝撃が加わり、ドサッという音がした。
「いって! 固いアタマしやがって……きみ、ヤツはどうなった?」
 踵を持ってピョンピョン飛び跳ねたいのを我慢して、薪は少女に尋ねる。しかし彼女はそれに答えず、何を思ったかぱちぱちと拍手をした。

「すごーい、やっつけちゃった!」
「そうか。でも、喜ぶのは後だ。こいつらの仲間は、あと2人いる。早く青木を連れてここから逃げないと」
 薪は床を手探りで触って、気絶した敵の体を見つけた。彼の腕らしき部分をつかんで、ずるずると引き摺ると、
「こいつは縛って、どこかに隠す」
 気絶した妖怪を隠すなら、脱出口として使おうとしている横道からは離れた方がいい。薪は横道のひとつに彼を隠すと、少女の協力を得て、自分のネクタイで彼の足首を、少女の襟元を飾っていたリボンで手首を縛り上げた。

 これは間違いなく、三郎だ。残りの2人は、こいつを待つと言っていた。それから、一方の妖怪には、食事の前に仕事があるとか何とか。あれはどういう意味だったのだろう。

 再び先刻の横道に戻ってきて、薪は少女の目の高さに屈み、彼女を勇気付けるように言った。
「僕は仲間を助けてくる。1人で怖いだろうけど、きみはここで」
「あなたの仲間って、彼らに捕まってるのね?」
 少女の質問に、薪は自分の失言に気付く。彼女を不安にさせまいと、青木が敵の手中にあることは隠しておく心算だったのに。

「黒髪の、身体の大きな男のひとね」
「彼を見たのかい?」
「まだだけど。……すごく彼の事が心配なのね」
 自分は、そんなにも情けない顔をしていただろうか。一般人の前だと思って、できるだけ平静を装っていたはずなのに、こんな年端も行かない少女に見透かされて。

 ポーカーフェイスの厚みを1センチほど嵩上げしようと試みて、薪はその困難を悟る。
 本当に心配で、いてもたってもいられない。だって、あの連中は青木を食べるつもりなのだ。彼らは三郎を待つと言っていたが、妖怪にとって同胞との約束がどれくらいの重きを成すものかわからないし、三郎が来るのを待ちきれずに食べ始めてしまうことだって充分に考えられる。

「彼を助けるなら、わたしを連れて行ったほうがいいわ。だって、あなたは彼らの姿が見えないんでしょう?」
 少女の言うことは尤もだった。しかし、彼女は一般人、自分たちは警察官だ。自分達が守るべき相手を、危険と解っている場所に連れて行くわけには……。
「こんな非常時に、警官も一般人もないわ」
 彼女の助けがあれば、さっきのように妖怪を倒せるかもしれない。自分たちが死んでしまっては、この子を助けることもできない。迷った末、薪は彼女に「頼みます」と頭を下げた。

 彼女はニコッと無邪気に微笑んで、
「今のうちだったら、まだお仲間は無事なはずよ。子種を搾り尽くしてからじゃないと食べないから」
「そうか、子……こっっ!!??」
 あどけない少女の口からとんでもない言葉が飛び出して、薪は床につんのめりそうになる。
 彼女はどう見ても中学生、下手をしたら小学校高学年くらいの年齢だ。興味を持つ年頃ではあるかもしれないが、こんな言葉を使うとは思えない。自分はいったい何を聞き間違えたのだろう。

 自分のミスに赤くなって、薪が右手で口元を隠していると、少女は何を焦っているのかわからない、と言った表情で、
「そうよ。彼らが仲間を増やすには、人間の男と交わるしかないの」と、恥ずかしがる様子もなく答えた。聞き間違いではなかったらしい。
「どうして? さっきのヤツとの間に子供を作れば、あ、そうか。姉弟なのか」
「そう。血が近すぎて、異形になってしまう確率が高いから」
「不思議だな。最初彼らは僕を女性だと思っていたはずなのに、僕に子供を産ませようという話は出なかった。食いでがないから森の奥に捨てて来いって。何故だろう」
「無理よ。彼らと交わったら、人間の女なんか即死。あいつらの精液は猛毒だから」
 あ、危なかった……。

「きみは、どうしてそんなに彼らのことに詳しいの?」



*****

 さて、彼女は何者でしょう?
 正解者には、法十の秘蔵未公開Rをご進呈!←ないない。


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秘密の森のアリス(4)

秘密の森のアリス(4)






「きみはどうしてそんなに彼らのことに詳しいの?」
「えっ」

 不可解だった。
 秋葉原の歩行者天国から攫われてきたコスプレイヤーの彼女が、どうして彼らのことをこんなによく知っているのだろう? そもそも、どうして彼女には彼らの姿が見えるのか?

 もしかしたら、と薪は思う。
 彼女はアキバのオタク、つまりは2次元の世界と現実を混同してしまうような社会不適格者、じゃなくて、柔軟な思考の持ち主だ。2次元人に恋ができるような人間なら、当然妖怪の存在も信じているはず。だから彼女には彼らの姿が見える。
 妖怪たちに言わせれば「食いでがない」体格の彼女を彼らがさらってきたのは、自分たちの姿が見える彼女に、身の回りの世話をさせようと思ったからではないか。彼女はもう何年もここで彼らの生活を目の当たりに見てきて、彼らのことを熟知しているのではないか。

 目の前に浮かんだ謎を解き明かそうとするのは、捜査官の本能。推理の神さまとまで呼ばれた薪にとって、脳裏に浮かんだ疑問に対して瞬時に仮説が立てられるのは、もはや条件反射のようなものだ。

「わ、わたし、アキバノオタクだったんだけど!」
 少女の小さな口が開いて、妙なアクセントの言葉が聞こえた。ちょっと考えて、『秋葉のおたく』と言ったのだとわかる。彼女も緊張しているのか、声がひっくり返ったらしい。
「彼らにさらわれて、身の回りの世話をさせられていたの。何年もここにいるから、彼らのことはよく解っているの」
 やっぱり、と薪は頷いた。
 自分が考えた通り、彼女は大分昔にさらわれたらしい。それでこんなに古臭いコスプレをしているのだ。

「何年くらいここにいるの?」
 彼らのことを語る彼女の様子に恐れが見えないところから、2,3年は経っているかも、と薪は予想する。
「えーっと、2,3年くらい?」
「きみは今、いくつなの?」
 彼女の体つきは、まだ少女のままだ。声も高いし、胸も小さいし足も細い。12,3歳といったところか。
「えーっと、12、3歳くらい?」
 すると彼女が被害に遭ったのは、10歳くらいのときか。

「じゃあきみは3年も前から、彼らのその……そういう場面を見てきたってこと?」
「そういう場面て? 男から子種を絞るところ? それとも女を犯すところ?」
「!! 女の子はそういうこと、言っちゃいけません!」
 ついついオヤジくさく説教してしまうのは、薪が女性に夢を抱いているからだ。女性はやさしく美しく、性には慎み深く、欲を言えば雪子のように凛としていて欲しい。

「でも、よく解ったね? その行為が、そういう目的で為されてるって」
 10歳の少女に性衝動なんか理解できなかっただろうし、子孫を作るためにそんなことをするなんて知らなかったはずだ。言葉だって、女を犯すとか子種とか、まさかこの年でエロビデオなんか見たことないだろうし。
「あー、今はほら、『えろびでお』とかあるから」
「えっ!! だってきみ中学生でしょ!? 僕、24のとき初めて鈴木に見せられっ……!!!」
 言わなくてもいいことを言ってしまって、慌てて自分の口を塞ぐが言葉は戻せない。
「ううう、また中学生に負けた……」
 昔のイヤな記憶も戻ってきたりして、思わず固まる。まったく最近の若いもんは、とオヤジ定番の口癖が出そうになって、さすがに今はそんなときではないと気を取り直して立ち上がる。

「行こう」
 薪の言葉に、2人は薪が最初に目覚めた部屋を目指して歩き始めた。

 不本意にもここに住まざるを得なかった少女は、目的の部屋までの道も熟知していた。彼女の道案内は薪の記憶と違えるところはなかったが、薪は彼女の背中を守る形で、体ひとつ分後ろを歩いていた。

「彼らが、ひとを食べる場面も見てきた」
 歩きながら、少女が低く呟いた言葉が、薪の瞳を暗く翳らせる。
 この小さな少女にとって、その場面はどれだけ恐ろしかったことだろう。自分を守ってくれる親もなく、頼りになる大人もいない状況で、明日は我が身かもしれないと思いながら彼らの世話をしなければならなかったとは、なんて可哀想な子だろう。

「ひとを食べるたびに、彼らは姿が変わるの。前はあんなに醜くなかった」
 しかし、彼女の足取りはしっかりとして、彼らの元へ戦いに赴こうとしてる今の状況に恐れを抱いている雰囲気は微塵もなかった。
 彼女の健気さを、薪は好ましく思う。オタクというのは現実逃避ばかりしている人種かと思っていたが、そんなことはないようだ。こんなふざけた格好をしていても、心は鋼のように強い。

「わたしは彼らに、これ以上醜くなって欲しくない」
 ふと少女の声に、彼らに対する憐憫が混じったような気がして、薪は自分の先に立って歩く彼女の頭を見つめた。ふわっとしたクセ毛のショートヘアを飾る猫耳が、ぺたんと垂れている。どうやら可動性らしい。最近のオタクグッズはよくできている。

「あなたのお仲間が、エッチに強いことを祈ってて。それで稼げる時間が違ってくると思うから」
 青木が妖怪とセックスしている間は殺されない。そういうことだ。
 彼が自分以外の誰かとそういうことをするのは腹が立つけど、今回は仕方ない。嫉妬なんかしてる場合じゃない、命が掛かってるんだ。

「どうしていきなり怒り出すの? わたし、何か気に障ること言った?」
 いいや、と首を振って、薪は彼女に顔を見られないように横を向く。ポーカーフェイスはマスコミ仕様のものにしているはずなのに、子供って鋭いから苦手だ。

「そうだな、青木は4時間くらいはぶっ続けでいけるから。まだ余裕だと」
「どうしてあなたがそんなこと知ってるの?」
「ッ、ゴホッ、ゴホッ! お、男同士はそういうの、自慢し合ったりするから」
「ふううん。それが本当なら安心ね。受精の確率を高めるためには量が多いに越したことはないから、最後の一滴を絞り尽くすまで続けると思う」
 逆の立場にならなくて良かった、と薪は心の中で天の配剤に感謝する。自分だったら多分、20分で殺されてる。それに、こんな環境でしかも相手は妖怪で、それが役に立つかどうかも―――――。

「攫われてきた男の中には、恐怖で震え上がっちゃう男もいるだろ? そういうときはどうするんだ?」
「あのね、彼らの中で女性だけは特殊な能力を持っているの」
 薄暗いトンネルのような通路を歩きながら、少女は自分の知識を惜しみなく薪に与えた。
「男の人の心の中が読めるの。彼らが好ましいと思っている女性の姿形を知って、その姿になることができるの。だから、大抵の男の人は拒まないわ」
 彼女の説明を聞いて、薪は納得する。
 それなら、殆どの男は飛びつくだろう。妻や恋人がいない男だって、アイドル歌手に憧れていたり、人妻に横恋慕していたりするのだから。ここぞとばかりに張り切るに違いない。自分だって目の前に深田○子が、あの神々しいバストを晒して迫って来たら……。

「やばい」
 何度か青木と交わしたことのある会話を思い出して、薪は急に不安に駆られる。

「急がないと、危ないかもしれない」
「え、どうして? 4時間は大丈夫なんでしょう?」
 たしかに、青木は一晩中フルスロットルで飛ばせるやつだけど、でもそれは。
 相手が僕だから。
 青木は僕が好きだから、僕と一緒に高まりたくて、だからあんなに―――――。

「好きな相手じゃないと、役に立たないって言ってた。もしかすると駄目かも」
 青木から目的のものを引き出せないと知ったら、彼らはどうする。即座にその目的を変更して、彼を引き裂くのではないか。
 三郎が来るまで彼らは待つと言ったが、それは青木を殺すのを待つと言ったわけではない。食べるのを待つ、と言ったのだ。

 青木の自分を見る熱い瞳を思い出して、薪の背筋がぞっと寒くなる。
『オレは、薪さん以外のひとは欲しくありません』

 あいつが求めるのは僕だけ。
 もう何年も前から、世界中で僕ひとり。

 小刻みに震え始めた薪を気遣って、少女が歩を緩めた。弱気になった薪を勇気付けるように、胸の前で小さな拳を握り締める。
「大丈夫よ。彼の好きな人の姿になるんだから」
「青木は姿形だけで僕を抱いてるんじゃない!」

 すでに彼の命は奪われているかもしれない、そんな不安が薪の余裕を奪っていた。だから、少女のびっくりした表情の意味にも、しばらくは気付けなかった。
 あんぐりと口を開いている彼女の両目がぱちりと瞬き、薪は自分を取り戻した。

「あ、いや、あの、つまり、そのっ」
 出会い頭の事故のようなカミングアウトを何とか無効にできないかと、必死で考えるが頭の中は完全に真っ白だ。恥ずかしい時は反射的に出てしまう、右の拳で口元を隠すクセを意識することもできず、薪は壁にへばりついてしまった。

 徹底的にマズイことになった。
 こんなことが原因で、協力的だった少女が自分たちに対する嫌悪感から勝手な行動を取ったらどうしよう。青木と彼女、2人も抱えて逃げられるほどの腕力は、薪にはない。

 薪の心配を他所に、軽蔑の眼差しを浮かべるかと思った少女は、胸の前で握っていた拳を神さまに祈るときのように組み合わせて、
「す、すてき……」
 と、茶色の瞳をきらめかせた。
「きゃー、初めて本物を見たわ! 萌える~~! わたし、応援するから!」

 ……腐女子だったのか……。



*****

 ということで、正解は腐女子でした☆


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秘密の森のアリス(5)

秘密の森のアリス(5)





「青木さんていうの? 面倒な男ね。あなたの話が本当なら、彼とっくに殺されてるわ」
 足音を隠す余裕もなく、ふたりは目的の部屋までの道を急いでいた。

「でも、そんなに心配することないわよ。今までも奥さんのいる男は何人も来たけど、彼らの上には大抵、奥さんよりも若くてきれいな女性が乗ってたから」
「世間一般の男の基準であいつを測らないほうがいい」
 薪はそれを青木という人間を冷静に判断した上で言ったのに、青木のことを知らない少女には、自惚れに聞こえたらしい。大した自信ね、と小さく口中で呟き、
「はいはい。それじゃ、妖怪の変身能力に期待するのね。あなたそっくりに化けられてるといいけど」
 冷やかす口調で言われて、薪は少々腹を立て、
「彼の上にどこかの女が乗ってたら、それはそれで僕が彼を殺すけど」
「……シュールすぎて笑えないんだけど、その冗談」

 裾の長いドレスを蹴立てて走る少女の後ろを、薪は必死に付いていく。薪は足はかなり速いほうだが、この少女の走りはすごい。陸上でもやっていたのだろうか。
「大丈夫? 息、上がってるみたいだけど」
「ああ。でも、こんなに遠かったかな」
「一番未熟とはいえ、さっきの奴も妖怪だからね」
 瞬間移動のような力でも持っていたのだろうか。周りが同じ土の壁だから、気がつかなかった。
「青木の意識さえ戻れば、彼は僕よりも強いから。そう簡単にはやられないと思う。銃も持ってるし」
 青木は薪のボディガードとして正式に任命されているから、銃の携帯を許可されている。いつも持ち合わせているわけではないが、今回のように遠出をするときには何があるか分からないから、必ず持っているはずだ。妖怪に鉄砲玉が効くかどうかは不明だが、丸腰よりは心強い。

「あなたがさっきやっつけた奴は、まだ年が若いから普通の人間よりちょっと固くて力が強いくらいだけど、一番年長の奴はそう簡単にはいかないわ。力は人間の何倍もあるし、車にぶつかっても傷ひとつ付かない丈夫な身体を持ってる」
「げ。そんなデタラメな奴にどうやって対抗するんだ?」
「大丈夫、こっちにも秘密アイテムがあるから」
「秘密アイテム?」
 そんなものがあるのか。さすがは彼らと3年も暮らしてきた少女だ、只者ではない。もしかすると、逃げ出す機会を伺いつつ、彼らの弱点を研究していたのかもしれない。
 走りながら、彼女はエプロンのポケットからカラフルなステッキを取り出した。

「これよ、魔法の杖」
 …………オタクのコスプレイヤーの言うことなんか、マトモに信じた僕がバカだった。

「あ、信じてないわね。あなた、そんなんだから彼らの姿が見えないのよ。可哀想なひと」
「僕の年になってそれを信じられたら、別の意味でカワイソウな人だよ」
 それよりも青木が心配だ。
 青木は確かに強いけど、それは人間相手のときだ。心を読むという妹と、怪力を持つという兄。妹が青木の心を読み、兄に伝える事ができたら、青木の攻撃はすべて相手に予測されてしまう。まともに戦えるとは思えなかった。
 殺されてしまうくらいなら、浮気してくれたほうがいい。仲間由○江でも蒼○優でも、なんだったら僕のフ○キョンを貸すから! だれでもいいから青木の上に乗っかっててくれ!

「部屋が見えてきたわ、あの突き当たり……!」
 前を走る少女が言い終わらないうちに、部屋の入り口から放り出された人影があった。
「青木っ!?」
 思わず呼びかけるが、それは彼ではなかった。亜麻色の短髪に華奢な肢体、下着をつけていない身体が妖艶に透ける膝丈のチュニック。

「……僕?」
 って、ちょっと待て―――――っっ!!
 なんだ、その場末のストリッパーみたいな衣装は! 僕の顔を使うならもっとマトモな服を着ろ、てか、お願いだからパンツ穿いて!! でないと僕は、猥褻物陳列罪の罪で、自分に自分で手錠を掛けなきゃならなくなる!

 放り出された人影は直ぐに立ち上がると、部屋の中に取って返した。なにやら揉めているような2つの声が聞こえて、その片方が自分の恋人の声だと知って、薪はその場にへたり込みそうになる。
「中で何をしているのかしら」
「なにって」
 子供には見せられないことに決まってる!

 入り口までの20mを全力疾走で駆け抜け、薪は部屋に飛び込んだ。
「青木、無事か!」
「ちょっ、わたしを追い抜いていくなんて無鉄砲すぎっ、あら、1人だけ?」
「え? 僕に見えないだけじゃなくて?」
 部屋の中にいたのは、青木と薪にそっくりな青年の2人だけだった。つまり、これは男性の心の中が読めて、好ましい姿に変身できるという妹の方だ。どうして兄の姿がないのだろうと考えて、すぐにその理由に気付く。
 彼らの目的は青木の精を絞ること。席を外すのが当たり前だ。
 これはチャンスだ。兄の方は相当の手練と聞いている。彼がいないうちに、ここを離れられれば。

「青木、今のうちに逃げ」
「薪さん」
 青木は自分の腕に縋るようにしていた細身の青年を邪険に突き飛ばすと、薪の方へ一目散に走ってきた。薪の言葉を途中に、その長い腕に彼を封じ込めて、深く息を吐く。
「よかった、無事だったんですね!」
 ぎゅっと抱きしめられて、薪は目をつむる。こんなことをしている場合じゃないのに、だけど安心して力が抜けてしまった。
「どこも痛くありませんか? せっかく旅行に来たのに交通事故なんて、ついてませんでしたねえ」
 青木は薪の身体を確かめるように、背中から腕、それから頬に手を当てると、薪の顔を上向かせて、彼の瞳をじっと見つめた。青木の黒い瞳に、微かに水膜が張っている。よほど薪の身を案じていたのだろう。

 チッと舌打ちする音が聞こえて、彼らの傍らを薪にそっくりの男が走り抜けて行った。
「青木、あいつは」
「ああ、あのひと。何を考えてるのか知らないけど、あんな格好でオレに迫ってきたんですよ。だから思わず跳ね除けちゃって」
「どうして」
「え、だってオレ、薪さん以外の男の人は興味ないし、てかすみません、気持ち悪いです」
 その姿はどこからどう見ても自分なのに、『気持ち悪い』などとヒドイ言葉で拒否されて、薪は複雑な気分になる。青木の心の中に、自分以外愛を捧げる相手がいないことが立証されたのは嬉しいけれど、薪と同じ外見の人間にまったく惑わされないのは矛盾しているような気がする。

 自分を放そうとしない青木の腕を力ずくで押しのけて、薪は少し非難がましい口調で言った。
「あいつ、僕にそっくりじゃないか。どうして偽者って解ったんだ?」
「え? ぜんぜん違いますよ?」
 青木は不思議そうに首を傾げて、薪の顔を覗きこんだ。間近に迫ってこられて、薪の心臓がとくんと跳ねる。
 いやいや、これはさっき走ったから。付き合い始めて4年にもなるのに、いまさら顔が近付いたくらいでときめいたりしないから。

「どこが似てるんですか? 薪さんの方が100倍きれいですよ。
 顔も身体も声も匂いも、まるで違います。オレいつも、薪さんを見た瞬間にドキドキするんです。それから嬉しくなって、幸せな気分になって。でも、あの男には何も感じませんでした」
 騒ぎ出す心臓を押さえられない薪が必死に言い訳を重ねる間にも、青木はますます薪の胸中を乱す言葉を重ねてきて、薪は頬に熱が上るのを抑える事ができない。だから薪はいつものように、そっぽを向いて憎まれ口を叩く。
「おまえ、眼鏡作り直したほうがいい」
「えー、なんでですか?」
 薪には鏡を見ているとしか思えなかったのに、こいつの眼は腐ってる。

 横を向いた薪の視界に、ぼーっと立っている少女の姿が映り、薪は彼女の存在を一時忘れていたことに気付く。
 まずい、彼女の前で抱き合ってしまった。彼女にショックを与えてしまったのではないだろうか。腐女子というのは幻想の世界に生きるものであって、現実を見たら引く可能性が大きいと、雪子の助手から聞いた事がある。
 しかし少女は茶色の瞳を熱っぽく輝かせ、
「ステキ……見かけに惑わされることなく、真の恋人を見抜くなんて。BLっていいわあ」
「BL言うなっ!!」
 腐女子の妄想とイコールにカテゴライズされてたまるか!!

「誰ですか、この子」
「行きずりの腐女子だ」
 彼女の逞しい精神には感謝すべきところだが、BLとか呼ばれたくない。だいたい、僕たちボーイズじゃないし!

「『ふじょし』ってなんですか?」
「BLをこよなく愛するエイリアンだ」
「『びーえる』ってなんですか?」
「……おまえは知らなくていい」
 ああ青木、なんて純粋でかわいいやつなんだ、抱きしめてやりたい。

 現実から外れて行きそうになる薪に再び緊迫感を与えてくれたのは、夢想が得意なエイリアンだった。
「もうちょっと妄想してたいけど、妹の方が兄を呼びに行ったから。早く逃げましょ」
「逃げる? どうして」
「逃げながら説明する。早く来い」
 1人だけ状況のわかっていない青木の両腕を引いて、薪と少女は部屋から駆け出した。




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秘密の森のアリス(6)

秘密の森のアリス(6)





「よ、妖怪!? ―――― あ痛っ!」
 驚いた拍子に思わず背中を伸ばしてしまって、青木は頭を通路の天井にぶつけた。自然の洞穴を利用したと思われる妖怪たちの住処は、青木の身長には低すぎるのだ。

「妖怪なんて、そんなバカな」
「僕だって信じたくない。でも現実なんだ」
 オカルトとは縁のない第九の室長は、青木の横を走りながら冷静に答える。
「僕には彼らの姿が見えない。だけど声は聞こえたし、攻撃も受けた」
 日頃のトレーニングの成果を十二分に発揮して、青木は走り続ける。第九職員に求められるのは体力と根性、それから薪のイジメに耐えられる強い精神力。今の状況には、どれも必要なものばかりだ。

「気配はあるのに人の姿はないとか、誰もいない場所から声が聞こえたりとか、しなかったか?」
「オレが目を覚ましたときには、彼が――― さっきの男の人がですね、オレの上に乗ってその、服を、脱がそうと……」
 ちらりと薪の隣を走っている少女を見て、青木はこの手の話は教育上よくないと判断し、口を噤んだ。腐女子というのがどういうものか青木はよく知らないが、見た目は中学生くらいの女の子だ。大人の話はまだ早いだろう。

「彼女は、彼らの姿が見えるそうだ」
 走りながら、薪が彼女のことを教えてくれる。
「2,3年前に彼らにさらわれて来て、逃げ出すチャンスを伺っていたんだ。アキバのオタクでコスプレイヤーでもある彼女は、その柔軟な精神から彼らの姿を見る事ができるんだ」
「あなたたちには、あの妖怪が薪さんの姿に見えていたでしょう? でも、わたしには本当の姿が見えるの。彼女は女の妖怪。薪さんとは似ても似つかない」
「へえ。オレも『びーえる』っていうのを学べば、見えるようになりますか?」
「そんなことは僕が許さんぞ! あれは悪魔の書だ!!」
「……読んだことあるんだ……」
 何故だか顔を真っ赤にしている薪と、ジト目で彼を見る少女の顔が気になったが、それは後回しにして、青木は今自分たちが置かれている状況を整理する。

 薪の言う通り、ここはどう見ても病院ではない。山道で事故に遭って気がついたらここにいた、そこには何らかの超常的な力が働いたと考えていい。
 自分たちは慰安旅行の途中だったのだし、怪我もないのだから、引き続き旅行を楽しむ権利があるはずだ。ちょうど雪も降ってきたし、薪の大好きな温泉で雪見風呂を楽しませてやれると思っていたのに、どこの誰とも知らぬ輩に邪魔されて。何だかだんだん、腹が立ってきた。

 相手が妖怪だろうが怪人だろうが関係ない。
 自分の役目は、薪を守ることだ。

 走るスピードは落とさずに、妖怪に詳しいと言う少女は、彼らについて青木に説明してくれた。
 彼らは3人兄弟で、長兄が一番強い。2番目がさっき青木に迫ってきた女妖怪で、3番目は薪が気絶させた上に手足を縛ってある。よって当座の敵はふたり。
 兄の能力は怪力と高い防御力。走っている車を止める事ができるというから、かなり強力だ。まともに攻撃をくらったら、命はないかもしれない。
 妹はテレパシスト。相手の心が読めるらしい。さっきも、青木の心から薪の映像を感じ取って、それに化けたのだと説明された。

 しかし、ちっとも似ていなかった。薪の肌はもっと透明感があるし、瞳は星みたいにキラキラしてるし、睫毛もくちびるももっとセクシーだ。からだからは百合の香りがして、華奢な腰に浮いている腰骨の曲線といったらクラクラするくらいに色っぽくて。
 それでいて初心で恥ずかしがり屋で、ベッドに連れ込むのが毎回一苦労で、だから絶対にあんな格好するわけないし、だいたい薪の方から迫ってくれたことなんて、この4年の間に数えるほどしか。
「そうなんだ。青木さん、苦労してるのね」
「え? なにが?」
「こっちの話」
 なんだろう、今の会話。青木は何も言ってないが。

「あの、オレは青木といいます。きみは?」
「えっ」
「そう言えば、きみの名前を聞いてなかった。何て言うの?」
 少女は何故か口ごもって、自分の名を告げるべきか迷うようだった。
 
 彼女は変わった服を着ていた。アキバのコスプレイヤーだと薪が言っていたが、これは『不思議の国のアリス』のアリスのコスプレだろうか。
「あ、アリスよ」
「へえ、可愛い名前だね。どんな字を書くの?」
「か、カタカナで」
 自分の名前に合わせてコスプレの衣装を選んでいたのかもしれない。しかし、アリスは猫耳をつけていたかな。

「じゃあ、アリスちゃん。きみはここに詳しいんだよね? どこかに武器になりそうなものはないかい?」
「青木」
 微かに咎める口調で名前を呼ばれて、青木は厳しいボディガードの顔になった。
「攻撃は最大の防御です。もしも追っ手が迫れば、オレが時間を稼ぎます」
「おまえにそんなことをさせるわけには」
 言いかけて、薪は言葉を止めた。彼が素早く動かした視線の先には、夢中で走る少女の姿。
 
 おまえにだけ危険な真似をさせるわけには行かない、僕たちはいつでも一緒だと、自分ひとりなら通る我儘も、彼女がいては通らない。自分たちは警察官だ。彼女の安全を優先させなければならないと、薪の心の動きは手に取るように解る。
 どんなときでも自分が警官たることを魂に刻んでいる、そんな薪にだからこそ、この身を捧げても悔いはないと青木は思う。

「だが、相手は人間じゃない。まともに戦えるとは」
「弟には薪さんの踵落しが効いたんですよね?だったら、上の2人にも物理攻撃が有効かと。その辺、どうなの? アリスちゃん」
 大人の自分達についてくる彼女の脚力に舌を巻きつつ、青木は彼女の知識を頼る。敵の内情に一番詳しいのは彼女だ。
「兄のほうは素手では厳しいと思う。妹は身体能力だけだったら、弟よりも弱いはず」
「妹のほうは腕づくで何とかなるとしても、問題は兄ですね」

 角を曲がったところで、アリスは横道に入った。ちょっと寄り道、と彼女が案内したのは8畳ほどの部屋で、水を入れた瓶や焚き付けの薪、更には竈のようなものが置いてあった。奥には物干しに掛けられた布巾のようなものが干してあり、どうやらこの少女のおかげで妖怪たちは人間に近い生活を営んでいるらしい。

「この部屋で食事を作るから、包丁とかもあるわ。好きなものを選んで」
「オレ、これでいいです」
「……ものほし竿?」
「はい」
 樹木の枝を利用した物干し竿を適当な長さに叩き折り、青木は棒の端に干してあった布を裂いて巻きつけた。そうして作った不恰好な木刀を、両手でぎゅっと握る。使い慣れた竹刀には程遠い握り心地だが、自分が武器を持つなら、これが一番だ。
 それに、妖怪といえども刃物で切りつけたりはしたくない。もし先刻のように人間の姿で出てこられたら、相手に刃物を向けることはできそうにもなかった。
 薪も同じ考えらしく、刃物には手を伸ばさなかった。薪の得意な武術は柔道と空手。どちらも接近戦だ。彼が見かけよりもずっと強いことは知っているが、相手は妖怪。素手で倒せる敵ではない。

「薪さん、これ。持っててください」
 青木が差し出したものに、薪の瞳が見開かれる。自然に後ずさる彼の手を取って、青木は強引にそれを握らせた。
「薪さんが銃を持ちたがらないのは知ってます。でも、今は緊急時です。刃物を通さない相手に対抗するには、飛び道具しかありません」
「おまえは?」
「オレにはこれがあります」
 剣道には自信がある。特に、高身長を生かして高い位置から繰り出される面はかなりの破壊力を持つと、自分でも自負している。

 小さな手のひらの中の黒く冷たい鉄の塊に目を据え、薪はその重みにしばし耐えるように立ち尽くしていたが、何か他に役立つものはないかと壺や籠をひっくり返している少女を見て、思い切ったように銃を背広の内ポケットに入れた。

「二人とも、刃物は要らないのね?」
 武器の選択を確認してきた少女に、彼らは頷きで応えた。少女はちょっと呆れたような顔をしていたが、やがて肩をすくめて、
「そんな甘い相手じゃないと思うけどなあ」と呟いた。
 生きるか死ぬかの局面で、相手を殺す決意を固めきれないふたりに失望したように少女は彼らに背を向けたが、それ以上は何も言わず。そう呟いた彼女も、やはり刃物は持たなかった。
 代わりに少女は、引き出しから黒いロープのようなもの何本か取り出し、ポケットに入れて調理場の出口に向かって歩き出した。

 年齢に似つかわしくない勇ましい彼女の態度に、青木は心の中で舌を巻く。自分は男だけれど、果たして中学生くらいの時にこんな勇気を持てただろうか。3年という月日が彼女の精神を逞しく造り替えたのかもしれないが、それにしても大したものだ。
 再び薄暗い通路を早足で歩きながら、青木はそんな気持ちでアリスに話しかけた。
「アリスちゃん。アリスちゃんが家に帰ったら、お父さんとお母さん、喜ぶだろうね。頑張ったね、ってアリスちゃんを褒めてくれるよ」
「え? あ、そうね」
 思ったよりも素っ気無い返事が返ってきて、青木は面食らう。両親が恋しくはないのだろうか。

「青木、無駄口はよせ。声で敵に居所を悟られないとも限らない」
 薪に叱責されて、今はそんな悠長なことを言っている場合ではなかったと気付く。薪も少女も必死なのだ。が、少女の説明を聞いただけで、妖怪たちと対峙していない青木には、今ひとつ実感がわかなかった。さもあらん、青木は最先端科学を集結した第九の捜査官だ。妖怪なんてそんなもの、そう簡単には信じられない。
 信じられないはずなのに。

「止まって! ふたり、前にいるわ!」
「うわあああっ!!」
 狭い通路を抜けて大きな部屋に入り、そこを通過しようとしたとき。突如として目の前に現れた異形のものたちに、青木は悲鳴を上げて後ろへ飛び退った。
「えっ? 青木、見えるのか?」
 薪が不思議そうな顔をして青木を見る。
 薪にはこれが見えないのだろうか。いや、見えないほうが幸せかもしれない。

 全身毛むくじゃらのヒヒのような化け物。手足の爪は伸び放題で鋭く、腰まである髪はぼうぼうに乱れている。身の丈はそれ程大きくはない。薪より少し高いくらいか。
 人型を取ってはいるものの、その顔は人間のものではない。目はぎょろりと大きく、鼻は潰れ、口は耳まで裂けている。真っ赤な口からむき出しになった彼らの歯はのこぎりのように尖って、生きたまま人間を食べるという少女の話は嘘ではなかったと、信じさせるに充分な恐ろしい風貌だった。
 ふたりの姿形は似たり寄ったりだったが、右側に立った妖怪のほうが幾分小柄だった。こちらが妹のほうだとすると、注意すべきは大きいほうの妖怪だ。
 思ったとおり、大柄な妖怪がこちらに向かって突進してきた。反射的に薪と少女を抱えて横っ飛びに逃げ、彼の攻撃を避ける。

「な、なんですか、あの恐ろしい生き物は!」
「すごい、青木さん。あいつらが見えるのね?」
「なんで!? どうして僕にだけ見えないんだ!?」
 そんなの、青木にだって分からない。自分は『びーえる』の勉強もしていないし、オタクの修行も積んでいない。

「青木さんには素質があるのかもしれない。ちょっと頑張れば、立派なアキバ系男子になれるかも」
「ならんでいい!」
「何だったら、わたしが教育してあげても」
「アリスちゃん、余計なことしないで! ただでさえこいつは色々と規格外なんだから! そんなもの教え込んだら、どんなプレイになって僕に返ってくることか!」
 さすが薪さん、どんな状況に陥ってもユーモアを忘れない。真っ青になってるけど、ジョークですよね?

「冗談言ってないで、逃げてください。マジでやばそうな相手です」
 ふたりの軽口に付き合っている余裕は、青木にはなかった。身体を張ってでも、彼らを逃がさなくてはならない。
 妖怪の風体はとても恐ろしかったが、その場に座り込んでしまうほどでもなかった。自分はこんなに度胸が良かったか、と青木は考えて、今は守らなければならない人たちがいるからだ、と戦う決意を強くする。

「ヤ――――ッ!!」
 青木は腹の底から声を出した。剣術の掛け声には、相手を威嚇する意味もある。
 大声量と共に、青木は敵に斬りかかった。


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秘密の森のアリス(7)

 こんにちはっ。

 毎度バカバカしいお話にお付き合いくださいまして、真にありがとうございます!
 この章が、このお話のアホMAXでございます。
   
 銀河系より広いお心でお願いしますっ。





秘密の森のアリス(7)





 大上段に振りかぶった木刀が、ビュッと空を切る。しかし、相手の動きは人間を遥かに超えて素早く、青木は太刀筋を左に流したが、それも避けられてしまった。
 直ぐに体勢を立て直し、乱取りの要領で次々と剣を打ち込むが、一太刀として相手に当てる事ができない。
「ぐはっ!」
 剣を振り切ったところに逆に懐に飛び込まれ、拳を入れられる。咄嗟に組み手で防御したが、その固さときたら尋常ではない。
 岡部からでさえ3本に1本は奪う事ができる得意の剣を軽々とかわされて、青木は焦る。こいつ、まるで次の剣筋が分かるみたいだ。

「アリスちゃん。今のうちに逃げるよ」
 青木の険しい表情に戦況を察しつつも、薪は少女の保護を優先する。自分も青木も警察官だ。私情は許されない。
 しかしアリスは薪に従おうとはせず、細い眉をぎゅっとしかめて言った。
「まずい。妹の方が青木さんの心を読んでる。これじゃ青木さんの攻撃は、全部避けられちゃう」
「えっ、青木と戦ってるのは兄のほうじゃ?」
「兄妹間で、感応能力みたいなものがあるのかもしれない。妹の方が、何かブツブツ言ってるから。まずは妹のほうを何とかしないと」
 自分が妹のほうを攻撃すれば、青木は有利になるかもしれない。しかしそれは、少女の安全を確保してからだ。彼女をどこかに匿って、それから引き返してくれば。

「アリスちゃん。ここはひとまず青木に任せて、きみは避難を」
「その選択は間違ってる。このままじゃ青木さん、5分も保たないわ。そしたらすぐに追いつかれて、2人ともオダブツよ」
 彼女の言うことは正しい。青木には一刻の猶予も無いように見えるし、見えない敵を2人も相手取って少女を守り抜く自信はない。

「わかった。それじゃ、三郎のときみたく僕に指示を出して」
「無理よ、妹はあなたの心が読めるんだもの。わたしの声を聞いてから動くんじゃ、遅すぎるわ」
「じゃあどうすれば」
 自分の不甲斐なさに、薪は歯噛みする思いで少女に尋ねる。せめて敵の姿を見る事ができれば、自分にも勝機はあるかもしれないのに。こんな局面が来ると分かっていたら、菅井さんに無理矢理貸されたBL小説、全部読んでおくんだった!

「いいわ、必殺のアイテムを貸してあげる」
 少女に何かができるわけではないと、思いつつも発してしまった問いに頼もしい答えが返ってきて、薪は眼を瞠る。
 この状況で『必殺のアイテム』を出せる、オタクとは何と有能な人種だろう。今まで社会不適格者とか現実逃避主義者とか、そんな言い方をして悪かった。ここから無事に帰れたら、菅井が貸してくれた本をちゃんと読もう。それがどんなに精神的苦痛を伴う行為でも、これは彼らに対する自分の罪滅ぼしだ。

 アリスは白いエプロンドレスのポケットを探り、サッとそれを取り出した。明るい笑顔で薪の前に差し出したのは、カチューシャに白い3角形の毛皮がついたいわゆるひとつの―――― ネコミミ?

「これを装着すれば、あなたにも彼らの姿が見えるように」
「きみの頭は春爛漫のお花畑かっっ!!!」
 社会不適格どころじゃない、社会のゴミだ、こいつら!! こんな奴らを野放しにしておいたら、そのうち日本は沈むぞ! オタク禁止条例を出すべきだ、ビシビシ取り締まるべきだ! 手始めに、ここから無事に帰れたら、菅井が置いていった本はすべて焼き払ってやるっ!

「どうしてそんなに頭が固いのよ。騙されたと思って、付けてみなさいよ」
「あのねえ!」
「わたしだって必死なの! 早く付けなさい!!」
 薪はびくっと身を引いた。
 一瞬だったが、彼女の口が耳まで裂けたように見えた。眼鏡の奥の眼が、鬼女のように凄まじい光を宿したような気がした。
 女の人は怒ると怖い。雪子も普段はやさしいのに、怒ったらものすごく怖いのだ。柔道の試合の時彼女に睨まれると、薪は上手く身体が動かせなくなる。

「わ、わかりました」
 妖怪よりも彼女に殺されそうな気分になって、薪は素直に『必殺のアイテム』を受け取る。カチューシャを頭につけて、恐る恐る彼女を見た。

「これでいい?」
「薪さん、ずるーい。わたしよりかわいい」
「はは……ありが、と、えっ!?」
 見える!
 青木と戦っている妖怪の姿が見える。

 生まれて初めて見る妖怪の姿は、サルと人間の合の子のような容貌だった。とても恐ろしい顔をしているが、あのくらいだったら立ち向かえないほどではない。角度によっては、岡部にちょっと似てるし。
 青木は苦戦していた。アリスの言った通り、完璧に攻撃を読まれている。敵は、青木の鋭い太刀を悉く避けて常に反対の方向に動き、剣が空振りに終わった後には必ず訪れる隙をついて強烈な反撃を繰り出している。
 妖怪の毛深い足が青木の腹にめり込み、薪は思わず声を上げた。
「あおきっ!!」

 薪の叫びに反応して、青木がこちらを振り返る。
 その黒い瞳は薪を捕らえ、次いで驚愕に見開かれ、男らしい口元は息を呑んだ。青木は左手で鼻から下を覆い隠し、するとその指の隙間から大量の血液が。

「ま、薪さん、ネコミっ、ぐふうっ……!!」
 アリスちゃん連れて、ここから逃げたくなってきた。

「大変! 青木さん、吐血したわ! もしかしたら内臓にダメージを?!」
「うん、心配しなくて大丈夫。あれ、鼻血だから」
 庇う気力もない。恋人がケモノの耳を頭につけただけで鼻血を噴くような男を庇えるほど、薪はヘンタイという生き物に寛容ではない。
「鼻血? ああ、なるほど……はーん」
 そこで納得しないで! 「青木さんが今何を考えたのか、手に取るように分かるわ」って、男の願望を見透かしたような顔するのやめて!

 アリスが予想する青木の想像の中で、自分が服を着ているのかどうか怖くて訊けない薪をよそに、少女はぽんと手を打った。
「そっか。青木さん、妄想癖があるのね。道理で彼らの姿が見えたはずだわ」
 そんな馬鹿な、と反論しかけて、薪は否と思い直す。
 言われてみれば、青木は筋金入りのドリーマーだ。でなければ12歳も年上の男を美しいだのかわいいだのと、何年も誤解できるわけがない。

「薪さん、協力して。この『必殺アイテム』で、青木さんの戦闘能力を上げることができるわ」
 いや、なんかもう腰砕けになってるみたいだけど。てか、そのまま砕けちまえよ、おまえ。
「スキルアップの方法は、こうよ」
 果てしなく冷たい瞳で青木が妖怪に痛めつけられる様子を見ている薪を尻目に、アリスは両手を口の横につけて大きな声で、

「青木さん! そいつを倒したら、薪さんが猫耳プレイしてあげるって!!」

 どんなスキルの上げ方だ!!
「どういうプレイだ、それはっ」
「猫耳つけて『にゃーん』て鳴いて、大事なトコにすりすりしてあげるって! ほら、薪さん、鳴いて!」
「だれが鳴くかっっ!」
「早く鳴かないと、青木さん死んじゃうわよ」
「ぐっ」
 少女の言葉は脅しではなく、妖怪の攻撃は確実に青木を弱らせている。固い拳は青木の皮膚を破って、彼の顔には幾筋もの血が流れていた。
 冗談では済まされない状況になっている。ていうか、こんなアホみたいな死に方をされたら寝覚めが悪すぎる。

「…………にゃ、にゃ~ん」
「!! せや――――っ!!」
 薪が小さくネコの鳴き真似をすると、途端に青木の剣がひらめいた。鋭く突き出された剣先に、毛深い妖怪の身体が吹き飛ばされる。

「上がったね」
「そうだね。僕のテンションは下がったけどね」
 
 ふたりとも置いて、逃げちゃおうかな。



*****


 アホMAX=薪さんのネコミミっ!
 もー、これが書きたくて、50Pも書いたんですねー。←アホMAXはおまえじゃ。

 どうしてネコミミ薪さんを書きたくなったのかというとですね、うちで相互リンクを張らせていただいてる「擒」というブログ様(URLはこちら )に感化されまして。

 管理人のえあこさんの描かれるネコミミ薪さんが、ヤバイくらいかわいくて!!
 えあこさんはすずまきすとさんでいらっしゃるので、らぶい鈴薪さんを中心に描かれているのですけど、こちらの薪さんが、うちの薪さんに負けないくらい鈴木さん激らぶ!! でして。 
 しづはえあこさんのブログを拝見する度に、「そーよ、そうなのよ、薪さんは鈴木さんのこと、死ぬほど好きだったのよ~!」と萌え萌えしている次第です。(あおまきすと??)

 しかーし、
 えあこさんちの薪さんの可愛いらしさに、うちのオヤジ薪さんが追いつけるはずもなく~~、
 しかもギャグ展開で痛ーいネコミミオヤジになってしまいまして、(←キャサリンとか言わないで←知らない人は『銀魂 キャサリン』でググってみよう)
 えあこさんファンの方々には、心よりお詫び申し上げます、ごめんなさい。

 えあこさんのブログ「擒」には、リンクの欄からも飛べますので、まだチェックがお済みでない方は、ぽちっと飛んでくださいねっ♪


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秘密の森のアリス(8)

 こんにちは~。

 今日の回は、わたし的にはとっても銀魂らしいと思うんですけど。
 怒っちゃイヤ。

 


秘密の森のアリス(8)





 だだ下がりのテンションを気合で戻して、薪は自分に課せられた敵に立ち向おうと、妹妖怪の姿を探した。
 亜麻色の髪を一振りして薪は、通路の暗がりに隠れていた敵を簡単に見つけ出す。
 頭に取り付けた屈辱的なアイテムが薪の視神経にどういう作用を及ぼしているのかは不明だが、とにかく、姿が見えればこっちのものだ。

「アリスちゃん。これ、借りるよ」
 少女のポケットからロープを2本抜き取ると、それを自分のポケットに入れて妹妖怪に狙いを定める。
 猛烈なスタートダッシュで敵との間合いを一気に詰め、素早く相手の背後に回る。長く伸びた髪をつかみ、足払いを掛けてその場に引き倒した。

 途端、兄妖怪の動きが急に鈍くなった。妹の集中が途切れたことで、青木の攻撃が読めなくなったらしい。ここを勝機とばかりに、青木は鋭く剣を振り下ろすが、それは敵の腕によって止められた。
「つっ。どんだけ固いんですか」
 まるで鉄の塊を叩いたようだ。強烈な反動に、思わず木刀を取り落としそうになって、青木は咄嗟に後ろに逃げた。まともに剣を握れない状態で、突っ込んでこられたら反撃の仕様がない。
 木刀で仕留めるのは無理かもしれない。薪に渡したものが必要になるかも。

 妹のほうは、先刻薪が倒した三郎よりも肉体的には弱いとアリスは言っていた。今の薪は彼らの姿が見えるらしいし、だったら倒すことは難しくないだろう。薪は見かけによらず、とても強いのだ。
『ふふ、妹を侮るなよ』
 対峙した兄妖怪の口から不気味な笑いが漏れて、青木は焦る。さては、こちらの妖怪にも心を読む能力があったのか。
『勘違いするな、おれには妹のような能力はない。だが、おまえは考えていることが顔に出やすい。わかりやすいやつだ』
 ……妖怪にわかりやすいって言われた……。

 黒い剛毛に覆われた手で、妹を害しようとしている薪を指差して、妖怪はふてぶてしく顎をしゃくる。
『あの男の心には、見たこともないくらい大きな穴がある、と妹は言っとった。そこを衝けば、非力な自分でも簡単にあの男を倒せると』
「あ……」
 妖怪の言葉を聞いて、敵が薪に対して取るであろう戦法を予想して、青木は我知らず呻く。

 心を読む妖怪に対して、あまりにも薪の傷は大きい。
 もし鈴木のことを読まれて、彼の姿をとったら。薪は何の抵抗もできず、彼にされるがままになるに違いない。

「薪さん、気をつけて! 鈴木さんのこと、考えちゃ駄目ですよ!!」
 駄目だと叫びながら、青木はその忠告が無駄であることを知っていた。
 薪は鈴木を忘れたことなどない。薪の心の中心に、永遠に、鮮明に生き続ける彼の姿。隠すことなど不可能だ。
「薪さん!!」
 そう分かってなお、青木は叫ばずにはいられない。彼の傷を知る青木には、それがどれだけの強さでもって彼を傷つけるのか、どれだけ暴力的に彼をあの日に引き戻すのか、ありありと想像できるからだ。

「アリスちゃん、まずい! 薪さんは昔、とってもつらい経験をしてるんだ! 敵の幻術に惑わされる可能性が高い!」
 兄妖怪と再び剣を交えながら、青木は頼みの綱のアリスに呼びかけた。アリスは薪に注意を促すため彼に駆け寄ろうとしたが、何か眼に見えない壁のようなものに行く手を阻まれてしまった。
「しまった、結界を張られたわ! 外からは、薪さんに触れられない」
「えっ。じゃあどうすればいいの」
「薪さんが自分で、何とかするしかない」
「それができるくらいなら、心配なんかしな、―-っ!」
 目前に迫ってきた拳をよけきれず、青木は思わず眼をつむった。が、襲ってくるはずの痛みはなく、不審に眼を開けると、兄妖怪の寸止めされた拳が見えた。

『そっちが気になって仕方ないようだな。一時休戦と行こう』
「えっ」
 なんて話の分かる妖怪だろう。というか、こいつは本当に悪い妖怪なのか? 人を食べるような悪鬼が、こんなことを言うだろうか。
 青木が驚いていると、兄妖怪はその場に腰を下ろした。どうやら、妹と薪の戦いぶりを観戦するつもりらしい。

『おれたちは、生きるために最低限の食物を食べているだけだ。無益な殺生はせん。だから、あそこにいた人間の中から、3人で食べるために一番大きなおまえを選んだ。あの者を連れてくるつもりはなかった』
 生きるために食べる、それは青木も日常的に行っていることだ。自分の生命を維持するために、鳥や豚を食べている。それと同じに、彼らも人間を食べていると言いたいのか。

「で、でもそれは」
『そら、妹の反撃が始まるぞ。やつが愛しく思うものの姿に、妹は変化する』
 反論しようとした青木の言葉は、長兄によって遮られた。
 理屈は通っても、とても納得はできない彼らの主張を、青木はひとまず横に置いて、見えない壁の向こうにいる薪を見つめる。
 薪の手によって地面に押さえつけられていた妹妖怪の姿がぶれて歪み、次の瞬間そこにいたのは。

「「『なんでそこで深田○子!?』」」

 しかも水着姿だよ! なにを考えてんだ、このひと! てか、どんだけ好きなんだよ、深田○子!!
 
 薪は彼女をやさしく助け起こして、男子高校生のように頬を紅潮させ、
「すいません、サインを。あ、あと、握手も……で、できたらその、ちょっとだけ胸にタッチなんか」
 男の子全開だよ!! なんて目の前の誘惑に弱い人なんだ!!(でも猫耳)

「なにやってんですか、薪さんっ!この非常時に!!」
「うるさいな、こんな機会、一生に1度あるかないかだぞ。男として逃せん」
 そのせいであなたの一生、ここで終わっちゃいそうですけどねっ!!

「ひどいですよ! そこで思い浮かべるならオレのことでしょ、普通!」
「僕はおまえみたいなヘンタイじゃない。野郎の水着姿なんか、見たくもない」
 オレだって男の水着姿なんか、あ、でも薪さんの水着姿は健康的だけど角度によってはお色気たっぷりで、特に後ろから見上げるようなアングルだと、かわいいお尻がズッギュンバッキュン、て、そうじゃなくて!

「あんまりですよ! オレは薪さんのことしか考えてないのにっ!!」
 妹妖怪が変化した姿がその男の最も愛しい相手だと、青木は自分の経験から知っている。ということは、青木への薪の愛情の強さは、このアイドルよりも下ということで。
 どうしようもない虚脱感に囚われて、ある意味兄妖怪にボディブローを決められたときよりも深いダメージを負って、青木はその場に崩れ落ちた。膝を抱えて、落ち込みのポーズで顔を隠す。これが泣かずにいられるか。
 ぽん、と肩に置かれた手があった。アリスかと思って顔を上げると、ついさっきまで拳を交えていた敵が気の毒そうに、
『……まあ、元気出せよ』
 妖怪に慰められたよっ!! どんだけ不幸なんだよ、オレの恋愛模様っ!

「薪さんっ、それは妖怪ですよ! 正気に戻ってください!!」
「僕は正気だ。最上の選択をしている。……すみません、次はぜひ女豹のポーズを」
 女豹のポーズのどの辺が最上の選択!? てか、どんなポーズか知ってんのかよ、妖怪! あ、そうか、薪の心を読んでるのか。
 彼女は四つん這いになり、豊かなバストを強調するように両腕で脇から盛り上げて見せた。すっかりご満悦の薪は、にこやかに笑いながら彼女の背後に回る。
 まさか後ろから乗っかっちゃう気じゃ、と青木が青くなった瞬間、薪はポケットから紐のようなものを出して、彼女の足を素早く縛った。続いて両手も縛り、彼女の自由を完全に奪うと、自分のハンカチで目隠しまで。

「あれっ。薪さんたらいつの間にそんなプレイに興味を」
「アホか。眼を封じただけだ。眼が見えなければ、心も読めないだろう」
 彼女を床に転がしたまま、薪はその場を離れた。先刻、アリスが弾かれた見えない壁を難なく突き抜けてくる。妹妖怪は身体の自由を奪われて、結界を張ることもできなくなったようだ。

「僕は紳士だからな。例え妖怪でも、女の子に無体な真似はできない」
「超絶ビニキで現れた時点で、紳士失格ですけどね」
 心理戦と呼ぶにはあまりにも下らない彼らの戦いの決着がついて、青木はやっと薪の戦法を理解する。
 薪は妹妖怪の特殊能力を知っていた。だから、意識的に彼女のことを考えたのだ。どうして彼女なのかといえば、それはおそらく、相手が誰の姿を取れば一番双方に被害が少なくなるか、薪はそれを考慮したのだ。
 鈴木や雪子の姿で向かってこられたら、薪は多分身動きができない。第九の職員たちにも、乱暴な真似はできない。かといって、薪が嫌っている竹内や間宮の姿を読み取らせれば、今度は必要以上に相手を痛めつけることになってしまうだろう。薪はたぶん、それも避けたかったのだ。

「しかもTバックで女豹のポーズって。いやらしい」
「失敬な。僕にはいやらしい気持ちなんか、これっぽっちも」
「と言いつつ、携帯で写真撮ってますよね? タイトル『陵辱、深田○子』って、ひとの携帯に汚らわしいもの送らないでくれますか?」
「おまえだって受信ボタン押したくせに」(圏外なので赤外線通信)

 携帯を使って掛け合い漫才をやっていると、アリスが興味深そうにそれを見ていて、
「へえ。今はこんなもので写真を撮るの?」
「え? アリスちゃん、携帯知らないの?」
 10歳くらいで攫われてきたと言っていたから、自分の携帯を持っていなくても不思議ではないが、携帯自体を知らないというのは珍しい。親が携帯嫌いの親だったのだろうか。
「これは携帯電話って言ってね、遠くにいても、これで会話ができるんだよ。他にも、メールって言って」
『おいっ!』
 呑気に携帯の機能を説明し始めた薪に、気色ばんだ声を掛けたのは妖怪の兄だった。

『よくも妹を辱めてくれたな。このお礼はきっちりさせてもらう』
 うん、彼の気持ちはすごくよくわかる。オレも舞がこんな目に遭ったら、同じことを言うと思う。
「薪さん、そこだけは謝っておいたほうがいいですよ。人として」
「ちょっと待て。妖怪の味方するのか、おまえ」
「そうね。わたしも女性として、薪さんの行動には許せないところがあると」
「アリスちゃんまで?! ……すみませんでした、調子に乗りすぎました」
 3対1になって、薪は仕方なく頭を下げた。青木ひとりだったら決して謝らなかったと思うが、薪は女性には弱い。

 ごめんなさい、と素直に謝る薪は、白い猫耳が彼の心情を表すようにぺたんと垂れて、もう殺人的にかわいい。2人きりだったらソッコー押し倒してる。
 薪にとってはある意味妖怪よりも危険な自分の中のケダモノが牙を剥きそうになって、青木は慌てる。青木は薪から眼を逸らし、ここから無事に帰ったら薪さんに頼んで、絶対に猫耳プレイをしてもらうから、と約束して、必死にケダモノを宥めすかした。




*****


 コンセプトは『秘密で銀魂のグダグダアクション』
 薪さんファンにも銀魂ファンにも石を投げられそうな内容ですみませんーーー! (一番の怒りは深田○子ファンでは?)





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秘密の森のアリス(9)

秘密の森のアリス(9)





 携帯をポケットにしまって、薪はくるりと踵を返した。それから残念なことに猫耳を外し、それをアリスに渡した。これはどうやら彼女の持ち物だったらしい。
「外しちゃうんですか?」
「もうこれが無くても、僕には彼らの姿が見える。彼らが存在していると、しっかり認識できたからな」
「ええ~、せっかく似合ってたのに。もったいない」
「妖怪の前に、おまえを退治してやろうか」
 いつものように青木と軽くジャレ合った後、薪は長兄に向き直った。腕を組んで横柄に、床に安座している兄を見下ろす。

「さて。残るはおまえひとりだな。降参するなら今のうちだぞ」
『だれが降参などするものか』
 うそぶいて立ち上がり、兄妖怪はさっと身構えた。
「僕と青木、ふたりを相手に戦うつもりか? 妹の助けもなしに?」
『こちらも死活問題だからな。四の五言わんと掛かってこい』
「男が相手なら容赦しないぞ。例え恭子ちゃんのお兄さんと言えども」
 まだ惑わされてんですか、あんたは。

「あ、薪さん。こいつ、ものすごく固い身体をしてるから気をつけて」
 青木の注意が終わらぬうちに、薪は短慮にも攻撃に移った。ぐっと足を踏み切って、得意の回し蹴りを相手の頭部に決めるが、次の瞬間、悲鳴を上げたのは薪のほうだった。

「痛―――っったいっ!!!」
 よっぽど痛かったらしく、右足を持ってぴょんぴょんと跳ねている。
「だから言ったじゃないですか。何か武器を使わないと無理ですよ。せやっ!!」
 掛け声と共に振り下ろされた木刀を、妖怪の右手が受け止める。しかし、それは囮で本命は鳩尾を狙った蹴りだ。ところが、それもまた左手で弾き飛ばされて、青木は後ろに退いた。更に妖怪は、後ろから殴りかかった薪の拳を軽くかわして彼の腕を掴み、前方へ投げ飛ばした。

「あぶなっ」
 逆さまになって吹っ飛んできた薪の身体を受け止めて、青木は彼を立たせる。青木の首に右腕を回したまま、薪は青木の耳元で小さく囁いた。
「おかしい。あいつ、僕たちの動きが分かるみたいだ」
「えっ。妹にはオレたちが見えないはずなのに、どうして」
『ふん、浅はかなやつらだ。眼を塞いだくらいで、妹の能力は防げぬわ』

 聞かれたはずのない会話に返答が返ってきて、ふたりは状況を理解する。目で見なくとも心は読める、テレパシーも使える、そういうことらしい。
「そうか。猿ぐつわも噛ませるべきだったな」
「いや、猿ぐつわも意味がないと思いますけど」
 この人は超能力の基本が分かってない。
「でもそうすると完全にR15を超えちゃうから、今回の路線を外れちゃうし」
 そして薪の考え方の基本が、青木には分からない。

『降参するのはおまえらのほうだ。おまえ達の動きは分かる。しかも、この固い身体は刃も通さぬ。おまえ達に勝ち目はない』
 兄妖怪の言う事がハッタリでないことは、彼の身体に何度か切り込んだ青木にはよく分かっていた。木刀が折れることこそなかったが、その強度は尋常ではなかった。おそらく、真剣でも切れないだろう。
『先刻も言った通り、おれは無益な殺生は好まん。大きな男よ、おまえが大人しく我らの胃袋に納まるなら、その2人は見逃してやろう』
 それは魅力的な取引に思えたが、薪がものすごい眼で青木を睨むので、青木は思ったことが言えなかった。しかし、兄妖怪の言は正しい。戦況は自分たちに限りなく不利だ。

「笑えるな。それくらいのことで勝利宣言とは」
 弱気になる青木に引き換え、薪はどこまでも強気だった。兄妖怪の申し出をせせら笑う口調で却下すると、懐から拳銃を取り出し、右手でさっと構えた。
「人間にはピストルという武器があるんだ。鉄の弾が378m/sで飛び出しておまえの身体に627J/cm2の圧力で食い込む。おまえの身体がどんなに固くとも、音速の鉄球を防げると思うか」
『ふん、面白い。試してみるか』
 薪は相手を睨みすえたまま、青木に銃を放って寄越した。左手で器用に受け止めた青木の耳に、薪の低い声が響く。

「青木。おまえ、射撃3段だったよな。あいつの右の膝、狙えるか」
 どれほど傲慢に振舞っても、やっぱり薪はやさしい。膝を撃ち抜いて追ってこれなくすればいい、そう考えているのだろう。
「はい」
 青木の銃は357マグナム。貫通力には定評があるが、薪が普段使用している32口径に比べると、かなり重いし反動も大きい。薪がこの銃を使って、小さな的に当てるのは難しいはずだ。青木に銃を返した薪の判断は正しい。

「右足の膝を撃つ。防げるものなら防いでみろ」
 薪が大きな声で宣言したのを聞いて、青木は木刀を下に置き、銃を構えた。右手でグリップを握り、左手をハンドガードの真下に置く。脇を締めて腕を伸ばし、照準器を睨んで引き金を引く。
 狙いは過たず、標的の右膝に命中した。が、瞬時に跳ね飛ばされ、兆弾した弾が土の壁にめり込んだ。
「そんな……銃が効かないなんて」

 これでは倒しようがない、やはりここは自分が犠牲になるしか、と絶望の中でさらに絶望するようなことを考えて、青木は青ざめる。薪を守るのは自分の職務でもある、彼のためなら自分の命など惜しくない、青木はそう覚悟を決めている。彼に刃が突き出されれば自分が彼の盾となり、銃弾が彼を貫こうとすれば自分がそれを受ける。常日頃から青木の中にあるその気持ちは嘘ではない。
 だが。
 妖怪に食べられるというシチュは考えてなかったからっ! てか、こんなマニアックな死に方、いやっ!!

「なるほどな。やっぱりそうか」
 ぐらぐらと足元もおぼつかない青木の傍らで、薪は憎らしいぐらい落ち着いていた。
 やっぱり、と言うからには、薪は妖怪に銃が効かないことを予想していたのか。しかし、それで平静でいられる薪の神経が分からない。
「落ち着いてる場合じゃないですよ。銃が効かないなら、もうオレが人身御供に行くしか」
「バカを言うな。部下を人身御供になんかできるか」
 薪は高慢な口調でそれを言うと、乱れた髪に手櫛を入れ、きれいな額を顕にした。自分に気合を入れるとき、薪はよくこのポーズを取る。
 そのきりりとした横顔の、清冽に輝く亜麻色の瞳を見ていると、気持ちがすっと落ち着くから不思議だ。

「青木、あいつの身体は初めから堅いわけじゃない。ずっとあの硬度を保っているとしたら、間接が曲がらないはずだ。どこに攻撃が来るか察知して、そこを意識的に堅くしてるんだ。その証拠に、さっきのおまえの突きは効いただろう?」
 そうだ。薪の猫耳に興奮して思わず発した突きは見事に決まって、兄妖怪の身体は壁まで吹っ飛んだ。これはいけると思ったのだが、その後は相手の防御力が上がって、逆にこちらの手が痺れるようになった。
「攻撃が予測できなければ、身体を硬化させることもできない。つまり」

 封じるべきは妹の方だ。

 青木がそう思ったときには、薪はもう動いていた。青木の手から拳銃を奪い取ると、ひらりと後方へ飛び退って、
「おい、妖怪。こっちを見ろ!」
 薪は声を張り上げ、兄妖怪の注意を引きつけた。彼の視線を受けつつ、地面に這い蹲らせた妹妖怪の背中を手で押さえ、彼女の頭部に拳銃を突きつける。
「大人しくしろ。でないと妹の頭を打ち抜くぞ!」
 …………さすが薪さん。目的のためには手段を選ばない。

『兄さん、助けて!』
『おのれ、妹を人質にとるとは、卑劣な真似を。正々堂々と戦ったらどうなんだ!』
 妖怪にフェア精神を説かれる警察官て、どうなんだろう。
「僕の言うことを聞け! 妹がどうなってもいいのか!」
『ううっ、やめてくれ。妹に無体なことをしないでくれ』
 妖怪が哀れっぽく頼むのに、薪は手を緩めなかった。すでに彼の戦意は感じられないのに、妹に銃を突きつけたまま、恐ろしい眼で兄妖怪を睨んでいる。

『兄さん、このままじゃ2人とも殺される! アタシのことは気にしないで、兄さんだけでも逃げて!』
『おまえを置いていくなんてできない! たったひとりの妹じゃないか!』
「……なんかこれ、見方によっては僕が悪者みたいじゃ」
「「『『どこからどう見てもあんたが悪者』』」」
「ちょっと待て! 今、4人でハモった!?」

 薪のツッコミをスルーして、青木は好機とばかりに兄妖怪の身体を拘束する。腕を捻りあげて地面に伏せさせ、容赦なく片膝で押さえ込んだ。
「青木さん、これでそいつを縛って」
 小走りに青木に駆け寄ったアリスが、エプロンのポケットから黒い紐のようなものを出した。先刻、調理場から彼女が持ってきたものだ。
「連中の髪の毛で編んだ紐よ。長兄の力でも、簡単には切れないわ」

 青木は少女の指示通り彼を後ろ手に縛り上げ、地面に転がした。当座の危険が去ったせいか、どっと疲れを感じた。
「ごくろうさま。この薬を塗っておくといいわ」
 アリスがポケットから軟膏を取り出して、青木に渡してくれた。続いて濡れティッシュとタオル地のハンカチを出して、青木の額についた血を拭き取ってくれる。色々なものが出てくるポケットだ、と青木は妙なことに感心していた。




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秘密の森のアリス(10)

秘密の森のアリス(10)





 4人の非難を受けて分が悪くなった薪は、女妖怪の身体を起こし、目隠しを取ってやった。が、人質を解放する気はないらしく、彼女の傍に片膝を付いた体勢のまま、銃の先が彼女から離れることはなかった。

「心を覗かれるのは不愉快だ。もう1度やったら容赦なく撃つからな」
 女妖怪は大人しくしていたが、ふと気付いたように「三郎は?」と訊いた。彼女の問いに、薪は手足を縛って転がしてある彼のことを思い出したが、
「死んだよ。僕が殺した」
『! なんてことを』
『よくも弟を!』
 肉親を害されて憤慨する彼らを、薪は冷笑する。
 その酷薄な笑みに勢いを削がれたように、彼らの憤慨は一時で収まり、慟哭がそれに取って代わった。妖怪にも肉親の死を悼む情はあると見える。しかし、彼らの嘆くさまを睥睨する亜麻色の瞳は、氷のように冷たかった。

「君たちが食べてきた人間にだって、親や兄弟がいるんだ。自分のしたことが自分に返って来たからって、憤るのは間違ってる」
 薪の言うことは正論だが、その理屈は通らないだろうと青木は思った。
 彼らが食料である人間に逆襲を受けて、それは自分の立場に置き換えてみれば、肉親が牛や豚に殺されて、しかし彼らの同胞を食べてきたのだから憤るのはおかしいと、そう言われているようなものだ。納得できるわけがない。

「三郎が話してくれた。君たちは、人間を食べなくても天寿を全うできるんだろう。もう充分生きたはずだ。これから先は人間を襲わずに、森の中で暮らす。そう約束できるなら、僕たちはこのまま帰る。どうだ?」
「薪さん!?」
 薪には彼らの命を奪う気はないのだと分かって、青木は不安になる。
 彼らを見逃していいはずがない。自分たちはこれで逃げ延びられるかもしれないが、彼らはきっとまた、人間を襲う。それは彼らの生存本能に基づく行為で、だから彼らには罪の意識もなく、その衝動を断つことは不可能に近い。
 青木は薪の傍らに屈み、彼の意見を覆そうと、強くかぶりを振った。

「彼らに人間の理屈が通るとは、到底思えません。ここで片をつけるべきです」
「青木。僕たちは警官だ。犯罪者を捕まえるまでが僕たちの仕事だ」
「ちょっと待ってください。彼らは人間ではありませんし、ここに罪を裁く司法は存在しません。オレたちがここで彼らを見逃すってことは、彼らを野放しにするってことですよ? また直ぐに、次の犠牲者が出ます」
 薪の気持ちは分からないでもない。青木だって、好き好んで他者の命を葬りたくはない。しかしこの場合、それを為さないことは正義ではない。ただの怯懦だ。

「オレたち以外の誰かが襲われるんですよ。見過ごせません。薪さんがやらないならオレがやります。銃を貸してください」
「青木。僕たちは捕まえるだけだ。生殺与奪の権利はない」
 同じ言葉を繰り返す薪に、青木は説得を諦める。薪は頑固だ。こうやって自分の意見に固執しだしたら、何を言っても意志を変えない。
「もう1度言います。銃を貸してください」
「僕たちは警察官だ! これから犯罪を犯すかも知れないからといって、その者を殺害することは職務に反する!」
「だからそれは人間の場合でしょう!? 彼らは人間じゃ」
 薪は青木の口を左手で塞ぎ、ヒートアップする論争に休符を挟んだ。男とは思えないやさしい手の感触に青木が言葉を止めると、薪は静かに言った。

「人間じゃなくても、彼らには感情がある」
 弟を殺されたと聞いて憤る彼らを冷酷に嘲笑ったはずの薪は、自身の振る舞いとはまるで反対のことを言い出した。
「弟が死んだと聞かされて、彼らは悲しんだじゃないか。改心する可能性もある」
 改心?
 それは人間の心を持っているものにだけ可能な未来だ。彼らにその時が訪れるとは、青木には思えない。
 冷静な薪らしくもない、彼は時に非情な判断をしてきたはずだ。それがここに来て、どうしてこんな状況に合わない真似を―――――。

『殺すがいい』
 自分たちのやり取りを黙って聞いていた長兄は、重々しく口を開いた。
『小さい男の言うことは正しい。そして、大きな男の予想も間違っていない。おれたちはこれからもひとを食うだろう』
 長兄らしい、正直な言葉だと思った。
 彼が妖怪らしからぬフェア精神の持ち主であることや、他者に対する思いやりを持っていることを、青木は戦いを通して知っていた。彼が青木に手加減をしていたことも分かっていた。ピストルの弾を弾くような硬い拳が本気で入っていたら、肋骨の4,5本、軽くイッてるはずだ。

「その呼び方やめろ。僕には薪って名前がある。こっちは青木」
『では、小さいマキ』
「小さいはいらん!! てか、わざと言ってるだろ、おまえ!」
 薪は青木の口から手を離すと、屈んだ両膝の上に細い肘を乗せ、頬杖を付いてうんざりしたように長兄を見た。

「だから。これから先、おまえらが人を襲わないと約束すれば、殺さないって」
『それは無理だ』
「なぜ」
『では聞くが、マキは死ぬのが怖くないのか』
 至極当たり前のことを訊かれて、薪は黙る。長兄は、見た目に相応しくない理性的な声音で言葉を継いだ。
『おれたちは死ぬのが恐ろしい。だから人間を食った』
 生きるために他生物を食べる、それが悪なのかと問われれば、自分たちにも同じ質問が返ってくる。この血肉に変わった命を偲べば、簡単に答えを出すことも躊躇われて、青木は自分の考えに自信が持てなくなった。
 彼らの意識では、人を食べることは罪ではない。それは彼らが人ではないから。だったら、彼らを人の法で裁くのは正当か?

「誰だって死ぬのは怖い」
 当たり前の問いに当たり前の答えを返して、薪は長兄と相対した。亜麻色の瞳が、真っ直ぐに彼を見ている。
「でも、僕たちは永遠に生きていたいとは思わない。天寿をまっとうできれば、それで充分だ」
 彼は拳銃を下ろし、しかしそれを青木に返そうとはせず、自分の内ポケットにしまった。左胸に手を差し込んだまま、自分の動悸を確かめるように、
「ずっと昔に死んでしまったという君たちの仲間は、人を食べなかったと聞いた。ならば君たちも、彼らと同じ終焉を迎えられるはずだ」
『連中は弱虫だ。人間を食べる勇気がなかっただけだ』
「ちがう! 君たちの仲間は、人間を食べないことを選択して死んでいったんだ!」
 激しい言葉と共に、さっと懐から出した右手に、彼は何も持たなかった。彼の手のひらは開かれており、青木はそこに何物をも認めることができなかった。

「限られた時間しか持たないからこそ、得られるものも気付けるものもある。できるだけ多くの思いを他の生き物と交わそうとする、伝え合いたいと思う。そうして自分以外の誰かと一緒に作り出したものは、限りなく尊いと僕は思う。
 君らの仲間達は、神さまに与えられただけの時間を使いきって死んだ。でもそのとき、彼らはたくさんの尊いものを持って、ここから旅立ったはずだ」
 見落としていた、と青木は思った。
 何も持たないと思っていた薪は、多くのものを持っていた。その手のひらには、溢れんばかりの彼の想いが載っていた。それは彼らに対する思いやりであり、彼らによって葬られた人々に対する憐情であり、それでも彼らを赦したいと願う彼のこころだった。

「悠久の生命を得た代わりに、君たちは大事なものをみんな失った。命が潰えるときに、何も持っていくものがない。だから怖くて死ねないんだ」
 彼らに、大昔の記憶がどれほど残っていたのかは不明だ。しかし彼らは、黙って薪の話を聞いていた。
 青木にも経験があるが、薪の説教は不思議と耳に心地よい。言葉は決して優しいものではないのだが、何故か暖かいものを感じる。彼らにも、それが伝わっているのだろうか。

 しばらくの間をおいて、長兄が悲しそうに言った。
『そんなもの、おれたちにはもう作りようがない』
「なにを寝ぼけたこと言ってんだ。3人で作ればいいじゃないか。兄弟なんだろ、おまえたち」
 吐き捨てる口調で言ったその言葉も、熱い眼差しがそれを裏切る。懸命にエールを送る、声にならない彼の想いが洞窟内に木霊する。

「僕は1人っ子だったからな。ちょっと羨ましいぞ」



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秘密の森のアリス(11)

秘密の森のアリス(11)





「僕は1人っ子だったからな。ちょっと羨ましいぞ」

 薪はついと横を向き、彼らから視線を外した。本音を吐くのは照れるらしい。
『……3人?』
 聞きとがめて、兄妹は薪の顔を見る。薪はそっぽを向いたまま、右の頬を指先で引っかいて、
「三郎を殺したと言ったのはウソだ。まあ、頭にでかいコブはできてるかもしれないが」
 膝に手を当てて、よっこらしょ、とオヤジみたいに立ち上がる。それから両手を後腰に当てて、ウン、と伸びをした。

『本当か』
『ああ、三郎……』
「寝室近くの横道に転がしてある。いま、連れてきてやる」
 安堵のため息をついた2人の妖怪は、じっとうなだれたままだった。その姿は薪の言葉に深く感じ入り、自省しているようにも見えたが、青木には彼らがこれで人を襲うことを止めるとは思えなかった。
 これが人間の社会なら、彼らはこれから刑務所に行き、長い年月を監視下に置かれて過ごすことになる。法が定めた服役期間があってこそ、深い自省ができるのだと青木は思っている。しかし、彼らは人間ではないし、服役期間もない。

「本当に、大丈夫なんですか? オレにはどうしても、完全に彼らを信じることは」
「大丈夫だよね? アリスちゃん」
 ふいに、薪は少女に呼びかけた。
 なぜ彼女に保証を求めるのか、薪の言動は青木には理解できなかったが、彼女には、それですべてが伝わったようだった。

「いつごろから気付いていたの?」

 アリスは青木が初めて聞くような、低い声で呟いた。ぎゅっと拳を握り締めて立ち尽くす彼女からは、さっきまで彼女の個性だと思っていた子供らしい甘さは消え失せて、青木はぞっと背筋が寒くなるのを感じた。
「途中から何となく。決め手はきみが、『アリス』と名乗ったことかな。あれ、僕たちの心を読んでたんだろ? 本当の名前はなんていうの?」
「わたしたちに名前なんてないわ」
 アリスが自分たちの心を読んだ?
 彼女にも妹妖怪と同じ特殊能力が? それではまるで彼女は。

「青木。彼女は、アリスは彼らの仲間だ」
「えっ!! じゃあ、彼女も人を食べて生きてきたんですか!?」
「失礼ね、こいつらと一緒にしないでよ!」
 猫耳をピンと立たせて、アリスは怒った。尻尾があったら間違いなく逆立っていそうだ。
「同種族には変わりないけどね。人を食べるなんて野蛮な真似はしなかったわ。わたしたちには誇りがあったもの」
「うん。だと思った。きみの姿は、彼らとは違っていたからね。それはきみの真の姿なんだろう?」
「正解だけど。自分の心を読まれて、その姿をとっているとは思わなかったの?」
「悪いけど僕、胸の小さい女には興味ないから」
「……セクハラよ、それ」
 むっとした顔をしながらも、彼女の耳は穏やかに垂れて。どうやら彼女の本心を見抜くには、耳を見た方が早いらしい。

「人間を食べるたびに彼らが醜くなっていった、ときみは言ったよね。彼らをこれ以上、醜くしたくない、とも。だからきみは、彼らを救いたくてここに来たんだと思った。違うかい?」
 薪の問いかけを横顔で聞いて、アリスは背中で腕を組み、侮辱を受けた胸をぐっと強調するように反らせて、
「何でもお見通しかあ。薪さんは、人間よりもわたしたちに近いのかもね」と、聞きようによっては失礼なことをのたまった。

「アリスちゃん。きみは」
「わたしは300年前に滅びた一族の思念体。その代表として、ここに来たの」
「代表? きみが?」
 彼女はまだ年端も行かない子供で、強そうでもないし、偉い役職に就いているようにも見えない。そんな彼女が、どうしてこんな重責を負うことになったのだろう。
「だってー、今の時代のBLはスゴイって聞いたから。一度現物を拝んでみたかったんだもん」
 そんな理由か――――――っっ!!
「恐ろしい……300年も前から腐女子は存在していたのか」
 薪はツッコミ処を間違えている。

「こんなんなっても仲間だからねえ。仲間の尻拭いはわたしの仕事ってことで」
 アリスの告白に、青木は薪の横顔をじっと見る。
 いつだって、すべてのからくりを見抜くのは薪だ。薪は天才的な頭脳を持っていて、一度見たり聞いたりしたことは忘れないから知識量もすごくて、でもそれだけじゃない。
 他人の話をよく聞いて、そのひとの感情に寄り添おうと、いつも努力しているから。ひとを理解して、そのつながりを大事にしていきたいと、いつも願っているから。だから、普段の知識がまったく役に立たないこんな状況でも、真実を見抜くことができるのだ。
 真実は、人の心の中にあるから。

「あとは、わたしに任せて」
 アリスはポケットから首輪のようなものを出すと、それを妖怪たちの首にはめた。それからカラフルなステッキをエプロンのポケットから取り出すと、
「いい? これから人を襲ったりしたら、その首輪がボンと行くからね? わたしがずっと監視してるから、そのつもりでいるように」
 外道!! つまるところ脅迫だよ!!

 妖怪たちは複雑な顔をしていたが、自分たちで決めたこともあるようで、不満を漏らすようなことはしなかった。この先、彼らの心情が変わらないとは限らないが、今のところは仲間の意思とやらに従うつもりでいるようだ。
「秘密兵器って、こういうことだったのか」
「仕方ないわよ。生きるために食べるっていう本能を抑え込むんだもん。そんなに簡単にはいかないわ。今までのこともあるしね」
 殺伐とした方法しか取れない自分を恥ずかしがるように、アリスは照れ笑いをした。

「わたしが最後まで、責任を持って監視します」
 きりりと強く引き絞られた彼女の茶色い瞳の潔さに、青木は何故彼女が仲間たちの代表になったのか、その本当のわけを知る。
 彼女は決して強くないし大人でもない、そんな彼女が仲間たちの代表になったのは、誰よりも彼らのことを憂いていたから。彼らを最後まで見守る決意を、彼女がしていたから。

 アリスに頼まれて、青木は薪と一緒に三郎のことを捜しに行った。
 途中、薪は銃を青木に返してよこした。青木はそれを黙って受け取り、安全装置を掛け直してガンホルダーに落とし込んだ。馴染んだはずの銃が、なんだかやけに重かった。
 三郎は、薪が隠した場所ですやすやと眠っていた。頭にコブはできていたが、他に傷はないようだった。
 青木が彼を肩に担いで先刻の場所に戻ると、すでに手足の拘束を解かれていた兄妹が寄ってきて、三郎の身体を抱きしめた。アリスは容赦なく三郎の首にも拘束具を取り付けたが、その手つきはとても優しかった。

「さて。僕たちは帰るか」
 三郎の足を縛ったことで汚れてしまったネクタイをポケットに入れて、薪は青木を見上げた。ここは森の奥深くらしいから、帰るのも一苦労だと思われたが、薪についていけば安心のような気がした。
「あ、待って。出口はこっち」
 アリスがステッキで地面を叩くと、そこは真っ黒な深淵になった。青木が下を覗くと、遥か下方に、自分たちが乗っていたバスが見えた。ガードレールに接する形で止まっているが、横倒しになったりはしていない。更に眼を凝らすと、中の様子が見えた。第九の仲間も運転手も、気絶しているのか眠っているのか、動く気配はない。

「さ、早く行って」
「行ってって……アリスちゃん、これ、命綱とかハシゴとか、そういう安全面をサポートするものは」
「これくらいの高さでビビッてんの? 男らしくないわね」
「いや、男らしいとか男らしくないとかのレベルじゃないからね、これ。君たちの常識で測らないでくれる? 人間が落ちたらカクジツに死ぬからね」
 目測50m、いや、100m?眼では測れないその距離感を不安に思うのは当然だが、加えて薪には高所恐怖症の気がある。それは後天的なもので、その原因は数年前、火災に巻き込まれて仕方なくマンションの5階から飛び降りたという滅多にできない恐怖体験のせいかもしれない。

「やーね、大丈夫よ。ぽーんと飛べば、あっという間に元の世界に」
「あっという間に天国の間違いじゃ!?」
「ごちゃごちゃうるさい。行きなさい、ほらっ」
「わっ、とっとっ、……ひいいいいいっ!!!」
 ぽんっ、と少女に突き飛ばされて、でもその力はびっくりするほど強くて、薪は何もない空間に投げ出される。自然の重力が働いて、彼の身体は真っ逆さまに下方へ落ちていった。

『怖いわねー、あの子』
『おれにはとてもあんな非情な真似はできん』
『逆らわねえほうが身のためだべ』
 妖怪に畏怖された少女は、ちらっと青木を見て、何ならあなたも突き飛ばしてあげましょうか、と眼で訊いた。それには及びません、とこちらも眼で返して、青木は飛び込み台から下方の水面を目指すスイマーのように地を蹴った。

「し、死ぬっ!! 絶対死ぬ! 恩を仇で返しやがって、あのクソガキ―――――っっ!!!」
 眼を白黒させながら、口汚く少女を罵る恋人を空中で捕まえて、青木は彼の身体を腕の中に大事にしまう。
「大丈夫です。オレが守りますから」
「……ぅるっさい」
 ぎゅっと自分の背中を抱きしめる細い腕を感じて、青木は眼を閉じる。
 ほらやっぱり。薪がいればぜんぜん怖くない。
「そのときは一緒だ」
 思いつめたような薪の声が聞こえて、青木は彼を抱く腕の力を強くする。そのまま気が遠くなりかけた彼らの耳に、少女の声が聞こえてきた。

「薪さん、青木さん!」
 薄れゆく意識の中、彼らはかすかに眼を開く。遥か上空を見上げると、茶色い猫耳がピンとそそり立った少女のシルエットが浮かび上がった。
「素敵な名前をありがとう!!」




*****

 と言うことで、
 あやさん、ピタリ賞でした!!<少女の正体。
 お見事っ!!
 てか、底が浅くてすみません。(^^;


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秘密の森のアリス(12)

 こんにちは。

 明日はメロディの発売日ですね。
 ……緊張します。

 
 で、こちらの、チャレンジと呼ぶにはあまりにも無謀な、銀魂的秘密二次創作は今日でおしまいです。
 読んでくださった方に、ちょっとでも笑ってもらえたらよかったのですけど。(^^


 お付き合いいただいて、ありがとうございました。




秘密の森のアリス(12)





 自然の竹を利用した湯管から流れてくる細い水流が、湯面を揺らしている。その僅かな音さえも周囲の雪に吸い込まれていくような、静寂に包まれた雪見風呂で、凄絶な戦いが繰り広げられていた。
 その戦いは静かに、しかし限りなく熱く。時間と共に疲労は増し、気力体力の消耗、やがて耐え難い脱力感が容赦なく彼らを襲う。

「がああっ、もうダメだあっ!」
「無理っす、限界ですっ」
「俺もっ……うー、眼が回る」
「私も気持ち悪くなってきました……」
 次々と脱落していく戦士たち。その中で、ひとり平然と雪景色を眺めていた麗人が、涼やかなアルトの声で冷ややかに言った。
「まったく嘆かわしい連中だ。鍛え方がなっとらん」
「「「「1時間も温泉に浸かれる薪さんの方が異常なんですよっ!!」」」」

 温泉とくれば露天風呂、露天風呂とくれば時間勝負。いわば自分との戦いというか、つまりは我慢比べだ。これは第九の慰安旅行の恒例行事で、優勝者には敗者たちのカンパで地酒が進呈されることとなっている。
「あー、じゃあ今年も優勝は室長ってことで」
「毎年悪いな。あ、地酒はよーく冷やしておいてくれ」
「……ふあい」
 露天風呂の狭い床に屍累々とへたばっているのは、小池と曽我と宇野、それから山本の四人。男の風呂はカラスの行水がポリシーの岡部は最初から参加せず、賢明な今井は早々に引き上げた。あの2人はいつもうまく立ち回る、と4人は密かに思っている。
 例年ならもうひとり、顔を真っ赤にした大男がここに加わるところだが、残念ながら今年はその滑稽な姿は見られない。青木はここにくる途中に遭ったバスの事故で額を怪我しており、参戦することができなかったのだ。

 雪道をオーバーランしてきた対向車と薪たちが乗り合わせたバスがぶつかりそうになり、急ハンドルと急ブレーキによる衝撃で、運転手を含め全員が一瞬気を失った。皆が気付いたときには既に対向車の姿は無く、車体の損傷もなかったことからニアミスだったとわかった。
 薪を庇おうとした青木が、椅子に取り付けられた取っ手に頭をぶつけて軽い怪我をした以外、誰も身体の異常を訴えるものはいなかったが、念のために病院で検査を受けたいと運転手に相談をすると、ちょうどこのバスの終点はこの地域で唯一の総合病院の前だと言う。
 正直者の運転手が包み隠さずバス会社に事情を報告すると、日に2本しかないバスが逆に幸いして、終点である病院前の停留所に乗客がいなければ、運転手も一緒に検査を受けて来なさい、という指示が出た。バス会社の予想通り最後の停留所に客の姿は無く、無謀な対向車のためとはいえ事故を起こしてしまったことに責任を感じた運転手は会社に掛け合って、そのまま一行を旅館まで送ってくれることになった。

「いやー、ラッキーでしたね。この旅館、バス停からけっこう距離がありますからね。雪道だと30分じゃ着かなかったかも」
 青木の額に絆創膏が貼られた以外は何事もなく病院を出て、バスに揺られて30分。旅館の玄関に乗り合いバスを横付けしてくれた運転手に礼を言い、帰って行く車を見送りながら幹事の曽我が言うのに、バス停から歩く30分は片道3時間の中に入っていたのか、という今更ながらの疑問を抑えつつ、薪は岡部に背中を押されるようにして旅館の門を潜った。
 古きゆかしき温泉宿は日本情緒がたっぷりで、しかも雪見の露天風呂とくれば、風呂好きの薪にはこたえられない。自宅の風呂だって1時間くらいは平気で浸かっているのだ、周囲の温度がこれだけ低ければ2時間はいける。

「おまえら、何をやっとるんだ。他の客に迷惑だろう」
 カララと引き戸を開けて、露天風呂の惨状を目にした岡部が苦い声を出す。呆れ顔の副室長は、洗い場のない露天風呂の狭い床面を占有している4人の部下と、すまし顔の室長を見比べて、「また今年も薪さんの一人勝ちですか」と肩を竦めた。
「岡部さん、助けてください~」
「空がぐるぐる回って」
「立てないんですよぉ……」
 山本に到っては、口を利く気力もないらしい。

「ったく、手のかかる。おい、青木! 手伝ってくれ、ひとりじゃ運びきれん」
 はい、と室内風呂から声がして、黒髪の若い男が姿を現した。とても背が高く、身体もがっしりとした彼は、大丈夫ですか、と先輩たちに声を掛けて、右腕に宇野を、左腕に山本を抱えて中へ戻っていった。続いて岡部が小池と曽我を肩に担ぎつつ、
「薪さんは大丈夫ですか?」と気遣うのに、
「僕はもう少し、雪を見ていく」

 断熱ガラスで隔てられた外空間に独りになると、すぐ傍を流れる渓流の音がはっきりと聞こえてきた。
 背中を壁に預けると、真正面には目隠しの竹垣があるが、その上下の隙間から向かいの林が見える。林立する樹木の枝々に積もる雪の風情を楽しみたくて、だけどそれには竹垣が邪魔で、思うように明媚を堪能できない腹立ちから、別に覗かれたって減るもんじゃなし、こんなもの要らないのに、と薪は思う。
 薪は仕方なく湯から上がり、竹垣の隙間に顔を近づけて、渓流と林の雪景色を楽しむ。さすがに身体は火照っていたから、冷たい空気が心地よかった。

「薪さん。タオル忘れてます」
 正座に近い体勢で、僅かに浮かせた腰に背後からタオルを巻かれて、薪は後ろを振り返る。先刻2人の男を軽々と運び出した力持ちが、黒い髪を、今日は無造作に額に下して、困った顔で薪を見ていた。
「ったく、気をつけてくださいよ。お尻丸出しにして……・俺以外の男が来たら、絶対に後ろに乗っかられて」
「そんな発想するのはおまえだけだ」
 青木の心配性は、何年経っても変わらない。相変わらず、薪を狙っている男はたくさんいるのだと誤解している。薪は2ヶ月前、40になった。妙齢の女性ならともかく、40のオヤジの背中に何処の誰が乗りたがるというのか、いっぺん頭の中を覗かせろと言いたくなる。

「岡部は?」
「部屋に戻りました」
「相変わらず、カラスの行水だな」
「薪さんのは楊貴妃の湯浴みだって言ってましたよ」
 青木は笑いながら湯に入り、身体を伸ばしてため息を吐く。岩にもたせた腕の筋肉が、渓流の流れに負けないくらいきれいだ、と薪は思う。

 雪を抱いた林に視線を戻して薪は、後ろで湯に浸かっている男と体験した、不思議な出来事を思う。あれは夢だったのか、と実は真っ先に思って、だけど青木の身体中に残る打ち身痕がそれを強く否定する。
 青木本人は、事故のとき転んで打ったと言っていたが、薪が気がついたとき、青木は薪の身体を庇うように抱きしめていた。それで腹や胸を強打するのは不自然だ。

 カシャリ、という音がして、薪は後ろを振り返る。
 携帯電話のカメラを構え、被写体の許可もなく写真を撮っている軽犯罪法違反の部下に、薪は思い切り嫌そうな目線を送った。
「肖像権の侵害だぞ」
「すみません。薪さんの背中が、あんまりきれいだったから」
「……ばか」
 40にもなった男の背中のどこが、以下略。

 気になる事があって薪は、四足で竹垣の側を離れる。タオルを外してお湯の中に戻り、青木の隣に腰を落ち着けた。
「青木。おまえの携帯に、超レアな写真が残ってないか」
「これですか?」
 慣れた手つきで親指を動かし、青木は画面を薪に見せた。画面には何も映っていなかったが、タイトル欄には『陵辱・深田○子』の文字が。

「やっぱりおまえのも消えちゃってたか。実に残念だ」
「残ってたら残ってたで、大問題だと思いますけど」
「固いこと言うな。彼女のグラマラスボディが緊縛されて、しかも目隠しまでついて、それが地べたに転がっていたんだぞ。『今夜のフカキョン』に殿堂入り間違いなしの一品だったのに」
「……今夜の、って」

 落胆は計り知れない薪の傍らで、青木は彼の憂い顔の、本当の理由を鋭く見抜く。だけどそれは、もう自分たちにはどうしようもないこと。

 例えば、虫を殺すように人を殺し続けた残虐な殺人者がいたとして、自分たちの仕事は彼を捕まえることで、彼を裁くことではない。
 彼には罪の意識の欠片もなく、再び社会に戻ったら必ず同じ犯罪を繰り返す、そう確信しても裁くことは許されない。それは司法の仕事で、その結果、精神鑑定で彼に無罪判決が出たとしても、釈放されて10日後にはまた人を殺めたとしても、自分たちは再び彼を捕まえるだけで、彼を害してはいけない。
 寝る間も惜しんで捜査を続けて、犯人を検挙したその後は。
 自分たちには、彼らの更生を信じることしか残されていない事実を、青木も薪も嫌と言うほど知っているから。 信じて、それを何度も裏切られてきた経験があるから。

「きっと、彼らは大丈夫ですよ」
 青木がいきなり核心に触れると、薪はひゅっと亜麻色の瞳を引き絞って、でも、こっくりと頷いた。
「アリスちゃんもいることですし」
「そうだな」

 何度裏切られても。
 それでも信じることをやめてはいけないと、だから薪は彼らをアリスに託した。あの行動は、アリスの目的を知っていたからでもあるだろうが、それ以前に、薪は彼らを信じたのだ。それができない者には、警察官たる資格がないから。

 薪には珍しく、自分から身体を青木の方へ寄せて、その逞しい腕に左耳をつけるように首を傾け、つややかなくちびるから白い息を吐きながら、彼は夢見るように言った。
「連中、持っていける土産がたくさんできるといいな。あっちに行っても楽しいように」
「そうですね。3人で、いっぱい作って欲しいものですね」
 青木は湯船の底で慎ましく握られている薪の手に自分の手を重ね、彼の手を長い指で包み込むように握ると、
「オレたちも、いっぱい作りましょうね。オレたちだけの大事なもの」
「さっきの写真とか?」
 薪は青木の手から携帯を取り上げ、カメラモードに切り替えた。腕を伸ばして自分たちにファインダーを向け、もう片方の手で青木の後頭部をおさえた。それから青木の顔に自分の顔を近付けて、軽く目を閉じる。
「この写真とか」
 ふたりのくちびるが触れ合おうとした瞬間、カララと戸を開ける音がして、

「あれ? 薪さん、まだ入ってたんですか」
「おお、今井か! いま上がろうと思ってたところだッ!! じゃあなっっ!!!」
 ザバッとお湯から上がり、腰にタオルをさっと巻くと、逃げるように浴場から出て行く上司を見送り、今井は苦笑する。
「薪さん、あんなに顔真っ赤にして。いったい何時間入ってたんだろ。声もやたらと大きかったし」
 室長の風呂好きは第九では有名だし、今日は年に1度の慰安旅行。薪が心ゆくまで温泉を楽しんでくれるのは、今井にとっても嬉しいことだ。

 身震いするような冷たい外気の中、もうもうと湯煙を上げるお湯は何よりの贅沢だ。自分も自然の恩恵に与ろうと、今井が湯の中に足を入れると、なにか柔らかいものにぶつかった。ここは岩風呂なのに、どうして弾力のあるものが足に当たるのだろうと不思議に思って手を伸ばす。
 湯の下を覗いてみれば、黒い髪が海草のようにゆらゆらと揺れて、それが変わり果てた後輩の姿だと分かる。
「なんだ、青木。湯船の中で潜水の訓練でもしてるのか? てか、絆創膏はがれちゃってるけど、おまえ傷口痛くないの?」
「いいんです……放っておいてください、うううう……」
 青木は湯から顔を上げて、でも彼の両眼からはとめどなく熱いものが流れてきて、やっぱり傷口に沁みたんだな、と今井は冷静に結論を下した。



*****


 それから、さらに遠い未来。
 かつてここを訪れた背の高い男も小柄な男も、とっくに別の世界へ旅立ってしまった。それくらい先の時代。
 人の立ち入らぬ森の奥、柔らかな落ち葉の上で、途絶えようとしている3つの命があった。

 3人の姿は人に近く、しかし人にあらず。
 彼らは世界で唯一、この地で幾ばくかの時を過ごした2人の人間の記憶を持つ生物だったが、それも最後の時を迎えていた。

『兄ちゃん、姉ちゃん。持って行くものは決めただか』
『おれはおまえら2人と、この森の美しさを持っていく』
『じゃあアタシはあんたたち2人と、動物たちの可愛らしさを持っていくわ。三郎、あんたは?』
『おらはそうさなあ。兄ちゃんと姉ちゃんさえいれば、他はなにも……お、そうじゃ。あんときのメンコイ娘を持っていこう』
『娘じゃなくて男よ。それに、あの大きな男が必ず付いてくるわよ』
『よかろう。ふたりとも、まとめて持っていこう。なんと言っても我々に、このときを迎えさせてくれたのはあの2人だからな』
 3人の会話が終わるのを待って、頭部に獣の耳を持った、しかし身体は少女という不可思議な生物が、カラフルなステッキをエプロンのポケットから取り出して、声高に言った。

「じゃあ、準備はいいわね? みんなのところへ案内するから、3人とも、しっかりわたしに付いて来るのよ」
 少女がステッキをサッと振ると、辺りは闇に包まれた。ざわざわと木々が震え、一陣の風が起こった。
 再び森が日常の光景を取り戻したとき、彼らの意識はすでに、そこにはなかった。

 深い森の中、3人は、長い長い眠りに就いた。


(おしまい)



(2011.2)


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緋色の月(1)

 こんにちは。

 ご無沙汰いたしております。
 永らく放置してまして、すみません。 

 まだ旅先なんですけど、どなたかにえぐえぐされちゃったので。
 女の子を泣かせたらあかん、としづの中の男脳がガンガンドーパミンを分泌するものですから、旅先からお送りすることにしました。
 上記を日本語に直すと、『いつまでも怠けてないで、頑張りますっ』 ということですね! 
 


 こちらのお話、書いたのは6月です。 めちゃめちゃ新しいです。 (当ブログ比)
 新鮮、というよりまだ生っぽいです。 食あたりされませんように☆☆☆

 男爵から本編に戻りまして、時は2066年の4月でございます。 恋人同士になって4年目、薪さんのお身体もすっかり熟成されてます。
 お話の内容は、
 Rに始まってRに終わる、青木さんのためにがんばる薪さんです。 (←なんか別の意味に聞こえる。 てか、この話400字詰原稿用紙で160枚あるんだけど、最初から終わりまでRに徹してたらそれもまたスゴイな☆)

 ということで、最初はRです。
 18歳未満の方と苦手な方はご遠慮ください、あ、でも、このシーンがないと話が始まらないし意味がわかんないと思う、うーん、我慢して読んでください。 ←強制!? 





緋色の月(1) プロローグ(1)





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緋色の月(2)

 こんにちは~~。

 みなさま、連休はいかがお過ごしでしたか?
 楽しい夏の思い出はできましたか?

 わたしは3連休を利用して、家族で旅行に行ってきました。 たくさん遊んで、楽しかったです。 (←頭の悪い小学生の日記のようだ。)

 しかし、あの暑さには参りました~。 
 昼食を終えて車に戻ったら車内の温度が半端なくて。 どれくらい凄かったのかというと、
 車のナビが「車内温度が異常です。ナビを中止します」って喋ったかと思うと、突然真っ暗になっちゃったんですよ。(@@) 

 熱でナビが壊れたのは初めてだったのでびっくりしましたが、考えてみればナビゲーションシステムって精密機械ですものね、熱には弱いんですね。 取り付け型のポータブルナビだったものですから、直射日光が当たってたのがいけなかったんですね。
 幸い、車内が冷えたらナビは復活しまして、旅行に支障はなかったのですけど。 あのままお亡くなりになったらどうしようかと思いましたよ。 
 ポータブルナビには日よけをしないといけないんですね。 みなさまもご注意を。 



 で、お話の続きです。
 あー、まだプロローグの途中だったんですね。(^^; 
 次の章から本編に入ります。 よろしくお願いします。





緋色の月(2) プロローグ(2)






「……あれ?」
 深く息をしながら薪は、不思議そうに空を見ていた。何がそんなに気になるのか、正中した月をじっと見据えている。

「月がどうかしましたか」
「白い。てか、蒼い」
 月は青白くて当たり前だと思うが。

 何を当然のことを、などとは言わずに、そうですね、と答える。せっかく薪が茫洋としているのだ。怒らせて正気に返す手はない。
 裸の薪を膝に載せたまま、青木は自分の鞄に手を伸ばし、中から濡れティッシュとタオルを取り出した。自分の左手に付着した薪の残滓を拭い、それから薪の身体をきれいにしてやる。ここに外灯はないけれど、今夜は月がとても明るいから作業に支障はない。

 青木は行為の後いつも、薪の身体を清めてやりたいと思っている。でも薪は恥ずかしがって、なかなか身を預けてくれない。あんまりしつこくすると、青木の腹に蹴りを入れてシャワー室へ猛ダッシュされる。情事の余韻など、あったものではない。
 その薪が、今夜はどうしたことか、薪の中の青木が力を失くしても青木から離れようとせず、ぼんやりと宙を眺めていたのだ。まるで何かに酔ったようにとろんとした瞳をしている薪を、青木はこれ幸いとばかりに膝に抱き、陶器製のビスクドールを磨くように細心の注意を払って彼の身体を清めた。

 開かせた脚の奥に指を入れ、中に溜まった残留物を掻き出す。白く濁った液体が、薪の尻から草叢に落ちてくる。他人から見たら、汚らしい光景だと思う。薪はこういうことに嫌悪感を抱くタイプだから、きっと青木に後始末をさせるのは忍びないと思って青木の腹を蹴るのだろう。
 だけど青木にとって、それは薪との愛の証。
 自分が放った体液と薪の粘液との混合物。その液体は、これ以上ないほどに侵食しあって、どこからが自分でどこからが彼だか分からなくなったあの刹那を証明する物的証拠。他人からどう見えようと関係ない、青木には大事なものなのだ。

「あの月」
 青木にされるがまま素直に身体を開いていた薪が、ぽつりと呟いた。
「さっきまで、真っ赤じゃなかったか」

 そう言えば、最中にそんなことを言っていたような。
 でも、青木には赤い月の記憶はない。空気中の塵や水蒸気に影響されて、低空の月が赤く見える現象は知っているが、今夜がそうだったのだろうか。
「おかしいな……」

 下着とズボンを太腿まで持っていくと、薪は気がついたように腰を浮かせた。青木の手を払って、残りは自分で引き上げた。正気に戻ってきたらしい。
 さっと立ち上がり、でもすぐによろけて、無理もない、あんなに夢中になって下半身を動かしていたのだから膝が笑って当然だ。仕方なく薪は草の上に胡坐をかいて、ワイシャツのボタンを留め、ズボンのベルトを締めた。ネクタイを取り上げるが、あちこちに唾液のシミが付いていて、歯型も残っていたりして、これはもう使えないと判断してか、ぐしゃぐしゃに丸めて上着のポケットに突っ込んだ。

「立てますか?」
 身づくろいを済ませた青木が薪に手を差し伸べると、薪は、うん、と頷いて、でも桜の幹にもたれたまま、未練がましく月を見ていた。

 青木が薪の腰を抱くようにして立たせてやると、薪は青木の胸に額を預け、
「気のせいだったのかな」
 その言い方が、あまりにしゅんと項垂れる風だったので、青木はお節介と知りながら赤い月の講義を始める。
「空気中の塵や水蒸気に邪魔されて、月の光が減じて波長の長い赤色だけが眼に届く。赤い月って、そうやって見えるんですよね。所詮は錯覚みたいなもんですから。身体の状態に影響されるのかもしれませんね」

「またおまえは、いい加減なことを」
 とん、と突き飛ばすように青木から離れて、薪はひとりで歩き出した。青木はその後ろを、二人分の鞄を持っていそいそと追いかけた。


                  *****



 あんな彼を初めて見た、と私は思いました。

 それは衝撃であり、感動でありました。
 とてつもなく大きな感情の波動が私の背中を震わせ、その弾みで私は再度この世に生まれたと言っても過言ではありません。
 かつての私には、もう戻れませんでした。
 私は暗がりの中で立ち上がり、私の前に新しく伸びる道に向かって一歩踏み出したのです。


              

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緋色の月(3)

 ぷんぷん。

 6年生になる姪っ子がね、「薪さんて気持ち悪い。 おカマみたい。 お姉ちゃん、趣味悪い」 って言うんですよ。 ぷんぷん。
 そんな鈍い感性だから、分数の計算もできないのよ。 数式の美しさが分からないの。  

 高校生の甥っ子がね、「お姉ちゃんて腐女子だよね。 奥さんが変態なんて、まーくん(オットの名前)が可哀相」 って言うんですよ。 
 おかしいじゃない、男の人がビアンショーを楽しんでも変態扱いされないのに。 立ち居地は同じはずでしょ? ぷんぷん。
 そんな理屈もわからないから、理科のテストで8点なんてありえない点数を取っちゃうのよ。

 おまえら、ひとに社会人失格の烙印を押す前に、自分の本分をしっかり果たせよ。


「「ところでお姉ちゃん、会社の決算終わったの?」」
 ……………ごめんなさい、もうちょっと待ってください……。 




 ここから本編です。 よろしくお願いします。




緋色の月(3)





 乱暴にドアを叩く音に、薪は目を覚ました。
 低血圧の彼は、やっとのことで目蓋を細く開け、唐突に眠りを中断された不快さに歯噛みする思いで隣に寝ている男を見やった。
 あれだけの騒音にも破られない彼の眠りの深さが妬ましい。腹立たしくなって、薪は男の頭をパシリと叩いた。
 痛覚で目覚めたらしい彼はむくりと起き上がり、ぼやけた表情で周囲を見回した。それからようやく、ノックというには激しすぎるドア口の音に気付いてのろのろと起き上がった。

「はいはい……て、まだ5時前ですよ。なんだってこんな時間に」
 そんなことは薪にだって分からない。でも、応対は青木がすればいい。
 薪の身体が普段にも増して重く感じられるのは、出張による疲れからではない。青木のせいだ。
 
 ひとつの事件が解決を迎え、顛末を説明するためにF県の被害者遺族の家までやって来た。職務に忙殺されて1月ほど休みを取っていない薪に気を使った岡部が、仕事にかこつけて気分転換に出してくれた。青木をお供に選んだのも岡部だ。彼は、自分たちの関係を知っている。薪の前で口に出したことはないが、分かっているはずだ。ふたりがこういう関係になる前から、岡部は青木の気持ちにも薪の気持ちにも気付いていたのだから。
 だから岡部の意向はきっと、遺族への説明が終わったら温泉にでもつかってのんびりして、明日ゆっくり帰ってきてください、青木をお世話係につけますから、というものだったはずだ。

 なのに、その命を受けたはずのお世話係は自分の身の程もわきまえず。
 昨夜、公園で一度したのに、宿に着いて風呂を済ませたら「浴衣の薪さんはそそります」とか始まって、「畳に布団だと気分が変わりますよね」ってそれは認めるけれど、どうして僕が浴衣の帯で手首を縛られなきゃいけないのかは理解できない。一度で許してくれればまだしも、それから深夜過ぎに至るまで啼かされっぱなしで。不自由な両手に悶えさせられて、クセになったらどうしてくれ、いやその。
 とにかく、こんなに疲れているのは青木のせいなのだから、無礼な早朝の来訪者をあしらうことくらい彼に一任してもバチは当たらない、と薪は、枕に右頬を擦り付けて夢の世界へ戻ろうとした。

「えっ! なんですって!?」
 何事か起こったらしい、とは、青木の声の調子で分かった。しかし、薪は布団から動く気はなかった。青木も6年目になる捜査官だ。社会人としての教育もしてきたつもりだし、大概のことには対処できるはずだ。
「ちょっと待ってください、オレは何も知りません。きっと人違いです。オレ、昨夜はずっと此処にいました」
 襖の向こうから聞こえてくる焦燥を交えた青木の声音に、薪はトラブルを予感して薄目を開ける。来訪者と青木は尚も押し問答を続ける風だったが、その声量が次第に高くなっていくのを聞いて、仕方なく薪は上体を起こした。これで大した用件じゃなかったら、全員まとめて一本背負い掛けてやる。

「困ります! オレ、今日は仕事もあるし」
「うるさい!!」
 すたん、と襖を開けると、青木の後姿が見えた。だらしなく寝乱れた浴衣に髪はぼさぼさ、寝起きを絵に描いたような姿だ。
「こんな朝っぱらから、いったい何の騒ぎだ。非常識にもほどがある。他の客にも迷惑だろう」
 青木の大きな背中に隠れて、相手の姿は見えない。浴衣の帯を締めながら裸足で板間を歩いて、薪は青木と訪問客の間に割って入った。

 迷惑な客は、2人組みの男性だった。
 一人は40過ぎ、もう一人は20代か。40代の男はひどく垂れ下がった眉毛をして、やや小柄。気弱そうに見えるが、眉毛の下の目は鋭い。若い方はすらっと背が高く、短い髪をツンツンと立てて、見るからに生意気そうだ。
 彼らは徹夜作業に従じた人間特有の浮腫んだ目をして、陰険にこちらを見た。年長者の方が口を開き、胸ポケットから何かを取り出しながら、
「失礼。あたしらは」
 警察のものです、と出された身分証を確認する間もなく、ぐんと腕を引かれて青木の後ろにしまわれた。何をする、と抗議する前に、潜めた声で、
「薪さんっ、前」
 浴衣の前がはだけたままだと言いたいのか。青木は薪の肌を他人に見られるのを嫌がる、それは恋人として当たり前のことかもしれないけれど、警察が自分の身柄を確保しに来ているのにそれどころじゃないだろう。少々肌を見られたところで、男の薪には何の被害も……。
「昨夜の痕が」
 それを早く言え!!
 無言で部屋に取って返して、とりあえずシャツを着る。スーツのズボンを穿いて、ついでに髪も手櫛で直した。眠気はすっかり醒めていた。

「彼は僕の部下ですが、なにか?」
 再び戸口に立ったとき、薪は沈着冷静な室長の貌を取り戻していた。青木に何らかの用事があるらしい二人の警官をギッと睨み据えて、青木を自分の背中に庇う。身体は小さくとも、自分は彼の上司。部下を守るのが上司の務めだ。

「昨夜、Y地区の公園で殺人事件がありましてね。そのことでお連れの方にお話を伺いたいと思いまして」
 Y地区の公園というと、昨日帰りに立ち寄った桜の見事な公園のことか。どうして青木に、と一瞬考えて、薪はすぐに解答を導き出す。此処は片田舎だ。余所者は目立つ。青木のように人並みはずれた体躯を持つものは尚更だ。おそらく、公園にいた人物に事情聴取をする中で彼らは、長身の余所者の存在を知ったのだろう。
 殺人事件となれば、捜査に協力するのはやぶさかではない。しかし。
「目撃証言を取るにしては、この時間は非常識じゃありませんか」
 田舎の人間は朝が早いと聞いたが、朝の5時なんて。いくらなんでも相手の都合を考えなさ過ぎる。所轄の方針に口を出す心算はないが、こんな聞き込みの仕方では市民の協力は得られないと、少しは考えさせてやろうと思った。
 ところが。

「あなたには用はないんですよ。あたしらが話を聞きたいのは、そちらのお方で」
 部外者のように扱われて、薪はムッと眉間に立て皺を刻む。不調法な所轄の刑事に腹が立ったが、表情には出さず、静かな口調で、
「どうして青木に?」
「死亡推定時刻の11時ごろ、お連れさんが公園から出てきたと言う目撃証言がありましてね。あたしらとしては、事情を聞かないわけにはいかんのですよ」
 それを聞いて、薪は笑い出したくなった。
 なんて的外れな。青木は昨夜、一晩中自分と一緒だった。いや、深夜以降は記憶がないけど、12時の柱時計の音は聞いた。逆算して、犯行時刻には3ラウンド目に突入していたことになる。

「昨夜、彼は僕と一緒にいましたよ。同じ部屋に泊まっているんです。外出すれば、気付きますよ」
「だから、あなたの話は聞いてないって言ってるでしょう。あたしらは、そちらのお方に用事があるんですよ」
 薪のきれいな額に青筋が立った。
 なんだ、こいつらの横暴な事情聴取の仕方は。いくら参考人の聴取が最優先だからと言って、同室の人間の証言を聞きもしないなんて。一課長はどういう教育をしてるんだ。
 階級を振りかざすやり方は好きではないが、こういう輩には仕置きが必要だ。薪は警察手帳を取り出し、記載されている階級名を見せ付けるように上下に開いて彼らの前に突き出した。

「こう見えても僕は、本庁の」
「存じ上げていますよ。生え抜きのエリート集団、第九の室長さんでしょう。おや、階級は警視長殿でしたか。たいしたものですな」
 冷徹に返されて、薪は絶句した。
 こんな田舎町の所轄で、しかも現場に足を運んでいることから、この二人はせいぜい巡査長か巡査部長。なのに本庁の刑事、しかも警視長の自分にこんな口を利くなんて。警察は縦社会だ。こんなことはあり得ない。それとも此処は、そんな常識すら通用しない辺境の地なのか?
 
 短い虚脱に囚われた薪に、年長の刑事の後ろで沈黙を守っていた若い刑事が見下すような眼をして言った。
「あなたのようなエリートさんには、釈迦に説法だと思いますけどね。被疑者の内縁関係にある者の証言は、無効なんですよ」
「なっ……!」
 軽蔑の滲んだ口調。咄嗟には言葉が出なかった。

 自分たちの関係を知られている。 
 会ったこともない所轄の巡査に、どうして? まさか、公園での情事を誰かに目撃されていて、それが聞き込みの過程で彼らの耳に入ったのか?
 可能性はあると思ったが、認めるわけにはいかなかった。薪は瞬時に動揺を治め、腹の底に力を入れた。
「失敬な!!」
 恫喝は、しかし彼らを怯ませなかった。それどころか、戸口で交わされる応酬に眠りを破られた同宿の泊り客たちが、何事かとドアの隙間から顔を出し始め、事態はますます悪くなった。

「峰、止せ」
 年長の刑事が同僚の発言を窘めるように首を振り、下がった眉毛をいっそうみすぼらしく顰めて薪の顔を見た。
「あなたも大声出さんでくださいよ。あたしらがどうしてこんな時間に来たか、少しは察してください。あたしらだってね、身内の恥は晒したくないんですよ」
「うるさい、今言ったことを取り消せ。無礼にもほどが」
「こちらにはね、ちゃあんと証拠があるんですよ。証人もいる」
「証人だと? いったい何処の誰がそんなふざけた事を」
「もう止めてください! オレ、行きますから」
 薪が刑事たちとのやり取りに夢中になっているうちに、青木は着替えを済ませてきていた。髪もきちんと撫で付けて、スーツもネクタイもびしっと決まって、それは第九職員として恥ずかしくない堂々たる姿だった。

「青木」
「薪さん、大丈夫です。オレが何もしてないことは、薪さんが一番よくご存知でしょう? だったら、オレを信じて待っててください」
 眼鏡の奥の瞳が、薪を慈しむように見る。嫌疑は自分に掛けられているのに、こんな状況ですら薪を気遣う青木のやさしさが、薪のくちびるをわななかせた。
「現場にはきっと、真犯人の残した遺留品があるはずです。指紋や毛髪、手形に足跡、それらがオレのものと一致しなければ直ちに解放される。そうでしょう? だったら、ここで押し問答してるのは建設的じゃないです」
「……おまえに諭されるようじゃ、僕もおしまいだな」
 軽く嘆息して、薪は肩を開いた。二歩下がって、青木の通り道を用意する。

「さっさと済ませてこい。品川の刺殺事件の被害者の脳が、おまえを待ってる」
 素っ気無く言って、薪は腕を組んだ。
 二人の刑事は青木の潔い態度に敬礼して、それがわずかに薪の心を慰めたが、ポーカーフェイスの下に隠した忿怨はマグマのように煮えたぎっていた。それは自分の恋人に嫌疑を掛けられたからというよりは、ろくな物証もなしにあやふやな目撃証言だけで容疑者を引っ張る彼らのやり方に憤っている部分が大きく、この時点で薪は、青木がすぐに釈放されることを信じて疑わなかった。
「行ってきます」

 別れは突然に訪れる。
 まるで買い物にでも行くように微笑んで歩き去った青木の、その笑顔を失うことになるとは、露ほども考えなかった。薪が考えていたのは、岡部に帰りが遅れる理由を何と説明しようかと、そんな瑣末なことだった。
 そのとき彼らは知らなかった。これから自分たちを襲う過酷な罠を、既にそのあぎとに捕らえられていたことを。
 徐々に迫りくる敵の姿も、その狂気に満ちた妄執も、まだその片鱗さえ見せず、しかし敵は確実に二人の動きを掌握し、濁流の中心へ導こうとしていた。



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緋色の月(4)

 先日から過去作品に拍手くださってる方、どうもありがとうございます。
 最初のお話から丁寧に読んでくださってるみたいで、律儀にポチポチと、ありがとうございます。 あなた様のやさしいお心は、しづに届いております。
 昔の話は日本語がヘンなところも多いので申し訳ないのですけど、『桜』から『ラストカット』まではきちんと主題に沿って書いてるので、最後までお付き合いいただけるとうれしいです。
 そこから先は萌えのままに、なのであんまりオススメではなくて。できれば『ラストカット』で止めておいた方が、むにゃむにゃ。

 こうして読んでくださる方がいらっしゃるのですから、いつまでも怠けているわけにはいかないと思いました。
 1ヶ月の記事数が4つって、ありえないですよね。(^^;
 作品を書きながら公開しているならともかく、わたしの場合、ワードからコピペして保存ボタン押すだけだもん。 時間なんか、一記事に5分も掛からない。 できないわけがないんです。 気力の問題なんです。 怠けててごめんなさい。
 来月はがんばります!!





緋色の月(4)





 青木がいなくなって、我慢できたのはたったの3時間だった。
 今日は金曜日で、午前中に第九へ帰ろうと思っていたから、朝食は7時に頼んでおいた。その連絡がフロントから入り、薪は連れの朝食をキャンセルし忘れたことに気付いた。
 まだ任意同行の段階なのだから、青木には警察から朝食が供されているはず。青木のことだから、お代わりとか要求して、所轄の人間に呆れられているかもしれない。
「あんまり恥ずかしいことをしてくれるなよ」
 部屋で独り、パサついた焼鮭の身をほぐしながら、薪は呟いた。

 部屋係の女性が食事と一緒に持ってきてくれた新聞に目を通すが、昨夜の事件は載っていなかった。報道規制が為されているのか、校了時刻に間に合わなかったのか、いずれにせよ情報は得られなかった。テレビはいくらかましだった。昨夜遅く、Y地区の公園で男女の他殺体が発見されたこと、被害者の身元が判明したことについて報じていた。が、それ以外のことは捜査中とのことで、詳しいことは報道されなかった。
 朝食が済むと、薪にはすることがなくなってしまった。帰り支度は青木が整えておいてくれたし、チェックアウトの手続きも彼が戻ってからにした方が良いと思った。
 青木だって、ショックを受けているはずだ。取調室から職場に直行では、さすがに参るだろう。質の良い仕事ができるように少しフォローしてやって、それには2人きりの方がいいから、部屋は確保しておいたほうがいい。

 敷いたままの布団に寝転がって、板の目がうねるように連なっている天井を見上げる。青木はもうすぐ釈放されるはず、自分はここで待っているより他に術はない。
 署長に直談判して無理矢理釈放させることもできるが、彼らが自分たちの関係を知っている風だったのが気になる。ごり押しは、彼らの疑いを確証に変えるだろう。得策ではない。

 騒ぎ立てないほうがよいと判断して薪は、しかしどうにも落ち着かなかった。
 ひょいと起き上がり、布団の上に胡坐をかいて腕を組む。腕時計を見ると、時刻は8時を指している。青木からの連絡は、まだない。
 1分ほど思案して、薪は腹を決めた。窓の外を見て曇り空を視認し、薄いベージュ色のスプリングコートを羽織る。
「ちょっと散歩に出てきます。僕宛に何かあれば、この番号に電話をください」
 仕事用の携帯電話の番号を記したメモをフロントに預けて、薪は外へ出た。宿の人間は青木が警察に連れて行かれたことを承知しているのだろうが、そこはプロだ。何食わぬ顔で、笑顔さえ浮かべて、いってらっしゃい、と薪を送り出した。

 行き先は無論、昨夜訪れた公園だ。
 ここで起きたという殺人事件に興味を持ったわけではない。管轄外の事件に手出しする気はない、それは警察の重大なタブーのひとつだ。興味本位で首を突っ込んで、トラブルを起こす心算はない。ただ、青木が帰ってきたときに、話を聞いてやるのに基礎知識があった方がいいだろうと、それくらいの考えだった。じっと待っているのは性に合わない。捜一にいたころ、薪が一番苦痛に感じていた仕事は張り込みだった。
 問題の公園には正門があり、周囲は高いフェンスに囲まれていた。つまり入り口は一つで、そこには見慣れたキープアウトのテープが張られていた。野次馬はいなかった。すでに現場検証は済んだのだろう。死体のなくなった現場に張り付いているほど暇な一般人は、この町にはいないようだ。
 入り口に、警邏係の警官が立っていた。黙って警察手帳を見せると、仰天して背筋を伸ばし、しゃちほこばって頭を下げた。一介の巡査が警視長の手帳を見せられたら、これが普通の反応だ。あの連中がおかしいのだ。

「ごくろうさま。ちょっと中を見せてもらえますか」
「どうぞ。現場は公園の奥です」
 殺人事件が起きれば県警から刑事が来るのは当たり前。自分が顔を知らない捜査員がいても当然のこの状況で、彼の非を問うものはいないだろう。
 制服を着用していない薪に、彼は額に手を当てての敬礼はしなかった。これは当然の配慮で、何故なら誰に見られているかもわからない屋外で手敬礼で挨拶を交わしたりしたら、相手が警察関係者だと遠目にも判ってしまい、私服刑事の意味がなくなる。駐在の教育は行き届いているようだ。

 公園の中に入ると、昨夜見た桜が今日は曇天の空に霞んで、うら寂しいような薄ら寒いような、昨日とはまた違った風情で佇んでいた。
 警官の言うとおり、奥の方に、青いビニールシートで囲った一画があった。間違いない。昨夜青木と行為に及んだ場所だ。
 偶然とはいえ、ここが殺人現場に選ばれたことは、青木にとっては不利だ。ここには彼の痕跡が残っている。毛髪や体液が残っている可能性もある。が、だからと言って、それは決定的な証拠にはならない。それはあくまで、彼が此処を訪れた証拠に過ぎない。殺人の物証にはなりえない。

 それにしても、と薪は思う。
 自分たちがここで愛を交わした後、同じ場所で非業の死を遂げた人間がいるのか。
 そう思うと、複雑な気分だった。事件の詳細は分からないが、警察が、他所者という理由で青木に目をつけたのなら、通り魔的な犯行だったのかもしれない。時間がずれていたら自分たちが襲われていたかもしれない。薪も青木も柔道は黒帯だ。通り魔の一人や二人、投げ飛ばせる自信はあるが、あの状態で襲ってこられたら応戦できるかどうか、いや、危害を加えられる前に恥ずかしくて死んでるかも……。

 ひとりで頬を染めながら、もう二度と外では許すまい、と心に誓って、薪はブルーシートの中に入った。
 桜の枝に紐をかけて、シートは四方を囲んでいた。上空に覆いはないから、観察に必要な明るさは得ることができた。
 現場は雑草交じりの芝生で、下足痕は期待できそうになかった。犯人の指紋が残っていそうな箇所もなかった。あったとしても、ここは公園だ。数が多すぎる。被害者の血液が付着してでもいない限り、特定は不可能だ。
 血痕は、草叢に残っていた。さほど多くない。小雨が降れば流れてしまう程度だ。この量から見て撲殺の可能性が高いと思ったが、遺体を見ないことには断定できない。刺殺でも、凶器を刺したままにしておけば外部的出血は少なくて済むし、絞殺だったとしても揉み合ううちに流血に及ぶこともあるからだ。
 草を数箇所採取した跡があるから、鑑識が持っていったのだろう。そこに被害者以外の唾液、血液等が混じっていればベストだ。DNA鑑定で、青木は即釈放される。
 DNA鑑定には専門の技術が必要だが、その精度は77兆分の1という驚異的な数字だ。これ以上の物証はない。

 薪はシートから外に出て、公園を後にした。
 長居は無用だ。場所が確認できたら、それでいい。どうせ細かいことは鑑識の結果待ちだろうし、自分が捜査に加わることは許されない。
 歩きながら腕時計を確認すると、午前10時。何事もなければ、東京行きの電車に乗っているはずだった。
 青木が連れて行かれてから5時間。まだ聴取は終わらないのだろうか。
 事情を聞くだけなら、とっくに解放されてもいいはずだ。ましてや青木は本庁の警視。濡れ衣だと分かった時点で客人扱い、頼めば車で宿まで送り届けてくれるはずだ。それが未だに何の連絡も入らないと言うことは。
 
 青木はただの参考人から、重要参考人になった。

「…………あのバカ」
 ふーっと重いため息を吐いて、薪は携帯電話を取り出した。周囲に誰もいないことを確認して、留守を任せてある副室長に電話を掛ける。
「僕だ。何か報告はあるか?」
 昨日も今日も平和なもんですよ、と落ち着いた声が聞こえてきて、薪は安堵する。
「そうか。特に急ぎの案件はないんだな。じゃあ僕と青木、今日休んでもいいか?」
 短い沈黙の後、「何があったんですか」と深刻な声が問うのに、薪は努めて軽い口調で、
「いや。桜がきれいだから、ついでに観光でも、と思ってさ」
 取ってつけたような言い訳に、元捜査一課のエースが騙されてくれるはずもなく。厳しい口調で、薪さん、と呼びかけられて、薪は奥の手を出すことにした。

「わかった。岡部にだけは本当のことを言おう。実は、すごく困ったことになってて」
 困ったこと? と、一転して心配そうな声音になる岡部の素直さを好ましく思いながら、薪は用意しておいた台詞を淀みなく口にする。
「昨夜、張り切りすぎちゃってさ。青木のやつ、ぎっくり腰になっちゃったんだ」
 岡部が黙った。予定通りだ。
「久しぶりだったから、明け方まで粘られて。僕も足腰立たなくてさ」
 ユデダコのようになった岡部が、ダラダラと汗をかいている姿が見える。これがテレビ電話でなくて残念だ。
「本当にすごかったんだ。青木ったら、僕のあんなところまで舐め」
 ぷつっと電話が切れた。後に残るのは、ツーツーという無機質な電子音。

「岡部を黙らせるにはこれが一番だな」
 ぱたりと携帯を閉じて、薪は皮肉に笑った。



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緋色の月(5)

 こんにちは~。

 ちょっと私信です。

 しづの我儘につきあってくださった方々、ありがとうございました。
 死ぬまでに一度は見ておきたかったものも見れたし! 
 外灯の形が違ってたのは残念だけど、ベンチも見つかったし! ←のか??
 もう、思い残すことはございません。 楽しかったな~~!!


 お話の続きでございます。
 うん、どんどん色気がなくなってくるな~~。




緋色の月(5)





 公園を出て、薪は青木が連れて行かれた警察署に向かった。
 事を大きくするのは本意ではないが、被疑者に確定されてからでは遅い。色々と、調べられてはまずいこともあるし。
 気になるのは、夜の11時ごろ、青木を公園で見たという目撃証言だ。
 それは明らかな間違いで、他ならぬ薪自身がその証人だ。見間違いならともかく、偽証だとしたら。そこには真犯人の意図が隠されているかもしれない。
 とにかく、捜査資料が欲しい。詳しい情報を得られないことには、さすがの薪もお手上げだ。

 小さな警察署の受付で警察手帳を明示し、「署長にお取次ぎを」とアクリルボードに顔を付けんばかりにして迫ると、受付の婦人警官は何故か真っ青になって、指をぶるぶると震わせながら署長室に電話を入れた。
 ご案内します、と受付室から出てきて薪の前を歩く彼女の肩は竦みあがって、そんなに怖がらなくても取って食いやしません、とつい威嚇を重ねたくなる。青木を連れて行った警官たちとは雲泥の差だ。横柄なのと過緊張と、ここは両極端な職員が混在した警察署らしい。

 署長室では、I 警察署の責任者が薪を待っていた。
 署長は眼鏡を掛けた50代の小太りな男で、いかにも田舎の警察署長というイメージだった。着慣れているのだろう、制服がよく似合っている。
「うちの職員が、大変ご無礼を致しました」
 開口一番、薄くなった頭を深々と下げて、署長は薪に謝罪した。それから薪にソファを勧めると自分は戸口まで歩いて行き、「おーい、お茶持ってきて!」と廊下に向かって声を張り上げた。アットホームな警察署だ。

「さきほど、謝罪のためにお泊りの旅館に職員を向かわせたんですが。生憎、お出掛けとのことで」
「謝罪はけっこうです。お茶もけっこう」
 薪はソファに座ろうとはせず、敢えてコートも脱がなかった。説明や言い訳を聞く気はない、という意思表示のつもりだった。
「私の部下を、早く返していただきたい」
 ずい、と署長に迫ると、彼は青ざめた顔をますます青くして、酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせた。言いたい事があるならハッキリ言え、と怒鳴りつけてやろうとしたとき、署長室のドアが開いた。

「残念ながら、警視長殿のご希望に副うことはできかねますな」
 お茶汲みにしては、えらく無骨な男だった。強面の、ふてぶてしい顔をして、署長とは正反対の冷ややかな眼で薪を見た。
 彼は持ってきた盆をテーブルの上に置いて、自分だけソファに腰を下ろし、背の低い湯飲みに入った日本茶をズッと啜った。その隣に署長がおずおずと、借りてきた猫のようにちんまりと座った。お茶を持ってきた男は、清川と名乗り、捜査一課の課長をやらせてもらってます、と言葉だけは謙虚に自己紹介をした。
 ここはあれか、地方では時々あると聞いた、捜査一課が署長より強いタイプの警察署なのか。ならば、このお飾り署長に掛け合っても無駄だ。目の前の一課長を落とさなければ。

「何故です? 彼にはアリバイがあります。この私が証人です」
 彼の向かいにどっかりと腰を下ろし、薪は優雅に脚を組む。両手は肘掛に預けて、いかにも上から命令することに慣れた人間らしい高慢な目つきで、
「私の証言が信用できないと?」
 顎を上げて上から見下すように、冷徹に酷薄に、それは薪が長年鍛え上げてきた最強の武器だ。凍りつくような視線は、暴力団幹部との相対にも慣れた本庁の組対5課の猛者ですら震え上がらせることができる。はずなのに、
「そんなことは言っちょりません。ただ、証拠がね」

 お国訛りの軽い返事が返ってきて、薪は内心焦る。
 薪のブリザード攻撃が効かないなんて。本庁でも効き目がないのはごく限られた人間なのに、さては青木と付き合ううちに人間が丸くなって威力が落ちたか、と思うが、隣の署長が氷付けになっているところを見るとそうではないらしい。
 課長は自分の頭上でひらひらと手を振り、困惑の思案をその無愛想な顔に浮かべ、「署長。あとはうちのほうで」と隣に座った最高責任者にそっと耳打ちした。無言で二度頷いて、薪にペコペコと頭を下げ、署長は部屋を出て行った。
 怯えきった署長の背中に、薪は心の中で舌打ちする。部下に睨みが効かないどころか、心配されて匿われて。薪はああいう階級に職務内容が釣り合わない人間が大嫌いだ。まだ目の前の横柄な課長の方が、同じ警察官として好感を持てる。彼は、自分の責務を全うしている。犯人を一刻も早く検挙する、という捜査一課長としての責務を。

 清川は、「これはまだ、マスコミにも伏せとります。内密に願いますよ」と前置きしてから、薪がかすかに期待していた情報を教えてくれた。
「女の被害者の体内から、真犯人のものと思われる体液が見つかりました」
 それを聞いて、薪は思わずほっと息を漏らした。緊張の糸が解け、自然に肩の力が抜けた。
 これでもう安心だ。真犯人のDNAさえ検出できれば、青木の無罪は立証される。50年前には約2日を要したDNA鑑定も、2009年にN大学の理工学部が開発した新しい石英ガラス管による装置のおかげで、半日もあれば結果が出せるようになった。遅くとも、今日の夕方には釈放されるだろう。
 しかし、次に薪の耳に入ってきた言葉は、彼を一瞬で混沌に突き落とす悪夢の槌撃であった。

「DNA鑑定の結果、被疑者青木一行のものと一致しました」



*****

 うふふふふ~~。 ←楽しいらしい。



 

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緋色の月(6)

緋色の月(6)




「DNA鑑定の結果、被疑者青木一行のものと一致しました」

 薪の脳細胞はその言葉の意味を正確に理解し、しかし次の瞬間、彼の全細胞は激しくそれを否定した。警視長の威厳も第九の名誉も忘れて、彼は叫んでいた。
「でたらめだ!!」
 突き上げるような怒りが、彼を立ち上がらせた。腰掛けたままの一課長を見下ろし、声のトーンを抑えることもできないまま、薪は怒号した。
「青木は昨夜、一晩中僕と一緒だったんだ! 犯行現場へ行けるはずがない!」
 自分の感情が、上手く制御できなかった。こんな情動的な言い方では相手を説得することはできない、と薪の理性が、感情に振り回される愚かな男をせせら笑った。

「僕が部下のために偽証するとでも? 冗談じゃない、僕は例え自分の肉親が犯した罪でも」
「あなたが嘘を吐いているとは言うとりません。しかし、DNAが一致した以上は、そちらを優先せざるを得ません」
 落ち着いた声音で静かに返されて、薪の背中を冷たいものが駆け下りた。相対する一課長の濃灰色の瞳は、職務に人生を捧げてきた人間の自信と信念に満たされて、薪に己の未熟さを突きつけた。
 そうだ、これは殺人事件なのだ。

「あなたの部下を釈放できない理由が、お分かりいただけましたかな」
 一課の強気の理由が分かった。ここまで決定的な証拠があれば、文句なしに送検できる。薪が彼らの立場でも、徹底的に被疑者を取り調べるだろう。
「とは言え、同じ警察官。謂わば身内の不祥事だ。この件は緘口令を敷いとります。マスコミにも、被疑者の身元は一切明かしておりません。県警本部への連絡も、事件報告書が出来上がってからにしよう思っちょります」
 青木が逮捕された情報がまだ何処にも洩れていないと知って、薪は胸を撫で下ろした。誤認逮捕とは言え、彼の経歴に瑕がつくことに違いはない。県警本部への報告の前に彼を救い出すことができれば、本庁の人間には知られずに済む。
「まあ、時間の問題と思うちょりますがな」
 勝ち誇った表情で茶を啜る一課長を睨視して、薪はくちびるを噛んだ。

 絶対に青木は犯人ではない。これには大きなからくりがあるはずだ。
 DNAが合致したなら、それは鑑定の方が間違っているのだ。何者かが鑑定結果を改竄した可能性だってある。例えばこの町の有力者が犯罪を犯してしまい、それを隠蔽するために警察内部にいる誰かが、とそこまで考えて、薪は自分の仮説の欠陥に気付いた。
 誰かに恨みを買っているならそれもありだが、青木はこの町は初めてだ。濡れ衣を纏うスケープゴードを選ぶとして、本庁の警視を選ぶだろうか? 警察官が殺人を犯したとなれば、これは全国区の大ニュースだ。薪が誰かに罪を着せようとするなら、もっと簡単に事が運ぶ一般人を選ぶ。

「DNA鑑定書と捜査資料を、見せていただくわけにはいきませんか」
 断られることを承知で頼むと、意外なことに課長は「いいですよ」と二つ返事で応じてくれた。それを見れば薪が納得して引き下がると考えたのかもしれないが、薪にはありがたかった。
 資料を持ってきたのは、宿に来た若い方の刑事だった。名前は、峰と言ったか。

「こいつは若いが、なかなか気働きのできるやつでしてね。今回の報道対策も、こいつが担当してます」
 それは一課長の仕事ではないのかと思ったが、報道機関の少ない田舎の所轄では結構見られる光景だ。課長に直接話しかけられないプレスが、下っ端の刑事に取次ぎを頼む。いつの間にか彼が広報窓口になっている、という具合だ。

 峰は薪を見て、蔑むような眼をした。汚いものでも見るような目つきに、男色野郎と思われているのだと感じた。それを自分に向けられる分には捨て置けるが、青木がこんな眼で見られたら傷つくだろうと思った。
「事件発生は、昨夜の11時ごろです」
 手帳をめくりながら、峰刑事が説明を始めた。
「被害者は2人。うち一人は男性で、名前は倉田哲。I市在住の25歳。同市内の工務店に勤めています。もう一人は女性で、名前は水木しのぶ。同市在住、家事見習いの23歳。二人は1年ほど交際をしており、男女の関係でもありました。
 倉田の同僚及び店員の証言から、昨夜二人は、倉田の仕事が終わる午後8時ごろに待ち合わせ、市内の居酒屋で食事と少々のアルコール、そのあと夜桜見物にとY地区の公園に赴き、被害にあったものと思われます」
 要領を得た説明を聞きながら、薪は捜査資料を読み込む。現場写真、証拠品のリスト、司法解剖の結果は未だ届いていないが、昨夜の11時に起きた事件の資料を翌日の昼前にこれだけ揃えられれば、ここの鑑識は迅速な部類に入る。
 
 問題のDNA鑑定書も、正式なものだった。
 コピーではなく、鑑定機関の刻印が押された本物を持ってきたのは、薪に言いがかりを付けられないようにするためか。改竄の形跡は認められないし、青木のDNAデータにはIDナンバーが明記してあるから、警察のデータベースに保管されているものだ。万が一にも取り違えはない。
「双方、着衣の乱れがあったことから情交の最中に襲われたものと考えられますが、男性の方は下半身の露出はなく、女性の体内に残されていた精液は真犯人のものと推測されます。そのDNAが青木警視のものと一致したわけです」
 犯行時刻、彼の精液は僕の体内に注がれていました。だから彼女の身体に残っているはずがありません、と薪が言ったところで、DNA鑑定は覆らない。言うだけ無駄だ。

「目撃証言があったと聞きましたが。その目撃者の氏名は?」
「それは明かせません」
 それはそうだろう。被疑者の関係者に目撃者の素性を明かして、脅しでも掛けられたら厄介なことになる。これは捜査側として当然の配慮だ。
 最初から指示してあったのだろう、資料からも目撃証言の頁だけは抜かれていた。自分が彼らに徹底的に信用されていないことに、薪は憤りを感じなかった。1課で過ごした4年間が、彼らへの理解を促した。

「では、宿の人間の証言は取りましたか? 彼がその時刻、宿にはいなかったという」
「それはまだこれからです。しかし、あの宿のフロントには9時までしか人が居ません。玄関の鍵は内側からは外すことができますし、誰にも見られずに外出して、また戻ってくることは可能だと思われます」
 確かに。薪たちが宿に着いたときには9時を回っていて、玄関は開いていたがフロントに人は居なかった。青木がカウンターに置かれた呼び鈴を鳴らして、それでチェックインしたのだ。
 
 目撃証言とDNA鑑定。しかも、彼のアリバイを証明するのは、彼の情人だけ。これだけ条件が揃ったのでは仕方ない。青木は真犯人としての取調べを受けることになるだろう。
 薪は思い、自分が取調室で行ってきた非情な行為を脳裏に甦らせ、胸を潰されるような苦しさを味わう。

 あの過酷な取調べに、青木は耐えられるだろうか。

 犯罪者、特に重罪を犯したものは、自分の容疑を認めない。自白すれば刑務所暮らしが待っていることが分かっているからだ。だから彼らは、ありとあらゆる嘘を吐く。中には、どう考えても自分の首を絞めているとしか思えないような嘘まで、必死になって自分の未来を守ろうとするのだ。それを潔くないとか醜いとか言うのは、自分が犯罪者になったことのない人間のきれいごとだ、と昔、先輩刑事に教えてもらったことがある。
 保身に走る彼らに、本当のことを言わせるのはとても骨が折れる。普通に話をしていたのでは、まず埒が明かない。耳元で怒鳴ったり机を蹴ったり、そんなのはまだ性質がいいほうだ。彼らから自白を取るときの基本は、眠らせない、食べさせない、漫然とさせない。聴覚が麻痺するまで我鳴り立てられ、意識が朦朧としたところでおまえがやったんだろう、とやさしく諭されれば、本当に自分がやった気になる人間も出てくる。すみませんでした、と無実の罪で涙を流す被疑者もいるのだから、人間の心理とは不思議なものだ。

 まだそこまで差し迫ってはいないだろうが、このまま何日も拘留されたら。やってもいない殺人を認めてしまうかもしれない。
 その段階で書類送検だ。そうなってしまったら、もう薪には手が出せない。警視長の権限をもってしても、検察に渡った案件を差し戻すことはできない。

「青木は容疑を認めましたか?」
「いいえ。今のところ否認しています」
 今のところ、と余計な一言を加えて、峰刑事は手帳を閉じた。薪も捜査資料を置き、両手を軽く握って膝の上に置いた。背筋をぴしりと伸ばし、
「もう一度確認しますが、目撃証言の内容は、彼が犯行時刻に公園に居たことを証言するものであって、殺人を犯している現場を目撃したというものではないのですね?」
 はい、と峰刑事がツンツン頭を上下に動かすのに、薪は微笑みかけた。彼は若いが、優秀な刑事だと思われた。この場に指名されてきたことから、課長の信頼も厚いと見た。

「資料を見る限りでは、彼を犯人だと断定するのは尚早かと思われます。女性の体内から男性の精液が見つかったからと言って、その持ち主が犯人とは限らない」
「エリート警視長さんのお言葉とも思えませんな。彼以外の誰を疑えと?」
 往生際の悪い、と小声で添えられた挑発に、薪は乗らなかった。事件調書を見たことで、彼の頭脳は捜査官モードに切り替わっていた。この状態の彼を崩せる人間は、この世には存在しない。
「以前私が手がけた事件で、女性の体内から精液が発見されたものの、犯人は女性だったということがありました。彼女は産婦人科の看護師で、男性の精液を手に入れられる立場にあった。不妊治療のために冷凍保存されているものを使い、針のない注射器を用いて被害者の体内に注入したんです」
「は! バカバカしい。あなたはこの事件の犯人は女性だとでも言うつもりですか? 二人の被害者は、石のようなもので殴り殺されてるんですよ。男の方は一撃だ。男の犯行と考えるほうが自然でしょう」
 田舎では、手の込んだトリックを用いた事件は珍しい。こなした数こそ多いが、実情は単純な事件しか扱ってこなかった劣等感を刺激されて、清川課長は必要以上に饒舌になった。

「私は可能性の話をしている」
 薪の落ち着き払った声と物腰が、清川を激昂させた。
「あんたみたいに現場に出たこともないエリートに、何が分かる! 俺は30年間、事件と向き合ってきたんだ! 何十人もの犯罪者を捕まえてきた!」
 自分も先刻は、こんな無様な姿を晒していたのか、と薪は冷静に振り返る。
 愚かしい。こういう勝負は、感情に溺れたものが負けるのだ。

「捜査は数じゃない。一つの事件に何処まで深い考察を為したか、その深度が捜査官を成長させる。検挙した犯人の数で競い合うものではない」
 薪は本庁の捜査一課で4年、研修先のロス市警で1年、現場を勤め上げている。その手で検挙した犯人の数も裕に二桁だ。警視総監賞も3度ほど、第九の室長を務めるようになってからは局長賞を3度、長官賞を2度も受賞している。清川と比べて、解決した事件の数でも決して引けを取らない。
 が、薪はそれに関しては一言も口にせず、それは自らの言葉通り、事件に大小はなく優劣もないと考えているからだ。

「あなたたちにも、捜査官としての成長を期待する」
 失礼、と立ち上がり、その場を辞そうとして、薪は足を止めた。黙ってしまった課長と、何故か不思議そうに薪を見ている若い刑事に向かって一礼する。
「捜査資料を見せていただき、ありがとうございました。ご配慮に感謝します」
 管轄外の、しかも事件関係者である自分に資料の閲覧を許してもらったことに、礼は言うべきだと思った。現在、薪と彼らは敵対関係にあるが、受けた恩義には礼を返すのが薪の流儀だ。

 背筋をぴんと伸ばして、薪は部屋から出て行った。
 部屋に残されたうちの一人は、ちっ、と舌打ちし、面白くなさそうに腕を組んで、客人が手をつけなかったお茶を引き寄せ、がぶりと飲んだ。
 もう一人は黙って捜査資料を片付け、それが済むと、恐る恐る上司の顔を見た。

「課長。あの人、本当に頭の病気なんですか?」
「あのくらいの演説で騙されんな、峰。誇大妄想狂っていうのはな、頭の良い人間が罹る病気なんだよ。奴さんには、前科もある。その上、毎日毎日犯罪者の脳みそなんか見てりゃ、おかしくもならぁな」
 上司に諭されて、年若い刑事は捜査資料と湯飲みを載せた盆を持ち、署長室を出た。
 給湯室に盆を置き、盥に水を張って茶碗を浸しながら、「奴の言うことは何一つ本気にするな」と課長に注意を受けた狂人の戯わ言を思い出す。
「……数じゃない、か」
 低く呟き、彼はぼんやりと蛇口から盥へと落ちる水流を見つめた。





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緋色の月(7)

 こんにちは~。

 一昨日、人間ドックに行ってきたのですよ。
 血液検査は今年もすべて規定値内に入ってて、引っかかったのは例年通り、低血圧症だけでございました。 (上がいつも90止まりなんですよね~。 寝起きはフラフラします☆)  
 オットも一緒に行ったんですけど、彼はコレステロールやらバリウム検査やらで引っかかりまくりまして。 最後に保健師さんの指導があるんですけど、これからの健康や食生活について色々とアドバイスを受けておりました。
 あれって普段からの食生活が大事なんですよね。 その責任は妻のわたしにあるわけで。 
 とりあえず、わたしが残した食事をオットが食べてしまう習慣は改めさせよう!! 缶ビールも1日2本までに制限しよう!!
 
 と、決意しましたら本日は、会社の暑気払いだったりします。(笑)


 お話の続きです。

 おやあ? なんかこの章、つまらないぞ。 しかも長いし~。
 長すぎて携帯でダウンロードしきれなかった場合はご連絡ください。 





緋色の月(7)




*****


 彼はいつも人形のように大人しい、と私は思いました。

 さわっても、キスしても、はしたなく喘いだりしません。だけど彼は従順で、私の意のままに身体を開きました。
 彼の静寂を私は好ましく思い、彼の消極性を愛しました。
 彼の薄い目蓋は常に閉じられており、その亜麻色の瞳に熱情が宿るさまを見ることは叶わなかったけれど、彼が私の手を拒んだことが一度もない以上、彼の私に対する好意は明らかだと思いました。

 言葉で確かめるまでもない。彼は私を愛していたのです。

 私の手の中で慎ましく息づいていく彼の分身を愛でるたび、その可愛らしい口元から湿った吐息が洩れるたび、私は彼への気持ちが深まっていくのを感じていました。それは彼も同じだったと思います。
 いや、同じでした。
 何度も何度も重ねられる秘密の中で、私と彼の愛は次第に深まっていったのです。


*****


 警察署を出て、薪が真っ先に考えたことは、岡部に助けを求めるべきかどうか、ということだった。
 これだけ不利な証拠が揃ってしまっては、正直、薪一人の力で青木の無罪を証明することは難しい。岡部なら現場の経験も長いし、事件の勘所も心得ている。関係者の自分には開示してもらえない情報も、岡部になら見せてくれるかもしれない。それが無理でも、捜査本部に警戒されている自分よりは自由に動けるはずだ。
 それはとても有力な対策に思えた。電話で事情を話せば、岡部は此処へすっ飛んでくるだろう。
 しかし。
 もしも事件が起きたらどうする。自分も岡部もいなかったら、第九は回らない。研究室内の平常業務なら岡部がいなくてもこなせる、でも、実地検分が必要な案件に関しては、現場経験のない今井では的確な指示を出せるかどうか。
 迷った末、今日一日だけ、一人で情報を集めてみよう、と薪は思った。
 今日は金曜日。明日は公休日だ。
 夜には岡部に連絡を入れる。事件の概要は頭に入っているから、電話で説明ができる。明日の朝合流して、捜査に協力してもらおう。それまでは自分ひとりで動ける範囲で、できるだけの調査をしておこう。

 何から手をつけようかと考えて、正規の捜査員でもない自分にできることの少なさに、薪は戦慄する。
 もし自分が現場を任されていれば、DNA鑑定の再検申請をし、司法解剖の結果を踏まえて凶器の探索をする。目撃者から話を聞き、矛盾がないか確認を取る。地取りの指示を出し、真犯人の足取りを洗う。被害者の交友関係を調べ上げ、彼らに恨みを持つものがいないかどうか聞き込みを行う。それから、過去にこの地域で起きた通り魔事件、流しの殺人等の記録を洗い出し、類似の犯行がないか精査する。
 それらのどれ一つとして、自分は為せない。自分にできることといったら、近隣の住人に話を聞いて回るくらい。管轄外の仕事に、それも被疑者側の関係者と目される自分が手を出したりしたら間違いなく本庁に苦情が行く。

 その懸念に気がついて、薪は不安に駆られる。
 田城の耳に入るのはまだいい。叱責は受けるだろうが、それには衷心から謝ろう。問題は小野田だ。

 小野田は、自分と青木の仲を認めていない。それどころか、積極的に裂きたがっている。
 昨年の夏、薪は小野田の本心を改めて突きつけられた。あの高潔なひとがあんな策謀を巡らすほど、そこまで憂慮されていたのかと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。と同時に、小野田は決して聖人君子などではなく、目的のためならあざとい手段も用いる人間なのかもしれない、という微かな疑惑も浮かんだ。
 小野田への信頼は厚いが、薪とてそこまでおめでたくはない。彼の地位を鑑みれば、これまでに数多くの非情を為してきたことは容易に察しがつく。しかし。
 その非情が自分に向けられるとは、想像もしていなかった。これまでに小野田から受けてきた愛情を思えば、ライバルを蹴落とすため過去に為したであろう彼の姦策を夢想することすら、小野田への裏切り行為に思えた。
 薪はそのとき、小野田の愛情を信じた。薪の将来を思うが故、これは小野田の親心から派生した行為だと判断し、それは間違いではなかったと今も信じている。
 でも。

 今回のこの状況、管理者としての小野田はどう動くだろう。
 警察全体の名誉を守るために、官房長の権限を使って、強引に青木を助けるか?
 いいや、絶対にそんなことはしない。小野田は姑息な真似はしない、むしろ、膿は出しておくべきと捜査本部に励ましの言葉を送るだろう。
 もし捕まったのが薪なら、釈放はさせずともそれなりの便宜を図ってくれるかもしれない。しかし対象が青木では。励ましの言葉どころか、「早く送検しろ」と捜査本部にハッパをかけるかもしれない。小野田ならやりかねない。
 青木は小野田に嫌われている。自分が青木の話をするとき、彼の薄灰色の瞳に浮かぶ微かな苦渋を、薪は見逃していない。
 彼の怒りと不興は自分にこそ注がれるべきなのに。自分のせいで青木が、警察庁の頂点に極めて近い人物に疎まれている事実を思うたび、自分は本当に青木の恋人に相応しくない人間だという自戒に囚われる。
 が、今は自分の低劣を嘆いている場合ではない。一刻も早く、青木を救い出す証拠を集めなければ。

 行動計画を立てながら歩くうち、薪はキープアウトのテープが張られた問題の公園にさしかかった。姿勢よく立っている制服警官の姿を見て、軽く会釈する。向こうも薪の顔を覚えていたとみえて、無言の敬礼で挨拶を返してきた。
「ちょっと聞いてもいいかな」
 薪に話しかけられて、彼は緊張しているようだった。まだニキビ痕の消えない頬が紅潮している。自分がまだ警視だったころ、警視監の小野田に呼び出されて、一課の仲間の前では平静を装いつつも内心ものすごく緊張したことを思い出し、薪は頬を緩ませた。

「君は何時からここに?」
「朝の3時からであります」
「そのとき、現場検証は済んでいましたか? 野次馬はいました?」
「現場検証が終わったのは7時過ぎでありました。野次馬は、20人ほどおりました。自分と同僚二人、計3人で現場内に部外者が入らないよう、堰き止めておりました」
「野次馬の中に、不審な人物はいませんでしたか?」
「町の者以外は、一人もおりませんでした」
「君がひとりで警備をしている間に、現場を訪れた人物は?」
「警視長殿お一人であったと記憶しています」
「失礼だが、君の目を盗んで侵入された可能性は?」
「ここからはビニールシートがよく見えます。誰かが出入りすれば気がつきます」

 警官の言う通り、現場は公園内で見通しはよい。唯一の死角になっている桜木の背後には高いフェンスが境界線の代わりを為していて、あの柵を越えてきたとしたらそちらの方が目立つだろうと思われた。
 薪が彼に声を掛けたのは、これが目的だった。犯人は現場に戻ってくる。不思議なことに、何百年も前からこの愚かな心理行動は多くの犯罪者の間で繰り返されている。確認しておくべきだと思った。
「そうか。ありがとう」
 今回の犯人に、その心理は働かなかったらしい。いささかがっかりして、薪はその場を去ろうとした。

「君、手に何を持ってるの?」
 去り際に見咎めて、薪は警官を振り返った。薪に言われて彼は、おずおずと自分の右手を差し出した。白い手袋をはめた彼の手の中の、それは携帯のストラップだった。
「これはどこで?」
「公園の噴水のところであります」
 噴水は公園のほぼ中央にあり、現場とは10m以上離れている。事件の遺留品と見るには、少し遠い。紐が切れて落ちたようだが、殺人を犯した後で警察に連絡しようと携帯を出したとしたら、もっと犯行現場に近い位置に落ちるはず。
「本部の方の落し物ではないかと」
 薪もそうだと思った。何故なら、警視庁のマスコットがついたその携帯ストラップは自分も持っていたからだ。
 
 何年前だったかとんと記憶にないが、警察全体に配られた何かの記念品だ。警察創立200周年記念だか何だか、そんな名目での予算合わせだったような気がする。総務部辺りで予算が余ったのだろうが、要は税金の無駄遣いだ。余ったら返せばいいのだ。使わなかった予算は来年削られる傾向にあるとは言え、これは国民の血税だということを忘れてはいけない、ていうか、こんなものを作る金があるなら第九のメンテ費用に回して欲しい。
 落し物を警視長に預けるのは気が引けたのだろうが、この警官は、薪を県警本部の人間だと思い込んでいる。捜査本部は、今回の事件に県警が介入しないことを末端の警官にまでは知らせていないのだろう。彼の意識の中で、県警と自分の繋がりは薪しかおらず、それで遠慮しながらもこれを差し出したのだろう。
「僕から渡しておくよ」
 軽く請合って、薪はそれを受け取った。かなり苦しいが、後で捜査本部に顔を出す言い訳にはなる。刑事の習性で、薪は警官から受け取った遺失物をハンカチで包んでからコートのポケットに入れると、公園の周囲を歩き出した。

 注意深く辺りを観察しながら、ゆっくりと歩を進める。
 一般人には旅行者が桜を楽しみながら散歩をしているようにしか見えないだろうが、彼の亜麻色の瞳は、どんな些細な異変も見逃さない観察者のそれになっている。
 何気ない風景に、この日常に、違和感を見出そうとしている。不自然な点はないか、異質なものは残されていないか。それが真相への道しるべになる。

 いつの間にか事件のからくりを解こうとしている自分に気付いて、薪は首を振った。
 ちがう、ここで自分が為すべきことは、犯人の痕跡を探し出すことではない。青木がここに来なかったことを立証することだ。青木が殺人を犯したという本部の見解を覆す証拠を、矛盾点を見つけ出すことだ。
 青木がここに来たと仮定して、宿から公園までは、歩いて30分くらいかかる。徒歩以外の交通手段は、この場合考えにくい。土地勘のない場所で、夜ふらりと外出するのにタクシーを呼ぶならフロントの助けが必要だ。そのくらいは連中も確認しているだろう。
 ということは、現場まで往復1時間。いや、帰りは犯罪を犯したものの心理として早く現場から遠ざかりたいはずだから、走って帰ってきたとして20分。犯行に要した時間を30分程度と見積もると、最短でも1時間20分。目撃証言のおかげで犯行時刻は明確になっているから、10時から11時20分の間に、彼を旅館で見た人物を探せば良い。
 
 昨夜は、9時過ぎに宿に戻った。
 それから風呂に入って、上がったのが9時40分ごろ。10時には……もう布団の中で手首縛られてたような。
「あのバカ」
 そういえば、と薪は昨夜のことを思い出す。いや、本当は恥ずかしいからあんまり思い出したくないんだけど。

 1回目が終わった直後、青木は少しだけ部屋からいなくなった。ような気がする。
 薪は行為のあとすぐに眠ってしまうクセがあるからその時もうつらうつらしていたのだが、「お待たせしました」とか何とか言って起こされて、2ラウンド目が始まったのだった。でも、そんなに長く眠っていたわけはないし、12時の時計の音は聞いているのだから青木のアリバイは崩れない。

 ――― 否。
 12時の柱時計の音は聞いたが、11時のものは憶えがない。となると、青木のアリバイで確実なのは10時と12時前後の何分かだけで、あとは薪の主観によるもの、ということになる。これでは例え薪の証言が採用されたとしても、ちょっと気の利いた検事なら簡単に無効化できる。
 確かに、タイムテーブルだけを追うと理屈では犯行は可能かもしれない。でも、青木は人を2人も殺した後に、恋人を抱けるような人間じゃない。
 それは薪にとっては世界の真実ですらあるが、警察にとってはこれまた薪の主観に過ぎない。証拠としての価値はない。

 薪の感覚では、青木が部屋を出ていたのは20分程度のものだったと思うが、その20分に賭けるしかない。宿の誰かが、青木の姿を目撃していれば。
 まずは、宿の泊り客の聞き込みからだ。

 警察の地取り捜査の結果を待つのは、時間の無駄だと思われた。
 DNAが一致した以上、警察は青木が真犯人であることの証拠を探すことに重点を置くはずだ。公園の目撃証言の補足には熱を入れるだろうが、宿への聞き込みは後回しになるだろう。
 捜査経験のある薪には分かる。今は、犯罪の証拠を一つでも多く挙げて、それらを武器に被疑者を攻めるときなのだ。証拠がひとつ重なるたびに、被疑者の鎧は薄くなっていく。被疑者の絶望を煽り、もうこれまでだと観念させるには、言い逃れのできない証拠を積み上げていくことが一番効果的なのだ。

 宿へ帰ろうと、薪が脇目も振らずに道を歩いていると、後ろから声を掛けられた。この町に知り合いがいるわけはないのに、と振り返れば、そこには一人の男がにこやかな笑顔で立っていた。手に、黒い往診カバンを持っている。彼は医師なのだ。
「東条先生」
 驚いて立ち止まり、振り返って彼の名前を呼んだ。

 彼は東条学。薪が週1で通わされているカウンセリングの先生だ。
 年若い精神科医だが、彼は実に優秀だ。警視庁には専属のカウンセリング機関があり、彼はそこのチーフを任されている。精神分析医としての資格を持ち、いくつもの優れた論文を著し、病院の中でも腕の良いカウンセラーだと評判だが、薪にはあまり実感がない。正直な話、彼の治療を受けた時より青木と一緒に週末を過ごしたときの方が元気になれるような気がする。
 これは東条の腕が悪いのではなく、自分がカウンセラーを必要とする精神状態ではないからだと薪は判断している。警視総監に義務付けられているだけで、薪自身は無駄だと思っているせいもあるかもしれない。その結果、週一の約束が月一くらいになってしまうこともしばしばあって、最近彼のカウンセリングを受けたのは2ヶ月くらい前だった気がする。

「驚いた。きみとこんな所で会うなんて」
 職業柄か本来の性質か、東条は人を安心させる笑顔になって、薪の傍に駆け寄ってきた。真ん中分けにした短髪を揺らして、縁なし眼鏡をかけた彼は、白衣を着ていないと大学生くらいに見える。年は5,6歳下だと思ったが、研究者のような人種は世間を知らないところがあるから若く見えるものだ、と実年齢より20歳は若く見える自分の外見は棚上げにして薪は勝手なことを思い、自分よりやや高い位置にある彼の暗蒼色の瞳を見返した。
 東条の身長は、それほど高くない。薪より10センチ高と言ったところだから男子の平均身長には達しているのだが、薪の周りには大柄な人間が多いため、彼には親近感を持っている。太り過ぎてはいないが、痩せてもいない。医師だけに、理想的なウェイトコントロールが為されているようだ。

「東条先生こそ、どうしてここに?」
「親に顔を見せにね」
「先生のご実家はこちらでしたか」
「うん。今朝は始発電車に乗ってきたんだよ。おかげで眠いったら」
「そうでしたか。僕は出張で、昨日この町に」
 春の風がふわりと薪のコートの裾をはためかせ、桜の枝をさわりと揺らした。薪の髪に舞い降りた花びらを医師らしい清潔な指先でつまんで、東条はにこりと笑い、
「じゃあ、これから仕事かい?」
「ええ、まあ」
「少しでいいから時間取れない? 僕とお喋りしようよ」
 彼がお喋りと言えば、それはカウンセリングのことを指す。診察室で向き合うと、彼は必ず薪に向かってこう言うのだ。

 彼の薪に対するカウンセリングはちょっと変わっていて、5分くらい世間話をした後は、いい匂いのする香を炊いて寝心地のよいリクライニングシートでまったりする。つまり、単なるリラクゼーションに過ぎないのだが、精神的に何の問題もない患者に対して何かしらの治療記録を付けなければいけないとなれば、こんな方法を選ぶしかないのだろう。みんなあのタヌキ親父が悪いのだ。
 とある理由による疲れもあって、と言うのも東条のカウンセリングを受ける前日は必ずと言っていいくらい寝不足になるので、薪は大抵シートの上で眠ってしまうのだが、1時間くらいすると東条が起こしてくれる。そこへ丁度、岡部や青木が迎えにくるという具合だ。

「すみません、先生。今日はちょっと忙しくて」
「夜でもいいよ。僕は特に何をしなきゃいけないわけでもないから、君の都合に合わせる」
 東条は一歩薪に近付き、苦笑いの顔で、
「最近、診察証明書に書くネタを探すのが大変なんだよ。2ヶ月も前のお喋りの内容じゃ、季節も変わっちゃってるし」
 言われて、薪はバツが悪そうに右手を自分の後ろ首に当てた。
 カウンセリングの指示は警視総監から出ており、薪は、確かに診察を受けた、異常がなかった、という報告書を毎週総監宛に提出しなければならない。が、繁忙を極める薪には、病院へ赴く時間を取ることができないことも多い。そんな時には、東条が適当な一文を添えて総監に報告を出してくれているのだ。
 東条は、薪の精神が既に回復しているにも関わらず、強制的にカウンセリングを受けさせられている裏事情を知っている。だから薪に協力して、嘘の報告書の片棒を担いでくれているわけだが、それらしい文章を添えるには薪の近況に関するデータが必要だと、これまた尤もな言い分だった。

「君の談話記録(カルテ)には、『朝の気温が氷点下だと起きるのがとても辛い』と書いてあってね。4月で氷点下って、薪警視長の自宅は北海道にあるのかって」
 茶化しながらも東条が食い下がるのは、薪の仕事内容を知っているからだ。第九の職務は重篤な精神的負担を強いる。室長ともなれば尚更だ。加えて薪には過去のこともあるし、1月に1回程度のカウンセリングは必要だと、精神科医の立場から考えているのだろう。彼の心配は重々分かって、だから薪は精一杯の譲歩をする。
「わかりました! 時間が取れ次第、必ずこちらから連絡しますから」
 本音では今は、一時でも惜しい。ここで立ち話をしている、この時間すら惜しいのだ。
「必ずだよ」
 薪の余裕のなさに気づいたのか、東条はあっさり引き下がってくれた。さすが精神分析医、相手の気持ちを察するのはお家芸だ。

 失礼します、と頭を下げて、薪は早足に歩き出した。すでに彼の頭の中は、犯行時刻における旅館での青木の目撃者を探すことでいっぱいで、背にした精神科医を振り返ることもしなかった。
 ベージュ色のスプリングコートが風に靡きながら小さくなっていく、東条はそれをじっと見送っていた。その姿が角を曲がって見えなくなると、彼はジャケットのポケットからシステム手帳を取り出し、先刻自分が小さな亜麻色の頭から取ってやった桜の花びらを大事そうに、透明ポケットの中に落とし込んだ。



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緋色の月(8)

 こんにちは。

 連日、過去作品にたくさんの拍手をありがとうございます。
 この一週間、同じ作品に複数拍手が入ってるから、何人かの方が読んでくださってるのかしら。 
 とてもありがたいです。(;∇;)
 でもねっ!
 夜中の1時とか3時とか、とんでもない時間に読まれるのは、どうかお止しになって……お肌、荒れちゃいますよっ!!
 うちのは基本ギャグ小説なんでね、笑ってなんぼのお話ですから。 睡眠時間削ってまで読むようなシロモノじゃないです。 
 ということで、夜はゆっくりお休みくださいね。(^^

 えっ。
 原作の薪さんが心配で眠れない?
 う、うーん……あと3週間かあ。
 



緋色の月(8)




 宿に帰ると、薪は早速行動を開始した。
 フロント、客室係、調理場の従業員、泊り客、宿に居合わせたすべての者に聞いて回ったが、夜の10時以降に青木を見たものはいなかった。この時代に監視カメラのひとつも設置されていない田舎の旅館では、夜の10時と言えば既に夜中という感覚で、泊り客の殆どは眠っていたか自室でテレビを見ていたと言うし、従業員も自宅に引き上げた後だった。
 小さな旅館で、客室も7部屋しかない。従業員も10人位のもので、薪ひとりでも聞き込みは3時間足らずで終了した。
 人々は、あまり協力的ではなかった。泊まり客はまだしも、旅館の人間は特に口が重かった。彼らは薪が警察官であることを知っていたが、それ以上に、連行された被疑者の関係者であることを警戒していた。
 期待した成果が得られず、薪はがっかりして自室に戻った。

 部屋に入ると、何となく異質なものを感じた。
 自分と青木以外の、人間の気配。微かに整髪料の匂いもする。薪の留守中、誰かがこの部屋を訪れたのだ。
 部屋係が掃除に入ったのかと思ったが、ゴミ箱の中身が回収されていないのを見て、留守中の訪問者は旅館の者ではないと判断した。
 誰が、と考えを巡らせて、あのお飾り署長が「謝罪に伺ったが留守だった」と言っていたのを思い出した。なるほど、謝罪名目の家宅捜査に来たのか。田舎警察のクセに、なかなかやってくれるじゃないか。

 二人の荷物は部屋の隅に置いたままだったが、位置が微妙に違っている気がした。中身を詰めたのは青木だから、品物の収納場所が変わっていても薪には分からない。が、多分、全部調べられたのだろうと思った。事件に関する報告書を、遺族に届けた後でよかった。被害者のプライバシーは、警察内部のものにも洩らしてはならない。
 他に変わったところはないかと見渡して、未回収のままの屑入れに気付く。その一番上に捨てられているゴミを見て、薪の心臓が跳ね上がった。

「ぅげぉろげっ!?」
 何処の言語かわからない奇声が迸り、慌てて口元を押さえる。自分の顔が真っ赤になっているのが、手に触れた頬の温度で分かった。
 透明度の高い亜麻色の瞳に映っているのは、昨夜の愛戯の名残。と言えば字面はきれいだが、平たく言うと使用済みのコンドームだ。ゴムに密閉されている部分の精液は、まだ液体のまま残っている。
 いくら青木だって、こんなデリカシーのないことはしない。ちゃんとティッシュに包んで捨てたはず。ましてやここは旅館だ。誰かがこのゴミを始末すると思えば、絶対に剥き出しでなんか置かない。
 問題の汚物は、ティッシュを広げられて全部表に出されてあった。警察が探って、そのままにしたのだろう。数を調べられたらしい。

「何を言っても信用されないわけだ……」
 恥ずかしさに涙まで滲ませて、薪はその汚物をティッシュで包み直し、青や赤のビニル袋や丸められた紙の下に隠すように埋めて、畳の上にへたり込んだ。
 これこそ、言い逃れようのない証拠だ。ふたりで同じ部屋に泊まってゴミ箱にコレがあったら、ペリイ・メイスンでもお手上げだ。てか、あいつ昨夜5回もしたのか。道理でだるかったわけだ。
 峰と言う若い刑事が、自分を軽蔑の眼差しで見ていた理由が分かった。これを調べさせられたのはきっと彼なのだ。通常、こういう汚い仕事は若いものの担当で、だからあんな眼で見られても仕方がない。

 いよいよ自分の信用度が下がったのを自覚して、薪はこれからのことを考える。
 旅館での目撃証言が取れなければ、後はこの近隣まで捜索範囲を広げてみようか。外に出た可能性は低いかもしれないが、捜査は当たってみなければ分からないものだ。
 だいたい、どうしてあの時、青木は中座したのだろう? 彼の目的が分かれば、捜査範囲も絞れるのだが。
 青木が何か言い訳めいたことを言っていたのは覚えているが、内容は記憶に無い。意識が朦朧としていたし、半分以上夢の中だった。
『すみません、すぐに帰ってきますから。眠っちゃ嫌ですよ』
 ここには知り合いもいない。誰かに呼ばれて出て行ったとは考えにくい。あの青木が薪との情事を中断してまで部屋を出なければいけない理由と言うと、生理現象くらいしか思い浮かばないが。
「食べ過ぎて腹でも壊したかな」
 あいつならあり得る。

 窓から差す西日にふと眼を細めて、気がつくと夕方になっていた。時計を見ると5時40分。夕方のニュースをやっている時間だ。
 薪はテレビをつけて、事件の報道が為されていないか確認した。しかし、どの局でもこの事件については報じていなかった。容疑者が警察の人間と言うことで、報道管制を布いたのかもしれない。
 
 時刻が6時になり、報道番組は地域に密着した飲食店の特集になった。薪はテレビを消し、岡部に連絡を入れるべきかどうか思案した。定時を30分ほど過ぎているが、それは一般の部署でのこと。第九の定時はまだまだ先だ。勤務時間のみに限定すれば、第九は立派なブラック会社だと誰かに言われたことがある。
 7時になったら岡部に電話を入れようと決めて、薪は上着を脱いだ。朝から動き詰めだ。少し休んでおこうと思った。
 空腹を感じた。朝食を摂ったきりとはいえ、青木があんなことになっているのに食欲があるなんて、自分も大概図太いと自嘲した。しかし、捜査は体力勝負だ。食事も休息も、ある程度は摂らないといざというときに動けなくなる。捜一にいた頃、嫌というほど叩き込まれた教えだった。
 夕食は6時半からだったか、と宿の案内をめくり、延泊の連絡をフロントに入れ忘れたことに気付いた。うっかりしていた、寝床はともかく、言わないと夕食を用意してもらえないかもしれない。近隣に食堂はなかったし、ここで食べはぐれたら夜中に旅館の調理室に忍び込んでしまいそうだ。

「すみません、お客さま」
 ノックの後、ドアの外から掛けられた声に、薪は微笑した。今夜の宿をどうするか、旅館側から尋ねに来てくれたのだろう。さすがプロ、気が利いている。
 心配りに感謝しながらドアを開けると、フロント係でもある旅館の主が、気まずそうな顔をして立っていた。
「お泊りのご予約をいただいたのは昨日まででしたよね?こちらのお部屋を空けていただけますでしょうか」
「連絡が遅れてすみません。もう一晩、いや、二晩ほど泊めていただきたいのですが」
「申し訳ありません、すでに他のお客さまの予約が入っておりまして。お客さまのご事情もあろうかと今までお待ちしましたが、そろそろ次のお客様が到着される時刻ですので」
「2つほど、空き部屋があったと思いますけど」
 聞き込みをしたおかげで、どの部屋に何という客が泊まっているか、薪は知っている。
「そちらも今夜、ふさがる予定になっておりまして」
「……わかりました。清算してください」

 薪はコートを着込み、二人分の荷物を持って部屋を出た。
 フロントで料金を払い、領収書を受け取って宿を出た。「またお越しくださいませ」と言う宿の決まり文句を背に、薪は宛てなく歩き出した。肩に食い込む旅行鞄が、やたらと重かった。
「今朝の朝食、2人分つけてある」
 二度と来るか、と心の中で毒づいて薪は、何の罪もない足元の小石を蹴り飛ばした。

 聞き込みをしたことで苦情が出たのか、殺人犯の連れを留め置くことに抵抗を感じたのか、旅館の真意は定かでないが、結果として追い出されてしまった。ここは小さな町で、他に宿はない。地元警察に相談すれば、官舎の空き部屋くらい融通してくれるとは思ったが、頼りたくなかった。
 今夜は無人駅のベンチで寝るしかないな、と腹を決めて、薪は駅の方角に進路を定めた。駅は宿の西側、警察署や事件の現場である公園とは反対の方向にある。もしもこちらで青木の目撃証言が得られれば、それは旅館や公園側でのものより有利と言えた。

 数軒の民家に体当たりで聞き込みを掛けてみたが、良い結果は得られなかった。小さな田舎町、すでに旅行客の一人が殺人容疑で警察に連行されたことは知れ渡っているのかもしれない。地元民間人の対応は、客商売の旅館の従業員より遥かにあからさまだった。中には薪の身分証の真偽を疑うものまでいた。頑固そうな老人に胡散臭い眼で見られて、門前払いを食わされた。警視長と言う肩書きは、何の役にも立たなかった。
 白眼視の中、一軒一軒聞き込みを続けながら、薪は歩き続けた。
 駅まではけっこう距離があって、来る時は旅館の車が迎えに来てくれた。帰りはこんなことになって、荷物を抱えて歩かなければならない。駅までの道のりと荷物の重さを勘案して、薪は深いため息を吐いた。
 足元がふらふらする。昼を抜いてしまったから、血糖値が下がっているのだろう。
「こういうときに、ドレイがいないと不便だな」
 非道な言葉で失意をカモフラージュして、薪は舌打ちする。

 どうしてここに青木がいない。荷物持ちはあいつの仕事じゃないか。
 さっさと済ませて来いって言ったのに、なんで帰ってこないんだ、なにDNA一致させてんだ、ウルトラバカが。

 厳しい責め言葉とは裏腹に、薪の眉尻は弱気に垂れ下がって。あろうことか、亜麻色の瞳には絶望の翳りまで差して。
 だって、気持ちがくじけてしまいそうだ。こんなことで青木を救えるのか。
 ここには誰も味方がいない。捜査に非協力的な人間は珍しくない、でも、今回は地元の警察が敵に回っているのだ。薪の味方をしてくれる者は、この町にはいないだろう。
 独りで捜査をするなんて初めてだ。今までは、必ず仲間がいた。現場で一人になることはあっても、署に帰れば自分を労い、温かく励ましてくれる仲間が。
 いま、薪はひとりぼっちだ。

 不遇をかこった時代、薪の味方はひどく少なかった。その中で、自分一人の力でやってきた、やり遂げたと感じたことは、何度もあった。しかしこうして振り返ってみれば、他人の温かさに支えられなかった日々は一日たりとてなかったのだと、己が身の幸運を思い知らされる。音声化された言葉はなくとも、現実に手は差し伸べられなくとも、誰かが自分を気に掛けてくれている、その思いはたしかにそこにある。見えないものに支えられてきたのだと改めて知った。



*****

  この章、11Pもありまして。 長いので分けます。


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緋色の月(9)

 最近、過去作品を順々に読んでいただいてて~、どうもありがとうございます。 拍手もたくさんいただきまして、ありがとうございました。 1日に3桁は久しぶりでした~♪
 ありがたいのですけど、ちょっと心配です。
 あんまり長い時間PC画面を注視なさると眼が悪くなってしまうし、内容的に頭痛とか吐き気とか、もよおされたらすみませんっ!! (何故こんな心配をしなければならないようなものを書くかな、しづ)

 どうか、ご無理のない範囲でお願いします。 


 で、お話の方ですけど。
 色んな方に展開を見透かされてしまって~~。(笑)
 もうこの際、ヒロインが何故か危ない方へ危ない方へと歩いていくB級サスペンス映画のノリで楽しんでください。 よろしくお願いしまーす。(^^ 



緋色の月(9)




 世界にひとり取り残されてしまったような、何とも心もとない気分を抱えながら、10分ほど歩いただろうか。科警研の管理棟にも入っている有名な数字の看板を見つけて、薪は足を止めた。
「さすが日本。コンビニ王国バンザイだ」
 時間が半端なせいか、もともと仕入れの数が少ないのかは不明だが、コンビニの棚はスカスカに空いていた。弁当類はすべて売り切れていて、薪は仕方なく売れ残りのおかかと梅のおにぎりを一つずつ、日本茶のペットボトルを2本カゴに入れ、レジに持って行った。
 高校生くらいの男の子が、「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれた。その無邪気な笑顔と元気な声に勇気付けられるような思いに駆られて、そこまで弱気になっていたのかと自分に失望した。

「この店は24時間営業ですよね。昨夜の10時から11時くらいの間に、この男を見ませんでしたか?」
 受け取ったつり銭を無造作にコートのポケットに落とし、代わりにプライベート用の携帯電話を取り出して、薪はそこに保存されている青木の写真を彼に見せた。
 宿から20分以内で往復できる場所となると、この店辺りが限界だ。駅方面の聞き込みはここで一旦おいて、次は公園方面の聞き込みに回ろうと考えながら、薪は彼に昨夜の記憶を引き出してくれるよう頼んだ。
「とても背の高い男なんです。190センチ近くある」
「昨夜の夜は、オーナーが店番してました。今日はおれの番で。だからおれは見てませんけど」
 オーナーが店に来るのは、明日の朝になると言う。此処へは明日また来ることにして、薪は店を出た。

 土地に不自由していない田舎のコンビニらしく、店に不釣合いなほど広い駐車場の端まで歩いていき、自分の旅行鞄を椅子代わりにして腰を下ろした。ペットボトルのキャップを開けて冷たい日本茶を口に含むと、夢中で飲んだ。自分では意識していなかったが、ものすごく喉が渇いていた。朝食べたきり、飲まず食わずでもうすぐ12時間になる。飢えるわけだ。
 第九で捜査をしているときは殆ど空腹感を感じない薪だが、それは思考することに夢中になってしまうからで、こんな風に証拠を足で集めている状態では普段以上にエネルギーを必要とする。これでも捜一にいた頃は、親友にびっくりされるほど食べたのだ。それが第九で捜査をするようになってからは、脳をフル回転させる時間が増えたおかげで食事を忘れてしまうことが多くなった。事件の謎がほぐれていく時にもたらされる高揚感に比べれば、食の快楽は取るに足らないものに思えた。

 薪には食事の代わりに難事件を与えておけばいい。かつての親友に、そんな冗談を言われたことを思い出す。
『おまえは謎を食べて生きてるのか?』
 ちがうよ、鈴木。あの頃僕は、ただおまえに――――。
『まったく、薪は手が掛かるんだから。食べることは生きることなんだぞ』
 よく職員食堂に、無理矢理引っ張って行かれた。薪にとってはありがた迷惑だったが、彼の手を拒むことはできなかった。
 鈴木はいつも自分のことを気に掛けてくれた。心配してくれた。薪はそれにとことん甘えて、自分を殺すことなく振舞うことができた。
 自分が何をしても彼だけは分かってくれる、認めてくれる。世界にたったひとりでいい、どこまでも自分を寛容してくれる人がいれば頑張れる。あの頃は、それを支えに生きていた。その彼を喪って、薪のすべてを受け入れてくれる人はいなくなった。

 ゆるゆると首を振って、薪は自分を支配しようとする感傷にストップをかけた。
 こんなところで凹んでいる場合ではない。さっさと公園側の聞き込みをしないと。
 そう思ったが、おにぎりを食べ終えてペットボトルが空になっても、しばらくは立つ気力が沸いてこなかった。これは単なるエネルギーの不足で、炭水化物の糖分が血中に行き渡れば元気になる。そう自分に言い聞かせて、少しだけ休もうと思った。世界に一人残されたような孤独感は相変わらずだった。

 薪は携帯のフラップを開け、引き離された恋人のことを想った。
「ちゃんとメシ食わしてもらってるかな」
 取調室の荒っぽさは、薪も経験済みだ。捜一で、嘘を吐くことに慣れた被疑者を何人も落としてきたのだ。恫喝もした、拳を振り上げもした。が、被疑者に怪我をさせると自白を強要したことになってそれまでの苦労が水の泡になるから、本当には殴らない。寸止めで威嚇するのだ。薪が型空手を習得したのはその為だ。
 つまり、被疑者は取調べでは、精神は消耗するが医者の世話になるような怪我はしない。裏事情の解っている薪なら、危害が加えられることはないと構えていられる。でも青木には所轄の経験がないから、きっと怖がっている。すごくすごく、怖い思いをしている。

「どうしておまえなんだ……」
 自分なら、どうということはないのに。
 画面の右上、きっちりまとめた青木の黒髪の上に表示された時計が、6時半を指した。少し早いが、岡部に電話をしてみようと思った。最初の予定までの半時、たったそれだけの時間を待つ事ができない。それが薪の焦りを物語っていた。
 呼び出し音を聞きながら、薪は素早く事件の概要を頭の中で整理した。簡潔に、的確に、岡部に今の状況を説明しなければならない。言葉が乱れないように声が上ずらないように、薪は大きく深呼吸をした。

 6回目のコール音を聞いて、薪は眉を寄せた。
 岡部が自分からの電話に出ないなんて、何かあったのだろうか。もしかすると緊急の事件が起きたのかもしれない、と、果たして薪の予感は当たっていた。
『あ、薪さんですか?岡部さんは今、所長室です』
 岡部の携帯から曽我の声がして、薪は面食らったがすぐに事情を察した。所長に呼び出されて、慌てて出て行ったのだ。そのとき携帯電話を職務室に忘れて行ったのだろう。岡部はいつも自分の携帯を机の上に出しておくから、着信に気付いた曽我が気を利かせて電話に出て、薪に事情を説明してくれたというわけだ。
 捜一からの協力要請とのことで、火急を要する案件なのは察しがついた。室長として、すぐに第九に向かうべきだと思ったが、このまま青木を置いていくことは考えられなかった。

 薪の沈黙をどう受け止めたのか、曽我は明るい声で、
『薪さんと青木は月曜からの出勤だって、岡部さんから聞いてます。大丈夫ですよ、室長がいらっしゃらなくても、ちゃあんと解決して見せますから!』
 まだ事件の概要も知らないくせに安請け合いをするお調子者の部下に、普段なら口を衝いて出る叱咤が、どうしても出てこなかった。
「……曽我。よろしく頼む」
 できるだけ平静な声で告げて、薪は電話を切った。

 岡部には相談できない。職務の方が優先だ、本来なら自分も駆けつけなければならない。ここはI市の管轄だ。薪の仕事はここにはない。第九が薪の仕事場だ。でも。
 ―――――― 青木を置いては帰れない。

「室長失格だ」
 最低だ。職務より、個人的事情を優先するなんて。

 薪が自己嫌悪のクレバスに落ちようとしたとき、右手に持った携帯電話が振動した。
 岡部からかと思ったが、違った。知らない番号だ。薪は用心深く、「はい」とだけ言って電話に出た。
『薪さん? 東条だけど』
 午前中、ばったり会った精神科医からだった。
 どうして彼がプライベイトの携帯番号を知っているのだろうと一瞬思ったが、カウンセリングのときに教えたのだったかと思い直した。
 薪は天才的な頭脳を持っているが、自分が為したすべてのことを完璧に覚えているわけではない。特に、ベッドの中と飲んだときの記憶は殆ど残っていない。薪がその驚異的な知識と記憶力を発揮するのは職務に関することだけで、仕事に関係しないと判断したことについては、いっそ常識知らずと呆れられても仕方ないほど知らないことも多いのだ。例を挙げるなら、何年か前、潜入捜査先のスナックでホステスの真似事をさせられたとき、ホステスがどんなことをするのか全く知らなかった薪は、そこへ来合わせた部下たちにさんざん嘘を吹き込まれ、いいように弄ばれたのだが、未だに彼らに騙された事実に気付いていなかったりする。

「すみません、まだ仕事が終わらなくて」
 てっきりカウンセリングのことだと思ってそう答えたのだが、東条の目的は全く別のことだった。
『君の部下が警察に捕まったのはどうして?』
「……どこでそれを」
 薪の声は震えていた。
 青木のことがマスコミに洩れて、ニュースになってしまったのか。だとしたら、もう小野田の耳にも入っているはずだ。岡部が田城に呼ばれた理由も、そういうことかもしれない。岡部が気を使って、咄嗟に捜一からの協力要請と偽ったのかも。

 もうすぐ迎えが来て、自分は強制的に東京へ帰らされるだろう。青木を此処に残したまま、何もできず顔さえ見れず、彼が無実の罪で送検されるのを指を咥えて見ているしかない。
 恐ろしい考えが頭の中をぐるぐると回り、息が詰まった。が、東条の答えは薪の予想とは違って、I市警察署の戒厳令の強さを証明するものだった。
『違うよ、テレビじゃない。警察で彼を見たんだよ。黒髪で背の高いメガネ君。以前君をクリニックに送ってきたことがあった、彼、君の部下だよね?』
 警察署の廊下で手錠を掛けられた青木とすれ違った。東条は青木の顔を覚えていて、それで薪に事情を聞くために電話してきたのだった。
『まさかと思うけど、昨夜起きたって言うカップル殺し? そうなのかい?』
 薪は東条の問いに、答える事ができなかった。沈黙はすなわち肯定で、そして東条は有能なカウンセラーだった。
『ごめんね。今朝会ったとき、君の辛さに気付いてやれなくて。僕はカウンセラー失格だ』
 自分を気遣って、電話をしてくれた。事情を察して、やさしい言葉を掛けてくれた。それだけで充分だと薪は思った。

『薪さん、大丈夫? 困ってない?』
「大丈夫です」
 旅行鞄の上に座って、じっと自分の靴先を見つめて、薪はようやく言葉を発した。東条の耳に心地よい声が、身体の隅々にまで温かく染み渡った。
『僕にできることなら何でも言って。患者を守るのは、医者の仕事だから』
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」
「本当に?」

 電話から聞こえていたはずの声が突然肉声に変わって、薪は俯いたまま目を瞠る。自分の靴先しか見えていなかった薪の視界に、黒い革靴が出現した。続いてベージュ色のチノパンの脚と、黒い診察カバンが眼に入った。
 薪は用済みの電話を耳に当てたまま、顔を上げた。電話相手のカウンセラーが、そこに立っていた。
「旅館に行ったらね、チェックアウトしたって言うから。駅に向かったんじゃないかと思って」
 東条はひょいと膝を折り曲げ、薪と同じ高さに視線を合わせた。暗蒼色のやさしい瞳が、薪の亜麻色の瞳をじっと覗き込んだ。
「でも、今日はもう帰れないよ。ここは7時までしか電車がないんだ。今からじゃ間に合わない」
薪は携帯を耳から離し、ポケットにしまった。それから、親に悪戯を見つかった子供のように笑うと、
「先生。今夜、泊めてもらえますか?」
「いいよ」

 東条がにこりと笑い、薪は遠くに電車の発車合図を聞く。
 春の夜は薄ぼんやりと、駐車場にうずくまる二人の男を包んでいた。



*****


>『おまえは謎を食べて生きてるのか?』
 ……ネウロ? (わんすけさんしか分からないかしら?)
 笛吹さんファンの方、お友だちになりましょう♪ (←ごり押し) 


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緋色の月(10)

 お盆も終わりましたので、本編に戻ります。 
 鈴木さん、また来年も薪さんのところへ帰ってきてねっ!!

 お盆休みをいただいている間に、拍手が15000を超えました♪
 本当に、いつもいつもお気遣いいただきまして、どうもありがとうございますっっ!!!
 キリですから、何かお礼のSSをと思ったんですけど、今の精神状態ではロクなものが書けそうにないので~、とりあえず、次のメロディを読んでからにしたいと思います。
 次のメロディが萌えられる内容でありますように。(←あの状況でどうやったらそんな展開が望めるのか)


 で、お話の続きです。
 コメントのお返事もまだ全部返し終わらないうちに更新して申し訳ないんですけど、みなさん薪さんの身の上を案じてらっしゃるので、早く安心させて差し上げたくて、こんな暴挙に出ました。
 こちらお読みになって、安心なさってくださいね~。



  

緋色の月(10)




 それから東条は、薪の聞き込みに同行してくれた。当然のように薪の旅行カバンの一つを引き受けてくれた上、効率的なルートで家々を案内してくれた。
 殺人事件の捜査に一般人を介入させるのは重大な規律違反なのだが、今回だけは目をつぶることにした。と言うのも、ここは東条の地元で、住民の殆どは彼の顔を知っており、彼には非常に好意的に話を聞かせてくれたからだ。

 青木が警察に被疑者として取調べを受けていることを知られているなら、下手に隠し立てしても仕方ないと思い、薪は彼に事情を話すことにした。東条はそれに、医師の守秘義務を引き合いに出し、「秘密を守るのは慣れてる」と微笑んでくれた。
 事件発生時、青木は自分と一緒に居た。だから絶対に無実である。なのに何故か現場に残された体液と青木のDNAが一致したこと、さらに自分の証言は部下を庇っていると解釈されて警察に信じてもらえないこと。ざっと経緯を説明し、部下のために有利な目撃証言を集めようとしているが、あまり上手く運んでいないことを正直に話した。

 偽警官と疑われて話を聞かせてもらえなかった家まである、と薪が自嘲すると東条は、やや強引に薪からその家を聞き出し、気軽に玄関の呼び鈴を押した。先程と同じように、薪を門前払いした無愛想な老人が出てきて、しかし彼は、薪に向けたのとはまるで違う明るい表情で東条の名前を呼んだ。
「学ちゃん!」
「ご無沙汰してます、坂田のおじさん。その節は、お世話になりました」
「なに水臭いこと言ってんだい、あんたはこの町の誇りなんだから。また何とかって賞を獲ったって言うじゃないか。その論文が載った本をヒトシのやつが図書館に入れてな、おれも見たよ。意味はさっぱりわからんがね」
「ありがとうございます。ヒトシ君は元気にやってますか?」
「ああ。もうすぐ帰って来ると思うから、上がって待って」

 弾んだ口調で東条を家の中に案内しようとして、坂田氏は薪の存在に気付き、声を失った。先刻の自分の無礼を思い出してか、気まずそうに、
「なんだ、学ちゃんの知り合いかい?」
「僕が東京で警視庁の専属カウンセラーをやってることはご存知ですよね。彼は科警研の職員で、れっきとした警察官です」
「そうか、そりゃあ悪いことしたな。いや、てっきりどこぞのガキが年寄りを騙くらかそうと、ニセ警官の真似をしちょるんだとばかり……だってよ、そいつ、どう見ても刑事にゃ見えんだろ? 生っ白い顔してよ」
「おじさん、科警研というところは研究者の集まりで、I署の刑事連中とは少し種類が違うんですよ。薪さんも、そんな怖い顔しないでね」
「年だって、あんた、おれの孫くらいだろ? I高校行ってるおれの孫」
「年は、ええっと、なんて言えばいいのかな……だから薪さん、その額に青筋立てるのやめてね」

 坂田氏と薪の間に入った東条の苦労は計り知れなかったが、とにかく、老人から話を聞くことはできた。しかし成果はなかった。夜の10時といえば年寄りにとっては夜中、もうとっくに床に就いた後だった。
 東条の幼馴染である老人の孫の帰りを待つよう引き止める彼に、他にも回らなければいけない所があるから、と頭を下げて、東条と薪は坂田家を辞した。老人は、此処にいるうちに必ず顔を出してくれと懇願し、さっきの話は息子にも訊いておくから、と言ってくれた。帰り際に、これはうちの畑で採れたんだ、と三掴みほどの絹さやをビニール製の手提げ袋に入れて東条に持たせ、玄関の外まで出てきて見送ってくれた。

 その調子で、東条が顔を出すだけで、町の人々は好意的に話を聞いてくれた。昨夜の記憶を引き出そうと試み、家族にも訊いてみるから、と家ぐるみで協力してくれた。
 東条は、この町ではちょっとしたスターだった。誰もが彼を歓迎し、夕食を一緒にと誘い、再会の約束をしたがった。これと言った収穫はなかったが、これだけ協力の輪が広がれば、そのうち誰かが有力な情報をもたらしてくれるのではないかと、薪はここに来て初めて微かな期待を抱くことができた。

「すごいですね、先生。これだけの家を回って、先生の顔を知らない人が一人もいないなんて」
「ここは小さな町だからね、町中みんな家族みたいなもんなんだ。それだけだよ」
「ご謙遜を。町中のひとに尊敬されてるんですね」
「とんでもない、逆だよ。僕は彼らに育ててもらったんだ、敬意を表さなきゃいけないのは僕のほうさ。僕の家は貧しくてね、大学に行くお金なんかなかった。医大はとにかくお金が掛かるから……それを町のみんながちょっとずつお金を出してくれて、僕に医師免許を取らせてくれた」
 東条の過去を聞いて、薪は感動した。
 都会では、他人同士の絆はひどく薄い。隣人の顔も覚えていない人間も珍しくない。それに比べてここは、なんて人情に溢れた町なんだろう。余所者の薪はその恩恵に預かることはできないが、此処では誰もが知り合いで、労わり合い慈しみ合い、他人の家の子供を自分の子供のように可愛がるのだ。
 東条は、ここで生まれ育ったのだ。彼の優れたカウンセラーの才能のルーツを知った気がする。

「だから皆さんへの恩返しのつもりでね、里帰りした時は警察とか役場とか、無料で職員たちのカウンセリングをしてるんだ。そこで君の部下を見たってわけ」
 薪は、その偶然に感謝した。岡部の手が借りられなくなった今、東条がいなかったら、この町での捜査は困難を極めただろう。協力を申し出てくれた東条には、ちょっとやそっとでは返せないくらいの恩ができてしまった。すべてのからくりが解き明かされ、青木が釈放された暁には、彼と一緒に礼を言いに行こうと薪は心に決めた。
 
 東条と二人で、旅館から徒歩で往復20分の圏内を虱潰しに当たり終えたときには、夜の9時を回っていた。東条は手に、往診カバンの他にたくさんのビニール袋を提げて、その中身は町民の好意の証である野菜や果物、食卓に並んだおかずの一品だった。
「毎回この調子でさ。僕は此処に帰って来ると、いつも2キロは太るんだ」
 きっと自分が一緒でなかったら、東条は旧知の人々と夕餉の膳を囲み、親交を深め合ったに違いない。滅多に会うことのできない父母との時間も、薪のために犠牲にして。
 薪はそのことに罪悪感を覚えたが、今だけは彼の親切に甘えることにした。今の薪には、彼の力が必要だった。受けた恩は必ず返そうと心に誓って、薪は街灯の少ない暗い田舎道を東条の後ろについて歩いた。

 住宅街から少し離れて、東条が立ち止まったのは一軒の小さな家の前だった。築10年と言ったところか、これまでに訪れた家々に比べたら近代的な住居で、他の家にはなかった二階の出窓が人目を引いた。
「ここが僕の家だよ」
 案内された東条の自宅には、明かりが点いていなかった。息子が帰ってきているというのに家人が留守とは、と薪は不思議に思いながら玄関を潜った。

「あの、お家の方は」
 上がり口に佇んでいる薪を振り返って、東条はにこっと笑った。
「両親に会ってくれるかい?」
 東条が視線で示した先には、扉の開かれた仏壇があった。二つ並んだ写真立てには、彼に良く似た壮年の男女が笑っていた。
「僕が医師としての収入を得られるようになって、2年も経たないうちに死んだんだよ。この家が建って、すぐだ。せっかく綺麗な家に住ませてあげられると思ったのに」
 マッチを擦って蝋燭に火を灯し、そこに線香をかざして、東条は寂しそうに微笑んだ。何と言っていいものか分からず、薪が黙って彼の顔を見ていると、東条は急に口調を変えて、
「おかげで僕は、誰も住んでない家のローンを未だに払ってるんだ。ひどい話だろ?」
 薪が微笑みを返すと、彼は安心したように暗蒼色の瞳を細めて、食事の用意をするために台所へ向かった。

 薪は畳の上に正座して、仏壇の前で手を合わせた。
 彼の境遇は、自分に良く似ていると思った。二親を亡くして、天涯孤独の身の上。でも、決して独りじゃない。周囲の人々に支えられて生きている。
 
 東条を徳の高い人間に育て上げてくれた彼の両親に心の中で礼を言い、薪は黙祷を続けた。目を閉じて静かに座っていると、突然凄まじい悲鳴が奥の部屋から聞こえてきた。続いて、ぐわわん! という金属音、また悲鳴。終いには動物が転げまわるような音まで聞こえてきて、これは只事ではないと音源の部屋に飛び込んだ薪の眼に映ったのは、床に這いつくばって懸命に何かを拾っている精神科医の姿だった。
 呆然と立ち尽くしている薪に気付くと、東条は気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いやあ、参った。ドジョウって、跳ぶんだねえ」
「そんな難しい食材を選ばなくても」
 てっきり、頂き物の中から調理済みのものを並べるだけだと思っていた。それで充分だと薪が言うと、東条は強く首を振って、
「僕ひとりだったらそれで済ませちゃうけど、せっかく薪さんが僕の家に来てくれたんだから。それに、どうせなら都会じゃ食べられないものをと思ってね。生きたドジョウを使った柳川なんか、食べたことないでしょう?」
 床の上で跳ね回る泥鰌を苦労して鍋に戻すと、東条は牛蒡の皮を剥き始めた。慣れない手つきで牛蒡にピューラーをあてがう彼を見かねて、薪は言った。

「良かったら、僕が作りましょうか」
「えっ。薪さん、料理なんかできるの?」
「少なくとも、ゴボウの皮を剥かないくらいの常識はあります」
「え。皮を剥かなかったらどうやって食べるの?」
「ゴボウは皮が美味しいんですよ。剥いてしまったら風味が失せてしまいます。今時期のゴボウは若いから、ほら、こうして汚れを落とせば充分ですよ。ドジョウは柳川にするんでしたよね? じゃあ、ゴボウはささがきにして水に放しておきましょう」
 包丁は、と辺りを見回すと、東条が万能包丁を薪に差し出した。

「大分刃が毀れてますね。砥石はありますか?」
 引き出しの奥に仕舞われていた砥石を水に浸し、刃先を手前に向けて研ぎ始める。斜め45度の角度を保ち、刃を押さえた指先には余計な力が入らないように気をつけて、リズミカルに前後に動かす。
「へえ。薪さんは器用だね」
「僕のは見よう見真似で。包丁研ぎは、岡部がすごく上手なんですよ。うちの包丁は全部彼に研いでもらってるんです。あ、岡部というのは僕の部下なんですけど」
「知ってる。無精ヒゲ君だろ? 体の大きい」
 青木がメガネ君なら岡部は無精ヒゲ君か。さしずめ小池は糸目君で曽我はメタボ君だな、と想像して、薪はくすりと笑った。

「ドジョウは火をつける前にお酒で酔わせるんです。ちょっともったいないですけど、この日本酒使いましょう」
 聞き込みに行った家から土産にもらった清酒の4号瓶を開けて、薪は泥鰌が入った鍋に向かった。鍋の蓋をほんの少しずらし、その隙間から日本酒を注ぎ込む。途端にバシャバシャと泥鰌が跳ねる音が聞こえる。すぐに鍋を密閉し、音がしなくなるまで蓋を押さえる。3分ほど待てば、酔っ払いドジョウの出来上がりだ。
「この状態で火にかければ、鍋から跳び出したりしませんよ」
 ドジョウは開くと味が落ちる。丸のまま煮た方が美味しいのよ、と昔鈴木の母親に教えてもらった。ささがきにして水に放しておいた牛蒡と一緒に火を通し、砂糖と醤油で味をつける。本当ならみりんを使うのだが、見当たらなかったので砂糖で代用することにした。
 生でも美味しい新玉ねぎをスライスし、半分は水にさらしてサラダに、もう半分は煮上がりを見定めて鍋に入れた。春の玉ねぎは柔らかくて、煮過ぎたら溶けてしまう。長時間の加熱は禁物だ。
 玉ねぎが透き通りかけたら火を止めて、ボウルに溶いた卵をふうわりと鍋に落とせば、薪風柳川鍋の出来上がりだ。鍋が煮える間に作っておいた新玉ねぎのサラダと絹さやの煮物、小松菜の味噌汁をダイニングテーブルに並べて、二人は席に着いた。

「すごい!! 僕の家のテーブルがこんなに賑やかなのは初めてだよ!」
「素人料理ですから。先生のお口に合いますかどうか」
「美味しい。薪さんて、何でもできるんだねえ」
 向かいの席に座った東条に、感心したように言われて薪は微笑する。自分でも美味いと思った。きっと野菜がいいのだ。甘みがあって、料理にコクが出る。泥鰌も泥臭さがない。きれいな砂地の河川で獲れたのだろう。東京のスーパーで手に入る養殖ものとは、一味も二味も違う。

「ねえ。僕のお嫁さんにならない?」
 この手の冗談は言われ慣れている。薪はさらりと切り返した。
「300回くらい生まれ変わって僕が女性になったら、ぜひ」
「300回はないだろう。せめて10回くらいで」
 薪の冗談に乗って、東条が大げさに嘆いてみせる。気を使ってくれているのだ、と分かった。
 
 東条はカウンセリングの時に、冗談なんか一度も言ったことはない。穏やかでやさしい人だが、相手を楽しませようとか笑わせようとか、そういうサービス精神のある男ではなかったように記憶している。それはカウンセリング以外に彼との接点がなかったせいかもしれないが、人間性と言うものは付き合いが長くなれば自然に分かってくるものだ。薪の眼から見て、今夜の東条は意識的に明るく振舞っているように見えた。
 部下が警察に捕まって、傷心している薪を元気付けようと心を砕いてくれている。手料理も、言い慣れない冗談も、全部薪のため。素直にありがたいと思い、そんな彼に嘘を吐いている自分の姑息を恥じた。

 青木の不遇を想えば心は千々にも乱れて、彼の元へと走り出したい衝動に駆られる。感情だけで動けるものなら、警察署の壁をダイナマイトでぶち壊してでも彼を救いたい。でも、それは表に出してはいけない。東条の前では、部下を案じる上司以上の感情を見せてはいけない。
 彼は秘密の恋人。誰にも知られてはならない。




*****

 ということで、薪さんは美味しいご飯を食べることができました。
 町のみんなが協力的になって、お腹が一杯になっただけでも一安心ですよね? ね? ね? 
 ……どうしてみなさん、そんな怖いお顔してるの?


 

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(11)

 こんにちは~。

 お話の途中ですが、明日と明後日お休みを、
 ちがうの~、いつものサボリ(←え)じゃないの~、お義母さんのお付き合いで温泉に行かなきゃで、
 でね、この宿が海っぺりに建ってて、ネットがつながらないの~~。 Eモバイルも入らなくて更新できないんです、許して。 

 えっ、予約投稿システムがあるだろうって?
 そ、それがその、まだこの先の推敲が終わってなくて、すみません~~。(←結局サボってる)

 携帯で記事を書いて更新しているブロガーさんもいると聞きますが、凄いなあ。 
 わたし、携帯ではメールも打てません。 だって、キーボードがないんだもん。 一つのキーでいくつもの文字を打つなんて、そんなフクザツなこと。(@@)

 と言うことで、次の更新は火曜日です。 よろしくお願いします。

 



緋色の月(11)




「青木君がどうしてるか、ちょっと聞いてみようか」
 食事が終わると、東条は軽い調子でそんなことを言い出した。東条の顔が警察にまで利くとは考えてもいなかった薪は、びっくりして問い返した。
「そんなことができるんですか?」
「うん、多分ね。課長さんとは、親父が仲良かったから。僕が小さい頃から面倒見てもらって……あ、清川さん? 学です」
 東条が課長と旧知の仲だというのは本当らしい。銀白色の携帯電話を耳に当てて、東条は天気の話でもするように気軽な口調で青木の様子を尋ねた。
「そう、昨夜のカップルが殺害された事件の。彼、どうしてるか気になって」

 ふと薪は、微かな違和感を感じた。
 東条が電話をしている、たったそれだけの光景なのに、何かが間違っているような気がする。それは海の中に落ちた針ほどに微細な感覚で、回遊する鰯の尾の一振りで消えてしまうほど小さな違和感だった。事実、薪はすぐにそれを忘れて、電話を切った東条から青木の様子を聞くために身を乗り出した。

「取調べは6時で終了して、今は留置所にいるって」
 今朝方青木が拘束されたのが5時だったから延々13時間、でも6時で解放してくれたなら良心的だ。地方の警察が生ぬるいのか警視庁が厳しすぎるのかは不明だが、これが竹内あたりだったら一晩中眠らせずに責め立てただろう。薪にはそれを非難するつもりはない。かつては自分も捜査一課に在籍していたのだ、事情は分かる。
 被疑者に気力を回復されたら取調べが長引く。物証さえ挙がっていれば、短期決戦に越したことはない。東京では、事件は次々に起こる。一つの事件に時間を掛けていられないのだ。だから持てる気力をすべてつぎ込んで、深く事件を探るしかない。時間の不足は熱意でカバーする。それが都市警察のやり方だ。

 青木と話がしたい、と薪は思った。
 何を言われて、何を訊かれたのか、どんなものが証拠として挙げられているのか、直接聞いて事件の真相を―― ちがう、それは本心じゃない。
 ただ、声が聞きたい。青木の声が聞きたい。
 音声だけでもいいからつながって、互いの存在を確かめ合いたい。

「薪さん。心配なのはわかるけど、そんなに思い詰めないで」
 テーブルの上に組み合わせた薪の両手に東条の手が重なり、薪は初めて自分の手が小刻みに震えていたことに気付いた。顔に出さずとも、身体の端々に見え隠れする己の弱さに、不安がどんどん膨れ上がっていく。こんな自分に、彼を救うことができるのか。

「明日も聞き込みに行くんだろう? だったら今日は早く休んで、明日に備えなきゃ」
 東条の気遣いに溢れた暗蒼色の瞳を見ると、いくらか落ち着いた。彼の手は温かく、医者らしい清潔さとやわらかさに満たされていた。
「お風呂たててくるから。温まってから休むといいよ」
 温かい湯に入ると、いっぺんに怠さを感じた。
 昨夜はロクに眠らせてもらえず、朝は5時から緊張続きで、夜の9時まで聞き込み調査。疲れを感じて当たり前だ。これで東条が声を掛けてくれなかったら、駅のベンチで眠っていたのだ。本当にありがたかった。彼には後でしっかり礼をしないと。
 お湯から出ると、客間に布団が敷いてあった。干しておかなくてごめんね、と申し訳なさそうに言う東条に首を振って、駅のベンチに比べたら天国です、と微笑んだ。

「先生、テレビつけてもいいですか?」
 11時のニュースにチャンネルを合わせて、薪は内容をチェックした。しかし、やはり事件に関する報道はされていなかった。携帯でネットもチェックしたが、片田舎の事件とあってかスレッドすら立っていなかった。
 そのうち東条は二階の自室に引き取り、薪は一階にひとりになった。これ以上することがないのに気付いて、ひとり呟く。
「……あとは明日か」

 布団に入って目を閉じるが、眠れそうになかった。身体は泥のように疲れているのに、眠気は訪れない。不安が薪の心を波打たせ、眠り方を彼に忘れさせた。
 薪は何度も寝返りを打ち、やがて諦めて起き上がった。布団の上に座った薪の左手に、窓から差し込んだ月明かりの物悲しい蒼白が佇んでいた。

 薪は布団から出て、広縁に向かって歩いた。窓辺に寄ると、月が見えた。昼間、空を埋め尽くしていた雲は夕方の風に払われて、春の夜には珍しい、くっきりとした月が天空に輝いていた。
 銀白色の、美しい月だった。昨夜公園で見たものと大きさも形も殆ど変わらず、その潔さは薪の心を洗い出すように清廉だった。

 心に隠れ棲む、不安、迷い、恐れ。
 人間なら誰もが持っているものだと知ってなお、薪はそこから眼を逸らそうとした。今、それらを自覚することは、自分の弱さを痛感することだと思った。弱気になっていては、彼を救えない。でも、薪のそれは誤魔化しようもないほどに大きくて、薪はその場に崩折れそうになる。
 決定的な物証、DNA鑑定を証言で覆せるのか。自分がしていることは、無駄ではないのか。薪は現場捜査の経験がある。実情を知るからこそ、それがどんなに無謀な試みか、嫌と言うほど解っていたのだ。

 捜査の常識、己の惰弱、警察機構の暗黙の掟。
 青木を助け出すために克服しなければいけないものの、なんて多いことか。
 しかし、自分がここで動かなかったら、青木の人生は葬られてしまう。それだけは何としても避けなければ。例え何を犠牲にしても、それが二人の未来にどんな影を落とそうと、今大切なのは青木を救い出すこと。

 薪は決意を固めた。
 何かを捨てなかったら、何も得られない。この世はそういうものかもしれない。

 悟ったような気持ちでもう一度夜空を仰ぎ見れば、月は薪の決心を咎めるでもなく嘲笑うでもなく、ただ静かにそこに在って、自分の為すべきことを淡々と果たしていた。月を美しいと感じられるのはこれが最後かもしれないと思いながら、薪は長いこと窓辺に立っていた。

 翌朝、東条が目覚めたとき、薪はもういなかった。



*****


 いつの頃からか、彼はセックスに積極的になりました。

 ずっと閉じたままだった目蓋を開いて、彼は熱い瞳で私を見つめました。私に微笑みかけ、愛の言葉を囁き、私の愛撫に応えて可愛らしい声を上げました。
 慎ましやかだった彼の面影は、何処にもありませんでした。でも、彼はとても美しかった。その細い背中を弓なりに反らせて果てるとき、私の名前を呼んでくれるのがうれしかった。
 それは私の誇りですらありました。私の愛情が、彼の性を目覚めさせたのです。

 ある時など、私が彼の中に自身を埋めると、彼はそれだけで達してしまいました。興奮しきっていたのです。吐精しながらも彼は腰を動かし続け、すると彼の性はまた硬くそそり立ち、彼はもう一度射精しました。それが何度も何度も繰り返され、私と彼はめくるめくような快感を味わったのです。

 行為が終わり、彼の亜麻色の髪を撫でながら、私は思いました。
 彼を誰にも渡したくない。彼の身体に、他の男が触れるのは我慢ができない。

 私の肩口に頭を持たせて眠ってしまった彼の、その長い睫毛を愛でながら、私は彼と死ぬまで一緒に生きる決意をしたのです。



*****




 とりあえず、薪さんの貞操の危機は去ったと言うことでご安心ください♪ 
 ふふ、みなさん、心配しすぎですよ~。 このわたしが可愛い薪さんに、そんな無体なことをするわけないじゃないですか~~。
 ん? 
 なんだろう、この微妙な空気。(笑)





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緋色の月(12)

 ただいまです。 旅行から帰ってまいりました。
 お話の途中ですみませんでした。 今日から再開させていただきます。


 旅行先では、沿岸イルカウォッチングに参加して、船の上からスナメリというイルカを見て来ました。
 が、
 スナメリというイルカは背びれがなく、さらには曇天の日には身体が海と同じ色に見えるので非常に分かり辛く……。
 「前方にいます!」とガイドさんがおっしゃる度に眼を凝らすんですけどね、波だかイルカだか見分けがつかないんですよ★ 観察眼に優れた彼女たちには見えても、反射神経の鈍いわたしには難しかったです~~。
 これきっと、薪さんだったら動体視力が半端ないから簡単に見つけられるんだろうな、と思いました。 ガイドさんより先に、イルカの群れを発見しちゃったりして。 主催元の海洋研究所にスカウトされちゃったりして。

 第九を離れて薪さんの新しい就職先、イルカウォッチングの監視員でどうですか? ←ふざけるな。





緋色の月(12)





 I市警察署の門前に、薪は凛然と立っていた。
 4月の空は、まだ明けたばかり。遠くに薄雲がたなびいて、明け染めていく町並みが次第にその姿を顕かにしていく。昨夜の月と同じように、朝日も自分の仕事をしている。自分も自分の為すべきことを為そう、と薪は一歩を踏み出した。
 門の内側には、見事な桜の樹が2本並んでそびえ、薪の姿を見下ろしていた。亜麻色の髪にはらりと花びらが舞い落ちて、薪は昨日、東条に花びらを取ってもらったことを思い出した。

 満足な礼も言わずに出てきてしまった。事が済んだら、非礼を詫びに行こう。
 昨日の予定では青木と二人で礼を言うはずだったが、それはできなくなった。今日を限りに、多分青木とは会えなくなる。
 それは別に悲しいことではない。青木の人生と自分の恋情を秤に掛けたら、前者の方が重かった。それだけのことだ。

 薪が今からしようとしているのは、指一本で為すことができる、とても簡単なことだった。
 電話で事情を説明して、小野田に力を借りるのだ。署に圧力を掛けて、自分に捜査の指揮を取らせてもらう。それができれば、必ず真相を解明してみせる。正しい情報さえあれば、必ず真実に辿り着いてみせる。
 一警察官が個人的に管轄外の事件に介入することは許されない。それは組織を乱す行為として最も忌み嫌われるものだ。逆の立場になってみれば分かる。もしも第九の捜査に一課の人間が入ってきて我が物顔に仕切りだしたりしたら、彼を3階の窓から窓枠ごと突き落としたくなる。それくらい不愉快なことなのだ。
 薪はこれまで一度も他署のテリトリーを犯したことはなかったし、自分が破ることになるとは思いもしなかった。それは日本警察における絶対的なルールだった。
 しかし、それ以上に上の命令は強大だ。上層部の一言で、カラスも鳩になる。警察はそういうところだ。

 もちろん、小野田は只では動くまい。正当な職務に関することなら大概のことは叶えてくれるが、今回は不当な頼みごとだ。しかも、小野田にとっては甚だ不愉快なことだ。それでも自分の望みを叶えてもらいたいと思えば、それ相応の代価が必要になるだろう。
 交換条件は、青木と別れること。小野田の娘と結婚して、彼の籍に入ること。
 一生涯の忠誠を彼に誓い、自分の意志は一切持たず、彼の理想を果たすための人形になる。自分の残りの人生と引き換えに、彼の威光を貸してもらう。
 きっと小野田はこの条件を飲む。彼がどれだけ自分たちの関係を憂いているか、薪には痛いくらい解っている。

 警察署の玄関前の階段を昇り、薪は腕時計を確認した。
 6時前では、さすがに早すぎる。日曜日だからと言ってゆっくり休んではいられないのが小野田の役職だが、常識を弁えない時刻の電話は、成功率を低めると思った。

 自動ドアを潜ると、ロビーには誰もおらず、受付のカウンターにはカーテンが引かれていた。薪は勝手に奥へと足を進め、職員の姿を探した。1階には交通課と庶務課しかなかった。一課と取調室、留置所は2階らしい。古びて黒ずんだリノリウムの階段を、薪は躊躇なく昇った。

「ちょ、あんた。一般人はここは立ち入り禁止だよ!」
 鋭い叱責に振り返ると、若い刑事がドアから顔だけを出して、こちらを見ていた。峰刑事だ。廊下は薄暗くて顔は見えなかったが、特徴的なシルエットと声で判った。
「困るなあ、勝手に入って来られちゃ……あ」
 相手も薪の顔が良く見えなかったのだろう。近くまで歩いてきてようやく、侵入者が迷惑な同業者であることを知ったらしい。峰刑事の顔が困惑に歪むのを視認して、薪は此処に来た目的を告げた。
「青木のところへ案内してください」

 必ず助けてやるから、僕を信じて待ってろ。
 会ってそれだけ言えば、青木の心は折れない。どんなに絶望的な状況でも、希望を持てるはずだ。青木は自分を妄信している。自分はそれに応えなければならない。

 薪の無謀な要求に、峰刑事は呆れたように、起き抜けらしい乱れた頭をガリガリと掻いた。
「できるわけないでしょ、そんなこと」
「私に逆らわないほうがいいですよ。私のバックには、警察庁でも指折りの有力者がついているんです。その気になればこの警察署ごと、人員を総入れ替えすることもできる」
 この際だ、少しばかり前倒しで虎の威を借りてやれ。少々投げやりな気分で薪が嵩に懸かると、峰は嫌悪感いっぱいの表情で、「なんだよ、やっぱマジかよ」と唾棄する口調で横を向いた。

 彼が自分の言を信じていないことを感じて、それは当然だと薪は思い、しかし引くわけにはいかなかった。
「きみ、本庁に知り合いは?」
「警視庁の二課に、警察学校の同期がいますけど」
「じゃあ、その彼に聞いてみるといい。私の後ろ盾が何処の誰だか、知っているはずだ」
 小野田が薪に眼を掛けていることは、署内中に知れ渡っている。前代未聞の不祥事を起こした薪が第九の室長の座に留まることができたのは、彼の力によるものだ。何としても第九を潰したくない、薪の気持ちを小野田は理解してくれた。

「本当に聞いちゃっていいんすか? 本庁にダチがいるって、フカシじゃないですよ」
「確かに、ひとに電話をするには早すぎる時間だね。しかし、私はいささか急いでいる。君が友人に確認をとることで、私を部下のところへ案内してくれる気になるなら、君の友人には私から謝ろう」
「本当に? 困るのは、警視長さんじゃないんですか?」
 どうして自分が困ることになるのだろう、と不思議に思いながらも薪は鷹揚に頷いた。峰はポケットから携帯電話を取り出して、薪の顔を見ながら操作をし、画面にコールの表示が出ると耳にそれをあてがった。薪にくるりと背を向けて、彼は友人と砕けた調子で話し始めた。

「あ、山下? おれ、峰山。悪い、こんな朝早くから。ちょっと聞きたいことがあってさ」
 彼の本名は、峰山というのか。
 刑事同士は愛称で呼び合うことが多い。薪も捜一にいた頃は、坊だの姫だの名前に余計な尻尾を付けられて。本名を呼んでくれたのは、課長だけだった気がする。
「第九の室長やってる薪って警視長、知ってる? そうそう、女みたいな顔した背の小さい。そいつって、誰かお偉いさんに知り合いでもいる?」
「女みたいな顔」と「小さい」というキーワードに反応して、峰山刑事の背中を蹴り飛ばそうとする右足を薪は必死に押さえる。まったく、最近の若い者は口の利き方を知らない。電話が終わったら間違えた振りして階段から突き落としてやる。

「え!? ええええ!! マジで!?」
 峰山の驚愕で、友人との電話は切れた。
 振り返った彼の瞳は、驚きと懼れに満ちていた。どうやら薪の後ろ盾が官房長だと知って、自分のしたことが恐ろしくなったのだろう。彼の無礼をあげつらってどうこうするつもりはないが、それを言葉にして安心させてやる義理もない。
「どうやら私の言葉は証明されたようだ。案内してもらおう」
 警視長の威厳を持って、薪は胸を張る。すっきりと伸びた背筋には、迷いを捨てた者の静謐が宿る。
 しかし次の瞬間、薪の威厳は木っ端微塵に壊れた。

「お見それしました。まさか、官房長の愛人とは」
「ちょっと待って! それ、間違った情報だからっ!!」
 どこの二課に聞いたんだ! 詐欺捜査の専門家があり得ない噂に騙されてどうする!!
「しかも、次長の娘婿の警務部長まで抱き込んで、二人の実力者を手玉に取る姿は現代の貂蝉そのものという」
「誰が三国志演義で暴君董卓の愛人でありながら猛将呂布を色香で惑わし、彼の義父でもあった董卓を呂布に殺害させた稀代の美女かっ!」
「貂蝉は、本当は関羽が好きだったって説もあるんすよね」
「え、そうなんだ。まあ、彼女は義父の王允に『美女連環の計』を授けられて、それに従っただけだからな。他に好きな男がいても不思議はない、じゃなくて!」
 三国志ネタは好きだけど、今はそんな場合じゃない。夢中で首を振る薪の前で、峰山の口が軽やかに動く。

「女装が得意で、ミニスカートから伸びる脚線美で捜査一課を陥落し、チャイナドレスから覗く太ももで組対5課を骨抜きにして、今や『薪さんの女装を愛でる会』の会員は500人を超えてるとか」
「それ、僕じゃないから!! おとり捜査で女装はしたことあるけど、てか、『愛でる会』ってなに!?」
 薪が知らないだけで、『愛でる会』は実在する。二課の友人の情報で、これだけは真実だった。世の中には知らないほうが幸せなことはたくさんある。

「亜麻色の瞳で見つめればどんな男も意のままに操ることができる魔性の妖婦で、だから被疑者の自白なんかホイホイ取れちゃう。薪警視長の輝かしい重大事件解決の功績はすべてその蠱惑によるものだとか」
 いったいどこの悪女伝説!?
「君の友人の所属と氏名を言え! アラスカ支局に流してやるっ!!」
「いやあ、すごい方だったんですねえ。尊敬します」
「嬉しくないんだけど!!!」
 こんな不名誉な噂で尊敬されても!

 薪が何とかして峰山の誤解を解こうとするのに、峰山はぬけぬけと、
「3人も情人がいて、よくお身体がもちますね?」
「そんなわけないだろ! 青木一人で持て余してるよ!!」
 ついつい口を滑らせた薪に、峰山はニヤつきながら携帯をポケットに入れ、そのままの姿勢で薪に笑いかけた。
「ですよね。一晩にあれだけ励まれちゃ」
 瞬く間に、薪は真っ赤になった。
 思い出した、彼には旅館の屑篭を探られているのだ。一昨夜の自分たちの行為を、その動かぬ証拠を見られているのだ。

 峰山の友人のガセネタのせいで、薪のポーカーフェイスは崩れてしまった。薪はこちらの方面の打撃にはひどく弱くて、立て直すには時間が要る。
 耳まで赤くして俯いてしまった薪のつむじを、峰山は上から見下ろしていた。クセのないさらさらとした髪が、窓から差し込む朝日に奥ゆかしく輝いていた。

「実はおれも、ちょっとだけ腑に落ちない事があって」
 薪の髪の美しさに目を奪われながら、峰山は、先輩刑事に話して一笑に付された自分の疑問について語り始めた。
「司法解剖の結果、犯行に使用された凶器は公園に落ちていた石だと断定されました。と言うことは、今回の事件は衝動的な犯行だったわけです。で、女性の被害者が性的暴行を受けていたことから、犯人は性的に満たされていなかったと考えられます。要するに、カップルが深夜の公園でコトに及んでるのを見て、ムラムラっときてやっちゃったってことですよね」
 話が事件のことになったので、薪はそっと顔を上げた。隠し切れない恥じらいが彼の頬を薔薇色に染めて、峰山は不覚にも、生まれて初めて同性相手にときめきを覚えた。

「でも、室長さんの旅館の屑篭には性交渉の証拠が残ってたでしょ。それも、5回分。一晩に5回もヤッて満たされないって、殆ど異常者じゃないかと思うんですけど。そんな人が本庁の警視なんかになれるのかなって。しかも青木さん、幹部候補生なんでしょう? あれってすごいエリートしかなれなくて、素行調査もバッチリされるって」
 峰山の疑問を、薪は笑わなかった。一言も口を挟まず、真剣に聞いてくれた。それは被疑者の無罪を信じている彼には当然のことで、でも、自身の考察を誰かに聞いてもらうことは峰山の自尊心を満足させ、理解して頷いて貰えるのは単純に嬉しかった。
「先輩に話したら、男が二人なんだから被せる棒は二本あるだろ、って笑われて。あれって代わりばんこにやるもんなんですか?」
「そういうカップルもいるけど、僕たちは分担制で……あれは、全部彼の」
 消え入るような声で恥ずかしそうに、伏せた眼の縁に涙まで浮かべて、言いかけて耐え切れずに手で口元を覆う。奔放な性を満喫する若者が幅を利かせるようになった昨今の風潮の中で、こんなにピュアな反応は新鮮だと峰山は思った。

 二課にいる峰山の友人は、目の前の男を総評してこう言った。
『――――― とまあ、いろいろ噂はあるけど、仕事に関しちゃすごい人だよ』
 噂は凄いが、本人はとても純情で恥ずかしがり屋だ、と後で彼に教えてやろう。

「さっきの話、ガセなんですよね? 官房長の愛人とか、警務部長の情人とか。第九を自分のハーレムにしてるとか」
「ちょっと待て! なんかとんでもない噂が付け加えられてるぞ!?」
 恥辱のあまり涙目になっている亜麻色の瞳をそれでも怒らせて、薪は懸命に彼の疑惑を否定した。男しかいないのにハーレムってどういうことだ。自分にどんな疑いが掛けられているかを思うだけで、はらわたが捻じ切れそうだ。
「それは根も葉もない中傷だ!」
 それから薪は、ふっと肩の力を抜いて、
「僕には、青木だけだ」
 
 薪は正直に言った。
 どうせ峰山には自分たちの関係を知られているのだ。隠しても無駄だ。無駄だと分かってそれを繕うのは、馬鹿のすることだ。
 真実に勝る証言はない。峰山も刑事なら、薪の言葉の真偽が分かるはずだと、彼の刑事としての本能に賭けて、薪はじっと彼の目を見つめた。

「あの、ちょっといいすか?」
 薪の視線と峰山のそれとが絡み、先に眼を逸らしたのは峰山の方だった。
「青木さんには、こっそり会わせてあげます。でもその前に、確かめたいことがあるんです。先輩に気付かれると厄介なんで、庭に出てもらっていいすか?」




*****


 うちの薪さんて、つくづくギャグキャラだな~~。
 あー、楽しかった♪♪♪




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(13)

 こんにちは。
 仕事であっぷあっぷしておりまして、レスが遅くなってます。 申し訳ありません。
 総合評価入札方式? なにそれ、おいしいの? どんどん面倒くさくなるなー。(言ってはいけない一言) 
 現在、資格審査のための資料作りに追われておりまして、レスはもう少し待ってくださいね。
 
 記事は5分でアップできるけど、レスは時間掛けたいし~。
 とっても大切だから、ちゃんとお返事したいんです。 だから待っててください。


 それで、お話の続きなんですけど。

 ………あのねっ、
 これをミステリー小説だと思って読んではいけません! 事件の鍵とか、一生懸命に探しちゃだめー!! 
 素人が書いてる二次創作なの。 しかも、筆者の脳は身長に比例して小学生並で、だから生ぬるく! 真夏の炎天下に30分置いたスイカのようにヌルく見てやってくださいっ!!
 どうかよしなにお願いします。




緋色の月(13)





「先輩に気付かれると厄介なんで、庭に出てもらっていいすか?」

 峰山は後ろ頭をポリポリと掻き、困惑したような眼で薪を見つめ返した。親指を立てて窓の外を示し、薪に建物の外に出るよう促した。
 素っ気無いコンクリート造の庁舎の陰で、二人は同僚に隠れて付き合っている恋人同士のようにコソコソと話をした。薪と話をしているところを先輩刑事に見つかったら、峰山がこっぴどく叱られることは想像がついた。いくら薪が捜査の指揮権を奪うつもりでも、後輩に対する指導までは口が出せない。守ってやれない以上、彼の保身を優先するべきだ。

「その、薪警視長殿は」
「薪でいい」
 薪は階級に拘らない。名前だけで充分だ。煩わしい敬称は好きではない。
「薪、さんは、心の病で病院に通われてるんですよね?」
「心の病? 僕が?」
 形だけだが、警視総監の命令でカウンセリングには通っている。それを知っている誰かが、そんな噂を吹聴しているのか。これも峰山の友人からの情報だろうか。二課で自分の人物像がどんなことになっているのか、ものすごく不安になってきた。

「薪さんは誇大妄想を患っているから、彼の言うことは一切信じるなって、この事件の捜査に入ってすぐに言われて」
「誇大妄想? だれがそんなこと」
 事件の捜査に入ってすぐ、と言うことは、二課の友人から今聞いたのではない。薪の証言が役に立たなくなるよう、警視長の権威が効力を失くすよう、あらかじめ捜査官たちに吹き込んだ人物がいたのだ。
「それは言えませんけど……でも、昨日、課長と薪さんが話してたの聞いて、おれ、とてもそうは思えなくて」
 峰山は真剣な顔つきで、薪の眼を真っ直ぐに見た。若く純粋な光が青木の黒い瞳を思い出させ、薪はそれをとても好ましく受け止めた。

「事件は数じゃないって、おれも同じこと思ってたから」
「賛同してくれて嬉しいよ。ありがとう」
 にこりと微笑むと、峰山はぽかんと口を開いた。呆けたようになって、それから急に頭をブンブンと振った。若くても夜勤明けは辛いのだろう、と薪は彼に同情し、それは薪のお得意のカンチガイだったが、この場は流しておくが正解だ。

「そうだ、これ」
 ふと思い出して薪は、コートのポケットを探った。白いハンカチを取り出し、手のひらに載せる。中を開くと、そこには可愛いマスコットのついたストラップがあった。
「昨日、公園を警備してた巡査から預かったんだ。公園の噴水のところで拾ったって。一課か鑑識の誰かのものじゃないかな」
 面倒だったら署内の落し物入れにでも入れておいてくれ、と薪が警官としては少々不謹慎な解決策をほのめかしたのに対して、峰山は嬉しそうにストラップをつまみあげ、子供のように目を輝かせた。

「うわあ、ピーピくんだ。うちの人間のものじゃないと思いますけど、レアグッズだから欲しがるやつ多いだろうなあ。一通り当たってみて落とした人がいなかったら、おれ、もらっていいすか?」
 おかしなことを言う。これは警察全体に配られたのだ。駐在までは行き渡らなくても、所轄の人間なら皆持っているはずなのに。それとも彼は、刑事になって間もないのか? そんな未熟な人物に、課長がマスコミの対応を一任するとも思えないが。

「君、持ってないの?」
「持ってませんよ。非売品て書いてあるじゃないですか」
 何年か前に総務部から配られた品物であることを薪が明かすと、峰山はますますそれが欲しくなったようで、このままガメちゃおうかな、と冗談交じりに笑った。
「だってこれ、警視庁のマスコットでしょ? 配られたのは東京都の警察署だけじゃないんですか?」
「警視庁のマスコット? ……それ、日本警察のイメージキャラクターじゃないのか?」
「ぶふっ。山下の言うとおりだ。薪さんは天才なのに、常識を知らないところがあるって」
 覚えておくぞ、二課の山下。この屈辱、100倍にして返してやる。
「マスコットは県警ごとに違うんですよ。これは、警視庁独自のマスコットです。だからきっと、持ってるのは警視庁関連の職員だけだと思いますよ」

 そんなバカな、と薪は思う。
 自分は東京都の人間だ。警視庁にも4年在籍し、その後は隣り合わせに建っている警察庁と科警研で仕事をしてきたのだ。こんな地方警察の若手刑事が知っていることを、知らないわけがない。
 しかし、たしかに薪は世事には疎いのだった。峰山が『ピーピくん』と呼んだマスコットの名も、実は知らなかった。

 こういうことは、小池が詳しい。あいつは事情通で、署内の噂話とか下馬評とかを仕入れてくるのが得意なのだ。
 薪は小池に電話を入れ、仕事の進捗状況を聞くついでに確かめてみることにした。本来ならこんなことをしている場合ではないのかもしれないが、峰山刑事が青木に会わせると約束してくれたこと、小野田に電話をするにはまだ時間が早く薪には当座の仕事がないことで、今のうちに東京の事件の経過を聞いておいたほうがよいと判断したのだ。

「小池か? 昨日の、一課からの協力要請はどうなった?」
 おはようございます、と元気な挨拶のあと、すでに解決済みです、と小池は得意気に答えた。
『証拠になる画を捜一に渡したのが、深夜3時ごろです。依頼から8時間のスピード解決でした』
「そうか、見つけたか。よくやった」
『夜中だったので、室長への連絡は朝になってからにしろって岡部さんが』
「岡部はどうした」
『家に帰りました。なんか、急な用事があるとかで』
「そうか」
 岡部に連絡が取れないのは残念だった。
 ここで捜査をするなら、薪はしばらく第九へ帰れなくなる。留守を頼めるのは岡部しかいない。岡部には、早いうちに事情を説明しておきたかった。

 この電話が済んだら岡部に連絡を入れることにして、薪は連絡相手に小池を選んだ理由を明らかにした。
「ちょっとおまえに聞きたいことがあるんだが。何年か前に、マスコット付きの携帯ストラップが総務部から配られただろう? あれって、警察全体のどの辺まで行き渡ったのか知ってるか」
『警視庁設立190周年記念のストラップですか? 警視庁のお祝いなんだから、警視庁だけに決まってるじゃないですか』
「えっ」
 まずい。20年近い薪の東京勤務が、地方警察の若造に常識で敗北しようとしている。

「しかし、第九にも配られただろ? 第九は科警研、警察庁の所属だぞ」
『あれは竹内さんが好意で持ってきてくれたんですよ。捜一で余りが出たからって……憶えてないでしょうね。薪さん、竹内さんが来るといっつも急に用事ができて外出するから』
「いや、でも、雪子さんや助手の女の子も持ってた気が」
『薪さん。いい加減に竹内さんと三好先生が婚約してること、認めたらどうですか?』
 うるさい、余計なお世話だ。あんな人間のクズに雪子さんが惚れてるなんて、僕は絶対に認めないぞっ!
 不愉快になって、薪は物も言わずに電話を切った。電話の向こうでは、小池が自分の失言にうろたえていることだろう。

 そうか、あれは竹内にもらったものだったか。不快な記憶だったから、自分で消してしまったらしい。
 もらったストラップはどこへやっただろう? 忌まわしい男の手に触れた呪われたグッズなんか、捨ててしまっているといいのだが。いや、公費で作られたものを捨てるわけにはいかないから、何か別の方法を考えたに違いない。きっと竹内も、公職に就く人間として税金で作ったものを捨てるわけにはいかないから第九へ持ってきたのだ。
 捨てずに自分の身から離す方法と言えば、例えばリサイクルとか。でなければ、だれか欲しがってるひとにあげたとか。
「…………あ」

 薪は竹内からもらったストラップの行き先を思い出し、そしてようやく昨日感じた違和感の正体に気付いた。
 東条の携帯電話には、何も付いていなかった。
 さらにもう一つ。彼の言葉には、僅かな矛盾点があった。
 どうしてあんな簡単なことに今まで気付かなかったのか、今回どれだけ自分が平常心を失っていたのか、薪は思い知った。青木が捕まったことで心が乱れた。それが今回の敗因だ。
 もう、しくじらない。

 薪は峰山の手からレアグッズを奪い返すと、ハンカチで丁寧に包み直した。それを再び峰山の手に握らせたときには、薪は厳しい捜査官の貌になっていた。
 亜麻色の瞳が、叡智に輝いている。その光の前には、誰もが言葉を失う。透明で深い、宝石のような瞳。周りを縁取る長い睫毛は、そのきらめきに華やかさを加える。
 絶対的で揺るがしようのない真理が彼の中に在って、それが彼を輝かせている。彼の美しさの本領は、姿形の美麗ではないのだと峰山は気付いた。

「このストラップの指紋、調べておいてくれないか」
「了解しました」
「それと、マスコミ対策について知りたい。君が担当しているんだったよね?」
「マスコミには報道規制を布いてます。昨日の朝のローカルニュースだけは間に合わなかったんですけど、それ以降はバッチリ」
 やはり。それで夕方のニュースでも夜のニュースでも、事件の報道が為されなかったのだ。

「わかった。ああ、これは無駄かもしれないけれど、旅館の近くにあるコンビニの店長から、事件の夜に青木を見なかったか、聞いておいてくれないか。できれば、防犯カメラの映像も」
「旅館近くのコンビニですか? わかりました」
 手帳に言われたことを書き付けて、峰山は頷いた。よくよく考えてみれば、部外者である薪の命令を聞く義務は彼にはなかったのだが、そこには思い至らなかった。彼の言いつけを守るのは、当たり前のことに思えた。

「じゃあ、青木さんのところへ案内しますね」
「いや。その前に、ちょっと調べたい事ができた」
 そう言ったとき、薪の爪先はもう、警察署の外に向かって歩き出していた。
「君から伝えてくれないか。僕を信じて待ってろって、それだけ」
 あれだけ会いたがっていた恋人への伝言を峰山に託して、彼の背中はどんどん小さくなっていく。峰山は思わず声を張り上げた。
「わかりました! 愛してるって付け加えときましょうか?」
 峰山が茶化すのに、薪は振り返って、
「それは自分の口で言う!」

 そう叫ぶと、あとはネズミを追いかける猫のごとく、脇目もふらずに走って行った。
 恋人の無実を信じて、彼は懸命に捜査をしている。男のクセに男を好きになるなんて、それは峰山には決して理解できない感情だが、大事な人のために力の限り尽力する、彼の誠実のどこが男女のそれと違うのだろう。
 薪が町民たちに聞き込みをしていたことを、捜査課の人間は知っている。旅館の主人から通報があったのだ。それは捜査課にとって、耐え難く迷惑な行為だった。だから主人に頼んで、薪を宿から追い出してもらった。泊まるところがなくなれば、尻尾を巻いて東京に帰るだろうと思った。
 でも、薪は帰らなかった。必ず助けてやるからと、あんな小さな身体で、あの熱意とパワーはどこから出てくるのか。
 その原動力が、あの二人を結ぶ絆なのだろうと、峰山は察しないわけにはいかなかった。

「すいません、シロさん。起こしちゃいました?」
「廊下であれだけ騒いでりゃ、うちのかみさんだって起きるよ」
 ガラッと後ろの窓が開いて、峰山とコンビを組んでいる年長の刑事が姿を見せた。シロさんこと城田刑事は峰山からハンカチに包まれた証拠品を受け取ると、大事そうに内ポケットにしまった。
「課長が来ないうちに済ませるよ、指紋照合」
「了解っす」

 城田が鑑識係を電話で呼び出す間に峰山は建物の中に入り、城田と合流した。捜査課への階段を上りながら、峰山は気になっていたことを先輩刑事に話した。
「マル被が公園から出てきたって証言したの、あの先生ですよね。警視庁の専属カウンセラーやってるって言う」
 城田は峰山の言葉に曖昧に頷いた。
「警視庁の専属だったら、それ、持っててもおかしくないですよね?」
「そうさな。先生の落し物かもしれないねえ」
「でも先生は、公園の中には入らなかったって言ってましたよね? 夜、眠れなくて散歩してたら、公園から慌てて走り去っていく男を見た。そういう証言でしたよね」
 廊下を歩きながら、峰山は話し続ける。昨日、峰山の意見を笑い飛ばした先輩は、今日は黙って峰山の話を聞いてくれた。

「第一発見者は、公衆電話からの匿名の通報でしたよね? この町で、夜の11時に目撃者が二人もいるのって、不自然じゃないですか? 薪警視長の病気のことだって、あの先生がカルテやら診療記録やら山ほど持ってきて、課長に」
「それ以上はやめとけ、峰」
 鑑識のドアの前に立ち、城田は厳格な表情で言った。
「お前さんが言ってるのは、ただの当て推量だ。あたしたちに推量は禁物だよ。まずは証拠だ」
 城田はそう言って、自分の胸ポケットの上をぽんと叩いた。



*****



 東条学は、探し物をしていた。
 一昨日からずっと探している。大事な人からの、大切な贈り物。それを彼は失くしてしまったのだ。

 彼からそれを贈られたのは、もう2年も前のことだったが、東条はそのときのことを克明に思い出すことができる。診察室の椅子に座って彼は、汚いものでもつまむように、たおやかな指先でその小さな装飾品を持ち上げて見せた。

『僕の大っキライな男が持ってきたんです。見るのも不愉快です』
 そうなの? じゃあ、僕がもらってもいい?
 どうぞ、と澄んだアルトの声が言い、白くて美しい手がそれを渡してくれた。偶然手に触れた彼の指を思わず握ると、彼は不思議そうな顔をして、でもすぐに笑ってくれた。
 
 東条はその場で自分の持ち物にその飾りを取り付け、贈り主に見せた。彼はにこりと笑って、
『先生、可愛いモノ好きなんですね』

 そうだ。かわいいものは大好きだ。
 とりわけかわいいのは ―――――。

 東条がこの世で一番可愛いと思うものを見たくなって、彼は携帯のフラップを開く。カメラモードに切り替えて保存されている画像を呼び出すと、東条は恍惚とした表情でそれを見つめた。
 彼の唇から、夢見るような呟きが洩れる。

「早く帰っておいで。薪さん」


*****




 ああっ、石を投げないでくださいっ。
 薪さんが阿呆なんじゃなくて、書いてるわたしが阿呆なんです、ごめんなさいっ。 

 でも薪さんて、こういうところあると思うのはわたしだけ?
 あのひと、難しいことはよく知ってるくせに、だれもが知っている当たり前のことを知らなかったりしそうな気がするんですけど~。 (暴言)
 特に芸能関係。 アイドル歌手の見分けがつかないとか、あ、それはMさんとこの薪さんか。
 よかった、わたしだけじゃなくて。 (Mさん、とばっちりすみません★)


  

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(14)

 今日はメロディの発売日ですよ。
 はあ~、どきどきします~。 
 あおまきさん、仲直りしたかな~。 (←そこかよ!)

 お話の方も、やっとドキドキしてきたかな。
 本日も広いお心でお願いします。(^^





緋色の月(14)





 彼が息を弾ませて東条家の門に走りこんできたとき、東条は二階の自分の部屋にいた。リクライニングシートに座り、背もたれにもたれて、銀白色の携帯電話を弄っていた。
 窓際のその席からは、家の前の通りがよく見えた。スプリングコートの裾をはためかせて走る彼は、活発な少年のようだった。平均的な成人男子よりも大分小さい、ユニセックスな身体。まるで彼に人としての穢れを許さない神が、純真な少年のまま彼の時を止めてしまったかのようだ。

 彼の姿を認めると東条は、階段を下りて玄関で彼を出迎えた。玄関に東条がいるとは思わなかったらしい彼はひどく驚いた表情をしたが、それは完璧な彼の美貌をほんの少し崩して、しかしその僅かなアンバランスが彼を最高に可愛らしく見せる。取り澄ました彼も魅力的だが、どちらかというと東条は、ふとした瞬間に見せる彼の素の顔をより好ましいと感じていた。

「お帰り。朝ごはん、目玉焼きとみそ汁でいい?」
 目玉焼きは周りの部分が少し焦げてしまったけれど、黄身を割らずに上手にできた。春玉ねぎの味噌汁は具を刻むときに誤って指を切ってしまったけれど、甘みがあって美味しい味噌汁ができた。きっと彼も喜んでくれると思った。
 しかし彼は、三和土から上がろうともせず、険しい顔で東条をじいっと見据えた。
 昨夜とは別人のような彼の態度を不思議に思って、東条は首をかしげた。昨夜、彼はとてもやさしくて可愛いかった。にこにこと笑いながら、東条に夕食を作ってくれた。なのに一晩経ったら彼の態度は豹変していて、東条は戸惑っていた。

「薪さん、どうしたの」
「先生。以前僕が差し上げた携帯ストラップを、今もお持ちですか?」
 それは東条が一昨日からずっと探していたものだった。彼が自分にくれた大事な贈り物。失くしたと知って、東条はとても悲しかった。

 彼が自分に贈ってくれたものはたくさんあるが、どれもみんな貴重だ。
 例えば、彼が診察用のベッドに横たわるときに使った紙製の枕カバー。寝台に落ちた彼の髪の毛。くちびるを拭ったティシュー。
 それらはみんな、彼を思い出す因にと彼が自らの意思で東条に残してくれたものだ。どれ一つとして、失っていいものはなかった。
 中でもこれは、いつでも東条と一緒にいたいと言う彼の気持ちの表れだと思った。携帯電話という常備品につけるアクセサリ。―― これを僕だと思って、いつもあなたの身につけていてください―― なんてかわいらしいことを考えるんだろう。彼の奥ゆかしい愛情表現に、東条は感激した。

「同じものを、この町で拾いました」
 そうか、彼が拾ってくれていたのか。
 運命だと思った。彼の想いが込められたアイテムは、それを所持すべき者の手に戻ってくる。彼の手を経て、また新たな愛情を注ぎ込まれて、ああでも、そんなアイテムに頼らなくても、もう彼は僕のもの。

「きみが拾ってくれたのかい? ありがとう」
「今は持っていません」
 礼を言って手を差し出した東条に、薪は素っ気無く首を振り、ストラップは別の場所に保管されていることを伝えた。
 彼の不機嫌の理由が分かった。自分が心を込めて贈ったものを失くされて、彼は腹を立てているのだ。子供みたいだ。本当に彼はどこまでかわいいのだろう。

「じゃあ、それはまた後でね。それより食事にしよう。お腹ぺこぺこだよ」
 薪を玄関口に残したまま、東条はキッチンに向かった。
 不機嫌を装いながらも黙って自分の後ろを付いてくる彼の従順を、東条は愛しく思う。素直で、愛らしくて、でも彼はとっても恥ずかしがり屋だから、自分の気持ちをはっきりと東条に告げたことはないけれど。ちゃんと分かっている、彼は僕を愛してる。それくらい分かってあげられなかったら、カウンセラーなんかやってられない。

 彼をダイニングテーブルに着かせ、味噌汁を温める。東条がごはんを茶碗によそろうとすると、自分は要らない、と薪に言われた。
 せっかく作った朝食を断られて、東条はがっかりした。でもすぐに自分の失態に気付いて、申し訳ない気持ちになった。彼は低血圧症だ。きっと、朝はいつも食事をしないのだ。彼の慣習を知らなかったことは残念だが、これから覚えればいい。明日は失敗しない。
 
 昨夜と同じ席に座り、薪は何事か考え込んでいる様子だった。
 亜麻色の瞳が、東条の一挙手一投足をずっと追いかけている。自分に纏いつく彼の視線に、熱いものを感じる。
 そうか、と東条は思う。
 昨夜は同じ屋根の下にいたのに、自分が何もしなかったから、彼は拗ねているのだ。昨日は朝から晩まで動き詰めで、彼も疲れているだろうと思って気を使ったつもりだったのだが、寂しい思いをさせてしまったらしい。せめて一緒の布団で寝てあげればよかった。

「薪さん。ごはん食べたら、ちょっとお喋りしようか」
 薪は少しの間をおいて、こくっと頷いた。
 やっぱりそうだ。彼は寂しかったのだ。『お喋り』という言葉に隠された秘密を僕と彼は共有している。それを承知で頷いたのだから、今日こそ彼は僕のものになってくれるのだ。
 
 先生、と小鳥が鳴くような声で呼びかけられて、東条は、うん、と返事をする。クッキングヒーターのスイッチを切って、味噌汁を汁椀に注ぎながら「なんだい?」とやさしく尋ねた。
「ストラップは、いつ失くされたんですか?」
 まだその話?
 やれやれ、よっぽど腹を立てているようだ。でも、彼のご機嫌を直す方法なら心得ている。朝食を済ませたら、彼の望むことをたっぷりしてやろう。

 目玉焼きを頬張りながら、東条はモゴモゴと答えた。
「こっちに着てからだから、昨日かな」
「そのストラップは、事件のあった公園の噴水の近くに落ちてました。警備の巡査が拾ったんです」
 硬いアルトの声が響いた。それは診察室ではついぞ聞いたことのない、事件に相対する際の彼の声音だった。
「事件の後、公園はすぐに閉鎖されました。今も警官が現場保存のために立っています。事件発生は二日前の深夜。昨日この町に着いた先生が、どうやって公園に落し物ができるんです?」
 薪がどうしてそんなにストラップに拘るのか、東条にはよく分からなかった。アイテムは大事だけど、それが本質じゃない。一番大事なものは、彼と自分の心の中にある。それを彼も知っているはずなのに、どうして突っかかるような言い方をするんだろう。

 少々面倒になって、東条はこの話題を切ろうとした。
「なら、それは僕のじゃないんだ。きっと、別のところに落としたんだね」
「あのストラップは限定品で、警視庁の職員かそれに関連のある人間しか持っていません。東京から3時間もかかるこの町に、そんな人物が二人もいるのは不自然ではないですか」
 言い争いを避けたいと思う東条の気持ちを知らぬ振りで、薪は食い下がった。
 突っ張る彼もかわいいけど、あんまりしつこいと興が冷める。恋人の嫉妬は愛情を強くするけど、ヒステリーは引かれる。それと同じだ。

「もうひとつ、気になっていることがあります。昨日の夕方、先生は僕に電話をくれたとき、一昨日の事件を『カップル殺し』と言いましたよね? 被害者が恋人同士だったという情報は、どこから得たんですか」
「そんなの、テレビのニュースに決まってるじゃないか。君は一日歩き回っていたから、テレビを見ていないんだろう」
「I署による報道規制で、この事件に関するニュースは差し止められていました。事実、夕方旅館で確認したニュースでも、夜この家で見たニュースでも、事件は報道されていなかった。この事件のニュースが流れたのは昨日の朝1度だけ、その時点では被害者は男女と報道されただけで、被害者の関係については言及されていませんでした。なのに先生は、それを知っていた」
「……清川さんに聞いたんだよ。警察署で」
「そう、僕もそう思い込んでいました。清川課長や、あるいは町の人々から情報が渡ったのかもしれないと。でも、もう一つの可能性があることに気付いた。
 先生は公園で彼らを見た。だから彼らが恋人同士だと知っていたのではありませんか?」
「やれやれ。一つの可能性とやらで疑われちゃ敵わないな」

 食事を終えて、東条はコーヒーを淹れた。
 これなら薪も喜ぶだろう。彼はコーヒーが好きなのだ。インスタントだけど、スーパーで一番高いのを買ってきた。東条にはこれで充分美味しい。

「薪さん、そんなに怖い顔しないで。これじゃカウンセリングにならない」
 愛を語ろうとしているのに、その口元はありえないと東条は思った。きりっと結ばれたくちびるも綺麗だけど、ふわっと笑っているいつもの彼のくちびるが東条は好きなのだ。
「もっとリラックスしてくれないと。はい、これ飲んで」
「けっこうです」
 懐柔策のコーヒーを断られて、東条は肩を竦める。これ以上突っ張る気なら、こちらにも考えがある。手荒な真似をする気はないけど、多少のお仕置きは必要かもしれない。一昨日の夜のことも、彼には反省してもらわなければならないし。

「まずはそのストラップの問題を解決しないと、カウンセリングは不可能みたいだね。仕方ない、真面目に探すか」
 多分、彼の方も引っ込みがつかなくなってしまったのだと思った。だからこれは、彼のため。素直になれない彼の言い訳を、僕が作ってあげるんだ。

「あ、あった!」
 クローゼットの隅に置かれた旅行鞄を広げて、東条は声を上げた。
「鞄から持ち出すときに、引っ掛かって紐が切れたんだね。中に落ちてたよ。ほら」
 鞄の底を指し示した東条の鼻先で、亜麻色の髪がさらりと揺れた。鞄を覗き込む薪の、長い長い睫毛。目を開いていても美しいが、伏せ目がちになると嘘みたいに綺麗だ。

 ああ、でも。一番きれいなのは彼が眼を閉じているとき。いつも僕に見せてくれる、きみのあの顔。睫毛がとてもきれいな、きみの可愛い顔。
 今日も見られるんだね。うれしいよ。

「先生、どこに」
 つややかなくちびるから洩れた言葉の続きは、白い布に吸い込まれた。薪は瞬時に退こうとしたが、後ろ頭を押さえられ、布に鼻と口を押し付けられた。
 東条の胸に倒れ込むように、彼はその身を投げ出してきた。安らかに眼を閉じて、彼は自分の腕の中。
 ああ、いつもの彼だ。

「さあ、薪さん。僕とお喋りしようね」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(15)

 こんにちは。

 秘密ファンなら誰しもが薪さんの無事を祈っているこの時期に、こんなキモチワルイ話の続きを公開してすみません。 
 広いお心でお願いします。




緋色の月(15)




 彼の眼は、いつも安らかに閉じられていた。
 長い睫毛が白い頬に影を落とす。物静かな鼻も、軽く結ばれたくちびるも、すべてが信じられないほどに美しく、東条は彼に触れずにはいられなかった。
 この顔で、彼は東条の質問に答えた。

「今日、君をここへ送ってきたのはだれ?」
「岡部と言って、僕の部下です」
「どんなひと?」
「とても優秀な捜査官です。僕は彼を一番信頼している」

 眼を閉じたときの彼は、とても正直だった。思ったことを素直に口にし、嬉しいことには微笑み、哀しいことには眦を下げ、悔しいことにはくちびるを噛んでみせた。
 
 Hシオンという薬品は睡眠剤の一種だが、効き始めが20~30分と短く、その間に上手く誘導すれば患者の本心を探る事ができる。東条はこれを飲み物に混ぜて薪に飲ませ、秘密裏にカウンセリングを行っていた。
 この薬品には一時的な健忘の効果もあり、眼が覚めたとき薪は、東条に質問を受け、自分がそれに何と答えたか、まったく覚えていなかった。
 東条がこのクスリを使ったのは、彼の心が健常であるかどうか確かめて欲しい、と警視総監に頼まれたからだ。東条は警視庁の専属カウンセラーだ。当然、彼のクライアントは警視総監だ。断ることはできなかった。
 
 何度か試してみて、彼の精神はとても安定していると思った。先輩医師の診断は、間違っていなかった。
 東条は、それを総監に報告しようとした。薪警視長の精神は安定した状態にあります、もう治療の必要はないでしょう。
 でも、と彼は思った。
 報告を終えたら、薪に会えなくなる。彼の姿を見ることができなくなる。

 迷った末、東条は報告書に、『ほぼ安定しているが経過観察の必要あり』と記載して提出した。その頃の東条は既に、薪に異様な執着を抱くようになっていた。

 薪と初めて会ったのは、3年前だ。
 先輩医師が体調を崩して退職し、カウンセリングを引き継いだ患者の中に彼がいた。
 最初に彼を見たとき、東条は純粋に驚いた。こんな美しい人が警察官で、しかも自分の診察室の回転椅子に座っている。それは俄かには信じがたいことだった。I県の片田舎で育った東条は、こういう特別な容姿を持った人間は、銀幕か液晶パネルでだけお目にかかれるものだと思い込んでいた。

「今度の先生は、えらくお若いんですね」
 初めましての挨拶の後、彼にそんなことを言われた。
「前の先生には、昔話ばかり聞かされたんですよ。カウンセリングを受けに来た患者の方が話を聞くって、おかしくないですか?」
 先輩医師が残したカルテには、現在薪の精神は健常者のそれと何ら変わりないことが記載されていた。しかし、彼にカウンセリングを命じている総監にそれを報告しても納得してもらえない、と彼は零していた。薪は官房長の派閥に属する人間で、警視総監とは敵対している。その辺の事情が絡んでいるのだろう、と先輩医師は推察していた。

 彼といろいろな話をするうち、彼がとても美しい心を持っていることに東条は気付いた。彼は純真で、真っ直ぐな理想をその精神の中枢に置いていた。それが彼をいっそう輝かせていることを知って、東条は彼に憧れを持つようになった。
 だから、診察中に彼が眠ってしまっても、その身体を自由にしたいとは最初は思わなかった。そんな冒涜は許されないと強く自分を戒めていた。生まれたままの彼の姿を夢見ないでもなかったが、東条の診断では、薪は自尊心が高く、男性的な精神の持ち主だった。そんな彼が男から受ける性的な奉仕を悦ぶとは考え難かった。

 箍が外れたのは、1年ほど前のことだ。
 その日は日曜日で、薪を送ってきたのは、若い男の部下だった。ヒゲの男ほど頻繁ではないが、今までも時々、彼の送り迎えをしていた。彼はとても背が高く、顔も良く、立派な体躯をしていた。薪と並ぶと実に絵になって、東条は微かに胸が疼くのを感じた。
「1時間後に迎えに来い」
 命令口調で言い放った薪に、はい、と返した彼の微笑が、何故かその日は蕩けそうに甘やかで、それが東条に疑惑を生じさせた。ちらっと彼を見上げた薪の視線が妙に艶めいていて、東条の疑惑は瞬く間に大きく膨れ上がった。

 しばらく中断していたHシオンを、その日東条は薪に投与した。
 薪が薬によるトランス状態に陥ったのを確認すると、東条は質問を開始した。

「今日、君を送ってきたのはだれ?」
「青木一行という男です」
「どういうひと?」
「彼は僕の」

 薪は口ごもった。
 彼が素直に答えないなんて、薬が効いていないのかと東条は焦ったが、ちがった。彼は自分の中に、彼を表わす言葉を捜していた。

「部下ではないの?」
「部下です……ああ、ちがう、彼は」

 はあ、と彼は悩ましげなため息を吐き、小さく首を振った。白い頬に朱が浮かび、それは彼の最上の喜びを表していた。

「かれは、なに?」
「彼は、僕の一番大事なひとです」

 そう言うと、彼はとても幸せそうな顔をした。

「だいじなひと?」
「大事です……かれが大事……なによりもだいじ……」
「彼を好き?」
「すきです。だいすき」

 嫌な予感がして東条は、眠りに落ちた薪の、シャツのボタンを外してみた。確認せずにはいられなかった。
 その光景は、東条にとっては晴天の霹靂だった。
 薪の白い肌に、赤い痣がいくつも残されていた。そちらの方面に疎い東条にもすぐに分かった。今日、彼はあの男に抱かれてきたのだ。
 ショックだった。東条は随分前から、彼を患者として見ていなかった。患者として見る事ができていたら、こんな衝撃は受けなかったに違いない。職業柄、隠された性癖を持つ人間は見慣れていたからだ。
 こんな彼を見たくない、現実を知りたくないと思うのに、東条は自分の手が彼の衣服を剥いでいくのを止められなかった。自分の目が、彼の身体にあの男との情事の証拠を探すのを止めることができなかった。

 休日らしくラフな服装をした彼の、ズボンを脱がせ、下着を取り去った。脚を開かせると、臀部に近い内腿にまで赤い刻印が為されていた。
 こんな場所にまで、あの男の唇が触れるのを許したのか。
 東条の脳裏に、年若い捜査官が彼の内股に顔を埋める画が浮かんだ。想像の中で薪は、脚を大きく開き、その間で動く男の黒髪に手指を埋めていた。切ない声を洩らし、腰をくねらせて、彼の口中に白濁した快楽の証を注いだ。

 残像のように流れていくその情景は、しかし東条に、薪に対する嫌悪や幻滅を抱かせなかった。それどころか、そのとき彼を訪れたのは歓喜に近い感情だった。
 東条は生まれて初めてとも思える、極度の興奮を味わっていた。彼の白い身体を彩る朱印をひとつひとつ指でなぞり、彼のやわらかい内股に手を這わせた。彼は深い眠りの中にいて、東条の指に反応することはなかったが、東条の興奮状態は続いた。
 
 目を閉じて身体の力を抜いて、自分からは一切動かず、東条の愛撫を受けるだけの彼。どこぞの女のように、浅ましく東条の身体を貪ったりしない。彼の性はとても慎ましいのだと東条は考えた。
 東条は自分のズボンを下ろし、下肢を露にした。東条のそこは、どんな女性を前にしたときよりも激しく昂ぶっていた。
 薪を送ってきた男が想像の中でしたことを、東条も彼にしてあげたいと思い、それを実行した。彼の肌に舌を這わせながら、東条は己が手で自分の欲望を擦り立てた。
 限界を感じると、東条は彼の上に乗り、自分の欲望を彼の慎ましやかなそれに押し付けた。途端、強烈な快感が東条の背中を駆け上り、夢中で擦り付けて、果てた。

 彼の白い肌に残された赤い痕跡、その上に自分の体液が散って、穢されたはずの彼はしかし、鮮烈に美しかった。それは東条の網膜に焼き付けられ、次第に彼の脳に浸透し、彼の精神を歪めていった。
 
 捻じ曲げられた感情は、東条に偏った思考を生じさせた。それは、薪も自分を好きなのではないか、という自分に都合の良い妄想だった。
 彼はこうして、カウンセリングのたびにその身を自分に預けてくれる。拒否したことは一度もない。もしかしたら彼も、この秘密のカウンセリングを楽しんでいるのではないか?
 その証拠に彼は、必ずと言っていいくらい夜遅い時間にカウンセリングを申し込んでくる。仕事の都合だと彼は言うが、本当は、看護師が帰る頃合を狙っているのではないか。自分と二人きりになりたいから、自分の愛撫が欲しいから、だから。

 ああ、そうだったんだね。
 きみの健気な恋心に気付いてやれなくて悪かった。僕がたまにしか相手をしてやれないからきみは寂しくて、それであんな男と。
 言ってくれれば、いつだって応じたのに。僕が忙しいから、気を使ったんだね?
 本当にすまなかった。
 もう、代用品なんかで済ませなくていいんだよ。僕はずっときみの側にいることにしたから。
 そう、ずっと一緒だよ。

 
 穏やかに開かれていた眉間がぴくりとうごめき、長い睫毛が震えた。んん、と低く呻いて、彼は眼を開けた。
 東条は彼の亜麻色の瞳に唇を寄せて、そっと囁いた。

「眼が覚めた? じゃあ、カウンセリングを始めようか」
 


*****


 相変わらず彼は美しい、と私は思いました。
 
 彼は大人しく、私の前に横たわっています。それは大そう眩しい光景でありました。窓から差し込む日の光が、彼の亜麻色の髪と白い頬を輝かせ、小さく結ばれた唇は薔薇の蕾のように可愛らしくありました。
 いつもと何も変わりません。診療室が自分の部屋になっただけのことです。でも、今日は時間の制約はありません。彼を迎えに来るものはおりません。私は、彼が目覚めるのをじっと待ちました。

 やがて彼は目を開けました。

 透明度の高い亜麻色の瞳が、ぼんやりと私を見ました。それはあの夜の、彼の様子に酷似しておりました。
 緋色の月の下、私以外の男に身を任せていた彼。
 美しかった、例えようもなく美しかった。でも、二度とあんなことがあってはならない。私以外の男の手が、彼に触れることは耐えられない。

 私はすでに、決意を固めておりました。
 まだ眠りから醒めきらない彼に、私はそっと囁きかけました。

「僕とお喋りしよう。薪さん」


*****


 うう、気持ち悪い、この男……。
 こんなんだったら間宮のほうがなんぼかマシだと思ってしまうわたしは、人として終わってるのかしら★


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(16)

緋色の月(16)




 初めて見る天井だった。
 斑にぼやける意識の中で薪はそれを視認し、しかしすぐに彼の瞳は男の唇にふさがれた。

「薪さん、始めるよ」
 精神科医の声が聞こえた。声の方向に頭を倒すと、東条と目が合った。彼は床に屈み、リクライニングチェアに横たわっている薪に高さをあわせ、彼の顔をじっと見ていた。
 身体は動かせなかった。両手が肘掛けに包帯で縛られ、両足首は自分のベルトで一つに結わえられていた。声も出せなかった。布のようなものを口に押し込まれ、その上から紐のようなもので縛られていた。

 意識が明確になるに従って、薪は自分の置かれた状況を正確に理解し始めた。
 やばい。殺人犯に捕まった。

 自分を拘束した時点で、薪は東条の有罪を確信した。こいつが二人を殺したのだ。青木に罪を着せたのも、この男だ。
 おそらく彼は、自分たちが公園でしていたことを目撃していた。あの場所に、彼もいたのだ。そして自分たちが立ち去った後、草叢に落ちた青木の精液を手に入れた。それを被害者の女性に注入したのだ。
 彼は医者だ。急患に備えて、最低限の医療器具は常備しているのだろう。昨日薪と偶然会ったときも往診カバンを持っていたし、夕方からの聞き込みのときもカバンを手放さなかった。一昨夜も持っていたとして、不思議はない。

「最近、調子はどう?」
 診察室で訊くのと同じように尋ねられて、薪は不快感を露にする。猿轡をした相手にカウンセリングなんて、完全に遊ばれている。薪がくぐもった唸り声で不満を訴えると、東条は苦笑して、薪の呼吸を不自由にしている拘束物に手をかけた。
「そうだよね、これじゃお喋りできないよね。大きな声を出さないって、約束できる?」
 薪はコクコクと頷いて、でも大人しくする心算は毛頭ない。犯人を捕まえるためなら、薪は手段を選ばない。犯罪者との約束なんか破るためにあるのだ。
 が、次の瞬間、薪は心の中で自分の主張を必死で撤回する羽目になる。東条が、診療カバンから刃物を取り出したのだ。

「ちょっと強く縛りすぎちゃって、解けないから。じっとしててね、薪さん」
 それは、昨夜台所で使った万能包丁だった。自分が研いだ包丁の切れ味を自分の肉で試すなんて、冗談じゃない。
 東条は、薪の口を縛った紐をスパリと切り、薪の唇を解放すると、包丁を布に包んで診療カバンに戻した。薪の口を縛っていたものは包帯で、中に入っていたのはガーゼだったが、それもきちんと折りたたんでカバンに入れた。薪がここで拘束されていた証拠を残さないように、気をつけているらしい。
 警察の科学捜査を舐めるな、と言いたかった。風呂の排水溝に残った髪の毛一本からでも、自分のDNAは検出できる。この時代に完全犯罪なんかありえない。
 それを諭して、彼に自首を勧めようと思った。本音では死刑にしてやりたいけれど、自分は警察官だ。犯罪者に正しい道を示すのも、仕事のうちだ。

「おまえがやったんだな」
 薪が鋭く訊くと、東条は「なにを?」と無邪気に返してきた。
「空とぼけても無駄だ。公園内に落ちていたストラップは、鑑識に回すよう頼んでおいた。指紋の照合が済めば、警察がここに来るぞ」
「そうなんだ。じゃあ、あんまり時間はないんだね。残念だな」
 東条は不満そうに唇を尖らせ、肩を竦めた。これは犯行を認めたことになるのだろうか。
 警察が来ると聞いても焦った様子のない東条に、薪は不吉なものを感じた。捕まることを怖れていない、そういう犯罪者は厄介だ。彼らの半数は自棄になり、もう半数は何らかの覚悟を決めていることが多い。

「なぜだ」
 彼の心理状態を把握しようと、薪は東条に話しかけた。カウンセリングのスペシャリストに精神分析を試みようなんて、滑稽だが仕方ない。決定的な証拠はないのだから、東条の自白を取らなかったら青木は留置所から出られない。

「何故あんなことをした。彼らに何か恨みでもあったのか」
「別に。恨みなんかないよ。あそこで会うまで彼らの顔も知らなかった。ていうか、ごめん、今も憶えてないや」
「じゃあどうして」
「君があそこに残してくれたものを、彼らが台無しにしたからだよ」
 東条の指先が薪の襟元にかかり、ワイシャツのボタンを外した。慣れた手つきだった。

 なにをする気だろう、と薪は不思議に思い、訝しげに彼を見上げた。
 自分を殺す気なら、失神していた間にいくらでもやれたはずだ。そのほうが手間も掛からないし、確実に息の根を止められただろう。それをわざわざ薪が意識を取り戻すのを待って猿ぐつわまで解いて、もしかしたら東条はサディストなのかもしれない。薪が死の恐怖に怯える様を見て楽しみたいのかも。

 的外れな予想に、薪は身を硬くする。彼が自分に性的な欲望を抱いているとは、露ほども考えなかった。
 薪は人の好意に鈍感だ。昔、青木が半年もの間薪への気持ちを暖めていたのに、好きだと告げられるまで、ちっとも分からなかった。毎日顔を合わせる部下相手ですらその調子だったのだ。月に一度くらいしか接触を持たない精神科医の想いになど、気付くはずもなかった。

「あの夜の君は、とてもきれいだった。この世のものとも思えなかったよ」
 東条は夢でも見ているようにうっとりとした瞳をして、それはあと何時間かで警察が自分を捕らえにくるという追い詰められた彼の状況にまるでそぐわなかった。
「あそこには君の残像が、匂いが、息遣いが残っていたのに。それは君が僕に残してくれたものだったのに、あいつらはその上で汚らしくまぐわって」
 東条の言っていることは、薪には半分くらいしか理解できなかった。特に『君が残してくれたもの』の意味がわからない。自分があそこに捨てたのは、青木の精液と羞恥心だけだ。
 とにかく、東条は彼らが薪たちと同じ場所で行為に及んだことが許せなかったらしい。しかしそれは、薪には全く同調できない殺意の理由だった。

「そんなことで?」
「残像とはいえ、君を穢したんだよ。許せるはずがないだろう?」
 ワイシャツのボタンがすべて外され、彼の手が薪の胸にあてがわれた。心臓の場所を確認されているのだ、と薪は思った。
 きっと東条はさっきの包丁を用いて、薪の身体を切り刻もうとしているに違いない。人を生きたまま刻むには、大動脈を傷つけてはいけない。主要臓器も避けないと、出血のショックでそのまま死んでしまうことがある。だからシャツをはだけて血管と内臓の位置を確認しているのだ。

「近くにあった石で殴りつけたら、男は簡単に死んだ。女の方は、何が起きたか分からないみたいだった。下半身丸出しのみっともない格好で、ポカンとした顔して……何度思い出しても頭にくる。彼らは自分がどれだけ罪深いことをしたのか、分かってないんだ」
「よくもそんなことを!」
 自分が殺されるかもしれない状況にあって、彼を非難する言葉は勝手に出てきた。独りよがりな理屈で二人の人間の命を奪った東条を、薪は許せなかった。薪の中の正義感が、怒りになって彼の身を震わせた。

「あんな馬鹿女の体内に、君のものを入れたことは謝るよ。それだけは、本当に申し訳なかったと思う」
「僕のじゃない、あれは青木のものだ」
「ちがうよ。あれはきみのものだよ。君の中から出てきたんだから、きみのものだ。だから拾っておいたんだ。青木くんは、彼は重要ではない」
「拾っておいた」という東条の言葉に、薪は自分の思い違いを知る。
 順番が逆だ。殺人が先ではなく、体液の収集が先だったのだ。東条は捜査をかく乱するために、たまたま落ちていた青木の体液を利用したのではない。予め手に入れておいたそれを使ったのだ。

「きみは自分の身体からあれを草の上に出して、それは僕に残してくれたんだってすぐにわかった。僕があそこにいたの、きみは知っていたんだろう?」
 つまりそれは――――― どういう意味だ? 薪の身体から出てきた汚物が、東条にとっては価値のあるものだったとでも言うのか?

「きみが僕にくれたものは、全部取って置いてるんだよ。僕のコレクション、見る?」
 東条はこの二日、決して手放さなかった黒い診察カバンを持ってきて、その中身を取り出して見せた。
「いつも持って歩いてるんだよ。いつでも君を感じられるように」
 コルク栓をされた透明な広口瓶が、いくつも出てきた。その中身は、毛髪、汚れたティッシュ、爪など、誰が見てもゴミと判断されるものばかりだった。
「これはね、昨日入ったばかりのニューアイテム」
 それは薪の髪に落ちた桜の花びらと、薪が夕飯を食べるときに使った割り箸だった。

 おぞましかった。
 男に告られて不愉快な思いをしたことは何度かあったが、こんな人間はいなかった。彼の執着は異常だ。

「…………狂ってる」
「狂ってる? 僕が?」
 思わず出てしまった薪の呟きを逃さず、東条は薪を咎めた。
「君が悪いんじゃないか」
 両手で薪の頬を挟み、ぐっと顔を近づけて、すると彼の瞳には異常者特有の度を越した熱っぽさが宿っており、薪は彼の精神が限りなくあちら側に傾いていることを悟って唇を結んだ。下手なことは言わないほうがいい。

「君に出会うまで、僕の人生は光に満ちていた。家は貧しかったけど、周りの人々はみんな親切で、僕は彼らに感謝しながら自分を幸せな男だと思って生きてきた」
 東条の手が、薪のズボンにかかった。真ん中のフックを外されて、ファスナーが引き下げられる。下着の中に彼の手が入ってきて、薪はようやく東条の真意に気付いた。
「それが君に出会ってからは、君のことしか考えられなくなった。他の人間はどうでもよくなったんだ。君に会えない時間は世界が闇に閉ざされたようで……。
 なのに、君はあの男とあんなことをして!」
 東条は唐突に口調を変え、薪の脚の間で身を竦めているものを強く握った。薪は痛みに仰け反り、しかし声は上げずにじっと堪えた。この状況で相手を刺激するのは自殺行為だと分かっていた。

 痛みの中で、薪はやっと彼の闇を理解する。
 公園で東条が見た光景は、彼の心の均衡を突き崩した。彼は薪に恋情を募らせ、妄想に妄想を重ねて、それでも人間としてギリギリの範囲に留まっていたのだ。ところが彼は、恋焦がれた相手が公共の場所でふしだらな行為に及んでいるところを見てしまった。それが偶然か薪の後を付けていたことによる必然かは不明だが、彼が大事に守ってきた世界を壊す原因になったことは想像に難くない。
 それで、『君が悪いんじゃないか』か。

「僕はとても辛かったんだ、察して欲しい」



******


 この男、気色悪い、と書きながら思っているしづですが、
 もしかすると、
 薪さんが飲み残したコーヒーとかあったら飲んじゃうかも。
 薪さんが使った割り箸とか紙ナプキンとかあったら、こっそり持ち帰っちゃうかも。
 なんのかんの言って、東条もしづの分身のひとりなんですねえ。(--;


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緋色の月(17)

緋色の月(17)





「僕はとても辛かったんだ、察して欲しい」
 
 冗談じゃない、と薪は思った。ストーカーの妄想なんかに付き合ってられるか。そりゃ、あんなところでセックスしてた自分たちの非は認めるけれど、そんなことで人の命を奪うなんて。しかもこいつは医者じゃないか。
 ――― しかし。

 薪は唇を噛み締め、こくりと頷いた。
 今は彼に従属する振りをして、時間を稼ぐことだ。東条は警視庁の専属カウンセラー、その指紋はデータベースに保存されている。検出さえできれば、指紋の照合にそれほどの時間はかからないはずだ。

「今回だけは許してあげるよ」
 謳うように、東条は言った。
「もう二度と、僕以外の男とあんなことをしちゃいけないよ。君の身体はこんなにきれいなんだから、簡単に触らせちゃだめだ」
 東条は薪の足首を拘束していたベルトを外すと、ズボンと下着をすべて引き抜いた。靴下も脱がせ、足の指を口に含んだ。だんだんに上の方へと上ってくる彼の唇に、薪は必死で耐えた。

 我慢だ、今はこいつを捕まえることが何よりの重要課題だ。自分の身体を餌にこいつをここに引き止めて置けるなら、そうすべきだ。
 東条の舌が、膝の裏側を舐めた。こそばゆさに薪は、反射的に腰を振った。それに気を良くしたのか、東条は内腿に唇を這わせ、その奥に手を―――。

「やめろっ!」
 叫ぶより前に蹴り飛ばしていた。
 無理だ、我慢できない。怒らせたら殺されてしまうかもしれないが、その前におぞましさで悶死する!

 薪は上半身を丸め、自分の手を縛っている包帯を歯で引っ張った。が、伸縮性のある布を歯で切ることは難しく、薪は両肩を摑まれてシートに押し付けられた。
「どうして? きみはいつも、僕の愛撫に応えてくれただろう? あんなに悦んでくれたじゃないか」
「僕にそんな覚えはない。おまえは妄想と現実の区別がつかなくなってるんだ」
「妄想なんかじゃない」
 ほら、と携帯電話を見せられて、薪は愕然とした。
 裸にされた自分が映っている。診察室のリクライニングシートに横たわり、無防備に脚を開いて、腕はだらりと下がって、完全に意識を失くしている様子だった。

「ちゃんと保管してあるんだよ」
 東条はクロゼットの扉を開けると、その中から一冊のファイルを抜き出した。表紙に2066年2月と書いてある。開くとそこには、携帯電話に写っていたのと同じ写真が印刷され、きちんとファイリングされていた。
 写真は何枚もあって、全体を写したもの、局部をアップにしたもの、違う角度から捉えたものなど様々だった。
 動画もあるんだよ、と再び携帯を見せられると、画面には薪の身体に唇を這わせている東条の姿が映っていた。

「辛いことや悲しいことがあったときには、これを見ると元気になれるんだ。今度、薪さんの携帯にも、この動画データを送ってあげるね」
 どうして東条が犯行現場の公園でストラップを落としたのか不思議だったが、これで納得がいった。
 狂気に駆られて殺人を犯した後、彼の精神は安定を求めた。それでこの画像を見ようと携帯電話を出したのだ。ポケットから携帯を取り出すときに何処かに引っ掛けたのか、2年も前の品で紐が弱っていたのかは判らないが、紐は切れてストラップは地面に落ちた。人を殺したばかりで異常な精神状態だった東条はそれに気付かず、結果、あの巡査がストラップを拾ったというわけだ。

「精神科医が、精神安定剤代わりのエロ動画で妄想に取り付かれてりゃ世話は無いな」
 自然に口をついて出る毒々しい言葉を、薪は飲み込むことができなかった。
「卑劣漢め。意識のない人間にこんなことして、男として恥ずかしくないのか」
 薪は卑怯な人間が大嫌いだ。眠っている人間を自分の欲望の捌け口にするなんて、男のすることじゃない。
「そこに僕の意志はない。人形を抱いて楽しいのか。哀れな男だ」
「人形なんかじゃない。君は生身の人間だ。その証拠が、ほら」
 
 東条は診察カバンから幾本もの試験管を取り出した。プラスティックの表面にはシールが貼られており、そこには数字が記されていた。スラッシュ記号を挟んでいることからそれは日付と推定され、薪の身体は厭わしさに総毛立った。
「まさかそれ……」
「そう。君の精液だよ」
「どこでそんなもの」
「なに言ってるんだい。カウンセリングのたびに、君はこれを僕に残して行ってくれたじゃないか」
 東条は愛おしそうに試験管に唇をつけたあと、シールの数字が読み取れるように薪の顔に試験管を近付け、
「これが2ヶ月前。その翌週、ひと月前、3週間前。そして一番新しいのが2週間前」
 古いものは茶色く濁って、完全に腐り果てていると思われた。試験管の口がコルクでふさがれていなかったら、この部屋は凄まじい臭気に満たされていただろう。

「うそだ」
 薪は顔を歪めながら、冷たく言い放った。
「僕の身体は青木以外の男の手には反応しない。おまえになんか、イかされてたまるか」
 侮蔑を込めて吐き捨てると、東条は悲しそうに首を振った。
「あの男が悪いんだね? あの男が君をそんな風にしてしまうんだね? きみは本当は、とてもやさしくていい子なのに」
「おまえが僕の何を知ってるって言うんだ。カウンセラーだからっていい気になるな」
「ちがうよ!」
 激しく否定して、東条は薪に詰め寄ってきた。大事なコレクションを床に転がして、彼は薪をいつもの心優しい恋人に戻そうと必死だった。

「ちがうよ、薪さん。僕だけが君を理解できるんだよ。あの男には無理だ。だって彼はあの晩、赤い月が見えなかったんだから」
 東条の言葉で、薪はあの夜、自分を狂わせていた赤い光を思い出す。たしかに薪には、赤い月が見えていた。青木には見えなかった、でも自分には見えていた。血のように紅い、緋色の月が。
「君の神秘を紐解けるのは僕だけだ。僕だけなんだよ」
 うっとりと囁いて、東条は薪の額にキスをした。欲望の感じられない、敬虔なキスだった。

「きみのことは全部解ってる。君は美しく、穢れなく、誇り高い。聖母のようだよ」
「生憎だったな、僕は純潔なんかじゃないぞ。おまえも見てた通り、青木にズコバコ犯られてんだ」
 わざと下品な表現を使って自分を貶める薪に、東条は眉根を寄せた。それでいいんだ、ストーカーの撃退法は自分に幻滅させることだ。
「勝手なイメージを人に押し付けるな。迷惑だ」
「どうしてそんなことを言うんだ。君は僕を愛してるんだろう?」
「僕が愛してるのはおまえじゃない」
 はっきりと告げると、東条はひどくショックを受けた顔をした。泣き出しそうに眉を下げて、それでも苦労して笑って、彼は昨夜のジョークを持ち出した。

「生まれ変わったら、僕のお嫁さんになってくれるんだろ?」
「300回生まれ変わっても、僕はおまえを愛さない」
 一切の感情を含めず、薪は言った。
「自分の罪を他人に着せるような卑劣な人間を、僕は許さない」
 それはいっそ、身体に流れる温かい血液の一滴までもが凍り付いてしまいそうな冷たさで、東条は彼が初めて自分を拒んだことを知った。

 傾けた恋情の激しさは相手に受け入れられなかったことで一気に逆転し、強い破壊衝動へと彼を駆り立てた。
 東条の両手は薪の細い首にかかり、頚椎を折る勢いで締め上げた。気管を強く押されて、薪の口が嘔吐するときのように自然に開いた、そのとき。

 突如として響いた銃声に、東条は手を緩めた。
 薪は激しく咳き込みながら、必死で酸素を貪った。涙ぐみながらも彼は脚を動かし、東条の股間を蹴りあげた。
 東条が男にしかわからない痛みに呻いている様子を眺めていると、ダダダダと階段を駆け上がる派手な靴音が聞こえた。玄関の鍵を拳銃で壊して靴のまま階段を上がってくるなんて、I市の捜査官は随分荒っぽい。清川課長はかなりのスパルタ教育を行っているようだ。峰山たちもカワイソウに。
 しかし、そのおかげで助かった。あのまま締められたら5分でオダブツだった。

「薪さんっ!!」
「あれっ、岡部?」
 鍵のかかったドアを蹴破り、突入してきたのは東京で薪の代わりを務めているはずの副室長だった。
「なんでおまえがここに……ちょ、待て! 殺すな!! そいつの自白がなかったら青木が帰って来れなくなる!!」
 物も言わずに東条の頭に拳銃を突きつけた岡部を、薪は必死に宥めた。岡部の額の青筋はすごいことになっていて、今にも切れて血が噴出すのではないかと心配になった。それは彼がどれだけ凄まじい憤怒を耐えているのかの証明であり、自分の身を案じるが故のことだと思うと、申し訳なさの中にもほんの少し嬉しさを覚えて、だから薪は照れ隠しに思ってもいない彼の失点をあげつらう。

「まったく、おまえは乱暴だな。たかが玄関の鍵に拳銃なんて。発砲許可なんか、僕は出さないからな。帰ったら始末書書けよ」
 自分が助けた当人に文句を言われて怒るでもなく、岡部は東条をうつ伏せにして背中を足で押さえつけ、上着を脱いで薪の身体の上に放り投げた。薪の腕の拘束を解こうとポケットから折り畳みナイフを出したとき、ドアから峰山ともう一人の刑事が入ってきて、東条に手錠を掛けた。
 薪が身づくろいをする間に、東条は両腕を二人の刑事に掴まれ、立たされて、部屋から連れ出されようとしていた。薪は黙って彼を見据え、その瞳に無情を湛えた。

「薪さん!」
 ドア口で、彼は急に振り返った。
 薪と視線を絡ませ、東条は辛そうに顔を歪めた。
「あの夜」
 彼の暗蒼色の瞳から、透明な雫が筋になって流れた。
「僕にも、緋い月が見えたよ」



*****


 ということで、法十のナイトはやっぱり岡部さんなのでした♪
 岡部さん、す・て・き



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緋色の月(18)

 こんにちは。

 昨日(金曜日)の朝、突然、お義母さんが「海が見える温泉に行きましょう」と宣いまして。
 お義母さん、土日、台風来るよ?
 行くの? あ、そう……。
 でもっ。 
 今日の明日じゃ、予約取れないと思うよ! 一応電話してみるけど、絶対に無理だと思っ……あ、大丈夫? 部屋、空いてます? そうですか……。

 そんなわけで、週末は台風で荒れ狂う北茨城の海を見てきます。
 次の更新は火曜日になります。
 よろしくお願いします。





緋色の月(18)





「岡部警視、ご協力感謝します!」
 90度に腰を折り、峰山は岡部に向かって大きな声で礼を言った。東条を乗せたパトカーが走り去ったあと家宅捜索班が到着するまでの間、ひとりここの警備を命じられた彼は、興奮した面持ちで岡部のずば抜けた行動力を褒め称えた。

「岡部さんの咄嗟の判断がなかったら、薪警視長は今ごろこの世にいなかったと思います。すごいっす、感動っす。サイン、お願いします!」
 人のことは誇大妄想狂呼ばわりしておいて、岡部にはサイン色紙? 管轄外の刑事が首を突っ込んできたことに変わりはないはずなのに、なんだろう、この差は。
「僕のときと、えらく態度が違わないか?」
「そりゃあ岡部警視は全国の警察官の憧れですから! 『T大名誉教授惨殺事件』はもはや伝説になってるっす!」
 キラキラと目を輝かせて、峰山は岡部を見上げた。現場の刑事には第九の室長より、岡部警視のネームバリューの方が上らしい。

「おれ、心の底から岡部さんを尊敬してるんです。ノンキャリアでありながら、エリート揃いの第九で副室長を務めてらっしゃる。キャリアの上を行くノンキャリアなんて、超カッコイイっす!!」
「キャリアもノンキャリアも関係ないさ。俺は、自分が警察官として何を為すべきか、それを常に念頭に置いて地道にやってきただけだ」
「く―――ッ、カックイイッ! 超クール、超シブイっす!!」
「ちょっと待て、僕はその岡部の上司だぞ? どうして僕の方が扱いが下なんだ」
「あっ、いやらしいっすねえ、上司風吹かせちゃって。だいたい、助けてもらっておいてちゃんと礼も言わないなんて、人間として間違ってますよ、警視長は。だから『女装を愛でる会』なんか作られちゃうんですよ」
「!! おまえ、それが上官に対する口の」

 目の前に一枚の写真を出されて、薪の言葉が止まる。
 写真に写っているのは、薪の部下だ。場所はコンビニのレジ。青木のアリバイが証明されたと喜んだのも一瞬、次の一秒で薪は耳まで赤くなる。

 彼の手にしっかりと握られているもの、それは明るい家族計画。

「コンビニの店長の証言は取れました。それだけで充分だと思います。この防犯カメラの映像は、なかったことにしときますから」

 AOKINOBAKA――――ッ!!!!

 思わず漢字変換を忘れるほどに我を失って、薪は証拠写真を破り捨てた。
 あの20分の空白に、青木はこんなことをしていたのか。そう言えば、宿の屑篭には赤と青の二種類のセロファンが捨ててあった。1回分しか箱に入ってなくて、2ラウンド目の前にコンビニまで買いに走って……恥ずかしすぎる青木の行動を知って脱力すると共に、薪にはひとつの疑問が生まれた。

「どうしてすぐに調べてくれなかった? 青木の供述を信じなかったのか?」
「青木さんは言いませんでしたよ」
 峰山の言葉に薪は大きく眼を瞠り、次いで目蓋を伏せて口元を手で覆った。青木の愚かしさに、目眩がする。自分に殺人の容疑が掛けられているというのに、何をやってるんだ、あいつは。
「あのひと、見かけによらずガンコっすね。証言が取れたって言っても、自分はずっと宿に居たの一点張りで。この写真見せて、やっと頷いたンすよ」
「地平線バカだな。果てしないバカ」
 薪が心底呆れて嘯くと、峰山はムッと唇を歪めて、と言うのも彼は、薪に頼まれた伝言を青木に伝えたときの彼の反応を、その眼で見ていたからだ。

 殺人事件の被疑者に対する取調べはとても厳しい。刑務所より取調室の方が怖いから、自分は絶対に人は殺さないと峰山は心に誓っているくらいだ。その壮絶な環境に置かれながらも彼は、薪の伝言を嬉しそうに受け取り、それを持ってきた峰山に礼を言い、さらには気遣わしげな顔で、
『薪さんに、無理をしないでくださいって伝えてもらえませんか』
 なのに、この警視長ときたら。

「人の気持ちのわかんない人だなあ。あなたに迷惑がかかると思ったんでしょ」
 非難がましく訴える峰山の横で、薪はポーカーフェイスを崩さない。
 バカだからバカだと言ったまでだ。僕にとって何が一番つらいのか、青木はちっとも分かってない。付き合い始めて何年になると思ってるんだ、それくらい分かれよ、バカ。

「薪さん、大丈夫ですか」
 峰山とコソコソ秘密の会話を交わしていた薪に、岡部が尋ねる。同情を含んだ声で、
「データもファイルもゴミも、全部処分しますから。早く忘れてください」
「何を言い出すんだ、岡部。あれは大事な証拠品だぞ」
 それらの存在を最も消滅させたがっているはずの当人から咎めの言葉が出て、岡部は押し黙った。隣で峰山も眼を丸くしている。

「証拠品は、すべて提出する。それでこそ正当な判決が下るんだ。僕たち捜査官が、私情でそれを滅することは許されない」
 さっきコンビニの写真を破ったのは誰ですか、と突っ込みたいのを我慢して二人は、泰然と佇む警視長を見つめる。自分以外に害が及ばないとなれば、いくらでも潔くなれる。それは岡部が誇りに思う、薪の美点の一つだ。

 そして薪は、きっと考えている。
 すべての証拠を提示することで、東条の異常性は浮き彫りになる。衝動的に2人の人間を殺し、その罪を他人に着せようとした極悪非道の殺人者が、どうしてそれを為すに至ったのか、彼の心の闇を照らす光明になる。それを明らかにすることはすなわち、彼の弁護者の手助けをすることだ。

 理由のない犯罪はない。闇を知らない犯罪者はいない。
 彼らの闇を直視せずに、正しい罰は下せない。

 長年、彼の下に仕えてきた岡部には、室長の考えは手に取るように分かって、それは岡部が薪の捜査官としての立ち方を知っているからだ。公正を何よりも重んじる、それは警察官の基本であり、いかに立場が変わろうとも忘れてはならないこと。
 ――― まったく、あなたってひとは。

 自分が彼の部下であることに感動すら覚えて、薪を注視する岡部の視線を深憂と捕らえたのか、薪はことさら明るい口調で、
「大丈夫だ、大したことはされてない。クスリで眠らされて裸にされて、写真を撮られてあちこち舐め回されただけだ。別に、どうってことない」
 そんなことで、薪は傷つかない。身体に与えられた恥辱は、薪を汚さない。魂の真ん中に据え置いた信念、それさえ無事なら薪は決して折れない。
 それもまた、岡部には身に沁みてわかっていること。じんわりと滲んできた熱いものに、岡部はそっと自分の目頭を押さえた。

「なに泣いてんだ、岡部」
「これが大したことないって言えるくらい、男に襲われ慣れてる薪さんが不憫で……っ! い、いやそのっ!」
 岡部が気付いたときには遅かった。
 彼の半径2mはすでに猛吹雪に覆われ、峰山の姿を視認することも不可能だった。雪幕の向こうに恐ろしく光る亜麻色の瞳。その下のつややかなくちびるがアルカイックに吊り上がり、吐き出される言葉は呪怨の響き。

「毎回毎回助けていただいてありがとうございます、岡部警視。衷心より深謝申し上げます。このご恩は一生忘れません」
「ひ――っ! すいません、忘れてください――っ!!」
「お、岡部さん……?」

 第九の内部事情を知らない峰山がひとりツンツン頭を傾げて、岡部は瘧に罹ったように震え上がり、薪はクスクスと肩を揺らす。
 そうこうしているうちに家宅捜索班が到着して、東条家は俄かに騒がしくなった。峰山が彼らを案内するために家の中に入り、残された二人はその場を離れて、ブロック塀の外に止めてあった岡部の車まで歩いた。

「そういえばおまえ、どうして僕がここにいるってわかったんだ? てか、なんでこの町に?」
「全国ワーカホリック大会でぶっちぎりの首位を獲得しようというあなたが、あんな理由で仕事を休みますか? 何か厄介ごとに巻き込まれて、それを俺に詮索されたくないんだって、すぐに分かりましたよ」
 岡部の追及を避けるために、あっちの話題を出したのが逆効果だったらしい。言われてみれば、これまで一度も自分たちの間柄を仄めかしたことのなかった薪が、突然あんなことを言い出したら疑われて当然だ。落ち着いて考えてみれば直ぐに分かることなのに、どうやら自分で思っていたよりずっとパニくっていたようだ。

「小池に聞いたら、岡部は家の用事で急いで帰ったって」
「俺に言えないことなら、連中にも言わない方がいいと思いましてね。証拠の画を捜一に渡したあと、車ですっ飛んできたんですよ。でも、宿で聞いたらあなたは昨日出たって言うし、仕方なく地元警察の力を借りようとしたら青木が留置所にいて」
 鉄格子を挟んで青木と相対していた峰山刑事に事情を聞いて、岡部はすぐさま犯人の正体を悟った。薪の精神異常を課長に吹き込み、さらには偽の目撃証言までしている。どう考えても怪しい。
 
 地元警察の彼らが、東条の証言を鵜呑みにしてしまったのは、彼が著名な精神科医であること、彼の偉業は町全体の誇りであったこと、中でも一番の要因は、幼い頃からの彼を見てきたことで彼がどんな人間か知っているという自負によるものだった。
 特に課長は、東条の父親とは無二の親友だった間柄で、彼の成長をずっと見守ってきた。彼の父親が亡くなってからは、親代わりと言ってもいいほどだった。だから、彼が医者としての守秘義務に反して薪の情報を自分に差し出すことに、何の疑いも抱かなかった。

 それは捜査全体を導く者として致命的な間違いだったと思うが、薪には彼を責める気にはなれなかった。
 11時の時計の音は、記憶になかった。それでも自分は、青木の無実を疑わなかった。そんな自分に、彼を責める権利はないと思った。
 自分が無条件に青木を信じたように、彼も東条を信じた。妄信は愚かしく、あってはならないことだが、この世に人として生きる以上、避けては通れない感情だと思い知った。

「すぐに東条の自宅を調べて、後はあなたも知っての通りです」
 簡潔に結んだ部下の説明に、薪は亜麻色の瞳を悪戯っぽく眩めかせて、皮肉たっぷりのイヤミな声音で彼の行動を褒め称えた。
「岡部は僕のナイトだな」
「いい加減、お役ごめんにしてくださいよ。何のために青木をつけたと……まったく、あいつは何をやっとるんだか」

 少しだけ頬を赤くして、ガリガリと頭を掻く岡部に、ふふ、と笑って薪は、
「さて。姫を助けに行くか」




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緋色の月(19)

 ただいまです~。

 旅行、楽しんできました♪
 おかげさまで、心配したお天気もそれほど悪くありませんでした。 土曜日、豪雨で車の前が見えなくなったのが3回くらいだったかな☆ 日曜日は晴れ間も見えました。 

 遠浅で穏やかな銚子の海と違って、五浦の海は波が強く、断崖に砕け散る白波がとてもきれいでした。 目に鮮やかな松の緑と、眩しい空に白い波。 激しく打ち付ける波の音。 自然の力強さと美しさに、心が洗われる思いでした。
 これでネットがつながれば最高の環境なのに。 (←洗われても落ちない汚れ)


 留守中、たくさんのコメントと拍手をありがとうございました。
 土曜日かな、いっぱい拍手してくださった方、ありがとうございました。
 少しずつお返事していきますので、しばらくお待ちになってくださいね。(^^

 
 



緋色の月(19)





 石門の内側に二本の桜が、美しく咲き誇っている。
 昨夜からの風に払われた雲は空の隅っこに追いやられ、上空は見渡す限りの青一色。それを背景に、満開の桜が見事に映える。

 ひらひらと数枚の花びらが舞い落ちる中をゆっくりと歩く青年は、明るいベージュ色のコートの裾をかすかに揺らし、体重を感じさせない優雅な歩みをその道筋に刻む。
 やがて彼は、門と建物の中間地点に到達する。そこで建物から出てきた3人の人物に気付き、歩を止めた。
 真ん中に立った背の高い男が振り返り、他の二人に向かって頭を下げた。二人はその場に立ち止まり、そのまま庭へと歩いていく男の背中を見守った。

 薪は、彼が近付いてくるのを待っていた。
 彼は見違えるほどに憔悴しきった顔をしており、薪はまたひとつ、東条の吐いた嘘に気付いた。
 腫れ上がった目蓋に充血した眼。一日しか経っていないとは思えないくらい削げ落ちた頬。顔色も悪く、足取りもおぼつかない。夕方の6時で解放されたなんて、あれは嘘だ。明け方まで眠らせてもらえなかったのだろう、食事も飲み物も与えられたのかどうか。彼が体験した難事の熾烈を想像して、薪はいたたまれない気持ちになる。
 そんな状況に置かれても薪の身を案じていたなんて。こいつは本当に救いようがない。

 ふらつく足を踏みしめて、青木は懸命に薪に駆け寄り、1メートルほどの空間を挟んで彼と対峙した。青木の顔を見上げて、薪のつややかなくちびるが開く。
「バカヤロウ。手間かけさせやがって」
「……すみません」
 とんでもない災厄に見舞われた恋人に対して、この台詞はないんじゃないか。青木は思うが、仕方ない。薪に迷惑を掛けたのは事実なのだ。薪はときにその冷酷で青木を悲しませるが、本当はやさしい人だと分かっている。

 素直に謝る青木に、薪は一歩近付き、右手の人差し指で地面を指した。
「土下座して謝れ」
 …………どうしてこんなひと、好きになっちゃったんだろう、オレ。

 泣きっ面に蜂とはこのことで、だけど青木は自分でもどうしようもないくらい薪が好きだから、彼の言には絶対服従する。言われたとおり地面に屈み、片膝をついたとき。
 薪の腕が春風のようにやわらかく自分を包み、青木は彼の薄い胸に抱きこまれた。
 さらりとした髪の感触と、薪の匂い。恍惚としかけて、青木は自分を戒める。

「薪さん、人が」
「いいんだ」

 絶対に人前では青木の身体に触れない、街では離れて歩けと青木を叱る、過剰な警戒を怠らないはずの年上の恋人は、白昼堂々、しかも警察署の庭という公共の場で、玄関では二人の刑事が自分たちを見ているのを知りながら、自らの腕を青木の頭に絡め、愛おしそうに頬ずりをした。

「おまえのほうが大事だ」

 耳元で囁かれて、青木は思わず涙を零した。薪の細い背中をかき抱き、唇を噛んで嗚咽を殺した。そんな青木の弱さを薪は笑わず、彼の乱れた黒髪をやさしく撫でた。
「よく頑張った」
「薪さんが助けてくれるって、信じてました」
 青木は薪を妄信する。疑いなく迷いなく、それは青木にとって当たり前のこと。愚かとも間違いとも思わない。それを基本にして、青木の人生は作られる。

 人目も憚らずに抱き合う彼らを、二人の警官が眺めている。ツンツン頭の若い刑事が、ふうむ、と唸って腕を組み、
「想像してたより気持ち悪くないっすね。って、おれ、ヤバイすか?」
「いんや。あたしにも当たり前のことに見えるさあ」
 中年の刑事がゆるゆると首を振り、垂れ下がった眉毛をいっそう下げて、その下の小さな眼に温かいものを湛えながら、ため息混じりに呟いた。
「あそこまで思い込まれちゃねえ。男だ女だって拘ってるやつの方が、アホウに見えてくるよ」

 短い抱擁を終えて、彼らはI市警察署の建物に向き直った。それから玄関に佇む二人の刑事に一礼すると、付かず離れずの絶妙な距離感を保って石門へと歩いて行った。

「腹、決めて踏み出したんだろうよ。男だねえ」
 感慨深げに眼を細くした先輩刑事に、若い刑事が「そうっすね」と頷きを返す。
 遠ざかっていく彼らを祝福するように、舞い落ちる桜の花びらが二つの後姿を彩って、事件は幕を閉じたのだった。



*****

 
 このシーンが書きたくて、このお話を書きました。
「おまえの方が大事」って、薪さんの口から青木さんに直接言ってほしかったんです。
『トライアングル』の時もそうだったけど、たったこれだけのためにあんな目に遭わされるうちの薪さんて、ほんっとうに不憫☆



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緋色の月(20)

 こんにちは。

 新しいサイト様のリンクのご紹介です。
 『Sadistic EXPO』 ←押すと飛べます。 
 管理人は オカイアキラ さまです。

 開設は今年の5月だそうで、まだ4ヶ月とのことですが、長編秘密創作に関しては1部が終了し、2部に入っております。 4ヶ月でこの量は、相当熱が入ってらっしゃるものと思います。 

 普通なら、こちらからリンクを貼らせていただくサイト様については 『切ないすずまきさんが』 とか 『甘いあおまきさんが』 とか、サイトの傾向について一言ご説明するんですけど、
 こちらのサイト様に関しては、それは控えさせていただきます。
 もう、そんな次元じゃないんです。 とにかくすごいの。 すごいとしか言いようがない。 ストーリーもキャラも、鮮やかで生々しい。 事件もきっちり書いてて、解決したときには 『おお!そうか!』 ってなる。
 薪さんの苦悩も、恋も、愛も、全部全部重く心にのしかかる感じです。 読んでいると、原作ばりに胸が苦しくなります。

 オカイさんのお話を読んだらね、自分の話なんかペラッペラだな、って思いましたよ。 まあ、うちはギャグなんで、そんなに重くても困りますけどね☆
 あと、うちの男爵はなんて幸せなんだろうって思った。(笑)

 ひとつだけ、お話の内容は決して甘いものではなく、薪さんの苦悩も深いです。
 初めの注意書きをよくお読みなってから、本編にお入りになることをお奨めします。
 わたしの鉄の心臓でさえ何度かビビリましたから~、ナイーブな方には、ちょっと厳しいかも。

 でも、本当に面白いんですよ! これを読まないなんてもったいない!
 是非どうぞ! ご健闘をお祈りします!!







緋色の月(20) エピローグ(1)






 月曜日。
 朝一番で薪がしたことは、官房室の上司に頭を下げることだった。

「申し訳ありませんでした。定期的に接触を持ちながら、彼の異常性に気付かなかった僕の責任です」
 事件は明るみに出た。
 犯人が警視庁専属のカウンセラーであったこと、犯行の動機が薪に対する異様な執着であったこと、犯人の偽装工作によって青木が誤認逮捕されたこと、それらはすべて白日の下に晒され、小野田は事件の渦中にあった警察官二人の氏名がマスコミに洩れないよう、奔走せざるを得なかった。

「責任はすべて僕にあります。青木警視は巻き込まれただけで」
 沈痛な面持ちで報告する薪の言葉は、途中で遮られた。小野田の両手が薪の肩に置かれたからだ。

「心配したんだよ」
 眉根を寄せて薄灰色の瞳を歪ませて、小野田は明らかに怒っていた。どうしてトラブルに巻き込まれた時点で自分に助けを求めなかった、とそれは言葉にはならなかったが、裏切られたような悲しいような彼の瞳が、想いを薪に伝えてきた。

「……ごめんなさい、小野田さん」
 不祥事を起こした部下としてではなく、彼の愛情を受けるものとして薪が心から謝ると、小野田は彼の肩を解放し、いつもの穏やかな顔に戻って言った。
「うん。これからは気をつけてね。きみはおかしな男に好かれる習性があるんだから、自分に話しかけてくる男はみんな自分を狙ってるくらいに思わなきゃダメだ」
「小野田さんまでそんなこと」
 岡部にも青木にも、同じことを言われた。冗談のつもりなのだろうが笑えない。あいつらのギャグセンスは、時々すごく残念だ。

「下がっていいよ。後の処理はこっちでするから」
「処理、とおっしゃいますと?」
 これはI市で起きた事件で、警視庁は介入しない。入るとしてもF県警までで、これ以上小野田の手を煩わせることはないはずだが。
 訝しげな光を瞳に浮かべた薪の前で、小野田は執務机の上で両手を組み合わせ、にっこりと笑って、しかしその眼は冷たいままで、薪は自然と強くなっていく肩の緊張をほぐすことができない。
 警察庁の実力者の貌になって、小野田は薪の疑問に答えた。

「きみを殺そうとした東条は、警視庁の専属カウンセラーだ。これは警視庁の責任でもあると思わないかい?」
「官房長殿の仰せの通り」
 隣の部屋から首席参事官の中園が現れ、小野田の言葉を引き継いだ。
「その責を負うのは、当然警視総監の役目だ。きみを彼のところへ通わせていたのも、彼。彼には何らかの形で責任を取ってもらう。具体的には、彼が第九へ介入する権限を削いで科警研に及ぼす彼の力を減じ、我々の勢力を伸ばすという方向で」
「中園。余計なことは言わなくていいよ」

 中園の口上を遮って、小野田の尖った声が響いた。官房室の諸葛孔明と異名を取る首席参事官は、軽く肩を竦めて、
「小野田。いつまで薪くんを客人扱いする気だい? そろそろ、こういうことも覚えてもらわないと」
「いいから黙りなさいよ。薪くん、昨日の今日なんだからね。無理をせずに、今日は家でゆっくりしたらどう?」
「いえ、大丈夫です。失礼します」
 薪は一礼し、官房室を辞した。

 今回の事件を利用して、小野田は警視総監派の勢力を抑えようとしている。
 派閥抗争のため、利用できるものは何でも利用する。警察の上層部がそういうところだということは理解していたつもりでも、第九や自分がその為に利用される事実を知るのは、悲しかった。
 
 小野田は聖人君子ではない。薪の身をとても案じてくれたことは事実だが、それを利用する狡猾さも持っている―― 。
 小野田に対する尊敬と愛情は変わらずとも、そのことだけは肝に銘じよう。

 官房室のドアを見つめがら、薪は自分にそう言い聞かせた。



*****



 週末、薪にはもう一つのフォロー先が残っていた。誤認逮捕の憂き目にあった哀れな男、つまり薪の恋人だ。

 その日、彼がいささか不機嫌なのはわかっていた。その理由も察しがついた。東条が薪に行った狼藉の数々に腹を立てているのだ。
 青木はやきもち妬きだ。特に、薪が他の男に肌を見せるのを極端に嫌がる傾向がある。温泉の大浴場に浸かるのもいい顔をしないし、夏、タンクトップに短パン姿でコンビニに行くのにも眉を顰める。
 そんな彼が、東条のしたことを知って怒らないはずがない。被害者であるはずの自分が彼の不機嫌をいなさなければならない状況に理不尽は感じたものの、今日のところは仕方あるまいと諦めて、週末の楽しみに録画しておいた推理ドラマは早々に切り上げ、恋人と一緒にベッドに入った薪である。
 青木の不機嫌は、だいたいコレで直る。ちょっとした諍いなら、おつりがくるくらいだ。それを愛情と取るか非情な駆け引きと取るか、その判断に他人の意見はいらないし、聞く気もない。本人同士が納得しているのだから、世間一般の道徳はこの際遠慮してもらおう。

 彼のご機嫌を取るために、常ならば落とす部屋の明かりは点けたまま、恥ずかしいのを我慢して青木の愛撫を受けていた薪は、彼の様子がいつもと違うことに気付いた。それは、薪の肌に吸い付く彼のくちびるの温度とか、彼の指先から生み出されるリズムとか、そんな曖昧なものではなく、もっと具体的で、要は一目見て分かるものだった。
「……どうした? 疲れてるのか?」
 薪の裸体を前にして、青木が反応を示さなかったのは初めてかもしれない。青木は若く、イヤになるほど元気で、服を着たまま接触していても自然にその状態になってしまう。ソファで持たれ合ってテレビを見ているだけでも欲情してしまう彼を、薪は宇宙人でも見るような眼で見ていたのだが。

「ごめんなさい。今夜はできそうにありません」
「気にするな」
 ベッドの上に裸で二人、正座して向かい合う。何をしているのかと笑われそうだが、本人たちは真面目だ。
「おまえも30近いんだから、そういうこともあるさ。落ち込むことはない。僕なんか、ソープで勃たなかったことあるぞ。お金だけ払わされて、あれは口惜しかった」
 しょんぼりしている恋人を、薪はやさしく慰める。かなり微妙な慰め方だが、本人はこれで精一杯元気付けているつもりなのだ。
 それが役に立たないことは、薪の方がずっと多い。薪はもともと薄いほうだし、すでにアラフォー。正直、今夜はしなくて済むと思うと、ちょっとだけ嬉しかったりする。

 まだ眠ってしまうには早いし、さっきの録画の続きを見よう、と提案しようとして薪は、青木が眼の縁に涙を浮かべているのに気付いた。何も泣かなくたって。できなかったことがそんなに悲しいのだろうか。
「青木?」
 薪が下から覗き込むと、青木は黒い瞳を捨てられた子犬のように潤ませて、ごめんなさい、ともう一度謝った。

 いやな予感がした。
 青木の不調は体力的なものではなく、精神的なものだと薪は直感した。
 もしかしたら、薪が東条に穢されたことを知って、青木は薪の身体に嫌悪感を抱いたのではないか。その気持ちが身体に現れて、今日の青木は反応しないのでは?

「オレ、あの男が薪さんにしたことを聞いて」
「あれは僕の意志じゃない!」
 予感が的中したことを悟って、薪は思わず叫んだ。
 レイプにあった被害者が、恋人や婚約者から一方的に別れを告げられることは多い。本人には何の非もないのに、理不尽な暴力に晒されて、なのに一番力になって欲しい人が自分から去っていく。彼女たちの憤りと悲哀を、薪は身をもって体感しようとしてした。

「クスリで眠らされて意識がなかったんだ。それでも、青木は僕を許せないのか」



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緋色の月(21)

 最終章です。
 お付き合いくださったみなさま、ありがとうございました!!




緋色の月(21) エピローグ(2)




「クスリで眠らされて意識がなかったんだ。それでも、青木は僕を許せないのか」
 
 正座から膝立ちになって青木に詰め寄ると、青木は慌てて首を振り、
「ち、違いますよ。許すも許さないも、薪さんは被害者じゃないですか」
 と、薪の早とちりを諫めた。
「なら泣くなよ。あの男が許せないのは分かるけど」
「それも違います。もちろん先生のしたことは許せませんけど、オレも似たようなことしてたし……責める権利ないっていうか」
 青木は昔、薪が捨てたはずのジャケットを後生大事に隠し持っていたことがある。早朝から薪の家の前に立っていて、外出先まで尾けて来たこともある。立派なストーカー行為だ。薪に想いが通じて恋人同士になる前、彼が眠っているのをいいことにくちびるを盗んでしまったこともあるし、一人寝のベッドの中で毎晩のように淫らな彼を妄想しては自分を慰めた経験もある。ひとのことを言えた立場ではない。

 犯罪者を先生と呼んでしまう青木の愚直さを好ましく思いながらも、じゃあなんだ、と薪がくちびるを尖らせると、青木は途端に項垂れて、申し訳なさそうに白状した。
「あんなことされて、一番傷ついてるのは薪さんなのに、オレが慰めて差し上げなきゃいけないのに、オレ、口惜しくて……オレ以外の男が薪さんを抱いたって思ったら、口惜しくて口惜しくて、どうしてもやさしい気持ちになれなくて」
 それは恋人として当たり前の感情だと薪は思った。薪だって、青木がクスリで身体の自由を奪われて、どこぞの女にオモチャにされたら面白くない。女に報復するのは当然として、被害者である青木に対しても当り散らしてしまいそうだ。こういうものは理屈じゃない。理性は納得しても、感情は治まらない。それが分かっていたから、まだ宵のうちからベッドに入ったのだ。
 でも、青木は大きな勘違いをしている。そこだけは正してやらないと。

「こんなオレに、薪さんに触れる資格ないって」
「ちょっと待て。僕が東条に犯られたって、あの事件調書のどこに書いてあったんだ?」
「事件調書には書いてありませんでしたけど、ストーカー被害に遭った男性は、クスリで眠らされて性的暴行を繰り返されてたって、週刊誌に」
 ……どうして警察の人間が週刊誌で事件の詳細を確認するんだ。おまえはそれでも幹部候補生か。

「証拠品の診療日誌も読みました。薪さんと何度も愛し合ったって」
「おまえの眼は節穴か。あんなもの、東条が自分の妄想を書き付けてたに決まってるだろうが」
「まあ、あれは全部本気にしたわけじゃないですけど。薪さんが挿れただけでイッちゃったとか、立て続けに射精とか、ありえないし」
 ちょっと待て! 真偽の判断基準はそこなのか!?

 説教は後回しにして、今は青木の誤解を解くことが先だ。薪はしぶしぶと言った口調で、自分が受けた被害内容を青木に話して聞かせた。
「――― という具合で、裸にされて触られたのは事実だけど、そこまではされてない。一時間程度で目覚める量の睡眠薬なんだから、されれば気がつくし、万が一眠っている間にされてたら、眼が覚めたときに感触でわかる」
 あんなものが出入りすればその後はしばらく疼くし、眠っていたのはせいぜい1時間位のものなのだから、身体の異変に気付かないわけがない。

「でも、試験管にストーカー被害に遭った男性の精液が保存されてたって」
「あれは僕のものじゃない。おそらく東条のだ。彼は、現実と妄想の区別がつかなくなっていたんだ」
 薪は眠っていたのだから、吐精なんかできるわけがない。加えて、薪には絶対にそれが自分のものではないと確信できる理由があった。
「もしかして、中身を調べたんですか?」
「調べなくてもわかる。この2ヶ月、僕はカウンセリングには行ってない。2週間前の精液が採れるはずがない。それに」
 言いかけて、薪は口ごもる。
 薪の揺るぎない自信を何が支えているのか、それを言うのはちょっと、いや、むちゃくちゃ恥ずかしい。理由もさることながら、それを為していた自分の気持ちを青木に知られるのはもっと恥ずかしいからだ。

「だけど、あの先生のところには3年も通ってたんでしょう。その間には、きっと何回かは」
「ありえない」
「どうして言い切れるんですか」
「どうしてもだ」
 これ以上の会話は危険だと察して、薪はぷいと横を向いた。絶対拒絶のオーラを出して、青木の質問を封じる。

「……そうですよね。どちらにせよ薪さんの意思じゃなかったんだから、そんなことに拘るのもおかしいし、今更蒸し返しても仕方ないですよね。ごめんなさい、嫌なことを思い出させて」
「僕には無理なんだ! 僕が二日続けてできないの、知ってるだろ!」
 男のプライドに懸けて言うまいと決めていたことを、薪は大声で叫んだ。

 だって青木があんまり悲しそうな顔をするから。黒い瞳が捨て犬みたいに薪を見るから。
 彼にこんな顔をさせるくらいならプライドなんか要らないと、一瞬でも思ってしまったら薪の負けだ。

「カウンセリングに行った日は、おまえと夜を過ごした翌日だ。だから、何をされても勃たないんだよっ」
 ときに涙を禁じえないほどの薪の薄さは、青木が一番よく知っている。翌日は本当に何をしても反応しない。起きていてもその調子なのだから、眠っていたら尚更だ。
「でも、3年間必ずそうだったわけじゃ」
「いいや、3年間ずーっとだ」
「薪さんの記憶力がいいのは存じ上げてますけど……」
 くそ、しぶといな。僕にここまで言わせるか。

「僕がカウンセリングに通っていたのは、僕の意志じゃない。総監に無理矢理通わされていたんだ。僕は早くカウンセリングから解放されたかった。そのためには良好な診断結果が必要だと思った、だから」
 頬が火照っているのが分かる。本音を言うのが一番苦手だ。自分の最も弱い部分を、相手に知られてしまう。
 すうっと息を吸って、薪は一気に吐き出した。

「自分で最高に満ち足りてるって思う精神状態のときを選んで、カウンセリングを受けていたんだ! 一度も違えてない!!」

 青木と過ごした翌日は、満たされてる。歩くのが辛いくらい足腰が痛くても、会議の最中に居眠りしそうなくらい寝不足でも、それは青木が僕を愛してくれたことの証だから。痛みもだるさも、感じるたびに幸せな気分になる。
 自分がそこまで彼に溺れていることを当の相手に知られるなんて、最大の屈辱だ。だから言いたくなかったのに。でも、
「薪さん」
 ぱあああ、と笑顔になる青木を見ていると、そう悪くもないような、ていうか、この単純なところが可愛いと、胸がきゅんきゅんしてしまう。だから薪はついつい余計な一言で、自分の首を絞めるのだ。
「安心しろ。僕はおまえ以外の男には反応しないから」

 他の男なんかゾッとする。東条に触られたときも、虫唾が走った。
 青木だけだ。青木だけが僕の身体をおかしくする。この感覚を狂わせる。羞恥心を悦びに、苦しさを快感に、狂わされたまま乱れて乱れて、堕ち行く先には底が見えない。僕もそのうち彼の精神分析医のように狂ってしまうのだろうかと、時々薄ら寒くなる。

「納得したか? じゃ、服を着て録画の続きを見よう。僕のカンではもうすぐ第二の殺人が」
「薪さんっ!」
 ベッドから降りようとしたところを後ろから捕らえられ、腰を引かれてシーツの上にうつ伏せに倒れた。腿の付け根に硬いものを押し付けられて、薪はぎょぎょっと振り返る。
「ちょ、ちょっと待て! 今夜はできないんじゃなかったのか!?」
「すみません、我慢できないです」
 結局こうなるのか―――――っ!!

 安眠への期待を裏切られて、薪は腹を立てる。でも、いささか強引に後ろから入ってきた青木に、オレもあなただけですから、と耳元で囁かれれば、彼がもらたす律動とその余波の中で、腹立だしさも愛しさに変わっていく。
 青木はまるで存在自体が魔法みたいに、僕の心に次々と生まれるマイナス因子をプラスに転じていく。それは、表が黒で裏が白色のドミノピースが逆向きに倒れていくさまにも似て、与えられる刺激との相乗効果で、僕の身体も心も白くする。
 自分は多分東条と同じ種類の人間で、それはあの夜、同じ色の月を見ていたことからも明らかだ。話してみれば夢も闇も、我がことのように理解しあえるのだろう。
 でも。
 
 ―――― でも僕は天邪鬼だから。逆に倒されるのが好きなんだ。

 つながったまま、脇腹を抱えるように起こされて、薪は青木の膝の上に座らされた。自然にうつむくと、彼の手が自分の脚の間で動いているのが見えて、その隙間に覗く自分があまりにも快楽に正直なのが恥ずかしくて、思わず眼を逸らす。しかし一度眼にしてしまったその映像は、彼の脳に留まり彼の脳下垂体を刺激して、彼の快楽を倍増させる。
 自然に反り返る細い背中と、リズムに合わせて動く腰。今日は抑えなくてもよい嬌声が、つややかな唇から迸しる。

 上向いた薪の眼に、消さずにおいた部屋の明かりが飛びこんでくる。眩しくて、薪は目を閉じた。
 閉じた目蓋の裏側で、寝室の暖色照明の残像が、赤い月の破片のように滲んで消えた。



―了―



(2011.6) 最新作とか言っておいて、公開終えたら3ヶ月も経ってたよー。(^^;


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緋色の月~あとがき~

 長い長いお話にお付き合いくださいまして、誠にお疲れさまでした。

 以下、あとがきでございます。








*****



青 「どうもお疲れさまでした。はい、コーヒーどうぞ」
薪 「いやー、先生、大変でしたね。あんな役を割り振られて」
東 「参ったよー。演りながら何度も吐きそうになっちゃったよ」
青 「……ノリノリじゃありませんでした? 特に、薪さんとの絡みのシーン」
東 「ぎく」
薪 「バカだな、青木。役柄上、仕方なくやってたに決まってるじゃないか」
青 「そうですか? でも、厭々やってたらエレクトしないんじゃないですか?」
東 「ぎくぎく」
薪 「さすが先生。見上げたプロ根性ですね!」
青 「これだから何度襲われても学習しないんだよな」
薪 「なんか言ったか、青木」
青 「いいえ、何にも」
薪 「東条先生、本当にお疲れさまでした。先生が僕を拘束して思いの丈をぶつけるシーンは、鬼気迫るものがありましたねっ。僕、ちょっとだけ怖くなっちゃいました」
東 「あそこはねー、何度も作者にダメ出し喰らってねー。もっと異常性を表に出して、とかムチャな注文付けられてさ。自分にないものを演じるのって、難しいよね」
青 「そうかなあ。7割ぐらいは本音混ざってませんでした?」
東 「ぎくぎくぎく」
薪 「青木! さっきからその態度はなんだ、先生に突っかかって。おまえ、主役の先生に向かって意見できる立場だと思うのか。今回は何にもしない楽な役だったくせに」
青 「オレだって好きで出なかったわけじゃ、てか、この話、先生が主役だったんですか?」
薪 「東条学というキャラクターが生まれたからこそ出来た話だ」
青 「そうなんだ……オレたち、脇役だったんだ」
東 「薪さんは脇役じゃなくて、僕の相手役だよね」
薪 「そうですね。脇役っていうと峰山くんかな。岡部は友情出演て感じで」
青 「あの、すみません。オレは?」
薪・東 「「エキストラ」」
青 「……………」



*****




 いつの間にか 『あとがき=座談会』 に……!!

 読んでくださってありがとうございました。


 この後の公開予定は、長い話でお疲れになったと思うので、肩ほぐしの男爵シリーズをちょっと挟みまして、それから、今では薪さんの言動に矛盾が生じてお蔵入りになってしまった話を挿入して、その後は、
 本編の最終話、『タイムリミット』を公開します。


 こちら、最後のバクダンです。 当然、あおまきすとさんは立ち入り禁止でございます。
 読まれる方のご心痛を考えれば、お心の強い方だけお付き合いください、と言いたいところなんですけど~~、
 この話、うちのあおまきさんの集大成なんですよね。 この話でようやく、よそ様のあおまきさんの絆に追いつく感じ。
 だから、ちょっとばかり痛くても読んでいただけるとうれしいな~。 
 もちろん、最後はハッピーエンドになりますから! 
 わたし、薪さんに関してだけはハピエン至上主義者だもん!(←オリキャラは不幸上等)


 ではでは、公開の準備を致しますので、しばしお待ちください。




パンデミック・パニック(1)

 こんにちは。

 先週はたくさん拍手いただいて、本当にありがとうございました! 1週間で1050拍手は新記録です~。 おばさんはびっくりしました~(@▽@)
 ずっと昔から見守ってくださってる方々、ご新規の方々、誠にありがとうございます。 
 みなさん、きっと最初は麗しの室長を求めて『秘密 薪さん』で検索なさったはずなのに、何の間違いかこんなブログに流れ着き、
 原作設定完全無視の二次創作、しかもクールビューティのクの字もないオヤジ薪さん等々、数々の「ありえねえ」をお許しくださり、
 なかなかくっつかない上にくっついたと思ったら今度はケンカばっかりしてる残念なあおまきさんに辛抱強くお付き合いくださいまして、なんてお礼を申し上げたらいいのかしら。 ありがとうございますとしか言えないんですけど、本当に感謝してます。
 みなさんに喜んでいただけるような話が創れるように、これからも精進します。 (←だったら甘いあおまきさんを書けばいいんですよね…… どうしていつも心臓に悪い話になっちゃうんだろう?)


 感謝を込めまして、
 本日から公開しますこちらのお話、本編の過去を発掘しまして、2066年10月のお話になります。 『女神たちのブライダル』で雪子さんと竹内が結婚してから3か月後くらいです。
 内容は、病気で死にかけてる薪さんに青木さんが早く死んじゃえみたいな、いやいや、そんな愛のない話じゃなくて、病名を宣告された薪さんが我を失って暴れて雪子さんに足げにされ…… なんか違うなあ……。
 年を取るとどんどん日常の言葉に詰まるようになって、もともと苦手なあらすじの説明が壊滅状態に~、すみません、とりあえず読んでください。 

 で、ですね、いつの話だよ、って感じですけど、15000拍手のお礼ということで、お納めいただきたいと思います。 薪さんの女装も入ってますし♪ ←書きたかっただけ。
 
 しばらく書けなくなってて、久し振りに描いた話なので、文章も構成も素でヒドイです。 公開するの、申し訳ないくらい。(^^;
 毎度のことながら、広いお心でお願いします。
 

 それと、コメレスお待たせしてて、申し訳ありません。
 28日に河川工事現場の検査なんです。(メロディの発売日に検査なんて(--;) 
 それでしばらくバタバタしてて~、
 少しずつお返ししていきますね。(^^ 






パンデミック・パニック(1)





 凝視していたモニターから視線を外し、青木は眼鏡を押し上げるように下方から指を入れて、眼精疲労に凝り固まった目元を揉みほぐした。瞼を閉じると液晶画面の残像が、夏の木漏れ日のように揺れる。
 目蓋の裏の点滅が治まってから眼を開き、後方に頭を巡らせば、そこに彼は一筋の乱れもなくピシリと伸ばされた華奢な背中を見る。自分より12歳も年上で、体力的にも劣るであろう彼が毅然と職務に打ち込む姿を見れば、青木の姿勢は自ずと正されて、再びモニターを見つめる黒い瞳には真摯な熱意が灯る。

 業務終了時刻から約5時間。青木と室長が行っているのは、MRIシステムの過負荷テストだ。
 本来、過負荷テストは宇野という職員の仕事なのだが、彼は腸イレウスで入院中だ。再来週には職場に復帰できるとのことだったが、テストの期限は今週末に迫っている。過負荷テストは3ヵ月に1回の履行を定められており、もしテストを行わずにシステムが誤作動を起こした場合、室長は管理責任を問われてしまう。青木は宇野に次ぐシステムに精通した職員で、だから彼にお鉢が回ってきたというわけだ。

 先週、青木は宇野の見舞いも兼ねて、室長と共に彼の病室を訪れ、テストのポイントについて詳しい説明を受けてきた。病気の同僚に教えを請わずとも、取扱説明書を参考にすればできないことはないと思ったが、所詮マニュアルは汎用的なもの。経験に基づく話を聞いた方が分かりやすいし、現場では役に立つ。
 それに、宇野はちょっと変わっていて、三度の飯よりもパソコンが好き、プログラミングもパーツいじりも大好き。果てはMRIシステムを恋人のように可愛がっている。見舞いの花束より、仕事の話の方がずっと彼を元気付けてくれるのだ。

 繁忙を極める職務の合間を縫って、見舞いとテストの時間を作り出そうとしている薪に、自分一人でも、と青木は言ったが、これも上司の仕事だ、と譲らない薪に折れた。
「おまえみたいなボンクラに、大事なテストを任せておけるか」
 口ではそう言ったが、薪は部下思いだ。宇野のことも心配して、ずっと様子を見に行きたかったのだろう。

 モニターに示されるゲージがレッドゾーンを振り切らないように注意しつつ、ブロックごとに負荷をかけていく。エラーが出たブロックは、この先、不具合が起こり得るということだ。問題ありとして番号を控えておく。
 黙々と作業を続けていた青木に、室長の疲れたような溜息が聞こえた。ちらりとそちらを見ると、肩を回して眉をしかめている薪の姿。
「肩凝りですか? よかったら、マッサージしましょうか」
 システムにストッパーを挟んで、青木は部下として、あくまでも部下として申し出る。決してシタゴコロではない。

「けっこうだ。明日、岡部にしてもらうから」
 さては警戒しているな、と青木は思った。
 先週の土曜日はどうしても薪がうんと言ってくれなくて、でも青木は是が非でもしたかったから、マッサージの名目で無理矢理ベッドに引き込んだ。最終的に協力はしてくれたものの、騙まし討ちみたいに奪われた彼は、翌日かなり不機嫌だった。
「遠慮しないでください」
 冷たい拒絶を受けて、でもそれを素直に聞いていたら、このひとの傍になんかいられない。彼と付き合う極意は、にっこり笑って図々しく。青木は当然のような顔をして、薪の後ろに立った。

「僕に触るな。余計なことしてないで、さっさと自分のエリアを終わらせろ」
 肩に置いた手を振り払われて、さすがにちょっと怯む。先週の今日だ、まだ機嫌が直っていないのかもしれない。謝っておいた方が無難だ。
「土曜日はすみませんでした。もう、あんな真似はしませんから」
「土曜? ああ、別に。おかげさまでな、おまえの人を人とも思わない非道な振る舞いにはすっかり慣れた」
 恒常的に、部下をドレイとして扱う薪に言われたくない。けど、ここは我慢だ。

「そんなに怒らないでくださいよ」
「怒ってない。でも、おまえと職場で触れ合うと、その後ロクなことにならないから」
「はあ?」
「今までさんざんひどい目に遭っただろ? 小野田さんにバレて叱られたり、人格が入れ替わったり、写真を撮られて脅されたり」
「別系統の話も混ざってる気がしますけど、言われてみればそうですね」
 どうしてだろう、と考えて青木は、嫌なことに思い当たる。ここは鈴木が死んだ場所だ。だから鈴木の霊は第九にこそ残っていて、薪にちょっかいを出すと祟るとか?
 でも、それはおかしい。だって、いつも酷い目に遭うのは薪の方だ。鈴木は薪のことをとても大切に想って死んだのだから、薪には被害が及ばないように計らうはずではないのか。

「平気ですよ。肩を揉むだけなんですから」
 有無を言わせずジャケットの上から薪の肩を掴むと、薪は一瞬抵抗する素振りを見せたが、すぐに気持ちよさに負けてしまったらしく、低く呻いて顎を上げた。白い喉が仰け反って、亜麻色の髪がさらりと青木の手の甲をくすぐる。
「そうだな。邪心が無ければ大丈夫かな……んふっ……」
 薪にはなくても、青木にはたっぷりある。いっそ邪心で出来ている。
 だって、マッサージを受けている時の薪の表情と言ったら、あの時の顔そのままで。呻き声もモロにアレだし、ドアの外で聞き耳を立てている人間がいたら、誤解されること請け合いだ。もしここに守衛が見回りに来たら、明日はとんでもない噂が科警研を席巻するのだろうな、限りなく真実に近い噂だけど、と青木は乾いた笑いを洩らした。
「なんだ?」
「いえ、なんでも……えっ?」

 地獄耳の薪が訝しげに眼を眇めた時、自動ドアが開いた。守衛はモニタールームに入ってはいけないことになっているのに、さては薪の声を聞かれたか、と思いきや、そこにいたのは警備服ではなく、白衣に身を包んだ男だった。
 首からIDカードを下げている。他の研究室の人間だろうか。こんな時間にアポも取らずに、ずい分非常識な話だが、何か緊急事態なのかもしれない。青木は薪の傍を離れて、訪問者の方へ足を進めた。
「何か御用で」
 
 口を開いた青木の横を、ひゅっ、と男は通り過ぎた。青木の眼に、白衣の残像が残る。男は真っ直ぐに薪の席に向かい、彼の腕を掴んで強引に立たせた。薪の背後に回り、細い首に白衣の腕を回し、頬に光るものを突き付ける。蛍光灯の光を反射してきらめく棒状のそれは、医療用のメスだった。
「薪さん!」
「騒ぐな。早く培地を用意しろ」
 白衣の男は、低い声で言った。
 侵入者の目的も要求もいま一つ意味が分からず、何よりも薪に危険が迫ったのを見て、青木はその場に立ち竦んだ。下手に動くと命取りになる。

「室長を放してください。オレが人質になりますから」
「あんたは人質にするにはデカ過ぎる。このくらいのサイズの方が、逃げるときも便利だしな」
 人より若干小さい体格を指摘されて、薪の表情が険しくなる。そんな細かいことに反応している場合ではないと思うのだが、もはや条件反射なのかもしれない。

「青木。G-8957のブロックにストッパー挟んどいてくれ。テストが途中なんだ」
「さすが法一の室長。この状態で口が利けるとは、肝が据わっている」
「暴走させてしまうと、最初からやり直しになる。ここまで3時間も掛かったんだ、冗談じゃない」
 自分の命を握っている者に対して、ズケズケと物を言う。それは確かに薪らしい行動だったが、青木は気が気ではない。相手を怒らせたらグサリということもあり得るのに、無鉄砲にも程がある。

 首にメスを当てられても顔色一つ変えない薪に、侵入者は舌打ちした。見れば、白衣を纏った彼からは、医療に携わる者が持つべき命に対する敬虔さも慈愛も感じられない。雪子が白衣を着ると輝いて見えるのは単なる白衣効果ではなかったのだと、今さらながらに青木は知った。
 薪を人質に取られて身動きもできない青木に比べ、当の薪は普段となんら変わらぬ声で、
「ところで君、訪問先を間違えてるんじゃないのか。ここは法一じゃなくて第九だぞ。培地なんか用意できない」
「えっ!? そんなはずは」
 冷ややかに薪が指摘すると、侵入者は上ずった声を発した。焦って周りを見回して、見たこともない機械に自分が囲まれていることに気付き、呆けたように口を開けた。

 その隙を、薪が逃すはずがなかった。
 靴の踵で相手の足の甲を思い切り踏みつけると、痛みに緩んだ手からメスを叩き落とし、素早く腰を屈めて一本背負いを決める。背中から床に叩きつけられた痛みにあっけなく気を失った相手に、薪は容赦なく手錠をかけた。

「薪さん、怪我は」
「ない」
 一瞬とは言え捕り物の後、薪の冷静さは憎らしいくらいだ。
 薪は強い。だからいつだってこの調子で、青木の手など必要としない。自分は彼のボディガードなのに、彼を守りたくてあんなに鍛錬を重ねてきたのに、それを殆ど役立てられていない現実が悔しくて仕方ない。

「この男、何者なんでしょう?」
「さあな」
「法一に侵入するつもりが、ここに来ちゃったってことですか?」
「似たような建物だからな。正門に名前が刻まれてるけど、一と九の違いだからな。慣れない人間が夜目に間違うのも無理はない。それより、この男が法一に侵入しようとした目的は何だったのか……」
 手錠で繋がれた犯人の両手を仰向けになった彼の胸に載せ、首から掛けられた身分証明のIDを確認する。カードに記された名前は山岡宏。偽名か本名か、盗んだものか偽造したものか、この時点ではまだ判断はつかない。

 薪はIDカードを抜き取ると、端末に繋がれたカードリーダーに挿入した。科警研の人間なら閲覧できるシステムにアクセスして、カードが有効かどうかを試す。
「IDは本物らしいな。守衛もこれに騙されたのか、それとも」
 薪はちょっと考えて、犯人の傍らに膝をついている青木を見た。叡智に輝く亜麻色の瞳は、この短い時間で事件の裏側を早くも悟ってしまったかのような落ち着きを湛えている。
 
 薪は壁に掛けられたインターフォンを押して、守衛室を呼び出した。しかし、応答は無かった。所要で席を外しているのか、あるいは。
「見回りに出てるんですかね」
 科警研の警備は、実はそれほど厳しくない。夜間の警備は基本的には監視カメラのみ。第九には専属の守衛室があるだけマシなのだ。
 逆恨みした犯罪者がいつ襲ってくるか分からない警視庁と比べて、科警研は平和だ。ここはあくまで研究所だからだ。第九もその一施設に過ぎない。捜査データの流出には気を使うが、セキュリティは機械任せだし、対人間用の警備は手薄だ。尤も、警察庁の警備部と連携しているから、異変があれば応援はすぐに来るのだが。

「おまえ、ちょっと見て来い」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

パンデミック・パニック(2)

 発売日まで、あと3日ですね。
 どきどきします~。

 コメントで「薪さん的に幸せなラストを望みます」といただきまして、
 うんうん、本当にその通り、薪さんさえ幸せになってくれればあとはどうでもいいよ。 悪い奴らが捕まって、薪さんと青木さんは無事に第九へ帰って、薪さんの願いはすべて叶って、
 ん? 願い? 薪さんの願いって、青木に殺……。
「ダメじゃんっ!!」
 と、思わず口に出てしまって、社員に白い眼で見られました。
 
 この時期は、どうしても情緒不安定になりますよね。 わたしだけ?

 


パンデミック・パニック(2)




「おまえ、ちょっと見てこい」

 薪の命令に、青木は難色を示した。
 自分が此処を離れたら、薪が犯人と二人きりになる。それは危険ではないのか。守衛がこの男に危害を加えられていたら、と心配する薪の気持ちも分かるが、青木には薪の方が心配だ。
「警備室に連絡して、誰か見に行かせた方がいいんじゃないですか?」
「その必要はない。守衛室に誰も怪我人がいないことを確認できればいい」
「どちらにせよ、この男は警備部に引き渡すんでしょう?」
「……事を荒立てたくない。少なくとも、このIDの山岡宏という人物の身元を確認するまでは」
 歯切れの悪い言い方に、青木は薪の真意に気付く。
 薪の大学時代からの親友は、法一の副室長を務めている。この男がもし、法一の正式な職員である山岡宏という人物から手引きを受けて科警研に侵入したとなると、彼女は立場上、窮地に立たされることになる。それを慮って、可能な限り秘密裏にことを運ぼうとしている。言ってしまえば、守衛に怪我がなければ、第九への侵入も自分への狼藉も不問に付そうというのだ。まったくもって、薪は雪子にはとことん甘い。

「三好先生に電話して訊きますか?」
 青木が解決法を提示すると、薪はいささか驚いたように眼を見開き、それからぷいと横を向いた。何か身元を示すものはないかと、気絶したままの犯人の白衣のポケットを探りながら、
「新婚3ヵ月だぞ、最中だったらどうす……いいや、電話しろ。雪子さんが酷い目に遭わされてるかもしれない、てか、そうに違いない。むしろ行け。雪子さんの家まで行って確認して来い」
「…………守衛室に行ってきます」
 嫉妬心剥き出しの顔をして、いつになったらこの人は雪子とその夫が相思相愛であることを認めるのだろう。呆れ果ててモノが言えない、てか、雪子が羨ましい。薪は一度だって、自分にこんなヤキモチを妬いてくれたことはない。

 モニタールームを出てエントランスを抜け、正門の近くにある守衛室を覗くと、顔見知りの守衛が缶コーヒーを飲んでいた。インターフォンを鳴らしたときは、エントランスの自販機にいたに違いない。あんな物騒な人物を通しておいて、呑気なものだ。
 青木の姿に気付き、立ち上がって敬礼する守衛に、青木は穏やかに訊いた。モニタールームで起こった変事を守衛に悟られないように、平静な口調を心掛ける。
「こんばんは。先刻ここに来た白衣の男の人なんですけど。受付表を見せていただいてよろしいですか?」
 守衛は「はい」と気持ちの良い返事をし、受付表の束を青木の方へ寄越した。そこにはIDカードに記載された氏名と所属が書かれてあった。
 守衛室にはIDカードを読み取るためのリーダーがあり、偽カードによる侵入を防いでいる。受付表には「カード確認」の欄にチェックが入っており、決して守衛が確認作業を怠ったわけではないことが記されていた。薪の推測どおり、本物のIDカードに騙されたのだ。

 法一と第九を間違えたことから、彼は間違いなく部外者だ。となると、このIDカードは本来の持ち主から強引に奪ってきたとも考えられる。まずは「山岡宏」という職員の安否を確かめないと。
 山岡本人に連絡を取って彼の安全を確認するためには、やはり雪子に連絡を取るしかない。薪に相談しようとモニタールームに戻った青木は、入り口のドアに嫌と言うほど鼻頭をぶつけてしまった。

「痛った……なんでドアが開かないんだ?」
 モニタールームの自動ドアは、中からロックされていた。ロックを掛けたのは薪だと思うが、自分の意志でしたとは考えられない。犯人が何らかの方法で、薪に施錠をさせたのだ。

「入るな!!」
「薪さん!?」
 中から薪の怒鳴り声が聞こえて、青木は我を失う。
 犯人に脅されているに違いない。彼の身に迫った危険を思えば、どうして大事な彼をこんな危険な場所に置き去りにしたのかと、自分を打ち据えたい衝動に駆られる。
 焦燥に唇を噛む青木の耳に、薪の鋭い声が響いた。

「青木、直ぐにこの建物を閉鎖しろ。誰も中に入れないように、おまえも早くここから離れるんだ」
 建物を閉鎖しろだの、ここから離れろだの、立て篭もり犯にしては要求が変だ。こういう場合、金と車を用意しろ、と言うのが普通ではないのか。
「いったい何が」
「極めて危険な細菌が播かれた。感染の可能性がある」
「感染……?」
 あまり詳しくないが、危険な伝染病と言えばコレラとかペストとか?あの男が伝染病の保菌者だったということか?
「細菌の種類は分からない。犯人が死んでしまったからな」
「えっ」
 犯人が死んだと聞かされて、青木は度肝を抜かれた。さっきまで、他人に刃物を突きつけるくらい元気だったのに、突然死んだなんて。彼の死因が薪の言う伝染病によるものだとしたら、死体と同じ部屋にいる薪の身は甚だしく危険なのではないか。

「薪さん、大丈夫なんですか?!」
「今のところ大丈夫だ。青木、おまえは早く行け」
「いや、待ってください。その男が保菌者だとしたら、オレも感染してるかも」
 伝染病の中には空気感染するものも多いはず。たしか、SARSのコロナウィルスも飛沫感染だった。
「安心しろ。細菌は密閉された容器に入っていた。それが割れて、中身が洩れ出した。その直後に、彼は血を吐いて死んだんだ。だからおまえから感染が広がることはない。速やかに避難しろ」
「そんなの駄目です、命の危険があるなら尚更です。オレは薪さんの傍に」
「いいから早くここを離れろ!」
 それまで穏やかだった薪の口調は、いきなり激しくなった。上司らしく青木を諭すのは諦めたのか、いつもの暴君に早変わりした薪は、怒鳴るというよりは喚く口調で青木に命令した。
「急いで建物の外に出て、念のために検査を受けろ。自動ドアの隙間から細菌が廊下に漏れないかどうかなんて、僕には保証ができないんだ!!」

 薪の怒号の原因が自分の身を案じてのことだと知って、青木の胸はぎりぎり痛む。そんな危険な場所に、薪を一人残して行けるものか。
 歯を食いしばって、ドアに額を付けた。ここを開けてください、と搾り出した青木の耳に、逼迫した薪の声が聞こえてきた。
「青木、青木、頼む。僕を助けてくれ」
 涙交じりの薪の声。無理もない、たった今、正体不明の細菌に侵されて目の前で人が死んだのだ。薪だって怖いに決まっている。

「この男が細菌を持ち出した研究所に行って、ワクチンを手に入れて欲しい。そうしたら、僕は助かる」
「研究所の場所が分かってるんですか?」
「ああ、容器に備品シールが貼ってあって、研究所名が記してある」
 青木は心底ほっとした。迅速に事を運べば、薪は助かる。
「じゃあ、それを警備部に」
「青木、僕はおまえに助けて欲しいんだ。僕の命を預けるんだ、顔も知らない警備部の人間なんか嫌だ。おまえがいいんだ」
 普段は決して言わない我が儘を、だけど今彼は平常心を保てない状態だ。もしかしたら間に合わないかもしれない、ならば愛する恋人に縋りたいと、彼のいたいけな気持ちは痛いほど伝わってきて、青木は彼の願いを叶えてあげたいと思う。

「僕はおまえのものだろう? だったら、おまえが守ってくれ」
「薪さん……」
 愛の告白とも取れる言葉をドア越しに聞かされて、青木の胸は震える。絶対に、彼は絶対に自分がこの手で助けてみせる。そのためには。

「研究所の住所は電話で教える。まずはここから離れてくれ。おまえが感染してしまったら、元も子もない」
「はいっ!」
 青木は全力疾走で廊下を走り、建物の外に出た。背広の内ポケットから携帯電話を取り出し、薪に電話を掛ける。
『青木。外に出たか?』
「はい、いま守衛室の前です」
『それは重畳。では、車でI県のT市へ向かってくれ』
「分かりました」

 研究所の管理棟に向かい、地下駐車場から第九の所有車を選んで乗り込む。エンジンをかけ、ナビに行き先を登録しようと、青木は電波という見えない糸でつながっている上司に尋ねた。
「ナビに入力します。研究所の名前と場所を―― 薪さん?もしもしっ、薪さん、もしもし!?」



*****


 
 切れた携帯電話から最後に聞こえた恋人の声に、薪はクスクスと笑いを洩らした。
 先刻、青木と話をしていたドアの場所から一歩も動かず、床に座ってドアに背中を預けていた彼は、寸前までつながっていた電話番号に着信拒否の登録を施した。これであのバカの吼える声を聞かずにすむ。

 ガラガラと、防火シャッターの閉まる音が聞こえる。薪の要請に従って、警備部が操作をしてくれたのだろう。シャッターで菌の飛散を防げるかどうかは分からないが、未消毒の建物内に入って来ようとする愚か者をシャットアウトすることはできる。
 第五室長への連絡は、青木が駐車場へ走っている間に済ませた。法医第五研究室はバイオテロに用いられる病原微生物及び細菌毒素研究の専門部署だ。衛生班の手配から細菌の特定まで、任せておけば間違いはない。青木が自分の嘘に気付いて第九へ取って返す頃には、入り口は閉鎖されていることだろう。

 薪の投げ出された足先、床に転がった密閉容器には、ラベルどころかナンバーすら無かった。何の変哲もない黒色の小型ケースで、出所の探りようもない。息を止めて蓋を開けてみると、中身は完全に気化してしまったらしく、内側のプラスチックに僅かに水滴が残っているだけだった。
 死んだ男の身体も徹底的に探ってみたが、身元を示すものは何も持っていなかった。お手上げだ。

「職場であいつといい雰囲気になって、エライ目に遭わなかった試しがないな」
 やれやれ、と薪は失笑する。
 青木が無事でよかった。神さまって本当にいるのかもしれない。エライ目には遭っているけど、僕の一番大事なものは奪わないでくれた。

 ズキン、と関節が痛んで、薪に急な発熱を教える。きたか、と覚悟を決めて、薪は立ち上がった。
 死に場所を何処に定めたら、一番迷惑が掛からないだろう。消毒が簡単なように、シャワー室とか? ああでも、既にこの部屋は汚染されているのだ。この中ならどこでも一緒だ、ならばここだ。
 左端、前から二列目の席。今は持ち主のいない、かつての親友の席だ。
「まさかこんな形で、おまえのところに逝くことになるとはな」
 机に突っ伏して、薪は眼を閉じる。冷たいスチールの感触が、火照った頬に気持ちよかった。

 多分、自分は助からない。この菌に感染したら、あっという間に血を吐いて死ぬのだ。この細菌を持ち込んだ男が死ぬ様子を見ていた薪には、よく解っている。
 次第に苦しくなる呼吸に死の影を感じ取りながら、薪はひっそりと呟いた。

「鈴木、もうすぐ会えるな。……楽しみだ」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

パンデミック・パニック(3)

 明日だっ、もう明日だよ~、あー、どうしよー、ねえ、どうしたらいいの? どうしたらいいと思う?!
 と言う会話を何日か前からオットに仕掛けては後頭部をどつかれておりますしづです。

 お話の方もパニック状態ですけど、リアルはもっと重症です。 あー、薪さん……。





パンデミック・パニック(3)





 青木がモニタールームを出た後、薪は気絶した犯人の頬を叩いて意識を回復させた。5回目のビンタでやっと目を覚ました男が、「なんて乱暴な女だ」とふざけたことを言うから、もう一発殴ってやった。

「おまえの名前は? このIDカードは? 盗んだのか」
 腫れ上がった頬を横に向けたまま、男は答えない。大抵の人間は手錠を掛けられると抵抗する気力を失うものだが、なかなか性根の据わったやつらしい。
「法一で、何をするつもりだったんだ」
 誰が言うか、と嘯く犯人に、薪は冷笑を浴びせる。
「黙秘する犯人に無理やり唄わせるのが取り調べの醍醐味ってもんだ。せいぜい僕を楽しませろ」
 喉の奥で笑って、薪は床に転がったままだったメスを取り上げた。先刻、自分の喉元に突きつけられた凶器をお返しとばかりに男の頬に当て、悪魔でさえ逃げ出しそうな残酷な笑みを浮かべる。

「へっ、脅したって無駄だ。監視カメラがあるところじゃ、警官は何もできないはずだ」
 犯罪者には厄介な設備であるはずの監視カメラが、自分の身を助けてくれる。ここは日本、法治国家だ。政治警察のような無体な真似は許されないはず。
 が、メスを持った男は戸惑う様子も見せず、それどころか鼻で嗤うように、
「知ってるか? ここは法医第九研究室と言って、死んだ人間の記憶を見るんだ。あのでかいモニターでな。個人情報の流出を防ぐため、システムが起動している間は監視カメラは作動しないようになっている。つまり、僕がおまえに何をしようと、真実は誰にも分からない」

 亜麻色の瞳が限りなく冷酷な光を宿しているのを認めて、男の背中に冷たい汗が流れる。
 第九研究室の悪名は、彼の耳にも入っていた。一緒に犯行を計画した友人から聞いたのだ。死神の棲まう研究室とか言われているらしい。特にそこの室長は冷酷非道な男で、本物の死神よりも恐ろしいとかサタンの生まれ変わりだとか稀代のファムファタールだとか、最後の意味はよく分からないが、とにかく、係わり合いにならないほうがいいと自分で注意したくせに、どうして建物の場所を間違えて教えるかな……。

「お、おまえ、警官だろ?」
「警察官だって人間だ。毎日毎日人殺しの画ばっかり見てたら、自分でも試したくなるのが人情ってもんじゃないか?」
「つっ、罪は必ず露呈するぞ! 完全犯罪なんかありえないんだ!!」
 もう、どちらが警官だか分からない。
 犯罪者側に片足を突っ込んだ第九の室長は、銀色に光る刃物をピタピタと男の頬に押し付けながら、
「おまえには生憎だが、僕は警視長という高い階級に就いている。僕の言葉は、ここでは絶対だ。誰も僕を疑ったりしない」
「さっきのデカイ男が帰ってくる! 彼は自分の正義に基づいて、正しい証言をしてくれるはずだ!」
 なるほど、と言って室長は、リモコン操作で自動ドアをロックした。ドアの前に立っても扉は開かない。ニヤニヤと笑いながら、彼はこちらに歩いてきた。……この男、本気だ。

 細い指が男の頬に添えられ、恐ろしいくらいに整った美貌が近付いてくる。至近距離で瞬きされて、重なり合う睫毛の音が聞こえたような気がした。
 これが男?あり得ない。こんな人間、この世に居るわけがない。この男の顔立ちは、人間を超えてしまっている。悪魔とか妖魔とか魔物とか、そういった人外の造形に近い気がする。
 要は、普通じゃないということだ。
「ずっとやってみたかったんだ……人間の身体中の皮膚を剥がしたら、どれくらいで出血死するものなのか。なあ、教えてくれよ」
 つうっと爪の先で男の頬を撫で上げれば、それがチェックメイトのサイン。

「わ、わかったっ!! 白状するっ! 実はこの細菌を増やして」
「細菌?」
 彼は手錠の掛かった手で、白衣のポケットから名刺入れ程の大きさの黒い箱を取り出した。
「うちの研究室で開発したばかりの細菌だ。これを培養して増やし、外国のテロ組織に売りつけようと」
「そんな物騒なことを考えていたのか。やっぱりここで殺しておくべきだな」
「いやっ、もうそんな気は失せ……あ、あれ?」

 ざざあっと幻聴が聞こえるほど、白衣の男は一気に青くなった。頬にメスを当てられていたときよりずっと、それは決して逃れられない死の恐怖に怯える者の顔つきだった。
「ケースが……壊れて」
 見ると、黒い小箱からは白い煙のようなものが立ち上っている。何らかの衝撃を受けたことが原因で密閉容器が破損し、中身が外に漏れ出してしまったらしい。
 ……もしかしなくても、さっきの一本背負い?

「あんたが投げ飛ばしたりするから!」
「人のせいにするなっ! 自業自得だろうが!」
 自分で認めてはいても、それを他者に指摘されると腹が立つものだ。特に、元凶の人間には言われたくない。
「い、いやだ、死にたくないっ、助けてくれ!」
「勝手なことを言うやつだな。それがテログループに渡ったら、何千人も死ぬんじゃないのか」
 犯罪者特有の身勝手な命乞いを、薪は足蹴してやりたい思いで退けた。
 多くの命が失われることが確実な行動を取っておいて、自分は死にたくない? ふざけるな、おまえが一番先に死ね。
 警察官の良識が飲み込ませた悪態を舌打ちに変えて、薪はぶっきらぼうに言った。

「ワクチンを出せ。打ってやるから」
「おれは持ってない」
「ワクチンも持たずに毒性のある細菌を盗み出してきたのか? 侵入する建物を間違うあたり、ドジな男だとは思っていたが。そこまでアホか」
 なんて杜撰な犯罪計画だ。容器の破損による自己の感染なんて、充分に考えられる事態ではないか。それくらいのことも計算に入れなかったとは、呆れ果ててモノが言えない。こんなオツムでテロ組織と取引しようなんて、恐れ入ったドリーム精神だ。

「研究所の名前と住所を言え。警察から働きかけて大至急取り寄せてや、――――っ!!」
 突然、男の口から大量の血液が吹き出した。近くに寄せていた薪の顔に、彼の吐血が掛かる。
「おいっ、しっかりしろ!」
 ゴボゴボと、男の喉奥で血泡が沸き立つ音がした。口端から赤い泡を垂らして、男は動かなくなった。カッと眼を見開いたまま、苦悶に歪んだ表情だった。
「嘘だろ、こんな劇的に発症する細菌なのか?! 冗談じゃないぞ!!」

 慌てて男の肋骨を探り、心臓の位置を確かめると、両手を重ねて体重を掛ける。薪は警察官だ。失われる命を、そのままになんてしておけない。
「研究所の名前を言え! 細菌の名称は!」
 懸命に心臓マッサージを繰り返しながら、薪は男に呼びかける。男の胸の上、重ねた手に、拍動は戻ってこない。それでも必死に圧迫を繰り返し、薪は彼に声を掛け続けた。
 心臓マッサージは重労働だ。薪の額には汗が浮き、呼吸は激しくなり、使い慣れない二の腕の内側の筋肉が痛みを訴える。
「帰ってこい! 僕の前で死ぬなっ!」

 鼻先から、汗が滴り落ちる。男の白いワイシャツに落ちた薪の汗は、赤かった。顔に浴びた彼の血のせいだ。
「ちくしょ……」
 自分の手から零れ落ちる命が口惜しくて、薪は美しい顔を歪める。知らなかったとはいえ、この男の死因は自分にあるのだ。
 MRIシステムを無謀な団体から守るため、守衛室の手前にはセンサーがあって、大量の火薬や危険物に反応して警報を鳴らすようになっている。警報が鳴った様子はないから、爆発物は持っていないと判断した。だから投げ飛ばしたのだが、それが命取りになった。
 
 汗だくになりながら薪が心臓マッサージを続けていると、入り口のほうから、ドンと鈍い音が響いた。
『痛った……なんでドアが開かないんだ?』
「入るな!!」
 その声を聞いた瞬間、薪は男から離れて、ドアに駆け寄った。
 犯人を脅して自白させるための偽装だったが、ドアをロックしておいて良かった。こんな危険な場所に、青木を入れてなるものか。

「青木、直ぐにこの建物を閉鎖しろ。誰も中に入れないように、おまえも早くここから離れるんだ」
 炭疽菌等の粉末細菌は空気感染する。ホワイトハウス宛の封筒に封入された炭疽菌で、郵便局員が感染した例もある。
 ケースから発生した白い煙を吸って、男は吐血した。モニタールームの自動ドアには防音効率を高めるためにかなりの密閉性を施してあるはずだが、絶対に外に洩れないとは保証できない。

『命の危険があるなら尚更です。オレは薪さんの傍に』
 窮状を理解せず、感情に流されようとする青木の愚かさに、腹が立った。思わず怒鳴ってしまった。
 これでは駄目だ、青木はもう薪の怒声には慣れてしまっている。いくら脅しつけたって、自分の命令には従わないだろう。

 落ち着くために、深呼吸をした。心臓マッサージの疲れか、立っているのが辛く、薪は扉に背を向けて体重を預けた。自然と目に飛び込んでくる、もはや手の施しようのない男の死体。
 フラッシュバックする過去の記憶。血溜まりに転がっていた親友の姿。男の顔は鈴木の顔になり、次の瞬間、薪の恋人の顔になる。
 ひゅっ、と喉が張り付いたみたいに、息ができなくなった。

『ここを開けてください』
 苦しそうな青木の声をドア越しに聞いて、薪は思った。
 感情に流されているのは、本当に駄目なのは自分のほうだ。
 青木の身に感染の危険があるかもしれないと、そう思っただけで自分はいとも簡単に、この男の蘇生作業を放棄した。自分がしなければならなかったのは、彼の蘇生を続け、この細菌の正体を聞き出すことだったのに。そうしておけば万が一感染が広がったとしても、被害に遭った人々を助けることができたかもしれないのに。

 薪はドアを離れ、男の死体に近づいた。開いたままだった彼の両目を閉じてやり、モニター用の埃避けに使う白布を亡骸に掛ける。
 結局自分は、テロ組織に細菌を売ろうとしたこいつと一緒だ。
 人の命は等しく重い、そんな当たり前のことすら分かっていない、実践できない。僕には青木の命だけが大事なんだ。
 世界中の人が感染してこの男のように血を吐いて死んだとしても、彼だけは無事でいて欲しい。今の自分の行動は、そんな利己的な心の現われだ。
 激しい自己嫌悪に駆られながら、しかし薪には悠長に自分を掘り下げている時間はなかった。感染エリアから青木を遠ざけなければ。
 再びドアに寄り、薪は悲痛な声で言った。
「……青木。僕を助けてくれ」
 
 自分はここに留まらなくてはならない。細菌に侵されて心停止した男の吐血を、顔面に浴びた。粘膜感染の可能性は極めて高い。
 死ぬ前に、やっておかなければならないことがある。

 礼儀を重んじている余裕はなかった。青木を屋外に避難させた後、薪はいくつかの番号に電話を掛け、そのうちの何人かをベッドから引き剥がした。
 その時点で打てるだけの手を打ち、モニタールームの中に今宵の寝床を定める。もしかしたら自分の最後の居場所になるかもしれないその場所で、薪は親友の名前を小さく呟き、襲いくる疼痛に身を震わせていた。





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パンデミック・パニック(4)

 こんにちは~!

 河川の検査がようやく終わりまして、今日からネット復帰できます。 ブログ様めぐりも我慢して、しばらく篭ってたんですけど、ぼちぼち出かけますので、またよろしくお願いします。


 で、
 メロディ、買って読みました!

 ネット封印してたので表紙のことも知らなくて、見た途端、「ほあっ!」と声を上げてしまい…… 立ち読みしてたおじさんに、ヘンな眼で見られたよ…… もう、あそこの本屋行けない。(--;
 でもっ、
 あの距離は反則だよね!?
 おばちゃん、どんなキワドイBLコミックの表紙よりもドキドキしちゃったよっ!! レジに出すときに、テレビガイド重ねちゃったよっ! ←エロ本を買う高校生のよう。

 感想はこの下にちょこっとだけ書いてありますが、ネタバレいやんな方の為に閉じます。
 あと、おまけで(??) SSの続きです。
 よろしくお願いします。



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パンデミック・パニック(5)

 日曜日、メディア芸術祭に行ってまいりました。
 仕事の都合で諦めてたんですけど、みひろさんのブログの記事を拝見したらどうしても見たくなってしまって~、オットとお義母さんに頼み込んじゃいました☆
 ご一緒させていただいたみなさま、ありがとうございました。 今回は4月号の影響でテンション上がってて、みなさんにメイワク掛けちゃった気がします。 ごめんなさい。 (え、いつも? ……すみません。)

 薪さん、お綺麗でしたよ♪
 カラー原稿の麗しさもさることながら、
 非常に貴重な生プロットが見られて大満足でした♪♪♪ ←30分くらい額の前に座って動かなかったやつ。 隅から隅まで読んで、興味深いところはメモした。

 
 第九編完結記念に、また原画展とかやってくれるといいな~。
 期待してます。(^^
 





パンデミック・パニック(5)




 深夜1時。岡部靖文は科警研の駐車場に降り立った。

 電話口で薪は、朝礼で今日の職務予定を告げる時のように平静な口調で、「ちょっと困ったことになった」と言った。
 正体不明の細菌を第九に持ち込んだ男がいて、その男は持参した細菌に感染して死んだ。至急、その細菌の詳細についての資料とワクチンが必要だ。第九の監視カメラに男の顔が映っているはずだから、前科者リストと照合の上、東京近辺の研究施設に顔写真付きの手配書を回してくれるよう、官房室の中園に手配を頼んだ。

 岡部に頼みたいのは、と薪は続けた。
 侵入者は、法医第一研究室の山岡宏という職員のIDを使って第九の中に入ってきた。力ずくで強奪した可能性も考えられるから、山岡氏の安否確認と、念のため、死んだ男との関係も調べて欲しい。
 自分は感染しているかもしれないから此処を動けない。だからおまえに頼みたい、と薪は言った。嫌味なくらい落ち着いた口調だった。
 大丈夫なんですか、と岡部が聞き返す前に、薪は電話を切ってしまった。岡部が盛大に舌打ちして掛け直したときには、もう通話中だった。感染を広げない為に、警備部や第五研究室に連絡を入れているのだろう。自分の命が危ういというのに、なんて可愛気のないひとだ。

「薪さん……」
 第九に着いて、物々しい警備の様子を目の当たりにし、岡部は思わず呻いた。丁度、科学防護服に身を包んだ第五研究室の職員たちが、黄色いバリケードテープの内側に入っていくところだった。
 タチの悪い冗談であってくれたらいいのにと、心の中で繰り返し縋った希望は消えた。レベルAの防護服(酸素ボンベ内蔵の宇宙服みたいなやつだ)が必要な場所に、薪はいるのだ。

 これまで何度も薪のピンチを救ってきた岡部だが、今回ばかりはどうにもならない。薪のことは第五の学者たちに任せるしかない。自分は自分にできることをする。最速でだ。

 ギリッと奥歯を噛み締めて、岡部は周囲に目を走らせた。野次馬の中、この近くに当然いるはずの男の姿を探す。が、岡部はそれを見つけることができず、白目勝ちの眼を不審に曇らせた。
 青木がいない。
 青木は一緒じゃない、と薪は言ったが、あの男がそう簡単に薪の傍を離れるわけがない。どうせ薪の二枚舌に良いように操られて、感染源から遠ざけられたのだろう。その後、薪の所へ行こうとして警備員に阻まれ、建物の周りをうろうろしているに違いないと踏んだのだが。

「ショックで倒れちまったかな」
 青木が抱いている薪への気持ちの強さを、岡部は知っている。岡部とて、足元を掬われる思いだった。ましてやあのヘタレのことだ、絶望して何処かで泣いている可能性は充分にあると思った。
 頃合を見計らって電話して、捜査に協力させよう、と岡部は考えた。こういうときは、何かしていた方が良いのだ。

 岡部は建物に背を向け、守衛室へ向かった。
 監視カメラの映像は、管理棟の警備システムに自動的にデータ送信されるようになっているが、この守衛室でも確認できる。1週間以内なら、ハードにデータが残っているはずだ。こちらの方が早い。
「ご苦労さまです。監視カメラの映像を確認させてもらえますか。12時頃、ここに来た白衣の男の写真が欲しいんです」
 岡部は侵入者の顔を知らない。法一の人間に聞き込みをするにしても、顔写真はあった方がいい。
 岡部の申し出に、顔見知りの守衛が不思議そうに首をかしげた。
「え、岡部さんもですか?」
「……も?」
「さっき、青木さんが来て。CDにデータを落として、警察庁の方へ行きましたけど」
 守衛の話を聞いて、岡部は感慨深く愁眉を開く。
 青木のやつ、ちゃんと成長してるじゃないか。
「すいません。俺の分もお願いします」

 写真をポケットに守衛室を出て、岡部は青木の携帯を呼び出した。警察庁の方角へ足を進めながら、電話の向こうで後輩が着信ボタンを押すのを待つ。
 5回、6回、とコール音が重なる。15回コールしても応答がなく、岡部は歩きながら、訝しげに携帯電話を睨んだ。小さな液晶画面には、後輩の名前と電話番号が表示されている。番号違いをしたわけではない。
「何やってんだ、あいつは」
 
 研究所の管理棟から地下を通って警察庁に到着した岡部は、真っ直ぐに官房室へ向かった。薪から中園へ連絡が行ったはずだから、彼がいると思った。
 午後6時以降は仕事をしない主義の官房室付け首席参事官は、難しい顔をしてデスクに肘をついていた。平生は洒脱なインテリ紳士を気取っている彼は、今日ばかりはお洒落に回す余裕がないと見える。ワイシャツの襟をだらしなく開けたまま、ネクタイも締めていなかった。
「やあ、岡部くん」
 岡部の姿を認めて、中園は右手を軽く上げ、
「どうしてここに?」
「室長から連絡をいただきまして」
 中園は大きくため息を吐き、背もたれにもたれて手を額に当てた。いつもはきちんと撫で付けられている銀色の頭髪の、乱れに現れた彼の焦燥。

「君のとこの室長は次から次へと、本当に色んなことに巻き込まれてくれるねえ。おかげで僕の白髪の増えたこと。4月の事件も苦労したんだよ。事件調書から青木くんの名前消すの、大変だったんだから」
 今年の4月、薪は通院を義務付けられていた病院の精神科医に殺されそうになった。青木は青木で彼に陥れられ、殺人事件の容疑を掛けられて所轄に拘留されてしまった。犯人の精神科医は薪と青木の関係を所轄に暴露し、裏付け捜査の結果証拠も上がって、薪の警視長の権威は使い物にならなくなった。
 最終的には現場の遺留品から精神科医の指紋が検出され、彼は逮捕されたのだが、薪と青木の特別な関係は所轄職員の知るところとなり、事件調書にも犯人の動機に係る部分として、その記載が残ることになってしまった。
 薪は官房長の秘蔵っ子で、彼の跡継ぎと目されている。スキャンダルはまずい。
 中園はI署の署長に圧力を掛け、まずは事件調書から青木一行の名前を削除させた。その見返りとして、青木を誤認逮捕した件についてはお咎めなし、というよりは、誤認逮捕自体をなかったものとして丸ごと隠してしまった。
 結果、美貌の警視正のお相手はどこぞの婦人ということになり、そこまでの証言は求められないことに、公判前から打ち合わせはできている。

「正体不明の細菌だそうですね。厚生省へ連絡を?」
「そんなに簡単に報告できないよ。まずは本当に毒性のある菌が播かれたのかどうか、確かめなきゃ」
「細菌を持ち込んだ男が死んだって言ってました。薪さんの目の前で」
「それだって、感染によるものと決まったわけじゃない! 先にその男の死因を調べてからだよ、まずはそれからだ!」
 怒鳴りつけられて、岡部はポカンと口を開ける。たじろぐよりも前に、驚いた。中園の怒号など、聞いたこともない。
 岡部はうれしかった。常に自分に課している冷静な皮肉屋のスタイルを忘れ去るほど、中園が薪の身を案じてくれていることが分かったからだ。

「すまん、大声を出して」
 感情を爆発させた自分を恥じるように、中園は細い顎に手を当て、一瞬だけ目を閉じると、すぐにいつものシニカルな参謀の顔になった。
「僕はね、時間外労働は大嫌いなんだ。だからちょっとイライラしてて」
「ありがとうございます」
 岡部が礼を言うと、なにが、と中園は不機嫌そうに返した。策謀家の彼にとって、自分の心を他人に見透かされるほど嫌なことはない。

「ところで、ここに青木が来ませんでしたか」
「ああ、来たよ。細菌を持ち込んだ男の写真を持ってきてね、東京中の研究所に手配書を回してくれって。薪くんにも頼まれたから部下に連絡は入れたんだけど、僕の部下より彼の方が早かった」
 青木が官房室へ来たのは正しい判断だ。テロ対策は警視庁の公安部の仕事だが、今回は細菌が持ち込まれただけだ。犯人は死亡しているし、だったら第五の学者たちにハッパをかけて、細菌の正体を突き止めさせるのが先だ。

「で、青木は今どこに?」
「薪くんのところに行きたいって言うから、第五に話を通してやった」
「えっ!! あいつを中に入れたんですか!?」
 ものすごく嫌な予感がする。
「青木くんの気持ちも分かるしね。彼が薪くんのことを心配するのは当たり前だし……どうしてそんな青い顔になるんだい? 防護服さえ着ていれば、大丈夫だよ」
 首の後ろがチリチリしてきた。予感が現実になる兆候だ。
 青木は薪のことになると自分を失う。薪は青木の強さの原動力でもあるが、それ以上に弱点にもなっている。捜査官としての青木の成長は、その弱点をいかに克服するかに掛かっていると、前々から彼を指導していた岡部だったが。

「いや、危険なのは青木じゃなくてですね、同行した第五職員の方だと」
 自分が抱いた危惧の内容を説明する前に、中園のデスクの電話が鳴った。受話器から聞こえてくる、取り乱した声。
『一緒に入った第九職員が、錯乱して』
「錯乱?」
 相手は第五の職員らしいが、大分混乱しているようだ。中園が聞き返すも、的確な説明が付けられないでいる。無理もない、第五の人間は警察官でなく、その殆どが科学者だ。暴力的なハプニングには慣れていないのだろう。

「君、落ち着いて。要点だけを言いたまえ」
 中園が厳しい声で諭すと、相手は僅かに冷静さを取り戻したようだった。一呼吸置いて、しっかりした声で、
『青木一行警視が薪室長を人質に、第九に立て篭もりました!』



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パンデミック・パニック(6)

 お礼を申し上げるのが遅くなりましてすみません。
 20000拍手、ありがとうございました~~!!!

 こんな長ったらしい与太話に辛抱強くお付き合いくださり、ポチポチと励ましの拍手を送ってくださったみなさまに、心からお礼申し上げます。 みんな、本当にやさしくて面倒見いい。(;▽;)
 これからもよろしくお願いします。 
 

 さてさて、
 お礼のSS、何にしよ~。 こないだ書いた滝沢さんリターンズじゃダメだよね? わたし的には明るくまとめたつもりなんだけど、やっぱり滝沢さんはちょっとアレだよね?
 じゃあ、『水面の蝶』にしようかな。 一応、あおまきさんの新婚生活っぽいシーンも入ってるし。 それほど明るい話じゃないけど、あおまきさんの絆はしっかり書いたつもりだから、お礼になるよね? よっしゃ、それで行こ。(←独り決め)
 Sさん専用の滝沢さんリターンズの後に公開しますので、よろしくお願いします。(^^



 で、お話の方なんですけど~、
 殆どのみなさんはしづが大嘘吐きだと言うことをご承知の上で読んでくださってると思うのですけど、もしも人の言葉を疑わないピュアな方がいらしたら困るので一応、
 お話の中に、バイオテロに対する基本対応みたいなことが出てきますけど、本格的な資料に基づいて書いたわけじゃないので、その辺、?? と思われてもスルーしてください。
 できるだけはネットで調べたんですけどね、バイオテロは第5が対応するとか厚生労働省に即連絡を入れて対策チームを組むとか、でも詳しくは書かれてなくて~、想像で書いちゃったところいっぱいある~。
 どうか見逃してやってください。 





パンデミック・パニック(6)





『何をやっとるんだ、おまえはっ!』
 室長室の直通電話が鳴ったので取ってみれば、いきなり怒鳴られた。どうして岡部が電話をしてきたのだろうと不思議に思ったが、こちらから質問ができる空気ではない。
『室長を人質に立て篭もりって、何を考えてんだ?!』
 受話器を耳から30センチほど離して、青木は眼をつむる。先に出て行った職員たちが、後の顛末を知らずに上に報告してしまったのだろう。第五にも慌て者がいると見える。

 いつの間にか犯罪者に仕立て上げられている自分の立場に青木は嘆息し、防護服の顎の辺りに付いたマイクに向けて、
「立て篭もりなんかしてませんし、薪さんを人質にした覚えもないです。オレは薪さんと一緒に、ここに残るって言っただけです」
『それを立て篭もりと言うんだ。それに第五の連中、おまえに脅されたって言ってたぞ』
 ひどい言いがかりだ。非人道的なことをしているのは第五の方なのに、青木の小さな反抗心を脅しだなんて。
「脅してなんか。ロッカーから竹刀は持ってきましたけど、振るってません。ちょっと構えただけで」
『有段者の帯刀は充分に脅しだ。素人は間近で見ただけでも怖いんだ』
 それを言ったら岡部は存在そのものが脅しだと思う。
「あの人たちが、オレの言う事を素直に聞いてくれないから」
『NBC(生物化学テロ)の調査現場では、指揮権は第五にあるんだぞ』
「だって! 薪さんを此処に置いたまま、放っておくって言うんですよ!」

 岡部は黙った。
 驚かないということは、事情は第五から聞いて理解しているのだろう。自分が飲み込んだそれを青木に納得させようとはせず、岡部は静かに言った。
『第五室長には、俺から詫びを入れておいた』
 自分の気持ちを尊重してくれる先輩に感謝して、青木は「ありがとうございます」と電話に向かって頭を下げた。




 決死隊に選ばれた第五の精鋭たちと共に第九へ帰ってきた青木は、スチール製の机に突っ伏して気を失っている薪の姿を見た。平静を保つことなど不可能だった。彼の名前を呼び、夢中で彼に走りよった。
「不用意に感染者に触るな!」
 第五の研究員に咎められ、青木は寸でのところで手を止めた。ここでは、彼らの指示に従う約束だ。

 薪はひどく辛そうだった。頬が紅潮し、呼吸が荒くなり、額にはびっしりと汗が浮いていた。高熱によって苦しんでいる、と一目で分かった。一刻も早く此処から連れ出して、治療を受けさせなければならない。
 ところが研究員の指示は、青木の思惑とはまるで反対の内容だった。

「治療ができないって、どういうことですか?」
 言われた意味が分からなかった。彼らがしていることも、理解できなかった。
 彼らが運び出す手筈を整えているのは、犯人の遺体だ。無菌シートで密閉して、三人がかりで担架に乗せようとしている。薪の命を救うために此処に来た青木にとって、それは信じがたい光景だった。
 どうして遺体を担架に? それは薪のために用意されたものではなかったのか? 今、まさに細菌に侵されて苦しんでいる感染被害者ではなく、もう苦痛を感じることもできない死体を優先するとは、一体どういうことだ。

「まずは遺体の司法解剖をし、死因を調べる。彼への手当てはそれからだ」
「何を悠長なことを! 室長は、もう意識も無いんですよ!? 死体よりも室長を運ぶのが先でしょう!」
 いくら叫んでも無駄だった。彼らは青木の言葉など聞こえないかのように、黙々と作業を続けた。
 思い余って、青木はロッカールームに走った。防火シャッターが開いている今がチャンスだ。自分のロッカーからタオルや着替えを持って、ついでに竹刀も携えて、青木はモニタールームに戻ってきた。
「青木警視、それは何のつもりだ。ここへは我々の指示に従うことを条件に、同行を許可し……!」
 訝しげな研究員の声を、青木は無視した。タオルとワイシャツを手近な机に置き、竹刀を構える。
「言う通りにしてください。でないとオレ、何するかわかりません」
 防護服の上からでも、彼らの焦燥が感じ取れる。威圧で相手に言う事を聞かせるやり方は青木の流儀ではないが、今は説得にかける時間が惜しい。

 一人だけ、硬直していない研究員がいた。この班のリーダーを務めている男だ。名前は、高橋と言ったか。少し厄介だと思ったが、この際、叩きのめしてでも薪の治療を優先させてやる。懲罰でも減俸でも、ドンと来いだ。
 竹刀を握り直した青木の前に、リーダーは無防備に出てきた。まるで恐怖を感じていない風情で竹刀の先を握り、
「仕事の邪魔をするな。素人は黙ってろ」と低い声で言った。

「法一に話は通してある。直接、解剖室へ運びこめ」
 青木が彼の剣幕に押された隙に、彼は部下たちを急かして死体を搬出させた。後には彼と、第九の二人だけが残される。
 部下たちがいなくなると、彼は竹刀から手を離し、薪の傍に歩み寄った。防護服の腕を薪の胸に回し、身体を起こして状態を目視する。だらりと腕を下げ、細い顎を天井に向けた薪の姿は、壊れた人形のようだった。

「仮眠室は?」
「あ、オレが運びます」
 彼が薪を助けてくれる。そう思った青木は、慌てて竹刀を放り出して彼のヘルプに入った。慣れた手つきで薪を抱え上げ、腰を抱いた手で器用に仮眠室のドアを開けて、手前のベッドにそっと細い身体を横たえた。

「いいか、ド素人が。教えてやるから聞け」
 高橋は青木の後ろから、台車を押して部屋に入ってきた。建物に入るときには彼の部下が押していたその台車には、大きな箱が2つとスタンドのようなものが載っていて、中身はおそらく点滴のセットだろうと青木は見当を付けていた。
「細菌感染の場合、下手な投薬は患者の命を奪うかもしれない。熱が高いからと解熱剤を飲ませたら、死んでしまった例もあるんだ。細菌の特定ができないうちは、彼には医療行為を施すことはできない」
 投薬が命取りになり得ることを知って、青木は自分の無知を恥じる。ならば仕方がない、せめて病院では自分が傍について彼の汗を拭いてやろう。

 そうして一時は口を噤んだ青木だが、箱の中から彼が取り出して組み立て始めたものを見て、どうしても黙っていられなくなった。
「どうしてここに心電図モニターを?」
「彼を建物から出すことはできない。細菌の種類が特定できるまで、感染者は隔離するのが基本だ」
「そんな……」
 それでは、薪はここに残していくというのか。何の治療もせず、モニターを身体に付けて、監視カメラとモニターの数字だけを道標に彼の命の灯火が消えるのを待てと言うのか。

「オレはここに残ります」
 薪の真っ白なワイシャツの前を開けて3本の電極を取り付け、モニターのテストをしている高橋に、青木は宣言した。
「投薬は無理でも、額を冷やしたり、汗を拭ってあげるくらいは大丈夫でしょう?」
「……第九はエリート揃いだと聞いていたが、例外もあるようだ。君はどうも日本語を理解する能力に欠けているようだから、幼児向けに噛み砕いて説明してやる。いいか、君がここに残っていかなる手を尽くそうと、彼の容態は1ミリも良くならない。感染者がもう一人増えるだけだ。我々と一緒に調査に入った君が死ねば、第五も迷惑する。我々の仕事を増やすな」
 言い方が、薪そっくりだと思った。彼もまた人の上に立つ者として、配下にある者の命を守ろうとする。これ以上犠牲者は出さない、その強い意志が彼の全身から迸っている。

「すみません。でも、こんな状態の室長を一人にするわけにはいきません」
「第九の恐怖政治の噂は聞いているが、君がそこまですることはない。命に係わる事なんだ。決して君の忠誠心が疑われるようなことはないし、危険な現場に足を運んだだけでも君の評価は上がるだろう。なんなら私が口添えしてやる」
「違います。オレは、薪さんの傍にいたいんです」
 職場では、ましてや他の研究室の人間の前では決して呼んだことのない室長の名前を、敢えて青木は口にした。真剣な相手を説得するなら、こちらも本音でいかないと駄目だ。

 高橋はモニターを調整する手を止めて、青木の方に頭を向けた。透明なプラスチック越しの彼の表情は、驚いているようにも呆れているようにも見えた。
「他の研究室の仕組みはオレにはわかりませんけど、忠誠心とか、ましてや査定とか、そんなものは関係ありません。オレがそうしたいんです。きっと後で薪さんに怒られると思うけど……」
「では聞くが、防護服の酸素が切れたらどうする気だ?」
「あ」
……考えてなかった。薪が苦しんでいる様子を見たら、それだけでパニックになってしまって。常識的な判断ができなくなってしまったのだ。
 沈黙してしまった青木に、「本当に馬鹿だな」と高橋は蔑みの言葉を放ち、耐え切れなくなったように失笑した。

「外付けの酸素ボンベを入れてやる。但し、付け替えには細心の注意を払えよ。細菌の播かれた部屋ではなく、別室で行うんだ。もし細菌が防護服に付着する微粒子タイプのものだったらジョイント部分から侵入しないとは限らないが、その時は運が悪かったと思うんだな」
「ありがとうございます!」
「死ぬかもしれないと言ってるんだ。礼なんか要らん」
 高橋は部下に命じてボンベを玄関前に届けさせ、自分が建物を出る際に内部に移しておいてくれた。酸素ボンベのリミットは1時間。5本あるから、朝までは薪の傍にいられる。

 給湯室の氷を使って薪の額を冷やし、タオルで汗を拭いてやる。熱を持った彼の唇は、砂漠に吹く風のような呼吸のせいでますます痛めつけられ、乾燥して割れ始めていた。スプーンで水を運んでやると、彼の口唇は嚥下できずともいくらかは潤って、うう、と低い呻き声を洩らした。
 何度目かの受水の折、口端から首に伝った水を拭こうと伸ばした青木の手が、びくりと止まった。
 首の付け根の辺りに、不自然な凹凸がある。リンパ腺の腫れのような大きなものではなく、疱疹のようなものだ。恐る恐る襟元を開いてみると、いつの間にかその凹凸は皮膚ををびっしりと覆って、不吉な赤白の斑模様に薪の薄い胸を彩っていた。
 いかにも伝染病らしい症状に、青木の胸は押し潰されそうになる。モニターに眼をやると、心拍数と血圧が高い。

「大丈夫ですよ、薪さん。大丈夫ですからね」
 薪を励ましたいのか自分が縋りたいのか判別のつかない声で、青木は何度もその言葉を繰り返した。




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パンデミック・パニック(7)

 今年は花粉、スゴイみたいですね。 花粉症の方々に、お見舞い申し上げます。

 うちのオットは重度の花粉症患者でして、殆ど廃人と化しています。 PCの前でね、鼻にティッシュ詰めて、口開いてボー。 ←薬飲んでてこの状態。 
 仕事にならないので、病院に行ったら薬を二倍に増やされて、でもこの薬はステロイド系とかであんまり身体にはよくないんだそうです。 だけど、外の仕事なのでね、服用しないとどうにもならないらしくて。 (くしゃみと涙でレベルが読めないらしい)
 本当に、花粉に殺されそうな勢いです。(--; 

 まだ発症してない人も、マスクとかした方がいいそうですね。
 わたしは現代人とは思えないくらいアレルギー皆無の女なんですけど、今年から花粉症予防のマスクをすることにしました。 夫婦してぼーっとしてたら、会社潰れちゃう☆
 みなさんも気を付けてくださいね。

 



パンデミック・パニック(7)





『というわけで、立て籠もりじゃありません』
 青木から大凡の事情を聞き終えた岡部は、口中に沸いた苦みを奥歯で噛みつぶした。青木は薪のことになると暴走する。今回もやってくれたか、と言う感じだ。
『岡部さんは、どうして状況を知ったんですか?』
「薪さんから山岡宏と言う男の保護を頼まれてな。今、法一に来てるんだ。彼の携帯番号を調べて、GPSで居所を特定しようと思って」
『あ、その件でしたら』

 青木の声を聞きながら、岡部は法一の廊下で擦れ違った白衣の女性を振り返る。短い黒髪を弾ませて彼女は、脇目もふらずに突き当りの部屋へと歩いて行く。彼女が向かう自動ドアの上には赤く点灯する標示板があり、第一解剖室と明記されていた。
 なぜ彼女が解剖室に? そもそも、こんな時間にどうして彼女がここにいる?

『オレが三好先生に連絡を。法一の連絡網をお持ちだと思って』
 おまえか――――!!!

「先生!」
 呼び止められて振り返り、雪子は初めて岡部に気付いたようだった。「あら、こんばんは」と当たり前の、しかしこの状況に置いては暢気と呆れられそうな挨拶を寄越し、岡部に会釈する。
「まさか、先生が感染者の遺体を解剖するわけじゃないですよね?」
「そのつもりですけど。……なんかマズイ?」
「第五の連中、なんて非常識な。新婚の先生に解剖を頼むなんて」
「新婚は関係ないでしょ」
 クスッと笑う雪子の鷹揚に、もしかしたら彼女は薪の窮状を知らないのか、と岡部が思ったのも束の間、雪子は厳しい顔になって、
「ごめんなさい、急いでるの。感染者の命が係ってますから」

「待ちなさい!」
 踵を返した彼女の背中に、鋭い制止が飛んだ。
 横通路から歩いてきたのは、第五研究室室長の佐伯だった。三人とも室長会議で顔を合わせているから、お互い顔は見知っている。
 佐伯は、縁なし眼鏡を掛けたインテリ然とした男で、見るからに神経質そうだ。ミクロサイズの生き物ばかりを相手にしているからか、彼はガサツな人間が苦手なんだと第五の副室長から聞いたことがある。雪子とは反りが合わなそうだ。

「勝手な真似はしないでください。あなたに解剖を頼んだ覚えはありませんよ、三好副室長」
「ええ。でも、佐伯室長ご指名の監察医がここに到着するまでには、あと1時間ほど掛かります。解剖は一刻を争うのでしょう? ならば現在研究室にいる職員の中で、わたしが一番適任だと思ったまでです」
「あなたは第九室長の友人だ。気持ちは分かるが」
「感染者が誰であろうと関係ありません。そこを退いて、わたしに仕事をさせてください」
 黒い瞳を熾烈に光らせて、自分より十も年上の第五室長に言い放つ。さすが女薪。仕事のことになると一歩も引かない。
 岡部とて、一秒でも早く細菌の種類を特定して、薪の命を助けてほしい。しかし、彼女が解剖室に入ったことで、気も狂わんばかりに心配する人間がいることも知っている。その人間の中には、当の薪も入っているのだ。それに、これは雪子の仕事ではない。彼女は青木から連絡を受け、部下の身を案じて職場に出て来ただけ。解剖のために出向いたわけではない。

「三好先生、俺からもお願いします。思い留まってください。あなたに万が一のことがあったら、竹内も薪さんも」
「夫には承諾を得ました」
 なんて夫婦だ。監察医と捜査一課の刑事なんか、結婚するもんじゃない。お互いの仕事に理解がありすぎる。
 夫の竹内が認めたなら、岡部に口を挟む権利はない。黙って道を開けるしかなかった。

「あ、そうだ。三好先生、山岡宏という職員の携帯の番号をご存知ですか?」
「山岡なら、竹内が捜索中です。見つけ次第保護してくれるって」
「その仕事は俺が薪さんに頼まれたんですけど。すでに竹内が動いてるんですか?」
「勝手な真似をしてすみません、わたしが頼んだんです。青木くんから聞きました。犯人は、彼のIDを使って第九に侵入したのでしょう? 山岡の身も心配ですし、もし彼の管理ミスで犯人の手にIDが渡ったのだとしたら、わたしにも責任がありますから」
 一を聞いて十を知る性質。そしてこの行動力。それもまた、彼女が女薪と呼ばれる所以だ。本人に言えば、「あたしは薪くんみたいな悪女じゃないわ」と笑い飛ばすだろうが。

 法一の副室長が解剖室へ姿を消した後、第五室長の佐伯は、チッと舌打ちした。広い額に青い静脈が浮いている。相当頭にきているらしい。
「ったく、生意気な女だ。20キロの防護服背負って解剖だぞ。女にできる仕事か」
「三好先生ならやるでしょうね」
「ますます生意気だ」
 ふん、と鼻を鳴らした佐伯室長は、白髪交じりのパサついた頭髪に手をやり、次いでハハッと苦笑いした。笑った佐伯の眼は人間味を帯びて、彼の「生意気な女」は「大した女だ」という意味だったのかもしれないと岡部は思った。

「彼女に解剖させたなんて分かってみろ。第一の室長はもちろん、あんたのところの室長にも何を言われることか」
「薪さんは、大丈夫でしょうか」
「当たり前だ、絶対に助ける」
 力強く言い切る細菌研究室の責任者に、岡部は頼もしさを覚える。彼の人となりを完璧に理解しているわけではないが、それでも専門家の強気の発言はありがたい。
「二度と彼の女装が拝めないなんて、考えたくもない」
 ……前言撤回。ヘンタイの言うことなんか、誰が信用するか。
 室長会のメンバーには多いと聞いたが、こいつもか。嘆かわしい。やはり原因は何年か前の暑気払いで披露した日本舞踊のせいだろうか。

「今、全職員を叩き起こして遺体から採取した血液の調査と、遺体の男の勤務先を洗わせている。研究員の中には、警察よりも民間研究所のネットワークを持っている者も多いからな」
 夜中の1時に全職員を総動員してくれるとは、しかもワクチンの入手にまで尽力して、佐伯はさすがに警察官だ。職務への熱意と厳しさと、何よりも人命を重んじる公僕の精神を持っている。
「あの頭脳は、日本警察の宝だ。失ってたまるか」
 佐伯の真剣さに岡部は感動すら覚え、先刻の女装云々はいささか場を弁えない彼のジョークだったか、と寛大な心持ちになる。心からの感謝を込めて、岡部は佐伯に頭を下げた。

「ありがとうございます。うちの室長のことを、そこまで」
「『女装を愛でる会』会員ナンバー1ケタの栄誉会員として、全精力を傾ける所存だ」
 高校野球の宣誓のように誇らしく言って、佐伯は自分の仕事場へ戻って行った。
 顕微鏡ばかり覗いているせいですっかり曲がった彼の背中をへし折るのは、薪が健康体に戻ってからにしようと岡部は思った。



*****


 薪さんが室長会で着物着たのって、元はと言えば岡部さんのせいなんだけど。(『新人騒動』及び『岡部警部の憂鬱Ⅱ』)
 人間、自分に都合の悪いことは忘れちゃうもんですよネ。(・∀・)


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ジャンル : 小説・文学

パンデミック・パニック(8)

 こんにちは!

 一昨日の夜から昨日に掛けて、たくさん拍手いただいた方、ありがとうございました♪♪♪
 おかげさまで、一日の拍手数の最多記録を更新しました。 多分、200超えたのは初めてだと思います。 拍手いただいた具体的な時刻は、一昨日の23時頃から朝の5時くらいまで、
 あのっ、いつお休みになられるんでしょう!?
 すみません、日中も引き続き、ありがとうございます、でも、
 寝てくださいーー!!!

 別々の方だったらいいのですけど~、わたしだったら気がkur、クルクルってなる~~~。
 どうか、お身体にご負担の無い範囲で読んでくださいねっ。

 でも、とっても嬉しかったので、がんばって(13)まで読み直ししました。(←現金)
 拍手はブロガーの栄養剤でございます。 いつもありがとうございます!!


 
 で、お話の方なんですけど~、
 薪さんに生命の危機が、ってそれはもはやうちのスタンダードなので、(<おいおい) どうか心配しないでくださいね。 これ、基本ギャグ小説だし。

 ということで、続きです。



パンデミック・パニック(8)






 山岡宏は、科警研管理棟の倉庫で発見された。
 口をガムテープでふさがれ、手足を縛られて用具入れに押し込まれていたのを岡部と竹内が見つけ出した。襲われたことにひどいショックを受けていたが、命に別状はなく、目立った怪我もしていなかった。

 犯人の男にはまったく見覚えがない、と山岡は言った。

 山岡は二日ほど前から、溜まった有給を消化するための予定もない休暇を取っていたが、今夜は実験途中の細菌のデータを取るために研究室に来ていた。法一の職員の多くは研究者であり、常に何がしかの実験を行って論文を著している。山岡のように休暇中に研究室を訪れる職員は珍しくもない。
 山岡は実験に没頭し、夜中になって空腹を覚えたので、管理棟のコンビニに夜食を買いに来た。その道中、犯人に出くわせてしまった。運が悪かったのだ。

「山岡からは、犯人につながるような証言は得られませんでした」
 中園に対する報告を終えて、岡部は電話を切った。細菌事件の詳しい情報は第五研究室から報告されるはずだから、岡部が言及したのは行方不明になっていた法一の職員のことについてだけだ。
 ふう、と岡部は溜息を吐いて、ソファにもたれた。まったく、大変な夜だった。
 此処は法一の副室長室、つまり雪子の部屋だ。岡部同様、今宵の騒動に巻き込まれた面々が集まっている。

「ご苦労だったな、竹内」
「いえ、俺はうれしかったです。久しぶりに岡部さんとご一緒できて」
 嫌味なく笑う後輩の顔は、相変わらず俳優のように整っている。まさかこの男が、結婚相手に雪子のような女性を選ぶとは思わなかった。人の縁とは分からないものだ。
「先生もお疲れさまでした。家に帰って休んでください」
「そうします。さすがに20キロは効いたわ」
 四時間掛かってもおかしくないハードな司法解剖を、雪子は二時間で終わらせた。助手に付いた職員の話では、その指先は普段となんら変わらぬスピーディさで、20キロの防護服をものともしなかったそうだ。雪子の「鉄の女伝説」がまた一つ増えるだろうと岡部は思い、その噂が薪の機嫌を悪くすることを予想して憂鬱になった。

「でも、これで臨月でも解剖ができるって自信がついたわ」
「……おい、竹内。何か言ってやれ。夫としてというよりは人として」
「さすが先生。惚れ直します」
 ……いいのか、それで。

 多大な疑問に太い首を傾げる岡部を他所に、新婚夫婦は眼と眼で想いを交わす。勝手にしてくれ、と岡部が匙を投げると、彼らは申し合わせたようなタイミングで立ち上がった。
「じゃあ、俺と先生は一旦帰ります。岡部さんは、病院へ?」
「ああ」
 司法解剖が終わり、血液検査の結果も出たおかげで治療方針が決まり、薪は病院に移された。第九には再び衛生班が入り、室内の洗浄と消毒を行って、今日の職務に支障が出ないように後始末を進めてくれている。
「こいつとの約束だからな。薪さんの傍に付いていてやらないと」

 そう言って、岡部は執務机の横を見やる。
 雪子が仮眠に使っている寝椅子に長々と伸びているのは、先刻まで第九に立て篭もっていた凶悪犯、もとい、暴走迷惑男の青木だ。こいつのせいで、今夜の疲れは二倍になった気がする。
 薪が病院に収容されて安心したのか、青木は目眩を起こして倒れてしまった。防護服を着て何時間も過ごしたのだ、体力を削られて当たり前だ。しばらく休めば元気になる。それまでは自分が薪についている、と青木に約束した。
「事件の顛末と、薪さんの身体について、説明もしなきゃならないし」
「室長に本当のことを言うの、勇気が要りますねえ。あの人のことだから、あまりのショックに暴れ出すかも」
「あたしから言いましょうか? 患者への告知は医者の仕事だし」
「すみません、その役目、オレにやらせてください」

 寝椅子から上がった声に、ソファの3人が一斉に振り返る。
「なんだ青木。起きてたのか」
 眠っているとばかり思っていた後輩はやおら起き上がり、秀でた額を押さえながら椅子に座り直した。
「薪さんにはオレから話します。だから、もし岡部さんが付き添っているときに薪さんが目覚めても、薪さんの身体のことは伏せておいてもらえますか」
「それは構わんが」
 薪の気持ちを考えたら、一刻も早く知らせてやった方が良いに決まっている。青木がそんなことも分からない訳はないから、青木なりに何か考えがあるのだろう。

 常なら「ありがとうございます」と素直に礼を言うはずの後輩は、未だ目眩が治まらないのか、岡部の応諾に頷くこともしなかった。眼鏡を外しているせいでいつもより鋭く見える青木の瞳は、暗い焔のような憂慮に満たされていた。




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パンデミック・パニック(9)

 連日更新、えらいぞ、しづ! ←自画自賛。  て、前の章短すぎだろ。(笑)

 多分同じ方、昨日も引き続き、読んでくださってありがとうございました~。 楽しんでいただけてるといいな。
 ……眠ってくださいねっ。(くどい)


 ちょっと私信です。

 Mさま。
 この章に、関白宣言出ます☆
 果たして青木さんは涙の雫を2つ以上こぼすのか?(笑)


 



パンデミック・パニック(9)






 眼を開けて、そこに白い天井と棒状の蛍光灯を見た時、薪は不思議に思った。熱のせいで茫洋とする頭を懸命に動かして、自分の置かれた状況を把握しようとする。
 天国でも地獄でもない。自分はまだ生きている。

「気がつきました?」
 ひょいと自分を覗き込んできた恋人に、薪は自然に微笑んだ。素直に嬉しかった。一時は、死を覚悟したのだ。彼にもう一度会えたのは幸運だ。
「なかなか熱が下がりませんね。苦しいですか」
 いや、と薪は首を振ったが、本当は頭痛がひどかった。首を振ると頭蓋骨の中で脳がゼリーみたいに揺れる感覚があって、吐き気がした。
 どうやら自分は病院に収容されたらしい。廊下から靴音が聞こえてくるから、ここは隔離病棟ではないようだ。つまり、二次感染の危険はないと判断されたわけで、だから青木がこの部屋にいられるのだろう。

 頭の下がひんやりして気持ちいい。水枕なんて何年ぶりだろう。
 毛布の上に載せられた腕に、点滴の管が刺さっている。その腕には、赤い発疹がびっしりと浮き出ていた。
 それを見た途端むず痒さを感じて、薪は点滴の管が刺さっていないほうの手で自分の首に触れてみた。指先に感じる凹凸。一つ一つがけっこう大きい。膿胞になっているのかもしれない。あちこち触ってみると疱疹は身体中を覆っていて、自分でも気味が悪いくらいだった。
 感染による症状だろうか。いや、あの男には発疹など出なかった。容器から細菌が漏れ出したと思ったら、瞬く間に血を吐いて死んでしまったのだ。それとも、人によって発症が異なるのだろうか。開発したての細菌だとか言っていたから、発症も不安定だとか?
 ……そんな細菌、テロに売れるのか? 犯罪者でも死んだ人間を悪く言うのはいけないことだと思うが、やっぱりあの男、底なしのアホウだ。

「山岡宏は無事に保護できたか? 犯人の身元は?」
 捜査の進捗状況を確かめようとすると、青木はゆっくり首を振って、
「事件のことは気にしないで。ご自分の身体のことだけを考えてください」
「そんなわけに行くか。あの男は何処かの研究室から毒性のある細菌を盗み出して、テログループに売ろうとしてたんだぞ。男の身元を確かめて、被害に遭った研究室を洗い出して、他に盗まれた細菌がないか確認しないと」
「それには時間が掛かります。残念ながら、間に合わないと思います」
 珍しいことに、青木は薪の命令を拒否した。
「間に合わない? なにが」
 薪の問いに、青木は苦しそうな瞳で薪を見た。それが答えだと薪は知った。

「…………僕、死ぬのか」
 昨夜よりも身体が楽になっているから、てっきり助かったと思っていたのだが、そうか、死ぬのか。
「薪さん……!」
 思い余ったように、青木が覆いかぶさってきた。個室だから人目を気にする必要はないが、不用意な接触は危険だ。
「青木、触らないほうがいい。伝染ったら大変だ」
「大丈夫です。オレには抗体がありますから」
「ワクチンの投与を受けたのか? じゃあ、細菌の特定ができたんだな?」
 ならば万が一、第九に入った誰かが感染しても、その者の命は失われないわけだ。薪は心底ホッとして、よかった、と安堵の溜息を吐いた。

「何が良かったんですか? ご自分の身体のこと、気にならないんですか」
 不意に薪の両肩を掴んで、青木は厳しい声で問い質した。肩をベッドに押さえつけられて、至近距離に青木の顔。何だかえらく不機嫌そうだ。
「ん? ああ、そうだな、仕事の引継ぎとかあるし……青木。岡部に言って、できるだけ早く」
「いい加減にしてくださいっ!!」

 いきなり怒鳴りつけられて、薪は驚いて青木を見上げた。青木は叫ぶと共に薪の身体から離れ、その長身でベッドに横たわった薪を見下ろしながら、
「なんでそんなにアッサリ受け入れちゃうんですか!? 自分が長くないって言われたら、もっと狼狽えるのが普通でしょう?」
「普通って言われても」
「この世に未練はないんですか? オレに会えなくなっても平気なんですか?」
「いや、平気ってことはないけど」
 上ずった声で質問を重ねる青木とは逆に、薪はどんどん冷静になって行く。
 青木の気持ちは分かる。最愛の恋人が死ぬ、その悲しみに耐え切れないのだろう。それを当の恋人にぶつけるのはどうかと思うが、やり場のない辛さが彼を突き動かしているに違いない。愛されている証拠だ、と薪は、彼の筋違いの怒りを微笑ましく思う。

「でも、現実的に無理なんだろ?」
「現実の話はどうでもいいです! 薪さんの気持ちを訊いてるんです!」
 ……それ、僕が死ぬのはどうでもいい、って聞こえるけど? 言葉のアヤだよな?

 青木の悲しみを少しでも軽くするにはどうしたらいいのだろう、と薪は考える。
 困らせるのは得策ではない。取り乱したり泣いたり、彼の負担を増やすようなことはしたくない。
 薪は深く自分に問いかけ、心の中から幾つかの気持ちを拾い、残りを打ち捨てた。拾い上げた気持ちを基にして声と表情を調整し、彼に語りかけた。
「そうだな。未練はないな」
「オレにも?」
 薪は、にこりと笑った。上手に笑えたかどうか自信がなかったが、今の自分にできる精一杯で彼への感謝を表した心算だった。
「たくさん愛してもらったからな。もう充分だ」

 こんな状況を夢見たときがあった。
 青木が僕を愛してくれるうちに僕の人生の終わりが訪れて、さらには彼が僕を看取ってくれる。彼の愛に包まれたまま、時を止めることができる。それはなんて幸せなことだろう。
 そんな幸運に恵まれたら、言おうと思っていた。
 この世の誰よりも、おまえを愛してる。

「青木。僕は」
「そんなに鈴木さんの処へ行きたいんですか?」
 尖った青木の声に、薪は言葉を失う。
 青木の被害妄想は今に始まったことじゃないけど、時と場合を考えて欲しい。鈴木のことなんか一言も言ってないのに。
 薪は口惜しさにくちびるを噛んだ。今、正に愛を告白しようとしていたのに、身に覚えのない疑惑を掛けられて。ちょっと気の弱い人間なら泣いちゃうぞ。
 高熱と憤慨に眼を潤ませて薪が目蓋を開けると、泣いていたのは青木だった。

「なんでおまえが泣いてんだ? どう考えても、ここで泣いていいのは僕のほうだと」
「オレはそんな言葉を聞きたくて、あなたを愛したんじゃありません!」
 青木の剣幕に押されるように薪は口を噤み、薪の言い分は三度遮られた。自分は明らかな被害者なのに、どうしてこんなに怒られなければならないのだろうという素朴な疑問が頭を掠めたが、涙を流しながら訴える青木の様子の切実さに、その疑問は吹き飛んでしまった。
「あなたにもっと積極的に生きて欲しくて、この世界はあなたにとって素晴らしいことでいっぱいだって分かって欲しくて、だからたくさんたくさんあなたを愛して!
 それをなんですか。もう十分? 未練はない? ふざけないでくださいよ、まだ何も成し遂げていないくせに!!」

 青木にこんな乱暴な物言いをされたのは初めてだ。青木はいつも慎重に言葉を選んで、薪の機嫌を損ねないように気をつけていた。薪の耳に痛いことを言うときでもその態度は温かで、薪のことを思いやるからこその苦言だと分かって、だから彼の言葉に傷つけられたことなど一度もなかった。

 青木は大股に歩いて、病室を出て行ってしまった。
 自分以外誰もいなくなって静まり返った病室の中、薪は再び白い天井に視線を据えて呟いた。

「言えなかったな……愛してるって」




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パンデミック・パニック(10)

 こんにちは。

 お彼岸の日曜日、みなさまいかがお過ごしでしたか? うちは当たり前のように仕事です。(←4週連続日曜日仕事)
 もうね、3月だけは60日あっても多くない。 土木業者はみんなそう思ってる、少なくとも友だちの業者はみんなそう言ってる。
 だって雨が~、埋設管の競合が~、仮設給水が~、公共桝位置の変更が~~。 その他もろもろ、えーい、
 期越えが怖くて工事ができるかー! ←役所に聞かれたら大目玉。

 せめて雨だけはカンベンして欲しいです。



 ところで、
 こちらの薪さんの病気についてですけど、
 なんかすっかりバレてるみたいで~(笑) 鍵でコメントくださった方、全員正解です☆
 
  



パンデミック・パニック(10)







 太陽が高くなるにつれて体温も上昇していくようで、朝はいくらか楽になったと思っていた薪の身体は、再び昨夜の高熱に痛めつけられていた。
 点滴に解熱剤が入っていると思われるのに、ちっとも効かない気がする。普通の病気ではないのだから当たり前かもしれないが、それにしてもこの熱と発疹は異常過ぎる。自分で見ても気持ちが悪くなるくらいだ。
 岡部を呼んで仕事の話をしたいのに、この調子ではまともな会話ができそうにない。身体はふわふわと宙に浮いているようだし、視界はときどきブラックアウトする。

「薪くん。具合どう?」
「雪子さん」
 スライド式のドアを開けて顔を覗かせた白衣の女性を認めて、薪はうっすらと微笑んだ。どうやら雪子もワクチンを投与されたらしい。開発中の細菌のワクチンのストックが、それほど多くあったとは考え難いが、犯人の遺体が司法解剖されたであろう第一の職員には優先的に投与されたのかもしれない。なんにせよ、彼女の安全が確保されていることは喜ばしい限りだ。

「今まで、本当にありがとうございました。僕がここまでこれたのは、みんな雪子さんのおかげだと」
 最後になるのだからきちんと礼を言っておこうと、薪が感謝の言葉を述べようとすると、雪子はそれを遮って、
「どうしたの、急に。薪くんらしくない」
 さすがに雪子は医者だ。患者に死期を悟らせないように、その演技は完璧だ。だが、その必要はない。
 今朝方、薪の恋人が座っていたパイプ椅子に、どすんと音をさせて腰を下ろした雪子に、薪は微笑を向けたまま、できるだけ穏やかに言った。

「いいんですよ、雪子さん。僕は知ってるんです。青木が本当のことを話してくれましたから」
「そう。ふふ、竹内ったらね、薪くんが本当のことを知ったら、あまりの衝撃に暴れだすんじゃないかって言ってたのよ」
「そんなみっともない真似はしませんよ。僕は男ですから」
 竹内の暴言も、聞けるのは最後だと思うと、寛大に許せる気持ちになれた。人間死ぬ前は仏様みたいにやさしくなれるって言うけど、あれは本当なんだ。

「警官になった時から、覚悟はしていました。これは謂わば、僕の最後の事件です。犠牲者が僕一人で済んだなら、満足の行く結果です」
「最後の事件? 薪くん、警察辞めるの?」
「自動的に辞めることになるかと」
「どうして?」
「どうしてって」
 薪は訝しそうに雪子を見て、口を結んだ。
 自分はもうすぐ死ぬ、それを薪は知っている。そう伝えたのに、雪子がいつまでも白々しい演技を続けることが、薪には意外だった。必要のない嘘を重ねるなんて、聡明な雪子らしくない。それともこれは雪子が医者である以上、避けられない欺瞞なのだろうか。

「僕、助からないんでしょう?」
 ズバリと訊くと、雪子は眼を真ん丸にして、はあ? と間の抜けた声を出した。本気で驚いているように見える。雪子は嘘が苦手な方だとばかり思っていたが、なかなかどうして、大した演技力だ。
「薪くん。青木くんから本当のことを聞いたのよね?」
「はい。引継ぎをしなければいけないことが幾つか残っていますから、教えてもらってありがたかったです」
 口紅が擦れるのも構わず、雪子は右手の拳を唇に強く当てた。女性にしてはキッカリした眉を寄せて、黒い瞳を細くする。
「もしかして青木くん、伝える病名を間違ったんじゃ」
「病名? この症状に、病名があるんですか?」
 なんだかヘンだ。開発中の細菌による感染症、それにもう病名が付いたのだろうか? 昨日の今日で? あれってある程度研究が進んで、学術発表とかされて決まるもんじゃないのかな。

「うん。麻疹」
「そうですか、ハシカ ―――― はああ!!?」

 薪は思わずベッドから起き上がり、するとぐらぐらと世界が揺れる。エアポケット級の失墜感。耐え切れず、ベッドに戻った薪の身体が描いた軌跡は、横たわるというよりは落ちるという表現が正しい。
 ハシカって子供が罹るあれか? いや、そんなわけがあるか。だって、あの男は死んだのだから。

「何を言ってるんですか? 犯人は血を吐いて死んだんですよ、僕の目の前で」
「遺体の解剖はわたしが担当しました。死因はアルカロイド系毒物による中毒死」
「アルカロイド? まさか。だって、犯人は吐血して死んだんですよ?」
 アルカロイド系毒物は嘔吐や呼吸困難を引き起こすが、吐血はしない。それに、彼の毒物は即効性があるが、犯人は何も口にしていなかった。
「食道に、焼け爛れたような痕がありました。吐血はそこからのものと考えられます」
 では、あの白煙は? 彼が持ち込んだケースの中身は、いったい何だったのか。
「第五の調べでは、空気中にも毒性のある物質は発見されなかったそうです。清掃と消毒は彼らが行ってくれたから、本日の第九の業務に支障はありません」
「ちょ、ちょっと待ってください」

 熱のせいで動きの悪い脳を回転させて、脳内シナプスを根性でつなげる。
 犯人は服毒によって死亡。彼が持ち込んだケースから出てきた気体は無害。自分の症状は、細菌とは関係ないただの病気。

「つまり、あれは狂言だったと? 僕は犯人に騙されて第五と警備部を動かした挙句、子供が罹るような病気で倒れてここに運び込まれたわけですか?」
「ご名答です、薪警視長殿」
「~~~~!!!」
 新人の時以来の大失態に、薪は反射的にうつ伏せて枕を抱え込んだ。強く引っ張られた点滴スタンドが倒れそうになって、それを雪子が咄嗟に足で押さえたが、そんなものは勿論薪の眼に入ろうはずもない。

 どうするんだ、この不始末!! 
 カンチガイで夜中に警備部と第五を動かして、てか僕、中園さんにも連絡入れちゃったから多分指揮は中園さんが取ってたはず、仕事の早い中園さんのことだから厚生省に連絡入れちゃってたりして、それが間違いだと分かったら中園さんの責任問題に……!

「ちょっと薪くん、起きちゃダメよ」
「悠長に寝てられません! もしも厚生省へ謝罪に行くなら、それまでに僕の処分を確定させてもらわないと中園さんに迷惑が」
 四足で起き上がった薪をベッドの上に留めようと、雪子は両手で薪を毛布ごと押さえる。薪が暴れるものだから点滴スタンドは益々揺れて、とうとう倒れ掛かってきたスタンドを受け止めるために雪子が左手を離すと、その隙を逃さずに起き上がった聞き訳のない患者を止めるため、ついには足が出た。
 雪子の長い脚がモロに背中に乗って、今の薪の体力では動かせない。観念して、薪が参ったと言おうとした時、スライドドアの滑る音がした。

「安心してください。中園さんは慎重でした。厚生省へは、今回の事件は伝わっていません」
 岡部の声がして、背中に掛かっていた重力が消える。素早く脚を下したものの、雪子はとんでもない場面を目撃されてしまった。
「三好先生……この拘束の仕方は医者としてと言うよりは女性としてどうかと」
「だって薪くんが暴れるから。つい」
「やっぱり暴れたんですか? 竹内の言った通りになりましたね」
 宿敵の暴言を思い出し、薪は反射的に沸き起こった憤りに胸を焼く。先刻の寛大さはどこへやら、脳裏に浮かんだいけ好かない女たらしの顔に、心の中で唾を吐いた。

「竹内もお見舞いに来たがってたんだけど、麻疹を発症した記憶が定かじゃないから我慢するって」
「薪さん、後で竹内にはちゃんと礼を言ってくださいよ。山岡氏の携帯からGPSを辿って彼を見つけたのは、あいつなんですから」
「どうして竹内が?」
 青木に連絡を受けた雪子が竹内と共に夜の研究室を訪れたことを知って、薪は驚く。竹内にはまるで係わりのない事件だったはずなのに、夜中に労を惜しまず動き回ってくれたのだ、と岡部に言われては、頑固な薪も彼に感謝せざるを得ない。山岡が無事に保護されたのは、竹内の迅速な行動のおかげなのだ。

「岡部さん、お願い。脚で薪くんを押さえてたことは、竹内にはナイショにして」
 雪子が苦笑いしながら頼むのに、はい、と岡部は頷いて、薪の耳元に顔を寄せてこっそりと、
「女心ですかね。先生もカワイイとこありますね」
 前言撤回。誰が礼なんか言うか。




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パンデミック・パニック(11)

 お彼岸ですね。 
 今日は実家のお父さんに、お花を手向けに行ってきます。 オットはどうしても仕事が抜けられないので、今年はわたしだけ。 母も祖母も、えらくオットを気に入ってるので、がっかりされちゃうかも。(笑)

 本当にね~、特に祖母はオットにメロメロなんですよ。
 オットとわたしと祖母の3人で旅行に行った時、車の運転代だと言って、ティッシュに包んだお札をオットに差し出して、
「まーくん (オットの愛称) にだからね。しづのじゃないよ」
 ……孫と婿とどっちが大事なんだか。
 そしてわたしにはこの一言。
「おまえ、取り上げるんじゃないよ?」
 あんたの孫でしょうが! 信用せんかいっ!!


 祖母は93歳。 現在は韓流ドラマにハマってるそうです。 





パンデミック・パニック(11)






 倒れ掛かった点滴スタンドを雪子から譲り受け、きちんと立て直した後、岡部は問答無用でベッドに手を入れて、薪の身体を仰向けにひっくり返した。これ以上面倒かけんでください、と腹心の部下に睨まれれば、昨夜の自分の失態に恐縮する気持ちでいっぱいの薪には、返す言葉も失われる。

「犯人の身元が分かりました。と言っても、調べたのは捜一の連中ですがね」
 壁際に立てかけてあったパイプ椅子を持ってきて雪子の反対側に腰を下ろし、岡部はこれまでの捜査で分かったことを薪に教えてくれた。さすが岡部だ。薪が一番気にしていることが何なのか、ちゃんと分かっている。
「T大学医科学研究所在籍の助手で、谷島史郎、28歳。こいつのやってた実験てのが俺にはさっぱり意味が分からんのですが、ソラなんとかって細菌を遺伝子操作して、微生物による病気の治療薬を作る事だったとか。今朝になって研究所の職員が確認したところ、彼が実験中だった細菌と研究データが持ち出されていたそうです。彼の仕業と見て間違いないでしょう。
 動機は金ですね。谷島には多額の借金がありまして、金が必要だったらしいです。その細菌を売って、金に換えようとしたんでしょう」
 岡部の口から事件の顛末について聞かされ、結局自分が犯人に踊らされたことを再確認する。底なし沼のような自己嫌悪に落ちかける自分を止めつつ、薪はかろうじていくつかの疑問点を口にした。

「科警研には、何の目的で?」
「谷島は、必要以上に毒性を高めた細菌を開発していることが上にばれて、今後、目的以外の研究を続けるなら研究所を辞めてもらうと言われたそうです。それで、彼は研究中の細菌をどこかへ移す必要があった。
 研究所の話では、谷島の作った細菌は微生物が発生する毒素によるもので、元が微細な生き物だけに、保温ケースから出すと半日で死滅してしまうんだそうです。衝撃や振動にも弱いとか。だから、自分の大学から一番近いこの研究所に眼を付けたんじゃないかと。
 保温ケースと一定の設備があれば、細菌は自宅でも育てられるそうで。設備を盗むつもりで侵入したというのが妥当なところかと」
 犯罪に使う細菌を培養する設備を調達するのに、警視庁の隣に建っている科警研を選定するのはどうかと思われたが、科警研への侵入目的は納得がいった。
 しかし、どうしても納得がいかないのが谷島の死だ。

「薪さんから事情聴取をすれば見解は変わるかもしれないとは言ってましたが、今のところ捜一は自殺で見ています」
「違うな。あれは死を覚悟した人間の態度じゃなかった」
「しかしですね、谷島の死因はアルカロイド系の毒物なんですよ。即効性の毒ですから、自殺じゃないとなると、犯人は薪さんてことになっちまいます」
 そこは薪にも謎だ。すでに薪の中でひとつの解答は導き出されているが、決定的なピースがいくつも欠けている。
「僕的には『薪剛犯人説』の方が、まだ賛同できるが」
「冗談は止してくださいよ」
 慌てて両手を振り回す岡部の好ましい愚直にクスクス笑いを洩らして、薪は質問を続けた。

「自殺の動機は」
「谷島はあまり質の良くないところから金を借りてまして。職場にまで押しかけられて、かなり追い詰められていたようです。ただでさえ取り扱いの難しい細菌を研究室から持ち出して、結果駄目にしてしまって、ヤケクソになってあんな真似を―― 納得してませんね?」
 長年の部下は、薪の微細な表情の変化を読み取ることなど造作もなくやってのける。薪はたった一度長い睫毛を瞬かせただけなのに、それだけで分かってしまうのだ、この男には。

「いいですか、薪さん。気持ちは分かりますが、あなたは病気を治すことに専念してくださいよ。どちらにせよ、この事件は捜一に渡ったんです。俺たちに口を挟む権利はありません」
「そんな常識のないことはしないさ。捜一の連中に、早く事情聴取に来いと言ってくれ。その場で覆してやるから」
「……挟む気満々じゃないですか」
 クスッと笑って薪は、自分の頬に手をやる。普段なら剥き身のゆで卵のようにつるんとした皮膚には、身体と同じ発疹の凹凸が感じられる。先刻、青木がこの頬に頬ずりしたことを思い出して、薪は何だか申し訳ないような心持ちになった。

 室長不在で忙しい岡部は、報告を済ませると第九へ帰らねばならなかった。薪の身体が心配でたまらない彼は、病室を出るまでに3回も振り返って、雪子を失笑させた。
 岡部がいなくなると、雪子は「何か喉越しのいいものでも買ってきましょうか?」と薪の希望を聞いた。食欲は無かったが、口の中が乾いてザラザラしていたので、アイスクリームを頼んだ。
 雪子はカップアイスを二つ買ってきて、一つを薪にくれた。秋のアイスもイケるわ、と大きくアイスを掬いながら雪子が笑う。本当に、雪子は何でも美味しそうに食べる。

「雪子さん。山岡さんてどんな人なんですか?」
「有能な職員よ。研究熱心で、職務態度も真面目」
「研究課題は?」
「今やってるのは大腸菌の培養と経過観察かな。でも、培養に興味を持ち出したのは今年になってからで、去年までは薬品の競合による相乗効果と拮抗効果について論文を書いてた覚えがあるけど……いずれにせよ、とても優秀」
「上司としての評価じゃなく、雪子さんの眼から見て、いい男ですか?」
 上司として、という条件が消えた途端、雪子の顔は苦々しく歪んだ。

「ゴスロリ好きのヘンタイ。机の中に、写真がいっぱい入ってた」
「彼の女性の趣味はどうでもいいです。性格的にはどうですか?」
「友だちにはなりたくないわね。優秀なんだけど、自分に自信を持ちすぎてて、他を見下してる感じ。あ、薪くんと一緒ね?」
 悪戯っぽく笑った雪子に、薪は大仰に顔をしかめて見せる。
「ひどいですよ、僕はそんな」
「あはは、冗談よ」
 雪子がそんなことを思っていないのは百も承知だ。薪は誤解されやすいタイプだが、何人かの人は自分の真実を分かってくれて、信じてくれる。それで十分だと思う。

「それにしても、本当にこれ、ハシカなんですか?」
「そうよ。発疹が出た時点で気が付かなかった?」
 不自然だとは思った。犯人には発疹が出なかったのに、自分には現れた。でもまさか、こんなタイミングで発症するなんて。
「ハシカって、子供が罹る病気じゃないんですか? それに、ハシカの発疹って、こんなに大きくないですよね?」
「麻疹ウィルスさえ取り込めば、大人も子供も関係ないわ。あんまりバカにしない方がいいわよ、麻疹って大病なんだから。大人になってから罹ると余計大変なのよね。発疹も大きくなって、熱も続くし。完治には2週間くらい掛かる人もいるわよ」
「でも僕、子供の頃に予防接種を」
「予防接種だけだと、身体の中にできた抗体が消えてしまうことが多いの。実際に罹病していれば抗体が消えることはないんだけど」
 そうなのか。知らなかった。

「それにしても、ハシカなんて一体どこで」
 宇野の見舞いに行ったとき、夜遅い時間だったから正面玄関が開いてなくて、救急センターから病院へ入った。急な発熱で親に連れてこられた子供の中に、麻疹に罹った子がいたのかもしれない。
「救急センターはね、本当に色んなウィルスがうようよしてるから。できるだけ避けたほうがいいわよ」
 肝に銘じます、と薪は神妙に言って、アイスをもう一匙口に含んだ。口の中が高温になっているから、冷たいものは心地が良い。風邪の菌が胃腸に悪さをしている時は別として、発熱時の栄養補給はだいたいこれだ。

 薪が熱を出すと、青木は必ず薪の好きなアイスクリームを買って見舞いに来る。それから頼みもしないのにおかゆだのスープだのって家政婦の真似事をして、それをものすごく楽しそうにされるものだから、僕が熱を出して寝込むのがそんなに嬉しいか、と皮肉の一つも言ってやりたくなる。
 熱を出した時とばかり限らない。青木は薪がほんのちょっと疲れを感じて休んでいるだけでも深刻な表情になって、あれやこれやと世話を焼きたがる。健康なときでさえ、風呂で髪を洗ってやるだの着替えさせてあげるだの、まあアレは下心てんこ盛りの親切心なのだろうけど、とにかく、薪が病魔に苦しんでいるのに、あんな捨て台詞を吐いて背中を向けてしまうような、冷たい恋人ではなかったはずだ。

「……青木のやつ、一体どういうつもりなんだろう」
 事もあろうに病人に対して「もう長くない」なんて、言っていい嘘と悪い嘘がある。許されていいことじゃない。病気が治ったら説教だ。エントランスの打ちっぱなしコンクリートの上で二時間、正座で説教聞かせてやる。
「まあ、あたしは薪くんのこと20年も見てるからね。仕方ないなって思うけど、青木くんは許せなかったんじゃないのかな」
「許せなかったって……騙されたのは僕ですよ?」
「その前に騙したのは薪くんじゃない」
「だってあれは」
 青木の命を守るためだった。あの時点で、薪は本物の細菌が播かれたと信じ切っていたのだ。止むに止まれぬ嘘だった。

 薪が不機嫌に押し黙ると、雪子は空になった紙製のカップをくしゃりと潰し、
「青木くんが薪くんの口からどんな言葉を聞きたかったのか、薪くんなら分かるでしょう?」
「分かりませんよ。言ってくれなきゃ分かりません」
「相変わらずズルイのね」
 ひょいっと雪子が放り投げた紙くずは完璧な放物線を描いて、見事ゴミ箱に落下した。フリーになった両手を彼女は豊かな胸の前で組み合わせ、いつものハキハキとした口調で遠慮なく言った。
「自分の気持ちは決して言わないくせに、相手には理解して欲しいと思ってる。そのくせ、相手の気持ちは『言ってくれなきゃ分からない』。
 大したものだわ。学生時代とちっとも変わらない。それがあなたのスタイルだものね」

 何故だろう、と薪は思う。
 どうして今日は、みんな自分に冷たいんだろう。病気だからってやさしくして欲しいわけじゃないけど、青木といい雪子さんといい、自分は何か彼らを怒らせるようなことをしただろうか。
 考えるが、まったく心当たりがない。
 確かに、自分のカンチガイでとんだ迷惑を掛けた、だけどそれで怒るような彼らじゃない。自分たちの労苦などどうでもいい、ただのハシカでよかったと喜んでくれる、彼らはそういう心根の人たちだ。

「雪子さん、あの」
「薪くんは正しいわ。薪くんの嘘も正しい。でも、青木くんに嘘を吐かせたのは、薪くんのその正しさだと思う。て、あたしが口出すことじゃないわね」
 座るときと同じくらいのオーバーアクションで立ち上がり、雪子は背筋を伸ばした。ひらひらと手を振って、そろそろ仕事に戻るわ、と笑う。笑うと目尻に皺が出来るようになったけれど、彼女は結婚して益々美しくなったと薪は思う。
 大分温んできた水枕に頭を預け、薪は扉の向こうに消える白衣の背中をじっと見ていた。





*****


 と言うわけで、薪さんの病状は麻疹によるものでした~。
 いやん、怒らないで、だからギャグだって言ったじゃん☆

 実はですね、2年前にオットがまんまこの状態になりまして。 
 実家の父が入院してたので、現場が終わってから2人でよくお見舞いに行ってたのですけど、当然のように玄関が閉まってて、救急から出入りしてました。
 ある日、いきなりオットが熱(39度越してた)を出したと思ったら、2時間くらいのうちに身体中に発疹が!! これが本当に大きなブツブツで、気持ち悪いのなんのって、すごく怖かった。 
 高熱と湿疹から直ぐにハシカを疑ったのですけど、お義母さんに訊いたら「子供のころ、予防接種はちゃんとした。それに麻疹のブツブツはこんなに大きくない」って言われて。
 とりあえず近くの内科に連れて行ったら、「うちじゃ手に負えないから大きな病院で検査してもらって」と紹介状を書かれました。 内科の先生、診察だけじゃ病名が判断できなかったんですね。
 見た目だけでは医者にも診断が下せないなら、素人には分からなくて当たり前ですよね。

 大きな病院で診察してもらって、「どうも麻疹っぽいですね」と先生に言われたのですけど、血液検査をしてみたら、
「麻疹の抗体はありますね。じゃあ、麻疹に似た別のウィルスかな? それともアレルギー反応かな?」
 結局、分かりませんでした。

 検査を重ねれば突き止めることはできるけど、それにはお金も時間もうんと掛かりますよ、症状が治まれば大丈夫ですから、と先生に言われて、そのままにしちゃいましたけど。 本当に、なんだったんだろうなー。

 みなさんも、救急センターの出入りの際には十分注意して、必ずマスクを着用してくださいね。






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パンデミック・パニック(12)

 先月くらいから、
 昔のお話にたくさん拍手いただいてて、とってもありがたいです。
 同じ記事に複数入ってるから、何人かご新規の方がいらっしゃってると思うのですけど。 コメントいただかないと直接はお礼が言えないので、こちらで返させていただきます。
 
 すみませんっ!!
 薪さんのイメージ壊してすみません、原作無視のストーリーですみません、オリキャラばんばん出してすみません、青木さんがストーカーで (あり得ねえ)、雪子さんと薪さんが仲良くて (もっとあり得ねえ)、薪さんにカンチガイ大王とかあだ名ついててすみません! (これが一番あり得ねえ)
 どうか寛大なお心で! 怒りを鎮める練習だと思って! いっそ精神修行だと思って!! 大目に見てやってください。

 ↑↑↑ ……お礼じゃなくて、お詫びじゃね? 

 本人は真剣です。
 追放しないでください。






パンデミック・パニック(12)





 O市の小さな公園で、山岡宏は指定されたベンチに座り、腕時計を確認して幾度目かの深呼吸をした。
 土曜日の昼間、しかもこんな場所を指定されるとは、山岡には全くの予想外だった。こういうことは夜中、怪しげなバーとか路地裏とかで秘密裏に行われるものだとばかり思っていた。ろくな遊具施設もない公園に人気はなく、それだけは今日の取引にプラスの要因だと思えたが……いや、逆にこういう場所の方が怪しまれないのかもしれない。多くの闇取引は日中、衆目の中で行われているものなのかもしれない。
 山岡は商品の入ったケースを鞄の上からそっと押さえ、その存在を指先で確かめた。鞄の生地に遮られて見ることは叶わないが、それは2週間ほど前、第九研究室のモニタールームで白煙を吹き上げた黒い小型ケースと寸分違わぬものだった。

 谷島とは、闇の賭博場で知り合いになった。

 ギャンブルは、この世の何よりも刺激的な遊びだ。山岡がこの味を覚えたのは2年前。親が死んで、それまで手にしたことがないような大金が転がり込み、軽い気持ちで買った馬券が大当りして、その金がさらに増えた。数時間で、元金が数倍に膨れ上がる。それも、山岡が夜中まで働いて手にする一ヶ月の給金の何倍もの額だ。真面目に働いているのが馬鹿馬鹿しくなった。
 山岡の最初の大当たりはビギナーズラックと言うやつで、それからは勝ったり負けたりを繰り返していたのだが、賭け事に夢中になる人間の心理と言うのは不思議なもので、勝った時の快感しか心に残らない。大きく負けた時はがっかりし、落ち込んだりもするのだが、そちらはすぐに忘れてしまう。

 時が経つうち、山岡は次第に強い快感を求めるようになった。
 賭け事の快感は、勝ち金の大きさに比例する。普通のレートでは、高額の勝ち金は得られない。そこで彼は、闇賭博に手を出した。
 科警研勤めの山岡が、何処から賭場の情報を、と思われるかもしれないが、これはちっとも不思議ではない。一般の競馬場や競輪場に、闇賭博の入り口は開かれている。闇賭博の主催者は殆どが暴力団で、その目的は資金集めだ。少しでも多くの顧客を集めるため、彼らは、競馬場で外れ馬券をばらまいている集団の中に賭場への案内人を紛れ込ませている。
 負けた者同士、妙な連帯感をうまく使って相手の勤め先や家族構成を聞き出す。特に公務員は眼を付けられやすい。給与が保証されているから、定期的な資金源になる。

 闇賭博へ出入りするようになって、あっという間に山岡の貯金は底をついた。主催者に言われるがままに借金を申し込み、その借金を返すため、という矛盾した目的のために賭博に精を出した。自分でもどうしようもない状態だと分かっていたが、抜けられなかった。抜けるためには一億近い金が必要だった。

 似たような境遇にあった谷島とは、話が合った。二人の職業には共通点が多く、それは益々彼らの親交を深めた。
 谷島はT大の研究室で細菌の研究をしていた。自分が培養した細菌を売って金に換える気でいたが、上司に仕事以外の研究をしていたことが知れて、研究を進めるのが難しくなってきた。既にサンプルは完成し、ワクチンもできている。これを捨てるなんて事はできない。かくなる上は、どこかの実験室を借りて細菌を増やし、ある程度の量を揃えたら賭場の暴力団を介して外国に売る。そこまで話が決まっていた。

 培地と設備を提供するから、うちの研究室で増やせばいい、と山岡は彼に持ちかけた。
 科警研とは灯台下暗しだ、と谷島は笑った。山岡の案を気に入ったようだった。

 決行の夜、細菌と研究資料を抱えて約束の場所に来た谷島を、山岡は歓迎し、自分の仕事場へと導いた。途中、これからすぐ培養に入るのだから腹ごしらえだと言って、用意しておいたパンと牛乳を彼に食べさせた。
 その後、ビタミン剤だと偽ってCメピジウムという薬品を飲ませた。
 自分も同じ瓶から出したタブレットを噛みながら、パンだけでは栄養が偏る、科学者は健康に気を使わないと駄目だ、と山岡が言うと、谷島は笑いながら錠剤を口に含んだ。
 警視庁のお膝元の科警研で殺人細菌を培養する。それを作る科学者が健康に留意する。谷島はこういう皮肉なシチュエーションを好む性癖があった。

 夜の科警研を訪れて、細菌だけを先に研究室へ運ぼう、と山岡は言った。
 研究データは段ボール2箱もある。これは研究室には置いておけない、もしも誰かに見られたら困る。だからこの場は山岡の車に残して行こう。これからは自分も細菌の世話をすることになるから資料は読んでおきたい、自宅に持って帰ってもいいか、と言葉巧みに資料を自分のものにする算段を付けた。

 正門を潜ってすぐ、山岡は急な腹痛を訴えた。
 牛乳を飲むと必ずこうなるんだ、先に行っててくれ、と目的の建物の方向を指さし、谷島に細菌の入ったケースと自分のIDを差し出した。どうして腹を壊すのが分かっていて牛乳を飲むんだ、と呆れ顔の谷島に、健康にいいからだ、と返すと、谷島は楽しそうに笑って黒いケースを受け取った。

 ケースには、眼に見えないくらいの小さな穴を開けておいた。中に入っているのはAラセプリルという薬液を注入したドライアイスだ。時間が経てば、薬もろとも気化して消える。
 様々な食物の中に危険な食べ合わせがあるように、ある種の薬物も、重ねて摂取することによって毒性を発揮するものがある。先に谷島に飲ませたCメピジウムという薬物は、それだけでは何の毒性も持たない。しかし、それを摂取した状態でAラセプリルから発生したガスを吸い込むと、肺の中でアルカイロイド系の劇薬に変化するのだ。

 谷島に多くの証拠を残して欲しくなかったから、できるだけ正門から遠い建物を選んだ。山岡が第九を指さしたのは、それが理由だった。
 計算外だったのは、ドライアイスの溶ける速度が意外と遅かったことだ。山岡の計画では、建物に到達する前、科警研の中庭で彼は死ぬはずだった。そうしたら彼からIDを回収して、死体は放置すれば良いと思っていた。細菌は、谷島の代わりに自分が売ってやる。もちろん、彼が得るはずだった報酬も。

 ところが、谷島はなかなか死なず、とうとう第九の建物に入ってしまった。
 これはまずい。IDカードから、自分との関係が露呈する可能性がある。

 咄嗟に山岡は管理棟に走って、谷島に襲われた風を装った。管理棟を選んだのは、ここだけがID無しで入れる唯一の建物だったからだ。
 谷島にIDカードを奪われた、と主張した山岡の証言は、あっさり認められた。なんでも、谷島は第九の室長相手にメスを振り回す暴挙に出たらしい。危険な人物との印象を捜査陣に植え付けてしまったのだ。
 以前から、科警研のことは少しずつ谷島に話していたから、冷酷無比な第九の室長と知って過剰防衛に走ってしまったのか、誰もいないと思っていた研究室に人がいて取り乱してしまったのか。詳細については不明だが、いずれにせよ、谷島の取った浅はかな行動が山岡に有利に働いたことは確かだった。

 第九が感染パニックに陥ったと聞かされて、山岡はひどく驚いた。谷島が細菌のことについて他人に話すとは思えなかったし、話したところで何故細菌がばら撒かれたという誤解が生まれたのか、見当もつかなかった。第五まで出動して、第九の室長は入院したというし、いったい何がどうなったのか、しかしその騒動に紛れて、山岡は単なる被害者の一人になりおおせた。
 谷島が死んだ後、山岡は直ぐにでも細菌を金に換えたかったが、あまり焦ってはいけないと考えた。証拠固めのため、捜査一課の人間が研究室をうろついている今、危険な行動は避けた方がいい。少なくとも事件解決までは賭場へも行かないようにしよう。
 山岡は何食わぬ顔で今まで通り日々の業務をこなし、平常の生活を続けた。そうこうするうち、事件は谷島の自殺で決着がついたという情報が入った。科警研をうろつく刑事の姿は消え、山岡はいよいよ大金を手にする時が来た、とほくそ笑んだ。

 そんなとき、山岡の携帯に一本の電話が掛かってきた。
『三億出しましょう』
 電話の相手は、いきなり言った。山岡がかろうじて理性を保ち、何の話だ、と返すと、相手は含み笑いをして、
『おや、これは失礼。てっきり谷島君から話が通じているものと思っていました』
 谷島の名前を出したところを見ると、細菌の取引に間違いない。しかし、谷島は賭場を開催している暴力団を介して売却するつもりだと言っていた。報酬も一億という話だった。買い手から直接連絡が来たうえ、報酬額が三倍に跳ね上がった。怪しい。

 谷島とは誰です、と山岡は惚けた。もう少し、相手のことを探った方がいいと思った。
『そう警戒されずとも。あなたにとっても悪い話ではないでしょう? 我々としても、間に彼らを入れたくないのです。我々は革命軍の指揮下にありますが、一研究所として社会活動を営んでいる。暴力団とのつながりなど、作りたくはない。
 あなただって、彼らを間に挟めば損をする部分も出てくるはずだ。研究資料を見せてもらった上でわたしが彼らに提示した額は五億。しかし、谷島君が受け取るはずだった金額は、もっと少なかった。違いますか? でなければ、彼はわたしに『三億欲しい』という交渉はしてこなかったはずだ』
 電話の相手は、谷島と山岡が通っていた賭場を経営している暴力団のことにも詳しかった。もちろん、山岡の勤め先や研究についても。これは谷島から情報が渡っていたものと判断し、山岡は相手を信用することにした。

『引き渡しは一週間後。O市にある××公園に、午後二時に来てください』
 一週間とは時間のかかる。早いところ証拠品を手元から離して、金を手に入れたいのに。もう少し早くならないのか、と山岡が問うと、三億となると用意するのに相応の期間がいる、と尤もな答えが返ってきた。なるほど、と山岡は考え、その日に指定された場所に赴くことを約束したのだ。
 
 そんなわけで山岡は、土曜日の公園に一人きり、ベンチに座っている。他人から見たら、妻に掃除の邪魔だと追い出された亭主のようにも見えるかもしれない、と心の中で苦笑する。ここが面白みのない公園でよかった。

「おじさん、山岡さん?」
 名前を呼ばれて顔を上げると、いつの間に現れたのか、2メートルほど離れた樹の傍に見知らぬ少女が立っていた。



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パンデミック・パニック(13)

パンデミック・パニック(13)





「おじさん、山岡さん?」


 高校生くらいの女の子だった。栗色の髪をツインテールにして、それが彼女にはとてもよく似合っていた。前髪はふわりと額に落ちかかって眉毛を完全に隠し、丸みを帯びた頬のラインと協力して彼女のあどけなさを強調していた。
 彼女の格好は特徴的で、それは山岡の好みにぴったりと合っていた。白くて薄い布地に、黒のレースラインが縦に三本入ったフリルだらけのワンピースを着て、頭にはドレスと同じデザインのヘッドドレスを付けていた。短いスカートから覗く太腿は彼女が身に着けている服と同じくらい白く、膝から下は編上げの黒いロングブーツに覆われていた。

 山岡は思わず席を立った。
 見たこともないくらい可愛い娘だ。山岡はゴスロリファッションの娘たちには多大な興味を持っていて、時々、その系統の店にも足を運んでいるが、ここまで人形みたいにかわいい娘には出会ったことがない。それも当たり前で、ああいう店は成人女性が客の趣味に合わせて商売用の衣装を着けているだけ、やはりゴスロリは少女にだけ許されたファッションなのだ。

「そうだけど、君は?」
 山岡が答えると、彼女は妖精みたいに歩いて山岡の傍に寄ってきた。
 近くで見ると益々かわいい。
 こういう服を着こなすには必須条件だと思われる小柄で華奢な体つき。亜麻色の瞳は文句なしの大きさ、しかも黒目がちで、びっしりと生えた睫毛に覆われていた。重量感のある睫毛は瞬きにすら支障をきたしそうだったが、逆に、彼女の軽やかな足取りは、重力の影響を微塵も感じさせなかった。

「シロヤマって言えば分かるって」
「えっ。君が城山さんの代理人なの?」
 鈴を転がすような美声が語った言葉に、山岡は驚愕した。予想だにしなかった、この娘が犯罪に加担するような娘だなんて。
 しかし、それは山岡の早とちりだった。
「代理人て何のこと? ミホ、知らない。この鍵を山岡って人に渡して、代わりの物をもらって来ればお小遣いくれるって言われて、それで」
「鍵?」
「滑り台の処にトランクが置いてあるって、あ、あれかな?」

 ミホが指差す先を見れば、公園の奥まった場所に古ぼけた滑り台が置いてあって、その陰に銀色のトランクが置いてあった。言われなければ分からないような置き方で、ミホが現れた方向とは全く別の場所であるし、彼女はトランクの中身をまるで知らないと思われた。
 ミホは鍵を持ったまま、やっぱり妖精みたいに重さを感じさせない歩き方で滑り台に近付いた。前を歩く彼女の短いスカートが揺れ、白い太腿が露わになるたび、山岡は今日ここに来た目的を忘れそうになった。

「わあ、大きなカバン。重いわ、持ち上がらない。中に何が入ってるの?」
 君には関係ない、鍵を渡してくれ、と言おうとして、山岡は言葉を飲み込んだ。言葉と一緒に、多量の唾液が喉に流れ込んできた。
 ミホは鞄を持ち上げようと、前かがみになって両手で取っ手を持った。力を込めると自然に内股になった彼女のスカートが上がり、下着が見えそうになる。そのギリギリのラインの色っぽいこと。
 お小遣いをくれるから、とミホは言った。彼女はお金が欲しいのだ。このトランクいっぱいの金を見せたらどうだ、彼女は自分の言うことに応じてくれるのではないか。何でも好きなものを買ってあげる、と言えば、どこまでも付いてくるに違いない。

「開けてごらん」
 山岡はトランクを地面に倒して、その前に屈んだ。一緒に膝を屈めたミホに、にこりと微笑みかける。
「え? わたしが?」
「うん、いいよ。君が開けて。きっと君の大好きなものが入ってるよ」
 ミホは不思議そうな顔をして(それがまた何とも愛らしかった)、でも従順に鍵をトランクの鍵穴に差し込んだ。その素直さも好ましい、と山岡は思った。

 パチン、と鍵の外れる音がして、トランクが開いた。わあ、とミホの驚く声が聞こえる。山岡も一緒に覗き込むと、大量の紙幣がぎっしりと詰まっていた。咄嗟に数えきれる量ではなかったが、一見して百枚の束が横に6列、縦に5列。下方を探って一束抜き出し、中身が本物かどうか確かめる。すべて本物だ。
 一瞬、金だけ奪おうか、と思ったが、それは得策ではないとすぐに考え直した。この細菌は犯罪の証拠。処分した方がいいに決まっている。それに、この娘。ここで別れるのは惜しい。

「じゃあこれ。君がお使いを頼まれた人に渡してもらえるかな」
「うん」
 黒い小箱と研究データを入れたUSBメモリを、ミホの手に握らせる。華奢で美しい手だった。ネイルアートはパールを散らした白とピンクの天使系で、彼女の雰囲気にぴったりだった。
「ねえ、君」
 彼女の手を握ったまま、山岡は言った。
「そのお使いが済んだら、またここに帰ってきてくれないか」
「……どうして?」
「お小遣い、欲しいんだろ? 見ての通り、ぼくは大金持ちだ。好きなもの、何でも買ってあげるから僕と」

 ミホは、山岡から預かったケースを慎重に地面に置き、スッと立ち上がった。つられて山岡が立ち上がると、驚いたことに山岡の腕に自分の腕を絡めて、もう一方の手を山岡のシャツの襟元に添えた。
「お金は要らないけど、山岡さんのことはもう離さない」
 何と言う幸運だ。金の力は偉大だと思うが、それでもこんなにかわいい娘が自分なんかに。
 身を寄せると、髪から身体から、とても良い匂いがする。我慢しきれなくなって、山岡は彼女のスカートから伸びた太腿に手を伸ばした。

 ぎりり、と強い力で手首を握られた。痛い、と思ったときには少女は山岡の後ろに回り、もっと強烈な痛みが山岡を襲った。
「いっ、痛い! 何をするんだ!」
 腕を捻じり上げられている。関節をおかしな方向へ曲げられて、山岡は悲鳴を上げた。痛いなんてもんじゃない、折れる瞬間の痛みがずっと続いているみたいだ。

 ちっ、と舌打ちする音を聞いた後、山岡の足を編み上げブーツの足が攫った。強い力で蹴られてバランスを崩し、山岡は正面から地面に突っ込んだ。硬い地面が山岡の顔にいくつもの傷を作り、山岡はその痛みに呻いた。
 次の痛みは背中だった。右腕の関節を決められた上、背中に膝頭を打ち込まれた。そのまま押さえつけられ、痛苦に喘ぐ山岡の耳に、澄んだアルトの声が聞こえた。
「雪子さんが言ってたとおりだ。とんでもない変態だな、こいつ」
 彼女の声を合図に、数人の男が茂みや木の陰から出てきて、山岡の身体を拘束した。山岡を男たちに預けると、少女はトランクの蓋を閉め、それを片手で持ち上げた。

「き、君はいったい」
 男たちに両側を挟まれて身動きの取れなくなった山岡が問うと、彼女はトランクを持ったまま、ヘッドドレスの顎紐を解き、それを髪の毛ごとむしり取った。
 ツインテールの下から現れたのは、亜麻色の短髪。この髪型なら彼だと分かる、幾度か仕事場で見かけたことがある。山岡が所属する研究室の副室長と仲の良い、科警研一の美人。

「そんな……」
 信じられないと呟く山岡を、ゴスロリ姿の麗人は、大きな亜麻色の瞳にゾッとするほど酷薄な光を浮かべて見下していた。





*****

 そしてまた謝罪の種がひとつ増えると☆ ←反省の色が見えない。


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パンデミック・パニック(14)

 こんにちは。

 ゴスロリ薪さんに非難コメがこなくて良かった、と密かに胸を撫で下ろしているしづです。
 ちょ、待て、薪さんに何してくれんの、と叫びたいのを我慢してくださってる方々、ありがとうございます。 このお話、あと3章で終わるので、もうちょっと我慢してください。(^^;

 しづと一緒になってきゃーきゃー言ってくださった方々、ありがとうございました。
 コメントいただいて気が付いたんですけど、ゴスロリ服と言えば黒のフリルが定番ですよね。 でも何故か、わたしは薪さんは黒のイメージがなくて。 定番のスーツはチャコールグレイなんですけど、むしろベージュや薄いグレーの方が似合う気がします。 
 そんなわけで今回も、白いゴスロリ服を着せちゃいました。 が、ここで大事なのはゴスロリ服なので。 みなさんの頭の中で、お好きなゴスロリ服を着せていただけたらと思います☆
 
 一応ですね、わたしが参考にしたゴスロリ服はこちらです。 
 姫系ワンピ ←ポチルと衣装のHPに飛びます。
 さすがに肩むき出しは無理があるので~、わたしは長袖で妄想しましたけど、こんなのと組み合わせてもいいかもしんない。
 上着

 可愛い服がたくさんあってね~、どれ着せようか悩むの楽しくて~。 こういう妄想してると、あっという間に時間が過ぎるの~。 
 ……世界一無駄な時間の使い方してる自信があります!(胸張って言うことか) 
  

 戯言に付き合っていただいて、ありがとうございました。
 お話の続きです。 本日も広いお心でお願いします。


 


パンデミック・パニック(14)







 事情聴取と言う名目で捜査一課と直接話す機会を得た薪は、山岡共犯説を提示し、裏を取るよう働きかけた。
 結果、山岡と谷島は同じ賭場に通っていたこと、二人ともかなりの借金があったこと、谷島の研究内容、それが上司によって中断されそうになっていたこと、と言った調査結果が上がってきた。

「君が賭場へ行ってくれれば、そこで違法賭博の容疑で捕まえるつもりだった。家宅捜査さえできれば、細菌の保存場所を見つける自信はあったからね。でも、賢い君は行こうとしなかった」
 上がってきた調査結果だけでは、山岡の犯罪を立証するのは難しかった。薪の主張は、小さな可能性に過ぎなかった。薪は谷島との最後の会話で、共犯者がいることを仄めかすようなことを言われたと証言したが、それが山岡である証拠は何処にもなかった。
「で、仕方なく、あんな電話で君を呼び出したわけさ」

 三億円入りのトランクに腰を下ろして、薪は優雅に脚を組んだ。こんな状況下にあっても、山岡の眼はその脚を追いかけてしまう。男だと分かっているのに、これは異常だと我が身を恥じるが、異常なのはこの男の方だと思い直した。山岡を両側から拘束している刑事たちも、自分と同じ反応を見せていたからだ。

「病み上がりなんですから、身体を冷やさない方がいいですよ」
 そう言って薪の隣に立ったのは、3ヵ月前に結婚したばかりの警視庁一のモテ男だ。この男が山岡の研究室の副室長を結婚相手に選んだ時には、パニックに陥る女子職員で一時業務が停止するほどの騒ぎになった。今では彼らの結婚は、科警研の七不思議のひとつに数えられている。
 彼は上着を脱ぎ、薪の脚に掛けた。明らかに男の目線から庇う仕草だったが、薪は彼の好意にチッという舌打ちを返し、それでも10月のミニスカートはやはり寒かったのだろう、上着の端を腿の下に挟むようにして暖を取った。

「あの電話は薪室長の部下の方が掛けてらしたんですね。さすがエリート集団。室長を初め、第九には芸達者な方が揃ってらっしゃるようで」
 山岡が皮肉を言うと、薪は人を見下すような嗤いを浮かべて、
「うちには小器用な男がいてな。あれはコンピューターの合成音だ」
「へえ、大したものですね。肉声にしか聞こえませんでしたよ。引き渡しを一週間後に指定したのは、衣装合わせのためですか?」
「違う。この格好は、おまえを油断させるためにって言われて」
 さすが稀代のファムファタール。見事な誘惑でした。
「僕はイヤだって言ったんだけど、この衣装で授受するのでなければ僕の介入を認めないって捜一が条件出してきて」
 近くの茂みで、キラッと何かが光った。多分、カメラのレンズだろうと山岡は思った。不憫な人だ。
「おまえのヘンタイ趣味のおかげで、こっちはえらい迷惑だ」
 ゴスロリファッションがここまで似合う四十男に言われたくない。

「どちらにせよ、捜一は動けませんでした。証拠がありませんでしたから」
「第九は証拠が無くても動けるのか……?」
「そこは薪室長だから」
「それで通るんだ……」
 証拠が無ければ動けないのは警察官の良識ではなく、上の判断によるものだ。第九では薪が法律だし、彼がGOと言えば大抵の違法捜査はまかり通る。恐ろしい集団だ。法律無視の国家権力ほど怖いものは無い。

「もう二度と、ゴスロリの女の子には付いて行かないようにしますよ」
「よかったな。おまえの腐った性癖が一つ改善できて」
 ふん、と嘲る口調で皮肉に笑う。鼻持ちならない高慢そうな笑顔が、しかしこの衣装にあっては最高に映える。

「作戦の決行を遅らせたのは、その、麻疹が」
「ハシカ?」
「……てっきり細菌による感染症だと思ったら、ハシカだったんだ」
 第九室長が入院したとは聞いていたが、そんな理由だったとは。
 そうか、それで感染パニックが起きたのか。これはこれで笑える。
「薪室長、犯人に呆れられてます」
「ハシカ舐めんなっ! 子供が罹る病気だと思って甘く見たら痛い目見るぞ!」
 だいぶ痛い目を見たらしい。

「何故第九が現場に?」
 不思議に思って山岡が尋ねると、薪は大きな亜麻色の瞳を冷酷に光らせて、
「おまえのせいで死にかけたんだ。自分の手で捕まえなきゃ気が治まらない」
「室長が死にかけたのは麻疹のせいで、てか、熱が高かっただけで死にかけてないし」
 隣の男に突っ込まれて、ぐっ、と呻いた室長の額には何本もの青筋。我慢ならないと言うように彼は立ち上がり、借り物の上着を地面に落として足を踏み鳴らした。
「うるさい、本当に死ぬかと思ったんだから、死にかけたのと同じだ!! おまえの罪状には僕への殺人未遂も付け加えておくからな!」
 冤罪だ。淫行未遂は認めるが、殺そうなんて思ってない。
 言ってることが無茶苦茶だ。第九の室長は氷の室長とも呼ばれていて、どんなときでも冷静な顔を崩さないと聞いたが。聞くと見るでは大違いだ。

「要するに、僕には谷島から辿り着いたんですね」
 バカと組むものじゃないな、と山岡は心の中で舌打ちした。
 谷島のことは、軽はずみで思慮の足らない男だと思っていた。賭け方を見ていても分かった。彼はヤマ勘に頼るタイプで、統計を取ることも勝負の裏を読むこともしなかった。
 しかし、自分は違う。何事も計画を立てて実行する。これも想定の内だ。

「認めます。細菌のことは、谷島に頼まれました。自分が騒ぎを起こすから、それを隠れ蓑にして細菌を培養してくれって」
 細菌を持って取引現場に来てしまったのだから、その罪から逃れることはできない。潔く認めてしまった方がいい。だが。
「僕も心が痛みましたよ。自分が作った細菌を守るためとはいえ、まさか自殺するなんて」
 自分が谷島を殺した証拠は何処にもない。殺人と窃盗幇助では、罪の重さがまるで違う。この細菌がテロに使われる予定だったことについては勿論、『自分は知らなかった』。

「バカな。そんな理由で人間が死ぬもんか」
 山岡が浮かべた沈痛な表情は、薪の信用を勝ち得なかった。彼は警察官だ。研究者の心情は理解できないのだろう。きちんと説明してやるか。
「そんなことはないですよ。細菌学者にとって、自分が開発した細菌は我が子にも等しいんです。僕も学者の端くれですから、その気持ちはわかります。だから彼の遺志を継いで」
「谷島は自殺じゃない」
 説明に力を入れる山岡に、薪は声のトーンを落とした。明確な敵意が伝わってくる。
「おまえが殺したんだ」

 断定的に、薪は言った。燃えるような瞳が、じっと山岡を見ている。
 あくまでも、自分を殺人の罪で逮捕するつもりか。ならば戦わねばなるまい。

「…………どうやって?」




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パンデミック・パニック(15)

パンデミック・パニック(15)






「どうやって?」

 好戦的に、山岡は薪の眼を見返した。普段の髪型に戻っても未だ男だとは思えない彼に、自分が犯人ではない証拠を叩きつける。
「副室長に聞きましたよ。谷島は、アルカロイド系毒物による中毒死だったそうじゃないですか。アルカロイドは即効性の毒物。その場にいなかった僕が、彼に毒を盛れるはずがない。あれが殺人だとしたら、一番怪しいのは彼が死んだとき同じ部屋にいた室長、あなたじゃないですか」
 薬品の相乗効果で人を殺せるなんて、その研究を極めたものでなければ想像もつくまい。第一、証拠は何処にもないのだ。
 絶対の自信を持って胸を張る山岡に、しかし薪は怯む様子も見せなかった。

「おまえ、彼と最後に一緒だった人物に罪を着せる心算で彼を第九に案内したのか? だとしたら、他の部署を選ぶべきだったな」
 薪はくるりと踵を返し、ふわりとトランクに座りなおした。細い足を組み、上になった右側の爪先を揺らしながら、滔々と語り始める。

「ケースから噴出した気体を吸って、彼は死んだ。それは間違いない。でも、僕もその場にいたんだ。どうして僕は死ななかったのか。彼と僕の違いは何か。
 現場の空気からも毒物は検出されなかった。あの気体は毒物ではなかった。しかし彼は死んだ。つまり、彼にとっては、あれが毒になったんだ」
 竹内が、地面に落ちた上着を拾い上げて埃を払い、それをもう一度薪の膝に被せてやった。しかし薪は、彼の姿が眼に映らないかのようにそれを無視した。否、本当に見えていないのだ。彼の琥珀の瞳は、非道な殺人者を追い詰める、そのことだけに集中していた。

「事前に薬物を摂取させておき、それを意図的に毒に変える。有名どころでは、蜂毒によるアナフィラキシーショックがあるな。君はそれと同じ状況を、たった二種類の薬物で作り出した」
 押されつつ、山岡は奇妙な胸の高鳴りを覚える。
 獲物を追う彼の、なんて美しさだ。きらきらと輝くのは瞳だけではない。身体全体から迸る波動のようなもの、眼には見えないそれが彼に鱗粉のようなフィルターをかける。
 ピンク色に塗られた愛くるしいくちびるが、その色と形状に相応しくない言葉を連ねる様子に、山岡は見蕩れていた。そしてとうとう、彼の口から出た二つの薬品名。

「CメピジウムとAラセプリルの複合摂取による中毒死」
 山岡の顔色が変わる。正確な薬品名だ。いったい何処からその情報を?

「どうして」
「言っただろ? うちには器用なパソコンマニアがいるって」
「まさか、僕のパソコンにハッキング……そ、それは違法捜査じゃないのか!」
「だからおまえは他の部署を選ぶべきだったんだ」
 美しい肘を反らして、薪は前髪を手櫛で上げた。

 ああ、本当に彼はきれいだ。
 真っ白な額、なんて造形の見事さだ。その奥に隠された頭脳にふさわしい、それとも逆か。収められたものの秀逸が彼の美を作ったのか。

「第九以外の研究室に捜査権は無い。捜査は捜一に委ねるしかない。そして捜一には出来ないことも、第九には出来るんだ。
 うちの職員が捜査のために為したこと、そのすべての責任は、僕が負うからだ」
 頭脳だけではない、と山岡は思った。
 その潔さも男らしさも、上司としての度量の広さも、全部彼の美しさに結びついているのだ。先刻の、ちょっとズレた癇癪さえ、彼の美にある種のスパイスを付け加えていると言っていい。

「あくまで否認するなら、第九にしかできない捜査に踏み切るぞ。僕の権限で、谷島の脳をMRI捜査に掛ける」
 完敗だった。MRI捜査の宣告をされる前に、山岡は自分の負けを悟っていた。
 項垂れる山岡に畳み掛けるように、薪の声は容赦なく響く。
「谷島の細菌培養も、おまえの薬物実験も、本来なら医療に貢献するためのものだろう。病気の人々を一人でも多く助けるため、そのための研究室だ。その成果を殺人に使うなんて、研究者が一番やってはいけないことだ。おまえに法一職員の資格はない」
 山岡だって、昔はそのつもりで実験を重ねていた。山岡の両親は揃って心臓が弱く、そんな彼らに一日でも長生きして欲しくて、薬物研究者の道を選んだのだ。それが、どこで道を違えたのか。

 いや、違う。自分は今でも薬物研究に勤しんでいる。谷島がドジを踏まなければ、借金を返して、元の研究に打ち込む日々に戻れる予定だったのだ。
「あの谷島のバカが。一人で死ねばよかったのに。あんたを脅したりするから」
 やり切れない口調で呟いた山岡の声を、薪の高性能の耳が拾い上げた。薄笑いさえ浮かべて山岡を追い詰めていた彼の表情が、にわかに氷の冷たさを宿す。

「おまえ、谷島とは仲間だったんじゃないのか」
「仲間?」
 薪の誤解に、山岡は笑い出したくなる。天才と称される彼の頭脳でも、こんなミスをするのか。
「よしてくださいよ。僕とあの単細胞とじゃ、釣り合いが取れないでしょう。谷島の研究だってね、アイディアは彼だけど、途中僕がずっと指示をしてたんですよ。その細菌は僕の作品なんです。だから報酬も、僕が手に入れて当たり前なんだ」
 すうっと瞳を細くして、薪は腕を組んだ。
 先刻まで彼を彩っていた犯人逮捕の高揚は消えて、無表情な、本物の人形のような冷えた硬質感が彼を包む。

「谷島は、おまえのことを最後まで喋らなかったぞ」
 抑揚のない無機質な声で、ビスクドールは語った。
「僕がどれだけ脅しても言わなかった。細菌のことや、それをテログループに売るつもりだったことはペラペラ喋ったのに、おまえのことは言わなかった。
 第九と法一の建物を間違えた件についても『そんなはずはない』。ワクチンについても『おれは持っていない』。
 この場所は相棒が教えてくれたのだから、間違っているはずはない。ワクチンは相棒が持っているのだから、自分が持たなくても大丈夫。彼はそう思ってたんじゃないのか」
 暗闇を氷で穿つような声音に、山岡は身を竦ませる。冷徹極まりない表情の彼は、最初に声を荒げていたときより数段恐ろしかった。

「谷島は確かに思慮が足りなくて粗忽者だったかもしれないが、彼はおまえを信頼していた。毒を飲まされたと知るその瞬間まで、いや、もしかすると訳も分からずに死んでいったのかもしれない」
 暖かさを微塵も感じさせない彼の顔の中で、亜麻色の瞳だけが強く輝いていた。長い睫毛に縁取られた美しいその輝きは、山岡の中に鮮烈な恐怖として刻み込まれた。
「殺人は許されない。それと同じくらい、友人の信頼を裏切ることは許されない大罪だ。おまえは一生かけて、その罪を償え」
 下された宣告の荘厳な響きに、山岡は一言も言い返せなかった。心中では谷島を仲間と認めることも、ましてや友人などと思うこともできなかったが、薪の言葉には逆らえなかった。強い敗北感が、彼を支配していた。

 山岡が完全に抵抗する気力を失ったのを見て取ると、責任者の竹内が、彼を連行するよう部下に指示を出した。「お先に」と彼が薪に挨拶をすると、返事の代わりに貸した上着を投げつけられた。相変わらずの手厳しさだ。
 捜一の刑事たちが山岡を連れて行ったのと入れ違いに、凶悪な面をした熊のような大男が現れて、トランクに腰かけたままの少女に近付いてきた。傍から見たら即座に110番されそうな光景だが、少女は男に微笑みかけ、戯れに自分が被っていたカツラを彼に放り投げた。
 代わりに男が着ていた上着を渡されて、少女はそれを素直に羽織る。礼のつもりか微笑みまで添えて、先刻、ひざ掛け代わりに上着を貸してくれた男への態度とは雲泥の差だ。

「悪いな、岡部。休みの日に」
「ご命令とあらば、いつでも馳せ参じますよ。休日でも夜中でも」
「おまえも皮肉を言うようになったか」
 岡部の言葉を素直に聞けないのは、薪の曲がった性格と、先日の失態による引け目のせいだ。自分の身体に何の変化もなかったら、とりあえずは第五の衛生班だけを手配して、検査結果が出るまで第九で待機、調査は翌日から行えば済んだ話だったのに。間が悪かったのだ。

「さてと。これ、中園さんに返さなきゃ」
「官房室の見せ金ですか?」
「そうだ。誘拐犯に掴ませて泳がせるための見せ金」
 ひょいと立ち上がり、当然のように重いトランクを岡部に持たせて、軽い足取りで前を行く。
「これで全部解決だな。あー、スッキリした」
「もうひとつ、残ってるんじゃありませんか? デカいのが」
 薪が上機嫌で閉幕を告げると、後ろを歩く大男がそれを引き留める。明らかに窘める口調に、薪は足を止めた。

「…………めんどくさ」
「薪さん」
 ますます責め気を強める男の口調に、薪は辟易する。
 岡部が指摘する残務は、薪にとっては山岡を罠に嵌めることより遥かに困難だ。自信もない。相手も、どう動くか分からない。そもそも、どうしてあの男があんなに怒ったのか、それもまだ、薪には解っていない。

「雪子さんには、僕が青木に嘘を吐かせたんだって言われたけど。岡部もそう思うか?」
「さあ。俺ならやりませんね」
「だよな。あいつの虚言癖まで僕のせいにされたんじゃ、たまったもんじゃない。やっぱりここは説教だよな」
 青木に正座させるのに、コンクリートの上と砂利の上、どちらが効果的だろうと薪は思案を巡らせる。幾らなんでも生死に係わることで嘘を吐くなんて、非常識すぎる。それを解らせるためにも、相応の痛苦は与えるべきだ。

「それはあなたの自由ですけど。どうして青木があんな嘘を吐いたのか、それくらいは考えてあげたらどうですか?」
「岡部、分かるのか?」
 薪はびっくりして振り返った。
 恋人の自分が分からない彼の嘘の理由を、知っているような口振りではないか。
「まあ、俺は薪さんだから仕方ないかとも思いましたけど。あいつには許せなかったんじゃないんですかね」
「……それ、雪子さんにも言われた」

 雪子も何か含むところがあるようだったし、分かっていないのは自分だけなのかもしれない。そう思ってしみじみ考えて、でもやっぱり分からない。あの場合、誰だってああしたはずだ。
 恋人の命が危ないと思ったら、どんな手を使ってでもその場から遠ざけるだろう? それのどこが間違ってるんだ?

 事件の裏側は、あんなに明確に分かるのに。物言わずに死んだ人間の気持ちまで、大凡の察しは付くのに。
 薪にとって恋人の気持ちは事件より遥かに難しく、早くも迷宮入りの様相を呈していた。




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パンデミック・パニック(16)

 ラストです。
 お付き合いくださったみなさま、ありがとうございました。





パンデミック・パニック(16)






 土曜の第九に一人、青木は溜まった通達類を片付けていた。
 こういった庶務的な書類は、事件が入るといつも後回しになってしまう。暇なときに片付けようと、溜めに溜めた回覧済通達の日付は遡ること半年前。さすがに限界だと思い、休日出勤に踏み切った。
 職員の自己啓発を促すための講習会の通知や、師範代による武道指導の案内、さらには職員食堂からメニュー改変のお知らせだの、売店の営業時間の変更だの、広報部からの人気女子職員アンケートに至っては絶対に職務に関係しないと思うものまで、配布されたものを捨てることはできないから、きちんと通達の種別に分けて綴りこまなくてはならない。そんなものまとめて焼いちまえ、と薪は言うが、公費で作られた通達類を焼いてしまえる訳がない。バレたら総務から何を言われることか。

 青木がせっせと書類を片付けていると、執務室のドアが開いて、適正より3サイズは大きいと見込まれる背広を羽織った薪が現れた。
「庶務系の書類整理か。ご苦労」
 焼いてしまえ、と言ったことなど忘れた素振りで労をねぎらうと、薪は上着を脱いで手近な椅子の背に掛けた。上着の下から現れたのは、白いミニワンピース。フリルが沢山ついていて、バレリーナが着る何とかいう衣装みたいだ。膝下を覆う編上げブーツはワンピースに付いたフリルラインと合わせた黒。薪の白い太腿と黒いブーツのコントラストが眼に痛い。
 急激に上がった心拍数を悟られないように気を付けて、青木は尋ねた。
「なんでそんな格好してるんですか」
「似合うか?」
「よくお似合いですけど、うわっ!」
 コードレスマウスが飛んできた。怒るなら最初から訊かないで欲しい。

「それ、後どれくらいかかる?」
「急ぎの仕事じゃありませんから。他の仕事があれば、そちらを」
 書類の束を指差して仕事の予定を尋ねる薪に、青木はいつでも彼の命令を優先する心構えがあることを告げる。うん、と軽く頷いて薪は、室長室に姿を消した。
「中園さんの所に行ってくる。直ぐに帰るから、待っててくれ」
 再び姿を現したときは、いつものチャコールグレイのスーツ姿。この秋流行のグレーと紺のストライプ柄のネクタイをきちっと締めて、一分の隙もない第九室長の姿だ。

 言葉通り、薪は半時もしないうちに戻ってきた。
 何を頼まれるのだろうと指示を待つ青木の前で、薪は上着を脱いでシャツの袖をまくった。それから青木が片付けていた書類に手を伸ばし、手早く分類を始めたものだから、青木はひどく驚いた。
「室長の手を煩わせるような仕事では」
 白くてきれいな手首をそっと包むように握って、青木は薪の手を止める。手の動きを止めたら身体全体の動きが止まってしまって、それは薪が平静を装いながらも必死で何かを考えていた証拠。

「ハシカ、治ってよかったですね」
 腕まくりしたワイシャツの、袖口から覗く滑らかな肌。元通りの美しい肌だ。
「皮膚がボロボロ剥がれてきたときにはびっくりした。蛇の脱皮みたく、抜け殻ができるんじゃないかと思うほど、大きく皮が剥けてな」
「ぶふっ。抜け殻は無理でしょう」
「指なんか筒になって剥けたんだぞ。慎重に剥けば出来たかも」
 真面目な顔であり得ないことを言うから何処まで本気なのかと疑ってしまうが、実は薪はこういうバカバカしいジョークが大好きだ。笑っておくに限る。
「そうですね。薪さんの抜け殻なら、家に飾っておきたいです」

 笑いながら青木は言って、薪から手を離した。再び書類の仕分けに戻る薪を今度は止めずに、彼が口を開くのを待つ。何か、自分に話があって来たのだろう。さっきは頭の中で、会話を組み立てていたに違いない。薪は仕事のことなら瞬時に判断するから、多分、これはプライベイトだ。
 しかし、薪は黙って書類整理を続け、結局口火を切ったのは焦れた青木の方だった。
「あんな格好で、今日はどちらへ?」
「捜一の連中と一緒に、殺人犯を捕まえてきた」
 さらっと打ち明けられた逮捕劇に、青木は手にしていた書類を取り落とした。せっかく分けたのに、とぶつぶつ言いながら薪が拾ってくれた紙束を、青木は受け取ることが出来なかった。

「なんでそんなことを!?」
「雪子さんから聞いたんだけど、山岡はヘンタイでな。ああいう格好の女に目がないんだそうだ。だからって、その役が僕に割り振られるのは納得いかないけど」
「そうじゃなくて! どうしてオレに黙ってそんな危険なことを!」
 青木が書類を受け取ろうとしないので、薪は仕方なくそれを自分の手で整え、ファイルに綴るための穴を開けようとパンチを手に取った。
「おまえの仕事とは、何の関係もないだろう?」
「オレはあなたのボディガードですよ。どうして関係ないんですか」
「中園さんに言われただろう。あれは便宜的なもので」
 華奢な肩を掴んで、こちらに無理矢理向けさせた。不意に与えられた強い衝撃のせいで、再び床にばら撒かれる紙片たちに、薪が困惑した息を吐く。
「……青木。これじゃいつまで経っても終わらない」

 床に屈もうとした薪の身体を、肩を掴んだ手で止める。さっきから仕事の妨害ばかりしている部下に苛立った視線を浴びせて、薪は自分を拘束する青木の手を振り払った。
「現場には岡部も竹内もいた。おまえがいなくても大丈夫だと思った」
「オレは、あなたのなんなんですか」

 質問を無視して、薪は床に屈んだ。もう一度書類を集め、ついでに床面で紙片の縁を揃えた。
 屈んだままの薪に合わせて、青木は床に片膝を付く。ようように薪から書類を受け取りながら、
「恋人だとは言ってくれないんですか」
「ここでは止そう。こういう話は、家に帰ってから」
 そのつもりで書類整理を手伝おうとしたのか。その気持ちは嬉しいけれど、青木はもう一分も待てない。

「嘘吐いたことは謝ります。あんな嘘吐いちゃいけないって子供にも分かる、でもオレはどうしても確かめたくて。オレといた6年間、あなたの気持ちは全然変わってないんですか?」
 薪と出会って6年、ずっと彼に望んできたことがある。
 人生に絶望した彼に、死を待ちわびるようですらあった彼に、生きて欲しかった。下を向いて過ぎ去るのを待つだけではない、本当の人生を生きて欲しかった。
 広報誌に載っていた古い写真のように、笑って欲しかった。世の中には楽しいことが沢山ある、と思い出して欲しかった。

「初めてオレと一緒にヘリに乗ったとき。今もあの時と、同じ気持ちですか?」
 言われて、薪は6年前のことを思い出す。彼が第九に入ってきて僅か一週間。一人の少年を助けるため、悪天候の中、無理矢理ヘリを発たせた。
 ――― あなたは、自分なんかいつ死んでもいいと思ってるのかもしれませんけど。
 彼の言うとおり、いつ死んでもいいと、いや、早く死にたいとすら願っていた。この世には辛いことしかなかった。苦しかった。楽になりたかった。でも、それは6年前のこと。

 静かな声で、薪は言った。
「死にたくないと思ったよ」
 潔くなれないのは幸せの証拠。この6年の月日が、目の前の男が、薪の潔さを奪った。

「おまえと、もっと一緒にいたいと思った。一人で逝くのは嫌だと思った。でも、それ以上に」
 奪われてなお、薪を支配したのは。
「おまえに生きてて欲しかった。目の前で谷島が死んだのを見て、世界中の人が彼と同じに血を吐いて死んでも、おまえだけは無事でいて欲しいと、僕はそんなことさえ思ってしまった。だから必死で」
 床に両膝を抱えてしゃがみ込んで、そうしていると彼はひどく小さく見えた。子供みたいに頼りなげに、誰かの庇護無しでは生きられない儚い生物のように。でも本当の彼はとても強くて、いざとなれば自分を盾にして他人を守れるくらいに強い強い生き物で、それを世間では男と言うのだ。
 敵わない、と青木は思った。薪にはとても敵わない。

「それなのに、おまえときたら。第五の職員と一緒に、僕を助けに来たんだって? しかも、僕を人質に取って第九に立て篭もったそうじゃないか」
「あれはちょっとした誤解で」
 青木が困った顔をすると薪はクスクス笑って、どうやら本当のことは既に聞き及んでいたらしい。
「雪子さんが遺体の解剖をしたことも、知らされて驚いた。まったく、僕が死んで欲しくないと思っている人間が、我先にと危険な場所に踏み込んできて……どうしてみんな、勝手なことばかりするんだろうな」
 世界自己中選手権があったらダントツ優勝間違い無しの薪に言われたくはないが、薪の気持ちは解っている。自分のせいで死んだ親友、自分のせいで殺された少年たち。彼はもう自分に関わることで、一つの死骸も増やしたくはないのだ。

「いつかおまえにも言ったよな。僕のために誰も死んで欲しくない、危険な目に遭って欲しくないって。その気持ちは変わってないけど、でも」
 薪は膝を抱えたまま、すっと顔を上げた。青木を見上げる、暖かく和らいだ亜麻の色。

「でもここに、みんなが僕を救おうと動いてくれた事実がある。こんなにも明らかに目の前にあるものを、頼んでないとか望んでないとか言うのは、男らしくないよな」
 薪はその瞳にいっぱいの幸せを、戸惑うように躊躇うように、でも確かに浮かべて、照れくさそうに笑った。
「感謝してる」

 その笑顔はほんの数秒、たったそれだけで青木はあれだけの憤慨を忘れてしまう。
 彼と過ごした6年間。自分がしてきたことはすべて無駄で、彼の心持ちを1ミリも変えることができなかったのだという嘆きも、これからいかなる術を用いて、たとえ自分の命を削ってまで彼を愛しても、彼は自分との未来を望んでくれないのだという絶望も、取るに足らないことに思えた。
 だって、薪は今、自分の前で笑ってくれているのだから。

「だけど青木。おまえがやったことは間違いだぞ。NBCの現場調査は第五の仕事だ。やりたかったら第五に異動してからにしろ」
 すっくと立ち上がって膝を伸ばし、背中をこちらに向けながら、薪は説教を始めた。
 薪の切り替えの早さは神業とも言えるくらい素早くて、青木はいつも取り残されてしまう。それは薪が元気な証拠だから責めるつもりはないけれど、ほんの少しだけ腹立たしくて、ついつい青木は薪の正論に邪論を返す。
「間違ってないです。薪さん、オレの異動願、受理してくれたじゃないですか」
「異動願? 聞いてないぞ。いつ出したんだ、そんなもの」
 びっくりして振り返った彼の一瞬の隙をついて、青木は彼のくちびるを自分の人差し指で制圧する。彼の動きも言葉も指先で止めて、青木はにこりと笑った。
「忘れちゃったんですか? ちゃんと承認印、押してくれたでしょ」

 承認印の意味を理解した薪が、青木の指を払うことも忘れて固まる。あの異動願は受理されたまま、未だ新しい届は出されていない。つまり、今でも青木の部署は変わっていないということだ。

「あなたが生きるか死ぬかの時、傍にいるのはオレの役目です」
 青木にすれば、それは職務規定の第一条。憲法で言えば冒頭の誓約部分で、この規律が存在する意義と目的を明確に記している、一番大事な魂の柱だ。同様に、その条文こそ青木一行と言う人間がこの世に存在する意義と目的であると、青木は主張して憚らない。その蒙昧さが、彼をしっかりと立たせている。
 薪には到底理解できない。できないが彼の主張だけは分かって、どうしようもない虚脱感に包まれつつ、だけどそれも、目の前にある明らかな真実。

「ったく。バカには勝てん」
 心底呆れ果てた口調で吐き捨てた言葉と一緒に、薪は右手の人差し指を折り曲げ、ちょいちょいと青木を呼んだ。応じて傍に立った青木に向かって、秘密の話をするときのように口の横に手を当てて見せる。青木が腰を屈めて耳を寄せると、薪は細い指を青木の髪に差し入れ、後ろ頭を押さえると、青木の唇に二度目の承認印をくれた。

「どうだ。舌の表面も口の中も、すっきりきれいになっただろ」
 我に返って青木が両腕を前に回そうとしたときには、薪はすでに青木から1メートルほど距離を取っていた。何事もなかったように書類の整理に精を出しながら、からかうような口調で、
「他のところも確かめてみるか?」
「はい、ぜひ、っ痛――っ!!」
 近寄って抱きしめようとしたら、靴の踵で足を踏まれた。急所に食らった痛みに、青木が飛び上がるのを愉快そうに見て、まとめた紙束を二穴パンチに差し込む。

「家に帰ってからに決まってるだろ、バカ。さっさと終わらせるぞ」
「はいっ」
 鼻先にぶら下げられた人参を追いかける馬車馬のごとく、青木は再び仕事に邁進する。通達書類の山に埋もれた青木の耳に、ガシャン、と薪がレバーを下ろす音が響いた。




―了―



(2011.10)


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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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