緋色の月(1)

 こんにちは。

 ご無沙汰いたしております。
 永らく放置してまして、すみません。 

 まだ旅先なんですけど、どなたかにえぐえぐされちゃったので。
 女の子を泣かせたらあかん、としづの中の男脳がガンガンドーパミンを分泌するものですから、旅先からお送りすることにしました。
 上記を日本語に直すと、『いつまでも怠けてないで、頑張りますっ』 ということですね! 
 


 こちらのお話、書いたのは6月です。 めちゃめちゃ新しいです。 (当ブログ比)
 新鮮、というよりまだ生っぽいです。 食あたりされませんように☆☆☆

 男爵から本編に戻りまして、時は2066年の4月でございます。 恋人同士になって4年目、薪さんのお身体もすっかり熟成されてます。
 お話の内容は、
 Rに始まってRに終わる、青木さんのためにがんばる薪さんです。 (←なんか別の意味に聞こえる。 てか、この話400字詰原稿用紙で160枚あるんだけど、最初から終わりまでRに徹してたらそれもまたスゴイな☆)

 ということで、最初はRです。
 18歳未満の方と苦手な方はご遠慮ください、あ、でも、このシーンがないと話が始まらないし意味がわかんないと思う、うーん、我慢して読んでください。 ←強制!? 





緋色の月(1) プロローグ(1)





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緋色の月(2)

 こんにちは~~。

 みなさま、連休はいかがお過ごしでしたか?
 楽しい夏の思い出はできましたか?

 わたしは3連休を利用して、家族で旅行に行ってきました。 たくさん遊んで、楽しかったです。 (←頭の悪い小学生の日記のようだ。)

 しかし、あの暑さには参りました~。 
 昼食を終えて車に戻ったら車内の温度が半端なくて。 どれくらい凄かったのかというと、
 車のナビが「車内温度が異常です。ナビを中止します」って喋ったかと思うと、突然真っ暗になっちゃったんですよ。(@@) 

 熱でナビが壊れたのは初めてだったのでびっくりしましたが、考えてみればナビゲーションシステムって精密機械ですものね、熱には弱いんですね。 取り付け型のポータブルナビだったものですから、直射日光が当たってたのがいけなかったんですね。
 幸い、車内が冷えたらナビは復活しまして、旅行に支障はなかったのですけど。 あのままお亡くなりになったらどうしようかと思いましたよ。 
 ポータブルナビには日よけをしないといけないんですね。 みなさまもご注意を。 



 で、お話の続きです。
 あー、まだプロローグの途中だったんですね。(^^; 
 次の章から本編に入ります。 よろしくお願いします。





緋色の月(2) プロローグ(2)






「……あれ?」
 深く息をしながら薪は、不思議そうに空を見ていた。何がそんなに気になるのか、正中した月をじっと見据えている。

「月がどうかしましたか」
「白い。てか、蒼い」
 月は青白くて当たり前だと思うが。

 何を当然のことを、などとは言わずに、そうですね、と答える。せっかく薪が茫洋としているのだ。怒らせて正気に返す手はない。
 裸の薪を膝に載せたまま、青木は自分の鞄に手を伸ばし、中から濡れティッシュとタオルを取り出した。自分の左手に付着した薪の残滓を拭い、それから薪の身体をきれいにしてやる。ここに外灯はないけれど、今夜は月がとても明るいから作業に支障はない。

 青木は行為の後いつも、薪の身体を清めてやりたいと思っている。でも薪は恥ずかしがって、なかなか身を預けてくれない。あんまりしつこくすると、青木の腹に蹴りを入れてシャワー室へ猛ダッシュされる。情事の余韻など、あったものではない。
 その薪が、今夜はどうしたことか、薪の中の青木が力を失くしても青木から離れようとせず、ぼんやりと宙を眺めていたのだ。まるで何かに酔ったようにとろんとした瞳をしている薪を、青木はこれ幸いとばかりに膝に抱き、陶器製のビスクドールを磨くように細心の注意を払って彼の身体を清めた。

 開かせた脚の奥に指を入れ、中に溜まった残留物を掻き出す。白く濁った液体が、薪の尻から草叢に落ちてくる。他人から見たら、汚らしい光景だと思う。薪はこういうことに嫌悪感を抱くタイプだから、きっと青木に後始末をさせるのは忍びないと思って青木の腹を蹴るのだろう。
 だけど青木にとって、それは薪との愛の証。
 自分が放った体液と薪の粘液との混合物。その液体は、これ以上ないほどに侵食しあって、どこからが自分でどこからが彼だか分からなくなったあの刹那を証明する物的証拠。他人からどう見えようと関係ない、青木には大事なものなのだ。

「あの月」
 青木にされるがまま素直に身体を開いていた薪が、ぽつりと呟いた。
「さっきまで、真っ赤じゃなかったか」

 そう言えば、最中にそんなことを言っていたような。
 でも、青木には赤い月の記憶はない。空気中の塵や水蒸気に影響されて、低空の月が赤く見える現象は知っているが、今夜がそうだったのだろうか。
「おかしいな……」

 下着とズボンを太腿まで持っていくと、薪は気がついたように腰を浮かせた。青木の手を払って、残りは自分で引き上げた。正気に戻ってきたらしい。
 さっと立ち上がり、でもすぐによろけて、無理もない、あんなに夢中になって下半身を動かしていたのだから膝が笑って当然だ。仕方なく薪は草の上に胡坐をかいて、ワイシャツのボタンを留め、ズボンのベルトを締めた。ネクタイを取り上げるが、あちこちに唾液のシミが付いていて、歯型も残っていたりして、これはもう使えないと判断してか、ぐしゃぐしゃに丸めて上着のポケットに突っ込んだ。

「立てますか?」
 身づくろいを済ませた青木が薪に手を差し伸べると、薪は、うん、と頷いて、でも桜の幹にもたれたまま、未練がましく月を見ていた。

 青木が薪の腰を抱くようにして立たせてやると、薪は青木の胸に額を預け、
「気のせいだったのかな」
 その言い方が、あまりにしゅんと項垂れる風だったので、青木はお節介と知りながら赤い月の講義を始める。
「空気中の塵や水蒸気に邪魔されて、月の光が減じて波長の長い赤色だけが眼に届く。赤い月って、そうやって見えるんですよね。所詮は錯覚みたいなもんですから。身体の状態に影響されるのかもしれませんね」

「またおまえは、いい加減なことを」
 とん、と突き飛ばすように青木から離れて、薪はひとりで歩き出した。青木はその後ろを、二人分の鞄を持っていそいそと追いかけた。


                  *****



 あんな彼を初めて見た、と私は思いました。

 それは衝撃であり、感動でありました。
 とてつもなく大きな感情の波動が私の背中を震わせ、その弾みで私は再度この世に生まれたと言っても過言ではありません。
 かつての私には、もう戻れませんでした。
 私は暗がりの中で立ち上がり、私の前に新しく伸びる道に向かって一歩踏み出したのです。


              

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緋色の月(3)

 ぷんぷん。

 6年生になる姪っ子がね、「薪さんて気持ち悪い。 おカマみたい。 お姉ちゃん、趣味悪い」 って言うんですよ。 ぷんぷん。
 そんな鈍い感性だから、分数の計算もできないのよ。 数式の美しさが分からないの。  

 高校生の甥っ子がね、「お姉ちゃんて腐女子だよね。 奥さんが変態なんて、まーくん(オットの名前)が可哀相」 って言うんですよ。 
 おかしいじゃない、男の人がビアンショーを楽しんでも変態扱いされないのに。 立ち居地は同じはずでしょ? ぷんぷん。
 そんな理屈もわからないから、理科のテストで8点なんてありえない点数を取っちゃうのよ。

 おまえら、ひとに社会人失格の烙印を押す前に、自分の本分をしっかり果たせよ。


「「ところでお姉ちゃん、会社の決算終わったの?」」
 ……………ごめんなさい、もうちょっと待ってください……。 




 ここから本編です。 よろしくお願いします。




緋色の月(3)





 乱暴にドアを叩く音に、薪は目を覚ました。
 低血圧の彼は、やっとのことで目蓋を細く開け、唐突に眠りを中断された不快さに歯噛みする思いで隣に寝ている男を見やった。
 あれだけの騒音にも破られない彼の眠りの深さが妬ましい。腹立たしくなって、薪は男の頭をパシリと叩いた。
 痛覚で目覚めたらしい彼はむくりと起き上がり、ぼやけた表情で周囲を見回した。それからようやく、ノックというには激しすぎるドア口の音に気付いてのろのろと起き上がった。

「はいはい……て、まだ5時前ですよ。なんだってこんな時間に」
 そんなことは薪にだって分からない。でも、応対は青木がすればいい。
 薪の身体が普段にも増して重く感じられるのは、出張による疲れからではない。青木のせいだ。
 
 ひとつの事件が解決を迎え、顛末を説明するためにF県の被害者遺族の家までやって来た。職務に忙殺されて1月ほど休みを取っていない薪に気を使った岡部が、仕事にかこつけて気分転換に出してくれた。青木をお供に選んだのも岡部だ。彼は、自分たちの関係を知っている。薪の前で口に出したことはないが、分かっているはずだ。ふたりがこういう関係になる前から、岡部は青木の気持ちにも薪の気持ちにも気付いていたのだから。
 だから岡部の意向はきっと、遺族への説明が終わったら温泉にでもつかってのんびりして、明日ゆっくり帰ってきてください、青木をお世話係につけますから、というものだったはずだ。

 なのに、その命を受けたはずのお世話係は自分の身の程もわきまえず。
 昨夜、公園で一度したのに、宿に着いて風呂を済ませたら「浴衣の薪さんはそそります」とか始まって、「畳に布団だと気分が変わりますよね」ってそれは認めるけれど、どうして僕が浴衣の帯で手首を縛られなきゃいけないのかは理解できない。一度で許してくれればまだしも、それから深夜過ぎに至るまで啼かされっぱなしで。不自由な両手に悶えさせられて、クセになったらどうしてくれ、いやその。
 とにかく、こんなに疲れているのは青木のせいなのだから、無礼な早朝の来訪者をあしらうことくらい彼に一任してもバチは当たらない、と薪は、枕に右頬を擦り付けて夢の世界へ戻ろうとした。

「えっ! なんですって!?」
 何事か起こったらしい、とは、青木の声の調子で分かった。しかし、薪は布団から動く気はなかった。青木も6年目になる捜査官だ。社会人としての教育もしてきたつもりだし、大概のことには対処できるはずだ。
「ちょっと待ってください、オレは何も知りません。きっと人違いです。オレ、昨夜はずっと此処にいました」
 襖の向こうから聞こえてくる焦燥を交えた青木の声音に、薪はトラブルを予感して薄目を開ける。来訪者と青木は尚も押し問答を続ける風だったが、その声量が次第に高くなっていくのを聞いて、仕方なく薪は上体を起こした。これで大した用件じゃなかったら、全員まとめて一本背負い掛けてやる。

「困ります! オレ、今日は仕事もあるし」
「うるさい!!」
 すたん、と襖を開けると、青木の後姿が見えた。だらしなく寝乱れた浴衣に髪はぼさぼさ、寝起きを絵に描いたような姿だ。
「こんな朝っぱらから、いったい何の騒ぎだ。非常識にもほどがある。他の客にも迷惑だろう」
 青木の大きな背中に隠れて、相手の姿は見えない。浴衣の帯を締めながら裸足で板間を歩いて、薪は青木と訪問客の間に割って入った。

 迷惑な客は、2人組みの男性だった。
 一人は40過ぎ、もう一人は20代か。40代の男はひどく垂れ下がった眉毛をして、やや小柄。気弱そうに見えるが、眉毛の下の目は鋭い。若い方はすらっと背が高く、短い髪をツンツンと立てて、見るからに生意気そうだ。
 彼らは徹夜作業に従じた人間特有の浮腫んだ目をして、陰険にこちらを見た。年長者の方が口を開き、胸ポケットから何かを取り出しながら、
「失礼。あたしらは」
 警察のものです、と出された身分証を確認する間もなく、ぐんと腕を引かれて青木の後ろにしまわれた。何をする、と抗議する前に、潜めた声で、
「薪さんっ、前」
 浴衣の前がはだけたままだと言いたいのか。青木は薪の肌を他人に見られるのを嫌がる、それは恋人として当たり前のことかもしれないけれど、警察が自分の身柄を確保しに来ているのにそれどころじゃないだろう。少々肌を見られたところで、男の薪には何の被害も……。
「昨夜の痕が」
 それを早く言え!!
 無言で部屋に取って返して、とりあえずシャツを着る。スーツのズボンを穿いて、ついでに髪も手櫛で直した。眠気はすっかり醒めていた。

「彼は僕の部下ですが、なにか?」
 再び戸口に立ったとき、薪は沈着冷静な室長の貌を取り戻していた。青木に何らかの用事があるらしい二人の警官をギッと睨み据えて、青木を自分の背中に庇う。身体は小さくとも、自分は彼の上司。部下を守るのが上司の務めだ。

「昨夜、Y地区の公園で殺人事件がありましてね。そのことでお連れの方にお話を伺いたいと思いまして」
 Y地区の公園というと、昨日帰りに立ち寄った桜の見事な公園のことか。どうして青木に、と一瞬考えて、薪はすぐに解答を導き出す。此処は片田舎だ。余所者は目立つ。青木のように人並みはずれた体躯を持つものは尚更だ。おそらく、公園にいた人物に事情聴取をする中で彼らは、長身の余所者の存在を知ったのだろう。
 殺人事件となれば、捜査に協力するのはやぶさかではない。しかし。
「目撃証言を取るにしては、この時間は非常識じゃありませんか」
 田舎の人間は朝が早いと聞いたが、朝の5時なんて。いくらなんでも相手の都合を考えなさ過ぎる。所轄の方針に口を出す心算はないが、こんな聞き込みの仕方では市民の協力は得られないと、少しは考えさせてやろうと思った。
 ところが。

「あなたには用はないんですよ。あたしらが話を聞きたいのは、そちらのお方で」
 部外者のように扱われて、薪はムッと眉間に立て皺を刻む。不調法な所轄の刑事に腹が立ったが、表情には出さず、静かな口調で、
「どうして青木に?」
「死亡推定時刻の11時ごろ、お連れさんが公園から出てきたと言う目撃証言がありましてね。あたしらとしては、事情を聞かないわけにはいかんのですよ」
 それを聞いて、薪は笑い出したくなった。
 なんて的外れな。青木は昨夜、一晩中自分と一緒だった。いや、深夜以降は記憶がないけど、12時の柱時計の音は聞いた。逆算して、犯行時刻には3ラウンド目に突入していたことになる。

「昨夜、彼は僕と一緒にいましたよ。同じ部屋に泊まっているんです。外出すれば、気付きますよ」
「だから、あなたの話は聞いてないって言ってるでしょう。あたしらは、そちらのお方に用事があるんですよ」
 薪のきれいな額に青筋が立った。
 なんだ、こいつらの横暴な事情聴取の仕方は。いくら参考人の聴取が最優先だからと言って、同室の人間の証言を聞きもしないなんて。一課長はどういう教育をしてるんだ。
 階級を振りかざすやり方は好きではないが、こういう輩には仕置きが必要だ。薪は警察手帳を取り出し、記載されている階級名を見せ付けるように上下に開いて彼らの前に突き出した。

「こう見えても僕は、本庁の」
「存じ上げていますよ。生え抜きのエリート集団、第九の室長さんでしょう。おや、階級は警視長殿でしたか。たいしたものですな」
 冷徹に返されて、薪は絶句した。
 こんな田舎町の所轄で、しかも現場に足を運んでいることから、この二人はせいぜい巡査長か巡査部長。なのに本庁の刑事、しかも警視長の自分にこんな口を利くなんて。警察は縦社会だ。こんなことはあり得ない。それとも此処は、そんな常識すら通用しない辺境の地なのか?
 
 短い虚脱に囚われた薪に、年長の刑事の後ろで沈黙を守っていた若い刑事が見下すような眼をして言った。
「あなたのようなエリートさんには、釈迦に説法だと思いますけどね。被疑者の内縁関係にある者の証言は、無効なんですよ」
「なっ……!」
 軽蔑の滲んだ口調。咄嗟には言葉が出なかった。

 自分たちの関係を知られている。 
 会ったこともない所轄の巡査に、どうして? まさか、公園での情事を誰かに目撃されていて、それが聞き込みの過程で彼らの耳に入ったのか?
 可能性はあると思ったが、認めるわけにはいかなかった。薪は瞬時に動揺を治め、腹の底に力を入れた。
「失敬な!!」
 恫喝は、しかし彼らを怯ませなかった。それどころか、戸口で交わされる応酬に眠りを破られた同宿の泊り客たちが、何事かとドアの隙間から顔を出し始め、事態はますます悪くなった。

「峰、止せ」
 年長の刑事が同僚の発言を窘めるように首を振り、下がった眉毛をいっそうみすぼらしく顰めて薪の顔を見た。
「あなたも大声出さんでくださいよ。あたしらがどうしてこんな時間に来たか、少しは察してください。あたしらだってね、身内の恥は晒したくないんですよ」
「うるさい、今言ったことを取り消せ。無礼にもほどが」
「こちらにはね、ちゃあんと証拠があるんですよ。証人もいる」
「証人だと? いったい何処の誰がそんなふざけた事を」
「もう止めてください! オレ、行きますから」
 薪が刑事たちとのやり取りに夢中になっているうちに、青木は着替えを済ませてきていた。髪もきちんと撫で付けて、スーツもネクタイもびしっと決まって、それは第九職員として恥ずかしくない堂々たる姿だった。

「青木」
「薪さん、大丈夫です。オレが何もしてないことは、薪さんが一番よくご存知でしょう? だったら、オレを信じて待っててください」
 眼鏡の奥の瞳が、薪を慈しむように見る。嫌疑は自分に掛けられているのに、こんな状況ですら薪を気遣う青木のやさしさが、薪のくちびるをわななかせた。
「現場にはきっと、真犯人の残した遺留品があるはずです。指紋や毛髪、手形に足跡、それらがオレのものと一致しなければ直ちに解放される。そうでしょう? だったら、ここで押し問答してるのは建設的じゃないです」
「……おまえに諭されるようじゃ、僕もおしまいだな」
 軽く嘆息して、薪は肩を開いた。二歩下がって、青木の通り道を用意する。

「さっさと済ませてこい。品川の刺殺事件の被害者の脳が、おまえを待ってる」
 素っ気無く言って、薪は腕を組んだ。
 二人の刑事は青木の潔い態度に敬礼して、それがわずかに薪の心を慰めたが、ポーカーフェイスの下に隠した忿怨はマグマのように煮えたぎっていた。それは自分の恋人に嫌疑を掛けられたからというよりは、ろくな物証もなしにあやふやな目撃証言だけで容疑者を引っ張る彼らのやり方に憤っている部分が大きく、この時点で薪は、青木がすぐに釈放されることを信じて疑わなかった。
「行ってきます」

 別れは突然に訪れる。
 まるで買い物にでも行くように微笑んで歩き去った青木の、その笑顔を失うことになるとは、露ほども考えなかった。薪が考えていたのは、岡部に帰りが遅れる理由を何と説明しようかと、そんな瑣末なことだった。
 そのとき彼らは知らなかった。これから自分たちを襲う過酷な罠を、既にそのあぎとに捕らえられていたことを。
 徐々に迫りくる敵の姿も、その狂気に満ちた妄執も、まだその片鱗さえ見せず、しかし敵は確実に二人の動きを掌握し、濁流の中心へ導こうとしていた。



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緋色の月(4)

 先日から過去作品に拍手くださってる方、どうもありがとうございます。
 最初のお話から丁寧に読んでくださってるみたいで、律儀にポチポチと、ありがとうございます。 あなた様のやさしいお心は、しづに届いております。
 昔の話は日本語がヘンなところも多いので申し訳ないのですけど、『桜』から『ラストカット』まではきちんと主題に沿って書いてるので、最後までお付き合いいただけるとうれしいです。
 そこから先は萌えのままに、なのであんまりオススメではなくて。できれば『ラストカット』で止めておいた方が、むにゃむにゃ。

 こうして読んでくださる方がいらっしゃるのですから、いつまでも怠けているわけにはいかないと思いました。
 1ヶ月の記事数が4つって、ありえないですよね。(^^;
 作品を書きながら公開しているならともかく、わたしの場合、ワードからコピペして保存ボタン押すだけだもん。 時間なんか、一記事に5分も掛からない。 できないわけがないんです。 気力の問題なんです。 怠けててごめんなさい。
 来月はがんばります!!





緋色の月(4)





 青木がいなくなって、我慢できたのはたったの3時間だった。
 今日は金曜日で、午前中に第九へ帰ろうと思っていたから、朝食は7時に頼んでおいた。その連絡がフロントから入り、薪は連れの朝食をキャンセルし忘れたことに気付いた。
 まだ任意同行の段階なのだから、青木には警察から朝食が供されているはず。青木のことだから、お代わりとか要求して、所轄の人間に呆れられているかもしれない。
「あんまり恥ずかしいことをしてくれるなよ」
 部屋で独り、パサついた焼鮭の身をほぐしながら、薪は呟いた。

 部屋係の女性が食事と一緒に持ってきてくれた新聞に目を通すが、昨夜の事件は載っていなかった。報道規制が為されているのか、校了時刻に間に合わなかったのか、いずれにせよ情報は得られなかった。テレビはいくらかましだった。昨夜遅く、Y地区の公園で男女の他殺体が発見されたこと、被害者の身元が判明したことについて報じていた。が、それ以外のことは捜査中とのことで、詳しいことは報道されなかった。
 朝食が済むと、薪にはすることがなくなってしまった。帰り支度は青木が整えておいてくれたし、チェックアウトの手続きも彼が戻ってからにした方が良いと思った。
 青木だって、ショックを受けているはずだ。取調室から職場に直行では、さすがに参るだろう。質の良い仕事ができるように少しフォローしてやって、それには2人きりの方がいいから、部屋は確保しておいたほうがいい。

 敷いたままの布団に寝転がって、板の目がうねるように連なっている天井を見上げる。青木はもうすぐ釈放されるはず、自分はここで待っているより他に術はない。
 署長に直談判して無理矢理釈放させることもできるが、彼らが自分たちの関係を知っている風だったのが気になる。ごり押しは、彼らの疑いを確証に変えるだろう。得策ではない。

 騒ぎ立てないほうがよいと判断して薪は、しかしどうにも落ち着かなかった。
 ひょいと起き上がり、布団の上に胡坐をかいて腕を組む。腕時計を見ると、時刻は8時を指している。青木からの連絡は、まだない。
 1分ほど思案して、薪は腹を決めた。窓の外を見て曇り空を視認し、薄いベージュ色のスプリングコートを羽織る。
「ちょっと散歩に出てきます。僕宛に何かあれば、この番号に電話をください」
 仕事用の携帯電話の番号を記したメモをフロントに預けて、薪は外へ出た。宿の人間は青木が警察に連れて行かれたことを承知しているのだろうが、そこはプロだ。何食わぬ顔で、笑顔さえ浮かべて、いってらっしゃい、と薪を送り出した。

 行き先は無論、昨夜訪れた公園だ。
 ここで起きたという殺人事件に興味を持ったわけではない。管轄外の事件に手出しする気はない、それは警察の重大なタブーのひとつだ。興味本位で首を突っ込んで、トラブルを起こす心算はない。ただ、青木が帰ってきたときに、話を聞いてやるのに基礎知識があった方がいいだろうと、それくらいの考えだった。じっと待っているのは性に合わない。捜一にいたころ、薪が一番苦痛に感じていた仕事は張り込みだった。
 問題の公園には正門があり、周囲は高いフェンスに囲まれていた。つまり入り口は一つで、そこには見慣れたキープアウトのテープが張られていた。野次馬はいなかった。すでに現場検証は済んだのだろう。死体のなくなった現場に張り付いているほど暇な一般人は、この町にはいないようだ。
 入り口に、警邏係の警官が立っていた。黙って警察手帳を見せると、仰天して背筋を伸ばし、しゃちほこばって頭を下げた。一介の巡査が警視長の手帳を見せられたら、これが普通の反応だ。あの連中がおかしいのだ。

「ごくろうさま。ちょっと中を見せてもらえますか」
「どうぞ。現場は公園の奥です」
 殺人事件が起きれば県警から刑事が来るのは当たり前。自分が顔を知らない捜査員がいても当然のこの状況で、彼の非を問うものはいないだろう。
 制服を着用していない薪に、彼は額に手を当てての敬礼はしなかった。これは当然の配慮で、何故なら誰に見られているかもわからない屋外で手敬礼で挨拶を交わしたりしたら、相手が警察関係者だと遠目にも判ってしまい、私服刑事の意味がなくなる。駐在の教育は行き届いているようだ。

 公園の中に入ると、昨夜見た桜が今日は曇天の空に霞んで、うら寂しいような薄ら寒いような、昨日とはまた違った風情で佇んでいた。
 警官の言うとおり、奥の方に、青いビニールシートで囲った一画があった。間違いない。昨夜青木と行為に及んだ場所だ。
 偶然とはいえ、ここが殺人現場に選ばれたことは、青木にとっては不利だ。ここには彼の痕跡が残っている。毛髪や体液が残っている可能性もある。が、だからと言って、それは決定的な証拠にはならない。それはあくまで、彼が此処を訪れた証拠に過ぎない。殺人の物証にはなりえない。

 それにしても、と薪は思う。
 自分たちがここで愛を交わした後、同じ場所で非業の死を遂げた人間がいるのか。
 そう思うと、複雑な気分だった。事件の詳細は分からないが、警察が、他所者という理由で青木に目をつけたのなら、通り魔的な犯行だったのかもしれない。時間がずれていたら自分たちが襲われていたかもしれない。薪も青木も柔道は黒帯だ。通り魔の一人や二人、投げ飛ばせる自信はあるが、あの状態で襲ってこられたら応戦できるかどうか、いや、危害を加えられる前に恥ずかしくて死んでるかも……。

 ひとりで頬を染めながら、もう二度と外では許すまい、と心に誓って、薪はブルーシートの中に入った。
 桜の枝に紐をかけて、シートは四方を囲んでいた。上空に覆いはないから、観察に必要な明るさは得ることができた。
 現場は雑草交じりの芝生で、下足痕は期待できそうになかった。犯人の指紋が残っていそうな箇所もなかった。あったとしても、ここは公園だ。数が多すぎる。被害者の血液が付着してでもいない限り、特定は不可能だ。
 血痕は、草叢に残っていた。さほど多くない。小雨が降れば流れてしまう程度だ。この量から見て撲殺の可能性が高いと思ったが、遺体を見ないことには断定できない。刺殺でも、凶器を刺したままにしておけば外部的出血は少なくて済むし、絞殺だったとしても揉み合ううちに流血に及ぶこともあるからだ。
 草を数箇所採取した跡があるから、鑑識が持っていったのだろう。そこに被害者以外の唾液、血液等が混じっていればベストだ。DNA鑑定で、青木は即釈放される。
 DNA鑑定には専門の技術が必要だが、その精度は77兆分の1という驚異的な数字だ。これ以上の物証はない。

 薪はシートから外に出て、公園を後にした。
 長居は無用だ。場所が確認できたら、それでいい。どうせ細かいことは鑑識の結果待ちだろうし、自分が捜査に加わることは許されない。
 歩きながら腕時計を確認すると、午前10時。何事もなければ、東京行きの電車に乗っているはずだった。
 青木が連れて行かれてから5時間。まだ聴取は終わらないのだろうか。
 事情を聞くだけなら、とっくに解放されてもいいはずだ。ましてや青木は本庁の警視。濡れ衣だと分かった時点で客人扱い、頼めば車で宿まで送り届けてくれるはずだ。それが未だに何の連絡も入らないと言うことは。
 
 青木はただの参考人から、重要参考人になった。

「…………あのバカ」
 ふーっと重いため息を吐いて、薪は携帯電話を取り出した。周囲に誰もいないことを確認して、留守を任せてある副室長に電話を掛ける。
「僕だ。何か報告はあるか?」
 昨日も今日も平和なもんですよ、と落ち着いた声が聞こえてきて、薪は安堵する。
「そうか。特に急ぎの案件はないんだな。じゃあ僕と青木、今日休んでもいいか?」
 短い沈黙の後、「何があったんですか」と深刻な声が問うのに、薪は努めて軽い口調で、
「いや。桜がきれいだから、ついでに観光でも、と思ってさ」
 取ってつけたような言い訳に、元捜査一課のエースが騙されてくれるはずもなく。厳しい口調で、薪さん、と呼びかけられて、薪は奥の手を出すことにした。

「わかった。岡部にだけは本当のことを言おう。実は、すごく困ったことになってて」
 困ったこと? と、一転して心配そうな声音になる岡部の素直さを好ましく思いながら、薪は用意しておいた台詞を淀みなく口にする。
「昨夜、張り切りすぎちゃってさ。青木のやつ、ぎっくり腰になっちゃったんだ」
 岡部が黙った。予定通りだ。
「久しぶりだったから、明け方まで粘られて。僕も足腰立たなくてさ」
 ユデダコのようになった岡部が、ダラダラと汗をかいている姿が見える。これがテレビ電話でなくて残念だ。
「本当にすごかったんだ。青木ったら、僕のあんなところまで舐め」
 ぷつっと電話が切れた。後に残るのは、ツーツーという無機質な電子音。

「岡部を黙らせるにはこれが一番だな」
 ぱたりと携帯を閉じて、薪は皮肉に笑った。



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緋色の月(5)

 こんにちは~。

 ちょっと私信です。

 しづの我儘につきあってくださった方々、ありがとうございました。
 死ぬまでに一度は見ておきたかったものも見れたし! 
 外灯の形が違ってたのは残念だけど、ベンチも見つかったし! ←のか??
 もう、思い残すことはございません。 楽しかったな~~!!


 お話の続きでございます。
 うん、どんどん色気がなくなってくるな~~。




緋色の月(5)





 公園を出て、薪は青木が連れて行かれた警察署に向かった。
 事を大きくするのは本意ではないが、被疑者に確定されてからでは遅い。色々と、調べられてはまずいこともあるし。
 気になるのは、夜の11時ごろ、青木を公園で見たという目撃証言だ。
 それは明らかな間違いで、他ならぬ薪自身がその証人だ。見間違いならともかく、偽証だとしたら。そこには真犯人の意図が隠されているかもしれない。
 とにかく、捜査資料が欲しい。詳しい情報を得られないことには、さすがの薪もお手上げだ。

 小さな警察署の受付で警察手帳を明示し、「署長にお取次ぎを」とアクリルボードに顔を付けんばかりにして迫ると、受付の婦人警官は何故か真っ青になって、指をぶるぶると震わせながら署長室に電話を入れた。
 ご案内します、と受付室から出てきて薪の前を歩く彼女の肩は竦みあがって、そんなに怖がらなくても取って食いやしません、とつい威嚇を重ねたくなる。青木を連れて行った警官たちとは雲泥の差だ。横柄なのと過緊張と、ここは両極端な職員が混在した警察署らしい。

 署長室では、I 警察署の責任者が薪を待っていた。
 署長は眼鏡を掛けた50代の小太りな男で、いかにも田舎の警察署長というイメージだった。着慣れているのだろう、制服がよく似合っている。
「うちの職員が、大変ご無礼を致しました」
 開口一番、薄くなった頭を深々と下げて、署長は薪に謝罪した。それから薪にソファを勧めると自分は戸口まで歩いて行き、「おーい、お茶持ってきて!」と廊下に向かって声を張り上げた。アットホームな警察署だ。

「さきほど、謝罪のためにお泊りの旅館に職員を向かわせたんですが。生憎、お出掛けとのことで」
「謝罪はけっこうです。お茶もけっこう」
 薪はソファに座ろうとはせず、敢えてコートも脱がなかった。説明や言い訳を聞く気はない、という意思表示のつもりだった。
「私の部下を、早く返していただきたい」
 ずい、と署長に迫ると、彼は青ざめた顔をますます青くして、酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせた。言いたい事があるならハッキリ言え、と怒鳴りつけてやろうとしたとき、署長室のドアが開いた。

「残念ながら、警視長殿のご希望に副うことはできかねますな」
 お茶汲みにしては、えらく無骨な男だった。強面の、ふてぶてしい顔をして、署長とは正反対の冷ややかな眼で薪を見た。
 彼は持ってきた盆をテーブルの上に置いて、自分だけソファに腰を下ろし、背の低い湯飲みに入った日本茶をズッと啜った。その隣に署長がおずおずと、借りてきた猫のようにちんまりと座った。お茶を持ってきた男は、清川と名乗り、捜査一課の課長をやらせてもらってます、と言葉だけは謙虚に自己紹介をした。
 ここはあれか、地方では時々あると聞いた、捜査一課が署長より強いタイプの警察署なのか。ならば、このお飾り署長に掛け合っても無駄だ。目の前の一課長を落とさなければ。

「何故です? 彼にはアリバイがあります。この私が証人です」
 彼の向かいにどっかりと腰を下ろし、薪は優雅に脚を組む。両手は肘掛に預けて、いかにも上から命令することに慣れた人間らしい高慢な目つきで、
「私の証言が信用できないと?」
 顎を上げて上から見下すように、冷徹に酷薄に、それは薪が長年鍛え上げてきた最強の武器だ。凍りつくような視線は、暴力団幹部との相対にも慣れた本庁の組対5課の猛者ですら震え上がらせることができる。はずなのに、
「そんなことは言っちょりません。ただ、証拠がね」

 お国訛りの軽い返事が返ってきて、薪は内心焦る。
 薪のブリザード攻撃が効かないなんて。本庁でも効き目がないのはごく限られた人間なのに、さては青木と付き合ううちに人間が丸くなって威力が落ちたか、と思うが、隣の署長が氷付けになっているところを見るとそうではないらしい。
 課長は自分の頭上でひらひらと手を振り、困惑の思案をその無愛想な顔に浮かべ、「署長。あとはうちのほうで」と隣に座った最高責任者にそっと耳打ちした。無言で二度頷いて、薪にペコペコと頭を下げ、署長は部屋を出て行った。
 怯えきった署長の背中に、薪は心の中で舌打ちする。部下に睨みが効かないどころか、心配されて匿われて。薪はああいう階級に職務内容が釣り合わない人間が大嫌いだ。まだ目の前の横柄な課長の方が、同じ警察官として好感を持てる。彼は、自分の責務を全うしている。犯人を一刻も早く検挙する、という捜査一課長としての責務を。

 清川は、「これはまだ、マスコミにも伏せとります。内密に願いますよ」と前置きしてから、薪がかすかに期待していた情報を教えてくれた。
「女の被害者の体内から、真犯人のものと思われる体液が見つかりました」
 それを聞いて、薪は思わずほっと息を漏らした。緊張の糸が解け、自然に肩の力が抜けた。
 これでもう安心だ。真犯人のDNAさえ検出できれば、青木の無罪は立証される。50年前には約2日を要したDNA鑑定も、2009年にN大学の理工学部が開発した新しい石英ガラス管による装置のおかげで、半日もあれば結果が出せるようになった。遅くとも、今日の夕方には釈放されるだろう。
 しかし、次に薪の耳に入ってきた言葉は、彼を一瞬で混沌に突き落とす悪夢の槌撃であった。

「DNA鑑定の結果、被疑者青木一行のものと一致しました」



*****

 うふふふふ~~。 ←楽しいらしい。



 

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緋色の月(6)

緋色の月(6)




「DNA鑑定の結果、被疑者青木一行のものと一致しました」

 薪の脳細胞はその言葉の意味を正確に理解し、しかし次の瞬間、彼の全細胞は激しくそれを否定した。警視長の威厳も第九の名誉も忘れて、彼は叫んでいた。
「でたらめだ!!」
 突き上げるような怒りが、彼を立ち上がらせた。腰掛けたままの一課長を見下ろし、声のトーンを抑えることもできないまま、薪は怒号した。
「青木は昨夜、一晩中僕と一緒だったんだ! 犯行現場へ行けるはずがない!」
 自分の感情が、上手く制御できなかった。こんな情動的な言い方では相手を説得することはできない、と薪の理性が、感情に振り回される愚かな男をせせら笑った。

「僕が部下のために偽証するとでも? 冗談じゃない、僕は例え自分の肉親が犯した罪でも」
「あなたが嘘を吐いているとは言うとりません。しかし、DNAが一致した以上は、そちらを優先せざるを得ません」
 落ち着いた声音で静かに返されて、薪の背中を冷たいものが駆け下りた。相対する一課長の濃灰色の瞳は、職務に人生を捧げてきた人間の自信と信念に満たされて、薪に己の未熟さを突きつけた。
 そうだ、これは殺人事件なのだ。

「あなたの部下を釈放できない理由が、お分かりいただけましたかな」
 一課の強気の理由が分かった。ここまで決定的な証拠があれば、文句なしに送検できる。薪が彼らの立場でも、徹底的に被疑者を取り調べるだろう。
「とは言え、同じ警察官。謂わば身内の不祥事だ。この件は緘口令を敷いとります。マスコミにも、被疑者の身元は一切明かしておりません。県警本部への連絡も、事件報告書が出来上がってからにしよう思っちょります」
 青木が逮捕された情報がまだ何処にも洩れていないと知って、薪は胸を撫で下ろした。誤認逮捕とは言え、彼の経歴に瑕がつくことに違いはない。県警本部への報告の前に彼を救い出すことができれば、本庁の人間には知られずに済む。
「まあ、時間の問題と思うちょりますがな」
 勝ち誇った表情で茶を啜る一課長を睨視して、薪はくちびるを噛んだ。

 絶対に青木は犯人ではない。これには大きなからくりがあるはずだ。
 DNAが合致したなら、それは鑑定の方が間違っているのだ。何者かが鑑定結果を改竄した可能性だってある。例えばこの町の有力者が犯罪を犯してしまい、それを隠蔽するために警察内部にいる誰かが、とそこまで考えて、薪は自分の仮説の欠陥に気付いた。
 誰かに恨みを買っているならそれもありだが、青木はこの町は初めてだ。濡れ衣を纏うスケープゴードを選ぶとして、本庁の警視を選ぶだろうか? 警察官が殺人を犯したとなれば、これは全国区の大ニュースだ。薪が誰かに罪を着せようとするなら、もっと簡単に事が運ぶ一般人を選ぶ。

「DNA鑑定書と捜査資料を、見せていただくわけにはいきませんか」
 断られることを承知で頼むと、意外なことに課長は「いいですよ」と二つ返事で応じてくれた。それを見れば薪が納得して引き下がると考えたのかもしれないが、薪にはありがたかった。
 資料を持ってきたのは、宿に来た若い方の刑事だった。名前は、峰と言ったか。

「こいつは若いが、なかなか気働きのできるやつでしてね。今回の報道対策も、こいつが担当してます」
 それは一課長の仕事ではないのかと思ったが、報道機関の少ない田舎の所轄では結構見られる光景だ。課長に直接話しかけられないプレスが、下っ端の刑事に取次ぎを頼む。いつの間にか彼が広報窓口になっている、という具合だ。

 峰は薪を見て、蔑むような眼をした。汚いものでも見るような目つきに、男色野郎と思われているのだと感じた。それを自分に向けられる分には捨て置けるが、青木がこんな眼で見られたら傷つくだろうと思った。
「事件発生は、昨夜の11時ごろです」
 手帳をめくりながら、峰刑事が説明を始めた。
「被害者は2人。うち一人は男性で、名前は倉田哲。I市在住の25歳。同市内の工務店に勤めています。もう一人は女性で、名前は水木しのぶ。同市在住、家事見習いの23歳。二人は1年ほど交際をしており、男女の関係でもありました。
 倉田の同僚及び店員の証言から、昨夜二人は、倉田の仕事が終わる午後8時ごろに待ち合わせ、市内の居酒屋で食事と少々のアルコール、そのあと夜桜見物にとY地区の公園に赴き、被害にあったものと思われます」
 要領を得た説明を聞きながら、薪は捜査資料を読み込む。現場写真、証拠品のリスト、司法解剖の結果は未だ届いていないが、昨夜の11時に起きた事件の資料を翌日の昼前にこれだけ揃えられれば、ここの鑑識は迅速な部類に入る。
 
 問題のDNA鑑定書も、正式なものだった。
 コピーではなく、鑑定機関の刻印が押された本物を持ってきたのは、薪に言いがかりを付けられないようにするためか。改竄の形跡は認められないし、青木のDNAデータにはIDナンバーが明記してあるから、警察のデータベースに保管されているものだ。万が一にも取り違えはない。
「双方、着衣の乱れがあったことから情交の最中に襲われたものと考えられますが、男性の方は下半身の露出はなく、女性の体内に残されていた精液は真犯人のものと推測されます。そのDNAが青木警視のものと一致したわけです」
 犯行時刻、彼の精液は僕の体内に注がれていました。だから彼女の身体に残っているはずがありません、と薪が言ったところで、DNA鑑定は覆らない。言うだけ無駄だ。

「目撃証言があったと聞きましたが。その目撃者の氏名は?」
「それは明かせません」
 それはそうだろう。被疑者の関係者に目撃者の素性を明かして、脅しでも掛けられたら厄介なことになる。これは捜査側として当然の配慮だ。
 最初から指示してあったのだろう、資料からも目撃証言の頁だけは抜かれていた。自分が彼らに徹底的に信用されていないことに、薪は憤りを感じなかった。1課で過ごした4年間が、彼らへの理解を促した。

「では、宿の人間の証言は取りましたか? 彼がその時刻、宿にはいなかったという」
「それはまだこれからです。しかし、あの宿のフロントには9時までしか人が居ません。玄関の鍵は内側からは外すことができますし、誰にも見られずに外出して、また戻ってくることは可能だと思われます」
 確かに。薪たちが宿に着いたときには9時を回っていて、玄関は開いていたがフロントに人は居なかった。青木がカウンターに置かれた呼び鈴を鳴らして、それでチェックインしたのだ。
 
 目撃証言とDNA鑑定。しかも、彼のアリバイを証明するのは、彼の情人だけ。これだけ条件が揃ったのでは仕方ない。青木は真犯人としての取調べを受けることになるだろう。
 薪は思い、自分が取調室で行ってきた非情な行為を脳裏に甦らせ、胸を潰されるような苦しさを味わう。

 あの過酷な取調べに、青木は耐えられるだろうか。

 犯罪者、特に重罪を犯したものは、自分の容疑を認めない。自白すれば刑務所暮らしが待っていることが分かっているからだ。だから彼らは、ありとあらゆる嘘を吐く。中には、どう考えても自分の首を絞めているとしか思えないような嘘まで、必死になって自分の未来を守ろうとするのだ。それを潔くないとか醜いとか言うのは、自分が犯罪者になったことのない人間のきれいごとだ、と昔、先輩刑事に教えてもらったことがある。
 保身に走る彼らに、本当のことを言わせるのはとても骨が折れる。普通に話をしていたのでは、まず埒が明かない。耳元で怒鳴ったり机を蹴ったり、そんなのはまだ性質がいいほうだ。彼らから自白を取るときの基本は、眠らせない、食べさせない、漫然とさせない。聴覚が麻痺するまで我鳴り立てられ、意識が朦朧としたところでおまえがやったんだろう、とやさしく諭されれば、本当に自分がやった気になる人間も出てくる。すみませんでした、と無実の罪で涙を流す被疑者もいるのだから、人間の心理とは不思議なものだ。

 まだそこまで差し迫ってはいないだろうが、このまま何日も拘留されたら。やってもいない殺人を認めてしまうかもしれない。
 その段階で書類送検だ。そうなってしまったら、もう薪には手が出せない。警視長の権限をもってしても、検察に渡った案件を差し戻すことはできない。

「青木は容疑を認めましたか?」
「いいえ。今のところ否認しています」
 今のところ、と余計な一言を加えて、峰刑事は手帳を閉じた。薪も捜査資料を置き、両手を軽く握って膝の上に置いた。背筋をぴしりと伸ばし、
「もう一度確認しますが、目撃証言の内容は、彼が犯行時刻に公園に居たことを証言するものであって、殺人を犯している現場を目撃したというものではないのですね?」
 はい、と峰刑事がツンツン頭を上下に動かすのに、薪は微笑みかけた。彼は若いが、優秀な刑事だと思われた。この場に指名されてきたことから、課長の信頼も厚いと見た。

「資料を見る限りでは、彼を犯人だと断定するのは尚早かと思われます。女性の体内から男性の精液が見つかったからと言って、その持ち主が犯人とは限らない」
「エリート警視長さんのお言葉とも思えませんな。彼以外の誰を疑えと?」
 往生際の悪い、と小声で添えられた挑発に、薪は乗らなかった。事件調書を見たことで、彼の頭脳は捜査官モードに切り替わっていた。この状態の彼を崩せる人間は、この世には存在しない。
「以前私が手がけた事件で、女性の体内から精液が発見されたものの、犯人は女性だったということがありました。彼女は産婦人科の看護師で、男性の精液を手に入れられる立場にあった。不妊治療のために冷凍保存されているものを使い、針のない注射器を用いて被害者の体内に注入したんです」
「は! バカバカしい。あなたはこの事件の犯人は女性だとでも言うつもりですか? 二人の被害者は、石のようなもので殴り殺されてるんですよ。男の方は一撃だ。男の犯行と考えるほうが自然でしょう」
 田舎では、手の込んだトリックを用いた事件は珍しい。こなした数こそ多いが、実情は単純な事件しか扱ってこなかった劣等感を刺激されて、清川課長は必要以上に饒舌になった。

「私は可能性の話をしている」
 薪の落ち着き払った声と物腰が、清川を激昂させた。
「あんたみたいに現場に出たこともないエリートに、何が分かる! 俺は30年間、事件と向き合ってきたんだ! 何十人もの犯罪者を捕まえてきた!」
 自分も先刻は、こんな無様な姿を晒していたのか、と薪は冷静に振り返る。
 愚かしい。こういう勝負は、感情に溺れたものが負けるのだ。

「捜査は数じゃない。一つの事件に何処まで深い考察を為したか、その深度が捜査官を成長させる。検挙した犯人の数で競い合うものではない」
 薪は本庁の捜査一課で4年、研修先のロス市警で1年、現場を勤め上げている。その手で検挙した犯人の数も裕に二桁だ。警視総監賞も3度ほど、第九の室長を務めるようになってからは局長賞を3度、長官賞を2度も受賞している。清川と比べて、解決した事件の数でも決して引けを取らない。
 が、薪はそれに関しては一言も口にせず、それは自らの言葉通り、事件に大小はなく優劣もないと考えているからだ。

「あなたたちにも、捜査官としての成長を期待する」
 失礼、と立ち上がり、その場を辞そうとして、薪は足を止めた。黙ってしまった課長と、何故か不思議そうに薪を見ている若い刑事に向かって一礼する。
「捜査資料を見せていただき、ありがとうございました。ご配慮に感謝します」
 管轄外の、しかも事件関係者である自分に資料の閲覧を許してもらったことに、礼は言うべきだと思った。現在、薪と彼らは敵対関係にあるが、受けた恩義には礼を返すのが薪の流儀だ。

 背筋をぴんと伸ばして、薪は部屋から出て行った。
 部屋に残されたうちの一人は、ちっ、と舌打ちし、面白くなさそうに腕を組んで、客人が手をつけなかったお茶を引き寄せ、がぶりと飲んだ。
 もう一人は黙って捜査資料を片付け、それが済むと、恐る恐る上司の顔を見た。

「課長。あの人、本当に頭の病気なんですか?」
「あのくらいの演説で騙されんな、峰。誇大妄想狂っていうのはな、頭の良い人間が罹る病気なんだよ。奴さんには、前科もある。その上、毎日毎日犯罪者の脳みそなんか見てりゃ、おかしくもならぁな」
 上司に諭されて、年若い刑事は捜査資料と湯飲みを載せた盆を持ち、署長室を出た。
 給湯室に盆を置き、盥に水を張って茶碗を浸しながら、「奴の言うことは何一つ本気にするな」と課長に注意を受けた狂人の戯わ言を思い出す。
「……数じゃない、か」
 低く呟き、彼はぼんやりと蛇口から盥へと落ちる水流を見つめた。





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緋色の月(7)

 こんにちは~。

 一昨日、人間ドックに行ってきたのですよ。
 血液検査は今年もすべて規定値内に入ってて、引っかかったのは例年通り、低血圧症だけでございました。 (上がいつも90止まりなんですよね~。 寝起きはフラフラします☆)  
 オットも一緒に行ったんですけど、彼はコレステロールやらバリウム検査やらで引っかかりまくりまして。 最後に保健師さんの指導があるんですけど、これからの健康や食生活について色々とアドバイスを受けておりました。
 あれって普段からの食生活が大事なんですよね。 その責任は妻のわたしにあるわけで。 
 とりあえず、わたしが残した食事をオットが食べてしまう習慣は改めさせよう!! 缶ビールも1日2本までに制限しよう!!
 
 と、決意しましたら本日は、会社の暑気払いだったりします。(笑)


 お話の続きです。

 おやあ? なんかこの章、つまらないぞ。 しかも長いし~。
 長すぎて携帯でダウンロードしきれなかった場合はご連絡ください。 





緋色の月(7)




*****


 彼はいつも人形のように大人しい、と私は思いました。

 さわっても、キスしても、はしたなく喘いだりしません。だけど彼は従順で、私の意のままに身体を開きました。
 彼の静寂を私は好ましく思い、彼の消極性を愛しました。
 彼の薄い目蓋は常に閉じられており、その亜麻色の瞳に熱情が宿るさまを見ることは叶わなかったけれど、彼が私の手を拒んだことが一度もない以上、彼の私に対する好意は明らかだと思いました。

 言葉で確かめるまでもない。彼は私を愛していたのです。

 私の手の中で慎ましく息づいていく彼の分身を愛でるたび、その可愛らしい口元から湿った吐息が洩れるたび、私は彼への気持ちが深まっていくのを感じていました。それは彼も同じだったと思います。
 いや、同じでした。
 何度も何度も重ねられる秘密の中で、私と彼の愛は次第に深まっていったのです。


*****


 警察署を出て、薪が真っ先に考えたことは、岡部に助けを求めるべきかどうか、ということだった。
 これだけ不利な証拠が揃ってしまっては、正直、薪一人の力で青木の無罪を証明することは難しい。岡部なら現場の経験も長いし、事件の勘所も心得ている。関係者の自分には開示してもらえない情報も、岡部になら見せてくれるかもしれない。それが無理でも、捜査本部に警戒されている自分よりは自由に動けるはずだ。
 それはとても有力な対策に思えた。電話で事情を話せば、岡部は此処へすっ飛んでくるだろう。
 しかし。
 もしも事件が起きたらどうする。自分も岡部もいなかったら、第九は回らない。研究室内の平常業務なら岡部がいなくてもこなせる、でも、実地検分が必要な案件に関しては、現場経験のない今井では的確な指示を出せるかどうか。
 迷った末、今日一日だけ、一人で情報を集めてみよう、と薪は思った。
 今日は金曜日。明日は公休日だ。
 夜には岡部に連絡を入れる。事件の概要は頭に入っているから、電話で説明ができる。明日の朝合流して、捜査に協力してもらおう。それまでは自分ひとりで動ける範囲で、できるだけの調査をしておこう。

 何から手をつけようかと考えて、正規の捜査員でもない自分にできることの少なさに、薪は戦慄する。
 もし自分が現場を任されていれば、DNA鑑定の再検申請をし、司法解剖の結果を踏まえて凶器の探索をする。目撃者から話を聞き、矛盾がないか確認を取る。地取りの指示を出し、真犯人の足取りを洗う。被害者の交友関係を調べ上げ、彼らに恨みを持つものがいないかどうか聞き込みを行う。それから、過去にこの地域で起きた通り魔事件、流しの殺人等の記録を洗い出し、類似の犯行がないか精査する。
 それらのどれ一つとして、自分は為せない。自分にできることといったら、近隣の住人に話を聞いて回るくらい。管轄外の仕事に、それも被疑者側の関係者と目される自分が手を出したりしたら間違いなく本庁に苦情が行く。

 その懸念に気がついて、薪は不安に駆られる。
 田城の耳に入るのはまだいい。叱責は受けるだろうが、それには衷心から謝ろう。問題は小野田だ。

 小野田は、自分と青木の仲を認めていない。それどころか、積極的に裂きたがっている。
 昨年の夏、薪は小野田の本心を改めて突きつけられた。あの高潔なひとがあんな策謀を巡らすほど、そこまで憂慮されていたのかと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。と同時に、小野田は決して聖人君子などではなく、目的のためならあざとい手段も用いる人間なのかもしれない、という微かな疑惑も浮かんだ。
 小野田への信頼は厚いが、薪とてそこまでおめでたくはない。彼の地位を鑑みれば、これまでに数多くの非情を為してきたことは容易に察しがつく。しかし。
 その非情が自分に向けられるとは、想像もしていなかった。これまでに小野田から受けてきた愛情を思えば、ライバルを蹴落とすため過去に為したであろう彼の姦策を夢想することすら、小野田への裏切り行為に思えた。
 薪はそのとき、小野田の愛情を信じた。薪の将来を思うが故、これは小野田の親心から派生した行為だと判断し、それは間違いではなかったと今も信じている。
 でも。

 今回のこの状況、管理者としての小野田はどう動くだろう。
 警察全体の名誉を守るために、官房長の権限を使って、強引に青木を助けるか?
 いいや、絶対にそんなことはしない。小野田は姑息な真似はしない、むしろ、膿は出しておくべきと捜査本部に励ましの言葉を送るだろう。
 もし捕まったのが薪なら、釈放はさせずともそれなりの便宜を図ってくれるかもしれない。しかし対象が青木では。励ましの言葉どころか、「早く送検しろ」と捜査本部にハッパをかけるかもしれない。小野田ならやりかねない。
 青木は小野田に嫌われている。自分が青木の話をするとき、彼の薄灰色の瞳に浮かぶ微かな苦渋を、薪は見逃していない。
 彼の怒りと不興は自分にこそ注がれるべきなのに。自分のせいで青木が、警察庁の頂点に極めて近い人物に疎まれている事実を思うたび、自分は本当に青木の恋人に相応しくない人間だという自戒に囚われる。
 が、今は自分の低劣を嘆いている場合ではない。一刻も早く、青木を救い出す証拠を集めなければ。

 行動計画を立てながら歩くうち、薪はキープアウトのテープが張られた問題の公園にさしかかった。姿勢よく立っている制服警官の姿を見て、軽く会釈する。向こうも薪の顔を覚えていたとみえて、無言の敬礼で挨拶を返してきた。
「ちょっと聞いてもいいかな」
 薪に話しかけられて、彼は緊張しているようだった。まだニキビ痕の消えない頬が紅潮している。自分がまだ警視だったころ、警視監の小野田に呼び出されて、一課の仲間の前では平静を装いつつも内心ものすごく緊張したことを思い出し、薪は頬を緩ませた。

「君は何時からここに?」
「朝の3時からであります」
「そのとき、現場検証は済んでいましたか? 野次馬はいました?」
「現場検証が終わったのは7時過ぎでありました。野次馬は、20人ほどおりました。自分と同僚二人、計3人で現場内に部外者が入らないよう、堰き止めておりました」
「野次馬の中に、不審な人物はいませんでしたか?」
「町の者以外は、一人もおりませんでした」
「君がひとりで警備をしている間に、現場を訪れた人物は?」
「警視長殿お一人であったと記憶しています」
「失礼だが、君の目を盗んで侵入された可能性は?」
「ここからはビニールシートがよく見えます。誰かが出入りすれば気がつきます」

 警官の言う通り、現場は公園内で見通しはよい。唯一の死角になっている桜木の背後には高いフェンスが境界線の代わりを為していて、あの柵を越えてきたとしたらそちらの方が目立つだろうと思われた。
 薪が彼に声を掛けたのは、これが目的だった。犯人は現場に戻ってくる。不思議なことに、何百年も前からこの愚かな心理行動は多くの犯罪者の間で繰り返されている。確認しておくべきだと思った。
「そうか。ありがとう」
 今回の犯人に、その心理は働かなかったらしい。いささかがっかりして、薪はその場を去ろうとした。

「君、手に何を持ってるの?」
 去り際に見咎めて、薪は警官を振り返った。薪に言われて彼は、おずおずと自分の右手を差し出した。白い手袋をはめた彼の手の中の、それは携帯のストラップだった。
「これはどこで?」
「公園の噴水のところであります」
 噴水は公園のほぼ中央にあり、現場とは10m以上離れている。事件の遺留品と見るには、少し遠い。紐が切れて落ちたようだが、殺人を犯した後で警察に連絡しようと携帯を出したとしたら、もっと犯行現場に近い位置に落ちるはず。
「本部の方の落し物ではないかと」
 薪もそうだと思った。何故なら、警視庁のマスコットがついたその携帯ストラップは自分も持っていたからだ。
 
 何年前だったかとんと記憶にないが、警察全体に配られた何かの記念品だ。警察創立200周年記念だか何だか、そんな名目での予算合わせだったような気がする。総務部辺りで予算が余ったのだろうが、要は税金の無駄遣いだ。余ったら返せばいいのだ。使わなかった予算は来年削られる傾向にあるとは言え、これは国民の血税だということを忘れてはいけない、ていうか、こんなものを作る金があるなら第九のメンテ費用に回して欲しい。
 落し物を警視長に預けるのは気が引けたのだろうが、この警官は、薪を県警本部の人間だと思い込んでいる。捜査本部は、今回の事件に県警が介入しないことを末端の警官にまでは知らせていないのだろう。彼の意識の中で、県警と自分の繋がりは薪しかおらず、それで遠慮しながらもこれを差し出したのだろう。
「僕から渡しておくよ」
 軽く請合って、薪はそれを受け取った。かなり苦しいが、後で捜査本部に顔を出す言い訳にはなる。刑事の習性で、薪は警官から受け取った遺失物をハンカチで包んでからコートのポケットに入れると、公園の周囲を歩き出した。

 注意深く辺りを観察しながら、ゆっくりと歩を進める。
 一般人には旅行者が桜を楽しみながら散歩をしているようにしか見えないだろうが、彼の亜麻色の瞳は、どんな些細な異変も見逃さない観察者のそれになっている。
 何気ない風景に、この日常に、違和感を見出そうとしている。不自然な点はないか、異質なものは残されていないか。それが真相への道しるべになる。

 いつの間にか事件のからくりを解こうとしている自分に気付いて、薪は首を振った。
 ちがう、ここで自分が為すべきことは、犯人の痕跡を探し出すことではない。青木がここに来なかったことを立証することだ。青木が殺人を犯したという本部の見解を覆す証拠を、矛盾点を見つけ出すことだ。
 青木がここに来たと仮定して、宿から公園までは、歩いて30分くらいかかる。徒歩以外の交通手段は、この場合考えにくい。土地勘のない場所で、夜ふらりと外出するのにタクシーを呼ぶならフロントの助けが必要だ。そのくらいは連中も確認しているだろう。
 ということは、現場まで往復1時間。いや、帰りは犯罪を犯したものの心理として早く現場から遠ざかりたいはずだから、走って帰ってきたとして20分。犯行に要した時間を30分程度と見積もると、最短でも1時間20分。目撃証言のおかげで犯行時刻は明確になっているから、10時から11時20分の間に、彼を旅館で見た人物を探せば良い。
 
 昨夜は、9時過ぎに宿に戻った。
 それから風呂に入って、上がったのが9時40分ごろ。10時には……もう布団の中で手首縛られてたような。
「あのバカ」
 そういえば、と薪は昨夜のことを思い出す。いや、本当は恥ずかしいからあんまり思い出したくないんだけど。

 1回目が終わった直後、青木は少しだけ部屋からいなくなった。ような気がする。
 薪は行為のあとすぐに眠ってしまうクセがあるからその時もうつらうつらしていたのだが、「お待たせしました」とか何とか言って起こされて、2ラウンド目が始まったのだった。でも、そんなに長く眠っていたわけはないし、12時の時計の音は聞いているのだから青木のアリバイは崩れない。

 ――― 否。
 12時の柱時計の音は聞いたが、11時のものは憶えがない。となると、青木のアリバイで確実なのは10時と12時前後の何分かだけで、あとは薪の主観によるもの、ということになる。これでは例え薪の証言が採用されたとしても、ちょっと気の利いた検事なら簡単に無効化できる。
 確かに、タイムテーブルだけを追うと理屈では犯行は可能かもしれない。でも、青木は人を2人も殺した後に、恋人を抱けるような人間じゃない。
 それは薪にとっては世界の真実ですらあるが、警察にとってはこれまた薪の主観に過ぎない。証拠としての価値はない。

 薪の感覚では、青木が部屋を出ていたのは20分程度のものだったと思うが、その20分に賭けるしかない。宿の誰かが、青木の姿を目撃していれば。
 まずは、宿の泊り客の聞き込みからだ。

 警察の地取り捜査の結果を待つのは、時間の無駄だと思われた。
 DNAが一致した以上、警察は青木が真犯人であることの証拠を探すことに重点を置くはずだ。公園の目撃証言の補足には熱を入れるだろうが、宿への聞き込みは後回しになるだろう。
 捜査経験のある薪には分かる。今は、犯罪の証拠を一つでも多く挙げて、それらを武器に被疑者を攻めるときなのだ。証拠がひとつ重なるたびに、被疑者の鎧は薄くなっていく。被疑者の絶望を煽り、もうこれまでだと観念させるには、言い逃れのできない証拠を積み上げていくことが一番効果的なのだ。

 宿へ帰ろうと、薪が脇目も振らずに道を歩いていると、後ろから声を掛けられた。この町に知り合いがいるわけはないのに、と振り返れば、そこには一人の男がにこやかな笑顔で立っていた。手に、黒い往診カバンを持っている。彼は医師なのだ。
「東条先生」
 驚いて立ち止まり、振り返って彼の名前を呼んだ。

 彼は東条学。薪が週1で通わされているカウンセリングの先生だ。
 年若い精神科医だが、彼は実に優秀だ。警視庁には専属のカウンセリング機関があり、彼はそこのチーフを任されている。精神分析医としての資格を持ち、いくつもの優れた論文を著し、病院の中でも腕の良いカウンセラーだと評判だが、薪にはあまり実感がない。正直な話、彼の治療を受けた時より青木と一緒に週末を過ごしたときの方が元気になれるような気がする。
 これは東条の腕が悪いのではなく、自分がカウンセラーを必要とする精神状態ではないからだと薪は判断している。警視総監に義務付けられているだけで、薪自身は無駄だと思っているせいもあるかもしれない。その結果、週一の約束が月一くらいになってしまうこともしばしばあって、最近彼のカウンセリングを受けたのは2ヶ月くらい前だった気がする。

「驚いた。きみとこんな所で会うなんて」
 職業柄か本来の性質か、東条は人を安心させる笑顔になって、薪の傍に駆け寄ってきた。真ん中分けにした短髪を揺らして、縁なし眼鏡をかけた彼は、白衣を着ていないと大学生くらいに見える。年は5,6歳下だと思ったが、研究者のような人種は世間を知らないところがあるから若く見えるものだ、と実年齢より20歳は若く見える自分の外見は棚上げにして薪は勝手なことを思い、自分よりやや高い位置にある彼の暗蒼色の瞳を見返した。
 東条の身長は、それほど高くない。薪より10センチ高と言ったところだから男子の平均身長には達しているのだが、薪の周りには大柄な人間が多いため、彼には親近感を持っている。太り過ぎてはいないが、痩せてもいない。医師だけに、理想的なウェイトコントロールが為されているようだ。

「東条先生こそ、どうしてここに?」
「親に顔を見せにね」
「先生のご実家はこちらでしたか」
「うん。今朝は始発電車に乗ってきたんだよ。おかげで眠いったら」
「そうでしたか。僕は出張で、昨日この町に」
 春の風がふわりと薪のコートの裾をはためかせ、桜の枝をさわりと揺らした。薪の髪に舞い降りた花びらを医師らしい清潔な指先でつまんで、東条はにこりと笑い、
「じゃあ、これから仕事かい?」
「ええ、まあ」
「少しでいいから時間取れない? 僕とお喋りしようよ」
 彼がお喋りと言えば、それはカウンセリングのことを指す。診察室で向き合うと、彼は必ず薪に向かってこう言うのだ。

 彼の薪に対するカウンセリングはちょっと変わっていて、5分くらい世間話をした後は、いい匂いのする香を炊いて寝心地のよいリクライニングシートでまったりする。つまり、単なるリラクゼーションに過ぎないのだが、精神的に何の問題もない患者に対して何かしらの治療記録を付けなければいけないとなれば、こんな方法を選ぶしかないのだろう。みんなあのタヌキ親父が悪いのだ。
 とある理由による疲れもあって、と言うのも東条のカウンセリングを受ける前日は必ずと言っていいくらい寝不足になるので、薪は大抵シートの上で眠ってしまうのだが、1時間くらいすると東条が起こしてくれる。そこへ丁度、岡部や青木が迎えにくるという具合だ。

「すみません、先生。今日はちょっと忙しくて」
「夜でもいいよ。僕は特に何をしなきゃいけないわけでもないから、君の都合に合わせる」
 東条は一歩薪に近付き、苦笑いの顔で、
「最近、診察証明書に書くネタを探すのが大変なんだよ。2ヶ月も前のお喋りの内容じゃ、季節も変わっちゃってるし」
 言われて、薪はバツが悪そうに右手を自分の後ろ首に当てた。
 カウンセリングの指示は警視総監から出ており、薪は、確かに診察を受けた、異常がなかった、という報告書を毎週総監宛に提出しなければならない。が、繁忙を極める薪には、病院へ赴く時間を取ることができないことも多い。そんな時には、東条が適当な一文を添えて総監に報告を出してくれているのだ。
 東条は、薪の精神が既に回復しているにも関わらず、強制的にカウンセリングを受けさせられている裏事情を知っている。だから薪に協力して、嘘の報告書の片棒を担いでくれているわけだが、それらしい文章を添えるには薪の近況に関するデータが必要だと、これまた尤もな言い分だった。

「君の談話記録(カルテ)には、『朝の気温が氷点下だと起きるのがとても辛い』と書いてあってね。4月で氷点下って、薪警視長の自宅は北海道にあるのかって」
 茶化しながらも東条が食い下がるのは、薪の仕事内容を知っているからだ。第九の職務は重篤な精神的負担を強いる。室長ともなれば尚更だ。加えて薪には過去のこともあるし、1月に1回程度のカウンセリングは必要だと、精神科医の立場から考えているのだろう。彼の心配は重々分かって、だから薪は精一杯の譲歩をする。
「わかりました! 時間が取れ次第、必ずこちらから連絡しますから」
 本音では今は、一時でも惜しい。ここで立ち話をしている、この時間すら惜しいのだ。
「必ずだよ」
 薪の余裕のなさに気づいたのか、東条はあっさり引き下がってくれた。さすが精神分析医、相手の気持ちを察するのはお家芸だ。

 失礼します、と頭を下げて、薪は早足に歩き出した。すでに彼の頭の中は、犯行時刻における旅館での青木の目撃者を探すことでいっぱいで、背にした精神科医を振り返ることもしなかった。
 ベージュ色のスプリングコートが風に靡きながら小さくなっていく、東条はそれをじっと見送っていた。その姿が角を曲がって見えなくなると、彼はジャケットのポケットからシステム手帳を取り出し、先刻自分が小さな亜麻色の頭から取ってやった桜の花びらを大事そうに、透明ポケットの中に落とし込んだ。



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緋色の月(8)

 こんにちは。

 連日、過去作品にたくさんの拍手をありがとうございます。
 この一週間、同じ作品に複数拍手が入ってるから、何人かの方が読んでくださってるのかしら。 
 とてもありがたいです。(;∇;)
 でもねっ!
 夜中の1時とか3時とか、とんでもない時間に読まれるのは、どうかお止しになって……お肌、荒れちゃいますよっ!!
 うちのは基本ギャグ小説なんでね、笑ってなんぼのお話ですから。 睡眠時間削ってまで読むようなシロモノじゃないです。 
 ということで、夜はゆっくりお休みくださいね。(^^

 えっ。
 原作の薪さんが心配で眠れない?
 う、うーん……あと3週間かあ。
 



緋色の月(8)




 宿に帰ると、薪は早速行動を開始した。
 フロント、客室係、調理場の従業員、泊り客、宿に居合わせたすべての者に聞いて回ったが、夜の10時以降に青木を見たものはいなかった。この時代に監視カメラのひとつも設置されていない田舎の旅館では、夜の10時と言えば既に夜中という感覚で、泊り客の殆どは眠っていたか自室でテレビを見ていたと言うし、従業員も自宅に引き上げた後だった。
 小さな旅館で、客室も7部屋しかない。従業員も10人位のもので、薪ひとりでも聞き込みは3時間足らずで終了した。
 人々は、あまり協力的ではなかった。泊まり客はまだしも、旅館の人間は特に口が重かった。彼らは薪が警察官であることを知っていたが、それ以上に、連行された被疑者の関係者であることを警戒していた。
 期待した成果が得られず、薪はがっかりして自室に戻った。

 部屋に入ると、何となく異質なものを感じた。
 自分と青木以外の、人間の気配。微かに整髪料の匂いもする。薪の留守中、誰かがこの部屋を訪れたのだ。
 部屋係が掃除に入ったのかと思ったが、ゴミ箱の中身が回収されていないのを見て、留守中の訪問者は旅館の者ではないと判断した。
 誰が、と考えを巡らせて、あのお飾り署長が「謝罪に伺ったが留守だった」と言っていたのを思い出した。なるほど、謝罪名目の家宅捜査に来たのか。田舎警察のクセに、なかなかやってくれるじゃないか。

 二人の荷物は部屋の隅に置いたままだったが、位置が微妙に違っている気がした。中身を詰めたのは青木だから、品物の収納場所が変わっていても薪には分からない。が、多分、全部調べられたのだろうと思った。事件に関する報告書を、遺族に届けた後でよかった。被害者のプライバシーは、警察内部のものにも洩らしてはならない。
 他に変わったところはないかと見渡して、未回収のままの屑入れに気付く。その一番上に捨てられているゴミを見て、薪の心臓が跳ね上がった。

「ぅげぉろげっ!?」
 何処の言語かわからない奇声が迸り、慌てて口元を押さえる。自分の顔が真っ赤になっているのが、手に触れた頬の温度で分かった。
 透明度の高い亜麻色の瞳に映っているのは、昨夜の愛戯の名残。と言えば字面はきれいだが、平たく言うと使用済みのコンドームだ。ゴムに密閉されている部分の精液は、まだ液体のまま残っている。
 いくら青木だって、こんなデリカシーのないことはしない。ちゃんとティッシュに包んで捨てたはず。ましてやここは旅館だ。誰かがこのゴミを始末すると思えば、絶対に剥き出しでなんか置かない。
 問題の汚物は、ティッシュを広げられて全部表に出されてあった。警察が探って、そのままにしたのだろう。数を調べられたらしい。

「何を言っても信用されないわけだ……」
 恥ずかしさに涙まで滲ませて、薪はその汚物をティッシュで包み直し、青や赤のビニル袋や丸められた紙の下に隠すように埋めて、畳の上にへたり込んだ。
 これこそ、言い逃れようのない証拠だ。ふたりで同じ部屋に泊まってゴミ箱にコレがあったら、ペリイ・メイスンでもお手上げだ。てか、あいつ昨夜5回もしたのか。道理でだるかったわけだ。
 峰と言う若い刑事が、自分を軽蔑の眼差しで見ていた理由が分かった。これを調べさせられたのはきっと彼なのだ。通常、こういう汚い仕事は若いものの担当で、だからあんな眼で見られても仕方がない。

 いよいよ自分の信用度が下がったのを自覚して、薪はこれからのことを考える。
 旅館での目撃証言が取れなければ、後はこの近隣まで捜索範囲を広げてみようか。外に出た可能性は低いかもしれないが、捜査は当たってみなければ分からないものだ。
 だいたい、どうしてあの時、青木は中座したのだろう? 彼の目的が分かれば、捜査範囲も絞れるのだが。
 青木が何か言い訳めいたことを言っていたのは覚えているが、内容は記憶に無い。意識が朦朧としていたし、半分以上夢の中だった。
『すみません、すぐに帰ってきますから。眠っちゃ嫌ですよ』
 ここには知り合いもいない。誰かに呼ばれて出て行ったとは考えにくい。あの青木が薪との情事を中断してまで部屋を出なければいけない理由と言うと、生理現象くらいしか思い浮かばないが。
「食べ過ぎて腹でも壊したかな」
 あいつならあり得る。

 窓から差す西日にふと眼を細めて、気がつくと夕方になっていた。時計を見ると5時40分。夕方のニュースをやっている時間だ。
 薪はテレビをつけて、事件の報道が為されていないか確認した。しかし、どの局でもこの事件については報じていなかった。容疑者が警察の人間と言うことで、報道管制を布いたのかもしれない。
 
 時刻が6時になり、報道番組は地域に密着した飲食店の特集になった。薪はテレビを消し、岡部に連絡を入れるべきかどうか思案した。定時を30分ほど過ぎているが、それは一般の部署でのこと。第九の定時はまだまだ先だ。勤務時間のみに限定すれば、第九は立派なブラック会社だと誰かに言われたことがある。
 7時になったら岡部に電話を入れようと決めて、薪は上着を脱いだ。朝から動き詰めだ。少し休んでおこうと思った。
 空腹を感じた。朝食を摂ったきりとはいえ、青木があんなことになっているのに食欲があるなんて、自分も大概図太いと自嘲した。しかし、捜査は体力勝負だ。食事も休息も、ある程度は摂らないといざというときに動けなくなる。捜一にいた頃、嫌というほど叩き込まれた教えだった。
 夕食は6時半からだったか、と宿の案内をめくり、延泊の連絡をフロントに入れ忘れたことに気付いた。うっかりしていた、寝床はともかく、言わないと夕食を用意してもらえないかもしれない。近隣に食堂はなかったし、ここで食べはぐれたら夜中に旅館の調理室に忍び込んでしまいそうだ。

「すみません、お客さま」
 ノックの後、ドアの外から掛けられた声に、薪は微笑した。今夜の宿をどうするか、旅館側から尋ねに来てくれたのだろう。さすがプロ、気が利いている。
 心配りに感謝しながらドアを開けると、フロント係でもある旅館の主が、気まずそうな顔をして立っていた。
「お泊りのご予約をいただいたのは昨日まででしたよね?こちらのお部屋を空けていただけますでしょうか」
「連絡が遅れてすみません。もう一晩、いや、二晩ほど泊めていただきたいのですが」
「申し訳ありません、すでに他のお客さまの予約が入っておりまして。お客さまのご事情もあろうかと今までお待ちしましたが、そろそろ次のお客様が到着される時刻ですので」
「2つほど、空き部屋があったと思いますけど」
 聞き込みをしたおかげで、どの部屋に何という客が泊まっているか、薪は知っている。
「そちらも今夜、ふさがる予定になっておりまして」
「……わかりました。清算してください」

 薪はコートを着込み、二人分の荷物を持って部屋を出た。
 フロントで料金を払い、領収書を受け取って宿を出た。「またお越しくださいませ」と言う宿の決まり文句を背に、薪は宛てなく歩き出した。肩に食い込む旅行鞄が、やたらと重かった。
「今朝の朝食、2人分つけてある」
 二度と来るか、と心の中で毒づいて薪は、何の罪もない足元の小石を蹴り飛ばした。

 聞き込みをしたことで苦情が出たのか、殺人犯の連れを留め置くことに抵抗を感じたのか、旅館の真意は定かでないが、結果として追い出されてしまった。ここは小さな町で、他に宿はない。地元警察に相談すれば、官舎の空き部屋くらい融通してくれるとは思ったが、頼りたくなかった。
 今夜は無人駅のベンチで寝るしかないな、と腹を決めて、薪は駅の方角に進路を定めた。駅は宿の西側、警察署や事件の現場である公園とは反対の方向にある。もしもこちらで青木の目撃証言が得られれば、それは旅館や公園側でのものより有利と言えた。

 数軒の民家に体当たりで聞き込みを掛けてみたが、良い結果は得られなかった。小さな田舎町、すでに旅行客の一人が殺人容疑で警察に連行されたことは知れ渡っているのかもしれない。地元民間人の対応は、客商売の旅館の従業員より遥かにあからさまだった。中には薪の身分証の真偽を疑うものまでいた。頑固そうな老人に胡散臭い眼で見られて、門前払いを食わされた。警視長と言う肩書きは、何の役にも立たなかった。
 白眼視の中、一軒一軒聞き込みを続けながら、薪は歩き続けた。
 駅まではけっこう距離があって、来る時は旅館の車が迎えに来てくれた。帰りはこんなことになって、荷物を抱えて歩かなければならない。駅までの道のりと荷物の重さを勘案して、薪は深いため息を吐いた。
 足元がふらふらする。昼を抜いてしまったから、血糖値が下がっているのだろう。
「こういうときに、ドレイがいないと不便だな」
 非道な言葉で失意をカモフラージュして、薪は舌打ちする。

 どうしてここに青木がいない。荷物持ちはあいつの仕事じゃないか。
 さっさと済ませて来いって言ったのに、なんで帰ってこないんだ、なにDNA一致させてんだ、ウルトラバカが。

 厳しい責め言葉とは裏腹に、薪の眉尻は弱気に垂れ下がって。あろうことか、亜麻色の瞳には絶望の翳りまで差して。
 だって、気持ちがくじけてしまいそうだ。こんなことで青木を救えるのか。
 ここには誰も味方がいない。捜査に非協力的な人間は珍しくない、でも、今回は地元の警察が敵に回っているのだ。薪の味方をしてくれる者は、この町にはいないだろう。
 独りで捜査をするなんて初めてだ。今までは、必ず仲間がいた。現場で一人になることはあっても、署に帰れば自分を労い、温かく励ましてくれる仲間が。
 いま、薪はひとりぼっちだ。

 不遇をかこった時代、薪の味方はひどく少なかった。その中で、自分一人の力でやってきた、やり遂げたと感じたことは、何度もあった。しかしこうして振り返ってみれば、他人の温かさに支えられなかった日々は一日たりとてなかったのだと、己が身の幸運を思い知らされる。音声化された言葉はなくとも、現実に手は差し伸べられなくとも、誰かが自分を気に掛けてくれている、その思いはたしかにそこにある。見えないものに支えられてきたのだと改めて知った。



*****

  この章、11Pもありまして。 長いので分けます。


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緋色の月(9)

 最近、過去作品を順々に読んでいただいてて~、どうもありがとうございます。 拍手もたくさんいただきまして、ありがとうございました。 1日に3桁は久しぶりでした~♪
 ありがたいのですけど、ちょっと心配です。
 あんまり長い時間PC画面を注視なさると眼が悪くなってしまうし、内容的に頭痛とか吐き気とか、もよおされたらすみませんっ!! (何故こんな心配をしなければならないようなものを書くかな、しづ)

 どうか、ご無理のない範囲でお願いします。 


 で、お話の方ですけど。
 色んな方に展開を見透かされてしまって~~。(笑)
 もうこの際、ヒロインが何故か危ない方へ危ない方へと歩いていくB級サスペンス映画のノリで楽しんでください。 よろしくお願いしまーす。(^^ 



緋色の月(9)




 世界にひとり取り残されてしまったような、何とも心もとない気分を抱えながら、10分ほど歩いただろうか。科警研の管理棟にも入っている有名な数字の看板を見つけて、薪は足を止めた。
「さすが日本。コンビニ王国バンザイだ」
 時間が半端なせいか、もともと仕入れの数が少ないのかは不明だが、コンビニの棚はスカスカに空いていた。弁当類はすべて売り切れていて、薪は仕方なく売れ残りのおかかと梅のおにぎりを一つずつ、日本茶のペットボトルを2本カゴに入れ、レジに持って行った。
 高校生くらいの男の子が、「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれた。その無邪気な笑顔と元気な声に勇気付けられるような思いに駆られて、そこまで弱気になっていたのかと自分に失望した。

「この店は24時間営業ですよね。昨夜の10時から11時くらいの間に、この男を見ませんでしたか?」
 受け取ったつり銭を無造作にコートのポケットに落とし、代わりにプライベート用の携帯電話を取り出して、薪はそこに保存されている青木の写真を彼に見せた。
 宿から20分以内で往復できる場所となると、この店辺りが限界だ。駅方面の聞き込みはここで一旦おいて、次は公園方面の聞き込みに回ろうと考えながら、薪は彼に昨夜の記憶を引き出してくれるよう頼んだ。
「とても背の高い男なんです。190センチ近くある」
「昨夜の夜は、オーナーが店番してました。今日はおれの番で。だからおれは見てませんけど」
 オーナーが店に来るのは、明日の朝になると言う。此処へは明日また来ることにして、薪は店を出た。

 土地に不自由していない田舎のコンビニらしく、店に不釣合いなほど広い駐車場の端まで歩いていき、自分の旅行鞄を椅子代わりにして腰を下ろした。ペットボトルのキャップを開けて冷たい日本茶を口に含むと、夢中で飲んだ。自分では意識していなかったが、ものすごく喉が渇いていた。朝食べたきり、飲まず食わずでもうすぐ12時間になる。飢えるわけだ。
 第九で捜査をしているときは殆ど空腹感を感じない薪だが、それは思考することに夢中になってしまうからで、こんな風に証拠を足で集めている状態では普段以上にエネルギーを必要とする。これでも捜一にいた頃は、親友にびっくりされるほど食べたのだ。それが第九で捜査をするようになってからは、脳をフル回転させる時間が増えたおかげで食事を忘れてしまうことが多くなった。事件の謎がほぐれていく時にもたらされる高揚感に比べれば、食の快楽は取るに足らないものに思えた。

 薪には食事の代わりに難事件を与えておけばいい。かつての親友に、そんな冗談を言われたことを思い出す。
『おまえは謎を食べて生きてるのか?』
 ちがうよ、鈴木。あの頃僕は、ただおまえに――――。
『まったく、薪は手が掛かるんだから。食べることは生きることなんだぞ』
 よく職員食堂に、無理矢理引っ張って行かれた。薪にとってはありがた迷惑だったが、彼の手を拒むことはできなかった。
 鈴木はいつも自分のことを気に掛けてくれた。心配してくれた。薪はそれにとことん甘えて、自分を殺すことなく振舞うことができた。
 自分が何をしても彼だけは分かってくれる、認めてくれる。世界にたったひとりでいい、どこまでも自分を寛容してくれる人がいれば頑張れる。あの頃は、それを支えに生きていた。その彼を喪って、薪のすべてを受け入れてくれる人はいなくなった。

 ゆるゆると首を振って、薪は自分を支配しようとする感傷にストップをかけた。
 こんなところで凹んでいる場合ではない。さっさと公園側の聞き込みをしないと。
 そう思ったが、おにぎりを食べ終えてペットボトルが空になっても、しばらくは立つ気力が沸いてこなかった。これは単なるエネルギーの不足で、炭水化物の糖分が血中に行き渡れば元気になる。そう自分に言い聞かせて、少しだけ休もうと思った。世界に一人残されたような孤独感は相変わらずだった。

 薪は携帯のフラップを開け、引き離された恋人のことを想った。
「ちゃんとメシ食わしてもらってるかな」
 取調室の荒っぽさは、薪も経験済みだ。捜一で、嘘を吐くことに慣れた被疑者を何人も落としてきたのだ。恫喝もした、拳を振り上げもした。が、被疑者に怪我をさせると自白を強要したことになってそれまでの苦労が水の泡になるから、本当には殴らない。寸止めで威嚇するのだ。薪が型空手を習得したのはその為だ。
 つまり、被疑者は取調べでは、精神は消耗するが医者の世話になるような怪我はしない。裏事情の解っている薪なら、危害が加えられることはないと構えていられる。でも青木には所轄の経験がないから、きっと怖がっている。すごくすごく、怖い思いをしている。

「どうしておまえなんだ……」
 自分なら、どうということはないのに。
 画面の右上、きっちりまとめた青木の黒髪の上に表示された時計が、6時半を指した。少し早いが、岡部に電話をしてみようと思った。最初の予定までの半時、たったそれだけの時間を待つ事ができない。それが薪の焦りを物語っていた。
 呼び出し音を聞きながら、薪は素早く事件の概要を頭の中で整理した。簡潔に、的確に、岡部に今の状況を説明しなければならない。言葉が乱れないように声が上ずらないように、薪は大きく深呼吸をした。

 6回目のコール音を聞いて、薪は眉を寄せた。
 岡部が自分からの電話に出ないなんて、何かあったのだろうか。もしかすると緊急の事件が起きたのかもしれない、と、果たして薪の予感は当たっていた。
『あ、薪さんですか?岡部さんは今、所長室です』
 岡部の携帯から曽我の声がして、薪は面食らったがすぐに事情を察した。所長に呼び出されて、慌てて出て行ったのだ。そのとき携帯電話を職務室に忘れて行ったのだろう。岡部はいつも自分の携帯を机の上に出しておくから、着信に気付いた曽我が気を利かせて電話に出て、薪に事情を説明してくれたというわけだ。
 捜一からの協力要請とのことで、火急を要する案件なのは察しがついた。室長として、すぐに第九に向かうべきだと思ったが、このまま青木を置いていくことは考えられなかった。

 薪の沈黙をどう受け止めたのか、曽我は明るい声で、
『薪さんと青木は月曜からの出勤だって、岡部さんから聞いてます。大丈夫ですよ、室長がいらっしゃらなくても、ちゃあんと解決して見せますから!』
 まだ事件の概要も知らないくせに安請け合いをするお調子者の部下に、普段なら口を衝いて出る叱咤が、どうしても出てこなかった。
「……曽我。よろしく頼む」
 できるだけ平静な声で告げて、薪は電話を切った。

 岡部には相談できない。職務の方が優先だ、本来なら自分も駆けつけなければならない。ここはI市の管轄だ。薪の仕事はここにはない。第九が薪の仕事場だ。でも。
 ―――――― 青木を置いては帰れない。

「室長失格だ」
 最低だ。職務より、個人的事情を優先するなんて。

 薪が自己嫌悪のクレバスに落ちようとしたとき、右手に持った携帯電話が振動した。
 岡部からかと思ったが、違った。知らない番号だ。薪は用心深く、「はい」とだけ言って電話に出た。
『薪さん? 東条だけど』
 午前中、ばったり会った精神科医からだった。
 どうして彼がプライベイトの携帯番号を知っているのだろうと一瞬思ったが、カウンセリングのときに教えたのだったかと思い直した。
 薪は天才的な頭脳を持っているが、自分が為したすべてのことを完璧に覚えているわけではない。特に、ベッドの中と飲んだときの記憶は殆ど残っていない。薪がその驚異的な知識と記憶力を発揮するのは職務に関することだけで、仕事に関係しないと判断したことについては、いっそ常識知らずと呆れられても仕方ないほど知らないことも多いのだ。例を挙げるなら、何年か前、潜入捜査先のスナックでホステスの真似事をさせられたとき、ホステスがどんなことをするのか全く知らなかった薪は、そこへ来合わせた部下たちにさんざん嘘を吹き込まれ、いいように弄ばれたのだが、未だに彼らに騙された事実に気付いていなかったりする。

「すみません、まだ仕事が終わらなくて」
 てっきりカウンセリングのことだと思ってそう答えたのだが、東条の目的は全く別のことだった。
『君の部下が警察に捕まったのはどうして?』
「……どこでそれを」
 薪の声は震えていた。
 青木のことがマスコミに洩れて、ニュースになってしまったのか。だとしたら、もう小野田の耳にも入っているはずだ。岡部が田城に呼ばれた理由も、そういうことかもしれない。岡部が気を使って、咄嗟に捜一からの協力要請と偽ったのかも。

 もうすぐ迎えが来て、自分は強制的に東京へ帰らされるだろう。青木を此処に残したまま、何もできず顔さえ見れず、彼が無実の罪で送検されるのを指を咥えて見ているしかない。
 恐ろしい考えが頭の中をぐるぐると回り、息が詰まった。が、東条の答えは薪の予想とは違って、I市警察署の戒厳令の強さを証明するものだった。
『違うよ、テレビじゃない。警察で彼を見たんだよ。黒髪で背の高いメガネ君。以前君をクリニックに送ってきたことがあった、彼、君の部下だよね?』
 警察署の廊下で手錠を掛けられた青木とすれ違った。東条は青木の顔を覚えていて、それで薪に事情を聞くために電話してきたのだった。
『まさかと思うけど、昨夜起きたって言うカップル殺し? そうなのかい?』
 薪は東条の問いに、答える事ができなかった。沈黙はすなわち肯定で、そして東条は有能なカウンセラーだった。
『ごめんね。今朝会ったとき、君の辛さに気付いてやれなくて。僕はカウンセラー失格だ』
 自分を気遣って、電話をしてくれた。事情を察して、やさしい言葉を掛けてくれた。それだけで充分だと薪は思った。

『薪さん、大丈夫? 困ってない?』
「大丈夫です」
 旅行鞄の上に座って、じっと自分の靴先を見つめて、薪はようやく言葉を発した。東条の耳に心地よい声が、身体の隅々にまで温かく染み渡った。
『僕にできることなら何でも言って。患者を守るのは、医者の仕事だから』
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」
「本当に?」

 電話から聞こえていたはずの声が突然肉声に変わって、薪は俯いたまま目を瞠る。自分の靴先しか見えていなかった薪の視界に、黒い革靴が出現した。続いてベージュ色のチノパンの脚と、黒い診察カバンが眼に入った。
 薪は用済みの電話を耳に当てたまま、顔を上げた。電話相手のカウンセラーが、そこに立っていた。
「旅館に行ったらね、チェックアウトしたって言うから。駅に向かったんじゃないかと思って」
 東条はひょいと膝を折り曲げ、薪と同じ高さに視線を合わせた。暗蒼色のやさしい瞳が、薪の亜麻色の瞳をじっと覗き込んだ。
「でも、今日はもう帰れないよ。ここは7時までしか電車がないんだ。今からじゃ間に合わない」
薪は携帯を耳から離し、ポケットにしまった。それから、親に悪戯を見つかった子供のように笑うと、
「先生。今夜、泊めてもらえますか?」
「いいよ」

 東条がにこりと笑い、薪は遠くに電車の発車合図を聞く。
 春の夜は薄ぼんやりと、駐車場にうずくまる二人の男を包んでいた。



*****


>『おまえは謎を食べて生きてるのか?』
 ……ネウロ? (わんすけさんしか分からないかしら?)
 笛吹さんファンの方、お友だちになりましょう♪ (←ごり押し) 


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緋色の月(10)

 お盆も終わりましたので、本編に戻ります。 
 鈴木さん、また来年も薪さんのところへ帰ってきてねっ!!

 お盆休みをいただいている間に、拍手が15000を超えました♪
 本当に、いつもいつもお気遣いいただきまして、どうもありがとうございますっっ!!!
 キリですから、何かお礼のSSをと思ったんですけど、今の精神状態ではロクなものが書けそうにないので~、とりあえず、次のメロディを読んでからにしたいと思います。
 次のメロディが萌えられる内容でありますように。(←あの状況でどうやったらそんな展開が望めるのか)


 で、お話の続きです。
 コメントのお返事もまだ全部返し終わらないうちに更新して申し訳ないんですけど、みなさん薪さんの身の上を案じてらっしゃるので、早く安心させて差し上げたくて、こんな暴挙に出ました。
 こちらお読みになって、安心なさってくださいね~。



  

緋色の月(10)




 それから東条は、薪の聞き込みに同行してくれた。当然のように薪の旅行カバンの一つを引き受けてくれた上、効率的なルートで家々を案内してくれた。
 殺人事件の捜査に一般人を介入させるのは重大な規律違反なのだが、今回だけは目をつぶることにした。と言うのも、ここは東条の地元で、住民の殆どは彼の顔を知っており、彼には非常に好意的に話を聞かせてくれたからだ。

 青木が警察に被疑者として取調べを受けていることを知られているなら、下手に隠し立てしても仕方ないと思い、薪は彼に事情を話すことにした。東条はそれに、医師の守秘義務を引き合いに出し、「秘密を守るのは慣れてる」と微笑んでくれた。
 事件発生時、青木は自分と一緒に居た。だから絶対に無実である。なのに何故か現場に残された体液と青木のDNAが一致したこと、さらに自分の証言は部下を庇っていると解釈されて警察に信じてもらえないこと。ざっと経緯を説明し、部下のために有利な目撃証言を集めようとしているが、あまり上手く運んでいないことを正直に話した。

 偽警官と疑われて話を聞かせてもらえなかった家まである、と薪が自嘲すると東条は、やや強引に薪からその家を聞き出し、気軽に玄関の呼び鈴を押した。先程と同じように、薪を門前払いした無愛想な老人が出てきて、しかし彼は、薪に向けたのとはまるで違う明るい表情で東条の名前を呼んだ。
「学ちゃん!」
「ご無沙汰してます、坂田のおじさん。その節は、お世話になりました」
「なに水臭いこと言ってんだい、あんたはこの町の誇りなんだから。また何とかって賞を獲ったって言うじゃないか。その論文が載った本をヒトシのやつが図書館に入れてな、おれも見たよ。意味はさっぱりわからんがね」
「ありがとうございます。ヒトシ君は元気にやってますか?」
「ああ。もうすぐ帰って来ると思うから、上がって待って」

 弾んだ口調で東条を家の中に案内しようとして、坂田氏は薪の存在に気付き、声を失った。先刻の自分の無礼を思い出してか、気まずそうに、
「なんだ、学ちゃんの知り合いかい?」
「僕が東京で警視庁の専属カウンセラーをやってることはご存知ですよね。彼は科警研の職員で、れっきとした警察官です」
「そうか、そりゃあ悪いことしたな。いや、てっきりどこぞのガキが年寄りを騙くらかそうと、ニセ警官の真似をしちょるんだとばかり……だってよ、そいつ、どう見ても刑事にゃ見えんだろ? 生っ白い顔してよ」
「おじさん、科警研というところは研究者の集まりで、I署の刑事連中とは少し種類が違うんですよ。薪さんも、そんな怖い顔しないでね」
「年だって、あんた、おれの孫くらいだろ? I高校行ってるおれの孫」
「年は、ええっと、なんて言えばいいのかな……だから薪さん、その額に青筋立てるのやめてね」

 坂田氏と薪の間に入った東条の苦労は計り知れなかったが、とにかく、老人から話を聞くことはできた。しかし成果はなかった。夜の10時といえば年寄りにとっては夜中、もうとっくに床に就いた後だった。
 東条の幼馴染である老人の孫の帰りを待つよう引き止める彼に、他にも回らなければいけない所があるから、と頭を下げて、東条と薪は坂田家を辞した。老人は、此処にいるうちに必ず顔を出してくれと懇願し、さっきの話は息子にも訊いておくから、と言ってくれた。帰り際に、これはうちの畑で採れたんだ、と三掴みほどの絹さやをビニール製の手提げ袋に入れて東条に持たせ、玄関の外まで出てきて見送ってくれた。

 その調子で、東条が顔を出すだけで、町の人々は好意的に話を聞いてくれた。昨夜の記憶を引き出そうと試み、家族にも訊いてみるから、と家ぐるみで協力してくれた。
 東条は、この町ではちょっとしたスターだった。誰もが彼を歓迎し、夕食を一緒にと誘い、再会の約束をしたがった。これと言った収穫はなかったが、これだけ協力の輪が広がれば、そのうち誰かが有力な情報をもたらしてくれるのではないかと、薪はここに来て初めて微かな期待を抱くことができた。

「すごいですね、先生。これだけの家を回って、先生の顔を知らない人が一人もいないなんて」
「ここは小さな町だからね、町中みんな家族みたいなもんなんだ。それだけだよ」
「ご謙遜を。町中のひとに尊敬されてるんですね」
「とんでもない、逆だよ。僕は彼らに育ててもらったんだ、敬意を表さなきゃいけないのは僕のほうさ。僕の家は貧しくてね、大学に行くお金なんかなかった。医大はとにかくお金が掛かるから……それを町のみんながちょっとずつお金を出してくれて、僕に医師免許を取らせてくれた」
 東条の過去を聞いて、薪は感動した。
 都会では、他人同士の絆はひどく薄い。隣人の顔も覚えていない人間も珍しくない。それに比べてここは、なんて人情に溢れた町なんだろう。余所者の薪はその恩恵に預かることはできないが、此処では誰もが知り合いで、労わり合い慈しみ合い、他人の家の子供を自分の子供のように可愛がるのだ。
 東条は、ここで生まれ育ったのだ。彼の優れたカウンセラーの才能のルーツを知った気がする。

「だから皆さんへの恩返しのつもりでね、里帰りした時は警察とか役場とか、無料で職員たちのカウンセリングをしてるんだ。そこで君の部下を見たってわけ」
 薪は、その偶然に感謝した。岡部の手が借りられなくなった今、東条がいなかったら、この町での捜査は困難を極めただろう。協力を申し出てくれた東条には、ちょっとやそっとでは返せないくらいの恩ができてしまった。すべてのからくりが解き明かされ、青木が釈放された暁には、彼と一緒に礼を言いに行こうと薪は心に決めた。
 
 東条と二人で、旅館から徒歩で往復20分の圏内を虱潰しに当たり終えたときには、夜の9時を回っていた。東条は手に、往診カバンの他にたくさんのビニール袋を提げて、その中身は町民の好意の証である野菜や果物、食卓に並んだおかずの一品だった。
「毎回この調子でさ。僕は此処に帰って来ると、いつも2キロは太るんだ」
 きっと自分が一緒でなかったら、東条は旧知の人々と夕餉の膳を囲み、親交を深め合ったに違いない。滅多に会うことのできない父母との時間も、薪のために犠牲にして。
 薪はそのことに罪悪感を覚えたが、今だけは彼の親切に甘えることにした。今の薪には、彼の力が必要だった。受けた恩は必ず返そうと心に誓って、薪は街灯の少ない暗い田舎道を東条の後ろについて歩いた。

 住宅街から少し離れて、東条が立ち止まったのは一軒の小さな家の前だった。築10年と言ったところか、これまでに訪れた家々に比べたら近代的な住居で、他の家にはなかった二階の出窓が人目を引いた。
「ここが僕の家だよ」
 案内された東条の自宅には、明かりが点いていなかった。息子が帰ってきているというのに家人が留守とは、と薪は不思議に思いながら玄関を潜った。

「あの、お家の方は」
 上がり口に佇んでいる薪を振り返って、東条はにこっと笑った。
「両親に会ってくれるかい?」
 東条が視線で示した先には、扉の開かれた仏壇があった。二つ並んだ写真立てには、彼に良く似た壮年の男女が笑っていた。
「僕が医師としての収入を得られるようになって、2年も経たないうちに死んだんだよ。この家が建って、すぐだ。せっかく綺麗な家に住ませてあげられると思ったのに」
 マッチを擦って蝋燭に火を灯し、そこに線香をかざして、東条は寂しそうに微笑んだ。何と言っていいものか分からず、薪が黙って彼の顔を見ていると、東条は急に口調を変えて、
「おかげで僕は、誰も住んでない家のローンを未だに払ってるんだ。ひどい話だろ?」
 薪が微笑みを返すと、彼は安心したように暗蒼色の瞳を細めて、食事の用意をするために台所へ向かった。

 薪は畳の上に正座して、仏壇の前で手を合わせた。
 彼の境遇は、自分に良く似ていると思った。二親を亡くして、天涯孤独の身の上。でも、決して独りじゃない。周囲の人々に支えられて生きている。
 
 東条を徳の高い人間に育て上げてくれた彼の両親に心の中で礼を言い、薪は黙祷を続けた。目を閉じて静かに座っていると、突然凄まじい悲鳴が奥の部屋から聞こえてきた。続いて、ぐわわん! という金属音、また悲鳴。終いには動物が転げまわるような音まで聞こえてきて、これは只事ではないと音源の部屋に飛び込んだ薪の眼に映ったのは、床に這いつくばって懸命に何かを拾っている精神科医の姿だった。
 呆然と立ち尽くしている薪に気付くと、東条は気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いやあ、参った。ドジョウって、跳ぶんだねえ」
「そんな難しい食材を選ばなくても」
 てっきり、頂き物の中から調理済みのものを並べるだけだと思っていた。それで充分だと薪が言うと、東条は強く首を振って、
「僕ひとりだったらそれで済ませちゃうけど、せっかく薪さんが僕の家に来てくれたんだから。それに、どうせなら都会じゃ食べられないものをと思ってね。生きたドジョウを使った柳川なんか、食べたことないでしょう?」
 床の上で跳ね回る泥鰌を苦労して鍋に戻すと、東条は牛蒡の皮を剥き始めた。慣れない手つきで牛蒡にピューラーをあてがう彼を見かねて、薪は言った。

「良かったら、僕が作りましょうか」
「えっ。薪さん、料理なんかできるの?」
「少なくとも、ゴボウの皮を剥かないくらいの常識はあります」
「え。皮を剥かなかったらどうやって食べるの?」
「ゴボウは皮が美味しいんですよ。剥いてしまったら風味が失せてしまいます。今時期のゴボウは若いから、ほら、こうして汚れを落とせば充分ですよ。ドジョウは柳川にするんでしたよね? じゃあ、ゴボウはささがきにして水に放しておきましょう」
 包丁は、と辺りを見回すと、東条が万能包丁を薪に差し出した。

「大分刃が毀れてますね。砥石はありますか?」
 引き出しの奥に仕舞われていた砥石を水に浸し、刃先を手前に向けて研ぎ始める。斜め45度の角度を保ち、刃を押さえた指先には余計な力が入らないように気をつけて、リズミカルに前後に動かす。
「へえ。薪さんは器用だね」
「僕のは見よう見真似で。包丁研ぎは、岡部がすごく上手なんですよ。うちの包丁は全部彼に研いでもらってるんです。あ、岡部というのは僕の部下なんですけど」
「知ってる。無精ヒゲ君だろ? 体の大きい」
 青木がメガネ君なら岡部は無精ヒゲ君か。さしずめ小池は糸目君で曽我はメタボ君だな、と想像して、薪はくすりと笑った。

「ドジョウは火をつける前にお酒で酔わせるんです。ちょっともったいないですけど、この日本酒使いましょう」
 聞き込みに行った家から土産にもらった清酒の4号瓶を開けて、薪は泥鰌が入った鍋に向かった。鍋の蓋をほんの少しずらし、その隙間から日本酒を注ぎ込む。途端にバシャバシャと泥鰌が跳ねる音が聞こえる。すぐに鍋を密閉し、音がしなくなるまで蓋を押さえる。3分ほど待てば、酔っ払いドジョウの出来上がりだ。
「この状態で火にかければ、鍋から跳び出したりしませんよ」
 ドジョウは開くと味が落ちる。丸のまま煮た方が美味しいのよ、と昔鈴木の母親に教えてもらった。ささがきにして水に放しておいた牛蒡と一緒に火を通し、砂糖と醤油で味をつける。本当ならみりんを使うのだが、見当たらなかったので砂糖で代用することにした。
 生でも美味しい新玉ねぎをスライスし、半分は水にさらしてサラダに、もう半分は煮上がりを見定めて鍋に入れた。春の玉ねぎは柔らかくて、煮過ぎたら溶けてしまう。長時間の加熱は禁物だ。
 玉ねぎが透き通りかけたら火を止めて、ボウルに溶いた卵をふうわりと鍋に落とせば、薪風柳川鍋の出来上がりだ。鍋が煮える間に作っておいた新玉ねぎのサラダと絹さやの煮物、小松菜の味噌汁をダイニングテーブルに並べて、二人は席に着いた。

「すごい!! 僕の家のテーブルがこんなに賑やかなのは初めてだよ!」
「素人料理ですから。先生のお口に合いますかどうか」
「美味しい。薪さんて、何でもできるんだねえ」
 向かいの席に座った東条に、感心したように言われて薪は微笑する。自分でも美味いと思った。きっと野菜がいいのだ。甘みがあって、料理にコクが出る。泥鰌も泥臭さがない。きれいな砂地の河川で獲れたのだろう。東京のスーパーで手に入る養殖ものとは、一味も二味も違う。

「ねえ。僕のお嫁さんにならない?」
 この手の冗談は言われ慣れている。薪はさらりと切り返した。
「300回くらい生まれ変わって僕が女性になったら、ぜひ」
「300回はないだろう。せめて10回くらいで」
 薪の冗談に乗って、東条が大げさに嘆いてみせる。気を使ってくれているのだ、と分かった。
 
 東条はカウンセリングの時に、冗談なんか一度も言ったことはない。穏やかでやさしい人だが、相手を楽しませようとか笑わせようとか、そういうサービス精神のある男ではなかったように記憶している。それはカウンセリング以外に彼との接点がなかったせいかもしれないが、人間性と言うものは付き合いが長くなれば自然に分かってくるものだ。薪の眼から見て、今夜の東条は意識的に明るく振舞っているように見えた。
 部下が警察に捕まって、傷心している薪を元気付けようと心を砕いてくれている。手料理も、言い慣れない冗談も、全部薪のため。素直にありがたいと思い、そんな彼に嘘を吐いている自分の姑息を恥じた。

 青木の不遇を想えば心は千々にも乱れて、彼の元へと走り出したい衝動に駆られる。感情だけで動けるものなら、警察署の壁をダイナマイトでぶち壊してでも彼を救いたい。でも、それは表に出してはいけない。東条の前では、部下を案じる上司以上の感情を見せてはいけない。
 彼は秘密の恋人。誰にも知られてはならない。




*****

 ということで、薪さんは美味しいご飯を食べることができました。
 町のみんなが協力的になって、お腹が一杯になっただけでも一安心ですよね? ね? ね? 
 ……どうしてみなさん、そんな怖いお顔してるの?


 

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(11)

 こんにちは~。

 お話の途中ですが、明日と明後日お休みを、
 ちがうの~、いつものサボリ(←え)じゃないの~、お義母さんのお付き合いで温泉に行かなきゃで、
 でね、この宿が海っぺりに建ってて、ネットがつながらないの~~。 Eモバイルも入らなくて更新できないんです、許して。 

 えっ、予約投稿システムがあるだろうって?
 そ、それがその、まだこの先の推敲が終わってなくて、すみません~~。(←結局サボってる)

 携帯で記事を書いて更新しているブロガーさんもいると聞きますが、凄いなあ。 
 わたし、携帯ではメールも打てません。 だって、キーボードがないんだもん。 一つのキーでいくつもの文字を打つなんて、そんなフクザツなこと。(@@)

 と言うことで、次の更新は火曜日です。 よろしくお願いします。

 



緋色の月(11)




「青木君がどうしてるか、ちょっと聞いてみようか」
 食事が終わると、東条は軽い調子でそんなことを言い出した。東条の顔が警察にまで利くとは考えてもいなかった薪は、びっくりして問い返した。
「そんなことができるんですか?」
「うん、多分ね。課長さんとは、親父が仲良かったから。僕が小さい頃から面倒見てもらって……あ、清川さん? 学です」
 東条が課長と旧知の仲だというのは本当らしい。銀白色の携帯電話を耳に当てて、東条は天気の話でもするように気軽な口調で青木の様子を尋ねた。
「そう、昨夜のカップルが殺害された事件の。彼、どうしてるか気になって」

 ふと薪は、微かな違和感を感じた。
 東条が電話をしている、たったそれだけの光景なのに、何かが間違っているような気がする。それは海の中に落ちた針ほどに微細な感覚で、回遊する鰯の尾の一振りで消えてしまうほど小さな違和感だった。事実、薪はすぐにそれを忘れて、電話を切った東条から青木の様子を聞くために身を乗り出した。

「取調べは6時で終了して、今は留置所にいるって」
 今朝方青木が拘束されたのが5時だったから延々13時間、でも6時で解放してくれたなら良心的だ。地方の警察が生ぬるいのか警視庁が厳しすぎるのかは不明だが、これが竹内あたりだったら一晩中眠らせずに責め立てただろう。薪にはそれを非難するつもりはない。かつては自分も捜査一課に在籍していたのだ、事情は分かる。
 被疑者に気力を回復されたら取調べが長引く。物証さえ挙がっていれば、短期決戦に越したことはない。東京では、事件は次々に起こる。一つの事件に時間を掛けていられないのだ。だから持てる気力をすべてつぎ込んで、深く事件を探るしかない。時間の不足は熱意でカバーする。それが都市警察のやり方だ。

 青木と話がしたい、と薪は思った。
 何を言われて、何を訊かれたのか、どんなものが証拠として挙げられているのか、直接聞いて事件の真相を―― ちがう、それは本心じゃない。
 ただ、声が聞きたい。青木の声が聞きたい。
 音声だけでもいいからつながって、互いの存在を確かめ合いたい。

「薪さん。心配なのはわかるけど、そんなに思い詰めないで」
 テーブルの上に組み合わせた薪の両手に東条の手が重なり、薪は初めて自分の手が小刻みに震えていたことに気付いた。顔に出さずとも、身体の端々に見え隠れする己の弱さに、不安がどんどん膨れ上がっていく。こんな自分に、彼を救うことができるのか。

「明日も聞き込みに行くんだろう? だったら今日は早く休んで、明日に備えなきゃ」
 東条の気遣いに溢れた暗蒼色の瞳を見ると、いくらか落ち着いた。彼の手は温かく、医者らしい清潔さとやわらかさに満たされていた。
「お風呂たててくるから。温まってから休むといいよ」
 温かい湯に入ると、いっぺんに怠さを感じた。
 昨夜はロクに眠らせてもらえず、朝は5時から緊張続きで、夜の9時まで聞き込み調査。疲れを感じて当たり前だ。これで東条が声を掛けてくれなかったら、駅のベンチで眠っていたのだ。本当にありがたかった。彼には後でしっかり礼をしないと。
 お湯から出ると、客間に布団が敷いてあった。干しておかなくてごめんね、と申し訳なさそうに言う東条に首を振って、駅のベンチに比べたら天国です、と微笑んだ。

「先生、テレビつけてもいいですか?」
 11時のニュースにチャンネルを合わせて、薪は内容をチェックした。しかし、やはり事件に関する報道はされていなかった。携帯でネットもチェックしたが、片田舎の事件とあってかスレッドすら立っていなかった。
 そのうち東条は二階の自室に引き取り、薪は一階にひとりになった。これ以上することがないのに気付いて、ひとり呟く。
「……あとは明日か」

 布団に入って目を閉じるが、眠れそうになかった。身体は泥のように疲れているのに、眠気は訪れない。不安が薪の心を波打たせ、眠り方を彼に忘れさせた。
 薪は何度も寝返りを打ち、やがて諦めて起き上がった。布団の上に座った薪の左手に、窓から差し込んだ月明かりの物悲しい蒼白が佇んでいた。

 薪は布団から出て、広縁に向かって歩いた。窓辺に寄ると、月が見えた。昼間、空を埋め尽くしていた雲は夕方の風に払われて、春の夜には珍しい、くっきりとした月が天空に輝いていた。
 銀白色の、美しい月だった。昨夜公園で見たものと大きさも形も殆ど変わらず、その潔さは薪の心を洗い出すように清廉だった。

 心に隠れ棲む、不安、迷い、恐れ。
 人間なら誰もが持っているものだと知ってなお、薪はそこから眼を逸らそうとした。今、それらを自覚することは、自分の弱さを痛感することだと思った。弱気になっていては、彼を救えない。でも、薪のそれは誤魔化しようもないほどに大きくて、薪はその場に崩折れそうになる。
 決定的な物証、DNA鑑定を証言で覆せるのか。自分がしていることは、無駄ではないのか。薪は現場捜査の経験がある。実情を知るからこそ、それがどんなに無謀な試みか、嫌と言うほど解っていたのだ。

 捜査の常識、己の惰弱、警察機構の暗黙の掟。
 青木を助け出すために克服しなければいけないものの、なんて多いことか。
 しかし、自分がここで動かなかったら、青木の人生は葬られてしまう。それだけは何としても避けなければ。例え何を犠牲にしても、それが二人の未来にどんな影を落とそうと、今大切なのは青木を救い出すこと。

 薪は決意を固めた。
 何かを捨てなかったら、何も得られない。この世はそういうものかもしれない。

 悟ったような気持ちでもう一度夜空を仰ぎ見れば、月は薪の決心を咎めるでもなく嘲笑うでもなく、ただ静かにそこに在って、自分の為すべきことを淡々と果たしていた。月を美しいと感じられるのはこれが最後かもしれないと思いながら、薪は長いこと窓辺に立っていた。

 翌朝、東条が目覚めたとき、薪はもういなかった。



*****


 いつの頃からか、彼はセックスに積極的になりました。

 ずっと閉じたままだった目蓋を開いて、彼は熱い瞳で私を見つめました。私に微笑みかけ、愛の言葉を囁き、私の愛撫に応えて可愛らしい声を上げました。
 慎ましやかだった彼の面影は、何処にもありませんでした。でも、彼はとても美しかった。その細い背中を弓なりに反らせて果てるとき、私の名前を呼んでくれるのがうれしかった。
 それは私の誇りですらありました。私の愛情が、彼の性を目覚めさせたのです。

 ある時など、私が彼の中に自身を埋めると、彼はそれだけで達してしまいました。興奮しきっていたのです。吐精しながらも彼は腰を動かし続け、すると彼の性はまた硬くそそり立ち、彼はもう一度射精しました。それが何度も何度も繰り返され、私と彼はめくるめくような快感を味わったのです。

 行為が終わり、彼の亜麻色の髪を撫でながら、私は思いました。
 彼を誰にも渡したくない。彼の身体に、他の男が触れるのは我慢ができない。

 私の肩口に頭を持たせて眠ってしまった彼の、その長い睫毛を愛でながら、私は彼と死ぬまで一緒に生きる決意をしたのです。



*****




 とりあえず、薪さんの貞操の危機は去ったと言うことでご安心ください♪ 
 ふふ、みなさん、心配しすぎですよ~。 このわたしが可愛い薪さんに、そんな無体なことをするわけないじゃないですか~~。
 ん? 
 なんだろう、この微妙な空気。(笑)





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ジャンル : 小説・文学

緋色の月(12)

 ただいまです。 旅行から帰ってまいりました。
 お話の途中ですみませんでした。 今日から再開させていただきます。


 旅行先では、沿岸イルカウォッチングに参加して、船の上からスナメリというイルカを見て来ました。
 が、
 スナメリというイルカは背びれがなく、さらには曇天の日には身体が海と同じ色に見えるので非常に分かり辛く……。
 「前方にいます!」とガイドさんがおっしゃる度に眼を凝らすんですけどね、波だかイルカだか見分けがつかないんですよ★ 観察眼に優れた彼女たちには見えても、反射神経の鈍いわたしには難しかったです~~。
 これきっと、薪さんだったら動体視力が半端ないから簡単に見つけられるんだろうな、と思いました。 ガイドさんより先に、イルカの群れを発見しちゃったりして。 主催元の海洋研究所にスカウトされちゃったりして。

 第九を離れて薪さんの新しい就職先、イルカウォッチングの監視員でどうですか? ←ふざけるな。





緋色の月(12)





 I市警察署の門前に、薪は凛然と立っていた。
 4月の空は、まだ明けたばかり。遠くに薄雲がたなびいて、明け染めていく町並みが次第にその姿を顕かにしていく。昨夜の月と同じように、朝日も自分の仕事をしている。自分も自分の為すべきことを為そう、と薪は一歩を踏み出した。
 門の内側には、見事な桜の樹が2本並んでそびえ、薪の姿を見下ろしていた。亜麻色の髪にはらりと花びらが舞い落ちて、薪は昨日、東条に花びらを取ってもらったことを思い出した。

 満足な礼も言わずに出てきてしまった。事が済んだら、非礼を詫びに行こう。
 昨日の予定では青木と二人で礼を言うはずだったが、それはできなくなった。今日を限りに、多分青木とは会えなくなる。
 それは別に悲しいことではない。青木の人生と自分の恋情を秤に掛けたら、前者の方が重かった。それだけのことだ。

 薪が今からしようとしているのは、指一本で為すことができる、とても簡単なことだった。
 電話で事情を説明して、小野田に力を借りるのだ。署に圧力を掛けて、自分に捜査の指揮を取らせてもらう。それができれば、必ず真相を解明してみせる。正しい情報さえあれば、必ず真実に辿り着いてみせる。
 一警察官が個人的に管轄外の事件に介入することは許されない。それは組織を乱す行為として最も忌み嫌われるものだ。逆の立場になってみれば分かる。もしも第九の捜査に一課の人間が入ってきて我が物顔に仕切りだしたりしたら、彼を3階の窓から窓枠ごと突き落としたくなる。それくらい不愉快なことなのだ。
 薪はこれまで一度も他署のテリトリーを犯したことはなかったし、自分が破ることになるとは思いもしなかった。それは日本警察における絶対的なルールだった。
 しかし、それ以上に上の命令は強大だ。上層部の一言で、カラスも鳩になる。警察はそういうところだ。

 もちろん、小野田は只では動くまい。正当な職務に関することなら大概のことは叶えてくれるが、今回は不当な頼みごとだ。しかも、小野田にとっては甚だ不愉快なことだ。それでも自分の望みを叶えてもらいたいと思えば、それ相応の代価が必要になるだろう。
 交換条件は、青木と別れること。小野田の娘と結婚して、彼の籍に入ること。
 一生涯の忠誠を彼に誓い、自分の意志は一切持たず、彼の理想を果たすための人形になる。自分の残りの人生と引き換えに、彼の威光を貸してもらう。
 きっと小野田はこの条件を飲む。彼がどれだけ自分たちの関係を憂いているか、薪には痛いくらい解っている。

 警察署の玄関前の階段を昇り、薪は腕時計を確認した。
 6時前では、さすがに早すぎる。日曜日だからと言ってゆっくり休んではいられないのが小野田の役職だが、常識を弁えない時刻の電話は、成功率を低めると思った。

 自動ドアを潜ると、ロビーには誰もおらず、受付のカウンターにはカーテンが引かれていた。薪は勝手に奥へと足を進め、職員の姿を探した。1階には交通課と庶務課しかなかった。一課と取調室、留置所は2階らしい。古びて黒ずんだリノリウムの階段を、薪は躊躇なく昇った。

「ちょ、あんた。一般人はここは立ち入り禁止だよ!」
 鋭い叱責に振り返ると、若い刑事がドアから顔だけを出して、こちらを見ていた。峰刑事だ。廊下は薄暗くて顔は見えなかったが、特徴的なシルエットと声で判った。
「困るなあ、勝手に入って来られちゃ……あ」
 相手も薪の顔が良く見えなかったのだろう。近くまで歩いてきてようやく、侵入者が迷惑な同業者であることを知ったらしい。峰刑事の顔が困惑に歪むのを視認して、薪は此処に来た目的を告げた。
「青木のところへ案内してください」

 必ず助けてやるから、僕を信じて待ってろ。
 会ってそれだけ言えば、青木の心は折れない。どんなに絶望的な状況でも、希望を持てるはずだ。青木は自分を妄信している。自分はそれに応えなければならない。

 薪の無謀な要求に、峰刑事は呆れたように、起き抜けらしい乱れた頭をガリガリと掻いた。
「できるわけないでしょ、そんなこと」
「私に逆らわないほうがいいですよ。私のバックには、警察庁でも指折りの有力者がついているんです。その気になればこの警察署ごと、人員を総入れ替えすることもできる」
 この際だ、少しばかり前倒しで虎の威を借りてやれ。少々投げやりな気分で薪が嵩に懸かると、峰は嫌悪感いっぱいの表情で、「なんだよ、やっぱマジかよ」と唾棄する口調で横を向いた。

 彼が自分の言を信じていないことを感じて、それは当然だと薪は思い、しかし引くわけにはいかなかった。
「きみ、本庁に知り合いは?」
「警視庁の二課に、警察学校の同期がいますけど」
「じゃあ、その彼に聞いてみるといい。私の後ろ盾が何処の誰だか、知っているはずだ」
 小野田が薪に眼を掛けていることは、署内中に知れ渡っている。前代未聞の不祥事を起こした薪が第九の室長の座に留まることができたのは、彼の力によるものだ。何としても第九を潰したくない、薪の気持ちを小野田は理解してくれた。

「本当に聞いちゃっていいんすか? 本庁にダチがいるって、フカシじゃないですよ」
「確かに、ひとに電話をするには早すぎる時間だね。しかし、私はいささか急いでいる。君が友人に確認をとることで、私を部下のところへ案内してくれる気になるなら、君の友人には私から謝ろう」
「本当に? 困るのは、警視長さんじゃないんですか?」
 どうして自分が困ることになるのだろう、と不思議に思いながらも薪は鷹揚に頷いた。峰はポケットから携帯電話を取り出して、薪の顔を見ながら操作をし、画面にコールの表示が出ると耳にそれをあてがった。薪にくるりと背を向けて、彼は友人と砕けた調子で話し始めた。

「あ、山下? おれ、峰山。悪い、こんな朝早くから。ちょっと聞きたいことがあってさ」
 彼の本名は、峰山というのか。
 刑事同士は愛称で呼び合うことが多い。薪も捜一にいた頃は、坊だの姫だの名前に余計な尻尾を付けられて。本名を呼んでくれたのは、課長だけだった気がする。
「第九の室長やってる薪って警視長、知ってる? そうそう、女みたいな顔した背の小さい。そいつって、誰かお偉いさんに知り合いでもいる?」
「女みたいな顔」と「小さい」というキーワードに反応して、峰山刑事の背中を蹴り飛ばそうとする右足を薪は必死に押さえる。まったく、最近の若い者は口の利き方を知らない。電話が終わったら間違えた振りして階段から突き落としてやる。

「え!? ええええ!! マジで!?」
 峰山の驚愕で、友人との電話は切れた。
 振り返った彼の瞳は、驚きと懼れに満ちていた。どうやら薪の後ろ盾が官房長だと知って、自分のしたことが恐ろしくなったのだろう。彼の無礼をあげつらってどうこうするつもりはないが、それを言葉にして安心させてやる義理もない。
「どうやら私の言葉は証明されたようだ。案内してもらおう」
 警視長の威厳を持って、薪は胸を張る。すっきりと伸びた背筋には、迷いを捨てた者の静謐が宿る。
 しかし次の瞬間、薪の威厳は木っ端微塵に壊れた。

「お見それしました。まさか、官房長の愛人とは」
「ちょっと待って! それ、間違った情報だからっ!!」
 どこの二課に聞いたんだ! 詐欺捜査の専門家があり得ない噂に騙されてどうする!!
「しかも、次長の娘婿の警務部長まで抱き込んで、二人の実力者を手玉に取る姿は現代の貂蝉そのものという」
「誰が三国志演義で暴君董卓の愛人でありながら猛将呂布を色香で惑わし、彼の義父でもあった董卓を呂布に殺害させた稀代の美女かっ!」
「貂蝉は、本当は関羽が好きだったって説もあるんすよね」
「え、そうなんだ。まあ、彼女は義父の王允に『美女連環の計』を授けられて、それに従っただけだからな。他に好きな男がいても不思議はない、じゃなくて!」
 三国志ネタは好きだけど、今はそんな場合じゃない。夢中で首を振る薪の前で、峰山の口が軽やかに動く。

「女装が得意で、ミニスカートから伸びる脚線美で捜査一課を陥落し、チャイナドレスから覗く太ももで組対5課を骨抜きにして、今や『薪さんの女装を愛でる会』の会員は500人を超えてるとか」
「それ、僕じゃないから!! おとり捜査で女装はしたことあるけど、てか、『愛でる会』ってなに!?」
 薪が知らないだけで、『愛でる会』は実在する。二課の友人の情報で、これだけは真実だった。世の中には知らないほうが幸せなことはたくさんある。

「亜麻色の瞳で見つめればどんな男も意のままに操ることができる魔性の妖婦で、だから被疑者の自白なんかホイホイ取れちゃう。薪警視長の輝かしい重大事件解決の功績はすべてその蠱惑によるものだとか」
 いったいどこの悪女伝説!?
「君の友人の所属と氏名を言え! アラスカ支局に流してやるっ!!」
「いやあ、すごい方だったんですねえ。尊敬します」
「嬉しくないんだけど!!!」
 こんな不名誉な噂で尊敬されても!

 薪が何とかして峰山の誤解を解こうとするのに、峰山はぬけぬけと、
「3人も情人がいて、よくお身体がもちますね?」
「そんなわけないだろ! 青木一人で持て余してるよ!!」
 ついつい口を滑らせた薪に、峰山はニヤつきながら携帯をポケットに入れ、そのままの姿勢で薪に笑いかけた。
「ですよね。一晩にあれだけ励まれちゃ」
 瞬く間に、薪は真っ赤になった。
 思い出した、彼には旅館の屑篭を探られているのだ。一昨夜の自分たちの行為を、その動かぬ証拠を見られているのだ。

 峰山の友人のガセネタのせいで、薪のポーカーフェイスは崩れてしまった。薪はこちらの方面の打撃にはひどく弱くて、立て直すには時間が要る。
 耳まで赤くして俯いてしまった薪のつむじを、峰山は上から見下ろしていた。クセのないさらさらとした髪が、窓から差し込む朝日に奥ゆかしく輝いていた。

「実はおれも、ちょっとだけ腑に落ちない事があって」
 薪の髪の美しさに目を奪われながら、峰山は、先輩刑事に話して一笑に付された自分の疑問について語り始めた。
「司法解剖の結果、犯行に使用された凶器は公園に落ちていた石だと断定されました。と言うことは、今回の事件は衝動的な犯行だったわけです。で、女性の被害者が性的暴行を受けていたことから、犯人は性的に満たされていなかったと考えられます。要するに、カップルが深夜の公園でコトに及んでるのを見て、ムラムラっときてやっちゃったってことですよね」
 話が事件のことになったので、薪はそっと顔を上げた。隠し切れない恥じらいが彼の頬を薔薇色に染めて、峰山は不覚にも、生まれて初めて同性相手にときめきを覚えた。

「でも、室長さんの旅館の屑篭には性交渉の証拠が残ってたでしょ。それも、5回分。一晩に5回もヤッて満たされないって、殆ど異常者じゃないかと思うんですけど。そんな人が本庁の警視なんかになれるのかなって。しかも青木さん、幹部候補生なんでしょう? あれってすごいエリートしかなれなくて、素行調査もバッチリされるって」
 峰山の疑問を、薪は笑わなかった。一言も口を挟まず、真剣に聞いてくれた。それは被疑者の無罪を信じている彼には当然のことで、でも、自身の考察を誰かに聞いてもらうことは峰山の自尊心を満足させ、理解して頷いて貰えるのは単純に嬉しかった。
「先輩に話したら、男が二人なんだから被せる棒は二本あるだろ、って笑われて。あれって代わりばんこにやるもんなんですか?」
「そういうカップルもいるけど、僕たちは分担制で……あれは、全部彼の」
 消え入るような声で恥ずかしそうに、伏せた眼の縁に涙まで浮かべて、言いかけて耐え切れずに手で口元を覆う。奔放な性を満喫する若者が幅を利かせるようになった昨今の風潮の中で、こんなにピュアな反応は新鮮だと峰山は思った。

 二課にいる峰山の友人は、目の前の男を総評してこう言った。
『――――― とまあ、いろいろ噂はあるけど、仕事に関しちゃすごい人だよ』
 噂は凄いが、本人はとても純情で恥ずかしがり屋だ、と後で彼に教えてやろう。

「さっきの話、ガセなんですよね? 官房長の愛人とか、警務部長の情人とか。第九を自分のハーレムにしてるとか」
「ちょっと待て! なんかとんでもない噂が付け加えられてるぞ!?」
 恥辱のあまり涙目になっている亜麻色の瞳をそれでも怒らせて、薪は懸命に彼の疑惑を否定した。男しかいないのにハーレムってどういうことだ。自分にどんな疑いが掛けられているかを思うだけで、はらわたが捻じ切れそうだ。
「それは根も葉もない中傷だ!」
 それから薪は、ふっと肩の力を抜いて、
「僕には、青木だけだ」
 
 薪は正直に言った。
 どうせ峰山には自分たちの関係を知られているのだ。隠しても無駄だ。無駄だと分かってそれを繕うのは、馬鹿のすることだ。
 真実に勝る証言はない。峰山も刑事なら、薪の言葉の真偽が分かるはずだと、彼の刑事としての本能に賭けて、薪はじっと彼の目を見つめた。

「あの、ちょっといいすか?」
 薪の視線と峰山のそれとが絡み、先に眼を逸らしたのは峰山の方だった。
「青木さんには、こっそり会わせてあげます。でもその前に、確かめたいことがあるんです。先輩に気付かれると厄介なんで、庭に出てもらっていいすか?」




*****


 うちの薪さんて、つくづくギャグキャラだな~~。
 あー、楽しかった♪♪♪




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(13)

 こんにちは。
 仕事であっぷあっぷしておりまして、レスが遅くなってます。 申し訳ありません。
 総合評価入札方式? なにそれ、おいしいの? どんどん面倒くさくなるなー。(言ってはいけない一言) 
 現在、資格審査のための資料作りに追われておりまして、レスはもう少し待ってくださいね。
 
 記事は5分でアップできるけど、レスは時間掛けたいし~。
 とっても大切だから、ちゃんとお返事したいんです。 だから待っててください。


 それで、お話の続きなんですけど。

 ………あのねっ、
 これをミステリー小説だと思って読んではいけません! 事件の鍵とか、一生懸命に探しちゃだめー!! 
 素人が書いてる二次創作なの。 しかも、筆者の脳は身長に比例して小学生並で、だから生ぬるく! 真夏の炎天下に30分置いたスイカのようにヌルく見てやってくださいっ!!
 どうかよしなにお願いします。




緋色の月(13)





「先輩に気付かれると厄介なんで、庭に出てもらっていいすか?」

 峰山は後ろ頭をポリポリと掻き、困惑したような眼で薪を見つめ返した。親指を立てて窓の外を示し、薪に建物の外に出るよう促した。
 素っ気無いコンクリート造の庁舎の陰で、二人は同僚に隠れて付き合っている恋人同士のようにコソコソと話をした。薪と話をしているところを先輩刑事に見つかったら、峰山がこっぴどく叱られることは想像がついた。いくら薪が捜査の指揮権を奪うつもりでも、後輩に対する指導までは口が出せない。守ってやれない以上、彼の保身を優先するべきだ。

「その、薪警視長殿は」
「薪でいい」
 薪は階級に拘らない。名前だけで充分だ。煩わしい敬称は好きではない。
「薪、さんは、心の病で病院に通われてるんですよね?」
「心の病? 僕が?」
 形だけだが、警視総監の命令でカウンセリングには通っている。それを知っている誰かが、そんな噂を吹聴しているのか。これも峰山の友人からの情報だろうか。二課で自分の人物像がどんなことになっているのか、ものすごく不安になってきた。

「薪さんは誇大妄想を患っているから、彼の言うことは一切信じるなって、この事件の捜査に入ってすぐに言われて」
「誇大妄想? だれがそんなこと」
 事件の捜査に入ってすぐ、と言うことは、二課の友人から今聞いたのではない。薪の証言が役に立たなくなるよう、警視長の権威が効力を失くすよう、あらかじめ捜査官たちに吹き込んだ人物がいたのだ。
「それは言えませんけど……でも、昨日、課長と薪さんが話してたの聞いて、おれ、とてもそうは思えなくて」
 峰山は真剣な顔つきで、薪の眼を真っ直ぐに見た。若く純粋な光が青木の黒い瞳を思い出させ、薪はそれをとても好ましく受け止めた。

「事件は数じゃないって、おれも同じこと思ってたから」
「賛同してくれて嬉しいよ。ありがとう」
 にこりと微笑むと、峰山はぽかんと口を開いた。呆けたようになって、それから急に頭をブンブンと振った。若くても夜勤明けは辛いのだろう、と薪は彼に同情し、それは薪のお得意のカンチガイだったが、この場は流しておくが正解だ。

「そうだ、これ」
 ふと思い出して薪は、コートのポケットを探った。白いハンカチを取り出し、手のひらに載せる。中を開くと、そこには可愛いマスコットのついたストラップがあった。
「昨日、公園を警備してた巡査から預かったんだ。公園の噴水のところで拾ったって。一課か鑑識の誰かのものじゃないかな」
 面倒だったら署内の落し物入れにでも入れておいてくれ、と薪が警官としては少々不謹慎な解決策をほのめかしたのに対して、峰山は嬉しそうにストラップをつまみあげ、子供のように目を輝かせた。

「うわあ、ピーピくんだ。うちの人間のものじゃないと思いますけど、レアグッズだから欲しがるやつ多いだろうなあ。一通り当たってみて落とした人がいなかったら、おれ、もらっていいすか?」
 おかしなことを言う。これは警察全体に配られたのだ。駐在までは行き渡らなくても、所轄の人間なら皆持っているはずなのに。それとも彼は、刑事になって間もないのか? そんな未熟な人物に、課長がマスコミの対応を一任するとも思えないが。

「君、持ってないの?」
「持ってませんよ。非売品て書いてあるじゃないですか」
 何年か前に総務部から配られた品物であることを薪が明かすと、峰山はますますそれが欲しくなったようで、このままガメちゃおうかな、と冗談交じりに笑った。
「だってこれ、警視庁のマスコットでしょ? 配られたのは東京都の警察署だけじゃないんですか?」
「警視庁のマスコット? ……それ、日本警察のイメージキャラクターじゃないのか?」
「ぶふっ。山下の言うとおりだ。薪さんは天才なのに、常識を知らないところがあるって」
 覚えておくぞ、二課の山下。この屈辱、100倍にして返してやる。
「マスコットは県警ごとに違うんですよ。これは、警視庁独自のマスコットです。だからきっと、持ってるのは警視庁関連の職員だけだと思いますよ」

 そんなバカな、と薪は思う。
 自分は東京都の人間だ。警視庁にも4年在籍し、その後は隣り合わせに建っている警察庁と科警研で仕事をしてきたのだ。こんな地方警察の若手刑事が知っていることを、知らないわけがない。
 しかし、たしかに薪は世事には疎いのだった。峰山が『ピーピくん』と呼んだマスコットの名も、実は知らなかった。

 こういうことは、小池が詳しい。あいつは事情通で、署内の噂話とか下馬評とかを仕入れてくるのが得意なのだ。
 薪は小池に電話を入れ、仕事の進捗状況を聞くついでに確かめてみることにした。本来ならこんなことをしている場合ではないのかもしれないが、峰山刑事が青木に会わせると約束してくれたこと、小野田に電話をするにはまだ時間が早く薪には当座の仕事がないことで、今のうちに東京の事件の経過を聞いておいたほうがよいと判断したのだ。

「小池か? 昨日の、一課からの協力要請はどうなった?」
 おはようございます、と元気な挨拶のあと、すでに解決済みです、と小池は得意気に答えた。
『証拠になる画を捜一に渡したのが、深夜3時ごろです。依頼から8時間のスピード解決でした』
「そうか、見つけたか。よくやった」
『夜中だったので、室長への連絡は朝になってからにしろって岡部さんが』
「岡部はどうした」
『家に帰りました。なんか、急な用事があるとかで』
「そうか」
 岡部に連絡が取れないのは残念だった。
 ここで捜査をするなら、薪はしばらく第九へ帰れなくなる。留守を頼めるのは岡部しかいない。岡部には、早いうちに事情を説明しておきたかった。

 この電話が済んだら岡部に連絡を入れることにして、薪は連絡相手に小池を選んだ理由を明らかにした。
「ちょっとおまえに聞きたいことがあるんだが。何年か前に、マスコット付きの携帯ストラップが総務部から配られただろう? あれって、警察全体のどの辺まで行き渡ったのか知ってるか」
『警視庁設立190周年記念のストラップですか? 警視庁のお祝いなんだから、警視庁だけに決まってるじゃないですか』
「えっ」
 まずい。20年近い薪の東京勤務が、地方警察の若造に常識で敗北しようとしている。

「しかし、第九にも配られただろ? 第九は科警研、警察庁の所属だぞ」
『あれは竹内さんが好意で持ってきてくれたんですよ。捜一で余りが出たからって……憶えてないでしょうね。薪さん、竹内さんが来るといっつも急に用事ができて外出するから』
「いや、でも、雪子さんや助手の女の子も持ってた気が」
『薪さん。いい加減に竹内さんと三好先生が婚約してること、認めたらどうですか?』
 うるさい、余計なお世話だ。あんな人間のクズに雪子さんが惚れてるなんて、僕は絶対に認めないぞっ!
 不愉快になって、薪は物も言わずに電話を切った。電話の向こうでは、小池が自分の失言にうろたえていることだろう。

 そうか、あれは竹内にもらったものだったか。不快な記憶だったから、自分で消してしまったらしい。
 もらったストラップはどこへやっただろう? 忌まわしい男の手に触れた呪われたグッズなんか、捨ててしまっているといいのだが。いや、公費で作られたものを捨てるわけにはいかないから、何か別の方法を考えたに違いない。きっと竹内も、公職に就く人間として税金で作ったものを捨てるわけにはいかないから第九へ持ってきたのだ。
 捨てずに自分の身から離す方法と言えば、例えばリサイクルとか。でなければ、だれか欲しがってるひとにあげたとか。
「…………あ」

 薪は竹内からもらったストラップの行き先を思い出し、そしてようやく昨日感じた違和感の正体に気付いた。
 東条の携帯電話には、何も付いていなかった。
 さらにもう一つ。彼の言葉には、僅かな矛盾点があった。
 どうしてあんな簡単なことに今まで気付かなかったのか、今回どれだけ自分が平常心を失っていたのか、薪は思い知った。青木が捕まったことで心が乱れた。それが今回の敗因だ。
 もう、しくじらない。

 薪は峰山の手からレアグッズを奪い返すと、ハンカチで丁寧に包み直した。それを再び峰山の手に握らせたときには、薪は厳しい捜査官の貌になっていた。
 亜麻色の瞳が、叡智に輝いている。その光の前には、誰もが言葉を失う。透明で深い、宝石のような瞳。周りを縁取る長い睫毛は、そのきらめきに華やかさを加える。
 絶対的で揺るがしようのない真理が彼の中に在って、それが彼を輝かせている。彼の美しさの本領は、姿形の美麗ではないのだと峰山は気付いた。

「このストラップの指紋、調べておいてくれないか」
「了解しました」
「それと、マスコミ対策について知りたい。君が担当しているんだったよね?」
「マスコミには報道規制を布いてます。昨日の朝のローカルニュースだけは間に合わなかったんですけど、それ以降はバッチリ」
 やはり。それで夕方のニュースでも夜のニュースでも、事件の報道が為されなかったのだ。

「わかった。ああ、これは無駄かもしれないけれど、旅館の近くにあるコンビニの店長から、事件の夜に青木を見なかったか、聞いておいてくれないか。できれば、防犯カメラの映像も」
「旅館近くのコンビニですか? わかりました」
 手帳に言われたことを書き付けて、峰山は頷いた。よくよく考えてみれば、部外者である薪の命令を聞く義務は彼にはなかったのだが、そこには思い至らなかった。彼の言いつけを守るのは、当たり前のことに思えた。

「じゃあ、青木さんのところへ案内しますね」
「いや。その前に、ちょっと調べたい事ができた」
 そう言ったとき、薪の爪先はもう、警察署の外に向かって歩き出していた。
「君から伝えてくれないか。僕を信じて待ってろって、それだけ」
 あれだけ会いたがっていた恋人への伝言を峰山に託して、彼の背中はどんどん小さくなっていく。峰山は思わず声を張り上げた。
「わかりました! 愛してるって付け加えときましょうか?」
 峰山が茶化すのに、薪は振り返って、
「それは自分の口で言う!」

 そう叫ぶと、あとはネズミを追いかける猫のごとく、脇目もふらずに走って行った。
 恋人の無実を信じて、彼は懸命に捜査をしている。男のクセに男を好きになるなんて、それは峰山には決して理解できない感情だが、大事な人のために力の限り尽力する、彼の誠実のどこが男女のそれと違うのだろう。
 薪が町民たちに聞き込みをしていたことを、捜査課の人間は知っている。旅館の主人から通報があったのだ。それは捜査課にとって、耐え難く迷惑な行為だった。だから主人に頼んで、薪を宿から追い出してもらった。泊まるところがなくなれば、尻尾を巻いて東京に帰るだろうと思った。
 でも、薪は帰らなかった。必ず助けてやるからと、あんな小さな身体で、あの熱意とパワーはどこから出てくるのか。
 その原動力が、あの二人を結ぶ絆なのだろうと、峰山は察しないわけにはいかなかった。

「すいません、シロさん。起こしちゃいました?」
「廊下であれだけ騒いでりゃ、うちのかみさんだって起きるよ」
 ガラッと後ろの窓が開いて、峰山とコンビを組んでいる年長の刑事が姿を見せた。シロさんこと城田刑事は峰山からハンカチに包まれた証拠品を受け取ると、大事そうに内ポケットにしまった。
「課長が来ないうちに済ませるよ、指紋照合」
「了解っす」

 城田が鑑識係を電話で呼び出す間に峰山は建物の中に入り、城田と合流した。捜査課への階段を上りながら、峰山は気になっていたことを先輩刑事に話した。
「マル被が公園から出てきたって証言したの、あの先生ですよね。警視庁の専属カウンセラーやってるって言う」
 城田は峰山の言葉に曖昧に頷いた。
「警視庁の専属だったら、それ、持っててもおかしくないですよね?」
「そうさな。先生の落し物かもしれないねえ」
「でも先生は、公園の中には入らなかったって言ってましたよね? 夜、眠れなくて散歩してたら、公園から慌てて走り去っていく男を見た。そういう証言でしたよね」
 廊下を歩きながら、峰山は話し続ける。昨日、峰山の意見を笑い飛ばした先輩は、今日は黙って峰山の話を聞いてくれた。

「第一発見者は、公衆電話からの匿名の通報でしたよね? この町で、夜の11時に目撃者が二人もいるのって、不自然じゃないですか? 薪警視長の病気のことだって、あの先生がカルテやら診療記録やら山ほど持ってきて、課長に」
「それ以上はやめとけ、峰」
 鑑識のドアの前に立ち、城田は厳格な表情で言った。
「お前さんが言ってるのは、ただの当て推量だ。あたしたちに推量は禁物だよ。まずは証拠だ」
 城田はそう言って、自分の胸ポケットの上をぽんと叩いた。



*****



 東条学は、探し物をしていた。
 一昨日からずっと探している。大事な人からの、大切な贈り物。それを彼は失くしてしまったのだ。

 彼からそれを贈られたのは、もう2年も前のことだったが、東条はそのときのことを克明に思い出すことができる。診察室の椅子に座って彼は、汚いものでもつまむように、たおやかな指先でその小さな装飾品を持ち上げて見せた。

『僕の大っキライな男が持ってきたんです。見るのも不愉快です』
 そうなの? じゃあ、僕がもらってもいい?
 どうぞ、と澄んだアルトの声が言い、白くて美しい手がそれを渡してくれた。偶然手に触れた彼の指を思わず握ると、彼は不思議そうな顔をして、でもすぐに笑ってくれた。
 
 東条はその場で自分の持ち物にその飾りを取り付け、贈り主に見せた。彼はにこりと笑って、
『先生、可愛いモノ好きなんですね』

 そうだ。かわいいものは大好きだ。
 とりわけかわいいのは ―――――。

 東条がこの世で一番可愛いと思うものを見たくなって、彼は携帯のフラップを開く。カメラモードに切り替えて保存されている画像を呼び出すと、東条は恍惚とした表情でそれを見つめた。
 彼の唇から、夢見るような呟きが洩れる。

「早く帰っておいで。薪さん」


*****




 ああっ、石を投げないでくださいっ。
 薪さんが阿呆なんじゃなくて、書いてるわたしが阿呆なんです、ごめんなさいっ。 

 でも薪さんて、こういうところあると思うのはわたしだけ?
 あのひと、難しいことはよく知ってるくせに、だれもが知っている当たり前のことを知らなかったりしそうな気がするんですけど~。 (暴言)
 特に芸能関係。 アイドル歌手の見分けがつかないとか、あ、それはMさんとこの薪さんか。
 よかった、わたしだけじゃなくて。 (Mさん、とばっちりすみません★)


  

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(14)

 今日はメロディの発売日ですよ。
 はあ~、どきどきします~。 
 あおまきさん、仲直りしたかな~。 (←そこかよ!)

 お話の方も、やっとドキドキしてきたかな。
 本日も広いお心でお願いします。(^^





緋色の月(14)





 彼が息を弾ませて東条家の門に走りこんできたとき、東条は二階の自分の部屋にいた。リクライニングシートに座り、背もたれにもたれて、銀白色の携帯電話を弄っていた。
 窓際のその席からは、家の前の通りがよく見えた。スプリングコートの裾をはためかせて走る彼は、活発な少年のようだった。平均的な成人男子よりも大分小さい、ユニセックスな身体。まるで彼に人としての穢れを許さない神が、純真な少年のまま彼の時を止めてしまったかのようだ。

 彼の姿を認めると東条は、階段を下りて玄関で彼を出迎えた。玄関に東条がいるとは思わなかったらしい彼はひどく驚いた表情をしたが、それは完璧な彼の美貌をほんの少し崩して、しかしその僅かなアンバランスが彼を最高に可愛らしく見せる。取り澄ました彼も魅力的だが、どちらかというと東条は、ふとした瞬間に見せる彼の素の顔をより好ましいと感じていた。

「お帰り。朝ごはん、目玉焼きとみそ汁でいい?」
 目玉焼きは周りの部分が少し焦げてしまったけれど、黄身を割らずに上手にできた。春玉ねぎの味噌汁は具を刻むときに誤って指を切ってしまったけれど、甘みがあって美味しい味噌汁ができた。きっと彼も喜んでくれると思った。
 しかし彼は、三和土から上がろうともせず、険しい顔で東条をじいっと見据えた。
 昨夜とは別人のような彼の態度を不思議に思って、東条は首をかしげた。昨夜、彼はとてもやさしくて可愛いかった。にこにこと笑いながら、東条に夕食を作ってくれた。なのに一晩経ったら彼の態度は豹変していて、東条は戸惑っていた。

「薪さん、どうしたの」
「先生。以前僕が差し上げた携帯ストラップを、今もお持ちですか?」
 それは東条が一昨日からずっと探していたものだった。彼が自分にくれた大事な贈り物。失くしたと知って、東条はとても悲しかった。

 彼が自分に贈ってくれたものはたくさんあるが、どれもみんな貴重だ。
 例えば、彼が診察用のベッドに横たわるときに使った紙製の枕カバー。寝台に落ちた彼の髪の毛。くちびるを拭ったティシュー。
 それらはみんな、彼を思い出す因にと彼が自らの意思で東条に残してくれたものだ。どれ一つとして、失っていいものはなかった。
 中でもこれは、いつでも東条と一緒にいたいと言う彼の気持ちの表れだと思った。携帯電話という常備品につけるアクセサリ。―― これを僕だと思って、いつもあなたの身につけていてください―― なんてかわいらしいことを考えるんだろう。彼の奥ゆかしい愛情表現に、東条は感激した。

「同じものを、この町で拾いました」
 そうか、彼が拾ってくれていたのか。
 運命だと思った。彼の想いが込められたアイテムは、それを所持すべき者の手に戻ってくる。彼の手を経て、また新たな愛情を注ぎ込まれて、ああでも、そんなアイテムに頼らなくても、もう彼は僕のもの。

「きみが拾ってくれたのかい? ありがとう」
「今は持っていません」
 礼を言って手を差し出した東条に、薪は素っ気無く首を振り、ストラップは別の場所に保管されていることを伝えた。
 彼の不機嫌の理由が分かった。自分が心を込めて贈ったものを失くされて、彼は腹を立てているのだ。子供みたいだ。本当に彼はどこまでかわいいのだろう。

「じゃあ、それはまた後でね。それより食事にしよう。お腹ぺこぺこだよ」
 薪を玄関口に残したまま、東条はキッチンに向かった。
 不機嫌を装いながらも黙って自分の後ろを付いてくる彼の従順を、東条は愛しく思う。素直で、愛らしくて、でも彼はとっても恥ずかしがり屋だから、自分の気持ちをはっきりと東条に告げたことはないけれど。ちゃんと分かっている、彼は僕を愛してる。それくらい分かってあげられなかったら、カウンセラーなんかやってられない。

 彼をダイニングテーブルに着かせ、味噌汁を温める。東条がごはんを茶碗によそろうとすると、自分は要らない、と薪に言われた。
 せっかく作った朝食を断られて、東条はがっかりした。でもすぐに自分の失態に気付いて、申し訳ない気持ちになった。彼は低血圧症だ。きっと、朝はいつも食事をしないのだ。彼の慣習を知らなかったことは残念だが、これから覚えればいい。明日は失敗しない。
 
 昨夜と同じ席に座り、薪は何事か考え込んでいる様子だった。
 亜麻色の瞳が、東条の一挙手一投足をずっと追いかけている。自分に纏いつく彼の視線に、熱いものを感じる。
 そうか、と東条は思う。
 昨夜は同じ屋根の下にいたのに、自分が何もしなかったから、彼は拗ねているのだ。昨日は朝から晩まで動き詰めで、彼も疲れているだろうと思って気を使ったつもりだったのだが、寂しい思いをさせてしまったらしい。せめて一緒の布団で寝てあげればよかった。

「薪さん。ごはん食べたら、ちょっとお喋りしようか」
 薪は少しの間をおいて、こくっと頷いた。
 やっぱりそうだ。彼は寂しかったのだ。『お喋り』という言葉に隠された秘密を僕と彼は共有している。それを承知で頷いたのだから、今日こそ彼は僕のものになってくれるのだ。
 
 先生、と小鳥が鳴くような声で呼びかけられて、東条は、うん、と返事をする。クッキングヒーターのスイッチを切って、味噌汁を汁椀に注ぎながら「なんだい?」とやさしく尋ねた。
「ストラップは、いつ失くされたんですか?」
 まだその話?
 やれやれ、よっぽど腹を立てているようだ。でも、彼のご機嫌を直す方法なら心得ている。朝食を済ませたら、彼の望むことをたっぷりしてやろう。

 目玉焼きを頬張りながら、東条はモゴモゴと答えた。
「こっちに着てからだから、昨日かな」
「そのストラップは、事件のあった公園の噴水の近くに落ちてました。警備の巡査が拾ったんです」
 硬いアルトの声が響いた。それは診察室ではついぞ聞いたことのない、事件に相対する際の彼の声音だった。
「事件の後、公園はすぐに閉鎖されました。今も警官が現場保存のために立っています。事件発生は二日前の深夜。昨日この町に着いた先生が、どうやって公園に落し物ができるんです?」
 薪がどうしてそんなにストラップに拘るのか、東条にはよく分からなかった。アイテムは大事だけど、それが本質じゃない。一番大事なものは、彼と自分の心の中にある。それを彼も知っているはずなのに、どうして突っかかるような言い方をするんだろう。

 少々面倒になって、東条はこの話題を切ろうとした。
「なら、それは僕のじゃないんだ。きっと、別のところに落としたんだね」
「あのストラップは限定品で、警視庁の職員かそれに関連のある人間しか持っていません。東京から3時間もかかるこの町に、そんな人物が二人もいるのは不自然ではないですか」
 言い争いを避けたいと思う東条の気持ちを知らぬ振りで、薪は食い下がった。
 突っ張る彼もかわいいけど、あんまりしつこいと興が冷める。恋人の嫉妬は愛情を強くするけど、ヒステリーは引かれる。それと同じだ。

「もうひとつ、気になっていることがあります。昨日の夕方、先生は僕に電話をくれたとき、一昨日の事件を『カップル殺し』と言いましたよね? 被害者が恋人同士だったという情報は、どこから得たんですか」
「そんなの、テレビのニュースに決まってるじゃないか。君は一日歩き回っていたから、テレビを見ていないんだろう」
「I署による報道規制で、この事件に関するニュースは差し止められていました。事実、夕方旅館で確認したニュースでも、夜この家で見たニュースでも、事件は報道されていなかった。この事件のニュースが流れたのは昨日の朝1度だけ、その時点では被害者は男女と報道されただけで、被害者の関係については言及されていませんでした。なのに先生は、それを知っていた」
「……清川さんに聞いたんだよ。警察署で」
「そう、僕もそう思い込んでいました。清川課長や、あるいは町の人々から情報が渡ったのかもしれないと。でも、もう一つの可能性があることに気付いた。
 先生は公園で彼らを見た。だから彼らが恋人同士だと知っていたのではありませんか?」
「やれやれ。一つの可能性とやらで疑われちゃ敵わないな」

 食事を終えて、東条はコーヒーを淹れた。
 これなら薪も喜ぶだろう。彼はコーヒーが好きなのだ。インスタントだけど、スーパーで一番高いのを買ってきた。東条にはこれで充分美味しい。

「薪さん、そんなに怖い顔しないで。これじゃカウンセリングにならない」
 愛を語ろうとしているのに、その口元はありえないと東条は思った。きりっと結ばれたくちびるも綺麗だけど、ふわっと笑っているいつもの彼のくちびるが東条は好きなのだ。
「もっとリラックスしてくれないと。はい、これ飲んで」
「けっこうです」
 懐柔策のコーヒーを断られて、東条は肩を竦める。これ以上突っ張る気なら、こちらにも考えがある。手荒な真似をする気はないけど、多少のお仕置きは必要かもしれない。一昨日の夜のことも、彼には反省してもらわなければならないし。

「まずはそのストラップの問題を解決しないと、カウンセリングは不可能みたいだね。仕方ない、真面目に探すか」
 多分、彼の方も引っ込みがつかなくなってしまったのだと思った。だからこれは、彼のため。素直になれない彼の言い訳を、僕が作ってあげるんだ。

「あ、あった!」
 クローゼットの隅に置かれた旅行鞄を広げて、東条は声を上げた。
「鞄から持ち出すときに、引っ掛かって紐が切れたんだね。中に落ちてたよ。ほら」
 鞄の底を指し示した東条の鼻先で、亜麻色の髪がさらりと揺れた。鞄を覗き込む薪の、長い長い睫毛。目を開いていても美しいが、伏せ目がちになると嘘みたいに綺麗だ。

 ああ、でも。一番きれいなのは彼が眼を閉じているとき。いつも僕に見せてくれる、きみのあの顔。睫毛がとてもきれいな、きみの可愛い顔。
 今日も見られるんだね。うれしいよ。

「先生、どこに」
 つややかなくちびるから洩れた言葉の続きは、白い布に吸い込まれた。薪は瞬時に退こうとしたが、後ろ頭を押さえられ、布に鼻と口を押し付けられた。
 東条の胸に倒れ込むように、彼はその身を投げ出してきた。安らかに眼を閉じて、彼は自分の腕の中。
 ああ、いつもの彼だ。

「さあ、薪さん。僕とお喋りしようね」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(15)

 こんにちは。

 秘密ファンなら誰しもが薪さんの無事を祈っているこの時期に、こんなキモチワルイ話の続きを公開してすみません。 
 広いお心でお願いします。




緋色の月(15)




 彼の眼は、いつも安らかに閉じられていた。
 長い睫毛が白い頬に影を落とす。物静かな鼻も、軽く結ばれたくちびるも、すべてが信じられないほどに美しく、東条は彼に触れずにはいられなかった。
 この顔で、彼は東条の質問に答えた。

「今日、君をここへ送ってきたのはだれ?」
「岡部と言って、僕の部下です」
「どんなひと?」
「とても優秀な捜査官です。僕は彼を一番信頼している」

 眼を閉じたときの彼は、とても正直だった。思ったことを素直に口にし、嬉しいことには微笑み、哀しいことには眦を下げ、悔しいことにはくちびるを噛んでみせた。
 
 Hシオンという薬品は睡眠剤の一種だが、効き始めが20~30分と短く、その間に上手く誘導すれば患者の本心を探る事ができる。東条はこれを飲み物に混ぜて薪に飲ませ、秘密裏にカウンセリングを行っていた。
 この薬品には一時的な健忘の効果もあり、眼が覚めたとき薪は、東条に質問を受け、自分がそれに何と答えたか、まったく覚えていなかった。
 東条がこのクスリを使ったのは、彼の心が健常であるかどうか確かめて欲しい、と警視総監に頼まれたからだ。東条は警視庁の専属カウンセラーだ。当然、彼のクライアントは警視総監だ。断ることはできなかった。
 
 何度か試してみて、彼の精神はとても安定していると思った。先輩医師の診断は、間違っていなかった。
 東条は、それを総監に報告しようとした。薪警視長の精神は安定した状態にあります、もう治療の必要はないでしょう。
 でも、と彼は思った。
 報告を終えたら、薪に会えなくなる。彼の姿を見ることができなくなる。

 迷った末、東条は報告書に、『ほぼ安定しているが経過観察の必要あり』と記載して提出した。その頃の東条は既に、薪に異様な執着を抱くようになっていた。

 薪と初めて会ったのは、3年前だ。
 先輩医師が体調を崩して退職し、カウンセリングを引き継いだ患者の中に彼がいた。
 最初に彼を見たとき、東条は純粋に驚いた。こんな美しい人が警察官で、しかも自分の診察室の回転椅子に座っている。それは俄かには信じがたいことだった。I県の片田舎で育った東条は、こういう特別な容姿を持った人間は、銀幕か液晶パネルでだけお目にかかれるものだと思い込んでいた。

「今度の先生は、えらくお若いんですね」
 初めましての挨拶の後、彼にそんなことを言われた。
「前の先生には、昔話ばかり聞かされたんですよ。カウンセリングを受けに来た患者の方が話を聞くって、おかしくないですか?」
 先輩医師が残したカルテには、現在薪の精神は健常者のそれと何ら変わりないことが記載されていた。しかし、彼にカウンセリングを命じている総監にそれを報告しても納得してもらえない、と彼は零していた。薪は官房長の派閥に属する人間で、警視総監とは敵対している。その辺の事情が絡んでいるのだろう、と先輩医師は推察していた。

 彼といろいろな話をするうち、彼がとても美しい心を持っていることに東条は気付いた。彼は純真で、真っ直ぐな理想をその精神の中枢に置いていた。それが彼をいっそう輝かせていることを知って、東条は彼に憧れを持つようになった。
 だから、診察中に彼が眠ってしまっても、その身体を自由にしたいとは最初は思わなかった。そんな冒涜は許されないと強く自分を戒めていた。生まれたままの彼の姿を夢見ないでもなかったが、東条の診断では、薪は自尊心が高く、男性的な精神の持ち主だった。そんな彼が男から受ける性的な奉仕を悦ぶとは考え難かった。

 箍が外れたのは、1年ほど前のことだ。
 その日は日曜日で、薪を送ってきたのは、若い男の部下だった。ヒゲの男ほど頻繁ではないが、今までも時々、彼の送り迎えをしていた。彼はとても背が高く、顔も良く、立派な体躯をしていた。薪と並ぶと実に絵になって、東条は微かに胸が疼くのを感じた。
「1時間後に迎えに来い」
 命令口調で言い放った薪に、はい、と返した彼の微笑が、何故かその日は蕩けそうに甘やかで、それが東条に疑惑を生じさせた。ちらっと彼を見上げた薪の視線が妙に艶めいていて、東条の疑惑は瞬く間に大きく膨れ上がった。

 しばらく中断していたHシオンを、その日東条は薪に投与した。
 薪が薬によるトランス状態に陥ったのを確認すると、東条は質問を開始した。

「今日、君を送ってきたのはだれ?」
「青木一行という男です」
「どういうひと?」
「彼は僕の」

 薪は口ごもった。
 彼が素直に答えないなんて、薬が効いていないのかと東条は焦ったが、ちがった。彼は自分の中に、彼を表わす言葉を捜していた。

「部下ではないの?」
「部下です……ああ、ちがう、彼は」

 はあ、と彼は悩ましげなため息を吐き、小さく首を振った。白い頬に朱が浮かび、それは彼の最上の喜びを表していた。

「かれは、なに?」
「彼は、僕の一番大事なひとです」

 そう言うと、彼はとても幸せそうな顔をした。

「だいじなひと?」
「大事です……かれが大事……なによりもだいじ……」
「彼を好き?」
「すきです。だいすき」

 嫌な予感がして東条は、眠りに落ちた薪の、シャツのボタンを外してみた。確認せずにはいられなかった。
 その光景は、東条にとっては晴天の霹靂だった。
 薪の白い肌に、赤い痣がいくつも残されていた。そちらの方面に疎い東条にもすぐに分かった。今日、彼はあの男に抱かれてきたのだ。
 ショックだった。東条は随分前から、彼を患者として見ていなかった。患者として見る事ができていたら、こんな衝撃は受けなかったに違いない。職業柄、隠された性癖を持つ人間は見慣れていたからだ。
 こんな彼を見たくない、現実を知りたくないと思うのに、東条は自分の手が彼の衣服を剥いでいくのを止められなかった。自分の目が、彼の身体にあの男との情事の証拠を探すのを止めることができなかった。

 休日らしくラフな服装をした彼の、ズボンを脱がせ、下着を取り去った。脚を開かせると、臀部に近い内腿にまで赤い刻印が為されていた。
 こんな場所にまで、あの男の唇が触れるのを許したのか。
 東条の脳裏に、年若い捜査官が彼の内股に顔を埋める画が浮かんだ。想像の中で薪は、脚を大きく開き、その間で動く男の黒髪に手指を埋めていた。切ない声を洩らし、腰をくねらせて、彼の口中に白濁した快楽の証を注いだ。

 残像のように流れていくその情景は、しかし東条に、薪に対する嫌悪や幻滅を抱かせなかった。それどころか、そのとき彼を訪れたのは歓喜に近い感情だった。
 東条は生まれて初めてとも思える、極度の興奮を味わっていた。彼の白い身体を彩る朱印をひとつひとつ指でなぞり、彼のやわらかい内股に手を這わせた。彼は深い眠りの中にいて、東条の指に反応することはなかったが、東条の興奮状態は続いた。
 
 目を閉じて身体の力を抜いて、自分からは一切動かず、東条の愛撫を受けるだけの彼。どこぞの女のように、浅ましく東条の身体を貪ったりしない。彼の性はとても慎ましいのだと東条は考えた。
 東条は自分のズボンを下ろし、下肢を露にした。東条のそこは、どんな女性を前にしたときよりも激しく昂ぶっていた。
 薪を送ってきた男が想像の中でしたことを、東条も彼にしてあげたいと思い、それを実行した。彼の肌に舌を這わせながら、東条は己が手で自分の欲望を擦り立てた。
 限界を感じると、東条は彼の上に乗り、自分の欲望を彼の慎ましやかなそれに押し付けた。途端、強烈な快感が東条の背中を駆け上り、夢中で擦り付けて、果てた。

 彼の白い肌に残された赤い痕跡、その上に自分の体液が散って、穢されたはずの彼はしかし、鮮烈に美しかった。それは東条の網膜に焼き付けられ、次第に彼の脳に浸透し、彼の精神を歪めていった。
 
 捻じ曲げられた感情は、東条に偏った思考を生じさせた。それは、薪も自分を好きなのではないか、という自分に都合の良い妄想だった。
 彼はこうして、カウンセリングのたびにその身を自分に預けてくれる。拒否したことは一度もない。もしかしたら彼も、この秘密のカウンセリングを楽しんでいるのではないか?
 その証拠に彼は、必ずと言っていいくらい夜遅い時間にカウンセリングを申し込んでくる。仕事の都合だと彼は言うが、本当は、看護師が帰る頃合を狙っているのではないか。自分と二人きりになりたいから、自分の愛撫が欲しいから、だから。

 ああ、そうだったんだね。
 きみの健気な恋心に気付いてやれなくて悪かった。僕がたまにしか相手をしてやれないからきみは寂しくて、それであんな男と。
 言ってくれれば、いつだって応じたのに。僕が忙しいから、気を使ったんだね?
 本当にすまなかった。
 もう、代用品なんかで済ませなくていいんだよ。僕はずっときみの側にいることにしたから。
 そう、ずっと一緒だよ。

 
 穏やかに開かれていた眉間がぴくりとうごめき、長い睫毛が震えた。んん、と低く呻いて、彼は眼を開けた。
 東条は彼の亜麻色の瞳に唇を寄せて、そっと囁いた。

「眼が覚めた? じゃあ、カウンセリングを始めようか」
 


*****


 相変わらず彼は美しい、と私は思いました。
 
 彼は大人しく、私の前に横たわっています。それは大そう眩しい光景でありました。窓から差し込む日の光が、彼の亜麻色の髪と白い頬を輝かせ、小さく結ばれた唇は薔薇の蕾のように可愛らしくありました。
 いつもと何も変わりません。診療室が自分の部屋になっただけのことです。でも、今日は時間の制約はありません。彼を迎えに来るものはおりません。私は、彼が目覚めるのをじっと待ちました。

 やがて彼は目を開けました。

 透明度の高い亜麻色の瞳が、ぼんやりと私を見ました。それはあの夜の、彼の様子に酷似しておりました。
 緋色の月の下、私以外の男に身を任せていた彼。
 美しかった、例えようもなく美しかった。でも、二度とあんなことがあってはならない。私以外の男の手が、彼に触れることは耐えられない。

 私はすでに、決意を固めておりました。
 まだ眠りから醒めきらない彼に、私はそっと囁きかけました。

「僕とお喋りしよう。薪さん」


*****


 うう、気持ち悪い、この男……。
 こんなんだったら間宮のほうがなんぼかマシだと思ってしまうわたしは、人として終わってるのかしら★


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緋色の月(16)

緋色の月(16)




 初めて見る天井だった。
 斑にぼやける意識の中で薪はそれを視認し、しかしすぐに彼の瞳は男の唇にふさがれた。

「薪さん、始めるよ」
 精神科医の声が聞こえた。声の方向に頭を倒すと、東条と目が合った。彼は床に屈み、リクライニングチェアに横たわっている薪に高さをあわせ、彼の顔をじっと見ていた。
 身体は動かせなかった。両手が肘掛けに包帯で縛られ、両足首は自分のベルトで一つに結わえられていた。声も出せなかった。布のようなものを口に押し込まれ、その上から紐のようなもので縛られていた。

 意識が明確になるに従って、薪は自分の置かれた状況を正確に理解し始めた。
 やばい。殺人犯に捕まった。

 自分を拘束した時点で、薪は東条の有罪を確信した。こいつが二人を殺したのだ。青木に罪を着せたのも、この男だ。
 おそらく彼は、自分たちが公園でしていたことを目撃していた。あの場所に、彼もいたのだ。そして自分たちが立ち去った後、草叢に落ちた青木の精液を手に入れた。それを被害者の女性に注入したのだ。
 彼は医者だ。急患に備えて、最低限の医療器具は常備しているのだろう。昨日薪と偶然会ったときも往診カバンを持っていたし、夕方からの聞き込みのときもカバンを手放さなかった。一昨夜も持っていたとして、不思議はない。

「最近、調子はどう?」
 診察室で訊くのと同じように尋ねられて、薪は不快感を露にする。猿轡をした相手にカウンセリングなんて、完全に遊ばれている。薪がくぐもった唸り声で不満を訴えると、東条は苦笑して、薪の呼吸を不自由にしている拘束物に手をかけた。
「そうだよね、これじゃお喋りできないよね。大きな声を出さないって、約束できる?」
 薪はコクコクと頷いて、でも大人しくする心算は毛頭ない。犯人を捕まえるためなら、薪は手段を選ばない。犯罪者との約束なんか破るためにあるのだ。
 が、次の瞬間、薪は心の中で自分の主張を必死で撤回する羽目になる。東条が、診療カバンから刃物を取り出したのだ。

「ちょっと強く縛りすぎちゃって、解けないから。じっとしててね、薪さん」
 それは、昨夜台所で使った万能包丁だった。自分が研いだ包丁の切れ味を自分の肉で試すなんて、冗談じゃない。
 東条は、薪の口を縛った紐をスパリと切り、薪の唇を解放すると、包丁を布に包んで診療カバンに戻した。薪の口を縛っていたものは包帯で、中に入っていたのはガーゼだったが、それもきちんと折りたたんでカバンに入れた。薪がここで拘束されていた証拠を残さないように、気をつけているらしい。
 警察の科学捜査を舐めるな、と言いたかった。風呂の排水溝に残った髪の毛一本からでも、自分のDNAは検出できる。この時代に完全犯罪なんかありえない。
 それを諭して、彼に自首を勧めようと思った。本音では死刑にしてやりたいけれど、自分は警察官だ。犯罪者に正しい道を示すのも、仕事のうちだ。

「おまえがやったんだな」
 薪が鋭く訊くと、東条は「なにを?」と無邪気に返してきた。
「空とぼけても無駄だ。公園内に落ちていたストラップは、鑑識に回すよう頼んでおいた。指紋の照合が済めば、警察がここに来るぞ」
「そうなんだ。じゃあ、あんまり時間はないんだね。残念だな」
 東条は不満そうに唇を尖らせ、肩を竦めた。これは犯行を認めたことになるのだろうか。
 警察が来ると聞いても焦った様子のない東条に、薪は不吉なものを感じた。捕まることを怖れていない、そういう犯罪者は厄介だ。彼らの半数は自棄になり、もう半数は何らかの覚悟を決めていることが多い。

「なぜだ」
 彼の心理状態を把握しようと、薪は東条に話しかけた。カウンセリングのスペシャリストに精神分析を試みようなんて、滑稽だが仕方ない。決定的な証拠はないのだから、東条の自白を取らなかったら青木は留置所から出られない。

「何故あんなことをした。彼らに何か恨みでもあったのか」
「別に。恨みなんかないよ。あそこで会うまで彼らの顔も知らなかった。ていうか、ごめん、今も憶えてないや」
「じゃあどうして」
「君があそこに残してくれたものを、彼らが台無しにしたからだよ」
 東条の指先が薪の襟元にかかり、ワイシャツのボタンを外した。慣れた手つきだった。

 なにをする気だろう、と薪は不思議に思い、訝しげに彼を見上げた。
 自分を殺す気なら、失神していた間にいくらでもやれたはずだ。そのほうが手間も掛からないし、確実に息の根を止められただろう。それをわざわざ薪が意識を取り戻すのを待って猿ぐつわまで解いて、もしかしたら東条はサディストなのかもしれない。薪が死の恐怖に怯える様を見て楽しみたいのかも。

 的外れな予想に、薪は身を硬くする。彼が自分に性的な欲望を抱いているとは、露ほども考えなかった。
 薪は人の好意に鈍感だ。昔、青木が半年もの間薪への気持ちを暖めていたのに、好きだと告げられるまで、ちっとも分からなかった。毎日顔を合わせる部下相手ですらその調子だったのだ。月に一度くらいしか接触を持たない精神科医の想いになど、気付くはずもなかった。

「あの夜の君は、とてもきれいだった。この世のものとも思えなかったよ」
 東条は夢でも見ているようにうっとりとした瞳をして、それはあと何時間かで警察が自分を捕らえにくるという追い詰められた彼の状況にまるでそぐわなかった。
「あそこには君の残像が、匂いが、息遣いが残っていたのに。それは君が僕に残してくれたものだったのに、あいつらはその上で汚らしくまぐわって」
 東条の言っていることは、薪には半分くらいしか理解できなかった。特に『君が残してくれたもの』の意味がわからない。自分があそこに捨てたのは、青木の精液と羞恥心だけだ。
 とにかく、東条は彼らが薪たちと同じ場所で行為に及んだことが許せなかったらしい。しかしそれは、薪には全く同調できない殺意の理由だった。

「そんなことで?」
「残像とはいえ、君を穢したんだよ。許せるはずがないだろう?」
 ワイシャツのボタンがすべて外され、彼の手が薪の胸にあてがわれた。心臓の場所を確認されているのだ、と薪は思った。
 きっと東条はさっきの包丁を用いて、薪の身体を切り刻もうとしているに違いない。人を生きたまま刻むには、大動脈を傷つけてはいけない。主要臓器も避けないと、出血のショックでそのまま死んでしまうことがある。だからシャツをはだけて血管と内臓の位置を確認しているのだ。

「近くにあった石で殴りつけたら、男は簡単に死んだ。女の方は、何が起きたか分からないみたいだった。下半身丸出しのみっともない格好で、ポカンとした顔して……何度思い出しても頭にくる。彼らは自分がどれだけ罪深いことをしたのか、分かってないんだ」
「よくもそんなことを!」
 自分が殺されるかもしれない状況にあって、彼を非難する言葉は勝手に出てきた。独りよがりな理屈で二人の人間の命を奪った東条を、薪は許せなかった。薪の中の正義感が、怒りになって彼の身を震わせた。

「あんな馬鹿女の体内に、君のものを入れたことは謝るよ。それだけは、本当に申し訳なかったと思う」
「僕のじゃない、あれは青木のものだ」
「ちがうよ。あれはきみのものだよ。君の中から出てきたんだから、きみのものだ。だから拾っておいたんだ。青木くんは、彼は重要ではない」
「拾っておいた」という東条の言葉に、薪は自分の思い違いを知る。
 順番が逆だ。殺人が先ではなく、体液の収集が先だったのだ。東条は捜査をかく乱するために、たまたま落ちていた青木の体液を利用したのではない。予め手に入れておいたそれを使ったのだ。

「きみは自分の身体からあれを草の上に出して、それは僕に残してくれたんだってすぐにわかった。僕があそこにいたの、きみは知っていたんだろう?」
 つまりそれは――――― どういう意味だ? 薪の身体から出てきた汚物が、東条にとっては価値のあるものだったとでも言うのか?

「きみが僕にくれたものは、全部取って置いてるんだよ。僕のコレクション、見る?」
 東条はこの二日、決して手放さなかった黒い診察カバンを持ってきて、その中身を取り出して見せた。
「いつも持って歩いてるんだよ。いつでも君を感じられるように」
 コルク栓をされた透明な広口瓶が、いくつも出てきた。その中身は、毛髪、汚れたティッシュ、爪など、誰が見てもゴミと判断されるものばかりだった。
「これはね、昨日入ったばかりのニューアイテム」
 それは薪の髪に落ちた桜の花びらと、薪が夕飯を食べるときに使った割り箸だった。

 おぞましかった。
 男に告られて不愉快な思いをしたことは何度かあったが、こんな人間はいなかった。彼の執着は異常だ。

「…………狂ってる」
「狂ってる? 僕が?」
 思わず出てしまった薪の呟きを逃さず、東条は薪を咎めた。
「君が悪いんじゃないか」
 両手で薪の頬を挟み、ぐっと顔を近づけて、すると彼の瞳には異常者特有の度を越した熱っぽさが宿っており、薪は彼の精神が限りなくあちら側に傾いていることを悟って唇を結んだ。下手なことは言わないほうがいい。

「君に出会うまで、僕の人生は光に満ちていた。家は貧しかったけど、周りの人々はみんな親切で、僕は彼らに感謝しながら自分を幸せな男だと思って生きてきた」
 東条の手が、薪のズボンにかかった。真ん中のフックを外されて、ファスナーが引き下げられる。下着の中に彼の手が入ってきて、薪はようやく東条の真意に気付いた。
「それが君に出会ってからは、君のことしか考えられなくなった。他の人間はどうでもよくなったんだ。君に会えない時間は世界が闇に閉ざされたようで……。
 なのに、君はあの男とあんなことをして!」
 東条は唐突に口調を変え、薪の脚の間で身を竦めているものを強く握った。薪は痛みに仰け反り、しかし声は上げずにじっと堪えた。この状況で相手を刺激するのは自殺行為だと分かっていた。

 痛みの中で、薪はやっと彼の闇を理解する。
 公園で東条が見た光景は、彼の心の均衡を突き崩した。彼は薪に恋情を募らせ、妄想に妄想を重ねて、それでも人間としてギリギリの範囲に留まっていたのだ。ところが彼は、恋焦がれた相手が公共の場所でふしだらな行為に及んでいるところを見てしまった。それが偶然か薪の後を付けていたことによる必然かは不明だが、彼が大事に守ってきた世界を壊す原因になったことは想像に難くない。
 それで、『君が悪いんじゃないか』か。

「僕はとても辛かったんだ、察して欲しい」



******


 この男、気色悪い、と書きながら思っているしづですが、
 もしかすると、
 薪さんが飲み残したコーヒーとかあったら飲んじゃうかも。
 薪さんが使った割り箸とか紙ナプキンとかあったら、こっそり持ち帰っちゃうかも。
 なんのかんの言って、東条もしづの分身のひとりなんですねえ。(--;


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緋色の月(17)

緋色の月(17)





「僕はとても辛かったんだ、察して欲しい」
 
 冗談じゃない、と薪は思った。ストーカーの妄想なんかに付き合ってられるか。そりゃ、あんなところでセックスしてた自分たちの非は認めるけれど、そんなことで人の命を奪うなんて。しかもこいつは医者じゃないか。
 ――― しかし。

 薪は唇を噛み締め、こくりと頷いた。
 今は彼に従属する振りをして、時間を稼ぐことだ。東条は警視庁の専属カウンセラー、その指紋はデータベースに保存されている。検出さえできれば、指紋の照合にそれほどの時間はかからないはずだ。

「今回だけは許してあげるよ」
 謳うように、東条は言った。
「もう二度と、僕以外の男とあんなことをしちゃいけないよ。君の身体はこんなにきれいなんだから、簡単に触らせちゃだめだ」
 東条は薪の足首を拘束していたベルトを外すと、ズボンと下着をすべて引き抜いた。靴下も脱がせ、足の指を口に含んだ。だんだんに上の方へと上ってくる彼の唇に、薪は必死で耐えた。

 我慢だ、今はこいつを捕まえることが何よりの重要課題だ。自分の身体を餌にこいつをここに引き止めて置けるなら、そうすべきだ。
 東条の舌が、膝の裏側を舐めた。こそばゆさに薪は、反射的に腰を振った。それに気を良くしたのか、東条は内腿に唇を這わせ、その奥に手を―――。

「やめろっ!」
 叫ぶより前に蹴り飛ばしていた。
 無理だ、我慢できない。怒らせたら殺されてしまうかもしれないが、その前におぞましさで悶死する!

 薪は上半身を丸め、自分の手を縛っている包帯を歯で引っ張った。が、伸縮性のある布を歯で切ることは難しく、薪は両肩を摑まれてシートに押し付けられた。
「どうして? きみはいつも、僕の愛撫に応えてくれただろう? あんなに悦んでくれたじゃないか」
「僕にそんな覚えはない。おまえは妄想と現実の区別がつかなくなってるんだ」
「妄想なんかじゃない」
 ほら、と携帯電話を見せられて、薪は愕然とした。
 裸にされた自分が映っている。診察室のリクライニングシートに横たわり、無防備に脚を開いて、腕はだらりと下がって、完全に意識を失くしている様子だった。

「ちゃんと保管してあるんだよ」
 東条はクロゼットの扉を開けると、その中から一冊のファイルを抜き出した。表紙に2066年2月と書いてある。開くとそこには、携帯電話に写っていたのと同じ写真が印刷され、きちんとファイリングされていた。
 写真は何枚もあって、全体を写したもの、局部をアップにしたもの、違う角度から捉えたものなど様々だった。
 動画もあるんだよ、と再び携帯を見せられると、画面には薪の身体に唇を這わせている東条の姿が映っていた。

「辛いことや悲しいことがあったときには、これを見ると元気になれるんだ。今度、薪さんの携帯にも、この動画データを送ってあげるね」
 どうして東条が犯行現場の公園でストラップを落としたのか不思議だったが、これで納得がいった。
 狂気に駆られて殺人を犯した後、彼の精神は安定を求めた。それでこの画像を見ようと携帯電話を出したのだ。ポケットから携帯を取り出すときに何処かに引っ掛けたのか、2年も前の品で紐が弱っていたのかは判らないが、紐は切れてストラップは地面に落ちた。人を殺したばかりで異常な精神状態だった東条はそれに気付かず、結果、あの巡査がストラップを拾ったというわけだ。

「精神科医が、精神安定剤代わりのエロ動画で妄想に取り付かれてりゃ世話は無いな」
 自然に口をついて出る毒々しい言葉を、薪は飲み込むことができなかった。
「卑劣漢め。意識のない人間にこんなことして、男として恥ずかしくないのか」
 薪は卑怯な人間が大嫌いだ。眠っている人間を自分の欲望の捌け口にするなんて、男のすることじゃない。
「そこに僕の意志はない。人形を抱いて楽しいのか。哀れな男だ」
「人形なんかじゃない。君は生身の人間だ。その証拠が、ほら」
 
 東条は診察カバンから幾本もの試験管を取り出した。プラスティックの表面にはシールが貼られており、そこには数字が記されていた。スラッシュ記号を挟んでいることからそれは日付と推定され、薪の身体は厭わしさに総毛立った。
「まさかそれ……」
「そう。君の精液だよ」
「どこでそんなもの」
「なに言ってるんだい。カウンセリングのたびに、君はこれを僕に残して行ってくれたじゃないか」
 東条は愛おしそうに試験管に唇をつけたあと、シールの数字が読み取れるように薪の顔に試験管を近付け、
「これが2ヶ月前。その翌週、ひと月前、3週間前。そして一番新しいのが2週間前」
 古いものは茶色く濁って、完全に腐り果てていると思われた。試験管の口がコルクでふさがれていなかったら、この部屋は凄まじい臭気に満たされていただろう。

「うそだ」
 薪は顔を歪めながら、冷たく言い放った。
「僕の身体は青木以外の男の手には反応しない。おまえになんか、イかされてたまるか」
 侮蔑を込めて吐き捨てると、東条は悲しそうに首を振った。
「あの男が悪いんだね? あの男が君をそんな風にしてしまうんだね? きみは本当は、とてもやさしくていい子なのに」
「おまえが僕の何を知ってるって言うんだ。カウンセラーだからっていい気になるな」
「ちがうよ!」
 激しく否定して、東条は薪に詰め寄ってきた。大事なコレクションを床に転がして、彼は薪をいつもの心優しい恋人に戻そうと必死だった。

「ちがうよ、薪さん。僕だけが君を理解できるんだよ。あの男には無理だ。だって彼はあの晩、赤い月が見えなかったんだから」
 東条の言葉で、薪はあの夜、自分を狂わせていた赤い光を思い出す。たしかに薪には、赤い月が見えていた。青木には見えなかった、でも自分には見えていた。血のように紅い、緋色の月が。
「君の神秘を紐解けるのは僕だけだ。僕だけなんだよ」
 うっとりと囁いて、東条は薪の額にキスをした。欲望の感じられない、敬虔なキスだった。

「きみのことは全部解ってる。君は美しく、穢れなく、誇り高い。聖母のようだよ」
「生憎だったな、僕は純潔なんかじゃないぞ。おまえも見てた通り、青木にズコバコ犯られてんだ」
 わざと下品な表現を使って自分を貶める薪に、東条は眉根を寄せた。それでいいんだ、ストーカーの撃退法は自分に幻滅させることだ。
「勝手なイメージを人に押し付けるな。迷惑だ」
「どうしてそんなことを言うんだ。君は僕を愛してるんだろう?」
「僕が愛してるのはおまえじゃない」
 はっきりと告げると、東条はひどくショックを受けた顔をした。泣き出しそうに眉を下げて、それでも苦労して笑って、彼は昨夜のジョークを持ち出した。

「生まれ変わったら、僕のお嫁さんになってくれるんだろ?」
「300回生まれ変わっても、僕はおまえを愛さない」
 一切の感情を含めず、薪は言った。
「自分の罪を他人に着せるような卑劣な人間を、僕は許さない」
 それはいっそ、身体に流れる温かい血液の一滴までもが凍り付いてしまいそうな冷たさで、東条は彼が初めて自分を拒んだことを知った。

 傾けた恋情の激しさは相手に受け入れられなかったことで一気に逆転し、強い破壊衝動へと彼を駆り立てた。
 東条の両手は薪の細い首にかかり、頚椎を折る勢いで締め上げた。気管を強く押されて、薪の口が嘔吐するときのように自然に開いた、そのとき。

 突如として響いた銃声に、東条は手を緩めた。
 薪は激しく咳き込みながら、必死で酸素を貪った。涙ぐみながらも彼は脚を動かし、東条の股間を蹴りあげた。
 東条が男にしかわからない痛みに呻いている様子を眺めていると、ダダダダと階段を駆け上がる派手な靴音が聞こえた。玄関の鍵を拳銃で壊して靴のまま階段を上がってくるなんて、I市の捜査官は随分荒っぽい。清川課長はかなりのスパルタ教育を行っているようだ。峰山たちもカワイソウに。
 しかし、そのおかげで助かった。あのまま締められたら5分でオダブツだった。

「薪さんっ!!」
「あれっ、岡部?」
 鍵のかかったドアを蹴破り、突入してきたのは東京で薪の代わりを務めているはずの副室長だった。
「なんでおまえがここに……ちょ、待て! 殺すな!! そいつの自白がなかったら青木が帰って来れなくなる!!」
 物も言わずに東条の頭に拳銃を突きつけた岡部を、薪は必死に宥めた。岡部の額の青筋はすごいことになっていて、今にも切れて血が噴出すのではないかと心配になった。それは彼がどれだけ凄まじい憤怒を耐えているのかの証明であり、自分の身を案じるが故のことだと思うと、申し訳なさの中にもほんの少し嬉しさを覚えて、だから薪は照れ隠しに思ってもいない彼の失点をあげつらう。

「まったく、おまえは乱暴だな。たかが玄関の鍵に拳銃なんて。発砲許可なんか、僕は出さないからな。帰ったら始末書書けよ」
 自分が助けた当人に文句を言われて怒るでもなく、岡部は東条をうつ伏せにして背中を足で押さえつけ、上着を脱いで薪の身体の上に放り投げた。薪の腕の拘束を解こうとポケットから折り畳みナイフを出したとき、ドアから峰山ともう一人の刑事が入ってきて、東条に手錠を掛けた。
 薪が身づくろいをする間に、東条は両腕を二人の刑事に掴まれ、立たされて、部屋から連れ出されようとしていた。薪は黙って彼を見据え、その瞳に無情を湛えた。

「薪さん!」
 ドア口で、彼は急に振り返った。
 薪と視線を絡ませ、東条は辛そうに顔を歪めた。
「あの夜」
 彼の暗蒼色の瞳から、透明な雫が筋になって流れた。
「僕にも、緋い月が見えたよ」



*****


 ということで、法十のナイトはやっぱり岡部さんなのでした♪
 岡部さん、す・て・き



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緋色の月(18)

 こんにちは。

 昨日(金曜日)の朝、突然、お義母さんが「海が見える温泉に行きましょう」と宣いまして。
 お義母さん、土日、台風来るよ?
 行くの? あ、そう……。
 でもっ。 
 今日の明日じゃ、予約取れないと思うよ! 一応電話してみるけど、絶対に無理だと思っ……あ、大丈夫? 部屋、空いてます? そうですか……。

 そんなわけで、週末は台風で荒れ狂う北茨城の海を見てきます。
 次の更新は火曜日になります。
 よろしくお願いします。





緋色の月(18)





「岡部警視、ご協力感謝します!」
 90度に腰を折り、峰山は岡部に向かって大きな声で礼を言った。東条を乗せたパトカーが走り去ったあと家宅捜索班が到着するまでの間、ひとりここの警備を命じられた彼は、興奮した面持ちで岡部のずば抜けた行動力を褒め称えた。

「岡部さんの咄嗟の判断がなかったら、薪警視長は今ごろこの世にいなかったと思います。すごいっす、感動っす。サイン、お願いします!」
 人のことは誇大妄想狂呼ばわりしておいて、岡部にはサイン色紙? 管轄外の刑事が首を突っ込んできたことに変わりはないはずなのに、なんだろう、この差は。
「僕のときと、えらく態度が違わないか?」
「そりゃあ岡部警視は全国の警察官の憧れですから! 『T大名誉教授惨殺事件』はもはや伝説になってるっす!」
 キラキラと目を輝かせて、峰山は岡部を見上げた。現場の刑事には第九の室長より、岡部警視のネームバリューの方が上らしい。

「おれ、心の底から岡部さんを尊敬してるんです。ノンキャリアでありながら、エリート揃いの第九で副室長を務めてらっしゃる。キャリアの上を行くノンキャリアなんて、超カッコイイっす!!」
「キャリアもノンキャリアも関係ないさ。俺は、自分が警察官として何を為すべきか、それを常に念頭に置いて地道にやってきただけだ」
「く―――ッ、カックイイッ! 超クール、超シブイっす!!」
「ちょっと待て、僕はその岡部の上司だぞ? どうして僕の方が扱いが下なんだ」
「あっ、いやらしいっすねえ、上司風吹かせちゃって。だいたい、助けてもらっておいてちゃんと礼も言わないなんて、人間として間違ってますよ、警視長は。だから『女装を愛でる会』なんか作られちゃうんですよ」
「!! おまえ、それが上官に対する口の」

 目の前に一枚の写真を出されて、薪の言葉が止まる。
 写真に写っているのは、薪の部下だ。場所はコンビニのレジ。青木のアリバイが証明されたと喜んだのも一瞬、次の一秒で薪は耳まで赤くなる。

 彼の手にしっかりと握られているもの、それは明るい家族計画。

「コンビニの店長の証言は取れました。それだけで充分だと思います。この防犯カメラの映像は、なかったことにしときますから」

 AOKINOBAKA――――ッ!!!!

 思わず漢字変換を忘れるほどに我を失って、薪は証拠写真を破り捨てた。
 あの20分の空白に、青木はこんなことをしていたのか。そう言えば、宿の屑篭には赤と青の二種類のセロファンが捨ててあった。1回分しか箱に入ってなくて、2ラウンド目の前にコンビニまで買いに走って……恥ずかしすぎる青木の行動を知って脱力すると共に、薪にはひとつの疑問が生まれた。

「どうしてすぐに調べてくれなかった? 青木の供述を信じなかったのか?」
「青木さんは言いませんでしたよ」
 峰山の言葉に薪は大きく眼を瞠り、次いで目蓋を伏せて口元を手で覆った。青木の愚かしさに、目眩がする。自分に殺人の容疑が掛けられているというのに、何をやってるんだ、あいつは。
「あのひと、見かけによらずガンコっすね。証言が取れたって言っても、自分はずっと宿に居たの一点張りで。この写真見せて、やっと頷いたンすよ」
「地平線バカだな。果てしないバカ」
 薪が心底呆れて嘯くと、峰山はムッと唇を歪めて、と言うのも彼は、薪に頼まれた伝言を青木に伝えたときの彼の反応を、その眼で見ていたからだ。

 殺人事件の被疑者に対する取調べはとても厳しい。刑務所より取調室の方が怖いから、自分は絶対に人は殺さないと峰山は心に誓っているくらいだ。その壮絶な環境に置かれながらも彼は、薪の伝言を嬉しそうに受け取り、それを持ってきた峰山に礼を言い、さらには気遣わしげな顔で、
『薪さんに、無理をしないでくださいって伝えてもらえませんか』
 なのに、この警視長ときたら。

「人の気持ちのわかんない人だなあ。あなたに迷惑がかかると思ったんでしょ」
 非難がましく訴える峰山の横で、薪はポーカーフェイスを崩さない。
 バカだからバカだと言ったまでだ。僕にとって何が一番つらいのか、青木はちっとも分かってない。付き合い始めて何年になると思ってるんだ、それくらい分かれよ、バカ。

「薪さん、大丈夫ですか」
 峰山とコソコソ秘密の会話を交わしていた薪に、岡部が尋ねる。同情を含んだ声で、
「データもファイルもゴミも、全部処分しますから。早く忘れてください」
「何を言い出すんだ、岡部。あれは大事な証拠品だぞ」
 それらの存在を最も消滅させたがっているはずの当人から咎めの言葉が出て、岡部は押し黙った。隣で峰山も眼を丸くしている。

「証拠品は、すべて提出する。それでこそ正当な判決が下るんだ。僕たち捜査官が、私情でそれを滅することは許されない」
 さっきコンビニの写真を破ったのは誰ですか、と突っ込みたいのを我慢して二人は、泰然と佇む警視長を見つめる。自分以外に害が及ばないとなれば、いくらでも潔くなれる。それは岡部が誇りに思う、薪の美点の一つだ。

 そして薪は、きっと考えている。
 すべての証拠を提示することで、東条の異常性は浮き彫りになる。衝動的に2人の人間を殺し、その罪を他人に着せようとした極悪非道の殺人者が、どうしてそれを為すに至ったのか、彼の心の闇を照らす光明になる。それを明らかにすることはすなわち、彼の弁護者の手助けをすることだ。

 理由のない犯罪はない。闇を知らない犯罪者はいない。
 彼らの闇を直視せずに、正しい罰は下せない。

 長年、彼の下に仕えてきた岡部には、室長の考えは手に取るように分かって、それは岡部が薪の捜査官としての立ち方を知っているからだ。公正を何よりも重んじる、それは警察官の基本であり、いかに立場が変わろうとも忘れてはならないこと。
 ――― まったく、あなたってひとは。

 自分が彼の部下であることに感動すら覚えて、薪を注視する岡部の視線を深憂と捕らえたのか、薪はことさら明るい口調で、
「大丈夫だ、大したことはされてない。クスリで眠らされて裸にされて、写真を撮られてあちこち舐め回されただけだ。別に、どうってことない」
 そんなことで、薪は傷つかない。身体に与えられた恥辱は、薪を汚さない。魂の真ん中に据え置いた信念、それさえ無事なら薪は決して折れない。
 それもまた、岡部には身に沁みてわかっていること。じんわりと滲んできた熱いものに、岡部はそっと自分の目頭を押さえた。

「なに泣いてんだ、岡部」
「これが大したことないって言えるくらい、男に襲われ慣れてる薪さんが不憫で……っ! い、いやそのっ!」
 岡部が気付いたときには遅かった。
 彼の半径2mはすでに猛吹雪に覆われ、峰山の姿を視認することも不可能だった。雪幕の向こうに恐ろしく光る亜麻色の瞳。その下のつややかなくちびるがアルカイックに吊り上がり、吐き出される言葉は呪怨の響き。

「毎回毎回助けていただいてありがとうございます、岡部警視。衷心より深謝申し上げます。このご恩は一生忘れません」
「ひ――っ! すいません、忘れてください――っ!!」
「お、岡部さん……?」

 第九の内部事情を知らない峰山がひとりツンツン頭を傾げて、岡部は瘧に罹ったように震え上がり、薪はクスクスと肩を揺らす。
 そうこうしているうちに家宅捜索班が到着して、東条家は俄かに騒がしくなった。峰山が彼らを案内するために家の中に入り、残された二人はその場を離れて、ブロック塀の外に止めてあった岡部の車まで歩いた。

「そういえばおまえ、どうして僕がここにいるってわかったんだ? てか、なんでこの町に?」
「全国ワーカホリック大会でぶっちぎりの首位を獲得しようというあなたが、あんな理由で仕事を休みますか? 何か厄介ごとに巻き込まれて、それを俺に詮索されたくないんだって、すぐに分かりましたよ」
 岡部の追及を避けるために、あっちの話題を出したのが逆効果だったらしい。言われてみれば、これまで一度も自分たちの間柄を仄めかしたことのなかった薪が、突然あんなことを言い出したら疑われて当然だ。落ち着いて考えてみれば直ぐに分かることなのに、どうやら自分で思っていたよりずっとパニくっていたようだ。

「小池に聞いたら、岡部は家の用事で急いで帰ったって」
「俺に言えないことなら、連中にも言わない方がいいと思いましてね。証拠の画を捜一に渡したあと、車ですっ飛んできたんですよ。でも、宿で聞いたらあなたは昨日出たって言うし、仕方なく地元警察の力を借りようとしたら青木が留置所にいて」
 鉄格子を挟んで青木と相対していた峰山刑事に事情を聞いて、岡部はすぐさま犯人の正体を悟った。薪の精神異常を課長に吹き込み、さらには偽の目撃証言までしている。どう考えても怪しい。
 
 地元警察の彼らが、東条の証言を鵜呑みにしてしまったのは、彼が著名な精神科医であること、彼の偉業は町全体の誇りであったこと、中でも一番の要因は、幼い頃からの彼を見てきたことで彼がどんな人間か知っているという自負によるものだった。
 特に課長は、東条の父親とは無二の親友だった間柄で、彼の成長をずっと見守ってきた。彼の父親が亡くなってからは、親代わりと言ってもいいほどだった。だから、彼が医者としての守秘義務に反して薪の情報を自分に差し出すことに、何の疑いも抱かなかった。

 それは捜査全体を導く者として致命的な間違いだったと思うが、薪には彼を責める気にはなれなかった。
 11時の時計の音は、記憶になかった。それでも自分は、青木の無実を疑わなかった。そんな自分に、彼を責める権利はないと思った。
 自分が無条件に青木を信じたように、彼も東条を信じた。妄信は愚かしく、あってはならないことだが、この世に人として生きる以上、避けては通れない感情だと思い知った。

「すぐに東条の自宅を調べて、後はあなたも知っての通りです」
 簡潔に結んだ部下の説明に、薪は亜麻色の瞳を悪戯っぽく眩めかせて、皮肉たっぷりのイヤミな声音で彼の行動を褒め称えた。
「岡部は僕のナイトだな」
「いい加減、お役ごめんにしてくださいよ。何のために青木をつけたと……まったく、あいつは何をやっとるんだか」

 少しだけ頬を赤くして、ガリガリと頭を掻く岡部に、ふふ、と笑って薪は、
「さて。姫を助けに行くか」




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緋色の月(19)

 ただいまです~。

 旅行、楽しんできました♪
 おかげさまで、心配したお天気もそれほど悪くありませんでした。 土曜日、豪雨で車の前が見えなくなったのが3回くらいだったかな☆ 日曜日は晴れ間も見えました。 

 遠浅で穏やかな銚子の海と違って、五浦の海は波が強く、断崖に砕け散る白波がとてもきれいでした。 目に鮮やかな松の緑と、眩しい空に白い波。 激しく打ち付ける波の音。 自然の力強さと美しさに、心が洗われる思いでした。
 これでネットがつながれば最高の環境なのに。 (←洗われても落ちない汚れ)


 留守中、たくさんのコメントと拍手をありがとうございました。
 土曜日かな、いっぱい拍手してくださった方、ありがとうございました。
 少しずつお返事していきますので、しばらくお待ちになってくださいね。(^^

 
 



緋色の月(19)





 石門の内側に二本の桜が、美しく咲き誇っている。
 昨夜からの風に払われた雲は空の隅っこに追いやられ、上空は見渡す限りの青一色。それを背景に、満開の桜が見事に映える。

 ひらひらと数枚の花びらが舞い落ちる中をゆっくりと歩く青年は、明るいベージュ色のコートの裾をかすかに揺らし、体重を感じさせない優雅な歩みをその道筋に刻む。
 やがて彼は、門と建物の中間地点に到達する。そこで建物から出てきた3人の人物に気付き、歩を止めた。
 真ん中に立った背の高い男が振り返り、他の二人に向かって頭を下げた。二人はその場に立ち止まり、そのまま庭へと歩いていく男の背中を見守った。

 薪は、彼が近付いてくるのを待っていた。
 彼は見違えるほどに憔悴しきった顔をしており、薪はまたひとつ、東条の吐いた嘘に気付いた。
 腫れ上がった目蓋に充血した眼。一日しか経っていないとは思えないくらい削げ落ちた頬。顔色も悪く、足取りもおぼつかない。夕方の6時で解放されたなんて、あれは嘘だ。明け方まで眠らせてもらえなかったのだろう、食事も飲み物も与えられたのかどうか。彼が体験した難事の熾烈を想像して、薪はいたたまれない気持ちになる。
 そんな状況に置かれても薪の身を案じていたなんて。こいつは本当に救いようがない。

 ふらつく足を踏みしめて、青木は懸命に薪に駆け寄り、1メートルほどの空間を挟んで彼と対峙した。青木の顔を見上げて、薪のつややかなくちびるが開く。
「バカヤロウ。手間かけさせやがって」
「……すみません」
 とんでもない災厄に見舞われた恋人に対して、この台詞はないんじゃないか。青木は思うが、仕方ない。薪に迷惑を掛けたのは事実なのだ。薪はときにその冷酷で青木を悲しませるが、本当はやさしい人だと分かっている。

 素直に謝る青木に、薪は一歩近付き、右手の人差し指で地面を指した。
「土下座して謝れ」
 …………どうしてこんなひと、好きになっちゃったんだろう、オレ。

 泣きっ面に蜂とはこのことで、だけど青木は自分でもどうしようもないくらい薪が好きだから、彼の言には絶対服従する。言われたとおり地面に屈み、片膝をついたとき。
 薪の腕が春風のようにやわらかく自分を包み、青木は彼の薄い胸に抱きこまれた。
 さらりとした髪の感触と、薪の匂い。恍惚としかけて、青木は自分を戒める。

「薪さん、人が」
「いいんだ」

 絶対に人前では青木の身体に触れない、街では離れて歩けと青木を叱る、過剰な警戒を怠らないはずの年上の恋人は、白昼堂々、しかも警察署の庭という公共の場で、玄関では二人の刑事が自分たちを見ているのを知りながら、自らの腕を青木の頭に絡め、愛おしそうに頬ずりをした。

「おまえのほうが大事だ」

 耳元で囁かれて、青木は思わず涙を零した。薪の細い背中をかき抱き、唇を噛んで嗚咽を殺した。そんな青木の弱さを薪は笑わず、彼の乱れた黒髪をやさしく撫でた。
「よく頑張った」
「薪さんが助けてくれるって、信じてました」
 青木は薪を妄信する。疑いなく迷いなく、それは青木にとって当たり前のこと。愚かとも間違いとも思わない。それを基本にして、青木の人生は作られる。

 人目も憚らずに抱き合う彼らを、二人の警官が眺めている。ツンツン頭の若い刑事が、ふうむ、と唸って腕を組み、
「想像してたより気持ち悪くないっすね。って、おれ、ヤバイすか?」
「いんや。あたしにも当たり前のことに見えるさあ」
 中年の刑事がゆるゆると首を振り、垂れ下がった眉毛をいっそう下げて、その下の小さな眼に温かいものを湛えながら、ため息混じりに呟いた。
「あそこまで思い込まれちゃねえ。男だ女だって拘ってるやつの方が、アホウに見えてくるよ」

 短い抱擁を終えて、彼らはI市警察署の建物に向き直った。それから玄関に佇む二人の刑事に一礼すると、付かず離れずの絶妙な距離感を保って石門へと歩いて行った。

「腹、決めて踏み出したんだろうよ。男だねえ」
 感慨深げに眼を細くした先輩刑事に、若い刑事が「そうっすね」と頷きを返す。
 遠ざかっていく彼らを祝福するように、舞い落ちる桜の花びらが二つの後姿を彩って、事件は幕を閉じたのだった。



*****

 
 このシーンが書きたくて、このお話を書きました。
「おまえの方が大事」って、薪さんの口から青木さんに直接言ってほしかったんです。
『トライアングル』の時もそうだったけど、たったこれだけのためにあんな目に遭わされるうちの薪さんて、ほんっとうに不憫☆



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ジャンル : 小説・文学

緋色の月(20)

 こんにちは。

 新しいサイト様のリンクのご紹介です。
 『Sadistic EXPO』 ←押すと飛べます。 
 管理人は オカイアキラ さまです。

 開設は今年の5月だそうで、まだ4ヶ月とのことですが、長編秘密創作に関しては1部が終了し、2部に入っております。 4ヶ月でこの量は、相当熱が入ってらっしゃるものと思います。 

 普通なら、こちらからリンクを貼らせていただくサイト様については 『切ないすずまきさんが』 とか 『甘いあおまきさんが』 とか、サイトの傾向について一言ご説明するんですけど、
 こちらのサイト様に関しては、それは控えさせていただきます。
 もう、そんな次元じゃないんです。 とにかくすごいの。 すごいとしか言いようがない。 ストーリーもキャラも、鮮やかで生々しい。 事件もきっちり書いてて、解決したときには 『おお!そうか!』 ってなる。
 薪さんの苦悩も、恋も、愛も、全部全部重く心にのしかかる感じです。 読んでいると、原作ばりに胸が苦しくなります。

 オカイさんのお話を読んだらね、自分の話なんかペラッペラだな、って思いましたよ。 まあ、うちはギャグなんで、そんなに重くても困りますけどね☆
 あと、うちの男爵はなんて幸せなんだろうって思った。(笑)

 ひとつだけ、お話の内容は決して甘いものではなく、薪さんの苦悩も深いです。
 初めの注意書きをよくお読みなってから、本編にお入りになることをお奨めします。
 わたしの鉄の心臓でさえ何度かビビリましたから~、ナイーブな方には、ちょっと厳しいかも。

 でも、本当に面白いんですよ! これを読まないなんてもったいない!
 是非どうぞ! ご健闘をお祈りします!!







緋色の月(20) エピローグ(1)






 月曜日。
 朝一番で薪がしたことは、官房室の上司に頭を下げることだった。

「申し訳ありませんでした。定期的に接触を持ちながら、彼の異常性に気付かなかった僕の責任です」
 事件は明るみに出た。
 犯人が警視庁専属のカウンセラーであったこと、犯行の動機が薪に対する異様な執着であったこと、犯人の偽装工作によって青木が誤認逮捕されたこと、それらはすべて白日の下に晒され、小野田は事件の渦中にあった警察官二人の氏名がマスコミに洩れないよう、奔走せざるを得なかった。

「責任はすべて僕にあります。青木警視は巻き込まれただけで」
 沈痛な面持ちで報告する薪の言葉は、途中で遮られた。小野田の両手が薪の肩に置かれたからだ。

「心配したんだよ」
 眉根を寄せて薄灰色の瞳を歪ませて、小野田は明らかに怒っていた。どうしてトラブルに巻き込まれた時点で自分に助けを求めなかった、とそれは言葉にはならなかったが、裏切られたような悲しいような彼の瞳が、想いを薪に伝えてきた。

「……ごめんなさい、小野田さん」
 不祥事を起こした部下としてではなく、彼の愛情を受けるものとして薪が心から謝ると、小野田は彼の肩を解放し、いつもの穏やかな顔に戻って言った。
「うん。これからは気をつけてね。きみはおかしな男に好かれる習性があるんだから、自分に話しかけてくる男はみんな自分を狙ってるくらいに思わなきゃダメだ」
「小野田さんまでそんなこと」
 岡部にも青木にも、同じことを言われた。冗談のつもりなのだろうが笑えない。あいつらのギャグセンスは、時々すごく残念だ。

「下がっていいよ。後の処理はこっちでするから」
「処理、とおっしゃいますと?」
 これはI市で起きた事件で、警視庁は介入しない。入るとしてもF県警までで、これ以上小野田の手を煩わせることはないはずだが。
 訝しげな光を瞳に浮かべた薪の前で、小野田は執務机の上で両手を組み合わせ、にっこりと笑って、しかしその眼は冷たいままで、薪は自然と強くなっていく肩の緊張をほぐすことができない。
 警察庁の実力者の貌になって、小野田は薪の疑問に答えた。

「きみを殺そうとした東条は、警視庁の専属カウンセラーだ。これは警視庁の責任でもあると思わないかい?」
「官房長殿の仰せの通り」
 隣の部屋から首席参事官の中園が現れ、小野田の言葉を引き継いだ。
「その責を負うのは、当然警視総監の役目だ。きみを彼のところへ通わせていたのも、彼。彼には何らかの形で責任を取ってもらう。具体的には、彼が第九へ介入する権限を削いで科警研に及ぼす彼の力を減じ、我々の勢力を伸ばすという方向で」
「中園。余計なことは言わなくていいよ」

 中園の口上を遮って、小野田の尖った声が響いた。官房室の諸葛孔明と異名を取る首席参事官は、軽く肩を竦めて、
「小野田。いつまで薪くんを客人扱いする気だい? そろそろ、こういうことも覚えてもらわないと」
「いいから黙りなさいよ。薪くん、昨日の今日なんだからね。無理をせずに、今日は家でゆっくりしたらどう?」
「いえ、大丈夫です。失礼します」
 薪は一礼し、官房室を辞した。

 今回の事件を利用して、小野田は警視総監派の勢力を抑えようとしている。
 派閥抗争のため、利用できるものは何でも利用する。警察の上層部がそういうところだということは理解していたつもりでも、第九や自分がその為に利用される事実を知るのは、悲しかった。
 
 小野田は聖人君子ではない。薪の身をとても案じてくれたことは事実だが、それを利用する狡猾さも持っている―― 。
 小野田に対する尊敬と愛情は変わらずとも、そのことだけは肝に銘じよう。

 官房室のドアを見つめがら、薪は自分にそう言い聞かせた。



*****



 週末、薪にはもう一つのフォロー先が残っていた。誤認逮捕の憂き目にあった哀れな男、つまり薪の恋人だ。

 その日、彼がいささか不機嫌なのはわかっていた。その理由も察しがついた。東条が薪に行った狼藉の数々に腹を立てているのだ。
 青木はやきもち妬きだ。特に、薪が他の男に肌を見せるのを極端に嫌がる傾向がある。温泉の大浴場に浸かるのもいい顔をしないし、夏、タンクトップに短パン姿でコンビニに行くのにも眉を顰める。
 そんな彼が、東条のしたことを知って怒らないはずがない。被害者であるはずの自分が彼の不機嫌をいなさなければならない状況に理不尽は感じたものの、今日のところは仕方あるまいと諦めて、週末の楽しみに録画しておいた推理ドラマは早々に切り上げ、恋人と一緒にベッドに入った薪である。
 青木の不機嫌は、だいたいコレで直る。ちょっとした諍いなら、おつりがくるくらいだ。それを愛情と取るか非情な駆け引きと取るか、その判断に他人の意見はいらないし、聞く気もない。本人同士が納得しているのだから、世間一般の道徳はこの際遠慮してもらおう。

 彼のご機嫌を取るために、常ならば落とす部屋の明かりは点けたまま、恥ずかしいのを我慢して青木の愛撫を受けていた薪は、彼の様子がいつもと違うことに気付いた。それは、薪の肌に吸い付く彼のくちびるの温度とか、彼の指先から生み出されるリズムとか、そんな曖昧なものではなく、もっと具体的で、要は一目見て分かるものだった。
「……どうした? 疲れてるのか?」
 薪の裸体を前にして、青木が反応を示さなかったのは初めてかもしれない。青木は若く、イヤになるほど元気で、服を着たまま接触していても自然にその状態になってしまう。ソファで持たれ合ってテレビを見ているだけでも欲情してしまう彼を、薪は宇宙人でも見るような眼で見ていたのだが。

「ごめんなさい。今夜はできそうにありません」
「気にするな」
 ベッドの上に裸で二人、正座して向かい合う。何をしているのかと笑われそうだが、本人たちは真面目だ。
「おまえも30近いんだから、そういうこともあるさ。落ち込むことはない。僕なんか、ソープで勃たなかったことあるぞ。お金だけ払わされて、あれは口惜しかった」
 しょんぼりしている恋人を、薪はやさしく慰める。かなり微妙な慰め方だが、本人はこれで精一杯元気付けているつもりなのだ。
 それが役に立たないことは、薪の方がずっと多い。薪はもともと薄いほうだし、すでにアラフォー。正直、今夜はしなくて済むと思うと、ちょっとだけ嬉しかったりする。

 まだ眠ってしまうには早いし、さっきの録画の続きを見よう、と提案しようとして薪は、青木が眼の縁に涙を浮かべているのに気付いた。何も泣かなくたって。できなかったことがそんなに悲しいのだろうか。
「青木?」
 薪が下から覗き込むと、青木は黒い瞳を捨てられた子犬のように潤ませて、ごめんなさい、ともう一度謝った。

 いやな予感がした。
 青木の不調は体力的なものではなく、精神的なものだと薪は直感した。
 もしかしたら、薪が東条に穢されたことを知って、青木は薪の身体に嫌悪感を抱いたのではないか。その気持ちが身体に現れて、今日の青木は反応しないのでは?

「オレ、あの男が薪さんにしたことを聞いて」
「あれは僕の意志じゃない!」
 予感が的中したことを悟って、薪は思わず叫んだ。
 レイプにあった被害者が、恋人や婚約者から一方的に別れを告げられることは多い。本人には何の非もないのに、理不尽な暴力に晒されて、なのに一番力になって欲しい人が自分から去っていく。彼女たちの憤りと悲哀を、薪は身をもって体感しようとしてした。

「クスリで眠らされて意識がなかったんだ。それでも、青木は僕を許せないのか」



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緋色の月(21)

 最終章です。
 お付き合いくださったみなさま、ありがとうございました!!




緋色の月(21) エピローグ(2)




「クスリで眠らされて意識がなかったんだ。それでも、青木は僕を許せないのか」
 
 正座から膝立ちになって青木に詰め寄ると、青木は慌てて首を振り、
「ち、違いますよ。許すも許さないも、薪さんは被害者じゃないですか」
 と、薪の早とちりを諫めた。
「なら泣くなよ。あの男が許せないのは分かるけど」
「それも違います。もちろん先生のしたことは許せませんけど、オレも似たようなことしてたし……責める権利ないっていうか」
 青木は昔、薪が捨てたはずのジャケットを後生大事に隠し持っていたことがある。早朝から薪の家の前に立っていて、外出先まで尾けて来たこともある。立派なストーカー行為だ。薪に想いが通じて恋人同士になる前、彼が眠っているのをいいことにくちびるを盗んでしまったこともあるし、一人寝のベッドの中で毎晩のように淫らな彼を妄想しては自分を慰めた経験もある。ひとのことを言えた立場ではない。

 犯罪者を先生と呼んでしまう青木の愚直さを好ましく思いながらも、じゃあなんだ、と薪がくちびるを尖らせると、青木は途端に項垂れて、申し訳なさそうに白状した。
「あんなことされて、一番傷ついてるのは薪さんなのに、オレが慰めて差し上げなきゃいけないのに、オレ、口惜しくて……オレ以外の男が薪さんを抱いたって思ったら、口惜しくて口惜しくて、どうしてもやさしい気持ちになれなくて」
 それは恋人として当たり前の感情だと薪は思った。薪だって、青木がクスリで身体の自由を奪われて、どこぞの女にオモチャにされたら面白くない。女に報復するのは当然として、被害者である青木に対しても当り散らしてしまいそうだ。こういうものは理屈じゃない。理性は納得しても、感情は治まらない。それが分かっていたから、まだ宵のうちからベッドに入ったのだ。
 でも、青木は大きな勘違いをしている。そこだけは正してやらないと。

「こんなオレに、薪さんに触れる資格ないって」
「ちょっと待て。僕が東条に犯られたって、あの事件調書のどこに書いてあったんだ?」
「事件調書には書いてありませんでしたけど、ストーカー被害に遭った男性は、クスリで眠らされて性的暴行を繰り返されてたって、週刊誌に」
 ……どうして警察の人間が週刊誌で事件の詳細を確認するんだ。おまえはそれでも幹部候補生か。

「証拠品の診療日誌も読みました。薪さんと何度も愛し合ったって」
「おまえの眼は節穴か。あんなもの、東条が自分の妄想を書き付けてたに決まってるだろうが」
「まあ、あれは全部本気にしたわけじゃないですけど。薪さんが挿れただけでイッちゃったとか、立て続けに射精とか、ありえないし」
 ちょっと待て! 真偽の判断基準はそこなのか!?

 説教は後回しにして、今は青木の誤解を解くことが先だ。薪はしぶしぶと言った口調で、自分が受けた被害内容を青木に話して聞かせた。
「――― という具合で、裸にされて触られたのは事実だけど、そこまではされてない。一時間程度で目覚める量の睡眠薬なんだから、されれば気がつくし、万が一眠っている間にされてたら、眼が覚めたときに感触でわかる」
 あんなものが出入りすればその後はしばらく疼くし、眠っていたのはせいぜい1時間位のものなのだから、身体の異変に気付かないわけがない。

「でも、試験管にストーカー被害に遭った男性の精液が保存されてたって」
「あれは僕のものじゃない。おそらく東条のだ。彼は、現実と妄想の区別がつかなくなっていたんだ」
 薪は眠っていたのだから、吐精なんかできるわけがない。加えて、薪には絶対にそれが自分のものではないと確信できる理由があった。
「もしかして、中身を調べたんですか?」
「調べなくてもわかる。この2ヶ月、僕はカウンセリングには行ってない。2週間前の精液が採れるはずがない。それに」
 言いかけて、薪は口ごもる。
 薪の揺るぎない自信を何が支えているのか、それを言うのはちょっと、いや、むちゃくちゃ恥ずかしい。理由もさることながら、それを為していた自分の気持ちを青木に知られるのはもっと恥ずかしいからだ。

「だけど、あの先生のところには3年も通ってたんでしょう。その間には、きっと何回かは」
「ありえない」
「どうして言い切れるんですか」
「どうしてもだ」
 これ以上の会話は危険だと察して、薪はぷいと横を向いた。絶対拒絶のオーラを出して、青木の質問を封じる。

「……そうですよね。どちらにせよ薪さんの意思じゃなかったんだから、そんなことに拘るのもおかしいし、今更蒸し返しても仕方ないですよね。ごめんなさい、嫌なことを思い出させて」
「僕には無理なんだ! 僕が二日続けてできないの、知ってるだろ!」
 男のプライドに懸けて言うまいと決めていたことを、薪は大声で叫んだ。

 だって青木があんまり悲しそうな顔をするから。黒い瞳が捨て犬みたいに薪を見るから。
 彼にこんな顔をさせるくらいならプライドなんか要らないと、一瞬でも思ってしまったら薪の負けだ。

「カウンセリングに行った日は、おまえと夜を過ごした翌日だ。だから、何をされても勃たないんだよっ」
 ときに涙を禁じえないほどの薪の薄さは、青木が一番よく知っている。翌日は本当に何をしても反応しない。起きていてもその調子なのだから、眠っていたら尚更だ。
「でも、3年間必ずそうだったわけじゃ」
「いいや、3年間ずーっとだ」
「薪さんの記憶力がいいのは存じ上げてますけど……」
 くそ、しぶといな。僕にここまで言わせるか。

「僕がカウンセリングに通っていたのは、僕の意志じゃない。総監に無理矢理通わされていたんだ。僕は早くカウンセリングから解放されたかった。そのためには良好な診断結果が必要だと思った、だから」
 頬が火照っているのが分かる。本音を言うのが一番苦手だ。自分の最も弱い部分を、相手に知られてしまう。
 すうっと息を吸って、薪は一気に吐き出した。

「自分で最高に満ち足りてるって思う精神状態のときを選んで、カウンセリングを受けていたんだ! 一度も違えてない!!」

 青木と過ごした翌日は、満たされてる。歩くのが辛いくらい足腰が痛くても、会議の最中に居眠りしそうなくらい寝不足でも、それは青木が僕を愛してくれたことの証だから。痛みもだるさも、感じるたびに幸せな気分になる。
 自分がそこまで彼に溺れていることを当の相手に知られるなんて、最大の屈辱だ。だから言いたくなかったのに。でも、
「薪さん」
 ぱあああ、と笑顔になる青木を見ていると、そう悪くもないような、ていうか、この単純なところが可愛いと、胸がきゅんきゅんしてしまう。だから薪はついつい余計な一言で、自分の首を絞めるのだ。
「安心しろ。僕はおまえ以外の男には反応しないから」

 他の男なんかゾッとする。東条に触られたときも、虫唾が走った。
 青木だけだ。青木だけが僕の身体をおかしくする。この感覚を狂わせる。羞恥心を悦びに、苦しさを快感に、狂わされたまま乱れて乱れて、堕ち行く先には底が見えない。僕もそのうち彼の精神分析医のように狂ってしまうのだろうかと、時々薄ら寒くなる。

「納得したか? じゃ、服を着て録画の続きを見よう。僕のカンではもうすぐ第二の殺人が」
「薪さんっ!」
 ベッドから降りようとしたところを後ろから捕らえられ、腰を引かれてシーツの上にうつ伏せに倒れた。腿の付け根に硬いものを押し付けられて、薪はぎょぎょっと振り返る。
「ちょ、ちょっと待て! 今夜はできないんじゃなかったのか!?」
「すみません、我慢できないです」
 結局こうなるのか―――――っ!!

 安眠への期待を裏切られて、薪は腹を立てる。でも、いささか強引に後ろから入ってきた青木に、オレもあなただけですから、と耳元で囁かれれば、彼がもらたす律動とその余波の中で、腹立だしさも愛しさに変わっていく。
 青木はまるで存在自体が魔法みたいに、僕の心に次々と生まれるマイナス因子をプラスに転じていく。それは、表が黒で裏が白色のドミノピースが逆向きに倒れていくさまにも似て、与えられる刺激との相乗効果で、僕の身体も心も白くする。
 自分は多分東条と同じ種類の人間で、それはあの夜、同じ色の月を見ていたことからも明らかだ。話してみれば夢も闇も、我がことのように理解しあえるのだろう。
 でも。
 
 ―――― でも僕は天邪鬼だから。逆に倒されるのが好きなんだ。

 つながったまま、脇腹を抱えるように起こされて、薪は青木の膝の上に座らされた。自然にうつむくと、彼の手が自分の脚の間で動いているのが見えて、その隙間に覗く自分があまりにも快楽に正直なのが恥ずかしくて、思わず眼を逸らす。しかし一度眼にしてしまったその映像は、彼の脳に留まり彼の脳下垂体を刺激して、彼の快楽を倍増させる。
 自然に反り返る細い背中と、リズムに合わせて動く腰。今日は抑えなくてもよい嬌声が、つややかな唇から迸しる。

 上向いた薪の眼に、消さずにおいた部屋の明かりが飛びこんでくる。眩しくて、薪は目を閉じた。
 閉じた目蓋の裏側で、寝室の暖色照明の残像が、赤い月の破片のように滲んで消えた。



―了―



(2011.6) 最新作とか言っておいて、公開終えたら3ヶ月も経ってたよー。(^^;


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緋色の月~あとがき~

 長い長いお話にお付き合いくださいまして、誠にお疲れさまでした。

 以下、あとがきでございます。








*****



青 「どうもお疲れさまでした。はい、コーヒーどうぞ」
薪 「いやー、先生、大変でしたね。あんな役を割り振られて」
東 「参ったよー。演りながら何度も吐きそうになっちゃったよ」
青 「……ノリノリじゃありませんでした? 特に、薪さんとの絡みのシーン」
東 「ぎく」
薪 「バカだな、青木。役柄上、仕方なくやってたに決まってるじゃないか」
青 「そうですか? でも、厭々やってたらエレクトしないんじゃないですか?」
東 「ぎくぎく」
薪 「さすが先生。見上げたプロ根性ですね!」
青 「これだから何度襲われても学習しないんだよな」
薪 「なんか言ったか、青木」
青 「いいえ、何にも」
薪 「東条先生、本当にお疲れさまでした。先生が僕を拘束して思いの丈をぶつけるシーンは、鬼気迫るものがありましたねっ。僕、ちょっとだけ怖くなっちゃいました」
東 「あそこはねー、何度も作者にダメ出し喰らってねー。もっと異常性を表に出して、とかムチャな注文付けられてさ。自分にないものを演じるのって、難しいよね」
青 「そうかなあ。7割ぐらいは本音混ざってませんでした?」
東 「ぎくぎくぎく」
薪 「青木! さっきからその態度はなんだ、先生に突っかかって。おまえ、主役の先生に向かって意見できる立場だと思うのか。今回は何にもしない楽な役だったくせに」
青 「オレだって好きで出なかったわけじゃ、てか、この話、先生が主役だったんですか?」
薪 「東条学というキャラクターが生まれたからこそ出来た話だ」
青 「そうなんだ……オレたち、脇役だったんだ」
東 「薪さんは脇役じゃなくて、僕の相手役だよね」
薪 「そうですね。脇役っていうと峰山くんかな。岡部は友情出演て感じで」
青 「あの、すみません。オレは?」
薪・東 「「エキストラ」」
青 「……………」



*****




 いつの間にか 『あとがき=座談会』 に……!!

 読んでくださってありがとうございました。


 この後の公開予定は、長い話でお疲れになったと思うので、肩ほぐしの男爵シリーズをちょっと挟みまして、それから、今では薪さんの言動に矛盾が生じてお蔵入りになってしまった話を挿入して、その後は、
 本編の最終話、『タイムリミット』を公開します。


 こちら、最後のバクダンです。 当然、あおまきすとさんは立ち入り禁止でございます。
 読まれる方のご心痛を考えれば、お心の強い方だけお付き合いください、と言いたいところなんですけど~~、
 この話、うちのあおまきさんの集大成なんですよね。 この話でようやく、よそ様のあおまきさんの絆に追いつく感じ。
 だから、ちょっとばかり痛くても読んでいただけるとうれしいな~。 
 もちろん、最後はハッピーエンドになりますから! 
 わたし、薪さんに関してだけはハピエン至上主義者だもん!(←オリキャラは不幸上等)


 ではでは、公開の準備を致しますので、しばしお待ちください。




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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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