23日目の秘密(4)

23日目の秘密(4







 青木は、胸をドキドキさせていた。
 室長の家に来るのは、これが初めてだ。住所は名簿からチェック済みだったが、外から確認したことがあるだけで、中に入れてもらったことはない。
 薪の清らかなイメージに合わせたような、白い清潔な建物だった。そう大きくはないのだが、外から見た限り一軒一軒の間取りは広そうだった。防犯のためかベランダはない。窓にはブラインドが降りていて、中の様子は見えなかった。

 室長の机は、日中どれだけ書類が山積みになっていても帰りには必ずきちんと整頓してあるから、きっと自宅もきれいにしているに違いない。先日雪子から聞いた話でも、薪はきれい好きということだった。
 きっとモデルルームのように掃除も行き届いていて、絵画とか観葉植物が飾ってあって、男の一人暮らしとは思えないような、そんな部屋を青木はイメージしていた。薪の外見から推し量ろうとすると、どうしてもそうなるのだ。
 が、息を止めていろ、と意味不明の指令とともに玄関の扉が開けられた瞬間。
 青木は吐きそうになった。

「なっ、なんですか、この部屋。臭っ!!」
 青木の悲鳴を無視して薪は窓に突進し、ブラインドを上げて窓を開けた。首を外に出して、口で息をしている。
「この季節に3週間以上も家を空けてみろ! おまえの部屋だって、絶対こうなる!」
 振り向いて怒鳴られた。
 6月の終わりから7月の半ばまで。薪の主張は間違ってはいない。が、とにかく臭い。
 段ボール箱は玄関口に置いて、薪に倣って窓の外に首を出す。外は直射日光がガンガン当たって目が回りそうな暑さだが、この悪臭よりはましだ。

「何がこんなに臭うんですか?」
「まあ、いろいろ」
 窓を開けたまま、薪は部屋の片付けにかかる。
 2LDKの1人暮らしにしては広い部屋。
 見ると、部屋の中はそう散らかっているわけではない。衣服が脱ぎ散らかされているとか、コンビニ弁当の残りが腐っているとかそういうことではなく、単に空気の入れ替えができなかったことによる悪臭、という事らしかった。

 インテリアは備え付けのものらしく、アイボリー系で統一してある。とても明るい部屋だ。
 ただ、家具は極端に少ない。背の高い本棚と机に回転椅子。大型の液晶テレビと来客用のソファ。広いリビングに置いてある家具はたったそれだけで、作り付けのサイドボードの中は殆ど空っぽだった。
 そのサイドボードの上に、写真立てと枯れた百合の花が置いてある。もちろん3週間前はきれいに咲いていたのだろうが、今は無残にも枯れ果てて、花瓶に残った水はヘドロのようになっている。これが悪臭の原因のひとつだ。

 花瓶を取る振りをして、薪がさりげなく写真立てを引き出しに隠したのを、青木は見逃さなかった。きっと他人に見られたくないのだ。
 もしかしたら、彼女の写真かもしれない。気になるが、隠そうとしているものを訊くわけにもいかない。

 薪は百合の花をゴミ袋に入れて、台所へ向かう。花瓶を洗うためだ。
「あ、オレやります」
「いいから、おまえは帰って勉強しろ」
「でも、岡部さんが薪さんの手伝いをしろって」
「僕は今日は仕事はしない。部屋の掃除をして寝るだけだ。いや、その前に」
 薪はそこできれいな顔を歪めて、亜麻色の頭をがりがりと掻いた。
「とりあえず風呂だな。もう3日も入ってないんだ。臭うだろ」
「そんなことないですよ。薪さんは良い匂いです」
「おまえ、耳鼻科に行ったほうがいいぞ」
 狭い車中で一緒だったが、べつに気にはならなかった。そういえば、少し甘い匂いがしたような。が、不快な匂いではなかった。

 風呂の準備のためにバスルームに行った薪が、すぐに飛び出してくる。窓に駆け寄って、大きく深呼吸。
 ……風呂場も臭いのか。
 バスルームも白を基調としたユニット式で、かなり大きな湯船が置いてある。薪なら楽々と手足がのばせるサイズだ。そのバスタブの中で、3週間前はただの水だったものが何か別の液体に変わり果てている。排水溝から流れて出してはいるものの、すさまじい臭気である。
「薪さん。風呂場が下水道みたいな臭いなんですけど」
「朝、風呂に入ってそのままだったんだ。急に岡部が迎えに来て、まさかこんなに帰れないとは思わなかったから」
 換気扇の目盛りを強にして、青木はその場を離れる。掃除をするにしても、もう少し臭いが抜けてからだ。

 リビングに戻ると、薪が窓枠にもたれてへたばっていた。先刻、眠っていた時より顔が青白い。
「大丈夫ですか?」
「昔から臭いがキツイの、ダメなんだ。気持ち悪い……」
「腐乱死体の臭いは平気だったじゃないですか」
「仕事だと思えば大丈夫なんだ。でも、うう……」
 そんなものだろうか。
 今日は体調も関係しているのだろう。極限まで疲れ果てた身体が食物を受け付けなくなるように、臭いや刺激にも弱くなるのかもしれない。

「オレ、掃除してきますよ。風呂場」
「……いいのか?」
 目が期待している。そんな室長はかわいくて、つい笑ってしまう。
「掃除はわりと得意なんです」
 軽い足取りでバスルームへ入ると、半月以上締め切っていた湿潤空間は、天井にまでびっしりカビが生えている。これを落とすのは一苦労だ。岡部の言っていた『人手』の意味がようやく解った。
 カビ取り用の洗剤を吹き付けておいて、青木は一旦風呂場を出る。背の高い青木は、実家でもちょくちょく窓拭きや電灯や風呂場の掃除をやらされていたから、要領は踏まえている。

 カビ取り剤が浸透する間に薪に冷たい水を持って行ってやろうと思い立って、青木は台所へ向かった。
 流し台は綺麗に掃除してある。が、食卓の上には食べかけの朝食が、これまたひどい状態になっていて、特に野菜サラダの変貌と言ったら新種の微生物が誕生してしまいそうだった。
 カビだらけのトーストと泥沼のようなサラダの残骸をゴミ袋に入れて、周りを見る。コーヒーメーカーの蓋を開けると、やはりカビの生えたコーヒーが入ったままで、それも捨てる。コーヒーのドリッパーと皿は漂白剤につけて、殺菌しておく。
 思いついて冷蔵庫を開けてみると、案の定魔窟になっている。無事なのはペットボトルの水と缶ビールくらいのものだ。特に野菜室は全滅だ。レタスもトマトもどろどろに溶けている。ものすごく、クサイ。

「知らなかった。野菜って溶けるんだ」
 青木はきれい好きという程ではないが、ここまでにしたことはない。そういえば、炊飯器にごはんを入れたまま半年ほど置くとカビが侵食して内釜に穴が開くそうだが、本当だろうか。
「三好先生……話が違います」
 冷蔵庫の中のものを次々とゴミ袋に入れながら、青木は筋違いの非難を呟かずにはいられなかった。


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23日目の秘密(3)

23日目の秘密(3)







 薪がやっとの思いで報告書を仕上げ、田城の許可を得て帰途についたのは、朝の9時だった。3週間以上家に帰っていないことを知ると、田城は薪に3日間の休暇をくれた。
 後の段取りを岡部に伝えて、溜まった洗濯物や家から持ってきた資料を段ボール箱に突っ込んで研究室を出ようとすると、岡部が車で送ってくれると言う。荷物もあることだし、何よりとても疲れていたので、素直に甘えることにした。
 車で待っててください、と言われて助手席に座った途端、どっと疲れが出て眠り込んでしまった。気が付いたら家の前だ。

 何故か青木に揺り起こされた。
 いつの間に、岡部から青木になったんだろう。確かこいつは、今日から試験のための休暇に入るんじゃなかったか。

 低血圧者特有の寝起きの悪さで、薪の機嫌はすこぶる悪い。頭は重いし、足元はふらふらする。起き抜けには真っ直ぐ歩けない。薪の血圧は、体調が良いときでも上が95。今は多分80を切っている。
 青木の腕が自分を支えてくれるが、それは室長のプライドをいたく刺激する。
 岡部ならまだしも、青木はまだ24歳だ。一回りも年下の若造に手を借りるのは、何だか面白くない。自分が両手でなければ持てなかった段ボール箱を、小脇に抱えているのも癪に障る。人間でかけりゃ良いってもんじゃないぞ、と青木には罪のないことでいちゃもんをつけておいて、階段を昇る。部屋は2階だ。

 このマンションは、セキュリティー重視で選んだ。玄関のロックは瞳孔センサー方式である。第九の室長には、様々な思惑からの嫌がらせも多いからだ。
「ご苦労だったな。ここまででいい」
「いえ、今日は薪さんの手伝いをするようにと岡部さんから言われてますから」
「なに言ってるんだ、おまえ。昇格試験の勉強はどうした。もう1週間もないんだぞ」
 青木を家に上げるつもりはさらさらない。予告してから来てくれれば別に構わないのだが、今日はだめだ。
「じゃ、この荷物だけでも。かなり重いですよね、これ」
 それは確かに苦労しそうだったが。

「……玄関開けるから、息止めてろよ。間違っても鼻で呼吸するな」
「はあ?」
 大きく息を吸い込んで肺の中に溜め、鼻と口にハンカチを当てて、薪は玄関の扉を開けた。


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23日目の秘密(2)

23日目の秘密(2)







 青木の運転する車の助手席では、疲労困憊した室長が死んだように眠っていた。

 危ないと解ってはいても、運転しながらちらちらとそちらを見てしまう。疲れ果てた室長の様子が、気になって仕方ない。
 赤信号を幸いと、青木は横を向いて室長の具合を確認する。
 青白い顔をして、浅い呼吸をしている。仕事中は厳しく吊り上げられている眉が、今は目蓋に合わせて自然なカーブを描き、その寝顔をひどく幼いものにしている。
 重なり合った睫毛の長さは、映画女優さながらだ。疲れの浮き出た頬にはいつもの張りはないが、その分白さが強調されて、車窓から差し込む朝の光に溶けてしまいそうだ。
 清廉で、淡い美貌―――― そのくせ口唇だけは妙につややかで、グロスを塗ったように光っている。これで化粧をしていないのだから、いっそこわい。

 きれいだな、と青木は思う。

 室長の寝顔は、なかなかじっくり見られるものでもない。つい見とれてしまっていると、後続車にクラクションを鳴らされた。いつの間にか青信号だ。室長の眠りを妨げないように、ゆっくりと車をスタートさせる。

 ずっと心配していたのだ。
 6月の終わりに起こった連続殺人事件を皮切りに、第九の捜査ラッシュが始まった。ピーク時は、一度に5件の事件をMRI捜査にかけていた。
 すべてが進行中の事件だったため、どの捜査も火急の対応が必要だった。一刻も早く犯人を検挙して、これ以上の犠牲者を増やしてはならない。職員全員が研究室に泊まりこみ、交代で仮眠を取りながら捜査に当たった。
 室長は、労働基準法を無視した勤務体制(シフト)を組んだ。
 第九は本来なら週休2日制だが、その表によると休日は10日に1度だけだ。それでも部下たちが何も不満を訴えないのは、事件の緊急性と捜査の重要性を知っているからだ。そして誰も室長を恨まない理由は、薪が休日どころか仮眠すらろくに取らないで捜査に打ち込むことを知っているからだ。

 今月の初めにも1度、薪は睡眠不足と貧血で倒れた。
 雪子と岡部の叱責をBGMに、ベッドの中でパンをかじっていた室長の姿は記憶に新しい。ただ、本人はあまり反省していないようで、彼の職務状態の改善は見られなかった。その後も倒れこそしなかったが、何度も貧血を起こしているのを青木は見ていた。
 ただでさえ細い身体なのだ。そんなに体力があるはずはない。
 それを言うと室長の不興を買うのがはっきりしているので誰も指摘しないが、薪は男にしては背も低く、体も小さい。抱えあげて仮眠室へ運んだことがあるが、5ヶ月前に別れた彼女よりもずっと軽かった。
 成人男性の平均身長が175cmを超えようという昨今、160cmをいくらも超えない薪の身長は、女性と変わらない。いや、青木の元カノや雪子に比べると、10cm以上も低い。体重も10キロくらい少ないような気がする。
 そんな薪が根性だけは誰にも負けなくて、常人を遥かに超えた気力でもってその脆弱な肉体を酷使するのを、第九の職員はみな心配しているのだ。

 もっと自分が室長の役に立てれば、と青木は不甲斐ない自分を叱咤する。
 青木はまだ、第九に入って半年。一人前にはなれていない。早く一人前になるために、室長命令で青木は今月、昇格試験を受けることになっている。
 その昔、青木のようなキャリア組には、昇任のための試験はなかった。
 一般の警察学校を卒業した警察官には昇任試験があり、その試験をパスしないと上の役職には就けない。しかし、有名大学を出て国家公務員Ⅰ種試験に合格して警察庁入りする俗にいうキャリア組は、入庁時の役職がすでに警部補、23歳で警部、25歳で警視という具合に自動的に昇任していき、45歳になれば警視長の役職が約束されていた。

 が、年々開いていく一方のノンキャリアとの格差が両者の間に対立を生み、捜査にまで支障をきたす様になった。本来ならば現場の者同士、話し合いで解決するべき問題だが、両者の価値観の相違がそれを許さなかった。
 ノンキャリアの者たちが特に不満に思っていたのは、試験も受けず特別な手柄を立てずとも、所轄と警察庁を行ったり来たりするだけでエスカレーター式に出世ができる、キャリア組にだけ許された昇任制度であった。
 そこで政府は、ノンキャリアの不満を少しでも解消するため、またその役職に相応しい人間を選考するためという理由で、キャリア組にも昇任のための試験を設けることを決定した。
 それが2045年―――― 薪が警察庁入りする2年前のことだ。

 キャリア組のために作られているだけあって、一般の警察官が受ける昇任試験より遥かに難しい。この問題を一般にも公開することによって、ノンキャリアとの差を明確にする。ひいてはキャリアの地位を確固たる物にするための制度なのだが、実際はそのあまりの難しさのために試験に合格できない者もいる。そのため、今はキャリアでも30歳で警部という役職も珍しくなくなった。
 この制度が採用される前に警察庁に入った者には、旧態の昇任制度が適用されている。いわば早い者勝ちで、田城や三田村はその口だ。一見不公平なようだがこれは当たり前のことで、今までの上下関係を突然ひっくり返してしまったら命令系統が混乱し、組織が壊滅してしまう。仕方のないことなのだ。

 このキャリア専用の昇任試験のことを一般の昇任試験と区別して『昇格試験』と呼び、毎年7月に実施されている。青木が受けようとしているのは、警部用の昇格試験である。
 しかし青木は、試験よりも薪について捜査を学びたい。
 実は今日から試験準備のための休暇を貰っていたのだが、そんな理由で第九に出てきてしまった。3日間の休暇を取った室長の代理を務める岡部にそれを指摘され、ついでに薪さんを送ってくれと頼まれた。
『人手がいると思うから、今日は薪さんを手伝ってやってくれ』
 家でも仕事をするつもりなのだろうか。第九の資料は殆どが対外秘なので、持ち出し厳禁のはずだ。だから捜査が混んでくると、第九に泊り込む羽目になるのだ。まあ何にせよ、室長の家に行って室長と一緒に過ごせるなら、どんなことでも大歓迎だが。

 ここだけの話、青木は薪に惚れている。

 上司としての薪を尊敬しているといったことではなく、もっと世俗的な意味合いで、つまり恋をしているのだ。
 好きな人の家で、好きなひとと一緒に過ごせる。青木の頬が自然に緩むのも無理はない。
 鼻歌でも歌いたい気分で、青木はハンドルを切った。



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23日目の秘密(1)

今回のテーマは新婚さんです。(笑)





23日目の秘密(1)






「あやうく記録更新するところだった」
 第九に泊り込んで20日目。薪は疲れきった声で呟いた。

 ようやく、本当にようやく家に帰れる。
 この書類に判を押したら、今日は自宅でゆっくり休もう。この3日で2回も貧血を起こした。身体のほうも、いい加減限界だ。
 30歳を超えると、途端に徹夜仕事がきつくなってくる。20代の頃とは違うのだ。

「室長、所長から急ぎの捜査の依頼が」
 岡部の言葉に、思わず書類の上に突っ伏して耳を塞ぎたくなる。そこをぐっとこらえて、室長の威厳を保つ。
 書類を抱えた岡部が心配そうに薪の顔を覗き込んで言った。
「なんか涙目になってますけど。大丈夫ですか? 薪さん」

 ……保ててない。

 受け取った書類を見て、内容を確認する。連続強姦殺人―――― 被害者の数は6人。MRI該当者はそのうち4人。
「新記録達成か」
 結局、薪が家に帰れたのは3日後。第九に泊り込んで、実に23日目であった。


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ウィークポイント(4)

ウィークポイント(4)







 ノックの音がして、ロッカールームに岡部が入って来た。手には青木が持って行ってしまったはずの、大判のタオルが握られている。
「なんでおまえがこれを持ってるんだ?青木は?」
 頭にワイシャツを被って、裸のまま室長は問い質す。べつに恥ずかしがる様子もなく、裸身を隠そうともしない。

 華奢な肩、滑らかな背中―――― 男とは思えない、白くて細い肢体。腰の辺りに漂う色香。小さな尻から形の良い足がすんなりと伸びて、まるで人形のようだ。

「半泣きになってましたよ。あんまり苛めないでやってくださいよ」
「僕は何もしてない」
 タオルで身体を拭きながら、憤慨したように薪が反論する。

 優雅な腕。薄い筋肉が覆う胸。引き締まった腹。たしかに女の身体ではないが、男の身体でもない。自分たちとは別の種類の生き物のようだ。
 きれい、という素直な表現が一番ふさわしい。

 こんなものを見せられたら、普通の男だってどぎまぎしてしまう。ましてや、青木は室長に憧れてこの第九に入ってきたのだ。理性を失ってしまうのも無理はない。襲い掛からなかっただけでも褒めてやりたいくらいだ。
 しかし困ったことに、薪は自分がどんなふうに他人の目に映るのか、まったく自覚がない。
「あいつが勝手にパニクって飛び出して行ったんだぞ。おかげで見ろ、このワイシャツ。床は水浸しだし。後で掃除しておくように、青木に言っといてくれ」
「まあ、だいたい想像はつきますけどね」
 室長のほうを見ないように、顔を上に向けて会話をつなぐ。岡部はノーマルな男だが、これは礼儀というものだ。
「最近の若いもんはよく分からんな。10以上も違うと、世代の差ってやつかな」
 髪を拭きながら年寄りじみた意見を言う。まったく顔に似合わない。

「なあ岡部。ここ、ユニットバスに改造したいと思わないか? ちゃんとした湯船のあるやつ。脱衣所と洗濯機と、ああ、アイロンもいるな」
「薪さん、ここに住むつもりですか?」
「田城さん、予算組んでくれないかな」
「難しいんじゃないですか」
 そんな雑談を交わしながら、着替えを終えた室長は、真っ直ぐモニタールームに向かう。
 きちんとスーツを着ると、先刻の危ういような美貌は消えて、静謐ないつもの顔に戻る。硬質な色香を含んだその顔を、岡部はいちばん好ましいと思っている。

 前を歩いている、生気溢れる背中。
 室長という重責を、その苦悩を微塵も感じさせない頼もしい背中。この小さな背中を守って、ずっと着いて行く。岡部は生涯、薪の下で働くつもりだった。

「薪さん、この画なんですけど」
「室長、6月28日の画像出ました」
「さっきの女の件ですけど」
 モニタールームに入るや否や、我先にと部下たちが捜査状況を報告する。薪は、それぞれの報告にそれぞれの捜査の方向を示しながら、次々と推理を展開させていく。
 やはり、うちの室長はすごい。エリート集団第九の頂点を極める男なのだ。

 その明晰な頭脳に、ずばぬけた実力に、何よりも捜査のため―――― ひいては市民を犯罪の魔手から救うため―― 自分のすべてを捧げるその潔さに、憧れずにはいられない。男が男に惚れるとはこういうことだ。
 青木の奴は、少し勘違いしているみたいだが。

 岡部は青木の薪に対する執心に、少しだけ異質なものを感じている。あの外見だから、初めはみんな多少はそんな感情を抱いてしまうのかもしれない。
 見た目は確かに幼げでなよやかで、つい見とれてしまうほどきれいな顔をしているが、中身はそこいらの男よりも数段男らしい。そのうち青木にも分かるだろう。薪の芯の強さは、捜一の出世頭だった岡部が舌を巻くほどなのだ。
 それに気付けば、おかしな気持ちは消えてなくなる。そういう対象として見ること自体が彼に対する冒涜だ。
 室長は、ただ真っ直ぐに事件と向き合い、職務にそのすべてを懸けているだけだ。だから今回のようなことが起こる。押さえつけてでもベッドで休ませたいが、無駄なことだと岡部には分かっている。
 だから薪が倒れるまで、岡部は口を挟まない。室長のプライドを優先して、手出しもしない。その代わり、室長の考えに従ってひたすら捜査を続ける。それが部下の役割だとわきまえている。

 しかし。
 薪の過去に何があったか、岡部はそれも知っている。
 そのせいで、まるで憑かれたように仕事に没頭する室長を見るに耐えないこともある。
 ぎりぎりのところで持ちこたえている薪の精神状態を、危うい均衡を、放ってはおけない。が、自分では彼の内側に入り込めないことも承知している。自分の過去に、殺してしまった親友とのことに、他人が口を挟むのを薪は何より嫌うからだ。
 自分では、薪の背負った十字架を取り除いてやることはできない。自分は少し大人になりすぎて、分別を持ちすぎた。
 逆に、青木のような若輩者ゆえの無鉄砲さが、案外薪を救ってくれるかもしれない。下手に突いて薪を怒らせてしまう可能性のほうが遥かに大きいが。
 
 若い青木の可能性に、ほんの少しだけ嫉妬を覚える。
 それでも室長がいつか、心の底から笑ってくれたら―――― そう願わずにはいられない。そのためなら、青木の後押しも辞さない。
 
「岡部。この建物の2階の窓に」
「はい、調べてあります」
「さすがだな。で、映っていたか?」
「いや、残念ながらありませんでした」
「そうか。じゃ、次の可能性としてはこちらのビルの」
 小さな頭の中で、あらゆる仮説が瞬時に立てられ、打ち消され、再構築される。岡部には真似のできない早業である。
 エスカレートしていく薪の推理に引き込まれるように、岡部もまた捜査に夢中になっていく。これが室長と仕事をする醍醐味だ。

 俺の役割は、これでいい。
 ずっとこうして、このひとと捜査がしたい。

 その日、第九の灯りはとうとう朝まで消えなかった。



 ―了―




(2008.8)


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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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