ゲスト(1)

 本編に戻ろうと思ったんですけど~。
 メロディ12月号の青木さんのお母さんに、カウンターショックを食らいまして。

 10月号の段階で、お姉さん夫婦は絶望的だと思ってたので、青木家の子供は青木さんひとりになっちゃう。 そのたったひとりの息子が薪さんと恋仲になったら、お母さんはどうするかしら、てなことを考えまして。
 原作ではいざ知らず、わたしの脳内ではこうだわ、的なお話を書いてみたのですよ。

 で、12月号を読みましたら。

「うひゃ― ……」 



 原作との乖離が激しすぎて、お目汚しするのもためらわれるのですが、
 でも、今じゃないと公開できない気もするので、晒しちゃいます。



 ふたりが付き合い始めて、6年目のお話です。
 原作とも、現在公開中の本編ともかなりの隔たりがありますが、ご容赦ください。





ゲスト(1)






 ピンポン、と玄関のチャイムが鳴った瞬間、薪は椅子の上で飛び上がる自分の身体を押さえ切れなかった。
 
 この時間に彼女が来訪することは、事前に連絡があった。それは彼女の立場上自然なことで、心理的にはどうしても成したいことだと思われた。だから拒まなかった。だけど、いざその場面を迎えてみると、予想したよりも遥かにうろたえている自分を見つけて、薪は懸命に自分を叱咤した。
 ドアノブを握る手は震えてるし、足はクローゼットへの避難を強烈に誘惑してくる。それらを必死に腹の底に押し込めて、薪はドアを開けた。

 毎日開け閉めしている自分の家の玄関の戸が、ひどく重く感じられた。その重圧に耐えつつ開いたドアの向こうに、彼女は涼やかに立っていた。

「初めまして。青木一行の母でございます」



*****



「愚息が大変お世話になっております」
 穏やかに微笑んで、彼女は深く頭を下げた。短くまとめた黒髪の、つむじがとてもきれいだった。季節は夏の到来を思わせる時期だったが、彼女は着物を着て、汗ひとつかいていない。その動きは着物慣れしていて、美しい立ち振る舞いだと薪は思った。
 
 こちらこそ、と頭を下げて、薪は彼女を中にいざなった。ソファを勧めて、お茶を用意する。整えてあったお茶のセットを持って、リビングの彼女のところへ戻った。
 手が震えないように注意して、来訪客の前に茶菓を置く。毅然とした佇まいの彼女を前に薪は、ぎゅっと心臓をつかまれるような苦しさを味わう。

 大丈夫、上手くやれる。彼女の来訪に備えて草稿は完璧に仕上げた。説明文は暗記したし、常ならしない音読までしてみて、何回も練習したじゃないか。

 自己暗示をかけるように自分に言い聞かせ、薪は口火を切った。
「ゴソソクから」
 ……噛んだ。

 失態に固まる薪を見て、しかし彼女は穏やかに微笑んでくれた。冷たいお茶で喉を潤し、添えた抹茶のパウンドケーキにフォークを入れる。出されたものを遠慮なく食べるところは、さすが青木の母親だ、と妙なことに感心した。
 ケーキの味に満足してくれたらしい彼女は、目を細めて二口目を食べた。笑うと、目元が青木にそっくりだ。この女性が彼をこの世に生み出してくれたのだと思えば、薪にとっては神さまよりも彼女のほうが尊い存在になる。

「ご子息からお聞き及びかと存じますが、彼には私のボディガードを務めてもらうことになりまして。そのために、同居という形式を取りました」
 はい、と頷いて、彼女は室内を見回した。
 彼女の来訪の目的は、これだ。自分の息子がこれから生活をする場所を見ておきたい。一緒に住むという上司に挨拶をしておきたい。母親として、当然の気持ちだ。

「室長さんのボディガードなんて、そんな大層な役があの子に務まるのかと、不安もございますが。どうかよろしくお願い致します」
「ボディガードと言っても、形式的なものです。役職上のこともありまして、数年前からボディガードを付けるようにと上司に言われていたのを、私の怠慢から伸ばし伸ばしにしてまいりました。
 ご子息を選んだのは、彼が長年私に仕えてくれていて、私の性格を飲み込んでくれているのと、武道、射撃、共に優れた能力を身につけているからで」
 上司に提出した上申書に書いた理由をそのまま告げようとして薪は、自分の声の空々しさに泣きたくなる。

 これは事実じゃない。
 でも、本当のことは言えない。

 あなたの息子と僕は男同士で愛し合ってて、だから一緒に住むことにしました、なんて口が裂けても言えない。

「室長さん。遠慮なさらないで仰ってくださいね。室長さんの眼から見て、あの子はどうですか? 人さまのお役に立ててますか?」
「それはもう。彼のこれまでの功績があればこその、この人事です。才覚、実力共に、彼は平均より遥かに優れています。私が保証します」
「まあ。室長さんにそこまで買っていただけるなんて。ありがたいお話です」
「彼の努力の結果です。素晴らしい息子さんですね」

 青木を産んでくれた偉大なひとに、彼の大切なひとに、僕は平然と嘘を吐く。
 この行動は、よくよく考えた結果だ。姑息に隠そうとしているのではなく、不用意な言葉で彼女を傷つけたくないだけだ。

 ……というのは、もちろんタテマエで。

 彼女が真実を知ったら、僕たちは一緒にいられなくなる。青木も30を超えた大人だ、無理矢理引き裂かれることはないかもしれない。だけど、絶対にトラブルは起こる。
 彼女が住んでいるのは北九州。東京には滅多に出てこない。今日さえ乗り切れば、これまで通りの平穏な日々が続くのだ。波風は起こしたくない。ここは完璧に青木の上司役を演じきってみせる。
 卑怯者と言わば言え。僕は今の生活を守りたい。

「いいえ、室長さんのご指導の賜物ですわ。あの子は昔から争いごとが苦手で、だからスポーツも不得手でしてねえ。親元を離れて、立派になったこと……あら、つい親バカ振りが出てしまいましたわ。申し訳ございません」
 たった一人の愛息子、可愛くないはずがない。彼女がこの世で一番愛しているのは、彼をおいて他にない。

「いいえ。堂々と自慢なさってよろしいと思います」
 彼がこの世に生を受けてからずっと、30余年の時を経て、この人は彼に絶え間ない愛情を注ぎ続けてきた。彼を慈しむこと、愛し続けること、理由などない、母親ならそれは当たり前の、でもこの世で一番尊い愛情。
「特に、ご子息の武術の上達には目を瞠るものがあります」
 彼女の長年の愛情が積み重なって、彼はあんなに美しい人間になった。真っ直ぐに伸びやかに、呆れるほど健やかに。僕を惹きつけて放さない彼の魅力は、この女性が作り上げたと言っても過言ではないはずだ。その彼女に対して、恩を仇で返すような真似をしたばかりか、虚言で彼女を騙そうとしている。
 でも、これはお互いのためだ。知らないほうが幸せということは、たくさんある。

「柔道初段、剣道4段、AP射撃5段というのは、私の部下の中でも秀逸で……すみませんっ!」
「はい?」
 訝しげな相槌が聞こえて、薪はハッと我に返る。
「なにを謝ってらっしゃるんです?」
 しまった、声に出てしまった。
 あんまり申し訳ない申し訳ないと思ってたから、つい。

「あ、いえ、その」
 まずい、頭の中真っ白になってきた。パニックになったらお終いだ、何とか切り抜けないと。切り替われ、僕のジョブスイッチ!

 マスコミの答弁や会議の質疑応答は、薪の得意とするところだ。このくらいの切り返しは、眠っていてもできる、できるはず。
「えっとですね、ご子息の転居が事後承諾の形になってしまったことについて、お詫びを」
「あら。それは一行からの連絡が遅れたからで、室長さんに謝っていただくことじゃ」
「そ、そうですね、ええ。お母さんの仰る通りです」
「本当に、あの子はいくつになってもポーッとした子で」
「そうですね、全くその通りで、いえっ! 青木は、あ、いえ、青木、くん、は、やるときはやる男で、特に剣道してるときはカッコよくて、――っ、あ、いや、つまり、えっとその」

 グダグダになってしまった会話を取り繕おうと、力めば力むほどにボロが出る。終いには何も言えなくなって、とうとう薪は俯いてしまった。
 薪はこういうプレッシャーには弱い。これが仕事のことなら、どんな相手にも臆することなく思ったことを堂々と述べられるのだが、こちらの方面のことになると清清しいほどに崩れる。仕事モードのスイッチが入らないと、びっくりするくらい口下手なのだ。
 何とか立て直さなくては、と焦るが、一旦乱れてしまった精神は元に戻らない。あれだけ周到に用意しておいた草案も、殆ど白紙状態だ。確かこの後は青木の姪、つまり彼女の初孫の話をして、彼女の気持ちを和ませる計画だったと、あ、いや、それは青木の結婚話につながりそうだから止めたんだ、代わりに用意した話題はなんだったっけ。……ダメだ、思い出せないっ!

 真っ白になった頭で、それでも薪は考える。

 薪だって、青木の母親にその場凌ぎの嘘を吐くなんて、不誠実な真似はしたくない。できることなら本当のことを話したい。1年前、小野田さんに辛くも認めてもらったように、青木のお母さんにも認めてもらうことはできないだろうか。

 青木と付き合いだしてから6年。昨年の大きな過ちがきっかけになって、僕は、いや僕たちは誓った。僕たちは一生を共にする、生涯のパートナーになったんだ。だから一緒に住もうと思った。それは周りへのカミングアウトと同じことだったから、なかなか勇気が出なくて言い出すのも遅れたけれど。
 確かに普通の男女の関係ではないけれど、僕たちは真剣に愛し合っていて、互いになくてはならない存在だと分かっている。だから、この気持ちは誰に恥じるものでもないと、他人に非難される謂われはないと、例え相手が彼の親だとしても、堂々と言えるものだと――。

 無理ッ! 僕には無理だ、絶対ムリ!!

 どれだけ自分の気持ちに誇りを持ったところで、所詮は自己満足。彼女の悲しむ顔を想像するだけで、それはいとも簡単に崩れ去る。
 やっぱりここは、真実を隠し通すべきだ。彼女と自分たち、双方の平穏のために。



テーマ : 二次創作(BL)
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ゲスト(2)

ゲスト(2)





「ところで、室長さん」
 軽やかな彼女の切り出しに、薪は「はい」と顔を上げた。
 息子によく似た彼女のやさしい笑みに安心を覚えながら、決してこの笑顔を曇らせてはいけない、その頬に嘆きの涙を流させてはいけないと心に決めて、薪は彼女の言葉を待った。

「いったいあの子のどこがお気に召しましたの?」
「ですから、それは今申し上げましたとおり。優秀な頭脳と体術を兼ね備えた人材は、そう簡単に見つかるものではなく」
「まあ、そうなんですか。普通はやさしさとか性格とかが重要視されると思うんですけど、やはり男の方だと選定基準が違いますのね」
「……はい?」
 なんだろう、微妙な会話の食い違いを感じる。てか、すごく嫌な予感がするんだけど。

「昨今では外見とか年収を気になさる方もいらっしゃいますわね。後者はどうかと思いますけど、やっぱり生活を共にするとなると大事なことですものね」
 どうしてだろう、今すぐここから逃げ出したくなってきたんだけど。本能がガンガン警鐘鳴らしてるんだけど!

「いえね、今まで一行がお付き合いしてきた女性の方々は、口を揃えて『やさしいところ』と仰ってたものですから。てっきり室長さんも、同じことを仰るのかと」
 なんか、青木の過去の女性たちと同列に並べられてるような気がするんだけど。僕の気のせい? 気のせいだよね?

「でも困ったわ。一行がそんなに優秀なわけはないし、すぐにボロが出てしまうでしょうねえ。
 室長さん、親バカを承知でお願いします。もしもあの子が室長さんの期待に応えられなくても、見捨てないでやってくださいね。あの子にはもう、あなたしかいないんですから」
 彼女の言い回しに不可解な響きを感じて、薪は恐ろしい予感を打ち消せない。考え過ぎかもしれないけれど、まさかお母さん、僕たちのこと知ってるんじゃ。
 いや、それはないか。知っていたらこんなに平然と、僕と話ができるわけがない。僕は彼女にしてみれば、大事な息子を男色の道に迷い込ませたサキュバスなのだから。

「あの子は本当に、あなたのことが好きなんですよ。どうか、一生面倒見てやってくださいね」
 彼女の言葉を額面どおりに受け取って、薪は「はい」と肯いた。上司として、青木の面倒は見る。青木が自分の部下である以上、それは当たり前のことだ。
 ……でも、一生って……なんかやっぱりおかしくないか?

「ありがとうございます。これで一安心ですわ。この年になると、どうしても保証が欲しくなりまして。かと言って、おふたりには結婚することも籍を入れることもできませんでしょう。だから今日は、室長さんの言質が欲しくて参りましたの」

 ガシャン! と遠くから聞こえたはずの音の原因が、自分の手元で倒れた湯飲みの音だったと分かって、薪はひどく驚いた。あらあら大変、と言いながら手早くテーブルを拭いている青木の母親の姿を、まるで映画のワンシーンのように感じる。
 現実感がない。夢の中の一コマみたいだ。
 カラカラに乾いた唇を亞者のように動かして、薪は訊いた。

「僕と青木のことを、ご存知だったんですか?」
 想像もつかなかった展開に、薪は言葉を吟味する余裕を失くす。もう少し婉曲な訊き方をすべきだったと悔やむが、もう遅い。
 彼女の顔が嫌悪に歪むさまを想像して、薪は心臓が止まりそうになったが、現実の彼女はそんなことはしなかった。それどころかぷっと吹き出すように笑って、
「そりゃあ分かりますよ。あの子ったら、室長さんの話しかしないんですもの」

 アホか―――っ!!!

「いえね、最初は仕事の話やお友だちの話をしてるんですよ。でも、何を話していても、いつの間にか室長さんの話になっちゃうんですよ。
 こないだも仕事で2日も徹夜した話をしていて、『それは大変ね』とわたしが言ったら、大したことない、室長さんは4日も寝なかったって。『室長さんはすごいのね』と言ったら今度は、室長さんがすごいのは根性だけじゃなくて、って延々と自慢話が始まって。だけど無理をしすぎて突然倒れてしまうクセがあるから、すごく心配だ。あのクセだけはどうにかならないものかって」
 クスクスと笑いながら、彼女はおかしそうに息子の様子を話した。

 バカだバカだと思ってきたけど、本当にバカだ、あいつ!この世で一番隠さなきゃいけない相手に、どうしてそんな話をするんだ!
 てか、この人もおかしいよ! なんで呑気に笑ってられるんだ。自分の息子と一緒に住もうとしている恋人が、12歳も年上の男なんだぞ!?

「どうして反対なさらないんですか?」
 その質問は自分がしてはいけないものだと思ったけれど、どうにも我慢がならなかった。だって、不思議でたまらない。自分が彼女の立場だったら、どんな手を使ってでも阻止しようとするだろう。それが普通だ。
 薪の無礼な態度にも、彼女は不快な様子を見せなかった。眉を顰めることもなく、変わらぬ笑顔で薪の質問に応えた。

「一緒に住むことになった、って電話してきたときのあの子のはしゃぎようったら。舞が生まれたとき以上の興奮振りで、あんなに嬉しそうな声を聞いたら、反対なんてできませんよ」
「だけど!」
 どういう気持ちからか、彼女は穏便に事を済まそうとしてくれているのに、何よりもトラブルを恐れていたはずの自分がこんな質問をするなんて、でも、やっぱり訊かずにはいられない。

 自分と青木の関係は彼の親を泣かすことになると、何年もの間悩み続けてきた。幾度も訪れた破局の理由には、いつも少なからず含まれていたその事実。
 今、思いがけなく当人から話が聞ける機会を得て、だったらこの際、彼女の気の済むまで罵ってもらったほうがいい。

「僕が訊くのはおかしいんですけど、でもどうして、僕に抗議してこなかったんですか。彼の気持ちに気付いていたなら、どうして息子さんを諭さなかったんですか。
 ましてや一緒に住むなんて、お母さんにしてみたら耐え難い苦痛なんじゃないんですか?」
「わたしこそ、室長さんにお聞きしたいですわ。どうしてわたしが息子の幸せを苦痛に感じなければならないのでしょう?」
 
 子供の幸せを願うのが親のこころ。
 彼の行く道が暗闇に包まれれば光となって足元を照らし、彼が渇きを覚えれば露となってその喉を潤し、日暮れて一日が終われば歩き疲れた彼の足を休める褥になる。無償で尊い、比類なき愛情。
 だからこそ、許せないことがあるはずだと薪は思う。

「僕の存在が必ずしも彼の幸福を生み出すとは限りません」
 自覚はある。自分さえいなければ、青木には他の人生があったのだ。もっと大らかに、堂々と周囲の人々に祝福される人生が。
「僕は、エゴの強い人間です。以前、彼には総務部長の娘との見合い話が来ていました。例え恋愛感情はなくとも、慈しみの心を持って彼女との生活を営んだほうが彼にとっては実りある人生になるはずだと……思って僕は、でもどうしてもそれを為せずに、彼の幸せを潰しました」
 親戚や友人にも胸を張れる素晴らしい伴侶。その絵図を握りつぶしたのは自分だ。言い訳はしない。

「失礼ですけど、室長さんが仰るのは幸せな人生とは言わないんじゃないかしら。それはそう、楽な人生と言うのだと思います」
 彼女の反論に、薪は目を瞠る。
 「室長さんのような学のある方に、こんなことを申し上げるのは恐縮なんですけど」と前置きして、彼女は言葉を継いだ。

「毎日を面白おかしく暮らすよりも、苦労の中にひとかけらの幸福を見出す、それでこそ幸福の価値が分かるのだと思います。どんなに恵まれた生活も、それが当たり前になってしまったら、幸せを実感できないでしょう?」
 彼女の幸福論を黙って聞く薪に、彼女はにこっと笑いかけて、
「あの子にはそれくらいで丁度いいんですよ。すぐに調子に乗るんだから」
 と、母親らしい一言で締めくくった。

 薪は自分の膝の上で、ぎゅっと拳を握り締めていた。
 彼女に言いたいことがある、だけどそれを言っていいものか、言葉にすることが許されるのか。
 迷いに迷って、薪はやっとの思いで口を開いた。

「僕のすべてをかけて、彼を守ると誓います。彼の人生を僕に預けてください」






テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ゲスト(3)

ゲスト(3)





「ただいま帰り薪さん会いたかったで痛いっ!!」
 ドアを開けた途端に抱きついてきた大きな身体に遠慮のない拳を入れ、薪は呆れる。挨拶も他の言葉も中途半端になって、崩壊した日本語が聞き苦しい。
 
 2日ぶりに会う恋人にさっさと背中を向けると、薪はダイニングへ向かった。いそいそと後ろを付いてくる青木の気配を感じながら、自分の心臓が高鳴っているのを自覚する。
 慣れないことをするのは緊張する。青木のお母さんに会ったときといい勝負だ。

 冷蔵庫から冷茶を取り出して、氷を入れたグラスに注ぐ。ひとつを青木に渡してやって、もうひとつに口をつけた。カテキンの渋みが舌に心地よい。
「水出し緑茶ですか? 珍しいですね」
 今日のゲストを、青木は知らない。明日になれば知ることになるかもしれないが、薪のほうからは言わないつもりだ。

「青木。出張から帰ったばかりで悪いが、話がある」
 リビングに場所を移して、恋人をソファに座らせる。2時間前までその位置に座っていた女性との約束を果たすべく、薪は口を開いた。

「おまえのことは僕が一生守るから。僕のパートナーになって欲しい」



*****



 2時間前にこのセリフを聞いた彼の母親は、嬉しそうに笑って、しかし困ったように首をかしげた。
「それはわたしじゃなくて。一行に直接聞いてもらえます?」
「えっ? 青木に聞くんですか、これ」
「……普通は、先に本人に聞くものじゃないんですか?」
 だって今更、何をどう言ったらいいのか。

 頬を赤くして俯いてしまった薪の姿に、彼女はクスクスと笑いながら、
「では、今夜一行が帰ってきたら聞いてください。結果はちゃんと報告してくださいね」
 そう言って連絡用のメールアドレスを残し、彼女は帰っていった。今日は新宿のホテルに泊まるとの事だった。明日は息子に会いに来る気でいるのだろう。

 薪は青木の顔を見つめ、彼の返答を待った。
 心臓がバクバクいっている。無理もない、答えが分かっているとはいえ、これはプロポーズだ。結婚という言葉が入らないだけで、実質的な意味は同じだ。

 僕が守るから。僕と一生を共にして。
 僕の人生の伴侶として、死ぬまで一緒にいて欲しい。

 そして返ってきた答えは。

「いやです」
 …………ありえないっ!!

「なんでっ!? おまえ、僕のこと好きだろ?!」
 めいっぱい断定的に訊いてしまった。
 だって、びっくりしたんだもん! まさか断られるなんて、毛ほども考えなかったっ!
 が、それは少し違った。青木の拒否の理由は、別にあった。

「守られるなんて嫌です。オレが薪さんを守るんです」
「はあ?」
 一気に力が抜ける。ソファにへたり込んで、薪は額を押さえた。

「なに寝ぼけたこと言ってんだ。僕の方が年上なんだぞ? 年長者が年下の者を守るのは当たり前だろうが」
「薪さんの方が身体的には弱いです。強い者が弱者を守るのは当然です」
「思いあがるな。柔道なら僕の方がまだ上だぞ」
「いいえ。本気でやれば負けませんよ」
 なんて生意気なやつだ。
 お母さんの言ったとおりだ、こいつはすぐに調子に乗る。この辺で締めておかないと。

「よし、わかった。そこまで言うならこれから決着をつけよう。道着に着替えて道場へ行くぞ」
 薪はソファから立ち上がり、上から目線の傲慢な口調で言い放った。
「覚悟しろよ。負けたほうが守られ役だからな?」
「望むところです」
「分かってんのか? 姫役ってことは、ベッドの中でも僕の下ってことだぞ」
「えっ。……あの、柔道と剣道と射撃の3本勝負で」
「却下」

 なにやら真剣に考え始める青木の青ざめた顔を横目で見て、薪は心の中でにやりと笑った。





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ジャンル : 小説・文学

ゲスト(4)

ゲスト(4)






 サイドボードの上に置いておいた携帯電話に着信があったことに気付いたのは、ホテルの手狭い浴室でシャワーを浴びた後だった。
 メール着信、と表示された携帯のフラップを開き、手紙の内容を確認する。差出人は思った通り、息子の恋人からだった。

 初めて息子の口から彼の名前を聞いたのは、もう10年以上も前になるだろうか。
 世の中にはすごい人がいる、オレもこんな仕事がしてみたい。
 大学に入った頃から騒ぎ始めて、彼がこんな事件を解決した、また手柄を立てた、彼は日本一の捜査官だ―― 付き合っている女の子の話より、彼の話題のほうがずっと多かった。

 同じ職場で働くようになってからは、それが益々激しくなって。薪さんがこんなことを言った、こんなことをした、薪さんが薪さんが薪さんが。
 あまりにも長い間、あまりにもたくさんの情報を息子から受け取っていたおかげで、初めて会った気がしなかった。ついつい親しげに失礼な口を利いてしまったが、それを咎めるほど狭量な権威主義者でもないようで、ホッとした。無礼を承知で言わせてもらうなら、とても愛らしいひとだった。

 最初に受けた印象は、息子の言うとおり聡明で冷静なエリートというイメージだったが、話しているうちにそれがだんだんに崩れてきて。彼の大きな瞳が落ち着きを失い、きれいに掃除された床をウロウロするのを見て、自分と会うことが彼にとってどれ程のプレッシャーになっていたのかを知った。
 そのくせ繰り出してきた質問は鋭く、しかも彼の身を危うくするものばかりだった。互いの気持ちを貫くことがどれだけのリスクを伴うか、それは火を見るよりも明らかで、しかし彼はきっと何年もの間、そのことで心を痛めてきたのだ。

 とても好ましいと思った。天才などと人に呼ばれていても、彼自身は、悩んだり失敗したりするごく普通の人間なのだ。

 気弱そうな眼で、自信の欠片もない様子で、「自分が彼の幸せを産むとは限らない」と我が身を卑下する彼は痛々しかった。可哀相だと思うと同時に、不安にもなった。そんな弱気でこの先どうするつもりなのかと、彼の心痛を心得た上で口にしようかと思った矢先。
『守ります』と言い切った瞬間の、彼の力強さ。見た目は女性と見まごう程に優雅で淑やかなのに、まるで勇猛果敢な騎士のような印象を受けた。彼の華奢な身体、その全身から迸るような情熱。

 彼は全身全霊で、恋人を愛している。自分があの子にしたのと同じように、ありったけの愛情を注いで、愛しても愛してもなお足りないと身悶えするようなあの幸福な日々を、彼もまた経験している。
 彼の寵愛を受ける自分の息子を、誇らしいと彼女は思った。

 雲の上の人に手を伸ばし、ひたすらに伸ばし続け、彼に一歩でも近づけるようにと己を高め、ついには彼からそこまでの愛情を捥ぎ取った。さすがわたしの息子。

 質問の答えは息子から直接聞いてください、と自分が言ったときの、彼の焦りまくった可愛らしい顔を思い出しながら、メールの内容を確認する。携帯の細長い画面に5段書きになった文面を見て、彼女はしばし呆然とした。

『道場で決着をつけることになりました。ご報告は後日』

「…………なにやってんの、あの子たち」




(おしまい)



(2010.9)




*****



 てな具合にですね、母親というものは、いついかなるときも子供を庇うものだと、わたしは思っていたのです。
 たとえ我が子が他人を殺め、傷つけ、悪虐の限りを尽くしてさえ「この子は本当はいい子なの。今は道を誤っているだけなのよ」と子供を庇う生き物だと。 

 だから、12月号では本当にびっくりしました。

 わたしは母性に憧れを持ちすぎているのかも知れません。
 自分が母親になれないせいか、世の中の母親はみんな聖母に見えます。 
 赤ちゃんのころ、たまーに預かった甥っ子や姪っ子の世話の大変だったこと。 学校に入れば友人関係や成績のことで悩み、大人になれば就職先や結婚相手のことで悩む。 そんな気遣いと愛情を何十年にも渡って彼らに注ぎ続けられる彼女たちは、聖母以外の何者でもないと、真面目に思っているのです。

 作中に書いたように、『彼の行く道が暗闇に包まれれば光となって足元を照らし、彼が渇きを覚えれば露となってその喉を潤し、日暮れて一日が終われば歩き疲れた彼の足を休める褥になる。無償で尊い、比類なき愛情』
 それが母親の子供に対する愛情だと、本気で考えていたのです。

 ですからね、青木さんがこれまでのことを思い出して苦しむ場面を読んだとき、
 もしかしたらお母さんが、彼の背中を押してくれるのかもしれない、とさえ考えていました。
(青木さんがお姉さんの脳を見ることになるのは、ストーリー的に必然だと思います。 いくら現実的にはありえなくても、これはマンガだし、その方がお話としては面白いです、よね)
 それまでは他人の脳を見るというMRI捜査に反対だったお母さんが、ここで初めて息子の仕事に理解を見せて、「和歌子の仇を討って」的なニュアンスで青木さんを奮い立たせるのかと。

 そしたら葬儀のシーンで、
 あぼーーーーん、って…………。

 わたしは子供を持ったことがないから、彼らを失ったときの悲しみも分からないのかもしれません。
 でも、青木さんは『自慢の行ちゃん』で、たったひとりの息子なのに、あんな。

 真っ直ぐにすくすく、あたたかい家庭に育った青木さん。 その家庭を築いてきたはずのお母さんが取った、あの行動。
 それほどのショックだった、ということなのでしょうが、どうにもやりきれませんでした。


 でもきっと、後で彼女は自分の取った行動を後悔して、息子に詫びる日が来るのでしょう。 それは事件が解決して、すべてが終わったときかもしれませんね。
 早く和解してくれるといいな。

 
 そしてこのシーン。
 うちの男爵なら無謀にも青木さんの前に飛び出して、彼の代わりにお母さんに殴られて、さらに場をかき乱すんだろうな、と思ったのでした。 
 親子の間に入っちゃいかんよ、男爵。(笑 ←自分の想像に自分で突っ込む)



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水面の蝶(1)

 こんにちはー。

 今日から公開しますこのお話は、『タイムリミット』の後、一緒に暮らし始めた新婚あおまきさん、でございます。 
 新婚と言ってもうちの二人なので、恋人漫才が夫婦漫才になっただけです。 甘いあおまきさんを期待されてる方、すみません。(^^;

 このお話、一昨年の12月に書いた話なんですけど(古いの持ち出してすみません~、こないだの『クエスト』も1年前だったけど、まだそういうの幾つか残ってて~。)
 2万拍手のお礼にさせていただきます。
 楽しんでいただけるとうれしい、でもなんか始まる前から肩透かしの予感が、特に新婚さんが……まあいいか。<よくない。

 毎度恐れ入ります。 今回も広いお心でお願いします。






水面の蝶(1)




 水面の蝶は、飛び続けなければならない。
 水に浸かれば羽根の鱗粉が落ちて、飛べなくなってしまう。蝶にとって空を飛べなくなることは、そのまま死を意味する。だから飛び続けなければならない。
 羽が折れても、破れても。ひたすら羽ばたき続けなければならない。
 例え何を犠牲にしても。




*****



 こんがり焼いたトーストと冷たい牛乳は、朝の身体を目覚めさせる。どちらも朝のマストアイテムだと青木は思う。
 コップ1杯の牛乳を胃に収めて、壁の時計を見る。時刻は午前8時。彼を起こす時間だ。オーブントースターの余熱をしてから、青木はキッチンを出る。
 広いリビングを過ぎり、寝室へ入る。ダブルベッドの真ん中には、成長期の子供のようにすくすくと眠っている彼の姿がある。

 彼はこの家の主で、職場の上司。そして、青木の人生のマストアイテム。

 彼のボディガードとして、青木はここで彼と寝食を共にしている。彼は警察庁官房室付の次席参事官で、警視長という高い階級にある。加えて第九の元室長でもあり、重大事件が起こると今でも現場に駆り出される立場であることから、常時警護を必要とすると上層部が判断し、その命に従って彼が自ら部下の中から青木を選んでくれた。 こう見えても青木は、剣道4段、柔道初段、AP射撃5段の腕前を持っている。彼の盾になれるだけの強さはあると、自分でも自負している。
 というのは、表向きの理由。
 実は、彼と青木は相思相愛の恋人同士。他人に大っぴらに言える関係ではないが、仲間内の殆どは彼らの関係を知っていて、その上で容認してくれているし、青木の親まで公認だったりする。そう聞くと、彼らの周りには大らかな人間ばかりが揃っているようだが、そんなことはない。まだお互いの気持ちが通じあっていなかった頃から障害はたくさんあったし、やっと両思いになった彼らが付き合いだしてから同じ家に住むようになるまでには、6年もの月日が流れている。その間に、ゆっくりと時間をかけて理解を得、段々に祝福されるようになって行ったのだ。自分たちの心情も含めて、決して平坦な道ではなかった。

「薪さん、朝ですよ。起きてください」
 彼を夢の世界から現実に引き戻そうと、青木は眠るひとの細い肩をゆさゆさと揺さぶる。つられて揺れる亜麻色の髪が、さらりと青木の手に触れた。
 心地よい感触に青木は思わず、自分が何をしに来たのかも忘れて彼の寝顔に見入る。
 なんてかわいい寝顔だろう。安らかに閉じられた目蓋、長い睫毛。つんと澄ました形に閉じられたさくらんぼみたいなくちびる。
 王子さまのキスを待っているオーロラ姫もかくやの美しさ。朝、彼の寝顔を見るだけで寿命が延びる気がする。
 すうすうと寝息を立てるひとのくちびるに、青木はそっと自分のそれを重ねる。舌で割って中に入り、やわらかく熟した彼を舌先でつつき――――。

「――――― っ、たあい!!」
 突然、青木の後頭部に固いものがぶつかった。ゴトリと床に落ちたものを見れば、なんと目覚まし時計。もう少しで『オーロラ姫撲殺事件』の出来上がりだ。この場合、犯人はオーロラ姫そのひとで、王子を撲殺するオーロラ姫なんか聞いたことがない。
「なにするんですか、いきなり」
「……それはこっちのセリフだ」
 彼は地獄の底から聞こえてくるような掠れた声を洩らすと、不愉快そうに眉を寄せ、汚いものでも口にしたかのようにチッと舌打ちした。ここが自宅の寝室でなかったら、ツバを吐きかねないくらい苦々しい表情だ。
 もしもこれが逆の立場だったら、恋人からのキスで目覚めるなんて、青木ならうれしくてたまらないシチュなのに。喜んでくれない彼がちょっとだけ憎らしい。

「起こしてあげただけじゃないですか。薪さん、いくら揺すっても起きないから、わっ!」
 飛んできた2つ目の目覚まし時計を避けて、青木は乱暴な同居人を非難の眼差しで見る。恋人にお目覚めのキスをして、どうして殴られなくてはならないのだ。
「牛乳飲んだ口で僕にキスするな。何度も言っただろ」
「あ、すいません」
 忘れていた。薪は牛乳の匂いが大嫌いだった。昔はちゃんと気をつけて、飲んだ後は必ず歯を磨いてから彼に近付くようにしていたのに。
 一緒に暮らすようになってから、こういう瑣末なことはよく忘れてしまって、薪を怒らせることが多くなった。でも、ちょっとくらい大目に見て欲しい。一緒に暮らし始めてまだ3ヶ月。舞い上がったまま降りて来られない状態なのだ。

「ごめんなさい、これから気をつけます。お詫びに朝のシャワーのお手伝いしますから」
「いらん」
「そんなこと仰らず。髪を洗って差し上げますから」
「親切そうなおまえの言葉に騙されて、今まで僕が何回被害に遭ったか。日時と被害内容を列挙してやろうか」
「何もしませんよ、朝ですから。見るだけ、あ、でも、見たら触りたくなっちゃうんですよね。でもって触ったらキスしたくなっちゃうし、キスしたら最後までしたくなっちゃ、おごっ!!」
 3つ目の目覚まし時計は見事に青木の顎にヒットして、あまりの痛さに彼は、負傷部を押さえて床にうずくまる。外敵から薪を守る前に、薪に殺されそうだ。
「ヘンタイ」
 冷たい口調で蔑んで、薪は気だるげなため息を吐く。彼は筋金入りの低血圧。朝はいつも機嫌が悪い。
 だけど、これくらいで怯んでいたら薪の同居人は務まらない。青木は悪びれもせず彼に近付くと、仰向けになったままの彼の身体を起こし、ベッドの上に座らせた。こうしてしばらく座っていないと、彼は真っ直ぐに立てないそうだ。

「うー……寝覚めが悪い……ウシの匂いで吐き気がする……」
 ウシの匂いじゃなくて、ミルクの匂いですね。突っ込んだら絶対に殴られるから言いませんけど。
「おまえ、息するな。クサイから」
 そこまで命の危険に直結する命令を受けたのは初めてです。しかも、そんな個人的嗜好が理由で。
「あー、ダメだ。今日は一日、憂鬱な気分で過ごすことになりそうだ。おまえのせいだからな」
 言い掛かりと嫌味が始まった。不都合なことは何でも青木のせいにする、このひとは昔から責任転嫁が得意で、おっとりした性格の青木はしばしばその標的にされていた。
 
 そんな理不尽な仕打ちを受けても、青木は何も言わない。ただ、じっと待っているだけだ。
 こういうときは、黙って聞いていればいい。薪との付き合いも8年になる。彼が本当はどうして欲しがっているか、青木にはちゃんと解っている。

「青木」
 薪は尚もぶつくさと文句を言っていたが、やがて青木を見上げて彼の名前を呼んだ。はい、と青木が顔を寄せると、薪は両手を青木の首の後ろに回し、
「だっこ」
 青木は噴き出しそうになるのを必死で堪える。どうやらまだ寝ぼけているらしい。
 はい、と真面目に応えを返して、青木は我が儘な上司の身体を抱き上げた。




*****


 お、おかしい……新婚さんのはずなのに、ぜんぜん甘くないぞ?
 いや、これからこれから! ←そしてどんどんキビシイ展開へと落ちていくいつものパターン。(笑)

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

水面の蝶(2)

 こんにちは。
 今日はオットがご近所の50日祭で留守なのですよ。
 久しぶりに予定のない日曜日……貴重です。


 ところで、
 青薪さんの関係性以外の観点で、エピローグに不安を感じてる方なんていないと思うんですけど。 事件はきれいに片付いたし。 わたしもそうだったんですけど。 でもちょっと思い出したのよ、
『END GAME』のプロローグって、すごかったじゃないですか。
 いきなり浴室に血塗れの死体があって、薪さんの車が爆破されて。 プロローグとは思えない濃密さだったでしょう?

 エピローグもあの勢いだったらどうしましょう!
 物騒な話ではないにしても、わたしが予想している穏やかな後日談ではないのでは?

 まさかとは思いますけど、「清水先生ほどの方が、誰もが予想できる展開をそのまま描くとは思えない」という意見を何人もの方から聞いて、
 だんだん不安になってきてしまいました。 (青雪さんの結婚に慄いていたわたしを慰めてくださったのかも、ですけど)

 大丈夫だよね?
 しづは青雪さんの結婚だけ心配してればいいんだよね? ←それもまたしんどい。


 気が付けば、後20日。
 とりあえず、プロローグに呼応して、薪さんの新しい車が出てくるだろうと予想します。(笑)

 





水面の蝶(2)






 厚切りのトーストにバターをたっぷり塗って、青木は自分の口に運んだ。
 向かいで優雅にサラダを食べる薪の姿をうっとりと眺めて、悦に入る。こうして朝のひとときを彼と一緒に過ごせる、なんて自分は幸せものだろう。毎日毎朝思って、なお飽き足らない。
 乳製品の嫌いな薪は、薄切りのトーストにブルーベリージャムを載せて、小さな口で品よくかじる。彼の愛らしい口元からは、カリッという歯切れの良い音がする。

「そういえば、例の子殺し、捕まったみたいだな。竹内が言ってた」
 のどかな食事風景には相応しくない話題に、青木は「よかったですね」と頷く。以前は食事の席で仕事の話はしたことがなかったのだが、一緒に住んでいるとそうもいかない。別々に住んでいる時には、ふたりで食事をするのはイベントのひとつだったが、今は日常のひとコマだからだ。
 特別だったことが日常になる、それは些細なようで重要なこと。恋愛中は盛り上がっていたのに、結婚した途端に冷めてしまうカップルの多くは、この現象に理想と現実のギャップを痛感していることが多い。
 自分たちはどうだろう、と考えて、青木は現在の幸せを噛み締める。
 寝ても覚めても薪の姿が傍らにある。叶わぬ望みと知りながら思い描いていた夢の生活。それがやっと手に入ったのだ。ギャップなんか感じているヒマもない、ていうか、このひとの外見と中身のギャップならこの8年の間にさんざん見てきたし、今更こんな些細なことで幻滅したりしない。

「多分、今回の事件で総監賞。警視正に昇進だな」
 ベッドの上でウダウダ繰り言を垂れ流していた人間と同じ人物とは思えないくらい澄み切った声で、薪は言った。朝風呂に入って血圧が上がれば、彼の脳は普通に動き始める。若き警察官僚として、節度ある言動を取れるようになるのだ。
「竹内さん自身は、警視正になったら捜一から離れなきゃいけないからイヤだって言ってましたけど。だから昇格試験も受けないって」
「試験を受けないのは受かる自信がないからだろ。落ちるのが怖いんだ、あいつ、見栄っ張りだから。でもまあ、そろそろ上が放っておかないだろうな」
「そうでしょうね。現場が好きな竹内さんには気の毒ですけど」
「気の毒なもんか。階級が上がって内勤になれば、危険な目に遭わなくて済むだろ。雪子さんが毎日あいつを心配してることを思うと」

 竹内の身を案ずるということは、彼らの幸せを願っているということだ。二人の結婚に最後まで反対していた薪だが、竹内が雪子を幸福にしてくれる男だと、ようやく認めたらしい。
「やっとお二人のこと、認める気になったんですね?」
「殺してやりたいくらい妬ましい」
 正反対の言葉が重なって、青木は薪の執念深さに呆れ果てる。昔から竹内のことは嫌っていた薪だが、彼に雪子を奪われてからは益々それがひどくなった。薪は本当は雪子に恋をしていたのではないかと心配になるくらい、妬くわ妬くわ。相手が竹内でなかったら反対なんかしない、と本人は言い張るが、とても信じられない。

「薪さん、その発言は警察官としてどうかと……」
「ニュースの時間だ」
 手元のリモコンを持って、薪はコンポの電源を入れる。これは青木の私物で、家から持ってきたものだ。
 薪は食卓にはテレビを置かない。テレビを見ながら食事をするという習慣がないのだ。でも、青木は何となく音がないと落ち着かない。誰かと一緒なら気にならないが、ひとりだと食器の音や咀嚼の音が侘しく聞こえて、食事が美味しく感じられない。だから自宅で食事を摂るときには、必ず音楽を流すかテレビをつけるかしていた。
 薪は忙しいから、同じ家に住んでいても一緒に食事が摂れるとは限らない。そういうときには必要だと思って、コーヒーメーカーの隣にコンポを置かせてもらった。
 あればあったで便利なもので、こうして朝のニュースを聞くこともできるし、特別な夜にディナーのムードを盛り上げる為のロマンチックな音楽を流すこともできる。未だ後者の役割を果たしたことはないが、そのうちそういう場面でも活躍させてみせる、と青木は思っている。

『……警察の調べに依りますと、この女子行員は為替業務を担当しており、不特定多数の顧客の通帳から小額の振込みを行うということを繰り返し、他銀行の自分名義の口座に預貯金を移していました。5年間の被害総額は1億を超えるものと思われます。
 関係者の間では、行内の会計検査で不正が発覚し、その責任を問われたことで副支店長の添田さんを深く恨んでいた、との証言もあり、警察ではこの行員が添田徹さん殺害に深く関与しているとの見方を強めている模様です。
これを受けて渋谷南署は、重要参考人としてT銀行渋谷支店行員、山本美月36歳を指名手配しました』

 カシャン、と手元のコーヒーカップが音を立て、しかし青木の耳に、その音は届かなかった。キャスターの冷静な声が告げた指名手配犯の名前が、耳の中で何度も繰り返される。
「どうした?」
「あ、いえ。知ってる人と同じ名前だったもので……」
 名前だけではない。勤め先の銀行も、年齢も同じだった。支店は、あの頃は違った、上野支店だった。実家からの仕送りを引き出しに行ったとき、彼女とは銀行の窓口で知り合ったのだ。

 動揺する青木を尻目に、薪は席を立った。コーヒーのお代わりでも欲しくなったのか、それならば自分が、と思いつつ、青木は立ち上がることができない。しかし薪はコーヒーサーバーの方へは行かず、リビングへと姿を消した。すぐにテレビの音が聞こえてくる。
「青木。テレビでも同じ内容のニュースをやってるはずだ。顔も同じかどうか、自分の目で確かめろ」
 力強い声で呼ばれて、青木は萎えかかる膝に力を入れる。同姓同名の銀行員なんて、たくさんいる。美月と言う名は珍しいと思うが、それでもないとは言い切れない。だって、彼女はそんなことをするひとじゃなかった。東京に出てきたばかりで、右も左も分からない青木に、とても親切にしてくれたのだ。そんないい人が、横領の上人殺しなんて。

 ぎこちない足取りでリビングに入ると、薪がテレビのリモコンを操作してニュースを探している。朝市のレポート風景から切り替わった画面に、硬い表情でニュースを読み上げる女性アナウンサーが現れた。
『山本容疑者は、3日前から出勤しておらず、自宅にもその姿はありませんでした。近所の住民の話では……』
 
 液晶テレビの画面に、指名手配と銘打たれた女性の正面からの顔写真が映る。いくらか茶色がかった長い髪をふわりと巻き、卵形の輪郭の両側に垂らしている。前髪は全部上げて、カチューシャで留めている。聡明そうな広い額の下には、若い頃の青木が恋焦がれた鳶色の瞳が、そのままの美しさで輝いていた。

「彼女です」
 乾いた声で、青木は言った。
「大学の頃の、オレの彼女です」

 そこまでの関係を現在の恋人に告げてよいものかどうか、そのときの青木には考える余裕も無かった。自分の中に残っている彼女の優しそうな笑顔や弾けるような笑い声が、青木の胸をきりきりと痛ませて、こんなことはありえない、絶対にありえないと、自分の視覚が収集した情報を否定するだけで精一杯だった。
 薪は、何も言わなかった。驚く様子もなく、青木の様子を静かな眼で見ていた。

「薪さん、これ、何かの間違いです。彼女はこんなことする人じゃない。犯人は別にいます」
 彼女とは、第九に入って1ヶ月で別れた。それきり会っていない。もう丸8年にもなる。その間、彼女がどんな人生を歩んできたのか、自分は何ひとつ知らない。でも、彼女は違う。犯罪を犯すような人間ではない。青木はそう信じて疑わなかった。

「コーヒー」
 呟いて、薪は机に向かった。デスクトップ型のパソコンの電源を入れると、スタイリッシュな形のオフィスチェアを引いて腰を下ろす。自分のIDカードをパソコンにつないだカードリーダーに差し込み、パスワードを打ち込む。自宅でも仕事ができるように、薪のパソコンは職場の回線に繋げるようになっている。機密が絡むから、必ずこうしてIDカードとパスワードが必要になるのだ。
 まだ朝食の途中だったはずだが、そちらは放棄して持ち帰りの仕事にかかる気らしい。仕事が命の薪には、土曜も日曜もない。これが片付いたらまた、職場に足を運ぶ気でいるのだろう。

「コーヒーのお代わり淹れてこい」
 ひどく冷めた口調で命令されて、青木は自分の愚行に気付く。
 これは第九に回される可能性のある事件ではない。おそらく所轄で捜査が行なわれ、1課が出張ることはあるかもしれないが、青木が在籍している研究室には関与することはない。管轄外の事件に意見したり、手を出すことは警察ではご法度。ここでいくら青木が彼女の無実を訴えようと、その為の捜査を所轄に要請することはできない。
 うなだれて、でも納得できなくて、青木はその場を動けない。
 自分は警察官なのに、自分の知り合いが窮地に立たされているこんなときにこそ役に立ちたいのに、現実の壁は厚くて高くて、その強大さに眩暈がする。

「早くしろ。おまえのコーヒーがないと、頭が働かん」
 イライラした声で言われて、青木は何とか平常心を取り戻そうとする。大学の頃、もう8年も昔の話だ。彼女だって、オレのことなんか覚えていないかもしれない。
 何ができるわけでもない。彼女を探すことも、本当の犯人を見つけることも、自分には許されていない。だったらここでこんなことを言い出して、一緒に暮らし始めたばかりの恋人に不愉快な思いをさせるべきではない。

 決意して顔を上げると、パソコンの画面が眼に映った。
『T銀行渋谷支店、副支店長殺害事件』という見出しに、青木は目を瞠る。マウスを操る薪の手が素早く動いて、画面をスクロールしていく。その速さに青木はついていけず、内容を読み取ることはできなかったが、多分これは所轄のデータバンクの情報だ。テレビでは言及されていなかった事件の詳細や事情聴取した関係者のリスト、時間等が明確に記されている。
「データが足りないな。容疑者に関する情報が少なすぎる。内向的な性格だったのかな。それとも、所轄のデータアップが遅れているのか。
 青木、おまえが知ってるところまででいい。彼女のことを教えろ」
 机の上に山と積まれた持ち帰りの書類、それには手も触れずに薪は事件調書を読んでいる。警視長のIDカードとパスワードを所轄のデータ閲覧のために使って、それは彼の仕事の一助にもならない。

「薪さん……」
 なんだか胸がいっぱいになって、青木は言葉が出てこない。
 薪は普段はすごく意地悪で陰険で、青木の言うことなんかちっとも聞いてくれなくて。だけどこうして、本当に青木が弱ったときには必ず手を差し伸べてくれる。青木が心から伸ばした手を取り損なったことは、ただの一度もなかった。

「彼女のことを話せ。僕が聞いてやるから」
 事件の最中、自分の仕事がどんなに忙しくても、薪はちゃんと青木の話を聞いてくれた。どんなに稚拙な推理でも、どれほど未熟な意見でも、いつも青木の気持ちを汲み取って、掬い上げてくれた。応じてもらえないことは多々あったけれど、話も聞かず手も尽くさずに、薪がその決断を下したことはなかった。
 
 これまで薪と歩んできた数々の分岐点を思い出し、青木はその都度薪に助けられてきたことを改めて知る。つん、と鼻の奥が痛み、目の縁に涙が浮かんだ。
「な……なに泣いてんだ、バカ。まだ彼女がやったって決まったわけじゃないだろう。それをこれから調べるんじゃないか。
 しゃきっとしろ! さっさとコーヒー淹れてこい!!」
「はい」
 怒鳴りつけられて首を竦め、素直に返事をする。もはや習性と化したその反応は、青木に平静を取り戻してくれる。

 彼女が犯したかもしれない罪が哀しくて涙が零れたわけではなかったのだが、青木はそのことについて反論はせず、キッチンへ向かった。
 薪さんのやさしさが嬉しかったんです、なんて本当のことを言ったら、たぶん殴られると思ったから。




*****


 甘い新婚家庭は何処に行ったんでしょう(笑)←初めからなかったのでは?


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

水面の蝶(3)

 連日、たくさんの拍手をありがとうございます~。
 拍手カウンターがビックリするくらい高速で回っております。
 おかげさまで昨日、総数が2万5千を超えまして、わーうれしい、お礼SS書きたい、でもすみません、やっぱりエピローグ読むまでは書けそうもないので少し待って、いや、読んだらもっと書けなくなるかも、うえええーんっっ!!

 せめて、頑張って更新しますねっ。
 メロディ発売まであと半月、秘密が終わってしまうことの淋しさに耐えている方々の、お役に立てますように。






水面の蝶(3)





 彼女、山本美月とは青木が18の時に知り合った。
 4月から東京の大学に通うことになって、上京して間もない頃だった。住居は定めたものの、右も左も解らない。故郷に友人はたくさんいたが、青木と同じ大学に入った友人はいなかった。関東では唯一、親戚の伯父が千葉の茅ヶ崎に住んでいたが、それほど親しい間柄でもなかった。
 まだ学友もゼミ仲間もできない、孤独な日々を送っていたほんの僅かな時期に、彼女と青木は巡り会った。と言っても、そこからすぐに恋人として付き合いだしたわけではない。彼女は青木が仕送りが届く口座を持っている銀行の窓口で、うっかり暗証番号を間違えて駄目にしてしまったキャッシュカードの再発行の手続きを担当してくれたのだ。

「青木一行さんですね。恐れ入りますが、通帳とご印鑑、それと何か身分証明をお持ちですか?」
「……何も持ってません」
 カードだけあればお金は下りると聞いていたから、通帳も印鑑も自宅に置いてきてしまった。口座開設のときに使った保険証は、普段は持ち歩いていない。運転免許はまだ取得していない。入学間近になれば手に入るであろう学生証も今はないし、住民票さえ移していない。

「ご本人様を確認させていただきませんと、再発行の手続きは取れません。その際には、お通帳とご印鑑を併せてお持ちください」
「えっ。じゃあ、今日はお金引き出せないんですか」
 まずい。これから伯父の家まで挨拶に行かなければならないのだが、ここでお金が手に入らないと電車賃もない。遠い地に住まう親戚で、ろくな交流もない相手だ。約束の時間に遅れることも事情を話すことも、できれば避けたかった。

「何とかなりませんか。これからオレ、人と会う約束があって」
「申し訳ありませんが、これはお客さまの財産を守るために必要な手続きですので」
「でも、これはオレの口座で、オレのために両親が用意してくれたお金なのに、オレが引き出しできないっておかしいでしょ」
 世間知らずを表に出して恥ずかしげもなく、子供っぽく青木は言い募った。窓口の女性は少し困った顔をして、でも頑として譲らずに、
「一旦ご自宅にお戻りになって通帳とご印鑑と保険証をお持ちになるか、それが無理なら住基番号を市役所で申告していただいて住民基本台帳カードを作っていただくとか。あるいは、ご家族の方に保証人になっていただいても」
「オレ、福岡から東京に来たばかりなんです。だから、住民票はまだ福岡です。家族もみんなそっちに住んでます」
 ぶすっと膨れた口調で青木少年が言うのに、彼女は益々困った表情になった。チラッと後ろの預金代理の席を見るが、あいにくそこには融資課長が昼の代理で座っていた。クレームを代理の課長に任せるのは気が引けて、彼女は視線を前に戻した。

「これから伯父さんの家に行く約束をしてて。1時の電車に乗らないと、約束の時間に間に合わないんです。家に戻って通帳と印鑑を探していたら、乗り遅れちゃいます。伯父さん、時間にうるさい人なのに」
「……いくら?」
「え」
「いくら必要なの?」
「千葉までの電車賃と、お昼のパン代……えっと、3千円くらい」
「じゃあ、これ」
 びっくり眼の青木に、彼女は自分の財布から千円札を3枚取り出すと、カルトンに載せて差し出した。

「貸してあげる。あとで返してね」
「いや、あの、見ず知らずの方にお金を貸してもらうなんて」
「山本」
 彼女は左胸につけた長方形のプレートを指差して、にっこりと青木に笑いかけた。
「山本美月って言うの。T銀行窓口の山本美月。見ず知らずの人じゃないわ」
 
 おそらくそれは、厄介なクレーム客と事務処理を面倒がった彼女の、しかも銀行員としてやってはいけない重大な反則行為で、でもその時の青木にとっては、見知らぬ地で初めて受けた他人のやさしさだった。
 後にこのことが上役に知れて彼女は大目玉を食らう羽目になるのだが、その時の青木はそんなことは考え付きもせず、ありがたく彼女の好意に甘え、その紙幣を借り受けた。
 翌日、律儀な青木は開店を待って彼女のところへ行き、自宅に置いておいた現金の中から借りたお金を返した。昨日彼女に言われたとおり、保険証と通帳、印鑑も持参して手続きを済ませようとしたが。

「カードは届け出の住所に書留で届くようになりますけど」
「え。じゃあ、実家のほうへ行っちゃうんですか」
「先に市役所で、住所変更の手続きをなさらないと」
「うう、面倒だなあ」
 つい先日まで高校生をやっていたのだ。役所の手続きや書類のことに詳しいわけがない。入学手続きも親任せで、正直、自分では住民票一枚取ったことがなかった。
 青木が渋っていると、彼女は苦笑して、
「お昼休みで良かったら、一緒に行ってあげましょうか? 市役所の出納室に用事があるから」

 なんて親切な人だろう、とその当時の青木は思っていた。銀行の窓口で、いつもニコニコ笑っていて、誰に接するのも優しく丁寧で。
 接客をする彼女の笑顔は、とても美しかった。窓口業務に就く職員は事前に研修を受け、そこで笑顔の作り方や鏡の前での練習法について学ぶのだが、アルバイトひとつしたことがなかった青木にそんな裏事情が解るわけもなく。彼女は天使のような心を持っていて、不機嫌になったりしないのだと、青臭い考えを固めていった。



*****



「というわけです。彼女がどんなひとか、理解していただけましたか?」
「さっぱり分からん。今の話からは、おまえが昔からバカだったということ以外は何もわからん」
「ええ~……」
「彼女、よくおまえみたいな子供を相手にしてくれたな」
「いいえ、付き合うようになったのは、それから何年か後のことで」



*****



 素敵な女性だとは思ったが、青木はまだ18で大学に入ったばかり。新しい環境に慣れるのに懸命だった。大学の友人を作ったり、勉強をするのに忙しく、彼女の尽力で作ることができたキャッシュカードのおかげで窓口に足を運ぶ必要もなくなり、彼女との距離は自然に遠のいた。

 その彼女との間に新たな関係が生まれたのは、青木が大学3年の秋だった。
 ゼミが長引いて帰りが遅くなり、でも楽しみにしている連続ドラマの開始時刻が迫っていて、近道しようと普段は通らない裏道を選んだ。この通りは風俗店が多くて、歩いていると客引きに声を掛けられるのがわずらわしいというのが、滅多にそのルートを利用しない理由だった。
 頼まれると嫌と言えない性格の青木は、なるべく周りを見ないようにして、派手なネオンの点滅する界隈を通り過ぎようとした。幸い執拗い客引きにも当たらず、並んだ店舗が途切れたところで、青木は諍い合う声を聞いた。
 胸の開いた紺色のドレスを着て、彼女が立っていた。学生だった青木の眼にも明らかに水商売風の衣装と化粧で、青木は自分の目を疑った。

「美月、さん?」
 俄かには信じられない思いで、青木は声をあげた。浅はかな行動だったと気付いたときには遅かった。2人の男女は青木の方へ顔を向けた。
「なんだ、おまえの知り合いか?」
 色つきの眼鏡を掛けて顎鬚を蓄えた40がらみの男が、顎を引いて青木をねめつけた。短い髪を茶色に染めて、真っ赤なシャツと黒い背広を着ている。太い金の鎖を薄い胸に下げて、指にはやはり金の指輪をしている。一見、夜の銀行の集金係、という雰囲気だ。身体は青木よりずっと小さいのに、態度は10倍も大きい。

「そうよ、この人があたしの婚約者。彼、まだ学生だから、卒業を待って結婚することになってるの」
「本当か!?」
 心底驚いたように男は叫んで、青木と彼女を交互に見た。なにが起きているのか、舞台の脚本をひとりだけ知らない役者のように、青木はその場に呆然と立ち尽くす以外に術を持たなかった。
 美月は青木に近寄ってきて、迷いの無い動作で腕を取ると、
「家で待っててね。今日は早目に上がるから」
 にっこりと笑う、それは昔日の微笑みのまま。澄んだ鳶色の瞳を見れば、紛れもなくあのとき青木が恩義を受けた女性だと分かって、だから青木はこくりと頷くと、
「うん。早く帰ってきてね」と彼女に話を合わせた。

 チッと舌打ちして青木をひと睨みすると、男は忌々しそうな表情をしながらも大人しく去っていった。見かけよりも聞き分けのよい男らしい。
 男の姿が見えなくなると、美月は青木の手を放し、きちんと頭を下げた。
「ありがとう。おかげで助かったわ。あのお客さん、アフター付き合えって、しつこくて困ってたの」
「堅気の人じゃなかったみたいだけど、大丈夫? あとで報復されたりしない?」
「あら。あのひと堅気よ? 建設会社の専務さん」
……ヤミ金の取り立て屋だと思った。

「久しぶりですね、山本さん。銀行、辞めちゃったんですか?」
「ううん、辞めてないわよ。これはアルバイト。どうしてもお金が必要になって」
「そうなんですか? じゃあ、昼は銀行で働いて、夜はこういう店で? 大変ですね」
「まあ、今月いっぱいで何とかなりそうだから……あ、銀行はアルバイト禁止なの。ナイショにしてね」
「はい。わかりました」
「ありがとう」
 安っぽいサテン素材のドレスを揺らして、彼女は青木にもう一度頭を下げた。それから顔を上げて、にっこりと笑って、

「ところで、あなた誰だっけ?」



テーマ : 二次創作(BL)
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水面の蝶(4)

 青木さんと元カノの話は楽しくないのでサクサク進めます。
 過去話とはいえ、薪さん以外の人に恋をする青木さんなんて、あおまきすとには正視できませんっ。 ……誰が書いたんだろう、これ。(笑)

 





水面の蝶(4)





*****



「忘れてたんですよ、彼女。オレのことすっかり忘れてて……ショックだったなあ」
「僕もおまえが誰だったか、忘れたくなってきたぞ」
「ええ~……」
「要は、彼女はお金が必要だったら横領なんかしないで働くはずだって言いたいのか?」
「あ、違います違います。えっと、付き合い始めてからの彼女の生活とか、嗜好とか、どう考えても慎ましい方だったと思うんです。こんなこともありました」



*****



 再会してまもなく、ふたりは付き合うようになった。
 青木は3ヶ月前に同級生の彼女と別れたところで、新しい恋を探し始めていた時期だった。美月のほうの事情は分からなかったが、青木を拒むことはなかった。
 大学と銀行が休みの土日、彼らはデートを重ねた。青木が学生だということもあって、公園や博物館、美術館などのお金の掛からない場所で、でも充分に楽しかった。彼女はいつもお手製の弁当を持ってきてくれて、それは決して豪華なものではなかったが、実家を離れてひとり暮らしをしている青木には、最高のごちそうだった。

 5歳年上の美月は5年前に社会人になっていて、青木よりずっと大人だった。大人らしい包容力を持った彼女は、あたたかい笑顔で青木の話を聞き、やさしい言葉で青木の心を癒した。別れた彼女と比べるのは良くないと思ったが、青木は無意識のうちに心がそれを行うのを止められなかった。美月はあらゆる点において、同級生より好ましかった。青木はどんどん彼女に惹かれていった。

 季節が冬になる頃には、お互いのアパートに泊まる仲になっていた。
 その頃にはとっくに美月は夜のアルバイトを辞めていて、ふたりは心ゆくまで甘いときを楽しんだ。
 それなりに名の通った銀行に勤めているにも関わらず、美月のアパートは青木のそれと同程度のものだった。部屋の中は女性らしく明るい配色で飾られていたが、贅沢品といえるものは何もなく、アクセサリーや洋服も量販品ばかりだった。大学の女子たちの多くはブランドのバックやアクセサリーを身につけているのに、働いて糧を得ているはずの彼女の方が清貧な生活を送っているのを不思議に思った青木は、以前から少しだけ気になっていたことを、勇気を出して彼女に聞いてみた。

「気に障ったらごめんね。前に美月がお金が必要だって言ってた理由って、もしかして家族の誰かが病気とか?」
「ううん、家族はみんな元気よ」
 安っぽいガラステーブルの上に置いた二つのコーヒーカップを挟んで、彼女は可笑しそうに笑った。青木の的外れな想像が、ツボだったらしい。
「そうね、一行になら話してもいいかな。わたしの友だちが株に手を出して大損しちゃったの。その上、消費者金融でお金を借りちゃってね。違法業者から借りたわけじゃないから規定の金利なんだけど、でも女の子がひとりで返せる額じゃなくて。で、一緒にキャバクラでアルバイトをしてたってわけ」

「じゃあ、もうああいう店で働かなくてもいいんだね? よかったあ。オレ、美月がまたそういう店に行かなきゃいけなくなったらどうしようって」
「今のキャバクラって、そんなにいやらしくないわよ? ちょっとお尻触られたり、おっぱい揉まれたりするくらいで」
「やだよっ、そんなの! 美月の身体にオレ以外の男が触るなんて、絶対に嫌だ」
 それは子供っぽい独占欲。でも、だからこそ純粋な愛情。美月はそんな青木の想いを、心ごと身体ごと、やさしく受け止めてくれた。

 加えて、美月はとても家庭的な女性だった。
 よくふたりで近所のスーパーに買い物に行った。倹約家の彼女は、安くて新鮮な食材を選び、それを調理の仕方で美味しい料理に変えて見せた。
 ある日、買い物を終えたふたりが購入した商品をバックに詰め、作業台から離れようとしたとき、目の前で箱に詰めたばかりの商品を床に落としてしまった老婦人がいた。こういうときには自然に身体が動くタイプの青木は、すぐに床に屈んで商品を拾おうとした。しかし美月は青木よりも素早く床に落ちた品物を拾い集め、きちんと箱に詰めて老婦人に返してあげた。割れたタマゴで汚してしまった床を自分のハンカチできれいにし、なおかつ、自分の買い物バックの中からタマゴのパックを取り出し、
「半分、お持ちになります? 2人でゆで卵10個はきついわ」
 結局、スーパーの店員が出てきて老婦人のタマゴは新しいものと取り替えてくれたのだが、老婦人の感謝は当然、店員よりも美月に向かった。青木はそれをとても嬉しく、誇らしく感じた。

 彼女の親切が押し付けにならないのは、美月がそれを親切だと意識していないからだ。彼女は呼吸をするように、自然に他人にやさしくできる。青木を助けてくれたときもそうだった。
 彼女以上の女性はこの世にいない、と青木は信じて疑わなかった。



*****



「本当に、やさしくていい人だったんです」
「……だんだん、ただの思い出話になってきてないか?」
「いやあ。なんか懐かしくなっちゃって」
「呑気なことを言ってる場合か。でもまあ、話を聞く限りでは、彼女は慎ましく生活していたらしいな」
「でしょう? そんな彼女が1億円もの横領をすることも信じがたいし、ましてや人を殺めるなんて。ムシを殺すどころか、花も手折れないくらいやさしい人だったんですよ」
「そんなにいい女性と、どうして別れちゃったんだ?」
「薪さんのせいですよ。薪さんが無茶苦茶なシフト組むから長いこと彼女に会えなくなって、だから」
「僕のせいにするな! おまえが子供だから飽きられたんだ、絶対にそうだ!」
「痛っ、蹴らないでくださいよ! どうしてこんな性格悪いひと好きになっちゃったんだろう。しかも乱暴だし」
「うるさい、なんか腹立ってきたぞ。おまえのノロケ話を聞かされてるみたいだ」
「薪さんが話せって、ちょっ、タワーはまずいですっ、ハードディスクが、うぎゃあ!!」



*****



『あなたはわたしを見ていない』

 それは美月が青木に残した最後の言葉だった。
 そんなつもりはなかった。だた、第九に入ったばかりで精神的に一番苦しい時期で、その苦しみさえ感じる間もないほどの忙しさに埋もれて、彼女への連絡を怠ってしまっただけだ。

 たった1ヶ月じゃないか、とそのとき青木は反論した。
 ほんの一月会わなかっただけで、メールの返事を何回か返さなかっただけで、別れようなんて感情的になり過ぎだ。
 美月みたいにやさしくて寛大な女性が、どうしてそんなことを言うの? もしかしてオレの他に、だれか好きなやつでもできた?

 美月は青木の問いに答えなかった。
 疑われてもかまわない、弁明する気はない、青木の意見を聞く気も無い。常にやさしさを湛えていた彼女の鳶色の瞳は、信じられないくらい冷たかった。そして、とても哀しそうだった。

 青木は自分の怠慢が、彼女を深く傷つけていたことを知った。しかし、現実的に考えて、状況を改善することは難しかった。メールの返信くらいは何とかなるかもしれないが、以前のように頻繁にふたりの時間を持つことは事実上不可能だった。
 1ヶ月に1回くらいなら自由になる日もあるから、と彼女を説得しようとして、青木は彼女から何度も届き、嬉しく思ったものの結果的には読み捨てる形になったメールのことを思い出した。
 内容自体は思い出すのが難しいくらい、他愛もないことだった。今日はいいお天気だったからシーツを洗濯したとか、公園に散歩に行ったら池に氷が張っていたとか、そんな日常の些事ばかりで、返信を要する事柄は何ひとつなかった。
 でもそこにはいつも、青木を気遣う言葉が添えられていた。

 忙しいのですね、一行の身体が心配です。寒いから風邪など引かないでね。夜はちゃんと眠ってね。食事はきちんと摂ってね。返事はいいから、少しでもゆっくり休んでね。

 彼女は青木の仕事もその繁忙さも理解していた。彼女が自分と別れたがった原因は他にあったのだ、と青木は遅ればせながら気づいた。
 それが何なのか、彼女ときちんと話し合おうとして、青木はそれを為せなかった。仕事に忙殺される日々は、青木から確実に余裕とやさしさを奪っていた。結局、そのときの青木は彼女を諦めてしまった。
 忘れてしまいたい気持ちも手伝って、青木は職務に没頭し、その凄惨さに憔悴する日々の中で、次第に彼女のことを思い出さなくなった。そのうち薪のことが気になりだして、彼女のことは完全に記憶の中に残るだけの存在になった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

水面の蝶(5)

 今年はお義母さんに習って、梅干し作りにチャレンジしてます。 梅の木は庭に何本かあるのですけど、毎年、落ちた実を捨ててました(^_^;) ←ダメ嫁。
 お義母さんが漬けたものが大瓶3つも残ってて(10年越しのもので誠にウマイ)、まだ10年分くらいはありそうだから失敗しても大丈夫だよね? とやる前からしくじる気マンマンです。

 みなさんの中にも主婦の方、多いと思うのですけど。 みなさん、手作りされてるのかしら。
 漬けるのは手間が掛かるけど、美味しいですよね(^^)






水面の蝶(5)





「というわけです。分かっていただけましたか?」
「ああ、よーくわかった。彼女は素晴らしい女性だな」
 薪の賞賛の言葉に、我が意を得たりとばかりに青木は大きく頷いた。
「性格もいいし、天使みたいにやさしいし」
「まさにその通りです」
「しかも家庭的で料理上手。大人でおまえの仕事への理解もある」
「はい」
「生涯を共にするなら彼女以外は考えられないと、おまえは思っていたわけだ」
「はい……え」

 なんか風向きが怪しくなってきた。
 美月がこんな犯罪を起こすはずがないということを主張しようとして、必要以上に彼女を褒め称えてしまった。それは青木が彼女の無実を信じる根拠ではあったが、薪にしてみれば不愉快だったに違いない。
 忘れていたが、薪は意地悪で性格が悪い。それをしょっちゅう青木に指摘されて、その度に逆切れしている。なのに青木が以前の恋人のことを「天使みたいにやさしかった」と言ったら、現在の恋人である薪は面白くないに決まっている。

「そのメールの内容から判断するに、彼女とは、相手が嫌いになったとか他に好きなひとができたから別れたわけじゃないんだな。ほんのちょっとのすれ違いだったわけだ」
「それはそうです、でも」
 自分の不安が的中しそうになって、青木は慌ててフォローに入ろうとする。が、論説家の薪が青木の釈明を許すはずがなかった。薪は確かに青木の意見をちゃんと聞いてくれる、でもそれは仕事のときだけ。プライベート、特に恋愛関係になると薪のコミュニケート能力は幼児にも劣る。
 ひとの話は聞かないし、自分の思い込みで突っ走るし。青木の気持ちを確かめもせずに行動を起こすし、周りの人間まで巻き込んで大迷惑を掛けるし。本当にこのひととの恋愛には大変な苦労が必要なのだ。

「今回彼女を助けることができれば、彼女ともう一度やり直せるかもしれない。そう考えているわけだな」
 ほーら始まった。言葉尻を捕らえて、根も葉もない言いがかりをつけて、ネチネチと青木をいたぶるつもりなのだ。
「僕はかまわないぞ。縁りを戻したらどうだ」
 亜麻色の眼が氷みたいに冷たい。薪はすっかりおかんむりだ。

 どうやってフォローしよう、と美月の非常事態も忘れかねない勢いで青木が薪のご機嫌取りを考えていると、薪はにやっと底意地の悪い顔になって、青木のシャツの胸元を摑んだ。ぐん、と強く自分の方に引き寄せて、
「なんて、しおらしいことを僕が言うとでも思ったか」
 傲慢に、薪は言い放った。
「おまえも知ってのとおり、僕は性格が悪いんだ。おまえの喜ぶことなんか、絶対にしてやるもんか」
 開き直りの極地に立った彼は、自分の欠点を引け目に感じる様子もなく、ふてぶてしく笑った。それは自分の特権であるとでも言うように、青木の前では何をしても自分は許されると思い上がっている愚かな子供のように、高慢かつ蒙昧な言葉の選び方だったが。

「僕はもう、おまえに遠慮しない」
 その亜麻色の瞳は情熱を秘めて燃えるように、好戦的な冷笑は彼の美貌を嫌というほど引き立てる。
「僕は何度も警告した。僕と別れるチャンスは何度もあったはずだ。それを逃したのは、おまえのミスだ」
 薪はシャツを持っていない方の手で、青木の頬をつかんだ。やさしく手を添えるのではなく、爪が食い込むほど容赦なく力を入れ、これは自分のものだと全世界に知らしめるかのように誇らしげな眼をして、
「いいか、覚えとけ。おまえは一生涯、僕の恋人だ。よそ見は許さない。死ぬまでつきまとってやるから覚悟しとけ」
「はいっ」
 
 うれしさに矢も盾もたまらず、青木は薪の身体を抱きしめる。長く強い両腕で彼を囲い込めば、先刻までの暴君は一夜にして城を追われた亡国の王のように萎縮して、青木の腕の中で身を固くした。
「な、なんでおまえはそう……どうして普通の反応をしないんだ?」
 心から愛する恋人に、死ぬまで一緒だと言われた。これが普通だと思うが。
「よく考えろ。こんな中年オヤジに死ぬまでつきまとわれるんだぞ? 若い女の子と遊ぶことも許されず。僕だったら絶対に嫌だ」
「オレの人生にはあなただけいればいいです。他のひとは要りません」
 薪のやわらかい頬に、彼の爪痕が残る自分の頬を擦り付ける。唇を滑らせて頬に接吻すれば、愛くるしい口元からはキリマンジャロの馨。唇に伝わる熱に気付いて青木が目を開けると、ぼっと濃い桜色に染まった薪のきれいな頬が見えた。
 この期に及んで、まったくこの人は。
 あんなに傲慢にひとを私物化しておいて、いざとなるとこれだ。薪は直球の愛情表現にはひどく弱くて、自分が素直にそれを表わすことにはいっそ臆病で、でも青木はそんな薪が可愛くて仕方ない。

「ったく。どうしようもないバカだな」
 必死に虚勢を張って青木を手で押しのけるが、彼は恥ずかしそうに俯いたまま。あれだけ火照っていれば、自分の顔が真っ赤になっていることも察しがついて、青木に見られないうちに顔色を元に戻そうと必死なのだろう。クールを気取るのも楽ではないのだ。
 しかし、そこはさすがにポーカーフェイスと切替の速さが売りの警察幹部。たった一度の深呼吸で平静を取り戻し、すっと上げた顔はいつもの澄まし顔。

「まずは情報収集。それから彼女の身柄の保護だ。居所が不明というのが一番まずい」
「自分が犯人ですって叫んでるようなものですからね」
「それもあるけど、一番怖いのは真犯人に拘束されている可能性があるということだ。彼女が犯人でないのなら、その線もありうる」
 咄嗟に浮かんだ恐ろしい想像に、青木は身震いする。そうだ、薪の言うとおりだ。彼女が姿を消したのは、自分の意志ではないのかも。美月の聡明さを知る青木にとってそれは、彼女が置かれた今の状況を理解するのにもっとも納得のいく仮説だった。

「おまえ、彼女の行きそうな場所に心当たりはないのか」
「あの頃よく行った公園とか、美術館くらいしか」
「彼女が頼っていきそうな相手は? その、キャバクラで一緒にバイトしてた友だちとか」
「知らないです。他の友人も何人かは紹介してもらった記憶もありますが、顔もおぼろげです。連絡先や家を教えてもらうほど親しくなりませんでしたし、第一、8年も前の情報ですから。有力とは言いかねます」
 自分から言い出しておきながら自信のなさそうな青木に比べて、薪の決断は速かった。仕事用のスーツに着替えて、身分証明書とIDカードを内ポケットに落とし込む。
「二手に別れよう。僕は渋谷南署に行って、状況を聞いてくる。おまえは彼女が行きそうなところを当たってみろ」

 ふたりは一緒に部屋を出て、マンションのエントランスで別れた。
「もしも運よく彼女に会えたら、分かってるな?」
「え? 何をですか?」
「……まあ、いくらおまえがバカでもそこまではしないか。じゃあ、気をつけろよ」
 もしかして、万が一彼女が罪を犯していたとして、青木が彼女の逃亡を手伝うとでも思ったのだろうか。いくら何でもそんなことはしない。青木は警察官だ。彼女が自分の罪を認めれば、自首させる。それが彼女にとって一番いいことだと分かっている。
 それは太陽が東から昇るのと同じくらい、当然のことだった。




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水面の蝶(6)

 今回こそ。
 メロディ発売前に完結まで持っていくぞ、と誓ったものの、
 今日の時点で毎日公開しないと間に合わない算用なんですけど……手遅れ感ありすぎ(^^;

 書きながら公開してて、その上で連日UPされてる方、心の底から尊敬します。

 





水面の蝶(6)





 一番最初に思い浮かんだのは、彼女とよく行った公園だった。

 彼女に別れを告げられたのもこの場所だ。
 8年前、そこは休日を楽しむ人で賑わう憩いの場所で、きれいに整備された樹木と芝生、花壇と噴水が人々に潤いを与えていた。長い年月の間に設備は古び、遊具には傷みが目立つようになっていたが、大きな樹木と噴水は昔日のまま、青木を迎えてくれた。

 土曜日の午前中、人は多かった。
 指名手配をされて逃げているのだとしたら、こんな場所には来ないだろう。人目を避けて、もっと暗い場所に隠れるに違いない。
 そう思いながらも、青木は公園を一巡りすることにした。懐かしさに駆られたせいもある。遊歩道沿いの花壇にも、木陰のベンチにも、彼女の思い出がたくさん残っている。

 あまりにもはっきりと彼女のことを思い出せる自分が、青木は意外だった。
 若き日の自分と美月の幻が、其処此処に見える。
 8年も前のことなのに。その姿は鮮明に詳細に。夕暮れの風に靡いた長い髪を梳く彼女の、指の形まで覚えている。
 自分はもう、薪以外のひとは見えないとずっと思ってきた。でも、こうして記憶の中の彼女を現実の場所に投影すれば、こんなにも彼女は美しい。

 彼女とベンチに座って、色んな話をした。学校のこと、仕事のこと、ふたりの未来のこと。
『一行、警察官になるの? かっこいい。正義の味方ね』
『うん。でも、オレは一番に美月を守るよ。何かあったら、いや、何もなくても呼んで。パトカーのサイレン鳴らして吹っ飛んでくるから』
 そんな彼氏イヤ、とはじけるように笑った、彼女の笑い声を青木の耳は覚えている。身を二つに折って笑い転げる彼女の姿を、青木の目は覚えている。

『じゃあ約束よ。必ず来てね』
 そう言って自分の小指と絡めた彼女の、簡単に折れてしまいそうな細い小指の感触を、青木の肌は覚えている。
 何よりも、青木の心が。
 あの日この場に置き去りにした青木のこころが、彼女を求めて止まなかった。

「美月……」
 唇が覚えている彼女の名前を青木が形取ったとき、噴水側の樹木の陰に隠れた彼女の幻影のひとつが、ゆっくりと揺らめいた。



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水面の蝶(7)

 毎日毎日たくさんの拍手、誠にありがとうございます。(〃▽〃)

 再読してくださってる方が何人かいらして、とっても嬉しいです。
 わたしも皆さんの勤勉さを見習わないと……うん、あのね、
 実は半年くらい前、小説の編集をされてる方に教えていただいたんですけど、それに因りますと、わたしの書き方、色々間違ってて。 いえ、日本語として成り立ってないとか書いてるものが人間として間違ってるとか(ええええーんっ!)、それは別にして、この場合は技術的なことで。

(いただいたメールのコピーです)

●「 」、( )、『 』の文頭一文字下げは必要ありません。

●・・・・・・(ナカグロ)ではなく、……(三点リーダー偶数組み合わせ)を使用してください。また、あまりたくさん使うのもいただけません。

●「――」が長すぎます。2ワード分か4ワード分程度に。

●!、?、などの後ろは1マスあけてください。


 教えてもらった後に書いたものは直したんですけど、過去記事も直そうと思って、膨大な量に挫けました。(^^;
 でも、何の責任もない方が再読してくれてるのに、当のわたしが間違いをそのままにしておくってのもちょっとアレなんで、やっぱり直そうと思います。
 暇を見て少しずつ、1年で終わるかなあ?



 お話の方は、
 拍手でもメールでも、青木さんにΨが向けられてるんですけど。(笑)
 青雪さんの復縁が気になる今の状況で、青木さんの気持ちがちょっとでも薪さん以外の人に向く話はKYでしたね、てか、
 わたしもツライ~、青木さんは薪さん以外どうでもいいと思ってなくちゃイヤー。(←そんなの青木さんじゃない)





水面の蝶(7)





 青木がマンションに戻ると、薪は既に帰ってきていて、どんなルートから手に入れたのか、捜査報告書のコピーを貪るように読んでいた。官房室の威光を借りたか、警視長の階級にものを言わせたか、どちらにせよ正規の方法でないことは確かだ。第一、調査中の事件の捜査資料は持ち出し禁止のはずだ。

「空振りだったか」
 黙ってソファに腰を下ろした青木に、薪は言った。自分に報告をしないということは、報告できるだけの収穫がなかったものと判断したのだろう。
 はあ、と青木は曖昧に頷いて、薪が読んでいる資料を隣から覗き込んだ。
 事件現場の写真が2枚、縦に並んでいる。被害者の状態と傷のアップ、傷口は刃渡り12センチ前後の鋭利な刃物によるもので、凶器の特定はまだされていないと書かれていた。

「こっちもあんまりよくない。状況証拠が揃い過ぎている」
 ソファの背もたれに寄りかかり、薪は腕を組んだ。仕事モードの彼は冷静でストイックだ。夕食後にテレビを見ているときのように、気安く触れることはできない。
「銀行の取引には、必ず伝票が伴う。預貯金の移動は、すべて本部のメインコンピューターにつながる端末機で操作される。端末を動かすには行員個人のIDカードが要る。そのIDも、伝票の起票印も、全部彼女のものだ」
 美月に横領の疑いが掛かったのは、その原因文書のせいか。しかし、印鑑とIDだけでは確実な証拠にはならないはずだ。

「端末にIDを通してオペレーションをして、その場を離れるときにはIDを解除するのが本当のやり方なんですけど、実際は忙しくてそのまま席を離れてしまう事が多いから、必ずしも伝票に打たれたIDが伝票を操作した本人とは限りません。
 それに、預金の払戻請求書には、受付印と印鑑照合印と検印の欄があって、その3つすべてが同じ行員の印鑑であってはいけない、という規定があるそうですよ。一枚の伝票に必ず二人以上の行員が関わることで、顧客預金の勝手な流用を防ぐとか」
「……よく知ってるな」
 せっかく薪が感心してくれたのに、青木にはそれを喜ぶ余裕はなかった。とにかく、彼女の疑いを晴らさなければならない。一刻も早く。

「起票印は彼女のものでも、印鑑照合、あるいは検印は別のひとのものでしょう? だったらその行員にも事情を確認しないと」
「彼女の机の引き出しから、他の行員の名前の印鑑が複数見つかった」
「えっ!?」
 寝耳に水の情報に、青木は思わず大きな声を上げた。
 聞いてない、そんなことは聞いていなかった。

「銀行の行員が使ってる印鑑て、普通のシャチハタ印なんだな。あんなの、どこでだって買える」
 亜麻色の瞳を酷薄そうに細めて、薪は辛辣な口調で銀行の批判を始めた。薪は自分にも厳しいが、他人にも厳しいのだ。
「IDカードの管理は個人個人に任されているし。検印制度にしたって、一般行員が500万までの振替検印を行えるって、危機管理が甘いとしか思えない。横領天国だな、この銀行。うちの預金を預けてなくてよかった」
「……通帳残3ケタの預金者に言われたくないと思いますけど」
 車を購入する話が出たときに見せてもらった薪の通帳、そのありえない残高を見たときのショックを思い出して、青木はガックリ肩を落とした。

「それに、銀行員にはプライドと誇りがあるって、彼女は言ってましたよ。目の前に何億の札束が重ねられようと、その誘惑に負けるような人間には銀行員たる資格がないって。それはオレたち警察官が、どんな小さな罪も自分には許すまいと思う精神と同じことだって」
 なるほどな、と薪は頷き、
「それと、添田副支店長の殺害についてだが」と焦点を殺人事件へと移した。
「事件当夜、山本美月は残業で行内に残っている。為替業務ってのは預金業務よりも仕事が多いみたいで、彼女は残業が多かったらしいな。通用口の鍵を管理しているのは副支店長だそうで、最終的には彼と二人になることが多かったみたいだ。
 この夜もそうだったらしい」

「目撃証言が出たんですか」
「いや。先に帰った行員が、最後に残ったのはこの二人だと」
「それだけで彼女を犯人だと? 指名手配までしておいて、ずい分杜撰な捜査ですね。横領のほうは一応物証が挙がってるから所轄の疑いも仕方ないけど、でも、それだって逆に揃いすぎてて。オレには誰かが彼女を陥れているとしか」
 薪は、青木の意見に興味深く耳を傾けていた。ふむ、と鷹揚に頷き、すっと視線を青木から外して、
「そうだな。おまえの言うとおりだ。僕も所轄の捜査は間違っていると思う。彼女はハメられたんだ。同じ支店の誰かに」
 自分と同じ結論にたどり着いてくれた薪に、青木は小躍りしたいくらい嬉しくなる。薪がそう考えてくれるのなら、もう彼女の疑いは晴れたも同然だ。

「その誰かに、心当たりはないのか」
「実は、少しだけ」
 この機会を逃すまいと、青木は意気込んで言った。
「彼女の同僚で篠田玲子っていう行員がいるんですけど。この人とだけは反りが合わないって、昔彼女に聞いた覚えが」
「篠田玲子……こいつか。為替業務の経験もある。自分が横領をしておいて、横領の証拠となる偽造印を彼女の机に投げ込んでおいた、というわけか。可能性はあるな。
 よし、僕はこれから渋谷南署に行って、このことを進言してくる。おまえも諦めず、心当たりをもう一度探してみろ」

 はい、と青木は元気よく頷いた。
 推理の神さまの異名を持つ薪の後押しがあれば、所轄の捜査も篠田に向けられるに違いない。捜査の焦点が変われば、新しい証拠も出てくるはずだ。

 薪が家を出るのを確認して、青木は自分も出かける準備をした。
 買い物用のバックを懐に入れ、まずはスーパーに寄って食料品を買い込む。一人分の弁当と、後は調理の不要なパンや缶詰、野菜不足を補うためのフルーツ類。ついでにフルーツを切るための果物ナイフも購入し、それらを持って、急いで目的の場所に向かった。
 薪のマンションのある吉祥寺から、電車で約30分。青木が駅から辿った道は、通いなれたかつての通勤路だった。
 青木は大きな公園の前にあるアパートへ入っていく。そこは青木が1ヶ月前まで住んでいたアパートだった。まだ荷物の処分が終わらないことから、賃貸契約を切らないでいる。その怠慢が、思わぬところで役に立った。
青木は周りに誰もいないことを確認し、鍵を開け、暗い室内に入った。後ろ手に鍵を掛け、声を潜めて、
「美月。いる?」

 青木の声に応えてベッドルームから出てきた女性に、青木はにっこりと微笑む。クッションを引き寄せてその上に彼女を座らせ、肩に掛けたバックをその場に下した。
「とりあえず、当座の食料持ってきた。電気が使えないから缶詰ばっかりだけど。でもね、そんなに長いこと我慢する必要はないよ。薪さんが、美月は犯人じゃないって分かってくれたから。あのひとに任せておけば安心だよ。絶対に真犯人を探し出してくれる」
 
 彼女を安心させようと、青木はやさしく語りかけた。彼女は硬い表情で青木の話を聞いていたが、不意にギョッとして青木から離れようとした。
「どうしたの、美月」
 彼女の鳶色の眼が見開かれ、青木の後ろを見ている。嫌な予感に襲われて青木は、振り返ろうとしてそれを為せない。
 
 ガチャリという金属音が、地獄の釜の開く音にも聞こえる。施錠が解除され、ドアが開いたのが空気の流れで分かった。
 この部屋の合鍵を持っている人間は、管理人を除けば1人しかいない。恐る恐る、青木は振り返る。

「薪さん……」
 狭い玄関の三和土に、燃えるような瞳をして薪が立っていた。




*****

 しゅらばらんば~♪(←楽しいらしい)

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水面の蝶(8)

 こんにちは。
 連日更新して、えらいな、しづ。(しかしレスは滞って、すみませんー!)

 昨日のは、青木さんファンに怒られそうな展開ですみませんでした。 今日のは、うん、もう蹴られそうです。
 拍手のお礼にしていいものかどうか、不安になってきました……。






水面の蝶(8)






 薪は後ろ手に鍵を掛けた。それは先刻、青木が取った行動と同じものだったが、意向は真逆のもの。青木は美月を匿おうとし、薪は彼女を逃がすまいとしてのことだった。

 靴も脱がないまま、薪は部屋に上がってきた。恐ろしい勢いで青木のところへ迫ってきて、問答無用で彼を殴った。警察は荒っぽい職場だ。理由も聞かずに張り倒される、そんなことは日常茶飯だ。
「おまえはそれでも警察官か!!」
 薪に怒られたことは数え切れないくらいあったが、それがすべて霞んでしまうくらい、今日の薪は怖かった。そして、哀しそうだった。その顔色は蒼白で、今にも気を失いそうだった。
 薪は量り知れない怒りに駆られて、同時に深く傷ついている。青木が自分を裏切ったと、そう思っているのだろう。この状況では無理もないが、青木も今は美月を守らねばならない。彼女の味方は世界中にたったひとり、自分だけなのだ。

「薪さん、聞いてください。彼女はやってないんです。同僚の篠田って子に陥れられたんです。ちゃんと調べれば分かるはずです」
「やってないなら尚更だ。犯人の心当たりがあるなら、自分から出頭して申し開きをすればいい。隠れていたら警察の眼は益々彼女に向く。そんなことも解らないのか。おまえ、何年警察官やってんだ」
「彼女が出頭するのは、篠田の捜査が始まってからでも遅くないでしょう? それなら美月は容疑者扱いされなくて済むんです」
 青木が彼女を匿った理由を悟ったのか、薪は口を噤んだ。何かに気付いたように、大きく眼を瞠る。
「オレは知ってるんです。警察の取調べがどれだけ過酷なものだか……今でも時々夢に見るくらい、本当に怖かったんです」

 青木は誤認逮捕をされたことがある。
 悪夢の中を彷徨うような状況下で行われた取調べは、苛酷を極めた。犯人にも人権があるから、たとえ取調室が密室でも手荒なことはされないと聞いていたのに、それは全くの嘘だった。
 ろくに食事も睡眠も与えられず、何人もの人間が青木の耳元で「お前がやったんだろう」と叫んだ。身に覚えのない目撃証言と物証、DNA鑑定書までが次々と提示されて、青木は自分の頭がおかしくなったのかと思った。時間が経つにつれ、疲労と睡眠不足で疲弊した脳は、正常な判断を欠いていく。自分で自分が信じられなくなっていく。あのとき薪が助けてくれると信じていなかったら、きっと自分はやってもいない罪を自白していた。

 当時のことを思い出したのか、薪は少しだけ怒りを収め、しかし断固たる口調で、
「彼女は出頭させる」
 ぎろりと青木を睨み据えた亜麻色の瞳を見て、青木は観念した。薪がこういう瞳をしたら、絶対に譲らない。
「美月、大丈夫だよ。オレからも担当の刑事さんに口添えしてあげるから。こう見えてもオレ、警視なんだ。けっこうエライんだよ」
 華奢な両肩に手を載せて、青木は彼女を説得しようとした。彼女の気持ちは、痛いほど分かる。自分の無実を知っていても、恐怖は拭い去れない。相手がそれを信じてくれる保証はどこにもない。
 しかし、彼女には勇気を出して立ち向かってもらわねばならない。青木は祈るような気持ちで、彼女の両肩を覆った手に力を込めた。

「青木、心配するな。僕が彼女の取調べには立ち会うことにするから。無体なことはさせない」
「本当ですか」
 青木の後ろに立ったまま、薪が静かに言った。その声に怒りはなく、青木は二重の意味で胸を撫でおろして、美月に笑顔を向けた。
「よかったね、美月。薪さんがついていてくれれば、安心」

 トン、と軽い衝撃が青木の身体に伝わった。
 と同時に、青木の胸に美月が頭を持たせ、身体を密着させた。

「な……んで?」
 衝撃は小さかったはずなのに、それは灼熱の痛みを伴って青木の意識を混濁させた。暗がりの中で、銀色の刃が鈍く光る。
 刺されたのだ、ということも咄嗟には理解できなかった。

「うそつき」
 美月のくちびるが動いた。その言葉の意味を、青木は思い出せなかった。
「みんな嘘つき。男はみんな、嘘ばっかり吐くの。約束したじゃない。『薪さん』にだけは言わないでって……約束したじゃない」
 鳶色の瞳に、涙が浮かんでいた。細い声が震えていた。
 怖くて怖くて、たまらなく怖くて。あんなに怯えていた美月を刺激してしまった、これは自分のミスだ。

 ごめんね、美月。でも大丈夫だよ、薪さんがついていてくれれば怖くないよ。だから泣かないで。

 そう言って彼女を安心させてやりたかったのに、左腹の痛みがそれをさせてくれなかった。青木は両手で傷口を押さえ、蹲って痛みをやり過ごそうとした。
「青木っ!」
 美月の弱々しい声とは対照的な、薪の鋭い声が響く。揺るぎない力強さが、青木の意識を呼び覚ます。
 青木は彼のボディガードで、名実共に彼の守護者であるべきなのに、こうしていつも助けられているのは青木の方だ。彼の存在だけが、青木を生かす。

「薪さ……」
 床に蹲ったまま、青木が何とか眼を開けると、薪が美月を取り押さえていた。非情にも彼女を引き倒し、腕を押さえつけて手錠をかけている。
 女の子に乱暴しないでください、と言いたかったが、ふたりの争いが玄関口で行われていたところを見ると、美月が逃亡を試みたことは疑いようもなく、さらには薪の頬についた切り傷から相当の血が流れていることから、美月が刃物を持って薪に襲いかかったことは容易に察しがついた。
 だけどその有様は、青木が知っている彼女とはどうにもつながらなくて。青木は自分が見損ねた捕り物の様子を思い浮かべる事ができない。想像したくない、と言ったほうが正解かもしれない。

 あの美月が、そんなことを?
 とても信じられない。

 薪は玄関の靴箱の足に手錠の片方を掛け、彼女の動きを封じた。彼女から取り上げた小型のナイフをハンカチに包み、証拠品として背広のポケットに入れる。
 為すべきことをし終えてから、薪は青木に駆け寄ってきた。
「青木、傷口を見せろ」
 腹部を抱えてうずくまったままの青木の手を取り、薪は血のついたシャツをめくり上げた。出血箇所を確認すると、クローゼットから一抱えのタオルを持って、すぐに戻ってきた。傷口に押し当て、止血を行いながら左手で器用に携帯を取り出す。

「待ってください、薪さん。救急車は呼ばないで」
 救急車が来たら、美月が自分を刺したことが事件になってしまう。それでなくても彼女は疑惑の渦中にいるのに。これ以上、不利な条件を増やしたくない。
「分かってる。病院へはタクシーで行こう」
「美月は」
「竹内に任せる」
 薪は青木の友人の名前を出して、青木の杞憂を払拭した。
「この事件は、渋谷南署と捜査一課の合同捜査になっている。だから大丈夫だ」
 竹内なら事情を話せば、多分便宜を図ってくれる。薪は竹内のことをとても嫌っているが、篤く信用してもいる。不思議な関係だ。

「ひどいなあ……犯人確保が優先なんですか? オレが刺されたのに」
「自業自得だ、バカ」
 お互い心にもないことを言い合って、笑おうとして笑えず、泣くことはもっとできず。やりきれない気持ちで玄関を見れば、美月は生きる気力を失ったように床に突っ伏している。

「オレが美月を匿ってるって、どこでわかりました?」
「そんなもん、最初から。おまえが銀行の業務や規定に詳しいって、どう考えても不自然だし。まあ決定的だったのは、篠田玲子の名前がすらっと出たところだな。彼女の友人については『おぼろげに顔を覚えている』程度の記憶しかなかったはずだろ」
 言われてみれば。
 あのときは美月の容疑を晴らしたい一心で、ついつい焦ってしまった。青木は嘘が下手なのだ。ひきかえ、薪のとぼけ方の熟練振りと言ったら。さすがおとり捜査のエキスパートだ。

「薪さん。ほっぺた、痛くないですか」
 丸い頬を伝う赤い血が哀しくて、青木の心はずきりと痛む。薪に怪我を負わせるなんて、職務怠慢もいいところだ。青木に言われて薪は初めて自分の怪我に気付いたように頬に手を当て、手のひらにべっとりとついた血を冷静に確認し、タオルを自分の患部に押し当てた。
「かすり傷だ。気にするな」
「美月は、りんごが好きだったんですよ。だから、食べさせてやろうと思って。ナイフも一緒に買って」
 彼女がどこから刃物を持ち出したのか不思議だったが、何のことはない。買い物袋の中に入っていた果物ナイフだ。
「ナイフの品質検査を、自分の身体ですることになるとは思いませんでしたけど。合格ですね、素晴らしい切れ味です」
「黙ってろ、青木。血が止まってないんだ。振動を与えるな」
「大丈夫ですよ」
 自分が苦しむ様子を見たら、きっと美月は辛くなる。今でも、ギリギリなのだ。重なる心痛は、命取りになる。
だから、自分は彼女の前ではしっかりと意識を保って。彼女をこれ以上、苦しめないように。

「薪さん……美月を……美月を助けてください。彼女を救ってあげて」
「喋るな。出血が」
 青木の意識は急激に薄れた。眠りに落ちるときのような感覚が青木を襲い、何とか目蓋を開けようとするも、その誘惑は暴力的なまでに強かった。
「青木、青木。しっかりしろ。こんな浅い傷で気絶するな。おまえ、僕のボディガードだろ」
 細く開けた眼に、薪の顔が映った。怒っているのか泣いているのか、自分は謝ったらいいのか、はたまた彼を慰めるべきなのか、どれひとつとして判断がつかず、青木は曖昧な気持ちのまま、薪の腕に頭を持たせた。

「青木、この役立たず! あおきっ……」
 最後に聞こえた薪の言葉で、薪はやっぱり自分を怒っていたんだな、と青木は理解する。だけど青木の名前を呼び続ける薪の声は、胸を振り絞るような涙声で。自分がどうするべきなのか分からないまま、青木は闇の中に落ちていった。



*****

 Nさんに泣かれそうだわ。
 ごめんね、Nさん。

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

水面の蝶(9)

 こんにちは。


 前回の記事に、まあなんてことでしょう、約一名の方を除いて、「青木さんのおバカさん☆」というニュアンスのコメントいただいちゃったんですけど。(笑)
 えー、青木さん、可哀想じゃん、痛い思いして。(すみません、わたしが書きました)
 たしかに自業自得なんですけど~、青木さんならこれくらいしでかしそうだわ。(暴言)

 青木さんて基本的に、目の前にすごく困ってる人がいたら、後先考えずに行動しちゃう人ですよね? それで薪さんに迷惑かけちゃったりもするんですけど、でもわたし、青木さんの魅力はこういうとこだと思います。
 その上、バカがつくほどお人好し。 あんな目に遭わされて、それでもなお彼女を心配する、そういう青木さんがわたしは好き、てか、きっと薪さんはこういう青木さんが好きなんだと思うの。
 青木さんの、共感性の高さや思いやりの心、真っ直ぐな気性と奥ゆかしさを持ち合わせながら、時に周りを瞠目させるほど大胆な行動に出る、そんなとこが好きなんだと思うの。 それは薪さんが、意識して切り捨ててきたものだと思うから。 だから青木さんのそういうところ、守りたいんじゃないかな。

 なので、このシーンの薪さんは青木さんを許すとか許さないとかじゃなくて、もう、
「ずぎゅーんっ、ばぎゅーんっ」てな具合にハートをぶち抜かれてるんじゃないかと想像するのです。

 と、今読み返して思ったんですけど。
 書いた当時(2010年12月)に何を考えていたのかはまったく覚えてません。 残念な脳ですみません。(^^;
 






水面の蝶(9)






「ここに来れば、あなたに会えるんじゃないかと思ったの」

 思い出の公園で、何度も戯れた噴水の側、太い樹木の陰から現れた彼女は、ゆっくりと青木の方へ歩み寄ってきた。
 彼女の姿は記憶のまま。まるであの別れが昨日であったかのように。
 何も変わっていない。彼女も自分も、この公園も。
 美月は青木の腕に自分の手を添え、そっと額を持たせかけた。彼女の広くて賢そうな額が、青木は大好きだった。

「一行。わたしを助けて」
 そう囁いた彼女は、弱々しく、それでも気丈に微笑んで見せた。青木の記憶の中の彼女は、いつも弾けるように笑っていた。その落差が痛々しかった。
「わたし、やってない。何もしてないの」

 見た目は普通の恋人同士のように、さりげなく人目を避けるようにして、ふたりは公園を出た。通りの少ない道を選んで、止まらずに歩き続ける。
「警察に行って、ちゃんと話すんだ。オレが一緒に行ってあげるから」
 青木は小さな声で、しかしはっきりと言った。彼女を説得して、自分から出頭させる。それが彼女の疑いを晴らす一番の近道だと、青木には分かっていたからだ。
 しかし、美月は頷いてはくれなかった。
 美月が尻込みする気持ちは分かった。一般人にとって、警察の取調室と言うのは紛れもなく恐怖の対象なのだ。
 自分に関わりのないときには、さして気にも留めない。それどころか、興味を持って見たがる者もあるかもしれない。しかし、これが一旦容疑者の立場になると、途端に怖くなる。身に覚えがあるなしに関わらず、本能的な恐怖が芽生えるのだ。
 それは多分、自分が侵されることに対する恐怖感。私生活の細部まで調べ上げられ、知られる必要のないことまで白日に晒され、さらには身体的な苦痛も加わるかもしれないとなれば、逃げ腰になって当たり前だ。

 青木はなおも彼女を説得したが、彼女はどうしても首を縦に振ってくれなかった。力で彼女を拘束し、所轄に引き渡すことは簡単だったが、青木はそれはしたくなかった。どうしても彼女の足で、警察に行って欲しかった。
「美月。オレは美月を信じてるよ。でもこのままだと、君が犯人にされちゃう」
 だから一緒に警察に行こう、と青木は何度も繰り返した。通報によって逮捕されるより、自分から出頭したほうが印象は良くなるし、その分嫌疑も晴れやすいはずだ。青木は彼女の素直でやさしい性格を知っている。彼女は最終的にはいつも、青木の願いを叶えてくれた。だから今回も、もう少し時間をかけて説得すれば、きっと。

 彼女は頑なに青木の忠告を拒んでいたが、青木の熱心な説得に感じ入ったのか、意外なことを言い出した。
「わたし、犯人が誰か知ってるの」
「えっ。本当に?」
 青木は驚いたが、少し考えればすぐに納得の行くことだった。横領事件が絡んでいることからも、同じ支店内の行員が真犯人である可能性は高い。銀行業務に精通する美月が、その豊富な経験ゆえに犯人の正体を察しても、なんら不思議はない。

 当然、青木は犯人の名前を聞き出そうとした。美月は迷った末に顔を上げ、しかし行き交うひとの姿にまた口を閉ざした。
 道の往来では人目がありすぎる。突っ込んだ説得をしようにも、道端ではできない。どこか、二人きりになれる場所を探さないと。それに、美月の疲れもピークに達しているはずだ。ならば、安全な場所で休ませてやりたい。休んで疲れが取れれば、彼女だってもっと冷静な判断ができるようになる。
 青木は、一時的に彼女を自分のアパートへ避難させることにした。あくまでも彼女の休息と、その説得が目的だった。

「ここなら誰もいない。話してくれるね?」
 青木のアパートで二人きりになると、美月は明らかに肩の力を抜いて、青木が公園の自販機で買ってきたペットボトルのお茶をゴクゴクと飲んだ。ため息と共に緊張を吐き出し、小さな声で下を向いたまま、美月はとつとつと話し始めた。
「玲子、篠田玲子って言う同僚なの。出納係をしてるわ。彼女は副支店長と不倫してて、副支店長の言いなりだったの。横領も、副支店長が株で作った借金のために、彼とグルになって顧客の口座から勝手に預金を引き出していたの」
 美月がもたらした新情報は、貴重なものだった。このことを所轄に伝える事ができれば、すぐにでも美月の疑いは晴れると思った。

「どうしてすぐに言わなかったの。そのことを警察に話せば、警察がきちんと捜査をしてくれる。君の無実は証明されるよ」
「だって、玲子はわたしの親友だもの。友だちを売るなんて、わたし絶対にできない」
「美月……」
 やっぱり彼女は変わっていない。やさしさと愛情から生まれたような美月。その彼女のやさしさを利用して、自分が犯した罪を逃れようとする篠田という女性が、青木は心底憎らしかった。

 それでも、と青木は再度説得を試みようとして、言葉を止めた。
 一欠片の罪もない、自分が窮地に立たされてまで友人を庇おうとする彼女のようなひとが、容疑者扱いされて警察の取調べを受ける。その状況に、青木は自分が昔、殺人事件の容疑者として取調べを受けたときのことを思い出した。
 思い出して、震撼する。
 男の自分でさえ、気が変になるかと思った。あんな場所に、こんなか弱い女性を放り込むなんて。
 青木は必死で考えた。警察官としての良識と、彼女を守りたいと思う気持ちと、かつて経験した取調べの苛烈さが、青木の中でせめぎあう。
 長考の末、青木が出した結論は。

 美月は出頭させる、それは変わらない。だけど、それは所轄に篠田の情報を流し、彼女の調べがある程度進んでからでもいいのではないか。ちゃんと調べれば、証拠は必ず出てくる。完全犯罪など、この世には存在しないのだ。

「美月。2、3日、ここで我慢できる?」
 青木は彼女の眼を見て、真剣な口調で言った。
「篠田玲子の情報は、オレから所轄に伝える。もちろん、出所が美月だってことは秘密にする。捜査が進めば、彼女が犯人だって事が必ず明らかになる。携帯電話やパソコンを調べれば、不倫の証拠も出ると思うし。
 そうしたら美月は警察に行って、自分が逃げた理由を説明するんだ。そうしないと、容疑は完全には晴れないよ」
「でも、玲子は……玲子はどうなるの」
 美月の友情に、青木は涙ぐみそうになる。自分がこんな目に遭っているというのに、罪深き友人の身を案じるとは。
「罪を犯したら、償わなきゃいけない。罪を償って、やり直すんだ。美月は彼女が人生を立て直す手助けをするべきだ。本当の親友なら、そうするべきだとオレは思うよ」
 美月はしばらく考え込む様子だったが、やがてコクリと頷いた。

「お願い、一行。それまではわたしがここにいること、誰にも言わないで」
「もちろん、誰にも言わない。でも、薪さんにだけは連絡させて。美月のこと、すごく心配してたから」
「薪、さん?」
 鳶色の瞳が訝しげな光を宿し、きれいな額に薄く横皺が浮かんだ。

「オレの上司。オレ、そのひとのボディガードやってて、一緒に住んでるんだ。
 薪さんは今、美月の無実の証拠を探すために所轄の資料を見直してくれてる。オレに心当たりの場所を探すように言ってくれたのも薪さんなんだ。オレが美月と会えたのも、彼のおかげなんだよ。
 美月が真犯人に捕まっていたら大変だって、そこまで考えてくれてるんだ。だから」
「いや!」
 今まで穏やかだった美月の顔が、急に険しくなった。何かに怯えたように、細い肩をぎゅうっと自分の手で抱き、必死にかぶりを振る。

「『薪さん』にだけは、絶対に言わないで」

 縋るような眼をして、美月は青木を見た。
 無理もない、と青木は思う。美月はいま、身に覚えのない罪で指名手配という状況下にある。青木以外の人間が誰も信じられない状態なのだろう。ここで彼女を突き放すことはできない。
「お願い。必ず一行の言う通りにするから」
「わかった。薪さんにも言わない。秘密にするから」
 青木が首を縦に振ると、美月はすっと右手の小指を出した。
「約束」
 公園で、アパートの部屋の中で、ベッドの中で、彼女と何度も行った儀式が、その時の甘酸っぱい感覚と共に青木の中に甦る。青木は自然に迷いなく、彼女の小指に自分の小指を絡め、軽く上下に振った。

――――― 軽く振っただけなのに。

 次の瞬間、絡めていた指の感覚がなくなって、青木は驚愕した。見ると、美月の手と自分の手から、小指が無くなっていた。不気味さに怯えつつも視線を下に移すと、そこにあったのは男の骨っぽい指と、女の細い指。
 床の上でふたりの小指だけが、いつまでも約束の儀式を続けていた。




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水面の蝶(10)

 毎日更新しようと思ってたんですけど、明日、出張入っちゃいました。
 ので、
 今日、2つ更新しておきます。 褒めて♪ (3歳児?)






水面の蝶(10)






 何度か足を運んだことがある友人の家のドアを開けて、竹内誠はその場に立ち竦んだ。
 狭い玄関の床に女がうつ伏せに倒れていて、靴箱の足に手錠でつながれている。顔を上げると、リビングの床に仰向けに寝ている青木の姿と、彼の頭を自分の膝に乗せて座り、彼の左の腹をタオルで押さえている薪の姿が見えた。
 竹内は静かにドアを閉めると、玄関の女性は無視して友人たちに駆け寄った。
 華奢な右手が押さえているタオルは、血で真っ赤に染まっていた。横たわる青木の顔は青白く、意識はない。出血によるショック状態だとしたらかなり深刻な状態だが、タオル2枚分くらいの出血なら命の心配はないと思われた。薪の頬にも血がついていたが、こちらは既に止まっていた。

「何があったんですか」
 お願いします、という言葉と同時に、小さな頭が深く下げられたことに、竹内は少なからず驚いた。長い付き合いになるが、このひとが自分にまともに頭を下げたのは初めてじゃないだろうか。
 しかし、薪の頼みごとの内容にはもっと驚いた。

「本部に報告するなって……これは明らかに傷害ですよ? しかも、彼女は指名手配犯じゃないですか」
「彼女の身柄はお渡しします。でも、青木のことはどうか内密に」
 必ず一人で来てくれと電話があったときから、おかしいとは思っていたが。事件隠蔽の片棒を担がせる気だったとは。
「お願いします。頼める人が、竹内さんしかいないんです」
「……この貸しは高いですよ、室長」
「分かってます。僕にできることなら何でもします」
「うちの先生、いま二人目がお腹にいるんですけど。つわりがひどくて何も食べられない状態なんですよ。一人目の子のときみたく、料理を作りに来てくださいませんか?」
 青白い顔に冷や汗と緊張を浮かべていた薪は、竹内の言葉にようやく微笑んで見せた。
 理由はどうあれ、青木が指名手配犯を匿っていたことは事実だ。だから公にしたくない。それは警察官としてどうかと思ったが、青木は竹内の大切な友人だ。それに、普段あれだけ自分を目の敵にしている薪がこうして頭を下げてくる、その健気さにほだされなかったら、それは人間じゃなくて鉄の塊だと竹内は思う。
 
 意識を失っていた青木を薪とふたりで協力して何とか車に乗せてから、山本美月を人目につかぬように部屋の外へ連れ出した。ここは青木のアパート。ここから彼女が出てきたのを目撃されるだけでもまずいのだ。
 山本の手錠に、薪が自分のジャケットを脱いで掛けてやるのを、竹内は複雑な思いで見ていた。
 竹内は、薪と青木の本当の関係を知っている。その彼を刺した女性に、どうして薪は理性を失わずに接することができるのだろう。それとも、薪が狭量なのは竹内に対してだけで、他の人間に対しては寛大なのだろうか。

 途中、薪が指定した病院にふたりを降ろした。薪が事前に電話をしておいたらしく、病院の救急入り口に車を停めると、すぐに数人の看護師が出てきて、青木の身体をストレッチャーに載せて走り去っていった。竹内に一礼し、薪も後を追いかけて行く。
 竹内は、山本美月を連れて捜査本部のある渋谷南署へ向かった。彼女を何処で確保したか、どういう経路でその場所に辿りついたのか、それらしい報告書を捏造しなくてはならない。まあ、それは後でゆっくり考えよう。今はこの女の取調べが先だ。
 
 署に戻った竹内は、本部長に山本を確保したことを報告すると、捜査本部の人間が唖然とする中、即行で取り調べに入った。取調べは犯人を確保した人間に優先順位があるのだ。
 取調室で美月と差し向かいになり、彼女を観察する。細面の美人だが、何処となく薄倖の影がある。とても辛い恋をしてきた、そういう女性が漂わせる独特の雰囲気を持っている。

「言っとくけど、俺に嘘は通用しないよ」
 低い声で、竹内はそう切り出した。
「女の嘘は何千回と見破ってきたんだ。絶対に騙されない」



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水面の蝶(11)

 ということで、本日2つ目の記事です。
(10)を読んでからこちらを読んでくださいね。(^^








水面の蝶(11)





 ハッとして青木は眼を覚ました。窓からは、西日が差し込んでいた。
 左腹に強烈な痛みを感じる。じりじりと、焼けるように痛い。刺し傷がこんな痛み方をすることを、青木は今まで知らなかった。
 周りを見回すと、白い壁とサイドテーブル、小さなロッカーが見えた。どうやら病院の個室らしいが、部屋には誰もいなかった。
 サイドテーブルに置かれた腕時計は、6時を指している。あれから2時間ほどしか経っていない。
「帰っちゃったんだ。冷たいなあ、薪さん」
 ぽつりと呟いて、でもそんなことはどうでもよかった。

 美月はどうしただろう。
 自分を刺したのを、薪は目撃している。厳格な薪のことだ、美月の罪状に傷害と公務執行妨害を追加しているかもしれない。あの場では表沙汰にしないようなことを言っていたが、怪我をした青木を思いやってのことかもしれない。薪は目的のためなら、平気で嘘を吐くのだ。
 竹内に美月のことを任せると言っていたが、竹内は上手くやってくれているだろうか。美月の言うことを、信用してくれただろうか。
 いや、そんなに心配することはない。篠田のことをきちんと調べてくれさえすれば、美月が犯人でないことはすぐにわかる。わかるはずだ。
 だが。

 心に広がる暗雲のような不安を、青木はどうしても消すことができない。
 小さな手に小さなナイフを握って、あのとき美月は言った。

『嘘吐き。男はみんな、嘘ばっかり吐くの』

 彼女の呪詛は、彼女が男に裏切られたことを暗示していた。
 銀行の上司との不倫関係、その相手に頼まれての横領、それを美月は友人のしたことだと青木に言ったが、もしかするとそれは。

「ちがうよな……美月がそんなこと、するはずない。あの美月が」

 繰り返しながら、青木は薪のきれいな頬を伝った真っ赤な血を思い出す。刃物でひとを傷つけるなんて、それも選りによって薪のことを。
 大事な薪に傷を付けられたかと思うと、怒りが込み上げてきて彼女を憎む気持ちが生まれてくる。
 やっぱり、自分は彼女に謀られていたのか。
 心の底からやさしい女性だと思っていたのに、あれは青木と付き合っていたから、恋人の前だから、だからあんなに善人でいられたのか。
 それを欺瞞と言うつもりはない。自分だって、薪の前では善人の振りを、いや、善人であろうとする。好きなひとにはよく思われたい。当たり前のことだ。

 だけど。
 信じたくない。彼女との思い出はあまりにも美しすぎて。あれがすべて若き日の幻想だったと悟るのはつらい。

「美月……」
 密やかに呼んだ彼女の名前は、見知らぬひとの名前のように、青木の耳に虚しく響いた。




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水面の蝶(12)

水面の蝶(12)






 日曜日の早朝、薪は渋谷南署に竹内を訪ねてきた。
 時刻は朝の6時。日曜日の署は、ひっそりとしていた。ここにいるのは『T銀行副支店長殺害事件』の捜査員だけで、それも指名手配中の重要参考人が捕まったことから殆どの職員は一旦は自宅へ帰り、取調べに当たる数人の捜査官だけが泊まり込みをしているだけだった。8時を回れば報告書の作成のために彼らも出てくるだろうが、それまでにはまだ間があった。
 
 使われていない小会議室に入り、ガタガタいうパイプ椅子にふたりは腰を下ろす。何処の署も予算削減で、普段使っていない部屋の備品は自然とガラクタばかりになる。
「青木は大丈夫ですか」
「ええ。大した怪我じゃありませんでした」
「よかった」
 竹内は心から喜んで、素直に安堵の言葉を洩らした。その気持ちは薪だって一緒のはずなのに、彼のくちびるから出てくる言葉は実に厳しかった。
「あれくらいの出血で気絶なんかして。情けないやつです」
 澄ました横顔がおかしくて、竹内は笑い出しそうになる。昨日はあんなに思い詰めた顔をしていたくせに。

「彼女は事件について、なにか話しましたか」
 尋ねる薪に、竹内はまたもや不思議な感覚を味わう。
 薪の声音からは、大事な人を傷つけられた恨みも口惜しさも伝わってこない。竹内でさえ友人である青木を傷つけられてかなりの私怨を抱いているくらいなのに、彼はどうしてこんなに平静でいられるのだろう。
 薪の丸い頬に貼られた絆創膏を見て怒りを新たにしつつ、竹内は首を振った。
「いいえ」
「例の、篠田玲子については」
「彼女はシロです。アリバイもあるし。それに、昨日電話で言った通り、副支店長と不倫関係にあったのは山本美月のほうです」
 篠田玲子という行員を調べるようにと薪から電話が入ったのは、昨日の午後だった。副支店長の不倫相手については既に情報が上がってきていたから、その事実を彼に伝えた。それから1時間ばかりして、青木の昔のアパートに来るよう言われたのだ。
「そうですか」
 長い睫毛を沈痛に重ねて、薪は苦しそうに息を吐いた。ぎゅっと握り締めた両の手が、かすかに震えている。

「室長。俺のカンでは、彼女はクロです」
 膝の上で震える手を止めようと、もう一方の震える手を重ねる。握られた手が白くなるほどに籠もるその力は、嘆きか、怒りか。
「……青木は、違うと言っています。彼女は天使のようにやさしい女性だったと」
「青木が知っているのは、昔の彼女でしょう」
 彼女と青木の過去を知っているのは自分だけだとでも思っていたのか、薪は驚いた表情で竹内を見た。こんなに朝早くから署を訪れたのも、二人の関係を説明するつもりだったのかもしれない。

「俺は青木のダチですよ。昔の女の話くらい聞いてます」
「そうなんですか? 僕は今回、初めて知りました」
 それはそうだろう。過去の女性の話だ。友人には話せても、薪には話せない。当たり前だと思っても口には出さず、竹内は青木の昔話を記憶の中から引き出した。

「人が良くて、友人のためにバイトしたり、お金を用立ててあげたりする娘だったって話ですけど。今時そんな娘、いますかね」
 本当は自分が男に貢いでいたのを、友だちのこととして青木に話したのではないか。青木から話を聞いたとき、竹内はすぐにそう思った。添田副支店長が昔から株に手を出しては借金を重ねていたことは調べがついている。青木と付き合い始める前から、彼女は添田と関係していた可能性もあると竹内は考えていた。
「だいたい、欠点がひとつも無いなんて、うさんくさいです。彼女が自分を偽っていたのか、青木がのぼせ上がって何も見えなくなってたか。そんなところじゃないですか」
 青木の持つ情報は、あまりにも偏りすぎていると竹内は判断していた。こなした数には自信があるが、そんな女性にはお目にかかったことがない。もっとも竹内なら、欠点の一つもない女性を魅力的だとは思わないが。女は欠点があるからこそ可愛いのだ。

「女ってのは、必ず裏の顔を持ってるもんです。青木みたいに初心なやつには分からないでしょうけど」
 薪は黙って竹内の女性論を聞いていたが、竹内がそう結ぶと、横柄に顎を反らし、眼を半分伏せた嫌味な表情で、
「ただれた恋愛ばかりしてきたんですね。竹内さんらしいです」
「……わかりました。青木は素晴らしい女性と付き合っていた。そういうことにしておきましょう」
 しかし、彼女はクロだ。これは譲れない。

「だけど、ひとは変わるものです。あなたも俺も、ずい分変わったでしょう?」
「人間の本質は、そう簡単に変わるものじゃありませんよ。例えば、プレイボーイは一生プレイボーイでしょう?」
 甘いマスクににモノを言わせて女の子をとっかえひっかえしていた頃のことを揶揄されて、竹内は降参の徴を胸の前に掲げた。両手のひらを相手に向けて、軽く肩を竦め、
「そうかもしれませんね。でも、その本質が出せない時期は人生の中で必ず訪れます。今の俺みたいにね。彼女もきっとそうなんですよ」
 自分が雪子と付き合いだしてから、プレイボーイの血が騒がなくなったように。彼女は青木と別れたことで、自分が元来持っていた美しさを発揮できなくなった。そういうことかもしれない。

「彼女と話をさせてくれませんか」
 速記者も付けず、外部のものを取調室に入れるのは完全な違反行為だが、毒を食らわば皿まで。いい加減、薪の顔に合わない無法ぶりにも慣れてきた。犯人を挙げるためなら、違法捜査ギリギリのことでも平気でやる。度胸がいいと言うか、無鉄砲と言うか。
「竹内さん。彼女から得た事件の情報は、全部あなたに渡します。ですから、どうか録音機は切っておいてください」
 頷いて竹内は、留置所にいる美月を取調室へ連れて来た。その後で薪を取調室へ案内し、こっそりと隣の覗き部屋へと移動する。誰もいないことを確認し、用心のために鍵を掛ける。
 マジックミラーの向こうでは、スチール製の事務机を挟んで薪と美月が静かに向かい合っていた。



*****

 しゅらばらんば2~♪(←すっごく楽しいらしい)


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水面の蝶(13)

水面の蝶(13)





「青木さん、おはようございます」
 ノックの音がして、病院の看護師が姿を現した。お熱測ってくださいね、と体温計を青木に差し出し、すぐに病室を出て行く。朝の交代前で、忙しいのだろう。部屋の引き戸は空けられたままになって、多分空気の入れ替えも兼ねているのだろうと勝手に判断し、青木は横になったままで体温計を脇下に挟んだ。

 昨夜はあの後、看護師が来て痛み止めの注射を打ってくれた。そのおかげで朝まで眠ることができた。浅く不快な眠りだったが、痛くて眠れないよりはずっといい。
 青木はぼんやりと天井を見つめて、何も考えずに体温計のアラームが鳴るのを待っていた。一晩経ったら、大分気持ちの整理もついた。
 美月はもう、自分の手の届かないところに行ってしまった。自分にはどうしようもない。祈ることしかできないのだ。
 空っぽの心を抱えた青木の耳に、廊下からかしましいお喋りが聞こえてきた。

「あら、ここの患者さんて、昨日運ばれてきた人?」
「そうそう。林檎剥いてたら自分のお腹にナイフを刺しちゃったって器用な人」
 ……オレってどんだけドジなんですか。
 薪が言ったに違いない。記憶はないが、自分を病院に連れてきてくれたのは、薪のはずだ。そう思った矢先。

「そういえば、ここの付き添いで来た男の人、見た?」
「見た見た。すっごい美形だったわよね」
 話題が薪のことに移って、青木は恋人のきれいな顔を思い出す。
 冷たく透き通った美貌を一筋も乱すことなく、流れるような動作で美月を床に引き倒していた。頬に一筋の血が流れているのが、場違いなほど凄艶だった。
 薪は終始、冷静だった。青木が怪我をしても、自分が傷ついても。職務となれば感情を殺した機械にもなれる。警察官はそういう精神を要求される職種だが、恋人がナイフで刺されたのに慌てもしないなんて。しかも、昨日の6時には既に姿が見えなかった。青木はずっと気を失ったままだったから定かではないが、処置が終わり、病室に落ち着いた時点でさっさと帰ってしまったのだろう。
 寂しい気もするが、昨日の夜に病室を訪れた医師の話では、刺されたショックと痛みで気を失ってしまっただけで、大した怪我ではなかったようだし。薪が大量に持ち帰ってきた仕事は、あの騒ぎで手付かずのままだ。今頃薪は、家で書類と格闘しているに違いない。
 若干の寂しさを、書類を捌いている薪の美しい横顔を思い出すことで埋めようとしていた青木の耳に、やや年配と思われる女性の険しい声が聞こえた。

「こら、あんたたち。お喋りしてるヒマがあったら、手を動かしなさい」
 すみません、と謝る複数の声が聞こえる。どうやら彼女たちの上司は、仕事に厳しい女性らしい。さもあらん、ここは病院でひとの命を預かっているのだ。真剣に挑んでもらわなくては困る。
「で、なんの話?」
「それがですね、婦長」
 って、こら!
 噂話の声がもうひとつ増えて、廊下はますます騒がしくなる。大丈夫か、この病院。

「403の患者さんの付き添いの方の話です。ほっぺに切り傷つけてた、すごくきれいな男のひと」
「あーあー、あのひと。『僕の血を全部』のひとね」
「そうです、そう!」
 いくつかの相槌が重なり、廊下の空気がいっぺんに華やぐ。彼女たちの話はいまひとつ見えてこないが、薪のことを言っているのは間違いない。
 一刻を争う命の現場で鍛え上げられたもの特有の小さくともよく通る声で、彼女たちは言った。

「真っ白な顔しちゃって、身体中震えちゃって。彼は大丈夫ですか、ってあなたが大丈夫? ってツッコミたくなっちゃいました」
「輸血が必要なほど深い傷じゃなかったのにねー、『僕の血を全部彼にあげてください!』って叫ばれて、須藤先生も面食らってたわよねー」
「しかも大丈夫だって分かった途端、安心して貧血起こして倒れたのよ。もう、どんだけ人騒がせな付き添いなのよ」
「でもちょっと感動しない? 全部よ、全部」
「あたしの彼、あたしが怪我したら同じこと言ってくれるかなあ?」
「無理無理。あんたの彼、注射が怖くて病院に来れないんでしょ」

 くすくすと抑えた笑い声が響く中、先刻病室を訪れた看護師が体温計を回収に来た。
「青木さん、お熱測れましたか? ……大丈夫ですか? 痛みます?」
 看護師が気遣わしげに青木の顔を覗き込み、優しい言葉を掛けてくれた。青木は大丈夫です、と返して、目の縁に浮かんでいた涙を人差し指で拭った。
 笑ったら、傷口が泣くほど痛かった。でも幸せで、青木はこの痛みを失くすのが惜しいような気さえした。

「37度5分。昨夜より大分下がりましたね」
「オレ、昨夜はぐっすり寝ちゃって」
「痛み止めと、眠れるようなお薬を入れましたから」
「お世話掛けました。体温測るの大変だったでしょう? 図体でかいから」
 青木が恐縮すると、看護師は首を振って、
「ずっと付き添いの方が起きてらして。お熱はその方に測ってもらったんですよ」
「あれ。彼は夕方帰ったんじゃ」
「いいえ。一晩中、ここにおられましたよ。青木さんの意識が戻ったときは、ちょっとその……あちらの意識がなかったというか、まあ……」
 そういうことか。貧血を起こした彼に、自分が付き添ってやりたかった。

 曖昧に語尾を濁した看護師に、青木は薪の行方を尋ねる。朝早くに病院を出たそうだが、朝食の時間までには戻るから、とナースステーションに青木のことを頼んでいったそうだ。
「きっと、食事のお世話をなさるおつもりなんだと思いますけど。ぜんぜん、必要ないんですけどね……夜間も完全看護だからって言ったのに、聞く耳持たないし……」
 少しだけ呆れた口振りで彼の空廻りっぷりを暴露する、だけど彼女の表情はやさしさに満ちて。多分に迷惑を掛けたであろう青木の付き添いのことを、彼女が心の底では微笑ましく思っていることを青木に知らせる。
 朝食は普通食が出ますからね、と言い置いて、看護師は病室を出て行った。青木は仰向けになったまま、朝食の時間を心待ちに目を閉じた。




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ジャンル : 小説・文学

水面の蝶(14)

 こんにちはー。

 昨日、たくさん拍手くださった方、ありがとうございます。(毎日いっぱいいただいてるんですけど、昨日は特に多かったので)
 お一方ではないと思うのですけど、昨日みたいにお天気の良い休日に、あんな不健全なもの読ませてしまって申し訳ありませんでした~。
 そして今日のシーンもまた、取調室と言う日当たりの悪い場所で。 青木さんの元カノVS薪さんと言う構図で。 
 毎度、心臓に悪いSSですみませんです。 





水面の蝶(14)





 昨日、自分を警察に連れて来た刑事に取調べを受けたときと同じように、美月は俯いて口を閉ざしていた。貝のようにただじっと、時が過ぎるのを待とうと思った。
 こんなに朝早くから取調べにくるなんて、部下を刺されてよほど頭に来ているのか。何が何でも白状させてやると息巻いてきたのだろうが、自分は絶対に喋らない。
 自分は悪くない。悪いのは、あの男だ。

「青木は大丈夫ですよ」
 思いがけないことを言われて、美月は面食らった。身構えていた緊張が、僅かに崩れる。
「傷は浅くて、内臓には届いていませんでした。よく切れる刃物でしたから、傷口もすぐにふさがるでしょう。2,3日すれば、退院できますよ」
 亜麻色の瞳は真っ直ぐに美月を見ていた。美月はやっと顔を上げて、薪の方を見た。
「心配だったでしょう?」
 やさしげな声だった。慈しむような瞳だった。昨日の刑事の威嚇するような声、眇めた鋭い眼とはまるで違っていた。

「青木がね、ずーっとうわ言であなたのことを案じていました。だからきっと、あなたも青木のことを心配してるんだろうなって」
「……相変わらず、お人好しなのね。一行は」
 自分を刺した女のことを心配するなんて、お人好しを通り越してただのバカだ。
 まったくです、と笑った薪の顔は、何故かとても誇らしくて。美月は薄々気がついていたふたりの関係を確信する。それは意外でもあり、ある意味当然かと思われた。だって、一行は昔から――。

「事件のことを、話してもらえますか」
 穏やかに切り出されて、美月はガードを固める機会を逃す。世間話の続きみたいに言われたら、意識を浮遊させる暇もない。
「添田さんを許せなかったあなたの気持ちは、よく分かります。添田さんが横領を指示していたんですよね? あなたは彼を愛していたから、彼の言いなりになってしまった。でも彼は」
 添田の言いなりにならざるを得なかった美月の苦しさを、まるで自分が味わっているかのように、辛そうに眉をひそめて薪は言った。
「あろうことか篠田玲子に横恋慕し、横領の罪を全部あなたに押し付けて、銀行から追い出そうとした」
 ちょうどその事実を知った時の自分のように、薪は長い睫毛を伏せた。それから再び顔を上げ、しっかりと背筋を伸ばした。

「一時の感情を制御できず、あなたが彼を殺めてしまったことはあなたの罪です。でも、あなたは悪人ではありません。あなたはとてもやさしい人だと、青木は言ってました。僕は彼の言うことを信じます」
 刑事のくせにずい分甘いのね、と美月は心の中で呟く。
 昔青木から聞いた限りでは、『薪さん』は凄腕の捜査官だという話だったが、とてもそうは見えない。女みたいにきれいな顔をして、身体も華奢で……ていうか、このひといくつ? わたしより若いわよね? なんか計算合わないような気がするけど。

「ひとは、過ちを犯す生き物です。誰にでもその可能性はある」
 薪はそう前置きしてから、美月がぎょっとするようなことを言った。
「僕は部下を射殺した事があります」
 美月はそれを知らなかった。青木から薪の話を聞いたとき、そんな話は出なかった。
「正当防衛が認められて、僕は裁かれませんでしたが。僕自身はあれを不可抗力だとは思っていない。自身の過ちであったと認識しています」
 悔恨でもなく、懺悔でもなく、それは単なる述懐に聞こえた。それは仕方のないことだった。彼が事件のことを感情に溺れずに口にできるようになるまでの道のりを、美月は知る術もなかった。
 しかし、次に彼が語った言葉は、美月の胸に重く響いた。

「償いのチャンスを与えられることは、決してあなたの人生にとって不利益なことではありません。本当に辛いのは、罪を認められないことです。
 罪を認めない限り、あなたはそこから一歩も進めない。釈明することもできず、償うこともできず、許しを請うことも忘れ去ることもできない。あなたの人生は、そこで止まってしまうんです。
 あなたの時間は止まり、身体だけが年老いていく。空っぽの人生を消化するだけの日々を過ごして、やがて天に召されるとき、あなたの中にいったい何が残るのでしょう。
 僕は、そんな人生をあなたに歩んで欲しくない」
 美月は、自分の身体がひとりでに震えだすのを自覚して、それを抑えようと自分で自分の腕を抱いた。
 薪の言うことは、真実味があった。人を殺めたことがある彼の言葉だからこそ、こんなにも自分の身に迫るのか。

「どうしてそんなことを、わたしに?」
 美月は不思議だった。薪の言葉も態度も、自分を恨んでいるようには思えない。彼を傷つけられて怒り心頭に発している筈なのに、その様子は心から自分を心配してくれているように見える。
「何故わたしの未来を、あなたが心配してくれるの?」
「僕があなたに感謝しているからです」
 薪の応えは、美月を驚愕させた。我知らずぽかんと口を開け、大きく開いた鳶色の眼で、目の前の美しい顔が美しい言葉を紡ぐのを見つめる。

「あなたは確かに、彼を形作った一片です。僕の大事な人の人生を豊かにしてくれた。僕が好ましいと思う彼に至る一縷の流れは、あなたから発せられたものだ。だから僕はあなたに感謝している」
 机に拳を乗せ、少し身を乗り出して、薪は熱心に語りかけた。その口調は熱く、彼のクールな外見を裏切って、青臭くさえあった。
「あなたには、実りある人生を歩んで欲しい」
 そう結んで、薪は口を閉じた。

 それきり、薪は事件に付いて一言も訊かなかった。部屋には静けさに満たされ、ふたりの呼吸の音すらしなかった。沈黙に耐えるため、美月は再び顔を伏せた。
 長いこと、薪は美月が口を開くのをじっと待っていたが、その時はとうとう訪れなかった。腕時計を見やり、他の職員が出勤してくる時間が近付いたのを確認して、薪は立ち上がった。
 最後に、薪は美月の傍に歩み寄り、彼女の横に優雅に片膝を付いた。俯いてしまった彼女の顔を下から見上げるようにして、
「今でも青木の中に、やさしく美しいあなたが息づいているように。あなたの中にも彼が残したものがあるはずです。それを思い出してもらえませんか」

 懇願されて美月は、胸を締め付けられたように息を殺した。
 やさしく美しいわたし。一行は、自分のことをそんな風に話したのか。

「彼なら、あなたがこれから生きていくのに必要なものを残してくれているはずです。僕は彼からそれを受け取りました。だから今も生きていられる」
 吸い込まれるような亜麻色の瞳に見つめられて、美月はますます胸が苦しくなる。

 なんてきれいな瞳。わたしが失ってしまった光を、彼はずっと持ち続けている。他人を殺めた者同士、でもこんなにも違う。
 それは彼が、一行が傍にいるから? 彼が一行に選ばれて、わたしは一行を手放してしまったから? その違いだというの。

「あなたにも、きっと残されている。彼は、そういう愛し方をする男だったはずです」
 すっと立ち上がり、真っ直ぐに歩いて薪は部屋を出て行った。きれいに伸ばされた細い背中が、美月の瞳に鮮烈に焼き付いていた。





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水面の蝶(15)

 明後日ですね。
 みなさん、どきどきしてますかー? 

 前回はみんなにメイワクかけちゃったので、今回はそんなことのないよう、ココロの準備をして挑もうと、懸命に精神修行を積んでいたのですけど。 ←具体的には青雪さんの結婚式とか家庭を妄想していた。 おかげでこの2ヶ月、何も書けなかった。(--;
 考えを突き詰めるうちに、「あれが薪さんなんだなー」と思えるようになって来ました。
 自分の恋心には蓋をして、相手の幸せのために力を尽くす。 わたしが好きになった薪さんは、元からそんな人でしたよ。 4巻で、会議を抜け出して雪子さんと喋ってる青木さんの代わりに書類を配る薪さんに惚れたんだもん。
 最終回でやっと、わたしの一番好きな薪さんが帰ってきたんだなー、と思えば、それはそれで感慨深いです。
 青木さんに恋をして、雪子さんに嫉妬して、修羅の果てに辿り着いた彼の現況を、祝福してあげたいです。

 事件に関しては純粋に面白いと思って読んでたので、ココロの準備が必要なのはこの件だけです。 腐女子の悲しいサガっすね☆






水面の蝶(15)






 あーん、と口を開いて、青木は薪のほうへ顔を向けた。口の中に入ってきた味の薄い卵焼きを噛み締め、満足そうに目を細める。
「美味いか?」
「はい。薪さんの卵焼きには全然敵いませんけど」

 リクライニングを起こして背中に枕を入れ、ベッドに座ったまま、青木は口だけを動かして食事をしている。薪が手ずから青木にごはんを食べさせてくれるなんて、一生の間に一度、あるかないかの大イベントだ。このチャンスを逃してなるものか。
「ほら、野菜も」
 箸ではつまみにくいプチトマトは、ヘタを取って、指でもって食べさせてくれる。プチトマトと一緒に口の中に入ってきた薪の細い指先をチュッと吸って、青木は悪戯っぽい眼で薪を見た。薪はちょっと赤くなり、照れ隠しに慌ててご飯を箸で掬い、青木の口へ……ああっ、もう本気で腕の一本くらい捥げてもいいっ!

「早く退院して、薪さんのごはんが食べたいです」
 青木が切実な口調でそう言うと、薪は食事のプレートに『普通食』と書いてあるのを確認してから、
「昼飯に何か作ってきてやろうか」なんて優しいことを言ってくれる。薪と出会ってから8年、こんなに彼にやさしくしてもらえたのは初めてじゃないだろうか。
「本当ですか? じゃ、ハンバーグとオムライスと鳥唐揚げと、牛肉の牛蒡巻きにポテトサラダに春雨とつくねのスープと」
「ちょっと待て、どんだけ食う気だ。おまえ、本当に病人か?」
 傷口は痛いが、内臓に怪我がないから食欲はある。それに、薪の作った料理ならいくらでも食べられる気がする。
 疑わしそうな目をしながら、薪は汁碗を取った。みそ汁も薄いと見えて、上部は澄まし汁、下部はみそ汁の二重構造になっている。薪は碗の底を箸で揺らして全体の味を均一にすると、身を乗り出し、汁碗を両手で持って青木の口元に近づけた。

「あのう、できればみそ汁は口移しで……」
「ばっ! そんなことできるわけないだろ、病院だぞ!」
「でも、スプーンついてないし。汁碗から直接だと、こぼしちゃいそうだし」
「うっ……」
 口元を引きつらせて、薪は椅子に座り直した。まあ、個室だし、と口の中で呟くと、みそ汁を口に含む。
 ちらりと青木を見る、恥ずかしそうな上目遣いの瞳がたまらなく可愛い。軽く尖らせた艶っぽいくちびるとか、透けそうな頬に上った朱色とか、ためらいの形に固まる指の形とか。何もかもが好ましくて、ありえないくらい愛しくて、青木は思わず亜麻色の髪に右手を差し入れる。
 びくっと身を引く薪の様子が、これまた可愛くて。数え切れないくらいベッドを共にしてお互い知らないところはない仲だというのに、失われない清純は薪というひとの特徴であり、奇蹟だと青木は思う。

「薪さん……」
 尚も身を引く薪に追いすがり、捕らえ、その身体を抱きこんで、青木は彼の整った顔を至近距離から眺める。大きな亜麻色の瞳がいっぱいに開かれて、その中に映し出された熱い目をした男の顔がどんどん近付いてきて―――。
 プ――ッ、という破裂音と共に、青木の顔面に粘っこいみそ汁が吹きつけられた。みそ汁で顔洗って出直せ、と言葉で叱責されたことはあるが、実際にその洗礼を受けたのは初めてだ。

「ひっど……ひどいですよ、薪さん」
 薪の口の中に入っていたものだから、唾液と混ざってネバネバする。タオルで顔を拭きながら青木が抗議すると、薪はヒステリックな声で、
「おまえ、歩けるじゃないか!!」
 あ、しまった。
「傷が引き攣れて腕も動かせないって、ウソだったのか!?」
 だって……薪さんに食べさせてもらいたかったから……。
「おまえというやつは~~~~~!!!」

 自分が騙されたことを知って、薪はギリギリと歯噛みし、でもさすがに入院患者に手を上げることはできなくて、不貞腐れてパイプ椅子にふんぞり返った。両腕を組み、ついでに足も組んで、金輪際おまえの世話はしないぞ、と意思表示をしてみせる。
 青木は仕方なくベッドに戻って、残りの食事をぽそぽそと食べた。薪に食べさせてもらったのと同じ料理のはずなのに、びっくりするほど不味かった。

「ったく。おまえも図太くなったもんだ。昔はあんなに僕のこと怖がって、ビクビクしてたくせに」
「いつまでも新人じゃありませんから。成長したと言ってください」
「言い様だな。人間、変われば変わるもんだ」
 はっ、と吐き捨てるように鼻で笑って、薪は足を組みなおした。スマートなスラックスが、膝の細さを際立たせる。
 青木のことばかり言うけれど、薪だって、ずい分変わった。
 知り合ったばかりの頃はこんなに我儘じゃなかったし、意地悪でもなかった。もっと穏やかで物静かで、大人の分別を持っていた。それがいつの間にか、こんな天邪鬼でコドモでフクザツな性格のオヤジに……。
 しかし、最初のころの薪より今の薪の方がずっと可愛く思えるのは何故だろう。
 悪役俳優みたいな白い眼で青木を睥睨する薪を見て、そのヒールめいた顔つきに心が浮き立つ自分に気づいて、薪の言うとおり、自分はやっぱり変わったのかもしれないと青木は思った。

「彼女も、そういうことなんでしょうか」



*****

 見渡せば、病院でエッチしてるカップルもいると言うのに、うちの二人ときたら。(笑)
 てか、
 これが鈴木さんだったら、薪さん、怒ったりしないんだろうな。 なんでかな、今では鈴木さんより青木さんの方が好きな筈なんだけどな。


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水面の蝶(16)

水面の蝶(16)




「彼女も、そういうことなんでしょうか」
 食事の膳を空にして、青木は紙パックの牛乳をストローで啜りながら呟いた。しんみりしたその口調は、大切な思い出の品を失くしてしまった子供のように、寂しさに満ちていた。
 青木にはもう、事件の真犯人が彼女だと分かっていた。
 薪がここにいること、なのに彼女のことを話そうとしないのが何よりの証拠だ。薪が今も彼女の無実を信じているなら、絶対に動いてくれているはずだ。昨日、あれから美月がどうなったのか、どんな取調べを受けているのか、青木に教えてくれたはずだ。

「変わってしまったのか。それとも、オレの眼が節穴だったってことなんですかね。美月は誰にでもやさしい天使なんかじゃなくて、もともと人を害するような類の人間だったってことで」
「青木。それは違う」
 いまさら美月を庇ってもらっても、慰めにはならない。事実は事実として、動かしようもなくそこにある。

「何が違うんですか。罪を犯して、そこから逃れたくて、彼女はオレを利用しようとしたんですよね? それがうまく行かなかったものだから、腹を立ててオレを刺した。そんな人間をオレはずっと、この世で一番やさしい女性だと信じて」
「そんな人間て、どんな人間だ」
 青木の恨みがましい言葉を、薪の冷静な声が遮った。
「殺人を犯した人間は、普通の人間じゃないとでも言うつもりか。犯罪者は悪人で、そうじゃない人は善人だと?」
「違うんですか」
 薪の言わんとすることが、青木にはよく分からない。例外が無いとは言わないが、一般的な認識はそうだと思う。普通の人間は人を殺さない。
 しかし、薪は即座に青木の言葉を否定した。

「ちがう。犯罪者もそうじゃないひとも、みんな普通の人間だ。特別な人間が犯罪者になるわけじゃない。過ちを犯してしまった人たちを犯罪者と言っているだけで、彼らは悪人じゃない」
 犯人側にも目を向けることを怠らない薪らしい考え方だが、青木には屁理屈に聞こえる。薪はあるいは、自分の理屈を押し付けようとしているのではなく、青木の中にある美しい思い出を守ろうとしてくれているのかもしれないが、その気遣いすら今の青木の耳には空々しく響くばかりだ。

「そんなきれいごと」
「青木!」
 叱責するように、薪は青木の名を呼んだ。ぞくりと青木の心臓が冷える。
 いつも職場でされるように威嚇されて、条件反射で身構えてしまう自分が悲しい。しかしそのときの薪は、職場では絶対にしないことをした。ベッドに無気力に放り出されていた青木の右手を両手で包み、やさしく握って持ち上げたのだ。

「別に僕は性善説を支持してるわけじゃない。でも、誰にだってその可能性はある。ほんのはずみで、道を一本間違えただけで、転がり落ちるように犯罪に手を染めてしまって、抜け出したくても抜け出せない。そんなひとが世の中にはたくさんいるんだ」
 自分の手で救いきれない彼らの苦悩を慮ってか、薪の秀麗な眉が辛そうに眇められる。伏せられた睫毛が微かに震える、それは常に自分に厳しく、職務に忠実な薪がほんの少し覗かせる彼の真実の片鱗。
「水面を飛ぶ蝶のように。降りたくても降りられない。彼らの視野はとても狭くなっていて、真下の水面しか見えない。両側にあるはずの風景が見えないんだ。羽根を休められる草も、蜜を吸える花も、何も見えない。そんな彼らにとって、飛ぶ方向を変えることはひどく難しい」

 目蓋を閉じて、長い睫毛を重ねて、そうして薪が青木に見せてくれるのは、どんなに著名な工芸家でも作り出せない麗しい造形。だけどこんなに薪がきれいなのは、見た目だけじゃない、形だけじゃない、彼の魂の中核を成す、それは彼が生まれ持ったもの、そして彼の人生の中でその純粋さと共に懸命に積み重ねてきたもの。
 おそらくは誰もが生まれたときその手に握っていて、でも何かをつかむために手放して、多くのひとがもう二度と手に入らないと嘆く秘石を薪は当然のように持っていて、それが彼をきらめかせるから。正義感や熱意や情熱や、時には眩暈がするような愛くるしさになって、彼の中から溢れ出すから。

「青木」
 大切過ぎて触れるもためらわれるようなものを慈しむときの慎重さをもって、薪が自分の名前を呼ぶ。彼の全身から発せられる、彼の輝きが青木を包む。
「僕たちの仕事は、市民を犯罪から守ることだろ。だったら犯罪に手を染めてしまった人たちをそこから救うことも、僕たちの仕事だと思わないか」
 再び眼を開けた薪の亜麻色の輝きを見れば、それは一番に彼の真実を表していて。いとも簡単に青木の反駁心は根こそぎ奪われる。はい、と頷くしか残されていない一者択一の選択肢を、青木は心からの喜びと共に選び取る。

「怪我が治ったら、彼女に会いに行きます」
 青木の言葉に、薪がこくりと頷く。亜麻色の髪がさらりと揺れて、つやめくリングが天上の美を宿す。
 青木は薪に包まれた右手をさらに高く持ち上げると、薪の手の甲に敬虔さの漂うキスを落とした。

「薪さん。オレ、薪さんの部下でよかっ……て、なんですか、そのいきなりの大欠伸は! 感動シーンが台無しですよっ!!」
 心から捧げた尊敬をスルーされて、しかも欠伸までされた日には、胸いっぱいに広がった感動も掻き消されようというもの。大声による腹筋の収縮に伴う痛みも手伝って、青木のテンションは錐もみ状態で落ちていく。
 それなのに薪は、青木の憤慨を何処吹く風と受け流し、彼の手を素っ気無く払って口元を手のひらで隠しながら二度目の欠伸をするという軽挙に出た。
「誰かさんのせいで昨夜寝てないから。眠くって、貧血起こしそうだ」

 かちーん。

 昨夜の睡眠不足は薪の空回りの自業自得で、青木は頼んでないし、看護師さんも要らないって言ってたし、だいたい怪我人に向かって「おまえのせいで寝不足」って普通言いませんよね?
 二回の大掛かりな酸素補給を行なったにも関わらず、まだ眠そうに目をこすっている薪の耳元で、青木はささやかな復讐を試みる。
「昨夜はありがとうございました。お礼に、今度薪さんが貧血起こしたら、オレの血を全部あなたに差し上げますから」
「何を大袈裟なことを言って…………ん?」
 どこかで聞いた、いや、口にした覚えのあるセリフをそっくり返されて、薪はたちまち顔を火照らせる。信じられないことを聞いた、という顔をして青木の顔をまじまじと見る、そんな薪の姿は、看護師たちの噂話が真実であったことを青木に教えてくれる。

「まさかおまえ、ずっと意識のない振りをしてたんじゃ」
「違います、看護師さんたちが話してるのを聞いただけで、ちょっ、薪さん? どうして花瓶を頭の上に振り上げてるんですか? あ、さすがにそれで叩いたりは、って冷たっ! てか、痛―――ったいっっ!!」
 顔にぶっ掛けられた水は植物特有の臭気がして、身体をよじったものだから痛みもひどくて、本気で泣きが入りそうだ。
「みそ汁の次は花瓶の水ですか。イタタ……」
 どうやら今日の青木には、水難の相が出ているらしかった。


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水面の蝶(17)

 ラストですー。
 原作とかけ離れた話になっちゃったのに、読んでいただいてありがとうございました。

 さて、メロディ買に行こうっと♪





水面の蝶(17





 コンクリート製の殺風景な箱の中で、透明なアクリル板を挟んで、山本美月は昔の恋人と向き合っていた。
 遠い記憶の中に眠る彼、そのままの姿で青木は美月の前に現れた。8年ぶりに再会したときと同じ、懐かしそうに愛おしそうに自分を見つめる黒い瞳。
 彼が、皮肉でもないせせら笑いでもない、心からの笑みを浮かべているのを見て、美月は不安な気持ちでいっぱいになる。

 どうして?
 自分は彼を騙したのに。その上、怪我まで負わせたのに。
 何故かれは笑っているの。どうしてわたしを責めないの。

「美月。少し痩せたみたいだ。ここのご飯、美味しくないの? 何か差し入れして欲しいもの、ある?」
 やさしさに満ちた彼の言葉に、美月は力なく首を振った。
 拘置所の麦飯は、パサパサして不味い。おかずもみすぼらしい。でも、親が差し入れてくれた弁当も似たようなもので、結局は喉を通らずに同室の者にあげてしまった。拘置所には専門の売店があって、そこで買ったものしか差し入れることはできない仕組みになっている。

「口に合わなくても、ちゃんと食べなきゃダメだよ。いざって時に力が出ないからね」
「いざって……どういう時?」
「うーん、運動の時間とか、入浴の時間とか?」
 必死に頭を巡らせたであろうその回答に美月は苦笑し、強張っていた肩の力を抜いた。
「そうね。ここじゃ、動くときってそれくらいしかないものね。気をつけないと太っちゃうわ」
「大丈夫。美月は太ってもきれいだから」

 呑気な会話の裏側で、彼が何をしに来たのか、美月は必死で考える。
 自分を詰りに来たのではない。恨み言を言いにきたのでも、嘲笑いに来たのでもない。じゃあ、何のために?

「美月。がんばるんだよ。オレ、美月のこと信じてるから」
 熱心に言われて美月は、青木がここに自分を励ましに来たことを知る。まさか、まだわたしの嘘を信じているんじゃ。
「一行。あのね、わたしがやったの。全部、わたしが」
「それは分かったよ。そうじゃなくてさ」
 照れくさそうに後頭を掻いて、青木は苦笑いした。子供が友人の悪戯に引っかかったときに見せるような、それは他人を安心させる笑顔だった。

「美月がちゃんとやり直せるって。オレ、信じてるから」

 同じように、自分の未来は決して閉ざされてはいないと言ってくれた人のことを美月は思い出す。美月がつけた頬の傷を絆創膏の下に隠して、今の青木と同じように美月の身を案じてくれた、彼。

「『薪さん』元気?」
「うん。相変わらず仕事の鬼だよ。今日も日曜なのに、このあと職場に戻るって」
 この後、ということは、ここまで一緒に来たのだ。おそらく外で待っているのだろう。見せ付けてくれるわ、嫌味のひとつも言いたくなっちゃう。

「あの後ね、わたし、薪さんと話をしたのよ。あなたと会った翌日、朝早くに薪さんがわたしのところへ来たの」
 へえ、と青木は眼を丸くした。どうやら知らなかったらしい。
「まさかあんな美人を射止めるとは思わなかったわ。すごいじゃない、一行」
「えっ。薪さんと何を話したの?」
「何って、色んなことよ。一行と『薪さん』の間であった、あーんなことやこーんなこと」
「ま、まさか! いや、それは薪さんの冗談だよ。オレたち別に、ソープごっことか猫耳プレイとか、してないから!! それに、女装は薪さんの趣味ってわけじゃなくて、仕事で仕方なくだからね、誤解しないようにね。まあたしかに新鮮ではあったけど。チャイナドレスもゴスロリも刺激的だったなあ……でも一番はやっぱり着物かなあ。そうだ、この次はメイド服着てもらって『ご主人様とメイド』のシチュで」
「一行……あなた、変わったわね」
 別れておいてよかった、と美月はさばけた口調で言い、久しぶりに声を立てて笑った。

 明らかにホッとした様子の昔の恋人と、後は他愛のない会話をしながら、美月は心の中で彼に語りかける。

 一行、覚えてる? わたしがあなたと別れるときに言ったセリフ。
『あなたはわたしを見ていない』

 わたしと付き合ってたとき、いいえ、その前から、あなたが見ていたのはあの人だけ。
 あなたは忘れちゃったみたいだけど、どうして弁護士をやめて警察官になることにしたの、って聞いたら、あなたはこう答えたのよ。
『科学警察研究所に薪剛って警視正がいるんだけど。警察庁始まって以来の天才って呼ばれてて、法医第九研究室っていうところの室長をやってるんだ。オレ、そこで働きたいんだ』

 彼に憧れている、とはっきりあなたは言った。
 あなたに自覚はなかったかもしれないけれど、わたしの目から見れば、それは紛れもない恋だった。
 同じ職場で働くようになってからは、もうそれを隠そうともしなくなった。たまに返って来るメールの内容が『薪さん』のことばかりなんて、ひとを馬鹿にするにもほどがあるわ。他の誰かに首ったけの男と付き合えるほど、わたしは寛容な女じゃないの。
 良かったわね。そこまで恋焦がれたひとと、相思相愛になれて。わたしは……。
 わたしは、失敗しちゃった。

「美月」
 面会の終了時間が近付いて、青木は真面目な顔になって美月の名を呼んだ。
「君に恋をして、オレは幸せだったよ」
 わたしもよ、と心の中で、美月は叫ぶ。あの頃が一番幸せだった。

 どうして。
 どうしてこの人の手を放してしまったのだろう。このひとが傍にいれば、わたしはきっと道を誤ることはなかった。今でもこの人の傍で、幸せに笑っていられたはずだ。
 でも現在、彼の傍にいて微笑んでいるのは自分ではなく、あのひと。警察署の取調室で話をした、驚くほどに美しいひと。
 彼があんなに美しいのは、一行の傍にずっといるから? 彼の愛情を受け続けているから?

 そう思いかけて、美月はそれがすべての理由でないことに気付く。薪はあのとき、自分に言ったではないか。

『青木の残したものが、あなたの中にもきっとある』

 万が一彼を失っても、薪は折れない。自分の中にある青木一行を見つめて、前に進むことができる。それは青木も同じこと。
 自分の中に薪がいるから、青木はそのやさしさを失わずに。
 自分の中に青木がいるから、薪はずっと美しいまま。
 互いが互いを磨くように、どんどん精練されていく。余計なものを取り去った糸はとても強くて、寄り合わせたらエクスカリバーでも切れない。

「だから、また別の誰かに。その幸せを分けてあげて」
 青木が最後に言った言葉に、美月は力強く頷いた。顔を上げて、しっかりと青木を見た。彼女の鳶色の瞳はキラキラと輝いて、やっぱり美月はきれいだ、と青木は思った。




*****




 T拘置所の石造りの門の陰で自分を待っていた上司に歩み寄って青木は、お待たせしました、と頭を下げた。これから職場に戻るつもりの彼は、仕事用のダークスーツに身を固め、でも休日らしく少し華やいだネクタイをしている。仕事が早く終わったら、食事くらいはと思ってくれているのだろう。

「どうだった?」
「元気そうでした。ちょっと痩せちゃってましたけど、笑うこともできるみたいでした」
 そうか、と素っ気無く背を向けて門の外に出た薪を、青木は後ろから追いかける。早足の薪に合わせるために、自然に歩幅が大きくなった。

「美月と話したそうですね。その、プライベートなことまで」
 青木が先刻得たばかりの情報を薪に確認すると、薪は明らかに歩を乱した。
 横目で睨むと薪は、ぷい、と横を向き、通り沿いのショーウインドウに飾られたこの秋の流行ファッションを眺める振りで青木の視線を避けた。バツの悪そうなその様子から、彼女の証言は信憑性を高める。

「ずるいですよ、薪さん。オレには、事情を知ってる三好先生にすら絶対に自分たちのことは話すなって言うくせに、自分は美月に喋っちゃうなんて。オレ、猫耳プレイのことはふたりだけの秘密にしておきたかったのに。あ、でも、着物プレイの良さは彼女も知ってて、着付け用の紐で両手を縛って長襦袢の裾を」
 ごん! という音がして、薪のおでこがショーウインドウとキスをした。振り向きざまに、あほか、と罵声が飛んでくる。
「おまえこそ何の話をしてきたんだ!? 彼女のこれからの人生、かかってんだぞ。ちゃんと元気付けてきたのか?!」
「大丈夫ですよ」

 脅しつけるような下方からの攻撃に、青木は余裕で切り返す。両の手のひらを前に出し、にこりと笑って、
「彼女、オレが大好きだった瞳の色をしてました」
 青木の言葉に、青木の大好きな亜麻色の瞳が凪いだ海のように穏やかになる。表情は変わらずとも、ゆっくりと開かれる細い肩が彼の気持ちを伝えてくる。

「あの瞳ならきっと。羽根を休められる草も、蜜を吸える花も見つけられると思います」
 薪はそれには何も言わず、黙ってまた歩き出した。青木もそれ以上は言葉を発せず、彼に並んで歩を進める。
銀杏並木の色づき始めた初秋の道を、ふたりは静かに歩いていった。




―了―


(2010.12)


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きみのふるさと(1)

 こんにちはー。
 本日もご来訪ありがとうございますー!

 こちら、薪さんが青木さんの実家に行って、ごはん作ったり子供の面倒見たりするお話で、
 3万拍手のお礼SSとなっております。

 いつもながら原作の設定と違っててすみません、青木さんのお姉さんは生きてます。 
 小姑になって、元気に薪さんをイビリます。 薪さんが泣くまで責めます。 ←お礼SSでこの展開はどうよ?
 冒頭に、以前チラッと予告しました青木さんの隠し子疑惑が出てきますが、あんまり気にしないでください。←お礼……。

 それと、わたしは子供を育てたことがないので、子供の生態についてはまったく分かりません。 子育てのプロの方には首を傾げるようなことが書かれていても、ヌルイ眼で見てやってください。
 今回も、広いお心でお願いしますっ。







きみのふるさと(1)





 真夜中の、暴力的な覚醒は実に不快だ。
 もともとが眠りの浅い、また仕事柄、見る夢には陰惨なものが多い薪にあっては自らがその原因になることも多いのだが、礼儀を知らない電話のベルで叩き起こされるとなれば、普段からの不眠の責任すべてを電話の相手に押し付けたくなる。電話口の薪が無言だったのは、持ち前の低血圧のせいばかりではない。

『もしもし』
 しかも、知らない女の声ときた。逆探知掛けてやろうか、それとも電話の画面に表示された電話番号をWEB公開してやろうか、と薪が非道な報復を思いついた時、相手の口から意外な言葉が零れた。
『一行?』
 一緒に住んでいる男の名前を聞いて、薪の声帯が強張る。
 恋人が出張で家に居ない夜、知らない女から彼に掛かってきた電話をどう処理したらいいのだろう、と考えを巡らせたのはほんの1秒。薪は落ち着いた声で「うん」と返事をした。

『携帯に掛けたんだけど、出ないから。家に掛けて、迷惑じゃなかった?』
「大丈夫だ」と返そうとして、薪は口を噤む。青木の声は低めのテノールだ。薪の地声で似せるにはツライものがある。
 薪はベッドから出て、寝室に置いてあるパソコンの前に座った。音声ソフトを立ち上げて、登録しておいたパーソナルデータを選び、『大丈夫だよ』とキーボードで打ち込む。彼女の声を拾えるようにイヤホンマイクの端子を携帯に差し込み、これで準備は万全だ。
 ソフトが起動するまでの間、女の声は訝しげに彼の名前を呼び続けていたが、受話器部分をパソコンのスピーカーに近付けて青木の声を聞かせてやると、それで彼女は落ち着いたようだった。

『今、何してたの?』
「寝てたんだよ。頭が冴えるまでに時間がかかった」
『えっ。まだ10時よ?』
 悪かったな。年寄りは夜が早いんだ。
 心の中で毒づきながら、薪の手は尤もらしい言い訳を紡ぎだす。
「刑事はね、寝られるときには寝ておくんだよ。いつ仕事で呼び出されるか分からないから」
 大変ねえ、と相手は同情めいた声を出し、「起こしちゃってごめんね」と申し訳なさそうに言った。
 いったい誰だろう、と薪は相手の女性の素性を想像する。タメ口、深夜の電話、加えてファーストネーム呼びなんて。ずい分親しげじゃないか。
 ざわざわする気持ちを努めてなだらかにしながら薪は、「平気だよ。気にしないで」とインプットした。
 青木に限って、浮気なんて絶対に有り得ない。女友達の一人や二人、青木にだっているだろうし、特別な関係じゃなくても電話ぐらいするだろう。

『ねえ、一行。また家に泊まりに来てくれない?』
「泊まり!?」
 思わず口から出てしまった。受話器は机の上、パソコンに近付けて置いてあるが、声が聞こえてしまっただろうか。
『人の声がしたみたいだけど。傍に誰かいるの?』
「隣の家のテレビだよ。近所迷惑だよね」
 キィを叩きながらも、薪の頭の中はパニック状態だ。
 そんなはずはない。一緒に住み始めてからは、青木の外泊理由は全部把握している。出張と、福岡の友人の結婚式。それから飲み友達と朝まで、というのが何回か。

 数えてみたら、けっこうな回数の外泊をしている。しかし、それを責めることはできない。家に帰ってこないのは、薪の方が断然多いからだ。仕事も付き合いも、夜でないと身体の空かない相手もいる。
 問題は、その中に偽りの理由が混じっていたかもしれない、という可能性が出てきたことだ。青木がこの家に来てから半年になる。舞い上がるような心地にも慣れが生じて、そろそろ地面に足が付くころだ。
 そう言えば、一緒に暮らし始めてから、むやみやたらとセックスを強要されなくなった。離れて暮らしている頃は生命の危険を感じるくらいに執拗だったのに、ここ数か月は1回で満足して、ちゃんと薪を眠らせてくれるようになった。
 薪はそれを我が身を振り返る思いで青木も年を取って落ち着いたのだと決めつけていたが、本当はこの女性で解消していたとか?
 疑い出せばキリがなくて、3日前の朝、彼を出張に送り出した時のキスもおざなりだったような気さえしてくる。不安が薪の指先を動かし、次のセリフには疑問符が付いた。

「こないだ泊まったの、いつだっけ?」
『ええと、2週間くらい前だったかしら』
 2週間前、と聞いて、薪は頭の中のスケジュール表を過去へとめくる。自分が海外出張でいなかった時だ。青木は出掛ける際、必ず薪に行き先を告げて行くが、不在では知りようもない。
 やっぱりあいつ。僕に隠れていい思いしやがって。
 許せない、と思う気持ちと、仕方ない、と思う気持ちが半々に生まれるのは、年の離れた恋人を持つ者の宿命だ。青木はまだ31歳。女の子と遊びたい気持ちも分かる。
 一緒に暮らしていると言っても、自分に彼を縛る権利はない。自分たちは婚姻関係が結べるわけではないから、民法第770条1項は適用されない。となると、有責行為はあくまで個人の節度の問題であって、それは人によって違う。他の人と寝ても心はあなたのものです、という節度で付き合っているカップルも世の中にはたくさんいる。

 否、青木はそんな人間じゃない。きっと何かの間違いだ、と思う傍から、受話器を通して赤ん坊の泣き声が。
『あら、起きちゃった』
 ちょっと待て! 子供までいるのか!?
 いや、青木の子供と決まったわけじゃないけど、もしかしたら子持ちの主婦との不倫かもしれないし、って、それも困る! 監査課にバレたら免職ものだ。

『この頃、夜泣きがひどくって。よいしょ』
 彼女は子供を抱き上げたらしく、泣き声が近くなった。母親に抱かれて、子供は次第に落ち着き、やがて静かになった。
『ねえ、この子も楽しみにしてるのよ。顔を見に来てよ』
 青木は子供好きだから、彼女の子供にも懐かれているのだろう。しかし、女性の心理を考えた場合、他の男性との子供の顔を見に来てくれと男を誘うだろうか。
『ふふ。ホントこの子、一行によく似てるわ』
 やっぱり青木の子供か。

 子供までいるなら、責任を取るべきだ。彼女と籍を入れて、両親揃って子供を育てるのが正しい大人の行動だ。
 こういう場合、自分は捨てられるのだろうな、と薪は眼を伏せ、やれやれと肩を竦める。男と恋仲になっていいことなんか何もないのは分かっていたけれど、こんな終わり方って。
 せめて捨てられる前に自分から振ってやる、とそれは腹いせでもヤケクソでもなくて、薪の最後の思いやり。青木のことだ、薪を傷つけるのが怖くて言い出せないに違いない。それは優しさじゃなくて卑怯者の行為だ、と説教してやりたいけれど。
 そういう彼に惚れたのだから、やっぱり自分の負けなのだ。

「わかった。折を見て、そっちに行くよ」
 恋人の子供を産んだ女性と、彼の振りをして話をするのは結構辛い。早いところ電話を切って、酒でも飲んで寝てしまいたい。白黒つけるのは、青木が帰ってきてからだ。
 忙しいのにごめんね、と、彼女はその奥ゆかしさを声に滲ませた。子供ができたのに結婚もしてくれない男を慕い続けているくらいだから、控えめな女性なのだろう。きっと寂しい想いをしているのだろうな、と自分から恋人を奪っていくはずの女性に薪は同情を覚えつつ、恋人たちが就寝前に交わすであろう挨拶で会話を締めくくった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

きみのふるさと(2)

 こんにちはー。

 公開作、過去作共に拍手をありがとうございます。(^^
「はじめまして」に拍手が入ると、ご新規さんかな、と思ってちょっと不安になります。 昔は薪さんが明日をも知れない状況でいらしたので、肉体的にも心情的にも穏やかな話が浮かばなくて。 ←今もだよね? というツッコミはスルーで。
 最初の注意書きをしっかりお読みになって、どうか無理のない範囲でお付き合い下さいねっ。


 で、お話の方なんですけど~、
 お読みくださった方の誰一人として青木さんの隠し子疑惑に不安を抱かず、薪さんが男爵になってると見抜かれるあたり。
 うちの青木さん信用ある。 そして薪さんには男爵的信用がある。(←??)
 光栄ですww。





きみのふるさと(2)





 両手に幾つもの土産袋を提げ、青木はマンションに帰ってきた。エントランスで部屋番号を押して静脈センサーに手首をかざし、居住スペースへの扉を開ける。1階分の階段を昇って右に曲がり、ドアを3枚通り越せば楽しい我が家だ。
 瞳孔センサーが居住者の瞳孔パターンを認識する僅かな時間を、青木はもどかしい気持ちで待つ。早く中に入って、恋人の顔が見たい。この時刻、彼は眠っているはずだから部屋へは音を立てずに入るつもりだが、3日も会えなかったのだ。せめて寝顔だけでも。

 慎重にドアを開けると、深夜にも関わらず点いたままの部屋の灯りが青木を驚かせた。目を見開くとリビングのソファに薪がいて、もっと驚いた。
「ただいま帰りました」
「おかえり」
 てっきり眠っているものと思っていた人物に出迎えられて、青木は戸惑う。出張先で会うはずだった神戸支局の職員が急病になったことから明日の予定がキャンセルされ、今日の深夜に帰るとメールは入れておいたが、青木の恋人は青木の帰りを待っていてくれるほど殊勝な性格をしていない。何事かあったと考えるのが順当だ。

「どうしたんですか?」
 土産袋を部屋の隅に置き、マフラーとコートをポールハンガーに掛ける。ソファに近付いた青木に、薪は一枚のメモを突き出した。
「この番号に、今すぐ掛けろ」
 何となく覚えのある携帯番号だったが、咄嗟には思い出せなかった。電話を掛けるには、メモリーから名前を選んで発信するだけで事足りる。無用な11桁の数字を記憶しておけるほど、青木の脳は優秀でもスペースに余裕があるわけでもない。

「何も言うな。すべて彼女から聞いた」
 彼女?
「子供の件については、後で話し合おう」
 子供?

 まったく身に覚えのないことで、だから青木はポカンと口を開けているしかない。薪は何故だかそんな青木を見ようとせず、視線を斜め下方に向けたまま静かに微笑んだ。
「安心しろ。悪いようにはしない」
 なんだか嫌な予感がしてきた。付き合いの長い青木には分かる、薪が物分りの良い大人になる時は、ものすごい勘違いをしている時と相場が決まっているのだ。
「これでも僕は、おまえに感謝してるんだ。おまえの助けがなかったら、人生投げちゃってたかもしれないし。だから」
 大抵のことでは驚かないぞ、と青木は気持ちを楽にする。薪はとても頭が良いのだが、プライベートのことになると異常なくらい思い違いが多い。これまで数え切れないほど、彼のスットンキョーな誤解を解いてきた。つまり青木の落ち着きは、経験に裏打ちされた自信の表れなのだ。
 どんな誤解をされても、取り乱したりしない。それを解く自信がある。8年前から、青木は一途に彼だけを愛している。
「おまえと彼女と子供、家族三人平穏に暮らしていけるように、僕が取り計らってやる」

 無理っ!!

 声を失って青木は、心の中で絶叫した。
 いつの間にか子持ちにされてるっ!! たった3日離れただけで、どうしてこんなとんでもない誤解が生まれるのか、薪のカンチガイシステムは年々高性能になっていくようで。青木は思わず頭を抱え、その場にしゃがみ込んでしまった。
 だいたい、そんな誤解が生まれること自体がおかしい。青木の貞節を信用していない証拠ではないか。青木は薪以外の人間なんか、眼に入らないほど彼が好きなのに。
 そう思うと弁明するのも何だかシャクで、青木は黙秘権を行使する。屈んだまま頭髪に手指を埋め、床の木目に視線を落とし、口はぎゅっと結んだまま。深海に眠る貝のように、絶対に自分からは口を利かないぞと、それは恋人の不信に対するささやかな腹いせ。しかしそれは薪のシステムに掛かると悔恨の所作になることが、頭に血が上った青木には分からない。

「青木、そんなに気に病まなくていい。僕ならもう一人で大丈夫だから」
 青木の横に膝を付き、薪はやさしい声で慰めてくれた。毎度思うけど、この人のやさしさの使いどころはズレまくってる。
「薪さんの気持ちはありがたいですけど、彼女には夫がいますから」
「えっ、そうなのか? それは困ったな……でも子供のこともあるし、青木、どうだろう。勇気を出して、彼女の夫と話をしてみたら」
「彼女の夫はとてもいい人で。オレが家に行くと、いつも歓迎してくれます」
「それは、おまえと彼女の関係を知らないからだろう」
「いいえ。ちゃんと知ってますよ」
「本当か? なんて心の広い。僕も彼を見習わなくては」
 他所に子供を作った恋人を詰るどころか、生活の面倒まで見てくれると言う薪も、充分に大人物だと思うが。

 青木は頭髪から指を引き抜き、はあ、と溜息を吐きながら立ち上がった。怒る気力も失せた。薪の考え方が普通じゃないのは、今に始まったことではない。
 薪の肩を抱いてソファに座らせると、青木は3日ぶりに見る恋人の顔をしっかりと見つめた。少し眼が赤い。苦笑して、ついに青木は言った。

「ええ、本当にいい人なんですよ。お義兄さんは」
「ふうん。……お義兄さん?」
 あれ? と薪は右手を口元に運び、パチパチと眼を瞬いた。その仕草の可愛らしいこと。
「え? え? じゃ、さっき電話してきたのって」
「姉です。着信には気付いていたんですけど、電車の中で応じられなくて。駅に着いたら12時を回ってましたんで、明日の朝に連絡しようかと」
 薪が書き留めた携帯番号が誰のものか、子供と言うキーワードが出た時点で直ぐに分かった。青木の知り合いで幼い子供がいるのは彼女しかいない。

 薪は首を傾げ、次いでイヤイヤと首を振った。
「バカな。そんな古典的な間違いを、この僕が犯すとでも思うか。彼女、子供がおまえにそっくりだって言ってたぞ」
「叔父ですから」
 今年になって姉夫婦に生まれた倉辻家待望の長男は、青木の小さい頃に生き写しだと、母も姉も口を揃える。自分では分からないが、正直、舞の小さい頃と見分けもつかないのだが、母親特有の感覚に基づくものなのだろうと推察している。

 冷静に青木が返すのに、薪はなおも食い下がって、
「でも彼女、おまえに泊まりに来てほしいって」
「子守が必要なんですよ」
 姉夫婦は結婚当初、夫の仕事の都合で大阪に住んでいたが、転勤で東京に戻った際、恵比寿にマイホームを購入した。が、今でも週に3回は大阪支社へ赴かねばならない義兄は留守がちで、姉は二人の子供に振り回されているらしい。つまり、弟の顔を見たい気持ちが3割、子守が欲しい気持ちが7割、というわけだ。

 青木が倉辻家の事情を説明すると、薪は酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくさせ、
「ひゃ、百歩譲ってそれは認めるとしても、ファーストネーム呼びとか泊まりとか、子供が……会いたがってる…………姉……ああ、姉か……」
 薪の頭の中でいくつかのパズルピースが組み合わされ、あるべきところに収まっていくのが見える。疑問を口にしている最中にも誤解は解消されたようだが、この後、彼がどう出るか楽しみだ。

 腕組みに凝視で薪にプレッシャーを掛ける青木の前で、薪はすっくと立ち上がり、
「さて、寝るか」
「ごまかせるとでも?」
 寝室にダッシュしようとした薪の腕を捕らえ、もう片方の手を彼の前に回す。後ろから抱きしめる形になって、でもこれは薪も察している通り、抱擁ではなく拘束だ。
「で? オレと別れようと思ったわけですか」
 誤魔化しきれないと分かって、薪はしぶしぶ頷いた。不貞腐れた横顔の、尖らせたくちびるがあまりにもキュートで、青木は腕の強さを拘束から抱擁に変える。薪がその気になれば抜けられる強さ。だが、薪はその場を動こうとしなかった。彼にしてみれば青木の腕の中に留まることは陳謝の表れなのだろうが、青木には、彼がさしたる渋苦もなく別離を選択したことがものすごく哀しい。

「薪さんて、ほんっと諦めいいですよね。オレに未練とか、全然ないんですね」
「そうじゃなくて」
 華奢な肩を包んだ青木の手の甲に、彼の手が重ねられた。振りほどかれるのかと思ったが、細い手は重ねられたまま。
「子供だけは、どうにもならないから」
 特段、悲しそうでも辛そうでもなかったけれど、それは厳然たる事実。彼が簡単に青木を諦めてしまう要因の一つにもなっているに違いない。でも、それを言ったら青木だって同じだ。
「薪さん。ご自分の子供、欲しいですか?」
「いや。僕、子供嫌いだし」
 即行で返ってきた切り捨て口調の返事は、本音か気遣いか。
「嫌いなんですか? あんなに可愛いのに?」
「我儘でうるさいだろ」
 ――子供だって薪さんには言われたくないと思います。
 反射的に浮かんだツッコミは心の中に留めて、青木はくすりと笑う。

「オレに裏切られて、悲しいとか口惜しいとか。ちょっとは思ってくれました?」
「べつに」
「じゃあ、どうして眼が赤いんですか?」
「これは」
 薪は大きな瞳をくるっと回し、視点を上方に据えた。
「僕は本当に、おまえの愛情を疑ったりしていない。でも、もう一緒には暮らせないと思ったら、少しだけ悲しくなったんだ」
 不貞は疑ったけれど、愛情は疑わなかった。その路線で青木の追及を切り抜けるつもりらしいが、青木もそこまでお人好しではない。これは、困難が立ち塞がるたびに安易に別れを選択する薪の困った習性を改めさせる好機だ。逃す手はない。

「子供ができたってことは、オレが他の女性と関係を持ったってことですよ。薪さん、許せるんですか?」
「許せる」
 迷う様子もなく返ってきた言葉の白々しさに、青木は膝の力が抜けそうになる。武道大会で青木にタオルを渡そうとした女子職員にまで妬いてたクセに。
 元々薪は、浮気とか不倫とかが大嫌いなのだ。そういうことをする人間を軽蔑する傾向がある。コソコソ浮気するくらいなら離婚してから堂々とやればいい、などと世の日陰の恋に苦しむ人々が聞いたらブチ切れそうなことを平気で言ってのける。極端な倫理観が持論に拍車をかける形になって、彼の嫉妬心はますます燃え上がる訳だ。青木は薪のそんな性質をイヤというほど知っている。それなのに。

「おまえが女と寝たと聞かされても、僕は気にしない。単に女性の身体が欲しかっただけだろうと思う。だからさっきも、青木は子供が欲しかったんだな、って」
 ヤキモチを妬かせたら首都圏を焼き尽くす勢いの薪に、そんなことを言われても。
「いつからそんな大らかな自由恋愛主義者に?」
「それは違う」
 右手で掴んだ青木の手をそのままに、薪はくるりと身を翻し、こちらに向き直った。26センチ上方から見下ろせば、1ミクロンの揺れもない強い瞳。

「おまえがどこで誰と何をしても。おまえが一番愛してるのは僕だろ?」
 なんだろう、この余裕は。一緒に暮らしているから? 正妻の余裕と言うやつか?

 薪の思考の特異さは知っているが、この理屈を通されたら青木の方は堪らない。どこぞの女と遊ばれた挙句に「一番愛してるのはおまえだから」なんて薪に言い訳されたら。青木には、相手の女性を無傷で帰せる自信がない。
 下手をしたらその女は東京湾に浮かぶな、と物騒なことを考えつつ、青木は誠実な表情で訴えた。
「薪さんが思われるのは自由ですけど、オレは認めませんからね、そんなの。浮気は浮気で、しちゃいけないことです。オレは絶対にしませんし、だからあなたにも許しません」
「僕はそんな気は起こさない。今さら浮気なんか、面倒で」
 薪は淡白で恋愛下手だ。女性の機嫌を取る事なんか思いつきもしないだろうから普通の恋愛はできないかもしれない。が、今はそれを目的とした相手をネットで探せる時代だ。お手軽だし、相手だって、薪の容姿なら選り取り見取り……。
「おまえが3年くらい僕のことを抱かなかったら、したくなるかもしれないけど。試してみるか?」
 ……淡白な人でよかった。

「遠慮しておきます」
 青木が複雑な顔で身を引くと、薪はいつもの意地悪そうな笑みを浮かべ、それで今の提案はブラフだったと分かる。自分に厳しい薪は、己が倫理観に反するような真似はすまい。
 薪は滑らかに身体を返し、寝室へ向かった。青木はその手を素早く捕え、しかし今度の拘束は薪には意外だったらしい。振り向いた彼のきれいな顔は、とても反抗的だった。

「すぐにシャワー浴びてきますから。待っててくださいね」
「平日の就寝時刻はとっくに過ぎてるが」
「不貞を疑われた訳ですから。大至急、身の潔白を証明しませんと」
「それは週末に持ち越しってことで」
「3日ぶりなんですけど」
「たった3日だろ」
「薪さんに会えない3日は、オレにとっては3年です」
「浦島太郎か、おまえは」
 昔話の喩えが可笑しくて、青木はクスクス笑う。
「そうですね。もしも薪さんが乙姫様だったら、オレ、絶対に地上になんか帰りません」
「ここに玉手箱があればおまえを老人にして、僕はゆっくり眠れるのに」
 同じ話から二人が導く仮説は天と地ほどにも開きがあって、でもそれは彼らのスタンダード。一緒に映画を観ても、同じ感想を抱いたことなど一度もない。それでも笑い合えるし、楽しく話ができる。恋の力は偉大だ。

 薪は喉奥で声にならない声を発し、あからさまな舌打ちで横を向く。相手のミスに付け入る形で、今夜の駆け引きは青木の勝ちだ。
 諦めムードで肩を落とし、とぼとぼと寝室へ向かう薪の背中で、青木は鼻歌交じりにネクタイを外した。




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きみのふるさと(3)

きみのふるさと(3)






 それから2週間ほど過ぎた日のこと。新たな衝撃が、薪を待っていた。

「でっ」
 唖音と擬音の中間のような声を出したきり、彼は絶句した。大きな眼を見開いて、目前に迫る武家屋敷のような門構えを見上げる。
「……かいな」
 言葉の途中で息を呑んでしまったものだから、隣にいた青木には何のことやら解らなかったに違いない。案の定、「貝がどうかしましたか」と間の抜けた応えが返って来た。
「あ、大丈夫ですよ。薪さんの好きな貝ひも、おつまみにちゃんと用意して、痛っ!」
 アホっぽそうな顔でアホなことを喋る男をとりあえず膝蹴りで黙らせて、薪は視線を前に戻した。目の前に佇む純日本風の大邸宅と隣のアホを見比べ、世の中はつくづく不条理にできていると思う。
 両腕に抱いた白百合の花束を抱え直し、薪はそっと息を吐き出した。

「おまえのお父さん、公務員じゃなかったのか」
「公務員ですよ。市役所に勤めてました」
「嘘を吐け。どうして公務員の自宅がこんな豪勢な武家屋敷なんだ」
「武家屋敷って、あはは、大きくて古いだけですよ。さ、中へどうぞ」
 門が開いたら出迎えの使用人が並んでいるかと身構えたが、それはなくて安心した。しかし、門から玄関までの距離が屋敷の規模を推し量らせて、薪は憂鬱になった。

 青木が、こんな大きな家の跡取り息子だったとは。

 今時、恋人を選ぶのに身分の違いとか生活格差とかを持ち出すほど野暮ではないが、それでもやはり、大きな家に生まれると言うことは、それなりに守り伝えて行くものがあるということだ。そこの一人息子が女性と結婚しないって、大丈夫なんだろうか。
 今更もいいところだし、自分にはそんなことを心配する権利すらないのだが。青木の将来に期待を寄せていた人々のことを思うと、心は重くなる一方だ。

「薪さん、どうしました? どこか身体の具合でも?」
 顔には出さない心算でいたのに、心配そうに尋ねられた。言葉でもなく表情でもなく、青木は薪の心に気付く。雰囲気とか空気とか、そんな曖昧なもので伝わってしまう。それは決して不快ではない。こそばゆいような気分になって薪が苦笑すると、青木はぺこりと頭を下げて、
「すみません、昨夜ちょっと張り切り過ぎちゃ、痛ったあいっ!!」
 玄関前でその家の息子をバカバカ殴るのは人としてどうかと思うが、口よりも先に手が出るのは薪の習性だ。格子戸を隔てて家人がいるかもしれない状況で、そんなことを口にする青木が悪い。

「ただいまー」と間延びした挨拶を投げて、青木が戸を開けた。からら、と軽い音がする。造りは古いが、よく手入れされているようだ。この屋敷には青木の母親が一人で住んでいるのだから、当然、彼女の仕事と思われた。青木のマメな性格は母親譲りなのだろう。
 青木家の玄関は広く、一見すると格調高い料亭か旅館のような雰囲気だった。左手の棚には水盤に活けられた花が置かれ、正面の壁には横長の水墨画が飾られている。木製の柱や廊下は美しく磨き上げられ、玄関の床には暗色系の御影石が敷き詰められていた。
 薪は再度、隣の長身を見上げた。
 警察に入庁して10年近くなる青木が、未だにのほほんとしている理由が分かった。育ちのせいだ。いつまでも世間ずれしない坊やだとは思っていたが、いいとこのボンボンだったのか。

「お帰りなさい、一行」
「ただいま」
 青木の声を聞いて、彼の母親が出てきた。驚いたことに、彼女は自宅でも着物を着ていた。その姿は和風建築の立派な邸宅と見事に融和しており、我知らず、薪は萎縮した。そんな薪に、彼女はやさしく微笑みかけ、
「薪さん、いらっしゃい。来てくれて嬉しいわ」
「こんにちは。ご無沙汰してます」
「忙しいのに、お呼び立てしてごめんなさいね。疲れたでしょう。どうぞ中に」
 薪が青木の実家を訪れたのは、彼女に呼ばれたからだ。青木はその理由を、彼特有の能天気な思考でお気楽に解釈しているが、薪にしてみれば嫁の実家の親に呼び出された夫の気分。ゆったりと構えていられるわけがない。この緊張感は自然なことだ。
「お邪魔します」
 薪は上り框に足を載せ、母親が優雅な仕草で揃えてくれたスリッパを履いた。それから、両手に抱えた白い花束を彼女の前に差し出し、
「心ばかりですが。お供えに」
「まあ、綺麗なお花。ありがとう。じゃあ、先にお父さんに」
 案内に立った彼女の後ろに、青木と二人で付いて行く。長い廊下を歩いて、やがて通された客間は、書院作りの10畳間。床の間の掛け軸と香炉、違い棚に飾られた陶磁器は色合いからして九谷と思われた。
 仏壇は年代ものだったが、綺麗に磨かれていた。中段に先祖牌と並んで、やや大きめの位牌がある。その下の段に、青木の父親の写真が飾ってあった。

 薪が青木の父親の顔を見るのは、これが初めてだった。
 やさしそうな人だと思った。顔立ちは青木とは似ていないが、どことなく共通の雰囲気はある。人をくつろがせてくれる、そんな笑顔だった。この人の遺伝子を、間違いなく青木は受け継いでいるのだ。
 線香の香りと鈴の音色に包まれて静かに目を閉じつつ、薪は、息子である青木が彼の遺伝子を後世に残さないと決意したことを、彼は土の下でどう思っているのだろう、と詮無きことを考えた。

「ありがとう。さ、楽にして。今、お茶を」
「いえ。今日はお手伝いに上がったんですから。何でも言いつけてください」
 彼女が薪を呼んだのは、事由があってのことだ。それは多分に彼女の真意を隠す為のフェイクであると薪は予想していたが、彼がこの家に居ることの理由となるものであった。

「あら、別に手伝いなんて……一行、あなた薪さんになんて言ったの?」
「ちゃんと説明したよ」
「身内だけの集まりだから、何も特別なことはしないって言ったでしょ」
「オレもそう言ったよ。でも薪さんて、必要以上に気を回すタイプで」
 母と息子は、自分らの意向と薪の態度の相違について時折苦笑を交えながら、こそこそと会話をした。高慢そうに見えるけど意外と気配り上手なのね、とか、態度はでかいけど案外弱気な所があるんだ、とか、全部聞こえてるぞ、こら。

 自分の地獄耳を呪わしく思いながら、薪は仏壇の遺影に視線を戻した。黒い縁取りの中で微笑む彼に、あなたも苦労しましたか? と心の中で語りかける。
 しっかりしているように見えて何処となく浮世離れした妻と、エリート警官でありながら果てしなく間抜けな息子に挟まれて、さぞ気苦労の多い人生だっただろうと、薪は、青木の父に同情せずにはいられなかった。





*****


 うちの青木さんの生家は、『大富豪、3代続けばただの人』という税務署用語(??)の通りでございます。 恐るべし、相続税。(@@)
 原作では、どちらかと言えば薪さんの方がお坊ちゃまみたいでしたね。 あのでっかいお家。
 あのまま何事も無く成長していたら、あんなトリッキーな性格にはならなかったんだろうな~。 そうしたら、鈴木さんとの関係も青木さんとの関係も変わっていたんでしょうね。 そもそも警官になったかどうか。 やっぱり、経験が人間を作るんですねえ。

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きみのふるさと(4)

 すみません、前回薪さんの心情を「嫁の実家に呼び出された夫の気分」と書いたら、「嫁の気分の間違いでは?」ともれなく突っ込まれたんですけどwww。
 どんだけ嫁体質なんだ、うちの薪さん★






きみのふるさと(4)





 半年ほど前から一緒に住んでいる恋人に、その話をされたのは2週間ほど前だった。
「おまえの実家へ僕が? どうして?」
「母が、父の法事をやると言い出しまして。薪さんにも出てもらえないかって、分かってます、無理ですよね。薪さん忙しいし。母にせがまれたので、一応訊いてみただけです」
「いつだ?」
「来月の5日……薪さん、無理しなくていいですよ」
 手帳をめくり始めた薪を見て、青木は慌てて言い添えた。青木の家は福岡だ。法要に出席するとなれば泊りがけになる。これが仕事上の知り合いなら丁重に断るが、青木の母の希望とあってはそうもいかない。相手が青木の家族なら、薪はそれに応じるべく、最大の努力をしなくてはいけない。大事な一人息子を預けてもらったのだから。それに。
 今年は青木の父が死んで8年目、指折り数えてみれば九回忌なんて尤もらしい回数だが、法事を執り行うのは十三回忌だ。だから今回は、単なる命日の追悼供養のはずだ。それなのに、わざわざ寺の住職を呼んで読経を上げると言う。そこに薪を呼んで、青木の母が何をしたいのかと言うと、おそらく。

「お母さんの立場から、僕に何か言いたいことがあるんだろ」
 夏の夕立雲のごとく早足で心に広がった不安を青木に悟られないように、薪は素っ気無い口調で自分の予想を打ち明けた。応じて青木は、彼らしい暢達さでにこやかに笑いながら薪の言葉を否定し、
「そんな複雑な話じゃないです。母は、薪さんの顔が見たいだけですよ」
 複雑になって当たり前なんだ、と薪は心の中で言い返す。普通の夫婦でさえ嫁姑問題は難しいと聞く。自分たちのように一般的でない間柄ともなれば、母親の心中は、普通よりもずっと複雑なはずだ。心配も憂慮も尽きないだろう。
「親ってのはな、子供がいくつになっても心配で仕方ないものなんだ。ましてやおまえの場合はその、特殊な人生を歩むことになったわけだから。いくらお母さんが偏見の無い立派な人でも、心の中にわだかまりが残るのは当然だ。でもそれは、おまえを愛するが故のことで、その気持ちは僕にもよく分かる」

「違いますって。うちの母は、そんな小難しい人間じゃありません」
 薪が言葉を選んで、母親の気持ちを想像するのに、愛息子の青木はカラカラと笑って、
「だって、オレの母ですよ?」
「……ものすごく説得力があるな、それ」
「でしょ」と青木は嬉しそうに頷いて、ある意味自分が馬鹿にされたことにも気付いていない。青木ほど楽観的にはなれないが、薪も彼女に自分が疎まれているとまでは思っていなかった。なぜなら彼女は、孫の顔を見るために娘の所に上京してくるたび、必ず薪の家に顔を出すのだ。自分の息子がいないときでもお構いなく、「近くまで来たんだけど、お邪魔してもいいかしら」と控えめながらも押しの強い態度は間違いなく青木の母親だ。

 彼女と二人で話をするとき、薪はいつも物凄く緊張する。重役会議で長官相手にプレゼンテーションするときの方が、まだ平常心を保つことができる。もしも彼女の機嫌を損ねて、「息子と別れてくれ」なんて言われたらどうしていいか分からない。もちろん応じることはできない、でも、強く言い返すこともできないだろう。こんな弱気でどうするんだと自分でも情けなくなるが、薪はどうしても彼女に対して遠慮せずにはいられない。

 親は、ひたすら子供の幸せを願う生き物だと薪は思っている。子供の人生に訪れる幸福は、多ければ多いほど好ましいはずだ。健康な身体、充実した仕事、安らげる家庭、可愛い子供。食べるものにもお金にも困らず、明日への不安も無い安全な生活。でも自分では、その中のどれひとつ青木に与えることができない。家庭や子供は言うに及ばず、職務上危険は付き物で、これまでにも青木は何度も死線を潜り抜けてきた。息子を襲った災厄の詳細を彼女が知ったら、卒倒してしまうだろう。
 それは薪ひとりで作った状況ではないが、青木を守ると彼女に誓った以上、彼に降りかかる災いはすべて自分に責任があるのだと、それくらいの覚悟はしている。
 夥しい数の悪条件を全部呑んで、彼女は最愛の一人息子の人生を薪に預けてくれた。いくら感謝しても足りない。だから彼女の望みは、精一杯の誠実をもって叶えてやりたいのだ。

「来月の5日だな。じゃあ、4日から6日まで休みを取る」
「え、どうしてですか?」
 日帰りで行けますよ、と首を傾げる青木は、まったく何も分かってない。
「法事の準備が大変だろう。僕も手伝う」
「大丈夫ですよ、母がやりますから。オレも1周忌までは手伝いましたけど、その後はずっと日帰りです」
「お母さん一人にやらせてたのか? なんて親不孝な息子だ」
「すみません」
 本当は薪が怖くて休暇願が出せなかったのだが、そんなことを口にするほど青木は愚かではない。

「でも3回忌からは家族だけでやることにしたんで、準備するものも大して無いんです。花と供物と、灯篭を2,3用意するだけ、ですから、薪さんのお手を煩わすようなことは何も」
「そんなこと言わずに、できるだけ長く家に居てやれ。お母さんは、おまえの顔が見たいに決まってるんだ」
「いや多分、母が見たいのはオレじゃなくて薪さんの顔だと思いますけど」
 例え青木の母親がそう言ったのだとしても、彼女の本心は別にある。母親と言う生き物は、自分の子供のことが理屈抜きで可愛いのだ。子供には分からない感情だ。自分が想像する何倍も、きっと彼女の愛は強いのだと薪は思う。
 薪が分刻みに詰め込まれたスケジュールを調整して福岡にやって来たのは、こういうわけだ。

 来てみて驚いたのは、青木の生家の大きさばかりではない。福岡空港から博多駅に出てタクシーに乗り、いつもの習性で車の移動時間を睡眠に充当した薪が青木に起こされて目を開けてみると、そこに広がっていたのは賑やかな駅前とは打って変わった田舎の風景だ。促されて降り立った道端には、見通せる限り誰もいない。車が一台しか通れない道から横に眼をやれば、そびえ立つ山に向かって階段状に整備された広大な棚田と、点在する5,6軒の民家。その先は鬱蒼とした森が繁っている。都会育ちの薪には、瞬きすることも忘れるほどの僻地だった。
 声も出ないほどに驚いて、でも直ぐに納得した。青木の朗らかな性格と真っ直ぐな気性は、この自然の産物なのだ。こんな風景の中で幼少期を過ごせば、薪だって、彼のように純朴な人間になれそうだ。

「すごい田舎でびっくりしたでしょう。恥ずかしいから、あんまり人に言わないでくださいね」
 青木の幼少時代に思いを巡らす薪に、青木が照れくさそうに言った。こんなところに住める青木が羨ましいと薪は思ったが、実際に暮らしてみると、田舎ゆえの不便さとか色々問題はあるのだろう。
 青木は二人分の荷物を持って、横道に入った。都会ではまずお目に掛かれない砂利敷きの細道の、両側にはやっぱり広大な稲田が広がっていて、田植えを終えた初夏に訪れたなら、背面の棚田も併せてさぞや美しい田園風景が見られるだろう。今は冬だから見当たらないが、気候が良くなれば子供たちは、畦道に群れるトンボやバッタを追って元気に走り回るのだろう。自分の前を歩く大男も、20年ほど前はそんな子供の一人だったに違いない。

「笑わないでくださいよ。オレだって、好きで田舎に生まれたわけじゃないんですから」
 薪が頬を緩ませるのを嘲笑と思ってか、青木は拗ねたような顔になる。感情がそのまま表情に表れるのも、恵まれた自然の中で育ったものの特長だ。可愛いやつだ、と思う気持ちの片鱗も顔に出さない薪は、さすが生粋の都会っ子。
「おまえにピッタリの田舎だな。呑気で平和で、鈍くさい」
「どーせオレは、竹内さんみたいに垢抜けたシティボーイじゃありませんよ」
「老後を過ごすには最高の場所だ」
 大きく一歩踏み出して青木に並ぶと、薪は楽しそうに言った。砂利の欠片をやさしく転がす薪の足の運びで、青木にはその台詞が褒め言葉であることが分かる。万遍なくまぶされた皮肉のスパイスを取っ払って、彼の言葉から好意を掬い上げるのは青木の十八番だ。

「退官したら、ここに引っ込んでコメでも作りますか。この辺りは水郷地帯ですから、美味いコメができますよ」
「コメ作りか。喫茶店よりも魅力的なプランだな。付録に目が眩む」
「え。コメ目当てですか?」
「一生、食べることには困らないだろ?」
 意地汚い会話を交わしながら30メートルほど歩くと、大きな家の門前に出た。そこで薪は絶句し、いささか憂鬱な気分になり、現在に至ると言うわけだ。

 少しばかりの準備は自分と息子でするから、ゆっくりくつろいでくださいな、と青木の母親に茶菓を勧められ、でも薪は、それに甘えられるほどお気楽な性格をしていない。説明書を見ながら灯籠を組み立て、仏壇の掃除をする青木を手伝った。それが終わると、お供えの餅や精進料理を作る母親を手伝い、くるくるとよく働いた。
 一通りの準備が済むと昼になった。
 お供え料理を作るのと一緒に仕込んだチラシ寿司を、薪は仏壇に供えた。花や灯籠、餅や果物が供えられた仏壇は賑やかになり、青木の父親もなんとなく嬉しそうに見える。「父さん。これ、薪さんが作ったんだよ。美味しいよ」と遺影に説明する青木の声に、来訪客を告げるチャイムが重なった。

「ただいまー」
 よく通る声と共に、玄関の引き戸がカラカラと開く音がした。薪の心臓がどくんと跳ねる。
「ただいま」と言ってこの家に入ってくる人間は、この世に3人しかいない。うち2人はここにいるのだから、おのずと声の主は判明する。つまり、青木の姉だ。
「母さん、お腹すいたー、あら?」
 景気よく襖を開けた彼女は、仏間にいた他人、つまり薪を見て眼を丸くしたが、直ぐに状況を理解したらしい。スリングの中でぐずる赤子を揺すり上げながら、
「薪さん? 初めまして、姉の和歌子です。一行が、いつもお世話になってます」

 こちらこそ、と頭を下げた薪を、和歌子はしげしげと見た。遠慮のない視線。青木と同じで、真っ直ぐに人を見る。
 青木の姉と顔を合わせるのは、これが初めてだ。何年か前、彼女が東京に出てきた際に夕食のお誘いを受けたのだが、よんどころない事情で辞退せざるを得なかった。それきり彼女と会う機会は無く、今日まで来てしまった。
 母親は自分たちの関係を知っているが、姉はどうなのか、薪は聞いていない。が、薪の自宅に電話を掛けてきた彼女が、電話口の相手を自分の弟だと信じて疑わなかったことから察するに、薪たちが一緒に住んでいることを知らない可能性が高いと薪は思っていた。青木の気持ちは母親にはバレバレだったようだが、姉弟となれば話は別だろう。

 実は薪は、ある決意を持ってここに来ていた。
 父親の追悼供養となれば、青木の姉は必ず来るはず。折りを見て、青木とのことを正直に打ち明けよう。初対面でカミングアウトするのは勇気がいるが、既に一緒に暮らしているのだ。彼の肉親に嘘は吐きたくない。母親にはなし崩しにバレてぐだぐだになってしまったが、姉にはきちんと話そう。彼女の衝撃を弱めるためには、母親から話してもらった方が或いはいいのかもしれないが、これは微妙な問題だ。身内の口からは、なおさら言い出しづらいだろう。
 家族相手に、一生隠し通すことなんかできない。責め言葉を受ける覚悟はできている。最初にアプローチしてきたのは青木のほうだが、それは言い訳にはならない。拒み通せばよかっただけのこと、この事態の責任は全部自分にある。
 バクバク波打つ心臓を宥めつつ、薪は深く息を吸った。まずは挨拶だ。

「本日は、お招きいただきまして」
「お帰りなさい、和歌子。まあ、草太くん! こんにちは、ばあばですよ~。あら、舞は?」
「政信さんが預かってくれるって言うから。任せてきちゃった」
 恋人の姉と初めて顔を合わせる、その緊張に背筋を強張らせていた薪の努力をぶち壊すように、母親から祖母に早変わりした青木の母が、二人の間に割って入った。言葉を失った薪を置き去りに、二人の女性は賑やかに再会を喜び合い、「あれが噂の薪さんなのね」などと本人の目の前で薪のことを声高に話し始めた。

「一行から聞いてたけど、ホントにキレイな人なのねえ! どこの芸能人が来たのかと思ったわー」
「やっぱり? わたしも初めて会った時には、テレビに出てる人だと思って! 警察の中にタレント養成場でもあるのかと」
「やだー、母さんたら! あったとしても、そこに一行が入れるわけないじゃない」
「それもそうね、おほほほほー!」.
 なんだ、この大阪のド真ん中でしか聞けないようなハッスルおばちゃんの会話は。

「お会いできるの、楽しみにしてましたのよ。すごくステキな方だって、一行から伺って」
「いえ、そんな。あ、あの、可愛い赤ちゃんですね」
 薪は精一杯、社交的な会話に務めた心算だった。が、彼のセリフの後半は和歌子のはしゃいだ声に掻き消され、薪の努力はまたしても無駄になった。
「話よりも百倍素敵ね!」
「まったくよー、一行ったら、仕事ができることしか教えてくれないんだもの。こんなにキレイだと思わなかったから、初めて会ったとき、母さん、ドキドキしちゃったわよー」
「いやだー、母さんたらー。父さん、そこで聞いてるわよ!」
「なによ、あんただって顔赤いわよー。政信さんに言いつけてやるわー」
「きゃー、やめてー、きゃー」
 彼女たちの口からは、まるで機関銃のような速度で言葉が飛び出してくる。薪ごときが口を挟めるレベルの応酬ではない、てか、混ざりたくない、絶対。

「おい。彼女たち、いつもこんなテンションなのか」
「だいたいは」
「おまえ、よく非行に走らなかったな」
 こっそりと囁きあう男同士の声など、話に夢中になった女性達の耳に入る道理が無い。仏間だというのに法事の主役はそっちのけで、不謹慎なお喋りは果てしなく賑やかになっていく。先刻も思ったが、この女性陣と呑気な息子に囲まれて、青木の父親は気苦労が絶えなかったに違いない。

「それにしても薪さんて、高校生くらいにしか見えないわよね。一行より年上って本当なの」
「あんたもそう思う? どう見ても一行の方が年上よね」
「美魔女ってやつね。きゃー、羨ましいっ。秘訣を教えてもらわなきゃ!」
「薪さんは男だから美魔男じゃないの?」
「ビマダン? やだー、母さんたらー、そんなの聞いたことないわよー! あの顔なら魔女でいけるってー!」
「そうよねえ、女優さんみたいだものね。ほら、草太くんもそう思うって」
 同意を求められた生後7ヶ月の赤ん坊が哀れだと思った。何も分からず笑っているだけで、肯定の意に解釈されるなんて。彼に言葉という武器があったなら、違うと断言してくれるはずだ。同じ男として。

 可愛いだの美人だのという男にとっては侮辱とも取れる単語のオンパレードに、薪は奥歯を噛み締める。隣の男を強い瞳で睨みつけ、どうにかしろ、とプレッシャーを掛ける。これ以上会話の内容がエスカレートしたら、薪は自分を抑えられる自信がない。
 薪の無言の要請を受けて、青木は一歩前に進み、
「やだなあ、母さんも姉さんも。その辺の女優なんかより、薪さんの方がきれいだよ」

 お父さんっ、ほんっとうに苦労されましたねえっっ!!

 一生を捧げる仕事に公務員と言う堅実な職業を選んだことからも常識人だったと思われる青木の父が、この3人を相手に送った惨憺たる人生を想像し、薪は眼の縁に同情の涙を浮かべた。



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ジャンル : 小説・文学

きみのふるさと(5)

 こんにちは。
 昨日の地震、大きかったですね。 みなさん、大丈夫でしたか?

 うちの方は特に被害はありませんでしたが、震源地が三陸沖と聞きまして、彼の地の方々はどんなにか怖かったことだろう、と。 きっと反射的にあの日を思い出して、身が竦むほどの恐怖に襲われたのではないかと。 想像するだけで、息が苦しくなります。
 いくつかの関連ニュースを読むと、多くの住民の方々が迅速に避難された、また、対応する職員の方々もストーブや毛布等の準備がすばやくできたと、大震災の教訓を生かして機敏に行動された様子が伝わってまいりました。 
 ああ、素晴らしい、逞しいな、と感動いたしました。
 あんな恐ろしい体験からもちゃんと学んで、その後の人生に役立てて、人間てすごいな、って思いました。
 身に積まされる思いで昨夜は、保存水や備蓄食料の確認を行いました。 保存水、期限切れてました……沸騰させれば大丈夫だよね?(^^;


 昨日の今日で、ギャグ小説の更新して申し訳ないんですけど、ちょっと自重しなさいよ的なお叱りはあるかと思うのですけど、でも、
 あの時も何人かの方から、暗いニュースしか入ってこない現在、このブログを読んで一時の笑いを得て元気出してます、ってコメントいただいたので、今回も空気読まない感じですみません、続きです。
 例え一瞬でも、読んでくださる方が笑顔になってくださったら嬉しいです。
 







きみのふるさと(5)






 女性陣のセクハラトークが一段落した後、4人、いや5人は、ダイニングで食卓を囲んだ。
 青木家は昔ながらの日本建築で建てられているが、部分的に時代に合ったリフォームが施されていた。台所も、薪が使い慣れたシステムキッチンになっていてホッとした。手伝う心算で来たものの、家の外観に合わせて竈に焚き木が出てこられたらお手上げだった。

「おいしい!」
 何度もそう繰り返しながら、和歌子は次々と料理に箸を付けた。供え物の残りだが、煮物に天ぷらに酢の物に焼き物、とバラエティに富んで、どれもなかなかの出来栄えだった。
 薪特製のチラシ寿司は、青木にはもちろん母親にも姉にも好評で、木桶に入った酢飯は見る見る間になくなった。さすが青木の肉親、2人とも見事な食べっぷりだ。積極的に箸を動かさないと、食いっぱぐれの憂き目に遭いそうだ。しかし。

「本当に美味しいわ。一行の言葉は、惚れた欲目じゃなかったのねえ」
 などと言う言葉が母親の口から零れたものだから、薪はもう食事どころではない。心臓が口から飛び出そうだ。青木の姉に、自分と青木の関係をどう話したらパニックを起こされなくて済むか思案を重ねていたのに、いきなりバラされてしまった。
 冬だというのに顔に汗をかきながら、そうっと和歌子の表情を伺えば、彼女は先刻までとなんら変わりなく、芋の天ぷらを口いっぱいに頬張っていた。さては聞き逃してくれたのか、と薪の心臓が落ち着いたのも束の間、今度は姉の口から、
「嬉しいわー。一行のお嫁さんの料理が食べられるなんて」
 なんてセリフが飛び出した日には、いっそ心臓が止まらない方が不思議だ。

 どういうことだ、と眼だけで青木に詰問すれば、すみません、と悪びれない笑顔が返ってくる。青木の口から言えるわけはないから、母親から伝わったのだろう。
 とにかく姉は、自分たちの関係を聞き及んでいて、その上で薪と一緒に食卓を囲んでくれている。ならばそれは、弟の選択を否定しないという意思に取っていいのだろうか。
 母親と同じように、きっと心の中では納得の行かないことが沢山あるに違いない。それでも彼女は、薪に笑いかけてくれる。
 ありがたい、と思った。
 肉親の非難が一番きついと聞く。この種の非難は愛情の裏返しだからだ。責められて当たり前なのに、こうして同じテーブルを囲んで、一つの皿から同じものを食べて、薪を仲間に入れてくれる。さすが青木の肉親、なんてやさしくて、強い女性たちだろう。

 薪が彼女たちの柔軟な精神に感激したのもほんの一時。彼女たちの間で再び始まったハッスルトークに、薪の右手で割り箸がバキリと折れた。

「よかったわね、一行。料理上手なお嫁さんで。ハートも胃袋も、がっちり捕まえられちゃったのね、この幸せものっ!」
「あら和歌子、違うわよ。一行の方が年下なんだから、一行がお嫁さんでしょ」
「えー、まさかー。どう見たって薪さんの方がウェディングドレスでしょー」
 青木とは秘密の関係で、当然薪は、冷やかされることに慣れていない。相手にその気が無くとも、侮辱されているような気がする。確かにウェディングドレスは着たことあるけど、あれはおとり捜査で仕方なくっ!

「あらでも、薪さんは『息子さんは僕が守ります』って言ったわよ?」
 ちょ、待て、そういうことをこの場で言うかクソバ……い、いやその、しかしこれは、ああうううう!!
「きゃー、カッコイイー! となると、やっぱり薪さんの方が旦那さま? 一行が奥さんなの? 夜も?」
 夜ってどういう意味!? 
 なんで昼メシ食いながらそんな話になるんだっ、しかも本人たちの目の前で!! この破廉恥オン、い、いや、青木のお姉さんだ、ここは穏便に、「口から爆弾女」くらいにしておこう。

「もう、和歌子ったら何言い出すのよ! 知らないわよ、そんなこと!」
「えー、どうして母さんが知らないのよー」
「いくら親だって聞くわけないでしょ。でも、ちょっと気になるわね」
「でしょー。やっぱり気になるわよねー」
 彼女たちの死角、テーブルの下で、薪の右手が次々と割り箸を折っていく。折られた割り箸が床の上に落ちて山になり、それに気付いた青木の顔が白紙のように青ざめた。

「ね、姉さん母さん、その辺でっ……!」
 帰ったら只では済むまい。察しの良い青木は必死になって、薪の逆鱗の上でタップダンスを踊るがごとき彼女たちの爆裂トークを止めようとした。が、時すでに遅し。

「「薪さん、本当のところはどうなの? どっちが女の子?」」

 今ここに隕石が落ちてくればいいと薪は思った。




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きみのふるさと(6)

 お久しぶりです、お話の途中で放置しちゃってすみませんー。

 ちょっとリアルで~、忙しかったというよりか、考えさせられることがあって……少々そちらに浮遊しておりました。 ブログ最優先のブロガーじゃなくてすみませんです。

 うーんとね、
 同じ人をずっと大好きでいられることって、互いの努力とか心配りに左右されるとわたしは思ってきたのですけど、実はそうじゃなくて。 本当は、万に一つのラッキーなのかもしれないなって。
 だから例えその関係が変わってしまっても、相手を好きになったことを悔やんだり、そのことで自分を責める必要もないと思う。 次のラッキーを探しに出掛けること、引け目に感じる必要もないし、誰にも止める権利はないと思う。
 うん、今度はこういう話を書こう。 ←なんでもかんでもSSにする癖を直さないと本当に友だちいなくなる。
    



 お話の続きですー。
 青木さんの幼馴染みが出てきますが、当然オリキャラです。 ご了承ください。




きみのふるさと(6)





「おまえの家族で話が合いそうなのは、お父さんだけだ」
 すっかりイジケの虫に取り付かれた様子の青木の恋人は、仏間に籠もって掃除をしていた。ここは青木家の聖域、ここまではあの下品な質問も追いかけては来ない。
 母も姉も悪い人間ではないのだが、彼女たちはペアになると、遠慮という言葉を知らない「田舎のおばちゃん」という生き物に変貌する。青木はすっかり慣れっこだが、繊細で神経質な薪とは合わないだろうと思っていた。

「女性陣があの調子なら、おまえは当然、お父さんっ子だったんだろうな」
「ええ。小さい頃は、あのスピードについて行けなくて。でも、父とは進路のことでぶつかって、そのまま東京に就職しちゃったから。結局、父が脳溢血で倒れるまで、まともに話もしないでしまって」
 青木が弁護士になると言って東大の法学部に入学した時、父は大層喜んでくれた。弁護士は弱い者の味方だ、立派な仕事だ、と。しかし、大学2年の時、青木は薪の存在を知り、法医第九研究室に志望を変えた。これまでずっと青木の応援をしてくれた父親と、初めて衝突したのはそのときだ。

 警察庁はまだいい。しかし、どうして第九なのだ、と徹底的に反対された。人の脳を見るなんて、人道的に許されることではない。あれは警察の思い上がりで、真っ当な人間のすることではない。そこに従事している警視正とやらを尊敬しているようだが、彼の行っていることは人として最低の行為だ。
 そう言われて、我慢できずに家を飛び出した。それからは盆と正月くらいしか父と顔を合わせることは無くなった。たまに顔を見れば親子の情も湧いて、それなりに平穏を保っていたが、青木の仕事については一言も話さなかった。青木はそれを、父が青木の仕事を否定していることの証と解し、実家へ帰る度に黒い塊を飲み込むような気分になった。でも。
 青木が駆けつけた時にはすでに昏睡状態だった父が、亡くなる前に、ほんの10分ばかり意識を取り戻した。その時、彼が息子に掛けた言葉は、「一行。仕事、がんばれよ」だった。
 仲の良い息子とたったひとつ、どうしても相容れなかったそのことが、争いごとの嫌いな父の心にずっとわだかまっていたのだろうと思うと、自分はなんて親不孝な息子だったことかと、自責の念でいっぱいになった。

 当時は色々と思い悩んだが、あれから8年の月日が流れ、父親の最後の言葉を素直に受け取れるようになった。だから青木は今こうして、遺影に手を合わせながら「仕事、がんばってるよ」と臆せずに報告ができている。

「薪さん、一行。一服してくださいな」
 盆にお茶と茶菓子を載せて、母親がやって来た。「姉さんは?」と青木が問うと、「草太とお昼寝」と呑気な答えが返ってきた。夜泣きが続いているらしいから、睡眠不足になっているのだろう。子育ては大変だ。

 母は座卓にお茶の用意をすると、仏間をぐるりと見渡し、
「おかげですっかり綺麗になったわ。薪さん、お掃除も上手なのね」
「一人暮らしが長かったもので。一通りのことは」
「何でもお一人で出来てしまうって、一行がぼやいてますのよ。少しはこの子にも、仕事をさせてやってくださいね」
「あ、助かってます。電球の交換とか、高いところの掃除とか」
「身長だけがこの子の取り柄ですからね。存分に使ってやってください」
「ちょっと母さん、身長だけってことはないだろ。ね、薪さん。オレ、いいとこいっぱいありますよね」
「うん、まあ、探してみれば他にもあるんじゃないか」
「探さないと見つからないんだ……」
 薪の澄ました横顔に、母親のクスクス笑いが重なって、それはとても平和な光景。薪と一緒に実家に来れたことを、青木は改めて幸せだと思った。

 その平和が破られたのは、青木が湯飲みのお茶を飲み干し、テーブルに置いた時だった。
「おばさん、こんにちは! 行ちゃん、帰って来てるって、……あら、どなた?」
 チャイムが聞こえなかったから、鳴らさずに入ってきたのだろう。彼女らしいと青木は思ったが、さて困った。彼女に薪のことをなんと説明したらよいものか。

「真美ちゃん、紹介するわね。こちら、一行の上司の方で、薪さんておっしゃるの。薪さん、こちらは鳥飼真美さん。一行の幼馴染でね、お隣に住んでて、よく手伝いに来てくれるのよ」
 母親が卒なく仲立ちをしてくれて、青木はホッとした。自分が薪の立場を詐称するのは気が引けるが、母の言葉なら、薪も納得してくれるだろうと思った。

 母の紹介を受けてペコリと薪に頭を下げる彼女は、母の言の通り、青木の幼馴染だ。年は青木よりも5つ下だから、26歳。彼女にとってもせっかくの休みだろうに、隣家の法要の手伝いとは、いくら昔仲が良かったとはいえ、奇特なことだ。
 肩の長さに切り揃えたストレートの黒髪を揺らして、真美は周囲を見回した。仏壇と部屋の掃除も完璧にされているのを見て取ると、てへっと愛らしく舌を出して、
「明日、法事やるって聞いたから来てみたんだけど。遅かったみたいね」
「言っておけばよかったわね、今回は一行が前の日に帰ってくるから大丈夫だって。せっかく来てもらったのに、ごめんなさいね。せめてお茶でも飲んで行って」
 彼女の分の湯飲みを取りに母親が姿を消すと、彼女は仏壇の前に膝をついた。「おじさんに挨拶させてもらうね」と青木に断ってから、正座して手を合わせる。それから座卓の、入り口に近い席に腰を下ろすと、「久しぶりね」と青木に笑いかけた。

「行ちゃん、立派になっちゃって。別の人みたい」
「そう? 真美も成長したよ。女の人みたいだよ」
「えー、なによそれー」
 ケラケラと明るく笑う、彼女は青木にとって、昔から妹のような存在だった。
 真美が、一人になってしまった青木の母親を気遣って、よく手伝いに来てくれることは母親から聞いて知っていたが、こうして話をするのは久しぶりだ。青木が実家を訪れるのは法要の日だけ、当日は何かと気忙しく、法事が終わればとんぼ返りで東京に戻ってしまう。親ともゆっくり話せないのに、隣に住んでいる幼馴染など、顔を見ることも稀だった。

「他のみんなは元気?」
「うん。あ、先月、良平のとこ、赤ちゃん生まれたのよ」
 懐かしい人と会った時の定番で、当時、共通の友人であった人間の近況などが話題に上り、青木はここが自分の生まれ故郷なのだとしみじみ思った。古い記憶は楽しかった事ばかりが甦って、彼と幼馴染を饒舌にした。
 一通りの近況報告が済むと、真美は改めて青木を見直し、
「行ちゃん、本当に素敵になった。男らしくなったし」
「薪さん、聞きました?」
 子供時代の遊び仲間の話になると、薪にはさっぱり分からないから疎外感を感じているに違いないと、青木はそう思って薪に話を振った。が、薪は静かな笑みを浮かべたまま、口を開かなかった。薪は、プライベートでは警戒心が強くて人見知りだ。初対面の相手と打ち解けて話をするなんて芸当はできない。
「あの、薪さん」
 引き換え、真美は物怖じしない性格だ。話しかけにくい雰囲気のある薪に、無邪気な質問をしてくれた。

「行ちゃんの上司なんですよね? どうしてここに?」
 悪気はないのは分かっているし、疑問に思うのも当然のことだ。だけど、できれば薪の耳には入れたくない類の言葉だ。薪は意外と、些細なことを気に病むタイプなのだ。
「オレが薪さんのボディガードをしてるからだよ。対象から離れるわけに行かないから、だから休日も一緒なんだ」
 青木は横から攫うようにして、真美の質問に答えた。中園の計らいで、こういうときのための大義名分は用意されているのだ。

「え。でも、実家での法要でしょ。こういう場合って普通、他の人に代わってもらうんじゃ」
 彼女の言うことは正しい。青木が上手い言い訳を考えていると、薪が本来の回答者らしく落ち着いて質問に答えた。
「僕の仕事は警察の中でも特殊で、絶対の機密保持が義務付けられています。だから代替えのボディガードを使うことができないんです。おかげで彼には盆も正月もない。たまには僕の方が彼の都合に合わせてやることも必要だと考えまして、足を運んだ次第です」
 そうなんですか、と真美は納得したように頷いた。さすが薪、理屈を捏ねさせたら日本一だ。

 そこに、席を外していた母親が戻ってきた。「お待ちどうさま」と言って客用の湯飲みを卓に置くと、青木の方を向き、
「一行、ちょっといい? 今、住職さんから電話があって、明日のことであなたに話したいことがあるって」
 湯飲み一つ取りに行くのにえらく時間が掛かると思っていたら、電話に出ていたのか。
「ごめんね、真美ちゃん。お茶、自分で淹れて飲んでて」
「はあい。あ、薪さん、お代わりどうぞ」
 すっかり当家の人間のような顔をして、客人の薪に茶を勧めるちゃっかり者の幼馴染と秘密の恋人を残して、青木は居間に行き、電話に出た。

 ご無沙汰してます、と挨拶をしてから話を聞くと、男手があるなら笹立てをしたらどうかと教示を受けた。笹立てと言うのはこの地方の風習で、庭先に4本の竹笹を刺すことだ。笹を支柱に真菰(まこも)を張り、中には仏花を逆さに吊るす。結界の意味があり、盆に行う地方が多いが、この地方では法事となればこれが付き物だった。しかし、母一人の手では笹を立てるのも難しく、青木家では1周忌以降はずっと省いてしまっていた。
 笹と真菰は寺にあるから取りにいらっしゃい、と言われ、青木は応諾して電話を切った。後ろで話を聞いていた母親が、「せっかくの休みなのに悪いわね」と労いの言葉を掛けてくれた。

「行ちゃん。住職さん、なんだって?」
 仏間に戻ると、すぐに真美に訊かれた。打てば響くような彼女の気性が青木は嫌いではないが、いつも瞳で物語るような奥ゆかしい薪の態度に慣れてしまうと、馴れ馴れしさが鼻に付くような印象を受けた。確かに彼女とは子供の頃は仲が良かったが、今ここに、青木家の来客として座っているのは薪の方だ。少し遠慮して欲しいと思った。
 が、それを態度に表すほど、青木も子供ではない。彼女には母が世話になっていることだし、微細なことで事を荒立てるのは社会人のすることではない。

「笹を取りにお寺まで来なさいってさ。薪さん、付き合ってもらえますか」
 初対面の相手と二人きりにされて緊張したのか、薪は俯いて、茶の満たされた湯飲みを見ていた。青木に声を掛けられて顔を上げ、「僕がか?」と少し迷惑そうな顔になる。
「それならあたしが付き合ってあげるわ。薪さんはお疲れのようだし」
 真美の言う通り、気疲れしたのかもしれないと思った。母親だけでも緊張するのに、あの姉とのペア攻撃を受けた日には、立ち上がる気力も失せて当然だ。

 真美の申し出に、薪は「お願いします」と彼女に微笑み掛け、
「おまえも、積もる話もあるだろうし。ここは真美さんと」
「それは駄目です。オレはあなたの傍を離れるわけにはいきません」
「青木、僕は本当に疲れて」
 その先は、言わせなかった。青木は腕を取って薪を立たせ、
「じゃあ母さん、行ってくるから。真美、またね」
 静かに障子を閉めて、青木は玄関に向かって歩き出した。「青木」と後ろから薪が呼んだが、青木は答えず、代わりに薪の手をしっかりと握った。すると薪はもう抵抗するのを諦めたようで、黙って青木に着いてきた。
 玄関の引き戸が開くまで、彼らの手は握り合わされたままだった。




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きみのふるさと(7)

 公開作、過去作共に、毎日の拍手ありがとうございます。 励まされてます。

 トータル数も3万5千を超えまして。 
 お礼SSは、鈴薪さんの出会いのお話を予定しております。 よろしくお願いします。

 しっかし、書いてて思ったんですけどね。 年齢が若いからなのかな、この二人、
 ちょっと油断すると秒速で腐りやがる。 
 まだ会ったばっかりでしょ、あんたたち、って、こっちが引き戻さないと12月の誕生日までもたない感じ。 友情が。
 続きを書いたら完全に破綻する気がします。 

 青薪さんは、2年も掛かったのにね。
 8年経った今でも、あんまり甘くないのにねwww。




きみのふるさと(7)






 住職から、笹と真菰と実家離れのお小言をもらって、青木は帰途を辿った。母が使っている小型車は青木の身体には狭く、見かねた薪が、帰りは運転してくれた。道案内は必要なかった。どんな道でも一発で覚えてしまう、薪の記憶力のおかげだ。

「青木家の長男が実家に帰ってこないのは、寺でも有名なんだな」
「面目ないです」
 田舎は噂話が主な娯楽だ。遠くの親戚よりも町内会のおばちゃん連中の方が、家の中のことに詳しかったりする。あそこの息子がどこの娘と恋仲だとか、こちらの子供は九州大学を目指しているがどうも難しそうだとか、そちらの娘はせっかく就職したのに上司にセクハラされて辞めてしまったとか、そのツッコミの鋭さと言ったらワイドショー並みだ。こうして誰にも会わずとも、明日には薪のことが青木家の来客として噂になっているに違いない。

「でも、車で20分くらいの所に親戚もいますし。隣の家の人もああやって、様子を伺ってくれますから」
 機先を制して、青木は言葉を重ねた。実家に帰らなくて大丈夫なのか、という類のことを、薪が言い出しそうな気がしたのだ。
 予想に反して薪は何も言わず、黙ってハンドルを切った。真っ直ぐに前を見て、静かにアクセルを踏み込む。薪の運転は細やかで堅実、彼の性格がよく表れている。

 家に帰ると、青木は早速笹立ての作業に入った。冬の夕暮れは予想以上に早く、まだ4時だと言うのに陽は傾きかけていた。
 玄関横のスペースに、スコップで四つの小さい穴を掘り、そこに竹笹を立てる。形はできるだけ正方形にして、笹の幹同士を紐状の真菰でつなぎ、横に渡した真菰に仏花を括りつけて出来上がりだ。夜越ししたら花が凍ってしまうから、それだけは明日の朝の仕事になる。

「これって、結界の意味があるのかな」
 スコップの背で竹笹の根元の土を叩いて締め固めていた薪が、額にうっすらと浮いた汗をぬぐいながら尋ねた。外は寒いし、手が汚れるからいいと断ったのだが、「こういうのは男の仕事だ」と言って譲らなかったのだ。立ち上がれないほどの疲れはどこに飛んだのやら。
「さあ、詳しくは知りませんけど」
「なんで知らないんだ。おまえの生まれ故郷の風習じゃないか」
「そんなもんですよ。形は残ってても、意味なんか誰も知りません」
 ふうむ、と薪は納得とも否定とも取れる唸りでそれに応え、似合わない土仕事に戻った。細い腕や手首が土木作業用の大きなスコップを操る様は、見る者を失笑させる。この人は大抵のことは他人よりも上手にこなすが、力仕事だけは別だ。
 それでも何とかやり遂げて、薪は満足したらしい。天に向かって伸びた4本の竹笹を見上げて、
「よし、こんなもんだろ」
「ありがとうございました。用具を片付けておきますから、先に手を洗ってください」
 薪の姿が見えなくなってから、青木は急いで傾いでいた笹を立て直し、地面を踏み固めた。こんなに足元が甘くては、明日の朝までには自重で倒れてしまう。笹の葉は、夜露を吸うと重くなるのだ。

 片付けを終えた青木が客間に戻ると、薪が荷物の整理をしていた。帰るのは明後日なのに、ずい分気が早いと思って尋ねると、
「明日の法事が終わったら、僕は先に帰るから。おまえはもう一泊してこい」
 青木と離れた僅かな時間に、急な仕事の電話でも入ったのだろうか。
「それならオレも帰ります」
「いや、大丈夫だ。おまえはゆっくりして来い」
 仕事ではないと青木は思った。薪が微笑んだからだ。

「来るときにも言っただろ? たまにしか帰って来れないんだから、なるべく長く居てやれ」
「でも」
「これは命令だ」
 スーツケースをパチンと閉めて、薪は高圧的に言い放った。でも直ぐに悪戯っぽく笑って、
「住職さんにまでお小言もらうって、相当だぞ」
 言って薪はクスクス笑ったが、青木の不安は大きくなる一方だった。
 やっぱり、薪にはこの家は居心地がよくないのだろうか。家人も自分にとっては身内だが、薪には他人だ。生まれ育った土地も風習も青木には馴染み深いものだが、薪には初めてのことばかりだ。気疲れして当然だ。

「ごめんなさい、薪さん。疲れさせてしまいましたか」
「そんなんじゃない。ただ」
 つまらない用事を思い出したんだ、それだけだ、と薪は青木の眼を真っ直ぐに見て言った。嘘を吐くときでも、薪は決して眼を逸らさない。何百人もの嘘を見破ってきた彼は、人が嘘を吐くときに無意識にしてしまう動作を熟知していて、精神力でそれを抑えているのだ。厄介な特技だ。
 薪が嘘で自分を固めてしまったら、それを剥がすのは苦労する。よっぽど揺さぶらないと本音を言わないし、それはここでは無理だ。

 とにかく話し合いの機会を持とうと青木が腰を据えた時、客間の障子が姉の声と共に開いた。湯上りの彼女は、ほこほこと湯気を立てる赤ん坊を抱いて、濡れた長い髪をバスタオルに包んでいた。
「お客さんより先に貰っちゃってごめんなさいね。薪さん、夕食の前にお風呂どうぞ」
 赤ん坊は一番風呂に入れて当然だが、そこをきちんと謝るあたりが彼女の人の好さだ。それに対して、「僕は後で」と辞退する薪の態度も奥ゆかしくて、こういうまどろっこしさこそ日本人の美学だと青木は思う。姉も薪も、そんな日本人の特質を備えていて、それに拘るあまりズレた行動を取ってしまうのだ。先刻の姉の失言だって、あれはおそらく、薪に気を使わせまいと敢えて賑やかに……。
「あ、一行と一緒に入るのかしら?」

 だから余計なこと言わないで、姉さんっ!

 生きた心地もしない青木の耳に、薪の冷静な声が聞こえた。
「いえ、ひとりで入ります。いただいてきます」
 手早く着替えをまとめ、薪は立ち上がった。会釈で姉の横を通り過ぎ、教えられた方向に歩いて行く。すっきりと伸びた背中を見送って、姉が不思議そうに訊いた。

「ねえ。薪さん、どうかしたの?」
「もともと薪さんは物静かな人だよ。でもって、怒らせたら超コワイから。気を付けてね」
 被害は百パーセントこっちに来るのだ。これ以上、彼の怒りのボルテージが上がったら、青木は家から追い出されてしまうかもしれない。
 青木の心中も知らず、姉は呑気な様子で子供をあやしながら、
「お昼ご飯の時は、バキバキ割り箸折ってたじゃない」
「気付いてたの?」
「だって、音が聞こえるもの。もう、おっかしくって」
 分かっててやってたのか。我が姉ながら、いい性格をしている。

「真美ちゃん、来たんだって?」
「ああ、姉さんが草太と一緒に昼寝してるとき。寺から帰ったら、いなかったけど」
「ふうん」
 納得したようなそうでないような、先刻の薪と同じような声で、姉は何度か頷いた。それは解ったという意味ではなく、子供をあやす仕草だったかもしれない。

「一行。あんた、薪さんと一緒にお風呂入ってあげなさいよ」
 唐突に、とんでもない提案が姉の口から出て、青木は焦る。
 実家で薪と一緒に風呂って、薪さんが許すわけないし、オレも見たら我慢できなくなっちゃうし、そうなったら薪さんも声が抑えられないし、色んな意味合いでそれは無理だからっ!!

「姉さん、あのねえ」
「分かってないのねー、ダメな叔父さんですねー。草太はこんなダメ男になっちゃダメよー」
 甥っ子の前でダメ男の烙印を押されてしまった。もしも成長した甥が自分を馬鹿にするような態度を取ったら、この幼少期の刷り込みのせいだ。
「まあ、仕方ないかもね。お嫁さんの苦労は、お嫁さんにしか分からないものね」
「その『お嫁さん』て言うのも止めてくれ。薪さん、そういう冗談通じない人なんだから」
 はいはい、と姉は踵を返し、湯冷めしないうちにお布団に入ろうね、と子供に話しかけた。夜泣きが大変だと言っていた姉の言葉を思い出し、青木は、
「今夜くらい、草太を預かろうか」と申し出た。
「なに言ってんの。あんたには大事な薪さんがいるでしょ」
「姉さん、いい加減にして」
「別に、冷やかしてるわけじゃないわよ」

 薪さんがお風呂から上がったら夕飯にしましょ、と言い置いて、和歌子は部屋に帰って行った。母親と二人、お喋りに興じる心算なのだろう。
 あの賑やかなBGMを子守唄にした甥が女性に対する潜在的な恐怖心を抱えた大人になるのではないかと余計な心配をしつつ、青木は薪が片付けていたスーツケースを部屋の隅に退かし、彼のために床を延べた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

きみのふるさと(8)

 先々週になりますが、また一つ年を重ねまして。
 チャームポイントが目尻の皺からホウレイ線になりつつあるしづです。

 年取ると、ほうれい線て伸びるんですね~。
 いや、最初分からなくて。 口の横から下に掛けて、寝てる間に何の痕がついたんだろうとしげしげ見たら、  だった。
 そこの! 笑ってるあなた! あなたも10年後か20年後には「あれ、何の痕だろう?」ってなるのよ! ならないのは薪さんだけなんだから! ←ひがみ根性全開。
 


 失礼しました。
 とにかく、当日はお祝いメールありがとう。 愛してるよ。(〃▽〃)





きみのふるさと(8)





 青木家は純和風の邸宅だが、風呂場だけはユニットバスを使用していた。歴史の本でしか見たことのない五右衛門風呂を、薪は密かに期待していたのだが。残念だ。

 青木が精魂込めて磨き上げたと見えて、薄いベージュ色のバスルームはとても清潔だった。青木は薪の風呂好きを心得ているから、風呂の掃除には特に力を入れる。おかげで薪の家のバスルームは、いつもピカピカだ。
 寒い冬に熱い風呂、微かにラベンダーの香りがする湯煙。薪にとっては最高のリラクゼーションのはずなのに、お湯につかった彼の表情は一向にほぐれなかった。それはここが恋人の実家だと言う緊張感からではなく。昼間、青木の幼馴染の女の子に言われたことが原因だった。

「行ちゃん、ボディガードだなんて、すごいお仕事してるんですね」
 薪が吐いた嘘を真に受けて、真美は感心したように言った。
「だからあんなに逞しくなっちゃったんだ」
「大分、鍛錬はしているようですね」
 あくまでも上司の態度を崩さず、薪は青木との距離感を演出するように冷静な口調を心掛けた。真美の声には明らかな憧憬が含まれており、おそらく彼女は、青木に好意を持っているものと思われた。そんな人間に、自分たちの関係を悟られるわけにはいかない。

「SPと同等の能力を身に付けるために、彼は相当の努力を」
「白々しい。嘘でしょ、そんなの」
 ぶっきらぼうな声で遮られて、薪は息を呑んだ。
「なにを」
 一瞬のうちに、真美の表情は激変していた。一重まぶたのくりっとした眼には蔑みの色が浮かび、ピンク色の唇は怒りの形に閉じられていた。

「恋人なんでしょ? そうでもなきゃ、法事に伴うって不自然だもの」
 鋭く切り込まれて、今日は何度目になる事か、薪の心臓が跳ね上がった。顔色が変わらないように声が震えないように、腹の底に力を入れて、薪は反駁した。
「何を言い出すんです、バカバカしい。いいですか、警察にとって機密を守ると言うことは」
「行ちゃんが実家に寄りつかなくなったの、あなたのせいなのね」
 薪の話を聞こうとしない。思い込みが彼女の耳を塞いでいる。こうなってしまうと女性は頑固で、でももっと厄介なのはその思い込みの的中率だ。薪がどんなに推理を働かせても、彼女たちの恋愛に関するカンには勝てない。

「行ちゃんから、親も友だちも取り上げて。ひどい人」
 その言葉は、薪の心臓を跳ね上げるだけでは済まなかった。ザックリと刺し貫かれて、薪はなにも言えなくなった。
「おばさんだって和歌ちゃんだって、そう思ってるわ。言えないだけよ」

 心の中で案じていたことを音声にされて人の口から言われた。それだけのことなのに。
 青木の家族から直接言われた訳でもない、初対面の相手からつまらない言い掛かりをつけられた、たったそれだけのことで消え入りたいような気持ちになる、自分の怯懦に反吐が出そうだ。彼女は青木の昔の友人ではあるけれども今は部外者で、薪にとっては赤の他人だ。余計なお世話だ、非難される筋合いはない、と口に出さずとも心の中で跳ね除ければよかったのだ。それができなかった。
 青木の家族にどんな非難を受けても自分の我を通そうと、覚悟を決めてきたはずなのに。赤の他人の一言で、こんなに心が揺れてしまうなんて。

『行ちゃんから、親も友だちも取り上げて』

 真美の言葉を全面的に否定することは、薪にはできない。『取り上げた』と言われればその通りなのだ。青木本人からも何度も聞かされた、それは薪の罪。
『オレは薪さん以外の人は、眼に入りません』
 青木は薪と付き合いだしてから、友人との付き合いが極端に減ったらしい。以前は、平日のアフターは友人付き合いに宛てていたらしいが、一緒に暮らし始めてからはそれもなくなった。行きも帰りも青木が運転する車に乗って、帰りが早いときはレストランに寄ったりして、24時間一緒に居る日も多くなった。
 実家もそうだ。何年も前から青木は、盆も正月も、一晩泊まったら翌日の朝には帰ってきてしまう。久しぶりなのだからもっとゆっくりして来いと、薪が何度言っても聞かない。翌朝の10時前にマンションを訪れる青木を薪が叱ると、
『すみません。薪さんの顔が見たくて』
 真っ直ぐに自分へ向かってくる彼の愛情が心地よくて、ついつい流されてしまったけれど。極端な偏りは良くないと、年長者なら諭してやるべきだった。

「……ちがうな」
 求めていたのは自分の方だ。
 青木と知り合った頃、薪はどん底で。このまま泥に埋もれて息絶えるが相応しいと、思いながらも浅ましく、残り物の人生にしがみついていた。自分の罪を認めながらも救済を心待ちにし、何も望んではいけないと自分を律しながらも欲望は止められず。相反する感情に心がバラバラに壊されていく、そんな日々の中で。薪は青木と出会い、惹かれ合い、愛し合うようになった。

 薪が青木から目が離せなくなったのは自分が殺した男にそっくりだったからだが、青木の恋情に理由を求めるならそれは多分、同情心。
 青木は人の気持ちに敏感で共感能力に優れている。薪の危うい心理状態を、理論的に見抜いたのではなく、感じたのだ。事件の犯人や被害者に寄り添うように、薪の心に寄り添った。結果、彼は薪に必要なものを本能的に悟り、それを与えてくれたのだ。
 青木が親不孝になったのも故郷に縁遠くなったのも、自分のせいだ。薪の中に住んでいる、貪欲に彼を求める駄々っ子のせいだ。

『ひどい人』
 そう、自分は非道な人間だ。それが分かっても、青木を親元に帰してやろうという気にはならない。彼と生きていこうと決めた。何があっても、何を犠牲にしても。

 ――でも。
 肉親と疎遠にしてまで彼を自分の元に引き留める。そんなことが許されるのだろうか。
 血のつながった家族から彼を引き離して? 彼に新しい家族を与えてやることもできないのに?
 女性ならそれができる。だから彼女たちにはその権利があるのだ。でも自分は……。

 最初から分かっていたことなのに、そのこともよく考えて彼を受け入れたはずなのに。改めて突きつけられれば、胸がちぎれるように痛い。
 薪はもう、なにも持っていない。心も身体も未来も、彼にあげられるものはすべて差し出してしまった。彼から多くの大切なものを奪っておいて、彼に与えることができたのは、一個人が持ちうるちっぽけな誠意だけ。たかが知れてる。

 湯船の中で膝を抱え、薪は大きなため息を吐く。
 新しいものを生み出せない自分は、生きている価値がないように思えた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

きみのふるさと(9)

 こんにちは。
 大掃除で早くも腕が筋肉痛です。 窓拭き、力入らない。


 コメレス遅くなってて申し訳ありません。 年末はやっぱり忙しい……すみません、嘘です、SS書いてました、ごめんなさい。 大掃除が終わったらレスしますので、もう少し待ってくださいねっ。
 それから、
 誕生日おめでとうコメント、ありがとうございました!
 わたしは年を取るのは嫌じゃないので、祝っていただけて嬉しかったです。 どうもありがとうございました。(^^


 ところで、
 昨日はクリスマスでしたね。
 みなさま、楽しいクリスマスをお過ごしになりましたか?
 わたしはイブは仕事で、昨日は大掃除してました。 ええ、例年通りで。

 てなわけで、クリスマスとは全く関係のないお話の続きです。
 今回、子供が出てきますが、わたしは子供を育てたことが無くって、実態が分かりません。 なのでここは、15年くらい前に義妹の子供と遊んだときのぼんやりした記憶を頼りに書いてみました。 
 子育てのプロの方には、どうかイリュージョンを見るときのお気持ちで……見逃してください。







きみのふるさと(9)





 風呂から上がった薪を待っていたのは、予告された夕食ではなく、小さなギャングだった。

「夕食の用意はわたしがしますから。草太をお願いします」
 台所の入り口で、はい、と気軽に預けられて、でも薪は、子供の相手なんか一度もしたことがない。雪子の子供は抱かせてもらったことがある、だけどそれだけだ。おしめとミルクとオモチャを渡されても、何をどうしていいのやら。
 子供を抱いたまま固まっている薪の傍に、パジャマを抱えた青木がやって来た。自分も風呂に入ろうとしたらしいが、困っている薪を放置しておけるわけがない。彼の手から赤子を譲り受けようと手を差し伸べたのを見透かしたように、台所から和歌子の声が、
「一行は手伝っちゃダメよー。薪さんに任せたんだからー」
 イジメですか、お姉さま。

 姉の命令に逆らうこともできなくて、薪は青木に「行かないでくれ」と必死に瞳で訴える。自分一人で子供の世話なんか無理だ。怪我でもさせたら薪には責任が取れない。母親は和歌子と一緒に台所に立っているし、頼れるのは青木だけだ。
 が、非情にも台所からの指令は続いた。
「続けて入らないと、お風呂冷めちゃうでしょー。エコよ、エコ」
「でも姉さん、薪さんに子供の世話を頼むなんて」
「あら、いいじゃない。あんたのお嫁さんなんだから」
「だから、そういう冗談は止めてくれってさっき言っただろ」
 すみません、と姉の代わりに弟が頭を下げる。この手の言葉には過敏に反応する薪だが、今はそれどころではない。薪の細い腕の中で、子供は釣り上げられたばかりのカツオのように、幾度も背中を反り返らせる。その度に落っこちやしないかとヒヤヒヤしっぱなしだ。

「四の五言ってないで、入ってきなさい。夕食の前にお風呂に入るのは青木家の家訓よー」
「そんなの、いつ決まったんだよ」
「いいから入ってきなさい。入らないと、ごはん食べさせないわよ」
 食べ物を条件にされたら青木は弱い。なるべく早く戻りますから、と薪に断って、いい子にしてろよ、と赤ん坊の額を指先で優しく撫でた。

 残された薪の悲惨なことと言ったらなかった。
 ガチガチに緊張した腕で抱くものだから、居心地が悪いのだろう。子供はあっちこっちに身体を捩り、落ち着けそうな場所を探そうと、彼なりの努力は認めるが、どうにも危なっかしい。動きを制約しようと薪が腕に力を入れると、それがお気に召さなかったらしく、子供は急に泣き出した。
 赤ん坊の泣き声は、大人を急きたてる。早く泣き止ませなくては、と焦るが、手順が分からない。和歌子がしていた仕草を思い出して揺すってみたが、逆に音量が増して、もう泣きたいのはこっちだ。

 涙目になって、薪は叫んだ。
「すみません、お姉さん! 草太くん、泣いてるんですけど!」
「子供は泣くのが仕事よー」
 なんて冷たい母親だ、子供の涙に動じないなんて。
 薪の怒りは赤ん坊に伝播したらしい。自分の泣き声に駆けつけてこない母親を詰るように、草太は「だ!だ!」と不満げな声を上げた。
「すみません、今度は怒ってるみたいなんですけど!」
「人間だものー。そういう時もあるわよー」
 そんな人生相談みたいなアドバイスされてもっ!!

 もしかしたら自由に動きたいのかもしれないと考えて、薪は、畳の上にそうっと子供を降ろした。生後7ヶ月になる子供は、自力でおすわりの体勢を取った。薪は思わず背中に手を出したが、彼の姿勢が安定したものであることを確認し、初めてホッと息を吐いた。
 子供の発育については雪子との雑談の中で聞いた覚えがあるが、まさか自分の身に降りかかることがあるとは思わなかったから聞き流してしまった。もっとよく聞いておくんだった、と後悔しても後の祭り。雪子の子供が初めて立ったのは生後何ヶ月くらいだったか、思い出そうとして為せず。その間に少しもじっとしていない赤子は、ぱたんと前に手を付いて四つん這いになると座卓まで這って行き、低いテーブルに自分の小さな両手を載せた。
「あっ、あっ、掴まり立ちなんて無謀な真似を、ちょ、危なっ!」
 手を伸ばしたときには一瞬遅く、子供は正面から畳の上に倒れた。即座に響き渡る、割れるような泣き声。

「大変です! 転びました!!」
「直ぐに泣くときは大丈夫よー。大変なときは声出ないからー」
 それでも母親か! と怒鳴ってやりたかったが、青木の姉ではそうもいかない。何とかして子供を泣き止ませようと、薪は必死になった。
「い、痛くない痛くない、ちょっとぶつけただけだ。安心しなさい、君の脳には一筋の傷も付いていない。だから泣き止んで」
 子供を抱き上げて、揺すりながら言葉を掛ける。意味が通じるとも思えないが、それでも黙っていられないから不思議だ。
 薪がいくら話しかけてもあやしても、子供の泣き声はいっこうに治まらなかった。本当に、どうしていいのか分からない。マジ泣きしそうだ。

「頼むから、そんなに泣かないでくれ」
 困り果てて薪が哀願すると、子供はようよう泣き止んで、小さな手のひらを薪の顔目掛けて突き出した。頬に触れ、上に滑っていく。子供にとっては人間の顔もオモチャになるのだろうと彼の好きにさせるうち、赤子の手は薪の目尻を何度か往復するように動いて、薪はやっと、彼が自分の困惑の涙を拭ってくれたのだと知った。
 思いがけない情けを受けて、薪は驚嘆する思いで子供を見る。彼の、子犬を思わせる黒い瞳はとてもつぶらで美しく、薪は、動物を前にしたときの高揚感と癒しが自分を包み込むのを感じた。

「大丈夫だよ。ありがとう」
 正直な話、子供は好きじゃない。うるさいし言葉は通じないし、薪の嫌いなミルクの匂いがするからだ。でもこうして見ると、動物とさしたる違いは無いような。薪は動物は大好きなのだ。
「いっぱい遊ばせてあげてねー。でないと、夜寝ないから」
 泣き声が途切れたのを見計らって、新たな指令が下る。子供と遊んだ経験などないが、動物と戯れたことは数え切れないほどある。

「草太くん。何して遊ぼうか」
 薪がにっこりと笑いかけると、草太はくふっと空気が抜けたような笑い声を発した。ヤギが笑うとき、こんな音を出す。本当に動物みたいだ。ましてや短い手足を使ってさかさかと畳の上を這い回る姿は、動物以外の何物でもない。
 気紛れな猫を捕まえる時のように素早く前を塞げば、子供は上手にカーブを切って、薪の横手に移動する。では、とそちらに手を出せば、今度は後ろに下がって行く。きゃっきゃと笑い声を上げながら、これはこれで楽しいオモチャだ。

「なかなかに俊敏な動きだ。機動力もある」
 夢中で薪の手を避けるうち、這うこと自体が面白くなったらしく、草太は速度を上げた。そのせいで周りが見えなくなったのか、部屋の隅に積み重ねてある座布団の中に突っ込んでしまい、山を崩してしまった。
「こらこら、お母さんの仕事を増やすんじゃない」
 薪がそれを戻している間に、草太は部屋の中央に進んで行く。気が付いた時には座卓の脚が目の前だ。
「畳よりもそれは固い。気を付けなさい」
 彼の脇下に後ろから手を入れ、ひょいと持ち上げる。手足をばたばた動かすが、摘み上げられた猫の子状態。その仕草が可笑しくて、薪はついつい苦笑いする。

「疲れただろう。少し、休んだらどうだ」
 大人があれだけ床を這いずり回ったら息が上がってしまうと思うが、子供にとっては散歩程度のものらしい。あーあーと唖音を発する、小さな生き物はほんの僅かの間も静止しておらず。床に胡坐をかいた薪の膝の上で、あっちに反りこっちに跳ね、挙句は薪の肩の上に登ってくる始末。
「ちょ、危ないぞ。この高さから落ちたら、とと」
 肩の上の子供を下ろそうと手を伸ばし、バランスを崩して、薪は子供を抱えたまま仰向けに転がった。
「ったく。やんちゃな王子さまだな」
 両手でしっかりと子供の胴体を支えて上に持ち上げてやると、子供は大層喜んで、派手な笑い声を立てた。バーベル上げの要領で上下に上げ下げしてやると、笑い声はますます大きくなった。
「面白いか? そら」
 子供の笑い声は人を幸せな気分にする。ヨーゼフと遊ぶ時のように、薪は楽しげに笑った。

 いつからそこに立っていたのか、居間の入り口に佇む青木に気付いたのは、薪の両腕がだるさを訴え出した頃だ。
「あ、青木」
 すっかり慣れた様子で片腕に子供を抱き、ひょいと身を起こす。何度も子守をしてやったはずの赤ん坊は、青木を恋しがる様子を微塵も見せず、大人しく薪に抱かれていた。
「なんだ、その中途半端な格好。髪くらい乾かして来い」
 額に落ちた黒髪からポタポタと滴が垂れている様子を見て、薪が眉をしかめる。きっと青木は薪が心配で仕方なくて急いで風呂から出てきたのだろうが、そこを評価してくれるほど薪は甘い恋人ではない。

「ダメな叔父さんだな。君は、あんなだらしない大人になっちゃダメだぞ」
「薪さんまで。これ以上、オレの叔父としての立場を貶めないでくださいよ」
 ガシガシと髪を拭きながら、青木が二人の傍に腰を下ろすと、新しい遊び相手を見つけた草太がさっそく手を伸ばす。青木の濡れた髪を引っ張り、イタタ、と悲鳴を上げる叔父に、邪気のない笑い声を立てた。

「よしよし、偉いぞ。草太くんは力持ちだな」
「駄目ですよ、薪さん。悪い事したら叱らなくちゃ」
「悪い事なんかしてないだろ。これは楽しいことだろ」
「薪さんは楽しいかもしれませんけどオレは楽しくないです、てか、痛いです! 一緒になって引っ張らないでくださいよっ。ハゲたらどうしてくれるんですか!」
「思いっきり笑ってやるさ。なあ、草太」
「あああ、草太が薪さんみたいに性格ワルクなったらどうしよう」
 何を失礼な、と青木を睨んだとき、台所から和歌子が顔を出した。

「ごはんできたわよー」
 姿を見せた母親に、草太は夢中で手を伸ばす。当然だが、やっぱり母親がいいのだ。
「薪さん、どうもありがとう」
 薪から子供を受け取り、彼女は礼を言った。いえ、と薪は微笑み、母親に抱かれて満足そうな子供に軽く手を振った。が、子供は今まで遊んでもらった恩など感じないようで、丸っきり無視された。こういう所はネコ科の動物に近い、と薪は思った。

 髪を乾かしてきなさいね、と弟に命じると、彼女は草太を抱いて台所へ戻った。華奢な後姿を見送り、薪は感慨深く呟く。
「女の人って偉大だな。命を生み出せるんだもんな」
 それからふと遠くを見る眼になって、
「男が敵わないわけだ」
 白旗を挙げる城主の表情で吐き出すと、青木が訝しげに薪を見た。「薪さん」と呼びかける彼に、薪は素っ気なく背を向けた。

「早く来ないと、みんな食べちゃうぞ」
 台所の入り口に掛かった竹すだれを片手で優雅に持ち上げ、薪は意地悪く微笑んでみせる。すわ一大事と青木は転がるように駆け出し、3秒後にはドライヤーの音が聞こえてきた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

きみのふるさと(10)

 このお話、メロディ発売前に終わらそうと思ってたのに、発売日どころか年内も無理みたいです。
 どうしてこんなことになったのかしら、わたし12月なにやってたのかしら……うん、Nさんが悪いんだな。 あんないいネタ振るんだもん。←もう本当に友だちいなくなる。


 えっと、
 こちらの章には青木さんの叔父さんが出てきます。 これもオリキャラで、しかも博多弁を喋るんですけどこれがかなりいい加減で~、わたしの昔の友人が福岡の人間でして、彼女の喋りを思い出しながら書きました。 九州の方、いらしたら生ぬるく読み流してやってください。


 それと、今月メロディまだ買ってなくてー(><)
 明日になれば自由時間が取れると思う、ので、身勝手ですみません、ネタバレコメントお控えいただけると嬉しいです。






きみのふるさと(10)




 翌朝、洗面所で出会った薪は、少し赤い目をしていた。
「眠れなかったんですか」と青木が尋ねると、「枕が変わると、どうもな」などと言う普通の人みたいな答えが返ってきた。満員電車の中で立ったまま眠れる特技をお持ちでは? と突っ込みたかったが、法要当日の気忙しさがそれを許さなかった。
 朝の9時に、住職がお経を上げに来てくれる。昨日のうちに大凡の準備はしてあるが、当日の朝に供えた方がよい料理や団子などの供物もある。表の笹立てに、仏花も吊るさなくてはいけない。仕事は結構あるのだ。

 青木も昨夜はよく眠れなかった。昨夜はもちろん薪とは別々の部屋で寝んだのだが、そのせいではなく、草太の夜泣きのせいだ。夕食前に薪があれだけ遊んでやったのに、効果はなかったらしい。
 それにしても、薪に子供の世話をさせるなんて、姉にも困ったものだ。日頃の激務で、薪はとても疲れているのに。慣れない場所で慣れない人に囲まれて、只でさえ気を張っているのに。職場の人間が彼をそんな目に遭わせたら、土下座して謝るところだ。なのに姉ときたら、夕飯のカレーライスを頬張りながら、
「薪さんも草太も、これで今夜はぐっすりね」などと暴言を吐いていた。ちゃっかり者の本領発揮と言ったところだ。

 青木の部屋の隣は姉の部屋になっていて、通気性の良い日本間は、子供の泣き声をダイレクトに響かせた。青木は夜中に何度も目を覚まし、2回くらいは姉の部屋に様子を見に行った。「ごめんね」と姉は済まなそうに謝り、暗い部屋の中、子供を抱いてゆっくりと歩き回っていた。
「舞の時もこうだったのよ。この時期はどこの子供もね」
 代わろうか、と申し出たが、断られた。明日昼寝するから大丈夫よ、と昼寝の予約をされ、青木は自分の部屋に戻された。

 一度、薪の部屋にも行った。姉の部屋から距離はあるが、薪は眠りが浅い。子供の声で目を醒ましてしまったのではないかと心配になったのだ。
 そうっと障子を開けて様子を伺ったが、その時はよく眠っているようだった。しかし、この顔は明らかに寝不足の顔だ。薪は神経質だから、他人の家で安眠することができなかったのだろう。

「薪さん、昨日の話ですけど。今日の昼に東京に帰るって」
「うん。勝手言って悪いな」
「それは構いませんけど、やっぱりオレも一緒に」
「駄目だ」
 親子水入らずで過ごさせてやろうと、薪は気を使っているのかもしれない。でも青木は、薪の傍にいたいのだ。
 順当に行けば、自分の親が薪よりも早くこの世からいなくなることは分かっている。住んでいる場所もこんなに遠くて、しかも青木の母親はけっこうな高齢で、だからあと何回顔を見られるかも分からない。
 それでも青木は、薪と一緒に過ごしたいと思う自分の気持ちを止めることができない。何処にいても、薪がいないと落ち着かない。のべつ幕なしに、薪のことばかり考えてしまう。そんな状態で滞在されても、親も迷惑だと思う。

「薪さん、オレは」
「この花を外に吊るせばいいのか。どの辺に下げるんだ?」
 洗面台の隣に置いてあったバケツから笹立て用の仏花を取り上げ、水を切りながら薪は訊いた。議論をしている余裕はないぞ、と亜麻色の瞳が青木の反論を封じる。
「玄関に近い場所にお願いします」
 わかった、と頷いて、薪は外に出て行った。彼の後姿がとても儚く見えて、青木は不安になったが、薪に本音を喋らせるのは至難の業だ。法事の合間にできる芸当ではなかった。

 朝食は母親の作ったおむすびと味噌汁で簡単に済ませ、青木は住職を車で迎えに行った。今朝は、薪を伴うことはできなかった。昨日は笹を運ぶ手伝いと言う名目が付けられたが、今日はそうはいかないし、隣に住職を乗せて帰らなくてはならないからだ。
 しかし、家に帰った青木は、その判断を深く後悔することになる。

「おう、一行。帰ったか、こん親不孝もんが」
「俊幸おじさん」
 玄関を開けて中に住職を招き入れた青木に声を掛けたのは、この場にいる予定ではなかった人物だ。
 年の頃は60歳前後、肥満体の暑苦しい身体と釣り合いを取るかのように寒そうな頭部を、七三分けのカツラで隠していることは親戚中が知っている、ことを本人だけは知らない。背は青木より30センチほど低いから、薪と同じくらいだ。体重は倍もありそうだが。

 住職を仏間に通して、お茶の用意を母に頼み、襖を閉じて青木は訊いた。
「どうしてここに」
「どうしてとはなんや。兄さんの法事なら、わしを呼ぶのが当たり前やろが」
「……すみません」
 青木にはもう一人、父に瓜二つの伯父がいるが、この叔父はまったく父に似ていない。見た目も性格も、何一つ共通点がない。本当に血がつながっているのか、青木は常々疑わしく思っていたくらいだ。
「でも、今回は単なる命日の供養ですし。13回忌のときには勿論、叔父さんもお呼びするつもりで」
「そげな理屈の通るか。他人の来とるやないか」
 叔父の言い草を聞いて、青木は舌打ちしたい気持ちに駆られる。
 それではもう、叔父は薪と会ったのか。余計なことを言わないでくれたらいいが、この叔父に対しては、そんな望みを持っても無駄だ。とにかく、人の気持ちの解らない人なのだ。

「あの人はオレの上司で、あの人の身の安全を守るのが今のオレの仕事なんです。今回は、無理言ってオレの都合に合わせてもらって」
「美人ば連れて帰って来た言うけん、てっきり結婚相手を見付けて来たと思ったきに。この甲斐性無しが」
 この叔父の、尤も得意でしかも厄介なセリフが出て、青木は瞑目する。どこの親戚にも必ず一定の割合で混ざっている、他家の息子や娘に結婚を斡旋したがる人間だ。
「おまえがそんな調子じゃけん、わしが苦労して結婚相手ば見繕ってやっとるんやないか。それを悉く断りおって、少しくらい妥協したらどうなんや」
 もう十年も前から、この叔父は母親を通して青木に見合い写真を押し付けてきている。いつだったか、青木の都合も聞かずに見合いをセッティングされてしまって、腹に据えかねた青木が母親に、「自分には好きな人がいる。見合いは迷惑だ」と宣言してからは、母親の方で上手く断ってくれているらしい。だが、それは結局その場凌ぎのこと。元凶の叔父を何とかしなければ、このありがた迷惑な行為は止まらないのだ。

「叔父さん。前にも言いましたけど、オレは結婚はしません」
「この阿呆が、そげな勝手の通るか! 四百年続いた青木家の血筋ば、何やと思っとるんや!」
 贅肉のついた身体を揺すって、叔父は喚いた。冬だというのに額に汗をかいて、何をそんなにムキになっているのか、青木にはこの叔父の考え方がどうしても理解できなかった。招かれもしない家の法事に押しかけて来て、肝心の法事も始まっていないのに、その家の息子を捕まえて結婚を強要する。それこそ馬鹿のすることではないのか。
「一行、おまえは本家の長男や。跡継ぎば作らんでどげんする。ご先祖様に申し訳ないと思わんのか」
「知りませんよ、400年前の人間のことなんて! そんなに跡継ぎが必要なら、オレの細胞からクローン人間でも作りましょうか!?」

「青木。住職さんがお呼びだ」
 すっと開いた障子の向こうから現れた美貌に、青木は息を飲んだ。喪服の薪は美しく、漆黒の衣装に映える肌の白さは眩しいばかりだった。
「薪さん……」
 怒りに任せて口走ってしまったことを、青木は猛烈に悔やんだ。薪には聞かせてはいけない言葉だった。木と紙で出来た間仕切りに、防音効果は望めない。それを青木は昨夜、草太の泣き声で確認したばかりだったのに。

 申し訳ない気持ちでいっぱいの青木の心を踏みにじる様に、叔父の無神経な言動は続いた。自分の甥だけでは飽き足らず、薪にまで毒を吐いたのだ。
「丁度いい。上司のあなたからも、一行ば叱ってやってください。確か警察と言う所は、40を超えて結婚しないと、出世に響くんやなかったとですか」
 殴ってやろうかと思った。
 その言葉がどれだけ薪を傷つけるか、それを思うと怒りのあまり頭が真っ白になりそうだった。

「叔父さ」
 すい、と青木の前に伸ばされた白い手が、青木の言葉を止めた。ひらひらと振られる、それは「僕に任せろ」という合図。
 薪はにっこりと笑い、叔父の前に進み出て、
「それは根拠のない噂ですよ。僕も40超えて結婚してませんけど、この年で警視長をやらせてもらってます」
「ほう。警視長と言うのは、偉いんですかな」
「警視総監の一つ下です」
「そりゃあ大したもんや」
 薪の説明は、正確には誤りだ。正しくは、警視監の一つ下、だ。警視総監は警視監の中から任命される役職で、警視長は階級だ。同じ線上にあるものではない。しかし、田舎の年寄りに説明するならこの方が解り易いだろう。それに、
「いや、ちょっと待ってくださいよ。40超えてるって誰がです?」
 叔父にとってはこちらの事実の方が衝撃に違いない。

 薪がにこやかに相手をしてくれたおかげで、叔父は静かになった。MRI捜査に寄せられるクレームに対処するのは室長の役目、こういった輩の扱いには長けている。その気になれば薪は、とびきりのホストになれるのだ。
「室長さん、私はね、兄貴が死ぬ前に、こいつのことを任されたとです。いい嫁さんもらって、子供作って、親の面倒を見る。それが子供の務めってもんでしょう」
 勝手なことを言っている。なにが子供の務めだ、子供は親の世話をするために生まれてくるんじゃない、子孫を残すためでもない。自分の人生を生きるために生まれてくるのだ、それだけだ。

 青木は奥歯を食いしばるようにして耐えていたが、薪は平然と頷いて、
「仰る通りです」
「さすが室長さんや。道理が解ってらっしゃる」
 叔父は、初めて自分の意見を尊重してくれる人に出会って感激したのか幾度も頷き、「一行はいい上司に恵まれて幸せ者です」などと世辞めいたことまで言った。薪は慎み深い謙遜の言葉で叔父の賛辞を受けると、それがまるで自分のせいであるかのように申し訳なさを前面に押し出して、青木の弁護をしてくれた。
「警察官は出会いの場が少ないので、どうしても婚期が遅れがちです。それに、彼の場合は職務上、女性とのお付き合いが難しい時期なんです。もう少し階級が上がって内勤の仕事が増えれば、自分から結婚相手を探すようになるでしょう」
 薪に、そんなことを言わせるのは忍びなかった。薪はいつだって青木に執着しない風を装うけれど、それは単なる照れ隠しだと青木には解っている。例えカモフラージュでも青木がそんな真似をしたら、薪は深く傷つく。

「そげん言うても、やつも30を超えとります。ぼやぼやしてると、肝心の跡継ぎが」
「叔父さん、いい加減に、――っ!」
「一行。住職さんの前よ」
 後ろから母親に、尻の肉を抓られた。青木が眉をしかめると、母親は明るく笑って、
「俊幸さんも、そのくらいにしてくださいね。せっかくあの人が帰って来てるのに。争いごとの嫌いなあの人が見たら、あの世にとんぼ返りされてしまいますわ」
「義姉さん。いや、すまん。そげな心算は」
「ええ、よく解ってますわよ。さ、そろそろみんな席に着いて。住職さん、お願いします」
 母親の鶴の一声でその場は治まり、厳かな住職の声が法要の始まりを告げた。

 青木は長男として喪主の席に座った。本来なら隣には、伴侶である薪の姿があるべきだ。参列者が母と姉だけなら、そうするつもりだった。住職は家の内情にまでは口を出さないし、余計なことは他人には言わない、信用の置ける人物だからだ。しかし、叔父がいてはそれもできない。可哀想に薪は、青木から一番遠い末席に座し、昨夜の夜泣きのせいで午前中から午睡をしている草太と一緒に、住職の読経を聞いていた。部下の生家の法要に招かれた上司として、慎み深く、呼吸すら殺しているようだった。
 読経が流れている間中、青木は薪が気になって仕方なかった。叔父の言葉に傷ついているのではないか、いたたまれない思いをしているのではないか。これが原因で、彼が自分との未来に迷いを生じたりしたらどうしよう。
 それもこれも、みんなあの分からず屋の叔父のせいだ。
 薪を傷つける人間は許せない。そんな人間は壊してしまおうと誓った。自分は薪を守るために存在しているのだ、その使命が果たせなくて何が恋人だ。

「一行」
 母親に呼ばれて、我に返った。焼香の段になっていた。喪主の青木が行わないと、始まらないのだ。
 遺影の前に座して改めて、青木は父親に申し訳ないと思った。
 父の供養に来たのに、父のことなど頭に無かった。ごめん父さん、こんなはずじゃなかった、と心の中で言い訳して黙祷してから目を開けると、父は穏やかに微笑んでいた。




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ジャンル : 小説・文学

きみのふるさと(11)

 こんばんはー。

 今年もあと8時間ほどに押し詰まりまして。
 年越しそばとお雑煮と煮物の出汁を煮出す合間に更新しております。 ←今年も最終日までハズレ嫁。

 お昼過ぎに、玄関に飾る正月用の花を買いに出て、やっとメロディゲットしてきました~。
 お節、作り終えたら読みます♪ 


 
 当ブログにお越しのみなさま、今年も大変お世話になりました。
 コメントのレスが年跨ぎになるようなグズグズ管理人ですが(ごめんなさいー!)、どうか来年もゆるーくお付き合いください。


 では、 みなさま、よいお年を!




きみのふるさと(11) 





 
 法事は1時間ほどで終了し、住職を寺まで送らなくてはいけなくなった。が、今度は青木は薪を置いていく気にはなれなかった。母と姉だけならともかく、あの叔父がいるのだ。どんな暴言を吐かれるか、分かったものではない。
「薪さん、一緒に乗ってください」
 法事の間は何かと邪魔になる赤ん坊を抱いて、庭を歩いていた薪を見つけて、青木は声を掛けた。草太は法事の終わり頃に目を覚まし、住職が最後の説法を説く間、薪が気を利かせて外に連れ出してくれた。すっかり懐かれてしまったらしく、草太はご機嫌で薪の腕に抱かれていた。赤ん坊とは言え、ちょっと羨ましい。

「退屈なさったでしょう。何もないところですけど、お寺からの帰りに、オレが昔通ってた小学校とか友だちと遊んだ公園とか、案内しますよ」
「いや、でも」
 草太くんが、と言いかけた薪の手から、ひょいと自分の息子を取り上げて、「行ってらっしゃい」と姉の和歌子が微笑んだ。
「叔父さんは、その間に帰しておくから」
「姉さん、ありがとう」
 さすが姉、青木の気持ちを解っている。

 住職と三人、寺までは車で20分の距離だ。ここからもう少し先に進んだ所に、叔父の家がある。あの叔父は、青木の家から一番近い距離に住んでいる親戚で、そのせいか、何くれと世話を焼きたがるのだ。
 寺の境内で住職に礼を言い、青木は薪と共に車に戻った。助手席に座った薪は、ドアが閉まるや否や、厳しい声で青木を叱った。
「叔父さんに、あんな態度を取るべきじゃない」
 でも、と青木は思わず言葉を返した。薪はぎろりと青木を睨みつけ、反論を許さない。それは職場で見せる絶対君主たる薪の瞳で、青木はこの瞳を前にすると恐ろしさで身体が竦んでしまう。黙らざるを得なくなって、車のエンジンを掛けた。
 車が走り出すと、薪は前方に顔を向けた。ハンドルを操りながらそっと伺えば、つんと澄ましたいつものきれいな顔。年長者に対する青木の無礼を怒っているのではなく、叔父との関係を心配してくれているのだと解った。

「あの叔父さんが、『近くにいる親戚』なんだろ。だったら大事にしなきゃ駄目じゃないか。お母さんに何かあったとき、助けてくれるのはあの叔父さんなんだろ」
 何を言われても自分たちはその場限り。いずれは東京へ帰ってしまう。仲違いをして、困るのは残された母親だ。その面倒が見られないのだから、自分達には何も言う権利はない。
「はい」
 薪の言葉に、青木は深く頷いた。叔父に青木の結婚を強要されて、薪は傷ついたに違いないのに、彼が心を砕くのは他人のことばかりだ。薪はいつだって己の傷には無頓着で、だから自分が彼を守らなくてはいけないのだと、青木は改めて思う。

 それからしばらく車を走らせて、昔通っていた小学校へと赴いた。日曜日の学校の門は当然閉まっていて、青木は、あの頃は高く見えたはずのフェンスを軽く跨ぎ超える。手を貸そうとして振り返ると、薪が不安そうな瞳で、
「無断で入って大丈夫なのか?」
「平気ですよ。オレたち、警官じゃないですか」
「余計マズイだろ」
「大丈夫です。近所の子供の遊び場にもなってますから。ほら」
 青木の言葉どおり、運動場の一角を使用してサッカーをしている子供たちがいた。隅に置いてある砂場や鉄棒では、低学年の学童と思われる子供たちが保護者と一緒に来ていた。この辺りは子供が遊べるような場所が少ないから、こうして休日はグラウンドを開放している。だから通用門は開いていたのだが、駐車場からは遠いので、つい面倒で柵を超えてしまったのだ。それともう一つ。
「それを先に言えよ」
 心配するだろうが、と不満げに眉を吊り上げる、そんな元気な薪が見たくて。こっちに来てからというもの、薪はずっと何かに遠慮しているみたいだったから。

 校舎に近付くと、昇降口の両脇に植えられた花壇の手入れをしている人物がいた。髪が一本残らず真っ白で、かなりの高齢と見受けられる。青木はその人物に近付き、親しげに声を掛けた。
「こんにちは、鶴田さん」
「おお、青木さんとこの行ちゃんか。いやあ、大きくなった、あ、いや、あんたはここに居た時分から、おれよりも大きかったな」
 言葉の通り、老人は薪よりも一回り小さかった。が、よく日に焼けており、力仕事に馴染んだその手は朴訥で、とても温かそうだった。

「おや、そちらの別嬪さんは」
「東京でお世話になってる方です」
「へえ。行ちゃんも、そういう年か。おれも年を取るわけだ」
 コートのような体型の分かり難い衣服に身を包むと、薪は5割の確率で女性に間違えられる。今日のように仕事が絡まないと、恐ろしいことにその確率は9割を超える。気が緩んでいるせいか、眼と眉がやさしくなるからだ。
 用務員の誤解は敢えて解かず、青木は曖昧に笑った。ここで薪の性別について逐一説明するのは、薪の機嫌を損ねる危険を招く。

「通用口を開けておいたから。入ったら、内鍵回しといて」
 ありがとうございます、と礼を言い、薪を伴って校舎の中に入った。何のことはない、昨日のうちに電話を一本、入れておいたのだ。用務員の彼はこの近くに住んでおり、児童に邪魔をされない休日は、こうして庭の手入れをしている。その習慣は20年以上、変わっていない。青木とは旧知の間柄だったし、警察官と言う肩書も役に立った。おかげで見学の許可が下りたというわけだ。

「天井が低いな」
 暖房の入っていない学校の廊下で、薪は寒そうにカシミアのコートの前をかき寄せながら、ついと上を見上げて呟いた。薪ですらそう思うのだ、背の高い青木は天井の蛍光灯に頭をぶつけそうだ。
「あの頃は大きく見えたんですけどねえ。教室も狭いし、黒板も、今見ると小さいですね。メインスクリーンを見慣れちゃってるから」
 手前の教室の入り口を、ドアかまちに頭を打ちつけないよう背中を丸めて潜り、青木は懐かしそうに言った。小さな机と椅子に囲まれて立っていると、小人の国に紛れ込んだガリバーの気分だ。
「こんな小さな机、どうやって使ってたんだか」
 田舎の古びた学校が珍しいのか、薪は興味深げに、教室の後ろに展示された生徒たちの画や掲示物を見ていたが、そのうち青木と同じように低い机に手を伸ばした。
「駄目だ、思い浮かばない。僕は、大きいおまえしか知らないから。僕より背の低いおまえなんて想像も付かない」
「オレもです。薪さんが自分よりも大きいの、想像できません。だいたい、オレが薪さんくらいの身長になったのって、たしか小学校4年生くらい、痛っ!」
 地雷だったらしい。

「……ぷくくっ」
 青木が蹴られた向う脛を擦っていると、薪が急に噴き出した。
「その身長でランドセル?」
「いえ、5年生の時には170を超えちゃったんで、学校から許可を貰ってショルダーバックを」
「ああ、そうなんだ」
 納得した風に頷きながらも、薪は笑いを抑えた口の中で、190でランドセルはキツイだの半ズボンはイタイだの、自分の幼少期の姿が彼の頭の中でどんなことになっているのか、青木は恐ろしくなってきた。

「何を想像してるのか敢えて聞きませんけど。オレだって昔は、けっこう可愛い子供でしたよ」
「本当に?」
「家に帰ればアルバムがありますから、ご自分の眼で確かめてください」
 青木が提案すると、薪は興味津々という態で瞳を輝かせた。今日の昼には東京に帰ると青木に言った彼は、姉に草太の遊び相手を押し付けられるうちに、帰ると言い出せなくなってしまった。薪には迷惑だったかもしれないが、青木にはラッキーな展開だった。もしかしたら姉の行動は図々しさを装った作戦だったのかもしれない、との考えが青木の頭を過るが、あの姉がそんな深謀遠慮を図るとも思えない。単純に、子守が欲しかっただけだ。

「薪さんは、さぞ可愛い小学生だったでしょうね」
 今でもめちゃくちゃ可愛いですけど、とこれは心の中に留めて、でないとまた殴られる。
「子供の頃は、みんなそれなりに可愛かっただろうさ。岡部だって」
 そう言いかけて、薪はまたもや笑い出した。ツボったらしい。
「ですよね。脇田課長なんかも、さぞや愛くるしいお子さんだったと」
「無論。それはそれは天使のような」
 顔を見合わせて、二人で笑った。東西の鬼瓦2人、今頃そろってクシャミをしているに違いない。

「真美さんも可愛かったんだろうな。今でもかなりイイセンいってるけど。あの胸はD、いや、Eはあると見た」
 昨日会ったばかりの青木の幼馴染の、それも胸の話を始める薪は哀しいくらいにオヤジ体質だ。女の魅力は胸にあると断言して憚らない。薪が、さる女優の水着写真集を自作している理由も結局は彼女のバストにあるのだ。性転換はせずとも、豊胸手術だけは受けてみようかと青木は本気で考えている。

「いや、今でこそ女らしい体型になってますけど、真美は小さい頃は男の子みたいで。この辺りの子供は小学校に上がるとき、役所からランドセルが贈られるんですけど。真美の所には黒いランドセルが届いたんですよ」
 ヤキモチもあって、青木は幼馴染の恥を薪に暴露した。薪はクスクス笑ったが、何を思ったか唐突に、
「彼女、おまえのこと好きなんだな」
 はあ? と青木が間の抜けた声を出すと、薪はゆるゆると首を振り、子供が描いた意味のない机の落書きを指でなぞりながら、
「いくら隣だからって親切すぎる。彼女の親切は、おまえを想っての事だろ」
「ぷ。何を誤解してるんですか。真美は一昨年、結婚してますよ」
「えっ、そうなのか? 僕はてっきり」
 隣家の家庭環境を話すと、薪はとても不思議そうな貌をした。
 薪は都会の人間だから、何かあれば家に入って手伝いをする田舎の風習が分からないのだろう。隣の家が留守で、急な雨に洗濯物が濡れていれば取り込んでおいてやる、それくらいは当たり前。隣だからという理由だけで、季節の果物が手に入ればお裾分けをし、お返しにと畑で採れた野菜を貰う。それが日常なのだ。

「でも彼女」
 言いかけて、薪は口を噤んだ。納得できない様子で、それがこの辺では普通だと青木に説明されれば部外者の自分は黙るしかない、だけど。
「百歩譲って、初恋の人ってとこか」
 幼稚園で隣だったミキちゃんに同性の恋人ができてたら僕だってショックだ、と青木には意味の解らないことを口中で呟いて、薪は何かを吹っ切るように勢いよく踵を返した。Aラインのコートの裾がふわりと広がって、本当に何をしても絵になる人だ。

「薪さんの初恋は?」
「忘れた。おまえは?」
 自分のことは忘れたと言いながら、青木には訊いてくる。しかし青木は、こういう薪の身勝手にはすっかり慣れてしまって、それを片手落ちとも思わない。
「小学校の音楽の先生です」
「昔から年上好みだったんだな」
「そうです。だから真美のことは、妹みたいにしか思えなくて……いや、弟だったかな」
 悪気なく彼女の初恋と性別を否定して、青木は屈託なく笑った。一緒になってクスクス笑う、薪の誤解は解けたのかどうか青木には不明だったが、取るに足らないことだ。遠く離れた実家の隣家の幼馴染なんて、それ以上でもそれ以下でもない。

 それからしばらく自由に校内を回っていると、大きな音でサイレンが響き渡った。
「な、なんだ?!」
 都会育ちの薪には馴染みのない突然のサイレンは、少なからず彼を驚かせたらしい。たまたま理科室に居たこともあって、薪は思わずグロテスクな人体模型に取り縋った。笑える。
「お昼の合図ですよ。ここは役場に近いから、よく聞こえるんです」
「なんだ、人騒がせな。空襲警報かと思った」
「ぷっ。薪さんて、いつの時代の人なんですか」
「おまえよりは、ずっと昔から生きてるぞ」
 そろそろ出ましょうか、と薪を促して出口へと足を向ける。「これ、持って行っちゃダメかな」と名残惜しそうに人体模型を見上げるのは、すみません、どこまで本気ですか。

 入ってきた通用口から校庭に出ると、サッカーをしていた子供も鉄棒で遊んでいた親子連れも、いなくなっていた。「誰もいない」と呟く薪に青木が、「お昼だから家に帰ったんでしょ」と当たり前の答えを返すと、薪はふっと遠い目になって、
「帰れる家があるのって、幸せなことだよな」
 薪の本当の両親は幼い頃に自動車事故で亡くなって、彼は叔母に当たる人物に育ててもらったと聞いた。頭の良い子供だったから、その分気苦労も多かったのだろう。早く帰りたくても帰れない、あるいはその逆、どちらにせよ自分の都合を優先させることができなかったのだろうと考えて、青木は薪の現在の我が儘を全部許してあげたくなる。

「オレたちも帰りましょ」
 用務員のところに顔を出して挨拶をし、青木と薪は帰途に就いた。道すがら青木が空腹を訴えると、薪は思い出したように、
「昨夜のカレー、まだ残ってたよな。美味かったな、お姉さんのカレー」
「そうですか? オレは薪さんが作った骨付きチキンのカレーが一番おいしいと思いますけど」
「分かった分かった。今度な」
 コートのポケットに両手を入れて都会の速さで校庭を歩く薪は、休日を田舎で過ごす芸能人のようだ。郷里の人間とは、肌の色も纏っている空気も違う。
 青木は都会への憧憬は強くないが、薪の美しさには憧れる。自分がそんな風になりたいとは思わなくとも、愛でたい、傍に置きたい、という気分にさせられる。勿論、薪はお飾り人形になっているような性格はしていないから、青木の方がどこまでもついていく形になるのだが。また、そうでなかったら飽きが来たかもしれない。薪の美貌は完璧すぎるのだ。

 用務員の鶴田は、完全に薪のことを女性だと思い込んでいるから、「青木家の長男が美人の嫁さんを連れて帰ってきた」という噂が真しやかに囁かれるようになるかもしれない。そうなったら母は、それになんと答えるのだろう。
 自分がここを去った後の母の身上を案じて、青木は少しだけ物憂い気分になった。




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きみのふるさと(12)

 こんにちはっ!

 年末年始にかけて、たくさんの方のご来訪、及びコメントと拍手をありがとうございました!
 お返事遅れててすみません。 お正月ってついだらだらしちゃ、あ、いえ、色々忙しかったんですよ、ガキの使い笑ってはいけない6時間スペシャルのビデオをオットと一緒に見たりとか、しづ、OUT! ←こんなん見てる人、秘密コミュにいる? 
 すみません、だらだらしてました。
 人としてOUTですみません。

 コメントのお返事もしたいし、お友だちのブロガーさんのところへ新年のご挨拶にも行きたいのですけど、休みの日のわたしは基本的にオットに独占されてるので、時間的に余裕が無くて~~、
「警視庁24時」の4時間スペシャルのビデオをオットが見ている間に更新してます。

 7日から平常運転に戻りますので、それまでどうかお待ちください。
 お待ちの間にお話の続き、よろしかったらどうぞ。(^^
  
 





きみのふるさと(12)






 青木が家に帰ってショックだったのは、昼食の用意ができていなかったこと。そして、もっとショックだったのは叔父が未だ居座っていたことだ。
 姉さん、と恨みがましい目つきで姉を見ると、さすがの姉もこの叔父ばかりは手に余ったようで、
「あんたが帰ってくるまで帰らないって言い張って」と叔父の主張をそのまま伝えた。匙を投げた、という感じだった。

「おう一行、帰ったか。ちょっと此処ば座れ」
 目ざとく甥の姿を見付けて呼びつける。叔父の態度は相変わらず横柄だ。空腹感も手伝って、青木は不快な気分になったが、さっき薪に言われたことを思い出して「はい」と返事をした。
 叔父の隣には母親がいて、困惑した眼をして青木を見た。ずっと叔父の話を聞かされていたのか、疲れたような表情だった。

「それでな、この女性なんやが」
 叔父がおもむろに取り出したのは、着物姿で映っている女性の写真。立派な装丁の、所謂見合い写真というやつだ。叔父はその写真を指で示しながら、年は28で丁度いい、中学校の先生をしていて料理が得意だそうだ、などと、彼女のセールストークを始めた。
 しかし、叔父の押し出すセールスポイントはまったくもって青木の食指を動かさない。青木は基本的に年上が好きだし、美味しい料理は薪に食べさせてもらってる。
「なかなかの美人やろ。こん人ならおまえも気に入ると」
 毎日薪の顔を見ているのだ。美貌で青木を釣るのは相対的に不可能だ。
 薪さん以上に美しい女性を連れてきたら考えてもいいです、と言ってやりたかったが、思い留まった。出来るだけ穏便にこの場をやり過ごそうと、青木は言葉を選んだ。

「すみません、叔父さん。今こっちへ戻ってくるのは無理なんです。さっき、オレの上司も同じ事を言ったでしょう?」
「長男坊が30過ぎても実家に戻らんと、そげな非常識な」
 法事の席に見合い写真を持って来るのは非常識ではないのだろうか。
「警察というところは、厳しい世界なんですよ」
 愛想笑いを浮かべて叔父の相手をするのはひどく疲れるが、薪の心配事を増やすよりはずっといい。ほんの小一時間、自分がこうして我慢すればよいのだ。
 叔父が帰ったら薪さんに甘えさせてもらおう、とモチベーションを上げるためのご褒美の算段までして、青木は顔の筋肉に力を入れた。

 青木が叔父の話し相手になったのを確認して、和歌子は仏間の障子を閉めた。
「薪さん、ごめんなさいね」
 お腹空いたでしょ、と和歌子は台所へ行き、草太を床に下ろして、昨夜のカレーを温め始めた。心地良い母親の腕から離された草太は床を這って薪のところにやってきて、自分を抱き上げるよう態度で示した。天下の警視長も、彼にかかっては単なる下僕だ。
「僕はいいです。先にお客さまに」
 草太を抱き上げながら、薪が昼食を辞退すると、和歌子は笑って、
「冗談。昼食なんか出したら、ますます帰らなくなっちゃうわ。長っ尻なんだから、あの人」
「いつもあんな調子なんですか」
「まあねー。とにかくしつこくって。母さん、ノイローゼになりそうだって言ってたわ」
 和歌子の話を聞いて、薪は強い衝撃を受けた。自分たちのせいで、青木の母親が苦労をしている。これは自分の選択の結果だ、原因は自分にあるのだ。

「すみません。僕のせいですね」
 謝ってもどうにもならないと思ったけれど、謝らずにはいられなかった。自分の気持ちを変えることはできない、青木と別れることはできない、母親を助けることもできない。何一つできない自分の力不足が、泣きたいくらい悔しかった。
「なんで薪さんが謝るの?」
「弟さんが道を誤ったのは僕のせいです。彼は悪くない、僕が」
「なるほどね。あなたがそんなだから、一行があんな態度に出るのね」
 和歌子は謎のような言葉を呟くと、カレー鍋に蓋をして火を止めた。それから、薪の腕に抱かれてご満悦だった草太を取り上げ、有無を言わさずに床に下ろした。「いい子にしててね」と母親の威厳を持って息子に命じると、立ち上がってにこりと笑い、
「ねえ薪さん。ちょっと失礼なこと言っていい?」
「はい」
 ある種の覚悟を決めて、薪は和歌子の言葉を待った。心が折れないよう、腹の底に力を入れる。

「あんたなあ、何かっちゅうと自分のせい自分のせい言うて、被害者ぶるのもええ加減にせんね。わたしの弟、小バカにしちょると?」
 和歌子が突然異国の言葉を喋り始めたので、薪はその言葉がどの国のものか判断するのにコンマ3秒ほどの時間を要した。きょとりと眼を丸くして、長い睫毛を3度ほど瞬き、それが青木家のお国言葉だと理解する。理解して、震え上がった。激したときには人間の本性が露わになると言うが、雪子が怒ったときと同じくらい迫力がある。青木が決して姉に逆らわない理由はこれだったのか。
 彼女のおっとりとした外見からは想像もつかない変貌だったが、考えてみたら当然かもしれない。彼女は九州の女、幼い頃から日本一勇ましい九州男児と対等に渡り合っているのだ。

「恋愛は同等やろ。お互い、同じ責任と幸せ負っちょるもんやろ。なんであんた一人で被ると。どうしてあの子に分けてやらんの」
 僕は、青木を守るとお母さんに約束しました。だからこの責は僕が負うべきもので、一欠けらたりとも彼に背負わせて良いものではないんです。責任を取るのは上の仕事、年長者の僕の仕事です。
 薪はそう返そうとした。しかし。
「一行はわたしの弟ったい。そんくらい背負えんほど、ケツの穴の小さか男じゃなかよ」
 彼女の口調の激しさと独特のイントネーションが、薪の反論を封じた。弟を馬鹿にするなと姉に言われれば、薪に返す言葉はなかった。

 唇を噛んで俯く薪に、和歌子はふっと肩の力を抜き、お国言葉はそのままに、口調だけをやわらかく変えて、
「薪さんのことねえ、わたし、一行から直接聞いたんよ」
「青木が?」
 薪は驚いて眼を瞠り、鸚鵡返しに訊いた。
 てっきり、母親から伝わったのだと思っていた。いくら青木が能天気でも、同性を伴侶にすることを家族に賛同してもらえるなどとは考えまい。隠し通せるものでもないが、できれば隠しておきたかったはず。身内には余計に言い難かろうと、そう思ったから自分の口から姉に打ち明ける決意を固めてきたのだ。そんな薪の覚悟を無駄にして、青木が姉にどんな風に自分とのことを話したのか、聞いて薪は卒倒しそうになった。

『認めてくれなんて言えないけど。薪さんに悲しい思いをさせるくらいなら、オレはこの家と縁を切る』
「お姉さんに向かってそんなことを?! あのバカ」
 咄嗟に、姉の前で弟をバカ呼ばわりしてしまって、慌てて薪は自分の口を塞ぐ。つい、口から出てしまった。だってバカとしか言いようがない。以前、薪は青木に「僕のために親も未来も捨ててみろ」と詰め寄ったことがある。提示されたのは究極の選択、でも青木は呆れるくらいアッサリと薪を選んだ。だけど、それをそのまま身内に言うなんて。それはバカのすることだ。

 ――どうしてそのひとなの?
 と、和歌子は訊いたそうだ。それに対する青木の答えがまた、バカにバカを掛け合わせてバカバカバカバカ……なにがなんだか解らなくなってきた。

『薪さんが笑ってくれると嬉しいんだ。オレが持ってるもの、全部使っても惜しくない』
 ――全部? 命懸けてるとか言いたいの?
『オレ、あの人のために生まれてきたんだ』

 バカをどれだけ乗じたら青木に近付くのか、薪の天才的な頭脳を持ってしても、その答えは出せなかった。脳がスパークして何も考えられない。自然に涙が浮かんだ。
「あれだけキッパリ言われたら、なんも言えんねえ」
 失笑とも苦笑とも付かぬ表情で、和歌子は言った。我が弟ながら呆れたわ、と肩を竦めて見せた。
 すみません、と薪は謝った。それ以外の言葉が見つからなかった。和歌子は、自分といくらも変わらぬ背丈の、俯いた薪の顔を下から覗きこんで、
「一行に、生きる目的を与えてくれてありがとう」

 いいえ、僕の方が。
 僕が彼に救われたんです、僕に未来を与えてくれたのは彼なんです。

 そう言おうとしたが、声にならなかった。込み上げてきた嗚咽を止めるのが精一杯で、口を開いたら泣き出してしまいそうだった。
 ぎゅ、と両手を握って懸命に涙を押し留めていると、ノックもなしに勝手口のドアが開き、青木の幼馴染が顔を出した。
「真美デース。後片付け手伝いに来ましたー」




*****

 私信です。

 Aさま。
 ずっと心配されていた「お姉さんが薪さんを泣かすシーン」、こちらでございます。 この先は安心して読んでください。
 ちなみに次章は、
 薪さんVS真美の第2ラウンドです。 ←安心できるか。
 お楽しみにっ♪


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きみのふるさと(13)

 すみません!!
 1月に入ってからのコメレス、まだ1個もお返しできてなくて。 今日からお返事させていただきますので、どうかもうしばらくお待ちください。 
 更新も、1週間も空いてしまって誠に申し訳ありませんでした。


 レスも更新も放置して何をしていたかと言うとですね、オットと二人だけの世界に浸っておりました。
 1月8日の夜から。
 二人とも、熱に浮かされたように、ええ、本当に二人っきりで部屋にこもりきりで。

 カンのいい方はお分かりですね?


 はい、正解です。
 インフルエンザで隔離されてましたー(^^;

 いやー、参りましたー、二人で同時発症ですよー。 お義母さんに伝染ったら大変なんで、なるべく部屋から出ないようにしてたんですけど。
 なかなか熱が下がらなくてねー、普通の風邪なら気力で治すんですけど、さすがインフルっすね。 熱が下がったと思ってちょっと動くと、またすぐに上がってくるんですよね。 医者の言うことは正しいわ。←当たり前。
 

 みなさんもインフル、気を付けてくださいねっ!
 外から帰ったら必ず手洗いとうがい、面倒がらずに実行してくださいね!



 ではでは、お話の続きです。

 
  




きみのふるさと(13)





「真美デース。後片付け手伝いに来ましたー」

 本当に手が必要なときに現れてくれる、頼りになるお隣さんだ。彼女の親切が押し付けにならないのは、この土地柄と、彼女の明るいキャラクターのおかげだ。昨日、薪は彼女に厳しいことを言われたけれど、それは純粋に彼女が青木家のことを心配しているからこそ出た苦言で……。
「あら、和歌ちゃん。早速嫁イビリ?」
 この女、やっぱりキライだっ。

 薪が引き攣った顔で真美を睨むと、真美はひょいと台所に上がり、「久しぶり、元気だった?」などと言いながら和歌子の傍に寄って来た。和歌子は年長者の余裕でそれに応え、にこやかに笑いながらも小さな棘の含まれた言い回しで、彼女に牽制球を放った。
「薪さんの様子がおかしいから予想はしてたけど。やっぱり真美ちゃんにはバレちゃったのね。あなた昔っから、一行の恋の相手には敏感だったものね」
「あたし、鼻が利くの。べつに行ちゃんだけじゃないわ」
「ま、そういうことにしておきましょ」
 自分よりも若干小さい真美を睥睨し、顎を上げる。やっぱりこの人には逆らわないほうがよさそうだ、と薪は思った。

「そういうことも何も、本当だもん。ところで、草太くんは?」
「草太ならここに、あらっ?」
 てっきり床で大人しくしていると思っていた息子は、いつの間にか消えていた。
「いやだ、どこ行っちゃったのかしら。いい子にしててって言ったのに。ちょっと探してくるわ」
 和歌子は慌てて台所を出て行き、ダイニングテーブルの前には薪と真美だけが残された。気まずい空気が流れる。昨日、あんな会話を交わしたばかりだ。真美も、薪の顔など見たくないに違いない。

「和歌ちゃんが嫁イビリに夢中になってる隙に、逃げちゃったのね。赤ちゃんだもの、じっとしてないわよね」
「その言い方、止めてもらえますか」
 捜査会議で反対意見を封じ込めるときの厳しい口調で、薪は言い放った。青木家の人間にしてみれば、薪の存在は他人に触れられたくないことのはずだ。それを考えなしに口にする、彼女の無神経さが許せなかった。
「いいじゃない。行ちゃんのお嫁さんなんでしょう?」
「少しは考えてください。あなたの不用意な発言が、この家の人たちを窮地に追いやることに」
「他人に言うわけないでしょ、こんなこと」
 嘲笑うように言われて、薪の神経が室長モードに切り替わった。平たく言うと、キレた、ということだ。

「まあ、あなたのやり切れ無い気持ちも解りますよ。僕だって、初恋の人が同性の恋人を連れて帰ってきたら、それなりにショックを受けると思います。ましてや、肝心の彼が」
 周囲の空気を凍てつかせながら横柄に腕を組み、せせら笑う口調で挑発し、薪は見下した眼で真美を見た。
 一度目は不覚を取ったが、今度はそうは行かない。売られたケンカは借金してでも買うのが薪のポリシーだし、やられたことは倍にして返すのが第九の社訓だ。こちらは毎日、生き馬の目を抜く勢いのマスコミ相手に答弁をしているのだ。田舎娘なんかに口で負けてたまるか。
「青木の方がだいぶ年下ですし、住んでる家も僕の名義です。稼ぎも僕の方が断然良い。あなたがどうしても僕たちの関係を夫と妻の立場に準えたいなら、妻になるのは青木のほうですからね。ご心痛、お察しします」

 捲くし立てられて、真美はぽかんと口を開けたまま固まった。
 泣き出されたら厄介だと、多少の不安はあったものの、自分は絶対に退くべきではないと薪は思った。青木の母と姉が薪の立場を認めてくれる以上、卑屈になったら彼女たちに申し訳が立たない。
 何より、青木の覚悟に報いるために。臆病な自分に負けたくなかった。

 やがて真美は自分を取り戻し、怒るでもなく泣くでもなく、何かに会得したときのように両手を胸の前で合わせた。
「行ちゃんて、昔から気の強い年上のひとが好きだったのよね。人間の好みって、びっくりするくらい変わらないのね」
 それから、少しだけ寂しそうに、
「あたし、もうちょっと早く生まれてきたかったな」
 俯き加減の彼女の睫毛は微かに震えていて、薪は些少の罪悪感を味わった。正当性とは関係なく、女の子に悲しい思いをさせるのは気分が悪い。薪は男で、男は女性を守るものだと父親に教えられて大きくなった。幼少期の刷り込みは、そう簡単には消えないのだ。

「昨日は、酷いこと言ってごめんなさい」
 真っ直ぐでつやつやした黒髪を下方に垂らして、真美は薪に頭を下げた。すらっと言葉が出てきたのは、もしかすると彼女が、今日は最初から薪に謝るつもりでここを訪れたことの証拠かもしれなかった。
「あたし、結婚失敗したなあって思ってて。うちの旦那ね、結婚する前はあんなに優しかったのに、結婚して半年もしないで女作ってさ。それから2年の間に4人よ、4人。もう、やんなっちゃった」
 真美が既婚者であるという事実は、薪の自己正当性を強くした一因だったが、結婚生活が幸せなものであるとは限らない。薪自身、青木が他所の女との間に子供をもうけたと誤解して、足元が消えてなくなるような崩落感を味わったばかりだ。でも。

 あの時、薪は青木がこれまでに自分にしてくれた数々のこと、今現在してくれていることを思い起こした。結果、一つの結論に達した。
 彼が何処で誰と何をしていても。彼が一番愛しているのはこの僕だ。

 青木がどんなに薪のことを大切にしてくれたか、薪のためにどれだけの努力をしたか、数え上げたらキリがない。それは昔から連綿と続いており、現在も絶えることはない。なのに、どうやって彼の愛情を疑えと言うのか。
 青木も普通の男だ。欲求もあるし気分の浮き沈みもある。何かのはずみでちょっと揺らいだだけのこと、たったそれだけのことで彼がくれたものすべてを否定するなんて、薪にはできない。今現在ここにはいない彼の、でも確かに感じる愛情を、認めずにはいられない。
 しかし、真美には夫のそれを感じることができないのだ。実際に受け取っていないのかもしれないし、彼女が気付かないだけかもしれない。部外者の薪に言えることはないが、彼女の辛い気持ちだけはよく分かった。

「行ちゃんは昔から背が高くてカッコよくて優しくて、この辺の女の子、みんな行ちゃんが好きだったの。でも行ちゃんは、女の子の中ではあたしと一番仲が良くて。あたし、それが自慢だった」
 そんなにモテてたのか、と薪は昔の青木に嫉妬したが、男の価値は成人してから決まるんだ、今は僕の方が上だ、と自分を慰めた。これは男のプライドの問題で、彼に対する恋愛感情とは関係ない。薪が女性なら、モテ男を手に入れたことに優越感を抱くかもしれないが、男同士ではそうもいかない。
「昔の行ちゃんは、みんなに優しかったの。気配り上手でね、皆に平等に眼を配ってた」
 真美が語る青木少年の姿は、薪にも簡単に想像がついた。青木は今でも気配り上手だ。それが興を奏して先輩からも可愛がられているし、友人も多い。
「でも、今の行ちゃんは違う。あなたの事しか見てないし、あなたのことだけ気に掛けてる。他の人はどうでもいいみたい」
 そんなことは、と薪は言いかけて、でも思い留まった。昔の青木を知らない自分が、彼の変化について論じる資格はない。
「だから僻んじゃった」
 前に縛ったエプロンの紐を弄りながら、真美は照れ臭そうに言った。
「あんなこと、本気で言ったんじゃないの。ごめんなさい」
 うん、と薪は頷いた。素直に謝ってこられれば、快く受け入れてやる。薪はもともと女性には寛容なのだ。

「男の眼を自分に向けるのなんて、簡単だ。自分は彼だけのものじゃない、と危機感を抱かせればいい」
 男性の立場から、薪は真美にアドバイスした。と言っても、恋愛経験の少ない薪にそんな気の利いたことが言えるわけがない。実は、昔の親友からの受け売りだ。彼の口調と仕草を真似て、薪は真美の肩に手を置き、首を傾けて彼女の顔を覗き込んだ。
「大丈夫。君はそんなに可愛いんだから」
 そして薪は、かつての親友のその言葉と仕草が、自分に恋愛相談をしてきた女の子を落とすための手管だったことを知らない。
 思わず顔を赤らめる真美を、可愛いと薪は思った。彼女の旦那は女を見る眼がない。いや、失ってしまったというべきか。

「ありがと。薪さん、ひとつ聞いていい?」
 なに? と微笑んで、薪は彼女の言葉を待った。
「年、いくつなの? てっきりわたしより年下だと思ってたんだけど」
 待たんかい、こら。
 真美は青木より5つ年下、ということは薪より17歳も下ということだ。それで年下ってどういうことだ!!

「だから余計に腹立っちゃったのよね。年下はダメとか言ったくせに、って」
「僕は警視長だって言ったでしょう。青木は警視ですよ」
「警察の階級なんか分かんないもん」
 当然かもしれない。一般人が知っている階級といえば、テレビによく出てくる巡査、警部、警視、この3つくらいだ。警視正や警視長ともなると現場には出ないから、視聴者が喜ぶドラマが作れない。だから認知度が低いのだ。

 薪が自分の本当の年を教えてやると、真美は息を飲んで、
「うそぉ! 美魔女ってやつ? あ、男の人だから美魔男?」
 薪は激しく舌打ちし、やっぱりこの娘は苦手だ、と思った。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

きみのふるさと(14)

 こんにちは。

 澤村さんちの家政婦さんはミタさんだそうで。
 …………。
「ぼくの両親を焼き殺した犯人捕まえて」「かしこまりました」で、一挙解決じゃね? ←100人中99人が考え付きそうなネタ、特にこたさんあたりが絶対に考えてそうなネタですみません。

 


 私信です。

 Sさま。
 この章、草太くんがヒーローです。 お楽しみいただけると嬉しいですー。




きみのふるさと(14)




 青木の叔父が来ていることを真美に話すと、真美は薪に、仏様にお供えしたお膳を下げてきて欲しいと頼んだ。親戚同士の話の席に入っていくなら同じ他人でも青木家に出入りを許されている隣家の真美の方が適任ではないかと薪が返すと、真美はブンブンと首を振って、
「今の旦那とは、あのおじさんの紹介で結婚したの。顔を合わせたら上手く行ってるかどうか訊かれるでしょう。おばさんたちの前で恨み言も言えないし、嘘も吐きたくないから」
 どうやらあの叔父は、他人の結婚を世話するのが趣味というお節介な人種らしい。何でも仲人100組を目指して、地元の若者に声を掛けているそうだ。懸命に青木を口説いているのも兄の遺言というよりは、自分の目標に近付きたい気持ちの方が強そうだ。
 そういう事情なら、と薪は快く真美の頼みを引き受け、仏間へと向かった。廊下に立つと、障子を通して中の話し声が聞こえた。繰り返し、長男の役目と結婚と子孫を残すことの大切さを説く叔父の声と、大人には意味を為さない子供の声。どうやら草太はここに紛れ込んでいるらしい。

「失礼します」
 料亭で賓客をもてなすときの要領で、薪は廊下に膝をつき、声を掛けてから障子を開けた。中では青木母子が疲れた顔をして、叔父の相手をしていた。部屋にはアルコールと煙草の匂いが充満し、見れば、叔父の前にビールのコップと灰皿に山と盛られた吸殻があった。酒はともかく、子供のいる家で煙草は非常識だと薪は思い、でも部外者の自分に口を出す権利は無いと飲み込んだ。草太は青木の母親の膝の上で遊んでいたが、和歌子の姿は見えなかった。他の部屋を探しているのだろう。この家は部屋数も結構あるから、かくれんぼには最適かもしれない。

「こちら、下げますね」
 薪が、今朝供えた膳を仏壇から持っていこうとすると、母親が慌てて、
「あら薪さん、結構ですのよ、わたしがやりますから。お部屋で休んでらして」
「これくらいは手伝います。泊めていただいたんですから」
「そんな、薪さんには沢山お手伝いいただいたのに。もう、和歌子は何をしてるのかしら。草太もここにいるし」
 とにかくこれはわたしが、と母親は薪からお膳を取り上げ、台所へ運んで行った。薪の腕は空っぽになったが、それを狙っていた者がいた。先刻まで母親の膝で遊んでいた草太だ。
 彼はバタバタと畳の上を這ってくると、薪のズボンを掴んで甘えたような声を出した。一度遊んでやった人間のことは忘れないところは子犬に似ている。薪は苦笑して、彼の小さな身体を抱き上げた。
 草太を抱いた薪に、青木が申し訳なさそうな視線を送ってくる。ほったらかしにしてごめんなさいと、何も謝ることはない、叔父に礼儀正しくしろと命令したのは薪だ。青木はちゃんと薪の言うことを聞いて、一生懸命にやっている。褒めてやりたいくらいだ。

「丁度よか、あなたからもお願いしますよ、室長さん。こいつはのらりくらりとわしの言う事ば聞き流してから真面目になんか聞きやせん。ばってん、あなたのこつば大層尊敬しよる言うちょります。せやけん、あなたの一言言うてくだされば」
「叔父さん。薪さんは関係ないでしょう」
「せからしか。元はと言えばおまえが……あ、いや、あなたも未婚でしたな。まったく嘆かわしい。こぎゃんこつなら一行を警察なんかにやるんやなかったわい。兄も最後まで反対しとったとですよ。しかも第九やなんて」
 叔父さん、と彼を止める青木の声が気色ばむ。先刻までとは違った青木の不穏当な雰囲気に薪は悪い予感に襲われ、でも肝心の叔父は青木の変化に気付かない。

「父は認めてくれました。臨終間際、オレに『仕事がんばれ』って。オレはあれを父の遺言だと思って、この仕事に一生を捧げようと」
「生意気なこつば言うな! 人間の脳みそなんて気色の悪かもんばかり見とるけん、いくつになってもまともな人間になれんのじゃ」
「叔父さん、それは取り消してください。オレは自分の仕事には誇りを持ってますし、薪さんだって第九室長としての功績が認められたからこそ、この若さで警視長なんですよ」
 自分のことなら何を言われても我慢できるが、話が薪のことに及ぶと青木は理性を失う。それは青木にとって当たり前のこと、だって彼は薪のために生まれてきたのだと、自分を定義しているのだから。

 今まで大人しく話を聞いていた甥が急に刃向かってきたのがカンに障ったのか、叔父は不機嫌な顔つきになった。丸い腹を揺すって立ち上がり、薪の方へのっそりと近寄ってくると、不躾にも気安く肩に手を掛けた。
「室長だか警視長だか知らんが、40過ぎて結婚ばしとらん男のどこの偉いんか。失礼やけど、身体に欠陥でも?」
 草太を抱いているから、叔父の手を振り払うこともできない。薪は身を引いて彼から離れようとしたが、彼の太い指は薪の腕をがっちり掴んで放してくれなかった。
「細か腕やなあ。これや女子の一人も」
 逆に引き寄せられる形になって、相手の息が薪の顔に掛かった。アルコールとタバコの匂いが混ざったその呼気は不快で、気分が悪くなったのは薪ばかりではない。彼と薪の間で窮屈な思いをしている草太もだ。未だしがらみというものに囚われていない彼は、怒りを顕わにして叫んだ。

「だー!」
 彼の逆襲は、薪を叔父の手から守ろうとした青木の動きよりも早かった。紅葉のような手がぎゅっと閉じられ、なんの間違いか、その中に握りこまれたのは叔父の前髪のひと房。生後7ヶ月のあどけない勇者の腕が、迷いなく振り下ろされる。
「あっ」
 シン、と部屋が静まり返った。七三分けの黒髪に慎ましく隠されていた叔父の頭皮は寺の住職よりも見事な光沢を持っており、蛍光灯の白色照明に光ること光ること。

「そ、草太くん。ちょっとそれ、叔父さんに返しなさい」
 薪は青くなって子供を叱ったが、草太はなぜか得意げだ。甥の様子に青木は、昨夜、彼に自分の髪を引っ張られたことを思い出した。
「ああ、なるほど。子供ですからねえ、素直に覚えちゃったんですね」
 青木が呟くと、カンの良い薪は直ぐに事情を察し、
「もしかして、昨夜のアレか」と以心伝心振りを披露した。
「薪さんに褒められたのが嬉しかったんでしょうね」
「ちょっと待て。それじゃまるで僕が仕込んだみたいじゃないか」
「さすが『推理の神さま』。深謀遠慮は人智を超えてますね」
「それは神さま違いだと思うぞ?」
 草太は小さな手でブンブンと獲物を振り回し、勢い余ってすっぽ抜けたカツラが飛んで行った先は持ち主が山にした吸殻の上。艶やかな黒髪はタバコの灰にまみれて、見るも無残な有様だ。ぐうう、とくぐもった声を上げる叔父が、ほんの少し可哀想になってくる。

「あらまあ。オホホホホ!」
 薪と青木が必死で叔父を見ないように目を泳がせる中、高らかに笑い声を上げたのは、台所から帰ってきた彼の義姉だった。この状況を笑い飛ばせるなんて、九州の女性には一生逆らうまいと薪は思った。
「俊幸さん、その方がオトコマエよ」
 嫌味十割の褒め言葉を放って、母親は座卓の上の髪の毛を取り上げた。煙草の灰を畳に落さないように注意深く払い、ぽんと叔父に手渡して、
「はい。ちょっと汚れちゃったけど」

 引っ手繰るように掴みかかった叔父の太い手を、母親の細い手がパシリと捕えた。何事かと義姉を見上げる彼に向かって、彼女は張り付いたような笑みを浮かべたまま、
「それから、一行の結婚相手のことですけど。あの子の好きにさせてやってくださいな。青木家の血は和歌子の子供たちが受け継いでくれますし、本家の存続なら俊幸さん、あなたの家が受け継げばよろしいのじゃなくて? あなたには立派な息子が3人もいらっしゃるでしょう」
「母さん、オレのことなら」
 引きつった顔で、青木が口を挟む。薪は知らないが、叔父の家の息子は3人とも都会へ出て行ってしまって実家には寄り付かない。帰省率は青木より低いくらいだ。つまり母親のこの台詞は、自分の家の息子すら親元に引き留めておけない人間がいくら兄弟とは言え他家の息子に意見するなと、言い渡したも同然であった。

 青木の嘴は、これからの母の立場を考えてのものだったが、母親は態度を変えなかった。カツラの一方を掴んだまま、息子に良く似た黒い瞳を熱っぽく輝かせ、
「わたしと義兄さんは、そういう考えでおりますのよ。うちのひとも、次男坊で本家を継いだわけだし」
「し、失礼するっ!」
 叔父は赤黒く顔を染め、力任せにカツラを奪い取ると、部屋を出て行った。どすどすと廊下を歩く下品な足音が響き、玄関がピシャリと閉まった。
「これでしばらくは来ないでしょ。ああ、スッキリした」
 躊躇なく快哉を叫んだ母親に、薪と青木は同時に膝が抜ける。必死に耐えてた自分たちがバカみたいだ。

「よくやったわ、草太。いい子ね~」
「お母さん、その教育はちょっと」
 孫の頭をよしよしと撫でる親バカならぬ祖母バカに、薪は軽いツッコミを入れる。いくらなんでもあれはヒドイ。
 他人の薪が同情するのに、義姉の立場の女性はにこやかに笑って、
「ところで薪さん。今日、お帰りになる予定じゃ?」
「あ、いえ」
 朝まではその心算だったが、和歌子との会話と真美との和解で、薪の気持ちは変わっていた。自分の存在が彼女たちの迷惑にならないなら、ここでもう少し親孝行していくべきだ。

「大丈夫です。最初の予定通り、明日帰ります」
「無理しないで。昨夜、和歌子に聞きましたよ」
 やはり、と薪は思った。先刻、台所で和歌子は真美に、『薪さんの様子がおかしかったから』と言った。彼女はあの会話を聞いていて、それで薪の異変に気付いたのだ。
 母親は品の良い浅葱色の着物の袖を前に差し伸べて、薪の腕から自分の孫を抱き取ると、とても優しい微笑をその口元に浮かべて、
「お仕事なんでしょう? 遠慮することはないわ、あなたはもうわたしの息子なんだから」

 彼女の口からその言葉を聞いたとき。薪は猛烈に自分を恥じた。
 青木の母親が自分に対していかに好意的に振舞っても、それは息子に対する愛情から派生するものであって薪個人に向けられたものではない。薪は彼女の言動をずっとそういう風に捉えてきた。だって彼女がお腹を痛めて産んだのは青木で、自分はその大事な彼を奪っていく人間なのだから疎まれるのが当然だとすら思っていた。
 でもちがう。このひとは違うのだ。
 息子の付属物として薪を見ているのではない。薪剛という一人の人間として、新しい息子として認めてくれているのだ。

「子供は親に甘えるものよ」
 母親という存在は、本当に素晴らしいと思った。『人間は子供を産んで一人前』と言われるが、こういうことなのか。自分たちにはそれは望めないけれど、こんな素晴らしいお手本が傍にいるのは幸運だ。彼女から学べるものは計り知れない。そして。
 その彼女が手塩にかけて育てたのが、青木一行と言う男なのだ。自分とは、持って生まれた魂が違うと、何度も思い知らされたけれど。彼女の息子なら、あれで当たり前だ。

「5時の飛行機で帰るよ。ここを出るのは3時で大丈夫だから、灯篭と笹はオレが片付けていくよ」
「青木、僕は」
 薪が口を挟むと、青木はこそっと薪に耳打ちした。
「すみません、薪さん。オレの方が我慢できません。せっかくの連休、一日くらいは二人きりで過ごしたいです」
 青木の子供っぽいワガママに呆れた薪が、一瞬の脱力のあと口を開こうとしたとき、障子がガラッと開いた。

「あ、草太! ここにいたの? もー、家中探しちゃったわよー!」
 祖母の手に抱かれていた子供は、母親の姿を見ると嬉しそうに手を伸ばした。母から娘の手に移って行く彼の姿は、命そのものが伝達されていくようで。薪は、どうして人が赤ん坊を愛おしく思うのか、やっと分かった気がした。
「おじさん帰ったみたいだからあたしも手伝いに、きゃー、草太くん! 大きくなったわね」
 続いて真美も入って来て、仏間は一気に騒がしくなった。どうして女は群れると騒がしくなるのだろう。単体だとそうでもないのに、不思議な生き物だ。

「もう七ヵ月だもの」
「和歌ちゃん、抱かせて抱かせて」
「はい、どうぞ」
「すごく可愛いー! あ痛、ちょっと草太くん、髪の毛引っ張らないで」
「あら、ごめんなさい。草太ったら、いつの間にそんなオイタ覚えたの?」
 姉の困り顔に、薪と青木は素知らぬ振りで明後日の方を向く。本当のことがバレて、この三人にいっぺんに責められたら、薪は男の尊厳を保てる自信がない。

「今ね、草太が俊幸さんのカツラを取って放り投げたのよ。もう母さん、おかしくって。お腹の皮がよじれるかと思ったわー」
「え、そんなことしたの!?」
 自分の息子がしでかした不始末に和歌子はたいそう驚き、大きな声を上げた。被害に遭った彼とは親類関係、この先の付き合いを思うと頭が痛いだろう。

「えー、見たかったなー。なんでそのとき呼んでくれないのよー」
 お姉さん……それは彼の姪としても人としてもどうかと。
「行ちゃん、ビデオ録ってないの? 薪さんも?」
 真美さん、あの状況でカメラ回せる勇気のある人間がこの世にいると思われますか?
「「「なによ、男が二人も揃って情けない」」」
 すみません、男という生き物は、特にその件に関しては、あなた方ほど残酷になれないんです。明日は我が身ですから。

「そりゃあ見事に光ってたわよー。後光が差してるみたいだったわー」
「あははは! おばさんたらー、でも想像付くー。あのおじさん、脂ぎってるもんねー」
「今度、俊幸叔父さんに会う時はサングラス掛けてくわー」
「きゃははは、和歌ちゃん、ひどーい」
「次の法事の時には、俊幸さんにお経上げてもらおうかしら」
「あははー、それいいー」
 もうやめて、許してあげて、と心の中で叫びながら、薪は静かに後ずさった。こっそりとこの場から逃げるつもりの彼は、同じ目的で、和歌子が開け放した障子に近付いてきた恋人の姿を眼端に捉えた。ふと見上げれば自分と同様、同情心に溢れた青木の貌。

「女の人ってザンコクだよな」
「本当に……オレにだって、あの遺伝子流れてるのに」
 泣きそうな顔で、青木は呟いた。
 青木の、ずっと先の未来を想像して、薪は青木の父の遺影に行き着いた。やさしそうに垂れた眉と眼、人生で笑った数だけ深くなる目尻の皺。彼がそんなマスクを手に入れる頃、自分はどうなっているか分からないけれど。
 その時の彼も今と変わらず、元気で幸福であるようにと。祈らずにはいられない、人の命は永遠ではないから、せめて願わずにはいられない。

「想像したでしょ、今!」
 薪の微笑を誤解して、青木が怒った。自分の顔を叔父の容姿に当てはめて、薪が笑っていると思ったらしい。
「してない」
「してました、顔が笑ってました」
「してないって。それに、別にいいだろ、禿げても太っても。おまえはおまえだろ」
「そうはいきませんよ。今だって薪さんの隣に並ぶには、容姿的に遠慮しちゃうのに。これで兆しでも見え始めたら、よけいに」
 額に手を当てて、生え際の位置を指で確認する。青木の心配が滑稽で、薪はクスクス笑った。




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ジャンル : 小説・文学

きみのふるさと(15)

 最終章ですー。
 読んでいただいてありがとうございました。(^^





きみのふるさと(15)





 全員で軽く昼食を摂った後、青木は薪と一緒に仏間の片付けをした。
 灯籠は分解し、樟脳を入れてビニル袋に密閉、箱にしまう。青木はいつも、片付ける時には上手く箱に入らなくなってしまうのだが、薪はどのパーツがどの位置にどの順番で入っていたのかを記憶しているらしく、部品の入れ直しを一度もしなかった。

 御膳の洗浄と部屋の掃除は三人の女性に託して、笹立てを解体する。軍手をはめた両手で笹を引き抜こうとする薪の、頼りない足腰が可愛らしくて、ついつい緩む口元を意識して引き締める。青木の体重で締め固めたのだ、薪の力では抜けまい。
「これは建設機械が必要だな」
 痺れた手をひらひらと振りながら口にした彼の冗談に笑いながら、青木は太い腕と大きな手で持って、青笹を引き抜いた。片手ですぽすぽと笹を抜いて行く青木を見て、薪は眼を瞠り、ちっ、と舌打ちする。プライドに障ったらしい。
「薪さんのおかげで大分緩みました。ちょっと力を入れただけで、ほら」
 慌てて彼のご機嫌を取ろうとするが、白々しいお世辞は言わない方がいい。火に油の結果になって、薪は本格的に拗ねてしまった。つまらなそうな顔でもくもくと地面の穴を埋め、足で踏み固める。その動作の乱暴なこと。あの地面にはきっと、青木の顔が描かれているに違いない。

 そんな些細なトラブルはあったものの、片付けはスムーズに進み、出発予定の半時間前にはすっかり綺麗になった。青木の、いや、薪と青木二人の母親が淹れてくれた温かい緑茶で喉を潤せば、ぴったり予定の時刻だ。
 出掛ける間際になって薪が、「まだアルバムを見せてもらってない」と駄々を捏ねだした。次の機会に、と青木が宥めると、「嫌だ、いま見たい」と薪は譲らず。それはまったくいつもの彼らしくて、青木は必死に薪を説得しながらも嬉しくて仕方なかった。薪の我が儘は彼が元気な証拠。借りてきた猫みたいに大人しい彼も可愛いけど、やっぱり青木は普段の彼がいい。

 表の通りまでタクシーを呼んで、青木たちは家を出た。せめて通りまで、と申し出た母と姉と幼馴染の見送りを、寒風に晒されて風邪を引いたら大変だから、と断り、玄関前で別れた。
 別れ際、薪はもう一度だけと言って草太を抱かせてもらい、彼とのスキンシップを楽しんだ。「子供は嫌いだ」と宣言しておきながら、すっかり仲良くなっているのが可笑しく、微笑ましかった。

 来るときに歩いた砂利道を薪と二人辿りながら、青木は冷たい風に身を竦ませる。
「薪さん、寒くないですか」
 声を掛けて隣を見れば、薪はいつの間にか青木の後方に居て、いま自分たちが後にしてきた家を見ていた。
「薪さん?」
「この両側の田んぼと後ろの棚田、田植えの時期は壮観だろうな」
 柔らかい緑に包まれた故郷の光景を、青木は脳裏に思い描いた。懐かしくて誇らしい、それは青木の原風景。叶うことなら、その美しい風景を薪にも見せてやりたい。

「見に来るか。来年」
 両手をポケットに入れたまま青木の方を振り向いて、薪は微笑んだ。
「そうすれば、アルバムも見られるし」
 薪が再びこの地を訪れようと思ってくれたことが嬉しくて、青木は躍り上がりたいような気持ちになる。「はい」と返事をして、本当はもっと感謝と嬉しさを伝えたかったのだけれど、咄嗟のことで何も言えず。でも、薪はにっこり笑ってくれた。

 タクシーが来たらしく、合図のクラクションの音が通りから聞こえた。足を速めて二人は、砂利道を軽快に歩く。
「その時は、一緒に風呂に入ろう」
「えっ! で、でも、さすがに母の前でそれは」
「今度は僕が草太を風呂に入れてやる。楽しいぞ、きっと。男3人で風呂ってのも」
「ええっ! 草太の目の前でですか? 薪さん、なんて大胆な」
「……なんか、別のこと考えてないか?」
 ついつい妄想が先走る己が性癖を恥じるが、用事も終わって薪と二人きり、どうしても青木の気分は浮かれてしまう。そちらの方面の欲求も、家まで待ち切れないくらいだ。

「あ、あのう、薪さん。今日はこのまま博多のホテルにもう一泊なんて」
「却下」
 冷たい眼で見られて、即座に切って捨てられた。青木のシタゴコロなんて、薪にはバレバレだ。
 はは、と笑って駆け出す薪を、青木は二つのスーツケースを抱えて追いかけた。




―了―



(2012.10)


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カエルの王子さま(1)

 毎度、いらさりませ♪

 本日から公開しますこのお話、半年ぶりに書いたストーリーSSでございます。ちょっと文章の流れが悪いのはブランクのせいだと思ってください。(単なる力量不足)

 時期は2068年の5月。二人が一緒に暮らし始めた頃ですね。
 

 それとこちら、4万5千拍手のお礼に、あ、10万ヒットのお礼もまだ、
 ……一緒にしちゃダメ? ←ダメに決まってる。そもそもとんだS話でお礼にならない。
 じゃあ、こないだ書いた雑文3連作を10万ヒットのお礼にしますね。 (雑文でお礼とか図々しくてすみません)
 
 そうだ、一言いいですか?
 現在の妄想欄、「薪さんが変態科学者の実験台になる話」のあと、「青木さんが薪さん似の女と不倫した挙句に殺して逃げる話」になってますけど、その間に雑文が3つほど入ってまして、なにが言いたいかと申しますと、
 決して物騒な話ばかり考えているわけじゃないんですよ。合間にギャグも考えてるの。
 だから、今回の話の物騒さには目をつむってくださいねっ。←理屈も日本語もおかしい。

 どうか大海原のようなお心で! お願いします!




カエルの王子さま(1)




 西洋の童話に出てくるような、美しい部屋だった。
 文机、椅子、洋タンスにベッド。居室を彩る家具はすべてアンティークで、中々に高価なものだ。壁紙は薄いクリーム地で、葡萄の模様がくすんだ緑色で描かれている。天井からは古めかしいシャンデリアがぶら下がっている。いささか古風だが、趣味の良い部屋だ。
 繊細なインテリアから女性の部屋だと察せられるのに、部屋には鏡がなかった。実を言えば、この家の何処にもないのだ。この家の主人は鏡が大嫌いだった。

 彼はひどく醜かった。その姿を目にした者が残らず嘲りの笑みを浮かべるほどに。

 その輪郭は異様なほど横に広く、だから目と目の間があり得ないくらい離れている。鼻は見事な団子鼻で、唇は分厚く、頬にはびっしりと痘痕が浮いていた。短身でひどい猫背で、足はがに股で短く、などと細かい説明は不要だ。彼にピッタリの形容詞がある。
『イボガエル』だ。
 そんな自分が、このように優美な部屋にいるだけでも他人の失笑を買うに違いない。男はそれをよく理解していたのだ。

 真鍮の手摺が付いたベランダに続くフランス窓は僅かに開いており、薄いすみれ色のカーテンがはためいていた。窓の先に広がる風景は、一面に深い森であった。
「どうしたもんかな」
 空っぽの部屋を見渡し、男は軽く肩をすくめた。
「仕方ない。代わりを探しに行くか」
 人の形に窪みが残るベッドを直し、シーツに残っていた髪の毛をつまみ上げる。長くて黒い、女の髪。白いシーツの上で、それは果敢に持ち主の存在をアピールしていた。
 他には何もなかった。彼女が寝ていたベッドを抱き締めたくなるような幸せな思い出も、心を疼かせるような別れの言葉も。何ヶ月か一緒に暮らして、挙句、彼女が自分に残していったのはこれだけだ。

 男はベランダまで歩いていき、それをポイと捨てた。雨上がりの地面に落ちたそれはすぐに泥にまみれ、一瞬のうちにゴミになった。


*****


 日本にも未だこんな場所があったのか。
 いつものように助手席のドアに肘をつき、うつらうつらと船を漕ぎながら、薪は心のうちで何度目かの呟きを漏らした。どこまで走っても続く樹海、なんて生易しいもんじゃない。これは所謂「秘境」だ。何年か前に訪れた妖怪が住むと言う森より、更にヤバそうだ。妖怪を通り越して妖魔が住んでる感じだ。
 眼下に広大に広がる鬱蒼とした森を眺めていると、そんな世迷言まで浮かんでしまう。あれ以来、森はこりごりなのだ。間違っても足を踏み入れたくない。

 くあ、と小さな欠伸を漏らす薪の隣で青木は、カーブの多い山道を都会の大通りのようにすいすいと車を走らせる。二人は、Y県で起きた猟奇事件の折、事件解決の為に脳データを提供してくれた被害者遺族に挨拶に来た。その帰り道。
 車がやっとすれ違える程度の幅しかない道は平坦性の低い古びたアスファルト舗装で、左は山になった雑木林、右は切り立った崖っぷち。安全のためのガードレールは所々抜け落ちている。よく落下事故が起きないものだと感心する。元より、接触事故を起こすほど車が通らないのだろう。近くに集落がないから落ちても気付かないとか、そういうオチは勘弁してほしい。
 シュールな想像に乾いた笑いを浮かべる薪の左眼が、ドアミラーの中を過ぎる白い影を捕えた。

「停めろ」
 速度を落として路肩に車を寄せながら、「トイレですか」と青木が問うのに裏拳で応えを返し、薪は後ろを振り返った。
「なんか山から落ちてきた」
「イタチか狸じゃないんですか」
「ちがう。もっと大きくて白っぽい」
 こんな不気味な場所で自分だけが目撃した白い影――さては人知れず朽ち果てた自動車事故の被害者かと気弱な人間なら怯えるところだが、薪はバリバリの現実主義者だ。畏れる様子もなく、窓に乗り出すようにしてドアミラーを覗き込んだ。
 そこに映るものを確認した彼は、はっと息を飲んだ。車外へ飛び出し、来た道を全速力で駆け戻る。青木が慌てて運転席から降りた時には、薪は道に倒れた女性を助け起こしていた。

「大丈夫ですか。僕の声が聞こえますか」
 彼女は雑木林から転がり落ちてきたらしく、ひどい有様だった。着衣は半袖の、元は白かったと察せられるワンピース。山の中を何時間も歩き回ったと見えて、顔と手足は傷だらけだった。
「どうしてこんな所に若い女性が」
「スカートにサンダル履きか。ハイキングでもなさそうだな」

 薪の腕にぐったりと身を持たせかけた彼女の眼はうっすらと開いていたが、その焦点は空を彷徨っていた。緩んだ口元からは唾液が零れ、それは彼女の精神に綻びがあることを暗示していた。
「近くに病院か民家があるのかもしれない。とりあえず車に乗せて、地元の警察に保護を」
「あ、オレ、運びます」
「大丈夫だ」
 大の男が女性の一人くらい運べなくてどうする、と見栄を張ったのがまずかった。脚を踏ん張って彼女を持ち上げた、まではいい。一歩踏み出すのに1分くらいかかった、それも大した問題ではない。悲劇は、自分の身体が他人の手によって抱き上げられたことで彼女の意識が戻り、急に暴れ始めたことだ。

「お、落ち着いてください。僕たちは怪しい者じゃ」
 薪の左頬に女の爪がヒットして、彼は呻き声と一緒に言葉を飲み込んだ。金切り声をあげて暴れる彼女の両腕を、青木が素早く戒める。勢い余ったのか、彼女は痛そうな顔をした。女性相手に無体な真似をと思うが、青木は薪のボディガードだ。主人に危険が迫れば少々手荒な真似もする。
「青木、乱暴はよせ。彼女は一般人だぞ」
 頬に血を滲ませながら、薪が青木を諌める。が、青木は到底承諾できない。薪の顔に傷をつけられたのだ。彼女を崖から突き落とさなかっただけでもよく我慢したと褒めてもらいたいくらいだ。
 その考え方は警察官としてと言うより人としてどうかと思うが、こと、薪に関してだけは青木は道徳者になれない。青木は普段はとても優しい男で、その言動はいっそお人好しと称しても差し支えのないレベルで、なのに薪が絡むと突然人が変わるのだ。殆どジキル博士とハイド氏の世界だ。

「こんなに暴れられたら危なくて車に乗せられませんよ。県警に連絡して、保護を求めましょう。PC(パトカー)でここまで迎えに来てもらって」
「大丈夫だ。僕に任せろ」
 くい、と手の甲で傷を撫で、薪は、青木に拘束されて地面に膝を折った女性の前に屈んだ。項垂れた彼女の、髪の毛の奥に仕舞われた顔を覗き込むようにして、穏やかに話しかける。
「落ち着いてください。僕たちは警官です。あなたの味方ですよ」
 彼女はゆっくりと顔を上げた。長い黒髪はもつれて汚れ、肌も荒れ放題に荒れて、濁った目の下には黒いクマができていたが、きちんと手入れをすれば美しくなると薪は思った。彼女にそれをさせない何かが訪れたのだ。

 よくよく見れば、彼女の身体の傷は山の中で自然に付いたものばかりではない。拘束されて初めて顔を出した右腕の内側の切り傷は、明らかに刃物によるものだ。山を転がり落ちたのだから傷があるのは当たり前だと思うかもしれないが、人間は転がる時には体を丸めるものだ。その状態で内側に傷ができるのは不自然だし、何よりも傷口がきれいすぎる。枝に引っ掛けたのなら、かぎ裂き状の傷になるはずだ。
 犯罪の匂いがした。

「安全な場所までお送りしますから、まずはゆっくり休んでください。詳しい事情はその後で」
 薪がそうっと彼女の肩に手を置くと、彼女はこくりと頷いた。薪の合図を受けて、青木が慎重に彼女を解放する。
「ほらみろ。紳士的に話せば」
 得意げに胸を張る薪にハイハイと生返事をしながら、青木は彼女に手を貸した。青木の腕に縋るようにして立ち上がった彼女は、やおらに薪の方に向き直り、突如。

「え」
 泥まみれの両手が自分に向って突き出され、薪はバランスを崩して後ろに転倒、できればちょっとした事故で済んだのに。そこには薪の背中を打ちつけるべき地面が無かった。
「薪さんっ!!」

 一瞬、時が止まった気がした。
 空に投げ出された身体がその場に留まっているのを不思議に思い、僕ってもしかして空が飛べたのか、と本気で思いかけた。
 そんなわけがない。薪は重力に縛られる普通の人間だ。他にも思い込みとか常識とか警察機構のしがらみとか色んなものにがんじがらめになっているが、今彼の身体を奈落の底に落とそうとしているのは、精神論では太刀打ちできない物理の法則だった。

 悲痛に叫んだ青木の顔が、見る見る遠ざかっていく。けたたましい彼女の笑い声も。と同時に、薪の意識も遠くなった。投身自殺は大抵は地面に激突する寸前気絶してて痛みなんか感じないって、あれ、本当だったんだ、などと人生の最後になるかもしれない貴重な瞬間を俗説の検証に費やし、薪は、絶対に立ち入りたくないとついさっき思った森に飲み込まれていった。


*****

 1話目からこれだよ。
 ホント、お礼にならない☆


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カエルの王子さま(2)

 毎度ですっ。
 更新、空いちゃってすみません。入札の時期になりまして、内訳書5本作ってましたー。
 新しいSS書いてるとブログが放置状態になるクセはいい加減直したいです。←仕事してないじゃん。


 続きです、どうぞ!



カエルの王子さま(2)





 カーキ色の訓練服を着てリュックを背負い、手に探索棒を持った男たちが、深い森の中に入って行く。その数約20名。彼らは訓練を積んだ兵士のように俊敏な動きで、手入れのされていない灌木や伸び放題の下生えをかき分け、森の中に道を作っていく。
 彼ら捜索のプロ集団とは別に、軽装で森に挑もうとしている一団がいる。スーツ姿に革靴で、とても苛立った様子だ。彼らは探索棒も持たず、救助隊が木に結びつけたロープを伝って歩いていることからも分かるように、捜索については素人だと思われた。特に年長の二人はどう見てもホワイトカラーで、現場の人間ではなかった。

 そのうちの一人、中園紳一は、足元を刺す草の穂先を八つ当たり気味に踏み散らしながら、
「ったくあの子は次から次へともう……岡部くんっ、副室長の君が出て来ちゃったら第九の仕事はどうするんだい」
「あっちは今井がいるから大丈夫だと、っ、大丈夫ですか」
 失踪者への苛立ちを手近な部下にぶつけた直後、木の根っこに引っ掛かって転びそうになるのをその部下に助けられる。前を歩いていた仕立ての良いスーツを着た男が、振り返って辛辣に言い放った。
「中園。岡部くんには僕が声を掛けたんだよ。大体、おまえに人のことが言えるのかい。会議をすっぽかしてきたくせに」
「はて。会議をすっぽかしたのは官房長殿では?」
「ぼくの代わりに出てって言ったじゃない」
 岡部と呼ばれた男が「大事な会議だったんじゃないんですか」と問うのに、彼はひょいと肩を竦め、
「いいんだよ。どうせ消化会議なんだから」と公僕にあるまじき発言で会話を締めくくった。それを咎めるように、後ろの男が小声で言い返す。
「小野田。僕はね、おまえのお守に付いてきたんだよ。危ないからよせって言ったのに、行くって聞かないんだから」
「頼んだ覚えはないよ」
「SP断った時点で僕が行くしかないだろ? だれがおまえの身を守るんだよ」
「岡部くんと青木くんがいるじゃない。それにおまえ、ぼくより射撃下手じゃなかった?」
「わかった、訂正する。誰がおまえの無茶を止めるんだよ」
 中園の返しに、岡部は思わず苦笑いする。室長の無茶は上司譲りか。

「岡部くん。悪いね、忙しいのに」
「いいえ。俺も室長の身が心配ですから」
 済まなそうに小野田が言うのに岡部は沈痛に、それでもにっこりと笑った。瞬間、すぐ隣を歩いていた捜索隊の一人が木の陰に身を隠した。
「何か出ましたか」
「す、すいません。なんか怖くなって。ホントすいません」
 歯切れの悪い答えに、岡部は近年の若者に対する不甲斐なさを感じる。危険を察知したなら身を挺して官房長を守るくらいの気概が欲しいものだ。彼らはSPではないが、警察官たるもの自分よりも弱いものを守るのは当然のことだ。
 岡部の不興を買い、慌てて探索棒を構え直して配置場所に戻った彼に周囲から同情の眼差しが注がれた。岡部を除いた全員が思っていた。鬼瓦が笑ったら、それは怖いよ。
 見た目と中身にギャップがあるのは第九職員のスタンダードで、室長の薪は言わずもがな、副室長の岡部も見かけの凶悪さとは掛け離れた優しい心の持ち主だ。小野田に言われずとも探しに来ていた。青木の報告から、薪は怪我をしている可能性が高い。一刻も早く探し出して、医者に連れて行かないと。

「まあ、中園さんが言いたいのは、俺か青木か片方でいいだろう、と言うことなんでしょうけど」
「青木くんはどうせ仕事にならないだろ」
 官房室の二人がケンカにならないようにとの岡部の気遣いに、小野田は中園以外の人間に怒りを向けることで応えた。小野田は岡部には優しいが、青木には厳しい。それはいつものことで、しかしその理由がまた、自分の娘婿にと望んでいた薪が青木と恋仲になってしまったからという全く職務には関係のない理由だと知っている岡部は、ついつい青木の弁護をしたくなる。
「そんなことはないですよ。青木の報告は明瞭でした。奴も警察官として成長して」
「保護が必要な一般人を車のトランクに閉じ込めた時点でアウトだと思うけど」
 青木は薪が絡むと、警察官としての正しい行動がとれなくなる。今回の場合、警官である薪よりも一般人の保護が優先されるべきで、県警に薪の捜索の依頼をした後は、速やかに彼女を病院若しくは地元の警察に送り届けるべきだった。しかし、青木はすぐに薪を探しに落下地点へと向かった。その際、邪魔になる彼女を車のトランクに閉じ込めておいたのだ。
 彼女が正気を失っており、放っておいたら何処へ行ってしまうか分からない状態だったとは言え、トランクに閉じ込めて鍵を掛け、1時間以上も放置したとなるとこれは大問題だ。トランクに閉じ込められた彼女は夢中で暴れ、爪が剥がれるほどにトランクの蓋を掻き毟っていたのだ。事情が明るみに出たら間違いなく査問会だ。

「だいたいね、青木くんは薪くんのボディガードだろ。この状況自体、彼が職務を全うしていない証拠じゃないか」
 小野田の厳しい言葉が耳に入ったのか、捜索隊と一緒に先を歩いていた青木が立ち止まった。振り返って、深く頭を垂れる。
「申し訳ありません」
「薪くんが危なっかしいのは今に始まったことじゃないだろ。ボディガードのきみがしっかりしてくれなきゃ」
 問題があるのはむしろ薪の方なのに、責を押しつけられた形で叱責を受けた青木は、それでも素直に「はい」と返事をした。小野田も認めているように薪の暴走は折り紙つきで、副室長の岡部でさえ止められないのだ。若い青木に至っては、何を進言しても耳も貸さないに違いない。

 薪がこんなことになって、一番心を痛めているのは青木だ。そこに追い打ちを掛けられるように上官に責め立てられる彼を不憫に思ったのか、中園が二人の間に割って入った。
「まあまあ小野田、その辺で。ここで青木くんを責めても意味ないだろ。第一おまえ、いつ青木くんが薪くんのボディガードだって認めたわけ?」
「なにを言ってるんだい。官房室から任命書を出せって言ったのはおまえだろ」
「形だけでも認めないって最後まで言い張ってたくせに」
 自己の不明と矛盾を指摘されて、小野田は口を噤んだ。が、その顔は不服そうだ。薪のことが心配で、普段の冷静さを欠いているのだろう。小野田は薪を盲目的に可愛がっている。娘との婚約が破談になっても彼を許したくらいだ。もはや上司と言うよりは親バカのレベルだ。
「薪くんの無事を確認したら、次は査問会とマスコミか。厄介だな」
「何とかしなさいよ。そのためにおまえがいるんだろ」
「官房長殿は首席参事官の職務内容を誤解なさってます」

 僕の仕事は薪くんの尻拭いじゃない、と中園がぶつぶつ言うのを気の毒に思いながら、岡部は上官からやや不当に評価されている後輩の傍に寄り、端的に尋ねた。
「青木。薪さんはどっちだ?」
 青木は黙って首を振った。
「なんだ、肝心な時に。おまえ得意だろ。薪さんの居所見つけるの」
 口唇を引き結んだまま、長身の後輩は空を見上げた。遥か上方、崖の上にグレーの布がはためいている。落ちた場所の目印にと、青木が自分の背広をガードレールの支柱に結び付けておいたものだ。ガードレールが剥がれて、支柱だけがぽつんと立っている崖っぷち。しっかりと道路整備が為されていれば、薪は無事だったかもしれない。

「いません」
 俯き、絞り出すように青木は言った。
「薪さんが、何処にもいないんです。岡部さん、薪さんが」
 語尾が震えている。薪が被害に遭ったとき、青木は彼と一緒にいた。居ながら彼を守れなかった。強烈な罪悪感がもたらす焦りと不安。それらが青木の顎を震わせ、声を乱している。後輩の心中を慮り、岡部は力強く青木を励ました。
「落ち着け青木。いま、みんなで探してる。大丈夫だ。彼らは遭難者を見つけるプロだ」
「そういうことじゃなくて。オレ、いつもなら薪さんがどっちに居るか何となく分かるんです。でも、それが全然分かんないんです」
「それはおまえがパニックになってるからだ。もっと心を落ち着けてだな」
「感じないんです」
 岡部の肩を掴み、青木は訴えた。取り縋られて分かった、青木が抱いているのは不安ではなかった。
 これは、恐怖だ。
「薪さんが、この世の何処にも感じられない」
 薪は既にこの世のものではないかもしれない。その仮説から引き起こされる恐怖だ。

「現場付近に死体はなかった。血の跡もない。何ものかに襲われたなら、その痕跡が残るはずだ」
 青木の機転が功を奏して、落下地点はほぼ正確に分かっている。周辺の木には折れたばかりの枝もあったし、下生えの乱れも確認された。が、そこには野犬が人間の身体を引き摺って行った跡も、熊の足跡もなかった。動物に襲われた確率は低い。
 何の痕跡も残っていないことから、薪の意識もなかったと考えられる。意識があれば上着に付けた救助信号を発信しただろうし、必ず捜索隊の為に目印を残すはずだ。
 おそらく、薪は崖から落ちて気絶したところを何者かに運び去られた。その何者かが悪人とは限らない。親切な通りすがりの人が病院に運んでくれたのかもしれない。薪が意識を取り戻せば、連絡をしてくるだろう。車で運べる範囲の病院は、地元の警察に応援を頼んでローラーを掛けてもらっている。もうすぐ中園のところに連絡が入るはずだ。
 だが。

「薪さんが何処にもいないんです。こんなの初めてです」
 子供のように繰り返す青木に、3人の顔色が曇る。
 青木と薪の間には、超自然的としか言いようのない繋がりがある。何となく居場所が分かると言うのはその一例に過ぎない。青木は薪に関することだけは、ズレまくっているように見えて必ず真実を選び取っている。その青木が怯えている。恐ろしい想像に震えている。
 薪の身に、只ならぬ災厄が降りかかっている可能性は高い。青木の畏れが伝染したように、皆の予想は悪い方向へと向かって行った。



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ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(3)

 こんにちは!

 こないだの入札、2件も落札しちゃいました♪
 着工書類の作成も2件分なんで超忙しくなるんですけど、そこは自分の会社なんでね、仕事ないと会社潰れちゃうから頑張るです。書類を作る間、少し更新空くかもですが、よろしくです。
 9月からは現場に出ることになると思います。工事が終わる3月末までは去年みたいに更新減っちゃうかもですが、気長に待ってやってください。

 それと、一昨昨日あたりからたくさん拍手くださってる方々、どうもありがとうございますっ。
 過去作への拍手はクオリティ的には恥ずかしさMAXでございますが、昔の話の方ががっつり恋愛してて、読んでは面白いかもと思ったりします。薪さんも青木さんも、悩んで傷ついてぐちゃぐちゃになってるあたり。そこから大事なものを見つけ出していくんですよね。
 現在もこのスタイルは変わってないのですけど、「タイムリミット」の後の二人は永遠を誓い合っちゃってるので~、見つけるのが愛以外のものになってしまう傾向が強く、恋愛小説にはなってないと思います。何より、薪さんが大人になっちゃって、書いててもつまんない。とは言え、彼ももうすぐ50だしねえ。いつまでも男爵やっててもねえ。
 現在の青薪さんに波風立てるのは嫌なので、日付を戻して、男爵がカンチガイで地球の裏まで突っ走る恋愛話を書こうかなー。


 さてさて、続きです。
 短いですがどうぞです(^^




カエルの王子さま(3)





 開け放しのフランス窓から舞い込む冷たい風に、男は身を竦めた。立ち上がって窓を閉める。快晴だったはずの空は、いつの間にか濃灰色の雲で埋め尽くされていた。山の天候は変わりやすい。特に今時期は不安定だ。
 暦は既に5月だが、山際の森では季節の足運びに1月程度の遅れがある。新芽の芽吹く頃で、旧い深緑と新しい黄緑色、それと冬の間に死んだ枯れ木の砂色が広大な山麓で不規則に混じり合い、さらには山桜のぼやけたピンク色が点在する。この時季は毎年思う、見苦しいことこの上ない。

 男は窓の反対側に置かれたベッドまで戻り、再びその上に腰を下ろした。大きな枕の上にちょこんと載っている小さな顔を見つめ、ふうむ、と何度目かのため息を漏らした。
「本当にきれいだなあ」
 目を閉じた彼の、長い睫毛を人差し指の先で弄びながら、男は独り言を言った。彼は長い間話し相手のいない生活をしてきたせいで、独り言を言うのがクセになっていた。
「これで男なんだもんな。惜しいなあ」
 人里離れた山奥の屋敷の、豪奢な部屋の中に居るのはたった二人。どちらかが女性ならドラマになるのに残念だ。男はそんなことを思いながら掛け布団をめくり、仰向けになった男性の胸に手を当てた。
 規則正しく上下する胸の奥に、力強い鼓動を感じる。女性にはない筋肉の固さと、高い体温。女性のように揉みしだきたくなる感覚は生まれないが、手触りは悪くなかった。彼の肌はさらっとしてすべすべだ。一般的に評価の高い「手に吸い付くようなもち肌」ではないが、男の好みは痩せ形の女性だ。もち肌は纏わりつくようで気持ち悪い。

「ありか? いやいや、さすがにそれは」
 過去の恋人たちの中には、まだ乳房の膨らまない年齢の少女もいた。付き合ううちに、彼女は少女特有のエロスを醸し出すようになった。少女がイケるなら男もイケるかもしれない。男は中性的な体型が好きだったし、何よりもこの顔。
「顔だけなら文句なしにナンバー1だ」
 小枝にでも引っかけたのか、頬に小さな傷がある。それを除けば非の打ちどころがない滑らかさだ。どれだけこまめに手入れをすれば男の頬がこんなに綺麗になるのか、それとも最近は男でもエステに通って肌の手入れをするのが普通になったのか。一緒に暮らしていた彼女が、そんな話をしていた気がする。

「しかしこいつは……まずいな」
 それは彼の身分と職業を証明する手帳だった。上部には、制服を着て真面目な顔をした彼の写真があった。
 上着にこんなものが入っていると分かっていれば、助けなかった。あんまりきれいだからつい拾ってきてしまったが、彼がこんな職業に就いているなら、自分の計画は無謀すぎる。もう夕方だし、今夜一晩は泊めるしかないだろうが、明日は早々にお引き取り願おう。

 念のため、幾つかの部屋に鍵を掛けるべきだと気付き、男は彼の傍らを離れた。
 ドアに近付いた時、んん、と微かな声がした。振り返ってみれば、寝台の上に身を起こす彼の姿があった。意識を取り戻したらしい。思わず、男は舌打ちした。
 面倒なことになった。彼が眠っているうちに片付け物をしておくのだった。

 心に感じた痛痒をおくびにも出さず、男はにっこりと微笑んで彼に近付いた。街に出て、好みの女の子に近付くときのように。
「眼が覚めましたか。どこか、痛むところは?」
「ここはどこです。いったい何がどうなって、あ、痛っ」
 覚醒したばかりで混乱している様子の彼は、起き上がったことで急な痛みに襲われたらしい。倒れるようにして、再びベッドに沈んだ。包帯や絆創膏だらけの自分の身体を見下ろして、深く息を吐く。
「僕は何故こんな怪我を」
「森の中に倒れていたんですよ。上の道から落ちたんでしょう。でもあなた、ラッキーですよ。それくらいの怪我で済んで」
 男は、彼を見つけた時の状況を頭に思い浮かべた。彼は厚く積もった落ち葉の上に仰向けに転がっていた。彼の身体の下には折り取られたばかりの枝も数本あったから、崖から落ちて木に突っ込んだのだろう。あの崖はかなりの高さがあった。骨折や内臓破裂など、重傷を負っても不思議ではない高さだ。それが打撲に擦過傷、捻挫程度で済むとは、えらく幸運な男だ。顔がいい男は運も強いと見える。

「無理をしないで。もうしばらく休んだ方がいい」
 自分の額を包む彼の手に、男は自分の手を重ねる。そうされて、彼は初めて男の存在に気付いたらしい。彼の眼がぱっちりと開き、亜麻色の瞳が男の顔を映しだした。
 瞬間、男はいつも最初の時に味わう手酷い絶望を覚悟した。
 相手の眼に浮かぶ、嫌悪の色。蔑み、恐怖、同情か嘲笑か判じ難い曖昧な笑い。そんなものばかり向けられてきた。特に、若く美しい者からは。

 ところが彼は違った。眠りから覚めたばかりだったせいかもしれないが、男の顔を見て、ふんわりと微笑んだのだ。
「あなたが僕を助けてくれたんですか。ありがとうございました」
 その顔はとても愛くるしかった。一瞬、男は彼との生活を脳裏に描いた。悪くないと思った。詮索好きで細かいことばかり気にする女性より、返って上手く行くかもしれないと期待さえした。

「あなたのお名前を教えてください」
「桂木省吾だ」
 つい本名を答えてしまってから、自分の抱いた幻想に失笑する。そんなこと、できるわけがない。だって彼は。
「桂木さんですね。ありがとうございました。僕は」
 潰えたとばかり思った夢が蘇ったのは、次の瞬間だった。彼は右手を口元に当ててしばらくの間口ごもり、何とも不思議そうに言ったのだ。

「僕は誰でしょう?」



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カエルの王子さま(4)

 昨日の日曜日、プチオフ会に参加してまいりました~。
 幹事さんになってくれたうかさん、お疲れさまでした。わたしのようなド田舎のおばちゃんにまでお声掛けてくださって、ありがとうございました。
 東京のお洒落なお店で美人さんに囲まれて薪さんトーク。とても楽しいひと時でございました。遊んでくださったみなさん、感謝です。途中、えらい羞恥プレイになって身体溶けるかと思いましたケド(・◇・)
 機会があったらまた参加したいです(^^


 



カエルの王子さま(4)






 当日の探索は断念するとの決断が下ったのは、日没の1時間前であった。天候の崩れもあり、これ以上の捜索は危険であるとの判断がされたのだ。

 まだ日が沈む時間じゃないのに、と駄々を捏ねたのはもちろん現実が見えていない若造だ。他には誰も隊長の判断に異を唱える者はいなかった。彼らはこの道のプロだし、経験豊かな先達たちは全員二次災害の危険を承知していたからだ。
「オレだけでも残って探します」
「あのね青木くん。君が森でのたれ死ぬのは勝手だけど、僕たちの眼の届かないところでやって欲し、……岡部くん、ちょっと乱暴じゃない?」
 頑固に言い張る青木を説得しようと言葉を重ねる中園の努力を無視して、岡部は一言も発せずに青木のみぞおちに拳を入れた。急所への不意打ちに、青木はあっさり気を失う。
「なに言ったって無駄ですよ。こいつのことです、一晩中どころか3日でも探してますよ」
「1週間後には野犬のエサだねえ。それもいいなあ」
「小野田。冗談に聞こえないよ」
 繰り返すが、青木は薪の秘密の恋人である。薪を自分の後継者にしたい小野田としては、もう自分の娘じゃなくてもいいから彼に女性と結婚してほしいのだ。青木は当然邪魔者だ。新聞で死亡事故の記事を見るたびに、「これが青木くんならよかったのに」と呟く小野田を日常的に見ている中園には、まったく冗談にならない。

「ありがとうございます、中園さん。青木を心配してもらって」
 小野田が青木を疎んじていることはもはや、第九と官房室の人間なら誰でも知っている。その情況下で、中園が青木を庇ってくれるのはありがたかった。
「青木くんも薪くんも、代わりはいくらでもいるからね。死ぬのは勝手だけど職務中は困る。僕の責任問題になる。それだけだよ」
 中園は素直じゃない。本当は薪のことも心配でたまらないのだ。常になくイライラした様子に、不安が表れている。
 ここにいる3人は全員、気持ちは青木と同じだ。できることなら一晩中でも森の中を探し回りたい。その行為が間違いなく二次遭難につながること、助かった薪がその事実を悲しみ、自分の罪として背負うだろうことを確信しているから言わないだけだ。それを証明するかのように、中園がこっそりと岡部に耳打ちした。
「ただ、僕もちょっと早い気がする。日没までまだ1時間もあるんだ。空が曇ったところで道しるべのロープもあるし、保険の掛け過ぎじゃないかな」

「おっしゃる通り、保険を掛けてます」
 岡部だけに聞こえるように言った中園の皮肉を、3mほど後方にいた隊長が聞きとがめた。さすが森林捜索のプロ。耳がいい。
「この森は行方不明者が多いんです。それも、ここ3年ほどで20人以上と言う異様な数です。今は正常にコンパスが使えますが、応援に入ってもらった地元の消防団員の話では、これがまったく役に立たなくなる時があるそうです。そういう時は捜索を諦めてしまうのだとか。だから、見つけられることを嫌う自殺者も非常に多い」
 それは、岡部たちが知らされていない事実だった。コンパスがまるで役に立たないとなると尋常ではない。磁鉄鉱を多く含む地層は磁気を発してコンパスを狂わせるが、かの有名な富士山麓の樹海とて、せいぜいが1,2度ずれるだけで方向が分からなくなるほどではない。コンパスを無効にするほどの強烈な磁力が、この森のどこかから発信されているのだろうか。

「この森は人を喰うと、近くの町の住民は恐れているくらいです」
 青木に聞かれなくて良かったと、岡部は心から思った。そんな曰くつきの森だと分かったら、青木が何をするか分からない。原因不明の病に侵された薪の治療をしろと、第五の職員たちを竹刀で脅した男なのだ。隊長を人質に取ってでも、捜索を続けさせるかもしれない。
「危なかった……岡部くんグッジョブ、――っ、だからおまえは何処に行くの!」
 森から出ようとする岡部たちと、無言ですれ違おうとした男の腕を、中園は遠慮なく捕えた。指先が白くなるくらいの強さで握りしめる。男の顔も蒼白であった。
「話を聞いてたか?」
「聞いてたよ。薪くんの命が危ないってことじゃないか。あの子に何かあっ」
 相手が言い終る前に、中園は相手の頬を平手で引っ叩いていた。岡部の眼が点になる。思わず肩に担いだ青木を落としそうになった。先輩である岡部でさえ青木の言い分を全部聞いてから殴ったのに、そもそも参事官が官房長をひっぱたくって。

「頭を冷やせ」
 瞬間、二人の間に生まれた稲妻のような感情の衝突に、岡部は軽いパニックを起こした。官房長と首席参事官のガチバトルなんて滅多に見れるものじゃない。ていうか見たくない。絶対に出世にひびくよ、これ。
 が、小野田はすぐに自分の激情を収めた。さすがは官房長を務める男だ。
「ありがとう中園。おかげで冷静になれた」
 叩かれた頬の赤味以外は、普段とまったく変わらぬ穏やかさで、
「上官に対する暴力行為は査問会の対象だ。首席監察官にはぼくから電話しておくよ」
 ……さすが官房長。

「それだけは勘弁してください、官房長殿。査問会は嫌いです」
 説教は、するのは好きだけどされるのは嫌いだ、と言っていた身勝手な上司を思い出す。この森のどこかで、救助を待っているかもしれない彼。しかしこの状況にあっては、まだ所轄の調べが及ばない何処かの病院に収容されていることを願うしかなかった。
「3年連続で減俸処分なんて。これ以上給料減らされたら生活できなくなる」
 減俸と聞いて、岡部は中園に同情した。多分、2066年のウィルス事件と翌年のテロ事件だ。犯人逮捕に協力したとはいえ、あれだけの騒ぎを起こした薪に何の処分も下りないのはおかしいと思っていたが、中園が被ったのか。
「男の子が買えなくなるの間違いじゃないの」
 ……うん、減俸くらいはいいんじゃないかな。ウィルス事件の翌月、薪は中園に命じられた潜入捜査のおかげで死にかけたんだし。

 その捜査に協力することを自分が薪に勧めたことはちゃっかりと棚上げにして、岡部は青木の巨体を担ぎ直した。筋肉がしっかりと付いた青木の身体は、以前にもまして重くなっていた。
 青木自身のスキルアップもあって、最近は寝技を返すのが難しくなってきた。次の昇段試験では青木に二段を受けさせてみようと岡部は思い、その階級が薪と同じであることに気付いた。たった一つ、薪が青木よりも上に位置する武術として拠り所にしているそれに青木が追いついてしまったら薪はどう思うだろうと余計なお世話を焼きつつ、岡部は森を抜けた。

 暗い森の中から外へ出る。自然に振り仰いだ夕暮れ間近の春の空は、いつの間にやら濃灰色に染まって、彼らの不安を映し出すかのようだった。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(5)

 こんにちは。少々暑さでへばっておりました、しづです。
 コメントのお返事、滞っててすみません。テンション上がらなくて~。実はね、
 よいお天気が続いていたので、梅干しの土用干しをしたんですよ。あの暑さの中、梅干し引っくり返してて、まんまと熱射病になりました☆ 
 苦労の甲斐あって、今年の梅干しはとってもフルーティにできたんですよ~。市販のものよりは大分酸っぱいですけど、甘い梅干しが苦手なオットには大好評でございました。よかったよかった(^^



カエルの王子さま(5)





 来客のために用意した寝巻きを脱衣籠の上に置き、省吾は浴室のガラス戸に向かって声を掛けた。
「ここに着替え置いておくからね。お湯加減、どう?」
「ありがとうございます。ちょうどいいです」
 中から彼の声が聞こえる。透き通ったアルト。男にしてはやや高めだが、ケチの付けようがない美声だ。きっと歌も上手いのだろう。

「すみません、何から何まで。迎えに来てくれる人間の一人や二人、いるとは思うんですけど、どうしても思い出せなくて。桂木さんにご迷惑を」
 恐縮する彼に「省吾でいいよ」とフランクに話し掛ける。できるだけやさしい声で、省吾は言った。
「気にすることはない。今はショックで記憶が飛んでるだけだ。すぐに思い出すさ」
「思い出そうと頑張っているんですけど。頭の中に霧がかかったみたいで」
「無理に考えない方がいい。どうせ今夜はここに泊まるしかないよ。迎えが来るとしても、日が落ちてからでは道に迷うのがオチだ。ここは森の中だからね。一晩ゆっくり眠りなさい。明日の朝には記憶が戻るよ、きっと」
 ガラス越しに二人は言葉を交わした。彼は決して口数の多い方ではなかったが、省吾は彼の遠慮がちな態度に新鮮な感動を覚えていた。今どきの若者にしては礼儀をわきまえている。美人なのに遠慮深い子なんて、今まで一人もいなかった。

「そろそろ出ます。ごめんなさい、手を貸してもらえますか」
 入るよ、と断ってから、省吾は浴室の中に入った。彼の身体には多数の打撲痕があり、中でも右足首の捻挫はひどかった。左足の倍ほどにも腫れていたことから骨折を危惧したが、つま先を自分の意志で動かせることから折れてはいないと判断した。が、一人で歩ける状態ではない。松葉杖か車椅子があると良かったのだが、そんなものを常備している民家は少ない。
 自分がひどく汚れていることに気付いた彼は、風呂を貸して欲しいと言った。打ち身に風呂はよくないと注意したが、泥まみれのままでいるわけにもいかない。さいわい、右足の捻挫以外は軽傷のようだったので、無理をしないで省吾の手を借りるという条件付きで風呂の用意をしてやった。
 ベッドから浴室に移動するのも、洋服を脱ぐのも、省吾が手伝った。脱がせてみて、省吾は心底驚いた。衣服の下、土に汚されていない彼の肌は、これまでに見たどの女性よりも白かった。

 美しいと思った。女の身体よりも、ずっと。
 その上、妙な色香がある。くびれたウエストから腰のラインなんて、まるで――。

「すみません、桂木さん。服が濡れちゃいますね」
「省吾だよ」
「……省吾さん」
 彼は、困ったように微笑んだ。なんて愛らしい笑みだろう。こんな風に微笑む人間を、子供以外で見たことがない。
「気にしなくていいよ」
 そう返すのがやっとだった。心臓が激しく打って、彼に聞こえてしまうのではないかと不安になった。
 浴槽から上がったばかりの、濡れて火照った身体を抱き留めながら、すっかりきれいになった髪から立ち上るフローラルな香りを吸い込む。草やら葉っぱやらが付いていた時には分からなかったが、艶の良い亜麻色の髪だ。長く伸ばしたらさぞや美しかろう。
 こんな美しい人の身体に、肌に、この自分が触れている。この醜い自分が。今までの女たちとは違って、彼にはまだ何も与えていない。それなのに自然にこうして、言葉を交わして笑顔を見ることができる。同じ性別が有利に働くこともあるのだと知った。

「きみ、出身は東北かもしれないね。肌が白くてきめ細やかだ」
「そうでしょうか」
「眼と髪の色からすると、外国人の血が混じっているのかもしれないね。フランス人のお父さんと、秋田美人のお母さんとか」
「そうかもしれませんね」
「職業はきっと、タレントとかモデルとか、そういう華やかな世界にいたんじゃないかな」
「いや。もっと男らしい職業だったと思うんですけど」
 何故だかそこだけはきっぱりと否定する彼の肩を掴み、脱衣籠の前に立たせる。生まれたままの美しい姿。
「普通の男だなんて思えないな。こんなに綺麗なのに。……なんで怒るの、褒めたのに」
「すみません。なんか不愉快な気分になって」

 省吾の心からの称賛を不機嫌な顔つきで辞退して、彼はパジャマに手を伸ばした。脱衣籠の中に、汚れて丸められた自分の衣服があるのを見て、
「ワイシャツにスラックスに無地のネクタイ。タレントやモデルなら、もっとそれらしい服装をしていると思いますけど」と省吾の意見を否定した。
 なるほど。観察力はあるし頭もよさそうだ。となると、あの身分証は残念ながら本物だ。
「上着はどこでしょう?」
「なぜ?」
 急に尋ねられて、つい質問で返してしまった。彼は、自分が上着を着ていたことを覚えている、その上着を省吾が隠したことに気付いた。その予想が省吾を焦らせた。
「上着の中に、財布や身分証が入っていたかもしれないと思いまして」
「上着はなかった」
 省吾は強く言い切った。
「崖から落ちた時、木の枝にでも引っ掛けてしまったんだろう。でなけりゃ猿が毛布代わりに持って行ってしまったか」
 咄嗟に考えた言い訳が、するする出てくる。幾人もの恋人たちと仮初めの日々を送るうち、省吾が身に付けたスキルだ。
「そうですか。残念です」

 肩を落として、彼はパジャマに袖を通した。白いレースの付いたパジャマは、彼の透き通るような美貌によく似合った。
「……これって女物ですよね」
「我慢してくれよ。僕のじゃ大き過ぎるだろ」
「いいえ、構いませんけど。誰のなのかなって思って。省吾さんの彼女ですか?」
「うん、そう。別れちゃったけどね」
 え、と可愛らしい声を上げた後、彼は省吾に向かって済まなそうに頭を下げた。「立ち入ったことを聞いてすみませんでした」と素直に謝る態度に、省吾はますます彼に惹かれていく自分を感じた。人間、素直が一番だ。ツンデレだかヤンデレだか知らないが、いま流行りの女の子は複雑で面倒臭い。

「いいよ。彼女とは潮時だったんだ。そのおかげで君に会えたようなもんだし」
「え?」
「実はね、彼女が黙っていなくなったから探しに出たんだよ。この森は迷いやすいから心配でね。そうしたら君を見つけた」
「いいんですか。彼女を探さなくて」
「書置きがあった。男と一緒だとさ。君を家に連れ帰ってから、サンルームで見つけたんだ」
「一緒に暮らしていたのに書置きだなんて。ひどい話ですね」
「仕方ないよ。僕はこのご面相だからね」
「そんな」
 彼は省吾の言葉を鵜呑みにし、気の毒そうな顔つきになった。同情心が篤くて人を信じやすい性格。実に好ましい。施術を施すにも最適の人格だ。懸念があるとすればただ一つ。彼の上着の中に入っていた身分証だ。
 あの身分証が、省吾の決断を鈍らせていた。気持ちの上ではゴーサインは既に出ている。自分のような醜い人間は、美しいものにはとことん弱いのだ。とはいえ、彼の記憶が戻ったら。もし彼の仲間が彼を助けに来たら。彼の職業は省吾にとって、あまりにも危険だった。

 進むべきか戻るべきか、迷う省吾の背中を押したのは、他でもない彼だった。
「そんなの、ロクな女じゃないですよ。切れて良かったんじゃないですか」
「言うね」
「男の魅力はここです」
 そう言って彼は自分の薄い胸を叩き、ウッと顔をしかめた。背中の打ち身に響いたのだろう。
「省吾さんは親切で、初めて会ったばかりの僕にとてもよくしてくれる。僕は記憶を失って、何処の誰とも分からないのに。素敵な人だと思います」
 微笑まれて、省吾は泣きそうになった。
 本当に、この世には天使のような人間がいるのだ。人を疑うことを知らない、邪心のない美しい人。外見だけでなく、心の芯まできれいなひと。

 美しい人の美しい顔が、ふと曇った。躊躇いがちに訊いてくる、やさしさで潤った瞳。
「あの。僕、何かいけないこと言いましたか」
 堪えたと思っていたのは錯覚だった。省吾はとっくに涙を流していた。
 泣き笑いの顔で省吾は言った。
「そんなことを人に言われたのは、生まれて初めてだったから」




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(6)

 お盆休みも終わりました、と思ったら入札が6件(・◇・) 
 休み明けの積算、きついー。アタマ回んないよー。
 第九メンズがこんなこと言ったら、ものすごい雷が落ちるに違いない。仕事しよ。

 お話の方は、今日からカエル再開でございます。
 こっちもいい加減ヤバい状況ですけど、お盆SSに比べたらへっちゃらだよねw




カエルの王子さま(6)






 その夜一晩中、中園はテーブルに置いた電話を眺めて過ごした。自宅に帰ってから掛かってきた電話は4件。そのすべてが同じ男からのものだった。
 地元警察から発見の電話があったらすぐに連絡するから、と再三言い聞かせたにも関わらずしつこく掛けてくるから、「君からの電話を受けている最中に所轄から連絡が入って、こちらの対応が遅れたらどうするんだ」と脅してやったら静かになった。その代わり、30分おきにメールが来るようになった。

 ふと壁掛け時計を見やれば、深夜の3時半。夜半過ぎから降り始めた雨の音だけが、静まり返った家の中にひっそりと響いている。
「寝なさいよ、青木くん」
 明日も仕事なんだから、と、それは中園も同じことだったが。
 自分と青木だけではない。今夜はまんじりともせず夜明けを迎えるものが何人もいるはずだ。おそらく、中園の上司も。

 崖から落ちた薪が重傷を負って動けない、上着につけた救難信号のスイッチさえ押せない状態であろうことはほぼ確定的だった。県内の病院を虱潰しに当たった県警が彼を見つけられなかったなら、彼はまだあの森の中にいるのだ。この雨に体力を奪われて、人知れず命の灯を消そうとしているかもしれない。それだけでも十分過ぎるほどの脅威なのに、さらにもう一つ、中園の白髪を増やす仮説が浮かび上がった。
 薪が自分の身と引き換えに助けた、件の女性だ。
 彼女は精神的にも肉体的にも、健常者の領域を遥かに超えていた。何かにひどく怯えており、話を聞くどころか、安定剤なしには傷の手当さえできない状態だった。彼女の身体には、ありとあらゆる種類の傷が数えきれないほどに刻まれていた。打撲痕に切り傷、火傷、鞭の跡まで。明らかに他者の手によるものであった。
 おそらく彼女は何者かに長期間監禁され、日常的に暴行を受け、ついには精神に異常をきたしてしまったのだろうと言うのが医師の所見であった。

 知らなかったこととはいえ、そんな女性を車のトランクに閉じ込めた。青木が彼女にしたことは、何が何でも隠さなくてはいけない状況になってきた。
 いや、重要なのはそこではなく。薪がその犯人の魔手に落ちたかもしれないという可能性だ。

 明らかにサディズムの傾向を持った相手だ。すぐには殺されないだろうが、何をされるか分からない。死んだ方がマシだと言う目に遭わされるかもしれない。実際に、彼女は精神に異常をきたしてしまったのだ。
 一刻も早く犯人を見つけ出す必要がある。だが、捜査資料は白紙だ。被害者の供述が得られない以上、森の近辺に住居を構えているであろうことくらいしか指標を立てられない。加えて、薪がその犯人に捕まったと言う確証は何処にもない。でも。
「薪くんだからなあ」

 薪は運が悪い。目を瞑って右と左どちらかの道を選べば、必ず行き止まりかひどい時には崖。そういう男なのだ。しかし、中園個人の予感だけでは、県警を動かして森を一斉捜索させるなんて大がかりな戦術は取れない。万が一、薪がひょっこり出てきたりしたら官房室の失点になる。自分のミスは小野田の足を引っ張る。軽はずみな真似はできない。
 官房長だ首席参事官だと権力が服を着て歩いているように思われているが、様々な制約があって、思うように動けないのが現実だ。警察機構に於いて肩書は大事だが、その分不自由を強いられるのも事実だ。

 ――こんなとき。薪を助けられるのは、何物にも縛られずに行動できる人間なのだろう。

 ふと、薪を人質にして第九に立てこもった男を思い出す。
 まったく、青木は薪が絡むと無茶をする。普段の温厚な彼からは想像もつかない無茶ぶりだ。愛ゆえだか何だか知らないが、そのたびに尻拭いをさせられるこっちは堪ったものじゃない。

 そんな風に、つらつらと愚にもつかぬことを考えながら夜明かしをした翌朝、中園は出勤直後に第九を訪れた。朝になって急に激しさを増した雨に、ズボンの裾を濡らしながらの訪問であった。
 室長不在の第九は騒然としていた。薪が行方不明になったことは昨日のうちに伝わっていたはずなのに、こうも尾を引くものだろうかと訝しがっていると、中園の姿を見つけたメタボ体系の第九職員が泡を食ってこちらにやってきた。
「おおおおおおはようございます、中園参事官! ご機嫌うるわしゅう!」
 明らかに様子がおかしい。徹夜明けのテンションにしても突き抜けすぎだ。

「今朝は何のご用で?」
「青木くんに会いに来たんだよ」
「なんでピンポイント!?」
 どういう意味? と尋ねたが、曽我は両手で口を押さえてしまった。ぶんぶんと首を振る。窮地を察した小池が、助け船を出しに駆けつけて来た。
「おはようございます、中園さん。青木に何かご用ですか」
「以前岡部くんと一緒に飲んだ時さ、青木くんは薪くんが第九に居ない日は使い物にならない、て零してたんだ。面白そうだから見に来たんだよ」
 中園が得意の憎まれ口を叩くと、糸目とメタボのコンビは顔を見合わせ、
「なら岡部さんの自爆ってことで」
「仕方ないよな」
 頷き合って道を開けた、その先には机の陰にしゃがみ込んで電話をしている岡部の姿。人目を忍んでいるつもりかもしれないけど岡部くん、声も身体も大きすぎだから。

「青木、いいから帰ってこい。おまえが勝手な行動を取ると薪さんに迷惑が掛かるんだよ。いや、確かに今はその薪さんがいない状態だけど。この雨で救助隊も足止めを食ってるそうじゃないか。そんなところに素人のおまえが行ったところで……そりゃ俺だって薪さんのことは心配だよ。でもおまえにみたいに職務を放り投げて探しに行くなんて真似は」
「青木くんかい」
 中園が声を掛けると、岡部はびっくりして飛び上がった。どうしてここが分かったのかと言うように辺りを見回す。自分の大きさに自覚のない男だ。
「や、あの」
「ちょっと貸して」
 戸惑う岡部から強引に携帯電話を奪い取る。耳に当てて、冷静に尋ねた。
「青木くん。なにしてるの」
 全員が固唾を飲んで中園の行動を見守っている。みな一様に目を腫らし、不安な表情をしている。多分、昨夜安眠できた者はこの中には一人もいない。

『すみません、中園さん。これはオレが勝手にやってることですから。どうか室長や副室長の責任問題にはしないでください』
「君はどうしてそんなに無鉄砲なの」
『捜索の仕方は昨日見てましたから。百メートルのロープも3体用意しましたし』
「そういう意味じゃないよ。なんで薪くんのことになると見境なく突っ走っちゃうのか訊いてるの」
『どうしてって』
 中園自身、答えが返ってくるとは思わなかった問いに、青木は易々と答えた。
『薪さんが怪我をしてたら助ける。いなくなったら探しに行く。当然のことです』
 それは部下の思考じゃないと中園は思った。今どき奴隷だってこんなに主人に尽くさない。ここまで主人に忠誠を誓える生物と言えば。

「犬か、君は」
 ハーッと思い切り、昨夜の寝不足による倦怠感を硬直している岡部に向かって吐き出すと、いくらか心が軽くなった気がした。
 精一杯の軽蔑を込めて、中園は冷酷に言い放つ。
「薪くんのイヌならイヌのプライドに掛けて。ご主人さまを探しだせ」



 

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カエルの王子さま(7)

 新しくリンクさせていただいたブログ様のご紹介です。

 なみたろうのブログ ←ポチると飛べます。

 すでにご存じの方も多いと思いますが、なみたろうさんは優れた絵師さんです。本当に上手。
 技巧もさることながら、描かれる薪さんがわたしの好みど真ん中なんですよ~!
 表情がね、とっても良くて。綺麗で凛々しくて切ないの。イラストの背景を深読みしたくなる、物語性のある絵を描かれる方です。
 わたしが紹介文を書くより、見てもらった方が早いし、間違いなく伝わると思います。まだチェックがお済でない方は、ぜひご覧になってくださいねっ!
 

 さて、お話の方は、あー、けっこう放置してましたね(^^;) ごめんなさい。
 入札は終わったんですけど、施工計画のやつがね、元請2本あるからね。下請けと合わせて3本だからね。打っても打っても終わらない(笑)
 今日もこれから仕事しますー。これを提出しないと工事に入れないと言う建前もありますが、本音は、
 全部終わらせて、すっきりした気持ちでメロディ読みたいから。←社会人失格。
 いいのよ、仕事さえきちんとやれば。心掛けなんか見えないんだから。←人間失格。




カエルの王子さま(7)





 さっきから一向に減らない皿の中身を見て、省吾は、彼と此処で暮らすなら使用人を雇わなければならないと思った。省吾は不器用で、家のことなど何もできない。今夜の夕食もレトルトのおかずとパンとインスタントスープだ。彼も男だから似たようなものだろう。家政婦が必要だ。

「ごめんね。こんなものばかりで」
「あ、違います」
 彼に食欲がないのは食べ物が口に合わないせいではなく。では怪我が痛むのかと聞けば、それも違うと言う。
「ちょっと不安になって」と彼は零した。
「男のくせにって思われそうですけど。自分が誰だか分からないことが、こんなに怖いものだとは思いませんでした」

 省吾が彼を自分の家に連れ帰ってから、3日が過ぎていた。打撲による痛みは大分治まって、怪我による発熱もなくなった。無理をして風呂を使ったせいか初日は熱が高くて、省吾は慣れない看病に大わらわだったのだ。
 翌日には熱も下がって、彼はベッドの住人になった。生憎の雨で山の風景も楽しめず、退屈そうにしていたから自分の小説を何冊か貸してやった。しかし彼は恋愛小説には興味がないそうで、推理小説かサスペンス物はないかと聞いてきた。残念ながらそのジャンルは省吾の方が苦手で、苦し紛れに父が購読していた古い科学専門誌を与えてみたら、それが大層お気に召したらしく、一日中、飽きもせずに読んでいた。まったく変わった子だ。
 その間、彼を訪ねてくる者はいなかった。それを不思議とも思わない。3日前から降り続いている雨が救助隊を足止めしている事実は省吾の与り知らぬことであったが、これまでもずっとそうだったのだ。この家は、森のほぼ中心に位置している。ここに家があること自体、だれも知らないのだ。

「本当に、僕は何者なんでしょう」
 3日目に入り、残る不自由は右足の捻挫のみとなった。食事もこうしてダイニングで摂れるようになった。しかし、肝心の記憶の方はさっぱりだった。彼は未だに自分の名前すら思い出せなかった。
 記憶はすぐに戻るものと、彼も始めは楽観的に考えていたのだろう。それが3日たっても思い出せず。頭の中の霧は晴れたのに、そこには何もなかったのだと、彼は困惑しきった瞳で省吾を見上げた。
 こんな瞳で頼られたら、誰だって慰めずにはいられない。その細い肩を抱いて、「元気を出せ」と励ましてやりたくなる。省吾は自分をいい人間だとも優しい人間だとも思っていないが、どういうわけか、彼はひとにそんな気を起こさせるのだ。
「大丈夫だよ。きっと今頃、君の知り合いも懸命に君を探しているよ。明日になっても君の記憶が戻らないようだったら、僕が街の警察署に行って、捜索願が出されていないか確認してきてあげるよ」
「警察……」
 そのキーワードを、彼は口の中で繰り返した。何の気なしに発してしまったが、それは彼の記憶に密接に結びついているに違いなかった。

 とんでもないドジを踏んでしまった。彼がそこから記憶を引きださないうちに話題を変えなければと、省吾はやや唐突に昔話を始めた。
「僕の母も失踪したんだ」
 え、と彼が思索の淵から顔を上げる。驚きに目を見張った彼の顔にどきりとした。なんて可愛らしい。
「父と僕を捨てて、男と逃げた。母は大層きれいな女性だったけれど、父との間に愛はなかった。父は資産家でね、優れた科学者でもあった。特許をたくさん持っていて、だから僕も生活に困ったことはない。母が父と結婚した理由も、つまりはそういうことだったんだろう」
 省吾の打ち明け話に、彼は気の毒そうに眉を下げ、省吾を慰めようとしてかこんなことを言った。
「母親が子供を置いて行くのは、身を切られるような辛さだと聞きます。きっとお母さんにも事情があったんですよ」
「普通の母親ならね」
 省吾は苦く笑った。あの女のことは思い出したくもない。

「母は、一度も僕を抱かなかった」
 そう、ただの一度も。

「理由は僕が醜かったからだ」
「まさか。自分の子供でしょう?」
「母は僕が小さい時に家を出てしまったから、父から聞いた話だけど。実際、僕にも母に抱かれた記憶はないんだ。世の中にはそんな母親もいるんだよ」
 自嘲する省吾に、彼は言葉を失った。とても困った顔をしている。彼の素直さが愛しかった。
「あの女に最後に言われた言葉だけは、今も胸に突き刺さっている。『なんて醜い。お父さんそっくり』」
 美しい女性ばかりを選んで苛む己が性癖は、母親に捨てられたことが原因になっているのだと、省吾自身理解していた。自分を捨てて行った女への思慕が自分をサディズムへと駆り立てる。不毛極まりないサイクルだと分かっていたが、自分でも止められなかった。

「いやあ、劣性遺伝て怖いねえ。僕は父の醜さと母の残酷を受け継いでしまったんだね」
「そんなことはありませんよ。省吾さんはご自分でおっしゃるほど不細工じゃないし、やさしい人です」
 世話になっている礼のつもりか、彼は省吾の外見に対してお世辞を言い、だけどそれは少なからず省吾のプライドを傷つけた。だから次に省吾の口をついて出た言葉は、多少の毒を含んでいた。
「きれいな人にはね。君がブスだったら助けなかったよ」
「ふふ。冗談ばっかり」
 省吾は冗談を言ったつもりはなかったが、彼は可笑しそうに笑った。彼の笑い声は、部屋を明るくした。テレビもオーディオもない部屋で、それは貴重な音楽になった。

 省吾の家には娯楽と呼べるものは何もなかった。テレビもラジオも置いていない。そもそも電気がきていないくらいだから固定電話もないし、もちろん携帯電話も通じない。しかしながら最低限のライフラインは確保されており、日常生活に不便はなかった。水は深井戸で街の水道水より余程美味だったし、電力は太陽光システムと自家発電まで完備されていた。家の南側にずらりと並んだ太陽光パネルは、父が市販のものを改良した高効率のパネルで、家一軒には十分すぎるほどの電力を生み出していた。
 省吾と同じくらい醜かった父は、その優秀さゆえに世間に注目されることも多く、結果、省吾以上に辛い目に遭ってきた。優秀な科学者であり技術者でもあった彼は、この森の中に秘かに研究施設を設立し、住居スペースに美しい妻と幼い子を住まわせ、人目を避けて研究に没頭した。研究に使う材料を仕入れるために父が街へ出ることはあったが、誰かが訪ねてくることはなかった。父は誰にも自分の住居を教えなかった。
 だから省吾は、小さい頃からずっとひとりぼっちだった。勉強は父が教えてくれたが、学校には行っていない。調べたことはないが、もしかすると戸籍もないのかもしれない。ともかく、極端に人付き合いを拒んだ父親のせいで、省吾が孤独な人生を送ってきたことは確かだった。

 それは、自分そっくりの容姿を持った息子に対する父なりの愛情だったのかもしれない。子供だけは自分のような辛い目に遭わせまいと、世間の残酷から省吾を必死に守ってくれたのかもしれない。だけど。
 省吾には、楽しいことなど何もなかった。こんな風に、他人の笑い声に包まれたことも。
 こんな気持ちになったのは初めてだ。この子といると癒される。美しいだけじゃない、彼には人をやさしい気持ちにする何かがあるのだ。美しい女性を前にすると、省吾は必ずと言っていいほど凶暴な衝動に襲われた。それがないのは、彼が男性だからという理由だけではない。彼は特別な人間なのだ。
「省吾さんは善い人ですよ。見れば分かります」
 やり直せるかもしれないと思った。彼がいれば、彼が自分の傍にいてくれれば。

「ねえ。君の名前を決めないか? 短い間とはいえ、名前がないと不便だし」
 そうですね、と彼が頷いたので彼の意見を聞いたが、彼は右手を口元に当てて考え込んでしまった。自分で自分に名前を付けると言うのはあまり例がないことで、要は一般的ではない。普及しないのはそれが困難を伴うからだ。
 名前には、将来の夢や希望が詰まっている。こういう人間になって欲しい、と願って親は子に名をつける。それは親が子に一番最初に示す人生の道しるべだ。親から与えられたものならそれに報いる努力はするだろうが、名前通りの人間になれなかったとしても自分に責任はない。が、自分がそれを為してしまったら逃げ場がなくなってしまう。だから自分に名を付けるという行為は難しいのだろう。

「僕が決めてもいいかな?」
 どうぞ、と微笑んで、彼はパンをちぎった。一口で食べることができる上品な大きさ。一つ一つの仕草が洗練され、品が良くて、それが嫌味にならない。元子爵とか、そういう世界の人かもしれないと、省吾は彼の血筋を想像した。
「ええと、何がいいかな」
「いいですよ、なんでも。省吾さんが呼びやすい名前で」
「イメージから言うと『静』とか『薫』とか、女性的で綺麗な名前が浮かぶんだけど」
「もっと男らしい名前だった気がします」
 なんでもいいって言ったじゃない。苦笑して、省吾は冗談とも皮肉ともつかない応えを返した。
「俗に言う名前負けってやつだね」
「ンだと、こら」
「えっ」
 聞き間違えかと思った。本人もびっくりしたらしい。あのような言葉を吐いたとは思えぬ愛くるしい口元を手で覆って、あれ? と首を傾げた。
「すみません、反射的に……なんか僕、キレイとか女っぽいとか言われるの、すごく嫌みたいです」
「そうかい。これから気を付けるよ」
 美しいという言葉が褒め言葉にならないなんて。変わった子だ。

「じゃあ、サトシはどう? 聡明の聡と言う字でサトシ」
「漢字は必要ないんじゃ」
「必要だよ。聡明の聡と俊敏の敏ではイメージが全然違うだろ」
 はい、と彼はうなずいた。その瞬間から、彼は『桂木聡』と言う人間になった。
 いい名前だと思った。美しく聡明な彼に相応しい名だ。

 苗字に自分の姓を付けていることから察せられるように、省吾はもう、彼を元の世界に帰すつもりはなかった。彼がもしも正常な記憶と健康な体を持っていたなら、今までの女たちと同じように、例の施術を行っていたところだ。
 しかし、できればあれはやりたくない。何度も繰り返せば壊れてしまうし、何よりもあれで作られるものは紛い物にすぎない。その事実が余計に省吾を残酷にするのだ。
 省吾だって、本当は彼女たちに優しくしたかった。自分が凶悪な人間であると罵られるより、優しい人間であると褒められた方が誰だって嬉しいに決まっている。それをさせなかったのは彼女たち自身だ。
 でも彼なら。省吾をやさしいままの人間でいさせてくれる。
 記憶が無く頼る人もなく、不安の中で遠慮がちに省吾に手を伸ばす。この状態の彼こそが、省吾の魂を救ってくれるのだ。

「天使みたいだ」
 思わず零れた本音は、彼の耳に入って彼を戸惑わせた。持っていたスプーンを置いて、そっと右手を自分の口元に当てる。俯き加減になる彼を見て、省吾は慌てて謝った。
「ごめんごめん、こういうこと言われるの嫌だって言われたばかりだったね」
「いえ、そうじゃなくて」
 彼はそれを言っていいものかどうか迷う風だった。口に出すことによって嫌な予感が現実のものとなる。そんな不安からくる躊躇いが、彼の口を重くしていた。
「僕はとても罪深い人間のような気がします」
 しばしの沈黙の後、彼は言った。
「熱が高かった時、夢を見たんです。僕の両手は、誰かの血で真っ赤に染まっていました」
 その夢は、彼が恐れているような過去を彼にもたらすものではないと省吾は思った。彼の職業は刑事。ならばそれは殺人事件の捜査か、最悪でも犯人を射殺したとか、そんな記憶が見せた夢だろう。
「もしかしたら犯罪に手を染めていたのかも。不安でたまらないのも、そのせいかもしれません。せっかく省吾さんに助けていただいたのに……」
 省吾を見上げた縋るような亜麻色の瞳に、彼の躊躇いにはもう一つの意味があったのだと知る。自分の経歴が他人に言えないようなものであった場合、省吾が自分に悪感情を抱くかもしれない。嫌われたくないと思ってくれたのだ。嬉しさに舞い上がるように、省吾は彼を明るく勇気づけた。

「そんなことはないよ。万が一、君が人を殺めたことがあったとしても、それは仕事だったからだろう?」
「仕事? 僕の仕事について何か分かったんですか」
 また口を滑らせてしまった。そして彼は刑事。人の言葉尻を捕えるのが上手い。
「いや、あくまでも一般論でさ。例えば軍人とか、仕事で人を殺さなきゃいけない人だっているじゃない。いくら仕事だと言っても実際に人を殺してるわけだから、罪悪感は付き物だろう。君のもそういうことじゃないのかな」
 省吾の説明に、彼はいつものように素直に頷いた。それから遠くを、まるで自分が置いてきた世界を俯瞰するように眼を伏せて、
「もしもそうなら」と呟いた。
「思い出さない方が幸せなのかもしれませんね。そんな仕事に戻りたくないし」
 どくん、と省吾の心臓が跳ねた。彼も今の状況の継続を、省吾との生活の延長を望んでいる。もしかしたら、本当に彼と愛し合って暮らしていけるかもしれない。

「すみません、勝手なことを言って。省吾さんにご厄介になってるのに」
「僕はいいよ。ずっと君に此処にいて欲しい」
 食事を終えてトレイを差し出した、彼の右手を捕まえた。邪魔な食器を横に追いやり、小さな手を包み込むように握る。
「こんな森の奥で一人ぼっちで暮らしているの、本当は寂しいけど仕方ないんだ。この容姿じゃ人前に出られないから」
 そんなことないですよ、と彼が入れてくれたフォローを、省吾は敢えて無視した。自分の醜さは自分が一番よく知っている。実の母親にさえ疎まれた、この顔。
「だから君が此処にいてくれるの、僕はとても嬉しいんだ」
 省吾は彼の細い身体を抱いた。抱きしめてしまえば顔は見えなくなる。彼にとってもその方がいいはずだ。相手の醜い顔を見なくて済む。こうして眼を閉じてしまえば、人肌のぬくもりだけが感じられる。

「君さえよければ僕と、うわっ!」
「あ、すみません。手が勝手に」
 投げ飛ばされた。さすが警察官。腰をさすりながら起き上って、省吾は自嘲した。
「いいよ、無理もない。僕みたいな醜い男じゃ」
「いやあの、顔がどうこうじゃなくて。省吾さん、男でしょ。男に触られるの気持ち悪いです」
「え。きみ、男ダメ?」
「普通ダメでしょ」
 この顔と身体で普通とか言われても。
 そういうことなのか、と省吾は我が身を省みて納得した。自分が醜いせいで他人から謂れのない迫害を受け続けたように。彼はその美しさゆえに他人に誤解を受けて、だからキレイという言葉は彼にとって禁句なのだ。

「ごめんなさい。省吾さんのことは好きですけど、こういうことはちょっと」
「今、なんて」
「……キスは無理です」
「ちがう、その前」
「手が勝手に」
 戻りすぎ。
「僕のこと、好きだって言った?」
 恐る恐る聞いてみる。聞き間違えだったらえらい赤っ恥だが、どうしても確かめたかった。
「好きですよ。当たり前じゃないですか」
 省吾の問いに、彼はにこりと微笑んだ。誰かに面と向かって好きと言われたのも初めてなら、好意を打ち明けた相手にこんな風に微笑まれるのも初めてだった。それから、
「こんなによくしてもらってるのに。省吾さんが変態だったからって、嫌いになんかなれません」
 さらっと変態扱いされたのも初めてだっ!

「違うよ、僕は変態じゃない。今まで男の子を好きになったことなんかないよ」
 省吾の言葉を信じたのかどうか、彼は曖昧に笑った。しかしそのはちみつ色の瞳は曇ることなく、糖度を増したかのようにゆるりときらめいた。
 今や省吾は彼との出会いに運命すら感じるほど、彼に惹かれていた。
「君は特別だ……聡」



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カエルの王子さま(8)

 明日はメロディの発売日!
 ツイッター情報によると、今回は岡部さんが表紙らしいですね(笑)←嘘です。でも、本当にそうだったら記念に2冊買います♪

 嬉しいことに、今年は仕事の出が早くて、8月から準備に追われてます。おかげでブログに割ける時間が減ってしまっているのですが、お話には気長にお付き合いくださると嬉しいです(^^


 

カエルの王子さま(8)





 桂木家に闖入者があったのは、その翌朝。降り続いた雨がようやく上がった日のことだった。
 どうやらあの雨の中、森を彷徨ったらしい。その男はずぶ濡れの上にひどく汚れて、風体はまるで浮浪者のようだった。無精ひげの生えた頬は枝に引っかかれて傷だらけだったし、眼鏡には泥汚れの跡があった。
 だが、その体格はとても立派だった。長身で足が長く、汚れを落とせば顔もよさそうだ。年は省吾よりも10歳くらい年上に見える。となると彼との年齢差は15歳くらい。彼の上司かもしれない、と省吾は男の素性を類推した。

 眼鏡の奥の充血した眼でしっかりと省吾を見て、男は青木と名乗った。
「人を探しています。この森で行方不明になったんです」
 心当たりはありませんか、と彼は思い詰めた様子で訴えた。
 知らない、と省吾は答えた。青木が省吾の嘘を見破ったのかどうかは分からない。青木は、この家の中を調べさせてくれと言いだした。
「なんだい、失礼な」
「あなたのではない靴があるようなので」
 玄関に置きっぱなしになっていた彼の靴を指して、青木は言い募った。目ざとい男だ。思った通り青木は彼の上司、つまりは刑事だ。中に入れるわけにはいかなかった。
「それは弟のものだ。ここには僕と弟の二人だけだ」
「弟さん、ですか」
 泥に汚れたメガネの奥で、黒い瞳がきらりと光る。疑いを持った刑事の眼。脛に傷持つ身だからか、青木の一言一言に過敏に反応してしまう。落ち着け、と省吾は自分に言い聞かせた。
「弟さんにも話を聞きたいんですけど」
「あいにく弟は病気で療養中だ。会わせられないよ」

 玄関先で押し問答をしていると、騒ぎが耳に入ったのか、彼が部屋から出て来てしまった。手摺に掴まり、未だ痛みの残る右足を引きずるようにして歩いてきた彼は、階下の様子が眼に入ったのか、踊り場で立ち止まった。
 部屋に入っていなさい、と彼に声を掛ける暇もなかった。青木は非常識にも靴のまま、省吾を一足飛びに置き去りにして階段を駆け上った。階段は全部で12段あるはずなのに、廊下に響いた彼の足音はたったの3回だった。

「よかった。無事だったんですね」
 あっけにとられた省吾が我に返って振り向いた時には、青木は彼をしっかりと抱きしめていた。会社勤めをしたことがない省吾にはよく分からないが、上司と言うのは部下の無事を確かめた時、こうして抱きしめるものなのだろうか。
 否々、そんなはずはあるまい。夜の森が非常に危険であることは子供でも知っている。野犬は多いし、灯りがないから遭難の危険も高い。青木はそれを推して彼を探しに来たのだ。単なる仕事仲間の為にそこまでするものか。少なくとも、青木は彼に特別な感情を抱いているに違いない。
 百歩譲ってそれが友情だとしても、その光景は省吾にとって大きな打撃だった。昨夜、省吾を投げ飛ばした彼が、青木の抱擁は受け入れてじっとしている。青木に抱きしめられて、うっとりと眼を閉じている。ショックだった。
 男に触られるのは気持ち悪いと言った彼の言葉は、やはり嘘だったのだ。自分がこれほどまでに醜くなければ、彼に受け入れられる可能性は十分にあった。
 いずれにせよおしまいだ。知り合いに会えば、彼は記憶を取り戻すだろう。省吾が恋をした「桂木聡」という人間は何処にもいなくなる。いつかは来ると覚悟はしていたが、その終焉はあまりにも唐突だった。

 しかし次の瞬間、青木は彼に投げ飛ばされていた。省吾の時よりも時間が掛かったのは、立っていたために右足の踏ん張りが利かなかったのと、青木が省吾よりも遥かに大きかったせいだ。
 突然響いた男の悲鳴と共に、家の床全体が振動した。何が起きたのかと顔を上げれば、階段を転がり落ちてくる青木の姿。階段落ちする人間を省吾は生まれて初めて見た。はずなのに。
 これと同じ光景をどこかで見た、と省吾は思った。
 何故、階段落ちにデジャビュを感じたのかは分からない。或いは小説の中だったか、それとも昔、プレイ中に女を階段から突き落としたことがあったのか。

 玄関の大理石にしたたか背中を打ち据えた青木を、省吾は思わず助け起こしていた。身体が自然に動いたのは、図らずも昨夜の自分と同じ憂き目に遭った青木に同情したからだろうか。
 振り仰いで彼を見ると、彼は踊り場に座り込んでいた。力を込めた右足が痛むのか、下を向いて、痛みに耐えるように眉を寄せている。前の彼女が残していった服を着て、それはなんとも可愛らしい姿だった。
「聡。大丈夫かい」
 省吾は苦笑し、彼に話しかけた。
「何もここまでしなくても。知り合いなんだろう」
 本音では、彼が青木を拒絶してくれたのがうれしい。それを気取られないよう僅かな非難を口調に忍ばせる。彼のいる踊り場まで省吾が階段を昇っていく間、彼は顔を上げ、じいっと省吾の顔を見つめていた。研磨された宝石のように澄んだ琥珀色だった。

 省吾が踊り場に到達すると、彼はちらりと階下にいる青木を見下ろし、
「いえ。知らない人です」
「な、なに言ってんですか。オレです、青木です」
 青木と同じくらい、省吾もびっくりした。知り合いの顔を見ても記憶が戻らないとは。記憶障害は省吾には馴染み深い病気だが、天然ものは初めてだ。やはりマニュアルは使えないようだ。

 彼に投げ飛ばされて幾らか冷静になったのか、青木は、やっと気が付いて靴を脱ぎ、靴下のまま階段を上って来た。森を歩いているうちに靴の中に泥が入ったのだろう、彼の靴下は土足となんら変わりなかった。
 省吾たちと同じ踊り場までやってきた青木は、彼の前にその長身を屈め、
「本当にオレを覚えてないんですか」と彼に自分の顔を近付けた。彼がやや邪険に首を振ると、青木はすっと身を引き、
「仕方ないですね。この手はあんまり使いたくないんですけど」
 言いながら、彼は気乗りしなさそうに眼鏡を外すと、オールバックにまとめた髪を手櫛でほぐし、前髪を額に垂らした。
「この顔に見覚えは?」
「あ、鈴木」
「じゃあこっちは?」と青木が再びメガネを掛けて手のひらで前髪を上げると、
「知らない」
「はいはいはいはい! どんな状況でも鈴木さんのことだけは覚えてるんですよねっ、オチは分かってましたけどね!」
 さめざめと涙を流す大男を見て省吾は思った。この男、ちょっとアタマ弱いんじゃないか。

「鈴木ってだれだい?」
「さあ。なんか自然に浮かんできて」
 どうやら青木の奥の手は効かなかったらしい。省吾は聡に手を差し延べ、彼の身体を抱き上げた。聡は省吾の首に腕を回して自分の身を安定させると、床にへたり込んだままの大男を冷たい目で見下した。
「どうせオレなんか何年経っても鈴木さんに比べたら」
「なにを言ってるのか分かりませんけど。とにかく、僕はあなたなんか知りません。帰ってください」
 冷たくて厳しい声だった。省吾は初めて見る彼の厳格に、思わず唾を飲み込んだ。それほどの威圧感だったのだ。彼の職業を思えば、それは普通の態度だったのかもしれないが。

 だが青木も警察官。彼と真っ向から睨み合った。場の緊張が極限に達すると一般人の省吾は居たたまれなくなり、均衡を崩す目的で彼の言葉に追従した。
「聡もこう言ってることだし。帰ってくれないかな」
「サトシじゃありません。あなたの本当の名前は」
「誰かとお間違えじゃないですか」
 彼はその先を青木に言わせなかった。
「僕は桂木聡です。省吾兄さんの弟です」
 亜麻色の瞳がギラリと光った。まるでゴーゴンの瞳でも見たかのように、青木はその場に凍りついた。

 はっきりとした拒絶。彼は全身で青木を拒んでいた。

 それを悟ったのか、青木は深々と一礼し、「申し訳ありませんでした」と自分の暴挙を詫びた。名残惜しそうに彼を見ていたが、彼が自分に一瞥もくれない事を知ると、肩を落として帰って行った。





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カエルの王子さま(9)

 メロディ読みましたー。
 追記にちょこっとだけ感想入れておきます。ネタバレいやんな方、見ないでね☆







カエルの王子さま(9)





「ありがとう、聡。話を合わせてくれて」
 青木に付けられた泥靴の跡を拭き取りながら、省吾は彼に礼を言った。彼は踊り場に座って左足を抱え、省吾の働く様子をじっと見ていたが、省吾に話し掛けられるとクスッと笑って、
「あの男、どう見ても普通じゃありませんでしたから。関わり合いにならない方がいいと思って」
「それにしても、聡は強いな」
「ありがとうございます」
「それに、怒るとおっかない」
「それは相手によりますよ」

 危機を脱した興奮が、省吾を包んでいた。口をついて出る軽口はその証拠だ。二人は共犯者のように微笑み合い、軽い揶揄を含んだやり取りを楽しんだ。彼も乱入者を撃退したことに興奮していたのかもしれない。掃除を済ませた省吾が彼を迎えに行くと、手摺に掴まって立ち上がりながら、はしゃいだ調子で言った。
「それよりも省吾さん。今日は僕が朝食を作ったんですよ」
「な。怪我が未だ治らないのにどうしてそんな無理を、――聡、料理なんかできるの?」
「普通できるでしょ」
 どうも彼とは普通の概念が噛み合わない。尤も、省吾の「普通」はこの狭い世界の中の普通だから、彼の方が正しいのだろう。
「足はもう大分いいんですよ。さっきの背負い投げ、見たでしょう?」
 悪戯っぽく笑って、彼は省吾を食堂に案内した。

 彼の作った朝食は見事だった。材料は冷蔵庫にあったものを適当に使ったと言っていたが、大したものだ。あれらをどう調理すれば食べられるものになるのか、彼女がいなくなってからはお手上げだったのだ。
 省吾は朝は苦手で普段から朝食は食べないのだが、招かざる客のおかげでテンションが上がっていたせいもあって、食事がとても美味しく感じられた。温かなスープの湯気の向こうには彼の美しい顔がある。朝食が食べられる時間に起きれば、毎朝この顔が拝めるわけだ。
 明日からは7時に目覚ましをセットしよう、と省吾は心に決めた。
「すごく美味しいよ。これなら家政婦を雇う必要はないね」
「家政婦を雇う予定があったんですか?」
「いや。でも、君のために食事が作れる人間が必要だと思って。僕は不器用だから、洗濯と掃除くらいは何とかなるけど、料理は難しいよ」
「そうですか? やってみると案外楽しいですよ」
 これだけ料理が上手いところをみると、彼は独身だったのだろうか。指輪もしていなかったし、刑事は農家の次に嫁の来てがない職業だと何かの本に書いてあった気がする。だとすると、彼の捜索願を出すのは彼の親だろうか。

 これが一般人なら、このまま隠しおおせたかもしれない。
 失踪人の捜索は、形ばかりのものとなることが多い。それは失踪したとされる人間たちのなんと6割近くが自発的な蒸発であるという現実があるからだ。残りの3割は依頼者の錯誤や本人との連絡不足で、いなくなったとばかり思っていたのに友だちの家に転がり込んでいたとか単なるプチ家出だったとか、実際に事故や事件に巻き込まれてしまった者は全体の1割に満たない。だから警察も本腰を入れて探してくれないのだ。
 しかし、彼は警察官だ。
 さっきの青木とかいう上司が、署にこの家のことを報告するだろう。そうしたら、もっと多くの仲間が此処に押し寄せてくる。そんなことになったら、省吾は身の破滅だ。
 青木を、このまま帰すわけにはいかない。

「聡がこんなに料理が上手いなら、今日は街に出て食料品を買ってくるよ」
 幸い、省吾はこの森に精通している。街に出る秘密の近道も知っている。森の出口で青木を待ち伏せることは十分に可能だった。
「買い出しですか。お手伝いしたいのは山々なんですけど、僕の右足、長時間は無理みたいです。さっき無理をしたせいか、段々痛くなってきちゃって」
「いいよ。聡は家で待ってて」
 願ったり叶ったりだ。街に出れば彼は様々なものを見るだろう。その刺激が彼の記憶を呼び起さないとも限らない。
「あの、おねだりしてもいいですか?」
 おずおずと申し出た彼に、なんなりと、と省吾は答えた。
「コーヒーが飲みたいんですけど、買ってきてもらえませんか」
「いいよ。銘柄は?」
「特にありません。普通のブレンドでいいです」
「わかった。他には?」
「男物の服を買ってきてください」
 彼があんまり真剣にそれを言うから、省吾は思わず笑ってしまった。女物の服がよほどお気に召さないらしい。

 食事が終わって後片付けに入ろうとした彼を、省吾は止めた。「僕が後でするから」と彼の手を取り、二階の一番奥の部屋に案内した。
「僕がいない間、話相手がいなくて退屈だろう。この部屋を使うといい」
「……すごい」
 父の自慢のオーディオルームを見回して、彼は感嘆の声を上げた。
 研究一筋で趣味らしい趣味も持たなかった父だが、音楽だけは好きだった。古今東西の音楽CDを収集し、専用の部屋を作った。金に糸目を付けずに高価な音響機器を組み合わせ、最高のサウンドで部屋を満たした。CDラックの殆どは著名なオーケストラによるクラシック音楽だったが、ジャズやブルースも混じっていた。その代わり、時代に合わせたホップスは見当たらず、流行りの歌謡曲は皆無だった。

「良い趣味ですね」
「僕じゃないよ。父の趣味だ」
 省吾は父ほど音楽に興味が持てなかった。この部屋はもっぱら、家に招いた彼女たちのために使用していた。
「では、このオーディオルームはお父さまの形見ですか。そんな大事な場所を僕が使っていいんですか」
「もちろん。ここには大事な人しか入れないよ」
 そう、今までにも結婚しようと決めた女性しか入れたことがない。美しく華やかで愛らしく、一生傍に置いておきたいと思った女性しか。
「言っただろう? 聡、きみは特別だ」
 愛を込めた省吾の言葉に、彼はいつものように曖昧に笑い、CDラックを覗き込んだ。

 CDケースに薄く掛かった埃を払いながら好みの音楽を物色している彼に気付かれないように、省吾は一枚のディスクを自分の鞄に入れた。それから、朝の光にきらきらと輝く彼の亜麻色の頭をぽんぽんと叩き、
「じゃ、いい子でお留守番してるんだよ」
「はい」
 鍵のかかった部屋に入ってはいけないと、敢えて省吾は言わなかった。人間、禁止されると余計に気になるものだ。彼はこの家に来て1週間も経たない。遠慮深い子だし、まだ足も痛むようだし、鍵をこじ開けてまで屋敷を探索することはないだろう。

 省吾は彼に見送られてオーディオルームを出ると、屋敷の裏に回った。ここから森を抜けると1時間ほどで街へ出られるのだ。正規の林道――と言っても、一見道とは分からないくらいの獣道だが――を通ると車でも1時間、徒歩では半日は掛かる。あの男の様子では徒歩で来たのだろう。家から林道に出るまで半時間、そこから半日。先回りする時間は十分にある。
 彼を見つけて、青木は仲間に連絡を取ろうとしたに違いない。が、この森では携帯電話は使えない。応援を呼ぼうにも自分が一旦戻るしかないのだ。省吾の目的は、それを阻止することだ。

 省吾は鬱蒼とした森を見やり、ぎゅ、とくちびるを噛んだ。
 ――彼は渡さない。
 財布とディスクの入った鞄を胸に抱き、省吾は森への一歩を踏み出した。



*****



 この下、メロディ10月号の一言感想です。
 あんまりいい感想じゃないので、不快に思われた方ごめんなさい。


* TLで話したりコメントいただいたりして、考えが変わりました。次の記事で新しい感想を上げてます。ので、こちらの感想は消してしまおうかとも思ったんですけど~、
 敢えてこのままにしておくことにしました。消したら反省の気持ちも消えちゃいそうだから。

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カエルの王子さま(10)

 こんにちは。
 続きでございます。


カエルの王子さま(10)





 一方、屋敷を追い出された青木は、困惑して道端に座り込んでいた。
 自分が間違えるはずがない。あれはたしかに薪だった。抱き締めた瞬間硬直し、時間と共に弛緩する身体を青木はよく知っていた。鼻腔を満たした百合の花にも似た彼の香も。
 しかし、薪は自分を知らないと言った。

 考えられる可能性は2つ。薪そっくりの顔と身体と香りを持った人間が偶然あの屋敷にいた可能性。そしてもう一つは、崖から落ちたショックで薪が青木のことを忘れてしまったという可能性だ。
 前者はあり得ない、と青木の捜査官としての経験が告げていた。そんな偶然が横行したら、世の中の9割の犯罪は偶然の産物になる。薪は記憶を失っている可能性が高い。
 昔の親友の顔は分かったのに青木のことはあっさり忘れ去られて、けっこう可哀想な恋人だと自分でも思うが、このくらいで諦めるような青木ではない。薪の非道な仕打ちには慣れている。問題は、どうやって彼の記憶を呼び覚ますかだ。

「応援を頼むか」
 薪が無条件で思い出しそうな人物が、もう一人いる。鈴木と密接に係わっていた女性、雪子だ。しかし、彼女に此処まで来てもらうには時間が掛かるし、目印のロープが張ってあるとはいえ森の中は危険も伴う。
「まあ雪子先生なら大丈夫だと思うけど……あ、そうだ」
 先日、雪子夫婦と四人で食事をしたとき、携帯で写真を撮った。雪子と薪がツーショットで写っている写真もあったはずだ。
「これを見せれば」
 屋敷に引き返そうと思った。省吾とかいう男に門前払いを食うかもしれないが、この写真があれば自分が薪の知り合いだと分かるだろう。さっきは焦って警察手帳を提示することも忘れていた。疲れと空腹でまともな行動が取れなくなっていたのだ。きちんと手順を踏んで協力を求めれば、彼も応じてくれるだろう。

「よし。そうと決まれば、――でっ!」
 いきなり、後ろ頭を誰かに引っぱたかれた。振り返ってみると、そこには恐ろしい顔をした大男が仁王立ちになっていた。
「岡部さん。どうしてここに」
「どうしてじゃねえよ、バカヤロウ。おまえのしたことは職務放棄だぞ」
 自分の行動が規律違反であることは分かっていた。「すみません」と謝りながら青木が叩かれた後頭部をさすると、
「薪さんならこうした」と岡部はしかつめらしい顔で言った。
 やっぱり岡部は甘い。薪なら絶対に蹴りがくる。「すみません」と青木はもう一度謝った。

「こうして岡部さんまで出てきてしまって、第九の方は大丈夫ですか」
「曜日の感覚もねえのか。今日は日曜だ」
 なんと。それでは青木が森に入ってから三日も経つのか。森の中には日の光が届かないほどに暗い場所も多かったし、青木は薪のことが心配で昼夜を問わず歩き続けていたから、時間の感覚を失くしてしまったらしい。
 青木が張っておいたロープのおかげで、岡部は迷わず此処に来ることができた。岡部も登山スタイルにリュックと、それなりの装備を固めてきたようだが、青木のように疲弊してはいなかった。

「ずいぶん時間が掛かったな」
「方向は何となく分かったんですけど、100メートルロープ3体じゃ全然足りなくて。街で新しいロープを調達して、何度も往復しましたから」
「で? 薪さんは見つかったのか」
「はい。ここから30分ほど歩くと大きなお屋敷がありまして、そこに」
「無事なのか」
「ええ、お元気でしたよ。オレを投げ飛ばすほど」
「投げ飛ばされたのか?」
 驚いて口を開けた岡部に、青木は薪を襲ったであろう災厄の内容を語った。

「記憶喪失? 薪さんが?」
「自分の名前も分からないみたいなんです。家の人には『サトシ』て呼ばれてて。オレの顔も覚えてませんでした」
「薪さんがおまえを忘れちまうなんてことがあるのか」
「そりゃあもうさっぱりと。そのくせ鈴木さんのことだけは覚えてるんですよ。オレが前髪下ろしたら『鈴木』って……うううう」
 思い出したら泣けてきた。苦労して探し出した薪に冷たくあしらわれたことより、鈴木に負けたことの方が悔しかった。
「ふうん」
 青木の嘆きに岡部は些少の同情も見せず、太い腕を組んで目を閉じた。なにやら考え込むような岡部の態度が、青木には意外だった。薪の居所が分かったのなら早くそこへ案内しろと言われるとばかり思ったのに。
 肩透かしを味わう青木をよそに、岡部は携帯電話を取り出した。ここでは携帯は通じませんよ、と青木が注意すると、衛星電話だと返された。そこまで用意をしてきたと言うことは、岡部は上官の命を受けてここに来ているのだろう。電話の相手は中園か小野田か、いずれにせよ警察の人間には違いない。

「青木が薪さんを発見しました。ええ、中園さんの予想通りで。はい、プランBです。予定通り決行します。そちらの手配はお願いします」
 どうやら電話の相手は中園で、岡部と彼の間では薪の救出に関する計画が立てられていたらしい。青木は岡部がその計画について、自分に説明してくれるのをじっと待った。

 やがて岡部は電話をポケットにしまい、我慢強く待ち続ける青木を見た。
「青木。家の人ってのは、どんな奴だ」
「省吾って名前らしいです。苗字は分かりません。薪さんのことを自分の弟だって言い張ってました」
 彼は薪の記憶喪失をいいことに、嘘を吐いている。ただ、これまでの経験から青木は知っていた。人が嘘を吐くのには何らかの理由があるのだ。もしかすると省吾は愛していた弟を亡くし、助けた薪を身代りにしているのかもしれなかった。その仮説を裏付けるように、省吾は薪のことをとても大事にしていたし、薪も彼を慕っているようだった。つまり、危害は加えられていないと言うことだ。

 青木は自分の考えを岡部に話した。話を聞いた岡部はしばらく考えていたが、やがて大きく「よし!」と頷いた。いざ、奪還作戦の開始だ。
「青木、メシにしよう」
「はいっ、――はいぃ?」
 てっきり屋敷に乗り込むのだと思っていた青木は、岡部の掛け声と同時に立ち上がり、反対に地面に腰を下ろした岡部を見下ろす格好になった。
「なに呑気なこと言ってんですか」
「薪さんは元気なんだろ。だったら急がなくてもいいだろう」
 岡部は背負っていたリュックを下ろし、その中身を取り出した。水筒と、大きな握り飯が4つと缶詰。タッパーに入った糠漬けの色合いがとてもきれいだった。
 食べ物を見た途端、青木は強い空腹感に襲われたが、ぐっと耐えた。薪をあの家から連れ出す方が優先だ。

「薪さんは記憶が無いんですよ。早く病院へ連れて行かないと」
「記憶喪失ってのは、医者にかかればたちどころに治るってもんでもないだろう。それに、もう一度訪ねたからってその省吾って男が簡単に薪さんを差し出すか?」
「きっと岡部さんが行けば怖くなって本当のことを、い、いえその」
 ギロッと睨まれて青木は口を噤んだ。薪といい岡部といい、どうして優れた刑事ほど目つきが怖いのだろう。
「焦る必要はないさ。日が暮れてからでも」
「日暮れまで待つんですか。どうして」
 日暮れどころか食事をする間すら待てない、と青木は言った。
 省吾の首に回された薪の細い手首が、青木の脳裏には映っていた。薪が元気だとしても、いや、元気になったからこそ安心できない。今までは怪我をしているからと遠慮していた男がオオカミに変身する理由として、先ほどの一本背負いは十分ではないか。

 いても立っても居られない青木とは対照的に、岡部は余裕の構えだった。
「おまえが先走ってる間に解ったことがある。ゆっくり話してやるからとにかく座れ。飯を食ったら顔を洗って、それから夕方まで眠れ。飲まず食わずで森の中をうろついていたんだろう。ひどい顔だぞ」
 ほらよと握り飯を差し出して、岡部はニカッと笑った。
「いつもの甘ったれた間抜け面に戻れば、薪さんだっておまえのことを思い出すさ」


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カエルの王子さま(11)

 今回ちょっとグロイかも~。
 気分悪くなったらごめんね(^^;



カエルの王子さま(11)




 いよいよ日が暮れようとする頃、岡部と青木は丈の長い草に隠れるようにして目的の屋敷に向かった。これだけ遠くから薄暗さに紛れて歩を進めれば、家人に気付かれることはまずないだろうと思われた。

 食事の後、岡部に強制されて横になった青木は、耐えがたい眠気に襲われた。3日間、殆ど眠らずに森を彷徨っていたのだ。当然の顛末だった。
 そんなわけで青木が、自分たちが助けた女性が監禁の被害者だったことを聞いたのは、つい先刻だ。その犯人として有力なのが、薪を保護している省吾であることも。

 岡部が夕方まで待ったのは、実は最初からの計画であった。
 もしも薪の身柄が犯人の手に落ち、青木がその奪還に失敗し居場所のみを突き止めていた場合。救助隊は森の外に待機させておき、岡部と青木によるゲリラ作戦を敢行する手はずになっていた。昼間の電話は、それを報告するものだったのだ。
 犯人の隠れ家には、薪の他にも監禁されている人間がいるかもしれない。だとすると、救助隊が団体で屋敷に急行するのは危険だ。突然屋敷が外敵に取り囲まれたら、犯人はどうするか。普通の人間なら呼びかけによる投降を期待できるが、相手は異常者の可能性が高い。逆上したあげく人質全員を皆殺しにして自殺、なんてことになったら警察幹部は総辞職だ。当然、薪の命もない。

 岡部に命じられたのは、犯人の隠れ家に潜入し、監禁されている人間の数と位置を調べて本部に報告することであった。もちろんこれは第九の職務ではない。捜一の特殊班あたりの仕事だ。それを強硬に志願して勝ち取った。それが警察官として大事な人を守ると言うことだ。職務を放り投げて先走った青木とは違うのだ。
 小野田も中園も、そして自分も。仕事を放りだした青木のことをさんざんに悪く言ったが、その裏には、他のすべてを投げ打ってでも愛する人のために一直線に走っていける、そんな青木への羨望が混じっていた。要は羨ましかったのだ。そこまで誰かを愛せるなんて、幸せな男じゃないか。

「そんな男と二人きりなんて。薪さんは大丈夫でしょうか」
 3人の複雑な胸中など察する様子もなく、青木は心配そうに言った。これから犯人の隠れ家に潜入しようという緊迫した場面で、本当に薪のことしか考えられない男だ。
「あの手合いの男はな、相手が自分に好意を持っている段階では優しすぎるくらい優しいんだ。それが、相手が自分以外の人間に好意を向けたり、自分から離れようとすると手のひらを返したように豹変する。あの女性も多分、逃げようとして折檻されたんだ」
 それはあくまで岡部の予想であって、彼女から供述が取れたわけではなかった。だから令状も下りないし、所轄に捜査を依頼することもできなかった。
「彼女も記憶を失くしていたんですか」
「記憶どころか、完全に壊れちまってたよ。可哀想に」
 それが事実であの男の仕業だとしたら、許せない。省吾が本当にそのような人物なら、何がきっかけで悪魔に変わるか分からない。薪の身が心配だ。
 しかし、と青木は、昼間見た省吾の顔を思い出す。とてもそんな風には見えなかった。線が細くてナイーブそうで、まるで――。

「青木、表門は目立つ。裏に回るぞ」
 岡部の厳しい声が青木の思考を止めた。こくりと頷き、音を立てないように方向を変える。二人の男は静かに屋敷へと近づいて行った。

 屋敷の門扉と塀は高く、中の様子を探ることは不可能であった。裏門には鍵は掛かっていなかった。岡部はそっと中を窺い、大きな体躯に似合わぬ俊敏さで門の内側に身を滑り込ませた。
 青木が自分の後を着いてくるのを確認し、裏扉に手を掛けた。そこに掛かっていた鍵は、岡部が力技で壊した。無音と言うわけにはいかなかったから、少しの間その場で様子を伺っていた。少々手荒いが、省吾が出てくるようなら二人掛かりでふん縛るつもりだった。
 幸いにもそんなことにはならず、二人はほっと胸を撫で下ろした。確たる証拠もないのに家に侵入しているのだ。警察に捕まるとすれば、今は自分たちの方だ。罪の上塗りはしたくない。

 家の中は、異様なくらい静かだった。
 青木は耳を澄ませたが、何も聞こえてこなかった。それでも青木には、薪がいる方向は何となく分かった。それは不思議な感覚で、上手く説明することは青木にもできない。敢えて例を挙げるなら、動物の帰巣本能のようなものだろうか。
 薪は、上にいる気がした。
 青木は岡部にそれを伝えたが、人質の確認が先だと言われた。青木の報告からも解るように、薪は監禁の被害には遭っていない。となると、人質がいるとしても薪とは別の部屋だろう。例え記憶を失くしていても、あの薪が、監禁されている人間を放っておくとは思えないからだ。

 省吾がいくら薪を弟扱いしていても、寝室は別だろう。省吾が自室へ戻る時刻を見計らって薪の救出に向かう。それまでに人質の確認と証拠を集める。それが岡部の計画だった。
 それでは森を抜けるのが夜中になってしまう、と青木は言ったが、相手を刺激すれば薪の身に危険が及ぶと説得されれば反論もできなかった。寝込みを襲って省吾を拘束した後、薪の部屋で彼と一緒に夜明けを待ち、日が昇ると同時に森に入るであろう救助隊を待つ。省吾の抵抗を封じて記憶の無い薪に協力を求めるためにも、省吾が犯罪者であるという証拠は必要なのだ。
 決定的な証拠でなくともよい。女を折檻した部屋でも発見できれば、それで十分だ。調べれば被害者の血が発見されるはずだし、そうしたら傷害罪で告発できる。監禁罪は彼女の証言がないと立証が難しいが、傷害だけでも屋敷に潜入した正当な理由にはなる。

 証拠を探して一つ一つ、順番に部屋を調べていく。二人の注意を引いたのは、裏口から4番目の部屋だった。そこは書庫になっているらしく、大きな本棚がいくつもあって、難しそうな本がたくさん詰まっていた。物理学、音響工学、量子力学、地学など、科学系の専門誌が多かった。
 それに混じって数冊の、きわどい写真雑誌があった。裸の女性が黒い縄で縛られている。いわゆるSM雑誌だ。他の本に比べて発行年月日が新しく、この屋敷の主人がこの趣味を持ったのはここ5年以内のことだと推測された。

「岡部さあん」
 薪がこんな目に遭わされていたらどうしようと、青木は殆ど泣きそうになりながら岡部の名を呼んだ。岡部はカエルの死骸でも見たように顔をしかめ、
「理解できねえなあ、こういうの」
「人の趣味は勝手だとは思いますけど、もしも薪さんが」
「あー、薪さんは好きそうだよな。あの人、他人を苛めるの大好きだもんな」
 誤解です、岡部さん。
「時々犯人が可哀想になる――と、なんだこれ」

 一番奥にある本棚の左端が壁から60度程ずれており、先頭を行く岡部はそこで立ち止まった。裏に回るとドアがある。明らかに隠し部屋だ。驚くことに、ドアには鍵が掛かっていなかった。
 ドアを開けると、さらに奥の方からゴオンゴオンという低い音が聞こえてきた。大型のモーターのような音だ。
「ナフタリン臭えな。消毒薬の匂いか」
 岡部が言う通り薬品のような匂いもするし、なにか大掛かりな電気設備があるのかもしれない。書庫の蔵書から推測するに、ここには科学者が住んでいるようだし、この隠し部屋は実験室とも考えられる。素人が予備知識もなしに入るのは危険ではないのか。

「岡部さん。もう少し周りを調べた方が」
「後ろ首がちりちりしやがる。この先に証拠がある」
 岡部の刑事としての勘が進めと言っている。間違いなく犯罪に関係した何かがあるのだ。それは同時に、危険もあると言うことだ。罠と言う言葉が青木の頭を掠めた。
「ちょっと不自然じゃないですか。勝手口には鍵が掛かっていたのに、この隠し部屋のドアが開いてるなんて」
「ああ? 普通、家にいれば部屋の鍵は必要ないだろ」
「でも」
 この家には薪さんがいるんですよ、と青木が言おうとした時だった。信じられない光景が青木の目に飛び込んできた。

「こりゃあ……」
 岡部の口から漏れ出たのは、押し潰されたような呻き声だった。岡部のような豪胆な男でも、そのような声を出すほどに。そこに広がっていたのは凄惨な光景であった。
 血飛沫の飛んだ壁。床に染み込んだ大量の血液と汚物。人体を切り刻むのに使われたであろう様々な形状の凶器類。被害者が横たわったと思われる血塗れの寝台には、拘束ベルトが付いていた。
 それだけでも気の弱い者なら卒倒したであろう。岡部を呻かせたのは、さらにその奥にある巨大な墓標であった。
 大きな水槽に折り重なる女たちの死体。ある者は頭がパックリと割れ、脳みそを水槽にゆらゆらと漂わせている。またある者は首が文字通り皮一枚でつながっており、割けた喉元から食道と気管を水に揺蕩わせている。手足を切られたもの、腹を開かれたもの。中でも悪魔の所業は、子宮に胎児を貼り付かせている死体だった。
 防腐処理のつもりか哀れな女たちを包んでいるのはホルマリン液で、漂ってきた薬品の匂いの正体はどうやらこれだ。

「サイコ野郎め」
 監禁の証拠などと言う生易しいものではなかった。彼は殺人鬼だ。
 省吾を甘く見たのは岡部の失敗だった。いや、甘く見ていたのは薪の性質の方か。薪はやたらと変態凶悪犯に好かれやすいのだ。省吾が薪を気に入ったなら、それがもう凶悪犯罪の証拠だったのだ。

「青木、やばいぞ。薪さんが、て、気絶かよ!」
 大量の死体を見て貧血を起こしたらしい。まったく頼りにならない男だ。
「めんどくせえな」と言いながら、岡部は青木に活を入れた。程なく目覚めた相棒が、眼の前にあった死体の群れに再び気を失いそうになるのを「バカヤロウ」と一喝して止め、
「おまえが踏ん張らないと薪さんが死ぬぞ」の一言で立ち上がらせた。青木を動かすには薪をエサにするのが一番だ。

「いくら人の趣味は勝手だって言っても、女の身体を切り刻むなんざ外道のすることだ」
「でもこの死体、殆どが自殺体です。死体損壊の証拠にはなりますが」
 貧血で倒れながらも、見るべきところは見ていたらしい。褒めるべきか叱るべきか、判断に迷うところだ。
 青木の言うとおり、水槽の中の死体はその8割が縊死であった。その証拠に、首が異様に長い。首を吊ると自重で首が30センチから50センチほど伸びるのだ。女たちの死体で遊んだはいいが処分に困り、腐敗臭を防ぐ目的も兼ねてホルマリン漬けにしたというところか。

 彼女たちが自殺なら、犯人は殺人鬼ではないのかもしれない。しかし、彼女たちを自殺に追い込んだのは犯人の暴虐だ。絶対に許せない。

 まだふらつく足元を庇って、青木は部屋の隅に寄せられたローチェストのようなものに手を着いた。それは、青木が3人くらい入れそうな大きな冷凍庫だった。物置に使われているらしいそれは周期的に振動していた。動いている証拠だ。
「岡部さん、これ」
 不吉な予感に身を竦ませる青木を押しのけて、岡部はその扉を開いた。予想通り、そこには死体があったが、岡部を驚かせたのは後ろから中を覗き込んだ青木の言葉だった。
「省吾さん?!」
「なに? この死体が省吾だって言うのか」
「あ、いや、これは女性ですよね。髪型も違うし……でも、すごくよく似て」

 そのとき下方で、ドオンと大きな音が響いた。恐ろしい予感に囚われて、青木は声を飲む。一瞬の静けさの後、ずずずと地面が揺れ始めた。
「なんだ。地震か」
「ちがいます、多分これ」
「なんだよ」
「爆弾です。証拠を消す気なんですよ」

 青木は急いで冷凍庫の蓋を閉め、岡部を引っ張って出口に向かった。急いで戻らないと逃げられなくなる。ところがドアはいつの間にか閉まっており、しっかりと鍵が掛けられていた。
「くっそ、やっぱり待ち伏せてやがったのか」
「これ、電子扉ですよ。どこかから操作してるんです。さすがは科学者の館ですね」
「感心してる場合か! 逃げるぞ!」
「逃げるったって鉄のドアですよ。それこそ爆弾でもなけりゃ」
「いいから退けえ!!」
 岡部の咆哮にタイミングを合わせたかのように、研究室の床に大きな亀裂が入った。割れた床材が地面に飲まれていく。最初に被害を受けたのは重量の重い水槽で、耐荷重を超えた歪みに割れたアクリルガラスから女たちの死体が無残に放り出されるさまは、正に地獄絵図であった。

 夢でも見ているのかと青木は思った。あまりに残酷過ぎた。ふやけて柔らかくなった彼女たちの身体が瓦礫によっていとも簡単に分断され、共に地中に飲み込まれていく光景は、現実と呼ぶには情け容赦が無さ過ぎた。
 ホルマリン漂白された女たちの青白い肌に、薪の雪のような肌が重なった。頭蓋骨の変形がはっきり分かる短髪の女性に、薪の小さな頭が重なった。彼女たちが土に沈んだとき、青木の中で何かが壊れ、青木は彼女たちと同じ闇に飲み込まれそうになった。

 思わず目を閉じたら薪の後ろ姿が見えた。薪さん、と心の中で呼びかけた。振り向いて薪は言った。
『青木! この役立たずが!』
 ……こんなときくらい励ましてくれてもいいんじゃないかな。

 絶体絶命の大ピンチに追い込まれた人間を罵るのが薪らしくて笑えた。クスッと笑みをこぼした青木を訝しむように、岡部が振り返る。
 青木は岡部の眼をしっかりと見て、部屋の奥を指差した。青木のひとさし指の先で、崩れた壁が女の死体を潰しながら土に沈んでいった。



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ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(12)

 ブログを開設して丸5年になりますが。
 最初の頃は月に100記事とか更新してたんですけど(今思うとキ●ガイ)、現在は3日に1度くらいのペースに落ち着きました。これくらいが普通だと思います。

 最初からこのペースで更新してたとすると、現在は本編のどの辺りなんだろうと計算した結果、「桜」から順に公開したとして、2066年の「緋色の月」辺りだと判明しました。実際は過去編やら男爵シリーズやらが混じってるので、2063年の「ロジックゲーム」辺りでしたが。
 いずれにせよ、原作の第九編終わって2年経っても一緒に暮らしてなかったのね、うちの青薪さん。
 でも、原作であの辺を描いてくださるなら逆に原作に近くてよかったかも、や、キャラが離れてたら意味ないか、そーか。




カエルの王子さま(12)





「この部屋の音楽は、お気に召さなかったのかな」
 省吾の問いに、彼は答えなかった。つややかなくちびるを引き結び、こちらを睨んでいる。今朝とは打って変わって反抗的な態度だ。
「残念だなあ。僕は以前の素直な君が好きだったのに」
 省吾は眉を寄せて彼を見つめた。彼は椅子に座り、両手を肩の高さに上げていた。降参の証であるはずのそのポーズはしかし、亜麻色の瞳がそれを痛烈に裏切っている。彼は怒りに満ちた眼をしていた。
「銃で脅されて素直でいられる人間がいたらお目に掛かりたいね」
 彼はふっと鼻先で笑い、嘯いた。惜しがってみせたものの、省吾は興奮を抑えることができなかった。穏やかに微笑む彼よりも、今の彼の方が数倍美しいのだ。これまでとは肌の色が、瞳の輝きが違う。こんな苛烈な美しさを省吾は見たことがなかった。

 隠し部屋の爆破より時を遡ること1時間。省吾は自宅に戻って来た。
 買い物を済ませてから森の入り口で青木を待ち伏せたが、彼はやって来なかった。昼過ぎまで待って、青木が単独で彼を奪いに戻る可能性に気付き、慌てて帰ってきたのだ。
 家では省吾が懸念した事態は起こっておらず、だが、代わりにもっと厄介なことが起きていた。彼が部屋にいないのだ。自室にも食堂にもいない。さては青木に連れ去られて森の中を彷徨っているのかと玄関を見たが、彼の靴は朝のままそこにあった。
 まさかと思いつつ、鍵を掛けておいた幾つかの部屋を順番に探した。部屋の鍵は悉く開けられていた。発見した時、彼は省吾が一番秘密にしたかった部屋で棒立ちになっていた。

「悲しいよ。どうしてあんなことをしたんだい」
「それはこっちのセリフだ。なぜ彼女たちをあんな目に遭わせた」
「怖いなあ。どうしてそんなに怒るの?」
 死体を見つけて怖がるなら分かる。今までの恋人たちはみんなそうだった。あの部屋を見た途端、省吾を恐れるようになるのだ。しかし彼からは、怯えは伝わってこなかった。彼を満たしているのは純粋な怒りだった。他人の事で彼がどうしてこんなに怒るのか、省吾にはピンと来なかった。

 彼の変貌にある種の予感を抱いて、省吾はわざと言った。
「聡。きみはもっとやさしい子のはずだよ」
「僕の名前は聡じゃない。薪だ」
 やはりそうか。彼は記憶を取り戻していたのだ。
 いつのことだろうと考えて、青木と再会した時だと確信する。いま考えれば省吾が街に行くと言ったとき、彼が一緒に行きたがらなかったのは変だ。自分の捜索願が出されているかもしれないのだ。一刻も早く記憶を取り戻したい、家族に会いたいと思うのが人情だろう。そういった意味では、自分のことを知っていると言った青木の話を聞こうともせず追い返したのは不自然だった。
 彼はあの時すでに記憶を蘇らせ、省吾に犯罪の匂いを嗅ぎ取っていたのだ。証拠を見つけるために、わざと家に残った。

 刑事と言うのは最低の職業だ。犯罪を暴くためには、恩人に対しても平気で嘘を吐く。少々頭にきて、省吾はわざと彼が嫌がりそうなことを口にした。
「マキ? 本当に女の子みたいな名前だな」
「名字だっ!」
 知っている。身分証を見たのだから。
 彼の名前は薪剛。名前負けの見本みたいな男だ。
「ああん?! だれが名前負けグランプリだ、こら!」
 心、読めるのか。

 刑事としての自分を取り戻したせいか、彼は別人のように荒っぽくなっていた。気迫に満ちた彼は魂を抜かれるほどに美しい。が、省吾の求める癒しはそこにはなかった。
「記憶を失くしていたときの方が、きみはいい子だった。あれが本来のきみなんだよ。今のきみより、ずっと素直で愛らしい」
「悪かったな、可愛くなくて。てか、僕の年で可愛かったら気持ち悪いだろ」
「え。きみ、いくつなの」
「今年で45だ」
「うそお! じゃあ僕、20も年上のオヤジにキスしたの?!」
「いつの間にそんなこと、ちょ、おまえそれ青木に言うなよ?」
 心の底から驚いた。省吾が知らないだけで、警官というのは年を取らない生き物なのだろうか。いやいや、そんなことはどの本にも書いてなかった。きっと薪が特別なのだ。ていうかサギだ。

「年のことはともかく、きみはとてもきれいだ。きみに相応しいのは記憶を失くしていた時の穏やかで素直な性格だ。僕が戻してあげるよ」
「戻す? どうやって?」
 施術の前に、省吾は術の説明をすることにした。今までも可能な限り、この手順を踏んできた。省吾は罪深い男だが、父親のことは尊敬している。これは亡き父に対する礼儀だ。

「僕の父が優秀な科学者だった話はしたっけ」
 銃口を彼の胸に向けたまま、省吾は語りだした。
「音楽が好きだった父は趣味も兼ねて、楽曲が人間の脳に及ぼす影響を研究していたんだ。
 音楽は一種の振動波形だから、脳内では固有振動型となって神経に作用する。簡単に言うと、景気のいい曲はドーパミンを分泌させて人間を興奮状態にし、スローテンポの曲はアセチルコリンの分泌を促して休息状態を作る。そして、良質の音楽は脳内麻薬とも言われるエンドルフィンを大量に分泌させる。これはそれぞれの振動波形が、脳内ホルモンの分泌器官と共鳴する波形になっているから生じる現象なんだ。
 ところで、君はコルチゾールという脳内物質を知ってるかい。代謝を制御するホルモンで、普通に分泌される分には人体に悪影響はない。だが、このホルモンは過剰なストレスに晒された時にも分泌され、その状態で発生したコルチゾールは海馬を著しく委縮させる」
「委縮? つまり、脳細胞が破壊されると言うことか」
 そう、と省吾は満足そうに頷いた。今までの恋人たちにはあり得なかった反応だ。彼女たちはこれから自分が何をされるのか、そればかりが気になって省吾の説明には上の空だった。キチンと聞いていれば、怖いことなど何もなかったのに。

「海馬は記憶を司る脳内器官だ。もしも音楽の振動波形によって人間の限界を超えてコルチゾールを大量分泌させたら、どうなると思う?」
 海馬は破壊され、その機能を失う。人為的に記憶喪失症を作り出せる。

「この発想を元に作り出したのが、このCDだ」
 部屋を出るときから肌身離さず持っていた鞄には、省吾の切り札であるCDと、小型拳銃が入っていた。この二つのアイテムは、街で狩りをするときの必需品だ。言葉巧みに、あるいは銃で脅してCDを聴かせる。銃で撃たれる事を思えばCDを聴くくらいなんでもないと、人は判断するだろう。しかし、1時間足らずで彼女の海馬は破壊される。
 自己の脳内ホルモンによる破壊であるから、脳細胞が完全に死滅してしまうわけではない。ストレス社会の現代、ストレスホルモンによる健忘症は珍しくもないが、適切な治療と投薬で社会復帰が可能である。
 しかし、それも何度も繰り返せば。人は廃人になる。

「なるほど。それでわざわざ僕を、あの部屋からこのオーディオルームまで銃で脅して連れてきたのか」
「僕は野蛮な人間は嫌いでね。音楽で人が穏やかな性格に生まれ変わるなんて、素晴らしい研究だと思わないか」
「穏やかな性格ね。……崖から落ちる前に、女性を一人保護した。彼女には暴行を受けた痕があった。あれはおまえの仕業だろう」
 彼が何故自分に疑いを抱いたのか少し不思議だったのだが、それを聞いて納得がいった。ここから逃げ出した女と、薪は接触していたのだ。

 記憶を失った人間は、当然のように不安を抱える。自分が何者であるか分からず、自分に自信が持てないからだ。彼も記憶を失くしていたときは奥ゆかしくて控え目で、とてもいい子だった。それが今はどうだ。銃口を突き付けられていると言うのにこのふてぶてしい態度。可愛らしさのカの字もない。省吾がそれを指摘すると、彼はくちびるをへの字に歪め、
「人間の性格ってのは、色々な経験を積み重ねて作られるもんだ」
 他人の言葉を素直に受け取ってたら刑事なんかやってられないんだよ、と彼は言い、なるほど、と省吾は頷いた。
「だとしたら、僕が彼女たちを殺めたのは仕方のないことだ。楽しい思い出なんか何もないからな」
 省吾は寂しそうに呟いた。
 幼い頃、母親に捨てられた。醜い容姿のせいで他人に疎まれ続けた。唯一の味方だった父親も死んだ。それからはひとりぼっちで生きてきた。なるべく人目につかないように、日陰ばかりを選んで。

「大事なのは経験の良し悪しじゃない。経験の中から何を学ぶかだ」
 同情心の欠片も見せず、薪は省吾を責めた。
「人格も人生も、自分で作るものだ。お前の人生はおまえ自身が作ってきたんだ。自分の努力不足を他人のせいにするな」
 厳しい言葉と厳しい態度。年相応の説教口調。省吾が愛した聡と言う少年は、もうどこにもいなかった。
「幼少期の出来事には同情する。でも、そんな人間は世の中にいくらでもいる。彼らがすべておまえのように歪んだ性格になるかと言えばそんなことはない。親を反面教師にして、立派に家庭を築いている人間は数えきれないほどいる。おまえもそうすべきだったんだ」
「家庭か。この顔じゃ無理だ」
「顔なんか関係ないだろ。大事なのはここだ」
 彼は右手を少しだけ動かして、自分の胸を指した。聡と同じことを言う。聡よりも凄味のある顔で、聡よりも自信に満ちて。

「それは美しい者の言い分だよ。きみ、容姿のせいで苛められたことなんかないだろ」
「いや。子供の頃は女みたいで気持ち悪いっていつも苛められてた」
「小さい頃の話だろ」
「中学の時も高校の時も、ホモくさいとか言われて友だち一人もできなかった。いま思い出しても頭にくる」
「……今はそんなことないんだろ?」
「今は! おとり捜査で女の格好させられたあげく写真とか撮られてそれを職場にばら撒かれたりして、男からラブレターは来るわストーカーは付くわちょっと油断するとトイレに引きこまれるわでおちおち廊下も歩けなくなっ、……なんか僕、世界一不幸な男のような気がしてきた」
 けっこう苦労しているらしい。なんだか可哀想になってきた。

 省吾は薪の肩を叩き、俯いた彼の顔を下から覗き込むようにして言った。
「まあ、そのうち良いことあるよ。元気だしなよ」
「ありがとう、て、なんで僕の方が慰められてんだ!」
 それは一瞬のことだった。怒声が上がると同時に、彼の身体は空に浮いた。次の瞬間には、省吾は床に組み伏せられていた。腕を捻じり上げられて銃を奪い取られる。省吾の方が身体は大きいが、武術に親しんだ刑事に敵うわけがなかった。
 彼の右足の捻挫は、その動きを全く制約していなかった。青木を投げ飛ばした直後に彼が踊り場に座り込んでいたのは足が痛くなったからではなく、記憶を取り戻したばかりで混乱していたのだと、いまハッキリと分かった。
「形勢逆転だな」




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カエルの王子さま(13)

 先日、過去作にたくさん拍手くださった方、ありがとうございました。公開中の話と合わせて大量のエール、うれしかったです。
 くだらない与太話に付き合ってもらって、コメントいただいて拍手いただいて、それが5年も続いてる。もちろん「薪さん」の魅力ゆえですけど、それでもすごいことだと思います。本当に感謝してます。と同時に、
「サボってんじゃねえぞコラ」と、なけなしの良心に叱られました。
 妄想中はテンション上がるので時間を忘れて書くことに没頭したりするのですけど、公開作業はまた別のものなので、ついつい滞りがちに……。
 せめて休みの間くらいは頑張ろうと思いましたら、連休はお義母さんのお伴で温泉です。口ばっかりですみません(^^;
 次の更新は休み明けです。よろしくお願いします。 



カエルの王子さま(13)





「形勢逆転だな」
「嘘だね。きみは僕からこの秘密を聞き出したかった。それで脅しに屈した振りをしたんだ。そうだろ」
 銃を恐れている振りをして、その実ちっとも彼は怖がってなどいなかったのだ。彼が恐れているのはもっと別のなにか。省吾にはそれが分かっていた。青木に抱きしめられたときの彼の恍惚とした表情。それがすべてを物語っていた。
 切り札は、こちらにある。

「逆転なんかしていないよ。嘘だと思ったらモニターを点けてごらん」
 薪は省吾に銃口を向けたまま、用心深くモニターの電源を入れた。不鮮明な画像が浮かび上がる。DVDの画像にしては妙に荒い。しかも今時、白黒画面だ。じっと目を凝らすと、モノクロの世界に薪のよく知った顔が二つ、驚きの表情で映し出された。彼らの後ろでリモートコントロールされた隠し扉が音もなく閉まる。閉じ込められたことにも気付かず、彼らは部屋の惨状に呆然と立ち尽くしていた。
「あのバカ、なんで戻って……」
 一瞬で青ざめた彼の顔色で分かった。彼は青木を追い返したんじゃない。危険を感じて遠ざけたのだ。

「中に人が入ったら自動で閉まるように、さっき仕掛けておいたんだ。片方は青木さんだよね。やっぱり彼はきみの上司だったんだね」
「部下だ!!」
 そうか、そう言えば年が。
 何処をどう見たらそんなことになるんだ、あれが上司って顔か、僕は警視長だぞ、などと薪はブツブツ言ったが、今はそんな場合ではないことに気付いたらしい。サッと顔を緊張させて、低い声で省吾を威嚇した。
「二人を解放しろ」
「嫌だね」
「悪あがきはよせ。何を企んでいる」
「そんなに怖い顔しないでよ。さっきも言ったけど、美人が台無しだよ」
 鞄の中に入れておいた最終兵器を取りだし、省吾はニヤリと笑った。醜い自分が笑うともっと醜くなることを、省吾は知っていた。予想通り薪は秀麗な眉をひそめ、ついでに眼も細めた。伏せ目がちになると彼の豊かな睫毛が重なり合う。実に美しかった。

「あの部屋の下は、空洞になっている」
 多くの特許を残した父だが、生前彼は、その秘密を他人に奪われることを恐れていた。彼は自己の醜さから森の奥へと引きこもったのだが、そこには自分の研究を守ろうとする意図も多分に含まれていた。
 父は書庫の奥に地下室に作り、そこで研究を重ねた。その研究が万が一他人に盗まれそうになった時には、盗人を研究室ごと葬ってしまえるよう、床下に爆弾を仕掛けておいたのだ。
「いま、スイッチを押した。離せばドカンだ」
「きさま……!」
「僕を撃てば彼らも死ぬよ」
 ジャキリと銃を構え直す薪に、脅しの一言を放つ。効果は覿面で、薪は自分が銃で脅されているかのようにじりじりと後ずさった。
「きみが大人しく僕の言う事を聞いてくれれば、彼らを助けると約束しよう」
「信用できるか」
「信じる信じないは君の勝手だけどね。いずれにせよ、きみに選択肢はないよ」
 ちっ、と舌打ちして、薪は拳銃を床に投げた。省吾は片手でそれを拾い、再び脅迫者の立場を手に入れた。

「捨てないでよかった。はい、これ。自分でやって」
 青木を襲うときに役立てようと、省吾は薪の上着に入っていた手錠を鞄に入れておいた。薪は命じられるがままその手錠を自分に掛け、でも瞳だけは決して屈せずに、省吾を睨み上げた。
 挑発的な瞳も魅力的だが、それもここまでだ。省吾は薪を寝椅子に横たわらせ、細紐で身体を椅子に縛り付けた。それからブラウスのボタンを外し、右の肩を露出させた。そこに一本の注射を打つ。
「海馬に直接作用する薬で、記憶機能を一時的に麻痺させ、施術の効果を高めるんだ。バリウム検査前の造影剤の注射だとでも思ってよ」

 省吾は悠々とCDをプレイヤーにセットした。拘束した薪の髪をやさしく撫でる。人質を取られた薪は、別人のように大人しかった。
「痛いことなんてないよ。ただ、この音楽を聴くだけだ」
 このCDは、このオーディオ機器で掛けてこそ本来の力を発揮する。父が改造を施した音響機器は強い磁力を発するように作られており、受聴者の脳細胞を激しく振動させる。それが施術の効果を何倍にも高めるのだ。市販のCDプレイヤーを使った場合は2,3日で元に戻ってしまうが、この器械の効果は絶対だ。街でCDを聴かせた後家に連れ帰り、再度この機器を使って施術を施す。そうすることで彼女たちは、省吾の可愛い恋人に生まれ変わる。
 施術の際の強烈な磁力は行方不明者捜索隊のコンパスを狂わせ、彼らが森へ侵入するのを防いでいる。そこまで計算していたわけではなかったが、その現象は省吾の凶行に有利に働き、犯罪の発覚を遅らせていた。

「その前に、邪魔者を始末しないとね」
 一旦はしまったスイッチを、省吾は再び取り出した。ぎょっ、と薪が椅子の上で身を硬くする。見開かれた亜麻色の瞳に、紛れもない恐怖が浮かんでいた。
「約束が違うぞ!」
「きみだって僕を騙したじゃない。記憶が戻っていない振りをした。そのお返しだよ」
「やめ……!」
 ゴオン、と下方で大きな音が轟いたのち、激しい震動が部屋を襲った。研究室は周りを鋼鉄で覆ってあり、爆破しても屋敷は崩れない設計になっている。が、さすがに振動まで抑えることはできないようで、2階のオーディオルームは激しく揺れた。
 揺れが治まってからモニターを見ると、画面は真っ暗だった。爆発でカメラが壊れてしまったのだろう。

「岡部……青木……」
 部下の名前だろうか、薪は幽霊でも見たような顔で呟いた。
「青木……青木……あおき、あおっ……!」
 オカベはどこへ行った、などと突っ込みを入れても省吾の気持ちは晴れない。自分の正体がばれてからは厳格な警察官の顔を崩さなかった薪が、真っ暗なモニターに向かって彼の名前を呼び続けている。届くはずのない人に、届くはずのない声。そこに滲んだ焦燥は、記憶を失っていたときの比ではなかった。
 その様子を見れば分かる。彼は青木と恋仲だったのだ。

「やっぱり青木さんとデキてたのか」
 省吾がぽつりと落とした言葉が、薪に自分を取り戻させた。薪はキッと眦を上げ、省吾を振り返った。その顔のきれいなこと。
「きさまっ!」
 激しい怒りを露わにして、薪は身を起こそうとした。しかしそれは能わず、代わりに彼は蒼白な顔で呪いの言葉を吐いた。
「刑務所にぶち込んで終身刑にしてやるからな。覚悟しておけよ」
「無理だよ。彼らのことも、彼らが死んだことも忘れちゃうんだから」
「あいつらはまだ死んでない!」
 壮絶に薪は叫んだ。その眼光の鋭さは、彼の叫びが現実を受け入れられない人間の哀れな悲鳴ではなく、強い信念の元に発せられた言葉であることを物語っていた。
「あの程度の爆発なら、物陰に隠れればやり過ごせる。地下の床下に仕掛けたと言ったな。ならば建物の基礎を破壊しないように、爆弾の威力は最小限に抑えたはずだ」
「いい読みだ。でも残念。研究室全体がそっくり落ちて、そこにいた人間は地中深く埋まるようになってる。放っておけばいずれは死ぬさ」
「生き埋めになったくらいで連中が死ぬもんか。モグラみたいに穴を掘って地表に出てくるさ。あいつらを甘く見るな」
「強情だねえ。だけど、きみは彼らの顔も忘れちゃうんだよ」
 省吾がせせら笑いを浮かべる。と、薪は今度は静かに、いっそ省吾を憐れむように言った。

「人には何度壊されても蘇る記憶がある。それは人を愛した記憶だ。人に愛された記憶だ」
 薪の言葉に、省吾は笑いを禁じ得なかった。省吾だって何人もの女性を愛してきたし、彼女たちに愛されてきた。でも、昔の女のことは忘れてしまった。何人の女性をこの家に誘い込み、何人の命を奪ったのか、はっきりとは思いだせない。
「ぜったいに忘れない。彼らのことは、何度でも思い出す」

 頑固に言い張る薪の肩を、注射の痕を揉んでやりながら、省吾は楽しそうに言った。
「忘れるよ。彼女たちもそうだった。恋人がいる娘もいたし、結婚してる娘もいた。妊娠したばかりの娘もいたよ。ずっと生理がないからもしかしてと思って、中を開けてみたら胎児が入ってた。あれは笑えたな」
 饒舌は上機嫌の証拠。省吾は興奮していた。
 剥きだしにした彼の細い肩の、なんて優美なことだろう。首筋から鎖骨のラインなんて、神の奇蹟とでも称したくなる造詣だ。この美しい人が、数時間後には自分のものになる。その美しい顔に歓びを湛え、省吾に抱かれるようになるのだ。
 それを思えば、彼の怒った顔は貴重だ。本気で怒る彼は滅多に見られなくなるのだから。

「よくもそんな酷いことができるな。殺人鬼め」
「そんなに沢山は殺してないよ。殆どの娘は自殺したんだ。最初の頃は加減が分からなくて、セックスの最中に死んじゃった娘もいたような気もするけど、それは昔の話。今はギリギリの線が分かるようになった」
 女の白い肌に縄目を付ける行為が、省吾は好きだった。背中や尻を鞭打たれて上がる女の悲鳴が堪らなかった。秘部に針を刺したり、男性器より遥かに大きな張り型を挿入したり、それを相手が失神するまで続けた。それは彼女たちの望みでもあった。
「だから、きみのことも殺さないよ。僕から逃げようとしなければ、痛い思いなんかさせない。きみが喜ぶことだけしてあげる」
 痛いのは最初だけだ。1週間もすれば凌辱されることに悦びを感じるようになる。縛られたり鞭打たれたり、そんな新しい快感も享受できるようになる。それは省吾にとって、何度も繰り返されたローテーションであった。
 この器械を使えば、痛みを快感に変えるβエンドルフィンを大量に分泌させることができる。一般にも知られていることだが、βエンドルフィンには依存性がある。セックスがやめられないのはそのせいだ。そのうち、サディスティックな行為をねだるようになる。

 彼の白い身体が倒錯した快楽に悶える様子を想像して、省吾は自分が欲情していることに気付いた。その衝動に冷水を浴びせるように、薪の冷ややかな声が響く。
「やっぱりおまえは殺人鬼だ」
 熟した身体はこんなにも誘惑のフェロモンを発しているのに、その美しい顔は微々とも緩まず。彼は、厳しい糾弾者の姿勢を崩さなかった。
「人生は記憶の積み重ねだ。人の記憶を奪うと言うことは、人生を奪うことだ。記憶を奪うことで、おまえは彼女たちを何度も殺したんだ」
 この硬い表情が快楽に蕩けるようになる。省吾の愛撫を、鞭をねだるようになる。そのギャップが男を狂わせるのだろう。あの青木と言う男も彼に狂わされた男の一人だと、今や省吾は確信していた。この色香を漂わせた身体が男を知らないなんて言わせない。

「それだけじゃない、死んだ彼女たちの遺体をおまえは切り刻んだ。なぜだ。何故おまえは彼女たちを安らかに眠らせてやらなかった」
「理由なんてないよ。敢えて理由付けをするなら……復讐かな」
 それはなかなかにドラマティックな動機付けだと省吾は思った。自分が発した言葉に酔い痴れるように、省吾は芝居めかした口調で、
「僕を捨てた母に。醜いと言うだけで父や僕を迫害した世の中に。一皮剥けば人間はみんな同じなんだって、思い知らせてやりたかった」
「……ずっと気になってたんだけど。醜い醜いって言うけど、おまえの顔、そんなにひどくないぞ」
「ここまできておべんちゃら? 怖くなったの? 意外だな。きみはそういうタイプじゃないと思ってた」
「あほ。殺人なんか、それも女を殺すやつなんかクズ虫だ。クズ虫相手にお世辞なんか言うか。僕は見たままの」
 薪の憎まれ口は途中で途切れ、亜麻色の瞳はその輝きを鈍くした。頭痛に襲われた時のように、どさりと頭をカウチに落とす。
「薬が効いてきたみたいだね」

 これまでの女性たちと同じように、薪は言葉を失って目を閉じた。いよいよ施術の開始だ。省吾はヘッドフォンを手に取って、それを薪に被せた。
 プレーヤーのスタートボタンを押すと、アンプの針が右側に触れた。彼の脳に、記憶をリセットする振動波形が流れ込む。頭を振ってヘッドホンを振り落すこともできなくなった彼は、眼を閉じたままで、くそ、と口汚く罵った。
「睡眠薬も混ぜておいたから、眠くなったら寝ちゃっていいよ。寝てる間に嫌なことは全部忘れちゃうから」
 仰向けになった彼の前髪を右手で掻き上げ、緩やかな曲線を描く額を顕わにする。上から下へと指先で辿る、神に祝福されたかのような美貌。この麗人に背徳の快楽を教え込む。神に愛された彼を神の手から奪いとる。それくらいしてもいいはずだ。神は、たった一片の愛も省吾の人生には与えてくれなかったのだから。

 緩く結ばれたくちびるを指先でくすぐると、彼は素直にそれを開いた。小さく開かれた隙間から零れだす、甘やかな誘惑。堪らず、省吾はそこにくちづけた。
 規則正しく並んだ前歯を舌でこじ開け、中の柔らかい実を吸い上げる。ベルベットのような舌触りと彼の苦しそうな息遣いが、省吾を煽り立てた。
 存分に味わってからくちびるを離すと、上手に飲み込めなかった二人分の唾液が彼の口元から流れ出た。天井の灯りに照らされて光る、それはひどくエロティックな光景だった。
「ゆっくりお休み。目が覚めたら――」
 彼の頬を伝う液体をべろりと舐め上げ、省吾は薪の耳元で囁いた。
「君は僕の恋人だ」


*****

 薪さん、ぴーんち!←すっごい楽しそう。

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(14)

 お久しぶりですー。
 今週から現場に出ることになって、PCに向かう時間が取れませんでした。コメントのお返事や更新が滞ってしまい、ごめんなさいでした。


 先週の連休は敬老の日もあったんで温泉に行ってきたんですけど、珍しくお天気に恵まれまして。海がとってもきれいでしたー。
 日の出がすごく眩しかったです。朝焼けがきれいでね~。感動しました。
 
 わたしが旅館で食っちゃ寝してる間に、ブログの拍手が5万を超えました♪
 どうもありがとうございました~(^^)/
 軽く言いましたけど、5万てすごい数だよね? 押そうと思ったら根性いるよね?
 本当にありがとうございましたっ!
 お礼SS、青木さんが薪さん似の女性と不倫して殺して逃げる話でいい? ←いいわけない。別のお話考えますね。なるたけ平和なやつ。

 今日のところはひとまず、感謝を込めてお話の続きを、
 あ、今日の内容、この話の中で一番ひどかった気が、
 …………。
 わざとじゃないのよ。信じて?




カエルの王子さま(14)






 CDの音量を調整しようとした省吾の指先が、ふと止まった。横を見れば意識を失くした薪のしどけない姿。注射を打つために寛げた胸元が、予想以上の威力で省吾を誘っていた。
「たまらないな。邪魔者もいなくなったことだし……」
 異例のことだが、順番を変えることにした。セットしたCDを、彼が鞭の快楽を覚えるための補助に使う予定だったCDと取り替える。例え眠っていても、脳内ホルモンが分泌されれば人間の身体は反応する。理性を持たない分、本能のままに動く。その快楽は凄まじい。前の彼女で実験済みだ。
 省吾の指先が再びスタートボタンを押し、するとアンプの針は激しく左右に振れた。10分もすれば、彼は意識の無いまま省吾の快楽に奉仕する人形になる。

「う……ん……」
 薪が微かに呻いて、尖った顎を上に上げた。シャープな顎から続く首筋の滑らかなこと。これが男の首だなんて信じられない。
 先刻、貪りつくしたと思ったばかりのくちびるに、またくちづけたくなる。白い首筋を啜り上げたくなる。この薪と言う男は麻薬と同じだ。一度味わったら手放せなくなる。

 省吾は薪のくちびるを再び奪い、舌で犯しながらシャツを剥ぎ取った。彼の平らな胸に、夢中でキスの雨を降らせた。小さな乳首を吸いながら、ズボンも脱がせた。薪のそこはまだ反応していなかったが、そんなことはどうでもよかった。もう待ちきれないと思った。
 それは目も眩むような性衝動だった。ズボンの中で暴発しそうになる分身を、省吾は必死に押さえた。なんとかやり過ごし、ズボンを下ろすことに成功する。省吾のそこは今までに経験したことがないくらい、いきり立っていた。
 天使のような美貌が自分のような醜い男に尻を犯されて射精する。これ以上の倒錯があるだろうか。
 その思い付きが省吾を昂ぶらせ、欲望を増大させる。彼の身体から最後の一滴を絞りつくすまで、この疼きは止められない。

「ほら、口を開いて。きみの大好物だろ」
 大人しい口元に、取り出したそれを近付ける。意識の無い彼はそれを咥えようとはせず、焦れて省吾は彼のやわらかい頬にそれを擦りつけた。
 省吾の欲望は、薪の白い頬をぬらぬらと汚した。薪に、未だ変化は現れない。薬に混ぜた睡眠薬のせいか、はたまた年のせいか、反応が鈍いようだ。ならば、この澄ました寝顔を自分の吐精で汚すのも一興だと思い、省吾は彼の顔に跨った。彼の頬を右手で挟み、小さな口を開けさせる。そのときだった。

 バットでぶん殴られたような衝撃を腹部に受け、省吾は床に叩き落とされた。仰向けになった省吾の股間に、ドコッと蹴りが入る。勃起状態をへし折られたのだ。転げ回らずにはいられない痛みだった。股間を押さえてエビのように身体を丸める省吾の耳に、ドスの効いた男の声が聞こえてきた。
「薪さんに汚ねえもん押し付けてんじゃねえよ。磨り潰すぞ、こら」
 涙に濡れた目で見上げると、とてつもなく大きな男が鬼のように恐ろしい顔をして省吾を見下ろしていた。先刻、爆破した部屋にいたはずの男の一人だった。

「どうやって」
「爆発でドアが壊れたので。簡単に脱出できました」
 省吾の問いには青木が答えた。声がした方を見ると、青木は薪の胸に耳を付けて、彼の心臓の音を聞いていた。それから「9つ」と意味不明の数字を呟くと、落ちていたシャツを拾って薪に被せた。
「嘘だ。父が言ってた、爆破すれば部屋全体が地下に落ちるようになっていたはずだ。どうやって助かったんだ?」
「あなたのお母さんの部屋に入らせてもらいました」
「母の……」

 そう、あの部屋には省吾の母がいた。
 母は男と逃げたと父は言ったが、それは嘘だった。逃げようとして、父に制裁を加えられたのだ。だから省吾も同じことをした。自分から逃げようとする女たちに、制裁を加えた。何度も何度も。
 母に見せつけるように、省吾はあの部屋で凶行を重ねた。おまえが自分を捨てたから、だからこんなことになったのだと、死してなお苦しむがいいと、それほどに父と自分の傷は深いのだと。省吾はそんな気持ちでいたのに。
 母は死んでまで省吾を裏切った。息子の敵である彼らを助けたのだ。父が誂えた棺に、男たちを連れ込んだ。
 あの女の哄笑が聞こえるようだった。

「よくもまあ、あんなに殺せたもんだな。しかもその死体を切り裂いてホルマリン漬けにするなんて。人間のすることじゃねえぞ」
 蹴り飛ばされた痛みに呻く省吾に、容赦のない言葉が向けられる。おまえら日向の人間には分かるまい。日陰を生きることしか許されなかった自分たちの気持ちは。
「僕は、父と同じことをしたまでだ」
「中二病真っ盛りの不良中学生か、おまえは。いい年した男が、自分がやったことを親のせいにするんじゃねえ」
 大きな口を歪めて歯を剥きだしにする、男の表情はサルの威嚇のようだ。無精ひげと三白眼が、それに迫力を添えていた。

「なるほど。彼が僕を怖くないと言ったのは嘘じゃなかったんだな。普段からその顔を見てれば、大抵の顔は」
「ああ?!」
「岡部さん、抑えて。オレも殴りたいの我慢してるんですから、抑えてください」
「なんでおまえが。コケにされたのは俺だぞ」
「だあってぇ……薪さんの身体にキスマークがあぁ……」
「泣くな、それくらいのことで。泣きたいのは薪さんの方だろ」
 岡部と呼ばれた男は青木を慰めながらも手際よく周囲を調べ、省吾の鞄から手錠の鍵を取り出した。それを使って薪の手錠を外すと、その手錠で、痛みに動けないでいる省吾を後ろ手に拘束した。
「リモコンで部屋を吹っ飛ばすようなイカれた屋敷だからな。他にどんな仕掛けがあるかわからん」
 用心に越したことはない、と岡部は見かけによらず慎重な男だった。

「薪さん、大丈夫ですか」
 岡部に呼び掛けられると、薪はうっすらと目を開けた。睡眠薬の効果がこんな短時間で切れてしまったことに、省吾は驚きを覚えた。年寄りは眠りが浅くなると言うが、それにしたって。
「ここは……ダメだ、何も思い出せない。僕は誰なんだ」
「えっ?」
 薪は記憶に混乱をきたしているようだった。薪が記憶消去のCDを聴いていたのは僅か5分。たった5分ではさしたる効果もないように思えたが、効き目には個体差がある。投与した薬との相乗効果で、予想以上にコルチゾールが分泌されたのかもしれない。
「肩に注射痕がありました。もしかして薬物を」
「そう言えば、記憶野を麻痺させる薬を打たれた」
「「「記憶あるじゃん」」」
 思わず3人で突っ込んでしまった。どうやら斑ボケの状態らしい。

「とにかく服を着てください」と岡部にせがまれて、薪はシャツの袖に腕を通した。当然のように青木がそれを手伝う。その流れは自然で、隣で岡部も普通に見ているしで、つまり二人の付き合いは長く、しかも公認の関係なのだろう、と省吾は思った。
 服装を整えてカウチにふんぞり返った薪は、やたらとエラそうだった。頭の後ろで手を組み、凝り固まった肩をほぐすように左右に曲げた。なんだかオヤジくさい。

「困りましたね。本当に何も覚えていないんですか」
「何かきっかけがあれば思い出せそうな気がする」
「よし青木、あれやれ」
「えー、イヤですよ。心理的ダメージが計り知れないんですから」
「今は緊急時だ。薪さんとおまえのメンタルとどっちが大事なんだ」
 岡部に言われて仕方なく、青木は前髪を下ろした。眼鏡を外して薪の前に顔を突き出す。
「あ、鈴木」
「相変わらず鈴木さんのことだけは一発で思い出しますよねっ」
 2度目とあって、青木は今回は泣かなかった。と思いきや。
「いや、違うな。鈴木はあんな間抜け面じゃない。もっとカッコよかった」
「うわーんっ!」
「ええい泣くな、うっとおしい!」

 岡部に怒鳴りつけられて泣き声を潜める。シクシクと、うっとおしさはあまり変わらない。青木の辛気臭い涙の横で、薪は記憶の再生に成功した。
「思い出したぞ。おまえは岡部、僕は薪だ。この男は桂木省吾。女性をかどわかして殺したゲス野郎……岡部、そいつだれだっけ」
「なんでオレだけ!!」
 出た。マダラボケ。
「こいつは青」
「待て。自分で思い出す。最初はアだな」
 額に人差し指を当て、眼を閉じる。千里眼のように、薪は自分の中に彼の存在を探す。彼が決して忘れないと豪語した愛し愛された記憶とやらが、そこにはあるのだろうか。

「あ、アイ、相川、相沢、会田、相原」
「アイウエオ順に並べてるだけですよね、それ」
「赤井、秋山、阿久津、朝倉、麻生」
「すみません。神奈川県警本部長と3課課長、公安2課の係長、官房室秘書長までは分かりましたが、最後の麻生さんてだれでしたっけ」
「職員食堂のおばちゃんだ」
「食堂のおばちゃんより後ろですか、オレの記憶!!」
 岡部がぽんぽんと青木の背中を叩く。うん、泣いていいと思うよ、青木さん。

「あおき」
 クスクス笑いながら、薪は青木の名を呼んだ。
「おまえは青木だ。青木一行」
「そうです。青木です」
 椅子の傍らに膝を着き、青木は嬉しそうに薪に笑い掛けた。食堂のおばちゃんより後回しにされた恨みは、その笑顔のどこにも見出せなかった。

 微笑みを交わす二人の姿は、省吾にとっては実に不愉快だった。二人の間に割って入るように、省吾は乱暴に言葉を投げかけた。
「朝までぐっすりの筈だったのに。どうして睡眠薬が効かないんだ」
「日常的にお世話になってるからな。規定量の3倍は摂取せんと効かん」
 ドーピングポリスめ。
 もう一つの振動波形も効き目が薄いようだ。父の研究の成果を悉く無にする臨床者に、省吾は不快そうに言った。
「きみ、βエンドルフィンを分泌する器官に異常があるんじゃないの」
「? それ、無いとなんかマズイのか」
「極端に性欲が少ないとか、1年くらいセックスしなくても全然平気だとか。――なんで青木さんが泣いてるの」
「心当たりがありすぎて、っ痛あい!!」
 薪が青木の背中を蹴り飛ばし、青木が悲鳴を上げる。省吾の気分は少しだけ上向きになった。

「おい、僕の上着は何処だ」
「勝手に探せばいいだろう」
「探したけど見つからなかったから聞いてるんだ」
 施錠しておいた部屋が一つ残らず開いていたのは、彼が自分の上着を探して回ったせいだと知った。その上着に救助信号を発信できるバッジが付いていたことを、省吾は知らなかった。そうと分かっていれば処分したのに。
 薪の上着は、青木が父のクローゼットの中から見つけて来た。木を隠すには森の中、似たようなスーツ類に紛れ込ませたつもりだったが、青木には簡単な探し物だったらしい。「薪さんの匂いがしますから」って、この男の前世はイヌに違いない。
 所々にかぎ裂きができているスーツを見て、「まだローンが終わってないのに」とため息を吐く薪を、岡部が「経費でいくらか」と慰める。いじましい連中だ。

「救助信号は必要ありません。さっき、信号弾を打っておきましたから。もうすぐヘリがここに来るはずです」
 そう言って岡部は、薪にGPS発信機を見せた。さすがだな、と満足そうに笑う薪に、三白眼の男が照れ笑いをした。ものすごく怖かった。
 岡部の言う通り、程なく2台のヘリが桂木邸に到着した。正門前の原っぱに着地する。中から二名の警官がやってきて、省吾を両側から挟んで連れ去った。

 省吾がいなくなった後、薪は岡部に尋ねた。
「彼の母親の遺体は無事か」
「ええ。俺たちと一緒に冷凍庫の中でしたから。しかし、他の遺体はみんなバラバラにちぎれて地面の底です」
「電力の供給が止まって溶け始めている頃だな。彼女の脳を第九に持ち帰り、急いでMRIに掛けろ」
「なぜです? 母親を殺したのは彼じゃありませんよ」
「そんなことは分かっている。おそらく父親の犯行だろう。問題は」
 カウチから立ち上がり、薪は言った。
「奴の顔だ」



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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