カエルの王子さま(15)
「オールバックと泣き虫ガンマン」のちえまるさんに相互リンクしていただきましたー。
皆さんもうご存じと思いますが、一応ご紹介を。
イラストありSSありレビューありの、バラエティに富んだブログさんです。ちえまるさん、マルチな才能をお持ちで羨ましいです。わたし、文字しか書けないんで(しかもフィクション限定)、尊敬しますです。
未読の方、あまりいらっしゃらないとは思うのですけど、もしもいらしたらリンクから飛べますので、ぜひどうぞ。
お話の方は解決編です。
あちこち綻びてるかもですが、見逃してやってください。
カエルの王子さま(15)
桂木省吾の取り調べは難航した。
彼は徹底して黙秘を貫いていた。どんな脅しにも恫喝にも屈しなかった。元より、彼にはもう何もない。自分がどうなろうと、知ったことではなかったのだ。
自供が取れなければ物証を挙げる他はないが、行方不明になった女性が桂木邸にいたと言う証拠は多数見つかったものの、肝心の遺体は地中深くに埋まってしまい、掘り出すのには相当の時間が掛かるものと思われた。家の中でなければ建設機械による掘削が可能だが、屋内とあってはスペースの制約と作業場の確保が難しく、作業は人力による他はなかった。当然、拘留期限には間に合わない。
桂木邸から証拠品として押収したCDと音響機器は、専門家の調べで、人間の記憶を完全に失わせる効力はないと判断された。一時的に記憶の混乱を起こすことは可能で、被害に遭った女性たちは施術と暴行を繰り返し受けていたと考えられる。過大なストレスに晒されればコルチゾールが分泌されるのは必然で、それが施術による記憶障害を助長したのだろう、と言うのが専門家の最終的な見解であった。予想の部分が多く含まれるため、いずれも証拠としては弱い。
加えて、省吾を調べるうちに、とんでもないことが分かった。
まず、省吾には戸籍がなかった。正確には5歳のとき、鬼籍に入っていたのだ。だからあの家には、小学校から入学の案内が届くこともなかった。市の民生委員が訪ねてくることもなかった。省吾は存在しない子供として、あの家で育ったのだ。
次に彼の脳を調べた結果、脳の一部分に損壊が見つかった。これも専門家の調べで、彼自身、過去に施術を施されていたことが分かった。脳の損壊はその時のものだと推測された。あの音響機器は強烈な磁力を発するよう改造されている。未発達な子供の脳であったこと、調整された磁力が強すぎたことなどが原因であると考えられた。
これを行ったのは父親であると思われた。他にあの機器を扱える者がいるとは考えにくい。しかし、何故彼の父親が自分の息子にこんな真似をしたのか。捜査員たちの考えはこうだ。
冷凍保存されていた母親の死因は後頭部の脳挫傷。転倒事故でも起こりうる死因だが、遺体が隠匿されていたことから他殺である可能性が高い。他殺となれば実行犯は父親だろう。その様子を目撃した息子に施術を施し、記憶が混乱した彼に母親が男と逃げたと信じ込ませようとしたのではないか。
かように、省吾の生い立ちには情状酌量に値すべき点が多々あった。とは言え、世間の同情を集めるには、彼の起こした犯罪は凶悪過ぎた。
しかし、ここに問題が立ちふさがった。刑法第39条である。
幼い頃、父親の施術によって脳に損傷を受けた省吾が、そのせいで凶悪犯罪を引き起こしたと言うのはあり得る話だ。省吾の自白が得られない以上、弁護側は徹底して第39条、精神薄弱者の犯罪免責の適用を要求するに違いない。
父親のこともある。戸籍ひとつをとっても想像がつくが、省吾の父親は普通ではなかった。義務教育すら受けていない省吾の学力は意外に高く、それは父親の教育によるものと思われたが、彼が息子に人間として一番大事なこと、つまり道徳や常識を教えたとはとても思えなかった。
その証拠と言ってはあまりにも無残な事実があった。省吾は死んだ父親の遺体を荼毘に伏すこともなく、裏庭に無造作に埋めていた。捜査員が数人掛かりで掘り上げた父親の遺体は、すでに白骨化していた。目立った外傷は見つけられなかったことから病死又は自然死と判断されたが、猫の死体を埋めるように自分の親の遺体を庭に埋めるなど、普通だったら考えられないことだ。
幼い頃から善悪の区別を誰にも教えられずに育った子供。学校にも行かせてもらえず、他人との交流を完全に断たれて成長した子供。果たして、そんな人間に責任能力を問えるのか。
そのような被疑者の家から、女性の髪の毛や衣類が発見されたという状況証拠しか書類に起こせない状態で、送検は難しかった。
合意の上でのプレイ中の死となれば、これは傷害致死。殺人罪は成立しない。桂木邸に潜入して犯行の証拠を目撃した刑事の証言によると、女たちの死体はホルマリン漬けにされていたらしいが、これは保存と、臭気を防ぐ目的もあったと思われる。死体には切り裂いた跡があったそうだが、その遺体も崩れてきた瓦礫に分断され、元の形状はなくなってしまった。殺人罪どころか死体損壊罪も危うい状況である。
捜査員たちが頭を抱える中、犯人逮捕に多大な協力をした薪警視長が捜査一課を訪れた。
「桂木省吾を第九へ連れてきてくれませんか」
「何故です。桂木の脳はもう調べましたよ」
面喰った一課長が薪室長の真意を尋ねると、薪はにこりと微笑んで、
「ご存じでしょう。第九で扱うのは死者の脳です」
薪は、それ以上は言わなかった。この薪という男が秘密主義であることは一課でも有名な話だったから、課長もそれ以上は聞かなかった。口が堅いことでも有名な男なのだ。
省吾はその日のうちに第九へと送られた。一課の刑事が2人付き添ってきたが、岡部が彼を引き取りに出向くと、連絡をいただければ迎えに来ますと言って去って行った。取調べ中の被疑者を別の部署に渡すのだ、立会いを求められれば第九は拒めない立場にある。が、そこは岡部の実力だ。岡部が捜査一課にいたのは10年近くも前の話だが、未だに伝説の刑事として一課の刑事たちに尊敬されているのだ。
岡部の後についてモニタールームに入ってきた省吾は、感心したように周囲を見回した。初めて見る第九の最先端技術に感動を覚えているようだった。
やがて奥の部屋から出て来た薪に、省吾は自分から話しかけた。
「元気そうだね、聡」
「僕の名前は聡じゃない。薪だ」
どっちでもいいよ、と省吾は鼻先で笑い、「相変わらずキレイだね」と小馬鹿にしたように言った。薪がムッと眉をひそめる。
「思ったよりもやつれていないな。おまえの泣き顔が見られるかと楽しみにしていたのに」
「一課の刑事さんは優しい人ばかりで。どっかの誰かさんみたいに人を投げ飛ばしたり、いきなり腹を蹴ったりしないんだよ」
ガタン、と椅子を蹴って立ち上がった岡部を、隣にいた青木が留めた。せっかく名前を出さないでやったのに、人の気配りが分からない男だ。
「それにしても、ここはすごいな。モニターがいっぱいだ」
「興味があるみたいだな」
「父は優れたエンジニアでもあったからね」
父が作った太陽光発電と自家発電システムは、20年以上も壊れなかった。おかげで省吾は森の奥深くに住みながら、街の人々となんら変わりの無い生活ができたのだ。
「ところで、いまさら僕に何の用?」
「君に見せたいものがある。小池、頼む」
小池と呼ばれた眼の細い男が、操作盤に付いた幾つかのボタンを押し、ダイヤルのようなものを回した。すると前面の大きなモニターに、省吾が知っている風景が映った。省吾の家だった。
「これは」
「そうだ。きみのお母さんの脳に残った映像だ」
「脳?」
世間から隔絶されて育った省吾は、第九のMRIシステムのことを知らなかった。薪がそこの室長でもあることも、捜査の天才と呼ばれていることも、知らずに彼を助けたのだ。もしも知っていたなら見殺しにしていたはずだ。少なくとも、女たちの死体が置いてある家に連れて来たりはしなかった。
巨大なスクリーンには、2歳くらいの愛らしい子供が映っていた。省吾の知らない子だ。子供はよく動き、よく転び、よく笑った。天真爛漫と言う言葉がぴったりの、元気の良い子供だった。
「だれ?」
「きみだ」
隣に座った薪が、前を向いたまま言った。冗談を言っているようには見えなかったが、本当のことを言っているとはもっと思えなかった。
「ちがうよ。これは僕じゃない。僕の顔は」
「あれはきみだ。鏡に映ったお母さんが見えるだろう」
鏡の中で、母は子供を抱いていた。子供が鏡を指さし、次いで母親を指差した。鏡の中の母が何か喋ったが、内容は省吾には分からなかった。この映像には音声がないのだ。
「『省吾の耳はお父さんそっくりね。なんてかわいい』」
機械を操作していた男が、突然そんなことを言った。びっくりして振り返った省吾に、薪が「読唇術だ」と補足説明をした。
「小池の読唇術は第九で一番だ。なにしろ20年も冷凍保存されていた脳だからな。画像が荒くて、普通の人間には唇が読めない」
だから小池に頼んだんだ、映像を再生するのも第九総出で三日も掛かったんだぞ、と省吾が頼んでもいないことで恩を着せようとした。性格の悪い男だと思った。
「なんのつもりだ。こんな合成画像までこしらえて」
「合成じゃない。見れば分かるだろう。きみは父親の英才教育を受けたはずだ」
悔しいことにそれは事実だった。父が遺してくれた知識と技術が、その映像が本物であることを省吾に告げていた。
画面に醜い男の姿が映った。蛙を連想させる容姿。省吾の父親だ。
しかし何故か、その姿は見るものに悪心を起こさせない。父親の写真を見る度に省吾を襲った絶望は、この映像からは感じとれなかった。代わりに伝わってきたのは、何とも言えない暖かな感覚。それを何と呼ぶのか、悲しいことに省吾は知らなかった。
「お世辞にもハンサムとは言えないが。愛嬌のある顔だ」
ヒキガエルと友人に罵られた父親の容姿を薪はそんな言葉で表し、MRIシステムの原理を知らない省吾に、MRI画像を読み解く上での大事なポイントを教えた。
「これはお母さんの脳の映像だ。お母さんの主観が、つまりは気持ちが入っている。お母さんにはお父さんが、こんな風に見えていたんだ」
一般の女性たちに嘲笑された父の容姿が、母にとってはそうではなかった。そうとでも言いたいのか。
「見た目なんか関係ない。愛してたんだよ、お父さんを。だからきみが生まれたんだ」
うそだ、と省吾は心の中で叫んだ。こんなものは信じない。信じられない。
「そしてお父さんも、お母さんを愛していた。その証拠がそこにいる二人だ」
薪が頭をめぐらした方向には、あの深い森から薪を探し当てた青木と、省吾を蹴り飛ばした岡部がいた。彼らは爆発に巻き込まれたが、母の棺代わりの冷凍庫に入って難を逃れたのだ。
「お母さんの棺は穴の中に落ちなかったんだよ。だから彼らは助かったんだ」
冷凍庫が爆発の衝撃に耐えたとしても、他の死体たちと共に地中深くに埋まってしまえばそこから抜け出すことは、自力では不可能だっただろう。彼らがオーディオルームにやって来れたからくりに、もっと早く気付くべきだった。
「お父さんはお母さんの遺体を大事にしていた。あの棺だけは地中に埋没することのないよう、計算の上で爆弾をセットしていたんだ。お父さんがお母さんの遺体を冷凍保存したのは、お母さんに呪い言を聞かせるためじゃない。死んでも離れたくなかったんだ」
モニターの中では相変わらず、カエル似の男が愛嬌を振りまいていた。その特異な顔を自分の手でさらに歪めると、子供はたいそう面白がって笑った。どこにでもある、親子の光景。
「きみの戸籍を抹消し、きみを外界と隔ててしまったのもおそらくはそのせいだ。外とのつながりを持てば、だれかにその秘密を暴かれないとも限らない。お父さんはお母さんを失いたくなかったんだ」
愛していたと言うなら、どうして父は母を殺した。どうして母は父から逃げようとした。なぜ。
「その一方で、お父さんはきみのことをとても愛した。自分の手元に置いておくためには手段を選ばなかった。それできみが自分から外の世界に行かないよう屋敷中の鏡を撤去し、きみの外見について間違った認識を植え付けた。歪んだ愛情だ」
おまえは醜い、私と同じでとても醜い。母親さえもおまえを捨てて男と逃げた。おまえを愛してやれるのは、同じ容貌の私だけだ。私がいなければ、おまえは一生誰にも愛されない。
繰り返し繰り返し、耳元で囁かれた呪文が蘇る。リピート数は文字では表せないほど。
「世界で唯一自分を愛してくれた女性を、自分が殺めてしまったとき。お父さんの中では何かが壊れてしまったんだろう。――よく分かるよ」