天国と地獄8 (1)

 こんにちは。

 前回、前々回と、とんでもはっぷんな記事で本当に申し訳ありませんでした。
 踏みつけにされても文句の言えない内容だったのに、それでもコメント下さったり拍手してくださったり、ううっ、秘密コミュのみなさんは本当にやさしい!!!
 
 わたし、心を入れ替えようと思いました。
 ご厚情に報いるためには、みなさんの期待を裏切らない、甘い甘いあおまきストーリーを紡ぐのがSS書きとしての正しい道ですよねっ。


 ということで、男爵シリーズの8つ目です。 (←絶大な裏切り行為)

 いやー、このくだらない話が、まさか8つも続くとは。 
 しかも前作ではRまで。
 人間て、自分でも予想すらしなかったことを易々とやってのける生き物なのですね。(←大げさ)


 このお話、カップリングは曽我×薪で、
 男爵では初の女装ものです。(いったい何を書いているのやら)
 カップリングと内容に、お腹立ちの方もいらっしゃるとは思いますが、みなさま、そこはそれ、本来のお優しさを遠慮なく発揮されて、しづを許してくださってもよろしくてよ? 


 ……あまりにも話の内容に自信がなくて、まともなご挨拶もできなくなってきたような気がするので、お話へどうぞっ。
 苦笑いでも失笑でも、笑っていただけるとうれしいですっ!!






天国と地獄8 (1)




 紙を破る音が聞こえた。

 それは激しいものではなかった。しかし、何度も何度も繰り返し、一定の速度で静かに周囲の空気を振動させた。
 職務室に居た人間すべてが音を立てる人物に注目するまでの間、その音は続いた。
 彼を見た職員たちは、一人残らず瞠目した。その人物が丹念に破っている紙の束が、挙句はゴミ箱に放り込まれた紙片の元が、彼らの仲間が書き上げて彼に提出した報告書だとわかったからだ。

 何もそこまでしなくても。

 室長から非人道的な扱いを受けた職員は曽我と言って、少々、慌て者の部類に入る。普段から誤字脱字等のケアレスミスが多く、しょっちゅう室長に叱られている。今回もその口だろうと思われるが、可哀想に、今日はたまたま室長の虫の居所が悪かったらしい。口頭で叱責を受けるだけでは済まなくて、実力行使をされてしまったというわけだ。しかもあんな陰湿な形で。

「警察庁に行ってくる。戻りは夕方だ。それまでに、人間が読める報告書を作成しておくように」
 書いた本人の目の前で報告書をゴミ箱に捨てるという仕打ちだけでは飽き足らず、薪は亜麻色の瞳を冷たく光らせて、皮肉と共に曽我に投げつけた。言葉の暴力というやつだ。
「岡部、留守を頼む」
「はい。おい、青木、薪さんについて」
「小池」

 室長の警察庁までのお供に、一番未熟で、抜けても現在の捜査に支障の出ない職員をつけようと岡部が指示を出すのを遮って、薪は曽我の右隣の席に座った職員を指名した。自分の名を呼ばれてびっくりした小池が、細い目を驚きに見開くのを見もせずに、「行くぞ」と彼を促したときには、薪はもう自動ドアの前。
「あ、は、はいっ!」
 慌てて立ち上がって薪に駆け寄り、彼から書類の入ったキャリーケースを受け取って、小池は細い背中に付き従う。同僚の視線を後ろ首で感じつつ、小池は薪の後に続いて自動ドアを潜った。

 エントランスまでの長い廊下を、誰ともすれ違うことなく歩いていく間中、小池はどうして薪が自分を呼んだのだろうと懸命に考えていた。
 もしかしたら、先週の金曜日、居酒屋でかました室長の悪口、あれが耳に入ったんじゃないだろうな?
 たしかに言ったのは小池だ。あんな捻じ曲がった性格になるくらいだから小さい頃は苛められっ子で女装もさせられていたに違いないとか、瞬時にスパイシーな皮肉が飛び出すのはきっと「皮肉ノート」を作成していて、ネタを思いついたらそれに書き留めているのだろうとか、でもあれは酒の席のことで、それを室長に密告るような輩は第九にはいないはずだ。
 しかし、薪は冷たく尖った口調で、
「小池。どうして僕がおまえを指名したか、分かってるだろうな」

 ぎくぎくっと頬を引き攣らせて、小池はたじろいだ。青くなる部下の前に回り込むようにして彼の歩を止め、薪は刃物のような瞳で小池を見上げる。
「週末のこと、よく思い出してみろ」
「えっ、やっぱり室長にはお見通しで……すみません、酒の勢いでつい。でも本気で思ってたわけじゃないんです。室長、女装すっごく似合いますけど中身は男らしいし」
「女装? 何の話だ」
 しまった、皮肉ネタのほうか。
「いえそのっ、室長ほどの頭脳があれば皮肉のネタ帳などなくても言葉につまることはありませんよねっ!」
「皮肉のネタ帳ってなんだ?」
 まずい、これも違ったみたいだぞ。あと何を話したっけ、酒の席ではいつも薪の悪口で盛り上がっているから、心当たりがありすぎて一つに絞れない。

「じゃあなんだろう。『あのひと、常識知らずと言うよりはバカなんじゃないか』発言かな? それとも、『職務時間以外の薪さんはどこまでもダメ人間に違いない』のほうかな? あ、もしかして『彼女いない歴37年の薪さんがあんなに女装が上手いのは、毎日自宅では女物の衣装を身につけているに違いない、男物だとサイズがないから……』」
「小池。心の中で呟いているつもりだろうが、ぜんぶ声に出てるぞ」
 小池のわざとらしいミスを故意的なものと解釈しないのは、薪が多分にお人好しな証拠だと小池は思う。本音では薪の人間性を好ましく思っているから、それを知っているのは科警研中探しても自分たち第九の職員だけだと自負しているから、酒の肴の上司の話題はどんどんエスカレートするのだ。

「もういい。どうせおまえら、僕の悪口を肴に飲んでるんだろ。それは後でゆっくり聞くとして、問題は曽我だ」
 苦虫を潰したような顔から管理者の厳しい表情になって、薪は小池の顔を見上げた。
「金曜日までは普通だった。でも、今日になったらめちゃめちゃだ。あんなもの提出しやがって」
「そんなにひどかったんですか? 曽我の報告書」
「捜査員としての能力を疑われる内容だった」
 その口調が、部下の失態に憤ると言うよりはむしろ憂色の響きを宿しているような気がして、小池はついつい働かせる必要のない想像の羽根を広げる。

 もしかして、それであんなに細かく破ったのか? 曽我の立場を考えて、他の職員たちに読まれないように?
 まさかな。薪はそんなに甘い上司じゃない。皮肉屋で意地悪で、人の弱みを見つければ嬉々としてそこを衝いてくる、そういう男だ。でないと、これから新しい酒の肴を他に探さなくてはいけなくなる。それは面倒だ。

「何があったんだ? 曽我のことは、おまえが一番よく知ってるだろう」
 これは友人のプライベートに関することだ。言おうかどうしようか迷ったが、いずれは薪の耳にも入るだろう、と小池は判断した。噂というのは空気のようなもので、その侵入を防ぐことは極めて困難だ。
「実は、曽我のやつ……」

 小池が語る曽我の身を訪れた出来事に、薪の亜麻色の瞳が大きく開いた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

天国と地獄8 (2)

 先日、とうとうやっちまいました、妻としてやってはイケナイこと。
 ごめんね、オット。 
 反省してます。 二度としないから許してね。


 何をやらかしたかというとですね、
 日曜日、映画に行った帰り道。
 けっこう暑くて喉が渇いてて、だからコンビニでアイスでも、と思いましてオットに、

「薪さん、アイス食べたい。 コンビニ寄って」

 真顔で 『薪さん』 と呼びかけてしまいました!!!

 オットを別の男性と間違えるなんて、妻としてやってはいけないことですよね(><) (←その前に、人としてどうよ?)
 まあ、いい加減、オットも呆れてましたけどね☆


 秘密ファンの方なら誰もが一度や二度はしている失敗だと思うのですけど~、
 みなさん、いかがですか? 






天国と地獄8 (2)





「結婚詐欺!?」
 薪と小池が出て行った後の研究室で、宇野と今井に目配せされて青木は、室内に曽我と彼の指導に当たる岡部を残して休憩室へ移動した。そこで二人に聞かされたのは、咄嗟に出た声を抑えることができないほどに意外な内容だった。

「いや、詐欺とは言えんな。さんざん貢いだ挙句に振られたのは事実だけど、結婚の約束をしていたわけじゃないからな」
「相手は女子大生か。大人の男性と付き合って、食事を奢ってもらったり洋服を買ってもらったり、そんなことは当たり前なんだろ」
 第九で事情を知らなかったのは、青木だけだった。毎回毎回、先輩たちの情報収集の速さには恐れ入る。

「曽我さんが若い娘と付き合ってるのは聞いてましたけど……そんなことになってたなんて、ちっとも知りませんでした」
 あれだけの仕事量をこなしながら噂話にも手を抜かない彼らに尊敬の眼差しを向ける青木の前で、今井が肩を竦めてコーヒーを啜る。
「曽我も美味しい思いしたんだろ? だったらもう、諦めたら」
「いや、それがですね、今井さん。あいつ、ヘンなところで純情でしょ? 彼女の方からほのめかしてきたのに、結婚するまでは大事にする、とか言ってドン引きされて、それが原因で別れ話になったらしいんですよ」
「バカだなー。女に縁のない男ってのはこれだから」
「まあ、曽我らしいですけど。青木、そういうわけだから。おまえもしばらくの間は、曽我の前で女の話題は避けてくれよ」
「はい、了解しました」

 第九の先輩たちは、本当にやさしいと青木は思う。
 彼らの噂好き、詮索好きは決して興味本位のものではなく、仲間に対する愛情なのだ。
 愛情の反対語は、憎しみではなく無関心だ、と聞いた事がある。攻撃するでもない陰口を言うでもない、相手に興味を持たないことが一番冷酷な仕打ちなのだと、気付いていない人間はけっこう多い。

「滝沢さんと山本が研修中でよかったですね」
「滝沢はともかく、山本に言われたら。曽我のヤツ立ち直れないだろうな」
 山本には、その外見に依らずというと失礼だが、美人の奥さんと可愛い娘がいる。去年のクリスマスイブに第九を恐慌状態に陥れた彼宛の写メールは、職員全員の忘れたくても忘れられない記憶のベスト3にランクインしている。

「相手の女性も、ちょっと非常識ですよね。結婚する気もないのにプレゼントだけもらうなんて。女性用の洋服やアクセサリなんて、返されても使い道ないし」
「返って来るわけないだろ。そんなもの、とっくに金に替えてるって。その女、同級生の彼氏がいたんだから」
「えっ!? ……すみません、状況が理解できないんですけど」
 曽我と付き合いながらも同級生の彼がいるという矛盾は、ありえないことではない。俗に言う、二股というやつだ。意志の弱い人間が陥りがちな状況で、どちらの男性も傷つけたくないと思うが故に、一番最悪のことをしてしまう。青木にも身に覚えがあって、だからその女性の気持ちは分からなくもなかったのだが、それがもらったプレゼントをお金に替えることとどう関係してくるのかは見当もつかなかった。

「本命の彼は同級生。学生だから金が無い。だから、曽我に貢がせたプレゼントを金に替えて、デート代にしてたんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。さっき、彼女は曽我さんにその、身体の関係を持ってもいいようなことをほのめかしたって」
「だから、デート代のお礼ってことだろ」
「そんな!」
 青木は激昂した。それでは曽我は、完全に利用されていたのではないか。
 誰の悲しむ顔も見たくないと、やむにやまれず二人の男性と付き合ってしまう、彼女の状況はそんな優しい気持ちからではなかったと知らされて、青木の怒りは一気に燃え上がった。

「ヒドイじゃないですか!」
「いや、俺に怒られても」
 思わず宇野に詰め寄ってしまって、青木はハタと我に返る。自分が怒っても何の役にも立たないと分かって、だけど彼の憤懣は簡単には治まらない。
 曽我は大事な先輩だ。KYな言動が多いと苦笑されることもあるが、基本的にはとてもやさしくて包容力のある男だ。昔、青木が仕事でミスって室長にクソミソに貶されてトイレで泣いていたとき、何度もドア越しに慰めてくれた。その先輩を利用するだけ利用して捨てるなんて、これは立派な犯罪行為だ。

「だって口惜しいじゃないですか! 曽我さんがそんな目に遭って、何とかしてその女に思い知らせてやりたいと思わないんですか?!」
「青木。気持ちは分からなくもないけど、てか、俺達だって同じ気持ちだけど、曽我がそんなことを望むかどうかを考えると」
 今井に穏やかに諭されて、青木は口を閉ざした。

 言われてみればその通りだ。そんなことをしても、曽我は喜ばないだろう。自分を騙した女性に陰湿な仕返しを考えるなんて、曽我はそんなセコイ人間では――。

「青木! 心の友よ!!」
 休憩室のドアが勢いよく開いて、坊主頭のメタボ体型が青木に突進してきた。いきなり抱きつかれて2,3歩よろめき、その場に倒れそうになるのを根性で踏ん張る。重量級の曽我にマトモに乗られたら、大柄な青木といえど窒息は免れない。青木は身長こそ高いが、岡部のような強靭な筋肉は持っていないのだ。

「そうか、おれのためにあの女に仕返ししてくれるのか!」
「えっ」
「ありがとう、ありがとう!!」
「いやあの、ちょっ、待ってください、宇野さん、今井さん! オレをひとりにしないでくださいよ!!」
 
 要領の良い先輩たちはさっさと執務室に戻ってしまい、休憩室には青木と、涙にくれる坊主頭の先輩だけが残された。
 自分の前で臆面も無く涙を流す恋を失った哀れな男に、青木は何と答えてよいものかわからず、ひたすら狼狽えていた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

天国と地獄8 (3)

天国と地獄8 (3)





 小鉢の中で冷奴を割る箸を止めて、薪は大きく眼を瞬いた。
 亜麻色の瞳には、青木の困り果てた顔が映っている。きっと薪も、自分が困っていることは察してくれている。でも薪には怒りの方が大きいのだろう、大きな瞳を険しく伏せて、
「年のせいか、このごろ耳の調子が優れなくてな。よく聞き間違いをするんだ」

 薪は努めて冷静に、摩り下ろした生姜をたっぷりと豆腐に載せた。下ろし生姜の無い冷奴なんて、炭酸の抜けたビールみたいなものだ、と薪が言うので、自分は無くても平気だと青木が答えると、冷たい豆腐に醤油をかけただけなんてあり得ない食し方だと叱られた。豆腐に失礼だとまで言われた。意味は分からないが、なんだか薪らしくて笑えた。

「僕の悪口が聞こえたような気がして問い質すと、誰も言ってない、って言われるんだ。今聞こえたのは、それと同じ現象だよな?」
 口の中のものをきれいに飲み込んでから口を開く。薪は上品でも気取ってもいないが、とてもきれいに食事をする。

「『曽我の彼女になって欲しい』って聞こえたんだけど。ありえないよな?」
「すみません、お願いします! この通りですっ!!」

 一転、青木はキッチンの床に正座して頭を下げた。
 薪に怒られるのは覚悟の上。これも大事な先輩のため、ひいては室長である薪のためだ。

 曽我は彼女に振られて以来ミスを連発し、先日とうとう第九内だけでは収まらない大ポカをやってしまった。薪が捜一まで出向いて課長に頭を下げ、事態はそれ以上悪化しなかったが、第九の失点として累積されてしまった。
 起こってしまったことに対しては意外なくらい寛容な薪は、そのときも「これから気をつけろ」と曽我に言い渡しただけだったが、曽我の仕事のクオリティが下降傾向にあることは明らかだった。しかしそこには深く傷ついた心の問題が存在しているが故に、単なる励ましや一時の憂さ晴らしでは彼を元の優秀な捜査官に戻すことは困難で、事実青木のアフターと自腹を削っての激励会はあまり効を奏していなかった。

 曽我が彼女のことを吹っ切ることができたら職務も充実するに違いない。今のままでは薪の立場にまで悪影響を及ぼしかねない。曽我自身のためにも、第九のためにも、何とかしなくては。
 青木はそう考えて、この計画を立てたのだ。

「青木。そこまで……」
 青木の真剣さが伝わったらしく、薪はしばらく考え込んだ後、ガタリと音をさせて席を立った。それから青木の前に膝を付き、頭を上げろ、とやさしく言った。
「わかった。でも、一度だけだぞ」
「ありがとうございます!」
 自分の気持ちを理解してもらえたことが嬉しくて、青木は明るく笑みを返す。しかし薪は何故か悲しそうに眦を下げて、
「おまえの頼みだからやるんだからな。何があっても僕の意志じゃない。そこは分かってくれるな?」
「は?」
 思いつめたような表情をして、いっそ悲壮感さえ漂わせて薪は、きちんと折った細い膝の上に置いた両手をぎゅっと握り締めた。
「それと、ハグまでは我慢するけど、それ以上はちょっと」
「はい?」
 薪の言っていることがさっぱり分からなくて、青木の瞳は小さく引き絞られる。我慢するって、なにを?

 青木が訝しげに首を傾げると、薪はこれまたどうしてか頬を朱く染めて、
「おまえとだってまだキスとボディタッチくらいしかしてないのに、曽我とそれ以上の関係になるなんて。僕にはとても」
「はあ!?」
「僕は初めてはおまえって決めてるし、もしそこまで覚悟しなきゃいけないなら……こ、今夜、がんばってみようかな」
「ちょっと待ってくださいっ!! なんでそうなるんですか!?」
 突っ込んでしまってから気がついた、今夜頑張ってみるっていま薪の方から言ってくれたのに。千載一遇のチャンスを逃して、でもここは彼の勘違いを正すのが急務だ。
 
 自分の言を強く否定されて薪は、青木の顔を見てぱちりと瞬きをした。それから愛らしく小首を傾げて、
「先輩に強要されて、自分の恋人をレンタルするって話じゃ? この世界ではよくある話なんだろ?」
「ちがいますよ!!! 7.5といい今度といい、いったい何処から仕入れてくるんですか、その5流小説ネタは!!」
「ネットで『びーえる』って検索掛けると薪室長に役立つ知識がたくさん出てきますよ、って菅井さんが」

 腐女子の親切大きなお世話っっ!!!
 
 余計なことを吹き込まないで欲しい。それじゃなくても薪は捜査の役に立たないと思われる分野の常識には疎くて、それを自分も自覚しているから、尤もらしく書かれてあったり他人から教えられたりしたことを鵜呑みにする傾向があるのだ。男同士の恋愛事情なんてその最たるもので、彼は同じ性を持つものたちがどうやって愛し合うのかも漠然としか知らなかった。
「『801穴』の存在も、そこで知ったんだ」
 それでこないだの騒動が……あ、ダメだ、虚無の海に飲み込まれそうだ。
 
 遠ざかる意識を必死に引き戻し、青木はできるだけ平静な声で薪を諭した。
「そういうのは若い女の子が実情を知らずに妄想だけで書き散らしているものが殆どなので、信じちゃダメです」
 あの架空の器官には、美しき愛の象徴として描かれるべき性交渉に排泄器官を使うのが忍びない彼女たちの乙女心が生み出したファンタジーの産物、という見解もあるらしいが、どっちにせよ迷惑この上ない。そのせいで別れ話に発展しそうになったこっちの苦労も考えて欲し……いや、世界中探してもあんな幻想を信じるのは薪だけだ。彼女たちに罪は無い。

「え、そうなのか? でも、色とか形状とかすっごく詳しく書いてあったし、それさえあれば初めから気持ちよくって、しかも何回でもイケるみたいだぞ?」
 そんな便利なものがあれば、どこかの誰かさんも苦労しなかったでしょうね……。

 ズレた話を戻そうと、青木は薪の両肩に手を置いた。とんちんかんな誤解をしているとき特有のあどけない表情でぽかんと口を開けている薪の顔を覗きこんで、ありったけの好意を瞳と声に溢れさせる。
「薪さん。こんなに薪さんに夢中なオレが、薪さんと他の男が触れ合うことを望むと思いますか?」
「うん、分かってる。だから、止むに止まれぬ事情があるんだろうなって」
 それであんな思いつめた顔をしていたのか。このひとの思考回路って、いったいどこまで――。

「青木?」
 青木がものも言わずに薪の身体をぎゅっと抱きしめたから、薪は息を呑みながらも不思議そうに青木の名を呼ぶ。薪が説明を聞きたがっているのは分かったけれど、今はこちらを優先させて欲しい。青木が自分の気持ちを抑え切れなくなるのは、こんな風に不意を衝かれた瞬間だ。今青木は、薪のことが愛しくてたまらない。

 青木が頭を下げただけで、詳しい事情も聞かず、彼は自分の身を差し出そうとしてくれた。
 普段は青木のお願いなんか100個のうち1個くらいしか聞き届けてくれないくせに、青木が深刻な状況にあると思えば何も聞かずに協力してくれる。薪はとても意地悪だけど、本当に必要なときには迷いなく手を差し伸べてくれる。そういう人だと分かっていて、でも改めてそれを目の当たりにしたら、強く強く沸き起こる彼への愛しさを青木は止めることができない。

「薪さん、大好きです。オレ以外の男になんか触らないでください」
「じゃあ、何もしなくていいのか?」
「いや、して欲しいことはありますけど、そういうことじゃなくて」
 とりあえず薪を立たせて、途中だった夕食の膳に向かわせる。自分も向かいの席に腰を下ろして青木は、頭の中を整理した。誤解しやすい彼の性質を考慮に入れて、できるだけ明確な言葉を選ぶ。

「薪さんには女性に扮していただいて、曽我さんを騙した女の前で、曽我さんの新しい恋人のフリをしていただきたいんです」




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天国と地獄8 (4)

天国と地獄8 (4)





「薪さんには女性に扮していただいて、曽我さんを騙した女の前で、曽我さんの新しい恋人のフリをしていただきたいんです」

 この計画は、青木と曽我で立てた。
 曽我本人にどんな仕返しがしたいかと聞いたところ、お金を取り戻そうとは思わない、という答えが返ってきた。曽我が一番頭に来たのはさんざん貢がされたことではなく、彼女の自己弁護の内容だったらしい。

『あんたみたいな冴えないオッサンが、あたしみたいに若くて美人の女を連れ歩けたんだから、それで満足しなさいよ』

 確かに彼女は若くて美人だった、そして曽我は見てくれは良くない。でも、人間容姿だけじゃない。まったく人生に影響がないとは言わないが、絶対にそれだけじゃない。大事なのは中身だ。平凡な顔立ちでも相手の人となりが分かってくるに従って可愛く見えてくるものだし、実際、何十年も一緒に連れ添ったら見てくれなんかどうでもよくなる。
 それを証明するためにも、彼女より遥かに美人の恋人を作って、その彼女に見せ付けてやりたい。男は中身で勝負するものなんだと、若さに思い上がった彼女に思い知らせてやりたい。
 それには曽我の恋人の振りをしてくれるとびきり美人の協力者が必要で、青木と曽我が思い当たる人物といったら、彼らの知り合いには一人しかいなかった。

 薪には容易い事だと思った。女性の振りをするのはおとり捜査で慣れているし、青木のために自分の身を差し出す決意までした彼なら、二つ返事で引き受けてくれると思った。しかし。

「アホらしい」
 さっきとは打って変わって冷たい口調で言い捨てると、薪は冷奴に箸を伸ばした。
「なんで僕がそんなことしなきゃならないんだ」
 まさか断られるとは思っていなかった青木は、薪のお手製のアジフライを頬張りつつ、そのふっくらとした身の柔らかさに感激しながらも、説得の続きにかかる。
「このままでいいわけないですよ。曽我さんは彼女と真面目に付き合っていたのに、あんな目に遭わされて。薪さんにとっても、曽我さんは大事な部下でしょう?」
「それは曽我と彼女の問題で、僕たちが口を出すべきじゃない」
「薪さんは口惜しくないんですか?彼女、曽我さんから貢がれた品を全部質に入れて、そのお金で本命の男とデートしてたんですよ。あからさまに利用されて……!」
「次からそんな女に引っ掛からなければいい。いい教訓になっただろ」
「薪さん」
 咎める口調で青木が薪の名前を呼ぶと、薪は箸と茶碗を置いて、両手をテーブルの上で軽く握った。

「青木。こういうことは、他人が何をしてもだめだ。曽我が自分で立ち直らないと」
 薪はずるい、と青木は思った。職務中のように姿勢を正して、澄み切った亜麻色の瞳で見つめられたら、青木はそれ以上何も言えない。
「大丈夫だ。曽我は、強い男だ」
 薪は、自分の部下を信じているのだと思った。彼が自分の力で己を取り戻すのを、黙して待つ心算なのだ。
 だからと言って、職務中に手心を加えたりしない。あくまで厳しく、やや独善的な上司像を崩さない。でも、居丈高にそらされた薪の胸のうちにはいつも、部下に対する信頼と愛情が溢れていることを青木は知っている。

「わかりました」
 神妙に頷いて、青木は食事に戻った。
 丁寧に細切りされた春キャベツの甘さと食感を楽しみながら、一連の会話のせいか、まるで仕事中のように整然とした所作で食事をする薪をプライベイトの彼に戻したくて、青木はちょっとしたイタズラを思いつく。

「薪さん。今夜、期待していいんですよね?」
「……えっ?」
 アジフライを分けていた薪の箸が止まる。顔と手の位置はそのまま、青木の顔を眼だけで見上げて、その瞳は不安に揺れている。
 薪は青木の期待の対象に気付いて、それは薪の最も不得手とする項目で、だから突然彼は挙動不審になる。青木と眼が合うとパッと横に逸らし、瞳があさっての方向を向いているものだからテーブルの上にキャベツが散らかっちゃってますけど。

 彼の焦りが伝わってきて、青木は心の中でニヤニヤ笑う。得意なことと苦手なことの差に天と地ほどの開きがある、それも薪の魅力のひとつだ。そのギャップがたまらない。
「さっき、今夜がんばってみるって」
「そ、それは!!」
 薪はくちびるを開いて、空気だけを飲み込んで閉じ、また開き。
 どうやら自分の発言をなかったものにしようとあれこれ考えているようだが、青木はそこまでお人好しではない。
「初めては、オレって決めてくれてるんでしょう?」
「うっ……」
 長い指を組み合わせて肘をテーブルに付き、薪の瞳を真っ直ぐに見つめれば、彼が自分から逃げられなくなることは分かっている。

「ごはん食べ終わったら、一緒にシャワー浴びましょうか」
 案の定、固まってしまった薪に笑いかけると、薪は白い薔薇が紅いインクを吸い上げて発色するように見る見る顔を赤くして、それでも終いにはこっくりと頷いた。




*****





 翌日、青木は曽我に、薪の協力を得られなかったことを正直に話した。曽我はそれほど期待していなかったようで、やっぱり、と軽く呟いただけだった。
 休憩室で自販機の紙コップに入ったコーヒーを飲みながら、青木は自分の隣で杜仲茶を飲んでいる曽我に、計画の修正案を提示した。

「どうしますか? 他に美人の心当たりと言うと、法一の三好先生か、助手の菅井さんくらいですけど」
「うーん、どっちもハイレベルだけど、年がなあ。彼女、まだ二十歳でさ。それと同じか年下に化けるとなると、苦しいだろうな」
「薪さんだったら年齢的にも文句なしだったんですけどね」
 薪の実年齢は37歳だが、服装によっては高校生くらいに見える。ラフな服装で居酒屋で飲んでいて、何度店の人から注意を受けたことか。

「あとは捜一の竹内さんに頼んで、女の子の知り合いから誰か見繕ってもらうとか」
「ダメダメ。竹内さんは、人妻と子供には手を出さないから」
 捜一の光源氏と異名をとるプレイボーイは、浮名を流す一方思慮深い一面もあって、自分の警察官としての立場を危うくするような相手とは初めから付き合わない。いつ監査課に突っ込まれても自由恋愛だと主張できるような、自立した大人の女性しか相手にしないのだ。その中に、親のすねを齧っている娘はいない。親がうるさいからだ。

「じゃあ、どうします? 諦めますか?」
「冗談だろ。今週末に決行する」
「わかりました! オレが曽我さんの彼女になります!」
「……おまえ、薪さんに毒されてない?」
 薪のスットンキョーが伝染ってきたみたいだ、と曽我に言われて、青木は照れ臭さを覚える。恋人として付き合うようになって一緒に過ごす時間が長くなったから、今までよりも彼の影響を強く受けているのかもしれない。主に、プライベイトの。

「こないだ、あんまり頭に来て言葉が出てこなかったから。相手に言いたい放題言われて、そのまま別れちゃってさ。新しい彼女なんかいなくたって、言いたいこと、バシッと言ってやるんだ。そうしたら吹っ切れそうな気がする」
 そう言って前を向いた曽我の横顔は、なかなかに男らしかった。

「悪かったなー、青木。さんざん付き合わせて。でも、おかげで勇気出た」
 曽我はKYだと評されることも多いが、基本的に平和主義者だ。腹に据えかねることがあっても、他人を攻撃したりしない。自分の意見を強く主張することよりも、ジョークや笑いに紛れさせてしまうことの方が遥かに多い。 それは、彼のやさしさの裏には自分の考えを堂々と言えない臆病な彼が隠れていることの証明に他ならず、そこが自分の弱さだと曽我自身も分かっているのだろう。

「自分を応援してくれる誰かがいるって、幸せなことだな」
「オレだけじゃないです。みんな口には出さないけれど、曽我さんのこと応援してますよ」
「うん。わかってる」
 曽我は残りの杜仲茶を一気に飲み干すと、右手の中で紙コップをくしゃりと潰し、立ち上がった。

「早いとこ、ケリつけないとな」



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天国と地獄8 (5)

 日曜日の夜、オットと一緒に『平成教育委員会』というクイズ番組を見てましたら、『亜麻色ってどの色?』という質問がありまして。 
 
「あ、うちの薪さんの髪の色だよ! とってもきれいなんだよ! 答えはDだね!」
 と、わたしが自信満々に言い放ちましたら、しっかり間違ってて。(笑) 答えはCでした。

 ええーーっ、亜麻色ってあんなに薄いの?!
 と驚くくらい、殆ど白に近い茶色で。うちのテレビ映りの問題かもしれないけど、こんなんだったよ?
 ↓↓↓

 『こんな色』  

 しかも、映像で見たら全然キレイじゃないんですけど。(←これ、モデルさんに失礼かもだけど、後姿だったから)
 おかしいなあ、ネットで調べたときはもっとずっと濃い色だったんだけどなあ。

 『亜麻色の色見本』 

 まあ、字面がいいので使ってた部分も大きいのですけど。 亜麻色は栗色の表現に用いられることも多いので。
 実際、ネットで調べた亜麻色より、薄茶色の方が見た目もキレイだったし。
 でも、『こんな色』で『亜麻色の髪の乙女』を想像しても、ちっともキレイじゃないわ、と思うのはわたしだけ? 金髪と言うより白髪だよね? ……痛くね?

 テレビの映像を見たオットが、
 「そうか、薪さんは白髪なのか。しづは老け専か」 と何事か呟いておりましたが、そんなことはどうでもよろしい。(いいの?)


 疑問に思った時のWiki頼みで調べてみたのですけど、
「こんな色」は エルクベージュ と言って、これも亜麻色と称されるんだそうです。 
 つまり、亜麻色って2色あるんですね~。 まぎらわしいな~~。

 テレビでやるなら、ここまできちんと放映して欲しいもんです。 おかげでオットに老け専だと誤解されました、ってクレームつけたら、意味分かってもらえるかしら。(笑笑)
 






天国と地獄8 (5)




 梅雨が明けたばかりの日本列島は、その日快晴に恵まれていた。
 
 アイスコーヒーのグラスを片手にすっかり薄くなった頭を自然の風に晒して、山本は休日の午後の一時を過ごしていた。
 山本がいるのはヨーロッパの街中によく見られるような路上にまで席を置いたオープンカフェで、周りにいるのは派手な恰好をした若者たちばかり。山本が実年齢より20歳老けて見えることを差し引いても、彼がその場所で浮いていることは否定できない。その証拠に、「あのオジサンさあ」という苦笑紛れの声が風に乗って聞こえてくる。見た目で判断されて耳も遠いだろうと思われているのかもしれないが、残念、山本は耳はいいのだ。
 山本自身、自分の外見については自覚しているから、本音を言うとお洒落なオープンカフェは苦手なのだが、合流に便利だからこの席で待っていてくれと頼まれたのだ。そうでもなければ、こんな気取った店の金属製の椅子になど座るものか。

 不愉快な囁きには耳を塞ぎ、文庫本のニーチェをめくりながら連れが迎えに来るのを待っていると、カフェから少し離れた路上でちょっとした騒ぎが起きた。公共の場所には相応しくない女の大声が聞こえて、何事かと顔を上げると、ちょうど山本の席の方へ向かって、大胆に腕と足を露出させた若い女性が歩いてくるところだった。

「ちょっと待てよ」
 後ろから、彼女よりは大分年上と思われる男が追いかけてくる。その男の顔を見て、山本は慌てて文庫本で自分の顔を隠した。
 山本の目前で女性の腕を掴んで彼女を引き止めている30前後の小太りな男、それは山本と同じ研究室で働く先輩職員だった。

 偶然にも同僚の修羅場を目撃する羽目になって困惑する山本の前で、若い女性は強気に彼の手を払い、苛立った口調で、
「話なんかないって言ってるでしょ。あんたがあたしに未練たらたらなのは分かるけど、あたしたちはもう終わったの!」
 脱色したストレートの長い髪を左右に振って、そうすると彼女は戦いの女神ミネルバのようで、傲慢なまでの我の強さは彼女の魅力のひとつとして立派にその役目を果たしていることが分かる。女性に従順を求めつつ、こういう女性に惹かれる男性もまた多い。
 青みがかった大きな瞳も、それを縁取る睫毛を強調した今時の化粧も、彼女の魅力を引き立てている。季節的にはまだ早いかと思われる二枚重ねのタンクトップにホットパンツという彼女のいでたちも、その眩しいまでの若さ溢れる肢体にはよく似合っていた。

 男はしかし、そんな彼女の迸るような激しい美しさに惑わされることなく、強い口調で言い放った。
「おまえに未練なんかない。だけど、おまえがしたのは悪いことだ。それをきちんと認識して謝罪しろって言ってるんだ。そうしなかったら、おまえはまた同じ間違いを繰り返すだろ」
「何よ、あんただってスケベ心があったからあたしに宝石やらバックやら買ってくれたんでしょ。お互い様じゃない」
「ちがう、おれはちゃんと結婚まで視野に入れて」
「それはあんたの勝手でしょ?! 冗談じゃないわよ、あんたみたいな冴えない男と結婚なんて! あんた、あたしに釣り合うとでも思ってんの!?」
 詳しいことは分からずとも、彼らの間でどんなトラブルがあったのか、凡その予想はついた。それはカフェの他の客も同様だったらしく、しかし客の殆どは自分たちに年の近い女性側の味方で、「あの男じゃ、あの娘はムリっしょ」などという失礼な言葉が、また風に乗って山本の耳に入ってきた。

 腹が立った。
 男が山本の同僚だったから、だけではない。曽我のことを何も知らない連中が、彼の価値を勝手に決めつける、その行為が許しがたく不愉快だった。

 が、公共の場で騒ぎを起こすほど、山本は非常識ではなかった。腹立ちは胸の中に押し留め、第三者の素振りでその場をやり過ごそうと思った。ここにいたのが自分でなく、第九の他の誰かでもそうするだろう。下手に騒ぎ立てたら曽我にも迷惑が掛かる。
 しかし、彼らは山本の一つ隣の空テーブルの前で揉めているのだ。会話はイヤでも耳に入ってくる。繰り返すが、山本は耳はいいのだ。

「ひとの外見にばっかり捉われてると、そのうち痛い目見るぞ」
「あんたみたいな男に言われてもね。これくらいイイ男が言うんだったらサマになるけど」
 そう言って彼女はすらりと長い腕を後方から現れた男の首に回し、これ見よがしに彼に擦り寄った。
 彼女の言うとおり、男は若く、なかなかの美男子だった。彼氏の出現に、曽我が思わず後ずさる。
 彼は彼女と同じような表情をして、自分の正当性を心から信じる十字軍の戦士のように強く曽我を非難した。

「オッサン。おれのアカネに何か文句あるの?」
「ヒロシはケンカ強いわよ。謝っちゃった方がいいわよ」
 ヒロシとやらが殴りかかればいい、と山本は思った。警察官と言う立場上、自分から手を出すことはできないが、曽我は柔道は初段だ。こんな優男を地面に叩きつけることなぞ、片手でやってのける。

 しかし、曽我は彼氏が出てきた途端に弱気になった。
 曽我の表情を見て取って、女は勝ち誇ったように彼を嘲った。
「女には強く出られても、男には引いちゃうのね。情けない男」

 曽我はぎゅっと唇を引き結び、その拳は怒りに震えて、でも決して一歩を踏み出そうとはしなかった。何も知らない者たちにとって、その様子は曽我が男の出現に恐れをなしたように受け取られ、か弱い女相手でなければ啖呵も切れない、なんと情けない男よと、カフェのあちこちで沸き起こる失笑に、思わず山本が立ち上がりかけたとき。

「曽我さん」

 鈴を転がすようなアルトの声が響き、軽やかなヒールの音が山本の席に近付いてきた。白い日傘を差した彼女は、亜麻色のふわふわした長い髪とほっそりした体つき、胸元にフリルのたくさんついたチュールワンピースを着ていた。開いた胸元にはシンプルなプラチナのネックレスが奥ゆかしく輝き、華奢な両肩を慎ましく覆う短い袖から伸びた腕と、品の良い長さのスカートから伸びた脚の白さは驚くばかり。それらのアイテムと彼女の優雅な身のこなしを併せれば、どこからどう見ても良家の子女に間違いない。間違いないが、山本の観察眼も間違いではなかった。

「室……!!」
 カフェの客たちが騒然とする中、突然現れたお嬢さまは満面に浮かべた笑顔をそのままに、ちらりと山本の方を見て、しかし立ち止まることなく、細い人差し指を自分のくちびるに当てただけで山本の横を通り過ぎた。

 ふんわりしたスカートの裾をひらめかせ、無邪気な笑顔をその美しい顔に浮かべて彼女は、「お会いできて嬉しいわ」と、曽我の手を取った。
 その場で呆然としていないのは、日傘を差したお嬢さまだけだった。誰もが自失していた。彼女に手をとられた曽我でさえ。

 曽我の顔を見上げる彼女の、前髪の下の秀麗な眉とその下の大きな瞳。長い睫毛はその色合いと形から、人工的なものではなく生まれつきのものだと分かる。女の子らしい小さな鼻と、桃の花色に彩られたくちびる。笑うと、真珠のような前歯が少しだけ覗いて、さっきの彼女がミネルバならこちらはフレイアだな、と山本は思った。俗に言う「愛と美の女神」ってやつだ。
 亜麻色の豊かな髪は彼女の華奢な背中を覆い、その美しい曲線を日傘と協力して隠していたけれど、品よく晒した腕と脚の造形から、服に隠れた部分の麗しさは十分に推し量れる。本当に美しいものはどれだけ巧妙に隠匿しても、その輝きを自然と滲ませるものだ。何より、彼女の全身から発せられる気品と清涼感は付け焼刃で身につくものではない。タンクトップにホットパンツという若さに任せたアカネの姿が、何故だかとても薄っぺらく、いっそ下品に見えてくる。鑑定書つきのダイヤモンドの隣にキュービックジルコニアが並んだみたいだ。

 曽我は自失から戻り、若い彼女との諍いのときより遥かに多くの耳目を集めていることに気付いたようだった。焦った顔で深窓の姫君を見やり、
「ま、薪さん……どうしてここに」
『あの娘、マキって言うんだ』という呟きが聞こえる。マキは苗字ですよ、と突っ込みたくなるが、それをしたら只では済まないことを山本は経験から学んでいる。

「車から曽我さんのお姿をお見かけして、はしたなくも追いかけてきてしまいました」
 彼女は自分の軽率さを恥らうように、でも嬉しくてたまらないといった様子で曽我の手を握った自分の手に視線を落とした。
「曽我さん。よろしかったらこれからわたくしの家に……あら。そちらの方、どなた?」
「あ、彼女は」
 曽我がアカネを振り返ると、そこにいたのは何故か彼女の本命の彼氏の方で、後ろを向いていた曽我は知らないが、マキの姿を見た途端に彼はアカネの肩に回していた手を解き、殆ど彼女を突き飛ばすようにして前に出てきていた。

「ちょ、ちょっと待って。君、こいつと付き合ってるの?」
 ヒロシと呼ばれた若者は無遠慮にマキに顔を近づけ、我知らず赤くなって何とも下卑た笑いをその口元に浮かべた。言われてマキは、長い睫毛を瞬かせ、口元を右手で隠すと、恥ずかしそうに首を振った。
「いいえ、そんな。とんでもない」
「だよね、君みたいな可愛い娘が、こんな冴えない男と」
 うんうんと頷いて、それは山本を除いたギャラリーたちも同じ気持ちだったのだろう。何となく安心したような空気が流れて、場の緊張は幾らか和らいだように見えた。
 が、山本には分かっていた。本番は、ここからだ。

「ねっ、よかったら、おれとこの後」
「あんた、なに言ってんのよ!」
 自分の本命彼氏が図々しくマキに声を掛けるのにマジギレして、アカネがヒステリックに喚き立てる。先刻、彼女の啖呵はとても気風よく感ぜられたのに、今はなんだか雌猫がぎゃんぎゃん鳴いているみたいだった。
 対照的に、涼やかに透き通ったアルトの声が、せっかく落ち着いてきた観衆に再び爆雷を落とす。

「わたくしの方が一方的にお慕いしてて。曽我さんには、きっとご迷惑だと思うのですけど」
「「「ええ~~~~!!!」」」
 そこで一緒に驚いてはダメだろう、曽我!!
 しかし、無理もなかった。カフェの客の中には思わず席を立つものもいたし、店員は客のコップに注いだ水が溢れているのにも気付かない。

 薪がその気になれば、帝国が築けるのではないかと山本は思う。カリスマ性があるというか自然と人の憧憬を集めてしまうというか。普段から衆目を攫う美貌のひとではあるけれど、意識してそれを操ることができたら、警察機構なんか簡単に牛耳れる気がする。

「お嬢さま。探しましたよ」
「今井」
 半袖シャツの人ごみを背景に、ダークグレイのスーツに白い手袋をはめた、いかにも執事然とした男が姿を現した。きっちりと撫で付けられた髪は、主の髪より幾分薄めのブラウン。見目良く品良く、洗練されたその物腰に、うっとりと見ほれる女性もちらほら。
 ……今井さんて、こういう人でしたか?

 交通課の彼女に連絡してやろうか、と山本が余計なお世話を焼きたくなるくらい、堂に入った執事っぷりだった。つまり、ノリノリということだ。
「突然いなくなられては困ります。ボディーガードもつけずに。私が旦那さまに叱られます」
 咎める口調で諭されうつむいて、しかし彼女が気にしているのは執事の機嫌ではなかった。

「ごめんなさい、曽我さん。わたくしのこういうところがお嫌なのでしょう? でもマキは、あなたの為なら家なんかいつでも捨てる覚悟がございますのよ」




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

天国と地獄8 (6)

 こんにちは~。
 て、呑気に語尾を伸ばした挨拶してる場合じゃないですよね。

 ごめんなさい、放置しちゃってすみませんでした~っ
 しかも、章の途中と言う非道な切りっぷり!!(長かったので2つに分けた) 鬼だね、しづ!!!

 ちょーっとリアルがバタバタしておりまして、コメレスは、もうしばらくお待ちください。
 記事は見直し済みなのでね、残り2回、レスより先に公開させていただきます。←不義理の極み。


 みなさまに、楽しんでいただけますように。
 
 




天国と地獄8 (6)




「ごめんなさい、曽我さん。わたくしのこういうところがお嫌なのでしょう?でもマキは、あなたの為なら家なんかいつでも捨てる覚悟がございますのよ」

「何を仰います、マキさま! 資産254億の小野田家を継がれるのはお嬢さましかいないのですよ!!」
「「資産254億!?」」
 事実とはゼロの数が9つほど違っているようだが、細かいことを気にしてはいけない。
 しかし、あまりにも現実から掛け離れた嘘はリアリティを損なうものだ。観客の中に「小野田家なんて聞いたことあるか?」という声がちらほらと上がったとき。

「小野田、小野田……おっ、これか!!」
 カフェにいたひとりの男がノートパソコンを広げ、インターネットから記事を引き出した。「こりゃすごい、本物だ!」と彼が声を上げるので、気になった連中は一人二人と彼の席に寄っていき、彼のPCの画面を覗き込んでは、おお、と感嘆の声を上げた。
 平均よりは大分小柄な山本が人垣の後ろから爪先立って、見ると、画面には現職の法務大臣と握手をしている警察庁長官と隣に並んだ薪の姿が映っていた。これは多分、先日の事件解決の折に法務大臣と会談をしたときの写真だと思うが、長官の衣装はタキシードに、薪の衣装は豪奢なイブニングドレスに変わっていた。

 宇野さん……これは一種の詐欺行為では……いや、まあ、偽造したのは公文書ではないし、でも軽犯罪法には抵触しているような……。

「これって、何とかって大臣だよね? テレビで見たことある」
 法務大臣の名前くらい覚えておきましょうね、君たち。
「毎週土曜、定例となっている昼食会、とか書いてあるぜ。すっげーセレブ」
 うん、現職の法務大臣はそんなにヒマじゃないと思いますけどね。
「しかしこの親父、あの娘と似てないなー」
 そりゃあ、本物の親子じゃありませんから。

 いくらか浮世離れした設定も、インターネットという魔法をかけられれば現実になる。今や観衆の誰もが、マキという女性は自分たちとは異なった世界で至宝のように育て上げられた温室の薔薇であることを信じていた。
 そして当然、生まれる疑問がひとつ。
 美人で、若くて、お金持ちで、約束された幸福な未来を持つ彼女が、そのすべてを投げうってまで付いていきたいと思う男性、それがこの坊主頭の冴えない男?

「その男のどこがそんなに?!」
 ヒロシと呼ばれた男の質問は、観衆の総意だった。
 マキはニコニコと品良く微笑みながら、小鳥が羽繕いをするように小首を傾げ、
「曽我さんは、ステキな方ですのよ」
「どこが?! あんたの目、節穴じゃないの?」
 アカネの叫びは、これまた観衆の代弁。しかしマキは臆することなく、静かな口調で、しかし力強く言い切った。
「失礼ですけど。表面上のものだけ見ていては、曽我さんの素晴らしさはわかりません」

 それは、実に教師的な物言いだった。あどけない頬のラインから自分よりも年下と見受けられる少女に上から目線で諭されて、アカネは腹に据えかねたのだろう。自分だって男を見てくれだけで判断するほど愚かな女ではないことを主張するため、曽我の内面的な部分に対する非難を早口にまくし立てた。
「この男はね、無神経で空気読めないし、見当違いのことばっかり言うし、女の言いなりになってばかりの情けない男なの! あたしの嘘に何度も騙されるくらいバカだし……とにかくバカなの! いいとこなんて、ひとつもないわよ!」
 公衆の面前で罵倒されて、それでも曽我は何も言わなかった。卑屈なまでに寡黙な彼の横顔をちらりと見やり、麗しの少女はぽつりと一言、
「馬鹿はおまえだろう」

 ざわめいていた観衆が、シンと静まり返った。
 それは唐突に打ち捨てられた上品な言い回しとか、現れてから今までずっと彼女の顔に浮かべられていた笑顔が失せたこととか、そういった眼に見えるものの影響ばかりではなかった。冷たい波動が彼女の細い身体から発せられ、それが彼女の怒りであることを本能で感じ取ったことによる恐怖が集団に伝染したからだった。
 透き通るアルトの声音に氷の冷たさを添えて、薪は言った。

「曽我は、一見無神経に見える行動の裏で、たくさんのものを見てたくさんのことに気付いている。MRI画像をあれだけ細かく読み解ける曽我に、それができないわけがない。曽我はその上で言葉を選んでいる。相手の気持ちを、プライドを考えるから。隠しておきたい人の心を大事にするから。それは曽我のやさしさで、それに気付かない人間が愚鈍なんだ」
 淡々と、でも力強く、彼女の声はそれが真実であることを他人の心に伝える。心から信じているものは心に伝わる。頭で理解するのではなく、第一印象からでもなく、彼女の言葉から真実の彼を感じ取って、ギャラリーは沈黙する。

「誠実で正義感が強く、同情心が篤い。強く、やさしい心を持っている。今どき珍しい本物の男だ」
 曽我の手を離し、薪は一歩前に出た。自分よりも若干背の高いアカネに、至近距離から氷柱のような眼光をぶつける。
「曽我は、おまえなんかにはもったいない」

 ひくっと頬を引きつらせて、アカネは一歩下がった。彼氏に至っては素早くアカネの背後に隠れて、まったく今時の男は情けない。
「お嬢さま、お言葉が。お顔も少々」
 澄ました口調で執事が注意を促すのに、お嬢さまはハッと我に返り、こほん、と子リスが首を縦に振る風情で咳払いをし、レースつきの白い日傘をくるりと回した。
 すると彼女を包んでいた氷壁は幻のように融解し、彼女は再び、少しだけ世間知らずで屈託のない深窓の姫君に戻る。そこにすかさず攻撃をかけるアカネは、中々根性が入っていると山本は思った。

「なっ、なによ、小野田家のお嬢様だか何だか知らないけど、あんたあたしより年下でしょ。偉そうに説教しないで、きゃああっ!!」
 アカネの反撃は、途中から悲鳴に変わる。
 ずうん、と重苦しい音と共に現れたのは見上げるような大男で、その三白眼から照射されるのは間違うことなき殺気。ぼきぼきと指の骨を鳴らし、毛深い腕をぐっと曲げれば、ボディビルダーのような筋肉が白シャツの下に浮き上がる。
 今度こそ二人は悲鳴を上げて2mほど飛びのくと、熱せられたアスファルトの上の膨張した空気の中で震え上がった。

 最後は脅しなんだ、といささか滑るような心持ちで山本は、すっかりぬるくなったアイスコーヒーを飲み干した。岡部が出てくれば、これで幕だろう。

「宅のお嬢さまを侮辱する言葉が聞こえたようでしたが、空耳でしたかな」
「岡部、弁えなさい。空耳ですよ」
 微笑みつつ用心棒を諌める、その自然さは、彼女が確かに命令することに慣れた特権階級の人間であることを感じさせる。強い主従関係を認めて衆目が感心するのに、山本はひとり心の中で呟いた。
 そりゃ自然ですよね。室長、岡部さんには普段から言いたい放題ですものね。

「お嬢さま。旦那さまがお屋敷でお待ちです。曽我さまも、どうぞご一緒に」
 岡部が大きな手で指し示した先には、黒塗りの高級車が停まっていた。運転手らしき男が後部席のドア前に立ち、お嬢さまの乗車を待っていた。彼もまた背が高く、きちんと撫で付けた黒髪のオールバックとクスエアな眼鏡がよく似合う美形だった。
「さ。行きましょう、曽我さん」
 曽我の手を取り、車へと導く彼女の足取りはとても軽く。スキップでも踏みかねないその様子は、曽我への好意を物語る。

「どうぞ」
 運転手はドアを開けて姫君を乗せ、反対側のドアから執事と曽我を乗せる。助手席には用心棒が乗り、最後に運転手が運転席に納まった。
 美丈夫たちに慈しまれ守られて、美しい姫君は花のような人生を歩むのだろう。しかしその彼女が選んだのは、坊主頭の垢抜けない男。

 否。そんなはずはない。
 彼女が選び、それを周りの彼らも認めている。ということは、彼はもしかしなくても、大した男なのではないか? 若さゆえにそれが見抜けず、アカネという女はとんでもない損をしたのではないか?

 そんな声もちらほらと上がる中、車はゆっくりとスタートを切り、衆目の中で道化を演じる羽目になったアカネは、不貞腐れた表情で足早にその場を去っていった。ちょっと待って、と後ろから追いすがる男を振り返りもしない様子から、「彼らの仲も長くないかも」「あの女の気の強さじゃね」などという失笑も洩れ聞こえてきて、本当に集団というものは心無い発言をすると山本は思う。
 そっと後ろを伺うと、いつの間にか宇野は姿を消していた。もうここに、山本の知り合いはいない。

 カフェの話題は先刻の一幕のことに染まり、小野田家の令嬢の美しさや、執事のスマートさ、あらわたしはあの運転手が素敵だと思ったわ、いやいやあの用心棒は名の通った武道家に違いない、などと空想も逞しくお喋りに花を咲かせるが、彼らがどんなに熱心にiモード検索をかけても、先刻確認したはずの記事は見つけることができないのだった。
「それにしても、あのお嬢さまオトコの趣味悪いよな?」と誰かが言うのに、「ホント、てんで釣り合わない」「あれだったら最初の彼女の方がお似合い」という声がそこかしこで上がる。全体でまとまった話をしているわけではなくとも、共通のスレッドが立った状態の今、グループごとの会話も全体の会話も似たようなものになるのだ。

「世間知らずっていうかさ。ちょっと非常識だよな」
「浮世離れしてるっていうの? まあ、金持ちなんて皆そんなもんかもしれないけど」
「あのお嬢さまが特殊なんじゃん? でなきゃ、あんな冴えない男選ばないっしょ」
「いやいや、分からんぞ。ああ見えてあの男、ビルゲイツも真っ青のITの申し子とか」
「どっちにせよ、あのお付きの数は非常識でしょ」
「でもみんないい男だった~」

 みんなの言うとおり、なんて非常識な上司と同僚なのだろう、と山本は思った。
 同僚が女性にこっぴどい振られ方をしたからと言って、こんな大仰な仕返しをするか? 良識のある大人のすることとは思えない。
 しかし、この胸が熱くなるような感覚はなんだろう。彼らはどこまでも愚かしい、でも、その愚考の目的を思えば下らないと切り捨てることのできない何かが山本の中にも生まれつつあって、その何かが新しい山本賢司を作り出していく。

 今日は天気も良いし。梅雨も明けたことだし。
 少し、非常識になってみようか。

 やがて山本の待ち人が現れて、いつものように周囲の人々からざわめきが起こった。常なら逃げるようにその場から去る山本だが、今日はゆっくりと座ったまま、自分の妻と娘を見上げた。
 店中の客が彼女たちに注目しているのが分かる。マキ嬢ほどではないが、彼女たちは道行く男たちを振り返らせるのに充分すぎるほどの容姿をしていた。豊かな黒髪をアップにまとめ、中学生の子供がいるとは思えないほどに若々しい肢体を持った妻に、山本は尋ねる。

「ねえ、玲子さん」
「なあに?」
「きみは私の何処がよくて、私と結婚したのかな?」
 妻はデパートの袋を両手に持ち直すと、その美しい顔に輝くばかりの笑みを浮かべ、
「賢司さんみたいに素敵なひとは、他にいません。思いやりがあって、頭が良くて、正義感が強くて、勇ましくて。わたしがこれまでに会った男性の中で、あなたが一番ステキ」
 15年前に聞いた台詞と全く同じことを、彼女は録音機のように繰り返した。彼女の気持ちはあの頃のまま、いや、年々強くなるようですらあると山本は感じている。
「だから学生のうちにプロポーズしたのよ、あなたを誰にも取られないうちに。社会に出たら、たくさんの女性があなたに夢中になるって分かってたから」

 あまりにも現実との開きが大きい彼女の言葉に、カフェの客たちが呆然としている。我が妻ながら彼女のドリーム精神には恐れ入る、と山本も密かに思っている。しかし今日だけは、彼女の気持ちを素直な気持ちで聞きたかった。

「ママ、ずるい!」
 中学1年になる娘が、玲子を押しのけるようにして山本の前に顔を出す。母親そっくりのきれいな顔をして、同級生の男の子からしょっちゅう交際の申し込みをされているらしいが、本人は彼らを歯牙にもかけないと聞く。
「わたしだってパパのこと、世界で一番ステキな男性だって思ってるのに! パパ、ママとわたし、どっちが好き?」
 さすが玲子さんの娘。男の趣味の悪さは母親譲りだ。
「まあ、玲奈ったら」
 さすがに玲子は母親だ。彼女は娘の言葉を軽く諌め、ホホホと上品に笑い、
「そんなのわたしに決まってるでしょ。わたしは賢司さんの奥さんなんですからね」
 ……もしもし、玲子さん? 眼がすわってますけど。

「わたしの方が若いし、これからもっともっと美人になるもん! お父さんだって、若い子の方がいいに決まってるわ!」
 いや、玲奈ちゃん。美人になってもお父さんには何もできないからね?
「大人にはね、子供に真似のできないテクニックってものがあるのよ! 賢司さんはわたしのもの、手を出さないでちょうだいっ!」
「なによ、負けないわよ!」
 …………彼女たちも充分非常識だった……。

「帰りに何処かでごはん食べていこうか」
 大人の良識を捨てきれない山本がぼそりと呟くと、二人の美女は山本の右腕と左腕をそれぞれ抱きしめて、はい、と素直に返事をした。そのまま3人で連れ立って、夕暮れの迫る街へと消えていく。
 彼らがいなくなって平均年齢が10歳ばかり下がったカフェで、「人間、やっぱり中身だよな」という低い呟きが、誰からともなく洩れた。




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天国と地獄8 (7)

 薪さんの女装話、ラストでございます。
 お付き合いくださって、ありがとうございました。(^^




天国と地獄8 (7)





 昼間の蒸し暑さも風に払われて、汗ばんだ肌から水蒸気と共に奪われる体温が心地よい夏の夕暮れ。
 人気のない公園のベンチに、美しい少女と坊主頭の男が並んで座っていた。

 もしも誰かがその光景を見たら、思わず自分の見たものを疑い、懸命に眼をこすったかも知れない。というのもその美少女が、見目麗しい脚を下品にも大きく開いて、まるで中年の男性が座るように座していたからだ。開いた膝の上に右手首を載せ、もう片方の膝には反対の足の踝を載せ、顔は非の打ち所のない美少女なのに、まるで彼女にオヤジの霊が取り付いてしまったかのようだった。
 男の方はうつむいて、じっと自分の靴先をみている。両手を握って膝の上に置き、沈んだ様子であった。

「悪かったな。勝手なことして」
 美しい少女の口から、今度は男の声が洩れた。やはり彼女は憑依されて、などということはもちろんなく、白いドレスに包まれた彼女の華奢な肢体は、よくよく観察すればその骨格は男のもので、類稀なる美少年が女の衣装を身につけているのだと分かる。しかしどうしても看破できないのは彼の年齢で、今年38になる立派なオヤジだという事実はシャーロックホームズにも見抜けまい。

「いいえ」
 彼の実年齢はもちろん、本名も職業も知っている曽我は、先刻の猿芝居を思い出してクスクス笑うと、
「室長やみんなが、あそこまでノリがいいとは思いませんでした」
 舞台がはねた後、曽我は薪と二人でこの公園に置いてきぼりにされた。青木が運転してきたのは警備部所有の要人用のエスコートカーで、警視庁に返しがてら他の皆を家まで送り届けるつもりらしい。警視正の特権を振りかざしたのだろうが、こんな目的のためにエスコートカーを借り出すなんて。本当のことが知れたら、所長から大目玉を喰らいそうだ。

「岡部さんなんか、完全に楽しんでましたよね」
「岡部はなー。ああいうの、意外に好きだからなー」
「室長も楽しそうでしたよ?」
「馬鹿言え」
 薪は膝に持たせた手首を離すと、両の踵をきちんと地面につけた。執務室にいるときのように背筋を伸ばして腿の上に拳を置くと、
「僕は反対だったんだ。結局はウソなんだから、こんなことしたって納得できるわけがない。だから青木に頼まれたとき、最初は断ったんだ。余計なお世話だって」
 それはおれが青木に頼んだんです、と曽我が青木の事情を明かすと、薪は意外そうに大きな瞳を瞬かせた。どうやら曽我の頼みだとは言わず、自分の勝手なお節介として薪に協力を頼んでいたらしい。

「どうして協力してくれる気になったんですか?」
「そりゃあおまえ。青木がおまえの恋人役をやるなんて言い出すから。それだったら僕がやったほうが、市民に与える視覚的衝撃が少なくて済むと思って」
 確かに。悲惨なことになりそうだ。

 青木は何とかして曽我を元気付けたくて、何度も薪に頼んだのだろう。青木の女装を防ぎたかった、と言うのは薪の照れ隠しで、本当は青木の熱意に負けた、と言うのが真相だろうと曽我は思った。なんのかんの言って、薪は青木の『お願いします』には弱い。
「青木はやさしいですね」
 薪は答えなかった。
 答える代わりにふっと微笑んで、それは幸せそうに微笑んで、「バカだ」と彼の思いやりを切り捨てた。

「彼女も懲りたでしょうね」
「は。どうだかな」
 彼女の話題が出ると薪は表情をがらりと変えて、不愉快極まりないというように、ぞんざいな口調で吐き捨てた。
「彼女も反省してますよ。公衆の面前で、こてんぱんにやられたわけですから」
「あのギャラリーは計算外だった。なんであんなに注目されたんだか……??」
 相変わらず、自分が分かっていないひとだ。
 しかし曽我もまた、薪というひとがわかっていなかった。

「あの女、どうしておまえが自分と話したかったのか、その理由もわかってない」
 曽我は弾かれたように振り向いた。小さな眼をいっぱいに開いて、上司の美しい横顔を見つめる。
「男が出てきた途端におまえがどうして黙ったか、そんなことにも気付かない。本命の彼氏の前で、彼女の立場が悪くなることを懸念して引こうとしたおまえの心遣いを卑しい自己保身なんかに貶めやがって。
 あんなバカ女に部下が愚弄されるなんて。不愉快だ。室長の沽券に関わる」

 瞬間、曽我は薪を知る。
 曽我がどうして自分を振った彼女ともう一度話したいと思ったのか、その理由を彼は知っている。誰にも言わなかったのに、彼女のことについては薪には直接話すらしなかったのに、なぜ?
 
 彼女は確かにひどい女だった。でも、曽我は彼女からたくさん楽しい思い出をもらった。別れ間際の言い草に腹が立ったのは事実だが、それ以上に、曽我は彼女の行く末が心配だった。
 不誠実な行為で得たお金で本当の愛を育むことなどできるわけがないと思った。そのことに気付いていない彼女の、いや、彼女たちの未来が不安だった。自分と切れたあと、もう二度と彼女にこんなことをして欲しくなかった。曽我は、それをこそ彼女に訴えたかったのだ。
 しかし、それはどう贔屓目に見ても『バカ』が付くお人好しの考えることで。お人好しの代表格の青木にすら呆れられると思ったから、口にはしなかった。
 でも、薪は知っていた。曽我の本当の気持ちに気付いていた。その上で曽我を、『本当の男だ』と言ってくれたのだ。

 怒りに頬を紅潮させた薪のきれいな横顔を、曽我は、知らない人を見るような心持ちで見つめていた。
 こうしてこのひとは、どれだけの人の心を見抜いてきたのだろう。闇を、光を、やさしさを、憎しみを、ありとあらゆる感情の揺らめきを感じ取って飲み込んで抱きしめて慈しむ。バカ女、と評した彼女のことだって、彼は本当は気になっている。彼女を語るとき亜麻色の瞳にわずかに浮かんだ憂いを、MRI捜査に慣れた曽我の眼は見逃していない。

「遅いぞ、青木」
 薪の声に我に返り、曽我が前方を見やると、そこには糸目の親友と高身長の後輩が並んで立っていた。青木は手に紙製の手提げ袋を持っており、それを受け取った薪が真っ直ぐ公衆トイレに向かったので、中には着替えが入っていたのだと分かる。女装したまま自分のマンションに帰りたくない薪の気持ちを汲んで、薪の家に自由に出入りできる青木が彼の着替えを持ってきたのだろう。
 
 男3人でベンチに腰を下ろして、夕暮れの風に吹かれる。遠くに見える街では、気の早い飲食店の明かりが、ちらほらと燈り始めている。
「青木。ありがとな」
「いいえ、オレは大したことしてなくて」
 計画も筋書きも、青木が立てたと聞いた。配役も彼が決めて、みんなに交渉したのだろう。この後輩は謙虚なくせに、意外と押しが強いのだ。

 右隣に座った後輩の、額に落ちた前髪が風に揺れるのを眺めながら、曽我は感謝の気持ちを込めて彼に言った。
「おれ、今度は薪さんみたいなひと好きになるよ」
「えっ!?」
 それはもちろん、人の気持ちが分かる大人の女性という比喩的な意味合いで言ったのだけれど、何故だか青木は慌てふためいて、
「だ、だめです!薪さんはいけません、薪さんはオレのっ……!!」
 言いかけた言葉を無理矢理飲み込み、両手で口を押さえて眼を白黒させる。どういう理由からか、夕焼けの空に負けないくらい真っ赤に頬を染め替えて、青木は地面に付けた長い脚をバタバタと意味なく動かした。

「『薪さんはオレの』、なんだよ?」
「……オレの上司です」
「おれの上司でもあるぞ?」
「………………はい」
 短い肯定の言葉の前の長い沈黙の間、青木は両の拳を胸の前で振り動かし、地面をドスドスと蹴って、3人が座っているベンチを揺り動かした。
「おまえは何がしたいんだよ?」
「……すみません……」
 
 謝りつつ、なおも衝動が自分の身を動かすのを止められないでいた青木は、着替えを済ませてやってきた上司の姿を眼で捉えるや否や、勢い良く立ち上がった。職場では見られない薪の私服は半袖パーカーに膝丈のジーンズというラフなもので、実年齢よりも20歳は若く見える上に、限りなく中性的だ。
「帰るぞ、青木」
「あれっ、飲みに行くんじゃなかったんですか?」
「予定変更だ。疲れた」
「車、返してきちゃいましたけど」
「歩きたくない。負ぶっていけ」
「!!! はい!!」
「……真に受けるなよ」
 幼い顔をして言葉だけは横柄に、一回りも年の離れた部下と頭の悪そうな会話をして、薪は足先を公園の出口に向けた。

「じゃあな。小池、後は頼んだぞ」
「はい。お疲れさまでした」
 青木が二人にぺこりと頭を下げて、薪の後ろを飼い犬のように付いていく。薪が脱いだ衣装の入った手提げ袋を当然のように持たされて、彼は小さな背中を追いかけていく。
 二人の姿が見えなくなってから、曽我はポツリと呟いた。
「なあ、小池。あのふたりってさ」
「ああ」
 それ以上言わずとも、小池は察したらしかった。ベンチの背にもたれ、さっと脚を組んで群青色に変わり始めた空を見上げる。
「いいんじゃねえの、別に」
「そうだな」
 小池の言うとおり、べつに、どうでもいいと思った。好奇心もないではないが、それこそ余計なお世話だと思った。

 小池はしばらく何も言わずに色濃くなっていく群青を見つめていたが、やがてその藍色に微かな星の瞬きが混じり始める頃になって、唐突に口を開いた。
「曽我」
「ん?」
「なんでおれが皆に協力しなかったか、分かるか」
 小池は上を向いたまま、閉じているのか開いているのか分かりにくい眼で、天空に何かを探しているようにも見えた。
「面倒だったんだろ」
「ちげーよ、バカ」
 罵りながらも小池の視線は空に固定されたまま、曽我の顔には至らなかった。しかし彼の声は職務中のように真摯で、凶悪犯罪に憤るときのように激しかった。

「おれ、絶対にその女、許せねえから。おまえには悪いけど、分からせてやることなんかないと思った。勝手に痛い目見ればいいと思った」

 もうひとり。
 誰にも言わなかった気持ちを、むしろ隠していた気持ちを、いつの間にか知られている。そのことの幸福と不利益を秤にかければ前者に大きく傾いて、それは時と場合によると思うが、今日は祝杯でも上げたい気分。

「さて。店も開いた頃だろうし、飲みに行くか」
 小池は身軽に立ち上がり、初めて曽我の顔をしっかりと見た。細くて感情の分かりにくい眼には、いつもの少しだけシニカルな彼の優しさが輝いていた。
「おお。当然、おまえの奢りだろうな?」
「何バカ言ってんだ、割カンだよ、割カン」
「ええ~、だっておれ、金ないもん。彼女に貢いじゃって」
「ったく。仕方ねえなあ」
 連れ立って歩き出す、自分より少しだけ高い親友の肩は細く尖っている。

「やった。じゃ、叙々苑に行こうぜ」
「ば……ふざけんな、てめえ。どんだけタカル気だよ」
「この胸の痛みは、あそこの特選和牛じゃないと癒されないんだよ」
「なにが特選和牛だ。居酒屋でモツ煮込みでも食ってろ」
「あ、そっちもいいな」
 食えれば何でもいいんだろうとか、そんなんだからメタボ体型になるんだとか、余計な一言は相変わらず多いけれど、曽我は彼のことが嫌いになれない。
 それは第九で一番最初に知り合った同僚だから、ということばかりではなく。彼の失言の裏に隠された不器用な彼のやさしさを、曽我は知っているから。それ以上に、自分の不器用さを彼が分かってくれるから。

 すっかり夜の空気に包まれた街の中、暖かな色合いの明かりがビルの窓に点る。それを目指して、二人はふざけ合いながら歩いていく。
 彼らが去った公園では、やっと点き始めた外灯が、誰もいないベンチを照らしていた。



(おしまい)



(2011.6)



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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