タイムリミット(1)

 お待たせしました、サードインパクトですっ。(絶対に誰も待ってないと断言できる)

 最後のバクダンです、おっきいです!(>∇<) ←なぜこんなに嬉しそう?
 お付き合いくださるみなさまには、どんなに絶望的な状況でも、最後まであおまきさんの絆を信じて読んでください。 原作と同じように!! (エライ傲慢ですが、原作も同じ気持ちで待ちましょうよ、と言う意味で理解してください)

 ではでは、
 よろしくお願い致しますっ!!





タイムリミット(1) 


     プロローグ1  ~2062.春  ファースト・カウント~




 場に存在するだけで、周囲に緊張と勤勉を強いる。薪が『鬼の室長』と呼ばれるのは、その特質のせいだ。
 身体は小さいのに、その威圧感は聳え立つ山の如し。彼の顔色ひとつに部下たちの心拍数は激しく変化する。もし彼が提出された報告書を前に眉を顰めようものなら、それを書いた者は蛇に睨まれた蛙のごとく冷たい汗をかきながら、心の中でひたすらに神の加護を願う。
 そんな室長に会議の予定が入れば、研究室全体の空気が緩むのも無理からぬことだ。鬼の留守居はたった半日。短いけれども約束された穏やかな時間に感謝して、職員たちは伸び伸びと職務に向かう。皆、足取りも軽く笑顔も多い。一人だけ、一番年若い捜査官を除けば。彼は室長がいないと萎んだ風船のようになってしまう。いつも室長に苛められてばかりいるのに、おかしな男だ。
 
 室長の留守中は、副室長の岡部が室長代理を務める。新しい事件が起こらない限り、職務内容は前日の延長だ。事前に室長から指示を受けていた幾つかの点を職員たちに伝達し、捜査の進み具合を確認し、緊急の用件があれば室長の携帯にメールで報告をする。
 その日は特段処理に迷うようなことも起こらず、また、捜査対象も既に犯人が確保された事件の検証作業が主だったため、比較的のんびりと第九研究室の時間は動いていた。

 研究室の時計が凍ったのは、昼前。

「ちょっといいかな」
 飄々とした足取りで、開いた自動ドアから入ってきた人物に、弾かれたように職員たちは立ち上がる。本来なら研究所勤めの一職員など目通りも叶わないほどの高官、小野田官房長だ。
 室長代理の岡部が、さっと前に出て敬礼した。
「申し訳ありません。生憎、室長は会議で警視庁に出向いておりまして」
 小野田は、第九の影のパトロンだ。それはもちろん、口さがないお喋りスズメどもが囀るような、官房長と薪の不埒な噂を肯定するものではない。噂の真偽は重要ではない。何故なら例えそれが事実だとしても、一個人の感情で動かせるほど、警察は甘い組織ではないからだ。

「知ってるよ。今日は薪くんじゃなくて、きみを誘いに来たんだ」
「は?」
「昼ごはん付き合ってよ、岡部くん」
「……はあ」

 官房長が一警視を食事に誘うなんて、常識では想像も付かない光景が、ここ第九研究室ではまかり通っている。それは小野田と第九研究室の密接な関係によるものだ。
 第九研究室創立の青写真を描いたのは当時官房長に就任したばかりの小野田で、まだ警視だった薪の才覚を見抜いて室長に抜擢したのも彼だった。第九が修めた数々の功績によって、小野田は己の勢力を広げてきたといっても過言ではない。第九と小野田は、いわば運命共同体なのだ。

 後のことを今井に預け、岡部は小野田の後につき従い、第九の正門を出た。
 小野田は、黙って岡部の前を歩いている。普段の彼は、官房長である自分に対する岡部のプレッシャーを軽くしようとしてか、あれこれ気負わない話題を振ってくれるのだが、今日の小野田は軽口どころか、いつも口元に浮かべている微笑みすらない。
 彼の沈黙に、岡部は嫌な予感を覚える。あまりいい話ではないらしい。

 自分の身上よりも、薪のことが心配になって、岡部は薄い眉根を寄せた。
 小野田が自分に話があるなら、それは薪のことに決まっている。公私ともに薪の面倒を見て欲しいと、小野田に直接頼まれているからだ。
 官房室に定例報告に来る薪の様子が何処となくおかしければ、こんな風に食事に誘っては、その理由を岡部に訊いてくる。それは和やかな雰囲気で相手から話を聞きたい、と言うよりは、人は嘘を吐くとその動揺が箸使いに現れるものだから、そこから真実を見抜こうとする小野田の計算なのだと、お人好しの岡部は未だに気付けないでいる。

 小野田が行きつけの蕎麦屋に顔を出すと、当たり前のように奥の座敷に通された。個室で二人きりになって、開口一番、小野田は言った。

「薪くんが青木くんと不適切な関係に陥ったみたいなんだけど」

 ……もうバレたのか。青木から報告を受けて、まだ一月も経ってないのに。
 こちらの方面にはとことん不器用な薪のこと、隠し事も不得手だろうと予想はしていたが、何も初っ端から、バレたら一番厄介な相手にカミングアウトしなくたって。

 思わず出そうになった溜息を飲み込んだ岡部に、小野田は容赦なく畳み掛ける。
「いったいどういうことなのか、説明してくれないか。君はあの二人をずっと見てきたはずだ。気付かなかったなんて言わせないよ」
 小野田の薄灰色の瞳には焦燥と心配が滲み、それは親が子供の身を案じて浮かべる苦慮の色にとてもよく似ていた。
 珍妙な噂を立てられるほどに小野田が薪に眼を掛けるのは、利害が一致している部分も大きいのだろうが、決してそれだけではない。小野田は薪の才覚に惚れ込んでいる。愛娘の婿に迎えて、自分の跡継ぎにしたいと本気で考えているのだ。だから、今回のことは見過ごせないのだろう。

「君が着いていながら、何てザマだい」
 岡部は一言も言い返さず、黙って小野田の苛立った声を聞いていた。彼の気持ちはよく分かった。自分だって、最初は反対だったのだ。
 青木が薪のことを特別な眼で見ていることに気付いたとき、岡部はそれを諦めさせようとした。想いが通じ合ったとしても茨の道。薪も青木も大事な友人だ、そんな道を歩ませるのは忍びなかった。
 岡部の放った鋭い牽制球を、しかし青木は見事に場外まで飛ばしてみせた。逆転ホーマーだ。あそこまでされたら味方につくしかない。

 何よりも薪が。
 青木と一緒だと、よく笑った。青木を見つめる亜麻色の瞳が、生き生きと輝いた。死んだ魚のような眼をして、ひとりモニタールームで放心していた薪を何度も見ていた岡部には、そのことがとても嬉しかった。

「ったく、薪くんにも参ったよ。あんなに分別の付かない子だとは思わなかった」
「お言葉ですが。ふたりとも、いい加減な気持ちではないと」
「分かってるよ! だから困ってるんじゃないか」
 彼には珍しく小野田が声を荒げたとき、笊に載った冷たい蕎麦が運ばれてきて、話は一時中断した。店員が下がると、小野田は乱暴に箸を割り、常になく大雑把な箸使いで蕎麦を持ち上げた。よほど頭に来ているらしい。

「薪くんは真剣だよ。もともと遊びで恋なんかできない子だからね。あの子がなんで昔、風俗通ってたか知ってる? 結婚するつもりもない女の子とそんなことできない、って真面目に考えてたからだよ。呆れるくらい古臭い男なんだよ」
 薪が若い頃、その手の店に出入りしていたことは知っていたが、そんな理由だったとは。今時どんだけメンドクサイ男なんだか、我が上司ながら眩暈がしそうだ。

「こんなことになるなら、あの息抜きを辞めさせるんじゃなかった。あの子には男と寝る趣味なんかなかったはずなのに」
「そんな気持ちからじゃないことはご存知でしょうに」
 薪の淡白さを小野田は知っている。どうして小野田が彼の極秘事項にそこまで詳しいのか、その裏事情は未だ解明していないが、あの淡白な薪が身体の欲求から、自分の部下、しかも男と関係を持つなんて。不自然極まりない。

「岩を背負って歩く覚悟があるって言われた」
 唐突に言われて、岡部は啜り上げた蕎麦を途中で止めた。
 何のことです、と岡部が問えば、小野田は蕎麦に苦いものでも混じっていたような顔になって、
「ぼくが『青木くんなんか道端の石ころだ』って言ったら、『青木は岩みたいな男です』って返してきてさ。で、自分はその岩を背負って歩く覚悟があるって」
 薪らしい。仕事も恋も、スタンスが一緒だ。
 薪は慎重派だ。新しい機械を導入したり、通常とは違ったアプローチで捜査をしようとするとき、彼は最初、ありとあらゆる可能性を考え、最悪の事態を想定する。だから踏み出すのに多少時間がかかる。反面、捜査中にどんなハプニングが起きても動揺を見せずに冷静に対処する。その事態は想定済みだからだ。

「あの子がぼくに、ここまで逆らうなんて初めてだ。どんなに意に副わない仕事でも、最後はぼくを信じて肯いてくれたのに」
 小野田にしてみれば、ショックもあるのだろう。薪が捜査一課にいた頃から眼を掛けてきたというから、その歳月は10年以上。科警研始まって以来の大スキャンダルに塗れた薪を見捨てず、己の公正性を地に落としてまで彼を第九の室長に据え置いた。そこまでして薪の希望を叶えてやったのに、こんな仕打ちが返ってくるとは。手塩にかけて育てた自分の子供に裏切られたような気持ちになっているのだろう。
「君から青木くんに手を引くように、話してくれないか?」
 それでも、小野田はやっぱり薪のことが可愛いのだ。説得を試みる相手を薪ではなく青木にしてくるあたり、彼の心痛を思いやっているのだろう。その分、怒りは青木に向くのだろうな、と岡部は憂い、大事な後輩が小野田の不興を買わない手はないものか、と考えを巡らせた。

「俺にはできません」
 熟考の末、岡部は首を振った。小野田の顔が、憤慨に歪む。
「ぼくの頼みを断るだけの、正当な理由があるんだろうね?」
 初めて聞く、小野田の脅しつけるような声音に、ぞっと背筋が冷たくなる。
 自分の警察人生もここまでか、とちらっと頭を掠めたが、仕方ない、自分は彼らの味方になってやると決めた。
「説明するより、見てもらった方が早いと思います。お付き合いいただけますか、官房長」




*****




 一年で最も気候が爽やかな季節、多くの職員たちは研究所の中庭でランチを楽しむ。暖かな日差しと涼やかな微風。美味しい食事と楽しいお喋り。それは平和で幸福な、日常の風景だった。
 その一翼で、二人の男性がコーヒーを飲んでいた。大きな樹の生い茂った枝葉の陰、芝生の上に胡坐をかいて楽しげに談笑している。

 彼らからは死角になっている別の樹木の幹に身を隠し、岡部は「どうです?」と尋ねた。それを無視して、小野田はだんまりを決め込む。
 岡部が自分に何を確認して欲しかったのか、合点が行った。恋人と二人でいるとき、薪がどんな顔をしているのか、自分に見せたかったのだ。

「あの人のあんな穏やかな顔、なかなか見られるもんじゃありませんよ」
 岡部に補足説明されて、小野田の不満は余計煽られる。言われなくたって、見れば分かる。薪は心の底から満ち足りた顔をしていて、それはポットから注いだコーヒーを彼に差し出している背の高い男の存在ゆえだ。
「俺は、事件当時の薪さんを知ってますからね。壊れかけてたあの人が、あんなに楽しげに笑えるようになって。それだけでも青木の努力は評価されるべきだと思いますがね」
「薪くんが立ち直ったのは青木くんの手柄だって言うのかい?」
「青木が寄与した部分は大きいです。俺では、とてもあそこまで踏み込めなかった」
「いくら何でも踏み込み過ぎだろ。身体の中にまで入っちゃうなんて」
 それには苦笑いを返して、岡部は直ぐに真面目な顔になった。

「あそこまでの笑顔を見せてくれるようになったのは、つい最近です。薪さんは、やっと立ち上がったばかりなんです。今のあの人から青木を奪うことが、何を意味するか」
 岡部は、薪のことを心から案じている。真剣に、それは真剣に、彼の幸福を願っている。官房長の小野田に逆らうほどの愚直さで。

「岡部くんの言いたいことは分かったよ」
 何処にもぶつけようのない怒りを腹の内に抱いて、小野田は静かに言った。なにが頭に来るって、自分の後継者にと望んで心血注いできた掌中の珠が、あんな青二才に骨抜きになって新婚気分で浮かれている現実、それを自分が心のどこかで嬉しく感じている事実だ。

 幸せそうな薪の顔。屈託なく笑う、それは未だ罪を知らない昔日の彼のようで。
 小野田では、薪にあんな顔をさせることはできない。それは上司と言う立場上、仕方のないことではあったが、相手があのつまらない男だと思うと妙に悔しい。

 舌打ちしたくなる感情に既視感を覚えて、小野田はもう一つの不愉快なことを思い出す。
 先日、長女の美和子に付き合っている男がいると聞いて、調査部に調べさせた。同じ大学の同級生だということだったが、成績も中の下、特筆すべき才覚もない。取るに足らない男だった。
 もちろん、娘には別れるように諭した。彼女には小野田家の長女としての責務がある。小野田家に相応しい婿を取り、家を盛り立てていくという使命が。
 美和子は悲しそうな顔をしたが、小野田の言葉に従った。当たり前だ。恋愛は自由だ、などと寝言をほざくような娘には育てていない。
 ただ、完全に切れたかどうかは怪しいものだ。何と言っても自分の娘だ。彼女の嘘とポーカーフェイスは、実の親でさえ見破るのが難しい。
 小野田は娘と薪を結婚させたいとまで思っていたのに、二人して自分を裏切るような真似をして。

「確かに、いい顔してる。鈴木君が生きてた頃を思い出すよ。でもねえ」
 二人が真剣に想い合っていることは解っている。彼らには個別に面談したのだ。簡単には引き離せそうになかった。だから小野田も、一旦は矛を収めたのだ。
「岡部くんなら分かるだろ? こんなことがマスコミに流れでもしたら、薪くんがどんな目に遭うか。薪くんを大切に想っているなら、身を引くのが本当の愛情だと思わないかい?」
「その辺はあいつも分かってますよ。充分、注意しているはずです」
 しばらく様子を見てみろと、ロンドン赴任中の悪友にも言われた。でも、どうにもじっとしていられなくて、事情を知っていそうな岡部に相談してみたのだ。彼の良識に賭けた。結果は見事に裏切られたが。
 いや、最大の裏切り者は別にいる。自分自身という、最低のコウモリが。

「ぼくがあの二人の関係に気付いたのは、第九の仮眠室でキスしてたのを目撃したからなんだけど」
「…………青木をシメときます」
「頼んだよ」
 あのキスは薪から迫ったものだったが、敢えてそこには言及せず、小野田は薄く笑った。あんなに不愉快な思いをしたのだ、これくらいの腹いせはさせてもらおう。

「薪くんには執行猶予を与えてあるんだ」
 三白眼をパチパチさせて、岡部が小野田を見る。
「約束どおり、待つことにするよ。彼が自分で歩き出せる力を取り戻し、自分から青木くんとの仲を清算して、ぼくのところに帰ってくるのをね」
 あんまり長く待つ気もないけど、と心の中で言い添えて、小野田は踵を返した。背後で岡部が、黙って頭を下げる気配。

 警察庁に向かう小野田の脳裏には、遠目に見た薪の暖かい笑顔が、美空の煌きのように揺れていた。






テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

タイムリミット(2)

 こんにちは~。

 何日か前から過去作品を読んでくださってる方々、毎日拍手をありがとうございます。
 おかげさまで16000を超えました。 ありがとうございます。

 みなさまの温かいお気持ちに支えられて、しづはPCに向かっております。
 感謝の気持ちを込めまして、2番目のプロローグです。
 ええ、恩を仇で返すとはこのことで……すみません……。 

 




タイムリミット(2)



          プロローグ2 ~2066.秋 カウントダウン~





 残暑と言うにはあまりにも強い日差しが肌を焼く、文月も半ばを過ぎたある日のこと。薪は所長の田城に呼び出され、流麗な飾り台紙に挟まった若い女性の写真を手渡された。
 中身を見なくても、薪にはそれが何だか一目でわかった。見合い写真だ。
 この世には、他人の結婚を世話したがる人種がいる。彼らの気持ちは、薪にはさっぱり分からない。どうして彼らは人の人生を左右するような重大時に軽々しく口が出せるのだろう。誰かの人生を変えるきっかけを自分が生み出すかもしれないことに、懼れはないのだろうか。対象者の人生を背負う気もないくせに、無責任に出会いを押し付けてくる彼らを、薪はどうしても好きになれなかった。

「総務部長のお嬢さんなんだがね。先日、部長を訪ねてきたときに見かけて、どうやら一目惚れらしい。部長の方から是非にとのことでね」
「縁談ならお断りします」
「いや、あのね薪くん」
 二つ折りの台紙を開こうともせず、薪は冷ややかに切り捨てた。田城には普段から世話になっているし、特に追加予算の認可の件では感謝している。でも、それとこれとは別だ。

「以前にも申し上げたはずです。僕は誰とも結婚する気は」
「君じゃなくて、青木くんにだよ」
「もっとお断りします!」
 思わず反射的に返してしまった。だって、予期していなかった。どうして青木の見合いの件で自分が呼び出されるのだ。
 ぽかんと口を開けて薪を見ている上司の前で、薪は必死に平静な顔を取り繕う。恋人の見合い話なんてぶち壊して当然だけど、それをここで暴露するわけにはいかない。

「いえその……ほ、本人に訊いてみませんと」
「もちろん話したよ。でも彼、聞く耳持たなくてねえ。青木くん、普段はあれだけ気配りのできる男なのに。写真も見てくれないどころか、話だけでも物凄く迷惑そうな顔されたよ」
 ソファを勧められて、座面に腰を落ち着けながら、薪は緩みそうになる頬を意識して緊張させる。
 田城には悪いが、青木が迷惑がるのは当然だ。彼には意中の人がいるのだから。

「三好くんに振られたこと、かなり引きずってるみたいだねえ」
 青木の想い人は、法一の三好雪子。世間的にはそういうことになっている。真実を知る者は、片手ほどしかいないはずだ。
 雪子の結婚式から、3ヶ月が過ぎていた。
 結婚相手が相手だけに心配は尽きないが、今のところは平和にやっているようだ。薪としてはあんな不誠実な男とは一刻も早く別れて欲しいのだが、肝心の雪子はとても幸せそうで、薪も迂闊には手が出せないでいる。

「三好くんも酷いよね。青木くんと竹内くん、両天秤に掛けて顔がいい方取るなんて」
「田城さんまでそんな噂を信じてるんですか? 雪子さんがそんなこと、するわけないじゃないですか」
 竹内のファンクラブから相当の悪意を持って発信されたその流言は、薪の耳にも届いていた。大切な親友の風聞に薪は腹を立てたが、しかし当の本人は『薪くんの悪女伝説に比べたら何てことないわ』とケラケラ笑って……男の自分が悪女伝説って、いったいどんな噂になってるんだか、もう怖くて質すこともできない。

「雪子さんは素晴らしい女性ですよ。誠実で、やさしい人です」
 雪子が沈黙を守っているのは自分たちのためだと、薪には分かっている。その噂に心を痛めないはずはないのに、竹内の耳に入ったら自分の立場も悪くなるだろうに、それでも青木との間には何もなかったと彼女が誰にも言わないのは、薪が彼と恋人関係にある事実を隠すため。人の妻になってからも、彼女は薪を助けてくれているのだ。

「そうか、君たちは長年の親友だったね。いや、悪かった」
 薪の剣幕に押されたように、田城は流言に乗った自身の軽挙を謝罪し、改めて薪に青木を説得してくれるように頼んできた。
「青木くんが他の女性と付き合うようになれば、彼女の不名誉な噂も下火になると思うんだがね」
 雪子のためと言われては断ることもできず、薪は写真を受け取ってしまった。彼女の悪評は、元はと言えば自分たちのせいなのだ。

「まあ、見合いしたからと言って必ず結婚しなきゃいけない訳でもないから。一度会うだけでも、って薪くんから説得してみて」
「わかりました。青木は今日は非番ですから、明日にでも」
「そんなに急がなくていいから。週末にでも、一献傾けながらゆっくり話してみてよ。よろしく頼んだよ」
 そう言われて所長室から追い出されて、薪は大きなため息を吐いた。押し付けられた写真と薪を信じて疑わない田城の実直に、ずん、と心が重くなる。

 何年か前にも、薪は青木に見合いを勧めたことがある。
 青木の叔父がセッティングしたとかで、相手は青木と同郷の女性だった。薪は青木の母親に「必ず見合いに行かせる」と電話で約束し、彼に休暇を与え、見合いをするように命令した。ところが青木は薪の命令を無視して自ら母親に電話を入れ、好きな人がいるからと、直球で見合いを断ってしまった。
 きっと今度も同じだ。だったら言わない方がいい。

 所長室から第九へ帰る僅かな間に、薪の気持ちは口を噤む方向へと向かっていた。
 青木が首を横に振るのは、火を見るよりも明らかだ。結果が分かっているのだから、言うだけ無駄だ。写真を見せる必要もないだろう。田城には「説得したが、青木の気持ちは変わらなかった」と報告すればいい。
 嘘じゃない、僕が何を言おうと青木の気持ちは変わらない。それは事実なのだから、嘘を吐いたことにはならないはずだ。

 卑劣な理論武装を固めて、薪は拳を握りしめる。
 何が正しいかなんて、もうわからない。

 雪子が結婚したことで、青木と過ごすたび頭の片隅に浮かんでいた憂い顔のひとつは減った。それだけでも薪の心は軽くなったのだ。
 軽くなった心は浮遊して、彼の元へと自然に流れた。これ以上嵩を増やすことは危険だと分かっていた、後戻りできなくなると恐れていた。しかし、その流れを堰き止めることは薪にはできなかった。日に日に流量と勢いを増していくそれに恐れ戦きながら、有効な手立てを講じるどころか思考すらまともにできず、自分が流されていくのを感じていた。

「お帰りなさい、薪さん。所長の話って何だったんですか?」
 定時をとうに過ぎているのに、第九には部下たちが全員残って薪の帰りを待っていた。田城からの呼び出しは仕事関係ではないと言ってあったのに、暇な連中だ。
「おまえらには関係ない」
「もしかして、また縁談ですか?」
 小池の核心を付いた指摘に、薪は眉をひそめる。仕事の時にもこれくらいの鋭さを見せて欲しいものだ。
「それ、お見合い写真ですか? 見せてくださいよ」
 薪の沈黙を肯定と取って、曽我が無邪気に手を伸ばす。脊髄反射もかくやの勢いで、薪は右手に抱えた茶封筒を彼の手から遠ざけた。
「詮索好きも大概にしろ。プライバシーの侵害だぞ」

 薪が叱ると、曽我を初めとした全員が眼を点にして、
「どうしたんですか? 薪さんいつも、『僕の代わりに誰か行って来い』って見合い写真を放り投げてきたじゃないですか」
 ……そうだっけ?
「それから『縁談をスムーズに断るために、この女の過去を洗い出せ』って」
 それは違法だよね? 警察官がやっていいことじゃないよね?
「どうしても汚点が見つからないときは、宇野が彼女のイケナイ写真を捏造して」
 犯罪だよね!?

「ちょっと待て! 確かにその考えは一瞬頭を掠めたような気もするけれど、警察官の良識に懸けて、それを実行に移したことはなかったと」
「それはほら、実行に移す前に、薪さんの悪女伝説を聞いた相手の方から100%断ってきたからですよ」
 だからどんな悪女伝説なんだよっ!!

 本人の与り知らぬところで想像を絶するほどに成長する、噂という怪物に助けられたり落とされたり。迷惑極まりない。これも無責任に他人の噂話に興じる人間が多すぎる証拠だ。無駄口叩く暇があったら仕事しろ、給料ドロボーめ。

 破談に向けての作戦会議を始めようとしない薪に、予想を違えたか、と部下たちは思う。定時過ぎにプライベートの用事で呼び出されて、薄いA4の茶封筒を抱えて帰ってきたからてっきりそうだと思ったが、早とちりだったのか。
「とにかく、おまえらの手は必要ない。さっさと帰れ」
 薪が厳しく言い渡すと、部下たちは顔を見合わせて、「じゃあお先に失礼します」と次々に帰って行った。最後に残った副室長の岡部が「送りましょうか?」と声を掛けてくれたが、薪は仕事があると言って断った。どうしても今日やらなければいけない仕事ではなかったが、家に帰る気にはなれなかった。

 モニタールームの明かりが消され、研究室全体が静かになると、普段は気にならないパソコンのファンが回る音さえ耳につく。そんなものにまで苛立ちを覚える自分を発見して、呆れ気分でパソコンの電源を落とすと、自分以外は何も動かなくなった部屋の静寂に、薪の耳は痛みを覚える。
 ようよう諦めて薪は、田城からの預かりものを手に取り、中を確認してみた。
 華やかなパーティドレス姿の、愛くるしい女性だった。写真で見る分には中肉中背、童顔だが胸は大きい。年下の可愛い娘がタイプの男には好かれそうだ。

 写真を見て、薪は想像する。
 この女性の隣に、青木を立たせてみたら。彼の大きな手に、彼女の柔らかそうな肩を抱かせてみたら。なんてしっくりくるんだろう。自分と青木では、こうはいかない。年は離れているし、男同士だし、違和感だらけだ。
 この世は男と女で成り立っているのだ。男女が対になった姿が絵になるのは当然だ。それが自然なんだ。

 じりっと胸が焼ける。
 嫉妬した。
 会ったこともない、名前も知らないこの女性に。

 羨ましい。雌雄の蝶が戯れるように、自然に青木の傍にいられる彼女が。誰もが微笑ましい眼で見てくれる、その約束された幸福感が。なにより、彼に安定をもたらすことのできる彼女の性そのものが、妬ましかった。
 自分が夢見ることすらできない未来を、彼女は彼に与えることができる。自分では未来どころか、現在のことだって。

 青木は今日は非番で、今頃は家で薪からの電話を待っているはずだ。時計と電話を代わる代わる見ながら、今か今かと恋人からの誘いを待っている。
 自分に有益な情報を握り潰そうとしている恋人のことを疑いもせず――――― そうだ、これは青木にとって貴重な情報だ。いくら頑張っても、自分たちは一生を共にすることはできないのだから。

 パソコンをオフにして、写真を片付けて、もう薪がすべきことはこの部屋には何ひとつ残っていないのに、彼は席を立とうとはしなかった。あまつさえ、仕事中には滅多につかない頬杖までついて。今夜は此処に籠城を決めたというように、肩の力を抜いて背中を丸め、沈痛な面持ちで眼を閉じた。

 忘れていたわけじゃない。僕たちは期限付きの恋人同士。
 執行猶予の最長期限は5年、それを限度として関係は解消する。小野田にそう約束したのは、他でもない自分だ。

 でも。
 あの時と今では事情が違う。あの頃は、青木が自分をこんなに長く愛してくれるなんて思わなかった。夢に浮かされたような時間が過ぎれば、彼は自然に自分から離れていくだろうと考えていた。決してネガティブになっていたわけではなく、過去の経験から冷静に未来を予見しただけだ。

 どれだけ愛し合っても、男同士には未来がない。何も生み出せないし、自分たち以外誰一人として喜ばない。たとえ青木と自分の間に最上級の愛を育む事ができたとしても、それを周りに広げることはできない。
 愛というのは、広がっていくものだ。
 愛し合うふたりがいれば、それを微笑ましく思う家族や友人がいて、ふたりの間で毎日生まれ続ける愛は彼らに伝播していく。愛しい子供に、父母に、大切な人々に。ふたりから愛情のお裾分けをもらった彼らはそれを更に周囲に分け与え、数多くの人々を幸せに導く。だから愛は素晴らしいのだ。

 だけど、僕たちの愛は閉塞する。
 秘密厳守の閉じられた世界。その狭い閉鎖空間の隅っこで、ふたりぼっちでコソコソ愛し合って、それが何になる。青木の未来に、一片の光すら差せないではないか。

 頬杖をついた右手に濡れた感触があって、薪は肘を机上から外した。つっと顎に流れる一筋の涙。この年になっても泣き虫のクセが直らない自分にガッカリだ。

 青木の未来を幸多きものに。たくさんの祝福と笑顔の真ん中に、彼の人生を据えてやりたい。
 何よりも重視すべきその一点に於いて、僕は彼女に勝てない。青木と4年も関係を持っている自分が、彼が未だ顔も知らない女性に負けるのだ。
 青木は子供好きだし、自分の子供も欲しいだろう。親思いだから、親の喜ぶ顔も見たいだろう。さらに総務部長の娘なら、彼の将来にどれ程の光を投げかけてくれることか。

「……潮時か」
 ひっそりと呟いて、薪は涙を止める努力を放棄する。水滴が、ぱたぱたと机面に不恰好な円を作る。いくつかの円は融合してアメーバーのような不定形体になる。
 アメーバーは口々に、嫌だ嫌だとダダを捏ねている。彼に捨てられるのは嫌だと、身勝手なことを口走る。

 手のひらでエゴの集合体を拭って、薪は自分を叱咤する。
 なにがそんなに悲しいんだ。
 おまえの大切な青木一行に訪れた、千載一遇のチャンスだぞ。おまえが尻込みしてどうする。自分の目的を、もう一度思い出してみろ。
 彼を幸せにしたい。そのためには何でもする、彼を本当に愛しているなら、何でもできるはずだろう。自分の気持ちを殺すことくらい、今までさんざんやってきたはずだ。

 そう言い聞かせるのに、涙は止まらない。
 自分も弱くなったものだ。青木に別れを告げたことは何度かある。悉く失敗に終わったものの、自分から別れを切り出すまではできたのだ。以前はできたはず、それが今はどうにも為せそうになくて、薪は自分の惰弱に唾を吐く。

 だって、年々、好きになる。
 付き合いが長くなればなるほど、好きの度合いが大きくなる。離れなければ、と思うが先に、絶対に離れたくないと叫ぶ自分がいる。下手したらこれ、青木の方から別れてくださいって言われたら、泣いて取り縋っちゃうんじゃないか。

 これ以上好きになれない、今までに何度もそう思った。でも。
 今日の好きは昨日の好きを易々と超えて、きっと明日の好きはもっと上を行く。天井知らずに育った想いはやがて僕の自我を潰し、青木に重荷となってのしかかる。その一歩手前まで来ている。

 僕が、青木の未来を潰す。それだけは、あってはいけないことだ。

 ぐいっと手の甲で涙を拭く。肺の中の空気を全部吐き出して、気持ちを落ち着ける。
 携帯電話を取り出して、いつものようにメールを打つ。「帰宅時間 20:00」。たったこれだけの文面に、彼が飛び上がって喜ぶことを薪は知っている。
 満面に笑みを浮かべ、自分の所にやって来るであろう彼。彼の顔が悲哀に歪む様を見たくはないけれど。
 でも、早い方がいい。延ばせば延ばすほど辛くなる。夜を一緒に過ごしたら、明日の朝は今よりもっと彼を好きになっているに決まってるんだから。

 ぱたりとフラップを閉じ、色気のない茶封筒を右手に抱える。これが、今夜の自分の武器になる。効果的な使い方を幾通りかシミュレーションして、そのどれもが不成功に終わる気がして、だけどこれは完遂させるべきミッション。
 いつの間にか残り半年に迫った約束の日に向けて、カウントダウンを始めなければ。

 正門を出ると、きれいな円形の月が見えた。
 青白く、小さく、美しく。
 それは薪の背中を押すように、いつでも薪に勇気をくれる。何故か分からないけれど、薪は昔からこうなのだ。月の光を浴びると気持ちが落ち着くというか、頭の中が整理されるというか。
 大きな自然の理の中、人間の憂いなど些末なことに過ぎないと、その永遠とも思える雄大な営みが、卑屈に萎縮した自分の世界を広げてくれる。酷暑を引きずる昼間とは打って変わった夜の清涼な空気に包まれれば、この痛みも克服できるような気分になって、薪はそのしなやかな背筋を伸ばした。

 なのに、その直後。
 彼は悲しいくらいに人間で、それもどうしようもなく卑小な存在であることを、残酷にも思い知らされる。

「すみません、待ちきれなくて。お迎えに来ちゃいました」
 第九の正門から歩いて2分、科学警察研究所と刻まれた門の影から現れた長身に、薪は一瞬棒立ちになる。予期せぬ出会いは薪の胸を高鳴らせ、やっと固まりかけた決意をあっけなく突き崩した。
「お荷物、お持ちします」
 自分が今なにを壊したのか、青木は知る由もない。薪から鞄を受け取って、ニコニコと悪意のない笑いを振りまきながら、ただただ恋人に会えた喜びを全身から溢れさせている。
「それは?」
 薪が右手に抱えた茶封筒に目を留めて、青木は無邪気に尋ねる。薪は一筋の乱れもなく、平然と応えを返した。
「預かりものだ。おまえには関係ない」

 答えたら、腹の底が氷を飲み込んだみたいに冷たくなった。
 嘘だ。大有りだ。
 本来なら青木にこそ関係するもので、自分には口を出す権利もないものじゃないか。

「そんなことより、夕飯、なに食いたい?」
「今日は魚が食べたいです」
「じゃあ、季節から言って秋刀魚かな」
 意識して話題を逸らそうとする、なんだ、この醜い生き物は。こんな卑怯なことをしてまで、彼を自分につなぎとめておきたいのか。彼の愛を失うのがそんなに怖いのか。彼の幸せと自分の欲望を天秤に掛けて、それが後者に傾くからと、どの面下げて言えるんだ、このエゴイストが。呪われろ。

「薪さん? 眼が赤いような?」
「モニターの見過ぎでな」
 濁った、薄汚れた眼をしているに違いない。眼は心の鏡とか言うし、内面の醜悪さが滲み出てしまっているのだろう。
 汚い自分を彼に見られるのが耐え難くて、薪はふいと横を向く。右隣の青木を見ないように、彼に自分の真実を気付かれないように、左手にあるプリペットの生垣に注意を向ける振りをして、ひたすらに己を匿う。

「だから休み取るの嫌なんですよね。薪さん、オレがいないとぶっ続けでモニター見ちゃうから」
「おまえがいても、僕の職務内容は変わらんが」
「そんなことないですよ。オレ、ちゃんと2時間にいっぺんは薪さんの様子見に行きますもん」
「様子見? 嫌がらせされてるのかと思ってた」
「ええ~……」
 青木の不満顔に、クスクス笑える自分に、吐き気がした。

 結局、薪は青木に田城からの預かり物を渡さなかった。茶封筒の中身は一度も青木の目に触れることなく、発信者に返されることになった。
 
 その晩、薪が握り潰したのは青木の縁談だけではなかった。薪がずっと守ってきた大切なもの、自分を守って死んだ親友が最期まで守ろうとしてくれたもの、それを自分は己が手で潰してしまったのだと、だからこんなことになったのだと。
 気付けたのは、ふたりの恋人関係が解消されて2ヵ月後。薪の結婚式のひと月前のことだった。







*****


 こちらは、『ゲスト』というSSに書いてあった「青木さんの縁談を薪さんが潰した話」です。
 薪さんが青木さんに見合いを勧める話は、『運命のひと』の中のエピソードです。
 


 

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タイムリミット(3)

 ここから本編です。

 この話、2年前の秋に書いたんですけど、読み直したら展開が唐突すぎる気がして、プロローグを書き足しました。 
 なので、前回までのプロローグは現在の文章で、ここから2年前の文章なんです。 読みにくかったらすみません。 
 え、書き直せって? いやー、本編70ページはちょっと~。(^^;
 は? 内容的にヒドイから書き直せって? 
 ううーん……。(@@)






タイムリミット(3)





 華やかなゴブラン織りの絨毯の上に胡坐をかき、薪は書類をめくっている。指先を彩る桜色の爪は、磨きあげられたピンクオパールのように奥ゆかしい輝きを放っている。
 豪華な絨毯に相応しく、高価な調度品で設えられた部屋。女性らしいピンク系のクッションやカーテン。壁に掛けられた明るい風景画。サイドボードには大きな花瓶に生けられた蘭の花が、高貴な香りを振りまいている。

 薪はきちんと髪を撫でつけて、正装に近い服装をしている。チャコールグレイのスーツはタリア・デルフィノ。ブルガリのネクタイは少し派手目のシルバーを。カフスとタイピンは、近い将来、義父となるひとからもらったエメラルド。
 薪の隣には、ソファに座った美しい女性の姿がある。
 ドレスアップした彼女の年のころは、30歳前後。いくらか目立ち始めたお腹を、フレアーのたくさん付いたワンピースで、上手く隠している。
 彼女の咎めるような視線に気付いて、薪はふと手を止めた。
「すみません。これ、明日の朝使うもので」
 弁解がましい薪の言葉を、彼女は笑って許してくれる。その笑顔は薪のものではないけれど、自分はたしかにこの女性に救われたのだ、と薪は思った。

 青木と別れてから、2ヶ月が過ぎた。
 悲しみのあまり死ぬこともなく、涙の海に溺れることも無く。薪は穏やかに毎日を過ごしている。
 付き合っていた頃と、薪自身は何も変わらない。相変わらず、第九と官房室の掛け持ちで忙殺される日々だ。が、仕事の方はあと半年もすれば落ち着くだろう。警視監の試験を受けて結果を出したら、官房室に完全異動する予定だ。

 変化のない薪の周囲で、変わっていくものがひとつ。
 婚約者の中で息づく、新しい生命。日を追うごとに成長し、彼女の子宮を少しずつ広げていく。その命を、愛おしいと思う。
 これは、自分の子だ。

「支度できた?」
 ノックの音と共に、声が聞こえた。
 薪の耳に親しい、聞き慣れた男の声。職場でも毎日聞いている。薪にはとてもやさしいが、怒ると背筋が凍るほど怖い直属の上司。そして2ヵ月後には、薪の義父になる。
「はい、お父様。行きましょう、剛さん」
「はい」
 書類を鞄に入れて、薪は立ち上がった。すっと右手を婚約者に差し出し、彼女の手を取る。
 開いたドアから姿を現した彼女の父親が、目を細めて仲睦まじいふたりの様子を見ている。嬉しそうなその表情に、薪の心も温かくなる。

「今日は薪くんが次席参事官になる前祝いだからね。きみが行きたがってた『仙岳』だよ」
 日本料理の頂点を何年も独占している赤坂の料亭の名前を出して、彼はにっこりと薪に笑いかけた。薪も心からの笑顔を返す。
「お父様は剛さんに甘いのね。わたしがチボーに行きたいって言ったときには、忙しい忙しいって。結局、連れて行ってもらってないわ」
「薪くんに連れて行ってもらいなさい。もう、美和子は薪くんに預けたんだから」
「美和子さん。僕でよかったら」
 仲の良い父娘の会話に、娘婿が控えめに口を挟む。薪は自分の立場をわきまえている。
「だれがお金払うのよ。一食、いくらするか知ってるの?」
「……すいません、小野田さん。お給料、前借りさせてください」
「ほーら。やっぱりお父様が一緒じゃなきゃ、ダメよ」
 冗談を言い合って、カラカラと笑う。美和子は明るい女性だ。

 官房長付の運転手が操る黒いレクサスは、四方山話の間に料亭の駐車場に滑り込む。凝った作りの日本庭園から奥の間に通されて、薪は美和子と並んで腰を下ろした。
 久しぶりに吸いこむ、イグサの香り。三ヶ月前に嗅いだ同じ香りを思い出しそうになって、薪は慌てて心に蓋をする。思い出を捨てる気はないが、ここではまずい。

 上品な着物を着た給仕係が、一品ずつ料理を運んでくる。食前酒と前菜から始まる、日本一の名に恥じない見事な日本料理の王道を味わいつつ、冷たい吟醸酒を傾ける。小野田は薪の好みの酒まで用意してくれていて、薪が楽しい一時を過ごせるように図らってくれていた。小野田はいつも薪にはやさしいのだ。
「薪くん。憧れの仙岳はどう?」
 美和子が化粧室へ立つ間、小野田は薪にこっそりと囁く。
「すごく美味しいです。さすが日本一ですね」
 言葉のとおり、薪は料理を残さずに平らげた。昔はもっと小食だったのだが、何年か共に過ごした誰かの影響で、胃袋も大きくなったらしい。

「最近、痩せたみたいだったから、ちょっと心配してたんだけど。大丈夫のようだね」
「いいえ。痩せてないですよ。元からこんなものです」
「そう?」
「いつも気に掛けていただいて。小野田さんには感謝しています」
 軽く小首を傾げるようにして自分を慈しみの眼で見る上司に、薪は正直に心の内を吐露する。本当に、小野田には感謝しているのだ。
「プライベートのときは、『お父さん』て呼んでくれない?」
「はい。お義父さん」
 薪が照れを含んだ口調で彼を呼ぶと、小野田は嬉しそうに笑った。

 自分は幸せだ、と薪は思った。
 美しい妻に優しい義父母。可愛い義妹がふたり、いっぺんにできた。
 再来月からは、小野田の家に住むことになる。薪が昔から、ずっと欲しかった家族。それがようやく手に入る。遠回りしたけれど、ここに辿り着けてよかった。

「ごちそうさまでした」
 マンションの前に停まった車の中で、小野田に頭を下げる。運転手にも礼を言って、薪は車から降りた。
「どういたしまして。ぼくも美和子も、とても楽しかったよ」
微笑み合う3人。残業を強いられた運転手まで、その雰囲気に釣られたかのように微笑んでいる。
「悪いけど、明日の会議に使う資料。用意しておいてね」
「はい」
 それは既に作成済みだ。右手に抱えた鞄の中に入っている。ここで渡してもいいが、今夜は小野田にとっても貴重なオフだ。明日の朝にしよう。

 おやすみなさい、と挨拶をして、薪はエントランスのドアをくぐった。ちょうど向かいから歩いてきた管理人が、薪に会釈する。
「お帰りなさい。こりゃまた、えらくめかし込んで。デートですか?それにしちゃ帰りがお早いですね」
「義父と3人で食事だったんです」
「ああ。結婚されるんでしたね。おめでとうございます」
「ありがとう」
 薪は階段を上がって、自分の部屋に入った。
 真っ暗な、寒々とした部屋。誰もいない部屋の静寂に心が冷えるのも、あとしばらくの我慢だ。
 2ヵ月後、薪が帰るところはここではない。妻とその家族が待つ、あの豪勢な屋敷だ。

 ドアを閉めて靴を脱ぐと、薪はサニタリーに直行した。トイレのドアを開けて、スーツの汚れも気にせずに膝を折る。背中を丸めて小さく口を開けると、まるでそれが自然の摂理だというように、胃の中身が全部出てきた。
 恒常的に食事を吐くようになって、しばらく経つ。
 食事をして1時間もすると、いつも耐え難い吐き気に襲われる。この行為も慣れてくると、コツがつかめるというか、胃の弁と食道が自然に動くというか。端から見るほどの苦痛はない。

 しかしその日は、料亭で食べたものがすべて汚物になっても、吐き気は治まらなかった。こうなると、少し苦労する。胃液を吐くのは苦しいし、みっともなくゲエゲエ呻かないと出てこない。
 こみ上げるままに、嘔吐を繰り返す。自分の耳に響くうめき声が、だんだん泣き声になってくるのが聞くに堪えないくらい情けない。
 やっと吐き気が治まって、薪は汚れた口をトイレットペーパーでぬぐい、汚物を流す。そのままトイレの床にごろりと横になって、胸のつかえが取れるのを待つ。
 ブランドのスーツもネクタイも、汚物まみれだ。それに、この臭い。また後始末が大変だ、と顔を横に向けると、涙が下方につつっと流れ落ちた。耳を伝って、亜麻色の髪に吸い込まれていく。

 薪は自分のくちびるが、何かを言っているのに気付く。
 よく、聞こえない。こめかみを流れる血液の音がうるさくて、言葉が聞き取れない。

「……」
 だれかの名前。薪の胸を抉るように痛ませる、ひとの名前。

「…………会いたい」

 最後の一言だけは、はっきりと聞こえた。
 しかし、それが自分の声なのか、あるいは薪が呼んだ誰かの声による幻聴だったのか。
 薪には判断がつかなかった。





*****


 やっぱり書き直さなきゃダメ?(笑)


 

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タイムリミット(4)

 こんにちは。

 更新、空いちゃいました。 すみませんでした。 今日から再開します。


 3回目にして早くも鍵コメ率100%になっている『タイムリミット』ですが。
 大丈夫ですから、どうかご安心くださいね、って何度目だろう、このセリフ。 そしてこれから何回言うことになるんだろう。(笑)




タイムリミット(4)



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タイムリミット(5)

 言い忘れましたけど、この話、R5本立てなんですよね。(^^;
 しかも2年前のRだから、グロイんだ、これが。 気持ち悪くなったらごめんなさい~~。





タイムリミット(5)





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タイムリミット(6)

 高校生の甥っ子に、トモコレのソフトを借りてたんですけど。

 ゲームを完全にクリアしたので(目的のカップルを全員結婚させた)甥っ子にソフトを返そうとしましたらね、なんと受け取りを拒否されたのですよ。
 その理由が、
「そんな腐食したゲーム、いらねぇ」
 …………腐食ってどういう意味よーー!!! 薪さん2人と青木さんと鈴木さんを作って結婚させたのがそんなに気に入らないのかーー!? 

「お姉ちゃん、遊び方間違ってる」って小6の姪にも言われましたが。 
 最近の子供って生意気ですよね?(笑)

 




タイムリミット(6)





 最後にどうしても寄りたい、と薪が言い出したのは、青木のアパートの正面にある公園だった。
 時刻は20時半を回ったところ。閉園時間まで、あと15分ほどだ。

 何か目的があるらしく、薪は真っ直ぐに歩いていく。桜並木の通路を抜けて、見事な枝振りの巨木の前で、ぴたりと止まった。
 この桜の樹には、特別な思い入れがある。
 青木が薪に恋をしたのもこの場所だし、付き合い始めるときに想いを告げたのも此処だ。この桜は、もしかしたら自分たちのことを覚えているかもしれない。

「まだ咲いてないのか」
 がっかりしたように言うが、今は3月だ。今年の冬は寒かったから桜前線も遅れ気味で、東京の開花は4月半ばと予想されていた。
「最後に、見たかったな……」
「あと3週間もすれば見られますよ」
「今日、見たかったんだ」
 また、無茶を言う。
 薪はこうして絶対に実現不可能なことを言っては、青木が困るのを見て楽しむ悪いクセがある。旅行中はずっと素直でいい子だったのに、帰ってきたら途端に意地悪になるなんて、いかにも薪らしいというか。

「どうしても、見たかったんだ」
「ここの桜が咲いたら、真っ先に薪さんに知らせますから」
 執拗に繰り返す薪を、子供をあやすような口調で青木が宥める。いつもの言葉遊び。
「そしたら、一緒に見に来ましょう」
「…………そうだな」
 薪が引き下がった。
 珍しい。いつもなら、もう二言三言、絡んでくるのに。

 薪は、きゅ、と口元を引き締めて、蕾すら見えない桜を見上げた。その横顔は何だかとても寂しそうで、青木は少し切なくなる。これは、祭りの後の寂しさというやつだ。

「青木。あのな」
「はい?」
 つややかなくちびるが開こうとしたとき、突然、辺りは闇に包まれた。
 薪の瞳がうっすらと曇ったような気がしたが、瞬時に降りた闇に遮られて、何も見えない。あいにく、新月の晩で他に明かりはなく、目が慣れるまで動くこともできない。
「時間みたいですね。帰りましょうか」
 9時になると、この公園の明かりは落とされる。エコロジーが叫ばれる時代、今は殆どの公共施設でこのシステムが取られている。転倒防止のために、申し訳程度にフットランプが付いているが、その程度の光源では互いの顔は見えない。
「えっと、なんでしたっけ? 何か言いかけてましたよね」

 暗闇の中で、何かやわらかいものが青木の唇に押し当てられた。
 それを薪のくちびるだと認識するより早く、薪は青木から離れてしまい、抱きしめようとした青木の手は行き場を失う。

「帰る」

 出口に向かって歩き出す。暗さに目が慣れてきて、先刻よりは周りの風景が見えるようになった。
 目の悪い青木には少し早すぎるスピードで、薪は前を歩いていく。薪の背中は厚手のコートを着ていてさえ、細くて頼りなくて、闇の中に消えてしまいそうな錯覚を覚える。

「送らなくていい」

 公園の出口で、薪はそう言った。
 いつだって仕事が一番の薪は、翌日仕事があれば必ずそうする。特別な日でもなければ青木が薪の家に泊ることを許可しないし、平日のデートは10時が門限だ。青木は1分でも長く薪と一緒にいたいから、家まで送りたいし、送り狼にもなりたいのだが、薪がそれを許してくれたことはない。

「僕は、大丈夫だから」

 暗がりで、薪の表情はよく見えない。声の調子もいつもと変わらない。

「じゃあ気をつけて。おやすみなさい」
「……………さよなら」

 遠くに見える街灯がぼんやりと照らす歩道を、早足で遠ざかっていく後姿を見送りつつ、青木は何となく違和感を感じていた。それは重大なものではなく、捜査中に脳内で鳴り響くアラームに比べたらとても小さいものだったので、さして気にも留めなかった。何よりも、夢のように楽しかった3日間の終焉にケチをつけたくない、という気持ちが働いて、青木にそれを追及させることを阻んだ。
 それでも、捜査官の本能が青木に警鐘を鳴らしたのだろう。アパートのドアに手を掛けたとき、青木は突然違和感の正体に思い当たった。
 薪の口から、ありふれた別れの挨拶を聞いたのは、それが初めてだった。




*****


 このお話とはぜんぜん関係ないんですけど、新しいお話を書き上げました。
 かねてから何人かの方に、「新しい話が書けたら報告します」とお約束してましたので、お知らせします。
 独り言にお付き合いいただける方は、追記からお願いします。



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タイムリミット(7)

 日曜日、オフ会に参加してきました!
 みなさん、遊んでくださってありがとうございました!

 え? レポ?
 いやん、このブログでレポなんて、木に縁りて鯨(?)ってやつです、求めちゃいけません☆

 はい? 
 オフ会に関する記事を上げておいて、その姿勢はどうなんだ、と?

 では一言、全体的な感想を申し上げるなら、
 ずっと途切れることなく、笑い声の響くオフ会だったように思います。
 初めましての方々が半数近くを占めていたのに、あんなに賑やかに過ごせるなんて。 みんな、薪さんのことが大好きだから。 共通した想いを抱いているって、素晴らしいことですね。(^^


 とか言いつつ、
 お話の方は何やらアレな展開なんですけど~。

 とりあえず、重い話はサクサク行きたいと思います。
 さくさく。





タイムリミット(7)





 青木がその噂を聞いたのは、桜前線が訪れる1週間前のことだった。
 最初にその話を耳にしたとき、青木は単なる流言だと決め付けて、噂の真偽を疑いもしなかった。青木にしてみれば、それは当然の判断だった。

「聞いたか? 青木。薪さん、婚約したんだって」
「まさか」

 青木が恋人と思い出の地で、まるで蜜月旅行のような濃密な時間を共有したのは、たった2週間前。同僚たちの間で声高に交換される会話は、青木にとって晴天の霹靂ではなく、またこんなデマに踊らされて、と失笑を禁じえないものであった。
「どうせ、またどこかの『自称薪さんの婚約者』でしょ」
 薪は、警察庁および警視庁の女子職員の憧れの的だ。一般人にも、薪のファンはたくさんいる。薪との恋愛を夢に見て、現実と夢の区別がつかなくなってしまった女性による自作自演の噂は、今までにも何度か流れたのだ。

「今回は違うって。相手は官房長の一番上の娘さんだって」
 曽我が、薪の相手になっても不自然ではない女性を持ち出してくる。「第九にいた頃はともかく、官房室の仕事をするようになったら断りきれなくなったんだろうな」などと尤もらしい理由付けを、訳知り顔で喋っている。
「早々と子供まで作っちゃったらしいぜ」
 なんと、子供まで。これは、相手の女性もいい迷惑だろう。
「デマですよ。オレは何も聞いてませんもん」
「なんで薪さんが、おまえにそんなこと話す必要があるんだよ」
「……それはそうですけど」
 オレというものがありながら、薪さんがそんなことするはずないです。そんなふうに言い返せたら、どれだけすっきりするだろう。
 しかし、薪との仲はトップシークレットだ。何があっても秘密にしなければ。

「子供ができたっていうのがデマの証拠じゃないですか。あの晩熟なひとが、そんなことできると思いますか」
 余裕の笑みを見せる青木に、曽我は思い直したように、
「おれもそこは不自然だと思ったんだけどさ」
「でしょう? やっぱりガセネタですよ」
 例えそれがどんなに真実味を帯びた話でも、青木は薪のことを信じられる。
 青木のこころと身体に、まだ色濃く残る恋人の熱。薪と、あんなに甘い時間を過ごしたのは初めてだった。
 いつも意地悪で我が儘な恋人は、旅行先ではとても素直で愛らしく、終日ニコニコと笑っていた。どこへ行っても何を見ても、嬉しそうに歓声を上げた。昼間は観光を楽しみ、夜はたっぷりと愛し合った。旅先の開放感も手伝ってか、夜の薪は大胆で奔放で。青木の求めに何度でも応じてくれた。
 最高に幸せな3日間だった。それからまだ2週間しか経っていないのに、こんな噂を聞かされても。
 それに薪とは、昨夜も会ったばかりだ。手の込んだ夕食をごちそうになり、ベッドではそれを作った本人を味わった。旅行先のような激しさこそなかったが、十分に満ち足りた夜だった。

 だから、青木が薪を訪ねて官房室へ足を運んだのは噂を確認するためではなく、ただ単に急ぎの書類に判をもらわなくてはならなかったからだ。
 小さい部屋だが、薪は官房室のフロアに私室を与えられている。目の中に入れても痛くないくらい薪を可愛がってくれている小野田官房長そのひとの采配で、薪はここでも優遇されているのだ。

 青木の来訪を、薪は冷静な管理者の顔つきで迎えた。
「取り急ぎ、逮捕状を。別件で洗っても証拠は出ると思います」
「思いますじゃ困るんだ。逆さにしてでも出せ」
『逆さ』というキーワードで青木は、この厳格な上司が自分の目の前で逆さになっていたときのことを思い出す。瞬時にニヤけた表情を消したつもりだったが、目ざとい上司はそれを見逃してはくれなかった。

「なんだ?」
 逆さにするのはいいとして、薪さんみたいにヨガリ狂っちゃったらどうしましょう。
「いえ。実は、おかしな噂を聞いたものですから」
 思ったことを言うわけにもいかず、青木は第九を席捲していた薪の噂をカモフラージュに使うことにした。
「うわさ?」
「薪さんが、小野田さんの娘さんと婚約したって。しかもデキちゃった婚らしいって」
 青木にしてみれば、これは完全に笑えるネタだ。
「おかしな偶然ですね。栄子さん、でしたっけ?」

 一昨年前の騒動を思い出して、青木はクスクス笑う。雪子が青木に恋をしていると思い込んだ薪が、青木と別れるために小野田の娘と付き合っていると尤もらしく嘘を吐いた。ところが薪は娘の名前を間違えるという失態を犯し、青木はその場で彼の嘘に気付いた。雪子の協力もあって彼の企ては見事なまでに砕け散り、薪の落ち込みようは相当だったが、結果として薪との絆は強まった気がする。

「まったく、どこから出てくるんでしょうね。そういうデマが」
「事実だ」
「オレの予想では、交通課の……え!?」
 何やら分厚い書類をめくりながら、薪は流言を肯定した。
「来週、結納なんだ」
 突然、青木の言語中枢は崩壊した。まともに言葉が出てこないし、薪の言うことも理解できない。

「子供ができたというのも本当だ」
 口の中がカラカラに乾く。舌が上顎にくっついて、口を開くこともできない。
「僕の子供だ」
 無理やり唇を動かして、青木は声を出そうとする。が、それは能わず、乱れた息を前歯の間から漏らすのがやっとだった。

「半年くらい前に、小野田さんに紹介されたんだ。それから時々会ってて。美和子さんに子供ができたって言うから、結婚することにしたんだ」
 薪の口は滑らかに言葉を継ぐ。
 昨夜、青木の欲望に愛おしそうに接吻したくちびるが、今日は他の女性との情事を告白する。
「だから、おまえとはもう」
 薪は、落ち着き払っていた。事件の説明をするような、事務的な口調だった。
「何を」

 喘ぐように、青木は言った。
 何度目かの呼吸と共にようやく搾り出した声は、掠れた囁き声だった。

「なにをおっしゃっているのか、わかりません」
 青木には、本当に理解できなかった。
 薪の言葉も表情も、自分自身でさえ。突如として異世界に迷い込んでしまったかのように、すべてのものが異質に感じられた。
「オレはなにも聞いてません」
「何度も言おうとしたんだけど。おまえの顔見たら、どうしても言えなくて」
「オレは聞いてません!」
「…………ごめん」

 薪が謝った。
 あの薪が。風邪を引いても道で転んでも、自分が落として割った皿でさえ全部青木のせいにする薪が。

 その時、軽いノックの音がして、髪をアップに結い上げた美しい女性が入ってきた。
「剛さん。お父様がランチにお誘いしなさいって」
 マタニティドレス姿の彼女は、年のころ30歳前後。薪と同じくらいの背丈で、黒髪に鳶色の目をしていた。
 青木の姿を認めて、軽く会釈をして寄越す。お仕事の邪魔をしたかしら、と薪の方に顔を向け、婚約者の顔色を見た。

「はい。すぐ行きます」
 薪は彼女を安心させるように微笑みかけると、青木との件はこれで済んだというように立ち上がり、見ていた書類にペーパーナイフを栞代わりに挟んだ。
「待ってください! ちゃんと説明してくださいよ!」
 美和子の方へ歩いていこうとした薪の腕を乱暴に掴み、自分の方へ引き寄せる。不意を突かれて薪の足がよろめき、細い腕が咄嗟に青木の腕にすがった。はっとして青木を見上げた薪の目と、眼鏡の奥の熱い視線が絡む。
 刹那、亜麻色の瞳に走った動揺は、青木に対してのものか美和子を気遣ってのものか。

「あなたが剛さんに付きまとってる悪い虫?」
 スタスタと、美和子がこちらに近寄ってくる。有無を言わせぬ強気な態度で青木の手を払い、薪と腕を組んで高圧的に青木を見上げた。
「わたし、おなかに赤ちゃんがいるの」
 優越を含んだ、侮蔑的な視線。
 この女性は、薪と自分の関係を知っているのだ。知った上で青木を敵と見做し、挑発しているのだ。

「誰の子だ、なんて馬鹿な事を聞かないでね」
 ふふ、と不愉快な含み笑い。
『あなたにこのひとの子供が産めるの?』
 そう言わんばかりの勝ち誇った笑いに、青木はいたたまれなくなる。

「失礼します」
 短く挨拶をすると、敬礼もせずに部屋を出る。後ろ手に閉めたドアの向こうに、美和子の嘲る声が聞こえるようだ。

『おなかに赤ちゃんがいるの』
『剛さんの子よ』

 耳について離れない女の声を振り払うように、青木は警察庁の廊下を走った。執拗に繰り返される死刑宣告にも等しい言葉から逃れようと、夢中で走った。
 警察庁の敷地を走り抜け、研究所の門をくぐる。中庭に出ると、正午を告げる無機質なチャイムが聞こえてきた。
 自分の職場に戻る気にもなれず、かといって職員食堂を訪れる気分にはもっとなれず、青木は中庭をあてどなく歩いた。

 ふと、目に付いた一本の樹木。昔、薪がよく昼寝をしていた場所だ。
 太い樹の根元に、倒れ込むように膝をつく。樹を背もたれ代わりに座ると、第九の建物が見えた。
 実用性を重視した飾り気のない建物を、ぼんやりと眺める。白い無機質な壁に、恋人の住まいが連想される。

 だめだ。
 今はまだ、考えたくない。

 そう思って目を閉じたのに、目蓋の裏側には一層くっきりと、愛しいひとの姿が浮かび上がる。瞬時に結ばれた画像は、たった今青木を痛烈に裏切った恋人の、花がほころぶように笑う愛くるしい笑顔。
 あんな笑顔で、自分に笑いかけておきながら。この腕の中で幸せそうに、午睡の夢にたゆといながら。
 もう何ヶ月も前から、薪は自分を裏切り続けていたのだ。何食わぬ顔で、美和子との間に新しい生命を育んで……。

「ちがう」
 それが自分の声だとは気付かずに、青木は聞こえてきた真実に耳をふさいだ。
『わかっていたはずだ。何ヶ月も前から、薪はおかしかった』

 いやだ。
 聞きたくない。

『薪がおまえに抱かれて、感じなくなったのはいつ頃からだ? 半年くらい前じゃなかったか。彼女に子供が宿った時期と、ちょうど重なるんじゃないのか』

 黙れ。
 その先を言うな。

『薪は彼女に心を移した。でも、おまえが可哀想で別れを切り出せなかったんだ。おまえがあまりにも哀れで』
 うるさい、黙れ。
『薪に人生の伴侶が現れたら、身を引くって約束しただろう? おまえの役割はそこまでだ。自分でも分かっていたはずだろう』
 黙れ、黙れ、黙れ。
『みっともない真似はするな。薪の恋人として、相応しく振舞え』
 両手で耳を塞ぎ、ぎゅっと目を瞑る。外界からの情報をすべて遮断してなお、容赦なく聞こえてくる諭旨に、青木は泣きたくなる。
『薪を困らせるな』
 その言葉に、青木は何も言えなくなる。

「頼むから……黙ってくれ……」
 耐え切れず、膝に顔を伏せる。春物のスラックスに、ぽたぽたと落ちる水滴。薄いグレーのストライプが、滲んで歪んだ波線に見えた。
 青木の脳内の薪は、くっきりとあでやかな笑みを見せているのに、青木の視界は夢幻のようにその輪郭を失っている。
 内と外の落差に眩暈を覚えつつ、青木は声を殺して泣いた。



*****


 さーっ、つぎつぎっ。 ←逃げた。


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タイムリミット(8)

 はい、サクサク行きますよ。
 さくさく、さくさく。




タイムリミット(8)




 青木の姿が消えると、美和子はすぐに薪の手を放し、ソファに腰を下ろした。マタニティドレスのお腹をそっと擦りながら、澄ました顔で強烈な皮肉を薪にくれた。

「あれがあなたに付きまとってるヘンタイ強姦野郎? とてもあなたが言ってたような人には見えないけど」
 美和子の協力を得るために、青木には泥を被ってもらっている。薪の計画には、彼女の力がどうしても必要だ。
「ていうか、あなたの今の顔が『ストーカーと縁が切れて清々している男』には、ぜんぜん見えないんだけど」
 痛いところを突かれて、薪は下を向く。彼女には、薪の本当の気持ちは伝えていない。

「すみません。美和子さんにまで嘘を吐かせてしまって」
「あら。わたしは嘘なんか言ってないわよ。あなたと婚約したのはホントだし、赤ちゃんがいるのも事実でしょ。あなたの赤ちゃんだ、とは一言も言ってないわ」
 さすが小野田の娘だ。機転も利くし、頭もいい。とりわけ、相手をミスリードする話術は巧妙だ。
「わたしたちは、共犯者みたいなものでしょ。わたしはこの子の父親が必要だし、あなたは父の後ろ盾が欲しい。そういうことでしょう」
「ええ。いい加減、お遊びは終わりにしないとね」
 そう、いつまでもゲームは続かない。そしてゲームの終局は、最初から決まっているものだ。

 ソファに座った美和子に手を差し伸べて、薪は彼女をエスコートしようとする。しかし、美和子は薪の手を取ろうとはせず、手を口元に当ててクスクス笑い始めた。
「あなたって、わたしの前では見事なポーカーフェイスだけど、彼の前に出るとボロボロなのね」
 ソファの背もたれに寄りかかり、悪戯っ子のような目で薪を見上げる。育ちの良い娘らしく、年齢の割に甘えの残ったその顔は、とても魅力的だった。

「覗いてらしたんですか?」
「人聞きの悪いこと言わないで。出るタイミングを見計らっていただけよ」
 差し出された手を取ろうとはせず、美和子は自力で立ち上がり、薪の顔を正面から挑むように見た。

「わたしはあなたに本当のことを話したんだから、あなたも本当のことを言ってくれないと。この先、上手くいかなくなるわよ」
 優雅に腕を組み、尖った顎を反らす。裕福な家庭に育ったもの特有の、自然で高慢な態度。
「父に気兼してるんでしょ? 彼にだけは、本当のことを言ってあげたら?」
 そのくせ、お人好しでやさしいのだ。彼女のことを、薪は決して嫌いではない。

「本当のことを言いましたよ。あなたと結婚するって」
「子供のことは?」
「嘘じゃありませんよ。僕の子として生まれてくるんですから」
 6ヵ月後にこの世に誕生する子供は、薪の籍に入る。薪は婿入りするから、戸籍上は小野田剛の子として生まれてくることになる。
「その子は、僕の子供です」
 すでに腹は決まっている。美和子の子供の父親としての世間的な責任は、きちんと果たすつもりだ。

「何度も聞くけど、あなたは本当にそれでいいの? わたしはあなたを一生、愛さないわよ? わたしが愛せるのは、この子とこの子の父親だけ。この子にも本当のことを話すわ。そうしたら、この子もあなたを愛さないのよ?」
 矢継ぎ早な尋問口調。妊娠時期の不安定な精神状態と未来への不安に駆られて、ついつい厳しい話し方になってしまうのだろう。
 彼女の声から感じられる、不甲斐ない男に対する苛立ちと怒り。その裏に見え隠れしている、一抹の憐憫。

「解ってます」
 簡潔に答えを返し、美和子の目を見る。
 同情は要らない。自分だって、彼女を利用しようとしているのだから。お互い様だ。

「だからあなたと結婚することにしたんです」
 彼女のためにドアを開けてやりながら、薪はにっこりと微笑んだ。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

タイムリミット(9)

タイムリミット(9)





 その晩、薪は久しぶりに親友の夢を見た。
 場所は何処だかわからない。だだっ広い枯野に、鈴木はひとり風に吹かれていた。セピアに染まる空気の中に、所在無げに立っていた。
 鈴木の姿を見つけて、薪は彼に駆け寄った。いつもそうするように、その胸に飛び込んで彼のぬくもりを確かめようとした。
 常なら薪の身体を抱きしめてくれる鈴木の腕は、何故かだらりと垂れたまま、しかし薪のことを払おうとはせずに、薪のするがままに任せていた。

「鈴木?」
 無反応な彼に異変を感じて、薪は顔を上げる。鈴木は眉根を寄せて、黒い瞳を曇らせて、とても困った顔をしていた。
 彼の夢はこれまでに何度も見たけれど、こんな鈴木は初めてだった。鈴木は薪の夢の中では必ず笑顔だった。昔、薪を責め苛んだときでさえ、笑顔を絶やしたことはなかった。

「どうしたんだ? なにか心配事?」
 すでにこの世のものではない友人に向けるにはおかしな質問だと思ったが、鈴木の憂いは放っておけない。
「あ、もしかして、雪子さんのこと?」
 雪子は昨年竹内と結婚して、秋には子供も産まれる。あの遊び人のこと、いつかはやらかすだろうと思っていたが、竹内のやつ、とうとう尻尾を出したか。
 統計的にも、妊娠中の浮気が一番多いのだ。薪も男だからその気持ちは分からなくはないが、雪子が絡むなら話は別だ。120%竹内が悪い。

「わかった。僕が明日、竹内をとっちめて」
「違うよ」
 苦笑して、鈴木は薪の頭をくしゃくしゃと撫でた。その手は大きく温かく、薪にとってはとても懐かしいものだった。
「しょうがないなあ、薪は。相変わらず早とちりばっかりして」
「じゃあ、何だよ」
「おまえのことだよ」
「僕? 僕は順調だよ。鈴木の夢に、一歩ずつ近付いてる。来年は警視監になってみせるよ。小野田さんの娘婿になれば、上の連中も押さえ込めると思うし」
 鈴木は薪の髪に指を埋めたまま、ゆっくりと首を振った。

「分かってるだろ? オレの望みは」
「……分からないよ。なに?」
「本当に、わからない?」
 鈴木の両手が薪の頭をやさしく掴み、彼の背中が丸められた。間近に迫ってきた鈴木の唇にびっくりして、薪は顔を背けた。

「や、今は……ちょっとその、ダメ」
 思わず拒んでしまったことで鈴木が気を悪くしなかったらいいのだけれど、とビクつきながら彼を見上げると、鈴木は何故か、今度はにっこりと微笑んでいた。

 親友の意外な反応に驚いて瞠られた亜麻色の瞳が、鈴木の後ろで起こった変化に、さらに大きくなる。
 鈴木の笑顔が魔法を発動したかのように、ふたりを取り巻く枯野が、みるみる緑の草原に変わっていく。柔らかそうな草の間からは名もなき花が一斉に芽吹いて、色とりどりの花弁を開く。
 笑顔ひとつでこんなことができるなんて。やっぱり鈴木はすごい。

 可憐で、それでいて力強い野花の美しさに心を奪われながら、薪は頭の隅で、あのとき青木と見た桜も、鈴木とだったらこんな風に花開いたのかもしれないと、詮無いことを考えた。

 次々に塗り替えられていく自分の足元を、目を丸くして見ている薪に、鈴木のやさしい声が響く。
「ちゃんと、わかってるじゃないか」
 なにを? と薪が顔を上げようとしたとき、目が覚めた。
 見慣れた照明器具に、薪は自分が自宅のソファで転寝していたことを知る。

 ローテーブルの上には、白い厚みのある封筒が何通か重なっている。中には返信用の葉書が入っており、その宛名は小野田聖司。これまでに薪が何度か貰ったことのある、自分からは初めて出すことになる招待状だ。
 第九のみんなには薪くんから直接手渡して、と小野田から預かってきた。残りは小野田の方から郵送してもらう手筈になっている。
 もう、後戻りできない。

 一番上になっている招待状の宛名に、薪のこころが冷える。どうして役所の人間というのは、すべてのものを50音順に並べたがるのだろう。
 薪は封筒を手に取り、一番上にあった封筒を最下層に入れ直した。こういうものは、年功序列でいくものだ。

 そう思いながらも、岡部宛の封書を上に持ってくることはせず、テーブルの上に戻す。それだけを為すと、あとはすべての興味を失ったかのようにその場を離れ、付きっぱなしだったテレビを消して寝室へ入っていった。




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タイムリミット(10)

タイムリミット(10)





 計画の発端は、半年前に遡る。
 所長の田城を通して、青木のところに見合いの話が来た。
 相手は総務部長の末娘。年のころも相応で、見た目も悪くない。何より、彼女の父親の役職は魅力だ。
 彼女と見合いをするように青木を説得してくれと、薪は田城から頼まれた。青木のためにもなることだし、言われた通りにしようと一旦は決意して、でもどうしても為せなかった。見合い写真を青木に見せることもせず、浅ましい嘘と共に田城に返したとき、薪の中の何かが壊れた。

 自分は、青木の未来を潰した。
 結果は同じだったかもしれない。青木は心から薪を愛していて、だから彼の答えは聞かなくても分かる、でも。
 それを選ぶのは青木でなければならない。自分が手を出してよいことではない。そんな、子供にも分かる事ができなくなってしまうなんて。

 もう、駄目だと思った。
 自分の存在が、彼の未来の可能性を奪う。そんなことは許されない、許せない。自分が、彼に不利益な人間になっていくことが耐えられなかった。
 別れようと決意した。自分がこれ以上、醜い生き物にならないうちに。

 その日も、別れ話をするつもりで家に誘った。薪の思惑を知らない青木は、尻尾を振って着いてきた。別れたがっている恋人の真意に気付かずに、バカな男だな、と心の底で彼を嘲り、そんな自分を最低だと思うことで自身を鼓舞した。
 繰り返し繰り返し、呪文のように。自分に言い聞かせる。
 今日こそ片をつけなければ。
 言わなくてはならない。終わりを告げなくてはならない。それも手ひどく、痛ましく。青木が自分に未練の欠片も残さないように。

「この鯛の煮付け、絶品ですね」
「そうか?」
 薪が作った料理を美味そうに食べる恋人の姿に、つい微笑んでいたことに気づいて、薪は自分を戒める。
 今日は笑顔は禁止だ。青木が取り付く島もないように、徹底的に冷酷に。

「薪さんて、本当に料理上手ですよね。惚れ直しちゃいます」
「これ以上エスカレートしたら犯罪になるだろ。おまえの場合」
「薪さんが悪いんですよ? そんなに可愛くて料理も上手で、あっちのほうもすごくって、惚れるなって方が無理――――― 痛ったあ!」
 薪の足が素早く動き、青木の向こう脛を蹴り飛ばす。大仰に声を上げるが、そんなに強く蹴った覚えはない。その証拠に青木は照れ笑いを浮かべると、嬉しそうに食事の続きに戻った。
 ……まあいいか。食事くらい。

「惚れるで思い出しましけど。曽我さんに新しい彼女ができた話、聞きました?」
「本当か? また、騙されてんじゃないのか?」
「前回で懲りてるはずだから、今度は大丈夫だと思いますけど」
「あいつって学習機能がないから、ちょっと心配なんだよな。典型的なO型人間ていうか。騙された翌日、また同じ女に騙されるタイプ」
「もしも騙されてたら、また薪さんが彼女の振りして相手の女性を懲らしめてやれば―――― あいた!」
 薪は手を伸ばし、青木の耳を引っ張る。痛いと言いながらも、青木は薪の手を払わない。ムッと眉をひそめながらも、亜麻色の瞳は笑っている。
 ……食事の時には、楽しい会話をしないと。消化にも悪いし。

 食後のコーヒーを飲みながら、四方山話に興じる。
 観たい映画の話とか、今度休みが取れたら行きたい観光地とか。秋の空はきれいだし、そろそろ紅葉も見ごろになってきたし。
「H渓谷とかどうですか? つり橋から見る紅葉と渓流が最高みたいですよ」
「つり橋?面白そうだな」
「今度の週末、休み取れますか?」
「うん。小野田さんに頼んでみる」
 ……行く気はないが、少しくらい話に乗ってやっても。

 尻尾があったら千切れそうな勢いで振り回しているだろう表情で、青木は食事の後片付けを始める。シンクの前に並んで食器を洗いながら、さして重要でもない会話を続けている。
「美味しい食事のお礼に、後でお風呂掃除しましょうか」
「ああ、頼む。天井の隅のカビが気になってたんだ」
「そうだ、お風呂と一緒に薪さんも洗ってあげま、痛っ!!」
 三度蹴り飛ばされた左足を痛そうに擦り、青木は顔をしかめて床に座り込んだ。まったく、大げさなやつだ。

「骨が折れたかもしれません」
「そんなわけないだろ」
「だって、見てくださいよ。こんなに腫れ上がって」
「どこが」
 咎めるような口調に辟易しながらも、仕方なく屈んで年下の我が儘に付き合ってやることにする。3回目の蹴りは、ちょっと力が入ってしまったかもしれない。

「ここです」
「……蹴ったところと腫れた場所に、ずい分隔たりがあるみたいだけど」
 確かにそこは下半身だけど、脚の付け根というかその間というか。
「薪さんにここを撫でてもらうと、痛みが止まるんですけど」
 抜け抜けとほざいて、薪の手を取る。手当てが必要だと主張する患部に導いて、ズボンの上から触れさせる。
「人間の身体って、不思議ですね」
 ていうか、おまえが不思議なんだ。いったい、どのタイミングで欲情したんだ。

「薪さんの不思議も知りたいです」
「僕のどこに謎があるんだ」
「薪さんは謎だらけですよ? どうしていくつになっても顔が変わらないのかな、とか。意地悪で自分勝手なくせに、なんでこんなに可愛いんだろうとか。年上の男のひとなのに、守ってあげたくなるのは何故だろうとか」
 大きなお世話だ。いつ、だれがそんなことをおまえに頼んだ。
「何故これほどまでに、オレの心を捉えて放さないのか。あなたとの付き合いが長くなるほどに、あなたが好きになっていくのは何故なのか」
 彼に触れた手のひらから、青木の熱と脈動が伝わってくる。熱伝導で温められる金属のように、薪の身体が彼と同じ温度に近付いていく。

「疑問があるなら、徹底的に追求したらどうだ。おまえも第九の捜査官だろ」
「はい」
 ふたりの周辺の空気がふわっとなごみ、それに釣られて薪の頬も緩むと、青木は嬉しそうに薪を見る目を細くする。
 ……いかんいかん。こんな甘い雰囲気にしてどうするんだ。

 大きな両手で頬を挟まれて、青木の熱っぽい視線に包まれる。
 何となく気恥ずかしくて目を伏せると、それをカンチガイしたバカが唇を重ねてくる。
 温かくぬめった舌が口の中を這い回り、薪の舌と一瞬だけ触れ合って離れていく。思わず追いすがった薪の舌を待ち受けていた青木の舌の動きに、先刻の掠めるだけの接触は、実は計画的だったことを知る。
 くそ、引っかかった。
 こちらから差し出した手前、引くに引けなくなり。思う存分、ねぶられて舐め溶かされて、息をするのも苦しくなってきた頃、青木はやっと薪のくちびるを開放してくれた。

 頭がぼうっとしたせいで、当初の目的が曖昧になる。そもそも、今日こいつを家に誘った理由はなんだったか。
 太い首に両腕を回すと、それを合図に抱き上げられた。胸に顔を伏せたまま運ばれて、目を開けたときにはベッドの上。
 白い天井と照明器具が目に入って、薪は我に返る。
 そうだ。今日は別れ話をするはずだったんだ。それなのに、この状況は。
「薪さん。愛してます」
 強く抱きしめられて、うっとりする。朝晩めっきり冷えてきた10月の空気の中、人肌のぬくもりはとても心地よくて。
 ……まあいいか。最後に、一度くらいセックスしても。

 いつもの手順で、青木が薪の身体を開いていく。薪の身体を知り尽くした男の手。
 持ち上げられて撫でられて、口に含まれて舌でしごかれる。広げられた脚の間に、青木の指先が忍んできて、入り口の周辺を捏ね回す。ゆっくり入ってくる長い指は、薪にいくばくかの異物感を与えるが、すぐに捕らえられた果実への刺激で、またたく間に快楽の波にさらわれる。
 熱心な愛撫に薪の身体が緩めば、薪の中にいる青木の指は自由になって、好き勝手に振舞い始める。やがて、すっかり準備の整ったそこにかれが押し当てられると、そのカタチを覚えている薪は自分から形状を変えて、かれをすっぽりと飲み込んだ。

 ひとつになる幸福感に酔いしれながら、薪の頭の隅には例のことがあり、行為にのめり込むことを防いでいる。 怪我の功名とでも言うべきか、その夜の薪は常より長く、青木の攻撃に耐えた。
 薪は青木を受け入れながらも、落ち着いた目で彼を見つめていた。

 冷めたこころが、薪に冷静さをくれる。
 知らなかった。こいつ、こんな顔して僕のこと抱いてたのか。
 なんて、なんてセクシーな顔をするんだろう。
 僕の中に入ってくる瞬間の、苦しいような、それでいて悦びに震えるような顰められた眉の形に、じんわりと身体の芯が痺れるような感覚を覚える。僕の手を押さえつける長い指の曲がり方に、かれの切羽詰った官能を知る。僕の腰を持ち上げる腕の筋肉が、浮き上がる首から鎖骨にかけての筋の曲線が、ゾクゾクするくらい色っぽい。

「薪さんっ」
 熱い息を吐く唇が近づいてきて薪のくちびるを塞いでも、薪は目を閉じることなく青木の顔を凝視していた。
 見ておきたい。青木のすべてを覚えておきたい。
 
 よく見ると、閉じられた目蓋には睫毛がたくさん生えていて。高い鼻梁は慎ましい小鼻に支えられていて。大食漢に相応しい大きめの唇は、適度な厚みでやわらかくしっとりとして。いつもは両側が上がった形か、あるいは情けなく歪められている口角は、今はぎゅっと引き結ばれている。
 こめかみに汗が浮いている。つっと流れて、目に入りそうだ。
 指先で拭って口に含む。塩辛い、恋人の汗。
 
 くっ、と歯を食いしばり、自分に向かって懸命に動いている彼を見て、薪は青木を愛しいと思う。がんばれ、って声をかけたら、青木はどんな顔をするだろう。
 胸をぎゅうっと掴まれるような感覚。心臓を押し潰されるような苦しさ。内側から圧力が掛かって、身体が破裂しそうだ。

 ああ、青木、青木。
 好きだ好きだ好きだ。

 別れ話をしなきゃいけないのに、もうとっくに済まさなきゃいけなかったのに、どうしても言い出せなくて。
 今日もまた言えない。だって口を開いたら、本音が出てしまう。
 おまえが好きだって。別れたくないって。
 それだけじゃない、もっとひどいことも言ってしまう。
 心の底に押し込めた、僕の醜さ。それを知ったら、青木は僕に幻滅するだろう。
 きれいごとだけで別れられるとは思っていない。別れるときなんか、誰だって修羅場に決まっている。でも、できることなら彼に嫌われたくない。彼の中の僕を、永遠にきれいなまま残してほしい。そんな卑怯な考えに囚われて為すべきことを為せない自分に、反吐が出そうだ。

 小野田に約束した期限までは、あと半年ほど。時間はあまり残されていない。
 それにしても長かった。まさか、期間いっぱい使うことになるとは夢にも思わなかった。僕にとっては嬉しく、青木にとっては不利益な誤算だ。何故なら、自分との関係をいくら強めたところで、青木の人生には何のメリットもないからだ。

 だから探して。青木にたくさんの幸せを運ぶことができる、そんな女性を探して欲しい。
 愛し合っている恋人に、他の女性を探せだなんて、僕の考えはおかしいとおまえは言うだろう。
 そう、僕たちは相思相愛だ。でも、それがどうした。恋ってそんなに大事なのか?
 恋だけじゃ生きられないことを、僕は知っている。それに、激しい恋をせずともお互いを慈しんで、幸せな家庭を作ることはできる。青木はむしろ、そういうタイプだったはずだ。
 僕とでは作れない、あげられない数多の笑顔と幸福。その中にこそおまえの人生はあるべきだ。おまえが本来辿るべきだったのは、そちらの道なんだ。
 長いこと付き合わせて悪かった。もう充分だから、帰ってくれ。正しい道へ引き返せ。僕も僕の道を行く。
 
 頭の中の草案は完璧なのに、いざ声に出そうとすると声帯が固まる。無理に押し通そうとすると、声がひっくり返る。
 脳の命令を、身体が裏切る。

 いつからこんなに弱くなったのだろう。昔はこうじゃなかった、どんなに辛くても本当にしなければいけないことはできた。いつだって、私情よりも正しいことを優先してきたはずだ。それが僕の男としての気概と誇りだった。
 それがいつの間にこんな―――――。




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タイムリミット(11)

 50000HITありがとうございます。m(_ _)m (キリバンリク受けようと思ってたのに、忘れちゃいました(^^;)

 何か記念のSS書きますね、甘いやつ。
 わたしの中のロマンチック精神で、がんばって妄想しますね。 
 さー、まずはロマンチック細胞の培養からだなっ。 ←神経細胞に育つまでに何億年かかることやら。


 そして、ロマンの欠片もない本編の続きです。
 まことに相すみません……。





タイムリミット(11)





「また余計なこと考えてるでしょう」
 苦笑交じりの声が聞こえた。
 一度では満たされず、更なる高みを目指そうと、四つん這いになって互いを愛し合っている最中にそんなことを言われて、薪は驚いて口の動きを止めた。薪の秘部から指が抜かれ、愛撫が中断される。
「薪さんの身体は正直だから。ほら、全然濡れてこない」
 そんな風に冷静に判断されてしまうと、青木の顔の上に跨るような体勢を取っている自分が、ひどく恥ずかしくなる。

「ちょっと、疲れてて」
 腰の位置をずらして、ローションを手に取る。薪の口の中で屹立していた恋人にローションを垂らし、青木の視線を感じながら彼を受け入れる部分にも塗る。
「でも、大丈夫だから」
 青木に背中を向けたまま、薪は彼の上に自分の腰を重ねる。自分を欲しがってくれている恋人の証を手に持って、熟練した仕草で飲み込む。
 この行為にもすっかり慣れて、今は青木が相手なら、眠っている最中に犯されたって平気だ。薪のそこは青木の形を細部まで覚えて、彼に沿うように自然と開いていく。最初の門を抜けるときだけは抵抗があるが、そこから先はすんなりと進む。内壁も奥の空間も、自由に操ることができるようになった。

「あっ、あ、んっ!」
 よがり声も腰の振り方も、いつもの夜を演じてみせる。快楽に溺れる振りをして、ともすれば萎えてしまいそうになる自分自身を両手で扱く。勃たせておかないと、青木が気にするから。
 青木の両手が薪の腰にかかる。起き上がる気配がする。
 一度目は正常位だったから、きっと次はバックで来る。好都合だ。顔は見えないし、不自然さに気付かれる可能性も低くなる。
 しかし、青木の言葉は薪の期待を裏切った。

「薪さん。止しましょ。ムリしなくていいです」
「無理なんかしてないだろ。ほら、こんなに感じてる」
 薪の腰を押さえる青木の手を取って、前に導く。反応している男の証拠を握らせて、自分の手を添えて動かす。
「甘く見ないでください。あなたの身体を仕込んだのは、オレですよ」
 年下のクセに、生意気なことを言うやつだ。それは確かに事実だったけれど。
 青木は薪の分身から手を放し、後ろからぎゅっと抱きしめてきた。耳元にくちびるを寄せて、愛しそうに耳を噛む。
「演技かそうじゃないかなんて、すぐに解っちゃいます」

 紳士的な言葉とは裏腹に、薪の中の恋人は激しく薪を求めていたけれど。青木は自分から動こうとはせずに、ただ薪を後ろから抱きしめていた。
 刺激を与えられなくなった薪のものは、すぐに萎れて落ち、青木とつながった部分はたちまち乾いていった。満たせなかった欲望をそっと引き抜いて、青木は薪の身体をゆっくりと横たえた。長い腕に絡め取られ、広い胸に抱きこまれて、やさしく背中を撫でられる。
「さて。男爵さまの釈明を聞きましょうか?」
「あん? 男爵ってなんだ?」
 青木はそれには答えず、薪の背中を撫で続けた。

「せっかくの夜をフイにされたんですから、理由を尋ねる権利はあるでしょう?」
「だから、ちょっと疲れてただけだって」
「さしずめ、部長の娘との縁談のことですか」
「ああ、そんな話もあったみたいだな」
 自然に口をついて出た言葉に、薪は絶望でいっぱいになる。
 違うだろう? 青木を説得するように田城に頼まれて、でもできなかったことを告白して謝るのが本当だろう?
 自分で握りつぶしておいて、空惚けられる自分にびっくりだ。取調室で嘘を重ねる犯罪者と変わらないじゃないか。
 ここまで最低の人間に成り下がってしまった自分に、彼の恋人でいる資格があるのか。愛される資格があるのか。こんなくだらない人間に関わること自体、彼の人生にとって大きな損失ではないのか。

「僕には関係ないけど」
 関係がないというのは適切ではない。口を出す権利がない、というのが正しい言い方だ。だって、僕はこいつの伴侶にはなれないから。青木と人生を歩んでいくのは、どこの誰かは知らないが、女性であることだけは間違いない。
「またそんな意地悪言って」
「で? どうするんだ」
 非難めいた青木の言葉に被せるように、薪は軽い調子で青木の予定を尋ねる。恐れ戦いている自分の本心に気付かれないように。青木が本音を言いやすいように。

「断りましたよ。当たり前でしょう。熱愛中の恋人がいるのに」
 当たり前と来た。こいつの日本語の使い方は間違っている。
 部長の娘と結婚できるチャンスを棒に振って、40過ぎの男を選ぶと言う。その選択のどこが当たり前なんだ。
「青木。いい機会だからちゃんと考えろ。自分の将来のこと、親のこと、友人のこと。よく考えて答えを出すんだ」
 年上らしく諭す自分の声を聞きながら薪は、心中で激しい罵倒を繰り返す。自己嫌悪を通り越して、殺意まで生まれそうな勢いだ。

 青木が縁談を断ったと聞いて、やっと正しいことが言えるようになった声帯など、腐り落ちてしまえ。自分に都合のいい時しか動かない声帯なんか、あっても無意味だ。
 そのセリフはもっとずっと前、田城から写真を受け取った時に彼に告げるべき言葉だったはずだ。縁談を断ってしまってから言っても、まったく意味がない。それは充分承知の上、さも自分は青木の将来のことを大切に考えている、美しい自分を演出するために利用して。あざといなんてレベルじゃない、もう存在すら許せなくなってきた。

「オレはあなたのこと以外、考えたくありません」
「……それは、現実逃避だろ」
 青木の胸から、顔を上げることができない。
 僕はどんどん駄目になる。嘘を見破られるのが怖い、醜い自分を見られたくない。
 ああ、もう、早く早く、青木から離れたい。虚装に塗れた自分を守るのが精一杯、そんな蛆虫みたいな人間が彼の一番大事な場所にいるなんて、許せない。

「考えましたよ。色々と。でも、無理なんですよ」
「何が」
「例えば、オレの将来。このまま警察に勤めているにしても、別の職業に就くとしても、隣には必ずあなたがいて。オレのこと能無し呼ばわりするんですよ」
 青木の胸に顔を埋めている薪に、彼の表情は見えない。が、その声は、話題に不釣合いなほど明るかった。
「家に帰ったらやっぱりあなたがいて。オレは仕事で疲れているのに、優しい言葉もかけてくれないどころか、意地悪ばっかりするんです」
 僕は意地悪なんかしたことないのに、と薪は心の中で言い返す。
 青木が聞いたら顎が外れるほど驚きそうな事実だが、薪に意地悪をしているという自覚はない。薪は、青木が凹む顔を見るのが好きなのだ。あの顔に愛しさを感じている。嫌味も皮肉も、愛情確認の手段に過ぎない。

「だけど、すごく美味しい夕飯ができていて。皮肉ばかり言うあなたの顔はとっても可愛くて。ベッドの中ではもっと可愛くて」
 薪はムッと眉を顰めたが、青木のこの台詞は嫌味ではない。意地悪をするときの薪の顔は、掛け値なしに可愛い。心の底から楽しそうだし、間違いなく生き生きしている。
「でも結局、セックスの途中で眠っちゃうんです」
「なんだ、そのオチ」
 落語のような結末に、薪は思わず顔を上げる。形の良い眉を思い切りしかめて、失礼な男をぎろりと睨みつける。
 亜麻色の瞳から発せられる殺人光線に怯む様子もなく、青木はにっこりと笑う。どんな恐ろしいものでも、慣れてしまうとその威力は半減するものだ。

「ね、幸せでしょう」
「幸せなのか? それ」
「はい」
 自信たっぷりに頷く青木に返す言葉が見つからず、薪は嘆息した。
「まあ、残り半年だからな」
「何が半年なんですか?」
「なんでもない」

 来年の4月。
 僕は青木と絶対に別れなければならない。5年前、小野田さんと約束したから。それを条件に、見逃してもらったんだから。約束は守らなければ。
 この胸も腕も、笑顔も。全部、捨てなきゃいけない。

 ……見つからないようにすればいい。
 小野田さんには別れたって言って、こっそりと会えばいい。青木が誰かと結婚してからだって、そんな風に会えばいい。そうすれば、ずっと一緒にいられる。

 そんな考えが浮かぶくらい。
 僕は最低の人間になってしまった。
 僕は、嘘つきが大嫌いだったはずだ。不倫とか浮気とかする人間を、軽蔑していたはずだ。
 それなのに。
 みんな、こんな気持ちで罪を重ねるのだろうか。愛し合って、でもどうしても公に結ばれることは叶わなくて。もてあますほどの愛しさに焼かれるように、その身を堕としていくのだろうか。

 若い恋人の規則正しい心音を聞きながら、薪は深いため息を吐く。
 もう、20回くらい、このパターンで失敗してるような気がする。一体、いつになったらこいつと別れられるのだろう。
 この責務を遂行するには、自分ひとりでは難しいかもしれない。共犯者が必要だ。薪と一緒に、地獄に落ちてくれる相棒が。

「いないよな。そんな都合のいい相手」
 最終手段として、金でひとを雇うことも考えたが、金で言いなりになる人間は金で裏切るものだ。あまり頭のいいやり方とは言えない。
 困り果てた薪の前に現れたのが、美和子だった。




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タイムリミット(12)

 今週から堤防の修繕工事が始まりまして、代理人なので現場に出てます。
 でもこの現場、今まで経験したどんな現場よりも、

 くそ寒いっ!
 骨まで染みとおるくらい風が冷たい! (そりゃそうだよね、川っぺりだもん)
 冷凍庫なんかに入らなくても、人間シャーベットになりそうです☆

 この現場に年末までいるのか……。
 せめてアツアツのあおまきさんでも妄想して暖を取ろう、と思えば、うちの薪さん、こんなことしてるし。 あー、さむい。
  





タイムリミット(12)




 彼女に会ったのは、小野田の家だった。薪は小野田のお供で出張や会議に出席した後、自宅で労をねぎらわれることがしばしばあった。小野田の末娘の香が、薪の来訪をことのほか喜んだからである。

「剛さん、いらっしゃい!」
「こんばんは、香ちゃん。元気だった?」
「うん! 剛さんは相変わらず素敵ね。うっとりしちゃう」
「こらこら。彼に怒られるぞ」
「あ、あ、ナイショにして。彼、意外とヤキモチ妬きなの」
 香は今年、19になる。
 色々と気になる年頃で、小野田は彼女のことが心配でたまらないらしく、大学のボーイフレンドからかかってくる電話に戦々恐々としている。香と仲の良い薪は、彼女の恋人が2歳年上のゼミの先輩であることを知っているが、パパには黙ってて、と固く口止めされている。

「そうなの?」
「うん。わたしが他の男の子と喋ってたりしたら、もう大変」
「ああ~、わかるわかる。ものすごくウザイよね、そういうの」
「そうなの。ウザイんだけど、でも」
「ちょっと嬉しいんだよね」
「さすが剛さん。女心が分かるのね」
「いや、僕、男なんだけど」
 香のガールズトークに付き合っていた薪は、自分に向けられる密かな悪意を感じて頭を巡らせた。この家に、自分を嫌っている人間はいないはずだ。少なくともこれまで、それを表面に滲ませるような人物は存在しなかった。

 ドア口を見た薪の瞳に映った、小野田の妻によく似た美しい女性。それが美和子だった。

 彼女は実家に住んでおらず、神楽坂のマンションで一人で暮らしている。これまで彼女を見かけたことがなかったのは、香曰く「美和子姉さんはお見合い写真を見ると鳥肌が立つ」から。要は、結婚しろと親にうるさく言われるのが嫌で、実家に寄り付かなかった、ということらしい。
 しかし、美和子も30歳の誕生日を迎え、諦めの境地に入ったのか、最近は夕食の誘いを受けるようになった。「こないだもママにお婿さん候補の写真を見せられていたわ、長女って大変ね」と末っ子ならではの無邪気さで、香は笑った。

 小野田に紹介されたとき、美和子は薪を恨むような目で見た。
 初対面の女性にどうしてそんな目で見られるのか、訳が分からなかった薪はひどく戸惑ったが、小野田に言われて彼女の運転手を何度か務めるうちに、彼女が自分を警戒している理由に思い至った。
 10年ほど前に、「ぼくの娘と付き合ってみないか」と小野田に言われたことがある。
 小野田は、現在の薪の恋人のことを知っているから、薪には何も言ってこない。しかし、彼は今でも自分の娘と薪との結婚を望んでいる。その気持ちはありがたいが、薪にはそれに応じることはできない。
 薪の心の定員は、ひとりだけ。不器用な男なのだ。
 美和子は、そんな父親の気持ちを察しているのだろう。父親が自分と結婚させたがっている男、という目で見られているのだ。
 ここは、先手必勝だ。

「美和子さん。お付き合いしてらっしゃる男性はいるんですか?」
 美和子は何も言わなかった。
 彼女は無口で、薪とふたりで車に乗っていても、何も喋らないことが殆どだった。薪も必要がなければ口を開かないタイプだから、二人が乗った車はいつもとても静かだった。
「僕はいますよ。一生、思い続けようと心に決めているひとが」
 赤信号の手前で注意深くブレーキを踏みながら、薪はさらりと言った。ルームミラーの中で俯いてた美和子が、薪の言葉に顔を上げた。
「あなたにもいるんでしょう? 例えば」
 フロントガラスの向こう側を、泳ぐように歩く人々を見ながら、薪は言葉を切る。息を吸い込んで、何気ない口振りで美和子の秘密を暴露した。
「そのお腹の子の父親とか」

 ミラーの中の美女は、ギョッと両目を見開いた。見る見る青冷めていく頬に、細い右手が当てられる。
「なぜ?」
「初めてお会いしたときは、ハイヒールを履いてらっしゃいましたよね。最近はローヒールに変えられたみたいでしたので」
「それだけのことで?」
「香水も、つけられなくなりましたよね。色々な匂いに、敏感になられているのでしょう」
 信号が青に変わり、薪は慎重にアクセルを踏む。左側の車線をゆっくりと走る黒のレクサスを、周りの車が追い越していく。

「余計なお世話だとは思ったんですが。隠していても、いずれ分かることです。早くご両親に打ち明けた方がいいですよ。デキちゃったもの勝ちで、彼との結婚を許してもらえるかも」
 一人暮らしをしていても、美和子は放蕩娘ではない。長女らしく落ち着いているし、きちんと礼儀も弁えている。彼との付き合いも、いい加減な気持ちではなかろう。
 お腹の子にしても、愛し合った相手との結晶なら、誰に恥じることもないはずだ。靴の踵を低い物に変え、季節的にまだ早いと思われる厚手のハイソックスを着用していることから、お腹の中の子供を慈しんでいることが分かる。これは間違いなく、愛した男性の子供だ。
「よく気が付いたわね。お母さまでさえ知らないのに」
 その事実に少し驚く。が、あり得るかもしれない。高名な政治家の末娘である小野田の妻は、よくも悪くもお嬢さまで、世間知らずというか純真無垢というか。
 
 やがて車は、彼女の父親と母親が待つレストランに到着する。薪の今日の仕事はこれで終わりだ。
 小野田はもちろん薪を誘ってくれたが、第九の仕事が残っていると嘘を吐いた。親子水入らずの夕食を邪魔するのも気が引けたし、今日は水曜日だから。どこかの誰かさんが、薪の帰りを待っているはずだ。

 今日こそ、別れ話をしなきゃいけないな、と薪は苦笑する。
 これから青木に電話をして、この店ほど高級でなくても、近くのレストランに呼び出そうか。最後に食事くらいはいいものを食べさせてやって、思い出に夜景のきれいなホテルとかで愛を交わして、それから……駄目だ、ぜんぜん別れられる気がしない。

「あなたはどうして結婚しないの?」
 車をレストランの駐車場に入れても、美和子は車から降りようとしなかった。薪のお節介への報復か、弱味を握られたことへの牽制か、そんなことを聞かれた。
「僕の相手は、絶対に結婚できない相手なので」
「わたしと一緒ね」
「……もしかして、不倫ですか」
「違うわ。だったらとっくに奪い取ってる」
 強気の発言とは裏腹に、美和子の表情は今にも泣き出しそうだった。

「じゃあ、どうして? 年が違いすぎるとか、身分が違うとか?」
 この女性がどんな恋に苦しんでいるのか詮索する気はなかったが、彼女の秘密を暴いた本人としては、話に付き合う義務があると思った。
「彼とは大学の頃からの付き合いなの。でも、お父様はわたしたちの仲を認めくださらなかった。彼は将来を託するに値しない男だって。その上」
「大丈夫ですよ、少しくらい反対されても。子供がいるって言えば、少々のことには目をつぶりますよ。親って、結局は子供の幸せを願っているものじゃないですか」
「彼のお兄さんが、人を殺してしまったの」

 低い女の声に、薪は振り返った。
 警察官僚の長女として、いやでも内部事情に詳しくなってしまった彼女は、それがどんなことか、よく分かっていた。
「傷害致死。はずみだったのよ」

 殺人犯の実弟と、官房長の娘。
 かける言葉が見つからず、薪は黙り込んだ。

「それが父の耳に入って、わたしたちは無理矢理別れさせられたわ。子供がお腹にいることが分かったのは、その後」 
「かれは、知ってるんですか? 自分の子供があなたの」
 美和子は首を振った。
 その理由を、薪はすぐに察した。
 親にこの事実が知れたら、間違いなく堕胎させられる。美和子もそう思ったから、母親にも相談できずにいたのだ。産めるかどうかも分からない子供の存在を、別れた相手に告げることはできない。相手は美和子と一緒になりたいと思っていても、彼らは引き裂かれる運命で。結局は愛する女性も子供も失うという悲痛を、彼に味あわせるだけだ。

「彼を愛してるわ。この子も、産みたい。小野田家と縁を切って、彼と一緒になることも考えたわ。でも、親のことも悲しませたくない。わたしがそんなことをしたら、お父様の名前に泥を塗ることになるし。
 だけど、彼が好きなの。彼と一緒に、この子を育てたいの」
 話しているうちに、美和子の鳶色の瞳からは、ほろほろと涙が零れ落ちてきた。
「どうしていいのか、わからない」

 両手で顔を覆って俯く姿に、美和子の頑なで高慢な態度は、彼女の精一杯の強がりだったことを知る。
 この女性は、自分と同じだ。
 添い遂げられない相手と恋をして、その想いに胸を焼かれて。別れなくてはいけないと思いつつも、相手を思い切ることができない。

 薪は携帯を取り出すと、メモリーの中からひとつのアドレスを選び出した。「今日は行けない」と用件だけを発信し、車を降りて外に出た。ふっと夜空を仰いで、きっとあいつもこの空を見ている、と何故か確信し、そのことに心が凪いでいくのを感じながら後部座席の女性の隣に座った。

「美和子さん。僕と結婚しませんか」
「え!?」
 美和子は、びっくりして薪を見た。
 彼女の目の周りは涙で流れたアイメイクで無残な有様だったが、薪はそれを滑稽とも思わず、笑ったりもしなかった。

「あくまでひとつの方法ですけど。僕と結婚して、その子を産むんです。で、彼と一緒に育てればいい」
「なにをバカなこと言ってるの? そんなことできるわけが」
「一番誠実なのは、ご両親に本当のことを話して、彼との仲を許してもらうことです。でも、今の状態でご両親が本当のことを知ったら、その……お子さんは、殺されてしまうかもしれません。僕には、それを阻止する力はありません」
 小野田は、やさしいばかりの男ではない。目的の為には手段を選ばない、非情な一面も持っている。薪にそれが向けられたことはないが、敵には容赦しない。そうしなければキャリア組の熾烈な出世競争の中では生き残っていけないし、官房長の役職を得ることは不可能だ。

「もしもご両親が真実を知っても、子供が生まれてしまった後では、それはできなくなります。お子さんの命だけは確実に守れる。彼とのことだって。僕をカモフラージュに使えば、会うこともできるでしょう?」
 細い眉を寄せて、美和子は怪訝な顔をしている。薪の突拍子もない提案に、どう反応していいのか分からない、と言った表情だ。
「彼と会う時は、僕に連絡をください。話を合わせておきますから」
 
 薪には、彼女の気持ちが痛いほどわかる。
 自分と同じ苦しみを舐めている女性。愛するひとと共に生きていくことが、周りの人間を不幸にする。でも、彼女の場合はまだチャンスがある。子供という強い切り札が。
 薪には子供がいないし母性本能もないから、子供を利用しようなどという冷酷な考え方ができるのかもしれない。だが、手札は出来る限り有効に使わなければ。

「問題は彼の気持ちです。偽装とはいえ、あなたが他の男の妻になるわけですからね。だから、これはひとつの企画案です。彼と相談して、よく考えて決めてください」

 美和子の恋は、叶えてやりたい。
 捨てなくてはいけない僕の恋の代わりに、この女性の恋は成就させてやりたい。僕が青木と別れることで、日陰とはいえひとつの愛が貫けるなら。僕も青木も、少しは救われるかもしれない。

「あなたはそれで、何を得るの?」
「僕にだってメリットはあるんですよ。あなたと結婚できれば、僕の将来は約束されたも同然ですから」
「尤もらしい理由ね。でも、それをわたしに信じさせたかったら、普段の行動にもう少し気を配らないと。あなた、わたしのことなんて眼中になかったでしょう」
 たしかに。
 香とはよく話をするが、美和子とふたりでこんなに喋ったのは初めてだ。皆と一緒のとき、それも誰かを挟んで話をしていた気がする。

「わたしの周りに集まる男たちはね、もっとギラギラした目をしてるわ。あなたは出世なんか望んでない」
 さすが幼い頃から、警察関係者に囲まれて育っただけのことはある。官房長の娘ともなれば、妻にしたがる男がわんさか押しかけただろうし、自然とひとを見る目も養われたというわけか。
 美和子を納得させるために、薪は小さな嘘を吐くことにした。

「実は僕、男のストーカーに悩まされてまして」
「え? 男のひとなのに?」
「あ、僕ゲイなんです。だから結婚しても、あなたには指一本触れません」
 薪は本当は女性とのセックスのほうが好きだが、こう言っておけば相手の男も安心するだろう。

 薪の衝撃の告白に、美和子は大きく頷いた。……なぜ驚かないんだろう。
「やっぱりね。そうじゃないかと思ってた」
 なんでっ!?
「まあ、あなたの顔を見れば大体ね」
 顔ってなんだ! 女っぽいとか言いたいのか!!
「アレ取って、女性ホルモン注射してるんでしょ。そうでもしなきゃ、その顔は無理よね」
 拡声器で洗いざらいぶちまけてやろうか、このオンナあああ!!!

 荒れ狂う心を必死で抑えて、薪は美和子の誤解を敢えて解かない。誤解させておいたほうが都合がいい。そう思いつつも泣きたくなるのは、彼のなけなしのプライドだ。
「僕が結婚してあなたの家に住むようになれば、彼も諦めると思うんです。この計画に乗ってくださるなら、僕のことも助けてくださいませんか」
「結婚しても、お互いの恋人については干渉しない。そういうことでいいのね」
「はい」
 考えてみる、と美和子は言った。

 薪は車を降りてドアを開けてやり、ご両親がお待ちかねですよ、と微笑んだ。
 レストランまでの小道を歩いていく美和子の足取りは、しっかりしていた。芯の強い女性なのだろう。

 薪は運転席に乗り込み、警察庁に向かった。
 今夜の予定はなくなった。少し早いが、来週末の支部会議の資料を作っておこう。
 運転をしながら、美和子の顔を見たレストランの支配人がどんな顔をしたかな、と考えてクスクス笑う。美和子の化粧の乱れを指摘しなかったのは、傷つけられたプライドのささやかな報復だった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

タイムリミット(13)

タイムリミット(13)





 金曜日の室長会議の後、薪は第九の部下たちに、金箔の封緘が貼られた白い封筒を配って歩いた。見事な文字は毛筆で書かれており、小野田の知り合いの書道家の手によるものだった。
「え? 俺たちも招待してもらえるんですか?」
 招待状を受け取って、小池と曽我は揃って声を上げた。相変わらず、この同期生は仲がいい。
「ああ。美和子さんのお友だちは、美人ぞろいだぞ。おまえらも頑張れよ」
「はい!!」
 この二人はまだ独身だ。こいつらもそろそろ、落ち着いてもいい年だ。
 40過ぎまで独身でいた自分が、説教する権利はないが。

「青木は?」
「青木は宇野さんと一緒に、新システムの研修です。夕方まで帰ってきませんよ」
 知っている。だから、今日これを持ってきたのだ。
「そうか。じゃ、これ渡しといてくれ」
 差し出した封筒を曽我が受け取ろうとしたとき、野太い男の声が響いた。

「ご自分で渡したらどうですか。まだ日数もあることですし。その方が青木も喜びますよ」
 第九の副室長、岡部警視だ。薪が官房室との掛け持ちになってから、岡部は実質的に室長の職務をこなしている。
「そうですよ。青木は室長を尊敬してますから。きっと直接、お祝いの言葉を言いたいと思ってるはずですよ」
 岡部の言葉尻に乗って手を引っ込めた曽我に、薪は頷くしかない。受け取り手のいなくなった招待状を、仕方なく内ポケットにしまいこんだ。

「そう言えば青木のやつ、この頃元気ないんだよな」
「そうそう。食欲もなくて。ずい分やせたみたいだし」
「このところ薪さんが、ずっと官房室に詰めてるからじゃないですか? 顔が見れなくて寂しいんだと思いますよ」
「青木は室長っ子だから」
「おかしな日本語を作るな、バカ」
 薪が怒ったフリをすると、すいません、と明るく笑って二人は仕事に戻った。

 招待状の返事は、小野田のところへ郵送するようになっている。結婚式の2ヶ月前といえば、式の準備でてんやわんやの時期だが、婿養子に入る薪にはさほどの負担はない。小野田が気を使って、仕事を優先させてくれているからだ。美和子と小野田の妻に任せきりで申し訳ないとは思うが、小野田家の付き合いのことなど分からないし、女性のドレスのことなどもっと分からない。

「室長。さっきの会議のことですけど」
 岡部に促されて、薪は室長室へ入る。部屋にふたりきりになると、岡部はファイルを閉じてしまい、薪は嫌な予感が当たったことを知った。

「薪さん。いま、幸せですか?」
 岡部のお節介が始まった。
 岡部は薪の後継者で、腹心の部下だ。彼の捜査能力の高さと人心を掌握するスキルは、第九の誰よりも高いと評価している薪だが、このお節介だけはマイナス点だ。

「2ヵ月後に結婚する男が、幸せじゃないわけがないだろう」
「俺にはそうは見えませんけどね」
 太い腕を組み、グローブのような手を無精ひげの生えた顎に当て、岡部は何かを思い出すように視線を上空に泳がせた。
「何年か前、足を引き摺りながら歩いてたあなたのほうが、ずっと幸せそうでしたよ」
 
 岡部は、薪と青木の関係を知っている。
 青木とこういう仲になる前から、岡部には自分たちの気持ちを悟られていた。ふたりが恋人同士になってからは、陰になり日向になり、その秘密を他の職員の目から隠してくれた。
「あの頃のあなたは、まともに座ることもできなくて。よく前傾姿勢になってましたよね」
「岡部。やめろ」
「怒った俺が青木を道場で締め上げたら、あなたは真っ赤になってあいつを庇って」
「やめろ!!」

「あなたが決めたことなら、俺は何も言いません。でも、今度は引き返せないですよ」
 岡部の声には、心配と叱咤が入り混じっている。その割合は9対1。これはずっと昔から変わらない、岡部の黄金比率だ。
「そんな無責任なことはしない。夫としても父親としても、精一杯務めるつもりだ」
「責任とかで務めとかで結婚される女性も、たまったもんじゃないでしょうね」
 ぐっと言葉に詰まって、薪は俯いた。

「薪さん。嘘から始まった供述は、必ずどこかに歪みがでるもんです。そこで本当のことを言えばマルヒは楽になれますけど、あなたは一生、歪んだままの人生を背負っていかなきゃいけないんですよ」
 畳み掛けるように、岡部は言葉を重ねる。相手の弱みに付け込むのは、容疑者を自白に追い込むときの常套手段だ。
「イビツなものってのは、持ちづらいんですよ。あっちこっちで落っことしては、その度に相手も自分も苦しむことになるんです。でっかい岩の方が、よっぽどマシじゃないですか? 疲れたら岩を道に下ろして、寄りかかって休むこともできるんですから」
 岩の例え話を、誰から聞いたんだ。小野田さんが岡部にそんな話をするはずはないから、青木のやつか。あのお喋りめ。

「寄りかかろうにも形が悪いと、相手もろとも崖下に真っ逆さまですよ」
「大丈夫だ。おまえの心配してるようなことにはならないから。夫婦ってのは、長い時間かけて愛を育てていくものだろ」
「それまで、あなたが保てばいいですけど」
 僕はそんなに脆弱な人間じゃない、と言おうとして、薪は言葉を飲み込む。岡部の右手がさっと薪の身体を抱え、肩に担ぎ上げたのだ。

「下ろせ! 何のつもりだ」
「この軽さは、俺達が初めて会った夏以来じゃないですか」
 何を食べても吐いてしまうものだから、びっくりするくらい体重が落ちた。パット入りのスーツを着ていたのだが、やはり岡部の眼は誤魔化せないか。
「仕事が忙しかったから、それだけだ。来年までには官房室へ完全異動になるだろうから、そうしたら接待や付き合いでブクブク太るさ。立派なメタボになって貫禄つけてやるから、楽しみにしてろ」
 岡部の背中に向かって、薪は悪あがきをしてみる。何を言っても岡部には通用しないと思うが、もう後戻りはできない。
 きれいにアイロンが掛けられた、岡部のワイシャツの白さが目に沁みる。頭が下になっているせいか、水分が頭部に集まってきたようだ。

「あれ? おまえらどうしたんだ。研修は?」
 モニタールームから聞こえてきた声に、薪はびくりと身を震わせる。岡部が薪の身体を床に下ろし、室長室の扉を細く開けた。ドアの向こうに、メガネを掛けた男がふたり、顔を見合わせて苦笑している。
「研修所のシステムに障害が発生しまして。復旧の目途が立たないので、研修は先送りになりました」
「さては宇野。新システムにウィルス入れたろ」
「そんなことするかよ。楽しみにしてたんだせ、俺は。須崎の作った新しいシステムが、俺の作ったスーパープログラムの負荷にどこまで耐えられるかなって」
「まさか、入れたのか? MRI専用のスパコンでさえ悲鳴を上げるおまえの悪魔のプログラム」
「……ちょっとだけ」
「研修段階でシステムをショートさせてどうするんだよ」
「どっちにせよ、あんなスペックじゃ使い物にならないよ。俺は先のことを考えてだな」
「ほー。そのセリフ、室長の前でも言ってみろ」
「え? 薪さん、来てるのか」
「結婚式の招待状。俺たちも式に呼んでくれるって」
 小池が室長室のドアを指差したのを見て、宇野が嬉しそうな顔をする。その様子を見て、岡部は後ろを振り返った。

「良かったじゃないですか。これで直接あいつらに招待状を……っ!?」
 そこにいるはずの上司の姿はなく、岡部は言葉を失う。窓が開いて、風に煽られたブラインドがカタカタ音を立てている。
「なんて無茶を! ここは3階だぞ!」

 窓に走り寄って下を見るが、薪の姿はない。
 薪に会うために室長室に入ってきた宇野と青木が、岡部の様子に気付いてこちらに寄ってくる。
「どうしたんですか? 岡部さん。室長は?」
「知らん! 窓から帰りたくなる人間の心理なんか、理解したくもない!」
「え!?」
 宇野が驚いて、窓から顔を出す。岡部の顔と交互に下を見て、まさか、という顔で首を捻った。

 ぎりっと奥歯を鳴らして口惜しそうに眉を吊り上げる岡部の後ろで、そうっと床を這っていく小さな人影。机の下から出てきたその影は、岡部の様子を伺いながら、ドアの隙間に滑り込もうとした。
 何かにぶつかって、行く手を阻まれる。亜麻色の頭がごつんと音を立てたのは、薄い灰青色のズボンに包まれた長い足だった。
「何してるんですか?」
 四つん這いの犬のような格好で固まってしまった薪に視線を合わせるように、衝突事故の相手はその場に屈み、薪の顔を覗き込んだ。

「青木」
 騙されたと知った岡部が、怒りよりも青木の炯眼に驚いて振り向き、彼の名前を呼んだ。隣で宇野が妙に落ち着いた態度で腕を組み、窓枠にもたれて足を交差させた。
「薪さんの行動は、だいたい読めますから」
 静かに言って、手を差し出す。薪がその手を取るのを躊躇っていると、青木は乾いた声で薪に話しかけた。

「ご結婚おめでとうございます、室長」

 床に正座して、薪は硬直していた。大きな目をいっぱいに見開いて、小さなくちびるを引き結んで。
「どうか末永くお幸せに。結婚式には必ず出席させていただきます」
 自分を敬愛している部下からのお祝いの言葉に、薪は目の前に出された大きな手の意図を知る。
 自分に向けられた手は、自分を助け起こすためのものではなく、さっさと招待状を置いてオレの前から消えろ、という意味だったと。思い知らされて、息が上手くできなくなる。
 促されるままに内ポケットから招待状を出し、青木の手の平に載せる。膝に手を当てて立ち上がり、崩折れそうになる足に力を込める。
 薪は室長室を出て行った。岡部がその後を追って行き、部屋には青木と宇野が残った。

「薪さん、俺には招待状くれないのかな」
「忘れちゃったんじゃないですか。あのひと、意外とドジだから」
「おまえがあんなこと言うからだろ」
 あからさまな舌打ちの後の宇野の言葉に、青木は驚いて先輩の顔を見る。ITの申し子のような彼の顔は、厄介なウイルスを発見したときのように歪められていた。

「あんなことって……オレ、なんかおかしなこと言いましたか?」
「もう少し言葉を選べよ。薪さんが可哀想だろ」
 理不尽だ。
 結婚が決まった上司に、おめでとうございます、とお祝いを言って叱られるなんて。

「何か他の言い方あるだろ。例えば」
 宇野は両目をぐるりと回して、なにかうまい言い回しを考えているようだったが、やがて肩を竦めて、ハッと短く息を吐いた。
「何を言っても同じか。仕方ないよな」
「宇野さん?」
 四角いレンズの向こうから、どんな小さなバグも見逃さない目が、青木の顔をじっと見ている。まるで自分がプログラムになって宇野に解析されている―――― そんな錯覚を、青木は覚えた。

「おまえはそれでいいのか」
「なにがですか」
「このまま薪さんが結婚して、それでいいのかって聞いてんだよ」
「おめでたいじゃないですか。これで薪さんの警視監昇任は決まったようなもんだし。上手く行けば、どこかの局長とかに就任できるかも」
 宇野はわざとらしく額に手を当てると、天を仰いで大きなため息を吐いた。芝居がかった仕草に、微かな苛立ちが感じられる。

「はあ……ほんっと、デキの悪い後輩もつと苦労するわ」
 突然、自分の能力にケチを付けられて、青木はムッとするより先に意外に思う。宇野はいつも頑張り屋の青木を、高く評価してくれていたはずだ。

「青木。おまえ、第九に来て何年だっけ」
「7年です」
「7年もかかって、おまえはここで何を学んできたんだ」
「……MRI捜査の手法と技術を」
 それが宇野の求める解でないことは分かっていたが、青木には他に答えが見つからない。
「MRIには、音声は無い。だから俺達は読唇術を習得して、必死こいて事件関係者の唇を読むわけだけど」
 青木の答えに可も不可も付けず、宇野はズボンのポケットに両手を入れて室内をゆっくりと歩き始めた。
「そうやって読み取った言葉が捜査を混乱させたことが、今まで何回あった?言葉だけじゃない。意識的に作った表情にミスリードされて、袋小路に迷い込んだこともあっただろう。失敗から何も学べないなんて、爬虫類以下だぞ」
 ぐるぐると室内を歩いて青木の側までやって来た宇野は、今まで見たこともないような凶悪な目つきで、オチコボレの後輩を睨みつけた。

「このクソムシ野郎が。薪さん、泣かせてんじゃねえよ」
 薪の陰に隠れて目立たないが、ノンキャリアの宇野は口が悪い。第九で薪の次に罵倒文句がキツイのは宇野である。

「宇野さん。あの、もしかして」
 はっきりと言葉にすることはできないが、宇野の言動は青木にある危惧を抱かせる。人に知られてはいけない自分たちの秘密に、宇野は気付いてしまったのだろうか。
 後輩の青くなった顔を見て、宇野が意地悪そうに笑う。室長の影響か、第九には意地悪な先輩が多くて困る。

「俺だけじゃないぜ。みんな薄々気付いてるよ。薪さんが嫌がるから、知らない振りしてるだけだ」
「えっ!」
「あんだけイチャイチャしてて、気付かれないとでも思ってたのかよ」
「仕事中にそんなことはしてないです。どっちかって言うと、薪さんにはイジメられることが多かったかと」
「それがあのひとの愛情表現だって、第九の人間なら常識だろ」
 青木は言葉に詰まった。
 たしかに、むかし薪は自分を愛してくれた。でも、今は……。

「青木。薪さんとは、ちゃんと話したのか」
「話も何も。いきなり婚約したって知らされて、美和子さんのお腹には薪さんの子供がいるって聞かされて。アアもウウも無かったです」
「俺はさ、薪さんの結婚に反対してるわけじゃないよ。だた、薪さんがあまりにも」
 宇野はそこで言葉を切った。辛そうに伏せられた眼鏡の奥の瞳が、その先の言葉を雄弁に語っていた。

「その蛆虫みたいなチンケな脳みそで、もう一度考えてみろ。おまえがしなきゃいけないことが、まだ残ってるはずだ」
 かつて薪がよくしたように、宇野は青木のネクタイをぐいと掴み、脅し文句を叩きつけた。

「オレが……しなきゃいけないこと……」
「おまえも第九の捜査官なら、最後まで真実を見究めろ」
 真剣な目で言って青木を突き飛ばすと、宇野は室長室を出て行った。




*****


 この話を書いてしまってたのでね、トイレで、滝沢さんの手が宇野さんに掛かったときはどうしようかと思いましたよ。 
 うちじゃこの役、宇野さんにしかできないもん。



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タイムリミット(14)

タイムリミット(14)





 自宅のソファで膝を抱えて、薪はテレビを見ている。
 こんな悠長にしていられるほど暇ではないのだが、上司に休養を取るように言われて、強制帰宅させられてしまった。小野田が言うには、薪の顔は土気色で生きた人間のものとは思えないそうだ。
 まったく、ひとをゾンビ扱いして。心配性の部下も困りものだが、心配性の上司にも苦労する。

 薪は膝を抱えたまま、ころりとソファに横になる。目をつぶって、テレビの音が両側の鼓膜を震わせるのを茫漠と感じる。
 番組の内容は、ぜんぜん頭に入ってこない。でも、何か音がないと落ち着かない。静寂を恐ろしく感じるなんて、幼い子供に帰ったみたいだ。 
 目を閉じたままじっとしていると、岡部に言われたことが頭の中でぐるぐる回る。絶望的な未来図が浮かび、刹那、薪は激しい後悔に襲われた。

 もしかしたら、自分と美和子は方法を誤ったのかもしれない。
 正直に、小野田に告白するべきではなかったのか。その上で、最善の策を講じるべきではなかったか。こんな詐欺まがいの手で、大切な人々を騙して……。
 いや、やはり無理だ。
 殺人犯の実弟と自分の娘の結婚を、官房長の小野田が許すはずがないし、将来の厄介ごとに繋がりそうな子供の存在は、もっと許してくれないだろう。

 しかし、今となっては。
 美和子の子供は、すでに中絶が難しい時期に入っている。娘の命に関わるとなれば、このまま産ませてくれるかもしれない。今、本当のことを言えばあるいは。

 パッと開けた亜麻色の瞳に、ローテーブルに置かれた封筒が映る。宇野に渡し忘れた招待状だ。
 ――― もう、遅い。
 薪は再び目を伏せる。長い睫毛の間から零れそうになる弱さに、ぐっと奥歯を食いしばる。

 大丈夫。
 僕の中には、たくさんの青木がいる。
 いつかくるこの日のために、もう何年も前からストックしていた彼の思い出がたくさんある。目を閉じれば、はっきりと思い出せる。彼の顔も身体も、自分に注がれた愛情も。
 それだけで充分だ、と薪は思う。
 それに、青木は生きている。鈴木みたいに、死んでしまったわけじゃない。
 ちゃんと生きて動いて、僕はそれを見ることができる。この先、青木にも運命の女性が現れて、彼女と恋に落ち、やがては結婚して幸せな家庭を築いていくだろう。僕が本当に青木を愛してるなら、それを自分のこととして喜べるはずだ。
 だからこんな風に胸が痛むのはほんの一時のことで、こうして青木の笑顔で脳内を満たしておけば、そんな時間はあっという間に過ぎる。

 しっかりと思い出す。
 その声を、仕草を、僕を見る瞳を。
 瞬きする睫毛の動きを、風になびく髪の流れを。
 僕の手を握るときの指の曲がり方を、腕を曲げたときの肘の形を、若々しく張った筋の一本一本までを、脳細胞をフルに使って克明に描く。

 思わず声が出そうになって、薪はくちびるを噛みしめる。
 やさしかった恋人の姿をリアルに思い浮かべながらも、胸の痛みは治まらない。それどころか、画像が鮮明さを増すほどに、痛みは強くなっていくようで。

 ―――― 苦しい。

「なんだよ……思ったよりも、うまく行かないな」
 仰向けになって天井に顔を向け、両腕を交差して目の上に乗せる。こみ上げてくるものをやり過ごすために、大きく息を吸った。
 瞬間、チャイムが鳴る。
 誰かと約束をしていたか、と薪は記憶を探る。予定はなかったはずだが、近頃、他人との約束を忘れてしまうことがあるから、今日もそれかとカメラを確認するために席を立った。

「な!」
 来訪者を映し出す小さな液晶画面を見て、薪は飛び上がるほど驚いた。
 青木が映ってる。

 何故? どうして?
 もしかして、結婚式の招待状の返事を持ってきたのか? ウスラバカが。あれは郵送するものだ。しかも受取人は薪ではなく、小野田だ。

 早鐘のように打ち出す胸を押さえて、薪は必死で平常心を取り戻そうとする。
 後戻りはできないと、覚悟は決まっていると、昼間、岡部に豪語したばかりなのに。この息が止まりそうな焦燥感は何なのだろう。

『薪さん、お願いします。開けてください』
「何しに来たんだ、おまえ」
『ごはん食べさせてください。空腹で倒れそうなんです』
「ああ?」
 何をふざけてるんだ、こいつは。
 青木とはもう、ただの上司と部下だ。結婚が決まった上司のところへ、食事をたかりに来るなんて……いや、別におかしくないか。かといって、開けてやる義理も無い。部下の食事の世話までしていられるか。

 心の中で毒づきながら、薪はカメラに映る男の顔を食い入るように見つめる。
 この2ヶ月、薪は青木の顔をまともに見ていない。それは別に青木のことを避けていたわけではなく、官房室の仕事が忙しかったからだ。見たら冷静でいられなくなってしまうかもしれないとか、決意が揺らいでしまうかもしれないなんて、心配してたわけじゃない。

 ……そうじゃない、けど。

 薪は、そっと画面に手を伸ばした。
 指先で青木の頬をなぞり、くちびるを撫でる。額を髪を、細い指先が愛おしそうに滑っていく。

 見るだけなら。
 少しだけ、少しだけ。彼を見るだけなら。

 薪が震える手でドアを開けると、青木は昔のように笑って、「お邪魔します」ときちんと挨拶をした。物怖じしない態度で部屋に上がりこむと、真っ直ぐ台所へ行き、断りもなく冷蔵庫を開けた。
「うわー。薪さんちの冷蔵庫がここまで空っぽなの、初めて見ました」
 冷蔵庫の中には、500mlのミネラルウォーターが3本だけ。他には何も入っていない。
「この頃、外食ばかりだから」
 それは青木の手前吐いた、ささやかな嘘で。本当は、殆ど食事をしていない。たまに食べても、1時間後にはバックしてしまうし。
「買い物してきて良かった」
 買い物をしたなら、どうしてここに来る必要があったんだ。相変わらず、訳の分からないやつだ。
「病気で早退したって聞いたから。オレが美味しい卵ぞうすい作ってあげます」
 押しかけ女房ならぬ、押しかけ家政夫か。なんてお節介なやつだ。いい迷惑だ。
 帰れ、と言いたいのに、薪のくちびるは動かない。呼吸も上手にできない。まるで水の中にいるみたいに、息が苦しい。

 青木は慣れた手つきで野菜を刻み、鍋にお湯を沸かし、パックに入った米飯を一度水に晒してからだし汁の中に入れた。片手でボウルに卵を割るとざっくりと掻き混ぜ、鍋の煮え具合を確認する。
 薪はその様子をじっと見ていた。
 何も言わず、突っ立ったまま。ただただ青木を見ていた。

「薪さん。味見、お願いします」
 突き出された小皿に、薪は戸惑う。
 恒常的な嘔吐に薪の味覚は完全に崩壊して、最近は何を食べても味がしない。おかげで、料理も満足に作れなくなってしまった。
 案の定、小皿の中の液体もただのお湯と変わらなかった。でも、温度は感じられる。温かくて、薪の胃をほっと緩ませてくれる。
「うん。いいんじゃないか」
「そうですか? じゃあ、卵入れますね」
 卵を流し込み、鍋の蓋を閉める。二分ほど置いて再び蓋を取ると、ふわっと香る昆布出汁。半熟の卵がとろりとして、見た目はとても美味しそうだ。

「さ、冷めないうちに食べましょう」
「おまえこれ、ネギ入れすぎじゃないのか」
「薪さんが風邪引いたんじゃないかって、中園さんが言ってたから。ネギは風邪に効くって」
「風邪なんか引いてないぞ。まったく、小野田さんといい中園さんといい、ひとを勝手に病気にして」
 ぶつぶつ言いながらも食卓につく。
 一時間後には汚物になると分かっていても、せっかく部下が作ってくれたのだ。上司として、部下の好意を無にするのはよくない。
 くちびるを尖らせて、ふーふーと雑炊を冷ましていると、青木が蕩けそうな顔をしてこちらを見ている。妙にニヤけているのを不思議に思って聞くと、薪さんがあんまりかわいくて、と失礼なことを言うからレンゲを投げつけてやった。

「聞いてくださいよ。今日の研修が延期になったのって、実は宇野さんが」
「あのめちゃくちゃ重いプログラムを稼動させたのか? システムが吹っ飛ぶのも当たり前だ。あれはまだ、試作品なんだから。須崎のやつも可哀相に」
「宇野さんが言うには、あのプログラムを動かすくらいのスペックがなきゃ、将来使い物にならないって」
「こだわりすぎなんだ、あいつは」
 青木が作った雑炊を一口食べて、少し塩辛い、と思った。でも、まあまあ食べられる。こいつも料理が上手くなった―――。

 ぎくりと薪は手を止めた。
 日本一の料亭の懐石料理も、3人前で6桁のフランス料理も、砂を噛むようだったのに。ネギと卵しか入っていない雑炊が、美味いなんて。

「食い終わったら帰れよ。今からここに、美和子さんが来るんだ」
 約束などしていないが、青木を追い出すにはこれが一番だろう。
 息の苦しさは相変わらずだ。そろそろ呼吸困難に陥りそうになってきた。このままここに居すわられたら、終いには窒息死しそうだ。
「いいですね。彼女に看病してもらえば、病気なんて一発で治っちゃいますね」
 青木は笑顔を崩さずに、薪を見ている。美和子の名前を出せば青木が泣いて出て行く、と思っていたのは薪の自惚れだったか。

 そうだ。昼間、青木に言われたばかりだった。
『ご結婚おめでとうございます。末永くお幸せに』

 青木のこころは、もう自分にはないのだ。
 そう思ったら、途端に味が分からなくなった。
 単なる炭水化物の塊に変貌した茶碗の中身を、薪は黙々と食べる。咀嚼し、飲み込むたびに喉が引き攣れるように痛い。

「あれ? でも薪さん、病気じゃないってさっき。あ、さては彼女の気を惹こうと、仮病を使いましたね?」
「おまえじゃあるまいし」
「あの時は、すみませんでした」
 薪が返した軽口を、青木は昔の狂言自殺を皮肉られたと勘違いしたらしく、両手をテーブルについて、ぺこりと頭を下げた。
「でも、とっても嬉しかったです」
「ちがう。そのことを言ったんじゃない。僕はただ」
「すごくすごく、嬉しかったです。薪さんにあんな風に言ってもらえて」
「違うんだ、あれは。あの時は動転してて」
 薪の抗弁を馬耳東風と受け流し、青木は眩しいくらいの笑顔を見せた。
 青木の全開の笑顔は、薪から瞬間的に声を奪う。その僅かな時間に、青木は薪が忘れたがっている失言をことごとく再生した。

「『僕が結婚しても他のひとを好きになっても、おまえは僕を一番好きでいろ』」
 歌うように言って、青木は席を立った。
「『子供ができても孫ができても、僕の一番近くにいろ』」
 テーブルをぐるりと回って、薪の隣に膝をつく。強張った薪の肩をやさしく掴んで、自分の方に向けた。
 青木は昔から薪のことだけは、天才的な記憶力を発揮する。1年以上も前のことを、言った本人もうろ覚えの台詞を、見事に再現してみせた。
「『死んでも僕を好きでいろ』でしたよね? なんたって、神さまの前で誓っちゃいましたからね。破るわけには行かないんですよ」
 最後の台詞だけは、はっきり覚えている。雪子の結婚式の日だ。
 教会の中、祭壇の陰に隠れて、誓いのキスをした。タイムリミットを忘れたわけではなかったが、青木との付き合いが5年も続くとは思っていなかったし、何より幸せに輝く雪子の姿が嬉しくて、薪自身かなりハイになっていた。

「オレは誓いを果たします。あなたが結婚しても、父親になっても。オレは一生あなたを好きでいます」
 組み合わされた薪の手が、青木の両手にすっぽりと包み込まれる。
「オレの恋人は、生涯あなただけです」
 熱のこもった恋人の瞳。キラキラと輝いて、真っ直ぐに薪を見る黒い宝石のような瞳。

 ダメだ、もう限界だ。
 薪は、青木の思い出の中に生きることを諦めた。

「じゃあ、捨てろ」
 搾り出すように、薪は言った。
「僕のために、この世でたった一人残った母親を捨ててみろ」
 せっかくひとが気を使って、思い出を作ってやったのに。恥ずかしいのを我慢して、自分からベッドに誘ったり人前でイチャついたり、旅行先では夫婦の真似事までしてやったのに。ひとの苦労を台無しにしやがって。
「友人も仲間も、自分の将来も。ぜんぶ捨てて、おまえの残りの人生、僕に捧げてみろ!!」
 きれいなままで別れたかったのに。醜い本性を出さなければ、青木は僕から離れない。
「おまえにそれができるのか!? 僕を選ぶってことは、そういうことだぞ。わかってんのか!」

 とうとう言ってしまった。これが僕の本音だ。
 世界と引き換えに、僕を選んで欲しい。すべての夢を諦めて、僕だけを見て欲しい。祝福される人生を捨てて、僕と日陰を歩いて欲しい。
 口では青木の人生を元に戻してやりたい、なんて言ってたけど、心の中ではずっとそう思っていた。
 僕はとことん汚くて。
 青木の親を泣かせても、こいつと別れたくない。人生を棒に振ってでも、僕を愛して欲しいと、心の底では願っていた。
 青木には知られたくなかった。彼の美しい心が描く美しい僕の偶像を壊したくなかった。
 でも、これでいいのかもしれない。青木も目が醒めただろう。現実を知っただろう。
 どちらにせよ、僕たちに未来はない―――。

「はい」
 あっさりと頷かれて、薪は耳を疑う。こいつ、僕の言葉の意味が理解できなかったのか。
「ちゃんと聞いてたのか? おまえ、親をなんだと思って」
「オレはとっくに覚悟してます。もう5年も前に。5月だったかな、その証は、小野田さんに預けてあります」
「小野田さんに? いったい」
「薪さんは知らなくていいです。これはオレと小野田さんの秘密です」
 薪は追求を断念した。青木がこういう言い方をしたら、口が裂けても喋らない。
「宇野さんの言ったとおりだったなあ。オレ、第九に勤めて良かったです」
 何を言っているのか分からない。青木の言動は、ときどき薪の理解の範疇を易々と超える。

「薪さん。結婚なさっても、オレと会ってください」
 また青木が、とんでもないことを言い出した。これから結婚しようという男に、婚前から不義の約束をさせようというのか。
「そういうの、間男って言うんだぞ。重ねられて4つに斬られても、文句言えないんだぞ」
「いつの時代の法律ですか」
 極端な返事に吹き出して、青木はクスクスと笑う。笑える内容でもないと思うが。
「僕がそういうこと嫌いなの、知ってるだろ」
「オレは、そんなことは望んでません。こうして会って、ごはん食べてお喋りして。オレはそれだけでいいです。薪さんが笑ってくれれば、オレはそれで充分です」
 青木はいつもきれいごとばかりだ。そんなことができるはずがない。……そう思う僕のほうが、汚れきっているのか。
 青木といたら、抱き合いたくなる。迫られたら拒めない。今だって、彼に触れたいと願う自分がいる。あんなに苦労して別れたのに、ふたりきりで会ったりしたら元の木阿弥になるのは目に見えている。

「美和子さんは、僕たちのこと知ってるんだぞ。何もしてないって言っても、信用してくれるわけないだろ」
 青木は知らないが、美和子には自分がゲイだと嘘を吐いている。美和子にだって愛する男性とその子供がいるのだから、薪が青木と縁りを戻しても彼女からクレームがつくことはない。むしろ、問題は青木のほうだ。
 このまま、青木を牢獄につなぐような真似を続けていくわけにはいかない。
「おまえが悪者になるんだぞ」
「オレは、泥棒猫でいいです。変質者のストーカーでいいです」
 スパッと言い切った青木に、薪はまたもや返す言葉を失う。
 前々から言葉の意味を知らないやつだと思っていたが、こいつは本当のバカだ。泥棒猫とかストーカーなんて、そんな爽やかな笑顔で言うもんじゃない。

「薪さんと一緒にいられるなら。他人になんて思われても、構わないです」
 薪の両手を包む青木の手に、ぐっと力が籠もる。じっと見つめられて、逸らすこともかなわずに、薪は青木の視線に射抜かれる。

 迷わない瞳。
 ああ、そうだ。
 青木は、ずっとこの眼で自分を見ていた。もう何年も前から、青木の気持ちは固まっていたのだ。
 覚悟ができていなかったのは、僕のほうだ。

「身のほど知らずが」
 自分の手を包む大きな手を乱暴に払いのけ、強い口調で薪は言う。
「僕のカウンセラーにでもなるつもりか? ただのセフレのくせに」
 できる限り辛辣な声音で吐き捨てるように告げたつもりだが、どうやら失敗したらしい。青木の顔が、笑ったままだ。
「おまえみたいな低脳に、そんな大層な仕事ができるもんか」
 夏らしい水色のネクタイをぐいと掴み、薪は青木の身体を引き寄せようとする。が、思ったよりも体力が落ちていて、逆に自分の身体が動いてしまった。
 彼の顔が、間近に迫る。思惑とは違ったが、結果は一緒だ。

「セフレならセフレらしく、僕を抱いてりゃいいんだ」
 薪は憎々しげにくちびるを歪めると、青木の唇を強引に奪い、舌を割り込ませた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

タイムリミット(15)

タイムリミット(15)





 薪の身体は、すっかり衰えているように見えた。
 前々から細かった身体が、ありえないくらい痩せてしまっている。青木の片手で回ってしまうウエストは、手のひらに収まるほど細くなり、かすかに浮き出ていたあばら骨は目に見えてくっきりと、その形を明らかにしている。肉は殆どない。骨の間に、指が埋まってしまいそうだ。
 痛々しいほど頼りなげな薪の裸体に、青木の手が止まる。こんな状態の薪を抱いたら、壊してしまう。

「薪さん。今夜は止しましょう」
 身体の不調は当然、性感にも現れる。触ってもキスをしても、薪のそこは反応しなかった。シャワーを浴びたばかりの清潔な匂いのする薪の肩口に唇をつけて、青木は囁いた。
「早退しておいて、こんなことしちゃダメですよね。ちゃんと休まなきゃ」

 薪の体調が回復するまで、行為はお預けだ。
 待たされるのには慣れている。薪の我儘と気まぐれに掛かれば、デートのキャンセルなんて日常茶飯だし、1月以上させてもらえなかったこともザラだ。
 前戯と本番を飛ばして、後戯に入る。いつものように薪の頭を自分の肩に載せようとすると、薪は青木の腕を押しのけて下の方へ潜っていった。

 シーツがひとの形になって、モゾモゾと動いている。やがて目的の場所にたどり着いた華奢な手が、薪を前にしては大人しくなれない青木を捕らえた。
 やわらかい口唇が先端に触れ、すぐに濡れた内部に吸い込まれる。上下に擦られるたび、白いさざ波のようにシーツが動き、内からこみ上げる大きな波が青木の理性を奪っていく。
「薪さん、無理しなくていいです」
 息を乱さないように心掛けて、青木は薪の愛撫をやんわりと断る。
 しかし、シーツの動きは止まらない。小波のような動きは次第に大きくなり、男を狂わせる水音を立てる。

「いいですったら。我慢できなくなっちゃいます、ホント、っ!」
 付き合い始めて5年も経てば、薪の技巧も一流の域に達してきて、その口の中に注ぎ込むことも多くなった。薪も下で受けるより体力を消耗しないし、若い青木を満足させようと思ったら、こちらの技術に頼るしかない。
 後に引けないところまで追い込まれて、このままお終いまでして欲しいと、願いを込めて薪の髪に指を埋める。なのに薪はすっと頭を上げて、愛撫を中断してしまった。
 足を開いて青木の腰の上にまたがり、痛いくらいに脈動する青木の切っ先で入り口をなぞる。ぬるりとした感触は、薪が自ら準備した愛戯のための液体で、かれが先の行為を望んでいることを証明していた。
 しかし。

「無理です。薪さん、壊れちゃいますよ」
 薪の腰を押さえて動きを止め、右手を下方に滑らせる。その感触に、青木は悲しくなる。
 数ヶ月前までは、青木好みのふっくらした可愛い尻だったのに。今はごつごつとして固く、形も三角形に近い。
「平気だ」
「でも」
「いいんだ。これは、誓いだから」
「はい?」

 薪の顔が近付いてくる。あどけない頬が、青木の頬に頬ずりする。
 身体が痩せても顔にそれが表れない性質の薪の頬は、柔らかくすべらかで。つややかなくちびるは、アップで見るとたまらない蠱惑に満ちていて。

「お願いだから、僕の中に」
 ゆっくりと瞬く睫毛の動きは、孔雀が羽根を広げるように、薪の魅力を最大限に魅せつける。
「おまえの勇気を注いで」

 青木はやさしく薪の身体を自分の下に抱きこむと、骨ばった足を自分の肩に載せた。そうっとあてがい、見つめ合いながらゆっくりとひとつになる。

 少しずつ、慎重に。
 敬虔に、神聖な態度で。
 水鳥の羽毛のようにやさしく。
 ふくろうの羽音のように密やかに。
 声もなく。
 音もなく。
 愛の言葉さえ、いらない。

 微かに眉を顰めた薪が、切ない目をして青木の腕を掴む。引き寄せられるようにくちびるが触れ合い、あまやかな糸がふたりを結びつける。
 薪の背中に腕を回し、青木は薪の中を進む。自分の背中に縋る薪の手の弱々しさを感じて、青木は庇護と愛情を新たにする。

 このひとを。
 弾劾するものがあれば、自分はその口を塞ごう。
 殴ろうとするものがあれば、自分はその腕を折ろう。
 憎むものがあれば、その心を潰してしまおう。

 これから何があっても。
 必ず、このひとを支えていく。

 その夜の青木は、最後までやさしさを通した。



*****




「メシ食ってから、どのくらい経った?」
 青木の腕の中でため息交じりに薪が吐き出した言葉は、情交の直後には相応しくないロマンの欠片もないセリフだった。
「え? あー、2時間くらいですか」
「なるほど」
 何を納得しているのだろう。相変わらず、薪は謎だらけだ。

「もう寝るぞ。明日は戦争だ」
「あれ? 月曜までお休みもらったんじゃなかったんですか?」
 薪は答えなかった。
 もしかしたら、結婚式の準備が忙しいのかもしれない。むかし姉に聞いた話では、式の前の2ヶ月というのは寝る間もないほどやることがあって、舞の結婚式は楽しみだが準備のことを思うと憂鬱になるそうだ。

 そのことは考えないようにして、骨ばった硬い身体を抱きしめる。
 ……こんなに痩せてしまって。
 宇野の言った通りだ。画や言葉に惑わされて、ひとを見ることを忘れていたなんて。第九職員失格だ。

 辛い現実から逃れようと塞いでいた目を開いて、改めて薪を見れば。
 ドアを開けてくれた細い手は震えて、亜麻色の瞳はもっと震えて。あんな、親を亡くした子供のような目をして。どうやって生きていけばいいのか、考えることもできない迷い子のような瞳で。
 薪は、ずっと青木への気持ちを叫び続けていたのに。

 どうして信じなかったのだろう。薪は、恋人に抱かれながら他の人間に心を移すような器用なひとではないと、何故すぐに思わなかったのだろう。

 それに薪の性格なら、別れたいなら別れたいとはっきり言うだろう。それが言えなかったということは、まだ青木に心を残しているのだ。こうして青木に抱かれるということは、青木を愛しているのだ。
 自分たちがしている行為は恥ずべきことだが、薪の身体の方が大切だ。
 これから先、積み重なる季節の中で、薪が美和子を本当に愛するようになったら。その時こそ自分の役目は終わる。
 しかし今はまだ、そのときではない。

「そうだ。薪さん。今度宇野さんに、好物の五目稲荷を作ってあげてくれませんか?」
 宇野に何か礼をしたいと思ったが、彼が喜びそうなものといったらPC関連か薪の手料理だ。結果を報告するためにも、後者の方が望ましいだろう。
「すっごく食べたがってて……薪さん?」
 青木が覗き込むと、薪はすでに寝息を立てていた。
「墜落睡眠は健在ですか」
 久しぶりに見る恋人のかわいい寝顔にキスをして、青木は目を閉じた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

タイムリミット(16)

タイムリミット(16)





 官房室に続く長い廊下を、薪は歩いている。
 公休日の警察庁に人影は少なく、薪の靴音だけが耳障りに響く。いつものように一分の隙もなく固めたスーツの背中では、不安と気概がせめぎ合っている。

 自分の職場に着いて、入り口の前で深呼吸をする。
 これから為すことを思うと、その罪の大きさに足が竦む。見慣れたドアが、地獄の門のようだ。

「どうしたの。今日はきみ、非番だろ」
 ノックに続いてドアを開けると、薪よりも休みの少ない上司が、ポロシャツにジーパンというラフな格好で机に向かっていた。
「ちゃんと休みなさいって言ったでしょ。ああ、でも顔色は少し良くなったみたいだね。安心したよ」
 薪の体調を気遣ってくれる、やさしい上司。小野田は昔から、薪にはずっと細やかな愛情を注ぎ続けてくれた。
 第九を快しとしない世間の迫害から、薪の早すぎる昇任を嫉む警察内部の政敵から、薪を守ってくれた。あの事件が起きたときでさえその態度は微塵も変わらず、ひたすら薪の身を案じ将来を嘱望し――― 薪にとっては父親のような存在。小野田に受けた恩を返すには、一生かかってもまだ足りない。
 それなのに。

「ぼくは大丈夫だから、早く帰りなさい。休めるときに休んどかないと、後悔するよ。次の休みはいつあげられるか、分からないんだから」
 薪はうつむいて、顔を伏せた。
 小野田の顔を見ることができない。恩人をここまで裏切る自分の非道さに、不誠実さに涙が出そうだ。
「どうしたの? 薪くん。何かあった?」
 心配そうな声が、薪の心を痛ませる。良心の呵責に耐えかねて、思わず踵を返したくなるのを、両足を踏ん張ってこらえた。

 大きく息を吸う。
 目蓋の裏に、真っ直ぐに自分を見ていた黒い瞳を描く。自分に注ぎ込まれた、彼の愛情を思い出す。
 僕はもう、迷わない。

「すみません! 僕は青木と別れられません!」
 目を瞑って腰を折り曲げ、お辞儀と一緒に叫ぶように謝った。勢いを付けないと言い出せないし、小野田の悲しそうな顔を見てしまったら、また決心が鈍ってしまう。
 そのまま床に膝をついて、薪は深く頭を垂れた。
「僕では、お嬢さんを幸せにはできません。どうか、僕と美和子さんの結婚は白紙に戻してください!」
 厚い絨毯の上は柔らかくて、正座した足には痛みもなく、それは薪をますます心苦しくさせた。絨毯に額を触れ合わさんばかりに近づけて、薪は床に向かって一気に喋った。
「どんな処分でも受けます。小野田さんの気の済むようにしてください。地方にとばされても文句は言いません。精一杯勤めさせていただきますから」

 額ずいたまま、小野田の審判を待つ。
 何を言われようと、反論はしない。どんな罰でも甘んじて受ける。だけど、小野田が一番望むことは叶えてやれない。

 さすがの小野田も言葉を失ったらしく、部屋は一時、静寂に包まれた。
 沈黙が重い。重みで押し潰されそうだ。
 このまま潰れてぺしゃんこになってしまえばいい、そうしてこの世から消えてしまえばいい。ともすれば否定的な考えに自分が傾くのを必死で堰き止める。
 もう、逃げないと決めた。この身体の奥には、彼に分けてもらった勇気が詰まっている。

 息を殺して重圧に耐えていた薪の耳に、やがて小野田の硬い声が響いた。
「家庭の事情で悪いんだけどさ、実はぼく今、ものすごく機嫌が悪いんだよ。はっきり言って、きみの顔を見るのも不愉快なんだ」
 当たり前だ。
 小野田からすれば薪の言い分は、『あなたの娘と子供は作ったものの、同性の恋人と別れられないから婚約は破棄して欲しい』というものだ。いっそ、殴りかかってこないのが不思議だ。
「出てってくれる? 君の手伝いは要らないから」
 穏やかだが、冷たい声。
 小野田にとってこの状況は、飼い犬に手を噛まれるどころか、大事な娘に噛みつかれ、一生消えない傷を負わされたようなものだ。殺しても殺したりないくらい、薪のことが憎いだろう。
 小野田は、ずっと自分を守ってきてくれたのに。今の自分があるのは、みんなこのひとのおかげなのに。その恩に報いるどころか、彼の社会的な立場にまで瑕をつけようとしている。

 心の中に良識の欠片でもあれば、こんな真似はできない。
 でも、僕は鬼だから。
 人でなしでいい。極悪人でいい。世界中の人に後ろ指を差されてもいい。

 僕は、青木と生きる。

「美和子がさ、きみと結婚するのはゴメンだって」
「は?」
「死んだサカナみたいな目をした男の相手なんか、ゾッとするってさ」
「あの……?」
 床に正座したまま、薪は顔を上げて上司の顔を見た。やってられないよ、まったく、と常にないむくれた表情で吐き捨てて、小野田は行儀悪く頬杖をついた。

「いいよ、もう分かったから。美和子と一緒になって、ぼくを騙してたんだろ」
 小野田の話についていけない。美和子がなんだって?
「きみ、美和子と何もしてないよね」
 本当のことを言っていいものかどうか判断がつかずに、薪は口を噤んだ。
「君が父親だとすると、美和子と会って1ヶ月足らずで子供ができたことになるだろ。そんなに上手くいくものかと思ってね。で、娘に訊いてみた」
 確かに可能性は低いが、それでもゼロとは言い切れないはずだ。美和子はシラを切りとおすことができなかったのだろうか。

「そしたら美和子がね、ベッドの中の君はすごいからって言ったんだよ。何回も続けてできるし、とても自分より12歳も年上には思えない。あれなら子供もできて当たり前だって。
 きみがあっちのほうはサッパリなの、ぼくは知ってるからね。すぐにウソだって分かったよ」

 そんなとこからバレたのか!?
 しまった、言っておけばよかった。僕はあっちのほうはめちゃめちゃ弱くて、3ヶ月に1回くらいが関の山、続けて二回なんてとてもムリ、って言えるか!!!

「問い詰めたら白状したよ。あの男の子供だとさ」
 無理矢理別れさせられたと言っていた、殺人者を兄に持つ、美和子の本当の恋人。
 気弱そうな彼の顔を脳裏に浮かべ、その写真を自分に見せてくれたときの美和子の笑顔を思い出して、薪は眉根を寄せた。
「小野田さん。祐二くん自身には、何の罪もありません。罪は加害者のみに課せられるものであり、親族に波及するものではない。それを小野田さんが身を持って証明されることは、決して官房長の名に恥じることではないと、僕はそう思います」
 差し出がましいとは思ったが、美和子の恋を応援してやりたい。
 自分と同じように、日向に出ることの叶わなかった彼女の苦しみは、薪には痛いくらい伝わってきた。彼女たちの障害は、小野田だ。彼の心を少しでも懐柔してやれれば。

「分かってるよ、そんなこと。きみに言われるまでもない。正直に言うとね、あの男、頼りないだろ。そっちのほうがイヤだったんだよ。それに、美和子にはどうしてもきみと結婚して欲しかったし。卑怯だとは思ったけど、彼のお兄さんのことを利用させてもらったんだ」
 小野田は一見やさしそうに見えるが、非情な策略家の顔も持っている。自分の目的を達成するためなら、使えるカードは徹底的に利用する。このひとが本気になったら、本当に怖いのだ。

「薪くん。きみも覚悟しときなさいよ。ただじゃ済まさないからね」
 小野田に向けられた初めての敵意に心が凍りつくのを感じながら、薪は殉教者のように何もかもを受け入れる覚悟を決めた。
「はい。存分に処罰してください。僕は小野田さんとの約束を守ることができませんでした。それだけでも、万死に値すると思っています」
「約束って?」
「5年前、僕と青木の関係に、小野田さんが執行猶予をくださるって。執行猶予の最長期間は5年ですよね、って僕が言ったこと、覚えてらっしゃいませんか」
 小野田が限りない寛容の心で自分たちを見逃してくれたとき、薪は小野田に『5年もあればお釣りがくる』と請合った。それを反故にするのだから、制裁は当然のことだ。

「薪くん。きみ、刑法、一から勉強し直してきなさい」
 小野田は手元の書類に視線を戻し、細めた目で文字を追う。その瞳は鋭く冷涼で、無情な管理者の眼でありながら、どこかしらやさしい光を宿している。
「執行猶予期間が満了したら、刑の言い渡しは効力を失う。前科もつかないし。ぶっちゃけ、そこで無罪放免なんだ」
 小野田の宣告に、薪の頭は凍る。
 感情も思考も停止した大脳で、無罪放免という言葉の意味を、薪は必死で思い出そうとする。

『無罪』ってことは、つまりええと……。

「そんなことも解らないなんて、呆れたね。そんなんじゃ、警視監の特別承認はあげられないな。今回の試験は見送りなさい」
「小野田さん。あの、あのっ」
 思わず立ち上がって、小野田の机に駆け寄る。一昨日まで義父として仕えようと心に決めていた上司の顔を、薪は下から覗き込んだ。
「きみには耳がないの?今日はきみの顔は見たくないって言ったでしょ。家に帰って休養する。それだって立派な仕事だよ」
「ありがとうございますっ……!」

 許してくれた、と思っていいのだろうか。
 青木と僕が一緒にいることが、決してマイナスの面ばかりではないと、認めてもらったと思っていいのだろうか。

「礼なんか言われたくないよ。さっさと出て行きなさいよ」
 言葉はとても冷たいのに。小野田の顔つきは、とても苦々しいのに。薪の頬はどうしても緩んでしまう。
「失礼します」と頭を下げて、薪は官房長室を出た。
 知らず知らず、早足になる。弾むような気分のままに、薪は走り出していた。甲高い革靴の音が廊下に木霊する。

 早く帰って、青木にこのことを知らせてやりたい。
 小野田さんが僕たちのことを認めてくれたと考えるのは都合が良過ぎるとしても、別れなさい、とは言われなかった。執行猶予が切れたら無罪だ、と言った台詞の裏側は不明だが、美和子との結婚は無くなったし、「青木と別れない」と言い切った薪に怒りを見せることもなかった。

 警察庁の門の前で、薪は足を止めた。
 逆光線の太陽をバックに、見慣れたシルエット。世界一愛しい、恋人の姿だ。
「どうして」
 薪がここに来たことは、青木は知らなかったはずだ。薪も言わなかったし、青木も聞かなかった。不思議そうに尋ねる薪に、青木は無邪気に微笑みを返す。
「小野田さんから電話をもらいました。1時間もしないうちに薪さんが警察庁を出るから、家まで送ってくれって」
「小野田さんが? おまえに?」
 薪の前で、小野田が電話を掛けた様子はなかった。ということは、薪が警察庁に入る前に青木に連絡を入れたのだ。
 おそらくは薪がこの門をくぐるのを見て、自分の部下が何をしに休日の職場を訪れたのか、小野田は瞬時に理解したのだろう。その上で、青木に電話をしたということは。

 全身を震わすような歓喜に矢も盾もたまらず、薪は恋人の胸に飛び込んだ。戸惑いながらも、青木がそっと腕を回してくる。渾身の力でしがみつく薪に、やがて青木の腕にも力が入る。
 しっかりと抱き合ったとき、薪の頬の辺りがブルブルと震えた。青木の胸ポケットで、携帯電話が鳴っている。

『青木くん。薪くんを送ってくれとは言ったけど、抱き合えなんて言ってないよ。離れなさい』
 携帯から、小野田の声が聞こえた。
 薪は泡を食って青木から離れ、仰ぎ見て小野田が窓からこちらを見ていたことを知る。
 官房室の窓から、シッシッと追い払うように手を振る小野田の表情は遠くてよく見えなかったが、苦笑してくれているかもしれないと楽観することにした。

 はるか上空の寛大な上司に深く頭を下げて、ふたりは警察庁を後にした。






テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

タイムリミット(17)

タイムリミット(17)





 7月の日差しに焼かれて、白いチャペルが眩しく輝いている。
 黒塗りのレクサスが滑るように入ってきて、式場のエントランスに乗客を降ろした。車を運転していた亜麻色の髪の青年は、駐車場に車を停めると急ぎ足で式場に入った。素早く目を走らせて、花嫁の控え室に向かう。
 彼は、両手に大きな薔薇の花束を抱いている。赤い薔薇は彼の美貌を引き立て、華やかさを添えていた。

 たくさんの花に囲まれた今日の主役は、椅子に腰掛けて2,3人の友人と話をしていた。薪の姿に気付いて、驚いた顔をする。気遣いのできる友人たちは、自然に席を外してくれた。
「おめでとうございます、美和子さん」
「ありがとう。みんなあなたのおかげよ」
 彼女の花嫁衣裳は、ウエストのゆったりとしたドレープタイプ。裾引きのスカートもヴェールもなく、靴はシンプルなローヒール。それでも充分優雅で美しかった。

「ていうか、あなたの残念な下半身のおかげよね」
 ……式場にバクダン仕掛けたってガセ電入れてやろうか、コラ。

「美和子さんが勇気を出して、小野田さんに本当のことを言ってくださったから。その気持ちに、小野田さんも応えてくださったんだと思います」
「娘のわたしが、一番にお父様を信じなきゃいけなかったのにね」
「いいえ、僕が脅しつけるようなことを言ったから。人との信頼においても、真実に勝るものはないんですね。捜査官の基本を忘れてました。恥ずかしいです」
「だけど、この子が無事に生まれてこれるのは、本当にあなたのおかげよ。あの時あなたに気付いてもらわなかったら、わたし、ひとりで先走ってたかもしれない。感謝してるわ」
 きれいに化粧された美和子の表情は、今までと違った小野田家の父娘の関係を薪に伝えてきた。それは薪の心を温かくさせ、自分がやらかしたあれやこれやの失敗も、まったくの無駄ではなかったのかもしれないと思わせた。

「彼のお兄さん、執行猶予がついてよかったですね」
 美和子の結婚相手の兄が起こした致死傷害事件は、実刑4年、執行猶予5年という判決が出た。もともと被害者側から仕掛けた暴力を伴う挑発に乗せられたものであり、被告人に殺意は無く、深い俊悔が見られ、相手が素行に問題のある人物だったことも考慮され、殺人という事実がありながらも寛大な裁きが降りた。
「お父様が、とびきりの弁護士をつけてくれたから」
「小野田家のお抱え弁護士ですか。検察の苦い顔が浮かびますねえ」
 長年の経験から司法制度の裏側に詳しいふたりは、ふふ、と笑う。
 ほんの一時、自分の婚約者だった女性と微笑み合いながら、薪は彼女の幸せを心から祝福していた。

「剛さん。本当に、ありがとう」
「こちらこそ。おかげさまで、大事なことがわかりましたから」
「真実に勝るものはないってこと?」
 いいえ、と首を振り、薪は初めて美和子の前で満面の笑みを見せる。アイラインに縁取られた鳶色の瞳が、ひゅっと小さくなって彼女の驚きを表した。

 ふたりの間にある薔薇の花束の、すべての蕾が一斉に開いたかのような麗しさと眩しいほどの美しさ。こんな彼を見たことはない、と彼女は思った。
「僕は、あいつがいないと生きていけないみたいです」
「……結婚式3時間前の花嫁にノロケかますって、どーゆーひと?」
「いや、ノロケじゃなくて事実って言うか、あれ?」
 自分が言った台詞に照れて、薪は少し頬を赤くすると、美和子に花束を押し付けて控え室を出て行った。
 ひとり残された花嫁は、だいぶせり出してきたお腹をさすりながら、低い声で呟く。
「この子の名前『ツヨシ』にしたら、祐二さんが妬くかしら」



*****




 親族の挨拶ラッシュを済ませた後、小野田は喫茶室の窓際の席で紅茶を飲んでいた。
 一般客の来訪までには、まだ時間がある。ここらで一息入れないと、途中でへばってしまいそうだ。
 
 たった今会ってきた娘の夫となる人物に、小野田は心の中で舌打ちする。何の取り得もないつまらない男。薪の才覚の3割でもあれば、もう少し歓迎してやるのだが。
 しかし、薪が彼に敵わない一面も確かにある。美和子のあんな笑顔を引き出せるのは、彼だけだ。

「めでたい日だっていうのに、そんな辛気臭い顔するなよ」
 断りも無く向かいの席に腰を降ろした熟年の紳士が、気安い口調で小野田に話しかけてくる。洗練された動作で小野田と同じものをオーダーし、スマートに足を組む。
「花嫁の父親なんて、みんな複雑なものさ。おまえだけじゃない」
「まあね。娘はあと二人、残ってるしね」
 美和子の籍は、相手の家に入ることになった。執行猶予がついたとはいえ、犯した罪が消えるわけではない。彼は、小野田家に相応しい人間ではないのだ。

「そうだよ、おまえはいいよ。僕なんか、加奈子が嫁に行くときのことを考えると。あー、ダメだ。やっぱり別れさせてやる、あのふたり」
「手を切らなきゃいけないのは、おまえの方だろ。こないだの男の子、しつこそうだったぞ」
「後腐れのない相手を選んでるつもりなんだけどさ。たまに失敗しちゃうんだよな」
「いい加減にしなさいよ。終いにはアラスカ支局へ飛んでもらうよ」
 おどけた調子で小野田の気を引き立てようとしてくれる親友に心の中で感謝しつつも、口では辛辣な応えを返す。官房室付首席参事官の中園とは、幼馴染みの腐れ縁。ありがとう、なんて口が裂けても言いたくない。

 寒いところは嫌だ、どうせならハワイにしてくれ、などと減らず口をたたき続ける親友の話を聞き流して、小野田は手入れの行き届いた庭園を駐車場に向かって歩いていく人影に目を留めた。
 亜麻色の短髪をなびかせて颯爽と歩くその姿は、すれ違う人々を思わず立ち止まらせる。駐車場の方からやってきたカップルが、仲良く彼に見とれつつその傍らを過ぎたとき、彼はふと足を止め、ポケットから携帯電話を取り出した。着信画面を見て、ふわりと微笑む。
 何を話しているのかは知らないが、彼の瞳はキラキラと輝いていて。その表情は、限りなく幸せそうで。ちょうど彼の後ろには、庭園の奥に設置されたチャペルがあり、折りしも鐘の音が流れて――― まるで、ブライダルサロンのCMを見ているようだ。

「あの10分の1でもいいから、幸せな顔をしてくれてたらなあ」
 小野田の独り言を耳にして、中園がこちらに身を乗り出してくる。小野田の視線の先に薪の姿を見つけて、皮肉な口調で彼を揶揄した。
「まったく、顔に出やすい子だね。プリップリの頬っぺたしちゃって。ありゃあ昨夜、たっぷり若さを注ぎ込まれた顔だな」
「やめてよ。想像しちゃうじゃない。考えたくないよ、ぼくの薪くんがそんな」
「いっそ、アラスカに飛ばしちゃえば? 青木くんのこと」
「どこに飛ばしたって無駄だよ。離れていても心はひとつです、なんてクサイ台詞を真顔で言われるのがオチだよ。ごめんこうむるね、彼らのノロケ話を聞かされるなんて」
 薫り高いダージリンティーを口に運び、小野田は気分を落ち着かせようとする。同時にカップを取り上げた中園が、右手を宙に浮かせたまま小野田の顔を見据えた。

「分かってたんだろ? 最初から」
「まあね」
 カップをソーサーに戻し、正直に親友の質問に答える。昔から中園には、小野田の嘘が通用しなかった。
「ぼくは、それでもいいと思ってたんだよ。薪くんにあの嘘を貫いてほしいと願ってた。男女の仲なんて、どう転ぶかわからないしね。周りからできるだけフォローしてさ、時間さえかければあるいは、なんて淡い希望すら抱いてたんだよ。
 でも、当人たちがそれを望まないなら。無理強いするわけにも行かないだろ」
「へえ。おまえって、そんなにヌルイ男だっけ」
 目的のためには手段を選ばない。今の地位を守るために、小野田も一通りのことはしてきた。その中には、人には言えないこともある。古い付き合いの中園には、その辺のことも知られているのだ。

「仕方ないだろ。薪くんときたら、日に日にやつれていってさ。
 口数は減る、ミスは増える。終いには死人みたいな目になって。それでもぼくに気を使って、必死で笑おうとするあの子を見てたら、まるで8年前に戻ったみたいでさ。見ていられなかったんだよ」
「式のひと月前になっても招待状が届かないから。おかしいとは思ってたよ」
「式の予定は変わらなかっただろ。花婿の質は、だいぶ落ちたけど」
 あの男に引導を渡すつもりで薪に預けた第九の職員宛のものを除いて、招待状は小野田の手元に止めておいた。上層部や代議士に発送した後では、何があっても取り消せなくなる。
 念には念を入れて、行動は慎重かつ大胆に。小野田の戦法は、今回も効を奏した。小野田自身にとっても、苦い戦果となったが。

「薪くんにはガッカリだよ。たかが男と切れたくらいで、あんなにダメダメになっちゃうなんて。どうもあの子は、色恋に左右されすぎるっていうか」
「それだけじゃないだろ。みんなに嘘を吐いていることも、おまえを騙してることも、心苦しくして辛かったんだろうよ」
 おまえなんかに言われなくても分かってる、と小野田は心の中で舌打ちする。20年も前から見てきたのだ。薪の清廉な性格は、嫌というほど知っている。
 
 5年も前の約束なんて、忘れてしまう人間が殆どだろう。それを覚えていたばかりか、履行できないことで自分を責め、万死に値すると覚悟を決めて正面から謝罪にくるなんて。
 あの時は、本当に頭にきた。
 バカにつける薬はないというか、バカは死んでも治らないというか。いっそ豆腐の角に頭をぶつけて、そのまま豆腐に埋もれてしまえ、と叫んでやろうかと思った。

「純粋すぎるんだよ。あの子は」
 苦笑を洩らしつつ、中園が薪を庇う。きれいな男の子が大好きな彼は、何かと薪には甘いのだ。もちろん、薪の能力を高く評価した上での甘さだが。
「厄介な性質だね。その上頑固とくれば、もうお手上げだよ」
 もっとしたたかになってくれないと、自分の跡を継がせられない。自分のために他人を利用する術を覚えないと、この先は上っていけない。警察というところは、そういうところなのだ。
「先が思いやられるよ。今のままじゃ、とてもぼくの後釜には据えられない」
「よく言うよ。薪くんがもっとスレた子だったら、手元に欲しいなんて思わなかったくせに」
 小野田の言葉の裏側を、中園は見事に言い当てる。
 悩みの種とぼやきつつも、小野田は薪の純粋さに惹かれている。彼のような人間が伸び伸びと仕事ができる職場こそ、小野田が理想とする警察機構だ。自分は、それを創るための礎になる。

「今回の試験、見送らせたんだって?」
 一連の欺瞞の責任として薪に下した罰について、中園は早くも聞き及んでいるらしい。ああ、と軽く頷いて、小野田は厳しい口調を崩さずに言った。
「あの天然記念物指定が取れないうちはね。薪くんに警視監の試験は受けさせないよ」

 薪にこの処分を言い渡したときも、小野田はとても不愉快な思いをした。
『そんなことでは、僕の気がおさまりません。どうか、もっと重い処分を』
 そんなこと?
 警視監の受験資格を取り消されることが、『そんなこと』か。いったい、何人のキャリアが警視監になれると思っているのだ。何千人にひとりというその価値を、彼は分かっていないのか。
 血反吐を吐く思いをして、大事なものをたくさん切り捨てて、みんなここまでのし上がってくるのだ。無論、小野田もそのひとりだ。
 それを、『そんなこと』とはなんだ。小野田にしてみれば、あの背が高いだけで碌な能力もない道端の石ころのような男との絆のほうが、よっぽど『そんなこと』だ。
 小野田がそのことで薪を叱り付けると、薪はしゅんとうなだれて、すみません、と素直に謝った。充分に重い処罰と端からは見えるのに、本人はちっとも堪えてない。常識知らずの薪がきっとまた、「小野田さんが手心を加えてくれたんだ」などとあの男に説明するのだろうと思うと、はらわたが煮える思いだ。

「賢明だね。薪くんの性格じゃ、警察庁中引っ掻き回されちまうだろうな」
 警視監の昇格試験は、超が5つほど付く難関で突破したものは数えるほどしかいない。
 元来、昇格試験の目的は人員を篩いにかけることだから、ここまで階級が上がると受験の意味はなく、上層部の推挙によるものが殆どだ。今までの実績から鑑みて、薪には充分その資格があり、この上試験まで合格されると、彼を昇任させない理由がなくなってしまう。だから見送らせたのだ。
「おまえにはもう少し、ぼくの所にいてもらうことになりそうだよ」
「どうやら、先は長そうだな」

 ふたりの紳士の視線の先で、薪は電話を終えて携帯をポケットにしまうと、弾んだ足取りで駐車場へ歩いていった。細い後姿はしゃっきりと伸び、人類の希望と未来を背負っているかのように生気に満ちていた。
 薪の元気な様子は、小野田を微笑ませる。
 あれほど彼の言動に腹を立てていたはずなのに、薪の幸せそうな様子を見ていると、やはり嬉しくなってしまう。これが『デキが悪い子ほど可愛い』という心理か、と小野田は自嘲した。

「あーあ。あの子に『お父さん』て呼ばれたかったなあ」
「女々しいね、おまえも。スッパリ諦めろよ」
「おまえにぼくの気持ちは分からないよ。ぼくはね、20年も前から薪くんのことを」
「はいはい。後でゆっくり聞いてやるから。ほら、出番だぞ」
 喫茶室の入り口で、担当の係員が小野田に頭を下げる。集合写真の撮影準備が整ったのだろう。
「やれやれ。花嫁の父もけっこう忙しいね」
 片手を上げてそれに応え、親友に小さく愚痴って、小野田は立ち上がった。



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タイムリミット(18)

 しばらくの間、ご挨拶もできずにすみませんでした~。

 実は、オットが尿管結石を患いまして。
 22日に左の背中が痛くなって、近くの内科に掛かったんですけど、理由が分からず胃腸の薬と痛み止めを貰って様子見。 翌日は祝日で、病院がお休みだったので、24日の木曜日に大きな病院へ行ってCT撮って病名が判明しました。
 内臓の病気じゃないから心配要らないよ~、膀胱のすぐ傍まで下りてるから今日か明日には治るよ~、とお医者さんに言われて、薬と痛み止めを貰って帰宅。
 でも、金曜の夜になっても痛みは止まらず……痛み止めも3時間くらいしか効かなくて、残りの18時間は「痛い」と「すごく痛い」が周期的に繰り返されるそうで、夜も熊のように寝室をウロウロと歩き回っておりました。(痛くて眠れないのと、横になっているより立っていた方が痛みが和らぐらしい)
 土曜の夜には痛みがMAXになってしまって、救急病院へ連れて行きました。 田舎に住んでるもんで、車で50分くらいかかるのですけど、四の五言ってられない状態で~~、
 これ、本当にただの結石なの? もう5日だよ、長すぎない? 他の病気なんじゃないの?
 とか考えてしまって、けっこう焦りました~。 休日だから専門医がいないし~~、祝日、土、日に病気になるのは困りますね。

 結局、石は日曜日の夕方に飛んだらしいのですが、おかげで月曜日は仕事がパンク状態!!! そりゃそうだよ、この時期に5日もサボっちゃったんだもんっ!

 うがーっっ!! と心の中で叫びながら仕事を片付けていたのですが、友人に言われて気付きました。 
 もしもお勤めに出ていたら、日中、何度も病院に連れて行ったり、オットの世話を焼いてあげることもできなかったのだろうなって。 今の社会では、それは贅沢とも言えることなんだなって。
 大事なひとが苦しいときに傍にいてあげられる自由があるのは、幸せなことなんですね。

 そういう気持ちで溜まった書類を見れば。
 やっぱり「うがーーーっっ!!」ってなる★ ←ダメ人間。



 さーてっと。
 お話の方は、残り1章ですね。 次のエピローグでおしまいです。
 まきまきさん、サクサク終わっちゃってすみません~。 お詫びに、次は『言えない理由 sideB』を公開しますので。(^^) (←イタイすずまき話。 死者に鞭打つとか言われそうだ)
 
 
 





タイムリミット(18)




 夕食の話題は、一通の葉書だった。
『男の子が生まれました』とホップな文字で飾られた写真付の吉報に、薪はその夜、とても機嫌が良かった。

「賢そうな子ですね」
「美和子さんの子だからな。我が儘に育つんだろうな」
「祐二さんに似れば、やさしい子になると思いますけど」
 にっこりと笑った仲の良さそうな夫婦の間に、白い産着に包まれて母親の腕に抱かれる赤子の姿がある。丸々と太った赤子の後ろには、命名『祐輝』と書かれた掛け軸。

 子供の名前は、実は薪がつけた。
 生まれてくる子供に薪の名前を付けたいという夫婦の申し出を、薪は固辞した。それは彼らの感謝の証であったけれど、薪は美和子と婚約していた事実がある。期間は3ヶ月足らずだったし、世間的に見て薪はただのアテ馬だったわけだが、それでも誤解を受ける恐れがあるからと丁寧に断ったのだ。
 薪に相談されて、青木も一緒に子供の名前を考えた。青木がいなかったら、この子は古典的な名前になっていたかもしれない。
 というのも、子供の名前を考えるのは存外大変な作業で。名前の響きだけでなく、漢字の意味やら画数やら果ては運勢まで、考えすぎて煮詰まってしまい、「もう太郎でいいだろ」と言い出した薪のテンションを何とか上げて、この名前に落ち着かせたのだ。

 美和子の結婚式から4ヶ月が過ぎて、季節は晩秋を迎えていた。
 来月、1年の終わりの月に、薪は43歳の誕生日を迎える。その美貌は相変わらずで、年齢を聞くと我が目を疑いたくなる。ひいき目に見ても20代前半、下手をしたら高校生だ。このひとの成長ホルモンは、一体どうなっているのだろう。
 肌理細やかな肌。薔薇色のくちびる。長い睫毛と大きな瞳。この顔で43というのは、ある意味犯罪だ、と青木は思う。
 見れば見るほど惹きつけられて、魅せられて。年月と共に色褪せるどころか益々あでやかに、咲き誇る花のような魅惑を発するようになってきた。静謐な白百合を思わせる佇まいは変わらずとも、時おり見せる真っ赤な薔薇のような妖艶さ。誘惑に満ちた色濃いフェロモンを、今もその身体に漂わせていることを、本人は気付いているのかいないのか。

 さりげなく外された胸のボタンに、前髪をかきあげる細い肘の角度に、知らず知らず煽られて。下くちびるをぺろりと舐めた小さな舌の赤さとその動きに、我慢ができなくなった。
 青木の向かいで葉書を持っていた薪の手を、そっと握る。
 若い恋人の欲情のタイミングを計りかねている薪が、訝しそうに青木を見た。
「今夜、いいですか?」
「今日は約束の日じゃないだろ」
「お願いします。1度だけでいいですから」
「嫌だ、面倒くさい。セックスなんて、1年に1回もすれば充分だろ」
 ……間隔が延びてる。そのうちオリンピックみたいに、4年にいっぺんとか言い出すんじゃないだろうか。

 生まれつきこちらの方面には興味が薄い薪は、大昔のおかま帽を被った探偵が出てくるDVDを見たり、ネットで次のデートプランを練ったり、夜はそんな風にして過ごすのが好きなのだ。薪に合わせられるのは、70歳くらいの煩悩から解き放たれた世代の人間だろう。青木がそこに到達するまでには、あと40年くらい掛かりそうだ。
 仕方ない。いつもの手でいくか。

「じゃ、キスだけ」
 薪はキスが大好きで、どんなに機嫌が悪いときでもこれだけは許してくれる。
 仕方ないな、という表情でこちらを向き、光線の関係で青みがかったようにも見える目蓋を閉じてくれる。
 頬に手を添えて上向かせ、艶めいた花びらのようなくちびるにくちづける。自然に開く花弁を押し分けて中の実を舌先で剥き、その甘さに酔いしれる。
 のけぞった顎下から首筋にかけて舌先を滑らせ、可愛らしい耳を甘噛みする。ぴくん、と薪の両肩が上がって、困惑したように眉根が寄せられた。

「あ、青木。キスだけって」
「キスですよ? 誰もくちびる限定なんて言ってないでしょ」
「それはサギじゃ、んんっ」
 詐欺じゃない。
 だって、薪も青木の行動を予想しているはずだから。
 本当にしたくないときは、薪はくちびるを開いてくれない。青木の舌に応えてくれたら、それはOKのサインなのだ。
 誘っても拝み倒しても、素直に頷いてくれない恋人をベッドに連れ込もうと思ったら、こんな回りくどい手を使うしかない。なんて面倒くさい、と他人は思うだろうが、本人たちにしてみれば、これはこれで楽しい。

「おまえってば、ズル……あ、あんっ」
 早くも乱れ始める薪の様子に、青木は自分の行動が正解だったことを知り、密かに安堵する。薪も今日は、その気でいてくれたらしい。このひとは本当に勝手なひとで、これを読み取ってやらないと、あとで機嫌を悪くするのだ。
「ベッドに」
「いつかみたいに、ここでしたいんですけど」
 狭い椅子の上での不自由な愛撫に焦れて、薪が場所の変更を求めてくる。常ならばそれに応じるが、今日はぜひ、以前の感度を取り戻した薪をキッチンで味わいたい。青木は何週間か前から、この機会を狙っていたのだ。
「ね、いいでしょう?」
「イヤだ! 放せ、このヘンタイ!!」
 ドカッと腹に蹴りが入った。後頭部を殴られて、目から火花が出た。
 青木は不承不承、薪を抱えて寝室に移動する。させてもらえないよりはマシだ。

 せめて灯りは点けたままで、ベッドの上で白い肌を味わう。薄く脂肪ののった腰周りや太ももは滑らかで柔らかく、手のひらで擦ると微かな震えが伝わってくる。
 薪の身体は、元の麗しさを取り戻しつつある。まだ完全ではないけれど、ヒップも丸みを帯びてきたし、あばら骨も目立たなくなってきた。
 以前のような手触りを楽しむには、あと3キロくらいかな、などと計算しながら恋人の腰を撫でていると、横向きに寝そべって青木の背中に片腕を回していた薪が、上目遣いのコケティッシュな表情で剣呑な言葉を吐いた。
「おまえ、この頃やたらと僕のケツに触ってくるけど。チカンの練習でもしてるのか」
 恋人を使って痴漢の練習って、何の意味があるんだろう。
「薪さんのお尻ってかわいいから。つい触りたくなるんです」
 青木がそう言うと、薪は思いっきりイヤそうな顔をした。
「ヘンタイ」
 ベッドの中で恋人の身体に触って、変態呼ばわりされるなんて。相変わらず理不尽だ。
 
 そう思っても口に出しては言えないから、青木は行動で不満をぶつける。薪の腰を持ち上げて割れ目に顔を埋め、肉の感触を頬で確かめる。
「止めろ。普通はしないんだぞ、こんなこと」
「オレ、ヘンタイですから」
「あ、や、いやだ。中はダメっ……!」
 指先と舌で薪の秘密をつつけば、たちまち追い詰められた薪が切ない声で啼き始める。足を開かせて裏返し、膝を立てさせて彼のすべてを露呈させれば、もう嫌だとは言わず青木の舌に悶えて腰を捩るばかり。
「キス以外のことも、してもいいですか?」
 耳元で囁くと、今度は素直に頷いて、それは薪が青木を欲しがってくれている状況証拠。押し当てるだけでほどけていく秘部の潤いは、確かな物的証拠だ。

 薪の上半身を後ろから抱きしめて、覆いかぶさるようにひとつになる。急に攻めてはつらいかと恋人の身体を気遣えば、誘い込むような薪の動きが青木を先導する。請われるままに、引き出し押し込み。きゅんきゅんと締め付けて腰を使う薪の中を、右へ左へ掻き回すように打ち込む。
「ひゃんんっ! い、いあああ!!!」
「……鼓膜が破れそうです」
 快楽の虜になった薪の、びっくりするような声。この声を聞くと、薪が本当に感じてくれているのが分かって、前後のことも考えずに夢中で攻め立ててしまう。
「も、ダメ! もうっ!!」
「ちょっ、待ってください。オレ、まだ……!」
「あっ、あっ、あ―――ッ!!」
 しまった、激しくしすぎた。薪はあんまり長持ちしないから、快感を長引かせる工夫が必要なのに。

 くにゃりと薪の身体がベッドに沈んで、顔が枕に埋まった。
 青木を受け入れたままの状態で、薪は間もなく寝息を立て始める。その間、なんと30秒。墜落睡眠も神業の域だ。
「すいません。コレ、どうしてくれるんですか?」
「くか――――」
「ムゴイ……」

 薪はカンペキに元に戻ってしまった。
 我儘も自己中も、皮肉も嫌味も意地悪も。自分勝手なセックスまで、すっかり元通りだ。

 薪本人は何も変わらないのだが、青木には嬉しい変化があった。しばらく前から、青木は自分の自由意思で、薪の家に泊まっても良いことになったのだ。
 美和子との破談が決定的になった、あの日。
「離れたくないです」と普段は言わない我儘をこぼした青木に、薪は説教を始めた。
「泊まりたけりゃ、泊まればいいだろ」
「だって薪さん。前に、そんな半同棲みたいなだらしない真似はダメだって」
「おまえがいつまでもそんなだから、小池に『室長っ子』なんてからかわれるんだ」
 おそらくそれは、自分たちの関係に勘付いている彼の、軽い嫉妬を含めた皮肉だったのだろう。恥ずかしがり屋の薪には、とても教えられないが。
「おまえ、もう30だろ。自分の行動は自分の責任において決めろ。おまえが決めたことについて、僕は何も言わない」
 ベッドの中でそれだけ言うと、薪はいつものように寝入ってしまった。眠る薪を抱きしめたまま、その日青木はとても幸せな朝を迎えたのだ。

 温かい蒸しタオルで薪の身体を清めながら、青木は頬が緩むのを抑えられない。
 自分から誘って奉仕をしてくれた薪よりも、今の薪の方がずっといい。やっぱり薪はこうでないと。
 5年という月日の間に、青木の奴隷根性も骨の髄まで沁みたようで、そんな考えが一般的でないことなど、気にもならない。
 
 チェストからパジャマを出し、海月のようにふにゃふにゃした恋人に着せてやり、布団に包んで床に寝せる。シーツを新しいものに取り替えて、再びベッドに横たえ、首まで包むように布団を掛けてやる。
 明日の朝、薪が爽快な目覚めを迎えられるように。清潔な寝床は夜のうちに設えておく。薪が起きる前には風呂を沸かし、コーヒーの準備をして。ベッドで一緒にコーヒーを飲んでから、薪を風呂に入れて身体を洗ってやって。
 ドレイの仕事は山程あって、薪といる限り青木にはゆっくり休む暇もないのだが、その奉仕のひとつひとつがこの上なく楽しみだ。
 
 つんと澄ました恋人の清廉な寝顔にしばし見惚れ、軽くくちびるにキスを落とすと、青木は薪の雫を含んだシーツを持って寝室を出た。




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タイムリミット(19)

 最後のエピローグです。
 これまでお付き合いくださいまして、感謝にたえません。
 誠にありがとうございました!!






タイムリミット(19)




      エピローグ  ~2068.春 サナギの中~







 幾週も続いた捜査がひと段落ついた週末、薪は幼虫になった。
 
 目が溶けるほど睡眠をとり、パジャマのままでうだうだと食事をし、ゆっくりと風呂に浸かってからまたパジャマを着て、リビングの床に昼寝用の布団を敷いて寝転んだ。ごろごろと寝返りをうち、もぞもぞと動いて布団に頬ずりをし、枕代わりのクッションを抱いて目を閉じた。
 お日さまが高くなる時間まで眠ったのに、またウトウトしてきて、人間は寝溜めはできないけれど永遠に眠り続けることはできるかもしれないとバカバカしいことを思う。とろりとろりと脳が溶けていくような心地よさを味わいながら、意識を手放そうとしたときチャイムが鳴った。

 まったく間の悪い。あいつはいつもそうだ。

 ノンレム睡眠に落ちかかっていたせいで重く感じられる身体を引きずるようにして、薪は玄関に向かう。カメラで来訪客を確認するまでもない、壁の時計はいつも彼がここに訪れる時刻を示している。
 ドアを開けると昨夜まで一緒にモニターを見ていた部下の姿があり、しかしその服装と表情は15時間前とはまるで違っている。ジーンズ生地のラフなダウンシャツにコットンパンツ、髪も洗って乾かしただけで、額に落ちる前髪を左に流している。

「薪さんっ」
 弾んだ声で名を呼ばれ、いきなり抱きすくめられた。外見の相違点以上に彼の行動は職場のものとは違って、それはつまり彼の立場の違いだ。休日の午後にここに来る彼は、薪の部下ではなく、もっと近しい存在だから。
「まだお休みだったんですか? 疲れてらっしゃるんですね」
 パジャマ姿に気付いて気遣う素振りを見せるが、薪を眠りに戻らせてくれようとはせず、立ったままキスをされた。軽く済ませてくれればいいものを、むさぼるように吸い上げられて胸が苦しくなる。薪は無抵抗のまま、相手の腕に身体を預けている。抵抗する気がないのではなく、手足が言うことを聞かない。低血圧で寝起きにはうまく身体が動かない薪の弱点を、相手はよく知っている。
 
 足がもつれて真っ直ぐに歩けないのを見透かされたか、抱え上げられて運ばれ、リビングの布団に寝かされる。覆いかぶさってきた恋人に、弱々しく薪は抗議した。
「疲れてるんだ、休ませてくれ」
「オレもです。さすがに4日目の徹夜はきつかったです」
 薪より12歳も年下の部下は情けない顔で弱音を吐くと、眼鏡を外してローテーブルの上に置き、薪の隣に寝転んで長い腕をこちらに伸ばしてきた。薪の背中の下に手を入れて、横に転がすようにして自分の胸に抱きこむ。薪の髪に鼻先を埋めて、すうっと息を吸い込み、薪さんの匂いがします、と当たり前のことを言った。

「本当は家で休もうと思ったんですけど。お休みが重なったのに、薪さんに会わないなんてもったいなくて」
 もったいない、という表現はおかしいと思ったが、いつもの5%も働いていない薪の脳は状況を的確に表現する言葉を見つけることができなくて、またそれを指摘するのも面倒で、結局薪は検索作業を放棄する。スリープモードの薪の頭を彼がそっと持ち上げて自分の肩に載せるのに、抗うこともできない。
「薪さんだって、こうしたほうがよく眠れるでしょ」
 半身を触れ合わせ、足を絡めるように抱き合う側臥の姿勢。完全な側位ではなく、薪の方は伏臥に近く相手は仰臥に近い。要は相手の身体に薪の右半身を載せるような形だ。その体勢が安眠に適していると推奨する彼を、薪は鼻で笑い飛ばした。
「はっ、女の子の胸ならともかく、男の胸なんて。固いしゴツイし、汗くさ……ぐぅ」

 文句を言い終わらないうちに眠りに落ちていく自分を相手が笑っているのが胸の振動でわかって、それはとても腹立たしいことのはずが何故か嬉しくて。先刻抱えていたクッションより遥かに寝心地の悪い褥が妙に気持ちよくて、薪の意識はあっという間に浮遊する雲間に埋もれた。



*****



 それからふたりはサナギになった。
 リビングの床に敷いた小さな布団の上で、抱き合って丸くなって。

 薪がすやすやと眠る幼子のように安らかな寝息を立てれば、青木は雄大な海のように深いストロークで呼吸をする。ペースも息継ぎの間隔もまるで違うはずのふたりの呼気は、どういう不思議かぴったりと合わさって。それは互いの背中に回した手のひらから伝わる肺の収縮による筋肉の動きのせいかもしれないし、互いの肌に掛かる息の間合いからかもしれない。
 
 寝苦しいと一蹴した褥に、薪は深く深く沈んでいく。薪が辿りついたのは、海の底のような蒼くて薄暗い空間。静かでとても居心地がいい。
 広い空間にたったひとりで、でも全然さびしくない。感じるのは、自分を包むなにか。周囲の空気が、いや、この空間そのものが自分を守ってくれているような気さえする。
 現実の身体は恋人の腕の中で窮屈な形に戒められているのに、ここでの薪は自由に動ける。伸び伸びと手足を投げ出し、遊び疲れた子供のように仰臥して、その解放感に身を委ねた。

 青木は自分の上に乗った快い重みに、安心を覚える。
 薪の身体から力が抜け、すべてを自分に預けてくれる。彼の平穏をこんなに近くで感じ取れる、もしかしたらその一翼を自分が担っているかもしれない。それは彼にとって最大級の喜び。
 現実には布団よりずっと重いものを載せられて苦しいはずなのに、彼は浮遊する自分を感じる。形状の束縛を逃れた彼は、隣で眠る大切な存在に寄り添うように形を変える。
 彼の頭頂部からつま先までを包み込むように身体を広げて、あらゆるものから彼を守ろうとする。だけど現実に守られているのは自分の方だと嫌になるくらい分かっている青木は、せめて彼の眠りくらいこの手で守りたい、と強く願う。

 眠りの波形の頂点で時折、薪はぼんやりと目を開ける。うつらうつらとした時間が10時間以上も続いていれば、眠りも浅くなって当然だから、それは幾度も繰り返される。
 その度に亜麻色の瞳に映るのは、見慣れた男の顔。ガキくさくてマヌケで、だけど何故か薪の胸をあたたかくする。温まったこころとからだに眠気を促され、薪は再び目を閉じる。穏やかに寄せてくるやさしい波にその身をさらし、攫われる快感を楽しむ。

 隣にいる美しいひとのことが気になって、青木は時々目を覚ます。眠っている最中にも薪のことが頭から離れなくて、愛しいと強く思った瞬間、彼の眠りは破られる。
 目を開けると、目蓋を閉じた薪の顔が至近距離で寝息を立てていて、その美しさと安らかさに青木は至上のよろこびを覚える。
 深い眠りを要求する若い体の欲求に負けて、青木はすぐ目を閉じる。目蓋の裏に、たった今見た天上の美をのせて。

 そうしてふたりで寝息を重ね、互いの眠りを深くして、静かで平和な時を過ごす。
 せっかくの休日なのに、新緑が見ごろの爽やかな気候なのに、昼間から眠ってしまうなんてつまらない連中だ。そんなふうに評されても反論できない彼らの休日は、実は最高に満たされていて、その満足感は彼らにしかわからない。
 普段から時間に追われている彼らにとって、滅多に過ごせない怠惰な時間はとびきりの贅沢だ。それを一緒に味わえることの幸せ。意識はなくても、この世で一番望む相手が隣にいることをふたりは知っている。彼らの穏やかな眉目と安心しきったリズムで打つ胸の鼓動が、その事実を物語る。

 閉ざされた空間で、彼らだけの世界で。彼らにしかわからない幸福は、だれに認められずとも確かに存在する。
 サナギの中で眠り続ける、幼虫たちの幸福。



*****



 ふわりと水面に浮かび上がるように眠りの海から放たれた彼らは、目の前で互いの目がゆっくりと開くのを見た。

 最後の寝息を同時に吐き終え、同じ瞬間に目蓋を開いて、直後に見るのは夢の中ですら見ていたいと思う愛しい顔。
 ああ、なんて幸せなんだろう、と青木は思い、昼寝をすると頭が痛いと薪は愚痴る。低血圧の薪は、寝起き時は機嫌が良くない。
 コーヒーでも淹れましょうか、それとも風呂を炊てましょうか、と気遣う青木に、薪は額を押さえつつ、青木、と不機嫌そうに呼びかけた。
「両方ですね、はいはい」

 薪をそこに残して起き上がろうとするのを、薪の腕が青木の肩を抱いたまま、それをさせない。さては抱き上げて椅子に座らせろ、あるいは風呂まで運べ、という薪お得意の無言の命令だと悟って、青木は恋人の細い身体をソファに座らせる。
「風呂が沸くまでここで待っててくださいね。只今、コーヒーをお持ちしますから。……薪さん?」
 青木がそう言っても、薪の腕は青木の首に絡んだまま。不思議に思ってかれの名を呼ぶと、薪ははんなりと微笑んで、
「僕たち、一緒に暮らそうか」

 薪の科白に、青木は言葉も出ない。薪は強烈に寝ぼけるタイプだが、ここまでボケたのは初めてだ。
 なにか悪いものでも食べたのだろうか。熱もないみたいだし……あれ? 今日ってエイプリルフールだっけ?
 いや、違うな。今年のエイプリルフールはもう済んだ。
 
 青木は毎年、第九の先輩たちに悪質な冗談でからかわれるのだが、今年は特にひどかった。異動の辞令を偽造して、それぞれに餞別の袋を青木に手渡した。雪子にいたってはお別れの花束まで贈ってきた。副室長の岡部が『ロンドンへ行ってもがんばれよ、青木』と肩をたたき、薪は『どこへ行っても第九の誇りを忘れるな』と感動的な台詞を吐いた。青木は、薪やみんなと離れるのがイヤで思わず涙をこぼしてしまい―― 次の瞬間、全員が床に突っ伏して笑い転げた。
 今年こそは騙されまいと気張っていたのに、人事部長の承認印まで偽造するという念の入ったイタズラにやっぱり引っかかってしまった。宇野の仕業だろうが、ものすごく精巧にできていたのだ。

『一緒に暮らそう』なんて、薪がそんなことを本気で言ってくれるわけがない。付き合い始めて6年目、アイシテルの言葉さえ彼の口から聞いたのは片手に余るほど。引き換え「バカ、マヌケ、役立たず」などなど、罵倒のセリフは千回をとうに超えた。そんな生活を8年も送っていれば、どんな天使だってひねこびる。
 オレってけっこう可哀相、だけど世界一の幸せ者だという自信もある。その二つの評価は青木の中で矛盾しない。
 ここでカンゲキする素振りを見せたらこの感動をぶち壊し、粉々に砕いて楽しむ薪の非道な性格を知っている青木は、薪が『冗談に決まってるだろ、バカ』と言ってケラケラ笑い出すのを待っていた。しかし、薪は動かない。
 ずい分タメが長いな、もしかしてまた眠ってしまったのかな、じゃあ今のは寝言?
 意地悪説から寝ぼけ説に傾きかけた青木の耳に、ようやく薪の声が聞こえた。

「いっしょにいよう。ずっと」

 素直でストレートな飾らない言葉。青木の首に顔を伏せて、薪の表情はわからない。だけど彼の声は、やさしさと好意に溢れていて。まるで動物たちに話しかけるときのような、むかし親友の写真に話しかけていたときのような、自分の耳には馴染みの薄いその響きを、青木は全身で感じ取った。

「はい」

 それ以上、言葉が出なかった。
 壊れた言語機能は放棄して、青木はソファに座り薪の身体を自分の膝に乗せ、ぎゅっと抱きしめた。やわらかい薪の頬が青木の頬に触れて、その夢のような感触に自分はまだ夢の中にいるのかと妙に納得し、次いでやっぱりそうかと苦笑する。

 まどろむ春の午後に青木が見るのは、夢の夢、夢のまた夢。
 夢でいいから永遠に醒めるな。



*****



 その夜、ふたりは一緒に羽化した。
 欲望に大きくからだを膨らませ、その圧力で蛹殻を破り、翅脈に愛情を送り込んで思う存分羽根を広げた。
 誰にも邪魔されない秘め事の愉しみに、ふたりはクスクス笑いながらお互いのからだを探りあう。表も裏も中も外も、余すところなく触れ合わせて。

 青木の膝の上に跨るようにして、彼の腕の中にすっぽりと包まれる、それは薪がいちばん安心して快楽に浸れる体勢。
 周囲に回された腕に自分を守ろうとする意志を感じる、でも本来守護者になるべきなのは自分の方だ。だから薪は彼の腕をほどき、青木のからだを横たえて彼の快楽に奉仕する。
 そうして彼の官能を深める努力をしつつ、自分もまた彼と同じ感覚を味わい。彼とつながって溶け合う場所から生み出されるうねるような煽動に、我を失いそうになる。やり過ごそうとして、しかし能わず、結局はその衝動に身を任せ、溺れ。
 制御の利かなくなった薪に気付き、青木は半身を起こして快楽に耽る彼を愛おしそうに抱きしめる。羞恥心からかプライドからか、自分を抑えようとする薪もかわいいが、流されてしまう彼はもっとかわいい。

 消し飛んだ理性の残骸が自分を抱く恋人の腕を感じ取り、薪は夢中で相手の背に爪を立てる。身体中に満たされたエナジーが、解放の瞬間を待っている。
 悲鳴にも似た声と共に渾身の力で相手を抱きしめ、自分の中で大きく脈打つ彼を認識した瞬間、薪は自分のからだがぱっくりと割れてかれを包み込むような不思議な感覚を覚える。自分は青木の腕に抱かれ、彼に愛されながらもこうして彼を満たすことができる。昔のように受けるしか能のない愛玩人形ではないと、今の自分の在り方を自覚する。

 振り返ってみれば、と薪は思う。
 僕はずっと、殻に閉じこもった蛹だった。
 自分を縛る様々な制約、でもその多くは自分自身が作り出したもので、自分が強くなれば何ということはない、明日からでも破れる呪縛。

 青木のため、彼の将来のため、彼の親を泣かせたくない、そのことで彼を苦しませたくない。青木との関係を否定する理由はいくらでも思いついたけど、自分はあくまで青木のことを思って彼と距離をおこうとしているのだと自分に信じ込ませようとしていたけれど。そんなものは欺瞞に過ぎない、僕はそんな立派な人間じゃない。鈴木みたいに本気で他人を思いやれるような人間になろうとしたけど、結局はなれなかった。
 青木の未来を奪うのが怖かった、自分自身そう思い込んでいたけれど、底の底まで自分の心を探れば、そこにいたのはただの臆病者で。要は、自分が周りの人間に謗られるのが怖かっただけだ。いつも一緒にいたい、一緒に暮らしたいという互いの気持ちを拒んでいたのは、それだけの理由だった。

 青木はとうの昔に、僕に自分の人生を預けてくれていた。僕はとっくにそのことに気付いていた。この男は僕のためなら命を懸ける、そう分かっていた。
 だけど、僕には自信がなかった。もしものときには世界でたったふたり、他に味方は誰もいなくなる。あらゆる弾劾から彼を守り、人生のすべてと引き換えにして余りあるほどの幸福を彼に与える、そんなことが自分にできるわけがないと思った。
 そんな理由から、僕は常に逃げ道を用意していた。いつ別れてもいいように、傷が最小限に抑えられるように、予防線を張っておいた。愚かな僕。

 目の前の問題から逃げることばかり考えていた卑怯でちっぽけな僕を、青木はずっと愛し続けてくれた。さんざん迷って堂々巡りを繰り返して、転んで起き上がって歩き出してまた転んで、そんな不器用な僕を、青木は辛抱強く待っていてくれた。
 僕は転んでできた傷の分だけ痛みを知って、起き上がった回数分だけ強くなった。そうして辿りついた解は、ひどく単純で明確な真実。

 例えるなら、僕たちは一対の羽根。どちらが欠けても飛べない。
 一生カゴの中で飛ぶことを知らなくても鳥は生きていけるけど、それは鳥にとって本当の生じゃないように、僕たちにとっても離れて暮らす人生は人としての生じゃない。偽りの心を抱き続ける人生は、消費するだけの生に過ぎない。

 こんな簡単なことを悟るのに、こんなに時間が掛かったのかと思うと自分に呆れるけれど、もっと早くに気付けばよかった、今までの時間を無駄にした、などとは思わない。きっと僕には必要なことだったんだろう。迷い悩み傷ついた僕たちの軌跡があるからこそ、得たものは尊いと思っておこう。

 つながったまま、ふたりは互いの胸に刻まれるリズムが同じトーンに落ち着いていくのを聞いている。平静の呼吸を取り戻すまで、そのままの姿勢で動かずに、相手の背中をやさしく撫であう。
 手のひらに感じるのは汗ばんだ皮膚と固い肉。だけど彼らが互いの手のひらで慈しみあっているのは、触覚では感知できない、身体の奥深くに息づくもの。

 大事に大事にあたためてきた、ふたりで一緒に育ててきた、サナギの中のタカラモノ。
 もう絶対に手放さない。




 ―了―


(2009.11)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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