水面の蝶(1)

 こんにちはー。

 今日から公開しますこのお話は、『タイムリミット』の後、一緒に暮らし始めた新婚あおまきさん、でございます。 
 新婚と言ってもうちの二人なので、恋人漫才が夫婦漫才になっただけです。 甘いあおまきさんを期待されてる方、すみません。(^^;

 このお話、一昨年の12月に書いた話なんですけど(古いの持ち出してすみません~、こないだの『クエスト』も1年前だったけど、まだそういうの幾つか残ってて~。)
 2万拍手のお礼にさせていただきます。
 楽しんでいただけるとうれしい、でもなんか始まる前から肩透かしの予感が、特に新婚さんが……まあいいか。<よくない。

 毎度恐れ入ります。 今回も広いお心でお願いします。






水面の蝶(1)




 水面の蝶は、飛び続けなければならない。
 水に浸かれば羽根の鱗粉が落ちて、飛べなくなってしまう。蝶にとって空を飛べなくなることは、そのまま死を意味する。だから飛び続けなければならない。
 羽が折れても、破れても。ひたすら羽ばたき続けなければならない。
 例え何を犠牲にしても。




*****



 こんがり焼いたトーストと冷たい牛乳は、朝の身体を目覚めさせる。どちらも朝のマストアイテムだと青木は思う。
 コップ1杯の牛乳を胃に収めて、壁の時計を見る。時刻は午前8時。彼を起こす時間だ。オーブントースターの余熱をしてから、青木はキッチンを出る。
 広いリビングを過ぎり、寝室へ入る。ダブルベッドの真ん中には、成長期の子供のようにすくすくと眠っている彼の姿がある。

 彼はこの家の主で、職場の上司。そして、青木の人生のマストアイテム。

 彼のボディガードとして、青木はここで彼と寝食を共にしている。彼は警察庁官房室付の次席参事官で、警視長という高い階級にある。加えて第九の元室長でもあり、重大事件が起こると今でも現場に駆り出される立場であることから、常時警護を必要とすると上層部が判断し、その命に従って彼が自ら部下の中から青木を選んでくれた。 こう見えても青木は、剣道4段、柔道初段、AP射撃5段の腕前を持っている。彼の盾になれるだけの強さはあると、自分でも自負している。
 というのは、表向きの理由。
 実は、彼と青木は相思相愛の恋人同士。他人に大っぴらに言える関係ではないが、仲間内の殆どは彼らの関係を知っていて、その上で容認してくれているし、青木の親まで公認だったりする。そう聞くと、彼らの周りには大らかな人間ばかりが揃っているようだが、そんなことはない。まだお互いの気持ちが通じあっていなかった頃から障害はたくさんあったし、やっと両思いになった彼らが付き合いだしてから同じ家に住むようになるまでには、6年もの月日が流れている。その間に、ゆっくりと時間をかけて理解を得、段々に祝福されるようになって行ったのだ。自分たちの心情も含めて、決して平坦な道ではなかった。

「薪さん、朝ですよ。起きてください」
 彼を夢の世界から現実に引き戻そうと、青木は眠るひとの細い肩をゆさゆさと揺さぶる。つられて揺れる亜麻色の髪が、さらりと青木の手に触れた。
 心地よい感触に青木は思わず、自分が何をしに来たのかも忘れて彼の寝顔に見入る。
 なんてかわいい寝顔だろう。安らかに閉じられた目蓋、長い睫毛。つんと澄ました形に閉じられたさくらんぼみたいなくちびる。
 王子さまのキスを待っているオーロラ姫もかくやの美しさ。朝、彼の寝顔を見るだけで寿命が延びる気がする。
 すうすうと寝息を立てるひとのくちびるに、青木はそっと自分のそれを重ねる。舌で割って中に入り、やわらかく熟した彼を舌先でつつき――――。

「――――― っ、たあい!!」
 突然、青木の後頭部に固いものがぶつかった。ゴトリと床に落ちたものを見れば、なんと目覚まし時計。もう少しで『オーロラ姫撲殺事件』の出来上がりだ。この場合、犯人はオーロラ姫そのひとで、王子を撲殺するオーロラ姫なんか聞いたことがない。
「なにするんですか、いきなり」
「……それはこっちのセリフだ」
 彼は地獄の底から聞こえてくるような掠れた声を洩らすと、不愉快そうに眉を寄せ、汚いものでも口にしたかのようにチッと舌打ちした。ここが自宅の寝室でなかったら、ツバを吐きかねないくらい苦々しい表情だ。
 もしもこれが逆の立場だったら、恋人からのキスで目覚めるなんて、青木ならうれしくてたまらないシチュなのに。喜んでくれない彼がちょっとだけ憎らしい。

「起こしてあげただけじゃないですか。薪さん、いくら揺すっても起きないから、わっ!」
 飛んできた2つ目の目覚まし時計を避けて、青木は乱暴な同居人を非難の眼差しで見る。恋人にお目覚めのキスをして、どうして殴られなくてはならないのだ。
「牛乳飲んだ口で僕にキスするな。何度も言っただろ」
「あ、すいません」
 忘れていた。薪は牛乳の匂いが大嫌いだった。昔はちゃんと気をつけて、飲んだ後は必ず歯を磨いてから彼に近付くようにしていたのに。
 一緒に暮らすようになってから、こういう瑣末なことはよく忘れてしまって、薪を怒らせることが多くなった。でも、ちょっとくらい大目に見て欲しい。一緒に暮らし始めてまだ3ヶ月。舞い上がったまま降りて来られない状態なのだ。

「ごめんなさい、これから気をつけます。お詫びに朝のシャワーのお手伝いしますから」
「いらん」
「そんなこと仰らず。髪を洗って差し上げますから」
「親切そうなおまえの言葉に騙されて、今まで僕が何回被害に遭ったか。日時と被害内容を列挙してやろうか」
「何もしませんよ、朝ですから。見るだけ、あ、でも、見たら触りたくなっちゃうんですよね。でもって触ったらキスしたくなっちゃうし、キスしたら最後までしたくなっちゃ、おごっ!!」
 3つ目の目覚まし時計は見事に青木の顎にヒットして、あまりの痛さに彼は、負傷部を押さえて床にうずくまる。外敵から薪を守る前に、薪に殺されそうだ。
「ヘンタイ」
 冷たい口調で蔑んで、薪は気だるげなため息を吐く。彼は筋金入りの低血圧。朝はいつも機嫌が悪い。
 だけど、これくらいで怯んでいたら薪の同居人は務まらない。青木は悪びれもせず彼に近付くと、仰向けになったままの彼の身体を起こし、ベッドの上に座らせた。こうしてしばらく座っていないと、彼は真っ直ぐに立てないそうだ。

「うー……寝覚めが悪い……ウシの匂いで吐き気がする……」
 ウシの匂いじゃなくて、ミルクの匂いですね。突っ込んだら絶対に殴られるから言いませんけど。
「おまえ、息するな。クサイから」
 そこまで命の危険に直結する命令を受けたのは初めてです。しかも、そんな個人的嗜好が理由で。
「あー、ダメだ。今日は一日、憂鬱な気分で過ごすことになりそうだ。おまえのせいだからな」
 言い掛かりと嫌味が始まった。不都合なことは何でも青木のせいにする、このひとは昔から責任転嫁が得意で、おっとりした性格の青木はしばしばその標的にされていた。
 
 そんな理不尽な仕打ちを受けても、青木は何も言わない。ただ、じっと待っているだけだ。
 こういうときは、黙って聞いていればいい。薪との付き合いも8年になる。彼が本当はどうして欲しがっているか、青木にはちゃんと解っている。

「青木」
 薪は尚もぶつくさと文句を言っていたが、やがて青木を見上げて彼の名前を呼んだ。はい、と青木が顔を寄せると、薪は両手を青木の首の後ろに回し、
「だっこ」
 青木は噴き出しそうになるのを必死で堪える。どうやらまだ寝ぼけているらしい。
 はい、と真面目に応えを返して、青木は我が儘な上司の身体を抱き上げた。




*****


 お、おかしい……新婚さんのはずなのに、ぜんぜん甘くないぞ?
 いや、これからこれから! ←そしてどんどんキビシイ展開へと落ちていくいつものパターン。(笑)

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

水面の蝶(2)

 こんにちは。
 今日はオットがご近所の50日祭で留守なのですよ。
 久しぶりに予定のない日曜日……貴重です。


 ところで、
 青薪さんの関係性以外の観点で、エピローグに不安を感じてる方なんていないと思うんですけど。 事件はきれいに片付いたし。 わたしもそうだったんですけど。 でもちょっと思い出したのよ、
『END GAME』のプロローグって、すごかったじゃないですか。
 いきなり浴室に血塗れの死体があって、薪さんの車が爆破されて。 プロローグとは思えない濃密さだったでしょう?

 エピローグもあの勢いだったらどうしましょう!
 物騒な話ではないにしても、わたしが予想している穏やかな後日談ではないのでは?

 まさかとは思いますけど、「清水先生ほどの方が、誰もが予想できる展開をそのまま描くとは思えない」という意見を何人もの方から聞いて、
 だんだん不安になってきてしまいました。 (青雪さんの結婚に慄いていたわたしを慰めてくださったのかも、ですけど)

 大丈夫だよね?
 しづは青雪さんの結婚だけ心配してればいいんだよね? ←それもまたしんどい。


 気が付けば、後20日。
 とりあえず、プロローグに呼応して、薪さんの新しい車が出てくるだろうと予想します。(笑)

 





水面の蝶(2)






 厚切りのトーストにバターをたっぷり塗って、青木は自分の口に運んだ。
 向かいで優雅にサラダを食べる薪の姿をうっとりと眺めて、悦に入る。こうして朝のひとときを彼と一緒に過ごせる、なんて自分は幸せものだろう。毎日毎朝思って、なお飽き足らない。
 乳製品の嫌いな薪は、薄切りのトーストにブルーベリージャムを載せて、小さな口で品よくかじる。彼の愛らしい口元からは、カリッという歯切れの良い音がする。

「そういえば、例の子殺し、捕まったみたいだな。竹内が言ってた」
 のどかな食事風景には相応しくない話題に、青木は「よかったですね」と頷く。以前は食事の席で仕事の話はしたことがなかったのだが、一緒に住んでいるとそうもいかない。別々に住んでいる時には、ふたりで食事をするのはイベントのひとつだったが、今は日常のひとコマだからだ。
 特別だったことが日常になる、それは些細なようで重要なこと。恋愛中は盛り上がっていたのに、結婚した途端に冷めてしまうカップルの多くは、この現象に理想と現実のギャップを痛感していることが多い。
 自分たちはどうだろう、と考えて、青木は現在の幸せを噛み締める。
 寝ても覚めても薪の姿が傍らにある。叶わぬ望みと知りながら思い描いていた夢の生活。それがやっと手に入ったのだ。ギャップなんか感じているヒマもない、ていうか、このひとの外見と中身のギャップならこの8年の間にさんざん見てきたし、今更こんな些細なことで幻滅したりしない。

「多分、今回の事件で総監賞。警視正に昇進だな」
 ベッドの上でウダウダ繰り言を垂れ流していた人間と同じ人物とは思えないくらい澄み切った声で、薪は言った。朝風呂に入って血圧が上がれば、彼の脳は普通に動き始める。若き警察官僚として、節度ある言動を取れるようになるのだ。
「竹内さん自身は、警視正になったら捜一から離れなきゃいけないからイヤだって言ってましたけど。だから昇格試験も受けないって」
「試験を受けないのは受かる自信がないからだろ。落ちるのが怖いんだ、あいつ、見栄っ張りだから。でもまあ、そろそろ上が放っておかないだろうな」
「そうでしょうね。現場が好きな竹内さんには気の毒ですけど」
「気の毒なもんか。階級が上がって内勤になれば、危険な目に遭わなくて済むだろ。雪子さんが毎日あいつを心配してることを思うと」

 竹内の身を案ずるということは、彼らの幸せを願っているということだ。二人の結婚に最後まで反対していた薪だが、竹内が雪子を幸福にしてくれる男だと、ようやく認めたらしい。
「やっとお二人のこと、認める気になったんですね?」
「殺してやりたいくらい妬ましい」
 正反対の言葉が重なって、青木は薪の執念深さに呆れ果てる。昔から竹内のことは嫌っていた薪だが、彼に雪子を奪われてからは益々それがひどくなった。薪は本当は雪子に恋をしていたのではないかと心配になるくらい、妬くわ妬くわ。相手が竹内でなかったら反対なんかしない、と本人は言い張るが、とても信じられない。

「薪さん、その発言は警察官としてどうかと……」
「ニュースの時間だ」
 手元のリモコンを持って、薪はコンポの電源を入れる。これは青木の私物で、家から持ってきたものだ。
 薪は食卓にはテレビを置かない。テレビを見ながら食事をするという習慣がないのだ。でも、青木は何となく音がないと落ち着かない。誰かと一緒なら気にならないが、ひとりだと食器の音や咀嚼の音が侘しく聞こえて、食事が美味しく感じられない。だから自宅で食事を摂るときには、必ず音楽を流すかテレビをつけるかしていた。
 薪は忙しいから、同じ家に住んでいても一緒に食事が摂れるとは限らない。そういうときには必要だと思って、コーヒーメーカーの隣にコンポを置かせてもらった。
 あればあったで便利なもので、こうして朝のニュースを聞くこともできるし、特別な夜にディナーのムードを盛り上げる為のロマンチックな音楽を流すこともできる。未だ後者の役割を果たしたことはないが、そのうちそういう場面でも活躍させてみせる、と青木は思っている。

『……警察の調べに依りますと、この女子行員は為替業務を担当しており、不特定多数の顧客の通帳から小額の振込みを行うということを繰り返し、他銀行の自分名義の口座に預貯金を移していました。5年間の被害総額は1億を超えるものと思われます。
 関係者の間では、行内の会計検査で不正が発覚し、その責任を問われたことで副支店長の添田さんを深く恨んでいた、との証言もあり、警察ではこの行員が添田徹さん殺害に深く関与しているとの見方を強めている模様です。
これを受けて渋谷南署は、重要参考人としてT銀行渋谷支店行員、山本美月36歳を指名手配しました』

 カシャン、と手元のコーヒーカップが音を立て、しかし青木の耳に、その音は届かなかった。キャスターの冷静な声が告げた指名手配犯の名前が、耳の中で何度も繰り返される。
「どうした?」
「あ、いえ。知ってる人と同じ名前だったもので……」
 名前だけではない。勤め先の銀行も、年齢も同じだった。支店は、あの頃は違った、上野支店だった。実家からの仕送りを引き出しに行ったとき、彼女とは銀行の窓口で知り合ったのだ。

 動揺する青木を尻目に、薪は席を立った。コーヒーのお代わりでも欲しくなったのか、それならば自分が、と思いつつ、青木は立ち上がることができない。しかし薪はコーヒーサーバーの方へは行かず、リビングへと姿を消した。すぐにテレビの音が聞こえてくる。
「青木。テレビでも同じ内容のニュースをやってるはずだ。顔も同じかどうか、自分の目で確かめろ」
 力強い声で呼ばれて、青木は萎えかかる膝に力を入れる。同姓同名の銀行員なんて、たくさんいる。美月と言う名は珍しいと思うが、それでもないとは言い切れない。だって、彼女はそんなことをするひとじゃなかった。東京に出てきたばかりで、右も左も分からない青木に、とても親切にしてくれたのだ。そんないい人が、横領の上人殺しなんて。

 ぎこちない足取りでリビングに入ると、薪がテレビのリモコンを操作してニュースを探している。朝市のレポート風景から切り替わった画面に、硬い表情でニュースを読み上げる女性アナウンサーが現れた。
『山本容疑者は、3日前から出勤しておらず、自宅にもその姿はありませんでした。近所の住民の話では……』
 
 液晶テレビの画面に、指名手配と銘打たれた女性の正面からの顔写真が映る。いくらか茶色がかった長い髪をふわりと巻き、卵形の輪郭の両側に垂らしている。前髪は全部上げて、カチューシャで留めている。聡明そうな広い額の下には、若い頃の青木が恋焦がれた鳶色の瞳が、そのままの美しさで輝いていた。

「彼女です」
 乾いた声で、青木は言った。
「大学の頃の、オレの彼女です」

 そこまでの関係を現在の恋人に告げてよいものかどうか、そのときの青木には考える余裕も無かった。自分の中に残っている彼女の優しそうな笑顔や弾けるような笑い声が、青木の胸をきりきりと痛ませて、こんなことはありえない、絶対にありえないと、自分の視覚が収集した情報を否定するだけで精一杯だった。
 薪は、何も言わなかった。驚く様子もなく、青木の様子を静かな眼で見ていた。

「薪さん、これ、何かの間違いです。彼女はこんなことする人じゃない。犯人は別にいます」
 彼女とは、第九に入って1ヶ月で別れた。それきり会っていない。もう丸8年にもなる。その間、彼女がどんな人生を歩んできたのか、自分は何ひとつ知らない。でも、彼女は違う。犯罪を犯すような人間ではない。青木はそう信じて疑わなかった。

「コーヒー」
 呟いて、薪は机に向かった。デスクトップ型のパソコンの電源を入れると、スタイリッシュな形のオフィスチェアを引いて腰を下ろす。自分のIDカードをパソコンにつないだカードリーダーに差し込み、パスワードを打ち込む。自宅でも仕事ができるように、薪のパソコンは職場の回線に繋げるようになっている。機密が絡むから、必ずこうしてIDカードとパスワードが必要になるのだ。
 まだ朝食の途中だったはずだが、そちらは放棄して持ち帰りの仕事にかかる気らしい。仕事が命の薪には、土曜も日曜もない。これが片付いたらまた、職場に足を運ぶ気でいるのだろう。

「コーヒーのお代わり淹れてこい」
 ひどく冷めた口調で命令されて、青木は自分の愚行に気付く。
 これは第九に回される可能性のある事件ではない。おそらく所轄で捜査が行なわれ、1課が出張ることはあるかもしれないが、青木が在籍している研究室には関与することはない。管轄外の事件に意見したり、手を出すことは警察ではご法度。ここでいくら青木が彼女の無実を訴えようと、その為の捜査を所轄に要請することはできない。
 うなだれて、でも納得できなくて、青木はその場を動けない。
 自分は警察官なのに、自分の知り合いが窮地に立たされているこんなときにこそ役に立ちたいのに、現実の壁は厚くて高くて、その強大さに眩暈がする。

「早くしろ。おまえのコーヒーがないと、頭が働かん」
 イライラした声で言われて、青木は何とか平常心を取り戻そうとする。大学の頃、もう8年も昔の話だ。彼女だって、オレのことなんか覚えていないかもしれない。
 何ができるわけでもない。彼女を探すことも、本当の犯人を見つけることも、自分には許されていない。だったらここでこんなことを言い出して、一緒に暮らし始めたばかりの恋人に不愉快な思いをさせるべきではない。

 決意して顔を上げると、パソコンの画面が眼に映った。
『T銀行渋谷支店、副支店長殺害事件』という見出しに、青木は目を瞠る。マウスを操る薪の手が素早く動いて、画面をスクロールしていく。その速さに青木はついていけず、内容を読み取ることはできなかったが、多分これは所轄のデータバンクの情報だ。テレビでは言及されていなかった事件の詳細や事情聴取した関係者のリスト、時間等が明確に記されている。
「データが足りないな。容疑者に関する情報が少なすぎる。内向的な性格だったのかな。それとも、所轄のデータアップが遅れているのか。
 青木、おまえが知ってるところまででいい。彼女のことを教えろ」
 机の上に山と積まれた持ち帰りの書類、それには手も触れずに薪は事件調書を読んでいる。警視長のIDカードとパスワードを所轄のデータ閲覧のために使って、それは彼の仕事の一助にもならない。

「薪さん……」
 なんだか胸がいっぱいになって、青木は言葉が出てこない。
 薪は普段はすごく意地悪で陰険で、青木の言うことなんかちっとも聞いてくれなくて。だけどこうして、本当に青木が弱ったときには必ず手を差し伸べてくれる。青木が心から伸ばした手を取り損なったことは、ただの一度もなかった。

「彼女のことを話せ。僕が聞いてやるから」
 事件の最中、自分の仕事がどんなに忙しくても、薪はちゃんと青木の話を聞いてくれた。どんなに稚拙な推理でも、どれほど未熟な意見でも、いつも青木の気持ちを汲み取って、掬い上げてくれた。応じてもらえないことは多々あったけれど、話も聞かず手も尽くさずに、薪がその決断を下したことはなかった。
 
 これまで薪と歩んできた数々の分岐点を思い出し、青木はその都度薪に助けられてきたことを改めて知る。つん、と鼻の奥が痛み、目の縁に涙が浮かんだ。
「な……なに泣いてんだ、バカ。まだ彼女がやったって決まったわけじゃないだろう。それをこれから調べるんじゃないか。
 しゃきっとしろ! さっさとコーヒー淹れてこい!!」
「はい」
 怒鳴りつけられて首を竦め、素直に返事をする。もはや習性と化したその反応は、青木に平静を取り戻してくれる。

 彼女が犯したかもしれない罪が哀しくて涙が零れたわけではなかったのだが、青木はそのことについて反論はせず、キッチンへ向かった。
 薪さんのやさしさが嬉しかったんです、なんて本当のことを言ったら、たぶん殴られると思ったから。




*****


 甘い新婚家庭は何処に行ったんでしょう(笑)←初めからなかったのでは?


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

水面の蝶(3)

 連日、たくさんの拍手をありがとうございます~。
 拍手カウンターがビックリするくらい高速で回っております。
 おかげさまで昨日、総数が2万5千を超えまして、わーうれしい、お礼SS書きたい、でもすみません、やっぱりエピローグ読むまでは書けそうもないので少し待って、いや、読んだらもっと書けなくなるかも、うえええーんっっ!!

 せめて、頑張って更新しますねっ。
 メロディ発売まであと半月、秘密が終わってしまうことの淋しさに耐えている方々の、お役に立てますように。






水面の蝶(3)





 彼女、山本美月とは青木が18の時に知り合った。
 4月から東京の大学に通うことになって、上京して間もない頃だった。住居は定めたものの、右も左も解らない。故郷に友人はたくさんいたが、青木と同じ大学に入った友人はいなかった。関東では唯一、親戚の伯父が千葉の茅ヶ崎に住んでいたが、それほど親しい間柄でもなかった。
 まだ学友もゼミ仲間もできない、孤独な日々を送っていたほんの僅かな時期に、彼女と青木は巡り会った。と言っても、そこからすぐに恋人として付き合いだしたわけではない。彼女は青木が仕送りが届く口座を持っている銀行の窓口で、うっかり暗証番号を間違えて駄目にしてしまったキャッシュカードの再発行の手続きを担当してくれたのだ。

「青木一行さんですね。恐れ入りますが、通帳とご印鑑、それと何か身分証明をお持ちですか?」
「……何も持ってません」
 カードだけあればお金は下りると聞いていたから、通帳も印鑑も自宅に置いてきてしまった。口座開設のときに使った保険証は、普段は持ち歩いていない。運転免許はまだ取得していない。入学間近になれば手に入るであろう学生証も今はないし、住民票さえ移していない。

「ご本人様を確認させていただきませんと、再発行の手続きは取れません。その際には、お通帳とご印鑑を併せてお持ちください」
「えっ。じゃあ、今日はお金引き出せないんですか」
 まずい。これから伯父の家まで挨拶に行かなければならないのだが、ここでお金が手に入らないと電車賃もない。遠い地に住まう親戚で、ろくな交流もない相手だ。約束の時間に遅れることも事情を話すことも、できれば避けたかった。

「何とかなりませんか。これからオレ、人と会う約束があって」
「申し訳ありませんが、これはお客さまの財産を守るために必要な手続きですので」
「でも、これはオレの口座で、オレのために両親が用意してくれたお金なのに、オレが引き出しできないっておかしいでしょ」
 世間知らずを表に出して恥ずかしげもなく、子供っぽく青木は言い募った。窓口の女性は少し困った顔をして、でも頑として譲らずに、
「一旦ご自宅にお戻りになって通帳とご印鑑と保険証をお持ちになるか、それが無理なら住基番号を市役所で申告していただいて住民基本台帳カードを作っていただくとか。あるいは、ご家族の方に保証人になっていただいても」
「オレ、福岡から東京に来たばかりなんです。だから、住民票はまだ福岡です。家族もみんなそっちに住んでます」
 ぶすっと膨れた口調で青木少年が言うのに、彼女は益々困った表情になった。チラッと後ろの預金代理の席を見るが、あいにくそこには融資課長が昼の代理で座っていた。クレームを代理の課長に任せるのは気が引けて、彼女は視線を前に戻した。

「これから伯父さんの家に行く約束をしてて。1時の電車に乗らないと、約束の時間に間に合わないんです。家に戻って通帳と印鑑を探していたら、乗り遅れちゃいます。伯父さん、時間にうるさい人なのに」
「……いくら?」
「え」
「いくら必要なの?」
「千葉までの電車賃と、お昼のパン代……えっと、3千円くらい」
「じゃあ、これ」
 びっくり眼の青木に、彼女は自分の財布から千円札を3枚取り出すと、カルトンに載せて差し出した。

「貸してあげる。あとで返してね」
「いや、あの、見ず知らずの方にお金を貸してもらうなんて」
「山本」
 彼女は左胸につけた長方形のプレートを指差して、にっこりと青木に笑いかけた。
「山本美月って言うの。T銀行窓口の山本美月。見ず知らずの人じゃないわ」
 
 おそらくそれは、厄介なクレーム客と事務処理を面倒がった彼女の、しかも銀行員としてやってはいけない重大な反則行為で、でもその時の青木にとっては、見知らぬ地で初めて受けた他人のやさしさだった。
 後にこのことが上役に知れて彼女は大目玉を食らう羽目になるのだが、その時の青木はそんなことは考え付きもせず、ありがたく彼女の好意に甘え、その紙幣を借り受けた。
 翌日、律儀な青木は開店を待って彼女のところへ行き、自宅に置いておいた現金の中から借りたお金を返した。昨日彼女に言われたとおり、保険証と通帳、印鑑も持参して手続きを済ませようとしたが。

「カードは届け出の住所に書留で届くようになりますけど」
「え。じゃあ、実家のほうへ行っちゃうんですか」
「先に市役所で、住所変更の手続きをなさらないと」
「うう、面倒だなあ」
 つい先日まで高校生をやっていたのだ。役所の手続きや書類のことに詳しいわけがない。入学手続きも親任せで、正直、自分では住民票一枚取ったことがなかった。
 青木が渋っていると、彼女は苦笑して、
「お昼休みで良かったら、一緒に行ってあげましょうか? 市役所の出納室に用事があるから」

 なんて親切な人だろう、とその当時の青木は思っていた。銀行の窓口で、いつもニコニコ笑っていて、誰に接するのも優しく丁寧で。
 接客をする彼女の笑顔は、とても美しかった。窓口業務に就く職員は事前に研修を受け、そこで笑顔の作り方や鏡の前での練習法について学ぶのだが、アルバイトひとつしたことがなかった青木にそんな裏事情が解るわけもなく。彼女は天使のような心を持っていて、不機嫌になったりしないのだと、青臭い考えを固めていった。



*****



「というわけです。彼女がどんなひとか、理解していただけましたか?」
「さっぱり分からん。今の話からは、おまえが昔からバカだったということ以外は何もわからん」
「ええ~……」
「彼女、よくおまえみたいな子供を相手にしてくれたな」
「いいえ、付き合うようになったのは、それから何年か後のことで」



*****



 素敵な女性だとは思ったが、青木はまだ18で大学に入ったばかり。新しい環境に慣れるのに懸命だった。大学の友人を作ったり、勉強をするのに忙しく、彼女の尽力で作ることができたキャッシュカードのおかげで窓口に足を運ぶ必要もなくなり、彼女との距離は自然に遠のいた。

 その彼女との間に新たな関係が生まれたのは、青木が大学3年の秋だった。
 ゼミが長引いて帰りが遅くなり、でも楽しみにしている連続ドラマの開始時刻が迫っていて、近道しようと普段は通らない裏道を選んだ。この通りは風俗店が多くて、歩いていると客引きに声を掛けられるのがわずらわしいというのが、滅多にそのルートを利用しない理由だった。
 頼まれると嫌と言えない性格の青木は、なるべく周りを見ないようにして、派手なネオンの点滅する界隈を通り過ぎようとした。幸い執拗い客引きにも当たらず、並んだ店舗が途切れたところで、青木は諍い合う声を聞いた。
 胸の開いた紺色のドレスを着て、彼女が立っていた。学生だった青木の眼にも明らかに水商売風の衣装と化粧で、青木は自分の目を疑った。

「美月、さん?」
 俄かには信じられない思いで、青木は声をあげた。浅はかな行動だったと気付いたときには遅かった。2人の男女は青木の方へ顔を向けた。
「なんだ、おまえの知り合いか?」
 色つきの眼鏡を掛けて顎鬚を蓄えた40がらみの男が、顎を引いて青木をねめつけた。短い髪を茶色に染めて、真っ赤なシャツと黒い背広を着ている。太い金の鎖を薄い胸に下げて、指にはやはり金の指輪をしている。一見、夜の銀行の集金係、という雰囲気だ。身体は青木よりずっと小さいのに、態度は10倍も大きい。

「そうよ、この人があたしの婚約者。彼、まだ学生だから、卒業を待って結婚することになってるの」
「本当か!?」
 心底驚いたように男は叫んで、青木と彼女を交互に見た。なにが起きているのか、舞台の脚本をひとりだけ知らない役者のように、青木はその場に呆然と立ち尽くす以外に術を持たなかった。
 美月は青木に近寄ってきて、迷いの無い動作で腕を取ると、
「家で待っててね。今日は早目に上がるから」
 にっこりと笑う、それは昔日の微笑みのまま。澄んだ鳶色の瞳を見れば、紛れもなくあのとき青木が恩義を受けた女性だと分かって、だから青木はこくりと頷くと、
「うん。早く帰ってきてね」と彼女に話を合わせた。

 チッと舌打ちして青木をひと睨みすると、男は忌々しそうな表情をしながらも大人しく去っていった。見かけよりも聞き分けのよい男らしい。
 男の姿が見えなくなると、美月は青木の手を放し、きちんと頭を下げた。
「ありがとう。おかげで助かったわ。あのお客さん、アフター付き合えって、しつこくて困ってたの」
「堅気の人じゃなかったみたいだけど、大丈夫? あとで報復されたりしない?」
「あら。あのひと堅気よ? 建設会社の専務さん」
……ヤミ金の取り立て屋だと思った。

「久しぶりですね、山本さん。銀行、辞めちゃったんですか?」
「ううん、辞めてないわよ。これはアルバイト。どうしてもお金が必要になって」
「そうなんですか? じゃあ、昼は銀行で働いて、夜はこういう店で? 大変ですね」
「まあ、今月いっぱいで何とかなりそうだから……あ、銀行はアルバイト禁止なの。ナイショにしてね」
「はい。わかりました」
「ありがとう」
 安っぽいサテン素材のドレスを揺らして、彼女は青木にもう一度頭を下げた。それから顔を上げて、にっこりと笑って、

「ところで、あなた誰だっけ?」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

水面の蝶(4)

 青木さんと元カノの話は楽しくないのでサクサク進めます。
 過去話とはいえ、薪さん以外の人に恋をする青木さんなんて、あおまきすとには正視できませんっ。 ……誰が書いたんだろう、これ。(笑)

 





水面の蝶(4)





*****



「忘れてたんですよ、彼女。オレのことすっかり忘れてて……ショックだったなあ」
「僕もおまえが誰だったか、忘れたくなってきたぞ」
「ええ~……」
「要は、彼女はお金が必要だったら横領なんかしないで働くはずだって言いたいのか?」
「あ、違います違います。えっと、付き合い始めてからの彼女の生活とか、嗜好とか、どう考えても慎ましい方だったと思うんです。こんなこともありました」



*****



 再会してまもなく、ふたりは付き合うようになった。
 青木は3ヶ月前に同級生の彼女と別れたところで、新しい恋を探し始めていた時期だった。美月のほうの事情は分からなかったが、青木を拒むことはなかった。
 大学と銀行が休みの土日、彼らはデートを重ねた。青木が学生だということもあって、公園や博物館、美術館などのお金の掛からない場所で、でも充分に楽しかった。彼女はいつもお手製の弁当を持ってきてくれて、それは決して豪華なものではなかったが、実家を離れてひとり暮らしをしている青木には、最高のごちそうだった。

 5歳年上の美月は5年前に社会人になっていて、青木よりずっと大人だった。大人らしい包容力を持った彼女は、あたたかい笑顔で青木の話を聞き、やさしい言葉で青木の心を癒した。別れた彼女と比べるのは良くないと思ったが、青木は無意識のうちに心がそれを行うのを止められなかった。美月はあらゆる点において、同級生より好ましかった。青木はどんどん彼女に惹かれていった。

 季節が冬になる頃には、お互いのアパートに泊まる仲になっていた。
 その頃にはとっくに美月は夜のアルバイトを辞めていて、ふたりは心ゆくまで甘いときを楽しんだ。
 それなりに名の通った銀行に勤めているにも関わらず、美月のアパートは青木のそれと同程度のものだった。部屋の中は女性らしく明るい配色で飾られていたが、贅沢品といえるものは何もなく、アクセサリーや洋服も量販品ばかりだった。大学の女子たちの多くはブランドのバックやアクセサリーを身につけているのに、働いて糧を得ているはずの彼女の方が清貧な生活を送っているのを不思議に思った青木は、以前から少しだけ気になっていたことを、勇気を出して彼女に聞いてみた。

「気に障ったらごめんね。前に美月がお金が必要だって言ってた理由って、もしかして家族の誰かが病気とか?」
「ううん、家族はみんな元気よ」
 安っぽいガラステーブルの上に置いた二つのコーヒーカップを挟んで、彼女は可笑しそうに笑った。青木の的外れな想像が、ツボだったらしい。
「そうね、一行になら話してもいいかな。わたしの友だちが株に手を出して大損しちゃったの。その上、消費者金融でお金を借りちゃってね。違法業者から借りたわけじゃないから規定の金利なんだけど、でも女の子がひとりで返せる額じゃなくて。で、一緒にキャバクラでアルバイトをしてたってわけ」

「じゃあ、もうああいう店で働かなくてもいいんだね? よかったあ。オレ、美月がまたそういう店に行かなきゃいけなくなったらどうしようって」
「今のキャバクラって、そんなにいやらしくないわよ? ちょっとお尻触られたり、おっぱい揉まれたりするくらいで」
「やだよっ、そんなの! 美月の身体にオレ以外の男が触るなんて、絶対に嫌だ」
 それは子供っぽい独占欲。でも、だからこそ純粋な愛情。美月はそんな青木の想いを、心ごと身体ごと、やさしく受け止めてくれた。

 加えて、美月はとても家庭的な女性だった。
 よくふたりで近所のスーパーに買い物に行った。倹約家の彼女は、安くて新鮮な食材を選び、それを調理の仕方で美味しい料理に変えて見せた。
 ある日、買い物を終えたふたりが購入した商品をバックに詰め、作業台から離れようとしたとき、目の前で箱に詰めたばかりの商品を床に落としてしまった老婦人がいた。こういうときには自然に身体が動くタイプの青木は、すぐに床に屈んで商品を拾おうとした。しかし美月は青木よりも素早く床に落ちた品物を拾い集め、きちんと箱に詰めて老婦人に返してあげた。割れたタマゴで汚してしまった床を自分のハンカチできれいにし、なおかつ、自分の買い物バックの中からタマゴのパックを取り出し、
「半分、お持ちになります? 2人でゆで卵10個はきついわ」
 結局、スーパーの店員が出てきて老婦人のタマゴは新しいものと取り替えてくれたのだが、老婦人の感謝は当然、店員よりも美月に向かった。青木はそれをとても嬉しく、誇らしく感じた。

 彼女の親切が押し付けにならないのは、美月がそれを親切だと意識していないからだ。彼女は呼吸をするように、自然に他人にやさしくできる。青木を助けてくれたときもそうだった。
 彼女以上の女性はこの世にいない、と青木は信じて疑わなかった。



*****



「本当に、やさしくていい人だったんです」
「……だんだん、ただの思い出話になってきてないか?」
「いやあ。なんか懐かしくなっちゃって」
「呑気なことを言ってる場合か。でもまあ、話を聞く限りでは、彼女は慎ましく生活していたらしいな」
「でしょう? そんな彼女が1億円もの横領をすることも信じがたいし、ましてや人を殺めるなんて。ムシを殺すどころか、花も手折れないくらいやさしい人だったんですよ」
「そんなにいい女性と、どうして別れちゃったんだ?」
「薪さんのせいですよ。薪さんが無茶苦茶なシフト組むから長いこと彼女に会えなくなって、だから」
「僕のせいにするな! おまえが子供だから飽きられたんだ、絶対にそうだ!」
「痛っ、蹴らないでくださいよ! どうしてこんな性格悪いひと好きになっちゃったんだろう。しかも乱暴だし」
「うるさい、なんか腹立ってきたぞ。おまえのノロケ話を聞かされてるみたいだ」
「薪さんが話せって、ちょっ、タワーはまずいですっ、ハードディスクが、うぎゃあ!!」



*****



『あなたはわたしを見ていない』

 それは美月が青木に残した最後の言葉だった。
 そんなつもりはなかった。だた、第九に入ったばかりで精神的に一番苦しい時期で、その苦しみさえ感じる間もないほどの忙しさに埋もれて、彼女への連絡を怠ってしまっただけだ。

 たった1ヶ月じゃないか、とそのとき青木は反論した。
 ほんの一月会わなかっただけで、メールの返事を何回か返さなかっただけで、別れようなんて感情的になり過ぎだ。
 美月みたいにやさしくて寛大な女性が、どうしてそんなことを言うの? もしかしてオレの他に、だれか好きなやつでもできた?

 美月は青木の問いに答えなかった。
 疑われてもかまわない、弁明する気はない、青木の意見を聞く気も無い。常にやさしさを湛えていた彼女の鳶色の瞳は、信じられないくらい冷たかった。そして、とても哀しそうだった。

 青木は自分の怠慢が、彼女を深く傷つけていたことを知った。しかし、現実的に考えて、状況を改善することは難しかった。メールの返信くらいは何とかなるかもしれないが、以前のように頻繁にふたりの時間を持つことは事実上不可能だった。
 1ヶ月に1回くらいなら自由になる日もあるから、と彼女を説得しようとして、青木は彼女から何度も届き、嬉しく思ったものの結果的には読み捨てる形になったメールのことを思い出した。
 内容自体は思い出すのが難しいくらい、他愛もないことだった。今日はいいお天気だったからシーツを洗濯したとか、公園に散歩に行ったら池に氷が張っていたとか、そんな日常の些事ばかりで、返信を要する事柄は何ひとつなかった。
 でもそこにはいつも、青木を気遣う言葉が添えられていた。

 忙しいのですね、一行の身体が心配です。寒いから風邪など引かないでね。夜はちゃんと眠ってね。食事はきちんと摂ってね。返事はいいから、少しでもゆっくり休んでね。

 彼女は青木の仕事もその繁忙さも理解していた。彼女が自分と別れたがった原因は他にあったのだ、と青木は遅ればせながら気づいた。
 それが何なのか、彼女ときちんと話し合おうとして、青木はそれを為せなかった。仕事に忙殺される日々は、青木から確実に余裕とやさしさを奪っていた。結局、そのときの青木は彼女を諦めてしまった。
 忘れてしまいたい気持ちも手伝って、青木は職務に没頭し、その凄惨さに憔悴する日々の中で、次第に彼女のことを思い出さなくなった。そのうち薪のことが気になりだして、彼女のことは完全に記憶の中に残るだけの存在になった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

水面の蝶(5)

 今年はお義母さんに習って、梅干し作りにチャレンジしてます。 梅の木は庭に何本かあるのですけど、毎年、落ちた実を捨ててました(^_^;) ←ダメ嫁。
 お義母さんが漬けたものが大瓶3つも残ってて(10年越しのもので誠にウマイ)、まだ10年分くらいはありそうだから失敗しても大丈夫だよね? とやる前からしくじる気マンマンです。

 みなさんの中にも主婦の方、多いと思うのですけど。 みなさん、手作りされてるのかしら。
 漬けるのは手間が掛かるけど、美味しいですよね(^^)






水面の蝶(5)





「というわけです。分かっていただけましたか?」
「ああ、よーくわかった。彼女は素晴らしい女性だな」
 薪の賞賛の言葉に、我が意を得たりとばかりに青木は大きく頷いた。
「性格もいいし、天使みたいにやさしいし」
「まさにその通りです」
「しかも家庭的で料理上手。大人でおまえの仕事への理解もある」
「はい」
「生涯を共にするなら彼女以外は考えられないと、おまえは思っていたわけだ」
「はい……え」

 なんか風向きが怪しくなってきた。
 美月がこんな犯罪を起こすはずがないということを主張しようとして、必要以上に彼女を褒め称えてしまった。それは青木が彼女の無実を信じる根拠ではあったが、薪にしてみれば不愉快だったに違いない。
 忘れていたが、薪は意地悪で性格が悪い。それをしょっちゅう青木に指摘されて、その度に逆切れしている。なのに青木が以前の恋人のことを「天使みたいにやさしかった」と言ったら、現在の恋人である薪は面白くないに決まっている。

「そのメールの内容から判断するに、彼女とは、相手が嫌いになったとか他に好きなひとができたから別れたわけじゃないんだな。ほんのちょっとのすれ違いだったわけだ」
「それはそうです、でも」
 自分の不安が的中しそうになって、青木は慌ててフォローに入ろうとする。が、論説家の薪が青木の釈明を許すはずがなかった。薪は確かに青木の意見をちゃんと聞いてくれる、でもそれは仕事のときだけ。プライベート、特に恋愛関係になると薪のコミュニケート能力は幼児にも劣る。
 ひとの話は聞かないし、自分の思い込みで突っ走るし。青木の気持ちを確かめもせずに行動を起こすし、周りの人間まで巻き込んで大迷惑を掛けるし。本当にこのひととの恋愛には大変な苦労が必要なのだ。

「今回彼女を助けることができれば、彼女ともう一度やり直せるかもしれない。そう考えているわけだな」
 ほーら始まった。言葉尻を捕らえて、根も葉もない言いがかりをつけて、ネチネチと青木をいたぶるつもりなのだ。
「僕はかまわないぞ。縁りを戻したらどうだ」
 亜麻色の眼が氷みたいに冷たい。薪はすっかりおかんむりだ。

 どうやってフォローしよう、と美月の非常事態も忘れかねない勢いで青木が薪のご機嫌取りを考えていると、薪はにやっと底意地の悪い顔になって、青木のシャツの胸元を摑んだ。ぐん、と強く自分の方に引き寄せて、
「なんて、しおらしいことを僕が言うとでも思ったか」
 傲慢に、薪は言い放った。
「おまえも知ってのとおり、僕は性格が悪いんだ。おまえの喜ぶことなんか、絶対にしてやるもんか」
 開き直りの極地に立った彼は、自分の欠点を引け目に感じる様子もなく、ふてぶてしく笑った。それは自分の特権であるとでも言うように、青木の前では何をしても自分は許されると思い上がっている愚かな子供のように、高慢かつ蒙昧な言葉の選び方だったが。

「僕はもう、おまえに遠慮しない」
 その亜麻色の瞳は情熱を秘めて燃えるように、好戦的な冷笑は彼の美貌を嫌というほど引き立てる。
「僕は何度も警告した。僕と別れるチャンスは何度もあったはずだ。それを逃したのは、おまえのミスだ」
 薪はシャツを持っていない方の手で、青木の頬をつかんだ。やさしく手を添えるのではなく、爪が食い込むほど容赦なく力を入れ、これは自分のものだと全世界に知らしめるかのように誇らしげな眼をして、
「いいか、覚えとけ。おまえは一生涯、僕の恋人だ。よそ見は許さない。死ぬまでつきまとってやるから覚悟しとけ」
「はいっ」
 
 うれしさに矢も盾もたまらず、青木は薪の身体を抱きしめる。長く強い両腕で彼を囲い込めば、先刻までの暴君は一夜にして城を追われた亡国の王のように萎縮して、青木の腕の中で身を固くした。
「な、なんでおまえはそう……どうして普通の反応をしないんだ?」
 心から愛する恋人に、死ぬまで一緒だと言われた。これが普通だと思うが。
「よく考えろ。こんな中年オヤジに死ぬまでつきまとわれるんだぞ? 若い女の子と遊ぶことも許されず。僕だったら絶対に嫌だ」
「オレの人生にはあなただけいればいいです。他のひとは要りません」
 薪のやわらかい頬に、彼の爪痕が残る自分の頬を擦り付ける。唇を滑らせて頬に接吻すれば、愛くるしい口元からはキリマンジャロの馨。唇に伝わる熱に気付いて青木が目を開けると、ぼっと濃い桜色に染まった薪のきれいな頬が見えた。
 この期に及んで、まったくこの人は。
 あんなに傲慢にひとを私物化しておいて、いざとなるとこれだ。薪は直球の愛情表現にはひどく弱くて、自分が素直にそれを表わすことにはいっそ臆病で、でも青木はそんな薪が可愛くて仕方ない。

「ったく。どうしようもないバカだな」
 必死に虚勢を張って青木を手で押しのけるが、彼は恥ずかしそうに俯いたまま。あれだけ火照っていれば、自分の顔が真っ赤になっていることも察しがついて、青木に見られないうちに顔色を元に戻そうと必死なのだろう。クールを気取るのも楽ではないのだ。
 しかし、そこはさすがにポーカーフェイスと切替の速さが売りの警察幹部。たった一度の深呼吸で平静を取り戻し、すっと上げた顔はいつもの澄まし顔。

「まずは情報収集。それから彼女の身柄の保護だ。居所が不明というのが一番まずい」
「自分が犯人ですって叫んでるようなものですからね」
「それもあるけど、一番怖いのは真犯人に拘束されている可能性があるということだ。彼女が犯人でないのなら、その線もありうる」
 咄嗟に浮かんだ恐ろしい想像に、青木は身震いする。そうだ、薪の言うとおりだ。彼女が姿を消したのは、自分の意志ではないのかも。美月の聡明さを知る青木にとってそれは、彼女が置かれた今の状況を理解するのにもっとも納得のいく仮説だった。

「おまえ、彼女の行きそうな場所に心当たりはないのか」
「あの頃よく行った公園とか、美術館くらいしか」
「彼女が頼っていきそうな相手は? その、キャバクラで一緒にバイトしてた友だちとか」
「知らないです。他の友人も何人かは紹介してもらった記憶もありますが、顔もおぼろげです。連絡先や家を教えてもらうほど親しくなりませんでしたし、第一、8年も前の情報ですから。有力とは言いかねます」
 自分から言い出しておきながら自信のなさそうな青木に比べて、薪の決断は速かった。仕事用のスーツに着替えて、身分証明書とIDカードを内ポケットに落とし込む。
「二手に別れよう。僕は渋谷南署に行って、状況を聞いてくる。おまえは彼女が行きそうなところを当たってみろ」

 ふたりは一緒に部屋を出て、マンションのエントランスで別れた。
「もしも運よく彼女に会えたら、分かってるな?」
「え? 何をですか?」
「……まあ、いくらおまえがバカでもそこまではしないか。じゃあ、気をつけろよ」
 もしかして、万が一彼女が罪を犯していたとして、青木が彼女の逃亡を手伝うとでも思ったのだろうか。いくら何でもそんなことはしない。青木は警察官だ。彼女が自分の罪を認めれば、自首させる。それが彼女にとって一番いいことだと分かっている。
 それは太陽が東から昇るのと同じくらい、当然のことだった。




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ジャンル : 小説・文学

水面の蝶(6)

 今回こそ。
 メロディ発売前に完結まで持っていくぞ、と誓ったものの、
 今日の時点で毎日公開しないと間に合わない算用なんですけど……手遅れ感ありすぎ(^^;

 書きながら公開してて、その上で連日UPされてる方、心の底から尊敬します。

 





水面の蝶(6)





 一番最初に思い浮かんだのは、彼女とよく行った公園だった。

 彼女に別れを告げられたのもこの場所だ。
 8年前、そこは休日を楽しむ人で賑わう憩いの場所で、きれいに整備された樹木と芝生、花壇と噴水が人々に潤いを与えていた。長い年月の間に設備は古び、遊具には傷みが目立つようになっていたが、大きな樹木と噴水は昔日のまま、青木を迎えてくれた。

 土曜日の午前中、人は多かった。
 指名手配をされて逃げているのだとしたら、こんな場所には来ないだろう。人目を避けて、もっと暗い場所に隠れるに違いない。
 そう思いながらも、青木は公園を一巡りすることにした。懐かしさに駆られたせいもある。遊歩道沿いの花壇にも、木陰のベンチにも、彼女の思い出がたくさん残っている。

 あまりにもはっきりと彼女のことを思い出せる自分が、青木は意外だった。
 若き日の自分と美月の幻が、其処此処に見える。
 8年も前のことなのに。その姿は鮮明に詳細に。夕暮れの風に靡いた長い髪を梳く彼女の、指の形まで覚えている。
 自分はもう、薪以外のひとは見えないとずっと思ってきた。でも、こうして記憶の中の彼女を現実の場所に投影すれば、こんなにも彼女は美しい。

 彼女とベンチに座って、色んな話をした。学校のこと、仕事のこと、ふたりの未来のこと。
『一行、警察官になるの? かっこいい。正義の味方ね』
『うん。でも、オレは一番に美月を守るよ。何かあったら、いや、何もなくても呼んで。パトカーのサイレン鳴らして吹っ飛んでくるから』
 そんな彼氏イヤ、とはじけるように笑った、彼女の笑い声を青木の耳は覚えている。身を二つに折って笑い転げる彼女の姿を、青木の目は覚えている。

『じゃあ約束よ。必ず来てね』
 そう言って自分の小指と絡めた彼女の、簡単に折れてしまいそうな細い小指の感触を、青木の肌は覚えている。
 何よりも、青木の心が。
 あの日この場に置き去りにした青木のこころが、彼女を求めて止まなかった。

「美月……」
 唇が覚えている彼女の名前を青木が形取ったとき、噴水側の樹木の陰に隠れた彼女の幻影のひとつが、ゆっくりと揺らめいた。



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水面の蝶(7)

 毎日毎日たくさんの拍手、誠にありがとうございます。(〃▽〃)

 再読してくださってる方が何人かいらして、とっても嬉しいです。
 わたしも皆さんの勤勉さを見習わないと……うん、あのね、
 実は半年くらい前、小説の編集をされてる方に教えていただいたんですけど、それに因りますと、わたしの書き方、色々間違ってて。 いえ、日本語として成り立ってないとか書いてるものが人間として間違ってるとか(ええええーんっ!)、それは別にして、この場合は技術的なことで。

(いただいたメールのコピーです)

●「 」、( )、『 』の文頭一文字下げは必要ありません。

●・・・・・・(ナカグロ)ではなく、……(三点リーダー偶数組み合わせ)を使用してください。また、あまりたくさん使うのもいただけません。

●「――」が長すぎます。2ワード分か4ワード分程度に。

●!、?、などの後ろは1マスあけてください。


 教えてもらった後に書いたものは直したんですけど、過去記事も直そうと思って、膨大な量に挫けました。(^^;
 でも、何の責任もない方が再読してくれてるのに、当のわたしが間違いをそのままにしておくってのもちょっとアレなんで、やっぱり直そうと思います。
 暇を見て少しずつ、1年で終わるかなあ?



 お話の方は、
 拍手でもメールでも、青木さんにΨが向けられてるんですけど。(笑)
 青雪さんの復縁が気になる今の状況で、青木さんの気持ちがちょっとでも薪さん以外の人に向く話はKYでしたね、てか、
 わたしもツライ~、青木さんは薪さん以外どうでもいいと思ってなくちゃイヤー。(←そんなの青木さんじゃない)





水面の蝶(7)





 青木がマンションに戻ると、薪は既に帰ってきていて、どんなルートから手に入れたのか、捜査報告書のコピーを貪るように読んでいた。官房室の威光を借りたか、警視長の階級にものを言わせたか、どちらにせよ正規の方法でないことは確かだ。第一、調査中の事件の捜査資料は持ち出し禁止のはずだ。

「空振りだったか」
 黙ってソファに腰を下ろした青木に、薪は言った。自分に報告をしないということは、報告できるだけの収穫がなかったものと判断したのだろう。
 はあ、と青木は曖昧に頷いて、薪が読んでいる資料を隣から覗き込んだ。
 事件現場の写真が2枚、縦に並んでいる。被害者の状態と傷のアップ、傷口は刃渡り12センチ前後の鋭利な刃物によるもので、凶器の特定はまだされていないと書かれていた。

「こっちもあんまりよくない。状況証拠が揃い過ぎている」
 ソファの背もたれに寄りかかり、薪は腕を組んだ。仕事モードの彼は冷静でストイックだ。夕食後にテレビを見ているときのように、気安く触れることはできない。
「銀行の取引には、必ず伝票が伴う。預貯金の移動は、すべて本部のメインコンピューターにつながる端末機で操作される。端末を動かすには行員個人のIDカードが要る。そのIDも、伝票の起票印も、全部彼女のものだ」
 美月に横領の疑いが掛かったのは、その原因文書のせいか。しかし、印鑑とIDだけでは確実な証拠にはならないはずだ。

「端末にIDを通してオペレーションをして、その場を離れるときにはIDを解除するのが本当のやり方なんですけど、実際は忙しくてそのまま席を離れてしまう事が多いから、必ずしも伝票に打たれたIDが伝票を操作した本人とは限りません。
 それに、預金の払戻請求書には、受付印と印鑑照合印と検印の欄があって、その3つすべてが同じ行員の印鑑であってはいけない、という規定があるそうですよ。一枚の伝票に必ず二人以上の行員が関わることで、顧客預金の勝手な流用を防ぐとか」
「……よく知ってるな」
 せっかく薪が感心してくれたのに、青木にはそれを喜ぶ余裕はなかった。とにかく、彼女の疑いを晴らさなければならない。一刻も早く。

「起票印は彼女のものでも、印鑑照合、あるいは検印は別のひとのものでしょう? だったらその行員にも事情を確認しないと」
「彼女の机の引き出しから、他の行員の名前の印鑑が複数見つかった」
「えっ!?」
 寝耳に水の情報に、青木は思わず大きな声を上げた。
 聞いてない、そんなことは聞いていなかった。

「銀行の行員が使ってる印鑑て、普通のシャチハタ印なんだな。あんなの、どこでだって買える」
 亜麻色の瞳を酷薄そうに細めて、薪は辛辣な口調で銀行の批判を始めた。薪は自分にも厳しいが、他人にも厳しいのだ。
「IDカードの管理は個人個人に任されているし。検印制度にしたって、一般行員が500万までの振替検印を行えるって、危機管理が甘いとしか思えない。横領天国だな、この銀行。うちの預金を預けてなくてよかった」
「……通帳残3ケタの預金者に言われたくないと思いますけど」
 車を購入する話が出たときに見せてもらった薪の通帳、そのありえない残高を見たときのショックを思い出して、青木はガックリ肩を落とした。

「それに、銀行員にはプライドと誇りがあるって、彼女は言ってましたよ。目の前に何億の札束が重ねられようと、その誘惑に負けるような人間には銀行員たる資格がないって。それはオレたち警察官が、どんな小さな罪も自分には許すまいと思う精神と同じことだって」
 なるほどな、と薪は頷き、
「それと、添田副支店長の殺害についてだが」と焦点を殺人事件へと移した。
「事件当夜、山本美月は残業で行内に残っている。為替業務ってのは預金業務よりも仕事が多いみたいで、彼女は残業が多かったらしいな。通用口の鍵を管理しているのは副支店長だそうで、最終的には彼と二人になることが多かったみたいだ。
 この夜もそうだったらしい」

「目撃証言が出たんですか」
「いや。先に帰った行員が、最後に残ったのはこの二人だと」
「それだけで彼女を犯人だと? 指名手配までしておいて、ずい分杜撰な捜査ですね。横領のほうは一応物証が挙がってるから所轄の疑いも仕方ないけど、でも、それだって逆に揃いすぎてて。オレには誰かが彼女を陥れているとしか」
 薪は、青木の意見に興味深く耳を傾けていた。ふむ、と鷹揚に頷き、すっと視線を青木から外して、
「そうだな。おまえの言うとおりだ。僕も所轄の捜査は間違っていると思う。彼女はハメられたんだ。同じ支店の誰かに」
 自分と同じ結論にたどり着いてくれた薪に、青木は小躍りしたいくらい嬉しくなる。薪がそう考えてくれるのなら、もう彼女の疑いは晴れたも同然だ。

「その誰かに、心当たりはないのか」
「実は、少しだけ」
 この機会を逃すまいと、青木は意気込んで言った。
「彼女の同僚で篠田玲子っていう行員がいるんですけど。この人とだけは反りが合わないって、昔彼女に聞いた覚えが」
「篠田玲子……こいつか。為替業務の経験もある。自分が横領をしておいて、横領の証拠となる偽造印を彼女の机に投げ込んでおいた、というわけか。可能性はあるな。
 よし、僕はこれから渋谷南署に行って、このことを進言してくる。おまえも諦めず、心当たりをもう一度探してみろ」

 はい、と青木は元気よく頷いた。
 推理の神さまの異名を持つ薪の後押しがあれば、所轄の捜査も篠田に向けられるに違いない。捜査の焦点が変われば、新しい証拠も出てくるはずだ。

 薪が家を出るのを確認して、青木は自分も出かける準備をした。
 買い物用のバックを懐に入れ、まずはスーパーに寄って食料品を買い込む。一人分の弁当と、後は調理の不要なパンや缶詰、野菜不足を補うためのフルーツ類。ついでにフルーツを切るための果物ナイフも購入し、それらを持って、急いで目的の場所に向かった。
 薪のマンションのある吉祥寺から、電車で約30分。青木が駅から辿った道は、通いなれたかつての通勤路だった。
 青木は大きな公園の前にあるアパートへ入っていく。そこは青木が1ヶ月前まで住んでいたアパートだった。まだ荷物の処分が終わらないことから、賃貸契約を切らないでいる。その怠慢が、思わぬところで役に立った。
青木は周りに誰もいないことを確認し、鍵を開け、暗い室内に入った。後ろ手に鍵を掛け、声を潜めて、
「美月。いる?」

 青木の声に応えてベッドルームから出てきた女性に、青木はにっこりと微笑む。クッションを引き寄せてその上に彼女を座らせ、肩に掛けたバックをその場に下した。
「とりあえず、当座の食料持ってきた。電気が使えないから缶詰ばっかりだけど。でもね、そんなに長いこと我慢する必要はないよ。薪さんが、美月は犯人じゃないって分かってくれたから。あのひとに任せておけば安心だよ。絶対に真犯人を探し出してくれる」
 
 彼女を安心させようと、青木はやさしく語りかけた。彼女は硬い表情で青木の話を聞いていたが、不意にギョッとして青木から離れようとした。
「どうしたの、美月」
 彼女の鳶色の眼が見開かれ、青木の後ろを見ている。嫌な予感に襲われて青木は、振り返ろうとしてそれを為せない。
 
 ガチャリという金属音が、地獄の釜の開く音にも聞こえる。施錠が解除され、ドアが開いたのが空気の流れで分かった。
 この部屋の合鍵を持っている人間は、管理人を除けば1人しかいない。恐る恐る、青木は振り返る。

「薪さん……」
 狭い玄関の三和土に、燃えるような瞳をして薪が立っていた。




*****

 しゅらばらんば~♪(←楽しいらしい)

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水面の蝶(8)

 こんにちは。
 連日更新して、えらいな、しづ。(しかしレスは滞って、すみませんー!)

 昨日のは、青木さんファンに怒られそうな展開ですみませんでした。 今日のは、うん、もう蹴られそうです。
 拍手のお礼にしていいものかどうか、不安になってきました……。






水面の蝶(8)






 薪は後ろ手に鍵を掛けた。それは先刻、青木が取った行動と同じものだったが、意向は真逆のもの。青木は美月を匿おうとし、薪は彼女を逃がすまいとしてのことだった。

 靴も脱がないまま、薪は部屋に上がってきた。恐ろしい勢いで青木のところへ迫ってきて、問答無用で彼を殴った。警察は荒っぽい職場だ。理由も聞かずに張り倒される、そんなことは日常茶飯だ。
「おまえはそれでも警察官か!!」
 薪に怒られたことは数え切れないくらいあったが、それがすべて霞んでしまうくらい、今日の薪は怖かった。そして、哀しそうだった。その顔色は蒼白で、今にも気を失いそうだった。
 薪は量り知れない怒りに駆られて、同時に深く傷ついている。青木が自分を裏切ったと、そう思っているのだろう。この状況では無理もないが、青木も今は美月を守らねばならない。彼女の味方は世界中にたったひとり、自分だけなのだ。

「薪さん、聞いてください。彼女はやってないんです。同僚の篠田って子に陥れられたんです。ちゃんと調べれば分かるはずです」
「やってないなら尚更だ。犯人の心当たりがあるなら、自分から出頭して申し開きをすればいい。隠れていたら警察の眼は益々彼女に向く。そんなことも解らないのか。おまえ、何年警察官やってんだ」
「彼女が出頭するのは、篠田の捜査が始まってからでも遅くないでしょう? それなら美月は容疑者扱いされなくて済むんです」
 青木が彼女を匿った理由を悟ったのか、薪は口を噤んだ。何かに気付いたように、大きく眼を瞠る。
「オレは知ってるんです。警察の取調べがどれだけ過酷なものだか……今でも時々夢に見るくらい、本当に怖かったんです」

 青木は誤認逮捕をされたことがある。
 悪夢の中を彷徨うような状況下で行われた取調べは、苛酷を極めた。犯人にも人権があるから、たとえ取調室が密室でも手荒なことはされないと聞いていたのに、それは全くの嘘だった。
 ろくに食事も睡眠も与えられず、何人もの人間が青木の耳元で「お前がやったんだろう」と叫んだ。身に覚えのない目撃証言と物証、DNA鑑定書までが次々と提示されて、青木は自分の頭がおかしくなったのかと思った。時間が経つにつれ、疲労と睡眠不足で疲弊した脳は、正常な判断を欠いていく。自分で自分が信じられなくなっていく。あのとき薪が助けてくれると信じていなかったら、きっと自分はやってもいない罪を自白していた。

 当時のことを思い出したのか、薪は少しだけ怒りを収め、しかし断固たる口調で、
「彼女は出頭させる」
 ぎろりと青木を睨み据えた亜麻色の瞳を見て、青木は観念した。薪がこういう瞳をしたら、絶対に譲らない。
「美月、大丈夫だよ。オレからも担当の刑事さんに口添えしてあげるから。こう見えてもオレ、警視なんだ。けっこうエライんだよ」
 華奢な両肩に手を載せて、青木は彼女を説得しようとした。彼女の気持ちは、痛いほど分かる。自分の無実を知っていても、恐怖は拭い去れない。相手がそれを信じてくれる保証はどこにもない。
 しかし、彼女には勇気を出して立ち向かってもらわねばならない。青木は祈るような気持ちで、彼女の両肩を覆った手に力を込めた。

「青木、心配するな。僕が彼女の取調べには立ち会うことにするから。無体なことはさせない」
「本当ですか」
 青木の後ろに立ったまま、薪が静かに言った。その声に怒りはなく、青木は二重の意味で胸を撫でおろして、美月に笑顔を向けた。
「よかったね、美月。薪さんがついていてくれれば、安心」

 トン、と軽い衝撃が青木の身体に伝わった。
 と同時に、青木の胸に美月が頭を持たせ、身体を密着させた。

「な……んで?」
 衝撃は小さかったはずなのに、それは灼熱の痛みを伴って青木の意識を混濁させた。暗がりの中で、銀色の刃が鈍く光る。
 刺されたのだ、ということも咄嗟には理解できなかった。

「うそつき」
 美月のくちびるが動いた。その言葉の意味を、青木は思い出せなかった。
「みんな嘘つき。男はみんな、嘘ばっかり吐くの。約束したじゃない。『薪さん』にだけは言わないでって……約束したじゃない」
 鳶色の瞳に、涙が浮かんでいた。細い声が震えていた。
 怖くて怖くて、たまらなく怖くて。あんなに怯えていた美月を刺激してしまった、これは自分のミスだ。

 ごめんね、美月。でも大丈夫だよ、薪さんがついていてくれれば怖くないよ。だから泣かないで。

 そう言って彼女を安心させてやりたかったのに、左腹の痛みがそれをさせてくれなかった。青木は両手で傷口を押さえ、蹲って痛みをやり過ごそうとした。
「青木っ!」
 美月の弱々しい声とは対照的な、薪の鋭い声が響く。揺るぎない力強さが、青木の意識を呼び覚ます。
 青木は彼のボディガードで、名実共に彼の守護者であるべきなのに、こうしていつも助けられているのは青木の方だ。彼の存在だけが、青木を生かす。

「薪さ……」
 床に蹲ったまま、青木が何とか眼を開けると、薪が美月を取り押さえていた。非情にも彼女を引き倒し、腕を押さえつけて手錠をかけている。
 女の子に乱暴しないでください、と言いたかったが、ふたりの争いが玄関口で行われていたところを見ると、美月が逃亡を試みたことは疑いようもなく、さらには薪の頬についた切り傷から相当の血が流れていることから、美月が刃物を持って薪に襲いかかったことは容易に察しがついた。
 だけどその有様は、青木が知っている彼女とはどうにもつながらなくて。青木は自分が見損ねた捕り物の様子を思い浮かべる事ができない。想像したくない、と言ったほうが正解かもしれない。

 あの美月が、そんなことを?
 とても信じられない。

 薪は玄関の靴箱の足に手錠の片方を掛け、彼女の動きを封じた。彼女から取り上げた小型のナイフをハンカチに包み、証拠品として背広のポケットに入れる。
 為すべきことをし終えてから、薪は青木に駆け寄ってきた。
「青木、傷口を見せろ」
 腹部を抱えてうずくまったままの青木の手を取り、薪は血のついたシャツをめくり上げた。出血箇所を確認すると、クローゼットから一抱えのタオルを持って、すぐに戻ってきた。傷口に押し当て、止血を行いながら左手で器用に携帯を取り出す。

「待ってください、薪さん。救急車は呼ばないで」
 救急車が来たら、美月が自分を刺したことが事件になってしまう。それでなくても彼女は疑惑の渦中にいるのに。これ以上、不利な条件を増やしたくない。
「分かってる。病院へはタクシーで行こう」
「美月は」
「竹内に任せる」
 薪は青木の友人の名前を出して、青木の杞憂を払拭した。
「この事件は、渋谷南署と捜査一課の合同捜査になっている。だから大丈夫だ」
 竹内なら事情を話せば、多分便宜を図ってくれる。薪は竹内のことをとても嫌っているが、篤く信用してもいる。不思議な関係だ。

「ひどいなあ……犯人確保が優先なんですか? オレが刺されたのに」
「自業自得だ、バカ」
 お互い心にもないことを言い合って、笑おうとして笑えず、泣くことはもっとできず。やりきれない気持ちで玄関を見れば、美月は生きる気力を失ったように床に突っ伏している。

「オレが美月を匿ってるって、どこでわかりました?」
「そんなもん、最初から。おまえが銀行の業務や規定に詳しいって、どう考えても不自然だし。まあ決定的だったのは、篠田玲子の名前がすらっと出たところだな。彼女の友人については『おぼろげに顔を覚えている』程度の記憶しかなかったはずだろ」
 言われてみれば。
 あのときは美月の容疑を晴らしたい一心で、ついつい焦ってしまった。青木は嘘が下手なのだ。ひきかえ、薪のとぼけ方の熟練振りと言ったら。さすがおとり捜査のエキスパートだ。

「薪さん。ほっぺた、痛くないですか」
 丸い頬を伝う赤い血が哀しくて、青木の心はずきりと痛む。薪に怪我を負わせるなんて、職務怠慢もいいところだ。青木に言われて薪は初めて自分の怪我に気付いたように頬に手を当て、手のひらにべっとりとついた血を冷静に確認し、タオルを自分の患部に押し当てた。
「かすり傷だ。気にするな」
「美月は、りんごが好きだったんですよ。だから、食べさせてやろうと思って。ナイフも一緒に買って」
 彼女がどこから刃物を持ち出したのか不思議だったが、何のことはない。買い物袋の中に入っていた果物ナイフだ。
「ナイフの品質検査を、自分の身体ですることになるとは思いませんでしたけど。合格ですね、素晴らしい切れ味です」
「黙ってろ、青木。血が止まってないんだ。振動を与えるな」
「大丈夫ですよ」
 自分が苦しむ様子を見たら、きっと美月は辛くなる。今でも、ギリギリなのだ。重なる心痛は、命取りになる。
だから、自分は彼女の前ではしっかりと意識を保って。彼女をこれ以上、苦しめないように。

「薪さん……美月を……美月を助けてください。彼女を救ってあげて」
「喋るな。出血が」
 青木の意識は急激に薄れた。眠りに落ちるときのような感覚が青木を襲い、何とか目蓋を開けようとするも、その誘惑は暴力的なまでに強かった。
「青木、青木。しっかりしろ。こんな浅い傷で気絶するな。おまえ、僕のボディガードだろ」
 細く開けた眼に、薪の顔が映った。怒っているのか泣いているのか、自分は謝ったらいいのか、はたまた彼を慰めるべきなのか、どれひとつとして判断がつかず、青木は曖昧な気持ちのまま、薪の腕に頭を持たせた。

「青木、この役立たず! あおきっ……」
 最後に聞こえた薪の言葉で、薪はやっぱり自分を怒っていたんだな、と青木は理解する。だけど青木の名前を呼び続ける薪の声は、胸を振り絞るような涙声で。自分がどうするべきなのか分からないまま、青木は闇の中に落ちていった。



*****

 Nさんに泣かれそうだわ。
 ごめんね、Nさん。

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水面の蝶(9)

 こんにちは。


 前回の記事に、まあなんてことでしょう、約一名の方を除いて、「青木さんのおバカさん☆」というニュアンスのコメントいただいちゃったんですけど。(笑)
 えー、青木さん、可哀想じゃん、痛い思いして。(すみません、わたしが書きました)
 たしかに自業自得なんですけど~、青木さんならこれくらいしでかしそうだわ。(暴言)

 青木さんて基本的に、目の前にすごく困ってる人がいたら、後先考えずに行動しちゃう人ですよね? それで薪さんに迷惑かけちゃったりもするんですけど、でもわたし、青木さんの魅力はこういうとこだと思います。
 その上、バカがつくほどお人好し。 あんな目に遭わされて、それでもなお彼女を心配する、そういう青木さんがわたしは好き、てか、きっと薪さんはこういう青木さんが好きなんだと思うの。
 青木さんの、共感性の高さや思いやりの心、真っ直ぐな気性と奥ゆかしさを持ち合わせながら、時に周りを瞠目させるほど大胆な行動に出る、そんなとこが好きなんだと思うの。 それは薪さんが、意識して切り捨ててきたものだと思うから。 だから青木さんのそういうところ、守りたいんじゃないかな。

 なので、このシーンの薪さんは青木さんを許すとか許さないとかじゃなくて、もう、
「ずぎゅーんっ、ばぎゅーんっ」てな具合にハートをぶち抜かれてるんじゃないかと想像するのです。

 と、今読み返して思ったんですけど。
 書いた当時(2010年12月)に何を考えていたのかはまったく覚えてません。 残念な脳ですみません。(^^;
 






水面の蝶(9)






「ここに来れば、あなたに会えるんじゃないかと思ったの」

 思い出の公園で、何度も戯れた噴水の側、太い樹木の陰から現れた彼女は、ゆっくりと青木の方へ歩み寄ってきた。
 彼女の姿は記憶のまま。まるであの別れが昨日であったかのように。
 何も変わっていない。彼女も自分も、この公園も。
 美月は青木の腕に自分の手を添え、そっと額を持たせかけた。彼女の広くて賢そうな額が、青木は大好きだった。

「一行。わたしを助けて」
 そう囁いた彼女は、弱々しく、それでも気丈に微笑んで見せた。青木の記憶の中の彼女は、いつも弾けるように笑っていた。その落差が痛々しかった。
「わたし、やってない。何もしてないの」

 見た目は普通の恋人同士のように、さりげなく人目を避けるようにして、ふたりは公園を出た。通りの少ない道を選んで、止まらずに歩き続ける。
「警察に行って、ちゃんと話すんだ。オレが一緒に行ってあげるから」
 青木は小さな声で、しかしはっきりと言った。彼女を説得して、自分から出頭させる。それが彼女の疑いを晴らす一番の近道だと、青木には分かっていたからだ。
 しかし、美月は頷いてはくれなかった。
 美月が尻込みする気持ちは分かった。一般人にとって、警察の取調室と言うのは紛れもなく恐怖の対象なのだ。
 自分に関わりのないときには、さして気にも留めない。それどころか、興味を持って見たがる者もあるかもしれない。しかし、これが一旦容疑者の立場になると、途端に怖くなる。身に覚えがあるなしに関わらず、本能的な恐怖が芽生えるのだ。
 それは多分、自分が侵されることに対する恐怖感。私生活の細部まで調べ上げられ、知られる必要のないことまで白日に晒され、さらには身体的な苦痛も加わるかもしれないとなれば、逃げ腰になって当たり前だ。

 青木はなおも彼女を説得したが、彼女はどうしても首を縦に振ってくれなかった。力で彼女を拘束し、所轄に引き渡すことは簡単だったが、青木はそれはしたくなかった。どうしても彼女の足で、警察に行って欲しかった。
「美月。オレは美月を信じてるよ。でもこのままだと、君が犯人にされちゃう」
 だから一緒に警察に行こう、と青木は何度も繰り返した。通報によって逮捕されるより、自分から出頭したほうが印象は良くなるし、その分嫌疑も晴れやすいはずだ。青木は彼女の素直でやさしい性格を知っている。彼女は最終的にはいつも、青木の願いを叶えてくれた。だから今回も、もう少し時間をかけて説得すれば、きっと。

 彼女は頑なに青木の忠告を拒んでいたが、青木の熱心な説得に感じ入ったのか、意外なことを言い出した。
「わたし、犯人が誰か知ってるの」
「えっ。本当に?」
 青木は驚いたが、少し考えればすぐに納得の行くことだった。横領事件が絡んでいることからも、同じ支店内の行員が真犯人である可能性は高い。銀行業務に精通する美月が、その豊富な経験ゆえに犯人の正体を察しても、なんら不思議はない。

 当然、青木は犯人の名前を聞き出そうとした。美月は迷った末に顔を上げ、しかし行き交うひとの姿にまた口を閉ざした。
 道の往来では人目がありすぎる。突っ込んだ説得をしようにも、道端ではできない。どこか、二人きりになれる場所を探さないと。それに、美月の疲れもピークに達しているはずだ。ならば、安全な場所で休ませてやりたい。休んで疲れが取れれば、彼女だってもっと冷静な判断ができるようになる。
 青木は、一時的に彼女を自分のアパートへ避難させることにした。あくまでも彼女の休息と、その説得が目的だった。

「ここなら誰もいない。話してくれるね?」
 青木のアパートで二人きりになると、美月は明らかに肩の力を抜いて、青木が公園の自販機で買ってきたペットボトルのお茶をゴクゴクと飲んだ。ため息と共に緊張を吐き出し、小さな声で下を向いたまま、美月はとつとつと話し始めた。
「玲子、篠田玲子って言う同僚なの。出納係をしてるわ。彼女は副支店長と不倫してて、副支店長の言いなりだったの。横領も、副支店長が株で作った借金のために、彼とグルになって顧客の口座から勝手に預金を引き出していたの」
 美月がもたらした新情報は、貴重なものだった。このことを所轄に伝える事ができれば、すぐにでも美月の疑いは晴れると思った。

「どうしてすぐに言わなかったの。そのことを警察に話せば、警察がきちんと捜査をしてくれる。君の無実は証明されるよ」
「だって、玲子はわたしの親友だもの。友だちを売るなんて、わたし絶対にできない」
「美月……」
 やっぱり彼女は変わっていない。やさしさと愛情から生まれたような美月。その彼女のやさしさを利用して、自分が犯した罪を逃れようとする篠田という女性が、青木は心底憎らしかった。

 それでも、と青木は再度説得を試みようとして、言葉を止めた。
 一欠片の罪もない、自分が窮地に立たされてまで友人を庇おうとする彼女のようなひとが、容疑者扱いされて警察の取調べを受ける。その状況に、青木は自分が昔、殺人事件の容疑者として取調べを受けたときのことを思い出した。
 思い出して、震撼する。
 男の自分でさえ、気が変になるかと思った。あんな場所に、こんなか弱い女性を放り込むなんて。
 青木は必死で考えた。警察官としての良識と、彼女を守りたいと思う気持ちと、かつて経験した取調べの苛烈さが、青木の中でせめぎあう。
 長考の末、青木が出した結論は。

 美月は出頭させる、それは変わらない。だけど、それは所轄に篠田の情報を流し、彼女の調べがある程度進んでからでもいいのではないか。ちゃんと調べれば、証拠は必ず出てくる。完全犯罪など、この世には存在しないのだ。

「美月。2、3日、ここで我慢できる?」
 青木は彼女の眼を見て、真剣な口調で言った。
「篠田玲子の情報は、オレから所轄に伝える。もちろん、出所が美月だってことは秘密にする。捜査が進めば、彼女が犯人だって事が必ず明らかになる。携帯電話やパソコンを調べれば、不倫の証拠も出ると思うし。
 そうしたら美月は警察に行って、自分が逃げた理由を説明するんだ。そうしないと、容疑は完全には晴れないよ」
「でも、玲子は……玲子はどうなるの」
 美月の友情に、青木は涙ぐみそうになる。自分がこんな目に遭っているというのに、罪深き友人の身を案じるとは。
「罪を犯したら、償わなきゃいけない。罪を償って、やり直すんだ。美月は彼女が人生を立て直す手助けをするべきだ。本当の親友なら、そうするべきだとオレは思うよ」
 美月はしばらく考え込む様子だったが、やがてコクリと頷いた。

「お願い、一行。それまではわたしがここにいること、誰にも言わないで」
「もちろん、誰にも言わない。でも、薪さんにだけは連絡させて。美月のこと、すごく心配してたから」
「薪、さん?」
 鳶色の瞳が訝しげな光を宿し、きれいな額に薄く横皺が浮かんだ。

「オレの上司。オレ、そのひとのボディガードやってて、一緒に住んでるんだ。
 薪さんは今、美月の無実の証拠を探すために所轄の資料を見直してくれてる。オレに心当たりの場所を探すように言ってくれたのも薪さんなんだ。オレが美月と会えたのも、彼のおかげなんだよ。
 美月が真犯人に捕まっていたら大変だって、そこまで考えてくれてるんだ。だから」
「いや!」
 今まで穏やかだった美月の顔が、急に険しくなった。何かに怯えたように、細い肩をぎゅうっと自分の手で抱き、必死にかぶりを振る。

「『薪さん』にだけは、絶対に言わないで」

 縋るような眼をして、美月は青木を見た。
 無理もない、と青木は思う。美月はいま、身に覚えのない罪で指名手配という状況下にある。青木以外の人間が誰も信じられない状態なのだろう。ここで彼女を突き放すことはできない。
「お願い。必ず一行の言う通りにするから」
「わかった。薪さんにも言わない。秘密にするから」
 青木が首を縦に振ると、美月はすっと右手の小指を出した。
「約束」
 公園で、アパートの部屋の中で、ベッドの中で、彼女と何度も行った儀式が、その時の甘酸っぱい感覚と共に青木の中に甦る。青木は自然に迷いなく、彼女の小指に自分の小指を絡め、軽く上下に振った。

――――― 軽く振っただけなのに。

 次の瞬間、絡めていた指の感覚がなくなって、青木は驚愕した。見ると、美月の手と自分の手から、小指が無くなっていた。不気味さに怯えつつも視線を下に移すと、そこにあったのは男の骨っぽい指と、女の細い指。
 床の上でふたりの小指だけが、いつまでも約束の儀式を続けていた。




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水面の蝶(10)

 毎日更新しようと思ってたんですけど、明日、出張入っちゃいました。
 ので、
 今日、2つ更新しておきます。 褒めて♪ (3歳児?)






水面の蝶(10)






 何度か足を運んだことがある友人の家のドアを開けて、竹内誠はその場に立ち竦んだ。
 狭い玄関の床に女がうつ伏せに倒れていて、靴箱の足に手錠でつながれている。顔を上げると、リビングの床に仰向けに寝ている青木の姿と、彼の頭を自分の膝に乗せて座り、彼の左の腹をタオルで押さえている薪の姿が見えた。
 竹内は静かにドアを閉めると、玄関の女性は無視して友人たちに駆け寄った。
 華奢な右手が押さえているタオルは、血で真っ赤に染まっていた。横たわる青木の顔は青白く、意識はない。出血によるショック状態だとしたらかなり深刻な状態だが、タオル2枚分くらいの出血なら命の心配はないと思われた。薪の頬にも血がついていたが、こちらは既に止まっていた。

「何があったんですか」
 お願いします、という言葉と同時に、小さな頭が深く下げられたことに、竹内は少なからず驚いた。長い付き合いになるが、このひとが自分にまともに頭を下げたのは初めてじゃないだろうか。
 しかし、薪の頼みごとの内容にはもっと驚いた。

「本部に報告するなって……これは明らかに傷害ですよ? しかも、彼女は指名手配犯じゃないですか」
「彼女の身柄はお渡しします。でも、青木のことはどうか内密に」
 必ず一人で来てくれと電話があったときから、おかしいとは思っていたが。事件隠蔽の片棒を担がせる気だったとは。
「お願いします。頼める人が、竹内さんしかいないんです」
「……この貸しは高いですよ、室長」
「分かってます。僕にできることなら何でもします」
「うちの先生、いま二人目がお腹にいるんですけど。つわりがひどくて何も食べられない状態なんですよ。一人目の子のときみたく、料理を作りに来てくださいませんか?」
 青白い顔に冷や汗と緊張を浮かべていた薪は、竹内の言葉にようやく微笑んで見せた。
 理由はどうあれ、青木が指名手配犯を匿っていたことは事実だ。だから公にしたくない。それは警察官としてどうかと思ったが、青木は竹内の大切な友人だ。それに、普段あれだけ自分を目の敵にしている薪がこうして頭を下げてくる、その健気さにほだされなかったら、それは人間じゃなくて鉄の塊だと竹内は思う。
 
 意識を失っていた青木を薪とふたりで協力して何とか車に乗せてから、山本美月を人目につかぬように部屋の外へ連れ出した。ここは青木のアパート。ここから彼女が出てきたのを目撃されるだけでもまずいのだ。
 山本の手錠に、薪が自分のジャケットを脱いで掛けてやるのを、竹内は複雑な思いで見ていた。
 竹内は、薪と青木の本当の関係を知っている。その彼を刺した女性に、どうして薪は理性を失わずに接することができるのだろう。それとも、薪が狭量なのは竹内に対してだけで、他の人間に対しては寛大なのだろうか。

 途中、薪が指定した病院にふたりを降ろした。薪が事前に電話をしておいたらしく、病院の救急入り口に車を停めると、すぐに数人の看護師が出てきて、青木の身体をストレッチャーに載せて走り去っていった。竹内に一礼し、薪も後を追いかけて行く。
 竹内は、山本美月を連れて捜査本部のある渋谷南署へ向かった。彼女を何処で確保したか、どういう経路でその場所に辿りついたのか、それらしい報告書を捏造しなくてはならない。まあ、それは後でゆっくり考えよう。今はこの女の取調べが先だ。
 
 署に戻った竹内は、本部長に山本を確保したことを報告すると、捜査本部の人間が唖然とする中、即行で取り調べに入った。取調べは犯人を確保した人間に優先順位があるのだ。
 取調室で美月と差し向かいになり、彼女を観察する。細面の美人だが、何処となく薄倖の影がある。とても辛い恋をしてきた、そういう女性が漂わせる独特の雰囲気を持っている。

「言っとくけど、俺に嘘は通用しないよ」
 低い声で、竹内はそう切り出した。
「女の嘘は何千回と見破ってきたんだ。絶対に騙されない」



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水面の蝶(11)

 ということで、本日2つ目の記事です。
(10)を読んでからこちらを読んでくださいね。(^^








水面の蝶(11)





 ハッとして青木は眼を覚ました。窓からは、西日が差し込んでいた。
 左腹に強烈な痛みを感じる。じりじりと、焼けるように痛い。刺し傷がこんな痛み方をすることを、青木は今まで知らなかった。
 周りを見回すと、白い壁とサイドテーブル、小さなロッカーが見えた。どうやら病院の個室らしいが、部屋には誰もいなかった。
 サイドテーブルに置かれた腕時計は、6時を指している。あれから2時間ほどしか経っていない。
「帰っちゃったんだ。冷たいなあ、薪さん」
 ぽつりと呟いて、でもそんなことはどうでもよかった。

 美月はどうしただろう。
 自分を刺したのを、薪は目撃している。厳格な薪のことだ、美月の罪状に傷害と公務執行妨害を追加しているかもしれない。あの場では表沙汰にしないようなことを言っていたが、怪我をした青木を思いやってのことかもしれない。薪は目的のためなら、平気で嘘を吐くのだ。
 竹内に美月のことを任せると言っていたが、竹内は上手くやってくれているだろうか。美月の言うことを、信用してくれただろうか。
 いや、そんなに心配することはない。篠田のことをきちんと調べてくれさえすれば、美月が犯人でないことはすぐにわかる。わかるはずだ。
 だが。

 心に広がる暗雲のような不安を、青木はどうしても消すことができない。
 小さな手に小さなナイフを握って、あのとき美月は言った。

『嘘吐き。男はみんな、嘘ばっかり吐くの』

 彼女の呪詛は、彼女が男に裏切られたことを暗示していた。
 銀行の上司との不倫関係、その相手に頼まれての横領、それを美月は友人のしたことだと青木に言ったが、もしかするとそれは。

「ちがうよな……美月がそんなこと、するはずない。あの美月が」

 繰り返しながら、青木は薪のきれいな頬を伝った真っ赤な血を思い出す。刃物でひとを傷つけるなんて、それも選りによって薪のことを。
 大事な薪に傷を付けられたかと思うと、怒りが込み上げてきて彼女を憎む気持ちが生まれてくる。
 やっぱり、自分は彼女に謀られていたのか。
 心の底からやさしい女性だと思っていたのに、あれは青木と付き合っていたから、恋人の前だから、だからあんなに善人でいられたのか。
 それを欺瞞と言うつもりはない。自分だって、薪の前では善人の振りを、いや、善人であろうとする。好きなひとにはよく思われたい。当たり前のことだ。

 だけど。
 信じたくない。彼女との思い出はあまりにも美しすぎて。あれがすべて若き日の幻想だったと悟るのはつらい。

「美月……」
 密やかに呼んだ彼女の名前は、見知らぬひとの名前のように、青木の耳に虚しく響いた。




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水面の蝶(12)

水面の蝶(12)






 日曜日の早朝、薪は渋谷南署に竹内を訪ねてきた。
 時刻は朝の6時。日曜日の署は、ひっそりとしていた。ここにいるのは『T銀行副支店長殺害事件』の捜査員だけで、それも指名手配中の重要参考人が捕まったことから殆どの職員は一旦は自宅へ帰り、取調べに当たる数人の捜査官だけが泊まり込みをしているだけだった。8時を回れば報告書の作成のために彼らも出てくるだろうが、それまでにはまだ間があった。
 
 使われていない小会議室に入り、ガタガタいうパイプ椅子にふたりは腰を下ろす。何処の署も予算削減で、普段使っていない部屋の備品は自然とガラクタばかりになる。
「青木は大丈夫ですか」
「ええ。大した怪我じゃありませんでした」
「よかった」
 竹内は心から喜んで、素直に安堵の言葉を洩らした。その気持ちは薪だって一緒のはずなのに、彼のくちびるから出てくる言葉は実に厳しかった。
「あれくらいの出血で気絶なんかして。情けないやつです」
 澄ました横顔がおかしくて、竹内は笑い出しそうになる。昨日はあんなに思い詰めた顔をしていたくせに。

「彼女は事件について、なにか話しましたか」
 尋ねる薪に、竹内はまたもや不思議な感覚を味わう。
 薪の声音からは、大事な人を傷つけられた恨みも口惜しさも伝わってこない。竹内でさえ友人である青木を傷つけられてかなりの私怨を抱いているくらいなのに、彼はどうしてこんなに平静でいられるのだろう。
 薪の丸い頬に貼られた絆創膏を見て怒りを新たにしつつ、竹内は首を振った。
「いいえ」
「例の、篠田玲子については」
「彼女はシロです。アリバイもあるし。それに、昨日電話で言った通り、副支店長と不倫関係にあったのは山本美月のほうです」
 篠田玲子という行員を調べるようにと薪から電話が入ったのは、昨日の午後だった。副支店長の不倫相手については既に情報が上がってきていたから、その事実を彼に伝えた。それから1時間ばかりして、青木の昔のアパートに来るよう言われたのだ。
「そうですか」
 長い睫毛を沈痛に重ねて、薪は苦しそうに息を吐いた。ぎゅっと握り締めた両の手が、かすかに震えている。

「室長。俺のカンでは、彼女はクロです」
 膝の上で震える手を止めようと、もう一方の震える手を重ねる。握られた手が白くなるほどに籠もるその力は、嘆きか、怒りか。
「……青木は、違うと言っています。彼女は天使のようにやさしい女性だったと」
「青木が知っているのは、昔の彼女でしょう」
 彼女と青木の過去を知っているのは自分だけだとでも思っていたのか、薪は驚いた表情で竹内を見た。こんなに朝早くから署を訪れたのも、二人の関係を説明するつもりだったのかもしれない。

「俺は青木のダチですよ。昔の女の話くらい聞いてます」
「そうなんですか? 僕は今回、初めて知りました」
 それはそうだろう。過去の女性の話だ。友人には話せても、薪には話せない。当たり前だと思っても口には出さず、竹内は青木の昔話を記憶の中から引き出した。

「人が良くて、友人のためにバイトしたり、お金を用立ててあげたりする娘だったって話ですけど。今時そんな娘、いますかね」
 本当は自分が男に貢いでいたのを、友だちのこととして青木に話したのではないか。青木から話を聞いたとき、竹内はすぐにそう思った。添田副支店長が昔から株に手を出しては借金を重ねていたことは調べがついている。青木と付き合い始める前から、彼女は添田と関係していた可能性もあると竹内は考えていた。
「だいたい、欠点がひとつも無いなんて、うさんくさいです。彼女が自分を偽っていたのか、青木がのぼせ上がって何も見えなくなってたか。そんなところじゃないですか」
 青木の持つ情報は、あまりにも偏りすぎていると竹内は判断していた。こなした数には自信があるが、そんな女性にはお目にかかったことがない。もっとも竹内なら、欠点の一つもない女性を魅力的だとは思わないが。女は欠点があるからこそ可愛いのだ。

「女ってのは、必ず裏の顔を持ってるもんです。青木みたいに初心なやつには分からないでしょうけど」
 薪は黙って竹内の女性論を聞いていたが、竹内がそう結ぶと、横柄に顎を反らし、眼を半分伏せた嫌味な表情で、
「ただれた恋愛ばかりしてきたんですね。竹内さんらしいです」
「……わかりました。青木は素晴らしい女性と付き合っていた。そういうことにしておきましょう」
 しかし、彼女はクロだ。これは譲れない。

「だけど、ひとは変わるものです。あなたも俺も、ずい分変わったでしょう?」
「人間の本質は、そう簡単に変わるものじゃありませんよ。例えば、プレイボーイは一生プレイボーイでしょう?」
 甘いマスクににモノを言わせて女の子をとっかえひっかえしていた頃のことを揶揄されて、竹内は降参の徴を胸の前に掲げた。両手のひらを相手に向けて、軽く肩を竦め、
「そうかもしれませんね。でも、その本質が出せない時期は人生の中で必ず訪れます。今の俺みたいにね。彼女もきっとそうなんですよ」
 自分が雪子と付き合いだしてから、プレイボーイの血が騒がなくなったように。彼女は青木と別れたことで、自分が元来持っていた美しさを発揮できなくなった。そういうことかもしれない。

「彼女と話をさせてくれませんか」
 速記者も付けず、外部のものを取調室に入れるのは完全な違反行為だが、毒を食らわば皿まで。いい加減、薪の顔に合わない無法ぶりにも慣れてきた。犯人を挙げるためなら、違法捜査ギリギリのことでも平気でやる。度胸がいいと言うか、無鉄砲と言うか。
「竹内さん。彼女から得た事件の情報は、全部あなたに渡します。ですから、どうか録音機は切っておいてください」
 頷いて竹内は、留置所にいる美月を取調室へ連れて来た。その後で薪を取調室へ案内し、こっそりと隣の覗き部屋へと移動する。誰もいないことを確認し、用心のために鍵を掛ける。
 マジックミラーの向こうでは、スチール製の事務机を挟んで薪と美月が静かに向かい合っていた。



*****

 しゅらばらんば2~♪(←すっごく楽しいらしい)


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水面の蝶(13)

水面の蝶(13)





「青木さん、おはようございます」
 ノックの音がして、病院の看護師が姿を現した。お熱測ってくださいね、と体温計を青木に差し出し、すぐに病室を出て行く。朝の交代前で、忙しいのだろう。部屋の引き戸は空けられたままになって、多分空気の入れ替えも兼ねているのだろうと勝手に判断し、青木は横になったままで体温計を脇下に挟んだ。

 昨夜はあの後、看護師が来て痛み止めの注射を打ってくれた。そのおかげで朝まで眠ることができた。浅く不快な眠りだったが、痛くて眠れないよりはずっといい。
 青木はぼんやりと天井を見つめて、何も考えずに体温計のアラームが鳴るのを待っていた。一晩経ったら、大分気持ちの整理もついた。
 美月はもう、自分の手の届かないところに行ってしまった。自分にはどうしようもない。祈ることしかできないのだ。
 空っぽの心を抱えた青木の耳に、廊下からかしましいお喋りが聞こえてきた。

「あら、ここの患者さんて、昨日運ばれてきた人?」
「そうそう。林檎剥いてたら自分のお腹にナイフを刺しちゃったって器用な人」
 ……オレってどんだけドジなんですか。
 薪が言ったに違いない。記憶はないが、自分を病院に連れてきてくれたのは、薪のはずだ。そう思った矢先。

「そういえば、ここの付き添いで来た男の人、見た?」
「見た見た。すっごい美形だったわよね」
 話題が薪のことに移って、青木は恋人のきれいな顔を思い出す。
 冷たく透き通った美貌を一筋も乱すことなく、流れるような動作で美月を床に引き倒していた。頬に一筋の血が流れているのが、場違いなほど凄艶だった。
 薪は終始、冷静だった。青木が怪我をしても、自分が傷ついても。職務となれば感情を殺した機械にもなれる。警察官はそういう精神を要求される職種だが、恋人がナイフで刺されたのに慌てもしないなんて。しかも、昨日の6時には既に姿が見えなかった。青木はずっと気を失ったままだったから定かではないが、処置が終わり、病室に落ち着いた時点でさっさと帰ってしまったのだろう。
 寂しい気もするが、昨日の夜に病室を訪れた医師の話では、刺されたショックと痛みで気を失ってしまっただけで、大した怪我ではなかったようだし。薪が大量に持ち帰ってきた仕事は、あの騒ぎで手付かずのままだ。今頃薪は、家で書類と格闘しているに違いない。
 若干の寂しさを、書類を捌いている薪の美しい横顔を思い出すことで埋めようとしていた青木の耳に、やや年配と思われる女性の険しい声が聞こえた。

「こら、あんたたち。お喋りしてるヒマがあったら、手を動かしなさい」
 すみません、と謝る複数の声が聞こえる。どうやら彼女たちの上司は、仕事に厳しい女性らしい。さもあらん、ここは病院でひとの命を預かっているのだ。真剣に挑んでもらわなくては困る。
「で、なんの話?」
「それがですね、婦長」
 って、こら!
 噂話の声がもうひとつ増えて、廊下はますます騒がしくなる。大丈夫か、この病院。

「403の患者さんの付き添いの方の話です。ほっぺに切り傷つけてた、すごくきれいな男のひと」
「あーあー、あのひと。『僕の血を全部』のひとね」
「そうです、そう!」
 いくつかの相槌が重なり、廊下の空気がいっぺんに華やぐ。彼女たちの話はいまひとつ見えてこないが、薪のことを言っているのは間違いない。
 一刻を争う命の現場で鍛え上げられたもの特有の小さくともよく通る声で、彼女たちは言った。

「真っ白な顔しちゃって、身体中震えちゃって。彼は大丈夫ですか、ってあなたが大丈夫? ってツッコミたくなっちゃいました」
「輸血が必要なほど深い傷じゃなかったのにねー、『僕の血を全部彼にあげてください!』って叫ばれて、須藤先生も面食らってたわよねー」
「しかも大丈夫だって分かった途端、安心して貧血起こして倒れたのよ。もう、どんだけ人騒がせな付き添いなのよ」
「でもちょっと感動しない? 全部よ、全部」
「あたしの彼、あたしが怪我したら同じこと言ってくれるかなあ?」
「無理無理。あんたの彼、注射が怖くて病院に来れないんでしょ」

 くすくすと抑えた笑い声が響く中、先刻病室を訪れた看護師が体温計を回収に来た。
「青木さん、お熱測れましたか? ……大丈夫ですか? 痛みます?」
 看護師が気遣わしげに青木の顔を覗き込み、優しい言葉を掛けてくれた。青木は大丈夫です、と返して、目の縁に浮かんでいた涙を人差し指で拭った。
 笑ったら、傷口が泣くほど痛かった。でも幸せで、青木はこの痛みを失くすのが惜しいような気さえした。

「37度5分。昨夜より大分下がりましたね」
「オレ、昨夜はぐっすり寝ちゃって」
「痛み止めと、眠れるようなお薬を入れましたから」
「お世話掛けました。体温測るの大変だったでしょう? 図体でかいから」
 青木が恐縮すると、看護師は首を振って、
「ずっと付き添いの方が起きてらして。お熱はその方に測ってもらったんですよ」
「あれ。彼は夕方帰ったんじゃ」
「いいえ。一晩中、ここにおられましたよ。青木さんの意識が戻ったときは、ちょっとその……あちらの意識がなかったというか、まあ……」
 そういうことか。貧血を起こした彼に、自分が付き添ってやりたかった。

 曖昧に語尾を濁した看護師に、青木は薪の行方を尋ねる。朝早くに病院を出たそうだが、朝食の時間までには戻るから、とナースステーションに青木のことを頼んでいったそうだ。
「きっと、食事のお世話をなさるおつもりなんだと思いますけど。ぜんぜん、必要ないんですけどね……夜間も完全看護だからって言ったのに、聞く耳持たないし……」
 少しだけ呆れた口振りで彼の空廻りっぷりを暴露する、だけど彼女の表情はやさしさに満ちて。多分に迷惑を掛けたであろう青木の付き添いのことを、彼女が心の底では微笑ましく思っていることを青木に知らせる。
 朝食は普通食が出ますからね、と言い置いて、看護師は病室を出て行った。青木は仰向けになったまま、朝食の時間を心待ちに目を閉じた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

水面の蝶(14)

 こんにちはー。

 昨日、たくさん拍手くださった方、ありがとうございます。(毎日いっぱいいただいてるんですけど、昨日は特に多かったので)
 お一方ではないと思うのですけど、昨日みたいにお天気の良い休日に、あんな不健全なもの読ませてしまって申し訳ありませんでした~。
 そして今日のシーンもまた、取調室と言う日当たりの悪い場所で。 青木さんの元カノVS薪さんと言う構図で。 
 毎度、心臓に悪いSSですみませんです。 





水面の蝶(14)





 昨日、自分を警察に連れて来た刑事に取調べを受けたときと同じように、美月は俯いて口を閉ざしていた。貝のようにただじっと、時が過ぎるのを待とうと思った。
 こんなに朝早くから取調べにくるなんて、部下を刺されてよほど頭に来ているのか。何が何でも白状させてやると息巻いてきたのだろうが、自分は絶対に喋らない。
 自分は悪くない。悪いのは、あの男だ。

「青木は大丈夫ですよ」
 思いがけないことを言われて、美月は面食らった。身構えていた緊張が、僅かに崩れる。
「傷は浅くて、内臓には届いていませんでした。よく切れる刃物でしたから、傷口もすぐにふさがるでしょう。2,3日すれば、退院できますよ」
 亜麻色の瞳は真っ直ぐに美月を見ていた。美月はやっと顔を上げて、薪の方を見た。
「心配だったでしょう?」
 やさしげな声だった。慈しむような瞳だった。昨日の刑事の威嚇するような声、眇めた鋭い眼とはまるで違っていた。

「青木がね、ずーっとうわ言であなたのことを案じていました。だからきっと、あなたも青木のことを心配してるんだろうなって」
「……相変わらず、お人好しなのね。一行は」
 自分を刺した女のことを心配するなんて、お人好しを通り越してただのバカだ。
 まったくです、と笑った薪の顔は、何故かとても誇らしくて。美月は薄々気がついていたふたりの関係を確信する。それは意外でもあり、ある意味当然かと思われた。だって、一行は昔から――。

「事件のことを、話してもらえますか」
 穏やかに切り出されて、美月はガードを固める機会を逃す。世間話の続きみたいに言われたら、意識を浮遊させる暇もない。
「添田さんを許せなかったあなたの気持ちは、よく分かります。添田さんが横領を指示していたんですよね? あなたは彼を愛していたから、彼の言いなりになってしまった。でも彼は」
 添田の言いなりにならざるを得なかった美月の苦しさを、まるで自分が味わっているかのように、辛そうに眉をひそめて薪は言った。
「あろうことか篠田玲子に横恋慕し、横領の罪を全部あなたに押し付けて、銀行から追い出そうとした」
 ちょうどその事実を知った時の自分のように、薪は長い睫毛を伏せた。それから再び顔を上げ、しっかりと背筋を伸ばした。

「一時の感情を制御できず、あなたが彼を殺めてしまったことはあなたの罪です。でも、あなたは悪人ではありません。あなたはとてもやさしい人だと、青木は言ってました。僕は彼の言うことを信じます」
 刑事のくせにずい分甘いのね、と美月は心の中で呟く。
 昔青木から聞いた限りでは、『薪さん』は凄腕の捜査官だという話だったが、とてもそうは見えない。女みたいにきれいな顔をして、身体も華奢で……ていうか、このひといくつ? わたしより若いわよね? なんか計算合わないような気がするけど。

「ひとは、過ちを犯す生き物です。誰にでもその可能性はある」
 薪はそう前置きしてから、美月がぎょっとするようなことを言った。
「僕は部下を射殺した事があります」
 美月はそれを知らなかった。青木から薪の話を聞いたとき、そんな話は出なかった。
「正当防衛が認められて、僕は裁かれませんでしたが。僕自身はあれを不可抗力だとは思っていない。自身の過ちであったと認識しています」
 悔恨でもなく、懺悔でもなく、それは単なる述懐に聞こえた。それは仕方のないことだった。彼が事件のことを感情に溺れずに口にできるようになるまでの道のりを、美月は知る術もなかった。
 しかし、次に彼が語った言葉は、美月の胸に重く響いた。

「償いのチャンスを与えられることは、決してあなたの人生にとって不利益なことではありません。本当に辛いのは、罪を認められないことです。
 罪を認めない限り、あなたはそこから一歩も進めない。釈明することもできず、償うこともできず、許しを請うことも忘れ去ることもできない。あなたの人生は、そこで止まってしまうんです。
 あなたの時間は止まり、身体だけが年老いていく。空っぽの人生を消化するだけの日々を過ごして、やがて天に召されるとき、あなたの中にいったい何が残るのでしょう。
 僕は、そんな人生をあなたに歩んで欲しくない」
 美月は、自分の身体がひとりでに震えだすのを自覚して、それを抑えようと自分で自分の腕を抱いた。
 薪の言うことは、真実味があった。人を殺めたことがある彼の言葉だからこそ、こんなにも自分の身に迫るのか。

「どうしてそんなことを、わたしに?」
 美月は不思議だった。薪の言葉も態度も、自分を恨んでいるようには思えない。彼を傷つけられて怒り心頭に発している筈なのに、その様子は心から自分を心配してくれているように見える。
「何故わたしの未来を、あなたが心配してくれるの?」
「僕があなたに感謝しているからです」
 薪の応えは、美月を驚愕させた。我知らずぽかんと口を開け、大きく開いた鳶色の眼で、目の前の美しい顔が美しい言葉を紡ぐのを見つめる。

「あなたは確かに、彼を形作った一片です。僕の大事な人の人生を豊かにしてくれた。僕が好ましいと思う彼に至る一縷の流れは、あなたから発せられたものだ。だから僕はあなたに感謝している」
 机に拳を乗せ、少し身を乗り出して、薪は熱心に語りかけた。その口調は熱く、彼のクールな外見を裏切って、青臭くさえあった。
「あなたには、実りある人生を歩んで欲しい」
 そう結んで、薪は口を閉じた。

 それきり、薪は事件に付いて一言も訊かなかった。部屋には静けさに満たされ、ふたりの呼吸の音すらしなかった。沈黙に耐えるため、美月は再び顔を伏せた。
 長いこと、薪は美月が口を開くのをじっと待っていたが、その時はとうとう訪れなかった。腕時計を見やり、他の職員が出勤してくる時間が近付いたのを確認して、薪は立ち上がった。
 最後に、薪は美月の傍に歩み寄り、彼女の横に優雅に片膝を付いた。俯いてしまった彼女の顔を下から見上げるようにして、
「今でも青木の中に、やさしく美しいあなたが息づいているように。あなたの中にも彼が残したものがあるはずです。それを思い出してもらえませんか」

 懇願されて美月は、胸を締め付けられたように息を殺した。
 やさしく美しいわたし。一行は、自分のことをそんな風に話したのか。

「彼なら、あなたがこれから生きていくのに必要なものを残してくれているはずです。僕は彼からそれを受け取りました。だから今も生きていられる」
 吸い込まれるような亜麻色の瞳に見つめられて、美月はますます胸が苦しくなる。

 なんてきれいな瞳。わたしが失ってしまった光を、彼はずっと持ち続けている。他人を殺めた者同士、でもこんなにも違う。
 それは彼が、一行が傍にいるから? 彼が一行に選ばれて、わたしは一行を手放してしまったから? その違いだというの。

「あなたにも、きっと残されている。彼は、そういう愛し方をする男だったはずです」
 すっと立ち上がり、真っ直ぐに歩いて薪は部屋を出て行った。きれいに伸ばされた細い背中が、美月の瞳に鮮烈に焼き付いていた。





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水面の蝶(15)

 明後日ですね。
 みなさん、どきどきしてますかー? 

 前回はみんなにメイワクかけちゃったので、今回はそんなことのないよう、ココロの準備をして挑もうと、懸命に精神修行を積んでいたのですけど。 ←具体的には青雪さんの結婚式とか家庭を妄想していた。 おかげでこの2ヶ月、何も書けなかった。(--;
 考えを突き詰めるうちに、「あれが薪さんなんだなー」と思えるようになって来ました。
 自分の恋心には蓋をして、相手の幸せのために力を尽くす。 わたしが好きになった薪さんは、元からそんな人でしたよ。 4巻で、会議を抜け出して雪子さんと喋ってる青木さんの代わりに書類を配る薪さんに惚れたんだもん。
 最終回でやっと、わたしの一番好きな薪さんが帰ってきたんだなー、と思えば、それはそれで感慨深いです。
 青木さんに恋をして、雪子さんに嫉妬して、修羅の果てに辿り着いた彼の現況を、祝福してあげたいです。

 事件に関しては純粋に面白いと思って読んでたので、ココロの準備が必要なのはこの件だけです。 腐女子の悲しいサガっすね☆






水面の蝶(15)






 あーん、と口を開いて、青木は薪のほうへ顔を向けた。口の中に入ってきた味の薄い卵焼きを噛み締め、満足そうに目を細める。
「美味いか?」
「はい。薪さんの卵焼きには全然敵いませんけど」

 リクライニングを起こして背中に枕を入れ、ベッドに座ったまま、青木は口だけを動かして食事をしている。薪が手ずから青木にごはんを食べさせてくれるなんて、一生の間に一度、あるかないかの大イベントだ。このチャンスを逃してなるものか。
「ほら、野菜も」
 箸ではつまみにくいプチトマトは、ヘタを取って、指でもって食べさせてくれる。プチトマトと一緒に口の中に入ってきた薪の細い指先をチュッと吸って、青木は悪戯っぽい眼で薪を見た。薪はちょっと赤くなり、照れ隠しに慌ててご飯を箸で掬い、青木の口へ……ああっ、もう本気で腕の一本くらい捥げてもいいっ!

「早く退院して、薪さんのごはんが食べたいです」
 青木が切実な口調でそう言うと、薪は食事のプレートに『普通食』と書いてあるのを確認してから、
「昼飯に何か作ってきてやろうか」なんて優しいことを言ってくれる。薪と出会ってから8年、こんなに彼にやさしくしてもらえたのは初めてじゃないだろうか。
「本当ですか? じゃ、ハンバーグとオムライスと鳥唐揚げと、牛肉の牛蒡巻きにポテトサラダに春雨とつくねのスープと」
「ちょっと待て、どんだけ食う気だ。おまえ、本当に病人か?」
 傷口は痛いが、内臓に怪我がないから食欲はある。それに、薪の作った料理ならいくらでも食べられる気がする。
 疑わしそうな目をしながら、薪は汁碗を取った。みそ汁も薄いと見えて、上部は澄まし汁、下部はみそ汁の二重構造になっている。薪は碗の底を箸で揺らして全体の味を均一にすると、身を乗り出し、汁碗を両手で持って青木の口元に近づけた。

「あのう、できればみそ汁は口移しで……」
「ばっ! そんなことできるわけないだろ、病院だぞ!」
「でも、スプーンついてないし。汁碗から直接だと、こぼしちゃいそうだし」
「うっ……」
 口元を引きつらせて、薪は椅子に座り直した。まあ、個室だし、と口の中で呟くと、みそ汁を口に含む。
 ちらりと青木を見る、恥ずかしそうな上目遣いの瞳がたまらなく可愛い。軽く尖らせた艶っぽいくちびるとか、透けそうな頬に上った朱色とか、ためらいの形に固まる指の形とか。何もかもが好ましくて、ありえないくらい愛しくて、青木は思わず亜麻色の髪に右手を差し入れる。
 びくっと身を引く薪の様子が、これまた可愛くて。数え切れないくらいベッドを共にしてお互い知らないところはない仲だというのに、失われない清純は薪というひとの特徴であり、奇蹟だと青木は思う。

「薪さん……」
 尚も身を引く薪に追いすがり、捕らえ、その身体を抱きこんで、青木は彼の整った顔を至近距離から眺める。大きな亜麻色の瞳がいっぱいに開かれて、その中に映し出された熱い目をした男の顔がどんどん近付いてきて―――。
 プ――ッ、という破裂音と共に、青木の顔面に粘っこいみそ汁が吹きつけられた。みそ汁で顔洗って出直せ、と言葉で叱責されたことはあるが、実際にその洗礼を受けたのは初めてだ。

「ひっど……ひどいですよ、薪さん」
 薪の口の中に入っていたものだから、唾液と混ざってネバネバする。タオルで顔を拭きながら青木が抗議すると、薪はヒステリックな声で、
「おまえ、歩けるじゃないか!!」
 あ、しまった。
「傷が引き攣れて腕も動かせないって、ウソだったのか!?」
 だって……薪さんに食べさせてもらいたかったから……。
「おまえというやつは~~~~~!!!」

 自分が騙されたことを知って、薪はギリギリと歯噛みし、でもさすがに入院患者に手を上げることはできなくて、不貞腐れてパイプ椅子にふんぞり返った。両腕を組み、ついでに足も組んで、金輪際おまえの世話はしないぞ、と意思表示をしてみせる。
 青木は仕方なくベッドに戻って、残りの食事をぽそぽそと食べた。薪に食べさせてもらったのと同じ料理のはずなのに、びっくりするほど不味かった。

「ったく。おまえも図太くなったもんだ。昔はあんなに僕のこと怖がって、ビクビクしてたくせに」
「いつまでも新人じゃありませんから。成長したと言ってください」
「言い様だな。人間、変われば変わるもんだ」
 はっ、と吐き捨てるように鼻で笑って、薪は足を組みなおした。スマートなスラックスが、膝の細さを際立たせる。
 青木のことばかり言うけれど、薪だって、ずい分変わった。
 知り合ったばかりの頃はこんなに我儘じゃなかったし、意地悪でもなかった。もっと穏やかで物静かで、大人の分別を持っていた。それがいつの間にか、こんな天邪鬼でコドモでフクザツな性格のオヤジに……。
 しかし、最初のころの薪より今の薪の方がずっと可愛く思えるのは何故だろう。
 悪役俳優みたいな白い眼で青木を睥睨する薪を見て、そのヒールめいた顔つきに心が浮き立つ自分に気づいて、薪の言うとおり、自分はやっぱり変わったのかもしれないと青木は思った。

「彼女も、そういうことなんでしょうか」



*****

 見渡せば、病院でエッチしてるカップルもいると言うのに、うちの二人ときたら。(笑)
 てか、
 これが鈴木さんだったら、薪さん、怒ったりしないんだろうな。 なんでかな、今では鈴木さんより青木さんの方が好きな筈なんだけどな。


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水面の蝶(16)

水面の蝶(16)




「彼女も、そういうことなんでしょうか」
 食事の膳を空にして、青木は紙パックの牛乳をストローで啜りながら呟いた。しんみりしたその口調は、大切な思い出の品を失くしてしまった子供のように、寂しさに満ちていた。
 青木にはもう、事件の真犯人が彼女だと分かっていた。
 薪がここにいること、なのに彼女のことを話そうとしないのが何よりの証拠だ。薪が今も彼女の無実を信じているなら、絶対に動いてくれているはずだ。昨日、あれから美月がどうなったのか、どんな取調べを受けているのか、青木に教えてくれたはずだ。

「変わってしまったのか。それとも、オレの眼が節穴だったってことなんですかね。美月は誰にでもやさしい天使なんかじゃなくて、もともと人を害するような類の人間だったってことで」
「青木。それは違う」
 いまさら美月を庇ってもらっても、慰めにはならない。事実は事実として、動かしようもなくそこにある。

「何が違うんですか。罪を犯して、そこから逃れたくて、彼女はオレを利用しようとしたんですよね? それがうまく行かなかったものだから、腹を立ててオレを刺した。そんな人間をオレはずっと、この世で一番やさしい女性だと信じて」
「そんな人間て、どんな人間だ」
 青木の恨みがましい言葉を、薪の冷静な声が遮った。
「殺人を犯した人間は、普通の人間じゃないとでも言うつもりか。犯罪者は悪人で、そうじゃない人は善人だと?」
「違うんですか」
 薪の言わんとすることが、青木にはよく分からない。例外が無いとは言わないが、一般的な認識はそうだと思う。普通の人間は人を殺さない。
 しかし、薪は即座に青木の言葉を否定した。

「ちがう。犯罪者もそうじゃないひとも、みんな普通の人間だ。特別な人間が犯罪者になるわけじゃない。過ちを犯してしまった人たちを犯罪者と言っているだけで、彼らは悪人じゃない」
 犯人側にも目を向けることを怠らない薪らしい考え方だが、青木には屁理屈に聞こえる。薪はあるいは、自分の理屈を押し付けようとしているのではなく、青木の中にある美しい思い出を守ろうとしてくれているのかもしれないが、その気遣いすら今の青木の耳には空々しく響くばかりだ。

「そんなきれいごと」
「青木!」
 叱責するように、薪は青木の名を呼んだ。ぞくりと青木の心臓が冷える。
 いつも職場でされるように威嚇されて、条件反射で身構えてしまう自分が悲しい。しかしそのときの薪は、職場では絶対にしないことをした。ベッドに無気力に放り出されていた青木の右手を両手で包み、やさしく握って持ち上げたのだ。

「別に僕は性善説を支持してるわけじゃない。でも、誰にだってその可能性はある。ほんのはずみで、道を一本間違えただけで、転がり落ちるように犯罪に手を染めてしまって、抜け出したくても抜け出せない。そんなひとが世の中にはたくさんいるんだ」
 自分の手で救いきれない彼らの苦悩を慮ってか、薪の秀麗な眉が辛そうに眇められる。伏せられた睫毛が微かに震える、それは常に自分に厳しく、職務に忠実な薪がほんの少し覗かせる彼の真実の片鱗。
「水面を飛ぶ蝶のように。降りたくても降りられない。彼らの視野はとても狭くなっていて、真下の水面しか見えない。両側にあるはずの風景が見えないんだ。羽根を休められる草も、蜜を吸える花も、何も見えない。そんな彼らにとって、飛ぶ方向を変えることはひどく難しい」

 目蓋を閉じて、長い睫毛を重ねて、そうして薪が青木に見せてくれるのは、どんなに著名な工芸家でも作り出せない麗しい造形。だけどこんなに薪がきれいなのは、見た目だけじゃない、形だけじゃない、彼の魂の中核を成す、それは彼が生まれ持ったもの、そして彼の人生の中でその純粋さと共に懸命に積み重ねてきたもの。
 おそらくは誰もが生まれたときその手に握っていて、でも何かをつかむために手放して、多くのひとがもう二度と手に入らないと嘆く秘石を薪は当然のように持っていて、それが彼をきらめかせるから。正義感や熱意や情熱や、時には眩暈がするような愛くるしさになって、彼の中から溢れ出すから。

「青木」
 大切過ぎて触れるもためらわれるようなものを慈しむときの慎重さをもって、薪が自分の名前を呼ぶ。彼の全身から発せられる、彼の輝きが青木を包む。
「僕たちの仕事は、市民を犯罪から守ることだろ。だったら犯罪に手を染めてしまった人たちをそこから救うことも、僕たちの仕事だと思わないか」
 再び眼を開けた薪の亜麻色の輝きを見れば、それは一番に彼の真実を表していて。いとも簡単に青木の反駁心は根こそぎ奪われる。はい、と頷くしか残されていない一者択一の選択肢を、青木は心からの喜びと共に選び取る。

「怪我が治ったら、彼女に会いに行きます」
 青木の言葉に、薪がこくりと頷く。亜麻色の髪がさらりと揺れて、つやめくリングが天上の美を宿す。
 青木は薪に包まれた右手をさらに高く持ち上げると、薪の手の甲に敬虔さの漂うキスを落とした。

「薪さん。オレ、薪さんの部下でよかっ……て、なんですか、そのいきなりの大欠伸は! 感動シーンが台無しですよっ!!」
 心から捧げた尊敬をスルーされて、しかも欠伸までされた日には、胸いっぱいに広がった感動も掻き消されようというもの。大声による腹筋の収縮に伴う痛みも手伝って、青木のテンションは錐もみ状態で落ちていく。
 それなのに薪は、青木の憤慨を何処吹く風と受け流し、彼の手を素っ気無く払って口元を手のひらで隠しながら二度目の欠伸をするという軽挙に出た。
「誰かさんのせいで昨夜寝てないから。眠くって、貧血起こしそうだ」

 かちーん。

 昨夜の睡眠不足は薪の空回りの自業自得で、青木は頼んでないし、看護師さんも要らないって言ってたし、だいたい怪我人に向かって「おまえのせいで寝不足」って普通言いませんよね?
 二回の大掛かりな酸素補給を行なったにも関わらず、まだ眠そうに目をこすっている薪の耳元で、青木はささやかな復讐を試みる。
「昨夜はありがとうございました。お礼に、今度薪さんが貧血起こしたら、オレの血を全部あなたに差し上げますから」
「何を大袈裟なことを言って…………ん?」
 どこかで聞いた、いや、口にした覚えのあるセリフをそっくり返されて、薪はたちまち顔を火照らせる。信じられないことを聞いた、という顔をして青木の顔をまじまじと見る、そんな薪の姿は、看護師たちの噂話が真実であったことを青木に教えてくれる。

「まさかおまえ、ずっと意識のない振りをしてたんじゃ」
「違います、看護師さんたちが話してるのを聞いただけで、ちょっ、薪さん? どうして花瓶を頭の上に振り上げてるんですか? あ、さすがにそれで叩いたりは、って冷たっ! てか、痛―――ったいっっ!!」
 顔にぶっ掛けられた水は植物特有の臭気がして、身体をよじったものだから痛みもひどくて、本気で泣きが入りそうだ。
「みそ汁の次は花瓶の水ですか。イタタ……」
 どうやら今日の青木には、水難の相が出ているらしかった。


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水面の蝶(17)

 ラストですー。
 原作とかけ離れた話になっちゃったのに、読んでいただいてありがとうございました。

 さて、メロディ買に行こうっと♪





水面の蝶(17





 コンクリート製の殺風景な箱の中で、透明なアクリル板を挟んで、山本美月は昔の恋人と向き合っていた。
 遠い記憶の中に眠る彼、そのままの姿で青木は美月の前に現れた。8年ぶりに再会したときと同じ、懐かしそうに愛おしそうに自分を見つめる黒い瞳。
 彼が、皮肉でもないせせら笑いでもない、心からの笑みを浮かべているのを見て、美月は不安な気持ちでいっぱいになる。

 どうして?
 自分は彼を騙したのに。その上、怪我まで負わせたのに。
 何故かれは笑っているの。どうしてわたしを責めないの。

「美月。少し痩せたみたいだ。ここのご飯、美味しくないの? 何か差し入れして欲しいもの、ある?」
 やさしさに満ちた彼の言葉に、美月は力なく首を振った。
 拘置所の麦飯は、パサパサして不味い。おかずもみすぼらしい。でも、親が差し入れてくれた弁当も似たようなもので、結局は喉を通らずに同室の者にあげてしまった。拘置所には専門の売店があって、そこで買ったものしか差し入れることはできない仕組みになっている。

「口に合わなくても、ちゃんと食べなきゃダメだよ。いざって時に力が出ないからね」
「いざって……どういう時?」
「うーん、運動の時間とか、入浴の時間とか?」
 必死に頭を巡らせたであろうその回答に美月は苦笑し、強張っていた肩の力を抜いた。
「そうね。ここじゃ、動くときってそれくらいしかないものね。気をつけないと太っちゃうわ」
「大丈夫。美月は太ってもきれいだから」

 呑気な会話の裏側で、彼が何をしに来たのか、美月は必死で考える。
 自分を詰りに来たのではない。恨み言を言いにきたのでも、嘲笑いに来たのでもない。じゃあ、何のために?

「美月。がんばるんだよ。オレ、美月のこと信じてるから」
 熱心に言われて美月は、青木がここに自分を励ましに来たことを知る。まさか、まだわたしの嘘を信じているんじゃ。
「一行。あのね、わたしがやったの。全部、わたしが」
「それは分かったよ。そうじゃなくてさ」
 照れくさそうに後頭を掻いて、青木は苦笑いした。子供が友人の悪戯に引っかかったときに見せるような、それは他人を安心させる笑顔だった。

「美月がちゃんとやり直せるって。オレ、信じてるから」

 同じように、自分の未来は決して閉ざされてはいないと言ってくれた人のことを美月は思い出す。美月がつけた頬の傷を絆創膏の下に隠して、今の青木と同じように美月の身を案じてくれた、彼。

「『薪さん』元気?」
「うん。相変わらず仕事の鬼だよ。今日も日曜なのに、このあと職場に戻るって」
 この後、ということは、ここまで一緒に来たのだ。おそらく外で待っているのだろう。見せ付けてくれるわ、嫌味のひとつも言いたくなっちゃう。

「あの後ね、わたし、薪さんと話をしたのよ。あなたと会った翌日、朝早くに薪さんがわたしのところへ来たの」
 へえ、と青木は眼を丸くした。どうやら知らなかったらしい。
「まさかあんな美人を射止めるとは思わなかったわ。すごいじゃない、一行」
「えっ。薪さんと何を話したの?」
「何って、色んなことよ。一行と『薪さん』の間であった、あーんなことやこーんなこと」
「ま、まさか! いや、それは薪さんの冗談だよ。オレたち別に、ソープごっことか猫耳プレイとか、してないから!! それに、女装は薪さんの趣味ってわけじゃなくて、仕事で仕方なくだからね、誤解しないようにね。まあたしかに新鮮ではあったけど。チャイナドレスもゴスロリも刺激的だったなあ……でも一番はやっぱり着物かなあ。そうだ、この次はメイド服着てもらって『ご主人様とメイド』のシチュで」
「一行……あなた、変わったわね」
 別れておいてよかった、と美月はさばけた口調で言い、久しぶりに声を立てて笑った。

 明らかにホッとした様子の昔の恋人と、後は他愛のない会話をしながら、美月は心の中で彼に語りかける。

 一行、覚えてる? わたしがあなたと別れるときに言ったセリフ。
『あなたはわたしを見ていない』

 わたしと付き合ってたとき、いいえ、その前から、あなたが見ていたのはあの人だけ。
 あなたは忘れちゃったみたいだけど、どうして弁護士をやめて警察官になることにしたの、って聞いたら、あなたはこう答えたのよ。
『科学警察研究所に薪剛って警視正がいるんだけど。警察庁始まって以来の天才って呼ばれてて、法医第九研究室っていうところの室長をやってるんだ。オレ、そこで働きたいんだ』

 彼に憧れている、とはっきりあなたは言った。
 あなたに自覚はなかったかもしれないけれど、わたしの目から見れば、それは紛れもない恋だった。
 同じ職場で働くようになってからは、もうそれを隠そうともしなくなった。たまに返って来るメールの内容が『薪さん』のことばかりなんて、ひとを馬鹿にするにもほどがあるわ。他の誰かに首ったけの男と付き合えるほど、わたしは寛容な女じゃないの。
 良かったわね。そこまで恋焦がれたひとと、相思相愛になれて。わたしは……。
 わたしは、失敗しちゃった。

「美月」
 面会の終了時間が近付いて、青木は真面目な顔になって美月の名を呼んだ。
「君に恋をして、オレは幸せだったよ」
 わたしもよ、と心の中で、美月は叫ぶ。あの頃が一番幸せだった。

 どうして。
 どうしてこの人の手を放してしまったのだろう。このひとが傍にいれば、わたしはきっと道を誤ることはなかった。今でもこの人の傍で、幸せに笑っていられたはずだ。
 でも現在、彼の傍にいて微笑んでいるのは自分ではなく、あのひと。警察署の取調室で話をした、驚くほどに美しいひと。
 彼があんなに美しいのは、一行の傍にずっといるから? 彼の愛情を受け続けているから?

 そう思いかけて、美月はそれがすべての理由でないことに気付く。薪はあのとき、自分に言ったではないか。

『青木の残したものが、あなたの中にもきっとある』

 万が一彼を失っても、薪は折れない。自分の中にある青木一行を見つめて、前に進むことができる。それは青木も同じこと。
 自分の中に薪がいるから、青木はそのやさしさを失わずに。
 自分の中に青木がいるから、薪はずっと美しいまま。
 互いが互いを磨くように、どんどん精練されていく。余計なものを取り去った糸はとても強くて、寄り合わせたらエクスカリバーでも切れない。

「だから、また別の誰かに。その幸せを分けてあげて」
 青木が最後に言った言葉に、美月は力強く頷いた。顔を上げて、しっかりと青木を見た。彼女の鳶色の瞳はキラキラと輝いて、やっぱり美月はきれいだ、と青木は思った。




*****




 T拘置所の石造りの門の陰で自分を待っていた上司に歩み寄って青木は、お待たせしました、と頭を下げた。これから職場に戻るつもりの彼は、仕事用のダークスーツに身を固め、でも休日らしく少し華やいだネクタイをしている。仕事が早く終わったら、食事くらいはと思ってくれているのだろう。

「どうだった?」
「元気そうでした。ちょっと痩せちゃってましたけど、笑うこともできるみたいでした」
 そうか、と素っ気無く背を向けて門の外に出た薪を、青木は後ろから追いかける。早足の薪に合わせるために、自然に歩幅が大きくなった。

「美月と話したそうですね。その、プライベートなことまで」
 青木が先刻得たばかりの情報を薪に確認すると、薪は明らかに歩を乱した。
 横目で睨むと薪は、ぷい、と横を向き、通り沿いのショーウインドウに飾られたこの秋の流行ファッションを眺める振りで青木の視線を避けた。バツの悪そうなその様子から、彼女の証言は信憑性を高める。

「ずるいですよ、薪さん。オレには、事情を知ってる三好先生にすら絶対に自分たちのことは話すなって言うくせに、自分は美月に喋っちゃうなんて。オレ、猫耳プレイのことはふたりだけの秘密にしておきたかったのに。あ、でも、着物プレイの良さは彼女も知ってて、着付け用の紐で両手を縛って長襦袢の裾を」
 ごん! という音がして、薪のおでこがショーウインドウとキスをした。振り向きざまに、あほか、と罵声が飛んでくる。
「おまえこそ何の話をしてきたんだ!? 彼女のこれからの人生、かかってんだぞ。ちゃんと元気付けてきたのか?!」
「大丈夫ですよ」

 脅しつけるような下方からの攻撃に、青木は余裕で切り返す。両の手のひらを前に出し、にこりと笑って、
「彼女、オレが大好きだった瞳の色をしてました」
 青木の言葉に、青木の大好きな亜麻色の瞳が凪いだ海のように穏やかになる。表情は変わらずとも、ゆっくりと開かれる細い肩が彼の気持ちを伝えてくる。

「あの瞳ならきっと。羽根を休められる草も、蜜を吸える花も見つけられると思います」
 薪はそれには何も言わず、黙ってまた歩き出した。青木もそれ以上は言葉を発せず、彼に並んで歩を進める。
銀杏並木の色づき始めた初秋の道を、ふたりは静かに歩いていった。




―了―


(2010.12)


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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
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