きみはともだち 後編(1)

 こんにちは!
 先日、清水先生のサイン会に参加された方、お疲れさまでした! 
 よかったですね~! ツイッターやブログを読ませていただいて、こちらにもその感動が伝わってきました。こんなに好きになれるものがあるって幸せだよね(^^


 さて。
 今日から公開しますこのお話、以前お目汚しした鈴薪話『きみはともだち』の後編でございます。当ブログの鈴薪さんが恋人同士になる前のお話です。原作とはいろいろ設定違ってます、すみません。特に鈴木さんの妹。2060年に成人式の設定で書いちゃったから、この頃は幼女ということに……ごめんなさいです。
 
 それとこちらのお話、4万拍手のお礼にしたいと思います。よろしくお願いします。 






きみはともだち 後編(1)






 テーブルの上に用意した来客用の茶菓を検分する目つきで眺めて、鈴木塔子は満足げに頷いた。紅茶はファーストフラッシュのダージリン、手作りのアップルパイは表面に塗った卵黄の輝きが見事で、切り口も崩れていない。
 誰にも文句は言わせないわ、と彼女は強気に腕を組む。知らず知らずのうちに好戦的な顔になっていたのだろう、夫に宥められた。
「そんなに神経質になるなよ。ただの女友達だろう」
 何を呑気なことを、と彼女は心の中で夫の楽観に呆れる。まったく、男親はこういうことに鈍くて困る。

 息子が女の子を家に連れてくることは珍しくなかった。でもそれは必ず、何人かの友人と一緒だった。一人だけ、それも彼女の夕飯も用意してくれとまで頼まれたのは初めてだ。何でも彼女は独り暮らしで、家庭の味に飢えているらしい。
 独り暮らしの女子大生、しかもあの容姿。誰に似たのかメンクイな息子が、これまで家に連れてきた娘の中でもダントツだ。母親なら当然心配になる、既に彼女は息子と深い仲になっているのではないか。すねかじりの大学生とは言え二人とも結婚できる年齢だ。今年中に彼女がこの鈴木家の嫁になることも、可能性がないとは言い切れないのだ。

「最初が肝心なのよ。お茶は厳選、お菓子は手作り、克洋はそういう家庭の子供だってことを分からせなくちゃ。あの子の将来を任せることになるかもしれないんだから」
「気が早いなー。まだその娘が克洋の恋人だと決まったわけじゃないだろう」
「でもね、あのお嬢さんは自己紹介を下の名前でしたのよ? いくら克洋にそう呼ばれてるからって、普通はしないわよね。もう嫁気取りってことじゃないの?」
 彼女にファーストネームで自己紹介された時、息子との特別な関係を匂わされた気がした。結局はそれが一番、カンに障ったのかもしれない。
「どうせ結婚するんだからお母さんも私のことは下の名前で呼んでくださいね、て意味で」
「おい」

 夫の声に長舌を遮られて初めて、彼女は台所の入り口に息子と彼女が並んで立っているのに気付いた。二人とも眼をまん丸くして、こちらを見ている。
 しまった、と口を噤んだが遅かった。塔子の嫌味はすべて彼女の耳に入ってしまったに違いない。彼女はその美しい顔を曇らせ、困ったように息子を見上げた。
 上向いた彼女の頭は克洋の肩の下、つまり背丈は塔子といくらも変わらないくらいだ。少々潔いくらいの短髪にベビーフェイスと華奢な体つき。服装のせいかもしれないが、最近の女の子にしては凹凸の寂しい身体をしている。
 零れ落ちそうな亜麻色の瞳に見つめられて、克洋は苦笑した。「気にするな」とでもフォローするのかと思ったら、こちらに向かってすたすたと歩いてきた。では親の方に説教するつもりか、結婚もしないうちから嫁の味方か、そう来るなら夕飯は作らないわよ、と心に決めて、塔子は息子の顔を睨み返した。

 ぽん、と肩に手を置かれた。塔子の二の腕まで覆ってしまう大きな手。父親も自分もそれほど大柄ではないのに、本当にこの子は誰に似たのだろうと塔子は思う。
「母さん。マキは下の名前じゃなくて苗字だよ」
「あ、あら、そうだったの。珍しい苗字だからてっきり」
 塔子の勘違いは息子のせいでもある。克洋はこれまで、親しい娘は下の名前にちゃん付け、それほど親しくない娘は苗字をさん付けで呼んでいた。息子が苗字を呼び捨てにするのは男友達だけ、それが刷り込まれていたのだ。
「ごめんなさいね、マキさん」
 いいえ、と彼女は首を振った。細くて真っ白な首。襟元まできっちりと止められたボタンと白いシャツが清楚さを強調しているが、見た目に騙されてはいけない。20歳にもならない女の子の独り暮らしなんて、他にどんな付き合いがあるか分かったものじゃない。人生経験の浅い息子の代わりに自分がよく見極めてやらないと。

 初めての家で緊張しているのか、彼女は直立不動の体勢で突っ立ったまま、息子がお茶セットのトレーを持ってくるのを待っていた。手を出そうともしない辺り、世話焼きタイプではないらしい。さらには眉を吊り上げて息子を睨み上げ、
「鈴木。面白がってるだろ」
 なんて口の利き方。息子が早くも嫁の尻に敷かれているのかと思ったらカッとなった。
「マキさん、女の子ならもう少し」
「母さん。薪は男」
「やさしく――えっ!?」
 耳から入った言葉の意味を理解するまでに、多少の時間がかかった。年齢のせいだとは思いたくない、40を過ぎたあたりから鈍くなったと自分でも感じているが認めたくない断じて。

「男……の子?」
 その一言で、ボーイッシュな美女は絶世の美少年になった。なんてことだろう、滅多にお目に掛かれない美人だとは思っていたけれど、こんなにきれいな男の子、テレビでだって見たことがない。
 思わずぽーっと顔を赤らめた塔子に向かって、彼は初めて会ったときと同じように、ぺこりと頭を下げた。
「下の名前は剛です。克洋君にはいつもお世話に、……笑うな、鈴木っ!」
 紅茶のカップがカチャカチャと音を立てるくらいに震えながら笑っている息子に、彼は威勢よく叫んだ。




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きみはともだち 後編(2)

 最近、お天気が不安定でなんだか怖いですよね。竜巻だの雷だの大雨だの、いっぱい続いてて。特に竜巻は運よくその兆候を発見できたとしても十数秒で大きく膨れ上がるらしいので、気を付けてくださいって言われてもどうしたらいいのか(@@)
 早くお空が安定してくれるといいですねえ。







きみはともだち 後編(2)






「いつまで笑ってるんだよ」
「だっておまえ、嫁気取りとか言われて、ぷくくっ」
「お母さんのミスを笑うなんて。親不孝な息子だな」
 紅茶を飲む友人に不機嫌そうに毒づかれて、だけど鈴木は腹筋の震えを止めることができない。母親の久々の大ヒット、笑わずにいられようか。
 笑ってばかりで会話にならない鈴木に呆れて、彼は鈴木の部屋の本棚を勝手に物色し始めた。買っただけで未だ読んでいないニーチェを選んだ彼は、それをめくりながらぼそりと、
「……いっそのこと笑い死ね」
 慌てて口を押さえて彼を見る。薪の怒った顔は、とんでもなく可愛かった。

「分かった、悪かったよ。もう笑わない」
 遠慮しているのか甘いものが嫌いなのか、手つかずのアップルパイをフォークで切り取り、鈴木は彼の口元に近付けた。断らないところをみると遠慮していたらしい。彼は高慢なくせにヘンに控え目なところがあるのだ。
「食えよ。うちの母さん、ケーキ作るの上手いぜ」
 むすっと膨れた友人の口にアップルパイを入れてやる。彼の顔が途端にほころんだ。
「おいしい」
「だろ」
「ケーキまで作れるのか。鈴木のお母さんはすごいな」
 母親の手料理は子供の頃からの鈴木の自慢だ。鈴木の友人で彼女の料理を褒めなかった者は一人もいない。

 ニーチェを元の位置に戻し、薪は鈴木の前に座った。残りのパイを食べ始める。彼は食が細いけれど、食べるときには他に気を逸らさずに食べ物に専念する。親の躾がよかったのだろう、食べ方もきれいだった。
「夕飯も期待していいぜ」
「え。いいよそんな、悪いよ」
「『鈴木は毎日お母さんの手料理が食べられていいなあ』って言ったの、おまえだろ」
「あれは食べさせろって意味で言ったわけじゃ」
「薪の分、頼んじゃったよ」
「あああ……僕きっとものすごく印象悪くなってる……挨拶もまともにできないうえに食事まで要求して、あつかましい子だって思われてる」
 彼の嘆きが可笑しくて、鈴木はクスクス笑った。薪のこれは冗談じゃなくて本気で言ってる。天然記念物並みに生真面目で、だから薪は面白いのだ。

「初めて訪問する友だちの家で夕食までごちそうになるの、鈴木が初めてだ」
 薪が鈴木の前で無表情の仮面を脱いでから2週間。彼らはもう何年も前からの友人みたいに、それは誰とでも打ち解けられるタイプの鈴木でさえ意外に思うくらいの急速さで、だから薪はもっと信じられないに違いない。その証拠が彼が二言目には口にする、
『鈴木が初めてだ』
 その言葉は鈴木を優越感に浸らせる。「鈴木が初めて」と言う時の、彼のはにかむような表情とか初々しく上がる肩とか照れを隠すように逸らされる瞳とか、何もかもが鈴木には新鮮だ。こんな友人は初めて、いや、薪のような人間は存在自体が稀有なのだ。とびきりの頭脳に端麗な容姿、でも鈴木が彼に惹かれたのはそこじゃない。どちらかと言えば、それは鈴木にとって彼を取り囲む城壁であった。
 彼が、無表情の仮面の裏で必死に守っていたもの。そして現在は穏やかな笑顔の下に隠しているもの。目下、鈴木の関心はそちらだ。
 仲の良い友人という位置までは漕ぎ着けたものの、薪にはまだ秘密がある。それが気になって仕方がない。

 鈴木は元来、それほど詮索好きな人間ではない。友人が多くなれば自然に浅い付き合いも増えるものだ。家族構成も知らない友人も多々いるし、それを薄情だとも思わない。でも、薪に関しては。
 知りたい。ぜんぶ知りたい。
 彼が好きなもの嫌いなもの、何を好ましいと思い何に憤るのか。彼の考え、感じ方。将来の夢や昔の話も、全部彼の口から聞きたい。
 強い探究心とは裏腹に、鈴木の態度は慎重だ。知り合って間もない頃、自分の思慮が足らなかったせいで彼を泣かせてしまったことがある。その失敗が鈴木を臆病にしている。
 男友達に遠慮なんて、彼が初めてだ。「鈴木が初めて」と言うのは今や薪の口癖のようになっているが、その実、「初めて」の回数は鈴木の方が多いかもしれない。口にこそ出さないが、この友人と過ごすとき、鈴木の心は常に新しい驚きでいっぱいになる。
 今だって。

 食べやすい大きさに切り取ったパイを行儀よく口に運ぶ彼の、手首の返し方とかフォークの咥え方とか、男にしては上品すぎる、ていうか、食べる姿が見惚れるくらいきれいな男なんか初めてだ。そして、
「半分だけだぞ?」
 じっと見つめる鈴木の前に食べかけのアップルパイが差し出された。
「まったく。自分のを先に食べちゃって人のを欲しがるなんて。子供だな、鈴木は」
 ……その発想が子供だろ。
 再び腹を抱えて床に突っ伏した鈴木を、薪は不思議そうに見る。どうして笑われているのか分からない子供みたいな顔にますます笑いが募る、やばい、マジで笑い死ぬかも。

 命の危険を感じて頭の中に英単語を並べ始めた鈴木に、薪は呆れ顔で言った。
「鈴木って、一日の8割くらい笑ってる気がする」
「悪かったね、能天気で。生憎オレは薪みたいに優秀じゃ」
「いいと思う」
 ちょっと拗ねた口調で言い返したらすぐに肯定されて、鈴木はまた驚いた。
「すごくいいと思うよ」
 ひねくれ者かと思えば時に素直で、意地の悪い男だと思うと急にやさしくなったりする。強気に鈴木を責めたかと思えば次の瞬間には寂しげに眼を伏せたり、とにかく、薪は定まらないのだ。こういうやつ、と一言で表すことができない。強いて言うなら天邪鬼で気紛れ、猫みたいな性格。でもそれだって完璧ではない。一食の恩を忘れない犬のように律儀な一面もあるし、一つのことに徹底的に拘る粘着質なところもある。

「さて。本題に入ろうか」
「本題?」
「経済学のレポートだよ。このために僕を呼んだんだろ」
 家に来ないか、と電話をした時、「何のために?」と聞かれたので「経済学のレポートとか」とシャレで言った。まさか本気にしていたとは。
 薪が持参した鞄の中身は経済誌とレポート用紙とノートパソコン。やけに大きなショルダーを下げているなと思った時点で察するべきだった。
「準備はいい? じゃあヨーロッパから行こうか。この年のユーロ経済危機は3つの要因が重なったものでその一つは生産と消費トレンドのグローバルな不均衡、すなわち米国における過剰消費とアジアにおける過剰生産が原油と原材料価格を引き上げ――」
 何が悲しくて金曜の夜に経済学のレポートに挑まなくてはならないのか。経済の探究より女の子の身体を探究するほうが百倍楽しい。今まで金曜の夜はそれが定番だったのに。

「やっぱり彼女に電話すればよかった……」
「鈴木、聞いてる?」
「はい、薪先生」
「よろしい。第2に、ヨーロッパ域内の地域的不均衡とバブル経済の余波が――」
 思いがけず始まった課外授業に辟易しながら、鈴木は冷めた紅茶を啜った。





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きみはともだち 後編(3)

 こんにちは。

 みなさん、シーズン0のコミックス買いました?
 特定の書店で買えばポストカードのおまけが付くと聞いてHPを確認しました、ら。うちの近所にはない書店ばっか。
 車で1時間くらい走ればありますけど、それも地域によるらしくて。田舎の店では封入されていないという話もあって、何とか入手できないものかとネット検索してみたんですけどね。
「マ○ガ王」というお店のHPで「特典あり」の表示を確認して買うと確実に手に入ることが分かりまして。でも、送料と代引き手数料で700円も掛かるんですよ。
 オマケのポスカの為にコミックスとほぼ同額払うって、そんなオマケ目当てにお菓子を買う子供みたいな真似はできないですよね~。まっとうな大人ならしないことですよ。

 …………………………………………買っちゃった☆

 まっとうな大人ならこんな小説書いてません。←開き直った。







きみはともだち 後編(3)








 コンコンとドアがノックされ、鈴木は砂漠でオアシスを見つけた遭難者の勢いで扉にダッシュした。あれから1時間、薪の講義は延々と続き、鈴木の頭の中では中国元とフランスユーロがリラの槍とドルの盾を持って混戦状態になっている。この混沌から抜けられるなら、いつも何かしら夕飯の材料を買い忘れる母親のお使いにだって喜んで行く。

「ヒロにい、ごはんー」
「よーしよし、ちゃんとノックできたな。えらいぞー、千夏」
 妹の千夏は4歳、鈴木とはだいぶ年が離れている。鈴木の腿くらいの高さにある小さなおかっぱ頭を撫でてやると彼女はにっこりと笑い、次いでテーブルの上を片付けている薪を見た。
「だあれ? きれいなお姉ちゃん」
 母親に続いて妹にまで女に間違われて、怒るも泣くもできない薪の視線が鈴木の背中に突き刺さる。特別講義が深夜まで延長されるかもしれない恐怖に、鈴木は慌てて妹の間違いを訂正した。
「お姉さんじゃなくてお兄さんだよ。薪お兄さん。ヒロ兄の友だち」
「男の人?」
「初めまして、千夏ちゃん」と微笑む薪を、鈴木とよく似た黒い瞳がじいっと見つめる。ちょっと首を傾げるようにして彼女は、階段を安全に下りるためにつないだ鈴木の手をパッと払った。

「千夏、薪お兄さんがいい」
 断られるなんて微塵も思ってない口振り。それもそのはず、この家の中で彼女の意見が通らなかったことはまずない。末っ子の女の子である彼女は鈴木家の王女だ。特に父親の溺愛ぶりは息子として恥ずかしいくらいだ。4歳の子供に向かって「千夏は嫁になんか行かないよな」と繰り返す、彼の夢が実現したとして30年後も同じセリフが言えたらその時こそ心から父を尊敬できると鈴木は思っている。

 迷いなく差し出された小さな手に、薪は一瞬戸惑ったが、穏やかに笑って彼女の手を取った。鈴木の前に立ち、千夏の歩幅に合わせてゆっくりと廊下を歩く。
 階段に差し掛かると、二人の歩みはいっそう遅くなった。身長差のある相手と手をつないで階段を下りるのは意外と難しいものだ。千夏が階段を踏み外しそうになって薪の脚に抱きつき、慌てた薪が彼女の小さな背中を抱き支える場面もあった。その時の千夏のうれしそうな顔。
 ――ヒロ兄と歩くときはよろけたことなんかなかったよね千夏ちゃん。
 あの母親にしてこの娘ありだ、と鈴木はいささか失敬な見解に達する。メンデルの法則に基づく彼の理論が証明されたのは、テーブルに並んだ夕食の膳を見た時だった。

 一瞬、クリスマスかと思った。
 寿司とハンバーグとスパゲティとトンカツと刺身がある。東大の天才に世界経済を叩き込まれた鈴木の頭の中よりとっ散らかったメニューだ。
「……今日、誰かの誕生日だっけ」
「おほほ、この子ったら何を寝ぼけてるのかしら。いつもの夕飯と変わらないじゃない」
 アイドルオタクの母親は無類のイケメン好き。薪の中性的な美貌は彼女の好みに違いないと思っていたが、ここまでテンパりますか、お母さん。
 自分のチャラい性格のルーツは彼女にあると鈴木は思う。母親はよく鈴木のことを「誰に似たのか」と不思議がるが、このDNAは間違いなく彼女から来てる。

 無秩序な食卓に眼を丸くして、薪はこそっと鈴木に呟いた。
「鈴木の家の夕食って、いつもこんなに豪華なのか。それでその体格なんだな」
 違うぞ、薪。毎日これ食ってたらオレはとっくに相撲部屋からスカウトされてる。

 薪と並んで食卓について「いただきます」を言ったら、次の瞬間から母親の攻撃が始まった。取り分けてあげるわね、と薪の取り皿に盛るわ盛るわ。次々と差し出される器を機械的に受け取る薪を見て、鈴木は彼に同情した。
「いっぱい食べてね、剛くん」
「ありがとうございます。いただきます」
「遠慮しないで。ほら、こっちも食べなさい。これもそれもあれも」
 お母さん、それは一種の拷問です。まったく美形には弱いっていうか、これだから女は、
「デザートにはメロンがありますからね。お父さんが買って来てくれたのよ、剛くんに食べさせてあげなさいって」
 親父、あんたもか。
「そんなに細いんだもの。独り暮らしは大変だと思うけど、しっかり食べなきゃ」
「はい」
 薪は食が細いから、内心は困っていたと思う。でも鈴木は母親を止めなかった。だって薪が楽しそうに笑っていたから。いつも夕食は一人で済ませる彼には、大勢でワイワイ喋りながら食べることもこうして他人に食事の世話を焼かれることも、新鮮だったのかもしれない。

 テレビなど点けなくても、鈴木家の食卓は常に人の声で満ち溢れている。幼稚園での出来事をこと細かく母親に報告する妹と、そこに男子の名前が挙がるだけで逐一チェックが入る父親。母親は応えを返しながらちゃんと話を聞いているのに、何故か「ね、ヒロ兄」と鈴木が相槌を強要される。適当に流すと3人がかりで怒られるので、主題に適した感想を述べる。今日はそこに美しい来訪者が加わって女性陣の饒舌が水増しされ、普段の倍もにぎやかだった。
 子供の特権で「薪お兄さん」が幾らも経たないうちに「薪兄ちゃん」になり、最終的には鈴木と同じ「薪兄」になった。薪は名前を呼ばれるたびに、こそばゆそうな顔をした。

 食事が終盤に差し掛かり、母親が取り分けてくれた皿の半分も食べきれず薪はギブアップした。申し訳なさそうに「さっきアップルパイをいただいちゃったから」と言い訳する。それも半分は鈴木が食べたのだが、薪は本当に食が細い。
 捨てるのも勿体ないと思い、薪が手を付けなかったハンバーグを鈴木が食べていると、薪がこちらを見て、
「鈴木。ニンジン食べないのか」と聞いてきた。
 鈴木は極端な野菜嫌い。平気で食べられる野菜は玉ねぎとキャベツとモヤシくらい、それ以外の野菜は地球上から消滅してしまえばいいとさえ思っている。特にニンジン、ピーマン、セロリ等、苦みやえぐみのある野菜は毒物に近い認識だ。苦い薬をオブラートに包むように、甘い砂糖で青臭さをコーティングしたこのニンジングラッセを食べるくらいなら、鈴木は同じ大きさのハバネロを選ぶ。

 鈴木はごくりと口の中のものを飲み込み、無表情に言った。
「食べるよ」
 赤い物体をまとめて口の中に放り込む、間髪入れずに麦茶で胃に流し込む。口の中に留まる時間が1秒でも長引いたら負けだ。
 鈴木が素早く人参を食べ終えると、美しい来客にテンションの上がっていた両親は「おおー」と感嘆の声を上げて上半身をのけぞらせ、妹は椅子の上に立ちあがってパチパチと拍手をした。
「ヒロ兄がニンジン食べた! 薪兄、すごい!」
 千夏ちゃん、後でゆっくり話そうね。お父さんとお母さんがいないところで。
「なんだよ、大袈裟だな」
 家族愛を疑いたくなるくらいに笑う彼らを、鈴木は引き攣り顔で非難した。でも本当は、全然怒っていなかった。彼らの笑い声に釣られたらしい、薪が珍しく声を上げて笑っていたからだ。

 薪は冗談の通じない男ではない。聡明な彼は、鈴木が言葉にするより早くオチを察して笑うこともある。でも大抵それは口の中で噛み殺すような笑いだ。19歳男子の笑いにしては大人しすぎるというか、いつも何かを我慢しているように鈴木には見える。
 他の感情についてもそうだ。本当は泣きたいくらい悲しいのに何でもないことのように振る舞ったり、ものすごく怒っているのにわざと表情を消したりする。その態度と彼のエキセントリックさはひどくアンバランスだ。大人ぶっているというよりは、何らかの理由で無理やり感情を抑え込んでいるような気がする。

 泊って行ったら、としきりに勧める母親の誘いを固辞し、薪が帰途に就いたのは9時を回った頃だった。
 久しぶりに実家に帰ってきた息子さながら、残った料理を詰めたタッパーを3つも持たされて、薪は「どうもごちそうさまでした」と玄関先で挨拶をした。
「とても美味しかったです」
「またいつでも遊びに来てね、剛くん」
「ありがとうございます」
 失礼します、と戸外に出た薪の後を鈴木が追う。門の手前で、薪、と彼を呼び止めた。
「駅まで送るよ」
「大丈夫だよ。女の子じゃないんだから」
 確かに。普通なら玄関まで見送ってお別れだが、鈴木も鈴木の家族も何故か、彼を駅まで送っていくのが当たり前だと思っていた。

「いいからいいから」
 薪が右手に提げていたお土産の手提げ袋を持ってやり、鈴木は彼の隣を歩いた。ショルダーバックだけでも重いのにこんな荷物を持たされて。薪には有難迷惑だっただろう。
「悪かったな。うちのお袋、いい年して美形くんに目がなくてさ。若手のアイドルグループとか、親父に内緒で生写真まで集めてるんだぜ」
 鈴木の暴露話にクスッと笑って、薪は羨ましそうに言った。
「いいな。鈴木の家は楽しくて」
「そうかあ? いつもあの調子だぜ。たまには落ち着いて飯が食いたいよ」
「なに贅沢なこと言ってんだよ。僕なんか」
 薪が自分のことを話してくれそうだと感じたので、鈴木は口を噤んで彼の言葉を待った。しかし薪は何も言わず、しばらくの間二人は黙って道を歩いた。

 歩きながら、鈴木は以前電車の中で、薪の叔母夫婦の話をしたことを思い出した。薪の両親は彼がまだ子供の頃に事故で亡くなり、薪は叔母の家で育った。叔母のことは割とすらすらと話してくれたのに、叔父のことになると途端に口が重くなった。あのとき鈴木は、薪と叔父の間に確執のようなものがあったのではないかと想像した。中学を出てすぐに一人暮らしを始めたという薪の早すぎる自立にも、そのことが関係しているのではないかと思った。

「叔母さんたちと上手く行ってないの?」
 薪は一瞬足を止め、ひゅっと息を吸い込んだ。ショルダーの肩紐を握った右手が微かに震えるのを、左手がぎゅうと押さえる。
 震える右手もそれを押さえ込む左手も、どちらも彼の手。ずっとこうして、彼は自分の震えを自分で止めてきたのだろうか。
「昔は楽しかった。それを」
 薪は再び足を動かし、道を進む。蒸し暑さが混じり始めた初夏の夜風に紛らすように、小さく言った。
「僕が壊した」
「え?」
「ありがとう。自炊だからすごく助かる。お母さんにお礼言っておいて」
 聞き返した時には駅に着いていた。鈴木の手から手提げ袋を取り、薪はにこりと微笑んだ。
「じゃあね、鈴木。また学校で」
 迷いのない歩みで薪は構内を進み、やがて改札の人混みに飲まれて見えなくなった。どうしてか、鈴木はその場から動けなかった。薪を乗せた電車が走り去ってしまうまで、彼はその場に立ち尽くしていた。




*****


 鈴木さんの家族は捏造してます。
 ジェネシスを読む前に妄想した設定で本編を書いてしまったので、修正するのも難しくって。なのでこのまま。混乱させちゃったらごめんなさい。


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きみはともだち 後編(4)

 今度は薪さん家です。
 捏造激しくてすみませんー。しかも薪さん家ビンボーだし。←ありえない。
 原作主義の方ごめんなさいー。





きみはともだち 後編(4)







 叔母の家に一緒に行かないか、と薪に誘われたのは、その翌週のことだった。週に一度と義務付けられている現況報告の際、鈴木の家で夕飯をごちそうになったことを話すと、一度家へ連れてきなさいと言われたらしい。
 薪の誘いを、一も二もなく鈴木は応諾した。その日はゼミ仲間との飲み会の予定があったが、参加しないことに何のためらいもなかった。

 大森にある薪の叔母の家は周囲を緑の生垣に囲まれた二階家で、どちらかというと質素な部類に入る。築30年から40年と言ったところか、灰色の瓦屋根に年月で薄汚れた外壁。新築当時は真っ白だったのかもしれないが、明らかにメンテナンス不足だ。
 薪の上品な顔立ちには似つかわしくない家だが、鈴木には想定内だった。薪が今住んでいるアパートだって、決して条件の良い物件ではない。狭いし古いし、駅から20分も歩くし、日当たりだってあまり良くない。「帰って寝るだけだから不自由はない」と薪は言うが鈴木だったら耐えられないと思う。部屋にゲームもオーディオコンポもない生活なんて。

「ただいま」と声をかけて、薪は玄関を開けた。カラカラと引き戸の戸車が滑る音がした。三和土にはきちんと揃えられた女物の靴とサンダルと男物の革靴が一足ずつ。サンダルは庭履きだとして、革靴は叔父のものだろう。それを確認した薪が、ほんの少し眉を寄せるのを鈴木は見逃さなかった。
 長い黒髪を後ろで一本に束ねた優しそうな女性がすぐに出てきて、「おかえり、剛」と笑顔で彼を迎えてくれた。鈴木の母親に比べると地味で年嵩に見えるが、その分落ち着きがあって安らげる感じの女性だった。
「元気? ちゃんと食べてる?」
「うん。大丈夫だよ」
 薪と叔母はごく当たり前の家族の会話を交わし、その様子を見て鈴木はなんだか嬉しくなった。彼に帰れる場所があること、そこで彼を待っていてくれる人がいること。普通のことなのによかったと安堵する。薪は決して薄幸そうな男ではないし、独り暮らしが寂しいなんて彼の口から聞いたこともないのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。
 
「あなたが鈴木君?」
「あ、はい。剛くんにはいつも学校でお世話になってます」
「そう? この子わがままだから、迷惑掛けてるんじゃない?」
「そんなことないです。いつも勉強教えてもらってて」
 和やかに初対面の挨拶をすませ、鈴木は居間に通された。畳敷きの八畳間。座卓とテレビが置いてある。卓の上には夕食の準備が整えられていたが、それは一見してスーパーの総菜と分かるものばかりで、盛り付けによって多少の手作り感は演出されていたものの、母親の手の込んだ料理を普段から見慣れている鈴木にとっては戸惑いを禁じ得なかった。

 汁物を温めてくるからと叔母が台所に引っ込むや否や、鈴木は「だまされた」と言った。
「ごめん。叔母さん、あんまり料理は得意じゃなくて」
 困った表情で謝った薪に、鈴木は憮然として、
「どこがマ●コデラックスそっくりだよ。叔母さん、美人じゃん」
「なんだ。本気にしてたのか」
 ぷ、と薪は噴き出した。鈴木に座布団を勧めながら、皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「だって、鈴木がイヤラシイ顔してたから」
「そうかあ?」
「大事な叔母さんを鈴木の毒牙に掛けたくなかったし」
「薪くんは僕のことを誤解してると思います。みんなそう言うと思います」
 鈴木の抗議に薪は笑いながら立ち上がり、叔母の手伝いをしてくると言って自分も台所に行った。鈴木なら招いた友だちを一人にしたりしないが、自分と違って薪は、家族に気を使わなければいけない立場にあるのだと思った。自分の友人のために親がお菓子や食事を用意してくれるのは鈴木にとっては当たり前のことだが、薪にはそうではない。先日鈴木は、薪が来た日に食卓に並んだメニューは節操が無さ過ぎだと母親に抗議した。でも薪には叔母が用意してくれたものにケチをつけるなんて、思いもよらないことなのだろう。
 この古い家で薪は育って、きっと小さい頃から家の手伝いをたくさんして。掃除や洗濯なんかも自分でしてきたのだろうと想像して、鈴木は自分の恵まれた立場に微かな羞恥を抱いた。勉強さえしていれば、家の手伝いなんて頼まれもしなかった。親が整えてくれた環境で好きなだけ勉強できた自分と、勉強する時間は自分で作らなければいけなかった彼。その彼が自分よりも遥かに優れた成績を修めていることを鑑みて、鈴木は自分の甘さを教えられた気分だった。

 ふと周囲を見回すと、部屋の隅に作りつけの仏壇があることに気付いた。
 中には幾つかの位牌と、若い夫婦の写真が飾ってあった。男性の方は涼やかな目元がちょっとイケメン程度の男だったが、女性の方は息を飲むくらいの美人だった。亜麻色の長い髪に同じ色の大きな瞳。その顔立ちは薪にそっくりだった。
「すげ」
 思わず見入っていると、背中から声を掛けられた。
「母が写真嫌いで。まともに映ってるの、それしかないんだ。僕は未だ子供だったから覚えてないけど、お葬式の時の写真もそれから起したんだってさ」
 振り向くと、薪が座卓に吸い物を並べていた。いつ入ってきたのか分からなかった。畳に靴下の家は足音が聞こえないから、突然人がいてびっくりしたりする。
 しかし、次に姿を現した叔母が廊下を歩くスリッパの音はちゃんと聞こえて、薪の足音がとても静かなのだと分かった。薪はこの家で、自分の足音にまで気を配るような生活をしてきたのだろうかと心配になって鈴木は、気の回し過ぎだとすぐに考え直した。

「剛。史郎さん呼んできて」
 史郎というのは叔父の名前だろうか。はい、と薪は素直に返事をしたが、彼は嫌がっているように鈴木は感じた。その時彼が踏み出した一歩が、普段の半分ほどの幅しか無かったからかもしれない。
 居間に現れた時と同様、薪は音をさせずに階段を上って行った。叔父の部屋は二階にあるらしい。

「鈴木くん。こないだは剛がごちそうさまでした」
「いえ、なんかうちの母親テンパっちゃって。剛くんには迷惑だったと思うんですけど」
「そんなことないわ。嬉しそうに話してたわよ。あの子、よっぽど楽しかったみたい」
「そうですか」
 鈴木は胸を撫で下ろした。母親の態度に関してはけっこう本気で心配していたのだ。

 短い雑談を交わす間に、薪が一人で階下へ降りてきた。呼びに行ったはずの叔父の姿はなかった。
「いま手が放せないから先に食べててくれって」
「そう。じゃ、食べましょうか」
「待ってなくていいの?」
 鈴木の家では、父親が食卓に着く前に他の家族が食べ始めるなんてことはしない。仕事で留守の時は別だが、家にいるのに待たないなんてありえない。
「叔父さん、プログラマーなんだ。切りのいい所まで打ち込み終えるの待ってたら、夜中になっちゃったことがあるから」
「そうそう。待たれてると思うと向こうもプレッシャー感じるって言ってたしね」
 二人が箸を取ったので、鈴木もそれに倣った。いただきます、と手を合わせてから吸い物に手を伸ばす。
「鈴木くんは何が好きなの?」
 食べ始める前に、薪の叔母はちゃんと鈴木の好みを聞いてくれた。この辺、母親にも見習ってもらいたいと思う。
 鈴木は野菜が苦手だが、友人の親にまで我儘は言えない。にっこり笑って嘘を吐いた。
「皿以外なんでも食べます」
「……箸は食うなよ」
 まあ、と叔母は一瞬目を丸くして、二人のやり取りにクスクスと笑った。

「この子、昔から友だち作るの下手なのよ。家へ連れてきた友だちも数えるくらいしかいないの。だから仲良くしてあげてね」
「叔母さん」
 困ったような声を上げた薪の頬が赤くなる。鈴木だって、親が友人に向かってそんなことを言ったら怒る。気恥ずかしいし、過保護だと思われるからだ。
 薪には同情したけれど、やっぱり鈴木は嬉しかった。なんとなく家族愛に恵まれていない気がしていた友人に、こうして彼を案じてくれる肉親がいること。事情があって離れて暮らしているだけで、心が通じていれば彼は決して孤独じゃない。

「そんなことないですよ。薪は学内中の人気者です。友だちになりたがってるやつは沢山いるのに、合格ラインが厳しくて」
「まあ。それ本当?」
「嘘だよ。まったく、鈴木は調子いいんだから」
「ほらね。手厳しい」
 笑いながら鈴木は、オードブルの皿から鶏唐揚げとウィンナー、酢豚の肉と玉ねぎだけを拾った。肉にくっついてきた薄切りの人参は、叔母の目を盗んで薪がそっと自分の皿に移してくれた。

「そういえば高校の時に仲良かった、ええと、佐久間……忍君だっけ? あの子とは交流なくなっちゃったの?」
 佐久間という名前を聞くと、薪は一瞬固まった。その男が薪の家に遊びに来たことのある数少ない友だちの一人であろうことは察しがついたが、それにしては薪の反応が解せない。単なる昔の友人なら、懐かしむ顔になりそうなものだ。
「学校が違ったら、付き合いも自然に無くなる」
 素っ気なく薪は言った。そこから次の話題につながると期待していたのか、叔母は肩透かしを食らったような表情で甥を見た。
「そういうもの?」
「そういうもの。この鈴木くんとだって、大学卒業したらそれでおしまい」
「まあひどい。薪くんたら冷たいわ」
 鈴木が女声で言ったものだから薪と叔母は揃って噴き出し、居間は笑いに包まれた。「鈴木君て面白い子ね」と、それはよく言われる。東大生なら言われ慣れているはずの「優秀なのね」や「将来が楽しみね」等の褒め言葉より遥かに多いのは鈴木のキャラクターで、つまりは薪の言う通り、お調子者の傾向が強い。

「鈴木、弁護士になるんだろ? 僕は警察官で当然検察側。つまり鈴木とは敵同士だ」
「まだそんなことを言ってるのか。警官なんて」
 薪の将来設計に水を差したのは鈴木ではなく、突然障子を開けた男の声だった。
 初めて見る薪の叔父は、神経質そうな男だった。痩せて、銀縁の眼鏡をして、険しい顔つきをしていた。
 薪との間に、一瞬火花が散った気がした。無言で睨み合う二人の間には、強い確執が見て取れた。

「あの、初めまして。鈴木克洋です」
 二人の間に割って入るように、鈴木が声を掛けた。敢えて空気を読まない振りで、だって喧嘩になりそうだったから。他人の前なら二人とも矛を収めるだろうと思ったのだ。
 鈴木の思惑通り、叔父は「ああ、よろしく」と頷いて叔母の隣、薪の向かいに座った。薪がすっと目を逸らす。自分を見ようとしない甥を、叔父は執拗に見据え続けた。
 汁物を温めなおしてくる、と叔母は席を立ち、場には男性3人が残された。重苦しい沈黙に包まれ、鈴木は食べていた酢豚の肉が硬いことに唐突に気付いた。

 やがて薪が口を開いた。
「大学は叔父さんの言う通りにしました」
 箸を置いてきちんと座り直し、叔父の顔を真っ向から見据えた。
「警官になりたかったら東大に首席で入れって、僕はちゃんと条件をクリアしました。反対される謂われはないと思います」
「生意気を言うな。誰のおかげで大きくなったと」
「育てていただいたことは感謝しています。でも、警官になることは僕の子供の頃からの夢です。叔父さんに何と言われようと諦めるつもりはありません」
 薪はきっぱりと自分の意見を言い切り、つまり鈴木の気遣いは泡になった。こうなってしまっては他人の鈴木にできることはなく、二人の顔色を窺いながら息を殺しているしかなかった。
 叔母が席に戻ってからも、その空気は変わらなかった。叔父が加わるだけで雰囲気が一変する。食事は楽しむものではなく、単なるエネルギーの補給になる。それは鈴木家の食卓とは対照的とも言える寒々しい光景だった。

 しばらくして、薪はやや唐突に席を立った。
「鈴木。駅まで送るよ」
 そう言って障子を開けた薪は、鈴木の家に来た時の半分も食べていなかった。友人に急き立てられる形で食事を終えた鈴木は、「ごちそうさまでした」と家人に向かって頭を下げた。開け放した障子から、薪が玄関の引き戸を開ける音が聞こえてくる。鈴木は急いで荷物を整えた。

「君は弁護士志望なのか」
 立ち上がりかけた鈴木を、それまで一言も喋らなかった叔父の声が止めた。
「はい」
「そうか。それは立派な職業だ」
「警察官だって立派な職業だと思いますが」
「警官は駄目だ。あれは良くない」
 鈴木が友人のために出した助け船は、漕ぎ出す間もなく転覆した。警察に何の恨みがあるのか知らないが、叔父は聞く耳を持たない様子だった。
「あの子に勤まると思うか。あんなひ弱な身体で」
 そこは怪しいものだと鈴木も思っていた。薪は現場の巡査になりたいらしいが、あれは体力のある者でないと勤まらない。聞く話によると柔道もしくは剣道の初段が必須らしいし、そうなると薪は決して警官の資質に恵まれているとは言えない。しかし、薪の成績なら間違いなくキャリア入庁できる。キャリアは現場には出ない。柔道も逮捕術も必要ない。
 鈴木がそう言うと、叔父は眉間の縦皺を3倍にも増やして、
「あの子の性格ではキャリアはもっと勤まらん。剛は警察の何たるかを知らんのだ」
 暗い声に、鈴木は背筋を緊張させる。叔父の細い眼は苦渋と怨嗟に満ち、まるで警察を憎んででもいるかのようだった。
「どういう意味ですか」
「意味などない。それが現実だ」
 薪との不仲も頷ける。自分が憧れている職業をこの調子で否定されたのでは反発心も育つだろうし、反対する根拠も明確にされなかったら相手の気持ちを慮ることもできないだろう。

「あなた」
 叔母に呼ばれて我に返ったらしい彼は、気まずそうに目を伏せた。黙って俯く仕草が薪に似ていると思った。
「行きなさい。剛が待ってる」
 彼はそう言って鈴木を送り出し、でもすぐに呼び止めた。
「鈴木君」
 目線を下方の座卓に据えたまま、彼は小さく言った。
「あの子をよろしく頼む」





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きみはともだち 後編(5)

 明日からお義母さんのお伴で温泉旅行なのです。
 初めてお世話になる旅館なので楽しみです♪ インターネットつながるといいな。←そこ?

 帰りは16日の月曜日、よって次の更新は17日の予定です。よろしくお願いします。






きみはともだち 後編(5)




「ごめんね、鈴木。嫌な思いさせて」
 生垣の横で待っていた薪に、開口一番謝られた。伏せた睫毛が街燈の明かりを集めて儚く光っている。見ればそれは睫毛だけではなく彼全体に言えることで、今更ながらにその肌の白さに驚いた。いつも襟元まできっちりボタンを締めているシャツから伸びる細い首とか、鈴木や他の学生たちはとっくに半袖なのに未だに長い袖口から覗く華奢な手首とか、そんな局部的な印象に頼らずとも、彼はどこから見ても肉体労働向きではない。叔父の心配も分かるような気がした。

「叔父さんはさ、薪のこと心配してるんだと思うよ」
「違うよ。あの人は僕を自分と同じプログラマーにしたいんだ」
 夜道を歩きながら、薪は不満をぶちまけた。鈴木の家と違って都心から離れた彼の家は人通りも少なく、街燈から遠ざかると隣の人間の顔もよく見えなかった。それが彼の口を軽くしたのかもしれない。
「僕が来る前の話だけど、叔父さんは昔IT関係の会社をやってて、そこは倒産しちゃったんだ。でも復興は諦めてない。だから僕が大学卒業したら、一緒に会社をやろうって」
 その話を聞いて、鈴木は薪がIT企業に赴いてプログラミングのアルバイトをしていたことを思い出す。彼の技能は叔父から得たものだったのか。道理でプロのプログラマーから頼りにされるはずだ。

「会社が潰れて借金抱えて、その状況で僕を施設送りにしなかった叔父さんには感謝してるけど、僕は警官になりたい。苦労して育てた僕が言うことを聞かないから叔父さんは面白くなくて、警察を誹謗してばかりいる。だからもう彼らの援助は受けないと決めたんだ」
「どうしてそんなに警官に拘るわけ?」
「誰にも言うなよ」
 図らずも、最初の夜と同じ質問を放ったことに鈴木は気付いた。だけど薪の反応は天と地ほどにも違っていて、それはたった1ヶ月足らずの間に彼と自分の距離がどれだけ近付いたかの証明に感じられて、鈴木は不思議な高揚感に包まれた。
「僕の両親が交通事故で死んだ時、交番勤務のお巡りさんがとてもいい人だったんだ。呆然として泣くこともできなかった僕の傍に一晩中いてくれて、やさしい言葉を掛けてくれた。鬼瓦みたいにおっかない顔したおじさんだったけど、何故かとても安心できて。あったかい人だった」
 薪が自分のことを話してくれる。自分の口で、自分の意志で。そのことに背筋が震えるほど感動している自分を悟られたくなくて、必死で平静を装う鈴木に、薪はふわっと微笑みかけた。
「あんな警察官になりたいんだ」
 痛みと懐かしさとが同居する薪の瞳は感傷に満ちて。色素の薄い亜麻色は寂しい湖面のように、あるいは空に浮かぶ孤高の月のように輝く。拒むように誘うように引き寄せるように突き放すように、とにかく彼は定まらないのだ。

「その話、叔父さんにした?」
「言えないよ、そんなこと」
「どうして?」
「悪いだろ、育ててもらったのに。本当の親が死んだときにやさしくしてくれた警官に憧れてるんです、なんて。やっぱり生みの親の方が大切なんだって思われちゃう」
 薪が警察官に憧れるのは、実親への思慕なのかもしれない。それを秘匿するのは養親への気遣い。どちらも愛情なのに両立することは許されない、禁じているのは叔母夫婦ではなく薪自身だ。
 不器用な男だ。きっと浮気とかできないタイプだ。

「どっちが大切かって聞かれると言い切れない部分はあるけど。もし父さんと母さんが何処かで生きててどちらと一緒に暮らしたいかって言われたら、僕は叔母さんたちを選ぶ」
 彼らの間に愛はある、確かにある。上手く伝わらないだけで、思い合う気持ちはあるのだ。血のつながった親子の間では忘れがちな遠慮や気遣いと言う美徳が、逆に彼らをすれ違わせていく。鈴木が母親に言える文句を薪は叔母には言えない。父親に言える軽口を薪は叔父に言えない。遠慮はいつしか溝になって、気遣いは心の壁に変わっていく。実の親子でも本音で話せる間柄は現実には少ない、それでも彼らには確かな血のつながりと言うものがあり、そこに最終的な甘えを見出すことができる。それができない分、叔母夫婦と薪は慎重になり、彼我の距離はますます開いていく。

「あのさ、薪。余計なお世話だとは思うけど……薪?」
 隣を歩いていたはずの友人がいないことに気が付いて振り返ったら、いつの間にか5mくらい後ろにいて驚いた。不思議に思って近付くと、彼はぎゅっと握りしめた右手の拳を震わせ、それを隠すように左手で手の甲を包んでいた。
「どうした?」
 突然眉間に刻まれた縦皺と、その下から発せられる悪意ある視線。一瞬、自分のお節介に怒ったのかと焦るが、鈴木はまだ何も言ってない。彼の目線を慎重に追うと、道の反対側に佇む男の姿があった。
 年は鈴木たちと同じくらい。精悍な顔つきで、髪を短く刈り上げている。背は鈴木よりいくらか低いが、とても均整のとれた身体つきをしている。何かスポーツをやってる感じだ。大きめのスポーツバックを持っているから、部活動の帰りかもしれない。
「知り合い?」
「知らない。顔も見たことない」
 その供述は無理があるでしょ、薪くん。

 彼は明らかに薪を見ている。何か言いたそうだ。なのに薪は早足で歩き出し、彼を見もせずにその場を通り過ぎた。鈴木が慌てて後を追う。
 少し歩いてから気になって振り返ると、彼はまだこちらを見ていた。
「薪。あいつ、なんか話があるみたい」
「知らないって言ってんだろ」
 聞く耳を持たないとはこのことだ。なんのかんの言って、薪の頑固さはあの叔父に似ている。
 仕方なく、鈴木は黙って薪の後に着いて歩いた。薪がやっと鈴木を振り返ったのは、それから角を3回も曲がってからだった。

「なんだか鈴木には、変なところを見られてばっかりだ」
 苦笑いして鈴木の横に来る、薪の顔つきは平常に戻っている。歩きながら鈴木を見上げた、亜麻色の瞳には親しみと好意が溢れている。薪は焦れったいほどに言葉足らず、でもその瞳はいつも雄弁で、だから鈴木は言葉よりも正確に彼の気持ちを見ることができる。
「きっと僕たち、相性最悪なんだな」
 薪は意地悪く言ったけれど、そんなことは露ほども思っていないことは二人とも分かっていた。もうすでに感じていた。一緒にいると誰よりも楽しいこと、それも他人が混じらない方が余計に楽しいこと。
 最初は馬が合うなんてお世辞にも思わなかったけれど、蓋を開けてみれば何とやらだ。

 駅までの残り時間は、二人が所属している犯罪心理研究会の話をした。来週あたり、サークルで暑気払いをやろうという話が持ち上がっている。飲み会はすべてパスしてきた薪だが、今回は鈴木の言う「意味のない日常会話」を習得するべく、参加する予定だ。
「でも二次会は無理。お金が持たない」
「じゃあオレも。薪と一緒に帰るよ」
「え、いいよ。鈴木はみんなと」
「薪ン家に泊めて。お兄さんが、可愛い女の子が出てくる楽しいビデオ持っていくから」
「えっ? そ、そういうのはもう少し大人になってから」
「名作アニメシリーズ第二弾。『小公女セーラ』」
「……」
「やらしービデオだと思ったろ。薪くんたらムッツリーニ」
「す、鈴木がニヤけた顔で言うから!」
 ムキになって言い返す子供みたいな顔に笑いがこぼれる。あははと声を上げて笑うと怒気が削がれたのか、薪はシレッとした口調で「ちょっと期待した」と本音を漏らした。

 薪は100%童貞だと思う。女の子が放っておかない顔立ちだから恋愛経験はさぞ多いだろうと思いきや、びっくりするくらい純情だ。彼の家を訪ねた時それとなく探したが、そういう類の本やDVDは見当たらなかった。同じ男同士、隠し場所は見当がつく。その勘を駆使して他の友人のコレクションは一人残らず見つけてやった。鈴木の幅広い友人関係には同性しか受け付けない男もいて、その友人のコレクションはしっかりソッチ系で見つけて後悔した覚えもある。その鈴木が見つけられなかったのだ。持っていないと判断していいと思う。
 エロ本の一冊も持ってない19歳の男なんてちょっと信じられないが、薪だと不思議じゃない気がする。薪には生々しいことが似合わない。彼の本当の興味は心理学や犯罪学と言った学問にあるのだ。女子と恋愛したとしても、きっとクールで冷めた付き合いをするのだろう。

「じゃあな、薪。また学校で」
「うん。またね」
 先日とは逆に、改札に飲み込まれる鈴木を薪の眼が追う。それを背中に感じながら、鈴木はホームで3分ほど待ってやって来た電車に乗り込み、窓際の席に座った。
 電車がプラットホームから滑り出し、ふと思いついて鈴木は外に視線を走らせる。見つけて、思わず微笑んだ。
 駅の外から鈴木の乗った電車を、じっと見送る薪の姿があった。




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きみはともだち 後編(6)

 ただいま帰りましたー。
 三食昼寝三昧で2キロ太りました。身体が重いです。

 台風で旅館に缶詰状態だったんですけどね、どこへも行けなかった分、たっぷり温泉に浸かって参りました。しかも旅館のご飯が超絶美味で♪ いやー、ホント美味しかった。
 わたし、食いしん坊なのに胃腸が着いていかなくて、だから旅館の食事なんか3分の1くらいしか食べられないんですけど、あんまり美味しかったものだからついつい食べ過ぎてしまって。その夜はお腹がカーニバルになりました、でも後悔してません。
 




きみはともだち 後編(6)






 薪の叔母と偶然再会したのは、ゼミ仲間とカラオケに行った帰りの品川駅だった。友人たちと別れた後、雑踏の中で見つけた彼女は外出着もやっぱり控えめで、年相応と言うか、あれなら並んで歩いても誤解される恐れはないと鈴木は思った。以前新宿で母親の買い物に付き合った時のように、鈴木が有閑マダムのツバメになったという噂が悪友たちの間で飛び交うこともないだろう。
 向こうも自分に気づいたみたいだったから、ペコッと頭を下げた。立ち止まる風だったので、こちらから近付いた。声が届く距離まで歩いて「こないだはご馳走様でした」と礼を言うと、「どういたしまして」と微笑みが返ってきた。

「鈴木くん、お友達といても背が高いから目立つわね。剛はすぐに埋もれちゃって」
 迷子になると見つけるのが大変、と彼女は笑った。薪の身長は160センチちょっと、男にしてはかなり低い方だ。西洋化が進んだ昨今の日本では、19歳男子の平均身長は173センチ、女子でも160センチだ。男子学生の間に入った途端、埋もれてしまうわけだ。
「今日は剛と一緒じゃないの」
「ええ。今日はゼミ仲間と」
 いくら気が合うと言っても、毎日一緒に過ごすわけではない。薪とはサークルが一緒だというだけで、実は他には共通点がない。同じ法学部だから講義で顔を合わせることはあっても、鈴木は別の友人と一緒だったりして、そういう時は薪は鈴木に声を掛けない。他の友人に遠慮しているのだろう。
「鈴木くんは友だち多そうだものねえ。剛と違って」
 チャンスだ、と鈴木は思った。薪を育てた彼女なら彼の逸話を色々と知っているはずだ。先日のお礼と言う名目で、彼女を駅構内のコーヒーショップに誘った。彼女も鈴木に話したいことがあったのだろう、コーヒーくらいご馳走するわ、と自分が先に立った。

「あの子は昔から本当に友だち少なくて。仲の良い子ができても、どうしてか長続きしないのよね。いつの間にか喧嘩別れしてたりして」
 コーヒーショップの小さなテーブルでアイスコーヒーを挟み、最初に彼女が話し始めたのは、先日も聞いた薪に友だちが少ない話だった。
「佐久間君て子ともケンカしたんですか?」
「多分ね。ある日突然、彼のことを何も言わなくなったの」
「あの、その子もしかして、髪の毛スポーツ刈りで肌の色が黒くて、サッカーとかやってそうな感じの子じゃないですか?」
「あら。剛から聞いたの?」
「いいえ。あの日の帰りに見かけたんです。薪の様子がちょっと変だったから。やっぱケンカしてたんだ」
「佐久間君は近所の子だから、道でばったり会うこともあるわよね。高校までは、よくお互いの家を行き来してたのにねえ」
 薪は高校の時から独り暮らしだと聞いていたが、その頃は実家に程近いアパートを借りていたのだそうだ。独り暮らしと言ってもそこは高校生、叔母が頻繁に様子を見に行っていた。当然薪の交友関係は把握していて、彼女の弁によると、佐久間と言うその少年以外薪に親しい友人はいなかったらしい。

「剛ね、鈴木くんのことはすごく褒めるのよ。いつも笑っててあったかいって。一緒にいると安心するって言ってた」
 だから本当に仲良くしてあげてね、と親バカ丸出しで鈴木に頼む彼女の、拝むように合わせた手はふっくらとしてマニキュアすらなく。この手で頭を撫でてもらったらさぞ気持ちがいいだろうと鈴木は思った。

「ところで、鈴木くんに聞きたいことがあるの」
 遠慮がちに彼女は切り出した。十年余りを共に過ごした彼女より自分が薪に詳しいことなどあるとは思えなかったが、鈴木は彼女の質問の答えを知っていた。
「剛がどうして警官になりたいのか、理由を知ってる?」
 小さい頃から何度も訊いてるんだけど、わたしには教えてくれないのよ、と彼女は苦笑し、甥の強情を嘆いてみせた。鈴木は少し迷ったが、保身に走ることにした。もしも彼女に秘密を喋ったことがバレたら、あの冷たい目が自分に向けられるかもしれないのだ。鈴木の心臓はそこまで強くない。
「聞いてますけど。でも、薪が言わないものをオレからは言えません」
「そうよね……うん、鈴木くんが正しいわ」
 叔母はあっさりと引き、しつこく食い下がることはしなかった。おそらくは頑固な叔父と甥の間でその調整に苦労しているであろう彼女はしかし、自分の立場を鈴木に訴えて同情を買おうとする素振りも見せず、軽く肩を竦めてコーヒーを飲んだ。

「あの。答えないのに質問してもいいですか」
 身勝手は若者の特権とばかりに、鈴木は尋ねた。彼女は一瞬目を丸くしたが、すぐに微笑んで「どうぞ」と鈴木の質問を促した。
「叔父さんは、どうしてあんなに警察を毛嫌いしてるんですか?」
 いきなり核心に切り込んだ鈴木に、彼女は驚いたようだった。自分でも身の程を超えた質問だと思った。でもどうしても知りたかった。
「薪は、叔父さんは自分をプログラマーにして一緒に会社をやりたかったのに、それを断ったから警察を貶すんだって言ってますけど。もっと他に理由があるんじゃないですか」
 それが分かれば、薪の気持ちを宥められるかもしれない。相手の言い分も理解したうえで薪に協力してやりたい。
「随分突っ込んだことを聞くのねえ」と彼女は鈴木の若さに苦笑いして、どうしようかしらと言うように腕を組んだ。腕組みは心理学的には守りの仕草だ。薪も知らないくらいだ、人には言い難いことなのだろうと察した。
 だが、鈴木は引かなかった。沈黙に負けて語り出す、彼女の口調は重かった。

「あの人、史郎さんの兄は警官だったの。優秀な人でね、キャリアだったのよ。あの人にとっては自慢の兄だった」
 警察官の身内なら、一般人よりも警察内部のことには詳しいだろう。その厳しさも困難さも理解しているからこそ、手を掛けて育てた子供にはその苦労をさせたくないのかもしれない。鈴木は瞬時に叔父の気持ちを悟ったが、それ以上に引っ掛かることがあった。彼女が義兄を、過去形で表現したことだ。
 嫌な予感がしたけれど。聞かずにはいられなかった。
「そのお兄さんて人は」
「死んだわ」
 やはり。自慢の兄が殉職し、それを弟が怨みに思って警察を憎んだ。筋違いだが、理解できない構図ではない。しかし、現実は鈴木の想像を遥かに超えて残酷だった。

「ある事件の隠蔽工作にかかわって、その責任を取らされて自殺を強要されたのよ」
「まさか」
 叔母の話はドラマのようで、鈴木には現実味がなかった。警察幹部による不祥事の隠蔽や癒着はちょくちょくワイドショーを賑わす話題ではあったが、自殺を強要されるなんて、いくらなんでもそこまでは。あの神経質そうな叔父の兄だ、責任の重さに耐えかねて自ら命を絶ったのではないか。
「それで叔父さん、史郎さんはどうしたんですか」
「泣き寝入り。国家権力相手に何もできないわよ。証拠もないしね」
 叔母の話しぶりから、事件はかなり昔のことだと鈴木は推察した。おそらく薪を引き取る前の話なのだろう。実兄の葬儀なら夫婦そろって出席しただろうし、そんなことがあればあの薪が覚えていない筈がない。
「自殺する何日か前、お義兄さんは史郎さんと電話で話してるんだけど。その時にそんなことを仄めかされたってだけで。お義兄さんは自殺するような人じゃなかったとわたしも思うけど、あの人の思い込みの可能性も高いわ。結局は藪の中。でも分かるでしょう? 史郎さんにとってはそれが真実なの」
 事件の責任を感じてキャリアが自殺となれば、世間の同情を一身に集めたことだろう。不祥事は美談になり、隠蔽工作に関わった人間はひっそりと表舞台から去る。そしてそれを目論んだ者たちが生き残る。警察機構の暗部を見せつけられる思いだったが、鈴木がその身をもってそれを知るのは遠い未来の話だ。

「あの人は剛をそんなところに行かせたくないのよ。わたしよりも可愛がってたくらいなんだから」
「そのことを、薪には」
「言えないわよ。警官はあの子の子供の頃からの夢なのよ。そんな現実を教えて夢を壊すのは可哀想でしょう」
 それで自分が悪者に?
「不器用な人なの」
 声に出さなかった鈴木の問いに、彼女は苦笑で答えた。
 人間の性格は遺伝子よりも環境で作られる。もしかすると薪の人付き合いの不器用さは、この叔父譲りなのかもしれないと鈴木は思った。

「薪が自分から言わないことをオレから言うわけにはいきませんけど。話すように説得してみます。……あんまり自信ないけど」
「頑固なのよねえ。姉夫婦は揃ってのんびり屋だったのに。誰に似たのかしらねえ」
 言いながら、彼女の中には解答があるようだった。
 氷が解けて薄まったコーヒーを飲みながら、鈴木は、薪に事件の概要を知らせずに叔父の優しい気持ちだけを伝える方法がないものか、あれこれと考えを巡らせていた。





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きみはともだち 後編(7)

きみはともだち 後編(7)






 犯罪心理学研究会の飲み会は異常に盛り上がった。人数もこれまで最多の30人超え、俗に幽霊と呼ばれる部員たちもこぞって出席した。ちょうど梅雨入り前の急に暑くなる時季で、冷たいビールが恋しくなったせいだろうと鈴木は状況を分析した。

「いつもこんなに賑やかなのか?」
 隣に座った薪がウーロン茶のコップを片手に、こっそりと鈴木に聞いた。マイクを片手にがなり立てている者と、それに負けじと合いの手を入れる肉声に阻まれて、普通に喋ったのでは相手に聞こえない。耳元に口を近づけて、内緒話をするように周りを手で覆って、それでやっと会話が成り立つのだ。
「今日は特別。なんたって薪くんがいるから」
「なんで僕のせい?」
「みんな薪の関心引きたくてノリノリ」
 鈴木の答えに呆れたような顔をして、薪はソファにもたれかかった。ガンガン響く音の洪水に眉をしかめ、「うるさいなあ」と声に出さずに呟く。アルコールの作用も手伝ってか騒ぎは留まるところを知らず、ここがカラオケボックスのパーティルームでなかったら他の客に迷惑がられること請け合いだ。

「顧問の原田先生に『東大生らしい節度と慎みを持って楽しみなさい』って言われたの、誰も聞いてなかったのか」
「こういう席でそういうセリフはNG。日常会話の習得に務めるのが目的なら、みんなの気分を損ねるようなことは言っちゃダメー」
「いちいち怒鳴らなきゃ話ができないのは日常会話って言わない」
「耳の遠いお年寄りに道を教えてあげるときの練習だと思いなさい」
 鈴木が返すと薪はきょとんとした顔になり、次いで苦笑した。こいつのキョト顔ってマジでかわいい、思いかけて鈴木は自分を戒める。少し飲みすぎたか。

「薪も飲めばいいのに。酔えば騒音も気にならなくなる」
「お酒飲めないの?」と聞くと、薪は「分からない」と答えた。飲酒の経験がないらしい。
「飲酒が許されるのは20歳からだろ」
「何事も予習は大事だぜ。ほら、ちょっとだけ飲んでみろよ」
 自分のジョッキを薪の口元に近付けると、遠くで「キャーッ」という女子の悲鳴が聞こえた。何の騒ぎだろうとそちらを見ると、写メに撮られていた。さっきから視線は感じていたが、彼女たちだったのか。うるさい室内で互いの言葉を聞き取るためにギリギリまで接近して、つまりそういう構図になっていたのだろう。
「あの子たち、ずっとこっち見て騒いでるんだけど。何を話してるんだろう」
「薪は知らない方がいいよ」
 どうして薪といると女の子が近付いてこないんだろうと不思議に思っていたが、こういうことか。犯罪心理学に興味があるような女の子は、ちょっと変わった趣味の娘が多いのかもしれない。そのせいか、このサークルは男女交際よりも男は男同士、女の子は女の子同士で固まる傾向が強い。
 それぞれの携帯で写真を撮った彼女たちは、画面同士をくっつけたり、何の意味があるのか携帯電話同士を絡ませたりしてケタケタ笑っていた。本人の目の前で、すごく失礼だぞ、きみたち。

「どうしてだろう。なんかすごく不愉快な気分なんだけど」
「飲め。飲んで忘れろ」
 いささか過ごしたと分かっていたが、鈴木は生ビールを追加注文した。ついでに薪の分も取り寄せて、ほら、と差し出した。相変わらず騒々しい密閉空間で、隣の席でしきりに奇声を上げる友人の声も耳障りで、少しだけイライラしていた鈴木は嫌がる薪に強引にジョッキを持たせた。両手でジョッキを挟むようにした薪の細い手を自分の大きな手で包み、彼の口元へジョッキを近付けて、途端に女子の悲鳴がきゃーって、きみたち、男がどういう生き物か実践で教えてあげるから後で全員オレのところに来なさい。

 きめ細かく白い泡がつややかな唇に触れると、薪はもう抵抗しなかった。鈴木が傾けるままに中の液体を飲み込み、ふう、と息を吐いた。
「旨い?」
「……うん」
 ペロッと口の周りを舐めるピンク色の舌先にくらくらするような酩酊を覚えて、やっぱり飲み過ぎたと自覚する。男に色気を感じるなんて、最近女の子から遠ざかり過ぎたか。来週末は絶対に彼女と過ごそうと心に誓った鈴木の耳に、サークル仲間たちの賑やかな声が飛び込んできた。
「驚いた。薪、けっこうイケル口」
「堅物だと思ってたのに」
「さては新しくできた不真面目な友人の影響か」
 誰のことだと突っ込んだ鈴木を無視して男性陣の話は続く。酔っぱらいども、少しは人の話を聞けよ。

「酒の次はオンナノコだな」
「薪の場合は難しいんだよ。自分より可愛い子見つけるのが」
「そうだなあ。よっぽど可愛い子じゃないとユリに見えるもんなあ。うちの大学内では無理かもなあ」
「よし、おれに任せろ」
「おまえの知り合いに薪より可愛い子がいるのかよ」
「おれの妹、けっこうモテるって」
「おまえの妹、まだ小学生じゃないかよ」
「晩熟の薪にはそれくらいがお似合いだって」
「おままごと」
「お医者さんごっことか」
「いい! 薪先生、白衣似合うし!」
 酒の勢いとは恐ろしいもので。最初は純粋な親切心だったはずなのに、どんどんおかしな方向へ話がズレていく。薪が不愉快そうにジョッキを呷るのを見て、鈴木は友人たちを窘めた。
「おまえら、人の心配する前に自分の心配しろよ」
「あっ、ちょっとモテるからって偉そうに!」
「みゆきちゃんに『飲み会のとき鈴木が薪とキスしてた』ってバラすぞ」
「すみません、それだけは勘弁してください」
 薪相手だと本気にされそうで怖い。向かいの女の子たちに撮られた証拠写真もあることだし。証人にも困らなそうだ。

「してないよ!」
 突然鋭い声が響いて、鈴木たちは一瞬息を飲む。ダン! と激しくジョッキの底をテーブルに打ち付けて、薪が立ち上がった。
「するわけないだろ、男とキスなんて!」
 その気迫に、部屋中の人間が言葉を失う。彼の過剰な反応に全員が顔を見合わせ、ちょ、そこでどうしてみんなしてオレを見るんだよ、薪との付き合いはお前らの方が長いだろ。
 仕方なく、鈴木は座ったまま伸び上って、薪の怒った顔を下から覗き込んだ。
「薪。冗談だよ?」
「えっ」
 薪は得意のキョト顔をした後、真っ赤になった。彼の恥ずかしそうな顔なんてサークル仲間も見たことがなかったに違いない。男どもは一斉に身を引きながら「これだからおれたち彼女作れないんだよー」と意味不明の言葉を呟き、女子は無言でバタバタと手足を動かした。

「あ、そ、そっか、冗談……」
 薪はソファに腰を下ろし、俯いて、ごめん、と小さく謝った。「まったく薪は冗談効かないんだからー」と友人の一人が大げさに言ってくれて、それで場の空気は元に戻った。
 部屋は再び喧騒に包まれたが、先刻ほどのテンションは戻らず。それからは平均的な賑やかさの集会になった。
 薪はすべてに於いて控え目だった。飲むのも食べるのも喋るのも、他の男子の半分くらい。ジョッキ一杯のビールを持て余している状態で、前の皿にも沢山料理が残っていた。リラックスには程遠い姿勢で、それでも薪は当初の目的を果たすべく、一生懸命にみんなの会話に付いていこうと頑張っていた。彼が真剣に聞いても理解できないことの殆どは流行のファッションや芸能人の話で、その系統の話題になると鹿爪らしい顔をしてくちびるに拳を当てる。それは彼が必死で考えている時の仕草だと知っている鈴木には、天才のくせに、普通の人間が頭を休めるための雑談で悩みまくっている彼がおかしくて可愛らしくて。たまらなかった。

 学内の噂話や教授の陰口、犯罪に関する研究室らしく最近読んだミステリー小説の話、現実の未解決事件やそれに対する警察の怠慢など、皆の話題が普段サークルの部室でするものに限りなく近付いてきた頃、壁の通話機が音を立てた。どうやら時間だ。





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きみはともだち 後編(8)

 今日は「ATARU」を観に行きます。
 中居さん演じるチョコザイくんの純粋さが大好きです。
 楽しみだな~。






きみはともだち 後編(8)







「二次会、どうするー?」
「『マリエ』行く人ー」
 はーい、と何人かの声が重なって、二次会組と帰宅組に分かれた。帰宅組の人数は少なく、女子が3人と、男では薪と鈴木だけだった。

「じゃあなー、羽目外し過ぎて新聞に載るなよー」
 別れの挨拶はいつも通り憎まれ口で締めて、鈴木は帰宅組の女の子たちを振り返る。
「みんな、駅まで送るよ」
「あたしたち大丈夫だからー。鈴木君は薪君送ってあげてー」
「安心してー。尾けたりしないからー」
「姫抱っこしてってもいいよー。誰にも言わないからー」
 相当酔ってますね、きみたち。
 電車の中で痴漢の被害に遭うような男に、その手の冗談が通じるかどうか。少し考えたら分かりそうなものだが、彼女たちはその事実を知らないのだから仕方がない。あまりムキになると先刻の薪の二の舞だし、ここはやんわりと釘を刺す程度に抑えた方がいい。

「あのね、男はそういう冗談はあんまり、……薪?」
 隣に立っていたはずの薪はいつの間にか姿を消していた。先に行ってしまったのかと周りを見るが、雑踏の中に彼の姿はなく。鈴木は、「すぐに埋もれちゃうのよ」と言っていた彼の叔母の言葉を思い出した。
 追い駆けようと踏み出した足が、何かにぶつかった。下を見ると、薪が猫みたいにうずくまっていた。女の子たちに送って行けと言われるわけだ。
「薪、気分悪いのか」
「ねむい」
 飲むと眠くなるタイプらしい。
「歩け。眼が醒めるから」
「んー」
 腕を引っ張り上げて立たせると、薪はふらつきながらも歩きだした。足元がおぼつかないので腕を放せない。そのまま彼に寄り添って歩いた。後ろの女子たちが何かとんでもないことを叫んでいる気がしたが聞かないでおくことにした。

「あつい」
 歩きながら、そう言って薪は、いつもはきっちりと上まで留めているシャツのボタンを一つ外した。襟元をつまんで風を送り込むように動かしたが、その効果に満足できなかったらしく、もう一つ外した。きれいに浮き出た鎖骨が見えた。
 首も白いけれど、胸はもっと白かった。色素が薄いというか日本人離れしているというか、そんな肌を鈴木はこれまで見たことがなかった。それがアルコールの作用でほんのり桜色に染まった様は、ひどく煽情的だった。
 改めて見直してみれば、薪にはそういう要素がてんこ盛りだ。短く摘んだ髪の毛の先が小さな耳や頬にかかる様子とか、半開きになった瞳の周囲を彩る睫毛の長さとか、ベースメイクを施したように微かに色濃い瞼とか。普段の強気な印象に阻まれて見つけられないだけで、気が緩んだ時の薪の艶やかさはもはや暴力だ。
 女に縁のない男だったら女の代わりに、なんて思うんだろうか。電車の中の痴漢も、そういうことなんだろうか。
 薪にはえらい迷惑な話だと思ったが、同じ男として気持は分からないでもなかった。無論、痴漢行為に賛同する訳ではない。そうではなく、彼にさわりたいと思うこと。きれいなものに触れたくなるのは男の本能だ。薪にはその本能を刺激する因子があるのだ。

「コラおまえら。イチャイチャしてんじゃねえぞ」
 通りすがりの酔っ払いに冷やかされて我に返った。自分が考えていたことに気付いて鈴木は、明日にでも彼女を呼びだそうと思った。

 コンパ会場の神田から薪のアパートのある鴬谷まで電車に乗った。電車の中で、薪はしきりに暑いと言っていた。飲み慣れないアルコールのせいで電車に酔ったのかもしれない。白い顔は何時にも増して白かった。
 電車から降りた時には立てなくなっていた。背負ってみたら、軽くてびっくりした。暑い暑いと言う割に、体温は低かった。汗をかいていたから、それが冷えたのかもしれない。早く風呂に入れないと風邪を引くな、と鈴木は思い、男友達にしたことのない心配を薪にするのは、彼に酒を勧めた責任を感じているからだと自分に言い聞かせた。
「なんか気持ち悪い」
 歩く振動が悪心を呼ぶのか、薪は低い声で呻いた。鈴木の首に、はあ、と熱っぽい息がかかる。押し付けられた薪の額は汗ばんでいて、アルコールの匂いがした。
「大丈夫?」と首だけで振り向くと、薪の頭髪に鼻先を突っ込む形になった。いい匂いがした。アルコール臭もあったけれどもっと芳しい、花のような香りがした。

「ちょっと休むか」
 駅から薪のアパートまでは徒歩20分。背負って行ったらもっと掛かる。途中に小さな公園があったことを思い出して、鈴木はそこに寄り道することにした。
 まことに小さな公園で、遊び道具は砂場とブランコしかなかった。それでいて樹木は豊かに繁っており、梅雨入り前の夜風に爽やかさを添えていた。
 薪と二人、並んでベンチに腰を下ろして、鈴木は空を見上げた。曇り空で、星は見えなかった。
 左の肩に友人の重さを感じた。ベンチにはヘッドレストがないから、こちらの方が具合がいいのだろう。好きにさせてやることにした。

「鈴木。こないだはごめんね。嫌な思いさせて」
 何の話だと聞き返そうとして気付いた。薪の実家の話だ。まだ気にしていたのか。

 薪の叔母と約束したことを思い出し、それに対する答えが未だ見つからないことに鈴木は歯痒さを感じた。見下ろせば友人は見捨てられた子供みたいに寂しそうな眼をして、それを見たら早急に答えを出さなければいけないような気がした。だって、彼にはこんな眼をしなければならない理由がないのだから。
「オレ、薪のこと大好きだよ」
「え」
 一瞬の間を置いて、薪はがばっと身を起こした。恐々と鈴木を見る、そのリアクションはちょっと腑に落ちなかったけれど、鈴木は続けた。
「びっくりした? でも、言わなきゃ分からなかっただろ」
 鈴木が何か大事なことを言おうとしていると、察しの良い彼はすぐに気付いた。固いベンチの背もたれに背中を預けて、距離を取ったまま話を聞く体勢を整える。

「思うことは大事だけどさ、言葉で伝えることも大事なんじゃないかな。薪は叔母さんたちをがっかりさせたくないから警官を志した理由を話さないって言ったけど、叔母さんたちにしてみれば、話してもらえないのは水臭いと思うかもよ」
 鈴木の言葉を反芻するように、薪は何度も眼を瞬いた。挑戦的な瞳が鈴木を見返す、彼の伏せた瞳は妖しい美しさに満ちているけれど、こちらの方が彼らしいと鈴木は思う。
「第三者の眼から見て、薪は叔父さんに似てるよ。頑固なところとか言葉が足らないところとか、そっくり」
 心外だと言いたげに、薪は眉を寄せた。本当に薪は言葉が少ない、でも言いたいことがないわけじゃない。無表情の仮面さえ外せれば、それを見て取ることができる。
「心の中では、相手をとても大切に思ってることも」
 薪はクールだけれど、人を愛する心はちゃんと持っている。知り合いになって1ヶ月しか経たないが、冷徹な仮面の下の温かさを鈴木は何度も垣間見ていた。

「ちょうどこんな空みたいに。雲に隠れて見えないけれど、月も星もある。それと同じでさ、あの人がやさしい人だって、薪は知ってるんだろ」
 薪は鈴木の眼をじっと見て、それから夜空に視線を移した。背中に付く程に後ろ首を曲げて、そうすると彼の亜麻色の髪がさらさらと後方に流れていく。風が吹くと細い毛髪が波打って、きらきらと光る。まるで人じゃないみたい、だってきれいすぎる。その喉笛を掻き切っても出てくるのは赤黒い血液ではなく、切り口からはみ出す内臓も彼には無く、ただ透明な液体が零れるだけではないのかと鈴木は夢想した。

「僕が正直に話したら、昔みたいな関係に戻れるのかな」
「それは分からない。決めるのは薪だよ」
 薪はしばらく考える風に空を見上げていたが、やがて伸ばした首を元に戻して鈴木を見た。湿った夜風に晒されて潤ったくちびるが、花のほころぶように開く。
「僕も好きだよ。鈴木のこと」
「えっ?!」
 びっくりして引いた。一瞬でベンチの端まで遠のいた。薪が意地悪く笑ったので、さっきの仕返しをされたのだと分かった。渋い顔をして元の位置に戻る鈴木に、薪はクスクス笑いながら、
「本当だ。言わなきゃ分からないんだ」
「ひどいわ、薪くん。アタシで試すなんて」
 おどける鈴木の左肩にさっきと同じようにもたれかかり、薪は喉の奥で笑い続けた。酔いも手伝ってか、彼の振動は長く続いた。

「……すずき」
「うん?」
「戻していい?」
 何のてらいもなく本心を言えた子供の頃に、彼らとの関係を戻していい? 僕にそれが許される?
 彼の言外の気持ちを汲み取って、鈴木は力強く頷いた。
「もちろん、――ってそっちの意味?!」
 笑いすぎて吐き気が戻って来たらしい。薪は鈴木の肩に縋るように捕まり、背中を丸めて鈴木の腕に爪を立てた。
「ちょっと待っ、うああ!」
 大好きな人のゲロでもゲロはゲロ。シャツにべったりと着いた汚物を見て、鈴木はその強烈な臭いに泣いた。





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きみはともだち 後編(9)

「ATARU」観てきました。すっごくよかったです。「脳男」以来のクリティカルヒットでした。心臓にきた。いっぱい泣きました。





きみはともだち 後編(9)





 その翌週のこと。
 自分という人間は、間がいいのか悪いのか。鈴木は即座に答えを出した。決まってる、悪いんだ。そう判断せざるを得ない。この場面を目の当たりにしては。

「待ってくれ。話を」
「話なんかない」
 道端で押し問答をする友人の姿。相手は彼の昔の親友だった男だ。
「薪」
「触るな!」
 バシッと手を払う音が、電信柱の陰に隠れた鈴木のところまで聞こえてきた。けんもほろろという感じだ。佐久間くんとやらも可哀想に。他人を拒絶する時の薪の容赦のなさを経験しているだけに、鈴木は彼に同情せずにはいられなかった。

 怯んだ隙に、薪は逃げて行ってしまった。スポーツマンの彼なら追いつくことは容易い、だけどあそこまで邪険にされては追いかける勇気が出なかったのだろう。彼はその場に立ち尽くし、小さくなる薪の背中を見て溜め息を吐いた。
 しばらくすればいなくなるだろう、と鈴木は考えたが、彼は一向にその場を動こうとしなかった。それどころか道にスポーツバックを下ろし、そこに座りこんでしまった。どうやら待ち伏せすることにしたらしい。この道は、薪の家から駅に行くためには必ず通るルートだ。今日中に、薪はもう一度ここに来ると踏んだのだろう。

 さて困った。
 実は薪と約束がある。現在鈴木が取り組んでいる論文が、薪が昔書いた論文と関連していて、その原稿と資料が実家に置いてあると薪が言うので借りに来たのだ。薪は先に行って、それらを探しておくことになっていた。
 ここを通らないと薪の実家には行けない。佐久間は自分を覚えているだろうか。だとしても、自分は二人の仲違いに直接関係してはいないのだから知らない振りで通り過ぎればいいのだ。たったいま目にした二人の諍いを見なかった振りで。
 平静を装えるだろうか。踊り出した心臓がまだ治まらないのに。

「ヒャッハー!」というけたたましい叫び声が響き、鈴木の心臓は鈴木を置いて10mほど先に走って行った、気がした。薪からの電話の着メロだ。冗談のつもりでふざけた音声を選択したのが悔やまれる。
『鈴木、資料が見つかった。あとどれくらいで来られる?』
「や、あの、それがその……今日はちょっと都合が、悪……」
 舌がもつれて言葉が止まる。目の前に、佐久間が立っていた。

「悪い薪。後で掛け直す」
 電話を切った鈴木を、彼は挑戦的な眼で見上げた。いかにも俊敏そうでけっこうイケメン。女の子にはモテそうだ。
 オレには負けるけど、と鈴木は心の中で嘯き、高身長にものを言わせて彼を上から見下ろした。
「あんた、薪の友だち?」
「ああ。君、佐久間忍くん、だろ。オレは鈴木克洋。薪とはサークル仲間」
「おれの名前、薪から聞いたの」
「いや。薪の叔母さんから」
 鈴木が彼の名前の出所を明かすと、彼は急にしょげた顔になった。下を向いてぽつりとこぼす。
「薪がおれのこと、人に話すわけないか」
 男っぽい眉を情けない形に垂らして、彼は泣きそうな貌になった。素直な性格らしい。
「おれは薪の黒歴史だからな」
「どういう意味?」

 それには答えず、佐久間は逆に鈴木に質問した。
「なあ。あんた、薪の家に行くところだったのか」
「そう。約束してて」
「それなら薪に」
 言いかけて口を閉ざす。初対面の人間に頼んでいいことかどうか、思い直したのだろう。未練が残る口調で彼は言った。
「いや。やっぱりいい」
「途中で止めちゃうのはマナー違反だし、女の子も怒ると思う」
「なんの話だよ」
「後ろからナンパした女が超絶バックシャンで振り返ったら超残念フロントシャンだったとしても、声を掛けた以上は責任を持って最後まで行くのが男だと思う」
「……あんた、本当に薪と同じ学校?」
 どういう意味。
「薪、友だちの趣味変わったな」
 だからどういう意味。

 佐久間は踵を返して、道端で話すことでもないから、と鈴木を近くの公園に連れて行った。飲み会の夜、薪と話をした公園と同じくらいの規模で、置いてある遊具も似たり寄ったり。当然、人影は少なかった。
 表門の側に設置された自販機で買ったコーラを、佐久間は鈴木に奢ってくれた。できれば缶は放り投げないで欲しいと思ったが、体育会系の奴らはこういうことは気にしない。プルタブを引いた途端に溢れてきた泡をずるずる吸い込みながら、鈴木は隣に座った男が口を開くのを待った。

「薪とはガキの頃からの付き合いだ。家が近かったんだ」
 幼いころから身体が小さくて、女の子よりも綺麗な顔立ちをしていた薪は、当然のように悪童たちの標的になった。悪ガキどもに絡まれていた彼を、佐久間はよく助けてやったそうだ。当時、スポーツ万能で人気者だった佐久間に表立って逆らう者はいなかった。要するに彼は薪の恩人というわけだ。
 加えて、薪には佐久間の他に親しいと言える友人はいなかった。佐久間は他の友人との付き合いも忙しかったが、薪とは家も近いこともあって、互いの家を行き来したり、登下校を共にする程度の交流はずっと保っていた。薪もそれを分かって、佐久間に感謝と好意を抱いていた。
 でも高校2年の冬。彼らの関係は破局を迎えた。

 原因は、と佐久間は辛そうな眼をした。絞り出すように、おれのせいだ、と述懐した。

 高校生になる頃には、薪はその天才性を存分に発揮するようになっていた。頭脳明晰で美しい彼と、スポーツが得意で明朗な佐久間は学内でも目立つ組み合わせだったらしい。申し込まれて、佐久間は何人かの女の子と付き合ったが、薪はあまり異性に興味が持てないようで、誰とも付き合おうとしなかった。
『佐久間と遊んでた方が楽しい』
 理由を聞くとそう答えたが、おそらくは叔母夫婦に遠慮しているのだろうと思った。薪の叔父は教育に厳しい人で、中学の頃から、薪とはしばしば衝突するようになっていた。一番の争点は薪の将来に関することで、薪は警官になりたかったのだが、叔父はそれに大反対だった。薪は叔父を説得しようと何度も話し合いを持ったが、回数を重ねるごとに諍いが激しくなり、ついには叔父が警察の悪口を言うようになったので、それに耐えかねて家を出ることにしたらしい。
 そんなわけで薪は実家近くの安アパートに一人で住んでいたのだが、独り暮らしを許す条件として、絶対に成績は落とさないことと、これまで以上に節度を持って生活することを約束させられた。男女交際などにうつつを抜かしていたら問答無用で家に戻される。薪のストイックさの裏側を、佐久間はそう見ていた。

 薪に近しく、彼の事情を知る者は正しく彼を見ることができたが、何も知らない者の眼には別の意味に映ったらしい。つまり、薪は女の子に興味がない。それはこの年齢の男子には珍しいことではないはずなのに、彼の飛びぬけた美貌が、彼を一般男子に準えることを許さなかった。
 ゲイだという噂が流れたとき、薪は否定も肯定もしなかった。バカバカしい、と一蹴して、その噂に興じる者たちを軽蔑の眼差しで見た。もともと友だちは少なかったが、その心無い噂のせいで彼はいっそう孤立した。心を許せる友人はおそらく、佐久間以外一人もいなかった。
 みんな馬鹿みたいだと佐久間が吐き捨てると、薪は彼の憤慨ぶりが可笑しかったらしく、
『いいよ。佐久間だけ分かってくれれば』と笑いながら言った。

 話を聞きながら鈴木は、大凡の展開を察していた。
 薪にはそんなつもりはなかったのだろうが、それは殺し文句だ。薪が高校生の時、すでに今の色気の片鱗を持っていたとしたら。佐久間がその頃付き合っていたという同級生の女の子なんて、敵じゃないだろう。

「漆原って体育教師がいたんだけど」
 そこで言葉を切って、佐久間は残りのコーラを飲み干し、5mほど離れた屑籠に放り込んだ。とうに空になっていた缶を鈴木が真似して放り投げると、それは呆れるほど離れた場所に着地して、さらに奥へと転がって行った。佐久間に冷たい目で睨まれたので仕方なく片付けに立った。
 鈴木が席に戻るまでの間に、佐久間は話す覚悟を決めたようだった。鈴木が腰を下ろすと、迷いなく言った。
「こいつが薪にお熱になっちゃって。体育倉庫に引っ張り込んで犯そうとした」
 そういう経験もあったのではないかと予想していたが、やっぱり。それも相手が教師とは。教え子をどうこうしようなんて教育者の風上にも置けない。

「おれが助けたんだ」




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きみはともだち 後編(10)

 なんかそろそろ「いい加減にしろ」とか怒られそうな気がします。
 勝手に作りすぎました。薪さんの過去、ひでえ。
 あくまでも腐ったおばさんの腐った妄想ってことで見逃してやってください。反省の印にできるだけ日陰歩きます。



きみはともだち 後編(10)








 暑い夏の日だった。

 放課後の大半を薪は図書室で過ごす。部活を終えた佐久間は気紛れに図書室を覗き、そこに薪がいれば一緒に帰る。その日も二人は肩を並べて帰途を辿り、しかし途中で薪が忘れ物に気付いた。
 体育館の更衣室に体操着を忘れてきた、と舌打ちして、取ってくるから先に帰ってくれと佐久間に頼んだ。佐久間はもちろん付き合うと言ったが、そこで偶然、交際中の彼女に会った。母親に頼まれた買い物の途中だという彼女と立ち話をしながらその場で薪を待つことにし、でも薪はなかなか帰ってこなかった。ああ見えて薪は足が速い。100m走のタイムは佐久間と幾らも変わらないくらいだ。此処から学校まではせいぜい200m、体操着を探す時間を見込んでも10分足らずで済むはず。それが20分を経過しても帰ってこない。佐久間のように途中で話し込むような友人は薪にはいないし、いたとしても彼は他人を待たせておいてそんなことをするような人間じゃない。不安になった佐久間は彼女と別れて学校に走った。

 薪の向かった場所は体育館の更衣室だと分かっていたから、真っ直ぐにそこへ向かった。しかし居室に薪はいなかった。バスケ部とバレー部の部員もとうに帰ったらしく、体育館に人気はなかった。
 佐久間は薪の携帯を鳴らしてみた。思いがけず、隣の部屋から音が聞こえた。更衣室の隣には体育倉庫があり、そこに通じるドアもあるが、今は鍵が掛かっていた。
「薪。そこにいるのか」
 返事は返ってこなかった。代わりに、ガシャン、と何かが倒れるような音がした。

 佐久間は更衣室を出て、体育館側から倉庫に入った。こちらには鍵は付いていないからだ。
 携帯の呼び出し音は、床に落ちた薪の制服のズボンから聞こえていた。どうしてこんな所にズボンが、なんて考える間もなく、その光景が佐久間の眼に飛び込んできた。
 裸に近い状態まで服を剥かれた友人の細い体に、中年の太った男が馬乗りになっていた。薪は口に布のようなものを押し込まれて声を封じられ、よく見るとそれは漆原がいつも首に掛けている汗の染みこんだタオルで、その悪臭だけで気が遠くなりそうな彼が気力を振り絞って投げたのだろう、バスケットボールとそれが命中したらしいスコアボードが横倒しになっていた。
 佐久間は俊足をうならせて走りこみ、サッカー部のエースに恥じないキック力で男の腹を蹴り上げた。漆原のだぶついた身体がゴム毬のように跳ね、もんどりうって床に落ちる。その隙に、佐久間は自分の腰に巻いていたジャージの上着を解いて薪にそれを被せ、彼の裸体を男の目から隠した。

「あんた、先生のくせになんてことを」
「俺は悪くない、そいつが誘ったんだ!」
 佐久間も薪も言葉を失った。もう逆ギレとかいうレベルじゃない。発狂したのかと思ったくらいだ。
「なにを言って」
「いつも俺に色目使ってただろう? 授業中も廊下ですれ違う時も。俺に笑いかけて、先生って甘えてきて」
 自惚れにも程がある。叔父に厳しく躾けられた薪は行儀のよい子供で、特に大人に対する礼儀はしっかりしていた。他の生徒のように、教師を軽んじることは決してしなかった。きちんとした言葉遣いと尊敬を込めた笑顔で接していた。漆原はどちらかと言うと不人気な教師で、薪のように自分の言うことを素直に聞いてくれる生徒は他にいなかった。だからってこんな誤解は酷すぎる。

「ふざけたこと言ってんじゃ」
 漆原に殴りかかろうとした佐久間を止めたのは、被害者である薪だった。彼は佐久間と漆原が口論している間に服を着て、佐久間の後ろに立っていた。夏のことで、冷房装置のない体育倉庫は蒸し風呂のように暑かった。それなのに薪は佐久間が貸したジャージのファスナーを顎の下まで引き上げて、おそらくはこの獣のような男にワイシャツを破られたせいだと思うと、佐久間は体中の血が沸き立つほど腹が立った。
 憤る佐久間とは反対に、薪は冷静だった。怒っていない訳ではない、が、彼は怒れば怒るほど冷徹になっていくタイプの人間で、その冷たい怒りは触れた者を凍りつかせずにはおかなかった。

「誤解されるような態度を取って申し訳ありませんでした」
 冷たい声と何ものをも寄せ付けない空気。急激に居室の温度が下がった気がした。
「以後、気をつけます」
 こんな薪は初めて見る、と佐久間は思った。表情のない薪の顔。人形のように整っている、いっそ人外の魔物のように。見慣れたはずの友人が、知らない人のように思えた。
 それだけ言うと、薪は背中を向けた。早足ではあったけれど、足元を乱れさせることもなくその場から離れた。

 佐久間が自分を取り戻したのは、校門を出てからだった。
「校長先生に言いつけに行こう」と息巻く佐久間に、薪は首を振った。先刻の毅然とした態度が嘘のように「騒ぎにしたくない」と弱々しく眼を伏せた。
 泣き寝入りする気か、と彼の因循を責める口調で言うと、果たして薪の心配は別のことだった。
「叔父さんに知れたら、家に戻される」
 それは嫌なのだ、と薪は言った。佐久間が目撃者になってくれたから、もう漆原は滅多なことはしてこないだろう。次に何かあったらその時は容赦しない、佐久間も協力してくれと頼むので、もちろんだと引き受けた。

 その万が一の時のために、事件の詳細を知っておく必要があると思った。言いたくなかったら言わなくていい、と前置きして、佐久間は薪に先刻の状況を話してくれないかと持ちかけた。
「漆原先生が、僕の体操着に顔を埋めて……自分のアレを弄ってたんだ」
 あんなことをされたばかりなのに、相手を先生と呼ぶ薪の純朴が好ましいと思った。そんな彼を毒牙に掛けようとした漆原を、佐久間は絶対に許すまいと誓った。
「何してるんですか、って聞いたら急に腕を引かれて。マットに押し付けられて服を」
 ろくに女と付き合ったこともないのだろう、やっていることが小学生レベルだ。そのくせ逆上すると暴力に訴える。そんな人間が教師だなんて、最悪だ。

 そこから先のことは、あまり詳しくは話してくれなかった。裸にされてあちこち触られたり啜られたりしたのだろう。ジャージを着せたとき、白い肌にいくつもの鬱血した痕が残っていた。強く掴まれたのか男の太い指の跡もあったし、小さな乳首の周りには噛み傷らしきものと内出血の痕があった。
 ひどい目に遭ったことは分かった。だから無理には聞かなかった。佐久間が口を噤むと、薪は泣きそうな顔になって、
「気持ち悪い」と零した。
「なんであんなことするんだろう」
 薪は一粒だけ涙を零し、それをそっと自分の指先でぬぐった。

「ひでえな、その体育教師。許せん」
 話を聞いて鈴木は憤慨した。子供を守り導く立場にあるはずの人間が何事か。どんな言い訳も許されない。薪が何と言おうと、自分だったら絶対にその教師を社会的に抹殺してやる。
「全くだ。教師のくせに最低だよ」
 強く言い切って佐久間は、でも次の瞬間自嘲の形に唇を歪めた。
「でも。おれも同じだ」
 彼の言葉を、鈴木は予期していた。薪の頑なな態度から、そちらの方面のトラブルだろうと予想がついていた。

 気丈に涙を堪える薪を見て、早く忘れた方がいい、と佐久間は彼を慰めたが、薪が受けた傷はそう浅くはなかった。一人でいることを怖がるようになった彼は、多くの時間を佐久間の隣で過ごすようになった。薪に頼られていると感じた佐久間は、純粋に嬉しかった。自分が彼を守ってやるのだと心に決めた。登下校は必ず彼と歩みを共にし、その後も一緒に過ごした。佐久間の両親は共働きで帰りは10時過ぎ、勉強の得意な薪に苦手な英語を教えてもらったりテレビゲームをしたり、親交を深める時間はたっぷりとあった。

 そんな風にして過ごすうちに。ただの友人として見られなくなってしまった、と佐久間は言った。
「薪はなんていうかその、鈍いんだ。自分が他人からどう見えるかなんて全然分かってないし、こんな態度を取ったら相手にどう受け取られるかなんて考えてない。無邪気で、でも色っぽくて、そのくせ無防備で」
 あれだけ非難した体育教師と同じ言い訳を、自分はするようになっていったのだと佐久間は苦く吐き捨てた。

「あの日は叔父さんと衝突したらしくて、薪は泣きながらおれのところに来た。初冬のことで、ちょうど雨も降ってて、だから風呂を使うように言ったんだ。風呂に入って身体が温まったら落ち着いたみたいで泣きやんだんだけど。――もうこっちが落ち着かなくて」
 一人になりたくないらしい薪は自分の家に帰ろうとはせず。両親が帰ってくるまでには未だ2時間近くもあった。薪の濡れた服は乾燥機に突っ込んであって、新しい服を貸そうとしたらそれは申し訳ないからこれでいい、と選んだのが朝脱いでそのままになっていた佐久間のパジャマ。しかも風呂で温まりすぎて暑いからと上だけ、もうどんな誘惑だよと、突っ込みを入れたいのを佐久間は必死で堪えた。

「我慢できなかったんだ」
 突然黙りこくった佐久間に、薪は小鳥のような仕草で小首を傾げた。「どこか痛いの?」と佐久間の顔を覗き込んだ、ぱっちりとした亜麻色の瞳を見た瞬間、理性が焼き切れた。
 薪に「好きだ」と言った。ちゃんと自分の気持ちを告げて、その上で彼を抱きしめた。
 薪はびっくりして固まってしまってそれで動けなかったんだと後で分かったけれど、その時は彼の状態なんか気遣う余裕もなくて。動かないのをいいことに、彼のくちびるを奪った。重ねたまま、彼の肌をまさぐった。
 でも、薪が佐久間の愛撫を受け入れてくれたのはほんの少しの時間だった。何が起こっているのか理解した彼の行動は素早く、佐久間は手近にあったゲーム機で頭を殴られた。
 痛みで我に返った佐久間は必死で謝ったが、薪は聞こうとしなかった。あの体育教師を見たのと同じ眼で佐久間を見て、何も言わずに帰って行った。

 口にこそ出さなかったけれど、鈴木は心から佐久間に同情した。
 鈴木も知っていた、薪が無自覚に男を誘うこと。何度かそんな目に遭ってきて、服装や態度に注意を払うようになったのだろう。いつも長袖のシャツを着て首元まできっちりとボタンを留めて、さらには他人に隙を見せないあの態度。薪は必死に守っていたのだ。自分と、おそらくは相手のことも。
 佐久間が見ていたのはその防壁を張り巡らす前の無防備な薪の姿だ。女性に免疫のない男子高校生なんかイチコロだ。

「それで」
「もちろん絶交。次の日から口利いてくれなくなった」
 薪は頑固で思い込みが激しい。柔和な性格とは言い難く、相手が謝ろうとしても受け付けないところがある。それは彼の欠点であったが同時に、潔癖さの表れでもある。慣れ合うことを自分にも相手にも許さない。生き難い性質だと思う。
「きみも災難だったね」
 佐久間は本気で薪のことが好きだったのだろう。薪も彼を頼っていたし、好意も持っていた。あの下衆男とは違う。たった一度の過ちで十年以上も付き合ってきた友人と喧嘩別れなんて、薪も少し狭量すぎやしないか。

「許せなかったんだと思うよ」
 ――おれがしたことを許したら、あの体育教師の言い分を認めることになっちゃうから。

 佐久間の声音は明らかに自分自身を責めていて、彼はとても辛そうだった。
 そんな風に思えるようになったのはずいぶん経ってからだ、と佐久間は言った。当時は薪に自覚がないのが悪いと彼を責める気持ちも大きかった。でも、それが分かったら薪にきちんと謝りたくて。
「今はちゃんと彼女いるって報告もしたいしな」
 鈴木に話すことで幾らか重荷が下りたのか、最後に佐久間は緩やかに微笑んだ。こういう男は嫌いじゃない、悪いやつじゃない。なんとかしてやりたかったが、未だそこまでは踏み込めない。鈴木には昔の佐久間のように自分が薪の一番近しい人間だという自信はなかったし、そうなるには彼らが重ねたのと同じくらいの年数が必要だろうとも思っていた。

 佐久間と別れた鈴木は薪の実家への道を歩きながら、佐久間の話を反芻した。そして重要なことに気付いた。
 過去に薪を襲った2度の事件。佐久間の話だと他にも色々あったらしい。隠し撮りされた写真が男子生徒の間でヌキ本代わりに使われていたとか、下校途中に変質者に追いかけられたとか。道理で電車の痴漢なんかに動じないはずだ。でもとにかく。
 近しい人が豹変して自分を襲ったこと、それが現在の薪を取り囲むあの高い壁を築く原因になったのだろう。警戒心が強く、なかなか人に心を許さない。迂闊に笑顔を見せない。すべて過去の被害経験に基づく行動だったのだ。
 つまり、そういう眼で彼を見ること。これは絶対にやってはいけないことなのだ、と鈴木は強く自分に言い聞かせた。冗談でも許されない。
 そこまで考えを進めて、鈴木はハッとした。

「……やべー」
 こないだオレ、薪に好きだって言っちゃった。

 勿論そういう意味じゃなかったけれど、あの時の薪の反応、あれは絶対に誤解してる。早急に解かないと鈴木は第二の佐久間になる。でも、何て言ったら。佐久間から薪の過去を聞いたと明かすわけにはいかない。だけどそれを知らさずに誤解だけを解く方法を、鈴木は考えつかなかった。
 図らずも、先週と同じループに嵌ってしまった自分の軽率さを鈴木は悔やむ。聞かなきゃよかったんだ。世の中には知らない方がいいことも沢山ある。
 思いかけて鈴木はクスリと笑う。こと薪に関すること、聞かずにいられるわけがない。こんなにも心が求めているのに。





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きみはともだち 後編(11)

 先週、過去作にたくさん拍手くださった方、ありがとうございました。
 昔の話を読むと、薪さん変わったなあって思います。作中で8年経ってますからね、オヤジになりましたよね(笑)
 鈴薪カテゴリの薪さんは未だ20歳くらいだから初々しくて傷つきやすいの、そういうのも魅力ですけどそろそろオヤジが書きたいです。というわけで、女子高生のセーラー服に鼻の下伸ばす男爵を妄想してます。形になるといいな。



きみはともだち 後編(11)






 市村家に到着した鈴木を迎えたのは、その日は薪一人だった。薪の叔母と叔父は揃って留守で、薪は合鍵で家に入ったらしかった。
 先日は上らなかった階段を上がり、薪の部屋に通された。主を失って4年になる部屋は殆ど物置と化していて、狭いアパートには置いておけない雑多な学用品で溢れ返っていた。定期的に掃除はされているようで埃臭くはなかったが、とにかく量がすごい。6畳間の和室の畳が2畳しか見えない。その狭いスペースに、二人は向かい合って座った。

「古いものは捨てたらって言ったんだけど。残しておきたいんだって」
 言葉が出ない様子の鈴木に薪は苦笑し、見れば部屋の奥には使い古した黒いランドセルが置いてある。埃が被っていないから逆に古さが分からなかった。この部屋には、親を亡くしてここに引き取られてから薪が使った物が全部置いてあるのだ。
「オークションに掛けたら大儲けできるのに」
「何か言った?」
 聞こえない振りで鈴木は、その部屋の占有物を眺めた。漫画本や遊び道具は一切ない。現代の子供の必須アイテムとも言えるゲーム機もない。ミステリー小説だけはたくさん並んでいて、それが子供時代の彼の唯一の娯楽だったと思われた。

 論文の原稿と資料は結構かさばって、薪は持ち運びに便利なように紙製の手提げ袋を用意してくれていた。多分、何処かの買い物袋の使い回し。エコロジーと言えば聞こえがいいが、節約が必要な生活状況なのだろうと鈴木は想像した。
 自分の会社が倒産したということは、多額の負債もあったに違いない。その状況で、彼らは親戚の子供を引き取って育てたのだ。薪はちゃんとそれを理解して、彼らに感謝と好意を抱いている。そして子供の思い出が染み込んだ古い学用品を、曲がったペンケース一つ捨てられない養い親。
 本当の親子ではないけれど。思い合う気持ちはきっと負けない。

「鈴木。こないだはごめんね、迷惑掛けて」
 思い出したように薪は言った。先週の飲み会の夜のことだ。
「迷惑っていうか、掛けられたのはゲロだよね」
 ごめんなさい、と素直に謝る薪に、鈴木はそれ以上の言葉を持たない。彼に服をダメにされたのはこれで2度目だが、いつもツンケンしている薪のしおらしい表情を見られるなら安いものだと考えている自分に気付いて、鈴木は自分が絶壁に立っていることを悟った。いよいよ末期状態だ。早く彼女に電話しないと。

「論文で忙しいとこ悪いけど、二つだけ話いい?」
 用事が済んだにも関わらずこの場に鈴木を引き留めることの理由を、薪はそんな風に切り出した。軽く頷く。
「いい話と嫌な話、どっちが先に聞きたい?」
「当然いい話」
「当然? 僕だったら後々の精神的ダメージを考慮して悪い話から聞くけど」
「いい話だけ聞いたらソッコー逃げる」
 鈴木らしい、と薪は失笑して、片方だけ立てた細い膝に手を置いた。

「叔父さんと話してみた」
 鈴木は息を飲んだ。自分の勧めに従って、薪は行動を起こした。結果、どうなった?
「僕、交番勤務は諦める」
 結局は薪が折れたのか、と鈴木は友人の夢を潰してしまったことに深い罪悪感を覚えた。が、そうではなかった。
 薪は片膝を抱えるようにして上体を前に倒し、尖った顎を膝の上に載せるようにしながら鈴木の顔を上目遣いに見た。
「もっと上に行かなきゃ駄目だ。僕が」
 その決心を聞いて鈴木は、薪がすべてを知ったことを悟った。薪が自分の気持ちを正直に話したから、叔父も本当のことを彼に告げたのだ。そうして彼に選ばせた。彼が出した結論を、今度は叔父は否定しなかった。
 つらい現実から子供を遠ざけようとするのは親の心。そしてまた、現実を子供に教えるのも親の責務。そうして選び取った道なら黙って見守るのが親の役目。彼はもう、子供ではないのだ。
「警察官僚になって国家権力を行使する。鈴木の言う通り、僕にはそれが似合ってる」
 叔父の兄が警察の隠蔽工作の犠牲になったことを鈴木は知らない、と薪は思っている。だから鈴木も言わなかった。言うべきではないと思った。同様に、ここに来る前に知った薪の秘密も。
 しかし、天才の洞察力はそう甘くはなかった。

「次は嫌な話だ」
 薪は宣言通りに話題を移し、鈴木は予定通りに逃げようとした。でも薪の方が素早かった。鈴木が立ち上がろうとしたときには、薪は一つしかないドアの前に立っていた。
「佐久間と何を話した?」
「佐久間ってだれ?」と惚けたら、いきなり両腕を捕えられて壁に押し付けられた。意外と強い力で驚いた。
「……そう怖い顔するなよ」
 佐久間に詰め寄られた時、ちょうど薪と電話をしていた。不自然な切り方で分かったのだろう、鈴木が佐久間と接触を持ったこと。
 隠しても無駄だ。自分が話さなければ、薪は佐久間のところへ行くだろう。関係のない人間にいったい何の話があったのかと、責め立てるに違いない。それは佐久間が可哀想だ。彼はただ薪に謝りたくて、でも聞いてもらえなくて、だからそれを鈴木に託したかっただけなのに。

「全部聞いた。薪が高校生の時のこと」
 薪の顔色が変わった。鈴木の腕を戒める力が緩み、その両手が微かに震えだした。
「それで」
「それでって?」
「鈴木はそれでどうしたい」
「どうって?」
 質問の意味が分からなかった。過ぎたことを今さらどうしようもない。ましてや他人の鈴木にどうこうできるものでもない。
 頭の良い鳥のように質問を繰り返す鈴木に、薪は思いがけないことを訊いた。
「気持ち悪くないのか、僕のこと」
 思いつきもしない質問だった。薪が嫌悪の対象として挙げているのは自分を襲った彼らではなく、自分自身だった。

「なんで?」
「だって! みんな僕が悪いって」
 鈴木の腕を拘束した薪の手は、今や鈴木に取り縋るようであった。どこか痛むかのようにきれいな顔を歪めて、彼は訴えた。
「僕が誘ったって、僕がそう仕向けたって、僕は何もしてないのにあいつら勝手なことばかり言って。あんなやつらみんな死ねばいいっ……!」
 びっくりした。薪は被害者なのに、どうしてか自分を責めている。「死ねばいい」と激しい言葉で、でも彼が罵っているのは自分自身。彼の亜麻色の瞳に充満しているのは憎しみではなく悲しみと後悔で、それはちょうど虐待を受けて育つ子供が自分にその責があると思い込む様子に似て、だから鈴木は彼が可哀想で堪らなくなる。
 彼に教えてやらなきゃいけない。一番大切な真実。

「悪くない」
 気づいたら薪を抱きしめていた。
「大丈夫。薪はなんにも悪くない」
 小さな亜麻色の頭を右手で抱き込んで、左手でその細い腰を自分の身体に引き寄せた。
「だからそんなに自分を責めるな。他人が薪を責めるなら、せめて薪は自分の味方になってやれよ」
 この手の行動が薪にとっては最大のタブーだということを鈴木はさっき認識したばかり、でもそんなことはすっかり頭から抜け落ちていた。

 鈴木の抱擁を、薪は解こうとしなかった。鈴木が髪を撫でても背中を擦っても、動かずにじっとしていた。時間とともに理性を取り戻した鈴木が腕の力を緩めて彼に自由を返すと、今度は自分の意志で彼は鈴木の胸に顔を埋めた。
 こういうことをするからこいつは誤解されるんだ、と鈴木は頭を抱えたくなった。薪はボロボロに泣いていて、多分泣き顔を見られたくない、それだけのこと。彼は言葉が足りないからその行動が思わせぶりに見えるが、根っこは意外と単純だ。でも常に彼の傍にいて、彼の無意識の誘惑に晒され続けた人間にそれを理解しろと言うのは難しい。
 好意が人を傷つける。抱いたものも受けたものも傷つける。それを上手にやり取りすることで人間の社会は成り立っている。
 授業では教えてくれない大事なこと。不親切ではなく、教えようがないのだろう。こうして思いをぶつけ合って、実地で覚えていくしかないのだ。不器用で頑固な薪がそれをマスターするには、人の倍も時間がかかりそうだ。
 泣き続ける薪の背中を撫でながら、長い付き合いになりそうだと鈴木は思った。




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きみはともだち 後編(12)

 10月なんで、ハロウィン時計を貼ってみました。テンプレも変えようと思ったんですけど、面倒で。←おい。
 今ちょっと入札の内訳書作りに追われてて(^^;) 落ち着いたらテンプレ探します。


 お話の方は最終章ですー。
 読んでくださってありがとうございました。






きみはともだち 後編(12)






 その後の薪の最大の変化は、この言葉に集約される。
「勝手だなー」
 その日も鈴木は一方的に切られた電話に向かって呟いた。12時半に科警研の食堂で待ってる、とそれだけ言われた。鈴木の都合は聞かれなかった。
 身勝手な親友に振り回され続けて早5年、鈴木の神経の消耗は半端ではない。その上、彼は警察にキャリア入庁しながら捜査一課に所属願いを出し、現場で凶悪犯と渡り合うという危険な日々を過ごすことで鈴木の胃に穴を開けようとしている。鈴木の心配もどこ吹く風で、全く、とんでもなく厄介な男と友だちになったものだ。

 壁は取り払われた。と同時に、気遣いや遠慮も消え失せた。
 消えたものは他にも幾つかある。それは彼の冷たい態度に見られた拒絶と、穏やかな笑みの下に隠した翳りだ。その代わりに鈴木が得たもの、それは。
「鈴木、こっち」
 テーブル席から、薪が大きく手を振っている。呼びかけと共に鈴木に投げられるのは全開の笑顔。

 携帯用のマグボトルを置いて席をリザーブし、二人で列に並んだ。カフェテリアはセルフサービス、縦社会の警察もここは階級に関係なく平等だ。もっとも、警視正以上の階級の者は普通は此処には来ないが。
「今日は昼飯の時間取れたんだ。平和でよかったな」
「そうでもない。事件発生は昨夜の21時、昨日は泊まり込みで目下地取り捜査中」
「それじゃ忙しいんじゃないか」
「午後一で捜査会議なんだ。聞き込み行くにしても時間が半端だから。鈴木とメシでも食おうかと思って」
「捜査一課のエース殿の時間潰しに貢献できて光栄です」
 鈴木が皮肉ると、薪はあははと笑った。
 同じ定食のトレーを持って席に着く。口に上るのは仕事以外の四方山話。意味のない日常会話も、薪はすっかり上手くなった。
 食事の膳が半分も片付かないうちに、薪の電話が鳴った。捜査一課の宿命だ。事件は時間を選んでくれない。事件解決の目星も付かないのにまた新しい事件かと、眉を険しくする薪は完全に刑事の顔つきだ。警大時代に見られた甘さは、もうない。

 鈴木の目の前で、着信画面を見た薪の顔がふっと柔らかくなった。そのまま電話に出る。
「叔父さん。お久しぶりです」
 柔らかく微笑んで、薪は言った。
 薪の叔母夫婦はアメリカに渡ることになっていた。叔父が独自に開発したソフトにアメリカの企業からオファーがあって、その企業のプロジェクトに参加することになったそうだ。条件もかなり良く、この仕事が上手く行ったら叔母たちはロスに住むことになるかもしれない、と薪から聞いていた。
「そうですか。お元気で」
 永い別れを感じさせる薪の口調で、今日が旅立ちの日なのだと分かった。日本を発つ前に、空港から電話を掛けてきたのだろう。
「大丈夫ですよ。飛行機が落ちる確率は交通事故よりずっと少ない……ええ、たしかに死亡率は高いですね、叔父さんの言う通り。だからってダメですよ、あんまり叔母さんに面倒掛けちゃ」
 どうやら薪の叔父は飛行機が苦手らしい。薪は可笑しそうに笑い、やさしく眼を細めた。

「叔父さん」
 親しみを込めて薪は呼びかけた。それからしっかりした声で、
「叔父さんの言った通りでした。此処は厳しくて、僕の意見なんか一つも通らない上に納得できない仕事も山ほどやらされて。現実は甘くないです。でも」
 薪は言葉を切り、自分の心の中を確認するように眼を閉じた。再び開いた彼の瞳は、生き生きと輝いていた。
「僕は警察に入って本当に良かったと思っています」

 それから二言三言、言葉を交わして薪は電話を切った。携帯電話をポケットにしまい、冷めかけた飯を口に入れた。
「見送り、行かなくていいのか」
「殺人事件の捜査中だ。そんな暇ない」
 会議の時間が迫っているのか、薪は掻き込むようにして食事を終え、箸休めの暇もなく席を立った。
「叔父さんに頑張れって言われた。この事件、必ず獲る」
 強く言い切った、友人に頼もしさを覚える。薪は本当に逞しくなった。

 カフェテリアから外に出ると、6月には珍しいくらいの青空が広がっていた。眩しさに釣られて見上げれば、くっきりと飛行機雲。
「じゃあな、鈴木。またあとで」
「ああ。――薪」
 呼び止めると薪は振り返った。童顔のせいで七五三みたいだったスーツ姿はいつの間にか板について、きりりと締めた臙脂のネクタイが彼の闘志を表しているようだった。
「がんばれ」
「うん」
 頷いて、薪は歩き去った。
 警視庁に戻る友人の、細いけれどしゃんと伸びた背中を眼で追って、鈴木は温かいものが胸に満ちてくるのを感じていた。

 もうすぐ、夏が来る。




―了―



(2013.6)

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ライン(1)

 鈴薪さんは青薪さんにつながっていく、と言うのがわたしの信念です。
 ので、あとがきは青薪さんです。←単なる青薪欠乏症だったりして。







ライン(1)





 大森駅に降りたのは十年振りだった。

 休日に買い物に出た折、青木が中華街でランチを食べたいと言うから京浜東北線で横浜まで来た。帰りの電車の中で、先日訪れた青木の実家の話になった。
「とんだ田舎で恥ずかしかったです」と彼が照れ笑いしたから、僕の実家も大して都会じゃなかった、と薪は言った。
「どんな所だったんですか?」
 興味津津、青木は訊いた。吊革の取っ手ではなくバーを握って、身長の高い彼はその方が安定するらしい。彼の背丈を羨ましく思いながら、薪は質問に答えた。
「普通だ」
「普通って言われても」
「本当に普通の町なんだ。何処にでもある」
 何の特徴もない町だった。中流の民家が建ち並んでいて、徒歩で通える範囲に小学校から高校まであって。公害を出すような工場等はなかった。その代わり、大きなショッピングモールやビルもなかった。そう言った生活に便利なものは駅の東側に集中していて、薪が住んでいた西側には目立ったものは何もなかった。
「場所はどの辺なんですか?」
「次の駅を降りて徒歩25分」
 言ったが最後、強引に途中下車させられた。帰って読みたいミステリー小説があったのに、青木の自分勝手にも困ったものだ。いったい誰の影響だか。

 十年振りの故郷はびっくりするくらい変わっていなかった。
 駅前は再開発が進んで知らない街のようになっていたが、10分ほど歩くとタイムスリップでもしたかのように、古臭い街並みが残っていた。道の左右には見覚えのない家が何軒も建てられていたものの、全体的な空気は昔と同じだった。

「ここ」
 薪が指し示した場所には何もなかった。木杭にチェーンを張って立ち入り禁止であることをアピールしている更地。両側には新しい家が建っているから、そのうち此処にも誰かが住むことになるのかもしれない。
 叔母夫婦がアメリカに旅立って7,8年した頃、あちらに永住することになったと連絡が来た。日本の家をどうするか叔父と話し合って、処分することに決めた。彼らがそこに住まないなら、家は只の器だ。思い出のために保存しておけるほど裕福ではないし、税金もバカにならない。

「ちょうどあんな感じの家だった」
 道の向かいに建っている築50年くらいの古びた民家を指さし、青木の反応を見る。へえ、と青木は眼を輝かせ、何が嬉しいのかニコニコと笑った。
「あんな感じのお家に小さい薪さんがいらしたんですね」
 何を想像しているのか、青木は夢見るような瞳でいっそうっとりと視線を虚空にさまよわせながら、
「あああ、すっごいかわいい……きっとご近所中のアイドルだったんでしょうね」
「いや。女みたいで気持ち悪いって苛められてた」
「え。本当に?」
 ああ、と薪が頷くと、青木は憤慨して、
「この辺の子供はクソガキばっかりだったんですね」
 口が悪いぞ。誰の影響だ。

「悪いやつばかりじゃなかったさ」
 顔が女みたいだという理由で苛めを受けるからには、その内容も自ずとセクシャルなものになる。ぶっちゃけて言えば、よくズボンを脱がされた。「こいつ女じゃねーの、確かめてみようぜ」と誰かが言い出して、それは3日前にも確かめたじゃないか覚えてないのかこいつら本当にバカだな、と心の中では精一杯相手を罵っていたけれど、実際はめそめそ泣いてた。
 そんな薪を助けてくれたのが、佐久間忍という幼馴染みだ。
 彼は幼い頃からスポーツ全般に秀でていて、子供たちの間ではちょっとしたヒーローだった。性格は明朗快活、思いやりがあって公平。薪とは家が近くて、だから少しだけ他の子よりも眼を掛けてくれたのかもしれない。

 目的の場所を青木に教えたら、もうすることもなくなって、駅に向かって歩く途中にその幼馴染みの家があった。
 佐久間の家は、新しく建て直されていた。あの頃は二階建てだったが、今は三階建てになっている。庭もきれいに手入れされていて、豊かな生活を送っているようだ。
「知り合いのお宅ですか」
「……旧い友だちだ」
 すぐに答えられなかったのは、彼を友人と称することに迷いがあったからだ。佐久間とは高校生の時に絶交していた。
 子供の頃から何度も助けてもらったのに。でもあの時は、どうしても彼を許せなかった。

「寄り道されるなら、オレ、何処かで時間潰してきましょうか」
「まさか。二十年も連絡とってなかったのに、急に訪ねて行ったら迷惑だろ」
 彼に会う気なんかさらさらない、ていうか、どんな顔で会えばいいのか分からない。何度も謝罪に来た彼を薪は拒絶した。その理由を考えると、もうどのツラ下げてって感じだ。
 自身の狭量のせいで僕は彼に会う資格も失ってしまった、と薪は思い、重苦しい気持ちになった。

「オレ、小さい頃は田んぼのあぜ道を走り回ってましたけど。薪さんは何して遊んでたんですか?」
「遊んだ記憶はあまりない。一人で本を読んでいることが多かった」
「友だちと遊ばなかったんですか?」
「だから言っただろ、苛められてたって。一緒に遊ぶ友だちなんかいなかっ、……その角を曲がると小さな公園があって。そこで偶にさっきの家の子と遊んでた」
 正直に言ったら青木が、まるで自分が苛められっ子だったみたいに悲しそうな顔になったので、慌てて薪はフォローを入れた。通行人は少ないとはいえ皆無ではない。泣き虫の大男を連れて歩くなんて願い下げだ。

 遊び道具など何もないつまらない公園だぞ、と何度も念を押したのに、青木が見たいと言い張るので仕方なく案内した。
 公園は薪の記憶とは違って、新しく整備されていた。大きな砂場に整えられた樹木、遊具もたくさん置いてある。最近の子供はテレビゲームばかりして外に出ない、それは周辺に遊べる環境がないからだ、という説を基に、どの地方公共団体も公園事業に力を入れているそうだが、過剰な整備は税金の無駄遣いだと薪は思う。大人が環境を整えてやらなくたって、子供は遊びの天才だ。何もない原っぱを一瞬で劇場に変えられる。今の子供たちに足りないのは整備された遊び場ではなく、想像力ではないかと思う。
 子供の想像力の先回りをして大人が何でも与えてしまうから、空想を膨らます訓練ができないのだ。その証拠に見ろ、田んぼの真ん中で育った男のドリーマー精神の強いこと。こういう人間がストーカー犯罪を起こす、ってダメじゃん。
 持論に破綻を覚えて薪は思考するのを止めた。休日は頭をオフして堅苦しいことは考えない。青木との約束だ。

「立派な公園じゃないですか。いいなあ。オレの田舎にはこんなのなかったです」
「僕がいた頃は何もなくて。そこに砂場と、あっちにブランコが」
 薪は息を飲み、その場に立ち尽くした。
 ブランコの手前の広場で、サッカーボールで遊んでいる子供の顔に見覚えがあった。父親と一緒にリフティングの練習をしている。その父親がこちらを見て「薪」と呼びかけた。
「佐久間……」

 バック&アウェイで逃げ出そうとする両脚を理性で縫い止める。会わせる顔がないと思っていた相手に会ってしまったとき、人はいったいどんな顔をすればよいのだろう。
 その答えは旧友がくれた。佐久間は薪に走りより、せっついた様子で、
「きみ、もしかして薪の息子さん?」
 バリッと引き攣った薪の隣で、青木がぷっと吹き出す。それを素早く蹴り飛ばしておいて、失礼な旧友に向き直った。
「20年ぶりに再会した友人にどういう挨拶だ、それは」
「えっ、本人?! まさか。高校の時と顔変わってな、あ、いやその」
 びきびきびきっと薪の額に立った青筋の本数に恐れをなしたのか、佐久間は自分の口を押さえた。改めて見直して、それが本人だと理解したらしく、ようやく表情を和らげた。

「懐かしいな。会えてうれしいよ、薪」
 何もなかったように、佐久間は笑った。薪は緊張に固まっていた肩の力を抜き、あの頃と同じように曖昧な微笑みを返した。






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ライン(2)

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 旧友と肩を並べてベンチに座るのは、ほぼ三十年振りだ。
 高校生の時と変わらない、と薪に暴言を吐いた友人は、少年の頃の面影を僅かに残した大人の男性になっていた。あの頃と同じように短く刈り込んだ黒髪に浅黒い肌。黒い瞳は年月を経て、いくぶん細くなった。削げた頬に手入れの行き届いた顎鬚。俊敏な雰囲気だけは変わらない。いい年の重ね方をしていた。

「息子さん、佐久間にそっくりだな」
「ああ、あれは3番目。3人とも男の子なんだけどさ、あれが一番サッカーのセンスがある」
「佐久間の子供なら、みんな運動神経はいいだろうな。何年生?」
「4年生。もうすぐジュニア選手の選抜試験があるんだ」
 子供の練習相手は青木が務めている。長い脚を素早く動かして、子供が蹴ったボールを、あ、空振り。ダサいぞ、青木。
 思わず顔が綻んだ。青木の母親が「一行は子供の頃から球技が苦手だった」と笑っていたのを思い出す。彼女の談によると、テニスのネットに絡まって転ぶという器用な特技もあったらしい。

「薪と最後に会ったのって、ここに来る途中の道だよな。大学2年の時だっけ」
 薪も覚えている。それまでは実家に帰ると、待ち伏せでもされているのではないかと疑いたくなるくらいに彼と出くわせたのに、あれを最後に彼の姿を見なくなった。

「あの日おれさ、その、鈴木ってやつに」
「ああ。聞いたよ」
 佐久間は鈴木に薪の過去を話した。断りもなく他人に秘密を暴露されたことに薪は大層腹を立てたが、逆に鈴木が諌められた。
 話を聞いてやれと言われた。彼は心の底から後悔して、薪に謝りたいだけなんだと。
「鈴木に叱られた。謝罪に来てるのに話も聞かないなんて、狭量過ぎるって」
 薪を叱ってくれた親友は、もうこの世にいない。あの事件を佐久間は知らないのか、あるいは知っていて口にしないだけなのか。彼の性格から言っておそらくは後者だろうと薪は思った。

「あの時は本当にごめん」
 ジーンズの膝に両手をついて、佐久間は男らしく頭を下げた。休日のスタイルでパーカーにチノパン姿の薪は何処から見ても高校生。その彼に大の大人が頭を下げている様子は実に奇妙な光景だ。
 薪がいかに粘着質でも、20年以上も怒りを持続することは難しい。第一、彼と別れたのちに自分が歩んだ人生を思うと、怒る資格も消え失せる。人目もあることだし、「もう気にしてないから」と言って話を切り上げたかった。だけど堪えた。きちんと謝罪させてやらなかったら、佐久間の後悔は消えないのだ。
 言いたいだけ言わせてやろうと思った。当時あったことの何を聞いても、悲しみは蘇らない。あのとき全部、鈴木が溶かしてくれた。
 おずおずと顔を上げた佐久間を、薪は瞳で促した。部下の悩みを聞いてやる時の要領で、ゆっくりと頷いて見せた。果たして佐久間は、30年前に届けられなかった言葉を薪に伝え始めた。

「薪はそんなつもりじゃなかったのに、おれが勝手に誤解して。薪にしてみればあり得ないことだったんだよな。男と恋愛沙汰なんて」
 ……すみません、その3年後に鈴木とデキちゃいました。
「薪は普通に女の子が好きだったのに」
 それは間違いではありませんがごめんなさい、今現在あそこにいる男と付き合ってます。
「考えてみたら失礼な話だよな。同じ男に欲情するなんて」
 申し訳ありません、彼とは週に2回は、……もう勘弁してください。
「人間としてしちゃいけないことだった。恥ずかしいよ」
 ねえ、わざと? それわざと言ってるの、佐久間くん。
「今考えると、とても正気だったとは思えな……どうした? 薪」
 耐えきれなくてベンチに突っ伏してしまった。佐久間は昔からこういう奴だ、悪気はなくても空気が読めない。

「お父さん。あのおじさん、トロくて練習相手にならない」
 サッカーボールを小脇に抱えて走ってきた子供が、佐久間に向かって訴えた。伏せた腕からちらりと覗けば、しゃがんで地面にのの字を書いている大男の姿。
 情けないぞ、青木。

「すぐ行くよ」と佐久間は笑って、先に広場に戻るように息子に命じた。薪がベンチに座り直して子供が走っていく方向を見ていると、彼に免職を言い渡された見かけ倒しのストライカーが、とぼとぼとこちらに歩いてきた。
「あいつ、球技は苦手なんだ。剣道だったら好い線行くんだけど」
「へえ。ずいぶん年が離れてるみたいだけど、彼は友人?」
「いいや。青木は僕の、……部下だ」
「え。だって今日休みなんだろ。休みの日でも部下と一緒?」
「そ、それはそのっ、か、彼はつまり僕のボディガードで、公私共にその」
 しまった、と薪は思った。頭をプライベートモードに切り替えたのがまずかった。対外仕様の言い訳が上手くできない。しかし、
「ボディガードか。さすがだな、薪は」
 佐久間は感心したように頷いてくれた。旧友の変わらぬ素直さに救われた思いで、薪はそっと胸を撫で下ろす。

「薪。ちょっと性格変わったな」
「そうか?」
 言い当てられたのは少しショックだった。成長するに従って性格が捻じ曲がったのは自覚していた。だけど今日の相手は少年時代の友人。あの頃のような純朴な気持ちで彼に接していたつもりだった。
 曲がった性格は隠しても滲み出るのか、と薪がいささか凹むと、佐久間は昔と同じ爽やかな笑みを浮かべて、
「うん、変わった。おれといた頃よりも砕けた感じ。いい感じだよ」
「朝から晩まであのバカと一緒にいるからな。バカが伝染ったんだ、きっと」
 性格の悪さを見抜かれずに済んで安堵した薪は、苦笑して軽口を叩いた。実際、青木の影響力は大きい。毎日毎日何がそんなに楽しいのか、笑ってばかりいる。そんな彼を見ていると、この幸せを守るためにはどういった行動を取るのが正解なのかと家の近所を歩く時ですら恐々とする自分がバカらしくなってくる。薪さんは考え過ぎです、と青木は言うけれど、おまえが何も考えないから僕が考えなきゃいけなくなるんじゃないか。なんか腹立ってきた、帰ったら苛めてやる。

 青木を泣かせる方法をあれやこれやと考える。自分がその時どんな表情をしていたのか薪は知らない。でも佐久間に言われた。
「今は、幸せなんだな」
「まあそれなりに」
 青木とも青木の家族とも上手く行ってる、仕事も順調、第九の検挙率も好調。職務に関するトラブルはたくさんあるけど、それを解決するのが今の薪の仕事だ。それは不幸とは言わない。
「よかった。薪が元気にやってて、本当によかった」

 痺れを切らした3男坊が、お父さん、と非難がましい声で父親を呼んだ。「それじゃ」と立ち上がる佐久間を、今度は薪が呼びとめる。
「佐久間」
 薪の呼びかけに佐久間は足を止めた。やおらに振り向く。
「子供の頃、何回も助けてくれてありがとう」
 振り返った佐久間の眼が眩しそうに薪を見る。薪は立ち上がって彼に近付き、パーカーのポケットから名刺入れを出した。
「今度、時間あったら一緒に飲もう」
 連絡先、と名刺にプライベートの携帯番号を書いて差し出すと、佐久間は複雑な顔でそれを受け取った。
「変わんないなー、そういうとこ」
「え」
「そんなんだからおまえは」
 敵わないよなあ、と嘆かれたが、薪には何の事だか分からない。少し離れたところに立って薪たちが話し終わるのを待っている大男の方から刺々しい秋波のようなものが送られてきた気もするが、もちろん薪に心当たりはない。

 佐久間はチラッと青木の方を見て、失笑しながら言った。
「もしかすると、おれにも可能性あったのかな」
「可能性って、何の?」
 それには答えず、佐久間は薪に手を振ると息子の待つ広場に駆けて行った。「お父さん、遅いー!」と不満を訴える子供の声を聞きながら、薪は青木に歩み寄る。

「待たせたな。帰るか」
「はい」
「夕飯、なに食いたい?」
「そうですね。昼は麻婆豆腐だったから、夜は酢豚がいいです」
「2連チャンで中華食ったらブタになるぞ。おまえ、最近ハラ出てきた」
「そういう薪さんだって。ベルトの穴、一つ増えましたよね」
「年のせいだな。四十過ぎりゃ誰だって」
 ふと気付いて薪は言った。
「そうか。佐久間にこの腹を見せればよかったんだ。そうしたら高校生の体型じゃないってすぐに分かって」
「……今夜は覚悟してくださいね」
「ん?」
 自覚ないんだから、と青木はブツブツ言うが、薪にはさっぱり分からない。多分、世代の差ってやつだ。

 子供が蹴り飛ばすサッカーボールの軌跡を眼で追いながら、同時に佐久間は去っていく旧友の背中を見送る。広いフィールドで敵と仲間の居場所を瞬時に見分けながらボールを蹴っていた彼には容易いことだ。
「青木くんか。彼も苦労するな」
 飛んできたボールを器用に脚で受け止め、蹴り返しながら彼はにやりと笑った。




*****


 青薪SSになると薪さんが一瞬で男爵に(笑)




 

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ジャンル : 小説・文学

ライン(3)

 あとがき代わりの青薪SS、これで最後です。
 お付き合いくださってありがとうございました。


 



ライン(3)





 家に帰って夕飯の支度をした。

 並んでキッチンに立って、青木は野菜を洗い、薪はそれを刻む。軽快な包丁の音が響き、クッキングヒーターの上では薪特製酢豚のタレが芳香を立ち上らせる。
 食欲を刺激する芳醇な香りの中、青木が薪に話しかけた。
「あの方とはどういったお知り合いだったんですか」
「佐久間は僕の」
 幼馴染み、と言いかけて、薪は口を噤んだ。青木の声に含まれた微かな刺に、先刻の秋波の正体を知る。青木は、彼と薪との間に何かあったのではないかと疑っているのだ。
 年下の恋人の可愛いやきもち。汲んでやらなかったから男がすたる。

「僕のファーストキスの相手だ」
「えっ!」
 なんでそんなに驚くんだ、予想してたんじゃないのか。
「舌、入れられました?」
 青くなって聞き返す。質問の内容に眩暈がした。
「そこ、気にするところなのか」
「キスだけですよね? その先はするつもりなかったんでしょう?」
「だからどうしてそんなに気にするんだよ。ガキの頃の話だぞ」
「だって薪さん、昔、男には興味ないってオレにはさんざん」
「今も興味ないけど」
「ええーんっ!」

 先のことなんてあるわけないだろ、と言い掛けて薪は、そこに微かな引っ掛かりを覚える。
 あの当時、自分は彼のことがとても好きだった。佐久間の他に友と呼べる人間はいなかったし、好きか嫌いかと訊かれたら迷わず好きだと答えた。級友たちの心無い陰口や侮辱に晒される時も、佐久間だけは本当の自分を理解してくれている、という確信は薪の大きな支えになっていた。
 いきなり求められて、例の体育教師のことを思い出した。それで怖くなって突き放してしまったけれど、もっと時間を掛けて触れ合ったら。友人とは別の関係に発展していたかもしれない。

「少しだけ恋してたのかな。顔見たとき、ちょっとドキッとした」
「薪さん、オレの顔はどうですか? ドキドキしますか?」
「見慣れ過ぎてもう何も感じない」
「うわーんっ!」
 ウソだ、バカ。
 同じ家に暮らしてて、今日なんか朝から晩まで一緒にいて、なのにこうして野菜の受け渡しの時にちょっと手が触れたりする、そんなことでときめくとか自分でも気持ち悪いと思うけど自律神経の問題なんだから仕方ないだろクソバカヤロー。

「オレなんかこうして、薪さんの顔をじっと見るだけでドキドキするのに。ほら」
 急に顔を近付けられてドキッとする。遠慮なく取られた手が青木の厚い胸板に押し当てられた。手のひらに伝わる鼓動は、薪と同じエイトビート。
「医者に行け」
「うええええんっ!!」
 しくしく泣きながら人参を茹でる大男を横目で見やり、薪はニヤニヤ笑う。やっぱり青木を苛めるのは最高に楽しい。

 酢豚に絡める甘酢ダレの酢を微調整しながら、薪は考える。

 佐久間とはあれでよかったんだ。
 もしも僕が彼の恋人になっていたら、多分鈴木とは恋仲にならなかった。そうしたら僕は鈴木を殺めることはなかったかもしれない、でもその代わり、青木ともこんな関係にはならなかっただろう。
 それはちょうど川の流れの中で、上流で切り取られた岩の欠片が下流に行くにしたがって丸みを帯びるさまにも似て。
 さまざまな経験の積み重ねが現在の僕を作っていて、どれ一つ欠けても今の僕にはなれないのなら、僕は僕の人生のすべてを認めよう。過ちだらけの僕の軌跡、掘り起こすほどに眼を背けたくなる。それでも僕は、30年掛けてこの場所にたどり着いた。
 鈴木のことを想うと当たり前のように息ができなくなるけれど。
 でも、僕を僕が肯定しなかったら、今の僕をこんなに愛してくれる青木に申し訳が立たない。

「どうだ、タレの味」
「美味しいです。ああ、困っちゃうな、本当に太りそう」
「食った分だけ運動すればいいんだ」
「え、夜の運動ですか? もしかしてオレ、誘われてます?」
「当然だ。おまえ以外、僕の相手はいない」
「え、え、どうしちゃったんですか。薪さんたら急にそんな嬉しいこと」
「食ったら道場に行こう」
「…………はい」
 しょんぼりと背中を丸める青木の横で、薪は器用に鍋を振る。黒い中華鍋の中、ピーマンとパプリカでカラフルに彩られたメインディッシュが極上の甘酢ダレに抱かれてジュウッと音を立てた。





(おしまい)



(2013.6)







テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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しづ

Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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