ミラー(1)

 今朝は雪が降りましたね!
 下水道の現場に凍結防止の塩化カルシウム撒きに行ってきました。それは業者の仕事なのですけど、日曜日に降られるとちょっと悲しいです。


 さて。
 こちらのお話、「3年前の雑文その2」でございます。
 原作で青薪成就する前はこんなことも考えてたんだな~、と懐かしい気持ちになったりならなかったり。この時期に書いた話って、二人が一緒に暮らしてる話が多かったんですよね。原作の薪さんの恋愛模様がツライ時だったから、幸せな妄想に逃げてたんですねえ。


 時期は青薪さんが一緒に暮らし始めて半年くらい、です。
 あ、あとこの話、「ロジックゲーム」という話の後日談になっております。そちらを読んでないとちょっと分かりにくいかもです。よろしくお願いします。







ミラー(1)







 今まで別々の環境で暮らしていた者たちが一緒に住むには、ある程度の妥協とそれなりの忍耐を強いられるものだ。特に青木の場合、同居することになった相手というのが職場の上司、それも彼のボディガードとして、謂わば使用人に近い形で彼の家に住み込むことになったのだから、一歩も二歩もこちらが引かなければいけないと覚悟していた。

 覚悟などという言葉を使うと、青木がこの事態を憂いているように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。踊りだしたいくらいうれしい、それが青木の本音だ。何故なら、この春から一緒に住むことになった上司というのは、実は青木が熱愛している恋人だからだ。
 ただ、彼は元来とても我儘な男で、しかも気が強い。性格も悪いし意地も悪い。ついでに酒癖も悪い。いつも自分が優位に立っていないと気が済まない性質だし、管理職特有の説教癖もある。良いのは顔とスタイルと……他に何かあったかな……いや、流石に顔だけってことはないと思うけど咄嗟には思い浮かばないなあ。

 とにかく。
 8年も共に過ごして相手の人となりは分かっていたから、一緒に住むとなったらかなりの我慢が必要だと、青木は相当の覚悟をしてここにきたのだ。
 愛し合って結婚した恋人たちでさえ、生活を共にするのは大変だと聞く。事実、結婚した友人たちは一様に、どんなに好ましく想った相手でも一緒に暮らし始めるとアラが見えてくる、とこぼしていた。
 女神のように優しい女性でも、時には感情が不安定になることもあるし、仕事で疲れて気遣いが足りなくなるときだってある。もっと具体的な例を挙げれば、デートの時は欠かさず化粧をして美しく着飾っていた彼女が、結婚して毎日家事をするようになれば自然地味な服装になり、その姿にときめくことも減っていく。そうなると男という生き物は、異性に対する高揚感や刺激を求めて他の女性に目を移したりするわけだ。
 が、薪の場合はもともと感情の波が激しい人だったし。やさしくしてもらった思い出なんか数えるほどしかないから、最初から期待してないし。容姿に関してだけは、そんじょそこらの女優なんか足元にも及ばないくらいの美人だから何を着ててもきれいだし、酔っ払って寝こけててもかわい………あれ? やっぱりオレって、顔だけで薪さんのこと好きになったのかな。……まあいいや。

 予想したよりも遥かに穏やかに過ぎていく毎日に、青木は夢を見ているような気分が拭い去れない。けっこう頻繁にやっていた口ゲンカも冷戦も、同じ家に住むようになったら意外なくらい起こらない。
 何故だろう、などと考えるまでもない。薪がケンカを仕掛けてこなくなったのだ。
 ふたりのケンカの原因は、99%が薪にある。青木は部下だし年下だし、何よりも薪にメロメロに惚れていたから、自分からケンカを仕掛けるような真似はしなかった。というか、できなかった。だから大抵は、薪が何か勘違いするか思い込むかして青木にさんざん当り散らした挙句、自分一人で勝手に怒っていたのだ。どうにも手が付けられない状態で、青木が引くと冷戦状態に、キレるとケンカになる。本当に扱いづらい人なのだ。

 それが一緒に住み始めたら、薪は牙が抜けたように大人しくなった。
 些細なことで怒らなくなったし、情緒不安定も治まった。世間一般に言われるところの「やさしい恋人」には程遠いが、意地悪される頻度も減ったような気がする。
 今だって、リビングのソファに二人で座ってそれぞれが好きな本を眺めているのだが、薪は横向きになって両足をソファの座面に上げ、青木の左腕に背中を預けるような体勢でくつろいでいる。いい感じだ。これで薪の見ている雑誌のページが「深田○子セクシー水着特集」でなかったら最高なのだが。
 住まいを別々に構えていた頃は、薪と一緒に過ごせる時間はとても少なかった。その中で、こんな風にゆったりと二人でくつろいだ記憶はあまりない。時間の長さの不足を深さで補おうとして、もっと濃密なふれあいを求める傾向が強かったように思う。
 それはそれで楽しかったけれど、青木は今のほうがいい。泊まりの仕事と出張のとき以外は必ずプライベイトの薪に会える。今の方が絶対にいい。

 定期購読しているカー雑誌の、新型車の見開き写真に見入ってる青木の横で、薪はひょいと身を起こすと、雑誌を置いて席を立った。何をするのかと見ていれば、仕事机からカッターナイフを持ってきて眺めていたページを切り取り始めた。
「なにしてるんですか」
「『今夜のフカキョン』に追加を」
 今夜の、というのはつまり、そういう目的のスクラップブックだ。薪は自分の恋人で、いや、生涯を共にしようと誓い合ったパートナーで、ベッドの中ではあんなに激しく青木を求めてくれるのに、どうして女の水着姿に興味を持つのだろう。
 青木はもう女性の身体を見ても何も感じなくなってしまった。美女を見ればきれいだなとは思うが、それは花を愛でるようなもので性衝動に結びつくことは無い。何年も前から、青木を欲情させるのは薪だけだ。

「どこがそんなにいいんですか?」
「胸と顔」
 なんて男の本能に忠実なひとなんだろう。ホクホク顔で、切り取ったグラビア嬢の胸の谷間を人差し指でなぞっている彼を見ていると、自分が本当に愛されているのかどうか不安でたまらなくなってくる。
「薪さん。オレと彼女と、どっちが好きですか?」
「ばっかじゃないのか、おまえ」
 ついつい真剣に訊いてしまって、薪に笑われた。
 笑いながら薪は固形のりのキャップを閉めて、水着率90%という不届きなオリジナル写真集を無造作にローテーブルの上に放り投げた。それからソファの上に膝で立ち、右手を伸ばして青木の頭をよしよしと撫でた。

「子供扱いしないでくださいよ」
「写真か映像でしか見たことのない女性にヤキモチなんて、コドモならではの発想だと思うぞ」
「コドモは嫌いですか?」
 額に当てられたやさしい手の感触を心地よく感じながら、だけど青木は唇を尖らせて、それこそ子供のようにふくれてみせる。
「いや。そうでもない」
 子供扱いされて本当に怒ったわけじゃない。これは恋人に対する一種の甘え。薪の瞳はやわらかく細められて、それは青木の甘えを快く受け止めてくれた証拠。

 細い指先が額から頭の後ろに回されたと思ったら、薪が額にキスしてくれた。そのまま顔を下にずらして、亜麻色の前髪を青木の額に擦り付ける。
「こう見えても、僕は子供の相手は上手いんだ」
「でしょうね。年も近く見えるから子供も安心するんでしょ」
 青木が悪戯っぽく笑うと、薪は押し付けていた額をわずかに離し、勢いをつけてごつんと青木の額にぶつけた。
 青木が思わず目をつむると、その隙に唇を奪われた。戯れにしては濃厚なキスに、青木の腹の底がずくりと波打つ。
 口の中に入ってきた彼の舌に自分の舌を絡ませようとして、青木は唇の角度を変えた。すると薪は青木の額に手のひらをあてて彼の接近を押さえ、さっと唇を離した。取り残された青木の舌が、口中で行き場を失う。
「な? 上手いもんだろ」
「子供相手に、こういうことしていいんですか」
 完全に遊ばれたと分かって、青木は眉根を寄せる。つい先刻まで恋人の唇を慈しむ形に開かれていた唇をできるだけ皮肉に歪めて、己のプライドを取り繕った。
「いつまでも子供じゃ困るだろ?」
 キスくらいで翻弄されない、と見せかけるも、黒い瞳に宿った熱情は隠せない。それを嘲笑うように薪は、ふふん、と高慢に笑って、ソファの上に青木の身体を押し延べた。
「僕が大人にしてやろうか」
「……よろしくお願いします」
「いい子だ」
 年下の分別をもって青木が引くと、薪は満足そうに笑って、身勝手に切り上げたキスの続きをしてくれた。

 何ヶ月か前にはケンカの引き金になっていた状況が、睦言を交わすきっかけになる。薪との間にこんな日が訪れるなんて、昔は想像もつかなかった。
 同じ家に住み始めたのは正解だった。
 一緒にいることで安定する。薪も、そして自分も。
 以前は、次にいつ会えるかわからないという不安から、ついつい過剰に彼を求めてしまって。明日の仕事のことも忘れて、明け方近くまで寝かせなかったこともあった。翌日、疲れた顔で職務をこなす彼を見て二度とこんなことはすまいと誓うのだが、次に逢瀬が叶ったときには喜びの方が勝ってしまい、また同じ過ちを繰り返してしまうというパターンが多かった。
 今は、そんなことも少なくなった。
 同じ家に住んでいるのだ。寝ているうちにどちらかが心不全でも起こさない限り、確実に会える。そう思ったら焦る気持ちもなくなって、程よいところでストップが掛けられるようになった。この場合の程よいところというのは、「薪の限界」という意味だ。青木の「程よいところ」にストッパーを合わせると、薪は次の日、自力で立てなくなる。

 無理をさせることが減ったからか、今日のように薪の方から誘ってくれることも多くなった。昔は青木から強引に仕掛けないと応じてくれなかったから、てっきり薪はセックスが嫌いなのだと思っていたのだが、自分の体力の範囲でならちゃんと楽しむことができて、それを期待する気持ちもあるのだと知った。
 でも基本的に薪が好きなのは、穏やかな気持ちで交わす意味のない会話とか、テレビを見ながら自然につなぐ手のぬくもりとか、そんなさりげない、いっそ取るに足らない些細なふれあいなのだと、そういうことも分かってきた。
 その特別でも何でもないコミュニケーションの中に、薪がどれだけの想いを込めているかとか、普段から眠りの浅い薪が夜中によく青木の寝顔を眺めていたりするとか、それは青木には知りようのないことだったが、それでも少しずつ、彼らの間には理解と融和の空気が育ちつつあった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ミラー(2)

 最近、拍手が集中してる過去記事がありまして。ちょっと不思議だな~って。
「R355バトル」という記事で、3年くらい前に車両盗難の被害に遭ったときの体験談なんですけど。この記事にここ2週間ばかりで40近くも拍手いただいてるんです。なんでだろう?
 この記事の主役であるオットに話しましたらね、
「ふむ。おれの勇士に魅了された女子が」
 ……。
 とりあえず蹴っておきました。






ミラー(2)








 休日の午後は買い物に出かける。
 まだ夕食の買い物には早い時間帯。スーパーが混雑する時間を避けて、のんびりと商品を選ぶ。予定のない休日には、もってこいの暇潰しだと思う。

 カートをゆっくりと押しながら、青木は商品を眺める。
 右手の陳列棚で瑞々しく光る野菜や果物がとても美味しそうに見えるのは、スーパーの天井から降り注ぐ白色照明の功績ばかりではない。どちらかというと、カートの前で林檎を両手に重さを計っている聡い買い物客の影響によるところが大きい。
「同じ値段なら重い方がお得ですね」
 しっかり者の恋人を褒めたつもりの青木に、薪は一瞬眼を丸くし、次いで呆れたように首を振ると、右手に持った林檎をカゴの中に入れた。
「リンゴは重いほうが美味いんだ」
 そうなのか。知らなかった。
 薪は本当に色々なことを知っている。彼の頭脳がスーパーコンピューター級の性能を誇るのは知っているが、こういう生活に密着した知識を彼はどこで得たのだろう。学校の授業では習わなかったと思うが、青木が忘れてしまっているだけなのだろうか。

「誰に教わったんですか?」
「昔の彼女」
「えっ!?」
 反射的に叫んでしまって、後ろから来た子供連れの主婦にびっくりされた。気まずさを隠すように手で口を覆い、青木は薪の取り澄ました横顔を見る。
 そうだ、何も驚くことではないのだ。薪にだって、過去に付き合った女性の一人や二人、いてもおかしくない。てか、いないほうが不思議だ。
 今でこそ薪は自分の恋人だけれど、もともとが異性愛者だし。40を超えた正常な男性が過去に一人も女性の恋人を持ったことがなかったとしたら、どんだけ可哀想な人生なんだか。
 理性ではきちんと納得して、でも感情は治まらない。ざわざわと心がさざめいて、いたたまれないような気分になる。3ヶ月ほど前、青木の昔の彼女があんな事件を起こしたばかりなのに。何とも勝手な話だ。

「そうだったんですか」
 沈んだ声で相槌を打つと、薪は冷ややかに青木を見て、
「バーカ」と吐き捨てた。
 それがあまりにも容赦ない言い方だったから、青木は少しだけ悲しくなる。この人にデリカシーを期待しても無駄だと言うことは重々分かっているつもりでも、顔も知らない過去の女性にすら嫉妬を覚えてしまうほどに彼のすべてを欲してやまない青木のオトコゴコロを5ミリでいいから察して欲しい。それとも、彼にそれを期待するのは贅沢というものだろうか?
 そんな気持ちで青木が立ち止まると、薪は青木に更なる打撃を与えようとしてか、青木の天敵であるオレンジ色の根菜を手に取った。このひとはどこまで意地悪なんだろう、と拗ねる青木の視界の中心で問題の野菜はカートに投入され、と同時にカートの取っ手を握っている青木の手に、やわらかくて温かいものが重ねられた。
 カートの方向を導く素振りで、薪は青木の手に自分の手を重ねたまま、その瞳は商品棚を埋め尽くす葉物野菜に向けられる。右手の甲に感じる体温が嬉しくて、青木は今さっき受けたばかりのショックを早くも忘れそうになる。

「塔子さん―― 鈴木のお母さんに習ったんだ。料理の基本も、コツも、全部」
「ええっ!! 薪さん、鈴木さんのお母さんと付き合ってたんですか!?」
 青木が心底驚いて薪の過去を問い質すと、ぐしゃりという嫌な音がして青臭い匂いが周囲に立ち込めた。ふと薪の右手を見ると、葉の部分がぐしゃぐしゃになったほうれん草が。
「そんなわけないだろ!」
 可哀想なほうれん草を忌々しそうにカートに投げ込み、薪は強く首を振った。亜麻色の髪がさらっと舞って、それを照明がキラキラ光らせて、とてもきれいだと青木は思った。
「だって今、昔の彼女って」
「突っ込み入れる前に常識を考えてくれ」
「あ、ウソだったんですか? ひどいですよ、過去の女性のことでウソなんて」
「おまえ、何回僕に騙されたら気が済むんだ」

 手のひらについた青臭い汁気を払うように、薪は左手を軽く振った。
 細い手首とそれに続く優雅な手の甲、姫竹のように伸びる長い指が連動して宙を舞う。日本舞踊の要返しを見ているようだ。
 どんな仕草も、薪がするときれいに見える。細胞そのものが普通の人間とは違うみたいに、何でもない動きにも華がある。目を奪われる。
 みんなが薪を見る。
 独占欲の強い青木は、心の底では薪を誰にも見せたくない。自分だけが知っている薪の美しさのすべてを独り占めしておきたい。しかし、美しいものに惹かれるのは人のサガ。彼に関心を持つ人間を責めることはできない。だからせめて、薪には迂闊な行動を取って欲しくない。具体的には、道場の更衣室で着替えないで欲しい、薄いカーテンしか仕切りのない共同シャワー室は使わないで欲しい、あと風呂上りに第九のロッカールームで裸で涼むのは絶対にやめて欲しいっ!
 自分が特別な存在であることを認めようとしない薪は、青木がいくらガードを固めてくれるように頼んでも真面目に取り合ってくれない。40過ぎの男の裸なんか誰が喜ぶんだ、が薪のお決まりの返答だが、シャワールームで隠し撮りされた彼の生写真(ギリギリ規制範囲内)に6桁の値がついていることを彼は知らない。

「身内のウソも見抜けないようじゃ、捜査官としては失格だ。少しは人を疑うことを覚えろ」
「誰の言葉でも信じるわけじゃありませんよ。薪さんの言うことだから、オレは」
 薪が何気なく放った一言に反応して、青木は不意に言葉を止めた。
 急に黙り込んだ青木を不審に思ったのか、薪はレタスを選ぶ手を止めて青木を見た。頬に上る笑みを抑えきれない青木に小首を傾げるが、青木の紅潮の理由には思い至らないらしい。こちらから指摘したら、多分薪は否定する。真っ赤になって「言葉のアヤだ」と言い出すに違いない。

『身内のウソ』と薪は言った。
 熟慮の果てに選ばれた言葉ではないから、きっと深い理由もなしに口をついて出たのだろう、でも。口に出るということは、心のどこかで認めてくれているということだ。
 薪は自分を家族に近い存在だと思ってくれている。青木にとって、こんなにうれしいことはない。
 薪は幼い頃に両親を亡くしている。その分、家庭と言うものに憧れていたことは容易に想像がつく。だからきっと、自分の家族を持ちたい気持ちはあったはずなのだ。それは薪が何かにつけて、「お母さんに顔を見せてやれ」と青木を実家に帰らせたがることにも表れている。
 しかし、薪は自分を選んでくれた。それによって彼が捨てなければいけなかったいくつかの未来図を惜しむ気持ちは青木も一緒だ。特に子供は惜しい。彼の遺伝子を受け継ぐものを日本の未来に残さないなんて、ほとんど犯罪だと思う。だけど、青木はどうしても彼から離れることができなかった。
 彼が手にするはずだった家族を、その可能性を自分が奪ったなら、その穴を埋めるのも自分でありたい。そう考えていた青木には、薪が何気なく使った『身内』という言葉がとてもうれしかったのだ。

「考える余裕なんかありませんよ。昔の彼女なんて言われたら、どんな女だったんだろうとか、どれくらい付き合ってたんだろうとか、気になって気になって」
 薪に本音を悟られないように、青木はできるだけ軽い口調で言葉を重ねる。レタスの上の段で見つけた薪の好物のパプリカを手に取って、カート内の人参の上にそっと乗せた。
「おまえ、自分の彼女のことはさんざん僕に惚気たくせに」
「あの時は必要に駆られて仕方なく。って、薪さんだって昔、オレの前で武勇伝繰り広げたじゃないですか」
「あれはおまえ、その、なんだ。男のプライドっていうか」
「見栄でしょ」
 青木が突っ込むと、薪は無表情に3歩後退し、人参の袋を3つも抱えて戻ってきた。
「ちょっ、なんですか、それ!」
「うるさい、今日は人参尽くしだ。覚悟しておけ」
「いやですよ、戻してきてくださいよ。今夜の夕飯、潰れたほうれん草だけでもクオリティ落ちてるのに」
「誰のせいだ」
「えっ。オレのせいにするんですか」
「なんだ、その不本意な顔は。完全におまえのせいだろうが。おまえが頓狂なことを言い出すから」
「薪さんの右手を第42号証拠品として提出します」
「…………(ゴシゴシゴシ)」
「ちょっと! オレの上着で拭かないでくださいよ!」
 青木が情けない顔で汚れたシャツの裾をつまむと、薪はこの上なく楽しそうに笑って人参を元の場所に戻しに行った。

「青木さん」
 ゆっくりとカートを押し、薪が追いついてくるのを待っていると、誰かに声を掛けられた。目の前に立った男性は確かに自分の名前を呼んだが、その顔に見覚えはなかった。しかし明らかに相手は自分のことを覚えているようで、にこにこと笑いながら「お久しぶり」と言葉を継いだ。
 年のころは20歳前後。茶色の髪に茶色の瞳。どちらかといえば小柄な体躯。青木が今までに関わった事件関係者に、こんな男性がいただろうか。

「すみません。どちらさまでしたっけ?」
「ひどいな、忘れちゃったの? ぼくたち、あんなに愛し合った仲じゃない」
「人違いです、失礼」
 悪質な冗談だったらしい。
 青木が彼の脇を通りすぎようとしたとき、薪が追いついてきた。青木は立ち止まったが、薪は青木の隣に立とうとはせず、2歩手前で足を止めて、青年の顔をじいっと見つめた。
 亜麻色の瞳に宿る険しい光に気付いて、青木は肝を冷やす。しまった、さっきの悪質な冗談を聞かれていたに違いない。薪は地獄耳なのだ。

 彼は人違いをしているんです、と青木が説明する前に、薪はふっと頬を緩めて、
「久しぶりだね、上条君」
 なんと。この青年は、薪の知り合いだったのか。
「話をしたのは20分くらいだったのに。さすが天下の警視長どの」
 薪の職業と階級を知っている、と言うことは、彼は仕事関係の知り合いらしい。それにしてはえらく若いが。
「君こそ、よく僕の顔を覚えてたね? 条件は同じだったはずだろ」
「そんな皮肉が出るところをみると、やっぱり分かってたんだ。あの時、心の中でぼくのこと笑ってたんだろ。嫌なヤツだね、あんた」
 それはひどく生意気な態度で、青木は不快な気持ちになる。薪の半分ほどの年齢のくせに、目上の者に対する言葉ではないと思った。
 職場なら絶対に許されない彼の態度を、薪は咎めなかった。肯定とも否定ともつかぬ静かな表情で、しかしその背中は杉の木のように凛然と伸びて、彼に対する敵意も恐れもないことを無言で主張していた。

「引き換え、青木さんの記憶力は残念だね。自分の胸に抱いた人間の顔、忘れちゃうんだ」
 またもや根も葉もないウソを吐き始める彼に、青木は憤りに近い感情を抱く。そういう冗談が通じにくい相手もいるということを、彼は知るべきだと思った。
「ふうん。何もなかったって聞いたけど、抱きしめるくらいはしたんだ」
「なっ……!」
 薪に横目で睨まれて青木は焦る。まさか、彼の嘘を信じているのか?
「それだけじゃないよ。とってもやさしく頭とか背中とか撫でてくれたよ」
「ふううん」
 薪の瞳がますます冷たくなって、なんだか三角関係の修羅場みたいになってきた。冗談じゃない、身に覚えのないことで薪の不興を買うなんて。これから自分に降りかかる災厄を思えば命の危険すら感じて、青木は夢中で抗議する。
「ちょっときみ、ふざけるのもいい加減にしてくれないか。オレはきみのことを知らないし、きみだってオレとは初対面のはずだ」
 厳しい口調で言い放ったそれに、答えたのは何故か薪のほうだった。
「おまえ、本当に忘れてるのか。上条くんだぞ」




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

ミラー(3)

 前回、言及した車両盗難の顛末、報告し忘れてました。
 事件から半年くらい経って、実行犯は捕まりました。供述の検証の為に、警察の方が犯人連れて家に来ました。もちろん犯人は車に乗ったまま、現地を確かめただけですけど。その際、警察の方から説明がありました。
 実行犯は捕まるんですけど、組織の摘発までは難しいって担当の方がおっしゃってました。
 最近、また流行りだしてるみたいです。近くの現場でも、ユニック車が1台被害に遭ったって役所の方から聞きました。みなさんも気を付けてくださいね。






ミラー(3)






「おまえ、本当に忘れてるのか。上条くんだぞ」

 薪に名前を告げられた彼は、ニコッと笑って首を右に倒した。
 上条。
 どこかで聞いたような気がするその名前を、青木は必死に思い出そうとする。しかし、青木の頭の中のコンピューターは薪のように高性能ではない。名前を聞いただけで瞬時にこれまでに会った人間すべての顔写真がスクロールされる便利なシステムは搭載されていない。
「ごめん、本気で思い出せない」
 記憶の引き出しに失敗した青木が素直に謝ると、残る二人は顔を見合わせ、何とも言えない表情を作った。
 絶対にバカだと思われている。家に帰ったら「僕に恥をかかせやがって。どうしてそんなにバカなんだ? 脳みそごと交換してこい」とか言われそうだ。

「ぼくってそんなに人の印象に残らない人間なのかな」
 不服そうに青年に言われ、困り果てて薪を見上げる青木の目線を受けて、薪は肩を竦め、苦笑交じりに上条と呼ばれた青年に向かって口を開いた。
「まあ、許してやってくれ。こいつは現場慣れしていないから、髪形と瞳の色を変えられたら、もう見分けがつかないんだ」
 てっきり叱られると思ったのに、薪が自分を庇ってくれた。それが嬉しくて青木はついつい笑顔になる。ここは何とかして彼のことを思い出し、薪の恩情に報いなければ。
 必死に頭を巡らせる青木をよそに、上条青年は呆れたように、
「青木さんて、ほんっとうに薪さん以外の人間に興味ないんだね」
「いや。単なるバカだ」
「こんなに愛されてるんだもんねえ。ぼくがちょっと突いたくらいじゃ、揺らぎもしなかったわけだ」
 自分ひとりだけ話が見えない状況で、青木は尚も考え続けた。薪の言によると、青木の知っている彼とは、髪形と瞳の色が違うらしい。彼の顔立ちと体つきだけを手がかりに、過去の記憶の中から正しい人物像を引き出すことは、青木にはとても難しいことに思えた。

「女性を使えばよかったんだ」
 薪はスマートに腕を組み、自分よりもいくらか背の高い青年を見上げた。
「あの頃の僕なら、大人しく引き下がった」
 薪はそれを、相手の愚かさを揶揄すると同時に自分を嘲る口調で言い、それでいてとてもやさしそうに微笑んだ。
「あの頃の、てことは過去形だね?」
「うん。今はもうダメだ」
「進行しちゃったんだ」
「認めたくないけど、そういうことかな」
「……あれがいい起爆剤になったとか言わないでね。ぼく、失業しちゃうから」
「その方が君のためじゃないのか」
 目の前で展開する二人だけの会話に、青木は置いてけぼりを食ったような気分になる。これがまるで自分に関係のない官房室等の話なら席を外すところだが、どう聞いても薪と自分のプライベイトに係わることに思える。なのに、何を話しているのかまったく分からないというのは焦燥を超えて腹立ちを感じる。

「あのっ!」
 無礼を承知で、青木は二人の間に割って入った。
「オレにも分かるように説明してくれませんか」
「青木さんは知らなくていいよ。こっちの話だから」
 青木の懇願を袖にして、上条青年は冷たく言い切った。
 もとより、彼には期待していない。顔も覚えていない相手に何かを求めようとは思わない。二人に向けた言葉も、本当は恋人にこそ伝えたかった言葉なのだ。
 それなのに薪は、上条以上に冷たく、つんと横を向いて、
「こちらの話だ」
「そんなあ……」
 情けない声を出した青木に、上条青年はくすくすと笑い出し、薪はそっぽを向いたまま。だけどそんな薪の、そびやかした細い顎と半分閉じられた目蓋がギリシャ神話の彫刻みたいにきれいで。こんなときですら青木は彼に見惚れてしまう。
 ぼうっとした青木の耳に、上条青年のからかうような声が聞こえた。

「あーあ。引ったくり犯を投げ飛ばしたときには、あんなにカッコよかったのに」
「引ったくり?」
 事件に関するキーワードが入力されて、青木はようやく記憶のサルベージに成功する。何年前だったか、悪友たちと夜の街を飲み歩いていたとき、引ったくりに遭った少年を助けたことがあった。

「あ、ハルくん? いや、でも、あの子は金髪に緑色の眼だったような」
「あの時はね。その節はお世話になりました」
「なんだ、言ってくれれば良かったのに。元気だったかい?」
 やっと記憶の符号が取れて晴れ晴れとした気持ちで笑った青木に、何故だかハルは訝しげな顔をして、大きな目を2,3度しばたいた。
「大人っぽくなったね。もしかして、いいひと見つかった?」
 その可能性を考えたのは、ハルの態度が昔とは別人のように変貌していたからだ。
 青木が知っている彼は、とても寂しそうな子だった。一人でいるのが耐えられない、と涙を浮かべていた。その彼が今はどうだろう。自信に満ち溢れて、ちょっと溢れすぎて常識の枠から零れてるみたいだけど、とにかく、人生を謳歌しているように見える。その陰にはきっと、彼の元気の元になっている大切な人の存在があると青木は考えたのだ。
 薪さえいれば、どんな落ち込みからも浮上できる自分のように。彼もきっと。

 しかしハルは、青木の言葉に怪訝そうな様子を一層強め、
「薪さんから聞いてないの?」
 ハルの問いかけに、青木は驚く。ハルは近況を薪に報せていたのか。
「薪さん。ハルくんと連絡取り合ってたんですか?」
 薪は青木の質問には答えず、代わりにハルが「そうじゃなくて」と言い掛けたが、薪に眼で黙らされた。泣く子も黙る鬼の室長のひと睨みは今でも健在だ。

「青木さんに説明しなかったの? なんで?」
「したさ。でも彼は信じないんだ、バカだから」
 また青木を蚊帳の外に置いて、二人は話し始める。
「誰かが自分を罠に填めようとするなんて思いもしないんだ。親切な笑顔の裏に込められた悪意を感じ取れない」
「お人好し選手権に出たら、優勝間違い無しだね」
 ハルはそれを屈託のない笑顔で言ったが、さすがに青木でもこれは分かった。褒められてるんじゃない、バカにされてるんだ。
「でも、ぼくはそういう青木さん、好きだな。あの時もすごく親身になってくれてさ、けっこう本気になりかけたんだよ」
「表面上のものしか見えない。救いようのないバカだ」
 ハルのフォローを一刀両断に切り捨てて、薪は苦虫を潰したような顔で青木を罵倒した。薪にバカバカ言われるのは慣れているけれど、あんまり他人の前では言って欲しくない、と少しだけ傷ついた。

「他人は自分を映す鏡とはよく言ったものだ。僕にはあんなにはっきりと見えた君の真実が、彼には見えなかった。それは彼の中に薄汚れたものが存在しないからだ。自分にないものは、他人の中にも見えないんだ」
 その言葉は、青木にはよく聞き取れなかった。
 薪は人と話すときの彼らしくもなく俯いて、その声はひどく小さく、傍にいたハルには聞こえたと思われたが、青木の耳には意味を成さない断片でしか入ってこなかった。

「帰る」
 唐突に宣言して、薪はくるりと後ろを向いた。
「えっ? だってまだ買い物途中」
 止めようとした青木を無視して、レジの方へ歩いていってしまう。薪の気まぐれには慣れたつもりでいても、戸惑うことは未だに多い。
「人参とパプリカと潰れたほうれん草で、何を作る気なんだろ……」
 豪華な夕食は諦め、薪を追いかけようとして青木は、ハルに「じゃあね」と声を掛けた。

「今日は会えてよかったよ。ハルくんが元気にやってるみたいで安心した」
 青木は心から、彼の充実した人生を祝ったつもりだった。しかしハルは何故か形の良いくちびるを皮肉に歪めて、
「青木さんはやさしいね」
 苦々しく言った後、今度はにっこりと笑って、
「でも、すごく残酷なひとだね」
 表情と言葉の乖離に、青木は翻弄される。彼の真意が分からない。彼はいったい何が言いたいのだろう。
「薪さんのことも、いつもその調子で傷つけてたりする?」
「オレは薪さんを傷つけてなんか」 
 たまに薪があんまり可愛くて暴走しちゃうことはあるけど、あれは傷つけると言うよりは可愛がりすぎちゃうって感じで、薪にしてみれば迷惑な話なんだろうけど、そう怒ってる風でもないし。

「ぼくだったら耐えられないな。あなたみたいな人間を間近に見て暮らすなんて」
 そう言ったハルの口調が、昔聞いた彼のものに近しい気がして、青木は眼を瞠った。
 見れば彼の茶色の瞳は、青木が知っている緑色の瞳とはまるで違うそれは、しかし湛えられた孤独だけは記憶の中の彼と同じ、否、よりいっそう深まる寂寥を耐え忍ぶように、暗く虚ろに見えた。
「あなたを好きだったら余計耐えられない。死にたくなるよ、きっと」
「どうして」
「自分に絶望するから」
 彼の声の調子はとても明るくて、スーパーの照明も眩しいくらいで、なのに青木は此処が、自分が被告に立たされた法廷でもあるかのような緊張を強いられる。
 昨夜見たドラマの話にでも興じるかのように、軽やかにハルは続けた。

「青木さん。青木さんは、薪さんが持ち得ないものを無自覚に持ってて、それを目の当たりにするのは薪さんにとって嬉しいと同時にひどく苦しいものなんだってこと、分かってる?」
 ハルの質問は、イエスかノーで解答できるマルバツ問題にも等しかった。でも、答えられなかった。
 質問の意味が分からなかった。去年受けた警視正試験の、青木の苦手な解剖学の設問より意味不明だった。
「そのお人好しを直す事ができないなら、せめてそれだけは気づいてあげなよ」
 捨て台詞のようにうそぶいて、青木の横を通り過ぎていく。薪とは反対の方向に歩いていく彼を追って、青木の頭が右回りに巡らされた。
「薪さんより身長が高いことくらい、自覚してるよ!」
 遠ざかっていく背中にぶつけた言葉に、ハルはぶふっと吹き出して、右手を頭の横に上げ、青木に背中を向けたままひらひらと振ってみせた。そのまま、彼は振り返ることなく青木の前から姿を消した。

 咄嗟に出した解答が絶望的に間違っているのは分かっていたけれど、どうにも腹立ちを抑え切れなかった。
 無礼にもほどがある。薪は自分の恋人で、一緒に暮らし始めて半年にもなるのに、どうしてロクに面識もない彼にそんなことを言われなければならないのだ。彼が薪の何を知っていると言うのだ、何も知らないくせに勝手に薪の気持ちを語るな。
 薪のことなら自分が一番よく分かっている。6年も付き合っている恋人で、今は24時間一緒にいることも珍しくないのだから、理解して当然だと思う。他者のアドバイスなんか要らない、とそこまで傲慢になるつもりはない。これが雪子あたりから出た言葉なら素直に聞いたかもしれない。でも、彼に言われる筋合いはない。

「ったく、最近の若い子は」
 恋人の口癖を真似て苛立ちを吐き捨てた後、青木は3種類の野菜と林檎しか入っていない寂しい買い物カートを押してレジに向かった。





テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

ミラー(4)

 先日からの雑文、これでおしまいです。
 読んでくださってありがとうございました。






ミラー(4)






 休日の午後4時は、少し遅めのティータイムだ。
 今日のスイーツは『タルトタタン風リンゴケーキ』。スーパーで買ってきたリンゴを使って、薪がささっと作ってくれた。「本格的なタルトタタンは2時間くらいかかるけど、これなら1時間くらいでできるから」と薪は言ったが、青木はパイよりスポンジケーキ派だ。きっと、それを考慮した上でこちらを選択してくれたのだ。
 彼の気遣いに気づけたことに、青木は満足する。
 あまり口には出さないけれど、薪はいつも青木の好みを優先してくれるのだ。素っ気無い態度とは裏腹に彼はとても甲斐甲斐しくて、見えないところでたくさん気を配ってくれて、これはそのほんの一例。なんて可愛らしいひとだろう。
 やっぱり、薪のことは自分が一番よくわかっている。

 健気な恋人のために、青木はまごころを込めてコーヒーを淹れる。かぐわしい香気がダイニングに広がると、それを嗅ぎつけたように薪が姿を現した。
「あ。切っちゃったのか、それ」
 ケーキ皿にリンゴケーキが載っているのを見て、薪が眉をひそめた。青木のために焼いてくれたのだと思っていたのだが、もしかしたら誰かにプレゼントしようと思っていたのか。
「すみません。オレのじゃなかったんですか」
「いや、おまえのだけど。そのケーキ、一日おいて、カラメルソースがスポンジに染みたところが美味いんだ。だから今日はリンゴのパルフェでも作ろうかと」
 薪は食器棚の引き出しからフォークを取り出し、両手にケーキの皿を持った。ティータイムはゆっくりくつろげるリビングで楽しむのが薪の流儀だ。
「これはこれで美味いよ。明日残りを食べれば2種類の味を楽しめるしな」
 薪がいなくなってから冷蔵庫を開けてみると、パルフェ用に取り置いたリンゴのコンポートにきちんとラップが掛けられていた。

「そっか。パルフェか」
 それは髪の毛一本ほどの些細な相違で、しかも塵ほどの遺恨も残さず解消されたのに、青木はとても不安な気持ちになった。
 何でも分かるなんて、やっぱり自惚れだった。自分は薪のことを完全には理解できていない。
 自分以外の人間を完全に理解しようなんて考えること自体おこがましい、それは分かっている。だからと言ってその努力を怠ってはいけないと青木は思う。
 青木はこれまで、薪の気持ちを理解したいと思い、観察し、その言動をできるだけポジティブに受け止めてきた。それは薪が好意を行動に表すことが苦手で、そうしなかったら彼に愛されている自信が持てなかったからだ。
 でも今は違う。こうして共に人生を歩もうと決めて、彼の傍に一生居続けることを許されたのだから。彼の好意だけでなく、嫌悪や怨嗟も全部受け止められるようにならなくてはいけないのだ。彼が自分に対して腹を立てているときでさえ、その気持ちを受け止めて、宥められるようにならなければ。

「もうちょっと、甘いほうがよかったか?」
 ふと気がつくと、薪が自分の顔を覗き込んでいた。
 つまらなそうな顔をして食べていたのだろう。せっかく薪が焼いてくれたケーキなのに、自分は何をしているのだろう。
 こんなことではダメだ。心が不安に囚われている状態で、薪を癒せるわけがない。
「薪さん。オレといると苦しいですか?」
 率直さは青木の武器だ。薪には持てない青木の強さ。意識せず、その違いを露呈させた青木に、薪は2,3秒考えると、
「10歳も年下の若造に言われたことで、そんな弱気になってどうするんだ」
 アホらしい、と横を向いて呟いた。
 薪の聴覚機能の秀逸さに、青木は畏怖すら覚える。あの時、薪はすでにスーパーの出口付近に差し掛かっていた。あの距離で会話を聞き取る事ができるなんて、まるで超能力者だ。
「薪さんの耳って、本当に特別製なんですね」
「あほか。そんな特殊能力があったら、とっくに監査課からスカウトがきてる」
 いろいろあって、薪は監査課の人間が全員諜報部員だと信じている。
「顔見れば分かる。おまえ、分かりやすいから」
 言われて青木は眉根を寄せる。聴覚の特殊能力なんかなくても、青木の心を読むことにかけては薪は能力者だ。

「ものすごく頭に来たんです」
 隠しても無駄だと悟って、青木は第二の武器を使うことにした。つまり、正直さだ。
「彼が生意気とかじゃなくて、薪さんのことを何でも分かってるみたいに言うから。オレよりも分かってるみたく言うから」
 薪は今度は4,5秒間考えて、青木の方へ顔を向けた。
「彼は僕に近い場所にいる。だから分かるような気がしたんじゃないかな」
 そう言ってコーヒーカップを口に運ぶ、薪の睫毛に見惚れつつ、青木は不満げな質問を発した。
「恋人のオレよりですか?」
「そういう意味じゃない。魂が似てるって言うか」
「ぜんぜん違います! 薪さんは、強くて男らしくて、高潔な人です!」
 ハルと出会った時のことを思い出して、青木はついムキになる。あの時ハルは、自分を誘惑してきたのだ。いくら寂しいからって、初めて会った男性に一夜限りの関係を求めてくるような、そんな人間と同じはずがない。
 青木が強く主張するのに、薪はコーヒーカップを口につけたまま、
「一緒に暮らしてるんだから、そろそろ化けの皮が剥がれそうなもんだけど」
 一緒に暮らし始めてから、ますます薪が好きになった。薪は思っていたよりずっとやさしいし、想像していたより遥かに実直だ。静かに流れる穏やかな毎日は、しかし青木を鈍感にしたのかもしれない。
「そんなことないです。薪さんは勤勉で、清廉で」
「アイドルの水着写真集を作ってる男を清廉とは言わんだろ」
 そこは否定しない。

「ハルくんは」
 薪が焼いてくれた林檎のケーキを一口頬張って、その味をしっかり味わってから、青木は言った。
「彼は、薪さんが持てないものをオレが持ってるって。それを目の当たりにするのは苦しいはずだって言ってました。
 薪さん、オレといると辛いですか?」
「…………ばっかじゃないのか、おまえ」
 心底呆れ果てたように薪は答えて、フォークで自分のケーキを切り分けた。ぱくりと口に入れて、もごもごと咀嚼しながら、
「どうして一緒にいるのが苦痛な人間と同じ家で暮らさなきゃいけないんだ。僕はマゾヒストじゃないぞ」
 続いてもうひとつ、今度は少し大き目のピースを口に放り込んで、
「だいたい、僕が持ってなくておまえが持ってるものって何だ? 身長か? 剣道大会のトロフィーか? それともバレンタインにもらった本命チョコ―― いい気になるなよ、青木! チョコに添えられたプレゼント率が僕より多かったからって勝った気になってんじゃないぞっ!!」
「いえあの、彼が言ったのは、そういうことじゃないと思うんですけど」
 勝手に思い込んで勝手に怒り出す薪のクセは治らないけれど、こういうことで怒った薪の顔はとてもかわいいから、直して欲しいとも思わない。
「じゃあなんだ。おまえ、僕より優れた何かを持ってるとか自惚れてるんじゃないだろうな? 僕がおまえの年にはもう警視正になってたんだぞ。僕に認めて欲しかったら早いとこ試験に受かってみせろ!」
 やぶへびだ……。

 反論したら薪を激昂させるだけだと悟った青木は、ケーキを食べることに専念した。スポンジケーキの下に敷かれたリンゴの甘煮が、とても爽やかで美味しい。酸味と甘みのバランスが最高だ。スポンジはやわらかくきめ細やかで、奥歯に心地よい弾力を感じる。
 青木は食べることが大好きだ。ちょっとくらいの落ち込みなら、美味しい食事で浮上することができる。生命に直結するその営みを、青木は人生の中心近くに据えている。
 ケーキの美味しさに、自然と笑みをこぼしていた青木を見て、青木の人生の中心に据えられた人物が口を開いた。
「そういうところかな」
 はい? と青木が顔を上げると、薪は苦笑して、
「僕にはケーキ一つで気分を上げるなんて器用なことはできない」
「それ、オレがコドモってことですか」
「正解者にはご褒美だ。パルフェ作ってきてやる」
 結局バカにされていることを知って青木はむくれるが、自分でも単純すぎると思っているから返す言葉もない。軽い足取りでキッチンに歩いていく薪の背中を見送って、青木は残りのケーキをまとめて口の中に入れた。



*****



 冷凍庫を開けて、薪はファミリーサイズのアイスクリームを取り出した。スプーンで大きく抉り取って、オンザロック用のグラスに入れる。適当に砕いたクラッカーをはさみ、その上からもう一度アイスを載せる。リンゴのコンポートを飾って、上からキャラメルソースをかける。仕上げにミントの葉を添えて出来上がり。生クリームがないとちょっと寂しいけど、今日は買ってくるのを忘れた。

 恋人のために追加のデザートを作りながら、薪は思う。
 青木の中には邪心がない。自分にないものは他人の中にも見つけることができない。その可能性を思いつくことができない。だから彼は、ハルが人に雇われて自分たちの仲を裂こうとした刺客だったことにも気付かない。未だにハルの作り話を信じているのだ。
 他人の言葉の裏側を探り、笑顔に隠された悪意を暴き出すことばかり考えてきた薪にとって、青木のような人間はとても眩しい。眩しくて、まともに見られないくらいだ。
 と同時に、自分の汚さを強烈に思い知らされて息苦しくなる。きっとハルは、そう言いたかったのだろう。

 侮るなよ、と薪は心の中で、スーパーで再会した青年の顔を思い出す。
 憧れて憧れて、でも決して手に入らない。そういう人間との付き合いは僕は慣れているんだ。19の時からずっと、もう20年以上だ。苦しさなんかとっくに忘れた。
 羨望もある、自己嫌悪もある。おそらく、生れ落ちたときから彼らと自分は違うのだ。魂の色が違う。
 他人と接したとき、無意識に湧き上がるいやらしい疑心を、僕が努めて考えまいと意識する負の思考を、青木は思いつくことすらない。なんてきれいな精神。
 それを無垢と取るか愚かと捕らえるかはひとの自由だけど、僕にはとても美しく見える。
 それを壊したくないと思う。守りたいと思う。
 その気持ちは、絶えず自省する苦しさを超えて、強く大切なものなんだ。
 上条、おまえには分かるまい。哀れなやつだ。別れさせ屋なんて商売してるからだ。自業自得だ、いい気味だ。過去のこととはいえ僕の青木を誘惑しやがって、しかも抱きついて頭と背中を撫でてもらっただと? 自慢そうにほざきやがってあの小僧っ……いかんいかん、また負のスパイラルが……。

「薪さん、頭痛ですか? お薬飲みますか?」
 無意識のうちに手を額に当てた薪に、青木が心配そうに訊いてくる。大丈夫だ、と断って薪は、青木が淹れ替えてくれたコーヒーに手を伸ばした。
 額に手を当てていれば頭痛だと思い込む。青木の単純さを愛しく思いながら、絶品のコーヒーに頬を緩ませる。
 至福のときだ。
 この一瞬一瞬が、替えがたく貴重だ。青木がいるだけで、すべてのものが愛おしく感じる。目の前の大男はもちろんのこと、揃いのコーヒーカップや色違いで買ったクッション、そんなものにまでうれしさを感じる。
 この高揚感を味わってしまったら、どんなに苦しくても抜けられない。そしてそのうち、苦しみは幸福感にすり替わってしまうんだ。

「しみじみ考えたんですけど。薪さんがオレに劣等感を持つことなんか、それこそあり得ないんですよね。ハルくんだって薪さんの階級を知ってるんだから、そんなの分かってたはずなのに」
 スプーンでアイスクリームを口に運びながら、青木は不思議そうに言った。
「どうしてハルくんは、オレにあんなこと言ったんだろう」
「バカだな、まだ分からないのか?」
 愚かに悩み続ける青木の様子が可愛くて、薪はついつい彼をかまいたくなる。
「あの子、昔おまえに一目惚したんだろう? 僕にヤキモチ妬いたに決まってるじゃないか」
「あっ、なるほど。まだオレに気があったってことですか」
 ……なんだろう。急に青木の後頭部を蹴り飛ばしたくなったぞ。
「そういえばさっきも『けっこう本気になりかけた』とかって言ってましたね。あれってそういう意味だったのかな」
 先刻の会話から都合の良いところだけを抜き出して、青木はうんうんと頷いた。
 どうしてだろう、凶悪な気分が抑えられなくなってきたぞ。てか、すべてのものが憎たらしい。特に目の前の大男。

「青木。コーヒーお代わり」
「いやあ、まいったな――痛っ!!」
 空になったコーヒーカップを、テーブルではなく青木の頭頂部に置く。ゴツン! と派手な音がして青木が両手で頭を押さえた。痛かったらしい。
「何するんですか、いきなり」
「今日の夕飯は人参オンリーの散らし寿司だからな。覚悟しとけよ」
「そ、そんなあ」
「うるさい、さっさとコーヒー淹れてこい!」
 背中を丸めて台所に姿を消す恋人に、薪はふんと鼻を鳴らす。それからふと、青木の単純さを思い出して頬を緩めた。
「本当に、救いようのないバカだな」
 青木が食べ終えたパルフェのグラスを持って立ち上がり、薪は恋人がコーヒーを淹れているキッチンへと向かった。




(おしまい)



(2011.5)




 古い話ですみませんでしたー。
 次は新しいの行きますね。
 時季的にバレンタインネタで……うけけけっ。←不吉な笑い。



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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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