バレンタイン・ラプソディ(1)

 こんにちは。

 今日から公開しますこのお話はバレンタイン特別企画、
「Dog not to eat it」に続く「楽しい第九」第2弾でございます。コンセプトから分かるようにロマンチック度低め、バレンタインデーの甘い恋人同士のやり取りを期待してた方にはごめんなさいです。

 時期は、まだ二人が別々に暮らしてる頃です。第九のみんなは二人の関係に気付いておりません。
 それと、薪さんは男爵率高いです。広いお心でお願いします。






バレンタイン・ラプソディ(1)





 一年のうちで一番、独身男性が期待に胸を膨らませる日といえば、2月のこの日を於いて他にない。
 普段まったく女性に縁のない男子でも、自分が気付いていないだけで、例えば通勤途中の街路樹の陰から自分に熱い視線を注いでいる可愛い女子(希望)がいるかもしれない。恥ずかしがり屋の彼女が一年に一日だけ大胆になれる、今日はそんな魔法が使える日。ならば自分にもそのチャンスはあるかもしれないと、合コン10連敗中の第九メンズは3人揃って夢を見る。朝からソワソワと落ち着かない、いつ自分宛に手作りのチョコレートが届くのだろうと研究室の入り口ばかり見て、モニターに集中できない。副室長をお供に、早朝会議に出席中の室長が戻ってきたら雷が落ちること請け合いだ。
 浮ついた3人の隣で、彼らが想像するような奥床しい女子は既に絶滅している可能性が高いと彼女持ちの今井は思い、彼らはエリートのはずなのにどうして女子に対する見解だけが中二のまま止まっているのだろうと妻子持ちの山本は首を傾げる。愛の祝日を共に過ごす相手がいる者といない者、二派に分かれた職員たちの両方に平等に朝のコーヒーを配る青木もチラチラとドアを見て、どうやら彼も後者の仲間入りか。

 今井と山本はそう判断したが、それはもちろん間違っている。
 皆には秘密にしているが、青木には恋人がいる。だから今日は、研究室の誰よりも期待している。それで研究室の入り口を何度も見ている。つまり青木の恋人は同じ研究室の職員、それも仕事の鬼と怖れられる薪室長だったりする。
 男の人とこんな関係になるなんて、第九に入る前は想像もつかなかったけれど。彼を好きだと言う気持ちがどんどん膨れ上がって、性別なんかどうでもよくなった。青年期によくある気の迷いだとか、彼への憧れを恋と混同しているだけなのだとか、青木に回れ右を命じる声は自分の中にもたくさんあったのに、どうしても引き返せなかった。
 何年もの片思いの末、口説き倒してやっとの思いで恋人になってもらった。その記念すべき日から現在まで青木は幸せの絶頂にいるが、彼はどうなのだろうと不安になることもある。と言うのも薪はとても照れ屋で、自分の気持ちと正反対のことを口にしてしまう癖があるのだ。得意のポーカーフェイスとのコンボで繰り出されると、青木は3時間くらいトイレに籠もりたくなる。
 でも、今日はセントバレンタインズデー。恋に落ちている者同士、消極的な女の子にかかる魔法が、彼にかかっても不思議じゃない。
「愛してる」の言葉と一緒に差し出されたチョコレートを受け取って、青木の腕に投げ出された彼の身体も受け止めて、今夜はきっと最高の夜になる。妄想も逞しく、青木は彼との甘い夜を脳裏に思い描いていた。

 そんなことは露知らない小池、曽我、宇野の3人は、自分たちの仲間として青木を認め、友情に溢れた笑顔で彼に語りかけた。
「青木、おまえも今日は期待していいと思うぞ」
「そうですよねっ。今日は特別な日ですものね!」
 小池の言う「期待」とやらが自分には無用のものであることを青木は知っていたが、敢えて話に乗った。彼は秘密の恋人。カモフラージュは必要だ。

「ああ。一人くらいは俺のこの切れ長の眼にメロメロの女子が居てもおかしくない」
 小池さんの眼は切れ長というよりは線ですよね。まあ、人の好みはそれぞれだと思いますけど。
「この豊満なボディにうっとりした女子も、何人かは」
 曽我さん、豊満てのは女性専用の褒め言葉です。男の場合はただのデブ。
「俺は最低5人は来ると思う。クール系メガネ男子は今年のモテ男のトレンドだからな」
 宇野さん、メガネかけてりゃいいってもんじゃないです。アキバ・イン・オタクメガネ男子は駄メガネ系、いずれにせよバラ柄のネクタイしてる時点でクール系はアウトだと思います。
「そうですか、今年はメガネがモテ男の要因に……未婚女子が告白してきたらどうしましょう。わたしには妻と子供が」
「「「「こねーよ」」」」
「いま声が4人被ったように聞こえましたけど。気のせいですよね、青木さん」
 他の3人の時には心の中に留められたツッコミが、山本の時には声に出てしまった。そこは申し訳ないと思ったが、どうして青木が名指しなのだろう。
「いいじゃないですか。山本さんには美人の奥さんと可愛い娘さんがいらっしゃるんですから。羨ましいです」
 若輩者の宿命と早々に諦めて、にっこりと笑顔を作る。言葉に羨望を滲ませて、でも青木は山本を羨ましいなんてこれっぽっちも思ってない。山本の奥さんは確かに美人だけど、薪の方がずっときれいだし。娘は可愛いけれど、薪の方が絶対にかわいい。古今東西、薪以上に魅力的な人間なんてこの世にいない、と言うのが第九に入ってから現在に到るまでの青木の誤った思い込みであり、多分それは一生正されることは無い。

 なんやかやで真面目に仕事をしているのは今井だけという警察機構にあるまじき状況の中、モニタールームの自動ドアが開く。カツン、と響いたヒールの音。女子だ。
「な、なに?」
 瞬間、部屋中の男に血走った眼で見られて、彼女は思わず白衣で身体を隠すようにした。法一の三好雪子女史である。
「なーんだ、三好先生か」
「期待してソンした。ていうか幸先悪いな」
「どーゆー意味」
 ヒクッと引きつった頬に無理矢理笑いを浮かべて、彼女はこちらに近付いてきた。カツカツと甲高いヒールの音が彼女の怒りを表わしている。彼女は薪の親友だ。自分の部下が総出で彼女を怒らせたことを知ったら、薪の機嫌は確実に悪くなる。フォローのため、青木は一歩進み出た。
「すみません、先生。みなさん、モジモジ系女子を待ってたもので」
「ジョシ違いですね」
 山本さん、ナイス。
 周囲から拍手が沸き起こる。先刻まで画像に集中していたはずの今井まで「おお」と感嘆の声を上げ、山本は照れたように微笑んだ。

「うまい、山本! きっと来るぜ、インテリ好きの女子が」
「いや、ですから困りますって。うちの玲子さん、けっこうヤキモチ妬きで。こないだなんか娘の玲奈にまで妬いて、宥めるの大変だったんですから」
 山本の言うことは虚飾のない事実であったが、同僚たちの真実は違う。失礼な話だが、山本の外見とか男のプライドとか色々なものが重なって、彼らが思い描く山本家は事実と若干のズレがあるのだ。
「それは大変だったなあ」
「分かる、分かるよ、山本」
「うんうん。生きていくためには妄想も嘘も必要だよな」
「はあ?」と首を傾げる山本を置き去りに、現実の独男たちは自嘲で我が身を振り返る。
「かく言う俺だって、本当は今年もダメなんじゃないかと弱気になる自分を必死で奮い立たせて」
「俺も、俺もだよ! 分かるよ、その気持ち」
「みんな同じ気持ちだよ。俺たち、一生いい友だちでいようなっ」
 ……どこのEクラスですか、あんたたち。

 心の中で激しく突っ込みながら笑顔を取り繕う青木の横で、雪子がハーッと大きなため息を吐いた。
「どうして男ってバレンタインになると中二に戻っちゃうのかしらね」
 永遠の友情を誓い合う男たちに呆れながらも、雪子は彼らへの日頃の感謝を彼女らしい慎ましさで表現する。
「ほら、あんたたち。どうせ今年も誰からも貰えないんでしょ」
 断じられてムッと眉を顰めた男たちの顔つきが、彼女の手元を見て笑顔になる。A3サイズの手提げ袋、彼女の指先でざくざくと波打つのは赤いリボンの付いたラッピング袋。
「ほーら、好きなの持って行きなさーい!」
 号外ビラのように勢いよくばら撒かれた小粒のハートたちには、雪子のやさしい気持ちが詰まっている。彼女は去年結婚したばかりだから完全な義理チョコだが、貰えればやっぱり嬉しい。

「「「「ありがとうございまーす!!」」」」
 大きな声でお礼を言ってチョコに殺到する3人の嬉しそうな様子に、青木は胸を撫で下ろす。この事実を盾に、「1個も貰えなかった。青木、ヤケ酒に付き合え」と言う彼らの誘いを回避することができるからだ。
「良かったですね、みなさん。……あれ? 今、一人多かったような」
 彼らの戦果を心から祝いつつ、青木は自分の耳に疑問を持つ。雪子のチョコに感謝の咆哮を上げるのはこの部屋には3人しかいないはずだが、4人分の声が重なっていたような。
 不審に思った青木が周りを見回す前に、「俺の分が無い!」と、曽我が悲しげな声を上げた。
「え、うそ。ちゃんと人数分持ってきたわよ」
「よく探してみろよ。何処かに落ちてるはずだ」
「おかしいわね。本当に無いわ」
「先生、飛ばしすぎなんですよ。だいたい食べ物を投げるなんて」
 投げたのはよくないかもしれないけど、雪子はちゃんと人がいる場所に、相手が受け取りやすいように放っていた。それがあまりに素早かったから無造作にばら撒いたように見えただけだ。事実、山本などは気が付いたら手の中にチョコがあったのだ。

「青木くんのも無いの?」
「はあ」
 言われて気付く。青木の分もない。
「ごめんなさい、確認したつもりだったんだけど。冷蔵庫に残りがあるから、2人の分は明日持ってくるわね」
「冷蔵庫? 先生、まさか手作りとか」
「あたしも主婦になったことだし。一応ね」
「「ぐあああああっ!!!」」
 地を裂くような悲鳴が聞こえて、モニタールームに緊張が走る。悲鳴は室長室からだった。



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バレンタイン・ラプソディ(2)

 またもや雪で頭が痛い現場代理人です。
 現場できない、工期間に合わないよー。
 泣きついたら工期延ばしてくれるって。いい監督さんでよかった。
 
 現場がお休みになったので、お話の続きです。

 の前に、読者の方から質問があった『男爵』について。
 
 ご新規さんには何のことやらですよね(笑)
 思い込みが激しくてカンチガイも果てしないうちの薪さんを、とある秘密ブロガーさんが「スットンキョー男爵」って呼んだのが始まりです。それから薪さんがスットコドッコイな行動をとるたびに「男爵」というツッコミが入るようになりました。
 他にも「カンチガイ大王」とか「やんちゃ小僧」とか、とりあえず薪さんにあだ名が付いた時点で二次創作的にはアウトだと思うんですけど(^^;
 いろいろな意味ですみませんです。
 このお話の内容もすみませんです。

 ほんと、このブログ、心の広い方じゃないと読めない。読者さまにはいつも感謝してます。ありがとうございます。


 




バレンタイン・ラプソディ(2)







「ぐうっ、なんて破壊力だ……し、室長! 大丈夫ですか、しっかりしてください! おい、誰か医者を呼んでくれ!!」
「医者なら此処に居ますけど。一体どういうことかしら」
 SOSを聞き付けた職員たちが何事かと室長室を覗けば、床に転がって悶え苦しむ岡部と、泡を吹いて倒れている薪の姿。床には開封されたラッピング袋が落ちていて、二人の身にどんな厄災が降りかかったかは明々白々であり、同時に、曽我と青木のチョコを奪った犯人も暴かれた。自業自得の見本みたいな人たちだ。
 いつの間に、と青木は思ったが、薪は小柄で物陰に潜むのが得意だし、岡部は尾行の達人で自分の気配を消すことができる。加えて薪は猿並みにすばしっこいので、青木の視線から逃げおおせ得ることは充分に可能だ。おそらく、雪子がばら撒いたチョコレートに全員の視線が集中した一瞬の隙をついたのだろう。

 盗っ人たちの哀れな末路に、職員たちは緊張した面持ちで、
「あ、危なかった……」
「命拾いしたな」
「だからどーゆー意味」
 一本調子で突っ込みを入れ、雪子は床に倒れた薪の傍に歩み寄る。
「ちょっと、ふざけるのもいい加減にして。市販のチョコを湯煎で溶かして固めただけで、どうして薪くんが泡吹くのよ」
 肩を揺すっても頬を叩いても目覚めない彼に、法一の女薪はマジギレ寸前だ。額に青筋を立てながらも面倒見のよい彼女は薪の半身を抱き起こし、薪の背中に膝を入れた。一見乱暴だが、これは柔道の活法という技で、脊髄に刺激を与えることで失神から覚醒させるのだ。

「はっ。……鈴木、いま鈴木が川の向こうに」
 本気で寸前まで行ったらしい。
 鈴木の名前を出されて、雪子の額の青筋が3本ほど増えた。怒りが大き過ぎて言葉にならない様子の彼女を懸命に宥める青木の横で、他の職員たちが薪を手厚く介抱する。彼のおかげで自分たちは被害に遭わずに済んだのだから感謝している、だけど、彼にこんな無謀を繰り返されたらこっちの身が持たないから、職員たちの口調はついつい説教じみたものになる。
「欲張るからですよ。薪さん、毎年山のようにチョコレート貰うじゃないですか。何も先生の義理チョコまで狙わなくたって」
「雪子さんのチョコってとこが大事なんじゃないか」
 雪子と薪は20年来の友人で、薪は彼女をとても大切にしている。薪には彼女の婚約者を殺めてしまったという過去もあったりするから気を使うのは当たり前なのだが、それ以前に、薪は雪子が大好きなのだ。

「人のを取ることないじゃないですか。室長の分は別に用意してありますよね、先生」
「岡部さんのはあるけど」
 差し出されたチョコの包みを、岡部が恐る恐る受け取った。緊張した面持ちで水平を保って運び、そうっと机の上に置いて額の汗を拭う。岡部さん、それバクダンじゃないです。
「薪くんのは作らなかったわ」
「そんな。酷いじゃないですか、雪子さん。どうして僕の分だけ無いんですか?」
「だって。薪くん、歯医者に行かせるの大変なんだもの」
 理由を聞いて、部下全員が深く頷く。みんなで薪を追い込んで歯医者に行かせたあの騒動は、まだ記憶に新しい。

「大丈夫です。薬を飲みますから」
「だから虫歯はクスリじゃ治らないの」
「それはまた時代遅れなことですね。ガンでさえ薬物治療が主流になったこの時代に、ドリルだのペンチ(抜歯鉗子)だのって、僕は彼らのそう言った原始的な部分が嫌なんです。新たな治療法を開発しようと言う向上意識がまるでない。僕が歯医者に行かないのは、そういった彼らのフロンティア精神に欠けた部分に義憤を感じるからであって、決して怖いわけじゃ」
「あ、薪さん。来週水曜日、歯医者の定期検診日ですからね」
「やだっ! あいつら、行くと必ず歯石があるだの歯周病になりかけてるだのって、有りもしない病気をでっちあげて僕に苦痛を与えようとするんだ!!」
「歯周病はれっきとした病気です。定期的にケアしないと、歯が溶けちゃうんですよ」
「青木、おまえは騙されてるんだ。歯が溶けるのはコー●の飲み過ぎだ。僕は炭酸飲料はあまり飲まないから大丈夫だ」
「なんで医者の言うことより都市伝説を信じるかな」
 水曜日はまた苦労しそうだ、と肩を落とす青木の耳に、悲哀に満ちた男の声が飛び込んできた。捜査一課の、いや、雪子の夫の竹内だ。

「酷いじゃないですか、先生!!」
 普段はすっきり開かれた眉根を寄せ、形の良い唇を歪めて、竹内は雪子に詰め寄った。何事かと職員たちが息を飲む。彼らは去年結婚したばかり。新婚夫婦がバレンタインに諍いなんて、只事ではない。
「第九のみんなに配ってるのに、どうして夫のおれにチョコがないんですか?!」
 男爵2号の登場に、モニタールームが白い空気に包まれる。竹内は捜一の光源氏と異名を取るくらいのモテ男、贈られてくるチョコレートの数は薪といい勝負だ。その二人が揃って雪子の劇薬、もといチョコを欲しがっている。新しい警察庁七不思議伝説が生まれそうだ。

「先生の手作りチョコ、楽しみにしてたのに。どうして」
 ズバリ、それは愛情だと思います。愛されてますね、竹内さん。
「あんた今、虫歯の治療中でしょ」
「そんなあ」
 竹内が情けない声を上げると、薪は先刻自分を悶絶させた悪魔の果実をこれ見よがしに掲げ、
「ふっ、竹内さん。僕の方が一歩リードと言うわけですね」
 リードには違いないですよね。確実にあの世に近付きましたからね。
「いやあの、それバラ撒きチョコだし。あたしと竹内は去年結婚し」
「何も聞きたくないですっ!!」
 まだ認めないのか、このスットンキョー男爵は。
 繰り返すが、薪は雪子が大好きなのだ。当然、彼女が人妻になった事実を受け入れたくない。前々から持っている竹内への悪感情と重なって、彼の現実逃避は激化の一途を辿っている。

「室長。いい加減、うちの奥さんのことは諦めてもらえませんか」
「いやです」
「じゃあ、どちらの愛が深いか、勝負をしましょう」
「望むところです。どんな競技でもあなたには負けません」
 一人の女性を巡って火花を散らす二人の男、しかも超美形同士の戦いとくればこれは完全にドラマの世界だ。しかしそのヒロイン役が雪子になると、話は一気にコメディに傾く。
「先生の愛が籠もったこのチョコレート、食べて立っていられた方が勝ちって事で」
「どーゆー勝負!?」
「早まるな、竹内! それは自殺行為だ!」
 雪子の叫びに岡部の声が重なる。岡部はその物体の破壊力を身を持って知ったばかり、我を忘れるのも無理はなかった。しかも薪には二度目のダメージ、鈴木も迎えに来てることだし、今度は川を渡ってしまうかもしれない。不安に駆られて青木も言った。
「もっと平和な方法にしませんか。殴り合いとか」
「なんでチョコ食べるより殴り合いの方が平和なのよ?!」
 世界の常識は第九の非常識。薪に冷たい眼で無言のプレッシャーを掛けられるくらいなら、怒鳴りつけられたほうが救われる。長く続くと、もういっそのこと殴って終わりにして欲しいと思う。これは薪の部下になったことのある人間でないと理解し得ない価値観だ。

「いやー、それにしても三好先生、すごいですね。署内モテ男ナンバー1の竹内さんと、男女問わずモテまくりの室長、その二人に取り合われるなんて」
「うれしくないんだけど!!」
 シチュエーションだけ見れば署内中の女性の嫉妬で焼き殺されそうな雪子だが、それほど陰湿なイジメに遭うこともないようだ。彼女が柔道4段の猛者だということは署内中に知れ渡っているし、薪の親友であることも知られている。つまり、下手なことを仕掛けてバレたら命が危ない。そう思われているのだろう。
 雪子はともかく、当面の命の危険はこの二人だ。彼らはハート型の小ぶりなチョコを前に、青い顔をして脂汗を流している。経験に裏打ちされた恐怖ゆえ、大丈夫だと自分に言い聞かせることもできない。薪に至っては先刻のダメージから回復しきっていない状態での再チャレンジ、今度こそ致死量を超えてしまうかもしれない。

 小さいけれど、それは激烈な一口サイズ。以前、雪子の手料理を味見をした青木に「ダークマター」と命名されたその物質の起源は堆積層の遥か下方か、それとも宇宙か。
 広いモニタールームを緊迫感が押し包む。全員が固唾を呑んで見守る中、先に動いたのは竹内だった。
 彼は、生存本能に従ってチョコを投げ捨てようとする右手を左手で抑える形で口に近付けていき、やがて口内に落とすことに成功した。口に入れた瞬間、整った顔を映画俳優が断末魔を演じるときのように見目良く凄惨に歪めたが、第九の盗み食いペアのように絶叫することもなく、2,3回の咀嚼のあと飲み込んだ。床に泡を吹いて倒れていた薪の姿がフラッシュバックしたのか、気弱な山本が目を背ける。
 3秒後に彼が勝利宣言の片手を上げると、ワッと歓声が上がった。
「「「「すごい! やりましたね、竹内さん!」」」」
 やんやと囃し立てるギャラリーに、竹内はにこやかに手を振り、
「俺は毎日先生の手料理を食べてるんですよ。耐性だって付きますよ」
「忍者は自分の身体を毒に慣らすため、普段から少量の毒を摂取すると言うが」
「見事だ、竹内」
「ちょっとあんたたち。あたしの手料理が毒薬みたいに聞こえるんだけど」
 竹内の根性を皆が称賛する中、薪は雪子お手製のチョコレートを睨んでいたが、やがて意を決し、禍々しい空気を纏うそれを指で摘み上げた。

「ぼ、僕だってっ!」
 ぱくっ。ぱたん。きゅう。

「竹内さんの勝ちですね」
 床に突っ伏した薪の口から、プスプスと煙が上がっている。華奢な胴体に収納された彼の消化器官がどうなってしまったのか、想像するも恐ろしい。
「帰るわよっ、竹内!」
「あ、ちょっと待ってください。これ、吐いておかないとこのあと仕事にならな、あ、いえその、……きゅう」
 一陣の風と共に雪子の姿は消え失せた。その動きは武道に精通した者でなければ捕えることも不可能で、事実、雪子が竹内の腹部に3発と後ろ首に1発の手刀を叩き込んだのを視認できたのは岡部だけだった。

「良かったですねえ、室長。相打ちになって」
 残された2つの屍の、小さい方の傍にしゃがんで山本が言った。もはや何処から突っ込んでいいのか分からない青木の隣で、小池と曽我がしみじみと頷く。
「日に日に鋭くなってくるな、山本の天然ボケ」
「室長を凌駕する日も近いかもしれないな」
 俺たちも負けていられないな、と闘志を燃やす先達の姿に青木は、第九がどの時点でエリート集団からお笑い集団になったのか必死に思い出そうとしていた。





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バレンタイン・ラプソディ(3)

バレンタイン・ラプソディ(3)




 薪が意識を取り戻したのは、竹内がびっこを引きながら一人で捜一に帰って行った後だった。帰り際、彼は遠い目をして、
「今日は家に入れてもらえないから捜一の仮眠室で寝るか」と呟いた。勝者のコメントにしてはあまりにも切ない響きだった。
「勝負に勝って人生に負けるってやつだな」
「三好先生を選んだ時点で先は見えたろうに。何を血迷ったんだろうな」
「しぃっ。室長の耳に入ったら只じゃすみませんよ」
 青木に介抱されている薪を見て、山本が曽我と小池の軽口を諌める。薪の怒りは周り中に飛び火するタイプだから性質が悪いのだ。

「おまえら、仕事に掛かれ」と岡部が号令を出し、職員たちが自分の席に戻って行く中で、青木は薪の介抱を続けていた。彼の背中を抱き起し、気付け薬の代わりに室長専用ブレンドの匂いを嗅がせる。と、夢幻を彷徨うごとく虚ろだった亜麻色の瞳が生気を取り戻し、その網膜に最初に映った青木の顔に向かって微笑んだ。
「鈴木に会ったんだ」
 心配そうに眉根を寄せる青木に、薪は自らの体験を話してくれた。それが旅行のお土産話でも聞かせるような口調だったから、青木は少しだけ拗ねた気持ちになる。あんなヒドイ目に遭ったのに、鈴木さんに会えたことがそんなに嬉しいですか?
「すごくきれいなお花畑でさ。鈴木が僕に花冠を作ってくれた」
 臨死体験をここまで楽しそうに語る人を初めて見ました。
「でもそこに貝沼が出てきて。怖かったから夢中で逃げて、気が付いたらここに」
 貝沼さん、ありがとうございました。あなたは薪さんの命の恩人です。
「鈴木とはお盆にしか会えないから。今年は2回会えてラッキーだった」
「……よかったですね」
 もうそれしか言いようがなかった。このくらいでないと第九の室長は務まらないのかもしれないが、それにしても剛毅なことだ。
「雪子さんのおかげだな」
 おかげと言うか責任と言うか、まったく何て非常識なハンドメイドだろう。あの事件が無くても、雪子と結婚する予定だった以上鈴木の寿命は変わらなかったのではないか、と不謹慎にも青木は思う。たった一口で大の大人を気絶させることができるのだから、雪子のクッキング能力はダブルオー要員の戦闘力に匹敵すると言っても過言ではない。彼女は色んな意味で最強なのだ。

 少し休んだ方がいいですよ、と青木は懇願したが、薪は即座に首を振った。青木が持っていたコーヒーカップを取り上げ、一口すする。
「大丈夫だ。もう元気になった」
 立ち上った薪の、頬はまだ青白い。不安げに見上げる青木の耳に、近くで話していた岡部と曽我の会話が聞こえてきた。
「岡部さん。歌舞伎町の通り魔殺人の資料、この箱ですか?」
「いや、それは薪さんのだ。廊下で庶務課の配達係と会ってな、受け取ったんだ」
 少々そそっかしいところのある曽我は、岡部の説明を聞く前に箱を開けてしまった。おそらく、彼の耳に岡部の説明は届かなかったに違いない。会話の途中で曽我は弾かれたようにその場を離れ、足音も高く室長を追いかけて行ったからだ。

「室長! 少しは悪いと思ってくださいよ!」
「なんだ、出し抜けに」
 突然怒鳴りつけられて、薪は怯んだ。普段従順な曽我だけに、その激昂が意外だったのだろう。こんな曽我は青木も初めてだったから、呆気に取られて仲裁に入る機会を逃してしまった。
「東京都の人口数以上のチョコレートが売れるってのに、一人で独占しちゃう室長みたいな人がいるから! おれたちにまで回ってこなくなっちゃうんじゃないですか!」
「……それ、僕のせいなのか」
「「「そうですよっ!!!」」」
「ご、ごめんなさい」
 曽我一人に言われた時には不機嫌そうに眼を眇めた薪だったが、小池と宇野が参戦してくると急に弱気になった。
「で、でも、送られてきちゃうものは断りようがなくて」
「なんですか、その言いぐさ! 直接手渡してきた相手には突き返してるとかバチ当たりなこと言うんじゃないでしょうね?!」
「いやあの、不思議なことに、直接渡してくる人は一人もいなくて」
「自慢ですか?! 自分は高根の花だから面と向かってチョコを渡せる勇気がある女子なんか存在しないって言いたいんですか!?」
「……ごめんなさい」

 何をどう言っても怒られる。己が劣勢を悟ったのだろう、通勤途中にでも貰ったものか、薪は鞄からPCタブレットサイズの箱を取り出し、
「あの、よかったらこれ、みなさんで」
「いりませんよっ! 他人宛てのチョコレートなんて!!」
 薪の気遣いが裏目に出て、独男トリオがいっそう声量を上げる。どう考えても逆恨みなのだが、謝られたくらいでは彼らの気持ちは治まらないのだ。
「室長に贈られてきたんだから、あの箱全部、室長一人で食べたらいいでしょ! でもってまた虫歯になってほっぺた腫らして泣けばいいんですよっ!」
 ちなみに、ほっぺを腫らした薪の隠し撮り写真は愛でる会のオークションでプレミア価格がついて6ケタで落札した。もう一声出ればミリオンになっていたとかいないとか、まったく人間ヒマと金を持てあますとロクなことをしない。

「いや、これは」
「お。これ『第九一同様』って書いてあるぞ」
 副室長の岡部が、刺々しく逆立った3人の背中に声を掛ける。彼が段ボール箱の中から取り出したA5サイズの箱には、赤いリボンとメッセージカードが添えてあった。
「「「本当ですか?」」」
 自分たちにも権利があると知るや否や、3人は猛ダッシュで箱に群がった。その隙に、薪はさっさと室長室へ逃げて行く。さすが岡部、見事な助け船だ。

 3人が箱を覗いてみると『第九の皆様へ』と書かれた箱は他にも幾つかあって、彼らを喜ばせた。
「開けてみよ、痛ってー!」
 曽我の声に驚いて振り返れば、彼が手にした包装紙の縁に櫛のように整然と貼り付けられた待ち針の列。研究室は重い空気に包まれた。
「爆発物以外の危険物はスルーしちゃうんだよな。数が多いから」
 金属探知機で調べてみると、薪宛のものにも多くの反応が出た。受ける好意も多いが、悪意はその何倍も多いと予想できる。こんな風にして、敵意をあからさまに表に出す人間はほんの一握りだからだ。
 室長の薪は、矢面に立つ立場にいる。公式発表の場でマスコミの質問に答えるのが室長の仕事だ。それが公共の電波に乗って流れるとき、そのビジュアルによって人々に強烈な印象を残すこともできるが、その分こうして悪意の対象となる危険にいつも晒されている。

「こういうのってさ、研究室名で送られてくるより、個人宛ての方が辛いよな」
「第九に対する非難だって分かってても、やっぱりな」
「室長、可哀想だな……そうだ青木。おまえ、ひとっ走り行って室長の好きなハーゲンダッツ、あれ、青木は?」
「青木さんなら、室長と一緒に室長室へ」
 後輩の長身を探してキョロキョロする3人に、山本が青木の所在を明らかにする。書類に集中しているようで、山本はいつも周りをよく見ている。検事時代の、書類と被疑者を同時に見るクセが付いたままなのだろう。
「さすが青木」
「フォローが素早いな」
 モニタールームに残った職員たちは一様に思ったが、それは買いかぶりと言うもので、青木の行動理由はもっと単純で我欲塗れだ。つまり。

「薪さん。今日はバレンタインデーですね」
 ニヤニヤ笑いが止まらない青木が薪の後を追って室長室に入ると、薪はロッカーの扉を慌てて閉めた。「そ、そうだな」と背中にロッカーを隠す仕草、さては其処に青木宛てのチョコレートが入っているに違いない。
 確信が、青木に新しい幸せを運んでくる。うきうきと気持ちが弾んで足が宙に浮きそう。恋って本当に素晴らしい。ここは3階だが、その窓から空を飛んで見せろと言われたらできそうな気がする。
 対する薪は、ちょっと頬を赤くして、「こほっ」と咳払いなぞしてみせる。照れ臭いのか、視線を空に固定したまま妙に堅い口調で、
「僕はそういうの、あんまり興味ない。だから気にもしてない」
「オレは興味あります。ていうか、楽しみで昨夜は眠れませんでした」
 そうかと薪は頷き、それから気乗りしなさそうに肩を竦め、仕方なさそうに手を差し出した。




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バレンタイン・ラプソディ(4)

 現在、施工中の工事の工期が延びまして。
 工期遅れの心配がなくなったのはいいのですけど、それだけ現場代理人としての責務が続くと言うことで。どうやら、3月末の竣工検査が終わるまでは落ち着いてSSに取り組む時間を作ることが難しそうです。
 昨年の12月に現場に入ってから、一行も書いてないんですよね。こんなに長くSS書かなかったの初めてです。書き方忘れそうだ~。






バレンタイン・ラプソディ(4)






「ほら。みんなに見つからないうちに、早く出せ」
「はっ? 何をですか」
「なにって。チョコレートだろ」
「え。薪さんがオレにくれるのが普通じゃないですか?」
 青木は素で聞き返してしまった。だって、本当にそう思っていたから。
「なんで」
「なんでって、今日は女の子の方から」
「僕はオンナノコじゃないぞ?」
 それはそうだけど、こういう場合はビジュアルが優先されるものだと思う。身長190センチの大男が頬を染めてハート形のチョコを買うのは、どう考えてもキモい。
「オレだって女の子じゃありませんよ」
「当たり前だ、気持ち悪い。いいからさっさと出せ。一番最初に食ってやるから」
「さっき先生のチョコ食べてましたよね。あれは数に入らないんですか」
「あれはチョコじゃなくてダークマターだろ」
 20年来の友情を疑いたくなる薪のセリフは置いといて。問題はチョコレートだ。

「……用意してません」
「なんで?」
「てっきり薪さんがオレにくれるものだと」
 薪は心底不思議そうだったが、青木だってこんな展開になるとは予想もしていなかった。正直な青木は自分の考えていたことをそのまま口にし、しかしそれは薪のプライドを深く傷つけるものだった。
「それはおかしいだろ。青木の方が年下なんだから」
「年は関係ないんじゃないですか。こういうのはベッドでの役割に準ずるべきだと」
「なっ」
 ピシッ、と空気が凍ったのが分かった。薪の表情は見る見る険悪になり、青木は自分の失言を悟って青ざめた。謝ろうと開きかけた青木の唇に氷雪を浴びせる勢いで、薪が鋭く宣言した。
「そんなんで女の子になるんだったら、もう寝ない」
「えっ」
 突然の打ち切り通告に、青木は目の前が真っ暗になる。失恋くらいで大袈裟なとか言わないで欲しい、青木にとっては薪とのプライベートを失うことは世界の終りと一緒だ。

「待ってください、そんなつもりじゃなかったんです。謝ります」
「時間だ。執務室に戻れ」
 薪がファイルを開いたら、それはプライベイトタイムの終わりを意味する。仕事モードに切り替わった薪に何を言っても無駄だと分かり過ぎるほどに分かっていて、それでも言わずにいられない。こと、薪に関して青木は悲しいくらい潔さを持てない。
「オレが悪かったです。お昼になったらチョコレート買ってきますから」
「聞こえなかったか。戻れと言ったんだ」
 執務席に座って書類をめくる、冷徹な横顔に怒りの色はなく、でもやさしさはもっと無い、それは見事なポーカーフェイス。薪がこうなったら本当にダメなのだ。怒りを露わに怒鳴っているうちは得意のコーヒーで宥める自信があるが、鉄仮面を付けた薪にはそれも通用しない。

 失敗した。
 薪のプライドの高さは分かっていたはずなのに。浮かれ過ぎてた。
 かくなる上はチョコレートに深田●子のハイレグ水着食い込み写真を添えて贈るより他ない、と青木は愚かしくも切ない懐柔策を考えたが、事態はそんなに甘いものではなかった。それを青木は程なく悟ることになる。

 その予兆は、カタン、という軽い音だった。ロッカーから聞こえてきたその音に、薪はさっと立ち上がった。慌てて扉を閉めたから、中で何か落ちたらしい。
 薪は鍵を回して中を確かめ、下方に落ちていたグレーの箱を大事そうに棚に戻した。さっき小池たちに渡そうとして断られたチョコだ。貰い物だと思っていたが、どうやら違ったらしい。薪の性格から言って、親しくもない女性から贈られたチョコなら棚に戻したりしない。それ以前に、あの段ボール箱の中に混ぜてしまうだろう。
 青木は素早く考えをめぐらせ、幾つかの仮説を立てた。
 密かに付き合っている女性がいて、その彼女からもらったとか? いやいや、薪はそんな器用なタイプではない、と言うかその場合、薪の自分勝手度数を考慮すると青木はとっくにお払い箱、うええええんっ!
 となると可能性が高いのは、やっぱりあれは青木のために用意してくれたチョコで、さっきは曽我たちの勢いに押されて思わず差し出してしまっただけ、という事情ではないか。だとしたらどうして、薪はそれを青木に渡してくれないのだろう。

 そうか、と青木は思った。
 自分たちは同じ性なのだから、こういうイベントに参加するなら、どちらかがではなく互いに贈り合うべきなのだ。薪はそう考えて、なのに自分は貰うことばかり。なんて図々しい。
 恥じ入るような気持ちでその場を退室した青木は、薪の気持ちに報いる為ならと、恥を承知で昼休みに庁舎内の売店にチョコレートを買いに行った。バレンタインデーも半ば過ぎ、薪が用意してくれたようなセンスの良いラッピングのものは商品棚にはなかったが、薪の好きな日本酒の入ったチョコレートを見つけた。これなら喜んでくれるかもしれないと、意気揚々と室長室に乗り込んだ。

 昼食後のコーヒーと一緒にチョコレートを差し出すと、薪は青木の手元に残された店のマークが印刷してあるレジ袋に眼を丸くして、
「庁舎内の売店で買ってきたのか? 恥ずかしいやつだな」
 明日には、青木が見栄を張って自慢用のチョコを買っていたという噂が広まるかもしれない。構わない、と青木は思った。真実を知られるよりずっといい。
 ピンクの包装紙に赤のハートという男が買うにはあまりにも恥ずかしいラッピングを丁寧にはがして、薪は箱を開けた。金色の薄い包み紙を開いて、ボトル型のチョコレートを口に入れる。
「おまえこれ、アルコール」
「大丈夫ですよ。ほんのちょっとですから」
 職務中だぞ、と言いつつ薪は二つ目を剥き、「ほら」とそれを青木に食べさせてくれた。薪の細い指先に青木の唇が吸い付くと、薪は熱いものにでも触れたように手を離した。職場でのスキンシップを許さない。その姿勢は特別日でも変わりないようだった。

「あの。薪さんからのもいただけますか」
「まだ言ってるのか。僕はこういうイベントには興味がないって、朝も」
 薪の頑固さを青木は、言った手前引くに引けなくなっていると解釈し、ならば彼が素直になりやすいようにとの思いを込めて軟弱な笑いを浮かべた。
「ロッカーの中にリボンの付いた箱があるの、さっき見ちゃいました」
「あれは」
 説明に窮したのか薪は口ごもり、コーヒーカップに口を付けた。青木が回答を目で訴えると、薪は言い辛そうに、
「あれはおまえのじゃない」

 自分のじゃない? まさか、薪が自分以外の誰かにチョコレートを?

 疑惑が青木の目元を赤く染め、不安に押されるように青木は薪に詰め寄った。執務椅子を回して自分の方を向けさせ、床に膝を着いて彼の両腕を掴む。その表情から何も読み落とすまいと、極限まで顔を近付けた。
「じゃあ誰のなんですか」
「誰でもいいだろ。それに、あれはおまえが考えてるようなことじゃ」

 青木どこだー? とモニタールームから声が聞こえて、二人は自分たちの距離に気付く。顎を突き出したらくちびるが触れそう、こんな場面を誰かに見られたら。
「長くいると怪しまれる。執務室へ戻れ」
 それには大人しく従って、青木は室長室を出た。朝に負けないくらい、重い足取りだった。




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バレンタイン・ラプソディ(5)

 雪のせいで工事が遅れて、延長による変更書類の作成に追われてます。
 工期が延びるのって、役所の印象は悪いし書類は増えるしお金をもらえるのが遅くなるしで、いいこと何にもないんだよなー(--;


 お話の方は、
 いつまでバレンタインやってんだですみませんー!
 ホワイトデー前には終わらせますです(^^;







バレンタイン・ラプソディ(5)





 いつもなら外に食事に行く曽我たちは、昼休みに訪れるかもしれないステキ女子を待って執務室に張り付いていた。期待とは裏腹に、この1時間で彼らが一番多く為した仕事は、薪宛のチョコレートを代わりに受け取って段ボール箱に投入することだった。
「青木、どこ行ってたんだよ。早く来ないから帰っちゃったぞ」
「このチョコレート、おまえ宛てだぞ。庶務課のYさんだってさ」
「え」
 よかったなあ青木、と後輩の戦果を喜んでくれる、それが彼らの好意であることは充分に分かって、でも青木は今それどころじゃない。薪が自分以外の誰かにバレンタインのチョコレートを贈ろうとしている、緊急事態だ。

 あまり嬉しそうでない青木を見て、小池は彼が自分たちに気を使っているのだと思った。だからわざと明るく、大仰なジョークで後輩の気づまりを吹き飛ばしてやろうとした。
「ウドの大木と名高い青木にも来たんだ。第九のトムクルーズと呼ばれたこの俺に来ないわけがない」
「糸目のトムクルーズなんて聞いたことないですけど」
「ブラッドピットにそっくりだって噂のある俺はなおさら」
「メタボ体系のブラッドピットなんていないと思います」
「第九のビルゲイツとは俺のこと」
「ファーストフードが大好物でホテルは寝る場所とネットさえあれば満足の大富豪ですか? ケチケチした男は女の子には嫌われますよ」
 シンと静まった部屋の中、おずおずと曽我が言った。
「青木、何かあったのか。全部声に出てるぞ」
「えっ!」
 慌てて両手で口を塞ぐ。指摘されるまで気付かなかった。
 恩義ある先輩方に、失礼なことを言ってしまった。真っ赤になって平謝りする、青木を先輩たちは快く許してくれた。

「さては、薪さんに強く叱られたんだな」
「あんまり気にすんなよ。薪さんも、今日は傷ついてるんだよ」
「どうしてですか」
 不思議に思って尋ねる青木に、先輩たちは顔を見合わせた。小池が、くいと親指で執務室の隅を指す。彼の矢印の先を目で辿れば、そこには大きな箱と小さな箱。どちらの中身も華やかにラッピングされたチョコレートで、今すぐにでもこの場でファンシーショップが開けそうだ。

「なぜ分けてあるんですか?」
「小さい方は『死ね』ってメッセージカード付き。あと、カッターナイフの替刃とか、待ち針とかも」
 青木は息を飲んだ。肺に落ちる空気をまるで鉛のように感じる。
 沢山の好意に混じって届けられた一握りの悪意。その数はごく少数で、比率にしてみれば10分の1もない。でも。
 悪意は好意の何倍もの強さで人の心を切り裂く。
「こっちの大きな箱も、中身は全部廃棄処分だ。薬物検査まではできないからな」
 一部分の悪意が、多くの善意を打ち消していく。薪の元へ届く純粋な善意は仲間内からのものだけ、面識のない人間からの贈り物には一抹の疑惑が加味されてしまう。

 興味がない、だから気にもしてない。薪が言ったのはそういう意味だったのか。

 バレンタインだのホワイトデーだのと製菓会社の戦略に踊らされるのは愚かな人間のすることだ、と横向く人もいるかもしれないけれど。本当に大切なのはお菓子を買うことじゃない。みんながこうして同じ楽しみを共有できること、仲間同士が寄り合って共通の話題で親しく言葉を交わせること。多くの日本人がこういったイベントを見境なく生活に取り込む本来の目的は、そういうことじゃないのか。
 小市民のささやかなお祭りにかこつけた楽しいひと時。そこに加われない薪が、ひどく可哀想に思えた。

 青木の心から凶悪な感情が剥がれ落ちていく。肩を落として、青木は正直に言った。
「叱られたんじゃありません。薪さんが、誰かにチョコレートを用意してるみたいで。それがちょっとショックだったと言うか」
 本当はショックなんてものじゃない。世界中の人間が全部ライバルに見える、疑心暗鬼の虫に取り憑かれていたのだ。
「薪さんが? 自分でチョコレートを?」
「どっかの女子に貰ったやつだろ」
「違います。薪さん本人から聞いたんです」
 へえ、と意外そうに首を傾げる先輩たちを残し、青木は段ボール箱を持って部屋を出た。どうせ廃棄処分にするなら回収ボックスに入れてしまったほうが、薪の目に付かないと思ったのだ。
 何年か前、薪宛のラブレターをシュレッダーに掛けていたことを思い出す。色々あって、薪は自分宛の手紙にはすべて目を通すようになった。その中には、この箱の中身を全部廃棄しなければいけなくなった理由と同じものも、少なからず混じっているに違いない。逆さまにした段ボール箱から虹色の滝のように落ちるチョコレートを見て、青木は物悲しくなった。
 傷ついていないわけはないのに、いつもと変らぬ平気な顔をして。彼が他人の前で弱さを見せないのは男の意地と、部下たちに心配させたくないというやさしさ。今朝の雪子のチョコ騒動も、そのパフォーマンスの一環だったのかもしれないとさえ思えて、青木は単純に浮かれていた自分を殴りつけたくなった。

 自己嫌悪で肩を落とした青木を小池たちはどう取ったのか、青木がモニタールームに入るや否や、出し抜けに、
「小野田官房長だな」と警察庁のお偉いさんの名前を挙げた。
「俺もそう思う」
「俺も。薪さんが義理チョコ贈るって言ったら、小野田さんしかいないだろ」
 なるほど、それはあり得るかもしれない。冗談が大好きな小野田からは毎年熱烈なラブレターと共に薪の好きな吟醸酒が贈られてくる。そのお返しというわけだ。
「そうかも、いや、きっとそうですね。なんで気付かなかったんだろ」
 小野田なら仕方ない。今日の薪があるのは小野田の力によるところが大きいし、普段からも何かと目を掛けてもらっているのだ。それに、縦割り社会の警察機構の中で第九がある程度の無茶を通せるのは、小野田の後ろ盾あってのことだ。室長として礼節を尽くすのは当たり前だ。

 すうっと胸のつかえが消えて、青木は晴れ晴れとした笑顔を見せた。「コーヒー淹れて来ますね」と給湯室へ向かう後輩の足取りの軽さに、小池たち3人は失笑を洩らす。
 後輩の、室長を慕う気持ちは度が過ぎている。少し異常な気さえするのだが、薪の中性的な容姿から自然に連想されるある種の懸念もあって、思っても口に出せないでいる。
 その時も彼らは胸底に沸き起こった疑惑に蓋をし、青木の薪さん好きにも困ったものだ、とそっと目線を交わしあった。




*****




 同日某時刻。
 暗幕に閉ざされた一室で、数人の男たちが額を寄せ合っていた。彼らは一様に深刻な表情で、録音された会話を黙って聞いていた。
『雪子さんのチョコってとこが大事なんじゃないか』
 スピーカーから聞こえてきたアルトの声に、誰かがそっとため息をつく。暗い室内にその声は、女神の息吹のように木霊していた。

「三好雪子も命拾いしましたな」
「さよう。竹内と結婚しなかったら、遠からず警察機構を追放になるところでした」
「いくら女性とはいえ、こうもあからさまに警視正の好意を向けられたのでは。彼女に粛正を、と逸る会員を抑えるのは苦労しましたな」
「三好雪子の件は片が付いたとして。問題は警視正に嫌がらせをした連中だ」
「まったくだ。これが原因で彼が警察を辞めるようなことにでもなったら」
「我々は、何を楽しみに生きていけばいいのか分からない」
 そうだそうだ、と男たちは口々に怒りを表明し、拳を握り締めた。

「残念ながら、物証は既に廃棄ボックスに投入され、滅却されたものと思われます。第九職員たちの前後の会話から、無害なチョコレートも廃棄せざるを得なかったようです。当然、我々が仕込んだ盗聴、いえ、愛を込めたチョコレートも」
「ブラックリスト候補者たちの所在も不明になったと言うわけか」
「草の根分けても探し出して粛正してやりたいところだが」
「無念だ」
 もっと彼の声を聞きたかった、と口には出せない恨みを見ず知らずの愉快犯に向けて燃やし、彼らはやるせなくテーブルを叩いた。

「今回は、もっと重大な問題が発生しました」
 緊急の幹部集会を呼びかけた男が、集会の目的を固い声で告げる。幹部たちは姿勢を正し、彼の言う『重大な問題』に真剣に耳を傾けた。
 彼が録音機器を操作する。聞こえてきたのは若い男の声だった。

『薪さんが、誰かにチョコレートを用意してるみたいで』

 真っ暗な部屋の中に放電現象が起きた。
 勿論それはショックによる錯覚で、しかし部屋にいた全員が同じ幻を見ていたことから、この幻覚は事実として会員たちに語り継がれることになる。その時の衝撃を、失意を、後に様々な手法で表現した彼らの作品は芸術展や文学界で高い評価を受け、中でも絵画『女神の失墜』は二期展で金賞を受賞、小説部門では『女神の想い人に祝福の弾丸を』がベストセラーになった。高額の売り上げ金は会の運営費に充てられている。
 それはさておき、スピーカーからは続いて第九職員の声が流れてきた。何処かの女の子からの贈りものだろう、と一人が言うのに、最初の若い男が、
『違います。薪さん本人から聞いたんです』
 そこで会話は途切れ、ガガガガという機械音のあと突然ぷつりと切れてしまった。ここで廃棄ボックスに投入されたのだろう。

 シンと静まった部屋の中、誰もが息を殺し、自分の中に生まれた凶悪な感情を殺して彼の新しい恋を応援し、なんてマトモな人間ならこんな会には入らない。
「薪警視正に想い人が」
「ゆゆしき事態だ」
「いったい何処の誰なんだ」
「早急に帳場を立てろ。捜査本部を設置して相手の男を絞り込むんだ」
「それは刑事部長のわしの役目だな。よし、引き受けた。確認が取れ次第、抹殺の方向で」
「その仕事は公安部に任せてくれ。目撃者ゼロの事故を装う。得意中の得意だ」
「では、死亡診断書は我々法一が」
「万が一のときの死体の処分は第五で引き受けよう。細菌による分解処理を施せば骨も残らん」
 ……げに恐ろしきかな国家権力。



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バレンタイン・ラプソディ(6)

 更新空いちゃってすみませんでしたー!
 ご心配いただいた方、ありがとうございました。しづは元気に仕事してます。ブログはさぼってただけ、いやその(^^;


 先週は検査が2つもあって、書類地獄でしたー。
 気が付いたらホワイトデーを過ぎてました。
 みなさん、意中の人からのお返しはもらえましたか?

 わたしはオットが唯一もらった姪っ子からのチョコのお返しに、コンビニでクッキーの詰め合わせを自分で買いました。自分はお母さんにチョコレート作らせたくせに、お返しにはゴディバを寄越せって言うんだよ。なにがゴディバだよー、あんな小箱で1500円もしたよー。一種の詐欺だと思います。
 オットのホワイトデーは毎年こんなもんですね。社長なのにね。女の子と遊ばないし、スナックも行かないからね。ホステスさんからの営業チョコすら来ないね。さびしいやつ。
 お義母さんの話によると若いころからこうだったみたいだから、きっと、女の子からもらった本命チョコの数はわたしの方が多いに違いない。(え)
 わたしは監督員さんに渡した本命チョコのお返しが戻ってきまして(←癒着)、
 ……お返しいらないから検査甘くして!!(それなら検査官にチョコを贈るべきでは?)




 お話の方は最終章です。
 間延び公開になってしまってすみませんでした。
 お付き合いくださってありがとうございました。





バレンタイン・ラプソディ(6)





 定時を1時間ほど回った6時50分。青木はモニタールームに戻って来た。
 残念なことにその日、第九の独男トリオが夢見たモジモジ系女子は現れなかった。絶望した彼らに「どんてん」(第九職員行きつけの居酒屋)に引っ張って行かれる危険を予知した青木は、退庁時刻5分前に資料室に避難した。そこで先輩たちの誘いをやり過ごし、頃合いを見計らって出てきた。薪と話すためだ。
 薪は、仕事中は仕事以外の話を聞いてくれない。だからアフターまで待った。彼が第九を出るのは早くても7時過ぎ。この時間なら室長室にいるはずだ。

 青木の目論見通り、モニタールームには誰もおらず、そっと覗いた室長室には薪が書類の山に埋もれるようにして一人で仕事をしていた。机の上だけでは足らず、近くに寄せたカウチからローテーブルから引かれた引き出しにまで、所狭しと重ねられたファイルと紙の束が、重力との均衡をぎりぎりで保つ様子にハラハラする。と、思う間にも引き出しの上から書類が滑り落ち、苛立ちを表わす薪の舌打ちが聞こえた。
「失礼します」と声をかけ、青木は床に散らばった書類を拾い集めた。揃えて差し出すと、薪は仕事の時の冷たい情熱を湛えた瞳で青木を見つめていた。
「全員、帰ったと思ってた」
「資料室に居ました。その、調べたいことがあって」
 調べ物の詳細について聞かれたらどうしよう、と青木は自分の姑息な嘘に不安を覚えたが、薪はふうんと頷いただけだった。忙しそうな薪に、青木は話し掛けるのを躊躇う。薪が仕事人間であることは骨身に沁みている。終わるまで待つが得策だと思った。

「なにか、お手伝いできることはありますか」
「特にない」
 平坦な口調には、青木に対する怒りもなかったが親しみもなかった。仕事に没頭する彼は、まるでロボットのように精確に書類を捌いていく。能力のすべてを職務に傾けている時の彼に、感情を期待しても無駄だ。
「まだまだ掛かりそうですね。お弁当買ってきましょうか」
「要らない」
「じゃ、コーヒーでも」
「いいから自分の仕事をしろ」
「今のところ、手持ちの案件は有りません」
 薪に部屋を追い出されそうになって、青木は不服従の理由を申し立てる。この様子ではアフターのデートは無理っぽい、でもバレンタインデーは恋人たちのイベント。プライベートじゃなくてもいいから、せめて薪の傍にいたい。
 青木が健気に訴えるのに、薪は訝しげに眉を寄せて、
「おまえ、資料室で何か調べてたんだろ。捜査に必要なことだったんじゃないのか」
 恋人なのだから、青木の気持ちを少しは察してくれてもいいのに。薪が鈍いのはいつものことで、思い出してみればクリスマスも年末も、この人はここで仕事をしていた。イベントや記念日には拘らない人なのだ。

「実はその、薪さんと話がしたくて待ってました。モニタールームで待っていると目立つので」
 青木は正直に言った。もともと嘘は苦手なのだ。吐き通せた試しがない。
 青木がそっと様子を伺うと、薪はキーボードの上を滑らせていた指を一瞬止め、「30分待て」と相も変わらず平坦な口調で言った。
「あ、いや、いいです。お仕事中断させるの、申し訳ないです」
「大丈夫だ。終わらせる」
 この量を? 30分で?
 思わず周囲を見回してしまった青木に、薪は冷ややかに微笑んだ。
「終わらせる」
 種を明かせば途中だったのは薪がタイプしている書類だけで、広げてある書類は処理済みのものばかり。片付けるのが面倒だからそのままにしてあっただけだ。分かって青木は、薪に遠い場所に置いてある書類から順に片付け始めた。飴やチョコを辿ってみれば其処にお菓子の家があるように、書類を辿れば行き着くなんて薪らしいと思った。

「メシでも食いに行くか」
 宣言通りに書類を片付けて、執務机に鍵を掛けたのが7時半。壁に取り付けられたセキュリティのタッチパネルを操作しながら、薪は青木を誘ってくれた。この後、件のチョコの相手との約束は入っていないらしい。青木は安堵した。
 私物を入れてあるロッカーを開け、薪はそこから鞄とコートを取り出した。コートを着込んだ後、彼が鞄に問題のチョコレートを入れるのを青木は見逃さない。これから青木と食事に行くのに持っていくのであれば、やっぱりあれは自分宛のチョコレートだったのか。行きがけに官房室へ寄って行く気かもしれないが、どちらにせよ、薪のチョコレートの相手は恋人の青木に気兼ねせずに渡せる相手ということだ。青木はいよいよ安心して、薪の後ろについて歩き出した。

 正門を出て、薪が足を向けたのは警察庁の方向ではなかった。これは間違いなく自分宛だ、と青木は確信し、ならば当初の予定通り、薪の家で二人きり甘い夜を過ごしたいと思った。
「レストランは何処もいっぱいでしょう。テイクアウトの方が無難かもしれませんね」
「いや。席は確保してある」
 遠回しに提案したお家デートは、薪に却下された。でも青木は躍り出したいほど嬉しい。だって薪が青木のためにレストランを予約しておいてくれた。もしかしたら薪は自分以上にこの日を楽しみにしてくれていたのかと、青木が世界一幸福な男の気分を味わったのも店に着くまでの僅かな時間。
「ここって」
 青木が戸惑ったのも無理はない。薪が足を止めたのは、青木も週に1度は先輩と連れ立って暖簾をくぐる第九職員ご用達の店だった。

「ああ、いたいた」
 満席状態の店の中、薪が目敏く見つけ出した3人の第九職員は、座敷の隅のボックス席でどんよりと暗いオーラを出していた。彼らの席にビールジョッキを持ってきた店員は、バレンタインデーなんかこの世からなくなればいいだの、そんなものに踊らされている日本は滅亡する日も近いだの、チョコが男性全員に均等に配られないのは政治が悪いだのと、3人がかりで無茶苦茶なことを言われて辟易している。いつも青木が聞かされている愚痴だが、一般人には受け切れまい。
「おまえらいい加減にしろ。店員さんが困ってるだろ」
 いきなり現れた上司に、3人がぽかんと口を開ける。その隙に、店員は逃げるように席を離れ、新しい2人の客のために座布団と、今日のおすすめ品が書いてある黒板を持ってきてくれた。
 青木は中ジョッキを2つ注文し、おすすめの中から薪のためにヤリイカの刺身と有機野菜のサラダを選んだ。普段から食が細い薪の健康に気を配るのは、青木の役目だ。

 オーダーは青木に任せ、薪は宇野の隣にすとんと腰を下ろした。鞄を開けて、中からグレーの包みを取り出す。
「ほら。待望のチョコレートだ」
「えっ!」
 驚きの声を上げたのはチョコレートを受け取った3人ではなく、サラダから薪の苦手なアボガドを抜いてもらうよう店員に交渉していた青木だった。3人は反射的に後輩の顔を見て、何かを悟ったように彼から目を逸らし、次いでテーブルに置かれた銀のリボン付きのタブレットサイズの箱に視線を戻した。
「これ、朝の」
「誰かにもらったんじゃなかったんですか?」
「まさか。そんなもの」
 と、薪は言いかけて止めた。だけどその先はみんなが知っている。そんなもの、危なくて人にやれない。

 何となく固まってしまった場の空気を壊すように、薪はいつもの説教口調で、
「ったくおまえら、毎年毎年うるさいったらない。これからは僕が用意してやるから、ぎゃあぎゃあ騒ぐな」
 第九は科警研の鼻つまみ。警察機構全体で最も嫌われものの部署で、転勤したくない部署ナンバー1の称号はアンケート結果を集計するまでもなく鉄板。
 だから、第九メンズは女の子には縁がないけれど。代わりに日本一の上司が付いてる。

 同じ気持ちで目線を交わすのに、それを素直に口にできないのは室長譲り。小池はわざと困ったような顔を作り、肩を竦めて、
「室長からチョコレートもらっても」
「なあ、って曽我はまたすぐに開ける」
 薪さんのことだからプラスチック爆弾くらい仕込みかねないぞ、とコソコソ言ってるの、全部聞こえてますから小池さん。
 嬉しいなら嬉しいと言えばいいのに、みんな照れ屋なんだから、と正直者の後輩はひとり呆れる。青木なら、心に生まれたうれしさや感謝の気持ちを飾らずに口に出せる。それができない人間の方が世の中には遥かに多いことを、幸福な彼は知らない。

「あ。これ、すっげー美味い」
 最初に食べた曽我が箱を一人で抱え込みそうになって、残る二人は慌てて手を伸ばした。ひとくちサイズのフォンダンショコラは、粉雪のように飾られたシュガーパウダーが食欲をそそる。小さな円柱形はきれいに整えられているが一つ一つ微妙に大きさが異なる、おそらく手作り。
「ホントだ。おれ本当は甘いもの苦手なんだけど、これはイケる」
「室長。これ何処で買ったんですか?」
「……近くの総菜屋だ」
「ああ、例の。すげー、チョコレートケーキも置いてあるんだ」
 和洋中エスニックまで何でもござれ、クリスマスにはオードブルからチキンからノエルケーキまで並べてあると言う夢のような総菜屋(年中無休24時間営業)は、当たり前だがこの世の何処にも存在しない。このケーキの作り手の正体に気付いているのかいないのか、その辺は彼らもけっこうなタヌキで、若輩者の青木には読み切れなかった。

 薪を交えて、わいわいと楽しそうにチョコを食べる4人の姿に、青木はツンと鼻の奥が痛くなる。
 傍から見たら、モテない男が寄り集まって仲間内で買い求めたチョコレートを惨めに食べている、そんな光景なのに。彼らの、その笑顔の、なんて楽しそうなことだろう。
 自分ひとりでは与えられない薪の幸せがあること、恋人ならそれを寂しく思うべきかもしれないけれど。薪が彼らに囲まれて笑っていることが、青木にはとてもうれしい。

「なに泣いてんだ、青木」
「……ワサビが鼻にきて」
 味覚までお子様だな、と青木を嘲笑った薪は、これ見よがしにイカの刺身に山葵の塊を載せて口に入れ、次の瞬間鼻を押さえた。この店の山葵は下ろしたてを使っていて、かなり効く。
 大丈夫ですかあ、と無邪気に笑う3人と一緒になって頬を緩めた青木だが、次の瞬間、本気で泣きたくなった。薪が用意してくれたチョコレートが、一つ残らず無くなっていたからだ。
「なんでオレの分、残しておいてくれないんですか!?」
「あ、悪い」
「美味かったんで、つい」
「ヒドイですよ。オレ、まだ一個も食べてないのに」
 いつもニコニコと聞き分けのよい後輩が珍しく我を張るのに、怯んだ曽我が「薪さんに頼めよ」と宥める口調で言った。
「言えませんよ、そんな図々しいこと。あれ、作るの大変でしょ」
「作るのは総菜屋のオバちゃんだろ?」
「え」
 しまった。薪の特技はトップシークレットだった。
 微妙な空気が漂う中、そっと薪を伺うと、薪はちょうど一杯目を飲み終えたところで、テーブルにジョッキを置くと同時に席を立った。

「さて。僕はそろそろ」
 酒の席に上司がいては気詰まりだろうと、薪はいつも中座する。誰もそんなこと思ってないのに、でも誰も彼を引き留めることはしない。プライベートの時間を部下たちとの付き合いに割かせるには、彼の職務はハード過ぎるのだ。
「おまえらも、明日の業務に差し支えない程度にな」
 そう言って伝票を取り上げる。こういう席で、薪が勘定を持たなかった試しがない。彼は壁のメニュー表と伝票にさっと目を走らせ、数枚の紙幣をテーブルに置いた。
「「「ごちそうさまです!」」」
 さっさと席を離れる薪を、青木は追いかけようとした。
「薪さん、送ります」
「心配しなくても大丈夫だ。チョコレートは帰りに買っておいてやる」
 おまえはここに残れ、と薪の瞳が命じていた。露見させてはいけない秘密のため、人前では距離を取らなければいけない。それは彼との関係を守るための行為だけど、歯痒さは消えない。特に、今日のような日は。
 先輩たちにヘンに思われるかもしれないと少しだけ不安になったが、青木はその時、薪の後を追わずにはいられなかった。

 青木が入り口の暖簾を払った時、薪は大通りに向かう人々の群れに近付こうとしていた。足の速い彼の姿は、見る見る間に小さくなっていく。
「薪さん!」
 薪の周りの何人かの人が、薪と一緒に振り向いた。が、彼に声を掛けた人物が飲み屋の前に立っているのを見て、酔っ払いが騒いでいるものと思ったらしい。彼らはすぐに興味を失くし、人の群れに加わった。
 その中でひとり、薪はその場に立ち、青木を待っていてくれた。急いで走り寄る、薪の身体が冷えないうちに。

 呼吸を整えるほどの距離ではなかった。でも、途切れ途切れにしか言えなかった。
「いま、しあわせ、ですか」
 薪はきょとんと眼を丸くし、次いで不服そうに青木を睨みつけた。
「僕が不幸に見えるのか?」
 いえ、と反射的に、次にはっきり、
「いいえ」と青木は言った。
 ふっと薪は笑って、素早く踵を返した。さっきよりもゆっくりと、彼の姿は遠くなって行く。真冬の夜に、その背中はシャンと伸びて。それだけで嬉しくなる、薪が元気でいてくれること。
 彼の小さな後姿が人混みに紛れて見えなくなるまで、青木はその場に立ち尽くしていた。




*****




 薪を見送る青木の斜め後ろ、電柱の陰でひそひそと電話で話す男がいた。目つきが鋭く、一見しただけで只者ではないと分かる。
「はい。通勤途中の彼に直接チョコを手渡そうとした人間は20名、いずれも当方の脅迫、いえ、説得により断念。今後二度と彼に近付かないよう、丁重にお願いしました」
 男は抜け目なく周囲に気を配り、さらに声を潜めて、
「警視正のチョコレートは、彼の部下たちの手に渡った模様であります。は、今のところ特定の男性とは会っていません。引き続き彼を尾行、いえ、警護を続けます」
 警視正の安全の陰に、彼らの活躍があったことはだれも知らない。




(おしまい)



(2013.11)


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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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