蛇姫綺譚(1)

 こんにちは。

 8月の末ごろから、たくさん拍手くださってる方、ありがとうございます~(〃▽〃)
 最初のお話から順に入ってたので、ご新規さんかな、それとも再読の方かな? 3ケタ久しぶりだな、って思ってたら1週間も続いて、さぞお疲れになったと思います。目薬さして、ゆっくり休んでくださいね、破壊された精神の回復を図ってくださいね、心配でしたら心療内科に行ってみてくださいねっ。(そこまで?)
 とにかくありがとうございました。おかげさまでSSの読み直し頑張れました。(一番キライな作業なんです。自分の話読み返さなきゃいけないのはけっこうな苦行(^^;)

 励ましていただいたおかげで、
 今日から公開できますこのお話、5万5千拍手のお礼SSでございます。
 夏に書いたので、日本の怪談的なものを目指してみたのですけどいつの間にかアクションコメディになぜ! これこそ怪談!←え。

 時期は2066年8月。
 タイムリミットを翌年に控えて少々焦りが出ている頃のお話です。

 長編ストーリーは実に1年振りなので、突っ込みどころは多々あるかと思いますが、どうか広いお心で。
 よろしくお願いします。





蛇姫綺譚(1)





 日曜日のカフェになんて入るもんじゃない。
 薪は心の中で軽く舌打ちした。コーヒーを挟んで恋人と向かい合っているのに、相手があからさまに隣の席を見ていたからだ。

「可愛いですねえ」
 青木が褒めたのは薪のことではない。それで面白くない、わけではない。
 二人で過ごすとき、青木は薪以外の人間を殆ど見ない。薪に危害を加えようとする人間、もといナンパ男の牽制は怠らないがそれは外敵に注意を払うと言った意味合いで、対象に興味を持っている訳ではない。付き合い始めて何年かになるが、青木は未だに薪に夢中で、他の人間なんか目に入らないのだ。

 そんな彼にも例外はあって、それが隣の席の女子だ。ずっと見ていたものだから自然と目が合って、すると相手は恥ずかしがって母親の腰に顔を伏せてしまった。要するに。
「ママ。おじさん、リエのこと見てる」
「え。ちょっと」
「や、違います。決して怪しい者では、――薪さん」
 母親の疑いの眼差しへの弁解をこちらに求めてきた青木に、薪は、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
 バーカ。人さまの娘さんをジロジロ見るからだ。

 そこへ折りよく、隣の親子連れが注文したサンドイッチとパフェが運ばれてきた。子供ならではの切り替えの速さで、彼女はフルーツと生クリームがトッピングされた華やかなスイーツに歓声を上げる。母親の心配も、危なっかしい手つきで柄の長いスプーンを操る子供の手元に向いたようで、隣席の変質者はころりと忘れ去られた。どうも日本人は危機感が足りなくていけない。

「ふふ。一生懸命食べてるなあ」
 まだ見てる。懲りないやつだ。

 子供は可愛いと誰もが言うけれど、薪は子供が嫌いだ。うるさいし、我儘だし。どうして青木がそんなに優しい眼で彼らを見るのか、自分にはさっぱり――。
 いや、と薪は目を伏せた。コーヒーの湯気に濡れた睫毛が、艶を含んで重たげに重なる。
 本当は分かっている。青木は子供が好きなのだ。姪のことも、ウザがられるくらい可愛がっている。
 そんな彼が自分の子供が欲しくないわけはないと、彼が一度も口にしたことがないその事実を、子供たちを見ると嫌でも思い知らされてしまうから、だから薪は子供が好きになれないのだと思う。
 自分の弱さを認め、改めて幼子を見れば、食欲全開でパフェを頬張る彼女は己が欲望に忠実で、その潔さに感動すら覚える。ほっぺたを生クリームだらけにして無心で食べている様子に思わず笑みがこぼれた。……なるほど。向かいの大男がニヤニヤしてるのはこういった感情からか。

「悪かったな。産んでやれなくて」
 ぼそりと呟いたら、青木が横を向いたまま固まった。手のひらに載せていた顎を浮かせ、信じられないものを見る目でこちらを見たから、もう一度謝った。
「すまん。僕には産めない。て、おい」
 謝った薪に、青木はプフーっと噴き出した。結構しんどいセリフだったのに、ひどくないかそれ。
「いや、すみません。でもお互いさまでしょ」
「お互いさまじゃない。僕はおまえみたいに小さい女の子を愛でる趣味はない」
「なんか違う意味に聞こえますけど」
 青木はようやく薪の方へ身体を向けて、椅子に座り直した。コースターの上に放置されて、グラスの周りにたくさん汗をかいたアイスコーヒーを一口すすり、気が付いてストローで中身をかき混ぜる。氷が溶けたアイスコーヒーは、完全な二層構造になっていた。

「後悔なんかしてません。微塵も」
 カラカラと涼やかな音をさせながら、青木は静かに言った。
「無理するな。僕も責任を感じて謝ってるわけじゃない。ただ」
「後悔なんかしません。これからも」
 何と答えてよいものか、薪は少し迷い、けれども答えは出せず、黙って冷めかけたコーヒーを飲んだ。

 そうこうするうちに隣の席の親子連れはパフェとサンドイッチを食べ終え、伝票を持って席を立った。性懲りもなくバイバイと手を振った青木に、根負けしたらしい母娘は笑って手を振り返した。




*****


 メロディ10月号の感想ですが、今回はやめておきます。
 書いてたらアンチっぽくなっちゃったので(^^;
 追跡調査の件がどうしても納得できなくて~。わたしのカンチガイだったらいいのですけど。
 青木さんから送られてきたMRIの内容が、まだそれだと決まったわけじゃないしね。この先、それが正しかったと思えるようになるのかもしれないしね。
 大人しく続きを待ってますので、先生、よろしくお願いします。

 

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

蛇姫綺譚(2)

 コミックス買いました!
 冒頭の部分が加筆されてましたね。事件の背景がより分かりやすくなってました。
 
 本誌連載中はあーだこーだ言いましたが、まとめて読んだらよかったです。
 エンドゲームの時もそうだったんですけど、一気に読むとすんなり読める。大騒ぎした「好きだじゃなかった事件」も、意外なくらい納得できて。「一番手のかかる家族」、いーじゃない、それ。なんか薪さんらしいよ。
 青木さんも、諦めちゃったの?! と思ってたけど、そうじゃないんですね。薪さんは見送りとかそういうの苦手、だから(手紙のことも)いいんです、てことなんですね。諦めたなんてどこにも書いてない。青木さん、笑ってるし。きっと心の中で、(急がなくていいです、待ってますから)って言ってたんだよ、きっと。そうじゃないと、
 新連載の青木さんの態度につながらないじゃん。
 まあ、薪さんは完全に今の状態に満足してるみたいだけど……ただ、その気持ちも分かるんだよね。現状維持なら誰も傷つかないもの。先に進むのは勇気がいるよね。ちょうど構図的には2061年のうちの青薪さんみたいになってるのかな。青木さんは薪さん大好きで、薪さんはそれを嬉しく思いながらも上司と部下の一線を超えないように頑張ってる。でもそれは長くは続かない……のは男爵だからか。原作薪さんなら10年くらい引っ張りそうで怖いわー。


 さてさて。
 お話の続きでございます。





蛇姫綺譚(2)






 捜査一課から協力依頼のあった事件の被害者は、ごく普通の中小企業に勤めるOLだった。全身を30箇所以上も刃物で刺され、自宅付近の川に遺棄されていた。
 被害者の名は宮原さつき、25歳。親兄弟も親類もなく、天涯孤独の身の上。そのせいか、美人だが雰囲気が暗い。
 初動捜査で目撃証言は得られなかった。事件現場は人通りの少ない河原、しかも犯行は雨の夜に行われた。翌朝、散歩途中の老人が死体を見つけるまでに、証拠は雨が洗い流してしまっていた。

 遺体の状態から怨恨の線を洗い始めた捜査陣は、しかしすぐに壁にぶち当たった。彼女は孤独に、ひっそりと生きていた。両親はおらず、親しい友人もなく、恋人もいない。あまりにも孤独過ぎて、殺されるような理由が全く見当たらなかった。
 怨恨の線がなければ通り魔か。ならば近いうちに同じように川に女の死体が上がるだろう。さすれば新たな証拠も出ると捜査本部は考えた。が、事件発生から3ヶ月が過ぎても類似性のある事件は起きなかった。
 もはや考えられるのは、通り魔殺人、それも一発屋。となると、犯人の絞り込みは困難を極める。
 ここに到ってようやく、第九に捜査依頼が来た。遺体の損壊が激しい事件、初動捜査が振るわなかった事件被害者の脳は万が一に備えて冷凍保存しておくのが慣例になっている。おかげで最近、第九には冷凍された脳しか回ってこなくなった。

 捜一の捜査は難航したが、第九での捜査は順調だった。
 首から下の損壊はひどかったものの、脳と眼は無事だった。彼女の最期の画――それは暗い川の底に沈んだ粗大ゴミの画だった――から遡ること1時間。土木作業員風の男が彼女に言い寄ろうとし、それを拒まれて犯行に至った経緯が判明した。
 無我夢中だったのだろう、男は恐ろしい形相で凶行に及んでいたが、彼女が動かなくなったことに気付くと、急に自分がしたことが恐ろしくなったらしく、彼女を川に捨てて逃げてしまった。犯人の男は顔を隠しておらず、しかも自分が勤めている工務店の社名が入った作業服を着ていた。その画像から身元を割り出すのは造作もないことだった。
 かくして犯人は確定され、捜査権と資料は捜査一課に返った。この事件に於いての第九の仕事は終わった。
 はずだった。

「な?」
 不機嫌そうな声で同意を促され、でも何のことか見当も付かず、青木は困惑して顔を上げた。目の前には腕を組んで仁王立ちになっている恋人の姿。上から目線のその眼差しがここまで似合う人を青木は他に知らない。
 薪の高飛車な態度はいつものことで、しかし彼が何について自分に同意を求めてきたのか、青木には分からなかった。もしかしたら彼に何か仕事を頼まれていたかと思い返してみるが、いつも薪の仕事は最優先で片付ける青木のこと、こんな時間に彼に催促されるような仕事が残っているはずもなかった。
「なんでしょう」と聞いてみる。当然、薪の反応は冷たかった。

「分からないのか。おまえは僕のなんだ」
 恋人の言いたいことも察せないのかと薪は大層おかんむりだが、分からないものは仕方ない。「分かりません」と正直に言うと、案の定薪は、若竹の葉っぱみたいに細くて形の良い眉をしかめ、辛辣な口調で言い返してきた。
「職員一丸となって取り組んでいる労働時間短縮問題の対策として科警研全体で定めた定時退室の水曜日に、こんな時間まで職場に残り、たった一人の閲覧者のためにシステムを動かして経費の無駄遣いをしているからにはさぞや重大な案件に違いない。つまり画面に映っているのが今日の昼前には捜査一課に報告を上げて処理済みのフォルダに仕舞われたはずの被害者の脳データに見えるのは僕の見間違い、ということだな?」
 すみません。「な」だけから以上の言葉を読み取るのはいくらオレが薪さんに関してエキスパートでも不可能です。

「もう終わります」
「いやいや、遠慮することはないぞ、青木。おまえのように優秀な捜査官が、半日以上前に片が付いた事件について調べ直しているからには報告に重大な不備があったと、僕のような愚鈍な者でも簡単に推察できる。最悪、冤罪事件に発展する可能性があると考えていい。そうなれば僕は、今この時間も続いているであろう容疑者の取り調べを差し止める手配をしなくてはならん。今夜は忙しくなりそうだ」
 どこまで続くんですか、その皮肉。
「ゆえに、おまえは僕に今夜のディナーは諦めろと言いたいわけだ」
 終了オペレーションを起動させようとしていたマウスポインタがピタリと止まる。時計の針は午後7時。よく考えたら薪がこの時間に退庁できることは滅多にないのだ。労働時間短縮は一般職員の目標であって、警視正以上の管理職員には関係ない。
 青木が定時退室できるはずの水曜日、官房室との掛け持ちで人の2倍も忙しいはずの彼が、懸命に仕事を片付け、或いは明日に回し、必死に時間を作って来てみたら恋人は終わったはずの事件を引っくり返している。不機嫌になるわけだ。

「すみません。1分で終わりますから」
 左下の終了アイコンをクリックしようとした青木の右手に、薪の手が重なった。次はどんな意地悪をされるのかと冷や汗をかく青木に、薪はふっと微笑んだ。
「冗談の通じないやつだ」
 全宇宙探したとして、通じる人いるんですか、その冗談。

「見せてみろ。どの辺が引っかかったんだ?」
 薪は青木の机に左手を付き、一緒にモニターを覗き込んだ。青木の右のこめかみを、薪のさらさらとした髪がくすぐる。懐かしい感覚。思わず頬が緩む。
「なんだ」
「いえ。昔、よくこうしてご指導いただいたことを思い出しまして」
 仕事の鬼の薪に気に入られたかったら、仕事ができる人間になるしかない。青木は必死で努力した。意欲的な部下に、薪も協力を惜しまなかった。二人きりで第九に残って夜遅くまでトレーニングをした。思えば贅沢な日々だった。
「つきっきりで薪さんに教えていただけて。幸せでした」
 青木も第九に入って6年目。捜査官としても中堅だ。一から十まで室長の指示を仰ぐのではなく、自分の考えで行動しなくてはならない。
「昔の方がよかったか」
「いえ、そんなことは」
 薪の役に立てるようになりたくて、青木は努力したのだ。昔の方がいいなんてことは決してない。ただ、薪がいつも自分を気に掛けてくれる幸福な日々を、そうとは知らずに過ごしていたあの頃に戻ってその幸せを噛みしめたいと言う感傷に囚われる事はある。

 青木が軽く目を伏せると、亜麻色の毛先にくすぐられていたこめかみにそっと柔らかいものが触れた。びっくりして身を引くと、薪が悪戯っ子のように笑っていた。
「昔に戻りたいか?」
「いいえ」
 あれから6年が過ぎて、二人は恋人同士。薪もいくらか丸くなって、職場でこんなこともしてくれる。今の方が絶対にいい。
「8時にオードヴィのディナーを予約してある。さっさと流せ」
「はいっ」
 青木は意気込んで、問題の画像ナンバーを入力した。

 MRI画像の中には、特別残酷なシーンではないのに背筋がざわざわするものがある。画面を閉じようとすると後ろ髪を引かれる。今回の事件は犯人そのものは間違いようがなかったが、この嫌な感じが全体に付きまとっていた。つまり青木が気になったのは犯人ではなく、被害者の方だ。

「薪さん、これで――違うんです、待ってください!」
 画面を見た途端、競歩の速度で出口に向かった薪に、青木は必死で取りすがる。薪の気持ちも分かるが青木だってけっこう辛かった。
 それは情交の画だった。
 他人のそういうシーンならお金を出しても見たい男はたくさんいるし、実際に産業として成り立っている。青木も薪も男である以上は商品化されたそれらに全く興味がないわけではないが、女性視点の情交画像となると話は別だ。
 被害者は女性で、この脳は彼女のものだ。当然視界には相手の男の裸しか映っていない。その相手がまた毛深い中年男で、見ても全然楽しくないどころか純粋にキモチワルイ。現に、画面には毛だらけ男性器が大写しになっていて、薪が脱兎のごとく逃げ出したのも無理はないのだ。

「青木、おまえ本当はこういうのが好みなのか」
「ちがいますってば。いや、画を間違えたわけじゃないんですけど、どうもこの辺の画が気持ち悪くて」
「画も気持ち悪いけど、それを熱心に見てるおまえも相当気持ち悪いぞ」
 薪に引かれても仕方のない状況で、しかも当の青木も何が引っ掛かったのか明確な答えを持ち合わせていない。どう説明したらよいものか迷ううち、薪が、
「Rアップって身体に塗ってもいいのかな……」
 ヘンな方向に走って行こうとしてる!
「すみません、オレの気のせいでした」
 自分のせいで、薪の美しい肌が岡部のような剛毛に覆われることになったら青木は死んでも死にきれない。青木は画面のスイッチに手を伸ばした。

「待て」
 薪の細い手が青木の手首を押さえる。青木が自分の手を机に戻すと、薪の指が中年男の腰の横、画面の右下端を指した。
「ここ」
 眼を凝らすが、何も見えない。促されて拡大した。2回、3回、まだ見えない。
 5回目の拡大作業を終えてようやく、それは姿を現した。限界まで解像度を上げる。急激に重くなったデータに、MRIシステムのファンが唸りを上げた。

 映っていたのは子供だった。たぶん男の子。裸に剥かれて、逆さまになっている。肌は異様な白さだ。いっそ青い。生きた人間の肌の色ではない。

「見えたんですか、これ」
「いや」
 見えたのでなかったら何だったのだろう。青木は畏怖の眼差しで薪を見上げた。
「彼女、薬をやってたか」
「あ、はい、多分。よく分かりましたね」
「普通、女性が男のアレなんか見ないだろ。薬で羞恥心が麻痺していたとしか思えない」
 この辺は経験の差というか。薪は女性の純情を信じる傾向が強いが、青木に言わせると薪の方がよっぽどピュアで恥ずかしがり屋だ。青木の知り合いには、男の裸を見るのが大好きな女もいる。
 根拠はともかく、彼女が薬を服用していたのはほぼ間違いない。情交に入る少し前、彼女は必ず盃に一杯の酒を飲んでいたが、その後は決まって画像が不安定になった。ほんの少量のアルコールで酩酊する体質と考えるより、快感を高める効力のある薬物を摂取していたと考える方が自然だ。

「画の粗さから言って、3年は経っているな」
「はい。5年前です」
「5年? 5年も前の画をよくここまで」
 終わりの頃は口の中で言われたから聞き取れなかったけれど、褒めてくれたのだと分かった。亜麻色の瞳が、とてもやさしく輝いたから。

「5年前の夏、彼女は複数の男性と関係を持っています。場所はいつもこれと同じ場所です」
 青木はマウスを操作して、背景にピントを合わせた。天井に、自然の形をした木が何本も横たわっている。床は畳敷きで壁は木製。色褪せた襖に黄ばんだ障子。古民家のような家だ。
「どういった理由からそんな生活を送っていたのかは不明ですけど、その間は仕事にも就かず、と言うか、これが仕事みたいな按配で」
「客を取っていたということか」
「それがですね、金銭のやり取りをしている場面は出てこないんですよ。まあ、引き出せる限界の画が今の画像だったんで、一括前金で受け取っていたら話は別ですけど、ちょっと考えにくいですよね」
「では純粋に男漁りをしていたと?」
 パソコンに取り込んでおいた被害者の資料を見て、薪が首を傾げる。そうなのだ。それは彼女のイメージではない。
「人は見掛けに依らないものですけど。違和感ありありですよね」
 見た目もそうだが、その後の彼女の暮らしぶりや交友関係の狭さからして、男を渡り歩くタイプの女性とは思えないのだ。これだけ多くの男性を落とせる気概があったのなら男友達の一人や二人、いてもよさそうなものではないか。
「なんらかの理由で不特定多数の相手との行為を強要されていた、と考える方が自然かもしれないな」
「暴力団絡みでしょうか。借金とか」
「違うな。連中はあんな殺し方はしない」
 薪の言う通り、彼らの殺しは散文的だ。裏切り者に対する見せしめでもなければ、遺体を逆さに吊るすなんて手間は掛けない。子供を暴力団の裏切り者と考えるのは無理がある。

 画面に顔を近付け、真剣に手がかりを探す薪に、青木は気になっていたことを尋ねた。
「この画は本物でしょうか」
 被害者は薬を服用していた、然るに幻覚を見ていた可能性が高い。幻覚は視界の中心付近に現れるのが普通で、焦点から外れたこのような場所に映っていることは稀だが皆無ではない。
「MRIのセオリーから言えばそうだが」
 薪は右手をくちびるの下に当て、ほんの数秒考えていたが、すぐに腹を決めたようだった。迅速な対応が必要とされる警察の捜査に於いて、決断の早さは優れた上司の重要な条件だ。

「青木。この画を僕の端末に送ってくれ。それと報告書」
「え。これ、上に報告するんですか」
 問題の画を掘り出したのは青木だが、薬のこともあるし、この画が現実である自信はない。こんな曖昧な根拠で報告書を上げて大丈夫だろうか。
「もしも現実だったらどうする。調べて何も出なければそれに越したことはない」
「分かりました。明日、報告書をまとめます」
 薪らしいと思った。職務に対して真摯で、手間を惜しまない。そして。
「なにを呑気なことを言ってる。今すぐやれ」
「え。だってもう8時だし」
「心配するな。オードヴィの予約は取り消しておいた」
 青木とのディナーはもっと惜しまない。
「うっ、ううっ」
「泣くな! 泣く暇があったらさっさと報告書をまとめろ!」
 こういうところは6年前からちっとも変わらない。青木は画面を涙で霞ませながら、報告書作成のためのシステムを起動させた。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

蛇姫綺譚(3)

 日曜日、横浜の原画展に行って参りました!
 土曜日の夜に行けることが決まったので、お友だちに声を掛ける暇もなく、今回はオットと一緒です。

 1巻の原画は初見でしたが、10年以上も前の作品とは思えないクオリティの高さでした。
 大変失礼ですが、漫画家さんの中には、「最初ひどかったけど上手くなったなあ」とか、「昔はよく描き込んでたのに最近デフォルメ強すぎて残念」という方もいらっしゃると思うのですけど、清水先生の場合はそれが全くないのが素晴らしいと思います。
 10年前から、てか、デビュー当時からレベル100で、最近はもう人間のレベル超えたんじゃないかってくらい美しい絵を描かれて、しかもアングルや構図なんかどうやって思いつくんだろうって不思議になるくらいカッコよくなってきて、この人あれだ、
『進化する神』
 オットにはそう説明しておきました。

 原画の並びは順不同でございました。
 秘密未読のオットが、「これ、どっちから読むの?」と訊くので、番号順に指差して行ったら「覚えてるの?」てドン引かれましたけど。聞いておいて引くってどういうこと?

 
 店員さんに聞いたら、原画展は9月一杯やってるそうです。
 コミックス2,3巻同時購入特典のクリアファイルも在庫有り、でしたので、まだの方はぜひ!

 *開催会場を追記しておきます。
  有隣堂書店 横浜西口ザ・ダイアモンド店
  地図はこちら  (ぽちると案内図に飛びます)




 さて。
 お話の続きです。
 本日もよしなにお願いします。



蛇姫綺譚(3)






「すごい田舎ですねえ」
 運転席の感心したような声に、薪は書類から眼を離して顔を上げた。少し気分が悪い。砂利道を跳ねる車内で細かい文字を追っていたせいか、車に酔ったらしい。
 窓を開けて風を入れる。閉塞感は緩和されたが爽快感は得られなかった。顔に当たるのは夏の盛りのむっとするような空気。今日も文句なしの真夏日だ。

「オレの田舎よりすごいです。30キロ走って車一台通らないなんて、本当にこの先に町があるんですか?」
「心配するな。道は一本道だ。方向音痴のおまえでも迷いようがないはずだ」
 青木の疑問に皮肉を返し、薪は小さく呟いた。
「捜一の資料が正しければな」
 捜査一課から預かった資料を封筒に戻し、薪は物憂げに車窓を眺める。捜一から資料は借りられたものの、捜査協力は得られなかった。抽出できたMRI画像が曖昧過ぎたのだ。

 もとより、MRI画像には証拠能力がない。MRIに映っている容疑者を逮捕するためには裏付け捜査が必要だ。宮原さつきの事件も、工務店の男を探し、彼の同僚や家族から話を聞き、アリバイを確認し、任意同行の上で自白に追い込んでいる。MRIだけでは犯人を見ることはできても捕まえることはできないのだ。
 その理由は、MRI画像が人間の脳から生み出された映像であることに尽きる。
 MRI画像は当事者の主観が強く表れるため、現実とは違った映像になることがある。例えば酷い暴力を受けた時など、相手の顔が本物の鬼のように映るのだ。これではモンタージュが作れない。
 そう言った一面が、MRI捜査全体の証拠能力を引き下げている。最先端の科学技術を駆使して人間の脳から取り出したMRI画像が、科学的根拠に乏しいと言う理由で証拠にならない。何とも皮肉なことだ。

 幻覚と現実の見極めは捜査官の力量に掛かってくるわけだが、人間のすること、絶対はないと言われてしまうと否定はできない。これを改善するには法から制定しなければならない。
 現行の裁判制度では、有識者の意見を付与することによって様々な状況証拠が物証に劣らない威力を発揮する。医療裁判における医学者の証言、精神鑑定における精神科医の診断等がその例だ。それに追随する形で、MRI捜査官による検証制度を作れないかと薪は考えている。その際、第九の捜査官に検証させたのでは身贔屓を疑われるから、アメリカやフランス等、利害関係を生じない第三国者に検証してもらう。他国のために誰がそんな面倒を、と失笑されそうだが、何処の国のMRI捜査でもこの問題は付いて回るはず。他国に出向く必要はなく、データのやり取りをするだけだからそれほどの手間は掛からない。互いに協力体制を整えれば実現可能な話だし、双方の利になるはずだ。
 ただし、今回のように熟練した捜査官でも判断が難しい場合には、やはり現場での検証が必要となる。その場合の規約をどのように定めるかは今後の課題であるが、まずは裁判で確かな証拠としてMRI画像が認められる道を作ること。それが自分にできる、第九室長としての最後の仕事だと思っている。

 それはさておき。
 捜査一課の協力が得られないとなれば、自分たちで行動するほかはない。積極的に行使することは少ないが、第九には独自の捜査権が認められているのだ。
 そんなわけで、被害者、宮原さつきの生まれ故郷、N県K市に二人は来ている。

 例の殺害シーンが映っていた5年前、捜一の調べに依れば宮原さつきはN県の田舎に住んでいた。東京に出て現在の会社に就職したのが4年前。21歳まで、彼女は地元で暮らしていたことになる。
 親兄弟もいない彼女が、20年以上も住んでいた土地を離れるからにはそれなりの理由があったはずだ。それもまた、あの画が真実である可能性を高める。何よりも青木が。
 初めて、捜査官としてのカンを働かせて掘り当てた事件なのだ。他の誰も気付かなかったのに、青木だけが彼女の異常性に気付いた。調べもせずにお蔵入りなんて、そんなことはできない。強い決意のもと、雹のごとき中園の厭味を潜り抜け、小野田の冷たい視線を黙殺し、3日間の猶予を捥ぎ取って来たのだ。

 そこまで考えて薪は、はたと気付く。
 もしかして、これって公私混同? いや、第九の誰が言い出したことでも調べたさ。岡部はもちろん今井でも小池でも、あ、曽我はちょっとビミョーかな……。

 軽く首を傾げた瞬間、何かに突き飛ばされたように薪の身体が前に振られた。下腹にシートベルトがめり込んで、思わず呻く。
「すみません、大丈夫ですか」
「なんだ。曽我の呪いか」
「は? 曽我さんがどうかしましたか」
「いや、なんでも……お」
 車の運転なら総理大臣の運転手にも引けを取らない青木が急ブレーキなんて、どうしたことかと思えば砂利道の上に障害物。それは一匹の蛇であった。右の草むらから左の草むらへ移動中だったらしい。ノンブレーキで轢いてしまったと見えて、細長い身体が2つに轢断されていた。

「砂利道が保護色になって。見えませんでした」
「白蛇か。珍しいな」
 舗装道路なら白い蛇は目立っただろうが、砂利道、それも再生材を使用した白っぽい砕石道路で白蛇を見つけるのは、自転車でも難しかろう。
 青木は路肩に車を停め、道に降り立った。交通の障害になる死骸を片付けるつもりらしいが、果たして。

「ふわっ、ひっ、ひゃっ」
 情けない悲鳴が聞こえてくる。青木は蛇が苦手なのだ。その証拠に、動物園の爬虫類ブースではいつも無言になる。蛇特有のぬめるような肌質に生理的恐怖を感じる人間は多いが、彼もそうなのだろう。見かねて薪は車から降りた。
「おまえはサル以下か」
 青木は素手で蛇の死体を動かそうとしていた。その辺に落ちている棒切れか何か使えばいいものを。
「でも。この蛇はオレが轢いたんですから」
 まったく青木らしい。苦手な相手にも誠実を尽くそうとする。薪にはできない芸当だ。
 薪は「やれやれ」と大仰に肩を竦め、長々と地面に横たわった白蛇の死骸を両手で持ち上げた。慌てて青木が手を差し出す。
「薪さん、大丈夫です。オレがやります」
 薪に被害が及ぶとなれば、生理的嫌悪など消えてなくなる。こと薪に関してだけ、青木は時々人を超える。
「僕も乗ってたからな。同罪だ」
 もう半分を持って来い、と薪が命じると、青木は、目を背けながらではあったが、半分になった蛇の尾っぽの方を子猫でも持ち上げるようにそっと両手に乗せた。

「で。どうするんだ」
「この辺りに埋めてあげましょう」
 言うと思った。交通の邪魔にならない場所に捨てておくとか、そういう発想は青木にはない。
「穴はおまえが掘れよ」
「はい。――あの樹の下にしましょう」
 田舎道の両側は我が物顔でのさばる雑草と、その花の小さな紫色に覆われていたが、5メートルほど先に1本だけ、大きな樹が佇んでいた。樹が養分を吸い上げてしまうのか、その周りだけ草が少ない。墓も作り易そうだった。

 穴は青木が掘ったが、土をかけるのだけは手伝ってやった。白く細い身体を渦巻の形に丸くして、暗い穴の底に収まった姿を見れば、青木ほどではないが可哀想なことをしたと思う。彼の仲間たちは今この瞬間も夏を謳歌しているのに、こいつには微生物に分解される未来だけが待っているのだ。
 隣で、簡素な墓に向かって屈み、汚れた手を合わせる青木の横顔に、少しでも白蛇の魂が救われてくれることを願った。

「青木、そろそろ」
 薪は立ち上がって出発を促したが、青木は一心不乱に蛇の冥福を祈っている。まったくもって青木はやさしい。こんな行きずりの爬虫類にまで、それは自分には持ちえない美徳だ。職務中の寄り道だということも忘れて、惚れ直してしまいそうに――。
「青木?」
 青木の唇が小さく動いていることに気付いて、薪は再度屈んだ。顔を寄せ、じっと耳をそばだてる。すると、
「祟らないでください、呪わないでください、お願いします、お願いしま、痛っ」
 自己保身かよ! 惚れ直して損した!

「なに非科学的なこと言ってんだ。それでもおまえは第九の捜査官か」
「だってっ。白蛇は神さまの使いだって昔から」
「ああん? アクマの間違いだろ」
 エデンの園で、アダムとイヴを唆して知恵の実を食べさせた。どちらかと言うと悪いやつだ。
「白蛇は特別です。ご神体として祀ってる神社も、だから蹴らないでくださいよっ」
「白蛇に特別な能力なんて無い。白化現象を起こしてるだけで蛇は蛇だ。祀り上げられて、できもしないことを期待される方も迷惑だ」
 行くぞ、と厳しく追い立てると、青木はようやく腰を上げた。車に戻り、汚れた手をウェットティッシュで拭う。車をスタートさせると、5分も走らないうちに市境界の印の立札を見つけた。珍しいことに、今どき木札だ。大分古いものらしく、「ようこそ」と書かれた文字の下にはK市の名前があったのだろうが、風雨に晒されて消えてしまっていた。

 やがて、点在する民家が見えてきた。
 立札に相応しいレトロな風景で、揃いも揃って年代物の民家の周りは一面畑だ。胡瓜やトマト、南瓜などの夏野菜がたわわに実っている。夕飯の野菜料理が今から楽しみだ。
「なんだ、すぐ傍まで来てたんですね。その割には人の姿が見えなかったけど」
 これだけ田畑が広がっていれば、住民たちはその殆どが農業人で、昼間は畑仕事で忙しいのだろう。天気の良い日にふらふらしている者などいないのだ。

「あれっ?」
 青木が訝しげな声を出したかと思うと、アクセルを緩めた。蛇を轢いた時ほどではないが、前方へと身体を振られて、薪は足を踏ん張った。
「どうした」
「いえ、急にナビが消えちゃって。どうしたんだろう」
「故障だろ。公用車だからな。予算的にも車検が精一杯でナビの整備まではなかなか、――うん?」
 車のナビゲーションの代わりにスマホの地図アプリを起動させたが、『ページを表示できません』とエラーが出た。見ると、右上に圏外の文字。これではルート検索が使えない。
「嘘だろ」
 海の中でも携帯電話が使えるこの時代に、圏外って。

「困りましたね。道を訊こうにも人の姿は見えないし。どっちへ行けば」
 二人が目指しているのは地元の警察署だ。管轄外の場所で勝手に捜査をするわけにはいかないから、電話で話は通しておいた。先方に自分たちが行くことは伝えてあるから、電話さえつながれば道を訊くことも迎えに来てもらうこともできたのだが。
 困惑する青木に、後部座席から薪の落ち着いた声が聞こえた。
「そこ、右だ」
「え」
「5キロ走ったら左。川を渡って12キロ先に消防署。その裏手が警察署だ」
 目を丸くする青木に、薪はルームミラーの中から話しかける。
「昨日、地図を見ておいた。道の形状と大体の距離しか覚えてないけど、何とかなるだろ」
「薪さんの頭の中ってどうなってるんですか」
「頭蓋骨の下に髄膜、大脳に覆われるように脳梁と脳弓、その下に間脳、更に下に脳幹があって」
「いや、脳の構造についてレクチャーを受けたいわけでは……もういいです」
 人に質問しておきながら答えを途中で遮った青木に薪は些少の苛立ちを感じたが、何も言わずに引き下がった。我ながら現金なことだが、久しぶりの現場で機嫌がよいのだ。薪は微笑さえ浮かべて背もたれに寄り掛かり、どこまでも広がる田畑の風景を眺めた。

 しばらく走ると、畑で働く男たちの姿が見えてきた。意外なことに若者の姿が目立つ。今や第一次産業に従事する若者は絶滅寸前だと聞いていたが、この地域では率先して農作業に臨む若者が大勢いるらしい。頼もしいことだ。
 逆に、女性はひどく少なかった。
 特に若い女性は皆無で、背中の曲がった老婆しか見かけない。えらく偏った人口ピラミッドだが、地方では珍しくない。農家の嫁は重労働だ。成り手がいないのだろう。
 こんな処に竹内が来たら30分と我慢できまい。老婆たちが集団で豆をむしっている大豆畑の真ん中に放り込んでやりたいものだ。想像して薪は、薄く笑った。



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ジャンル : 小説・文学

蛇姫綺譚(4)

 5連休ですね。みなさんはいかがお過ごしですか?

 うちは、
 仕事です! 5日とも!!
 だって……あんなに雨が続いたら工期に間に合わないよ……。

 てなわけで、シルバーウィークも通常運転でございます。
 本日も広いお心でお願いします。





蛇姫綺譚(4)





「あれっ。あれあれ?」
 川を渡って5分ほど走った頃、またもや青木が騒ぎ出した。
「どうした」
「いや、エンジンの調子が……あ」
 プスン、と車は空気の抜けるような音を出し、ガクンと車体を揺らして止まった。今度は竹内の呪いだろうか。
「おかしいなあ。ちゃんと点検済みのものを借りてきたのに」
「整備したやつがいいい加減だったんだろう。帰ったら整備部に文句を言ってやる」
 ちょっと見てみます、と青木はボンネットを開けた。車オタクの青木は車のメカ構造にも詳しい。エアロパーツの取付けはもちろん、ドライブレコーダーやナビは自分で配線するし、簡単な故障なら自分で直す。こと車に関して、薪の出る幕はない。

 薪が車の中から様子を伺っていると、青木はトランクから工具を取り出し、本格的にエンジンをいじり始めた。これは時間を食いそうだ。
 薪は車から降りた。
 見渡す限りの広大な畑が広がっている。土と草の匂い。明るい日差しの中、人々は農作業に勤しみ、空ではヒバリの声がする。のどかな農村の風景であった。

 薪は小石を踏み分けながら砂利道を進み、目に着いた畑の、一番近くで畝を作っていた男に話し掛けた。
「お仕事中にすみません。警察に連絡を取りたいのですが、お宅の電話を貸していただけませんか」
 車の故障で約束の時間に遅れそうだから相手方に連絡をしなくてはならない。しかし、携帯電話は使えない。公衆電話も無いから誰かに家の電話を借りるしかない。
「警察? なにか、困りごとかね」
 金でも落としんさったか、と心配そうに尋ねる男に薪は顔をほころばせた。一般に田舎の人は警戒心が強く、余所者を歓迎しない傾向がある。以前、青木が誤認逮捕された町などはその典型で、薪は大層辛い思いをした。
 ここの住民は余所者にも親切でやさしい。こんな風に思いやりの心に満たされた土地柄なら、あの孤独を絵に描いたような宮原さつきも、きっと孤独ではなかったはずだ。荒れた生活をしていたようだが、それでも彼女はこの町を出るべきではなかった。

「僕は東京から来た刑事です。こちらの警察の方と約束がありまして」
「東京の刑事さんが、こんな田舎になんの用ね」
「宮原さつきさんと言う女性について調べています」
「宮原?」
「5年ほど前まで、こちらに住んでいたはずですが。ご存じありませんか」
「知らんなあ」
 宮原さつきの家は、この近所ではないらしい。
「では、5年ほど前に事故、あるいは行方不明になった子供に心当たりはありませんか。3、4歳の、男の子だと思うのですが」
 二番目の質問にも、男は首を振った。それほど期待して訊いたわけではなかったが、幸先の悪いことだ。
 薪が少しだけ眉を寄せると、男は持っていた農具を畝の傍らに置き、手に付いた土を落とすためにパンパンと手を叩いた。
「駐在さんには俺から連絡しちゃるけん。あんたら、車がエンコしたんやろ。迎えに来てもらえるよう頼んじゃるわ。そこで待っとって」
 そうしてもらえると助かる。薪は素直に礼を言った。

「ひゃあっ!」
 男が自宅に戻りかけた時だった。青木の悲鳴が聞こえた。
 驚いて振り向くと、青木が飛びのくように車から離れるのが見えた。さては焼けたエンジンを触って火傷でもしたのかと、薪は慌てて彼に走り寄った。

「怪我をしたのか」
「あ、違います。ちょっと驚いただけで……でも、こんなことって」
 口に手を当てて眉をしかめる青木の様子に、薪もエンジンルームを覗き込む。ラジエーターやバッテリーの周りを埋め尽くすコードやチューブに混ざって、そいつらはいた。
 それは3匹の蛇だった。青、緑、赤とそれぞれ色が違う。焼けたエンジンルームの中で、それらは息絶えていた。肉の焦げる臭気が辺りに漂う。
「どうやって入ったんだ」
「ボンネットは割と隙間がありますから、それほど珍しいことではないんです。ただ」
 3匹って言うのはちょっと、と青木は語尾を濁し、困り果てた表情で薪を見た。ここにきて4匹目の蛇だ。夏だから蛇が出てくるのは自然だが、その悉くを死なせてしまっているのだ。少々、気味が悪い。

 とにかく、この死骸を取り除かねばならない。焼けた部品に触らないように気を付けて、彼らを外に出した。先ほどの白蛇同様、埋葬してやりたいところだが、周りは畑ばかりだ。誰だって自分の畑に蛇の死骸を埋められるのは嫌だろう。
 ひとまず、ここへ来る途中に立ち寄ったコンビニの袋に入れた。障害物が無くなったから車も直るかもしれない。青木はスパナを握り直し、薪は蛇の死骸をトランクに入れようと車の後部に回った。
 トランクには、3日分の着替えを詰めたボストンバックが2つと、私服に着替えた時のための薪のスニーカーが置いてある。その横にビニール袋を置いた。
 と、そこに人影が差した。振り返ると先ほどの男だった。警察署と連絡が取れたのだろう。親切な男に薪はにこりと笑いかけた。

「ありがとうございます。先方は、なんて?」
「警察は来ん」
「え。それは何故」
「あんたたちは蛇姫さんの使いを殺した。このまま帰すわけにはいかん」
「は? 一体なんのこと」
 周りを見ると、いつの間にやら囲まれていた。農民たちは怒りに眼を赤く濁らせて、手に手にショベルやら鍬やらを持っている。たった今まで農作物に命を吹き込んでいた農具が人の命を奪う武器になるのだ。農村てこわい。

「みなさん、落ち着いてください。僕たちは何かあなた方の気に障ることをしてしまったのかもしれませんが、決して悪気があったわけでは、わ!」
 言葉半ばで、薪の足元に鍬が振り下ろされる。こいつら、目がイッちゃってるぞ。
「申し開きは儂らではなく、蛇姫さまにしろ」
「ヘビ? 蛇がなんだって?」
「なんてバチ当たりな。蛇姫さまを知らんのか。あのありがたい神さまを」
「神さま?」

 これは厄介だ、と薪は思った。
 田舎に良くある土地神信仰と言うやつだ。この辺では蛇姫とやらが神さまで、蛇はその使いだと信じられているのだろう。それをいっぺんに3匹も殺してしまった余所者――本当は4匹なのだか――に対する制裁を、彼らはこの場で加える気なのだ。
 相手は5人。武器を持っているとはいえ、全員素人だ。2、3人投げ飛ばせば恐れをなして引き上げてくれるかもしれない、と薪が構えを取って腰を落とした時。

「薪さん、乗ってください!」
 ラッセル車のように突っ込んできた青木は、一気に3人の男を跳ね除けた。タイミングを逃さず、薪は車の中に逃げ込む。体格と腕力に物を言わせ、青木は更に2人の男を薙ぎ倒し、運転席に乗り込んだ。
 砂埃を立てて車が急発進する。さすがに、追いかけてくる者はいなかった。

「ああ驚いた。田舎って怖いなー。たかが蛇が死んだくらいで」
「だから祟りですよ! さっきの白蛇のタタリ!」
「あれは祟りって言わないだろ。完全に人災だろ」
 蛇を崇め奉っている前時代的な村で、たまたま運悪く蛇がボンネットから侵入して死んで、それを土地の者に見られただけのこと。帰りは別の道を通れば済む話だ。あの暴力的な教義は問題があるが、それこそ余所者が口を挟むことではない。
 小心者の青木が小声で白蛇の成仏を祈り続ける横で、薪はさっさとその事件を頭の中から追い出した。

 が、後から振り返るに、これは青木の方が正しかった。
 この時、彼らはすでに捕えられていたのだ。人智を超えた恐ろしい蛇姫の呪いに。



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蛇姫綺譚(5)

 新しいお話を書いてるんですけどね。(わたしだけが)面白いのよ、これが。
「破壊のワルツ」や「破滅のロンド」みたいな事件もので、滝沢さんも出てくるし。←生きてるの、ごめん。
「題名は『モンスター』って言うのよ」てオットに話しましたら、
「ありきたりだな」て返されました。
 どーせネーミングセンスないわよ。ふん。





蛇姫綺譚(5)





 目的の警察署には、午後の3時に到着した。

 薪の道案内は途中までは合っていたが、川を渡ってからは少し違っていた。目印の消防署が見当たらず、一度は通り過ぎてしまったのだ。橋を渡って20キロ走っても着かなかったので一旦引き返し、すると青木が小さな交番を発見した。車を停めて聞いてみれば、地元の警察はここだけだと言う。
「薪さんにも記憶違いってあるんですね」
「悪かったな。いいだろ、着いたんだから」
 なんだか妙に嬉しそうな青木の横顔を見上げながら、薪は心の中で首を傾げる。
 記憶が飛ぶことは結構ある。したたかに酔ったときとか、その勢いで青木と、まあそのなんだ、朝になると自分が何をしたか憶えていないことが殆どだ。しかし、記憶違いはしたことがない。何年も前の記憶なら他の記憶と混じることもあるかもしれないが、地図を見たのは昨夜のことだ。それなのに。

 交番のギイギイいうパイプ椅子に並んで腰かけて、年老いた巡査が淹れてくれた麦茶を啜りながらこそこそ話す。巡査は田崎と名乗った。
 田崎巡査は二人に背を向けて、しばらく電話を耳に当てていたが、やがて二人を振り返り、申し訳なさそうに口を開いた。
「すまんの。相方が聞いとったんやろうけど、電話に出んけん」
 警察官たるもの、非番の日でも連絡は取れるようにしておくものだ。他部署の指導に口を挟む気はないが電話にも出ないなんて、と思いかけて気付いた。この土地では携帯電話が使えないのだった。となると彼からの定時連絡を待つしかないが、時刻は午後3時。すぐに捜査に取り掛からないと、今日の進展はゼロだ。

「電話では、宮原さつきさんの資料を用意しておいていただけると」
「預かっとりませんねえ」
 随分無責任な話だが、地元警察の協力なしに捜査をするのはご法度だし、現実的にも無理がある。田舎の人間ほど余所者に対する警戒心は強い。薪は経験上、そのことを知っていた。顔見知りの巡査の紹介でもなければ、話も聞いてもらえないだろう。
「なあに、安心してつかあさい。わしが協力しますけん」
 田崎巡査は皺だらけの顔をくしゃりとほころばせ、とん、と自分の薄い胸を叩いた。
「わしゃあ、この村の駐在を勤めて40年になる。この蛇神村のことで知らんことはない」

 薪は思わず椅子から落ちそうになった。すでに町の名前から間違っている。この巡査、少々ボケが始まっているらしい。
「オレたち、町村合併の前の時代にタイムスリップしちゃったみたいですね」
「あほか。単なるボケ老人だろ」
「薪さん。そういう直接的な言葉は各方面からの反感を買いますよ」
 SF仕立てに皮肉る方がよっぽど嫌味だと思うが。

 認知症とまでは行かずとも、警察官としては完全にアウトだ。市名と同じく、彼は自分の勤務年数についても思い違いをしている。いくら地方の交番とは言え、警察は40年も同じ人間に一箇所の交番業務を預けたりしない。地元業者との癒着が起きるからだ。
「治安の良い田舎の交番勤務とは言え、こういう人が担当で大丈夫なんでしょうか」
「あの年じゃとっくに定年だろ。代行のシニア巡査じゃないのか」
 シニア巡査と言うのは元警察官で、県警本部が認めた交番業務の代行要員だ。今日は正規職員の巡査が非番で、彼が留守を預かっていたと思われる。

「宮原さんの家なら村外れじゃが。今は誰もおらんよ」
 天涯孤独の身の上だと聞いていたから、それは承知の上だ。それでも、近隣の者に彼女の話を聞くことはできるだろう。
「ここからじゃと来た道を戻るようになるの」
 簡単な手描きの地図を渡されて、二人は顔を見合わせた。この地図に従うと、トラブルに巻き込まれた畑の道を通ることになる。
「他の道はありませんか」
「あるにはあるが。遠回りになるけん」
「多少遠回りになっても構いません。そちらの道を教えてください」
 懇願する青木に、老巡査は疑わしげな視線を向けた。無理もない。これから捜査に向かうのに、わざわざ時間の掛かる回り道を尋ねられたのだから。

「実はここに来る前に」
 青木は畑であったことを正直に話した。厳密に言えば村人たちの行為は暴行罪に当たり、巡査は勧告なり厳重注意なり何らかの行動を起こすかもしれない。すると捜査がやりにくくなる。だから黙っていたのだが。
「そりゃあ災難だったの」
 話を聞いた老巡査が苦笑したのを見てホッとした。事件にする気はないらしい。
「蛇姫信者の中には血の気の多い者もおるけん。大層美人の神さまという話じゃからの。男衆には人気があるんじゃろ」
 一見して、若い女性の少ない村だ。神さまが美女と言うのは納得できる話だ。
「蛇神のご利益は金運が多いみたいですけど、美しい女性神なら恋愛のご利益もあったりします? ――痛っ」
 意気込んで尋ねた青木の足を、薪は机の陰で蹴り飛ばす。もしもあれば参って行こう、そう考えているのがバレバレの顔だったからだ。涙目で見られたから、僕は行かないぞ、と睨みつけた。

「蛇姫は子宝の神さまじゃよ。蛇姫に祈れば、長年子供のできない夫婦はもちろん、女の機能を失った女、果ては男でも身籠ることができるそうじゃ」
「へえ。それはなんと言うかその、強烈なご利益ですね」
「言い伝えでは、蛇姫は元々は男神での」
 老巡査が語った伝承によると、この村は昔から女性が少なかったそうだ。そのために何年もの間赤子が生まれない年が続き、村の存続が危ぶまれた。そこで村の衆が蛇神さまに相談したところ、神さま自ら女になって何人もの子供を産み、村を救ったと言う話だった。
 世の中には色んな神さまがいるものだ。その多くは困窮した人々が作りだした自分たちに都合の良い夢物語。女性が少なく、子宝に恵まれ難かったこの村の、それが願望だったのだろう。

「なんでもありですね」と失笑する薪を、巡査は老人特有のやや横柄な目つきで見た。それから「よっこいせ」と立ち上がり、作りつけの戸棚から古い地図を取り出した。
「普段使わん道だでの。あんた、見てくれんか。細かい字はよう見えんけん」
「田崎さん。こちらの方は」
 警視長をあんた呼ばわり。焦った青木が思わず口を挟むと、
「かまわん。年長者には敬意を払わんとな。僕たちの大先輩だ」
 薪は飲んでいた麦茶のコップを静かに机に置き、田崎から地図を受け取った。捜一の資料に書かれていた被害者の住所を索引から調べる薪に、田崎は小声で、
「余計なお世話かもしれんがの。あんた、もう少し口の利き方に気を付けた方がええよ」
 しまった。小さい声で言ったつもりだったが、ボケ老人発言を聞かれていたか。ここは謝ってしまった方がいい。

「すみません。失礼なことを言いました」
「わしに謝ることはねえ。あんたの上司に言いなせえ」
「は?」
「いけんよ。上司にはもっと丁寧な言葉を使わんと」
 こらクソボケジジ、いやその、誰が誰の上司だって?
「あの上司も悪い。わしの若い頃は、上司にあんな口をきいたら拳が飛んできたもんじゃ。要は、上のもんが甘やかすから若いもんが付け上がるんや」
 上司と部下の適切な言葉使いを理解しているくせに、僕が上司となぜ気付かない!
 カチンときたが、ムキになって誤解を解きにかかるほど薪も子供ではない。相手は70過ぎの老人だ。老眼もだいぶ進んでいるようだし、多少のカン違いは仕方ない。
「あちらさんの気持ちも分かるがなあ。おまえさん、可愛い顔しちょるけん」
 とうに40を超えた男を捕まえてカワイイとは何事、いや、相手は自分の親のような年齢なのだ。子供扱いされても仕方ない。
「女子(おなご)は得じゃの」
 その干からびた体、交番の窓から外に放り投げてやろうか。
 目的地までの道筋を地図に書き込む巡査の後ろで、薪はこっそりと呪詛の言葉を吐いた。

「この道じゃと、車使うても30分くらいはかかるかねえ」
「結構広い町なんですね」
「田舎だで。土地だけはあるさあね」
 老巡査の言葉通り、その道は大きく迂回している分距離はありそうだ。街中を抜けるルートらしく、役所や文化センターなどの公共施設が道沿いにあった。目的の家の近くには浄水場もあり、それらが目印として役立ちそうだった。
 設備投資の少ない田舎の交番で、コピー機なんて便利なものはないから地図を携帯のカメラで撮影することにした。ついでに確かめたが、電波は圏外のままだった。

 それから二人は、田崎巡査から宮原さつきについての情報を得た。両親は彼女が20歳の時に亡くなったこと、翌年の春、21歳の時に上京し、それきりここには帰ってこなかったこと。多くは一課の資料の確認であったが、中には有益な情報もあった。彼女の出生についてだ。
「さつきちゃんは、宮原の実の娘じゃなくての」
「養女ですか。本当の親は何処に」
「分からん。そこまでは知らんよ」
 この村のことなら何でも知ってるんじゃなかったのか。
 まあいい。その辺りのことは近隣への聞き込みで判明するだろう。

「もうひとつ。5年ほど前、この町で子供が行方不明になったことはありませんでしたか」
 宮原さつきの故郷の事件は、昨日のうちに調べてきた。5年前、子供が被害者になった事件は無く、誘拐事件もなかった。可能性があるのは事故として処理された事件と、行方不明者だ。これは地元の警察でないと分からない。事件にならなければ公式記録には残らないからだ。
「子供?」
「ええ。3、4歳くらいの男の子だと思うんですが」
 田崎巡査は首を横に振った。こういう田舎町で子供がいなくなれば大騒ぎになるはずだ。5年前とは言え、駐在の記憶にも残っていないのではこの線も薄いか。
「さつきちゃんとその男の子と、何か関係があるんかい」
「それは言えません。すみません」
「いや、捜査上の秘密なら仕方ない。しかし、さつきちゃんは特に子供好きということもなかったと思うがなあ。物静かで、家にこもって本ばかり読んでる娘じゃった」

 それ以上、巡査から得られる情報はなかった。
 薪は念のために地図をもう一度見てルートを頭に叩き込み、二人は交番を後にした。


 二人がいなくなった後、田崎巡査は1本の電話を掛けた。
「今、こっちを出たところじゃ。後はよろしくの」

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ジャンル : 小説・文学

蛇姫綺譚(6)

 ご無沙汰しております。
 更新遅くなってすみません、てか、お返事!!
 めっちゃ遅くなってごめんなさい~!

 秋になりまして、やっと始まりました入札ラッシュに巻き込まれてたのもあるんですけど、
 本命は、今頃になって夏の疲れが出たのと、 
 SS書くのが楽しくて。←大本命。

 いい加減、この癖をどうにかしないと誰にも相手にされなくなっちゃう~~。
 色んな意味で、どうか広いお心でお付き合いください。


 あ、あと、
 拍手コメに無記名で「困ります」って入ってたんですけど、
 何が困るのか具体的にどうして欲しいのか、よく分からなかったの~。
 お心当たりの方は、お名前無くてもけっこうですので、何が困ってどういう風に改善して欲しいのか、ご要望があったら書いてください。コメントは非公開も受け付けてますので、どうぞご遠慮なく。
 応じられるとは限らないのですが、でもってレスポンスも遅いんですけど、できるだけの対応はさせていただきます。よろしくお願いします(^^

 


蛇姫綺譚(6)





「本当にこの道でいいんですか?」
「ああ、間違いない。……はずなんだけど」
 助手席の窓から首を出して、薪はぐるりと辺りを見回した。
 青木の疑問は当然だった。既に20分は走ったのに、周りは相変わらず畑ばかり。途中、役所や文化センター等の公共施設があると地図には書いてあったのだから、とっくに街中に着いていないとおかしい。
 道案内を間違えたとは思えない。携帯で撮影した地図にも書いてある、一つ目の曲がり角はガソリンスタンドを左。しかし、10キロ走ってもスタンドは見えてこなかった。

「変だな。地図が間違っていたとしか」
 言い掛けて薪は、それが言い訳にしか聞こえないことに気付く。自分の過ちを認めないのは男らしさに欠ける。
「いや、すまん。どうやら僕の間違いだったようだ」
 薪が潔く自分の非を認めると、青木はニコニコと笑いながら軽く首を振った。
「いいえ。誰にでも間違いはありますから」
 だからなんでそんなに嬉しそうなんだよ。

「あれっ?!」
 今日、何度目かの青木の驚きに、薪は思わずシートベルトを握りしめる。急ブレーキに備えて足を踏ん張るが、今回はその衝撃は訪れなかった。
「どうした」
「あ、いえ。なんでもないです」
「言えよ。気になるだろ」
「ただの勘違いです。田舎の風景って、どこも似たようなものですよね」
 そう言いながら青木が眼で示した方角には、2時間ほど前、根元に白蛇を埋葬したのと似たような樹が立っていた。
 その枝振りは、遠目にも先刻の樹とそっくりだ。道なりに車を走らせれば自然に近付いてくる、白茶けた砂利道を取り囲む背の高い雑草も、それに混じる小さな紫色の花びらの位置までが、先刻と寸分たがわぬ場所にあるかのように感じられた。

「止めろ」
 命じて、薪は車を停止させた。どうも気になる。
「ちょっと此処で待ってろ」
 言い置いて車から降りる。草を踏み分けて5メートルほど、進めば不意に草むらは途切れて、そびえ立つ大樹が薪を見下ろしていた。
 根元周りを探せば地面を掘り返した跡。そこだけ土が黒々としている。まだ新しい証拠だ。

「不思議ですねえ。いつの間に戻っちゃったんだろう」
 車で待つように命じた部下は当たり前のように薪の後ろに立って、頓狂な声を上げた。あからさまな命令違反だが、対象に、待っていろと言われてバカ正直に待っていたらボディガードは務まらない。
「ていうか、おまえが道を間違えたんじゃないのか」
「そうみたいですね。すみません」
 記憶違いを疑われた腹いせに苛めてやろうかと、思ってやめた。
 此処に来るまでに分かれ道がなかったわけではない。見た目には枝道に見えたそれらの道が実は本線だった、と言うのはよくある話で、ナビの助けがなければ迷子になる確率は案内板の少ない田舎道ほど高い。

「ちょうどいい。さっき、トランクに入れた蛇の死骸を」
「オレもそう思って。持ってきました」
 ついさっき埋めた墓をもう一度掘り返す。今度は薪も手伝った。青木のように祟りを恐れたわけではないが、さすがに4匹目ともなると気が引ける。
 白蛇と同じ穴に3匹の蛇を埋めた。「これで寂しくないかなあ」と呟いた青木に、また少し心が騒いだ。青木は本当にやさしい。

「さて、行くか。最初の分かれ道まで戻って――なんだ?」
 蛇の墓からこちらに視線を移した青木が、しきりに目をこすっている。目にゴミが入ったわけではなく、目を疑う動作だ。それも外した眼鏡の埃をハンカチで拭い、また掛け直すと言う念の入りようだった。

「ま、薪さん。白蛇が薪さんの周りに」
 言われて見回すが何もいない。薪は眉を顰めた。
「身体を這い上がって、胸元まで」
 しっかりと両目を開き、青木は夢を見ている。器用なやつだ。
「お顔のあたりに、わあ!」
「わ!」
 突然叫ばれて肩を跳ね上げる。本当に蛇がいたわけではなく、青木の声に驚いたのだ。

「く、口の中に、ぎゃっ」
「昼間っから気持ち悪い夢を見るな!」
 蹴り飛ばしてやったら青木は黙った。が、足を上げた弾みで薪はその場に転倒してしまった。炎天下に屈んで作業をしていたせいで、立ちくらみを起こしたらしい。

「薪さん!」
 地面に倒れた薪を、青木が慌てて抱き起す。「大丈夫ですか」との声に応えを返そうとして、声が出せないことに気付いた。気分が悪い。頭がガンガンする。どうやら熱中症のようだ。
「すみません、オレが余計なことを。早く車に戻りましょうね」
 軽々と抱き上げられて運ばれた。薪は手に力が入らず、相手の首に掴まって持ち手の負担を減らすことができなかった。それを申し訳なく思ったが、青木には薪の重さなどなんでもなかった。眠ってしまった薪をベッドまで運ぶのはいつものことだからだ。
 蹴られた青木の方が元気なのは何だか納得がいかない。そんなことを思いながら、薪は意識が遠のくのを感じた。



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蛇姫綺譚(7)

 薪さんの年齢が公式発表されましたね。
 2066年で39か40、なんですね。男爵の方が1こ年上ですね。←なんじゃそりゃ。

 あのねっ、
 警察のキャリアって、(現行制度だと)入庁前に6ヵ月程度の警大研修があるんですよ。で、青木さんが第九に来たのは2060年の1月、てことはその時には23才になってるはず。薪さんは青木さんより12歳年上だから、2060年で35歳。その設定で書いてしまったもので、うちの薪さんは2066年には41歳に……。
 書き直し無理なんで、もうこのまま。ごめんなさい。




蛇姫綺譚(7)





 目覚めた時には完全に迷っていた。

 薪が気絶している間に青木は再び車を走らせ、しかしその道程は全くもって間違っていたらしい。起き抜けの朦朧とした薪の眼に映ったのは、どこまでも重なる樹木の連なりであった。
「何処をどう走ったらこんな場所に着くんだ」
「地図の通りに来たはずなんですけど。おかしいなあ」
「おかしいのはおまえの頭だ!」
 普段の低血圧を今だけは返上し、薪は叫んだ。
 日は暮れかけている。一刻も早く、この森から脱出する必要があった。森の中で夜になったら大変だ。日本の森にだってクマと言う立派な猛獣がいるのだ。

「太陽の位置からしてあっちが西か。地図によると町は東だ。このまま進め」
「オレもできたらそうしたいんですけど」
 前に進むことはできなかった。樹木が密集して道を塞いでいたのだ。では回り道をと後ろを見れば、そこにも生い茂った樹木の集団が。
「いったいどうやってここまで来たんだ!?」
「それがいつの間にか……すみません」
 なんて器用なやつだ。道もない所に車を迷い込ませるなんて、方向音痴もここまでくれば超能力だ。

 薪は車から下りて人里を目指すことにした。青木の話では森に入って間もないそうだから、それほど距離はないはずだ。歩いて抜けられるだろう。お腹も空く頃だし、できれば民家が見つかると良いのだが。一食ぐらい抜いても自分は平気だが、大食漢の青木は可哀想だ。

「行くぞ」
「はい。薪さん、お身体は大丈夫ですか」
「ああ。もうなんともない」
 頭痛と吐き気は治まっていた。だるさも取れた。単なる寝不足だったのかもしれない。でも昨夜は割と軽かったのに――思い出しかけて薪は自分にストップをかけた。青木はまだ20代。今日の遠出のために昨夜こそ一度で解放されたが、一晩に3回も4回も泣かされる夜の方が多いくらいだ。疲れが溜まっていたのだ、きっと。

 森の中を歩くうちに日は急速に傾いて、周囲はどんどん暗くなっていった。
 程なく辺りは木漏れ日の風景から薄闇に変わり、同時に、鳥のさえずる声までが明るく可愛らしい小鳥のものからカラスの不気味なそれに取って代わった。カラスに悪気はないのだろうが、暗い森の中で聞くとどうにも気味が悪い。

 その鳴き声に導かれたわけでもなかろうが、二人は行く手にとんでもないものを見つけてしまった。
「ま、薪さん。これ」
 青木が声を震わせる。それは白いワンピースを着た白骨死体だった。樹の幹を背もたれに、座った形で骨になっている。頭蓋骨には未だ、黒髪が豊かに残っていた。
「事故でしょうか」
「……自殺じゃないかな」
 死体の前に屈み、少し考えて薪は言った。骨だけでは死因も分からないが、少なくとも骨折はない。森の中を彷徨ううちに力尽きたと仮定するには、人里が近すぎる。覚悟の自殺と考えた方がしっくりくる。
「サンダルに素足。こんな軽装で森を歩かないだろ」
「殺して、森に死体を隠したのかも」
「発見を遅らせたいなら埋めればいい。……あった」
 薪は骸骨の、投げ出された右手を覆うように伸びた下生えを掻き分け、それを見つけた。透明の小さな薬瓶。中は空だが、鑑識に回せば何らかの毒物が発見されるだろう。薪はそれをハンカチに包み、上着のポケットにしまった。

「白いワンピースは白装束、ですか」
「おそらくな」
 服装から推察するに、若い女性だったのだろう。可哀想だが、今は何もできなかった。ここから出たら地元警察に連絡をして、ねんごろに弔うよう頼むしかない。
 せめてもの哀悼に、黙祷を捧げた。それから二人は元の道に戻ったが、日は完全に暮れてしまった。

 すぐに出られると思ったのに、誤算だった。ほんの少しとは言っても車の速さは徒歩の10倍だ。あるいは車の中にいた方が安全だったか、と後ろを振り返って薪は焦った。車が見当たらないのだ。
「青木。おまえの背丈でも見えないか」
「すみません。オレ、暗い所はよく見えなくて」
 そうだった、青木は鳥目なのだ。それでなくとも黒塗りの公用車は暗がりでは見つけづらい。昼間ならともかく、日が落ちてからでは無理だ。
「まずいな」
 日が沈んでしまったら、方角もよく分からなくなってしまった。こんなところで猛獣に出くわせたりしたら。熊が出るほど深い森ではなかろうが、野生の猪でも充分に脅威だ。テレビで見たことがあるが、物凄い速さで突進してきて体当たりで金網を破るのだ。あの勢いで激突されたら人間の脚くらい簡単に折れる。

 薪が心配する側から、後ろの茂みでガサリと音がした。
 青木と二人、反射的に身を竦める。茂みを震わす音は次第に大きくなり、こちらへと近付いてきた。無意識に手を取り合う。
「薪さん、逃げてください。さすがにクマに勝てる自信はありません」
「クマの足の速さは時速40キロだぞ。逃げ切れるもんか」
 やがて硬直する二人の前に、それは姿を現した。

「「うわあっ!」」
 見事にハモった二人の悲鳴が森に木魂し、驚いた鳥たちが一斉に羽ばたく。舞い散る鳥の黒い羽と木の葉の向こうに立っていたのは、真っ白い髪を長く垂らし、ぎょろりと目を光らせた恐ろしい顔つきの年老いた女。曲がった腰に杖をついた、その姿はまるで。
「だれが山姥じゃ!」
「「言ってません」」
 力いっぱい思いましたけど。

「し、失礼しました。地元の方ですか?」
 バクバクする心臓をなだめすかし、薪は老婆に尋ねた。老婆は曖昧に頷き、薪の足元辺りを胡乱そうな眼で見つめた。老婆の視線を辿ってみると、青木が腰を抜かして地面にへたり込んでいた。なんて度胸のない男だ。
「おぬしら。迷いんさったか」
 はい、と薪が頷くと老婆はくしゃりと顔を歪め、どうやらそれは笑いの表情であるらしい。クツクツという控え目な笑い声が彼女のたるんだ顎の下から聞こえてきた。
「この森は迷いの森じゃ。案内無しには抜けられんから、死にたがりも大勢押し寄せる。そういう連中は放っておくが、おぬしらは違うようじゃの」
 ついと踵を返し、老婆は薪たちの前に立った。袴のようにゆったりとしたズボンに割烹着姿。妙に迫力のある老婆だが、出で立ちから察するに農婦のようだ。
「付いてきんさい」

 後を追おうとして、青木に手を掴まれた。まだヘタってるのか、置いていくぞと薪が脅せば青木はぶるぶると首を振り、
「行っちゃダメです」
 なにを戯けたことを。ここで彼女に助けてもらわなければ、野宿確定ではないか。
「なに言いだすんだ。今の状況、分かってんのか」
「だってあの人、人間じゃないですよ」
「おまえ、失礼だぞ。確かに彼女のビジュアルは人間離れしてるけど」
「人間離れしてるのは薪さんも一緒ですけど、そういう意味じゃないです。あの人は――、待ってくださいよ、薪さん」
 ビビリ男の戯言なぞ放っておくに限る。薪はさっさと老婆の後に着いて歩き、すると予想通り、青木も後ろを着いてきた。

「ありがとうございます、助かりました。お婆さんはこの森にお詳しいようですね」
「当り前さね。わしはこの森に90年も住んどるんじゃ」
「90年? お元気でいらっしゃる」
「独り者じゃからの。元気でないと生きていけぬわ」
 こんなところに老婆が一人で? この町の福祉体制はどうなってるんだ。
「ご不自由はありませんか」
「案内無しには森も歩けんおぬしらの方が、よっぽど不自由だと思うがの」
 これは一本取られた。いま面倒を見てもらっているのは自分たちの方で、その立場から彼女の生活スタイルに口出しするのは大きなお世話と言うものだ。
「おっしゃる通りです。余計なことを言いました」
「まあ無理もないわ。町のもんには想像もつかん不便な生活じゃからの」
「いえそんな。僕は割と昔から田舎暮らしには憧れてて」
 そんな風に薪と老婆は和やかに話しながら歩いていたが、青木は一向に固い表情を崩さなかった。警戒心いっぱいの声音で老婆に向かって、
「森の出口まで案内してもらえれば、そこまででけっこうですから」
 よっぽど老婆の登場の仕方が怖かったのか、青木にしては心無い言葉だった。救いの手を差し伸べてくれた相手に礼も言わないなんて。

「年寄りの眼と足じゃ。明日、明るくなってからでないと案内はできん」
 青木は一刻も早く森を抜けたかったのだろうが、老婆の言い分も尤もだ。彼女も家路に着く途中だったのだろうし、自分たちと別れてから森の中に帰らせるのは逆に心配だ。
「薪さん。やっぱり引き返しましょう」
「行きたきゃ一人で行け、バカ」
 青木はとても困った顔をしたが、暗闇の中、その表情は薪には見えなかった。結局、青木は薪の言葉に従った。

 老婆に導かれた二人は、森の奥へと入って行く。聞こえてくるのは葉擦れの音と、目覚めたばかりのフクロウの鳴き声。暗闇に沈む森の中、ぼんやり灯る提灯の明かり。それはなんとも風情のある日本の夏の夜だった。

 やがて3人は、寂れた古民家に到着する。そこが老婆の家らしい。
 老婆は一人暮らしとの話だったが、それにしては大きな家だ。所々に雑草の生えた重そうな藁ぶき屋根を、自然の形を残した丸太柱がしっかりと支えている。壁も扉も木造りで、コンクリートや鉄筋の類は使われていない。庭には小さな畑があり、自分が食べる分の野菜はここで作っているようだ。その隣には納屋がある。農作業に使う道具や肥料などが置いてあるのだろう。

 日はとうに暮れたのに家に灯りは点いておらず、しかし老婆は迷いなく家の扉を開けて中に入った。
「今夜は泊っていきなんし」



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蛇姫綺譚(8)

 先週の入札、めでたく落札いたしまして。書類作成に追われる毎日となりました。
 多分、来月の頭には現場に出ることになると思います。そうしたらまた月の更新回数は一桁になってしまうと思いますが、どうか気長にお付き合いくださいませ。

 この話、あと10章くらいなので今月中に終わらせ、られるといいなあ。
  


蛇姫綺譚(8)





 家の中は外観を裏切らない造りで、それは大いに薪を喜ばせた。なんと、部屋の中に囲炉裏がある。山間のホテルに泊まった際、ラウンジで囲炉裏のオブジェを見掛けたがそれは飾りに過ぎず、こうして実際に湯を沸かしたり汁物を温めたりして使うのは初めてだ。薪が興奮するのも無理はない。
 夕餉の膳は庭の野菜と、森の中で採れた山菜を中心とした質素なものだったが、これまた薪は大満足だった。煮付けや和え物と言った料理法のため色合いはカラフルとは言い難いが、素材は新鮮で滋味に溢れており、街中のレストランよりよほど美味しく感じられた。

 残念ながら、肉が好きな青木には物足りないようだったが――いや、実は老婆は肉も出してくれたのだ。しかしそれは青木の口に合わなかった。正確には、途中までは喜んで食べていたのが、
「このお肉、美味しいですね。鶏肉ですか?」
「それはカエルの肉じゃ」
 という会話の後、箸が止まってしまったのだ。
 森の中、老婆が一人で自給自足に徹すれば、動物性たんぱく質の摂取ルートは限られる。話を聞くと罠で野鳥や野兎を捕えることもあるそうだが、運と天気に左右される。ここ2,3日、森は雨続きだったそうで、その中で貴重な肉を客人のために出してくれたのだ。食べないのは申し訳ないと思い、薪も勇気を出して口にしてみた。意外と旨い。鶏のささみ肉のような食感で、鶏よりも舌触りが滑らかだった。
「ダメですよ、薪さん。お腹壊しますよ」
「おまえ、さんざん食っておいて今更。カエルはフランスでは高級料理だぞ」
 とはいえ、部位によっては少々生臭い。一切れ食べて箸を置き、薪は「ごちそうさまでした」と頭を下げた。

「お世話になっておきながら、自己紹介もまだでしたね。僕は薪と言います。東京で公務員をしています。こちらは青木。僕の部下です」
 食事の後、口の中を白湯で流して、落ち着いて考えてみたらちゃんと挨拶をしていなかった。遅れた自己紹介に老婆は、「わしはハツじゃ」と名前だけを名乗った。
「東京の人かいの。こんな田舎まで、何しに来んさった」
「宮原さつきという女性について調べています」
 薪は恩人の質問に素直に答えただけで、老婆からの情報を期待したわけではない。しかし老婆は意外なことを言い出した。

「さつきがどうかしたんか」
「え。ご存知なんですか」
「さつきは森の子じゃ。20年間、わしが育てたんじゃ」
「森の子?」
 森の子、つまり捨て子ということらしい。さつきが養女だったことは田崎巡査から聞いたが、宮原家はさつきの戸籍上の親になったに過ぎず、彼女は森に住む老婆に育てられたのだった。本当の親が分からないわけだ。

 この森は『迷いの森』と呼ばれるほどに迷いやすく、そのため自殺者が後を絶たない。その中には親子心中の目的で訪れる者もいる。が、どうしても我が子を殺すことができず、自分だけが死んでしまう親も少なくない。さつきはそういう身の上の子供で、幸運にもこの老婆に保護されて生きることができたのだ。25年と言う短い人生ではあったが、目も開かない赤ん坊のうちに野犬に食われてしまうよりはずっと幸せだったはずだ。

「そんな恐ろしい森だったのですか。ハツさんに助けてもらえて幸運でした」
 今になってゾッとする思いで、薪は礼を言った。
「僕たちが見つけたご遺体も、やはり自殺だったのでしょう。すでに白骨化していましたが、白いワンピースを着ていました。頭部に長い黒髪が残っていて……若い女性だったのでしょう。惨いことです」
「ほう。おぬしら、あれを見たのか」
 あの白骨死体は老婆も知るところだったらしいが、自分には関係ないと捨て置いたのだろう。ここで世捨て人のような生活を送っている彼女には、人間の死体も動物の死体も同じようなものなのかもしれない。

 が、自分で育てた娘となれば話は別だ。
 薪がさつきの死を告げると、何かしら予想はしていたのであろう老婆は沈痛に目を瞑り、深々と息を吐いた。
「そうか。あの娘は死んだんか」
 そう言って開いた老婆の目に涙はなく、しかし。
「バカな娘じゃ。この村におれば長生きできたものを」
 平坦な声音の中にも老婆の哀惜を感じる。幼い頃の宮原さつきはきっと、老婆の心の糧となったに違いない。彼女が世話になった老婆を此処に残して上京した経緯は不明だが、他に頼る者とていない厳しい森の暮らしの中で、実の母娘以上の絆が二人の間に培われたであろうことは察しがついた。
 だから断れなかった。

「一献、付き合うてくれんかの。さつきの通夜じゃ」
 薪は、ハツの盃を受けた。
 ひどく生臭い酒だった。
 小さな盃をなんとか飲み干したが、ひどい悪心に襲われた。頭がガンガンする。昼間の熱中症がぶり返したみたいだ。

「ハツさん、これは」
 なんの酒ですか、と薪の質問は声にならず。思いがけなく床に横たわった薪を、青木が抱き起した。その姿が暗く霞んでいく。
 意識を手放す直前、森の中で見つけた白骨死体の幻が見えた。骸骨は、宮原さつきの顔をしていた。




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蛇姫綺譚(9)

 おはようございます。
 続きです。




蛇姫綺譚(9)





 酷い頭痛で眼が覚めた。
 痛む箇所に手をやろうとして気付く。身体が動かない。手だけではなく、脚も腰も。手首と足首に違和感がある。口にも。どうやら口にテープを貼られ、手足を縛られて床に転がされているようだ。
 暗さに目が慣れてきて、ようやくそこが物置であることが分かる。客間に布団なんて贅沢は言わないが、この扱いはひどくないか?

 薪は口封じのテープの下で苦しい呼吸を繰り返しながら、身体を丸めた。高い柔軟性を活かし、後ろ手に縛られた両手を足下を通して前に持ってくる。指先だけで口のテープを苦労して剥がし、手首を拘束する布紐に噛みついた。幸い、老人の力で縛ったらしい紐はすぐに解けた。
 身体の自由を取り戻し、起き上がって頭を振った。縛られていたせいで固まっていた身体を動かしてみる。酒を過ごしたときのような酩酊感は残っているが、他に怪我はしていないようだ。
 脱出を試みたが、当たり前のように扉に鍵が掛かっている。スライド式の木の扉は、いくら力を入れても開かなかった。

 やられた。
 薬を盛られて、縛られて、閉じ込められた。証拠はないが、あれだけの酒で悪酔いするはずがない。何らかの薬物が混入していたと考えるべきだ。

「ふー」
 一息吐いて、薪はぎゅ、と拳を握りしめた。脚を開いて腰を落とす。目前の扉の板部分に、大嫌いな男のいけ好かない顔を思い浮かべた。
 くん、と身体を回し、回転のエネルギーを足先に込める。ドゴッ、と鈍い音がして、扉がレールから外れた。もう一丁、と薪は大嫌いな男の顔をガンガン蹴り飛ばす。やがて扉は、盛大な音を立てて外側に倒れた。
「思い知ったか、竹内! 早く雪子さんと離婚しろ!」

 薪が大いに勝どきを上げた時、幾つもの足音が廊下に響いた。扉を破るのに遠慮なく音を立てていたから、異変に気付いてやって来たのだろう。
 その面子には見覚えがある。昨日、畑で薪を襲った農夫たちだ。では、ハツは彼らの仲間だったのか。
 見かけによらない薪の強さに驚いたのか、農夫たちは眼を丸くして、
「あっ。手足を縛っておいたのに、なぜ」
「どうやって扉を」
「「「竹内ってだれ?!」」」
 なんで3番目の質問が一番多いんだよ。
「こう見えても空手は黒帯でな」
 どの質問に答えるべきか迷ったが、この場面で効果的だと思えた2番目の質問にだけ答えて残りは黙っていることにした。特に3番目はメンドクサイ。

「ハツさんは、あなた方の?」
「婆さまは蛇姫の巫女じゃ。おまえらは婆さまの術に掛かったのじゃ」
 巫女だの術だの、薪には男たちの言っていることが分からない。方言てむずかしい。
「どうして僕がこんな目に遭わされるのか、分かるように説明していただけませんか」
「なにを白々しい」
「そうだ、あれだけのことをしておいて」
 彼らの顔触れからして、思い当たることは一つしかない。ボンネットの中で死んでいた蛇の件だ。

「要するに、僕たちが蛇を殺してしまったことが原因なんですね? わかりました。後で同種の蛇をプレゼントします。それで勘弁してください」
 地域信仰を余所者に強要して暴行を加えた上に監禁するなど犯罪に限りなく近い、というか犯罪そのものだと思うが、薪は謙虚な態度を崩さなかった。ここで権力を振りかざすような真似をしたら捜査協力が得られなくなる。
 そこまで下手に出ても、彼らの怒りは静まらなかった。「ふざけるな!」と薪の提案を一蹴し、だん! と廊下を踏みならす。昨日のように農具で脅されることこそなかったが、家の中でなければ鎌が飛んできそうな按配だ。

「大丈夫ですよ。東京のペットショップなら種類も豊富です。色もサイズも選び放題で」
「使いの蛇は、蛇姫が御自ら選ぶんじゃ!」
「そうだそうだ! 人間が選ぼうやなんて思い上がりも甚だしい」
 怒らせてしまった。安易に代わりを手配しようとしたのが逆鱗に触れたようだ。ここは素直に謝ってしまうに限る。
「皆さんのお怒りは尤もです。十分反省していますから、どうか穏便に」
 頭を下げた、薪の視界の右奥に色褪せた畳が映った。そこに青白い顔で仰向けに横たわった男の姿。それを見た途端、薪の態度は一変した。

 声にするより早く身体が動いた。
 彼のもとへ走る動線で、邪魔になった男を二人、足払いを掛けて転ばせた。薪を止めようと肩に手を掛けた男には、一本背負いを喰らわせた。
 突然人が変わったように乱暴になった薪に、男たちは怯んだ。所詮は農民の集まりだ。武道に精通した警察官に勝てる道理がない。

 薪は素早く彼の傍らに膝を付き、彼の顎の下に手を当てて脈を確かめた。力強く、規則的な律動。気を失っているだけだと分かってホッと胸を撫で下ろす。
「青木、起きろ」
 声を掛けたが、青木は眼を覚まさない。揺すっても起きない。面倒になってひっぱたいた。
「あ、薪さ……(パン!)ちょ(パパン!)い、痛っ(パパパン!)」
 うえええん、と青木の泣き声がして我に返った。
「どうした青木。どこか痛むのか」
 頬を押さえて涙を浮かべる青木の様子に、薪の怒りは瞬く間に甦った。振り向いて叫ぶ。
「おまえたち、彼に何をした!」
「「「ええー」」」
「青木は僕のボディガードだ。おまえらごときに遅れを取る男じゃない!」

 鋭い叱責と共に薪が勢いよく立ち上がると、上方からガラガラッと大きな音が響いた。重量を感じさせる音に、咄嗟に身を引く。
「な、うわっ」
 ズウン、と重い地響きを伴って、鉄製の格子が薪と村人たちを分断した。ハッとして周りを見れば3畳ほどの狭い部屋。三方は石造りの厚い壁。
 しまった。閉じ込められた。

「ほほほ。ネズミがネズミ取りに引っ掛かりおった」
 悠然と男たちの前に現れたハツが、憎々しげに言い放つ。昨夜と同じように家の中でも杖をついている彼女はしかし、昨夜の割烹着姿とは打って変わって白い羽織に赤い袴の、いわゆる巫女の出で立ちであった。
 ギリッと奥歯を噛み、薪は射殺すような目つきで彼女を睨んだ。
「もう一度訊く。彼に何をした」
 こう見えても青木は強い。特に剣道は4段の腕前で、猛者揃いの武術大会でも3位入賞を果たすほどなのだ。殴られたか薬を盛られたか、何かされたに違いない。
「おまえを人質にしたら、儂らの言いなりになった。バカな男だ」
 他ならぬ自分が彼を窮地に陥れたのだと、聞かされれば薪の怒りは易々と沸点を超え、心のリミッターを粉砕する。俗に、堪忍袋の緒が切れた、と言う現象だ。

「バカはおまえらだ」
 ふっ、と薪は笑った。
 その微笑は暗く、冷たく。瞬時にして周りの空気が凍りついていくような錯覚を人に与える。海千山千の捜一の連中すら震え上がる第九室長のブリザード。純真な農民など瞬時に凍る。
「これがなんだか分かるか」
 薪は上着の襟に付いているバッジを親指と人差し指で挟み、つまみ上げて村人たちに見せた。
「これは緊急用の発信機でな。これを押せばすぐさま、警官隊がこの村を包囲する。そうなったらおまえら全員犯罪者だ。一生地下に閉じ込めて強制労働だ」
 嘘八百にゼロを3つほど割増して、薪の二枚舌が軽快に動く。こういうときの薪は実に生き生きとしている。

「う、嘘だ。そんなことできるわけが」
 畑で警察手帳を見せているから、薪が本物の警官であることはみな知っている。警察の人間が嘘を吐くと思わないのが農民たちの良いところでもあり、残念なところでもあった。
 ハッタリを武器に、薪は傲慢に腕を組む。他人を見下す王者の視線で、
「そのためのSITだ」
 SITは傭兵部隊ではない。
「おまえたちを強制連行した後、村ごと焼き払ってこの村を日本地図から消してやる」
 テロリストでもない。

 眠りから覚めたばかりでしばらくの間ぼうっとしていた青木が、ようやく自分の役目を思い出したのか、完全な悪役と化した薪を慌てて諌めた。
「薪さん、ちょっと落ち着いて」
「おまえは黙ってろ」
 薪は一旦キレると手が付けられない。こんな脅迫まがいのことをして後で困るのは薪の方だと、耳打ちする青木の言葉など耳に入るわけもなく。細い指先がためらいもなく発信機のボタンを押下するのに、村人たちがハッと息を飲んだ。

「もう我慢ならん。こんな連中はまとめて刑務所に、……あれ?」
 不思議そうな顔になって、薪はそのボタン電池のような装置を見つめた。平面に埋め込まれた粟粒大の赤ランプ、救難信号が発信されればこれが点灯するはずなのだが。
「発信機が動かない」
 ここは携帯電話も使えない村だが、この発信機は衛星通信だ。アンテナは関係ない。
 押しても押してもランプが点かない救援グッズに、薪はちっと舌打ちし、
「肝心な時に」
 普段から作動テストをしておけばよかった、と小さな声で零した。

 どうやら応援は来ないと分かって、村人たちが俄然勢いを取り戻す。薪の脅すような態度に反発を覚えたのか、彼らは口々に荒い口調で喚き始めた。
「天罰じゃ。蛇姫さまの怒りを買ったのじゃ」
「これでおまえらもおしまいじゃ」
 憤る村人たちを代表して、ハツが厳かに告げた。
「おぬしらには裁きを受けてもらう。この村で蛇殺しは重罪、それも3匹とあっては刑は免れん」
 彼女が森で薪たちを助けてくれたのは事実、しかし身柄を拘束されたのも事実だ。村人たちの言が本当なら、あの森で迷ったのも彼女の仕業ということになる。巫女の神通力とやらをそこまで信じる気にはなれなかったが、彼女が青木を何らかの手段で強制的に眠らせたことは間違いない。彼女は敵だ。

「4匹だ」
 薪は鋭く言い返した。
「この村に入る前に、白い蛇を一匹轢き殺した。合わせて4匹だ」
「な、なんじゃと!」
 ぎょっ、と老婆は眼を剥いた。白髪を振り乱し、わなわなと手を震わせる。その狼狽が伝播したように、男たちも騒然となった。思わず廊下に膝を着くもの、両手を組み合わせて天に祈る者、中には泣きだしてしまった者もいる。面白いからもう2、3匹轢いたことにしておけばよかった、などと薪が意地の悪いことを考えていると、ハツが突拍子もないことを言い出した。
「なんと言うことじゃ。おぬしのような余所者が次の蛇姫とは」



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蛇姫綺譚(10)

蛇姫綺譚(10)





「なんと言うことじゃ。おぬしのような余所者が次の蛇姫とは……しかし、これも蛇姫の神意」
 次の蛇姫? え、だれが?

「認めませぬぞ、婆さま!」
 薪が疑問を口にするより早く、周りの男たちによってハツの言葉は否定された。口火を切ったのは、畑で薪に鍬を振り下ろした若者だった。他の者たちも怒りに顔を紅潮させ、次々と老婆に詰め寄った。
「そうじゃ。この者は余所者ではないか」
「天命を授かった者が為すべきことを、この者が横取りしただけじゃ。こいつが、生まれるはずだった蛇姫を殺したんじゃ」
 殺すとか殺されるとか、蛇の話でしょ? どうしてそんなに目を血走らせてるの、きみたち。

「こいつを殺してしまおう。さすれば正しい蛇姫が誕生なさるに違いない」
「その通りじゃ。殺してしまおう」
 なんでそうなる!!
「コロセ!」
「殺してしまえ!」
 村人たちの剣幕に、捕虜たちは顔を見合わせる。先刻の薪のフカシに対する言葉の暴力だと思いたいが、それにしては鉄格子の間から突き殺せだの、そのための槍を取ってこいだの、脅し文句にしては内容が具体的過ぎた。
 喧々囂々と物騒な言葉が飛び交う中、竹の先端を斜めに切って尖らせた竹槍の束を抱えて一人の男が廊下を走ってきた。思わず後ろの壁にへばりつく。あれで刺されたら超痛い、てか死ぬだろ。

「青木、おまえのせいだぞ。なんとかしろ」
「え、オレのせいなんですか? どこらへんが?」
 大袈裟な脅し文句で必要以上に村人たちを追い詰めたのは薪のはず。いったい自分の何処にこの状況を招いた原因があるのかと、首を傾げる青木に薪は強い口調で、
「一般人に簡単に拉致られるおまえが悪い」
「いえ。彼らに拉致されたわけじゃなくて、オレは」
「うるさい、捕まっておきながら熟睡しやがって。僕がどれだけ心配したと思ってんだ」
 村人たちの剣幕に焦るあまり、ぺろっと本音を喋ってしまった。慌てて口を手で塞ぐが、言葉も時間も戻せない。薪の失言に、もしも隣の男がニヤけた面をしていたら記憶が飛ぶまでぶん殴ってやろうと拳を固めて横目で見れば、青木は、青白い顔で穏やかに微笑んでいた。

 薪は妙な気分になった。
 自分たちは殺されようとしている。この状況で顔色が悪いのは当たり前かもしれないが、青木は意外と図太いのだ。今まで何度も死地を潜り抜けてきた、そんな中でも、零れ落ちた薪の好意にはこちらがドン引くほど感動する青木を見てきたせいか、少し拍子抜けしたのかもしれない。
「ていうかおまえ、本当に身体大丈夫なのか。顔色悪いぞ」
「この状況で青くなるなって方が無理ですよ」
「違いない……さて、どうするかな」
 薪が悩んだのは3秒ほど。次の瞬間には彼はもう堂々と胸を張って、鉄格子の向こうの村人たち相手にネゴシエイトを始めていた。

「みなさん。私なら蛇姫を生き返らせることができます」
 どよどよとざわめき出す村人たちの目を盗み、青木がこっそりと薪に尋ねる。
「そんなことできるんですか?」
「簡単だ。東京から似たような蛇を買ってくればいい」
「それは生き返らせるとは言わないんじゃ」
「青木。信仰と言うのは人々の心の中で生き続けるものだ」
 尤もらしいことを尤もらしい口調で語る薪には、朴訥な村人たちを騙る罪悪感の欠片もない。彼には目的のためには手段を選ばない、冷徹な断行者の一面もある。

「嘘を吐け。そんなことができるものか」
 薪の二度目の交渉は簡単には進まなかった。先刻の暴言もさることながら、最初の交渉で、代わりの蛇を用意すると手の内を晒してしまったことが失敗の原因だった。しかし、これくらいで引き下がる薪ではない。
「嘘ではありません。蛇姫を信仰するみなさんなら、蛇の生命力が強いのはご存知でしょう。彼らは頭を潰されても数時間生きることもあるそうです。つまり、死んで間もない今なら最先端の医療技術をもって彼女を生き返らせることが可能なのです」
 顔を見合わせ始める村人たちの死角で、青木がまた薪に耳打ちする。
「可能なんですか?」
「できるわけないだろ。なに寝ぼけてんだ」
 嘘を吐いた数だけ、人は地獄で舌を抜かれるそうだ。それが本当なら何回責め苦を受ければいいのか想像もつかない、だけど青木の命が懸かっている。良心などクソクラエだ。

「彼女の遺体は私たちが埋葬しました。その場所は我々しか知りませんし、この辺りの地理に疎い私には言葉で説明することもできません。蛇姫を救うためには一刻も早く私たちをここから解放し、彼女の蘇生措置をさせることです」
 時間の制約を付けて相手を焦らせる、詐欺師の常套手段に村人たちの態度が変わった。万が一、相手の言うことが本当だったら、自分たちが蛇姫の復活を妨げてしまうことになりかねないのだ。
 どう思う、おまえはどうだ、と他人の意見を求める声が上がる中で、試しにやらせてみては、と誰かが言い出す。薪は表面は深刻な表情を取り繕い、心の中でほくそ笑んだ。
 そのとき。

「嘘です」
 弾劾する声は、薪の隣から発せられた。信じられない思いで恋人を見る。
「似たような蛇を買ってきて、代わりにするつもりだそうです」
「な」
 何を言う、と薪が言葉にするより早く、村人たちの怒号が津波のように押し寄せた。殺気立って竹槍を構える男たち。薪は咄嗟に青木の前に出て、彼を奥へと押しやった。

「待てい! この者は次の蛇姫ぞ!」
 逸る男たちを諌めたのは、巫女姿のハツであった。彼女の一声で男たちは一歩後ろへ退く。身体は小さくともさすがの威厳だ。山姥そっくりの顔立ちも、彼女のカリスマ性を引き立てている。
「しかし婆さま。こいつは」
「黙らっしゃい。この者は白蛇の死に立会い、次に使いの3匹の死に立ち会った。それが何よりの証拠じゃ」
 言っていることの意味は全然分からないが、彼女が薪の命綱であることは分かった。絶体絶命の薪の前に垂らされた蜘蛛の糸。薪は心の中で彼女に賛辞を送った。こうして見れば山姥なんてとんでもない、気品に溢れたご婦人じゃないか。
「白蛇は蛇姫の化身。後続の前にのみその姿を現し、自ら命を絶つ。お供の蛇たちは、あの世で蛇姫の世話をするために後を追って死ぬ。その際、次の蛇姫の前に後事を託しに現れると言う」
 話し方も落ち着きがあって、声にも張りがある。背中もそれほど曲がってないし、90才との話だったが70、いや、60代でも通る。独り身らしいし、ここをうまく乗り切れたらお礼に男性を紹介してもいい。部下の中から選ぶなら見た目年齢が近い山本とか、あ、山本は奥さんいたんだっけ。じゃあ年上好きの小池辺りで。

「すべて言い伝えの通りじゃ」
 ハツの説得は功を奏し、男たちは無言になった。そうか、なるほど、などと頷く者も出てきている。これで上手く行けば自分たちは助かる。彼女は命の恩人だ。
「それに」とハツは意味ありげに薪を見る。その視線に薪は彼女の温情を感じた。なんなら竹内に頼んでスペシャルな一夜を経験させてやってもいい。あんな奴に頭を下げるのは業腹だが、この場を凌げれば彼女には2度も命を助けられることになるのだ。大恩に報いるためにそれくらいのことは、
「村の娘ではないが、大層美しい女子ではないか」
「ちょっと待てクソババア。だれがオナゴだ」
 ぶち壊し。

「薪さん。ここはひとつ、ハツさんの言うことを聞きましょう。それ以外にオレたちが助かる道はありません」
 女子に間違われて頭に血が上った薪を、青木が冷静に諌めた。確かに青木の言う通り、ここでハツが垂らした糸を切ってしまってはデッドエンドが待つばかりだ。
 青木は一歩前に出て、それでもう鉄格子の前に立つ。歩幅の広い彼にとって、この部屋は狭過ぎた。
 鉄格子の隙間から、青木は村人たちを見渡した。彼らの顔つきは未だ険しく、ハツの手前抑えているものの、崇拝する神の化身を殺した罪人を許す気はなさそうだった。
「そう睨まれてはこちらも素直になれません。とりあえず、みなさんは帰ってください。後はハツさんとの話し合いで身の振り方を決めます」
 顔を見合わせる村人たちを、青木は重ねて説得する。
「オレたちはハツさんの決定に従います。嘘は吐きません。さっきも本当のことを言ったでしょう?」
 その言葉で、村人たちは納得したようだった。二人の処分が決まるまで奥の部屋で待機を、とハツに命じられ、廊下の奥に消えて行った。青木が薪の嘘を暴いたことが結果として吉と出たわけだが、薪はなんだか腑に落ちなかった。薪を悪者にするなんて、そんなやり方は青木らしくない。

「青木。おまえ」
 言い掛けて、薪は口を噤んだ。見上げた青木の横顔には表情がなかった。いつだって脳内思考ダダ漏れの男が、どうしたことかと驚いたのだ。
 薪に言葉を失わせたことを知ってか知らずか、青木はよく通る声で老婆に話しかけた。
「やれやれ、やっと静かになりましたね。ハツさん、お話の続きをどうぞ」


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蛇姫奇譚(11)

蛇姫奇譚(11)






 鉄の格子を挟んで、座敷牢に囚われの身となった二人と、老婆の会話は続いていた。
 先ほどまでと違っていたのは、そこに敵意を露わにして場を乱す者たちがいなくなったことだ。その分、老婆の言葉は耳に入りやすく、薪はこの村に対する理解を深めていった。

 廊下に座したハツは杖を横に置き、自分は蛇姫に仕える巫女である、とその素性を明らかにした。
 この村は蛇神信仰が古くから浸透した村で、ご神体は蛇姫と呼ばれる女神である。その縁起は、田崎巡査に聞いたものとほぼ一致していた。
 蛇は神の使いであるから、村全体で大切に保護されている。もしもこれを害した者は、その理由の如何に関わらず罰を受けなければならない。罰と言っても命に関わるようなことではなく、一定期間の労働力の提供、つまりは畑仕事に従事すれば許されるそうだ。
「じゃあなんですか。僕たちはあの3匹の蛇を畑の隅にでも埋葬して、その場で冥福を祈ればよかったわけですか」
「そういうことさね。あんたらは余所者やし、村のもんも見逃したかもしれん。畑仕事ができるようにも見えんしの」
「いいや。あの鍬には殺意が籠ってた」
 すっかり疑り深くなった薪はブチブチと愚痴り、胡坐の膝に肘を置いて頬杖をついた。いわゆる、ふてくされのポーズだ。
 あの状況で大人しく捕まるやつなんかこの世にいるか、と薪は思う。しかしそれは何度も修羅場を経験してきた猛者の言い分で、普通の人間は5人もの男に囲まれれば委縮してしまうものだ。
「じゃがの。白蛇を殺めたおぬしらに、それは通じん」
 死をもって償うか、蛇姫の勤めを果たすか。どちらか選べと巫女は言ったが、どう考えても答えは後者しかない。

「あの。蛇姫の仕事って、具体的に何をすれば」
「村の男たちの夜伽の相手じゃ」
 なんだそのエロ神設定は。
 まあ正直なところ、薄々は感づいていたのだ。ハツが薪を「美しいおなご」と称えた時から、そっち系の宗教かもしれないと思っていた。蛇はセックスシンボルとして有名だし、畑に若い女性が一人もいなかったことから、この村では女性が非常に貴重であることは察しがついた。

「もしかして、さつきさんも?」
「そうじゃ」
 それでさつきはこの村を出たのだ。男の相手を強要される日々が辛くて。
 しかし、ハツにとってさつきは我が子同然ではなかったのか。自分の娘がそんな立場に追いやられたら、親ならきっと。
「あなたがさつきさんを、この村から逃がしたんですか」
「この村は昔からおなごが産まれにくくての。そうでもせんと子孫が絶えてしまうのじゃ。蛇姫の一番大事な仕事は子を産むことじゃ」
 ハツは、薪の質問が耳に入らなかった振りで説明を続けた。しかし薪は、さつきの名前を出したとき、ハツの瞳が切なく潤むのを見逃さなかった。

「残念ながら僕は男です。子供は産めません。畑仕事で勘弁してください」
「いいや。おぬしは次の蛇姫じゃ」
「人の話聞いてます?」
「おぬしはすでに、その身に蛇姫を宿しておる。巫女のわしにはそれがわかる」
「だから男なんですってば。証拠見せましょうか?」
「大事ない。蛇姫になれば男でも子を授かることができる」
「ボケてんのか、ババア」
 田崎巡査も似たようなことを言っていたがそれは単なる言い伝えで、第一、薪は神さまではないから女にはなれない。
「これまでにも蛇姫が男だった時期はある」
 そうきたか。
 女性が少ないと若い男子が代替品になる。刑務所のセックス事情と同じだ。

 薪が苦虫を潰したような顔になると、ハツはやや首を傾げて、
「とはいえ、おぬしは余所者じゃ。長くこの村に留まるわけにもいくまいの」
 巫女の神通力などなくとも薪の心は簡単に読み取れて、するとハツはこちらの事情を慮る態度を示した。相手に歩み寄りの気持ちがあるなら協力するのはやぶさかではない。薪は正直に、残された時間を話すことにした。
「出張は3日間、土曜日までの予定です。翌日の日曜は公休日として、それを過ぎて東京に帰らなかったら上司が僕を探しに来るでしょう」
 小野田のことだ。薪が無断欠勤なんかしたらそれこそ官房長権限で、N県警総動員で捜索に当たらせるかもしれない。ここで薪がどんな目に遭ったかを知れば、ハツも村人たちも只では済むまい。薪のハッタリには多少の真実も含まれているのだ。
「わしも無益な殺生は好まぬし、この村を警官に荒らされるのも困る」
 ふうむ、とハツは皺だらけの顔に更に皺を寄せて考え込んだ。そして膝を正し、改めて薪に向かい合った。
「では3日、いや2日でよい。蛇姫になってくれまいか」
 彼女にしてみれば、これが最大限の譲歩なのだろう。蛇姫の巫女と言う立場上、また薪たちの身柄を預かった手前、このまま自分たちを帰らせたら村人たちに示しがつかない。2晩なら2人の男で済むわけだ。なるべく物分かりのよさそうな大人しい男をハツに選んでもらって事情を話し、致したフリをしてもらう。お礼に歌舞伎町ツアーに招待すると言えば喜んで協力してくれるに違いない。少なくとも薪なら乗る。40歳のオッサン相手に田舎の夜を過ごすより、夜の蝶たる彼女たちと戯れた方が楽しいに決まってる。
 2日間、ハツと示し合わせて蛇姫の仕事に勤しんだ振りをする。ハツにとっても自分たちにとってもベストな選択だ。
 薪は心を決めた。

「わかりました。2日でいいなら」
「2日間、ぶっ通しで励めば村の男たちに一通り行き渡るじゃろ」
 ざけんな。死ぬわ。

 再び凶悪な顔つきになった薪を見て、ハツは首を振った。たるんだ顎に手をやり、ため息交じりに、
「どうしてもおぬしがそれを断ると言うなら」
「言うなら?」
「下に落とすまでじゃ」
 下、と言われて視線を落とした薪を、青木が手招きした。端により、真ん中の畳を持ち上げる。現れた敷板を1枚外すと、5メートルほど下方にうじゃうじゃとうごめく大量の蛇が。
「おぬしらの血肉がこやつらの血肉になり、新しい蛇姫が誕生するであろう」
 ハツが立ち上がり、鉄格子の左側の壁に手を付いた。おそらく、そこに座敷牢の床を抜くスイッチがあるのだ。
 思わず青木を見た。このままでは2人とも殺されてしまう。青木は反対するだろうが、ここはひとつ――。

「薪さん。言うことを聞きましょう」
「えっ?」
 それ以外の選択肢がないことは分かっていた。でも。
「……いやだ」
「お気持ちは分かりますが、殺されるよりはマシです」
「い・や・だ!」
 薪は拒絶の言葉を繰り返した。
 それは自分から言い出すことで、青木から言われることではないと思った。彼の命が係っているのなら他の男と寝ることなんか今更なんでもない、だけど。
「青木、おまえ本当におかしいぞ。やっぱり、何かされたんじゃないのか」
 恋人の貞操に命を懸けて欲しいなんて思ってない。それは利口な人間のすることじゃない。薪が逆の立場なら同じことを言ったはず。なによりも相手の命を救うために。

 ただ、青木なら。
 違うことを言うんじゃないか。

 こういう場合、薪が考え付かないような答えを導き出すのが青木で、それは時に常識外れで実現不可能な狂人の妄言と何ら変わりのない夢物語であったりするのだけれど、彼のそんな飛び抜けた発想が天啓となって、薪の頭に完璧な計画が下りてくる。今まではいつもそうだった。だから納得できない。追い詰められて、薪が尤もだと思うことを言う青木なんて。

 ぷいと横を向いた薪に青木は少し困った顔をして、それでも薪が背を向けたままでいると、果たして鉄格子の向こうにいる人物に呼びかけた。
「ハツさん、二人きりにしてください。オレが説得しますから」
 説得だと?
 ますますおかしい。薪が、言って聞くような人間かどうか青木が一番解っているはずだ。言葉なんかで薪の心は動かない。その限界を、虚しさを、残酷なまでに見せつけられてきたから。

「2時間もすれば最初の相手が此処に来る。それまでに納得させるんじゃな」
 ハツが奥へ引っ込んだのを確認し、青木は薪の背中に語りかけた。
「二晩だけ我慢すれば、後は自由になれるんですよ」
 そう言いながら薪を後ろから抱き締める、恋人をまるで別人のように感じる。
 僕は青木を見損なっていたのか? いや、そんなはずはない。では青木も成長したのだろうか。成長して、なにが大事なのか見極められるようになった。付き合い始めたときには20代前半だった青木も30近いのだ。恋にのぼせあがる時期もとうに終わって――。

「お願いですから。聞き分けてください」
 なんだ、その言い方。僕が頭悪いガキみたいじゃないか。
 今日の青木は可愛くない。あれって本当だ、バカな子ほどかわいいってやつ。
「いいのか。僕が他の男に」
「大丈夫ですよ。あなたが誰に抱かれても、その後でオレがこうしてあなたを愛してあげます。そうすればあなたはオレのものでしょう?」
「モノ?」
 かちん、ときた。なんだか青木の言うことがいちいち引っ掛かる。あれかな、倦怠期ってやつかな。

「薪さん。愛してます」
「よせ、こんなところで。んっ」
 強引にくちびるを奪われた。手で顎を掴まれ、口を開けさせられる。捻じ込まれた舌先は、粘液に包まれた軟体動物のように薪の口の中で動いた。
「んうぅ、――」
 混ざりあった二人分の唾液が喉奥に流れ込む。こくりと薪の喉が鳴った。

 シャツのボタンを素早く外して胸元に滑り込んできた指先が、迷いもなく突起を捕える。捏ねられて、じんと腰の辺りが痺れた。固まった隙に上半身を剥かれる。露出した肩から首の周辺を青木の舌が濡らしていく。蛇がくねるように、快感が薪を這い上がってくる。
 自分でも信じられないくらい。急激に昂ぶった。
 彼の舌の動きはいつも薪を夢心地にさせたけれど、今日のそれは普段とは比べ物にならなかった。他のことを考えることができない。いま自分が置かれている状況とか、こんな場所でことに及ぶことの愚かしさとか、いつも薪を縛るそれら理性的な判断が暴力まがいのスピードで霧散した。平たく言うと、勃った。
 布の上から触られるのがもどかしくて、自分でベルトを外した。前を開いて彼の手を導く。彼の手で自身を擦り立て、最後は彼に抱きついて果てた。吐精後の倦怠に包まれながらも、薪の中に生まれる絶大な違和感。
 おかしい。まだ昼間、しかも他人の家。こんな状況下で欲望が抑えられなくなるなんて。
「この話、期間限定公開だっけ」
「は?」
「いや。こっちの話」

 力の抜けた薪の身体を、青木は畳の上に延べた。ズボンを脱がせ、脚を抱え上げる。
「薪さん。いいですよね?」
「待て。やっぱりなんかおかしい」
 青木がムッと眉を顰める。ここまできてお預けはないだろう、と言いたげだ。
「自分はイッたくせに。ずるいです」
「そんなの、今に始まったことじゃないだろ」
 一回抜いたら頭が冴えてきた。
 絶対におかしい。何がおかしいって、自分の旺盛な性欲もさることながら、青木のこの強引さは何だ。確かに青木はケダモノみたいなやつだけど、本気で嫌がる相手を押し倒したりしない。絶対にしない。
 力で自分を抑えこもうとする恋人に、薪は必死で抵抗する。でも身体に力が入らない。秘部に宛がわれたものの熱さは青木の焦りを物語っていたけれど、それを受け入れることは容易かったけれど、膨らんだ違和感が薪を躊躇わせる。

 ――この男は本当に青木なのか?





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蛇姫綺譚(12)

 メロディ発売まであと1週間ですね♪
 前回、飴だったんで今回は鞭だと思うんですけど(←え)、楽しみ楽しみ♪♪♪
 

 お話の方はあと6回です。
 全体的にダレた話になってしまってすみませんー。




蛇姫綺譚(12)






「うおおおお!」
 突然、獣のような咆哮が聞こえた。
 驚いて見開いた薪の瞳に、自分めがけて倒れてくる鉄格子が映った。どおん、と大きな音が響く。
「うわわ!」
「ぎゃっ!」
 鉄格子は部屋の奥行より長く、奥の壁にぶつかる形で落下は止まった。薪は寝ていたから難を免れたが、上体を起こしていた青木は堪らない。後ろから鉄棒に殴られる形になって、畳の上にもんどりうって倒れた。

「大丈夫か、青――あれっ?」
 乱れた衣服を整える余裕もなしに、倒れた男に擦り寄った。が、そこに頭を抱えてのたうちまわっていたのは、薪の知らない男だった。
「……だれ?」
「こっちが聞きたいですよっ! だれですか、その男!!」
 聞き覚えのある声に振り返れば、青木が額に青筋を立てて叫んでいた。いつの間に入れ替わったのだろう。

「青木。おまえどうやって」
「なんでこんなことになってるんですかオレなんかしましたかそれとも足りませんでしたかオレの何が不満だったんですか」
 激しい口調で薪の言葉を遮り、訳の分からないことを喚き立てる。てか、句読点忘れてるぞ、青木。
「サイズですか持ち時間ですか昨夜1回で終わったのが物足りなかったんですかいつもみたいに抜かず3発がんばればよかったんで、ふごおっ!!」
「どさくさ紛れになにいらんこと喋ってんだっ!」
 問答無用で男の顔面を蹴り飛ばす。踵で蹴られて鼻血を吹いた恋人を横目に、下着とズボンを手早く着けた。シャツと背広を着て、しゃんと襟を正す。最後にたるんでいた靴下を直した。

 青木はまだ鼻を押さえている。ちょっと強く蹴り過ぎたか。
「悪かった。でもおまえが余計なこと言うから」
「えへへ。見えちゃいました、薪さんの、ごふぅっ!」
 もう一度顔面に膝頭を叩きこむと、ニヤけた面で鼻血を吹きながら仰向けにひっくり返った。このバカを絵に描いたようなリアクション。間違いなく青木だ。
 と言うことはなにか。僕はこの、どこの誰だか知らない男を青木だと思い込んで必死に助けようとしていたのか? 彼にキスされて身体中まさぐられて、あんなに感じて――。
「……やば」
 彼と行ったあれやこれやが青木にバレたら、死んだ方がマシと言う目に遭わされる。多分、ベッドの上で一晩中。
 純粋な恐怖に駆られ、薪はやや強引に話題を変えた。

「青木。おまえ、どこから来たんだ」
「庭先の納屋に閉じ込められてたんです。薪さん昨夜、お婆さんの盃を受けて倒れたの覚えてますか? あの後すぐに村の人たちが現れて、『毒を飲ませた。解毒剤が欲しければ大人しくしろ』って脅されて。でもさっき、薪さんに呼ばれたような気がして」
 親に悪戯がばれた子供みたいに頬を指先で擦りながら、青木は笑った。
「扉、蹴破ってきちゃいました。後で直しておかないと」
「いや、修理は必要ないだろ」
 真面目でお人好し。青木のズレた親切心が薪の心を毬のように弾ませる。本当に、僕は青木のこういうところにとことん弱い。

 物音に気付いたのだろう、奥の部屋から杖をついたハツと、村人たちが現れた。あの話の後でハツが皆と何を話し合っていたのか、予想はできるが聞きたくない、てか、それを青木の前でだけは言ってくれるなよ。僕は青木を殺人犯にしたくない。
 ハツは、彼らの先頭に立って廊下を進みながら青木の姿を目に留めた。この狼藉を働いたのが、一見大人しそうなメガネ男だと悟ったのだろう。床に座ったままの青木をまじまじと見つめ、驚嘆した声で呟いた。
「鉄格子を枠ごと倒すとは。なんという力じゃ」
「愛の力です」
 ハツの表情が能面のように固まる。仕事柄、芝居がかった台詞には慣れているはずの巫女をドン引かせるとは、さすが青木。
「おぬしもいい趣味をしておるの」
 皮肉られて、しかし薪は薄笑いを浮かべる。鼻先で嘲笑うように嘯いた。
「そういうセリフを真顔で言えるのが青木だ」
「いやあ。それほどでも」
「褒めてないぞ」
「え」
 青木は人の言うことを言葉通りに受け取る。皮肉や厭味は通じないのだ。
 青木のズレ加減とは逆に、狂いっぱなしだった薪の調子は徐々に落ち着いてくる。頭と身体がやっとつながった感じだ。
 じわじわと、廊下の前後から薪たちを挟み撃ちにする形で村男たちが輪を狭める。それを視線で牽制しながら、薪は口を開いた。

「それよりも説明してもらおうか。僕に何をした」
 薪はしきりに青木の変貌を訝しがったが、青木がおかしくなったのではない、なにかされたのは薪の方だ。眼鏡と黒髪しか共通点の無い男を、青木だと信じた。幻覚か、催眠術か、手段は不明だがそれに近いことをされたに違いない。深い催眠効果を得るために、薬物も使用された可能性が高い。おそらくは、昨夜の料理や酒に混入されていた。でなければ、青木が彼らの暴挙を許すわけがない。

「これは驚きじゃ。もう術が切れたのか」
 術、やはり催眠術か。ハツが村民の尊敬を集めていたのは、その特技も一役買っていたのだろう。
「これ、しっかりせい。わしが渡した薬はどうした」
「ちゃんと飲ませました」
 後頭部を擦りながら起き上った青木の偽者は、ハツの問いにそう答えた。薪には薬を飲まされた覚えなどない。でも。
 キスされた後、急激に昂ぶった。もしかしてあのとき。

「ヘンじゃな。あの薬の効果は最低でも半日は……おぬし、もしや身体に欠陥でも」
「失礼だな! ちゃんと出すもの出したぞ!」
「それではなにか、あの短時間で全精力を使い切ったのか。……哀れな」
「やかましい!」
 90歳の老婆に憐れまれるってどんだけだ!
「やれやれ、情けない男じゃ。おぬしに村中の男と交わる役目は荷が重かったかの」
「いい加減にしろ、クソバ、――はっ」
 恐る恐る隣を見ると、苦笑する青木と眼が合った。さすがに、この状況でヤキモチを炸裂させるほど子供ではないか。
「生憎、今日は持ち合わせがなくて」
 そう言って青木はにっこりと笑い、上着の前を広げて見せた。心配したホルダーケースに拳銃はなく、薪が安堵したのも束の間。
「撲殺と絞殺。どっちか選んでください」
 それなら素手でできるね、てそうじゃなくて!

 薪はクスクスと笑いだした。いつもならムキになって止めに掛かるのに、と青木が訝しげに首を捻る。
「いや。青木だなあと思って」
「……褒められてませんよね」
「わかるか」
 正解したから後で褒美をやる、と耳元で囁けば、そういうことだけは勘の良い青木が元気百倍で立ち上がる。

「青木。そろそろお暇するか」
「そうですね」
 ちょっとお借りします、と了解されるはずのない断りをハツに入れて、青木は彼女の手から杖をひったくる。薪と背中合わせになりながら、上段の構えを取った。
 多勢に無勢、そんな常識は彼らには通用しなかった。薪は柔道、空手共に黒帯、青木は剣道4段の腕前だ。昼間畑で逃げの一手だったのは、相手が善良な市民だと思っていたからだ。薪を拉致監禁し、不特定多数の男性との情交を強要しようとした。立派な犯罪集団だ。もう遠慮はいらない。
 薪が手近な男を投げれば、青木が杖を横に払い、3人を一度に薙ぎ倒す。その攻撃に村人たちは、あっという間に浮足立った。剣先の鋭さに怯み、尻もちをつくもの、床を這って逃げるもの。程なく廊下には人が通れるだけの隙間が空き、二人はそこから逃げだした。

「ハツさん、ありがとうございました。杖、お返しします」
 青木は律儀に礼を言ってハツに杖を手渡し、先に走り出した薪に追いついてきた。ハツが呆気に取られた顔をしている。本当に、この男は。
「なんか、物騒な割に手ごたえのない人たちですね」
 そうではない。青木が強いのだ。
 青木は、弛まぬ努力で自分を鍛えてきた。岡部や脇田と言った武術の達人から稽古を受け、庁内の武道大会で歴戦の猛者と闘ってきた。実戦の経験こそ少ないが、その実力は確かだ。長閑な村の農民など敵ではない。

 外の物置に閉じ込められていたと言う青木の道案内に従って、薪は廊下を走った。長い廊下だった。いくつも角を曲がり、数えきれないほどの窓を過ぎ――ふと薪は疑問を感じる。この家はこんなに広かっただろうか。
「てか、長過ぎないか?」
「すみません。迷ったみたいです」
 家の中でも迷うのか。
「おまえの方向音痴は神業だな」

 おかしいなあ、とぼやく青木の目の前に、ごおんと音を立てて壁が下りてきた。慌てて足を止めると、間髪入れずに後ろにも。左は外壁、右にしか活路はない。すたんと障子を開ければ、そこには青木が壊したはずの鉄格子。
「くそ。どうなってんだ」
「やっぱり祟りなんですよ、白蛇の!」
「祟りなんかあるわけないだろ。これはアレだ、最新型の防犯システムだ」
「となると、藁ぶき屋根に見えたのは実は新型の太陽光パネルでそこから電力を」
「第九にも欲しいな。どこの警備会社に頼めばいいのかな」
「株式会社蛇神警備保障とか」
 鬼ごっこも振出しに戻ったわけだが、二人して冗談が言えるくらいには落ち着いていた。どんな状況でも、二人一緒ならなんとかなる。



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蛇姫綺譚(13)

蛇姫綺譚(13)





「そら。開発責任者が営業に来たぞ」

 鉄格子の向こうから、ぬうと姿を現したハツに、薪は剣呑な視線を送る。お年寄りにはやさしく、と言う道徳はこのさい無視だ。
「蛇姫の巫女だかタコだか知らんが、よくも騙してくれたな。二度と同じ手は食わんぞ」
 催眠術は、猜疑心に凝り固まった人間には効かない。薪はもう、この屋敷の中で一瞬たりとて気を許すつもりはなかった。
「バカもんが。せめてもの情けと思うて、一人目はそやつに似た男を選んでやったのに」
「どこが。青木の方がずっとカッ、――蚊がいるなっ」
「え。そうですか? どこに?」
 危なかった。青木が鈍くて命拾いした。
 そんな二人の様子を見て、ハツは苦笑いした。周りに集まってきた男衆に向かって、力なく首を振る。
「おぬしのような強情な男は初めてじゃ。今回ばかりは蛇姫の人選ミスじゃの」
 リーダーのハツが敗北宣言をしたことで、村人たちも観念したようだった。黙ってハツの周りに腰を下ろし、謝罪のつもりか深く頭を垂れた。
「どうやら諦めるしかあるまい。下半身も残念だしの」
「うるさい!」

「しかしのう、蛇姫はすでにおぬしの中におるのじゃ」
 さっきもそんなことを言われたが、薪に自覚症状はない。とぐろを巻きたくなることもないし、昨夜のカエルも正直口に合わなかった。
「こちらもできるだけの譲歩をするゆえ、おぬしも納得してくれぬか。おぬしが嫌なら村の男と交わらずともよい。子を産んでくれるだけでよいのじゃ」
「全然譲歩になってないんだけど」
 男が子供を産むって処女懐妊よりすごいことだよ? キリストどころか神さま生まれちゃうよ? あ、蛇姫は神さまだっけ。
「蛇姫の血さえ途絶えなければそれでよい。もう贅沢は言わん。その男の子供でよい。産んでくれぬか」
 だから無理だって!
「薪さんが……オレの子を……」
「なにドリーム入ってんだバカ! 産めるわけないだろ!」
 おまえが説得されてどうする!
「子供ったって何処から出てくるんだ、ケツの穴からか?! それただのウン」
「言っちゃダメです!!」
 薪さんにそんなセリフ喋らせたらこのブログ閉鎖されちゃいます、てこいつの言ってること意味わからん。

「う」
 急に下腹に痛みを感じて、薪は患部に手を当てた。左下腹に重い鈍痛。いくらか目眩もする。思わずその場に膝を着く、薪の前にポイと投げられたのは、テレビのCMが流れるたびに男は目のやり場に困る、女性のための月に一度の必需品。
「月のものが始まったようじゃの。使いんさい」
「要らん! 始まってたまるか、そんなもの!」
 出たとしても男の場合は下血だから。必要なのは生理用品じゃなくて大腸検査だから。

「おぬしの身体は子が産める体に変化しておる。痛みはそのせいじゃ。蛇姫のありがたい神意を受けておきながらそれを無にするような真似をしてみろ。天罰が下ろうぞ」
 脅しつけるようなハツの物言いに、薪は鼻先で嗤いを返す。天罰なんて非科学的なものが、第九の室長に通用すると思ったら大間違いだ。
「この村は蛇が異様に多いと思わんか。あれらはみな、蛇姫の祟りを受けた者どものなれの果てよ。元は同族、哀れと思うゆえ保護しておるのだ」
 もともと蛇と言うのは生命力が強いのだ。その上に人間が保護したり餌を与えたりしたら増えるのは当たり前だ。

「薪さん、大丈夫ですか? まさか本当に身体に変化が」
「アホ。昨夜のカエルだろ」
 痛みは徐々に増して、薪の額には冷や汗が浮いた。動ける時間は少ないと判断し、薪は行動を開始した。
「おい、ハツ」
 年長者を呼び捨てにするのはポリシーに反するが、今はそんなことに構っていられない。腰の曲がった老婆を下から睨み上げるようにして、低い声で言い放った。
「僕の身体に蛇姫の魂が宿っているなら、おまえは僕のなんだ。僕に仕える巫女だろう。だったら僕の言うことを聞け。僕らをここから解放しろ」
 てか、トイレ行かせて、おねがい!

 薪の切実な訴えに応えたのは、果たしてハツではなかった。
 最初に気付いたのは、上を向いていた薪だった。それは真っ暗な高い天井の、その上から下りてきた。

「薪さん、あの子」
 薪の表情の変化に気付いた青木が、驚きの声を上げる。梁を伝い柱を滑り、やがて皆の前に姿を現したのは真っ白い肌をした小さな男の子。薪と青木はその肌の色に見覚えがある。宮原さつきのMRIに映っていた男の子だ。
「し、始祖さま」
 ハツがうろたえた声を出す。その男児はゆるやかに床に降り立ち、驚きのあまり腰を抜かしたらしいハツと右往左往する村人たちに向き合った。

「逆さまになってたのは吊るされてたんじゃなくて、天井から下りてきてたのか」
「事件じゃなかったんですね」
 薪たちの会話が耳に入ったのか、男児は細い足先をこちらに向け、すたすたと歩いてきた。その白い身体は鉄の格子を難なく通り抜ける。全裸に見えた彼に性器は付いておらず、しかし女児のそれでもない。不謹慎にも、青木が薪に囁いた。
「全身白タイツみたいですね」
「どこぞのお笑い芸人か」
 信仰心に欠けた二人を責めるでもなく、痛みに呻く薪に手を差し伸べる。不思議なことに、薪の腹からすうっと痛みが引いて行った。
 痛みが消えて元気になった薪が、勢いよく立ち上がる。それを横目に男児は、再び鉄格子の向こうに戻った。
「なるほど、この鉄格子は立体映像だったんだな。出るぞ青木、痛っ!」
「どうして体当たりする前に手で確かめるとかしないかな」
 したたかにぶつけたおでこを擦る薪の前で、男児はハツに向かって歩き、彼女と重なり合い。彼女の腹に消えて行った。

「薪さん……今の」
「解った、あの男の子が立体映像だったんだ。防犯システムのオプションだ、きっと」
 見たものをそのまま信じる青木と超常現象を認めない薪の間で、ズレた会話が交わされる。その先ではハツが、自分の腹に手を当てて呆然としていた。
「始祖さまが……わたしに……」
「なんと。婆さまが次の蛇姫になられた」
 騒然となる村人たちの真意を汲み取って、薪が意地悪く微笑む。40過ぎのオッサンと90過ぎの老婆、究極の選択ってやつだ。どちらにしても男を立てるには根性がいる。

「面白いことになったぞ、青木。あの婆さんが男たちの相手を……え」
 老婆のしなびた身体が二つに割れた。まるで蛇が古い皮膚を脱ぎ捨てるように、中から若く美しい女性の姿が現れる。漆黒の髪に輝くような白い肌。蛇姫と言うだけあって、顔立ちはややきつい。強気な瞳は白蛇のそれと同じ赤色、ぽってりとした唇もまた紅を引いたように赤く艶めいていた。
 村の男たちがわっと歓声を上げる。新しく誕生した姫の周りを囲み、口々にその美しさを褒め称えた。
「なんと美しい」
「やはり村の血じゃ。余所者の比ではないわ」
「いいえ、薪さんの方がずっときれいです! ――っ、なんで叩くんですか」
「黙ってろ、バカ」
 
ハツは自分の身体を見下ろしたり、顔に手を当てたりしていたが、伝承に生きた女性らしく落ち着いてその変化を受け入れた。身長も伸びたのか、サイズの合わなくなった巫女の衣装を身に着けると、裾からはみ出たしなやかなふくらはぎが実に色っぽかった。男たちが別の意味で騒然となる。
「これが本来の蛇姫伝説だったんですね。すごいなあ」
「騙されるな、青木。あれはペテンだ、トリックだ。若い女性が黒い服を着て物陰に隠れてたんだ」
「『伝説は本当だった』じゃダメなんですか」
「僕は第九の室長だ。科学で証明できないことは認めん」
 青木の言い分を全否定して、薪は、だん! と床を踏み鳴らした。村人たちの注意を引くためだ。

「よく分からないが、僕は用済みと言うことでいいのかな」
 盛り上がっている村人たちにわざと水を差すように、薪は冷ややかな声で言った。信じられないものを見たショックからか、下腹の痛みは消えていた。
「そうじゃった。いや、すまんの」
 男たちの輪から脱け出して鉄格子に近寄ってきたハツが、薪を見て申し訳なさそうに言った。「いいえ。よかったですね」と微笑む青木を、お人好しもいい加減にしろと蹴り飛ばし、薪はぶっきらぼうに答える。
「謝罪はいい。早くここから出してくれ」
「いや。本当にすまんの」
「……おい。なんのつもりだ」
 ハツが壁のスイッチを押した。てっきり鉄格子が上がるものと思っていたのに、動いたのは二人の足の下、つまり床板だった。
 廊下の板が真ん中から分かれて、徐々に左右の壁に吸い寄せられていく。5メートル下には、座敷牢と同じように蛇の大群が。

「それはないだろ!!」


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蛇姫綺譚(14)

 明日は発売日ですね!
 事件の展開がとても楽しみです。どういう風にあのシーンに結びつくのかなあ。わくわくするなあ。



 続きです。
 うーん、やっぱりオワラナカッター。



蛇姫綺譚(14)






「それはないだろ!!」
「蛇姫の力は唯一無二のもの。二人いては争いの元じゃ」
 派閥争いを防ぐため、前リーダーを殺すのは古代史だけでなく動物の世界でも普通になされることだ。理屈は分かるが、はいそうですかと頷くわけにはいかない。
「待て! 青木は関係ないだろう!」
「その男の精力は惜しいが、おぬしも一応は蛇姫の魂を持つ者。供の一人もおらぬでは、果敢なさが過ぎようと言うもの」
「僕は一人で平気、むががっ」
 1メートルほど開いた板の間をひょいと飛び越えて薪の隣に立った青木が、いきなり薪を抱き締める。驚く間もなく口を手で塞がれた。
「なにす、んうっ」
 薪には青木の意図はさっぱり解らなかったが、ハツには伝わったようだった。蛇姫の神通力、というかその場で分かっていなかったのはあるいは薪だけだったかもしれない。

 ハツは、手に入れた若さと美貌を薪に見せつけるように、悠然と笑った。
「二人一緒に逝けるのじゃ。感謝せえよ」
 青木の腕の中で、薪はぎりぎりと歯噛みする。そうする間にも床はどんどん少なくなって、助かるには今この場で鳥にでもなるしかないところまで追いつめられてしまった。
「くっそ、化けて出てやるからな! オボエテロ!!」
「どこが科学的なんですか」
 呪いの言葉を吐いても床は止まらない。次の瞬間、抱き合ったまま下に落ちた。

 思わず目を瞑る。
 青木のように蛇を見ただけで悲鳴を上げるほどではないが、これだけ大量の蛇の中に入るのだ。いかに豪胆な薪とて身体が竦む。

 意外にも落ちた衝撃は柔らかく、大量の蛇がクッション材になったものと思われた。が、周りはヘビだらけだ。突っ込んだはずみに何匹か服の中に入ってるし、気の弱い人間なら気絶していてもおかしくない。
「青木っ、大丈夫か!?」
「☆□▽※~~!!!」
 だめだ、こりゃ。
 それだけパニクっていても青木は薪を放さない。強く抱かれ、ひしゃげられて苦しい呼吸の下で薪は必死に活路を模索した。色彩豊かな蛇たち、だが見たところ、毒蛇はいないようだ。普通の蛇に少々噛まれたくらいなら人は死なない。蛇たちを刺激しないよう注意して逃げ道を探せば助かるかもしれない。

「うん?」
 蛇の中に突っ込んでしまった足をそうっと出して、薪は不思議に思った。靴を履いていないのに、噛まれた跡がないのだ。
 蛇と言うのは獰猛なイメージがあるが、実は臆病な生き物だ。大きな音を立てながら近付けば逃げて行ってしまうし、いきなりテリトリーに踏み込んだりしなければ襲ってきたりはしない。今回の場合、蛇たちにしてみれば突然人が降ってきたのだから手当たり次第に噛みまくってもおかしくないのだが、彼らにその気配はなかった。
 落ち着いて蛇たちの動きを見れば、彼らはその長ひょろい身体を必死にくねらせて、薪たちの下に入り込もうとしている。ある可能性に思い至り、薪は青木に命じた。
「青木。手を放せ」
「おひゃは! まっ、ひゃん、ぼ、いいいい! ひ、ひんでもあ、あああ~っっ、ます!(訳 オレは薪さんのボディーガードです。死んでもあなたを守ります)」
「無理して喋らなくていい。力抜け」
 強張った青木の腕からようよう脱け出すと、薪は蛇たちの上に仰向けに横たわった。
「薪さん」
「いいから。おまえもやってみろ」
 彼らが作り出すうねりに身を任せれば、自分の身体が一方向へと運ばれていくのが分かる。背筋を伸ばし、大人しくしていれば蛇の海に埋もれることはない。背泳ぎの要領だ。

「蛇のベルトコンベアーですね」
「尻の下がちょっと気持ち悪いけどな」
 慣れてくれば起き上がることもできる。二人は蛇の絨毯の上に胡坐して、暗い通路を進んだ。何処へ連れて行かれるのかまだ安心はできないが、ひとまず命の危険はなさそうだ。

「この方向ってもしかして」
「分かるのか」
 方角に心当たりがあるらしい青木に説明を促したが、それを青木が口にする前に出口が見えてきた。薄暗いランタンの下、扉代わりの粗末なベニヤ板が無残に割られている。どうやら青木が閉じ込められていたと言う庭の納屋のようだ。
 二人を納屋に下ろすと、蛇たちはぞろぞろと通路に戻っていった。虹色の動く絨毯が少しずつ闇の中に帰って行く様子は、幻想的で美しく、荘厳ですらあった。

「さて、行きましょうか。よく掴まっててくださいね」
 裸足の薪を抱え、青木は自分が破った戸口から外に出た。屋外に出て、外が暗いことにひどく驚く。まだ夜が明けてなかったのか。
「困りましたね。長居はできないし」
 薪が生きていることが分かったら、争いの目を摘むと言う名目で、また村人たちに命を狙われる。仕方なく青木は森の中を進んだ。車まで行ければトランクに薪のスニーカーが積んである。例え車を動かすことができなくとも、歩いて森を抜けることができるようになる。
「青木。そこ右だ」
「えっ? まさか薪さん、車の場所を覚えて……いや、もう驚きません」
 最初、それを二人は気のせいだと思った。自分たちが進む道の草木が、二人を避けてくれるように感じたのだ。事実、二人が通り過ぎた後、草木は元の位置に自然に戻った。後方で起きている現象に気付かず、薪と青木は難なく車まで辿り着いた。

「あれっ?」
 自分たちの車を発見して、二人は驚きの声を上げた。不思議なことに、車を取り囲んでいたはずの樹木が消えていたのだ。
 村人たちの言葉を信じるならばこれも蛇姫の神通力と言うことになるが、何らかの理由で術が解けたのか。解けたと言うよりは解いた、要するに。
「蛇姫失格ってことか」
 薪は心の中でガックリと肩を落とす。もちろんやりたくはなかった、しかし、ハツが言ったような理由でお役御免になったのだとしたらものすごく情けない話だ。男として切なすぎる。90過ぎの老婆に下半身で負けるなんて。

 無言で不貞寝してしまった薪を横目で見やり、青木は何も言わずに車をスタートさせた。今までの経験から下手な慰めには鉄拳が飛んでくることを知っていた彼は、しばらくそのままで車を走らせた。



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蛇姫綺譚(15)

 メロディ12月号で再びエセあおまきすと疑惑が浮上したしづですが、ガセでございますのでご安心ください。
 不肖わたくし、骨の髄までがっつりあおまきすとでございます。青木さん、がんばれ。






蛇姫綺譚(15)






 タイヤが1回転するたびに、バックミラーがパシリと枝を弾く。ボディコーティングの上にどれだけの小傷がついたことだろうと、想像して青木は憂鬱な気分になった。自分の車でなくても心が痛む。車好きのサガだ。
「完全に迷ったな」
 助手席で薪が呟く。申し訳なさそうに青木が言った。
「すみません。オレの頭には薪さんみたいにGPS搭載されてないんで」
「僕の頭にだって入ってない。……止めろ。これ以上は燃料の無駄だ」
 青木は車を停めてエンジンを切った。危険予知のために少しだけ窓を開けておく。窓からは森の夜気と、季節を先取りした虫の声が聞こえてきた。

「おまえの言う通りだったな。あの老女は罠を張っていた」
 フロントガラスを埋め尽くす闇の中に何かを探すように、亜麻色の瞳が強く輝く。こんな状況にあっても強気な薪の横顔は、青木に安心と勇気をくれる。その瞳をふっと細めて、薪は微笑んだ。
「他人を信じやすいおまえが、よく気付いたな」
「そりゃ気が付きますよ。あのお婆さん、顔がヘビでしたもん」
「またそんな失礼なこと」
 クスッと笑って、でもすぐに思い直したらしい。そう、青木は他人の外見について悪く言うような人間ではない。
「もしかして、比喩じゃなくて本当に?」
「はい」

 薪はぽかんと口を開け、次の瞬間大声で叫んだ。
「なんで言わなかったんだよ、そんな大事なこと!」
「言ったじゃないですか。人間じゃないって」
「バケモノならバケモノって言えよ!」
「薪さんに見えてないとは思わなかったんですよ」
 青木の言うことにも一理ある。薪が青木の言っていることを理解できなかったように、青木も薪の行動が理解できなかったのだ。視覚が違っていたなら当然のことだ。
 しかし、青木は薪の後を着いてきた。そして老婆の家で食事をごちそうになった。相手が人外の者と分かっていたら、そんな行動を取るだろうか。

「だって。お腹空いてたから」
「化け物が用意したメシだぞ。食うか普通」
「助けてくれたし。善い化け物かもしれないと思って」
「いるか、そんなもん」
「そんなことないですよ。ハツさん、オレたちを逃がしてくれたじゃないですか」
 どうしてあの非常事態に、青木が薪の口を塞いだのか分かった。青木はハツが村人たちの手前、二人を殺す振りをしていると考えたのだ。その真意を村人たちに気付かれないよう、薪を黙らせる必要があった。
「ハツさんが言ったんですよ、薪さんの中に蛇姫様の魂があるって。だったら、蛇は味方になってくれると思ったんです」
 青木は何処までもお人好しだ。ハツのことも人間ではないと分かっていながら、結局は信じてしまっている。
「その割には、穴に落ちた時にパニクってなかったか」
「生理的嫌悪に負けました。オレ、しばらく鰻はいいです」
「僕もだ」

 青木の性善説に呆れつつ、会話を終わらせた薪は、闇の中でふうむと腕を組んだ。
 それにしてもおかしい。どうして青木に見えたハツの正体が自分には見えなかったのか。
 青木にしか見えなかったものは他にもある。4匹の蛇を埋葬した時、薪の周囲に現れたと言う白蛇の姿。暑さによる幻、或いは太陽光のハレーション、そんなものだと決め付けていたが、まさかあれも。
『おぬしはすでに蛇姫を宿している』
 あり得ないと思いつつも考えてしまう。もし、ハツの言葉が事実だったとしたら。

 ふと。
 頬に添えられた青木の指先が、薪の思考を中断させた。暗闇の中で運転席に顔を向ければ、青木の手に薪のくちびるが夜露に濡れる花びらのように触れる。手のひらでその位置を確認した青木は、何の前置きもなく薪にくちづけた。
 貪るようなキスだった。息をすることさえ容易く許してくれなかった。
 狭い車の中で、きつく抱きしめられた。耳元にかかる青木の熱い息。薪がそれに身を任せようと眼を閉じると、不意に身体を離された。
「すみません。さっきの男のこと、思い出しちゃって」
「悪かった。その、薬を」
 言い掛けてやめた。不貞の現場を目撃されたのだ。何を言っても言い訳にしかならないと思った。
「薪さんは悪くないです。ただ、くやしくて」
 青木が自分を抑えているのが分かった。きっとすぐにでも確かめたかったに違いない、恋人に自分が愛されていること。でも青木はこういう場所で愛を交わすことを嫌う薪の性質を知っている。だから身体を離した。

 薪は青木の手を取り、その指先に口づけた。人差し指を口に含み、濡らした指を自分のワイシャツの中に招き入れる。
「薪さん」
「まだ薬が残ってるみたいでな。そんな状態の僕はいやか」
「大歓迎ですっ」
 思わず吹き出してしまう。相変わらずバカ正直だ。
「公用車だから、汚さないようにしろよ」
「気を付けます」
 青木のことだから泊まりがけの出張となれば夜の用意も万全だったと思われるが、荷物はトランクの中だ。車の後ろに回って取って来て、車内灯の微かな明かりで準備を整えるには、二人の気持ちは逸り過ぎていた。
「僕の中に出していいから」
「え。でも」
「薬のせいかもしれないけど。そうされたいんだ」
 正直に言えば薬の効果は完全に切れていた。薬のせいにでもしないと、口に出せなかっただけだ。
 薪は暗闇を助けに願いを口にし、そしてそれは与えられた。

 もしも本当に僕に蛇姫の魂が宿っていたなら。これで彼の子供ができるかもしれない。

 女になりたいなんて思ったことはない、彼の子供を産みたいなんて思ったこともない、でもでもでも。
 もしも僕に子供が産めたなら、青木と別れなくて済むかもしれない。誰に憚ることなく、彼の子を生した人間としてこの先もずっと彼の隣にいられるかもしれない。
 自分の浅ましさに耐え切れなくなって、薪は泣いた。死にたくなるくらい自分が情けなかった。
 何を考えているのだろう。これじゃ、子供を盾に男に結婚を迫る女みたいじゃないか。

「薪さん」
 押さえていたつもりでも、肌を合わせている相手にそれを隠すのは不可能で。快楽の余韻による震えだと言い通すには、青木は薪の身体を知り過ぎていた。
「ごめんなさい。無理をさせて」
 ちがう、そうじゃない。おまえは何も悪くない。悪いのは。
 行為を終えて身を引こうとした青木の腰を、薪は脚で抱くようにして押さえた。自分から腰を浮かして、彼を深い場所に感じる。
「薪さん」
「本当に。なんでもないんだ」

 嘘だ。大ありだ。
 ずっとずっと気に掛かっていたのだ、自分たちに子が生せないこと。未来に命をつないでいけないこと。それは人として、いや、生物として間違った行いではないのか。
 彼と出会って愛し合ったこと、それが間違いだったとは思いたくない。でもやっぱり、僕らはどこかで誤ったのだ。だからこんなに苦しいのだ。自然の理に反しているのだと、認めることが苦しい。それでも。
「青木。愛してるよ」
「……おかしいですよ、薪さんっ」
 ちょっと待て。今のセリフのどこがおかしいんだ。
「もしかして、世界の終わりが近いんですか? それで泣いてたんですか?」
 セックスの後に恋人に愛してるって言っただけでどうしてそこまで言われにゃならんのだ。僕はノストラダムスか。

「やっぱり薬のせいかな。安静にさせなきゃいけなかったのかも。ああ、どうしよう、オレのせいで薪さんがおかしくなっちゃったら、あ痛っ」
「なんだその態度! 人が真面目に悩んでるのに」
「なにをですか」
「いやその……蛇姫の呪いに掛かったら、僕はヘビになるのかなって」
 本当のことは口が裂けても言えない。薪は咄嗟に嘘を吐いた。
「そんなこと心配して泣いてたんですか? 薪さん、かわい、や、すみません、もう言いませんから許してください潰さないで」
 青木が仕掛けてくれた冗談に紛らせて、この話は終わらせるつもりだった。悩んでも仕方のないこと。猶予は来年。1年後にはこの悩みも強制終了だ。

「いいんじゃないですか」
 握力計でも握るように自分の秘部を握った薪の手をやさしく包んで、青木は言った。
「オレもう、薪さんなら何でもいいです。ヘビになっても薪さんは薪さんでしょ?」
 ついさっきまで自分を痛めつけていた薪の手を、それをまるで大切な秘宝のように、大事に大事に両手で持ち上げて、青木はその桜貝のような爪にキスをする。青木のしっとりとした唇が、薪の指先をそれこそ蛇のようになぞった。
「薪さんがヘビになるならオレも一緒にヘビにしてもらって、ていうか薪さん、知ってます? 蛇の交尾ってすごいんですよ。合体したまま何日も続くんですって。薪さんとならそういうのもやってみたいで、痛たたたたっ!!」
 痛がる青木が面白かった、それは事実だったけれど、そのとき薪が青木の股間に蹴りを入れたのはそれが理由じゃない。

 卑怯だと思った。
 自分は彼にそう言って欲しかった、青木の口から聞きたかった、自分が彼の唯一無二の存在であると。聞いて確かめたかった、そしてそれを、別れを決意しながらも彼の愛を受け入れることの免罪符にしたかった。
 ずっと心苦しかった、彼に一生寄り添えない、そのことを知りつつ泡沫の幸福を手放せないでいること。潰える運命の愛に彼の貴重な時間を使わせていること。一刻も早く彼に彼の人生を返してやるべきなのに、それができないまま気が付けば長い時間が過ぎてしまった。一時の夢と呼ぶには長すぎる時間が。
 それらをすべて自分の罪と、認めるにはあまりにも重すぎて。自分は彼の望みを叶えてやれる、彼を喜ばすことができる、だからこの不毛な関係を続けているのは自分だけが悪いのじゃないと思いたかっただけだ。
 最低だ。彼の純粋な気持ちを、自分の罪を軽くするために使おうとした。

 薪は助手席から手を伸ばし、薪に蹴られて泣きながら身繕いをする青木の手を握った。
「合体は無理だけどな」
 闇の中、何も見えずとも。青木が尻尾を振る犬のように喜ぶのが分かった。








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ジャンル : 小説・文学

蛇姫綺譚(16)

 こんにちは。
 今日もご来訪ありがとうございます。

 11月3日から昨日にかけて、たくさん拍手いただきました。ありがとうございました(〃▽〃) ご新規さんにも来ていただいてるみたいで、秘密ファンが増えるの、うれしいです。
 それはいいんですけど、最新記事が3連続でRと言う、
 違うの! ここはエッチなブログじゃないの! 今回はたまたま、いつもはドSとギャグの連続なの!(←それもどうよ?)

 R記事は1週間で下げますので、ご了承ください。
 なお、当該記事にいただいたコメントは記事を下げると消えてしまうので、こちらの記事のコメント欄でお返事いたします。毎度のことながら、分かりづらくてすみません(^^;

 次のお話は6万拍手のお礼SSにしたいと思います。
 予定では「モンスター」なんですけど、あ、ドS話はダメ? ううーん……。
 






蛇姫綺譚(16)






 
 翌朝、青木は爽やかな鳥の声で眼を覚ました。
 横を見ると、薪はまだ眠っていた。フロントガラスから差しこむ朝の木漏れ日が、薪の白い肌を輝かせる。思わず見とれた。蛇姫が憑依したハツは確かにきれいだったけれど、青木にはやはり薪の方が数倍美しく見える。

 車から降りて伸びをする。朝の森は、昨日カラスたちが狂い鳴きしていた場所とは思えないくらい清々しかった。
 薪のスニーカーを用意しておくことを思いつき、青木は車の後ろに回った。トランクを開けて、思わず大声を出す。ボストンバックの隣に信じられないものを見たからだ。
「なんだ、朝っぱらから」
 低血圧症の薪が目を覚まし、不機嫌丸出しの声で青木を責めた。朝のコーヒーも用意できないこんな場所で薪の機嫌を損ねるなど愚の骨頂、しかし今はそれを気遣う余裕もなかった。

「トランクに赤ちゃんがいます」
「なにを寝ぼけたこと」
 眼をこすりながら靴下でこちらに歩いてくる、薪の寝ぼけ眼は、それを目にした途端一瞬で見開かれた。白いお包みの中ですやすやと眠る赤子。襟にピンクのリボンが付いているから女の子かもしれない。
「薪さんが産んだんですか」
「埋めるぞ」
 激しく舌打ちして凄んでやれば、聞こえなかった振りで青木が薪のスニーカーを取り出す。少しだけ汚れていた薪の足をハンカチで拭き、靴を履くのに肩を貸した。

「捨て子だろうな。多いって話だし」
「どうしましょう」
「地元の警察に連れて行って、保護してもらう他ないな」
 この子は町の施設に送られるだろう。父親も母親も、もうこの世の者ではないかもしれない。だが、彼らはこの子の命を奪わなかった。人として最低のラインは越えなかったのだ。ひとり残していくのは可哀想だと、ならば共に行こうと、それは親の勝手な言い分だと薪は思う。口も利けない幼子に意見も言わせず、自分の独断でその命を奪うのは只の人殺しだ。

 周りが明るくなったことで眼が覚めたのか、赤ん坊はトランクの中でぐずりだした。姪のいる青木が、慣れた手つきで赤ん坊を抱き上げる。
 よしよし、と赤子をあやす彼を見れば、薪の胸がつきんと痛む。
 あと何年かすればきっと。彼は自分の子供をこうして。

「青木。子供、欲しいか」
「いいえ」
 え、と思わず声に出た。その答えを予期していなかったわけではない。青木なら自分に気を使ってそう言うだろうと思っていた、でも早すぎる。一瞬のためらいもなく返されるとは思わなかったのだ。
「なんで。おまえ、子供好きだろ」
「好きですよ。けど自分の子供はいらないです」
 心臓の、脈打つテンポで子供を揺すりながら、青木は何でもないことのように、
「オレが欲しいのはあなただけです」
 薪は黙って眼を伏せた。これでは昨夜の繰り返しだ。

 そんな薪の態度に青木は何かを感じて、でもそれを口にはせず、自然に話題を変えた。
「それにしても、どうやってトランクの中に? 鍵が掛かっていたはずでしょう」
「それはその……あちこちに手や足が当たったから」
 狭い車の中で愛し合ったから、動くうちにトランクのボタンを押してしまったのだろう。2人が眠りに付いた後、鍵の外れたトランクに子供が置かれた。一応の筋は通る。

「無理心中をしようとした親が、偶々この車を見つけて」
「さっちゃん!」
 薪の推理を証明するかのように、一人の女性が現れた。白いワンピースに長い黒髪の若い女性であった。こんな森の奥深くに居ながら半袖にサンダル履き。しかも手ぶらと来た。十中八九、母子心中だ。
「あなたのお子さんですか」
 青木に訊かれて、女性は「はい」と涙ながらに答えた。
「ごめんね、さっちゃん。悪いママだったね」
 青木の手から子供を受け取り、すると子供はすぐに泣きやんで、自分の指をしゃぶり始めた。母親と言うのは大したものだ。ほんのわずかな触れ合いで子供を安心させる。昨夜、彼女はこの女に殺されるところだったのに。

「ごめんなさい。どうしてもこの子を手に掛けることはできなくて……あなたたちの車を見つけて、拾って育ててもらえたらと」
「身勝手な方ですね。どこの誰とも知らない人間の車のトランクなんかに子供を置き去りにするなんて」
 彼女にとっても苦渋の決断であったことは想像がついた。そこまで追い詰められた人間がギリギリで思い留まって子供を迎えに来る、それは死を選ぶ以上に辛い未来を選択したと言うことで、人によっては感動さえするかもしれない。だがここは叱るべきだ。ちょっとやそっとの反省で許してしまったら、彼女はまた同じことを繰り返すに違いない。

「もし僕たちが悪い人間だったら」
「ええ、意外だったわ。てっきり男女のカップルだと……だって車の揺れ方が、その」
 うああああ! 何を言い出すんだ、この女!
「窓から聞こえてきた声もすごかったし。終いには、蛇になって何日も続けてしてみたいなんて」
 内容詳しすぎ! 聞こえてきたんじゃなくて聞いてたんだろ、それ!
「蛇になりたいだなんて、どうしてそんなこと言うのかしらって不思議だったんだけど。なるほど、男同士ね。きっとわたしたちには想像もつかないほど苦労してるのねえ。人間やめたくなるくらいだものね」
 余計なお世話だっ。
「可哀想に」
 赤ん坊と無理心中しようとしてた人に言われたくないんだけど!

 この女はなにか、この世で自分が一番不幸な人間だ症候群真っ只中にいるときに、自分よりも明らかに不幸な人間を目の当たりにして、ああ自分はまだ幸せな部類なんだ頑張ろう的なあれか、比較対象になった『明らかに不幸な人間』て僕らのことか、なんてムカつく女だ。
「薪さん、ブリザード止めてください。赤ちゃんが引きつけ起こしてます」
 青木が薪の額の青筋をいくらかでも減らそうとする、その努力を悪意のない、その分タチの悪い女の声がぶち壊した。
「あなたたちの苦労に比べたら、不倫相手の子供を産んで育てることなんて何でもないことに思えてきました」
 子供と一緒に森の養分にしてやろうか。
「頑張ってくださいね。応援してます!」
 おまえがな。

「二度と早まった真似をしないように。この子の将来のことを考えてあげてください」
 心の中では悪しざまに罵るも、無垢な赤子の前ではそれを口に出すこともできず。薪は低い声でそれだけを言葉にし、ようやくのことで年長者の威厳を取り繕った。
「はい! あなたもまだ10代でしょ。お互い頑張りましょうね!」
「40だッ、おまえの倍は生きてる!」
「薪さん、薪さん。もういません」
「え。なんでいなくなっちゃうんだ。また森の中で迷ったら、――あ」
 女の姿を森の中に探して薪は気付く。白いワンピースが消えて行った先から聞こえてくる車の音。早朝の道路を走る大型トラックだった。
「こんなに出口に近かったんですね。昨夜はもっと森の奥にいたような気がしたけど」
 暗くて分からなかったんですね、と苦笑交じりにトランクを閉め、青木は運転席に座った。なにやら難しい顔をしている薪に、早く乗ってくださいと声を掛ける。ここへは公務で来たことを思い出したのか、さっきの女性に言われたことが気恥ずかしかったのか、薪は後部座席に乗り込んだ。
 
 程なく道に出て、青木は少し驚いた。道が舗装道路になっている。昨日はずっと砂利道だったのに。
「ええと、まずは誰かに道を訊かないと。人を見つけて交番までの道を教えてもらって、あ、その前に朝ごはん食べられる所を」
「2キロ先にコンビニがある」
「えっ!? ……いや、もう驚きません。驚きませんけどでも、薪さんの頭って」
「ナビに書いてある」
 昨日、故障したはずのナビはいつの間にか直っていて、薪の言う通り、道沿いにコンビニエンスストアのマークがあった。5分も掛からず到着した店の駐車場に青木は車を停め、朝食を調達して車に戻った。

 車の中では、薪が運転席で何かを探していた。青木に気付いて席を譲り、自分は助手席に移ると、車のナビに宮原さつきの住所を入力した。目的地として登録すると、ここから30分ほどの距離と出た。ナビは正常に動いているようだ。
 おにぎりと冷たいお茶の簡素な食事を摂りながら、青木は駐車場に次々と入ってくる車を眺めた。通勤前にここで買い物をしていく客が多いらしく、広い駐車場が半ば埋まっている。昨日とはえらい差だ。昨日は30キロ走っても車一台すれ違わなかった。
「電話も使える」
「不思議ですねえ」
「ああ。不思議なことだらけだが……一番はこいつだ」
 おかかのおにぎりを齧りながら、薪は後部座席に手を伸ばす。捜査一課と書かれた茶封筒の中から出てきたのは、数枚の白紙であった。
「もうひとつ。白骨死体の傍で拾った瓶がなくなってる」
 昨夜、車の中に落とした可能性を考えて運転席周りを探していたらしい。
「逃げてる途中で落としたのかもしれませんね」
 それは充分考えられることだったが、薪は納得していないようだった。そんな単純な話ではない気がする、と薪は呟き、そしてそれは当たっていた。
 
 宮原さつきの家はナビのおかげですぐに見つかり、近隣住民の話も聞けたのだが、それは意外なものであった。誰一人として宮原さつきを知らないのだ。さつきを育てたのがハツであったとしても、彼女は森の中だけで育ったわけではない。地元の学校に通っていたのだから、同年代の誰も彼女を知らないと言うのは不自然ではないか。
 もうひとつ、聞き込みをしていて驚いたことがある。何処から出てきたものか、若い女性がたくさんいるのだ。それだけではない。道の途中には幼稚園も小学校もあった。夏休み中で多くの子供たちは家にいて、今どきの子供らしくテレビゲームに熱中していた。子供が少なすぎて村の存続が危ぶまれる話は何処へ行ったのだろう。

 どうやらあの男の子も事件ではなく超常現象――薪はあくまで立体映像だと言い張っていたが――だったようだし、これ以上の捜査は必要なしと判断し、二人は週末までの予定を切り上げて東京に帰ることにした。
 帰りがけに、昨日世話になった交番に立ち寄った。田崎巡査は今日はいなかったが、彼に礼を言っておいて欲しいと正職員の中村巡査に伝えたところ、またもや意外な答えが返って来た。
「田崎とは誰でありますか?」
「シニア巡査の田崎さんですよ。昨日、あなたの代わりに留守番をしていた」
「自分は昨日、ずっとここにおりましたが」
 中村巡査が嘘を吐いているようには見えなかった。キツネにつままれたような話だ。
 不審顔の二人に、巡査は自分の言葉を証明すべく、引き出しから警邏日誌を取り出した。若い巡査らしく、机の中にはアイドルの生写真が入れてある。目ざとくそれを見つけた薪が無遠慮に写真をつまみ上げた。焦った顔をするが、巡査の身分で警視長の薪に口答えできるわけがない。叱責を覚悟して肩を竦める中村巡査の前で、薪は携帯電話に手を掛けた。

「……こうくるか」
 くいと顎を上げ、薪は青木にスマートフォンの画面を見せた。そこには、フリルだらけのミニスカートを穿き、長い脚で軽やかにステップを踏む宮原さつきの姿が映っていた。
「事件そのものがなくなっている。宮原さつきは生きているんだ」



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蛇姫綺譚(17)

 雨が降って現場がお休みになりまして。
 昨日は怠け癖のせいで溜めてしまっていたコメントのお返事を書きました。(それでもまだ全部返し切ってないんですけど(^^;)
 いつも励ましてくださってありがとうございます。現場が始まってしまうとどうしてもこちらが手隙になってしまうのですが、どうか長い目で、これからもよろしくお願いします。

 拍手もたくさんありがとうございました。おかげさまで6万超えました。
 お礼SSは予告通り「モンスター」で、あ、S話はダメ?


 先々月からの続きもの、これでおしまいです。
 お付き合いくださって、ありがとうございました。




蛇姫綺譚(17)





「つまり……どういうことですか」

 ベッドの中で、青木はパジャマ姿の薪に尋ねた。薪の方に寝がえりを打つと、その重みでマットのスプリングが小さな音を立てる。
 ベッドでの質問にしては色気のなさ過ぎる青木の疑問に、薪は「うん」と気のない返事を返し、両手を組み合わせて自分の頭と枕の間に差し込んだ。
「あれは夢だ。僕たち二人して夢を見てたんだ。水曜日の夜からずっと」
 オードヴィの予約が取り消された水曜日、二人で見たはずの宮原さつきのMRIはハードディスクから消えていた。ログも残っていなかった。捜査一課の刑事たちはもちろん、第九の誰もその事件を憶えていなかった。
「水曜の夜からって、今日は金曜日ですよ?」
 夢オチなんて苦しすぎる。風呂敷広げ過ぎて収拾付かなくなった小説家みたいだ。

「木曜日はオレたち二人とも無断欠勤になってるし。岡部さんが気を利かせて、薪さんが頭痛、オレが腹痛ってことにしておいてくれたから助かりましたけど」
 N県から帰った二人を待っていたのは、第九の仲間たちの心配顔だった。2人の関係を知っている岡部だけは渋い顔をしていたが、てか岡部さん、それ誤解です。堅物の薪さんが「今日2人で会社休んじゃう?」みたいな美味しいこと許してくれるわけないじゃないですか。

「やっぱり白蛇の祟りだったんじゃ」
「非科学的なことを、と言いたいところだが。キツネの妖術があるくらいだし」
 3ヶ月前、T県の森の中でキツネに化かされた。その前には妖怪の棲む森で散々な目に遭った。どうも森とは相性が悪いらしい。
「なんか、今年に入ってから連発じゃないですか。今年はこういう年なんですかね」
「雪子さんが竹内と結婚したくらいだからな。何が起きても不思議はないが」
 薪は雪子が大好きなくせに天然で失礼だと思う。

「あくまで僕の主観と推論だけど」
 天井を見据えたまま、薪はそう前置きして、先日の不可思議な体験を整理した。
 蛇姫伝説は現代のものではなく、過去の出来事ではなかったか。だから舗装道路もなく、携帯電話も使えず、地図も役に立たなかった。

「タイムスリップってことですか」
「夢の話だからな」
「なるほど」
 夢と言うことにしておかないと、現実主義者の薪は話ができないのだろう。青木は相槌を打ち、話の続きを促した。

 白蛇の死がタイムスリップのトリガーだった、と薪は語った。
 それからすぐナビが使えなくなり、電話もインターネットも繋がらなくなった。薪が記憶していた現代の地図は役に立たなくなり、交番にはその時代に勤務していた老巡査が現れた。田崎巡査が口にした「蛇神村」の地名は正しかったことになる。
「薪さんが蛇姫に魅入られたのは、MRIで始祖の蛇神を見つけたからですか」
「……たぶんな」
「伝説通り、4匹の蛇の死にも立ち会っちゃいましたしね」

 ハツの話から、ボンネットで死んでいた3匹の蛇は蛇姫のお供であることが分かった。自分たちは律儀にも、自分たちの車で彼らを殺し、彼らの死骸を蛇姫と同じ墓に埋葬した。つまり殉死の手助けをしたことになる。
 蛇姫の生まれ変わりの儀式に貢献したことで、余所者であるはずの薪が次の蛇姫に決まった。若い女性はもはや、蛇神村には存在しなかったからだ。蛇神にまで女性だと思われていたことは薪は認めなかったが、多分そういうことだ。
 蛇たちを埋葬した後、青木は、白蛇が薪の口から体内に入って行くのを見た。薪には白昼夢だと蹴られたが、あれは幻ではなかったのだ。
 その後薪は、蛇姫の巫女たるハツにその身を狙われることになる。最初は蛇殺しの罪人として、蛇姫の魂が薪の中にあることが判明してからは次の蛇姫として。蛇姫に村の男たちの子を産ませ、村を存続の危機から救うこと、それが巫女の役目だからだ。
 ハツの神通力によって2人は森に迷い込まされ、彼女の屋敷に誘導された。薬を盛られ、発情した薪が男たちと交わって子を生せば、それでハツの計画は完遂される。事実、薪の身体にはその変化が起きていた。ハツの計画が頓挫したのはたったひとつの誤算、薪の下半身が異様に残念だったと言うことで――、
「やかましい!」
 すねを蹴られて青木は呻く。心の中で思ったのに、これぞ神通力。

「蛇神村のことはだいたい解りました。でも、それと宮原さつきの事件が消えてしまったこととは」
「森の中の白骨死体は宮原さつきの母親だ」
「え」
 あれが宮原さつきの母親?
「まさか」
「ワンピースのタグが同じだった」
 そんなところまで見ていたのか。言われてみれば顔立ちが似ていたような……そうだ、彼女は子供を「さっちゃん」と呼んでいた。

「あの森にオレたちが居合わせたことで彼女は自殺を思い留まり、結果、宮原さつきはまったく違う人生を歩むことになったと。――でも、母親が自殺したのは蛇神村が無くなった後ですよ? そうじゃないと宮原さつきの年齢が合いません」
「うん、そうなんだ。だからあの森は、場所によって時間軸がバラバラだったんじゃないかと思うんだけど……その辺は僕もよく分からない。ただ、白骨死体の傍で拾った薬瓶が翌朝になったら消えてしまったのは事実だ」
「逃げる途中で瓶を落として」
「それは考えにくい。瓶を包んでおいたハンカチはポケットに残って」
 言葉を切って、薪は小さな欠伸を洩らした。手枕を解いて薄い掛布団を引き上げる。

「いずれにせよ夢の話だ。もう寝るぞ。今日は疲れた」
 薪はくるりと寝がえりを打つと、青木に背を向けて押し黙った。枕元のリモコンで部屋の明かりを消して青木は、ほの白く光る天井のクロスに、巫女の衣装を着けて蛇姫の化粧を施した薪を思い浮かべた。





*****




 隣から寝息が聞こえてくると、薪は静かに身体を回転させ、闇の中で青木の寝顔を見つめた。
 健やかに、規則正しく繰り返される呼吸に安心をおぼえる。何があっても熟睡できる青木の若さと図太さを羨ましく思いつつ、我知らず緩む口元に失笑しつつ、薪はそっと彼の肩に自分の額を押し付けた。

 ――青木に話さなかったことがある。蛇姫が自分を選んだ本当の理由だ。
 自分は、子供好きの青木に子供を持たせてやれない。そのことがひどく気になっていた。だからかもしれない。
 青木の子供を産みたいなどと考えた覚えはない。それでも心のどこかにきっと、そんな生活を夢見る自分がいたのだと思う。それが、女の機能を失ってなお子を持ちたいと願う女の姿に重なったのだ。だから蛇神は自分に宿ったのではないか。

 この際、蛇神の真意などどうでもよい。
 そんな莫迦げた考えを抱くほどに、彼と別れたくないと自分は思っている。問題はそこだ。

 来年は青木と別れなきゃいけない、そう意識し始めた今年になって立て続けに奇妙な世界に誘い込まれたのは、そんな現実から逃れたいと願う、自分の弱さが魔を呼んだからなのか。
 あと1年。本当に、僕は青木と別れられるのだろうか。
『約束の期限までには必ず彼と別れます』
 去年の夏、薪は小野田にそう言った。そんな期限を切っているような人間が、例え僅かな間とは言え彼の側にいてもいいのだろうか。彼に愛される資格があるのだろうか。

 答えの出ない問いは、夜ごと薪を苦しめる。
 彼との時間が重なるほどに、愛される喜びを知るほどに,、深く、重く。

 薪は手を伸ばし、身体の脇に薪の手を待つように置かれていた青木の手のひらに自分の手を重ねた。力の抜けた青木の手指の間に自分の細い指を滑り込ませ、軽く握る。深い眠りの中で、青木が満足気な吐息を洩らした。

 永遠には無理だけど、せめて一緒にいられる間は。
 この世で一番の幸せを彼にあげられるように努力しますから、僕にもう少しだけ時間をください。

 誰にともなく祈りながら、薪は眠りに就いた。




―了―



(2015.8)



 この話、上手に着地できなくてすみませんでした。
 自分でも納得できなかったんですけど、ぶっちゃけ在庫が無くて(^^;
 次の話はもう少しまとまってると思うので、見捨てずにお付き合いいただけるとうれしいです。

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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