モンスター(1)

 こんにちは。

 6万拍手ありがとうございました!
 ご新規さんも常連のみなさんも、どうもありがとうございます。特にご新規さんは、過去作から読んで行こうと思うと記事数が多いから大変でしたよね。お疲れさまでした。

 感謝を込めまして、こちら、お礼のドSSS、です。
 なんか白い目で見られてるような、何回恩を仇で返せば気が済むんだとか思われてる気がしますけど、ごめんなさい、自分が面白いと思うものしかわたしには書けません~(それがドS話って人としてどうよ?)
 てか、自分が書いてて面白いと思えないものは人が読んでも面白くないと思う、きっとそうだと思う!(だからそれがドS話って以下略)

 どうか広いお心で、よろしくお願いします!
 ほんのちょっとでもお楽しみいただければ幸甚でございますっ。
 
 

 


モンスター(1)





 母が、ごぼりと血を吐いた。咄嗟に押さえた右手の骨ばった指の間から、母の生命が零れ落ちていた。
 ナースコールのボタンを押そうとして止められた。いいの、と血塗れの手でシャツの裾を掴まれた。
 私のお気入りのシャツが黒ずんだ血で汚れた。母の中は病魔に荒らされて、真っ黒に腐ってしまったのだと私は思った。だからこんなに血が黒いのだ。赤いはずの血が黒い。
 だけどそれは私の思い違いだった。

「母さんはもう長くない。だからあなたが」
 母は患者衣の袂から一枚の写真(それは雑誌の切り抜きであった)を取出し、いつものように私に見せた。
「あなたが、きっと仇を討って。この男を和也と同じ目に遭わせて」

 悪いのは病ではない。病は人に苦しみを与えるが、悪ではない。
 母の中身を腐らせたのはこの男。夜ごと母が恨み言を向けていた写真の男だ。

 私は母から写真を受け取った。力強く頷いて見せる。
 母は、それでやっと落ち着いたようだった。ベッドに横たわり眼を閉じる。やせ細って顔色は青白く、口の周りを吐血で赤黒く染めた母は、まるで北欧の霧の夜を彷徨うモンスターのようだった。

 私はナースコールを押し、駆け付けた医師たちに母を任せた。母の治療をするのは私の仕事ではない。私の仕事は別にある。
 私は廊下に出て、病棟の端まで歩いた。周りに誰もいないのを確かめて、母に託された写真を見る。
 繰り返し母に突き付けられたその画像は、もはや見るまでもなく私の脳裏に焼き付いていた。亜麻色の短髪に亜麻色の瞳の美しい青年。仕立ての良いダークグレイのスーツに臙脂のネクタイ、やや襟の立った真っ白いワイシャツ。インタビュアーに向けて微笑みを浮かべる、その白い頬に母の吐血が、彼女の怨念そのままにべったりと付着していた。

 この男を、兄の和也と同じ目に遭わせる。殺人鬼の手に落ちて、弄ばれ慰み者にされ、二目と見られない姿になって死んだ兄と。そっくり同じことをこの男に。
 それが怪物の子供である私の仕事だ。



*****



 静かな熱意に満たされた執務室に、派手な衝突音が響いた。思わず全員が振り返る。自動ドアの傍に転がった資料箱、その隙間から覗いた29.5センチの靴。どうやら捜査一課から資料を運んできた青木が、書類棚にカートごと突っ込んだらしい。

「大丈夫か、青木」
「すみません、お騒がせして。大丈夫です」
 書類の下からマッコウクジラが海面に上がるみたいに、やや乱れたオールバックが顔を出す。散らばった書類を拾う彼に手を貸しながら、でも言葉は辛辣に小池は笑った。
「おまえじゃなくて書類だよ。転んだはずみに一枚でも破損してみろ。ブリザードが吹き荒れるぞ」
「安心しろよ、青木。薪さんなら外出中だから」
「あ、バカ」
 小池の横で彼と同じように書類を集めながら青木にフォローを入れた曽我の、30才を超えたあたりから筋肉と脂肪の割合が逆転してきている脇腹を、こちらは一向に太る気配の無い小池の尖った肘が軽く突く。それから小池は、曽我にしか聞こえないように声を潜めて、
「あの新人に薪さん取られて、青木が落ち込んでるの知ってるだろ」
 ぴくりと青木のこめかみが震える。だがそれはメガネのフレームに隠されて、小池たちの目には映らなかった。青木が何も言わないのをいいことに、二人の会話は非情に続く。

「今だって、そいつをお供に連れての外出中じゃないか」
「そんなの考えすぎだよ。薪さんはただ仕事に支障が出ないように、まだ新人で、単独で事件を持たせられない職員を同伴してるだけで」
「他の事ならともかく、薪さんのことだぞ。青木に理屈なんか通るかよ」
 青木は第九の捜査官だ。声のトーンを落としても口元を隠さなければ、内緒話は意味がない。てか小池さん、だんだん声大きくなってませんか?

「目の前で他の男が薪さんの横にべったりくっついてんだ。青木が冷静でいられるわけがない」
「俺も小池が正しいと思う。青木、このごろ元気ないし」
 あの、今井さん。書類拾ってくれるのは嬉しいですけど会話には加わらなくていいですから。て言うか放っておいてください。
「わたしも同感です。見落としようもない目前の書類棚にカートごと突っ込んだのは、その証明とも言えます」
 山本さん。証明いらないです。
「昨日なんか青木、昼メシ弁当1個だったんだぜ。午前中、薪さんが新人に付きっきりでMRIシステムのレクチャーしてたから」
「おやつのドーナツも1個しか食べてませんでしたよ。よっぽど思い詰めてるんですねえ」
 小池さん、山本さん。オレの精神状態、食欲だけで測るのやめてくれませんか。
「青木が人に自慢できることって言ったら身長と食欲だけなのにな」
『第九で一番温厚なのは今井さん説』を否定するつもりはありませんけど、時々ぐっさり刺しますよね。
「もう少し取り柄があればな。岡部さんみたいにSP顔負けの強さとか、小池みたいに語学に堪能とか、山本みたいに法律に強いとか、宇野みたいにハッキングが得意とか」
 曽我さん、最後のは犯罪です。
「「「「青木ってなんか、全部中途半端なんだよな」」」」
 余計なお世話です、てか誰も声抑えてないし!

 微妙な問題に土足で踏み込んでくるような同僚たちの態度は、しかし彼らの気遣いだと青木には分かっている。プライベートの悩みを表には出さないつもりでいたが、みんなに心配を掛けていたのだと知った。
「すみません、みなさん。本当に大丈夫ですから」
 青木が健気に笑顔を取り繕う、その努力を吹き飛ばすように若者の明るい声が響いた。

「荒木翔平、ただいま戻りましたー!」
 カラッと晴れた青空のような声が執務室に爽風を運んでくる。9月に配属になった第九の新しい顔は、24歳のキャリア組。現場慣れしていないキャリアの新人はあまり採りたがらない薪が二つ返事で受け入れを承諾した、希少なケースだ。面談時に聞いた彼の配属希望動機が『薪室長に憧れて』と言う聞き覚えのある事由だったことも、気難しい室長の首を縦に振らせる要因になったのかもしれない。

「あ、青木さん、すみません! 捜一から資料取って来てくれたんですね。ありがとうございます。後、おれがやります」
 素早く床に屈み、箱に戻し切れていない書類をサササッと集める、荒木はまるでコマネズミのようだ。くるくると実によく動く。
 身のこなしもさることながら、外見も良く似ている。小動物、それも動きが素早いハムスターとかウサギとかのイメージだ。小柄で細身の体躯がその印象を助長し、黒目がちのくりくりした眼に八重歯がかわいいと、庶務課の女子職員の間でも評判である。
 その仕事ぶりは見ていても気持ちがいいくらい溌剌としている。今、荒木が行っているのは捜査資料の用意であって、特段面白いものではない。それでも彼は意欲的に、楽しそうに仕事をする。そんな彼は徐々に、第九の新しいムードメーカーになりつつあった。

 薪から聞いた話だが、「新人にとって一番重要な仕事はなんだと思う?」と言う薪の問いに荒木は、「先輩方の補佐です」と迷わず答えたそうだ。その時点で薪は彼の採用を決めていたらしいが、わざと意地悪な質問をしてみたと言う。
「えらく消極的だな。手柄を立てる気はないのか」
「ありますけど。それが一番の近道だと思いますので」
「それはなぜ」
「教えてもらうより盗んだ方が、高いスキルが身に付くからです。受け身ではなく、能動的に探して盗む。おれはずっとそうしてきました。それには補佐の立場が最適なんです」
 その言葉に偽りはなく、荒木が第九に来てから青木の仕事は半分になった。買い出しや資料作りなど、今までこなしていた雑用の殆どを、彼がしてくれるようになったからだ。同じ後輩でも青木より年上の山本と違って、雰囲気が軽くてノリもいいから仕事が頼みやすい。手早で、何をやらせても器用にこなす。今まで研究室の中で名前を呼ばれる回数は青木がダントツで多かったのだが、今は荒木が取って代わっている。

「荒木。後でいいから、僕の部屋にコーヒー持ってきてくれ」
「はい室長! すぐにお持ちします!」
「あ、いいよ、荒木。続けて」
 スキャナーのトレイに資料を差し込む手を止めて給湯室へ向かおうとする荒木を、青木は引き止めた。荒木の仕事は急ぎだ。この資料をハードディスクに転送しないと捜査が始まらない。だから薪も「後でいい」と付け加えたのだ。
「室長のコーヒーならオレが」
「青木」
 呼びかけられた、薪の声にどきりとする。あまり好意的な声ではない。
「周りのことも考えろ。警視のおまえにいつまでも雑用をやらせておけるほど、第九は暇な部署なのか」
 厳しい言葉だけを残して去って行く薪に、青木は素直に返事をすることができなかった。薪の言うことは正論だが、最近の薪はあまりにも。

「薪さん、あの!」
 室長不在の間の報告を岡部から受ける薪の背中に、青木は走り寄る。室長と副室長の会話を遮るなど、よほどの大事でなければしない青木だが、そのときは何故だか言いようのない不安に襲われていた。
 なんだか薪が、自分から離れていくような気がして。

「今日のお帰りは何時になりますか」
 振り向かせたものの、緊急の用事があるわけではなかった。結局青木は半日も先の予定を確認すると言う行動に出て、それは自分でも不自然だと思ったが、薪は事務的に答えただけだった。
「送迎はいい」
「お仕事ですか?」
「いや。今日は荒木の家に行く」
「えっ」
 青木は思わず、岡部と薪の間に割って入った。自分の身体で薪を岡部から隠すようにしてコソコソと話す。こうしないといくら声を潜めても、岡部に唇を読まれてしまう。
「ど、どうしてですか」
「どうしてって……じゃあ、荒木を家に入れてもいいのか?」
「それはダメです!」
「だったらこっちが出向くしかないだろ」
 行かないと言う選択肢はないのか。

「室長。コーヒー入りましたけど」
 青木さんもどうぞ、と声を掛けられて気付く。トレイに8つのコーヒーを載せた荒木が、後ろに立っていた。仕事の早い新人は、ついでにと全員分を淹れたらしい。
 後でいい、と室長は言ったのに。コーヒーを持ってきたのが青木だったら「人の話はちゃんと聞け」とお小言を食らうところだが、
「室長のは大盛りにしておきましたね!」
 これが荒木のキャラクターだ。
 白いボーンチャイナには、縁切りいっぱいにコーヒーが注がれている。よくこぼさずにここまで持ってこれたものだ。

 薪は苦笑して自分のマグカップを取り、その場で一口飲んで量を減らすと、岡部を伴って室長室へ入って行った。その後ろ姿を眼で追いながら、荒木が呟く。
「まだまだだなあ、おれ」
 青木の肩の下で、荒木の薄茶色の頭が軽く振られる。荒木の身長は薪と同じくらい。見下ろせば、くりっとして愛嬌のある眼が、尊敬を湛えて青木を見上げていた。
「やっぱり違うんですよねえ。青木さんのコーヒー飲んでるときと全然」
 荒木は本当にいい後輩だと思う。仕事は一生懸命だけど、決してでしゃばることはない。さっきだって薪が口を挟まなかったら、素直に青木の言葉に従っていただろう。みんなにも可愛がられているし、薪だって。

「青木さん。今度また、コーヒーの淹れ方教えてくださいね」
「ああ」
 無邪気な笑顔に微笑みを返しながら、青木は自己嫌悪に胸を焼かれる。自分は荒木に嫉妬しているのだ。みんなに眼を掛けてもらえる第九の新人、かつて自分がいたその場所で、たくさんの愛情を受けて成長していく彼に。



*****
 
 不吉な書き出し、薪さんは若い新人と浮気中。これをどうやって楽しめと……どうもすみません……。

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ジャンル : 小説・文学

モンスター(2)

 こんにちはー!
 仕事にかまけてブログほったらかしてすみません。下水の書類と道路の現場、思いっきりブッキングしちゃいましたー(@@;)
 まだ書類終わってないんですけど、とりあえず、続きをどうぞ! (コメントのお返事はもう少し待ってくださいね(^^;)


 最初に説明するの、いっつも忘れちゃうんですけど、
 この話の時期は2068年の10月です。「青木警視の殺人」の後ですね。よって宇野さんは入院中です。彼がいればもっと違う展開になってたはずなんですけどね、そこはそれ、ご都合主義ってやつでww


 それと、
 連日、たくさんの拍手をありがとうございます。過去作を読んでくださってる方、どうもありがとう。10日連続で3ケタとか多分初めて、あ、1日に300超えの拍手も初めてです。ありがとうございます。
 拍手していただいた話、どんなんだっけ、と開いてみるたびにヘンな汗いっぱいかいてます、いろいろな意味ですみませんです、でもうれしいです。これからもよろしくお願いします。




モンスター(2)





 来週のシフトについて薪と話しながら、岡部は部長会議の資料を整理していた。普通の会議資料なら荒木に任せるのだが、部長会議ともなると機密もAランクだ。新人には見せられない部分も出てくる。
「じゃあ、来週のメンテナンス当番は予定通り荒木と今井で」
 MRIのメンテは概ね宇野が受け持っていたのだが、彼は8月の事件で重傷を負い、入院中である。これをスキルアップするチャンスだと考えた室長の独断で、その間のメンテは全員でローテーションすることになった。

「それにしても、荒木は掘り出しものでしたね」
「そうだな。警大卒業したばかりの新人はこりごりだと思ってたけど、あいつは使える方だな」
 薪の言葉に頷いた拍子に、びり、と音がして手元の紙が斜めにずれた。広げて見れば綴じ穴が破れて、仕方なく岡部は補強シートを取出すが、これが小さくて薄くて、剥がすのにもコツがいる。イライラが顔に出て、何処から見ても凶悪犯の顔つきになっている岡部を見かねたらしい、薪が岡部の手からシートを取り上げた。
「岡部は日曜大工は得意なのにな」
 岡部の太い指先で二つ穴ファイルに書類を綴じるのは、結構な苦行だ。紙類は簡単に破れすぎる。引き替え、荒木はこういう作業がとても上手い。

 科警研内の通達類の回覧及び回答書の取りまとめ、庶務課に上げる伝票の作成等は、もうすっかり荒木の仕事になっている。それでいて、定時には机の上はきれいに片付いているから驚きだ。新人の仕事と言うのはとにかく時間を喰うものだ。昔の青木などはその典型だった。だから青木はいつも最後まで職場に残っていた。まあ彼の場合は、別の目的もあったのかもしれないが。
 荒木の仕事は時間が短い分、青木に比べるとやや荒いが、新人に任される仕事にそれほどの精度を求められるものはない。作業内容に相応しい時間配分と言えた。

 やがて岡部の前に差し出されたファイルは、シート補強が為され、きれいに綴じ直されていた。荒木より素早く、青木より丁寧な仕事。薪のオールマイティには脱帽だ。
「すいません」
「謝らなくていいから、うちのクローゼット直してくれ。青木がぶつかって、折れ戸のレールを曲げちゃったんだ」
「レールを曲げたって。家の中でなにやってんですか」
「だってあいつが悪いんだ。姿見があるからってクローゼットの中で――、ななな何でもないなんでも、あ」
 びりりっ、と派手な音がして薪の持っていた報告書が破れた。慌ててセロファンテープを貼るが、ワタワタしながら貼っ付けるもんだからあちこち重なっちゃって、3枚くらい完全にくっついちゃってますけど報告書の役割果たしてますか、それ。
 薪は失言に頬を赤くして、しわくちゃになった報告書に青くなって、頭を抱えてぐしゃりと髪の毛を掴み、靴先で机の脚をガンと蹴り飛ばして、
「くそ! 青木のやつ!!」
 最終的にはそれですか。

 少々懸念していたこともあったのだが、この様子なら問題ないと岡部は判断した。心配なのは青木の方だ。他人のプライベートに口出しするのは岡部の主義ではないが、この二人は特別だ。特に薪の方は、時々とんでもないことを考えていたりするから油断がならないのだ。
「薪さん。ちゃんと青木をフォローしてますか」
「青木がどうかしたか?」
「……なんでそう」
 心底不思議そうな薪の顔に、岡部はまるで頭痛に苦しむ人のように額を押さえる。わざとらしく溜息を吐くと、薪はますます怪訝な顔になった。
「ご自分のことになるといきなり鈍くなっちゃうんですよね。分かってましたけどね」
 事件のことなら一を聞いて十どころか百を知る薪だが、こういうことはハッキリ言わないと通じない。恋愛センサーが鈍感、と言うより欠落しているのではないかと、岡部は密かに疑っている。

「荒木に薪さんを盗られて青木が凹んでる、て噂になってますよ」
「なんだそれ」
 途端に険しく眉を顰めた薪に、岡部は焦る。みんなが二人の関係を知っていることは、薪には秘密なのだ。
「まあそれは言葉のあやですけど。今まで青木に向けられていたみんなの関心が、より手の掛かる荒木に移って、青木が精神的に不安定になってるってことですよ。要はあれです、弟ができた兄貴の心境」
「バカバカしい。いつまでも新人でいられるわけがないだろう」
 岡部だって、これが職場だけの事なら切り捨ててしまえる。男がケチな考えを持つんじゃないと、青木を叱責するだろう。しかし青木の心を乱しているのは今まで彼を可愛がっていた先輩たちではなく、たった一人の人物だ。
 そのたった一人の人物だけが実情を理解していないと言う、青木にとっては誠に残念な状況になっている。世界中の人間が青木より荒木を好ましいと思っても、薪さえ自分を選んでくれれば青木は幸せなのだ。反対に、世界中の人間が青木を好きだと言っても、薪の好意が他の人間に向けられたら青木は生ける屍になる。それなのに。

「大丈夫だ。青木はそんなに子供じゃない」
 分かってない。全然、わかってない。
 ここはきつく言っておかないと、こじれて泣きを見るのは薪だ。そうなれば自分にもとばっちりが来る。何度かそんな目に遭ってきて、先の展開が見えるようになった。

「いいですか、薪さん。思ったことは言葉にしないと、相手に伝わらないんですよ」
 薪が目を落としていた報告書に自分の右手を被せ、薪の視線を強引にこちらに向けさせる。仕事の邪魔をされるのが嫌いな薪が不機嫌に寄せた眉の下、険を含んだ亜麻色の瞳に向けて、岡部は精一杯の真心で訴えた。
「苦手なのは分かります。でも伝えることは大事です。そのために人間は言葉を持っているんです」
「よく言った、岡部」
 称賛と同時に、岡部の右手が薪の両手に包み込まれた。三白眼をぱちくりと瞬かせて見れば、宝石のようにキラキラと輝く亜麻色の瞳。

「雛子さんに気持ちを打ち明ける気になったんだな。心から応援するぞ。僕は何をすればいい?」
 そっちに飛ぶか、この男爵は。
「夜景のきれいなレストランを予約してやろうか。それともホテル? いっそ、部屋取っちゃうか?」
 母親相手にホテルの部屋で何をしろと。
「そうだな、普通に告白したんじゃ笑われてお終いだよな。じゃ、こういうのどうだ。岡部が事故に遭って死にそうだって僕が彼女に電話して、駆けつけてきた彼女はそこでやっと自分にとって誰が一番大切か気付いて」
 青木ー。だからこの人に昼ドラと韓流ドラマは見せるなって言っただろー。

「どうだ岡部、僕の計画は完璧だろう。善は急げだ。さっそく電話を」
「頼みますから何もせんでください!」
 叫んで椅子から立ち上がり、岡部は脱兎のごとく部屋を出る。唐突に開いたドアにぶつかって山本が吹っ飛んだらしく、モニタールームはちょっとした騒ぎになった。
 扉のこちら側では薪が、頬杖にくだけた表情で、
「照れちゃって。岡部は奥手だな」などと見当違いのことを呟いていた。



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ジャンル : 小説・文学

モンスター(3)

 映画の追加キャストが発表されましたね。
 鈴木さん。期待を裏切らない爽やかイケメンくんですね。薪さんの初恋の人として魅力十分です。生田さんと並ぶと攻守が逆転しそうですけど、そこはご愛嬌。
 奈々子ちゃん。ご出演、おめでとうございます。好きなキャラなので嬉しいです。天然ぶりが楽しみです(^^)
 岡部さん。出演なさると信じてました。ワイルドさがめっちゃ素敵です。遠慮なく主役食っちゃってください♪
 今井さん。ご愁傷様です。<おい。
 いや、最初貝沼役かと思っ、……なんでもないです、すみません。大倉さんファンの方にもごめんなさい。






モンスター(3)





 参考書のページをめくる指が中途で止まり、指先の力がふっと抜けた。ページが自然に下に落ちるのに指は空に取り残されたまま。青木の頭の中には暗記の最中だった刑事訴訟法第81条とは何の関係もない、上司と後輩が楽しそうに話す光景が浮かんでいる。
 ハッと我に返って参考書に眼を落とすが、何処を読んでいたのかも思い出せない始末。机の上の時計は11時を回っている。独りの夕食を終えて直ぐに始めた学習時間は3時間にもなるのに、進んだのはたったの1章だ。捗らないにも程がある。
 学習効率の悪さに嫌気が差したか、青木は参考書を投げ出し、椅子の上で伸びをした。
「あー。きっと今年もダメだあ」
 青木が取り組んでいるのは、警視正昇任試験のための参考書だ。キャリア用に作られた、それもふるい落としが目的の試験だからひどく難解で、意地の悪い問題ばかりが出題されている。はっきり言って、警視の昇任試験とは比べ物にならない難しさだ。

 警視の試験の時には薪がノートを作ってくれた。でも今回は何もしてくれない。簡単なアドバイスすらも。
 それは怠慢ではない。薪曰く、
「他人に試験の手伝いをしてもらうようでは警視正の仕事は務まらない」
 例え試験に通っても役目が果たせなくては意味がない。実力を身に付けなければ後々苦しむのは当人だと、それは正論だと思うが、ぶっちゃけ青木は寂しい。
 なにもしてくれなくていいから、がんばれよ、と一言励まして欲しい。試験は来月に迫っているのに、家で青木が参考書を開いていても薪は横目で通り過ぎるだけだ。

 以前の薪はもっと、青木の出世に積極的だったように思う。「早く警視正の試験に受かれ」と事あるごとに言われていたのに、最近は聞かなくなった。何故だろう。
 薪の変化に理由を求めて、青木は恐ろしい可能性に行き当たる。
 薪は自分に見切りを付けようとしているのではないか。だから何も言わなくなった。こいつには期待しても無駄だ、と。
「……やばい」
 新人にヤキモチを妬いている場合ではない。頑張らなければ。薪に置いて行かれるどころか捨てられる。

 気持ちを切り替えようと、青木はキッチンでコーヒーを淹れることにした。ドリッパーを出そうしたが、時刻を考えたら面倒になった。自分用だし、インスタントで充分だ。
 滅多にないことだが、薪にインスタントを飲ませるときはまず少量の水で粉を溶いてからお湯を注ぐ。こうすると滑らかで丸みのある味が出る。知識はあったが自分のためとなるとそれも億劫で、湯を注いだ後にかき混ぜる作業すら放棄して、するとカップの内側に溶け残った粉が付着したままの何とも不格好なコーヒーが出来上がった。第九のバリスタが聞いて呆れる。

 シンク左手の調理台の前で無様なコーヒーを飲みながら、青木は効率的な学習計画を頭の中で組み立てる。……つもりだったけれど。
 どうしても考えてしまう。今も一緒にいるであろう二人のこと。

 今日は定時退庁の水曜日。研究室は6時に閉めたのだから、もう5時間にもなる。食事をしてから一杯飲んだとしても少々長すぎやしまいか。そもそも平日の門限は夜の10時だ。別々に住んでいた頃、翌日の仕事に差し支えるからと、青木は何度マンションを追い出されたことか。それが11時を回っても帰ってこない。
 薪が荒木を気に入っているのは分かっている。小器用で仕事の飲み込みが良く、応用が利いて、一つ教えれば十をこなすタイプ。青木はそうではなかった。不器用で、仕事を覚えるのも遅かった。鈴木に顔が似ていると、ただそれだけで薪に眼を掛けてもらえたのだ。最初から自分の実力で薪の眼鏡に適った荒木とは違う。
 薪は本当は荒木のような部下をこそ望んでいたのではないかと、そう思うと、7才も年下の後輩に対する羨望が沸き上がってきて、それが青木の心を乱れさせる。自分でも情けないと思う、でも止められない。薪が絡んだ時の青木の嫉妬深さは折り紙つきだ。長いこと、死んだ人間にまで嫉妬していたくらいなのだ。

 あと30分待って、帰ってこなかったら薪に電話をしてみようかと、思いかけた時に玄関のロックが外れる音がした。薪が帰ってきたのだ。
 走って行きそうになる脚を根性で止める。少し落ち着かなければ。こんな気持ちで薪の顔を見たら責め立ててしまいそうだ。しかし。
「いい匂いだな。一口飲ませろ」
 こんな場面では必ずと言っていいくらい、薪は青木の努力を裏切ってくれる。薪自身、こちらの方面に於いてはトラブルメーカーの資質があるのだ。
 そのときも薪は鞄だけをリビングの床に置き、上着も脱がずにキッチンにやって来た。調理台に向かう形で立っていた青木の横に、それとは逆のダイニングの方を向いて、青木の手からカップを奪い、飲みかけのコーヒーを口に含んだ。
 肩越しに見える、薪の小さな頭と長い睫毛。亜麻色の髪から立ち上るコーヒーと微かな百合の香。飲酒はしていない。風呂にも入っていない。そこまでは考えないつもりでいたけれど、ささくれていた心が一瞬で凪いだのは、心のどこかで疑っていた証拠かもしれない。

「……マズイ」
 しまった。あのいい加減に淹れたコーヒーを薪に飲ませてしまった。青木は慌てて薪からマグカップを取り上げ、赤点の答案用紙を親の眼から隠す子供のように彼の眼に届かない場所に置いた。
「座っててください。ちゃんとしたの淹れますから」
「いや、いい。今日はもう休む」
 時刻は11時20分。確かに、コーヒーを飲むには不適切な時間だ。
 だが、それはあまりにも素っ気ない口調だった。こんな時間に家に帰ってきて、一緒に暮らしている恋人の顔を見て、遅くなったことを謝るでもなく独りにした恋人の機嫌を取るでもなく、いつもとなんら変わりない横柄な態度。一言でもフォローを入れてくれたら、青木だってそんなことを聞かなかった。
 軽やかな足取りでリビングに戻る薪の背中に、青木はその質問を投げつけた。

「荒木の用事はなんだったんですか」
 キッチンの入り口で足を止め、肩越しに薪が振り返る。形の良い耳と右の頬がやっと見える角度。このアングルだと薪の睫毛はことさら長く見える。
「荒木は一人暮らしでな。食事がレトルトと外食ばかりだと言うから、簡単な料理を教えてやったんだ」
「そんなことですか?」
「そんなことって、大事なことだぞ。食生活は健康管理の」
「オレが行きますよ!」
 訪問の目的に驚いた青木が薪の言葉を遮ると、薪は心外そうにこちらを向いた。眉間に縦皺が寄っている。不快の証だ。でも青木はもっと不愉快だった。
「そんなの、忙しい薪さんがわざわざ家に行ってまで教えることじゃないでしょう? 警視のオレが雑用するのはおかしくて、警視長の薪さんが料理を教えに行くのはおかしくないんですか」
 絶対に自分が正しいと思った。職場での薪の世話を荒木に任せた、そのことで青木がどれだけのストレスを抱えているか、少しは察して欲しい。仕事だから仕方がないと自分に言い聞かせているのに、プライベートまで新人に奪われたら青木の理性なんか簡単にぶち切れる。

「もう二度とこんなことは」
「おまえが新人の頃」
 今度は薪が青木の台詞を奪う。やられたことはやり返す主義の薪は、青木の無礼にきっちりと報復を、意見には隙のない反論を返してきた。
「僕はおまえを家に招いて、料理を基礎から教えてやった。それと同じことをしているだけだ。おまえに責められる筋合いはないと思うが」
 言われてみればその通りだ。図々しく薪の家に押しかけて、それはもう数えきれないくらい夕飯を食べさせてもらった。それに比べたら家に訪ねて来ないだけ、荒木は遠慮深いのだ。
「でも、こんな時間まで」
「おまえ、よく僕の家に泊まって行ったじゃないか」
 それも薪の言う通り、でもでもでも。
「あなたが好きだったからですよ! 少しでも長く一緒にいたくて!」
 青木が怒鳴ると、薪はぽかんと口を開けた。
 鈍い人だと思った。いま初めて薪は気付いたのだ。青木が怒っていることに、そしてその理由に。

「悪かった。少し話し込んでしまってな。荒木の家族の事とか」
 薪は青木に歩み寄り、遅くなった理由を説明した。荒木の家は確か荻窪。職場からは30分、ここからは地下鉄で2駅。移動時間が1時間に満たないのに、「少し話し込んだ」だけで5時間は長すぎる。
「本当に、食事をしただけなんですよね?」
 その質問が薪を激昂させたのは分かった。周りの空気がズンと重くなったからだ。それでも取り消す気にはなれなかった。荒木が第九に来て1月余り、溜めに溜めたストレスだった。

「何を考えている。荒木はおまえの後輩だぞ。山本と同じだ」
 違います、と青木は心の中で激しくかぶりを振る。
 立場は一緒でも、山本と荒木では全然違う。山本は青木の気持ちを知っている。薪との関係も。荒木以外の職員はみな知っているのだ。ただ薪にはそれは言ってない。薪の性格を考えると、知らせることはマイナスにしかならないからだ。
 薪も誰も気付いていないけれど自分には分かる。荒木は薪が好きなのだ。同じ人に恋をしている者同士、言われずとも分かる。ずっと昔の話だが、竹内のこともすぐに分かった。
 その眼はいつも薪を追っている。その耳はいつも薪の声を拾おうとしている。薪に呼ばれれば喜び勇んで馳せ参じ、仕事を頼まれれば何よりも優先してそれをこなす。新人の頃の青木と同じだ。
 だから心配で堪らなくなるのだ。荒木はまだ24才。その若さで好きな人と二人きりで5時間もいて、何のアクションも起こさないでいられるか?

「そんなのは青木らしくない」
 らしくない? じゃあ「らしい」ってなんだ。
 薪が考えているより、自分はずっと低俗な人間だ。薪の関心が自分以外の人間に向けられるのが面白くない、他の人間が薪に触れるのが許せない。いつもいつもそんなにキリキリしているわけじゃないけれど、でも今夜は天使になれそうもない。
 ――だめだ、こんなんじゃ。仕事で神経擦り減らして帰ってきた薪を癒せない。

 俯いてしまった青木が、あまりにも打ちひしがれているように見えたのだろうか。薪は後ろ頭に手をやって髪を掻き上げると、青木のシャツの裾を軽く引っ張った。
「風呂に入るけど。おまえ、どうする?」
「……オレは後で入ります」
 それは薪にしてみれば精一杯の譲歩だったのだろうけど、青木にはそれを受け取る余裕がなかった。
 薪の誘いに乗って一緒に風呂に入ったら、露呈してしまうと思った。いくら抑えても、目が勝手に探してしまう。薪の身体に情事の痕跡を。青木以外の男と触れ合った徴を。
 そんなものは探しても見つからないと、薪の態度が物語っている。身の潔白を証明するためにも風呂に誘ったのだと思う。だが青木は、自分がこれ以上最低の恋人に成り下がるのが耐えられなかった。

「そうか」と薪はあっさりと青木のシャツを放し、キッチンを出て行った。
 やがてシャワーの音が聞こえてくる。青木はそれでようやく忘我から解放され、すっかり冷たくなったコーヒーをシンクに捨てた。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

モンスター(4)

 こんにちは。
 めっきり寒くなりましたね。現場の風が冷たいです。

 映画化の影響なのか、新しい秘密ファンの方、増えてるみたいですね。或いは、映画化がきっかけで再燃された方とか。
 うちにも何人か来ていただいてるみたいで、ここ1ヶ月くらい、拍手の数が半端ないです。1ヶ月で4000超えとか、ありがとうございます。そろそろ次のお礼SSのネタ、仕込んでおかないと、あ、でも、今やってる道路工事が来年の5月までだから……来年の夏でもいい?(^^;

 こういうの書きたいなあって言うのはあるんですけど、みなさん、「プライド革命」という神曲をご存知ですか?
「銀魂」のOPになってたんですけど、これがすごくいい歌なんですよ。鈴木さん亡き後、必死に第九を守る薪さんにぴったりなの。
 一部、歌詞を抜粋しますと、
「弱くたって 立ち向かうんだ 理由なら きみ(鈴木さん)にもらった」←自動変換機能ON
「声にならない 叫び声が 胸の中 震えてるんだ」
「今は 一人じゃない 胸が熱いよ 勇気(ちから)なら きみ(青木さん)にもらった」←自動…
「守り抜くために 闘うよ」
 てな具合で、これで1本書きたいな~、て。

 はい、ご想像通り、色気のない話になりそうです(笑)




モンスター(4)





 湯船に浸かって腕を上に伸ばし、薪は大きな欠伸をした。肩を回して凝りをほぐす。肩凝りは薪の、何年も前からの深刻な悩みだ。

 言えば青木が岡部直伝のマッサージをしてくれる。しかし彼は試験勉強の最中だ。邪魔してはいけないと、ここ1ヶ月ばかりは接触を控えている。と言うのも青木のマッサージは途中からいつも別のことになってしまって、なのに結果的には肩凝りが軽くなるから薪は不思議でたまらないのだが、問題はそのあと二人して寝入ってしまうことだ。ただでさえ仕事と勉強の両立は大変なのに、そんなことに体力を使わせては青木が可哀想だ。
 それでも、週末くらいは彼と触れ合う機会を持とうと薪は考えている。試験勉強でストレスが溜まっているみたいだし、どこかに連れ出せば気分転換にもなるだろう。

 それにしても、と薪は笑いを洩らす。
「青木のやつ、拗ねちゃって。かわいかったな」
 甘い表情からも分かるように、薪は先刻の諍いを針の先ほども気にしていない。小さなすれ違いが起きただけ。あのくらいで壊れるような脆い関係じゃない。
 一生一緒にいようと、心に決めて暮らし始めたのだ。これくらいのことでいちいち騒ぎ立てていたら先が思いやられる――。

 ふ、と薪は嬉しそうに微笑んだ。
 好きな人と過ごす未来を思い浮かべることができる、なんて幸せなことだろう。青木と会ったばかりの頃は想像もつかなかった。自分にこんなにも平穏な日々が訪れるなんて。
 鈴木のことは忘れていない。彼に会いたい気持ちもある。でも、死にたいなんて今は欠片も思わない。
 青木と生きていきたい。命が続く限り、ずっとずっと、彼と一緒に。
 だからこそ。
 薪は今日、荒木の家に行ったのだ。



*****




「すいません。ボロい部屋で」
 近所のスーパーと青果市場隣接の直売所で買ってきた食材を冷蔵庫に収納しながら、荒木は照れ臭そうに笑った。確かに今薪が住んでいるマンションに比べたら貧相な住居だが、どっこい、実は薪は貧乏には慣れている。
「いや。僕の学生の頃のアパートより、かなり上等だ」
「え、うそ。室長って昔ビンボーだったんですか?」
「ああ。小さい頃に両親亡くしてな。親戚に育ててもらったんだ」
 苦労したんですね、と相槌を打ちながらも荒木の手は忙しく動いて、エコバック二つ分の食糧は5分足らずであるべきところに収まった。これが青木なら倍は時間が掛かる。話をするときには必ず相手の顔を見るから手が止まってしまい、冷凍物が融ける、と薪に怒られるのだ。

 ドアを開ければそれで全てが見通せてしまう荒木の住まいを見て、薪は感心したように言った。
「一人暮らしの割にはきれいにしてるな」
 部屋はダイニングを入れて二つしかないから青木のアパートよりも狭い。それでも部屋の中は青木の家より片付いていた。余計なものがないのだ。
「すっきりして気持ちがいい」
「物が買えないだけっすよ。金、なくて」
 荒木は自嘲したが薪には居心地がよかった。薪の部屋も、ずっとこんな風だったからだ。

 オーディオコンポだの観葉植物だの絵画だの、そう言った余計な物を置く気がしなかった。あれば生活が潤うのかもしれないが、欠かせないものではない。だったら必要がないと考えていた。掃除の邪魔になるし、部屋の広さは限られているのだからスペースの無駄遣いだとも思った。
 青木と暮らし始めてから、薪の部屋には雑多なものが増えた。
 ガラスや金属でできたアートオブジェにサンスベリアの鉢植え。ソファの上には色違いのクッションが二つ、床には夏用のラグと雑誌やリモコンを突っ込んでおくマガジンラック。ベタベタのシャガールを飾ろうとしていたからそれだけはやめさせて、無難な風景画にしてもらった。
 この部屋もきっと、荒木に生活を共にする人ができれば相手の色に変わって行くのだろう。そんなことを考えながら、薪は買ってきたものの中から早めに使った方がいいと思われる食材を選んで、簡単な夕食を作った。ごはんにみそ汁、サンマの塩焼きにほうれん草のお浸し。煮物は初心者は敬遠しがちだけれど、煮汁の配合を覚えてしまえばバリエーションが豊富で重宝する。今夜は里芋にした。

 書斎机兼食卓のローテーブルに夕食の膳が並ぶと、荒木はぱちぱちと手を叩き、バースディケーキを前にした子供のようにはしゃいで、
「すげー。室長、魔法使いみたいっす!」
 大げさなリアクションに、つい笑ってしまった。
「そんなに難しい料理は作っていない。茹でただけ、塩を振って焼いただけ。簡単だろ」
「そこまではなんとか。でも、煮物はおれのキャパ振り切ってます」
「だし汁に味醂と醤油を1:1。微調整は必要だけど基本はそれで行けるから。何度も作るうちに上手くなる」
「そうなんすか、てかウマ! これ、超ウマいっす!」
 直球過ぎる感想に苦笑する。手料理を絶賛されるのは青木で慣れているが、青木は薪に対してこんなに馴れ馴れしい口の利き方はしたことがない。
 青木が新人で入って来た時も荒木と同じくらいの年だったと思うが、青木は育った環境のせいか目上の者に対する態度がしっかりしていて、こういう砕けた言葉は薪に対しては使わなかった。第九の中でも礼儀にうるさい山本などは荒木の喋り方に眉を顰めているようだが、薪はそれほど嫌ではない。知り合いに、生意気な口を利く少女がいるせいかもしれない。

 荒木は、食事の最中も賑やかな男だった。
 薪も青木も食べ物が口の中に入っているときは喋らないから、食事中に会話が途切れることがしばしばある。たが荒木はそれがない。口を動かしながら何かしら喋っている。話をしながら友人からだろうか、スマホでラインにも答えている。器用な男だ。
 などと感心している場合ではない。荒木のペースに乗せられて、本来の目的が果たせなくなりそうだ。荒木が汁椀に口を付け、会話が途切れたほんの僅かな隙を狙って、薪は本題に入った。
「荒木。仕事には慣れたか」
「はい。おかげさまで」
「対人問題は? 大丈夫か」
「最高っす。先輩はみんないい人ばっかで、あ、山本さんとはちょっとだけソリが合わないっつーかアレですけど、でもケンカとかはないっす」
 山本は慇懃無礼を絵に描いたような男だ。ら抜き言葉が基本で砕け過ぎる傾向のある荒木とは噛み合わないだろう。もっとも、山本と話が弾むのは誰にでも合わせられる青木くらいのものだが。

「一番仲いいのはやっぱ青木さんっすね。すげーよく面倒見てくれるし、教え方も丁寧で。自分の仕事後回しにして教えてくれるもんだから、こないだなんか小池さんに『余裕だな』なんてイヤミ言われちゃって。気の毒になっちゃいました」
 青木、安心しろ。僕が百倍にして返しといてやる。
「偉ぶらないけど仕事できるし、頼りになる兄貴って感じで――なんでそこで笑うんすか」
「いや。……荒木は、兄弟は?」
「一人っ子です」
「ご両親は」
「元気っすよ、親父もおふくろも。や、親父は人間ドックで肝機能高いって医者に注意されたって」
 大きめのサトイモをぱくりと口に入れ、リスのように頬を膨らませる。小動物を思わせる動作が荒木のチャームポイントだと誰かが言っていたが、確かに。

「そうだ、おふくろで思い出した。すいません、ちょっとおふくろに電話してもいいですか。連絡寄越せって言われてたの忘れてて」
 薪が返事をする前に、荒木のスマホは既に母親の番号を発信している。こういうところが秩序を重んじる山本のカンに障るのだろう。
「もしもし、ママ? おれ、翔平。うん、安心してよ、ちゃんと食べてるよ。今日なんか薪室長に料理教えてもらって、そう、おれが作ったんだよ。へへっ、ウソウソ、ホントは室長が作ってくれたんだ」
 母親に甘える素直な子供の笑顔で、荒木は電話に向かって笑い声を上げた。いい親子関係だ。

「室長。おふくろが室長に挨拶したいって」
 ハイと電話を差し出されて驚くが、父兄の対応は室長の重要な責務だ。大事な子供を預かっている、その責任を重々承知していると相手に伝わるよう、誠実に向き合わねばならない。
「室長の薪です」
『まあ、室長さんですか? 翔平がいつもお世話になってます』
 定番の挨拶を交わし、あなたの息子は元気で職務に励んでいる、職場での評判もいいし自分も将来に期待している、と話し、機密性も高いし精神的負担の大きい仕事だから、ご家族の理解と心のケアをよろしくお願いします、と結んだ。
 それから荒木に電話を返すと、荒木は左の肩と耳で器用にスマートフォンを挟み、
「じゃあママ、またね。あ、父さんに飲み過ぎるなって言っておいて」

 電話を切った後は自然に、荒木の家族の話になった。母親がガーデニングに凝っていてマンションのベランダがジャングルのようになっていること、父親の趣味は釣りで、休みの日は朝早くから海釣りに出かけることなど、どこにでもありそうな普通の家庭の日常を面白可笑しく薪に話して聞かせた。
 話し上手な荒木といると、時間は瞬く間に過ぎた。気が付いたら平日の門限を大幅に超えていて、慌てて帰り支度を整えた。思ったよりもずっと遅い時間になってしまった。タクシーを使うことも考えたが、荒木の住む荻窪から吉祥寺まではたったの2駅だし、青木が専属運転手に付くようになってからは数えるほどしか電車に乗っていないことを思い出して、そうしたらこの機会を逃すのが惜しくなった。
 駅まで送ると申し出た荒木に、明日の仕事に備えて早く休めと室長の威厳を持って命令し、薪は家の外に出た。心の中では、きっと青木がヤキモキしているだろうと底意地の悪いことを考えつつ、せめてアパートの門まで、と着いてきた荒木に「また明日な」と別れの挨拶をする。
「室長、今日はありがとうございました。夕メシ、すっげ美味かったっす。また暇なとき、他の料理も教えてください」
「ああ。またな」

 秋の夜、どこかで鈴虫が鳴いている。
 曲がり角でふと後ろを見ると、荒木はまだ門前に立ったまま、薪を見送っていた。それに気付いた薪が軽く手を振ったが、月もない夜のことで薪の仕草が見えなかったのか、荒木のシルエットは微動だにしなかった。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

モンスター(5)

 雨で現場中止になりました。
 更新しますー。




モンスター(5)




 薪が密かに計画していた週末の予定はお流れになった。土曜日の朝早く、所長の田城から薪と岡部に、捜査依頼の電話が掛かって来たのだ。

 週半ばに起きたその殺人事件は、プロファインリングから劇場型の犯人像が浮かび上がったため再犯の可能性が強いと判断され、火急の対応が望まれた。事件が起きれば捜査官に休日はない。すぐさま連絡網によって第九職員全員が研究室に呼び出された。
 熟練した捜査官たちの的を射た捜査により容疑者は特定され、その日の夕方には捜査一課に事件を引き継ぐことができた。犯人を探して捕まえるのは一課の仕事で、第九の仕事はここで終わりだ。

 その日は3連休の初日で、それぞれに計画していたこともあったはずだが、一つの事件を解決に導いた高揚感は、取り消されたプライベートの予定を補って余りある報酬であった。そんな浮かれ気分の中、帰って休むにはまだ早いし、事件解決の祝杯を挙げよう、と曽我が言い出した。
 飲み会とイタズラはすぐにまとまるのが第九の特徴だ。段取りも仕事以上に手際がいい。5分も経たない間に曽我が店の予約を入れ、次は予算の確保だが。
「室長もぜひご臨席を」
「悪いが野暮用でな」
 誘いを断りながらも薪が差し出した、封筒の中身は休日手当を遥かに上回る。
「「「「ありがとうございまーす!」」」」
「あんまり飲み過ぎるなよ」
 薪の気前の良さの前には、お小言すら耳に心地よい。室長を除く全員が、ホクホク顔で週末の飲み屋街に繰り出した。

 みんな揃っての飲み会は久しぶりで、それと言うのも宇野が入院中だから自然と集まる回数が減っていた。遠慮ではなく、単なるメンツの問題だ。宇野の怪我は災難だとは思うが、自業自得の要素も大きい。オタクが二次元以外の人に恋をすると、色々な弊害が生まれてくるのだ。
「まったく、宇野のやつ。いつになったら退院するんだか」
「ホント迷惑な話だよ。おかげでメンテが当番制になるとか、マジ勘弁して欲しい」
「もともと体力無いからな、宇野は。家の中でコンピューターばっかりいじってるから」
「宇野さんはもう少し身体を鍛える必要がありますねえ」
「「「「おまえもな、山本」」」」

 そうやって宇野を非難しながらも、曽我が選んだ店はいつもの『どんてん』であった。店には少々失礼だが、薪からもらった軍資金が余ってしまいそうな庶民的な店だ。
 そこに青木は曽我の宇野に対する気遣いを見つけ、さらには他の職員が誰一人として軍資金と店舗の格差を指摘しないことに、みんなも曽我と同じ気持ちなのだと知る。
 そしてこれは青木の穿ち過ぎかもしれないが、皆が声高に宇野の自業自得を主張するのは、青木への心配りかもしれない。宇野が怪我をした夏の事件は、青木が殺人容疑で本部内手配された事件なのだ。宇野の情報収集は非合法且つやり過ぎであったが、青木を救うためだったことに違いはない。だから彼らの宇野への非難は、当然青木が感じるであろう宇野の怪我に対する罪悪感への不器用なエールなのかもしれない。

 席に着いて冷たいビールで乾杯した後、初めに口を開いたのは荒木だった。
「室長、今日もすごかったっすね!」
 第九に来て日の浅い荒木は、薪の人間離れした推理能力に絶賛感動中だ。先刻の捜査でもその天才性を垣間見たのだろう、興奮冷めやらぬ様子だった。
「ああ。今日も鬼だったな」
「あの人見てると本当の地獄はこの世にあるんだって納得できるよな」
「いやあの、確かに怖かったですけど」
 先輩たちのシビアな反応に苦笑いしながらも、荒木は室長を称賛する姿勢を変えない。

「室長の噂は警大でも聞いてましたけど、評判以上です。あんなすごい人、初めてですよ。憧れちゃうなあ」
「「「「荒木、もしかしてドM?」」」」
 違いますよ、と笑って荒木はおでんに箸を付けた。好物なのか、自分の皿にはんぺんばかり3枚も取り置きしている。こういう時、いつも最後に手を出す青木とは対照的だ。
 薪への賛辞もそうだ。青木が新人の頃は先輩に気兼ねして本心を口に出せなかったが、荒木は違う。堂々と薪を褒め称え、それが決して点取り虫の厭らしさに繋がらない。青木は開けっぴろげに室長を礼賛できる荒木のキャラクターを羨ましく思ったが、寡黙ながらも薪のイヌに徹してきた青木の姿勢の雄弁さには誰も敵わないと先輩たちに思われていることは知らない。

「室長が怖いのって仕事中だけですよね。こないだなんかおれの家に、むぐっ?」
 薪のトップシークレットが暴露されそうになり、焦った青木は荒木の口に揚げだし豆腐を突っ込む。「それ言っちゃダメ」と小声で注意をすると、荒木は少しだけ不思議そうな顔をしたが、何も聞かずにこくんと頷いた。
 これが荒木の特徴だ。理由が分からなくても先輩の言うことには素直に従う。主体性が無いのではなく、彼は自分を弁えているのだ。基本的に、先輩の判断は自分よりも正しいと彼は思っている。だから言われたことはとりあえずやってみて、そこから自分で答えを見つける。後輩としてはとても扱いやすい。一つ一つ説明してやって、それを自分自身が納得しなければ先に進もうとしない山本とは真逆だ。その代わり、山本は青木が舌を巻くような完璧な仕事をする。

「もちろん、すごいのは室長だけじゃないっすよ。先輩方もみんなすごいっす。あの室長に付いていくだけでも、並みの能力じゃ無理ですよね」
「あの皮肉に耐えるのは並の神経じゃ無理だな」
「青木くらいドMじゃないとな」
「だから違いますって」
 薪のイヌが進化して住み込みのボディガードに行き着いた青木を、酔った勢いで小池が揶揄する。薪と一緒に住み始めてから、小池には割とチクチク刺されるようになった。

「最高の部署ですよね。第九って」
 歓談するメンバーを見渡して、荒木は満足げに嘆息した。事件解決の達成感からかアルコールの影響か、今日の荒木は殊更に楽しそうだ。
「室長はカッコよくてやさしいし」
「「「「どこの室長の話?」」」」
「先輩たちはみんないい人たちばっかだし」
「「「「それほどでもあるな」」」」
 合図など何一つなくても声が揃ってしまう、先輩たちの無駄なチームワークの良さに、荒木はクスクスと身体を揺らしながら、
「おれ、第九に来てよかったあ」
 酔って赤く染まった顔で幸せそうに笑い、こてんとテーブルに突っ伏した。沈没したらしい。

「3時間か。新人にしちゃ持った方じゃねえの」
「山本は開始30分で寝たからな」
「あの時は少し緊張しておりまして」
 下戸を否定しつつも、山本の今日のオーダーはウーロン茶。後輩にみっともないところを見せたくないという先輩の気概だろうか。
「青木は強かったよな、始めから」
「そういやそうだな。6時間飲み放題コース、ケロッとした顔で付いてきたよな」
 曖昧に笑ってごまかしたが、青木の飲酒歴は中学生からだ。就職した頃には一端の酒飲みになっていた。
「「「「よかったな青木。荒木に自慢できることがあって」」」」
 あまり自慢にならないと思う。

 眠ってしまった荒木を壁際のスペースに寝かせ、青木は彼に自分の上着を掛けてやる。飲んでいるときは暑くても、眠ると急激に体温が下がる。10月ともなれば夜は冷える。そのまま寝せておいたら風邪を引かせてしまう。荒木は身体が小さいから、青木の上着なら充分掛け布団の代わりになる。
 夢でも見ているのか、眠りながらも微笑む様子の荒木の肩の辺りを、青木は子供を寝かしつける母親のようにぽんぽんと軽く叩くと、仲間たちのテーブルに戻って行った。



*****




 今日、母が死んだ。

 母の死に顔を見ても、悲哀や喪失感は感じなかった。母はやっと楽になれたのだ。その重荷を命と共にすべて下ろして。
 駆けつけてきた幾人かの親戚が、病気の時は寄りつきもしなかったくせに今になって涙を流すのを横目で見ながら、私の中には一つの計画が生まれていた。その計画が完成形となって私の前に姿を現したとき、私は母から、彼女の人生の大部分を占めていた最も重要なものを受け継いだのだと知った。

 私は怪物の子供から、真の怪物になったのだ。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

モンスター(6)

 先週、誕生日だったんですよ。
 その日の夜7時ごろ、現場事務所で下請けさんと打ち合わせしてたらオットが様子を見に来まして。下請けさんがオットに、
「しづさん、今日誕生日ですよね。お家でパーティとかしてあげるんですか」と訊くのに、
「あれ、そうだっけ。忘れてた」
 この時期は忙しいので、忘れられるのは慣れてるので、別に何とも思わなかったんですけど、家に帰ってみたら、
 机の上に白百合の花束が置いてありました。
 オットとは一緒に帰って来たのでね、家に着いてから買いに行く暇はなかったはずなんですけどね。
 ……男の人って(笑)


 さて、事件の方はここから本番です。
 ドSさんにはお待ちかね、大多数の方にはすみません。
 どちらさまも広いお心でお願いします。




モンスター(6)




 それが第九に届いたのは、暑がりの岡部がやっとワイシャツの腕まくりをやめるようになった10月下旬の月曜日だった。
 茶色いクラフト紙に包まれた小さな小包で、表書きに「法医第九研究室様」とだけあり、差出人は鈴木一郎。いかにも偽名くさい氏名が銘打たれた15センチほどの箱を開けてみると、中には鋭い刃物で切断された茶トラ猫の首が入っていた。

 研究室宛の荷物を検めるのは新人の仕事で、しかし彼は第九に入ってまだ2ヶ月。こういった嫌がらせに慣れていない。彼は驚きのあまり椅子から転げ落ち、悲鳴のような声を上げてしまった。
「し、室長!」
「荒木! しっ」
 真っ先に気付いた青木が自分の身体で荷物を隠したが、時すでに遅し。耳ざとい室長は荒木の乱れた声音に異変を感じ取り、急ぎ足でこちらに来るところだった。

「青木。そこを退け」
「大丈夫です、対処はオレがします。室長の手を煩わすようなことではありません」
「いいから退け。邪魔だ」
 緊迫した面持ちで職員たちが見守る中、薪との押し問答の後、いつものように青木が引いた。皆の視界を遮っていた大きな身体が机の前からいなくなると、悪意の塊のような宅配物が全員の目に晒された。
 職員たちがぎょっとして身を引くのに、薪だけは眉一つ動かさず、
「猫の首とはいえ切り落とすのは大変だったろうに。ご苦労なことだな」
 ふ、と薄笑いさえ浮かべて嘯くが、その眼はもちろん笑っていない。

 引きちぎられたかのように鉤裂きになった猫の耳に、小さな短冊形のメッセージカードが無造作に突っ込んであった。薪がピンセットでそれをつまみ上げる。
『親愛なる薪室長へ  モンスターより愛を込めて』
 黒い厚紙に白抜き文字で、そう印字されていた。

「岡部」
「はい。おい、荒木。鑑識に言ってこの荷物を調べさせろ」
 岡部は薪の女房役を務めて10年になる。名前を呼ばれただけで彼の命令を理解する、そんな離れ業も普通にやってのける。
「さあ、仕事仕事。渋谷の放火事件の報告書は今日が期限だったはずだぞ」
 副室長の号令で職員たちが自分の机に戻った後、荒木は岡部の命令に従うべく、問題の荷物と包装紙を手近な空き箱に入れた。手袋を嵌めた両手でそおっと持ち上げ、鑑識へ赴くためにモニタールームを出る。そこを青木に呼びとめられた。
「荒木、ちょっと」
 いつもの青木らしくない、厳しい表情だった。

「ああいうの、室長には見せちゃダメだ」
「え、でも。カードに室長の名前が」
「例え室長の名前が書かれていても、室長には知らせるな。ああいうのが送られてきたら岡部さんに報告して、処分はオレたちがやる。いいな」
 青木の気迫に飲まれたように、荒木が緊張した顔つきになる。次に荒木が返してきた言葉には、微かな怒りが含まれていた。
「おれが来る前は、青木さんが手紙や荷物を開けてたんですよね。ずっとそうしてきたんですか」
「そうだ」
「……そうだったんですか」
 普段はやさしい青木に強く叱られたのが堪えたのか、荒木はじっと俯き、しばらくそこを動かなかった。少し言い過ぎたかとフォローの必要性を感じた青木が、自分よりだいぶ背の低い後輩の顔を覗き込むと、荒木は青木が見たこともないような暗い表情で、ガムテープで仮止めした箱の蓋を睨んでいた。

「荒木。そんなに気にしなくていい。次から気を付けて」
「室長は大丈夫なんですか? 名指しで送ってくるってことは、室長を恨んでる人間がいるってことでしょう。だったら本人に知らせた方が」
 荒木の深刻な表情は、薪を心配してのことだったか。彼の気持ちを、青木は嬉しく思った。青木の後輩の中には薪を嫌って第九を去った者もいる。それに比べたら。
「大丈夫だ。そのためにボディガードのオレが」
「青木!」
 しまった、と青木は焦る。勘の良い薪のこと、あの騒ぎの直後に青木が執務室から姿を消せばピンとくる。荒木への注意は後にすればよかった。

「荒木の行動は間違っていない。これは室長の僕に報告すべき案件だ」
 薪は怒りに眼を吊り上げ、遠慮なく青木を叱責した。後輩の前で先輩を叱る、そのことに対する気遣いはこの人にはない。
「隠蔽は警察官にとって最低の行為だ。それを後輩に指導するとは何事だ」
「もちろん郵便物の中に不審物があったことは報告します。しかし、室長の検閲を受ける必要はないと考えます」
「思い上がるな。それはおまえが判断することじゃない」
 それは昔、岡部と相談して決めたことだったが、青木はその事実には触れず、黙って頭を下げた。
「すみませんでした」

「荒木、青木の言ったことは気にするな。これからもこういうことがあれば僕に報告しろ」
 謝罪する青木には目もくれず、薪はすぐに荒木のフォローに入った。青木とは真逆の指導を行う薪に、荒木の瞳が困惑に曇る。
「室長は、平気なんですか」
「大丈夫だ。こんなものは慣れている」
 薪は一瞬だけ亜麻色の瞳を好戦的に輝かせたが、すぐにその光を消し去り、自嘲気味に前髪を掻き上げた。
「第九の室長なんかやってるとな、人の恨みは星の数ほど買うんだ。いちいち取り合っていてはキリがない」
 青木に対しては吊り上げた眦をやさしく緩め、微笑みさえ浮かべて薪は言った。
「荒木。心配してくれてありがとう」
 対応の差に、荒木は青木に申し訳なさそうな視線を送ってきたが、その気遣いは却って青木を傷つける。いたたまれなくなって青木は、早々に執務室へ戻った。

 月曜日の昼までに提出するようにと薪に命じられた捜査資料を作成しながら、でもやっぱり納得できなかった。「僕に報告しろ」と薪は言ったが、報告にも段階があって然るべきだ。荒木は新人なのだからまずは指導員の自分、それを超えたとしても岡部までが限度だ。室長に直接なんて、青木が新人の頃には許されなかった。
 そうやって幾重にもガードを固めても、第三者の迫害から薪を完全に守ることはできない。室長の名が明記された書簡までは、部下の青木が開けるわけにはいかないからだ。いかにも偽名であったり筆跡をごまかしていると判断された物は、間違った振りをして開封し、中身を確認していたが、そこまでしても通ってしまう悪意はある。それすら歯痒く思っていたのに。
 薪の意思に逆らうことになるが、やっぱり荒木にはこのやり方を踏襲してもらおう。荒木を説得する前にまずは岡部に相談して、なんなら岡部にも同席してもらって、などと策を巡らせていた青木の隣の席に、鑑識から帰ってきた荒木がすとんと腰を下ろした。

「青木さん。さっきはすいませんでした。新人の分際で先輩に口答えなんかして」
 荒木を説得する文言をあれこれ考えていたが、それは不要になった。薪の言う通り、荒木のしたことは間違いではないのだ。それでもこうして素直に頭を下げられる、きちんと人に謝ることができる。荒木は本当にいい若者だった。
「いや、オレの言い方も少し厳しすぎたよ。ごめんな」
「そんなことないです。おれ、青木さんのしたことは間違ってないと思いますよ。だってボディガードなんでしょ、室長の。だったらああいうのは対象に見せずに処分するのが当然です」
 他人の立場も気持ちも思いやれる。若いのに、心根は円熟している。薪が荒木を気に入るわけだ。
「さっきはびっくりして慌てちゃって。思わず室長を呼んじゃいましたけど、これからは気を付けます。あ、これ室長には内緒で」
 どうやら岡部に相談するまでもなかったようだ。荒木が物分かりの良い男で助かった、と思うと同時に、青木は自分の立場に不安を覚える。
 まるで荒木の方が年上みたいだ。薪のことになるとついムキになってしまう、この癖を直さないと男として荒木に負けるかも。

「青木さん。実はおれ、あの荷物の送り主に心当たりがあるんです」
 不安に飲み込まれそうになった青木の心の乱れは、しかし荒木のこの言葉でピタリと治まった。次に荒木が何を言うのか、青木の瞳はMRI画像を見るときの真剣さで荒木の口唇に吸い寄せられる。
「室長には誰にも言うなって言われてて、今まで黙ってたんですけど……先月の終わりごろに」
 眼を瞠る青木に、驚愕の事実が語られた。聞き終えて席を立つ。
「荒木。そのことは誰にも言うな」
 我知らず、青木は先刻と同じ厳しい表情で荒木に命令した。はい、と神妙に返事をする荒木に小さく頷くと、青木は仕上がった捜査資料を片手に席を立った。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

モンスター(7)

 こんばんは。
 前記事に、お気遣いのコメント、たくさんありがとうございました。
 みなさんの助言を活かして、自分だけで背負い込まないように、考え過ぎないように、ゆっくりやって行きます。 
 長期戦だものね。そうしないと、途中で息切れしちゃうよね。

 ということで、早速メロディ買ってきたー!
 事件の裏側が明らかになっていくのを、ふんふん、と頷きながら読んでたんですけど、
 P293の2コマ目で頭の中真っ白になりました。そこしか頭に残ってません。わたし、死んだ方がいいのかしら……。

 感想はまた後ほど、
 とりあえず、お話の続きをどうぞっ。





モンスター(7)






 特捜専用のため防音完備の第4捜査室で、青木は岡部と向かい合っていた。昼の休憩時間のことである。

「服役囚と面会? 薪さんが?」
「はい。荒木の話では、先月の末だそうです」
 荒木が語った薪の秘密は、岡部には無論、青木にも寝耳に水のことであった。
 その日、荒木は会議に出席していた薪を五反田まで車で迎えに行った。帰り道、途中のパーキングに車を停めるよう命じられ、そこで1時間ほど待機するように言われたらしい。しかし、荒木は青木に密命を受けている。薪は単独行動が得意だが、それは暴走の危険を多分に孕んでいる。決して一人にしてはいけない。もしも薪が部下を遠ざけるような行動に出たら必ず後を尾けるように、と。
 敏捷性に富んだ小柄な体躯を活かし、荒木は薪を上手く尾行した。そして突き止めた。
 薪の行先は、東京拘置所であった。

「薪さんは受刑者に会って何らかの話をした。その受刑者の指示で誰かが、あのくそったれな荷物を送りつけてきたんじゃないかと、荒木はそう言うんだな。相手は誰なんだ?」
「そこまでは。面会者帳簿は確認したそうですが、薪さんの名前は無かったそうです」
 証拠を残さないために警視長の特権を発動したか。調べるには拘置所の職員に聞き込みを掛けるしかないが、すると薪に尾行がばれる。それで荒木もそれ以上は踏み込めなかったのだ。
 岡部は三白眼を上空に向け、過去の事件から心当たりを探った。現在、拘置所にいる人物で薪を恨んでいそうな人物と言えば。
「あいつじゃないのか。あの変態」
「……どの変態ですか?」
 哀しいことに、薪に逮捕された変態は数が多過ぎて一人に絞れない。

「ほら、春の青髭事件。控訴しなかったから刑が確定して、今は小菅だろ」
 5月に薪が身体を張って解決した連続婦女暴行殺人事件には、『青髭事件』というセンセーショナルな呼び名が付いた。犯人の桂木省吾は3ヶ月後の裁判で死刑を求刑され、それを受け入れた。死刑囚となった彼は、現在、東京拘置所に拘留されている。東京拘置所は葛飾区小菅にあり、警察関係者が「小菅」と言えば東京拘置所を指す。
「省吾さんがこんなことをするとは思えません。あの人は薪さんに真実を教えてもらって、父親の呪縛から解き放たれたんです。なのに恨むなんて」
「わからんぞ、サイコ野郎の心理なんか。てか、青木。死刑囚をさん付けで呼ぶのやめろ」
「オレは東条さんの方が可能性あると思うんです。あの人って、薪さんが自分を愛してると思い込んでたんでしょう?」
「だからさん付けするなって」

 2年前の『I公園男女殺人事件』の犯人、東条学は15年の禁固刑に処せられている。彼は元精神科医、マインドコントロールはお手の物だし、刑務所内外に協力者も作れるのではないか。青木はそう考えたが、岡部は首を振り、
「東条には無理だ。中園さんの息の掛かった刑務官が、しっかり監視してる。余計なことを喋らないようにな」
 中園の非情さには、時々ぞっとさせられる。政治犯でもない東条が禁固刑になったのは、彼に多少なりとも精神の異常が認められたせいだと薪は言ったが、事実は違う。薪の秘密を守るため、中園が検察に手を回して禁固刑を求刑させたのだ。禁固刑は懲役の義務がないから、他人と話す機会を完全に掌握できる。禁固刑の受刑者は希望すれば刑務作業に参加できることになっているが、おそらくその申し出は黙殺されている。
 他には、ゴスロリ好きの細菌学者とか、吸血鬼と呼ばれたレズビアンとか、しかしどの犯人も友だちがいない代表みたいな人物で、あんな手の込んだことをしてくれそうな友人がいるとは思えない。逆に彼らとて、自分のためにそこまでしてくれる誰かがいれば、あんな事件を起こさなかったかもしれない。

「薪さんのことだからな。案外、受刑者の話を聞きに行っただけかもしれんぞ。官房室で犯罪防止条例の草案を作るだろ。その資料集めとかで」
「まさか」
「あの人は仕事のためなら平気でそれくらいやるぞ」
 自分が関わった事件ではなく、薪が適当に選んだ受刑者に面会を求めたとなるとお手上げである。できれば騒ぎにしたくないから、拘置所に出向いて調べるのは避けたい。薪本人に問いただすことはもっと避けたい。

 2人は頭を抱えたが、ふとある人物に思い当たって、ほぼ同時に顔を上げた。互いの眼の中に互いの解答を見つけ、彼らは同じ形に口を開いた。
「滝沢……」
 2065年の秋。日本中を混沌の渦に巻き込む大事件が起きた。
 元最高裁判所首席裁判官、現国家公安委員副理事長、法曹界の陰の首領、羽生善三郎翁の逮捕劇である。その事件に密接に関わり、裁判で検察側の証人として法廷に立った人物が、元第九職員にして同僚2名を殺害した滝沢幹生元警視だ。
「決まりだな。間違いない」
 滝沢が薪に恨みを持っているかどうかはともかく、「モンスター」とか「愛をこめて」とか、そういう薪が嫌がりそうなことは喜んでする男だ。
「小菅には馴染みもいる。青木、一緒に行くか」
「はい」

 執務室に戻り、個人予定表の自分たちの欄に外回りの文字を書いていると、今井と山本が昼休憩から戻って来た。後ろに荒木もいる。山本と荒木は相性が悪いと言っていたのに、珍しい組み合わせだ。
「今井。これから留守を頼めるか? 青木を連れて行きたいんだが」
 大丈夫です、と今井が快く返事をする。どちらに、と山本に訊かれて、岡部は曖昧に語尾を濁した。仲間内の嘘は岡部が最も苦手とするものだが、本当のことは言えない。
「ちょっとヤボ用でな。じゃ、頼むわ」
「荒木。後をよろしくな」
「はい、青木さん。行ってらっしゃい」

 不審顔の山本と笑顔で手を振る荒木に見送られて、二人は研究室を出た。小菅までは車で約40分。拘置所に到着して腕時計を見ると、1時半を回っていた。
 岡部の旧い友人である副看守長の導きで、二人は所定の手順を踏まずに拘置所の面会室に通された。岡部は彼に薪の訪問について尋ねたが、彼はその様な報告は受けていないと言う。東京拘置所の収容人数は約3000名。滝沢はそのうちの一人にすぎない。知らずとも無理はなかった。

「これはまた珍しい客だな」
 3年ぶりに顔を合わせた滝沢は、あの頃と全く変わっていなかった。尊大な態度もそのままに、彼はどっかりと面接用のパイプ椅子に腰を下ろした。
「滝沢さん。お元気そうですね」
 透明なアクリルボードの向こう側で不遜な笑みを浮かべている彼は、刑務所での生活に疲れた様子もなく、むしろ若返っているようですらある。そのことに青木が驚くと、滝沢はにやりと笑い、
「ここの生活はなかなかに快適だ」
 青木は知らないが、滝沢は旧第九を壊滅させた後、外国の傭兵部隊にいたのだ。そこに比べたら日本の刑務所などぬるま湯に浸かっているようなものだ。

「滝沢」
 岡部が低い声で名前を呼ぶと、滝沢は胡乱そうにそちらを見た。
「単刀直入に聞く。薪さんと何を話した」
「なんでおれに聞くんだ。薪に聞いたらいいだろう」
 岡部の質問を拒絶する返事は、しかし岡部に解答を与える。薪が確かに、滝沢に会いに来たという事実を。
「引っ掛けたな」
 青木の表情の変化からそのことに気付き、滝沢は苦笑いした。しかし直ぐに深刻な表情になり、ちっと舌打ちして、
「あのバカ。まだ過去の亡霊に囚われているのか」
 バカと言うのは多分、薪のことだ。では『過去の亡霊』と言うのは、薪に猫の首を送ってきた人物のことだろうか。
 やはり、滝沢は何かを知っている。

「まあいいか。それほど切羽詰まった話じゃなかったしな」
「それはこっちが判断することだ。何を話したか、正直に言え」
「知りたきゃ薪に直接聞け」
 頑迷に首を振った後、滝沢は声を出さずに口だけを動かし、
『今日は言えない』
 なるほど、と二人は思った。
 拘置所の面会は刑務官の立会いのもとに行われる。刑務官は受刑者と面会人が話した内容を細かく書き留める。つまり、この情報は刑務官に筒抜けになるのだ。
 薪と面会をしたときにはあらかじめ、刑務官に話を通しておいた。要は、滝沢が懐柔した刑務官が面会当番のときを狙って薪を呼びだしたのだ。しかし今日の訪問は飛び込みだ。段取りを組む時間がなかったのだろう。

「滝沢さん、お願いします。薪さんは訊いても教えてくれないんです」
「薪が喋らないことをおれに言えってのはおかしいだろう」
 青木と滝沢が刑務官に聞かせるための会話をする裏側で、岡部と滝沢は、共犯者のように無声でやり取りをする。
『いつならいい?』
『金曜の午後ならOKだ』
 遠すぎる。今日はまだ月曜日だ。
『もう少し早くならないか』
『無理だ』
 いくら滝沢でも、刑務官を何人も抱き込めるほど甘くはない。岡部はそっと青木に目配せした。引き上げの合図だ。

「上意下達が警察の基本だ。一応は元警察官だからな。道理に外れることはしたくない」
「そう言われては、引き下がるしかないな」
 岡部はふんと鼻から息を吹き出し、毛深くて太い腕を組んだ。
「こんなところに長居は無用だ。帰るぞ」
「青木」
 岡部に促されて立ち上がった青木を、滝沢が呼びとめた。口唇を読ませるつもりかと眼を瞠るが、滝沢はいつもと変わらぬ尊大な口調で、
「おまえは薪のボディガードだろう。だったらあいつを守ってやれ」
 はい、と青木は頷いた。隣で岡部が苦い顔をしたが、滝沢は岡部と同い年で、一度は同僚だった男だ。反射的に敬語になってしまうのだ。

「どんな敵からも、だぞ」
「はい」
「相変わらず分かってないな、おまえは」
 滝沢は左の頬だけを吊り上げ、苦笑とも失笑ともつかぬ笑いを浮かべた。それから彼は、子供の手伝いをまどろっこしく思う親のような眼になって、
「あいつの最大の敵はあいつ自身だ。それを倒さなきゃどうにもならん」
 と謎かけのようなことを言った。青木がきょとんとした顔で首を傾げると、滝沢は両手を左右に広げてから肩を竦めた。そのわざとらしい仕草が、なんだか妙に懐かしかった。

「要するに、薪が自分からおまえに話すようにならなきゃ始まらないってことだ。それができないなら力づくでも聞き出すんだな。大事なのは薪が自分の口で喋ることだ」
 態度は横柄で言葉はぞんざいだけど、薪を心配しているのがその眼で分かった。きっと滝沢は、薪の身になんらかの危険が迫っていることを知っていたのだ。それを教えようと、薪をここに呼び出した。
 警告を受けたなら、それを青木に話して警備を強化するのが筋だ。薪が自ら自分を守るための行動をとること、それが大事なのだと滝沢は言いたいのだ。
 そして薪にそれができないのなら。聞き出すのは青木の役目だ。

「わかりました。滝沢さん」
「だから敬語使うなって。殺人犯だぞ、こいつは」
「やってみます。ありがとうございます」
「礼も言うな!」
 岡部に叱責されつつも、青木は滝沢と透明ボード越しに眼を合わせた。そこに青木は自分と同じ種類の光を見つけ出し、にっこりと笑った。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

モンスター(8)

 こんにちは。
 花屋の社長が物置を動かしてくれなくて現場が止まってしまいそうなしづです。燃やしたろか。

 こないだお正月が来たと思ったら、小正月も過ぎまして。いやー、早いねー。
 わたしがちんたらやってる間に、6万5千拍手ありがとうございました!(もう6万7千だね) 
 いつも気遣っていただいて、励ましていただいて、ありがとうございます。元気もらってます。
 お礼SSは春になったら書きます、書こうと思います、書けるといいなあ。(←ダメ人間3段活用)

 間が空いちゃってごめんなさい、お話の続きです。どうぞ~。



 

モンスター(8)





 途中で昼飯を食って帰ろう、と岡部が言い出し、二人は街道沿いの蕎麦屋に寄った。岡部は天ざる蕎麦とカツ丼、青木はシンプルにざる蕎麦を頼んだ。この頃めっきり食が落ちて、油っこいものを食べる気がしなくなった。

「そんなに心配しなくても、薪さんは大丈夫だ」
「でも。郵便物の件もあるし」
「ああいうのを送ってくる奴はな、相手の反応が見たいんだ。相手が怖がっていることを想像して楽しむんだよ。その時間の長さは人によるが、今日の今日で犯行に及ぶことはまずない」
 食が進まない様子の青木の器に、岡部が自分の天ぷらを乗せてくれる。滝沢も言っていた、「それほど切羽詰まった話ではない」のだ。
 薪とは今夜にでも話をするつもりでいたが、それではぐらかされてしまったとしても、金曜日になれば滝沢から直接その話を聞くことができる。『モンスター』と称する人物のことは気になるが、今までにもこんな脅しは数えきれないほどあった。それでも大事に至ったことは一度もないし、今は青木がボディガードについている。「おまえさえしっかりしていれば薪さんは安全だ」と岡部にハッパを掛けられ、やっとのことで青木は伸びかけた蕎麦を手繰り終えた。

 予定表に書いた帰着時刻を30分ほどオーバーして2人が研究室に戻ると、執務室にはどことなくのんびりとした空気が流れていた。
「室長は外出か」
 予定表を確認するまでもない。職員たちがモニターの前で雑談をしているのを見れば、一目瞭然だ。
 青木は自分と岡部の名前の欄に書かれた「外回り 3時戻り」の予定を消すのと同時に、荒木が外出していることを確かめた。薪の運転手を務めているのだろう。今朝のこともあるからあまり出歩いて欲しくないのだが、薪はあの程度のことは歯牙にもかけない。その分、荒木が注意してくれることを祈るばかりだ。

「あ、いけない」
 自分の机に戻り、青木は思わず声を上げる。そこには午前中に仕上げた書類がA4封筒に入ったまま放置されていた。
「しまった。これ、室長に午後一でって言われたんだっけ」
 昼休みに岡部に相談を持ちかけ、その足で滝沢に会いに行ったものだから、すっかり忘れていた。
「ラッキーだったな、青木。薪さんが出掛けてて」
「時間に遅れたことは黙っててやるから、コーヒー淹れてくれよ」
「青木さん。私のはアメリカンでお願いします」
 はいはいと苦笑いしながら、青木は給湯室へ向かった。
 青木が自分の城として磨いてきた第九の給湯室だが、最近、ここはすっかり荒木の縄張りになってしまった。青木ほど几帳面でない荒木の管理は少し杜撰で、コーヒーの在庫も尽きかけていたし、掃除も行き届いていなかった。それを苦く思う自分に気付き、青木は赤面する。これじゃまるで嫁のアラ探しをする姑みたいだ。
 時間もあることだし、荒木がいないうちに水回りの掃除をしておいてやろう。コーヒーとペーパーフィルターの補充も。

「ああ~、この香り」
「やっぱり青木のコーヒーは美味いな」
 小池と曽我が満足のため息と共に素直な称賛の言葉を漏らし、今井と岡部が小気味よく親指を立てる。久々の第九のバリスタの活躍に、職員たちの顔が一斉に輝いた。
「青木さん、いつ警察をクビになっても安心ですねえ」
 山本の褒め方は少しズレている。
 みんなの褒め言葉が嬉しくて、青木は自然と笑顔になった。最近の青木は、荒木にすっかり自分のポジションを奪われてしまったような気がしていたが、それは自分の思い込みで、みんなはちゃんと青木の存在を認めてくれていたのだ。

 向かいの席にいた曽我が、青木の笑みに釣られたかのように、その恵比須顔を満開にほころばせて青木に笑いかける。
「おまえのそういう顔、久しぶりに見た」
「え。そうですか?」
「先輩の威厳も大事だけどさ、笑ってた方がいいよ。その方が青木らしいよ」
 面子に拘って意識的に笑顔を消していたわけではないが、曽我のせっかくのミスリードに乗ることにした。小池の前では否定していたけれど、曽我だってきっと気付いていた、青木の中に生まれていた醜い嫉妬心に。それに言及することなく、そのままのおまえを皆は好いている、だから肩の力を抜けと励ましてくれている。

「わかりました。もう背伸びはやめます」
「ああ、それがいいですねえ、青木さん。あなたはそれ以上、背を高く見せる必要はありませんよ」
 山本特有のズレた相槌に皆が笑った。だけど青木には、いや多分みんなにもわかっていた。山本は青木と同様、曽我のミスリードに便乗したのだ。そして彼なりのスタイルで、青木を元気づけてくれた。
「そんなことしてみろ。薪さんからの風当たりがますます強くなるぞ」
「青木が薪さんより身長低かったら、もっとやさしくしてもらえるのにな」
「違いない。薪さんが山本と荒木に甘いのって、それが理由だろ」
 失礼な、と冗談の効かない山本が不満顔をする。その小さな背中を小突きながら、小池と曽我が笑い合う。山本も第九に来て3年、すっかり構われキャラになっている。

「それは冗談にしてもさ、青木の気持ちも分かるよ。おれもそういう経験あるから」
「みんなそうだよ。分かってないの、薪さんくらいのもんじゃないのか」
「あの人って、本当にそういうの鈍いよな」
「てかさ、知らないんじゃないか? 先輩になることのプレッシャーなんて」
「優秀すぎる故の欠落ということですか」
 山本が導き出した結論に、頷きつつも小池は首を傾げる。
「それもあるけど、あのひとお姫さまタイプだろ。先輩後輩関係なしに、みんなに世話焼かれてさ」
「いくつになっても危なっかしいし」
「仕事に夢中になるとぶっ倒れるまで休まないし」
「なんのかんの言って、一番手が掛かるよな」

「そんなことないですよ。薪さんは人の気持ちには敏感で、下っ端のオレにも気を使ってくださるし」
 最終的に薪に非難が集まって、青木は慌てて静観者の立場を翻す。薪と特別な関係になってからはあまりあからさまに彼を弁護しないように気を付けていたのだが、自分がきっかけとなって彼の悪口に繋がったのでは庇わないわけにもいかない。
 宇野とフランスに行くことを決めたときだって、薪はそのことを青木に話すためにホテルデートのプランを用意してくれた。あの時は二人の気持ちが噛み合わなくてケンカになってしまったが、あとでそうと知って、青木はとてもうれしかった。
 薪の気遣いは不器用で分かり難いけど暖かい。放ったらかしにされているように感じるときでも、青木のことはいつも見守ってくれていて――。

 そこで青木はやっと気付いた。どうしてこんなに自分が焦っていたのか。
 薪の視線が感じられなかったのだ。
 いつもは逆だ。会話はせずとも薪の視線は感じる。例えその瞳に青木が映っていなくても、彼の気持ちが自分に向いているのが分かる。それがまったく感じられなくなった。
 ――荒木が第九に来てから。

「青木。ちょっと来い」
 深刻な顔で考え込んでしまっていたのだろう、岡部に別室に呼び出された。気持ちがすぐに顔に出る、この癖も直さなければと青木は自省したが、岡部は青木に注意をするために彼を呼んだわけではなかった。第九の中で第4捜査室以外に内側から鍵の掛かる場所、つまり室長室に青木を誘い、内鍵を閉めてなお用心深く、岡部は声を潜めた。
「やっぱりおかしい」と岡部は言った。
「薪さん、おまえの変化に全然気づいてなかった。おまえが拗ねてるって、おれに言われて初めて知ったって顔してた」
「でしょうね」
 薪が荒木の家を訪れた夜、青木と軽い諍いを起こした。あのときも、薪はまったく青木の気持ちに気付いていなかった。でも薪が鈍いのはいつものことで、だから青木はまたかと思っただけだったが。

「確かにあの人はそっちのことは鈍い。でもな青木、薪さんはおまえの一番の理解者であろうと、いつも努力してる。その薪さんが、おれたち皆が気付いてたおまえの変化に気付かないなんてことがあると思うか?」
 岡部の疑問は、青木の恐ろしい疑惑を裏付ける。
 薪が青木を見ていない、だから青木の変化に気付けない。つまりそれは。

 思わず叫びだそうとする声帯を、必死に押さえつける。青木は瘧に罹った人のように身体を震わせながら、抑え過ぎて掠れがちになった声音で聞き返した。
「薪さんが本気でオレから荒木に乗り替えるつもりだって言いたいんですか」
「そうじゃねえよ、バカ。あるわけねえだろ、そんなこと」
 岡部はきっぱりと言い切り、青木の頭を軽く小突いた。オールバックの前髪が乱れて額に落ちかかり、眼鏡が斜めになる。岡部の軽くは常人の力いっぱいと同じくらいだ。

「ただ、こういうあの人は昔見たことがあるんだ」
 薪との付き合いは、青木よりも岡部の方が長い。何より、岡部は鈴木を亡くした直後の薪を見ているのだ。青木の知らない薪の姿を。
「過去の亡霊が何とかって、滝沢が言ってたな」
 青木もそれは気になっていた。刑務官の前だから曖昧な表現に留めたのか、滝沢独特の勿体をつけた言い回しなのか、その辺りは不明だが、薪が過去に関わった事件が絡んでいることは間違いない。
 そして、『亡霊』と言う言葉から連想される事件と言えば。

「岡部さん。まさか」
「ああ、青木。この件はもしかすると」
 不吉な予想を偲ばせる表情で青木と岡部が顔を見合わせた時、隣のモニタールームに騒ぎが起こった。がやがやと声高に話す声が聞こえ、すぐさま室長室のドアが叩かれる。ノックと言うにはあまりにも暴力的な勢いで、更にそれは滅多なことでは慌てない今井の喚き声と組み合わさって、嫌が応にも二人の不安に火を点けた。
「なにごとだ」
 内鍵を捻ってドアを開けた岡部に、白皙の顔を歪めた今井が空恐ろしい現実を突き付ける。

「薪さんが行方不明に」



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

モンスター(9)

 こんにちは。

 明日は例の花屋の社長に物置を動かしてくれるよう交渉に行くのですよ。やっとアポが取れたんで。
 上手く行くよう、祈っててくださいね。



モンスター(9)






「薪さんが行方不明に」

 岡部と青木の顔色が変わる。二人が室長室に籠っている間に帰って来たらしい新人が、泣きそうな表情で職員たちの後ろに立っていた。
「どういうことだ、荒木」
「すいませんっ!」
 現在捜査中の連続放火事件で捜査担当者に直接確認したいことがあるからと、日本橋の中央警察署に出向いた帰り道、荒木は薪に、これまでに何度かあったようにパーキングで待機するよう命じられた。
「いつものように後を尾けたんですけど、今日はまかれてしまって」
 仕方なく車で待つことにしたが、1時間の約束が2時間経っても帰ってこない。心配になって携帯に電話をしたが、繋がらなかった。朝の一件もあることだし、早急に報告すべきだと考え、急いで戻って来たのだと荒木は言う。

「まだ行方不明と決まったわけじゃないだろ。薪さんは推理に夢中になると、よくふらっといなくなっちゃうし」
「そうそう。捜査が佳境に入ると電話にも出ないし」
「なに呑気なこと言ってんだ! 猫の首が送られてきたばかりだぞ。その状況で部下を出し抜くようにいなくなって電話にも出ない、そんなことをしたらおれたちがどれだけ心配するか。それを察せない人じゃないだろ」
 今井の言う通りだと誰もが思った。薪は自分勝手で我儘で、捜査に夢中になると部下の人権を蔑ろにする最悪の上司だけれど。そんな常識を弁えないことはしない。今井が懸念するように、薪の身に災難が降りかかったと考えるのが妥当だ。

「そうだ。救難信号は」
「点いてません」
 小池が思いついた可能性を、青木がすぐに否定する。一番狼狽えるだろうと思われた青木は意外と冷静で、それは彼がこれまで薪を救うために潜って来た修羅場の数を職員たちに慮らせた。

 小池と青木の短いやり取りの後、荒木が控え目に尋ねた。
「あの、救難信号って?」
「そうか。荒木にはまだ教えてなかったな」
 青木は執務室の隅にある受信機の前に荒木を連れて行き、右上のランプを指差して、
「薪さんは官房長命令で、常に発信機を付けてるんだ」
「ええっ、発信機!?」
 薪の特別待遇に、荒木はひどく驚いたようだった。第九の職員たちはもう慣れてしまったが、官房長と言えば警察庁のナンバー3。その大物が、たった一人の警察官の安全をそこまで考慮すると言うのは普通ならあり得ないことだ。

「じゃあ、官房長に訊けばいつでも室長の居所が分かるってことですか」
「いや、それはさすがに。プライバシーの問題があるし」
 そこまで締め付けられれば薪のことだ、プライベート時には発信機をわざと家に忘れていくに違いない。縛られることを嫌う薪の性格を、小野田は心得ている。
「スイッチを押すと救難信号が出て、このランプが点灯する。これが赤くなったら薪さんが助けを求めてるってことだ」
 ランプが点くと同時に警備部にも連絡が行き、都内の場合は警備部が、地方の場合は連絡を受けた県警が、組織をもって速やかに薪を救出する。また、これと同じ機械は官房室にも設置されており、そちらでも有事に備える体制ができあがっている。
 それらのことを簡単に説明すると、荒木は目を丸くして、感心したように息を吐いた。
「室長って本当に特別なんですね」
「室長の頭には、明るみに出たら世界地図が描き替わるような秘密が幾つもしまわれている。だから室長は、いつもだれかに狙われていて」

 ああそうだ、と青木は沈痛に目を閉じる。
 今まで、なんて甘い気持ちで薪の傍にいたのだろう。滝沢が言ったことは冷やかしでもなんでもない、厳然たる事実だ。いつ誰がどこから襲ってきてもおかしくない、薪はそういう境遇に立たされた人間なのだ。
 なのに自分は、彼に恋するあまり彼のボディガードと言う重責を、24時間彼の側にいられる大義名分を手に入れたと、それくらいにしか思っていなかった。任命書を拝するとき、中園には、あくまで二人の関係を秘匿するためのカモフラージュだと説明を受けたし、視界に入らずとも薪の身を守る人間は他にもいるからそんなに気負わなくていい、とも言われた。だからと言って、それを鵜呑みにして警戒を怠っていいわけがない。
 甘かった。もっともっと、自分は必死に薪を守らなければいけなかったのだ。

「そうですか。では、緊急配備をお願い致します」
「山本。おまえ、だれと」
 皆が深刻な顔で薪の身を案じている傍らで、山本は誰かとしばらくの間電話で話し、先のセリフを最後に電話を切った。不思議がった小池が電話の相手を尋ねると、山本は平然とした顔で、
「中園主席参事官に報告をいたしました。首席参事官から薪室長に電話をしてもらいましたが、返事はありませんでした。室長が参事官の電話を無視することはあり得ないと判断し、参事官に緊急配備をしていただくよう要請しました」
「おまえそれ、早とちりだったらどうす」
「クビにでも何でもしてください! 室長の命の方が大事です!」
 そのあまりの剣幕に小池は息を呑む。冷静さではマイペースの分だけ今井の上を行く山本の、おそらくは初めての恫喝であった。

「そう申し上げました」
 山本は一瞬で激昂を胸に収め、いつもの慇懃無礼な口調で、
「言っておきますけど、第九全員のクビを掛けましたので。懲戒免職の辞令が出た時はみなさんもご一緒ということで」
「はあ?!」
「なにしてくれてんの、おまえ!」
「仕方ないでしょう。『君一人のクビなんかじゃどうにもならない』と参事官が仰ったのですから。あとはもう頭数で補うしか」
 多分中園は警視監である自分のクビくらい懸けなきゃ政敵の警視総監を動かせない、そう言いたかったのだろう。それは何となくみんなにも察しがついて、そうしたら俄かに希望が見えてきた。官房室のブレインと呼ばれる首席参事官がそれほどの覚悟を持って薪の捜索に当たってくれるのだ。きっとすぐに保護してもらえる、そう思ったら自然と口も軽くなった。

「困りますよ、山本さん。オレ、まだ車のローンが」
「飲み屋のツケが!」
「大阪食い倒れツアーの予定が!」
「彼女との結婚資金が!」
「「「今井さん、それ、どうでもいいです」」」
「なんでおれだけ?!」
 ばっさり切り落とされて今井が嘆く。やはり青木が小池、曽我のコンビに加わると第九は賑やかになる。さすが元祖三バカトリオだ。
 などと、冗談にかまけている場合ではなかった。

「救難信号がないってことは、薪さんの意識がないってことだ。誰かに襲われて昏倒してるとしたら……やばいな」
 青木が確認したばかりの受信機を自分の目で確かめ、岡部は険しく眉を寄せる。何よりも、薪の身体が心配だった。
「今朝の郵便物と、同じ人間の仕業でしょうか」
「いや。さっき青木にも言ったんだが、ああいうものを送りつけてくるタイプの犯罪者ってやつは――待てよ」
 岡部は何かに弾かれたように顔を上げると、室長室へ駆け込んで行った。断りもなく上司の机を漁り、目的のものを見つけ出す。それは最下段の引き出しの奥、鍵の掛かった黒いシークレットボックスの中に、亡くなった親友の写真と共に入っていた。

「くそ。やっぱりか」
 10枚を超す封書の束。「死」や「殺」など、物騒な文字が踊る便箋の末尾には判で押したように『モンスター』のサインがあった。後を追ってきた青木が、それを見て悲痛な呻きを洩らす。
「初めてじゃない。あの猫は最終通告だったんだ」
 怒りに証拠物件の保全も忘れ、握りしめた拳の中でくしゃくしゃになった手紙ごと、岡部は渾身の力で室長の机を殴った。
「まったく、あのひとは!」
 わらわらと寄って来た職員たちが、大急ぎで手紙を集め、鑑識の手配を整える。そんな中、今井は古巣の警備部に、山本は検事局に、それぞれのコネクションを利用して室長の身柄を保護しようと連絡を始めた。
 その熱気に押されたのか、現場経験のない新人は皆から一歩退き、今にも倒れそうな青い顔をして室長室の入口に立ち尽くしていた。



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ジャンル : 小説・文学

モンスター(10)

 今日は親友の誕生日なのですよ。
 薪さんと同じ、みずがめ座のAB。羨ましいやつ。
 わたしの誕生日は12月4日で、青木さんと同じ射手座です。血液型はB型なので(今やっぱりって思った?)、青薪さんと同じではありませんが、近いなあって思うことが学生の頃から2,3ありました。
 選択科目が一緒。
 ギャグが被る。
 申し合わせたわけじゃないのに、同じ文房具を買っている。
 大した意味はないけれど、青薪さんにもそういう偶然があるんだろうな、って思うと萌えます(〃▽〃)
 




モンスター(10)






 岡部はその足で官房室へ向かった。中園と小野田に薪の失踪を報告するためだ。

 来訪者を予期した中園に命じられていたのだろう、受付に顔を出した岡部を、秘書は取次の電話をせずに首席参事官室へ通した。居室で中園は渋い顔をして、何処かに電話をしている最中だった。手振りで「座って」と示されたソファに腰を下ろし、岡部は亀のように竦めた首を回して部屋の中を眺めた。
 いかにも官給品の設えの第九とは違う、スタイリッシュな調度品でまとめられた居室。キャビネット1つとっても、岡部が普段使っている面白味のないスチール製の物とは段違いだ。ソファも当然のように革張り。スプリングも弱っていない。座り心地はよかったが、居心地は非常に悪かった。
 第九に籍を置いていた頃からしょっちゅう小野田のところへ顔を出していた薪と違って、岡部はあまり官房室に馴染みがない。ここにいる者はエリートばかり、全員がキャリアで岡部より上階級だ。それだけでも肩が凝る。

「では、捜査本部の設置と現場の指揮は一課にお任せします。いえ、そんなつもりは毛頭。そもそも、こないだのことは貸しだなどとは思っておりません」
 ではよろしくお願いします、と結んで電話を切った後、「あのタヌキおやじ」と吐き捨てる。中園の電話の相手は、どうやら警視総監らしい。
「青木くんが捕まえた犯人を引き渡して、せっかく作った貸しがパーだ」
 独り言のように愚痴るが、岡部にも大凡の察しは付く。夏の事件で、青木は自ら自分の冤罪を晴らし、犯人を捜査一課に付き出した。警察庁内部のいざこざが絡む事件だったから本当のことを公にするわけにもいかず、表面上は捜一の手柄になった。それは警視総監への貸しになっていたわけだが、今回薪の捜索を頼んだことで、その貸しがチャラになったのだ。
「ま、次長派にトドメを刺しただけで良しとするしかないね」
 中園はさっと気持ちを切り替え、自分の机から岡部の向かいのソファに移動した。

「さて岡部くん。詳しい報告を頼むよ」
 促されて岡部は、薪に送られてきていた数十通に及ぶ脅迫状のことを話した。加えて今朝は猫の首が送られてきたこと、日本橋にある中央警察署の帰り道、新人を銀座のパーキングに待たせたまま薪が失踪したこと。誰にも内緒で薪が滝沢と面会をしていたことを話すと、中園は苦虫を潰したような顔になった。
「僕の方からも調べてみるけど。滝沢くんは脅迫状とは関係ないと思うよ」
 そう言いながらも中園があからさまに舌打ちするのは、薪の無鉄砲さに腹を立てているからだ。拘置所は決して安全な場所ではない。犯罪者こそ檻の中だが、囚人の身内や関係者が常時面会に来ているのだ。その中には当然、血の気の多い連中もいる。そんな場所をSPも伴わずに訪れるとは何事か。

「脅迫状に猫の首か……薪くんのことだ。モンスターと名乗る人物との直接対決に赴き、相手の罠に掛かって拉致された、なんてことじゃないのかい」
 その可能性は充分にある。と言うか岡部も内心、そんなところだろうと推測している。
「いつかこんなことが起きるんじゃないかと思ってたよ。あの子は自分の危険に鈍感すぎる」
 小野田や自分がいくら言い聞かせてもダメなのだ、と中園は頭を抱えた。
 薪は我儘だが、周りの人間に気を使う。心配を掛けたくない、厄介事に巻き込みたくない。そんな気遣いから、不安を顔に出さない。その守りを固めるのは鉄壁のポーカーフェイス。決着を着ける時は単独行動。水臭いを通り越していっそ面倒臭い。

「小野田が海外でよかったよ。でなきゃ今ごろ大騒ぎだ」
「迷惑を掛けてすみません。おれも青木も、薪さんには一人にならないようにとお願いしてるんですけど」
 ピリリリと岡部の胸で携帯電話が鳴った。出ていいよ、と中園が顎をしゃくる。画面を確認すると、竹内からだった。
『室長がいなくなったって本当ですか』
「ずいぶん早耳だな」
『青木から電話があったんです。おれと、先生のところにも』
「まだ分からんが。官房室からのホットラインにも応答しないとなると、拉致された可能性は高い」
『そうですか……一応、先生には心当たりをリストアップしてもらってます。その他になにか、おれにできることはありませんか』
 心から薪の身を案じている。電話越しにそれが伝わってくるような、親身な声だった。竹内はいい男だ。それに引き換え、青木のやつは。
「捜索のルートは多いに越したことはない。先生のリスト先を当たってみてくれ」
『分かりました。何か掴めたら連絡します』
 竹内の電話が切れた後、中園の前だと言うことも忘れて、岡部は思わず愚痴った。
「青木のバカ。竹内はともかく、雪子先生は産休中だぞ。身体に障ったらどうするんだ」
「まあ、薪くんの一大事とあってはね。青木くんの気持ちも分かるよ」
 中園は比較的、青木には寛大だ。青木はそこそこ頭がよくて腕も立って、粘り強く丁寧な仕事をする。バランスの良い捜査官は重宝されるものだ。

 岡部が携帯電話をしまうと同時に、今度は中園の電話が鳴った。
「げ。小野田だ」
 画面を見て、顔を歪める。本当に嫌そうだ。
『薪くんがいなくなったって!? どういうことだい、中園ッ!』
 相手は電話口で怒鳴っているのだろう。声が丸聞こえだ。
 岡部を共犯にするつもりか、中園は携帯のスピーカー機能をオンにした。大きく息を吸って呼吸を整え、妙にかしこまった口調で電話口に呼びかける。
「恐縮ですが官房長。その情報を、いったいどちらからお聞き及びに?」
『青木くんがぼくに電話をくれたんだよ。ボディガードの責を果たせず、申し訳ないって』
「あのバカ犬。吠えなくていい所で吠えやがって」
 気持ちが分かるとか言ってた気がするが、あれは気のせいだったか。

『すごく責任を感じてたみたいだったよ。可哀想に』
 よかったな青木、と岡部は心の中で呟く。
 これまで青木には何かと冷たかった小野田が、青木の心情に配慮をしている。自分だって電話に向かって叫ぶほど薪が心配なのに、落ち込む青木にやさしい言葉を。小野田も少しずつ、青木のことを認めて――。
「それでおまえ、青木くんになんて言ったの」
『死ねば、って言って電話切ってやった』
 ……強く生きろよ、青木。

「これだから親バカって言われるんだ」
『聞こえてるよ、中園』
「わたしは何も言っておりませんが。電波障害ですかな」
『そうかい。電話がつながらないんじゃ日本に帰るしかないな』
「ちょ、待て。国際会議だぞ。そんなことしたら」
『じゃあぼくが会議に集中できるように取り計らってくれ』
「連絡が遅くなって申し訳ありません。報告させていただきます」
 中園は口調を改め、岡部から聞いたこれまでの経緯を要領よく説明し、現在の対応状況を簡潔に話した。

「総監には話を通した。捜査本部は捜査一課に、現場指揮は一課が執る。失踪地点の銀座から円形に捜査範囲を広げ、所轄総動員でローラーを掛ける。5課には暴力団関係の情報を当たらせる。僕は僕の情報網を使って、薪くんを全力で探し出す」
 他に何か、と中園は上司に意見を求めた。中園の隙のない捜査計画に、小野田が電話の向こうで頷く。
「第九の皆には、容疑者の絞り込みのために過去の事件の洗い出しをしてもらう。薪くんに恨みを持っていそうな人間を炙り出すんだ。頼んだよ、岡部くん」
『ぼくからもよろしく頼むよ、岡部くん』
 はい、と応諾する岡部に、小野田は気遣わしげな口調で、
『今回はいつもの人騒がせとは違う気がするんだ。ぼくはね、こないだ薪くんをうんと叱ったんだよ。彼、その場では不満そうな顔してたけど、次の日茶巾ずし持って謝りに来て。ちゃんと反省したみたいだった。それからまだ2ヶ月しか経ってないのに、こんな騒ぎを起こすとは思えないんだ』
 茶巾ずしで懐柔されるとは、天下の官房長も意外と安い。
 中園と岡部は同時にそんな感慨を抱いたが、双方それを口には出さず。それぞれの捜索を速やかに進めるため、自分のテリトリーに戻って行った。



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モンスター(11)

 こんにちはー。

 おかげさまで、花屋の物置が撤去されました。これで先に進める♪ と思ったら、
 今度は横断する既設道路に下水の圧送管が出てきやがりまして、なんで下水道がGL△600の深さに入ってるのよー(><) (今は1200くらいの深さに埋めるんだけど、昔は規格ギリギリの600くらいに埋めてたらしい、てか、U字溝が入らないじゃん! 設計ミスだろ、これ!)
 おかげで切り回し工事が追加になり。またもや頭が痛い現場代理人です。

 何かの祟りかと思えば、こんなん書いてるからかしら。

*薪さんが痛い目に遭うの嫌な方、この章は飛ばして読んでください。読まなくても話は繋がりますのでご安心を。(それなら無くてもよかったんじゃ……)




モンスター(11)




 激しい痛みと寒さで、薪は眼を覚ました。
 潤んだ亜麻色の瞳が映しだしたのは埃まみれの板の間。投げ出された自分の右手が見える。左手首は手錠でベッドの脚に繋がれており、薪はそれより先に動くことができない。
 せっかくベッドがあるのだから使わせてくれてもいいのに、と薪は首を動かしてベッドを見上げるが、マットが破れてスプリングが飛び出しているのを見て諦めた。あれは傷に響きそうだ。
 せめて毛布が欲しい。10月も終わりに近いと言うのに、裸に近い格好で隙間風がびゅうびゅう入るこんな廃屋に転がされて。風邪を引いたらまた岡部が騒ぐだろう。
 ――生きて帰れたらの話だが。

「うっ……痛ぅ」
 薪を捕えた人物は残忍だった。
 なんのためらいもなく、薪の皮膚をメスで切り裂いた。薪が苦痛に悶える様を見て嘲笑い、つけたばかりの傷をさらに抉った。そうして少しずつ少しずつ、薪の身体に深い傷を刻んでいった。まるで子供が、捕まえた昆虫の脚を一本一本むしって行くように。
 特に重症なのは下腹部で、その部分の痛みは凄まじかった。初めて青木と結ばれた時も痛かったが、その比ではなかった。性器には針のようなものを突き立てられ、後ろには男性器の形をした大ぶりの器具をむりやり突っ込まれた。その様子を動画に撮られた。ネットに流すと言っていたから、今頃大騒ぎになっているだろう。

 表を歩けなくなる、そんな心配は要らないと言われた。
 おまえはここで私に嬲り殺される。二度と日の目を見ることはないのだから安心しろと、普通なら肩を叩く代わりに鞭で引っぱたかれた。
 薪の背中に蚯蚓腫れの痕を残しながら、薪が聞きもしないのに理由を説明してくれた。
 自分がどうしてこんな目に遭わされるか分かるか。私の兄がされたことをそっくりおまえにしてやるのだ。それがおまえに与えられた罰なのだと、確かそんな説明だった。痛みが激しくて、相手の話は半分も耳に入ってこなかった。

「ったく。この年でハードSMはきつい」
 絶体絶命の窮地に、薪は軽口を叩いた。
「また中園さんに大目玉だ」
 犯人は今、ここにはいない。来るとしたらおそらく夜の8時過ぎ。痛みに気絶していた時間を2時間と見込んでも、3時間くらいは余裕がありそうだ。だが、動けそうもなかった。傷が深すぎる。
「小野田さんにも迷惑かけちゃうし」
 誰もいない空虚に、薪の乾いた声が吸い込まれていく。
「岡部やみんなが心配して……」
 目の縁から涙がこぼれて、土埃に黒ずんだ亜麻色の髪を濡らした。くちびるが震えて声が出せない。どうやらカラ元気も打ち止めだった。

 死にたくないと薪は思った。
 これに近い状況に追い込まれたことは何度かあった。死を覚悟したことも、一度や二度ではない。だが薪はこれまでに一度も、こんな風に願ったことはなかった。
 心のどこかで誰かが助けに来ることを信じていた。その希望を最後まで、捨てたことはなかった。

 今回は違う。自分はここで死ななければいけないのだ。だからこそ痛切に思った。

 死にたくない。
 死にたくない。
 死にたくない。

 声にならないその願いが、薪のくちびるに一人の男の名を象らせる。
「青木――」
 青木に会いたい。死ぬ前に、一目青木に会いたい。会って告げたい、幸せだったと。おまえに会えて、愛されて、僕は幸せだったと。
「うっ……」
 もう恥も外聞もなかった。犯人の前では零すまいと決意した涙は、一度流してしまうと、我慢を重ねた分だけ歯止めが効かなかった。

 思いがけず最後の晩餐になった、昨夜の食事は甘鯛の酒蒸しだった。それとインゲンの胡麻和え、キンピラゴボウ、海藻のサラダ。
 この日が今日来ると分かっていたら、青木が好きな煮込みハンバーグを作ってやればよかった。ビールももう1本飲ませてやればよかった、セックスも。会議を理由に断ったりしなきゃよかった。

 いや。分かってはいたのだ。
 いずれこんな日が来ることは分かっていたのに。
 それは今日じゃない、明日じゃないと、何の根拠もなく思い込んでいた。だってあんまり楽しかったから。
 彼に恋をして、その彼と一緒に暮らせるようになって、地球の引力を振り切れそうなくらい舞い上がりきってた。その幸福が自分に訪れたことに驚きはあっても疑いはなかった。この幸せが明日も明後日も続くのだと、信じていた。

 なんて愚かだったんだろう、僕は。
 そんなこと。神さまが許すはずもないのに。



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モンスター(12)

 こんにちは。
 
 先日の薪さん生誕祭、盛り上がってましたね!
 久しぶりにブログさん巡りして、みなさんの薪さんを堪能させていただきました♪ 楽しかった、本当に楽しかった!
 やっぱり薪さんはわたしの生きる糧です。早起きして時間作ろう。(ブログのために早起きとか、なんてダメ嫁)

 え、おまえは何もしないのかって?
 Nさんのとこで公開されてた感涙ものの「白百合と薪さん」のイラストから、コラボが生まれそうですね、てTさんがおっしゃってくださったんですけど、わたしの頭の中にはすでに、
 百合の花背負った薪さんに警視総監がドン引くギャグ絵しかない(・∀・) それでよければ書きますけどw
 ギャグに縛られるやつですみません。お二方はじめ、イラストの美しさに感動したすべての人にお詫び申し上げます。



 さて、お話の続きです。
 てか、前回の章ヒドイよね(^^;) あの先、読んでくれる人いるのかしら……。





モンスター(12)






 翌日の第九は喧騒に満たされていた。
 研究室に残された薪の私物や、届けられた手紙から犯人の手掛かりを探すため、幾人もの鑑識や捜査員が立ち入り調査にやって来たのだ。

 当然、MRIによる捜査は差し止めとなった。視覚者のプライバシー保護のため、部外者がいるときは捜査ができない。代わりに職員たちに割り振られたのは、過去の捜査資料の検分であった。
 モンスターと名乗る人物は、これまでに第九で扱った事件の関係者である可能性が高い。しかし捜査資料は、第九職員以外には見せられない。よってその洗い出し作業が彼らに回ってきたのだ。
「第九創業時からとなると、膨大な数だな」
「もう10年だからな」
 電子ファイル化されたそれらの資料をPC画面に出力しながら、小池と曽我が囁き合う。その隣では今井と山本が、知人から送られてくる情報を携帯で確認しつつ、古い事件を紐解いていた。

「薪さんを逆恨みしそうな奴と言えば、MRI捜査で捕まった犯人の身内とか友人とか」
「全部合わせたら1000人くらいになるぜ。そんなに見きれるかよ」
「仕事しすぎなんだよ、あのひと。犯人捕まえすぎ」
「仕事の虫もこういう時は困りものですねえ」
 ぶつくさと文句を言いながら、しかし彼らの眼は真剣そのものであった。今朝、彼らが出勤して来たのは6時前。薪の捜索は警視庁に預けて自宅に引き取ったものの、まんじりともせず夜が明けてそのまま、始発に乗って職場に帰ってきてしまったのだ。

 薪の行方は杳として知れなかった。
 山本から連絡を受けた中園はすぐさま行動を起こし、警視庁に捜査本部を設置した。
 警視庁及び都内の所轄では可能な限りの人員を割いて捜索に当たったが、何処を探して良いのか見当も付かない状態では思うような成果は上がらない。姿を消したと言う銀座駅近くのパーキング近辺から虱潰しに聞き込みを掛けたが、誰も薪を見た者はいなかった。あれだけ目立つ人物なのだから、もっと人の記憶に残っても良さそうなものだ。もしかしたら脅されて、帽子やマスクなど特徴を隠すものを付けさせられたのかもしれない。
 もちろん、中園独自のルートでも捜索は行われていた。組対五課の面々は、自発的に暴力団関係を洗っていた。雪子や竹内、昔の同僚など、友人たちはそれぞれに自分の知り合いに連絡をし、薪の行方を探していた。が、誰一人として有力な情報を得ることはできなかった。

「こっちも思わしくないけど、あっちも混乱してるみたいだぜ」
 小池の示す方向を見て、曽我は耳を欹てる。室長室からは薪の私物を調べる捜査員と、それに立ち会っている副室長の会話が聞こえてきた。
『あっ、室長のシークレットボックスが壊されている! 犯人め、こんなところまで!』
『いや。これを壊したのはおれだ』
『なんと。ではあなたが犯人だったのですね、岡部警視!』
『なんでそうなる!』
 4人は思わず机上に突っ伏した。捜査ミスにも限度がある。
「一課の連中も相当テンパってるな」
「無理ないよ。岡部さんは捜一では伝説の人だから。シャーロックホームズの前で捜査してるようなもんだよ」
「そりゃ緊張するわな」
「でもなんか、鑑識の人もちょっと変ですよ」
 山本の言葉に他の3人が再び耳を澄ますと、薪の私物を検める鑑識課の声が。

『こ、これが薪室長のロッカー』
『なんていい匂いだ』
『まったくだ』
 曽我の手からばさりと資料が落ちた。しかしそれを拾うものは誰もいなかった。
「そう言えば、鑑識にもあったよな。薪さんのファンクラブ」
 遠い眼をして今井が呟く。皆なぜか一様に俯いていた。

『この扉に薪室長の手が。この鏡に薪室長の顔が』
『中にヘアブラシが置いてあるぞ。残念ながら髪の毛は付いてないが』
 噂では鑑識課では、現場に落ちた薪の髪の毛などを採取してDNA鑑定をし、その鑑定書を会員証の代わりにしているとか、会員になるには試験があって、それは薪のDNAの塩基配列から導き出される彼の美しさについての論文を提出することだとか――あくまでも噂である。
『見ろ、替えのワイシャツがある』
『使用済みの衣類はないのか? できれば靴下とか』
 自分たちが使用するわけではなく、警察犬に嗅がせると信じたい。
『残念ながら靴下はないが、靴べらはあるぞ』
『ああ、これで室長に叩かれたい……!』
 ファンクラブと言うより単なる変態集団のような気もする。

「おまえら、みんな出てけぇっ!!」
 とうとう岡部の雷が落ちて、室長室から蜘蛛の子を散らすように捜査員たちが飛び出してきた。
「だれだ、こんな連中を現場検証に寄越したのはっ!」
 岡部は怒り心頭に発していたが、それでも彼らは手紙の束とノートパソコン、第九職員が見つけられなかった薪のスケジュール表、書き損じてゴミ箱に捨てたメモなどを持って帰った。一応はプロの捜査官らしく、ちゃんと自分の仕事はして行ったようだ。

 室長室から出て来た岡部は、モニタールームをさっと見回すと、青木と一緒にモニターを覗き込んでいる新人の机に近付いた。
「荒木。犯人に心当たりはないか」
 荒木は慣れない現場検証に緊張していたのか、ビクッと肩を跳ね上げ、不安そうな眼で岡部を見上げた。
「ここ最近、薪さんのお世話をしてたのはおまえだ。なにか変ったことはなかったか」
「……思い当たりません」
 しばしの熟考の後、荒木は言った。いつもとは打って変わって重い口調だった。
 荒木なりに責任を感じているのだろう。命令に背いての尾行とは言え、荒木が薪を見失わなければ薪は無事だったかもしれないのだ。しかし、それだけの技術を警大を出たてのキャリアに求めるのは無謀だ。尾行は体で覚えるものだ。現場経験を積まなければスキルは身に付かない。

「後を尾けたのは今回が初めてじゃないと言ってたな。薪さんは、おまえを待たせていつも何処へ行ってたんだ?」
「それは」
 答えるべきか否か、荒木は判断に迷うようだった。どうやら相手は薪のプライベートな人物らしい。
「プライバシーを守ってる場合じゃない。今はどんな情報でもいいから必要なんだ」
 岡部に説得されて、荒木が重い口を開く。出てきた証言は意外なものだった。
「室長は女性と会ってました」
「オンナ?」
 薪は春に青木と暮らし始めたばかり、その真実を第九の仲間たちは知っている。とはいえ薪が同性愛者ではないことも分かっているから、薪にそういう相手がいないと断定はできないが、さて。
「青木、ちょっと落ち着け。気持ちは分かるが、てかマウス割れてるし!」
 一人だけ、薪の『そういう相手』を認めることができない職員が大きな手でPCマウスを握り潰すのを横目に、岡部は質問を続けた。

「どういう場所で、どんな女だった?」
「場所はカフェとか、ホテルのラウンジとか。相手の女性はつばの大きな帽子を被って、顔が半分くらい隠れるサングラスをして」
 明らかに素顔を隠している様子だ。何か事情があるに違いない。
「背は室長と同じくらい。髪は肩までで、黒かったです」
「いつも同じ女だったか」
「毎回尾行が成功したわけじゃないですけど。おれが見た限りでは、同じ女でした」
 荒木が薪の行先を突き止めたのは、滝沢のいる東京拘置所を合わせて4回。置いてきぼりをくらった回数はそれと同じくらいだと言うから、週に1度の頻度でその女性と会っていたことになる。

「もしかしたらその女が」
「モンスターか、そうじゃなくても何か知っている可能性が高いな」
 最近になって薪が会い始めた謎の女。この女の正体が分かれば、薪の居所が掴めるかもしれない。

「よし、荒木。室長と女が会っていた場所におれを案内してくれ」
 岡部は上着を肩に掛けて颯爽と立ち上がり、荒木に車のキィを投げた。それから青木に向かって、
「青木、おまえも来い。おまえの鼻なら薪さんを追えるかもしれん」
 青木を警察犬扱いする、岡部に青木は気弱に微笑み返す。
「それが、見当も付かなくて。家でも何も見つけられなかったし」
 昨夜青木は、今は自分の家となった薪のマンションに帰り、事件について何か手がかりがないか、薪の私物を探ってみた。薪が青木に見せないようにしている鈴木の写真を入れた箱の中も調べてみたが、『モンスター』に関係していそうなものは何も出てこなかった。青木が偶然見つけてしまうことの無いように、自宅へは持ちこまなかったのだろう。いつものように、青木を巻き込むことを避けたのだ。その点では、室長室の机の中が一番安全だ。部下である青木は、職務に関しては決して出過ぎないからだ。

「春の事件のときも最初はそんなことを言ってたが、見事薪さんの居場所を探り当てたじゃないか。今度も大丈夫だ。そのうち薪さんの声が聞こえてくるさ」
 今まで何度も見せつけられた、青木と薪の不思議な絆。今回もそれに期待していると、岡部は青木の肩を軽く叩く。ついでに荒木の肩も、ごく軽く叩いた。
「道案内、よろしく頼むぞ、荒木」
「はいいい痛ったあっ!!」
「えっ。荒木、どこか怪我してたのか?」
「い、いいえ。大丈夫です」
「だから岡部さんの軽くは普通の人の目いっぱいなんですよ……」
 青木は岡部の特訓を受けて長いから慣れてしまったが、身体を鍛える必要のないキャリア組の荒木には堪えたらしい。荒木は叩かれた肩を擦りつつ、引き攣った笑いを浮かべた。

 後のことを今井に託し、3人は執務室を出た。
 エントランスまでの長い廊下を二人の後に着いて歩きながら、青木は心の中で薪に呼びかける。

 薪さん。
 オレを呼んでください。
 呼んでくだされば、オレはすぐに飛んで行きます。水の中でも土の中でも――何度でも見つけるって、約束したでしょう?

「青木。早く乗れ」
 いつの間にか車の前に立っていた。後ろの窓が開いて、中から岡部が青木を急かす。
「薪さん――」
 口中で小さく呟き、その人の面影を胸にしまって、青木は荒木の運転する車に乗り込んだ。



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モンスター(13)

 先日、親友に「あんたの星座と血液型が薪さんと同じで、わたしの星座が青木さんと同じなのよ」と言う話をしましたら、「逆じゃね?」て言われました。わたしの方が薪さんじゃないの、てことで。
 でもこれ、褒め言葉じゃない。
 わたしの親友は、「薪さん=天才だけど性格破綻者。基本自分が王さまで自分勝手」 で、「青木さん=常識人。薪さんに振り回される可愛そうな人」だと思い込んでるんですよ。本当は青木さんの方が薪さんを振り回してるんだってこと、分からせてあげなきゃ。
 あ、でも、そうすると結局わたしが彼女を振り回してることになって、彼女の考えが正しいことに……ううーん。

 射手座と水瓶座って、火と水だもんねえ。仕方ないねえ。



 さて、続きです。
 
 今回の話、薪さんに痛い思いさせてすみません。何人もの方に言われて読み直してみたら、うん、けっこうヒドイね!!<おい。
 わたし、書いてるときは理性とか常識とか飛んでるから……誠に申し訳ないです。

 この章、すっごく短いんで、次のも一緒に上げます。よろしくです。




モンスター(13)





 青木の声が聞こえたような気がした。

 目を開けて、割れた窓から差し込む太陽光の位置が記憶よりも1mばかり右にあることに気付き、薪は知らず知らずのうちに自分が眠っていたことを知る。
 まだ、生きている。身体中痛いが。

 前の道からだろうか、若い女性の声がする。途切れ途切れに入ってくる会話から察するに、帰宅途中の女子学生らしい。センター試験の話をしているから、受験生だろうか。

 声の限りに叫べば、気付いてもらえたかもしれない。
 しかし薪の肺は、そのための息を吸おうとしない。声を出そうとすると突き刺さるような痛みを感じた。胸が潰れそうだ。
 歯を食いしばって痛みをやり過ごすうち、女子学生の声は遠ざかってしまった。失望とも安堵ともつかぬ溜め息を洩らし、薪は少しでも痛みを和らげるため、浅い呼吸に務めた。

 庭先から小鳥の声が聞こえる。
 元は民家らしいこの廃屋は、無人になって長いらしく、庭の樹も伸び放題だった。それが目隠しになって、表からは家の屋根すら見えない。見えたところで窓ガラスもない空き家だ。ホームレスだってもう少しまともな寝床を見つけるだろう。

 何かが自分の裸の脚を這っている。見ると、大きなムカデだった。
 ジメジメした廃屋は害虫たちの温床だ。痛みに紛れて気付かなかったが、周りには芋虫やらゲジゲジやら、汚らしい虫がたくさんいた。

 最悪だ、と薪は心の中で呟いた。薪はあまり虫が好きではない。
 だが、自分に相応しい寝床だとも思った。
 自分はこの虫たちと同じだ。人に蔑まれ、日陰にしか生きられず。太陽の光も美しいものも、見てはいけない。

 ――あの日から。

 薪は再び眼を閉じて、浅い眠りに戻った。
 今宵また自分を訪れるであろう耐え難い苦しみに向けて、少しでも体力を回復させるために。




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モンスター(14)

 本日、2個目の記事です。
 (13)を先に読んでください。あ、いや、読まなくても通じますね。薪さん、ちょっと可哀相なんで、痛いの苦手な方は飛ばしてOKです。(じゃあ何故書く←だって萌えるんだもん←ゲス野郎)





モンスター(14)





 荒木が最初に二人を連れて行ったのは、都内に数えきれないほどある有名なファミリーレストランの一つだった。
「薪さんが、女と会うのにファミレス?」
 薪のイメージに合わないと、岡部と青木は揃って首を傾げたが、荒木はここで間違いないと断言した。
「この席に座ってたんです」
 そう言って案内したのは窓際の席で、基本、密会に通りから丸見えの席を選ぶなんてこれもまた不自然だと青木は思ったが、それは薪の不貞を信じたくない青木の思い込みに過ぎなかったかもしれない。
 店のロゴが印刷された全面ガラス張りの窓からは、歩道を闊歩する人々の顔がよく見えた。少し奥に焦点をずらせば信号待ちをしている車の群れ、横断歩道を渡るビジネスマンたち、その先にはK大学の門から吐き出される学生たちの姿が見える。

「先月の10日頃、店にこの人が来ませんでしたか。つばの大きな帽子を被ったご婦人と一緒だったと思うんですけど」
 薪の写真を片手に店員に聞き込みをしたが、薪と女を憶えている者はいなかった。駅に近いだけあって、この店は客が多い。聞き込みをしている間にも、向かいの大学で講義を終えたらしい学生たちが2回程、団体で入って来た。この調子では1日の集客数は300人を超えるだろう。1月も前の客の顔を憶えていないのも無理はなかった。

「青木、どうだ。薪さんとこの店、なんか関係ありそうか」
「いいえ。薪さん、ファミレス嫌いですから」
 1度だけ、外回りの帰りに青木の腹の虫が騒ぎ出して、手近なファミレスに寄ったことがある。その時の薪の講評は、うるさいし、料理は不味いし、とクソミソだった。それ以来、一度も利用したことがない。

 そこでの聞き込みは諦めて、次の場所へ行くことにした。
 次に荒木が案内したカフェは、ビルの地下にある暗い雰囲気の店だった。やたらとギターを担いだ若者が目に着くと思ったら、ライブカフェなのだそうだ。ここもまた、ティータイムに静寂を好む薪らしくない。
 外から見えない地下の店は密会向きなのだろうが、やはり薪の好みではない。薪は青木が選ぶ店に文句を言ったことはないが、照明の暗い店には眉を寄せるし、外の風景が見えない店はつまらなそうな顔をする。薪が好むのは明るく清潔な店で、窓が大きく開放感がある。外に雄大な自然が広がっていたりするとベストだが、それは東京では難しい。

 そう言った意味では最後に訪れた喫茶店も、良い選択とは思えなかった。
 店は手狭で、10人分しか席がない。落ち着いた会話には不向きなスツール椅子しか置いてないし、雑居ビルの中にあるから外はロクに見えない。コーヒーは正直言って不味かった。
 ただこの店には一つだけ、青木の注意を引いたものがあった。コルクボード一杯にピンで留められた写真だ。この店の開店当初からの習慣で、常連客がここで写真を撮り、このボードに残していくのだそうだ。
 もちろん、密会に使った店で写真を残していくはずはない。そこに映っているのは若者たち、それも学生ばかりだった。さっきのファミレスもそうだったが、この喫茶店は若い客が多いようだ。近くに学校があったから、きっとそこから流れてくるのだろう。
 時代も服装もまちまちの、それらの写真の中には少しだけ薪に似た子もいたりして、青木は、薪も大学時代はこんな店に学友たちと立ち寄ったのだろうか、などとノスタルジックなことを考えた。

「店はこれで最後か?」
「そうです」
 最後の喫茶店の、焙煎のし過ぎで焦げ臭いコーヒーを飲み終えて岡部は、ふうむと鼻から息を吐いた。
 荒木に導かれて薪と謎の女性の密会場所を回ったが、手応えはまるでなかった。それどころか違和感だらけだった。自分の好みとはかけ離れた店で、つばの大きな帽子を被ったサングラスの女と、薪は何をしていたのだろう?

 どの店でも目撃情報は得られなかったし、店の周辺でもそれは同じだった。捜査は空振りに終わり、3人は肩を落として第九に帰って来た。
 第九では4人の職員たちが、書類に埋もれて死にかけていた。みな、画面の見過ぎで眼がしょぼしょぼしている。小池なぞ、目が線ではなく点線になっている。
 どうでしたか、と訊かれて黙って首を振る。同じ質問を返す気にはなれなかった。聞かずとも、彼らの生気のない顔を見れば答えは明らかだった。
 同様に、捜索隊の成果も芳しくなかった。
 捜査一課では捜索範囲を消失点から半径10キロに広げたが、目ぼしい情報は得られなかった。
 薪は銀座のパーキングから、煙のように消えてしまった。あれだけ人目を引く人が、一目見たら忘れられない容姿を持つ人が、誰の眼にも触れず誰の記憶にも残らず。それこそモンスターに骨まで食われてしまったかのように。
 それらの情報は、岡部の後輩の竹内から得たものだ。竹内も今は警察庁勤めだが、捜査一課には彼が育てた後輩たちがいる。彼らに逐一報告を入れさせ、それを自分の先輩である岡部に流してくれるのだ。現場からの生の声は、官房室に上がる一課長の報告書より正確だ。見栄やプライドが絡まず、事実に尾ひれも付かない。

「おれは中園さんのところに顔を出してから帰る。おまえらも、もう帰れ。続きはまた明日だ」
 薪のことは心配だが、部下の身体も大事だ。休息を取らせなければ仕事の能率も下がる。
 特に荒木は精神的にも限界のようだ。新人で職場に慣れていない上、薪の失踪の責任を強く感じている。昨夜も眠れなかったのだろう、真っ赤な眼をして青白い顔をして、立っているのがやっとと言う有様だ。

「荒木、おまえは悪くない。荒木が責任を感じることは何もないよ」
 誰かがそれを言ってやらなければいけないと青木は感じて、そしてそれを言うのは指導員の自分の役目だと思った。
 よほど追い詰められていたのだろう、荒木は今にも泣き出しそうに顔を歪めた。罪の意識がそうさせるのか、眼の縁に涙まで滲ませて、
「青木さん……おれ……」
「青木の言う通りだ。今日は何も考えず、酒でも飲んで寝ちまえ」
 岡部にやさしく肩を叩かれて、荒木はようやく頬を緩めた。その日初めての、そして最後の笑みだった。



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モンスター(15)

 こちら、可哀想な薪さん苦手な方はご遠慮ください、て、何度めの避難勧告だか(^^;

 やっぱり短いんで、次の章も一緒に上げます。
 姑息に、痛い薪さんがトップに来るのを防いでいるわけではありません(笑)






モンスター(15)





 思ったよりも長く眠っていたらしい。頭に水を掛けられて目が覚めた。薄目を開けるとランタンの灯りで錆びたバケツが転がっているのが見えた。薪の記憶に間違いがなければ庭に放置されていたものだ。
 水は、吐き気を催す臭いがした。バケツに溜まった雨水の上に落ち葉が降り積もって、それを食べる虫が湧いていた。それをそのまま掛けられたのだろう。

 できるだけ平静な眼で、薪は来訪者を見上げた。
 床から見上げるアングルだと、相手の帽子のつばが殊更大きく見える。サングラスはこの薄暗さの中では視界を悪くするだけだろうと思うが、相手は頑なにそのスタイルを貫いた。昨夜もその格好で薪を苛んだのだ。

 おまえのせいで私の家族はめちゃめちゃになったのだ、とその人物は言った。言いながら、昨夜刻まれたばかりでまだ薄皮もできない薪の腕の傷を爪で抉った。
 歯を食いしばる薪に、相手は、苦しいか、と訊いた。
 薪は返事をしなかった。ただ黙って痛みに耐えた。すると、傷を抉る力は倍になった。薪は歯を食いしばる力を2倍にし、それを堪えた。
 身体に掛けられていた上着が外されると、夜気の冷たさが骨身に染みた。食事を与えられていないから、細胞が熱を生み出すことができない。冷えきった身体に鞭は堪えた。いくら音消しの布を食まされても、呻き声が漏れてしまう。
 振り下ろされた正確な回数は分からない。しかしそれは昨日よりも短く感じた。打たれる間にも意識が途切れることが増えてきたから、そのせいかもしれないが。

 焼き鏝を当てられたような背中の痛みに耐えていると、相手は床に転がっていた責め具の中から一つを選び、それを手に取った。細い手に握られたグロテスクな物体に気付き、薪は身を固くする。羞恥心の強い薪にとって、それは純粋な苦痛より如何ほども耐え難かった。
 それは勘弁してくれないか、と薪は控え目に言った。開かれようとした太腿には、無意識に力が入っていた。
 薪の弱々しい抵抗に、相手は口角を吊り上げた。三日月形の唇から薪の心を砕く言葉が放たれる。

 おまえが絶望の中でのたうち回るのが見たいのだ。寒さに震えるのではなく、屈辱に震えるおまえをこそ見たいのだ。
 痛みと恥辱にまみれて死んでいった、私の兄のように。

 薪は身体の力を抜いた。すべてを諦めて眼を閉じた。
 長い夜は始まったばかりだった。



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モンスター(16)

 本日、2個目の記事です。
 痛い薪さん平気な方は(15)から、地雷の方はこちらからどうぞ。




モンスター(16)






 2ヶ月前――。

 アクリルボードの外側で腕を組み、薪はパイプ椅子にふんぞり返った。来てやったのだからそちらから喋れと、15分しかない面会時間を無駄にする気かと、さらに背中を反らしたら椅子ごと引っくり返りそうになった。このパイプ椅子の不安定さはどうにかならないものか。
「相変わらず危なっかしいな、薪は」
 ふっと鼻で笑われて盛大に舌打ちする。帰る、と席を立つと、相手は一層笑いを深めた。

「おまえは相変わらず偉そうだな。滝沢」
 薪は歪んだパイプ椅子に座り直し、安定性を確保するため、開いた足をしっかりと床に付けて背筋を伸ばした。
「て言うかおまえ、全然変わってなくないか? なんで?」
 当たり前だが、刑務所の中は犯罪者だらけだ。荒くれ者も多く一瞬たりとも気が抜けない。特に滝沢のような元警察官は、彼らに目の敵される。事あるごとに暴力の洗礼を受けるのが暗黙のルールだ。そんな生活を3年も続けていれば、もっと顔つきが荒んだり、やつれたりするものではないか。
 見た目の変化の無さを薪に指摘された滝沢は、「おまえには負けるよ」と吹き出すように笑って、
「ここは案外快適でな」と穏やかに言った。
「そんなはずがあるか。警察官がム所に入ったら五体満足で出て来れないって」
「入ったばかりの頃、親切な連中が入れ替わり立ち替わり挨拶に来てくれてな。おかげで使い走りには不自由しとらん」
 全員シメたのか。なんてやつだ。
 どうやら刑務所内の皇帝に収まったらしい滝沢は、その力でもって塀の中に居ながら外界を探れる情報網を構築したと言う。現に、幾人かの刑務官も丸めこみ、こうして記録に残さない面会も可能になっている。まったく呆れた男だ。

「で。僕に何の用だ」
「おまえのかわいい顔が見たくてな」
「写真でも差し入れて欲しいのか。――げ」
 滝沢はニヤリと右頬を歪め、灰色の作業服のポケットから一枚の写真を取り出した。そこには、ツインテールにフリルまみれの衣装を着けた女の子、もとい自分の姿が。
「ここの壁は意外と薄くてな。こんなものも通り抜けてくる」
 何年か前、ゴスロリ好きの変態科学者を捕まえたことがある。薪は個人的な恨みから、その犯人に自分で手錠をかけたかった。犯人を捕まえるための罠を考えたのは薪だが、その要となる少女役を自分が務めることになったのは誤算だった。確かに危険性の高い役柄だったが、捜査一課があそこまで強く女子職員の起用を拒否するとは思わなかった。それでいて薪の作戦を支持した彼らの真意がこの写真の姿にあったことは、事件に隠されたもう一つの真実と言うか知らぬが仏と言うか。

「写真はそろそろ飽きたんでな。現物が拝みたくなったと言うわけだ」
「目玉潰してやろうか」
 薪の渾身の脅し文句なぞどこ吹く風、滝沢はニヤニヤと笑いながら、
「この写真、刑務所内で何に使われてるか知りたくないか」
 薪も男だから大方の予想はつく。と言うよりそれ以外の用途が思いつかない。
「このボードがなかったら撃ち殺されてるぞ、おまえ」
「おいおい、看守の前でそんな冗談を言うもんじゃない。する気もないことを真面目な顔で言う、おまえのそういうところはおれの好みだがな」
 何か強烈な皮肉を言い返してやろうと口を開きかけて、止めた。滝沢のセクハラ癖は今に始まったことではない。どうせこいつには何もできないのだ。ムキになるだけ損だ。

 腕を組んでパイプ椅子にもたれかかった薪に、滝沢は何気ない口調で、
「青木と暮らし始めたんだって?」
「大きなお世話、っ、誰にその話を」
 滝沢が自分に会いたがっていると、無記名の封書が第九に届いたときには驚いたが、この男にはそういった協力者が何人もいるのだろう。薪の周りを探っている人間もいるに違いない。
「道理で肌艶がいいわけだ」
「叩き殺す……! 表に出ろ!」
「薪、落ち着け。あまり看守を困らせるな」
 いきり立つ薪を滝沢が諌める。どちらが服役囚だか分からない。

「本当に帰るぞ! おまえにからかわれるために小菅くんだりまで来るほど暇じゃないんだ、僕は!」
「貝沼事件の捜査中。おれは一人の女に捜査情報を漏らした」
 びくん、と薪の身体が硬直した。唐突に突き付けられたのは、10年前の惨劇。
『貝沼』というキーワードで、薪の脳裏には瞬く間に事件の全貌が浮かぶ。連鎖する記憶は悲劇に次ぐ悲劇。折り重なった少年たちの死体。何度も夢に見た、ひとつとしてまともな身体はない、狂人の緻密さでもって切り刻まれたその惨たらしい姿。
 ぐにゃりと周りの風景が歪む。さっきまで真っ直ぐだったアクリルボードが、うねうねとのたくっている。パイプ椅子は今や、出来損ないのロッキングチェアのようだ。

「おまえは上野の家に謝罪に行っていた。鈴木はあの調子で、特捜の部屋に籠って一人で貝沼の画を見ていた。あの女が訪ねてきたとき、第九に対応可能な職員はおれしかいなかった。それでおれがあの女の相手をした」
 滝沢の声が、引き潮のごとく引いて行く。カタカタと音を立てて震える足元から、黒いものが這い上がってくる。
「女はつばの大きな白い帽子に大きなサングラスを掛けていて、顔は殆ど見えなかった。正門の警備員が追い払おうとしていたのを、おれが引き止めて中に入れてやった。
 その女はおれに、どうして自分の息子が被害者になったのか、訳を教えて欲しいと言った。それでおれはその女に」
 黒い霧のようなものは次第に薪の視界を塞ぎ、耳孔を塞ぎ、喉を塞ぐ。見えない手に首を絞められる感覚。

「――ちゃんと聞いてるか、薪」
 ごん、と額のすぐ側で音がして、薪は我に返った。光が戻ってくる。目の前のボードに内側から叩きつけられた滝沢の拳があった。
「大丈夫だ……大丈夫」
 込み上げてきた吐き気を抑えるため、手で口元を覆った。唾を飲もうとしたが、口の中がカラカラに乾いて為せない。深く息を吸い、委縮した肺を必死にこじ開けた。
「悪かった。続けてくれ」
 室長の仮面を着けたつもりだったが、もしかするとそれはひびだらけだったのかもしれない。滝沢がほんの少しだけ眉をしかめたから。

「貝沼は」
 それでも滝沢は薪の望み通り、話の続きをしてくれた。
「貝沼は第九の薪室長のことが好きで、彼に会いたくて人殺しになった。あんたの息子は薪室長にほんの少し似ていたから殺されたんだと、そう言ってやった」
 なぜそんなことを、と薪は言わなかった。言えなかった。それは本当のことだった。
「息子は苦しまずに死ねたのか、と訊かれたから、殺される前にどんなことをされたのか、詳しく教えてやった。他の被害者と同じように、その女の息子も酷い殺され方をしていた」
 ナイフで身体中を傷つけられ、その傷口を鞭で叩かれていた。性器に針を突き立てられ、後孔を責め道具で犯されて、彼の泣き叫ぶ声を聞いて貝沼は楽しんでいた。最後は喉をジャックナイフで切り裂かれて息絶えた。それが彼にとっての救いであるとさえ、見る者に思わせる凄惨さであった。

「おれはその頃、第九を壊滅させるために送り込まれた次長側のスパイだった。この女がマスコミにリークしてくれれば、格好のスキャンダルになると思った」
 滝沢の職務違反に薪は一切の弁明を求めなかったが、滝沢は自分からその理由を述べた。釈明ではなく、事実の伝達であった。
「ちょっと待て、滝沢。おまえ、貝沼の最期を」
「見た。あの女が使えなければおれが自分であの画像をリークするつもりだった」
 貝沼の画像が、鈴木の守った秘密が、MRIデータから削除されたのは鈴木が死んだ日。その前に、滝沢はそれを見ていた。しかし。
「おまえが鈴木を撃ち殺して。その必要はなくなった」

 貝沼事件被害者の遺族に、殺害動機の真実を知った者がいる。もたらされたその事実は薪の恐怖と当時の罪悪感を引き戻し、彼の面を蒼白にした。前髪に隠れた額に、じっとりと脂汗が浮かぶ。いくら唇を噛みしめても、顎の震えは止まらなかった。
「薪。ひとつ忠告しておいてやる」
 滝沢の眼に憐れみが浮かぶのを見て、薪はかぶりを振った。おまえに慰められるくらいなら死んだ方がマシだと心の中で毒づいた。でも本音では。
 もう、何も聞きたくなかった。

「これ以上、自分の中に秘密を増やすな」
 かぶりを振り続ける薪に、滝沢は言った。
「腹の中ぜんぶ晒け出せないようじゃ、一緒に暮らしてても意味がない」




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モンスター(17)

モンスター(17)






 薪が姿を消して3日目。
 第九室長失踪事件は大きく動いた。薪の救難信号が発信されたのだ。

 ビーッ、とけたたましいブザーが第九に鳴り響いたのは朝の8時15分。その時刻には荒木を除く全員が出勤しており、引き続き容疑者の絞り込みのため資料箱を広げたところだった。
 慌てて駆け寄った受信モニターには、薪の居場所を示す赤い三角形が、地図の上を速い速度で移動していた。マークの軌跡が道路上に残されていることから、車に乗っているものと思われた。
「岡部さん!」
 職員たちがすぐさま岡部に知らせ、その判断を仰ぐ。岡部はいかつい顔に緊張をみなぎらせ、しかしその口調は極めて冷静であった。
「捜査本部に連絡だ。我々は捜索に加わることはできない。自分たちに与えられた仕事をするしかない」
 岡部の厳格な指示に小池と曽我は少し鼻白み、今井と山本は黙って自分の席に戻った。
 青木はと言えば、資料箱を抱いたまま、受信機に点る赤ランプから目を離すこともできず、傍目にはまるで金縛りにあったように立ち尽くしていた。しかしその心中は嵐のごとき葛藤のさなかであった。すぐにでも捜査本部に駆け込もうとする己が脚を留めるのに、渾身の力を振り絞らねばならなかったのだ。

「おはようございます。――何かあったんですか?」
 それから30分ほどして出勤してきた荒木は、ただならぬ緊迫感に首を傾げ、しかし誰からも答えをもらわないうち、救難信号の受信モニターに気付いた。
「これ、薪室長の?」
「捜査本部には受信機の映像をリアルタイムで送ってる。もうすでに、200人からの捜査官が254号線を北上している」
「おれたちは行かなくていいんですか」
「荒木、おれたちは捜索には行けないんだ。本部の人間以外は現場の追跡に加わることを許されない。おまえたちも、絶対に第九から出るな」
 薪を連れ去った犯人がどのような人間か、どんな武器を所持しているか、まるで分かっていない状態で、職員たちを現場に投入することはできない。ましてや第九職員はデスクワークが基本である。現場捜査に慣れていない素人が現場に混乱を招く危険性を考えれば、捜査本部の指令はしごく正当な措置であった。

 残念そうな顔をする荒木の横で、青木もまた拳を握りしめる。
 みんなが我慢しているのだ。自分ひとり、勝手な行動を取ることはできない。春の事件のとき、単独で薪の救出に向かった青木は、後からやってきた岡部にこってり叱られたのだ。
 薪が心配で居ても立ってもいられず、上司に何の断りもなく探しに来てしまった青木とは違い、岡部はあらゆる状況を想定した捜査計画書を提出し、その読みの深さと完璧さでもって捜査権をもぎ取って来た。それが警察官のやり方だ、おまえのはただの暴走野郎だ、と怒鳴られて、一言も言い返せなかった。
 それに、春先の事件とは状況が違う。あのとき薪は森の中をさ迷っているものと思われていたが、今回は薪を拉致した人物がいるのだ。例え青木が薪の居場所を探し当てたとしても、不用意に近付けば犯人を刺激し、却って薪を危険に晒すことになりかねない。追跡、探索、交渉術のプロが揃っている捜査本部に任せた方が安心なのだ。

 ――そう、いくら自分に言い聞かせても、青木の心は薪の元へと飛んでいく。
 薪がいなくなってもう三日。青木が、こんなに長く薪の存在を感じ取れないのは初めてだ。

 先日岡部にも言われたが、春先の事件でも冒頭、青木は薪がこの世の何処にもいないと感じていた。後に薪から聞いた話と繋ぎ合わせてみれば、その頃の薪に意識はなく、あったとしても完全に記憶を失くした状態で何一つ心に思うことが無かったらしい。青木と会うまで薪の記憶は失われたままだったが、その間も薪は、誰かが自分を探しに来てくれると言う希望は捨てなかった。
 思うに、青木が薪の居場所を探り当てられるのは、そうやって薪が発信したパルスを辿っているのではないか。非科学的な話になってしまうが、自分を見つけて欲しいと願う薪の気持ちが強いほどに青木のレーダーも精度を増すような気がするのだ。

 だがそう仮定すると、今回の状況は甚だ恐ろしいことになる。
 見つけて欲しいと願う意識もない、つまり既にこの世にいない。或いは、薬物等で意識が朦朧としたまま囚われの身となっている。
 救難信号が発信されて、青木が一番恐れていた前者の可能性はなくなった。薪は生きている。それだけでも心に明かりが灯った。
 しかしそうなると、薪は後者の状況にある可能性が高い。あくまでも仮定の話だが、そうでもなければ、薪自身が救出を望んでいないということになってしまう。常識的に考えてそれはおかしい。

「青木、ちょっと来い」
 ちっとも書類に集中できず、何度も同じファイルを繰っていた青木を、岡部が執務室の外に呼び出した。エントランスまで歩いてやおらに振り返り、誰もついてきていないのを確かめる。
「おまえは薪さんのボディガードだ。官房室からの正式な任命書がある。捜索に加わる権利があると進言したら中園さんがOKしてくれた」
「岡部さん」
 行け、と親指を立てられて、青木は走り出す。
 一刻も早く薪のところへ。モンスターから彼を奪い返し、この腕に抱きしめたい。

「て、なんで着いて来てんですか?」
 第九の正門を出てから気が付いた。岡部が隣を走っていた。
「おれはおまえの助手だ」
「みんなには絶対に第九を出るなって言っておいて」
「仕方ないだろう。刑事の鉄則は二人一組だからな」
「岡部さん……薪さんに似てきましたね……」
 夫婦は似るって言うけれど、薪の女房役の岡部もすっかり屁理屈が上手くなった。

 捜査本部は警視庁の中に設置されている。最短距離である中庭の地下通路からそちらへ向かおうとして青木は、岡部に呼びとめられた。
「青木、そっちじゃない」
「え、でも。捜査本部に行って情報をもらわないと。無線機も」
「いや。おれたちは別口だ」
 ポイと車のキィを投げられた。岡部の私物だった。
「少し、気になることがある」


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モンスター(18)

 映画の影響でしょうか、最近、「はじめまして」の記事に拍手をいただいてます。ここ1ヶ月で20ちょっと。きっと新しいファンの方が増えたんでしょうね。喜ばしいことです(^^)
 うちのブログ、そのうち何人の方にドン引かれたのかとか、考えない考えない。
 そしてこの話、常連さんのうち何人の方に「しづのヤロー」と舌打ちされたのかとか、考えない考えない。




モンスター(18)





 車のトランクと言うのは荷物を積む場所であって、人間が乗る所ではない。然るに、乗り心地は非常に悪い。
 路面の僅かな段差を拾ってタイヤが跳ねるたび、その振動がダイレクトに伝わる。窮屈に折り曲げられた身体が金属製の内壁にぶつかって、ガムテープの下になった口唇がくぐもった呻き声を上げる。
 後ろ手に掛けられた手錠は、擦られて破れた皮膚から流れる血液で黒ずんでいた。これまで何度も容疑者に手錠を掛けてきたけれど、こんなに痛いものだとは思わなかった。逮捕された彼らが何日もこの状態でいることはまずないが、それでも人権に配慮して内側にクッション材を取り付けるべきだと次の部長会議で提起を――。
 ――もういい。この痛みも、もうすぐ終わるのだ。

 早朝、背中を蹴り飛ばされて起こされた。服を着せられ、相手の肩を借りる形で外に出た。薪の右腕の、傷口から流れた血が細い筋状に固まっていて、動くとそれが剥がれて大層痛かった。新しい血がワイシャツを汚し、白い袖に美しい、赤い花びらのような模様を描いた。

 相手は行き先を言わなかった。聞きもしなかった。どこから旅立っても行き着く先は同じだと思ったからだ。
 ガタガタと揺れていた車が止まり、短いドライブが終わった。ふわりと車体が浮き上がる感覚の後、バタンと車のドアが閉まる音がして、運転者が車から降りたのが分かった。
 カツカツと靴音が響く。どうやら地面はコンクリートのようだ。どこかの駐車場かもしれない。
 薪はトランクの蓋が開くのを待ったが、それは一向に訪れなかった。聞こえていた靴音は遠くなり、やがて消えてしまった。

 まさかここに放置?
 勘弁してくれ、と薪は思った。まあ、それでも充分死ねるが。

 暗い中でじっとしていると、疲労と空腹ですぐに意識が遠のく。捕えられてから何日経ったのか、もう分からなくなってしまった。食事は一度も与えられなかった。水だけは飲ませてもらえたが、生命を保つ最低限の量だった。軽度の脱水は頭痛と悪寒を伴い、薪から冷静な思考力を奪っていた。

 深い闇の中に沈んでいく意識の中で、青木の声を聞いたような気がした。なんだかとても懐かしく感じる、愛しい声。誰かと何か話している。相手は岡部か。なにやら楽しそうだ。
 よかった。僕がいなくても、青木は笑えるんだ。
 安心したせいか、薪は急速に意識を失った。限界を超えたその細い身体が、微かに痙攣していた。




*****




 細かい文字がぎっしりと書かれた書類を机の上に放り投げ、小池はううんと伸びをした。
「あー、疲れた。青木、コーヒー……あれ、青木は?」
「青木さんなら岡部さんと一緒に外へ出ました」
 小池の問いに山本が答える。山本は検事時代に、書類を読み上げながら被疑者の表情や無意識の動きを観察していた時の癖で、モニターに集中しながらも周りの動きを同時に見ている。おかげで彼は同僚が何処にいるか、大抵は把握しているのだ。
 それを聞いて小池は、ちぇ、と眉を寄せた。右肩を揉みほぐしながら、ふん、と鼻から息を吹く。
「なんだよ、青木は特別扱いかよ。ズルイなあ」
「仕方ないだろ。青木は薪さんのボディガードだし。第九の中じゃ、今や岡部さんの次に強いぜ、きっと」
 不機嫌丸出しの小池の声に、隣の曽我がのほほんと答える。尖った槍の先をふんわりと包む真綿の鞘のような口調だった。
 小池は第九の中で一番薪への文句が多いが、それはポーズで、本当は薪のことをとても尊敬している。だから今この瞬間にでも、捜索隊に加わって彼の救出に尽力したいに違いない。小池の親友は、そんな小池の心理と素直になれない性格を理解しているのだ。

「それもそうだな。じゃ、荒木、頼むわ……あれっ? 荒木は?」
「トイレじゃないのか」
 新人の応えがないことに気付いた曽我が一緒になって探したが、執務室の中に荒木はいなかった。目の利く山本ですら、荒木が出ていくのに気付かなかったと言う。
「荒木のモニター、30分前で止まってます」
「車のキィが1つありません」
「それは岡部さんたちが乗って行ったんじゃないか」
「いや、昨夜から無かったぞ。誰か使ってるんじゃないのか」
 第九の鍵類は、各々の机の鍵からキャビネットに到るまで、すべてキィボックスに格納されている。もちろん車のキィも。取り外すには自分のIDを打ち込まなければならない。

「IDの記録は……荒木だ」
 新人が研究室の車を勝手に借り出し、何処へ行ったのか。職員たちは一様に眉を寄せ、顔を見合わせた。
「昨夜も寝てないみたいだったし。あいつ、仕事終わってから薪さんのこと探してるんじゃないのか」
「薪さんがいなくなったの、自分のせいだって思い詰めてたからな」
 薪が行方不明になってからの荒木の落ち込みようは、見ているこちらが気の毒になるくらいだった。こういう事態に慣れていない分、その憔悴ぶりは、薪のイヌと揶揄される青木よりも酷かった。
 あの明るかった彼が、まったく笑わなくなった。真っ赤な目をして、寝不足にむくんだ顔をして、常に何か考え込んでいた。食事も喉を通らないらしく、誰かが食事に誘っても遠慮がちに首を振った。それが3日も続いた今では、もともと小柄な体が更に一回り小さくなったようだった。

「今も多分、発信機を追いかけて行ったんだ」
 たとえ何もできなくても、じっとしていられない。自分たちだってそうなのだ、失踪の責任が自分にあると思えば尚のこと。その気持ちはよく分かった。青木のことを「特別扱い」と皮肉った小池ですら、荒木の行動を責める言葉は持たなかった。
 室長、副室長共に不在の折、室長職を代行する今井が結論を出す。
「岡部さんに知らせておくか」


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モンスター(19)

 今日はバレンタインデーですね!
 大切な人に感謝を込めてチョコを贈る、一年の中でも愛に溢れた1日だと思います。

 そんな中、ドS小説更新してすみません。
 わたしも早く終わらせたいの~(^^;




モンスター(19)






 第九室長失踪事件の追跡捜査に於いて現場指揮を執っていたのは、捜査1課で竹内の後を継いで第4班のリーダーを務めている大友警視であった。
 現在、3名の仲間と共に彼が乗っているのは、都内に何千と走っているありふれたバン。その中には大型の無線機と8つのモニター、そのうちの一つは救難信号の受信機とリンクさせてある。これで追尾車の中にいながら救難信号の位置が追える仕組みだ。
 そのモニターに目をやりつつ、大友は携帯電話に耳を傾けていた。

『まだ見つからないのか。何ちんたらやってんだ、バカやろー!』
「怒鳴らなくても聞こえますよ、先輩」
 鳴り響く罵声の木霊に顔を歪め、努めて冷静に言い返す。竹内に怒鳴られるのは4ヶ月ぶりだが、今は懐かしがっている場合ではない。
「もう少し待ってくださいよ。あと5キロの地点まで迫ってますから」
『5キロか。それなら5分だな』
「無茶言わないでくださいよ。相手も車で移動してるんですよ」
『知ったことか。5分以内に室長を救出できなかったらおまえ、どうなるか分かってるだろうな?』
「なにする気ですか」
『おれが捜査一課に復帰してやる』
「……戻りたいんすね」

 竹内はそのキャリアと見掛けに依らず、バリバリの現場人間だ。そのせいで、昔は第九を目の敵にしていた。
 それがどういった心境の変化からか、ある時から突然、第九と協力体制を取るようになった。そのおかげで第4班の検挙率は数倍に跳ね上がった。押しも押されぬ捜一のエースとなった彼にはしかし、彼の望まぬ運命が待っていた。つまり、出世だ。
 京大卒のキャリアで捜査一課検挙率ナンバー1の彼を、上層部がいつまでも現場に置いてくれるはずがない。6月に起きた母子殺しを解決に導いたのを機に、警察庁警備部へと配置替えになった。
 捜一は厳然たる実力主義、その中でエースの力は強大だ。今もその立場にあれば、課長に一言申し出るだけで、この捜索の指揮を執ることもできただろう。それができなかった悔しさを、竹内は後輩にぶつけてきているのだ。

「竹内さん。いい加減、落ち着いたらどうなんですか。子供、2人目生まれるんでしょ。奥さんだって、危険な現場から内勤に異動して、どれだけホッとしてることか」
『先生はそんな器の小さい人じゃない』
「口ではそう言っても、てか、なんで未だに先生呼びなんすか」
「大友さん!」
 他人の家庭に嘴を突っ込んだ大友のお節介を、咎めるように部下の声が車の中に響く。
「車両の特定ができました」

 電話を繋いだまま、大友は声を上げた部下が指差すモニターに顔を近付ける。自車の前に数珠つなぎになった車の、このどれかに薪はいる。
「どれだ」
「6台前のトラックです」
「あれか」
 それは大型のコンテナ車だった。
 犯人に気付かれる可能性があるため、ヘリを飛ばすことができない。パトカーで囲い込むのも危険だ。よって、追跡は数台の覆面パトカーで行われていた。相手が大型車を使用していたことは幸いであった。そのおかげで、かなり離れた位置から目的の車を視認することができたのだ。

「こちら1号車、対象の車を発見。直ちに検問の警察官に通達されたし。車のタイプは大型のコンテナ車。後面に『Y青果市場』の表記あり。現在位置はS市M町3丁目G信号付近。繰り返す、対象の車は」
『コンテナ車?』
 繋ぎっぱなしの電話から、竹内の不思議そうな声が聞こえた。気付いて大友が電話を取り上げる。
「はい、ここから見えますよ。コンテナにY青果市場って書いてあって」
『なんで人ひとり運ぶのにコンテナ車なんだ?』
「警察の目を晦ますための偽装じゃないんですか」
『却って目立つだろ。第一、業務用車両なんか使ったらアシが』
 竹内は、不意に黙り込んだ。何か思いついたらしい。
 恐ろしいことに、嫌な予感しかしなかった。今すぐ電話を切れと、大友の本能が言っている。その予感は過たず、現実のものとなった。

『大友。今すぐその車、止めろ』
「え。なに言ってんすか、竹内さん」
『早く。サイレン鳴らして緊急停止させろ』
「そんなことしたら犯人が逆上しますよ。人質の命が」
『いいから。止まらなかったらタイヤ撃ち抜いてでも止めろ』
「おれに警察クビになれって言ってます?」
『大丈夫だ。骨は拾ってやる』
「勘弁してくださいよ、もう」
 口では猛烈に反発しながら、大友はパトランプを用意する。窓から手を伸ばして車の天板に取り付け、高らかにサイレンを鳴らした。
「Y青果市場のトラック、止まりなさい!」
 竹内の、現場で鍛え上げた勘と捜査一課のエースを張ったその頭脳の冴えを、大友はずっと間近で見てきた。言葉にしたことはないが、心の底から尊敬している。自分のような未熟者が班長になれたのも彼のおかげだ。彼に導かれて、自分はここまで来ることができたのだ。大友にとって、彼の命令は絶対だった。

「左に寄って。速やかに止まりなさい」
 大友の誘導に従って、トラックが徐々にスピードを落とす。左ウィンカーが点滅したのを確認して、大友はトラックの前に回り込んで車を停めるよう運転手に命じた。
 矢先。
『何やってんだ、大友ォ!!』
 無線機の内蔵スピーカーが割れんばかりの勢いで、鬼より怖い捜査一課長のカミナリが落ちた。他の車両の連中から連絡が行ったらしい。
「やば。西田、課長のライン、切っといて」
 無線を担当していた部下がスイッチを落とすと、課長の声はあえなく切れた。強面で有名な課長の、こめかみの血管が膨れ上がるのが目に見えるようだ。
「いいんですか、大友さん。課長、カンカンですよ」
「いいわけねえだろ。くそー、クビになったら竹内さんちにパラサイトしてやる」

 吐き捨てるように言って、大友は車から降りた。停車したトラックの運転席に近付くと、窓が開いて農協の帽子を被った初老の男が顔を出した。何故自分が止められたのか、まったく心当たりがない表情だった。
 積荷を見せるよう命じると、男は素直にコンテナの後ろ扉を開け、中に大友たちを招き入れた。中は空っぽで、聞けば市場に野菜を卸して帰る途中とのことだった。
 コンテナの隅に、赤く点滅するものが落ちていた。ボタン電池のような形状の、それは紛れもなく大友たちを呼び寄せた発信機であった。
 それを確認するや否や、大友はスマートフォンに向かって叫んだ。
「竹内さん、やられました。この車は囮です」
『やっぱりか。おかしいと思ってたんだ。3日も経ってからSOSなんて』
 あのしたたかな室長がそんなマヌケなことをするはずがない、と竹内は悔しそうに呟いた。歯ぎしりの音が聞こえてくる。

「竹内さん。薪室長はどこに」
『……わからん』
 大友の視界の隅では鳴り響くサイレンに囲まれて、運転手の男が途方に暮れた顔をしていた。




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モンスター(20)

 今週は防衛省の会計検査がありまして。その資料作りでちょっと忙しかったです。
 検査を受けるのは役所の監督員さんなんですけど、色んな資料を作るのは業者の仕事、でも、
 設計図作ってください、て依頼には驚きました。
 設計図って役所が作って業者に渡すもんでしょ。それって役所(正確にはコンサル)の仕事だよね?
 無茶振りっすよ~、監督さん。いつもお世話になってるからやりますけどね。






モンスター(20)





「えっ! おとり?!」
 青木は耳を疑った。スマホから聞こえてくるのは竹内の声だ。竹内はこんな状況で冗談を言う男ではない。

『ああ。トラックには室長のバッジだけが置かれていた。運転手の話によると、8時頃にS市場に荷を下ろしただけで、あとはノンストップだそうだ。犯人がコンテナにバッジを投げ込むならそこしかない。今、大友たちをS市場に向かわせて目撃情報を洗わせてる』
 断片的な会話から事情を察した岡部が、細い眉を険しく歪めて悲壮に呟く。
「まずいぞ。犯人は発信機で捜査陣を引き寄せて、その間に薪さんを殺す気なんだ」
 青木の顔がサッと色を失い、緊張に瞳が瞠られた。今この瞬間にも薪の命が失われるのではないかと思うと、気が気ではない。

『おまえらの方はどうだ?』
「中園さんに頼んで警務部長の許可をもらって、個人情報センターの端末を起動させたところです」
 はあ? とキツネにつままれたような声が返ってくる。無理もないと青木は思った。青木もなにがなんだか分からないまま、岡部にここまで連れてこられたのだ。
 個人情報保護のため、警察官の個人データは特定の端末でしか閲覧できないようになっている。その端末の操作には人事部職員の指紋認証が必要で、他部の職員が情報を得ることはできない。
 しかし、内部監査などで人事部職員を介入させたくない場合、警務部長の許可を得た上でこの場所の情報端末を使用することができる。この端末は人事部のデータバンクと繋がっており、人事部職員と同様のデータを引き出すことができる。
 ――のだが。

『おまえら、何やってんの?』
 本当に、何をしているのだろう。
 発信機が囮だったと聞かされた今では、別口捜査を選んだ岡部の判断は間違いではなかったことになるが、さりとて、警察の人事データに薪の監禁場所の手掛かりがあるとは思えない。

「岡部さん。なにも今、こんなこと調べなくても」
 岡部に急かされてキィを叩くが、青木の心中は穏やかではない。気持ちばかりが急いて、目的も定まらないままに走り出そうとする自分を押さえるのがやっとだ。
「いいから早くしろ。おれはどうもこのコンピューターってやつが苦手なんだ」
「第九の副室長にあるまじき発言だと思いますけど」
「宇野がいれば、もっと早くに調べさせたんだが。そうすればこんな所まで来なくても」
「もっとまずくないですか、それ。――出ました。あれっ?」
 目的の人物の人事データを引き出して、青木は意外そうな声を出す。本人から聞いた家族構成とデータが相違していたからだ。

「やっぱりな。中学の時に親が離婚して父親に引き取られ、その後父親が再婚して相手の女性の籍に入ったんだ。旧姓は森田か」
「ああ、これは血縁の欄だから。親が離婚する前の家族なんですね」
 警察官の血縁者は徹底的に調べられる。そこに暴力団関係者はもちろん、重罪を犯した者、宗教関係者も名を連ねることは許されない。警察の情報がそれらの団体に流れることを防ぐためだ。戸籍上の繋がりではなく予想される交流を重視したものだから、当然、旧姓の家族の氏名も明記されている。

「現在は実の父親と、その再婚相手との3人家族ですが、前の家族は4人。母親はK市民病院に入院中。兄がいましたが、こちらも2058年に亡くなっています。名前は森田和也……岡部さん、この人の死因……!」
『実兄 和也』と書かれた文字の右側、備考欄に記された忘れようにも忘れられない事件の名称を見て、青木の舌が凍りつく。
 ああ、と岡部が頷いた。
「モンスターの正体はこいつだ」




*****




 救難信号に釣られた捜査陣が、見当外れのトラックを追っていた頃。
 薪は、一つの墓標の前に膝を折っていた。
 深く頭を垂れ、脱水に震える両手を合わせて。殴打に腫らした頬と血の滲んだ唇でその美貌はわずかに損なわれていたものの、伏せた睫毛の美しさはこんな状況にあっても鮮烈に、見る者の心を惑わせる。

 傍らには、第九の新人の姿があった。
 薪と並んで、一緒に手を合わせている。先に合掌を解いた彼は、「そろそろいいですか」と控えめに声を掛けた。薪の祈りを破ることを恐れたような、小さな声だった。
 応じて薪は瞼を開き、こくりと頷いて見せた。弱々しく微笑んでみせる。それは彼の、渾身の力を込めた精一杯の笑みだった。

 荒木は薪に肩を貸し、彼を墓前に立たせた。薪がしんどそうに息を吐く。
 それを見て荒木は、ジャケットのポケットからある物を取り出した。それをそっと薪の細い首に宛がう。
 冷たい感触に、薪の首筋が慄く。
 荒木の右手に握られたもの、それは銀色に煌めくジャックナイフだった。



*****




 ――滝沢の話には続きがあった。

「一緒に暮らしてても意味がない」
 そう言われてしばらく沈黙した後、薪は訊いた。
「なぜ今なんだ?」
 この世に自分を息子の仇と見なす人間がいる。それを薪本人に知らせ、古傷を抉るのが目的なら、もっと早くに言うべきだ。例えば3年前、再会を果たした夜にでも。そうすれば、その日から薪に安らかな夜はなくなるはずだった。

「懺悔のつもりか。10年近くも前の情報漏洩などとっくに時効」
「その女にはもう一人、息子がいてな。兄が貝沼に殺された時、その子供はまだ中学生だった」
 思わず薪は席を立った。
 アクリルボードの向こうで、滝沢の声がフクロウの羽音のように囁いた。

『2番目の息子は第九にいる』


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モンスター(21)

 義妹がインフルエンザに罹りました。
 流行ってるみたいですね~。みなさんは大丈夫ですか?
 わたしは元気です。今年も「バカは風邪ひかない」を身をもって証明してます☆

 さてさて、お話の続きです。



モンスター(21)





 今井から、荒木が姿を消したと連絡を受けた二人は、彼の生家に急行した。情報センターからはこの場所が一番近かったからだ。
 荒木のアパートには今井を、自宅には小池を、母親の入院先には曽我を向かわせた。確証が無かったため詳しい事情は説明できなかったが、一刻も早く荒木の居場所を確定する必要がある、とだけ告げて職員たちを追い立てたのだ。

「どうやら決まりだな」
 荒れ果てた廃屋の中で、岡部は呟いた。
 この家は荒木の生母の名義になっていた。彼女は10年前、長男の和也が死んで半年後に離婚。それからは一人暮らしだったが、7年前に病に倒れた。精神的なショックから不摂生な生活を送っていたせいで病気と闘う体力を失くしていた彼女は、それから死ぬまで入院生活を余儀なくされた。つまり、この家はずっと空き家だったのだ。
 荒木の母親が死んだのはつい最近のことだった。そのため、データバンクには未だ記載されていなかった。病院に赴いた曽我からの情報で、それが分かったのだ。

 岡部の手には、失踪当日に薪の胸を飾っていたネクタイが握られていた。それには夥しい量の血が付いており、見下ろせば、腐って害虫だらけの床板にも赤黒い血が染み込んでいるのだった。
「まさか……本当に荒木が」
 ゾウリムシが集団で這い回る床に、引き毟られたように散らばっている亜麻色の髪の毛を見ても、青木はまだ信じられなかった。あの無邪気に笑う若者が、こんな恐ろしいことを。荒木がいつも薪を見ているのは恋情からだと思っていたが、それは青木の誤解で、実際は犯行の機会を狙っていたのだろうか。

「青木。これを見ろ」
 障子も畳も朽ち果てた部屋でたった一つ、最近ここに持ち込まれたと思われるものがあった。それは一枚の写真であった。そこには、大きなつば付きの帽子を被った黒髪の女性が、2人の少年と一緒に微笑んでいた。家の庭先で撮ったものらしく、レンガを並べて仕切った花壇には、ピンク色のガーベラが見事に咲き誇っていた。
「岡部さん。これ、薪さんが密会してた女の人じゃ」
「裏を見てみろ」
 ――お母さんとお兄ちゃん。
 子供の字で、そう書かれてあった。今はもう、その2人ともこの世にはいない。

「じゃあ、薪さんが会ってたのは荒木のお母さんの生霊……」
「この状況で冗談が出るか。おまえも図太くなったもんだ」
 え、と青木が首を傾げると、岡部は突然無表情になった。
「おまえってホント刑事に向いてないのな」
 溜息交じりにぼやいて、青木の手からパシリと写真を取り上げる。
「あれは荒木の嘘……いや」
 岡部は取り返した写真の、表面と裏面を代わる代わる見ていたが、やがて「そうか」と呟き、なんともやりきれない貌をした。

「どういうことですか」
「ここの日付を見ろ」
 写真の裏に書かれた日付には青木も気付いていたが、撮影日だと思って特に言及しなかった。たまたま何年か前の今日、この写真が撮られたと言うだけのことで――。
 あっ、と青木は思わず声を上げた。先刻、端末の画面を見たときにどうして気付かなかったのだろう。
 今日は、荒木の兄の命日だ。

「命日とくれば墓だ。荒木はそこで薪さんを殺す気なんだ」
 行くぞ、と機敏に身を翻し、岡部は外へ駆けて行く。青木も慌てて後を追った。
「でも岡部さん。お墓には不特定多数の人が出入りします。そんな場所で犯行に及ぶでしょうか。発信機みたいに、これもミスリードじゃなんじゃ」
「違う。これは荒木がおれたちに残したメッセージだ」
 どうしてそんな真似を、と青木は訊いたが、岡部は答えなかった。今は問答をしている場合ではない。青木も口を引き結んで素早く車に乗り込み、ハンドルを握った。シュッとシートベルトを引き、エンジンを掛けて、
「……お墓ってどこにあるんですか?」
「おまえ、ホント刑事に向いてないわ」
 突き出された岡部のスマートフォンの画面に、山本からのメールが届いていた。添付ファイルを開くと、荒木の実家およびアパートの地図、その近くの青果市場、彼の母親が入院していた病院など、彼に関する詳細なデータが表示された。岡部がその中から選び出したのは、代々木にあるS霊園のアクセス図だった。
「いつの間に」
「おれには薪さんみたいに天才的な推理力は無いがな。頼りになる仲間はたくさんいるんだ」


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モンスター(22)

 今日はメロディの発売日ですね!
 夜は薪さんに会えるかな(〃▽〃)



 お話の続きです。
 うーん、今回もメロディ発売までにオワラナカッター。





モンスター(22)






 ジャックナイフの刃先が薪の首を撫でた。観念して眼を閉じる。
 何処からか金木犀の香りが漂ってくる。それを今生の酒代わりに肺腑に収めながら、ああやっぱり、と薪は思う。

 やっぱり僕にはこんな最期が待っていたんだ。そりゃそうだ、あれだけのことをしておいて。畳の上で死のうなんて虫が良すぎる。
 鈴木。
 待たせたな。ようやく会えそうだよ。

 あちらの世界できっと自分を待っているであろう親友の姿を心に浮かべ、薪は旅立ちの準備をする。
 鈴木はこういう時いつもするように、ちょっと困った顔をして、でもやさしく笑ってくれた。仕方ないなあと言いたげに、うん、ごめん。解ってるよ。これはおまえが望んだ死に方じゃない。
 ――だけどね、鈴木。
 僕にはこの道以外、選べないんだよ。

 鈴木の不満顔に薪が言い訳すると、鈴木は何を思ったか前髪を手で後ろに撫でつけた。それからチタンフレームのスクエアな眼鏡を掛け――、
 ちょ、なにしてんの、おまえ。それ、反則だろ。

『薪さん』と彼が薪を呼ぶ。
 僕が死んだら、青木は――。

 瞬間、荒木の手首を掴んでいた自分に薪は驚く。それは薪の初めての抵抗であった。
「なにか、訊きたいことでも?」
 荒木が促してくれた時間稼ぎに乗って、薪は尋ねた。本音ではどうでもよかったはずのことを、いかにも気になっていたかのように。
「どうして今なんだ。これまでに、いくらでも機会はあったはずだ」
 尤もらしい疑問だった。荒木が第九に来てから2ヶ月になる。これまでに何度も二人きりになる機会はあった。なぜもっと早く行動を起こさなかったと薪に問われ、荒木は静かに答えた。

「母が死んだんです」
 先週の日曜に、と荒木は言った。
「おかしなもんですね。母が生きてるうちはいくら繰り言を言われても、聞き流すことができたんですよ。おれはデキのいい兄がそんなに好きじゃなかったし。嫌いじゃなかったけど、母のように仇を討ちたいとまでは思わなかった」
 薪の首にナイフを当てたまま、荒木は訥々と話した。
「でも、母の死に顔を見たら。その安らかさにぞっとしたんです」
 母親の最後を思い出したのか、荒木の手が微かに震えた。その微動は刃先に伝わり、薪の首に浅い傷をつけた。うっすらと血が流れる。

「母は末期がんで、その苦しみ方って言ったら尋常じゃなかった。なのに、なんでモルヒネの投与を拒否してたか分かりますか。薬でボケたらあなたへの手紙が書けなくなるからですよ。まあそれも8割方、青木さんが弾いてたみたいですけど」
 モンスターを名乗って薪に手紙を書いていたのは、荒木の母親であった。それが命の期限を切られた彼女にできる、唯一の復讐だったのだ。病床に着いてからも彼女は手紙を書き続け、それを息子の荒木に託し続けた。
「おれが第九に入ってようやく、母の言葉はあなたに届いた」
 青木の陰の働きを、薪は知らなかった。知らずに安寧を貪り続けた。無知ゆえの罪。

「痛みと苦しみとあなたへの恨みで、母の容貌は化け物のようでしたよ。それがあんなに安らかに。おれが代わりに恨みを晴らしてくれる、そう信じて死んでいったんだと思うと……こうする他なかったんです」
 平凡な家庭の主婦だった荒木の母親を、幸せに暮らしていた一人の女性を、そんな風に変えてしまった自分の罪深さに、改めて薪は打ちのめされる。
 自分が貝沼を見逃しさえしなければ、その悲劇は起きなかった。
「自分でもダサいことやってると思いますよ。殺意の相続なんか、今どき流行りませんよね」
 薪は残った力のすべてを振り絞って、荒木の手首を握りしめた。その丸い頬を、つう、と自責の涙が伝い落ちる。

「死にたくないですか?」
 薪の涙を生への執着と取り違えた荒木が、嬉しそうに訊いた。
「あなたがそう思ってくれてよかった。これで母も満足してくれる」
 荒木は薪の首から少しだけナイフを離し、首筋に滲んだ血を、もう片方の手でそうっと撫でた。
「どうして母が、真相を知ってすぐにあなたを殺さなかったと思います?」
 この期に及んで質問は無意味だったが、そのことは気になっていた。滝沢の話では、彼女が情報を得たのは2059年の夏。なぜ彼女はその時、薪を殺そうとしなかったのか。第九が混乱を極めたあの季節、薪の処分も確定せず、現在のように薪を守る者もいなかった。何よりも、鈴木を亡くしたばかりの薪はボロボロだった。女の力でも簡単に殺せたはずだ。
 なのになぜ。

「あの頃のあなたが死にたがっていたからですよ。殺したら、あなたに喜ばれるだけじゃないですか」
 荒木の答えは当たっていた。当時の薪にとって、死は唯一の救いであった。それを彼女は見抜いていた。同じように愛する者を喪い、絶望を見た人間として。そして。
「だから母は待ったんですよ、あなたが立ち直るのを。もう一度、この世に生きる希望を見出すのを。そこで殺さなかったら復讐にならない。だって兄は死にたくなかったんだから!」
 希望していた大学に受かって、2年目の春だった。バンド仲間と作ったプロモーションビデオが審査を通過して、ライブカフェで演奏させてもらえることになったと夕食の席ではしゃいでいた。
 兄が貝沼の手に落ちたのは、その矢先だった。
 初ステージに向けて、毎日遅くまで貸スタジオで練習を重ねていた。帰り道、ひとりになったところを狙われた。貝沼はターゲットの生活パターンを調べ上げ、機会を狙っていたに違いなかった。
 兄は貝沼清隆に殺された。理由は、『薪室長に少し似ていたから』。

「たったそれだけの理由で! あなたさえこの世にいなきゃ、兄貴は死ななかった! 母さんだって、あんな化け物じみた死に方しないで済んだんだ!」
 襟元を掴まれて揺さぶられた。がくがくと揺れる頭蓋骨の中で、脳みそが溶けたアイスクリームのようにぐちゃぐちゃに混ざるのを感じた。
「もっと」
 ぽつりと薪の頬に水滴が落ちて、薪が流した涙と合わさった。雨かと思い、そっと瞼を開けると、そこには滂沱する荒木の顔があった。
「もっと幸せに生きて、毎日楽しく笑って、そうやってずっと暮らせるはずだったんだ。父さんと母さんと兄貴とおれと4人で、それを」
 自分が不幸にした人間は、この世にどれだけいるのだろう。貝沼の犠牲になった少年たちだけでなく、その家族や友人たち。その数を思えば自分が此処に存在していることすら許せない気がして、薪は何もかもを打ち捨てた清白の表情で眼を閉じる。
「あなたのせいだ!」
 振り上げたナイフの切っ先が、薄曇りの空に鈍く光る。薪の瞳はそれを映すことなく、その心臓は鼓動を止めようとしていた。

 最期の息を薪が吐き終えた、そのとき。

 ガッ、と音がして、荒木の呻き声が聞こえた。石の上に金属片が落ちる音を聞きながら、薪の身体は支えを失って倒れていく。
 石に当たった膝の痛みで、思わず目を開けた。目の前に、自分の人生に終止符を打つはずだったジャックナイフが落ちていた。
 何が起きたのか分からずに呆然としていると、誰かに抱き上げられた。そのままその人物の胸に身体が押し付けられる。
 大切なものを扱う手つき。愛おしさに溢れた抱き締め方。
 厚い胸板と逞しい腕。薪の大好きな日向の匂いと、髪の毛から漂う懐かしいハードワックスの香り。

「薪さん」と呼ばれて、やっと目を開けた。
 予想を違えず、そこには薪の恋人が、親友と同じような困り顔で、でもやさしく笑っていた。



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モンスター(23)

 以前、下請けさんの現場担当者のお名前が、「滝沢さんと鈴木さんだったw」と言うお話をしたことがありました。で、今回新しい現場で、その滝沢さんと再び一緒に仕事をすることになったのですけど、なんと、
 I 市役所の監督員さんの名前が「青木さん」!! マジかww
 いやー、こんな偶然、あるんですねえ。びっくりしました。





モンスター(23)





 その日のうちに荒木翔平は逮捕され、監査官による聴取を受けた。荒木の身柄が捜査一課ではなく官房室の息の掛かった監査官預かりになったのは、薪のスキャンダルを恐れた中園の判断であった。一課長の苦い顔が目に浮かぶようだったが、身内の不祥事であったこと、捜査陣がまんまと裏を掛かれて偽の信号に飛びついた事実を不問に付したこと、監査課の監査が終わった後は警視庁に身柄を引き渡すこと、つまり送検と手柄は捜査一課のものとしたことで、表立った騒ぎは起きなかった。
 一課での取り調べが行われる前、荒木の犯罪計画について、監査室では一つのストーリーが作られた。それは荒木が薪に横恋慕し、交際を迫ったが拒否されて拉致監禁、暴行、殺人未遂に到った、と言う若者にありがちなドラマであった。それが荒木の自供調書になった。貝沼事件との関係は、一文字も記載されなかった。

「なんだ、その三文小説みたいな筋書きは」
 アクリルボード越しに投げつけられた言葉に、青木は鼻白む。その言い方はあまりにも尊大で、自信に満ち溢れている。どう聞いても囚人の言い草ではない。
「誰が書いたんだ。センスねえな」
「おれだ」
 滝沢のダメ出しに、岡部が低い声で答える。俗なストーリーが岡部のイメージに合わなかったのだろう、滝沢は意外そうに眼を見開いた。
「中園さんと二人で色々考えたんだが。それが一番通りがいいだろうってことになって……まあ、薪さんだからな」
「なるほど。薪だからな」
「薪さんですからねえ」
 似たり寄ったりの感想は三者三様の口調で、しかし3人は申し合わせたように遠い眼をする。一時下りた沈黙を破って、滝沢が尋ねた。

「薪はまだ病院か」
「ああ。今日、やっと医者の許可が出た。おれたちはこれから病院だ」
 運び込まれた警察病院で、薪は丸一日眠り続けた。彼の体力が回復し面会が許されたのは、薪が助け出されてから3日後の午後。その日はちょうど滝沢に約束した面会日と重なっており、岡部と青木は小菅に寄ってから薪の病室へと赴くことにした。
 滝沢が看守を追い出した面会室で、青木は滝沢に事件の詳細と顛末を語って聞かせた。今回の事件には滝沢も一枚噛んでいた、というか、薪に危険が迫っていることを知らせてくれたわけだし、彼にも知る権利はあると判断したのだ。

「動機だけはこちらで用意しましたが、犯行の詳細について、荒木は全面自供しました」
 自分が第九入りを希望したのは、病床の母親を元気付けるためだった、と荒木は言った。
 全身を病に蝕まれた母親の、生きる気力は薪に対する復讐のみ。母親に少しでも長く生きて欲しくて、荒木は自分が復讐を代行している振りをした。

 ――今日は階段からあいつをを突き落としてやった。鈍くさいあいつは足を挫いて、松葉杖のお世話になっている。
 コーヒーの中に下剤を混ぜてやったら、トイレが間に合わなくて粗相をしてしまった。今では警察中の笑い者だ。
 ビタミン剤だと偽って飲ませていた母親の抗癌剤(病院には失くしたことにしていた)の副作用で髪が抜けて、若い頃の美貌は見る影もない。毎日、鏡を見ては溜息を吐いている。いい気味だ――。

 母親に求められるがまま、荒木は薪に様々な嫌がらせをしていると話したが、現実に荒木がしていたのは、母親の手紙を他の郵便物に混ぜて薪に届けたことくらい。それ以外は何もしていなかった。
 薪は手紙を読んでも感情を表に出すことはなかったが、それについても荒木は母親に嘘を言った。
 母さんの手紙のせいで、あいつは恐怖に怯えている。殆どノイローゼになっている。計画は順調に進んでいる、このまま追い詰めていけばあのオカマ野郎は自殺するに違いない。もう少しで恨みを晴らせる――そう、嘘を吐き続けた。あの男の死に様をこの眼で見るまではと、母もそれに応えて病と闘い続けた。

 その母がとうとう病に負けて、この世を去った時。荒木の中で何かが壊れた。
 崩落による隙間を埋めるように、そこに母親の遺志が注ぎ込まれた。その瞬間に殺意が生まれたのだと、決して最初から薪を殺す気だったわけではないのだと、犯行の計画性を否定した。

「まさかおまえ、それ、信じたわけじゃないだろうな」
 荒木の自供内容に不可を付けられた青木は、少し考え込んで、でもきっぱりと言った。
「オレは荒木を信じます」
 さもバカにした眼で滝沢が青木を見る。視線に形があったらきっと、「バカ」と書かれている。おそらく強調太文字で。それでも青木は自分の意見を曲げなかった。
「『第九に来てよかった』って、荒木はオレに言ったんです。室長のこともオレたちのことも大好きだって」
 酔いに任せて調子の良いことを、そんな解釈もできたかもしれない。しかし青木には、そうは思えなかった。
「あれが演技だったとは、オレは思いません」

 青木が口を噤むと滝沢は、あの人を値踏みするような目つきで青木を見やり、はあ、とため息を吐いた。
「おまえが鈴木くらい腹黒けりゃな」
 一部では第九の神さまと呼ばれる鈴木でさえ、滝沢フィルターに掛かるとこの始末。裏返せば、その滝沢ですら青木にはおよそ悪の要素を見い出せないと言うことになる。
「オレ、善い人じゃありません。お芝居とは言え、滝沢さんが薪さんを押し倒したって知った時には、すっごいヤキモチ妬いたし」
「当たり前だ。それが目的だったんだ」
 あれには別に目的があったのだが、滝沢は敢えて嘘を吐いた。青木もまた、その事実の裏側を薪から聞かされていたにも関わらず、知らない振りをした。
 工作員として訓練を受け、人の表情を読むことに長けた滝沢は、一目でそれを看破する。薪クラスのポーカーフェイスならともかく、青木のそれはお粗末すぎるのだ。

「薪がなんでおまえに何も言えなかったのか、分かった気がする」
「オレにだって分かってます。……オレが頼りないから」
「それは否定せんが」
 青木に話したら全部顔に出る。そうしたら周り中に知られてしまう、荒木が貝沼事件被害者の遺族であること。
 その危惧もあっただろう、しかし。
「たぶん、違うな」
 話せば青木は、必死で薪を慰める。あなたのせいじゃない、あなたはオレが守る、オレのためにもみんなのためにもあなたは胸を張って生きてくださいと、そんな言葉で彼を包むだろう。それに身を委ねてしまいそうになる、自分が薪には許せなかった。
 そんな薪の気持ちを見抜いて滝沢は、薪が「過去の亡霊に囚われている」と言ったのだ。

 もうとっくに終わった事件の、そもそも自分にはない責任を勝手に背負いこんで、誰も自分を責めないからと自分で自分を責め続け、それだけでは飽き足らずにこんな事件を引き寄せた。滝沢が自由の身なら、病院に飛んで行って平手の2,3発もお見舞いするところだ。
 自分が行けなければ誰かに託すしかない。立場的には恋人の青木が適任だが、この男にはまず無理だ。
 なぜ話してくれなかったのかと、青木からは薪に対する怒りがまるで感じられない。もちろん打ち明けてもらえなかったことを寂しいと思っている、でもそれは薪が悪いのではなく、己の未熟ゆえだと凹んでいる。
 こういう人間に、あの頑固な薪を矯正することはできない。

「どうやらあんたの出番だな。副室長殿」
「おれは他人のプライベートには口を挟まん」
「しかしこいつには無理だ。薪に尻の毛まで抜かれちまってる」
 ふうむと腕を組み、考え込む様子の岡部に、青木は慌てて言った。
「嘘ですよ、岡部さん。オレ、薪さんにそんなことしてもらってません」
 瞬時に居室に敷き詰められた微妙な空気。次の瞬間、アクリルボードの向こうで爆笑した滝沢に、岡部が苦い顔をする。
「滝沢さん、いい加減なこと言わないでくださいよ。薪さんに無駄毛の始末なんてさせられるわけ、あ、でも、耳掃除はこないだしてもらって、それが気持ちよかったのなんのってうごっ!」
 青木が座っていたパイプ椅子の脚が岡部に蹴り飛ばされてダリの絵のように歪んだのと同時に、面会は終了時間を迎えた。

 そんな一幕を経て、二人は病院を訪れた。時刻は3時を回っていた。
 薪はベッドに横になり、茫洋と窓の外を見ていた。毛布の上に投げ出された細い腕に、亜麻色の前髪が被さる額に、幾重にも巻かれた白い包帯が痛々しかった。

 見舞いに訪れた二人を認めると、薪は困ったように微笑んで見せた。その顔は「またおまえらは余計なことをして」と言わんばかりだった。
 衰弱が激しかった薪は、入院初日はICUにいた。昨日は一般病棟に移されたが、面会謝絶の状態だった。青木はスタッフを口説き倒し、看護師立会いの下で薪の寝顔を見ることだけを許してもらった。
 起きている薪を見ることができたのは5日ぶり。まだ頬は青白く笑みはぎこちなかったが、森田家の墓前でこの腕に彼を抱いたあの日より幾分も、その瞳は生ある人間に近付いていた。

「薪さ」
 青木が薪に近付こうとすると、岡部がそれを手で制した。驚く青木に岡部は、さらに青木の度肝を抜くようなことを命じた。
「青木、外で見張ってろ。誰も病室に入れるな」
 すぐにでも薪の手を取ってその無事を確かめたかったが、ここは我慢だ。青木は聞き分けよく、病室の外に出た。岡部は副室長として、室長の薪に事件の顛末や仕事の報告をするつもりなのだろう。それで秘密保持のために青木を見張りに立てたのだ。

 青木はそう推測したが、それは大きな間違いだった。
 ドアの前に立って5分もしないうち、青木は病院の廊下に信じられない人物を発見した。捜査一課の大友と西田、そして彼らが連れているのは。
「荒木……!」
 荒木は両手を前で揃えて、その上にタオルを巻いていた。腰には猿回しの猿のように青い紐を結わえ付けられ、その先端は西田の手にしっかりと握られていた。まだ取り調べ中だから囚人服こそ着ていないが、その扱いは完全に犯罪者のそれであった。

「薪室長の病室はここですか」
「そうですけど、大友さん。室長はまだ、面会謝絶が解けたばかりです。事情聴取はもう少し後にしてもらえませんか」
 病室に入る前、担当医に、患者に無理をさせないようきつく言い渡された。
 薪の怪我は全治2週間。実はこれは大した怪我ではない。時間を掛けて養生すれば、跡形もなく消える程度の傷だ。だから、医者が心配しているのはそこではない。
 誘拐事件の被害者にとって一番深刻なのは心の傷だ。例え無傷で助け出されてさえ、被害者に危険がないとは言い切れない。ほんの些細な共通点、例えば犯人がしていた腕時計と同じものを街で見つけた、監禁場所で嗅いだ潮の匂いがした、聞こえてきた時報のメロディが同じだった――たったそれだけのことで、監禁された時の恐怖が甦り、パニックになって自殺した者もいるのだ。聴取目的だろうが荒木を同伴するなんて、1課は何を考えているのか。

 怒りが顔に出ていたのか、大友は焦った様子で首を振り、「青木さんでもそんな顔するんですね」と苦笑した。
「聴取は室長が退院してからで充分です。自白調書も、その裏付も取れましたから」
「じゃあどうして」
「竹内さんから電話があって。岡部警視に頼まれたんだそうです。荒木を連れてきて欲しいって」
 驚きのあまり、青木は声も出なかった。
 岡部が荒木を薪の病院に呼び寄せた? いったい何のために?

 改めて荒木の様子を見れば、彼の太陽のような明るさはとっくに消え失せて、罪人特有の陰鬱な空気をまとい始めている。虚ろな視線を床のタイルに淀ませ、誰とも眼を合わせないように誰の視界にも入らないようにひっそりと息を殺して、その姿は出会った頃の薪を青木に思い出させる。あんなに華やかな人なのに、当時の薪はそんな気配を漂わせていた。見ていると不安を掻き立てられるようで、青木は彼から眼が離せなくなった。

「これ、課長にバレたら今度こそおれクビですからね。ぜったい竹内さんちにパラサイトしてやるー」
 仲が良いのか悪いのか、いま一つ不明瞭な竹内の後輩は、荒木の腰紐を青木に譲り渡し、サッと敬礼した。
「見張りはおれたちが代わります。青木さん、荒木を連れて中に入ってください」
「え。でも」
「『理由は分からないけど、岡部さんは薪室長に何か大切なことを伝えたいんだと思う』 そう、竹内さんが言ってました。あのひと、そういうの鋭いから」
 信じて間違いないと思います、と大友に言われてようやく青木は滝沢の言葉を思い出す。自分には預けてもらえなかった滝沢の伝言を岡部はちゃんと受け取って、薪に伝えようとしているのだ。
 青木は紐の取っ手をぐっと握りしめ、スライドドアを横に滑らせた。




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モンスター(24)

 新しいリンクのご紹介です。

「BON子の秘密妄想帳」 ←ポチると飛べます。

 その名の通り、BON子さんの妄想を主体とした、爆笑必至のブログさんです。
 薪さんファンなら誰しも、薪さんについてあれやこれや、時事や季節イベントを絡めて空想しますよね。その模様が軽妙な文章で分かりやすく書かれており、しかもそれがBON子さんの美麗イラスト付きと言う、笑いと萌えがいっぺんに味わえる大変贅沢な作りになっております。
 個人的には、時折挟まれるBON子さんのセルフ突っ込みがめっちゃツボです。

 BON子さんの空想は限界がないと言うか自由過ぎると言うか(笑)、とにかく型破りです。わたしも大概突拍子もないこと考えますけど、BON子さんには負けます。BON子さんのパワフルな想像力、その翼は易々と次元を超えます。
 ハッキリ言ってBON子さん、
「薪さん好き過ぎて現実が見えてない」
 はい、8年前のわたしにそっくりです!!
 思い起こせば8年前、薪さんに根こそぎ持って行かれたわたしは、仕事クビになっても離婚されても文句は言えない、それくらい薪さん一色の日々を送っておりました。俗に言う「秘密廃人」です。妄想以外、何もしてませんでしたね。
 今になって思えば、オットはよく我慢してましたよ。あ、今もね。一生その調子でお願いね。(今も充分秘密廃人)

 BON子さんはここまでひどくないと思いますが、それでも、妄想の内容はかなりの確率で被っております。もはや他人とは思えません。
 BON子さんのブログを読んでいると、当時の熱い思いが呼び起こされるようです。そんな気持ちもあって、わたしの方からリンクをお願いしました。


 常軌を逸した妄想に笑い、美麗イラストに嘆息する。
 まるで、二重人格のようなブログさんを、BON子さんの魅力あふれる語り口と共に楽しんでください。超オススメです!



 さてさて、お話の方は、
 岡部母さんの説教開始です。
 心して聞くように(*・`ω´・)ゞ ←これ、ワンクリックで挿入できるようになったのね。これならわたしでも顔文字使えるw




モンスター(24)





 青木が病室に入ると、薪は窓の外を眺めたまま、岡部だけがこちらを振り向いた。2人が会話らしい会話をしていなかったことは、空気の重さで分かった。

「岡部さん。あの」
 青木の声で、やっと薪はこちらを向いた。そして見つけた。青木の陰に隠れるように立っている、誘拐犯の姿を。
 ベッドの上で、びくりと薪の身体が震えた。
 見る見るうちに薪の表情が曇り、細い眉が弱気に垂れ下がる。立ち上がろうとして為せず、なにか言おうとしてそれもできず。やがて薪はくちびるを噛みしめてうなだれた。罪を悔いる咎人そのままに。

「薪さん。荒木が貝沼事件の遺族だと知ったのはいつですか」
 薪の両手が毛布を握りしめる。その細い指は白くなるほど力が入って、小さく震えていた。
「岡部さん、医者が言ってました。まだ精神的に回復していないから、事件の話は控えるようにと」
「回復されてからじゃ遅いんだ」
 いいから黙ってろ、と岡部に命じられ、青木は一歩退がった。納得はできないが岡部のすることだ。薪にとって不利益なことのはずがない。

 岡部は薪に向き直り、重ねて回答を促した。
「答えてください」
「面談のとき。鼻の形が、森田和也くんにそっくりだと思った」
 3人が3人とも、え、と声を上げた。面談と言ったら初対面の時ではないか。荒木の素性に最初から気付いていたなら、薪はどうして彼の第九入りを許したのか。
「犯罪被害者の遺族が警察官になるのは珍しいことじゃない。むしろ、事件がきっかけとなって正義に目覚め、警官を志す者も多い。彼らは多くの場合、身内の事件について詳しい情報を得たいと考える。貝沼事件の最終捜査本部は第九だ。脳データこそ失われたが、事件調書は第九にある。荒木の転属願は自然なことだと、そう考えていた」
「それだけですか? 貝沼事件で加害者意識を持っていたあなたは、被害者遺族である荒木にできるだけの便宜を図ってやろうと、そう考えたんじゃないんですか」
「そんなことはしていない。みんなと同じに」
「青木とはあからさまに差が付いてましたけど」
「仕方ないだろ。荒木は器用で機転が利いたけど、青木は不器用で鈍くさかったんだから」
「ええー……」
 肩を落とす青木を、元気出して下さい、と荒木が慰める。おかしな構図だ。

 なんとなく緩んだ空気を岡部の咳払いが元に戻す。緊張を孕んだ声で、岡部は聴取を続けた。
「荒木の計画に気付いたのはいつですか」
「……荒木の家に初めて行った時」
 確かそれは、10月の第一水曜日だったと青木は記憶している。それから3週間近くも、荒木の計画に気付きながら薪は彼を放置していたことになる。

 絶句する青木の横で、荒木が妙な笑い方をした。
「おれ、なんかヘマしましたっけ」
「ミスと言えるほどのミスはしていない。少し気になった程度で」
「なにが?」
「兄弟が居るかと訊いたとき、きみは一人っ子だと言い、それを証明するかのように母親に電話をした」
「わざとらしかったですかね」と自嘲した荒木に、薪はゆっくりと首を振り、
「そうじゃない。自分が被害者遺族であることを隠すのはごく普通のことだし、僕に気を使ったとも考えられる。気になったのは、そのとき母親を『ママ』と呼んだことだ」
「20歳超えても、母親をママって呼ぶ男はいっぱいいるでしょ」
「父親のことは『父さん』と呼んでいた。釣り合いが取れない」
「それだけで?」
「そんな子供もたくさんいるとは思うけど。僕はその時点で、きみにもう一人の母親がいることを知っていたから……新しい母親にママと呼んで欲しいと言われたのかもしれない、でも別の可能性もあると思った。
 新しい母親と表面上は仲の良い親子を演じても、自分の母親は一人だけ。荒木は産みの親をとても大事に思っているのかもしれないと、そう思った」
 薪の推理を聞いて、青木はふと思い出す。そう言えば薪も、育ててくれた叔母夫婦を「叔父さん、叔母さん」と呼んでいた。同じ境遇の子供同士、感じるものがあったのかもしれない。

「どうしてそれを話してくれなかったんです」
「その時は未だ確証がなかった。不確かな疑惑で第九に混乱を招きたくなかった」
 質問に対する薪の答えを、岡部は疑り深そうな顔で聞いていたが、やがて軽く頷いた。
「まあそれはよしとしましょう。では、確証を持ったのはいつですか」
 毛布を掴んだ自分の手をじっと見つめ、薪は沈黙した。焦れた岡部がせっかちに解答を促す。
「答えなさい」
「…………猫の首が送られてきたとき」
 事件の朝、あの呪われた贈り物から荒木の計画は回り出した。あれが荒木の仕業だったと、薪は即座に見抜いていたのだ。

「おれがやったって証拠は、何も残さなかったはずですけど」
 荒木の言う通り、鑑識の調べでは何も出なかった。だが、薪の根拠は物証ではなかった。
「きみが青木と話しているのを聞いた。猫の耳に入れてあったメッセージカードに、僕の名前があったから僕を呼んだのだと、そう言ってただろう」
 青木もその会話は覚えていた。「例え室長に宛てたものでも処分は自分たちでするものだ」と荒木に教えていたら、隠蔽を指導するとは何事だ、と薪に叱られたのだ。
「カードは頭から突っ込んであった。文章の始めに書かれていた僕の名前は見えなかったはずだ」
 メッセージカードを抜かないうちから薪の名前が書いてあると知っていたのは、そのカードを書いた本人だけだ。
「あのときは焦ってたんですよ、おれも。青木さんのあんな怖い顔、見たの初めてだったから」
 言われてみれば、薪が青木たちに声を掛けたタイミングはおかしかった。青木が荒木を指導してから、少し間があった。青木の隠蔽工作に憤ったなら、もっと早い段階で叱責に来るべきだ。
 あのとき薪の中で、荒木に対する疑惑が確たるものに変化した。それゆえのタイムラグだったのか。

「それはつまり」
 岡部が三白眼をぎらつかせ、薪に詰め寄った。
「薪さんは、モンスターの正体が荒木だと分かっていながらそれを誰にも教えず、そのモンスターと二人で出掛けた、と理解していいんですね?」
 脅しつけるような声だった。握った拳が微かに震えていた。
 対する薪は、そうだ、と静かに応じ、伏せた睫毛を瞬くたびに揺らしながら、
「滝沢からの情報を重ね合わせると、疑わないわけにはいかなかった。岡部たちが滝沢から聞いた話を、僕は1ヶ月前に聞かされていたんだ」
「おれたちがその話を滝沢から聞いたのは、今日ですけどね」
「本当か? それでよく」
 そこで初めて薪は顔を上げ、岡部の顔を直視した。途端、わずかに身を引く。岡部はまるで憎むべき犯罪者を睨むような眼で、ベッドに座った薪を見下していた。

「なぜわかったか、ですか? あんたが青木の気持ちに鈍くなったからですよ」


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ジャンル : 小説・文学

モンスター(25)

 岡部母さんのお説教、その2です。長いな、おい。




モンスター(25)





「あんたが青木の気持ちに鈍くなったからですよ」
 岡部の怒りを確信して、薪の眉が寄せられる。岡部が薪を『あんた』と呼ぶ時は、ものすごく腹を立てているときなのだ。

「気付いてるかどうか知りませんけどね、あんたが青木のサインを見失うのは、あんたの過去が関係してるときだけなんですよ。
 それはあんたがまだ昔の事件を自分の罪だと認識していて、自分には誰かと共に人生を歩む資格はないと思い込んでるからじゃないんですか」
 一気にまくしたてる岡部に、薪は一言も言い返せない。ひたすらに眉を曇らせて、小さく開けた口を小刻みに震わせていた。
「だから青木の気持ちが掴めなくなっちまうんですよ。無意識に、青木を見ることを避けてるから」
「岡部さん」
 岡部の舌鋒を止めようと呼びかけた青木の声に耳も貸さず、岡部は言い募る。
「あんた昔おれの前で『自分は正当防衛だ、みんなに死なれて迷惑だ』と言いながら泣いてた。本当はあんた、あそこから一歩も動けないでいるんじゃないですか」
「岡部さん!」
 薪の瞳が驚きから悲しみの色に変わって行く。何もそこまで、鈴木や死んだ仲間のことまで引き合いに出す必要があるのか。岡部に対する不信が青木の中で膨れ上がり、2度目の制止はやや咎めるような声になった。しかし岡部の言葉は止まらない。

「あれから10年も経ってるんだ。いい加減前を見たらどうです」
 岡部は薪の細い肩を掴み、すると薪は痛みに顔をしかめた。まだ荒木につけられた傷が癒えていないのに、いくら岡部が薪の女房役でも、怪我人にこんなこと。
「あんたの傷の深さは分かってるつもりですよ。でも青木が可哀想じゃないですか。10年間、あんたの傍を片時も離れずにあんたを想い続けてる青木の気持ち、考えたことあるんですか」
「やめてください、岡部さん!」
 薪の肩を掴んでいた岡部の手を、強引に振りほどく。2人の間に割って入った青木は、薪を背中に庇うようにして、一言も喋れないでいる薪の代わりに岡部に言い返した。
「オレはいいんです。本当にいいんです」

 岡部が薪に言ってくれたことは、正直ありがたかった。自分の生に執着しない薪の姿勢は、青木が唯一許せない彼の悪い癖であったからだ。が、それに対する反論もまた、青木の素直な気持ちだった。
「最初に薪さんに言われました。鈴木さんのことも自分の罪も、一生忘れないって。オレはそれでもいいって言ったんです。だから」
「そりゃ最初は言うだろうさ。でも普通なら10年も経てば」
「だって薪さんですよ? 忘れないって言ったら、本気で一生忘れませんよ。天才の上にめちゃくちゃ頑固なんですから」
 青木が少しだけおどけると、岡部はふいと眼を逸らした。岡部なら分かってくれると信じていた。
「そこまで承知で、オレは薪さんの傍にいることを選んだんです」
 だからいいんです、と青木は薪に笑い掛けた。

 その笑顔に、薪はひどく哀しげな笑みを返した。
「そうやって僕は、ずっとおまえに甘えてきたんだな」
「え?」
 最後の言葉はよく聞こえなかった。薪は再び下を向いてしまい、その言葉は毛布に吸い取られたように誰の耳にも届かず消えてしまった。

「青木。おまえのアパート、まだ残してあったよな」
「あ、はい。荷物の整理が終わらないのと、家賃が1年間の前払い制なので、つい」
「ちょうどいい。おまえ、今日からそっちへ帰れ」
 病室に短い沈黙が下りた。薪が何を言おうとしているのか、察して青木は身構える。こういう薪は経験済みだ。対処法も心得ている。
「もう、家には来るな」
「嫌です」
 即行言い返した。
「こんな状態のあなたを一人にするなんて、できません」
「これは命令だ」
 毛布を握った自分の拳を見つめたまま、薪は言った。
「僕たちは少し……長く一緒にいすぎたのかもしれない」

 次の瞬間、薪の頬で、パン、と乾いた音がした。驚いた薪が青木を見る。思わず青木は自分の両手を降参の形に上げて、身の潔白を証明した。
 叩かれた頬を反射的に押さえたまま、薪が首を巡らせた。そこには鬼の形相をした岡部が仁王立ちになっていた。
「岡部さん、薪さんは怪我を」
「これだけ言ってもまだ分からないんですか?!」
 青木の控え目な抗議は岡部の怒号に掻き消された。廊下の2人にも聞こえたに違いない、ここが病院であることを忘れ去った声量だった。
「荒木を見なさい! あれはあんたのせいだ!」
 岡部の指差す方向を見やれば、薪と青木のプライベートを多分に含んだ会話に身の置き所を失くした荒木が悄然と立っている。両の手首を結わえた鉄の輪をタオルで隠し、青い細紐に腰を繋がれた罪人の姿。

「あんたの弱さがあいつを犯罪者にしたんです。それが分からんのですか」
「分かってる。元々は僕が貝沼を見逃したことが原因だ。僕の甘さが、あの事件を」
「あんた、本当にバカだな!!」
 警察庁の天才と呼ばれる薪をバカ呼ばわりできるのは、世界中探しても滝沢くらいのものだと青木は思っていたが、ここにもいた。灯台もと暗しとはこのことだ。

「そんな昔の話、今さら蒸し返してどうなるってんです。そうじゃない、おれは今のあんたの心の在り方が今回の事件の原因だと言ってるんですよ」
 悲痛な眼をして、薪が岡部を振り仰ぐ。亜麻色の瞳の中に、岡部の真剣な表情が映り込んでいた。
「ちゃんと荒木を諭しましたか? 復讐なんかでおまえの人生を無駄にするなと、上司として彼を導きましたか?
 自分の母親はおまえを呪いながら死んでいったのだと、母がそうなったのはおまえのせいだと、荒木に言われるがままに頷いて自分の罪悪感に飲み込まれて、薄っぺらい自己満足と引き換えに彼の暴挙を許したんじゃないんですか」

 岡部の言うとおりだった。薪は一切の抵抗をしなかった。
 所轄からの帰り道、「大人しくしてください」と荒木にナイフで脅され、でもそれは薪にはなんでもないことだった。岡部や青木と違って、荒木は武道を習ったこともない。構えは隙だらけだったし、簡単に押さえ込むこともできたはずだった。
 しかし、薪はそれをしなかった。諾々と荒木の言に従い、自分の手に自ら手錠を掛けたのだ。
 それから薪は、荒木が昔住んでいた家に連れて行かれた。母親が病に倒れて長いのだろう、そこは既に廃墟と化しており、近隣住民はおろかホームレスさえ近付かなかった。

 腐って虫が湧いた床の上で、薪は彼の刃を受けた。苦痛にも辱めにも、黙って耐えた。それくらい、してやってもバチは当たらないと思った。
 凶刃のひらめく間に間に挟まれた荒木の言葉で、薪は荒木の過去を知った。
 やさしかった母親が、兄の死で徐々に壊れて行ったこと。家の中はめちゃくちゃになり、嫌気がさした父親は他の女性に救いを求めて、幸せだった家庭はもろくも崩れ去ったこと。
 狂気の中で、母親は病を得た。入院費は父親が払ってくれたが、病院には顔を出さなかった。一人ぼっちの母親を放ってはおけず、荒木はずっと彼女の看病をしてきた。
 
 病床の母は、繰り返し繰り返し、薪への恨みを吐き続けた。
『和也は、あなたの兄は、あの男のせいで死んだのよ。あの男に少し似てたから、たったそれだけの理由であんなひどい死に方を』
『まだ20年も生きてなかったのに。やりたいこともいっぱいあったのに……和也ね、ライブデビューが決まったこと、真っ先に母さんに知らせてくれたのよ。それなのに』
『自分のせいで死んだ人間がいることを知りながら、のうのうとテレビなんかに出て。こんなに大きく新聞に載って持て囃されて。雑誌のインタビューまで』
『殺してやりたい、殺してやりたい、この男』
 10年間、荒木は母親の狂気と共に生きてきた。その10年の苦しみに比べれば。彼の母親を狂わせた罪人として、これくらいの罰は受けて然るべきだと思った。

 荒木の自白調書に、薪の心情についての記載はなかった。だから本当のことは分からない。でも、薪の瞳が物語っていた。
 僕は、罪を償いたかったのだと。

「それが間違いだって言ってるんですよ、薪さん」
 凄みを効かせた重低音で、岡部の糾弾は続く。彼の声には薪に対しては常に込められていた友愛の欠片もなく、心の底から薪に腹を立てていることが分かる。察して、薪の亜麻色の瞳が一層の哀しみを湛えた。
「こいつはね、おれたちを案内したんですよ。自分の兄貴が通ってた大学の近くのファミレス、もうすぐライブデビューするはずだったカフェ。バンド仲間とたむろってた喫茶店には兄貴の写真も飾ってありましたよ」
 岡部の口に青木の知らない事実がのぼり、やっと青木は理解する。岡部は事件後も、荒木の調査を進めていたのだ。そして彼の行動の真相を知った。
「荒木は本当は自分を止めて欲しかった。それをロクな抵抗もせずに唯々諾々と彼に従って、救難信号も出さず逃げる素振りすら見せず、あんたがそんなんだから」
 すうっと息を吸い込んで、岡部は薪を叱りつけた。
「荒木は後戻りできなくなっちまったんですよ!」

 薪が女性と密会していたと言うのは荒木の嘘だった。被害者となった兄に縁のある場所を回りながら、二人にヒントを与えていたのだ。
 岡部の言う通り。荒木は誰かに自分を止めて欲しかったのかもしれない。

「まだ24ですよ。こいつが、平気で人を殺せるようなやつに見えますか?」
 薪は力なく首を振った。
「僕の責任だ。僕が、彼の人生を狂わせた」
「だからどうしてそうなんですか、あんたは!」
 病室の空気が振動するような怒号。その対象ではない青木や荒木までもが一歩後ずさる。岡部が捜査一課で伝説になっているのはこういった彼の恐ろしさ、そして。
 真実を見抜く心眼。それが岡部靖文の伝説を支えている。

「薪さん! モンスターはあんただ!」



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ジャンル : 小説・文学

モンスター(26)

モンスター(26)





「薪さん! モンスターはあんただ!」

 鍛錬に鍛錬を重ねた武道者の指が、真っ直ぐに薪を指差していた。
 岡部とて、本気で薪が全部悪いと思っているわけではない。10年前、どん底の薪を一番近くで見てきたのは岡部だ。その傷の深さも苦しむ様子も目の当たりにしてきた。だから今までは黙って見守ってきた。
 でも、彼は知らないといけない。狭窄された視野で生まれた罪悪感は悲劇を引き起こすこと。それが周囲に悪影響を及ぼし、負の連鎖を生むということを。

「そうやって、すべて自分のせいだと思い込んでしまう弱さ、それこそがモンスターの正体なんじゃないですか。そのせいで周りの人間は自分の間違いに気付けない、気付いていても後戻りできない。今回の事件は、全部あんたの加害者意識が引き起こし」
「やめてください!」
 岡部に糾弾される薪があまりにも可哀想で、青木はもう我慢ができない。
 岡部が、いつまでも薪が手放そうとしない十字架を、必要以外のものまで背負ってしまおうとするその破滅的な生き方を、何とかして直そうとしているのは解る。それは今でなくてはできない、薪の精神が回復し、その心が鉄の鎧を着けた後では何を言っても軽く流されてしまうことも解っている。だけど。
「なんで薪さんが責められるんですか?! 薪さんは被害者ですよ!」
 理屈ではない。そんなものは青木に通じない。こと、薪に関することで青木に理性的な判断などできないのだ。
「そんなの、やった方が悪いに決まってるじゃないですか!」

 理論的な岡部の告発に比べ、青木の弁護は子供のようだった。声の大きさこそ岡部に負けていなかったが、内容は小学校のホームルームの発言に限りなく近かった。
「どんなに挑発されたって例え殺してくれって頼まれたって、人を害すれば罪になるんです! 荒木は警察官です、それが分からないなんて言わせません!」
「青木。滝沢にも言われただろう。おまえがそうやって全部肯定してしまうから、薪さんはいつまで経っても」
「いいえいいえ! 薪さんは悪くないです!」
 世の中のあらゆるものから彼を守るように、青木は薪の頭を抱きしめて、それこそ濁流に流される羽虫が渾身の力で岩に張り付くように抱きしめて、頑是なく首を振った。世間を知らない子供が母親を庇うように、それは未熟極まりない援護射撃ではあったけれど。

「オレは誓ったんです。薪さんのことを悪く言う人がいたら、その口を塞いでしまおうって。憎む人があればその心を潰してしまおうって」
 薪の頭に、その亜麻色の髪にぽたぽたと垂れては吸い込まれていく、青木の涙はまごうことなき愛の証で、誰かのために無心に流される涙には、理屈や正論を打ち砕く圧倒的なまでの威力があった。
「誓ったんです」
 そう結んだ青木は薪の髪に顔を埋ずめて一時黙り込み、しかしすぐに顔を上げて岡部を非難した。
「こんなに傷ついてる人を責めるのは、人間のすることじゃありません!」
 大の男に泣きながら喚かれて、岡部はまるで小さな子供を苛めて泣かせたような気分になる。青木を連れてきたのは失敗だったかと、やるせなく溜息を吐いたその矢先。

「青木、泣くな」
 薪の指が、青木の涙を拭いた。顔を上げて青木と眼を合わせ、だから薪の頬には青木の涙が滴り落ちて、けれど薪は自分の頬には手を伸ばさず、ひたすらに青木の涙を止めようと彼の涙袋を拭い続けた。
「おまえが泣くと、僕は悲しい」
 妙に単純で素直な薪の言葉に、青木は彼に迫る限界を感じ取る。眠りに落ちるときのように、今の薪に理性はない。理性の鎧を着けていない薪がどんなに脆く傷つきやすいか、青木はよく知っている。
 これ以上薪を傷つける気なら例え岡部でも許さないと、青木が厳しい顔つきで上司を睨む。その後ろで、荒木がぽつりと呟いた。

「室長は、ちゃんと抵抗しましたよ」
 薪の窮地に青木が放り出した細紐の取っ手を、不自由を強いられた両手で器用に引き上げ、それを弄びながら、
「岡部さんたちが来る直前でしたけど。おれの手を掴んで、死にたくないって顔をしましたよ」
 岡部と青木があの霊園に辿り着いたのは、荒木がナイフを振りかざして薪の喉笛を掻き切ろうとした、正にその瞬間であった。
 岡部は咄嗟に、足元の玉砂利を投げた。それがナイフを握った手を直撃し、彼から凶器を奪った。走り寄った岡部が荒木を捕まえ、倒れた薪を青木が抱き上げた。

「だけど、殺された兄貴もきっとこんな気持ちだったんだと思ったら、動けなくなっちゃったんじゃないですか。おれがそう言ったら、眼が死んだから」
 生物にとって何よりも強くあるべき生存本能が、罪悪感に負ける。被害者遺族に死んで償えと言われれば、それを受け入れてしまう。10年経った今でも薪のスタンスは変わっていないのだと、思い知らされれば自分が彼にしてきたことは何だったのかと、煮えくり返って炭のようになったはらわたが体内で吐き出した黒煙を、岡部は八つ当たり気味に荒木に吹きつけた。
「荒木、勘違いするなよ。薪さんにはああ言ったが、おれはこの事件が全部薪さんのせいだったなんて思っちゃいない。青木の言う通り、どんな事情があったとしてもやった方が悪いんだ。自分を止められなかったおまえに罪はある」
「分かってます。室長のせいだなんて思ってませんよ」
 素直に頷く荒木には、愚鈍なふてぶてしさも捨て鉢な開き直りもなく。むしろ端然と、いっそ何かから解放されたかのような、浄化さえ漂わせていた。

「きっと母さんも同じだったんです。悪いのは貝沼という異常者で、それに眼を着けられた室長は被害者だと分かってた。でも」
 亡くなった母親のことを思い出したのか、荒木の黒い瞳に哀悼が浮かぶ。その物寂しげな様子は、いつも明るく振舞っていた彼の笑顔の奥に仕舞われた長きにわたる苦悩と涙を、見る者に慮らせる。
「貝沼が死んで、世間が事件を忘れ去って。憎しみの対象の一つもこの世になかったら、生きてられなかったんだと思います」
 荒木は自分を捕縛した紐の取っ手を岡部に差し出し、深く頭を下げた。
「すいませんでした」
 岡部は取っ手を受け取り、彼の身体を引いて病室の出口に向かった。荒木に与えられた時間には限りがあり、それは終わりに近付いていた。

「岡部さん。一つだけいいですか」
 ドアの前で立ち止まり、荒木はふと岡部を見上げた。
「もしも室長が、岡部さんが言ったみたいにおれに偉そうに説教してたら、ソッコー殺ってたと思いますよ」
「なに?」
 不穏な発言に岡部の顔色が変わる。三白眼をギラリと光らせた岡部に、荒木は怯む素振りも見せず、平然と言葉を継いだ。
「あの時、おれがナイフを振り下ろせなかったのは、岡部さんの投げた石が当たったからじゃないんですよ。二人が来るまでに充分時間はあった。て言うか、いくらでも殺す機会はあったんです。3日も一緒にいたんですから」
 青木も不思議に思っていた。荒木の生家は通りに面していて監禁場所としては危険だったし、薪を甚振ることが目的にしては彼の怪我は軽過ぎた。相手は無抵抗だったのだから、腕や脚を折ることも簡単にできただろうし、ナイフを持っていたのだから指を切り落とすこともできたはずだ。もちろん、その場で息の根を止めることも。
 しかし薪はただのひとつも、一生涯付き合って行かなければならないような傷を与えられてはいなかった。
「それがどうしてもできなくて。母さんの前なら勇気が出るかと思って、それでお墓に行くことにしたんです。それでもダメでしたけど」
 墓地は殺人を犯す場所としては最悪に近い。周りは他人の墓だらけ、いつ誰が来るか分からない。そんなリスキーな場所で犯行に及ぼうとしたのには、それなりの理由があったのだ。

「おれがこの人を殺せなかったのは、この人が全然抵抗しなかったから。おれに殺されることを、当然のように受け入れてしまったから」
 瞬きもせず自分を睨み据える恐ろしげな三白眼に向かって、荒木はハッキリと言った。
「だからおれは殺人者にならずに済んだ」
 ぐっと詰まって、岡部は薪を見る。薪は信じられないものを見る眼で、自分を弁護する荒木の背中を見ていた。

 岡部に否定された薪の行動を荒木は、それこそが薪の命を救ったのだと言った。
 ひいては、自分が最後の一線を超えずに済んだのは、彼の心からの悔恨をその無抵抗に見たからだと。彼の生に対する消極性が、自分を本物のモンスターになる運命から救ってくれたのだと断言した。

 意外過ぎる弁護者に薪と青木は眼を瞠り、すると荒木がこちらを振り返った。
「室長。こんなこと、おれが言えた義理じゃないんすけど」
 荒木はにこりと笑った。何日かぶりで見た、それはいつもの彼の笑顔だった。
「もういい加減、自分が幸せになることを許してあげてくださいよ」
 荒木の口から零れたその言葉は、荒木だけの言葉ではなかった。
 薪にぶつけられた岡部の激しい叱責の奥に、それから薪を匿った青木の涙の裏に、第九の仲間たちや友人たちの奔走の陰に、そのすべての根底にある願いだった。

「おれも、自分の罪を償ったらそうしますから」
 荒木の言葉を聞きながら、薪は黙って泣き続けた。
 ただただ涙を流す薪に、岡部はもう、何も言えなかった。



*****


 岡部母さんのお説教、強制終了です。
 ダメじゃんww



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

モンスター(27)

 ご無沙汰です。
 ブログもコメントも、放置しちゃってすみません。

 お義母さんが手術をすることになりまして。
 今週は、その事前検査でバタバタしておりました。
 家から1時間も掛かる病院に行くことになったので、朝の5時起きでオットの朝食とお弁当を作って置いていくと言う……ハードでした~。

 手術日は3月28日です。
 内視鏡でできる簡単な手術なので、心配はいりません。
 でも、その後しばらくは食べたり飲んだりしてはいけないそうで、点滴で栄養補給をせねばならず、1週間ほど入院になるそうです。じっとしてられない人なのに、お義母さん、可哀想。
 4月になって退院したら、一緒に温泉行こうね。





モンスター(27)





「もーホント勘弁して欲しいです!」
 だん、とジョッキの底をカウンターに打ち付け、はあ、と岡部は重い溜息を吐いた。隣でしきりに頷きながら焼酎のコップをスコッチグラスのように回していた中園が、奥の席にいた小野田に話を振る。
「僕もあの子のお守はたくさんだ。なんとかしてくれよ、小野田」
「まあまあ二人とも、そうぼやかないで。薪くんにはぼくからビシッと言っておくから」
「ビシッと、ねえ」
 砕けた口調で気安く話している、この二人は警察庁官房室室長とその首席参事官。本来ならば、警視の岡部が肩を並べて酒を飲めるような相手ではないのだが。

 中園からの電話は、青木と一緒に病院の自動ドアを抜けたときに掛かってきた。
『薪くんの見舞いはすんだかい? お疲れさま。一杯奢るよ』
 薪はまだ面会を制限されている。初日は1組だけ、つまり岡部たちが初めての見舞客だったのだ。薪の様子を聞きたいのだろうと思い、報告がてら出掛けてきた。
 店は任せると言われたので、自宅近所の居酒屋を選んだ。前に中園に誘われた時もこの程度の店だったし、薪の様子を聞いたら中園はすぐに引き上げて小野田に報告に行くのだと、そう思っていたからだ。ところが、縄のれんを潜って驚いた。店の粗末なカウンターに日本警察のトップに限りなく近い官僚が二人して雁首を揃えていたのだ。岡部としてはもう飲むしかない。官房長をこんな低級な店の手狭いカウンター席になんか座らせてしまって、アルコールの助けでも借りなかったら胃に穴が開く。

 駆けつけ3杯のビールと顔馴染みの店主お勧めのタコの唐揚げで、いい具合に緊張が解けてきた岡部に、中園が告げ口でもするようにこっそりと囁く。
「いつも口ばっかなんだよな、小野田は。薪くんの顔見ると、キツイこと言えなくなっちゃうんだ」
「官……小野田さんは薪さんを、息子同然に可愛がってますからね」
 その甘さを嘆くようでいて、でもどこかしら楽しそうな中園の口調に、釣られて岡部もノリよく返す。中園は小野田と同じ警視監なのだが、同じ補佐役と言う立場であることから、岡部は勝手に、彼に親近感を持っている。中園もこうして岡部に直接電話をしてくるくらいだ。似たような気持でいるのかもしれない。

「子供を強く叱れない親に育てられるとさ、子供ってダメになっちゃうんだよね」
「親バカここに極まれりですな」
「なにか言ったかい」
「「いいえ、なんにも」」
 二人で声を揃えて同時にグラスを傾ける。「なんだい、二人して組んじゃって」と拗ねたように小野田が言うから、あやうく岡部は吹き出しそうになった。昔薪から聞いたことがある、小野田が意外と子供っぽいと言うのは本当かもしれない。

「おまえもコロコロ変わるよね。こないだはあんなに怒ったくせに」
 こないだ、というのは夏に起きた監察官殺人事件のことだ。小野田や中園から絶対に動くなと命じられたにも関わらず、青木に冤罪を掛けられた上に宇野を傷つけられた薪は大暴走。その命令違反も含めて、薪は小野田にこってり絞られた。
 しかし結果だけを見れば、冤罪を意図的に画策した次長派閥の息の根を止めることができたわけで。個人的には中園は、暴走ではなく活躍と言った方が的確な表現だと思ったくらいなのだが、薪の身を案じる小野田には我慢ならないことだった。

「今回は事情が事情だからね。例の事件絡みじゃ仕方ない」
「仕方ないって、10年も経ってるんだぜ」
「そんなに経ってない。9年と2ヶ月だ」
「9年2ヶ月も10年も変わらないよ。この事件が来年起きたとしても、今回と違う結果になるとは思えないしね」
「それは認める」
 温んで汗をかいた吟醸酒の瓶を傾けて、小野田は手酌で甘露酒を注ぐ。美濃部焼のぐい飲みをくいと呷るさまは、彼が自分の後継者と心に決めた男とよく似ていた。

「きみたちは、鈴木くんを喪う前の薪くんを知らないだろ。一課にいた頃の薪くんは、あんな風じゃなかった」
 不意に、小野田は昔話を始めた。
「その頃から薪くんの捜査能力はずば抜けてた。迷宮事件を幾つも解決して、警視総監賞を何度も獲った。でも、今とは全然違うタイプの捜査官だったよ」
 昔の薪は、もっと仕事に貪欲だった。事件が起きると、彼は新しいオモチャを与えられた子供のように瞳を輝かせた。
 事件を解決することは正しいことだと信じて疑わなかった。犯罪者は悪であり、自分たち警察はそれを正す正義であると、その信念のもとに容赦なく他人の心に切り込んだ。事件被害者や遺族のことは眼中になかった、と言うのは言いすぎかもしれないが、彼の心を捉えていたのは事件の謎そのものであり、その謎を解き明かすことに快感を感じていた。

 あの事件を契機に、彼の捜査スタイルは様変わりした。
被害者は勿論、遺族、友人、加害者の肉親に到るまで、すべての事件関係者に心を配るようになった。時にその数は膨大で、普通の人間ならとてもそこまでは拾いきれない。しかし彼は天才的な頭脳でもって、それを可能にした。無駄とも思える仕事が増え、彼の負担は何倍にもなったはずだが、それでも彼はその姿勢を変えなかった。
 そして薪が未だにそのスタイルを貫いているのは、彼があの事件のトラウマから抜け出せていないことの証明でもある。そんな彼にとって今回のことは回避不能な出来事だったのだ、と小野田は言う。

 薪があの事件を乗り越えたとき、彼は初めて貝沼の呪縛から逃れることができる。「いい加減、前を見ろ」と薪を叱った自分の言葉は間違っていない、と岡部は確信する。
 ――でも。それを薪が実践していたら、荒木は殺人者になっていた。

「事件を解決することは、他人の秘密を暴露することに等しい。そこに迷いが生じれば当然、その快刀乱麻ぶりにも陰りが出る。それは捜査官にとっての停滞であり、退化であると言う者もいるだろう。ただねえ」
「世の中、進めばいいってもんじゃないんだよね」
 小野田の後を受けた中園の言は、この世の真理。
 そしてまたこの世の中は、正しければいいと言うものでもない。

 正しいことをしていても事件は起きる。それどころか、正しさに拘った分だけその悲劇は凄惨さを増していく。岡部はそういう事件を幾つも見てきた、だから知っている。
 一人一人の正しさには必ず幾ばくかのずれがあって、社会の正義は、そのわずかな共通点でかろうじて保たれているに過ぎない。各々の正しさと正しさがぶつかり合った時こそ、大きな悲劇が生まれるのだ。多くの無辜な人々を巻き込むような、災厄めいた惨劇が。

「がむしゃらに事件を解決するのではなく、個々の案件と丁寧に向き合って、事件関係者が一人でも多く救われるように尽力する。犯人を捕まえることを最終目的とするのではなく、関係者の心を、彼らのこれからの人生を大事にする。それを念頭に置いて捜査を進めていく」
 小野田は一旦口を結び、「岡部くん」と呼びかけた。
「きみがどこまでも薪くんに着いて行こうと思ったのは、彼のそう言った姿勢に惹かれたからじゃないのかい」
 岡部よりも何段階も上にいて、その分多くの人間を見てきた小野田には岡部の気持ちはとっくにお見通しで、岡部は先刻叩きつけたビールジョッキの底を今度はそっとカウンターに収め、ふう、とやわらかく息を吐いた。

「青木に怒られましたよ。『こんなに傷ついてる人を責めるのは人間のすることじゃない』って」
 苦笑しつつ、岡部は零した。
「子供みたいな言い分ですけど、間違っちゃいませんよね。やっぱり青木は、薪さんの深いところを理解してるんですねえ」
「いや、青木くんのはシタゴコロだから。薪くんに好かれたいだけだから」
「おまえってホント自分の気持ちに正直だよね」
 薪を庇った時とは別人のような冷たさで、小野田は青木の弁護を打ち捨てた。一応は二人の同居に認め印を押したものの、その胸中はなかなかに複雑らしい。

「でもさ、小野田。薪くんの暴走癖の根底にあの事件があることは認めるけど、だからって全部許すわけにはいかないよ?」
 実際に後始末をするのは僕なんだから、と中園の尤もな言い分に、小野田は岡部に注いでいた暖かい瞳をすうっと細くし、一瞬で冷徹な管理者の表情を作る。
「おまえに言われなくても。ぼくだって考えてるさ、具体的な策をね」
 ほう、と中園が空になったコップを前に置く。「親父さん、もう一杯ね」と慣れた様子で声を掛け、隣で小野田が真剣な顔でそら豆の皮を剥いているのを横目で見ながら、自分は豆皮の上部に入れた切り込みから器用に実を押し出して、ポイと口に入れた。
「それ、どうやるの?」
「ここを切るんだよ。ほら」
「なるほど。……あれ、つぶれちゃったよ?」
「相変わらず不器用だね、おまえは」
 貶しながらも豆の実だけを相手の皿に入れてやる、中園の世話女房ぶりを見て岡部は、どこのトップも似たようなものだと苦笑する。仕事はできるのに日常のことは不得手とか、仕事を取ったら只の性格破綻者とか、どうして警察の上層部にはそういう人間が多いのだろう。

「具体的な策って?」
 尋ねた中園に、小野田は彼に剥いてもらったそら豆をもぐもぐやりながら、
「来年、田城君の席が空くだろ。そこに薪くんを就任させる。科警研の所長になれば、いくら薪くんでも現場に出なくなるだろ」
 所長と言う役職を与えることで薪に自重を促す作戦らしいが、はてさて。
「そうかなあ。所長になったくらいであの子の現場主義が変わるとは思えないけど。だいたい、第九の室長が現場に出てること自体おかしいんだからね?」
「室長も所長も変わらないかもしれませんね」
「なんだい、二人して」
 またもや2対1の構図になって、小野田は憤慨する。「親父さん、お代りね」と中園を真似て空になったぐい飲みを前に置いたものの、小野田のそれは一瓶ずつ提供される冷酒で、中園の焼酎のようにグラスを取り替えるものではない。

「きっと来年も苦労するよ、岡部くん」
「中園さんも。また白髪が増えますね」
 なんとなく顔を見合わせて、かちんとグラスを触れ合わせた。同じ微苦笑を浮かべた顔で、同時にグラスに口を付ける。
「きみたち、いつの間にそんなに仲良くなったの」
 中園の透明なグラスの向こうで、小野田が不思議そうに首を傾げた。


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モンスター(28)

 最終章です。
 しんどくて痛いお話でしたのに、たくさんの方にお付き合いいただきました。
 どうもありがとうございました。




モンスター(28)





 薪が退院したのは、それから3日後。澄みきった空に白い雲がぽっかりと浮かぶ、爽やかな秋晴れの日であった。
 10月もあと3日を残すばかり。今月いっぱいは怪我を治すことに専念させなさい、と小野田にきつく言い渡され、送迎役を仰せつかった青木は病院からマンションへの直行を余儀なくされたのだが、当の薪から寄り道の指令が下った。青木は小野田の厳命を薪に伝えたが、哀願する亜麻色の瞳に負けた。後で叱られるのは自分だと分かっていても、薪のこの眼には逆らえない。

 途中、花屋に寄って白い百合の花束を買った。
 一度行ったきりの場所で、青木には曖昧な記憶しか残っていなかった。どんなに複雑な道順でも一発で覚える薪の頭脳は、今回ばかりは当てにならなかった。いかに優れた情報記憶能力も、トランクの中からでは発揮しようがなかったのだ。

 方向音痴の青木が脳みそを振り絞るようにしてやっと思い出した道程を辿り、行き着いたのは、森田家の墓地であった。
 まだ内出血の引かない脚を折りたたみ、薪は石畳みの上に膝を着く。花束は石碑の前に横にして置いた。花立には新しい花が立てられていたからだ。
 こういうことをするのは多分岡部だ。その証拠に、活けられた花はあの写真に写っていたピンク色のガーベラだった。

 墓前に手を合わせる薪の横で青木も黙とうを捧げたが、薪の祈りは青木のそれよりずっと長く、きっとそれは込められた思いの深さによるものなのだろう。まだ完治していない薪の身体を、早くも街を席巻し始めた今年の木枯らしに晒すのは忍びなかったけれど。青木は薪が合掌を解くのをじっと待った。
 だが、その時は一向に訪れない。次第に青木は焦り始めた。自分がどうにかしなかったら、この人は朝まででもこの場所に居続けるのではないか。

「彼女が……荒木のお母さんがどんな人だったのか、オレには分かりませんけど」
 薪の祈りを妨げることになるかもしれない、そんな不安を抱きながらも青木は声を掛けた。そうせずにはいられなかった。
 薪の硬い表情が。人形のように動かない頑なな美貌が。
 死んであげられなくてごめんなさい。
 まるで彼女に、そう謝っているようで。

「今は、安らぎを得ているんじゃないかと思うんです。生きてるうちは難しかったけど、きっと今は、安心して眠れるようになったんじゃないかって。でもってそれは、薪さんのおかげだとも思うんですよ」
 それはどういう意味だ、と聞き返してくれることを、青木はほんの少し期待した。しかしそれは叶えられなかった。薪の様子には、何の変化も現れなかった。
 自分の声なんか薪には届かない。言葉の無力さを青木は嫌と言うほど分かって、でも言わずにはいられなかった。
 どんなに小さな光でもいい、吹いたら消えてしまうようなか細い灯りでもいい。なにかしら暖かいものを薪に届けたくて。

「だって母親なら」
 誰にも受け取ってもらえず宙に浮いた言葉を、途中にすることはできなくて。青木は静かに言葉を結んだ。
「母親なら、自分の子供をモンスターにはしたくないはずです」

 薪はなにも言わない。
 青木の言葉が聞こえなかったかのように、ただ黙って頭を垂れ続けた。冷たい木枯らしの中で、静かに祈りを捧げていた。
 青木はそんな薪から、未来への期待や生きる希望、そう言った光のようなものを何一つ見つけることができなかった。彼の俯けた美しい横顔の、供えた百合の花びらより白く透き通る頬にも、その緑色の葉に瑞々しさを添える朝露のようなくちびるにも、静かな慟哭以外のものを見出すことはできなかった、けれど。

「帰るか」
 そう言って立ち上がった薪の背中は青木を拒絶することなく。彼の隣を歩くことを許してくれた。

 もうすぐ、冬が来る。


―了―


(2015.10)

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モンスター ~あとがき~

 あとがきです。
 あ、新しい方はご存じないかもですが、法十のあとがきと言ったらこれなんです。管理人がリアルの文章苦手なもんで。(文字書きとしてその言い訳はどうなの)
 いつにもまして、広いお心でお願いしますっ。





モンスター ~あとがき~




薪 「死ぬかと思った。今回、マジ死ぬかと思った」
青 「オレも生きた心地しませんでしたよ。おかげで昇任試験はさんざんで、痛っ」
薪 「人のせいにするな。試験に落ちたのはおまえの努力が足りないからだ」
青 「ほぼ100%薪さんのせいでしょ」
薪 「何を言う。僕がいなかったのはたったの3日だ」
青 「いなかったのは3日でも、その前からずっと荒木といちゃいちゃしてたでしょ。それでオレ、勉強に集中できなくて」

荒 「呼びました?」
薪 「おう、荒木。ここ座れ。ほら、好物のおでん」
荒 「わーい、やったー」
青 「……座談会が無礼講なのは分かってるけど、犯罪者のみなさんも平気で出て来ちゃうの、どうなのかなあ」
薪 「はんぺん、好きなんだよな? たくさん入れておいたから」
荒 「あざーっす! めっちゃ美味いっす!」
青 「しかも必ずオレより薪さんにやさしくしてもらえるの、なんでなのかなあ」

薪 「僕はみんなにやさしいぞ。ほら食え」
青 「そう言ってオレの嫌いなニンジン口に突っ込むの止めてもらえません?」
荒 「青木さん。おれのもどうぞ」
青 「だからニンジン嫌いなの! ていうか、なんでおでんにニンジン入ってんですか」
薪 「もちろん嫌がらせだ」
荒 「同じく」

青 「なんですか、二人して組んじゃって。そんなにオレが邪魔ですか」
薪・荒 「「うん」」
青 「えっ、えっ、本当に? なんでですか」
荒 「あー、やっぱり気付いてないんすね。青木さん、善い人すぎるんすよ」
青 「や、オレは別に――うん? なんで善いとダメ?」
薪 「ダメに決まってるだろ。おまえの性格が良すぎるせいで、僕はいっつも悪者扱い。迷惑な話だ」
荒 「室長もですか。おれも一部でエセ天使とか呼ばれて。青木さんのせいっすよ」
青 「そんなこと言われても。オレ、普通の人間だし」
荒 「自覚してない自然体ってあたりがまたムカつくんすよね」
薪 「青木は天然天使キャラだからな」
荒 「一番共演したくないタイプっすね」
薪 「まったくだ。僕が善い人になれる分、滝沢の方がまだマシ」

滝 「呼んだか」
青 「だからどうして出てきちゃうかな、もう」
薪 「おまえは呼んでない。さっさと小菅に帰――こ、これは幻の名酒、梅臥龍の『鳳雛』! 滝沢、ここ座れ。ちくわぶ好きだったよな?」
青 「薪さん。荒木はともかく、滝沢さんは過去に何人もの人を殺めて」
薪 「うるさい。おまえは黙ってニンジン食ってろ、てか旨っ! なんだこの酒、むちゃくちゃ旨い」
青 「ダメですよ、薪さん。口当たりいいからってガバガバ飲んじゃ。身体に障ります」
荒 「こういう時に良識派気取るの、普通の人間がやったらすっげーイヤミっすよ。なのに青木さんがやると、心から室長を心配してるんだなあって思える……人徳って言うんですかね、なんだか」
青 「いや、それほどでも」
荒 「めちゃくちゃハラ立ちます」
青 「……」

滝 「善人ぶってて嫌われるならともかく、根っからの善人でこれだけ嫌われるキャラも希少価値だな」
荒 「だいたい青木さんて狡いんすよ。30超えて可愛い後輩ポジとか、普通ありえないっしょ」
青 「40超えてお姫さまポジの薪さんはいったい」
荒 「いいんですよ、室長は。実際可愛いんだから」
薪 「荒木もかわいいぞ」
荒 「いやあ、それほどでも」
薪 「顔もプレーリードックそっくりだし」
荒 「……」
青 「いや、褒めてるの。この人、これで精一杯褒めてるの」
滝 「おれは昔薪に、踏み潰したカエルって呼ばれたことあるぞ」
荒 「それはひどいっすね」
滝 「まあ、そういうSっ気の強いところも好みなんだが」
荒 「なにも潰さなくても、普通にガマガエルでいいのに」
滝 「……おまえ、何気に失礼な男だな?」

薪 「それにしても美味いなー。この酒、ほんと美味い」
滝 「それはよかった。ムショ仲間にもらったんだが。もちろん強制的に」
薪 「さすが小菅の帝王。荒木のこともよろしく頼むぞ」
荒 「よろしくお願いします、先輩」
滝 「任せておけ。おれの下に付けば楽しく過ごせるぞ。三食昼寝付き、リストラの心配もない。酒やタバコ、ゲームの類は親切な仲間が持ってきてくれるし、言うこと無しだ」
青 「いいのかなー。問題発言じゃないのかなー」
荒 「最高じゃないですか。それで女の子がいたら天国っすね」
滝 「そのための薪の写真だ」
薪 「! おまえな!」
滝 「青木だって似たようなことしてるぞ、ぜったい」
青 「そ、そんなことしませんよ。オレ、天然天使キャラですから」
薪・滝・荒「「「堕天使」」」
青 「どうしてオレを責める時だけ一致団結するかなあ」

荒 「そう言えばおれ、室長のビデオ撮ったんだっけ」
薪 「!!! 荒木、あれ、フィルム入ってないって言っただろ」
荒 「えへへー。実は入ってたんですよ。じゃーん」
薪 「やめろバカ! ――ん? なんだ、例のシーンじゃないのか。ならいいや」
青 「? 例のシーンてなんですか?」
薪 「おまえは知らなくていい」
青 「荒木。薪さんに内緒で、こっそり教えて」
荒 「この腐れブログに書いてありますから。自分で読んでください」
青 「どれどれ? ……なるほど、オレの知らない所でこんなことが……小菅にも写真が出回って……カチッ」(←何らかのスイッチが入った音)

滝 「チェックが甘いな、青木。おれはとっくに確認済みだぞ。ところで、どんなビデオだ? ほう、寝顔か。これは高く売れるぞ」
荒 「本物の天使みたいですよね」
滝 「××××ぶっかけてやりたくなる顔だな」
薪 「おまえはとことんゲスだな」
荒 「あはは、先輩の気持ち分かるっすよ。おれもつい――、……」
滝 「うん? 荒木、どうした。――えっ、なんでいきなり気絶? がっ!」

薪 「あー、美味かった。滝沢、この酒また持ってきてくれ。あれっ? 二人とも、どうしたんだ?」
青 「二人とも疲れてるみたいで。特に荒木はハードな役回りでしたから」
薪 「そうか。じゃ、このまま眠らせてやって……なんか二人とも苦悶の表情に見えるけど。寝落ちと言うより強制的に落とされたみたいな顔なんだけど」
青 「よっぽど疲れてるんですねえ、可哀想に。毛布を掛けておいてあげましょうね。二人が風邪を引かないように」
薪 「毛布って言うか、ズタ袋じゃないのか、それ」
青 「最新型の寝袋なんですよ。見た目よりずっと温かいし、寝心地もいいんです」
薪 「へー。そうなんだ」
青 「毛布だと寝てるうちに肌蹴ちゃうでしょ。その点寝袋なら安心ですから」
薪 「なるほど」
青 「こうして頭まですっぽり被せるのがコツです。ロープ、いや、専用の止め具で頭部と足を縛っ、じゃない、固定して、これでよし。
 動いたらお腹空いたあ。おでん、食べようっと。いただきまーす」

薪 「どうして二人を床に? それもソファの後ろに隠すように」
青 「もぐもぐ。ソファに寝せておいて、落ちたら大変ですし。ここならソファがストッパーになりますから、転がって怪我をすることもないでしょう」
薪 「なるほどなるほど。一見、東京湾から上がってくるヤクザの袋詰め死体に見えるけど、この姿にはおまえの気遣いが散りばめられているわけだ」
青 「そんな。別に褒められるようなことじゃ。もぐもぐ」
薪 「しかも奥ゆかしい……ダメだ、キュンキュンしてきた」
青 「なにか言いました? もぐもぐもぐ」
薪 「なんでもない。そろそろお開きにして、僕たちは家に帰ろう」
青 「そうですね。行きましょうか。ごくごくごく」


*****



滝 「行ったな。もう大丈夫だ。起きていいぞ」
荒 「あー、怖かったー。にっこり笑いながら鳩尾一発っすよ。あり得ねえっす」
滝 「青木の体術は岡部直伝だからな。見た目に騙されると痛い目に遭う」
荒 「室長は完全に騙されてるし」
滝 「薪は身内の嘘には弱いからなー」
荒 「室長らしいっちゃらしいですけど、ああっ! おれのはんぺんがなくなってる!」
滝 「おまえ、本編でさんざん食ってたじゃ、あっ! ちくわぶが一本もない!!」
荒 「ていうか、ニンジン以外残ってませんけど。大鍋いっぱいあったのに」
滝 「つゆも殆ど飲み干してある。なんて非道な」

滝・荒 「「――あいつこそ本物のモンスターだっ!」」



(おしまい)

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Revenge of the monster(1)

 こんにちは。

 こちら、モンスター事件の後日談その1でございます。
 題目はモンスターの逆襲。
 



Revenge of the monster(1)





 ポーンという軽い音が来訪者を報せた。

 青木が帰って来たな、と思うが早いか、クローゼットの入口に大男の影が差す。相変わらず鼻が利く男だ。
「おかえり」
「薪さん、ただ、ふごっ」
 手が伸びてきたから反射的に蹴ってしまった。謝ろうかと思ったが、やめた。学習しないこいつが悪いのだ。
「洗濯物がシワになるからよせって、昨日も注意しただろ」
 アイロンの掛かったシャツをクローゼットハンガーに引っ掛けながら、薪は冷たく言い放つ。甘い顔をしていたら相手を付け上がらせるだけだ。

「そんなのオレがやります。薪さんはゆっくり休んで――、ああ、こんな普段着ないシャツにまでアイロン掛けちゃって。あっ、またシーツ洗ったんですか? 3日前に洗ったばかりでしょ」
 口うるさい母親のようにクローゼットの中を点検し始めた青木を置いて、薪はリビングに戻った。居室を通り抜けてキッチンに入り、お腹を空かせているに違いない彼のために、好物のビーフシチューを温める。
 こうすればシチューの香りに釣られた青木がダイニングに来ると薪は予想して、しかしその計画は失敗に終わった。青木は昨日までと同じように寝室や浴室の点検を優先し、その悉くに文句をつけた。
「ベッドに寝た形跡がない……薪さん、寝てなくちゃダメですよ」
「寝てたさ。いま起きたところだ」
「なに言ってるんですか、帝国ホテルみたいなベッドメイクしておいて。あっ、風呂が沸いてる。風呂掃除はオレが帰ってからやるって言ったのに」
「掃除はしてない。湯を張っただけだ」
「嘘ばっかり。浴槽、つるつるだし、あ、蛇口やシャワーまで磨きましたね?」
 だって暇だったんだもん。

 上着を脱いだ青木はキッチンまでやって来ると、薪からお玉を奪い取った。それから薪をダイニングの椅子に座らせて、ビーフシチューの鍋をくるくるかき混ぜながら、書斎机にあった書類が片付いてるとか食器棚が整理してあるとか冬のコートが出してあるとか、昼間、薪が為した小さな仕事を薪の嘘を証明する状況証拠として論った。
「だから薪さん独りにするの、嫌なんですよね」
 これじゃちっとも養生になってないじゃないですか、と青木はまるで薪に意地悪でもされたみたいに唇を尖らせる。
「このシチューだって、何時間も煮込んだんでしょう?」
 仕方ないだろ。牛スネ肉はダシが出て最高に美味いけど、2時間以上煮込まないと柔らかくならないんだから。
「煮込んだのは鍋の仕事だ。僕は何もしてない」
「灰汁を取るのに、長いこと此処に立ってたでしょ」
 そうしないと味が濁るだろうが。

 否定系の言い訳が通らないことを悟り、薪は作戦を切り替えることにした。テーブルに頬杖をつき、軽く小首を傾げて、
「おまえの喜ぶ顔が見たくて」
 薪がそう返すと青木はお玉を持ったまま硬直し、じーん、と瞳を潤ませた後、何かを振り払うようにぶんぶんと頭を振った。
「ダメですよ。今週いっぱいは養生させなさい、って小野田さんに厳しく言われてるんですから」
 薪は謹慎中である。
 と言っても謹慎は形だけ。実際のところは休養だ。心と身体を労わってあげなさい、と小野田が1週間の休みをくれた。

「僕は元気だ。養生の必要なんかない」
「なに言ってるんですか。本来、入院は明日までの予定だったんですからね。それを自宅療養にしたいって薪さんが我儘言うから、お医者さまにお願いして」
 ひょいと椅子から下り立ち、薪は盛んに動く青木の唇を指先で止める。青木が黙ると指を下方へ滑らせ、つん、と彼の厚い胸を突っついた。
「おまえ以外の男に肌を見せたくなかったんだ」
「薪さんっ――、はっ!」
 ぱああっと笑顔になってから青木は、ばっと身を翻してぶんぶんぶんと頭を振った。「騙されない騙されない」と小声で唱えながらも、彼の足は勝手にタップダンスを踊っている。面白いからもう少し構ってみよう。

「養生――生活に留意して健康の増進を図ること。辞書にはそう書いてあるな」
「分かってるなら実践してください」
「知ってるか、青木」
 シチューを皿に盛りつけようとしている青木の大きな背中に、薪はそっと手を添えて、
「セックスって健康にいいんだって」
 青木の手から滑り落ちた皿を、予知能力でもあるかのように難なく受け止めて、薪はそれを青木に返す。皿を手渡しながらニヤッと笑うと、青木が困ったように眉を寄せた。
「どうしてそういう嘘を」
「嘘じゃない。ストレスを解消してホルモンバランスを整える。血行を良くして老廃物の排除を促す。結果、良質な睡眠を得ることができ、疲労回復にも役立つ。いいことずくめだ」
 試験勉強にかこつけて、夜の誘いを断り続けて2ヶ月。もともと淡白な薪は平気だが、青木はそうはいかない。我慢の限界はとうに越しているはず。
「今夜、試してみようか」
 こつん、と背中に額を付けると、薄いワイシャツを通して筋肉の震えが伝わってくる。彼の葛藤が手に取るように分かって、薪は笑いを抑えるのに苦労する。青木は本当に素直な男で、この手の意地悪はいくら繰り返しても飽きない。

 青木はシチュー皿を調理台に置き、おもむろに振り返った。フリーになった両手が薪の肩に置かれる、このタイミングで突き落す。
「さあて、メシにし、お?」
 サッと身体を離そうとする、薪の動きより青木の捕縛は僅かに早かった。膝の後ろをひょいと掬われ、有無を言わさず抱え上げられる。宙に浮いた薪の視線は自然に青木の顔に当てられ、そこに薪は自分の失敗を見つけて青くなる。
 しまった。目がマジだ。

 駆け込むように寝室に向かう青木の腕の中で、薪は儚い抵抗を試みる。
「青木、待て。メシは」
「後でいいです。薪さんの健康が優先です」
 空腹状態で激しい運動とか、全然健康的じゃないよね?
「ま、まずは風呂に」
「後でいいです。薪さんの健康が最優先です」
 感染症の危険があるよね?

「いや、いい! 僕はこれ以上健康にならなくていいから、わぷっ」
 糊の効いたシーツが一瞬でくしゃくしゃになるくらい、殆ど投げ込まれるみたいにベッドに押し倒された。手足を封じられて身動きできない。青木の体重をモロに掛けられたら、細身の薪には到底返せない。
 青木で遊ぶのは楽しいけど、遊び過ぎるとヤケドする。だからこの手の遊びを火遊びって言うんだな、て今はそんな悠長に語源を遡ってる場合じゃない。
「僕が悪かった、勘弁してくれ!」
 謝れば許してもらえる。だって僕は怪我人、明日まで入院予定だった患者なんだから青木もそんな人間に無体なことはしないはず、しないと思いたい、てかしないで、お願い!
「明日からちゃんと安静にする! おまえがいない間は寝室から一歩も出ないようにするから、だから助け、ぎゃ――!!」

 口は災いの元。
 洗濯したばかりのシーツを汚しつつ、その言葉の意味を嫌と言うほど思い知った薪だった。



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Revenge of the monster(2)

 こんにちはー!
 絶賛放置プレイもいい加減にしろですみませんっしたー!

 先週の月曜日、お義母さんの手術、そのまま入院、片道1時間の病院へ毎日通いまして。
 金曜日の昼に退院が決まったのですが、お義母さんが一刻も早く家に帰りたいってんでその日のうちに荷物まとめて退院手続きを済ませて夕方帰ってきて、土曜日はお見舞いに来てくれた人たちのところへ挨拶に行って、
 もー、日曜日はなんもしたくない(笑)

 そんなわけで、薪さんとは対照的に、この時間までパジャマ姿でおります、しづです。
 だらだらしながらお送りします、モンスターの逆襲、後編です。
 




Revenge of the monster(2)






「――はい。あ、ちょっと待ってください」
 電話の相手に断りを入れ、青木は寝室を出た。リビングの掛け時計は九時を指している。
「今日はちょっとバタバタしてて。連絡できなくてすみませんでした」
 電話の相手は岡部だった。

 事件の後、青木は岡部に伝言を頼まれた。
『自分の考えを押しつけて悪かったと、薪さんに伝えてくれ』
 青木はにっこり笑って、それを断った。薪は岡部の気持ちをちゃんと解っているし、それでも岡部の気が済まないと言うなら自分で伝えればいい。これは彼らの問題で、青木が間に入ることではないと思った。
 伝言を断られた岡部は、じゃあ代わりに、と青木にもう一つの頼みごとをした。薪に知られないように、薪の様子を毎日知らせて欲しい。岡部には薪のポーカーフェイスは通じないから、顔を合わせていれば彼の精神状態はほぼ分かる。しかし、今回は顔を見ることができない。だからおまえが視て教えてくれと、そう頼まれた。
 この時間は薪のバスタイム。いつもはその間に報告を済ませていたのだ。よんどころない事情で、いま彼は眠っているが。
 定時連絡が途絶えたから不安になって、自分から電話を掛けてきたのだろう。岡部の心配性には、つい失笑させられる。まったく顔に似合わない。

 青木はリビングのソファに腰を下ろし、ちらっと寝室のドアを見やった。そこに人の気配がないことを確かめる。それでも念のため、声は潜めることにした。
「薪さんはよく眠ってます。――や、体調は悪くないです。むしろ絶好調っていうか本気になった薪さんはやっぱりすごいっていうか、なんでもないですごめんなさい、これから道場はカンベンしてください」
 ハイスペックな捜査官相手の会話は時として命懸けだ。

「はい、残念ながら。すっかり元通りで」
 青木は帰宅してから薪と交わした会話のいくつかを思い出し、苦笑した。
「ああなっちゃったらもう、オレには見守ることしか」

 イタズラ心と可愛い意地悪。いつも通りの薪だった。あまりにも“いつも通り”すぎた。それを演技と気付かせないスキルまで、完璧な「いつもの薪さん」だった。
「もっと正直になってくれれば、こっちも対処のしようがあるんですけど……あ、いいんです。そういう人だって分かってますから」
 身体の傷は比較的早く癒える体質の薪は、その釣り合いを取るかのように心の傷は長引く。彼がいかに平静を装っても青木は知っている。小説のページをめくる彼の指先が、時折止まっていること。少食の彼が、青木の前では旺盛な食欲を見せようと無理をしていること。夜中、何度も何度も寝返りを打つ彼の眠りがひどく浅いこと。
 それらはすべて、薪の中に巧妙に匿われている。隠蔽工作に長けた彼の悲しいスキル。

「身体の方はすっかり治ってることを確認しましたので、来週には出勤できると思います。薪さんもその方が気が紛れると、え? いや、無体な真似なんかしてませんよ。そりゃ久しぶりだったからほんのちょっと飛ばしちゃいましたけど、決して薪さんが嫌がるようなことは、ていうかあの人、最初のうちはなんだかんだ言いますけど途中からエンジン掛かると逆にこっちが攻め立てられ、うごぉっ!!」
『どうした?』と尋ねる岡部の声が、青木の携帯電話から漏れ聞こえる。返答がないことに焦ったらしい彼は、繰り返し青木の名前を呼び続けた。

「壁に掛けておいた時計が落ちて、青木の頭を直撃したんだ。局地的な地震かな」
 突然、電話の相手が変わったことに岡部はひどく驚いたらしい。狼狽えた声で、
『まままま薪さんっ』
 岡部さん。ま、多過ぎです。
『青木はどうしたんですか』
 薪にジロリと睨まれて、青木はあり得ない放物線を描いて落ちてきた掛け時計を抱えたまま、ローテーブルの下に負傷した頭部を突っ込んだ。電話を返してください、なんて言ったら本震以上の余震が来る、ぜったい。

「青木は口を利けない状態だ。なにか伝言があれば僕が預かろう」
 何もありません、と岡部は震える声で言った。歯がカチカチ言うほど震えて、分かります、岡部さん。今夜は寒いですよね。オレも身体の震えが止まりません。
「そうか。じゃ、僕からひとつ」
 ひいーっ、と岡部が息を吸う音がした。悲鳴のようにも聞こえたが気のせいだろう。

「いつもおまえには感謝してる。これからもよろしく頼む」
 背中を向けた薪の表情は、青木には分からなかった。でもその肩はやさしく開かれて、声は穏やかな波のように響いていた。

「うん? ああ、分かった。青木に伝えておく」
 じゃあな、と電話を切った薪が、ゆっくりとこちらを振り向く。差し出されたスマートフォンを青木がおずおずと受け取ると、薪の口元が意地悪く吊り上がった。
「岡部からの伝言。明日の朝6時に道場だそうだ」
「ええー……」
 これはあれか、休日の早朝の予定を入れることで青木に夜更かしをさせない、つまりこれ以上薪の身体に負担を掛けまいとする岡部の作戦か。
 警戒しすぎです、と青木は心の中で岡部に弁解する。いくら青木だって、そこまでケダモノ君ではない。

「さて。メシだメシ」
「あ、はい」
 シチューを温め直して、少々遅くなった夕食を摂った。冷蔵庫の中には青木の好きなポテトサラダも作ってあって、適度な運動でお腹を空かせた青木の食欲をますます増進させた。夜の九時以降のハイカロリー食は身体に毒だと言うが、青木は薪の手料理が食べられるなら寿命の2、3年は気にしない。

 薪が2杯目のシチューを自分用に装うのを見て、青木はスプーンを止めた。また強がって、と思う気持ちが青木を口うるさい保護者にする。
「寝る前にそんなに食べたら胃もたれしますよ。1杯でやめておいた方が」
 薪は、表面張力を振り切りそうな青木のシチュー皿をじっと見た。とばっちりを恐れた青木が口を噤むと、涼しい顔でシチューを掬う。
「誰かさんのおかげで、ハラ減って眼が覚めたんだ。飢え死にしそうだ」
「はいはい」
 夜中にお腹痛くなっても知りませんよ、と心の中で呟きながら、青木は素直に返事をする。後で救急箱の消化薬を確認しておこう。
「食事がすごく美味しく感じる。セックスって本当に身体にいいんだな」
「はいはいは、えっ」
 きわどいセリフに、思わずスプーンを咥えた薪のくちびるを見てしまった。下唇に付いたシチューを赤い舌先がペロッと舐める、その動きに先刻の記憶が呼び覚まされる。あのくちびると舌がくれる刺激を、その極上の快楽を、擒と言ってもいいくらいに青木の身体は覚えてしまっている。
 亜麻色の瞳が悪戯っぽく輝いた。その抗い難い誘惑。

「食べ終わったら2回戦、しようか」
「だ、ダメですよ。明日はオレ、5時起きで」
「そうだったな。じゃ、風呂の中で」
 いい、それいい!
 浴室なら鏡もあるし掃除も簡単だし、いやいやちょっと待て。
「ダメですってば。時間に遅れたりしたら岡部さんにどんな目に遭わされるか、――っ!」
 意味なくシチュー皿を掻き混ぜる青木の耳に、一足先に食事を終えた薪が息を吹きかけた。浴室とかクローゼットとかキッチンとか、寝室以外の場所での行為にエロチズムを感じる青木の性癖を、薪は見抜いている。

「待ってるから。風呂で」
「……お風呂で?」
「カラダ、洗いっこしよ」
「……はい」


 翌日。道場で待ちぼうけを食らった岡部が10時過ぎにのこのこと現れた青木を、足腰が立たなくなるまで締め上げたことは言うまでもない。



(おしまい)


(2015.10)

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

Promise of the monster(1)

 こんにちは。
 最近、放置プレイが日常化しております法十ですが、どちらさまもお見捨てなきよう、お願いいたします。

 そんな中で、7万拍手ありがとうございました(〃▽〃)
 みなさまの優しいお気持ちに支えられて、仕事も長男の嫁もがんばることができます。ありがとうございます。


 とか言いつつ、今日から公開しますこちらのお話、
 モンスター後日談 その2 (まだやってるのかとか言われそう)
 薪さんと滝沢さんのドキドキデートです。(やめろ)
 
 題名は、モンスターとの約束。
 
 さすがに後日談を拍手のお礼にはできないので(てか内容的に無理)、お礼SSは次の機会に。
 本日も広いお心でお願いします。




Promise of the monster(1)


 目前の壁はどこまでも続いている。
 遥か遠くに見える曲がり角までずっと、レンガを模したタイルが微妙に色を変えながら、連綿と連なっている。威圧的で不愛想なその壁は、来る者を拒むような閉塞感と、囚われた者を物理的に拘束する高さを持つ。

「なんで僕が」
 塀を見上げて眉間に皺を寄せ、薪は低い声で呟いた。
「こんな朝っぱらから」
 週末の時間割はウィークディの2時間遅れ、日曜の7時は早朝だ。おまけに薪は休暇中、それも1年に1度あるかないかの連続休暇の最終日ときた。襟元に巻いたマフラーに向かって、愚痴をこぼすのも無理はない。
「寒いし」
 白いカシミヤのコートの肩が竦められ、マフラーの隙間から白い息が吐き出される。やがて薪が立ち止まったのは、コンクリート製の大きな門柱の前。左右の柱には棒を携えた屈強な2名の番兵が、直立不動の姿勢で立っている。その物々しい警戒態勢と、彼の恋人曰く「白い服を着ると雪の妖精のよう」な彼の姿は、まるで釣り合いが取れていない。

 今朝、このコートを薪に用意したのも、何を隠そう同居中の恋人なのだが、彼は薪がコートを羽織ると同時に、感極まったように抱きついてきた。
「きれいです。まるで妖精みたい」
 そう言いながら着たばかりのコートを脱がせようとするから、思いっきり蹴り倒してやった。着せたいのか脱がせたいのかどっちなんだ、と訊いたら、「着せてから脱がせたいんです」と訳の分からない答えが返ってきたので、もう一度蹴り飛ばした。彼が床に転がると同時に玄関を閉めてザカザカ歩き、吉祥寺の駅に着いたところで気が付いた。「行ってきます」のキスをするのを忘れた。

 薪のそんな、休日ならではの浮ついた気分を、門柱の文字が一気に落ち込ませる。黒地に金の文字で記された、笑うことを許されない施設名。
『東京拘置所』である。

 細い手首を飾る銀色の腕時計が約束の時間を示すと、門を塞いでいた鉄柵がゆっくりとスライドした。中から出てきた制服姿の男たちに、薪は軽く頭を下げる。彼らも職務に勤しんでいるのだ。不満をぶつける相手は彼らではない。
 その相手は、彼らの後に続いて現れた。どこから調達したのか今年流行の型のスーツに身を包み、ピカピカの革靴を履いて、てかあの靴、ウェストンじゃないか。偏見を持ってるわけじゃないけど、真面目に働いてる自分が買えないような高級ブランド靴を、この建物から出てくる人間に履かれるのはなんか悔しい。

 休暇返上命令の電話は、昨夜遅くに掛かってきた。
『明日一日、滝沢くんとデートしてあげてよ』
 悪ふざけだと思ったから、物も言わずに切った。10秒もせずに2回目のベルが鳴る。
『僕の電話を無言で切るとは、いい度胸だね』
 不機嫌な上司の声に、薪はぬけぬけと、
「すみません、中園さん。電波障害のようです」
『その言い訳が使えないように家の電話に掛けたんだけど』
「子機を使ってるので」
『口の減らない子だね』
「減らないように気を付けてるんです。一つしかありませんから」
 脱力必至のオヤジギャグで返す。案の定、怒る気力を削がれた中園が、溜息交じりに言葉を継いだ。
『いいから聞きなさいよ。明日、滝沢くんが仮釈放になる』
「ええっ?」
 滝沢が殺人罪で投獄されたのは3年前。彼が奪った複数の人命は検察に死刑を求刑させるに十分な罪だったが、検察側の証人として法廷に立つことと引き換えに、無期懲役の実刑判決が下りた。仮釈放などと、そんな温情が受けられるような男ではないのだ。

『どんな手を使ったものか、僕にも分からないけど。仮釈放は本当だ』
「あの男は危険です。釈放なんて、羊の群れに狂犬を放つようなものですよ」
『僕もそう思う。そこで、条件を付けた』
 中園が付けた条件と言うのが、監視役の同行だ。不自然な仮釈放が通ったことから、刑務所内の職員は買収あるいは恐喝されている可能性がある。監視役は警察庁の職員から選ぶことに決めた。
 そこで白羽の矢を立てられたのが、薪だ。
 滝沢の元上司であり、3年前の事件でも共同戦線を張った仲だ。お世辞にも友好的な関係ではないが、ターゲットをよく知っていると言う点では、薪以上の人材は警察庁にはいない。
 滝沢の仮釈放が動かせないなら、これが最善の策だ。薪に選択肢はなかった。連休最後の日だろうと、2ヶ月ぶりのデートがキャンセルされようと文句は言えない。が、その元凶にまで物分かりの良い公僕の顔をすることはない。

 敵意剥き出しの薪の視線に、滝沢はにやりと笑って、
「ご苦労」
 えらっそーに! なにが『ご苦労』だっ!

 怒りのあまり目の前が真っ赤になる。脳の血管が切れるかと、いや、2、3本は切れたに違いない。
 たちまち膨れ上がった悪感情を声に出そうと薪の口が開きかけた時、職員の一人が警帽を脱いで、薪に向かって頭を下げた。
「ご協力ありがとうございます、薪警視長」
 舌の上から羽ばたこうとしていた極めつけの罵詈雑言を、薪は慌てて飲み込む。さっきも言ったように、この男以外の人間に罪はないのだ。

 咄嗟のことで切替えが間に合わず、ああ、いえ、などと曖昧な返事をした薪に、初老の男は握手を求めてきた。薪がポケットから右手を出すと、やや強引に両手で包まれた。コートのポケットよりも暖かい手だった。
「看守長の宮部と申します。お会いできて光栄です」
「えっ、看守長?」
 これは驚いた。看守長が見送りとは。
 囚人の釈放時には、現場の担当刑吏官が立ち会うのが通例だ。看守長が顔を出すのはよほどの大物か、ここに入ってもなんら社会的地位を脅かされないくらいの権力者に限られる。法曹界の首領を裏切った滝沢にそこまでの力があるはずはないのに、何故。

「薪。早くしろ」
「ああ、悪い」
 て、なんで僕が謝るんだ!
 殴ってやりたかったが、刑吏官たちの前だ。殴るなら人目に付かないところだ。

 職員たちの敬礼を背中に受けて、二人並んで歩き出す。後ろで門が閉まったのを確認してから薪は、冷静な監視役の仮面をかなぐり捨てて隣の男に食いついた。
「滝沢。仮釈放なんておまえ、いったいどんな手を使ったんだ」
 問われて滝沢は、焦るどころか鼻白みもせず。早朝の街を物珍しげに見回しながら、昔とちっとも変らない不敵な笑みを浮かべた。

「誠心誠意真面目に勤め上げた。その努力が認められたんだ」
「嘘を吐け。賄賂で看守を抱き込んでたくせに。おまけに看守長の見送りなんて、おまえ、小菅でどういう立場なんだ」
「いや、彼はおまえを見に来たんだ。おまえの写真がいたくお気に入りの様子だったから」
 写真と聞いて、薪の額に青筋が立つ。2ヶ月前、面会室で受けた屈辱は忘れられない。もちろん、見せられた写真のことも。
「まさかこないだのゴスロリ」
「あれよりもっと刺激的な写真だ。肌色の多いやつ」
 だからどこからそういう写真を手に入れてくるんだっ!

 思わず顔を歪めると、滝沢が嬉しそうに笑った。滝沢は薪が嫌な顔をすると喜ぶのだ。
「この場で撃ち殺してやろうか」
「好きにするといい」
 できもしないことを、と心の声が聞こえてくるような滝沢の口調にカッとなる。ポケットに忍ばせた拳銃を、コートごと相手の腹に押し付けた。
「今日はライターじゃない」
 ぎろりと下から睨み上げる。滝沢はニヤニヤ笑いを止めて、すうっと目を細くした。
「仮釈放中の囚人に不穏当な動きがあった場合、僕の判断で射殺してもよいとの許可を得ている。死にたくなかったら言動には気をつけろ」

 舐められてたまるか。馴れ合ってたまるか。
 こいつは殺人犯だ。それも、僕の仲間を殺したやつだ。一生許さない。

 滝沢は素直に両手を上げて、悪かった、と謝罪した。
「すまん。久しぶりのシャバで、ちょっと浮かれた」
 それはとても人間らしい感情だと思えた。3年も塀の中にいたのだ。外の空気を吸えるのは今日の一日だけ。籠の中の鳥に、たった一日許された自由。

「『ローマの休日』ならぬ『小菅の休日』か」
 薪がぼそりと呟くと、滝沢はなんとも言えない表情で両手を広げ、大仰に肩を竦めて見せた。
「おまえって男は。どうして見かけはティーンエイジャーなのに、言うことはオヤジなんだ?」
「やっぱコロス」
 ほんの少しでもほだされそうになった自分がバカだった。
 薪が苦々しく吐き捨てると、滝沢は声を立てて笑った。




*****




 この下、新装版のプロフ関連です。
 ネタバレいやんな方は読まないでくださいね☆




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Promise of the monster(2)

 こんにちは。

 メロディの発売まで、2週間を切りました。
 予告では岡部さんが主役とのことでしたが、5巻に収録されてるような感じになるんでしょうか。楽しみですねえ。岡部さん、好きー(*´v`) 
 個人的には、副題「手紙とやっちゃん」でぜひ。
 

 お話の続きです。
 これ、けっこう長くって。7章あります。(青薪さんの後日談が2章だったのに、滝薪が7章って……)
 本日もよろしくお願いします。 




Promise of the monster(2)






「まずは朝メシだ」
 小菅駅への道すがら、滝沢は空腹を訴えた。朝が早かったので、薪も朝食を摂っていない。駅の近くまで行けばモーニングを食べさせるカフェくらいあると思ったが、それらしき店は見当たらない。小菅がこんなに寂しい駅だとは、いつも車で来ていたから分からなかった。
 1キロほど歩くと北千住の駅がある。その周辺ならコーヒーショップがあったはずだ。

 連れの意向も聞かずに方向を変えた薪に、滝沢の声が掛かる。
「なんだ。電車じゃないのか」
「隣駅くらいなら歩いた方がいい。途中で店も見つかるだろう」
「店? 家に招いてくれないのか」
「なんでおまえに僕の自宅を開放せにゃならんのだ」
「大丈夫だ。寝室は見ないようにするから」
「殺すぞ」
 言って薪は、歩く速度を2倍にする。「そう急ぐな」と後ろから、さして苦労もせずに追い付いてくる滝沢を振り返り、薪は電柱の陰に見知った顔を見つけた。
「どうした」
「いや。なんでもない」

 北千住駅の近くに何軒かあった喫茶店のうち、たった一つ営業中の札が掛かっていた店に二人で入った。
 時間が早いせいか、店内には数人の客しかいなかった。窓際の席に向かい合って座り、生野菜のサラダを添えたモーニングセットを2つ注文する。卵料理は3種類あって、薪は茹で卵を、滝沢はポーチドエッグを選んだ。
 注文の品が届く間、滝沢は、店内のあちこちに目を走らせていた。壁の抽象画やら天井からぶら下がった照明やら出窓に並べられた陶器製の人形やら、大して珍しくもないものを興味深そうに観察している。ここは、朝コーヒーを頼むとトーストと卵料理がサービスで付いてくることで有名なコーヒーチェーン店で、薪にとっては見慣れた店構えだったが、長い間、灰色のコンクリート壁ばかり見てきた滝沢には、遊園地のような場所に感じられたのかもしれない。

 やがて運ばれてきた厚切りのトーストにバターを塗りながら、滝沢が言った。
「おまえの手料理が食べたかったな」
 途端、コーヒーに羽虫でも入っていたかのように、薪が厭な顔をする。こいつ、どこまで図々しいんだ。
「僕がおまえのために料理なんかするわけないだろ」
「2人分も3人分も、作る手間はそう変わらんだろう」
 遠回しに同居人の存在を指摘されて、薪は冷静な監視者の仮面を厚くする。青木との関係を、この男は知っているのだ。
 挑発になど乗るのものか。赤くなったり取り乱したりしたら、相手の思うツボだ。

「おまえが来ても玄関は開けんぞ」
「心配するな。夫婦茶碗とかお揃いのマグカップとか色違いの歯ブラシとかサイズ違いのペアパジャマとか、見てもおれは気にしないから」
 反射的にソファから尻が浮く。監査対策のため、CCDカメラや盗聴器の類は徹底的に調査しているのに、どうやって。
「一体、おまえはどこからそういう情報を」
「え。本当にあるのか」
 思わず右手を握りしめたら茹で卵が潰れた。細かく割れた卵の殻が、薪の細い指の間からパラパラと落ちる。
「ぶっ殺す……!」
「おいおい、薪。お年寄りを怖がらせるもんじゃない。すみませんね、こいつ、口が悪くて」
 隣でコーヒーを飲んでいた老夫婦が眉を寄せて顔を見合わせるのに、滝沢が愛想よく笑い掛ける。外面のいい奴め。

 作り笑いを浮かべたまま滝沢は、トーストを齧りコーヒーを飲むと、ほうと息を吐いた。
「やっぱりシャバのメシは美味いな。コーヒーも久しぶりだ」
 特段旨いとも、薪は思わなかった。パンはベーシックな食パンだし、コーヒーは青木が淹れた方が断然美味い。
 塀の中の生活には詳しくないが、常識で考えても嗜好品の多くは禁止のはず。こんな風に食事を摂りながら自由に会話することもできないに違いない。
 そういう食事が味気ないことを、薪は知っている。薪も、砂を噛むように食事をしていた時期があるから。

「まだ卵の殻を剥いてるのか? トーストが冷めるぞ」
「……誰のせいだ」
 粉々になった卵の殻が白身に埋まってしまって、取るのが一苦労なのだ。面倒になって齧ってみたら、口の中がジャリジャリ言った。
「くっ、殻が」
「カルシウムの補給だと思えばいい」
『自分で自分を納得させるためにそう思うのはいいけど他人に言われるのは腹が立つしかもその元凶に!』
 声を出さずにノンブレスで突っ込む。隣の老夫婦に配慮してのサイレントモーションだったが、滝沢にはコーヒーに噎せるほど笑われた。こいつ、窓から蹴りだしてやろうか。
「おまえは楽しい男だ」
 人に楽しいと評されたのは初めてだ。鬼の室長、氷の警視長と噂される薪に、そんな経験があろうはずもない。どこまでも人を食った男だ。

「店が開くまでには時間がある。ゆっくり食べるといい」
「店?」
「土産を頼まれてな」
「小菅の仲間にか」
「ああ。意外と気のいい連中でな」
「土産ってなにを、て言うか、あそこは基本的に持ち込み禁止だろ」
 滝沢は、スーツの内ポケットから紙片を取り出し、テーブルの上に置いた。土産を配る人間のリストらしい。その中には看守長の宮部の名前もあって、なるほど、土産を賄賂にお目零しを願うわけか。
 ……名前の横に生写真(隠し撮り)とか書いてあるけど僕のじゃないよね?

「けっこうな数だな。その服装といい、おまえ、どこから資金を調達してるんだ」
「金なんか持ってない。ここの払いも土産もおまえ持ちだ」
「なんで僕が」
「嫌ならいいが。おれが食い逃げで捕まったとして、困るのは監視役のおまえだぞ」
「な」
 どこから突っ込んでいいものか、混乱する薪の前で、滝沢は悠々とコーヒーのお代わりをオーダーした。


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

Promise of the monster(3)

 昨日は雨でしたね。
 みなさんの苦痛がまた一つ増えたのではと、陰ながら心配しております。
 避難所生活を送っておられる方、余震に眠れない夜を過ごされている方。うちのバカ話で少しでも、気を紛らわせてもらえたら、いいなあ。




Promise of the monster(3)







 買い物客で賑わう休日のデパートは、和やかな喧騒に満たされている。
 大切な誰かへのプレゼントを品定めする女の子たちの姦しい声、目的のおもちゃの前で泣き喚く子供の声、それを叱る母親の声。騒がしいものの、平和である。

 それらを漫然と眺めていた薪の隣で、女の子の手を引いた若い母親が足を止めた。母親に「一つだけね」と条件を提示されて女の子は、母親に良く似た丸い眼をキラキラさせ、小さな手で一番上の棚を元気よく指さした。
「あれ!」
 釣られて見上げて、薪はプッと吹き出す。
 なんて賢い子供だろう。彼女が選んだのは巨大な金魚鉢のような容器に満たされた大量のチョコレート。多彩な銀紙に包まれたチョコは、千個近くもあるだろうか。しかし、残念ながらそれはディスプレイ用。チョコレートは本物らしいが、値札も付いていないし、売り物ではなさそうだ。
「あれはダメ!」と母親に怒られて子供が泣きべそをかく。大きくても一つは一つ、彼女にしてみれば、母親の言いつけ通りにセレクトしたのに叱られるなんて理不尽この上ない。涙も出ようと言うものだ。
 子供に同情しながらも視線を前に戻せば、さざ波のように通り過ぎる人々の笑顔。他愛もないお喋りと、BGMのように心地よいざわめき。隣で泣いている子供の泣き声すら微笑ましい。

 いつ頃からだろう。休日の、ゆったりと流れる平穏を享受できるようになったのは。
 彼らと同じ場所に自分が存在することを、許せるようになったのは。

「薪。その箱を取ってくれ」
 連れに呼びかけられて我に返った。ちょうど目の高さにあったマカダミアンナッツチョコの箱に手を伸ばす。「それを5個だ」て、なんでマカダミアンチョコなんだよ、ハワイじゃあるまいし。
「まだ買うのか」
 薪の冷たい視線の先で滝沢は、C国からの観光客よろしく買い物カートに商品を山と積んでいた。こういうのを爆買いとか言うのだろう。
「仲間の人数が多いんだ。仕方ないだろう」
「そんなこと言って、おまえ本当はパシリに使われてるんじゃないのか」
 憎まれ口を利きながら、カートの中身を確認する。突然強張った顔になって薪は、GODIVAと書かれたチョコレートの箱を棚に戻し、同じ数の板チョコを適当に選んでカゴに入れた。

「なにをしている」
「いや、ちょっと持ち合わせが」
 カートを掴んでレジへと向かわせる。それを片手で押し留めて、滝沢は左手のウィスキーボンボンを手に取った。
「問題ない。クレジットカードを使え」
「なんで僕がそこまで」
「恩返しだと思えばいい。おまえは今回のことで、おれに借りがあるだろう」
 自分で言うか、それ。
「そもそもの原因は、おまえが情報を外部に漏らしたことで」
「おいおい。10年も前の情報漏洩なんかとっくに時効だと言ったのはおまえだぞ」
 腹立つ! 確かに言ったけど、おまえに言われるとむっちゃ腹立つ!!

「まったく、おまえは忘れっぽくて困、おうっ?」
 怒りを起爆剤に、薪は力任せにカートを押した。そのカートに寄りかかるようにして立っていた滝沢は堪らない。バランスを崩し、たたらを踏んだが間に合わず、商品棚に突っ伏すように転倒した。いい気味だ。
「ザマアミロ、――った、痛っ?」
 薪の頭に、礫のようなものが幾つも当たった。何かと思って見上げれば、ディスプレイ用の金魚鉢が横倒しになって、そこからカラフルな色紙に包まれたチョコレートがパラパラと零れてきていた。
「やば」
 パラパラだった粒チョコの雨はすぐに本降りになり、次の瞬間。
「「うおっ!!」」
 ドドドッ、と降り注いだチョコの雪崩に思わず頭を抱える。恐る恐る目を開けてみれば、周囲に積もった大量のチョコレート。えらいことをしてしまった。

 慌ててチョコを拾い集める薪に、滝沢の鋭い声が飛ぶ。
「店員が来る。逃げるぞ、薪」
「バカなこと言ってないで、おまえも手伝え」
「このチョコ、全部弁償だぞ。いいのか」
「えっ」
 ほんの一瞬、固まっただけなのに。
 滝沢に手を引かれたら、反射的に足が動いた。滝沢は元傭兵部隊、砲弾の雨の中を駆け抜けてきた脚力はアスリート級。見事な逃げ足で、それに着いていく薪もすごいが、問題はそこじゃない。
 フロア端の階段を駆け上がるとき、ちらりと振り返った事故現場では、さっきの子供が楽しそうにチョコレートを拾っていた。





*****






 10秒もしない間に、薪と滝沢は階段の踊り場に立っていた。

「逃げちゃった」
 急に脚から力が抜け、薪は冷たい床の上に膝を着く。先刻まで滝沢に握られていた自分の小さな手をじっと見つめて、
「もしこれが新聞にでも載ったら、僕はおしまいだ」
「あほか。そんな暇な記者がいるか」
「目撃者……目撃者を始末しないと。フロア中の人間を、一人残らず。一警察官として!」
「警察官としてと言うより人としてどうなんだ、それ」
 危険思想に傾いて行く薪を滝沢が諭す。どちらが監視役だか分からない。

「少し頭を冷やせ」
 そう言って滝沢は階段を昇って行く。階段は暖房が届かないから涼しいし、利用する客も少ない。頭を冷やすにはもってこいの場所だった。
 カツンカツン、と二人分の革靴の音が冷えた通路に響く。階段を昇り続ける、単調な作業を繰り返しているうちに、気持ちが落ち着いてきた。
「滝沢。もう大丈夫だ」
 落ち着いて考えれば、あれは事故だ。戻って店主に謝れば済む話だ。
「さっきの店に戻って、買い物の続きをしよう」
 弁償は痛いが、踏み倒すわけにもいかない。職員共済のカードローンで賄おう。
「滝沢? 何処まで行くんだ」
 次の階からフロアに戻るのだとばかり思っていたが、滝沢は階段を上がり続けた。仕方なく、薪も後を追う。今日の自分の仕事は、こいつの監視なのだ。

 やがて二人は、最後の踊り場に出た。
 滝沢は屋上に出たかったらしいが、そのドアには当然のように鍵が掛かっていた。ドアノブを回してそれを確認すると、彼は無言でドアを蹴り破った。
「げ」
 外側に倒れたドアを架け橋のように歩いて屋外に出る。空は青く澄んでいたが、風はたいそう冷たく、寒い。そして、薪の懐はもっと寒い。
「ドアの修理代が……」
「ケチケチするな。おまえ、金持ちじゃないか。荻窪に豪邸あるんだろ」
「それは原作の設定だろ! 僕は貧乏なんだよっ」
「いいのか? 原作と設定違ってて」
「おまえが言うな!」
 取り戻したばかりの薪の冷静はいずこにか消え去り、目の前の男への怒りでこめかみのあたりが熱くなる。ぶち切れそうだ。

「良い眺めだ」
 胸の高さのフェンスから下方を見下ろし、滝沢は微笑んだ。倣って瞳を伏せれば、デパートに出入りする人の群れ。
「『人がゴミのようだ』とか言うなよ。蹴り落としたくなっちゃうから」
 訝しげに眉を顰める彼に、出典を説明したものかどうか迷う。勘の良い滝沢はすぐに察したらしい。「生憎、部屋にはテレビが無いんでな」と肩を竦めた。

「ああ。風が気持ちいいな」
 フェンスを両手で掴み、滝沢は背中を反らした。背中を丸めて縮こまる薪とは対照的だ。寒い、と薪が文句を言うと、滝沢は苦く笑って、
「戦地の寒さは、こんなもんじゃなかったさ」
 旧第九の事件の後、滝沢が過酷な環境を生きてきたことを薪は知っている。滝沢を利用した連中に仕組まれて、外国の傭兵部隊に入れられたのだ。滝沢自身、もはや日本にはいられない身であったし、恋人と親友を立て続けに喪ったショックも大きかったのだろう。開き直りにも近い境地で日本を出て、それから6年間、死と隣り合わせで生きてきた。
「朝、眼が覚めるたびに思った。どうしておれは生きているんだろう。他人を殺してまで、どうして生きなきゃいけないんだろう。守るものも、愛する者も、この世にはいないのに」

 少しだけ。彼の気持ちはほんの少しだけ、分かった。
 薪もかつて、すべてを喪った経験があるから。

「おまえも同じだろう」
「僕は」
 おまえとは違う。僕には一緒に住んでいる恋人も、信頼し合える仲間もいる。大切な友人も、尊敬する上司も。愛するひとも、守りたいひとも、たくさんいる。
 そう言おうとした。でも、言えなかった。
 薪は、彼らを手酷く裏切ったばかりだった。

 気が付くと、滝沢の両手がしっかりと薪の左右の手摺を掴んでいた。転落防護柵と滝沢の腕に閉じ込められる形になって、薪は身を固くする。嫌な予感がした。
「滝沢。なんのつもり」
「すまなかった」
「……時効だと言ったろう」
 答えつつ、情報漏洩のことを謝られたのではないと分かっていた。案の定、「そうじゃない」と滝沢は首を振った。
「鈴木と一緒に殺してやれなくて。本当に悪いことをした」

 ――そのせいで。
 おまえは長いこと苦しんだ。そしてこれからも。
 おまえの中に穿たれた巨大な喪失。それが埋まらない限り、恋人も仲間もかりそめ。本当の充実を得ることはできない。だから簡単に過去に舞い戻ってしまう。
 そんな悲しい人生を歩ませるくらいならいっそ――。

 薪の耳元で、滝沢が低く囁く。
「おれがここで、おまえを殺してやるよ」




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

Promise of the monster(4)

 こんにちはー。
 やっと電柱が抜けまして、今日から現場再開です。行ってきます(^^
 

 お話の続きです。
 うーん、またメロディ発売までに終わらなかったー。



Promise of the monster(4)





「おれがおまえを殺してやるよ」

 薪は咄嗟に身体を翻した。手摺を背にして、滝沢の顔を正面から見る。「冗談だ」とおどける彼は、残念ながら拝めなかった。
 薪の細い首に巻かれたグレーのマフラーに、滝沢の手が掛かる。絞め技を予見して薪は、素早く彼の手を押さえた。しかしその手は簡単に払われた。傭兵部隊の訓練を耐え抜いた滝沢の腕と、官房室の膨大な書類に忙殺されて自主訓練もままならない日々を送る薪の手では、力の差があり過ぎた。

 マフラーの上から首を押さえられ、手摺に背中を押しつけられる。苦しさに仰け反ると、足が宙に浮いてしまう。
 このまま押されたら、下に落ちる。下手したら何人か巻き添えにしかねない。
「よせ、滝沢。通行人にぶつかる」
「この期に及んで他人の心配か」
「これ以上罪を重ねたら、おまえだって」
「……可哀想な男だな。おまえは」
 憐れまれて薪は、悲しげに眼を閉じる。

 この状況で、僕は。
 死にたくないと、どうして言えないのだろう。

「安心しろ。今更何人殺そうと、どうせおれは一生塀の中だ」
 途切れ途切れに息を吐く、薪の口に滝沢の人差し指が触れた。保湿クリームでも塗るかのように、そっと下唇をなぞられる。
「鈴木や豊村たちによろしくな」

 叫べばいいのに。僕は生きていたいと。
 追い詰められたネズミのように、彼の指に噛みつけばいいのに。
 なぜ。

「苦しいのは一瞬だ。楽に死なせてや、おうっ!」
 ガン! とものすごい音がして、薪は眼を開けた。するとそこには、さっき自分が蹴り倒したドアの下敷きになった滝沢の姿が。
 呆気に取られて視線を巡らせば、頬を紅潮させた青木が仁王のように立っていた。

「ちょ、滝沢! 大丈夫か!」
 慌ててドアを持ち上げようとするが、重くて動かない。よくこんな重量物を振り回せたものだ。
「お手伝いしましょうか」
「悪いな、助かる。て言うか、これやったのおまえ!!」
 薪が絡むと青木は無法者になる。これまでにも似たようなことは多々あって、そのたびに薪は青木を叱るが、一向に改善される気配はない。
「このバカ! 止めるにも方法があるだろ。そのドア、金属製だぞ」
「手元に手頃な武器が無かったので」
 死ぬだろ、そんなもんで殴ったら!
「すみません。柔道技で投げ飛ばせばよかったですね。……車道に」
 それは投げ飛ばすって言わないよね、投げ落とすって言うんだよね。

 どこまで本気か分からない青木の言い訳にツッコミを入れながら、薪は滝沢の介抱をする。滝沢は頭に大きなコブができていたが、意識はしっかりしていた。
「目の前がチカチカする」
「許してやってくれ。僕からもキツク叱っておく」
 二人とも、青木の尾行には最初から気づいていた。チョコレート売り場で撒いたつもりでいたが、甘かった。青木も警察官になって8年。彼なりに成長しているのだ。
 ちなみに、滝沢がカートに入れた山のような土産物と、二人が撒き散らかした大量のチョコレートは、丁寧な謝罪とともにすべて青木が買い上げていた。薪のボディガード兼世話役の青木は対象の不祥事の後始末も完璧だ。何故ならこんなことは珍しくもない。推理に夢中になった薪が歩きながら棚をひっくり返すなんてのは日常茶飯事。本人に記憶がないだけだ。

「バカ犬め。せっかくの計画が」
「計画?」
 鸚鵡返しに尋ねる青木に、滝沢は首を振った。後頭部を押さえて顔をしかめる。傷に響いたらしい。代わりに薪が答えた。
「いま僕を殺しても何のメリットもない。滝沢は、少しふざけただけだ」
「ふざけただけって、あんな」
 不満そうな青木を一睨みで黙らせて、薪は立ち上がる。滝沢の真意なんか、とっくにお見通しだ。
 滝沢はきっと、確かめたかったのだ。モンスター事件を生き延びた薪の心の変化を。岡部に託した、自分のメッセージが薪に届いたのかどうか。確認したかったのだと思う。
 しかし、その結果は。

「……すまん」
「弱気なおまえなんぞ、なんの魅力もない。襲う気にもならん。……襲う気にならないって言ってるだろう、ドアを構えるのやめろ!」
 滝沢が喚くと、青木はドアを下ろした。ゆるゆると出入口に向かう2人の後に続いて、重いドアを引き摺ってくる。
「買い物の続きだ。青木、計画を台無しにした罰だ。荷物持ちはおまえがやれよ」
「ええー。あのチョコレートの山、全部ですか」
「店員に届けさせるわけにもいかんだろう」
「あ、いいこと考えました。第九経由でメール便を使えば、――っ!」

 ギィン! と鋭い音がして、青木が持っていたドアに何かがぶつかった。衝撃で金属製のドアが凹み、3人はぎょっとして立ち竦む。
「伏せろ!」
 滝沢の号令で身を低くした、間髪入れずに2発目の衝撃音。青木の後ろのコンクリート壁に小さな穴が穿たれる。そこに突き刺さっていたのは、ライフルの弾丸だった。亜鉛金メッキの塗装にM118の文字が刻んである。
 狙撃されたのだ。

「狙いはおれか、薪か」
 滝沢は、裏社会を渡ってきた人間だ。買った恨みの数は膨大で、自分でも把握しきれていない。薪は長年第九の室長を務めてきて、その脳に重大な秘密を幾つも抱え込んでいる。彼を殺してでも秘密を守りたい人間がいてもおかしくない。
「ちょっと待ってください。じゃあ、どうして2発ともオレが照準なんですか」
「「でかいから」」
「そんなあ」
 情けない顔をする青木の鼻先に、3発目の弾丸が撃ち込まれた。その弾痕は、2発目の弾と殆ど重なっている。恐ろしい精度だった。
「いずれにせよ、逃がす気はなさそうだ」
 3発目の弾丸は、明らかな脅し。自分の腕前を示し、逃げても無駄だと言いたいのだ。

 弾痕から入射方向を算定し、薪は西側のビル群に目を走らせた。林立するビルの左端から4番目、自分たちのデパートよりやや高い雑居ビルらしき建物の屋上で、何かがキラッと光る。ライフルスコープのレンズだ。
 薪がそちらに向けて昂然と頭を上げると、相手もそれに気付いたらしい。すっくと立ち上がって、これ見よがしにライフル銃を構えた。
「あいつだ。滝沢、おまえの知り合いか」
「あれじゃ分からん」
 その男の身長は、170から180センチくらい。黒いニット帽らしきものを被っており、髪型や髪の色は不明。顔の半分が隠れるようなサングラスを掛け、鼻から下は長い髭に覆われ、よって顔立ちも不明。唯一の手がかりはスラッとしたモデル体型の身体つきだけだが、ダイエットブームの現代、痩せ形の男は掃いて捨てるほどいる。

「僕にも心当たりはない。少なくとも友人ではなさそうだ」
「おれの友人でもないさ」
「おまえに友人なんかいるのか」
「おまえよりずっと多いぞ。土産の数を見ただろう」
「見栄を張るな。西野以外の友だちなんかできなかったくせに」
「おまえだって鈴木以外に友だちいなかっただろ」
「おまえなんか、その唯一の友だちに騙されてたじゃないか!」
「おまえこそ、鈴木が女医先生といちゃいちゃできるように休日のシフト組んでたの、あれ、健気過ぎてイタイってみんな言ってたぞ!」
「余計なお世話、てか、みんなってだれ!?」
 怒鳴ると同時に、薪は青木の腕に囲い込まれた。そのまま床に倒される。青木の腕がクッションになって衝撃は緩和されたが、それでもコンクリートの床は、肉の薄い薪の身体には痛かった。

「古傷の抉り合いは後にしてくださ、うわっ」
 棒立ちになって怒鳴り合っていたら、格好の的だ。青木が薪を床に倒した直後、青木の頭があった場所に4発目の着弾。銃声は聞こえなかった。サプレッサーを使っているのだろう。
「だからなんでオレ!?」
「青木。おまえ、何かやったのか」
「何もしてません!」
「公安あたりじゃないのか。薪との関係がバレたとしたら、狙撃対象になり得るだろう」
 そう言った滝沢自身も冗談のつもりだったが、仮に、愛でる会の幹部連中に真実が露呈したならそれは現実になる。

 さておき。
 現在の敵は目の前にいる。それも一流のスナイパーだ。

「薪。銃をおれによこせ」
 弾かれたように、薪が滝沢を振り返る。無謀すぎる申し出に、一瞬言葉を失った。
「ばかな。仮釈放中の囚人に銃を渡せるか」
 分かりきった答えを返しながら、薪はポケットから銃を取り出した。薪の手には少し大きめの、S&Wの38口径。青木からの借り物だ。
 滝沢は一目でそれを見抜くと、薪の眼の前にぬっと手を差し出した。
「よこせ。撃てないやつが持っていても仕方ない」
「おまえがあの男を殺したら、中園さんが尽力した司法取引が無効になる。そうしたらおまえは死刑だ」
「ここで死ぬなら同じことだ」
 滝沢の言葉を無視して、薪は安全装置を外した。撃鉄を起こし、馴染みの薄い銃のグリップをしっかりと握る。

「薪さん。オレが」
「「おまえは引っ込んでろ!」」
「どうして仲悪いクセに呼吸はピッタリ合うかなあ。――わ!」
 ビクッと青木が身を竦ませる、5発目の着弾は青木の爪先20センチ。狙撃者までが、余計な手出しをするな、と青木に釘を刺すかのようだ。

 薪は銃を片手に、青木の前に走り出た。小さな身体で青木の巨体を匿うように左腕を広げ、胸の前で銃を握り直す。敵に向かって腕を伸ばす薪に、滝沢が言った。
「もしあの男が、貝沼事件被害者の父親だったらどうする」
 ガクン、と銃口が傾いた。振り返った薪の顔はさして驚いたようでもなかったが、銃身に伝わる手の震えに、彼の心情はより強く表れていた。
「そんな偶然が続くわけがないだろう」
「分からんさ。遺族同士が交流を持つことは珍しくない。『犯罪被害者遺族の会』なんてのもあるくらいだ。荒木の母親から情報を得た他の被害者遺族がいなかったと、どうして言い切れる」
 尤もらしい、しかし限りなく可能性は低い滝沢の理屈に、それでも薪は動けなくなる。いくら集中しようと神経を張り詰めても銃を持つ手は微かに震えて、それはいみじくも親友の命を奪ったあの日と同じように。

「そこまで考えていたら、何もできない」
「その通りだ。なにもできないさ、おまえには」
「前にも言っただろう。僕を見くびるな」
 強気に返すも手の震えは止まらない。正中を取った射撃の基本姿勢の、両膝の力が抜けそうで、やや内股になっているのを自覚する。このまま撃ったら反動で弾が逸れる。薪は意識して膝を伸ばし、グリップをもう一度握り直した。
 11月の冷たい風が吹き抜けるビルの屋上で、手に汗をかいている自分の未熟を嘲笑う。本当に、情けない男だ。

「おまえの言う通りかもしれない」
 弱くて臆病で口ばかり達者で。でも。
「だからって」
 そんな僕が生きる理由を、遺してくれた人がいる。生きることを望んでくれる人がいる。僕を守ろうと、心を砕いてくれる人たちがいる。その人々に対して。
「なにもしないのは男じゃない」

 せめてもの誠実を。僕に立ち上がる力をくれた大切な人たちに。
 彼らがくれた温かいもの、キラキラしたもの、僕を奮い立たせてくれるもの、僕を強くしてくれるもの。それらを僕が確かに受け取った、その証に。

 ガーン、と耳をつんざくような音が空に木魂した。薪が向けた銃口の40メートル先で、スナイパーがもんどりうって倒れる。
 地上では、銃声によって一瞬騒ぎになったものの、自分たちの周りに倒れる者もなく怪我をした者もいないことが分かると、すぐに元の流れに戻った。現場を目撃したのでなければ、その音が銃声であることを判断できる日本人は意外と少ない。多くの日本人にとって、銃撃戦と日常は簡単には結び付かないのだ。
 発射の反動でふらついた薪を、青木が待ち構えていたように後ろから支える。両肩を大きな手のひらで包むように、しっかりと受け止めた。

「薪さん、大丈夫で」
「また1人殺した」
 だらりと銃を下げ、薪はぼそりと呟く。俯く薪に、青木が悲しげに眉を寄せた。
「そうだな」と滝沢は敵が起き上ってこないのを見届け、薪の言葉を肯定した。それから薪を振り返り、はっきりと言った。
「でも、2人救った」
 それは事実の確認で、慰めではなかったのかもしれない。その証拠に、「ちがう」と首を振る薪に、滝沢はそれ以上の言葉を掛けなかった。

「違いません。薪さんのおかげで」
「3人だ」
 自責の波に沈む薪を救おうとした青木の助け船は、波間を漂っていたはずの遭難者の言葉で遠ざけられた。しかしそれは拒絶ではなく、この荒波を自身の腕で泳ぎきろうとする彼の決意表明。
「青木と、おまえと」
 薪の眼は、真っ直ぐに滝沢を見ていた。寒さからか射撃の余波か、その両膝は微かに震えて、青木に肩を支えてもらわなければ今にもその場に崩折れそうだったけれど。
「僕」
 その瞳は強く。眉はきりりと吊り上がって、彼の言葉に真を添える。

「3人だ」

 薪の肩を包む青木の両手にぐっと力が入り、「薪さん」と嬉しそうに名前を呼ばれた。滝沢はと言えばほんの少しだけ目を瞠り、「ふん」とバカにしたように嗤った。
「やっとまともに数が数えられるようになったか」
 皮肉に笑った滝沢の顔つきは腹が立つほど尊大で、だけど仕方ない。これがこの男の素の顔なのだ。

「青木。もう大丈夫だ」
「あ、すみません」
 自分の肩から離れようとした青木の手を、その右手だけを薪は銃を持っていない方の手で押し留め、「青木」ともう一度彼の名を繰り返した。
「僕は……これからもたくさん、躓くと思う」
 はい、と素直に返事をする青木を、薪は振り返りつつ見上げて、
「付き合ってくれるか」
「もちろんです」
 聞かずとも、青木の答えは分かっていた。分かりきった答えを彼の口から聞きたいと、駆け引きみたいな小細工を薪はしない。だから大事なのは青木の答えではなく、この質問そのものだ。
 大切なのは、薪の口からそれを青木に頼むこと。ちゃんと声に出して、言葉にして、相手に伝わるように受け取ってもらえるように、差し出すことが重要なのだ。

「転んで得られることもあるって分かったから、その前に手を出すことはしませんけど。起きるときにはちょっとだけ、オレの手に掴まってください」
「うん。頼りにしてる」
 しばし見つめ合った後、薪は捻った身体を元に戻し、青木は薪の肩から手を離した。事後処理のため、警視庁に連絡を入れようと携帯を取り出した薪に、滝沢はしゃあしゃあと、
「せっかく盛り上がったんだ、キスくらいしろ」
「なななななに言ってんだ、そんなことするわけないだろ!」
「遠慮するな。おれは後ろ向いててやるから」
「おまっ、コロス、ぜったいにコロスッ!!」
「だったら助けなきゃいいのに……」
 携帯電話を拳銃に持ち替え、頬を赤くして喚き散らす薪を背中に、滝沢は声を殺して笑った。




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Promise of the monster(5)

Promise of the monster(5)





 薪の通報で駆けつけてきたのは、捜査一課の大友班だった。
「お疲れさまです、薪室長。こないだから災難続きですね」
 捜査班に同行した5人の鑑識官が、現場の写真を撮ったりコンクリートにめり込んだ銃弾を取り出したり折れ曲がったドアの形状をスケールで計ったりしている間、3人は大友の事情聴取を受けることになった。
 犯人に心当たりがあるかとの質問に対して薪は、自分に恨みを持っている人間は大勢いるが、どこの誰かは分からない、と正直に答えた。青木はまったく身に覚えがないと言い、滝沢は、刑務所の中にいた方が安全だ、と警察への皮肉で返した。

「大友さん。現場検証に立ち会わせてもらえませんか」
「え。もう終わりましたけど」
「ここじゃなくて、あちらのビルですよ」
 薪が指差したのは、狙撃者が潜んでいたビルだ。現場に居合わせた者として、鑑識に的確な指示が出せる自信があった。しかし大友は困ったように首を振り、
「ああ、いや、あっちは別班が出向いてましてね。もう終わったんじゃないかな」
「そんなはずはないでしょう。僕はずっと見てましたけど、誰も出入りしてませんよ」
「そうですか。おかしいな……いやでも、俺たちはここの捜査権しか与えられてませんので。立ち入りの許可はちょっと」
 歯切れ悪く答える大友に、薪は厳しい口調で言い放つ。
「では結構です。勝手に入りますから」
 部外者が現場に入ることを捜査員は嫌う。それは知っているが、相手は青木を狙ってきたのだ。自分の部下に手を出されて黙って引き下がるなんて、薪のプライドが許さない。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、室長」
「僕は警視長ですよ。別にあなたの許可なんて無くても」
 強引に現場に向かおうとする薪を、携帯の着信音が止める。このメロディは中園だ。
『薪くん、狙撃されたって? 大丈夫なのかい』
「大丈夫です、中園さん。僕たちに怪我はありません」
『そうか。みんな無事でよかった』
 電話の向こうから伝わってくる、ほっと胸を撫で下ろす気配。亜麻色の瞳がすうっと細められる。

『もしもし? 薪くん、どうかした?』
「いえ。ご心配お掛けしました」
『まだ現場にいるのかい? 近くに犯人の仲間がいないとも限らないから、一刻も早くそこを離れて。滝沢くんの監視はもういい、早く家に帰りなさい。監視役の警官とSPを向かわせるから、場所を教えて』
「SPなんていりませんよ。滝沢の監視も、一旦受けた仕事です。最後まで僕がやります」
 この仕事を命じられた時と同じように上司の返事を待つことなく薪は電話を切り、ついでに電源も切った。

「滝沢。門限の6時まで、どこか行きたいところはあるか」
 唐突に、発砲事件にも現場検証にも見切りを付けてそんなことを言い出した薪に、周りの者たちが目を丸くする。話を振られた滝沢だけが無表情に、しばしの思案の後、薪に応えを返した。
「どこでもいいのか」
「……僕の家以外ならな」
「少し遠くなってもいいか」
「門限を守れる範囲なら。――大友さん、車のキィを」

 あまりにも当然のように差し出されたものだから、大友は自然に、その手のひらに鍵を置いてしまった。鍵が薪の右手にしまわれてから、自分のうっかりに気付く。
「あのお。おれはどうやって帰ったら」
「中園さんの部下が来ます。その人に送ってもらってください」
「え。それはさっき断ってたじゃないですか。場所だって伝えてないし」
「相手は中園さんですよ。僕と電話が繋がった時点で場所を特定してるはずです。断言してもいい、10分もしないうちに来ますよ。だから僕たちは急がなきゃ」
 キツネとタヌキの化かし合いのような薪の説明に、大友はぽかんと口を開けた。官房室や公安みたいに裏工作ばかりしていると、仲間同士の会話もこうなるのか。竹内が警察庁に行きたがらなかった訳が分かった。大友だって、日常会話で裏を読まきゃならないようなしんどい職場より、一課長の雷を選ぶ。

「当たり前ですけどこの事は内密に。行くぞ、青木」
 薪が無造作に放り投げたキィを待ち構えていたように受け取り、青木は二人の後に続いた。途中でチョコレート売り場に立ち寄り、預けていた商品を受け取る。
 大友に借りた車のトランクに土産を詰め込み、青木は車をスタートさせた。駐車場を出て間もなく、デパートの前の道路で黒塗りの公用車とすれ違う。薪の予言通り、大友と別れてから8分後のことであった。薪と滝沢は用心深く後部座席で頭を低くして、だから対向車には青木が一人で運転しているように見えただろう。

 滝沢の案内に従って、車は首都高から東関東自動車道に、やがては東京都を離れた。2時間弱の湾岸線ドライブの末、到着したのはN空港であった。
「どこでもいいとは言ったけど、国外は」
「安心しろ。パスポートを持っていない」
「じゃあ見学に? 飛行機、好きなんですか」
「別に。好きじゃない」
 その言葉通り滝沢は、見物客で混雑している展望デッキには近付こうともしなかった。待合室の椅子に座り、腕を組んで案内板を眺めていた。
 アナウンスに従って搭乗手続きを始める乗客たち。目まぐるしく変わる電光掲示板の文字。ベルトコンベアーに流れていく手荷物を追い掛けて、滝沢の視線が南ウィングの搭乗口へと移って行く、その先に。
 他人の眼には映らない、おそらくは滝沢の心の中にだけ存在する光景を想像して、薪はそっと目を伏せる。

 ――彼のいなくなった第九で。
 ずっとずっと、彼の姿を見ていた。
 モニタールームに、彼のデスクに、メインスクリーンの傍らに。現れては消え、消えては現れる彼の姿を追い続けた。室長室でひとり書類と格闘しながら、モニターに写り込む影にハッとして振り返れば、そこにはだれもいない。そんなことを何度も繰り返した。
 こいつもきっと。

 薪は黙って滝沢の隣に座り、彼に倣って案内板を見上げた。自宅のソファで寛ぐときのように、靴を脱いで膝を抱える。
 二人は会話もなく、たまたま隣に座った旅行客のように互いを見ることもしなかった。そんな二人を前に青木だけが熱心に、フロアガイドを片手に数えきれないほどある飲食店の中から薪が好みそうな店を探していた。




*****


 この下、メロディ6月号の一言感想です。
 ネタバレご無用の方は開かないでくださいね☆



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Promise of the monster(6)

 私信です。

 4月28日の午後8時ごろ、「アウトロー」という題名でコメントくださった方、いらっしゃいますか?
 メールボックスに届いているのですが、ブログの管理画面を確認したところ見当たらず、また、HNも初めての方のようなのですが。
 イニシャルはAさんです。

 何かの理由でご自分で削除されたならいいのですが、
 もしもエラーで消えてしまったのなら申し訳ないので~、
「コメントしたけど返事もらってないよ!」と言う方、いらしたら連絡ください。




 さてさて、お話の続きです。
 残り2回、よろしくお付き合いください。





Promise of the monster(6) 





 空港内の和風レストランで遅い昼食を摂り、東京に戻ると夕方になっていた。
 門限の6時までは1時間近くあった。帰り道、真っ直ぐ小菅に向かってくれと滝沢に頼まれて、青木は海ほたるでのおやつタイムを諦めたのに。時間が余るなら、せめてレインボーブリッジくらい薪に見せてやりたかった。

 荘厳にそびえ立つ東京拘置所の門前で、滝沢は車から降りた。青木がトランクから荷物を取り出すと、見て見ぬ振りをするにはあまりにも大量の土産物に、迎え出た看守長が苦い顔をした。いくら滝沢が特別な立場にあろうと、すべてを許してしまっては他の囚人に示しがつかないのだろう。ましてや彼は看守長。部下たちの見本になる立場にある。
「241番。飲食物の持ち込みには制限が」
「すみません、宮部さん。僕の監視が行き届きませんで」
 責任を感じた薪が口を挟む。そんな彼に、看守長の声は厳しかった。
「困りますよ、警視長。しっかりしていただかないと」

 常ならば、申し訳ありません、と固い声で返すはずの薪は、何を思ったか小さな右手を軽く握って口元に持って行き、声を震わせて、
「ごめんなさい、僕の責任です。処分はこちらでします」
 気弱に下げた眉の下の、大きな亜麻色の瞳を潤ませれば、途端に宮部は焦り出す。
「い、いや、別に、あなたを責めるつもりは」
 ゴメンナサイはともかく、手のひらを相手の胸に当てるとか、謝罪に必要なんですか、それ。あなたにそんな風に謝られてほだされない人間なんかこの世に存在しないって知っててやってますよね?
「でも、官房室に持って帰ったら中園さんに叱られちゃうし。困ったな、どうしよう」
 やりすぎです。「叱られちゃう」とか「どうしよう」とか、言葉選びがあざと過ぎます。相手は囚人の嘘に慣れた看守長、ミエミエのお芝居に騙されるわけが、
「私に任せてください! これは有志からの慰問品と言うことで、服役囚に配ります」
 それでいいのか、看守長。
「いいんですか?」
「大丈夫です! 私は看守長ですよ!」
 おまえでいいのか、看守長。

「大丈夫なんだろうな、この刑務所」
「おまえが言うか」
 真顔で呟く薪に、滝沢がシビアに突っ込む。薪の不信は尤もだが、今回だけは滝沢が正しい。
 何はともあれ、一日だけの仮釈放は無事に終わった。途中、とんでもない事件に巻き込まれた気もするが、滝沢のような男と一緒だったのだ。このくらいは想定内だ。そのために、青木が尾いて行ったのだし。

「滝沢」
 二人の警官の手によって正門が閉じられようとした時、建物に向かって歩き出した背中に、薪は呼びかけた。見張り役に付いた二人の看守の間で、滝沢がゆっくりとこちらを振り向く。
「次は僕がパンを焼いて、青木が淹れたコーヒーを飲ませてやる。だから」
 中途で薪は、言葉を飲んだ。きゅ、と下くちびるを噛む、彼の気持ちが青木には分かる。
 多分、その日は永遠に来ない。それが分かっているから薪は言い淀む。果たせない約束の残酷を、誰よりもよく知る彼ならではの躊躇い。そして、
「ああ。楽しみにしてる」
 尊大に笑った滝沢は、薪の葛藤を見抜いている。
 かつて敵だった男、仲間を殺した許せない男。仇とさえ感じていたはずの、彼に対するポーカーフェイスがどんどん薄くなっている。それを自覚して表情を引き締めた、薪の悲しいまでの頑なさも。

 二人で、滝沢の姿が見えなくなるまで見送った。つるべ落としの日暮れは早くて、滝沢が建物に入る前に、彼のダークスーツは夕焼け色に染め変えられた。
 ガシャン、と重い金属音が響き、彼の世界が再び閉じられたことを青木に教える。尚も佇む様子の薪に、青木がそっと声を掛けた。
「帰りましょうか」
「うん」
 促されて薪は助手席に乗り、シートベルトを締めた。車の窓から見上げた拘置所の壁は宵闇に薄黒く染まり、一層堅牢さを増すようだった。

「青木」
 車をスタートさせて間もなく、正門から眺めれば永遠に続くかと思われたレンガ塀の、瞬く間に流れ去る様子に目をやりながら、薪は言った。
「すまなかった。危険な目に遭わせて」
 なんだっけ、と思いかけて狙撃事件のことだと気付く。呑気なやつだと叱られそうだが、青木にとっては看守長と薪のニアミスの方がよっぽど心臓に悪い。
「標的は薪さんだった、てことですか?」
 だとしても、薪が謝る必要はない。青木は薪のボディガード。彼を守るのが青木の仕事、もとい存在理由だ。
「いや。狙いは僕じゃない」
 では滝沢狙いか。本人も察していたようだし、案外今頃、安全な場所に帰れてホッとしているかもしれない。外より刑務所の中の方が気が休まるなんて、笑い話みたいだ。

「ターゲットはおまえだ」
「やっぱり、――えっ、オレ?!」
 思いがけない薪の言葉に、青木は驚く。自分が誰かに命を狙われるなんて夢にも思わなかった。自分は薪のような重要人物でもないし、他人に恨みを買う憶えも、いや、もしかしたら薪に横恋慕している誰かが自分たちの関係に気付いて、て言うかそれ100パー返り討ちにするから。
「と言っても目的は僕だけどな。狙撃事件そのものが僕に対する教訓みたいなもので……」
 薪が何か言っているが、青木の耳には入ってこない。誰かが自分を害して薪を奪おうとしている、その妄想だけで青木は国際級のテロリストになれる。
「――さんも、誰も傷つけない自信はあったんだろうけど、あんな危ないやり方を選ぶなんて。関係者でもない大友さんたちまで巻き込んで、後で抗議しておかないと。て、聞いてるか、青木」

「薪さんに一目惚れした犯人がオレを事故死に見せかけるため今この瞬間にもタイヤを狙撃、いや、それじゃ薪さんも巻き添えになる。狙うならオレが一人の時か……」
「おーい、帰ってこーい、てか青木、信号赤!」
 何故か横から車が突っ込んできたから強くアクセルを踏んでハンドルを切った。不思議なことに、その先にも車がいたからサイドブレーキを引き後輪にスピンを掛けて回避した。タイヤがアスファルトを削る音が高らかに響き、そこにいくつものクラクションが重なる。みんな、なにを慌ててるんだろう。

 通常走行に戻って青木は呟く。
「そもそも薪さんに横恋慕なんて許せないし。襲われるのを待つよりこっちから潰しに、痛いっ」
「妄想のアサシンに襲われる前におまえに殺されるわ!」
 脳天をパトランプで殴られて我に返る。いつの間にか首都高を抜けていた。
 おまえの運転は危ないと、隣でため息を吐かれて青木はしょげる。車の運転は上手い方だと自分でも思う。下手に自信があるから余計なことを考える。大事な薪を乗せているのだ、集中しなければ。

 青木は神妙な顔になって、自動車学校の生徒のように十時十分の位置でハンドルを握り直した。真っ直ぐに前を見て、でも隣で薪が微笑んだのが雰囲気で分かる。リラックスしてシートにもたれかかった薪の右手が、ぽんと青木の左腿を叩いた。
「明日は仕事だけど、まだ6時前だし。ちょっとだけ寄り道しようか」
「食事ですか?」
「夕食はまだいい。昼が3時頃だったからな。それより」
 つい、と細い指が差した建物に気付いて、青木の肩が強張る。つい先日、今週は薪を休ませてあげなさいとの小野田の厳命を破ったことが岡部にバレて、こっぴどく締め上げられたばかり。普段は20回に1回くらいしかOKしてくれないくせに、どうしてこういうときに限って積極的になるかな、この人は。

「で、でも、この車、大友さんに借りた覆面パトだし」
「べつにいいだろ。パンダ(パトカーのこと)じゃないんだし」
「ですよねっ」
 気になるならコインパーキングを使え、とそこまで言われて応じなかったら男がすたる。てか、薪から誘ってくれるなんてハレー彗星並みに珍しいこと、勿体なくて断れない。
 期待に頬を紅潮させながらウィンカーレバーを上げる青木の横顔を横目で眺め、薪は小さく笑いを洩らした。




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Promise of the monster(7)

 先日からの続きもの、こちらでおしまいです。
 モンスター事件のお話はこれが最後です。
 お付き合いくださってありがとうございました。



Promise of the monster(7)




 彼らが二人だけの秘め事に没頭しているころ。滝沢は秘密の電話をしていた。

「やっぱりあんたか。万が一のことがあったらどうするつもりだったんだ」
 相手は、今日の仮釈放を企てた張本人。警察庁のお偉いさんで、死刑確定だった滝沢に司法取引を持ちかけ、永遠の刑務所生活を保証した人物でもある。
 今日の件は、もともとは中園の方から打診があったのだ。岡部が薪の性根を叩き直すべく舌鋒を振るったが、どうも結果が思わしくない。あれ以上は岡部には無理だし、青木に到っては甘やかすことしかできないだろう。「滝沢くんの方でなんとかならない?」との相談に、「任せておけ」と答えたのは単なる暇つぶし。薪をからかって遊べるなら、他の事はどうでもよかった。

 デパートの屋上で薪を追い詰めるまでは、滝沢のシナリオ通りだった。しかし、狙撃なんて物騒なことは計画にはなかった。滝沢はそこまで無謀ではない。
 人間のすることに完璧はない。いくら優秀な狙撃手でも的を外すことがあるように、当ててはいけない的に当たってしまうことだってある。鈴木を殺してしまった薪のように。

『こいつは驚きだ。傭兵上がりの殺し屋が、いつの間にそんな甘ちゃんになったんだ? さては薪くんに惚れたな?』
 からかう口調で言われ、滝沢は気分を害する。その手の冗談で薪を構うのは好きだが、自分が構われるのは嫌いだ。
「小野田に言い付けてやろうか」
 滝沢が脅しのつもりで返したセリフに、「どうぞ」と相手は余裕で答え、次いで可笑しそうに笑った。
『スナイパーは坂崎くんだ。もちろん、小野田も了承してる』
「なっ」
 坂崎と言うのは確か、小野田のお抱え運転手だ。ボディーガードも兼務していたから射撃もA級ライセンスなのだろうが、それにしたって。

「……そうか。だから的が青木に集中してたのか」
『君と薪くんがデートしてたら、嫉妬した青木くんが絶対にでしゃばってくる。そうしたら頭を狙えって小野田が言うのを、僕が必死に止めたんだよ』
 裏事情を聞いて、滝沢は青木が可哀想になる。
 アホだ腑抜けだとさんざんに罵ったが、なかなかどうして、青木は大した男だ。薪の父親代わりのような上司にそこまで疎まれて、それでも薪の傍を離れない。普通のアホにはできないことだ。青木は立派なアホだ。

『そこまでやるかと思ったけど、結果は上々だ。薪くんはちゃんと自分の意志で自分の命を守った。あばらを折られた坂崎くんは気の毒だったけどね』
 防弾チョッキを着ていても、着弾の衝撃は凄まじい。あばらの一本くらいで済んだなら軽い方だ。
『まさか当たるとは思ってなかったから、僕も小野田もびっくりしたよ。薪くんて本番に強いタイプだよね』
「銃は、素人のまぐれ当たりが一番怖いんだ」
 こんなことに用いるものではない。刑務所に入っている自分の方が、こいつらよりよほど常識人だ。

『まあ何にせよ、君のおかげで上手く行ったよ。これであの子も』
「薪は分かってるぞ。おまえらのこと」
 中園の上機嫌にわざと水を差すように、滝沢は彼の言葉を遮る。
「狙撃事件がおまえの差し金だって、薪は気付いてる」
 屋上で、滝沢の本心を見通していたように、中園の企みも。もしかすると、その背後にいた小野田の存在まで、あの天才はお見通しなのかもしれない。忌々しい脳みそだ。

『つい口が滑っちゃったんだよね。『二人とも』じゃなくて『みんな』って』
 あのとき、現場に青木が居たことを中園は知らないはずだった。知っていたのは狙われた滝沢たちと、狙撃手自身。自分たちが中園にそれを知らせなかったなら、狙撃手が中園と通じていたことになる。
 朝、小菅を出た時点で尾行者は2人いた。
 薪は青木に気付いた後、もう一人の尾行者の可能性を消してしまったが、滝沢は警戒を怠らなかった。自分のような危険な男と一緒なのだ。過保護な官房長が薪の警護を、あの頼りない小僧一人に任せるわけがない。事実、彼は青木よりよほど優秀な追尾者だった。
 薪を害すれば彼の銃口が火を噴く、それは解っていた。だから屋上での芝居は、滝沢にとっても命懸けだったのだ。

『薪くんて、重箱の隅を突っつく性格だろ。即行電話切られて、あー、バレたなって』
 薪の態度が一変したから滝沢にも分かったが、電話を切られた中園にはその様子は見えなかったはずだ。なのに、薪の考えを見抜いている。こんなタヌキ親父が上司とは、薪の性格が年々悪くなるはずだ。
「非番の刑事や鑑識まで引っ張り出して、官房室の横暴には呆れるな」
『それがさ、大友君にこの話を振ったら臨場班役を巡って鑑識内で争奪戦が起きたって』
 大丈夫なのか、桜田門。

「大事な坊やが危ない目に遭わされたんだ。薪は怒るぞ」
『だろうねえ。でも、薪くんはなにも言わないよ』
 自分さえしっかりしていれば、あの事件は起こらなかった。こんな茶番が仕組まれることもなかった。元はと言えばすべて自分のせいだ。
 そう思えば、薪は何も言えなくなる。彼は誰よりも自分の弱さを知り、それを恥じる人間だから。

『ところで滝沢くん。4月に、小野田の義父殿が法務大臣に就任することは知ってる?』
 小野田の妻の父親は内閣府にいる。警察庁に影響力を持つ代議士の血族になることで庁内に政権を得るやり方には反吐が出るが、彼の実力を認めるのはやぶさかではない。実際、なんの後ろ盾も持たない人間が警察庁のトップに立とうと思えば、こんな方法しかないのかもしれない。
『君が望むなら、恩赦のリストに君の名前を入れておこうか』
 中園の申し出は、誘惑。ここから出られる可能性を与えてやる代わりに、都合の悪いことには口を噤め、自分の協力者になれ、と誘いを掛けているのだ。
 冗談じゃない。誰がこんな男の手先になるか。
 滝沢は素っ気なく答えた。

「余計な気を回さなくてもいい。おれは薪で遊びたかっただけだ」
『あ、そう。じゃ』
「待て。恩赦を受けないとは言ってない」
 気の早い誘惑者を、滝沢は慌てて引き留める。1度断られたくらいで諦めるとは、なんて根性の無い男だ。青木の爪の垢でも飲ませてやりたい。

『そんなに警戒しなくても、恩に着せたりしないよ。多分、君の名前は小野田のところで弾かれるしね。君は人を殺し過ぎた』
「じゃあリストに載せても意味がないじゃないか」
『小野田に見せる前に、刑務所長に情報を流しておく。出所は無理でも、仮釈放は通り易くなる。それで手を打ってくれないかな』
 今日のような一日を、また持つことができる。鳥かごが中庭に変わった程度だが、それでもいくらかはマシな空気が吸える。
『薪くんが焼いたパンと青木くんが淹れたコーヒーを飲める機会は、僕が作ってあげるからさ』
 抜け抜けと言われて、滝沢は思わず舌打ちする。
 看守長の宮部から、もう報告が上がったのか。サッチョウ(警察庁)のイヌめ。

「要らん世話だ。連中と馴れ合うつもりはない」
『君と仲良くなると、薪くんが自分を責めるから?』
「ああ!?」
 声を荒げた後で息を飲む。しまった、つい。
 電話口の向こうで、声を殺して笑っている気配がする。どこまでも見透かしやがって。本当に嫌な男だ。

「もう切るぞ。おれもそう暇じゃないんだ」
『ちょっと待って、悪かったよ。今回のことは本当に感謝してる。君の忠告がなかったら、モンスター事件はもっと悲惨な結末になっていたかもしれない。ありがとう』
「礼を言われる筋合いはない。薪を甚振るのはおれの趣味だ」
『君も大概素直じゃないね』
 ま、いいか、と軽く流して、中園は会話を終了させた。「じゃあ元気でね」という挨拶の『元』あたりで滝沢は電話を切り、電話に向かって眉をしかめる相手の姿を想像して僅かに溜飲を下げた。

「ふん。あいつらとつるむなんて、冗談じゃない」
 滝沢は、MRI捜査には反対だ。死者を冒涜し、故人が死んでまでも守りたかった秘密を暴く。それは人殺しよりも重い罪だと思う。
 自分なら、他人には絶対に脳を見られたくない。この中に眠る記憶は、彼女の姿は、自分だけのものだ。それを他人の視線で侵されるくらいなら、滝沢は迷わずに頭を撃ち抜く。

 ――空港で、彼女を最後に見た場所で。
 彼女の姿を思い描いた。10年も前のことなのに、その姿は呆れるほど鮮明だった。
 自分の粘着気質にげんなりしていたら、隣に薪が座った。
 薪は膝を抱えて、子供のような眼をしていた。なにを思い出しているのか丸分かりで、手酷く傷つけてやりたくなったが、彼女が困ったような顔をしたから止めた。

 きっと、自分と薪はそういう関係なのだ。
 仲間ではなく、友だちでもない。交わすべき言葉もなく、情もない。ほんの短い時間、黙って隣に座っていることはできる、それだけの関係。
 そのくらいの距離感がちょうどいいと思った。深入りするには危険過ぎる相手だ。青木のように取り込まれでもしたら地獄を見る。
 こうして何年かに一度くらい、奴に嫌がらせをしてやれればそれで充分だ。幸い、次の約束も取り付けたことだし。
 何年先になるか分からないし、中園の口約束が守られるとも限らないが、それでも、未来に誰かと約束があると言うのはいいものだ。ほんの少しだが、朝が来るのが楽しみになる。

 電話室から雑居房への帰り道、見張り役の看守に、微かに笑っているのを見咎められて注意された。滝沢はいつものように黙礼し、その面に無表情を張り付かせた。




―了―


(2016.4)


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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