帰郷(1)

 2060年の12月といえば、青木くんのお父さんが亡くなった時期ですよね。
 というわけで、今回は遠距離恋愛(??)です。




帰郷(1)






 警視庁内には、体を鍛えるためのジムがある。
 あくまで国営の施設なので、民間のジムのようにインストラクターが就くわけではないが、ルームランナーや筋力を向上させるためのいくつかの器具が揃っており、シャワーも備えられている。

 竹内誠は、よくここに来ている。
 竹内は捜査一課に属するエリート警察官である。キャリア入庁しているから足で稼ぐタイプの捜査官ではないが、それでも鍛錬は欠かさない。現場で手柄を上げるためには頭の鍛錬も必要だが、最後にモノをいうのは体力なのだ。
 それに、筋肉のしっかり付いた体のほうが女の子にもてる。せっかく俳優のようなマスクを親からもらったのだから、体のほうもそれに釣合うように作らなければもったいない。そう思って、前々から良くここを利用していたのだが、最近その目的がすり替わりつつある。

 今日も竹内は、早朝からジムを訪れた。
 ジムにはひとり先客がいて、竹内は心の中で喝采を叫ぶ。

 亜麻色の短髪を上下させ、ルームランナーの上をひたすら走る小柄な人物に、竹内の目は釘付けになる。もう何分くらい前から走っているのか、額や首筋に汗がきらめいている。だいぶ息も上がっている。
 いつもは冷静で涼やかな瞳がいくらか苦しげに細められ、白い頬が上気してうすい紅色に染まっている。つややかなくちびるからは荒い呼吸が洩れて、竹内の心をぞくぞくさせる。

「おはようございます、薪室長。相変わらず熱心ですね」
「おはよう、ございます……」
 竹内がにこやかに声をかけると、先客はあからさまに顔をしかめてぷいと横を向き、低い声で挨拶を返してきた。
 嫌なやつが来た、とはっきり顔に書いてある。このひとのこういう態度にはもう慣れっこだが、個人的な事情で、最近はひどく悲しい思いをしている。

 隣のランナーで竹内が走り出すと、先人はチッと舌打ちして腹筋のマシンに移動してしまった。そんなに露骨に避けなくてもよさそうなものだが、まあ仕方がない。何ヶ月か前までは、お互い親の敵のようにいがみあっていたのだ。

 膝をバーに掛けて逆さまの体勢から起き上がる方式の器具を使い、腹筋を鍛えている彼は、法医第九研究室の室長である。
 名前は薪剛。年は35歳。名前も年もその容姿に合っていない。今していることは、もっと似合わない。

 髪と同じ色の亜麻色の大きな眼。動くと揺れるほど長い睫毛。この上なく美しい額ときりりとした眉。すっと通った鼻筋とくちびるからあごのラインが、とても優美だ。
 今日も美人だな、と竹内は心の中で薪に会えたうれしさを噛み締める。実は何ヶ月か前から、竹内は彼に心を奪われている。

 華奢な手を頭の後ろに組み、大きな目をぎゅっとつむり、腹に力を入れて起き上がる。ほそい腰や短いウェアから伸びた足に筋肉が浮き出て、しなやかな体を震わせる。筋肉といっても竹内の体を覆っているようないかついものではなく、その優美さを損なわない柔らかさを感じさせる肉だ。
 竹内が行ってもかなりキツイ腹筋トレーニングを20回ほど繰り返し、最後の一回は起き上がることができなかったらしく、仰向けに仰け反ってハアハア言っている。あごを出して喘いでいる状態だ。
 逆さまになっているから、きれいな額が見えている。汗が胸から首のほうへ流れている。他の男なら絶対にこんなことは思わないのだが……ずばり、色っぽい。

 バーを手で掴んで上体を起こし、薪は器具から下りてシャワールームのほうへ歩いていく。今日のノルマが終わったのか、それとも自分の顔を見たから逃げ出したのか、竹内としては前者であることを祈りたいが現実は厳しい。
 シャワーから上がるといつも薪は、さっさとジムを出て行ってしまう。「お先に」と一言くらい言ってくれても良さそうなものだが、薪の竹内に対する態度は徹底して冷たい。口をきくのも嫌なほど嫌われてしまっているのだろうか。竹内のほうは態度を改めているつもりだが、それが薪に伝わるにはまだ時間が足りないようだ。

 しかし意外なことに、その日薪はシャワーの後、背筋を鍛えている竹内に話しかけてきた。
「竹内さん。ちょっとお話があります」
 濡れた髪をタオルで拭きながら、上半身は裸のまま下着だけといった格好である。運動のあとで体温が上がっているからこの格好は別に不思議ではないのだが、竹内としては目のやり場に困ってしまう。

 体毛の薄い手足に滑らかな胸。締まったウエストにほそい腰。
 よく見てみると細いながらに筋肉はそれなりについているし、柔道で鍛えた腰の辺りは割りとしっかりしている。が、いかんせん男としては身体が小さすぎる。しかし竹内の目には、それがとてもかわいらしく映る。

 これまで何度も薪のこんな姿を見ていたはずだが、そのときにはこんなに美しいとは思わなかった。男のクセに貧弱な体をして、あれでは女を満足させることなどできないだろうと嘲笑っていたのだ。
 女性は満足しなくても、竹内は充分満足している。もちろん試したことはないが、機会があれば是非とも……いやその……。
 とにかく、こうして顔を見られるだけで、いまは幸せなのだ。

「なんでしょう」
 平静を装って、竹内はいらえを返す。薪は竹内の腕や足に浮き出た筋肉を忌々しそうな眼で見ながら、不穏な口調で言った。
「うちの青木とこのごろ仲がいいようですけど。なにが目的なんです?」
 青木というのは第九の新人で、まだ24歳の捜査官の卵だ。
「目的って、警察官同士、仲良くしちゃいけないんですか?」
「あなたの第九嫌いはわかってます。僕が嫌いなことも。そんなあなたが僕の部下に好意を持つなんて変でしょう」
 それは昔の話だ。薪のことを嫌っていたのも第九を排斥しようとしていたのも、過去の話だ。そう言っても薪は、自分を許してはくれない。信じてはくれない。自分がしてきたことが自分に降りかかってきただけのことだ。言い訳はするまい。

「青木は面白い男です。根性はあるし頭もいい。俺はあいつを気に入ってるんですよ。捜一に引き抜きたいくらいです」
「青木は僕の部下です。絶対に渡しません」
 冷静な仮面をかなぐり捨てて、薪は竹内に食って掛かってきた。
 絶対に渡さないときた。まるでひとりの女をふたりの男が争っているみたいな会話だ。

「まあ、本人もあなたのそばを離れたがらないでしょうね。あいつがあなたに惚れ込んでいるのは聞かされてますよ」
「え!?」
 薪は何故かひどく驚いた。
 みるみる顔が赤くなっていく。こんな薪を見たのは初めてだ。めちゃめちゃ可愛い。
「そ、それはどういう……」
「あなたに憧れて第九に来たって言ってましたよ。傍で仕事をするようになったら、ますます凄い人だって解ったって。捜査官としての能力に惚れ込んでるそうですよ。いいですね。素直に慕ってくれる部下がいて」
「……ええ、まあ……」
 手放しの賞賛が照れくさかったらしく、薪は赤い顔をしたまま横を向いた。

「青木の評判は、署内でもなかなかいいですよ。室長の指導がいいんでしょうね。まだ1年目なのに、大した成長ぶりだそうじゃないですか。そういえば、警部に昇任したんでしたっけ?」
「ええ。10月1日付けで」
「警部の昇格試験も、最近はレベルが上がってますからね。今年の合格率は40%を切ったって聞いてますけど。たいしたものですね」
「うちの青木は真面目ですし、努力を苦に思わない男ですから」
「羨ましいですね。俺もそういう部下が欲しいです」
「あげませんよ。あいつのコーヒーが飲めなくなるのは困ります」
 竹内は思わず噴出した。
 めずらしい。薪が自分の前で冗談を言っている。
 顔は真面目だが、これは冗談に取るべきだろう。目が笑っている。

 薪はくるりと踵を返すと、竹内に背中を向けてロッカーのほうへ歩いていった。
 裸の胸に防弾チョッキを着込み、その上にワイシャツを着てネクタイを締める。ズボンを履いてジャケットを羽織れば、きりりとした第九の室長の出来上がりである。その横顔に先刻の動揺は片鱗すらなく、ひたすら静謐で冷静だ。

 対外的には無表情の仮面をつけていることが多い室長だが、仲間内ではそうでもない。
 このところ頻繁に第九を訪れている竹内は、薪の様々な表情を見ている。友人の青木や捜一の先輩の岡部を訪ねる振りをして、実は薪のことをずっと見ている。薪の顔を見たくて、いてもたってもいられなくなってしまうことがあるのだ。そんなときはむりやり理由を付けてでも第九に走っていってしまう。表情豊かな室長は思いのほか可愛くて、ますます夢中になってしまった。

 特に、青木の淹れたコーヒーを飲んでいるときの薪の満足そうな顔は絶品だ。
 あれは確かに美味い。竹内も一度、薪がいないときに飲ませてもらったが、そこらの喫茶店のコーヒーなんか比べ物にならないくらい美味かった。
 それを飲んでいるときは自然に笑みがこぼれてくる感じで、とてもやさしい雰囲気になる。春の陽だまりというか花のほころぶ様子というか、普段の室長からは想像もできないような笑顔だ。竹内の視線に気づくと、一瞬で冬景色になってしまうのだが。

 もうひとつ、薪の笑顔を引き出すものがある。ときおり第九を訪れる三好雪子の存在だ。
 彼女は大学時代からの薪の友人らしく、薪のことを君付けで呼ぶ。しょっちゅう差し入れを持って研究室を訪れる彼女に薪は好意を抱いているらしく、彼女にだけは優しい。羨ましい限りだ。
 しかし恋人ではない。
 恋愛経験の多い竹内には、その男女がデキているかいないかは見ればわかる。あのふたりはまだそういう関係ではない。男と女の仲はどう転ぶか解らないものだから、あるいはこれからそういう間柄になるのかもしれないが、いまは違う。
 しかし、どちらかと言うと雪子は、青木に興味があるようだ。
 惚れている、とまではいかなくても気にはなっている。彼女の顔を見ていれば解る。

 世の中には男と女しかいないのだから、人が集まれば必ずそこには様々な恋愛模様が描かれる。
 竹内が見る限りでは、薪→雪子→青木へと想いが流れているようだが、実のところはわからない。

 そういえば、青木のやつはだれか好きなひとがいるんだろうか。
 三好雪子ではない。青木は確かに雪子と仲がいいが、あれはそういう感情で見ているわけではない。目にも言葉にも熱がない。
 青木が熱を持って語るのは、室長のことだけだ。あいつは心から薪室長を尊敬している。そこから目を離せないうちは、恋愛などする気にならないのかもしれない。

 やがて薪は、竹内になんの挨拶もなくジムを出て行った。
 モカブラウンのスーツが良く似合うすらりとした後姿を見送りつつ、この次からは青木の話題で薪を懐柔しよう、と竹内は考えていた。



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帰郷(2)

帰郷(2)







「おまえ、竹内と付き合うの止めろ」
 青木が朝のコーヒーを室長室に持って行くと、不意にそんなことを言われた。
 薪の身勝手な言い草にはだいぶ慣れたつもりでいたが、今朝のこれはまたとびきり理不尽だ。悪い友人と付き合っているならともかく、竹内は捜一のエースだ。青木のほうが友人にしてもらっている、というのが正確な関係なのに。

「どうしてですか? 竹内さんはいいひとですよ」
「騙されるな。あいつ、おまえのこと捜一に引き抜こうとしてるんだぞ」
 それは何回か言われたことがある。が、たぶん社交辞令というやつだ。
「竹内のやつ、このごろ頻繁にここに来るだろ。何か企んでるに違いないと思ってたら、おまえ目当てだったんだ。今でさえギリギリの人数なのに」
「それは薪さんの誤解ですよ。オレなんか、捜一に行っても役に立ちませんよ」
「役に立つか立たないかは問題じゃないんだ。竹内の目的は、第九を崩壊させることなんだから。ひとりでも人員を削れれば満足なんだ」
「はあ」
 青木は曖昧に頷いて、語尾を濁した。

 捜一の旗手である竹内は、薪とは不倶戴天の敵同士だ。
 取っ組み合いの喧嘩にはならなくとも、顔を合わせれば嫌味と皮肉の応酬で、1時間でもいがみ合うことが可能だ。キャリア同士の2人のこと、その語彙は幅広く、まるで普段からこの舌戦に備えて広辞苑でも見ながら相手の 悪口をリストアップしているかのようだ。

 そんな竹内が、頻繁に第九を訪れるようになった理由。
 それを青木は知っている。
 竹内は捜一の先輩である岡部の助言を求めて、第九に来る。特に最近、あの囮捜査の一件以来だ。
 もっと正確に言うならば……岡部はカモフラージュで、実は薪に会いに来ていると青木は踏んでいる。

 岡部と話しながら、薪のほうをちらちらと見ている。
 薪の横顔に、後姿に、竹内の視線が釘付けになっているのを、青木は何度も目撃している。竹内は自分と同じ気持ちを薪に対して抱いている――本人に確かめたわけではないが、まず間違いない。恋するもののカンというやつだ。

 ―――― 竹内さんは本当はとてもいい人で、今では第九に敵愾心を燃やすこともなく、室長のことも尊敬してるし、実は好意まで抱いてるんですよ――――。

「とにかく。あいつの口車に乗せられるなよ」
 薪がこういうことに鈍感で良かった。
 竹内の複雑な心中など、薪には全く伝わっていない。相変わらず、薪は竹内のことを第九に仇なす敵だ、と認識している。

「はい。わかりました。気をつけます」
 竹内の気持ちを知りながら、一言も弁護することなく、にっこりと笑ってしまうあたり。ちょっと卑怯かな、とも思うが、ハンディキャップの大きさを考えれば、これは仕方のないことだ。
 下手なことを言って、薪が竹内に興味を持つようにでもなったら眼も当てられない。竹内は男の自分から見てもいい男で、署内モテる男№1の座を5年も守り続けている。年齢も薪と3つ違い。しかも、捜一のエースで出世頭。スマートで遊び慣れていて、本気で来られたら勝ち目がない。

「それよりも、薪さん。あさって、大丈夫ですか?」
「今のところはな」
「6時にお迎えに上がりますから」
「ああ」
 素っ気無い返事しか返ってこないが、青木はうれしくてたまらない。
 明後日は薪の誕生日。しかも、クリスマスイブだ。
 そんな大切な日を自分と一緒に過ごしてくれると言うのだから、青木にとってこれ以上の幸せはない。幸せすぎて怖いくらいだ。
 なんだか、大きな落とし穴が待ち構えているような気がする。

 後から思えば、それは虫の報せだったのかもしれない。
 いずれにせよ、そのときの青木には、明後日の夜のことしか考えられなかった。自分を襲う大きな悲しみのことなど、小指の先ほども感じていなかったのだ。
 ひとは神さまではないから。
 未来を予見することなど、できないから。

 2060年の暮れも近付いた12月24日。
 青木の父が脳溢血で倒れたのは、まさにその日だった。


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帰郷(3)

帰郷(3)





 
 その日。
 木枯らしが吹きすさぶ12月の街を、青木は急ぎ足で歩いていた。

 あいにくの風向きで、寒風に立ち向かうように歩いている割に、その表情はとてもうれしそうだ。両手に緑色のリボンのついた大きな箱を抱えている。
 途中で花屋を見かけて立ち止まるが、今日はやめておく。先日の百合がまだ咲いているはずだ。

 目的地の白いマンションが見えてくる。そこで待っているはずの誰かの姿を思い浮かべて、青木の頬がゆるむ。
 想いが、自分の体より先を急ぐ。
 急き立てられるように早足になる。
 と、突然、青木の胸のポケットで震えるものがあった。携帯電話の呼び出しだ。今日の業務は終了したはずだが、緊急の事件かもしれない。
 せっかくの料亭の予約がダメになってしまうかもしれない。
 事件となれば仕事が命の室長のこと、青木との食事の約束など3万光年の彼方に追いやってしまうだろう。
 ため息混じりに携帯に出る。因果な商売だ、とこのときばかりは思ってしまう。この仕事に就かなければ、今日の約束の相手にも出会えなかったのだが。

 まあ、いい。
 仕事なら室長も必ず出てくる。このまま迎えに行って一緒に第九まで行けばいいのだ。

 ところが、携帯電話から聞こえてきたのは第九の職員の声ではなかった。聞き覚えのある女の声―――― しかし、こんなに取り乱した声はついぞ聞いたことがない。
「姉さん? どうした…・・・えっ?」
 それは父親が脳溢血で倒れた、という知らせであった。

 青木は踵を返した。
 いま来た道を走り出しながら、携帯を使って飛行機の予約を取る。青木の実家は福岡だ。幸いなことに国内線には空席があり、今夜中に帰ることができそうだ。折り返し自宅への到着予定時刻を姉に伝える。
 通りかかったタクシーに手を振り、慌しく乗り込んでアパートの住所を告げる。何日間か泊ることになるかもしれない。それなりの用意をしていかねば。

 タクシーの中で携帯電話をかける。約束の相手に、断りの連絡を入れるためだ。
『青木か?』
 2コールで相手は電話に出た。涼しげなアルトの声が聞こえる。
「室長。すみません、急な用事ができちゃいまして。今日は行けそうもありません」
『どうした? 何があった?』
 青木の口調からただならぬものを感じ取ったのか、電話の相手は事情を説明するように要求してくる。が、青木は言葉を濁した。
「いえ、たいしたことじゃないんですけど。ちょっとヤボ用で」
 もしかしたら、本当にたいしたことはないかもしれない。明後日までは公休日だ。仕事にも影響はないかもしれない。
 何よりもこのひとに、余計な心配をさせたくない。ただでさえ気疲れの多いひとなのだ。
「本当にすみません。山水亭には岡部さんとでも行ってください。予約は室長の名前で入れてありますから」
『青……』
 相手の言葉を待たずに青木は電話を切った。仕事のとき以外はやさしい薪の声を聞いていると、本当のことを言ってしまいそうになる。

 親元を出てきて5年になる。
 東京の大学に進学することを、父親はあまり喜んではくれなかった。
 当初の目的の弁護士から警察官に就職希望を転換したことについても、詳しい事情を説明していない。そんなこともあって、この5年間は年末年始くらいしか実家に顔を出さないようになっていた。今年は仕事も忙しいし、実家に帰るのは止そうと思っていたくらいなのだ。

 そこにこんな知らせだ。あの元気そうだった父が倒れるなんて。

 タクシーをアパートの前に待たせておいて、当座の荷造りをしながら、青木は心の中に沸き起こる嫌な予感を必死に打ち消そうとしていた。


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帰郷(4)

帰郷(4)







 青木からの電話が一方的に切れて、薪は思わず自分の携帯電話を見つめた。
 今日は薪の36歳の誕生日だ。
 銀座の料亭で、青木と食事をすることになっていた。
 もちろん誘ってきたのは青木のほうだ。他のレストランなら断っていたが、山水亭だけは譲れない。山水亭の名前を出されたら、知らない人間にだって着いて行ってしまうかもしれない。あそこは薪の大のお気に入りなのだ。

 食事をするだけなのだから、別に相手が青木じゃなくても一向に困らない。
 青木の勧めに従って、岡部に電話をしようとして、第九の勤務表を思い出す。今日は岡部は親戚の結婚式が入っていると言っていた。誘うのは無理だ。
 何人か心当たりに電話をしてみようと思うが、平常ならともかく、今日はクリスマスイブだ。みな家族サービスや友人の付き合いや、恋人との約束があるだろう。
 ひとり者で友だちの少ない薪には、食事に誘えるような知り合いと言ったら、警察関係の同僚と上司ぐらいしかいない。学生の頃から交友関係は狭かったが、今は仕事の絡まない友人は皆無に等しい。
 上司権限で無理やり部下を呼び出せばいいのかもしれないが、薪はそれはやりたくない。捜査一課にいた頃、自分がやられてとてもいやな思いをしたからだ。
 結局、だれも思い浮かばない。
 しかし、クリスマスイブの山水亭の特別メニューは何が何でも見逃せない。看板料理の国産まつたけと白身魚の土瓶蒸しといったらもう……こうなったら2人分食べてやる、と出来もしないことを思って、薪は家を出た。

 銀座の駅に降りてタクシーを拾おうとするが、クリスマスイブにそうそう空車があるわけがない。薪の誕生日は何かと不便だ。
 仕方なく店までの道を歩くことにする。
 12月の冷気に備えて、薪は白いコートを用意していた。仕事用のトレンチではなく、カシミアのロングコート。実は去年のバースデープレゼントに、雪子からもらったものだ。
 それは薪の淡い美貌にとてもよく似合って、道行く人を振り向かせた。が、本人はまったくそんなことは意識していない。薪がいま考えているのは、土瓶蒸しのことだけだ。

 大通りに出て、賑やかなモールに飾り付けられた街を歩いていると、女性の甲高い叫び声が聞こえた。
 何事かと思って声のした方向を確認すると、髪の長い女性が男の腕を掴んで、さかんにまくし立てている。どうやらただの痴話喧嘩らしい。こんな日に彼女を怒らせるなんて、バカな男だ。
 相手の女性はモデルでもしているのか、薪よりも背が高い。美人でスタイルも良い。
 こんな女性のご機嫌を損ねるなんて、返す返すバカな男だ。
 そのバカの顔を見てやろうと、通りすがりにちらりと横目で視線を送る。その顔を見て、薪は少し驚く。知らない仲ではない。薪の天敵、捜査一課の竹内だ。

 向こうもこちらに気づいたようだ。薪を見て目を瞠り、心なしか赤くなった。
 それはそうだ。彼女と喧嘩している場面を見られたのだから、署内もてる男№1の竹内としては恥ずかしい限りだろう。
 これはいいところに出くわした。
 腕を組んで肩をそびやかし、薪はにんまりと笑って喧嘩の様子を諦観する。
 この次、竹内が第九にいちゃもんを付けてきたときには、このネタで切り返してやるのだ。

 薪の意地悪な視線の意味に気づいたのか、竹内は女性の手を振り払った。
 敵の前で、相手の女性に取り縋るような格好の悪い真似はできない、とでも思ったのだろうか。しかしこの場合、それは相手の女性の苛立った神経を逆撫でしてしまうだろう。
 竹内は、ずっと薪のほうを見ている。
 自分の思惑が気になるのかもしれないが、このままだと最悪のことになってしまう。さすがにまずいか、と薪が視線を逃がそうとしたとき、竹内の視線を追って頭をめぐらせた彼女と目が合った。
 あ、と薪が思った瞬間、女性の手が竹内の頬でパン! と音を立てた。風船が破裂するような大きな音だ。背も高いぶん力も強いのだろう。かなり思い切った平手打ちだった。
 そのまま振り返りもせず、足早に歩き去ってしまう。後には捜査一課のイケメン捜査官だけが残された。

 すごいシーンを見てしまった。

 せせら笑ってやりたいところだが、薪もそこまで子供ではない。竹内の落ち込んだ顔を見れば、やはりいくらか可哀想な気持ちになる。それに今日は、自分も約束を反古にされているのだ。ひとのことを笑える立場ではない。
 よくよく考えてみれば、竹内が振られたのは薪が居合わせてしまったせいとも言える。自分が通りかからなかったら、竹内はおかしな見栄を張ることもなく、彼女を説得していたかもしれないのだ。
 そんな思考が、薪の足をその場に縫いとめていた。

 竹内はまだ薪のほうを見ている。
 薪と目が合うと軽く右手を上げ、こちらに歩いてきた。悪びれもせず、あっさりと今の寸劇を解説する。
「振られちゃいました」
 なんと言ったらいいものか見当もつかず、薪は困惑の表情で不倶戴天の敵を見上げた。


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帰郷(5)

帰郷(5)







「振られちゃいました」
 竹内が端的に状況を説明すると、薪はなんとも可愛らしい表情で竹内を見上げてきた。

 白いカシミヤのコートに包まれた薪は、竹内が知っているどの女性よりもきれいだった。コートで体の線が隠されるうえ、こんな表情をしてしまったら、もはや女性にしか見えない。
 先刻も薪の姿に気づいて、目が離せなくなってしまったのだ。
 華奢な肩をすくめ、両腕を胸の前で抱き合わせ、にっこりと笑ってこっちを見ていた。薪が自分に微笑みかけてくれている―――― それはどんなプレゼントより、竹内を喜ばせた。こんなところで薪に出会えるなんて、聖夜の奇跡だと竹内は思った。

 ……薪本人の意向とはだいぶ違っているが、竹内にはそう見えた、と言うことだ。

 竹内の薪に対する気持ちは、最近になってがらりと変わった。
 以前は蛇蝎のように嫌っていたのだが、あのおとり捜査の一件以来、薪のことが気になって仕方がない。決して近寄らなかった第九にも、捜一の先輩である岡部を訪ねる振りをして、頻繁に顔を出すようになっている。
 竹内は自分の気持ちの正体に気付いている。
 捜査のために女装した薪の美しさに目を奪われて、冷静な仮面の下の熱い正義感にこころを奪われた。それからずっと魅了され続けている。
 つい先日も、夢に見てしまったくらいだ。夢の中の薪は、竹内に笑いかけてくれた。その笑顔は例えようもなくきれいで――――。

「……痛そうですね」
 彼女に思い切りひっぱたかれた竹内の頬は、真っ赤に腫れあがっている。やさしい気遣いがうれしかった。
「平気です」
 薪に心を奪われてから、竹内はそれまで付き合っていた何人かの女性と縁を切った。
 というより、振られた。
 デートの最中だというのに、竹内は相手の女性のことでなく薪のことばかり考えるようになってしまっていた。
 映画を見れば薪はどんな映画が好きなんだろうとか、食事をすれば食べ物の好みはなんだろうとか、ショッピングに行けばこの服は薪に似合いそうだとか、極めつけはベッドの中で、これが薪だったら……とか。振られて当然だ。

「僕のせいですか?」
 自分の気持ちを悟られたのかと、竹内は驚いて薪の顔を見る。竹内の視線をはぐらかすように、薪は目を伏せてきれいな横顔を見せた。
「僕がじろじろ見てたから、その、竹内さんが素直になれなかったっていうか。そういうことですか?」
 薪は意外なくらい他人に気を使うタイプだ、と岡部が言っていたが本当らしい。

「違いますよ。デート中に、他のひとのことばかり考えてしまって。『どうしたの?』って彼女に聞かれたから、正直に言ったらああなりました」
「なにも正直に言わなくたって。彼女も怒りますよ、それは」
「仕方ないです。他に好きなひとができちゃいましたから」
 竹内の言葉によほど驚いたらしく、薪は亜麻色の眼を丸くして竹内の顔をじっと見つめた。長い睫毛が何度も瞬いている。
 仕事のとき以外は、あれで結構かわいい顔もするんだぞ、とやはりこれも岡部のセリフだが。けっこうなんて半端なもんじゃない。めちゃめちゃかわいい。

「常時3人は恋人がいるって評判の、竹内さんらしくないじゃないですか」
 いつもの皮肉な口調に戻って、薪は竹内を揶揄する。片頬だけで意地悪そうに嗤う、4ヶ月ほど前までは竹内が大嫌いだったはずの顔だ。
 しかし、いまの竹内の色眼鏡には、そんな薪が魅力的に映る。
 結局、受け取る方の問題なのだ。相手を嫌っていれば、例えそれが満面の笑みでも、腹の中では何を思っているのか分からないなどと邪推したりするものだし、逆に相手のことを好きなら、どんな顔をしていても可愛いと思うものだ。

「はい。自分でも驚いています。自分の中に、こんな純粋なものが残っているとは思っていませんでした」
 きっとそれは、相手が薪だからだ。
 真っ直ぐに事件に向かう薪に、自分は惹かれたのだ。
 薪の中の揺るがない正義感に、いっさいの妥協をしない捜査の姿勢に、竹内は惚れ込んでいる。薪のその純粋さが竹内の心を捉えているから、竹内も自然に感化されたのだ。

 竹内があまりに素直に話すものだから、薪は戸惑っているようだ。
 無理もない。これまでは会えば嫌味の応酬だったのだ。
「室長は今日はどうなさったんですか? おひとりみたいですけど」
「僕も今日はすっぽかされてしまって」
 答えてすぐに、しまった、という顔をする。竹内の変貌に調子が狂ったのか、今のは失言だったらしい。
 しかし信じられない。薪との約束をすっぽかすなんて。何でもいいから罪状をでっち上げて、手錠を掛けてやりたいくらいだ。
 だが、そのおかげでこうして話ができるのだ。薪が女連れだったら、竹内のことを無視したに違いない。

「許せないですね。どこの女です?」
「いえ、今日は部下と」
「部下? クリスマスイブに?」
 すっぽかされたというのだから、相手は一人だろう。めずらしいイブの過ごし方だが、これが本当だとすると。
「もしかして、彼女いないんですか?」
「……悪いですか」
 開き直ったらしく、薪はそんな言い方で竹内の疑惑を肯定した。

 薪に特定の相手がいない―――― 竹内は、思わず込み上げてくる笑いを必死で押し殺した。
「いいえ。俺も今、いなくなりましたから」
 先刻の場面を思い出したのか、薪の目が同情を含む。
 べつに同情は要らないが、すこし弱気な薪の顔はとても愛らしくて、何度でも見たくなる。このまま誤解させておいたほうが得だ。
「こういうときは美味いものでも食べて、パーッと酒でも飲むと気が晴れるんですよね。予定がないのなら、付き合っていただけませんか?」
 だめもとで誘ってみる。
 薪が自分を嫌っているのは知っているが、今日くらいは付き合ってもらえるかもしれない。なんといっても、今日はクリスマスイブなのだ。

「僕がですか?」
 ……露骨にイヤそうだ。
「諦めが早すぎるんじゃないですか。もう一度、先ほどの彼女を誘ってみてはどうですか」
「彼女とはもう終わりました。他に好きな人ができたって言ったでしょう?」
「じゃあ、その好きなひととやらを誘ってください」
「……いま誘ってるじゃないですか」
「は?」
「いえ、何でもありません」

 薪は、眉根を寄せて竹内を見た。
 ちいさなくちびるがすぼめられて、細い人差し指が当てられる。考え込むときにこんな動作をしているところを、竹内は何度か目にしている。
 たぶん、自分が薪を誘った裏を読んでいるのだ。自分は薪に信用されていない。
 竹内は苦笑して両手を肩の両脇に上げ、降参の意を示した。
「室長が俺を嫌いなのは知ってます。でも、今日は一時休戦ということにしませんか? 寛容と友愛の象徴、キリストの誕生日なんですから。いがみ合いはやめましょう」
 尤もらしい理屈をつけて、懐柔作戦に出る。こんなチャンスは滅多にない。なんとかものにしたい竹内である。
「お願いします、薪室長」
 竹内は頭を下げる仕草で、薪の顔を覗き込んだ。先刻の彼女に対する態度とは雲泥の差である。

 反射的に身を引く薪の初々しさに、愛しさが込み上げてくる。
 好きな相手のために、こんなにひたむきになれる自分を発見して、竹内は嬉しくなった。
 自分の中にも薪のような純粋な部分がある。そのことを薪に知って欲しい。それには一度、ゆっくり腹を割って話をしないと。

「銀座の山水亭って知ってますか?」
 ふいに薪は、そんなことを言い出した。
 山水亭は竹内も知っている。有名な料亭で、日本料理の専門店だ。そこに行きたいのだろうか。しかし、あそこは完全予約制だ。
「あそこに僕の名前で予約が入れてあります」
 そうか。薪の今日の約束はそこだったのだ。だから銀座で出会ったのか。
 竹内は嬉しさのあまり、頬が紅潮するのを感じた。
 約束相手の代打とはいえ、薪が誘いにのってくれた。小躍りしたいくらいだ。
 
「よかったら使ってください」
 薪は細いあごをしゃくって、竹内の後ろを指し示した。
 薪の視線に促されて竹内が後ろを向くと、さっき別れたはずの彼女が街灯の影からこちらを伺っている。彼女とはもう、と言い掛けるが薪はすでに竹内に背を向けていた。
「待ってください、室長!俺はあなたが……」
 背中にかかる竹内の声はきれいに無視して、人ごみに紛れ込む。身長の163cmの薪ならではの早業だ。
 薪の姿を見失って、竹内は肩を落とした。その隣に彼女がやって来る。

 女の顔は、覚悟を決めた顔だ。彼女は竹内の気持ちに気付いている。
「山水亭の予約を譲って貰っちゃったよ」
 彼女は美しい眼で竹内の顔を見つめる。
 竹内を虜にしたはずの、ヘーゼルナッツの瞳。半年前にはあれほど夢中になって口説き落としたのに――― いま竹内が見たいのは、薪の亜麻色の瞳だけだ。
「一緒にいく?」
「いいわ。最後の晩餐にしてあげる」
「うん……ごめん」

 クリスマスイブに彼女と別れるなんて、初めての経験だ。我ながらバカなことをしているな、と竹内は思う。薪に操を立てても、当の本人はちっとも気付いていないのだ。自分の健気さに涙が出そうだ。
 しかし、そんな自分も悪くない。
 30歳を過ぎて、自分の中の純情や情熱などというものは、すべて失われてしまったと思っていた。つまらない大人になってしまった、と自分自身に幻滅していた。
 しかし、薪に心を奪われてからというもの、失くしたと思っていた感情が溢れ出すほどに沸いてきて、竹内は自分を見直した。薪を好きになればなるほど、自分のことも好ましく思えるようになった。

 薪を好きになって良かった。
 べつに報われなくてもいいのだ。どうせ室長は男だし、どうにかなりたいとは竹内は思っていない。

 心の離れた彼女と連れ立って歩きながら、薪の今日の約束相手は誰だったのだろう、と竹内は考えていた。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

帰郷(6)

帰郷(6)







 薪が自宅に帰りついたのは、8時過ぎだった。
 クリスマスイブの街はどこも恋人たちでいっぱいで、どんな小さなレストランも満席状態だった。結局、食事もしないで帰ってきてしまった。今日は山水亭の予定だったから、夕飯の用意もしていない。作るのもなんだか面倒だ。

「あーあ。やっぱりもったいなかったかな、山水亭の土瓶蒸し」
 キッチンのダイニングテーブルで、滅多に食べないカップ麺にお湯を注ぎながら、薪は気前が良すぎた自分をすこし後悔している。
 山水亭の特別メニューを竹内なんかにくれてやったなんて。豚に真珠どころか、100カラットのダイヤモンドだ。
 しかし、これで貸し借りなしだ。
 竹内には秋口の始めに、赤坂の料亭で世話になっている。そのあと何も返してなかったから、実は気になっていたのだ。敵とはいえ世話になったのは事実なのだから、やはりきっちりと返さねば気が済まないのが薪の性格である。これが恨みごとだったら、もちろん3倍返しだが。

 薪は、しっかりと竹内の様子を見届けてきていた。
 クリスマスケーキの箱を2つも抱えたサラリーマン風の男の陰から竹内のほうを見ると、彼女と並んで何か話していた。そのまま連れ立って歩き出した。きっと仲直りしたのだ。美男美女で、本当にお似合いのふたりだ。些細な喧嘩は二人の絆をより強めただろう。薪はそう信じて疑わなかった。
 ……とにかく、薪は恋愛の機微には疎い。
 竹内が本当は自分に惚れていることも、彼女が薪を一目見てそれに気づいたことも、薪はぜんぜんわかっていない。いま自信たっぷりに解釈を述べた場面だとて、もう少し近くに寄れば読唇術の心得がある薪のこと、別れを口にする彼女と、ごめんと謝る竹内の会話が読めたはずだ。

「山水亭の特別メニューだぞ。あれ食って落ちない女なんかいないだろ。いまごろ竹内のやつ、僕に感謝してるだろうな」
 まったく見当違いの見解に達して、薪は割り箸を割った。
「そんな殊勝なやつじゃないか」
 匂いだけは本物のようなラーメンを啜りながら、自分の誕生日にはいつもろくなことがない、と考える。

 毎年この日はひとりだ。
 鈴木は雪子さんとデートだし、バカ騒ぎは嫌いだからとクリスマスパーティの誘いは断っていた。
 本当にパーティが嫌いなわけではなくて、今ごろ鈴木と雪子さんは何をしてるんだろうと思うと、とても人には見せられないような顔になってしまうから……だから薪は、いつも一人きりでイブを過ごしてきた。なんとも寂しい誕生日だ。

 一昨年のクリスマスイブは、鈴木とふたりきりで山水亭で食事をして、それはとても楽しかったけれど、その場で雪子さんとの結婚話を聞かされて、どん底まで落ち込んだし。
 結局、鈴木と初めてセックスした20歳のイブしか幸せな思い出なんかない。翌年のイブにはもう鈴木との仲は壊れかけていて、僕は料理を作って一晩中待っていたけれど、鈴木は来てくれなかった。あの日も、今日みたいにすっぽかされたのだ。

 鬱々と嫌なことばかり浮かんできて、薪は箸を置いた。発泡スチロールの容器の中には、まだ半分以上残っている麺が、すでにふやけている。
 ディスポイザーに、カップ麺の残りを乱暴にぶちまけた。
 だいたい青木が悪い。
 誘っておいて来れないなんて、勝手すぎる。ちゃんとした理由も説明してくれなかったし、あれじゃ何がなんだか。
 それに、なんとなく不自然だ。
 青木が自分との約束をキャンセルするなんて、と自惚れた考えが浮かぶ。慌ててそれを否定して、同時にいくらかほっとしている自分に気づく。

 インスタントコーヒーをコーヒーカップに入れて、薪はリビングのソファにうずくまった。
 もしも今日、青木と二人で食事をしていたら、保留の答えを訊かれていたに違いない。
 薪の中でその答えはすでに出ている。
 もちろん、ノーだ。自分には鈴木以外ありえない。青木には、はっきりとそのことを伝えるつもりだった。
 それが先延ばしになって、安堵している自分がいる。薪にはその理由がわからない。

 ……まあいい。
 明日になれば、青木から連絡があるだろう。今日のキャンセルの理由を説明してくるに違いない。どんな理由があったにせよ、簡単には許してやらない。
 「土下座くらいで済むと思うなよ」
 土瓶蒸しの恨みは深い。

 香りばかりで味の薄いインスタントコーヒーを飲みながら、薪は青木への意地悪をあれこれ考えている。青木の困った顔を思い浮かべると、少しだけ気分が良くなる。
 あのときも、青木は面白い顔をしていた。
 勘違いから始まった先々週の休日。不覚にも青木のペースに乗せられて、結局一日一緒に過ごしてしまった。
 カフェで食事をしてマンションの大掃除をして、それから映画に出かけて別れ際に軽いキス……あれはまあなんというか、たいした意味はなかったのだが、その瞬間の青木の愕然とした表情が面白かった。
 そのあと10分くらい、ドアの前で固まっていたらしい。あのくらいで動けなくなってしまうのだから、ちゃんとしたキスをしてやったら、本当に石になってしまうかもしれない。

 そういう作戦もありだな、と薪は思う。ひとに意地悪をするためなら、薪は大抵のことは我慢できる。なかでも青木の素直な反応は、とても楽しい。
 青木の情けない顔を想像して、薪はくすくすと笑う。
 今年もろくなことがなかった誕生日だが、それもあと数時間で終わりだ。早く明日になればいい。
 
 青木に最大のダメージを与えることができる言葉を探して、薪の36回目の誕生日は更けていった。


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帰郷(7)

帰郷(7)







 連休明けの第九に、青木の姿はなかった。
 青木の父親が突然倒れて、今なお意識不明の重態である―――― 青木から連絡を受けた室長の説明で、第九の職員たちは初めてそのことを知った。

「何日か休みになると思うから、青木のフォローはみんなでしてくれ」
 室長の言葉に全員が頷く。
 新入りがひとり欠けた位で業務に支障をきたす第九ではないが、ひとりひとりの雑務が増えるのは事実だ。コピー取りや資料探し、買出しや伝票の整理など、下っ端の仕事は青木が全部やっていたのだ。そのぶん他の職員たちが捜査に集中できたのだが、その青木がいないとなると、誰かが仕事の手を止めなくてはコーヒー1杯飲めない。
 なにより、あの背の高い新人がいないと、モニタールームがとても広く感じる。いつの間にか、青木は第九の風景になくてはならないオブジェとなっていたようだ。
 
「心配でしょうね、青木のやつ」
「親父さん、早く回復するといいけどな」
 素直で元気な今年の新人を、第九の職員たちはとても可愛がっている。
 年は自分たちよりずい分と若いが、その若さゆえの情熱を一心に仕事に傾けて、自分たちの教えることをどんどん吸収していく。
 この一年で、青木は目を見張るほど成長した。
 捜査だけでなく、MRIシステムの専門的な勉強もよくしている。何がここまで青木を仕事に駆り立てるのかは不明だが、仕事熱心な後輩を嫌う先輩など存在しない。

「なにをぼやぼやしている! さっさと手を動かせ!」
 室長がほんのわずかな私語に、目くじらを立てる。今日は虫の居所が悪いらしい。
 第九の面々は、そそくさと仕事にかかる。
 いつもなら午前中は全員のモニターを見て回るはずの室長は、黙って室長室にこもってしまった。こういうときは本当に機嫌が悪いのだ。さわらぬ神になんとやらで、今日は室長室には近づかないほうがいいようだ。

 年末年始のこの時期、さぞや忙しいかと思いきや、意外なくらい第九は余裕だ。
 逆に窃盗や強盗の係の捜査2課あたりは、目が回るほど忙しい。これは毎年のことで、年の瀬というものは小さな事件ばかりが数多く起こって、猟奇犯罪というものは起きることが少ない傾向にあるからだ。第九の捜査は、春から夏がいわば全盛期なのだ。
 よって室長にも、そう多くの仕事があるはずはない。
 特に薪は仕事を次の日に持ち越すのを嫌うから、休み前にすべての書類を所長に提出済みのはずだ。
 が、昼過ぎになっても、薪は室長室から出てこなかった。
 室長室からは、物音ひとつ聞こえてこない。さすがに心配になって中を覗いてみようと思うが、朝の室長の様子を思い出すと、やぶへびになりそうで怖い。
 機嫌が悪いときの薪の怖さはメデューサ並で、見たものは石になってしまうくらい怖いのだ。
 その上にいつもの毒舌が加わって、けちょんけちょんに罵倒される。あのきれいな顔からは想像もつかないようなひどいことを言われてしまうと、その後はしばらく立ち直れない。そんな苦い経験を、第九の職員はみな1度は味わっているのだ。

 二の足を踏んでいる間に時間ばかりが過ぎて、時計は2時を回ってしまった。
「岡部さん。室長の様子、見てきてくださいよ」
「嫌だよ。俺だってああなったときの室長はこわいよ」
「岡部さんなら大丈夫ですよ、きっと」
 もちろん保証はない。
「曽我、おまえ行ってこいよ」
「いやですよ! さっきだって俺、心臓止まるかと思ったんですから」

 そのときの室長の様子を思い出して、曽我は慌てて首を振った。
 昼食に弁当を取ることになって、その注文を聞くために、曽我は一度だけ室長室のドアを開けたのだ。すさまじい目でぎろりと睨まれて、低い声で「いらない」と言われただけなのだが、その冷ややかさは研究室の暖房が止まってしまったのかと思うほどだった。
 
「じゃあ宇野。おまえなら」
「嫌です! この前なんかMRIのバックアップ、ひとりでやらされたんですよ。しかも2日でやれって言われて。トータルで44時間かかるのに」
「何時間かかるか、ちゃんと説明したのか?」
「知ってますよ、室長は! 『時間的に2日はきついです』って言ったらあの冷たい表情で『宇野、数字に強いおまえらしくないな。1日は24時間あるんだぞ。2日あれば4時間は寝られるだろう?』って。もう絶対に嫌です!」
 みんな陰でどれほど苛められているか分からない。他の職員も似たり寄ったりの経験をしているのだ。だれも側に寄り付かなくなるわけだ。

 しかし、放っておくこともできない。
 捜査が混んでしまったときはともかく、こんな暇な時期に食事も摂らず、朝から室長室にこもりきりというのは初めてだ。
 それに遅かれ早かれ、今日仕上げた書類には室長の印鑑をもらわなければならない。夕方になってから下手なことをして、今からMRIのメンテナンス作業をしろなどと言われて、全員夜中まで残業になるより、ここいらでご機嫌伺いに行ったほうが得策だ。

「ああ、青木がいればな」
 今までこういうときには、青木に白羽の矢が立っていたのだ。
 薪は青木の淹れるコーヒーが大のお気に入りで、青木がそれを持って室長室へ入ると、完全に横を向いてしまっていたヘソが60度くらいには直って、いつもの少し意地悪な室長に戻るのだ。
「仕方ない。じゃんけんだ」
「分かりました。恨みっこなしですよ」
「最初はグー!」
「あっ! おまえ今、あと出ししただろ!」
「してませんよ! 岡部さん、自分が負けたからって言いがかりつけないで下さいよ!」
「普通は3回勝負だろ、こういうのは!」
「……いつからここは小学校になったの?」
 その声は第九の職員にとって、神の声にも聞こえた。
 クリスマスケーキの箱と手提げ袋を持って、法一の女医が呆れた顔で立っている。ケーキの差し入れに来てくれたらしいが、実にいいタイミングだ。
 雪子は大学時代からの薪の友人だし、普段からいろいろと世話になっている。雪子なら今の薪のことも、上手くあやしてくれるに違いない。
 
「三好先生、お願いします!」
「いやよ、あたしだって。メデューサ状態の薪くんなんでしょ。また『あなたには決定的に想像力が欠けている』とか言われちゃうじゃない」
「なんの話ですか? それ」
「まあ、冗談はおいといて。原因はなんなの?」
 原因を訊かれても、さっぱりわからない。みな一様に首を傾げるばかりだ。
「じゃあ、このケーキで懐柔してみるか。青木くん、コーヒー……」
 そこでようやく新人の不在に気付き、雪子は周囲を見回した。
「あれ? 第九のバリスタは?」
「実は青木の親父さんが」
 雪子は事情を知って、薪の引きこもりの原因に思いあたった。

「曽我ちゃん。10分後に薪くんの部屋に、コーヒーとケーキ持ってきて」
「俺がですか!?」
「大丈夫。薪くん、不機嫌なわけじゃないと思うから」
 物言わぬ死体の声を聞くことのできる監察医は、薪の声なき声も聞くことができるのだろうか。

 雪子は第九の職員たちににっこりと笑いかけ、室長室のドアを開けた。




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帰郷(8)

帰郷(8)






 薪はデスクに向かって仕事をしていた。
 ただ、ヘンな格好をしている。
 椅子の上にしゃがんで背中を丸め、うずくまったままキーボードを叩いている。しかも、雪子の姿に気付かない。このまま声を掛けなければ、たぶん1時間でも気付かないままだろう。
 面白いのでとりあえず写真に撮り―――― 雪子はいつも白衣にデジカメを忍ばせている―――― それから手提袋を机に置いて、中身を取り出した。
 水色の包装紙の上に、青いリボンが掛かっている。雪子が用意した薪への誕生日のプレゼントだ。
 
「薪くん」
 声を掛けるが気付かない。
 こんな薪は前にも見たことがある。こうしてうずくまるのは、薪がどろどろと考え込んでいるときのクセだ。今日は何を考え込んでいるのだろう。
「薪くん」
 機械的に仕事はしている。しかし、明らかに意識は別のところにある。
 自分の考えた袋小路の中で、ぐるぐる回っているに違いない。こういうときは、無理やりにでも現実に戻したほうがいい。
 
「ハッピーバースデー!」
 大きな掛け声と同時に、青いリボンが薪の顔面に突き刺さった。さすがに意識が戻ったらしく、目をぱちくりさせている。無防備なその顔は、相変わらず可愛らしい。
「雪子さん」
「はい、これ。お誕生日おめでとう」
「ありがとうございます。もう、誕生日って年でもないですけどね」
 薪は照れたような笑顔を浮かべて、軽く頭を下げる。
 室長は雪子にだけはどんなときでもやさしい、と第九の職員たちは思っているようだが、薪が本当に不機嫌なときは、実は雪子にもどうにもならない。どんな状態の薪でもうまく懐柔できるのはただひとり、かつての親友だけだ。今はもういないが。

「今、コーヒーとケーキがくるから。一緒に食べましょ」
「はい」
 今日は不機嫌なわけではなく、何か考え込んでいるのだろう、と雪子には察しが着いていた。
 曽我の問いかけに、薪は「いらない」と返したと聞いた。機嫌が悪ければ「いらん!」と吐き捨てるように言うはずだ。そんなニュアンスの違いが、男どもには分からない。
「あの……」
 室長室のドアがノックされて、曽我の小さな声が聞こえる。雪子に言われた通り、ケーキとコーヒーを持ってきてくれたらしい。が、怖くて中に入れないのだろう。
 雪子はドア口まで歩いて曽我からトレイを受け取ると、礼を言ってドアを閉めた。

 デスクの上の書類を片隅に寄せ、ケーキとコーヒーを並べてから雪子は腕を組んだ。
 さて。今回は何を考え込んでいるのか、聞きださねば。
 薪は自分のおかしな格好に今頃気が付いて、床に足を降ろした。靴を履いて立ち上がる。それから大きいほうのケーキを雪子に渡し、自分はコーヒーを手に取った。
 カウチに雪子と並んで腰かけ、コーヒーの湯気に目を細めて薪は何事か思い起こしているようだ。
 カップに口をつけて眉根を寄せる。軽く舌打ちしてカップをソーサーに戻した。どうやら味に不満のようだ。
 
「やっぱり、青木くんじゃないとだめ?」
 青木の名前を出すと、薪はひどく驚いた顔をしたが、すぐにコーヒーのことだと分かったらしい。苦笑して「そうですね」と頷いた。
「青木くんのお父さん、心配ね」
「ええ」
「いつごろ帰ってこれそうなの?」
 雪子の問いかけに、薪はしばらく黙り込んだ。
 言おうか言うまいか迷っているようだったが、やがて、雪子さんも気になっているでしょうから、と前置きして話し始めた。
 
「青木はもう、帰ってこないかもしれないです」
「え? なんで?」
「お父さんの病名は脳溢血だと聞きました。助かっても後遺症が残るでしょうし、リハビリも必要でしょう。青木のお姉さんは既に大阪に嫁いでいますから、お母さんがひとりでお父さんの世話をするようになってしまいます。
 もしお父さんに万が一のことがあったら、やはりお母さんがひとりで暮らすようになってしまいます。青木は長男だし、どちらにせよ実家に戻ると思います。事情が事情ですから、警察庁を辞めなくても福岡県警に異動できるように、いま書類を揃えて」
 薪の言葉に促されて机の上を見ると、青木の履歴書と異動願いの用紙が既に書き込まれていて、後は青木の印を押すだけになっている。警務部の人事課に宛てた室長名義の事由書がPCの画面に映っており、あのおかしな格好で、先ほどはこれを打ち込んでいたのだと雪子は理解した。

 しかし、雪子には少し疑問が残る。
 あの青木がそう簡単に第九を、もとい薪のことを諦めるとは思えない。

「ちょっと待って。青木くんがそう言ったの?」
「青木は……できるだけ早く帰ると……」
 やっぱりそんなことだ。
 捜査のときは絶対にしないことだが、それ以外のことになると、薪の思い込みはめちゃめちゃ激しい。しかも必ずといっていいくらい、悪いほうへ悪いほうへと考えを進めるのだ。楽天家の雪子にはどうしても理解できない思考回路である。

「本人が帰るって言ってんのに、なんでそんな書類作ってんのよ」
「いや、だって。遅かれ早かれ必要になると思うし」
 薪の言うことは最もだが、いちばん肝心なことが抜け落ちている。
 青木の気持ちだ。
 青木は薪の傍を離れたくないはずだ。帰ってきて薪にこの書類を見せられたら、青木はきっと泣くだろう。
「今そんなこと考えても仕方ないでしょ。考えるのは結果が出てからでも遅くないわよ。青木くんのお父さんだって、元気になるかもしれないじゃない」
「……だといいんですけど」

 鈴木が心配していたのは、薪のこういうところだ。
 常に最悪のパターンを想定して予防線を張る。
 それは管理職として当然のことかもしれないが、薪は仕事以外のことについても、とにかく考えすぎるのだ。特に人間関係においてはそれが仇になって、身動きが取れなくなってしまう。
 雪子の辞書の1項目には『当たって砕けろ』という文字が記されているが、薪の辞書にはその言葉ない。
 これだから薪には友だちが少ないのだ。
 人と人との関係なんて、飛び込んでみなければ分からないものだ。それを試みもしないで自分の思い込みだけで付き合おうとするから、当たり障りのない希薄な人間関係しかできないのだ。
 
「とにかく、これは早まらないほうがいいんじゃない?」
 薪の仕事に口を出す気はないが、もしも先走ってしまったら取り返しの付かないことになる。青木が帰ってきたときには自分の席がない、などということになりかねない。
「まずは青木くんの意向を確かめないと」
「僕の方から確認してみます」
「こっちから言うことないじゃない。どうしても実家に帰らなきゃならないと思えば、青木くんのほうから言ってくるわよ」
 雪子の主張を、薪は否定した。細い首を左右に振って、またもや自分の予想を述べる。まったく、薪の先読みのクセは限りがない。

「青木のやつ、言い出しづらいんじゃないかと思って」
「なんで」
「24日の夕方に電話があったとき、僕に本当の理由を言わなかったから。あいつ、たぶん僕に心配させまいと遠慮して……」
 薪の根拠はよく分からない。
 父親のことを説明するのでなかったら、そもそも何のために青木は薪に電話をしてきたのだろう?
「わざわざ電話をしてきたのに、本当のことを言わなかったの? 青木くん、そのときなんて言ったわけ?」
「急な用事ができて、今日は行けないって」
 はっとして薪は口を閉ざした。
 薪にしては珍しい失言だ。それを逃す雪子ではない。

「約束してたんだ。誕生日に」
 雪子が意味ありげな視線を巡らすと、薪は微かに赤くなった。
 普段ならポーカーフェイスでごまかされてしまうところだが、今日は色々なショックが重なったせいか、仮面をつける余裕がなかったらしい。
 ここはもう少し突っ込むところだ。
「クリスマスイブだしね」
「ち、違います! そういうんじゃなくて、ただ食事を」
 慌てふためく薪を見るのは久しぶりだ。つんと取り澄ましたいつもの表情より、雪子にはこちらのほうが実は馴染み深い。

「山水亭だって言うから、ついその……すみませんでした」
「なんであたしに謝るのよ」
 山水亭の情報を教えたのは雪子だが、青木もなかなか頑張っているようだ。
 しかし、青木もついていない。せっかくの薪とのクリスマスデートの当日に、こんなことが重なってしまうとは。
 ―――― 克洋くんがやきもち妬いて邪魔してるのかしら。
 やりかねない。
 鈴木はあれでけっこう嫉妬深い。自分は雪子と付き合っているくせに、薪が他の人間と仲良くするのは面白くないのだ。鈴木はそんな身勝手な自分を薪にはとてもうまく隠していたが、雪子はとっくにお見通しだった。

「ねえ、薪くん。青木くんは第九の仕事が大好きだったわよね」
 突然脈絡のない話を始めた雪子に、薪は戸惑ったような顔をしながらも頷いた。確かに青木は、いつも楽しそうに仕事をしていた。
「苦労してⅠ種試験に通って。画像に吐きながらMRIの操作を覚えて。試験勉強もして、警部にも昇任して。ずいぶん頑張ってきたわよね」
 自分などより薪のほうが青木の頑張りを良く知っているはずなのに、何故そんなに簡単に青木が第九を離れることができるなどと思えるのだろう。苦労して手に入れたものの価値は、何物にも変えがたいということが分からないのだろうか。

 分からないのかも知れない。
 薪は天才だから、試験や仕事で苦労した経験があまりないのかもしれない。
 薪が苦労しているのは、主に人間関係だけだ。自分の親も早くに亡くしているから、他人の親のことでも冷静に見ることができないのだろう。

「もちろん、親も大切。でも、親と仕事とどっちを選ぶかは本人が決めるべきじゃない? そこに薪くんが意見を言うことで、本人の気持ちがどちらかに傾いてしまうんじゃないかしら。
 それは後々、青木くんのためにもならないと思う。自分の人生が変わってしまうわけだから、他人は口を挟むべきじゃないと私は思うわ」
 自分の意見をきっちりと述べて、雪子は大口を開けてケーキに噛り付く。フォークは使わずにかじったほうが、ケーキはおいしいのだ。さすがに外ではやらないが。

 薪はしばらくの間コーヒーを飲みながら黙り込んでいたが、やがて顔を雪子のほうに向け、くすっと笑った。
「雪子さん。鼻の頭にクリームついてますよ」
 この食べ方は、これが欠点だ。必ずどこかにはクリームがついてしまう。鈴木もこの食べ方が好きで、お互いの顔についたクリームを掬い取って舐めたものだ。
「良かったら僕のもどうぞ」
「それは薪くんのバースデーケーキだから。ちゃんと食べてね」
 薪が甘いものが好きではないのは知っているが、昼食も食べていないと聞いた。今日はムリにでも食べてもらおう。
「ありがとうございます」
 薪は素直に礼を言うと、フォークを使って小さな口でケーキを食べ始めた。雪子とは対象的な優雅な食べ方だ。何をやってもきれいな男なのだ。

「じゃあね、薪くん」
 薪がケーキを食べ終えたのを確認して、雪子は勢いよく立ち上がった。
 青木の淹れたコーヒーより数段落ちる苦い液体でケーキの甘さを流して、雪子は室長室を後にした。



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帰郷(9)

帰郷(9)







 青木からの連絡が入ったのは、2日後のことであった。
 父親が意識を取り戻し、小康状態に入ったとの知らせだった。
 とりあえずは落ち着いたらしい。電話の向こうの青木の声もいくらか明るくて、電話に出た岡部をほっとさせた。

『仕事のほうは大丈夫ですか?』
「ああ、大丈夫だ。今時期はけっこうヒマなんだ。こっちのことはいいから、親父さんの側にいてやれ」
『ありがとうございます。あの、室長に代わってもらえますか?』
 薪は、今井の後ろからモニターを覗き込んでいる。
 普段と変わらないように見せかけているが、背中にいつもの張りがない。ここ2、3日は、背中を丸めた室長の姿をよく目にしていた。
「室長、青木からです」

 薪はすぐに電話に出て、開口一番に父親の様子を聞いた。
 意識を取り戻したと聞くと、ぱあっと明るい笑顔を浮かべ、部下たちをびっくりさせた。室長のそんな笑顔は、赤い雪より珍しい。
 ところが、その口から出てきた言葉はかなり辛辣だ。
「おまえなんかいなくても、業務に支障はないぞ。いないほうが仕事がはかどるくらいだ。いっそ、この機会に1年くらい休暇を取ったらどうだ。もちろん1年後におまえの席はここにはないが」
 表情と話の内容がまるで一致していない。これは薪にしかできない芸当だ。
 ひどいですよ、と言う喚き声が聞こえる。室長の意地悪を真に受けているらしい。第九の新人は何でも本気にするのだ。

「この電話、室長室へ回してくれ。ちょっと青木に話があるんだ」
「薪さん、例の話はまだ」
「こういうことは、早いほうがいいんだ」
 先日の薪の腹積もりを、腹心の部下は聞いている。
 岡部も雪子と同じ意見だ。いくら親のこととはいえ、青木がそう簡単に第九を離れるとは思えない。

 まだ何か言っている電話を机上に置いて、薪は室長室へ入っていく。
 岡部が受話器を取り上げて、青木に釘を刺した。
「あのな、青木。室長に何か聞かれたら、自分の気持ちを正直に答えろ。迷うことがあったら即答せずに、ゆっくり考えてから返事をするんだぞ。何を聞かれても焦るなよ」
『え、岡部さん? あれ?』
 電話の相手が急に代わって、びっくりしている新人からの長距離電話を、室長室に内線で回す。ワンコールで薪の涼やかな声が聞こえて、岡部は受話器を戻した。

 今回のことは岡部の目にも、薪が先走り過ぎている様に思える。捜査のときに十重二十重に仮説を張りめぐらすのは薪の得意技だが、これはすこし事情が違う。
 薪には、早め早めに仕事を片付けるクセがある。どうせやらなくてはいけないことなら、早くやってしまおうと思うらしい。その考えがマイナスに働くと、どうせ失ってしまうものなら自分から捨ててしまえ、となる。
 基本的に薪は、来るもの拒まず去るもの追わずだが、部下に関してはもう少し追いかけてやらないと本当はまずい。部下が自分の価値を見失ってしまうからだ。
 だから、第九を去ろうとする部下を説得するのは、岡部の陰の仕事だ。青木も岡部の説得でここに残ることを決めたのだ。青木の場合は他にもかなり大きな要因があったようだが。

 青木が室長の話にショックを受けて、第九を止めるなどと言い出したら引きとめるべきかどうか、今回は迷うところだ。あの時とは事情が違う。単に青木のやる気でどうにかなる問題ではないのだ。

 岡部は室長室の中の会話の行方を心配して、そのドアを見つめ続けていた。



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帰郷(10)

帰郷(10)








「なんだかみんな、仕事がスムーズに進むらしくてな。僕の机もこの2、3日、とてもきれいなんだ。なんでだろうな」
 室長の嫌味はまだ続いている。全開という感じだ。久しぶりの獲物に、嬉々として言葉が止まらないらしい。
『それってオレがいないほうが仕事がはかどるってことですか!?』
 我知らず微笑んで、薪は受話器に耳を傾けている。その笑顔は皮肉なセリフにそぐわない、とても幸せそうな微笑で、他人から見たらまるで恋人からの電話を受けているようだ。

『あんまりですよ、オレだって頑張ってるのに、そんな』
 青木の声は悲壮な響きを帯びる。きっと情けない顔をしていることだろう。
 薪の顔が満足げに緩む。
 相手を嘆かせたり凹ませたりすることに、無上の喜びを感じるらしい。困った性格である。
『そうですよね。オレなんかいなくても、誰も困らないですよね』
 拗ねた口調だ。この辺で許してやるか。

「僕はすこし困ってるぞ」
『コーヒーですか?』
 その理由は本当は別のことだが、ここでは言えない。というか、こいつには絶対に言ってやらない。
「そうだ。曽我が淹れるコーヒーは濃かったり薄かったりして、味が一定しないんだ」
『曽我さんは、ちゃんと量らないから』
「今度は岡部に頼んでみようかな」
『岡部さんはもっとダメです。宇野さんに頼むといいですよ』
「わかった。そうする」
 何気ない会話が薪の心を和らげていく。
 自分はいつからこの新入りに、こんなに癒されるようになっていたのだろう。

「青木。いま、ちょっと大丈夫か」
『はい。いいですよ。父は眠ったところですから』
 言わなければならない。
 青木にとっては、とても重要な人生の転機だ。
 父親の容態が落ち着けば、おそらく家族の間でそんな話も出てくるに違いない。その前に青木にいくつかの選択肢を提示してやることは、有意義な家族会議の助けになるだろう。
「これからのことだが」
『はい』

「……いつごろ帰ってこれる?」
 ―――― ちがう。
「なるべく早く帰っ……」
 自分の口から出た言葉に驚いて、薪は息をのんだ。
 なんだ? このセリフは。青木は今、大変なときなのに。

 黙り込んでしまった薪の耳に、青木の穏やかな声が聞こえた。
『このまま父が落ち着いているようでしたら、一旦、そちらへ戻ります』
「……うん。待ってるから」
『はい。淋しい思いをさせてすみません』
「ばっ、なに言ってんだ!僕がいつ……!」
『あはは。あ、母が呼んでるので、切りますね。勤務中に長話してすみませんでした』
 青木からの電話が切れた後、薪はしばらく動けなかった。

 何故あんなことを言ってしまったのだろう。あれじゃまるで、離れ離れの恋人同士みたいな会話じゃ……。
「なにやってんだ、僕……」
 机に肘をついて頭を抱え込む。
 結局、あの話はできなかった。どうしても言葉にならなかったのだ。
 言わなくてもいい皮肉はいくらでも出てくるのに、肝心要のことが言えないなんて。

 無意識のうちに、薪は靴を脱いだ。椅子の上に膝を抱えて丸くなる。
 青木の頑張りはずっと見てきた。
 誰よりも純粋で、誰よりも熱心で。薪を目標だといってはばからない、真っ直ぐに自分を見つめる瞳―――― あの目に自分は勇気付けられてきたのかもしれない。

 あの事件があって、すべてを失ってしまった自分に―――― 誰よりも大切な親友を喪い、今まで積み上げた実績もキャリアも信用も、全部なくなってしまった人生の落伍者のような自分に―――― 憧れて第九に来た、と言った新人の熱い目に、僕をこんなふうに見てくれている人もまだいたんだ、と思えて……嬉しかった。
 自分はそんな大層な人間じゃないと思いながらも、本当はうれしかった。
 青木の尊敬が心地よくて、だからあいつを突き放せなかったのかもしれない。
 褒めてもらいたがり屋の子供は、まだ自分の中から消えていないのか。こんなことでは、いつになったら鈴木に追いつけることか。
 自分の虚栄心を優先させて大切なことを言えなかったなんて、室長失格だ。
 僕が未熟だから、鈴木はなかなか迎えに来てくれないのだろうか。
 先日も夢の中で『もう少し頑張れよ』と言われたが、あれはそういう意味だろうか。この世界の苦痛にもう少し耐えろ、と鈴木はそう言ったのだろうか。

 だめだ、落ち込みそうだ。
 薪は大きくかぶりを振って、答えのない疑問を頭の中から追い出した。

 今は勤務時間中だ。仕事をしなければ。
 青木が自分を尊敬してくれるのなら、それに値する人間になってやる。部下の偶像を壊さないように努めるのも、上司の仕事のひとつだ。

 薪は、足を床に降ろした。
 背筋をしゃんと伸ばして胸を張る。机の上の報告書に手を伸ばして、中身を確認し始める。左手でPCを操り、内容をひとつひとつ検証していく。疑問点には付箋を貼って担当者につき返す。詰めが甘いと思えば赤いペンでチェックを入れる。
 部下から上がって来た報告書に、機械的に判を押すだけの上司も中にはいる。ひどいものになると、部下が上司の書くべき所見まで作成してくる。が、薪は自分の判を押すものに関しては、すべてを把握するのが当然だと思っている。そのための確認印であり、そのための室長所見だ。
 ただ、薪のようにここまで詳しく照合作業やチェックをするとなると、自分の仕事が膨大なものになってしまう。だから適当なところで折り合いをつけるのが正しいやり方なのだが、薪の場合それができない。部下を信用していないわけではないのだが、そういう性分なのだ。

 報告書の束を持って、薪は室長室を出た。
 モニタールームの部下たちに、報告書の訂正や追記を命じて、きつい一言を添える。部下たちは苦笑して薪の指示に従う。
 ここ何日かは、この皮肉は聞けなかった。この皮肉がないと、なんとなく物足りないような気分になる。複雑な心理だ。人間というものは、どんな環境にも慣れていく生命体であるらしい。
「ようやくいつもの室長だな」
「室長、青木のお父さんのことをよほど心配していたんですね」
「室長も人の子だったってわけか」
 薪の耳に届かないように、岡部と曽我はこっそりと囁きあう。隣のデスクから小池と今井もやってきて、親しみを込めた陰口に参加する。

 宇野のデスクでMRIの誤作動に関する専門的な会話を交わしている薪の横顔がきりりと引き締まっているのを見て、部下たちは一様に安堵の笑みを浮かべる。
「皮肉を言わない薪さんなんか、気持ち悪いよな」
「薪さんから皮肉と嫌味を取ったら、何も残りませんからね」
「わがままと自分勝手が残るだろ」
「お天気屋と癇癪持ちも残りますよ」
 辛口の人物評に、全員が声を殺して笑いあう。
 室長が元気になったのが嬉しくて、つい軽口を叩いてしまう。言葉はひどいが、職員たちの表情は明るい。

「楽しそうだな。何を話してるんだ?」
 いじめっ子のオーラを全身から発散させて、薪がこちらを振り返った。部下たちの表情が一斉に凍りつく。
 極上の作り笑顔をにっこりと浮かべ、薪は腕を組んで胸をそらした。
「今日は全員でMRIのシステムチェックだ。ひとりも帰さんぞ」

 ……室長の耳は地獄耳。
 全員が薪の新しい陰口を思いついて、第九の部下たちは顔を見合わせたのだった。


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帰郷(11)

帰郷(11)







 青木の父親が亡くなったのは、その翌日のことだった。
 意識を取り戻し、小康状態を保っていたのは僅か1日のことで、容態が急変し、手当ての甲斐もなく息を引き取ったということだった。
 正月明けを待って葬儀を執り行うので、あと10日ほど実家に居させて欲しい―――― 電話に出た岡部に、青木は沈んだ声で事情を説明した。

「わかった。こっちは大丈夫だから、無理はするなよ」
『ありがとうございます。長引いてしまってすみません』
「気にするな。……室長に代わるか?」
『いいえ。岡部さんから伝えてください』
 室長の声を聞きたがらない青木に、岡部は不安を感じる。例の話を、青木は室長から聞いてしまったのだろうか。

「青木。この前、室長が言ったことだがな。あまり深刻に考えないほうがいいぞ。べつに室長はおまえを追い出そうってわけじゃ」
『オレがいない方が、仕事がはかどるって話ですか? わかってますよ。あれは室長のいつもの冗談でしょ。シュールすぎて笑えませんけど』
 どうやら聞いてはいないらしい。薪でも言おうとして言えないことがあるのか。
「室長はジョークが下手だからな」
『薪さんに、なるべく早く帰りますって伝えてください』
「ああ」

 岡部は電話を切って、室長室へ向かった。
 青木の父親が亡くなったことを告げると、薪は亜麻色の目を大きく瞠り、長い睫毛を伏せた。
 その瞳が哀しみを湛える。両肘を机について、組み合わせた手で口を覆う。
「そうか。亡くなったのか……」
 近しい人を喪う哀しみは、岡部も薪も知っている。岡部の父親も数年前に亡くなっているのだ。
「弔電と……花輪の用意を。総務部に葬儀の通達の手配と、経理部に香典の申請と、みんなにも報せて。個人的な香典は取りまとめて送るから……そうだ、雪子さんにも報せないと」
「俺がやりますよ。室長はこいつを見ておいてください」
 岡部は出来上がった報告書の束を薪の机に置くと、葬儀関連の仕事は全部引き受けると言ってその場を離れた。
 薪にはなるべく、ひとの死を連想させる仕事をさせたくない。捜査で人の死に触れるのは仕方がないが、こういったことはまた別だ。

「薪さん。青木から伝言です」
 思い出して、室長室の出口で振り返る。薪はまだ固まったままだ。
「なるべく早く帰ります、って言ってましたよ」
「帰るって、あっちが実家なのにな」
「青木にとってはもう、こっちが自分の家なんじゃないですか」
 というか、たぶん薪のいるところが青木の帰りたいところなのだろう。
 岡部は青木の気持ちを知っている。そして、薪の心の中で、青木が大きな存在になってきていることも。
 岡部にとっては、少し悔しくもある。
 自分には、薪を電話一本で元気にしてやることはできない。あんな幸せそうな微笑を浮かべさせてやることも、薪の意地悪心を思う存分満たしてやることも。……逆にあそこまで思いつめさせてしまうこともないが。

 岡部はモニタールームに戻ると同僚たちを呼び集め、青木家の訃報を伝えた。
 全員が暗い顔つきになる。みな、青木のことを好ましく思っているからこその心配顔であり、可愛い後輩に対する心からの憐憫なのだ。
「葬儀が済んだら、青木は帰ってくるんですよね」
「ああ。葬儀は正月が明けてからだそうだから、あと10日ほどだ」
「雑用係がいないと、何かと不便だよな」
「特に夜食の買出し。この季節は寒くて嫌だよな」
 不平不満の衣をかぶせて、それぞれが青木のことを口にする。素直に早く帰ってきて欲しいとはなかなか言えないが、みな青木の存在を大事に思っているのだ。

 ―――― みんなが待ってるぞ、青木。

 青木の家庭の事情については難しい問題だが、決めるのは青木自身だ。本人の意思を尊重して、できるだけのことをしてやろう。
 岡部は総務に提出するための書類に葬儀の日程を書き込みながら、第九に残るにしても福岡県警に異動になるにしても、青木の味方になってやろうと心に決めた。



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帰郷(12)

帰郷(12)







 それから半月後。
 第九は室長の怒鳴り声と事件の緊張感に包まれて、本来の姿を取り戻していた。
 
「何をとろとろやってんだ! おまえら、5人目の被害者が出るまで手をこまねいて見ているつもりか!」
 今日も薪の雷はすごい。研究室の空気がびりびりと震えるほどの声である。
「3人目の画像の修復はまだできないのか、小池!」
「すいません、急いでるんですけど」
「貸せ! こんなもの」
 小池からMRI用のマウスを奪い取ると、薪は素早くサーチを開始し、ものの5分で画像を修正して見せた。
 小池の顔をぎろりと睨みつけ、息が掛かりそうなほど近くから大声で罵倒する。
「この役立たず! 普段からの練習が足りないんだ! しっかり訓練しとけ!」
 薪が背中を向けると同時に、小池は耳を押さえる。きっと頭の中に『役立たず』の文字がぐるぐる回っていることだろう。
「曽我、ここを見ろ! どうしてこんなにはっきり映ってるのにおまえはっ! いつまで正月ボケしてるんだ!!」
 次は曽我の番だ。坊主頭を両手で掴まれて、モニターにぶつかりそうなほどに近づけられている。これでは見たくても見えない。

「室長。どうぞ」
 怒りまくる室長の鼻先に、良い香りのする魅惑の液体が差し出される。
 それを持ってきたのは、もちろん第九のバリスタだ。黒色の熱い液体は、薪の愛用の白いマグカップの中で、持ち主の口付けを待っている。
「ばかやろう! コーヒーなんか飲んでるヒマが」
「室長、もうお昼すぎですよ。食事を摂ったらみんなも頭が冴えて、きっと捜査の能率も上がりますよ。みんな室長みたいに、コーヒーだけでは元気が出ないんですよ」
 青木の言葉に、室長はワイシャツの袖を右手で押さえ、腕時計を確認した。
 いつの間にか12時を30分も越えている。時間に気付かなかったのは薪のうっかりだが、そんなことに引け目を感じるような謙虚な心は持ち合わせていない。一食や二食抜いたところで、人間死にはしない。ただ、集中力が落ちるのは確かだ。
「……休憩だ。ただし、全員30分で戻って来い!」
 進行中の事件があるときの薪は、確実に鬼だ。

「薪さん、今日も元気だなあ」
「こないだから全開だもんな。ついていけないよ」
 室長の気が変わらないうちにと、部下たちは急いでモニタールームを出て行く。30分では売店で弁当を買って掻っ込むのが精一杯だ。
 職員たちが出て行った後のモニタールームには、室長がひとりでコーヒーを飲みながら画面を見続けている。薪は捜査に夢中になると、こうして食事を摂らなくなってしまうから困りものだ。

 薪の隣の席に、背の高い男が座った。布製の巾着袋と日本茶を机に置いて、薪と一緒にモニターを覗き込む。
「おまえ、行かないのか」
「オレ、今日弁当作ってきたんです。食いますか?」
「弁当ってそれだけか」
 巾着袋から取り出したのは、大きなおむすびが3つ。おかずは無いようだ。なんとも寂しい弁当である。
「それじゃ栄養のバランスが摂れないだろう」
 食事を抜いてしまう人に言われたくはないと思うが、こんなことはもう慣れっこだ。いちいち突っ込みを入れる気にもならない青木である。

「実は今月、飛行機代とか色々出費がかさんじゃって。給料日までオケラなんです」
「だから無理しないで、あのバカから料亭の代金、返してもらえば良かったんだ」
「いいです。竹内さんには冤罪かけちゃいましたから」
 青木の言葉で、薪はそのときのことを思い出す。
 思い出して、モニターに視線を逃がす。頬杖をつく振りをして、熱くなってしまった頬を隠した。



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帰郷(13)

帰郷(13)







 4日前の夜、青木は第九に帰ってきた。
 時刻は8時を回っており、第九には薪しか残っていなかった。正月明けで事件も無く、みなほぼ定時退室する日々が続いていたのだ。
 一般の職員と違って、室長には事件の捜査以外にも様々な仕事があり、その日は定例会議の資料作りをしていた。
 壁に作り付けの資料棚の前で、30枚ほどの印刷物を揃えている。いつも気を利かせて手伝ってくれる新人がいないせいか、家に帰っても何もすることがないせいか、薪は近頃この時間はひとりで室長室にいることが多くなった。

「薪さん。ただいま帰りました」
 ノックと同時に開けられたドアの向こうに、背の高い第九の新人が立っていた。思いがけない来訪者に、薪の目が大きく見開かれる。
 不意打ちをくらって、薪の心臓が跳ね上がった。
 思わず手に持っていた資料を取り落とす。ばさばさと音を立てて、印刷物が薪の周りを取り囲んだ。

「大丈夫ですか? 手伝います」
 空港から真っ直ぐここに来たと見えて、青木は大きなボストンバックと紙袋を3つも持っている。福岡銘菓と袋にあるから、同僚への土産物かもしれない。親の葬儀のための帰郷だったのに、そんなことまで気を回すなど、律儀な青木らしい。
 薪はまだ動けない。
 大きな亜麻色の眼で、青木の顔を見つめたままだ。
 そんな薪に笑いかけて荷物を床に降ろすと、青木は薪の周りに散らばった資料を拾い始めた。手早く種類別にまとめて、クリップ止めにする。手馴れたものだ。
「薪さん。ホチキス貸してください」
 机の引き出しを開けてホチキスを探す青木の手が止まり、それまでにこやかだった顔がふいに曇った。
 
「なんですか、これ」
 引き出しから取り出した数枚の書類を薪に突きつけて、青木は言い募った。
「どういうことですか。なんでオレが福岡県警に異動しなきゃならないんですか」

 しまった。
 例の書類を、不用意に机に入れたままにしていた。

 青木が職場に連絡を入れてきたら、その話をするつもりだった。
 しかしこんなふうに、すでに書類まで揃えた状態でいると知られてしまうのは、薪のシナリオには無かった。これではまるで、第九から出て行けと言っているようなものだ。そんなつもりではなく、選択肢の一つとして……。
 いや、ちがう。
 青木は責任感が強いから、自分からは言い出しづらいはずだ。これは室長の仕事だ。

「お父さんを亡くされて、実家のお母さんはどうするんだ? 遠く離れた九州で、一人で暮らすのか?」
「母はまだ元気ですし、近くに親類もいますから。オレがいなくても大丈夫ですよ」
「おまえ、長男だろう。それでいいのか」
「そんなことを心配して、こんなもの作ってたんですか? なんでオレがそんなに簡単に薪さんの傍から離れると思えるんですか? 薪さん、オレの気持ち分かってますよね。オレ、何回も言ったじゃないですか。ちゃんと聞いてました?」
 青木の口調は、今までにないくらい激しかった。
 こんな風に、青木が薪に言い返すことは珍しい。ここは冷静に話し合わねばならない。薪は努めて落ち着いた声で言った。
 
「青木、よく考えろ。親は1人しかいないんだぞ」
「薪さんだって、ひとりしかいません」
「僕の代わりなんかいくらだって」
「薪さんの代わりなんかいるわけないでしょう! いい加減にしてくださいよ、オレだって今は結構いっぱいいっぱいなんですよ」
 無理もない。
 青木は親を亡くしたばかりなのだ。きっと泣きたいに違いない。それをこらえて職場に出てきたのだろう。
 青木はまだ24歳だ。肉親を亡くした悲しみを制御しきれるほど大人ではない。ましてや突然のことだった。たぶん今頃になって、強烈な喪失感を味わっているのだ。

 青木の心情を思いやると、何も言えなくなってしまう。肉親を亡くす哀しみは、薪にも察しがつく。
 薪が二親を亡くしたのは30年も昔の話だが、親友を亡くしたのはまだ記憶に新しい。きっとあの時の自分に近い哀しみを、青木はいま噛み締めているに違いない。

 ふたりが黙り込んだところにノックの音がして、すらりとした美男子が現れた。
 捜査一課の竹内だ。こんなところに何の用だ。
「守衛さんから青木が来たって聞いて。お父さん、気の毒だったな」
「……どうも」
 竹内は、なぜか青木のことを気に入っている。
 赤坂の料亭で意気投合したと言っていたが、こいつとの付き合いはやめて欲しい。きっとなにか下心があるに違いないのだ。
 薪の凶悪な視線に気付いて、竹内は苦笑し、背広の内ポケットから白い封筒を取り出した。それを薪のほうへ差し出す。中にプラスチック爆弾でも入っているのだろうか。

「室長。山水亭の食事代です。これはやはり、俺が払うべきだと思いますから」
「それはこいつが」
 薪は、青木のほうを眼で指し示す。青木はこわばった顔で竹内を見ている。
「え? じゃ、室長の約束相手っておまえだったの。へえ」
 竹内が差し出した封筒を、断固として青木は受け取らなかった。何故かとても複雑な顔になって、薪と竹内の顔を見比べている。
「いらないです。あれは薪さんにプレゼントしたんです。一旦ひとにあげたものを、返してもらおうとは思いません」
 いつも素直な青木らしくない。
 しかし、いまの青木は普通の精神状態ではない。親を亡くした哀しみの中にいるのだ。青木が落ち着いてから出直してくる、と竹内はあっさりと引き下がって、室長室を出て行った。
 竹内は竹内なりに、青木のことを心配して様子を見に来たのだ。もしかして、竹内は本当に青木のことを気に入っているのかもしれない。

 竹内がいなくなると、青木は先刻の怒りを思い出したかのように薪に詰め寄ってきた。
 身体の大きな青木に追い込まれて、キャビネットに背中がぶつかる。これ以上後ろに退がれない状態で、薪は青木の怒りを受け止める格好になった。
「なんで竹内さんなんですか? オレは岡部さんと行って下さいって言ったじゃないですか。竹内さんの気持ち、知っててやってるんですか!?」
 青木は誤解している。
 山水亭に行ったのは、竹内と竹内の彼女だ。薪は行っていない。

「ちがう。僕は行ってない。それに、岡部は親戚の結婚式で」
「あんまりですよ! いくらなんでも竹内さんはないでしょう。だいたい薪さんは、ひとの気持ちに鈍感すぎるんですよ。さっきの異動願いだってオレに一言も無く、ひどいじゃないですか!」
 薪の話をまったく聞いていない。
 感情が乱れすぎて、ひとの言葉が耳に入らないらしい。
「だから僕は行ってないって」
 薪は弁明を続けようとして、途中で止めた。

 青木が子供のように駄々をこねるなんて初めてだ。
「……そうだな。僕が悪かった」
 ここはそういうことにしておいてやろう。青木が落ち着いたら、倍にして返してやればいいだけの話だ。

「おまえの気持ちも考えずに、こんな書類を作って悪かった」
 薪は青木の手を取り、大きな手に握られたままの異動願と数枚の推薦状をもう一方の手で引き抜いた。
 青木の前で、その書類を破り捨てる。くしゃくしゃと丸めてゴミ箱に放り投げる。紙くずと化した書類は、きれいな放物線を描いてゴミ箱に入った。

 細いあごを上げて、青木と目を合わせる。
 青木の目には、もう怒りの色は無い。どんなときでも単純な男なのだ。
「悪いと思ったら、おまじないしてください」
 その要求に応えるべきかどうか、薪は迷う。
 青木の言う『おまじない』とは、秋の初めに1度してやった例のジンクスのことだ。
 でも、あの時はまだこいつの気持ちを知らなかった。だから平気でやれたのだ。
 青木の気持ちを知った上でやるには、あれは―――― まずい。というかやばい。
 
「オレ、このままだとすごいポカやらかしそうです」
「僕を脅す気か?」
「まさか。でもこの次は、MRIシステムごとフォーマットかけちゃいそうです」
「それはもはやテロ行為だろ」
 青木は床に膝をついて、薪の胸の前に頭を差し出した。
 第九の新人は、薪よりも30cm近く背が高い。膝立ちの姿勢がこのおまじないにはベストポジションだ。
 細い手が、オールバックに撫でつけた頭を優しく撫でる。
 青木の髪は、固くて太くて真っ黒だ。薪の亜麻色の細い髪とは対照的である。その男らしさが薪には少しうらやましい。

「そうじゃないですよね。ちゃんとやってください」
 青木は、薪の華奢な体に抱きついてきた。
 やっぱりこうくるよな、と薪は顔をしかめる。
 これ以上のことをしてくるなら、投げ飛ばしてやる。ガタイが大きいだけの青二才など、怖くもなんともない。いざとなれば股間を蹴り上げて逃げ出せばいいのだ。
 しかし、青木は動こうとはしなかった。
 その口元から、かすかな嗚咽が洩れている。薪の頼りない胸で、静かに涙を流している。

 薪はなぜ青木がこんな時間に傷心を抱えたまま職場に出てきたのか、ようやく理解した。
 こいつは第九へ泣きに来たのだ。
 青木は長男だから、実家ではしっかりと家長の役割をこなして、気を張って葬儀を取り仕切ってきたのだろう。青木家のたった一人の男として、母親や姉のことを気遣ったり慰めたり、たとえ親を亡くしても泣いていることなどできなかったのだ。自分の哀しみに浸る暇などなかったに違いない。
 独りになって、ようやく泣けるようになって。でも自分のものしかないアパートでは淋しすぎて。例え誰もいなくても、仲間を連想させるこの第九で、涙を流したかったのだろう。

 薪は青木の頭を抱きしめて、子供をあやすように黒い髪を撫でてやった。
 でかい子供だ。
 でも、よく――――。
「よくがんばったな。おまえ、まだ24だもんな。よくやった」
 薪の心からのねぎらいに、青木の嗚咽は激しくなった。
 号泣したいのを我慢しているときに、こんなふうにやさしくされたらひとたまりもない。ましてやその人物が、恋をしている相手なら尚更だ。
 薪はかなり焦っている。
 目の前で、誰かにこんなに泣かれたのは初めてだ。
 親友の前で泣いたことは多々あるが、泣かれた経験はないのだ。
 あのときの鈴木も、こんな気持ちだったのだろうか。だとしたら悪いことをしてしまった。泣いたほうはすっきりするのだが、泣かれたほうはおろおろしてしまう。なんとかこの涙を止めてやりたくて、この哀しみを少しでもやわらげてやりたくて、何かしなければという強迫観念に駆られてしまう。

「青木、青木……」
 呼びかけるが、嘆きはおさまらない。
 当たり前だ。自分の親を亡くした慟哭が、そう簡単に落ち着くはずがない。
 それでも。
 何とかしてやりたい。せめてこの涙だけでも――――。

 やわらかい唇が、そっと青木の涙を吸った。
 驚いた青木の嗚咽が止まる。
 薪の顔が目の前にある。長い睫毛が伏せられて、ちいさな唇が、自分の涙に濡れた頬を滑っていく。
 つややかなくちびるは、頬から口元へと移る。自分の唇に触れたやわらかい感触。
 青木の手が薪の頭を押さえ、反対の頬へと移動しようとしたくちびるを捉えた。
 ふかく重ね合わせる。吐息の隙間から舌を入れて絡ませる。

 細いからだがこわばる。が、今回は殴られなかった。
 青木の頭を両腕で抱えたまま、薪は自分から舌を絡ませてきた。

 2度目のくちづけは、塩辛い涙の味だった――――。



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帰郷(14)

帰郷(14)







 自分の頬の熱さを感じながら、薪は隣の新人の様子を横目で伺った。
 不恰好なおむすびを、美味そうに食べている。
 具は梅干しか入っていないが、それでも満足らしい。こいつは基本的に食えるものなら何でもいいんだな、と理解して薪は、頭の中の残像を振り払った。

「おまえその弁当、何日続ける気だ?」
「給料日まであと10日くらいですから。平気です」
「10日だけなら、僕が作ってやろうか」
 しまった。
 口がすべった。
「本当ですか! やった!」
 …………遠慮しろ。

 薪はあからさまに舌打ちしながらも、自分の言葉の責任を持つことにした。
「前の日の残り物とか、家にあるもの適当に詰めるだけだぞ」
「うれしいです。薪さんの料理は、最高に美味しいですから」
 口に入れば何でもいいくせに、と薪はまたひねくれたことを考えている。
「山水亭の料理には、遠く及ばないけどな。ああ、食べたかったなあ、土瓶蒸し」
 まだ言っている。
 食べることにはあまり興味がないくせに、これだけは別らしい。
「オレには薪さんの料理のほうが、ずっと価値があります」
「おまえの価値観て、変わってるよな」
「オレの優先順位は薪さんが一番で」
 ふと、薪の目と青木の目が同時にモニターに吸い寄せられた。

「……今のところ!」
 2人の声が重なる。
 同じ言葉がもろにかぶって、ふたりは顔を見合わせた。
「おまえも気付いたのか」
 やるようになったな、こいつ――――。
 薪は内心の感嘆を隠して、気付いて当然という表情を装う。
「まあ、ようやく人並みか。もう1年だからな」
「目指せ薪警視正、ですから」
「ふん。そう簡単に追いつかれてたまるか。じゃあ、こいつはどうだ?」
「……気付きませんでした」
「一場面に2つの手がかりがないとは限らない。おまえは1箇所見つけたら次に行ってしまう傾向があるから、気をつけろ」
 まだまだ青木は、新米の域を出ていない。褒めたからといって図に乗るようなやつではないが、自分のウィークポイントを知るのは大切なことだ。
「はい」
 力強い声で返事をし、青木はモニターを真剣に見つめ直した。
 穏やかでおとなしいくせに、粘り強くてしつこい。いつもの青木だ。

「ようやくいつものおまえらしくなったみたいだな」
「薪さんのおまじない、ものすごい威力でしたから」
「あれは」
 いきなり核心に切り込まれて、薪の顔が赤くなる。
 こいつはどうしてこういうことを平気で言ってくるんだ?若いってのはまったく……。

「今回は特別だ。もうしない」
「そうなんですか?」
 薪のきっぱりとした終息宣言に、しゅんと肩を落とす。
 が、すぐに立ち直って、青木はさらにもう一歩、薪のほうへと踏み込んできた。
「それじゃあ今度は、オレが薪さんにしてあげますから。いつでも言ってください」
 薪がいつも見とれてしまうあの屈託のない笑顔で、そんなことを提案してくる。
 こいつ、僕がこの顔に弱いの知っててやってるんじゃ。

「ひとが気を使ってやりゃ図に乗って。おまえ、このごろ調子に乗りすぎだぞ」
「薪さんのせいでしょ。そっちからしてきたんじゃないですか」
「僕が何をしたって!?」
「あれ? とぼける気ですか?」
「―――― だってあの時は、おまえがあんまり泣くから……!」
「すごくうれしかったです」
 全開の笑顔を向けられて、薪はそこで何も言えなくなる。
 大切な人を亡くしてからまだ半月だというのに、もうこんなふうに笑えるのか。たとえ表面上だけだとしても、笑うことができるのか。
 薪にはまだ、こんな笑顔はできない。
 鈴木を亡くしてから、薪の笑顔は静かな微笑へと変貌した。昔の写真でしか、薪の明るい笑顔を見ることはできなくなった。もう一年以上経つのに、薪のあの笑顔は戻ってこない。
 永遠に戻ることはないのかもしれない。心から笑うことができない。それが下された罰ならば、諦めるより仕方がない。

「でかい図体して、ビービー泣きやがったくせに。写真に撮っといてやればよかった」
「写真といえばこれ、三好先生から貰っちゃいました。お年玉ですって」
 ジャケットのポケットから、青木は大判の封筒を取り出した。
 中には一枚の写真が入っており、そこには薪が、室長席の椅子の上にふくろうのようにしゃがみこんでキーボードを叩いている姿が映っていた。
「雪子さん……いつの間に」
「これ、めちゃめちゃかわいいですよね」
「捨てろ! シュレッダー行きだ、こんなもの!」
「いやですよ。オレがもらったんですから、これはオレのです」
 雪子からのお年玉を取り上げようとする薪の手を避けて、青木は写真を封筒に戻した。
「スキャナーで読み込んで、PCの壁紙にしようかな」
「ふざけるな!!」

 薪は立ち上がって、青木の手から封筒を奪おうとしてきた。
 が、いかんせん、身長差がありすぎる。背伸びをしてもジャンプしても、まるで届かない。
 もみ合っているうちに、写真は封筒から抜けて床に落ちた。それに気付かず、薪は青木の手に残っている封筒を取ろうと必死に手を伸ばす。
「よこせ! 肖像権の侵害だ!」
「いやですったら」
 そこへ時間に正確な第九の部下たちが帰ってきた。
 小池が床に落ちた写真を拾い上げて、思わず噴き出しそうになる。当然のようにみんなに見せて、笑いをこらえる辛さを全員が共有する。
 写真の主は青木とじゃれるのに夢中で、部下たちに問題の写真が見られてしまったことに気付いていない。いま声を出したら、大変なことになりそうだ。

「あ、お帰りなさい。今、室長と新しい手がかりを」
 薪の視線が小池の手を捉える。
 とっさに隠すが、室長の動体視力は昆虫並みだ。人間の速さでは、とてもごまかしきれない。
「小池、それ……!」
「何も見てません! ヘンな格好だなんて、誰も思ってませんから!」
 小池の失言にみんなが青くなる。薪のきれいな額に青筋が立った。

「今日は徹夜してでもこのヤマ挙げるぞ。おまえら、寝てるヒマなんかあると思うなよッ!!!」
 最大級の雷が落ちて、その日の第九は間違いなく警察庁でいちばん長い勤務時間を記録したのだった。


 ―了―





(2008.10)


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帰郷~あとがき~

 これでふたりが出会った記念すべき年、2060年はお終いです。

 青木が薪さんに恋をしてから、8ヶ月。告白してから2ヶ月。
 ぜんぜん進展しませんね(笑)
 いい大人のクセにキス止まりって(やっぱりBLとRの看板、下げたほうがいいかな)中学生がママゴトやってるみたい(呆)
 いつになったらくっつくんですかね、このふたり。(←他人事?)

 遅々として進まないあおまき小説にお付き合い下さって、感謝に耐えません。
 本人ですらイライラしてるのに、読んでくださってる方はやってられないだろうな、と思います。
 2061年もこの調子です。
 つらい事件や様々な出来事を通して、ふたりがだんだん近付いていくようになります。
 まあ、青木くんの玉砕は続きますが(笑)
 飽きられるの覚悟で、時系列に載せていくつもりです。前の話を読んでいないと、解らない部分も出てきてしまうので。

 退屈しのぎに何かないかとお探しの方、または眠れない夜の睡眠導入剤としてお使いいただければ光栄です。
 読んでいただいて、ありがとうございました。


 ここからは私事ですので、本来ならここに書くことではないのですが。
 この創作の背景を少々。
 もちろん、読み飛ばしOKです。本編には全然、関係ありません。



*****




 わたくしごとで恐縮ですが、去年の11月に、義父が他界いたしました。
 10年以上も一緒に住んでいて、とても可愛がってもらっていたものですから、わたしも立ち直るのに時間が掛かりました。

 今回の話で青木が、実家で泣けずに第九に泣きに来る、という状況は実体験からです。
 わたしの夫は長男で、懸命に葬儀を取り仕切り、泣いているヒマなどありませんでした。涙にくれる義母を慰め、わたしを慰めて、自分は泣きませんでした。

 夫が初めて泣いたのは、葬儀が終わった後でした。
 すべて終わって、気が緩んだのでしょうか。わたしの前で、ぼろぼろ泣きました。
 男の人があんなふうに泣くのを見たのは初めてで、わたし自身、おろおろしてしまいました。
 わたしはけっこう泣き虫で、夫の前ではよく泣くんです。映画見てもTVドラマ見ても、しょっちゅう泣いています。逆の立場は初めてのことでした。

 泣いたほうはすっきりするけど、泣かれたほうは堪らない気持ちになる。

 あのとき、それを痛感しました。で、この話になったんです。
 そんなわけで、この創作はわたしにとって、とても思い入れの深いお話だったのです。



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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
毎日たくさんの拍手をありがとうございます。励まされてます。
おかげさまで、しづは元気で仕事してます。(10/28)
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