ファイヤーウォール(1)

ファイヤーウォール(1)






 真っ白い撥水タイルが張られた浴室で、亜麻色の髪の青年が、気持ち良さそうに手足を伸ばして湯に浸かっている。
 真新しい湯船。ピカピカ光る蛇口とシャワー。洗い場の鏡も、曇りひとつない。
 第九のユニットバス。これは薪の昔からの夢だった。

 室長という役職柄、職場に泊まり込むことが多い薪は、シャワー室と仮眠室の常連客だったが、実は大の風呂好きだ。温かい湯を張った湯船にゆったりと浸かって、職員のシフトを組んだり、事件の推理を組み立てたり、時には頭を空っぽにしてリフレッシュしたりする。湯の中はリラックス効果が高いせいか、割といい案が浮かんだりもするのだ。
 ただ、職場で昼間からゆっくり入浴というわけにはいかないし、進行中の事件があるときにはやはり時間が惜しいので、さっとシャワーで済ませることが多い。
 それでも、室長の風呂好きを知っている第九の新人が、気分転換にどうですか、と自分の仕事の合間をぬって、風呂の用意をしてくれる。用意も後始末もセルフで行うわけだから、これはかなり面倒な作業なのだが、この新人はとことんお人好しで、嫌がる素振りも見せずに薪に風呂を勧めてくれる。

 その日も時刻は10時を回っているというのに、書類が溜まって帰れない室長のため、心優しい新人は風呂の用意をしてくれた。薪がその時刻から風呂に入るとしたら、掃除の時間も含めて自分が帰るのは11時を過ぎてしまうのが分かっていて、まったくバカがつくほどに優しい男である。

 彼が薪にやさしいのは、今に始まったことではない。
 この新人は室長に傾倒していて、その忠誠心は第九の職員の誰よりも強い。もともと室長に憧れて第九に来た、という変わった男なのだ。
 その変わった男の名前は、青木という。

 そんな青木のことを他の職員たちは、おおかた薪の最年少警視正の肩書きに惹かれて来たのだろう、と思っていた。『氷の警視正』とか『鬼の室長』などと、とかく評判の良くない薪に憧れるとしたら、その1点に限るからだ。
 薪の真実の姿を知ったら、すぐに辞めてしまうに違いない。この見るからに気弱そうな新人が果たして1週間もつかどうか、職員たちの間で密かに賭けが行われていたことを青木は知らない。ましてや全員が1週間未満に札を張ってしまい、賭けが成立しなかったことは本人には絶対に内緒である。

 第九に入った新人は、2週間でその9割が辞めていく。
 MRIの凄惨な画に精神が耐え切れず、体を壊して去っていくものが全体の3割。そして室長の厳しさについていけないものが、6割。この新人は最後の1割に残ったというわけだ。
 だからといって、青木が特別優秀な人材だったわけではない。むしろ、逆だったといっても良い。だからこそ、彼は第九に残ることができたとも言える。
 たしかに、青木は東大の法学部を卒業したキャリアだが、第九ではただの新入りに過ぎず、配属されたばかりは、他の捜査官との間に絶大な実力の差があった。
 キャリア組というのは、概して挫折に弱い。
 頭は良く勉強もできるのだが、根性はいまひとつである。こういう職場に配属され、自分が一番出来の悪い人間の立場に置かれてしまうと、まずそのことに耐えられない。今まで人より劣った経験がないからだ。
 そこにきて薪の天才的な頭脳を見せ付けられると、自分が積み重ねてきたエリートとしての自信が粉砕されてしまう。自分の価値を見失うことから始まって、彼らのアイデンティティが崩壊するまでいくらも掛からない。
 エリートというのは悩みも高尚で、ナイーブだ。嫌な事があったらぱーっと酒でも飲んで忘れて、また明日元気に働く、なんて雑草(ノンキャリア)のような真似はとても出来ない。

 この新人の場合は、もともと飛び抜けて頭が良かったわけではない。
 もちろん一般的なレベルからしたら、東大法卒の学歴は大したものなのだが、キャリアで入庁するためには国家公務員Ⅰ種試験を受けて、全国でもトップレベルの高得点を獲得しなければならない。正直なところ、彼にはそこまでの頭脳はなかった。
 だが、彼はそれを果たした。

 これは第九でも一部の人間しか知らないことだが、青木が室長に憧れを持ったのは、大学時代のことだった。
 新聞記事で第九を知り、最年少警視正の存在を知り、その活躍を知って、何としてもここで働きたいと思うようになった。しかし、その当時第九に入れるのは超がつくエリートに限定されていたため、青木は必死で学業に励んだのだ。
 過去の経験から彼は、自分の身の程を知っていたので、自分が一番の下っ端という立場を素直に受け入れることができた。そして他の捜査官との大きな実力差を埋めようと、必死で努力をした。
 持ち前の粘り強さを発揮して、努力に努力を重ねた結果、いま彼は周りの人間が驚くくらいの力を身に付けてきている。特に第九の要でもあるMRIシステムの専門書には詳しく、エキスパートの宇野と並んで、システムエンジニアとしての地位を固めつつある。

 青木が1年がかりで手に入れた地位は、それだけではない。
 それは職務に関するポジションではないが、青木としてはこの立場が最高にうれしい。
 心から敬愛する室長のプライベートを、ほんのわずかだが共有できる立場。同性ならではのその関係を、飲み友達という。
 残念ながら2人きりではなく、岡部という先輩と一緒だ。
 岡部は薪がいちばん信頼している部下で、副室長的な立場にいるから、室長と副室長の親交を深める席に、新米の青木が紛れ込んでいるという状態なのだが。それでも青木にとっては、人生最大の楽しみといっても過言ではない。

 居酒屋やスナックなど、あまりうるさい場所が好きではない薪は、自宅で飲むことが多い。
 経済的だし、つまみも自分の好みに合わせた味付けにできる。薪は見かけによらずとても料理が上手だし、酒に酔うと処かまわず眠ってしまうクセがあるから、こちらのほうが都合がいいのだ。

 平日はなかなかお誘いがかからないが、週末の金曜日は薪の方から誘ってくれることが多く、最高に美味い手料理と、プライベート時の穏やかな微笑で彼らをもてなしてくれる。
 自分から誘っておいて、いつも一番最初に眠ってしまう薪をベッドに寝せて、そのあとは岡部とふたりで薪の話で盛り上がる。そのまま居間で雑魚寝して、翌朝は薪の美味しい朝食を食べて解散、というのがいつものパターンだ。

 薪と同じ屋根の下で眠ることができるこの特別な日を、青木はとても楽しみにしている。
 本音を言えば同じ部屋で、同じベッドで眠りたい。酒に酔って眠る薪もかわいいが、できることなら自分の腕の中で酔わせてみたい。目覚まし時計の代わりに、甘いキスで薪を起こしてやりたい。

 もうずい分前から、青木は薪に恋をしている。

 薪に振り向いてもらうため、様々な努力もしてきた。
 薪の大学時代の友人にアドバイスをもらい、思い切って図々しくなることに決めた。薪は気安く話しかけられない雰囲気の持ち主だが、意外なことに押しに弱いと彼女に聞いたからだ。
 だからたとえ平日でも退室時間が早いときには、手料理目当てを装って、薪の家に押しかけることにしている。迷惑そうな顔をしながらも、手を抜くことなく青木の分まで食事を作ってくれる薪のエプロン姿が、これまたかわいい。

 今週は薪の仕事が忙しく、連日深夜の帰宅となってしまったため、一度もそのチャンスは得られなかったが、週末はきっと一緒に過ごせる。薪もそのつもりで書類整理に精を出しているのだ。

 先々週、薪が作ってくれたちらし寿司の味を思い出しながら伝票の整理をしていると、研究室の壁にかかったインターホンが、ピーピーという音を立てた。
 このインターホンは、風呂場からの直通回線だ。つまり、薪からだ。

 薪が自分を呼んでいる。そんな些細なことすら、うれしい。
 青木は伝票を繰る手を止めて立ち上がり、受話器に手を伸ばした。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ファイヤーウォール(2)

ファイヤーウォール(2)






「はい。どうしました?」
 双方向性の通話装置は、ある事情によってごく最近研究室に取り付けられた。その事情というのが薪ならではの出来事で、あの時のことを思い出すたびに青木は苦笑してしまう。

 その時は進行中の事件の最中だったのだが、例によって飲まず食わず眠らずの室長に、少しでも休息を取ってもらおうと、青木は風呂の用意をした。
 行き詰った捜査に「リラックス効果の高い風呂の中で事件のことを考えれば、違う局面も見えてくるかもしれない」と言葉巧みに唆して、薪を風呂に送り込むことに成功した。
 ところが、その10分後。

「新宿駅の東口4番改札だ! メインスクリーンに出せ!」
 叫び声と共に研究室に駆け込んできた室長の姿に、第九は一瞬で機能停止状態になった。
「し、室長!」
 亜麻色の髪から雫が落ちている。湯に浸かっていたらしく、肌がピンク色に染まっている。滑らかな肩のライン。男にしてはくびれの強いウエスト。細い腰から伸びたきれいな足。きゅっと締まった足首の下は素足で、くるぶしの曲線がめちゃめちゃ色っぽい。
 腰にタオルを巻いただけのあられもない格好に、職員全員が慌てふためく。ロッカールームやシャワー室なら心の準備もできるが、こんな日常の研究室で見るには刺激が強すぎる。

「今井、拡大しろ。……ここだ、この駅員の手を見ろ。手袋をしていない。何らかの事情で、手袋を外さなければならなかったんだ」
 机に片手を突いて、伸び上がってモニターを指差す。爪先立った足にしなやかな筋肉が浮いて、きゅっと上向きのヒップがタオルの上からでも視認できる。
「まだ可能性に過ぎないが、もしかしたら血が付いたのかもしれない。犯行時の映像に手袋らしきものが映ってないかどうか、もう一度チェックしろ」
 画像を映し出している今井のほうを振り向きざま、腰のタオルがキーボードの端に引っかかって落ちそうになった。
「あっ!」
 見たいけど、見たくない。
 こんなきれいな生き物に、あんなものがついているとは認めたくない。複雑な男心である。

「僕は別に寒くないぞ?」
「こないだ風邪をこじらせたばかりじゃないですか。大事を取ったほうがいいですよ」
 とっさに目を覆った手の隙間から職員たちが見たものは、第九の新人に毛布でぐるぐる巻きにされている室長の姿だった。
 青木の機転で、職員たちの精神的ショックは最小限に抑えられた。
 そのあと薪は、岡部の小言をひとしきり聞いて、入浴中の緊急連絡のためにインターホンをつけることにしたのだ。

『青木。これ、どうしたんだ?』
「これってなんですか?」
『これだ、これ!』
 これではわからない。どうやら様子を見に行くしかないようだ。

 研究室を出て2番目のドアを開け、ロッカールームを通り抜けると、そこがバスルームになっている。脱衣所も整備され、鏡やドライヤーも備え付けられて、一応の身づくろいができるようになっている。
 青木は目隠しガラスのドア越しに、声を掛けた。
「どうしたんですか?」
「見てみろ! すごいぞ、これ!」
 見ろと言われても、困ってしまう。
 青木は、薪とそういう関係になりたいと思っている。他の職員とは違って、見たいけれど見たくないのではなく、見てしまったら大変なことになるから、見るのを我慢しているのだ。
 しかし、自分の指示に従わないと、薪は途端に不機嫌になる。週末の定例会に参加を禁じられでもしたら、1週間の頑張りはどこで報われるのかわからない。
 なるべく薪の姿を見ないように視線を上に向けて、青木はバスルームに通じる折りたたみ式のドアを押し開いた。

 ブクブク泡立つ湯船の中で、薪が子供のようにはしゃいでいる。湯船の床から気泡が上がる方式のバブルバスが、どうやらお気に召したらしい。
「こないだのお詫びにって、業者のひとがサービスしてくれたんですよ」
「お詫び」とは、薪が風邪をこじらせて3日も入院する一因となった、業者の施工ミスによる水災害のことだ。厳寒の夜に、蛇口から噴出した水を頭から被って濡れネズミになった薪は、その後風邪をひいてしまった。薪が風邪をこじらせた理由は、日頃の疲れやその他にもあったのだが、大本の原因はやはりこれだ。

「これ、新製品なんですって。昨日の昼間、わざわざ付けに来てくれたんですよ」
「こっちはなんだ?」
 湯船の背面に、見慣れない器具がついている。湯の中で手を伸ばして、物珍しそうにその機械を触っている薪の無邪気な表情が、たまらなくかわいい。
「それはジェットジャグジーです。そこに背中が当たるようにして、操作はパネルのボタンでしてください」
「これか?」
 給湯パネルに新設されたスイッチを押すと、背面に空いた4つの穴から勢いよくお湯が出てくる。オプション品で脱着式のものだが、背中と腰に分けて水流を調節できるようになっていて、強弱も自動でつけられる高性能の商品である。
 業者のサービスと薪には言ったが、実はクレームのお詫びだ。
 蛇口の故障のせいで、薪があんなひどい目に遭ったのだ。慰謝料と損害賠償を請求してもいいくらいだ。
 法学部の知識にものをいわせ、青木は丁寧に事細かくその辺のことを説明してやった。滅多に怒らない青木だが、今回は自分の命より大事なひとが熱を出して寝込んでしまったのだ。原因となった業者には、猛省してもらわなければ気が済まない。
 ここまで形になって返ってくるとは思わなかったが、薪がこんなに喜んでくれるのなら結果オーライだ。言ってみるものだ。

 風呂の入り口からは、薪の後姿が見える。見ないようにしてはいるが、やはり見てしまう。
 亜麻色の濡れた髪、華奢な肩。細い首に白い背中―――― なんてきれいなんだろう。

「う、わ、これっ……あっ、あんんっ!」
 ……しまった。これは大失敗だ。
 薪のこのクセを忘れていた。マッサージであの声が出るのなら、ジャグジーでもやっぱりこうなるに決まっている。
 白い肩と背中が薄紅色に染まって、びくびくしてる。風呂の中だから当然、全裸だ。これじゃまるで向こう側に誰かいて、何かしている最中のようだ。
「ああ~、たまらんな~、クセになりそうだ」

 こっちも、たまったものではない。
 青木は後ろを向いて、バスルームのドアを閉めた。頬が火照っているのが自分でも解る。

 今夜はきっとまたあの夢を見てしまう。秋口の事件の最中の、青木しか知らない薪の姿を。
 今まで何度夢に見ただろう。
 あの時の薪を思い出すと、自分を抑えることができなくなってしまう。薪に悪いとは思うが、自分が男である限りはそれを止めることはむりだ。

「いいな、これ。うちの風呂にもつけようかな」
 青木の心中に気付きもせずに、薪は上機嫌で喋り続けている。まったく、罪作りなひとだ。
「いくらぐらいするのかな。青木、業者に聞いといてくれ」
「はい」
 無神経な上司の命令を聞きながら、このジャグジーは外しておこうと決心する青木だった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ファイヤーウォール(3)

ファイヤーウォール(3)





 ピンポン、という電子音に呼ばれて、間宮はPCの前に座った。
 目的のソフトを開き、受信のボタンをクリックする。画面が明るくなり、白いバスルームが映し出された。最近作られたばかりの浴室らしく、金具類がピカピカに光っている。
 たっぷりと張られた湯の中に、ゆったりと身体を横たえている青年の姿がある。それを確認して、間宮はにやりと笑った。

 亜麻色の髪に亜麻色の瞳の美しい青年。顔立ちもさることながら、身体のほうも素晴らしい。
 華奢な体つきに白い肌。表面を覆う薄い筋肉。胸のあばらが減点ポイントだが、見苦しいというほどではない。あくまでしなやかで、限りない色香を漂わせた蠱惑的な肢体。
「ここまでとはね。これは何が何でも、味見させてもらわなきゃ」

 間宮がこのお楽しみを得ることができたのは、総務部の女の子を抱き込んでおいたおかげだ。
 間宮の場合、これはもちろん言葉通りの意味だ。彼女から情報を得て、第九のユニットバスの工事をした業者に金を握らせ、施工ミスのお詫びの品を取り付けると同時に、CCDカメラを設置させたのだ。

 薪警視正と初めて会ったのは、3ヶ月前。
 11月に警務部長に就任した間宮は、かねてから美人の噂の高い第九の室長を、警察庁の自室に呼び出した。ダークグレイのスーツをピシリと着こなした薪は、間宮がこれまで見てきたどんな人間よりも魅力的だった。

 亜麻色の髪はさらさらとして、長く伸ばしたらさぞかしきれいだろうと思うが、薪にはこちらの髪型のほうが似合っている。小さな耳も白い襟足も、短髪ならではの美しさだ。
 髪と同じ亜麻色の大きな瞳に、長い睫毛。微発光しているかのような肌理の細かい美しい肌。そして、グロスを塗ったようなつややかなくちびる。まるで化粧をしているようだった。

 あまりの美態に自分が制御できず、思わず抱きしめてしまった。
 そのとき触れた、その身体のしなやかさが忘れられない。薪の身体は、細いがそれなりに筋肉がついていて、特に腰の辺りは柔らかさの中にも強い腱の存在を感じる。プロ級の腰使いが期待できそうなさわり心地だった。
 間宮の腕の中で、警視正はからだを強張らせ、しばし硬直していた。竦められた華奢な肩と背中が、とても可愛らしかった―――――。

 その時の薪の戸惑った表情を思い出して、間宮は思う。
 きっと彼も、あのまま自分に抱かれていたかったに違いない。しかし彼には、小野田官房長という権力のある愛人がいた。だから自分の誘いを断るしかなかった。
 わざと邪険に間宮の手を払うと、薪は部屋を出て行った。薪の後姿はとてもきれいで、魅惑的な腰のラインがたまらなかった。

 ……その直後、薪は腹いせに、室長室のキャビネットをぼこぼこに蹴り飛ばしている。「どうして第九のキャビネットはしょっちゅう壊れるのか」と嫌味を言われた岡部が、総務の女性にひたすら頭を下げていた姿は、記憶に新しい。

 間宮は基本的に楽天家で、自分はみんなに好かれていると思っている。
 その天真爛漫さが、間宮の数多い愛人たちを彼に繋ぎ止めている理由なのだが、一歩間違うとただのカンチガイ野郎になってしまう。この相手に限っては、確実に後者のほうだ。

 キャビネットの災難も岡部の心労もつゆ知らず、間宮は自分の都合のいいように、薪の本音を予想する。
 きっと薪は、官房長に気兼ねしているのだ。官房長さえいなければ、自分の誘いに喜んでのってきただろう。あんな腰つきをしている若い薪が、官房長のような50過ぎの老人ひとりで満足できるとは思えない。きっと他の男もつまみ食いしてみたい、と思っているに違いない。

 当人が聞いたら室長室のキャビネットどころではなく、部屋ごと粉砕してしまいそうなことを考えて、間宮はひとり悦に入る。

 画面の中では、薪が湯船から上がって髪を洗い始めた。
 洗い場に移動した薪に視点を合わせるため、マウスをクリックしてアングルを変える。姿鏡に取り付けたカメラのほうが、よく映るはずだ。
 果たして先刻より大きく、遥かに鮮度を増した画像がPCに映し出された。
 身体を洗う薪の姿が画面いっぱいに広がる。胸の鎖骨が果てしなく色っぽい。どんな格好をしていても美しい人間というのを、間宮は初めて見た。
 いま薪は、足を拡げて自分の性器を指で洗っている。その姿から連想される行為に思いを馳せて、間宮は自分の股間が熱くなるのを感じた。

 薪だって若い男だ。きっとひとり寝の淋しい夜にはこんなこともするに違いない。そんな時には自分に声を掛けてくれれば、一目散に飛んでいくのに。

 身体に付いた泡をシャワーで流すと、薪はもう一度湯船に浸かった。
 そこで、給湯パネルの左についた新設のボタンに初めて気付いたらしい。軽く首を傾げ、細い指でスイッチを押してみる。すると、湯船の底からたくさんの水泡が発生し、まるで沸騰したお湯の中にいるような状態になった。
 薪はとても嬉しそうな顔になって、インターホンのボタンを押した。しばらくしてから入り口のドアが開き、背の高い男が姿を見せる。名前は忘れてしまったが、この男は薪の部下だ。警務部に薪を呼び出すと必ず誰か第九の部下がついて来るが、その中にこの長身の男の姿もあった。

 なにを話しているのかは分からないが、薪はとても楽しそうだ。

 間宮にはついぞ見せてくれたことのない無邪気な顔で、部下と話をしている。会議のときの取り澄ました表情とは大違いだ。こころを許した自分の部下の前では、こんなにかわいい顔をするのか。

 薪の優雅な腕が再度パネルに伸びて、今度はジャグジーのボタンを押した。
 強い水流が美しい背中に当たる。その反応の過敏さに、間宮は驚いた。

 薪は明らかに、性的興奮を味わっている。眉根を寄せて目を閉じ、肩を竦み上がらせ、ガクガクと身体を震わせている。小さな顎をあげて亜麻色の頭を仰け反らせ、湯船の縁に摑まっている。つややかなくちびるから洩れる、快楽の声が聞こえるようだ。
 なんて敏感な身体をしているのだろう。ジャグジーくらいであんなに感じてしまうとは。これは自分の性技にかかったら、よがり狂った挙句に失神してしまうかもしれない。

 狂わせてみたい。
 自分の手で、この美しい生き物を、それ以外のことは考えられなくなるようになるまで、徹底的に調教してやりたい。自分のテクニックならそれが可能だ。

 そのなまめかしい姿態に刺激され、間宮は自分の手をズボンの中に滑り込ませた。
 自分の手でここを慰めるのは、何年ぶりだろう。こんな気分になったときには、携帯のメモリーから適当な人間を見繕って相手をさせてきた。間宮と寝たがる人間はたくさんいる。
 その俺がこんな……しかし、とても我慢できない。こんなにそそられる相手は初めてだ。

 欲しい。薪が欲しい。
 あのつややかなくちびるに、この怒張を咥えさせてやりたい。薪の細い腰に、この猛りを打ち込んでやりたい。
 だが、困ったことに薪の相手は官房室の室長だ。義理の父からも、小野田の不興は買うなと言われている。口惜しいが、今の段階で薪に手を出すことはできない。
 今は、こうして見ているしかない。
 が、そのうち必ず機会を見つけて口説いてやる。薪だってまんざらじゃないはずだ。官房長との関係も10年近くなるはず。とっくに飽きがきているだろう。新しい男が欲しいはずだ。

 画面に映った薪の愉悦に満ちた美貌を見ながら、間宮は淫らなひとり遊びに耽っていた。



*****


 間宮が出てくると、異様に筆が進むのは何故?
 やっぱり自分が憑りうつってるからかしら(笑)



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ジャンル : 小説・文学

ファイヤーウォール(4)

ファイヤーウォール(4)






 不意にキュイッという音がして、青木の背後に暖かく湿った空気が流れ込んできた。風呂の扉が開いて、薪が出てきたのだ。
「あ~、気持ちよかった。僕、毎日ここの風呂使おうかな」
「ここに住むつもりですか?」
「あとは洗濯機と冷蔵庫だな」
 どこまで本気だろう。

 薪は、バスタオルで身体に付いた水滴を拭き取っている。
 風呂上りのあまやかな肌の色。首筋から肩のラインが、めちゃくちゃ色っぽい。タオルの裾から見えている太腿の白さが、眼に痛い。

 青木は慌てて薪に背中を向ける。自分の中の男の部分が、理性の殻を破って飛び出してきそうだ。
 さわりたい。抱きしめたい。キスしたい。それ以上のこともしたい。
 このままここにいたら、襲い掛かってしまいそうだ。この場を離れなければ。

 ところが、研究室に戻ろうと歩きかけた青木の背中に、薪は当然のように話しかけてきた。
「あの書類には参った。やってもやっても終わらないんだもんな」
 薪が言っているのは、今週ずっとかかり切りになっていた書類のことだ。
 風邪が治って退院した薪を夜の第九で待っていたのは、お節介な新人と、室長の机に山と積まれた書類だった。

 まったくあいつらときたら、とぶつぶつ言いながら、薪は髪を拭いている。薄紅色に染まったなまめかしい姿態が、青木の目に飛び込んでくる。
 青木は、脱衣所のドアに視線を逃がした。
「そうだ。金曜日、岡部と一緒に僕の家に来るだろ? そのときに米買ってきてくれ」
「え、またですか?」
「誰のせいでこんなに早く、うちの米びつが空になると思ってんだ。僕ひとりなら、4ヶ月くらいもつんだぞ」
「オレだけじゃなくて、岡部さんだってけっこう食べますよね」
「岡部はおまえみたいにしょっちゅう来てない……なんでおまえ、そっち向いてんだ?」
 青木が背を向けたまま話をしているのが気に障ったのか、薪は少し不機嫌な声を出した。
「いや、だって」
 バスタオルを肩に掛けただけの扇情的な姿で、薪はドライヤーを使い始める。
 髪をほぐす左手が動くたびにタオルの裾が揺れて、小さな尻が見え隠れしている。男は、こういう視覚的な刺激には弱い。見えそうで見えない部分からは、目が離せなくなってしまうのだ。

「青木。おまえ、今夜のメシは?」
「今日はいいです」
「珍しいな。おまえがメシの誘いを断るなんて」
 断りたくて断っているのではない。それは男の事情というやつで。
 つまりは、真っ直ぐに背中を伸ばせない状態になりつつある。必死で気を逸らそうとしている青木の前で、髪を乾かし終えた無邪気な妖婦はバスタオルを外して全裸になった。脱衣篭の中を引っ掻き回して、下着を探しているらしい。

「時間が遅いですから」
「今、何時だ?」
「11時です」
 会話をつなげてはいるものの、確実にやばい。しかし、それは青木だけが悪いのではない。
 このひとはどうして、人前で平気ではだかになるのだろう。自分の裸体にどういう効果があるか、自覚がないのだろうか。これだからおかしな男に目をつけられるのだ。

 そのおかしな男の第1人者が自分であることに気付いて、青木はがっくりと肩を落とす。
 他人のことは言えない。自分だって夢の中では、薪にあんなことやそんなことをさせているのだから。

「車、回してきますね」
「大丈夫だ。まだ終電に間に合うから」
「夜道は危険ですから」
 危険なのは青木である。
「平気だ。女子供じゃあるまいし」
 こっちが平気じゃない。

 車のキーを取りに行くという名目で、青木は脱衣所を離れた。鍵は研究室のキャビネットの中だが、その前にトイレに寄らないと、車の運転もできない状態だ。
 我を失って薪に襲い掛かったら、半殺しの目に遭わされる。あんな細い身体をして、薪はとても強いのだ。

 薪に恋をして、1年経つ。
 その間、青木は誰ともベッドを共にしていない。相手が好きなひとでなければ、青木は男になれない。気持ちの入らないセックスは、物理的にできない。子孫繁栄には役に立たない男である。
 が、正直な話、さすがにひとり寝が寂しくなってきた。青木はまだ24歳。盛りと言っても良いくらいの年齢だ。それが1年も相手がいないのでは、ほんの少しの視覚的刺激にも、過敏に反応してしまおうというものである。

 片恋の相手に無理やり関係を迫ろうとは思わないが、自分のこの状態に気付いたら、薪は警戒体制に入ってしまうだろう。そんなことが原因で薪に嫌われるくらいなら、去勢したほうがマシだ。
 ただ、気持ち的にはそうでも、身体の反応はまた別の問題だ。それを止めようとするのは、欠伸を我慢したり、トイレを我慢するのと変わらない。つまりは無駄な努力だ。
 その無駄な努力をしなければ、薪は自分から遠ざかってしまう。厄介な相手を好きになってしまったものだ。

 恋というのは、理屈では説明がつかない。
 そんな無駄なことをしてでも、薪と一緒にいたい。たとえ恋人になれなくても、薪の笑顔が見たい。
 今も青木はハンドルを握りながら、薪の家まで約1時間のドライブができることを嬉しく思っている。
 平日深夜のこの時間、1日の職務に疲れた身体で、しかも助手席の人物はちゃっかりと夢の中にいるというのに、青木は上機嫌だ。狭い車中で、薪と同じ空気を吸っているだけでも幸せな気分になれる。そこにこんなかわいい寝顔が加わったら最高だ。

 マンションの前に車を止めて、薪を揺り起こす。重なり合った長い睫毛と、微かに開かれた口唇。無防備に、しかし限りなく扇情的に青木を誘う、そのつややかなくちびる。
 引き寄せられるままに、くちびるを重ねる。角度を変えて深く重ね合わせる。小さな前歯の間を舌で割って、濡れた内部に入り込む。やわらかい舌を捕らえて吸い上げる。
 存分に舌の甘さを味わって、青木はくちびるを離した。
 薪の亜麻色の瞳が半分開いて、蕩けた顔で青木を見ている。くちづけの余韻に浸っているのか、寝ぼけているのか。その境界線は曖昧だ。

「……おまえ、いま」
「おやすみなさい」
「……うん」
 薪はふらふらと二階への階段を上っていく。部屋に明かりが点るのを確認してから、青木は車をスタートさせた。
 研究所への道を辿りながら、とりあえず風呂場のジャグジーだけは今夜中に外しておこうと思う青木だった。



*****


 まったく男ってやつは。
 どいつもこいつも(笑)


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ファイヤーウォール(5)

ファイヤーウォール(5)





 科学警察研究所のすべての研究室の責任者が一同に会し、それぞれの研究成果の発表や報告を行う室長会議は、1月に2回、金曜日の早朝に開催される。
 第一から第八までの研究室からは、室長と副室長が出席しているが、第九には在籍職員の数から副室長という役職は存在しない。よって室長会議に出席するのは薪ひとりだ。今日の第九の捜査報告は、過去3年間の誘拐事件の統計による傾向と対策である。青木が作っておいてくれた資料を元に、薪がいくらか手を加えたものだ。

 定刻の5分前に会議室に入った薪は、何故か、ざわざわと落ち着かない雰囲気に気が付いた。
 この会議は、見慣れた顔ぶればかりの、いわば定例会のようなもので、気心の知れた者同士の和やかな空気の中で行われることが多いのに、今日はいったいどうしたことだろう?

 会議室の中をさっと見渡して、薪はその原因を理解した。それは所長の隣に座している、ひとりの警視長の存在によるものだった。
 警察庁人事課警務部長、間宮隆二。
 警察庁内の人事権を一手に握るこの男は、様々な会議やミーティングにランダムに顔を覗かせては、人事評価の参考にしている。この男の一言で、自分の役職が変わるかもしれないのだ。みなが落ち着かないのも当然である。

 薪も間宮とは、捜一や5課との合同会議、あるいは警察庁の全体会議でよく顔を合わせている。薪としては、ある事情からあまり間宮の顔を見たくはないのだが、向こうも仕事なのだから、これは仕方のないことだと割り切ることにしている。
 会議に顔を出しているからと言って、間宮はその内容に口を挟んでくるわけではない。黙って話を聞いているだけだ。
 しかしその目は鋭く、職員たちの仕事に対する精通振りを見ている。いかに自分の仕事を理解し、愛し、熱意を持って取り組んでいるか、それを見抜く力をこの男は持っている。

 朝8時から始まった1時間弱の会議が終わり、自分の研究室へ三々五々散っていく職員たちに紛れて廊下を歩いていた薪は、後ろから間宮に呼び止められた。
「ちょっといいかい?」
「なんでしょうか」
 言葉は丁寧に返すが、その眼は氷のように冷たい。薪はこの男が大嫌いだ。

 初めて会ったときの屈辱的な行為を、薪は根に持っている。
 間宮は自分の部屋に呼び出した薪を突然抱きすくめて、腰の辺りを撫で回した挙句、隣の部屋でもっと親密になろう、と誘ってきたのだ。
 自分より上の階級とはいえ、我慢にも限度がある。薪はその場で間宮を蹴り倒して、第九に帰った。以前から頼んであった女子職員の配属の件はお流れになってしまったが、薪はそういう風に自分が見られたり扱われたりすることが、いちばん頭に来るのだ。

「女子職員の件だけど。4月の異動で回してあげるから、申請書を出しに来なさい」
 間宮の指示に、薪はびっくりする。
 自分を袖にした男の要望を叶えてくれるなんて。前任の三田村とは、えらい違いだ。

 意外な展開にすぐには返答ができず、言葉を失ってしまった薪を見て、間宮は首を傾げた。
「あれ? 要らないのかい?」
「あ、いえ。ぜひお願いします。すぐに書類を用意しますので」
 慌てて応えを返す。このチャンスを逃してなるものか。
「そう言うかなと思って」
 間宮は、小脇に抱えたレターファイルから一枚の書類を出して、薪に見せた。それは職員の増員申請書で、あらかたの内容は記入されており、あとは申請者のサインと印を押すだけになっていた。
「業務の内容は、君のほうで書いてくれるかい? あとは君のサインと、判子は持ってる?」
「はい」
「そこの部屋で書き込むといい。今日中に許可を出してあげるよ」
「ありがとうございます」

 薪はこの男を少し見直した。
 色事に関しては節操がないと有名な男だが、仕事は良くできるとの評判も同じくらい高い。
 ちらりと見えたレターファイルには、会議に出席していた人間の名前と評価対象となる実績や、先刻の会議の発表内容が書き込まれていた。中味までは見て取れなかったが、『間宮ファイル』と呼ばれるそのファイルには、職員の細かい個人情報まで、ぎっしりと書き込まれているとの噂である。

 間宮に促されて小会議室に入り、机に向かって申請書に業務内容を記入する。
 女子職員が欲しいわけは、男ばかりの職場に花を添えたいという希望からではない。本音では30%くらいはそれもあるのだが、一番の理由は第九の新人の負担を軽減するためである。
 新人の青木は、キャリア入庁にも関わらず、最年少という理由から第九の雑務を一手に引き受けている。お茶くみからコピー取りから伝票の整理や夜食の買出しまで、自分の仕事をする暇がないくらいに忙しい。
 青木も第九に入って1年が過ぎた。そろそろ雑用から開放して、捜査活動に専念させてやりたい。それには雑用をこなしてくれる、女子職員が必要だ。

「書けたかい? 」
 お願いしますと書類を差し出すと、間宮はにこりと笑ってそれを受け取った。

 こうしてみると、間宮はなかなかいい男だ。
 苦みばしったハードボイルド系の伊達男という感じだ。
 だれかれ構わずベッドに連れ込むというが、それは決して無理矢理に引きずり込むというわけではないらしい。きちんと手順を踏んで、それなりの付き合いをしたうえで、合意のもとに何人もの愛人を作っている、という話である。その手並みの良さのひとつに、このダンディな容姿が一役買っているのは間違いない。
 また、間宮の審美眼はとても厳しく、かなりハイレベルな容姿でないと、食指が動かないらしい。一部の奔放な女子職員たちの間では、『間宮部長と寝た』というのがひとつのステータスになっているとかいないとか。
 要は、相手のほうにもいくらか食い気があるのだ。間宮が次長の娘婿だということも、警務部長という役職も、彼らの心を射止めるのにいくばくかの役割を果たしているのだろう。

「……なんだい? この”お茶汲み(室長用のコーヒーを除く)”って注釈は」
「気にしないでください。それは第九の舞台裏です」
 つい調子に乗って、余計なことを書いてしまった。
 女子職員が来ても、自分のコーヒーだけは青木に淹れてもらうつもりでいる。
 この頃、あいつのコーヒー以外は美味いと思わなくなってきた。中毒ともいえる症状に、薪は少し困っている。

 書類に判を押そうとした薪の手を、がっしりした男の手が握ってきた。反射的に振り払おうとした薪に、間宮は爽やかに笑いかけた。
「薪くん。最初に会ったときは済まなかったね。失礼なことを言って」
 間宮の素直な謝罪の言葉に、立ち上がりかけた薪の足が止まる。
 警察機構の中に置いて、上の階級の人間が下の者に謝罪をするなどということは、まずありえない。薪は上下関係などくだらないと考えているから、自分が悪いと思えば部下の岡部の小言を黙って聞いているが、普通はそんなことは許されないのが警察というところだ。
 間宮は警視長だから、警視正の薪より役職は上だ。それが自分に頭を下げるなんて。

「俺の悪いクセなんだ。美人と見ると放っておけなくて。君の立場も考えずに、無神経なことを言ってごめんよ」
 白い歯が眩しい笑顔だ。体育会系の男だと聞いていたが、なるほどスポーツマンらしい快活さだ。
 小野田と岡部は間宮のことを散々に腐したけれど、本当はそんなに悪い男ではないのかもしれない。『ふたりきりになったら、その場で犯されちゃうから気をつけてね』と小野田は言っていたが、そこまで危険な男には見えない。

「いえ。僕のほうこそ乱暴な真似をして、申し訳ありませんでした」
 間宮に謝ることができて、薪はこころの中でほっとしていた。
 小野田にはそのままにしておくように言われたが、やはり警務部長を蹴り飛ばしたのはまずかったと後悔していたのだ。三田村のように根に持つタイプじゃないから大丈夫だよ、と小野田は断言したが、第九の人事権もこの男が握っているのだ。不興を買いたくはない。
「あはは。あれは痛かった。きみ、柔道黒帯なんだって?」
「ええ、一応」

 さりげなく離そうとした手を両手で握られて、薪は困惑する。
 悪い人ではなくても、ゲイはゲイだ。気持ち悪いことには変わりない。
「あの……手を放してください」
「あ、ごめん」
 間宮はバツが悪そうに頭を掻き、薪の手を放してくれた。
 なんだ。ちゃんと話が通じるじゃないか。
 小野田さんも岡部も大袈裟なんだから、と薪は安心して席を立った。

「薪くん。俺は本気だからね。きみに対する気持ちは、いい加減なものじゃないよ」
「は?」
「俺はきみに一目惚れしたんだ。きみが官房長に義理立てするのも分かるけど、俺の気持ちも分かって欲しい」
 男に告られるのは、何度されても気分が悪い。
 困惑と焦燥。ゆっくり湧き上がってくる嫌悪感と怒り。それらすべてが薪のきれいな顔を歪ませる。
「お気持ちは嬉しいんですけど、僕にはそういう趣味は」
 不意に抱きすくめられて、薪は体を強張らせる。すぐさま小股払いを仕掛けようと伸ばした右手が何かに触れて、思わず技が止まった。
 身長差約20センチの間宮の腰が、薪の腹に当たっている。しかしこの異物感は。

 その正体を察して、薪は20秒ほど固まった。ぞわっと体中の産毛が逆立って、手の甲にまで鳥肌が立った。
 窓の外まで殴り飛ばしてやりたかったが、あまりのショックに身体が動かない。かくかくと顎が震えて、言葉も出ない。
 間宮は硬直している薪の手を取って自分の股間に導き、その膨らみにズボンの上から触れさせた。瞬く間に硬さを増してくるそのおぞましさに、薪は貧血を起こしそうになる。

「俺の気持ち、解ってくれたかい?」
 解ってたまるか! ひとに汚らしいもん押し付けやがって!

 叫びは声にならず、薪の手は固まったまま動かなかった。
 目の前が真っ赤になって、激しい怒りに飲み込まれようとしたとき、間宮は唐突に薪の身体を放した。
「なにしてるの?」
 小会議室の入り口に、小野田が立っていた。
 第九の室長である薪には、室長会議の帰りに官房室へ寄って、定例報告をすることが義務付けられている。薪が来るのが遅いので、小野田は様子を見に来てくれたらしい。

「薪警視正が貧血を起こしまして」
「ほんとだ。顔が青いね」
 穏やかな口調で言葉を交わしつつ、小野田は薪の身体を間宮から奪い取るようにして引き寄せた。これ見よがしに肩を抱き、心配そうに顔を近づける。
 間宮のにこやかな口許が、微かに歪められた。

「大丈夫? 薪くん。昨夜、ちょっと激しすぎたかい?」
「なっ……!」
 小野田の大胆なノロケに、薪は怒ったような顔をしながらも、大人しく肩を抱かれたまま部屋を出て行った。
 仲睦まじげに廊下を歩いていく恋人たちの姿を見送って、間宮は形良く長い眉をしかめる。
 薄い唇をぎゅっと引き結んで、腕を組む。切れ長の一重目蓋の目が、ついさっきまで薪が座っていた椅子を見た。

「書類をもらうのを忘れたな」
 2度目の申請書は、薪が持って行ってしまった。
 第九の女子職員の人事は、どうやら先送りになりそうだった。




*****

 そしてまた、二人の男の間で揺れ動く魔性の警視正の噂が広まるのでした。(笑笑)


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ファイヤーウォール(6)

ファイヤーウォール(6)




 第九の室長室には、ひとつだけ真新しいキャビネットがある。
 色はアイボリーの金属製で、下方に引き出しがふたつ、その上に片開きの棚が3つあり、棚は未処理の書類用、引き出しは所長に提出する書類を入れるようにしている。
 同じタイプのものが5つほど並んで壁を埋めているが、こちらのほうは今までのMRI捜査に関する様々な資料や、犯罪関連の資料が山のように入っていて、どこになにがあるのか、部屋の主以外はよくわからない状態である。

 主不在の室長室で、青木はその備品の変化に気付いた。
「キャビネット、曲がってませんか?」
「いいんだ、あれは。きりがないから、あのままにしておくことにしたんだ」
 岡部が投げやりな口調で、ため息混じりに言った。総務の女性にこれ以上、文句を言われるのは辛いらしい。

 どうやら、また何かあったようだ。
 被害を受けるのは、いつも同じキャビネットだ。中身を入れ替え易いように、報告書専用のものを選んで蹴り飛ばすあたり、これは間違いなく確信犯だ。

「今度はなんですか? 捜一ですか? それとも週刊誌?」
「セクハラだとさ」
「官房長のセクハラは、今に始まったことじゃないじゃないですか」
「官房長じゃない。警務部長だ」
 とかく色事の噂が絶えない警務部長は、当然のように薪に目を付けている。その被害に遭ってしまったらしい。
「何されたんですか?」
「詳しくは教えてくれなかったけど。帰ってきてから給湯室で、必死に手を洗ってたな」
 何か汚いものでも触ってしまったのだろうか。

 しかし、今日は金曜日。楽しい週末だ。
 薪の家で3人で酒を飲めば、きっと薪の機嫌も直るに違いない。

 昨日言われた通り米を買って、吉祥寺のマンションに向かった青木を迎えてくれたのは、亜麻色の髪を濡らした薪だった。風呂から上がったばかりらしく、すごくいい匂いがする。
「悪いな。それ、米びつに入れといてくれ」
 バスルームの方向から、ドライヤーの音が聞こえてくる。どうやら今日は、前髪が額を隠した薪の顔を見られるらしい。
 あの髪形の薪は、とてもかわいい。幼い顔がますます幼くなる。酒を勧めていいものかどうか、迷ってしまいそうだ。

 歩いただけで自然に揺れるさらさらの髪美人に仕上がって、薪はキッチンに現れた。
 襟と袖口に紺色の縁取りが入った、白いパジャマを着ている。目眩がするほどかわいい。職場での薪はきっちりとスーツを着ているから、ふたりきりになっても理性を保っていられるが、自宅での薪は無防備すぎて、岡部がここにいなかったら間違いなく襲ってしま……。

「あれ? 岡部さんは?」
「岡部は姪っ子の就職祝だって。急に決まったみたいで、さっき電話してきた」
「え! それじゃ、今日は来ないんですか」
 まずい。
 職場でふたりきりになるのはいいが、ここで薪とふたりきりになるのはまずい。
 食事だけで帰るならまだしも、週末は酒も入る。しかも風呂上りのパジャマ姿。すぐそこにベッドもあって……絶対にやらかしそうだ。

「岡部に何か用事だったのか?」
「いえ、そういうわけじゃ。……あの、オレも今日は帰ります」
「なんで」
「ちょっと用事が」
「じゃあ、ここに何しに来たんだ」
「お米を届けに来たんです」
「三河屋さんか、おまえは」
「だれですか? それ」
 わからない。
 12歳も年が離れていると、日本語はときどき別の国の言葉になる。

「この大量の酢豚、僕ひとりでどうしろってんだ」
 大きな中華鍋いっぱいのつやつやした中華惣菜は、薪が今日の定例会を楽しみにしていた証拠だ。食欲をそそる甘酸っぱい匂い。隣には湯気を立てた雲呑スープもある。
「用事は急ぐのか? 食事だけでもしていかないか?」
 眉根を寄せて、少し甘えたような声を出し、上目遣いに誘いを掛けてくる。この薪に逆らえるくらいだったら、青木はとっくの昔に新しい彼女を作っている。

「すごく美味しそうですね。いただきます」
 ぱっと亜麻色の瞳がくるめいて、薪は嬉しそうな表情になる。
 青木の中で、自制心という扉がガタガタと音を立て始める。その扉の向こうの獣の存在に怯えながら、青木は戸棚を開けて大皿を手に取った。


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ファイヤーウォール(7)

ファイヤーウォール(7)






 石鹸のいい香りが、鼻孔をくすぐる。
 その芳香は、青木の下にうつ伏せになった細い肢体から漂ってくる。自分の手の中でゆっくりと蠢く、しなやかな筋肉。身体の横に手を回すとあばら骨がはっきりと分かってしまうが、その壊れそうな頼りなさが返って男の欲望をそそる。

「あ……んん……」
 つややかなくちびるから洩れる、なまめかしい吐息。
「痛っ」
 びくっと背筋を震わせて、薪は声を上げた。
 白い指が堪らなく色気を感じさせる形に強張って、布団にすがる。
「すみません、強すぎました?」
「平気。痛いけど、気持ちいいんだ」
 痛みの中に快感がある。この快感で薪の全身を満たしてやりたい。薪が望むなら、どんなことでもしてやりたい。薪が喜ぶことといったら風呂と日本酒、そして――――。

 恒例のマッサージである。

 岡部がいないので、今日は青木にお鉢が回ってきた。メシを食ったのだからその分は身体で返せ、と室長命令が下ったのだ。さっきの上目遣いはこれが目的だったに違いない。
「もう痛くって痛くって。吐き気がするくらいだったんだ」
「今週は書類地獄でしたもんね」
 岡部に手ほどきを受けて、マッサージも少しはコツを掴んできた。
 うつ伏せた薪の腿の上あたりに軽く跨るような格好で、両の親指を使い、力加減に注意して背中を押してやる。強すぎず、弱すぎず、薪の反応を伺いながら。
 薪が一番凝りを覚えるのは、右の肩だ。しかし、揉むのは肩ではなく背中である。肩甲骨と背骨の間、背骨寄りの位置を重点的に揉み解してやると、楽に腕が動かせるようになるという。

「書類も原因のひとつだけど、今日はいやなことがあってさ。僕はストレスがかかると肩が凝るんだ」
「岡部さんから聞きました。間宮部長にセクハラされたって」
 警務部長の間宮には気をつけろ、と岡部が口を酸っぱくして言っているのに、薪本人はそれほどの危機感は感じていないらしく、今までに何回もこんなふうに迫られては、その度にキャビネットを蹴り飛ばしている。
「だからって、物に八つ当たりしちゃ駄目ですよ。キャビネットが可哀想です」
「可哀想なのは僕だ! あんなことされて、あんなもん……!」
 今日はいつもの、気障な口説き文句だけでは済まなかったらしい。
「何をされたんです?」
「抱きつかれた」
 それは充分薪の怒りの原因になるが、そのくらいなら小野田にしょっちゅうやられている。実は青木もしたことがある。でも、その時はキャビネットは無事だったはずだ。
「それだけですか?」
「……言いたくない」
 よっぽどのことをされたのだろうか。まさかキスとか、それ以上のこととか。

「どうしてあの時、この手が動かなかったんだろ」
「自力で逃げてきたんじゃないんですか?」
「小野田さんが助けてくれたんだ。あんまりびっくりして動けなくなっちゃって。あのままだったら生で、うう、気持ち悪くなってきた」
「ナマってなんですか?」
「子供は知らなくていいことだ」
 薪は時々、青木を子ども扱いする。青木のことを童貞だと疑ったり、AVを見て腰砕けになってしまうほど純情だ、と思い込んでいる節がある。

「子供じゃありませんよ。オレ、もう少しで25なんですから」
「僕より12歳も年下のクセに」
 早く生まれたからと言って、すべてにおいて薪の方が大人だとは思えない。仕事中は決して出さないが、薪には意外と子供っぽいところがある。
 普段の冷静な室長の顔と、その大人げない顔とのギャップは、青木を思わず微笑ませる。

「お子様には刺激が強すぎる話だ」
「こう見えても、けっこう場数踏んでるんですよ。薪さんが知らないだけです」
「わかったわかった。そういうことにしといてやるから、肩のほうも頼む」
 嘲笑う口調で青木の言葉を軽くいなすと、薪はパジャマのボタンを外した。うつぶせになったまま、細い首から薄い肩まで襟をはだけて露にすると、自分の手で凝りのひどい部位を指し示した。
「この首と、肩の境目のところが痛いんだ」

 白いうなじが目に突き刺さってくる。薪の後ろ首はとてもきれいだ。浮世絵の美人画のように、秀逸な色香を持っている。
「あっ、んあっ」
 そしてこの声。
 万が一、間宮に聞かれたら大変なことになりそうだ。
「あん、いっ、いっ、気持ちいいっ……!」 
 ……間宮でなくても大変なことになりそうだ。
「次は腰を頼む」
 パジャマのズボンを腰骨の辺りまで下げて、薪は青木の手を待つ。別に誘っているわけではなくて、ズボンのゴムの部分が邪魔になるからそうしているだけだ、と解ってはいても――――。
「岡部さんて、すごい人ですね」
「まあな。岡部のマッサージはプロ級だからな」
 青木が言いたいのは、そういうことではない。
 
「もうちょっと下。もうちょっと。あっ、ああん! そこっ!」
「岡部さん、助けてください……」
 薪の細い腰がびくびくと跳ね上がって、青木のそこに触れてくる。視覚聴覚触覚と三拍子が揃ってしまった。これで反応しなかったら、それは健康な男子ではない。
 自分の下になった薪の腰の動きに、青木は昨夜の夢を思い出す。
 この腰が自分の腰に絡みついて激しく上下に動かされ、この腕が自分の背中に縋りつき、この足が自分の足に絡んで―――― さっきから聞かされているよがり声としか思えない薪の声が、耳の奥に木霊して、青木は自分の下腹部が張り詰めるのを感じた。

「青木? なんでやめちゃうんだ?」
「いえ、あの」
 薪は不思議そうな顔になり、身体を捻って青木を見た。亜麻色の瞳が、ぎょっと見開かれる。
「お、おまえ、それ」
 薪の顔が青ざめた。
 さっと青木の膝の間から抜け出すと、ずざざっと後ずさり、座布団を抱え込んで、知らない男でも見るように青木の顔を見た。

 まずい。自分の状態に気付かれてしまった。
 焦るがどうしようもない。男のそこが簡単に大人しくなるような聞き分けの良いペットだったら、男はあれほど易々と女の言いなりにはならない。
 青木は慌てて薪から身を引き、ソファの後ろに隠れて顔を伏せた。
「す、すみません」
 しかし、あれを耐えろと言う方がムリだ。恋をしている相手が自分の下で刺激的な格好で淫らな喘ぎ声を上げて。青木じゃなくても、10人中10人がこうなるはずだ。
 しかし、薪にはそれは理解できない心情らしかった。
 
「ずっとそんな目で僕のことを見てたのか?」
 低い声で、薪は言った。
『そんな目』と言うのはどういう目だろう。
 薪をセックスの対象として見ているのかと聞かれれば、イエスと答えるしかない。夢に見るのは薪の姿ばかりだ。当然、そういう状況も含まれている。
 
「まさか、昨日の夜もこんなふうになってたのか? 風呂場で僕の裸を見て? それでずっと後ろ向いてたのか?」
 答えなければ肯定の意味に取られる。しかし、青木には嘘は吐けなかった。
 自分のことで確かめたいことがあったら、直接自分に聞いて欲しい。薪に嘘は吐かない、と先日約束したばかりだ。
「こないだ僕の夢ばっかり見るとか言ってたけど、その夢って」
 青木の沈黙を肯定と受け取って、薪は屈辱に頬を染めた。つややかなくちびるをぎりっと噛み締めて、怒りの形に眉を吊り上げる。

「僕がそういう風に見られるの、大嫌いなこと知ってるだろ!」
 それは知っている。
 しかし、薪も自分の気持ちは知っているはずだ。知っていて、今までこうして付き合いを重ねてきたのではないのか。
 青木はそう思っていた。薪との距離は次第に近づいていると。自分の気持ちを理解した上で、薪のほうから歩み寄ってくれていると。
 しかし、薪の思惑は違っているようだった。

「おまえはわかってくれてると思ってた。僕が普通の男だって。だって僕の外見しか知らない連中と、おまえは違うだろ? こうやって腹を割って話をしたり、一緒に飲んだりしてきたじゃないか。どうしてそんなこと」
 薪の亜麻色の瞳の色が、嫌悪に染まる。侮蔑をこめた視線で見据えられて、青木は心が凍りつくのを感じた。
「おまえなんか間宮と一緒だ! 穢らわしい!」
 その言い方はあんまりだ。
 やましい心がまるで無いと言ったら嘘になる。しかし、間宮のように無理強いしたり、薪の気持ちを無視した行動をとった覚えはない。

 言いたいことは沢山あった。
 薪は青木の気持ちを承知の上で、自分の部屋に誘って二人きりになって。無防備に青木の下になって艶かしく身体をくねらせて、あんな甘い声を出して平気で肌を晒して。その姿態に青木の男の部分が反応したからといって、それを責めるのはあまりにも身勝手だ。
 しかし、青木は惚れた相手にはどこまでも弱い。薪がとても傷ついた顔をしているのを見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 薪はつかつかと青木のほうに歩いてきた。襟元を摑まれて引き摺られる。間髪を入れず、左の頬に拳が飛んできた。
 口の中が切れて血の味が広がる。それは薪の心の傷から流れた血だ。
「二度とここへ来るな!」
 激しい拒絶の言葉に青木はうなだれて、薪のマンションから出て行った。



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ファイヤーウォール(8)

ファイヤーウォール(8)





 青木が部屋から出て行った後、薪はもう一度風呂に入った。
 自分の身体に残った男の手の感触を、洗い流さずにはいられなかった。
 乱暴に身体を擦りながら、薪は悔し涙を流している。信じていた相手に裏切られた衝撃と、騙されていたという口惜しさが、薪の心の中で渦を巻いていた。

 あいつは、そういうんじゃないと思ってたのに。
 青木は僕を好きだと言ったけれど、それは精神的な意味合いで、セックスの対象として見ているとは思わなかった。純情で誠実で、この男がそんなことを考えるはずがないと思い込んでいた。
 ハグとキスは何度かしたけれど、それは国が変われば友達同士だってすることだ。僕もロスにいた頃は、男女の別なく同僚とキスしてた。それはたしかに、もっと軽いものだったかもしれないけど。
 青木とは、一緒に仕事をして酒を飲んで、友だちづきあいもして。僕がちゃんとした男だってわかってくれたんだと思ってたのに。

 こっちが警戒するのが馬鹿馬鹿しくなるほど、あいつは僕にやさしかった。そのやさしさの裏で、あんな汚い肉欲を育てていたなんて。その対象として僕を見てたなんて。
 絶対に許さない。

 今までも、さんざんいやな目に遭って来た。
 小さい頃から嫌らしい目で自分を見る男が絶えなくて。鈴木とそういう関係になってからは、それがますますひどくなって、電車の中でチカンに遭ったこともある。大学時代に雪子さんから柔道を習い始めて、そういう被害は自分で防げるくらいに強くなったけど。
 でも、人の目や噂はどうにもならなくて。
 鈴木の親友として、そんな噂は恥ずかしくて申し訳なくて。鈴木や雪子さんにまで恥をかかせているようで、いたたまれなかった。

 僕は同性愛者じゃない。
 ちゃんと女の子とセックスができるし、男の裸を見ても興奮したりしない。ましてやあんな風に反応するなんて、信じられない。気持ち悪い。男の身体のどこをどう見てそんな気分になれるんだ。ぜんぜん理解できない。

 信じてたのに。
 青木は僕のことが好きだけど、身体の関係は望んでないと信じてたのに。

 それが電車の中の痴漢や体育倉庫に僕を連れ込もうとした高校の教師や、僕の着替えの写真を大事そうに持ってたクラスメートや、そんな連中と同じ穴の狢だったなんて。

「ちくしょう……」
 直接触れられた首と肩を赤くなるほど擦りながら、薪は裏切り者の男を罵り続けていた。



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ファイヤーウォール(9)

ファイヤーウォール(9)







 翌週の定例会に、青木の姿はなかった。
 先週、所用で薪の家に行けなかった岡部は、今日の定例会を楽しみにしていた。いつものように青木を誘うと、しかし思いもかけない答えが返ってきた。
「オレ、薪さんに二度と来るなって言われちゃいましたから」
 二度と来るなとは穏やかではない。ケンカでもしたのだろうか。

 薪は決して社交的ではない。しかし一旦懐に入ってしまうと、とことん甘えてくるし、とてもやさしい。そのぶん我が儘にもなるようだが。
 青木には自分と同じくらい、いや、それ以上に心を開いているように思っていた。岡部と二人で酒を飲むときより青木と3人でいるときのほうが、薪の笑顔が明るかったからだ。
 以前青木が定例会に来なかったとき、薪は明らかに淋しそうだったし、青木が実家の不幸で第九を離れていたときは、見るも哀しいほどに萎れてしまっていた。
 そこには多分、岡部と薪の間にはない何かがあって―――― それはおそらく、青木の薪に対する特別な感情が深くかかわっている。今年の初めに岡部が目撃した室長室での出来事は、その発露とも言えるだろう。

 何があったんだ、と訊いた岡部に青木は俯いたまま、「オレが悪いんです」と答えた。青木が今週の初めに左頬を腫らしていたのを思い出した岡部は、何があったのか凡その察しをつけた。
 先週、自分がここにいなかったとき、恋焦がれた相手とふたりきりになった青木は男の本能に負けて、薪に迫ってしまったのだろう。
 青木はまだ若い。岡部より10歳以上も年下だ。その頃の自分と比べても、青木はかなり自制心の強い男だと思っていたが、限界はあったようだ。
 薪が怒るのも分かるが、薪は青木のそんな気持ちを知っていたはずだ。
 このひとは無神経というか気を使わないというか、青木の前でも平気で裸でうろちょろしたりするから、岡部としては時々、青木のことが可哀想になったくらいだ。
 今回もそんなことではないか。薪はいつも青木を一方的に責めるが、第三者の目から見ると薪の方に大半の原因があることが多い。

 仕事には一切の私情を挟まないのがポリシーの薪は、職場では見事に冷静な室長の仮面を被っていたが、誰かに自分の鬱憤をぶつけたかったに違いない。薪の自宅のリビングで、コップに注いだ冷酒を傾けながら岡部が水を向けると、薪は堰を切ったように喋り始めた。

「絶対に連れてくるな! あいつはもうここへは出入り禁止だ!」
「まあそう言わずに。青木も反省してますから」
 反省どころか地の底まで落ち込んでいる。
 この1週間、青木は昼の食事をほとんど残していた。親の葬儀から帰ってきた直後も食欲だけは衰えなかった男が、何があったのかと職員食堂のおばさんに訊かれたくらいだ。

「あいつがこの前、僕に何したか知ってるのか?」
「だいたいは。でも、あれは薪さんも悪いですよ」
 はっきりとは聞いていない。だからこれはハッタリに過ぎないが、事件の関係者から話を引き出すときには有効な手段だ。
「なんで僕が悪いんだ」
 憤懣やるかたないといった表情で、薪は腕を組む。つややかなくちびるを尖らせて、怒りを顕にする。薪の怒りが1週間も持続するところを見ると、相当ヤバイことまでしてしまったのだろうか。青木にしては思い切ったものだ。

「薪さん、あいつの気持ち知ってるんでしょう? あいつが自分のことをそういう目で見てるって言ったのは、薪さんですよ」
 薪は黙ってぐい飲みの酒を呷った。今夜は悪い酒になりそうだ。
「そんな人間の前に、裸で出て行くほうにも問題があるんですよ。男だったらそうなっちゃうでしょうが。押し倒したくなって当たり前ですよ」
「押し倒されてなんかいない! そんなことされたら、ビンタぐらいで済むはずないだろ!」

 倒されてない?

 青木から無理矢理聞きだした話では、「風呂から上がった薪のマッサージをしていたら、我慢できなくなってしまった」とのことだった。
 その状況で、他に何かすることがあるとは思えないが。
 
「じゃあ、何されたんですか?」
「何もされてない」
「何もされてないのに殴ったんですか? それは傷害ですよ」
「違う! あいつ、僕のハダカ見てエレクトしたんだ!!」
 それはするだろう。
 青木は薪のことが好きなのだ。好きなひとの裸体を見てそういう状態になるのは、男なら当たり前だ。
 
「だからぶん殴って追い出したんだ! 僕をそんな目で見てたんだぞ! これが許せるか!?」
「そんな目って」
「間宮と同じだ! 汚らしい!」
「それはひどいですね」
「だろ? 僕がどれだけ傷ついたか」
 岡部の言葉に、薪は我が意を得たりとばかりに身を乗り出してきた。
 僕の気持ちを分かってくれるのは岡部だけだよ、と満足そうな顔をして杯を呷る。空になったぐい飲みを岡部のほうに突き出すが、岡部はそれに酌をしようとはしなかった。

「ひどいのは薪さんのほうですよ」
 岡部の返答がよほど意外だったらしく、薪は大きく目を瞠ってくちびるを窄めた。眉を吊り上げて、すぐに言い返してくる。
「なに言ってんだ。僕は被害者だぞ」
「いい加減にして下さい、子供じゃあるまいし。男ってのはそういう生き物でしょうが。あなただってここに、女の子が裸で出てきたら、そういう状態になるでしょう」
「男が女のハダカ見て勃たなかったら、人類は滅びるじゃないか」
「なら青木だって同じでしょう」
「同じじゃない! 僕は正常であいつは変態じゃないか。岡部、変態の肩持つのか?」
 あんなに自分を慕ってくれていた部下を残酷な一言で切り捨てようとする薪に、岡部は義憤を覚える。レイプされたとか、その間際まで行ったならともかく、青木は薪の誘惑ともいえる媚態に負けて身体の一部が反応してしまっただけだ。
 それぐらいのことで人間性のすべてを否定されてしまったら、この世に誠実な男はひとりもいなくなってしまう。

「青木は変態じゃありませんよ。相手が男なら誰でもそうなるわけじゃないでしょう」
「僕を見てそうなったんだぞ。立派な変態じゃないか」
「青木は薪さんが好きなんですよ! 好きなひとの裸を見たら、男は反応するんです。相手が男だろうと女だろうと、母親だろうと!」
「……母親はまずいだろ」
「例えです、たとえ」
 つい口が滑ってしまった。
 例えにしても、とモゴモゴ言っている薪に真実を悟らせないためにも、ここは青木の話に集中だ。

「青木はあなたにはいつも誠実だったじゃないですか。無理強いしたり弱みに付け込んでどうこうしようとしたり、そんなことはしなかったはずです。それを間宮と一緒だなんて。青木が可哀想ですよ」
 岡部が青木の弁護に回ると、薪はむっとした顔になってそっぽを向いた。酒が入っているせいもあるが、この上司は、時々ひどく子供っぽい。
「青木があなたに気に入られようと、今までどれだけ努力してきたか知ってますか? いつも遅くまで残ってMRIの自主訓練をしているのも、昔の捜査資料を読み返しているのも、みんなあなたの力になりたいと思ってやってるんじゃありませんか」
 指導員として青木の努力をずっと見てきた岡部は、その原動力の正体に気付いていた。薪に対する気持ちが青木をあそこまで仕事にのめり込ませたのだ。純粋に薪の役に立ちたいと思って努力を重ねた月日を、こんなことくらいで否定されてしまっては、青木があまりにも不憫だ。

「それにあなたは青木の気持ちを知っていて、ここに招いたんじゃないですか。俺がいないときだって、ふたりでメシ食ったり酒飲んだりしてたんでしょう? 青木がその気になっても無理はないんじゃないですか?」
「僕が呼んだんじゃない。あいつが押しかけてきたんだ」
「同じことですよ。あいつと一緒のとき、あんなに楽しそうに笑ってたじゃないですか」
 薪の顔がどんどん険しくなる。
 亜麻色の目が怒りの形に吊り上り、華奢な肩が竦みあがっていく。
「受け入れてやれとは言いませんよ。俺だってそんなのは反対ですから。でも、青木の気持ちを知っていてそんな態度を取りながら、それに男が反応したからってそのことを責めるのはあんまりですよ」
 薪は、じっとうつむいてくちびるを噛んでいる。黙って岡部の話を聞いているときの薪は、聞き流しているか反論を考えているかのどちらかなのだが、この顔つきは多分後者だ。

「岡部には分かんないんだよ!」
 始まった。いつもの逆ギレだ。
「岡部はいいよ、そんなふうにどこから見ても男らしい男でさ! でも、僕は昔から色んな嫌な目に遭ってきてっ、僕をそういう目で見る男は許せないんだよ!」
「それは青木のせいじゃないでしょう」
「じゃあ、僕のせいだっていうのか!」
「そうは言いませんけど」
「電車の中でチカンに遭ってあちこち触られて、僕がどれだけ悔しかったかなんて、おまえには分かんないんだよ!」
 それはわからない。解りたくもないが。
 それにしても、しかし。
「チカン、遭ったことあるんですか」
「ある。昔ほど頻繁じゃなくなったけど、今でも時々」

 世の中狂ってる。顔だけ見れば女でも、触ってみればたしかに男の身体だ。薪の専用マッサージ師としてそのからだに触り慣れている岡部には、ちゃんとわかっている。
「なんで捕まえないんですか」
「恥ずかしくって声なんか出せないんだよ! 男のくせにチカンに遭うなんて、って、なんでこんな話になってんだよ、今は青木の話だろ!?」
 痴漢の話は薪が言い出したのだが。相変わらず自分のことは棚に上げる人だ。
「とにかく、あいつは僕の信用を裏切ったんだ。絶対に許さない。仕事は仕事だから職場では今まで通りにするけど、プライベートではいっさい関わりたくない!」

 薪は頑固だ。言い出したら聞かない。
 それを覆すには少々キツイことも言わなければならない。この話はしたくないが、青木がこのまま薪のもとを離れるのは、薪にとっても思わしくない結果になるはずだ。
 薪には自覚がないようだが、青木はすでに薪の心の中に深く入っている。今は頭に血が上っているから、ここに青木がいなくても平気だが、これが1月も経てば、薪はまたしょんぼりしてしまうに決まっている。自分で遠ざけておいて淋しくなって落ち込むのは、薪の十八番だ。

 しかし、薪がそれに気付いたときには、青木の方だってさすがに愛想を尽かしてしまっているだろう。二度と来るなと言っておいて、寂しくなったからまた来いと言ったりしたら、どんなにやさしい男でもいい加減にしろ、と怒鳴りつけたくなる。青木だってそこまで都合のいい男にはなりたくないはずだ。
 青木が薪にこころを残しているうちに、薪の方から歩み寄らないと、この二人の関係は破綻したままだ。そちらの方向に進展してしまっても困るのだが、また静かに飲んでさびそうに微笑う薪に戻ってしまうのは、もっと困る。
 岡部は最後のカードを切ることにした。

「薪さんは青木のことを一方的に責めますけど、あなただってひとのことは言えないんじゃないですか」
「どういう意味だ?」
「鈴木さんとはどうだったんですか?」
 これを引き合いに出すのはルール違反だが、これ以外に薪の翻意を促す手段はない。
「なっ!」
 いちばん触れられたくない過去に突然切り込まれて、薪はパニックになる。思わず取り落とした空のぐい飲みが、床にころころと転がった。

「ぼ、僕と鈴木はそんなんじゃ」
 目が泳いでいる。薪は咄嗟の嘘は下手くそだ。
「プラトニックだったなんて言わせませんよ。この耳がちゃんと聞いてるんですから」
 抱きつかれて愛していると叫ばれて、あんな切ない表情をされれば、ふたりの間にはからだの関係があったと確信できる。岡部の勘に間違いはなかったらしく、薪はうつむいて顔を赤くした。
「鈴木さんとそういう過去があったからって、あなたをゲイだとは思いませんけどね。でも、その当時あなたは、鈴木さんのことをそういう目で一度も見なかったんですか?」
「鈴木は……特別で」
「青木にとっては、あなたが特別なんですよ。なんでそう思わないんです?」

 岡部の問いに、薪は答えられなかった。頭の中では様々な思惑が巡らされていたのかもしれないが、そのくちびるは二度と開かなかった。
 そのまま黙って寝室に入っていく。薪が立腹しているのは明らかだったが、岡部も今回は引く気はない。青木も可哀想だが、結局は薪の身に返ってくる。
「今日は引き上げるか」
 2人分の酒席の道具を片付けて、岡部は部屋を出た。



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ファイヤーウォール(10)

ファイヤーウォール(10)







 暗い寝室の中で、薪はベッドに蹲っている。
 頭から布団を被って、目を閉じている。しかし安らかな眠りは訪れそうにない。先週も今週も、連続して不愉快な週末になってしまった。
 薪は横向きに寝て膝を抱え、お得意のポーズを取る。考え事をするときに膝を抱えるのは、薪のクセだ。

 胎児の体勢になって、岡部が言ったことを考えてみる。
『青木にとって、薪さんは特別なんです』
 岡部はそう言った。

 つまり、僕が鈴木を好きだったみたいに、青木も僕を好きだってこと?
 そんなはずはない。青木と僕じゃ状況が違う。
 青木は明るくて人付き合いが上手で、友達も多くて彼女もいた。僕は昔からずっと独りで、鈴木が初めてできた親友だった。僕はそれがうれしくてうれしくて、鈴木に夢中になって。あっという間に僕の世界は鈴木の色に塗りつぶされた。
 好きで好きでたまらなかった。全世界と引き換えにしてもいいと思うくらいに、鈴木のことが欲しかった。鈴木は僕のすべてだった。
 青木にとって、僕はそこまで重要じゃないはずだ。青木の周りには多くの人がいる。親も姉弟も友人も女友達も、彼女だって作ろうと思えばできるはずだ。青木は隠してるけど、署内の女の子が何人かあいつにお熱だって聞いたこともある。
 きっと僕のことは、興味本位で――――。

 そこで薪は、病院を自主退院した自分を第九で待っていた喜劇を思い出す。
 あのジャケット。
 自分のジャケットを青木は大切そうに持っていた。病院に見舞いに来て、二時間もパイプ椅子に座ってた。あいつのことだから、眠っちゃっただけなんだろうけど。
 でも、ずっと待ってた。
 
『愛してます。薪さんのことが大好きです。あなたの夢を毎晩見ます。オレの気持ち、分かってくれました?』

 夢。
 問題はその夢だ。
 そこで自分がさせられていることを思うと、ふつふつと怒りが滾ってくる。
 薪も男だから、そういう夢を見ることもある。その中で女の子がしていることを自分がしているのかと思うと、恥ずかしいやら情けないやらで顔から火が出そうになる。
 夢だけで済むはずがない。あいつ、絶対にやってる。
 男なら必ずする。頭の中で妄想を逞しくして、自分の手で……。

「~~~っ!」
 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!
 僕の写真をそういう目的に使ってたクラスメートと同じじゃないか。やるほうはいいけどされたほうは堪ったもんじゃない。まるで自分が風俗嬢かAV女優になったみたいで、男の快楽に奉仕する商品に貶められたみたいで、とても耐えられない。
 だいたい、誰かとのセックスを想像して自慰をするなんて普通は、いや、普通か。男だったら誰でもする。僕だって――――。

「あれ?」 
 そういえば、鈴木とああいう関係になる前の僕って、鈴木のことを想いながら自分で―――― しかも僕は我慢しきれずに襲っちゃったわけで。
「あれれ?」
 もしかして僕って青木よりケダモノだったんじゃ……。

 真夜中のひとり寝のベッドは、薪にわずかばかりの理性を取り戻してくれる。暗い闇を見つめていると、自分がしてきた数々の失敗も思い出されて、青木を一方的に責めることはできないと言った岡部の言葉が、加害者側の味方をしたものではなく、第三者の冷静な判断によるものだったことが解ってくる。

 少し、言い過ぎたかもしれない。
 あの日は朝っぱらから間宮にあんなことをされて、気分が最悪だったせいもあって、短絡的に青木のことをそれ目当てで自分に近づいてきたと考えてしまったけれど。
 確かに岡部の言う通り、反応はしていたけれど、僕に指1本触れてきたわけじゃない。
 用事があるから帰ると言った青木を引き止めて食事に誘ったのもの自分だし、マッサージを頼んだのも自分だ。
 好きだと告白した女の子に自宅に誘われて、手料理をご馳走になって、マッサージと称して自分の上に乗ったり肌を触ったりするのを許されたら……それは僕だって。
 でも、僕は女の子じゃないし、その理屈は通用しない。
 認めるわけにはいかない。
 青木の劣情を認めてしまったら、それを受け入れることになってしまう。

 僕の身体は鈴木のものだから、あいつにはやれない。他の誰にもあげられない。

 それで、青木が自分から離れていくなら構わない。逆にその方が都合が良い。雪子さんのこともあるし、仕事のこともある。普通の上司と部下の関係に戻れるなら、そのほうがいい。
 青木が第九を辞めるというなら、引き止めまい。あいつはもともとこの仕事には向かない。いくら努力したって、持って生まれた性質は直らない。お人好しで他人の言ったことを素直に受け取る青木には、他人を疑うことから始まる捜査官という職業が天職とはいえない。

 薪はベッドから身を起こした。
 リビングに通じるドアを開ける。20畳ほどの広い洋間は真っ暗で、ひとの気配はなかった。
「帰っちゃったのか。怒ったかな」
 そこに置き去りにしたはずの部下の姿がないことを知って、薪は不安に駆られる。
 暗闇がひどく恐ろしいものに思えて、要りもしない明かりを点けた。明るい光ががらんとした部屋を照らし出す。

「この家って……こんなに広かったっけ」
 薪はソファに腰を下ろし、膝を抱えた。周囲を見回して苦笑する。
「広いわけだよな。何もないもんな、この部屋」
 薪の家には家具らしい家具がほとんどない。
 広いリビングにあるのは応接セットとテレビ、仕事用の机と本棚だけだ。置物や観葉植物などの装飾品は、なにひとつ置いていない。サイドボードの上に親友の写真と百合の花が置いてあるが、この広い部屋を賑やかに演出するには、あまりにも控えめなアイテムだ。
 でも、それを今まで広すぎると感じたことはなかったはずだ。
 それが今夜はなんだか、とても広いように思えて。寒々とした冷気まで感じて。

 先刻、岡部とケンカをしてしまったせいかもしれない。岡部とケンカになったのなんか、最初のとき以来だ。あの事件の直後から、岡部はずっと薪を支えてくれていた。
 それが、あんなつまらないことで言い争いになって。
 岡部は僕の味方だったはずなのに、なんで青木の弁護なんかするんだ、と思ったら頭に来て。この世に自分の味方が誰もいなくなってしまったような気がして、喚かずにいられなかった。岡部は何も悪くないのに、八つ当たりして怒鳴り散らしてしまった。

 薪にとって、岡部はとても大切な部下だ。岡部以上に自分を理解して助けてくれる人間はいない。
 岡部には常々感謝してきた薪だが、精神的な部分でこれほど彼に依存していたとは気付かなかった。たったあれだけの口喧嘩で、これほどの喪失感を味わうなんて。
 明日、岡部にはちゃんと謝ろう、と薪は思う。
 青木が第九からいなくなるのは構わないが、岡部は困る。薪は岡部を失いたくない。岡部がいなかったら、第九をまとめる者がいなくなる。
 岡部は狭量な男ではない。小言は多いが、それは薪のことを考えて進言してくれるのだ。こちらが素直に謝れば、快く許してくれるはずだ。
 女房役はひとりでいい。自分を理解してくれる部下も、ひとりいればいい。
 それはとても淋しい考えかもしれないけれど、分け合うには自分の秘密は重過ぎる。

 薪は何かを振り切るように立ち上がると、リビングの明かりを消した。
 暗い部屋に、しばらくの間立ち尽くす。その顔は、1年前の薪の表情に限りなく近い。
 やがてゆるゆると薪は歩き出した。
 罪人のような足取りで、うら寂しい背中が暗い寝室へと入っていった。



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ファイヤーウォール(11)

ファイヤーウォール(11)






 月曜日の朝。
 職務時間前の室長室で、岡部は薪の謝罪を受けた。

「この前は、感情的になって悪かった」
「俺のほうこそ、すいませんでした。その……タブーの話を持ち出したりして」
 神妙な顔で頭を下げた薪に、岡部は自分の非礼を詫びた。
「いいんだ。本当のことだから」
 このひとは意地悪でひねくれものだが、こういうところは実に素直だ。自分が悪いと思ったら相手が部下でも子供でも、きちんと謝る。

「青木にも謝ってくださいよ」
「なんで僕が謝らなくちゃならないんだ!? 悪いのはあいつのほうだろ!」
 途端に噛み付いてきた薪に驚いて、岡部は目を瞠る。
 薪は自分の説得を聞き入れてくれたわけではなく、自分と言い争いになってしまったことを詫びたのだ。青木のことを許すつもりはないらしい。
「僕はおまえとはケンカしたくない。だからこのことは放って置いてくれ。職務に支障をきたすような真似はしない。僕がプライベートを仕事に持ち込まないのは、知ってるだろ」
「その辺は心配してませんけど」
 心配なのは青木のほうだ。
 精神的にまだまだ未熟な青木は、ショックでどんなポカをやらかすか分かったものではない。これは自分がフォローに回らなくては。

「岡部。青木のことも放っておけ。このぐらいのことで仕事に影響を出すようでは、使い物にならん」
 見抜かれた。いつもながら鋭い洞察だ。
 薪の牽制を受けて、表立って青木を力づけることもできなくなってしまった岡部だったが、青木は普段と変わりなく仕事に打ち込んでいるようだった。諦めたのか平静を装っているのか、表面上は平穏な日々が過ぎた。

 何日か経つにつれ、おかしくなってきたのは薪のほうだった。

 薪は岡部に言ったことを守り、研究室では普段と同じように振舞っていたが、定時を過ぎて職員達が帰ってしまうと、ひとりでぼんやりしていることが多くなった。給湯室でコーヒーカップを持ったまま佇んでいたこともあるし、何も映っていないモニターを虚ろな目で眺めていたこともある。
 職務中はそんな様子は決して見せないが、薪が淋しさを感じ始めているのは明らかだった。

 やはり自分の読みどおりになった。だからあれほど言ったのに。

 あの時は頭に血が昇っていて、岡部の言葉を素直に聞くことができなかったのだ。今の薪なら説得することも可能かもしれない。
 明日は室長会議があるのに、と渋る薪を強引に『瑞樹』に連れてきて、席に着かせる。薪の好きな吟醸酒と平目の刺身を用意して、岡部は上司を懐柔する作戦に出た。
「薪さん。青木のことなんですけど」
「仕事以外の話なら聞かないぞ」
 先手を打たれてしまった。
 岡部が困った顔をしていると、薪は苦笑してぐい飲みを取り上げた。
「まったく。おまえはお節介だな」
 岡部のほうに杯を出し、酌を受ける。つややかなくちびるが透明な液体を含み、濡れていっそう艶を増した。

「僕は青木とは友だちでいたいんだ。わかるだろ」
「もちろんです」
「でも、あいつはそれ以上の関係になりたがってる。だから一緒にはいられないんだ」
 薪の言い分は尤もだ。応える気がないのなら、冷たくあしらったほうが相手のためだ。
 しかし。
 このひとは、今の自分の表情に気付いているのだろうか。
 哀しそうな瞳をして、弱気に眉を下げて。涙が流れていないのが、いっそ不自然だ。

「俺がストッパーになればいいんじゃないですか?」
 きょとんとした顔で、薪は岡部を見た。ストッパーの意味がよく分からないようだ。
「俺と一緒なら、薪さんが心配しているようなことにはなりませんよ。それでも青木がトチ狂った行動に出るようなら、二人して絞めちまいましょう」
 岡部の提案に薪は目を輝かせた。が、すぐにその光は消えて、代わりに拗ねた子供が顔を出した。
「青木はもう、うちに来る気ないんじゃないか」
「そんなことないですよ」
「だって、もう2週間も経つんだぞ。その間、仕事以外じゃ1回も僕に話しかけてこないし。謝っても来ない」

 実はそれは、岡部が青木に授けた作戦だった。
 今回は、青木が謝って薪に許しを乞うべき諍いではない。薪のほうから歩み寄るべきだ。
 青木は悪いことはしていない。ただ薪に恋をしているだけだ。
 相手が男だという理由でそれを責めるなら、道ならぬ恋に落ちているものすべてを糾弾しなければならない。そこには多分、薪も自分も含まれている。自分たちに青木を責める権利はないのだ。

「落ち込んでる素振りも見せないし。僕がこんなに」
 言いかけて、薪は口を閉ざした。右手で口を覆っている。
 言葉尻を捉えるのは簡単だが、敢えて追求するまい。せっかく素直になろうとしているこの天邪鬼の足を引っ張るようなことはしたくない。
「そんなことないですよ。青木は落ち込んでます。表に出さないだけですよ」
「そうは見えないけど」
「とにかく、明日は誘ってみますから」
「余計なことするな」
 そう言いつつ、薪の目は期待に満ちている。言動と表情が一致しないのは薪の習性だ。

「あいつがどうしても来たいって言うんなら、冷蔵庫の残りもの食わせてやらないこともないけど」
「青木はディスポイザーですか?」
「限りなく環境にやさしい生ゴミ処理機として売り出すか」
 人間扱いされていない。青木も可哀想なやつだ。
「買ったほうも動力費が賄いきれないんじゃないですか?」
「そうだな。食い物以外は受け付けないからな。改良が必要だな。いっちょ皿でも食わせてみるか」
「じゃ、俺が青木を押さえますから」
 あははと笑って、薪は杯を空にする。酔いも手伝ってか、いつもの笑顔が戻りつつある。

「岡部」
 はい? と顔を向けると、薪は岡部が今まで見たこともないくらい、きれいに微笑んだ。
「ありがとう」
「はい」
 薪のありがとうが何に対してのものなのか、はっきりとは分からなかったが、その笑顔は岡部の心にじわりと沁みて、幸せな気分にさせたのだった。




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ファイヤーウォール(12)

ファイヤーウォール(12)








「本当ですか?」
 岡部がもたらした朗報に、青木は満面の笑みを浮かべた。
「岡部さんと一緒なら家に来ても良いって、薪さんが言ったんですか?」
 第九の新人の屈託のない笑顔は、薪の笑顔に負けず劣らず岡部の心を癒してくれる。
 青木との会話は、薪との腹の探りあいのようなやり取りと比べるとひどく単純で、人間にとって本当に大切なものは優秀な頭脳でも特殊な才能でもなく、ただ心に感じたままを正直に表面に出すことのできる勇気なのだと教えてくれる。

 青木は右手をぐっと握り締め、自分の胸元に引き寄せる。自然にガッツポーズが出るほど喜ぶなんて、こいつは本当に薪のことが好きなのだ。
「いいのか? そんなに簡単に許しちゃって。もう少し懲らしめてやっても良いんだぞ。なんていうか、仕事の上下関係とこういうことは別だろ?」
「薪さんは悪くないです。オレが悪いんです。あのひとが怒るの、当たり前です」
 青木の反応も当たり前だと思うが。
「おまえ、男としてのプライドないのか」
「ありません」
 言い切った。しかもコンマ1秒で返してきた。
 まあ、そんなものが欠片でもあったら、薪と付き合いたいなどと思わないだろう。

「よかった。もう二度と薪さんのプライベートの顔が見れないと思ってたから。みんな岡部さんのおかげです。ありがとうございます」
 男の尊厳を捨てた軟弱者は、若い頬を紅潮させて嬉しそうに笑う。プライドなんかなくても、人間は幸せになれるということか。
 万が一、青木が薪への想いを遂げることになったとしても、こいつに待っているのは恋人としての日々ではない。相手のどんなわがままも無茶な要求も笑顔で聞いて、白を黒と言い右を左と言う。
 不平も不満もこぼすことなく、常に相手の幸せを最優先に考える。見返りらしきものは何ひとつなく、献身的にその身を捧げ続ける。
 それを一般に、下僕と言う。

「それでいいのか? 男としてそれでいいのか?」
「楽しみだなあ。今夜のごはん、何かなあ」
「……ダメだ、こいつ」
 青木の未来に不安を抱いた岡部だったが、その夜早くもそれが現実のものとなった。
 マンションのドアを開けた薪が、凶悪な眼で岡部の連れを睨みつけ、青木は不安そうな顔になって岡部に視線を縋らせてきた。
 
「ここへは二度と来るなと言ったはずだ」
「薪さん、青木は」
「岡部はちょっと黙っててくれ」
 青木のネクタイを掴んでぐいっと自分のほうに引き寄せ、亜麻色の瞳を青木の視線にぶつける。つややかなくちびるを開き、薪は怒涛のように青木を責めた。
「いいか。僕はおまえにここに来てくれって頼んだことは一度もない。いつもおまえが押しかけて来るんだ。そうだよな」
 岡部にはあれほど素直に頭を下げた薪が、青木には居丈高に言い募っている。自分のやったことを悪いと思っていないのだ。
「僕の迷惑も考えず、勝手に来てメシ食って酒飲んで。僕はやさしいから、おまえのそういう身勝手な行動を許してやってるんだ。僕に感謝しろ」
 なんて傲慢な言い草だろう。いくら青木でも、これでは怒って帰ってしまう。

 しかし、青木はにっこりと笑って、薪の非難を余裕で受け止めた。
「はい。感謝してます。ありがとうございます」
「わかればいい」
 薪は軽く頷くと、さっさと家の中に入って行ってしまった。岡部は開いた口が塞がらない。
 昨日薪は、青木とは友達でいたいと言った。しかし、こんな友人関係があるだろうか。

「なんなんだ? 今の会話は。薪さんは何が言いたかったんだ?」
「優位に立ちたいんです」
「あん?」
「オレより優位に立ちたいんですよ。可愛いなあ」
「可愛い? あれが?」
 岡部にはとても理解できない。
「何やってんだ青木。おまえが一番よく食べるんだから、早く手伝え」
「はい!」
 意地悪継母のような薪の言葉に、青木は元気に答えて袖をまくる。下僕というより、もはや奴隷だ。

 青木とふたりでいるときは、きっと薪はいつもあの調子なのだろう。すべてを許してしまう青木のやさしさが、薪のわがままと女王様気質を増長させてしまったに違いない。
「……アホくせえ」
 薪が青木に対して理不尽な言動を取る原因は、青木自身にあったらしい。
 自分で薪のわがままを大きく育ててしまったのだ。責任は青木がとればいい。岡部ではとても付き合いきれない。

 しかし、このまま薪の我儘がエスカレートして青木の忍耐力を超えるときが来てしまったら、薪はどうするのだろう。あの調子では引き止めることもできなそうだが。
 岡部のそんな不安は、台所に立つふたりの姿を見た途端、きれいに消えた。
 鍋の中を覗き込みながら、ふたりは何事か話している。
 この匂いは煮込みハンバーグだ。デミグラスソースで野菜と一緒に煮込んだ荒挽きハンバーグは、薪の得意料理で、青木の大好物だ。薪はちゃんと青木の好物を作って待っていたのだ。

「ちょっとだけ味見させてください」
「仕方ないな。ほら」
 薪は菜箸で鍋の中からハンバーグの端をちぎって、青木の口に入れてやる。美味しいです、と青木が褒めると、薪は「そうか?」と自慢げな顔になる。
 これは、青木が思い込むのも無理はない。薪も自分を憎からず思ってくれていると、青木でなくとも信じてしまう。いや、実際憎からず思っているのだ。そうでなかったらあの笑顔は出ない。

 返す返す、アホくせえ。
 これは『犬も食わないなんとか』ではないのか。自分が懸命に薪を説得したのは、夫婦喧嘩の仲裁に、隣の家のオヤジがのこのこと出てきたようなものだったのではないか。

「何回味見すれば満足するんだ。岡部の分がなくなっちゃうだろ」
「じゃあ、人参だけは岡部さんの分ということで」
「ちょっと待て!」
 鍋の中のハンバーグは既に4つしか残っていない。薪はいつもこのハンバーグを7個作るから、青木は3個も食べたことになる。ちなみにその内訳は、青木と岡部が3つで薪が残りの1つだ。
「おまえの皿には野菜だけ盛れよ」
「えー、ひどいですよ。このハンバーグ、ごはんにぴったりの味付けなのに」
「味見で3つも食っといて、ひどいのはどっちだ!」
「わかりました。じゃ、2つずつ分けましょう」
「仕方ねえな。我慢してやるか」
「あの、僕の分は?」
「野菜は余りますから」
「なんで僕は、いつも自分のうちで食いっぱぐれるんだ?」
 いつものとぼけた会話に、ニヤニヤと笑う。
 首をかしげながらも、ごはんをよそる薪の手がやさしい。

 そんな風に楽しいときを過ごしても、薪は完全に青木を許したわけではなかった。
『ここに来るときは、必ず岡部と一緒に来い』
 食事が終わって酒の用意に移ろうとしたときに、薪はきっぱりと言った。
 それは青木のことを信用していない、と言外に言ったも同然だったが、それでも青木は「はい」と素直に頷いた。
 無用な警戒令だと岡部は思ったが、意外にもその日々は1月近くも続いたのだった。




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ファイヤーウォール(13)

 前の章とこの章の間に、前作『二年目の桜』が入ります。
 前作の最後の部分で、官房室の事務の女性から『Pホテル』でのランチのお誘いを受けた後の顛末が書いてあります。

 さー、ここからが本番です♪
 ほんのりピンクから、ショッキングピンクへ、とのリクエストがありましたが、ご期待に添えますかどうか。
 せいぜい、桃色だと思いますよ。わたし、乙女ですから。(笑)






ファイヤーウォール(13)





 ペニンシラホテルの最上階には、小野田のお気に入りのレストランが入っている。
 ちょっとした祝い事―――― 例えば事件が無事解決したとか、第九の実績が上層部で評価されたとか、そんな時にはよくここで、薪にランチを奢ってくれる。
 今日はたぶん残念会だな、と予想しながら、薪はホテルのエントランスをくぐった。

 3月の始めに起こった刺殺事件が、第九には甚だ不本意な結果に終わって、落ち込んでいるであろう薪を、小野田は元気付けてくれようとしているのだ。
 しかし、今回の事件は、その水面下に潜む別の秘密を守るために、薪が自らの判断で捜査不能と断定し、捜一に花を持たせたのだ。よって、薪は落ち込んでなどいない。落ち込んでいるのはおそらく、こういうことに免疫の無い第九の新人のほうだ。

 元気をつけるためのランチが必要なのは、自分ではなく青木のほうだったのだが、官房長からのお誘いが掛かってしまった。
 薪とのランチを小野田に掠め取られて、青木はとてもがっかりしていた。しかし、相手が小野田では仕方がない。一乃房には、この次連れて行ってやろう。何ヶ月先になるかはわからないが。

 豪奢なシャンデリアのかかった広いロビーで、薪は小野田の姿を探す。
 まだ来ていないようだ。小野田はたいてい先に来て薪を待っているのに、今日はどうしたのだろう。そういえば薪を誘うのに、事務員にメモを渡すなんてことも初めてだ。
 連絡を取ってみようかとも思ったが、小野田は携帯電話が嫌いだ。緊急の用件ならともかく、こんな些細なことで、小野田に不愉快な思いをさせたくない。

「薪くん。君も待ち合わせかい?」
 思いがけない声に振り向くと、薪がこの世で3番目に嫌いな人間が、ソファに座ってコーヒーを飲んでいた。
 間宮隆二警務部長。初対面で薪をベッドに誘ったエロ親父だ。

「俺もなんだ。友人と一緒に、ランチを食べようと思ってね」
 その友人というのは女の人でしょう。ランチだけで済むんですか?
 思わずそんな皮肉が出そうになる。薪はこの男の性癖を、限りなく軽蔑している。
 しかし、間宮の階級は警視長。警視正の薪は、この男に逆らうことはできない。警察というところは、上下関係がとても厳しい。上の人間には絶対服従。それが警察機構に生きるものの定めである。何事にも限界はあるが。

「君は、官房長と待ち合わせ?」
「はい」
「じゃあ、お互い相手が来るまで話でもしようや。きみ、コーヒーを頼む」
「いえ、僕は」
「ブルーマウンテンをストレートで」
 1杯2千円もするコーヒーをチラつかされて、薪は少し迷う。ラウンジのドリンクメニューを見るたびに、一度でいいから飲んでみたいと思っていたのだ。薪がいくら独身貴族でも、こんな贅沢は滅多にできない。
「どうぞ。座りなさい」
「失礼します」
 薪は軽く会釈して、間宮の向かいの席に腰を下ろした。
 すぐに小野田がここに来る。それにいくら間宮が常識外れでも、こんな人目の多いところでは何もしないだろう。

 フロアの女性が、コーヒーを運んでくる。期待を込めてカップを取り上げ、鼻先に近づける。とてもいい香りだ。青木が淹れるコーヒーといい勝負だ。
 白いカップに口をつける。
 口中に広がる甘さを含んだ苦味。微かな酸味と深いコク。さすがはホテルのコーヒー、と言いたいところだが、薪には少し濃度が濃すぎる。後味が良くない。
 これが青木のコーヒーだと、喉を通った後、さわやかな後味が残る。薪はコーヒー党だから色々なところでコーヒーを飲むが、今のところ第九のバリスタに土がついたことはない。今回の勝負も青木の勝ちだ。
 困ったものだ。2千円もするコーヒーより、部下が淹れたコーヒーのほうが美味いなんて。自分の味覚も、あまり確かなものではないようだ。

「官房長と君との付き合いは、長いんだってね」
「そうですね。10年になりますか」
 小野田に初めて会ったのは、薪が26のときだった。
 警視正昇任のための、特別承認を受けたことがきっかけだ。あの話は、小野田のほうからしてきたのだ。

「そんなになるのか。じゃあもう夫婦みたいなものか」
 一般的な意味合いからは外れるが、こういう表現は珍しくない。
 薪も岡部のことを自分の女房役だと思っているし、他の部署の室長と副室長だって似たようなものだろう。しかし、薪は官房室の人間ではない。小野田の女房役は、事務次官の田端が妥当なところだろう。
「飽きてこないか? 10年も同じ相手じゃ。新鮮味がないだろう」
「そんなことは、考えたことがありませんけど」
 毎日同じ部下の顔を見ていると飽きてくる、という人もいるかもしれないが、小野田とはそれほど頻繁に顔を合わせているわけではない。それに、なんだか微妙なニュアンスの違いを感じるが、気のせいだろうか。

「君は、自分が上になるのが好きなんだってね。でも、いつも同じ体位じゃつまらないだろう。それとも官房長はもうお年だから、君が動いてあげてるのかい?」
「……何の話なんですか?」
 あんたの頭にはそれ以外入ってないのか! と怒鳴りつけたいのを必死で堪える。
 こいつもあの下らない噂を信じているらしい。真実を確かめもしないで、他人から聞いた話を信じ込んで、それでも警察官か。
 
「小野田さんと僕は、そんなんじゃありません」
「今更隠さなくてもいいだろう。庁内でも有名だよ」
「あれは根も葉もない噂です! たちの悪い中傷です!」
 あの噂には、本当に頭にくる。
 しかし、この噂が蔓延してしまったのは、小野田にも原因があるのだ。小野田は確かに薪に目を掛けてくれるが、愛情表現(セクハラ)も欠かさない。それは他人の目があるところでも、堂々と行なわれる。
 薪は噂が自分の耳に入れば、このようにして必ず否定しているが、小野田は何故か否定しない。それどころか、勝手に尾ひれをつけたりする。このまま放っておいたら、噂に羽根がついて自由に飛び回りそうだ。

「だって、官房長が言ったんだよ。いつもベッドでは、薪くんが自分の上だって」
 ……羽根どころかジェットエンジンが装着されている。
 もう、宇宙の果てまで飛んでいって欲しい。そして二度と帰ってくるなと言いたい。
「それは、小野田さん特有のジョークなんですよ」
 間宮のような男相手に、こんなきわどいジョークが通用するものかどうか、少しは考えて欲しい。小野田のことは尊敬しているし感謝もしている薪だが、このジョークの趣味だけはいただけない。

「本当に?」
「手帳に誓って、本当ですよ」
「やっぱりそうだったのか。君はそんな人間じゃないと思ったんだ」
 素直な肯定の言葉に、薪は思わず間宮の顔を見た。
「最初に俺の誘いを断っただろ? だから君はノーマルな男なのかなって。あの噂は何かの間違いかもしれないと思って、官房長と話をしてみたんだよ。そうか、冗談だったのか」
 間宮に信じてもらえるとは、思っていなかった。意外に話のわかる人かもしれない。
「君はそんな外見だから、誤解されやすいのかもしれないね。でも、中身はすごく男らしいだろ? 柔道だけじゃなく、空手も黒帯なんだって?」
 さすが人事部長として、多くの職員を見てきただけのことはある。
 間宮には、人の本質を見抜く力が備わっているようだ。次長の娘婿というだけで、この役職に就いたわけではないのかもしれない。

 ――――薪は自分のことを、男らしいと認めてくれる人間には、気を許しやすい。
 薪の機嫌を取ろうと思ったら、「男らしい」と褒めることだ。例えそれが白々しくても、上辺だけでも構わない。ひとは「自分が自分の理想像に近付いていることを他人に認められる」という快感には抵抗できない生き物だからだ。

「俺も誤解されやすいタチでね。まあ、確かにちょっと惚れっぽいんだけど。でも、見境なしに誘ったりはしないよ。君には本当に一目惚れでね」
「分かっていただけたと思いますけど、僕は男には興味ないです」
「あはは。また振られちゃった」
 あっけらかんとした調子で、間宮は頭を掻いた。
 間宮は体育会系の男で、根に持たない性格だと小野田は言っていた。
 最初の誘いを断った時、薪は上役である彼を蹴り倒してしまったのだが、そのことについても間宮は薪を責めたり仕返しをしようとはしなかった。小野田や岡部が言うほど、最低の人間ではないのかもしれない。
 もしかしたら先月の小会議室の出来事も、小野田との噂を聞いて、薪のことをそういう種類の人間だと誤解しての行動だったのかもしれない。誤解が解ければ、この先はセクハラの心配もなくなるはずだ。

 肩の力が抜けて、薪はソファに背中を預けた。
 安心したら急に眠くなってきた。前川美佐子の事件があって、1週間ほどまともに寝ていないから、こんなに気持ちのいいソファにゆっくりと座っていたら欠伸が出てしまう。
「疲れてるみたいだね」
「すいません。ちょっと寝不足で」
 横を向いて手で口元を隠すが、部長の前で失礼だ。
「そういう時は10分間でも眠ると違うよ」
 確かに、短時間の昼寝は効果的だ。甘えてしまいたいところだが、上役の前でさすがにそういうわけには。

「いえ、大丈夫です」
 言ったそばから、瞼が下りてくる。
 ダメだ、ものすごく眠い。
 おなかが空いたのはそのうち忘れてしまうが、眠いのは我慢できない。薪の日課では、昼休みは昼寝の時間だ。いつもなら今頃は熟睡しているはずだ。1時のチャイムがなるまでは、決して目を覚まさない。薪は知らないことだが、部下たちの間でこっそりと、「第九の眠り姫」のあだ名がつけられているくらいだ。
「寝ちゃいなよ。官房長が来たら、起こしてあげるから」
「すみません」
 やわらかいソファに沈み込むように、薪は眠りに落ちた。

 穏やかな寝顔に、間宮は思わず見蕩れる。
 こんなにきれいな寝顔を見たのは、初めてだ。長い睫毛に白い肌。形の良い鼻につややかな唇。長く見ていたら口付けずにはいられない、蠱惑的な美貌。

「お客様。どうされましたか?」
「何でもないよ。眠ってしまっただけだ」
 心配そうに声を掛けてきたフロア係に、間宮はポケットから部屋の鍵を出して見せた。
「部屋で休ませることにするよ」
 亜麻色の髪の青年をひょいと抱き上げて、恋多き警務部長はエレベーターのほうへ歩いていった。




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ファイヤーウォール(14)

ファイヤーウォール(14)







 短時間の深い睡眠は、頭脳を覚醒させる。
 しかし、それはあくまで自然な眠りによるものであり、薬品を使った場合の目覚めは、決して気持ちの良いものではない。しかも、目覚めたときに、両手が手錠で拘束されていれば尚更のことだ。
 両手を頭の上に上げる格好で、薪はベッドに仰向けになってる。その華奢な手首には手錠が掛けられ、ベッドの金枠に固定されている。ワイシャツにネクタイ、ズボンは身につけているが、ジャケットは取り去られている。上着の中の携帯電話や、緊急連絡用の発信機には手が届かない。

「手錠を外してください!」
「外したら君は逃げるだろ?」
「当たり前です!!」
 間宮は楽しげにバスローブを脱いだ。その下には何もつけていない。間宮の目的は明白だった。
 若い頃からスポーツで鍛えた間宮の身体は、46歳とは思えないくらい張りがあって若々しい。女性から見たらうっとりするような身体なのかもしれないが、薪には単なるオヤジのはだかだ。見てもうれしくも何ともない。
 
 ネクタイが取り去られて、ワイシャツのボタンが外される。その下から現れた防弾チョッキに間宮は少し驚いたようだったが、手を止める気配はなかった。

「僕がロビーにいなかったら、小野田さんがすぐにここを突き止めますよ」
「官房長は来ないよ」
 薪の髪を撫でながら、間宮は楽しそうにネタばらしをする。薪は邪険にかぶりを振って、男の手から逃れようとした。
「松永君は俺の友人の一人でね。俺の頼みなら、何でもきいてくれるんだ」
「……ホテルのフロア係も、あなたのご友人だったわけですか」
「ご明察。さすが第九の天才だね」

 薪は、自分の失態に唇を噛んだ。
 まんまと間宮の罠に引っかかってしまった。
 まさか、官房室の事務員まで陥落しているとは思わなかった。しかもホテルの人間まで引き込んで、コーヒーに睡眠薬を入れるとは。
 油断した。岡部の言うとおり、絶対に気を許してはいけなかったのだ。

「こんなことをして、ただで済むとでも? あなたがいくら次長の娘婿でも、小野田さんがこのことを知ったら、黙ってませんよ」
「官房長は何も言わないよ。だって君たちの間には、何もないんだろ?」
「身体の関係がなくたって、小野田さんは僕に手を出す人間には、容赦しませんよ」
 もちろんはったりだが、こうでも言わないとこの男を止める手立てはない。足は動くが、上体を起こすことはできない状態だ。薪には交渉術(ネゴシエイト)以外、可能な作戦はなかった。
「プラトニックラブ? そんな子供みたいな恋愛ごっこなんかより、俺が大人の恋愛の仕方を教えてやるよ」
「お断りします」
 あらん限りの侮蔑を亜麻色の瞳に込めて、薪は目の前に迫った精悍な顔を睨みつける。間宮は色事に掛けては天下一品らしいが、たしかに女がしなだれかかりそうなフェロモンを持っている。
 しかし、薪は女ではないし、自分が女にされるのはもっとごめんだ。

「決まった相手がいるわけじゃないんだろ? 恋愛は自由だ。お互い楽しまなきゃ」
「ずい分、一方的な気もしますけど」
 相手を手錠で縛っておいて、自由恋愛もないものだ。
「そう言うなよ。俺は君に惚れてるんだよ。俺の気持ちを受け取ってくれよ」
「間に合ってます」
 自分にわけの分からないことを言ってくるのは、第九の新人だけで充分だ。あれだって、かなり持て余しているのに。

 ワイシャツのボタンはすべて外され、防弾チョッキのマジックテープが剥がされた。
 薪の白い肌が曝け出される。間宮の手が、首から胸に下りてくる。薪の背中が、おぞましさに総毛立った。
「きれいだ。まるで天使の肌だね」
 この男は、こういう気障ったらしい言い回しが得意だ。若い女の子には嬉しい言葉なのかもしれないが、薪はこれを聞かされるたびに反吐が出そうになる。
「やめてください!」
「一目見たときから、ずっとこうしたいと思ってたんだ」
 間宮の顔を射殺さんばかりの鋭い目で見て、薪は奥歯を噛み締める。
「君だって、初めてじゃないだろ?」
 なんで確認なんだ! 初めてか、と何故訊かない!?
「さっきも言いましたけど、僕はこういう趣味はないです」
「駄目だよ、俺にそんな嘘は通用しない。俺はね、相手の身体を見ればわかるんだよ。君は男に抱かれたことがあるはずだよ」
 ぎくりと薪の背中が強張った。
 亜麻色の瞳が大きく見開かれる。傷つけられたプライドが、その瞳の中で怒りに震えていた。

「君の態度から察するに、たいぶ昔のことなんだろうけど。でも」
 間宮の手は薪のわき腹を滑って、腰のほうへ下りてくる。ベルトに手が掛かり、薪は必死で身を捩った。
「この身体は、男に愛されたことのある身体だよ。男に抱かれる悦びを知った身体だ。でなけりゃ、こんな色気は出ない」
 そんなことを、この男が知っているはずはない。
 たしかに、薪には大学の頃すべてを捧げた恋人がいて、それは間宮の言う通り男性だったのだが、もう15年も昔の話だ。それに、薪は男が好きだから彼に抱かれたわけではない。
 相手が鈴木だったから。
 彼のすべてが欲しくて、自分のすべてを受け取ってもらいたくて。
 この色魔の言うような、汚い色欲から発した行為ではない。

 間宮の手が背中に回される。ウエストの辺りを持ち上げられて、ベルトを抜き取られる。ズボンのジッパーが下ろされて、薪はついに観念した。
「分かりました。もう抵抗しませんから。手錠を外してください」
「ようやくその気になってくれたかい?」
「はい」
「よかった。俺も無理矢理はしたくなかったんだ」
 そう言いながらも間宮は手錠を外そうとはせず、薪のズボンと下着を脱がそうとした。
「自分で脱ぎますから、先に手錠を、あ!」
 下着の中に、間宮の手が入り込んでくる。全身に走った悪寒に、薪は吐き気を覚える。
 間宮の手は寄り道をせずに尻のほうへ降りていき、目的の場所を探り当てると、中に指を挿れてきた。冷たくてぬるっとしたゼリーの感触。力が入っているから、指1本でもかなり痛い。
 相手を蹴り飛ばしたいのを、必死で堪える。ここで下手を打ってはまずい。とにかく、両手の自由を取り戻さなければ。
 
「間宮部長、僕はこんなのは嫌です。お互い楽しむんでしょう? だったら僕にもさせてください」
「嬉しいことを言ってくれるね」
 下着の中から汚らわしい手が出て行き、薪は詰めていた息をそっと吐いた。
 クロークに掛けられたジャケットの中から手錠の鍵を取り出し、間宮は薪の拘束を解いた。
 夢中で身体を捩っていたから、手首が傷だらけだ。手首を揉み、掌を閉じたり開いたりして、感覚を取り戻す。

「さあ、どうやって俺を楽しませてくれるのかな」
「こんなのはどうです?」
 上からのしかかってきた男の体を、得意の巴投げで放り投げる。間宮の身体は見事に1回転して、床に落ちた。すかさず、左手で首の後ろを固め、足で両肩を押さえ込む。胸の上に座る形になって、薪は間宮の首に手錠を突きつけた。
「小野田さんから聞いたんでしょう? 僕は、自分が上になるのが好きなんです」
 両手さえ自由になれば、こっちのものだ。こんな男の好きにはさせない。
「なるほど。激しいプレイが好きなんだ」
「ええ。でも一番好きなのは、放置プレイですね」
 間宮の右手に手錠を掛けて、どこに繋いでやろうかと周囲に目を走らせる。
 ベッドの足が最適だ。あれなら動けまい。
 素っ裸のまま、ホテルの部屋に放置してやる。せいぜい恥をかけばいい。こいつは、ひとをレイプしようとしたのだ。当然の報いだ。

「俺はもう少し、ソフトなプレイがいいな。こんな具合に」
 間宮はゆっくりと身体を起こし、薪の胸を軽く衝いた。そのまま床に倒されて、薪はびっくりする。
 がっちりと袈裟固めが決まっていたはずだ。それをあっさり返すほど、間宮は柔道の達人だったのか?
 そんなはずはない。返し技をかけられた覚えはない。しかし、この状態は――――。

「間宮部長。僕に何を飲ませたんです?」
 身体の自由が利かない。手も足も鉛のように重い。
「コーヒーに入れたのは、ただの睡眠薬だよ。君にゆっくり休んでもらおうと思ってさ」
「嘘です。これは睡眠薬なんかじゃ……やめてください!」
 迫ってきた間宮の唇を避けて、必死でかぶりを振る。男の体を押しのけようとするが、腕に力が入らない。
 この感覚は以前にも覚えがある。忘れもしない、去年の秋のおとり捜査のときの、あれだ。

「これはドラックです。ひとにそんなものを飲ませて自由にしようなんて、卑怯者!」
「飲ませたんじゃない。塗ったんだ」
 間宮の薄い唇が、薪の首筋に下りてくる。ぬめった舌が白い肌を濡らしていく。まるでナメクジが這うような感触に、薪は全身を震わせた。
「クスリっていうのはね、直腸に塗りこむのが一番早く効くんだ」
 さっきの行為は、そういうことだったのか。道理で簡単に手錠を外してくれたはずだ。
「身体を見れば分かるって言っただろ? 俺と楽しむ気があるかどうか、きみの身体を見れば分かるんだよ。だからあれを使わせてもらったんだ。君がその気になってくれるようにね」
 間宮はサイドボードの上に置いてある、小さな茶色の小瓶を指差した。
 ラベルには、意味不明の記号が書いてある。薬瓶らしいが、その効果は不明だ。しかしこのままでは、自分にとって不愉快な結果になることは、目に見えている。

 何とかしなければ。こんな男に好きにされてたまるか。

 薪は気力を振り絞って、足を動かした。膝が相手の腹にヒットする。弱い蹴りだが、武道をたしなまない間宮には、それなりの効果があったようだ。
「訴えますよ。レイプは申告罪です。僕は泣き寝入りなんかしませんからね」
「素直じゃないな。ここはこんなに正直なのに」
 ズボンの上からそこに手を置かれて、薪は心の底から驚いた。

 信じられない。ありえない。これは何かの間違いだ。
 反応している。
 間宮の手の動きが、春物の薄いズボンを通して伝わってくる。嫌悪感で体中に鳥肌が立っているのに、薪のそこだけは間宮の奴隷になってしまったかのようだ。
 間宮は自分の右手に掛けられた手錠を外し、再び薪を拘束した。抱えあげられてベッドに寝かされる。
 腰を持ち上げられて、ズボンを脱がされる。下着も取り去られて、その中の欲望がむき出しになる。
 冷たい空気を直に感じて、薪は耐え難い羞恥に身を焼かれた。風呂上りに裸体を見られることにはあまり抵抗がない薪だが、この状態になった自分を見られるのは、まったく別の話だ。

「恥ずかしいのかい?」
 間宮は、薪の初々しい反応が気に入ったのか、ひどくうれしそうだ。その部分には手を触れず、薪の胸や太ももを撫で回し始める。首筋を吸い、胸に下りてピンク色の乳首を舐める。
 頬を赤く染めて、薪は唇を噛む。嫌だと叫びたいのに、口を開いたら別の声が出てしまいそうだ。
 狂うほどの嫌悪感が心に渦巻いているというのに、薪のからだは勝手にびくびくと動いて、その敏感な反応は間宮を悦ばせた。

「感じやすいんだね。可愛いよ」
 そんなことまで言われて、薪は目の前が真っ赤になる。こんな屈辱には耐えられない。何としてでもこの反応を止めなければ。
 やめろ、放せ、と叫んだつもりだった。
 が、薪の口から出てきたのは、部下を震え上がらせるいつもの恫喝とはかけ離れた上ずり声だった。薪には認めたくない事実だが、その声は確かに性的な愉悦を帯びていて、間宮を狂喜させた。
「素敵な声だ。もっと聞かせておくれ」
「や、やめっ……ひゃっ!」
「ここ、感じるんだ」
 ウエストは薪のウイークポイントだ。ここだけは弱い。特に背中側を撫で上げられると、力が抜けてしまう。

「いやだっ、いやっ……!」
「大丈夫だよ。一度すれば、きみは俺に夢中になるから」
「あっ、あっ」
 体中の細胞が否と叫んでいるのに。気持ち悪くて吐きそうなのに。どうして性感だけが、自分を裏切って、こんな男に迎合しようとしているのか。
 必死で欲望を制御しようとするが、生理現象には逆らえない。クスリのせいで異常に高まった性欲を抑えるのは、下剤を飲んでからトイレを我慢しようとするのと何ら変わりない。

 間宮の舌は、薪の弱点を的確に攻めてくる。自然にからだが仰け反って、背中がびくびくと震え始める。薪のそこは痛いくらい張り詰めて、もしここに何らかの刺激が加わったら、即行で爆発してしまいそうだ。
 この男の前でそんな醜態を見せるくらいなら、いっそここを切り落としたほうがマシだ。他に使う当てもないし、悲しむ女もいない。
 間宮の舌が下腹部に移ってくる。
 足の付け根や内股を舐められ、尻を揉まれる。間宮の髪が薪のそこに触れて、思わず腰が跳ね上がる。浮き上がった尻の下に指が伸びてきて、狙い定めた場所をなぞり始めた。

「ちっくしょっ……くっ!」
 もう手段は選んでいられない。薪は思い切り自分の唇を噛んだ。
 じわりと口の中に血の味が広がる。その痛みのおかげで、僅かばかりの正気が戻ってきた。
「さわるなっ、この変態!」
 動かない体を渾身の力で動かして、間宮の指から逃れる。身体が動かないから、頼りになるのは口だけだ。
「ひどいな」
 もう敬語を使う余裕もない。警視長だろうと警務部長だろうと、変態は変態だ。本当のことを言って、なにが悪い!
 間宮は薪がここまで抵抗するとは思わなかったようで、少し困った顔をした。

「君も強情だね。無理強いはしたくないんだけどな」
 言葉は穏やかだが、間宮は明らかに腹を立てていた。いつまでも自分の思い通りにならない薪に、痺れを切らしている。
 間宮は薪の秘部にもう一度指を挿れると、今度はずっと奥の方までゼリー状のクスリを塗り込んだ。
「―――― っ!」
「規定量を超えちゃうと、後が大変なんだ。でも、君が悪いんだよ。素直にならないから」

 間宮も、もう容赦はしなかった。薪のおねだりを待たずに足を抱えあげ、受け入れる体勢を取らせる。
 薪は今度こそ観念して目を閉じた。悔し涙が流れる。
 
 こんなやつに。
 こんなやつに犯られるくらいなら、あのバカのほうがまだマシだ!

「薪さん! 無事ですか?」
 聞き慣れた部下の声と共にドガガッという派手な音がして、薪の身体はベッドに投げ出された。
 目を開けると、岡部の大きな背中が見えた。ドカドカと容赦なく、床に横たわった裸の男を蹴り飛ばしている。悲鳴が上がらないところをみると、間宮の意識はすでに無いようだ。

 ……助かった。
 頼りになる部下の出現に、薪は安堵のため息をついた。




*****



 この話を書き終えた3日くらい後に、アニメのDVDの9巻が発売されることになって、アマ○ンで注文しようとネットを見たら。
 9巻の表紙が手錠プレイ!!(に、見えた)
 神さまのお導き?(何の神さまだよ)


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ファイヤーウォール(15)

 ブログ開設から、ちょうど1ヶ月経ちました。
 まだ1ヶ月ですけど、日記なんか3日も持たないわたしがブログを続けていられるのは、みなさまのおかげと感謝しております。

 1ヶ月目の記念すべき記事は、
 ……このヘンタイ小説の続きかよ。なんでこの時期に持ってきちゃったんだろう……。




ファイヤーウォール(15)




「だから間宮には気をつけてくださいって、あれほど言ったじゃないですか!」
 怒りながらも薪の手錠を外し、はだかのからだに毛布を掛けてやる。この上司にはキツイお灸が必要だ。
「どうしてここが解った?」
「あなたが3時になっても帰ってこないから、おかしいと思ったんです。電話を掛けても出ないし、誰か何か聞いてないかって、うちの連中に訊いたんです。そしたら青木のやつが、『官房室の松永って事務員が、Pホテルで官房長との待ち合わせのメモを持ってきた』って言うから」

 岡部は床に落ちていた薪のズボンと下着を拾って、ベッドに置いた。薪が着替えやすいように、再び背を向ける。
「官房室の事務員がひとり、間宮に懐柔されてることは聞いてましたから。官房長に室長といつも行くPホテルは何処か教えてもらって、ここが解ったんです」
 床に転がした薄汚い男を、岡部はもう一度踏みつける。大事な薪を傷つけて、殺しても飽き足りないくらいだ。いっそのことホテルの屋上から突き落としてやろうか。
「薪さんは警戒心がなさ過ぎるんですよ。そりゃあなたは強いですけど、クスリや銃を使われたら」
 薪が、体を丸めて震えているのに気付いて、岡部は口調を改めた。
 
「部屋を突き止めるのに手間どって。遅くなってすいませんでした」
 無理もない。
 こんな目に遭って、薪は動転しているのだ。説教は後だ。
「第九へ帰りましょう」
「それが……まずいんだ」
 薪の頬に涙はなかった。
 身体が震えていたから、てっきり泣いているのかと思っていたが、どうやら別の理由だったらしい。
 
「間宮にクスリ盛られて、いまヤバイ状態なんだ。外を歩けない」
「歩けないって」
 薪は、ズボンの上から下半身に毛布を掛けている。
 つまり、そういうことか。

「何とかならないんですか? 冷たいシャワーを浴びるとか」
「そんな生易しいもんじゃないんだ! 穴さえあれば、なんでもいいから突っ込んじゃいたいくらいなんだ!」
 それはそうだろう。でなければドラックの意味が無い。

「雪子さんを呼んでくれ。早くっ」
「えっ! 三好先生に相手してもらうつもりですか!?」
「んなわけないだろ! 解毒剤だ!!」
 薪は、サイドボードに置いてある茶色の小瓶を指差した。
「あのラベルの記号を言って、ここに解毒剤を届けてくれるように頼んでくれ。僕は電話なんかできる状態じゃない」
 薪の全身はぶるぶると震えている。寒いわけではなく、強い劣情と戦っているのだ。

 薪のジャケットから携帯電話を取り出し、電源をONにする。電話帳を検索し、三好雪子の番号を押す。雪子の番号は、数少ない友人のカテゴリに納められていた。
 雪子が電話に出るのを待って、岡部はスピーカーのボタンを押す。これで電話を手に持たなくても、薪は雪子と話ができる。
「雪子さん、お願いです。おとり捜査のときの解毒剤を、ここに届けてください!」
 薪の切羽詰った声に、雪子はすぐに薬の種類を調べてくれた。しかし、雪子の返答は薪をがっかりさせるものだった。
『その薬にはあの解毒剤じゃ効かないわよ』
「じゃあ、別の解毒剤を」
『解毒剤なんかないわよ』
「はい?」
『それってただの強壮剤。純度はだいぶ高いみたいだけど、あれは毒じゃないから。解毒剤なんかないわ』

 毒を盛られたわけではないと解って、雪子は安心したらしい。岡部が側にいて、薪にはこれ以上危害が及ぶおそれはないのだから、あとはただ欲望を満たせばいいだけの話だ。
 お気の毒さま、と明らかに他人の不幸を喜ぶ調子で言われて、薪はかっとして怒鳴った。
「じゃあ、僕はどうすればいいんですか!?」
『薬の効果が切れるまで、自分で対処するしかないんじゃない? じゃ、頑張って』
 激励の言葉を最後に、電話が切れる。
 ぶつりと切られた携帯電話を見つめたまま、薪は主治医の処方箋に呆然としている。

 自分で対処って、頑張ってって、つまり。

「で、出てけ! 僕をひとりにしてくれっ!」
「はいはい!」
 岡部は気絶した間宮を肩に担ぎ、薪を残して部屋を飛び出した。




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ファイヤーウォール(16)

ファイヤーウォール(16)






 一人になった薪が一番にしたことは、ベッドから離れることだった。
 ここで、あんな厭な目に遭ったのだ。このベッドに触れるのも嫌だ。
 身体は自由に動くから、さっきの麻痺は一時的なものだったらしい。少量の痺れ薬か、筋肉弛緩剤をあのクスリに混ぜたものと思われる。

 ソファに座って膝を抱え込む。ワイシャツの肩に爪を食い込ませて、本能を抑え込もうと必死になる。
 ローテーブルに、薪の携帯電話が置いたままになっている。メールの着信があるのに気付いて、震える手で画面を開く。メールは雪子からで『解毒剤は無いけれど、特効薬を送る』と書いてあった。
「特効薬……それまで何とか、我慢しろってことか」
 ここには誰もいないし、雪子の処方に従うことは間違いではないと思うが、薪にはプライドがある。
 薪も男だから自慰はするが、それは自分の意志でするものであって、こんな不自然な欲求からするものではない。全然そんな気はないのに、そこだけが快楽を求めて猛り狂っているなんて、自制心の強い薪には初めての経験だ。
 自分は間宮とは違う。下半身の欲求に汲みするなんて、絶対に許せない。
 しかし。

「だ、ダメだ、きたっ……!」
 二度目に深く塗りこまれた薬の効果は、絶大だった。
 指一本触れていないのに、薪の欲求はどんどん膨れ上がってズボンの前を押し上げている。下着がこすれて痛い。とても抑えきれる衝動ではない。堪らず、ベルトを外してズボンを緩める。下着の中に右手を滑り込ませ、屹立している自分自身を押さえ込む。
「あっ、んんんっ!」
 触れてしまったら、もう止められなかった。
 欲求の命ずるままに、薪の右手は意志とは関係なく快楽を得ようと動き始める。
「ちっくしょ……」

 くやしい。
 間宮に盛られた薬のせいで、こんなことをするなんて。あの男の思い通りに、自分の身体が操られるなんて。

 もし岡部が助けに来てくれなかったら、間宮の前でこんな醜態を晒していたことになる。それが目的の人間なら、一も二もなく飛びついてくるだろう。こっちだって、この状態じゃとても抵抗できない。誰かがここにいたら、男女構わずこっちから襲い掛かってしまいそうだ。

 ズボンと下着を膝の位置まで下ろしたみっともない格好で、薪はソファの上に横になる。奥歯を噛み締めて、せめて声は出さない。心の中は口惜しさと情けなさで、台風のような有様だ。
「―――― っ!」
 欲望を吐き出して、薪は荒い息をつく。クスリに負けてしまった自分が嫌になるが、やはりどうにもならなかった。
 とにかく一段落だ。気持ちを切り替えて第九に帰ろう。
 
「あ、あれ?」
 薪は思わず自分の手を見た。
 白くて華奢な手には、いま吐き出したばかりの欲望が付着している。ティッシュを取る余裕も無かったのだ。しかし、薪が驚いたのはそこではない。
 おずおずと下を見ると、薪のそこは未だ処方前の状態のままで、次の処置を待っていた。
 
「なんでだ!?」
 もともと性欲が薄い薪は、自慰もセックスも1度したらお終いだ。
 風俗の女の子が頑張ってくれたが、2度目はとうとうできなかった、という苦い経験もあるくらいだ。自慰もせいぜい1ヶ月に1度くらい。それもかける時間はものの3分。セックスにいたっては10年以上もご無沙汰だ。それでもなんら不自由を感じないほどに、薪はそちらの方面には興味が無いのだ。
 そんな自分が、こんなバカな。いくらクスリのせいとはいえ、イッたばかりですぐにまた欲しくなるなんて。

 いったん与えてしまった愛撫は、もう止めることができなかった。二度目の衝動は初めのものより遥かに強く、より深い刺激を求めて薪のからだを突き動かした。
「くそっ……」
 自分自身を罵りながら、薪は目を閉じた。
 くやしくてくやしくて、たまらなかった。



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ファイヤーウォール(17)

ファイヤーウォール(17)






 それからどのくらい経っただろう。
 ドアをノックする音がして、薪はびくりと肩を上げた。

「薪さん、オレです。三好先生から薬を預かってきました」
 耳に馴染んだ第九の新人の声に、薪は思わず顔をしかめた。
 雪子がここに来なかった理由は、理解できる。こんな状態の男の前に、女の雪子が姿を見せたら、間違いなく襲われると思ったのだろう。薪も自分を抑えられる自信はない。

 でも、よりによってなんでこいつなんだ? こんなときに、間宮と大差ないじゃないか。

 しかし、薬は必要だ。どうにかして自分の状態に気付かれることなく、青木から薬を手に入れなければ。
 繰り返された手淫のために力が入らない右手で、ローテーブルの上のボールペンを掴む。ホテルに備え付けのもので、黒くて長いペン先の尖ったタイプだ。それを逆手に持ち、ワイシャツの裾を噛んで、薪はペンを自分の太ももに突き立てた。
「――――!」
 鋭い痛みが走って、正気が返ってくる。その場凌ぎではあるが、こうするより他には方法が無い。
 薪の足には今つけた傷以外にも多くの傷があり、ペンにはすでに乾いた血がこびりついていた。色々試みはしたのだが、痛覚以外に自分を抑えてくれるものは見つからなかった。

 ようやく立てるようになって、薪は床に落ちていた毛布を拾い、肩からすっぽりと被ってドアに向かった。薬さえあればこの地獄から抜け出せる。
 警戒しながらドアを開け、青木を部屋の中に入れる。絶対にスキを見せまいと、剣呑な表情と刺々しい雰囲気で、守備を固める。
「薬は?」
「これです」
 白い縦長の封筒。平べったくて、薬袋というよりは手紙のようだ。
 封を切ると、果たして中には一枚のメモ用紙が入っていた。他には何も無い。

「雪子さんから預かったのは、これだけか?」
「それだけです」
 訝しく思いながらも薪が二つ折りにされたメモ用紙を開くと、そこには雪子の文字で恐ろしいことが書かれていた。
『この薬の効果を消せるのは人間だけ。頑張ってね』
 嫌な予感がして、青木の背を見る。無能なメッセンジャーの背中には紙が貼り付けてあり、大きな文字で『特効薬』と書いてあった。

「雪子さん……どうせなら女の子を送ってください……」
 こいつ相手になにを頑張れと!?

 雪子がけらけらと大口を開けて笑っているのが、目に見えるようだ。彼女のお祭り好きは今に始まったことではないが、他人事だと思って酷すぎる。男の事情が女の雪子には理解できないのだ。
 頭を抱えてしまった薪を見て、青木が心配そうな顔つきになる。
 この善人面に騙されてはいけない。こいつの本音は間宮と同じだ。
 純真そうな仮面の裏側で、あんな汚らしいことを考えていたような男なのだ。

「おまえ、どこまで事情を知ってるんだ」
 「薪さんが間違って、5課で押収した催淫剤を飲んじゃったから、特効薬を届けるようにって三好先生が」
 青木の説明を聞いて、薪は雪子の機転に感謝する。
 青木はずっと以前、裏取引の代償として薪のことを厚生省の役人に差し出そうとした上役の首を締め上げてしまったことがある。またそんな騒ぎを起こすことを恐れて、青木には本当のことを言わなかったのだ。

「その格好で、ここまで来たのか?」
「え?」
 薪に背中の紙を剥がされて、青木は初めてそれに気付いたらしい。まったく注意力散漫なやつだ。警察官失格、というよりはただの間抜けだ。
「オレが特効薬なんですか?」
「それは雪子さんのジョーク……」
 ぞくん、と下腹部が疼いて、薪はクスリの効果が再び身体に現れたことを悟った。
 早く青木を追い返さなければ。始まってしまったら、自制できない。その姿は青木の理性を壊してしまう。だって、こいつは僕のことをあんな目で――――。

「もういい、おまえは早く帰、うっ!」
 下腹部から全身に震えが走って、薪は思わずその場にしゃがみ込む。とても立っていられない。そこに手を伸ばしたくなるのを必死でこらえる。
 心配そうに肩に置かれた青木の手が、微かに強張る。薪が今どんな状態か気付いたのだ。
 薪はとっさに、先刻ボールペンの先でつけた傷口を爪で抉った。痛みで正気に戻ろうとするが、2回目はその効果が薄い。すでに何度も試している。この方法が通用するのは1度きりで、次の時には屈辱的な行為に頼るしかない。
「薪さん、やめてください」
 不自然な欲求は、薪の心を裏切る。強い自制心とプライドが、その欲望を抑えるために薪を自傷行為に走らせる。心と身体がバラバラの方向へ引っ張られて、気が変になりそうだった。

「我慢することないです。これはあくまで薬のせいです。だれも薪さんを、責めたり笑ったりしません」
「……本当に?」
「はい。もちろんです。オレにはちゃんと解ってますから」
 やさしい言葉と微笑みに、薪の涙腺が壊れそうになる。
 あんなひどい目に遭わされて、舌を噛み切りたくなるような恥辱を味わって。幾度となく繰り返された望まざる行為に、身もこころもボロボロに傷ついて。
 もう、限界だった。
 目の前にある広い胸に取り縋って、顔を伏せて泣いた。この男の危険性は充分認識しているはずなのに、身体が勝手に動いてしまった。

「大丈夫ですよ。もう大丈夫ですからね」
 ぎゅっと抱きしめてくれる、やさしい腕。これは危険なものだと解っているのに、なぜ安心するのだろう。

 震える両手を大きな背中に回し、薪は自分を救ってくれる特効薬を抱きしめた。



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ファイヤーウォール(18)

 Rなので、苦手な方はご注意ください。





ファイヤーウォール(18)





 細い体を毛布ごと抱きしめて、青木は薪を落ち着かせようと必死だった。
 きっともの凄く辛いのだ。青木も男だから、その事情は良く分かる。
 雪子に聞いた話では、このクスリによる効果は2時間程度で、副作用は無いものの射精による終了は訪れない。つまり、何回イッても興奮状態が続くらしい。もともと性的不能者の治療薬で、その目的のために開発された薬品である。正常者が用いるものではない。

 立っていることもできない薪の身体を、ソファに寝かせる。薪の身体はびくびくと震えている。この震えを止める方法は知っているが、それをしていいものかどうか。

 1ヶ月ほど前のハプニング以来、薪はすっかり警戒態勢に入ってしまって、仕事以外では決してふたりきりにはならないようにしている。岡部の説得のおかげで、自宅の出入りは許可が下りたが、来るときには必ず岡部と一緒に、と約束させられてしまったし、仕事の帰りに家まで送ることも禁止されてしまった。
 細糸1本で繋がっているような薪との関係が、このことで完全に断ち切られてしまうかもしれない。これ以上、薪に嫌われるようなことはしたくない。
 そんな危惧から青木が手をこまねいている間に、薪の症状はどんどん進行しているらしかった。
 びくんびくんと身体全体が、大きく脈打つように動いている。何度もそこに手を伸ばしかけるが、思いとどまって毛布を掴んでいる。
 苦痛に歪んだ表情は、心の底からの嫌悪感を現している。しかしそれを、自分の身体の一部だけが裏切っている。このままでは太腿のボールペンだけでは、済まないかもしれない。

「もう、やだ……もう嫌だあ……」
 薪はとうとう大声で泣き出してしまった。
「手が疲れた。もうしたくないのに、なんでこんな、ちくしょう」
 おとり捜査の時とは違って、薪はラリっているわけではない。ただ薬の作用で、性欲だけが異常に高まった状態に置かれているだけだ。それが自尊心の強い薪を、自傷行為に走らせている。

 亜麻色の瞳が、助けを求めて縋り付いてくる。
 この人が声も殺さずに泣くなんて、よっぽどきついのだ。
 この苦しみを軽くしてあげたい。それをしたら、もう二度と口をきいてくれなくなるかもしれない。
 だけど。

「特効薬、使ってみますか?」
 薪は目を閉じた。
 ぎりっと奥歯を噛み締めて、ひどく口惜しそうな顔をする。この涙は、明らかに悔し涙だ。声にならない罵倒は、自分自身へ向けられたものだ。
「泣かなくてもいいんですよ。落ち着いて。リラックスしてください。この薬はその方がよく効きますよ」
 薪は泣きながら頷くと、自らの手で毛布を落とした。
 横向きに寝そべった白い裸体が現れる。その強烈な色香。青木の下腹部に、痛みを覚えるほどの衝動が沸き起こる。

「だ、ダメです! 毛布はこのままにしておいてください」
 慌てて毛布を拾い上げて、自分の視覚を塞ぐ。これを見ていたら先月の二の舞、いや千秋楽まで突き抜けてしまいそうだ。
 自分の身体に毛布を巻きつけられて、薪が意外そうな顔をする。きょとんとして首を傾げる、その可愛い仕草も今はヤバイ。抱きしめたくなってしまう。

「今の薪さんは、病気と同じです。病人をどうにかしようなんて思いません」
「だっておまえ、これ」
「これは男の悲しいサガで、ちょっと! さわんないでくださいよ!」
「僕が欲しいんじゃなかったのか?」
「欲しいですよ。当たり前じゃないですか」
 だから毛布は外しては駄目なのだ。こちらの我慢ができなくなってしまう。
「でも、こんなのはダメです。今はよくても、薪さんは後で絶対に後悔します。オレはあなたを泣かすのは嫌です」

 薪の体をしっかりと毛布で包み込み、布の隙間から手を入れる。手探りでそこを探り当て、やさしく撫で始める。細い腰が跳ね上がるように反応して、薪はつややかなくちびるを噛み締めた。
「――――っ! くっ!」
 いくらも経たないうちに絶頂を迎えるが、薪のそれは硬くなったままだ。
 がくっと力が抜ける感じはあるから、精神的には射精しているらしいのだが、何も出てこない。たぶん、もう中身は空なのだ。でも、薬の作用は脳に働いているから興奮状態が続く。女の場合は基本的に限界というものはないらしいからこれもありなのだろうが、男の場合は――――― 地獄かもしれない。

「やめないで、もっと」
 何ともそそられるセリフだが、もちろんクスリの作用によるものだ。言ったそばから、はっとして口を覆っている。
「ちがう、僕はこんな」
「わかってます。薪さんが人一倍自制心が強いことは、よく知ってますから」
「うん……う、あっ!」
 声を抑えようと、またくちびるを噛む。
 薪の柔らかそうなくちびるは、切れて血が滲んでいる。青木は自分の人差し指をその小さなくちびるに当てて、やさしく言った。
「声も出していいんですよ。寒いときには勝手に体が震えちゃうし、暑いときには汗を我慢することなんてできないでしょう? それと同じですよ。恥ずかしくないです」
「でも、んくっ!」
 白い前歯に再び傷つけられようとしたくちびるは、そっと入ってきた青木の指に開かれる。

「これでも噛んでてください」
「指がちぎれるぞ」
「いいです。薪さんの唇が切れるよりましです」
「だけど、あぐっ!」
 幾度目かの到達感に、薪は思わず歯を食いしばった。

「あ……」
 青木の指を噛んでしまったことに気付いた薪が、眉根を寄せる。そのきれいな顔がさっと曇る。噛んでください、と言ったのは青木の方なのだから薪が気にすることはない。
 薪の小さな手が青木の手を取って、自分の口から青木の指を引き抜いた。
「血が出てる」
 傷ついた指をつややかな唇が再び包み込む。口中に含まれて、やさしく傷口を舐められる。
「大丈夫ですよ。痛くないです」
 本当はめちゃめちゃ痛い。マジで食いちぎられるかと思った。

 強がりを言って笑った青木に、薪は急に抱きついてきた。もう次の余波が襲ってきたのだろうか。
 頭を掴まれて、唇にキスをされる。薪のほうからキスをしてくれるのはとても嬉しいが、これはクスリの効果によるものだ。以前ドラックでラリッた時にも同じようなことが。
「今度、僕が唇を噛もうとしたらこうしてくれ」
 薪の言葉に、青木は驚く。熱に浮かされたような目をしているが、口調はしっかりしている。この命令は、薬のせいではない。
「特効薬なんだろ、おまえ」
 薪はどうやら、青木の効能を認めてくれたらしい。

 達した直後は少し落ち着くようで、息を弾ませながらも会話ができる。が、すぐにまた薪は苦しそうな顔になって、青木にその身を擦り付けてきた。
「うっ……くっ!」
 薪が声を殺そうとするたびに、青木は唇でそれを防いだ。何度も繰り返されるうちに下腹部の興奮と相まって、口唇の動きも激しくなっていく。次の絶頂を迎える頃には、薪は青木の身体に抱きついて、夢中で舌を絡めていた。
 しっかりと身体に巻きつけていたはずの毛布はとっくに床に落ちてしまって、一糸纏わぬ姿のまま、薪は快楽に喘いでいる。見てしまったら終わりだとばかりに、青木はぎゅっと目をつむっている。
 自分の身体に抱きついて、そんな風に乱れる薪をいつも想像していた青木だが、この誘惑に耐えるのはキリストでも不可能ではないだろうか。

「んああっ! いっ、いいっ!」
 続けざまに訪れる到達感は、薪の理性を剥ぎ取っていく。いつしか声を殺すことも忘れ、青木の耳元で薪は愉悦の声を上げ続ける。
 薪のこんな声は聞いたことがない。まるで悲鳴のようだ。というか、悲鳴だ。
 しかも、びっくりするほど大きい声だ。ここが青木のアパートだったら、間違いなく警察に通報されてしまう。

「もしかして……悲鳴系?」
 まさか。これはクスリのせいだ。薪はきっと奥ゆかしい吐息系だ。
「ひああっ!! あっ、あっ、あ―――ッ!!」
 ……悲鳴系だ。

 ひときわ大きな声をあげて、薪は大きくのけぞった。
 手淫だけでは得られなかった、深いオーガズム。体中の力が抜けて、ぐったりとソファに沈みこむ。
 その激しい絶頂感のおかげか、あるいはクスリの作用が切れたのか、薪の身体の震えはようやく止まったようだ。頬を伝う透明な液体は、悔し涙か快楽の涙か判断がつかない。
 薪は気絶するように眠りに落ちて、ぴくりとも動かなくなった。

「よかった、終わってくれて」
 白い欲望の残滓に汚れた薪の体を清めてやろう、と青木は思う。しかし。
 ダメだ。先にこっちを抜いてこなきゃ。
 例え薪に意識がなくても、襲いかかってしまいそうだ。
 よくぞ今まで耐えたものだ。自分の自制心に拍手だ。

「すいませんっ!」
 裸の薪を放っていってすいませんなのか、自分の今の状態を謝っているのかは不明だが、青木は謝罪の言葉を叫んでバスルームに駆け込んでいった。




*****



 初のあおまきRです♪ って、なんじゃこりゃ(笑)


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ファイヤーウォール(19)

ファイヤーウォール(19)








 明後日の室長会議のため、青木はいつものように、研究室で会議資料の作成をしていた。
 これは青木の仕事というわけではないのだが、青木の将来を思って、薪がそれを指示したものだ。
 青木はキャリアで入庁している。行く行くは管理職に就く身だ。現場に出ないキャリアには、こういう仕事を積み重ねていくことも大事だ。

「室長。統計データの分析と、こっちが参考資料です」
 室長室で報告書にサインをしている薪に、作成した書類を渡す。一通りの書類に目を通し、薪は鷹揚に頷くと青木を見上げた。
「よくできてる。僕が手を入れなくても良さそうだ」
「ありがとうございます。コピーとりますね。30部でしたよね」
「頼む」

 前川美佐子の事件から数日が過ぎ、第九には平穏が訪れている。
 今のところ急ぎの事件はないので、今日残業しているのは仕事中毒の室長と、その手伝いをしている青木だけだ。
 人数分のコピーをとり、資料の束を再び室長室に持って行くと、薪は早くも帰り支度を整えていた。今日はもう帰宅するらしい。
「こちらに置きますね。お疲れ様でした」
「春キャベツが美味い時期だよな」
 薪はこんな具合に、唐突に話を始めることがある。
 こういうときは、話の脈絡が解らなくてもいいから「そうですね」と答える。でないと、薪は続きを話してくれない。ここで「春キャベツがどうかしたんですか?」と尋ねてしまうと、「別に」で終わってしまうのだ。

「今日はロールキャベツにしようかな」
「美味しいですよね、ロールキャベツ。オレ大好物です」
 2ヶ月前なら食べに行ってもいいですか、と図々しく押しかけるところだが、今は禁止条例発令中だ。いつになったら解除されるのか、皆目見当もつかない。
 もしかしたら先日の件で、条例から憲法に格上げになったかもしれない。憲法に制定されてしまったとしたら、改正は絶望的だ。

「でもあれ作るの、けっこう面倒臭いんだよな。キャベツ丸ごとゆでたりとか、ひき肉を包むのも手間が掛かるし。おまえ、食いたきゃ手伝いに来い」
 うれしい。
 薪が自分の家に誘ってくれた。青木は笑顔になって、携帯電話を取り出す。
 「はい。じゃ、岡部さんに連絡してみますね」
 岡部に用事が無いといいのだが。でないと、せっかくの薪の手料理が食べられなくなる。青木はひとりでは、薪の家には行けないのだ。

「手伝いは、そんなに要らない。ひとりいれば充分だ」
「え?」
「行くぞ」
 薪は自分の鞄を持って、さっさと歩いていってしまう。青木が戸惑っていると、室長室の入り口でキッと振り返り、飲み込みの悪い部下を怒鳴りつけた。
「早くしろ! スーパーが閉まっちゃうだろ!」
 ぽかんと口を開けて立っている青木に、薪は厳しい口調で言い募る。
「べつに許したわけじゃないからな! ちょっとでもおかしな真似してみろ。ひき肉にしてキャベツに巻き込んでやる!」
 脅し文句がどんどん怖くなる。
 しかし、どうやら憲法は改正されたらしい。あんな展開になって、どうして改正案が通ったのか不思議だが、青木には僥倖である。たとえ薪の気紛れだったとしても、またあの楽しい時間が持てるのだ。

 青木は、満面の笑みで薪の後ろを追いかける。
 尻尾があったら千切れるほど振っていそうなその様子を、薪はこころの中で笑っている。

 思い出したくもない、あの事件の翌朝。

 薪は、間宮に陵辱されそうになったベッドで目を覚ました。
 身体についていたはずの汚れはきれいに拭き取られ、足には包帯が巻いてあった。はだかではなく、新しい下着をつけて、バスローブを着て寝ていた。
 あれだけのことがあったのに、目覚めは何故かすっきりしていて、薪は自分がどうしてこんなに落ち着いていられるのか、不思議でたまらなかった。
 ベッドから降りると、足がガクガクする。体中が筋肉痛みたいで、しかし鋭い痛みは無い。記憶が曖昧な部分はあるが、どうやら一線は越えずに済んだようである。

 ソファからはみ出した、長い足が見える。
 長身の身体には、2人掛けのソファは短すぎるとみえて、膝から下は完全に肘掛から外に出てしまっている。もう片方の肘掛に頭を乗せ、青木は腕を組んで寝息を立てている。その眠りは深いらしい。

 昨夜のことが思い出されて、薪は思わず頭を抱える。
 こいつには油断しちゃ駄目だと、自分に言い聞かせていたのに。

 ……でも。
 薪はソファの前にしゃがみ込み、青木の寝顔を見た。
 昨夜の彼のやさしさを、その献身を思い出す。

 こいつが僕を犯そうと思えば、簡単だったはずだ。
 だってあんな状態で、そうなればおそらく、僕も抵抗なんかしなかった。こいつのそこはたしかに反応してて、ズボンの上からでもはっきりそれと分かるほどになっていたのに。だけどこいつは、僕に毛布を被せてくれて。
 僕のことを考えて、必死に自分を抑えて。僕に触れるだけで、自分はネクタイを外そうともしなかった。
 僕とセックスしたくてたまらないくせに。夢にまで見てるくせに。
 そんな相手とあんなことになって、いったいどれだけの人間が自分を抑えきれるだろう。
 僕がこいつの立場だったら、たぶんやっちゃってた。男なんてもんは、犯ってから考える生き物だ。

 それに。
 間宮にされてあれほど怖気を奮ったことが、こいつにされたらそうでもなかったのは何故だろう。
 それどころか気が遠くなるほど気持ちが良くて、つい夢中になって何度もキスを……違う違う違う。あれはクスリのせいだ。それ以外の理由はないはずだ。僕の人生に、鈴木以外の男は絶対に認めない。

 だからこれはそういう意味じゃなくて、特効薬の働きに対する褒美のようなものだ。ただの感謝の表れだ。それ以上の気持ちは断じてない。

 安らかに眠る黒髪の男に、薪は顔を近づける。
 男らしく引き結ばれたくちびるに、そうっと口付ける。昨日の悪夢の中でしたような、情熱的なキスではない。
 でも、この朝の挨拶のようなキスのほうが、10倍もときめいている――――。

 ……本当はわかっていた。
 こいつが間宮のような欲望だけで、僕を見ているわけじゃないことは。
 前川美佐子の事件のとき、こいつが手柄に拘ったのも、呑気に散歩を勧めたのも、みんな僕のためだったと気付いていた。

「悪かった。間宮と同じだとか言って……殴って、ごめん」
 眠り続ける男に、独り言のような小さな声で。

「僕は謝ったからな。おまえが眠ってるのが悪いんだぞ」
 薪は青木から離れ、自分がしたことに赤くなって口許を覆う。ついきょろきょろと周りを見回してしまう。誰もいないのは分かっているのに、とそのつややかなくちびるが苦笑の形に緩む。

 青木は間宮とは違う。
 僕が嫌がることは、絶対にしない。いつでも僕のことを一番に考えてくれる。僕が後悔しないように、笑顔でいられるようにと気を配ってくれる。

 何の見返りも求めずに、ただ僕のために――――。

 こんなに他人から、大切にされたことはない。
 鈴木はとてもやさしかったけれど、あれはみんなに優しかったのだ。雪子さんにはもっと優しかったんだろう。
 青木も人当たりはいいけれど、中身は鈴木ほど穏やかじゃない。こいつが本当にやさしくしたいのは、僕だけだ。僕がいつでもこいつの最優先なんだ。

 その立場は、とても気分がいい。

 青木の寝顔を見つめて、薪は幸せそうな笑みを浮かべる。その微笑が、かつての親友に向けられたものに、限りなく近付いていることに、果たして気付いているのかどうか。
 そんなことを思い出している今の薪の表情もまた、この季節に相応しいやさしさを含んでいた。

 自分の後ろから、買い物カートを押して着いてくる部下を振り返って、薪は驚く。
 カートの中には、キャベツが3つも入っている。青木は料理は素人だ。分量の加減が、分からないのだろう。
「おまえ、僕の家の献立を1ヶ月間ロールキャベツで埋め尽くす気か」
「オレ、ロールキャベツ大好きなんです。毎日食べに行きますから」
「作ってやるから持って帰れ」
「薪さんと一緒に食べるのが美味しいんですよ」
「どこでだれと食っても、ロールキャベツはロールキャベツだろ」
「違います。薪さんと一緒だとロールキャベツでも、岡部さんとふたりだと、ロールキャベツに醤油がかかりますから。あれはキャベツの煮物です」
「あはは。なんで岡部って何にでも醤油かけるんだろうな」
「カレーにもかけますよね、あのひと」
「こないだなんか、ソーセージにかけてたぞ」
「うわあ。ドイツ人に怒られそうですね」
「インド人にもな」
 友人の陰口を楽しみながら、マンションまでの道を歩く。
 他愛のない会話。でも何故か笑える。やっぱりこいつとの時間はとても楽しい。
 
 薪はふと、青木は自分の何なのだろうと考える。
 ただの上司と部下というには近すぎて、友人というには離れすぎている。もちろん恋人ではないし、これからもそうなることは絶対にない。

「今夜は朧月ですね。春だなあ」
 青木は月を見上げて、幸せそうな笑顔を浮かべる。
 月を見たくらいで、そんなに幸せな顔ができるなんて、本当におめでたいやつだ。
 そんなやつだから、告白の返事を半年も保留している不義理な自分のことを、いまだに好きでいてくれるのかもしれない。

 こんな不安定な関係が長く続かないことは、薪にも分かっている。
 でも、この名前の付けられない中途半端な関係が、今の薪にはとても心地よい。

 もう少し。
 もう少しだけ、このままでいさせてほしい。

 春の夜の朧月に目を細めて、薪はそう願っていた。




 ―了―




(2009.3)




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ファイヤーウォール~あとがき~

 拙作、「ファイヤーウォール」にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

 途中、うちの薪さんのあまりにも大人気ない態度に対するお怒りの声をいくつかいただきました。ご不快に思われた読者様には、心からお詫び申し上げます。
 にもかかわらず、その殆どの方が最後までお読みくださり、最終的には温かいコメントまでいただけたこと、安堵すると同時に、みなさまの広いお心に感謝する次第でございます。


 今回のお話の趣旨は、ヘンタイ間宮の暴走――ではなく、
 薪さんのあえぎ声が悲鳴系と判明――でもなくて。
 岡部さん、かっこいい! ……違うって。

 どんなに理不尽でひどい扱いを受けつつも、へこたれずに薪さんに愛を注ぎ続ける青木くん。
 そして、薪さんが青木くんの見返りを求めない愛情にようやく気付いて、それを心地よく感じる自分を認め、心身ともにかれを受け入れていくきっかけとなる、大きな分岐点。
 だったのでした。


 この話の最初では、「おまえなんかヘンタイ間宮と一緒」という暴言を吐いた薪さんが、青木の真心に気付き、その評価をどう変えていくのか。その様子を、これから見守ってやっていただけるとうれしいです。
 でも、意地悪で皮肉屋でへそ曲がりで天邪鬼はうちの薪さんのカラーなので、これは変わらないです。あと、勘違いと思い込みも、激しくなる一方です。もともとギャグだし。
 かわいくて素直な薪さん、大人で麗しい薪さんは、よそ様のブログで堪能してください。
 わたしもそうします!(笑)


 さて、お次は、青木くんに後輩ができるお話です。
 って、またオリキャラかよ!
 すみません、ホント、オリキャラばんばん出して。 事件関係者以外で、こんなにオリキャラが多いのって、うちくらい?

 真面目にお仕事のお話です。Rはありません。
 今回でRポイント、使い切りました。しばらくは充電期間に入ります☆



*****


 このお話の公開中に、拍手コメントが消えてしまうという大事件(わたしにとってはかなりのショックでした(><))がありました。
 拍手数は元に戻りましたけど、いただいたコメントは復旧できないのね。 失われたコメは返って来ない……ああ、ちょっとだけ薪さんの喪失感がわかったような。(TT)


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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
毎日たくさんの拍手をありがとうございます。励まされてます。
おかげさまで、しづは元気で仕事してます。(10/28)
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