つむじ風(1)

つむじ風(1)











 週初めの居酒屋というものは客足が少なく、店全体の活気には欠けるが、客にとっては悪くない。たった二人でも、角の上席を占領できるからだ。

 4月から先輩になった青木は、後輩の遠藤という男と一緒に、第九職員ご用達の店『どんてん』に来ている。月曜日からアフターで飲酒というのは、あまりよい習慣とは言えないが、後輩の話を聞いてやるのも先輩の役目だ。遠藤の指導員は小池だが、青木とは年も近いせいか、彼の相談相手はもっぱら青木の仕事になっている。

「室長って、なんであんなに怖いんすか?」
 遠藤の不満は、今日もやっぱりこのひとのことだ。
「おれ、今日も怒られちゃいました。書類にちょっとした誤字があっただけなのに『こんな字も解らないのか。小学校からやり直せ』ですよ。ひどいと思いませんか?」
 薪が言いそうなことだ。とりあえず、相手のプライドは考えない。
「そんな言い方ないでしょうって言ったら、ものすごい目で睨まれて。『誤字に気をつけてくださいとお願いすれば、おまえは二度と字を間違わなくなるのか』って。論点ズレてますよね」
「仕事には厳しい人だから。でも、ちゃんと結果を出せば、必ず褒めてくれるよ」
「おれは、室長に褒めてもらったことなんかないです」
 それはまだ、青木だって数えるほどしか……いや、ちゃんと言葉に出して、『よくやった』と言ってもらったことは、一度もなかったような。
 薪はもともと、言葉の足りないひとだし。
 ましてや、遠藤は第九に入って1ヶ月しか経っていない。研修と雑用しかしていない遠藤を褒めろと言われても、薪も困ってしまうだろう。

「オレも初めの頃は、毎日怒鳴られてたよ。オレに比べたら、遠藤はまだましだよ。室長と普通に話ができるだろ」
「普通だなんてとんでもない。あんなに気を使う相手はいませんよ」
「でも、ちゃんと会話してるじゃないか。オレなんか最初は室長が怖くて、まともに顔を見ることもできなかったんだ。緊張のあまり言葉も出なくて、はい、としか言えなかった」
「青木先輩から室長に伝達事項があるときは、どうしてたんですか?」
「岡部さんに言って、室長に伝えてもらってた」
「マジですか」
「うん。マジで」

 本当に、最初の頃の薪は怖かった。
 あの目が怖くて怖くて、夢に見たくらいだった。
 しかし、その目に含まれていた薪の本当の気持ちは、仕事ができない部下に対する軽蔑でも苛立ちでもなく、凄惨なMRIの画像に打ちのめされている新人を気遣うやさしさだった。今の青木にはそれがわかる。
 嫌だ嫌だと思いながら色眼鏡で見ているうちは、薪の真実の姿は決して見えてこない。その限りない優しさも深い愛情も、厚い殻の下に隠れてしまっている。経験豊富な第九の捜査官たちのように、鋭い観察力と洞察力があれば別だが、青木ごときの未熟な人間には、到底見抜けるものではない。

 自分は、運がよかった。先輩にも機会にも恵まれた。おかげで薪の魂柱に触れることができた。
 その代わり、薪にすべてを奪われる羽目になったが。

「あの人の頭が良いのは認めますけど、人間的には最悪ですよね。あんなに嫌味な人、初めてですよ。それじゃなくても第九の仕事って神経使うのに。部下を労わろうって気持ちがないんですかね。自分の得点さえ上がればいいと思ってるんだろうな、きっと」
「そんなことないって。室長は、本当はやさしいひとだから」
「研究室の中でそんなこと言ってるの、青木先輩だけですよ。岡部副室長でさえ、室長は怖いって言ってます」
 彼らの言葉は本気ではない。親しみを込めた陰口なのだが、遠藤にはまだそれがわからない。
 自分も昔はわからなかった。結局、薪の真実に気付かないうちは、先輩たちの本音にも気付くことができないのだ。

「青木先輩って、本当にやさしい人なんですね。おれ、先輩と知り合えて良かったあ」
「おだてても何にも出ないぞ」
「お世辞じゃないですよ。こうやって、おれの愚痴にいつも付き合ってくれて。青木先輩がいなかったら、おれ、とっくに異動願い書いてます」
「おまえが異動しちゃったら、オレがまたペーペーに逆戻りだろ。だからだよ」
「ええ~?」
 遠藤は悲しそうな顔を作った後、カラカラと笑った。
 青木が言う冗談は理解して笑ってくれるのに、薪の陰口の裏側には気付かない。それは遠藤が、本当の薪を知らないからだ。

 遠藤は、先日第九を去った須崎と違って協調性はある。他人とのコミュニケーションが取れるということは、相手の気持ちを推し量る能力があるということだ。つまり、この後輩も機会さえあれば、薪というひとを理解することができるのだ。
 何とかして、その機会を作ってやりたい。それが分かれば仕事も楽しくなるはずだ。
 青木は、遠藤を気に入っている。明るくて快活で趣味も合う。是非、第九の一員として頑張って欲しい。それには室長に、対する畏怖と尊敬が不可欠だ。第九の根幹は薪なのだ。

 自分にそれが訪れたのは、第九に入って3ヶ月も経ってからだったが、あれは岡部のおかげだった。自分が先輩にしてもらったことを後輩に伝えるのは、やはり自分の仕事だ。

 ひとしきり室長への不満を吐き出した後、かわいい後輩は、趣味のバイクの話を始める。青木も乗り物は好きだから、その話題はとても楽しい。
 GPZ900RのエンジンをGRX1200に載せ替える計画について熱く語る後輩と杯を傾けながら、青木は室長と後輩の仲介役になってやろうと決めた。

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

つむじ風(2)

つむじ風(2)






 警察庁内において、各部署の人事権を持つ責任者と警務部長が出席する部長会議は、人事異動の季節に頻繁に開かれる。春と秋の大掛かりな人事の後、その経過報告やあるいは変更といった人事に係るもろもろの調整を、警察庁全体で行なうためである。
 第九の室長という立場上、いくつもの会議に出席しなければならない薪だが、この会議は薪にとって鬼門であった。
 会議の主役とも言うべき警務部長と薪は、何故か昔から相性が悪くて、前任の三田村という警視長とは正に犬猿の仲だった。新しい警務部長は間宮という46歳の男だが、これまた薪にとっては頭痛の種だ。

「薪くん。君のところの新人の件だけど」
 第九に来た3人のキャリアの話題を手土産に、間宮は薪の肩に手を載せる。毎回会議が始まるまでの待ち時間に、間宮はこうして必ず薪に話しかけてくる。
「もう二人も辞めちゃったんだって?」
「申し訳ありません。せっかく優秀な人材を送って頂いたのに、室長の僕の力不足で」
 肩に置かれた間宮の手をさりげなく払って、薪は神妙な顔つきで自責の言を口にする。本当は二人とも使い物にならなかったのだが、そこは大人の会話だ。

「いや。最近の新人は根性がないからね。君が気に病むことじゃないよ。また優秀な人材が見つかったら、回してあげるから」
 間宮は三田村のように、薪を毛嫌いしているわけではない。しかし、薪にしてみれば、その方がまだマシだった。
「ありがとうございます」
「水臭いな。俺と君の仲だろ?」
 別に、仲というほどの間柄ではない。ただの他人だ。

 懲りもせず伸びてきた間宮の手を、絶妙のタイミングで避けて、薪は会議資料を取り上げた。
「すみません、間宮部長。会議の前に、資料を読んでおきたいので」
 既に中身は頭に入っているが、こうでも言わないと、間宮との会話から逃げられない。
 間宮は薪の言い訳を受けて、口を閉ざした。しかし、その場を離れる気配はない。薪の隣に腰を下ろし、会議用のテーブルに頬杖をついて、薪の顔を見つめている。薪は心の中でため息をつき、資料を読むふりをした。

 この間宮という男は薪の苦手な人種で、つまりゲイだ。
 この世からいなくなって欲しいと思うほど同性愛者を疎んじている訳ではないが、自分に興味を示すとなれば話は別だ。ましてやそれを実行に移してくれた暁には、顔を見るのも嫌になっても無理はない。

 2ヶ月ほど前に、薪はこの男にレイプされそうになった。
 薬を盛られてホテルの部屋に連れ込まれ、あわやというところで岡部が助けに来てくれた。岡部はこの不埒な警務部長の顔を風船のように腫れ上がるまで殴り飛ばし、薪は事件を水に流すことを決めた。
 もちろんその裏には、岡部の部長に対する暴力を不問に付すことと、警部である彼の副室長への特別就任人事の承諾という条件があったのだが。

 これに懲りて、間宮も自分との距離を置こうとするはずだと薪は踏んだが、その読みは完全に外れた。
 間宮が大人しくしていたのは、顔の腫れが引く2週間ほどの間だけで、元のダンディな色男に戻ると同時に薪へのセクハラも再開された。
 全体会議や捜一との合同会議なら、他の誰かと一緒にいることができるが、この部長会議には室長しか出席できない。これが重役会議なら官房長の小野田がいてくれるが、官房室の人事権は官房室長が握っているから、この会議に小野田は出席しない。よって間宮はやりたい放題というわけだ。

 会議資料に目を落としている薪の太ももに、間宮の手が伸びてくる。薪は、俯いてくちびるを噛み締める。
 手をつかんで投げ飛ばしてやりたいところだが、公衆の面前だ。この男の体面に気を使うわけではなく、男の自分がセクハラの被害に遭っていることがみんなに知られてしまう。それは薪にとっては、耐え難い屈辱だ。

「あの、間宮部長。そろそろ時間です。お席へ戻られては」
 水面下で激しく水を掻く白鳥のように、平静な面を保ちつつ、薪はテーブルの下で必死の抵抗を試みる。周りに気付かれないように間宮の手を払い、間宮の椅子を足で押しやった。
「今日はここで司会を務める。君の隣が俺の指定席だよ」
 相変わらず、気障くさいセリフを真顔で言う男だ。恋愛オンチでムードを作ることが苦手な薪は、こういう男が大嫌いだ。
「できたらプライベートでも、君の隣の席を確保したいものだな」
 間宮はぐっとこちらに身を乗り出してきて、薪の耳元でそんなことを囁く。払われた手を再び薪の膝にのせて、おかしなことを言い出した。
「この間は、素敵な思い出をありがとう」
 なんのことだろう。
 間宮の言う『素敵な思い出』に心当たりはない。薪が訝しげな顔をすると、間宮は薪の手を掴んで椅子の上に押さえつけた。

「手錠があんなに色っぽく映えるなんて。この手にしかできない芸当だよ。君のあの姿を、俺は何度も夢に見たよ」
 Pホテルの強姦未遂事件のことを言っているのか!? どういう神経だ!
「君の肌の感触が忘れられないよ。あの続きは、いつさせてくれるのかな」
 続きってなんだ! 顔を殴られた後は、尻でも叩いて欲しいのか!
 
 怒りのあまり、目の前が真っ赤になった。この男はちっとも反省していないのだ。
「事件のことは水に流す」なんて、軽々しく言うんじゃなかった。自分があっさりと例のことを許してしまったから、あれが監禁・傷害事件だと認識されなかったのかもしれない。
 でもあのとき、岡部を査問会から守るためには仕方なかった――――。

 会議の開始時刻が訪れて、薪への嫌がらせは中断された。さっきの座席の話は冗談だったようで、間宮は司会の席に歩いていく。この男は色ボケだが、仕事はきちんとやるのだ。
「残念、時間切れだな。薪くん、その気になったらいつでも連絡しておくれ。例え真夜中でも飛んでいくよ」
 北極でも砂漠でも、好きなところへ飛んでいけばいい。そして自分の前から永遠に消えて欲しい。

 周りの課長連中が、いやらしい目でこちらを見ている。絶対に誤解を受けていると思うが、それをいちいち否定して回るわけにもいかない。
 この連中が自分の部署に戻って、部下達にどんな話をするのか。
 その内容を憂いて、室長は深いため息をついた。



*****


 くはははっ!
 やっぱり間宮サイコー!(←ドひんしゅく)








テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

つむじ風(3)

つむじ風(3)







 自動ドアが開くや否や、疾風のように駆け抜けていった小さな人影は、室長室に飛び込むとバン! と力の限りにドアを閉めた。すぐにガンガンガン!という金属音が聞こえてくる。
 昼過ぎに部長会議から帰ってきた室長が、キャビネットを蹴り飛ばすこの音は、もはや定時のチャイムのようなものになっていて、第九の職員たちは誰も驚かない。

「また間宮部長かな」
「今日は何をされたんだろうな」
「部長会議は、誰も同席できないからなあ。部長の天国だろうな」
 キャビネットを蹴り飛ばす音が途切れたところを見計らって、副室長の岡部が室長室へ入っていく。なにやら喚き散らす声が聞こえてくるが、薪は興奮しすぎていて会話になっていない。
『ぜんぜん懲りてない』とか『どうしてホテルの屋上から突き落とさなかったんだ』などと、職員たちには意味不明の言葉を叫んでいる。

 そこに、第九のバリスタがコーヒーを運んでくる。室長の機嫌を直す魔法の液体に、職員全員が期待をかけている。
「青木。頼んだぞ」
 先輩の声掛けに、青木はにっこりと笑う。あのブリザードが吹き荒れる部屋の中に入っていけるのは、岡部とこの男だけだ。
 岡部には副室長という立場があるからそれも道理だが、青木には立場的な優遇は何もないはずだ。それでも、薪の機嫌を直すことはできる。もはや職人の域に達した、そのドリップ技術のおかげだ。
 それに加えて、この男は薪に何を言われても落ち込んだりしないらしい。見かけによらず図太い男だ。薪は、最初から青木にだけはとても厳しかったから、あのきれいな顔で口汚く罵られるのにも、慣れてしまったのかもしれない。

 室長の世話は副室長とバリスタに任せて、他の職員たちは昼食を摂りに職員食堂に向かう。貴重な昼休みを室長の八つ当たりで台無しにされるなど、まっぴらごめんだ。
「あれのどこが『素敵な思い出』なんだ!? あの男、おまえに殴られたショックで、頭おかしくなったんじゃないのか!」
 青木が室長室のドアを開けると、薪の棘だらけの声が突き刺さってくる。よほど酷い目に遭ってきたらしい。
「ああいう輩は、自分の都合のいいように、記憶を書き換えることができるんですよ。怒っても無駄です。無視するに限ります」
「僕にも限界があるんだ!」
 何をされたんです?と岡部に目で訊かれて、薪は吐き捨てる口調で被害報告をする。
「隣の席に陣取りやがって、あちこち触ってきたんだぞ! 周りの目があるから我慢してたらいい気になりやがって、下半身のほうまで!」
「手を捻り上げてやればよかったじゃないですか」
「そんなことしたら、僕がセクハラされてるのがみんなに解っちゃうだろ! 女の子ならともかく、男の僕がセクハラなんて!」
 それはもう既に、署内中の噂になっている。知らないのは薪だけだ。

 本人が聞いたら怒り狂うだろうが、もともとあった官房長の愛人説とミックスされて、今の薪はふたりの男の間で揺れ動く悪女的な役回りになっている。薪がどちらの男を選ぶのか、あるいは小悪魔のように両方と付き合うのか、署内で密かに賭けが行なわれているらしい。が、この噂がデマだという賭け枠は存在しないようだ。それがあればこの賭けは、第九職員の総取りなのだが。

「室長。コーヒーいかがですか?」
 薪は、むくれた顔のまま青木の方を見る。とても怖い顔だが、これは青木に心を許してくれている証拠だ。
 これが敵対している捜一の竹内あたりだと、薪の顔は途端に無表情になる。機嫌の悪さは周囲の空気に流し込んで、自分自身は冷静な室長の仮面をつける。怒りでも悲しみでも、薪が心の中を表に出すのは限られた人間の前だけだ。

 あとは頼んだぞ、と青木に目で合図をして、岡部は入れ違いに部屋を出る。
 これで間宮の話は打ち切りだ。となれば、自分に用事はないはずだ。
 薪は、青木の前で間宮の話はしない。2ヶ月前に薪を襲った事件の真相については、青木には秘密のままだ。でないと、薪を崇拝するこの男が、何をしでかすかわからない。青木はとても大人しい男なのに、キレるともの凄いことをしてくれるのだ。

 コトリと微かな音を立てて、机の上に白いマグカップが置かれる。すかさず、華奢な手がそれを持ち上げた。
 自分に落ち着きと安らぎをくれる魔法の液体を鼻先に近づけて、薪はその香りを楽しむ。ひとくち含んでほっとした笑みを浮かべる。自分の気分が12歳も年下のこの男に操られることに抵抗はあるが、それでもやはりこいつの淹れるコーヒーは美味い。
 雑用はすべて新人に任せて、自分は捜査活動に専念しろ、と命令したのは薪だが、その一部は既に撤回済みで、朝のコーヒーだけは青木に淹れてもらっている。低血圧の薪の朝には欠かせない飲み物だし、どうせ飲むなら美味いほうがいいに決まっている。これから一日が始まる、そのタイミングで気合を充実させるには、最高の一杯なのだ。

 そんな薪を、この上ない幸せな気分で、青木は見つめている。
 自分が淹れたコーヒーに微笑んでくれる室長の姿を見るのは、青木の人生最大の喜びと言っても過言ではない。このひとの笑顔のためなら、自分はなんでもする。もうずいぶん前から、青木は薪に、心を捕らわれている。

「会議のときにもコーヒーは出たんだけど、あれをコーヒーというのはもはや詐欺だな」
 薪はオーバーに眉をしかめてみせる。青木のコーヒーが、薪の気分を上向かせた証拠だ。
「そんなに不味かったんですか?」
「あれって、カフェテリアからポットで持ってきたやつだから。香りもとんじゃってるし、えぐみも強いし」
「カフェテリアのコーヒーは、豆もそこそこですし、大型のコーヒーメーカー使ってますからね。食事や甘いものと一緒ならいけますけど、コーヒーだけだとちょっとつらいでしょうね」
「違う。おまえが悪いんだ」
「どうしてですか?」
「昔は平気だったんだ。缶コーヒーも食堂のコーヒーも、普通に飲めたんだ。おまえのコーヒーを飲みだしたら、途端に不味く感じるようになってしまった」
 薪の言い分は、明らかにおかしい。『青木が悪い』というゴールを決めて、そこから逆に理論を辿っていったとしか思えない。

「会議中には必ずあのコーヒーが出るから、そのたびに僕は我慢してそれを飲まなきゃいけない。おかげで僕は、会議に出席するのが憂鬱でたまらない」
 さも青木を糾弾するような顔で、無茶苦茶な言いがかりをつけてくる。青木が困った顔をすると、薪の表情は生き生きと輝く。
 薪はこういう会話が大好きだ。誰かを凹ませたり落ち込ませたりするのが、心の底から楽しいのだ。どうやら青木は格好の生贄(オモチャ)になってしまったらしい。間宮のセクハラによる鬱憤を晴らすには、これが一番なのだろう。
 でも。
 亜麻色の瞳が笑っている。それは青木にとって、とても嬉しいことだ。

「そうだ、おまえがカフェテリアに勤めればいいんだ。そうすれば、会議中もまともなコーヒーが飲める」
「ええ~?」
「ここより楽しいかもしれないぞ。カフェテリアには女の子もいるし」
「カフェテリアの女性って、全員50歳以上ですよね」
「おまえ、前に年上が好きだって言ってたじゃないか」
 にやにやと意地悪な笑いを浮かべていた薪の顔が、不意に冷静な室長の仮面をつけた。
 職務時間中は厳しい顔を崩さない薪だが、今は昼休みだ。オフタイムに薪がこんな顔をするということは、近くに気を許していない人間がいるということだ。
 果たして青木が振り向くと、遠藤が室長室のドアの陰に立って、こちらを見ていた。

「遠藤。なにか室長に用事か?」
「いいえ。青木先輩と一緒に、食事に行こうと思って」
 固い表情をしているからと言って、薪は遠藤を嫌っているわけでも警戒しているわけでもない。ただ、まだ慣れない人間の前では、薪は自分を出さない。特に新人の前では室長としての威厳を保ちたいらしく、穏やかな大人の表情をしていることが多い。

「室長、お昼どうします?」
「僕はいい」
 間宮にあんなことをされてきたばかりで、きっと食欲がないのだ。
 多分、こうくると思っていた。あちこち触られたと言っていたから、薪がしたいことは予想がつく。
「それなら、昼休みの間に風呂に入ったらどうですか?」
 風呂と聞いて亜麻色の目が輝く。表情は変わらないが、薪の瞳はとても多くのことを語るのだ。
「遠藤が気を利かせて、用意しておいてくれたんですよ」
 気を利かせたのはもちろん青木だが、ここはこう言っておいたほうがいい。実際に用意をしたのは遠藤だし、まるっきり嘘というわけでもない。

 冷静な顔つきのまま、目だけは子供のようにきらきらさせて、薪は席を立った。室長室を出て行く背中が、明らかにウキウキしている。抱きしめたいくらい可愛い。
「遠藤。ありがとな」
「は、はい」
 すれ違いざま、薪は遠藤に声を掛けた。穏やかな微笑つき。
 青木が薪にあんな顔をしてもらえるようになったのは、4、5ヶ月経ってからだ。薪は、今年の新人には甘い。それとも、自分のデキが悪すぎたのだろうか。

 後輩に対するわずかな嫉妬を顔に出さないようにして、青木は遠藤に笑いかける。
「よかったな。室長に礼を言ってもらえて」
「室長って……笑うとやさしそうですね」
 まずい。
 自分のライバルが増えてしまうかもしれない。竹内だけでも厄介なのに、冗談じゃない。
「さっきは鬼のように怖かったけどな」
 さりげなく釘を刺しておく。この件に関してだけは、青木は計算高い仕掛け人になる。
「ですよね。なんですか? あの勝手な言い分。常識じゃ考えられませんよね」
 薪との話を聞いていたのか。職場での会話には気を使っているから、自分の気持ちを悟られるようなことは、言わなかったと思うが。

「まあな。でも、上司だから。仕方ないよ」
「青木先輩って、本当にやさしいんですね。神様みたいです」
「言っただろ? 怖くて『はい』しか言えないんだ」
「……岡部副室長、呼んで来ましょうか?」
 青木の冗談に笑って、遠藤は青木に対する過大評価を撤回してくれた。

 ……この世に本当に神様みたいなひとがいるとすれば、きっとそれは薪だ。
 すべてを見通し、すべてのひとを救おうとする。量り知れないやさしさと深い愛情。自分が抱えた傷の分だけひとはやさしくなれるというが、薪を見ているとその通りかもしれないと思ってしまう。
 薪の傷は誰よりも深い。その痛々しさも、青木を惹きつける要因のひとつなのだ。
 あのひとの支えになりたいと思い始めて、1年。
 自分はいくらかでも、薪を支えられる人間に近付いただろうか。薪のこころを癒してやれるようになっただろうか。

「青木先輩。早く行きましょう。限定ランチ、売り切れちゃいますよ」
「それは一大事だな」
 きれいに飲み干された白いマグカップを持って、青木は遠藤の後を追った。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

つむじ風(4)

つむじ風(4)






 昼日中の、明るい時間に風呂に入るのは快感だ。
 窓からの自然光が気持ちいい。夜の入浴は生活の一部だが、昼間の風呂は贅沢だ。休みの日には必ず朝風呂を楽しむ薪だが、平日にこんなおいしい思いができるなんて、気の利く新人に感謝だ。
 ……どうせ黒幕は、あのバカだろうが。

 湯の中の自分の足を見て、薪は眉をしかめる。
 洗い流しきれない汚れが残っているような気がして、タオルで何度も擦ったせいか、薪の太ももは少し赤くなっている。
 その原因はもちろん、先刻の会議室での不愉快な一幕だ。

 最近ようやく忘れかけていたのに、今日の接近でまた思い出してしまった。
 あの事件は、簡単に記憶から抹消できるほど、薪にとって小さな出来事ではなかった。もう少しでレイプされるところだったのだ。男の自分に実害(妊娠)はないとはいえ、そのショックと恐怖は被害に遭った女性と同じだ。

 身体中を撫でまわされた感触も、自分がそれに反応してしまった恥辱も、薪の記憶から消えてはくれない。自分の中に入ってきた男の指も、その痛みも―――― 間宮は何度も自分を夢に見た、と言っていたが、それは薪だって同じだ。無論、こちらは悪夢だが。
 手錠で身体の自由を奪われて、間宮に無理やり犯される夢を何度も見た。そのたびに跳ね起きて、鈴木の写真を抱きしめて、心を落ち着かせて。
『かわいそうに。酷い目に遭ったな、薪』
 そう言って、鈴木は僕を慰めてくれた。早く忘れろよ、と夢の続きで頭を撫でてくれた。

 ……でも、夢はそれだけでは終わらなかった。
 その事件の顛末も、夢に見てしまった。こっちは鈴木には報告してない。というか、できない。
 つまり、特効薬の夢だ。

 間宮に触られたときには鈴木を裏切らなかった身体が、あいつにされたときには、あんな―――――。
 男の身体ってのは、残酷なまでに正直で。鈴木のことを思い出しながら、自分でしてたときにはありえなかった感覚が、僕を夢中にさせた。
 あいつの大きな手は、とてもやさしく僕を慰めてくれたけど、その動きは自分の手によるものとはまるで違っていて。力加減も緩急の付け方も、まったく予想がつかなかった。だから、もたらされる快感も驚きに満ちていて。自分でも信じられないくらい興奮して、恥ずかしい声を抑えることも、キスを止めることもできなかった。

 あれはクスリのせいだ。断じて僕がそれを望んだわけじゃない。

 だけど、その夢を見て僕の身体は……僕の男の部分は、夢から醒めても夢の中と同じ状態になってた。
 冷たいシャワーを浴びれば自分を取り戻せたかもしれないのに、僕はそうしなかった。夢の余韻が、僕にそれをさせなかった。そのまま自分で自分を慰めて……朝からあんなことをしちゃうなんて、と終わった後は自己嫌悪でいっぱいになったけど。
 でも、僕だって、生身の男なんだ。あんな体験をしてしまったら、それを夢に見ても仕方のないことだと思う。夢は識意下のことだから、反応を抑えることなんかできない。だから、これはただの生理現象で、僕が愛してるのは鈴木のことだけだ。
 自分ではその理由付けに納得したつもりでいたのに、何故か妙に焦ってしまって。
 女の子とのセックスを夢に見ても、鈴木を裏切っているとは思わないのに、どうしてあいつが相手だとちょっとしたことでも罪悪感を感じてしまうのだろう。あいつが同性だからとか12歳も年下だからとか、そういう一般的な問題じゃない気がする……。

 湯船に浸かりながら、とりとめのないことを考えていた薪は、自分がひどく汗をかいていることに気づいた。
 どうやら、湯あたりしてしまったようだ。昼間は気温も高いし、こんなに長く風呂に入っていたらのぼせるに決まっている。早くロッカールームで涼まなくては。
 薪は立ち上がって、湯船から出ようとした。
 が。

「……あれ?」
 バシャッ、と水音を立てて、薪は湯船に逆戻りした。
 バスルームが回っている。貧血と酷似した感覚が薪を襲い―――― 目を閉じたが最後、何もわからなくなった。



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ジャンル : 小説・文学

つむじ風(5)

つむじ風(5)





 岡部は室長の姿を探していた。
 午後一番で、臨時の室長会がある。その予定は薪から聞いたのだから、彼は知っているはずだ。
 しかし、1時になっても薪は研究室に姿を現さなかった。外で昼寝をしていて、寝過ごしてしまったのだろうか。今までは一度もなかったが、いつかはやらかすと思っていた。

 携帯電話を出して、薪の番号を押す。しかし、20回のコールの後、呼び出し音は留守電のメッセージに切り代わった。
 おかしい。薪が仕事中に岡部の電話を取らないなど、あるはずがない。
「誰か、室長がどこに行ったか知らないか」
 嫌な予感がする。このパターンは2ヶ月前にも体験したばかりだ。
「おれ、昼に風呂の用意しましたけど」
 遠藤がすぐに答える。
 最後に残った今年の新人は、明るくてはきはきしている。岡部もこの新人には好感を持っている。残り物には福があるのだ。

「気が利くな。遠藤は」
 あの状態の薪の機嫌を直すには、なるほど風呂が一番だ。きっと薪も喜んだだろう。
「青木先輩が用意してくれって言ったんです。おれが自分で気を利かせたわけじゃありません」
 遠藤の言い方には、僅かなトゲがある。この新人が薪に反感を持っていることを、岡部は心得ている。しかしこれは毎度のことで、青木も始めのうちはこうだった。それが今では、薪にぞっこん参っているのだから、遠藤もそのうちどう転ぶか解らない。

「まさか、まだ入ってるわけじゃありませんよね」
「あのひとは長風呂だからな」
 男にしては珍しいが、薪は1時間くらいは平気で風呂の中にいる。
 中で何をしているのか聞くと、考え事をしているうちにいつの間にか時間が経過しているのだ、と言う。湯の中でリラックスしていると、色々なことを思い付くらしい。実際、風呂で事件のヒントに気付いて、研究室に裸で駆け込んできたこともある。猥褻物陳列罪スレスレの行動に、そのあとたっぷりとお灸を据えてやったが。

 二度とこんなことがないように、岡部は研究室と風呂場をつなぐインターホンを取り付けた。風呂場まで様子を見に行かなくても、そのインターホンを通じて薪の居場所は確認できるはずだ。
 インターホンに手を伸ばして、岡部は異変に気付いた。
 赤いランプが点滅している。風呂場から連絡があった際に、誰もインターホンを取らないで放置しておくと、こういう信号が出るのだ。

「赤ランプ点いてますよ! 室長、風呂で倒れてるんじゃ」
 遠藤がびっくりして大きな声を出す。周りの職員達が、何事かとこちらを見る。それを抑えて、岡部は風呂場に様子を見に行くことにした。
 前にも1度、薪は風呂場で貧血を起こしている。進行中の事件のときの薪は、食事を摂らなくなってしまうから、長風呂は昏倒の原因になるのだ。また同じことになったのかもしれない。

 ロッカールームを通って脱衣所のドアを開けると、風呂場の扉は開いており、中には薪の他に先客がいて、岡部を驚かせた。
 それは2年目の捜査官だった。裸の薪を、両腕で抱えている。
 薪は、肌を濃桃色に染めてぐったりしている。体からもうもうと湯気があがっている。湯あたり決定だ。青木の首につかまって、なにやら呻いている。はっきりとは聞き取れないが、室長会のことを気にしているのだろう。どんな状態でも仕事のことは忘れないひとだ。

「室長。会議は俺に任せてください。青木、室長のことを頼んだぞ」
 はい、と素直に頷くが、青木の様子はどこかおかしい。何かに怒っているようだ。
 お湯に浸かっていた薪を抱き上げたのだから、青木のワイシャツはびしょびしょだ。そのことが不愉快なのだろうか。薪のすることなら何でも許せてしまうこの男が、この程度のことに怒りを覚えるとは思えないが。

 ロッカールームに入ると、職員達が集まってきていた。
 青木はびしょ濡れの薪を抱えて、さっさと仲間の前を通り過ぎて行く。誰の顔も見ようとせず、心配顔の職員たちに一言もない。青木らしくない態度だ。
「遠藤。仮眠室に水持ってきて」
 ドアのところにいた後輩に、ぶっきらぼうにそう言って、ロッカールームから出て行った。

 青木の雰囲気に言葉を飲み込んでいた職員たちは、彼がいなくなったとたんに、岡部に薪の様子を聞いてきた。
「大丈夫ですか、室長」
「心配いらん。ただの湯あたりだ。涼しい場所に寝せときゃ大丈夫だ」
 緊迫していた空気が、ほっと緩む。どうやら、青木のただならぬ様子に、過剰な心配をさせられていたようだ。
「昼間から長湯するから」
「今日は気温も高いですからね」
「涼しくなるまで、昼の風呂は禁止だな。シャワーで我慢してもらおう」
「薪さんにとっては、食事抜きよりツライんじゃないか?」
「メシ食う時間があったら風呂に入りたいって言ってたもんな」
「あのひとってもしかして、水棲動物なんじゃないか?」
 大事無いことが解って、職員たちがいつもの親しみを込めた陰口を叩き始める。
「イルカとか?」
「サメだろ」
「ウミヘビってのもあるぞ」
 青木がいたら、人魚姫とか言い出しそうだ。

「遠藤。どうした?」
 戸口のところに立ったまま、遠藤は赤い顔をしている。
 こいつの心理状態は、だいたい読める。初めて薪の裸体を見た男は、大抵こうなるのだ。
 だが、遠藤の考えていたことは、そんな単純なことではないようだった。

「あれって、どう見ても普通じゃないですよね。いくら湯あたりしたからって、男のからだを抱き上げて運ぶなんて。女の子じゃあるまいし」
「そうかあ?」
 たしかに、普通の男だったら肩に担ぐところだ。しかし、一般の常識を薪に当てはめようとしても無駄だ。薪の場合、存在そのものが常識から大きく外れている。
「室長ってば、青木先輩の首に抱きついちゃって。いやらしい。見てて気分悪いです」
「おまえの見方のほうがいやらしいよ。自分から掴まらなかったら、持ち上げてるほうの負担が大きくなるじゃないか。救護の基本だろ」
 それはそうかもしれませんけど、と言いつつも納得はしていないらしい。この新人は明るくて朗らかな反面、キャリアらしく自分の主張を通そうとする一面も持っている。

「なんだか、今からベッドにでも行くような感じじゃなかったですか?」
「そりゃそうだろ。仮眠室に行ったんだから」
「そういう意味じゃなくて」
 自分の意見に誰も賛同しないことを悟り、遠藤はむすっとふくれた。
 薪が、大学出たての新入りを嫌がるわけだ。精神的にあまりにも未熟で、相手をするのが疲れる。

「薪室長って、ヘンな噂あるし。青木先輩、狙われてるんじゃ」
 狙われているのは、薪のほうだ。
 これは岡部以外の職員は誰も知らないことだが、青木は薪に惚れている。その相手が倒れてしまったから、青木は心配でたまらなくて、固い表情になっていたのだ。
「それはデマだよ」
「おれもそう思ってましたけど。あんなの見ちゃうと」
 外見がネックになって、薪はそんな誤解を受けることが多い。中身は普通の男よりも、はるかに剛毅なのだが。

「あんなん、もう見慣れちゃったからなあ。俺たちはなんとも思わないけど」
「慣れてるんですか?」
「薪さんは仕事が混んでくると、しょっちゅうぶっ倒れるから。近くにいたやつがベッドまで運ぶんだ」
「倒れるって、なんで?」
「貧血と低血糖。あのひとは捜査に夢中になると、飲まず食わず眠らずになるんだ。体に悪いからって、いくら叱ってもダメでさ。岡部さんも三好先生も、とうとう諦めたみたいだ」
「ホントに傍迷惑なひとですね」
「……まあな」
 職員たちが薪を酷評するときには頭に来ないのに、遠藤が言うと妙に引っかかる。それは岡部が、厳しい意見を吐く第九の職員たちの本音を知っているからだ。
 みな、心の底では薪のことを尊敬している。しかし遠藤にはまだその気持ちはない。だから遠藤の言葉は、ただの陰口としか聞こえてこないのだ。

「遠藤。水持って行ってやらなくていいのか」
「あ、そうだ。青木先輩に言われてたんだっけ」
 青木先輩に言われたじゃなくて、室長が大変なんだ、と何故言えない。
 同じ大学出たてでも、去年の新人とは大分違う。人に対する気遣いができるという点において、青木はとても優秀だった。職務の習得に関しては今年の新人よりも遅かったが。

「あいつ、意外と性格きついんだよな」
「青木とはだいぶ違いますよね。素直で明るいところは一緒なんですけど。子供っぽいっていうか」
「仕事でもそうなんだけどさ。自分の間違いを認めないっていうか。口ではしおらしく謝るんだけど、心の中では納得してないのがミエミエでさ。まあ、それでも須崎よりはずっと可愛げがあるけど」
 遠藤が出て行った後のロッカールームでは、職員たちが顔を見合わせている。みな、遠藤の室長に対する反感に気づいている。しかしこれは、他人がどうこうできるものでもない。

「室長のことは青木に任せて、おまえらも仕事に戻れ」
「はい。ひとの心配するヒマがあったら仕事しろ、って室長に怒られますからね」
「だったら心配させないで欲しいよな」
「あの突然倒れるクセだけは、やめてもらいたいよ」
 辛辣な口調の中に、薪に対する愛情が見え隠れしている。
 ここにいる連中はみな薪という人間を理解し、信頼し、親愛の情を抱いている。上司として尊敬すると共に、大切なチームメイトとしての愛情も持っている。

 ぶつぶつと室長への不満を口にしながらモニタールームへ戻っていく職員たちに続いて、岡部はロッカールームを後にした。岡部にはこれから会議が待っている。
 本格的な捜査が始まれば、いやでも薪の天才ぶりを見せ付けられる。薪の捜査に対する情熱も、魂を削るような真剣さも。そのうち遠藤にも解るだろう。
 それでもなお薪に反感を抱いたり、下らない噂に振り回されるようであれば、第九の職員は務まらない。その人間には、捜査官としてあるべき姿が解っていないのだ。

 遠藤が早く第九の一員になれることを願って、岡部は会議室へ向かった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

つむじ風(6)

 PC直りました。
 うちのドレイ、じゃなくてオットが、昨夜仕事が終わってからPCショップに走り、なんとかファンという部品を買ってきて取り付けてくれました。
 かれは2時ごろまでやってました。(わたしは寝ました←鬼嫁)
 午前中は新盆の打合せで忙しかったので、お昼からまた修理に専念してもらいました。で、復活いたしました!

 みなさまには、いろいろとお気遣いいただき、ありがとうございました。




つむじ風(6)






 給湯室の冷蔵庫から、ペットボトルの水を持ち出して、遠藤は仮眠室のドアをノックした。

 遠藤の脳裏には、先ほどの表現に困る光景が焼きついている。
 濡れた室長の細いからだが男の腕に抱かれていて、女のように優雅な腕が、相手の首に縋りつくように絡められていた。濃ピンクに染まった室長の肌は、とても艶かしかった。室長のきれいな顔は気だるげで、まるで男を誘うような形にくちびるが開いていて――――。

 男の裸を見て、ぞくっときたのは初めてで、狼狽してしまった。あの顔ではおかしな噂を立てられても仕方がないと考えていたが、身体のほうまであんなに色っぽいなんて。
 あの姿からは、容易にそんな場面が想像できる。もしかしたら、噂は真実かもしれない。火のないところに煙は立たないというではないか。
「青木先輩。水、持って来ましたけど」
 仮眠室の中は薄暗くて、4つあるベッドの一番奥に室長が横になっていた。
 裸のまま、下半身にだけバスタオルを掛けている。椅子に腰掛けて、青木が団扇で風を送っている。かいがいしい部下の奉仕のおかげで、濃ピンク色だった室長の肌は薄紅色くらいの色に落ち着いていた。

 遠藤がペットボトルを差し出すと、青木は無言でそれを受け取り、封を切った。
 静かな怒りを感じる。きっと室長に迷惑を掛けられて、怒っているのだ。
 いま気付いたが、青木のワイシャツやネクタイはぐっしょりと濡れている。濡れた人間を抱き上げたのだから、当たり前だ。

 青木は薪の背中に腕を回して半身を起こし、水を飲ませようとしている。
 子供じゃあるまいし、湯あたりぐらいでオーバーな。放っておけば自然に回復するはずだ。それより、濡れたままでは青木のほうが風邪をひいてしまうだろう。
「青木先輩。着替えたほうが」
「遠藤。温度設定、変えた?」
 突然の質問に戸惑うが、すぐに風呂の温度設定のことだと思い当たる。
 給湯パネルの湯温は38℃と表示されていて、遠藤は風呂の用意をする時に、それを41℃に設定し直した。風呂の適温は41℃だ。

「あ、はい。あれじゃぬるいと思って」
「余計なことするな。薪さんは長風呂なんだから、あのくらいでちょうどいいんだ。オレが設定しといたものを、勝手にいじるな」
 その口調が怒気を孕んでいることに気付いて、遠藤は言葉を失う。てっきり室長のことで苛立っているのだと思っていたのに、その怒りが自分に向けられていたとは。

「すいません」
 謝罪の言葉を口にしながらも、遠藤の中では不満が渦巻いていた。
 いつも穏やかな先輩が、こんな怖い顔をするなんて、よほど頭にきているのだ。
 でも、自分はそんなに大きなミスをしただろうか。別に、室長に意地悪をしたわけではない。よかれと思ってやったことだ。それぐらい解ってくれる人だと信じていたのに。

「もういい。研究室に戻れ」
「はい。青木先輩は?」
「室長にこれ飲ませたら、すぐに行くから」
 ペットボトルを掲げて、青木は素っ気無く言った。まるで追い出されるように、遠藤は肩を落として仮眠室を出て行った。




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つむじ風(7)

 PCが直って、いただいたコメントや拍手を確認しました。
 たくさんの拍手、ありがとうございました。
 って、なに!? このびっくりするような数字は! もしかして、PCが壊れたから、カウンターにも影響が??

 ありがたいことに、新しいお客様に来ていただけたみたいで、その方がマメにポチポチと押してくださったのですね。
 うふふ。お客様の総数が、12人になりました。20人目指してがんばろうっと。(←野望)




つむじ風(7)




 遠藤の足音が遠ざかるのを確認して、青木はペットボトルの水を口に含んだ。それから躊躇することもなく、薪に口移しで水を飲ませる。
 完全に意識が混濁してしまって、こうでもしないと水分の補給ができない。ひとに見られたら大変なことになるが、ここには覗きをするような下衆な輩はいない。

 水が自然にのどに流れ込むのを確認して、ゆっくりと補給を繰り返す。何度目かの補給で、薪は目を覚ました。
「青木。だめだ」
 しまった。気づかれた。
 薪が動けるようなったら、間違いなくひっぱたかれる。
「こ、これはそういう意味じゃなくて、ただの水分補給」
「遠藤をフォローしてやれ」
 だるそうに起き上がって、薪は青木の手からペットボトルを取った。
 手が震えている。湯あたりもひどくなると、手足の震えを伴う。これでは立ち上がれなかっただろう。

「遠藤が、一番心を許してるのはおまえだ。そのおまえにあんな風に怒られたら、あいつは居場所を失くしてしまう。小池には、遠藤を厳しく指導するように言ってある。だからおまえは、あいつにやさしくしてやれ」
 水を飲みながら、薪はそんな指示をする。動けなかっただけで意識はあったらしい。が、青木がしたことには気付いていないようだ。
「今日は、メシにでも誘ってやれ」
「でも薪さん。オレ、最近ずっとアフターは、遠藤に付き合ってて」
「いいじゃないか。年も近いし、コンビを組ませてやろうか」
 青木の気持ちを知っているくせに、このひとはこういう意地悪を言う。しかし、薪を責めることもできない。この気持ちは、自分の一方通行だからだ。

 新人に引っ張り回されて、青木はここしばらく薪の家に行っていない。このまえ薪の手料理を食べたのは、いつだったか。
 薪のプライベートのかわいい姿を見たくて、そろそろ禁断症状が出始めている。
 そのせいで、遠藤のミスが許せなかったのかもしれない。薪を傷つける人間は絶対に許せない青木だが、遠藤もわざとやったわけではなかったのだ。

「今日は、室長会議の資料を作る日ですよね。だから」
「資料作りは岡部に手伝わせる。あいつも書類に慣らさないと」
 自分に叱られて肩を落とした後輩と同じように、青木はがっくりとうなだれた。
 いつもは薪と二人で会議資料を作って、その流れで食事に行ったり、薪の手料理をご馳走になったりしていた。青木は月に2回の約束された二人の時間を、とても楽しみにしていたのだ。

「あんまりですよ。オレ、もう2週間くらい薪さんのごはん食べてないんですよ。先週の金曜も遠藤に引っ張っていかれて、その前は事件の最中で」
「なんで僕が、おまえのメシのことで非難されなきゃならないんだ」
「ずるいです。オレの言いたいこと、分かってるくせに」
 空になったペットボトルを青木に渡して、薪はベッドにひっくり返った。下半身に掛けただけのバスタオルがずれて、腰の部分が見えそうになる。青木は慌てて視線を逸らした。

「今度の金曜日は、岡部のリクエストで手巻き寿司だ」
 薪の言葉を聞いて、青木はぱっと顔を輝かせる。
 分かりづらいが、これは薪からのお誘いだ。薪が夕飯のメニューを口にするときは、「来てもいいぞ」ということなのだ。
 おまえも来るかとか、一緒にどうだ、などという誘い文句を期待してはいけない。薪にそんなことを言ってもらうには、あと10年はかかりそうだ。

「いいなあ。オレも行ってもいいですか?」
「自分が食べる米は、買って来いよ」
「はい!」
 空のペットボトルを持って、青木は仮眠室を出た。
 週末の楽しみができた彼の足取りは、先刻の新人とは正反対の軽さだった。




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つむじ風(8)

つむじ風(8)




 古い言い回しで、「花の金曜日」というのがある。2061年の現在は、古語辞典ならぬ死語辞典を捲らないと見つけられない言葉だ。
 時代が変わっても、宮仕えの辛さは同じとみえて、明日が休日というこの夜は飲食店が活気づく。第九の職員たちも夜の街に繰り出そうと、計画を立てていた。

 職員たちは、定時を待って帰り支度をする。今夜の予定はいつもの『どんてん』ではなく、女の子との出会いが期待できる店に行こう、という話にまとまっている。
 大学を出たばかりの新人が、そういう店に心当たりがあると言い出して、第九の職員たちは俄かに色めきたった。お持ち帰りとまではいかなくても、一緒に飲めるだけでもいい。
 とにかく、自分たちは女の子に縁がない。美人の顔は毎日のように見ているが。

 他の職員たちがすっかり準備を整えているのに、ひとりだけ机の上に書類を広げている人物を見て、今宵の幹事は首を傾げる。
「青木先輩、行かないんですか?」
「うん。オレ、今日はちょっと」
 青木の返事に、遠藤はびっくりする。
 付き合いの良いこの先輩が、みんなとの飲み会に参加しないとは思わなかった。

「彼女ですか?」
「いや、そうじゃないけど」
 青木は言葉を濁した。少し考えてから、照れたような微笑を浮かべる。
「まあ、それに近いかな」
「美人ですか?」
「うん。それは保証する」
「いいなあ。今度、紹介してくださいよ」
「まだそういう関係じゃないから」
 でも、この顔は明らかに恋人に逢うときの顔だ。緩みきっている。

 遠藤は、割とこういうことには敏い。誰が誰を好きだとか、すぐに気付くほうだ。
 青木の相手は法一の三好雪子女史が定説のようだが、あれは多分ちがう。三好と青木はたしかに仲が良くて、ある種の秘密を共有しているようだが、彼女といる時の青木の目には熱がない。あれは好きな女を見る目ではない。
 この先輩は、性格の悪い上司をことのほか尊敬していて、その目に熱が宿るのは室長を見るときだけだ。だから、今のところ恋人はいないのかと思っていたのだが、この様子を見ると、職場の外にはちゃんとそういう相手がいるらしい。

「青木先輩が一緒じゃないと、つまらないです」
「悪いな。今日はみんなと楽しんできて」
 にっこりと微笑みかけてくれる。今日も先輩は、とてもやさしい。

 先日、些細なことで青木に叱られてしまった遠藤だったが、そのことを指導員の小池に話すと、意外なことを聞かされた。
『青木は室長に憧れてうちに来たんだ。だから室長のことになると、ムキになるんだよ』
 たしかに、薪室長の警察庁内の評判はすごい。
 警察庁始まって以来の天才だとか、薪警視正の前に迷宮はないとか、彼の優秀さを讃える逸話は数え切れないほどだ。しかしその反面、冷酷で部下を人間扱いしないとか、『鬼の室長』とか『氷の警視正』とか、果ては『官房長の愛人』などといった悪い評判も同じくらいある。

 遠藤を叱ったあと、青木はちゃんとそのことを謝りに来た。
 自分が温度のことを言わなかったのが悪かった、ときちんと頭を下げてくれた。先輩に頭を下げさせるなんて、とこちらも頭を下げたら、お互いの頭がぶつかって、思わず笑ってしまった。それで青木とは元通りだ。
 その日は仲直りの印にふたりで飲みに行って、とても楽しかった。
 青木が室長に憧れているのなら、室長の悪口は言わないほうがよいと判断して、その話題を避けたせいか、仕事の話は一切出ず、趣味のバイクと車の話で大学の友達と飲むように盛り上がった。

 遠藤は、このやさしい先輩のことが大好きだった。
 青木が薪に憧れているように、遠藤も青木に憧れていた。
 青木はまだ2年目に入ったばかりなのに、自分の目にはベテランの捜査官と大差ないように見える。全国1位の須崎に水を開けて事件を解決に導いたときには、すごくカッコよかった。それをぜんぜん奢らないところが、また魅力的だ。
 後輩の自分に潔く頭を下げてくれたことにも、深く感動した。
 懐の大きさを感じる。自分が目指す未来図は、このひとだ。

 ひきかえ、遠藤の目に映る薪の姿は、噂ほど優秀な人間には見えなかった。頭脳だけなら、この間第九を辞めていった須崎のほうが上ではないかと思っている。なんと言っても須崎は、全国1位の実力を持っていたわけだし。
 そういえば、須崎はどうして第九を辞めたのだろう。自分が研修に行っている間に、システム開発室に異動になっていたのだ。須崎とは反りが合わなかったが、同期がふたりも辞めてしまったのはやはり寂しい。

 そんなことを思いながらも遠藤は、青木を除いた4人の先輩たちと目的の店に向かった。
 大学時代から何度か訪れているこの店は、若い男女が集まる。年齢層はいくらか若いかもしれないが、こちらの面子も全員30前だから、悪目立ちすることもないだろう。ここに岡部副室長が入ってしまうと、周囲に引かれてしまうかもしれないが。
「隣の席の娘が、かわいいといいな」
「この店に来る娘たちは、けっこうレベル高いですよ」
「本当か?」

 職員たちの期待は、裏切られなかった。
 隣の席に座った女子大生のグループは、みな可愛くて若さに溢れていた。年の近い遠藤が声を掛け、「一緒に飲むだけなら」と快くOKしてもらった。
 にやけた面で女の子の機嫌を取るように、かわいいね、とか服の趣味がいいね、などととてもエリートとは思えない言動を取る先輩たちに、遠藤は苦笑を禁じえない。

 もしも青木がここにいたら、女の子たちにどんな風に接するだろう。
 もっと紳士的に振舞うのじゃないだろうか。がっついたりせずに、男の余裕を見せて。

 青木は署内の女子職員の間でも、赤丸付きの注目株だ。
 まだ年が若いので、それほど表立って騒がれることはないが、将来性のあるエリートとして耳目を集めている。本人はそのことにまるで気付いていないようだが、こちらの方面は遠藤の得意分野だ。こういう噂は聞き逃さない。
 自分の評判に無関心なところもカッコイイ。
 恋人がいるみたいだったから、きっと一途に彼女のことだけを想っているのだ。誠実を絵に描いたようなひとだ。

 三鷹でひとり暮らしをしているという派手なピアスを付けた女の子と、どうでもいいような会話をしながら、遠藤は青木と話をしているときの方がずっと楽しいと思っている自分に気がついた。
 青木はとても聞き上手で、それでいて話題も豊富で。
 いろいろなことを知っていて、返してくる言葉もいくらかスパイスが利いていて、どんなに長時間話していても、相手を飽きさせない。この女のように流行のファッションやタレントのことなど、こちらがまるで興味を持てない話題を押し付けて、遠藤を辟易させたりしない。

「ちょっとごめんね」
 鳴ってもいない携帯を取るフリをして、遠藤は席を立った。電話を耳につけて、架空の友人と話をしながら、店の外に出る。
 顔も知らないアイドルのプロフィールについて、こと細かく説明を受けて、遠藤の頭の中は飽和状態だった。しばらくひとりで街をぶらつきたい気分だ。駅前のコンビニまで歩いて、口直しのガムでも買ってこようと、遠藤は歩き始めた。

 いまひとつ気分の良くない酔い方の理由は、あの頭の軽そうな女のせいばかりではない。むしろこちらのほうが、大きな要因かもしれない。
 青木がいない飲み会が、こんなにつまらないとは思わなかった。
 今頃、青木は彼女と一緒にいるはずだ。食事をしているかバーにいるかは判らないが、きっと相手の趣味にぴったりと合わせた見事な話術で、彼女を楽しませているだろう。

 青木の彼女は幸せだろうな、と考えながら大通りに出た遠藤は、道沿いの花屋で花を買っている長身の男に気付いた。彼はとてもうれしそうな顔で、青色のリボンがついた白い百合の花束を、花屋の店員から受け取った。
 男がこの時間に、プレゼント用の花束。間違いない。これから彼女に会うのだ。

 遠藤は、外灯の陰に隠れた。
 別に声を掛けても差し支えはないのだが、このままそっと青木の後をつければ、彼女の顔が拝めるかもしれない。
 青木は彼女の容姿に、ずいぶん自信がある素振りだった。どんな美女なのか、ぜひ見ておきたい。

 花屋の次に、青木は隣の自然食品の店に寄った。米が入ったビニール袋を持って、すぐに出てくる。青木は遠藤に、「彼女とはまだ恋人という関係ではない」などと控えめなことを言っていたが、この場面で米を買うということは、これから彼女の家に行くということだ。
 これは恋人確定だ。女が好きでもない男のために手料理をしたり、こんな時間に自宅に招いたりするはずがない。

 それから、駅に向かってしばらく歩く。
 5分後、真っ白い壁が印象的な建物の前で青木は立ち止まった。
 ここが彼女の住まいらしい。かなりの高級マンションだ。
 米を持っていくということは、彼女は家族と住んでいるわけではない。ここで独りで暮らしているとしたら、青木の彼女は裕福な家の娘ということになる。美人で金持ちの娘なんて、青木はけっこう理想が高いのかもしれない。

 青木は上を向いて部屋の明かりを確認すると、遠藤がいる方向とは反対の、駅へ続く道を眺めた。
 どうやら彼女はまだ帰っていないらしい。きっと駅のほうから帰ってくるのを待っているのだ。すぐに携帯で呼び出したりしないところが、大人の余裕であり青木のやさしさだ。
 しかし、彼女の帰宅時間は不明だ。青木はここで待っているつもりなのだろうが、遠藤はそろそろ戻らなくてはいけない。が、彼女の顔は見たい。
 進退に迷う遠藤の目に、いやなものが映り込んだ。

 それは、遠藤の苦手な上司の姿だった。
 春物の薄いトレンチコートを羽織り、サテンベージュのスーツをすらりと着こなしている。暗い赤のネクタイが肌の白さを際立たせている。その優美さはすれ違った人が思わず足を止めるほどだ。
 だが、彼の性格の悪さを知っている遠藤には、その美しさの半分も伝わってこない。印象というのは、人の目を曇らせるものだ。

 薪は、早足にこちらに歩いてくる。その視線が長身の男を捕らえた。
 今夜の青木はツイていない。恋人を待っている時に、上司と鉢合わせしてしまうなんて。
 亜麻色の瞳は、青木のことを真っ直ぐ見ている。彼の手荷物を見れば、これから女と逢うことがすぐに判るはずだ。ここは素知らぬフリをして通り過ぎるのが大人だ。が、この上司にそういう気配りを期待しても無駄だ。
 嫌味な薪のことだ。仕事もロクにできないくせに、女と付き合うなんて10年早い、とかナンセンスな言いがかりを付けようとしているに違いない。

 果たして、薪は青木の前で立ち止まり、皮肉に歪められたくちびるを開いた。
「花は買ってくるなって、この前も言っただろ」
「すいません。つい」
 すいませんと言いつつもにっこりと笑って、青木は薪の前に花束を差し出した。厳しい上司は肩をすくめてそれを受け取り、その芳香に目を細めた。

「米、買ってきたか? お、ヤマザキヤのコシヒカリ。また気張ったの買ってきたな」
「寿司は米が命ですから」
「質より量のクセに。花代込みでいくら掛かった?」
「お金は要らないです」
「ムリするな。今月、おまえピーピーだろ。今井と新人にずっと付き合ってて」
「あの波状攻撃には参りました。今井さんの須崎ネタが終わって、ホッとしてたんですけど。遠藤のはもっとキツイです」
「遠藤のネタは、どうせ僕と小池だろ」
「小池さんのことはうんうん、て聞き流せるんですけど。薪さんのことは聞くのがつらくて」
「おまえがみんなと一緒に僕の悪口言ってたって、須崎が密告ってたぞ」
「そんなこと言ってませんよ! オレが薪さんの悪口、言うわけないじゃないですか」
「どうだか」

 研究室では聞いたことのない、笑いを交えた声で喋りながら、マンションのエントランスをくぐり、ふたりは建物の中に入って行った。
 遠藤はその場に立ち尽くす。いま見たものが、信じられない。

 青木の約束相手とは、室長だったのか?
 上司が自分の部下に酒の相手をさせるのは、よくあることだ。誘われればみんなとの飲み会よりも、上司の命令を優先せざるを得ないのだろう。青木は室長に憧れているそうだから、薪の誘いは嬉しいはずだ。それであんなに楽しそうに。……でも、花束って。

 それに、あの雰囲気。
 まるで身内か家族にでも対するような、気安さと甘え―――― いや、家族というよりは、恋人だ。好きなひとと会えたときの弾んだ気持ちが、会話の端々に滲み出していた。
 二階の部屋に明かりが点り、換気のためか窓が開けられる。窓を開けたのは薪だが、すぐ横に花瓶を持った青木の姿がある。そのふたりの姿はどう見ても……。

「あのふたりの関係、知りたい?」
 女の声に、遠藤は振り向いた。
 知らない女だ。見たこともない。しかし、とても愛くるしい女性だ。
 肩まで届く栗色の髪を内側に巻き、サーモンピンクのスプリングコートを着ている。小柄で華奢で、花に例えるならチューリップだ。幼げで可愛らしい。
 ところが、彼女の発言は外見にそぐわない不穏なものだった。
 
「人殺しのホモ野郎と、その昔の男の身代わりよ」




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つむじ風(9)

つむじ風(9)






 土曜日の第九には、MRIのシステムチェックのため、休日出勤を余儀なくされた宇野の姿があった。
 年に何回か行なわなければならないこの作業は、システムの専門家である宇野の仕事だが、その最中はダミーのデータをMRIシステムにロードするため、通常の捜査は一切できなくなる。よって宇野は、貴重な休日を仕事に費やすという憂き目に遭わざるを得ないのだ。

「おはよう。早いな、宇野」
「おはようございます」
 モニタールームのドアから、薪が姿を現す。
 休みの日でも職場に来るときは、薪はきちんとスーツを着込んでいる。ライトグレーの三つボタンと、薄いピンクのストライプタイが春らしさを演出して、休日の室長はいつもよりやさしげに見える。
「ほら、リクエストの五目いなり」
「ありがとうございます」
 仕事のファイルでも入っていそうな、素っ気無い無地の紙袋からは、宇野の食欲を刺激する匂いがする。たまらず中を開けて見ると、三段になった重箱の中身は、稲荷寿司と根菜の煮物。鳥のから揚げに冷たい茶碗蒸し。

 室長は、休日出勤をしている部下がいるときには、必ず差し入れを持って来てくれる。怖いのかやさしいのか、よくわからない上司だ。
 この差し入れが、めちゃめちゃ美味い。宇野が、休日出勤に大した拒否反応を示さない理由は、室長が差し入れてくれる弁当のクオリティの高さによるところが大きい。

「室長。この総菜屋の場所、教えてくださいよ。ちょっと遠くても、買いに行きたいです」
 薪は首を振って答えない。
 今まで何回も聞いたのだが、一度も教えてくれたことがない。よほど秘密にしておきたいのか、弁当を入れる容器や袋まで自宅のものを利用する、という徹底ぶりである。味付けや盛り付けの仕方から、いつも同じ総菜屋と思われるのだが、そのバリエーションはとても豊かで、宇野のリクエストには100%応えてくれる。和食も洋食も中華も、エスニックまで何でもござれだ。

 何かあったら呼べ、と宇野に命じて、薪は室長室へ姿を消した。室長の仕事のストックは無尽蔵だ。月曜日の会議の下準備でもするのだろう。
 時計の長針がぐるりと1周した頃に、長身の新人が姿を現した。
 いや、もう新人ではない。同僚と呼ぶべきか。
「おはようございます、宇野さん。オレにも手伝わせて下さい」
「弁当の手伝いか?」
 2年生の後輩は、とても謙虚だ。だからなんとなく、いつまでも新人のような気がして、つい軽口をきいてしまう。
「あはは。ばれました?」
 何を言っても、明るく笑って返してくれる。キャリアにも色々なタイプがいるが、青木のような男は本当に珍しい。

 システムチェックをするのは機械なので、手伝いは要らないが、エラーに備えてずっと画面を見ていなければならない。宇野ひとりでやっていたときは、休憩や食事の間チェックを止めていたのだが、この新人が来てからは、交代で画面を見ることができるようになった。
 休日出勤の手当てが付くのは一人だけなので、この新人はただ働きということになるが、本人はそんなことはまったく気にしていないらしい。年に数回しかないことだし、彼女もいなくて休日にやることもないから、というのがその理由だそうだ。ちなみに、室長は管理職なので、残業代も休日手当ても一切付かない。物好きなふたりである。

「オレ、五目いなり大好きなんです」
「なんで中身知ってんだ?」
「あ、えっと……そこでさっき、室長に会って」
 青木はおかしなことを言う。
 室長はもう、1時間も前に第九に来ている。それからは室長室に入ったままだ。今モニタールームに入ってきたばかりの青木が、会えるはずがない。
「室長は、おまえより先にここに来て」
「昨夜はみなさん、盛り上がりました?」
 青木は、不自然に話題を転換する。弁当の中身ごとき、別に無理に問い質すほどのことでもない。宇野は青木が振った話題に、乗ってやることにした。
「それがさあ」
 モニターに注目したまま、宇野は昨夜の詳細について語り始めた。

「隣の席の女子大生のグループと一緒に飲んだんだけどさ、最近の若い娘って、何言ってるのかぜんぜんわかんないんだよな。アイドルグループの話とか、連ドラの話なんかされてもさあ。俺たち、TV見てるヒマなんてないし」
 うんうん、と頷きながら、愚痴に近い話を笑顔で聞いてくれる。この後輩と喋っていると、自分がとても話し上手になった気がするから不思議だ。

「でもって、ものすごく自分の容姿に自信持ってるみたいなんだよな。可愛いねって社交辞令に『よく言われる』て真顔で答えてくるんだぜ。神経疑っちゃうよ。あの程度の器量で、自分がどれだけ男に言い寄られるか、自慢されてもさあ。それ、遊ばれてるだけだよって教えてやりたくなっちゃったよ」
 ひどいなあ、と言いながらも青木は笑っている。
 宇野の口が悪いのは、室長譲りだ。本気で言っているわけではない。それが解っているから、青木も笑っているのだ。

「うちの場合、美人は見慣れちゃってますからね」
「慣れって怖いな。室長レベルじゃないと、もはや美人とは認められなくなってるもんな。男であれなんだから、女性はその上を行かないと」
「ミスユニバースでも、持って来るしかないんじゃないですか?」
「だよなあ。ああ~、ますます女の子が遠くなる」
「あはは。美人の弊害ですね」
「むしろ公害だな。おっと」
 モニターに赤い警告の文字が出て、宇野はその部分のレジストリを引き出す。
 隣で見ている青木に、エラー部分の特定の仕方を説明してやると、何事にも熱心な後輩は、宇野の言う通りキーボードを叩き始めた。

「やっぱり、あんまり年が離れすぎてると、話が合わないな。しかも周りは若い連中ばっかりでさ。落ち着かないったら」
「遠藤の知ってる店だったんでしょ? だったら年齢層が若いのも、無理ないですよ」
「そういえば、遠藤のやつ、途中でいなくなっちゃってさ」
「え? あ、もしかして。女の子がひとり、いなくなってませんでした?」
「いや。それだったら気にしないんだけど」
「挨拶もなしに帰っちゃうなんて。遠藤らしくないですね」
「おまえ、遠藤と仲いいだろ。何か聞いてない?」
「いえ。別に」
 修正プログラムを組みつつ、そんな話をする。
 MRIシステムのプログラミングの難解さは、半端ではない。こんな真似ができるエンジニアは、日本中探しても数えるほどだ。薪とは種類が違うが、宇野も天才の一人なのだ。

 宇野の才能は天賦のものだったが、警察という職場ではあまり高く評価されなかった。
 特に所轄にいた頃はPCオタクと馬鹿にされて、やっぱり教師の言うように、IT企業に就職すればよかった、と思っていたのだ。
 所轄では毎日、紙の書類をデータ化する作業をやらされていた。単調な仕事にやりがいを見出せず、くさくさしていたところを薪に拾われたのだ。

 その日のことを、宇野は鮮明に覚えている。
 あれは、一昨年の9月だった。ゴミゴミした所轄の刑事部屋に、薪は忽然と現れた。
 一分の隙もない、紺色のスーツ姿。亜麻色の短髪に、ほっそりとしたからだつき。琥珀色の瞳は叡智に輝き、つややかなくちびるは固く引き結ばれていた。掃き溜めにツル、という表現がぴったりだった。
 彼は、その飛び抜けた容姿で部屋中の人間の注目を集め、ガラス玉のような瞳で室内を見回し、そしてひとりの男に目を留めた。

 薪は、真っ直ぐに宇野の机にやってきた。書類に埋もれていた宇野に、涼しげなアルトの声が、寝耳に水の人事異動を言い渡した。
「初めまして。法医第九研究室室長の薪です。署長から正式な辞令があると思いますが、宇野警部補には、来週から僕のところで働いてもらいます」
 第九と聞いて、同僚たちがざわめきだした。
 MRIで死者の脳を見る。死神の棲む研究室。警察機構の内部でさえ、反感の多い部署だ。

 いや、それよりも。
 先月、第九は壊滅したのではなかったのか。職員たちは全員死んで。この薪という男が、部下を撃ち殺して。

 その事件のことは新聞で読んだが、宇野には目の前の人物が、拳銃で部下の命を奪った男だとは、とても信じられなかった。
 他の職員たちのさんざめく声をきれいに無視して、薪は宇野に言った。
「あなたの力が必要です」
 確信に満ちた、美しい声。逡巡を許さない、きっぱりとした物言い。宇野が自分の命令を拒否する可能性など、頭にないようだった。

「俺の取柄は、こいつですけど」
 宇野がPCを指差すと、薪はこっくりと頷いた。
「はい。僕が欲しいのも正にそれです。宇野さんには第九の中枢になって頂きたい。MRIシステムを自由に操れる、エンジニアになって欲しいんです」
「来週から、ですか」
「急すぎますか? 僕としては、できるだけ早い人事をお願いしたいのですが。その、今うちは、とても人手不足でして」
 少し困ったように長い睫毛を伏せて、薪は言葉を選んだ。思わず見せたその弱気な表情が、宇野の背中を押した。
「明日からでも大丈夫ですよ。こっちの仕事は、別に俺じゃなくてもできますから」
 その言葉に、ぱっと花が開くように微笑んだ薪の顔を、宇野はたぶん一生忘れない。あれから宇野の美人の合格ラインは、薪のレベルに設定されたのだ。

 第九に来てからの宇野は、砂漠が水を吸い込むように、MRIシステムの知識をどんどん吸収していった。システムの専門的な扱いに関して、薪と肩を並べるのに、半年もかからなかった。これは宇野の天職だった。
 自分に生きがいを与えてくれたのは、薪だ。宇野はそのことに、とても感謝している。
 だから、多少薪に苛められたくらいでは、第九を離れる気にはならない。休日出勤も泊り込みも、口で言うほど嫌がっているわけではないのだ。

「なんだ、おまえも来たのか。二人分しか弁当はないぞ」
 昼近くなって、薪は室長室から出て来た。青木の姿に気付いて、早速意地悪を始める。
 三段構えの重箱の中に、五目いなりは30個くらいあった。二人前には多すぎる。大食漢の青木が来ることを、予想していたとしか思えない分量だ。

「室長の分は、オレが何か買ってきますから。五目いなり、食べさせてください」
「おまえ、昨夜も手巻き寿司食ったじゃないか」
「なんで青木の夕飯、知ってんですか?」
「えっ? いや……さっき、そこでこいつに会って」
「室長がここに来たのって、青木が来る1時間くらい前じゃ」
「お寿司にはやっぱり、日本茶ですよね! オレ、淹れてきますから」
「あ、僕も水飲んで来る」

 二人が給湯室に姿を消した後、宇野は腹を抱えて笑い出す。彼らに聞こえないように、声を殺すのが死ぬほど苦しい。
 金曜日の夜に、青木が薪の自宅を訪れていることを、宇野はとうの昔に知っている。
 宇野だけではない。今年の新人を除いた、第九の職員全員が知っていることだ。だから昨夜はだれも、青木に声を掛けなかったのだ。

 定例会と称して、週末の夜に第九の幹部ふたりは、室長のマンションで一献傾けることにしている。そこに青木が良く顔を出している、と岡部から聞いている。
 副室長の岡部はともかく、新人の青木が自宅に出入りするのは、他の職員に示しがつかない、という理由から、薪はその事実を隠したがっている。だからみんな、知らないふりをしているだけだ。
 おまえらも来たらどうだ、と岡部は軽く誘ってくれたが、きっと薪は3人の飲み会を楽しみにしている。それを見越して、断った。

 宇野の笑いは、なかなか収まらない。笑いすぎて涙が出てきた。
 薪の今のあせった顔が、めちゃくちゃ可愛かった。初めは無表情で愛想のない男だと思っていたが、慣れてくるとそうでもない。笑顔は言うに及ばず、驚いたりしょげたりしている顔も、とても魅力的だ。怒ると鬼のように怖いが。

 重箱の蓋を開けて机の上に並べ、宇野はふたりが戻ってくるのを待つ。一口つまんだ煮物の牛蒡は、適度に歯ごたえを残していて、やはりとても美味しい。
 モニターを見続ける宇野の背後に人影が差して、それが食事の合図だ。
「早く食べようぜ」
 システムチェックにストッパーを挟んで、宇野は後ろの人物を振り返った。が、そこに立っていたのは美貌の室長でもなく、長身の後輩でもなかった。

「遠藤。どうしたんだ?」
「室長来てますよね」
 今年の新人の様子に、宇野は危険なものを感じる。
 明るくて朗らかな新人の仮面の下に隠されたキャリア根性を、宇野は見抜いていた。

 遠藤は、青木とは違う。
 一見素直なようだが、ひとの意見を聞かないタイプだ。自分が正しいと思い込んだら、周囲の人間が何を言っても無駄だ。小池が、そうこぼしていた。
 例え自分が間違っていても、それを認めない。年の若いキャリアには、多かれ少なかれ見られる傾向だが、遠藤は特にそれが強い。表面上はしおらしく謝っても、心の中では決して謝らない。
 心から人に謝罪することができる去年の新人や、言葉に出さなくても申し訳ない気持ちが伝わってくる上司とは、正反対だ。

 固い表情。きつい眼光。
 この新人は、どんな決意を秘めて休日の職場に出てきたのだろう。

「あれ? 遠藤。どうしたの?」
 両手に日本茶が入ったマグカップを持って、青木が給湯室から出てくる。その大きな身体の陰から現れた亜麻色の髪の人物に、遠藤はつかつかと近付いた。

「第九を辞めさせてください。おれは、人殺しの下で働くのはまっぴらです」



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つむじ風(10)

 みちゅうさんのように、泣ける話が書きたい、とか言いつつ、みなさんが怒りまくるような話を書いてました☆
 TさんのΨ、お受けします。(笑)




つむじ風(10)





 時が、止まったような気がした。

 青木の大きな手から、マグカップが滑り落ちた。
 やけにゆっくりと落下していく。まるでストップモーションのような画像が、宇野の目に映っている。
 ボーンチャイナ特有の白さと薄さを合わせ持ったマグカップは、薪の愛用の品だ。それがガシャン、と床で音を立てて、時計の針は動き出した。

「遠藤! 室長に謝れ!!」
 どんなときでも声を荒げたことなどない控えめな後輩が、年若い新人を怒鳴りつけた。周囲の空気が、びりびりと震えるほどの怒気。
 宇野は思わず肩を竦める。こんな青木は初めて見た。

「嫌です。おれは間違ったことは言ってません」
 遠藤も負けずに言い返す。自分の正当性を信じている人間というのは、他人のどんな攻撃にも耐えうるものだ。
「だって事実ですよね? 先輩達だって知ってたんでしょう。一昨年の事件」
 遠藤が言っているのは、貝沼の狂気に犯された捜査官の凶行を止めるために、薪が自分の部下を射殺した事件のことだ。現状からも防犯カメラの映像からも、銃の使用はやむを得なかったことが認められ、結果降格処分もなかったと聞く。陰では官房長の力が働いていたという話もあるが、あくまでそれは噂だ。

「公式発表の記録を読んでないのか。あれは正当防衛だ」
「公式発表の、どこに真実があるんですか。世間の非難を回避するために、事実を捻じ曲げているに決まってるじゃないですか」
「違う! あの時は本当に他に方法がなかったんだ! 室長はそのことをずっと悔やんで」
 怒りのあまり、青木の声は震えている。心なしか顔色も青ざめて、非難を受けた当人よりも遥かに激昂していた。

「どうしてそんなに、このひとを庇うんですか? 室長と特別な関係だからですか?」
 遠藤の言葉に、宇野は開いた口が塞がらなかった。さすがの青木も、言葉を失っている。
 突然なにを言い出すのだ、この新入りは。
「と、特別って」
 そこでどもってはダメだろう。こういうところが、青木の未熟さだ。
「そんなに室長のことが好きなんですか? このひとがどういうつもりで青木先輩と付き合ってるのか、知ってるんですか」
「付き合うって、そりゃ、そうなれたら嬉しいけど」
 ダメだ。テンパッてる。
「青木先輩は騙されてるんですよ! このひとは青木先輩のことが好きなんじゃなくて、昔の男の代わりにしてるだけです!」
 遠藤の勢いに押されて、青木は何も言えなくなっている。ぎゅっと唇を噛んで、拳をふるわせている。
 見かねて、宇野は助け舟を出すことにした。

「なに訳の分かんないこと言ってんだ、おまえ」
 薪と青木のことについて、第3者の自分が口を挟むことではないかもしれないが、室長に対する暴言は、部下として許しておけない。
「おれは、青木先輩を責めてるわけじゃないです。室長に誘惑されたんですよね? ていうか、無理矢理強制されたんでしょう? それで関係を持ったんでしょう?」
 これが事実だとしても、双方の協力がなければ作れない関係なのに、悪者は薪ひとりだと決め付けている。まるでボーイフレンドとの間に子供ができてしまった高校生の娘の肩を持つ、母親のようだ。

「誰に吹き込まれてきたんだ、そんな馬鹿げた話」
 交通課の女子職員あたりだろうか。
 あの一角には、薪のことを完全にそういう趣味の人間だと思い込んで、署内の誰それとカップリングの仮説を立てては面白がっている女の子達がいる。彼女達の一押しは、今のところ捜査一課の竹内警視らしい。ふたりとも、超が付く美形だというのがその理由だ。ふたりの仲の悪さは署内でも有名なはずだが、所詮は空想の世界なので、事実関係には拘らないそうだ。
 今井の彼女は交通課にいるので、こんな話も伝わってくる。もちろん、薪には秘密だ。しかし、青木が相手というのは初耳だ。

「どこで聞いてきたか知らないが、根も葉もない噂話を鵜呑みにするなんて。捜査官失格だぞ。おまえも警察官なら、ちゃんと証拠を見つけてから物を言え」
「おれ、この目で見たんですよ。青木先輩、昨夜ふたりで室長のマンションに入って行きましたよね」
 昨夜、この新人が、酒席を中座して何をしていたのか判明した。
 昨日の店は吉祥寺だ。薪のマンションの近くだったのだろう。わざわざ様子を伺いに行ったのか、偶然だったのかは不明だが、青木が薪と一緒のところを目撃して、下らない噂を信じてしまったわけだ。

「あのな、遠藤。室長と岡部さんと青木は、飲み仲間なんだ。金曜日の夜はいつも室長の家で、3人で飲んでるんだ。ふたりきりじゃないよ」
「宇野さん。知ってたんですか?」
 青木がびっくりした顔で、宇野のほうを見る。第九の情報網を甘く見ないで欲しい。
「みんな知ってるよ。岡部さんから聞いてたから」
「岡部さん、話しちゃってたんですか? なんだ。オレ、ずっと気を使ってたのに」

「口裏あわせても、ダメですよ」
 宇野の話を聞いても、遠藤は納得していないようだった。本当に自分の間違いを認めないやつだ。
「おれはちゃんと調べてきたんです。室長に殺された、鈴木って人の写真も見せてもらいました。青木先輩に、なんとなく似てますよね。室長はその鈴木ってひとが好きだったんでしょう? でも、そのひとには婚約者がいて、自分のものにならないもんだから、正当防衛を装って殺したんじゃないんですか? 青木先輩を誘惑したのだって、そのひとの身代わりにしようと思って」
「遠藤! それ以上室長を侮辱するな!」

「青木。黙ってろ。遠藤は僕に言ってるんだ」
 ヒステリックな遠藤の声も、青木の怒号も、その威厳に満ちたアルトの声の前には黙らざるを得ない。薪が室長の仮面をつけたら、誰も逆らうことはできないのだ。
 右手に持っていた緑色のマグカップを、机の上に静かに置いて、薪は穏やかな目で糾弾者を見る。その亜麻色の瞳には、怒りも悲しみもなかった。

「異動願いは、書いたのか」
 遠藤は、無言で縦長の封筒を突き出した。表面に異動願の文字がある。
 薪はその封書を受け取り、中身を確認した。眉ひとつ動かさず、瞬きすらしない。いつも通りの冷静な顔で、その書類を受諾した。
「解った。月曜日付けで受理する。どこか希望する部署はあるか」
「あなたの顔の見えないところなら、どこでもいいです」
「それなら所轄だな。新宿署の二課あたりでどうだ」
「それでけっこうです。失礼します」

 敬礼すらせずに、遠藤は踵を返した。
 薪と同じ空気を吸うのも嫌だと言いたげな表情で、今日まで世話になった上司を睨みつけ、足早に研究室を出て行った。
 一呼吸おいて、青木がその後を追いかける。
「青木。放っておけ」
「いいえ! 絶対に遠藤には謝罪させますから!!」
 言葉と同時に、自動ドアの向こうに姿を消す。薪は肩をすくめて、軽くため息をついた。

「これで何個目だ? あいつが僕のマグカップ割ったの」
「きりがないですね。10個くらい、まとめ買いしといたらどうですか」
「そうだな。青木の給料から差っ引いてやる」
 宇野は床に散らばったマグカップの欠片を拾い始める。薪が給湯室から雑巾を持ってきて、こぼれた緑茶を拭き取った。

「青木の名誉のために言っておくけど、僕たちはそんな関係じゃない」
「わかってます。てか、どうでもいいです」
 床にしゃがんだまま、宇野は上司の顔を見た。
 薪の大きな瞳が丸くなって、不思議そうな光を宿す。宇野の意見に、補足説明を求めているようだ。

「うちの連中は、みんな同じ考えです。極端な話、薪さんが官房長の愛人でも、間宮部長のセフレでも、俺たちはかまわないんです」
「ちょっと待て! だれが愛人でセフレだ!!」
「いや、だから例え話ですよ。薪さんがゲイだったとしても、捜査官としての能力が落ちるわけじゃなし、室長としての才覚が欠けるわけでもないでしょう。薪さんにどんな趣味があっても、それは個人の自由です。別に俺たちにせまってくるわけでもないし、俺たちは一向に困らないです」
「……宇野。おまえ、僕がゲイだって前提で、話進めてないか」
「いや、だって、薪さんの顔見てるとそっちのほうが自然で――― い、いえ、その」
 宇野の失言に、氷の警視正が君臨してしまった。
 5月だというのにピシピシと周囲の空気が凍っていき、青白いオーラが薪を包み――――。

「宇野」
「す、すいません! 今日は、徹夜してでもシステムチェックを!」
 床に膝を付いてオーバーに頭を下げる宇野に、ふわりとやわらかい薪の声が降ってきた。
「ありがとう」
 宇野と同じ目線の高さで、照れたように微笑んだ室長の顔は、一昨年の秋に宇野を惹きつけたものより、遥かに魅力的だった。
 あの時も女優のようだと思ったが、この1年の間にどんな進化を遂げたのか。近頃のこのひとは、人間を越えた美しさを手に入れつつある。

「俺のほうこそ、一度ちゃんとお礼を言いたかったんです」
 亜麻色の小さな頭が左側に傾いで、大きな目がゆっくりと瞬く。つややかなくちびるは疑問符の形に窄められ、その魅力をいや増した。
「薪さんは俺を所轄から―――― 灰色の毎日から、俺を引き上げてくれて、生涯を捧げて悔いのない職務を与えてくれました。ありがとうございました」
「なにガラにもないこと言ってんだ。僕はただ、MRIシステムのメンテナンスを、全部自分でやるのは大変だから、PC工学科出身のおまえに声を掛けただけだ」
 礼なぞいらん、とそっぽを向きながら、耳が真っ赤になっている。宇野は吹き出したいのを、必死でこらえる。
 このひとは時々、頭をくしゃくしゃに撫で回したくなるくらい可愛い。
 その幼げな顔立ちのせいか、男にしては小柄すぎる体型のせいだろうか。宇野より、年はだいぶ上なのだが、それが分かっていてもやっぱりかわいい。

 薪は雑巾をゆすいでから、清掃用具のロッカーに戻し、ブラインドの隙間を手で広げて外を眺めた。
 右手を口許に当てて、ほんの少し迷うようだったが、すぐに宇野の机に近付いてきて、箸を手に取った。
「バカに、メシ食わせてくる」
 まったく世話の焼ける、とぶつぶつ言いながら、せっせと弁当を取り分けている。重箱の蓋に稲荷寿司を載せ、空いた場所に煮物とから揚げを添える。人参を避けているところを見ると、どうやら薪は青木の苦手食材を知っているらしい。
「あいつ、一食でも抜くと飢え死にするんだ」
「ハムスターみたいですね」
「そんなかわいいもんか。象だ、ゾウ」
 憎まれ口を叩いて、薪はモニタールームを出て行った。

 そのあとで、宇野は薪が見ていた窓から、同じように外を眺める。
 第九の正門の手前に立っている、青木の姿が見える。大きな背中は連れ合いを無くした老人のように、しょんぼりと丸められていた。
 そこに小さな人影が近付いていって、後ろから尻を蹴る。思わず前のめりに膝を付き、何事かと振り向いた青木の顔が、徐々に苦笑の形に変わっていく。
 ふたりは連れ立って中庭のほうへ歩いていった。いつも室長が昼寝をしている、見事な枝振りの樹の下に並んで腰を下ろすと、芝生の上に弁当を広げた。

「う~ん。これは青木説、来るかもしれないな」
 その噂が交通課にいる今井の彼女から伝わってきたときのことを想像して、宇野は複雑な気分になった。



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つむじ風(11)

 宇野さんのフォローで、みなさまのお怒りは、少しは和らぎましたでしょうか?
 あ、いま、どこかから「バカヤロー」というお声が……すみません。




つむじ風(11)







 第九の正門の前に立ったまま、青木は長いこと動けずにいた。
 遠藤の豹変が、信じられなかった。
 昨日までは、あんなに明るくていい子だったのに。青木の言うことを素直にきいてくれていたのに。

 遠藤は頑なだった。
 青木の説得に耳を貸さず、「目を覚ましてください」と叫んだ。
「あのひとは、自分の身体を武器にして、あの若さで室長になったんですよ。官房長の愛人っていうのは、本当のことなんです。それだけじゃない、間宮部長とも関係を持ってるんですよ」
「薪さんはそんなひとじゃない。遠藤だって見てただろ。間宮部長のことは、いつもあんなに嫌がってたじゃないか」
「それはただのポーズですよ。みんなの手前、そんな振りをしているだけです。相手が年上の男ばかりだから、たまには若い男をつまみ食いしたくなって、先輩を誘ってきたんですよ。そんな汚らしい男妾なんかに騙されて」

 青木は決して気の短い男ではないし、暴力に訴えるタイプでもない。
 しかし、このときばかりは身体が先に反応してしまった。黙れ、と言う前に遠藤の頬を叩いてしまっていた。
 キャリアの多くがそうであるように、遠藤も他人に叩かれるのは、これが初めてだった。その衝撃は、遠藤の中にわずかに残っていた、青木に対する敬愛の念を突き崩した。

「よくわかりました。おれが何を言っても、あなたはあのひとの肩を持つんですね」
 遠藤は、冷めた声で言った。
「もう何も言いません。好きにしたらいいです。あなたには幻滅しました」
 それは青木が初めて聞く、後輩の冷ややかな声だった。
 この後輩に、こんな酷薄な表情ができるとは思わなかった。思いがけない一面に、青木は自分の鑑定眼の甘さを痛感した。
「でも、青木さんはおれにとても良くしてくれたし、尊敬できる先輩でしたから。これは最後の忠告です」
 青木がよほどショックを受けた顔をしていたのか、遠藤はいくらか優しい顔つきになって、自分が青木を責めているわけではないとのフォローを入れてきた。
 しかし、青木が欲しかったのは、薪に対する謝罪の気持ちだった。

「遠藤。オレのことはいいから」
「青木さんは本当に、鈴木ってひとの代わりにされてるんですよ。おれはそこが一番、頭に来てるんです。青木さんがいくら頑張ったって、あのひとには伝わらないんです」
 後で必ず後悔しますよ、と言い捨てて、遠藤は第九の門を出て行った。

 青木はその場に立ち尽くした。
 目を掛けた後輩に去られるのは、これで二度目だ。自分の無力さを思い知らされて、うなだれることしかできなかった。
 どうして遠藤は、あんな酷い誤解をしたのだろう。どうしてそれを薪にぶつける前に、自分に相談してくれなかったのだろう。

 あんなことを言うなんて―――― 薪は、どれだけ傷ついただろう。

 きっと今ごろ、室長室にこもって泣いている。あの事件は、薪のアキレス腱だ。その部分をあんなに深く切りつけられたら、平静を装うことなどできないはずだ。

 慰めてやらなくては、と思う。
 が、青木の足は動かない。
 今の薪には、だれかの助けが必要なのに、自分にはそれができるのに、青木の頭は遠藤の最後の言葉で一杯になっている。

『青木さんは、鈴木さんの代わりです』

 それは青木がずっと感じてきたことであり、不安に思ってきたことだった。
 薪は、自分を亡き親友とよく間違える。
 昨夜もやられた。いつものように酔いつぶれた薪をベッドに運んでやったとき、「おやすみ、鈴木」と当たり前のように言われた。
 例え意識がはっきりしていても、薪が自分のことを熱のこもった目で見ているときは、ほぼ間違いなく鈴木の姿を重ねている。哀愁を帯びた亜麻色の瞳が、青木にそれを悟らせる。薪の目には熱情らしきものが伺えるが、哀しみのほうがずっと大きい。つまりそれは、鈴木の影を自分の中に見ている、ということだ。

『青木さんがいくら頑張ったって、あのひとには伝わらないんです』

 遠藤の言う通りかもしれない。
 薪が見ているのは、鈴木のことだけだ。部屋には鈴木の写真が幾枚も飾ってある。その写真を抱いて寝ていたこともあるし、寝室でこっそりとそれにキスをしていたこともある。

 やはり、無理なのだろうか。
 自分の想いは、薪には伝わらないのだろうか。

 薪の泣き顔が目に浮かぶ。
 だが、この心理状態では薪を元気付けてやるどころか、逆に詰問してしまいそうだ。オレは鈴木さんの代わりなんですか、と口に出してしまいそうだ。
 さっきもそんなつもりはなかったのに、遠藤を叩いてしまった。青木はいま、自分の自制心に自信を失くしていた。

 宇野には悪いが、今日はこのまま帰ったほうがいいかもしれない。遠藤以上に、自分が薪を傷つけてしまうかもしれない――――。

 いきなり背後から尻を蹴り上げられて、青木は前に倒れた。
 ひとが深刻に悩んでいるときに、いったいどこのだれだ!? ……まあ、心当たりは一人しかいないが。
 四つん這いのまま振り向くと、青木の予想通りの人物が、重箱と箸を左手に、右手にペットボトルの緑茶を2本抱えて立っていた。

「ひどいですよ、蹴るなんて」
「両手がふさがってた」
「声をかけるという選択肢は、なかったんですか」
「気が付かなかった」
 それは嘘だ。
 気が付かなかったのではなく、何と言っていいのかわからなかったのだ。青木の後姿があまりにも辛そうで。その背中が絶望に打ちひしがれているようで。
 薪の亜麻色の瞳には、そう書いてある。心配とやさしさを含んだ目が、青木の猜疑心を溶かしてくれる。

 青木は苦笑して、薪からペットボトルを受け取った。
 それから立ち上がり、中庭に向かって歩き出した小さな背中を追った。




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つむじ風(12)

 はあ。
 みなさん、落ち着いてくださって、よかったあ。
 今朝もブリザードが吹き荒れてたら、どうしようかと思った。(笑)




つむじ風(12)





 大きな常緑樹の葉陰は、今日も適度に直射日光を遮って、涼しさと快適さを与えてくれる。芝生に胡坐をかいて顔を上げると、第九の建物が正面に見える。
 ここは、薪のお気に入りの寝床だ。
 皐月の美空に緑の美しい芝生。目の前に広げられた美味しそうな料理。隣には薪がいて、普段だったらこの上なく楽しい状況なのに、青木の気分は低空飛行のままだ。

 薪は、何も言わずに緑茶を飲んでいる。その視線は、第九の建物に注がれている。
 青木が弁当に箸をつけようとしないのを見て、小さく嘆息すると、寿司をひとつ摘んで青木の鼻先に差し出した。
「食え」
 命令形だが、これは懇願だ。冷静な上司の仮面の下から、傷心の部下に対する気遣いが覗いている。

 いつもなら三口で完食する小ぶりな寿司を、青木はゆっくりと食べ始めた。
 朝、こっそりと薪の家でつまみ食いした五目いなりは、とても美味しかったはずなのに。青木にはいま、せっかくのご馳走の味がわからない。
「あんなことは、珍しくない」
 細い指が俵型の寿司をつまむ。薪は寿司を食べるときには、基本的に箸を使わない。
「あの事件を理由に第九を辞めると言い出したのは、遠藤が初めてじゃない。今までにも、何人かいたんだ。そういう連中は止めても無駄だ。こっちだって、命令に従わない部下なんか要らない。だから」

 薪は、その先を言わなかった。黙って寿司をかじった。
 しかし青木の耳には、薪の声が聞こえてくる。

 だから、そんなに落ち込むな。おまえのせいじゃない。

 いま、本当に傷ついているのは薪のほうだ。
 たった1月とはいえ、仲間だった人間に、あんなひどい言葉で傷を抉られて。
 泣きたいのは自分だろうに、可愛がっていた後輩に去られてがっかりしている青木を、慰めようとしてくれている。なんでもない顔をして、声も瞳も揺らさずに、シャンと背筋を伸ばしている。
 その強さに惹かれる。
 薪がこんなに強いのは、守るべきひとがいるからだ。それは自分の部下であり友人であり、薪がやさしさを注ぐすべてのひとたちだ。

 もっと、もっと強くなりたい。
 このひとに見合うような、真の強さを手に入れたい。そして、このひとを守りたい。
 とても強いのに、薪は自分を守らない。その強さを自己保身のために使おうとはしない。だから、誰かが守ってやらなくてはいけない。
 そのためには―――― とりあえず、食べないと。
 第九の職員に必要なのは、体力と根性だ。

「おいしいです! オレ、これだったら30個はいけます」
「研究室で食ってたら、確実に宇野の分はなかったな」
 おいしい食べ物が、人間を元気にしてくれるというのは真実だ。
 遠藤の言葉に、薪も自分も深く傷ついている。それでもこうして、何もなかったように普通に食事をして会話をして―――― そんな傷の癒し方も、あるのかもしれない。

「ペニンシラホテルのラウンジには、1杯2千円のコーヒーがあるんだ。ブルーマウンテン№1のストレートだ」
「それはさぞ、美味しいでしょうね」
 薪はいつも、唐突に話題を変える。
 最初のうちは戸惑ったが、この頃はすっかり慣れて、自然に相槌が打てるようになった。
「前にテレビ局からもらってきた豆のほうが美味かった。おまえがうちの台所で淹れてくれたやつ」
 ブルーマウンテンはキリマンやガマテラのように酸味が強くない分、口中に残る苦味はいくらか強い。しかし第九のバリスタなら、湯の温度と抽出速度の調整によって、その後味を薪好みの甘みを含んだ苦さに整えることが可能だ。

「サイフォンを使っているのかもしれませんね。あれで淹れちゃうと、どんな豆でも苦くて濃いコーヒーになっゃいますから」
「でも、1杯2千円だぞ。超高級ってことだろ。それなのに、おまえが淹れたコーヒーのほうが美味いなんて。僕の味覚がヘンなんだ」
 それは好みの問題なので、別に薪の味覚が壊れているとは思わないが。
「おまえのせいだ。責任を取ってもらおうか」
 唐突な話題はさらに唐突に、青木の責任問題へと発展する。
 どうして自分が、薪の味覚にまで責任を持たなくてはならないのだろう。強引な責任転嫁は、薪の十八番だ。

「おまえのせいで、缶コーヒーが不味くて飲めなくなった。カフェテリアのコーヒーも、自分の家のコーヒーメーカーも、物足りなくなった。いままでは美味いコーヒーが飲みたくなったら、喫茶店に行けば済んだのに。それが、ホテルのコーヒーでも満足できないなんて。どうしてくれるんだ」
「それ、みんなオレのせいなんですか?」
「そうだ。おまえが悪いんだ。おまえが淹れるコーヒーに、僕の舌が慣れてしまったんだ」
 悪魔のような論法だ。青木にいったい何をさせたいのだろう。
 しかし、こうしてやけに理屈に拘るときの薪は、自分自身の中で答えを用意していることが多い。一緒に過ごすプライベートの時間が多くなってくると、薪の心は意外と解り易い。

「だから」
 青木は、亜麻色の目を見て、その答えを待つ。
 薪のつややかなくちびるが、きつい言葉とは正反対のやさしい笑いの形になって、涼やかなアルトの声が聞こえた。
「おまえは、僕の専属のバリスタになれ」

 室長の特別人事に、青木は震えるほどの歓喜を味わう。
 その就任願いを出したのは、確か去年の秋。
 夜の第九の給湯室で、ふたりでコーヒーを飲みながら、『薪さんの専属のバリスタになりたいです』と言った覚えがある。薪の言葉が、それに対しての答えなのかどうか定かではないが、青木にとっては昇任よりも嬉しい人事だ。

「はい」
 満面の笑みで受諾する。迷いなど、あろうはずもない。
 青木のきっぱりとした返答に、薪の顔が意地悪そうに笑う。また何か楽しい皮肉を考え付いたらしい。
「いいのか? そんな簡単に返事をして。専属ってことはな、僕がコーヒーを飲みたいって言い出したら、夜中でもうちへ来て、僕のためにコーヒーを淹れるんだぞ」
 それはものすごく嬉しいシチュエーションだ。
 夜中にふたりきりで、パジャマ姿の薪とコーヒーが飲めるなんて。いっそ、そのまま住み着いてしまいたいくらいだ。
「はい、ぜひ!」
「本気するな、バカ。職場の中だけのことに決まってるだろうが」
 意地悪が不発に終わって、薪はいくらかご機嫌斜めだ。
 薪はとっくに青木の気持ちを知っているのだから、こんな意地悪が通用しないことくらい、解ってもいいはずなのだが。

「オレは、24時間体制でもぜんぜん平気ですけど」
「赤ん坊のミルクじゃないんだぞ」
「目を離せないところは一緒です」
「子供扱いするな! 僕のほうが12歳も年上なんだぞ!」
 そういう意味ではないのだが。
 あなたをずっと見ていたい、あなたとずっと一緒にいたい―――― そう言いたかったのだが、薪にはこういう言い回しが伝わらない。
 悪く言うと、鈍い。良く言えば……やっぱりニブイ。

「食い終わったか? じゃあ、さっそく働いてもらおうか。専属のバリスタに」
 薪はきわめて横柄に、顎を反らせて命令する。腕を組んで青木を睥睨する。
「美味いコーヒーが飲みたい」
「はい」
 人使いの荒い主人の命令を、青木は喜びと共に受け止める。
 このひとのこころを少しでも癒してやれるなら、例え真夜中の命令でもいとわない。

「それから、後で僕のマグカップ買って来とけよ。そうだ、モニタールームのブラインドに埃が溜まってたぞ。埃はPCの大敵だ。掃除しとけ」
「……はい」
 遠藤がいなくなったから、買い物も掃除も青木の仕事になるのだ。
 第九のバリスタ兼室長専属のバリスタに昇任したと同時に、新人への降格人事が確定してしまった。
 喜んでいいのか悲しんでいいのか、複雑な表情の青木に、薪の意地悪そうな笑いがふたりの日常を運んでくる。
 その何気ない時間の積み重ねこそが、薪の傷を癒してくれるのだと信じて、青木は立ち上がった。




*****



 管理棟の建物から、ふたりの姿を見ている人影がある。
「あの程度のカンシャク玉じゃ駄目か」
 小さな声で呟き、軽く舌打ちする。
「やっぱり核爆弾落とさないと」
 暗い情念を含んだ目が、薄暗い建物の中で不穏な光を放った。
「あの男は壊せない」




 ―了―




(2009.3)



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ジャンル : 小説・文学

つむじ風~あとがき~

 この度は、『つむじ風』をお読みくださり、ありがとうございました♪


 遠藤くんの爆弾発言に、一時、ブログの温度が急激に下がったみたいでしたが(ん? 上がったのか? どっちだ?)、所詮、かれはカンシャク玉程度の破壊力しか持っていないので、大した被害はなかったかと。(め○みさん風に、からからと笑ってみる)
 つむじ風程度でございましたでしょう?
 このくらいで台風とか言ってたら、先のお話は~、ビックバン?
 いえいえ、そんなに大げさなもんじゃございません。わたしが書くものですもの。せいぜい、夏の夕立くらいです。


 ところで。


 偶然、て面白いです。
 ファイヤーウォールで間宮の手錠プレイを書いた2,3日後に、秘密のDVD9巻の発売予告がネットに流れて、表紙を見たんですけど。
 くは! 手錠じゃん! みんな考えることは同じね! (薪さんと青木くんが、鎖の長い手錠でつながっている絵でした)
 ひとりで大受けしました。

 で、この「つむじ風」に、宇野さんと薪さんの出会いと「ありがとう」の笑顔を書いたあと、メロディの6月号で、例の薪さんのスペシャルビューティな笑顔にボーゼンとなる宇野さんの姿が。
 きゃっほー!
 なんか、清水先生とハモったみたいで、うれしいい!
 さらに6月号のあの展開!

 その勢いで、ブログを始めてみようかな、と思い立ったのでした。
 で、あとは一部の方はご存知の通り、ともさんに『自分のブログは?』と肩を叩かれ、めぐみさんのブログにストーカーまがいのコメを残し、恐れ多くもリンクを張っていただいて、お客さまが来てくださるようになりました。
 なので、このブログはまだ、生まれて2ヶ月にもならないヒヨコなんです。

 ゆえに、「秘密」界のタブーとか、やっちゃいけないこととか、こういう話は書いても公開しちゃダメ、とか、そういう常識に欠けているところがあります。悪気はないのですが、それで済むなら警察はいりません。
 なので、先輩方にぜひ、ご指導願えたらと思っております。
 こういうことは、注意するほうも嫌な思いをするので、図々しいお願いだとはわかっているのですが、わたしはかなりのKYなので、はっきり言ってもらわないと気付かないのです。
 不快に思われた方々、本当にごめんなさい。どうか、忌憚ないご意見をお願いします。



 さて。
 次のお話ですが。

 薪さんと青木くんの、初デートのお話です。
 ええ、そりゃあもう、ラブラブのふたりを、って、きっとだれも信じませんね。なんたってわたし、すぎさん認定「ドヘンタイのウルトラS」ですから(笑)

 次のお話も、ゆるりとお付き合い願えれば幸いです。



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薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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