ラブレター(1)

 今回のお話は、第九に女子職員が配属になるお話です。

 薪さんがちょっと辛い思いをしてしまうかも、です。
 そういう薪さんが見たくない方は、読まないでください。って、これ言ったら、だれも読んでくれる人がいなくなるっ!!(わたしだって見たくないです!)

 ううう……すいません、でも、ちょっとだけだと思うので。(←すでに信用ゼロ)
 お許しいただける方のみ、お進みください。
 よろしくお願いします。






ラブレター(1)







 深夜のダイニングで、青木はコーヒーを淹れている。
 白を基調とした広いキッチンには、最新型のコーヒーメーカーが設置されていたが、もちろん青木はそんなものは使わない。彼ほどの技術があれば、手引きのミルとドリッパーのほうが、メーカーよりはるかに香り高く、美味しいコーヒーが淹れられる。

 リビングのソファでコーヒーを待っていたはずの上司が、いつの間にか隣に来ている。
 青木はこの度、晴れて薪専属のバリスタに任命された。
 よって、時計が夜の11時を回ろうというこんな時刻に、コーヒー好きの薪のために彼の家まで来て、ケトルを握っているというわけだ。

「もう少し、かかりますよ。ソファに座ってたらどうですか?」
 パジャマ姿の薪は、今日もとても可愛くて、青木はドリッパーに注ぐ湯量の調節を間違えてしまいそうだ。これが狂うと、コーヒーの味は落ちてしまう。青木は薪の姿を目に入れないようにして、ケトルから落ちるお湯の量に集中した。
 最初の注入が終わり、20秒ほど待つ。腕時計の秒針とドリッパーの中身を見比べつつ、次にお湯を注ぐポイントを見定める。

「薪さん?」
 気が付くと、ケトルを持っていた青木の手に、薪の手が重ねられている。薪が自分から青木の手に触ってくれるなんて、どうした風の吹き回しだろう。
「大きくても器用だよな。おまえの手って」
「ミルとドリップだけは、練習しましたから。他のことはそうでもないです」
 2度目の注入をしなければならない頃合だが、薪の手を自分から払うなんて、そんなことはもったいなくて、とてもできない。

「そんなことない。こないだだって……とっても上手だった」
 薪の言葉の意味を図りかねて、青木は首を傾げる。
 まさかと思うが、Pホテルの一件だろうか。あのことは薪も早く忘れたいだろうと、青木としては気を使って、これまでは一切触れないできたのだが。

 薪は両手で青木の手を掴み、自分の口許に持っていった。つややかなくちびるが色っぽく開いて、青木の指を咥える。
「この手が、忘れらないんだ」
 ちろちろと人差し指を舐められて、青木はゾクゾクするような快感を味わう。チュッと吸い上げられ、舌を絡められると、いやでもあのときのことが思い出される。
 薪の両手に左手を重ねて、その美貌に顔を近づける。亜麻色の瞳は熱を帯びて、彼の欲望をほのめかす。

「この前と、同じことをして欲しいんですか?」
 薪は恥ずかしそうにうつむいて、首を左右に振った。
「今日は……僕を全部、おまえのものにして」
 蚊の鳴くような声でそう言うと、青木の胸に飛び込んでくる。華奢な身体を抱きしめて、青木は薪のくちびるを捕らえる。
 パジャマを脱がせて裸身を露わにし、きれいな首筋から鎖骨に舌を這わせる。
 パジャマのズボンの中に右手を滑り込ませ、やわらかな尻を楽しんでから、前のほうに手を回す。薪の口からはあのホテルで聞いた、悲鳴のような喘ぎ声がピピピピと――――。

 ……ピピピ?

「あ~、ちくしょう! なんであと5分待てないんだよ、おまえは!!」
 青木の枕元で軽い電子音を響かせる小さな目覚まし時計は、謂れのない非難を受ける。この時間にアラームを鳴らすよう時計に命じたのは、自分の持ち主だったはずだが。
「ぜったいに夢だと思ったんだよ」
 青木は枕に突っ伏して、頭を抱える。ううう、と声にならない呻き声がその口から洩れた。

 何度目だろう、この夢。もう2桁は見てる。
 こんな夢を見ていることが薪に知れたら、また警戒条例が発令されてしまいそうだ。が、夢の内容を操作することはできないし、男の事情はもっとどうにもならない。
 どうにもならないが、今日はこっちは冷たいシャワーだ。岡部が道場で待っている。青木の鍛錬に付き合ってくれる先輩を待たせるなんて、申し訳ないことはできない。

 冷たいシャワーで寝汗と劣情を洗い流して、青木はトレーニングウェアに着替える。
 昨年の昇格試験が終了した頃から、青木は自主的に身体を鍛え始めた。以前、薪と一緒に走ったとき、2キロも持たずにへばってしまったからだ。
 警大では体力よりも知力を求められた為、持久走も武道も力を入れてこなかった。
 ところが、青木の上司が部下に求めるものは、『体力と根性』。個人的な事情からも彼に認められたい青木は、早朝の筋力トレーニングを自分に課したというわけだ。

 今年の1月頃から、岡部は青木に柔道の手ほどきをしてくれるようになった。
 青木も柔道は習いたかったのだが、練習の時間が定まらないのがネックになって、民間の道場に通えずにいたのだ。岡部は柔道5段剣道4段の猛者だ。教え方も懇切丁寧で、ポイントを抑えている。師匠にはもってこいの人物だ。
 何ヶ月かやってみて判ったのだが、背の高い青木は、柔道には向いていないらしい。いくら岡部がコツを教えてくれても、青木にはどうもうまくできない。
 その代わり、剣道には些少なりとも才能があると言われた。青木としては武器を持たずとも身を守れる柔道のほうをマスターしたかったのだが、これは体格的な問題なので仕方がないと諦めることにした。本音を言うと、黒帯の薪と組み合ってみたかっただけなのだが。
 そんなわけで岡部には、火曜と木曜の朝7時から、警視庁の道場で1時間ほどの指導を受けている。今日は火曜日だから、柔道のほうだ。道着をディパックに詰めて背中に背負い、アパートから第九まで2キロの距離をジャージ姿で走る。こうすれば通勤と同時にウォーミングアップを済ませることが可能だ。仕事用のスーツとワイシャツは、第九のロッカーに入れてある。

「よし、行くぞ!」
 掛け声と同時に、気合を入れる。
 6月も終わりに近づいて、暑さの増してきた霞ヶ関の街を、青木は軽快に走りぬけた。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ラブレター(2)

ラブレター(2)







 研究室に届けられる郵便物を毎朝仕分けするのは、青木の仕事である。
 本来は新人の仕事だったのだが、現在第九には青木の後輩はひとりもいない。よってこれまで通り、掃除から買出しまで、研究室の雑務はすべて青木のところに戻ってきてしまった。

 今年から青木も、単独でひとつの事件を任せてもらえるようになった。
 しかし、後輩が一人もいないとなると、伝票の整理や資料保存など新人がやるべき仕事も青木がやらなくてはいけないから、自分の捜査をしている時間がなかなか取れない。
 その問題を解消するために、青木の出勤時間は、1時間ほど早くなった。
 掃除と郵便物の仕分けと伝票の整理は、この時間を使ってやることに決めた。時間なんて作るものだ、と誰かが言っていたが、工夫すれば何とかなるものだ。大量の仕事をさばいた後は、心地よい充実感がある。それを味わえるなら、30分くらいの早起きは平気だ。

 第九に届く書簡には、仕事に関する署内メールの他に、民間からのものも多くある。
 人権擁護団体や、第九を快く思わない民間人からの非難の手紙などもあって、こういうものを見るたびに青木は心を痛めていたのだが、嬉しいことにその数は減少傾向にある。
 特に今年に入ってからは、大幅に減った。これは室長の功績によるものだ、と青木は独り決めしている。
 今年の1月に、室長は人権派の弁護士とTV対談を行なっていて、その番組はとても評判が良かった。
 番組の中で室長は、MRI捜査の概要を一般の人にもわかるようにやさしく解説し、第九の職員たちは平和な社会を創るために、懸命に努力をしている、と訴えた。そのメッセージは電波に乗って、薪の完璧な笑顔と一緒に、日本中に届けられた。
 結果、これまで第九の仕事を誤解していた、これからも頑張ってください、などという手紙もちらほら舞い込むようになった。第九による事件解決が公式発表されたときよりも、ずっと好意的な反応だった。

 郵便物の中には、職員個人に宛てた私信も何通かある。殆どが室長宛のものだ。
 これは有名税みたいなもので、テレビで見た薪の美貌に心を奪われた民間の女性からのものが、特に多い。封書なので内容はわからないが、おそらくはラブレターだ。
 彼女たちは当然、薪の実態を知らない。
 この手紙が封を切られることもなく、ゴミ箱に直行してしまうことなど、想像もしないだろう。
 冷酷な態度だとは思うが、薪は自分宛の私信は、信用のある人間からのもの以外は絶対に読まない。昔、薪のところには、ラブレターに偽装された怪文書が多く届いたからだ。
 青木は今日も、3通の可愛らしい封筒を、シュレッダー行きの箱に入れた。
 薪のことを心から応援してくれている彼女たちには可哀想だが、本人のところに持っていったら殴られる。そして結局、手紙は同じ運命を辿る。だったら青木の殴られ損ということになる。
 研究室の平和のためにも、この女性たちには涙をのんでもらおう。

「おはよう」
 後ろを振り向いて、おはようございます、と挨拶を返す。室長は今日も一番乗りだ。
 いつもは澄んだ双眸が、少し赤い。眼の縁が、いくらかはれぼったい。
 この顔は、あれだ。

「二日酔いですか?」
「わかるか? 昨日、ちょっと飲みすぎちゃって」
 薪の昨日の相手は、本庄学という男だ。
 薪の同期で、システム開発室の室長を務めている。第九からシステム開発室に異動になった新人の、その後のことでも聞いていたのだろう。
「今朝は、アイスコーヒー淹れてくれないか」
「はい。さっぱりめのブレンドがいいですよね? キリマンとコロンビアスプレモがありますけど」
「おまえに任せる」
 薪は机から自分宛の郵便物を取り上げると、それを持って室長室に入っていった。廃棄箱の中にあったラブレターも見たはずだが、手に取ることはしなかった。

 箱の中のまごころたちに、青木は心の中で手を合わせる。
 申し訳ないとは思うが、青木にはこれくらいしかできない。

 ライトグレーのスーツに包まれた華奢な背中が、今日もきれいな曲線を描いていることに喜びを感じつつ。
 本日最初の仕事(ドリップ)に取り掛かるため、第九のバリスタは給湯室へ向かった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ラブレター(3)

 窓際に飾った百合の花が、満開になりました。
 百合の香が部屋中に満ちて、とてもロマンチックです。
 Mひろさんのところのヒメゴトの絵のよう。(^^
 わたしもあんなふうに、美しいお話が書きたいです。





ラブレター(3)







 第九の職員全員が待ち焦がれた人事異動が行われたのは、7月の最初の日だった。
 鬼の室長が異動になった―――― のでは、もちろんない。
 待望の女子職員である。

「横川みどりです。よろしくお願いします」
 岡部の紹介を受けて、彼女は第九の面々に丁寧にお辞儀をした。
 ゆっくりと顔を上げ、にっこりと微笑む。その笑顔に職員たちは、たちまち骨抜き状態になった。
 薄茶色の大きな目に、ピンクの口紅が良く似合う小さなくちびる。白いふっくらとした頬が、つつきたくなるくらいかわいい。
 明るい栗色の巻き髪をポニーテールにまとめて、大きなピンクのリボンをつけている。身長154センチの小柄な体つき。お世辞にも肉感的とは言えないが、そこがまた愛らしさを強調する。
 笑った顔が、たまらなく愛くるしい。
 美人は見慣れている職員たちだが、薪の美貌はどちらかというと『きれい系』だ。かわいい女の子がこれほどまでに自分達の心を沸き立たせてくれるとは。

 彼女をぐるりと取り囲み、職員たちは口々に彼女への賞賛を述べた。
 男ばかりのむさくるしい研究室に、潤いを与えてくれる若い女の子。しかも美人と来れば、言うことはない。
「みどりって、可愛い名前だね。君にぴったりだね」
「本当にかわいいよね。女優の×由○子に似てるって言われない?」
「ばっか、みどりちゃんのほうがずっと可愛いって」
「ね、恋人いるの?」
「今井! おまえ、彼女いるくせに何聞いてんだよ!」
「いいだろ、聞くくらい」
「ふざけんな! 彼女持ちはみどりちゃんの半径1m以内に寄るな!」
「……おまえら、いい加減にしとけよ」

 岡部の重低音の凄んだ声が響いて、第九の職員は口を塞いだ。
 しかし、彼らが色めき立つのも無理はない。たしかに、みどりは魅力的な女性だった。
 今まで第九を訪れる女性といえば、法一の三好雪子女史ぐらいのもので、彼女は美人でスタイルもいいのだが、可愛らしいとはお世辞にもいえない。豪放磊落という形容詞がぴったりで、しかも薪と同い年だから……いや、女性の年の話はやめておこう。

「あれ? 室長は?」
 新しい仲間の挨拶の席に、室長の立ち会いがないことに気付いた曽我が、不思議そうな顔になる。職員の紹介は本来は、室長の仕事だからだ。
「仮眠室だ。昨日徹夜だったから」
「いえ、風呂です。オレ、用意しましたから」
 今年入った新人が全員辞めてしまったため、新人の仕事を継続中の青木が、岡部に室長の居所を教えてくれた。
 徹夜明けの薪が眠ったのは朝の6時ごろだったから、3時間弱の睡眠で起きてしまったことになる。相変わらず無茶をするひとだ。岡部と交代してくれる気で早く起きたのだろうが、風呂から上がったら、あと2時間は休ませなければ。

「横川さん。少しここで待ってて……あれ?」
 岡部が横を見ると、すでに彼女の姿はない。
「横川さんは?」
「黙って出て行っちゃいましたけど」
 まさかと思うが、早くも逃げ出してしまったのだろうか。
 可能性は、ゼロとは言えない。
 周りを何人もの男に囲まれて、団体で口説かれたのだ。純情そうな娘だったから、一時的にパニックになってしまったのかもしれない。

「おまえらが、あんまりワイワイ騒ぐから」
「岡部さんが恐い顔するからですよ。びっくりして逃げちゃったんですよ」
「そうですよ。なんでそんな、コワイ顔なんですか?」
「悪かったな!」
 岡部の顔はたしかに怖い。
 警察官というより、完全にヤクザだ。何人か殺してる感じだ。
 短くて固い頭髪と、狭い額。細い眉と目の間はひどく狭くて、捜査官特有のキツイ目をしている。ボクサーのように曲がった鷲鼻と、薄い唇に無精髭。
 しかし、筋者にしか見えないこの男が、美貌の室長より遥かにやさしくて気配りが上手な人格者だと、第九の人間なら誰でも知っている。部下からも上司からも人望の厚い彼は、警部でありながら、今年の春第九の副室長に就任した。

「青木、横川さんを探して」
「きゃ―――っ!!」
 一番年が若くて人畜無害の顔をしている職員に、彼女の探索を依頼しようとした岡部の言葉は、女性の甲高い悲鳴に遮られた。
「女性の声ってことは、みどりちゃん?」
「どうしたんだろう。――― って、うわわっ!!」
 小池の驚愕は、モニタールームに駆け込んできた人物に向けられたものだった。

「お、女の子が、ロッカールームにっ!」
 薪の姿を見て、第九の捜査官たちは、彼女の悲鳴の理由を知った。
 一糸まとわぬ素っ裸。よほど慌てていたのか、手にネクタイを持っている。髪を乾かしたばかりとみえて、前髪が全部額に落ちた幼い顔になっている。
 薪は風呂から上がった後はいつも、身体の湿気が飛ぶまでロッカールームをはだかでウロウロしている。その状態で、彼女と鉢合わせしてしまったのだろう。

「し、室長っ!」
「ああああ!」
「見たいけど見たくなかったのに!」
「せめて後姿ならって、そうじゃなくて!」
 この部屋で薪のはだかを見るのは、これで二度目だ。しかも今日は、腰タオルもつけていない。おかげでモニタールームは大恐慌だ。
「……青木。毛布持って来い」
「はい……」

 岡部は新しく配属された女子職員の不幸に、心を痛める。
 配属の初日から、何人ものムサイ男に囲まれて、セクハラまがいの言葉を投げつけられた挙句、あろうことか彼らの上司からは、ワイセツなものまで見せられて。

 こりゃ、今日にでも辞めちまうかもしれない。

 救いようのない上司と部下たちに、岡部は大きくため息をついた。





*****


 アホだ……アホばっかだ、この話。
 百合の花、何の役にも立たねえ(笑)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ラブレター(4)

 今日は仏壇に、お線香を2本、あげました。
 1本はお義父さんので、もう1本は、あの方の分です。
 薪さんを守ってください、とお願いしました。

 わけのわからないことを頼まれて、お義父さん、困っただろうな(笑)





ラブレター(4)








「みなさん、コーヒーどうぞ」
「ありがとう、みどりちゃん」
「みどりちゃんが淹れたコーヒーは、美味しいよね。いいお嫁さんになるよ、きっと」
「そんなあ」

 職員たちは感動していた。
 なんて普通の部署っぽいやり取りだろう。第九のモニタールームで、こんな会話ができる日が来るとは。
 思い起こせば、彼らが以前所属していた部署には、彼女ほど見た目は良くなくても、それなりに愛嬌のある女子職員がいて、こういう会話を日常的に交わしていたのだ。
 それが第九に来てからは、室長の嫌味と皮肉とブリザードのような言葉の暴力に晒されて、こんなふうに職務中にほっと気を緩ませることなどできなかった。このささやかな憩いの時間は、間違いなく彼女の存在によるものだ。
「みどりちゃんの顔見ると、元気が出るんだよな」
「第九の天使だよね」
「いやだ、小池さんたら。お世辞ばっかり」
「お世辞じゃないって」
 明るい笑い声。
 たったひとりの女子職員によってかもし出された和やかな雰囲気を、職員たちは心から歓迎していた。

 楽しそうな彼らを遠巻きにして、面白くなさそうな顔をした人物が2人。
 栗色の巻き毛を二つに結って、幼い顔の両側に垂らしているみどりを、半開きの目で眺めている。
「なに。あの女」
「新しい女子職員です」
 法一の三好雪子女史と、その若い恋人との噂がある第九の新人である。

「みどりちゃん、本当に彼氏いないの? そんなに可愛いのに」
「わたし、中学校からずうっと女子校だったから。男のひとって、ちょっと怖くて」
「そうなの? 俺たちのことも?」
「いえ、みなさんは別です。とっても面白いです」
「面白いって、それ褒め言葉じゃないよね」
「きゃ。ごめんなさい」
 トレーで顔を隠し、その上から大きな目だけを覗かせる。
 肩をすくめる仕草も弱気に下げられた細い眉も、震えがくるほど可愛い。職員たちにとって、彼女が第九に来てからの日々は、今まで一番楽しい時間だった。

「あたし、あーゆー女、大ッ嫌い」
「オレもです」
「なーにが男の人が怖い、よ。あんたにはお父さんも男の恩師もいないのかっての」
「ですよね。そんな女性が、警察なんかに就職すること自体がヘンですよ」
 かたや、法一の女医と第九の新人は、彼女に辛辣な批評を下す。彼らはみどりを中心とした輪に入ることを、自ら拒否していた。

 岡部の心配は杞憂に終わり、横川みどりは3日も経たないうちに、『第九の姫』の称号を室長から奪い取った。それは当然ながら陰で密かに囁かれていたことだが、薪にすれば不名誉な称号だから、熨斗をつけて贈るところだ。

 うちの室長が大変失礼なことを、と謝罪した岡部に、みどりは自分にも非があったと逆に頭を下げた。
「配属は、来週の月曜からだったんです。だから室長は、女のわたしがいるとは思っていなかったんだと思います。でも、わたし早くここに来たくて」
「第九に?」
「ええ。とても楽しみにしていたんです」
 誰もが嫌がる部署に来たがるなんて、変わった娘だ。
「薪室長にお会いしたくて」
 薪目当てか。それならわかる。連中には気の毒だが、薪が相手では勝ち目はないだろう。
 が、薪は職場恋愛をするタイプではない。彼女の気持ちは空振りに終わることだろう。

「室長。コーヒーどうぞ」
「ありがとう」
 今井の後ろからモニターを覗いていた薪に、みどりがカップを差し出す。受け取ろうとした薪の手が、みどりの手に触れる。みどりはぱっと頬を赤らめて手を引いた。
「あ、ごめん」
「いいえ」
 うれしそうに微笑んで、上目遣いに薪を見る。茶色の目には、薪に対する明らかな好意が表れている。その様子を見て今井を除いた独り者たちは、何やらコソコソと内緒話を始める。

「ちっ、結局薪さんのものかよ」
「まだわかんないって。今は穏やかな顔してるけど、事件が起きたら薪さんは豹変するだろ。あの切れっぷりに引かない女なんて、いないよ。三好先生でさえ近付かないじゃないか」
「俺たちにも望みはあるってことだな」
「俺たちの中の一人だけだけどな」
「俺はいいよ。年も離れてるし」
「いや。岡部さんは最初っから入ってませんよ」
「なんで!?」

 職員たちがバカな会話で盛り上がっている横で、みどりはおずおずと手を伸ばし、薪の襟元に触れた。新妻のように初々しい仕草で、ネクタイの曲がりを直している。

「あたしの眼には薪くんのタイは、限りなく垂直に見えたけど。視力、落ちたのかしら」
「オレにもそう見えました。メガネ、変えた方がいいですかね」
 薪が「ありがとう」と礼を言うと、みどりは頬を真っ赤に染めて頭を下げ、給湯室へ走っていった。
「清純ぶっちゃって。ああいうのに限って、陰じゃ遊んでるんだから」
「そうですよ。薪さんに馴れ馴れしくさわりすぎですよね」
「あんた、論点ズレてる」
 雪子は軽く嘆息すると、新顔の女子職員を追って、給湯室のほうへ歩いていく。流し台の前に立っていた彼女を捕まえて、買ってきたケーキの箱を差し出した。

「これ、みんなに配って」
 いくらか高圧的な言い方になってしまったかもしれないが、自分のほうが年上だし、立場も上だ。第九の男共がみんな彼女に夢中で、自分を見ようともしないのがカンに障っているわけではない。断じて、ない。
 今日の差し入れはマキシムドパリのレモンケーキ。甘みを抑えたさわやかな後味が特徴の、薪が好む数少ないケーキだ。ところが、
「今日はわたしがスコーンを焼いてきたので、これは持って帰ってください」
「はあ!?」
 みどりは箱の中を見ようともせず、皿にスコーンを盛り付けている。
 イチゴジャムとバターを添えて、それはそれで美味しそうだったが、ひとがせっかく持ってきたものを持って帰れだなんて、ズケズケした物言いが得意な雪子の助手だって言わない。

「法一のみなさんで食べたらいかがですか? 三好先生は法一の方でしょ。ここに差し入れしてくださる義理はないと思いますけど」
「あのねえ。あたしは薪くんの友人で、ここには準備室の頃から」
 給湯室から出て行く子供のように小さな背中に、雪子は畳み掛けるように言った。
 雪子が第九を訪れるようになったのは、7年も前だ。昨日今日来たばかりのパートタイマーなどに、義理云々を説かれる筋合いはない。
「今はわたしがいますから。みんなのことはわたしに任せて、三好先生はご自分のお仕事に精を出してください。そのお年で結婚もせずに、頑張っていらっしゃるんでしょ? 同じ女性として尊敬します。わたしには、絶対真似できません」
 雪子の広い額に青筋が立つ。真っ赤に塗った大きな口をぎゅっと引き結んで、雪子はみどりを睨みつけた。
 アニメの声優のように可愛らしい声だが、言っていることは凄い。
 かわいい顔をして、なんて嫌味な娘だろう。尊敬しているなどと心にもないことを言わない分、菅井のほうがまだマシだ。

「そうだよね。みどりちゃんは男のほうで、放っておかないもんね。三好先生みたいに32にもなって独り身なんて、無理だよね」
 ここでみどりの肩を持っておけば、他の連中に水を開けられると踏んでか、小池が彼女に尻尾を振る。……次回から、小池の分の差し入れは買ってきてやらない。
「こわーい。先生が睨んでる。みどり、殺されちゃうかも。あのひと、柔道4段なんでしょ?」
「大丈夫。俺が守ってあげるよ」
「いい度胸ね、小池君」
 ばきぼきと両手を鳴らして、雪子は小池にプレッシャーを掛ける。小池の顔が青くなった。
 小池ごときが、雪子に勝てる道理がない。柔道空手、ともに2段の薪でさえ敵わない。第九の中で雪子より強いのは、岡部ただひとりだ。

「小池」
 薪が咎めるような声で、部下の名を呼ぶ。
 さすが、薪は雪子の長年の親友だ。ぽっと出の女子職員より、雪子の味方をするに決まっている。
「雪子さんは僕と同い年だ。誕生日は4月だから、いま37歳だぞ」
 ひどい。致命傷だ。

「一応、気を使ったんですけど」
 5歳も年をサバ読んでくれた小池の心遣いを無にした親友に、雪子は眩暈を覚えた。薪らしいといえば薪らしいのだが、この場合はそれで許すわけにはいかない。
「悪かったわね! どうせあと3年で40よ!」
 鈍すぎる親友とその部下たちに罵声を浴びせて、雪子はモニタールームを出て行った。ハイヒールの靴音が強く響いて、彼女の怒りの激しさを表していた。

「雪子さんはどうしてあんなに怒ったんだ?僕、なんか悪いこと言ったか?」
 薪が呆気に取られた顔で、自動ドアのほうを見ている。本当になにが彼女を怒らせたのか、解っていないらしい。
「女性に、本当の年を言っちゃダメなんですよ」
「どうしてだ? 職質のときは、必ず訊くだろう?」
「これだから彼女できないんだよな、このひとは」
 掛け合い漫才に興じる小池と上司は放っておいて、青木は雪子の後を追いかけた。彼女の差し入れに未練があるわけではなく、こんなことで、彼女が第九を敬遠するようなことがあってはならないからだ。

 雪子は薪の親友で、青木の大事な恋愛相談の相手だ。さらには、横川みどりをどうしても好きになれない青木の、唯一の理解者でもある。
 人当たりが良くて、誰とでも仲良くなれる青木だが、何故かみどりとは反りが合わない。正直なところ、須崎よりも苦手なくらいだ。
 青木はみどりのように、自分が女性であることを強調して男の関心を買おうとする女性はもともと好きではないのだが、彼女のそれはあまりにもわざとらしくて、バカにされているような気がする。みんなは気にならないのだろうか。

 それに、みどりからは何となく、自分に対する敵意のようなものを感じる。
 休憩時間や昼休みに、青木が他の職員と話をしていると、必ずと言っていいくらいみどりが間に入ってきて、青木には解らない話を始める。職員たちはだれもが彼女と話したがっているから、青木との会話は中途にして、みどりと楽しそうに喋りだす。
 同僚の場合はまだいいが、薪との会話を邪魔されるのは許せない。シャチのショーの話をしていたのに、自家製苺ジャムの話にとって返されたときには、イチゴ畑に埋めてやろうかと思った。

「三好先生」
 第九の正門のところでようやく雪子に追いついて、青木は白衣の背中に声を掛けた。
 雪子がこちらを振り向いて、待っていてくれる。どうやら怒りは静まったようだ。

「すみません、嫌な思いをさせて」
「青木くん。あの娘に、あたしが柔道4段だって話した?」
「いいえ」
 第九では雪子の勇猛ぶりは有名だが、それを来たばかりのみどりがどうして知っているのか、疑問に思ったらしい。
「三好先生の話は、横川さんの前では、してなかったと思いますけど」
「あたしの顔も知ってたわよね」
 確かに、言われてみれば、雪子とみどりは今日が初対面のはずだ。誰も雪子を紹介していないのに、みどりはどうしてこの女性が、法一の三好雪子だと解ったのだろう。

「もしかして、人事部のプロフィールを見たんじゃないですか? それなら先生の所属も顔も、柔道4段だってことも解りますよね」
「バカね。プロフィールの資格欄は自己申告なんだから、柔道のことなんか載せるわけないでしょ。男が寄ってこなくなっちゃうじゃない」
「え。いや、女薪って渾名が付いてる時点で、すでに署内の男性はムリなんじゃ」
 はっとして青木が口を閉じると、雪子は手に持っていたケーキの箱をゆっくりと地面に置くところだった。
 それからおもむろに立ち上がり、にっこり笑って青木に近づいてくる。こういうところが女薪だ。本当に薪と雪子は共通点が多い。

 引き攣った笑いを浮かべて、青木は雪子の大外刈りを受けた。

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ラブレター(5)

ラブレター(5)











 早朝の給湯室で、青木は新しいコーヒー豆の袋をナイフで開けている。
 深煎り豆の強烈な香り。まともに吸込むと、刺激で鼻の奥が痛いほどだ。
 しかし、これを挽いて粉にして、ドリッパーで抽出すると、モニタールームいっぱいに広がるほどの香味となる。その香りはコーヒー好きの上司を喜ばせてくれるはずだ。

 本来ならこの時間、青木はまだここにはいない。木曜の朝は青木の好きな剣道の稽古日だ。
 なのに、その朝の稽古はどうも身が入らず、集中できないならやっても無駄だ、と岡部に道場を放り出されてしまった。
 業務開始まで時間があるとはいえ、何処にも行くところなどなく、結局第九に来てしまった。
 警視庁のジムで汗を流すことも考えたが、そこで会ってしまうかもしれないひとのことを考えると、それもためらわれた。その相手とは、遅かれ早かれ職場で顔を合わせることになるのだが、できる限り遅いほうがいい。

「おはよう。早いな」
 いつもなら真っ直ぐ室長室に入っていくはずの上司は、給湯室に顔を出してきた。
 今朝は警視庁のジムには行かなかったらしい。それならば、行けば良かった。
 会いたいときにはなかなか会えないのに、会いたくないときには会ってしまう。薪と自分は、あまりタイミングが良くないのかもしれない。

「おはようございます」
 青木の頬を緩ませてくれるはずの薪の顔は、今日に限っては青木を憂鬱にする。
 その理由は、昨夜の些細な出来事のせいだ。

 第2と第4の水曜日の夜、青木は薪とふたりきりで、幾許かの時間を過ごせる。
 といっても色っぽい話ではなく、金曜日に使う室長会議の資料を作成するためだ。いつも夕方から資料を作り始めて、終わるのは夜の7時ごろ。それから薪と一緒に食事をする。
 途中の料理屋に寄ったり、薪のマンションに行ったり、食事の場所は色々だが、薪とふたりきりで夕食が食べられるこの日を、青木はとても楽しみにしている。

「おまえ、何か食いたいものあるか?」
「薪さんと一緒なら何でもいいです」
「ラーメン屋と牛丼屋、どっちがいい?」
「……もう少し、おしゃれな店にしませんか?」
「野郎とシャレた店に入ってどうするんだ。また周りからジロジロ見られるのがオチだろ」
 別に、洒落た店だから周りの人間がこちらを見るわけではない。ラーメン屋に入ったって、このひとは見られている。自分が気が付かないだけだ。しかしそのことを指摘すると、せっかくのデートが潰れてしまう。

「薪さんとのディナーは久しぶりですから。ゆっくりできる店がいいです」
 先週の金曜日は、新しい女子職員の歓迎会だと言われて、岡部ともども引っ張っていかれたから、定例会はお流れになった。だから薪とこうして過ごせるのは、実に半月ぶりなのだ。
「じゃあ、ソバ屋」
 ラーメン屋と蕎麦屋と、どう違うのだろう。このひとは女心もわからないが、青木の気持ちはもっとわかってくれない。
「……いいです。もうそれで」
 立ち食い蕎麦でないことを祈って、青木はこくりと頷く。
 薪の顔がにやにやと笑っているのに気付いて、彼のセリフがいつもの意地悪だったことを知った。
 
「急に、オードヴィのラムローストが食べたくなった」
 身勝手な上司は、唐突に店の変更を提案する。
 オードヴィは肉料理が評判の、落ち着いたレストランだ。
 夜はコース料理のみで少々値は張るが、それだけの価値がある料理と生ピアノの演奏で、客を楽しませてくれる。
「いいですね。あ、でも、席が空いてますかね。電話してみましょうか」
「水曜日は空いてるから。平気だろ」

 薪の気まぐれで、ディナーが突然ゴージャスになって、青木は上機嫌だ。
 オードヴィのラムローストには、赤ワインが合う。普段は日本酒専門の薪だが、ああいう店では、ちゃんとワインを嗜む。薪の西洋人めいた美貌には、ワイングラスに洋食器が、これ以上はないくらいにぴったりハマる。
 その姿は、店中の注目を集めるくらいに優雅で美しくて。こんなひとが自分の向かいの席にいてくれるのが、誇らしくなる。だれかれかまわず捕まえて、オレの相手は美人でしょう、と自慢したくなってしまう。

 ホクホク顔の青木が第九の正門をくぐろうとしたとき、薪が足を止めた。
 日の長いこの季節、まだ完全に夜になってはいない薄い闇の中、小さな人物が門柱の影に立っている。
 横川みどりだ。見た目は小さいが、この局面には大きな脅威だ。

「横川さん。どうしたんです? こんな時間に」
 みどりは非正規職員だから、就業時間は10時から4時までだ。
 第九に憧れていたという彼女は、勤務時間を自主的に延長してくれることも多く、その姿勢は職員たちから高い評価を受けていたが、さすがにこんなに長く残っているのは不自然だ。

「わたし、薪室長にこれを渡したくて」
 みどりは手持ちのバックの中から、レモン色の包装紙に包まれた長細い箱を取り出した。
「先日、汚してしまったネクタイの代わりです」
 彼女の言葉に、青木はまた、不愉快なことを思い出す。
 雪子に大外刈りを決められて痛む腰を押さえつつ、第九に戻った青木は、みどりの手焼きのスコーンを彼女に食べさせてもらっている薪の姿を目にした。
 恋人同士のように、というわけではなくて、ただ単に両手がファイルで塞がっていたので口に入れてやっていただけなのだが、こんな場合は「僕はいいです」と断るのが薪の基本形だ。雪子以外の人間の差し入れを食べることすら珍しいのに、ましてやそれを食べさせてもらうなんて。

 美味しいです、とスコーンの味を薪に褒められて、嬉しそうに笑う彼女の顔の憎たらし……いや、可愛かったこと。青木には無論、雪子にもとても真似できない。
 感激のあまり手元が狂ったのか、その時みどりは、薪のネクタイにバターとジャムをこぼしてしまった。薄い空色のネクタイだったから、その汚れは殊更目立ち、クリーニングをかけても再度使用できるかどうか危ぶまれた。みどりはそのことに責任を感じて、新しいネクタイを購入してきた、というわけだ。

「気にしなくて良かったのに。新しいの、買ってくれたんですか?」
「室長に似合いそうって思ったら、いつの間にか買っちゃってて。迷惑ですか?」
「いや、嬉しいけど。横川さん、ここでどのくらい待っていたんです?」
 2時間くらい、とみどりは答えた。こういうとき雪子なら「今来たとこ」と反射的に答える。それが明らかな嘘でも、これは習性のようなものだ。
「そんなに? 何も明日職場で」
「みんなの前じゃ、恥ずかしいから」
 シミをつけてしまったネクタイの代わりの品を渡すくらい、何が恥ずかしいんだ。渡すときに、キスでもする気でいたのか。

 付き合い始めたばかりの恋人同士のようなやり取りを二人が交わしているうちに、辺りはすっかり暗くなっている。こんな時刻に、若い女の子をひとりで帰すことはできない。
 仕方がない。彼女を家まで送って、オードヴィはそれからだ。

「さっき聞こえちゃったんですけど、オードヴィですか? いいなあ、羨ましい」
 無邪気に素直に、みどりは思ったままを口にする。子供っぽい口調が、彼女にはよく似合っている。
「ああ。よかったら横川さんも一緒に行きますか」
 薪の誘いに、みどりの顔が輝いた。
 みどりが笑顔になると、本当にかわいい。
 花がほころぶように笑う、という表現があるが、彼女の場合はまさにそれだ。周りの雰囲気がぱっと明るくなって、和やかな空気が流れる。

「わあ、嬉しい。薪室長が誘ってくださるなんて」
「ネクタイのお礼です」
 穏やかに彼女と接する薪の姿を、青木は複雑な気持ちで見ている。
 ふたりとも、並みより遥かに優れた容姿をしている。薪が百合の花だとしたら、みどりはチューリップだ。まるで種類が違う美貌がふたつ並ぶと、やはりお似合いということになる。

「こいつも行きますから、3人で」
「オレ、帰ります」
「え? 青木?」
「食事は、お二人でどうぞ」
「ちょっと待て。おい」
 青木はさっさと歩き出した。一度も後ろを振り返らなかった。

 昨日はあれからどうしたのだろう。
 みどりと一緒に食事に行って、それから真っ直ぐ帰ったのだろうか。それとも、その後どこかで……。

「青木。コーヒーが赤くなるぞ」
「え? あっ」
 パッケージを開封するナイフで、指を切ってしまった。右手の人差し指。思いがけず、深く切れている。薪に言われなかったら、コーヒー豆に血が落ちるところだった。
 引き出しを開けて、絆創膏を探す。救急箱には確実に入っているが、此処にも何枚か置いていたはずだ。
 絆創膏を探す間にも血は流れ落ちて、シンクの底に、ぽたりと赤い液体が広がる。薪はそれを見て、眉をひそめた。
 無理もない。血が流れる様子なんて、あまり見たいものではない。

「何やってんだ、バカ。止血が先だろ」
 薪はしょっちゅう、青木のことをバカと呼ぶ。特に、職務時間以外はその比率が大きい。名前で呼ばれるのとどっちが多いか、微妙な割合になってきた。
 そのバカの人差し指の第二関節を、細い指が捕らえた。
 小さな口唇が指先を咥え、傷口をやわらかい舌が舐める。
 夢の中でちょうどこんな風に、薪は青木の指をやさしく吸って、それから――――。

「ほら、止まった。男の指なんか、舐めときゃ平気だ」
 青木の指に絆創膏を巻きながら、薪は憎まれ口を叩く。言ってることとやってることが極端に違うのは、薪の魅力のひとつだ。

「昨夜、おまえの携帯に何度も電話入れたんだぞ。なんで出なかったんだ?」
「風呂に入ってたんです」
 それはもちろん嘘だが、今の青木にはこんな答え方しかできない。あのときは頭に血が上っていて、電話に出たら、室長相手にケンカを吹っかけてしまいそうだったのだ。
 せっかくのディナーをフイにされて、青木がどんなに悔しかったか。薪はちっとも自分の気持ちをわかってくれない。

「どうして折り返し、掛けてこなかったんだ?」
「二人で食事してる所、邪魔しちゃ悪いと思って」
「そんなこと、するわけないだろ。室長の僕が女子職員とふたりきりで食事なんかしたら、問題になっちゃうじゃないか。あの後タクシー捕まえて彼女を乗せて、それからすぐにおまえに電話したんだぞ」
 本当だろうか。
「昨夜はどうしても、ラムローストが食べたかったのに」
 亜麻色の瞳が、真っ直ぐに青木を見ている。このひとが見事な嘘をつくのは知っているが、自分を守るための嘘は決して吐かない。ましてや、青木を嬉しがらせるような嘘など、吐いてくれるはずがない。
「今夜なら大丈夫です。用事はありません」
「本当だな。用事ができても、そっちはキャンセルしろ。ラムローストの方が優先だ」
「はい」
 よし、と満足げに頷いて、薪は給湯室を出て行った。

 薪の背中を見送ってから、青木は絆創膏を巻いた自分の指に、そっとくちづけた。
 さっきまで薪の口に含まれていたそれは、薪の甘い舌の味がするような気がして、青木を幸せな気分にさせた。



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ラブレター(6)

ラブレター(6)






 青木がにやにやしながら、右手の絆創膏を眺めて過ごした日の午後。
 場所は室長室である。

 例によって書類に囲まれた室長と、慣れない会議の議事録の作成に悪戦苦闘している副室長は、第九のオアシスと称される美人職員が淹れてくれたコーヒーを受け取った。
「横川さん。これから、僕のコーヒーは淹れなくていいです」
「どうしてですか?」
「僕は朝と昼休みに、必ずコーヒーを飲むんです。だから、10時と3時のコーヒーは要りません。ずっと言おうと思ってたんですけど」
 みどりは少し不満そうな顔をしたが、すぐにそれを引っ込めて、わかりましたと明るく笑った。
 なるほど、天使のように愛らしい笑顔だ。薪のマスコミ対策用の笑顔も非の打ち所がないほど美しいが、こんなふうに周りの雰囲気を和らげる効果はない。

「室長がお留守の間に、第7研究室の水谷副室長からお電話がありました。日本舞踊がどうとか」
「日本舞踊?」
 みどりの報告に、思わず岡部は議事録を握り締める。先日の室長会での大失敗を思い出して、岡部の顔が青くなった。
「流派のこととか、着物のこととか。意味がよく解らなかったので、水谷さんが仰るとおりに、メモをしておきました」

 差し出されたメモを受け取った薪の顔が、びくりと強張った。
 亜麻色の目を大きく見開いて、信じられないものを見たような顔をしている。
 それもそのはずだ。
 メモの内容は、薪に「室長会の懇親会で日本舞踊を披露して欲しい」という依頼なのだ。

 初めての室長会で、岡部はとんでもない失敗をやらかしていた。
 薪がいなくなった後、これから仲間になる他の研究室の副室長たちと四方山話に興じていたところ、薪の話になった。
 岡部は、薪の株をあげてやろうと、彼が柔道と空手の黒帯保持者であることをみなに話した。ところが、それは冗談になってしまい、岡部が軽い気持ちで口にした「日本舞踊と生け花を習っている」という冗談の方が、本気に取られてしまった。
 その冗談は人づてに伝わるうちにどんどん話が大きくなり、生け花は池ノ坊の師範格、踊りは花柳流の名取、ということに落ち着いてしまった。果てには「室長会の懇親会で一曲舞ってもらおう」という意見まで出てしまったのだ。
 しかしそれ以降、なんの音沙汰もなかったから、あれはその場限りの戯れだったのだと岡部は思っていた。が、こんな電話が来るところをみると、彼らは本気で3週間後の懇親会の余興として、薪に舞を披露してもらうつもりでいるらしい。

 メモを持った薪の手が、微かに震えている。
 顔色も真っ青だ。
 一を聞いて十どころか千を知る薪のこと、そのメモの意味するところを察したに違いない。

「あの、室長? どうなさったんですか?」
「え? あ、いや……とてもきれいな字だと思って」
 ごまかしている。本当のことは言えまい。
「わたし、お習字習ってるんです」
 文字の美しさを褒められたみどりが、嬉しそうに頬を染める。今どき、こんな純情な娘も珍しい。
 ……純情すぎるような気もするが。

「字が綺麗な人は、心も綺麗だって言いますよね」
 薪の言葉を聞いて、岡部は思わずPCの画面をオールクリアしそうになる。
 この朴念仁の室長が、女性に対してお世辞めいたことを言うのを初めて聞いた。そっと様子を伺うと、ふたりはお互いの目を見つめ合っている。
 連中には可哀想だが、もしかすると、もしかするかもしれない。
 青木のやつは泣くだろうが、いずれ薪にも、こういう相手ができて当たり前だったのだ。薪はゲイでも不能者でもない。これが自然な展開だ。

「岡部。ちょっと席を外してくれるか」
 職務時間中に口説くつもりだろうか。
 薪らしくないが、これは渡りに船だ。岡部はこの場を早く逃げ出したかった。
 第7研究室の副室長の誤解の原因を作ったのが自分だとバレたら。考えただけでも寒気がする。

 ノートPCと書類を抱えて慌しく室長室を出ると、ドアの側で聞き耳を立てているヒマ人が2名。みどりにご執心の、小池と曽我である。
「なにやってんだ、おまえら」
「休憩してるんです」
 確かに今は3時の休憩時間で、どこで休もうが個人の自由だが、なにもこんなところにしゃがみ込まなくてもよさそうなものだ。

 こいつらの考えていることは、解っている。
 薪にホの字のみどりが、薪とどんな会話をしているのか、気になっているのだ。
 ……それは岡部も気になる。
 薪はみどりと話をするつもりなのだろうが、その先のことまで職務時間中に進んでしまったら大変なことになる。だからほんの少し室長室のドアを開けておいたのは、いやらしい覗き根性ではなく、純粋に室長を心配してのことだ。

 そのドアが突然、バタンと大きく開いて、巻き毛の天使が飛び出してきた。息を弾ませて、ショックを受けたような顔をしている。
「どうしたの? みどりちゃん」
「室長が、急にわたしに抱きついてきて!」
 みどりの切羽詰った訴えに、モニタールームが静寂に包まれる。
 そして次の瞬間。
「あははは! みどりちゃんでもそういう冗談、言うんだ!」
「すげえ! 今年の冗談大賞かも!」
 モニタールームは爆笑の渦に包まれていた。

「な……どうしてみなさん、笑ってるんですか!? わたしは、セクハラの被害に遭ったんですよ!」
 みどりは本気のようだが、そんなことはありえない。
 ここには岡部を含めた3人の証人がいる。中の様子が見えたわけでないが、何かあれば空気で判る。無理矢理抱きつけば物音だってするだろうし、悲鳴は上がらずとも息遣いぐらいは聞こえるはずだ。そのためにドアを空かしておいたのだ。
 だいたい、間宮のセクハラに日々悩まされている薪が、他人に同じことをするはずがない。室長室からは、薪が席を立つ音すら聞こえなかった。

「それは、何かの誤解だよ」
「本当なんです。小池さんなら、信じてくれますよね?」
「大丈夫だよ、みどりちゃん。うちの室長は、生きてる女の子には興味ないから」
 何かとみどりの肩を持つ小池までもが、彼女の言うことを信じない。
 こういうことに関しては、普段の信用、もとい冷たい態度がモノを言う。薪に言い寄る女性は数知れず、その好意のすべてを見事に無視してきた。その冷血漢がセクハラなんて、普通の男のようなことをできるわけがない。
 実は、こんな訴えは初めてではない。
 薪に袖にされて逆恨みした女性が、根も葉もない言いがかりをつけてくるのは時々あるのだ。
 彼女たちは勇気を出して薪に好意を打ち明けて、でも冷たい態度で切り捨てられて、思い詰めてそんな行動に出てしまったのだろう。今回も多分それだ。

「傷害と名誉毀損はあっても、セクハラとチカンだけはないな」
「逆にされるほうだもんな」
 辛辣なジョークは冗談になっていない。薪からその事実を聞かされたことのある岡部は、それを顔に出すまいと必死だった。

 誰も自分の言うことを信用してくれないと解って、みどりはうつむいた。
「もしかして、男の人にしか興味ないってことですか?」
「ああ、あれはデマだけど」
「女性にも男性にも興味ないよ、あのひとは。事件のことしか頭にないんだ」
「あるとすれば、青木を苛めることくらいかな」
「あのときはホント、楽しそうだもんな、あのひと」
「あんまりです! どうしてわたしの言うことを、信じてくれないんですか!」
 みどりはとうとう最後の手段に出た。両手を顔に当てて、泣き出したのだ。
 一般的に、男は女の涙に弱い。女性に免疫のない第九の連中は、なおさらのことだ。

「ど、どうしよう。泣いちゃったよ」
「岡部さん、何とかしてくださいよ。副室長でしょ」
「どういう理屈だよ」
「誰だよ、女の子泣かせたの」
「室長だろ」
「そうだ、あのひとが悪いんだよな」
「横川さん。その辺にしといたほうがいいですよ。せっかくみんなが、冗談だってことにしてあげてるのに」

 女の涙にひとりだけ動じていないのは、意外なことに一番年の若い捜査官だった。
 青木はやさしい男なのに、薪のことになると豹変する。薪を傷つけたり貶めたりする者に対しては、驚くほどに攻撃的になる。

「どういう意味ですか」
「オレたちは捜査官ですよ。ひとの嘘を見抜くのが仕事です。あなたの嘘なんか、とっくに」
「彼女は嘘を吐いたわけじゃない」
 騒ぎに気付いたらしく、薪が室長室から出てくる。
 険悪なムードの男女の間に割って入って、この場を収めようと事情を説明しはじめた。
「誤解したんだ。転んだ拍子に、そんな具合になってしまって」
 彼女の申し立てに、尤もらしい理由をつける。
 ふたりが転んだときの物音に、室長室のドア口で聞き耳を立てていた3人が3人とも気付かなかったとしても、薪がこう言うのだから岡部たちはそれを信じるしかない。

「横川さん、申し訳ありませんでした。不愉快な思いをさせて」
「不愉快だなんて……わたし、ちょっと驚いただけで」
 コインの裏を返すように、みどりはころりと意見を変えた。
 彼女の目の縁には涙の跡もなく、化粧も落ちていない。
 この女は見かけによらずしたたかだ。
 ひとは見かけによらないものだ、と長年の経験から知っている岡部は、彼女の真実に少しずつ気付き始めている。

 お騒がせしてすみませんでした、と素直に頭を下げて、みどりは帰り支度を始める。パートタイマーの彼女は、4時までの勤務だ。
「お先に失礼します」
「ごくろうさま。気をつけて帰ってね」
「また明日ね、みどりちゃん」
 いつもの笑顔を取り戻したみどりに、職員たちはにこやかに手を振る。みどりもとびきりの笑顔でそれに応えて、どうやら第九は貴重な女子職員を失わずに済んだようだ。

「あ、ちょっと、横川さん」
 帰ろうとしていたみどりを、薪が呼び止めた。
「不愉快な思いをさせてしまったお詫びに、ラウンジでケーキでもいかがですか?」
 ありえない光景に、第九の面々は声もない。
 あの室長が。
 女の子をお茶に誘ってる……。
「わあ、うれしい!」
 二つ返事で薪の誘いを受けて、みどりはうきうきと薪の後ろを着いていった。

「ずるいよな、薪さん」
「フォローに見せかけたナンパだろ。みどりちゃん、あのひとの好みっぽいもんな」
「室長の好みって?」
「自分より背の低い女性」
「明確な好みだな」
 などと、口では言うものの。
 薪の本音は、付き合いの長い第九の面々には解っている。
 彼女がいなくなってしまうと、また青木の負担が増える。
 二年目になる新人を雑用から解放して、捜査活動に専念させてやりたい、と室長は考えている。だから、彼女を庇ったのだ。
 しかし、それは青木には多分、伝わっていない。
 青木の目には、室長が嘘をついてまで彼女を庇っているとしか映っていないだろう。ここはフォローを入れておいてやらないと……。

「なんて、他人のこと心配してる場合じゃねえよ。どうすんだ、懇親会」
 来月の頭に、暑気払いを兼ねて開かれる予定の室長会の懇親会には、部長や局長も出席するはずだ。第7研究室の水谷副室長を始めとする室長会のメンバーの、薪に対する誤解を、一刻も早く解かなくては。
 心配事が多すぎてパニックに陥りそうな第九の副室長は、まず一番大きな憂いをなくすため、水谷副室長の携帯番号を押した。



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ラブレター(7)

ラブレター(7)






 青木が一日中楽しみにしていた薪とのディナーは、再びキャンセルの憂き目に遭った。
 夕方の給湯室でそのことを告げる薪の様子は、とても不自然だった。それは薪が、約束を反故にすることを、青木にきちんと謝罪したからである。

「本当にすまない。どうしても行けなくなって」
 薪が自分から言い出した予定を取りやめにすることは、今までもたくさんあった。
 しかし、一度だってこんなふうに謝ってくれたことなどない。せいぜい「悪いな」でおしまいだ。だから青木は、薪の急な予定変更を快く承諾した。
「わかりました。また今度誘ってくださいね」
 みどりが帰ってしまった後に使ったコーヒーカップを洗いながら、青木はできるだけ落胆を表に出さないように気をつけて返事をした。薪に気を使わせたくない。
 きっと薪も、今日のディナーを楽しみにしてくれていたのだ。その証拠に、ひどくがっかりした顔をしている。青木にはそれが嬉しかった。

「そうだ。明日の定例会、オードヴィでやればいいんですよ。金曜日だから、予約が必要だと思いますけど。今から電話してみましょうか」
「定例会は、しばらく中止だ」
「え?」
 青木は耳を疑った。
 いま薪は「今週は」ではなく「しばらく」と言った。週に一度の飲み会を、薪はとても楽しみにしていたはずだ。それなのに、急にどうしたのだろう。

 怪訝な顔をした青木の前で、薪は長い睫毛を伏せ、自分の足元の床を見つめて言った。
「金曜日の夜は、みどりさんと逢うことにしたから」

 みどりと金曜の夜に逢う? これからずっと?

「それから、朝のコーヒーも彼女が淹れてくれることになったから。おまえはもう、僕の部屋に来なくていい」
 耳がおかしくなったのかと思った。言葉の意味が理解できない。

 青木が呆然としている間に、薪はいなくなっていた。

 わけがわからない。なんなのだ、この急展開は。
 今日の朝、ここで薪とディナーの約束をしたばかりなのに。薪にこの傷の手当をしてもらって、幸せな気分に浸ったばかりなのに。

 青木は自分の手を見る。
 今朝、薪に巻いてもらった絆創膏は、水に濡れて剥がれかかっていた。



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ラブレター(8)

ラブレター(8)







 翌週の青木は、まるで呪いでもかけられているように、何もかもがうまく行かなかった。
 朝の薪とのささやかな時間をみどりに奪られてしまったせいで、出勤時間は遅くなったが、そんなことはちっとも嬉しくない。薪とふたりきりで過ごせるなら、1時間くらいの早起きは辛くもなんともない。
 道場では、全然集中力が無いと岡部を怒らせてしまったし、仕事ではケアレスミスが多くて、室長にこっぴどく叱られた。みんなの前で罵倒されるのには慣れているが、みどりがこちらを見て、くすくすと笑っているのがものすごく頭に来た。

 物事に集中できないのは、みどりが誇らしげに青木に告げた、薪との関係のせいだ。
「わたし、薪室長と正式にお付き合いすることにしました」
 月曜日の早朝、まだ誰も来ていないモニタールームで、彼女はそう宣言した。
「嘘だと思ったら、薪室長に聞いてみてください。オードヴィのラムロースト、とっても美味しかったわ」
 実はもう、聞いている。
 木曜日の夕方、給湯室で直接薪から、『金曜日はみどりと会うことにしたから、定例会はしばらく中止だ』と言い渡されてしまったのだ。そのときに、朝と昼のコーヒーも彼女に淹れてもらうから、青木は室長室に来なくてもいい、と言われてしまった。

「その後、ちゃんと大人のお付き合いもしました。薪室長、とっても素敵だったわ」
 それは二人とも大人なのだから、自然なことかもしれない。付き合い始めた初日にホテルというのもどうかと思うが、今時は珍しくない。
 でも、その行動は薪らしくない。
 薪は瞬時に燃え上がるような恋をするタイプではない。ゆっくりゆっくり、雪が降り積もるように想いを重ねていくタイプだ。口説いたその日に女を抱けるような男だったら、とっくの昔に恋人を作っている。

「どうしてそんなウソばかり吐くんですか?」
 青木の決め付けた言い方に、みどりは動じなかった。
「薪室長に聞けばはっきりします」
 自信たっぷりに顎を反らすみどりに、青木は不安を覚える。
 薪だって男だ。相手の女性から積極的に誘われれば、嫌な気はしないだろう。薪がそんな軽はずみな真似をするとは思えないが、可能性はゼロとは言い切れない。
 そこに問題の人物が現れて、ふたりの視線は同時に彼に注がれた。朝のコーヒーの用意をするために、みどりは給湯室へ入っていく。
 
「今週から、横川さんの勤務時間を、1時間スライドしてもらったんだ。朝の掃除は彼女がしてくれるから。おまえはみんなと同じ時間に、ここに来ればいい」
 今まで10時から4時までの就業時間を、9時から3時までにしたということか。しかしその目的は、青木を掃除から解放するためではなく、薪の朝のコーヒーを淹れるためではないのか。

「彼女と、何を話してたんだ?」
 返事をしない青木に、薪はみどりと青木の間に諍いがあったことを悟ったらしい。青木は自分の不安を解消しようと、みどりの吐いたウソを薪に言いつけた。
「薪さんと大人の付き合いをしましたって。ベッドの中でも素敵だったって」
「彼女がそう言ったのか?」
 僕がそんなことするはずないだろ、という薪の言葉を、青木は無意識に待っていた。
 ところが、薪はすぐにはそれを否定せず、困惑した表情を浮かべて口元を右手で覆った。

「仕方ないなあ、みどりは。しばらくは秘密にしておこうって言ったのに」
 青木は息を呑んだ。
 薪は、なにを言っているのだろう。

「彼女にはもう一度、口止めしておかないと。こんなことが公になったら、僕の責任問題だからな。おまえも誰にも言うなよ」
 信じられない。
 薪が認めた情事も、いま口にしている自分の保身ことも。

「薪さんに口止めされたのに、どうして彼女はオレに話したんですかね」
 嘘だ、と言って欲しい。
 冗談だ、バカ、といつものように意地悪く笑って欲しい。が、薪の言葉は、青木が期待したどちらでもなかった。
「ヤキモチ妬いたんじゃないかな。おまえのコーヒーがとても美味いって、僕が寝物語に話したから。……女って可愛いよな」
 ふっと和んだ表情まで見せて、薪はみどりの言葉を肯定した。
 セクハラの誤解が、逆にきっかけになったのかもしれない。男女の関係なんてどう転ぶかわからないものだが、このふたりが付き合いだしたのは確実だ。
 今まで1年以上も薪のことを見てきたのに、第九に現れて10日にもならない女に薪を奪われるなんて。
 たしかに、恋は突然訪れるものだし、恋愛に時間の概念は要らない。先に好きになったからといって、優先順位があるわけでもない。青木は、黙ってその事実を受け入れるしかなかった。

 毎日職場で二人を見るたびに、金曜日の夜のことを想像してしまう。
 それは青木の心をかき乱す。ふたりの仲睦まじさを目の当たりにしてしまうと、やっぱりつらい。
 そんな精神状態で仕事がこなせるほど、青木は人間ができていない。こころの不安定さがそのまま仕事に表れて、今週の青木のミスはいつもの倍も多かった。

 室長の指示通り、ミスした書類を全部作り直していたら、昼休みに突っ込んでしまった。
 午前中に提出する約束に間に合わなかった。これを持って行ったら、また怒鳴られるのだろうな、と思いながら室長室のドアをノックする。応えは無いが、この時間の薪は『第九の眠り姫』になっている。青木は何も言わずにドアを開けた。
 ちょうど室長室から出て行こうとしていた人物と、ぶつかりそうになる。それは薪に昼のコーヒーを運んできた、薪の恋人だった。
 みどりは青木の顔を見て、ぱっと顔を赤らめた。恥ずかしそうに俯くと、小走りに去っていく。なんだか嫌な感じだ。

 室長室に入ると、ちょうど薪が室長席に就くところだった。
「室長。遅くなってすみません。書類の手直し、完了しました」
「ご苦労」
 素っ気無く言って、薪はマグカップに手を伸ばす。今までは青木が淹れていた昼寝の後のコーヒーも、今週からはみどりの仕事になった。青木を捜査活動に専念させようと考えてのことだ、と岡部は言ったが、それは詭弁だ。青木にはわかっている。
 今年の5月に、薪専属のバリスタに就任したばかりなのに、もうその座を追われてしまった。
 短い就任期間だった。たったの1ヶ月で、一方的に解任されてしまった。30日以内の予告も無かったから、これは不当解雇だ。

 寝起きの薪は、少し、ぼうっとした顔でコーヒーを飲む。
 筋金入りの低血圧のせいで、起きたばかりは頭が働かない。カフェインを投入して暖機運転をしないと、エンジンがかからないそうだ。

 ゆっくりとコーヒーを楽しむ薪の姿を見るのは、久しぶりだ。
 常ならその姿は、青木をとても幸せにしてくれるのだが、みどりが淹れたコーヒーを飲んでいると思うと、やっぱり面白くない。この前は、「おまえのおかげで他のコーヒーが不味くなった」などと文句を言ってたくせに、女ができたらこの調子だ。まったく勝手な人だ。
 不愉快な気分のまま青木が視線を落とすと、マグカップの下に隠すように置いてあったメモが目に入る。
『PM8:00。Mホテル』と女の文字で書いてある。今日は金曜だから、みどりとの待ち合わせ場所か。
 メモの下には、白いプリペイトカードのような形のカードキーが挟んである。きっと予約したホテルの鍵で、同じものをみどりが持っているのだろう。
 普段は自分を抑えている青木だが、そんなものを見てしまうと、ついカッとしてしまう。自分には嫉妬する権利などないと分かっているはずなのに、嫌味のひとつも言いたくなってしまうのだ。
 
「オレが淹れたコーヒー以外は、物足りなくなったんじゃないんですか? それはメーカーのコーヒーですよ」
「目覚まし代わりみたいなもんだから。カフェインさえ入っていればいいんだ」
 ……だったらカフェインの錠剤を飲めばいい。
 喉まで出掛かった皮肉を抑えて、青木は薪の顔を見つめる。
 いつも通りのきれいな顔。長い睫毛も亜麻色の瞳も、あのつややかなくちびるも、今は全部みどりのものなのだ。青木が何度か抱きしめた華奢な身体も、やさしく撫でた髪も、すべて彼女に捧げてしまったのだ。
 身を焼かれるような嫉妬心は、青木には馴染みの薄い感情だ。あまりに激しく自分を揺さぶるその醜悪な怪物を、青木はもてあましている。

 薪はコーヒーを一口だけ飲んで、机に置いた。青木はそこに信じられないものを見る。
「それって、彼女の」
 カップの縁に、くっきりとピンク色の口紅が付いている。
 青木がもう少し大人だったら、あるいはこれほど薪に恋焦がれていなかったら、見ない振りをしてその場をやり過ごしただろう。しかし、青木はまだ自分の感情を完全に制御できるほど、大人ではなかった。
「どういうことですか? 彼女とここで、何をしてたんです?」
 薪は右手で口元を覆っている。彼女と触れ合った証拠を隠そうとしているかのように、その仕草は青木にはとても姑息に思えた。

 薪は何も答えない。
 私物を入れてあるロッカーの扉を開け、その裏側に掛けてある鏡を見て、青木の言葉を確認する。鏡を見ながら、ティッシュで自分の唇に付いたくちづけの余韻を拭き取る。ティッシュに色濃く移った口紅は、彼女との接吻の激しさを物語っているようだった。

 自分の唇から完全に証拠が消えたことを確認すると、薪はティッシュをゴミ箱に放り投げた。そして何もなかったように室長席に戻り、無言で青木の書類に手を伸ばした。
「黙ってたら、分からないじゃないですか。ちゃんと説明してくださいよ」
 もともと言い訳はしない人だが、今だけはそのスタイルを捨てて欲しい。
「彼女に迫られて仕方なくとか、転んだはずみにとか、そんなことも言えないんですか」
「どうして僕がおまえに、そんな言い訳めいたことを言わなきゃならないんだ」
 書類に目を落とし、冷静な口調で答える。いまは昼休みなのに、室長の仮面を着けるなんて反則だ。
「彼女との関係がバレたら責任問題になるって、自分で言ってたじゃないですか。それなのに、職場でこんなことを」
「そうなったら、責任を取ればいいだけの話だ」
 この場合の責任を取る、というのは室長としての責任ではない。男としての責任、ということだ。
 そうとしか考えられない。薪は、みどりとの結婚まで視野に入れているということだ。

「わかりました。薪さんがそのつもりなら、オレはもう何も言いません。ていうか、オレは薪さんにとっては、もともとただの部下ですものね」
 薪から何度も何度も言われたことを、青木は自分から口にする。
 心の芯がひやりと冷えて、自分でもびっくりするくらい冷たい声が出た。

「今までも、これからも」
「…………そうだ」
 薪はずっと書類を眺めていた。顔を上げようともしなかった。
 長い睫毛が伏せられて、雄弁に薪の気持ちを語る亜麻色の瞳が見えない。だから、薪の本当の心が見えない。

「失礼します」
 青木は踵を返して、室長室を出た。ドアを閉めるときも振り返らなかった。
 しばらく、薪の顔は見たくないと思った。






テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ラブレター(9)

 ついに発売されました、コハルさんの「秘密日和2」!
 早速、申し込みました~! ←夏コミに行けないので、通販。コハルさんに会いたかった。(TT)
 今からワクワクドキドキ! してます。

 みっひーさんのところで、うっとりするようなイラストをいただいてきて、デスクトップを見るたびに幸せな気分だし。
 みなさんにも、この幸せのおすそ分けを、と思ったら。
 すみません、こんな話で(^^;







ラブレター(9)








 青木が出て行った後の部屋には、憂鬱そうに頬杖をつく室長の姿があった。
 室長席について背中を丸め、一枚の写真を見ている。小さなくちびるが微かに開き、親友の名前を呼んだ。
「鈴木。彼女はおまえの代理なのか……?」
 物言わぬ親友は、写真の中からにっこりと笑いかけている。
 そうだよ、と言っているようでもあるし、ちがうよ、と否定しているようでもある。生きていても死んでいても、他人の本当の気持ちなんて分らない。

「室長、岡部です。ちょっといいですか」
 室長室のドアがノックされ、薪は慌てて写真をしまう。目の縁に涙がないことを確認して、入れ、と声をかけた。
 不機嫌な顔で部屋に入ってきた部下を見て、薪は苦笑する。
 この顔は、どうせまた小言を言いに来たのだ。ここは先制攻撃だ。
「どうした、渋い顔して。昼の弁当にシイタケでも入ってたのか」
 岡部はシイタケが嫌いなのだ。

 第九の副室長は、薪の冗談に乗ってくれる様子はなく、眉を寄せたままデスクに近付いてきた。室長会の議事録ファイルを薪に差し出すと、威嚇するような低い声を出す。
「今回は、なにを考えてるんですか」
「そうだな。こないだ青木が金星挙げた、双子の事件なんかどうだ。過去の双子が絡んだ事件をリストアップして」
「違いますよ。横川みどりのことです」
 そろそろ言ってくるころだと思っていた。
 この部下には、薪の嘘は通用しない。青木のような単純バカなら、言いくるめることなど造作もないのだが、岡部は簡単には騙せない。

「青木のやつが喋ったんだな。誰にも言うなって、あれほど言ったのに」
「青木じゃありませんよ。あいつはあなたの言うことには、絶対服従ですから。彼女が自分で喋ってるんですよ」
 岡部は顔をしかめて、彼女の吹聴を非難した。
 細い眉を寄せると、ただでさえ怖い顔がさらに凄みを増す。この顔を見せるだけで、それまで黙秘を貫いていた何人もの被疑者が自発的に供述を始めたという、捜一ではその話はもはや伝説になっている。

「署内に広まるのも、時間の問題ですよ。噂が大きくなったら、最終的に傷つくのは彼女なんじゃないですか? どんな目的で彼女の言葉を否定しないのかは知りませんけど、彼女と付き合う気なんかないんでしょう」
「そんなことはないさ。彼女とは、結婚を前提とした付き合いをしようと思っている」
「無理ですよ。好きでもない女と付き合えるほど、あなたは器用じゃありません」
 薪はマグカップを取り上げて、鼻先に近づける。
 浅薄な香に、心が沈む。薪はカップに口をつけようとせず、机の上に戻した。

 青木のコーヒーが飲みたい。
 最後にあいつのコーヒーを飲んだのは、先週の木曜だから、10日近くも前だ。このところ調子がいまひとつなのは、そのせいかもしれない。

「どうして僕が、彼女に好意を持っていないと言い切れるんだ」
「一般的な殺人事件の動機の8割は、金と女です。男が惚れた女をどんな目で見るか、俺にはよくわかってます」

 青木のコーヒーは、薪に活力と元気をくれる。
 あのコーヒーさえあれば、この取調べに対抗できる力が湧いてくるのに。岡部どころか、相手が小野田だって煙に巻いてみせるのに。

「それに、進展が急すぎます。先週の木曜まではただの女子職員とその上司だった。それが翌日になったら恋人になっていて、その夜には体の関係を持った」
「おかしくないだろ。金曜日に恋をして、土曜日にベッドへ連れ込んで、日曜日に結婚式を挙げるカップルだっているだろ」
 自分でも、声が弱くなっているのが解る。表情も自信がない。
 青木と違って、岡部に室長の仮面は通用しない。岡部なら薪の弱点を衝いて、簡単にこの仮面を壊すことができる。

「日本中探せば1組くらいはいるかもしれませんけど、あなたにそんなインスタントな恋愛はできませんよ。薪さんのは、スローライフです。ゆっくり始まって、周りがイライラするくらいのんびり進行して、そして長ーく続くんです」
「おまえに、僕の恋愛スタイルが分かるってのか」
「あなたの顔を見てりゃわかりますよ」
「僕の顔見てすべてを読むの、やめろ」
「すべて分かるわけじゃありません。ただ、あなたの目は彼女を恋人として見ていない。それだけですよ。他の事情は一切わかりません。だから説明を求めてるんじゃないですか」
「この件には手出し無用だ。おまえには関係のないことだ」

 薪は、再びカップに手を伸ばした。
 やっぱり、カフェインは必要だ。こんな脆弱な心では、岡部の攻撃には耐えられない。こころを強くしないと、このベテランの捜査官に何もかも見破られてしまう。
 ところが、薪の考えを見透かしたかのように、ボーンチャイナのマグカップは、無骨な手に取り上げられた。代わりに、来客用の白いコーヒーカップを持たされる。
 
「おっと。これは俺が貰いますから、こいつを試してもらえないですか?」
「まさか、おまえが淹れたのか? おまえのコーヒーって」
 岡部の淹れるコーヒーは、めちゃめちゃ苦い。粉を多く入れすぎるのか、メーカーで淹れてもエスプレッソ並みの濃さなのだ。
「カフェインさえ入っていれば、いいんじゃなかったんですか?」
 岡部は馬脚を現した。やっぱり青木と喋っている。
 でも、これは多分、わざと言ったのだ。

 ため息を吐いて、コーヒーカップに口を近づける。
 思いがけない芳香に、薪の目が細められた。
 つややかなくちびるが白い陶器に接吻し、魅惑の液体を啜る。口中に広がる甘い苦味と、うっとりするような深い味わい。さらりとした後味。このコーヒーは……。

「泣くほど美味いですか?」
「え?」
 言われて初めて気がついた。
 自分でも信じられない。

 こんなことで涙なんて。しかも、ここは職場じゃないか。

「あっ……」
 とっさに薪は回転椅子を回して、岡部に背を向けた。
 この馬鹿げた感情の発露を、どうにかしなければ。
 でも、止まらない。
 必死で止めようとしているのに、止まらない。
 だめだ、嗚咽まで上がってきた。

 腹心の部下が部屋から出て行く気配を背中で感じて、薪は自分を恥じた。
 きっと、呆れられている。これまでも岡部には、何回もみっともないこところを見られてしまっているが、今度のは最低だ。

 とんだ見込み違いだ。
 岡部と渡り合う勇気をくれるはずの液体が、逆に自分を弱くするなんて。

 誰もいなくなった室長室で、薪は肩の力を抜き、椅子の背もたれに身体を預けた。
 コーヒーカップを両手で大切そうに持ったまま、靴を脱いで膝を抱える。

 すっかり冷えてしまったコーヒーを口に含み、薪は再び涙をこぼした。



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ジャンル : 小説・文学

ラブレター(10)

 今日から新盆に入ります。(今日はお坊さんが来ます)
 準備やら何やらで、更新が遅くなってしまいそうです。
(昨日いただいたコメのレスも未だでごめんなさい! でも、コメレスは大好きなので、じっくり考えて書きたいし、まとまった時間が取レてから……すいません!)

 次の章まで推敲が済んでいるので、それを明日の朝アップして、2日ばかりお休みをいただきたいと思います。ちょうどみなさん、夏コミですし。
 お話の途中で申し訳ないのですが、どうか、ご了承ください。m(_ _)m


 それと、昨日(8/11)に、たくさんたくさん拍手をくださった方、ありがとうございました!
 初めのころから読んでいただいてるみたいで、記事ごとに1つずつ拍手が増えてたから、一人の方だと思うんですけど、
 とっても励みになります!!
 自分で書いててなんですけど、うちのお話は、規格外と言うかズレてるというか。 オヤジでお子ちゃまの薪さんに、ヘタレの青木くん。カッコイイのは雪子さんと岡部さん、ってどーゆーあおまき小説?
 薪さんを愛してる方には、読みにくい話なんじゃないかと思うんですけど、それを寛大に許してくださって。「秘密」を愛してる方々は、本当にやさしい方ばかりですね。(^^





ラブレター(10)






 岡部が給湯室へ行くと、失業中のバリスタが商売道具を片付けていた。
 シンクの前に立っている長身の横から、ボーンチャイナのマグカップを突き出し、中に残っていた液体を捨てる。青木がそれに気づいて、岡部を不満そうに見る。
「オレは、岡部さんのためにドリップしたんですよ。室長のお気に入りのブレンドを試してみたい、って言うから」
 薪のマグカップを持ってきたことから、岡部の行動を見抜いたらしい。
 青木はバカではない。目の付け所もいいし、カンもいい。もう、新人ではないのだ。
 第九の仲間たちも、それを認め始めている。青木をバカだと思っているのは、薪ぐらいのものだ。

「飲んださ。泣くほど美味かったぞ」
「なんですか、それ」
 パチクリと瞬きをする後輩にマグカップの洗浄を任せて、岡部は研究室に戻った。
 さすがに岡部も、本当のことは言えない。青木も信じないだろう。
 コーヒーを飲んだくらいで、あの薪が泣くなんて。

 薪は、かなりのところまで追い詰められている。精神的な均衡を崩し始めているのだ。
 ここまで薪のこころを乱すのは、あの事件のことをおいて他にはない。もしかするとみどりは、あの事件と何か関わりがあったのかもしれない。
 みどりは不正規職員なので、細かい個人情報は人事部のデータバンクにはない。ただ、警察にパートタイマーとして雇われる人間というのは、以前ここに勤めていたものが殆どだ。職務内容からも機密漏洩の観点からも、経験者がベストなのだ。
 あの事件に関わっていたとしたら、2年前までは警察に勤務していた可能性が高い。人事部で個人データを何年保存しているかは知らないが、調べてみる価値はある。

 薪に『おまえには関係がない』と言われてしまったが、とても放っておけない。
 世話焼きでお節介。それは自分の欠点だと解ってはいるが、持って生まれた習性は、なかなか直らない。薪に関しては、改める気もないが。
 あのひとを放っておいたら、どこまで落ち込んでいくかわからない。薪は墓穴を掘るのが得意だが、今回は地球の裏側まで突き抜けていきそうな勢いだ。

 一日の職務が終わった後、岡部は第九を出て研究所の管理棟に向かう。
 目的の場所は、警察庁警務部人事課。警視庁と並んだ建物は、研究所の管理棟と地下通路で繋がっていて、徒歩5分で辿り着くことができる。

 過去の人事は、研究所内のデータベースにはない。人事部の端末でないと、引き出すことができない。一般の職員にはデータの閲覧は認められていないが、副室長の役職に就き、人事権を持った岡部にはそれが可能だ。

 人事部で閲覧簿に氏名を記入していた岡部は、意外な人物と顔を合わせた。第九の女子職員、自称薪の恋人である。
 部長室から出てきた彼女を見て、受付の女性が嫌悪感を露わにする。閲覧簿に顔を伏せてその場をやり過ごした岡部は、みどりがいなくなると同時に探りを入れることにした。

「相変わらず間宮部長の周りには、美人が多いんですね」
「ああ、さっきの娘ね」
「いいえ。あなたのことですよ」
 女性の口を軽くするには、まずは褒めることだ。受付の女性は少しトウが立っているようだが、実際なかなかの美女だ。
「俺ぐらいの年になると、女性を見る目も肥えてきましてね。外見も大事ですけど、知性とか女らしさとか、全部備わっていないと、美人とは思えなくなってきて」
 ウソとおべんちゃらは苦手な岡部だが、必要とあらばこんなことも言えるのだ。捜査官には、演技力も必要だ。

 そんな、あたしなんて、とまんざらでもない様子の彼女は、岡部の質問にすらすら答えてくれた。
 彼女からの情報によると、みどりは今年の3月くらいから間宮のところに出入りしていると言う。4ヶ月も前から警務部長と知り合いだったということは、もしかすると第九への人事も、彼女の希望を間宮が叶えた形になったのかもしれない。
 岡部の賞賛(オダテ)がよほど嬉しかったのか、彼女は人事データの引き出し作業までしてくれた。人事部のデータバンクに残されている過去データは10年分。2年前の8月までの間に『横川みどり』の名前でヒットした女性は21名。その中で7名の女性が現在臨時職員として勤務している。
 しかし、彼女が画面に引き出してくれた7枚の履歴書の中に、第九の天使はいなかった。同姓同名の別人ばかりということだ。
 こうなったら、間宮から事情を聞き出すしかない。
 どこか人気のない場所に呼び出して力ずくでも、などと物騒なことを考えていた岡部の肩を、当の本人が気安く叩いてきた。
 
「やあ、岡部くん。人事部へようこそ」
 めちゃくちゃ機嫌がいい。気分が良くなることを、彼女としたところなのかもしれない。

 間宮は右手に白いカードキーを持っている。数字が見て取れるから、多分ホテルの部屋の鍵だ。それを見ながらニヤニヤしている。
 今からその部屋で、だれかと会う約束でもしているのだろう。それで機嫌がいいのだ。

「さっき、うちの女子職員が、あなたの部屋から出て行くのを見ました。彼女とはどういう関係なんです?」
「彼女とは、君が思ってるような間柄じゃないよ」
 白々しい言い逃れだ。みどりのような愛くるしい女性に、この男の食指が動かないはずがない。しかし、岡部の予想は外れた。
「俺は、作り物には興味ないんだよ」
 間宮は岡部を自室に招き入れると、さらりと彼女の秘密を暴露した。その事実に、岡部は驚愕する。
 みどりは整形手術を受けている。ではこの7人の中に、やはり彼女はいるのか。

「この娘だよ」
 協力的な態度に感謝すら覚えて、岡部は間宮が指した一枚の履歴書を見た。こんなふうに素直に喋ってくれれば、殴る気などない。
「いくら今の顔がきれいでも、元の顔がこれじゃね。そこへいくと薪くんは完璧だよ。顔から身体から、感度の良さや喘ぎ声まで。彼は最高だよ」
 ……やっぱり殴っておこう。情報を全部絞った後に。

 その書類を見て、岡部はあることを思い出した。
 みどりは書道を習っていると言っていたが、特技欄には確かに書道3段の記載がある。
 それをみどりから聞いたときの記憶が戻ってきて、岡部は憂鬱な気分になる。
 実はあの後、水谷副室長に連絡を取ったのだが、彼の誤解の根は深く、岡部の必死の弁明を本気にしてくれなかったのだ。懇親会まであと3週間。それまでには、皆に真実を知らせなくては。

 そういえば、あれ以来薪は、そのことについて岡部に何も言ってこない。
 薪は、水谷副室長の誤解に気付いたはずだ。
 室長会の懇親会のこともメモにあったのだから、火元は岡部だと解りそうなものだ。それなのに、あの薪が岡部に事情も聞いてこないなんて。聞かれても困るから自分からは言わずにいたが、何事にも抜け目のない薪らしくない。

 だが。
 よくよく思い出せば、あの時の薪は、様子がおかしかった。自分が日本舞踊の名手だとの誤解を受けていることに青ざめていたのではなく、もしかしたら。
 みどりのメモの内容ではなく、メモそのものに驚いていたのではないだろうか。

 あれは第九に備え付けの、普通のメモ用紙だった。紙に特徴がなければ、残るは文字だ。現物を見たわけではないから、暗号めいたものが書かれていたとしたら岡部にはお手上げだが、考えられる可能性があとひとつだけある。
 それを確かめるのは難しいし、倫理に反することだ。しかし、薪に訊いても本当のことは言わないだろう。

 岡部は第九に戻った。
 研究室では職員たちが、岡部を待っていた。みどりを薪に奪られた残念会をやるから、一緒に来ませんか、と言われた。
「俺は初めから人数に入ってなかったんだろ?」
 以前、言われた皮肉を返してやると、小池はバツが悪そうに頭を掻いた。
「室長は? もう帰ったのか」
「ええ。ついさっき」
「青木は?」
「さあ。カバンがここにあるから、まだ研究所のどこかにいると思いますけど」
「そうか。俺は今からやることがあるから。残念会は、おまえらだけで行って来い」

 飲み会の誘いを断り、岡部は室長室へ入っていった。
 そんな岡部に、職員たちは去年までとの違いを感じる。やっぱり、副室長という役職は大変なのだ。
 セキュリティを副室長に任せて、職員たちは研究室を出た。行きつけの『どんてん』まではゆっくり歩いて15分。道すがら、話す話題はやはりみどりのことだ。
 
「あ~あ。結局、薪さんのものかあ」
「しょうがないよ。あのひとが相手じゃ。勝ち目ないって」
「みどりちゃん、初めから室長狙いだったもんな」
「そうそう。青木のこと、やったら敵視しててさ。あれってヤキモチ妬いてたんだろ。薪さん、青木のこと気に入ってるから」
「気に入るって言うのか、あれ」
「あんなに苛められるんだったら、俺はこのままでいいな」
「うん。俺たち、青木みたいに神経太くないから。とても耐えられないよ」
 上司の覚えがめでたいのは普通なら歓迎するところだが、第九には一般の常識は通用しない。特に、薪には当てはまらない。普通という言葉がこれほど似合わない男はいない。
 
「みどりちゃんと付き合いだしたら、薪さんも丸くなったよな。青木のこと、苛めなくなったし。やっぱり彼女の存在って大きいのかな。……でもさ」
「薪さんらしくないんだよな」
 太い首を捻って、曽我がずっと気になっていたことを口にする。それは曽我だけでなく、第九職員全員の疑念だった。
「おまえもそう思う?」
「みどりちゃんと付き合いだしてからの薪さん、妙に元気がないんだよな」
「あれが、彼女ができたばかりの男かね」
「青木をかまってた時のほうが、数段生き生きしてたよな」
「仕事中は、顔に出さないようにしてるのかもしれないけどさ。それにしたって」

 彼らの気分そのままに、職員たちの歩調は次第にゆっくりになる。せっかくの週末に、こんなつまらない気持ちで店の暖簾をくぐるなんて。
 今日の題目「残念会」に相応しい表情で、職員たちは店の中に入っていった。



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ラブレター(11)

ラブレター(11)





 その頃、残念会に出席しなかった付き合いの悪い新人は、法医第一研究室にいた。
「三好先生。もうダメです。薪さん、あの女と結婚する気です」
「はあ? なにバカなこと言ってんの」
 青木が愚痴を言う相手は、彼女しかいない。だれかに聞いてもらわなくては、青木自身耐えられなくなりそうだった。

「そんなわけないでしょ。薪くんの好みとはかけ離れてるわよ、あの娘」
 雪子の理屈は、慰めにもならない。
 青木がむかし聞いた話では、薪は少しぽっちゃりした女の子が好きだと言っていたが、理想とは違う女性に恋をすることは珍しくないし、逆に好みの女性と結婚できる男のほうが実際は少ない。
「薪さんの好みって?」
「頭が良くて胸が大きい女性」
 ……それは、雪子のことではないのだろうか。

「すごく展開が速くて。オレが努力してきた1年なんて、あっという間に消されちゃいました。女の子には敵わないです」
 恋に落ちるときなんて、こんなものなのだ。
 運命というか、もののはずみというか。あれほど鈴木に夢中だった薪のこころを、みどりは簡単に捕らえていった。悔しいが、自分には薪を振り向かせることもできなかった。
「三好先生にも色々協力してもらったのに。ホントすいません」
 雪子にも悪いことをした。今まで彼女はとても親身になって、青木の相談に乗ってくれていたのに。

「ちょっと、諦めるの早すぎない? まだ婚約したわけでもないのに」
「薪さんが認めてるんです。彼女と付き合っていることも、特別な関係を持ったことも。オレには何もできません」
「そんなわけ、ないんだけどなあ」
 雪子は、薪がみどりに恋をしているという事実に、どうしても納得がいかないようだった。もちろん、青木だって認めたくはない。しかし。

「オレ、見たんです。あのふたり、昼休みに室長室でキスしてました」
「え、ウソ! 現場を見たの?」
「いいえ。でも、薪さんの唇に彼女の口紅が付いてたんです。そりゃもう、べったりと。今夜だってMホテルで会う約束してるんですよ」
 法一の助手の女の子が帰りがけに淹れてくれた紅茶を啜りながら、青木はぼそぼそと呟く。
「それ、薪くんから聞いたの?」
「机の上に、メモが」

 雪子はふいに席を立った。
 ロッカールームに入って行ったかと思うと、白衣から薄い水色のシャツブラウスに着替えて出てきた。7月だというのに長袖の上、襟元には幾何学模様のスカーフを巻いている。
 さすが女薪。暑さに強いところも同じらしい。
 
「行くわよ」
「行くって、どこへ」
「Mホテルでしょ」
「行ってどうするんですか」
「決まってるじゃない。邪魔するのよ」
 研究室の机すべてに鍵がかかっていることを確かめて、雪子はドアの前に立つ。チャラリ、と鍵の音をさせて、青木のために自分の車を出してくれるつもりらしい。

「それはさすがにちょっと」
「なに言ってんの。好きな相手が自分以外の人間とデートするって分かったときにやることって言ったら、徹底的に邪魔してデートをぶち壊すことに決まってるじゃない」
「決まってないです。てか、普通はそんなことしないです」
 そんな無茶苦茶なことを考えるのは、雪子だけだ。
 雪子らしいといえば雪子らしいが、青木にはそれはできない。いくら辛くても、相手を不快にする言動は慎むべきだと思うし、何よりも薪に嫌われたくない。

「青木警部。これは職務よ」
「はあ?」
「室長が自分の権力にモノを言わせて、女子職員に無理やり関係を迫ろうとしてるのよ。警察官として、放っておけないでしょ」
 青木を説得するために、雪子はむちゃくちゃな理屈を捏ね上げてきた。
「無理やりって、メモは彼女のほうから」
「あんた、キャリアでしょ。警大で習わなかったの? 警察っていうところはね、大義名分さえあれば事実関係は二の次なのよ」
 強引な理論展開は、だれかにすごくよく似ている。

 どうやら青木は、相談相手を間違えたようだ。雪子はお祭り騒ぎが大好きなのだ。
「薪くんのこういう場面に乗り込むのは、これで2度目なのよね。あ~、腕が鳴るわ」
 雪子の顔が、悪戯っ子のように生き生きと輝いている。
 彼女がこういう顔をしたら、もう誰にも止められない。たぶん、鈴木にも彼女の暴走を止めることは不可能だったのじゃないだろうか。
 青木は覚悟を決めて、立ち上がった。

「どういう関係なんですか? 三好先生と薪さんって」
「言ったでしょ。ライバルで、親友なの」



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ラブレター(12)

 おかげさまで、無事に新盆が終わりました。
 お礼状が6枚しか残ってないから、少なくとも94人の方が、お義父さんの為に家まで来てくれたんだ、と改めて故人の偉大さを知りました。
 ありがたかったです。

 今日は棚と提灯の片付けのために、葬儀屋さんが来ます。
 それが終わったら……寝るぞ(笑)
 で、目が覚めたら腰を据えてブログ様めぐりを。
 みなさん、オフ会のレポート、書かれるかしら。楽しみです。





ラブレター(12)






 横川みどりが間宮に近付いてきたのは、3月の半ばだった。
 若いうちから審美眼を養ってきた間宮には、彼女の美しさが神の御手によるものではないと、すぐに解った。
 間宮はべつに、整形手術を否定しているわけではない。女性が美しさを求めるのは自然なことだし、いいことだとも思う。ただ、自分のベッドの相手にはしたくないだけだ。
 彼女を傷つけないようにさりげなく断ると、彼女もそんなつもりではないと言った。
『わたし、間宮部長と薪室長は、とってもお似合いだと思うんです』
 今いちばん執心している相手の名前を出されて、間宮は有頂天になった。
 自分と薪のことを、そんな風に見てくれている人もいるのだ。交通課の一部の女子の間にそういう噂があるのは知っていたが、現実に自分の耳で聞くと感動もひとしおだ。

『わたしを第九に入れてくれれば、薪室長との仲を取り持って差し上げます』
 第九からは、ずっと女子職員の要請が来ていた。
 しかし、あそこは女子職員が行きたくない部署№1の座を6年間守り続けている、強烈な研究室だ。その理由は、女子がひとりもいないことと、脳を見るというMRI捜査の評判の悪さのせいである。
 署内でも1,2を争うほど女性に人気のある薪が室長を務める部署なのに、このアンケート結果は意外な気もする。しかし女性たちの本音を探ると、薪のことは恋人になりたいというよりも、遠くから見ていたいらしい。
 つまりは観賞用というかお飾り人形というか、彼女たちにとっては薪の外見が全てで、人柄や能力はまるで評価していないのだ。薪の本性を知ったら、どんな女性も裸足で逃げ出すだろうから、結果は同じことかもしれないが。

 女子職員を送ってやれば、薪は自分に感謝するだろう。
 4月の人事異動で要請を叶えてやろうと思ったのに、小野田に邪魔されて書類が間に合わなかった。それから色々あって、薪に会えない日が1ヶ月ほど続いて―――― それは岡部に殴られた顔が腫れあがっていて、薪に見られたくなかったということなのだが―――― ようやく薪の願いを叶えてやれたのが、今月の頭。そのことを薪に告げたときのかれの嬉しそうな笑顔は、間宮の劣情を燃え上がらせるのに充分な美しさだった。

 着任から約2週間。
 横川みどりは、思った以上の働きをしてくれた。みごと薪を口説き落として、間宮の前に差し出してきたのだ。
『Mホテルの1122号室で8時に。薪室長が待っています』
 言われた通りに、間宮はMホテルにやって来た。

 フロントでは見覚えのある男女が何事か騒いでいる様子だったが、間宮は彼らを無視して通り過ぎた。部屋の予約を間違えたか、ダブルブッキングになってしまったのかは不明だが、きっと金曜の夜で他に空いている部屋がなく、それで揉めていたのだろう。そんなドジなカップルに構うほど、ヒマではない。
 腕時計は7時を示している。約束の時間にはまだ早かったが、待ち切れない。
 間宮はみどりに預かったカードキーをドアノブの下部に差し込んで、部屋の鍵を開けた。
 みどりの話では、薪も今夜の逢瀬をとても楽しみにしていると言っていた。ならばすでにここに来ている可能性が高い。これから過ごす夢のような一夜のために、シャワーを浴びている最中かもしれない。

 バスローブ姿でバスルームから出てきた薪は、自分の姿を部屋の中に見つけて、嬉しそうに駆け寄ってくるだろう。濡れた髪を乾かす間も惜しんで、自分に抱かれたがるに違いない。
 きっと自分から服を脱いで、桜色に染まったあのなまめかしい肌を晒して、亜麻色の瞳を情欲に潤ませて。
 薪の望むとおり、今日は朝まで可愛がってやる。この腕の中でよがり泣きさせてやる。二度と自分から離れられない身体にしてやる。

 そっとドアを押す。果たして部屋の中には、間宮が欲しくてたまらなかった美しい青年が、緊張した顔つきでソファに腰掛けていた。
「間宮部長?」
 自分で呼び出しておいて、薪は何故かとても不思議そうな顔をした。それはひどく幼くて可愛らしい顔だったが、間宮にある危惧を抱かせた。
「どうして部長がここに?」
 わけがわからないという顔だ。少なくとも、薪は間宮を待っていたわけではない。想像とまるで違う薪の反応に、間宮は自分の不安が的中したことを悟った。

「やれやれ。俺もヤキが回ったな。あんな小娘に騙されるなんて」
「どういうことですか。説明してください」
 ソファから立ち上がって、薪は低く構えを取る。間宮に隙を見せまいとしているのだ。
 どうやらみどりが言ったことは、一から十まで嘘ッぱちだったらしい。

 薪は、柔道と空手の黒帯保持者だ。間宮が力づくでどうにかできる相手ではない。
 もっとも、間宮は誰かを無理矢理抱いたことなどない。巷では色々な噂が飛び交っているようだが、あれは間宮に相手にされなかったり、飽きて捨てられたりした愛人たちによる流言卑語の類だ。
 拘束具やクスリを使ってまで関係を持とうとしたのは、薪だけだ。そこまでしなくても、間宮が何度かモーションを掛ければ、みんなそれほど抵抗はなく身体を開いてくれた。

「君は誰を待ってるの? 官房長?」
 彼と薪の間には何もないことは解っているが、小野田はそれを間宮に信じさせたがっている。ここはこう訊いておいたほうが良い。
「違います。僕は……横川さんを」
 なんと。薪まで彼女に騙されている。
 しかし、ここで彼女を待っていたということは、薪は彼女と寝るつもりだったのか。それは間宮には、甚だ不愉快な予定だ。

「君のとこの女子職員が言ったんだよ。君が俺と、一夜を過ごしたがってるって。ここで俺を待ってるって」
 間宮は吐き捨てるように言った。
 薪のような男に愛される側の人間が女を抱くことを、間宮は快く思わない。薪に女は似合わない。だったら小野田のほうがまだマシだ。

「彼女がそう言ったんですか? 僕があなたに抱かれたがってるって。それでここにあなたを呼んだと?」
 みどりは自分のからだをエサに、薪をここに呼び出したのだろう。
 なんて浅知恵だ。そこに間宮が来れば、自然にうまくいくとでも思ったのか。恋愛経験の少ない夢見がちなバカ娘の考えそうなことだ。
 間宮は、薪が今まで座っていたソファに腰を下ろした。
 今日は酒でも飲んで帰るしかない。一杯だけでも、薪に付き合ってもらえないだろうか。
 
「道理で話がうますぎると思っ……」
 シュッという衣擦れの音がして、間宮は顔を上げた。
 淡い紫色のネクタイが、ローテーブルの上に落とされる。
 次に白いワイシャツが、防弾チョッキが、青灰色のズボンとベルトが、乱雑に積み重なっていく。

「薪くん?」
「その通りです」
 下着まで全部脱いで、薪はベッドに仰向けになった。
「彼女の言う通り、僕はあなたに抱かれたかったんです」





*****


 ああ、きっとまた、嵐のような非難コメが♪ ←期待してる(笑)




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ラブレター(13)

 昨日は、オットの誕生日でした。

 しかし、わたしの頭は一日中、夏コミ&オフ会のことで一杯でございました。
 ああ、きっと今ごろ、コハルさんの「秘密日和2」がバンバン売れて。ああ、みなさん今ごろ、カラオケボックスで『薪さん、きゃー!』『すてきっ!!』『あああ、愛してるーー!!』って、叫んでるんだろうな。(叫ぶ内容を考えると、カラオケボックスはベストな選択ですね!)

 オットの誕生日なんて、カケラも思い出しませんでしたっ!(←ヒドイ)
 そういえば、まだ「おめでとう」も言ってないや。よし、これから言いに行こう。
 思いついたときに言っておかないと、また忘れちゃうから。(笑)




ラブレター(13)






 Mホテルのロビーで、青木は新聞に顔を伏せている。
 その長身から張り込みや尾行の類は不得手な青木だが、今日は隣に雪子がいる。たとえ見咎められても、雪子とデート中だと言い張ればいい。ただし、それは薪以外の相手に対してだが。

 予定には大分早い6時半ごろ、薪は姿を現した。
 第九にいたときと同じ、青灰色のスーツに薄紫のネクタイ。職場からここに来たと見えて、通勤用の鞄を持っている。
 せっかくのデートなのだから、時間が許せば一旦は家に帰って、服装を整えてくるのが普通だと思うが。それとも早く彼女に会いたくて、居ても立ってもいられなかったのだろうか。そんなに彼女のことが好きなのだろうか。
 ……当たり前だ。結婚まで考えているのだ。
 青木の脳裏に、みどりと愛し合う薪の姿が浮かぶ。
 薪がそれを望むなら。
 本当に薪のことが好きならば、彼の恋の成就を喜ぶべきではないか。

「三好先生、もういいです。やめましょう」
 どんなにつらくても、どんなに泣いても。かつて薪が鈴木と雪子を祝福したように、自分も薪とみどりのことを応援しよう。

「なに言い出すのよ。ここまで来て、怖気づいてんじゃないわよ」
「そうじゃなくて。オレは薪さんが幸せなら、それを喜ぶべきだと」
「あんた、メガネ変えたほうがいいわよ」
 メガネは今年の冬に新調したばかりだ。岡部と柔道の稽古をしていたときに割ってしまって、それからスポーツタイプのものに替えたのだ。
「薪くんの今の顔の、どこが幸せそうなの? あれがこれから好きな女とよろしくやろうっていう男の顔なの? 今にも泣き出しそうだったじゃないのよ」
「え?」
 ホテルのロビーを横切っていった薪の表情を、青木は思い出せなかった。自分を抑えるのにいっぱいいっぱいで、薪の表情を見る余裕などなかったのだ。

「しっかりしなさい! そんな根性で、薪くんの恋人になれるとでも思ってんの。あの複雑怪奇な男と付き合おうと思ったら、死ぬ気で行かなきゃダメよ。薪くんに投げ飛ばされても蹴り飛ばされても、逃げちゃだめ!」
 そこまで覚悟しないとならないのだろうか。命を賭けた恋、というのは聞いたことがあるが、こういう意味ではないような気がする。

「部屋の番号、覚えてる?」
 メモに書いてあったかもしれない。なかったかもしれない。いや、確かカードキーが置いてあった。それに番号が書かれていたはずだ。
「えっと、あれ? いくつだったっけ」
「この役立たず!!」
 ひどい。雪子の罵倒は、時々とても辛辣だ。
 青木だって自分の記憶力の無さが、泣きたくなるほど悔しい。ここにMRIがあったら、自分の脳を取り出して記憶を検証したいくらいだ。

 慌てて薪の後を追うが、彼の姿はすでに消えていた。エレベーターに乗るのが見えたから、部屋に向かったものと思われるが、どの客室かはわからない。
「どうすんのよ」
「たぶん、10階より上だと思うんですけど。それ以下だったら薪さんは階段を使いますから」
「このホテル、20階まであるのよ」
 虱潰しに当たるには多すぎる。こんなことで手帳を使うわけにはいかないし、バレた時には薪に迷惑が掛かる。それは避けたい。

「仕方ない。15年前と同じ方法でいくか」
「15年前って?」
 雪子はフロントに向かうと、受付の女性に話しかけた。
 しかし、フロントから薪の部屋を聞き出すのは難しいだろう。ホテルはプライバシー重視の接客業だ。フロント係がペラペラと顧客の情報を喋ってしまうようなホテルなど、青木だって利用したくない。
 案の定、受付の女性は困惑した表情になって雪子に応対している。丁寧な返答を心がけているようだが、雪子の期待した答えはくれそうにない。
 しばらくの押し問答の末、雪子はとうとう大きな声で叫んだ。

「ここであたしの亭主が女と逢ってるのよ! さっさと部屋の番号を教えなさい!!」
 ロビーどころかホテルの外まで聞こえそうな声量に、受付の女性が青くなっている。
 青木は慌てて雪子を止めに入った。他の客の迷惑になる。
「三好先生、まずいですよ!」
 自分の目的のためには他人の迷惑を顧みない人間もこの世にはいるが、青木にはそれはできない。これは持って生まれた性格で、どんな局面になってもこんな風にしか動けない。雪子のような無鉄砲な性質が、少し羨ましくもある。

「薪くんは、彼女との関係を望んでない。なのに、なんで彼女の言いなりになってるか、考えてみた?」
 確かに薪らしくない。好きでもない女とそんなことをするひとではないし、誘惑や強制に屈することは、もっと考えられない。
「薪くんがバカな真似をするときは、鈴木くん絡みって相場が決まってんのよ。あのひとは昔からそうなの」
 それで雪子は、こんな無謀な行動をとったのだ。考えてみれば雪子は男勝りだが、決して思いやりのない人間ではない。

 青木は生まれついての自分の性分に、今だけは逆らうことにした。
「すみません、ひとの命に関わることかもしれないんです。お願いします!」
 二人に増えたクレーム客に、フロントの女性は困惑を深めたのだった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ラブレター(14)

 早朝より、みなさまのオフ会のレポートを読ませていただき、その状況を目に浮かべてます。
 特に、1次会のカラオケボックスは楽しそうでしたね。
 カラオケボックスなら、『薪さん大好きー!』と思いっきり叫んでも、部外者に迷惑をかけずに済むし。(周り方の迷惑は……?) わたしも叫びたかった~~!
 薪さんドールもご一緒だったみたいで、羨ましいです。
 あーんなことやこーんなことをさせられてた、という所で吹きました。現場にいたらガン見してたな(^▽^;)




ラブレター(14)






 白いシーツがかかったダブルサイズのベッドに、神話から抜け出たような清廉な美貌が横たわっている。
 やわらかな亜麻色の髪。雪のように白い肌。天使もかくやといった、その優美なからだ。
 間宮がずっと自分のものにしたかった、美しい生き物。

「いいのかい?」
「どうぞ」
 今夜のことは、薪も了承の上。
 しかし、と間宮は腕を組む。

 限りなく整ったきれいな顔の、その表情はどうだろう。
 疲れきった老人のように虚ろな瞳。笑ったことも泣いたこともないような、硬い頬。呼吸を繰り返す機能しか持たない唇。秀麗な額も小さな鼻も、女のように細い顎も、形だけは見事だが、そこには血が通っていないかのようだ。
 間宮が手に入れたかったのは、こんな壊れた人形のような生き物ではない。

「どうしました? 手錠がないと、その気になりませんか」
 ソファに座ったまま動こうとしない間宮に痺れを切らしたのか、薪は天井を見つめたまま皮肉な口調で言った。それはいくらか間宮の食指を動かしたが―――― やはりダメだ。
「人形なんか要らないよ。どうせ大した性能もないんだろ」
 今日の薪は、ぜんぜんそそらない。
 はっきり言って、勃たない。
「こないだ俺の下で悪態ついてたきみのほうが、100倍魅力的だよ」
 ぺニンシラホテルで、手錠で両手を拘束されながらも、間宮を射殺すような眼で睨みつけていた薪は、下半身を直撃するような色香を放っていた。あのキツイ瞳が徐々に肉欲に支配されて潤んでいく様子は、間宮にこれまでにない興奮を与えてくれた。

「身体を見ればわかるって言っただろ? きみは、俺に抱かれたがってるんじゃない。そうすることで、何かを果たそうとしてるんだ」
 ローテーブルの上からワイシャツを選んで、ベッドの麗人に放り投げる。
「俺は他人を利用するのは好きだけど、利用されるのは嫌いなんだ」 
 抱こうと思えばできないことはないが、それでは間宮の欲しい薪は永遠に失われてしまう。そんな気がする。

 薪は起き上がって、ワイシャツを肩にかけた。右手でシャツの前を合わせて、苦笑する。
「けっこう、勝手な人なんですね」
「きみに言われたくないよ」
 はだかの身体にワイシャツを羽織っただけの薪の姿は、間宮の男を刺激したが、今日は何もしなくていい。
 薪の瞳が、こんなにやさしい光を宿すのを初めて見た。これは大きな収穫だ。

 薪はベッドから降りて、こちらに近付いて来た。ローテーブルの上に置いてある防弾チョッキに、細い手が伸びる。
 そうか、ワイシャツよりこちらが先か。
 薪がワイシャツを脱いだところに、ドアを蹴破る音が響いた。

 ……なんだか、前にも同じようなことがあった気がする。この後の展開は確か――――。

「間宮! この野郎、性懲りもなく!」
 やっぱり岡部だ。
 彼の捜査能力には、本当に感服する。第九より捜一に相応しい男だ。捜一のほうが彼の真価を発揮できるだろう。多分、薪が手放さないだろうが。
「今度は顔の骨格が変わるまで殴ってやる!」
「ち、ちがうっ! 今回は俺は何も」
 この男を止められるのは薪だけだ。間宮の無実を証明してくれるのも、彼だ。
 ところが、薪はなにも言おうとしない。
 底意地の悪そうな眼でこちらを眺めつつ、わざとゆっくりと服を着る。その高飛車な視線が、間宮の欲望を掻き立てる。
 なんて征服欲をそそる表情だろう。やっぱり、薪は最高だ。

「岡部。その辺にしとけ」
 きっちりとネクタイまで結び終えてから、薪はやっと口を開いた。
「本当なんだ。部長は何もしてない。僕がここに彼を呼んで、自分から服を脱いだんだ。だから、彼は悪くない」
「……それ、殴る前に言ってくださいよ」
 間宮の両頬は腫れあがり、唇は切れて色男は台無しだ。これでまた、2週間は夜遊びができない。

「ひどいよ、薪くん」
「こないだの報復です」
「あの時のことは、水に流すって言ったじゃないか」
「その後の部長会議のことです。みんなの前で騒げないのをいいことに、あちこち触ったじゃないですか」
「あれは単なるスキンシップだよ」
「セクハラです」
「さっきは俺に抱かれる気だったくせに」
「岡部。もう一発殴っていいぞ」
「い、今のは取り消す!」
 バキボキと指を鳴らした獰猛な部下に向かって「やめとけ」と笑い、薪は冷蔵庫からミネラルウォーターを出した。自分のハンカチに冷たい水を含ませて、それを広げて間宮の頬に当ててくれた。

「早く氷で冷やしたほうがいいですよ」
「きみ、氷の警視正なんだろ。氷くらい出してみせてくれよ」
 間宮の冗談に、薪はくすっと笑った。
 とても魅力的な微笑だった。
 本気になりそうだ、と間宮は思った。




*****



 みなさま、間宮の行動を見抜いていらっしゃいましたね。意外でした。
 ファイヤーウォールで間宮を暴走させたのは、このシーンのハラハラドキドキを高めるためだったのに~。
 修行が足りませんでした☆

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ジャンル : 小説・文学

ラブレター(15)

ラブレター(15)






 岡部がこの部屋を探し当てたことに、薪は驚かなかった。
「あのメモを見てたんだな、おまえ」
 図星だ。薪には簡単なことだ。
 このくらいのからくりは、青木でも見抜くだろう。
 メモの下のカードキーの数字を、岡部は正確に覚えていた。そのカードキーのデザインが間宮が持っていたものと同じであることに気づいて、この事態を予見した。

「薪さんにしては、うっかりしてましたね」
「書類の陰になって、僕のところからは見えなかったんだ。そんなものを彼女が置いていったなんて、知らなかったし」
 薪は岡部を見て、ククッと笑った。
「しかし、ドアを蹴破るなんて思い切ったな、おまえ。僕と彼女がその最中だったら、どうするつもりだったんだ?」
 その可能性は、限りなく低いと思われた。
 薪は、好きでもない女とそういうことができるタイプではない。風俗ならともかく、素人相手にそんな真似はしない。

「8時になったら、彼女がここに来るんだ。おまえは間宮部長を連れて早く出て行って」
 顔面に突き付けられた淡いピンクの便箋を見て、薪は言葉を呑み込んだ。
 亜麻色の目が大きく見開かれて、さっと顔色が蒼ざめる。この証拠品を手に入れるために岡部が犯した罪を知って、薪は鋭く岡部を糾弾した。
「僕のデスクの鍵を開けたのか!? 鈴木のアルバムを勝手に……!」

 岡部の卑劣な行為を責めるそのセリフは、今回の薪の不自然な行動が、その手紙に起因するものだと告白しているも同然だった。それに気づいて途中で言葉を止めても、後の祭りだ。
 もはや、どんな嘘も通用しない。薪を動揺させて言い逃れの道を塞ぐことなど、岡部にとっては朝飯前だ。

 室長の机の一番下の引き出しの奥には、シークレットボックスがある。簡単な鍵のかかるもので、一般の職員には見せたくない人事考課の書類などが入れてある。
 その中にあった、親友の写真ばかりで埋め尽くされた薄いアルバムに、この手紙が挟まれていた。
 女の文字で、『わたしの憧れだった鈴木さんを返して』と書かれている。
 これは確か2年前の秋に、薪のもとに届いた手紙だ。この手紙を見てから薪は、自分宛の私信(ラブレター)の封を切らなくなったのだ。

「この手紙を書いたのは、横川みどりなんですね」
 手紙にはもちろん、差出人の名前など書かれていない。しかしそれは、とてもきれいな文字で綴られていた。
「あのとき、彼女の自筆のメモを見て、あなたはそれに気づいた」
 岡部の問いに、薪は沈黙で答えた。
 ここまで辿り着いた岡部に、言い訳は効かないと悟ったらしい。
「それからあなたは、彼女の言いなりになった。彼女を庇い、彼女の言葉を否定せず、彼女があなたを貶めようとするのを解っていて、ここに来た」
 薪の後ろで、間宮がそっと席を立った。そのままドアのほうへ歩いていく。岡部たちの会話の内容を案じて、席を外してくれる気なのかもしれない。
「でも薪さん。そんな贖罪の仕方は、間違ってます」
 空いたソファに薪を座らせて、岡部は諭すように言った。
「あなたがそんなことをしたって、彼女の傷が癒えるわけじゃない」

「……どうしていいか、わからなかったんだ。彼女が僕の傷ついた姿を見たいなら、それを叶えてあげるのもいいかな、って」
 他の事なら、薪はこんな愚かな行動はとらない。岡部が言ったようなことは、薪だって分かっているはずだ。
 あの事件が絡んだ途端、薪は冷静でいられなくなる。
 アキレスの踵――――― 薪の弱点は、とても明確だ。

 なんと声をかけていいものかわからず、岡部はガシガシと頭を掻いた。
 この状態の薪に何を言っても、傷を広げてしまうだろう。
 が、呆然と空を見つめている薪が、また自分を責めているのを感じて、岡部は言葉を継いだ。
「彼女の目的は、あなたを社会的に抹殺することですよ。この様子も、きっとどこかから見ているはずです。ビデオ撮影でもして、それを公表する気でいるんですよ」
「お見事、岡部くん。君の推理は100点満点だ」
 間宮に腕を掴まれて、みどりが引きずられてくる。
 入口近くの、クローゼットの中に隠れていたらしい。岡部がドアを蹴破ったときには、さぞ驚いたことだろう。

「がっかりだわ、間宮部長」
 愛らしい天使の仮面をかなぐり捨てて、みどりは乱暴な口調で吐き捨てた。
「一度でも寝れば、薪室長はあなたに夢中になるって言ってたじゃない。何よ、あの陳腐な口説き文句。身体だけじゃなくて心も欲しくなった、とか言うんじゃないでしょうね」
「失礼な女だな。俺はベッドの相手とは、ちゃんと恋愛するんだ。例え擬似恋愛でもその場限りでも、そのほうがベッドが楽しいから」
 ドンファンの主張も、ここまでくれば見事かもしれない。これだけ徹底されると、だれも突っ込めない。
 
 間宮の腕を振り払って、みどりは薪を睨んだ。
 その凶悪な視線を、薪は弱気な瞳で受け止める。すべてが露見したというのに、彼女はまだ薪を傷つけることを諦めていない。
「岡部。間宮部長をお連れして、先に帰ってくれ。僕は横川さんを送っていくから。もう遅いし、女性の一人歩きは危険だ」
 むき出しの敵意を痛いほど感じながら、薪は彼女を庇うことを止めない。自分が犯した罪に科せられる罰は、すべて甘んじて受け入れる。
 2年前に何一つ咎めを受けなかった薪は、自らそれを求めていた。
「薪さん」
「岡部。頼む」
「しかし」
 そこに重苦しい空気を破って、二人の男女が現れた。ばたばたっと派手な靴音を立てて、壊れたドアから駆け込んでくる。

「薪くん! まだ犯ってない!?」
「薪さん! まだ食われてないですか!?」
 どちらも薪の貞操を案じる言葉だが、正反対なのは何故だろう。

「あれ、岡部さん? 間宮部長まで」
「どーゆーこと?」
 どんな過程をたどって彼らがここに現れたのかは不明だが、辿り着いただけでも誉めてやろう。現場経験のない青木が、慣れない張り込みや聞き込みをしたのだ。その努力だけでも認めてやりたい。

「青木。ちょうどいい。おまえが横川さんを送っていってくれ。僕に送られるのは、彼女も厭だろうから」
「え、どういう意味ですか? 薪さん、彼女と付き合ってるんじゃ」
「あんたのホモのお相手に送ってもらうなんて、まっぴらよ!」
 第九にいたときとは別人のようなみどりの態度に、青木は声を呑んだ。
 部屋が、シンと静まり返る。
「横川さん。何度も言ったけど、それは誤解だから」
「なに? 薪くん、この男とデキちゃってたの?」
 みどりの発言は、間宮にとって大問題だったらしい。腫れあがった唇を歪めて、間宮は薪を説得にかかった。

「騙されちゃいけないよ。この男は、その女とデキてるんだよ。俺はさっき見たんだから」
「ちょっと、いい加減なこと言わないで下さいよ! 薪さんに誤解されたら、どうしてくれるんですか!」
「こんな二股かけるような男よりも、俺のほうが君に相応しいよ」
「間宮部長にだけは言われたくないです! 曜日ごとの恋人が1週間分いるくせに!」
「俺を甘く見るなよ。今のところは12人だ」
「一週間で、足りないじゃないですか」
「午後と夜で分けるんだよ」
「ああ、なるほど。じゃ、あと2人はいける計算ですか」
「薪くんは特別だから。まる1日独占ってことで」
「さすが薪さん、ってなに勝手なこと言ってんですか!」

「……岡部。二人とも窓から蹴り出せ」
 11階の窓から落とされる恐怖に、空気の読めない男たちは、慌てて口を閉ざしたのだった。




*****


 みどりが薪さんに宛てた手紙のことは、『2060.6 オフタイム』というお話に、ちらっと出てきます。
 ほんの2、3行なので誰も覚えてないだろうと安心していたら、わんすけさんが、覚えてました。脱帽ですー。(@@)


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ラブレター(16)

ラブレター(16)





 
 長身の新人と法一の女医は、Mホテルの廊下で息を潜めていた。
「大丈夫ですかね。二人にして」
「仕方ないでしょ。薪くんが、どうしてもって言うんだから」
 部屋の中には、薪がみどりと二人きりでいる。みどりと話がしたいから、青木たちはロビーで待つように言われたのだ。
 が、薪の言うことを、素直に聞くような彼らではない。階下に下りる振りをして、岡部が壊したドアの影に身を潜めているのだ。

 先刻、岡部は間宮を連れて部屋を出て行った。
 間宮はいわば、部外者だ。薪の弱点の詳細を知られないように、との配慮からだ。
 立ち去る前に岡部は、横川みどりの正体と、その目的を教えてくれた。ピンクの便箋と履歴書のコピーを青木に預け、間宮を引き摺るようにしてエレベーターに乗り込んだ。
 薪のことを青木に託して現場を離れた先輩の期待に応えるためにも、何かあったらすぐに対処ができるよう、ここで待機するのがベストだ。ここにいれば、野次馬が集まってきたときの防波堤にもなれる。

「横川さん。多分、これが最後の機会です。僕に言いたいことがあったら、言ってください」
 薪の穏やかな声が聞こえてくる。ドアが壊れているから、中の会話は筒抜けだ。
「言いたいことなんかない。わたしはあなたが許せないだけ」
 みどりの声は、ひどく刺々しい。あの甲高い甘え声が、口調次第でこんなに怖いものになるのか。
「許してもらおうとは思ってません。言いたくないなら、言わなくていいです。でも、教えてください。あなたは鈴木とはどういう関係だったんです?」
「鈴木さんは、わたしの憧れだったの」

 それは手紙にも書いてあった。が、詳しいことは解らない。
 話してくれれば、彼女に詫びる方法も見つかるかもしれない。薪はそう思って、みどりと話したいと言ったのだ。
 自分を陥れようとした相手にまでやさしくしなくても、と青木は思うが、鈴木の関係者となれば、放ってはおけないのだろう。

 薪の限りないやさしさが、いつか彼を滅ぼすことになるのではないか。
 青木はそんな不安を覚えた。



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ラブレター(17)

 この注記を書くべきかどうか、すごく迷ったのですが。

 この章には、容姿に関する謂れのない中傷を受ける部分が出てきます。万が一、そういったことに辛い思い出のある方はご注意ください。
 と言うのもわたし自身、むかし似たような経験がありまして。 いつものように書いたあとで読み直したら、予想以上にがっくりきました。
 ああいう傷って、なかなか癒えないものなんですね(^^;





ラブレター(17)







 みどりは昔から、他人より少し、おっとりした娘だった。
 それが何の間違いか、警察などというところに入ってしまって。周りのペースについていけなくて、みどりはいつも独りだった。

 みどりの孤独に、彼女の容姿が多大な影響を及ぼしていたのは、彼女にとって不幸な事実だった。引っ込み思案な性格だった彼女は、自分から友人を作ることもできなかった。
 哀しいことに、みどりはとても醜かった。
 醜い上に愛嬌もなく、気の利いたことも言えなかった。
 昼食に誘ってくれる友だちもなく、お昼休みはいつもひとりで、職員食堂を利用していた。

 いつのことだったか、はっきりとは思い出せないが、たまたま同じ経理課の同僚と背中合わせに座ったことがあった。かしましいお喋りから、みどりはすぐに彼女たちの存在に気付いたが、彼女たちはみどりに気付かなかった。
『ねえ。来月の食事会。みどりのこと、どうする?』
『やだあ! 誘わないでよ。あたし、絶対にあの娘と一緒にごはん食べたくない。あの顔見ながらだと、どんな美味しいものでも、生ゴミ食べてる気分になりそう』
 ひどーい! という声が上がるが、それは明らかに笑いに満ちた声で。みどりを食事会から追放しようとする意見を、否定するものではなかった。
『でもまあ、たしかに。喉を通らなくなるかも』
『食欲、落ちるよね』
『名づけて、みどりダイエット?』
 何がおかしいのか、そこでけらけらという笑い声が聞こえた。

『みどりのやつ、早く異動になればいいのに』
『そうよね。あの娘がいるだけで、経理課のレベルが下がるわよね』
『あたしだったら、耐えられないけどな。あの娘って、なんであんなに目と目が離れてんの? どうして下の顎がずれてるの? 鼻は上向いてるし、出っ歯だし。あれが人類の顔?』
『性格も暗いよね。ブスの上に根暗だったら、もう死んだ方がいいよ』
 もちろん、それは悪意のない冗談だったのだろうが。
 昔から、自分の容姿について他人から蔑まれることに慣れていて、こんな中傷を受けたことは初めてではない。
 ……だからと言って、傷を負わずに済むわけではない。

 みどりは次の日から、職員食堂に行けなくなった。仕方がないので、自分で弁当を作り、研究所内の中庭で食べることにした。
 経理課の自分の席はダメだ。室内で愛妻弁当を食べている、係長たちの食欲を減退させてしまうだろうから。
 毎日毎日。雨の日も、風の日も。
 雨の日は傘を差して、立ったままおむすびを齧った。
 ときどき、なんでわたしはこんなことをしているんだろう、と涙が流れたが、みどりはそれを雨が頬に当たったのだ、と思うことにした。

 食事が済んでも、自分の課に帰りたくない彼女は、昼休みの間中、ベンチに腰掛けてぼうっとしていた。
 そんな彼女のささやかな楽しみは、中庭で毎日のように見かける、ふたりの男子職員を観察することだった。
 第九研究室の室長と、その親友。
 彼らの仲の良さは署内でも有名だったが、その友情は決して相互的なものではなく、穏やかな鈴木が我儘な薪に無理矢理つき合わされている、という見方をしている者が殆どだった。
 しかし、みどりの目には、そうは見えなかった。
 彼らはいつも楽しそうに話をしていたし、その笑い声は弾けるようだった。多忙な彼らは昼休みに書類をめくっていることも多かったが、例え会話はなくても、ふたりの間に流れる空気はとても親密なものだった。
 みんなは誤解している。あのふたりは本当の親友なんだ。みどりはそう思った。
 友だちのいないみどりには、それはとても羨ましいと同時に、少しだけ妬ましい関係だった。

『きみって毎日、ここで日向ぼっこしてるね』
 鈴木が自分に声を掛けてくれたとき、みどりはあまりの驚きに声も出せなかった。
 男性に、こんな風に声を掛けられたのは、生まれて初めてだった。
 悪意にまみれた揶揄いや冗談ではなく。蔑みや嫌悪でもなく。
 ただ普通に。
 普通の友人に、声を掛けるように。

 そのとき、鈴木は半袖のパーカーにジーンズ姿だった。
 場違いな服装に首をかしげる彼女に、鈴木は旧知の友に微笑みかけるような、やさしい笑顔を向けてくれた。
『この格好? オレ、今日は非番なんだ。でも、昼飯だけはここでダチと食おうと思って』
『お友だちって、薪室長のことですか?』
『そ。あいつ、オレがいないと昼飯食わないんだよ。ったく、世話の焼けるやつ』
『……みんなは、鈴木さんが我慢してるから、あのふたりは一緒にいられるんだって言ってますけど』
 そんなことはないよ。薪はいいやつだから。
 毎日のように彼らの様子を見ていたみどりは、てっきりそういう返答が返ってくるものと思っていた。ところが、鈴木の言葉は、みどりの予想とはまるで反対だった。

『みんな良く分かってくれてるんだ。そうなんだよ、ホントに大変なんだから。薪の面倒見るのは』
 大変だとこぼしながらも、鈴木の笑顔はとても明るかった。
『オレじゃなきゃ、ダメなんだよ』
 すごくうれしそうだ。
 
『それにしても遅いな、薪のやつ。腹へった……』
 鈴木の目が、みどりの食べかけの弁当に注がれた。みどりは、頬が熱くなるのを感じた。
『それ、きみが作ったの?』
 なんだか胸が一杯になって、喉に綿の塊が詰まったみたいに息苦しさを覚えた。みどりは頷くのがやっとだった。
『へえ、美味そう。いいなあ、料理が上手い女の子って。オレの彼女、料理はてんでダメでさ。こういうの、憧れるよ』
 その言葉はみどりにとって、2つ目の初めてだった。
 初めて、他人に褒められた。

 そんな些細な言葉がうれしくてうれしくて、みどりは彼に何かお礼をしたい、と思った。
 勇気を振り絞って、美味しそうだと言ってくれた鳥の唐揚を、こわごわと鈴木の方へ差し出した。拒絶されるとは、考えなかった。彼の黒い瞳は、限りない許容とやさしさで溢れているように見えた。

『いいの? サンキュー!』
 果たして鈴木は、大きな手で弁当箱の中の唐揚をつまむと、ひょいと口に放り込んだ。
『ん、美味い! これ、薪に負けてない。ほんっと、美味いよ』
 賛辞の言葉より雄弁に、鈴木の表情が彼の喜びを伝えてきた。
 細めた目のあたたかさが、笑った口唇の無邪気さが、みどりのこころを満たした。その気持ちはみどりにとって、3つ目の初めてだった。

 そこに麗しの警視正が姿を現した。右手に布製の手提げ袋をぶら下げている。
 その姿を認めると、鈴木はみどりに軽く手を振って、親友のほうへ歩いていった。
『なんで来てんだよ。せっかく僕が雪子さんの休みに合わせて、シフト組んでやったのに』
『雪子とはこれから会うんだよ。その前にここに寄ったんだ。1日に1回は、おまえの顔見ないとさ』
『ていうか、鈴木の目当てはこれだろ』
『おっ、今日はチラシ寿司か。ラッキー!』
 当然のように鈴木の隣を歩く薪に、瞬間、みどりは激しい嫉妬を覚えた。が、すぐにそんな自分を恥じた。
 経理課の同僚など足元にも及ばない、美貌の室長。鈴木に笑いかける笑顔の美しさは、見るものを虜にする。彼なら、誰よりも鈴木に相応しい。

 それから何年も、みどりはふたりのことを見つめ続けた。何年経ってもかれらの関係は変わらず、ふたりの仲の良さはみどりの胸を温かくした。
 同僚たちが知らないふたりの真実に、自分だけが気付いている。
 みどりは、そのことが誇らしかった。このふたりの友情はみんなが言ってるように、鈴木の我慢によるものではなく、お互いに相手のことを本当に大事に思っているのだ、と信じていた。

 それなのに。
 それなのに、あの事件は起きた。

 まるで自分が裏切られた思いだった。自分が撃たれたような衝撃だった。
 昼休みの中庭から、かれらの姿は消えた。もう二度とふたりの交流を見ることができないのだと思うと、みどりの胸はじくじくと痛んだ。

 その痛みから逃れるために。
 みどりはその年の秋、警察を依願退職した。



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ラブレター(18)

ラブレター(18)






「……なんであんたが生きてんのよ」
 しばしの沈黙のあと、みどりは血を吐くように呟いた。
 恨みのこもった陰鬱な声音。ふつふつと滾るような暗い情念を含んだその響きに、周りの風景が、ぐにゃりと歪んだような錯覚を覚える。

「鈴木さんみたいないい人が死んで、どうしてあんたみたいな人間が生きてんのよ!」
 みどりの激しい糾弾に、青木は薪の命を忘れて部屋の中に飛び込んだ。
「止めろ! それ以上」
「出て行け、青木!」
 厳しい叱責に足が止まる。雪子が後ろに来て、青木の腕を押さえる。ここは堪えろ、ということか。
「ロビーで待っていろと言っただろう。雪子さんも」
「人殺し!」
 その言葉が。
 言葉というものが、どれだけの破壊力を持って人を傷つけるのか、青木はそれを目の当たりにした。
「あんたは人殺しよ!」

 薪の胸から、血が流れ出したような気がした。薄紫のネクタイが、赤く染まっていくのではないかと思われた。
「なにが正当防衛よ。なんで撃ったのよ。親友だったんでしょ? いざとなったら、自分の命が大事だったのよね。鈴木さんは、あんなにあなたのことを大事に思ってたのに!」
 薪を傷つけるために、彼女の口から生み出される凶器たち。
 見る見る精彩を欠いていく、薪の姿。亜麻色の眼から、くちびるから、生命そのものが零れていくようだった。
 おぼつかない足元がぐらりと揺れて、薪はその場に崩折れそうになった。
 支えようと差し伸べた青木の手を、薪は払いのけた。ソファの背もたれに手をつき、体勢を立て直そうとする。呼吸を整えて顔を上げたとき、薪は自分が払いのけた青木の手に握られた、二枚の紙に気付いた。

「それは」
「岡部さんから預かった、証拠物件です」
 淡いピンクの便箋と、写真付きの履歴書。写真の女性は、目の前の愛くるしい女性とは似ても似つかない。
 薪の頭の中で、ハードディスクが動き始める。カシャカシャと何百枚もの顔写真が廻り始め、やがて目的の画を探り当てる。
「……鈴木と中庭で話してた。4年前の夏」
「ウソ。憶えてるの?」
 薪は一度見た人間の顔は忘れない。ハードディスクのキャパシティは無限だ。

「そんなに頭がいいくせに。鈴木さんのことは忘れちゃうのね」
 忘れてなどいない。薪は今でも、毎日鈴木の写真に語りかけている。
 彼女は一体何を根拠に、薪が鈴木を忘れていると言うのだろう。

「なぜ、整形なんか」
 あなたにはわからないでしょうね、とみどりは小さく呟き、傲然と顔を上げて言い放った。
「間宮部長に近づくためよ。第九に入り込むため」
「まさか、きみ」
「寝てないわよ。部長は、人造ダイヤは好きじゃないんですって」

「どうして、今ごろなの?」
 青木の後ろから、雪子がみどりに問う。それは薪も、不思議に思っていた。
「あの事件から2年も経った今になって。どうして?」
「1月のテレビを見たわ。このひとは澄ました顔で、MRI捜査の社会的役割について話してた。みんながこのひとに拍手をして、このひとのことを誉めそやして。だれもこいつが人殺しだって気づいてなかった。
 わたしはそれまではずっと、薪室長はあの事件のことを悔いていると思ってた。でも、この人は堂々とTVなんかに出て、みんなにちやほやされて、虫も殺したことのないような聖人面で、きれいに笑ってた。
 それを見て思ったの。このひと、本当に鈴木さんのこと、忘れちゃってるんじゃないかって」
「そんな! 薪さんは」
 薪に睨みつけられて、青木は口を閉ざす。彼女の話を黙って聞け、と亜麻色の瞳が言っている。
 
「それからわたしは、あなたのことを調べた。あなたはこの男とすっかり仲良くなって、夜を一緒に過ごしたのも、一度や二度じゃない」
「それは誤解です。こいつとはただの飲み友達で。たしかに僕の家に泊まったりもするけれど、そのときには岡部と一緒です。ふたりだけで夜を過ごしたことなんて、一度も」
 そこで薪は口ごもる。ペニンシラホテルの出来事を思い出したのだ。
 しかし、あれは不可抗力だ。犬に噛まれたようなものだ。だから、ノーカウントでいいはずだ。

「わたし、見たのよ。こないだだって、車の中でキスしてたじゃない」
「横川さんの見間違いです。手帳に誓って、そんなことはしていません」
 たしかに、キスはしたことがある。でも、そんな人目につく場所ではしていないし、あれはそういう意味じゃない。
 それに、こいつとキスをしたのは、テレビに出る前だ。彼女が自分を調べ始めたのがその後なら、彼女には絶対に見られていないはずだ。
 薪の認識ではそれが事実だったが、実際には少し違う。
 青木に車で家まで送ってもらったとき、実は何度もくちびるを盗まれている。眠っていて、それに気づかなかっただけだ。薪が知らないだけで、けっこうそのくらいはされている。青木は割合、ちゃっかりしているのだ。
 今も素知らぬ振りをしているが、青木は内心ドキドキである。みどりが指す『こないだ』というのは、ふたりで水族館に行ったときだ。例のごとく遊びつかれて眠ってしまった薪に、帰りの車の中でキスをした。みどりはどこからか、それを見ていたのか。

「とぼけないでよ。何人もの男と関係してるくせに。男なしじゃ、生きられないんでしょ」
「ちょっと待ってください。いったい、どこからそんな話を」
「あんたが鈴木さんをそういう眼で見てたことも、解ってるんだから!」
 薪は弁解を諦めた。
 最後の言葉だけは正解だ。薪はずっと、鈴木のことを想い続けているのだ。
「なにが警察庁始まって以来の天才よ。全部、官房長と寝て得た役職じゃない。穢らわしい男娼のクセに!」

「あんた、いい加減にしなさいよ」
 今度は雪子が割り込んできた。このふたりは、自分の邪魔ばかりする。
「くだらない噂話を鵜呑みにして、あたしの友だちを侮辱してんじゃないわよ!」
「うるさいわね、オバサンは引っ込んでてよ!」
「オバ……!」
 パニックに陥った小動物のように、みどりは周り中の人間に噛み付いている。きっと彼女はいま、怖くてたまらないのだ。ここには彼女の味方はひとりもいない。

 バキャッ! と凄まじい音がして、木製のローテーブルが割れる。雪子の足が、テーブルの天板を真っ二つに踏み割ったのだ。
「舐めた口きいてんじゃないわよ、この小娘が。あたしを誰だと思ってんの?」
 ……こわい。相手が雪子では、薪でもこわい。実力を知っているだけに、果てしなく怖い。
 薪は無意識に、青木の近くに移動した。嵐を避けるときには物陰だ。

「知ってるわよ。鈴木さんの恋人だったんでしょ。けど、あんただっておかしいわよ。恋人を殺した男と、どうして仲良くできるのよ」
 この状態の雪子に言い返すことができるなんて、すごい勇気だ。命が惜しくないとしか思えない。
 子供のように幼い外見なのに、女性というのはこんなに強い生き物なのか。
「それとも、エリートならどっちでも良かったってわけ!?」
 謂れのない非難に、雪子の顔色が変わる。黒い目が細められ、力強い眉がぎりっと吊り上げられる。
 みどりも負けていない。薄茶の瞳は刃物のような凶悪な光を持って、雪子のことを真っ向から睨みつける。
 女性同士の睨み合いを見たのは、初めてだ。女のケンカが、こんなにコワイと思わなかった。

「薪さん。ちょっと、やばいです。止めないと」
「そ、そうだな。おまえ行け」
「ムリです。殺されちゃいます。薪さん、お願いします」
「いやだ。僕だって、マングースとコブラの間には入りたくない」
 男ふたりが情けない会話を交わしている間にも、彼女たちの怒気はどんどん膨れ上がった。彼女たちの背後に天敵同士の猛獣が見えるのは、薪の気のせいだろうか。

「叩くんなら叩きなさいよ!」
「叩いたりしないわ」
「きゃあ!」
 睨みあいは同格でも、武道の実力は雲泥の差だ。
 雪子は素早く動いてみどりの襟元を摑み、腰を落として小さな身体を放り投げた。みどりの体は面白いほど簡単に宙を舞って、絨毯を敷いた床の上に落下した。

「な、投げ飛ばした」
「雪子さん! 女の子を投げるなんて」
「大丈夫よ。女の腰は頑丈にできてるの。安全に子供を産めるようにね。薪くんの頼りない腰より、ずっと衝撃に強いわよ」
 みどりは声も出せずに床の上に座り、打ち据えられた臀部の痛みに顔をしかめた。
 しかし、その痛みは、みどりのパニックをいくらか落ち着かせてくれたようだ。諦めにも似た表情が彼女の幼い顔には浮かび、小さなくちびるが噛み締められた。

「それだけ吐き出したら充分でしょ。まだ残ってたら、あたしが聞いてあげるわ」
 細い腕をつかんで、雪子はみどりを立たせた。
「この娘はあたしが送っていくわ」
「でも」
「そこのウドの大木より、あたしのほうがボディガードには向いてるわ」
 薪に車の鍵を見せて、雪子はにっこりと笑った。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ラブレター(19)

ラブレター(19)







 Mホテルの1122号室に最後に残ったのは、第九の室長と新人のふたりだった。
 嵐の後のような部屋で、青木は途方にくれている。岡部が蹴り壊したドアと、雪子が叩き壊したテーブルについて、ホテルの人に何と説明したらいいのだろう。

 とりあえずフロントに赴き、支配人に謝罪の言葉を述べると、既に間宮のほうから事情は聞いていると言う。
「素晴らしい。本格的な実地訓練でしたね」
「はい?」
「間宮様が立てこもり犯で、そちらの方が人質役で、さっきの怖い顔をなさった方が踏み込む役だったんでしょう? さっきお帰りになられた女性の方は、鑑識と監察医だと」
 そういう設定にしたのか。
 間宮の職業と肩書きがあれば、嘘くさい話も本物になるらしい。

「修理代は、間宮様のほうへとのお言葉をいただきました」
 支配人から詳しい話を聞くと、間宮は岡部に殴られた後すぐに、ホテル側に訓練のことを説明し、同じ階のホテル客には高級ワインの試飲会の名目で、別室に移動してもらったと言う。道理であれだけの騒ぎに、野次馬がひとりも現れなかったはずだ。

 しかし、金曜の夜のこの時間、しかも飛び込みの訓練要請に、このホテルはよく協力を承諾する気になったものだ。
「間宮様には、いつも当ホテルを大変ご贔屓にして頂いておりますし。手前どもに出来ることは、喜んで協力させていただきます」
 つまりここは、間宮が愛人たちとの時間を過ごす隠れ家ということか。
「それに……わたくしは、間宮様の熱いお気持ちに打たれました。あんなにお顔を腫らした間宮様を見たのは、初めてでございます。お仕事のために、そこまで熱心になられる方だったとは」
 支配人の誤解に、青木は曖昧に笑う。
 本当のことは絶対に言えない。警察官がウソを吐いてはいけないが、黙秘権は認められている。

「あなたは何の役だったんですか?」
「え、オレですか? えっと」
「こいつは、ただの野次馬役です」
 ……せめて、監察医の助手くらいの配役にして欲しかった。

 お騒がせしてすみませんでした、と頭を下げて、ふたりは地下駐車場への階段を下りる。岡部が薪の帰宅用にと、自分の車を置いていってくれた。自分は間宮の車で帰るから、と青木にキーをくれた。
 助手席に座った薪は、シートベルトをつけると窓のほうに顔を向けた。
 きっと鈴木のことを思い出して、青木の顔を見るのがつらいのだ。亡くした親友と瓜二つのこの顔を、薪は時折、懐かしいような切ないような瞳で見つめている。

 ナビに薪の住所を入力して、車をスタートさせる。
 あんなことの後で、何を話していいのかわからない。
 彼女のことはあまり気にしないで、元気を出してください。そう言いたいが、薪の心情を考えると、とても言葉にはできない。
 どんな言葉を使っても、取り返しがつかないくらい、傷つけてしまう。
 そんな気がして、何も言えない。

「だれにも責められなかったんだ」
 窓に映った自分の顔に話しかけるように、薪は語り始めた。
「あの事件のとき、僕は誰にも責められなかった。鈴木の両親も雪子さんも……僕を責めたのは、マスコミや顔も見たことのない一般人や敵対していた捜一の人間や、そんな僕にとっては、どうでもいい人たちばかりだった」
 それでも、薪はズタズタに傷ついた。誰よりも強く薪を傷つけたのは、薪自身だった。
 2年が過ぎようとしている現在も、自分を責め続けている。永遠の責め苦は、薪の生ある限り続くのだろうか。

「あんな風に断罪されたのは、初めてだった。僕は彼女がしようとしていることを、否定するわけにはいかなかった」
 誰にも責められないということは、裏を返せば誰にも許してもらえないということだ。
 弁解の余地も、自分がどんなにそのことを悔やんでいるか口にする資格も、持たせてもらえないということだ。

 だからきっと、薪はみどりの非難を、心のどこかで嬉しく思っていた。彼女に責められることで、自分の罪が浄化されていくような錯覚を覚えていたのだろう。

「彼女に償うためには、そうするしかないと思った」
 しかし、それは錯覚に過ぎない。
「そんなやり方は、間違ってます」
 そんなことをしても罪は消えない。薪の傷が増えるだけで、薪は決して救われない。
「他にどうすれば良かったんだ? どうしたら、彼女に詫びることができたんだ?」
「あなたを恨むのは筋違いだって、教えてやれば良かったんですよ。三好先生のやったことが正解です」

「……僕にはそれはできない」
 静かな声で、薪はぽつりと言った。
「僕が鈴木を殺したのは、事実だから」

 これからこのひとはきっと、だれもいない部屋に帰って、自分が殺した親友の写真を見ながら、ひとりで泣くのだろう。薄暗い寝室のベッドにうずくまって、いつものように膝を抱えて。朝まで泣き明かすに違いない。
 その涙を止めることができるのは、たったひとり。
 でも、その人物はこの世にはいない。

 ……いないのなら、呼び戻せばいい。

「青木?」
 マンションの玄関前を通り過ぎて、地下駐車場に車を止めると、薪は不思議そうな顔になった。助手席で首を傾げている薪に、青木は切羽詰った表情で頭を下げた。
「薪さん、すいません。トイレ貸してください」


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ラブレター(20)

 うちの設定って、本当に変わってるな、としみじみ思いました。
 雪子さんと岡部さんが、異常にカッコよくていい役で、主役のふたりが性格破綻者とヘタレって。 いいんでしょうか、こんなん書いてて。
 いや、書いてるほうは、すごく楽しいんですけど。(この展開を楽しいというのも、また問題が)

 まあ、いいか。
 自分が楽しけりゃ。(いや、ダメだろ、それじゃ)





ラブレター(20)








 品川にある雪子のマンションは、築5年の新しいものだ。
 立地条件と窓からの眺めが気に入って、売りに出されると同時に新規購入した。
 女がマンションを購入するのは結婚を諦めた証拠だ、と助手の女の子に言われてしまったが、毎月の家賃を払うなら、経済的には同じことだ。だったら払い終わったときに現物が残った方が得ではないか。
 もしも鈴木と結婚したにしても、しばらくはふたりで住みたいから、きっと彼がここに越してくることになったと思う。決して無駄にはならなかった筈だ。
 今は、菅井の言った通りになってしまったが。

「入りなさい。お茶くらい、ご馳走してあげる」
 雪子の腕力に恐れをなしたのか、みどりは逆らわずについてきた。
 おそらく、みどりは雪子にも興味があるのだ。憧れていた男性の恋人だった女性。鈴木のことで聞きたいこともあるに違いない。

「突っ立ってないで座ったら」
「……どこへ?」
 言われて雪子はあたりを見回した。
 めちゃめちゃ汚い部屋である。
 洋服が脱ぎ散らかされていて、床の色が見えない。何日掃除をしていないのか、埃があちこちに溜まっている。それに黒髪が絡まって、ものすごく見苦しい。部屋の隅に立てかけられた掃除機が活躍したのはいつだったか、雪子にも記憶がない。
「いつもはもう少し、きれいなんだけど」
「鈴木さんが、あなたといつまでも結婚しなかった理由がわかったわ」
 無礼な娘だ。

 雪子は台所へ行き、IHでお湯を沸かし始めた。電気ポットのお湯は、いつのものだかわからないから使えない。みどりは雪子と一緒にキッチンに来て、雪子の後ろに立った。
 雪子は料理が大嫌いで、キッチンにはほとんど立ち入らないから、リビングよりはずっとマシだ。だいぶ埃は溜まっているが。

 電子レンジの上に飾られている写真に目を留めて、みどりはそれを手に取った。
 雪子と鈴木と薪の3人で、鈴木の家の別荘に行ったときの写真だ。全員半袖のシャツを着ているから、夏のことだ。
 雪子が薪の後ろから細い肩に両手を載せて、その後ろからふたりをまとめて抱きしめるように、鈴木が長い腕を回している。
 3人とも、全開の笑顔で写っている。明るい笑い声が聞こえてきそうな写真だった。

 みどりは、食い入るように写真を見つめていた。
(鈴木さんが……鈴木さんだけが。あの頃のわたしに、こんな風に笑いかけて)

「やっぱり、許せない」
 写真を見たことで怒りが甦ったのか、みどりは篭った声で呪いの言葉を吐いた。
「こんなに仲が良かったのに。どうして薪室長は、鈴木さんを殺したの?」
「仕方なかったの。薪くんの判断は正しかったわ」
「よくそんなふうに割り切れるわね。わたしにはできない。あのひとを恨まずにはいられない。あんなやつ、めちゃめちゃに壊してやりたい」
「鈴木くんの恋人だったあたしが薪くんのことを恨んでないのに、あんたにそんな権利があるわけないでしょ」
 正論だと思ったのか、みどりは反駁してこなかった。

 乱雑にものが押し込まれた戸棚から、F&Mのダージリンを手に取る。これは、雪子のお気に入りの銘柄だ。
「鈴木くんのご両親でさえ、なにも言わなかった。薪くんがどんな人間か、わかってるからよ」
 薬缶から、カーカーという音がしてくる。紅茶は沸騰したお湯で淹れないと美味しくない。
「薪くんは、あたしの何倍も傷ついた」
 使いっぱなしでシンクの中に置いてあった、紅茶のポットとカップを洗う。来客用のマイセンは、この前菅井が来たときに割ってしまったから、みどりには普段使っているもので我慢してもらおう。
「あのひとは、本当にズタボロになったの。あのプライドの高いひとが、人前でぼろぼろ泣いたり夢にうなされたり。食事も睡眠もまともに摂ることができなくて、骸骨みたいに痩せ衰えて。
 あなたは、その薪くんを知らない」
 それを知っているのは、雪子と岡部だけだ。青木も他の職員たちも知らない。

「昔はそうだったかもしれないけど、今のあのひとは、鈴木さんのことなんかこれぽっちも考えてない。あの青木って男と、楽しそうに笑って過ごしてるわ」
「そんなことない。いまだに薪くんは、夢にうなされて夜中に飛び起きる。彼、昼休みには、必ず昼寝してるでしょ。あれは慢性的な睡眠不足のせいよ」
「昼間眠いのは、夜中にあの男と睦みあってるからでしょ」
「あのふたりは、そんな関係じゃないってば」
 今のところは、と心の中で付け加えて、雪子はため息をついた。

「あなただって、こうして写真なんか飾ってるけど、鈴木さんのことをどれだけ悼んでるっていうの?恋人を殺した男と楽しそうに話ができるなんて、わたしには信じられない」
 薪の心痛をいくら説いても、みどりは頑なだ。
 心の痛みは目に見えない。見えないものを信じるのは、人間の不得意分野だ。

 監察医らしく短く切った爪の先が、ブラウスシャツの袖のボタンを外した。左袖が、肘まで捲り上げられる。
 雪子は、夏でも白衣を着ている。その下には必ず長袖の服を着る。
 その理由をこんな女に知られるのは屈辱だが、他人の気持ちを推し量ることのできない小娘には、必要な講義だ。

「大切なひとを亡くして、平気でいられる人間なんか、いるわけないでしょ。みんなそれを表に出さないだけよ」
 雪子が差し出した左腕を見て、みどりの顔色が変わった。
 何筋ものリストカットの痕。これは鈴木が雪子に遺した傷だ。
 論より証拠だ。この娘も昔は警察官だったのだ。その精神は残っているはずだ。

「……あなたのことは信じる」
 しばらく黙り込んだ後、みどりは低い声で言った。
「あなたが薪室長を信じる限りは、わたしも信じることにする」
 みどりはひとつだけ、雪子の真実に気付いていた。
 埃まみれの部屋の中で、この写真だけが塵ひとつ付いていなかった。おそらく雪子は、毎日この写真を手に取っているのだ。

「ごめんなさい。それ、他人に見られたくなかったでしょ」
 みどりも女だ。その気持ちは解る。
 間宮に近付くという目的のため、みどりは持って生まれた素顔を捨てた。
 この顔になったときに味わったのは、異性からの賞賛と好意。同性からの微かな嫉妬。それはみどりにとって初めて味わう優越感だったが、反面、ひとの外見だけで態度を変える男たちが滑稽だと思った。
 男という生き物に幻滅していたみどりだったが、それでも、この顔が作り物であることを、他人には知られたくない。
 雪子たちには知られてしまったが、このひとたちは言いふらしたりしない。何故か、そう思える。
 それは、あの場に居た人間のひとりとして、みどりの昔の顔を知ったときに、その態度を変えなかったからだろうか。みどりが覚悟していた軽蔑や哀れみの色は、どの顔にも浮かばなかった。

「ごめんなさい」
 みどりがもう一度繰り返すと、雪子はニッと笑って、袖を元に戻した。不覚にも、みどりはその顔を美しいと思った。

「あなたが自分の秘密を見せてくれたから、わたしもひとつ白状する。薪室長は、わたしに指一本触れてない」
 雪子に言っておけば、青木にも伝わるだろう。
 別に、あのふたりがどうなろうと知ったことではないが、自分が薪と関係を持ったと雪子に思われるのもシャクだ。
「今日の昼、室長室でキスしてたって証言があるけど」
「あは。うまく行ったんだ。あの青木って男、ホントに単純ね。ノックの音が聞こえたから、眠ってる薪室長に口紅をつけただけ。それを見た誰かが、誤解すれば面白いと思って」
「やっぱりね。あの薪くんが、職場で昼間っからそんなことするはずないと思ったわよ。あっちのほうは本当にオクテなんだから。来たのが青木くん以外の人だったら、引っ掛からなかったかもね」

「あいつって、バカね」
「そうね。バカな男よね、ふたりとも」
 雪子の言動に、みどりは軽いデジャビュを感じる。
「不器用でバカで。救いようがないわ」
 面倒見きれないわよ、と言いながら、雪子の表情はとても楽しそうだ。昔、彼女の恋人が、親友のわがままをボヤきながら笑っていたときのように。

「さてと。ソファの上の服を退かせば、座るところができると思うんだけど。えーと、クッションはどこだったっけ」
 雪子はリビングに戻り、ソファの上からドサドサと、服やぬいぐるみなどを床に落とした。綿埃がもうもうと舞い上がる。
「わっぷ! ゴホゴホッ!」
 法一の女薪と恐れられ、仕事のできる女№1の称号に輝く雪子の情けないプライベートを見て、みどりは思わず苦笑した。
「お茶の前にお掃除ですね。わたし、お手伝いします」



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ジャンル : 小説・文学

ラブレター(21)

ラブレター(21)









 勝手知ったる上司の部屋に入るや否や、青木はバスルームに直行した。
 ジャケットを脱ぎ、ワイシャツ姿になって、髪をシャワーで濡らす。柑橘系の香りがするシャンプーで、手早く髪を洗い始める。
「トイレは隣……なんで頭洗ってんだ、おまえ」
 きちんと洗うことはない。ワックスだけ取れればいいのだ。

 かっきり2分で洗髪を終えて、ドライヤーのスイッチを入れる。鏡の中に写っている自分の顔が、緊張しているのがわかる。
 うまくいくかどうかわからない。逆に薪の傷を広げてしまうかもしれない。
 でも、いま薪のこころを癒してやれるのは、この男だけだ。

 薪はバスルームの入口に立って、訝しげな顔でこちらを見ている。
 青木の計画は露呈していない。

 ドライヤーを置き、髪をブラシで整える。いつものオールバックではなく、左からの斜め分け。
 ブラシを置いて、薪のほうを振り返る。強度の近視の青木には薪の表情はわからない。
 しかし、薪の激しい動揺は、周りの空気を振動させるほどに強かった。

「な……!!」

 なんのつもりだ、何をする気だ。
 そんな意味のことを、言おうとしたのだと思う。いずれにせよ、青木はその問いに答える気はない。これから一言も喋る気はなかった。

 薪はよろよろと後ずさり、バスルームのドアを抜けて、リビングに逃げた。青木が後を追うと、彼はソファの背もたれに縋って、乱れた呼吸を整えようとしていた。
 青木の影に気付いて再び逃げようとするが、ソファに躓いて床に膝をついてしまった。
 腰を落としてしまったら、もう立てない。
 座ったまま後ずさって、背中がソファにぶつかる。はっとして周りを見るが、逃げ場はない。暗い迷路の中で、袋小路に入り込んで戸惑うモルモットのようだ。

 床に膝を着いて、青木は薪を追い詰める。
 揺れる瞳に視線を合わせる。わななく唇が、小さな両手で覆われた。
「す……」
 手のひらを上に向けて差し伸べた腕の中に、薪は飛び込んできた。
「あっ、あっ……わああああっ!!!」
 2、3度しゃくりあげた後、びっくりするような大声で泣き始める。耳が痛くなるほどの声だ。Mホテルのロビーに響いた、雪子の声より大きい。
「うあっ、ううっ! ひうう――ッ!!」

 昨年の秋に、青木は同じように薪を慰めたことがあった。そのとき、薪は声を殺して肩を震わせて、静かに涙をこぼしていた。
 そのときとは比べ物にならない、激しさ。それは受けた傷の深さの違いか。

 否。
 相手の違いだ。

 きっとこっちが本当なのだ。
 渾身の力で縋りつき、ありったけの声で泣き喚く。儀式の相手が鈴木なら、薪はこうして自分を曝け出すことができるのだ。

「うああああっ! ああ……わああ……」
 小さな亜麻色の頭を撫でながら、青木は寒気がするような現実に直面する。

 自分では、このひとを癒すことはできない。薪を安らがせてやれるのは、鈴木だけだ。
 身体はぴったりと密着しているのに、心はとても遠い。
 いま、ここにいて、薪を抱きしめているのは鈴木克洋だ。
 自分ではない。

「ううっ……ひっ、うっ……」
 いつ果てるとも知れぬ慟哭は、徐々に啜り泣きに変わっていく。
 やがてしゃくりあげる音も低くなり。
 気が付くと、薪はしっかりと青木に抱きついたまま、眠っていた。

 青木は薪の身体を抱いて、ベッドに運ぶ。
 それはいつもの作業だ。酔いつぶれた薪を運ぶのと変わらない。それなのに、どうしてこんなに薪の体が重く感じるのだろう。

 ジャケットとネクタイを取って、ワイシャツのボタンを二つほど外してやる。ベルトを抜いて、靴下を脱がせる。最後に、涙の痕を濡れタオルで丁寧に拭いてやって、薄い掛布団を被せる。
 本当に手の掛かる上司だ。上役のお守りは大変だ、と青木の同期たちもこぼしているが、どこの上司もこんなに世話が焼けるのだろうか。

 寝室を出て、バスルームに向かう。
 洗面所に眼鏡を置いたままだ。あれがなくては帰れない。
 脱衣所に入ると、洗面台の上にドライヤーが使いっぱなしになっている。片付けるのを忘れていた。
 ドライヤーを定位置に戻そうとしたとき、青木は他人の気配を感じた。
 それはもちろん気のせいで、その正体は鏡に映った自分の――――。

 ―――― 違う。こいつは、オレじゃない。

 鏡の中の、他人。
 その人物に、青木は血が沸きかえるような嫉妬を覚える。

 手のひらを鏡に押し付けて彼の顔を隠し、青木は下を向いた。洗面台の流しに、いくつもの水滴が滴り落ちてきた。
「ちくしょ……」
 声を殺して、青木は悔し涙を流した。


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ラブレター(22)

 ここまでお付き合いくださって、ありがとうございました。
 薪さんがコーヒー飲んで泣いたり、青木くんの胸で泣き叫んだり、青木くんが悔し泣きしたり、と色々ございましたが。って泣きっぱなしじゃん。(^^;

 とにもかくにも。
「ラブレター」のラストです。





ラブレター(22)





 月曜日。
 今日も青木は、モニタールームの掃除から朝の仕事を始める。
 モニターの埃を取るためのクロスを片手に、メインスクリーンを端から拭いていく。背の高い青木は、この作業を脚立を使わずに行うことができるが、それでもけっこうしんどい。
 掃除というのは、全身運動なのだ。巷の主婦たちも、下手にダイエットと称して食事制限をするくらいなら、毎日の掃除に力を入れたほうが、よっぽど効果が上がると思うが。

「おはようございます。メール便です」
「ご苦労さまです」
 まるでホテルのランドリー係が押して歩くような大きな台車から、庶務課の年若い配達当番は、封書の束を机に置いた。こういう仕事はたいてい、新人の役目だ。部署の配置を頭に入れることができるし、職員の顔も覚えられるからだ。

「今日は、特に多いみたいですね」
 週末までに、という期限の書類が多いことと、民間人には土日も関係しないことから、月曜日のメール便は大量になる。
「第九(うち)のは民間からの書簡も多いから、セキュリティチェックも大変でしょう。ご面倒掛けます」
「いいえ。チェックは機械がやりますから。それに、ほとんどがこれ、ファンレターでしょ。相変わらず薪室長はモテますよね。ひとりぐらい僕に回してくれないかなあ」
 この手紙が薪の目に触れることもなく、シュレッターに掛けられる運命であることを、彼は知らない。しかし、それを暴露して、薪の悪評を立てることはできない。
「ムリです。部下のオレにすら回ってきませんから」
「全部独り占めですか。ハーレム作れますね」
 ……別の悪評が生まれそうだ。

 冗談に笑って庶務課の新人が去った後、青木は郵便物を分け始める。
 捜一や二課からの書簡は副室長に。警察庁の部署や上層部からのものは室長に。個人に宛のものはそれぞれの机に。室長へのファンレターは廃棄箱の中に。

「おはよう」
 いつもの澄んだアルトの声で、室長が出勤してくる。
 亜麻色の瞳が、生き生きときらめいている。いい休日が過ごせたようだ。
「おはようございます」
 青木の挨拶に軽く頷き、薪は自分宛の郵便物を取って、差出人のチェックをする。
 訝しげな顔をして薪が見ているのは、5通の封書だ。裏面には、研究室名と役職と氏名が明確に記してある。すべて室長会のメンバーだ。
 
「この頃、室長会からのメール多いですよね。何かあったんですか?」
「来週末に懇親会があるんだ。その連絡だろ」
「懇親会ですか。それは楽しみですね」
 納得したような相槌を打つが、青木は薪の嘘に気付いている。
 懇親会の通知なら、普通は事務局から来るだろう。連絡網で回すにしても複数の人物から何回も来るのはおかしい。
 どうやら、本当のことは言いたくないようだ。もしかしたら、室長会の内輪の話で、ヒラの職員には話せないのかもしれない。

「青木。それ、僕のところに回してくれ」
 薪が細い顎で示したのは、シュレッター行きの書類を入れる箱だった。そこには、可愛らしい動物や花や英文字の描かれた封書が、10通近く入っている。
「これからは、ちゃんと読むことにしたから」
 青木は、薪の言葉の裏側を読む。

 ―――― 読まずに捨てるのは、逃げることだと気付いたから。

 その勇気は、薪に現実を見せる。好意も悪意も受け止められるだけの力を養う訓練を、これから彼は重ねていくのだ。

 手紙の束を渡されて、薪はくちびるを噛む。
 微かに手が震えている。横川みどりが複数いないとは限らない。

「大丈夫ですか」
「平気だ。僕には、強力なサポーターが大勢いるから」
 強気な瞳が青木を見る。
 僅かな恐れを覆い隠す強い意志が、亜麻色の瞳を魅力的に輝かせる。
「よく効くおまじないも知ってるし」
 苦笑とともにそんなことを言って、薪は室長室へ入っていく。
 青木は手にクロスを持ったまま、細い背中を見送る。その背中は、以前の張りと強さを取り戻している。

 自分がやったことは、間違っていなかった。
 第九では、結果がすべてだ。大切なのは、薪が元気になってくれることだ。
 だれが薪を勇気付けたのか、追求することはない。それはどうでもいいことだ。

 深い傷を残したまま、青木は心を決める。
 薪が望むなら、それでもいい。誰かの身代わりでも……それでも、薪のそばにいたい。

 室長室のドアが閉まる。
 しばらくして、ドカン! ガシャン! という金属音。「っざけんな!」という喚き声。
 青木は薪が持っていった、手紙(ラブレター)の秘密を知る。
「……男からだったんですね」

 薪の気持ちを落ち着かせるためには、とびきり美味いコーヒーが必要だ。
 室長の専属バリスタに返り咲いた第九の新人は、くすくすと笑いながら給湯室へ向かった。


 ―了―





(2009.3)


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ジャンル : 小説・文学

ラブレター~あとがき~

 このたびは、『ラブレター』を読んでいただき、まことにありがとうございました。
 核爆弾の威力は、いかがだったでしょうか。
 大したこと、なかったですよね?夏の夕立くらいだったでしょ? 遠くに雷が落ちたかな、みたいな。(^^;


 この『ラブレター』で、ワードのページ数が、900ページを超えました。

 我ながら、どんだけ薪さんが好きなんでしょう。
 好きだから、いろんなことを想像して、妄想に妄想を重ねて、それが自分の中でいっぱいになると書かずにいられなくて……。
 でも、冷静に読み直すと、内容から薪さんへの愛が感じ取れないのは、なぜ?
 なに? この仕打ち。ひでえ(笑)

 このお話で、一番書きたかった場面は、薪さんが青木くんの淹れたコーヒーを飲みながら、涙をこぼすシーンです。あれを持ってくるために、このお話を書いたといっても過言ではありません。
 もちろん、薪さんが泣くことが大事だったのではなくて。
 自分にとって、青木くんはかけがえのない存在だ、と薪さんはあそこで思い知るのです。もう、この時点でコーヒーは青木くんの象徴みたいなもんで。これが書きたいが為に、2060.6のオフタイムから、しつこいくらいにコーヒーコーヒーと騒ぎ続けてきたわけです。

 今回は途中で、たくさんの方を泣かせてしまいました。ごめんなさい。
 特に、毎回ビクビクしながら、または泣きながら、拍手を送ってくださったコハルさん。本当にごめんなさい。これが感動の涙だったら謝らないんですけど。すみません。(^^;
 そんなつらさに耐えながら、最後までお付き合いくださったみなさまに、心から感謝いたします。
 ありがとうございました。


 ここで、ネタばらしを。

 実は、『オフタイム』の中に、横川みどりが書いたラブレターの話が出てきます。あの話が一応の伏線でした。
 そのことに気付いてくれたのは、『HOUSE! HOUSE!』のわんすけさんでした。(他にも気付かれた方がいらっしゃるかもしれませんが、コメをいただいのは、わんすけさんだけでしたので)
 びっくりしました。
 まさか、1年以上も前の話の、たった2,3行のエピソードを覚えてる方がいらっしゃるとは、正直、考えもしませんでした。
 そのあともわんすけさんは、これからの展開を見事に読んでくれました。何回か鍵付きのコメをいただいたのですが、(鍵というところに、彼女の人格の素晴らしさを感じました)
 それがもう、どうして知ってるの!? と思うくらいにぴったりでした。

 特に、みどりの企みについては、完璧に見透かされまして。

 >あああ・・・  orz
 >「遠藤に吹き込んだこと」を事実にしてやろう・・・と・・?
 >そして自分は「騙された可哀そうな女の子」として、泣いて訴えれば・・・・。
 >「間宮の餌食にされる」「公私ともに信用も信頼も失う」この二重の苦しみを、薪さんに味あわせるために・・・・・?

 というコメをいただきました。

 これ、鍵がついてなかったら完璧ネタバレ。(@@)わんすけさん、もしかしてハッキング? と冗談でレスをしたくらいでした。

 わんすけさん、本当にありがとうございました。
 鍵をつけてくれたことも、展開を読んでくれたことも、すごく嬉しかったです。この場を借りて、お礼申し上げます。



 さて。次のお話は。
 久々に、薪さんの女装ネタです。シリアスポイントは今回で使い切ったので、次はギャグで行きます(^^

 
 次のお話も、気楽にお付き合いいただけたら幸いです。




 追記です。

 このお話は、わんすけさんに捧げます!!
 わんすけさん。
 受け取っていただいて、ありがとうございました。(〃▽〃)
 展開を完全に読みきってくださったのも、みどりの計画を見抜いてくださったのも、すごく嬉しかったです。ありがとうございました(^^


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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