岡部警部の憂鬱Ⅱ(1)

 久々に、本来のスタイルに戻ります。
 ええ、ここはギャグ小説サイトなんです。
 笑っていただけると嬉しいです。



岡部警部の憂鬱Ⅱ(1)






 今年の春から第九の副室長を務めている岡部靖文は、強面のベテラン捜査官である。
 年は38歳。階級は警部。ノンキャリアでこの年齢のこの階級は立派なものだ。現場で相当の殊勲を立てなければ獲得できない。しかも、生え抜きのエリートばかりが集まる第九の副室長という役職。キャリアの上に立つノンキャリアとして、キャリア組からは畏怖を、そうでない者たちからは尊敬と憧憬を集めている。
 岡部は武道にも秀でている。柔道5段剣道4段の実力は、ヤクザが束になっても敵わない。署内の武道大会では、毎年優勝争いに必ず残っている。身長180cm体重75キロの堂々たる体躯。隆々とした筋肉。男の中の男とは正に彼のことだ。

 その大きな身体を丸めて。
 岡部は追跡者から身を隠すように、デスクの陰にしゃがみ込んでいた。

「だから、違うんですってば!」
 携帯電話を使って誰かと話をしている。強い口調だが、囁き声だ。他人に聞かれたらまずい内容らしい。
 ものすごくコソコソしている。指名手配で逃げ回っている犯罪者のようだ。
「信じてくださいよ、水谷副室長。うちの室長が得意なのは巴投げで……違いますよ、巴御前の踊りじゃなくて!」
「岡部。水谷副室長からか?」

 冷たい声に、岡部は思わず電話を閉じる。
 上司が腕組みをして、デスクの脇に立っている。細い顎をつんと反らして、氷のような眼で岡部を見下ろしている。岡部は副室長だから、上司は一人しかいない。つまり、彼は室長ということだ。
「い、いや、あの」
 突然切られた電話に、水谷副室長は面食らっていることだろう。しかし、電話の内容を声の主に知られることは何としても避けたい。

 さらさらした亜麻色の髪に、同じ色の大きな目。長い睫毛に小作りな鼻。幼さを残す輪郭に、つやつやした小さな口唇。ボーイッシュな女性と言われれば頷いてしまいそうなきれいな顔立ちと、少年めいた小柄な体つき。身長は岡部の肩までしかなく、横幅は岡部の半分くらいしかない。
 そんな華奢な人物に対してプロレスラーのような岡部がタジタジとなっているのは、ひどく不自然で滑稽な状況だった。

「その電話は、こないだから僕のところに何通か来てる『踊りの教室を開いて下さい』っていう室長会のメンバーからの訳の分からない手紙と、どう繋がって来るのか……」
 岡部のネクタイをグイッとつかみ、室長は不機嫌な顔を近づける。岡部のいかつい顔が情けなく歪み、口元が笑いとも恐怖ともつかぬ形に引き攣った。
「な」
 自分の怒りを効果的に思い知らせるために、室長は間を置いて締めの言葉を放つ。完璧に整った美しい顔から、冷気が流れてくる。
 7月下旬の暑さの中で、岡部は寒気を感じている。特に真っ向からぶつかってくる視線は、絶対零度の冷たさだ。亜麻色の瞳から、冷凍ビームが発射されているようだ。

「すいません……」
 氷の警視正のブリザード攻撃に、岡部警部は年貢の納め時を知った。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

岡部警部の憂鬱Ⅱ(2)

岡部警部の憂鬱Ⅱ(2)





「生花と日本舞踊!? なんでそんなことになってんだ!」
 わけが解らない、という顔つきで薪は怒鳴った。

 室長会仲間からの手紙には岡部が関わっていると見抜いていたらしく、薪は岡部を室長室に連れ込み、詰問口調で説明を求めた。
 出来ることなら、薪に知られる前に速やかに誤解を解き、何もなかったかのように済ませたかったが、バレてしまっては仕方がない。岡部は事情を打ち明けて、素直に頭を下げた。
「何度も説明したんですけど。大人数で話すもんだからどんどん話が大きくなって、収拾つかなくなっちまって」
「それで、来月の懇親会で、僕に日本舞踊を踊れって?」
 薪はひらひらと、一枚の紙を岡部に振ってみせる。幹事の水谷から、文書で正式な依頼が届いたらしい。
「俺のドジョウすくいで何とかならないかって、水谷副室長に相談したんですけど。もう衣装まで用意しちゃったって言われて」
「いいじゃないか。その衣装着てドジョウすくいやれば」
 頬杖をつき、この上ない冷たい口調で吐き捨てる。表情は冷静だが、めちゃくちゃ怒っている。
 薪がいったん怒ったら、その持続力はすごい。下手に記憶力がいいので、怒りの原因も今の荒れた気持ちも、なかなか忘れることができないらしい。薪の怒りから逃れるためには、原因を解消するしかない。
 
「俺、室長会のみんなのところ回って、頭下げてきます。一人一人なら、誤解を解くこともできると思うんです」
「室長会のメンバーはともかく、部長と局長はどうするんだ。おまえなんかじゃ、アポもとれないぞ」
 上層部(お客様)にはすでに、懇親会のプログラムと招待状を送ってしまった、と水谷は言っていた。それを取り消すことは難しい。
 困り顔の部下に肩を竦めて、薪は一本の電話をかけた。
 
「小野田さん。確か2番目のお嬢さんが、日本舞踊を習ってらっしゃいましたよね。その先生に2週間だけ稽古をつけてもらいたいんですけど。誰がって、僕が踊りを習っちゃおかしいですか?
 ええ。実は室長会の余興なんです。何故かそういうことになってしまって」
 よろしくお願いします、と言って薪は電話を切った。

「薪さん」
「余興だから、別に上手くやることはない。僕が恥をかけばいいだけのことだ」
 冷たい氷の鎧を脱いで、薪はいつもの穏やかな顔に戻る。腕を組んで背もたれに倒れ、岡部にやわらかい笑みをみせた。
「おまえには、今回も助けられちゃったから。この辺でまとめて返しておかないとな。女房(おまえ)に頭が上がらなくなる」
 薪が言っているのは、先日、第九を去った女子職員の陰謀のことだ。
 彼女は計略を用いて第九に入り込み、薪の失墜を画策した。その策略は効を奏し、もう少しで薪は社会的に抹殺されるところだった。
 薪と自分が恋仲になったように職員たちに信じ込ませるかたわら、間宮をけしかけ、薪との既成事実を作る。その上で自分は、薪に騙された被害者を装い、同情を集める。薪は間宮に陵辱され、更には小野田や部下の信頼も失う――――― 本人がいなくなった今、彼女の計画の詳細を知ることはできないが、岡部はみどりの企ての全貌をそんな風に推察している。

「あいつにも、迷惑かけたからな。フレンチでもご馳走してやろうかな。それとも、家で何か作ってやったほうが喜ぶかな」
 小さく独り言のように呟いた室長の言葉に、岡部は驚く。あいつ、というのはまさか間宮のことだろうか。
 実は、彼女の企てを砕いたのは岡部ではない。間宮だ。
 間宮の意外な行動が、彼女の計画を破綻させた。彼女の読みが甘かったわけではない。あれは岡部にも予想がつかなかった。あの色魔があの状況で、あんな行動をとるとは。
 あの時、薪は自分から服を脱いでベッドに横たわり、間宮に抱かれたかった、と言った。それを間宮は断ったらしい。
 岡部にはさっぱりわからなかったが、色事師には色事師なりの価値観があるらしく、間宮は薪に指一本触れなかった。肉欲を優先して間宮が薪の誘いに乗っていたら、今ごろ薪はここにはいない。だから、薪が間宮に感謝する気持ちも理解できなくはない。
 しかし。

「それは止めたほうがいいです」
 たしかに、今回の一件では間宮を見直した。だからと言って、自宅に招いたりしたら勘違いされるに決まっている。間宮は別に、薪のことを諦めたわけではないのだ。
「付け上らせるだけですよ。下手に誤解されたらどうするんです」
「うん。でも……あいつも辛かったと思うんだ」
 薪はデスクに頬杖をつき、睫毛を伏せて視線を右に泳がせた。何だか恥らうような表情だ。
「あの時は僕もショックで、頭ン中わやくちゃだったから、あいつの気持ちを思いやることもできなかったんだけど」
 そんな色魔の劣情を思いやって、どうする気だろう。

「薪さん。何回、同じ目に遭ったら学習するんですか。あいつに甘い顔したら、また嫌な思いをさせられますよ」
「あいつは、僕が嫌がるようなことはしない。僕が嫌だって言ったら、それ以上のことは絶対にしてこない」
 これは驚いた。
 間宮は、いつの間に薪の信頼を得たのだろう。
 Mホテルの件だけで、薪が今まで間宮にされたことをすべて忘れて彼を信じることにしたとは思えない。薪が間宮に受けた屈辱は、そんな軽いものではなかったはずだ。

「なんでそんなにあいつに甘いんですか?」
「甘い、かな」
「甘すぎますよ! あの変態のことを信用するなんて。あいつの頭には、そのことしか入ってないんですよ。隙を見せたら襲い掛かってくるに決まってるじゃないですか」
「いくらなんでも言いすぎだろ! あいつはそんなにひどいやつじゃない!」
 ムキになって言い返してくる。
 薪が間宮の弁護に熱を入れるなんて、信じられない。
「あいつはいつだって、僕のことを一番に考えてくれるんだ。今回だって、あいつは僕が元気になれるように心を砕いてくれたんだ!」
 思いがけぬ強さで反駁されて、岡部は目を瞠る。
 亜麻色の瞳は、明らかに憤っている。自分の大切なひとを庇うような真剣さだ。

「それに……僕だってあいつのこと、嫌いじゃないし」
 嫌いじゃないときた。
 間宮のセクハラにあんなに腹を立てていたのに、いったい何が薪の心境を変化させたのだろう。

「おかしいですよ、薪さん。なんでそんなに庇うんですか? あんなやつのこと」
「岡部こそおかしいだろ。今まで僕があいつのことを悪く言うと、いつも庇ってたのはおまえの方じゃないか」
「庇った? 俺が間宮を?」
「間宮?」
 岡部が間宮の名前を出すと、途端に薪はきれいな顔を歪めた。
 亜麻色の瞳は急速に熱を失う。横を向いて頬杖をつく。名前を口にするのもイヤそうだ。
「なんであの腐れ外道が出てくるんだ」
 間宮もまた、横川みどりに騙されていたのだ。いわば被害者だ。これまでの行いが行いだけに、同情する気にはなれないが、それでもここまで言われることはないと思う。
 
「いくらなんでも、腐れ外道は酷いんじゃ」
「外道を外道と言って何が悪いんだ。間宮は変態色魔だぞ。ケダモノ以下だ。あんなやつ、ヤクザの女にでも手を出して、コンクリ詰めにされて海に沈められちまえばいいんだ」
 薪のほうがよっぽどひどい。
 間宮は、今回の件では一応功労者だ。ホテル側への事情説明も設備の弁償も、全部間宮が被ったのだ。
 おそらくは薪のために。少しかわいそうになってきた。
 この人は、こういうところがある。
 気を許した相手にはとことんやさしいが、そうでない相手には果てしなく厳しい。相手が自分に対して態度を改めたとしても、それを素直に受け取らない。捜一の竹内がいい例だ。たぶんこれから先、間宮のこともずっとこのままだ。
 哀れな人事部長のため、岡部は薪に一矢報いてやることにした。

「じゃ、誰のことだったんですか?」
「え?」
「薪さんのことを一番に考えてくれて、薪さんを元気にしてくれるやつって」
 岡部に自分のセリフを繰り返されて、薪はうろたえる。さっきは岡部にそのひとのことを貶されて、咄嗟に口から出てしまったらしい。
「い、いや、あの、その……」
 右手を口元に当てて、下を向く。顔は見えないが、耳が真っ赤だ。
 その様子を見て岡部は、薪の言う『あいつ』の正体を知った。

「ああ。解りました。俺が帰ったあと、あそこに残ってたやつっていったら」
「ち、ちがう!」
 岡部にその先を言わせまいと、薪は椅子を蹴って立ち上がり、両手でバン! と机を叩いた。頬が紅潮している。まるで子供のようだ。
「僕はべつにあいつのことなんか!」
「三好先生のことですね?」
 亜麻色の大きな瞳を点のように小さくして、薪はきょとんとした顔になる。天井に視線を泳がせて、そうそう、と何度も頷く。

「雪子さんが、あの場を収めてくれたんだ。後で、好物のパンプキンパイを焼いてやろうかな」
「喜びますよ、きっと。じゃ、俺は世田谷の事件の捜査に戻りますから」
 岡部が事件のことを口にすると、薪はすっと冷静な捜査官の顔になった。3秒ほど黙り込み、きりりと引き締まった表情で指示を出す。
「あの事件は、被害者の病状について、もう少し突っ込んでみてくれ」
「わかりました」

 岡部は室長室を出てから、腹を抱えて笑いこける。
 あれは三好雪子のことではない。薪は雪子のことを、あいつ呼ばわりはしない。
 青木のことだ。
 あれだけ衝撃的な出来事があったのに、薪の落ち込みが浅いと思ったら、青木のやつが上手くフォローしてくれたのか。

 最近、薪のご機嫌取りに関しては、青木のやつに敵わなくなってきた。付き合いは岡部のほうがずっと長いのだが、金曜日の定例会の他にも、青木はちょくちょく薪の家を訪れているようだし、一緒に過ごしたトータルの時間では、もしかすると勝てないかもしれない。
 何よりも、薪に対する想いの深さには太刀打ちできない。何もかも犠牲にして厭わないほど、向こう見ずにはなれない。若さゆえの激しさなのかもしれないと思うが、岡部にはあれは絶対にムリだ。岡部が青木の年齢のころには、既に自分を抑える術を身につけていた。
 少しだけ、羨ましいような気もする。
 自分に青木の思考回路がついていたら、あのひととの関係も変わっていたかもしれない。しかし、それはやはりタブーだ。岡部に常識を覆すことはできない。きっと自分の心の中に仕舞ったまま、この想いは永遠に封印されるのだろう。

 岡部は大きく肩を竦めると、その想いを断ち切るように首を振り、薪に指示を受けた調査に取り掛かった。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

岡部警部の憂鬱Ⅱ(3)

 8/23(日)、プチオフ会に参加させていただきました。
 メンバーは、原麻めぐみさん、第九の部下Yさん、みちゅうさん、花咲蕾さん、おまけのしづ。
 夢のように楽しい一日でした!
 みなさん、本当にありがとうございました!!

 わたしは小説モードにならないと全然文章が浮かばない人間なので、レポートはすみません、みなさまにお任せします(^^;

 興味がある方は、めぐみさんの『薪rulez』、イプさんの『いつもあなたを守ってる』を覗いてみてください。記事がアップされてます。(リンクから飛べます)






岡部警部の憂鬱Ⅱ(3)





 昼休みが終りに近付いたころ、岡部は給湯室に顔を出した。
 この時間、青木は室長の専属バリスタに変身する。『第九の眠り姫』を目覚めさせるのに必要なのは王子様のキスではなく、美味いコーヒーなのだ。
 岡部の顔を見ると青木はにっこりと笑って、「岡部さんも飲みますか?」と声を掛けてきた。コーヒー豆を追加して、ゴリゴリとミル挽きを始める。とてもいい匂いだ。
 
「あの後、大変だったみたいだな」
 くどくどと説明しなくても、先週の金曜日の事件のことだと青木には解るはずだ。大まかな話は薪から聞いたが、青木が薪をどうやって元気付けたのかは謎だ。
 岡部としては、ぜひ知っておきたい。気難しい上司を懐柔する方法は、いくつ知っていても困らない。

「地球の裏側まで落ち込むだろうと予想してたのに、あのくらいで済むとはな。おまえ、よっぽどうまくフォローしたんだな」
 その話になると、青木は妙に暗い顔つきになった。
 おかしい。
 薪が元気だと聞けば、こいつは喜ぶはずだ。いったい、どうしたのだろう。
 訝しく思いながらも、岡部は話の穂を継いだ。
 
「薪さんに、なんて言ったんだ?」
「オレは一言も喋ってません」
「喋ってない?」
 どんな言葉も、あの状態の薪を傷つけずにはおかなかった。そういうことか。

 『あなたのせいじゃない』
 『気に病まないで』
 『あのことはもう忘れて』

 そんなやさしい言葉のひとつひとつが、薪の胸を抉る。許しの言葉は、決して薪のこころを安らがせない。なぜなら、薪自身が自分を許さないからだ。それを受け入れることを拒否する為に、自らを追い詰めるからだ。
 言葉以外の方法で薪を元気づけたとすると、もしかして。
 いや、それだったら正直な青木のことだ。めいっぱいニヤけた面になるに決まっている。この陰鬱な表情は、その可能性を完全に否定している。それに、薪は『あいつも辛かったと思う』と言っていた。どうやら以前、岡部が室長室で目撃してしまった類のことではないようだ。

「薪さんを元気にしたのは、オレじゃありません。オレは何もしてないです」
 青木のほうが、地の底まで落ち込んでいるような感じだ。まるで、薪の落ち込みを吸い取ってきたみたいだ。
「薪さんは、おまえに礼がしたいって言ってたぞ」
 ひどく落ち込んだ様子の後輩が気になって、岡部はついお節介を焼いてしまう。
 薪に伝言を頼まれたわけでもないのに、余計なことを言ってしまった。でも、こう言ってやれば青木は喜ぶだろう。好きなひとに感謝されて嬉しくない人間はいない。
 ところが、青木はさらに悲しそうな顔になってしまった。
「礼を言われる筋合いはないです。オレ、本当に何にもしてませんから」
「どうしたんだ?何があった?」
 水を向けても、青木は事情を話そうとはしない。何でもないです、と言ったきり、黙ってドリッパーにお湯を注ぎ始める。

 コーヒーを落とす間、青木は口を開かなかった。いつものようにドリッパーの状態と腕時計の秒針を見ながら、バリスタの仕事に集中しているようだ。
 サーバーから温めたカップにコーヒーを注ぎ、ひとつを岡部に手渡してくれる。どうぞ、と微笑みを添えてくれるが、その笑顔は明らかに無理がある。青木は薪のように、ポーカーフェイスが得意ではない。

「なんか知らんが、元気出せ。おまえの気持ちは、あのひとにちゃんと届いてるよ」
「ありがとうございます」
 岡部に一礼して、青木は給湯室を出て行った。室長室の眠り姫に目覚め薬を届ける為だ。

 バリスタの大きな背中を見ながら、岡部は立ったままコーヒーを飲む。
 岡部は、青木の薪に対する特別な気持ちを知っている。
 薪からそのことを打ち明けられるまでもなく、とっくの昔に気付いていた。多分、薪が青木の気持ちを知るより早い時期に、岡部はそれを見抜いていた。
 もちろん、そんなひとの道に外れた恋路を応援するつもりはない。
 ああいうものは一時の気の迷いであることが殆どだし、青木の場合は憧れと恋愛がごっちゃになってしまっている可能性のほうが高い。
 薪も、相手のことは憎からず思っているようだが、それは青木本人を見ているわけではない。かつての恋人を重ねているだけだ。そんなあやふやな気持ちのままそういう関係になってしまったら、おそらくふたりとも後悔する。

 薪は、ようやく立ち直りつつある。
 一年前に比べて格段に笑顔も増えたし、精神的に余裕も出てきたようで、追い立てられるように職務に没頭して挙句の果てに倒れてしまう、といったことも減ってきた。
 薪にとっては良い兆候だ。この調子で完全に立ち直って欲しい。そして、愛する伴侶を見つけて、充実した人生を送って欲しい。岡部は心からそう願っている。
 青木は泣くかもしれないが、それは仕方がない。それに、青木は若い。すぐに新しい恋をするだろう。薪とはいい友達のまま、薪もそれを望んでいる。

 ……はずだったのだが。

 薪のさっきの様子を思い出すと、どうもそれだけでは済まなくなりそうな気もする。あれは、ただの友人を庇う口調ではなかった。
 今年の春ごろだったか、薪は『青木とは友だちでいたい』と言っていたが、果たしてそれは本心なのだろうか。わざと嘘を吐いたとは思わないが、自分の本当の気持ちに自分で気付いていないだけだった、とは考えられないだろうか。
 いま、薪は青木のことを『自分を一番に考えてくれて、自分を元気にしてくれるひと』と言っていたが、それは友だちの定義ではない。むしろ恋人とか伴侶の定義に近い。

 薪の気持ちに変化があったとも考えられる。
 4ヶ月ほど前、薪は青木の自分に対する劣情を知って、ひどく立腹していた。あいつとは絶交だ、と息巻いていたのだ。
 しかしその怒りは長くは続かず、1ヶ月も経たないうちに青木は薪の家に出入りするようになった。一時的に距離を置いたことで相手の重要性に気付くのはよくあることで、あれがきっかけで薪にもそれが訪れたのかもしれない。

 どちらにせよ、岡部は薪が幸せになってくれればそれでいい。相手が男だろうと女だろうと、こころの支えになってくれるひとがいれば、人生は充実するものだ。前者の場合は多少の困難が付きまとうから、本音ではあまり勧めたくないのだが。

 カップの中の魅惑の液体を飲み干して、岡部はため息を吐く。
 第九のバリスタがブレンドしたコーヒーは、いつもよりほんの少し苦味が強かった。



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ジャンル : 小説・文学

岡部警部の憂鬱Ⅱ(4)

岡部警部の憂鬱Ⅱ(4)





 翌週の金曜日。
 岡部は再び机の陰に隠れて、水谷副室長と秘密の電話をしていた。

「だから! うちの室長は、女物の衣装は着ないんですよ!」
 声は低いが、口調は強い。
 水谷を説得しないことには、自分の命があぶない。
「訂正してくださいよ、このパンフレット。え? もう配っちゃった?……なんで女形限定なんですか? 顔で決めないでくださいよ!」
「なにを顔で決めたって?」
 至近距離の冷たい声に、岡部は電話を閉じた。
「いや、あの、その」
 水谷から預かった紙袋を、隠すように抱きしめる。この袋の中身を室長に見られたら、こないだ岡部を襲ったブリザードより遥かに激しい氷礫の爆撃に遭うに違いない。

「着物姿でお茶を点ててくれ、とでも言われたか?」
 近い。近いが、そんな生易しい事態ではない。

 薪は、肩をすくめて岡部の隣にしゃがみ込んだ。両肘を自分の膝に乗せ、頬杖をつく。その口調はすっかり投げやりだ。とうとう開き直ったらしい。
「もう、何を聞いても驚かんぞ。正直に言ってみろ」
「実はこれなんですけど」
 おずおずと無骨な両手が差し出したのは、濃紫の着物である。肩と裾に藤棚模様が入っていて、とてもきれいだ。
「それ、女物じゃないか。僕は絶対に着ないぞ」
 ここまでは予想していたらしい。さほどショックを受けた様子もなく、薪は持参した紙の袋を岡部のほうへ寄越した。
「懇親会ではこれを着る」
 紙袋の中には、藍色の小紋柄の男物の着物が入っている。これはこれで、薪の美貌を引き立てそうだ。肌の白さが強調されるだろう。
 女物の着物を用意される可能性を危惧して、これを持ってきたらしい。読みの深さと準備の良さには恐れ入る。しかし、この先の展開は読んでいなかったはずだ。

「この衣装でないと、詐欺罪に問われると言われまして」
「詐欺? なんでだ」
 岡部は下を向いた。怖くて顔が上げられない。
 自分の靴を見つめたまま、水谷から着物と一緒に押し付けられたパンフレットを、薪に突き出す。
 薪の顔色が変わった。
「こっ、このパンフレットをみんなに配ったのか!?」

 パンフレットには、10名ほどの室長会のメンバーの写真が掲載されている。顔写真の下に、懇親会で披露する芸の演目が書かれている。手品や長唄、ソシアルダンスに三味線の演奏など、室長会には芸達者が多いらしい。
 その中に。
 岡部が手にしている着物を着て、微笑している薪の姿がある。経歴欄には日舞花柳流の名取と書かれている。生花は池ノ坊の師範格とあり、着物もバックの白い胡蝶蘭も物すごく似合っているが、もちろん合成写真だ。
 人事部の履歴書にある証明写真では華がないから、もっと表情のあるものが欲しいと言われて、薪が微笑している写真を水谷副室長に提供したのは岡部だったが、まさか合成されるとは思わなかった。まったく油断もスキもない。

「僕にどうしろってんだ! こんな大嘘、取り繕いようがないだろ!」
「すみません!」
 思わず出した大声に、モニタールームの職員たちがこちらを見る。
 自分たちの上司がふたりして机の陰にしゃがみ込んでいるのは、彼らの好奇心を甚だしく刺激したに違いない。職員たちはたちまちふたりを取り囲み、その着物は何ですか、と聞いてきた。
「なんでもない! おまえら仕事に戻れ!」
「今は休憩時間です。教えてくれたって、いいじゃないですか」
 捜査活動において気になったことはとことん調査しろ、との室長の指導を日々実践している彼らの追及は、半端ではない。何人もの職員に口々に尋問されると、岡部のように意志の強い人間でも逃げ出したくなってくる。

 もうひとりの被疑者は、いつの間にか輪の外にいる。
 職員たちの足の間からこっそりと抜け出すのは、小柄な薪ならではの芸当だ。みなに囲まれている岡部を尻目に、薪はしゃがんだまま携帯電話を取り出した。
「雪子さん。着物の着付けはできますか?」



*****


 次回、お待ちかね(?)の女装シーンです♪

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岡部警部の憂鬱Ⅱ(5)

岡部警部の憂鬱Ⅱ(5)






 その年の科学警察研究所室長会の懇親会は、赤坂の料亭で行われた。
 毎年8月の半ばに開かれるこの宴席は、時期的に暑気払いも兼ねていて、ビヤホールやレストランを借り切って行うことが多いのだが、今年は余興に第九の室長が日本舞踊を舞ってくれるということで、畳の間がある日本料亭に決めたのだ。

 幹事の水谷副室長が開催宣言をし、刑事局長が来賓代表の挨拶を述べる。乾杯の音頭を所長の田城が取ったら後は無礼講だ。上手い料理と酒で親睦を深めるお喋りに興じる。しばらくするとコンパニオンが入ってきて、重役達の接待につく。かわいい女の子が5人もいれば場も華やかになり、楽しい酒宴となる。
 室長会においてこの夏の宴席は、一年のうちで一番大掛かりな催し物だ。
 この日のために、芸を磨いてくる者もいる。手品や楽器、歌や踊り、漫才や落語など有志が集って酒席を盛り上げる。これがなかなか楽しめる。みな素人芸だがそこは酒の席のこと、失敗も笑いに受け取ってくれて、芸をするほうも見るほうも楽しく過ごせるのだ。

 いくつかの芸が披露され、宴もたけなわとなったころ、障子が開いて濃紫の着物に銀の帯を締めた和装の美女が姿を現した。
 しとやかに歩を進める彼女は、亜麻色の短髪を銀とピンクのビラかんざしで飾り、着物の色に合わせたパープル系の化粧をしている。
 やや赤みがかった紫のアイシャドウは、大きな亜麻色の瞳にたまらない色香を添え、緋色の口紅は限りなく扇情的に、彼女の小さなくちびるを艶めかせる。そのコケティッシュな魅力は、広間中の人間の目を一瞬で釘付けにした。

 和服の麗人は下座に正座し、来賓席に向かって深くお辞儀をした。かんざしの直垂がしゃらりと音を立て、びっくりするほど長い睫毛が伏せられて、その麗しさを強烈に主張する。
 頭を下げられた2人の局長と3人の部長は、呆けたような顔で彼女を見ていた。
 何人かの観客は、手に持った箸や猪口を取り落としている。部長に酌をしていた第3研究室の副室長は、杯から酒が溢れているのにも気付いていない。また、その酒が自分のズボンを濡らしていることに、部長のほうも気がつかない。会場は軽いパニック状態である。

「申し訳ありません。パンフレットに、訂正箇所がございます」
 その声を聞いて、来賓客は二度びっくりする。
 よく通る、涼しげなアルトの声。この声には聞き覚えがある。上層部の彼らの前でも臆せずに、生意気な意見を言う声だ。

「私は日本舞踊も生花も習ったことがありません。パンフレットの内容はすべて誤解から生じたもので、私の不徳の致すところです。来賓の方々には、深くお詫び申し上げます」
 室長会の面々には聞き慣れた声だ。冷静を絵に描いたような第九の室長。
 きれいな顔をしていると常々思っていたが、衣装と化粧でここまであでやかな美女になりおおせるとは。これだけで一種の芸だ。そういう事情なら踊りはいいからお酌をしてもらいたい、と思ったのは一人や二人ではない。

「本来なら丁重にお詫びした上で、次の方に舞台をお願いするところですが、余興ですし。ここにいらっしゃる方々にはいつもお世話になっておりますから、皆様に楽しんでいただけるなら、このように滑稽な姿をお見せするのもやぶさかではございません。宴席の戯れ事と、ご笑覧いただきとうございます」
 自然に沸き起こった拍手に、彼女はにっこりと笑う。
 ともすれば人形のように、いっそ整いすぎた美貌に温かい血が通い、その美しさをいや増す。微笑みの形に持ち上げられた口角は、男をときめかせずにはおかない。
 この美女は、どこまで魅惑的な変貌を見せるのだろう―――― 自然と室内の人間は、彼女から目が離せなくなる。

 和装の麗人は流れるような動作で立ち上がり、着物の合わせから扇子を取り出した。
「踊りのほうは、2週間ばかりの付け焼刃です。素人の拙い舞踊でお目汚しではございますが、どうかお許しください」
 藤棚模様の裾を恥らうように割って、彼女は上手の舞台に上がった。扇を持った右手を胸の前に、左手は指をそろえて斜め下方に。軽く小首をかしげて右下方に視線を落とすそのポーズは、彼女の白磁の頬と首筋の秀逸さを強調してやまない。

 琴の音が流れ出した。
 日本楽曲の旋律に合わせて、踊り手は細い膝を曲げた。扇を広げて頭上に掲げ、袖を押さえて白い腕を隠す。細い手首が流麗に動いて、華やかな蝶模様の桧扇がひらりひらりと舞う。扇についた飾り紐と亜麻色の髪を飾ったかんざしの直垂が、ゆらゆらと揺らめいて彼のひとの麗しさを引き立てる。
 日本舞踊に精通しているものにはアラが目立っただろうが、素人の目には、指の形や扇の角度が多少違っていてもわからない。
 彼らの眼には、まず踊り手の美しさが飛び込んでくる。はっとするほどの美女が、雅な着物姿で舞の真似事でもすれば、懇親会の余興としては拍手喝采である。
 戯事らしく、いくらか襟元をはだけた和服姿は、妖艶という言葉が相応しい。濃紫の衣装は踊り手の肌の白さを強調する。特に後ろ首の美しさと言ったら、思わずむしゃぶりつきたくなるほど色っぽい。
 が、ここはキャリアの集まりなので、下品な野次を飛ばす者はいない。これが捜査一課あたりだと、『脱げ!』という掛け声が必ず掛かってくるのだが。

 10分ほどの演舞の間、言葉を発するものはいなかった。
 全員が舞台に目を奪われていた。楽曲が止まってからも会場はシンとしていた。
 幹事の水谷が、最初に夢から醒めて拍手をした。その音に我に返った人々が、次々に手を叩き始める。
 舞台の上の麗人は暖かい拍手を受けて、あでやかに笑った。



*****

 薪さん、ノリノリですね(笑)

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岡部警部の憂鬱Ⅱ(6)

岡部警部の憂鬱Ⅱ(6)





「限界だっ!」
 たった今まで舞台の上で優雅に振舞っていた夢のような美女は、岡部の前で、いつものわがままな上司になった。
 
「お疲れ様です」
「暑い。苦しい。腹減った。岡部、早く帯ほどいてくれ。一人じゃ脱げないんだ」
「ここではムリですよ。ひとの目がありますし」
 舞台にはすでに別の演技者が立っているが、こちらにちらちらと視線をくれている者が何人かいる。彼らの目線はとても熱い。どうやらまた室長室のキャビネットには、悲惨な運命が待っているようだ。
 
「じゃ、どこか部屋を借りて」
「二人していなくなるのはまずいでしょう」
「なんで」
「まだ宴席の途中ですから。部長たちもこっちを見てるし、失礼ですよ」
 本音は、この姿の薪とふたりで中座したら、あらぬ噂を立てられそうで怖い。そこに帯をほどいていた、などという目撃証言が加わったりしたら、小野田や間宮と同系列に並べられそうだ。それは死んでも避けたい。
「宴席がはねるまで、我慢できないんですか?」
「ムリだ。これ、ものすごくきつくて何も食べられないし。血の流れまで止まってるみたいで、貧血おこしそうだ」
 薪の苦痛をよそに、室長会のメンバーが何人か集まってくる。彼らは口々に舞台を褒め称え、薪に酌をしたがった。

「薪室長。お見事でした。」
「とても素晴らしかったですよ」
「みなさんに喜んでいただければ、僕も嬉しいです。こんなおかしな格好をしてるのに、だれも笑ってくれないから。引かれちゃったかと不安だったんです」
 マスコミ対策用の完璧な笑顔になって、薪は彼らの賞賛に応える。薪は室長会ではネコを被っているのだ。
「笑うなんてとんでもない」
「ええ、ものすごくきれいでした。目の保養になりましたよ」
「近くで見ても、きれいな女の人にしか見えませんよ。室長、本当は女性なんじゃ」
「コンパニオンより美人ですよ」
 彼らは日舞に詳しいわけではないから、賞賛しているのは見た目の美しさだ。薪にとって、それは怒りの対象である。

 曖昧に会釈して、薪は杯に口をつける。
 岡部から見れば薪の機嫌がどんどん悪くなっているのは明白だが、室長会のメンバーは岡部ほど薪の扱いに慣れているわけではない。彼の不機嫌の原因に気付かずに、さらに怒りを煽るようなことを言い始める。

「よく似合ってますよ、その着物。着慣れてる感じですね」
「化粧が上手ですね。いつもしてるんですか?」
「肌がすごくきれいですけど、エステとか行ってるんですか?」
 男がエステなんか行くか! と、いつもの薪なら相手を怒鳴りつけている。
 着付けをしてくれたのは法一の菅井という女の子だし、化粧は雪子の手によるものだ。男の薪にそんなことができるわけがない。しかし、事を荒立てたくないのか、薪は相手の言葉に逆らおうとはしない。
 薪にしてみれば、今年の懇親会は踏んだり蹴ったりだ。せっかくの懐石料理なのに、帯がきつくて何も食べられないし、その上こんな腹立たしいことまで言われて。このままだと後がコワイ。

 空っ腹に日本酒を飲み始めた上司を見て、岡部はそっと携帯のメールを打つ。化粧でわかり難いが、薪の顔色はあまりよくない。この上司には休息が必要だ。
「薪さま。部下の方がお見えですけど。緊急のご用件とかで」
 料亭の仲居の呼び出しに、岡部は時計を確認して思わず笑ってしまう。
 早い早い。岡部のメールから、20分も経っていない。相変わらず、薪のところに来るのはジェット機並みに速い。
 急を要する案件はなかったはずなのに、と訝しがる薪に、岡部はそっと耳打ちする。
「青木を呼びましたから、着替えをしてきて下さい。何ならそのまま帰ってもいいですよ。俺が残りますから」
 2、3度瞬きをして、薪はホッとしたような顔になった。よほど疲れているのだ。
「悪いな。頼む」
「はい」
 MRIシステムにトラブルが起きたらしい、という理由をつけて、薪は宴席を中座した。その後姿に見蕩れている何人かは、これから間違いなく薪の頭痛の種になりそうだ。

 残った岡部のところに、幹事の水谷が顔を出す。
 水谷は気持ちのいい男なのだが、思い込みが強いというかひとの話を聞かないというか、とめどなく誤解が発展してしまう傾向がある。この男との会話には、注意が必要だ。
「いやあ、それにしてもきれいでしたね、薪室長。夢に見そうですよ」
「今度は道場で、室長の勇姿を見ることをお勧めしますよ。あのひとは本当に男らしいですよ」
「またまた。いつまでもその冗談は通じませんよ」
 まだ冗談だと思っているのか。この男の思い込みの激しさは、薪クラスだ。

「水谷副室長。いい加減信じてくださいよ。室長が自分ではっきり言ったじゃないですか。日舞も生花も習ったことはないって」
「ほんと、奥床しい方ですよね。謙遜しちゃって。たった2週間ぽっちで、あんなに上手く踊れるようになるはずないじゃないですか」
 薪は謙遜はしない。できることはできる、とはっきり言う。試験の結果に自信があるくせに、まるでダメだったような口ぶりで話す人間のほうがよっぽど嫌らしいと考えている。

「実はうちの奥方が、昔日舞を習ってたんですよ。あの衣装は、その教室の発表会の時に着たもので。だから見れば解るんですよ。さすがに名取とはいきませんけど、2,3年はやってらっしゃるはずです。俺の目は節穴じゃありません」
 節穴ではなく、色眼鏡である。先入観が水谷の観察眼を誤らせたのか、それとも薪が上手く踊りすぎたのか。ど素人の岡部には知るよしもない。

「来年も是非お願いしますと薪室長にお伝えください」
 誤解は解けないまま、水谷副室長は去って行った。
 来年の懇親会が今から恐怖の岡部だった。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

岡部警部の憂鬱Ⅱ(7)

 メロディ10月号、読みました。
 わたし的には、大満足でした(^^
 日本酒にパーカー……くくくっ!

 考察みたいな難しいことはわたしの脳ではムリなので、みなさまのレビューを楽しみにしてます♪
 わくわく。
 特にYさんのレビューは楽しみなんだあ……いつも鋭いから。
 それからWさんのレビューも楽しみなんだあ……おなか痛くなるくらい面白いから。(褒めてるってわかるよね? Wさん!)





岡部警部の憂鬱Ⅱ(7)





 着物の裾を捲り上げたいのを我慢して、薪はゆっくりと廊下を歩いている。
 料亭の玄関で部下が待っている。この拷問のような拘束具を外してくれるはずだ。

 着物を着るときも、大騒ぎだった。
 雪子に着付けを頼んだところ、自分はできないが、助手の菅井に何度も着せてもらったことがあると言う。着物と帯しか手元にないことを告げると、雪子たちは様々な小物を持って懇親会の料亭に来てくれた。
 長襦袢に何本もの帯紐、からだのラインを整えるための宛て布やタオル、帯の形を作るための帯まくら。腰紐に仕立て襟。かんざしに化粧道具。一枚の着物を着るのにこんな大量の小道具が必要になるとは、知らなかった。男の着物とはだいぶ違う。なんでも女性のほうが大変なのだ。
 それに、この締め付けのキツイこと。
 動くと型崩れしますから、と菅井は着物の上から、薪のからだを細帯で縛った。あの小柄な身体のどこにそんな力が潜んでいたのか、ものすごい力で締められて、薪は呼吸が止まりそうだった。そこに更に帯を巻かれて、普通に歩くことも出来なくなった。
 胴が細すぎて帯の模様がうまく表に出ない、と何度も結び直され、薪は舞台に上がる前から疲れきってしまった。かんざしも化粧も菅井の言うがまま、もう好きにしてください、とヤケクソ気味にこの美女は作られたのだ。

 日舞の稽古だって、めちゃめちゃキツかった。ゆったりとした踊りのイメージにそぐわずとてもハードで、この2週間というもの身体中の筋肉が張って寝苦しい夜が続いた。柔道や空手とは使う筋肉の種類が違うらしく、薪はかなりの体力を消耗していた。実はさっきも貧血寸前で、失礼な言葉に言い返す元気がなかったのだ。
 だから、岡部の心遣いは嬉しかった。薪のことをここまで理解してくれるのは、岡部だけだ。

 ……いや、もうひとり。
 岡部に近付きつつある男がいる。その男は玄関口に立ったまま、薪の姿を呆然と見ている。
 熱っぽい視線を感じる。顔や体に突き刺さってくるようだ。
 しかしそれは、何故か不快ではない。先刻、広間で受けた興味本位の視線とは違うやさしさを含んでいるからだろうか。

 料亭の仲居が草履を出してくれる。それを履こうとして、薪は顔をしかめた。
 花緒の部分に足を差し込もうとするが、きつくて入っていかない。無理矢理入れようとすると、足の指がすごく痛い。
「新しい草履ですか? 痛いんですよね」
 この草履は雪子が買ってきてくれたものだ。雪子のものでは大きすぎて、菅井のものでは小さかったのだ。
 仲居が鼻緒を手で広げてくれるが、それでも痛い。いくらほっそりしていてもやはり男の足だし、サイズが合っていても女性用の草履を履くのはムリがあるのだ。

 こうなりゃ裸足だ、と決心した和服美人の腰を大きな手が捕らえた。ひょいと抱えあげられて、薪は慌てる。
「なにすんだ、バカ!」
 仲居がびっくりした目でこちらを見ている。恥ずかしさに頬が染まる。これじゃまるで、女の子みたいだ。
「車まで運びます」
「下ろせ、みっともない!」
「足が痛くて泣きながら歩いてるほうが、よっぽどみっともないですよ」
「裸足で行くからいい!」
「裸足も相当、みっともないと思いますけど」

 着物のせいで身体が思うように動かせないから、抵抗できるのは口だけだ。喚いている間に、薪は料亭の外に連れ出されてしまった。
 外には幸いだれもいない。駐車場は裏手にあるから人目に付きにくいし、外灯の明かりだけなら、自分が男ということはバレないかもしれない。
 ……真っ昼間でも男には見えないが、薪にも思想の自由を認めてやろう。

 車に乗るときが、これまた不便だ。
 帯が邪魔で、シートに寄りかかることができない。薪は後部座席に横向きに座った。シートベルトは勘弁してもらいたい。というか、二度と着物はごめんこうむりたい。
「青木。帯だけでもほどいてくれないか。もう苦しくって。車酔いしそうだ」
「車の中じゃ狭くて無理です。少し我慢してください」
「だって僕のマンションまで1時間位かかるだろ。1時間なんてとても……そうだ、おまえのうち、ここから近いだろ。着替えは持ってるから、部屋を貸してくれ」
「わかりました」
 青木は言葉少なに応えを返すと、そのまま黙って運転に集中した。

 青木のそんな態度に、薪は些少の違和感を感じる。
 なんだか、素っ気無い。
 自分を見る目には相変わらず熱いものが含まれているから、自分への気持ちが無くなったわけではないと思うが。
 この2週間はずっと日舞の稽古をしていて、休日もアフターの付き合いもしなかった。そのせいで、いくらか拗ねているのだろうか。
 でも、今日でそれもおしまいだ。着替えたら食事に行こう。今日こそ、オードヴィのラムローストだ。薪は1ヶ月も前から騒いでいるのだ。

 10分ほどで青木のアパートに到着した。
 車が止まり、薪は当然のように青木に手を差し伸べる。部屋は2階だ。もう、ここまで来たら、抱えて行ってもらったほうが楽だ。
 部下に抱かれて部屋へ入り、居間のカーペットの上で帯をほどいてもらう。青木は固い結び目に、四苦八苦しているようだ。

「結構きつく縛ってあるんですね」
「だろ。SMプレイとほとんど変わらん」
「これって、菅井さんに着せてもらったんでしょ? すごい力ですね」
「彼女、脱いだらボディビルダーみたいだったりして」
「聞かれたら怒られますよ。可愛い顔して性格キツイって三好先生が言ってましたから」
「雪子さんに言われるようじゃ、相当だな。近寄らないほうが懸命だな」
 菅井は薪のために金曜のデートをキャンセルしてきたのに、ひどい言われようだ。本人の耳に届くことはないが。

 長襦袢を止めた帯紐を解くと、ようやく呼吸が楽になった。それから洗面所を借りて、化粧を落とす。クレンジングなんて気の利いたものは男の部屋にはないから、石鹸をつけてゴシゴシ洗った。口紅が取りきれないが、仕方ない。
「あー、腹へった。青木、おまえメシは?」
「まだですけど」
「じゃ、オードヴィに行こう。金曜の夜だから、電話で予約とってくれ。ラムローストのコースで」

 青木が携帯から電話を掛ける様子を、薪は長襦袢を羽織っただけの、だらしない格好で見ていた。淡いピンクの薄布一枚の自分の姿が他人からどう見えるか、多少は自覚があったが、とにかく一息つきたい。
 無理に締め付けられた身体が、ギシギシいっている。レストランに行くにはスーツが基本だが、まだネクタイは締めたくない。
 
「はい、2名です。コースはラムローストの……え? 入らない? 2ヶ月も前から?」
 困った顔をして、青木がこちらを見る。席は空いていたらしいが、何か他のトラブルがあったようだ。
「ニュージーランドの提携先にトラブルがあって、ラムが手に入らないそうです」
「ええ!?」
「どうします?」
「もういい。ラムローストが無いなら、行かない」
「他のもので我慢しようとか思わないんですか?」
「だって、僕は1ヶ月も前から食べたかったんだぞ! それが無いなんて!」
 食べ物の恨みは深いのだ。竹内に譲った山水亭だって、2ヶ月くらい思い出しては悔しがっていた。

 青木は携帯を閉じてポケットにしまう。レストランの予定が無くなったというのに、何故か嬉しそうだ。
「彼女と食事に行かなかったって、本当だったんですね」
 青木がいう彼女とは、横川みどりのことだ。3週間前まで第九の雑用係を務めていて、薪の恋人と称されていた女性だ。
 青木は彼女の嘘に惑わされて、右往左往していた。薪にも彼女の言動を否定できない理由があって、青木はずいぶん辛い思いをしていたようだった。

「僕を疑ってたのか?」
「だって薪さん、初めから彼女にはやさしかったから。食事くらいは行ったのかと思ってました」
「彼女の人事が遠藤のすぐ後だったから。様子を探ってたんだ」
「はい?」
 青木は、きょとんとした顔になっている。薪の言葉の意味が解らないらしい。

「遠藤のやつ、鈴木の写真を見せてもらったって言ってただろ」
「え?そんなこと言ってましたっけ?」
「言ってた。だれに見せてもらったのか、ずっと気になってたんだ」
 遠藤は、『鈴木さんの写真も見せてもらいました。青木先輩に何となく似てますよね』と言っていた。
 たしかに、新聞記事にも被害者である鈴木の写真は掲載されたが、それは人事データ用の証明写真で鮮度も荒く、青木に似ているとは薪でさえ思えない。ということは、遠藤は誰かに鈴木の写真を見せられた上で、薪が鈴木への独占欲から彼を射殺したと吹き込まれたのだ。
 薪が鈴木に恋をしていたことを知っているのは雪子だけだが、彼女は絶対にそんなことはしない。他に誰か、遠藤にその事実を伝えたものがいる。おそらくは自分を恨んで。
 その人物が自分の前に現れるかもしれないと、薪はずっと警戒していたのだ。


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岡部警部の憂鬱Ⅱ(8)

岡部警部の憂鬱Ⅱ(8)






 ネタばらしをしてやると、青木はホッとした顔になった。
 まったく、仕方のないやつだ。遠藤が口にした不可解な言葉もスルーしてしまうなんて。捜査官失格だ。

「安心したか?」
「信じてましたから」
 青木のきっぱりした答えを、薪は心の中で嘲笑う。
 よく言えたものだ。僕が彼女と関係したと聞かされて、ベソかいてたくせに。
「あの口紅も、彼女の悪戯だったみたいですよ。三好先生が言ってました」
 青木は薪の前に来て、床に正座した。薪が脱ぎ散らかした着物を手に取って、不器用に畳み始める。
「あ、そうなんだ。残念だな」
 とっくに分かっていたが、少し意地悪をしてやる。
 あんなトリックに引っ掛かる、こいつがバカだ。どうしてキスで移った口紅が、ブラシで塗ったみたく均等についてるんだ。口角の縁取りがしてある時点でおかしいと思え。

 薪がさも惜しいことをした、という表情を作ってみせると、青木はムッとした顔になった。
「薪さんの好みは、頭が良くて胸が大きな女性じゃなかったんですか」
「よく知ってるな。話したことあったっけ?」
 青木とはよく酒を飲んでいるから、そのときに話したことがあったかもしれない。酒の席ではその場限りの話も多い。何を言ったか、あまり覚えていないのが実情だ。

「僕の好みをおまえが知ってるのに、僕がおまえの好みを知らないのは不公平だな。おまえの好みも教えろ」
「前にも言いましたけど。オレ、本当に好きになっちゃえば、どうでも良くなるんです」
「それでもさ。目に付く女性のタイプってあるだろ?」
 青木は黙り込んだ。
 薪は後ろを向き、長襦袢を脱いで防弾チョッキを手に取った。熱っぽい視線を背中に感じるが、たぶん気のせいだ。
 ワイシャツに袖を通して、ズボンを穿いた。ベルトを締めたとき、青木が口を開いた。
 
「身もこころも、きれいなひとがいいです」
 薪だってそういう女性がいい。
 好きになってしまえば関係ないとか言っておいて、けっこう贅沢なやつだ。
「具体的には?」
「そうですね。髪は短いほうが好きです」
「うん、それで?」
「色が白くて。眼は二重で大きくて、睫毛は長くて。鼻はそんなに大きくなくて、耳も口も小さめのほうが好みです」
 まるで針の穴を通すような条件だ。そんなに好みがうるさかったら、相手なんて見つからないだろう。
 しかし困った。雪子に通じるものがただのひとつもない。せいぜい髪が短いことくらいか。

「身体のほうは?」
「身長は163cmくらいで、体重は45キロくらいの華奢な身体がいいです」
 えらく具体的な数字だ。っていうか、それって……。
 考え込んでいる薪の顔を見て、青木はクスクス笑いを洩らす。

「柔道と空手をやってて、ジョギングも筋肉トレーニングも欠かさないくせに、ロクな筋肉もつかないからだが好きです」
「ちょっと待て」
「スーツ姿も女装も着物も、見事に決めるユニセックスなひとがオレの理想です」
 青木の理想像が誰を指すか解って、薪は複雑な気持ちになる。
 こいつにとって一番大事なひとではいたいけど、そういう関係にはなりたくない。勝手だとは思うが、やっぱりこいつの気持ちに応えることはできない。

「おまえの理想は、永遠に手に入らんぞ」
 薪は、目を逸らしてぼそりと呟いた。声が弱々しいのは自分でも解っているが、これ以上の声は出せない。
 なんだか胸が苦しくなってきて、帯は解いたはずなのにまだ締め付けられてるみたいで。心臓がドキドキしてきて、頬が熱くなってくる。これはきっと着物の後遺症だ。
「わかってます。だから、理想なんですよね」
「え?」

 あっさり引き下がられて、薪は肩透かしを食う。
 でもオレは諦めません、といつもの得意のセリフを、青木は口にしなかった。この頃のこいつは、やっぱり少しおかしい。
 ……そんなセリフを予測している、僕のほうがヘンなのか。

 青木は畳み終えた着物を箱に片付けている。薪の体中についていたタオルやら襟芯やらをまとめて、大きな袋に入れる。
 その作業に集中している振りをして、青木は薪の顔を見ようとしない。ここに来てから、ずっとそうだ。
 薪はぐるりと頭を巡らせて、部屋の中を見た。
 ここへ来るのは2度目だ。相変わらず雑然としている。訳の分からない自動車のパーツが置いてある。あのバンパーは日常生活において何の役に立つのだろう。
 以前のことを思い出して、薪は心の中で苦笑する。
 あのときはバカな勘違いをしてしまって、えらい恥をかいた。同じ轍は踏まない。思い込みは捜査官のタブーだ。まずは、関係者に対する事情聴取だ。

「どうして僕といるのに、そんな悲しそうな顔してるんだ? 僕はおまえの理想なんだろ」
「そうですよ。だから余計つらいんです」
「どうして?」
 青木の前に回りこみ、強制的に視線を合わせる。話をするときには相手の目を見るものだ。

「僕はおまえに感謝してる。こないだ、僕におまじないをしてくれただろ? おかげで僕は立ち直って」
「薪さんを立ち直らせたのは、オレじゃないです」
 なにを言っているのか分からない。
 あのとき、こいつの他に誰がいたと言うのだろう。

「オレの中の鈴木さんが、あなたを救ったんです。オレは何もしてません」
 悔しそうな表情で、青木は本音を吐露した。
「オレはただの容れ物です。あなたと鈴木さんをつなぐ、媒介です。あなたがオレを家に入れてくれたのもデートの誘いをOKしてくれたのも、オレが鈴木さんに似てるから。遠藤が言った通り、オレは鈴木さんの身代わりなんですよね」




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岡部警部の憂鬱Ⅱ(9)

 うちの薪さんと青木くんと鈴木さんの関係を、『皆既日食みたい』とコメをくださった方がいます。

 薪さんが地球、青木くんが太陽、鈴木さんが月。
 月が太陽を完全に隠す、皆既日食。
 言い当て妙だ、素晴らしい! と思いました。(Mさん、ありがとうございます)

 たしかに、今は月に隠れて、地球からは太陽が見えない状態ですね。
 でも、皆既日食はそう長く続く現象ではない……。
 なるほど。
 さすがです、Mさま。





岡部警部の憂鬱Ⅱ(9)




「遠藤が言った通り、オレは鈴木さんの身代わりなんですよね」

 差し出された青木の本音に、薪は瞠目した。

 否定はしない。
 たしかにあの時、僕はこいつの中に鈴木を見ていた。鈴木だと思って、その胸に飛び込んだ。
 でも。

「自惚れるな。おまえが鈴木の代わりになんてなれるか。鈴木の方がずっといい男だ」
「似てるって言ったのは、薪さんじゃないですか」
 言った。
 意識して身代わりにしていたつもりはないが、まるでその気持ちが無かったとは言い切れない。

 だけど。

 薪は両手を伸ばして、大きな手を取った。いつだったか、切り傷を止血してやったときのように、その手をじっと見た。

 あのとき、僕の頭を撫でてくれたのはこの手だ。
 僕を元気にしてくれたのは、この手だ。

「この手はおまえの手だ。そうだろ」
 感謝の気持ちを込めて、指先にキスをする。3週間前の切り傷はすっかり治ったようで、傷跡も見当たらない。
「僕はこの手に感謝してる。美味いコーヒーを淹れてくれて、僕を元気にしてくれる。大切な手だ」
 不意に強い腕が、薪の身体を抱きしめた。
 呼吸が止まる。肩が強張る。突き飛ばさなければ、と心の隅で思うが、帯紐で縛られたように身体が動かない。

「ずるいです」
 頭の上で青木の声が聞こえる。辛そうな、呻くような声だ。
「オレを受け入れてくれる気もないくせに、オレを放してくれる気もない。勝手すぎます」

 青木の言う通りだ。
 自分の言い分は、とても身勝手だ。
 長く続けられる関係ではないと思っていた。この居心地のいい場所は、いずれ誰かのものになると分っていた。
 この場所をキープするには、こいつの気持ちを受け入れるしかない。でも、それは絶対にできない。
 僕には鈴木がいるから。

 青木の胸を、両手で押しのける。自分とかれの間にできた空気の層に、薪はようやく、まともな呼吸ができるようになる。
「そうだな。おまえの言ってることが正しい」

 受け入れる気がないのなら、きっぱりと拒絶するべきだ。曖昧な態度はやさしさではなく、ただの怯懦だ。
 薪はぎゅっと拳を握り締め、背筋を伸ばした。深く息を吸い込み、しっかりとした声が出せるように、腹の底に力を入れる。
「僕が愛してるのは……鈴木だけだ。おまえを恋人にする気は」
「さっきの理想にひとつ付け加えます」
 薪の言葉を遮って、青木は薪の肩を掴む。正面から真剣な目を合わせてこられて、薪の心臓が跳ね上がった。

「オレ、ずるくて身勝手なひとが好きです」

 限りないやさしさに、不覚にも涙が出そうになる。
 ぐっと奥歯を噛み締めて、薪は涙を食い止める。ここで泣いてしまったら、きっと流されてしまう。

 こいつのやさしさに。
 どこまでも自分を許してくれる、海原のような寛大さに。
 なによりも。
 僕の中でどんどん大きくなっていく、こいつへの気持ちに。
 甘えてもいいのだ、と。その手をつかんでもいいのだと。許されないことに踏み出そうとする自分を、止められなくなる。

「ずいぶん、変わった理想像だな」
 乱れる心をため息に変えて、薪は苦笑した。声を震わせないようにするために、爪が手のひらに食い込むほどの強さで、拳を握り締めた。
「はい。よく言われます」
 そう言って、青木はようやくいつもの満面の笑みを見せてくれた。それは薪の望む微妙で利己的な関係の継続を、肯定するものだった。

 僕の気持ちを解ってくれて、そのわがままを許してくれて。こいつはどこまで僕を甘やかす気なのだろう。
 おかげで僕は、どんどん非道い人間になっていく。こいつにいい目を見せてやる気なんか毛頭ないくせに、僕の言うことは何でも聞き届けて欲しいと思ってしまう。
 あの暖かい視線で、いつも僕を見ていて欲しい。
 僕のことをいつでも最優先に考えて欲しい。
 どこで何をしていても、僕が呼べば駆けてきて欲しい。

 そんなことを考えて、薪は赤面する。
 我ながら、すさまじい。ここまでジコチューな人間がこの世にいるだろうか。
 こいつが悪いんだ。こいつがあんまりやさしいから。

 とりあえず、その原因を青木に押し付けて、薪は自分の心に蓋をする。目の前の男と良く似たかつての親友の笑顔を、その蓋の下に押し込める。
 こいつといるときは、鈴木のことは考えないようにする。それが今の薪にできる、精一杯の譲歩だ。

「ラムがダメならマトンだ。ジンギスカン食いに行こう」
「羊肉なら何でもいいんですね。じゃ、オレが知ってる店に行きましょう。ラムローストはないけど、ラム肉の串焼きがありましたよ」
「ホントか?」
「アメリカの提携先がハリケーンの被害に遭ってなければの話ですけど」
 青木の皮肉めいた冗談に、顔を見合わせてクスクス笑う。
 
 月に傘のかかった、夏の夜だった。




*****



 そして。岡部は三度、机の陰にうずくまる。

「だから! 本当にカンベンしてくださいよ! 一回道場に来て見れば分りますって」
 強い囁き声に携帯電話。丸められた大きな体躯。この半月ほどの間に、何度ここにしゃがみ込んだだろう。

「華道じゃなくて、柔道ですってば! どういう耳してるんですか!」
「岡部」
 ぱたっと携帯が閉じられる。きっと電話の相手もこのパターンを読んでいるに違いない。また後で、という水谷の声が聞こえたからだ。
 氷の警視正はピシピシと凍てつく空気の中で、幾枚かの便箋を岡部に突きつけた。

「薪室長が習ってる日舞の教室に、一緒に通わせてくださいって手紙が何通もきてるんだけど。これはどういうことなのか……」
 亜麻色の瞳を氷の刃に変えて、室長は部下を睨みすえる。岡部のネクタイをぐいっと掴んで、この上なく不機嫌な顔を近づけてくる。
「な」
 岡部の背筋が総毛立つ。美人が怒ると本当に怖い。

「すいません……」
 とりあえず、謝るしかない。
 今回の誤解の原因は、岡部ではない。薪が、素人とは思えない見事な舞を披露したからだ。
 しかし、それを言うと確実に、今日は全員徹夜でMRIシステムのメンテナンスになる。

「きっちりオトシマエつけとけよ」
「……はい」
 怒りの形に吊り上った肩をそびやかして、薪が室長室へ入って行く。
 どうやら副室長の憂鬱は、まだまだ続きそうだった。




 ―了―





(2009.4)





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岡部警部の憂鬱Ⅱ~あとがき~

 このたびは、うちの第九の副室長の憂鬱にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。

 前作の『ラブレター』がかなり重かったので、今回はシュミに走ってみました(笑)
 久々の女装、着物編。楽しんでいただけましたでしょうか。(すいません、作者が一番楽しんでました(^^;)

 ラブレターで落ち込んだ青木くんのフォローをしようとしたんですけど、うちの薪さんはあの通りの身勝手な人で。まったくフォローになってませんでしたね。
 岡部警部の憂鬱じゃなくて、青木警部の憂鬱になっちゃいました。


 薪さんの中で、大きくなりつつある青木くんへの気持ち。
 やがて溢れるときがきます。
 あと……8ヶ月。 って、長げーよ!
 ワードのページ数にして、100ページほど。 って長すぎるよ!

 このふたり、くっつくまでに1000ページかかってるんですよね(--;)
 すいません、なんでこんなに書いちゃったんでしょう。 限度を知れって、すいません。


 さて、次のお話は。
 ふたりの休日のお話です。 事件も起きませんし、わたしにしては穏やかな話だと思います。
 作中の二人のように、のんびりとお付き合いいただけたら幸いです。



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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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