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 こんにちはっ!

 みなさまにいただいた『がんばれコール』が10000を超えました! 
 どんどんぱんぱん!! (←脳内で花火が上がった音)

 本当に、本当に、本当にありがとうございます!!!
 このブログに足をお運びいただき、拙作を読んでくださるみなさまに、ありったけの感謝を捧げます!!

 こんなありきたりの言葉じゃなくて、もっと気の利いたお礼を申し上げたいのですけど、すみません、ボキャ貧で。
 せめて作品でお礼を。


 1万拍手のお礼は、
『ハプニング』というお話にしたいと思います。
 以前、コハルさんからリクエストいただいたお話で、あおまきさん入れ替わりのドタバタコメディです。ただ、長いんですよね、これが。(^^;) 64Pだから20章くらいかな。
 なので、推敲に少し時間をくださいね。



 そんなわけで、先にこちらのお話を。

 このお話は新しいです。 
 2010年の3月に書きました、って5ヶ月も経ってるじゃん!
 いやー、年を取ると月日の流れが速いこと。(笑)


 時系列で行くと、『運命のひと』の後に入ります。
『運命のひと』でKさんに「ふたりのすれ違いが悲しい」って泣かれちゃったので、ちょっとその辺を掘り下げてみました。
 泣き止んでくれるかな~、余計に泣かしちゃうかな~、書きあがってみるまで作者にも分かりません☆


 どうか広いお心でお願いします。





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 2年目の恋人同士というのは、微妙な時期だ。
 相手以外なにも見えない蜜月を過ぎて、のぼせ上がった頭も冷えてきて。相手とのふれあいにも日常性を見出すようになり、余裕と同時に我が出てくる。そんな頃合だ。
 自分の腕を枕にして仰向けになり、くーくーと寝息を立てている恋人の顔を見て、青木はそんなことを思う。

 青木の場合は相手が相手だったから、最初の頃の緊張たるや心臓が止まるかと思ったほどだった。
 エリート集団第九の頂点に立つ男、薪剛警視正。
 だれよりも美しくて、だれよりも気高くて。まごうことなき天才で、周囲の憧憬を一身に集めてしまう魅力的なひと。大学生の頃から憧れ続けて、その人を追って警察機構に身を投じた。薪は青木にとって、高嶺の花どころか雲の上の人だった。

 彼が、自分を受け入れると言ってくれた時の感激。あの時のことを思い出すと、今でも背筋に震えが走る。
 薪の言葉に嘘はなく、青木のために恥らいながらも身体を開いてくれて。大の男が泣き叫ぶような苦痛にも健気に耐えてくれて。
 長いブランクのためにすっかり硬くなってしまった薪の身体をほぐすのは存外時間がかかり、ようやく結ばれたのは付き合いだしてから3ヶ月も経ってからだった。たった一度の成功でも、青木はすごくうれしかった。翌日薪が「うれしかった」と言ってくれたことが、青木に自信をくれた。
 薪は徐々に、自分のことを好きになってくれている。そう信じていた。

 相手の好意を信じられれば、ベッドの中でも大胆になれる。そのときの薪は、とてもかわいくて。
 普段は凛々しい捜査官の顔つきで次々と難事件を解決する薪が、自分の愛撫に震えて追い詰められて、シーツをぎゅうっと握り締め、欲望を迸らせる。いつもは強気で意地悪そうな亜麻色の瞳が、切なげな色を湛えて青木を見る。そのギャップがたまらなかった。
 
 他人に劣ることなど何一つない薪だが、これだけは苦手らしく、最初のうちはマグロどころか冷凍マグロ状態だった。それらしい雰囲気も反応もロクになく、感度は低いわ持ちは悪いわ、ベッドの相手としては今までで一番未熟だった。しかも青木を受け入れてくれるはずの場所は、信じられないほど狭くてきつくて。指をほんの少し入れただけでも痛みを感じるほどの固さだった。
 こんな状態では、いつになったらまともなセックスができるかわからない。青木はネットや雑誌やアドバイザーから情報を得て、薪の性感を開発すべく懸命に努力を重ねた。その成果が少しずつ現れて、次第に薪はかわいらしい声で青木の愛撫に応えてくれるようになった。
 
 外見からは想像もつかないが、薪の喘ぎ声は悲鳴系だ。最初のうちはずっと声を殺していたから、てっきり吐息系だと思っていた。しかし本気で感じてくると、たまらなく色っぽい声で叫び始める。
 初めてこの声を聞いたのは、まだ付き合い始める前だった。薪が誤って催淫剤を飲んでしまって、解毒剤がないことから仕方なく青木が手伝った。そのときの薪は体裁を取り繕う余裕もなく、辛そうで可哀相で。と思いつつも、そこは男の哀しい本能で、青木の方もめちゃめちゃ辛かった。よく我慢したものだと自分でも思う。
 
 子供のように両の手のひらを顔の脇に置き、取り澄ました顔で目を閉じている恋人にそのときのことを重ねて、青木は苦笑する。本当に薪とは、こうなる前から色々あったのだ。ドラックでラリッたこともあったし、悪夢にうなされて、夢と現実がわからなくなってしまったこともある。その他にも、あれやこれやそれや……重なるごとに青木は、我慢の限界値を広げてきた。忍耐強くなかったら、薪とは付き合えない。

 記憶の糸を手繰っていた青木は、やがて自分の中に残って疼き続ける傷跡に辿り着く。
 付き合いだしてから、初めて薪がそんな風に我を失ったのは、蒸し暑い夏の夜。今も耳に残っている、この腕に抱かれながら自分以外の男の名を呼んだ恋人の声。
 どんなに理不尽な振る舞いでも、薪がすることなら何でも許せてしまう青木だが、正直あれだけは二度としないで欲しい。ベッドの中でお互いの興奮が高まって夢中で相手を求め合っているときに、恋人が別の男の名前を呼ぶというシチュエーションは、もの凄くきつい。『鈴木、愛してる!』と叫ばれて射精されたときには、本気で殴ってやろうかと思った。

 でも、できなかった。
 そのときの薪は、青木が見たこともないくらい幸せそうで。彼の幸せを奪いたくなかった。
 
 自分の卑屈な行動にそんな理由をつけ、しかしすぐその偽善性に気付いて、否、と青木は思い直す。彼が幸せならそれでよかったなどと、決してキレイな気持ちばかりではなかった。そんな惨めな立場に立たされてさえ、薪と別れたくなかった。だから何も言えなかったのだ。

 理性を失くした自分が取り返しのつかない失敗をしたことを知って、薪はそれからしばらくの間、ベッドの中で自分の快感を抑えるようになった。それは何ヶ月も続いた。だから、一番濃密になるはずのこの1年に薪と身体をつなげた回数は、実は10回にも満たないのだ。
 あの当時、青木自身もこのままではいけないと思い悩む日々が続いていたが、何ヶ月かしてから、突然薪は自分のことを恋人だと認めてくれて、その日を境に再び薪と愛し合えるようになった。あの時の薪の心理は、未だにわからない。解らなくとも青木としては、『僕の恋人はおまえだけだ』と言ってくれた薪の言葉を信じるしかない。

 そう言ってはくれたものの、薪はまだ鈴木のことを忘れていない。行為の最中に鈴木とダブることがあるのか、たまに間違われる。
 鈴木の名を口走ったのはあの一回だけだが、こういうことは何となく分かるものだ。もちろん、薪もわざとやっているわけではない。意識的に、始めから終わりまで彼を重ねているわけではなく、身体に与えられる刺激や感覚に触発され、ふとしたはずみに彼のことを思い出してしまうらしい。
 それを青木は肌で感じ取る。そして薪は、そんな青木を鋭く見抜く。
 自然とお互い動きがぎこちなくなって、結果、薪は痛み以外のものを感じることができず、行為を中断する羽目になる。

 セックスしている最中に、恋人に他の男を重ねるなんてものすごく不誠実だ。もともと不実な行為が許せない薪は、当然自分のことも許せない。身勝手なくせに自分を責めるのが得意な薪の落ち込み方は、端で見ているのが辛くなるくらいだ。薪を責めることはできない。青木にできるのは、薪の気持ちの整理がつくのを待つことだけだ。
 しかし、本音ではかなり辛い。

『オレは鈴木さんじゃありません!』と叫びたくなるのを堪えるのがどれだけの忍耐力を要するか、言葉ではとても言い表せない。でも、薪に泣かれるのはもっとつらい。だからと言って慰めるのもおかしな話だ。仕方がないので、青木は何も言わずに薪を抱きしめることにしている。
 そうやって薪が眠るまで、黙って頭や背中を撫でてやる。薪は礼も詫びも言わず、眠りに就く。そのことには触れないようにして、昨夜のことは忘れた振りをして、翌日から再び恋人同士に戻るために、その沈黙は必要なのだ。

「恋人、か」
 青木は自嘲気味に、小さく呟く。
 薪も自分も、嘘を吐いている。相手のことも自分のことも、騙し続けている。その嘘がなかったら、この関係はとっくに崩壊している。
 嘘で塗り固めた関係。それを恋人と、果たして呼べるものかどうか。

 青白く見える目蓋の奥に、今は隠された亜麻色の瞳。その瞳に、誰かと重ねることなく青木だけを映してくれる日が、いつか来るのだろうか。安らかな寝息を立てるつややかなくちびるが、迷うことなく自分の名前を呼んでくれる時が訪れるのだろうか。

「一度でいいから……好きだって言ってくださいよ」
 どんなに焦がれても。薪は自分を愛さない。
「オレのこと愛してるって。ウソでもいいから、言ってくださいよ」
 愛さない。

 薪が愛しているのは、自分が殺した親友だけだ。殺されることで薪に愛されるなら、いっそ殺されてみたいと思ってしまう。それで薪が狂おうが死のうが、知ったことか。こっちはとっくに狂わされているのだ。もう、何年も前から。

 青木はひっそりとため息を吐き、そっとベッドを抜け出す。そろそろここを出ないと、終電に間に合わなくなる。薪は、青木が無断で家に泊まるのを許してくれない。そんなけじめのつかないことをするなら別れる、と宣言されている。
 その冷たい言葉の裏に隠されている薪の気遣いを思うと、青木は薪のルールに従わざるを得ない。つまり、夢の中では誰のものになるのか、薪にも自信がないのだ。意識の届かない深い部分、魂の根底で薪が求めているのは……。

「あー、止めた。オレらしくない」
 青木は大きく息を吸い、自分のマイナス思考を止めた。
 ウジウジ悩んだところで、薪が自分を好きになってくれるわけではない。悩んでもしょうがないことは悩まない。これは青木のポリシーだ。今日はせっかく恋人と楽しいときを過ごしたのだから、彼の夢が見られるよう、頭の中はかわいらしい薪の笑顔で満たしておこう。

 青木一行という男は、生来の楽天家だ。恋人との関係がこんな状況にありながらも、いつかは薪も自分のことだけを見てくれる、と普段は信じている。
 が、鬱屈した想いを抱えていることも事実だ。平生は心の底に押し込めているその想いが、不意に噴出す可能性もないとは限らない。何といっても、青木はまだ27歳。年上の恋人に合わせようと背伸びをしていても、内実は年相応に未熟な部分も多い。

 そして、何度目かの偽りの夜。
 それはとうとう、形を伴ってふたりの前に姿を現した。


*****


 あ、やっぱり泣かれちゃったかな? てか、トドメ?
 これから盛り返しますから!
 ええ、多分。



 

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「いいですよ、無理しなくて」
 自分の下で固く強張る細い背中を、青木は押しのけるようにして自分から引き剥がした。
 行為の途中で急に引き抜かれて、ベッドに突き飛ばされた薪は、恋人の乱暴な仕打ちに驚いた顔で振り向いた。
「薪さん、本当はしたくないんでしょう?」
 薪と愛し合っているときに、青木がこんな真似をしたことは今までに一度もない。しかし、幾度も幾度もその衝動は青木の中で湧き上がり、意志の力でずっと抑えられてきた。それがついに、表面に噴き出した。
 それは2年目の冬。ここまでよく続いた、というべきか。

「今日は、ちょっと疲れてて」
 薪はすまなそうに言い訳をすると、でも大丈夫だから、と青木に続きを促した。生まれつき淡白な薪とのセックスは、青木の方が一方的に欲望を満たすことも多い。外見と性的年齢の隔たりが50歳くらいありそうな薪に合わせていたら、青木は気が狂ってしまう。だからこれは、円滑な恋人関係を保つための妥協案で。薪の「大丈夫」は、そういう意味だ。

 これまではそうしてきた。だけど、その夜の青木は妥協したくなかった。
 たしかに、青木ひとりの欲望でも行為はできるけど。それは恋人のセックスじゃない。

「青木?」
 いつになく不貞腐れた様子の青木に、薪が不安そうに声をかける。常ならその台詞で自分に挑んでくる青木が一向に動こうとしないので、訝しく思ったのだろう。
 だけど、今日はどうしても我慢ができない。ずっと心の底に押し込めていた憤懣が一気に堰を破ったかのように、青木はひどく好戦的な気分になっていた。と同時に、目の前の何も知らない無垢で残酷な彼を、思い切り傷つけたくなった。
「誰だって好きでもない人と、こんなことしたくないですよね」

 このひとは、何も知らない。
 オレが今までどんな気持ちで、他のひとを想い続けるあなたを見てきたか。恋人とは名ばかりで、彼の身代わりに過ぎない自分の立場にどんなに苦しんできたか。何ひとつ分かっていないのだ。

「なにを言って」
 薪の言葉を遮って、青木は言葉を重ねた。言いたくても言えずにいたこと、飲み込んできた数々の言葉が奔流になって出てきた。
「好きな人が裸で目の前にいたら、普通欲しくなるでしょう? したくなって当たり前ですよね。でも、薪さんはいっぺんもそんな風になったことがない。いつもいつもオレの方からばっかり、オレばっかりあなたが欲しくて」
 言い出したら、止まらなくなってしまった。言葉はどんどんエスカレートして、薪の表情は泣き出しそうな困り顔になった。
 いつもならそこで青木は慌てて謝るのだが、その日は彼を困惑させて申し訳ないと思う気持ちは湧いてこなかった。
 少しくらい、苦しめばいいと思った。何年も悩み続けている自分のために、一度くらい涙を流してくれたってバチは当たらないと思った。

「だいたいおかしいですよ。オレたち、付き合い始めてもうすぐ2年ですよ。それなのに、まだ慣れないなんて。気持ちが入らないから感じないんですよ。オレのこと、好きじゃないから!」
 なかなか成長しない薪のセックスの理由を愛情の欠如だと決め付けた青木の言葉に、薪は大きく目を見開き、次いでくちびるを開いた。
「僕がどんな思いで」

 ええ、聞かせてください。
 薪さんがどんな気持ちで、オレの恋人でいるのか。オレのこと、本当はどう思っているのか、ちゃんと薪さんの口から聞かせてください。

 青木は心の底から切望したが、その後の言葉は聞けなかった。薪はそれきり口を閉ざし、下を向いてしまった。 つまり、青木の言を認めたということだ。

 青木は黙って寝室を出た。
 どうして何も言ってくれないのだろうと、冷たい恋人に腹が立った。
 本当は、言って欲しかった。
『そんなことはない、おまえが好きだ』
 薪の口からその言葉さえ聞けたら、すべての迷いを捨てることができるのに。薪がその手の台詞が苦手なのは知っているが、自分たちは恋人同士だ。恋人に好きと言ってもらいたい、その望みはそんなに大それたことだろうか。
 それとも、嘘は吐けないということか? 嫌いではないが好きでもない、求められれば応じるけれど、自分から進んで取りに行くほどのものでもない。その程度の思いだと?

 やっぱり、無理なのかもしれない。薪の心を自分に向けさせることなど、できないのかもしれない。
 結局、自分はずっと鈴木の代わりで。薪への想いは一方通行のまま。

 裸の恋人を放ったまま、青木は薪のマンションを出た。家に帰るのも何だかシャクだ。いっそのこと、浮気でもしてやろうかと思う。
 折りしも歓楽街が賑わう時間帯、駅前通りには腕を組んで歩いている男女が大勢いて、中にはいかにもその道の女性らしき相手を連れている男も何人かいたが。女性たちはみなキレイに化粧をして、魅惑的なボディラインを強調する衣装をまとっていたけれど。

 ……ダメだ、薪以外の人なんて。ぜんぜんその気にならない。

 どんなに理不尽な扱いを受けても、薪と別れることなんかできない。薪のマンションに取って帰して懸命に謝れば、薪はきっと青木の暴言を許してくれる。薪は決して狭量ではないし、青木も別れましょうと言ったわけではない。ただのケンカだ。悲しいことに、こんなケンカはしょっちゅうやっている。
 でも今のままでは、遅かれ早かれ破局はくる。

 どうにもならない気持ちをもてあまして、青木は携帯電話を取り出す。この頃、めっきり顔を見なくなった女性の名前を選んで、電話を耳に当てた。
 5回目のコールで電話に出た相手に、挨拶も無しに青木は言った。
「三好先生、今から会えますか?」



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 騒がしい居酒屋のボックス席で、青木は2杯目の生ビールのジョッキを一気に呷った。
 ひと息に飲み干して、はあっとため息を吐く。向かいの席で、雪子が呆れ顔でこちらを見ている。無茶な飲み方だとわかっているが、酒でも飲まなきゃやっていられない。
「ちょっと。お腹に何か入れないと、胃に響くわよ」
「食事は済ませました。さっき薪さんの家で」
「じゃ、なんであたしを呼んだわけ?」
 青木が電話した時、雪子が研究室にいなかったのは少し意外だった。周りが騒がしいからおかしいと思って訊くと、渋谷の居酒屋にいると言う。誰かと一緒ですか、と聞いたら一人だと言うので、店の名と場所を教えてもらって合流した。

「聞いて欲しい話があったんです」
 店はとても混んでいたが、雪子はボックス席をひとりで占領していた。テーブルの上には、食べかけの料理の皿がいくつもあった。もしかすると、誰かと一緒にここに来ていたのかもしれない。さっきの電話は、青木を気遣った嘘だったのかも。雪子の性格なら充分に考えられる。
「無理言ってすみません。でもオレ、三好先生以外に相談に乗ってくれる人いないから」
「薪くんのこと?」
 察しのいい雪子は、直ぐに青木の悩みを見抜いた。尤も、雪子に薪の事以外で相談を持ちかけたことは無いから、分かって当たり前かもしれない。

 薪に恋をした4年前から、青木はずっと雪子に頼ってきた。恋人同士になる前は、薪と親密になるにはどうしたらいいかアドバイスをしてくれて、念願叶って恋人になってからは、薪の冷たい態度に挫けそうになるたびに勇気付けてくれた。
 彼女には、薪との間に起きたトラブルは全部話した。元婚約者の鈴木のことだけは言うべきではないと考えたが、やっぱり話してしまった。よって、雪子は何もかも承知の上で、いま青木の泣き言を聞いているのだ。

「薪さん、ちっともオレのこと好きって言ってくれないし、どう思ってるかって訊いたら『セフレ』って言い切られちゃうし」
「だからそれは前にも言ったでしょ。薪くんは、好きでもない人とそういうことできるタイプじゃないって。天然記念物指定が付くくらい、純粋なひとなんだから」
「三好先生の買い被りじゃないんですか。薪さん、今でも鈴木さんのこと忘れてないですよ。オレには分かります。それでも、オレとの関係を断とうとはしない。それって純粋な人のやることなんですか?」
 雪子は聞き上手でおだて上手で、頭がいいから問題点の理解もその対策を立てるのも早い。対策と言っても、青木が薪を思い切ることなど絶対にできないことが解っているから、どうやって関係を修復するか、あるいは青木の考え方をいかにポジティブに持っていくか、ということに限られるが。
「いつまでもオレの一方通行なのかなって思ったら、辛くなっちゃって。今日もベッドの途中で出てきちゃったんです」

 雪子は、青木が何を言ってほしいのか、どんな風に勇気付けて欲しいのか、それもちゃんと心得ている。今日も青木は期待していた。
『薪くんは照れ屋だから。表に出さないだけで、心の中では青木くんのこと大好きなのよ。親友のあたしが言うんだから、間違いないって』
 薪の口から聞けなかった台詞を彼の友人の口から聞いて、それで何とか自分をなだめようと思った。雪子に甘えてばかりで申し訳ないと思ったが、自分ひとりで抱え込むには、今日のマイナス感情は強すぎた。
 雪子なら、きっとそんな風に慰めてくれる。一時的にでも、自分はそれで元気になれる。今までずっとそうしてきたのだ。今回だって、立て直せる。
 ところが。

「あんたたち、もう別れた方がいいかもね」
 常になく深刻な表情の雪子が口にした一言は、青木を驚愕させた。
「こんな最低の男と付き合ったって、いいことなんか何もないわ。別れた方が賢明よ」
 固い表情を崩さないまま、雪子は鳥の唐揚げを一口で食べた。それをビールで流し込み、焼きそばの皿を手に取る。黙々と食べ物を詰め込む彼女の態度に、青木は不安を感じた。雪子は機嫌が悪そうだ。もしかしたら、友だちと楽しくやっていたところを邪魔してしまったのかもしれない。

「いや、あの、薪さんは確かにヒドイ恋人ですけど、最低って程じゃ。いいとこもたくさんあってですね、本当に時々ですけど、優しい言葉もかけてくれるし」
 半年にいっぺんくらいですけど、と心の中で付け加えて、青木は雪子の次の言葉を待つ。雪子は空になった皿をテーブルの上に置いて、半開きの据わった目で青木を見た。

「サイテー野郎はあんたのほう」
 青木は絶句した。
 この件に関して、自分に落ち度はない。不実が疑われるのは薪の方だ。それなのに、どうして自分が責められなければならないのだ。

「なに言ってんの、いまさら」
 柔道の試合のときのように鋭い目で、雪子は青木を睨んだ。その黒い瞳には本物の怒りが宿っており、彼女が本気で青木に腹を立てていることが分かった。しかし、納得できない。自分は被害者なのに。
「あのとき訊いたでしょ? 他のひとを愛し続ける彼を、一生愛せるかって。あんた、納得して薪くんを追いかけたんじゃない」
 それはあの夏の日。
 あの時は、そう思った。あの気持ちは嘘ではなかった。だけど。

「三好先生には分かりませんよ。誰かの身代わりにされてるかもしれないって、そんなこと考えながら付き合わなきゃいけない気持ちなんて」
 こんな心境のときにそのことを持ち出されても、ああそうでした、と得心する気にはなれない。いま青木が欲しいのは叱咤激励ではなく、気分を上向きにしてくれる耳に心地よい言葉だ。恋人からそれを得られないから、雪子に相談したのに。

「ヘタレだヘタレだと思ってきたけど、ここまで最低の男だとは思わなかったわ」
 雪子の手の中で、割り箸がバキリと音を立てて折れた。料理はまだ沢山残っていたが、雪子は席を立った。
「あんたみたいな男のために泣いて、損したわ!」
 テーブルの上に料理を残したまま去る彼女を見たのは、初めてだった。これは只事ではない。雪子を怒らせたら、薪と本当に別れることになってしまうかもしれない。薪は雪子の言うことなら何でも聞く。職務に関する事以外で彼女の望みを叶えなかったことは、ただの一度もないのだ。

 青木は慌てて雪子の後を追いかけた。レジで清算をする彼女に追いつき、自分が払いますと申し出たが無視された。いくら話しかけても謝っても、何も答えずにずんずん歩いていく。青木は必死に彼女の後をついていく。
「三好先生、すみませんでした。もう弱音は吐きませんから、薪さんのこと信じますから」
「無理することないわよ。あたしから薪くんに別れるように言ってあげるわ」
 それを言われたら本気で終わる! 薪が優先する人間の順番はとても明確に決まっていて、雪子は青木の遥か上だ。

「違うんです、別に薪さんのことがイヤになったわけじゃなくて! オレがあのひとのこと、嫌いになれるわけがないじゃないですか」
「どうせ口先だけでしょ」
 雪子にこんなことを言われたのは初めてだ。雪子はいつでも青木の味方だった。姉のように母親のように、青木を癒し励まし、導いてくれたのだ。

「あんたみたいな男に薪くんを任せたあたしがバカだったわ」
「ちょっと待ってくださいよ。オレはちゃんと薪さんのこと愛してます! 信じてくださいよ」
 思わず声が大きくなって、通りすがりの酔っ払いに冷やかされた。下卑た笑い声と共に、「兄ちゃん、がんばりな!」と声が掛かる。言われなくてもそうする。雪子が敵に回ったら、薪との仲は絶対に上手くいかなくなる。

「じゃあ、身体で証明しなさい。そしたら信じてあげる」
「は?」
 夢中で追っていた背中が止まって、青木はほっと息をつき、しかし次の瞬間驚きに目を瞠った。後方の酔っ払いが何をがんばれと言ったのか、何故彼らが笑っていたのか、青木はやっと理解した。
 雪子が立ち止まったのは、ラブホテルの前だった。



*****


 何かを期待してる方、するだけ無駄ですからネ(笑)



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「あの、三好先生? こんなところで何をしようと」
 いや、この建物の目的はよく分かっているし、青木も何度も利用したことがあるから使用方法についても熟知しているが。
 そういえば、薪とはまだ入ったことがない。薪のマンション以外で、行為に及んだことはない。一度誘ってみようか。新鮮な気分になれば、薪の反応も変わってくるかもしれない。

 青木が呑気なことを考えているうちに、雪子はさっさと中に入ってしまった。一体、どういうつもりだろう。
 薪を愛していることを、身体で証明する? ラブホテルで、雪子の前で?
 もしかして、薪とここでセックスしなさい、と言う気だろうか。それはいくら雪子の命令でも……いや、薪は雪子の言うことなら何でも聞く。これはいけるかもしれない、むしろブラボー!
 見ると、雪子は携帯電話を耳に当てている。間違いない、薪を呼び出しているのだ。

「すぐに来るから。部屋で待ってましょ」
 雪子は部屋のキーを持って、先に立って歩き出した。青木はその後ろをいそいそと着いて行く。誰かに見られたら確実に誤解を受けるが、これ以上のカモフラージュはない。後からひとりでホテルに入る薪と、女連れで先に入った自分を結びつける者はいないだろう。そこまで気を回すとは、さすが雪子だ。
 部屋で待っていると、30分も経たないうちにノックの音がした。中途半端なベッドに悶々としていた青木の胸が、期待にトクンと高鳴る。

「あの、三好先生。オレたち、二人きりにしてもらえますか?」
 申し訳ないが、雪子にはここで退場願おう。薪は恥ずかしがり屋だ。明るいところで抱き合うのも嫌がるのに、人前でなどできるわけがない。
「いいの? あたしがいなくなっても」
 ここまで来れば、薪だって覚悟を決めるだろう。いつもと違うシチュエーションに、気分も盛り上がるに違いない。
「大丈夫です。ちゃんとオレがリードしますから」
「へえ。ずい分自信あるのね。あんた、初めてじゃないの?」
 青木はドアを開け、訪問客を迎え入れた。

「何を言って……どえええっ!?」
 彼は部屋に入るなり、青木に抱きついてきた。きつい香水の匂い、それより強いオスの臭い。
「あ~ん、お久しぶりぃ、一行ちゃん!」
 ドスの利いた低い声で名前をちゃん付けで呼ばれて、青木は総毛立つ。厚く塗ったファンデーションと真っピンクの口紅。つけ睫毛とマスカラに囲まれた眼は狐のように釣りあがって、大きな口はうれしそうに笑みを刻む。
 野太い声と目の周りを強調したメイク。男でも女でもないこの生命体をカテゴリに分類するとしたら―― 妖怪?
「ほ、本間さ、いえ、彩華さん!?」

 本名本間竜太郎、38歳、性別♂。しかし、源氏名の『彩華』で呼ばないと返事をしないことからも分かるように、意識はしっかり女性だ。雪子の友人で、青木のアドバイザー。つまり、そちらの方面の先生というわけだ。
「逢いたかったわぁ」
 間近に顔を覗き込まれて、青木は引っくり返りそうなる胃を根性で押さえ込む。どこから見ても立派な男性の彼が、厚化粧と身体にぴったりとしたスパンコールつきのミニワンピに身を包むと、その破壊力はすさまじい。視覚刺激で脳髄が焼き切れそうだ。

「ちょっ、顔近付けないでください、心臓に悪いです」
「まあ、一行ちゃんたら。それは恋のときめきってこと?」
 ……コロシタイ。

 彼女に初めて会ったのは、2年前の春。男同士のセックスのことなど何も分からない青木は、薪との最初の夜、派手な失敗をしてしまった。それから少しずつ勉強し始めたのだが、こういうことは書物を読むより経験者に体験談を聞いたほうがよく分かる。何かうまく行かないことがあるたびに、プロの彼女に電話で相談してアドバイスを受けていた。
 髭剃り跡の濃い顔を近づけられ、青木は仰け反って彼女を避ける。逃げるほどに彼女は接近してきて、青木はベッドまで追い詰められた。

「じゃあ、後はよろしくね、彩華。彼、あなたと二人きりになりたいみたいだから」
「ちがいますっ! てっきり薪さんが来ると思ったから! 行かないでください、みよしせんせえええ!!」
「バカじゃないの、あんた。薪くんがこんなところに来るわけないでしょ」
 冷静に考えたら、雪子の言うとおりだ。もし雪子が、「いま青木くんとホテルにいるの」と報せたら、つねづね結婚するなら雪子としろ、と青木に刷り込んでいる薪のこと、「お幸せに」と言って電話を切ってしまうだろう。 未だに雪子の結婚相手として自分を視野に入れている、それもまた、薪の愛情を疑う要因のひとつであるのだが。

 彩華は青木をベッドに押さえつけ、慣れた手つきでネクタイを外した。抵抗しようとしたが、音を立てて首を吸われて力が抜けてしまった。相手は自分より小さくて非力なはずなのに、撥ね退けることができない。嫌悪感と吐き気に襲われて、身体に力が入らない。なんかもう、妖術にでもかかってる気分だ。
「三好先生っ、助けてっ、助けてください!!」
 どんな部門でもプロと言うのは大したもので、彩華は素早く青木のシャツを脱がし、はだかの胸に頬をこすりつけた。
「あぁ~ん、たくましい胸。若い肌っていいわね~」
「ひええええ!!!」
 ヒゲがジョリジョリする! ありえない、気持ち悪いっ! 嫌悪感に気を失いそうだ。ある意味、雪山で死にかけたときより危険な状況だ。

「遠慮しないで、ズドンとやっちゃいなさい」
 青木の悲鳴に、雪子はつかつかとベッドの側まで寄ってきて、しかし友人の暴挙を止めようとはせず、腕を組んで睥睨した。どうやら傍観者の立場を決め込むつもりらしい。雪子がお祭り好きなのは知っているが、いくらなんでもこれはヒドイ。
「いや、ムリです! オレ、薪さん以外の男じゃ勃たな……!!!」
 ズボンの上からそこを撫でられて、青木は声を失った。おぞましさに眩暈がする。
「大丈夫、あたしたちはリバーシブルが基本だから。うふふ、新しい世界を教えてあげるわ」
「うぎゃああああ!!!!」
 
 ついに切れて、青木は彩華の身体を思い切り突き飛ばした。黒帯に近い実力をつけてきている青木の突きに、武道をたしなまない彩華の体は軽々と吹っ飛び、雪子に受け止められた。
「いやですっ、男にやられるなんて! オレは女じゃありません!」
 その言い方は彩華の職業を侮辱するかもしれないと微かに思ったが、言葉を止めることはできなかった。

「薪くんは?」
 思いもかけない方向からの質問に、青木の眼が点になる。どうしてここに薪の名前がでてくるのだ?
「あんた、薪くんに散々やっといて、よくそんなことが言えるわね? 薪くんだって男なのよ。ゲイじゃないって言ったでしょ」
「だ、だって、薪さんは……鈴木さんと、その」
「過去にそういうことがあったのは事実だけど、薪くんはゲイじゃないわ。男の人を見て欲情したりしないもの。あんたに欲情しないって、そういうことでしょ? ほら、彩華はちゃんと勃ってるわよ」
 ミニスカートを捲られて、その事実を強制的に視認させられる。眼が腐り落ちそうだ。

「いっぺん、薪くんの立場を体験するといいわ。そしたら彼の気持ちが解るでしょ」
「いや、だって、薪さんとオレは恋人同士なんだし、それは当たり前のことで」
「じゃあ、あんたが薪くんに抱かれてみる? それはありなわけ?」
 考えたこともなかった。
 薪は「青木のハダカを見ても勃たないから」という理由で、最初から受ける方を選んだ。鈴木のことがあったから、それが当然だとそのときは思ったが、考えてみれば16年も昔の話だ。自分の身体が傷つくことも承知の上で、薪は青木に身体を開いてくれようとしたのだ。
 
 初めて自分が薪の下になって彼に犯されることを考えてみて、いくら薪が相手でもそれはイヤだと心の底で叫ぶ声に気付いて、青木は驚く。愛し合うことが目的なら、どちらが男役でもいいはずだ。だけど、理屈では割り切れない絶対的な嫌悪感が存在する。それは本能的なもので、男である以上仕方のないことだ。
 ……じゃあ、薪は?

「ノンケの男が男に身を任せるのが、どういうことだか解った? 半端な覚悟でできることじゃないでしょ。あんた、そんなことも分からないで薪くんのこと抱いてたの?」
 青木は、言葉を返すことができなかった。
 苦痛に耐える覚悟を決めてくれた薪に感謝はしたが、自分が女として扱われることに対する彼のプライドについては、何も考えなかった。
 薪のプライドの高さは折り紙つきだ。自分が女に間違われたり、同性からそういう眼で見られることを何よりも嫌がるのだ。そんな彼が、青木と愛し合うときには自分から女性の役割を引き受けてくれる。それはつまり。

「必死で頑張ってるのに、それを理解するどころか愛情まで疑われて。あーあ、薪くん、かわいそう。やっぱりこんな男とは切れた方がいいわ。この次はかわいい女の子見つけるでしょうから。その方が薪くんのためだわ、うん」
 青木は起き上がり、シャツのボタンを止めた。彩華に取られたネクタイを床から拾い、ポケットにしまう。
「三好先生」
 ハンガーに掛けておいたジャケットを着て、雪子とその友人に向き直る。ふたりに向かって、最敬礼の角度に頭を下げた。
「ありがとうございました」
 青木が礼を言うと、雪子はにやっと笑った。今宵、初めての笑顔だった。

「あたしはいいけど、この子が納得しないみたいだから。キスでもしてやって」
「すいません、勘弁してください」
 彩華にも感謝している。彼女は雪子に頼まれて、店を抜け出してきたのだ。服装が営業用のそれだった。しかし、その感謝をキスで表すわけにはいかない。
「オレ、夢中で恋してる相手がいますから」

 精一杯の感謝を笑みで表した青木に、彩華はフンと鼻を鳴らし、
「あ、また『オレは世界一の幸せ者だ』って顔してる。雪子、この子、殺っちゃっていい?」
「そうね、協力するわ」
 ふたりの魅力的な女性が揃ってポキポキと指を鳴らし、戦闘の合図をする。青木は大慌てでホテルの部屋を飛び出した。
「失礼しますっ!」
 ガタイばかり良くて実情は情けない長身の男がいなくなると、部屋に残された二人の女性は顔を見合わせて笑った。

「あ~、楽しかった。あの子、面白すぎ。雪子、また呼んでね」
「機会があればね。彩華、これからお店に戻る?」
「せっかくだから、ここでお仕事してくわ。ホテル代、儲けさせてもらう」
「はいはい、がんばって」
「あんたも頑張りなさいよ。アタシたち、もう40になるのよ。早くいいひと見つけなさい」
 ギラギラにコーティングされた携帯電話を取り出して、彩華は客のひとりに商売を始める。その様子を見ながら、あんなにたくさんのストラップがついていたら、電話をするのにも収納にも邪魔なのではないかとお節介なことを思う。

「あんたに言われたくないわ」
 自分も1本の電話を済ませると、雪子は出口に向かった。後ろから、彩華の声がかかる。
「雪子。いつまでも死んだ人に操立ててたって、彼は喜ばないわよ」
 雪子はびくりと足を止めたが、振り返らずに部屋を出て行った。その背中はピンと筋が通って、潔く、美しかった。



*****


 ああっ、楽しい!
 次は彩華さんのスピンオフを書こう(笑)


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サインα(5)

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 薪のマンションのチャイムを鳴らす前に、青木は時計を確認した。
 時刻は10時半。仕事最優先の薪の主張で、平日のデートは10時までという決まりがあるから、この時間ではドアを開けてもらえないかもしれない。そうしたら、インターホンで謝罪だけして、ドアの前で土下座して、今日は一旦引き上げよう。
 
 そんな頭があったから、ボタンを押すと同時にドアが開いたことに青木は驚いた。扉の向こうで青木を見上げている亜麻色の瞳が、哀しそうな色を湛えている。先刻の自分の行動が薪をひどく傷つけたことを知って、青木は申し訳ない気持ちで一杯になった。

「ごめんなさい、薪さん。今日みたいなことは二度としませんから、許してください」
 亜麻色の頭がこくりと頷いて、青木はもう一度びっくりする。あの意地悪な薪が、こんなに簡単に青木のことを許してくれるなんて。今までもこんなケンカは日常茶飯だったのだが、その度に薪は陰険に青木のことを苛めて、一度の謝罪で許してくれたことなど記憶にない。心の中では許していても、必ず二言三言は皮肉を言って、ネチネチと青木をいたぶって楽しむのが薪のスタンダードな仲直りの仕方なのだ。

「雪子さんから電話があった。今日だけは、おまえのこと許してやれって」
 なるほど、雪子が口添えをしてくれたのか。さすが雪子だ、ナイスフォローだ。
 薪はソファに腰を下ろすと、じっと足元を見つめた。うなだれた可憐な姿に、彼が寂しさを感じていることを知る。きっと薪は今、自分に側にいて欲しいと思っている。
 隣に座って彼を抱きしめる。胸の中に抱き込んで、サラサラした髪に頬ずりした。
「薪さ……えっ?」

 くちびるを寄せていた前髪の不自然な震えに気付いて、青木は身体を離した。見ると、丸みを帯びたやわらかな頬を涙が濡らしている。
「薪さん。あの」
「気にしなくていいから」
 こんなに泣くほど傷ついているとは思わなかった。もしかして、これまでに何回かあったケンカのたびに、薪はこんなふうに泣いていたのだろうか。自分が知らなかっただけで、このひとは陰でたくさんの涙を流していたのだろうか。

「僕がいつまでも未熟なのが悪いんだから、僕におまえを止める権利なんか無いんだ。子供じゃないんだし、知らない振りしようとしたんだけど……でも、やっぱり悔しくて、情けなくて」
「なにがですか?」
「雪子さんにも許してやれって言われたし、自分でも大人気ないと思うけど、でも。おまえが僕以外の誰かを抱いたんだと思ったら、涙が勝手に」
「はい!?」
 わからないっ、薪の思考経路はぜんぜん解らない! 雪子から「許してやれ」と電話があっただけで、なぜ浮気と結びつく!?

「おまえの気持ちを疑ってるわけじゃないんだ。僕も男だから、事情はわかるし。だから、気に病まなくていい」
「誤解ですよ。三好先生は、オレが薪さんとケンカしたまま家を出ちゃったことを許してやって、って言ったんです。オレはそれ以外、薪さんに謝らなきゃいけないようなことはしてません」
「隠さなくていい。わざわざ雪子さんが電話をしてきたんだ。いつものケンカとは違うことが起こったんだって、すぐにわかった」
 三好先生、余計なことしないでください!

 感謝の気持ちは5分もしないうちに翻って、青木は非難の言葉を胸で叫んだ。
 雪子にしてみれば、彼らがこんなケンカを頻繁にしているとは知る由もないのだから、これは気配りだ。それを非難されたら立場がない。
 しかし、電話があったくらいで浮気を決め付けるなんて、短絡的過ぎる。薪はもともと思い込みが激しいところがあるが、これは酷すぎる。青木にも失礼だ。

「オレがそんなこと、するはずないでしょう? 薪さん以外のひとなんか眼に入らないって、いつも言ってるじゃないですか」
 薪は両腕を伸ばし、青木の胸をとんと突いた。自分と恋人の間に距離を作って、浮気の証拠を次々と提示し始める。
「だっておまえ、すっごい香水臭いし」
 しまった、彩華の香水だ。鼻が慣れてしまって、自分では気付かなかった。
「首にはキスマークがついてるし、ワイシャツには口紅がべったりだし」
「ち、違うんです。これはその」
 青木はその先を続けることができなかった。オカマに押し倒されたなんて、薪には知られたくない。いや、浮気とかじゃなくて、単純に恥ずかしい。
「もしかしたら雪子さんと、って思ったんだけど。この茶色くて長い髪は、雪子さんのじゃないだろ? 雪子さん、ピンクの口紅なんてつけないし」
 人差し指と親指でつまんだ髪の毛を青木の前で振り、ワイシャツの襟についた口紅の痕を顎で指す。数々の物的証拠を挙げて、どうだ、と薪は挑戦的な眼で青木を睨んだ。

「察するに、おまえはこの髪の持ち主と」
「ちがいますっ! この髪の人物とは、死んでも関係したくありません!」
 青木の剣幕に怯みつつも、くっと細い顎を引き、肩を引き上げるように首を竦めて、薪はフェミニストを気取った。
「死んでもって。おまえ、それは相手の娘に失礼じゃないか?」
 青木にとっては心からの叫びだったのだが、事情を知らない薪には外見による蔑視に聞こえたらしい。青木も相手が本物の女性ならこんなことは言わないが、しかし。

「いろいろと方法はあるだろ。部屋を真っ暗にするとか、顔に紙袋を被せるとか」
 紙袋ってなに!? どんなプレイ!?
「薪さんの方がよっぽど失礼ですよ、てか、紙袋が米倉○子のマスクでもダメです。あのムダ毛が気持ち悪くって」
「ムダ毛の処理を怠ってるのか? それはちょっと引くな。だけど、毛深い女は情も深いって言うぞ。いろんなサービスしてくれるかも」
 薪は一旦言葉を止め、顔に似合わない猥談をするときの眼で、うぷぷと笑った。
「そっか、してもらったんだな。よかったな」
「されてません!! 逃げてきたんですよ!」
「逃げた? そんなおまえ、もったいないことを。いや、ウソつかなくていいぞ、僕は大人だから。気にしないから」
「信じてくださいったら!」
「わかったわかった、安心しろ。そういうことにしておいてやるから」
「しておいてやるじゃなくて! 本当に何もしてませんよ!!」

 青木は薪に掛けられた容疑を晴らそうと躍起になって、いつの間にか彼が、普段の意地悪な口調を取り戻していることにも気付かない。青木の様子を見れば鋭い薪のこと、純朴でウソのつけない彼が無実であることはすぐにわかった。だから、これはもういつもの言葉遊びなのだが、青木の方は大真面目だ。それがますますイタズラ心を刺激して、薪の演技は迫真を極める。
「いいんだ、僕に気を使ってウソをついてくれなくても。隠される方が、よっぽど悲しい……」
 両手で顔を覆って肩を震わせる。手のひらに当たる顔の筋肉は、もちろん笑っている。
 オロオロする青木の顔が、とてつもなく面白い。腹を抱えて笑いたいが、それではこの楽しい遊びの時間が終わってしまう。薪は必死に笑いを噛み殺した。

 肩の震えを激しくする薪を見て、いよいよ窮した青木が携帯電話を取り出した。薪が青木の勇み足を止める間もなく、リダイヤルのボタンを押す。
「三好先生っ、彩華さん連れて薪さんのマンションに来てください! オレの無実を証明してください!!」




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サインα(6)

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 結局、騒動の結末は酒宴の席になだれ込んだ。
 薪の部屋のリビングで、2人の男性と2人の女性が膝を突き合わせて、一見すると合コンに見えないこともないのだが、内実はそんな平和なものではない。青木にしてみれば、正妻(?)と浮気相手(??)が同席している状態なのだ。

 初めて彩華を見た薪は目を丸くしたが、青木のようにパニックに陥ることもなく、にこりと笑って深夜の訪問客を迎え、手早く酒の支度をして彼女たちをもてなした。冷蔵庫の在庫品を上手に使った酒のつまみは、彼女たちに大好評だった。
「まあ、この卵焼きおいしい。お料理上手ね」
「ありがとうごさいます。ビールもう1本、いかがですか?」

 初対面の二人は青木を挟んだ恋のライバルであるはずなのだが、何故か和やかに笑い合っている。その様子を見て、青木は薪の誤解が解けたと思い込む。彩華の突き抜けた容姿のおかげかもしれない。無理を言って来てもらってよかった。
 本当は雪子に電話をする前に薪の誤解は解けていたのだが、青木は自分が遊ばれていることにも気付かない。その鈍さを薪が愛しいと思っていることには、もっと気付かない。

「サラダもおいしい。このソース、お手製よね。サツマイモの甘煮も、え、このパイも? すごいわ、警察なんかに置いとくのもったいない」
「まあね。薪くんの料理はそんじょそこらの店には負けないわよ」
 焼きおにぎりと大好物のパンプキンパイを両手に持って、雪子は成長期の少年のように食べている。居酒屋で胃に収めた料理は、とっくに消化したらしい。

「なんで雪子が威張るのよ。ちょっとは見習いなさいよ、あんたアタシよりお料理下手くそじゃない」
「なに言ってんのよ、真っ黒焦げの卵焼きしか作れないくせに」
「あんただって似たようなもんでしょ。たまには殻が入ってない卵焼き作れないの?」
「あれでもできるだけ取り除いてるのよ。どうして卵ってあんなに割れやすくできてるのかしら」
「そうよね、持っただけで割れちゃう時あるものね」
「あ、彩華も? あたしもなのよ」
 彼女たちに料理を教えようと思ったら、卵の割り方から入らなくてはならないらしい。彼女たちにとって美味しい卵焼きまでの道のりは、眩暈がするほど遠い。

 薪はクスクス笑いながら、ふたりのやり取りを聞いている。この家の主は楽しそうだが、青木はこの宴席が早く終わって欲しいと願っている。薪の誤解さえ解けたら、もう彼女たちに用は無い。さっさと帰って、薪と二人きりにして欲しい。青木は薪以外の人間にはけっこうシビアだ。
 しかし、事態は青木の思惑とは真逆の方向に進んでいった。どの辺のフィーリングがマッチしたのか、薪が彩華と意気投合してしまったのだ。

「青木がすっかりお世話になったみたいで」
「そうなのよ~、一行ちゃんたらアタシに夢中で」
 はよ帰らんかい、この地球外生命体がっ!!
「ていうか、男はみんなアタシに惚れちゃうってカンジ? おかげでアタシの周りって、ケンカが絶えないのよ、アタシを奪い合って。美しすぎるのって罪よね。オーホッホッホ」
 それはお互い、あなたを他人に押し付けようとしてるんじゃ? いわば生存本能に基づいた行動で、カルネアデスの板が逆さになった状況じゃ?

「あなたも割とそんな感じ?」
「いいえ。僕は彩華さんみたいに人目を引く容姿じゃありませんから」
 マスコミの答弁に慣れている薪は、さすがにうまい言い方をする。確かに彩華は他人の視線を釘付けにする。つまりあれだ、怖いもの見たさだ。お化け屋敷に入るときの心理だ。
「あら、そんなに捨てたもんじゃないわよ。そりゃアタシのレベルに達するためには、長年の努力が必要だけど」
 努力? それは精神修行ですか? 自己暗示能力を極限まで高めるために、ナイアガラの滝にでも打たれてたんですか?
 
「彩華さんの顔は魔界レベルですよね」
 青木がぼそりと呟くと、彩華は青木の方に近付き、青木にだけ聞こえる声で、
「もう、一行ちゃんたら。恋人の前で他の女性を褒めちゃダメでしょ。オンナはそういうの、とっても傷つくのよ」
 頭の中身まで魔界レベルか、この低級使い魔が。
「ツヨシくん。オンナはね、磨き方次第なの。あんただってちゃんとお化粧してかわいいワンピースでも着れば、そこそこ見られるわよ」
 すみません、魔界の美的基準を薪さんに適用しないでもらえますか。
 
 何を思い出したのか、薪はゲホゲホとビールにむせると、必要以上に力を込めて、
「いや、僕は男なんで! ワンピースなんか着ませんからっ。ミニスカートも着物もチャイナドレスもゴスロリもメイド服も、絶対に着ません!!」
「まあ、豊富なバリエーションだこと。なかなかやるわね」
「だから着ませんよ! 二度とごめんですっ!」
「二度とってことは、1回は着てるのね」
 意外と冷静な彩華に突っ込まれて、薪は頭を抱える。墓穴掘りは薪の得意技だが、その様子はとてもかわいい。

「はあ。仕方ないわね。蓼食う虫も好きずきって言うし。あなたから一行ちゃん取り上げちゃったら、もう二度と男が寄ってこないかもしれないものね。相手に不自由してないアタシの方が譲ってあげるべきよね」
 何を言い出すんだ、失礼なっ!  薪に群れるたくさんの虫を払うのに、どれだけ苦労していると思ってるんだ!
「ちがいます、僕は女の子の方が好きなんです! あ、いや、こいつのことはその、つまり、ええと、あううう」
 最後の頃は何を言っているのか解らなくなってしまった薪の言葉を無視して、彩華はガッチリと筋肉の浮き出た肩を竦めた。憂いを含んだ顔つきになり、削げた頬に骨っぽい手を当てて、ほうっとため息を吐く。
 ……吐いた息の中から小さな妖怪が生まれてきそうだ、いっそ呼吸を止めてやりたい。薪がやったら抱き寄せて髪を撫でてやりたくなる仕草なのに、人間見た目じゃないって、あれ絶対にウソだ。

「嘘だと思われるかもしれないけど、アタシだってそんなにもてる方じゃないのよ」
 嘘だなんて思いません。それはあなたが自覚してることの中で、おそらく唯一の真実だと思います。
「まあ、アタシくらいのオンナになっちゃうと、みんな高嶺の花だと思うのよね」
 そうでしょうそうでしょう。ぜひ高いところで、いっそ成層圏辺りで咲き乱れちゃってください。そして宇宙の塵になれ。
「美しいからって、幸せになれるとは限らない。あなたくらいの容姿の方が、幸せをつかみやすいものよ。よかったわね、そこそこの顔に生まれて」
 だから、自分より薪の方が容姿的に下みたいに言うな!
 美しいと褒められることがあまり好きではない薪は平気らしいが、青木は我慢できない。薪はこの世で一番きれいでかわいいのだ。

「三好先生、あのひと何とかしてくださいよ。てか、連れて帰ってください」
「ムリ。彩華にアルコールが入ったら、もう朝まで付き合うしか道はないのよ」
 なんて迷惑な生き物なんだ! だれが連れてきたんだ、こんな粗大ゴミ! ……あ、オレが呼んだのか。
「いいわ、諦めてあげる。一行ちゃん。あなたもアタシのことは忘れてね」
 はい、多分明日の朝まで覚えてないです。人間、精神の安定のために、辛すぎる記憶にはロックが掛かるようにできてるんです。
「あなたの気持ちはうれしいけど。あなたたちの幸せのために、アタシは身を引くわ」
 引いてください、地球の裏側まで! マッハの速度で引きまくっちゃってください!
「最後の思い出に、キスしてあげるから」
 オレを自殺に追い込む気ですか!? それとも、あなたの人生に幕を引いてあげましょうか!?

 ホテルでの悪夢に再び襲われて、青木は尻で後ずさる。彩華が手馴れた狩人の動きで青木を追い、薪と雪子は腹を抱えて笑った。

「薪さん、面白がってないで止めてくださいよっ!」
「いいじゃないか、キスくらい。減るもんじゃなし」
「いやですっ!! オレは薪さん以外の男のひとは気持ち悪っ、な、なにするんですか!?」
 
 薪と雪子は一瞬目を合わせたかと思うと、素早く青木の背後に回った。仕事も遊びも容赦なく、がモットーの雪子に関節技を決められて、青木は上半身を封じられる。女とは言え柔道4段の雪子の技は、青木ごときが簡単に返せるものではない。そのまま床に座らされて、薪の両手が青木の頭を押さえつけた。


*****


 青木くん、ぴーんち!
 あー、楽しい♪♪


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サインα(7)

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「さ、彩華さん。どうぞ、ご遠慮なく」
 分厚い唇が目前に迫ってきて、青木は眩暈と共に観念した。白粉を塗った頬のところどころから短いヒゲが生えている彩華の不自然なアップを見るに耐えず、思わず目を閉じる。次の瞬間、くちびると鼻を同時に塞がれて、青木は窒息しそうになった。

 オカマのキスって、こんなに苦しいのか!? 息ができない、マジで死ぬ! 自分の口の大きさを考えろ、殺人未遂で逮捕してやる!
 あれ? でもなんか、いい匂いがする。それに全然、ベトベトしない。さらっとした肌触りでやわらかい、これはくちびるじゃなくて人間の手だ。それも、青木のよく知っている手だ。

 目を開けると、思ったとおり薪の両手が青木の口を塞いでいた。細い手の甲に、べったりとピンクの口紅がついている。
 瞳を動かして薪の顔を見ると、フクザツそうな表情で頬を染め、
「やっぱりダメ」と小さな声で呟いた。
 雪子も彩華も、呆れた顔をしている。もちろん、青木も。

 アホらしい、と言って彩華が立ち上がり、イタズラに失敗した雪子が投げやりに技を解いた。ふたりの女性が「なんか飲み足りないわね」などと話しながらこちらに一瞥もくれずに部屋を出て行く様子を見て、青木は薪の手を自分の口から外し、そのまま胸の前に持ってきた。自然に引き寄せられ、負ぶさるような格好になって、薪は青木の肩に顔を埋める。ほのかに香る、アルコールに混じった薪のにおい。

「守ってくださって、ありがとうございました」
「……うん」
「お礼のキスをしてもいいですか?」
 赤い顔をしている恋人が可愛くて愛しくて、青木は薪に守られたくちびるを、感謝を込めて彼に捧げたいと申し出る。薪は黙って目を閉じて、顔を上げてくれた。

 じっとくちづけを待つ仕草に、彼の望みを垣間見る。伏せられた睫毛は期待に震え、小さなくちびるは青木に応えるためにやわらかく結ばれている。
 そうっと触れればそれは自然に開いて、青木を中に受け入れる。真珠の連なりの向こうに隠れていた甘美な実は、軽くつつくだけで自分から青木の舌の上に落ちてきて、それは彼がこの行為を望んでいる証拠。
 存分に味わってから彼を解放し、青木は薪を注意深く観察する。蛍光灯が照らす亜麻色の髪、その絹のような輝きに包まれた薪の顔。雪子に言われたことを思い出してよくよく見れば、そのきれいな顔には言葉にならない彼の想いが溢れていて。
 亜麻色の瞳の中に微かに点滅するシグナルを認めて、自分の髪に絡む指に確信を深める。迷いを捨てればこんなにもはっきり見えてくる、かれが求めているもの。

 どうして気付かなかったのだろう。
 薪はこんなに自分への愛を叫んでいたのに。

 ほら、亜麻色の瞳が熱っぽく潤んでる。
 青木の髪に絡んだ細い指が、愛しいと言ってる。この黒い髪が、その持ち主が、僕は好きでたまらないと叫んでいる。

 これまでだって、彼はずっと言い続けていたのだ。青木に会うたび、青木の腕に抱かれるたびに。言葉以外のすべてを使って、語りかけていた。素直に開かれる足が、愛撫に震えるつま先が。仰け反る背中が、乱れる髪が、声が吐息が。全部全部、青木への愛を訴えていたのに。

 突き上げるような愛しさに、青木は薪の身体をぎゅうっと抱きしめる。
 見ようとしなかったのは、自分のほうだ。言葉は重要だけど、でももっと大事なのは薪の心、それを解ろうとする意識だ。
 思えば恋人になる前は、薪の考えていることがすぐにわかった。それはいつも薪のことを最優先に考えて、彼が何を望んでいるか知ろうと努力していたからだ。その中から自分への好意を見つけ出そうと、必死だった。
 恋人同士になってから、その努力は次第におろそかになっていった。恋人なのだから、言葉にして手渡してくれるのが当たり前だと思っていた。薪は悪くなかった。自分が思い上がっていただけだ。
 純粋に薪のことだけを考えれば、彼の気持ちはちゃんと解るのに。彼に好かれたいとか、自分だけを見て欲しいとか、我欲に捉われているときにはそれが見えない。薪は何も変わっていない、自分が傲慢になっていたのだと初めて気付いた。

 一番大事なことは、と青木は初心を思い出す。

 大事なのは、薪の笑顔を守ること。
 薪がいつも幸せそうに笑ってくれること。安らかに眠ってくれること。楽しそうに未来の予定を話してくれること。オレはそれを成し遂げたくて、このひとの恋人になりたいと思ったんじゃないのか。

 いつの間にか一番重要な命題を忘れて、自分を世界一好きだと言ってくれない彼に不満を抱いていたなんて。その言葉を聞けないというだけで、彼の中にあるいじらしさに気付こうともしなかった。
 相手の好意を信じることで、見えてくる色々なもの、逆に見えなくなってしまうもの。それは同じ比率で存在するのかもしれないが、青木には前者だけあればいい。薪の場合は、それが彼の人生と交わる人間にとっての必要条件なのだから。
 だから自分は今のこの気持ちを、胸の真ん中に据え置こう。魂の核の部分に刻んで、二度と揺るがないように、その周りを何重にも薪への想いで保護しよう。

 薪がいつも笑顔でいられるように。それが行動の基準点。

 身体の芯に通した新たな誓いに、青木は自分の存在がどっしりと質感を増すのを感じる。自分の存在意義を見出すのは、いつだって自分だ。他人から与えられた役割は、他人に左右される。そんなものに振り回されるなんてまっぴらだ。だからもう、薪の言葉なんかに惑わされない。
 自分ことは自分で判断する。薪の愛情も、自分で測る。

 薪が何も言わなくても、方法はいくらでもある。彼の何気ない仕草から、声の調子から、衣服の布地の動きからさえ読み取ってみせる。薪が何ひとつ隠し事のできないようになるまで、スキャニング能力を高めてやる。自分は薪のことなら何でもわかる、そう言えるくらいのエキスパートになってやる。
 恋人の間には、知らない方がいいことも沢山あることは承知している。でも、もう逃げない。オレが逃げていたらこのひとは、決して幸せになれない。手段は選ばない、大事なのは薪が笑ってくれること。それだけを望む、望める人間になってみせよう。

 だから、と青木は思う。
 薪が鈴木に会いたがっているときは、彼の写真を見れるように席を外そう。声を聞きたいと思っているときは、夢で鈴木に会えるように彼の思い出話に付き合おう。ベッドの中で鈴木を思い出したときは、自分は鈴木になって彼を愛してやろう。
 それは決して一方通行じゃない、青木の自己犠牲でもない。相手の好意を信じて為す分には、愛情の一形態に過ぎない。
 
 薪の愛を信じるに足る証拠? そんなものは、わざわざ探すまでもない。
 こうして自分の前で目を閉じてくれることが、青木の求めに応じてくれることが、薪から発せられる大切なサイン。形を持たなくても情欲を伴わなくても、薪にとっては精一杯のアイシテル。
 彼が自分の側にいてくれる。それが何よりの証拠じゃないか。

「薪さん。オレ、腹決めましたから。覚悟してくださいね」
 もう絶対に離れません、と独り決めした青木の言葉は、薪の耳に届くことはなかった。腕を緩めると、細い身体はくたりと青木の方に倒れてくる。彩華に勧められたアルコールのおかげで、薪はとっくに夢の中だった。
 苦笑して彼を抱き上げ、ベッドに運ぶ。トレーナーはそのまま、ジーパンだけパジャマに穿き替えさせて布団を被せる。穏やかな寝顔に安堵して、彼の夢が一晩中楽しいものであることを願う。

 薪のくちびるが微かに動く。その口が自分の名前を形取らないかと、つい期待してしまう己を戒め、青木はくちびるを薪の額に寄せた。
「ん~、彩華さん」
 どうやら彩華の夢を見ているらしい。無理もない、彼女のインパクトは水爆クラスだ。が、薪の寝顔は穏やかなままだ。彼女が夢に出てきたら、青木なら確実にうなされるが、薪は平気らしい。

「おやすみなさい。いい夢を」
 秀麗な額にキスをして、酒宴の片付けのためにリビングへ向かう。閉ざされたドアのこちら側で、まどろみのカーテンが降りた部屋の中で、誰の耳にも届かない小さな呟きが洩れる。
「ダメです……青木は僕の」

 その後は聞こえない。
 枕に吸い込まれたその言葉は、この世のだれも知らない、本人の耳にさえ感知されない。それは無為な空気の波動に過ぎない。
 しかし、その震えは甘く。部屋中を満たす白百合の香りに混じって、薪に安寧を連れてくる。

 3年目の春は、そこまで来ていた。




 ―了―



(2010.3)



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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

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