折れない翼(1)

 予告と違う作品ですみません。 
 ちょっと事情がありまして、こちら、急遽公開することにしました。

 このお話は、以前、わんすけさんにリクエストいただいた『捜一時代の薪さん』でございます。
 なので、わんすけさんに捧げます。
 今までのお礼と、これからもよろしくお願いします、の貢物(?)です。 
 拙いものではありますが、どうかお受け取りください。

 
 過去のお話なので、カテゴリはADです。
 薪さんが捜一にいたのは、わたしの勝手な設定です。 なので、オリキャラ100連発のお話になってます。
 ご了承ください。






折れない翼(1)





 3月の房総半島は、東京より大分暖かい。
 ここへ来る途中で見かけた花畑にはポピーが満開で、多くの観光客が花を摘んでいた。緑は柔らかでとても明るい色をして、色とりどりの花々をやさしく包んでいた。時間さえ許せばゆっくりと散策したいところだが、生憎ここへは遊びに来たのではない。

 K警察署の門をくぐり、3階建ての建物を見上げる。レトロなレンガ造りを模してあるが、中身はカチカチの鉄筋コンクリートだ。しかし、警察の建物にしては味がある方だ。少なくとも薪が勤めている研究所の建物よりは、ずっと市民に親しまれそうだ。
 門前で様子を伺っていると、定刻を過ぎた頃から何人かの職員が玄関に姿を見せ、やがて目的の人物が現れた。
白髪の目立つ五分刈の頭に、いかつい顔立ち。身体はがっちりと締まっており、肩幅が広い。骨太い手に、顔に似合わない可愛らしい花束を持っている。署の女の子が選んだらしい花束は、彼の破天荒な雰囲気を見事に裏切って、見るものをつい失笑させる。

「こんにちは、羽佐間さん。ご無沙汰してます」
 薪が声をかけると相手はすぐに気付いて、素直な驚きをその四角い顔に表した。署の外で待っていた薪の気配りに応えて、こちらへ歩いてくる。
「よお、薪坊」
 花束を持っていない方の手を上げて、薪の名を呼ぶ。懐かしい呼びかけは、薪の心の底に甘酸っぱい感覚を甦らせる。

「っと、呼び捨てにしちゃあいけねえな。薪警視長殿、とお呼びせんとな」
「やめてくださいよ。気持ち悪いです」
 薪は苦笑して、左の肩を少しだけ上げ、左側に細い首を倒した。好ましく思っている相手と対峙したときの薪の仕草は、とても可愛らしい。もちろん本人は気付いていないが。

「長い間、お疲れ様でした」
 心を込めた労いの言葉と共に、箱に入った日本酒を差し出す。羽佐間の好みが変わっていなければいいのだが。
「わざわざ千葉くんだりまで来たのか?天下の薪警視長が。それとも、部下の女子職員に手を出して、クビになったか」
 嬉しいときのクセで、羽佐間は両手をすり合わせると、薪から箱を受け取った。この贈り物に満足しているはずなのに、礼も言わないどころか憎まれ口を叩くところが彼らしい。
「残念ながら、第九に女子職員はいません」
「んじゃ、オトコか」
 ……ものすごく身に覚えがあるが、ここはシラを切らないと。
 薪は思い切り眉をしかめ、剣呑な表情を作った。

「相変わらず口が悪いですね。羽佐間さん」
「おめえに言われても、なんだかなあ」
 羽佐間は薪から受け取ったプレゼントと花束を門前の花壇に置き、苦笑混じりの声でぼやいた。日焼けしたいかつい顔がくしゃりと歪み、鋭い眼光が皺の間に埋もれると、羽佐間はびっくりするくらい優しい顔になった。
 そんな羽佐間を見て、薪は咄嗟に身構える。羽佐間がこういう顔をしたときは、ヤバイのだ。

 腰を落とした瞬間、定年退官する老人とは思えない動きで、羽佐間がつかみかかってきた。
 太くて短い指が、薪のスーツの襟を摑む。押されるままに後方へ身を引き、身長差を逆に利用して、薪は相手の下方へ潜り込んだ。先月仕立てたばかりのスーツが汚れるのも構わず地面に膝をつき、左足で羽佐間の足を払う。靴のままの蹴りだから相当痛かったかもしれないが、そこまで気遣う余裕はない。
 羽佐間は重心を失って、どう、と地面に仰向けに倒れた。それでも薪の襟は放さない。自然と引き摺られて、羽佐間の上に乗る格好になる。
 現場で接近戦になったら、犯人を逃がしたことはない。羽佐間の犯人逮捕にかける執念は健在のようだ。

「か弱い老人に、なんてことしやがる」
「よく言いますよ」
 無骨な手が仕立てのいいジャケットの襟から離れると、薪は身軽に立ち上がった。羽佐間は地面に寝転んだまま、ニヤニヤと笑っている。
「まあ、柔道の腕は落ちちゃいねえみてえだな。それに関しちゃ褒めてやる」
 ゆっくりと身を起こす羽佐間を見て、思わず差し伸べようとした手を止める。これは余計なことだ。
「ありがとうございます。実は、この前初めて雪子さんから1本取ったんですよ」
「ほう。あのユッコちゃんから? そりゃあ、たいしたもんだ。あの娘は元気かい」
「ええ」
「ありゃあ、いいオンナだったな。早くモノにしねえと、他の男に取られちまうぞ」
「……盗られちゃいました。先月結納が終わって、6月に結婚式だって」
 脳裏に浮かんだ男の顔に、薪は思い切り唾を吐いた。
 雪子のような素晴らしい女性が、どうしてあんな人間のクズと。悪夢としか思えない。

「あんなやつに雪子さんを持っていかれるなんて。一生の不覚です」
「かあ。変わんねえな、おめえ。女なんか押し倒して突っ込んじまえばこっちのもんだって、俺が教えてやっただろ」
 言葉だけはポンポン出てくるが、羽佐間の動きは遅い。時間をかけて立ち上がり、腰に付いた芝生を払う。
 その緩慢な動作に老いを感じて、薪は微かな淋しさを味わった。

「だって、雪子さんは僕より強いから」
「情けねえな。ま、この身体じゃ仕方ねえか」
「わっ、ちょっと羽佐間さん!」
 薪の脇の下に両手を入れて、羽佐間は薪を持ち上げた。地面から離れた薪の足が、じたばたと動く。

「おーおー、相変わらず軽い軽い」
「もう。40を超えた男を捕まえて、何するんですか」
「へ? おめえ、いくつだっけ」
「今年で42です」
「……警察庁の七不思議か」
「はい?」
「いや、なんでもねえよ」
 すとん、と薪を地面に降ろすと、羽佐間は薪の頭に手を置いて、親が子供の頭を撫でるようにくしゃくしゃと掻き回した。

「よく来てくれたな、薪」
「羽佐間さんには、お世話になりましたから」
「ああ、確かに。おめえを仕込むのは骨が折れた。とにかく軟弱で役立たずで、次から次へとヘマばっかりしやがって」
 羽佐間に乱された髪を整えながら、薪は神妙に首をすくめる。
 羽佐間の言ったことは本当だ。誰だって新人の頃はヘマをする。頭の良し悪しではなく、慣れの問題だ。

「すみません」
「すいませんで済みゃあ、警察は要らないんだよ」
 使い古されたセリフを吐いて豪快に笑うと、羽佐間は薪が整えたばかりの頭をもう一度くしゃくしゃに掻き回した。イタズラを繰り返す彼の手の温もりを、薪はうれしく思う。それが彼の親愛を現す仕草であることを、薪は知っている。

 羽佐間には、色々なことを教えてもらった。
 効果的な聞き込みの仕方から、尾行の極意(身体の小さい薪は、これだけは初めから及第点だった)現場検証のポイントや張り込みの心得。柔道や空手の手ほどきも受けた。柔道の基本は雪子に習ったが、薪を本当に鍛えてくれたのは羽佐間だった。
「今日は酒の一杯くらい、付き合ってくれるんだろ? もちろん、おめえの奢りで」
「ええ。お手柔らかにお願いします」
「ま、俺も昔ほど飲めるわけじゃねえからよ。20年も経ちゃあ、あちこちガタがきて当然だ」

 20年前。
 もう、そんなになるのだ。

 若かった頃の自分と羽佐間を思い出して、薪はあの頃と同じ、満面の笑みを浮かべた。





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ジャンル : 小説・文学

折れない翼(2)

折れない翼(2)





『どうして捜一なんか希望したんだよ? 警察庁の内勤から始めるって、おまえそう言っただろ?』
 携帯電話から聞こえてくる親友の心配を含んだ声に、薪は頬をほころばせた。
「僕は早く出世したいんだよ。手柄を立てるなら、ここが一番手っ取り早いだろ」
『おまえが決めたことなら、仕方ないけどさ。でも、本当に大丈夫か、薪。危ない目に遭ったりしてないか? 』
「大丈夫だって」
 親友の言葉を遮るように、薪は言葉を重ねた。

「僕をだれだと思ってるんだ? 行く行くは、警察庁のトップに立つ男だぞ。捜一なんて、軽いよ」
『……おまえ、鼻っ柱折られて泣くなよ』
「鈴木こそ。所轄の人間に舐められるなよ。僕たちはキャリアなんだからな」
 わざと高慢なセリフで自分の弱気を隠し、薪は胸を張った。

 鈴木はいつも自分を気遣ってくれる。自分だって新しい職場に入ったばかりで気苦労も多いだろうに、こうして毎日のように連絡をくれる。
 薪はずっとその気持ちを嬉しく受け止めてきたし、彼に頼っても来た。しかし。
 いい加減、彼からは卒業しないといけない。でなかったら、いつまでも鈴木と対等な人間になれない。

 彼の親友に相応しい男になりたかった。
 捜査一課は刑事にとっては花形部署だが、仕事がきついことでも追随を許さないと聞いた。そこを職場に定めれば、嫌でも自分を鍛えられると思った。

 携帯を閉じて、薪はため息を吐く。
 学生の頃は滅多に吐かなかったのに、この頃はめっきり多くなった。社会人の苦労というやつが分かってきた証拠だ。
 今日のため息の原因は、昨日の現場での大失敗。自分のせいで犯人を取り逃がした。刑事にとって、これ以上のしくじりはない。

 先輩と一緒に強盗犯を追いかけて、狭い路地で挟み撃ちにした。犯人は自分が追い詰められたことを悟ると、迷うことなく薪の方に突進してきた。
 相手の勢いに押されながらも、薪は雪子に習ったことを思い出そうとした。走ってくる相手の左側に避けて、腕を決めて足払いをかけて……頭の中のシミュレーションは完璧だったのに、現実は厳しかった。
 相手の腕をつかむまではうまくいった。しかしその後、見事に引き摺られてしまった。足を踏ん張ろうとしたが無駄だった。強盗犯の太い腕が振り回され、薪はあっけなく吹っ飛ばされて塀に背中を打ちつけられた。胃が胸から飛び出るかと思った。よくも悪くも優等生だった薪に、コンクリートの塀に叩きつけられた経験などあるはずがなかった。
 薪が痛みに息を詰めている間に、犯人はいなくなっていた。地べたに座って背中をさする薪の前を走り抜けた人影から舌打ちが聞こえて、立ち上がろうとしたが、痛みが強くて動けなかった。
 薪の空けた穴から逃げた犯人は、先輩刑事の追走を振り切り、まんまと逃げおおせた。薪は指導員の先輩と共に課に戻った。薪の背中には大きな痣ができて、後頭部に擦過傷もあったが、薪に与えられたのは叱責だけだった。

 すみませんでした、と深く頭を下げた薪の背中に、不愉快な声が飛んできた。声の主は世良義之。同じ課の先輩の巡査部長だ。
「課長。こいつを現場に出したのが、そもそもの間違いなんですよ。勉強ばっかりしてきたモヤシ野郎なんか、足手まといになるに決まってるじゃないですか」
 自分がミスをしたことは分かっていたが、公衆の面前で自分が役立たずだと決め付けられて、薪はカッとなった。課長や指導員の先輩に叱られるのは仕方ないとしても、この事件とは何の関係もない別班の人間に侮辱を受ける謂われはないはずだ。
 言い返してやりたかったが、世良は羽佐間と並んで捜一のエースだ。今現在薪が彼に勝るものといったら、階級くらいしかなかった。使い勝手の良くない武器だとは思ったが、薪はそれを使うことを選んだ。
 このとき、薪は23歳。悲しいくらいに若かった。

「世良さん。警部補の僕にそんな口を利いて、後で後悔しま……っ!」
 精一杯の強がりですら、最後まで言わせてもらえなかった。
 世良に胸ぐらを掴まれて、身体を持ち上げられた。息が止まる。

「ここではホシを挙げたやつがチャンピオンなんだ。階級なんざ、何の役にも立たねえよ」
 世良の乱暴な振る舞いを咎めるものは、ひとりもいなかった。
 薪がキャリア入庁していることは、皆が知っている。そのことで疎まれていることも承知していた。ここでは自分の味方は誰もいない。薪は痛烈に孤独だった。

 床に投げ落とされて、傷めた背中がずきりと痛んだ。表情を隠すために、薪は俯いた。
 世良は薪を馬鹿にしたように鼻で笑うと、自分のデスクに戻って行った。口惜しかったが、腕力の差はどうにもならない。そしてここでは、頭脳よりも体力の方がものを言うのだ。
 証拠物件から犯人のプロファイリングを行ったら、大学で犯罪心理学を専攻していた薪の方が上かもしれない。しかし実際の捜査では、推理力が問われる場面は少ない。犯人が防犯カメラに映っていたり、目撃者や証拠が山ほど現場に残されていたりして、考えを巡らせる間もなく犯人の正体が分かってしまう。そんな事件が殆どなのだ。
 例え謎めいた事件が起こったとしても、それはベテラン刑事の仕事だ。新入りには、意見することすら認められない。執行部からの指令にひたすら従うだけだ。そこに必要なのは、体力と根性。薪のこれまでの人生には、どちらも必要のないものだった。

 背中に響かないように気をつけて、薪は立ち上がった。自分のデスクについて、始末書を書き始める。捜一に配属されてわずか1週間の間に、この書類はもう3枚目だ。
「おい、薪。俺の分も一緒に書いといてくれ。得意だろ?」
 ペンの上にわざわざ書類を落とされて、薪は苛立ちを奥歯でかみ殺す。自分が書くべき書類を薪に押し付けようとしているのは、羽佐間匡。先刻、薪と一緒に強盗犯を追いかけていた先輩だ。

 羽佐間は世良と同じ巡査部長で階級的には薪の下だが、彼は自分の指導員だ。逆らわないほうがいい。
 部屋の中では比較的穏やかな羽佐間だが、現場に出るとものすごく怖い。初めて羽佐間に怒鳴りつけられたときには、ショックで棒立ちになってしまった。幼い頃から優等生で通してきた薪は、他人からあんな風に怒鳴られたことはなかった。

「ついでに、異動願いも書いたらどうだ」
 冗談じゃない、1週間で異動なんて。
 キャリアの異動が多いのは常識だが、あれは昇任システムの関係から派生する人事であって、力不足で職務がこなせないから逃げるわけじゃない。何も為さないまま、逃げ出すなんて真っ平だ。推薦してもらった警大の教授にも合わせる顔がない。

「羽佐間さんにはご迷惑かもしれませんが、もう少しここで頑張りたいと思います。引き続き、ご指導ください」
「頑張るったって、おめえよ。人には向き不向きってもんがあらあな。怪我しねえうちに内勤に移った方が、てめえの為だと思うぜ」
 ひとの良い振りをしてやさしい言葉を掛けるが、羽佐間の本音は分かっている。デキの悪い新入りを追い払いたいのだ。
 だからと言って、羽佐間を冷たい人間だと詰る気はない。今日の捕り物の顛末からも分かるように、薪は羽佐間の足を引っ張ってばかりだ。指導員として薪とコンビを組む前の羽佐間は、逮捕数トップの座を世良と競っていたのだ。自分の成績が落ちる原因を取り除きたいと思うのは、当たり前のことだ。
 
 申し訳ない気持ちもあって、薪は俯くことしかできない。
 元々、薪は人前で自分の意見を言うのは苦手だ。研究発表のように資料があれば淀みなく喋れるが、普通の会話は苦手なのだ。仲の良い友だちになら気兼ねなく話せるが、それ程心を許していない相手にはどうしても寡黙になる傾向がある。
「また黙んまりか。ったく、扱いづれえなあ、キャリア様ってやつは。泣きもしねえ、笑いもしねえ。人形みてえに澄ました顔しやがって」
 羽佐間は肩を竦めて、机の前から離れた。

「俺あ、人形に仕事を教える気はねえからよ」
 羽佐間の広い背中から放たれたその一言が、薪の心に深く突き刺さった。

 自分がとてもつまらない人間に思える。これまでずっとエリートの道を歩いてきた薪は、誰かに足を引っ張られた事はあっても、逆の立場になったことはなかった。生まれて初めて味わう挫折感に、そのあまりの絶望感に萎縮して、本来の力を発揮できない。

 2065年の現在、天才との呼び名も高い警察庁の星、推理の神さまとまで讃えられる薪剛警視長の刑事人生のスタートは、その名声に相応しくない屈辱の幕開けで始まったのだった。



*****


 ぷぷぷ。
 劣等生の薪さん、かわいい♪(←鬼畜)



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

折れない翼(3)

 こんにちは~。

 今日はちょっとだけ怒ってます。
 何故かと言うとですね、
 最近の若い人は、口の利き方がなってませんねっ!(←年寄りの得意のセリフ)

 昨日の交通誘導員さんとの会話。
「代理人さん、ちっちゃいですね~、身長いくつあるんですか?」
 ぐさっ!!
「……148センチです」
「うっわ、ちっさ!」
 ぐさぐさっ!!
 そのままフォローもなく去っていく誘導員。

 ひーどーいーよー!!
 誰がミジンコドチビだよーーー!!(←言ってない)

 女性に年と体重を尋ねないように、チビには身長を尋ねてはいけません。
 ぷんぷん。


 とか言いつつ、こちらは大分に失礼なお話で。あはは、ごめんなさい~~。

 





折れない翼(3)





 捜査一課の羽佐間班に新しい人員が加わって2週間が過ぎた頃、隣の世良班と合同で歓迎会が開かれた。
 捜査一課には約350人ほどの捜査員がいるが、7月の人事異動で捜査一課に配属されたニューフェイスは合計で20人ほど。全体の1割に満たない人数だ。そのほとんどが所轄からの栄転による者で、つまり現場の猛者たちである。その中で東大出身の23歳のキャリアは、どうしようもなく異色な存在だった。
 所轄と警視庁の違いはあるものの、他の新人たちには現場の経験がある。場所が変わっても捜査は捜査、基本的にやることは同じだ。飲み会ともなれば今まで手がけた事件の話に花が咲くが、現場経験のない新人キャリアは聞き役に徹するしかない。

 歓迎会が開かれた居酒屋の座敷で、20名ほどの膳が並べられたその末席にちんまりと座って、薪はひたすら沈黙を守っていた。他の者たちは現場の苦労話で盛り上がっているようだが、正直な話、薪には彼らの言っていることが良く分からない。警察官同士の会話には隠語が多く、まだこの職業について日の浅い薪にはちんぷんかんぷんだった。分からなかったら訊けばいいのだが、それも面倒くさく。また、わざわざ問い質してまで参加する価値のある会話とも思えなかった。
 というのも、
「でもって、捕まえたホシがエライいい女で。何とか見逃してくれってんで、仕方ねえから取調室で」
 下品な笑い声の混じるそんな話に加わるほど、自分は低俗な人間ではない、と当時の薪は思っていた。現場経験はないが、志の高さはここにいる誰にも負けない。自分は将来、彼らの上に立つ人間だと自負していた。

 世良班の新人の中に、佐藤という若い刑事がいた。薪より3つ年上の、がっちりとした筋肉質の男だった。
 彼は薪とは正反対で、その話を熱心に聞きたがった。彼の熱意をからかった先輩刑事が「佐藤は童貞か」と男ばかりのこういう席では当然のように出る笑い話に持ち込もうとすると、佐藤は真顔で、「実はそうなんです」と言ったものだから、年若い連中には次々とその質問が回ってくる羽目になった。
 座がその手の話題に遷り変るのを聞いて、咄嗟に薪は嫌悪感を抱いた。猥談の類は、聞くのも話すのも苦手なのだ。
 いっそのこと中座してしまおうか、と薪は思い、サークルのコンパと違ってこれは仕事の一環なのだからそれはよくないと考え直した。ただじっと身を固くして、時間が過ぎるのを待とうと思った。

「キャリアってのは酒の席でもすまし顔なんだな」
 すっと隣に指導員の羽佐間が座った。開けたばかりのビール瓶を薪の方に差し出して、
「先輩たちに酌でもして来いよ。それが新入りの務めだろ?」
「佐藤さんがやってるから、僕はいいでしょう」
 酒を注ぎまわりながら、よろしくお願いします、と頭を下げている。あれが普通の新人の姿なのだろう。それは薪にも分かっていたが、自分はキャリアだ。普通の警察官とは違う。

 そういうもんでもあるめえよ、と羽佐間は彼独特の言い回しで薪の態度を非難し、しかしすぐに翻って、
「まあ、強制はしねえけどよ。今は仕事中じゃねえからな」と矛を収めた。
 それから手に持っていたビールを、薪のコップに注いでくれた。世話になっている指導員の羽佐間には日頃の礼に酌をすべきだと思い、羽佐間の置いたビール瓶を取り上げ、彼のコップに差そうとしたところに、例の質問が回ってきた。

「次は薪だな。こら、白状しろ」
「僕もあんまり。でも一応は」
 当たり障りの無い答えを返そうとして、しかし次に浴びせられた言葉に、薪は絶句した。
「だれがおまえのオンナ経験なんか聞くかよ。オトコだよ、オトコ! 経験あんだろ?」
 ぎゃはは、とけたたましい笑い声が部屋中に響き、薪は一瞬でピエロになった。

 それは単なる酒の席の戯言で、その質問を発した先輩は別に薪に恨みを持っていたわけでもなんでもなかった。それどころか、どことなく周囲から浮いた存在の新人を場に馴染ませようと、そんな冗談を言い出したのかもしれなかった。しかし、それは若い薪にとっては決して許すことのできない侮辱だった。
 
 大切なひととの思い出を、嘲笑われたような気がした。

 言われたとおり、僕には男性との経験があるけれど、それをこんな風に茶化される筋合いは無い。
 あれは僕の初めての恋で、端から見たら浅はかな行動であったかもしれないけれど。あの頃の僕の精一杯を鈴木はちゃんと受け止めてくれて、たくさんたくさん僕に愛を返してくれて、それを貫き通すことはできなかったけれど、だけど僕には未だに一番大切な恋で。

「オンナは少なくても、オトコは多いだろ? 何人くらい知ってんだ? このスケベ! オトコ好き!」
 10年後の薪なら。
 酒に酔った振りをして彼に近付き、「いやだなあ、××さんたら! 僕は女の子100人は斬ってますよ!」と明るく笑いながら胸倉を掴んで張り倒し、関節技のひとつも決めているだろう。しかし、このときの薪はまだ23歳。生真面目さはそのまま固さにつながって、薪は純粋な怒りを感じた。

「おまえってそういう顔してるよな。大学ではさぞモテたんだろ、オトコに」
 無神経なこの男を殴りつけたいと思った。彼との大事な思い出を踏みにじられたようで、それは薪にとっては極刑に値する蛮行だった。
「おい、佐藤。なんなら薪に筆卸ししてもらえ!」
 狂ったような笑い声が部屋に溢れかえった。我慢ならなくなって、薪は席を立った。
 後ろで羽佐間が、「悪りい、ちいと飲ませすぎちまった」とフォローを入れてくれていたが、それに感謝する余裕も無かった。

 部屋中の人間が自分と鈴木の関係を知っていて、それを笑っているような気がした。これまで一度も考えたことがなかった、同性と愛を交わすことが他人に嘲笑される理由になるなんて。
 大っぴらに、ひとに自慢することはできない関係だということは分かっていた。だけど、それが侮蔑の対象になるなんて。僕たちはあんなに真剣に愛し合っていたのに、それが笑いものにされるなんて。

 ショックだった。
 悲しみと憤慨に掻き乱された心で、それでも薪は考えた。

 鈴木の耳に、こんな流言を入れちゃいけない。あからさまな蔑みの口調で囁かれる無責任な噂話は、きっと鈴木を悲しませる。
 鈴木は何も悪いことはしていない。彼に恋をしたのは僕、身体の関係を迫ったのも僕。やさしい鈴木はそれを拒めなかっただけ、僕を傷つけたくなかっただけ。だから鈴木が悲しい思いをするのは間違ってる。

 強くなりたいと思った。
 実力があれば、誰にも何も言わせない。鈴木に迷惑を掛ける心配もなくなる。だけど今の僕の力じゃ……。

 こんなにも、自分の非力を嘆いたのは生まれて初めてだった。
 口惜しかった。

 薪はその晩、捜査一課に入って初めての涙を流した。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

折れない翼(4)

 こんにちは。

 実は今日は、お義父さんの3回忌なのですよ。
 でも昨日は現場に出なきゃいけなくて、仕方ないからお寺の確認からお昼の予約確認まで、現場から携帯電話で。ローラーとASフィニッシャーの音がうるさくて、何度も聞きなおしながら☆

 帰ってから提灯とかお供え物とか祭壇とか作ったんですけど。
 いつもは一人でやるんですけど、今回は現場に出ていたせいで間に合わず~、義弟とオットに手伝わせちゃいました。お義母さんにはお掃除、義妹には買い物をしてきてもらって。楽しちゃった♪←長男の嫁のくせに。
 さらに、3回忌が終わったらオットと義弟と一緒に測量にGO! なのです。仕事に追われて、片付けどころじゃありません。 
 もう、長男の嫁というよりは息子のひとりと化していて。嫁失格かなあ。 
 こんな駄文を書いてる時点で、今更って気もするなあ(笑)  





折れない翼(4)




 張り込みというのはひどく退屈で、でも簡単な仕事だと薪は思っていた。
 同じ場所に何時間も居座り、犯人が現れるのを待ったり、容疑者の様子を見張ったりする。刑事ドラマでは時間の都合上、張り込んで数分で犯人が現れるが、現実はそうはいかない。一晩中神経を尖らせていても成果が得られないこともあるし、警察が目をつけた容疑者とは他の真犯人が出てきて、何日も続いた監視が空振りに終わったりする。
 それは薪も、重々承知していた。待つのは辛いかもしれないが、体力的には楽なはず。犯人の姿が見えたら羽佐間に無線で連絡をする、それだけの仕事だ。しくじる余地はないと思った。

 しかし、現実は。
 梅雨明けの太陽がギラギラと照りつける炎天下、電柱の陰に立ち続けるという仕事は、考えられないくらいきつかった。
 沸騰したお湯から湯気が出るような勢いで、アスファルトから陽炎が立ち上っている。靴底が熱い。生卵を落としたら、目玉焼きができそうだ。
 ドラマだと、ちゃんと冷房の効いた車の中で座って犯人を待つことができるのだが、現実には車を止められない道路の方が多い。罰金も高いし取り締まりも厳しいから、何時間も違法駐車をする車は少ない。そんな道路に堂々と車を停めておいたら、ここで見張っています、と犯人に大声で知らせているようなものだ。
「……刑事ドラマって、嘘ばっかり」
 あれが刑事の現実だったら、警察官は憧れの職業№1の座から退くことはなかっただろう。

 灼熱地獄に立ち尽くして2時間、薪は先刻から痛みだしたこめかみの辺りを押さえて、深いため息を吐いた。
 なんだか気持ち悪くなってきた。水分補給を小まめにするよう先輩に言われて、ペットボトルの水を飲んでいたのだが、それが全部出てきそうだ。
 容疑者は、まだ現れない。
 交代の時間まで、あと1時間。それまでは頑張ろうと目的の部屋を見つめる目に力を込めるが、直ぐに視界がぼんやりと霞んでくる。霞むくらいなら良かったのだが、次第にそれが暗く翳ってきて、薪の視界は急に狭くなった。

 狭い視界がぐらぐらと揺れ始めたときには、地震が起きたのかと思った。不安定に揺れる狭窄した世界に容疑者の姿が現れたのは、そのときだった。手にコンビニの袋を提げて、駅の方向からやってくる。きっと自分のアパートに帰ってきたのだ。
 やった、羽佐間さんに報告だ。
 自分の仕事はここまでだ後は羽佐間がここに来てから一緒に横田のアパートに踏み込んで逃げたら追って捕まえて手錠をこんどはぜったいににがさないようにてじょうをあいてにかじりついてでもひきとめててじょうを――。

 頭の中のシミュレーションは、無線の送信機をつかんだところで途絶えた。急に身体が軽くなって、足が宙に浮いたような気がした。目の前が真っ白になり、夏の日差しの眩しさに驚きを覚え、次いで暗転した。
 次に目を開けたときには、白い天井とフードのない蛍光灯が見えた。蛍光灯の基盤に貼り付けられた備品番号から、ここが捜一の仮眠室であることを知る。瞬間、自分がどうしてここにいるのかを悟って、薪は泣きたくなった。

 枕もとの携帯がピリリと音を立てて、薪の涙を止めた。深く息を吸って、電話に出る。
『薪? 大丈夫か? おまえ、現場で倒れたって』
「……なんで知ってるんだ?」
『さっき、おまえに電話したら羽佐間さんて人が電話に出て。熱中症だって? 大丈夫なのか?』
「熱中症? 大げさだな。ちょっと眩暈がしただけだよ。今張り込み中なんだ、切るよ」
 有無を言わせず電話を切ると、薪は肘を上げ、腕を目蓋の上にのせた。
 自分が情けなくて涙が出てくる。ここの仕事をこなすには、自分は絶望的に体力が足りない。もっと身体を鍛えておけばよかった。大学時代、痴漢対策にと雪子が柔道の基礎を教えてくれたが、荒くれ者相手にも通用するように、徹底的に仕込んでもらえばよかった。

「大丈夫か、おい」
 枕元で先輩の声がして、薪は慌てて涙を拭いた。これ以上、自分のヘタレ伝説に拍車を掛けたくない。ぐらつく頭を右手で押さえ、ベッドの上に身を起こした薪に、羽佐間は冷たいスポーツ飲料を差し出した。
「次からは水じゃなくて、こいつにしとけ」
 羽佐間が自分をここまで運んでくれたのだろう。どうして羽佐間には、自分が現場を放棄したことが分かったのだろう。連絡する前に気を失ってしまったし、交代の時間はまだ先だったはずだ。

「どうして僕が倒れてるってわかったんですか?」
「無線持たせたろ。あれでよ」
 ピー、とスイッチが入った直後にガガッという雑音が入り、薪の身に何かが起きたことを羽佐間に教えた。現場に駆けつけながら尚も無線に耳を澄ますと、『おい、大丈夫か。しっかりしろ』という男の声が聞こえた。
 現場に到着してみると、男の腕に頭部を支えられ、介抱されている後輩の姿があった。
 羽佐間は迷った。親切な行きずりの男に礼を言うのが先か、彼に手錠を掛けてからにするべきか。

「犯人に助けられる刑事って、おめえよ。マンガじゃねえんだからよ」
「すみません」
 薪が神妙に謝ると、羽佐間は嫌味に笑って、
「ま、ものは考えようだ。相手もまさか、おめえみてえな刑事がいるとは思わなかったんだろうぜ。おかげでホシは捕まえたし、怪我の功名ってとこだ。おめえの手柄と言えなくもねえ。ひ弱で良かったな?」
 ニヤニヤと笑っているが、これはもちろん褒め言葉ではない。果てしなく蔑まれているのだ。その証拠に、
「てなわけで、これ頼むな」
 羽佐間が薪の膝の上にぽんと置いたのは、2枚の始末書。

「僕はともかく、羽佐間さんはどうして? 横田は逮捕したんでしょう?」
「俺もちぃとばかり焦ってな。本部への連絡を忘れて突っ走っちまった」
 言うことはきついが、羽佐間は悪い男ではない。自分のことを心配してくれたのだ。電話の向こうの親友と同じように。

「あ、そうだ。おめえをここに運んでくれたのは、世良だ。後で礼を言っとけ」
「どうして世良さんが」
「おめえが役に立たなくなったのは察しがついたからよ、近くで聞き込みやってた世良に応援を頼んだのよ。俺が横田をしょっぴいてる間に、世良がおめえをここまで運んでくれたってわけだ」
 選りに選って嫌なやつに借りを作ってしまった。またネチネチ言われるだろう。羽佐間には悪いが、知らぬ振りをしてしまおうか。世良だって、自分と話すのは不愉快だろうし。

「羽佐間さん、ここにいたんすか。課長が呼んでますよ」
 などと卑怯なことを考えていたら、当の本人が顔を出した。やっぱり、ズルはだめか。
「お。気が付いたか、粗大ゴミ」
 人生で他人にゴミと呼ばれたのは初めてだ。
 複雑な胸中を表に出さないようにして、薪は世良に謝罪した。

「すみませんでした。ご迷惑かけました」
 世良の視線が痛い。相手の顔をなるべく見ないようにして、薪は頭を下げた。
「これで分かっただろ? 現場は、おまえみたいな軟弱者が出てくるところじゃねえんだよ。今回は無事に犯人が捕まったからいいようなものの、こないだみたいに取り逃がしたらどうするんだ? あれはケチなコンビニ強盗だったけど、それが連続殺人犯だったら?
 おまえのヘマのせいで新しい犠牲者が出たりしたら、おまえ責任取れるのか?」
 握り締めた自分の手をじっと見つめながら、薪は世良の言葉を聞いていた。世良は現在の捜一のエースだ。自分にも他人にも厳しい。

「キャリアはキャリアらしく、部屋の中でハンコ押してりゃいいんだよ」
「まあ、そう言うなよ、世良。こいつも反省してるからよ」
「ったく。羽佐間さんは甘いんだから……っと、課長ですよ、課長」
「うう、また説教か」
「早くしてくださいよ、俺が怒られちまう」
 捜一のツートップでも課長は怖いらしい。オタオタとうろたえるようにして、二人は部屋を出て行った。

 自分も仕事に戻らなくては、と薪は思い、足を床に下ろして立とうとした。が、膝に力が入らず、ぺたんとその場に腰を落としてしまった。手も足も、小刻みに震えている。
 熱中症になったのも初めてだ。どちらかというとインドア派の薪は、学生の頃も夏は冷房の効いた室内で過ごしていた。もう少し、耐性をつけておけば良かった。
「何やってんだ。まだ寝てなきゃ駄目じゃねえか」
 数分後、何故か戻ってきた羽佐間が床に座った薪を立たせて、再びベッドに寝せてくれた。「課長のお説教は終わったんですか」と聞くと、「フケてきた」と言う。不良学生のような言い草が、ほんの少しおかしかった。

「そら、飲め」
 寝たまま飲めるように、ペットボトルの口に蛇腹つきのストローが差してある。見た目に合わない細やかな心配りが意外だった。
「大丈夫です。構わないでください」
 先刻の世良の苦言も手伝って、素直にひとの好意を受けられない心理状態だった薪は、つっけんどんにペットボトルを押し返した。
「ただでさえ僕のせいで世良さんに差をつけられて、焦ってるんでしょう。さっさと横田の自供を取って、少しでも点を稼がないと」
 世良に対する憤りを世話になっている先輩刑事にぶつけるのはおかしいと自分でも思ったが、心の中で渦を巻く自己嫌悪と敵愾心が薪の口を動かした。
「何なら、僕の指導員から外れてくれても結構ですよ。僕は一人だって」
 一人でだって立派な刑事になって見せます、と言おうとして、さすがにそれは大言が過ぎると判断して、薪は口を噤んだ。羽佐間から顔を背けて壁を見つめ、下唇をぎゅっと噛み締める。

「薪よ。警大の天才だか何だか知らねえが、一人は所詮一人だ。出来ることにゃ限りがあらあな。警察の仕事ってのは、一人じゃどうにもならねえもんばっかだぜ?」
 分かっている。だけど、こんなに誰かの足を引っ張ってばかりいる自分なんて、誰かに損害を与え続ける自分なんて、認めたくない。
「いっぱしの刑事になるのには、何人もの人間に育ててもらわなきゃならねえ。俺もそうだった。俺がおめえの指導職を受けたのは、その先輩たちへの恩返しだ。要は俺の都合だからよ、おめえの我儘は聞かねえよ」

 羽佐間は冷たいペットボトルを横になった薪の顔の上にまともに載せると、さっと踵を返した。
「いいな。寝てろよ。俺はこれから横田の取調べだ。おめえのお守りはしてられねえからな」
 そう言いつつ、それから2時間の間に、羽佐間は3回も薪の様子を見に来た。4回目に来たときには、薪はそこにいなかった。
「なんだよ、挨拶もなしに帰っちまうたあ。最近のガキはまったく」
 薪は大分落ち込んでいたようだった。これはいよいよ異動か。

 しかし、それは羽佐間の早とちりだった。二枚置いていったはずの始末書が一枚に減っており、薪はそれを課長に提出に行ったものと思われた。そして、残されているのは羽佐間が書くべきだった始末書だ。
 薪はさすがに大卒のキャリアだ。書類はやつに任せておいて間違いない。羽佐間はこれに判を押すだけでいい。
「……ああん?」
 いつもなら小難しい漢字が並んでいるはずのその書類には、薪のきちんとした文字で、
『羽佐間さんは何も悪いことはしてません』
 とだけ書いてあった。

「…………ほんっと、使えねえやつだな」
 苦虫を潰したような顔で呟くと、羽佐間はその書類をポケットにしまって、クククと笑った。



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折れない翼(5)

折れない翼(5)





『薪、仕事きつくないか? ちゃんとメシ食ってる?』
「大丈夫だよ。心配しすぎなんだよ、鈴木は」
 もはや日課と化した鈴木からの電話は、その日も当たり前のように掛かってきた。
 相手の迷惑にならないよう、それはほんの数分間のつながりだったが、その当時の薪の心を癒してくれる唯一の時間だった。

『周りの先輩たちと、うまくやってるか? またヘンなクセ出してないだろうな?』
「なんだよ、ヘンなクセって」
『いくら背伸びしたって、本当の身長は変わらないってこと』
「あっ、またひとが気にしてることを」
『いや、そうじゃなくて』
「なんだよ、自分がデカイからって、いっつも僕の身長のことからかって。鈴木なんかドアかまちに頭ぶつけちゃえ!」
『だから違うって』
 親友の言葉に戯れを返していると、指導員の羽佐間がドア口からこちらを見ているのに気付いた。職務中の私用電話に腹を立てているのかもしれない。新人のクセに生意気だと思われているのかも。

「もう切るよ。これから捜査会議なんだ」
 先輩に対する気兼ねもあって、薪は電話を切った。羽佐間の視線に応えて、自分から声を掛ける。
「羽佐間さん、何か」
「おめえ、笑えるんだな」
「……すみません、仕事中に」
「資料室の整理なんざ、仕事のうちに入らねえよ」
 捜査資料の山に埋もれている薪に向かって、羽佐間はバカにしたような口調で言った。

 3週目に入り、始末書の枚数が10枚に達したとき、薪はとうとう課長に見限られた。現場から外され、資料室の整理をするように言い渡されてしまったのだ。
 課長からは、『大事なキャリアに怪我をさせるわけにはいかない』と言われた。資料室の整理は新人の仕事だし、しばらくはそれに専念しなさい、と諭された。が、その本音は、現場の足を引っ張る新人キャリアを資料室に閉じ込めて、やっぱり自分は内勤向きだと気付かせたい、というところだろうと薪は思っている。

 まとめ終った資料を書類棚に戻そうと席を立ち、薪は足腰に走った痛みに眉をしかめる。昨日はちょっと張り切りすぎた。
「おめえ、身体の調子でも悪いのか」
 薪の動きの鈍さに気付いたのか、羽佐間が不思議そうに尋ねる。やっぱり刑事の眼は鋭い。
「いえ。何でもありません」
 羽佐間は薪の傍に駆け寄るように寄ってきて、素早く薪のズボンの裾を捲り上げた。膝から下を露わにされ、薪は驚きの声を上げた。
「なにを」
「どうしたんだ、このアザ」
「転びました」
 薪がそう答えると、羽佐間はふんと鼻を鳴らして、ズボン裾を乱暴に戻した。

「現場に出なくても怪我すんのか、おめえは。ドンくせえやつだな」
「放っておいてください」
「まあ、一息入れろや」
 右手に持った紙コップを机の上に置いて、羽佐間は部屋を出て行った。嘲笑いに来たわけではなかったのか。

 自分は少し、ひねくれていたかもしれない、と薪は思った。課長も本気で自分のことを心配してくれたての資料室だったのかも。
 焦っていたのかもしれない。
 自分が考えていたより、現実はずっと厳しくて。これまでどんなに甘やかされて生きてきたのか、学生と社会人の差を思い知らされた。社会は常に百零の世界。90点では駄目なのだ。結果がすべてで、その結果を出すためにいかなる苦労を重ねようと、そんなものは評価の対象にはならない。
 自分はキャリアなのだから、それなりの成績を修めなければならないと自ら目標を掲げていたのに、何一つ思い通りに運ばない。理想と現実のギャップにストレスを感じて、空回りの連鎖に陥っていたのかも。

 薪は机に戻って、コーヒーに口をつけた。ミルクと砂糖がたっぷり入ったコーヒーは、薪の好みではなかったが、とてもやさしい味がした。



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折れない翼(6)

 こんにちは。

 先日、どなた様か、過去作品に拍手をありがとうございました。
 懐かしいなあ、と思ってちらっと読み返してみたら、あんまりアホみたいなこと書いてて泣きたくな  とにかく、ありがとうございました。 うれしかったです。





折れない翼(6)





 薪はその日も定時で1課を出た。
 捜査に参加もさせてもらえない身としては、職場にいても仕方がないし、資料室の仕事は、残業してまで進めたいと思えるような魅力のあるものではないのだろう。

「お先に失礼します」ときちんと挨拶をして帰っていく薪を、羽佐間は目で追った。薪の姿がドアの向こうに消えると、席を立って彼の後を追いかけた。
 スタスタと歩いていく彼の後ろを、物陰に隠れながらそっと着いて行く。尾行はお手の物だが、相手も刑事だ。気取られないように、間隔は普段より多めにとることにした。

 尾行の理由は、薪の足の痣。
 それほど気になっているわけではないが、あれは明らかに打撲痕だ。誰かに殴られたか、強く打ち付けたのだ。本人は転んだと言っていたが、刑事を舐めてんのか、あいつは。誰がそんなミエミエの嘘に騙されるか。膝や前脛ならともかく、ふくらはぎの後ろや足首にまで複数の痣をつけるなんて、どんな器用な転び方だ。
 薪の不自然な動きから、打撲痕は足だけではなく、腰や背中にも付いている感じだった。もしかしたら署内の悪い連中に目をつけられて、恒常的に暴行を受けているのかも。

 思いかけて、羽佐間はその可能性を否定する。薪の歩き方は迫害を受けているもののそれではない。多少ヨロヨロしているが、ビクついてはいない。
 薪は警視庁の地下通路を通って、隣接する科学警察研究所の敷地に出た。
 捜査の関係で何回か足を運んだことがあるが、羽佐間はどうもここの雰囲気は苦手だ。ここにいるのは警察学校を出た警察官ではなく、研究を生業とする研究者たちだ。管理者の中には警察官もいるが、大半は研究所が直接採用した研究者である。学者のような風体の彼らに囲まれると、自分が異端者のようで落ち着かないのだ。

 羽佐間の前を歩く後輩は、中庭を過ぎって、大きな建物の裏手に出た。そこには広大なグラウンドがあり、テニスコートにバスケットゴール、バレーボール等のネットのポールが立ててあり、様々なスポーツを楽しむことができるようになっていた。その片隅には小さな道場があって、薪はその中に入っていった。
 羽佐間が窓から中を覗きこむと、中の畳は青々として美しく、強いいぐさの匂いから、最近取り替えたばかりだろうと思われた。研究者たちの待遇の良さに羽佐間は、自分たちが利用している警視庁の汚い道場の擦り切れた畳を思い出し、面白くない気分になったが、インドア派の研究員たちがそこを利用する確率は極めて低いことに思い至り、単なる使用頻度の問題かと考えを改めた。
 それにしても、研究所に道場だの運動場だのと、なんて無駄なものを、とその時羽佐間が思ったとおり、この道場と運動場は数年後に取り壊され、そこには9番目の研究所が建つことになる。

 やがてジャージ姿の薪が、道場の中に現れた。童顔も手伝って、スーツを着ていないと本物の高校生に見える。それも、入学したての年頃に。薪の顔を知らない5課辺りの荒っぽい連中が見たら、襟を摑み上げて施設内から放り出しそうだ。
 彼は道場を出て、グラウンドに向かった。薪の顔には似合わないと思ったが、道場へは着替えの為に寄っただけらしい。
 薪は見られていることには全然気付かないようで、羽佐間が隠れている茂みのまん前を通って運動場へと歩いていく。足の屈伸運動をしてから、トラックを走り始めた。

 なるほど、体力作りのためのジョギングをしていたのか。誰にも何も言わず、こいつはけっこう気合が入ってるじゃねえか。気合の入ったやつは嫌いじゃない。表情が乏しい人間は苦手だが、キャリアというのは大概そうだ。もしかしたら警大で、表情を殺す訓練を受けてきたのかもしれない。
 しかし、あの痣は? まさか、本当に転んだのか?
 だとしたら、どこまでドンくさいやつだ。とても面倒見切れねえ。

 羽佐間が頭を抱えていると、薪はトラックを走り終え、息を弾ませながら道場へ戻っていった。4週、つまり4キロで限界か。まあ大卒のキャリアなんか、そんなもんだろう。
 道場の更衣室で着替えて帰るのかと思いきや、薪は今度は道着姿になって出てきた。羽佐間が窓からその様子を見ていると、誰もいない道場で柔軟体操を始めた。
 薪はびっくりするくらい身体が柔らかかった。座位前屈は胸が床につくくらいだし、背筋は90度を超えそうだ。180度開脚もいけるんじゃないだろうか。が、その後に続く腕立て伏せと腹筋運動は、悲しいくらいお粗末だった。捜一の連中なら最低でも50回はできる。それが10回しか続かない。

 しかし、これは薪が悪いわけではないと、羽佐間には分かっていた。
 羽佐間たちのように警察学校を卒業したものは、そこで徹底的に鍛えられる。日常的なトレーニングは強制されるし、柔道または剣道の初段は必須資格で、受かるまで何度も挑戦させられる。学校というよりは軍隊。規律も厳しいし、それを犯したときの体罰もかなりきつい。ちょっと集合時間に遅れただけで、竹刀で殴る教官もいる。
 引き換え、薪が大学で学んできたのは管理者としての心得だ。体力訓練も体罰も、無縁のものだったろう。ノンキャリアの羽佐間にその内容は分からないが、人を支配する術を学んできたと思えば間違いない。
 言い方は悪いが、ノンキャリアは兵隊、キャリアは司令官だ。命令を下す側の人間は、前線には出ない。強靭な肉体も武術も必要ないのだ。その司令官が、訓練期間も置かずにいきなり前線に出ようというのだから。無理が生じて当たり前だ。

 黙々とトレーニングを続ける薪を見て、羽佐間はどうしてこいつは捜一に来たがったのだろう、と不思議になる。
 変わったやつだ。他のキャリアのように、所轄で判を押しながら試験で出世して行こうとは思わなかったのだろうか。
 今のキャリアの昇任制度は、警視正までなら試験だけで昇進できたはずだ。そこから先は何か褒章に値する手柄を立てないと進めないが、警視正といえば、ノンキャリアが退職までに望める最高のポストだ。勉強さえしていれば、苦労せずにそこまで進めるというのに、どうしてこんな苦しい道を選んだのだろう。
 課内であれほどみんなに煙たがられても、異動したがる様子はないし。こうして自主トレをしているということは、これからもこの人間関係も仕事内容もキツイ職場で耐える覚悟をしている、ということだ。

 後輩が頑張っているのなら、指導員として手を貸すべきかと羽佐間は思う。しかし、薪は自分に何の相談もしてこなかった。足の痣を見られても、姑息な嘘で隠そうとした。キャリアのプライドというやつかもしれない。それを傷つけていいものだろうか。
 
 薪以外は動くもののない道場に、やがてひとりの人物が現れた。道場の入口から入ってきて、トレーニングを続ける薪に手を振ったのは、短く切り揃えた黒髪と意志の強そうな黒い瞳が印象的な女性だった。
 薪が軽く手をあげて、彼女に微笑みかけた。羽佐間が見たこともないような、やわらかい笑い方だ。いや、昼間電話をしていたときにも、薪はこんな顔をしていたか。

 幾何学模様の赤い半袖シャツに黒いズボンという派手めの格好をした彼女は、しっかりと胸腰が張っていて、遠目にもかなりの美人だ。薪のやろう、こんな美人の彼女がいたのか。ヒヨコどころかたまごのクセに。なんて生意気なやつだ。

 しかし彼女は薪の所へは行かず、道場の奥に二つ並んだ右側の扉、つまり女子更衣室へと姿を消した。しばらくして、道着に着替えて出てくる。背が高いおかげで、胴着姿がビシッと決まっている。女三四郎ってやつだ。
 道場でデート?しかし、ふたりとも道着姿なのが気になるが。

 女三四郎は、軽く準備体操をすると、薪に声をかけた。何を言ったかは聞き取れなかったが、薪が彼女に近付き、礼をしたところをみると、打ち込み(技の形の反復動作をする稽古法)でもする気かもしれない。
 彼女と柔道の稽古?いや、それは個人の自由だが。

 ずい分変わったデートもあったもんだ、と呑気なことを思っている羽佐間の目の前で、薪の細い身体が床になぎ倒された。
 打ち込みなんて、やさしいもんじゃねえ。こりゃ、乱取りだ。

 大外刈り、払腰、浮き落とし、内股―― 女子に次々と技を掛けられる不甲斐ない後輩を見て、このふたりは本当に付き合っているんだろうか、と羽佐間は思う。いくら何でも容赦がなさ過ぎる。痣だらけになるわけだ。
 しかし、これで納得がいった。後輩の痣の原因は、自己鍛錬によるもの。どういう知り合いだか知らないが、薪は彼女に特訓を受けていたのだ。おそらく、現場を外されてからずっと。

 何度倒れても、薪は直ぐに立ち上がって彼女に向かっていく。明らかに実力の違う相手から、それでも何とか隙を見つけては技をかけようと足を伸ばす。が、薪の蹴りは弱く、技は悉く返される。でも、諦めない。
 嫌いじゃねえな、と羽佐間は思った。
 資料室の無表情な後輩はいけ好かないが、道場の彼には好感を持てる。一生懸命な人間には、誰だって手を貸したくなるものだ。

 閑職に追いやられて、キャリアのプライドは悲鳴を上げただろうに、誰を恨むわけでもなく、ひねこびるわけでもなく。こうして自分を磨く努力を続ける。キャリアってのは思ったよりも、根性の座った人種らしい。
 嫌いじゃねえな、と羽佐間はもう一度心の中で思い、だから署内に戻って、自分のロッカーに常備してある道着を手に持って、再び道場を訪れた。

「羽佐間さん」
 道着姿の羽佐間を見て、薪は、羽佐間が噴き出しそうな顔をした。子供が親に悪戯を見つかったときのような、何ともバツの悪い表情。しかしそれは、とても可愛らしかった。
「あ、紹介します。友人の三好雪子さん。こちらは僕の指導員の羽佐間匡さんです」
 初めまして、と挨拶をして、ぺこりと頭を下げる彼女に、羽佐間は好感を抱く。近くで見ると、ますますいい女だ。うちの山の神ほどじゃねえが。
 聞くと彼女は今年度大学を卒業する予定で、早々と内定を定め、研究所内の法医学教室で研修前のアルバイト中だと言った。

「友人? 恋人じゃねえのか」
「違います。雪子さんは、僕の友だちの恋人で」
「ダチの恋人? なんだなんだ、三角関係か」
「「違います!」」
 ふたりの声が見事にハモって、3人は顔を見合わせる。誰からともなく笑いを洩らすと、後は言葉は要らなくなった。
 
 その日から、薪の練習相手は二人に増えた。



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折れない翼(7)

折れない翼(7)





 羽佐間が薪の練習に付き合ってくれるようになった週の金曜日、ふたりは初めて一緒に酒を飲んだ。場所は羽佐間の行きつけの小料理屋で、焼き鳥と日本酒がお奨めの店らしい。
 座敷に上がって座卓を挟み、二人は料理と酒を注文した。直ぐに突き出しと徳利が出てくる。羽佐間の自慢の女房のこと、薪の大学時代からの友人のこと、四方山話をしながら杯を傾ける。酒が進むにつれ興が乗り、ふたりは楽しいときを過ごした。
 ここ何日かで、薪の印象はずい分変わった。と言っても、いけ好かないキャリアから、それほど嫌いでもないキャリアになっただけだが。

「なんで捜一(うち)になんか来たんだ?」
 薪の酌を受けつつ、羽佐間はずっと聞きたかったことを切り出した。
「キャリアには無用な苦労を、どうして自分から?」
「出世への早道だと考えまして」
 こいつ、俺がノンキャリアだと思って舐めてんな。
 しゃあしゃあと言ってのけた薪のセリフが全くの的外れだということを、そして薪がそのことを承知していることを、羽佐間は知っていた。
 捜査一課は、キャリアの出世コースの主要道路ではない。キャリアというのは警視正まではそれほど苦労せずとも誰もがなれる、しかしそこから先は限られたポストを争って熾烈な生存競争がなされる。そうなった時いかにして自分が生き残るか、それを考えたら捜査一課でノンキャリアと付き合うより、本庁で上層部キャリアの味方を増やしたほうがいい。

 しかし、ここは騙された振りをしてやろう、と羽佐間は思う。何か言いたくない事情があるのだろう。警視庁の道場を使わずに研究所の道場で鍛錬を重ねていることからも解るように、薪は秘密主義者だ。容疑者でもないやつから無理矢理自白を取るほど、羽佐間は公私を混同する男ではない。

「異動することは考えなかったのか?」
「足りない分は、自分が成長すればいいって。僕を推薦してくれた教授が言ってました」
「そりゃそうだけどよ。現場で何度も犯人に吹っ飛ばされて、よくイヤにならなかったな」
 薪の失敗の数々をあげつらって、羽佐間は豪快に笑った。嫌味を言われて機嫌を悪くするかと思えば、薪は穏やかに笑っていた。

「犯人は、みんな僕の姿を見て御し易しと踏んで、僕の方へ逃げてきます。それって裏を返せば、彼らに手錠を掛けられるチャンスが向こうから飛び込んでくるってことですよね?
 僕の外見は刑事としては致命的な欠陥だと他人に言われたこともありますが、こんな使い方もありだと思います」
 合理的だ。キャリアと言うのは、こういう考え方が身についているものなのか。
「現状は未だ不十分ですけど。今に必ず、皆さんに負けないくらい強い男になってみせます」
「けっ、坊ちゃんらしいぬるい考え方だな。現実はそんなに甘かねえぜ」
 後輩の強く輝く亜麻色の瞳に満足を覚えつつ、しかし言葉は辛辣だ。羽佐間は相手への情を言葉に変換して満足する類の男ではなかった。

 その日は機嫌よく飲んで帰途についた羽佐間だが、途中、大事なものを職場に忘れてきたことに気付いた。明日は奥方の誕生日。そのための贈り物を購入しておいたのだが、家に置いておくと当人に見つかってしまうと考えて、職場のロッカーにしまっておいたのだ。明日は非番だ、出てくるのも面倒くさい。
 舌打ちしながらも大事な女房のため、本音は忘れたら何を言われるかわからない恐怖感から、羽佐間は職場に戻ることにした。

 夜の十時、捜査一課にはまだ明かりがついていた。
 どこかの班が残業をしているのだろうか。それほど難航している現場はなかったように思うが。

 自分のロッカーから目的のものを回収し、羽佐間は帰り際にそっと部屋の中を覗いてみた。そこには羽佐間の上司である捜査一課の課長と、さっき別れたばかりの新人の姿があった。こんな時刻に夜の職場でふたりきり、薪が女だったらドアの隙間に張り付くところだが。
 課長は席に座って、報告書らしきものに目を通している。薪は課長席の後ろに置かれた書類棚の前に立って、束になった報告書を読みふけっていた。いや、読んでいるというよりは、めくっているだけのように見える。あの速度で紙をめくって内容が頭に入るなんて、それは人間じゃない。人間の形をしたスキャンマシンだ。

「ありがとうございました、課長」
 やがて薪はすべての報告書を読み終えて、後ろを振り向いた。もう終わったのか?と驚きの色を隠せない課長の声が聞こえる。
「ええ。例の、ホステス殺しは進展がありましたね。問題は犯人の潜伏先ですが。おそらく、幼少の頃を過ごした山陰の」
「黒崎と同じ考えだな。あいつの班のやつが、2人ほど飛んでるよ」
「あと未解決なのは、大曽根班の強盗事件ですか。防犯カメラに何も映っていなかったのが、まずはおかしいんですよね。犯人が事前に調べて死角を知っていたのか、あるいは被害者の資産状況を鑑みて……狂言」
「大曽根は後者だと睨んでる」
 報告書の内容について課長と話している薪を見て、羽佐間は自分の常識がぐらつくのを感じた。

 どうなってんだ、キャリアってのは目がカメラにでもなってるのか? そういう生き物なのか?

 報告書の束を元通り棚に戻して、薪は自分の席に戻った。挨拶をして課長に頭を下げ、鞄を持ってこちらに歩いて来る。羽佐間は慌ててロッカーの陰に隠れた。
 羽佐間が物陰に潜んでいることにはまるで気付かず、薪は階下へ降りて行った。現場での経験が皆無に近い彼に、張り込みに慣れた刑事を見つけることは至難の業だ。いくら優れた頭脳を持っていても、身体で覚えるスキルに関して薪は素人と一緒だ。

 薪との間に充分な時間を置いて、羽佐間は警視庁を出た。
 薪が読んでいたのは、今週課長のところへ上げられた事件経過の報告書だ。今現在、どんな事件が起きていて、どこまで捜査が進んでいるのかが記載されている。
 資料室に篭もっていたら、情報は入ってこない。だから、薪はいつでも現場に復帰できるよう、情報を仕入れていたのか。そういえば、料理屋で薪は殆ど飲まなかった。あまり強くないので、と言い訳していたが、こういう予定があったからなのか。
 ったく、陰に回ってこそこそと。でも。
 嫌いじゃねえ。決して嫌いじゃねえ、と羽佐間は心の中で繰り返した。

 初めこそカンベンしてくれと指導員に当てられた自分の不運を嘆いたが、日が経つに連れてどんどん印象が変わってくる。もしかしたら、自分はとてつもなく面白い男を指導しているのかもしれない、と羽佐間は思った。

 月曜日。
 いつものように出勤してきて行儀よく挨拶をし、自分の持ち場、つまり資料室へと入っていく薪を、羽佐間はじっと見つめていた。そんな羽佐間に気付いて、部下の一人が声を掛ける。
「羽佐間さん? 薪がどうかしましたか」
「ありゃあ、化けるかもしれねえなあ」
「そりゃキャリアですから、出世はするでしょうね。でも、おれ達には関係ないっすよ」
「そうじゃなくてよ。近い将来、うちのエースになるかもしれねえぜ」
「……すんません、もう一回お願いします。次は外さずに笑いますから」
「冗談じゃねえよ。今は坊だけどよ、そのうちきっと」
「坊? ぷぷっ、ぴったりっすね。ガキみたいな顔してるし」
「薪坊か。そうだな、あいつの呼び名はそれで行くか」
 部下と一緒ににやにやと笑って、羽佐間は今自分が追いかけているゲームセンター強盗殺人事件の捜査に戻った。




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折れない翼(8)

折れない翼(8)






 世良義之は自分の班の職員に号令を掛け、事件の概要が簡潔に書かれたホワイトボードの前に集合させた。現在捜査中の容疑者について、各々が持ち帰った成果を報告させる。
「で? 狩谷はなんて?」
「その場所には一度も行ったことがない、って言ってました。今のところ目撃者も出ませんし、最寄り駅の防犯カメラにも映ってません」
 部下の報告を受け、世良は太い眉毛を険しく寄せてボードを睨んだ。ボードには数枚の写真が貼り付けられ、事件関係者の相関図が書いてある。その中の一枚の写真に、五部刈頭の丸い顔に眼鏡を掛け、あごひげを生やした恰幅のよい男が映っていた。

「捜索範囲を広げるか。それとも、こっちの男の線を」
「嘘ですよ」
 捜査線上に浮かび上がった狩谷ともう一人の男、風間にターゲットを変更するべきかと言おうとした世良の声を遮って、涼やかなアルトの声が響いた。この部屋には相応しくない、気取った声。
 休憩に出てきたのか、右手に白いコーヒーカップを持っている。薄いグレーのスーツを着てモデルのように姿勢よく立った彼は、周りの空気がそこだけ浄化されたかのような清涼感を漂わせていた。

 初めて見た時から、世良はこの新人が気に食わなかった。男のクセに、女みたいな顔と細っこい体つき。こんなオカマみたいなやつが捜一の刑事だなんて、所轄に知られたらバカにされること請け合いだ。
 ていうか、こいつまだいたのか。
 課長に進言して資料室に追っ払ったと思ってたのに、そこまでされれば自分から異動願いを出すだろうと踏んでいたのに。意外と図太いやつだ。……少し、見直した。

「狩谷仁は嘘を吐いてます。任意同行して、調べるべきです」
「何で言いきれるんだ。いい加減なことぬかしてんじゃねえぞ」
「写真がありました。その」
 細い指がボードの写真を指差す。薪が示したのは、事件現場となったアパートを映したものだった。
「事件現場の周辺を映した写真と同じものが。そこに彼が写っていました。だから、その場所を一度も訪れたことがない、というのは明らかな嘘です」
「待てよ、おい! そんな写真をどこで」
 自分の仕事場、つまり資料室へと戻っていく薪を追いかけて、世良は部屋の中を横切った。同僚たちが呆然と見送る中、ふたりは奥の部屋へと入っていく。

 窓のない、息の詰まるような密閉された部屋に、ぽつんと机が置いてある。机上にはパソコンと何冊かのファイル。両脇には段ボール箱がいくつも重ねてあって、左に置かれたものにはきちんとラベルが貼ってあった。まだ朝の10時くらいなのに、もうあんなに終わったのか。まあ、資料整理なんか形だけで、事件発生の年数別に分けてラベルを貼って、神奈川の倉庫に送る分と手元に保存する分を分けるだけのことだから、箱の中をちらりと見て済ませているのだろうが。
 
 薪はコーヒーカップを机の上に置くと、更に部屋の奥へと進んだ。5列ほどある資料棚の2番目の列に入っていく。上を向いて一つの箱に手を伸ばすが、どうも微妙な高さだ。箱の底に背伸びをした薪の手がやっと届く、それくらいの高さで、ぎっしりと詰まった捜査資料が入っている箱がもしも落ちてきたら、さぞ見ものだろうと思った。
 思ったが、今は情報の方が大事だ。
「こいつか?」
「あ、すみません」
 ダンボールを床に降ろすと、薪は箱を開封して、中のファイルを探し始めた。けっこう、重かった。こいつの細腕では、かなりきつい作業だったろう。さっきからこいつの動きがぎこちないのは、もしかすると筋肉痛のせいかもしれない。

 周りを見ると、ラベルが貼られた箱がずらりと並んでいた。これはすべて検証済みということだろうか。
 黒い表紙の捜査ファイルを開くと、確かに事件現場は問題のアパートの直ぐ傍だ。目的の箱は、これで間違いないようだ。
 先刻、薪は迷う様子もなかったが、まさか中身を覚えているのか? 整理済みのダンボールは30個は下らない、中に入っている資料は最低でも10冊はあるはず。その内容を全部覚えて、ってそんな人間いるわけないか。いたらバケモンだ。

「確か、このファイルに」
 一冊のファイルを選び出すと、薪はそれを棚の上に置き、表紙を開いた。
 パラパラと中を見るのではなく、頁の端を指で弾いて枚数を数えている。まさか、その写真が添付してあったページ数まで覚えているのか?

「これです」
 薪に顔を寄せて、世良は資料を覗き込んだ。近付くと、薪はとてもいい匂いがした。
 細い指が示した写真には、事件現場に群がる野次馬が写されており、その中に容疑者の顔が鮮明に映っていた。髪型は今と違うが、間違いない。
「3年前に解決した事件の資料ですけど。揺さぶりの材料としては充分かと」
 事件の犯人は、事件現場に帰ってくるものだ。常識で考えても危険な行為だと犯人も分かっているはずなのに、何故かその確率は高い。犯人側のジンクスを逃すほど、警察は寛大ではない。肖像権の問題があるから表立っては映さないが、現状写真を撮るついでに、こうして必ず2,3枚は野次馬の写真を撮っておくのだ。

「おまえ、内容だけじゃなくて、どの頁に何が書いてあったかまで覚えてるのか?」
「ページ数は普通、覚えるでしょう? 覚えておかなかったら、続きから読もうと思ったとき不便だし。公式を探そうと思ったときにも」
「付箋とか栞が、何のためにあるか知ってるか?」
「あれは他人に該当箇所を知らせるためのものでしょう?」
 ……だからキャリアはキライなんだ。常識が通じない。

「まあ、本人は忘れてたって主張するでしょうけど、しょっぴくネタにはなると」
「ありがとな!」
 容疑者に迫ることができる、その単純な喜びに、世良はついつい普段の悪感情を忘れた。言ってしまってから失敗したと気付いて表情を戒めるが、言葉は戻せない。
 こいつはエリート意識剥き出しのキャリア野郎だ。礼なんか言ったら、図に乗ってキャリア風吹かされて、また嫌な思いをさせられるに決まってる。

「いいえ。お役に立てて嬉しいです」
 素直な言葉が素直な声音で帰ってきて、世良は驚いて下を見る。眼下、20センチの場所にあるいけ好かない新入りの顔は、あどけなく微笑んでいて。それが一瞬、7歳になる自分の目に入れても痛くないほど可愛い娘の笑顔と重なって、世良は自分の頭がおかしくなったのかと首をかしげた。

 世良はファイルを抱えて資料室を出た。ボードの前で待っていた部下たちに問題の写真を見せると、彼らは額を寄せ集めてそれを覗き込んだ。
「え、え? なんで? どうして3年も前の事件の現場写真に偶然写りこんでいただけの狩谷の写真を、3ヶ月前に捜一に来たあいつが見つけられるんですか?」
「資料室の整理をしてたからだろ」
「それって、整理した書類の内容を全部覚えてるってことですか? ありえないでしょ!」
「普通だろ」
「普通のわけないでしょ! しかもこんな群集の写真で、一瞬見ただけの容疑者を見つけるなんて。公安のベテランだって難しいんじゃ」
「難しかねえんだよ。あいつはキャリアなんだから。俺やおまえらとは、ここのデキが違うんだ」

 世良班の刑事たちは、一斉に口を閉ざした。
 班長の世良は今年の新人をことのほか嫌っていて、だからそれが嫌味な口調だったら、彼らはヘラヘラと追従の笑いを浮かべて、仕事に戻ったに違いない。しかし、その時の世良の口調は、自分に良く似た娘の写真を無理矢理同僚に見せて『世界一可愛いだろう』と自慢するときの口振りに果てしなく似通っていて、資料室に入る前の彼と同じ人間だとは思えなかった。
 もしかしたら資料室には魔女がいて、世良はそこで魔法にかけられたのかも。

「よし、早速この写真プリントして」
 世良の言葉が終わらぬうちに、捜査会議のテーブルに数枚の写真が差し出される。男とは思えないほっそりとした手を辿っていくと、資料室の魔女、もとい見るのもムカつく新入りだ。知り合って3ヶ月、碌な交流を持ったわけではないからこの男がどういう人間かは知らないが、決して自分たちの仲間ではない。キャリアはノンキャリアの敵だからだ。
「使ってください」
「おう。気が利くな」
 にこっと世良に笑いかける新人を見て、同僚たちは言葉を失う。さらにはそれを笑顔で受け取る自分たちのリーダーを見て、昨日までの記憶を失いそうになった。

「よし、行くぞ!」
 戸惑いの中、班長の号令が下って部屋を駆け出していく世良班を少し羨ましそうに見送って、捜一の新人は再び資料室に戻っていった。




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折れない翼(9)

折れない翼(9)





「薪坊、喜べ! 狩谷が自白ったぞ!」
 ばん! と資料室のドアを開けて、世良が飛び込んできた。
 反射的に、椅子の上で飛び上がろうとする身体を理性で押さえる。ただでさえ、なよっちいとかオカマくさい、とか陰で言われているのだ。自分は肝の据わった立派な男だ、というところを見せなければ。

「あの写真見せたら見る見る顔色が変わってよ、警察にはこういう写真が他にもあるってカマかけたら観念して……なんだ、嬉しくねえのか」
 キーボードを打つ手を止めて、世良の顔を見上げる。犯人が捕まったのは喜ばしいことだが、なぜそれをわざわざ言いに来たのだろう。自慢か、嫌味か?現場に出られない自分を嘲笑いに来たのか。
 1ヶ月前なら、そんなふうに考えていたかもしれないが。羽佐間が自分の鍛錬に力を貸してくれるようになった今では、自分はここにたった一人ではないのだと思えて、世良は単純に喜びを分かち合いたいと思って来たのだ、と自分を納得させることができる。
 ただひとつ、納得がいかないのは。

「いえ、事件が解決したのは喜ばしいことですけど。『坊』って、なんですか」
「知らねえのか? 小さい男の子のことを坊って」
「それは知ってます。僕が聞いてるのは、なんで僕がそんな子供みたいな呼び方されなきゃならないのかって」
「羽佐間さんがおまえのこと、そう呼んでるみてえだから」
 ……今日の訓練では、絶対に1本返してやる。この際、目潰しでも金的でも。
「うちの連中は姫って言ってるが。あっちの方がよかったか?」
 ……買出し当番のときに、世良班の弁当に下剤混ぜ込んでやる。
 姫ってなんだ、どういう意味だ、と考えるまでもない。完全にバカにされてる。くっそ、今に見てろよ、刑事は顔じゃない、と思うが、刑事に必要とされる体力も武術もまだ物にしていない。実力が伴っていればもっと強く言い返せるが、鍛錬はまだ始まったばかり。今の薪には、その不名誉な渾名を甘んじて受け入れることしかできなかった。

「今日は打ち上げだ。おまえも来いよ」
「どうして僕が」
「何言ってんだ。今回の功労賞はおまえじゃねえか」
「は? 僕は資料の整理をしてただけですよ? 犯人に手錠を掛けたのは、世良さんの班のひとでしょう」
「おまえがあの写真を見つけなかったら、もっと長引いてた。それは間違いねえ」
 驚いた。世良にこんなことを言ってもらえるとは思っていなかった。

「これは、おまえの手柄だ」
「……ありがとうございます。でも、今日は羽佐間さんと先約があって」
 約束しているのも本当だが、正直、反りの合わない世良班の連中とは飲みたくない。薪はあまりアルコールに強くないし、これ以上弱味を握られたくない。
 相手も社交辞令だったのだろう、無理強いはされなかった。じゃあ今度奢るから、と果たすつもりのない約束をして、部屋を出て行く。薪がPC画面に目を戻すと、世良は戸口のところで何かに気付いたように振り返って、
「そうだ。おまえのこと、現場に戻してもらえるように課長に頼んでおくからな」
 と、意外なことを言った。
「お気持ちは嬉しいですが。課長には、羽佐間さんが掛け合ってくれてますから」
 薪の指導員は羽佐間だ。薪の身の振り方のことで、世良に世話になる義理はない。
「あー、悪りい。おまえを資料室に閉じ込めろって課長に進言したの、俺なんだ。だから」
 決まり悪そうに頭を掻き、世良はその事実を告白した。世良は捜査一課のエースだ。発言力も強いし、同僚への影響力も大きい。課長も頷かざるを得なかった、というわけか。

「そうだ、これ使え。けっこう効くぞ」
 ひゅっと投げつけられたものを咄嗟には受け取れず、右の手のひらで弾くように止める。薪の手にぶつかったそれはキーボードを直撃し、PC画面の書類のレイアウトがピカソの絵のように崩れた。
 眉をひそめながら投げつけられたものを確認すると、筋肉痛用の塗り薬。キャップを外すと円形のスポンジが付いていて、薬液が染み出してくるタイプのものだ。
「僕が筋肉痛だって、よく分かったな」
 閉じられた資料室のドアに向かって、薪は呟くように言った。

 さすが刑事。みんな鋭い。階級は薪の下でも、実力は遥か上だ。
 その実力者が、自分を褒めてくれた。今回の白星は、自分の手柄だと言ってくれた。

 筒状の鎮痛薬を握り締めて、薪は世良の言葉を反芻し、踊りだしたくなるような気持ちになった。浮かれ気分の急くがまま、携帯電話を取り出す。
「鈴木? 今、大丈夫?」
『うん。どうした?』
「あのね、今日、先輩にお礼を言われた。僕が資料室で見つけた写真が、犯人逮捕の決め手になって」
 そこまで言いかけて、薪は鈴木に自分の現状を話していなかったことに気付いた。勇んで1課に来たものの、現場から外されて毎日資料の整理をしている、なんて言えなかった。恥ずかしかったし、鈴木に心配を掛けるのも嫌だった。

「えっと、とにかく、僕の手柄だって先輩に言われて」
 そこで薪は、また口ごもる。
 実際には、何の褒章を得たわけでもない。先輩にちょっと褒めてもらっただけだ。行く行くは警察庁のトップに立つ、なんて大言壮語を吐いていた人間が、それだけのことで電話をしてきたら訝しく思われるだろう。
 結局、薪は黙り込んだ。今まで鈴木に吐いてきた様々なウソを思い出すと、これ以上言葉を重ねることはやぶへびになる。

『よかったな、薪。初手柄、おめでと』
 素直な賞賛の言葉を聞いたとき、ああ、やっぱり鈴木だ、と薪は思った。
 鈴木は僕のことを、誰よりも理解してくれる。
 何を言っても、どんなことをしても、僕の本当の気持ちを分かってくれる。

 どきん、と薪の心臓が高鳴った。
 やっぱり、今でも僕は鈴木のことが……。

「ありがとう」
 切なさと嬉しさで一杯になりながら、薪は携帯を閉じた。




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折れない翼(10)

 こんにちは。

 新しい工事が決まりました。
 なんと、11月~3月までの夜間水道工事!! 1年で一番寒い時期の夜間工事! 
 がんばれ、オット! がんばれ、みんな!
 わたしは家でネットしてるからねっ!!(←非道)

 皆さん、今年は暖冬になるように祈っててください☆





折れない翼(10)





「どうだ、動いたか?」
「いえ」
 短く応えを返す後輩に、羽佐間はコンビニのビニール袋を手渡した。羽佐間の相棒は大きな瞳を前に向けたまま、ビニール袋を受け取り、中をゴソゴソと探った。
 羽佐間は助手席に乗り込むと、冷たい外気に痛みを覚えていた爪先を車のヒーターに当てて温め、ふう、と息をついた。もうすぐ年が変わろうかというこの季節、夜にはぐんと気温も下がって、路駐した車の中での張り込みも楽ではない。

「動くとしたら、真夜中だろうな。今のうち食っとけ」
 はい、と素直な返事が返ってきて、しかし後輩は一向に食べようとしない。見ると、牛乳パックを持った後輩の手が止まっている。
「どうした。食えよ」
「僕、牛乳キライで……」
「ああん!?」
「だって、臭いし」
「おおう!?」
「……いただきます」
 差し入れの食べ物にゴチャゴチャ言うなんざ、刑事のすることじゃない。こういうところはまだまだガキだ。

 ガガー、という雑音の後に無線で呼ばれて、羽佐間は送話器を手に取った。返事をすると、近くで強盗事件が発生したのでそちらの応援に1人回して欲しいとのことだった。
「おい、薪。おまえ行って、ってまだ食ってんのか?」
 何をやらせてもトロいやつだが、食うことまで遅いのか。羽佐間ならこんなもの、2分で完食だ。
 見れば、細い指が菓子パンを小さく千切っている。遅いわけだ。

「男のクセに、パンちぎってんじゃねえよ。かじれ」
「どんな食べ方しようと、僕の勝手じゃないですか」
「ったく、口だけはいっちょまえだな。ちゃんと見張ってろよ。ホシが動いたら、俺に連絡するんだぞ」
 多大な心配と共に未熟な後輩をそこに残して、羽佐間は強盗事件の現場付近のパトロールに向かった。
 
 張り込みをしていた場所から2キロほど離れて、路地の角を曲がったとき、鉢合わせた男の風体に羽佐間はピンと来た。無線の内容を思い返すまでもない、黒い帽子に黒いジャージ姿、夜だというのにサングラスをかけていればそれは絵に描いたような不審人物で、この状況で彼に声を掛けない刑事はいないだろう。
「この近くで強盗事件が発生しましてね。その鞄の中身、確認させてもらえますか?」
 相手の手を掴んでから手帳を出し、鞄を取り上げてから声を掛ける。少々順番が違うようだが、口より先に手が出てしまうのは江戸っ子のサガだ。何枚始末書を書こうとも、なかなか矯正できるものではない。
 鞄を取り上げられた時点で、男は逃げ出そうとした。その首根っこをがっちり掴み、羽佐間はその場に男を押さえつけた。足で男の身体を拘束し、鞄を開ける。中にはむき出しの紙幣がゴチャゴチャに入っていた。決まりだ。
「この鞄の中身の内容について、ちょっとお話を伺いたいんですがね?」
 そのとき、羽佐間の無線から後輩の声が聞こえた。

『羽佐間さん、中西が動きました』
 なんてタイミングの悪い。走っても10分は掛かる。
『ボストンバックを持ってます。身を隠すつもりかもしれません。聴取、行きますね』
「待て、薪。ひとりじゃ危ねえ。応援を呼べ」
『そんな余裕はないみたいです』
「おい、薪! 待っ」
 切りやがった。なんて勝手な野郎だ。

「あの野郎。道場で説教だ」
 羽佐間は男に手錠を嵌め、無線で強盗事件の容疑者を確保したと連絡を入れると、強盗犯を引き摺るようにして張り込みの場所に戻った。
 薪の姿はない。辺りを見回すが、どこにもいなかった。
「ちっ」
 強盗犯と駐車禁止の道路標識を手錠でつないで、羽佐間は手のかかる後輩を探しに出かけた。二人が張り込みをしていた中西には、連続殺人の容疑が掛かっている。こういう凶悪犯に対峙するときには、必ず二人以上で望むものだ。でないと。
 ――― こんなことになるからだ。

 羽佐間が横手の路地に二人を見つけた時、それは考えうる限りで最悪の状況だった。
 中西は左手に大きな鞄を持ち、右腕には羽佐間の後輩を抱えていた。薪の細い首にはナイフが突きつけられていた。
「何をやってんだ、このバカ」
「すみません」
「こいつの仲間か。逃走用の車と現金を用意しろ!」
 羽佐間を見て、中西が声を荒げる。

「だから待てって言っただろうが。なんで俺の言うこときかねえんだ」
「だって、逃げられちゃうと思って」
『車と現金だ、早く用意させろ!』
「それに、羽佐間さんの言いつけを守ったからこうなったんですよ」
「融通の利かねえやつだな。いいからさっさと片付けろ」
『おい、聞いてんのか?! くる』
 中西は、そこまでしか喋らせてもらえなかった。右足の甲に鋭い痛みが走り、呻いた瞬間世界が回っていた。気付いたときには綺麗な星空が見えたが、息も止まりそうな痛みが背中から襲ってきて、その美しさを楽しむ余裕は消え失せた。

 中西の手首に薪が手錠を掛けるのを横目で見ながら、羽佐間は呆れ返った口調で言った。
「いいんだよ。さっさと捕まえちまえば」
「だって、こないだこのパターンで始末書書かされたから」
「だからって人質になるこたねえだろうが」
「他にこの場に彼を引き止める方法を思いつかなかったんです」

 アパートから出てきた中西の前に廻りこみ、薪は高圧的に言った。
『中西だな? 諦めろ、おまえは既に包囲されている。あちらのビルには狙撃班も配置済だ』
 その言葉はもちろんブラフだった。連絡を入れる暇もなかったのだ。応援が来るわけがない。しかし、それによって容疑者が取るであろう態度は予想がついた。
 暗闇に紛れて見えないが、警官隊の包囲網を突破するのは至難の業だ。飛び道具でもあれば別かもしれないが、そんなものは持っていない。多勢に無勢だ、普通に逃げるのは不可能だ。そんな恐怖を味わい、次に自分にそれを告げた年若い刑事の外見を見て、犯人たちは一様に思う。
 こんな華奢で女みたいなやつ、簡単に押さえ込める。こいつを人質にして、逃走手段を確保すればいい。
 彼らの誤算はひとつ。見た目はひ弱そうに見えるこの青年が、鍛錬を積んだ警察官だということ。事実を知ったときには、その手に手錠が掛かっているという寸法だ。

 捜一に入って半年。薪はよく頑張っている。
 体力もついてきたし、柔道の腕も上がってきた。以前、自分で言っていたようにひ弱な外見を利用して犯人をおびき寄せ仕留める、という試みもまずまずの成功を収めている。まだ3割ほどは逃がしてしまうようだが、それでも新人には立派な数字だ。半年前は近年稀に見るほどのダメ新人だったのに、この成長振りは見事だ。
 何が彼をそんなに成長させたのだろうと羽佐間は考えて、しかし自分の指導力かと自惚れる気にはなれない。最初に一通りのセオリーは教えたが、指導と言えるような指導はしてこなかった。
 薪はひとに言われる前に自分で自分に必要なことを考え、それを得るために行動できる男だ。そして、普通だったら途中で放り出してしまいそうな、地道な努力を続けられる根性を持っている。諦めは、極めて悪い。

 中西と強盗犯を連行して署に戻ると、待ちかねた様子の世良が寄って来た。
「お疲れさまっす、薪坊借ります」
 羽佐間に一礼しつつ、薪の後ろ襟を掴む。そのままずるずると薪の身体を引き摺っていく。
「ちょっと世良さん。僕、これから中西の取調べが」
「面通しだけ。頼むわ」
 取調室に設置されたマジックミラーの裏側の部屋に薪を連れ込むと、世良は中を見るよう薪に促した。
 狭い部屋の中で世良の部下と向かい合っている容疑者の顔を見て、薪の瞳がきらりと輝く。強気な笑みを口元に浮かべて、世良の顔を見上げる生意気な後輩キャリアの憎らしいこと。

「ありがとうございます、世良さん。調べ直してくれたんですね」
 刑事らしからぬ幼い顔でにこっと微笑まれれば、今年8歳になる自分の娘にするように、抱き上げて頬を擦り付けたくなる。ったく、小憎らしいったらありゃしねえ。

 3ヶ月前まで強制的に資料室の整理をさせられていた薪は、現場に戻ってからも手の空いた時にその仕事を続け、ようやく最後の棚に行き着いた。そこには、迷宮入りを待つ未解決事件の資料が鎮座していた。それは捜査一課の、謂わば敗北の証だった。
 未解決の事件と知って、薪は貪るように資料を読んだ。かつての捜査本部の司令塔が諦めざるを得なかった事件、あるいは犯人の目星さえつかずに時間切れとなった事件。どれもこれも難解で、資料からは捜査が行き詰まる様子が読み取れた。
 しかし薪の眼には、その捜査は穴だらけに見えた。
 もっと調べるべきことが山のようにあると薪は思い、それを課長に進言した。
『犯人はおそらく被害者の甥です。調べ直してください』

 それを聞いた1課の刑事たちは、反乱軍の兵士たちのように怒号した。自分たちが汗水たらして捜査を続け、悔し涙と共に諦めざるを得なかった事件。その資料を読んだだけの新人にそんなことを言われたら、吼えずにいられないだろう。
 薪に詰め寄って彼の細い首を締め上げようとした十数人の捜査員たちを制止したのは、薪の指導員の羽佐間と、薪とは敵対していたはずの捜一のエース、世良義之だった。
『おまえ、ここに何人敵を作れば気が済むんだ』
 後ろ襟を掴んで、薪の身体を猫の子のように持ち上げ、世良はククッと笑った。
 未熟で口ばかり、頭でっかちではねっかえりの小僧。だが、そのポテンシャルは恐ろしいものがある。今はただの新入りだが、将来は大化けするかもしれない。

「課長に許可をもらえなかったから、諦めてました」
「例の借りを返そうと思ってよ」
 3月ほど前、薪の人間離れした記憶力のおかげで、世良班は難航していた事件を解決することができた。世良が言っているのはその件だ。
「貸しだなんて思ってません。それに、2回もお酒をごちそうになりましたし」
「酒ぐらいで消えるほど、小さな借りじゃあるめえよ」
 もちろん、それだけで課長の命に背いたわけではない。事件当初、世良もこの男に何かしら感じるものがあったのだ。しかし、彼のアリバイは確かなものだった。それを薪は捜査資料を読み返しただけで、彼の不在証明のわずかな矛盾点を見つけ出した。

「そう思っていただけるのは光栄ですけど、僕自身は何もしてませんよ。ただ、頭の中から記憶を引き出しただけです。だから、世良さんがそんな風に思われるのは的外れかと」
「相変わらずかわいくないね、おまえは」
「二十歳過ぎた男がかわいかったら、気持ち悪いでしょ」
「黙ってりゃ姫なのにな」
「なんか言いました?」
「いんや、べつに」
 自分より10歳も年下の、外見は20歳くらい若い後輩と軽口の応酬を楽しみながら、世良は薪が、あの当時の自分が崩せなかった犯人のアリバイをものの見事に看破した時の彼の顔を思い出す。その時も彼は、自慢もせず得意にもならず、どうしてこんなことに気付かないのか不思議でたまらないと言った表情をしていた。

『彼のアリバイを証明しているのは、自宅近くのコンビニの防犯カメラ。彼はここのコンビニで二時間近く立ち読みしてたってことになってますけど。
 この夜、この地域は事故のため、ほんの5分ばかりだが停電してる。店の自家発電に切り替わる間の1分間、暗闇のショットが防犯カメラのどこにもない。
 つまり、防犯カメラの映像は偽装工作』
 防犯カメラの映像で早々と容疑者から外れた彼は、当時の捜査網から見事に逃げおおせた。第一級の証拠品であるカメラ画像の真偽を疑うものはいなかった。
「意外と簡単にできるんですよ、PC接続型の防犯カメラの偽造って。店内の風景なんかそんなに変わるもんじゃないですからね。日付だけ操作してやればいいんです。もちろん、店員の中に協力者がいないと不可能ですけど」
「なんで別の日に写されたものだって気が付いたんだ?」
「僕が購読してる雑誌が写ってたんです。その雑誌の発売日は木曜日。事件当夜には、まだ店頭に並んでいないはずです」
「……カメラか、おまえの目は」
「僕は普通です。みなさんが節穴なんですよ」
「かー、絞め殺してやりてえ、このクソガキが」
 たまに羽佐間がするのを真似して、世良は薪の頭をくしゃくしゃと掻き回した。さらさらとした頭髪が指に心地よく絡む。

「おまえの愛読書って何よ?」
 キャリアの読むような本を自分が知っているとも思えなかったが、話の流れというやつだ。どうせ小難しい専門誌に違いない。それも世良が苦手なITなんとかとか、PCうんたらとか、横文字の。
「『ターザン』です」
 顔に似合わない雑誌名に、世良は思わず噴き出した。




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ジャンル : 小説・文学

折れない翼(11)

折れない翼(11)






「薪坊! 藤堂が落ちたぞ!」
 吉報を持ってきた羽佐間に穏やかに微笑んで、薪はそれが当然のように頷いて見せた。
 入庁から1年が過ぎ、捜一の職務にも慣れ、本来の自信家の面が現れてきた後輩は、生意気さに拍車をかけると共に不思議な魅力を溢れさせていた。
「これで5つ目か? お宮から持ち出した事件は」
「そのうち『薪の前に迷宮なし』って言わせて見せますよ」
「抜かせ、この自信過剰の坊が!」
 怒鳴るように言って、羽佐間は薪の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた。
 他の人間がしたら反吐を吐きたくなるような高慢な態度が、何故だか許せる。最初の頃の澄ました優等生より、今の薪の方が羽佐間には数倍好ましい。

 未解決事件として葬られようとしていた事件を次々と解明し、その功績を認められた彼は、先日初めて班長職を任ぜられた。もちろん羽佐間がサポートに就くという条件の下であったが、入庁2年目の新人が班長を勤めるというのは異例のことだった。しかし、誰ひとりとしてその人事に異を唱えるものはいなかった。今の捜一に、彼の実力を認めないものはいなかった。
「おお、薪坊。またひと山当てたって?」
「よっ、捜査一課のシャーロックホームズ」
「やめろ。坊が図に乗る」
 他班の連中が囃し立てるのを抑え、羽佐間はニコニコと笑っている薪の横顔を見た。薪はどの班の人間にも請われれば自分の推理や知識を惜しみなく提供するから、他班との摩擦も減った。
 しかし、羽佐間以外の人間には、薪は軽口を叩かない。意外なくらい内向的で、心を許した人間以外には穏やかなポーカーフェイスを崩さない。向こうは薪と親しくなりたいようだが、薪は一定の距離を置きたがっているように見える。薪の真意がどこにあるのか、羽佐間には良く分からない。

「羽佐間。今日くらいは薪をお神輿に乗せてやれ」
 ワイワイと捜査に余裕のある連中が薪を囲んで騒いでいるのを咎めもせず、課長がこちらに歩いてきた。珍しいことに、いつも眉間に刻まれている縦皺が消えている。
「決まったぞ。警視総監賞」

 ぴたりと騒ぎが止み、次いでわっと歓声が上がった。
「僕にですか? どうして? だって僕は、実際に犯人を捕まえたわけじゃ、わ!」
 何本もの手が薪の身体に伸びた。男職場特有の荒っぽさで激励されあちこち小突かれ、もみくちゃにされて、でもそれは皆が彼の受賞を喜んでくれていることの証拠。普通は同僚が賞をもらったりすれば妬みが生まれて当然だが、薪の場合はそれはない。
 あまりにもレベルが違いすぎるのと、もうひとつ。
 彼らは、入庁したばかりの頃の薪の姿を知っている。平均より遥かに劣っていたはずの軟弱者の成長振りを見て、陰で行なわれたであろう彼の膨大な努力を察することのできない愚か者は、捜一にはいない。

 大きな手に次々と背中を叩かれて、薪は綺麗な顔をしかめていたが、その頬は紅潮し、大きな瞳はきらきらと輝いていた。



*****



『警視総監賞もらったんだって?』
「うん。今、同じ班の人たちがお祝いしてくれてる」
 行きつけの居酒屋で盛り上がる同僚たちの輪からこっそりと抜け出して、薪は鈴木からの電話に出た。歩きながら店の外に出る。秋口の宵は少し肌寒かったが、酔いの回った身体には心地よかった。
「だけど、あれは僕だけの手柄ってわけじゃないんだ。実際に捜査をしたのは捜一の先輩たちだし。僕は捜査資料を読んで、犯人の当たりをつけただけ。僕一人の力じゃ、何もできなかったよ」
『どうした、未来の警察庁長官が。えらくしおらしいじゃん』
 1年も前に言った自分の大言を返されて、薪は頬を赤らめる。あれは自分を鼓舞するための軽口だったのだが、きっと鈴木はそのことも知っている。

 鈴木には、薪の嘘は通用しない。強がりも泣き落としも効かない。薪が本当は何を望んでいるのか、幾重にも重ねた偽装工作をものともせず、鈴木は薪の本音をつかむ。

「鈴木のイジワル」
 拗ねた口調で薪が言うと、鈴木はクスクス笑って、
『でもさ、おまえの年で警視総監賞ってスゴイんじゃ?』
「1年以内に獲ろうと思ってたんだけど。予定を2ヶ月ほどオーバーしちゃったよ」
『あははっ、それでこそオレの薪だ』
 何気ない鈴木の言葉が、薪の胸を騒がせる。
 4年前にそのセリフを聞いたときは、ベッドの中で、彼は裸の僕を抱きしめていた……。
 キーワードに関連して脳内に甦った映像に、薪は慌ててかぶりを振った。こんなことをいつまでも考えてちゃダメだ、僕は鈴木の親友に相応しい男になるんだから。

『とにかく、おめでとう。オレも嬉しくてさ、所轄の連中に自慢しまくっちまった』
 受話器から聞こえてきた言葉に、亜麻色の瞳が大きく見開かれた。鈴木がそんなことをするとは思わなかった。自分のことを他人に話すなんて。
「本当に? 鈴木、僕のことを他人に自慢したのか?」
『あー、悪い。オレもちょっと舞い上がっちまって、つい』
「恥ずかしい奴だな。これから気をつけろよ」
 それだけ言って電話を切ると、薪は携帯のパネルをじっと見つめた。

 鈴木が、僕のことを他人に自慢した。僕が鈴木の自慢の種になった。

 うれしくてうれしくて、涙が出そうだった。やっと鈴木に相応しい人間になれた気がした。
 朗報をもたらしてくれた小さな通話機器に、薪はそっとキスをした。

「何やってんだ、主役がこんなところで」
 羽佐間に呼びかけられて、薪はびくっと背中を強張らせた。店の看板の陰に隠れて電話をしていたのに、本当に刑事というのは目敏い生き物だ。
「オンナか?」
「違います」
「嘘つけ、ニヤけた顔しやがって」
 
 本当に、刑事って生き物は。
 薪はぐっと顔を上げ、キッパリと言い切った。

「電話の相手は、僕の親友です」




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折れない翼(12)

折れない翼(12)





 久し振りに見る友人の姿に、鈴木は驚きを隠せないでいる。
 見た目は全然変わらない。刑事という職業が果てしなく似合わない幼い顔。スレンダーでモデルのような体つき。警察官というよりはアイドルスターと言ったほうがしっくりくる。
 その彼が一心不乱に食べているのは男メシの代表、カツ丼。それをかき込むようにパクパクと。薪が丼ものを食べるだけでも似合わないのに、このがっつき方。まるで、肉体労働者の昼食風景のようだ。

「ちがう。こんなの薪じゃない」
「ん?」
 鈴木の呟きを耳にして、薪が丼に突っ込んでいた顔を上げる。お約束で、丸いほっぺたにご飯粒がついている。きょん、と丸くなった大きな瞳と合わせて、もうむちゃくちゃ可愛かった。
「いや。おまえってそんなによく食べるやつだっけ?」
 子供みたいにすべらかな頬に手を伸ばして、いやしんぼの証を取ってやる。自然に自分の口に運ぼうとした自分の手を、鈴木は理性で止める。さすがにここではまずいか。

 警察庁に隣接された科学警察研究所管理棟内の職員食堂。警視庁にも警察庁にも食堂はあるのだが、食べ比べの結果、研究所の食堂が一番美味かった。食事を人生の楽しみと考える鈴木は、いつもここまで足を運んでいるのだ。
「食べなきゃ持たないんだよ。現場は体力勝負なんだから」
 強く主張して大きく口を開け、カツを頬張る。こないだ雪子と食事をしたときにも、同じことを言われた気がする。本当にこのふたりは良く似ている。

「鈴木の方はどうなの? 順調に行ってる?」
「ああ、対外的な仕事はあまりないし。課内の人間関係さえ無難にこなせば」
 入庁から1年半、鈴木は所轄から警察庁に帰ってきた。配属先は生活安全局の地域課。内勤中の内勤だ。
 薪のいる警視庁とは隣同士だ。これから毎日、親友と会える。仕事中はともかく、昼休みやアフターは一緒に過ごせる、と鈴木は思っていたのだが。

「ふぐ、はひ!」
 口いっぱいに頬張った食べ物の処理に焦りつつ、薪は無粋に鳴りだした携帯電話を耳に付ける。「わかりました、すぐに行きます!」と言う元気な返事と共に席を立ち、鈴木のほうへ自分のトレイを差し出した。
「鈴木、これあげる。じゃねっ!」
 気前良く鈴木に食事のお裾分けをくれると、薪はカフェテリアを駆け出して行った。
「あげるって……ごはん粒しか残ってないんだけど」
 片付けといて、の間違いじゃないのか。

 外見以上に変わっていない親友の身勝手に呆れて、鈴木は笑う。
 鈴木の親友は多忙を極め、定刻に昼食が摂れるときなんて滅多にないのに、その数少ないチャンスですら、こうして突発事件に奪われていく。知らず知らず吐いてしまう、重いため息。

 こうして薪が現場に出て行くたびに、鈴木は心配でたまらなくなる。荒っぽい犯罪者に怪我をさせられやしないか、キャリア嫌いのノンキャリアの同僚に妬まれて苛められていないか。鈴木がいくら言っても、捜一から離れようとしない。薪の肌に合うとはとても思えない部署なのに、なぜ。

「ほんと、変わらないよな」
 薪は独特の思考形態を持っていて、鈴木は彼の考えが読めた試しがない。ただ、何をして欲しがっているかはよく分かった。薪の亜麻色の瞳は、自分の欲望にいつも忠実だった。その欲望がどうして生まれたのかという理由は分からなかったが。

 鈴木はじっと薪が走って行った方角を見やる。
 人ごみの中に紛れてとうに見えなくなった薪の背中を、黒い瞳がいつまでも追いかけていた。



*****


 只今戻りました、とお決まりの挨拶を口にして捜一のドアを潜ったとき、薪は違和感を感じた。
 何となく、遠巻きにされている感覚。自分の机に戻るまでに、普段なら何人かの同僚に声を掛けられるのに、今日は誰も薪の顔を見ようとしなかった。
 不思議に思いながらも席に戻り、事件の報告書をまとめ始める。事務仕事の苦手な羽佐間に代わって、書類を作成するのはもっぱら薪の仕事だ。

 現在捜査中の事件に90%、目先の報告書に5%の思考を向けて、薪はリズミカルにキーボードを叩く。その指はほんの僅かな淀みもなく、まるで熟練したタイピストのようだった。
 残りの5%で、薪は1課に漂う違和感の正体を突き止める。それは世良班の佐藤がこっそりと自分の背中に回した一冊の週刊誌だった。

 薪は作成した報告書を課長席に届けると、その足で世良班の机に向かった。薪が属する羽佐間班とは隣同士、何かと便宜を図ることも多い関係だが、今日の佐藤は頑なに薪の視線を拒んだ。そのくせ口はいつも通り軽く、薪を揶揄する態度も変わらなかった。
「何か御用ですか、姫」
「背中に隠したものを見せてください」
「別になんも隠してねえよ」
「じゃあいいです、売店に行きますから。10月5日発売の週刊××ですよね?」
 人ならざるもののように鋭すぎる薪の眼は、それを見逃してはくれなかった。観念した佐藤が、ため息混じりに薪に雑誌を手渡す。

 表紙に、覚えのある男の名前が書いてあった。薪が迷宮から引き出して、真実を白日の下に晒した事件の犯人の名前だ。
 これはとても古い事件だった。時効制度があった頃なら司法の裁きから逃れられるところまで、あと1年を残すだけとなっていた。何食わぬ顔で市井の人々に紛れて暮らしていた彼の過去を、薪は暴き立てた。それが薪の仕事だったからだ。
 
 彼の名前の隣には、『残された家族が一家心中』と書かれていた。

 週刊誌を開くと、そこには犯人側に同情的な文章が記載されていた。『苦しみ続けた20年、その果てに家族を襲った悲劇』という、まるで警察の非道を責めるような書き立て方だった。それは、時効制度の廃止によって生まれた悲劇を取り上げて読者の同情を惹こうという週刊誌側の戦略に過ぎなかったが。薪の行動によってひとつの家族が崩壊し、未来ある子供の命までも奪うことになったことは事実だった。
 それは罪ではない。ただそこにある、厳然たる事実だった。
「気にすんな、薪」
 黙って記事を読む薪に、世良がそっと声をかけた。
「おまえは間違ったことはやっちゃいねえよ」
「べつに。気にしてませんよ。僕は何も悪いことはしてませんから」
 ぱん、と本を閉じ、「くだらない」と捨てゼリフを残して、薪は部屋を出て行った。彼の背中はしゃっきりと伸びて、それを曇らせるものは何もないように見えた。

「かわいくねえな、あいつあ」
「そんなことないですよ。顔色も青かったし、声も震えてたじゃないですか」
 ぼそっと呟く世良を、部下の佐藤が嗜めるように言った。佐藤は薪のことを気に入っている。自分の部下の殆どがあの生意気なキャリアにほだされてしまっている事実を、班長として認めていいものかどうか。
「だからかわいくねえって言ってんだよ。坊のくせに強がりやがって」

 苦虫を潰したような顔で毒づく世良の視界の隅で、薪の指導員が席を立った。薪の後を追って部屋を出て行く。
 その姿を見て世良は、1年前の自分の選択を少しだけ後悔する。課長に、新人キャリアの指導員を羽佐間か世良のどちらかに担当して欲しい、と持ちかけられたとき、世良はその役目を羽佐間に押し付けた。あの時は、毎日キャリアの顔を見て過ごすなんざ冗談じゃない、と思ったのだったが、さて。

 捜一のエースの座を争うライバルの背中を眼で追いつつ、世良は薪が置いていった週刊誌を乱暴にゴミ箱に叩き込んだ。




 

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折れない翼(13)

折れない翼(13)





「逢いたい」

 電話に出た相手を確かめもせず、自分の名前を名乗りもせず、唐突にそれだけ言って、薪は黙り込んだ。
 こんなことをしては駄目だ、と薪の中で警鐘を鳴らすのは、1年かけて培ってきた自立心。
 鈴木の親友に相応しい男になるために、ずっと努力してきたんじゃないのか。厳しい環境に身を置くことで強い精神力を養おうと思ったのは、彼に依存するのを止めて、一人の人間として対等に彼と付き合いたいと望んだからじゃないのか。

『いいよ。どこに行けばいい?』

 鈴木の声が聞こえて、薪の決心は脆くも崩れ去る。
 誰かに泣き言を言って慰めてもらおうなんて、男の考えることじゃない。かすかに聞こえた内なる声は、鈴木のやさしい声にかき消された。

 警視庁の裏庭で鈴木を待つ間、薪の中は相反する感情がせめぎ合っていた。
 鈴木に会いたい。彼にすべてを話して、慰めてもらいたい。だけど、それをしてしまったら、僕はまた鈴木に依存する駄目な男に戻ってしまう。
 後戻りしちゃいけない。ここが正念場だぞ、薪剛。
 呼び出した後で悪いけれど、鈴木には会わないで1課に戻ろう。捜査中の事件もあるし、気になっている未解決事件も―― そう思いながらも、薪の足は動かなかった。見えない楔で縫いとめられたように、約束の場所から離れることができなかった。

 執務時間中に職務を放棄しているという罪悪感からか、薪はふと、誰かに見られているような感覚に陥った。周りを見回すが、誰もいない。
 少し気になったが、鈴木が現れると同時に感覚は忘れ去られた。

 顔を見てしまったら、我慢できなかった。
 ここまで全速力で走ってきたらしい鈴木の紅潮した頬と弾んだ呼吸を感じれば、彼の胸に耳を当ててその事実を確かめずにはいられなかった。鈴木の顔を見た瞬間に亜麻色の瞳から溢れ出した感情の発露を隠すためにも、その行動は必要なことのように思えた。

 薪の両手は迷いもなく鈴木の背中を抱き、鈴木の大きな手は薪の背中と髪を撫でてくれた。
 鈴木の胸の温かさを肌で感じるのは、3年ぶりだった。

 あの頃とちっとも変わらない、広くて温かくて、僕を癒してくれる胸。限りなく甘えさせてくれて、我が儘を許してくれて、僕をどんどん弱くする。
 何があってもここへ逃げ込んでくればいい、ここにくれば僕は何度でも生まれ変わることができる、だけどそれは他の誰かのもの。
 でも思い切ることなんかできない、この気持ちを消すことはできない。

 彼とただの友だちに戻って一年、さらに一年。加えてこの一年は顔も見ないで過ごしたのに。想いは少しも変わらず、逢えなかった分だけ切なさを増して。
 放したくない、彼を放したくない。
 このままあの頃みたいに、僕を愛して欲しい。

 迸る涙と感情の渦に流されて、乱れた心がそれを求めたのは一瞬のことだったけれど。この一年の苦労は無駄だったと、薪に悟らせるのには充分だった。

 身体だけ離れても、何の効果もない。僕は今でも鈴木が好き。
 多分、永遠に彼が好き。




*****


 すずまき、さいこー。(あおまきすと??)


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折れない翼(14)

折れない翼(14)





 闇に紛れるようにして道路端に停めてある車の助手席で、羽佐間は一軒のアパートを見張っていた。
「島田のやつ、本当に来ますかね」
 運転席に座った後輩が、ぽつりと溢した。無理もない、この張り込みは4日目だ。羽佐間自身、読み違えたかと自分の勘に疑いを持ってきている。標的の島田という男には情婦が2人いて、羽佐間はこちらに賭けた。
 
 羽佐間班に入ったばかりの新人がコンビニの袋を持って走ってきて、後部座席に素早く乗り込んだ。この新人は所轄上がりで、運転席の後輩よりも年は行ってるが、階級はずっと下だ。
「お待たせしました、どうぞ。羽佐間さん、薪さん」
 袋ごと差し出された張り込みのアイテムを受け取り、薪は自分の膝の上にそれを置く。視線は前方に据えたまま、適度な緊張を保っている。

「やっぱり向こうの女の方へ行ったんじゃないですか?」
 先輩の作戦にケチをつけつつ、生意気な後輩はコンビニ袋を探って中からアンパンと牛乳を取り出した。それを羽佐間のほうへ寄越すと、自分もパンの袋を破り、小さな口を大きく開いて、パンに齧りついた。
「話を聞く分にはよ、島田は絶対にこっちの女に惚れてると思ったんだが」
「いえ、僕が島田なら、あっちへ行きますね」
 小動物のように頬を膨らませてパンを食べながら、紙パックの牛乳にストローを差す。その姿に昔の彼を重ねて、羽佐間は感慨深いものを覚えた。

「どうしてそう思うよ?」
「だって、あっちの女のほうが胸が大きかったですから」
「……おめえ、時々すっげえバカなこと言うのな」
「えっ、どうしてですか? 女の子はまず胸でしょう?」
「なるほど、犯人に付き合っている女が二人いるときには、胸の大きな女のほうを張りこむと」
「吉井、メモは取らんでいい。てか、こいつのバカの証拠を残さんでくれ」
 捜一に入って2年、その若さで警視総監賞を二度も受賞した薪は、所轄の間ではちょっとしたヒーローになっていた。この吉井も、薪に憧れているクチだ。

 薪自身はそれを口にしたことは一度も無かったが、署内報に取り上げられた薪の記事には、彼が国家公務員Ⅰ種試験の首席合格者であること、東大の法学部を首席で卒業したことなどが経歴として記され、ならばこいつは本物の天才だったかと、捜一の仲間たちは改めて彼の飛びぬけた才能を思い知らされた。
 捜一は徹底した実力主義だ。犯人を挙げたものが偉いのだ。よって、捜一の人間で薪を誹謗するものは、今は誰もいない。

「薪。そいつあ何だ」
「何って、牛乳ですけど」
「俺の眼には妙に茶色く見えるが?」
「暗がりだからそう見えるんですよ」
「えっ? 自分は、薪さんにはちゃんとコーヒー牛乳を買って来ましたが」
 ギロッと冷たい眼で薪が後ろを振り向くと、吉井は慌てて口を閉ざした。口止めしてやがったな、この野郎。
「薪、おめえ」
 張り込みの退屈を紛らわすように、どうでもいい小ネタを仕掛ける。長時間の張り込みの間には、こんなことでもなければやってられない。

「何度言ったら分かるんだ? 張り込みには牛乳だって」
「だってキライなんですよ。紙パックの牛乳は特に臭くって」
「なるほど、薪警部は牛乳が苦手と」
「だからメモを取るなって。薪、そんなこっちゃいつまで経っても一人前になれねえぞ」
「刑事としての成長と牛乳に、何の因果関係があるんですか? そもそも牛乳は牛の乳なんだから、本来は牛が飲むものでしょう。僕だって人間の女性のものなら喜んで飲みますよ」
「なるほど、薪警部は巨乳好き、と」
「「メモを取るな! てか言ってない!!」」
 ふたりが一斉に後ろを向き、声を合わせたとき、吉井の目に人影が映った。

「来ました、島田です」
 そっとドアを開けて目的の人物に忍び寄り、猫背に歩くその男の前に羽佐間が回り込む。
「島田敦だな? 向井秀夫さんが殺害された事件について、ちょっと話を」
 羽佐間が威圧的な声を出すと、島田はパッと身を翻し、勢い良く駆け出した。後ろで待機していた薪が素早く足払いを食らわせ、現場の捕り物に慣れた吉井が「21時34分、公務執行妨害で逮捕」と罪状を言いながら手錠を掛ける。じたばたともがいていた島田は、手錠のガチャリという音を聞くと、急に静かになった。

「羽佐間さんの読みが当たりましたね」
「よく言うよ。おめえにだって分かってたろ」
「いいえ。僕だったら、絶対に彼女のところには来ません。一番好きなひとに罪を犯した自分を見られるのも、彼女を厄介ごとに巻き込むのも。僕だったら耐えられない」
「ま、おめえならそうかもしれねえな。だけどよ、世の中そんなに強い人間ばっかじゃねえからよ」
 滅多に言わない賛辞を相棒に投げてやると、薪はそれを喜ぶどころか、困惑した表情になって言った。

「僕は弱い人間ですよ。とても弱い人間なんです」



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折れない翼(15)

 薪さんの身体に女性が触るのは許せない党の方々は、(いつの間にそんな派閥が?)
 こちらはご遠慮くださって。

 広いお心でお願いします。




折れない翼(15)





 犯人逮捕の祝杯を班の連中と空けた後、羽佐間は薪だけを二次会に誘い、強引にタクシーに乗せた。
「後輩が出来たからには、おめえも一人前だ。俺が一人前の男が行く店に連れて行ってやる」
 なんだか嫌な予感がして、薪はその場を逃げ出そうとしたが、羽佐間の太い腕に首を決められて、行くか死ぬかどちらか選べと言われたら、先輩の顔を立てるしかない。

 ほらここだ、と羽佐間に引き摺られて入ったところは薪の予想通り、露出度の多い服を纏った若い女性たちがひしめく、男にとっては楽園のような場所だった。

 薪は、こういう店は初めてだった。
 街で大胆な服装の女の子を見かければ自然に目がそちらに向くが、こういう店には興味がなかったし、大学時代に本当の恋を知ってからは、ますます縁遠くなってしまった。
 席についてお絞りで手を拭き、店の女の子が付いてくれるのを待つ間、薪は物珍しそうに店内を見渡した。いくつかの席に中年の男性がいて、その傍に女性がついて、他愛ないお喋りに興じている。思ったよりも明るい雰囲気で、たまに女性の胸や太腿を触っている客がいたが、それほど濃度の高いものではなく、これくらいならサークルの合コンでも見かけたな、と安心して薪はソファに背中を預けた。

「こんばんは~、羽佐間さん」
「よお」
 驚いたことに、羽佐間の周りには何人もの女の子が寄ってきて、にこやかに笑いかけてきた。羽佐間が女性にモテるとは、事実は小説よりも何とやらだ。
「こいつ、俺の後輩。こういう店は初めてだろうから、サービスしてやってくれ」
 余計なことを、と思いつつ、薪はぺこりと彼女たちに頭を下げる。こういう店から聞き及んだ情報が捜査の局面を開くことが多々ある、その事実を知っている身には、彼女たちに無愛想な態度もとれない。
と思ったのは束の間。

「なに、この子! かっわいい!」
「うっそ、男の子? きっれーい」
「こら、高校生がこんな店に来ちゃダメだぞ」
 口々に叫ばれるNGワードの連発に、薪は不愉快そうに眉をしかめた。

「あのですね、成人男性に向かってそういう言い方は、っ!?」
 一人が薪のネクタイを取り去ったかと思うと、何人もの女の手が伸びて、ワイシャツのボタンを外し始めた。きらびやかなネイルアートが薪の目の前で器用に動き、薪はあっという間に上半身をシャンデリアの光の下に晒す羽目になった。
「きゃあ。顔もきれいだけど、身体もきれい」

 なんだ、この店は!? キャバ嬢じゃなくて客が脱がされるのか!?

 剥ぎ取られたワイシャツで身を隠したい衝動に駆られて薪は、しかしそれをぐっと抑える。男なら、これくらいの事で恥ずかしがってちゃだめだ。捜一に入って1年半、それなりに筋肉もついている。羽佐間の前だし、ここは男の余裕を見せないと。
「まあ、特別なことをしなくても、職業柄自然に鍛えられるって言うか」
 本当は柔道も空手も、吐くほど訓練してきたんだけど。それを言わないのが男のカッコよさってもんだ。

「華奢な肩、かわいい~」
「ウエストほっそーい」
 こいつらには思いやりってもんがないのかっ! 気が付いても言わないでくれるのがやさしさってもんだろ!

「お肌しろーい、すっべすべ~~」
「きゃーん、可愛い乳首~。ピンク色で赤ちゃんみたい~、キスしちゃお」
「ちょっ、やめ……!!」
 遠慮の無い手にベルトを抜かれて、スラックスのボタンを外された。細い女の手とはいえ、何人もの力が合わさると、それはやはり大きなエネルギーを生み出すものだ。薪の体を簡単に持ち上げ、下着一枚のみっともない格好にして、ソファの上に容易く転がすほどの。

「きれいな足~、モデルみたい~~」
「スネ毛ないのね。ちゃんと脱毛してるんだ」
「内股なんかすべすべよお。ほらほら、触ってみて」
 両足を押さえつけられて、膝から上を何人もの手が這い回り―― なんだ、このセクハラ軍団はっ!

「何するんですかっ、止めてください!!」
 必死で叫ぶが、薪の抗議の声などどこ吹く風。
「コレも脱がしちゃえ~~!」
「きゃー、かわいいお尻~、プリップリしてる~!」
「わ―――――っっ!!!」
 男の余裕はどこへやら、薪はとうとう悲鳴を上げた。必死で下着を押さえて、羽佐間に助けを求める。

「助けて、助けてください、羽佐間さんっ!!」
「いいじゃねえか、見せてやれよ。減るもんじゃなし」
「イヤです、僕はみなさんのオモチャじゃな、きゃ――――っ!!!」
 文字通り身ぐるみ剥がされて、したたかなキャバ嬢集団にさんざんオモチャにされ、やっと解放されたときには、薪にはプライドのカケラも残っていなかった。

「もうやだ……女の人、こわい……」
 二度とこういう店には来たくない。こんな辱めを受けるくらいなら、キャバクラもスナックも知らなくていいっ!
「てめえがヘンに恥ずかしがるから、構われるんだよ。シャツ脱がされたくらいで、頬染めてちゃダメなんだよ」
「僕なりに頑張ったんですけど」
「まあ、おめえは正直だからな。思ってることが直ぐに顔にでる。でもなあ、薪坊。俺たちの職業には、心を表に出さない訓練ってのが必要なんだよ。俺たちを騙くらかして罪を逃れようとする連中の相手をするんだ、真っ向勝負ばかりじゃ通用しねえ。因果な商売だよ」
「……羽佐間さん、説得力ないんですけど」
 キャバ嬢の胸もみながら、ニヤけたツラで諭されても。

 ソファの陰でコソコソと服装を整えて、もうこのまま帰るまでここに隠れていたいと言う思いと、かつて経験したことのない恥をかいたことに対する羞恥でうずくまったまま立ち直れない薪の肩に、気安く女の手が置かれた。
「ほらほら、マキちゃん。飲んで飲んで」
「あ、僕、あんまりお酒強くなくて」
「や~~ん、どこまでかわいいのお? もう、あたしの妹にならない?」
「そうね。フリフリのドレスとか、似合いそう」
「ゴスロリとか。ね、姉妹ルックでアタシと歩きましょうよ」
「飲みますっ! 日本酒ガンガン持ってきてください!」
 ここで飲まないとまた女の子扱いされて、この人たちに掛かったら次は衣装まで取り替えられてしまうかもしれない。性根を据えて飲もうとして、しかし先刻の居酒屋でも飲んできた薪はすぐに酩酊状態に陥って、半時もしない間に隣に座った女の子の膝枕で健やかな寝息を立てていた。

「かわいい寝顔。天使みたい」
「それでいて、イロケもあるのよね。不思議」
「ねえ、この子ってさ。絶対にあっちの経験、あるよね」
「ミキもそう思った? 何となく分かるのよね~、こういう雰囲気って」
「まあ、この容姿なら仕方ないんじゃない?」
「この子も本当は、男の方が好きだったりして」
「ていうか、すっごく似合うんだけど、それ! 萌える!」
「あんた、腐女子だったの?」
 女の子たちの姦しいお喋りを止めたのは、気に入りのキャバ嬢の太腿に手を置いた羽佐間だった。

「失礼なこと、言うんじゃねえよ」
 やわらかい肉から手を離し、卓上のウイスキーのグラスを手に取る。ロックの氷がいい具合に溶けて、羽佐間の口中を心地よく刺激した。
「昔のことは知らねえよ。でも、今のこいつは立派な男だ。俺が保証してやらあ」
 羽佐間が目を細めて笑うと、女たちは素直に口を結んだ。
 タフでやさしくて、何よりも自分たちを蔑視しないこの男を、彼女たちは信用していた。その信用は、接客業の彼女たちに時として背信行為を行わせるほどに大きなものだった。

「で、そろそろ本題だけどよ。この店に出入りしてる坂本って男のことだが」
 眠ってしまった後輩の横で、胸ポケットから出した写真をテーブルに置き、羽佐間は事件の情報を収集し始めた。



*****


 一度書いてみたかった、女の子の集団に弄ばれる薪さん。
 あー、楽しかった☆


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折れない翼(16)

折れない翼(16)






 情けなくも酔いつぶれた後輩を背負って、羽佐間は夜の歓楽街を歩いていた。最後の追い込みが効いたのだろう、何度揺すっても起きないから、仕方なく担いできたのだ。
 けばけばしいネオンが輝く通りで、キャバレーの呼び込みが声を張り上げ、看板娘が愛想を振りまいている、享楽的で猥雑な街並み。羽佐間の妻のような普通の女性には無縁の、汚らしささえ感じるであろうその場所を、しかし羽佐間はとても人間らしい空間だと認め、そこに生きる彼らを愛しいと思っている。
 
 羽佐間の背中で、後輩が「ううん」と唸り声を上げた。眼が覚めたらしいが、どうせ足に来て歩けまい。羽佐間はそのまま、薪を背負って駅への道を歩き続けた。
「薪坊。ちゃんとメシ食ってんのか? 店の女の子より軽いぜ」
「羽佐間さんの呼び出しがもう少し減ると、食事の時間も取れるんですけどね」
 背負ってもらっているくせに、口の減らないやつだ。
 羽佐間がそんなことを思っていると、薪は急に口調を改めて、羽佐間に礼を言った。

「羽佐間さん。さっきはありがとうございました」
「ああ?」
「立派な男だって言ってもらえて。嬉しかったです」
「なんだ、起きてやがったのか」
 狸寝入りだったのか。案外したたかなやつだ。
 そういえば、と羽佐間は薪が捜一に来たばかりの頃を思い出す。あの頃の薪は表情に乏しくて、人形みたいなやつだと思っていた。ポーカーフェイスも演技も、その場に応じて使えるやつなんだ。
 だた羽佐間の前では、特に職務以外では、もうそれは必要ないと、薪はそう思っているのだろう。

「おめえは見た目がそんなんだから、からかう連中も後を絶たねえだろうけどよ。気にするこたあねえ。言いたいやつには言わしときゃいい。それが男ってもんよ」
「いいえ、駄目です」
 捜一の中にも、薪の容姿を揶揄する輩はいる。軽い口調で言われるそれを、薪は全力で否定する。薪がむきになればなるほど相手はエスカレートして行くのだが、決して薪を蔑んでいるわけではない。むしろ親愛の情と言ったところだ。が、薪には我慢がならないらしい。

「僕のそんな噂を悲しむ人がいますから」
「オンナか?」
 お約束の言葉で冗談に紛らそうとして羽佐間は、背中に感じる薪の息苦しくなるような抑えた呼吸に、ここは逃げてはいけないところだと本能で察する。

「違うな。昔のオトコってとこか」
 あのクソのような週刊誌記事を読んだ後、薪が素の自分を曝け出した相手。一部始終を見ていた羽佐間には、薪の悪い噂を悲しむ人の正体が分かっていた。
「あいつか。背の高い、黒髪の……悪いな、立ち聞きと覗きは職業病でよ」
 薪は、羽佐間の言を否定しなかった。
 短い沈黙の後、控えめな声で、
「やっぱり羽佐間さんだったんですか。誰かの視線は感じてたんですけど……あの時は何かもう、どうでもよくなって」
 自嘲するように笑って一息つくと、羽佐間の背中に顔を埋めたまま、とつとつと語り始めた。

「彼を好きになったことを後悔するつもりはありません。でも、身体の関係は、持つべきじゃありませんでした」
 それは多分、ずっと昔のことなのだろう。少なくともこの一年、薪にそういう相手はいなかった。相手が男だろうと女だろうと、いれば分かる。好きな相手と一夜を過ごした翌日の人間の顔は、どこかしら満ち足りているものだ。

「同じように否定しても、身に覚えがあるのとないのでは、相手への伝わり方が違います。人の嘘を見抜くことに慣れている先輩方には、通用しないと分かっています」
「若いころのしょっぱい経験なんざ、誰にだってあらあな。若気の至りって言ってな」
「違います、そんな軽い気持ちで彼に抱かれたわけじゃない。先輩たちが言うような、いやらしい気持ちからでもありませんでした」
 静かな、でも強い口調で反駁されて、羽佐間は口を噤んだ。

「僕は真剣に彼を愛していて、彼のすべてが欲しかった。だから彼を抱きたかったんです。でもそれは僕の一方的な想いだったから。その気持ちを押し付けた上に、彼の身体まで傷つけるわけには行かなかった。だから受けるほうを選んだだけで、生まれつき男に抱かれるのが好きだったわけじゃありません」
 それは分かっていた。
 薪は基本的にはノーマルな男だ。羽佐間の知り合いにも何人か男しか愛せない男がいるが、薪と彼らは根本的に違う。薪は初心だが、女性の身体にはちゃんと興味を示す。同性愛者にはありえない反応だ。

「人に蔑まれるようなことをしたとは思ってません。それでも……彼とのことは、忘れなきゃいけないと思ってます」
「別にいいじゃねえか。何も忘れるこたあねえよ」
「彼とは今でも友だちなんです。おかしな噂が流れたら、彼にまで迷惑がかかる。それが辛いんです」
「かあ、見る目がねえなあ。それくれえのことでガタガタ抜かすような腑抜けなのか? おめえが惚れた男はよ」
 背中の後輩が、ハッと息を呑んだのがわかった。言葉を失くした後輩に、羽佐間はやさしく言った。
「おまえらは好き合ってねんごろになったんだろ。恥じることなんか、何にもねえよ」
 羽佐間はワイシャツの左の背に、温かい液体が染み込むのを感じた。ぎゅっと押し付けられた薪の顔が、微かに震えていた。





 数々の殊勲を立てて、羽佐間が新宿南署の強行犯課長として栄転になったのは、それから1年後のことだった。
 薪はそのとき25歳。何の障害もなく警視に昇任した薪は、羽佐間からの推薦と班全員の意向に副って羽佐間から班長を引き継ぎ、捜査一課第4班羽佐間班は、薪班へと名称を変えた。




*****


 うちの薪さんが男らしさに拘る理由って、結局これだったりして。
 鈴木さんに相応しくなりたいとか、迷惑掛けたくないとか、そんなことを考えて男らしくなろうと努力するうち、次第にそれがエスカレートして行って、現在のような暴力オヤジが出来上がったと☆
 薪さん、どんだけ鈴木さん好きなのよ?(笑)


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折れない翼(17)

 ラストです。
 読んでくださったみなさま、ありがとうございました。




折れない翼(17)





 羽佐間が案内してくれた店は、K署に近い小料理屋で、刺身と日本酒が美味い店だった。さすが海を抱いた千葉県だ。刺身の鮮度は東京の比ではない。
「ほう。いけるようになったじゃねえか」
「羽佐間さんには敵わないです」
 何が昔ほど飲めるわけじゃない、だ。昔とちっとも変わってないじゃないか。
 羽佐間は相変わらずの酒豪だった。あの頃に比べたら酒宴の付き合いも増えた現在、自分もかなり飲めるほうになったと思っていたが、羽佐間の方が数段上だ。

「よし。じゃあ次は、カワイコちゃんのいる店に繰り出すか」
「す、すいません。一身上の理由で、羽佐間さんの好きなキャバクラはちょっと」
「なんだ。ユッコちゃんは、どっかの馬の骨に取られちまったんだろ?他に操を立てるような相手がいるのか」
 いる。
 しかも、ものすごくタチの悪い相手が。しかし、それはここでは言えない。

「実は警視監昇任の話があって。監査課にばれるとまずいんです」
 監査課に知れると拙いのは本当だが、薪が恐れているのはそこではない。薪の現在の恋人にバレたりしたら、ベッドの中でどんな目に遭わされるか。考えるだけで恐ろしい。
 こないだなんか、新しく第九に来た新人にMRIマウスの手ほどきをしてやっただけなのに、何を思ったのか朝までネチネチと……ワイシャツに口紅なんか付けて帰ったら、三日三晩やり倒されそうだ。

「ふーん。キャバクラくらい許せねえような了見の狭い相手なんざ、俺ならゴメンだが」
「すごくヤキモチ妬きなんですよ。僕がちょっとでも他の人間と、って、違いますよ! 監査の話をしてるんじゃないですか」
「ま、当人同士の問題だからな」
「違いますって!」
「薪。上に行きゃあ、嘘をつかなきゃならねえことも多くなるだろうから、教えといてやる。ウソ吐くときに、瞬きの数が多くなるんだよ、おめえは。ちょっと鋭いヤツにはすぐにバレるぞ」
「羽佐間さんが鋭すぎなんですよ……」

 その時、何度目かの着信が薪の胸ポケットを振るわせた。小池からだ。何か、新しい画が見つかったのかもしれない。
「薪だ。うん、じゃあ調べろ。前科者リストと照合するんだ」
『調べるって、全員ですか?』
「当たり前だろ。そこに共犯者が映り込んでるはずなんだから」
『だって500人は下らないですよ? 顔写真だけで照合するとなると、スキャンシステムを使っても、大変な作業で』
「なに寝言言ってんだ、バカヤロー! 1000人いようが2000人いようが、照合するんだ。さっさとやれ、今夜中にだ!!」
 ムリですよ~、という小池の泣き声が聞こえてくる。さすがに可哀想か。
 厳しくするばかりが指導ではない。アメとムチを上手く使わないと。
 よし。ここはひとつ、優しい声で激励してやろう。

「小池。おまえなら出来る。大丈夫だ、きっと見つかるから。おまえの実力なら、今夜中に報告書まで作れるんじゃないか?」
 突然聞こえた猫なで声に、電話口の相手が沈黙する。ここで、とどめだ。
「僕が帰ったときに出来上がってなかったら、どうなるか解ってるな?」
 がしゃん、と耳障りな音が聞こえた。小池が携帯を取り落としたのだ。
 真っ青になった部下の顔を想像して、薪はウキウキするような気持ちになる。小池を苛めるのは、けっこう楽しい。

『薪さん。あんまり意地悪しちゃダメですよ。小池さん、涙目になってましたよ』
「嬉し泣きだろ、きっと。やさしく励ましてやったから」
 小池の携帯電話から別の部下の声が聞こえてきて、薪は驚きつつも平然と答える。室長のお気に入りの部下に向かって、何とか取り成してくれ、と頼む小池の姿が目に浮かんだ。

『今夜は、そちらにお泊りになるんですか?』
「ああ」
 言いかけて、今日が金曜の夜だったことに気付く。明日は出張で大阪まで行かなくてはいけない。今週はもう、会えない。
「いや、帰る。遅くなるかもしれないけど、帰るから」
『わかりました。部屋でお待ちしてます』
「うん……」
 携帯電話に残る声の余韻を惜しむように、薪はフラップを閉じた。脳髄に木霊する、彼の声の甘さを感じる。多分今夜はどれだけ遅くなっても、青木は僕を待ってる。それからきっと、朝まで放してくれない。

「ヤキモチ妬きの恋人からか?」
 まずい。自然に口元が緩んでいたのを、羽佐間に見られただろうか。
 薪は咄嗟に室長の顔を取り繕った。
「違いますよ。部下です。捜査の進捗状況を連絡するように言ってあったんです」
「おまえの相手って、本当に自分の部下なのか。また、ヤバイ橋渡ってんなあ」
「違いますってば!」
 相変わらずひとの話を聞かない人だ。

「仕方ねえなあ、今日はここで引き上げるか。おまえも早く、帰りてえんだろ?」
「いえ。お付き合いしますよ」
「電話の相手が、部屋で待ってんだろ?」
「え!? なんで聞こえ……あっ」
 しまった。引っ掛かった。羽佐間お得意の誘導尋問だ。

 薪は白旗を掲げた。
 むかし、鈴木に思いを寄せていたことも、このひとには知られてしまっている。現在の薪の恋人が男だということも、第九の部下だということも、先刻の会話でわかってしまったのだろう。
 それでも、羽佐間の自分を見る目に変化はない。昔もそうだった。知られたらお終いだと思っていたのに、羽佐間との関係も捜一での薪の立場も、何も変わらなかった。
 羽佐間匡という男は、人間的にも捜査官としても、とても尊敬できる先輩だった。

 羽佐間の撤収命令に、薪は清算を済ませて店を出た。通りに向かって手を上げる。タイミングよく流れてきた一台のタクシーを停めて、羽佐間の身体を後部座席に乗せた。
「おめえは?」
「駅まで2,3分ですから。歩きます」
「そうか。じゃあ、ここでお別れだな」
「はい。羽佐間さん。色々ありがとうございました。今日は楽しかったです。また、一緒に飲みましょう」
「おうよ。今度はおまえのお気に入りの部下も、一緒にな」
「……はい」
 完全に、バレてる。

 薪の気まずそうな顔を見ながらニヤニヤと笑う、警察機構に一生を捧げた誇り高い男の退官を、薪は最敬礼で見送った。



―了―


(2010.8)



 冒頭にも書きましたが、このお話は、わんすけさんに捧げます。
 思ったよりも地味な話になってしまって、喜んでもらえたかどうか、かなーり不安なんですけど~(^^;
 すみません、感謝の気持ちだけでも受け取っていただけたらうれしいです。

 わんすけさん。
 今まで、たくさんの楽しい記事をありがとうございました。
 お腹痛くなるくらい、顔の筋肉が引き攣るくらい、いっぱいいっぱい、笑わせてもらいました。 

 これからも、コメント欄でお喋りしましょうね。
 よろしくお願いします。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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