未来への弁証(1)

 こんにちは。

 こちら、『スキャンダル』と『女神たちのブライダル』の後日談です。
 サードインパクトに向けて、青木くんの気持ちの整理をつけてます。 騒動は起きません。
 前作もそうだったんですけど、次の話もけっこう破壊力(?)の強い話だから、間にこれを入れて緩和しようかなって。 
 ……姑息。


 よろしくお願いしますっ。





未来への弁証(1)





 落としたてのコーヒーの香りが充満するキッチンで、青木はコーヒーサーバーを手に取った。
 サーバーの注ぎ口から黒色の液体が流れ、白いマグカップに抱き取られる。静かに嵩を増す黒と白のコントラストが7対3の割合になったところで手を止め、2つ目のカップに残りのコーヒーをざっと流し込んだ。これは自分用なので、注ぎ方も大分いい加減だ。

「薪さん、コーヒー入りましたよ」
 両手にマグカップを持ってリビングに入り、ソファにいた恋人に声を掛ける。うん、と生返事を返した薪は、DVDのジャケットを熱心に見ている。山と積まれたDVDは、ここに来る途中青木がレンタルショップで借りてきたものだ。
「う~ん、どれもこれも色気が足りないな。女の子の裸がバンバン出てくるビデオとか無かったのか?」
「アダルトビデオはご自分の会員証で借りてください」
 さらっと切り返してコーヒーを手渡す。薪の顔に似合わないエロオヤジ発言には、もうすっかり慣れっこだ。

「オレのお勧めはですね、こちらです」
 そう言って青木が手に取ったのは、少し前に話題になった海外ドラマだ。辛口批評の得意な宇野が素直に面白かったと言っていたから、これは薪も喜ぶだろうと思って借りてみた。薪と宇野とは、けっこう好みが似ているのだ。
 青木の手元を見る亜麻色の瞳が、興味深げにくるめいている。ジャケットに書かれた宣伝文句とアクションシーンのカットに、口角が上がる。しかし、天邪鬼が専売特許の薪が、素直に面白そうなんて言うはずがなかった。
「不届きなドラマだな。牢破りなんて」
 なるほど。警察官としては複雑かもしれない。

「でも、このお兄さんは無実の罪で、で、こっちの弟がそれを救うために刑務所の見取り図を手に入れて」
「弁護士立てて、無実を訴えればいいじゃないか」
「それが、これは国際的な陰謀が絡んでいてですね、警察もみんなグルで、一個人の力じゃどうにもならなくて」
「警察官の僕たちが、そういうドラマ見て盛り上がっていいと思ってるのか?おまえには警察官の良識ってもんがないのか」
 大きな亜麻色の瞳が半分に眇められて、青木を横目で見ている。最近ますます艶めいてきたくちびるが意地悪そうに微笑んで、これはいつもの薪の言葉遊びだと青木に教える。

「ル○ン三世大好きなくせに……じゃ、別のにしますか」
「見ないとは言ってないだろ。さっさとかけろ」
 自分勝手な恋人に苦笑して、青木はDVDをデッキにセットする。薪はソファの座面に片足を載せて、くつろいだ表情でリモコンを押した。
 青木が隣に座ると、当たり前のように薪の手が伸びてくる。口では何のかんのと言いつつ、一緒にテレビを見るときには自然に手を重ねる。意地悪と甘えん坊が同居している薪の性格は、とても複雑だ。

「あっ、後ろから追っ手が来てる! 早く逃げないと」
 気乗りしなさそうなポーズは最初の数分だけで、すぐに物語の世界へ入り込んでしまった薪は、ビデオがスタートして30分後にはすっかり主人公たちの味方になっている。両の拳を胸の前で握って、小声で画面にエールを送っている。身を乗り出すようにして画面に見入る姿に、青木は思わず笑いを洩らした。
 このひとは年の割りに無邪気なところがあって、時々、普段の冷静な仕事振りからは想像もつかない姿を見せてくれる。青木にとってそのギャップはたまらない魅力に思えて、薪から離れられない要因のひとつになっている。

「ああっ、あいつ裏切りやがった! だからあの時、殺しときゃよかったんだっ」
 ……警察官の良識はどこへ?
「やったっ、逃げ切った! 見ろ、あの刑務官の口惜しそうな顔。ザマーミロ!」
 …………もしもし、警視長殿?
 ビデオより、薪を見ていたほうが面白い。今日の薪は大好きな犬と遊んでいるときのように、楽しそうな顔をしている。

 二時間半の逃走劇が終わって、青木はコーヒーのお代わりを淹れに立つ。リビングに戻ると、薪が次の上映作品を選んでいる。今日は一日、ビデオ三昧のつもりらしい。

 ……休日に、昼間から家の中でDVDなんて薪らしくない。
 室内でモニターばかり見ている職業だから、オフの日は画面を見たくないのが人情というものだし、天気が良ければ太陽の下で活発に動き回りたくなるのがひとの本能というものだ。今日のように秋空が眩しく晴れ上がった休日なら、薪の好きな動物系のテーマパークに出かけるのが定番だ。
 先月、あんな写真が届かなければ。

 あの写真のせいで、薪は身が細るほど悩んで悩んで、でも。
 絶対に別れない、と言ってくれたことがとてもうれしかった。

 しかし、それに応じられるかどうかは犯人の出方による。小野田に預けてある書類が表に出れば、自分は薪と一緒にはいられなくなる。

「薪さん。オレがもし、犯罪を犯したらどうします?」
 隣に腰を下ろして、何気なく訊いてみる。薪が本音を言うとは思わないが、一応念のためだ。
「自首させる」
 迷いもせず、簡潔に答える。青木の好きな潔い口調。
「逃げたら?」
「草の根分けても探し出す。絶対に見つけて、僕が手錠かけてやる」
「警官の鑑ですねえ」
 実に薪らしい答えだ。ここまでは百点満点だ。

 薪は青木の手からコーヒーを受け取ると、ソファに深く座り直した。カップに口をつけ、ゆっくりとすする。
「その代わり、待っててやる。おまえが罪を償ってくるまで、ずっと」
 おっと、減点です。マイナス20点。
「それはやめてください」
 青木の隣で伏せられていた長い睫毛がぱっと開き、亜麻色の瞳が青木の顔を映す。びっくり眼のあどけない顔を、あとどれくらい見ていられるのだろうと不吉な予感を覚えながら、青木はにっこりと笑った。

「オレが刑務所に入るようなことがあったら、薪さんは素敵な女性を見つけて、結婚なさってください」
「なに言いだすんだ? 急に」
「約束してください」
「できない」
 マイナス30点。しかし、まだ合格圏内だ。
「どうしたんだ? 刑務所に入る予定でもあるのか。だったらこの場で白状しろ。洗いざらい自白(うた)っちまえ」
 捜一時代のクセで、容疑者を自白に追い込むときには言葉が荒くなる。上品そうなのは見掛けだけで、薪はけっこう刑事という荒っぽい職業に向いているのかもしれない。

「先日の写真のことが気になってます」
「バカ! どんな外道でも、殺したら殺人罪だぞ。あんな人間のクズのために人生棒に振る気か」
「……いや、間宮部長を殺す気なんかないですから」
 お得意のカンチガイにがっくりと肩を落として、その先の言葉を失ってしまった青木に、薪はくすくすと笑って、
「大丈夫だって言っただろ。あの写真のことなら、僕がきっちりカタをつけたから。おまえは何も心配しなくていい」
 なんだ。分かってたのか。

 官房室に写真が送られてきてから、すでに2ヶ月が過ぎた。何事も起こらないところを見ると、薪の言うことは青木を安心させるための嘘ではないらしい。
 だが、青木の胸には不安が残っている。自分たちのことが他人に知れたら、公私共に薪は大きなダメージを受ける。あの事件は、そのことを青木に思い知らせた。

「でも、オレが女性だったら、あそこまで問題にならなかったわけだし。今日だって、本当は外に出たかったでしょう?」
 自分と付き合っている限り、薪の人生に平穏はない。
 いつばれるかビクビクしなければならないし、職場の近辺では会えない。身体の関係がなかったときにはできたことが、今はできない。
「堂々と表に出られないし、いつも気を張ってなくちゃいけないし」
 知り合いに会うかもしれない場所では、普通の男女みたいにデートなんかできないし、レストランで食事をするのも躊躇われる。例え見知った顔がいなくても、他人に自分たちの関係が見透かされているようで落ち着かない。なんだか逃亡中の指名手配犯みたいだ。

 こんな状況が楽しいわけはない。
 自分は薪とふたりでいられればうれしいけれど、薪にしてみたらまるで楽しみがない生活だ。つまらないうえに危険ばかり多くて……将来を秤に掛けられるほどに自分との関係が薪にとって大切なものかといえば、そんなことはないに決まっている。薪の実力ならもっと上にいけるはずだし、上司の娘との縁談を進めていれば、今頃は警察庁初の40前の警視監が誕生していたかもしれない。
 それが自分のせいで。
 鈴木さんもきっとそんなことを考えて、このひとから身を引いたのではないだろうか。でなければ、あのラストカットの意味がわからない。

「そう考えると、やっぱり女性と付き合ったほうが薪さんだって楽しいでしょう。恥ずかしい思いしてAV借りてこなくても、女の子の裸がバンバン見られますよ」
 胸に痛いセリフを冗談のオブラートに包んで、青木は無理に笑った。引きつってる、と自分でもわかったが、仕方がない。ポーカーフェイスは苦手だ。
 引き換え、薪のポーカーフェイスは完璧だ。青木の言葉に怒るでも笑うでもなく、感情の篭らない瞳で青木をじっと見据えた。

「おまえは?」
「オレは……あなた以外のひとなんか」
 見えない。
 もうずっと前から、このひと以外目に入らない。

 薪は青木からすっと目を逸らし、手に持ったDVDをデッキにセットした。テレビの前に座って華奢な背中を見せたまま、画面に向かっていつもの意地悪な口調で言った。

「おまえが刑務所に入ったら、僕はずっと待ってる。死ぬまでひとりで待ってる。でもって、すごく淋しい死に方してやる。ひとりで孤独に死んで、誰にも見つけられずに1月くらい経って、おまえの苦手な腐乱死体になってやる」
 床に正座した薪の背中はピンと伸びて、昂然と頭を上げて、でも細い肩が強張っている。小さな拳が膝の上で、ドラマの主役のピンチを応援するときのように握られている。
「僕にそんな死に方させたくなかったら、刑務所に入らなきゃならないようなことなんかするな」
 ダメだ、薪の解答は0点だ。そして自分も。

 薪の言葉が終わらないうちに、青木は彼を後ろから抱きしめていた。
 片手に余るほどの細い身体。こんなに頼りない身体なのに、薪はとても強い。ケンカも強いが、精神的にも。傷ついても凹んでも、立ち直れるだけの強さを身につけてきている。薪が自分を必要としなくなる日も、近いのかもしれない。

「気をつけます」
「心掛けだけで犯罪が防げるなら苦労しない。きちんと対策を立てて、予防策を取らないと」
「予防?」
 薪の言葉の意味が解らず、青木は瞬きを繰り返す。犯罪の誘惑に負けない精神力を養うために山寺へ行って修行して来い、とか言われたらどうしよう。

「どうせおまえの場合、無銭飲食か性犯罪だろ? 食事はさっきしたからいいとして、もうひとつの方が心配だな」
 青木の腕を緩め、その中で身体を反転させてこちらに向き直ると、薪は両腕で青木の首に摑まり、膝の上に乗ってきた。
「おまえみたいな単純な人間は、満たされてりゃ犯罪なんか起こさないだろ」
 薪の誘い文句は回りくどくて捻くれてて、でもその瞳は限りない愛情に満ちていて。少しだけ赤らめた頬を見れば、こういうことを自分から言い出すのが何よりも苦手な彼が、しょぼくれている青木を元気付けるために普段は好まない昼間の情事を申し出てくれているのだとわかる。

「はい。薪警視長のプロファイリングは完璧です」
 茶目っ気たっぷりの口調で言って、くちびるを重ねる。薪のくちびるからは、ブラジルサントスの香りと苦味がする。初めてのキスもこんな味だったな、と青木は思い、すぐに否と思い直す。
 あの時はこんなふうに、薪の舌は自分の中に入ってこなかった。くちびるも呼気も、もっと固くて冷たかった。くちびるを離したときに、瞳が熱っぽく潤むこともなかったし、その後こうして青木の胸に額をつけることもしなかった。あの時は……派手に殴られたのだ。

「何がおかしい?」
 クスクスと笑う青木に首を傾げる恋人を抱き上げて、青木は寝室の扉を開けた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

未来への弁証(2)

未来への弁証(2)







 激しくて甘い時間が過ぎて、ゆっくりとたゆとう時間が訪れる。
 青木の恋人は、眠りについたところだ。満足気な顔で、幸せそうに寝息を立てている。

 青木はベッドの上に身を起こして、少し不満そうな顔でその寝顔を見つめている。
 亜麻色の髪とやさしい眉。長い睫毛と小作りな鼻。それから青木がいちばんの魅力を感じているつややかなくちびる。どこまでもきれいで清らかで。ついさっきまで自分の腕の中で乱れまくっていたひととは別人みたいだ。

 このひとは行為のあとすぐに眠ってしまうクセがあって、ひどいときにはその最中でも寝入ってしまう。青木はまだ若いので1度や2度では満足できないが、薪は今年で40になる。一度すれば充分とばかりに、青木を受け入れたまま自分だけイッたかと思うと1分もしないうちに眠りに落ちていたという、青木にとっては生き地獄のようなことが今まで何度あったことか。
 それでも惚れた弱みで無理強いすることもできず、じっと我慢している自分の健気さに時々涙が出そうになる。 とにかく、ぞっこん参っている。心を奪われている、などと生易しいものではない。風速40mのハリケーンに引きずり込まれて、何もかも剥ぎ取られていく感じだ。

 自分勝手でわがままで、へそ曲がりで頑固で……自分の好みとはかけ離れたひとだということに気づいたときには、もう遅かった。好きになってしまった後だった。好きな人のことは何でも許せてしまう青木の性格のせいで、薪はどんどん増長した。今では青木はすっかり薪の言いなりで、恋人というよりは奴隷である。

 つれない恋人にため息を吐きつつも、青木はいつものようにパジャマを薪に着せてやる。
 暴君の身体を起こし、片袖を通そうと細い腕を持ち上げたとき、薪は目を開けてぼんやりと青木を見た。不満が表れてしまったのか、起こし方が少し乱暴だったかもしれない。
「すいません。起こしちゃいました?」
 青木は薪の前ではいつも謝っているような気がする。とても恋人同士とは思えない。
 薪の眼はいつも居丈高で上から目線で。でも、職場でも上司だし12歳も年上だしで、青木が薪より上位に立つことなど何一つないのだから仕方がない。

「あおき」
「はい?」
 薪は、大きな目を半分だけ開いて青木を見ている。これは完全に寝ぼけている。
「僕は……いまのままでいいから……」
「ダメですよ。風邪ひいちゃいます」
 風邪をひいたら、このひとは必ず青木のせいにする。
 おまえがあんなことをするから、と責められて、冬の間は禁止だ、と3週間くらいさせてもえらえなかったこともある。あの事態だけは避けたい。

「いいんだ……このままで、じゅうぶん……しあわせ……」
 そりゃあ薪は1回すれば満足なのだから、幸せなのだろう。でも青木はぜんぜん足りない。
「薪さんはいいですよね。淡白で」
「なんにもいらない。おまえだけいればいい……」
 それだけ言って、また眠りに戻ってしまった。まったく勝手なひとだ。

 ……これだから、離れられないのだ。
 時々こうして、青木の心をわしづかみにするようなことをする。
 それは今のような寝言だったりベッドの中で見せる表情だったり、薪お得意の勘違いによるおかしな行動だったりするのだが、どれも計算してのことではないからいっそ忌々しい。このひとは表面はぶっきらぼうだけど、本当は自分のことを大事に思ってくれているのかもしれない、などと考えてしまったらもうお終いだ。ますます好きになってしまう。どんな意地悪もかわいく思えてしまう。そしてイジメはどんどんエスカレートする。悪循環である。

 いつものループにがっちりはまったところで、青木は堪えきれず苦笑する。
 きれいな寝顔が急に愛しくなって、激しくくちづけたい衝動に駆られる。でもそれを行動に移したら、寝ぼけた薪に張り飛ばされる。すでに何度も体験済みだ。

 あとどれくらい、この虐げられる幸せは残されているのだろう。
 これから先、薪に運命の女性が現れて、彼女と人生を歩むことになったら。自分は身を引かなくてはならない。

 青木は自分の立場を、正確に理解している。
 薪は今、自分の人生を立て直そうとしている。あの事件のせいで狂ってしまった人生を、元の輝きに満ちたものに戻そうとしている。それには精神的なリハビリが必要で、そのために青木を側に置いてくれている。
 目的がリハビリならば、事件のことを知り、薪のことを知り、鈴木に対する恋情まで全部心得ている自分が最適だと思ったのだろう。それで自分を受け入れてくれたのだ。薪の「努力してみる」という言葉の裏には、青木には計り知れない様々な思惑があったのだ。

 3年付き合って解ったが、薪は、男に抱かれるタイプでも男を好きになるタイプの男でもない。鈴木のことがあるから誤解を受けがちだが、このひとは当たり前に女性が好きなのだ。街中で大胆に肌を露出している女性がいれば自然にそちらへ目が行くし、かわいい女の子にぼーっと見蕩れていることもある。
 男としての能力に欠けるわけでも、女性を愛せないわけでもないのだ。あの事件さえなければとっくに結婚して、今頃は可愛い子供もいたかもしれない。

 だけど、今はまだ不安定な時期で。誰かに支えて欲しがっている。
 だから薪が充分に立ち直り、ひとりで歩けるようになったら。そこで青木の役目は終わりだ。

 その日が来るのを、青木は怖れてはいない。
 薪のような人間を一生恋人にしておけるなんて、自惚れたことを考えてはいない。このひとの誇りに満ちた人生の一部分に貢献できただけでも、自分には過ぎた幸せだと思っている。
 
 青木はずっと、薪のことを自分の手で幸せにしてあげたいと思ってきた。
 薪は見かけより強くない、むしろ精神的には弱い人間だと決め付け、彼を一生支えていきたいと――― しかしそれは、ひどく傲慢な考えではないかと最近になって気付いた。
 薪が脆いと思っていたのは自分の都合のいい誤解で、もともと強いひとだったのかもしれない。青木と会ったばかりの頃は、あの事件からまだ半年くらいで、薪のこころに深い傷が残っていた。このひとには誰か支えになる人間が必要だと思い、それは自分でありたいと願って、嫌がる薪を口説きまくって恋人関係に持ち込んだけれど。

 今回のことも、薪は自分ひとりで解決し、ひとりで立ち直った。青木は何もしていない。写真が送られてきたのが官房室宛だったため、青木には聞かせられない事情もあるのだろうが、事件の顛末についても詳しいことは話してくれない。ただ、心配ない、大丈夫だと繰り返すだけだ。
 それを寂しいと思ってしまうのは、自分のエゴだ。薪に立ち直って欲しい、昔の笑顔を取り戻して欲しいと願いながらも、いつまでも自分に頼って欲しいと思うのは間違っている。

 薪の未来に、自分は必要ではない。人生を立て直した薪に必要なのは、生涯を共にできる相手だ。男の自分にそれが難しいことくらい、青木にも分かっている。
 自分が薪の傍に、未来永劫居続けることは許されない。それは薪の輝かしい将来に影を落とすことになる。警視長になって、官房室への転属も内々にではあるが確実なものになって、薪の前には再び光に満ちた道が開かれたというのに、そこに暗雲を呼ぶような真似をするなど、あってはならない。

 静かに過ぎていく日常の裏側で、確実に刻まれる別離へのカウントダウンを聞きながら。
 あと何回こうして薪と愛し合えるのだろうと、切ない思いに身を切られるような痛みを覚えながら。
 青木は薪の寝顔に、そっとキスを落とした。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

未来への弁証(3)

未来への弁証(3)






 夏の事件を境に、そんな考えに囚われ始めていた青木だが、その年の晩秋、彼の憂鬱をきれいに払拭する事件が起きた。
 それは彼らに訪れた何度目かの破局と、失笑を伴う復縁のおかげだ。
 まるでマンガのような出来事だった。あの後しばらくは薪の顔を見るたびに思い出して、笑いを堪えるのが大変だった。でも、その珍事はとても重要な決意を青木にさせてくれた。

 迷うことはない。
 この先、何があろうとも。
 自分はずっとこのひとを好きでいればいい。物理的に隔てられたとしても、彼を世界で一番愛しいと想っていていい。それを薪が望んでくれていると解ったからには、恐れるものは何もない。

 恋人同士になって3年も経ってからこんな基本的な見解に達するなんて、どうも薪と自分の関係は色々な手順が普通とは違っているようだが、それも仕方ないかもしれない。自分たちは同性でありながら恋人という関係に進んだのだし。
 いや、ちがう。相手が薪だからだ。このひとの特異な性格のせいだ。
 まったく、こんなひとは見たことがない。もしもこの世に薪が3人いたら、世界はめちゃくちゃになってしまうに違いない。

 クリーム色のマフラーに顔を半分埋めるようにして、自分の隣を歩いている恋人を横目で見て、青木はまたもや心の中でクスクスと笑う。
 薪と出会って5年。
 彼に恋をして2年、想いが叶って3年。
 薪との関係は常に破綻とその修復に追われて、穏やかな幸せとは程遠いのだが、とりあえず退屈だけはしない。山あり谷あり、というよりはフォッサマグナとマリアナ海溝の連続、という感じだが。

 真っ直ぐ前を見て歩いていた薪が、突然こちらを向いた。心中の不敬な思惑を見抜かれたかと思ったが、薪はぐるりと頭を巡らせ、
「青木っ、追え、現行犯逮捕だ!」と小声で叫んだ。薪の視線の延長上を走るのは、荷台に高温の石に包まれた黄金色のスイーツを乗せて走る軽トラック。冬の日本の風物詩だ。
「冤罪です。あのおじさんはお芋を焼いてるだけです」
「いいから走れ! 雪子さん、焼き芋大好きなんだから」
 これから訪ねる約束をしている薪の友人の名前が出て、青木は彼の気まぐれの原因を知る。薪は雪子には徹底的に甘いのだ。
「三好先生のお土産には、かぼちゃのケーキを焼いてきたんじゃなかったんですか?」
 薪が下げている白いケーキの箱を指して、青木は聞いた。雪子が好きな生クリームの装飾をしてあるらしく、持ち方が慎重だ。腕を軽く曲げて、歩く振動が箱に伝わらないようにしている。

「あれだけ世話になったくせに、この恩知らずめ。おまえ、雪子さんがいなかったら、今ごろ病院のベッドにくくりつけられてるぞ」
「え? だってあれはお芝居で」
「あそこに雪子さんが居合わせなかったら、腕の2,3本は折ってた。僕を騙したんだから、そのくらいの覚悟はしてたんだろう?」
 亜麻色の瞳にぎろっと睨まれて、青木は右上空に視線を泳がせる。薪は執念深いから、何ヶ月かはこのネタでねちねちと甚振られるに違いない。
「謂わば、命の恩人だ。おまえからも礼をするのが当たり前だ」
 雪子がいなかったら薪に殴られるようなことにもならなかったのだが、薪の頭脳に彼女を悪者にする選択肢は最初から組み込まれていないのだから、それを言っても無駄だ。

「追跡、確保します」
 軽く頭を一振りすると、青木は走り出した。
 自分で買いに行けばいいじゃないですか、なんて言ったが最後、この後のデートはキャンセルされてしまうだろうし、夜は絶対に青木の頼みをきいてくれなくなる。それは困る。

 住宅街の路肩をゆっくりと走る軽自動車を捕まえて、雪子の好物を大きな紙袋一杯に買い込む。香ばしくて、甘い匂い。追いついてきた薪に袋の口を広げて中を見せ、彼が満足気に頷くのを確認し、青木はにっこりと微笑んだ。
 青木が抱えた紙袋と自分が持った箱を順繰りに見て、薪はほっと白い息を吐く。
「雪子さん、これで竹内との結婚、考え直してくれないかなあ」
「あはは、三好先生なら真面目に悩みそうですね」
「だろ? この作戦、行けるよな。雪子さん、食べることに命懸けてるもんな」
「……本気ですか?」

 竹内と雪子が結婚を前提として付き合っていることを知った薪は、雪子の親友として『悪い男に騙されている、即刻別れた方がいい』としつこく彼女に警告している。自分の知人でまだ独身の男を紹介しようとしたり、竹内の身辺捜査を行なったりして、二人の仲を裂こうと躍起になっている。が、薪の悪企みは悉く失敗中だ。雪子たちは本当に愛し合っているし、竹内は昔のような遊び人ではなくなった。

「そっとしておいてあげた方がいいんじゃないですか? 三好先生だって、子供じゃないんですから」
「相手が竹内でなかったら、僕だって祝福したさ! でも、あいつだけは絶対に許せない。我慢できないんだ、僕の雪子さんが亭主の浮気に泣かされる可哀相な人妻になるなんて!」
 雪子は薪のものではないし、竹内が将来浮気をすると決まったわけではないが、薪は大真面目だ。
「結婚してからじゃ遅いんだ、今のうちに何とかしないと。ああ、どうして竹内の女関係が出てこないんだろう。あんなに調べてるのに」
 結婚を前提として付き合っている恋人がいるのに、出てくる方がおかしいと思うが。

「それは三好先生のほかに、だれとも関係してないからじゃないですか?」
「そんなわけないだろ。あの女ったらしが2年近くもひとりの女性とだけ、なんて嘘に決まってる。狡賢いキツネめ。絶対に尻尾をつかんでやる」
「それだけ三好先生が魅力的だってことじゃないんですか? 他の女性なんか、目に入らなくなるほど」
 青木が雪子を褒めると、薪は途端に嬉しそうな顔になって「そりゃあ雪子さんは、世界一の女性だからな」とのたまった。聞いたのが青木以外の人間だったら、完全に誤解されるセリフだ。

「竹内さんも三好先生の魅力に参った、ということで。認めてあげたらいかがですか」
 青木がそう言うと、薪は複雑な顔つきになって唇を尖らせた。薪にだって分かっているのだ。たとえ不確かな未来でも、愛する人と生きるのが雪子にとって一番の幸せだと。
「大事なのは、三好先生の気持ちでしょ? 薪さん、あの時そう言ってたじゃないですか」
「うん……そうだな」
 雪子のマンションの前まで来て、ようやく薪は頷いた。インターホンを鳴らし、ドアを開けてくれた黒髪の美女に、にっこりと笑いかける。

「雪子さん。ご婚約、おめでとうございます」
「ありがとう」
 幾度となく恋人との付き合いを止めるよう長年の友人に諌められていた彼女は、彼のお祝いの言葉にうれしそうに笑い、ケーキの箱を両手で受け取った。左手の薬指に控えめに輝くダイヤモンド。彼女の誕生石だ。
 薪の後に続いて部屋に上がった青木に、感謝の眼差しを向けてくる。薪くんを説得してくれてありがとう、と黒い瞳が言っている。

 しかし、頭では納得しても、気持ちと身体が納得しないのが男という生き物で。
 小綺麗に片付けられたリビングに落ち着き、持参のケーキとアツアツの焼き芋で紅茶を楽しんでいると、玄関のチャイムが鳴った。応対に出た雪子を目で追うと、ドアが開いた瞬間に彼女を抱きしめる男の腕が見えた。
「会いたかった」
「あら、今日仕事じゃなかったの?」
「片付きました。先生に会いたくて、現場から直行しちゃいました」
 雪子の左手に光る指輪の送り主は、彼女の首筋に顔を埋めると、目を閉じてふうっと満足げなため息を洩らした。それから彼女の背に回した手を短い黒髪に埋め、唇を首から頬にかけて滑らせた。
「あ、竹内。今ちょっと」
 忙しくてデートもままならない恋人たちの性急さで、玄関口に立ったままキスを交わす。雪子は抵抗したが、その手は弱々しかった。

「その汚い手を放せっ、僕の雪子さんだぞ!!」
 いきなり突き飛ばされて、竹内はびっくりして目を開けた。

「え!?」
 謂れのない非難を受けて、雪子の婚約者は呆然としている。竹内は薪が雪子に心酔していることを知らないから、彼の怒りをどう捉えたらいいのか分からないのだろう。
「あー、聞き流しといて大丈夫だから。青木くん、早く連れて帰って」
「雪子さんっ、こんなやつに騙されちゃダメです! お願いですから目を醒ましてください!」
 ひらひらと手を振る雪子の軽い口調に、薪の悲痛な叫びが重なる。
 喚き散らす薪の声は、竹内が初めて聞く彼の声音だ。数年前、火事に巻き込まれて死にかけたときより、遥かに取り乱している。

「竹内、雪子さんにおかしなことしたら許さないからな! 月夜の晩ばっかりじゃないぞ、背中に気をつけろ!!
 僕は結婚なんかぜったいに認めなっ、ふがっ、もごごっ……!」
 凶悪な口をマフラーで塞ぎ、青木は薪を後ろから羽交い絞めにして彼の狼藉を押し留める。抵抗する薪をベッドに押さえつけるのは年中やっているから、スムーズなものだ。

「オレたち、これで失礼します。竹内さん、お邪魔してすみませんでした」
 爆発寸前の薪を肩に担ぎ上げ、青木は雪子のマンションを出た。あとのフォローは雪子がうまくやるだろう。
 暴れる薪の腰から下をがっちりと抱きしめて、階段を下りる。誰かに見られたら完全に誘拐犯だが、薪が落ち着くまでは地面に降ろせない。スプリンターの薪に走って逃げられたら、青木には追いつけない。

「放せ、青木! 僕にこんなことして、只じゃおかないぞ!」
「放したら、三好先生たちの邪魔しに行くつもりでしょう?」
「当たり前だ。警察官として、か弱い女性が変質者に襲われるのを黙って見過ごせるか!」
「三好先生はか弱くないし、竹内さんは変質者じゃないと思いますけど」
 薪の認識は間違っている。しかし、それを正すのはとても難しい。薪の思い込みは果てしなく深いのだ。

「ちくしょー、竹内のやつ。雪子さんにキスなんかしやがって。僕だってしたことないのに、ああっ、羨ましい!」
「もう諦めてくださいよ。薪さん、きっちり振られてたじゃないですか」
「おまえがそれを言うのか? 何回振っても諦めなかったくせに」
 背中から聞こえてくる薪の声が、軽い揶揄を含む。どうやら落ち着いてきたらしい。
「いい加減、下ろしてくれ。頭に血が昇ってきた」
 地面に屈んで薪の足を地につけ、青木は薪を立たせた。細い身体が、青木の背中から肩へ這い下りてくる。

「すみませんね、しつこくて。でも、ご自分がされてイヤだと思ったことは、他人にしないのが立派な大人の行動だと思いますけど」
「じゃあ、僕も諦めない」
 薪が青木の肩につかまったままでいるので、青木は立つことができない。屈んだ姿勢で薪に視線を合わせ、彼の言葉の真意を探る。

「僕は立派な大人だから。されて嬉しかったことは、他人にもしてやるんだ」

 意地悪そうに歪められたくちびるは、それが彼独特のシュールな冗談だと物語っていたけれど。青木にとっては思わず彼を抱きしめずにはいられない、愛の告白と同等級のセリフで。
 抱きすくめて塞いだ薪のくちびるからは、さっき飲んだF&Mのダージリンの香りがして、薪の周囲をいつも包んでいる百合の匂いと相まって、青木を夢心地にする。甘くて爽やかでうっとりするような、きめ細かな舌ざわりはまるで極上のマシュマロ。

「バカ、おまえ。こんなところで」
 小声で叱るが、目立った抵抗はしてこない。薪はキスに弱いから、その直後は力が抜けてしまうらしい。
「ビリヤード変更して、ホテルにしません? 薪さんに、いっぱいウレシイことしてあげたいで、痛ったっ!!」
 腹に小さな拳がのめり込んで、青木は呻いた。その隙に、腕の中の暴漢はひらりと身を翻す。
「調子に乗るな」
 吐き捨てて走り出す、野生動物みたいにしなやかな動き。細い身体に溢れるエナジーを、青木は美しいと思う。

 数秒後、50mほど離れた場所で振り返り、薪はイッと舌を出した。



―了―


(2010.3)←ほおらね、これも1年前。(^^;


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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