天国と地獄3 (1)

 こんにちは。

 こちら、『天国と地獄』シリーズで書いたんですけど、なぜか内容が岡部さんの話に……。
 実は本編の方で、岡部さんの好きなひとについて幾つか伏線を張っておいたのですが、(『仮面の告白』とか『ファイヤーウォール』あたり) 回収しきれなくなりまして。(^^;  
 暴露しますと、回収しようにもあまりに絶望的な恋路なので、本編では絶対に悲恋になる、ので、ハッピーエンド主義者の筆者には荷が重く。 苦し紛れに、何でもありのこちらで回収を目論んでみました。
 
 男爵カテゴリにしても悲恋に違いはないのですけど、こちらはギャグなので~、
 笑っていただけるとうれしいです。(^^ 


 あ、それと、こちらリハビリ第2作目で、文章がかなりぎこちないです。 ストーリーもギャグもいまいち☆
 どうか、広いお心で。


 


天国と地獄3 (1)





 地球温暖化の影響かオゾン層の破壊か、とにかくあまり慶ばしくない環境問題が原因であろうと察せられる暴力的なまでの集中豪雨。『ゲリラ豪雨』という名称も聞き慣れて久しいが、その名のごとく、こちらに準備をする間も与えず突然襲い掛かってくるのが特徴だ。

 慌てて逃げ込んだ店舗の軒下で、岡部靖文は恨めしそうに空を見上げていた。
 人間相手なら怖いものなど無い岡部だが、自然現象には勝てない。自分ひとりならともかく、連れを雨に濡らすのは避けたかった。
 彼は岡部の横で、同じように空を見上げている。こんなところで時間を無駄にしているのが腹立たしいのか、一向に弱まる気配のない雨脚に軽く舌打ちして、
「最初の雨粒が地面に落ちて、3分もしないうちにずぶ濡れなんて。ここまでくると自然現象というよりは、兵器だな」
 積乱雲に突拍子もない言いがかりをつけているのは、岡部の直属の上司だ。仕事が引けて、一杯飲みに行こうと目当ての小料理屋への道すがら、この集中豪雨に見舞われて雨宿り中、というわけだ。

「確かに、ここまで勢いがつくと雨粒も痛いですね」
 苦笑しつつも上司の意見を否定することはせずに、岡部は相槌に近い言葉を返す。
「相変わらず、面白いこと考えますね」
「できないことじゃないだろ? ヨウ化銀やドライアイスを用いて、人工的に雨を降らせることは可能だ。ヒートアイランド化している都市の上空に限定してばら撒けば、簡単にこの現象を起こせるはずだ」
「だれがやってるんですか、そんなこと」
「ロケ○ト団あたりじゃないか?」
 岡部が子供の頃に流行ったアニメの悪役の名称が出て、岡部はそこでやっとそれが薪の冗談だったことに気付く。このひとは真面目な顔で小難しい冗談を言うから、本気と冗談の区別が付き難いのだ。
「見てたんですか? ポケ○ン」
「あはは、やっぱり岡部は話が通じるな。こないだ青木に言ったら、ぜんぜん通じないんだ。12歳も違うと、思い出のアニメも違うんだな」
 苦笑いをして下を向き、華奢な肩を竦める。細い首を左右に振ると、亜麻色の髪から水滴が飛び散った。

 薪の向こう側で同じように雨宿りをしているサラリーマンの2人組が、ちらちらとその様子を見ている。片方の男が、もう一人の男にそっと目配せしたのに気付いた岡部は、雨の中を一歩踏み出した。
「いや~、お互い参りましたね、この雨で……」
「ええ、まったくですな」
 隣の男に声を掛けられたことに気付いた薪が顔を上げるより早く、岡部は薪とその男の間に滑り込んだ。薪の代わりに至近距離で応えを返してやると、2人組はじりじりと後ずさり、何を思ったかゲリラ豪雨の中を走って行ってしまった。

「ひゃー、本物のヤクザ、初めて見たよ! やっぱ迫力あるな」
「あの娘、清純そうな顔してヤクザの情婦かよ。人は見かけによらないな」
 ちょっと待て、禁句を発して消えるのはやめてくれ! とばっちりはこっちに来るんだぞ!

 先刻、人間相手なら怖いものはない、と岡部は言ったが、ひとつだけ例外がある。この上司だ。
 先ほどの2人組が勘違いしたように、彼の見てくれはスーツを着ていてすら女性に間違われてナンパされるほどの優男だが、中身は猛禽獣だ。怒るととてつもなくコワイ。本気で怒った薪に見据えられると、岡部は身体が動かなくなる。
 そして、彼の最も危険な逆鱗が『女性に間違われること』なのだ。

 恐る恐る振り返ると、意外なことに薪は平気な顔をしていた。不思議そうに首を傾げて、
「どうしたんだ? あの二人」
 どうやら、彼らの捨て台詞が聞き取れなかったらしい。雨音のおかげで命拾いした。
「この雨の中を、あんなに急いで」
「さあ。ポケ○ンの再放送でもあるんじゃないですか?」
 薪の疑問を、岡部は冗談で煙に巻く。真実は言えない。岡部だって、まだ命が惜しい。

「あのう」
 控え目な声掛けに、岡部は再び焦燥する。
 一難去ってまた一難、続いて薪に声を掛けてきたのは、さっきまで岡部の隣にいた大学生風の若い男だ。
「よかったらこのタオルを使っ、ひいっ!!」
「ありがとうございます、使わせていただきます」
 再び薪の前に回り込み、男子学生からタオルを奪い取る。顔を近づけ、相手の目を見てきちんと礼を言い、取調室で鍛えた低く野太い声で、
「洗濯してお返ししますから、ご住所とお名前を」
「か、返さなくて結構ですからっ!!」
 お化けでも見たような真っ青な顔になって、男子学生は雨の中へ消えて行った。消え去る間際に言い残した言葉が、
「やべー、美人局って本当にあるんだー」
 とうとう犯罪者だ。

「……あの人も、ポケ○ン見に帰ったのか?」
「ええ。そうらしいですね」
 白々しい岡部の言葉に、クスクスと笑い出す薪を見て、彼らの間違いは彼らだけの咎ではないと岡部は改めて思う。
 雨に濡れた薪は扇情的だ。
 つやつやした亜麻色の髪から滴る水滴が、真珠色の頬を流れ落ちる。その水玉たちが行き着くのは細い首筋、それからボタンを外した胸元だ。広げた襟から、きれいな鎖骨が覗いている。蒸し暑い夏の夕暮れ、ネクタイを取ってしまっているのも、彼が女性に間違われる要因のひとつになっている。
 さらに、仕事中はギンギンに張り詰めている人を寄せ付けないオーラが、プライベイトの薪には感じられない。特に岡部や自分の部下たちと共に過ごすときには、和んだやさしい雰囲気になる。その分、他人からも声を掛けられやすくなるのだ。

 きりがない、と岡部は思った。
 今のところ薪は、自分が連続で女性に間違われていることに気付いていないようだが、いずれ本当のことを知るだろう。が、その怒りは間違いを犯した彼らには向かない。薪は警察官だから、一般市民に対して危害を加えるような真似は絶対にしないのだ。
 しかし、彼の怒りが消えるわけではない。どこかで発散しなければならない。
 こういう場合、ほぼ100%の確率で怒りの捌け口となるのは、自分たち部下だ。

「冗談じゃねえぞ」
 非常事態だ、と岡部は思う。
 雨が小止みになって、目的の小料理屋に行ったとしよう。薪が暖簾をくぐった途端店中の注目を集めて、その抜きん出た容姿でもって彼らの視線を固定し、さらには絶世の美女と自分のような無骨な男との関係を面白おかしく推測されて、それを薪が耳にしようものなら、明日の太陽が拝めるかどうか。
 きちんとスーツを着たいつもの薪ならそこまでの心配は要らないが、今日の薪はそうなる確率が大きい。雨が止んだら飲みに行くのは諦めて、家に帰らせよう。

 命の危険を感じている岡部の隣で、薪は濡れた前髪をかき上げた。
 それは、鼻先に落ちかかる水滴を後ろに流そうとしているだけのことなのに、何を思ったか隣の店舗で雨宿りをしていた連中がこちらの軒下に移ってきて……。

 雨が止むのを待っている猶予はない、早いところ薪を人目に付かないところに避難させないと。
 いったいどこへ、と考えて、岡部は一番最初に自分の家を思い浮かべ、直ぐにその案を却下した。家には母がいる。彼女を薪に会わせるわけにはいかない。
 しかしそこで岡部は今朝、母親と交わした会話を思い出す。彼女は今夜、同窓会で遅くなると言っていた。ならば、薪を自宅に招いても何の問題も起きないはずだ。

「薪さん、俺の家に来ませんか。ここから走って3分くらいです」
「え?」
 苦し紛れの岡部の提案に、薪はきょとんと眼を丸くして、
 ちょっ、ダメですってば、あなたがそんな顔するもんだから、向かいの店舗の連中までこっちに走ってきたじゃないですか。

「いや、濡れたままだと風邪引きますから」
「ありがとう、岡部。シャワーを貸してもらえると助かる。雨でシャツが張り付いて、気持ち悪かったんだ」
 あー、ほらほら、そんな、湖から出てきた女神様みたいに微笑んだりしちゃダメですって。斜向かいの店舗の連中までどよめいてるじゃないですか。てか、シャワーに反応して薪の横で鼻血出した男の顔、警視庁のブラックリストに追加決定。

「じゃ、行きますか」
 二人はひょいと鞄を横にしてそれぞれの頭の上に乗せると、斜向かいの店舗から走ってくる男たちを尻目に、未だ弱まらない雨の中を駆け出した。




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天国と地獄3 (2)

天国と地獄3 (2)





 新橋駅から歩いて10分の築8年になるマンションの5階。岡部はここに、母親と二人で住んでいる。はずだった。

「…………えっ?」
 予想もしない事態に、薪は固まる。目と口をポカンと開けたまま、蝋人形のように硬直してしまった。
 7年前に警察官であった父親を亡くし、独りになってしまった母親の面倒を見ている、と薪の人事ファイルには記してある。だから、間違っているのは自分の眼のほうだ、と薪は思った。雨に打たれて熱でも出たらしい、幻覚を見ているんだ、きっと。

「あらあら、靖文さんたらびしょ濡れですのね。まあ、そちらの方も。どうぞ、お風呂を使ってくださいな」
 準備万端に整えていたらしいタオルと温かい風呂で彼らを迎えたのは、年の頃20代後半、フワフワした薄茶色の髪を少女のように背中に流した、あどけなささえ残る女性だった。

「岡部。このファンシー系の美女はどちらさま?」
「なんでいるんですか!?」
 大きな声で薪の質問を遮った岡部は、その厳しい詰問口調とは正反対のやさしい手つきで彼女からタオルを受け取り、ひとつを薪の頭に、もうひとつを自分の頭に載せた。髪を拭きながら靴を脱いで部屋に上がり、薪の眼から彼女を隠すように、彼女を一番手前の右側の部屋に引っ張っていった。

 玄関口に立ち尽くしたまま、薪はショックで動けなかった。
 あれが岡部の恋人か。なんてことだ、めちゃくちゃ可愛いじゃないか。端から見たら美女と野獣だが、しっかりファーストネーム呼びしてるし、それに、お風呂を使ってください、なんて言葉が出てくるところを見ると、彼女はかなり頻繁にこの家に出入りしている。もしかして、結婚も近いんじゃないか?
 岡部のやつ、それならそうと言ってくれないと、新婚旅行のときとかシフト組むのが大変なのに、いやいや、そんなことよりどうして僕に一言の相談もなくこんな。

 少なくとも、薪は岡部のことを友人だと思っていた。でも、岡部は……自分が思っているほど、岡部は自分のことを友人だとは思っていなかった、ということか。
 そのことに軽いショックを受けて、薪は俯く。
 第九の室長と副室長として、何年もコンビを組んできて、他の職員には鬼の室長と敬遠されても、岡部のことだけは頼りにし、心を開いてきたつもりだったのに。

 やがて彼らの間で交わされる会話が、薪の耳に自然と入ってきた。
 岡部が彼女を連れ込んだ部屋にドアはなく、間仕切りは入り口に下げてある小花柄の暖簾で為されていたおかげで、中の会話はハッキリと聞こえてきた。もともと地声が大きい岡部は、ナイショ話が不得手なのだ。
「どうしてここにいるんです。今夜は同窓会だって、今朝言ってたじゃないですか」
 今朝? 今朝も一緒だったのか? もしかしなくても昨夜から? な、なんてうらやまし、いや、ふしだらな。
「わたくしだって、楽しみにしていたんですのよ。それが急な頭痛で」
「……雨で出かけるのが面倒になったんですね?」
 岡部が決め付けるような言い方をしたその後、わずかに沈黙が降りて、続いて岡部の呆れたようなため息が聞こえた。
「ったく、あなたって人は。雨くらいでドタキャンなんて、同窓会を取りまとめてる幹事さんの身にもなりなさい。料理の手配とか席順とか、急に欠席者が出ると大変なんですから」

 オヤジ臭く説教を始めた岡部に、薪は少しハラハラする。
 そんなきついことを言って、嫌われちゃうぞ、岡部。いくら結婚を約束した相手だからって、今から亭主風吹かすのはまずいだろう。

 心配になって薪は、初めて訪れた他人の家に家主の承諾も得ずに上がりこむという暴挙に出た。
 この眼で様子を見て、険悪になるようだったら止めなければいけない。岡部の幸せのためだ。遠洋訓練中の海軍兵士並みに女性に縁のない岡部のこと、彼女を逃したら生涯独身だと断言できる。

 薪は短い廊下を進み、岡部たちが姿を消した右側の部屋の前に立った。ファンシーな暖簾の隙間から中を伺う。
 そこは、ごくありふれた家庭のリビングだった。ソファに並べてある濃桃色のクッションや窓辺に飾られたクマの人形など、居住者の年齢を考慮するとかなり違和感があったが、母親の趣味なのかもしれない。
 フリル付きのカバーに包まれたソファの前で、二人は立ったまま向き合っていた。岡部の恋人は小柄で痩せていて、大柄な岡部と比べると、一層幼く見えた。

「ごめんなさい。でもね」
 岡部の叱責に素直に謝罪し、彼女は床に屈んだ。直ぐに立ち上がって岡部を見上げた彼女の腕には、小さな猫。貧相にやせ細って、首輪もついてないし、雑種のノラのようだ。
「下まで降りたら、この子がずぶ濡れになって泣いていたものですから」
 彼女の弁護をするように、子猫が『にゃ~ん』と愛くるしく鳴いた。
「何度言ったら分かるんです、うちでは猫は飼えません」
 今の時点で彼が持ち得る最大の武器であろうそれを存分に発揮して挑んできた子猫に、岡部は冷たかった。彼の言葉と態度から、彼女との間でこの類の会話が交わされるのは初めてではないことがわかった。
「捨ててきなさい」
「そんな。まだ、こんなに小さいのに」
「俺は猫の面倒が見られるほど、暇じゃないんですよ。あなただって、お店があるでしょう? 世話もできない人間にペットを飼う資格はないんです」

 ずい分、厳しい言い方だ。
 子供を叱ってるわけじゃあるまいし、もうちょっとソフトにしないと。「なんてやさしいんだ、君は女神のようだ。でも僕たちには猫の世話は無理だから、残念だけど」とか言っとかないと、今夜のベッドは断られちゃうぞ?
 その台詞を口にしたら世の中の女性の9割はドン引く、という事実を恋愛経験の少ない薪は知らない。

「岡部」
 岡部の楽しい夜を守るために僕が一肌脱ごう、と決意し、薪は部屋の中へと一歩を踏み出した。
「さっきから聞いてれば、言いすぎじゃないのか? こんな美人相手にそんな言い方」
 とりあえず、褒めとけ。
 自分の恋人を褒められれば男は悪い気はしないから、岡部もきっと態度を軟化させると思った。しかし、岡部は厳しい顔つきのまま薪の方を見て、
「美人は関係ないでしょう」
「なに言ってんだ、彼女に失礼じゃないか。胸がちょっと寂しいから僕の好みじゃないけど、顔はかなりのハイレベルだぞ? ここで逃したら一生後悔す……いやその」
 まずい、本音が。

「その人とどういう関係なのか知らないけれど、岡部にとって『大切な人』なんだろう?」
 薪が確認の意味で尋ねると、岡部はらしくもなく頬を赤くして、
「ち、違います! いや、違わないですけど違います、ていうか、そこは違わないといけないところなんです!!」
「おまえ、日本語が崩壊してるぞ?」
 おーおー、かわいいな、照れちゃって。

「あらあら。わたくしったら、靖文さんのお友だちにご挨拶もせずに。失礼いたしました」
 引き換え、彼女の方は冷静だった。
 部下の未来の妻になるであろう彼女の沈着に、薪は好感と安心感を抱く。彼女なら、第九のハードな業務をこなす夫を労わり、安らがせ、癒してくれるに違いない。充実した家庭生活は、クオリティの高い仕事を為すための必須要件だ。室長として、ふたりのことは全面的に応援しよう。何なら、明日岡部は昼出勤にしてやっても。

 100万回馬に蹴られても済まないような究極のお節介を薪が申し出ようとしたとき、彼女はすっと薪にその頭を下げ、未婚女性にしてはひどく落ち着いた口調で、薪を恐慌の渦に叩き込んだ。

「初めまして。靖文の母でございます」






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天国と地獄3 (3)

 こんにちは。

 お話の途中で2日ほど落ちちゃいました。
 コメントのお返事も遅くなりまして、すみませんでした。

 で、しばらくぶりに戻りましたら、 

 いつの間にやら4万ヒット!  
 みなさまのおかげです、ありがとうございます!!
(3,4日前だったのかな、気付かなくてすみません~。 お礼言うの遅れちった)

 文字ばっかりで退屈なブログに、今日もようこそおいでくださいました!
 感謝の気持ちを込めて、お話のつづきです。
 本日もバカバカしくってすみません……。







天国と地獄3 (3)




「………………………………………………………………………………お母さん?」

 長すぎる間は、彼女の言葉を理解するのにそれだけの時を要した、ということだ。
 薪の頭脳に搭載された超高性能ハードディスクは、網膜から入力されたデータと耳介から飛び込んできた言語の間に存在する乖離の大きさに、一瞬でクラッシュした。仕事用の頭脳が働かなくなった彼に残されたのは、ズレまくってる、とかつて何度も親友の失笑をかったプライベイト用のIC。それは時に常識を軽々と超えて、人々を驚嘆させる結論を導き出す。

 ――――― 彼女が岡部の母親?
 ありえない。10代で岡部を産んだとしても、岡部は現在38、ならば母親は50代後半のはずだ。
 色眼鏡の強度を割り増ししていくら年嵩に見ても、彼女は30代後半。それ以上は無理だ。でないと、己の常識が崩壊する。これが50代後半の肌だったら、彼女は人間じゃない。
 ……もしかして、魔女?
 夜な夜な若い娘の生き血を絞ったバスタブに身を沈めて、『わたくしに永遠の若さを』とかやってる? 岡部は彼女の魔力で操られてて、生贄の調達をさせられ――。

「ぼ、僕は男ですから! 僕の血に効き目はないと思います!」
「はあ?」
 緑がかった目とピンク色の唇をポカンと開けて、薪に相対した美女は返された言葉に呆然とする。
 彼女が点目になるのも無理はない。急に青冷めて、突然叫んだ薪の思考経路を読める者がいたとしたら、それは神さまかテレパシストか。
 いやいや、岡部副室長その人だ。

「お母さん。風呂を使いますから、着替えを用意しておいてくれますか?」
 岡部は薪の思考があさっての方向へ暴走しているらしいことを悟ると、機転を利かせて彼女をその場から去らせた。こんなスットンキョーなことを考え付く変人の下で自分が働いていると分かったら、彼女に要らぬ心配をさせてしまう。
 彼女が岡部の部屋に着替えを取りに行ったのを確認して、岡部は上司のあり得ない誤解を解きにかかった。

「薪さん、安心してください。おふくろは普通の人間です」
「嘘だ! あんな50代が存在してたまるか。いくら女性が化粧で化けるからって、実年齢より20歳は若く見えるぞ? 人間業じゃない」
「いや、あなたには言われたくないです」
 実年齢より20歳若く見えるのはお互いさま、ちがう、彼女は普通の人間だ。異常なのは薪だけだ。
「彼女は実の母親じゃありません。年齢は俺より下です」
 嫌々ながらも岡部家の事情を白状すると、薪は亜麻色の瞳を小さく引き絞って、「ああ、なるほど」と軽く手を合わせて頷いた。

「そうか、思いもよらなかった。事実は小説よりも奇なりというやつか」
「見た瞬間に分かるはずなんですけどね。全然似ていないし」
「そんなことはない、共通点はあるぞ。眼が二つで鼻が一つで口が」
「仕事が絡まないとその程度の顔認識能力しか発揮されないんですね……」
 不思議な人だ、仕事の時は顔認証システム真っ青の記憶力なのに。この人の頭の中ってどうなってるんだろう。

「なるほど、義理のお母さんか。て、おまえ、あんな美人とふたりきりで暮らしてたのか?!」
 言われると思った。だから会わせたくなかったのだ。
 彼女は今夜、同窓会の予定が入っていて、ここにはいないはずだった。だから薪を連れてきたのに、この雨と猫のせいで思惑が外れてしまった。彼女は雨に濡れるのが大嫌いで、可愛いものに目がないのだ。
 岡部が今の段階で取れる最上の策は、一刻も早く薪を家から追い出すことだ。余計なことを悟られないうちに。

「そんなことはどうでもいいでしょう。とにかく、早く風呂に入って身体を温めてください。夏とはいえ、風邪を引きますよ」
 この会話を打ち切りたい気持ちもあったが、それ以上に岡部は薪の身体を心配して、彼に風呂を勧めた。それなのに薪は、岡部の言葉に頷くこともせずに、
「よく理性保ってるなー」
 このっ、スットンキョー男爵がっっ!!

「なに言い出すんですか! 母親ですよっ!」
 西の鬼瓦と称されてマル暴関係者にも恐れられる鬼警部の恫喝に、薪は顔色ひとつ変えずに平然と嘯いて、
「彼女の名前は? なんていうんだ?」
「雛子ですけど」
「ふうん。ヒナコさん、て呼んでるのか?」
「…………風呂はあちらです」
 恐ろしい眼で薪を睨んだまま、岡部はバスルームの方向を指し示した。岡部は本気で怒っていたが、薪はニヤニヤ笑いを浮かべたまま、足取りも軽くリビングを出て行った。

 何だか、一番タチの悪いひとに秘密を知られたような気がする。
 薪は一旦思い込んだら、ちょっとやそっとのことでは考えを変えない。勘違いが得意なくせに、自分の間違いを認めようとしない。現実との辻褄が合わなくなれば、思惑に合うように事実を曲げて解釈するのが得意だ。
 あれでどうして百発百中の推理が展開できるんだろう。本当に不思議な人だ。

「靖文さん」
 薪と入れ替わりに、年下の母親がリビングに入ってきた。彼女は両手に岡部の寝巻きを持っており、それを岡部に差し出しながら、常になくしおらしい口調で不安げに尋ねた。
「もしかして、わたくし、お邪魔でした?」
「まあ、会わせたくはなかったですね」
 少々無愛想に彼女から着替えを受け取り、ワイシャツを脱ごうとして躊躇する。このひとの前で着替えるのは、まずいか。

 岡部が着替えのために自分の部屋に戻ろうとすると、彼女は頬に片手を当て、ひどく後悔する様子で、
「やっぱりそうでしたの。ごめんなさい、気が利かなくて。わたくし、自分の部屋でじっとしておりますから、どうかお気になさらず。ええ、それはもう、息も殺しておりますから。もちろん、靖文さんのお部屋の様子を伺ったり、夜中に突然ドアを開けたりしませんから、どうぞ朝までごゆっくり」
 ここにもスットンキョー男爵が!!

「ちょっと待ってください!! 何を誤解してるんですか、あなたはっ!」
「いいんですのよ。靖文さんも、いつまでも子供じゃありませんもの」
「あのひとは男ですよ!! 俺の上司です!」
「えっ?」
 岡部が事実を端的に告げると、彼女は自分の思い違いを恥じるように頬を染めた。薪のことを完璧に女性だと思いこんでいたらしい彼女は、まあ、と軽い驚きの声を洩らすと、
「わかりましたわ、靖文さん。気をしっかり持ってくださいね。世間の目になんか負けちゃ駄目。一番大事なのは、お互いの気持ちですからね。お母さんは、いつでも靖文さんの味方ですよ」
 ブルータス、おまえもかっ!!!

「いやですわ、靖文さんたら。母親が息子の恋を応援するのは当たり前のことですのに。感激のあまり、涙なんて」
「カンベンしてくださいよ……」
 勘違いの大玉ころがしは薪だけで間に合ってる、ていうか、持て余してるのに!

 誤解を解く気力を振り絞ろうにも、雨に打たれてブルーになった身体と薪に秘密を知られてしまったショックで、岡部の心は麻痺寸前だった。何だか膝の力まで抜けてきて、この場に座り込んでしまいそうだ。
 がっくりと俯くと、自分の身体から落ちた雨の雫が、リビングの床に敷かれた夏用のイグサで編まれたカーペットに染みを作っているのに気付いた。これはまずい、早く着替えてこないと母親の仕事を増やしてしまう。
「俺は部屋で着替えてきます。すみませんが、バスルームに薪さん用の着替えを」
「あ、それなら脱衣所に置いておきましたわ」
 さすが母親、きめ細かな気配りはお手の物だ。
 ありがとうございます、と礼を言ってその場を去りかけた岡部は、ある可能性に気付いて立ち止まった。短い髪から拭き取り切れていない水滴が飛び散るのを気にする余裕もなく、バッと後ろを振り返って、
「どんな服を?」
「わたくしのワンピースを」

 その言葉を聞き終える前に、岡部が猛スピードで脱衣所へ走ったのは言うまでもない。




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天国と地獄3 (4)

天国と地獄3 (4)




 桜色に上気した素肌に借り物のパジャマを着て、薪はリビングに戻ってきた。白地に緑色の線が入った開襟のシャツは、彼の涼やかな佇まいになかなか良く似合っていたが。
 その裾から伸びた百合の茎のようにしなやかな曲線の、なんてきれいなことだろう。膝上10センチの奇跡。これを青木に見せたら大変なことになるな、と岡部は冷静に判断を下しつつ、素朴な疑問を薪に投げかけた。
「なんで上しか着てないんですか?」
「おまえの服は、僕には大きすぎる」
 尤もな疑問に尤もな答えが返ってきて、岡部はぽりぽりと頭を掻く。一つや二つのサイズ違いなら何とかなるが、Sサイズの薪が3Lサイズのパジャマを着たら、ズボンが落ちてしまうのだろう。

 母親のミスに気がついて、慌てて自分の持っていたものと差し替えたので、他の服を用意するヒマがなかった。 男のSサイズは女性のMサイズと同じくらいだから母親の服でぴったりなのだが、いかんせん、彼女はユニセックスな服は一枚も持っていない。フリルや小花や愛らしい動物などなど、どれも薪の怒りを買いそうなものばかりだ。
「服が乾くまでの間ですから。それで我慢してください」
「うん、これで充分だ」
 薪はソファに腰掛けて、そうするとますます女の子めいて見える。立っていても膝上まである上着は、座ると膝を覆い隠して、これは立派なワンピースだ。これを青木が見たら、以下略。

「悪いな、世話をかけて……ん?」
 薪は、何かに驚いたように声を上げた。見ると、彼の素足に身を擦り付けるようにしてじゃれる小動物の姿が。どさくさ紛れになって、捨ててくるのを忘れていた。
「うわ。ちいさいな、こいつ」
 薪の小さな両手でもすっぽりと包める子猫の身体を抱き上げて、薪はやさしく微笑んだ。薪は動物が大好きだ。一番好きなのは犬だと聞いた覚えがあるが、ネコも好きなのだろう。瞳が蕩けている。
 亜麻色の瞳を愛おしさに潤ませて、薪はソファのクッションにもたれかかり、至近距離で子猫と相対した。濃ピンクのクッションは薪の肌の白さを引き立てて、さすがの岡部も一瞬、彼の性別を忘れそうになる。

「岡部。こいつ、ここで飼えないのか?」
「無理です。俺もお袋も仕事を持ってるんですから」
「彼女、何処に勤めてるんだ?」
「近くの花屋です。パートタイマーですけど」
「パートなら、彼女に世話を頼めるんじゃないのか?」
 薪の言うとおり、その気になれば飼えないことはないのだが。いざ飼うとなると、部屋が無人になった際のことが心配だ。帰ってきて、壁が爪跡だらけになっているのも困るし、引っくり返した花瓶の水で床が水浸しになっていたらもっと困る。

 岡部がペットを飼いたくない理由を言うと、薪はなおも食い下がって、
「ちゃんと躾ければ大丈夫だろ。キャットツリーとか置いて、そこで遊ばせればいいんだ」
「俺にはネコの躾をする余裕はありません」
「彼女にやってもらえばいいじゃないか」
「無理ですよ。厳しいことの言えないひとなんですから」
 雛子が怒ったところを、岡部は見たことがない。人に何を言われても、何をされても、揶揄は親しみに受け取り、悪意はさらりと流して、まるで夢の世界に生きているようなひとなのだ。だから心配で、岡部は彼女を独りにできない。

「これくらい小さい頃から躾ければ、そんなに大変じゃないって聞いたぞ?」
 引かない薪に、岡部は違和感を覚える。薪は頑固だが、ひとに面倒を押し付けることはしない。この強力な勧誘には、裏があるはずだ。
「どうしてそんなに俺にこいつを飼わせたがるんですか?」
「おまえがいない間、雛子さんが寂しがってるんじゃないかと思ってさ。猫でもいれば、気が紛れるだろう?」
 …………まだ続いてたんですか、そのカンチガイ。

「いいのか? 彼女の心のスキマを他の男に埋められちゃっても」
「あのですね!!」
 岡部が薪の誤解を解こうと声を張り上げたとき、冷たい麦茶を持って雛子が現れた。風呂上りで喉が渇いていた薪は、ありがとうございます、とにこやかに笑って、子猫を膝に下し、それを美味そうに飲んだ。
 薪の膝の上で、子猫は大人しく蹲っている。雛子が手を伸ばし、その小さな頭を2本の指でやさしく撫でた。事情を知らない人間が見たら、仲の良い姉妹が一匹の子猫を可愛がっているようにしか見えないだろう。

「靖文さんも、お風呂に入ってきてくださいな」
「俺はいいです。自然に乾いちまいました」
 正確には自然に乾いたんじゃなくて、あんたらが俺の血圧を上げたからですけどねっ!
「大丈夫ですよ、室長さんのお話し相手なら、わたくしがさせていただきますから」
 ふと岡部は、自分がここからいなくなった後、彼女と薪の間で交わされるであろう会話を想像して青くなる。
 この二人は互いに互いを、岡部の想い人だと思い込んでいるのだ。二人きりになんかしたら、どこまで誤解が転がっていくか分かったものではない。

「いや、薪さんの相手は俺がします。お母さんはどうぞ、大好きなDVDでも見ててください」
「DVD? どういったものがお好みなんですか?」
 母親を自分の部屋に引き取らせようとする岡部に反して、薪は雛子を質問で引き止めた。
「この年になってお恥ずかしいんですけど。実は、ネズミーアニメが大好きで」
「あれはとても良くできたアニメだと思いますよ。キャラクターも魅力的ですし」
「そうなんですの。特に、『クマのぺー』シリーズに眼がなくて」
「ああ、なるほど。クマつながりなんですね」
「は? それはどういう」
 雛子が不思議そうに首を傾げると、薪はにっこりと笑って彼女の追及を封じた。相手が笑えば笑みを返すのが流儀の雛子もまたおっとりと微笑んで、そうしていると○姉妹真っ青の華やかさだ。
 美女2人に可愛い子猫のスリーショット。それが自宅のリビングで見られるというのは、男として喜ばしいことかもしれない。片方は自分の母親で、もう片方は同性の上司だという事実にさえ目を塞ぐ事ができれば。

 ふっ、と原因不明の虚脱感から岡部が乾いた笑いを洩らしたとき、災厄は訪れた。

「室長さん。よろしかったら、お夕食をいかがですか?」
「え。いいんですか」
 !!! しまった、薪に注意をしておくのを忘れていた!

「お母さん! 実は、薪さんと俺は外で済ませてきて」
 母親が恐ろしいことを言い出したので、岡部は焦って嘘を吐く。薪が不思議そうな顔でこちらを見ているが、説明している時間はない。

「あら、そう」
「お母さんの手料理が食べられないのは、非常に残念なんですが」
 ぐう、と二人の男の腹の虫が同時に鳴いた。嘘のつけない岡部と、身体だけは正直な薪らしい反応だった。
「まあ、靖文さんたら。自分の家で遠慮なんかするものじゃありませんわ。さ、室長さんもこちらにいらして。あ、猫は置いてきてくださいね」
 地獄の門が大きく開け放たれたことを悟ってがっくりと肩を落とす岡部を、薪と子猫が不思議そうに見ていた。



*****

 
 今頃かよ、と突っ込まれそうですが、
 こちらはアレです、8巻の表紙になった『借り物のパジャマを着て、ピンクのクッションの上で猫と戯れる薪さん』です。
 あのイラストを見たとき、すぐにこの設定が浮かびました♪(←パジャマが岡部さんのって。どうした、あおまきすと)



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ジャンル : 小説・文学

天国と地獄3 (5)

 こんにちは~。

 過去作品を読んでくださってる方へ。
 毎日拍手をありがとうございます。 とってもうれしいです♪
 でも時々、ものすごい時間に拍手が入ってる事があって、(朝の2時から4時とか)この方、ちゃんと眠ってらっしゃるのかしら、と不安になったりします。(^^;
 10時から深夜2時までの間はシンデレラタイムと言って、お肌をすべすべにするホルモン (要は成長ホルモンなんですけど) が分泌される時間帯なんだそうですよ。 美容のためにも、夜は早めにお休みくださいね☆☆☆





天国と地獄3 (5)





「うっ……」

 テーブルの上に並んだシュールな物体に、薪は思わず息を呑んだ。
 なんで煮炊きしたはずの食材が、こんな不気味な色になるんだろう。どの皿からも劇薬のような匂いがするが、これはいったいなんだろう。どうやったらこんなものが一般家庭の台所で製造できるのだろう。まるで生物兵器の研究機関みたいだ。
「何もありませんけど、どうぞ召し上がってくださいな。見た眼はアレでも、お味はなかなかですのよ」
 ニコニコと給仕をする彼女の楽しそうな様子を見ていると、食事を断ることはとてもできなくて、仕方なく薪は箸を取る。岡部に到っては、すでに諦めたようだ。黙って味噌汁を啜っている。

「い、いただきます」
 家人に倣って汁椀を取り上げ、薪は再び固まった。
 この味噌汁、工業用水と廃油で汚染された沼の表面みたいな色なんだけど。飲んでも大丈夫なのか? ていうか、この具は!?
(岡部っ、味噌汁にゼリービーンズが浮いてるぞ!?)
(俺のお袋は料理下手だって、前から言ってあったじゃないですか)
(上手い下手以前の問題だろ!)
 雪子だって、ここまで独創的な料理は作らない。彼女は料理本の通りに食材を集め、料理をし、最終的には食べられないものを作り上げるという特技を持っているが、参考書を使っているため、基本から逸脱した食材は選ばない。

(これはなんだ? なめくじを炒めたみたいなビジュアルだけど)
(家庭菜園で採れた野菜の末路です。元になった野菜の種類は俺にも判別つきません)
(原材料はなんだ? 石油か、ゴムか?)
(だから野菜ですってば)
 嘘だ! この食感は野菜じゃないぞ、ゴムを噛んでるみたいに噛み切れないぞ?!

 恐ろしい。
 彼女は一般家庭に備え付けられた調理器具を使って、野菜という有機物を咀嚼することすらできない無機物に変えることができるのか。世界中の科学者よ、彼女にひれ伏して教えを請うがいい。

「いかがかしら、室長さん。お口に合いまして?」
「は、はい! とってもオイシイですっ。まるで口の中でN2爆弾が暴発したような、この刺激的な辛さがなんとも!!」
「まあ、うれしい。でも、お手柄はわたくしの料理の腕前じゃなくて、素材の持つ生命力だと思いますわ。旬菜に勝る美味はありませんもの」
 素材の持ち味をここまで殺せるとは、見事なクラッシャー精神だ。生でおいしく食べられるキュウリやトマトまで、油でベトベトの素揚げにされて。
 それを平気で口に運んでいる彼女の神経が分からない。ナメクジみたいな色合いの炒め物を噛み締めて、「やっぱりお茄子は味噌炒めに限りますわ」ってあれは茄子だったのか? どうやってあそこまで茄子の硬度を高めたんだ、魔法か!?

(おい、彼女の味覚はどうなってるんだ!?)
(俺だって知りませんよ)
(なんで分からないんだ、母親だろう?)
(彼女の遺伝子は、俺の中には入ってません。俺を産んでくれたお袋は、普通のお袋だったんです)
 たしかに彼女は普通の女性じゃない。天は二物を与えずというが、ここまで惨たらしく彼女の味覚を奪わなくてもいいのに。下手をすると、岡部の命に関わる。
 岡部は慣れているのか、自分に盛り分けられたおかずを黙々と食べている。が、薪はもう限界だ。特別にグルメな舌をしているわけではないが、そこいらの料理人よりずっと美味しいものが作れる彼は、不味いものを我慢して食べる訓練を積んでいない。

「あら。室長さんはずい分小食ですのね? だからそんなにスマートでいらっしゃるのかしら」
「あ、や、その、な、夏バテでちょっと」
 薪が苦しい言い訳をすると、岡部が彼の窮地を救うべく、
「お母さん。薪さんのスーツは乾きましたか?」
「ええ、もう少し。続きをしてきますわね」
 自分の分をさっさと食べ終えた彼女は、使った食器を食洗機に入れると、「ごゆっくり」と薪に声を掛けてダイニングルームを出て行った。

 彼女の姿が見えなくなると、薪はテーブルの上に突っ伏し、
「ううう……口の中が焼け爛れてる感じだ……」
 食感も凄かったが、味付けはその上を行く。どれだけ唐辛子が入っていたんだ、あのナメクジ料理。
「薪さん、これをどうぞ」
 岡部が冷蔵庫から、小鉢に盛られた漬物を持ってくる。きれいな紫色の、なんて美しいんだ、これだ、これが茄子という食物だ!

「美味い!」
 今まで食べたものがひどすぎたから、その比較で美味しく感じられるのかと思ったが、そうではない。口の中を麦茶で洗い流し、改めて味わってみたが、これには薪もシャッポを脱いだ。
「うちのおふくろ、糠漬けだけは上手いんです」
「今度おまえの家で夕飯をご馳走になるときは、糠漬けとお茶漬けをリクエストする」
「そうしてください」
 笑いながら立ち上がって、岡部はこれまた愛らしいウサギの絵が描いてある缶の蓋を開けた。ふわっといい匂いがして、中にはコーヒーが入っていたらしい。
 青木には敵いませんが、などと言いながら、コーヒーメーカーを使って薪のためにコーヒーを淹れてくれる。皿の上に載ったおぞましい物体の匂いを、コーヒーの香りが包み込んで消してくれた。

 テーブルの上をきれいに片付け、汚れた食器を食洗器にセットする。薪に振り分けられたノルマの殆どはディスポイザーが食べることになってしまったが、岡部はきれいに平らげていた。さすが岡部だ、胃袋も鋼鉄でできている。
「薪さんの服は、コーヒーを飲んでる間に乾くと思いますよ。お袋の家事能力はなかなかですから。――― 料理以外は」
 たしかに、部屋の中は掃除が行き届いているし、薪が借りているパジャマも毎日洗濯しているのだろう、せっけんの香りがする。思い出してみれば、岡部のワイシャツはいつも真っ白で、パリッとアイロンが掛けられていた。
「おまえが料理を覚えればいいんだ。そうしたら、みんな上手くいく」
「どうして俺が? あのひとが自分で身につけなきゃいけないことでしょう」
「別にいいんじゃないか? 男が料理をしちゃいけないって法律はないんだし。どっちかがやれば」

 岡部は二人分のコーヒーを両手に持って、テーブルに戻ってきた。片方を薪の前に置き、自分は立ったまま一口啜って、
「あのひとの再婚相手が、そういう考えの持ち主であってくれたらいいんですけどね」
「再婚? そういう話があるのか」
「いや、今のところは」
 岡部が正直に答えると、薪は何やら満足そうに頷いて、
「じゃあ、おまえは早いとこ料理上手になるべきだ。恋人は胃袋で捕まえろ、って言うだろ」
「あのですね、この際ハッキリ言っておきますが、たとえ薪さんの邪推が的中していたとしても、俺と彼女は結婚できません。どうやっても無理なんです」
「735条か」
 一度でも親子の関係になった男女が夫婦になることを、この国は許していない。これはモラルの問題で、血の繋がりは関係ない。薪だって知っているはずだ。なのに、
「大事なのは法律より、お互いの気持ちだと思うけどな」
 などと遵法者とも思えないことを言うから、岡部だってムキになる。

「いい加減にしてくださいよ。小説の世界じゃあるまいし、そんなことあるわけないでしょう」
 厳しく眉を吊り上げて、自分の怒りがダイレクトに薪に伝わるように、岡部は語気荒く言い放った。しかし薪はそれを恐れるどころか、じいっと岡部の目を見つめ返してきた。
 亜麻色の瞳は清冽に輝いて、どんな異変も見逃さない。わずかな違和感、些細な相違、そのすべてを見透かす天才の瞳。吸い込まれそうな、底知れぬ琥珀。
 脳髄の裏側まで読まれそうな気分になって、岡部は眼を逸らせた。

「俺は、彼女が新しい伴侶を見つけるまでの間、息子としてあのひとを守りたいだけです」


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天国と地獄3 (6)

天国と地獄3 (6)




「俺は、彼女が新しい伴侶を見つけるまでの間、息子としてあのひとを守りたいだけです」

 岡部はカップを持って、テーブルの反対側に回った。薪の向かいに座って、黙ってコーヒーを飲むことに専念した。
「じゃあ、僕がモーション掛けてもいいのか?」
 驚いて顔を上げると、薪はコーヒーカップで顔の下半分を隠して、岡部を見据えていた。まだ、あの瞳をしている。岡部は用心深く応えを返した。

「胸の小さな女性は、好みじゃなかったんじゃないんですか?」
「それはベッドを楽しむとしたら、って意味だ。結婚相手はまた別だ」
「結婚?」
「彼女は朗らかで可愛くて、見ているだけで癒される。それでいて、突発的な事故にも動じない強い精神力を持っている。警察官にとって、理想の妻だ」
 薪の言う通りだ。彼女が警察官の妻としてどれだけ素晴らしい資質を秘めているか、岡部は嫌というほど知っている。ずっと見せ付けられてきたのだ。身に沁みて分かっている。

「もちろん、料理は僕が受け持つ。悪くないカップリングだと思うが?」
「駄目です」
 薪の提案を、岡部は即座に否定する。ふっと笑みを浮かべた薪に、釘を刺すようにきつい口調で、
「言っておきますけど、薪さんが考えているような意味合いじゃありませんよ」
 薪に嘘は通じないと悟って、岡部は本音を喋ることにした。ここで嘘を吐いたら、ますます誤解されるだけだ。

「俺は、あのひとを二度と警察官の妻にはしたくないんです」
 薪の瞳を見返して、岡部はキッパリと言った。

「俺の父は殉職です。強盗犯を追いかけて、犯人に射殺されました。そのとき、あのひとがどれだけ泣いたか。俺はもう二度と、彼女のあんな顔は見たくない」
 岡部が口を結ぶと、薪は少し考え込む様子だった。長い睫毛を下方に伏せてカップの縁に唇を寄せる様は、第九で年若い捜査官が淹れたコーヒーを片手に捜査報告書に記された事案を検証するときのように厳かだった。

「彼女はおまえが思っているより、ずっと強いひとかもしれないぞ」
 やがて薪はぽつりと言った。先刻までのからかうような調子は、失せていた。
「そうかもしれませんね。本当は、彼女は一人で自由に暮らしたいのかもしれない。女の一人暮らしは無用心だし、男手があった方が何かと助かると思っていたんですけど……俺のお節介に過ぎないのかもしれません」
 自分がいないほうが彼女の未来は拓けるかもしれないと、思いながらも目先の心配が先に立って、ずっと否定してきたもう一つの道を、岡部は自嘲気味に口にした。良かれと思ってしている事が、相手の可能性を奪っている。それもまた事実だと、岡部には分かっている。

「そういう意味じゃない」
 岡部の逡巡を切り捨てるように、薪はさっくりと言い、残りのコーヒーを飲み干した。空になったコーヒーカップをテーブルに置くと、卓上に肘をついて身を乗り出し、
「彼女は、なんて?」
「俺の嫁さんが見つかるまでは、母親として俺の世話をする、だそうです」
 父親の初七日が済んで、雛子とこれからのことについて話し合ったとき、彼女は岡部にそう言った。
『靖文さんに可愛いお嫁さんが来るまでは、わたくしが靖文さんのお世話係です』
 そう言われた。世話係なんかじゃない、あなたは俺のたった一人の母親です、と言ったら、涙ぐんでいた。彼女は岡部の本当の母親になりたがっていたから、その言葉が嬉しかったのだろう。

「ふふ。やっぱり強いな」
「何がですか?」
 薪が下した『強い』という評価が何に対して為されたものか皆目見当がつかず、岡部は戸惑った。岡部が不思議そうに聞き返すと、薪はゆっくりと首を横に振り、
「岡部。こういうことは、他人から教えられたんじゃ駄目なんだ。自分たちで進んでいかないと」
 と言って、教えてくれなかった。薪の思考は展開が速くて付いていけないときがある。今回もそういうことだろうか。

 二人の会話が途切れたタイミングを見計らったように、雛子が薪のスーツを抱えてダイニングに入ってきた。サニタリーの鏡を借りて着替えを済ませ、薪は腕時計を確認する。
 午後9時15分。初めて訪れた家を辞するには、遅すぎる時間だ。

「お世話になりました」
 母親にきちんと頭を下げて、玄関先に出る。雛子が手渡してくれた靴べらを使って靴を履いていると、岡部が薄手のジャケットを着て、薪を追いかけてきた。
「送りますよ」
「大丈夫だ。そろそろ迎えが来るはずだから」
 薪はポケットから携帯を出し、メール画面を岡部の顔の前に突き出した。小さな液晶画面に、業務連絡としか思えない文章が打ち出されている。

『岡部のマンションにいる。迎えに来い』

 いつもながらに素っ気無い、でもこれを受け取った人物にとっては、発信人の欄に薪の名前があるだけで、世界に名だたる文豪の傑作よりも感動するのだろう。
「どうして青木に迎えを?」
「あいつ、今日は代休で休みだろ。どうせやることなくて、ヒマしてるに決まってるんだから」
 青木はあなたからのメールだったら、地球の裏側からだって吹っ飛んできますよ。てか、薪さん、今日一日、何となく元気がありませんでしたよね? あいつの顔が見られなかったからじゃないんですか?
 雛子とのことを構われた腹いせに、そう言ってやろうかと岡部は思ったが、結局何も言わなかった。
 そう、薪の言うとおり。こういうことは、他人から教えられたのでは駄目だ。

「室長さん。またいらしてくださいね。今度はご馳走作って待ってますから」
「じっ、実は僕、糠漬けとお茶漬けが大好物なんですっ。次の機会がありましたら、ぜひそれでお願いしますっ!!」
「まあ、シンプルなお好みですのね。でもわたくし、こう見えてイタリアンが得意ですのよ。自慢のラザニア、室長さんに召し上がっていただきたいわ」
 眼で訊いてきた薪に、岡部は無言で首を振る。彼女のラザニアは、ボロネーゼソースに大量の唐辛子を入れてあり、ベシャメルソースにはたっぷりと砂糖が入っている。それをカチカチのラザニアに挟んで真っ黒になるまで焼き上げれば、高い殺傷力をもつ劇薬が出来上がる。あれは岡部でもヤバイ。

「すすすすみませんっ、僕、親の遺言でイタリアンは食べられないんですっ!!」
「まあ、お可哀想に。あんな美味しいものが食べられないなんて」
「お母さん。すみませんが、このシャツ明日着たいんです。アイロン掛けておいてもらえますか」
 はい、と襟衣を受け取って、雛子は薪に頭を下げ、奥の部屋に姿を消した。残された二人の男がホッと胸を撫で下ろしたとき、玄関のチャイムが鳴った。
 
 こんばんは、と青木の声がして、ちょうど三和土に立っていた薪がドアを開けた。
 薪の姿を認めた瞬間、青木はとても嬉しそうな顔をして、それはどう見ても休日の夜に上司に呼び出されて、彼の送り迎えを言いつけられた部下の顔ではない。分かりやすいやつだ。恋焦がれている相手に会えた、そう顔に書いてある。
 そして薪もまた。
 青木の方を向いているから、顔は見えない。見えないが、その背中はピンと潔く伸びて、肩は若々しく張っている。今日は感じられなかった躍動感が、身体中から迸るようじゃないか?

「じゃあ、岡部。明日研究室でな」
「はい。おやすみなさい。青木、薪さんを頼んだぞ」
「はい!」
 家まで送り届けるだけなのに、海外へバカンスに行くみたいにはしゃいじゃって。この世の春だな、青木。

「青木、岡部と飲みに行く予定がぽしゃったんだ。おまえ付き合え」
「えっ。オレ、車で来ちゃいました」
「なんで」
「いや、だって平日だし。迎えって言われたら普通は」
「うるさい、僕は飲みたい気分なんだ。おまえは横で見てろ」
「ええ~~~」

 いつものように青木に優しくない会話を交わしながら、二人はドアの向こうに消えていった。玄関に鍵を掛け、岡部が部屋に戻ろうとして振り向くと、リビング入口の暖簾に隠れるようにこちらを伺っていた雛子と目が合った。
 彼女は岡部に走りより、細い両手で岡部の無骨な手をぎゅっと握って、
「靖文さん。わたくしはあなたの味方ですけど、戦況を正確に把握することは必要だと思いますの。これからの作戦を立てる上で」
 …………こっちもまだ続いてたのか。

「ショックだと思いますけど、よおく聞いてくださいましね。あの、薪さんとおっしゃる方は、いま迎えに来られた男の方を」
「あー、いいです、聞かなくても分かってますから」
 やっぱりそう見えるか。まあ、こちらの方面にはとんと縁のない自分でさえ何となく感じるくらいなのだから、ロマンチック街道のド真ん中を行く彼女には、瞬時に分かるものなのだろう。
 岡部が両手を振って作戦参謀の提案を断ると、雛子は気の毒そうな顔になって、しかし力強く、
「だからって、諦めることはありませんのよ。ご自分に自信を持ってくださいな。靖文さんは、誰よりもステキですもの」
「……俺がですか?」
「ええ。靖男さんの息子ですもの」

 そう言って微笑した彼女の美しさは、初めて出会ったときと少しも変わらず。父に、新しい母だと言って彼女を紹介されたあの日、岡部の心に住み着いたその姿のまま、多分これからも色褪せることはない。
 そう。俺はあなたの息子です。出会ったときから、死ぬまでずっと。

「これからわたくしが、薪さんのハートを射止める作戦を考えて差し上げますから。靖文さんは、どうかそれを参考になさって」
 雛子は両手に恋愛小説と少女マンガを山ほど抱えて、どうやらそれが彼女の作戦のベースになるらしい。
「ほら、例えばこんな演出とか」
 彼女は多数の指南書の中から一冊の雑誌を取り出し、顔の半分が目玉という人類とは思えない顔をした少女が、海岸で性別不詳の人間(というのも、その人物には体毛が無くて男か女か岡部には判断が付かない)と一緒に砂山を作っている場面を指差した。誌面に広がる点描とハートの世界に、岡部は辟易しながら、
「それは青木に授けてやってください。薪さんのことは大事ですけど、俺と青木の感情は種類が違いますから」
「……そうなんですか?」
「はい。一度もそういう目で見たことはありません」
 岡部がキッパリと否定すると、雛子は複雑な顔になってマンガ雑誌を閉じ、それをぎゅっと胸に抱いて、
「まあ、残念。靖文さんの恋の応援ができると思ったのに」

 応援されても困ります、と岡部は心の中で呟き、天真爛漫な母親にそっとため息を吐く。彼女が鈍いおかげで自分はずいぶん助かっている、と岡部は思い、直ぐにそれを否定する。
 雛子は鈍くない。その証拠に、薪たちの微妙な関係を一発で見抜いたではないか。でも彼女は良識のある女性だから、思いもよらないだけなのだ。薪のような突拍子もないカンチガイは、彼女はしない。

「今夜は薪さんと、お酒を飲まれる予定だったんですね?」
「あなたが同窓会に出かけてると思ってましたんで」
「わたくしが代わりにお付き合いしましょうか?」
「!! い、いや、明日は平日ですし、お母さんの相手は土曜の夜にでもゆっくり」
「遠慮なさらないで。飲みたい気分なんでしょう? 今夜はわたくしに甘えてくださいな」
 青冷める岡部の前で、雛子はマンガ雑誌を一升瓶に持ち替えて、にっこりと笑った。



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天国と地獄3 (7)

 こんにちは。

 ラストです。
 お付き合いいただきまして、ありがとうございました。(^^





天国と地獄3 (7)




「ううう……もう酒ヤメル……」
「その台詞、50回くらい聞いたような気がしますけど……アツツ……」
 亜麻色の頭を抱えるようにして薪は執務机にだらしなく突っ伏し、その傍らで岡部も喉元を押さえている。第九の室長と副室長ともあろうものたちが、揃いも揃って二日酔いとは、まったく嘆かわしい限りだ。

 ぐわんぐわんと頭の中で半鐘が鳴り響くような痛みに耐えかねて、岡部はこめかみを押さえた。右手のファイルを差し出そうとするが、どうにも身体が言うことをきかない。
「なんだ、岡部も二日酔いか?」
「すいません、実はあれからお袋と。朝方までつき合わされまして、潰されました」
「えっ、あのお母さんと飲んだのか?」
 おそらく、あれは息子の恋の絶望的な未来予想に裏打ちされた彼女なりの激励会のつもりだったのだろうが、本気で勘弁して欲しい。明け方まで粘られてとうとう、岡部の意中の人は他にいて、それはれっきとした女性だ、ということまで白状させられてしまった。これからどうやって彼女の追及を避わしていけばいいのか、正直者で不器用な岡部には見当もつかない。
「しかもおまえが潰され? すごいな、彼女」
「ははは。色々と規格外なんですよ、うちのお袋は」
 見かけによらず、雛子の内臓は異常に強い。そうでなければあの料理を食べて、病院の厄介にならずにいられるわけがない。

「まあ、がんばれ」
 薪の励ましに勤労意欲の向上以外の含みを感じて、岡部は悪心に曲げた顔を更に歪める。
「薪さん。まだ誤解してるわけじゃないですよね?」
「僕は誤解なんかしてない。案外、誤解してるのはおまえの方なんじゃないのか?」
 クスッと笑ったら、それが頭に響いたらしく、言葉にならない声を上げて薪は再び頭を抱えた。言い返そうとして岡部も、喉の奥から込み上げてくるものを必死で抑える。

「おはようございま、うっわ、何ですかこの部屋。ものすごくお酒臭いですよ!」
 朝のコーヒーを持ってきた青木が、慌てて窓を開ける。八月の熱い空気は朝から身体にまとわりつくようで、嘔気を増進させる。
 今だけはエコロジーに背を向けて、岡部はエアコンの温度を2度ほど下げた。壁のパネルを操作する岡部の視界の隅で、薪がアイスコーヒーのグラスを持ち上げ、ストローを咥えることなく自分の額に押し当てる。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない。おまえのせいでこんな、ううう」
「ええ~、オレ、もうやめた方がいいって何度も言いましたよね?」
「口で言われたくらいで止まれるなら、二日酔いに苦しむ人間なんかいないんだよ」
「じゃあ、どうしたらよかったんですか?」
「物理的、かつ強制的にアルコールから引き離して、ベッドに押さえつけてくれ。そうしたら僕は2分で眠るって、前に鈴木が言ってた」
「えっ!! そんなことしちゃっていいんですか!?」
「大きな声を出すな、頭に響くっ……僕が許す。次は頼むぞ」
「ま、薪さんの身体を強制的にベッド押し付けっ、ぐふぅっ!!」

 いつものように意識することなく青木の心を弄びながら、薪の一日が始まる。
 すべてこの世はこともなし。
 その平和な風景の連想から、すでに昨夜のアルコールを分解し終え、今時分は片付け物も終えて子猫に餌でもやっているであろう雛子の姿を想像して、岡部は帰りにキャットツリーを買っていこうと考えた。



(おしまい)



(2011.4)


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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
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