秘密の森のアリス(1)
聞こえてくる情報は、残念ながら明るいものとは言いかねます。
余震はまだ続くだろうと予想されているし、原発はレベル7に引き上げられましたし。
でも、こんなときだからこそ、笑いは必要だと思います。
ほんの少しでいいから現実の心配事を忘れて、楽しいと思える一時を過ごす。 そうやって心に栄養を与えてやらないと、人間も萎れてしまうと思うんです。
そのお手伝いができたらいいな、とおこがましくも考えまして、わたしの少ない手持ちのカードの中で、一番バカバカしい話を公開することにしました。
すみません、本来ならみなさんに楽しんでいただける話を改めて書くべきだとは思うんですけど、1ヶ月以上書かないでいたらすっかり書き方を忘れてしまって~~、いざ書こうと思ったら、言葉が出てこないの~。 考えがまとまらなくて、ストーリーも組み立てられないし~~。
いくら原作で落ちても、すずまきさんなら書けるとか、男爵なら平気だとか、そんな感じで書けなかったことなんかなかったんですけど……。
ただいま、リハビリ中ですっ!
で、
こちらは新作ではないんですけど、『破壊のワルツ』の反動に書いたものなので、脱稿は今年の2月です。
お話の時期は、ふたりが付き合いだして4年目、『スキャンダル』の半年くらい後です。
コンセプトは、
『秘密で銀魂のグダグダアクション』です。←ここで何人の方がタブを閉じることやら。
内容は、
ギャグで、バトルで、少年漫画、です。←…………。(セルフ突っ込みすらできない)
太平洋より広いお心でお願いしますっ!
秘密の森のアリス(1)
長い眠りから醒めた3人は、空腹を覚えて立ち上がった。
深い森の中に彼らの食料は豊富にあったが、一番のご馳走は見つからなかった。眠りに就く前には、日に1度くらい、少なくとも3日に1度は訪れた『ごちそう』。しかし何日待っても、それは現れなかった。
仕方なく、彼らは森の奥から少しだけ出てみた。が、そこにもご馳走の影はなかった。
そうして徐々に徐々に、彼らは森の外れまで来た。
森が切れると、そこは崖になっていた。木々が生い茂っていたはずの山は、彼らが眠っている間に地肌を晒し、その身体に道を横切らせていた。あんなところに道が作れるなんて、と彼らは驚いたが、そこを通っていく物体にはもっと驚いた。
平たい箱のような形の鉄の塊が、すごいスピードで走っていった。
その中から、ご馳走の匂いがした。
彼らはふわりと空に浮き、崖上の道に降り立った。そして無造作に手を伸ばすと、耳障りな音と共に突っ込んできた鉄の塊を受け止めた。
彼らは鉄の扉を破り、中にいたご馳走を貪り食った。
*****
旅行プランを曽我が立てたと聞いたときから、薪はなにか不吉なものを感じていた。
季節は第九の閑散期の2月。年に1度の第九の慰安旅行は、近場の温泉に1泊で出かける。緊急に呼び戻されても対応できる都心から3時間までの圏内で、できるだけ静かで心穏やかに過ごせる場所を選ぶ。宿と観光先を企画する幹事は順番に交代していくのだが、今年は曽我の番だった。
「あー、田舎っていいですねえ。空気がおいしいです」
「緑がいっぱいですね。駅前なのに、商店街もない」
「かわいい小鳥がたくさんいますよ。スズメじゃないですね、十姉妹かな」
さびれた田舎の駅に降り立ち、旅行風体の8人は歓声を上げる。
常日頃から、IT技術の最先端に身を置いている彼らだからこそ、自然のものに癒しを求める。それは当然の摂理かもしれなかった。
バスの乗継までの半時間を辺りの散策に費やそうとして彼らは、しかし、2月の寒さに早々と引き返す羽目になった。一面に白く塗りつぶされたような空と、ピンと張った冬の空気の中にちらちらと白いものが混じり始め、慌てて駅舎に戻った彼らは、待合室に灯油を使うタイプのストーブを見つけ、その骨董品のような暖房器具を珍しそうに取り囲んだ。
ストーブの天井に、薬缶が置いてある。薬缶の口からはシュンシュンと蒸気が吹き出し、待合室の湿度調整に一役かっている。透明な丸い窓から見える炎は人間の脳に直接訴えかけ、体感温度を一気に上昇させる。火災の危険性から徐々に廃れていったこのレトロな暖房器具は、実はかなりの合理性を持ったスグレモノだったと、妙に感心したりする。
「曽我。かなり地方まで来たようだが、第九まで3時間で帰れるんだろうな?」
「大丈夫ですよ、薪さん。電車で2時間、バスで1時間。ぴったり3時間です」
第九から東京駅まで20分、ここで30分の待ち時間があったら、すでに小1時間超過しているのではないか、と薪は思ったが、年に1度の慰安旅行だし、どうせ緊急の呼び出しが掛かっても、遺体を病院に搬送して脳を抽出するには手続きやら何やらで3時間は掛かるから、と自分を納得させて口を噤んだ。多分、他の連中も同じようなことを考えているだろう、と顔を上げると、マヌケな幹事の坊主頭の向こうに、バスの運行表が見えた。
「帰りは?」
「帰りも同じですよ。バスで1時間、電車で2時間」
「そうじゃなくて。ここのバス、日に2本しかない。緊急で呼び出されたとき、どうやって帰るんだ?」
「…………え」
笑顔のまま固まった曽我の、思わずこぼれた素の声に、薪は自分の嫌な予感が的中したことを知る。
「『え』ってなんだ、『え』って! まさか考えてなかったのか!?」
「いや、だって。『都心から3時間・温泉』でネット検索かけたら、ここがヒットしたから」
「岡部、おまえが付いていながらなんだ。気付かなかったのか」
「す、すみません」
自分が官房室との掛け持ちになってから、事件以外の瑣末な決め事は、全部副室長の岡部に任せてきた。始めはざっと目を通していたのだが、官房室の仕事が増えるにつれ、それも次第にしなくなり、現在では報告を聞くだけになっていた。だからこれは自分の怠慢が招いた結果でもあるのだが、それを素直に認めるようなら薪にあんな渾名はつかない。
「大丈夫ですよ、慰安旅行は毎年行ってますけど、今まで1度も呼び出されたことなんてないじゃないですか」
「今までなかったからって、今回もないとは限らないだろ」
怒り出した薪をなだめようと、何人かの部下が口々に彼を安心させようとしたが、どんな時にでも仕事に万全を期したがる薪のこと、その怒りはそう簡単に収まるものではない。
険しく眉を寄せた薪と、困惑した職員達が黙って対峙する重苦しい雰囲気の中、第九最年少の捜査官が控えめに口を挟んだ。
「あの、どうしても薪さんがご心配なら、オレ、第九に引き返して今回は留守番してます。ですから皆さんは、このままご旅行を続けてください」
「おまえ1人じゃ」
「大丈夫です。万が一のことがあっても、脳データの抽出作業だけならオレ1人でもできますし。みなさんが帰ってくるまでに、できるだけ解析を進めておきます」
青木は若いが、すでに6年目のベテランだ。任せて安心できるだけの実力はあるし、彼の犠牲は室長の憂いを払う唯一の手段だと思われたが。
「バスが来たぞ」
駅の停留所に滑り込んできたバスに気付いて、薪はついと頭を振る。
それから青木の首に巻いた手編みらしきマフラーを引っ張り、彼を引き摺るようにして表に出た。
「あの、薪さん」
「おまえ、僕のボディガードだろ。だったら対象から離れるな」
先月、官房室から正式に下った辞令を振りかざし、薪は青木の進言を却下する。カモフラージュ目的の護衛役でも、役目は役目だ。
「でも」
「いざとなったら小野田さんに頼んで、ヘリ飛ばしてもらうから」
後ろから付いてくる他の部下たちには聞こえないよう小さな声で、薪はこそっと囁いた。
「……いいんですか?」
それは、様々な事情から、これ以上小野田に借りを作りたくない薪にとっては好ましくない選択肢だった。それが分かっている青木の気遣いは尤もだが、背に腹は替えられない。
だって。
おまえがいなかったら、つまらないから。
子供っぽい我儘を、つんとそびやかしたポーカーフェイスの下に閉じ込めて、薪は乗り合いバスに乗り込んだ。 運転席側に2人掛けの座席が7列、乗り口側に一人掛けの椅子が5個、後部に5人掛けのベンチシートがある中から、薪はバスの中間にある一人掛けの椅子を選び腰を降ろした。窓の外に顔を向け、風景を眺める振りをしながら、背後にいる大男の気配を探る。
彼が通路を挟んで薪の隣に腰を下ろしたのを感じ取って、薪は少しだけ頬を緩めた。
身体の大きな青木は、二人掛けの椅子に独りで座るだろうと思っていた。自分たちの他に乗客がいないことを確認した同僚達も、次々と二人掛けの座席を単独で占有する。いくら身体が小さいとはいえ、薪もそのほうが楽なのだが、でも。
「薪さん。こちらの席の方が広いですよ」
「僕はここでいい」
後ろの席に移ってしまったら、青木の顔が見えなくなる。この旅行の間は見ていることしか許されないんだから、それぐらいの自由を与えてくれたっていいだろう。
決して顔には出さない、絶対に口にはしない、自分でも恥ずかしいと思うこの気持ちを、だけど捨てることはもっとできなくて、だから薪は必死に抑え込むしかない。
青木と知り合って6年、付き合い始めて4年。
年が重なるほどに想いは募って、彼を拒んでいた頃の自分が思い出せないくらいだ。昔は友だちでいたいと願っていたはずなのに、今では恋人としての彼しか考えられない。そのせいか、仕事時間以外の彼と友人のように振舞わなくてはならない今の状況に、薪は僅かばかりの歯がゆさを感じていた。
前後の席に陣取った小池と曽我に挟まれて、持参した雑誌やスナック菓子で先輩達と無邪気に盛り上がる彼を、薪はそっと横目で伺いながら、本格的に降り始めた雪を見つめる。
バスは山の中腹に造られた道を走っており、車窓からは下方に見渡す限りに広がっている深い森が見えた。森には針葉樹が多いのか、真冬でも濃い緑色が美しかった。その研ぎ澄まされた緑に、そっと降り積もる雪の白。
みんなでワイワイやるのは嫌いじゃないけど、ふたりきりだったらもっと別の楽しみ方があるかもしれない。もしも休みが取れたら、この美しい雪景色が残っているうちに、彼とふたりで見に来たい。
知らず知らずのうちにそんなことを考えて、我に返って頬を染める。
どうも自分は、雪とか満天の星空とか、そういうものを目にすると彼とふたりで見たい、と短絡的に考えてしまう傾向があるようだ。気をつけないと。
「ずい分、降ってきましたね」
雪の山道を進むバスの運転手に、一番前の席の岡部が声を掛けた。
「ええ、この辺りは昔から雪が多くてねえ。今はこの道ができたからいいけど、以前は冬になると、街に出るのも命がけだったらしくて」
田舎のバスの運転手らしく、彼は客の話に気軽に応じ、地元に伝わる伝承などを話してくれた。
「お客さん、あっちにでっかい森があるでしょ? あの森には、妖怪が住んでるんですよ」
「よ、妖怪?」
実は怪談の類は苦手な岡部が『妖怪』と言う忌まわしい単語にぎくりと顔を強張らせるのに、前を向いたままの運転手は悪気なく話を続けている。
「私らが小さい頃は、『森の妖怪に食わせるぞ』っていうのが悪さしたときの親の切り札でね、そんな言い伝えが残ってるんですよ。
種を明かせばこういうことです。この道ができる前、私らの曾爺さんくらいの頃は、あの森を抜けて街へ行ったんですって。だから冬は本当に命がけで。森で行き倒れて、帰らない村人が何人もいたそうです。それがいつの間にか、妖怪に食われたってことになって」
実際に住んでみないと、その土地の苦労は分からないものだ。
他所から来た自分たちは美しい森に感動すら覚えるけれど、つい100年ほど前は、この地域の人々にとって、この森は畏怖すべきものだったのだろう。自分の家族を森に奪われた、と嘆く人々もいたに違いない。
「今は安心ですよ。この道がありますからね」
「まったく。文明とはありがたいものですな」
「まあ、最近はその文明が逆に禍してか、カーブも雪道も関係なしにスピードを出し過ぎて、自損事故を起こすような連中も増えました。こないだの事故も、いったい何キロ出してたんだか。車体が潰れて、半分の長さになってましたよ」
文明は、必ずしも人の命を救わない。以前森で亡くなった人の数と、現在交通事故で亡くなる人の数を比べてみたら、案外今の方が多いのではないか、と薪は皮肉なことを考える。
「それはひどい。ドライバーは即死だったでしょうね」
「多分ね。遺体は見つかってないんですが、助からなかったでしょうね」
「遺体が見つからないって、どうして」
「おそらく、窓から投げ出されたんじゃないかって。この道の下は崖になってて、すぐ側まで森が迫っているでしょう。森には野犬が多いですからね、その餌食になってしまったんじゃないかと」
皮肉な薪と違って人の好い岡部は、同情に細い眉を寄せ、
「それは遺族の方も、悲しまれたことでしょう」と死者を悼む口調で言った。
「ええ、母1人子一人の家庭で」
岡部の言葉に相槌を打って、運転手が言いかける。
その言葉が終わらないうちに、センターラインを大きくオーバーして突っ込んできた対向車が、薪の目に映った。