ニアリーイコール(1)

 こんにちは。


 こちら、先月書きました雑文です。 (あ、また予告とちがう)
 ストーリーのないお話なので、だからとってもつまんないんですけど、実はこれ、
 6月号を読まれたあおまきすとさんならみんな気になってると思う、
『青木さんと薪さんの気持ちは絶望的にすれ違っている。 これであおまき成立と言えるのか』
 という命題に対するわたしなりの答えでございます。
 なので、8月号が発売される前に公開しておきます。 
 いえ、8月号でちゃぶ台返しはないと思いますけど、一応念のため。(←だって何度もイタイ目に遭ってるから(^^;)


 雑文はね、いつもこういう感じで、原作を読んで何かしら思ったり、音楽を聴いてあおまきさんに転換&妄想したり、そんな他愛もないことで生まれてくるんです。 
 本来なら、レビューにしたり日記にしたりして公開するものなんでしょうけど、わたし、日常の文章はどうも苦手で~、SSにしたほうが、自分の気持ちがちゃんと文章になるような気がします。 少なくとも、文を書いてる途中で自分の考えが分からなくなったりしない。 ←もうバカとしか……。
 ということで、よろしくお願いします。

 なお、こちらのふたりは付き合って6年越え。
 将来を誓い合っちゃった後だと思って読んでください。






ニアリーイコール(1)






「カエルの声がする」
 そう言って薪は、不愉快そうに眉をしかめた。

 せっかくの露天風呂なのに、蛙の鳴き声がうるさくてゆっくりできなかった、とこぼしながら、濡れた髪を拭き始めた彼の手から青木がタオルを取り上げたのは、その拭き方があまりに乱暴だったからだ。
 そんなに手荒に扱ったら、細くてやわらかでサラサラの、青木の大好きな彼の髪が傷んでしまう。濡れた髪は、とても傷つきやすいのだ。薪はこんなにきれいなのに、自分の美貌を維持することに無頓着すぎると青木は思う。
 備え付けのソファにすとんと腰を下ろし、後ろに立った青木に髪を拭いてもらいながら、薪は軽く舌打ちする。
「青木、窓閉めろ」
 そんなに気になるのだろうか。田舎育ちの青木には、田んぼの畦道で懸命に鳴く両生類の声は懐かしく、子供の時分を思い出したりして、いっそ愛しく聞こえるのだが。

「閉めたら暑いですよ。今時期はまだ、冷房入れてないんですから」
「ったく。東京なら、こんな不愉快な思いをしなくて済むのに」
 休暇を利用して、T県に来ている。薪がナイトサファリに行きたいと言うので、土日を利用した小旅行と相成った。ここはサファリパークの近く(と言っても車で20分ほど走ったが)にある小さなペンションで、6月からでないとエアコンのメインスイッチは入らないようになっている。
 そんな不自由なペンションをどうして青木が選んだかと言うと、実はこの宿は全室掛け流し温泉露天風呂付き、「カップルで泊まりたいペンション(関東圏)ベスト5」にランクインしているのを旅行誌で読んで知っていたからだ。しかし、その記事にはエアコンの記述はなかった。蛙の声がこんなに煩いことも。泊まってみないとわからないことはけっこうある。

「来るんじゃなかった、こんな田舎」
 サファリパークでは大はしゃぎだったくせに。相変わらず勝手なひとだ。
「風情があっていいじゃないですか。カエルの大合唱なんて、東京では聞きたくても聞けませんよ」
 薪の憤慨を軽くいなしながら、青木はドライヤーの用意をする。薪の我儘は今に始まったことではない。この位の不満声でいちいち慄いていたら、彼の恋人は務まらない。

「あれのどこが風情だ。ただの騒音だろうが。あまりに喧しくて、早々に引き上げざるを得なかった」
 1時間も風呂に浸かっていたら充分だと思うが。
「月がすごく綺麗だったのに」
 可愛らしく唇を尖らせる薪の髪に、指を埋めながら青木は、
「まあまあ。薪さん、カエル、お好きでしょう? だったら大目に見てあげましょうよ」
「好きじゃない」
 また心にもないことを、このひとは。
 薪は動物が大好きで、だから手っ取り早く彼のご機嫌を取りたいと思ったら、動物園に連れて行くのが一番簡単で確実な方法だ。園内にある爬虫類のブースで、子供に紛れやすいようにラフな服装をした彼が、アクリルの透明な板に鼻先を付けんばかりにして色鮮やかな両生類を凝視している様子を、青木は数え切れないくらい目撃している。
 よって青木には、薪が明らかに虚言を発していると分かったが、目撃証言を元に彼のウソを暴くようなことはしなかった。そんなことをしたら逆ギレされて、2階の窓からガラスごと蹴りだされかねない。

「そうでしたっけ?」
 曖昧に疑問を投げかけるだけにとどめて、薪の髪を乾かし始める。
 最初は地肌から。髪の根元を持ち上げるようにして、襟足に温風を送る。傷みやすい毛先からかけてはいけない。ドライヤーをかける目的は、速やかに頭皮を乾かすことによって雑菌の発生を防ぐことだ。
 青木の左手は薪の短い髪を丁寧にほぐし、その右手はドライヤーの先端を小刻みに動かす。同じ箇所に長く当ててはいけない。熱による髪のダメージを低く抑えるためだ。
 行きつけの美容室で教えてもらったことを思い出して、青木は注意深く恋人の髪を乾かしていく。濡れた髪はつやつやと光って、普段よりもいくらかダークな色合いに見える。その水分が青木の手に移り、部屋の空気に移り、やがて薪の髪はいつもの輝きと手触りを取り戻す。

 こんなにきれいなのに、と青木は再び独語する。
 薪の行きつけのヘアサロンが、警視庁内の簡易床屋だなんてあり得ないと思う。髪形だって、こんなありきたりの短髪じゃなくて、カリスマ美容師とかがいる店で流行の髪形にカットしてもらったらどんなにか彼の美貌を引き立てることか。てか、今どき床屋って。岡部や曽我でさえ近所の美容室を利用しているというのに。尤も、曽我の場合は美容室の女の子が目的のようだが。
 でも以前、美容室を使うよう薪に進言したら、何故かものすごく怒られた。「おまえは僕をアクマの巣窟に放り込む気か!」とわけのわからないことを言われたが、あれはどういう意味だったんだろう。薪の言動は、ときどき理解不能だ。

「カエル自体は嫌いじゃない。鳴き声も単体なら、おまえの言うところの風情を認めよう。でも集団になったときの、あの競い合うような浅ましい鳴き方は嫌いなんだ。おまえ、あいつらが今、何のために鳴いてるか知ってるのか」
「知ってますよ。メスを呼ぶためでしょう」
 孔雀がその美しい羽根を広げてメスを魅惑するように、カエルは鳴き声で異性を惹き付ける。そう思うと彼らの騒がしい声も、情緒的な響きをもって聞こえてくるから不思議だ。
「暗闇の中、声だけを頼りに愛する人を見つけるなんて。ロマンティックじゃないですか」
「なにがロマンティックだ。おまえはそれでも警察官か。暗闇に紛れてあいつらがやってる犯罪行為を見逃すのか」
「なんですか、カエルの犯罪って」
 のどかな田園風景を演出する陰の役者たちに掛けられた疑惑に青木が首を傾げると、薪は、ふん、と高慢に笑った。この仕草、普通の人間がやったら絶対に鼻につくと思うのだが、薪がやるとどうしてこんなに可愛く見えるんだろう。

「蛙の鳴き声にも巧拙があって、上手に鳴く蛙には、メスがたくさん寄ってくるんだけど」
「アイドル歌手は人気者ですか。人間と同じですね」
 美声でイケメンのアイドル歌手に熱を上げる女性たちを連想して、青木は苦笑した。人間も蛙も、女性と言うのは基本的に同じなのかもしれない。しかし薪は、とんでもない、と言うように首を振って、
「これは人間の女性がアイドル歌手に群がるミーハー心理とはまったく別のものだ。賢い彼女たちは、種全体を繁栄させるため、より強い子孫を残すため、どうしたらいいかを考えて行動している。彼女たちの接近は対象の表面的なものに惹かれてるんじゃなく、強い鳴き声の個体は生命力も強いはずだと判断した上でのアプローチなんだ」
 そうなのか、知らなかった。
 蛙にそこまで考える能力があるわけないから、これはDNAに組み込まれた行動パターンのひとつに過ぎないのだろうけど、逆にそれを本能的にやってのけるところが動物のすごさで、薪が動物たちに敬意を払う理由のひとつだ。
 どうだ、彼女らはすごいだろう、と自慢げに瞳を輝かせて、薪は蛙のラブアフェアの講義を続ける。

「でも人間と同じで、彼らも喉を鍛えるにはある程度の年月が必要だ。だから、メスを引き寄せられるような魅力的な声が出せるのは、たいていは身体の衰え始めた年寄り蛙なんだ。
 反対に、身体機能は盛んでも、若い蛙は弱々しい声しか出せない。これではいくら頑張って鳴いても、メスは寄って来ない。
 で、若い彼らはどうすると思う?」
 使い終わったドライヤーを元の位置に戻しながら、青木は「さあ?」と首を捻った。ソファに座った薪は身体を捩り、左腕をソファの背もたれに載せて、
「年寄り蛙の側に隠れていて、寄ってきたメスの上に有無を言わさず乗っかっちゃうんだ」
「えっ。じゃあメスは騙されて、目当ての蛙とは違う蛙の子を身篭ってしまうわけですか?」
「そうだ。これは明らかな詐欺罪、しかも相手の合意なくコトに及ぶわけだから、強姦罪も適用される」
 カエルの世界に法律があったとして、それを証明するのは限りなく不可能だと思われるが。だいたい、レイプは申告罪だ、ていうか、どうやってカエルから調書を取るのだ。
「蛙の大合唱の裏では、女性の尊厳を脅かす犯罪が横行しているんだ。実に許しがたい。検察として、死刑を求刑したいくらいだ」
 カエルに裁判制度があったとして、以下略。

「薪さんて本当に、色んなコトを知ってますね」
「当たり前だ。僕はおまえより12年も長く生きてるんだ。知識も12年分多くなかったらおかしいだろ」
 年長者は物知りで当たり前。薪のこういう考え方が、とても好きだ。
 薪は天才だけれど、それ以上に勤勉だ。激務をこなしながらも、毎年、自分に何かしらのスキルアップを課している。それは語学の習得だったり武道の嗜みだったりするが、決して現況に満足せず、より高い位置を目指して努力をし続ける彼の生き方を青木は尊敬している。

 すっかり乾いた髪を軽くかき上げて、薪はソファから立ち、窓辺に寄った。窓から入ってくる弱い風にも揺れる、彼の亜麻色の髪は天女が纏う羽衣みたいだ。耳にかけていない毛先の風に遊ぶ様が、重さを感じさせないその動きが、そんな幻想を青木に抱かせる。
「彼女たちの英知を嘲笑うみたいなからくりを思うと、この声が詐欺師の哄笑めいて聞こえる。だから僕はこいつらの合唱は嫌いなんだ」
 それは不正を憎む薪らしい憤慨で、青木は彼のそういう頑なさが大好きだったけれど、これが原因で薪の機嫌が悪いまま夜が終わってしまうのはどうにもやりきれなかったので、被告側の弁護に立つことにした。

「でも、若いオスの精子の方が、受精の確率も強い子孫になる可能性も高いんじゃないんですか?」
「それは結果論だろ、僕は彼らの奸計が許せないって……いや」
 薪は最初、青木の意見に一層怒りを高めるように激しく振り返ったが、ふと言葉を止めて、
「もしかしたら、彼女たちはそこまで計算してるのかも……うん、確かに、それが一番効率がいい方法だ。そうか、気が付かなかったな」
 考えるときのクセで右の拳を口元に当てた薪は、ふむ、と頷いて青木の方へ身体を向けた。窓ガラスを背にした彼の背後に、白いバスローブを着た彼の背中が映っている。

「なるほど、おまえの説にも一理ある。ていうか、そっちの方が正しいんだ、きっと。やっぱり彼女たちは賢いな」
 そんな言葉で、薪は青木の珍説を支持してくれた。それから窓枠にもたれると、月を見上げながらさばけた口調で、
「結局、見てくれに騙されてバカを見るのは人間だけってことか」
「そうですねえ。何だかんだ言って、男も女も美人の方がモテますからね。人間、見た目じゃないって言いますけど、あれって絶対にウソ……」

 外見に心を左右される人の滑稽さを揶揄する薪の言葉に、青木は追従し、しかし重大なことに気付いて口を閉ざした。
 それから自分の罪深さに初めて気付き、ぞっと背筋を粟立たせ、今までそのことに思い至りもしなかった自らの愚かさに嘔吐しそうになった。
 軽い眩暈に襲われて青木は、その場に膝を付きそうになった。が、薪に心配をかけるわけにはいかないと咄嗟に踏みとどまり、さりげなくソファの背もたれに手を置いて自分を支えた。
 青木が途中で言葉を切ったので、薪は視線をこちらに寄越した。先刻まで月を捕らえていたその瞳に青木を映して、話の続きを促すように軽く微笑んでいる。

「……オレも、風呂に入ってきますね」
 青木が話題を変えたので、薪はちょっと面食らったようだったが、すぐに気分を切り替えてそれに応じた。
「じゃあ、僕ももう一度入ろうかな」
「そんなに続けざまに入ったら湯疲れしちゃいますよ。もう少し、インターバルを置いてください」
 薪の申し出を、彼の身体を気遣う振りで体よく断って、青木は部屋を出た。一人になりたかった。
 狭い廊下を浴場へ向かう青木の足取りは、牢獄へ帰る囚人のように重かった。





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ジャンル : 小説・文学

ニアリーイコール(2)

ニアリーイコール(2)




 蛙の声が聞こえる。
 内風呂はそうでもないが、露天風呂に来るとひどく耳につく。薪が言ったとおりだ。
 その声は、青木に自分の罪を思い知れ、と弾劾するかのように強く激しく、飽くことなく繰り返された。

 薪が彼らの秘め事について教えてくれたとき、青木の頭に浮かんだのは、過去の自分の行いだった。
 自分は、薪の昔の恋人にそっくりなこの顔を利用して薪に近付いた。
 偶然顔が似ていた、それだけじゃない。雪子から聞いた薪の過去や鈴木との様子を参考にして、彼が鈴木を思い出すであろうシチュエーションを用意してまで、彼の心を自分に向けさせようと画策したのだ。白百合の花束や食べ物の好み、鈴木の無邪気さ、遠慮のなさ、それらは雪子から得た情報で青木が意図的に作り出した偽りの青木の姿だった。

 それは紛れもなく薪が憎む不正の一種で、そんな方法でしか彼にアプローチできなかった愚かしい自分を、青木は今こそ殴りつけたかった。
 彼に近付きたくて、自分のことを見て欲しくて、それがどんなに欺瞞に満ちた行為だったか、あの時は気付かなかった。あの頃、いつも青木は鈴木のことを意識していた。薪の前で、鈴木ならこうしただろうと思われる行動をわざと取った。そうすれば薪は断れない、鈴木にそっくりの自分を拒否できない、そこまで計算していた。

 自分は彼に関心を持ってもらうために、彼の大切な思い出を利用した。
 薄汚れた詐謀で、薪の一番大事なひとを汚した。

 鳴き上手な同胞を利用して自分の欲望を満たす狡猾な雄蛙のように。
 自分も、彼らと同じことをしてきた。薪が対峙したときに平常心を失うこの世でただ一人の人物の虚像を使って彼に近付き、最終的に彼を手に入れた。浅ましさと欲にまみれた行為。自分と彼らと、どこが違うのだろう。

 ――――― 昔の話だ。
 青木は自分にそう言い聞かせる。
 
 今は違う。鈴木を意識したりしていない。それに、そのことではちゃんと報いも受けた。ベッドの中で鈴木に間違われて……よくよく考えたら、自分は怒れる立場ではなかったのだ。自分は「昔の恋人にそっくりな男」という触れ込みで薪の心に入る作戦を立てていたのだから、当然の帰結だったのだ。
 あの時は青木だって辛かった。それでチャラでいいじゃないか。

 だけど。
 薪はそのことに気付いていない。薪は青木の謀に乗せられただけ、なのにあんなに自分を責めて、何ヶ月も責め続けて。
 ベッドの中で、申し訳なさそうに瞳を伏せていた彼を思い出すと、今でも胸が痛む。
 彼が悪いのではないのに、悪かったのは自分なのに。
 やってしまったことは取り返せないし、現在はこうして上手く行っているのだから、蒸し返すことは得策ではない。薪だって、今更そんなことを言われても困惑するだけだろう。
 分かっているのに、どうも気持ちが悪い。腹の底がムズムズして、落ち着かない。薪の顔が真っ直ぐに見られない。

「おまえにしては、長湯だったな」
 風呂から上がって部屋に戻った青木に、読んでいた文庫本の頁から顔を上げて笑いかけてくれた薪に、ぎこちなく微笑み返して青木は備え付けのサニタリーに入った。青木が入ると一人で満員になってしまう狭い空間で、肘に当たる壁を気にしながら髪を乾かす。
「夜が更けたせいかな、蛙の声が低くなったみたいだ。空気も冷たくなってきたし」
 薪は文庫本を閉じて、ソファから立ち上がった。テーブルの上に本を置くと、スタンドの灯りを消して、常夜灯に切り替えた。
「涼んだら、窓を閉めておけよ。僕はもう休むから」
 そう言ってベッドに入った。

 髪を乾かし終えると、青木はソファに座り、天井の常夜灯を見上げた。後頭部を背もたれに載せ、ぼんやりとオレンジ色の光を眺める。
 しばらくそうしていても、薪の寝息は聞こえてこない。ベッドの中で自分を待ってくれているのだろうな、と思ったけれど、青木はソファから動く気になれなかった。

 薪が寝返りを打つ音が聞こえた。後ろ頭に、視線を感じる。こちらをじっと見て、慎ましく青木を待っている。
「青木、まだ暑いのか?」
 焦れたらしい。
「薪さん、ベッド使ってください。オレ、こっちで寝ますから」
「どうしたんだ?」
 青木の返答にびっくりして、薪はベッドから青木のいるソファにすっ飛んできた。薪が驚くのも無理はなかった。土曜の夜に外泊して、そこで別々に休むなんて、初めてだ。何事かあったと思うのが普通だろう。

 青木が返答に迷っていると、薪はちょこんと青木の隣に腰掛けて、青木の顔を覗き込んだ。思わず青木が眼を逸らすと、薪も視線を外し、青木と同じように背もたれにその身を預けた。青木がそっと彼の様子を盗み見ると、薪の澄ました横顔には亜麻色の瞳だけが不安げに揺れていて。きっと恋人が急にふさぎこんだ原因を探っているのだろう、でもさっぱり分からなくて困っている。

 貴重な休日に薪を連れ出しておいて、その上彼に気を使わせるなんて申し訳ない、と青木は思う。
 ごめんなさい、薪さん。こんなことで凹むなんてオレらしくない、明日になったら元気になりますから、すみません、今夜は放っておいてください。

 心の中で謝るが、そんなものは自分への言い訳にしか過ぎなくて、だから彼に伝わるはずもない。青木の心中を知りようのない薪は、惑い、思案し、不安になって、彼にしてみれば精一杯の行動に出る。
 細い指が、青木が着ているバスローブの紐にかかった。大抵のことなら青木はこれで機嫌を直す、と薪に思われているに違いない。たしかに、日常のちょっとした落ち込みなら喜んで誤魔化される青木だが、今日のは事情が違う。
 結び目を解こうとした薪の手を、青木は自分の手で制した。拒まれたことに驚いた薪の瞳が丸くなる。

「青木?おなか痛いのか?」
 …………オレが拒む原因て、薪さんの想像では腹痛しかないんですね……。
「いいえ、どこも痛くないです。でも、ペンションは壁が薄いから。声が隣に聞こえちゃいますよ」
 ここは角部屋で、隣の部屋は空き部屋で、そんなことは最初からチェック済みだったけれど、青木は敢えて知らない振りをした。欺瞞の象徴とされる声を聞きながら、欺瞞で彼に近付いた自分が、彼に触れるのは許されない気がした。
「……抑えるから」
 気が付いてみれば、薪はまだバスローブのままでいて、その下にはシャツも着ていない。薪もちゃんとその気でいてくれて、でも今の青木には、そんな彼の健気さが息苦しかった。

 自分の気持ちを吐き出せば楽になる、きっと薪は許してくれるとも思った。だけどそれはあまりにも利己的な考えで、正直と言えば聞こえはいいが、薪のやさしさに頼り切った卑怯者の行動だ。聞かされた薪の気持ちを考えたら、絶対に口にすべきではない。

 鈴木の存在は薪にとって、魂の奥深くに大切にしまった至宝だ。
 薪がどれだけ彼を愛していたか、別れてから十年の上もその想いを捨てきれないでいた、その事実を知りながら、青木は薪の消すことのできない恋情を利用した。自分は、薪の一番大切なものを穢したのだ。

 最も許しがたいのは、と青木は激しく胸を疼かせる。
 今の今まで、己の罪を知ることもなく、のうのうと彼の傍で、彼に愛されていたことだ。気付かなかった、知らなかった、それは免罪符ではなく、最も深い罪だ。

「青木?!」
 薪の驚いた声が聞こえて、青木は初めて自分の頬に涙が伝い落ちていたことを知る。慌てて手で隠すが、薪の心配は一気に加速して、
「そんなにお腹痛いのか?待ってろ、オーナーから薬もらってくるから。いや、医者に行ったほうがいいかな、よし、いま救急車を」
 得意のカンチガイが始まった。

「違います! どこも痛くないですから!」
「じゃあ、どうして泣いてるんだ?誰かに苛められたのか。もしかしてあれか、3つ隣の部屋の若いカップルか。すれ違いざまにおまえのこと、ウドの大木とか言って笑ってたやつら」
 思い込んだら即行動の薪の手から携帯電話を奪い取って、一安心と思いきや、数秒の間もおかず次のカンチガイループに走りこむ。頭の回転がよすぎるのも考えものだ。
「よし、僕が百倍にして返してきてやる!」
「え、オレ、そんなこと言われてたんですか? てか、違いますから!」
 ドアノブに手をかけた薪を後ろから抱きしめるように留めて、青木は焦る。
「今、彼らの部屋に飛び込んだら大変なことになりますよっ!!」
 多分訴えられると思う、絶対にそうなると思う、だってこのペンション、全室ダブルベットのカップル仕様になってるし、そういう時間だもん!

「じゃあ、なんなんだ」
 青木の腕の中で、若魚が跳ねるようにくるりと身体を反転させて、薪は青木の両頬を両手で挟んだ。そうして自分から眼を逸らせないように青木の顔の向きを固定すると、容赦なく尋問用の厳しい視線をぶつけてきた。
「何をグダグダ考えてるのか知らないけど、考えすぎるとロクなことがないぞ?おまえはバカなんだから、仕事以外で無理に頭使うな。負荷を掛け過ぎるとニューロンがショートして、耳から煙が出てくるぞ」
 薪の漫画みたいな喩えに、青木はつい頬を緩める。振動が彼の手のひらに伝わって、それでようやく薪は吊り上げた眉をなだらかにしてくれる。

 平常に戻った形の良い眉の下に、叡智を宿す宝玉がふたつ。今それは、青木の沈痛と薪の不安を映して、かすかに震えている。
 薪に、こんな瞳をさせてはいけない。

 自分が楽になりたいだけかもしれないけれど、彼の憂いを増やすことはしたくない。それでまたひとつ自分の罪が増えることになっても、それはすべて自業自得だ。
「薪さん、ごめんなさい。オレ……あいつらと一緒です」
 あいつらって?と薪は首を傾げ、鸚鵡返しに訊いた。
 曖昧な表現だったな、と青木は反省し、薪に分かるように直接的な言葉を選んだ。

「騙したんです、あなたのこと」




*****

 原作の青木さんて、けっこうこういうとこあると思うの。
 彼は、薪さんの想いに気付かない。 雪子さんがあそこまで口にしているのに、気付こうともしない。 
 鈍いというわけではなくて、自分の中にないものは想像するのが難しいから、そういうことなんだとは思うけど、それもまた罪だなって。
 そういう青木さんだから薪さんも惹かれたのでしょうけどね。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

ニアリーイコール(3)

 こんにちは。

 明日はメロディ発売ですね。
 あー、緊張します……!!!
 6月号に比べたら、楽なもんですけど。 (←明るい未来しか考えてません)
 たーのーしーみー♪♪


 すでにご覧になった方も多いと思いますが、
 先日、『晴れときどき秘密』のみひろさんが、『天国と地獄』に登場する裸ワイシャツの薪さんを描いてくださいましたっ!! 
 この薪さんが、えらい色っぽくていらして、まあなんですか、うちの男爵とは大違い! 眼福とは正にこのこと!!

 まだご覧になられていない方は、ぜひぜひ飛んでみてください!! → (裸ワイシャツ薪さん
 
 




ニアリーイコール(3)





 何が原因だったのか、薪には見当もつかなかった。
 さっきまで機嫌よく話をしていて、薪の髪を乾かしながら首筋に触れ肩に触れして夜のサインを送ってきていた恋人が、突然その矢印の向きを変え、ベッドで待っている自分に見向きもしない。と思ったら突然懺悔を始めて。彼の中でどんな変異が起きたのか、薪には全く理解できなかった。

「薪さんが」
 薪は青木をベッドに座らせて、黙って手を握った。薪の手を握り返して、青木はとつとつと言葉を紡ぎだした。
「薪さんが鈴木さんのこと好きだったの、最初から知ってました。オレは薪さんに好いて欲しくて、オレに関心を持って欲しくて、鈴木さんとそっくりのこの顔を利用したんです」

 青木の言っていることが、薪にはよくわからなかった。
 どうして今になってそんなことを。それは確かに、薪が青木に心を惹かれた大きな要因だった。でもきっかけなんかどうだっていい、大事なのは今の気持ちじゃないのか。
 あほらしい、と薪は思ったが、そんな取るに足らないことを気に病む彼の純真が愛おしくもあった。こいつは本当にかわいいと、風呂上りで下ろした彼の前髪に、薪はやさしく手を差し入れた。
 滑らかな額を指先で撫でて、それは人に慣れない子猫の額をそっと撫でるように細心の注意を払って、怖がらないように、安心させるように、指先から僕のこの想いが彼に流れ込むようにと祈りを込めて、薪は彼の額を慈しむ。

「青木。あんまり僕を見くびるな。僕が外見に騙されて、そいつに心を奪われるような愚か者に見えるのか」
「普通なら惑わされないと思いますけど。薪さん、鈴木さんのことになると人が変わるから」
 ……………否定したいけどできない。

「おまえはそんなことはしていない」
 非難されるべきは自分のほうだ、と薪は思う。
 青木の中に、彼を探していた。ずっとずっと、彼の面影をこいつに求めていた。青木はそれを読み取って、僕の我欲を満たしてくれただけ。

「おまえが意識的に鈴木を装ったのは、あの時だけだ。僕を慰めてくれた」
 第九にやってきた女子職員の策謀に巻き込まれた時のことを思い出して、薪は言った。

 その時は何も考えられず、親友にするのと同じ行動を取ってしまった薪だが、後になって色々と考えた。
 一番最初に、青木はつらかっただろう、と思った。
 僕はあのとき、青木を見ていなかった。僕の身体を抱きしめて慰めてくれたのは、鈴木だった。
 自分が誰かの代わりにされる、それはどんなにか人の心を傷つけることだろう。それが分かっていながら、青木は自分のために己の存在を捨ててくれたのだと知って、薪は彼に傾く気持ちを抑えることができなくなった。
 そうして彼を愛し始めたはずなのに、それからも僕は……青木が鈴木とは全くの別人だと、どんなはずみにも間違えることがなくなるまでには何年もかかった。

 青木はそんな僕を、許してくれた。変わらず愛してくれた。
 その彼を、例え彼と出会ってから今まですべてが偽りだと知らされたとしても、僕が許さないなどあり得るだろうか。
 今現在、青木が僕を騙していてさえ、僕は彼を許す。彼の愛情は疑うべくもないけれど、それは僕の彼へと向かう気持ちには何の関係もないこと。

 僕たちの想いはいつもどこかしらすれ違っていて、理解し合えたと感じた時ですら完璧なイコール記号では結べない。どちらかが僅かに大きかったり、ベクトルの方向がコンマ1ミリほどずれていたりして、そこにあるのは必ず、イコールの上下にドットマークのついたニアリーイコールの記号だ。
 今だって、彼は僕にはまったく理解のできないことでしょぼくれて、せっかくの夜を台無しにしようとしているし、僕は僕でそんな彼に同調することもせず、泣きべそをかいた彼をとても愛おしいと思っている。

 いま、僕たちの想いは見事なまでにすれ違っている。
 だけど僕たちの根底にあってそれぞれの想いを生み出しているものはドットマークとピリオドほどに相似していて、青木の憂鬱も僕の中に突き上げる衝動も、そこから派生したもの。それを思えばこんな具合に、てんで勝手な方向を向いた自分たちでさえもニアリーイコールで包括できる。
 こんな状況をとても幸せだと感じる僕は、数学者にはなれないのだろう。

「あの時だけじゃないんです。初めて薪さんにデートしてもらった時だって、鈴木さんから白百合の花を贈られていたって聞いて、それで」
「そういうのは利用したって言わない。だれだって最初は好きな人に気に入られたくて、相手の好みにあった行動を取ろうとするだろう?それは好かれる努力であって、奸計じゃない」
「オレのはそんなかわいいもんじゃありません。薪さんにとって、鈴木さんの思い出がどれだけ大事だったか、知っててオレは」
 青木の目の縁に浮いて留まっていた水の粒が、張力の限界を超えて零れだす。それを指先で拭ってやりながら、薪はとても満たされた気分になる。自分の前で感情をさらけ出してくれる、それは彼の信頼の証。

「僕が違うと言ったら違うんだ。おまえ、僕に意見する気か」
「そうじゃありませんけど、でも」
 未だに薪の眼を見ようとしない青木の黒い瞳を覆うのは、透明な水膜。それは悲しみなのか口惜しさなのか、何を嘆くのか何に憤るのか。
「オレは……自分のしたことが、それに気付きもしなかった自分が許せなくて」
 ずっと昔、目の前で青木に大泣きされたときのことを思い出して、薪は頬に浮かぶ微笑を抑えられない。あの時はうろたえるばかりだった自分が、今はこんなに落ち着いている。彼を慰められる自信がある。元気付けてやれる自信がある。

 他人の哀楽を自分が操れると思うなんて、と嘲笑いたくば笑え。笑われても僕は平気だ、何故なら。
 僕の傲慢は彼の愛を信じていることの証明であり、僕が彼を愛していることの履行に他ならない。

 だから僕は、どこまでも高飛車に彼の心を支配する。
「僕が許してやる」

 あくまでも高慢に、明らかに上からの目線で、薪は言い放った。
 亜麻色の瞳に宿らせた熾烈な輝きは、見るものすべてに激しい沈黙を強いる。青木の意識は一瞬で彼に吸い込まれ、自分がどうしてあんなに悲しい気持ちになったのかを忘れそうになる。

「おまえがおまえ自身を許せなくても、僕が許してやる。この僕が」
 許すと言う言葉は正当ではない。そう思いながらも、薪は続けて宣告する。
「全部、許してやる」

 許すのではない、僕は、『享受する』のだ。
 青木にされることならどんなことでも、喜びをもって受容する。彼の根底にあって彼を僕へと向かわせるもの、その正体を僕は知っている。それは僕の中にもあって、青木のそれと双子のように似ている、枝葉に差異はあっても本質は同じもの。
 同じ場所から生まれてきてそれぞれの中で育って、大きく大きく成長して、今僕たちを包み込んでいるもの。
 それさえ感じ取ることができたら、他には何もいらないと薪は思う。

「反論は」
「……ありません」
 青木は素直に引き下がった。
 よし、と頷いて、涙の乾き始めた若い頬に薪は愛しく接吻する。少しだけ塩辛い、これも青木の味。
 気がつけば、5月の夜はすっかり更けて、開け放した窓からは湿気た夜気が流れ込んでくる。薪は窓から首を出して中空に上った月を眺め、その美しさに満足して窓を閉めた。
 それからベッドに横たわり、左手を真横に広げ、右手で軽く自分の二の腕を叩いた。

「今日は特別だ。僕が腕枕してやる」
 えっ、と青木が目を丸くするのに、強く睨んで反問を許さない。
 おずおずとベッドに乗ってきて、こわごわと薪の腕に自分の頭を乗せて、青木は心配そうに訊いた。
「重くないですか?」
「おまえのノミの脳みそなんざ、重いわけないだろ」
「オレ、男のひとに腕枕してもらったの、初めてです」
「だろうな」

 青木に上目遣いに見られて、薪は庇護欲を掻き立てられる。遠慮がちな瞳で自分を見上げてくる彼は、自分の未来を知らない子供のようだ。いとしくて、抱きしめたくて、薪は自分の右手が彼の頭を抱くのを止められない。
 横向きになって、青木の頭を胸に抱え込む。黒髪からはフレッシュグリーンの香りがして、薪は今宵の夢が楽しみになる。

 きっと、青木の夢を見る。
 彼を抱いて、彼の匂いを嗅いで、僕は彼の夢を見る。

「あの、本当に大丈夫ですか? 腕、痛くないですか?」
「うるさいな。さっさと寝ちまえ」
 出てくる言葉はぶっきらぼうだけど、青木の髪を撫でる薪の右手はとてもやさしくて、だから青木はまたたく間に夢の世界へいざなわれる。
「薪さん、いい匂い……」
 青木の腕が、薪の右腕の下を通って薪の背中に届く。薪を抱いて裕に余る長い腕。

 抱いて抱かれて眠りに就けば、夢で再び出会うだろう。そのことを彼らは疑いもせず、安心しきって意識を手放す。ふたつの身体でひとつのオブジェを創るようにぴたりと寄り添って、互いの体温をゆりかごに拍動を子守唄に、ゆらりゆらりと落ちゆく先は彼らしか知らない秘密の領域。
 他には誰も入れない、何ものにも侵されない、彼らにしかその扉を開かない、彼らだけの絶対領域。
 朝になれば消えてしまう、だけど毎夜、彼らはここに帰ってくる。ここは彼らの約束の地、たとえ肉体が離れていてさえ彼らはここで巡り会う。そこが彼らの想いを生み出す源泉の地である限り。
 今宵も迷わず辿り着く。




*****


 6年超でもこの程度にしか甘くならないうちのあおまきさん。(T∇T)
 Sさま、ごめんなさいね、でろ甘なあおまきさんへの道は遠いみたいです……。


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

ニアリーイコール(4)

 発売日ですよっ!

 うきうきうきうきうき♪

 
 あ、すみません、お話の方はこれでおしまいです。
 命題に対するわたしの答えは、つまり、

『すれ違っててもいいじゃん、想い合ってるのは間違いないんだから☆』
 
 あらら、一行に書けちゃった。 ええ、それだけの話でございました。 ペラくてすみませんです。(^^;





ニアリーイコール(4)




「っ、ゔぁおぅっっ……!!!」
 踏み潰される蛙のような声を聞いて、青木は荷造りの手を止めた。見ると、洗面所の鏡の前で薪がうずくまっている。顔を洗おうとして、洗面台に肘が触れてしまったらしい。
 青木の頭を抱いたまま眠ってしまった薪の左腕は、朝には指先の感覚が無くなるほどに痺れていた。その痛痒感は薪の美しい声帯に、風に吹かれただけでも声にならない悲鳴を上げさせ、固体に触れようものなら先刻のような何処の言語だか判別の付かない不思議な言葉を喋らせた。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないっ!!」
 青木の心配を即行で打ち返して、薪はきれいな額に青筋を立てる。床にしゃがんだ体勢のまま、青木の顔をキッと見据えて、
「おまえのせいだぞ、青木!」
「はいはい、すみませんね」
 怒り心頭の薪に恐れを抱く様子もなく、青木は彼の手助けをするためにタオルを持ってサニタリーへと向かう。
 自分の身体の不調を青木のせいにする、そんなことは珍しくもない。この人の責任転嫁主義にはもう慣れた。

「ったく。スカスカの脳みそしか入ってないくせに重いアタマしやがって」
「ぜんぶ許してくれるんじゃなかったんですか?」
「だれが許すか!!!」
 顔を洗っている途中のハプニングの為に、濡れたままの薪の顔を拭きながら、青木はこっそりと呟く。
「ころっころ変わるんだから」
「何か言ったか」
「いいえ、なにも」

 薪は、指の感覚を取り戻そうとしてか、左手を何度も開いたり閉じたりしている。その細い指が白百合の花弁のように、あるいは可憐な蝶の羽根のように、動くさまを青木はうっとりと見つめる。
 なんてきれいな指だろう、なんて白いてのひらだろう。
 この手が昨夜、自分の頭を撫でてくれた。繰り返し繰り返し、母親が幼子を慰撫するように、やさしくやさしく撫でてくれた。
 前夜に与えられた慈悲を思い起こせば、その手はとても気高いものに思えて、神の御手を押し頂くように、青木は両手で彼の左手を包み込む。

「薪さ、おごぁっ!!」
「触るな!! ビリビリしてるんだからっ!!」
 だからって、いくらなんでも右アッパーはないんじゃ。
 
 青木が涙目になって顎をさすっていると、薪は自分の左肘を右手で抱え込むように握って、
「おまえ、いつも僕の頭載せてくれるけど、こうなったことないのか?」
「ないです」
「それは僕の頭が軽いという事か?そういう意味か!?」
 また怒られた。正直に答えただけなのに。
 
 腕枕にはコツがあって、相手の首の部分に腕を入れるのが基本形だ。こうすると相手の頭の重さは枕が支えてくれることになるから、腕の痺れは軽くて済む。昨夜の薪のように、相手の頭をまともに腕に乗せて、しかも胸に抱え込んでしまったら、こうなって当たり前だ。
 女の子を腕枕で眠らせた経験のある男なら誰でも心得ている技術を、全然知らない薪が可愛い。見栄っ張りの薪は認めないだろうが、多分、彼の腕枕第一号は自分だ。

「ちょっとくらい痺れても、薪さんとくっついて眠れるの、うれしいです」
 青木がニッコリ笑って正直に言うと、薪は、うっ、と何かを喉に詰まらせたように呻いて、ぷいと横を向いた。
「……ちょっとってレベルじゃないだろ」
 そのまま青木の方を見ずに、薪はドアへと向かった。壁の時計は8時を指している。朝食の時間だ。

 鍵を掛けて部屋を出て、青木は細い廊下を歩く薪に追いつく。
「薪さん、片手じゃ不自由でしょう。オレが食べさせてあげましょうか」
「そんな生き恥を晒すくらいなら、僕は餓死を選ぶ」
「ええ~……」
 相変わらず、薪はシビアだ。青木は薪に食べさせてもらえるなら、腕の一本くらい無くなってもいいと思ってるのに。

――――― でも、昨夜の薪はすごくやさしかった。

 彼に許されて、それでいいと思えるほど青木も単純ではないけれど、悩んでも仕方のないことは考えないのが青木の性分だ。過去は消せない、でも、きっと何かしらの形で取り返す事ができる。やり直せない失敗はない。自分が諦めない限りは、どこからでも再スタートは切れると信じている。

「朝食は、テラスだそうですよ」
「そうか。天気もいいし、気持ち良さそうだな」
 掃除の行き届いた階段を下りて、ロビーを通り抜け、ガラスの扉を開いてテラスに出る。朝食会場では、すでに3組ほどの泊り客が朝食をしたためていた。
 丸テーブルの上に掛けられたクロスは緑と白の二枚重ね。四つ角をずらして重ねることで、交互に出現する色のコンビネーションは、今の季節にぴったりの爽やかさだ。その上に準備されたグラス、コーヒーカップ、ピカピカの食器類に手作りらしいランチョンマット。オーナーの奥さんが、パンのバスケットと木製のボウルに盛られた野菜サラダを持ってきて二人に席を勧め、目印の部屋番号が記されたプレートをエプロンのポケットにしまって戻っていった。
 バスケットからは、焼きたてパン特有の香ばしい匂いがする。サラダはレタスとトマトの色合いがとても鮮やかで、青木の大好きな冷たい牛乳もグラスに満たされていて、青木は自然とうれしくなる。

「美味しい! 牧場直送の牛乳ですね」
 牛乳嫌いの薪が冷ややかな眼差しで、自分のコップをこちらへ寄越す。ありがたく受け取って、右手でコップを持ち上げる。
 2杯目の牛乳を飲みながら、青木は空を見上げる。
 5月の美空は高原の空気に映えて、泣けてくるほど青かった。



(おしまい)



(2011.5)

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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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『ヒカリアレ』
書いてます。
60Pを超えました(笑)
7/18 推敲やってます。
あと20ページ。
7/20 推敲の結果、70Pになりました。←バカじゃないの。
2回目の推敲に入りました。
こんにちは(^^
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