真冬の夢(2)

 今日、地元のスーパーに買い物に行ったら、七夕飾りをやってました。サービスカウンターで短冊を配ってて、「願い事を書いてください」とあったので。

『薪さんが幸せになれますように』 と書いてきました。(切実)
 恥とか世間体とか、しばらく前からわたしの中には存在しなくなったみたいです。





真冬の夢(2)






 薪の家に行く途中、青木は花屋に寄った。
 色とりどりの花の中から、白い百合の花を選んだ。冬の時季は少々値がはるが、雪子の情報によると百合は薪の好きな花だ。きっと喜んでくれるだろう。
 薪の笑顔を想像すると、つい顔が笑ってしまう。おかげで花屋に「デートですか?」と冷やかされた。
 はい、と答えた。まだそんな仲ではないが、今日のところは付き合ってくれそうだ。

 電話では、今日の予定はないと言っていた。付き合ってくださいと言ったら「用意して待ってる」と答えてくれた。
 起きたばかりみたいだったから、まずはカフェで朝食を摂って映画でも観て、街をぶらついて、夕食は薪の好きな和食にしよう。それとも、薪の方でどこか行きたい所があるだろうか。今日は天気が良いし、薪と一緒ならどこへ行ってもきっと楽しい。

 コンビニの角を曲がると、薪のイメージそのままに、四角四面で真っ白な建物が見えてくる。
 マンションの目隠しと景観の両方を兼ねた常緑樹の垣根の前で、薪は青木の到着を待っていてくれた。
 カーキ色のブルゾンの下に、赤っぽいチェックのシャツと白いインナー。黒い細身のジーンズをすらりと着こなして、ところどころ破れた灰緑色のキャップを目深に被っている。
 何を着てもさまになるな、と思うのは惚れた欲目だろうか。

「おはようございます、薪さん。お休みの日にすいません」
「気にするな。で? 現場はどこだ?」
 せかせかと歩き出しながら、薪はおかしなことを言い始める。
「マルヒの写真は? なんで車で来なかったんだ? って、なんだおまえ、その花。カモフラージュならもう少しマシなものを」
 なんだか、激しい誤解をしているようだ。
「あの、なんの話ですか?」
「なんのって……張り込みだろ?」
 ……なんでそうなるんだろう。
 捜査に関することならこんなことは絶対にないのだが、それ以外のこととなると、薪は割合取り違いや思い込みが多い。

「おまえが言ったんだろ、スーツはやめろって。なるべく警察関係者に見えない格好で来いって」
 たしかに警察官には見えないが、大人の男性にも見えない。まるで少年だ。
「なんで第九が張り込みなんかするんです?」
 第九本来の仕事以外のことを押し付けられたりしたら青筋を立てて怒るくせに、どうしてそんな勘違いをするんだろう。薪の思考回路はいまひとつわからない。
「捜一から協力要請がきたんじゃないのか? おまえ、仕事だって言っただろ?」
 室長に対して反論して良いものかどうか迷うところだが、ここは本当のことを言わないと先に進めない。
「オレ、仕事だなんて一言も言ってませんけど」
「言っただろ!?」
「言ってませんよ」
「だって電話で……あ?」
 亜麻色の大きな瞳が忙しくあちらこちらにさまよって、どうやら自分の勘違いに気付いたらしい。
 薪は口に手を当てて、しばらく黙り込んだ。
 さあ、どう出るかが楽しみだ。

「まぎらわしいんだよ!」
 ……やっぱり逆ギレですか。
 
「休みの日に部下が電話をかけてくれば、仕事だと思うだろう、普通。おまけに服装の指示までしてきて。おまえが悪い!」
 結局、青木のせいになるのだ。
「休日に遊びに行くのに、スーツもないだろうと思っただけです」
「あそび?」
 帽子のつばに隠れた眉が、おもいきり顰められるのが見えたような気がした。
 しかし、ここでめげてはいけない。

「どこかで朝メシ食ってから、映画でも観ます?」
「なんで僕が休日におまえと映画見なきゃならないんだ!」
 怒鳴りつけられる。
 いつものスーツ姿なら震え上がるところだが、今日の薪は服装のせいで高校生以下にしか見えない。まるで子供が癇癪を起こしているようで、なんとも可愛らしい。
「わかりました。それじゃあ、遊園地にでも行きますか?」
 青木が笑顔で切り返すと、薪は毒気を抜かれたようにため息をついた。
「何が解りましたなんだ……馬鹿馬鹿しい。帰る」
「待ってくださいよ、薪さん」
 薪の目の前に、百合の花束を突き出して行く手をふさぐ。
 思わず足を止めて、薪はその芳香に目を細めた。

「この花だけでも受け取ってください。せっかくきれいに包んでもらったんですから」
 花束を抱いて、少しだけ微笑う。
 棘だらけだった薪の雰囲気がやさしくなって、亜麻色の大きな瞳が青木を見た。
 
「朝メシだけなら付き合ってやる。何が食いたい?」
「ほんとですか?」
 やはりこの花で正解だった。あとで雪子には天外天のランチをご馳走しよう。
 青木は百合の向こう側の亜麻色の瞳に、にっこりと笑いかけた。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

真冬の夢(1)

 薪さんの休日に起きた出来事をのほほんと書いてみました。
 ふう。
 今回は、避難せずに済みそう。(笑)








真冬の夢(1)






 携帯電話の呼び出し音で、薪は目を覚ました。
 ひどい低血圧のせいで、起き抜けは身体が思うように動かない。しかも今日は非番だったので、明日は休日だとばかりに新しく手に入れた推理小説を朝方まで読んでしまった。
 携帯が鳴るということは、緊急の事件の可能性が高い。薪の携帯電話の番号を知るものは、警察関係者に限られているからだ。
 携帯電話の置き場所は、寝室の本棚だ。苦労してベッドから抜け出し、ずるずると床を這うようにして目的の場所に辿り着く。他人には見せられない格好だ。

「はい、薪。……青木か」
 床にうつ伏せたまま電話に出る。その声はいつもよりオクターブほど低い。
 電話の向こうから、まだお休みでしたか? と言う声が聞こえる。
 青木が電話してくるということは、事件だ。当然今日の休みは取り消しだ。調子に乗って徹夜で読書なんかするんじゃなかった、と後悔しながら床の上に仰向けになる。

「どうした?」
『今日は何か予定がありますか?』
 予定があってもなくても、事件には関係ない。薪には仕事が最優先だ。
「いや、大丈夫だ」
『じゃあ、オレに付き合ってもらえますか? 30分くらいで迎えに行きますから』
「わかった。用意して待ってる」
『あ、スーツはやめてくださいね。なるべく警察関係者に見えない格好でお願いします』
「……それはどういう」
 薪の返事を待たずに、電話は切れた。きっと現場が忙しいのだろう。
 しかし、『警察関係者に見えない格好で』という指示の意図は――――。
「張り込みか」

 それしか考えられない。
 眉間にしわを寄せて、薪は舌打ちする。これは第九の仕事じゃない。
「第九は捜一のパシリじゃないって、何回言ったらわかるんだ!」
 右手の拳で、バン! と床を叩く。
 寝不足と低血圧も手伝って、その朝、薪の気分は最低だった。
「竹内のクソヤロー」
 捜査一課のエースの名を口汚く罵って、薪は天井を睨む。第九と捜一は、第九の設立当初から犬猿の仲なのだ。
 どうせ張り込みの頭数が足りなくて、所長の田城あたりに頼んだのだろう。それでこっちにお鉢が回ってきたのだ。

 ぶつぶつ言いながらも、薪は起き上がった。
 怒ったせいで血圧が上がったのか、足元もしっかりしている。シャワーを浴びて睡眠不足を振り払う。起きたばかりで食欲がわかないので、朝食はパスだ。
「覚えてろよ、竹内のヤロー……」
 亜麻色の髪を乱暴に洗いながら、薪は仕返しの方法をあれこれ考えていた。


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ジャンル : 小説・文学

仮面の告白~あとがき~

 とうとう禁忌に触れてしまいました。薪さんの女性遍歴!
 避難、避難。
 付き合ってくださる方、核シェルターの開閉は素早くお願いします(笑)

 読んでくださった方にはバレバレだったと思いますが、うちの薪さんは経験少ないです。口ばっかりです。男の見栄というやつですね。
 特に青木くんには、経験豊富に見せたいみたいです。相手より何もかも優位に立たないと、気が済まないひとなので。


 次のお話は、薪さんの休日です。
 青木くんとのほのぼのデート。(←M『そんなんじゃないだろ、あれは』)
 今度は隠れなくてもよさそうです。


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ジャンル : 小説・文学

仮面の告白(11)

仮面の告白(11)







 雪子からかなり一方的な連絡があったのは、日曜日の夕方だった。
『8時にレストランの予約を取ったから、先にお金を払い込んでおいて』
 その日もかなり肌寒くて、薪は外出するのが億劫だった。もう少し早く連絡して欲しかった。そうすれば昼間のうちに支払いに行ったのに。
 まあ、仕方がない。こちらから頼んだことだ。

 会食用のスーツに着替えて、家を出る。
 お金を払いに行くだけなのだから、格好はどうでもいいと思うのだが、店の中に入る以上はこれが礼儀というものだ。場の雰囲気を壊すのは忍びない。
 雪子が指定したフレンチレストランは、赤坂にあるジュエルタワーの25階だった。眺めが良く夜景がきれいで、恋人たちのディナーにはもってこいの店だ。
 こんな店を選ぶということは、やはり雪子は青木のことを憎からず思っている。
 ムードたっぷりのレストランで、豪華なディナーと美しい夜景。ドレスアップした彼女。ここで決めなかったら男じゃない。
 がんばれよ青木、と心の中で応援しつつも薪は不安を覚えている。
 青木はどうも頼りない。仕事もいまひとつだが、色事も一人前の男とはいえない。AVを見て腰砕けになってしまうくらいだ。一応女性経験はあるようだが……まあ、雪子は年上だからうまくリードしてくれるだろう。

 古風なシェードが掛かった明かりの下で微笑んでいる案内係に、予約の確認と料金の支払いに来た旨を伝える。見事な営業スマイルで、彼女はそれに答えた。
「はい、三好様2名様ですね。お連れ様は待合室のほうへご案内致しました」
 薪はびっくりして時計を確認する。まだ7時前だ。
「予約は8時からではなかったですか?」
「いえ。7時からご予約頂いておりますが」
 雪子らしからぬミスだ。予約の時間を間違えて覚えていたらしい。
 青木はもう来ているみたいだから、急いで雪子を呼び出さなくては。相手がいくら青木でも、1時間もここで待たせるのは可哀相だ。

 携帯電話の使える場所に移動して、薪は雪子に連絡を入れた。雪子の携帯は2回のコールで留守番電話に切り替わり、彼女のハキハキした声が聞こえてきた。
『ただいま三好は解剖中です。御用の方はメッセージをお願いします。なお、このテープは30秒後に自動的に消滅します。健闘を祈る』
「なんですか? その最後のセリフ」
「雪子さんはスパイ映画が好きなんだ。てっ!」
 気がつくと、青木が後ろに立っていた。店員に薪のことを聞いたのだろう。
 青木も今日はオシャレをしている。
 普段は公務員らしく紺やグレーのスーツが多い青木だが、今日はダークな縦縞のスーツにシルバーのネクタイでビシッと決めている。髪も少し遊ばせて、きっちりと撫で付けず自然に流してある。なかなかいい男に仕上がっている。これなら雪子も満足してくれるに違いない。

 薪は青木に事情を説明することにした。
 何の説明もなしに1時間もレストランに放って置かれたら、この食い意地の張った男が待ちきれずに一人で食べ始めてしまうことは十分に考えられる。そうなったら今夜の計画は丸潰れだ。
「雪子さん、時間を間違えてるみたいなんだ。1時間くらいしたら来るはずだから、それまで待って」
「あれ? どうして三好先生が来るんです?」
「どうしてって」
「試験合格のお祝いに、薪さんが夕食をご馳走してくれるんじゃなかったんですか? オレ、三好先生にそう聞きましたけど」
「僕が? 雪子さんがそう言ったのか?」
 青木はこっくりと頷いた。薪が雪子に頼みごとをした件については、何も知らされていないようだ。

 …………やられた。

 判定勝ちを狙ってちまちま小技を仕掛けていたら、一本背負いで返された気分だ。
 雪子の頭の良さとカンの鋭さを甘く見ていた。雪子は自分の企てに気づいていたのだ。
 もう、お金は払い込んでしまった。返してもらうわけにもいかないし、こいつを一人でここに置いていくわけにもいかない。こいつのことだから2人分のフルコースくらい軽く平らげるだろうが。
 やっぱり雪子には敵わない。自分が手を出すと、ロクなことにならない。本人たちに任せたほうが良さそうだ。

 フロア係が案内してくれた窓辺の席に、二人は向かい合って腰を下ろした。まだディナーには早い時間だが、店内は約半数の席が埋まっていた。
 そのうちの何人かの客は、ちらちらとこちらを見ている。彼女たちが何を言っているのか気になるところだが、どうしようもない。こういう店は、男ふたりで来る店ではないのだ。

 せっかくの雰囲気を損ねてしまって、この店には悪いことをした、と薪は思っているが、店側の思惑はまるで違っている。
 薪たちが案内されたのは店内に入ってきた客から一番良く見える、いわばショーウィンドウの役割を持った席だ。店側としては、優雅で品のある客をそのテーブルには座らせたい。男同士だろうが年寄り夫婦だろうが、店の品格を上げてくれる客なら大歓迎だ。

 料理に合わせてワインを選び、薪はにっこりと店員に微笑みかける。
 申し訳ない気持ちからの愛想笑いだが、その笑顔が他人をとりこにする威力を持っていることに、果たして気づいているのかどうか。
 薪が向かいの男に視線を戻すと、明らかにそわそわしている。あちこちに視線を巡らせて、落ち着かない様子だ。
 こういう店は慣れないうちは緊張するものだ。周りの雰囲気に呑まれてしまう。そんな人間を落ち着かせるには、安心するものを見せることだ。
 
「きょろきょろするな。僕のことだけ見てろ」
「……はい」
 薪の言葉に、青木はうれしそうに笑う。

 窓から見える夜景がとてもきれいだ。寒さのせいで空気が澄んでいるのだろう。光が滲まずに、美しく輝いている。
 数限りない明かりを見ながら、薪は優雅にアペリチフを飲み始めた。



 ―了―




(2009.1)

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仮面の告白(10)

仮面の告白(10)








「あ~、美味しかった。ごちそうさまでした」
 冷蔵庫の残り物がきれいに無くなって、ようやく青木は満足した。
「おまえの胃袋はブラックホールか」
「薪さんの頭は、四次元空間ですよね」
「意味がわからん」
 あはは、と笑って皿を集め、流し台に運ぶ。皿を洗い始めると薪がそばに来て、布巾を手に取った。
 いつもは食事が終わると酒の支度をして、岡部と一足先に飲み始めるのだが、今日は手伝ってくれるらしい。
 洗い上げた皿を布巾で拭いて、調理台に並べる。戸棚にしまうのは青木の役目だ。食器を入れる棚は薪の頭の高さにあるからだ。

 ここに来るのは、1週間ぶりだ。
 今週は探し物が忙しくて、来る暇が無かった。それを手に入れたのは今夜のことだ。証拠品の確認作業は済んだ。あとは確認書に室長のサインをもらうだけだ。
 格子柄のエプロンを掛けている薪の背中に、青木はその証拠をぶつけることにした。

「仮面の告白」
 青木の言葉に、薪はびくりと肩を上げて振り返った。

「日本文学界の重鎮の、幻の名作なんですってね。オレ、読んだことなかったから知りませんでした」
 皿を拭く手が止まっている。亜麻色の目が大きく見開かれて、不安げな光を宿している。
 ……かわいい。
 責めるつもりは毛頭ないが、この可愛い顔はもっと見てみたい。

「不思議なんですよ。本の中に薪さんが話してた女の子と同じ名前の人物が出てきて、口説き文句もベッドの中のことも、そっくりなんです」
 青木がその書物の存在を知ったのは、月曜日の夜だった。
 薪の大学時代からの友人で主治医代わりでもある法一の女医は、青木の恋の指南役である。薪のことなら何でも知っている、と自負している彼女は、これまでも様々な役に立つ助言を青木に与えてくれた。
 今回の薪の過去についても真偽のほどを知っているかもしれないと思って訊いてみると、ケタケタと大声で笑い「バカじゃないの」と青木の疑惑を一蹴した。
「薪くんがナンパ? 複数の女性と同時期に関係を持った? そんなことができるような人だったら、鈴木くんのことなんかとっくに乗り越えてるわよ」
 青木もそうは思っていた。
 しかし、薪のあのときの話は細部に至るまでリアルなもので、実際の経験を話しているとしか思えなかった。
 
「相手の女の名前、言ってた?」
 大学時代の友人かもしれないから、と雪子が聞いてきたので、薪が話していた3人の女性の名を告げた。悦子と由美子と、確かもう一人は……。
「京子じゃない?」
 青木が思い出す前に、雪子は訳知り顔に頷いた。
「悦子は商社のOLで由美子は看護師。京子は料理屋の女将でしょ」
 やはり雪子の友人だったのか、と青木は考えたが、その予想は大ハズレだった。
「それ、あたしも昔読んだことあるわ」

 有名な文豪の手によるものらしいが、あまりに生々しい性描写のために今は発行禁止になってしまった幻の名作だという。手に入れることは難しいが、古書店や文学部の友人や後輩に当たれば現物を拝めるかもしれない。
 青木にとってはとても重要なことだった。確かめずにはいられなかった。
 今週は、ずっとその本を探していた。友人たちにも協力を仰いで、やっと本が見つかったのは一昨日の夜だ。雪子の中学の同級生が持っていた。それを今夜貸してもらって読み、雪子の推理の裏づけを取ったのだ。
 青木は捜査官だ。確たる証拠もなしに本人の自白だけで送検はできない。雪子の協力のおかげで、青木は物証を掴むことができた。あとは容疑者(マルヒ)を落とすだけだ。

 青木の尋問に対して、容疑者(まき)は供述を始めた。
「それはただの偶然だ。こないだの話はたまたまそうだったかもしれないけど、僕の女性遍歴はそんなもんじゃないぞ。他にもまだまだあるんだ」
 薪は調理台に布巾を置くと、青木のほうに歩いてきた。早い口調でまくし立てる。嘘をついている人間は概して早口になるものだ。
「10人や20人じゃないぞ、一晩に5人斬ったこともあるんだ! ロスに行ってたときなんか、毎晩金髪美女と犯りまくって!!」
 だんだんウソっぽくなってきた。一晩に5人どころか、35年で5人というのが真実ではないだろうか。それだと青木より経験が少ないことになるが。
 
「じゃあ、今度はそのロスで引っ掛けた女性の話を聞かせてもらえます? 金髪の女性って、アソコの毛も金色なんですってね。クリトリスが日本の女性より大きいって本当なんですか? 上つきの女性が多いって聞きましたけど、実際のところどうでした?」
「そ、そ、それはその……」
 薪は言葉に詰まる。つややかなくちびるを噛んで、真っ赤になっている。
 薪くんの仮面を外すには、身構える隙を与えないことよ―――― 雪子の助言に嘘はない。
 
「答えられないんですか?」
「……忘れた」
「忘れたんじゃなくて、知らないんじゃ」
「女なんか腐るほどいたから、いちいち覚えてないんだ!」
「悦子と由美子と京子は覚えてたじゃないですか」
 青木の尤もな突っ込みに言葉が出ないようだ。亜麻色の目をさかんに泳がせて、必死で言い訳を考えているらしい。
「とにかく、僕はスゴイんだ!」
 何がすごいんだかよくわからない。もうボロボロである。

「はい。薪さんはすごいです」
「……おまえ、僕のことバカにしてるだろ」
「いいえ。尊敬してますよ」
 にっこり笑って、青木は追求の手を止めた。
「ひとりの人を十何年も想い続けるって、すごいと思います」
 それは本当のことだ。そんな薪だから好きになった。

 言葉などという消えてなくなるものに惑わされた自分が情けない。自分の直感をもっと信じるべきだった。
 確かなものはここにある。目の前にいる、この一途で純粋なひとこそが真実だ。

 薪は黙って目を伏せた。
 長い睫毛が眼下に濃い影を落とす。陰影が美しい顔を彩って、ぞくりとするほどきれいだ。
「僕はゲイじゃない。男なんかゾッとする。でも」
 薪は昂然と顔を上げた。キッと眉を吊り上げて青木を見る。
「鈴木だけは……特別なんだ」
「はい。よくわかります」
 自分も男の人を好きになったことなどないし、薪以外の男など気持ち悪くて触れるのも嫌だ。
 薪だけが特別なのだ。だから薪の言うことはよくわかる。
「鈴木だけだぞ。他の誰でもダメなんだ」
「はい」

 次に誰かに恋をするときには、このひとはきっと女の人を好きになるのだろう。そうしたら、青木の恋も消えるかもしれない。諦める方向に向くかもしれない。
 でも、それはまだ先の話だ。
『他の誰でもダメだ』ということは、女性でもダメなのだ。薪はまだ、鈴木にそのすべてを囚われている。
 だから自分も諦めない。薪が鈴木の呪縛から解放されない限り、自分も薪から目を離すことはできない。他の人を見ることなどできない。小細工をしても無駄なことだ。

 薪はついと顔を横に向けて、流し台に戻る。大きな寸胴鍋を頭上の棚に載せようと、背伸びをしている。
 思わず頬が緩んでしまう。これを言ったら確実に怒りを買うが、何とも愛らしい姿だ。
「オレがやりますよ」
「これくらいできる」
 薪は強情っぱりだ。
 指先で鍋の底を押すようにして棚に押し込もうとするが、どこかに引っかかってしまったらしく、なかなか奥に入っていかない。危ないな、と思って見ていると、つるっと手が滑って鍋が棚から落ちてきた。

「大丈夫ですか」
 とっさに鍋を受け止めて、薪を庇う。華奢な肩が竦められ、細い背中がパジャマの下でこわばっている。
 薄いワイシャツを通して、薪の体温が伝わってくる。亜麻色の髪からとてもいいにおいがする。このまま両手を下におろして、抱きしめてしまいたい。しかし、それをすると投げ飛ばされる。岡部もいるし、ここは我慢だ。
 鍋を棚にしまって戸を閉める。青木は食器の片付けに戻った。
 そこへ岡部が風呂からあがってくる。
 
「風呂、いただきました」
「オレにも貸してくださいね。岡部さん、これ。先に飲んでてください」
 冷たいビールと吟醸酒。グラスも冷蔵庫に入れておいたらしく、よく冷えている。
「薪さん。飲み直しますか」
「うん」
「どうしました?」
「なにが」
「顔が赤いですけど」
 岡部がそれを指摘すると、薪の顔はますます赤くなった。
「暖房、効きすぎだな。ちょっと暑いよな」
「そうですね。温度下げましょうか」
 壁にかかったエアコンの操作盤に近付き、設定を直す振りをして岡部は苦笑した。

 夏の最中でもきちんとスーツを着込んで平然としている上司は、なぜか苦しい言い訳をしている。
 ニアミスの様子は見ていたが、意識しているのは薪のほうらしい。このひとは年齢の割には本当に純情で、こっちまで恥ずかしくなる。
 まんざらではないのかもしれない。少なくとも薪は、青木のことを嫌ってはいない。
 男女の関係ではないのだ。そういう感情を抱かれて、それでもその相手を嫌わずにいるということは、脈があるということだ。
 ただ、その好意の大部分は青木が鈴木に似ているからだ。心から愛した親友とよく似た男を嫌うことは難しいのだろう。
 しかしこれでは、一方的に加害者(青木)を糾弾することはできない。
 いまのところ実害もないようだし、この手の事件は申告罪だ。被害者(薪)のほうからの申し出がない限り、警察(岡部)はなにもできない。

「さあ、飲むぞ。岡部、今日は朝まで付き合えよ」
「はい」
 また薪ができもしないことを言っている。いつも自分が一番先に沈没してしまうくせに、そういう記憶は都合よく消去するのが薪の得意技だ。
 楽しそうにリビングの床に酒宴の用意をする上司を見ながら、岡部は青木への判決には執行猶予を付けることに決めた。



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仮面の告白(9)

仮面の告白(9)








「美味しいです~!!」
 一口食べてはコメントを述べるフードライターのように、今日も青木は賑やかだ。
「オレ、こんな美味しいビーフシチュー、初めてです。最高です。感動です。めちゃめちゃ美味いです」
「おまえ、もうちょっと静かに食えないのか」
 賑やかを通り越して、いっそうるさい。

「この牛肉のやわらかさ。ほっぺが落ちそうです。こんな美味しいものが食べられるなんて、オレ幸せです。生きててよかった~」
「頬の肉が腐り落ちたら、生きてられるかどうか疑問だけどな」
 薪は頬杖をついて、青木の旺盛な食欲を諦観している。
「かなりグロイ画になりそうだな。歯茎とか神経とかむき出しになって。歯の間から舌が垂れてきたりして」
「止めて下さいよ。想像しちゃうじゃないですか」
「大丈夫だ。それは舌シチューじゃないから」
 そこで薪お得意の意地悪そうな笑顔が出る。楽しそうだ。
「まあ、少しくらいは混ざってるかもしれないけどな」
「……大丈夫ですよね、岡部さん」
 青木が不安そうな顔になっている。薪がにやにやと笑っている。いつもの風景が戻ってきたようだ。

「3杯も食っといて、いまさらなに言ってんだ」
「そうですね。毒食らわば皿まで、ですよね。お代わりしよっと」
「日本語の使い方、間違ってるぞ」
 あれだけ残っていたシチューが、半分くらいに減っている。岡部の母親への土産はなくなりそうだった。
「美味そうに食うな、おまえ」
「だって本当に美味しいですから」
 人が美味そうに食べているのを見ていると、自分も食べたくなる。TVのCMがいい例だ。
「俺ももう少し、食っていいですか?」
「僕も食べようかな」
 薪の食欲まで動かすとは、青木はCMタレントになれそうだ。もちろん食べ物のCM限定だが。
「どうぞどうぞ。まだ沢山ありますから」
「おまえが言うなよ」
 苦笑して2度目の食事にかかる。まったく、この新人はこんなに図々しい男だったか、と岡部は思う。

「岡部。おまえ今日泊まっていく?」
「いいですか?」
「うん。メシ終わったら、風呂使っていいぞ」
「オレもちゃんと、パジャマと歯ブラシ持って来ました」
「おまえには言ってないだろ」
「ずるいですよ。明日の朝の卵焼き、岡部さんにだけ食べさせるつもりなんですか?」
「なんで朝食のメニューまでおまえが決めてんだ」
 話が弾むと箸も進む。岡部と薪にとっては夜食だが、夕食よりも食の進みは良い。

「そういえば雪子さん、あのAV、本当に助手の女の子と見てたぞ。それも真昼間から法一の中でだぞ」
「さすが三好先生。女にしとくのもったいないですね」
「雪子さんはともかく、助手の女の子にびっくりだよ。女ってこわいよな。あんな大人しい顔してさ」
「薪さんには言われたくないんじゃないですか?」
「どういう意味だ?」
「いえ」
 相変わらず、薪と新人の会話はちぐはぐだ。でも、薪の笑顔が多い。
 皮肉だったり人を馬鹿にしたような顔だったり、それは決して素直な笑みではないのだが、うつむいて静かに微笑んでいる薪より、ずっと生き生きしている。薪がこの会話を楽しんでいる証拠だ。

 青木はまだ食べている。
 冷蔵庫の中の残り物まで物色して、薪の家の在庫をすべて処分するつもりらしい。
「まだ食うのか?」
「だって、今週は一度もここの料理を食べられなかったんですから。この味に飢えてたんですよ。ん~、この煮物、おいしいです」
「そういやおまえ、ここんとこずっと早く帰ってたよな。なんか用事でもあったのか」
「秘密です」
「……女か?」
「違います」
「じゃあなんだ?」
「だから秘密です」
 岡部と青木の会話を、薪は黙って聞いている。薪も気にはなっているのだろうが、はっきり問い質すことはしないつもりらしい。

 食事を終えて、岡部は風呂を使わせてもらうことにした。後片付けは一番多く食べた無遠慮な若造に任せて、ダイニングを出る。
 リビングから振り返ると、長方形の枠の中に、斜向かいに座ったふたりの様子が見えた。
 幸せそうに食べる新人と、頬杖をついてそれを眺めている上司。いつまでこの関係が続くのか分からないが、いまはとりあえず薪の目が笑っている。それでいい。
 岡部は青木への腹いせをいったん保留することにして、バスルームへ向かった。


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仮面の告白(8)

仮面の告白(8)







 週末の金曜日には恒例行事となりつつある薪の自宅の飲み会に、第九の新人は姿を現さなかった。
「友達と約束があるとかで」
「そうか」
 もう少し驚いても良さそうなものだ。青木が誘いを断ったとき、岡部は飛び上がるほどびっくりしたのだ。
 青木が薪の料理を食べられるチャンスをふいにするなんて、どこか身体の具合が悪いとしか思えない。たとえ親が危篤でも、薪の料理を食べてから駆けて行きそうな男なのだ。

 薪は穏やかな表情のまま、鍋の中をかき混ぜている。
 大きな寸胴鍋の中には、ビーフシチューがたっぷりと入っている。デミグラスソースのいい匂いが部屋中に広がって、寒い夜には最高のごちそうである。
 しかし、薪も岡部も好みは日本食だ。牛肉ならすき焼きかしゃぶしゃぶだ。
 ビーフシチューは青木の好物だ。薪と一緒にここに帰ってきたときには既に出来上がっていたから、昨日のうちに煮込んで寝かせておいたのだろう。
 時間と手間がかかったビーフシチューは、和食党の岡部を洋食派に鞍替えさせそうなくらい美味だったが、薪はほとんど手をつけなかった。もともと食は細いほうだが、今日は特に少ない。

「青木がいないと、食べきれないですね」
「そうだな。ちょっと作りすぎたかな」
 若い新人がいないと、なにか物足りない。
 ついこの前までは薪とふたりで十分楽しかったのに、今はなんだか子供が結婚していなくなってしまった後の夫婦のような感じだ。火が消えたようで、会話も弾まない。
 いや、もともと岡部とふたりの時には、薪はあまり饒舌ではなかった。静かに食事をして静かに酒を飲んで、穏やかに笑っていた。
 それが青木が混ざると、薪は途端に元気になる。その素直な反応が楽しいのか、嬉々とした顔で青木をイジメはじめる。意地悪は薪のエクスポーションだ。岡部では、そのゲージを満たすことはできない。

 薪は席を立って、風呂の用意をしに行く。食器を流し台につけてしまったところを見ると、もう夕食は終わりのようだ。
「薪さん。マッサージしてあげましょうか?」
「うん」
 うれしそうに笑う。
 しかしその微笑はどこかしら寂しげで、その原因はおそらく。

「じゃあ、風呂に入ってくるから」
「後片付けは任せてください」
 薪が風呂に入っている間に、岡部は青木に電話を掛けた。
 ……出ない。
 先週のことがよほどショックだったと見える。バカなやつだ。薪の計画にまんまと引っかかっている。
 素直というのは、時に始末が悪い。
 特に薪のように複雑な性格の人間とは、相性が悪い。岡部ぐらい薪の言動の裏を読むことができればいいのだが、若い青木にそれを期待するのは酷というものだ。青木はまだ未熟だ。薪の相手はできまい。

「岡部。頼む」
 パジャマ姿の薪が、リビングで手招きしている。床に長方形の座布団を敷き、その上にうつ伏せになる。今日は青木がいないので、寝室のベッドは使わなくてもよさそうだ。
「うわ、凝ってますね。なんか今週、ストレスかかりました?」
「あれだな。間宮にケツ撫でられた」
「間宮って、新しい警務部長ですか?」
「あいつ、ゲイなんだって。気持ち悪い」
「気をつけてくださいよ」
「大丈夫だ。僕のほうが強い」
 しかし、身体は間宮のほうがずっと大きい。押さえ込まれてしまったら負けだ。ひとりで警務部に行かせないようにしなくては。

 薪の身体が、気持ち良さそうにくねりだす。息を詰めているせいで、頬や首筋が紅潮している。
 この姿態に逆らえるものは少ないはずだ。間宮とやらの気持ちも、分からなくはない。その手の男には堪らない魅力なのだろう。
 しかし、薪の性質を心得ている岡部には、その媚薬は効かない。さっき食べたビーフシチューのほうが心を惹かれる。青木のことは笑えない。

「力で来られたら勝てませんよ。もっとしっかり食べないと」
「うん……なんか食欲なくてさ」
「あんなに美味いシチューでもダメですか?」
「よかったら持って帰れよ。たくさん余っちゃったから」
「明日、青木を呼んでやったらどうですか? きっと喜びますよ」
 薪ははっと息を呑む。細い背中がぎくりとこわばる。
 ためらいがちに、薪は小さな声で言った。

「青木はもう、ここへは来ないんじゃないかな」
 岡部の下で、薪はそんなことを言い始める。
「なぜです? 友達も、そう頻繁に付き合ってはくれんでしょう」
「友達じゃなくて女だ。青木のやつ、雪子さんと付き合いだしたみたいだぞ」
 それは確かに、第九内部で噂になっている。が、岡部にはことの真相が分かっていた。あのふたりはそういう関係ではない。
「連中の噂、信じてるんですか? ありゃガセネタですよ」
「嘘じゃないさ。この目で見たんだ。一昨日も一緒に帰って行った」
「俺、おとといの夜、三好先生に会いましたけど。青木は一緒じゃなかったですよ」
 薪の背中がびくりと揺れる。ひどく驚いた顔をして、肩越しに岡部の方を振り返る。
 
「え? どこで」
「お袋とメシ食いに行った店で偶然。峰山中学同窓会って札が立ってましたよ」
「同窓会……それでお洒落して……」
 薪は右手で口を覆うようにして、何事か呟いた。口許に手を当てるのは、薪が仮説を立てるときのクセだ。
「同窓会なら、そんなに遅くならないだろ。その後きっと青木と」
「いや、あれはムリですよ。コース料理の途中で、すでにへべれけになってましたよ」
 岡部は一昨夜の雪子の様子を思い出して、苦笑した。
 同窓会に出席した雪子以外の女性はみな結婚しており、彼女たちの左手にはその証拠が燦然と輝いていた。『飲まなきゃやってらんないわ!』と叫びながら、雪子は赤ワインをジョッキで飲んでいたのだ。
「雪子さんらしいな」
「知り合いだって周りにバレないように、必死で顔を隠してました」

 再びうつ伏せて、薪は目を閉じる。気のせいか、さっきより背中のこわばりが解けている。マッサージの効果か、あるいは今の会話のせいか。
「あいつがいないと寂しいですか?」
「まさか。僕はおまえと二人の方がいい。静かだし、落ち着くし。こうして堂々とマッサージもしてもらえるし」
 青木は、岡部が薪のマッサージをするのを嫌がる。
 オレの前ではしないで下さい、とはっきり言われた。べつにやましいことをしているわけではないのだが、青木の主張は時々意味不明だ。

「あ~、気持ちよかった。いつも悪いな」
「いいえ。またいつでも言ってください」
 マッサージをしてやった後は、薪はいつも上機嫌で酒の用意をするのに、今日はしばらくそこに座ったままだった。
 片膝を立てて抱え込み、ぼうっとしている。なにかしら考え込んでいるようだ。
 勝手知ったる他人の家で、岡部が冷蔵庫からビールと吟醸酒を出してくる。適当につまみを見繕って、薪の前に差し出した。
 薪はまだ動こうとしない。右手を口許にあてて、またもや思考の世界に入ってしまっているようだ。
 この上司は頭が良すぎるせいか、なにかと考えすぎる傾向がある。こういうときは現実に引き戻したほうがいい。

「どうしてあんな嘘吐いたんですか?」
「なんのことだ」
「こないだの女の話です」
 岡部の質問に、薪は苦笑交じりの声で答えた。バツの悪そうな顔をしている。
「……嘘だって、わかった?」
「わかりますよ。あんな穴だらけの話。嘘っぽいし、矛盾だらけだし」
「矛盾してた?」
「26のときから10年も女ッ気なしだって言ったそばから、こないだの女はって始まっちゃダメでしょう。まあ、青木はパニクってて気づかなかったみたいですけど」
 青木はまだ捜査官としては半人前だ。所轄の経験もないから、容疑者の供述を懐疑的な視線で検証するクセもない。それでなくとも素直な男なのだ。人の言うことはなんでもそのまま信じてしまう。捜査官としては失格だ。
 
「男の見栄ですか? 薪さんらしくないですね」
 薪の真意を探ろうと、岡部はカマをかける。
 そんなくだらない理由でないことはわかっている。実は、薪はああいう話がとても苦手なのだ。素面では口にすることもできない筈だ。だから先週は深酒になってしまったのだろう。

「あいつ、このごろ僕に纏わりついてたろ。うざくってさ」
 それは嘘だ。
 3人で飲むとき、薪はとても楽しそうだった。岡部と2人で飲むときより格段に笑顔が増えていた。岡部にとってもそれは願ってもないことで、心の底では図々しい新人に感謝しているくらいだったのだ。
「いればいたで楽しいですよ。青木は話も面白いし」
「いや、もうたくさんだ。ガキの面倒は見切れないよ」
 岡部はじっと薪の目を見た。
 それだけでこの鋭い上司には、岡部が薪の嘘に気づいているとわかるはずだ。

 果たして、薪は重い口を開いた。
「……青木には、僕がちゃんとした男だって教えといたほうがいいと思ったんだ」

 もう何ヶ月も前から、薪が自分に隠し事をしていることに、岡部は気づいていた。それがこの新人に関わることだというところまでは察しがついていたのだが、岡部の性格では無理に聞き出すこともできず、そのままになっていた。薪のこの言い方だと岡部の予想は当たっていたようだ。

「おまえは僕のこと、普通の男だってわかってるだろ?でも、あいつはちょっと、僕のこと誤解してるみたいだから」
 何となく、気付いてはいた。
 青木は薪に執着しすぎる。薪に憧れて第九に入ってきたのは知っているが、単なる憧れの域はとうの昔に超えてしまっていたようだ。
「レイプ事件で囮になった時さ、写真をばら撒かれただろ。あれ、僕すごいショックだったんだ。どの写真も本当に女の子にしか見えなくて。きっとあれで勘違いしてるやつって多いんじゃないかな。男からのラブレター、確実に増えてるし」
 そのときの怒りを思い出したのか、薪の眉がむっと顰められる。女のように見られることも扱われることも、薪にとっては逆鱗に触れる、もとい引っ掻かれるようなものだ。
「青木も多分、あれ見て……あんなこと」
 薪は両手を前に伸ばし、ローテーブルに突っ伏した。思い出したくないことを思い出してしまったらしい。
 
「中身はそこらの男より、よっぽど男らしいんですけどね」
「岡部だけだよ。僕のこと分かってくれてるの」
「そのうち青木にも解りますって。遠ざけるのは逆効果かもしれませんよ。近くにいたほうが、本当の人間性は伝わるもんです」
「そんなもんかな」
「そうですよ。それに、嘘はダメです。ばれたときのリスクが高すぎます。いっそ、あれは冗談だったって白状しちまったらどうです?」
 岡部の提案はすぐに却下された。
 薪は首を左右に振ると、ふたたび黙り込んだ。

 これは根が深そうだ。

 薪は、囮捜査のときの写真が原因で、と言っていたから、薪が青木を自分から遠ざけなければならなくなったのは最近の話だ。しかし、薪の隠し事はそのずっと以前から続いている。岡部の読みが正しければ、青木が現れたころからだ。
 青木が第九に入ってきたのは1月の終わり。もう10ヶ月にもなる。その間ずっと薪は何か思い悩み続けている。
 これまでも、何度も薪はそれを岡部に話そうとして途中で止めている。薪自身の中で整理がついていない証拠だ。だから岡部は、薪が自分から話してくれるまで待とうと思っていた。
 しかしこの様子では、強制してでも吐かせてしまったほうがいいかもしれない。

「薪さん。あなたと俺は上司と部下で飲み友達で、それ以上でもそれ以下でもない。だからあなたから話してくれないことは無理に聞くべきじゃないと思ってました」
 岡部はそんな風に切り出して、薪に誘い水を向けることにした。
「2月の始めのころから、薪さんは昼間でもしょっちゅう眠るようになって。夜、眠れてないんだと察しがつきました。あの事件から半年近くが過ぎて、ようやく落ち着いてきたと思っていたところに貝沼の置き土産みたいな事件が起きて。それでぶり返してしまったんだ、とあの当時は思っていました。
 でも薪さんは、俺に来てくれとは言わなかった。以前は眠れない日が続いたときは、俺を頼ってくれてましたよね? それが何も言わなくなった。
 どうしてですか? 俺に聞かれたらまずいことを眠っている間に口走ってしまうかもしれない、と思ったからじゃないんですか?」

 薪はじっとぐいのみに入った透明な液体を見つめていた。そこには不安げな亜麻色の瞳が写っている。
 昨年の夏、岡部はよくこんな薪を見ていた。一年が過ぎた今なおこうして、薪を悩ませているのはあの事件の傷跡なのか。それとも新たな傷なのだろうか。

「話してください」
「言えない」
「薪さん」
「僕はおまえを失いたくない。だから言えないんだ」
「何を聞いても、俺は驚きません」
「知らないほうがいいこともある。おまえの性格じゃ、それを知ったら一秒だって僕と一緒にいたくなくなる」
 薪は、岡部がどれほど薪を大切に思っているのか、まるでわかっていない。一生このひとの部下でいたい、と思うほど岡部は薪に惚れこんでいるのだ。もちろん、青木とは違う感情だが。
 これはあまり言いたくなかったが、仕方ない。薪の殻を壊すためには、荒療治が必要だ。
「薪さんの鈴木さんに対する気持ちなら、とっくに知ってますよ」

 効果は覿面だった。
 カタカタと震える右手を左手で押さえて、薪はぐいのみをテーブルの上に置いた。華奢な両手を握り合わせて、必死に震えを止めようとする。
 もう隠しても無駄だと悟ったのか、薪は嘘で自分を糊塗するような見苦しい真似はしなかった。
「……もしかして、寝言で言ってた?」

 岡部にとって、沈黙は肯定の意味だ。
 昨年の夏、岡部は錯乱した薪に抱きつかれて、それらしきことを叫ばれている。薪はなにも覚えていないのだろうが、寝言などという生易しいものではなかった。
「軽蔑するか?」
「心外ですね。そんなことで人間性が否定されるわけじゃない。今まで俺がそんな態度を取ったことがありますか? 俺が不器用でおべんちゃらが苦手なことくらい、薪さんも知ってるでしょう」
 岡部には、同性愛者に対する偏見はない。ただ、自分には理解できない世界だと思うだけである。
 薪も多分、ゲイでないと思う。
 岡部が知っている連中とはタイプが違うのかもしれないが、あの連中は恋人の条件として、まずは同性であることから入る。薪の場合は女性経験もあるようだし、女性に対する興味もそれなりにある。
 同性愛者というよりは、鈴木という人間そのものに対する妄執のように思える。あんな事件があったせいで、彼以外だれも見えなくなってしまった―――― そういうことではないだろうか。

「それに、道ならぬ恋に落ちてるのは薪さんだけじゃありませんよ」
 おっと。これは余計なことだ。
 普段の冷静な薪だったら聞き逃したりしなかっただろうが、今は岡部の言葉尻を捉えるような余裕はないとみえる。命拾いした岡部である。
「第一、昔のことなんでしょ? 三好先生の話じゃ、先生が鈴木さんと付き合いだしたのは大学の終わりの頃だそうじゃないですか。だとしたらその前の話でしょう。もうとっくに時効ですよ」
「でも、雪子さんにはこのことは」
「言いませんよ。けど、引け目に感じることはないと思いますよ。薪さんはずっと鈴木さんにも三好先生にも誠実だった。三好先生の態度を見ていれば分かります。この……写真を見れば、3人の関係も分かりますよ」

 サイドボードの引き出しの中から何枚かの写真を取り出し、岡部はそれを薪のほうへ差し出した。
 そこには若い3人の男女が、楽しげに雪遊びをしている光景が写し出されていた。かれらの間には不信や疑惑と言ったマイナスの感情はなにもなく、ただ信頼と友愛に満ちて幸せそうに笑っていた。
 親友たちと自分の笑顔に満ちた写真を見る薪の顔は、とても哀しそうだ。
 もう二度と戻ってこない。もう一度創ることもできない。親友はこの世にはいない。
 
「青木を見て、鈴木のことを思い出したんだ。あいつは鈴木によく似てるから。頻繁に鈴木の夢を見るようになって……それをおまえに知られたくなかったから……」
 嘘だ。
 いや、嘘ではないが、まだ何か隠している。岡部の捜査官としてのカンがそれを岡部に教えてくれる。
 捜一の元エースを舐めるなと言いたい。弱気な瞳で、動揺を隠せない顔色で、これでは青木(コドモ)にだって通用しないだろう。
 
「そんな単純なことじゃないでしょう。青木のやつは2月にはPC工学の研修に行ってて、殆ど第九には顔を出さなかったはずです。でも、薪さんの睡眠不足は治まるどころか酷くなる一方だった。青木の顔も見ていないのに、どうして鈴木さんの夢を見続けたんですか?」
 薪は答えない。
 答えられない。黙ってくちびるを噛んでいる。
 可哀想になってきた。どうしても話せないことなのかもしれない。

「話したくなかったら、話さなくていいです。ただ、俺は何を聞いてもずっと薪さんの部下ですから」
 それだけは信じて欲しい。そして、いくらかでも自分を頼って欲しい。
 岡部はそう言ったきり黙りこんだ。黙って薪の言葉を待った。

「…………僕のせいだったんだ」
 長い沈黙の後、薪はぽつりと言った。
「貝沼が起こした28人殺しは、やっぱり僕のせいだったんだ。そうかもしれないとは思ってたんだけど……はっきり判ったら、やっぱりショックで」
 衝撃的な話だが、あの事件は捜査中止になったはずだ。その後、捜査を続けることは許されなかったし、データもMRIシステムから消去されていた。薪はその情報をいったいどこから得たのだろう。

「どうしてわかったんです?」
「鈴木の脳を見た。そこに映ってた」
 岡部は思わず目を瞠った。
 薪がそんな行動に出るとは思ってもいなかった。
 自発的なものとは考えにくい。1月に起きた連続自殺事件は、未だ塞がらずにいた薪の傷をさらに大きく広げた。その衝撃で入院までした薪が、自分から鈴木の脳を見ようと思うだろうか。
 強く見せかけているが、薪は実際はそれほど強くない。それを自分でも知っている。だからこそ余計に強がって見せる。岡部は薪のそういうところをとても心配している。

「貝沼は、僕にその……歪んだ愛情を持っていて。殺した少年たちは僕へのプレゼントだと言ってた。僕に似た子ばかり選んだって。僕のせいで37人、部下も含めて40人も死んだんだ。僕は」
 薪は声を詰まらせた。
 零れそうになる涙を必死で堪えている。言葉にすると、物事は明確になってしまうものだ。残酷さも痛ましさも、その罪の重さも。

「貝沼は薪さんに自分の脳が見られることを知っていて、そんな画を自分の脳に残したんですね? だったら自分を責めちゃダメです。貝沼の思うツボじゃないですか。あなたが自分のこと以外なにも考えられないような状態にすることこそ、貝沼の目的だったんじゃないですか?」
「僕もそう思う。でも、頭ではわかっててもなかなかさ。特に夢は制御できないから、とてもひとには言えないような夢も見ちゃうんだ。それでおまえのことも呼べなかった」
 自分が受けた衝撃を表に出さないように、努めて軽い調子で岡部は言った。
「それで? 俺に聞かれたくないことってのは?」
「いま言っただろ」
「はい?」
「僕のせいで40人も死んだんだぞ。そんな人間の下で働けるのか?」
「なんだ。もっとどえらい秘密かと思いましたよ。拍子抜けです」
「拍子抜けっておまえ、40人もの人命がっ……!」
 岡部とて、薪の話にショックを受けなかったわけではない。しかし、それは薪が悪いわけではない。
 貝沼に殺人を教唆したわけでもあるまいに、薪はなにもしていない。薪に罪があるとすれば、万引きを見逃したことくらいか。

 ただ。

 貝沼の狂気の引き金を引いてしまったのは、もしかすると薪かもしれない。
 荒んだ生活を送っていた貝沼の前に現れた薪の姿は、貝沼の目にどのように映ったのだろう。
 あのころの薪は、第九の室長に就任して着実に実績を上げ、順風満帆の出世街道を邁進していたはずだ。私生活においても頼りになる仲間と心から信じあえる親友がいて、充実した毎日を送っていたと思われる。その充実感は薪を内面から輝かせ、あの写真の笑顔を作り出した。
 若く美しく、輝かしい未来を約束された青年。その清廉な美貌は、貝沼に計り知れない衝撃を与えたに違いない。
 狂おしいまでの恋情と憎悪と嫉妬。激しい愛情と破壊衝動。何と引き換えにしてでも手に入れたいと思うと同時に、めちゃくちゃに壊してしまいたい―――― 貝沼は、そんな狂気に憑り付かれてしまったのかもしれない。
 だが、それは薪のせいではない。

「べつに、人の命を軽く見ているわけじゃありませんよ。でも、それは想定内のことでしたから。薪さんが貝沼と知り合いだったと聞いたときから、その可能性は考えていました。俺はそれでもあなたの部下になったんです。その予想が当たったからと言って、今更あなたの部下を辞めたりしませんよ」
 薪は、信じられないという目で岡部を見ている。
 亜麻色の瞳は涙に濡れて、いっそうきらめいている。岡部の答えがよほど意外だったらしく、涙をこらえるのを忘れてしまったようだ。
 薪の泣き顔は、実は岡部にとってはすでに見慣れたものだ。人前では滅多に泣いたりしないが、陰に回るとこのひとはけっこう泣き虫だ。昨年の夏に、岡部は何度も薪の泣き顔を見ている。
 
「いいのか? 僕は……人殺しだぞ」
「いいえ。薪さんは警察官です。自分の職務に忠実な、立派な警察官です。俺がいちばんの目標にしてる捜査官です」
 嘘ではない。
 薪を気遣って、この場凌ぎの言葉をかけたつもりもない。岡部は薪のことを心から尊敬している。
「それを人殺しだなんて。俺の大事な上司を侮辱しないで下さいよ」
「…………うん」
 うん、うん、と何度も頷きながら、薪はぼたぼたと涙をこぼしている。

 あなたが悪いんじゃありません―――― 誰かにこんな風に言って貰いたかったのだろう。
 自分では決して許せないから、せめて誰かには許して欲しかった。でも、だれかに話すにはその秘密は重すぎて―――― その誰かに重荷を背負わせることも躊躇われて、言い出すことができなかった。結局ひとりで抱え込んで、眠れぬ夜が増えたというわけだ。
 岡部に話したからといって、薪の十字架が軽くなったわけではない。これからも薪にはつらい夜が待っているのだろう。それでも、秘密を共有しているものがこの世にいるのといないのとでは、いくらか違うはずだ。

「ひとつだけいいですか?」
 薪が落ち着くのを待って、岡部は尋ねた。
 もうひとつだけ、どうしても確かめておきたいことがある。
「この件に青木は絡んでるんですか? 丁度あいつが来た頃ですよね」
「青木は関係ない」
 薪は即座に岡部の疑問を否定した。
 亜麻色の頭を左右に振って、無理に微笑って見せる。薪の笑顔が痛々しかった。
「まだ入ったばかりで、右も左もわからない新人に何ができたって言うんだ? 貝沼の事件が起きて、僕が自分から鈴木の脳を見たんだ。あいつは何もしてない」
 それが青木を庇っての嘘だということも、岡部には解っていた。事実を知ったら岡部は青木を責めるだろう。 仲間内で諍いを起こしたくない―――― 薪の思惑はそんなところだ。
 薪がそう言うのだから、岡部は頷くしかない。薪の気持ちを尊重して、このことは青木には言うまい。

 しかし、やっぱり許せない。
 青木が薪の家に来なくなって薪は明らかにしょんぼりしている。いま、薪を悲しませていることも許せない。
 青木のやつ、どうしてくれよう―――― その時、岡部の携帯がポケットの中で震えた。
 電話の主はたった今、岡部の頭の中で卍固めを決められていた後輩だ。自分の携帯に岡部からの着信があったことに気づいて、掛けてきたのだろう。
 
「なんか用か」
 不機嫌な声で電話に出る。こんな気分のときに愛想よく電話に出られるほど岡部は器用ではない。
『岡部さん。まだ薪さんの家にいますか?』
「ああ」
『ビーフシチュー残ってますか? オレ、腹ペコなんですけど』
「あるぞ。でも、おまえダチと飲みに行ったんじゃ」
『助かった! じゃ、今からそっちに行きますね』
 ここは岡部の家ではない。しかし、これで訪問の承諾は得たとばかりに青木は電話を切ってしまった。とにかく家主に報告しなくては。

「青木のやつが今から来るそうです」
「……なんで?」
「腹ペコらしいです」
「あいつ、僕の家を食堂かなんかと勘違いしてるんじゃないのか」
 迷惑そうな口振りで、しかし薪はいそいそと席を立つ。パジャマの上にエプロンをつけて、どうやら急な来客のために食事の用意をしてやるつもりらしい。
「まあ、捨てるのももったいないしな」
 薪の姿がキッチンに消えたあと、岡部はふとあることに気がついた。
「どうして青木が夕食のメニューを知ってるんだ?」


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

仮面の告白(7)

仮面の告白(7)






 報告書作成の最速記録が達成されてから、2日後の水曜日。その日はとても寒い一日だった。
 まだ11月だというのに、まるで2月並みの寒さで、道行く人々は厚手のコートにマフラーが手放せない一日となった。

 夜の室長室で、薪はいつものように仕事に精を出していた。
 第2と第4金曜日には、室長会議がある。9つの研究室の幹部と所長の田城が集まって、それぞれの業務報告をする定例会だ。今はそのための資料を作成している。

「室長。過去3年の放火事件のデータ、揃いました」
 資料を片手に、青木が室長室へ入ってくる。
 最近、薪は青木に会議資料の作成を手伝わせている。
 青木はキャリアで入庁している。いずれは管理職に就く定めだ。キャリアというのは現場ではなく、こういう仕事を積み重ねて昇任していくものだ。今から覚えさせておいて損はない。
「そうか。じゃ、グラフ化してくれ」
「はい。こちらのものでよろしいですか?」
 薪が指示するまでもなく、あらかたの資料は出来上がっている。まだほんの数回しか教えていないのに、飲み込みの早さは大したものだ。青木は第九に来る前は総務部にいた。資料を作ったりマニュアル化したりといった作業は得意なのだろう。
「うん。使える。手早くなったな」
「ありがとうございます」
 人数分の資料を揃え、ホチキス止めにする。それが終わったら今日の仕事は完了だ。

 要領の良い部下のおかげで、薪の退庁時刻は以前よりいくらか早まっている。
 データの収集から入らなければならない会議資料の作成は意外と厄介な仕事で、今までは9時を回ってしまうことが多かった。
 今日は特に早い。まだ7時前だ。手伝いの礼に、メシでも食わせてやるか。
 
「青木。これから何か予定があるか?」
「大丈夫です。次は何をしましょうか」
「仕事はもういい。今日はその」
 どこかでメシでもどうだ、と言おうとしたが、何故か声が出ない。喉になにか詰まった感じだ。
 青木は自分の指示を待っている。なにか言わなくては。

「……今日は、寒かったな」
 なんで天気のはなし?
 当たり障りのないご近所の会話みたいだ。

「そうですね。今週はずっと寒いですよね」
 薪の脈絡のない会話に、青木は笑顔で答えてくれる。こいつは若いけど、人に気遣いができるやつだ。鈴木と顔が似てるだけある。
「こういうときは、あったかいシチューとか食べたいよな。久しぶりにビーフシチュー作ろうかな。ちゃんとデミグラスソースから作って」
「いいですね」
 にっこりと笑った青木の次のセリフは分かっている。『オレ、食いに行ってもいいですか?』だ。
 今までも、幾度となくこんな会話をしているのだ。薪が来るなと言ったって来るに決まっている。
 ところが青木は微笑んだまま、
「じゃ、お先に失礼します」
 肩透かしをくらって、薪は言葉を失う。絶対に飛びついてくると思ったのに。

 敬礼の角度に頭を下げて、青木は室長室を出て行った。薪のほうを振り向きもしない。ビーフシチューに未練はないようだ。
 そういえば、今週青木はずっと定時退庁している。なにか早く帰りたい理由があるのだろうか。
 別に仕事を残していくわけではないから構わないのだが、これまではいつもモニタールームに残ってシステムの勉強をしたり、データ修復の練習をしたりしていた。大抵は薪が室長室から出てくるまで、ひとりで黙々と自主訓練をしていたのだ。

「誘ってるの、分かんなかったのかな。鈍いやつだな」
 薪から食事に誘ったのは、これが初めてだ。
 いつもは青木のほうから「今日の夕飯なんですか? オレ、行ってもいいですか?」と図々しく押しかけてきていた。将来的には青木のためになることとはいえ、残業手当もつけずに資料作成を手伝わせている引け目もあって、ついついそれを許してしまっていたのだ。
 青木は、薪の家を訪ねるチャンスは決して逃さない。多い時は週に4回くらい、薪の家に食べに来る。食事の用意がないときですら、テイクアウトの夕飯を持って来るくらいだ。それなら家に帰って食べたほうがよっぽど落ち着くと思うのだが。おかしなやつだ。

 ……まあ、理由は分かっているのだが。

 薪は室長席から離れ、窓辺に立った。
 室長室は3階にあって、外の風景が良く見える。角部屋なので2方向に窓があり、その窓は第九の正門の方向と中庭の方へ向けられている。

 青木がまだ第九に入って間もない頃、よくここから青木が登庁してくる様子を見ていた。
 肩を落として足を引き摺るようにして、若いクセに覇気のないやつだと思っていた。あの頃の青木はまだMRIの画に慣れることができなくて、捜査の重要性も醍醐味も理解らなくて、いやいや職場に来ていたのだろう。
 日に日に憔悴して行く新人が、薪にはとても心配だった。昨年の夏の悲劇がまた繰り返されてしまったら……それでなくても青木は、死んだ親友にそっくりで。
 精神的に耐えられないなら、他の部署に異動したほうが本人のためだ、と思って何度も異動を勧めたのだが、見かけによらず頑固で根性もある新人は、第九の精神攻撃に耐え抜いた。自発的に自主訓練を重ね、専門書を読み解き、先輩たちとの間の絶対的な実力の差を埋めようと必死になった。
 その努力に、薪も室長として協力は惜しまなかった。
 質問にはできる限り答えてやり、MRIシステムの機器操作についても、手取り足取り教えてやった。
 これは青木に限ったことではない。昨年の夏に第九に入ってきた岡部と小池と曽我の3人には、薪が直接指導をしたし、他の誰にでも乞われればコツを伝授する。MRIシステムとの付き合いは、薪が一番長いのだ。専門的な技術の方は、近頃宇野のやつに歯が立たなくなってきたが。

 そんなふうに、春ごろから青木とはずっと時を重ねてきて、それが青木におかしな誤解をさせてしまったのかもしれない。薪としては普通にしているつもりだったのだが、それでもやはり時々、鈴木のことを思い出してしまって……。

 だって、あんまりよく似ているから。

 鈴木を見るような目で、見てしまったことがあるのかもしれない。大好きな親友を見るような眼で、昔の恋人を愛しむような瞳で―――― だとしたら、誤解が生じても無理はなかったかもしれない。

 そんなことを思い出しながら、室長室の窓から外を見ていると、やがて正門前に青木の姿が現れた。
 長身に黒髪のシルエット。定番のトレンチにバーバリ柄のマフラー。後姿は特によく似ている。少し猫背の姿勢から歩き方まで。

 正門近くで青木を待っている人影に気づいたのは、薪のほうが先だった。
 短い黒髪と赤いコートの女性。普段はアクセサリーなどつけたことのない彼女が、今日は耳元に金色のイヤリングをしている。
 青木が彼女に気づいて、軽く頭を下げる。そのまま連れ立って歩き出す。なにやら楽しそうに喋りながら、角を曲がって見えなくなった。

「……なんだ。雪子さんと約束してたんだ」
 面白いくらいに、自分の計画通りにことが進む。雪子は薪の頼みを実行してくれる気らしい。
 行動力のある彼女は、自分から青木に連絡を取ってくれたのだろう。実はどうやって青木に持ちかけるか、思案していたのだ。薪がもう一押しするまでもなく、青木は雪子と付き合い始めたようだ。

 いつだったか、岡部に言われた通りだ。男女の仲なんて、どれだけ周りが騒いでも結局は当人同士の問題なのだ。
 先月、薪があれだけ雪子との交際を勧めたにも関わらず、青木は首を縦には振らなかった。
 しかし、今はどうだ。
 だれに言われずともこうして、彼女と一緒に夜を過ごそうとしている。
 雪子さんのことだ。食事をしてからカラオケボックスで歌いまくって、きっと吐くまで飲むんだろう。鈴木がよくそう言って笑ってた。もちろん、その先はベッドで介抱してやったんだろうけど。
 雪子に任せておけば、後はもう大丈夫だ。自分が何もしなくても、青木は彼女に夢中になっていくだろう。かつて鈴木がそうだったように。

 ずきん、と胸が苦しくなって、呼吸ができなくなる。
 足元が崩れて、地の底に落ちていきそうな感覚が襲ってくる。
 鈴木のことを思い出したわけじゃない。これは今のふたりを見て、でもどうしてそれでこんな……。
 これは馬鹿げた感情だ。こうなるように仕向けたのは自分だ。
 それなのに。
 
「鈴木。妬くなよ。僕に憑依するの、よせ」
 洋書のページの間から顔を覗かせた親友に、言いがかりをつける。写真の親友の顔は、いつもどおりの優しい微笑だ。
『相変わらず、自分勝手なやつだな』
 薪の心の奥のほうから、永久にそこの住民となった親友の声が聞こえてくる。
『おまえって、昔からそうだった。友達と飲みに行けば、とか言っといて実際に行くと不機嫌になるんだから。だったら始めから行くなって言えばいいだろ』
 たしかに、そんなこともあった。けど、昔の話を蒸し返すなんて男らしくない。
「ずっとそばにいて、なんて恥ずかしくて言えなかったんだよ。そのくらい気づけよ」
『素直じゃないのもいい加減にしとけよ。大事なものまで全部失くしちまうぞ』

 その忠告は無意味だ。

「……僕にはもう、何もないよ」
 鈴木が僕のすべてだった。鈴木さえいればどんなことにも耐えられたし、何でもできた。
 そのおまえがいなくなっちゃったら――――。
「今の僕は、ただの抜け殻だよ。見ればわかるだろ?」

 写真を手にしたまま、窓辺に立つ。
 とうに見えなくなった恋人たちが歩いていった方向を、ぼんやりと眺めている。厳寒の夜空には暗い雲が立ち込めて、月も星も見えない。ひどく陰鬱な風景だ。
 その昏さを断ち切るように、乱暴にブラインドが降ろされた。中の様子は伺い見ることができない。
 
 その日、室長室の明かりは夜半過ぎまで消えなかった。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

仮面の告白(6)

仮面の告白(6)







 小野田との楽しい昼食の後、薪は法医第一研究室を訪ねることにした。
『もうひと押し』を実行するためである。

 薪が研究室のドアを開けた途端、お堅い警察関係の施設には相応しくない声が聞こえてきた。女性のあえぎ声だ。それも一人や二人の声ではない。3人以上の女の声が入り乱れて、女性とは思えないはしたない事を叫んでいる。まるで乱交パーティのようだ。
 声の発生源は、奥の小部屋だ。あそこは雪子の自室のはずだ。まさか。

「あら、珍しい。いらっしゃい、薪くん」
 小部屋から、雪子が紅茶を持って現れる。雪子は紅茶党である。
「よかったら薪くんも参加する?」
「はい!?」
「きゃー! ダメですよ、先生! ドア閉めてください!」
 大きく開け放たれたドアから、大型のモニターに例の裏AVが映っているのが見える。本気で助手の女の子と一緒に見ていたらしい。

「ぷぷっ……くくくく……」
「なんですか」
「薪くん、真っ赤になってる。相変わらずこういうの苦手なんだ」
 薪は慌てて顔を隠した。
「こないだは平気な顔で見てたから、薪くんも大人になったのねって感心してたのに」
「……仕事だと思えば大丈夫なんですけど、今は突然だったから」
 突発的にあんなものを見せられて、身構えるヒマがなかった。仕事モードに心が切り替わっているときならどんな画でも平気なのだが、今は油断していた。

 昔からこういうものは苦手だ。
 ひとりで見るのも恥ずかしいのに、友達同士でこれを見ようとする神経は、薪には理解できない。これは秘め事のはずだ。他人のそれを見ることにも抵抗があるし、見ている自分をだれかに見られるのはもっといやだ。自慰行為の現場を他人に目撃されるのとたいして変わらないくらい恥ずかしい。

「ところで、何か用事? 忙しい薪くんがわざわざ来てくれたってことは、大きな事件でも?」
「いえ、仕事のことじゃないんですけど。雪子さんに、ちょっとお願いがあって」
「……どーりで寒いと思ったわ。今日は雪が降るのね」
 雪子は薪に椅子を勧めると、自分も手近な椅子に腰を下ろした。で?と首をかしげて薪に用件を話すよう促す。 忙しい薪を気遣って、余計な会話はしてこない。さすが雪子だ。

「実は、青木のことなんですけど」
「青木くん?」
 雪子は大雑把に見えてカンがいい。
 警戒させてはいけない。ことは慎重に運ばねば。

「雪子さん、青木と一緒に食事したことありますよね」
「まあ、何回かね」
「どんな店が多かったですか?」
「そうね。ラーメン屋とかハンバーガーとか」
「高級なお店は?」
「天外天くらいかな」
「やっぱり。まずいな」
 薪は鹿爪らしい顔をして腕を組む。ここは演技力が問われるところだ。
「やたらと庶民的なんですよね」
「いいじゃない。庶民だもん」
「ダメです。青木はキャリアで入庁してるんですよ。そのうち嫌でも高級な店で、接待や会食をしなければならなくなります。マナーやエチケットは覚えられますけど、そういう店に相応しい雰囲気を身につけるには、場数を踏まなくちゃダメなんです。今のうちに慣れさせておかないと」
 尤もらしい理由付けに、雪子は一応うなずいてくれた。もう一息だ。

「そこで、雪子さんに協力して欲しいんです」
「何をすればいいの?」
「青木のテーブルマナーの勉強に付き合ってあげて欲しいんです。実際に高級フレンチのレストランを使って。店の選択は雪子さんにお任せします。もちろん費用はこちらで持ちますから」
「なんであたし? 薪くんが行けばいいじゃない」
「高級フレンチですよ? 女性同伴じゃなかったら、不自然じゃないですか。男2人でコース料理食ってたら、周りからヘンな目で見られちゃいますよ」
「そうかしら」
「そうですよ」
「じゃ、3人で行きましょ」
「そこまでは予算がありません。それに、僕はフランス料理は苦手です」
 強い光を宿した黒い目が、薪の真意を見透かそうとしている。薪は長年鍛えたポーカーフェイスで、雪子の視線に対抗する。

「誰にでも頼めるわけじゃないんです。ある程度そういう店に慣れている大人の女性でないと、勉強になりませんから。その点雪子さんなら、テーブルマナーもワインの選び方もばっちりだし、青木も雪子さんと食事をするのを楽しみにしてるみたいだし」
 いやみなく褒め殺し、さりげなく青木の好意をアピールする。薪にもこういう芸当ができるのだ。対マスコミ用だが。
「お願いします。雪子さんしか頼める人がいないんです」
「……わかったわ」
「ありがとうございます」
 攻防戦は、薪の勝利に終わったようだ。にこやかな笑みの後ろで、薪は計画の進行に満足していた。

 薪が法一を辞した後、雪子はまた自室に戻った。もう時間があまりない。AVの続きはまた明日だ。
「相変わらず素敵ですねえ。薪室長」
 薪は女の子によくもてる。雪子の助手の菅井も、薪のファンのひとりだ。
「薪くんと結婚したら苦労するわよ」
「結婚なんてとんでもない。薪室長は観賞用です。自分よりきれいな彼氏なんていりませんよ」
「……かわいそうな薪くん」
 これだから薪くんは経験が少ないのよね、と雪子は心の中で付け加える。

 あれだけの容姿を持っていながら、薪は極端に恋愛経験が少ない。薪のそういう過去をすべて知っているわけではないが、薪とは15年の付き合いになるのだ。交際を隠し通せるほど、浅い付き合い方はしてこなかった。
 自分はともかく、鈴木は気がついたはずだ。鈴木は雪子に隠し事はしなかった。聞けば浮気相手の女のことまで教えてくれた。正直といえば正直、バカといえばバカな男だった。もちろん雪子の評価は後者だったが、薪の評価は常に前者であるらしかった。

 15年来の付き合いの中で、薪の性格は心得ている。薪がああいうふうに自分から積極的に話をするとき、あれは何か企んでいる。

 第九の新人を出してくるということは、先月かれが雪子に相談してきたことと何か関係があるに違いない。マナー云々の話は明らかにカモフラージュだ。薪は、雪子と青木の仲を特別なものにしようとしている。
 薪は、青木の気持ちを知っているはずだ。その上でこんなことを仕掛けてくるということは、これが薪の本心ということか。
 それとも。

「薪くんの性格は、捻じ曲がってるからな」
 雪子はひとりごちると、DVDプレーヤーの秘密のメディアを抜き取り、机にしまった。しばらく考えて、ポケットから携帯電話を取り出す。電話帳の一番最初にある名前を選んで、雪子はコールした。

「もしもし、青木くん? 三好だけど、今夜会えない?」


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

仮面の告白(5)

仮面の告白(5)






 人事部から帰ってくるなり、薪は一目散に室長室へ直行した。
 バン! と勢いよくドアを閉めた後、がしゃん! ぐわん! という派手な金属音が聞こえて来る。室長室のキャビネットは先月取り替えたばかりだが、また総務部に申請書を出さなくてはならないようだ。
 週末に引き続き、えらい剣幕である。
 亜麻色の眉も眼も、細い肩まで怒りの形に吊り上げられて、室長が訪問先でなにか不愉快な目に遭って来たのは明らかだった。
 しーんと水を打ったように静まり返ったモニタールームに、しばらくして薪は出てきた。ファイルをひとつ手にして、小池のほうへ歩いて行く。

「小池。浅草の強盗殺人の件だが」
「は、はい」
 言葉は穏やかだが、薪の眼は氷のようだ。
「僕の思い違いでなかったら、報告書の期限は今日までじゃなかったか?」
「そ、それがその、脳データの破損が思ったより深刻でして。復旧作業にはもうしばらく掛かるかと……」
「この件は、先週の木曜におまえに渡したはずだが」
「す、すいません」
「おまえ、今まで何やってたんだ!!」
 渡されたのは確かに木曜だが、時間は退室時刻ぎりぎりだった。金曜日に見ようと思っていたのだが、あの大量のDVDのせいで見ることができなかった。すべてのモニターが薪の命令で確認作業に使われていた為だ。報告書に期限があるこちらを優先させて欲しいと言いたかったが、薪が怖くて言い出せなかった。
 
「金曜日の確認作業は、予想外でして」
「だったら土日に出てくりゃ良かっただろうが」
 それはあんまりだ。誰もが薪のように、仕事最優先で人生を生きているわけではないのだ。
「おまえには責任感というものがないのか! できないと思ったら、何故もっと早く報告しないんだ!」
「間に合うと思ったんです。脳データに破損がこんなにひどいとは思わなくて」
「そんなもん、データを受け取った当日に調べておけ! このバカ!!」
「すいませんっ!」
 職員たちは同情に溢れた眼で、可哀相な同僚を見た。が、口を出すことはできない。出せば確実にとばっちりが来る。

「いま、どの辺りなんだ。見せてみろ」
「……3合目辺りです」
 亜麻色の前髪に隠された美しい額に、青筋が立った。
 時刻はもうすぐ昼だ。どう考えても間に合わない。自分が所見をつける時間が必要だから、報告書は必ず期限の前日に提出するよう、あれほど注意しているのに……!

「青木!!」
 突然自分の名を呼ばれて、若い新人は驚いて席を立った。別に青木に怒っているわけではないのだが、つい口調が厳しくなってしまう。
「コーヒー淹れてこい。うんと濃いやつ」
「は、はい」
 他の者はみな、別の事件を抱えている。これは自分が手を貸さなくてはならない。それも超特急で仕上げなくては。そのためにはカフェインが不可欠だ。
「まずは脳データの修復からか。どのブロックだ?」
「Aの256からCの433までは終わったんですけど」
「じゃあ、こっちは僕がやる。おまえは報告書に添付する写真の読み取りを」
 ふと、背後から感じた気配に、薪は腹の底に力を込めた。

 気づかぬ振りをして小池と一緒にモニターを覗き込みながら、報告書に付け加える現場写真について説明を続ける。
 抜き足差し足、という感じで薪に近づいてくる男の正体は解っている。室長の薪に何か仕掛けようとしているこの男の行動を、部下たちは誰も咎めない。つまり、自分より高官ということだ。そうなると、心当たりはひとりしかいない。
 さっと後ろから伸びてきた手を素早く避けて、薪は小池の椅子の背を掴む。ぐるりと回して、椅子に座った部下ごと前方へ突き出した。

「わっ!」
「ぎゃっ!」
 襲撃者は勢いあまって椅子にぶつかり、小池もろともひっくり返った。
 正面からこられたものだから、小池の上にまともに乗ってしまっている。痛いわ重いわ文句は言えないわで、小池にとってはえらい災難である。
 2人分の悲鳴に耳を塞いで、薪は冷たい眼で来訪者を見やる。……やっぱりこの人か。
 
「ひどいよ、薪くん。どうして避けちゃうんだい」
「いい加減にしてください。本当にセクハラで訴えますよ」
 個人的な事情だが、薪はいま機嫌が悪い。
 呼び出しをくらった先の警務部で、とても嫌な目に遭ってきたばかりだ。三田村の後任には多少なりとも期待していたのだが、三田村以上にひどい男だった。なんで人事部には人間のクズばかり集まるのか、警察庁の七不思議だ。

「僕は今、すごく急いでるんです。用件は手短にお願いします」
「冷たいなあ。ベッドの中ではあんなに可愛かったのに」
 ガシャン、という音がして、リノリウムの床にコーヒーがこぼれる。きわどいセリフに驚いた純情な新人が、盆ごとコーヒーを取り落としたのだ。
 薪のマグカップは先月も割れたばかりだ。また買ってこなくては。
 引き攣った表情でこちらを見ている背の高い新人は、毎度毎度この客人の根も葉もない嘘に騙されては赤くなったり青くなったり、その過敏な反応は自律神経に異常をきたしているのではないかと見ているこちらが不安になるくらいだ。もうそろそろ、自分のリアクションが客人の薪に対するセクハラをエスカレートさせていることに気づいてほしい。
 
「青木。掃除が済んだら、応接室にコーヒー持ってこい」
「相変わらず、きみのとこの新人は面白いねえ」
「割れたカップの伝票、官房室に回しますからね」
「そんなセコイことばかり言ってると、女の子にもてないよ」
 客人の軽口は聞き流すことにして、薪は彼を応接室にいざなった。向かい合ってソファに腰を下ろす。
 他の者なら追い返すところだが、この客人の忙しさは第九の室長を凌駕する。この多忙を極める男がわざわざ足を運んできたからには、よほど重要な用件に違いない。

 この男、小野田聖司は警察庁の重役で、薪を第九の室長に抜擢した人物である。
 役職は官房室室長。警察庁長官、次長に次ぐ警察庁で3番目に高いポストだ。

 官房長という役職が似つかわしくない、優しそうな顔立ち。下がり気味の眉とひとの良さそうな暖かい眼。いつもにこにこと笑っている口元。白髪の混じり始めた髪をオールバックに撫で付けている。齢50を過ぎて、その長身は未だすらりとしたスタイルを保っている。
 紳士的な見かけどおり、性格は穏やかで温厚。飄々とした雰囲気をまとい、どんなときにも余裕とユーモアを忘れない。そして、薪への愛情表現(セクハラ)はもっと忘れない。

「ああ、そっか。きみは生きてる女性には興味ないんだっけ」
「人をネクロフィリア(屍体愛好者)みたいに言わないでください。生きてる女の子のほうが良いに決まってるじゃないですか。」
「やめなさい。君に女の子の恋人は似合わないよ。どっちかっていうと年上のおじさまだろ。ぼくみたいな」
「僕に娘さんをくれるんじゃなかったんですか?」
「断ったくせに。それとも、考え直してくれたのかな」
「いいえ」
「やっぱり。娘より、ぼくのほうがいいんだ」
「小野田さんみたいな痩せ型は、僕の好みじゃありません」
「素直じゃないなあ。昨夜はもっともっとって、ぼくに縋り付いてきたくせに」
 再び、ガシャンという音がする。
 これではコーヒーカップがいくつあっても足りない。

「青木。コーヒーはもういい。小池を手伝ってやれ」
 このさいだ。猫(あおき)の手でもないよりマシだろう。
「えー。青木くんのコーヒー、楽しみにしてたのに」
 誰のせいだ、と突っ込みたいのをぐっと堪える。
 薪だって青木の淹れるコーヒーは、数少ない楽しみのひとつなのだ。それを2回も床に飲ませてしまって、むくれたいのはこっちのほうだ。

「ところで、なんのご用ですか?」
「三田村の後任が決まったから、きみに教えとこうと思って」
 知っている。いま、会って来たばかりだ。
 しかしせっかく小野田が来てくれたのだから、素直に聞いておくべきだ。
 小野田は上着のポケットから、4つに折りたたんだ履歴書のコピーを取り出した。ダンディで気障な顔つきをした男の写真が貼付されている。京都大学出身のキャリア。現場に出たことがない割に、表彰歴は多い。警視総監賞を2度も受賞している。
 
「間宮隆二。46歳。今年、警視長に昇任したばかりだ」
「46? 優秀なんですね」
 警視長の昇任は最短で45歳。昔と違って昇格試験をパスしなければならないから、特別承認がない限り、間宮はたったの2回で警視長の試験を通ったということだ。
「君ほどじゃないよ。次長は自分の跡を継がせるつもりらしいけどね」
 なるほど。次長の引きがあったのか。
 あんな人間のクズがどうして、と思っていたが、それなら頷ける。

「気をつけなさいね。こいつ、本物の変態だから」
 一日早く教えて欲しかった。そうしたらあんな油断はしなかった。
「遅いです。今さっき、ケツ撫でられて蹴り飛ばしちゃいました」
「あー、やっちゃったんだ。まずいなあ。彼、次長の娘婿なんだよ」
『娘婿』と聞いて、薪は驚いた。それではノーマルな男だったのか。
「そうなんですか? じゃ、冗談のつもりだったんですね。でも初対面の相手に、あれはちょっと非常識だと思います」
「アフターにホテルにでも誘われた?」
「ていうか、隣の部屋でどうだって言われましたけど」
 よく考えたら危険が高すぎる。いくら鍵が掛かるといっても、防音設備だって完全ではない国営の施設なのだ。ことに及んだら外部に洩れ聞こえてしまうだろう。関係を迫られたと思ったのは、やはり自分の考えすぎだったのか。
 ところが、小野田は薪の考えを否定した。
 
「それ、マジだよ。もう何人も食われてるんだよ」
「……いま、次長の娘婿って」
「うん。子供もいるよ。だから両刀ってやつだね」
「なんでそんなのが警務部長なんですか!?」
「だから次長の娘婿だって、いま説明したじゃない」
 当然のことだが、警察の役職は世襲制ではない。しかし、自分が目を掛けた人間が重要なポストに就けば、警察を辞めた後も美味しい汁が吸える。その人物が自分の血族になっていれば、旨味はいや増すというわけだ。
 小野田も薪に自分の娘との縁談を勧めてはいるが、そんなことは考えていない。
 考えていたら、薪のことなど選ばない。小野田が考えているのは、警察という巨大な組織の中で自分の正義を貫くことだけだ。たぶん、薪も同じだ。だから薪に目をつけたのだ。

「なんなんですか? 三田村といいこの男といい、警務部長の就任条件には性格破綻者という項目でもあるんですか?」
「だとしたら、警務部長に一番ふさわしいのはきみかもしれないね」
「……どーゆー意味ですか」
 青木の代わりにコーヒーを運んできた曽我が、小野田と薪のやり取りに肩を震わせて笑っている。まったく失礼なやつだ。

「なにがおかしいんだ、曽我」
 冷たい声で圧力をかけると、曽我は慌てて自分の持ち場に戻って行った。
 薪は室長である。部下に舐められるわけにはいかない。小野田ももう少し、第九での薪の立場を考えて行動して欲しいものだ。
 小野田の愚行によって、薪は時折自分の素の部分を部下の前で晒してしまっている。その度に自分の尊厳は損なわれていると薪は嘆いているが、実際はそんなことにはならない。
 小野田にセクハラを受けたくらいで薪の捜査官としての能力が下がるわけでもなし、むしろ人間らしいところもあると思わせることで親しみを持たせることができる。そのおかげでここには、旧第九にはなかった和気藹々とした雰囲気が生まれつつある。
 この新しい第九の中で、薪は恐れられながらも敬われ、愛されている。薪への尊敬を堂々と口にするのは薪に心酔している新人くらいだが、みな心の中では薪を誇りに思い、大切に思っている。それと同じくらいに厄介な上司だとも思ってはいるが。

「しかし、蹴り飛ばしたのはやりすぎでしたね。後で謝罪に行ってきます」
 悪いのは向こうだと思うが、次長の身内ではさすがにまずい。このままでは小野田にまで迷惑が掛かる。警察庁次長といえば、名目上は長官の下の役職だが、実質的にはすべての権力を握っているのだ。
 次長の上には当然長官がいるが、長官というのは警察官ではない。政府から出戻ってきた元警察官僚であり、その所属は内閣である。つまり内閣官僚というわけだ。よって、警察庁内部の事情にはひどく疎い。警察庁のトップにあって、次長の承諾なしには何もできないというのが実情である。

「放っておきなさいよ。何もなかったようにしてたらいいよ。間宮くんは体育会系の男で、三田村みたいに根に持つタイプじゃないから」
「でも」
「大丈夫。ぼくの方からもさりげなくフォローしとくから」
「お心遣い、ありがとうございます。小野田さんにはいつも感謝しています」
「薪くんて口ばっかりなんだもん。態度で示してよ」
「は?」
 不意を衝かれて、薪はソファに押し倒された。
 ばさばさばさーっ、という音がして床一面に書類が散らばる。またもや新人が口をぱくぱくさせてこちらを見ている。というより、この新人が応接室の前を通りかかるタイミングを見計らって、小野田が行動を起こしたとしか思えない。
 まったくこの人は。
 
「くっくっくっ。きみのとこの新人は、ほんっとに……!」
 「小野田さん……青木は小野田さんのオモチャじゃありません……」
 どうやら第九における小野田のターゲットは、薪だけではないらしい。青木は反応が素直だから、もともとからかわれやすいタイプなのだ。実際、苛めるととても楽しい。
 そういえば、女子職員の話はお流れになってしまった。もしかしたら青木の負担を減らしてやれるチャンスだったのに、自分の短気のせいで……しかし、あれを我慢するのは薪には無理だ。薪はその手の男が大嫌いだ。
 さっきも、触られた途端に鳥肌が立った。身体が勝手に反応して、気が付いたら蹴り倒していたのだ。
 まあ、やってしまったことは仕方がない。ほとぼりが冷めたころ、また申請書を出すことにしよう。青木にはなにか別のことで詫びを入れておけばいい。
 青木が喜ぶことと言ったら、まず食べることだ。本当はもっと喜ぶことを知っているのだが、そっちはダメだ。絶対に譲歩できない。

 床に落ちた書類を慌てて拾い集めている新人を見ながら、薪は密かに先月のことを思い出している。
 室長室で突然、この新人はとんでもないことをしてきて……。
 
「薪くん? どうしたの。感じちゃった?」
「はい?」
「顔が赤いよ」
 頬に手を当ててみると、たしかに火照っている。あの時、こいつにされたことを思い出してしまったからだ。

 薪は予想外の事態には弱い。身構えているときは何が起きても冷静でいられるのだが、その暇もなく襲ってこられると、咄嗟に素顔が出てしまう。赤くなったり狼狽えてしまったり、逆にキレてしまうこともある。
 あのときもそうだった。
 だれかとキスをしたのは何年かぶりで……それもあんなディープなものは、それこそ10年以上も前で。あんまり驚いたから、手加減もできずに力いっぱい殴ってしまった。昂ぶった感情を抑えることができずに、怒鳴りつけてしまった。ドアを閉めた後はしばらく動けなくて、涙まで……。

 でも。
 間宮に触られたときはゾッとしたのに、あのときは驚いただけで、気持ち悪いとは思わなかった――――。

「お昼だね。一緒にランチをどう? ぼく『松乃』の鍋焼きうどんが食べたいんだけど」
「遠慮します。今日は多分、ランチに割く時間はないので」
 小池に聞こえるように、わざと大きな声で答える。事情を知らない小野田は目をぱちくりさせていたが、振られちゃった、と肩をすくめてソファから立ち上がった。

 小野田に続いて薪が応接室を出ると、小池の周りにいた部下たちが、慌てて自分の持ち場に戻った。
 こいつら、勝手なことを。小池を全員で手伝えなどと言った覚えはないのに。
 小池の報告書はすでに6割方出来上がっていて、薪の眼さえなければ昼休み中に完成させることもできそうだった。

「小野田さん。やっぱりお供します。僕『松乃』のおろし蕎麦が大好物なんです」
 薪が背を向けると、部下たちは一斉に小池の机に集まってくる。
 まったく、昔の第九と違って、現在の第九はお人好しばかりが揃ったものだ。キャリアに限らず人材を募ったせいだろうか。
 特に岡部の影響は大きい。副室長的立場を担って、薪の女房役といったところだ。薪が第九で暴君のように振舞っていられるのは、陰で岡部がそのフォローをしてくれているからだ。だから薪は岡部にはとても感謝している。それが表面には現れるかどうかは、また別の問題だ。

「こんなに寒いのに、冷たい蕎麦?」
「蕎麦は冷たいのに限りますよ」
「なるほど。まさに氷の室長だね」
 脳データの修復は宇野が、略図の作成は青木が、地図のダウンロードは曽我が行っている。MRIの検証作業は岡部と今井と小池の3人がかり。どうやら、報告書作成の最速記録が出そうだ。

「いい感じになってきたね、ここも」
「まだまだです」
 部下たちの努力を見て見ぬ振りをして、薪は小野田と共に研究室を後にした。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
毎日たくさんの拍手をありがとうございます。励まされてます。
おかげさまで、しづは元気で仕事してます。(10/28)
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