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岡部警部の憂鬱Ⅱ(2)

岡部警部の憂鬱Ⅱ(2)





「生花と日本舞踊!? なんでそんなことになってんだ!」
 わけが解らない、という顔つきで薪は怒鳴った。

 室長会仲間からの手紙には岡部が関わっていると見抜いていたらしく、薪は岡部を室長室に連れ込み、詰問口調で説明を求めた。
 出来ることなら、薪に知られる前に速やかに誤解を解き、何もなかったかのように済ませたかったが、バレてしまっては仕方がない。岡部は事情を打ち明けて、素直に頭を下げた。
「何度も説明したんですけど。大人数で話すもんだからどんどん話が大きくなって、収拾つかなくなっちまって」
「それで、来月の懇親会で、僕に日本舞踊を踊れって?」
 薪はひらひらと、一枚の紙を岡部に振ってみせる。幹事の水谷から、文書で正式な依頼が届いたらしい。
「俺のドジョウすくいで何とかならないかって、水谷副室長に相談したんですけど。もう衣装まで用意しちゃったって言われて」
「いいじゃないか。その衣装着てドジョウすくいやれば」
 頬杖をつき、この上ない冷たい口調で吐き捨てる。表情は冷静だが、めちゃくちゃ怒っている。
 薪がいったん怒ったら、その持続力はすごい。下手に記憶力がいいので、怒りの原因も今の荒れた気持ちも、なかなか忘れることができないらしい。薪の怒りから逃れるためには、原因を解消するしかない。
 
「俺、室長会のみんなのところ回って、頭下げてきます。一人一人なら、誤解を解くこともできると思うんです」
「室長会のメンバーはともかく、部長と局長はどうするんだ。おまえなんかじゃ、アポもとれないぞ」
 上層部(お客様)にはすでに、懇親会のプログラムと招待状を送ってしまった、と水谷は言っていた。それを取り消すことは難しい。
 困り顔の部下に肩を竦めて、薪は一本の電話をかけた。
 
「小野田さん。確か2番目のお嬢さんが、日本舞踊を習ってらっしゃいましたよね。その先生に2週間だけ稽古をつけてもらいたいんですけど。誰がって、僕が踊りを習っちゃおかしいですか?
 ええ。実は室長会の余興なんです。何故かそういうことになってしまって」
 よろしくお願いします、と言って薪は電話を切った。

「薪さん」
「余興だから、別に上手くやることはない。僕が恥をかけばいいだけのことだ」
 冷たい氷の鎧を脱いで、薪はいつもの穏やかな顔に戻る。腕を組んで背もたれに倒れ、岡部にやわらかい笑みをみせた。
「おまえには、今回も助けられちゃったから。この辺でまとめて返しておかないとな。女房(おまえ)に頭が上がらなくなる」
 薪が言っているのは、先日、第九を去った女子職員の陰謀のことだ。
 彼女は計略を用いて第九に入り込み、薪の失墜を画策した。その策略は効を奏し、もう少しで薪は社会的に抹殺されるところだった。
 薪と自分が恋仲になったように職員たちに信じ込ませるかたわら、間宮をけしかけ、薪との既成事実を作る。その上で自分は、薪に騙された被害者を装い、同情を集める。薪は間宮に陵辱され、更には小野田や部下の信頼も失う――――― 本人がいなくなった今、彼女の計画の詳細を知ることはできないが、岡部はみどりの企ての全貌をそんな風に推察している。

「あいつにも、迷惑かけたからな。フレンチでもご馳走してやろうかな。それとも、家で何か作ってやったほうが喜ぶかな」
 小さく独り言のように呟いた室長の言葉に、岡部は驚く。あいつ、というのはまさか間宮のことだろうか。
 実は、彼女の企てを砕いたのは岡部ではない。間宮だ。
 間宮の意外な行動が、彼女の計画を破綻させた。彼女の読みが甘かったわけではない。あれは岡部にも予想がつかなかった。あの色魔があの状況で、あんな行動をとるとは。
 あの時、薪は自分から服を脱いでベッドに横たわり、間宮に抱かれたかった、と言った。それを間宮は断ったらしい。
 岡部にはさっぱりわからなかったが、色事師には色事師なりの価値観があるらしく、間宮は薪に指一本触れなかった。肉欲を優先して間宮が薪の誘いに乗っていたら、今ごろ薪はここにはいない。だから、薪が間宮に感謝する気持ちも理解できなくはない。
 しかし。

「それは止めたほうがいいです」
 たしかに、今回の一件では間宮を見直した。だからと言って、自宅に招いたりしたら勘違いされるに決まっている。間宮は別に、薪のことを諦めたわけではないのだ。
「付け上らせるだけですよ。下手に誤解されたらどうするんです」
「うん。でも……あいつも辛かったと思うんだ」
 薪はデスクに頬杖をつき、睫毛を伏せて視線を右に泳がせた。何だか恥らうような表情だ。
「あの時は僕もショックで、頭ン中わやくちゃだったから、あいつの気持ちを思いやることもできなかったんだけど」
 そんな色魔の劣情を思いやって、どうする気だろう。

「薪さん。何回、同じ目に遭ったら学習するんですか。あいつに甘い顔したら、また嫌な思いをさせられますよ」
「あいつは、僕が嫌がるようなことはしない。僕が嫌だって言ったら、それ以上のことは絶対にしてこない」
 これは驚いた。
 間宮は、いつの間に薪の信頼を得たのだろう。
 Mホテルの件だけで、薪が今まで間宮にされたことをすべて忘れて彼を信じることにしたとは思えない。薪が間宮に受けた屈辱は、そんな軽いものではなかったはずだ。

「なんでそんなにあいつに甘いんですか?」
「甘い、かな」
「甘すぎますよ! あの変態のことを信用するなんて。あいつの頭には、そのことしか入ってないんですよ。隙を見せたら襲い掛かってくるに決まってるじゃないですか」
「いくらなんでも言いすぎだろ! あいつはそんなにひどいやつじゃない!」
 ムキになって言い返してくる。
 薪が間宮の弁護に熱を入れるなんて、信じられない。
「あいつはいつだって、僕のことを一番に考えてくれるんだ。今回だって、あいつは僕が元気になれるように心を砕いてくれたんだ!」
 思いがけぬ強さで反駁されて、岡部は目を瞠る。
 亜麻色の瞳は、明らかに憤っている。自分の大切なひとを庇うような真剣さだ。

「それに……僕だってあいつのこと、嫌いじゃないし」
 嫌いじゃないときた。
 間宮のセクハラにあんなに腹を立てていたのに、いったい何が薪の心境を変化させたのだろう。

「おかしいですよ、薪さん。なんでそんなに庇うんですか? あんなやつのこと」
「岡部こそおかしいだろ。今まで僕があいつのことを悪く言うと、いつも庇ってたのはおまえの方じゃないか」
「庇った? 俺が間宮を?」
「間宮?」
 岡部が間宮の名前を出すと、途端に薪はきれいな顔を歪めた。
 亜麻色の瞳は急速に熱を失う。横を向いて頬杖をつく。名前を口にするのもイヤそうだ。
「なんであの腐れ外道が出てくるんだ」
 間宮もまた、横川みどりに騙されていたのだ。いわば被害者だ。これまでの行いが行いだけに、同情する気にはなれないが、それでもここまで言われることはないと思う。
 
「いくらなんでも、腐れ外道は酷いんじゃ」
「外道を外道と言って何が悪いんだ。間宮は変態色魔だぞ。ケダモノ以下だ。あんなやつ、ヤクザの女にでも手を出して、コンクリ詰めにされて海に沈められちまえばいいんだ」
 薪のほうがよっぽどひどい。
 間宮は、今回の件では一応功労者だ。ホテル側への事情説明も設備の弁償も、全部間宮が被ったのだ。
 おそらくは薪のために。少しかわいそうになってきた。
 この人は、こういうところがある。
 気を許した相手にはとことんやさしいが、そうでない相手には果てしなく厳しい。相手が自分に対して態度を改めたとしても、それを素直に受け取らない。捜一の竹内がいい例だ。たぶんこれから先、間宮のこともずっとこのままだ。
 哀れな人事部長のため、岡部は薪に一矢報いてやることにした。

「じゃ、誰のことだったんですか?」
「え?」
「薪さんのことを一番に考えてくれて、薪さんを元気にしてくれるやつって」
 岡部に自分のセリフを繰り返されて、薪はうろたえる。さっきは岡部にそのひとのことを貶されて、咄嗟に口から出てしまったらしい。
「い、いや、あの、その……」
 右手を口元に当てて、下を向く。顔は見えないが、耳が真っ赤だ。
 その様子を見て岡部は、薪の言う『あいつ』の正体を知った。

「ああ。解りました。俺が帰ったあと、あそこに残ってたやつっていったら」
「ち、ちがう!」
 岡部にその先を言わせまいと、薪は椅子を蹴って立ち上がり、両手でバン! と机を叩いた。頬が紅潮している。まるで子供のようだ。
「僕はべつにあいつのことなんか!」
「三好先生のことですね?」
 亜麻色の大きな瞳を点のように小さくして、薪はきょとんとした顔になる。天井に視線を泳がせて、そうそう、と何度も頷く。

「雪子さんが、あの場を収めてくれたんだ。後で、好物のパンプキンパイを焼いてやろうかな」
「喜びますよ、きっと。じゃ、俺は世田谷の事件の捜査に戻りますから」
 岡部が事件のことを口にすると、薪はすっと冷静な捜査官の顔になった。3秒ほど黙り込み、きりりと引き締まった表情で指示を出す。
「あの事件は、被害者の病状について、もう少し突っ込んでみてくれ」
「わかりました」

 岡部は室長室を出てから、腹を抱えて笑いこける。
 あれは三好雪子のことではない。薪は雪子のことを、あいつ呼ばわりはしない。
 青木のことだ。
 あれだけ衝撃的な出来事があったのに、薪の落ち込みが浅いと思ったら、青木のやつが上手くフォローしてくれたのか。

 最近、薪のご機嫌取りに関しては、青木のやつに敵わなくなってきた。付き合いは岡部のほうがずっと長いのだが、金曜日の定例会の他にも、青木はちょくちょく薪の家を訪れているようだし、一緒に過ごしたトータルの時間では、もしかすると勝てないかもしれない。
 何よりも、薪に対する想いの深さには太刀打ちできない。何もかも犠牲にして厭わないほど、向こう見ずにはなれない。若さゆえの激しさなのかもしれないと思うが、岡部にはあれは絶対にムリだ。岡部が青木の年齢のころには、既に自分を抑える術を身につけていた。
 少しだけ、羨ましいような気もする。
 自分に青木の思考回路がついていたら、あのひととの関係も変わっていたかもしれない。しかし、それはやはりタブーだ。岡部に常識を覆すことはできない。きっと自分の心の中に仕舞ったまま、この想いは永遠に封印されるのだろう。

 岡部は大きく肩を竦めると、その想いを断ち切るように首を振り、薪に指示を受けた調査に取り掛かった。


テーマ : 二次創作(BL)
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岡部警部の憂鬱Ⅱ(1)

 久々に、本来のスタイルに戻ります。
 ええ、ここはギャグ小説サイトなんです。
 笑っていただけると嬉しいです。



岡部警部の憂鬱Ⅱ(1)






 今年の春から第九の副室長を務めている岡部靖文は、強面のベテラン捜査官である。
 年は38歳。階級は警部。ノンキャリアでこの年齢のこの階級は立派なものだ。現場で相当の殊勲を立てなければ獲得できない。しかも、生え抜きのエリートばかりが集まる第九の副室長という役職。キャリアの上に立つノンキャリアとして、キャリア組からは畏怖を、そうでない者たちからは尊敬と憧憬を集めている。
 岡部は武道にも秀でている。柔道5段剣道4段の実力は、ヤクザが束になっても敵わない。署内の武道大会では、毎年優勝争いに必ず残っている。身長180cm体重75キロの堂々たる体躯。隆々とした筋肉。男の中の男とは正に彼のことだ。

 その大きな身体を丸めて。
 岡部は追跡者から身を隠すように、デスクの陰にしゃがみ込んでいた。

「だから、違うんですってば!」
 携帯電話を使って誰かと話をしている。強い口調だが、囁き声だ。他人に聞かれたらまずい内容らしい。
 ものすごくコソコソしている。指名手配で逃げ回っている犯罪者のようだ。
「信じてくださいよ、水谷副室長。うちの室長が得意なのは巴投げで……違いますよ、巴御前の踊りじゃなくて!」
「岡部。水谷副室長からか?」

 冷たい声に、岡部は思わず電話を閉じる。
 上司が腕組みをして、デスクの脇に立っている。細い顎をつんと反らして、氷のような眼で岡部を見下ろしている。岡部は副室長だから、上司は一人しかいない。つまり、彼は室長ということだ。
「い、いや、あの」
 突然切られた電話に、水谷副室長は面食らっていることだろう。しかし、電話の内容を声の主に知られることは何としても避けたい。

 さらさらした亜麻色の髪に、同じ色の大きな目。長い睫毛に小作りな鼻。幼さを残す輪郭に、つやつやした小さな口唇。ボーイッシュな女性と言われれば頷いてしまいそうなきれいな顔立ちと、少年めいた小柄な体つき。身長は岡部の肩までしかなく、横幅は岡部の半分くらいしかない。
 そんな華奢な人物に対してプロレスラーのような岡部がタジタジとなっているのは、ひどく不自然で滑稽な状況だった。

「その電話は、こないだから僕のところに何通か来てる『踊りの教室を開いて下さい』っていう室長会のメンバーからの訳の分からない手紙と、どう繋がって来るのか……」
 岡部のネクタイをグイッとつかみ、室長は不機嫌な顔を近づける。岡部のいかつい顔が情けなく歪み、口元が笑いとも恐怖ともつかぬ形に引き攣った。
「な」
 自分の怒りを効果的に思い知らせるために、室長は間を置いて締めの言葉を放つ。完璧に整った美しい顔から、冷気が流れてくる。
 7月下旬の暑さの中で、岡部は寒気を感じている。特に真っ向からぶつかってくる視線は、絶対零度の冷たさだ。亜麻色の瞳から、冷凍ビームが発射されているようだ。

「すいません……」
 氷の警視正のブリザード攻撃に、岡部警部は年貢の納め時を知った。


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ラブレター

舞台裏です。

おひまでしたらどうぞ(^^

続きを読む

ラブレター~あとがき~

 このたびは、『ラブレター』を読んでいただき、まことにありがとうございました。
 核爆弾の威力は、いかがだったでしょうか。
 大したこと、なかったですよね?夏の夕立くらいだったでしょ? 遠くに雷が落ちたかな、みたいな。(^^;


 この『ラブレター』で、ワードのページ数が、900ページを超えました。

 我ながら、どんだけ薪さんが好きなんでしょう。
 好きだから、いろんなことを想像して、妄想に妄想を重ねて、それが自分の中でいっぱいになると書かずにいられなくて……。
 でも、冷静に読み直すと、内容から薪さんへの愛が感じ取れないのは、なぜ?
 なに? この仕打ち。ひでえ(笑)

 このお話で、一番書きたかった場面は、薪さんが青木くんの淹れたコーヒーを飲みながら、涙をこぼすシーンです。あれを持ってくるために、このお話を書いたといっても過言ではありません。
 もちろん、薪さんが泣くことが大事だったのではなくて。
 自分にとって、青木くんはかけがえのない存在だ、と薪さんはあそこで思い知るのです。もう、この時点でコーヒーは青木くんの象徴みたいなもんで。これが書きたいが為に、2060.6のオフタイムから、しつこいくらいにコーヒーコーヒーと騒ぎ続けてきたわけです。

 今回は途中で、たくさんの方を泣かせてしまいました。ごめんなさい。
 特に、毎回ビクビクしながら、または泣きながら、拍手を送ってくださったコハルさん。本当にごめんなさい。これが感動の涙だったら謝らないんですけど。すみません。(^^;
 そんなつらさに耐えながら、最後までお付き合いくださったみなさまに、心から感謝いたします。
 ありがとうございました。


 ここで、ネタばらしを。

 実は、『オフタイム』の中に、横川みどりが書いたラブレターの話が出てきます。あの話が一応の伏線でした。
 そのことに気付いてくれたのは、『HOUSE! HOUSE!』のわんすけさんでした。(他にも気付かれた方がいらっしゃるかもしれませんが、コメをいただいのは、わんすけさんだけでしたので)
 びっくりしました。
 まさか、1年以上も前の話の、たった2,3行のエピソードを覚えてる方がいらっしゃるとは、正直、考えもしませんでした。
 そのあともわんすけさんは、これからの展開を見事に読んでくれました。何回か鍵付きのコメをいただいたのですが、(鍵というところに、彼女の人格の素晴らしさを感じました)
 それがもう、どうして知ってるの!? と思うくらいにぴったりでした。

 特に、みどりの企みについては、完璧に見透かされまして。

 >あああ・・・  orz
 >「遠藤に吹き込んだこと」を事実にしてやろう・・・と・・?
 >そして自分は「騙された可哀そうな女の子」として、泣いて訴えれば・・・・。
 >「間宮の餌食にされる」「公私ともに信用も信頼も失う」この二重の苦しみを、薪さんに味あわせるために・・・・・?

 というコメをいただきました。

 これ、鍵がついてなかったら完璧ネタバレ。(@@)わんすけさん、もしかしてハッキング? と冗談でレスをしたくらいでした。

 わんすけさん、本当にありがとうございました。
 鍵をつけてくれたことも、展開を読んでくれたことも、すごく嬉しかったです。この場を借りて、お礼申し上げます。



 さて。次のお話は。
 久々に、薪さんの女装ネタです。シリアスポイントは今回で使い切ったので、次はギャグで行きます(^^

 
 次のお話も、気楽にお付き合いいただけたら幸いです。




 追記です。

 このお話は、わんすけさんに捧げます!!
 わんすけさん。
 受け取っていただいて、ありがとうございました。(〃▽〃)
 展開を完全に読みきってくださったのも、みどりの計画を見抜いてくださったのも、すごく嬉しかったです。ありがとうございました(^^


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ラブレター(22)

 ここまでお付き合いくださって、ありがとうございました。
 薪さんがコーヒー飲んで泣いたり、青木くんの胸で泣き叫んだり、青木くんが悔し泣きしたり、と色々ございましたが。って泣きっぱなしじゃん。(^^;

 とにもかくにも。
「ラブレター」のラストです。





ラブレター(22)





 月曜日。
 今日も青木は、モニタールームの掃除から朝の仕事を始める。
 モニターの埃を取るためのクロスを片手に、メインスクリーンを端から拭いていく。背の高い青木は、この作業を脚立を使わずに行うことができるが、それでもけっこうしんどい。
 掃除というのは、全身運動なのだ。巷の主婦たちも、下手にダイエットと称して食事制限をするくらいなら、毎日の掃除に力を入れたほうが、よっぽど効果が上がると思うが。

「おはようございます。メール便です」
「ご苦労さまです」
 まるでホテルのランドリー係が押して歩くような大きな台車から、庶務課の年若い配達当番は、封書の束を机に置いた。こういう仕事はたいてい、新人の役目だ。部署の配置を頭に入れることができるし、職員の顔も覚えられるからだ。

「今日は、特に多いみたいですね」
 週末までに、という期限の書類が多いことと、民間人には土日も関係しないことから、月曜日のメール便は大量になる。
「第九(うち)のは民間からの書簡も多いから、セキュリティチェックも大変でしょう。ご面倒掛けます」
「いいえ。チェックは機械がやりますから。それに、ほとんどがこれ、ファンレターでしょ。相変わらず薪室長はモテますよね。ひとりぐらい僕に回してくれないかなあ」
 この手紙が薪の目に触れることもなく、シュレッターに掛けられる運命であることを、彼は知らない。しかし、それを暴露して、薪の悪評を立てることはできない。
「ムリです。部下のオレにすら回ってきませんから」
「全部独り占めですか。ハーレム作れますね」
 ……別の悪評が生まれそうだ。

 冗談に笑って庶務課の新人が去った後、青木は郵便物を分け始める。
 捜一や二課からの書簡は副室長に。警察庁の部署や上層部からのものは室長に。個人に宛のものはそれぞれの机に。室長へのファンレターは廃棄箱の中に。

「おはよう」
 いつもの澄んだアルトの声で、室長が出勤してくる。
 亜麻色の瞳が、生き生きときらめいている。いい休日が過ごせたようだ。
「おはようございます」
 青木の挨拶に軽く頷き、薪は自分宛の郵便物を取って、差出人のチェックをする。
 訝しげな顔をして薪が見ているのは、5通の封書だ。裏面には、研究室名と役職と氏名が明確に記してある。すべて室長会のメンバーだ。
 
「この頃、室長会からのメール多いですよね。何かあったんですか?」
「来週末に懇親会があるんだ。その連絡だろ」
「懇親会ですか。それは楽しみですね」
 納得したような相槌を打つが、青木は薪の嘘に気付いている。
 懇親会の通知なら、普通は事務局から来るだろう。連絡網で回すにしても複数の人物から何回も来るのはおかしい。
 どうやら、本当のことは言いたくないようだ。もしかしたら、室長会の内輪の話で、ヒラの職員には話せないのかもしれない。

「青木。それ、僕のところに回してくれ」
 薪が細い顎で示したのは、シュレッター行きの書類を入れる箱だった。そこには、可愛らしい動物や花や英文字の描かれた封書が、10通近く入っている。
「これからは、ちゃんと読むことにしたから」
 青木は、薪の言葉の裏側を読む。

 ―――― 読まずに捨てるのは、逃げることだと気付いたから。

 その勇気は、薪に現実を見せる。好意も悪意も受け止められるだけの力を養う訓練を、これから彼は重ねていくのだ。

 手紙の束を渡されて、薪はくちびるを噛む。
 微かに手が震えている。横川みどりが複数いないとは限らない。

「大丈夫ですか」
「平気だ。僕には、強力なサポーターが大勢いるから」
 強気な瞳が青木を見る。
 僅かな恐れを覆い隠す強い意志が、亜麻色の瞳を魅力的に輝かせる。
「よく効くおまじないも知ってるし」
 苦笑とともにそんなことを言って、薪は室長室へ入っていく。
 青木は手にクロスを持ったまま、細い背中を見送る。その背中は、以前の張りと強さを取り戻している。

 自分がやったことは、間違っていなかった。
 第九では、結果がすべてだ。大切なのは、薪が元気になってくれることだ。
 だれが薪を勇気付けたのか、追求することはない。それはどうでもいいことだ。

 深い傷を残したまま、青木は心を決める。
 薪が望むなら、それでもいい。誰かの身代わりでも……それでも、薪のそばにいたい。

 室長室のドアが閉まる。
 しばらくして、ドカン! ガシャン! という金属音。「っざけんな!」という喚き声。
 青木は薪が持っていった、手紙(ラブレター)の秘密を知る。
「……男からだったんですね」

 薪の気持ちを落ち着かせるためには、とびきり美味いコーヒーが必要だ。
 室長の専属バリスタに返り咲いた第九の新人は、くすくすと笑いながら給湯室へ向かった。


 ―了―





(2009.3)


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ラブレター(21)

ラブレター(21)









 勝手知ったる上司の部屋に入るや否や、青木はバスルームに直行した。
 ジャケットを脱ぎ、ワイシャツ姿になって、髪をシャワーで濡らす。柑橘系の香りがするシャンプーで、手早く髪を洗い始める。
「トイレは隣……なんで頭洗ってんだ、おまえ」
 きちんと洗うことはない。ワックスだけ取れればいいのだ。

 かっきり2分で洗髪を終えて、ドライヤーのスイッチを入れる。鏡の中に写っている自分の顔が、緊張しているのがわかる。
 うまくいくかどうかわからない。逆に薪の傷を広げてしまうかもしれない。
 でも、いま薪のこころを癒してやれるのは、この男だけだ。

 薪はバスルームの入口に立って、訝しげな顔でこちらを見ている。
 青木の計画は露呈していない。

 ドライヤーを置き、髪をブラシで整える。いつものオールバックではなく、左からの斜め分け。
 ブラシを置いて、薪のほうを振り返る。強度の近視の青木には薪の表情はわからない。
 しかし、薪の激しい動揺は、周りの空気を振動させるほどに強かった。

「な……!!」

 なんのつもりだ、何をする気だ。
 そんな意味のことを、言おうとしたのだと思う。いずれにせよ、青木はその問いに答える気はない。これから一言も喋る気はなかった。

 薪はよろよろと後ずさり、バスルームのドアを抜けて、リビングに逃げた。青木が後を追うと、彼はソファの背もたれに縋って、乱れた呼吸を整えようとしていた。
 青木の影に気付いて再び逃げようとするが、ソファに躓いて床に膝をついてしまった。
 腰を落としてしまったら、もう立てない。
 座ったまま後ずさって、背中がソファにぶつかる。はっとして周りを見るが、逃げ場はない。暗い迷路の中で、袋小路に入り込んで戸惑うモルモットのようだ。

 床に膝を着いて、青木は薪を追い詰める。
 揺れる瞳に視線を合わせる。わななく唇が、小さな両手で覆われた。
「す……」
 手のひらを上に向けて差し伸べた腕の中に、薪は飛び込んできた。
「あっ、あっ……わああああっ!!!」
 2、3度しゃくりあげた後、びっくりするような大声で泣き始める。耳が痛くなるほどの声だ。Mホテルのロビーに響いた、雪子の声より大きい。
「うあっ、ううっ! ひうう――ッ!!」

 昨年の秋に、青木は同じように薪を慰めたことがあった。そのとき、薪は声を殺して肩を震わせて、静かに涙をこぼしていた。
 そのときとは比べ物にならない、激しさ。それは受けた傷の深さの違いか。

 否。
 相手の違いだ。

 きっとこっちが本当なのだ。
 渾身の力で縋りつき、ありったけの声で泣き喚く。儀式の相手が鈴木なら、薪はこうして自分を曝け出すことができるのだ。

「うああああっ! ああ……わああ……」
 小さな亜麻色の頭を撫でながら、青木は寒気がするような現実に直面する。

 自分では、このひとを癒すことはできない。薪を安らがせてやれるのは、鈴木だけだ。
 身体はぴったりと密着しているのに、心はとても遠い。
 いま、ここにいて、薪を抱きしめているのは鈴木克洋だ。
 自分ではない。

「ううっ……ひっ、うっ……」
 いつ果てるとも知れぬ慟哭は、徐々に啜り泣きに変わっていく。
 やがてしゃくりあげる音も低くなり。
 気が付くと、薪はしっかりと青木に抱きついたまま、眠っていた。

 青木は薪の身体を抱いて、ベッドに運ぶ。
 それはいつもの作業だ。酔いつぶれた薪を運ぶのと変わらない。それなのに、どうしてこんなに薪の体が重く感じるのだろう。

 ジャケットとネクタイを取って、ワイシャツのボタンを二つほど外してやる。ベルトを抜いて、靴下を脱がせる。最後に、涙の痕を濡れタオルで丁寧に拭いてやって、薄い掛布団を被せる。
 本当に手の掛かる上司だ。上役のお守りは大変だ、と青木の同期たちもこぼしているが、どこの上司もこんなに世話が焼けるのだろうか。

 寝室を出て、バスルームに向かう。
 洗面所に眼鏡を置いたままだ。あれがなくては帰れない。
 脱衣所に入ると、洗面台の上にドライヤーが使いっぱなしになっている。片付けるのを忘れていた。
 ドライヤーを定位置に戻そうとしたとき、青木は他人の気配を感じた。
 それはもちろん気のせいで、その正体は鏡に映った自分の――――。

 ―――― 違う。こいつは、オレじゃない。

 鏡の中の、他人。
 その人物に、青木は血が沸きかえるような嫉妬を覚える。

 手のひらを鏡に押し付けて彼の顔を隠し、青木は下を向いた。洗面台の流しに、いくつもの水滴が滴り落ちてきた。
「ちくしょ……」
 声を殺して、青木は悔し涙を流した。


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ラブレター(20)

 うちの設定って、本当に変わってるな、としみじみ思いました。
 雪子さんと岡部さんが、異常にカッコよくていい役で、主役のふたりが性格破綻者とヘタレって。 いいんでしょうか、こんなん書いてて。
 いや、書いてるほうは、すごく楽しいんですけど。(この展開を楽しいというのも、また問題が)

 まあ、いいか。
 自分が楽しけりゃ。(いや、ダメだろ、それじゃ)





ラブレター(20)








 品川にある雪子のマンションは、築5年の新しいものだ。
 立地条件と窓からの眺めが気に入って、売りに出されると同時に新規購入した。
 女がマンションを購入するのは結婚を諦めた証拠だ、と助手の女の子に言われてしまったが、毎月の家賃を払うなら、経済的には同じことだ。だったら払い終わったときに現物が残った方が得ではないか。
 もしも鈴木と結婚したにしても、しばらくはふたりで住みたいから、きっと彼がここに越してくることになったと思う。決して無駄にはならなかった筈だ。
 今は、菅井の言った通りになってしまったが。

「入りなさい。お茶くらい、ご馳走してあげる」
 雪子の腕力に恐れをなしたのか、みどりは逆らわずについてきた。
 おそらく、みどりは雪子にも興味があるのだ。憧れていた男性の恋人だった女性。鈴木のことで聞きたいこともあるに違いない。

「突っ立ってないで座ったら」
「……どこへ?」
 言われて雪子はあたりを見回した。
 めちゃめちゃ汚い部屋である。
 洋服が脱ぎ散らかされていて、床の色が見えない。何日掃除をしていないのか、埃があちこちに溜まっている。それに黒髪が絡まって、ものすごく見苦しい。部屋の隅に立てかけられた掃除機が活躍したのはいつだったか、雪子にも記憶がない。
「いつもはもう少し、きれいなんだけど」
「鈴木さんが、あなたといつまでも結婚しなかった理由がわかったわ」
 無礼な娘だ。

 雪子は台所へ行き、IHでお湯を沸かし始めた。電気ポットのお湯は、いつのものだかわからないから使えない。みどりは雪子と一緒にキッチンに来て、雪子の後ろに立った。
 雪子は料理が大嫌いで、キッチンにはほとんど立ち入らないから、リビングよりはずっとマシだ。だいぶ埃は溜まっているが。

 電子レンジの上に飾られている写真に目を留めて、みどりはそれを手に取った。
 雪子と鈴木と薪の3人で、鈴木の家の別荘に行ったときの写真だ。全員半袖のシャツを着ているから、夏のことだ。
 雪子が薪の後ろから細い肩に両手を載せて、その後ろからふたりをまとめて抱きしめるように、鈴木が長い腕を回している。
 3人とも、全開の笑顔で写っている。明るい笑い声が聞こえてきそうな写真だった。

 みどりは、食い入るように写真を見つめていた。
(鈴木さんが……鈴木さんだけが。あの頃のわたしに、こんな風に笑いかけて)

「やっぱり、許せない」
 写真を見たことで怒りが甦ったのか、みどりは篭った声で呪いの言葉を吐いた。
「こんなに仲が良かったのに。どうして薪室長は、鈴木さんを殺したの?」
「仕方なかったの。薪くんの判断は正しかったわ」
「よくそんなふうに割り切れるわね。わたしにはできない。あのひとを恨まずにはいられない。あんなやつ、めちゃめちゃに壊してやりたい」
「鈴木くんの恋人だったあたしが薪くんのことを恨んでないのに、あんたにそんな権利があるわけないでしょ」
 正論だと思ったのか、みどりは反駁してこなかった。

 乱雑にものが押し込まれた戸棚から、F&Mのダージリンを手に取る。これは、雪子のお気に入りの銘柄だ。
「鈴木くんのご両親でさえ、なにも言わなかった。薪くんがどんな人間か、わかってるからよ」
 薬缶から、カーカーという音がしてくる。紅茶は沸騰したお湯で淹れないと美味しくない。
「薪くんは、あたしの何倍も傷ついた」
 使いっぱなしでシンクの中に置いてあった、紅茶のポットとカップを洗う。来客用のマイセンは、この前菅井が来たときに割ってしまったから、みどりには普段使っているもので我慢してもらおう。
「あのひとは、本当にズタボロになったの。あのプライドの高いひとが、人前でぼろぼろ泣いたり夢にうなされたり。食事も睡眠もまともに摂ることができなくて、骸骨みたいに痩せ衰えて。
 あなたは、その薪くんを知らない」
 それを知っているのは、雪子と岡部だけだ。青木も他の職員たちも知らない。

「昔はそうだったかもしれないけど、今のあのひとは、鈴木さんのことなんかこれぽっちも考えてない。あの青木って男と、楽しそうに笑って過ごしてるわ」
「そんなことない。いまだに薪くんは、夢にうなされて夜中に飛び起きる。彼、昼休みには、必ず昼寝してるでしょ。あれは慢性的な睡眠不足のせいよ」
「昼間眠いのは、夜中にあの男と睦みあってるからでしょ」
「あのふたりは、そんな関係じゃないってば」
 今のところは、と心の中で付け加えて、雪子はため息をついた。

「あなただって、こうして写真なんか飾ってるけど、鈴木さんのことをどれだけ悼んでるっていうの?恋人を殺した男と楽しそうに話ができるなんて、わたしには信じられない」
 薪の心痛をいくら説いても、みどりは頑なだ。
 心の痛みは目に見えない。見えないものを信じるのは、人間の不得意分野だ。

 監察医らしく短く切った爪の先が、ブラウスシャツの袖のボタンを外した。左袖が、肘まで捲り上げられる。
 雪子は、夏でも白衣を着ている。その下には必ず長袖の服を着る。
 その理由をこんな女に知られるのは屈辱だが、他人の気持ちを推し量ることのできない小娘には、必要な講義だ。

「大切なひとを亡くして、平気でいられる人間なんか、いるわけないでしょ。みんなそれを表に出さないだけよ」
 雪子が差し出した左腕を見て、みどりの顔色が変わった。
 何筋ものリストカットの痕。これは鈴木が雪子に遺した傷だ。
 論より証拠だ。この娘も昔は警察官だったのだ。その精神は残っているはずだ。

「……あなたのことは信じる」
 しばらく黙り込んだ後、みどりは低い声で言った。
「あなたが薪室長を信じる限りは、わたしも信じることにする」
 みどりはひとつだけ、雪子の真実に気付いていた。
 埃まみれの部屋の中で、この写真だけが塵ひとつ付いていなかった。おそらく雪子は、毎日この写真を手に取っているのだ。

「ごめんなさい。それ、他人に見られたくなかったでしょ」
 みどりも女だ。その気持ちは解る。
 間宮に近付くという目的のため、みどりは持って生まれた素顔を捨てた。
 この顔になったときに味わったのは、異性からの賞賛と好意。同性からの微かな嫉妬。それはみどりにとって初めて味わう優越感だったが、反面、ひとの外見だけで態度を変える男たちが滑稽だと思った。
 男という生き物に幻滅していたみどりだったが、それでも、この顔が作り物であることを、他人には知られたくない。
 雪子たちには知られてしまったが、このひとたちは言いふらしたりしない。何故か、そう思える。
 それは、あの場に居た人間のひとりとして、みどりの昔の顔を知ったときに、その態度を変えなかったからだろうか。みどりが覚悟していた軽蔑や哀れみの色は、どの顔にも浮かばなかった。

「ごめんなさい」
 みどりがもう一度繰り返すと、雪子はニッと笑って、袖を元に戻した。不覚にも、みどりはその顔を美しいと思った。

「あなたが自分の秘密を見せてくれたから、わたしもひとつ白状する。薪室長は、わたしに指一本触れてない」
 雪子に言っておけば、青木にも伝わるだろう。
 別に、あのふたりがどうなろうと知ったことではないが、自分が薪と関係を持ったと雪子に思われるのもシャクだ。
「今日の昼、室長室でキスしてたって証言があるけど」
「あは。うまく行ったんだ。あの青木って男、ホントに単純ね。ノックの音が聞こえたから、眠ってる薪室長に口紅をつけただけ。それを見た誰かが、誤解すれば面白いと思って」
「やっぱりね。あの薪くんが、職場で昼間っからそんなことするはずないと思ったわよ。あっちのほうは本当にオクテなんだから。来たのが青木くん以外の人だったら、引っ掛からなかったかもね」

「あいつって、バカね」
「そうね。バカな男よね、ふたりとも」
 雪子の言動に、みどりは軽いデジャビュを感じる。
「不器用でバカで。救いようがないわ」
 面倒見きれないわよ、と言いながら、雪子の表情はとても楽しそうだ。昔、彼女の恋人が、親友のわがままをボヤきながら笑っていたときのように。

「さてと。ソファの上の服を退かせば、座るところができると思うんだけど。えーと、クッションはどこだったっけ」
 雪子はリビングに戻り、ソファの上からドサドサと、服やぬいぐるみなどを床に落とした。綿埃がもうもうと舞い上がる。
「わっぷ! ゴホゴホッ!」
 法一の女薪と恐れられ、仕事のできる女№1の称号に輝く雪子の情けないプライベートを見て、みどりは思わず苦笑した。
「お茶の前にお掃除ですね。わたし、お手伝いします」



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ビアガーデン

舞台裏の呟きです。

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ラブレター(19)

ラブレター(19)







 Mホテルの1122号室に最後に残ったのは、第九の室長と新人のふたりだった。
 嵐の後のような部屋で、青木は途方にくれている。岡部が蹴り壊したドアと、雪子が叩き壊したテーブルについて、ホテルの人に何と説明したらいいのだろう。

 とりあえずフロントに赴き、支配人に謝罪の言葉を述べると、既に間宮のほうから事情は聞いていると言う。
「素晴らしい。本格的な実地訓練でしたね」
「はい?」
「間宮様が立てこもり犯で、そちらの方が人質役で、さっきの怖い顔をなさった方が踏み込む役だったんでしょう? さっきお帰りになられた女性の方は、鑑識と監察医だと」
 そういう設定にしたのか。
 間宮の職業と肩書きがあれば、嘘くさい話も本物になるらしい。

「修理代は、間宮様のほうへとのお言葉をいただきました」
 支配人から詳しい話を聞くと、間宮は岡部に殴られた後すぐに、ホテル側に訓練のことを説明し、同じ階のホテル客には高級ワインの試飲会の名目で、別室に移動してもらったと言う。道理であれだけの騒ぎに、野次馬がひとりも現れなかったはずだ。

 しかし、金曜の夜のこの時間、しかも飛び込みの訓練要請に、このホテルはよく協力を承諾する気になったものだ。
「間宮様には、いつも当ホテルを大変ご贔屓にして頂いておりますし。手前どもに出来ることは、喜んで協力させていただきます」
 つまりここは、間宮が愛人たちとの時間を過ごす隠れ家ということか。
「それに……わたくしは、間宮様の熱いお気持ちに打たれました。あんなにお顔を腫らした間宮様を見たのは、初めてでございます。お仕事のために、そこまで熱心になられる方だったとは」
 支配人の誤解に、青木は曖昧に笑う。
 本当のことは絶対に言えない。警察官がウソを吐いてはいけないが、黙秘権は認められている。

「あなたは何の役だったんですか?」
「え、オレですか? えっと」
「こいつは、ただの野次馬役です」
 ……せめて、監察医の助手くらいの配役にして欲しかった。

 お騒がせしてすみませんでした、と頭を下げて、ふたりは地下駐車場への階段を下りる。岡部が薪の帰宅用にと、自分の車を置いていってくれた。自分は間宮の車で帰るから、と青木にキーをくれた。
 助手席に座った薪は、シートベルトをつけると窓のほうに顔を向けた。
 きっと鈴木のことを思い出して、青木の顔を見るのがつらいのだ。亡くした親友と瓜二つのこの顔を、薪は時折、懐かしいような切ないような瞳で見つめている。

 ナビに薪の住所を入力して、車をスタートさせる。
 あんなことの後で、何を話していいのかわからない。
 彼女のことはあまり気にしないで、元気を出してください。そう言いたいが、薪の心情を考えると、とても言葉にはできない。
 どんな言葉を使っても、取り返しがつかないくらい、傷つけてしまう。
 そんな気がして、何も言えない。

「だれにも責められなかったんだ」
 窓に映った自分の顔に話しかけるように、薪は語り始めた。
「あの事件のとき、僕は誰にも責められなかった。鈴木の両親も雪子さんも……僕を責めたのは、マスコミや顔も見たことのない一般人や敵対していた捜一の人間や、そんな僕にとっては、どうでもいい人たちばかりだった」
 それでも、薪はズタズタに傷ついた。誰よりも強く薪を傷つけたのは、薪自身だった。
 2年が過ぎようとしている現在も、自分を責め続けている。永遠の責め苦は、薪の生ある限り続くのだろうか。

「あんな風に断罪されたのは、初めてだった。僕は彼女がしようとしていることを、否定するわけにはいかなかった」
 誰にも責められないということは、裏を返せば誰にも許してもらえないということだ。
 弁解の余地も、自分がどんなにそのことを悔やんでいるか口にする資格も、持たせてもらえないということだ。

 だからきっと、薪はみどりの非難を、心のどこかで嬉しく思っていた。彼女に責められることで、自分の罪が浄化されていくような錯覚を覚えていたのだろう。

「彼女に償うためには、そうするしかないと思った」
 しかし、それは錯覚に過ぎない。
「そんなやり方は、間違ってます」
 そんなことをしても罪は消えない。薪の傷が増えるだけで、薪は決して救われない。
「他にどうすれば良かったんだ? どうしたら、彼女に詫びることができたんだ?」
「あなたを恨むのは筋違いだって、教えてやれば良かったんですよ。三好先生のやったことが正解です」

「……僕にはそれはできない」
 静かな声で、薪はぽつりと言った。
「僕が鈴木を殺したのは、事実だから」

 これからこのひとはきっと、だれもいない部屋に帰って、自分が殺した親友の写真を見ながら、ひとりで泣くのだろう。薄暗い寝室のベッドにうずくまって、いつものように膝を抱えて。朝まで泣き明かすに違いない。
 その涙を止めることができるのは、たったひとり。
 でも、その人物はこの世にはいない。

 ……いないのなら、呼び戻せばいい。

「青木?」
 マンションの玄関前を通り過ぎて、地下駐車場に車を止めると、薪は不思議そうな顔になった。助手席で首を傾げている薪に、青木は切羽詰った表情で頭を下げた。
「薪さん、すいません。トイレ貸してください」


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ラブレター(18)

ラブレター(18)






「……なんであんたが生きてんのよ」
 しばしの沈黙のあと、みどりは血を吐くように呟いた。
 恨みのこもった陰鬱な声音。ふつふつと滾るような暗い情念を含んだその響きに、周りの風景が、ぐにゃりと歪んだような錯覚を覚える。

「鈴木さんみたいないい人が死んで、どうしてあんたみたいな人間が生きてんのよ!」
 みどりの激しい糾弾に、青木は薪の命を忘れて部屋の中に飛び込んだ。
「止めろ! それ以上」
「出て行け、青木!」
 厳しい叱責に足が止まる。雪子が後ろに来て、青木の腕を押さえる。ここは堪えろ、ということか。
「ロビーで待っていろと言っただろう。雪子さんも」
「人殺し!」
 その言葉が。
 言葉というものが、どれだけの破壊力を持って人を傷つけるのか、青木はそれを目の当たりにした。
「あんたは人殺しよ!」

 薪の胸から、血が流れ出したような気がした。薄紫のネクタイが、赤く染まっていくのではないかと思われた。
「なにが正当防衛よ。なんで撃ったのよ。親友だったんでしょ? いざとなったら、自分の命が大事だったのよね。鈴木さんは、あんなにあなたのことを大事に思ってたのに!」
 薪を傷つけるために、彼女の口から生み出される凶器たち。
 見る見る精彩を欠いていく、薪の姿。亜麻色の眼から、くちびるから、生命そのものが零れていくようだった。
 おぼつかない足元がぐらりと揺れて、薪はその場に崩折れそうになった。
 支えようと差し伸べた青木の手を、薪は払いのけた。ソファの背もたれに手をつき、体勢を立て直そうとする。呼吸を整えて顔を上げたとき、薪は自分が払いのけた青木の手に握られた、二枚の紙に気付いた。

「それは」
「岡部さんから預かった、証拠物件です」
 淡いピンクの便箋と、写真付きの履歴書。写真の女性は、目の前の愛くるしい女性とは似ても似つかない。
 薪の頭の中で、ハードディスクが動き始める。カシャカシャと何百枚もの顔写真が廻り始め、やがて目的の画を探り当てる。
「……鈴木と中庭で話してた。4年前の夏」
「ウソ。憶えてるの?」
 薪は一度見た人間の顔は忘れない。ハードディスクのキャパシティは無限だ。

「そんなに頭がいいくせに。鈴木さんのことは忘れちゃうのね」
 忘れてなどいない。薪は今でも、毎日鈴木の写真に語りかけている。
 彼女は一体何を根拠に、薪が鈴木を忘れていると言うのだろう。

「なぜ、整形なんか」
 あなたにはわからないでしょうね、とみどりは小さく呟き、傲然と顔を上げて言い放った。
「間宮部長に近づくためよ。第九に入り込むため」
「まさか、きみ」
「寝てないわよ。部長は、人造ダイヤは好きじゃないんですって」

「どうして、今ごろなの?」
 青木の後ろから、雪子がみどりに問う。それは薪も、不思議に思っていた。
「あの事件から2年も経った今になって。どうして?」
「1月のテレビを見たわ。このひとは澄ました顔で、MRI捜査の社会的役割について話してた。みんながこのひとに拍手をして、このひとのことを誉めそやして。だれもこいつが人殺しだって気づいてなかった。
 わたしはそれまではずっと、薪室長はあの事件のことを悔いていると思ってた。でも、この人は堂々とTVなんかに出て、みんなにちやほやされて、虫も殺したことのないような聖人面で、きれいに笑ってた。
 それを見て思ったの。このひと、本当に鈴木さんのこと、忘れちゃってるんじゃないかって」
「そんな! 薪さんは」
 薪に睨みつけられて、青木は口を閉ざす。彼女の話を黙って聞け、と亜麻色の瞳が言っている。
 
「それからわたしは、あなたのことを調べた。あなたはこの男とすっかり仲良くなって、夜を一緒に過ごしたのも、一度や二度じゃない」
「それは誤解です。こいつとはただの飲み友達で。たしかに僕の家に泊まったりもするけれど、そのときには岡部と一緒です。ふたりだけで夜を過ごしたことなんて、一度も」
 そこで薪は口ごもる。ペニンシラホテルの出来事を思い出したのだ。
 しかし、あれは不可抗力だ。犬に噛まれたようなものだ。だから、ノーカウントでいいはずだ。

「わたし、見たのよ。こないだだって、車の中でキスしてたじゃない」
「横川さんの見間違いです。手帳に誓って、そんなことはしていません」
 たしかに、キスはしたことがある。でも、そんな人目につく場所ではしていないし、あれはそういう意味じゃない。
 それに、こいつとキスをしたのは、テレビに出る前だ。彼女が自分を調べ始めたのがその後なら、彼女には絶対に見られていないはずだ。
 薪の認識ではそれが事実だったが、実際には少し違う。
 青木に車で家まで送ってもらったとき、実は何度もくちびるを盗まれている。眠っていて、それに気づかなかっただけだ。薪が知らないだけで、けっこうそのくらいはされている。青木は割合、ちゃっかりしているのだ。
 今も素知らぬ振りをしているが、青木は内心ドキドキである。みどりが指す『こないだ』というのは、ふたりで水族館に行ったときだ。例のごとく遊びつかれて眠ってしまった薪に、帰りの車の中でキスをした。みどりはどこからか、それを見ていたのか。

「とぼけないでよ。何人もの男と関係してるくせに。男なしじゃ、生きられないんでしょ」
「ちょっと待ってください。いったい、どこからそんな話を」
「あんたが鈴木さんをそういう眼で見てたことも、解ってるんだから!」
 薪は弁解を諦めた。
 最後の言葉だけは正解だ。薪はずっと、鈴木のことを想い続けているのだ。
「なにが警察庁始まって以来の天才よ。全部、官房長と寝て得た役職じゃない。穢らわしい男娼のクセに!」

「あんた、いい加減にしなさいよ」
 今度は雪子が割り込んできた。このふたりは、自分の邪魔ばかりする。
「くだらない噂話を鵜呑みにして、あたしの友だちを侮辱してんじゃないわよ!」
「うるさいわね、オバサンは引っ込んでてよ!」
「オバ……!」
 パニックに陥った小動物のように、みどりは周り中の人間に噛み付いている。きっと彼女はいま、怖くてたまらないのだ。ここには彼女の味方はひとりもいない。

 バキャッ! と凄まじい音がして、木製のローテーブルが割れる。雪子の足が、テーブルの天板を真っ二つに踏み割ったのだ。
「舐めた口きいてんじゃないわよ、この小娘が。あたしを誰だと思ってんの?」
 ……こわい。相手が雪子では、薪でもこわい。実力を知っているだけに、果てしなく怖い。
 薪は無意識に、青木の近くに移動した。嵐を避けるときには物陰だ。

「知ってるわよ。鈴木さんの恋人だったんでしょ。けど、あんただっておかしいわよ。恋人を殺した男と、どうして仲良くできるのよ」
 この状態の雪子に言い返すことができるなんて、すごい勇気だ。命が惜しくないとしか思えない。
 子供のように幼い外見なのに、女性というのはこんなに強い生き物なのか。
「それとも、エリートならどっちでも良かったってわけ!?」
 謂れのない非難に、雪子の顔色が変わる。黒い目が細められ、力強い眉がぎりっと吊り上げられる。
 みどりも負けていない。薄茶の瞳は刃物のような凶悪な光を持って、雪子のことを真っ向から睨みつける。
 女性同士の睨み合いを見たのは、初めてだ。女のケンカが、こんなにコワイと思わなかった。

「薪さん。ちょっと、やばいです。止めないと」
「そ、そうだな。おまえ行け」
「ムリです。殺されちゃいます。薪さん、お願いします」
「いやだ。僕だって、マングースとコブラの間には入りたくない」
 男ふたりが情けない会話を交わしている間にも、彼女たちの怒気はどんどん膨れ上がった。彼女たちの背後に天敵同士の猛獣が見えるのは、薪の気のせいだろうか。

「叩くんなら叩きなさいよ!」
「叩いたりしないわ」
「きゃあ!」
 睨みあいは同格でも、武道の実力は雲泥の差だ。
 雪子は素早く動いてみどりの襟元を摑み、腰を落として小さな身体を放り投げた。みどりの体は面白いほど簡単に宙を舞って、絨毯を敷いた床の上に落下した。

「な、投げ飛ばした」
「雪子さん! 女の子を投げるなんて」
「大丈夫よ。女の腰は頑丈にできてるの。安全に子供を産めるようにね。薪くんの頼りない腰より、ずっと衝撃に強いわよ」
 みどりは声も出せずに床の上に座り、打ち据えられた臀部の痛みに顔をしかめた。
 しかし、その痛みは、みどりのパニックをいくらか落ち着かせてくれたようだ。諦めにも似た表情が彼女の幼い顔には浮かび、小さなくちびるが噛み締められた。

「それだけ吐き出したら充分でしょ。まだ残ってたら、あたしが聞いてあげるわ」
 細い腕をつかんで、雪子はみどりを立たせた。
「この娘はあたしが送っていくわ」
「でも」
「そこのウドの大木より、あたしのほうがボディガードには向いてるわ」
 薪に車の鍵を見せて、雪子はにっこりと笑った。



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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
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いつの間にか9歳になってました。( ゚Д゚)
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