ラストカット 前編(7)

 こんにちは。

 遅ればせながら、ご紹介です。
 K24さんが、うちのお話のオリキャラの新しいイラストを描いてくださいました。
 K24さん、いつもありがとうございます(^^

 あのヘンタイキャラが、あんなにカッコよく! しづは目が点になりました。
 あの顔で、あーんなことやこーんなことしてたなんて、って、作者が驚いててどうするよ。

 うちのお話を読んでくださってる方には、ぜひご覧いただきたいです。
 こちら からどうぞ。





ラストカット 前編(7)





「大丈夫ですよ。オレたちは死にませんから」

 うつむいた薪の鼻先に、小皿に乗った蜜柑が差し出される。オレンジ色の小房に、透明な液体がぽたぽたと落ちた。
「オレも岡部さんも、殺したって死なないです。オレなんか、あれだけ雪の中にいて、風邪もひかなかったんですよ。この腕の怪我さえなければ、薪さんよりオレのほうが元気なくらいです」
「そうですよ、薪さん。俺は捜一のターミネーターって呼ばれてたんですよ」
「ターミネーターと言うよりはキングコングって感じで、痛っ!」
 後輩の尤もな見解に、岡部は遠慮のない拳を青木の後頭部に叩き込む。怪我人に対する仕打ちとは思えないが、病院のごはんをお代わりするような非常識な患者には良い薬かもしれない。

 乱暴なんだから、と青木はぶつぶつ言いながら、小皿から蜜柑を取って食べ始める。薪の涙の味の蜜柑は、少し塩辛いはずだ。
「青木。それ、僕の鼻水ついてるぞ」
「眼から出でも鼻から出ても、体液に変わりはないんですけど。印象が違うのは何故なんでしょうね」
 そんなことを言いながら、平気で食べている。こいつには汚いという観念がないのかもしれない。

「そういえばおまえ、どうやって車の中から棺を出したんだ?」
 薪の頭脳を持ってしても、その方法は解らなかった。青木の腕の怪我から察するに、リアガラスを割って棺を取り出したと思われるが、あのときスパナのような工具の類は何も持っていなかったはずだ。まさか素手で割ったわけではあるまい。人間の手で簡単に割れるようなガラスだったら、それこそ欠陥品だ。

「そのことなんですけど」
 青木は急に言い淀んだ。ひどく神妙な顔つきになって、下を向いてしまう。
「オレ、祟られるかもしれません」
「祟られる?」
「足を持って叩きつけて、リアガラスを割ったんですけど。その時に首が飛んじゃって」
「おまえ、まさか……!」
 雪に埋もれた死体を掘り起こしている、青木の姿が脳裏に浮かぶ。
 死後硬直と絶対零度の雪の中でカチカチに凍りついた死体の足を持ち、車のリアガラスに何度も叩きつける。リアガラスは割れ、その衝撃で死体の首が飛ぶ。恨みがましい目をした女の首が宙を舞い―――。
 その光景を想像して、薪は青ざめた。いくら非常事態とはいえ、人間としてそれはしてはいけないことだ。

「何て事をするんだ!」
「薪さんの命には代えられないと思ったんです」
 青木はたしかに成長した。精神的にも強くなった。
 でも、こいつはもっとやさしくて良識がある男だったはずだ。強さを求めるあまり、大切なものを失くしてきてしまったのだろうか。

「おまえがそんなことをするなんて、信じられない」
「すみません。非常識だとは思ったんですけど」
「何て謝ればいいんだ……」
 自分を信じて大切な娘の遺体を預けてくれた、あの人の良い老夫婦に、何と言って詫びればいいのだ。
 いや、遺体は今井が返しに行ったと岡部が言っていた。ここで悠長に寝ている場合ではない。室長として、謝罪に行かなければ。

「まあ、代わりのものを用意するしかないでしょうね」
「代わり!? そんなもん、どこで調達する気だ!」
 青木は人が変わってしまったのだろうか。
 薪はいつも、MRI捜査に協力してくれる遺族に対する感謝を忘れるな、と部下に言い聞かせてきたつもりだった。青木はその気持ちを一番よく理解くれていると思っていたのは、薪の買いかぶりだったのだろうか。

「それが問題ですよね。友達にも、そんな商売に就いたやつはいないし」
「商売?」
 臓器売買は聞いたことがあるが、死体も扱っているのか。しかし、それは重大な犯罪だ。
「まあ、ネットで検索してみますよ。そうしたら同じものを用意してもらって」
「同じものなんかあるわけないだろう! 死体置場(モルグ)にも墓場にも、彼女の代わりはいないんだ!!」
「彼女? あれって女性だったんですか?」
 死んだらもう女ではないというのか。こいつはこんなに冷たい人間だったのか。
 第九での激務が、こいつの温かさを奪ってしまったのか。それとも―――僕への気持ちが、こいつを変えてしまったのか。
「当たり前だ。死んでしまっても、女性は女性だ」
 青木は、しばらくのあいだ黙り込んだ。ようやく自分がしてしまったことの罪深さに気付いてくれたのだろうか。

「……薪さん。なんか凄いこと考えてませんか?」

 突然、岡部が腹を抱えて笑い出した。病院だというのに大きな声で、涙目になるほど笑いこけている。
「さすが薪さんです。オレ、それは思いつきませんでした」
 青木も笑いを堪えている。身体に響くのか、笑いながら顔を顰めている。
 どうやら、青木が遺体でガラスを割ったと思ったのは、薪の早トチリだったらしい。しかし、あの場所に他に何かあっただろうか。
 リアガラスが割れるくらいの強度があって、足を持って首が―――。

「……地蔵か」
「そうです。石のお地蔵様です」
 あの田舎道には、ところどころに道祖神に見立てた石地蔵が祀ってあった。青木はそれを使ったのか。
「死体の首が飛ぶほど叩いたら、頭が潰れちゃうじゃないですか。MRIにかけることなんかできませんよ」
 それもそうだ。
 気付かなかったのは薪のミスだが、それにしてもこいつら。

「し、死体でガラスって……!」
「薪さんならではの発想ですよね。ぷくくくっ!」 
「突拍子過ぎるだろ、いくら薪さんでも!」
「そこが薪さんのスゴイところなんですよ。なんたって薪さんは天才ですから」
「「カンチガイの!」」
 ……何故そこでハモる。

 青木はとうとう痛みも忘れて、ゲラゲラと笑い出した。岡部に到っては、床に突っ伏してヒーヒー言っている。
「おまえらの気持ちはよーく分かった」
 地の底から聞こえてくるような上司の声に、岡部はぴたりと笑いを収めた。薪の周りの空気が、冷ややかなブルーに変わっていく。

「今回のこれは、『薪さんの勘違いベスト1』に輝くかもしれませんね。第九のみんなに話して、ランキングの順位を決めなおさないと」
 岡部は、そっとドアのほうへ後ずさった。目を逸らさずに少しずつ逃げるのは、熊に遭った時の対処法である。今回の恐怖は、それを上回るかもしれない。
「ね、岡部さ……あれ? どこ行ったんだろ?」
 岡部がドアの隙間から最後に見たのは、ベッドから下りて準備体操をする薪の姿だった。ドアを閉めた途端、ドカッ! という音とガン! という金属音、そしてドサッと何かが落ちる音が聞こえてきた。
 その後訪れた、怖いくらいの静けさ。岡部は廊下に立ち尽くした。
 そこに看護師がやって来る。食事の膳を下げに来たのだ。入院患者に明るく話しかける彼女の声が聞こえる。
 
「薪さん、青木さん。食事終わりましたか? あら? 青木さん、床で寝ないで下さいね。……なんで傷が増えてるんですか? 何があったんですか?」
「さあ。僕は眠ってましたから。寝ぼけてベッドから落ちたんじゃないですか?」
「まあ。困った人ですね。青木さん、起きてください」
 眠っているのではなく気絶しているのだ、という事実を果たして彼女に告げるべきか否か。岡部は命がけの選択を迫られていた。




*****



 リアガラスの件は解明したが、薪にはもう一つ気になっていることがあった。
 あの時、青木は自分より先に気を失ってしまったはずだ。それがどうして意識を取り戻したのだろう?
 なんとなく目が覚めたとか、都合よく木片が飛んできて青木に当たった、などということではあるまい。本人に尋ねても、よく覚えていないと言う。
 これは、自分の声を聞いた鈴木が助けてくれたのか、とついつい非科学的なことを考えてしまった薪である。

 薪がその本当の訳を知ったのは、それから半年も後のことだった。




―後編へ続く―



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ラストカット 前編(6)

 10000ヒット、ありがとうございました!(〃∇〃)

 桁が増えると嬉しさもひとしおです。
 マメに覗いてくださって、本当にありがたいです!


 それと、新規のお客様で、最初のお話から読んでくださってる方。
 律儀にポチポチと拍手を押していただいて、どうもありがとうございます。
 しづは単純なので、拍手をいただくと、読んでくださってるんだわ、喜んでくださってるんだわ、と思えて、とっても嬉しくなります。
 どんな方かしら、どの辺で引かれるのかしら、といつものようにビクついております。(笑)
 どうか、太平洋のように広いお心でお願いします。
 以上、お礼でした。






ラストカット 前編(6)




 隣のベットに座って美味そうにカレイの煮付けを食べている男は、顔と両腕を包帯で巻かれて、まるでミイラのようだった。
 顔の傷は覚えがあるが、腕は薪のせいではない。腕や足は凍傷を起こしていたそうだから、その薬が塗布してあるのかもしれない。

「オレ、病院の食事って生まれて初めてです。けっこういけますね」
 青木は味の薄い病院食を夢中で食べている。
 第九に入ったばかりの頃は、こんなによく食べるやつだとは思わなかった。あの時期青木は、初めて見るMRIの画の凄惨さに打ちのめされて、一時的に食欲を失っていただけだったのだろう。たしかにこのくらいの食欲がなければ、この体格は維持できまい。
 プラスチックの飯椀が空になり、青木は周りを見回した。嫌な予感がする。
 大きな手が枕もとのボタンを押す。「どうしました?」と言う看護師の声が聞こえてくる。

「すいません、ごはんお代わり」
「間違えましたっ、何でもありません!」
 薪は大声で言葉を被せて、スイッチを切った。
 昨日までICUにいたやつが、ごはんのお代わりって……!
 ICUを出たばかりの患者に普通食が供されるわけはないから、青木が今食べているのは薪の食事だ。青木の食事は5分粥と梅干だけだ。熱のせいで食欲のない薪は、青木と食事を取り替えることにしたのだ。こういうことは本当は良くないのだが、実際はけっこうやっていることだ。

「僕に恥をかかせるな! これを食え!」
「いいんですか? ありがとうございます」
 結局二人分の病院食を平らげて、それでもまだ物足りないらしい。食い意地の張った重症患者は、岡部が持ってきてくれた果物篭に手を伸ばし、中から林檎と蜜柑を取り出した。

「オレ、入院するの初めてなんです。なんかわくわくしますね」
「入院したことないのか」
「ないです。病気も怪我もしたことないです」
 果物ナイフで、林檎の皮をくるくると剥いていく。なかなか手際がいい。
 青木は、ちょくちょく薪の家に来ては夕飯を食べていく。部下には当然手伝いをさせる。初めはまったく役に立たなかったが、この頃はそうでもない。最近は包丁の使い方も上手くなった。
 少なくとも、雪子よりは遥かに上手い。雪子が林檎を剥くと、食べられるところは芯の周りだけになる。だから雪子は林檎は丸のまま齧ることにしている。
 
「風邪くらいひいたことあるだろう」
「まあそれくらいは。でも、最後に風邪ひいたのいつだっけ」
 器用に手の上で四つに割って、ひとつを薪に差し出す。
 飯粒は喉を通らなくても果物は大丈夫かもしれない。そう思って自分に剥いてくれていたのか、と気付く。
「たしか中学2年の夏に」
「そこまで遡るのか。どんだけ丈夫なんだ、おまえ」
 林檎は、カシッとした歯ごたえで瑞々しかった。蜜入りで、とても甘い。

「ていうか、バカは風邪ひかないってホントなんだな」
「薪さんはよく風邪ひいてますもんね。確か去年も風邪で入院してましたよね」
「あれはおまえが」
 ドアが開いて、岡部が入ってくる。
 手に捜査報告書を持っている。第九から薪のPCに送ってもらったものだ。病棟で電子機器は使えないから、病院の設備を借りてプリントしてきてくれたのだ。

「薪さん。犯人が判りましたよ」
「本当か」
「薪さんの言った通りです。会社の同僚の男でした。捜一のほうへ報告はしましたから、今日明日中には捕まるんじゃないですか」

 あの老夫婦の娘を殺害した犯人は、薪が睨んだ人物だった。
 別に、猟奇殺人ではなかったわけだ。それを装って捜査を攪乱しようとしただけだ。あまりに凝りすぎたのが仇になって、MRIにかけられてしまった。普通の殺害方法だったら、こんなに早く捕まらなかったかもしれない。
「担当は今井だったな。ご苦労だったと伝えてくれ」
「電話でもいいですから直接言ってやってください。喜びますよ」
「わかった。後で電話しておく」
 これで一安心だ。何もかもうまく行った。あとは、青木にお灸を据えるだけだ。

 薪は怒っている。
 青木がしたことに対して、心の底から憤っている。

「青木。もう二度とあんな真似はするな」
「はい? あ、やっぱり病院では、ごはんお代わりしちゃダメなんですか?」
「ちがう。僕を助けるために、自分を殺そうとしたことだ」
 食べかけの林檎を盆の上に戻して、青木は薪のほうを見た。静かな目だった。

「僕にコートを二枚とも着せて、棺の中に入れたそうだな。あの吹雪の中でコートを脱ぐなんて、自殺行為だ」
 薪の怒りを含んだ視線を受けてなお、青木は端然と微笑んでいる。
 オレはあなたを助けたのに、何故怒られなければいけないんですか――そう反論してくることを予想していた薪だったが、青木は何も言わなかった。

「次からは自分の安全を第一に考えるんだ。避難できる場所があれば、自分がその中に入れ」
「あの棺は小さくて、オレじゃ入れませんでした」
「そういうこと言ってんじゃないだろ! 僕なんかを助けようとして、自分を危険な目に遭わせるなって」
 薪の怒りを含んだ視線から目を逸らし、青木は蜜柑の皮を剥き始める。白い筋を丁寧に取って、房を小皿に並べ始めた。

「もう一度同じ状況になったら、オレはまた同じことをします」
「なんだと? 僕の命令が聞けないのか!」
「薪さん」
 岡部が口を挟んできた。
 岡部は何かと青木に甘い。後輩を庇うつもりなのだろうが、これは室長としての指導だ。邪魔はさせない。
「岡部は黙っててくれ。僕はいま青木と話を」
「いい加減に自覚してください。あなたは室長なんですよ」
「わかってる」
 部下を守るのは上司の仕事だ。だからこそ眠ってしまった青木を起こそうと、喉が痛くなるほど叫んだのだ。

「わかってません。いいですか。あなたはいつも室長として、俺たち部下を外敵から守ろうとする。それは上司として正しい姿です。でも、逆にあなたが危険な目に遭えば、俺たちはそれを守るんです」
「そんなこと、僕は頼んでない!」
 青木も似たようなことを言っていたが、岡部の影響だったのか。つまらないことをこの単純バカに吹き込んでくれたものだ。
「頼まれなくてもやるんです。俺たちはあなたの部下ですから。俺があなたと一緒だったら、たぶん青木と同じことをしましたよ」
 岡部の言葉に、亜麻色の大きな瞳が揺らめいた。
 視界がぼやける。熱が上がってきたらしい。こいつらがあんまり聞き分けのないことを言うからだ。

「……もう、たくさんだ」
 部下たちの目を見れば、彼らの言葉が口先だけのものではないことが分かる。薪のことを本気で心配し、大切に思ってくれている。薪に危険が迫れば、身を挺してでも守る気でいる。
 しかし、それは薪の望んだことではない。

「僕はもうたくさんなんだ。僕のせいで誰かが死ぬのは、もう見たくないんだ」

 稀代の殺人鬼、貝沼清隆の起こした28人殺し。その原因となったのは、薪への歪んだ恋情だった。
 貝沼の脳を見て自殺した旧第九の部下たちを含め、40人もの尊い命が失われたのは自分のせいだ―――薪はそのことで、ずっと自分を責めてきた。
 そんな自分を守るために、また誰かが命を失う。それは薪の背負った罪をさらに重くすることだ。
 これ以上、十字架(つみ)はいらない。すでにこの世では償いきれない量刑だ。
 今でさえ精一杯なのだ。ここにさらに重みが加わったら、間違いなく薪は潰れる。だから部下たちの気持ちは受けられない。

「大丈夫ですよ。オレたちは死にませんから」



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詩を書いていただきました

 うちに来てくださってる、舞耶さまとおっしゃる方が、詩を書いて下さいました。

 感激です。(//∇//)
 秘密ファンのみなさんは、本当にやさしくて才能溢れる方ばかりで。
 うちのへっぽこ小説を読んでいただいて、原作から遠く離れたオヤジ薪さんを見逃していただくだけでもありがたいのに、このような心に響く詩をいただけるなんて。

 コハルさんには本に載せていただいたし、K24さんとMさまにはステキなイラストを描いていただいたし。
 うちの薪さんは幸せです。 作者はもっと幸せです。(;∇;)


 とても素晴らしい詩だったので、是非みなさまにも読んでいただきたい、と思ったのですが。
 舞耶さまは、ご自分のブログをお持ちじゃないそうで。
 ならば、こちらで記事にさせていただいてもよろしいですか?と図々しくもお願いしましたところ、寛大にもお許しをいただきました。
 舞耶さま、ありがとうございました。
 お言葉に甘えて、公開させていただきます。(^^


 この詩は、2061.5『デート』の中の、薪さんの夢から着想していただいたそうで、薪さんの苦悩を謳っています。
 (あんなイタグロヘンタイシーンがどうしてこんなに格調高くなっちゃうのか、しづにはサッパリわかりません・・・・・この辺が、詩が書けない原因かと)

 題名はいただかなかったので、捏造しちゃいました(^^;
 舞耶さま、もしも題名を付けられましたら、ご連絡ください。





『夢』



―――人は夢を見る。

生きながら死ぬ心の錆び付いた男も、夢を見る。 



向けられた眩しい微笑み、肩に乗せられた温もり。

懐かしい、愛おしいと思うには傷は未だ新しく、男は疲れ切っていた。



けれど記憶の中で絡める指から伝わった震えは海馬を中心として波打ち、意識を千々に掻き乱す。 



夢と言うものは覚えておく為に見るだとか、忘れる為に見るだとか、様々に聞いた。

これほど克明に覚え続けなければならないものか、と微睡む意識の中で男は嘆く。



だが。

忘れたいとも思わない。



忘れられない。 

愛したことを。

殺したことを。 



今宵も良い夢を。

現実に絶望する為に。




ラストカット 前編(5)

 日曜日に、オフ会に出席させていただきました!
 お集まりのみなさまには、大変お世話になりました。とてもとても、楽しかったです!
 どうもありがとうございました!!


 ……感想、これだけ!?(小学生の絵日記よりひどいよ)
 いや、ホントに、レポとか日常の文章は苦手で。しかも、昨日食べた夕飯も思い出せない残念な脳で。
 すいません、オフ会のレポは、みなさまにお任せします。(^^;






ラストカット 前編(5)






 亜麻色の瞳が最初に映したのは、真っ白い天井だった。
 あまりに白かったので、まだ雪の中にいるのかと思ったが、それにしては身体の節々が痛い。あのまま雪に埋もれてしまったのだとしたら、自分はとっくに死んでいるはずだ。痛いのは、生きている証拠だ。

「気がつきましたか? 薪さん」
 岡部が心配そうな顔で、こちらを覗き込んでいる。
 ここはおそらく、市立病院だ。どうやら助かったらしい。

「危ないところだったんですよ。あんまり無茶せんでください。吹雪いてきたと思ったら、すぐに連絡を入れてくれる約束だったでしょう。だいたい薪さんはいつもいつも」
 岡部はすぐに説教だ。
 こいつといい青木といい、自分の周りにはなんだってこう口うるさいやつばかり、と薪は岡部の心配を怒りに変えるようなことを考えている。神妙な顔で聞いてはいるものの、悪いことをしたとは思っていない。自分の行動が、岡部をガミガミと怒ってばかりの母親のような心理にしていることを、まったく理解していない。

「青木は?」
 岡部の説教を遮って、薪は青木の安否を尋ねた。自分と同じ状況だったのだから大丈夫だとは思うが、隣のベッドに寝ていないのが少し気にかかる。
「無事ですよ。薪さんより、ちょっと重症ですけど」
「重症? どんな具合なんだ」
「顔が傷だらけで、腫れあがってます」
「……強い吹雪だったからな」
 なんだか理由になっていない気がするが、岡部は聞き逃してくれたようだ。

「脳は?」
「大丈夫です。薪さんが冷凍保存をかけておいてくれたおかげで、無事データを引き出せました。いま、捜査中です。遺体は今井が遺族に返しに行きました」
「そうか」
 一か八かの賭けだったが、うまくいったようだ。
 部下にまであんな思いをさせて、これで脳がダメになってしまっていたら、泣くに泣けないところだった。

 薪は慎重に起き上がり、自分の身体の状態を確認する。
 どこにも異常はない。
 少し喉が痛いが、これはたぶん雪の中で怒鳴りまくったせいだ。怪我もしていないし、凍傷にもなっていない。救助を待つ間は長いと感じていたが、そう大した時間ではなかったらしい。

「今回は事なきを得ましたが、二度とこんな無謀な真似は」
 岡部がまた説教を始めた。今日はいやにしつこい。
 薪は説教が苦手だ。するのは得意だが、されるのは嫌いだ。
「うるさいな。うまく行ったんだからいいじゃないか。僕も青木もピンピンしてて、脳も無事だった。結果オーライってやつだ。そうだろ?」
 薪に反省の色がないのを見て、岡部は急に深刻な顔つきになった。

「ぜんぜん無事じゃありませんよ」
 まずい。本気で怒らせてしまった。
 いつものように聞き流しておけばよかった、と後悔するが、もう遅い。

「あと30分救助が遅れてたら、薪さんはともかく、青木は本当に死ぬところでしたよ」
 岡部は低い声で言った。
 その口調は薪を叱るというよりも、哀しそうな響きを含んでいた。

「僕はともかくって、どういうことだ?」
 おかしなことを言う。
 青木と自分は同じように雪の中に埋もれていたのだ。たしかに、気を失ったのは青木のほうが先だったが、岡部がそのことを知っているはずがない。最後は薪が青木を庇うような体勢で倒れていたはずだ。その自分に異常がないのに、若い青木のほうが重症だというのは頷けない。

「薪さんは棺桶の中に入ってたんですよ」
「棺桶の中!?」
 思わず鸚鵡返しに聞いてしまった。驚きに声が大きくなってしまったが、周りに気を配る余裕はなかった。
「青木が薪さんを棺桶の中に入れて、吹雪が直接当たるのを防いだんです。薪さんの身体に凍傷がないのは、そのおかげですよ」
「どうやって? あいつのほうが、僕より先に気絶したんだぞ」
「さあ? 俺は見てたわけじゃありませんから。でも、発見されたときには青木は雪の中に倒れてて、薪さんは棺桶に入って車の中にいたんですよ」

 そんなはずはない。
 あのとき、棺は車の中に残ったままだった。あの棺を車から取り出すには、後方の扉を開けるしか方法はないはずだが、そんなことはもちろんやってみた。あの吹雪の中、車の中に避難する為に二人がかりで力を込めたが、どうしても開かなくて諦めたのだ。

「青木を褒めてやってくださいよ。あいつ、頑張ったじゃないですか。もしあのまま雪の中に埋もれてしまっていたら、肝心の発信機が浸水して使い物にならなくなっていたかもしれませんよ。青木がそこまで考えて薪さんを棺桶の中に避難させたのかどうかは疑問ですけど、とにかく今回はあいつのお手柄ですよ」
「……バカなやつだ。僕のことなんか放っておけば良かったんだ」
 避難できる場所があったのなら、自分がそこに入ればよかったのだ。そこに他人を押し込めて自分は雪の中に倒れていたなんて―――― バカだ。

「そんな言い方はないでしょう。青木のやつ、自分のコートまであなたに着せてたんですよ。自分はセーターに白衣姿で。助かったのが不思議なくらいでしたよ」
 薪は大きく目を瞠る。
 あの状況でコートを脱いだ? 呆れて声も出ない。本物のバカだ。

「青木は」
「今は会えません。ICUに入ってます」
 ICUと聞いて、薪の顔が青ざめる。生死の境をさ迷っているということか。
 薪は急に寒気を覚えた。
 身体が勝手に震え始める。雪山の空気が、戻ってきたようだ。

「大丈夫です。峠は越えました」
「おまえさっき、僕よりちょっとだけ重症だって言ったじゃないか」
「すいません。青木に口止めされてまして」
 口止めされたということは、意識はあるということか。薪はひとまず胸を撫で下ろした。

「青木には、いつ会える?」
「明日には普通の病室に戻れそうだ、って先生が言ってましたよ。薪さんも休んでください。昨夜は熱が高かったんですから」
 道理で気がついたとき、体の節々が痛いと思った。寒さに耐えようと身体に力を入れていたせいで筋肉痛になったのかと思っていたが、高熱のせいだったのか。

 横になったら途端に咳が出た。
 風邪を引いたようだ。喉の痛みはこのせいか。しかし、あの状況で風邪くらいで済んだのは奇跡だ。
 布団を被って目を閉じると、途端に眠気が襲ってきた。
 やはり疲れているのだ。点滴に薬も入っているのだろう。

「岡部。心配かけて済まなかった」
「はい」
「青木が病室に戻ったら、報せてくれ」
「はい」
「あいつには言っておかなきゃいけないことが……」
 言葉の途中で、薪は眠りに落ちた。
 安心して眠れることは、実は幸せなことなのだと薪は思った。



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ラストカット 前編(4)

ラストカット 前編(4)






 一歩外へ出ると、そこは寒風地獄だった。

 雪がまるで雹のように顔を叩く。めちゃめちゃ痛い。一瞬で手足の感覚を奪われる。
 しかし、もう時間がない。こうでもしないと、この脳は使えなくなってしまう。
 
「青木、こっちへ来い!」
 吹雪の音がうるさくて、叫ばないと声が聞こえない。薪は車の後ろに回って片開きのドアを開け、棺の蓋を取った。
「いったい、何をする気なんです?」
「遺体を雪に埋める。凍らせないと脳が腐ってしまう」
「バカなことはよしてください! 薪さんのほうが先に凍っちゃいますよ!」
「もう時間的に限界なんだ! おまえも手伝え!」
「捜査より薪さんの身体のほうが大事です! 車に戻ってください!」
「僕の命令が聞けないのか! 指示に従え、青木警部!!」
 躊躇している時間はない。
 女性でも、人間は死ぬとかなり重くなる。所轄の経験もなく死体に不慣れな青木には気の毒だが、この遺体を薪ひとりで動かすのは不可能だ。

「足のほうを持ってくれ。動かすぞ」
 雪に足を取られて踏ん張りが利かない。背の低い薪は、遺体を棺から引っ張り上げるのも大変である。
「オレがそっちを持ちます」
「大丈夫か?」
「言ったでしょ。オレ、いつまでも新人じゃありません」
 青木は薪の手から遺体の上半身を譲り受けると、軽々と彼女を棺から運び出した。
 平然とした顔で遺体を雪の中に降ろすと、その上に積もった雪を被せていく。MRIの画に怯えて青くなっていた、以前の青木とは別人のようだ。

 たしかに、青木は逞しくなった。精神的にも肉体的にも。
 近頃、青木はからだが締まってきたような気がする。さっき触ってみて分かったのだが、筋肉がしっかりとついている。前々から太っているわけではなかったが、あんなに硬い体ではなかったように思う。
 柔道の試合になれば、まだ負けるとは思えないが、寝技に持ち込まれたらまずいかもしれない。あの筋肉を撥ね返せるだけの力は、薪にはない。

「早く車の中へ。本当に凍っちゃいますよ」
 薪たちが車へ戻ろうとしたとき、ビュオオッという猛りと共に黒い大きなものが飛んできて、車のフロントガラスを直撃した。
 吹雪の音の中でも、はっきりと聞こえた轟音。
 見ると、薪の身体ほどもありそうな巨木である。フロントガラスが粉々になって、車は大破している。
 特に運転席はぐしゃぐしゃだ。シートが裂けて、木の幹が深く刺さっている。あと10分外に出るのが遅かったら、確実に死体は3つになっていた。

「……命拾いしましたね」
 しかし、このまま雪の中にいたら結果は同じことだ。

 車の荷台で吹雪だけでも避けようとするが、衝撃でドアが歪んでしまったらしく、びくともしない。他のドアも試してみるが、どのドアも開かない。周りを見渡すが、風除けになりそうなものは何もなかった。
 本気でやばい。
 車の陰に身を潜めるしか、手立てがない。薪の人生における危機的状況ベスト3の順位が変わりそうだ。

「大丈夫ですか?」
「あんまり大丈夫じゃない。寒いのは苦手なんだ」
 うずくまって身を寄せ合うが、これは長く持ちそうにない。頭からすっぽりとコートを被っていても、雪は容赦なく吹き付ける。
 目が開けていられない。声も出せない。身体の感覚はとっくにない。

 そのまま、どれくらい経ったのだろう。
 いつの間にか寒さを感じなくなっていることに気付いて、薪は目を開けた。ふわっと身体が浮き上がるような浮遊感がある。なんだか、とても気持ちがいい。
 ああ、これが雪の中で笑顔で死んでいる人の心理なんだな、と頭のどこかで納得する。目の前は雪景色のはずだが、薪の目にはなぜか暖かそうな光が見える。

 その光の中から、薪の親友が姿を現した。
 ようやく。
 ようやく迎えに来てくれたのか。

「遅いよ、鈴木。待ちくたびれちゃったよ」
 鈴木はにっこりと笑って、薪が来るのを待っている。その距離は、ほんの1mほどだ。一歩踏み出せば鈴木に届く。大好きな鈴木のところへ行ける。

 歩き出そうとして、ふと気付く。
 この死に方は、薪にとっては甚だ不本意だ。
 凍死では頭が残ってしまうし、遺体を預けてくれた老夫婦に礼を言うこともできなくなる。岡部に頼んであるから頭は潰してくれるかもしれないが、それでは岡部の人生を狂わせることになってしまうし、薪はいまひとりではない。

 ここには青木がいる。
 ここで自分が死ぬということは、こいつも死ぬということだ。
 それはダメだ!

「バカ!! 起きろ、死ぬぞ!」
 案の定、青木のバカは半分眠りの中にいた。
 思い切り頬を張る。一度では目覚めない。2度3度、10回以上叩いたが、それでも目を覚まさない。引っかき傷だらけの頬が、今度は腫れ上がってきた。
 額に頭突きをくれてやると、青木はようやく目を開けた。

「眠るな! 本当に死ぬぞ!」
「……いいです。薪さんと心中できるなら。本望です」
 そう言うと、青木はまた目を閉じてしまった。
「男と心中なんかまっぴらだ! 目を開けろ、バカ青木!」
 こいつ、何が『あなたを守ります』だ!ぜんぜん役に立たないじゃないか。
「ちくしょう、図体ばかりでかくなりやがって。だからでかけりゃいいってもんじゃない、っていつも言ってるんだ! 起きろ、バカヤロウ! 起きないと殺すぞ!」
「はは。どっちにせよ死んじゃうんですね、オレ」
 呑気なセリフとは裏腹に、青木の顔色は真っ白である。吹雪のために、急速に体温を奪われているのだ。眠ったら終わりだ。

「僕より強くなるんじゃなかったのか! 先に死んでどうするんだ!」
 部下の頭を抱きしめて、薪は必死で叫び続ける。薪の叫びは吹雪に掻き消され、雪に飲み込まれて木霊も返ってこない。

 このままではこいつは死ぬ。
 僕を迎えに来た鈴木に、一緒に連れて行かれてしまう。

「鈴木、鈴木! 僕の声が聞こえるか!」
 口を開けると、痛いくらいの冷気が舌と喉を凍らせる。唾液まで凍りつきそうだ。
 それでも薪は叫び続けた。
「こいつは関係ない。僕とこいつはなんの関係もないんだ! 連れて行くなら僕だけを連れて行け!」
 薪のくちびるは色を失って、紫色に変わっている。寒さのためにひび割れて、普段のつややかさはどこにもない。

「おまえが僕を恨んでいることは百も承知だ。でも、関係のないやつを巻き込むな!」
 薪の頬で、涙がぱきぱきと凍っていく。
 もう痛みは感じない。泣くこともできない。ただ、夢中で叫ぶだけだ。

「僕がそっちへ行ったら、何度でもおまえに殺されてやる。どんな責苦でも受けてやる。貝沼や他の被害者と一緒に、僕を気の済むまで犯して殺せばいい。それでおまえの気が晴れるなら、僕は喜んでこの身体をくれてやる。肉の一片まで神経の一本まで、好きなように切り刻めばいい。
 鈴木。おまえを殺したのは僕だ。おまえが憎んでいいのは僕だけだ。おまえが殺していいのは僕だけだ。
 だからっ」
 最後の力を振り絞る。これだけは、鈴木に伝えなければ。
「こいつは連れて行くな!」

 薪の耳にはもはや、自分の声も聞こえない。
 叫んでいるつもりではいるが、声は出ていないのかもしれない。
「こいつだけは……たすけて、すずきっ……!」
 とうとう声も出なくなって、薪はその場に崩おれた。青木の頭を抱きしめたまま、雪の中に埋もれていく。

 視覚も聴覚も嗅覚も、すべて雪に塞がれた薪に残されたのは、胸に抱きしめた青木の頭の重みだけだった。
 やがて、それすらわからなくなり――。
 薪は白い闇の中に、ゆっくりと落ちていった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ラストカット 前編(3)

 11/4 に鍵でコッソリと歌って(自白して)くださったSさま。
 ああ、お仲間がいて良かった!
 しかし、お互い物事をナナメに見るのは反省しないとマズイですかね。(^^;




ラストカット 前編(3)





 激しく降りしきる雪の中、車のワイパーを全開にしてゆっくりとアクセルを踏みながら、青木は注意深くハンドルを右に切った。
 市立病院までは車で約1時間の道のりだが、この天候ではもう少しかかるかもしれない。遺族の家の電話を借りて、病院と第九には連絡を入れておいたのだが、到着は予定より20分程遅れそうな按配だ。

 慣れない雪道の運転で緊張している青木に、薪は何事か喚きたてている。さっきの母親との会話のことだ。
「だれがサルだ!」
「じゃあ、どういえばよかったんですか」
「本当のことを言えばよかっただろ。嘘をついた天罰が下ったって」
「えらく人為的な天罰もあったもんですね」
「ああん?」
 馬に人参、薪に温泉。
 鼻先にぶら下げられた大好物が贋物と分かって、薪はいたくご立腹だ。
 まったく、子供みたいなひとだ。この調子ではもしかすると、雪を見て外に出たがっていたのも演技ではなかったのかもしれない。

「大うそつきめ。僕の純真をもてあそびやがって」
「やめてくださいよ。ひとに聞かれたらなんだと思われるじゃないですか」
 たしかに薪の言葉は他人に聞かれている。死体だが。

 他人の死体を車に積んで走るなど、青木には初めての経験だ。遺体搬送用のバン車には後部座席はなく、棺を載せるための空間がある。だから青木が座っている席のすぐ後ろには棺桶があり、その中には女の死体がある。

 それを思うとゾッとする。

 薪が一緒でなかったら、きっと滅入ってしまっていた。いや、いつものように薪が黙りこくったままだったら、やはり怖気づいてしまっていたかもしれない。
 薪がこんな風に会話を仕掛けてくることは珍しい。プライベートのときはともかく、今は仕事中だ。ムダ口を叩かないのが薪の仕事のスタイルだったはずだ。

「大丈夫だ。聞いてるのは道端の地蔵と、助手席のサルだけだ」
「……サルが気に入らなかったんですね」
 たしかに薪のイメージは猿ではない。サル並みに身は軽いが。
「じゃ、アメリカンショートヘアあたりで」
「雪の中に猫がいるか、バカ。僕のイメージだったら、熊とか狼とかだろ」
 それならサルのほうがまだましである。
「あそこでそんなこと言ったら、村民総出で山狩りが始まっちゃいますよ」
「あはは。狼少年も真っ青だな」
 薪が楽しそうに笑う。
 さっきまでぷりぷり怒っていたのに、薪の感情は変化が激しい。

 そして、雪山の天気の変化はもっと激しい。
 空からふわりと落ちてきていた雪は、いつの間にか横殴りの吹雪に変わってきている。ワイパーはほとんど役に立たない。真っ白な世界に塗り込められていくようだ。

「ちょっと、やばくないか」
「かなりやばいです。チェーンが利かなくなってきました」
 うまくハンドルを操作しないと、スリップしてしまう。雪がどんどん視界を埋めて、どこに道があるのかも判らなくなってきた。

「ちゃんと道の上を走ってるんだろうな。気が付いたら崖だったとか言うなよ」
「もう、道なんか分かんないです。けど、ゆっくりでも進んだほうがいいです」
 止まったらお終いだ。タイヤがスリップして、二度とそこから動けなくなってしまう。
 青木はそれを経験から知っていた。大学時代にスキーに来たとき、同じ目にあったのだ。そうなってしまったら雪山専用のトラックで牽引してもらうしか脱出する術は無い。あの時はゲレンデの近くだったし、携帯も通じたからすぐに助けが来たが、今回のこの状況は。

「進めるうちはいいんですけど、雪に埋もれちゃうと――ああ、やっぱりダメですね」
 積雪量が限界を超え、とうとう車は止まってしまった。青木が危惧した通り、何度アクセルを踏んでも前に進まない。
「ダメです。ここで助けを待つしかないです」
 到着時刻が大幅に遅れれば、病院の方で気付いてくれるだろう。この雪に立ち往生していることを察知して、救援を寄越してくれるはずだ。しかし、それはいつのことか解らない。

 青木は不安に押しつぶされそうになる。下手をしたら本当に死ぬかもしれない。
 車が完全に埋まってしまったら、見つけることもできない。今は昼間で視界もきくが、救助が夜になってしまったら。
 こんなときこそしっかりしなくては。自分がこんなに怖いのだから、薪も怯えているに違いない。安心させてやらなくては。

「大丈夫ですよ、薪さん。オレがついてますから。オレがあなたを守りますから」
 薪を勇気付けようと、何の根拠もないことを口にした青木だったが、薪はちっとも不安そうではない。それどころか青木の真剣な表情を見て、にやにやと笑っている。

「心配するな。救難信号は出してある」
 薪はジャケットの襟裏に貼り付けた小さな円盤状の金属を示し、落ち着いた声で言った。
「これだ。初めて役に立ったな」
 第九の室長である薪は、普段から様々な嫌がらせや脅しを受けている。それを心配した上層部が薪の安全のためにと発信機をつけることを義務付けてきた。この発信機には危険信号を送信する機能もついており、信号は第九に届くようになっている。

「信号が届けば岡部がすぐに気付く。県警を通して消防隊に連絡が行くはずだ」
「もしかして、これ、想定内なんですか?」
「雪山の天気は変わりやすいからな。万が一に備えて、用意はしておいた」
 さすが薪だ。
 青木の出る幕などない。これが室長の実力である。
 起こり得るすべての事象に対して予防線を張り、どんな突発事故にも対応出来るよう準備を怠らない。それが管理者の仕事で当たり前のことだと薪は言うが、実行できる者はそう多くはない。

「で? おまえは僕を何から守ってくれるんだ?」
「すみません……忘れてください……」
 青木は思わずハンドルに顔を伏せた。恥ずかしくて薪の顔が見られない。
「頼もしい部下を持って、僕は幸せ者だな。僕の身に何が起こっても、おまえがついていれば大丈夫なわけだ」
 薪の意地悪が始まった。
 もの凄く楽しそうだ。こういう皮肉を言うときが、薪はいちばん生き生きしている。

「そうですよね。薪さんのほうがオレより強いし頭もいいし年も上だし。オレが薪さんを守るなんて、おこがましいですよね」
 ハンドルに額をつけたまま、呟き始める。青木は落ち込むとぶつぶつ言うクセがある。
 その様子は薪の意地悪心を大いに満足させるらしい。青木のこのクセがでると、薪はとても楽しそうな表情になるからだ。
 しかし、今日の薪は様子が違った。
「そんなことはない」
 真面目な顔で青木の落ち込みにストップをかけると、薪はシートベルトを外して運転席の方に身を乗り出してきた。
「僕を寒さから守ってくれ」

 小さな手が車のキーを回し、エンジンを切る。運転席のレバーを引かれ、背もたれが倒される。不意打ちを食らって、青木は後方へ倒れこんだ。
 薪が上からのしかかってくる。青木のシートベルトを外して、ぴったりと体を密着させてくる。亜麻色の髪から細いからだから、薪の匂いがする。
 甘やかで清冽な百合の香り。それは青木を虜にする媚薬だ。
「薪さん? 暖房を」
「脳が腐る」
「あ」
 遺体の脳は、今日中に処理をしなければ使い物にならなくなる。温度が高いと傷みも早い。病院へ運ぶ間くらいなら保冷剤があるから大丈夫だが、もう予定の時間はとっくに過ぎている。これ以上暖かいところに置いておくと、脳が腐敗してしまう危険がある。
 何か理由がなければ薪のほうから接近してくれることなどないと思っていたが、やっぱりこんなことだ。

 暖房が止まった車内はたちまち冷えてくる。互いの体温で温め合わないと、本当に凍死してしまう。薪の体をぎゅっと抱きしめて、上から二人分のコートを被せる。それでもかなり寒い。薪は微かに震えている。吐く息も白くなってきた。
 こんな寒いところで周りに人影もなくて、しかもすぐ後ろには死体がある。気分的にも寒い状況である。
 しかし、青木の心は暖かかった。

「薪さん。さっきはありがとうございました」
「なにが」
「薪さんは、わざと賑やかに話をしてくれてたんですよね」
 薪の心遣いに、青木は気がついていた。
 もともと死体や血には弱い青木が、遺体の搬送をする。その恐怖とプレッシャーを和らげてやろうと、薪はわざと軽口を叩いていたのだ。
 薪は被害者の遺体を前に、あんな会話をするような人間ではない。ひとの死に対してはだれよりも敏感で、それを悲しみ、心の底から哀悼する。だからこそ遺族も薪のことを信用して、大切なひとの亡骸を預けてくれるのだ。

「嬉しかったです。でも、オレは大丈夫ですから」
 青木の言葉を、薪は肯定も否定もしなかった。ただ長い睫毛を伏せて、少しだけくちびるを尖らせる。薪がこういう顔をする時は図星ということだ。
「オレ、いつまでも新人じゃないですから。まだ頼りないかもしれませんけど、きっとあなたを守れるような男になりますから」
「守ってもらわなくて結構だ。自分の身は自分で守れる。僕は強いんだ」
「ええ、薪さんは強いです。でも、オレはきっとあなたより強くなります。強くなってあなたを守ります」
 コートにうずもれるようにして俯いている薪の頬に手を当てて、上向かせる。片手にすっぽりと収まってしまうその大きさが、愛おしさを掻き立てる。

「そうなったら、防弾チョッキを脱いでもらえますか?」

 亜麻色の瞳が大きく瞠られる。きょとんとした幼い顔。青木のセリフが、薪の不意をついた証拠である。
「寝言は寝て言え。僕より弱いやつがなに言ってんだ」
 首を左右に振って青木の手をさっと払い、薪はコートの中に潜り込んだ。寒そうに肩を竦めて目を閉じる。青木は慌てて薪を揺さぶった。
「寝ちゃったらやばいですよ。間違いなく死体が3つになります」
 車内の気温はどんどん下がって、多分いまは零度近い。
 救助はなかなか来ない。この吹雪だ。消防隊のほうでも動けないのかもしれない。連絡を取る術がないから、あとどれくらいこの寒さに耐えたらいいものか、見当もつかない。
「寝なくてもやばそうだな」
 薪にも、この猛吹雪は計算外だった。
 天気図も見てきたし、天候のシミュレーションもしてみたが、ここまで荒れるとは予想がつかなかった。薪の頭脳はたしかにずば抜けているが、所詮は人間という枠組みの中のことで、それを簡単に上回るのが自然の脅威というやつだ。

「青木。眠気覚ましに少し運動しようか」
「はい?」
「僕と楽しいことしよう」
 青木の心臓がどきんと跳ね上がった。狭い車中でぴったりと体を寄せ合って、そんなことを言われたらそういう意味かと思ってしまう。

 しかし、薪の顔を見た途端、青木の心臓は急速に冷えた。
 きれいな顔がにっこりと微笑んでいる。薪がこの顔をするときは、恐ろしいことの前触れなのだ。

「楽しいことってなんですか?」
「雪あそび」
 薪はさっと青木の腕の中から抜け出すと、助手席のドアから外に飛び出した。




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ラストカット 前編(2)

 すみません、懺悔します。

 原作の薪さん、ごめんなさい。
 雪子さんへのあの言葉は、彼女を褒めてたんですね。嫌味じゃなかったのか。
 いや、だってあんなん、監察医じゃなくたって気付くようなでっかい刺し傷で、針の痕とかならともかく、わざわざ「あなたが『みて』なかったら」というのは皮肉にしか聞こえなかったのよ~。
 雪子さんが頬染めて眉毛吊り上げて怒るのも無理ないわ、と、その後、平静に仕事してるのを見て、雪子さん大人だわ、と感心し、青木は何にもわかってねえよ、こいつ、と。

 で、みなさんのレビューを読んで、ようやく自分の大カンチガイに気付いて、青冷めました。
 さすがカンチガイ男爵の生みの親、ってちがう!

 あああ!
 宇宙のように果てしなく、読解力皆無でごめんなさいいいい!!!
 原作の薪さんにとんでもない誤解を!!(いや、だって珍しいことするから(^^;))

 考えてみたら、あのエレベータの後で、あの飲み会の後で、そんな嫌味を言うわけないじゃん!!
 こんなに読むチカラなくて、こんなにバカで、わたし二次創作者やってていいのか!?
 ヤバイ、ヤバイよー。

 みなさまのレビューなしには、マトモに原作を読むこともできない自分のアホさ加減を思い知り、笑うしかありませんでした。
 ということで、わたしはレビューは死んでも書きません。(^^;)



 お話のつづきです。
 この程度の頭の人間が書いてますからね、話の辻褄なんかもう言わずもがなと言うことで。すみませんです。





ラストカット 前編(2)




「ご協力感謝します。ご遺体にはなるべく傷を残さぬよう、細心の注意を払います」
 白衣を纏った亜麻色の髪の青年は、畳の上に正座して深々と頭を下げた。隣の背の高い若者も、同様に謝意を表す。誠実な態度は老夫婦の気持ちを和らげた。

 この青年は昨日、穏やかな外見とはかけ離れた熱心さで老夫婦に捜査協力をしてきた。
 警視正の肩書きを持ちながら居丈高な振る舞いは一切なく、心から娘の不幸を悼み、その無念を晴らすため、またこれ以上の悲劇を生まないため、と真摯な瞳で訴えかけてきた。
 最初は聞く耳を持たなかった彼らも、その情熱に心を動かされた。夫婦の哀しみを慮ってか彼の口調は静かだったが、強い正義にきらめく亜麻色の瞳は、夫婦の信頼を得るに充分だった。彼らはこの青年に好感を抱くまでになっていた。

 この青年なら、娘を大切に扱ってくれるだろう。そして必ずや犯人を見つけ出し、娘の無念を晴らしてくれるに違いない。そう信じて彼らは、MRI捜査承諾書に判を押したのだ。

「あいにくの天気だで。気を付けて行きんさいよ」
 棺をバンの荷台に運び込み、出発しようとする二人の若者に、娘を亡くした父親は心配そうに言った。
 雪は先刻より激しさを増してきている。天候が回復するまでここで待つことを勧めたのだが、彼らは恐縮しながらもその申し出を断った。早く処置をしないと捜査ができなくなる、というのがその理由だった。

「ありがとうございます」
 亜麻色の髪の青年が、にっこりと笑って礼を言う。まるで女優のようだ。これが男だとはまだ信じられない。世の中には不思議なひともいるものだ。

「これ、顔に塗っときんさい」
 玄関先で、妻が背の高いほうの男に傷薬を手渡している。この男は何故か顔中引っかき傷だらけで、傍目にも痛々しく見えた。世話好きの妻はそれを放っておけなかったのだろう。

「痛そうやねえ。どげんなさったと?」
「ここへくる途中、サルに引っ掛かれたんです」
「そりゃあ災難だったねえ。野生のサルはけっこう怖いけん。肝が冷えたやろ」
「ええ。もの凄く怖かったです」
 これでこの男の生傷の原因が分かった。しかし、それを聞いた青年が、長身の男を睨んでいるのは何故だろう?

 ふたりはもう一度丁寧に礼を言ってから、車に乗り込んだ。黒髪の男が運転席に座り、地図を広げて行き先を確認後、車をスタートさせる。家の窓からその様子を見ていた夫婦は、ふと風が出てきたことに気付いた。
 北からの湿気を含んだ冷たい風。雪もどんどん激しくなってきている。
「大丈夫やろか」
 不安げに眉根を寄せて、老夫婦はふたりの車が見えなくなるまで窓辺に立っていた。



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ラストカット 前編(1)

 第2部、最後のお話です。
 事件も起きない割に、ひたすら長いです。


 このお話の時期は、2061年の10月。
『岡部警部の憂鬱Ⅱ』の後に入るお話です。
 なので、薪さんの気持ちがバックしてます。この時点では、まだふたりは恋人同士ではありません。
 この後に、『鋼のこころ』の後半が入り、『ラストクリスマス』が入り、『竹内警視の受難』が入るわけです。その後、ラストカットの後編に続きます。
 前編と後編の間が半年くらい空いているので、そういう流れになります。
 ご了承ください。






ラストカット 前編(1)




 真白い風花が白銀色の空から落ちてきたのは、ホテルの遅い朝食を摂り終えたころだった。
 今年初めて見る雪は、日本という国の湿度の高さを証明するかのような大きな牡丹雪で、ふわりふわりと花びらのように、至極ゆっくりと落ちてきた。

 食後のコーヒーを飲みながら、青木は珍しい風景を楽しんでいる。

 季節のうちでは春が一番好きな青木だが、冬は冬にしかない美しさがある。雪や霜や氷の世界などは、この時期でなければ見ることができない。いま目前に広がる雪景色は、ことのほか美しく見える。
 それは向かいの席でコーヒーを飲んでいる、きれいな横顔のおかげだ。

 亜麻色の大きな瞳に、舞い落ちる雪のかけらを取り込んで、うっとりと微笑む美貌のひと。
 人間を相手にするときは皮肉な形に歪められることが多いつややかなくちびるは、自然の美しさに対しては素直な賞賛の笑みを浮かべる。今まで彼の賞賛を受ける僥倖に浴したのものは、咲き乱れる夜桜であったり、すべてを金色に染め替える夕陽であったりしたが、今日はこの雪景色にその幸運が訪れたようだ。

 舞い落ちてくる雪にも負けない白い肌が清雅に映えるそのひとは、名を薪という。
 青木が勤める研究室の室長で、直属の上司に当たる。下の名前は剛。顔も身体も小作りで華奢で儚くて、名前負けの見本のような外見をしているが、一皮むけば泣く子も黙る鬼の室長と職員たちから恐れられている。
 国家公務員Ⅰ種試験を優秀な成績で合格したキャリアで、階級は警視正。まったく見かけからは想像もつかない。外見と中身のギャップが激しいのが薪の特徴である。
 その落差は警視正という肩書きや、他に追随を許さない優秀な推理能力といった仕事関係のことだけにおさまらない。性格や習慣や食べ物の好みまで、とにかく自分の華人たる外見を裏切ることに全てをかけているかのような薪の言動は、青木を思わず微笑ませる。

 今だってそうだ。
 空を見上げて、亜麻色の頭をあちこちに動かしている。手元がお留守になっているから、コーヒーカップが傾いて中身がこぼれそうだ。
 しかしここで「雪が珍しいんですか?」とか「コーヒーがこぼれそうですよ」などと、相手の子供っぽい仕草を揶揄するようなことを言ったら、大変なことになる。表に降っている静かな牡丹雪など比較にならない、雪嵐(ブリザード)が青木を襲うことになる。
 薪の機嫌は、秋の空のようにころころ変わる。天候を崩さない為には、細心の注意が必要なのだ。

 こういう場合の薪の取り扱いは、下記の通りだ。
「わあ。降ってきましたね。雪っていいですよね。なんかワクワクしちゃいますよね」
 青木がわざと弾んだ声を出すと、薪はバカにしたような顔で大人の意見を吐く。
「雪ぐらいでなんだ。子供か、おまえは」
 ことさら冷たい口調で青木を嗜めるが、薪の目は外の風景に釘付けだ。尻のすわりも悪く、椅子の上でもぞもぞしている。外に出たいのだ。

「滅多と見られないじゃないですか。こういうのは楽しまないと損ですよ。これ、飲み終わったら外に行きましょうよ」
「この雪の中をか? バカじゃないのか」
「オレ、九州の生まれだから、あまり雪を見たことがないんです」
 嘘である。
 たしかに青木は九州の生まれだが、福岡は北九州なので雪は珍しくない。都市化が進んだ東京よりも多いくらいだ。しかし、尤もらしい理由をつけると、薪は納得しやすくなる。だからこれは嘘も方便というやつで、きっと神様も許してくれる。
「お願いです。付き合ってください」
「ったく、お子様はこれだから。しょうがないな」
 面倒くさいな、寒いのは苦手なんだよな、と言いつつ、薪はすでにマフラーと手袋を身につけている。行く気マンマンである。

 さも雪に興味がある振りをして、薪よりも自分のほうが精神的に子供であることをさりげなくアピールする。そうすると薪は自分が青木よりも大人だという優越感を味わいつつ、年下の我儘に仕方なく付き合うというポーズをとることができる。
 とにかく、薪が優位に立てるように場の雰囲気を持っていくことが、このひとの機嫌を損ねないコツなのだ。まったくもって疲れる上司である。

「行くならさっさとしろ。僕は読みたい本があるんだ」
「はい」
 雪の中を薪について歩き出す。
 厚いコートのフードを被って弾むように歩く薪の姿は、まるで少年のようだ。本当にかわいらしい。
 仕事中のあの冷徹な室長と、同一人物とは思えない。この二面性がまた、青木にとってはたまらない魅力なのだが。

 そしてもちろん、この怜悧な頭脳も薪の大きな魅力である。
「青木。気がついてるか?」
「はい。着いてきてますね」
 ふたりがホテルの庭に出ると、ひとりの男が後ろから同じ方向に歩いてくる。青木たちと同じように雪に誘われて出てきたような素振りをしているが、視線は雪ではなくこちらに向けられたままだ。
「やっぱりマークされてるみたいだな。情報が洩れたかな」
「だから夫婦ってことで、カモフラージュしときゃよかったんですよ」
「絶対にいやだ。もう女装はこりごりだ」
 女装などしなくても、ユニセックスな服を着て女言葉さえ使えば完璧なのに、と喉まで出かかった言葉をぐっと堪える。不用意にそんなことを言おうものなら―――― 想像するも恐ろしい。

「でも、薪さんとオレとじゃ全然似てないし。兄弟はムリですよ」
「そんなことないだろ。年の離れた兄弟ってことで。もちろん、僕のほうが兄貴だぞ」
「そこがいちばん不自然なんですよね」
「なんか言ったか?」
「いえ」

 当たり前のことだが、ここへは仕事で来ている。
 長野で起こった殺人事件のMRI捜査のために遺体を引き取りに来たのだが、遺族のたっての望みで、ふたりが第九の職員であることを隠している。遺体から脳を抜き取るなど、死者を冒涜する行為だと周囲の人々から責められる、というのがその理由である。
 世間ではまだまだMRI捜査に対する偏見が多い。田舎に行くほどその傾向は顕著に現れるようだ。この地方にはまだ遺体を土葬する習慣が残っていて、亡骸を焼いてお骨にすることは死者の怒りに触れる行為だと信じられている。そんな風習の残る地方でMRI捜査に協力してくれた老夫婦の理解の陰には、薪の熱心な説得があった。

 昨日の午後。
 薪は部下の今井と共に車で老夫婦の家を訪問し、当然のように門前払いを食らわされた。
 その時点で今井を帰らせ、薪は単身で説得に当たることにした。矢面に立つのは室長である自分の仕事だし、第九は万年人手不足だ。
『後は僕に任せろ。手筈が整ったら、青木をヘリでここに寄越せ。一刻を争うことになるかもしれない』

 土葬の風習が残る地方だから遺体が焼かれてしまうことはないが、MRI捜査にかけるには死亡から4日以内に脳を取り出すか、冷凍保存をかけておく必要がある。被害者は死亡から既に2日が経過している。あと2日以内に病院で処置をしなければ、情報を得ることはできなくなる。
 説得が成功したとしても、この村落には脳を抜き取る手術ができる病院がない。遺体ごと東京までヘリで運んで手術を施し、脳データを取得後遺体を返却する。そのための書類を整えるよう今井に指示をして、薪は長野に残った。
 青木は航空機免許を持っている。民間の運転手を雇うより経費はかからなくて済むし、遺体の搬送も手伝わせることができる。この局面には便利な部下だ。

 薪の熱意のこもった説得に老夫婦は折れ、MRI捜査への協力を承諾してくれた。ただし、周囲の人々に第九に脳を提供したことが分からないように、というのがその条件だった。
 薪は自分たちの身分を隠すことを約束し、ヘリも周囲の住民に気付かれないよう、この村落から30キロほど離れた市立病院に着陸させることにした。
 青木が薪の泊まっているホテルに到着したのは、今から1時間ほど前のことである。
 朝一番で警視庁機動隊のヘリを借り受け、安曇市立病院の中庭に降り立った。遺体の運搬のため病院のバンを借りて、2人分の白衣も用意してきている。遺体を運び出す際に、病院関係者を装うためだ。

 いま、ふたりの後をついてきているのはホテルの従業員だ。
 この時期、この地方は大勢訪れるスキー客と観光客とでなかなかの賑わいを見せる。その客数に対応するため、ホテルは臨時雇いの従業員を多数募集する。その臨時職員の中には、老夫婦の住む村落出身者もいる。薪が老夫婦の家に行ったことは、すでに村中に知れ渡っている。田舎の噂話の伝播速度は、テレビのニュース速報並みだ。

 都会に出て行った娘が殺されるという悲劇に見舞われた老夫婦の元に、テレビでも見たことのないような美しい青年が訪ねてきた。いったい、どういう関係なのだろう。娘の会社の同僚か、それとも恋人だろうか。
 田舎の楽しみは噂話。薪はここに来てからずっとだれかに見られている。
 別に悪意を持たれている訳ではなく、単なる好奇心なのだが、それでも自分たちの身分を明らかにするわけにはいかない。雪見にかこつけてホテルを出てきたのはそのためだ。

 後ろの男はまだ着いて来る。ここはもう一芝居必要らしい。青木はわざと声を張り上げて、薪の背中に話しかけた。
「ホテルの人に聞いたんですけど、ここから5キロくらいの奥平ってところに、猿が来る温泉があるみたいですよ」
「本当か? それは是非、行ってみないとな」
「そういうと思って。車のキーを持ってきました」
「よし、でかした! さあ、行くぞ!」
 温泉にはしゃぐ振りをして、薪が雪の中を走り始める。青木が慌ててその後を追う。
「そんなに走らなくても温泉は逃げませんよ」
「温泉は逃げなくても、猿は逃げるかもしれないだろ」
 なんだかおかしな理屈だが、もちろん尾行者を撒くためだ。
 ホテルから駐車場までは約3キロの距離がある。フロントに言えばホテルの車で送ってくれるのだが、この外出はお忍びである。徒歩で行くしかないのだ。

 薪は陸上選手のように走っている。そのスピードに青木はついていけない。後方の男は尾行を諦めたようだ。
 すっかり息のあがってしまった青木を、一足先に駐車場に着いた薪が待っている。手に腰を当てて、余裕綽々といった表情だ。相変わらずの持久力である。
「す、すいません。遅くなって」
「ふん。3キロは走れるようになったみたいだな」
 以前、薪と一緒にジョギングをしたとき、青木は2キロも走らずにへばってしまった。その時に体を鍛えるよう薪に言われて、青木も少しずつではあるがトレーニングを始めていた。薪や岡部のようにハイペースというわけにはいかないが、なんとか10キロを完走できるようになった。薪には内緒だが、岡部について柔道も習っている。どういう理由からか、岡部は青木を心身ともに鍛えたがっているようだ。

 車に乗り込み、目的の家を地図で確認する。この辺りはナビも役に立たない。とにかく田舎なのだ。携帯も圏外だし、インターネットも使えない。原始的だが、ここでは地図に頼るしかない。
 その村落までは、20キロほどの道のりだ。薪は一度説得のために目的の家を訪れているが、運転していたのは今井である。ろくに目印もない田舎道で道順を覚えているとは思えない。だから半分ほど進んだところで、薪がルートに異議を唱えてきたとき、青木はとても驚いた。

「おまえ、道が違うんじゃないのか」
「え? 薪さん、道わかるんですか?」
「これは安曇村に向かう道だろ」
 覚えているらしい。薪の記憶力は、相変わらず人間離れしている。
「第一、とっくに5キロは過ぎてるぞ」
「は? 5キロってなんですか?」
「なんですかって、猿の温泉に行くんじゃなかったのか?」
 ……本気にしてたんですか?

 薪は青木の膝の上から地図を取り、ナビゲート役を買って出た。
 「次の分かれ道を左に曲がれば奥平に行けるぞ。ほら、あのお地蔵様の先だ」
 田舎道でよく見かける石地蔵を指差して、薪は明らかにうきうきしている。
 ……しまった。
 風呂好きの薪に温泉という言葉は、サルにバナナをチラつかせるようなものだ。
 そのバナナが皮だけで中身がなかったら、騙されたと知った猿は、間違いなく青木に襲い掛かってくるだろう。

 いかにして薪を怒らせずにこの場を切り抜けるか―――― 第九の捜査官になって2年。青木はいま、最大の難問に頭を悩ませていた。



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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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