ハプニング(16)

ハプニング(16)




 再び夢の中に戻って、薪は先刻と同じ場所に立っている。眠ったら、ここに来ることは分かっていた。悪夢とはそういうものだ。
 
 目覚める直前の光景は、既にそこには無かった。床の血溜りはきれいに拭かれ、雪子の死体は消え失せて、そうしてみればごくごく普通の、どこの家にもある風景だ。時間が来れば家族が集まってきて一緒に食事を摂る、当たり前で普遍的なコミュニケーションの発祥地。
 じっくりと観察すれば、食器棚にある子供用の食器や、夫婦揃いの茶碗や湯飲みが置いてある。電子レンジの横には炊飯器と電気ポット、そのいずれにもアニメのシールが貼られていて、両親はどうやら末の娘に甘いらしい。

「おかえり」
 声を掛けられて、薪は振り向く。別に驚いてはいない。予測していたことだ。
「まだなんか用か」
 ダイニングの椅子を引いて、薪はどっかりと腰を落ち着けた。長い黒髪の美しい女性を、ギッと睨み据える。
 弱みなんか見せない、引く気もない。さっきは不覚を取ったが、今度は負けない。自分で作り出した虚像の戯言なんかに惑わされてたまるか。

「ケンカなら買ってやるぞ」
 薪の強気な態度に怯んだか、冴子は苦笑して肩を竦めた。その仕草は彼女の肢体を包むフェミニンなワンピースとの相乗効果で、彼女を可憐に見せた。
 彼女は、整形を受ける前の顔に戻っていた。どこにもメスを入れる必要なんかない、かなりの美人だ。きれいな額と、美しい眉をしている。目はいくらか垂れて、長い睫毛と潤んだような瞳が印象的だ。鼻筋は細く通り、長卵形の輪郭から受ける儚い印象を崩さずに、奥ゆかしく顔の中心に収まっている。唇は小さく、ぽってりとした朱色。

「それ、なあに?」
 彼女が目で示したのは、薪の右手に握られたままの研究書だった。そのつもりは無かったが、持ってきてしまったらしい。
「何が書いてあるの?」
「おまえには関係ない」
「見せて」
「いやだ」
 冴子はすうっと空を滑ってきて薪の傍らに立つと、手を使わずに薪の右手から薄いノートを奪った。

「返せ!」
「いいじゃない。ちょっと貸してよ」
 冴子は薪の手を逃れて、天井へ逃げた。後を追いかけようとして、薪は自分の体が浮き上がらないことに驚いた。冴子は飛べるのに、自分はダメなのか。ここは自分の夢なのだから、自分に有利な設定になってもいいのに。

「降りてこい、卑怯者!」
「えーっと、なになに? 『今日、誰よりも早く事件の鍵になる画を見つけて薪さんに報告したら、薪さんがオレに笑いかけてくれた。春の女神みたいにきれいだった』……ポエム?」
「声に出して読むなあああ!!」
「『勇気を出して、昼休みが終わる10分前に薪さんを起こしてみた。出すぎた真似を咎められるかと思いきや、おまえが起こしにきてくれるなら安心して昼寝ができる、と言ってくれた。これで毎日、薪さんの寝顔が見れる。(はーとまーく)』……なにこれ、恥っずい!」
「やかましい!!」
 怒鳴り返したものの、確かに恥ずかしい。帰ったらこのノートは灰にしてやろうと、薪は固く決意する。

「『今日は初めて薪さんの方からキスを……』」
「ぎゃ―――!!!」
 なんだ、この羞恥プレイは!! 僕に恥をかかせやがって、これを書いた本人ごと燃やしてやるうぅ!!

「あらら、ここからはちょっと口に出せないわ」
 口に出せないって、どういうことだ? ぱらっと見ただけだから気付かなかったけど、まさか!?
「まー、すごい。へー、こんなことまで。ひゃー、一晩に5回も? あなたよく身体もってるわねえ」
 何を書いてんだ、あいつはっ!!!

 初めの毅然とした態度はどこへやら、薪はダイニングテーブルの下に隠れるように身を潜ませていた。
 もう恥ずかしくて恥ずかしくて、顔を上げていられない。床下収納庫に閉じこもりたいくらいだ。

「ああ、面白かった。はい、返すわ」
 真っ赤な顔をしてうずくまり、羞恥のあまり涙目になった薪に、冴子は青木の研究書を差し出した。ひったくるように受け取って、すぐさま破り捨てようとした薪の手を摑んで、冴子はクスクスと笑った。
「愛されてるわねえ」
 薪の目線の高さに合わせて自分も屈み、冴子はしんみりと言った。思わず、薪は真顔になって冴子を見た。
 彼女の黒い瞳は追憶の憂いを湛え、失くしたものを、もう取り返しのつかないそれらを悼み、静かに耐えるように震えるように、哀しみに満ちてそこにあった。短い人生の中で彼女が望んで止まなかったもの、それがこのノートには詰まっている。

「……知ってる」
 薪はぼそりと呟いた。
 そのことを、心から喜ぶ気にはなれなかった。切ないような、悲しいような、かすかな罪悪感を伴ったその感情は、彼女の不幸な人生に対する同情からか、それとも彼女に言われたように、これがかりそめの幸せだと分かっているからか。

「それなら、もう過去に囚われるのはやめなさい」
 彼女の言う過去が何を指しているか理解して、薪は心を強くしようと腹の底に力を込める。そこを突いてくる気なら、僕は負けない。鈴木のラストカットまで浚ってくれた、青木の努力を無駄にはしない。
「囚われてなんかいない。僕はちゃんと自分の人生を全うしようと思ってる。だから、青木のことも受け入れたんだ。彼を愛してる」
「じゃあ、どうして彼にそれを言ってあげないの?」
「それは」
「いつでも彼と別れられる準備をしているのは何故? これは一時の夢だと、自分に言い聞かせ続けているのは何故?」

 畳み掛けるように訊かれて、薪は口ごもる。出世のこととか相手の親のこととか、薪なりに理由はちゃんとある、だがそれを彼女に分かりやすく説明するのは難しい。
 言いあぐねる薪に、冴子は自分の意見を述べた。
「自分は幸せになっちゃいけないって、今でも思ってるからじゃないの?」
「ちがう。男同士ってのは、色々と難しいんだ。世間的なこととか、将来のこととか。僕は青木のためを思って」
「嘘」
 短い断定の言葉で、彼女は議論を打ち切った。さっと立ち上がり、スカートの皺を直すように手で整える。その仕草はとても女らしく、彼女本来のしおらしさを偲ばせた。

「あなたはとっても嘘が上手だけど、わたしには通用しないわ。あなた自身を騙せても、わたしは騙せない。だって」
 彼女は急に悪戯っ子のような表情になると、テーブルの陰に座ったままの薪を見下して言った。
「わたしは――――MRIの神さまだもの」

 聞き覚え、いや、言った覚えのあるたわ言に、薪は目を丸くした。
 あの夜、既に彼女の脳は第九に送られてきていた。見られていた、ということか?それはそれでめちゃめちゃ恥ずかしいが、彼女が敢えてその名詞を自分に冠した理由は?

「……まさか、おまえ!!」
「ぴんぽーん。入れ替えてみました」
 マジでか!?

「どうしてそんなことを」
「面白そうだったから」
「……死にたいか、こら」
 捜一時代に培った凄みを総動員して脅しをかけたつもりなのに、冴子は平気な顔でからからと笑い続けた。
「わたし、もう死んでるし」
 そうだった、幽霊相手にこの脅しは無意味だ。じゃあ、除霊か、お札か。いや、いま成仏されたら大変だ、元に戻れなくなる。

「戻せっ!! おまえがやったんなら、僕たちを元に戻せるだろう!」
 詰め寄ってくる薪の手をひらりとかわして、自称MRIの神さまは足を使わずに移動した。それはたしかに人外の移動手段だったが、こいつの場合は明らかに魔のほうだ。
 ああっ、くそ、こんなやつがMRIの神さまの正体だと解ってたら、お供えなんかするんじゃなかった! 僕の綾紫、返せ!!

「それはあなた次第。努力すれば自分が望む自分になれるんでしょう? わたしを納得させてみてよ。そうしたらわたしが間違っていたことを認めて、あなたたちを元に戻してあげる」
「この入れ替わったままの身体でか!? 無理に決まってるだろ、そんなの!!」
「ひとは外見じゃないんでしょ?」
 なんて意地悪な幽霊だ、さすがは僕の夢だ。意地悪が見る夢はやっぱり意地悪、ってなんでだ! てか誰に突っ込んでるんだ、僕は!!
 お定まりの独りツッコミでいくらか冷静さを取り戻した薪は、空いた左手を腰に当て、上空にいる女性を見上げた。

「もっと早くに出てくれば良かったのに。このアザ、どうしてくれるんだ」
 何度も床に倒れたものだから、自分たちの身体に傷がついた、と薪は主張した。そのほとんどは岡部との早朝訓練でこしらえたものだったが、自分が痛い思いをする原因になったのはこいつだ。責任の所在はこいつにあるはずだ。

「あなたがひとりになる機会を狙っていたの。それと、今までは場所が悪かったから」
「場所?」
「職場でもあなたの家でも、彼が目を光らせてるんだもの。怖くて近寄れなかったの」
「……彼って?」
 冴子は鼻で笑う素振りで、その問いに答えなかった。
 ムッときたが、実は薪もよく部下の前ではそういう顔をしている。わかりきったことを聞くな、と声にするのも面倒なほど、明確な事実に対する質問を受けたときにする顔だ。

「たしかに。ここには彼の写真はないな」
 薪が答えを出すと、冴子はそれに満足したのか、にっこり笑った。彼女の笑顔はあたたかかった。

「魔女の称号は、返上だな」
「あら。わたしはけっこう気に入ってたんだけど」
「性格は良くないけど、そんな顔ができるなら、友だちなんか直ぐに作れただろう」
「仕方ないわよ。こんな顔ができるようになったのは、死刑が決まってからだもの」
 自分は自分。他の何ものにもなれないと、やっと解ったから。
 だから自分を認められなかったら、誰も自分を愛してくれない。自分の中に、他人に愛される要素をたくさん植えて育ててやれるのは自分だけだと理解して初めて、彼女はこんなふうに笑えるようになった。生まれたままの素顔で。

「さて、そろそろ時間切れかしら。夜が明けるわ」
 静かに微笑んだ彼女の姿は、静謐に美しく。色素が徐々に抜けるように、その輪郭を曖昧にしていく。
 だんだんに薄くなっていく彼女の最後の声が、薪の耳に届いた。

「あなたはいつだって守られてる。そのことを知るべきよ」
 
 彼女の姿が完全に消えて、薪は目を開けた。朝の清浄な光の中、恋人の部屋の天井が見える。
 恋人のベッドで彼の匂いに包まれながら、薪はぽつりと呟いた。

「知ってるよ」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

ハプニング(15)

 こんにちは。
 メロディ、発売されましたね。
 ふふふ……さすが清水先生だと思いました。 本当に容赦ないデス。


 ちょっと私信です。

 Mさま。
 そうです、ご指摘のアニメの主題歌です。(笑)
 これ書いた頃から再放送してて、今、翔陽戦が終わったところかな。
 うちの話の題名って、曲名から取ってるの多いんです~。
「桜」とか「鋼のこころ」(ハガレン)とか「運命のひと」とか「消せない罪」(これもハガレン)とか「天国と地獄」とか「ジャイアントキリング」とか。(最後のはまだ公開してませんが)
 曲のイメージからお話を作ることも多いです。 何を聴いてもあおまきさん、あるいはすずまきさんに自動変換されるので。(←人として終わってる)

 それと、言い忘れましたが。
 読んだら削除してくださいねっ!!! ぜったいですよっ!!


  
 


ハプニング(15)





 鏡の虚像を打ち壊そうと大きく振り回した手が、何かに当たって痛みを覚えた。カシャン、という音に目を開けてみると、薄暗がりの中、ベッドシェルフの遥か上に伸ばされた大きな手が見えた。
 続いて見慣れない天井と照明器具が目に入り、薪は一瞬、自分の居場所に不安を覚える。ここは事件のあった家の寝室で、今にもあのドアを開けて西園冴子が姿を現すのはではないかと愚にもつかない妄想が頭を過ぎるが、続いて辺りを見回せば、目に付いた車のポスターがその惑いを消してくれる。
 ここは青木の部屋だ。
 今日は室長会の懇親会で、薪の身体は海辺のホテルにいるはずだ。酒が入るからホテルに泊まって、軽く観光を交えて、明日の夕方帰ってくる。薪の眼がないと自宅には入れないから、今日は青木の部屋で寝ることにしたのだ。

 シェルフに置いたリモコンで、薪は部屋の明かりを点けた。夢を見た後は、部屋を明るくしないと落ち着かない。闇の中には悪夢の根源が潜んでいるような気がして、身体の震えが止まらない。
 入れ替わってから一人で夜を過ごすのは初めてだ。それで不安になって、こんな夢を見たのか。相変わらず、情けない男だ。
 そう、青木の姿になっても、何も変わらない。僕は僕でしかない。
 
 いつもするように、薪はベッドの上で自分の身体をぎゅっと抱いた。膝を抱え込もうとして、その長さに戸惑う。大きすぎるのも考え物だ。
 うずくまって視線を下に落とせば、床には先ほど自分の手が払い落としたフォトスタンドがある。薪は腕を伸ばしてそれを取り上げ、苦笑混じりにひとりごちた。

「ったく、こんなもの飾って。誰かに見られたらどうするつもりだ」
 亜麻色の髪の青年が、陽だまりの中で笑っている。白いシャツを着て、細い腕を前髪の上で交差させ、蕩けるような笑みを見せている。
 青木の前でこんな表情をしたことはないし、こんな写真を撮らせた覚えもないから、これはおそらく薪の昔の写真で、雪子から青木の手に渡ったものだろう。

 自分のこの笑顔の先に必ずいたひとのことを思い出して、薪の胸がずきりと痛んだ。 
 彼がいなくなった今、自分は二度とこんなふうに笑うことはできない――――。

 落としたはずみに写真の位置がずれて、その裏に隠された二枚目の写真の角が見えている。自分もこうして、鈴木がひとりで写っている写真の裏に二人で撮った写真を入れていたから、青木も同じようにしているのかもしれない。そう思って覗いてみると、そこに現れたのは。

「……あのバカ」
 いつだったか、ふたりでベッドに入っているときに撮った写真だ。警視昇任のお祝いに何が欲しいか聞いたら、薪と一緒に写真を撮りたいと言った。天気が良かったから近くの公園に出かけて普通の写真も撮ったのだが、その夜、ベッドの写真も欲しいと言い出して。哀れっぽく土下座までして頼むから、仕方なく撮らせてやったのだ。
 写真の中で青木は、薪の後ろに座って薪の身体に左腕を回し、右手を伸ばしていた。フレームアウトした右手の先には、カメラがあるのだ。
 薪は赤い顔をして、青木の腕の中にすっぽりと納まっていた。腰から下には毛布がかかっているが、この下はもちろん裸だ。

 レンズから目をそらした自分の顔を見て、薪は意外に思う。
 笑ってる。
 嬉し恥ずかしって感じで、笑ってるじゃないか。

 あの時、僕はこんな顔をしていたのか。青木が携帯に送ってきた写真は小さかったし、恥ずかしくてロクに見ていないから気付かなかった。
 二枚の写真を見比べて、薪は少し頬を赤らめると、元通りにしまってベッドシェルフに立てた。それから床に散らばった雑誌を本棚にしまおうと、拾い上げる。ついでに何か拝借してベッドで読もう。今夜はもう眠れそうにない。
 自分がシェルフから落としてしまった本は、薪にはまったく興味の無い雑誌だ。青木が眠る前に見ているのだろう数冊の車専門誌。それを薪は本棚に戻そうとして、頁の間に挟まれた薄い冊子に気付いた。

「なんだ、これ」
 それは一冊のノートだった。表紙に、『研究書 極秘扱』と書いてある。

 極秘などと言われたら読みたくなるのが人情というものだ。それに、研究書というからにはMRI捜査に関することに違いない。室長として、部下の業務レベルを確認するのは当たり前のことだ。
 薪は勝手な理屈をつけて、本棚の前に立ったままノートを開いてみた。そこには青木のかっきりした四角い文字が並んでいて、日付順に記載されているところから日記かと思い、咄嗟に読むのを止めようとしたのだが、そこに何度も自分の名前が出てくるのを見て、好奇心が抑えられなくなった。

「こんなに細かく……」
 ざっと目を通して、薪は思わず呻いた。
 それは日記ではなかった。まさに極秘の研究書だった。


*****

 2060年6月×日。薪さんがコーヒー好きだと三好先生に教わった。珈琲問屋でキリマンジャロAAを購入。淹れてみるが店で嗅いだほどの香りは感じられない。淹れ方の問題か?

*****

 2060年9月×日。今日のコーヒーは上手くできた。薪さんは一口飲んで、ちょっと目を見開いて、再度香りを確かめるように湯気を吸い込んで、少しだけ笑ってくれた。オレのコーヒーであのひとの笑顔が見れるなんて、サイコーの気分!

*****

 2060年12月×日。とうとう、薪さんの好みにぴったりのブレンドを編み出した。BM10、M10、JR5、B40、C35。これを飲んだとき、薪さんの顔がふわっと笑ったんだ! やった!!

*****

 2061年4月×日。須崎の前で、オレのコーヒーが飲みたいと薪さんが言ってくれた。胸がスカッとした。キリマンジャロのストレート。明日からは、薪さんの好きなブレンドを用意しよう。

*****
 
 2061年5月×日。今日は記念すべき日。なんと、薪さんがオレを専属のバリスタに任命してくれた!! これは世界的な祝祭日にすべきだ!!! ヤッホー!!!

*****

 試行錯誤と結果が連綿と記され、それに対する薪の反応が事細かに書かれたその記録は、つい最近の日付まで記されていて、青木の研究は現在も続いていることを示していた。

「……バッカじゃないのか、あいつ」
 これが、東大法卒の男の研究書か。なにが極秘だ、アホらしい。

 呆れ果てた口調で吐き捨ながら、薪はそのノートを見つめる。ふと、本棚のガラスカバーに映っている自分の顔が綻んでいるのに気付いて、慌てて厳しい表情を作った。鏡面の自分を指差して、
「職務の習得に割くべき余暇をこんな無駄なことに使って。次に顔を見たらソッコーで説教だ。覚悟しとけよ、青木」
 そして本棚にノートを戻そうとして躊躇い、だれが見ているわけでもないのにコソコソとそのノートを胸に押し付けるように抱いて、ベッドに戻った。

 今夜はあんな夢を見てしまって、もう眠りは諦めていたのに、布団の中に入って青木の匂いに包まれるとまた眠気が差してきた。
 ノートを傍らに置き、その上にそれを書いたであろう手を載せて、薪は眠りに落ちた。




*****

 原作の青木さんが大変なのに、呑気なことやっててすみません。(^^;


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ハプニング(14)

 メロディ発売前に、こちらのお話を終わりにしようと思ったんですけど。 現場の中間検査が27日の午後に決まりまして、ちょっと難しいです。
 みなさんが12月号の衝撃で大変な時期に(←なぜ衝撃的な内容だと決めつける?) ちんたら更新するハメになりそうです。 
 KYですみません。(^^;





ハプニング(14)




 ―――― あなたなら、分かってくれるわよね?

 聞き覚えのない、女の声が聞こえる。

 ―――― 分かってくれるでしょう? わたしの気持ちが分かるでしょう?

 知らない女の声だ。記憶の片鱗にもない。
 否。
 何処かで……?

 薪はその声をどこで聞いたか思い出し、確信を持って目を開いた。果たして、薪の前には人皮のデスマスクを付けた女が、血まみれの包丁を持って立っていた。MRIの画と同じく、白いワンピースが返り血で真っ赤に染まっている。
 周囲の風景に、薪は見覚えがある。4人掛けのダイニングテーブルに、アニメのシールが貼られた冷蔵庫の扉。これは事件の現場だ。しかし、床に血溜りは無く、4つの死体もない。木目が美しく輝く明るいキッチン。それは彼女の憧れの象徴とも言える場所なのか。

「僕になんの用だ」
 恐ろしい女の姿に怯みもせず、薪は強気に言い放った。
「あなたとは、話が合うと思ったの」
「警察官の僕と死刑囚のおまえがか? 笑わせるな」
「でもあなたなら、わたしの気持ちを分かってくれるでしょう」
「あいにくだな。僕は犯罪者には同情しないタイプだ。話を聞いて欲しいなら、青木のところにでも出るんだな。もっとも、鈍いあいつにおまえの姿は見えないだろうが」
 幽霊相手でも、意地悪な性格は変わらない。いや、これは幽霊でもなければ生きた人間でもない。だから平気でいられるのだ。

 実は薪は、幽霊の類は苦手だ。部下たちには絶対に内緒だが、科学では説明の付かない心霊現象とは、あまりお近付きになりたくない。あいつらには理屈が通用しない、だから怖いのだ。
 なので、これが本当の幽霊だったらこんなに落ち着いてはいられないのだが、長い経験から薪には、この状態がMRIを見た後に良く起こる『引き込まれ』に過ぎないと分かっている。これは自分が作り出した幻だ。彼女の脳に影響を受けた自分の脳がその情報を整理しようとしている、それだけのことだ。

「分かるはずだわ。誰よりも、自分の過去を消したいと思っているあなたなら。過去に囚われて一歩も前に進めずにいるあなたなら」
「僕はおまえとは違う。過去を消したいなんて」
「考えなかった? 一度も?」
 いきなり目の前に死仮面が迫って、薪は大きく目を瞠る。さっきまで、3mくらい離れていたのに。この女は人外の速さを持っているのか。

「彼を失わなかった人生を考えたことはない?」

 古傷を抉られて、薪のガードにひびが入る。否定しなくては、と思いつつも、これは薪のアキレス腱だ。咄嗟には言葉が出てこない。
「鈴木さんが今でも生きていたら。あなたの親友として、ここにいたら。或いは……恋人だったら」
「やめろ、その口で鈴木の名前を呼ぶな」
 つややかなくちびるから零れたのは、押し殺したアルトの声。乱れた心を隠しきれないその響きを聞いて、彼女は嘲るように言った。
「考えないわけないわよね」
 彼女の言葉を否定できず、薪は目を逸らした。

 彼女の言うとおりだ、思わなかった日はない。あの日、この右手が引き金を引かなかったら、せめて急所を外れていたら。
 過去は消せない、変えられないと分かっていても、考えずにはいられない。

「そうやって、毎日毎晩、おんなじことを繰り返し考えてるくせに」
「想像したことがないとは言わない。でも、僕は君みたいに直ぐに逃げ出したりしない」
 薪は反論を開始した。赤の他人に好き放題言われて、黙って引き下がるほど穏やかな性格ではない。
「君が人間関係で辛い思いをしたのは、お祖母さんに罵られながら育ったからじゃない。それは確かに君の心に傷を残しただろう。でも、そんな人間は世の中にはたくさんいるんだ。もっと酷い虐待を受けて育つひとだって。彼らが全員社会に適合できないかというとそうじゃない。辛い子供時代をバネにして大きな成功を収める人だって、大勢いるじゃないか。
 君が周りと上手く行かなかったのは、君の力が足りなかっただけだ。周りの人間と和を持つ努力をしたのか? 自分から彼らに働きかけたか? 1度や2度冷たくあしらわれても、好意と誠意を相手に与え続ける、人間関係はそうやって自分で作るもんだ。
 上手く行かないことがあるたびに整形を繰り返すなんて、愚の骨頂だ。外見を変えたって、中身が変わらなきゃ一緒だ。君はバカだ」

 薪の反駁が終わると、彼女はゆっくりとデスマスクを外した。美しく作られた細面の顔。赤くて薄い唇が、アルカイックに釣りあがった。
「ずいぶん、偉そうだこと」
 自分のことを棚にあげて、と彼女は皮肉な口調で言い、薪を侮蔑の表情で見据えた。

「努力次第でなりたい自分になれる? よく言えたものね」
 にやりと笑って、冴子は大きな姿見をかざす。そこには薪の本当の姿が映っている。
 自分自身ですら実年齢を疑いたくなる少年めいた顔。色素の薄い日本人離れした肌の色と華奢な体つき。薪が憧れる男らしさとは無縁の姿だ。

「それがあなたの望んだ姿? あなたが歩みたかった人生?」
 この外見のせいで、色々といやな目に遭ってきた。軽んじられたり、謂れのない中傷を受けたり、おかしな男に目をつけられたり。思い出したくないことばかりだ。
「誰よりも、自分を捨てたいと思ってるくせに」
「……思ってない。僕は今の自分に満足してる」
「うそ。成り代わりたいと思ってるでしょ? あの、女医先生に」
 予想外のことを言われて、薪は眉根を寄せる。一瞬にして幼くなった自分の顔に、疑念と不安が浮かんでいる。

「なに……?」
「彼女はあなたの憧れですものね、強くて気高くて美しい。その上、愛するひとの想い人」
 とんでもない言いがかりだ、僕が雪子さんを妬んでいるとでも言うのか。
 侮辱を受けた怒りに、薪の拳が固く握り締められる。雪子の幸せを願う気持ちは、薪の中で一番純粋な思いだ。それをこんなふうに穢すことは許さない。

「そんなことは思っていない。僕は彼女の幸せを心から願っている」
「嘘おっしゃい。自分の大事なひとを奪っていく彼女が、憎くてたまらないくせに」
「昔はそうだったけど、今は違う。青木は僕のことを」
「アハハハハハ!!」
 薪が言いかけると、冴子はけたたましく笑った。耳を劈くような不快な哄笑に、咄嗟に耳を塞ぐ。

「必死になっちゃって、ああ、おかしい。
 わかってるんでしょ? 自分じゃ一生彼の側にいることはできないって。
 男のあなたには結婚もできない、子供も産めない。あなたは所詮、一時の恋人」

 冴子は軽快に爪先を運び、薪の周囲を歩き回った。右手に包丁を握ったまま、手を後ろに組んでいる。刃物の切っ先から、血の雫が滴る。どこから沸いてくるのか、包丁から流れる血は一向に止まらず、薪の周りには血の輪ができた。

「彼の人生のパートナーにはなれない」

 耳に当てられた細い指が、そのまま亜麻色の髪に絡んだ。ぐしゃりと髪を摑んで、歪んだ顔を下に向ける。キッチンの床に土足で立っている自分の革靴の紐が、幾重にもダブって見える。美しく磨かれた木目に、透明な雫が零れ落ちた。

 いつも。
 いつも自分で思っていることを他人に言われるのは、こんなに衝撃的なものか。反射的に涙が零れるほどに、それを止められないほどに。
 
「彼女が羨ましいでしょう? 彼女になって、彼に愛されたい、彼の子供が産みたいと思うでしょう。彼と確かに愛し合った証を、彼との間に残したいと思うでしょう」
 薪は夢中でかぶりを振った。床に幾つもの水滴が落ちる。
「思ってない。僕は本当に雪子さんと青木がそうなってくれたらいいと」
 冴子に向かって一歩踏み出した薪の足が、何かにぶつかった。下を見ると、女の死体だ。冴子が殺した不倫相手の妻の―――― ちがう、これは……。
 白衣が真っ赤に染まって、短い黒髪が血溜りの中に散らばって、顔は分からない、皮を剥がれていて判別が付かない。だけどこの女性は、ちがう、ちがう、これは現実じゃない――――。

「自分の姿を見るといいわ」
 嘲笑と共に投げつけられた言葉に、薪は顔を上げた。

 鏡に映っていたのは、右手に血に濡れた包丁を握り、雪子のデスマスクを被った自分の姿だった。






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ジャンル : 小説・文学

ハプニング(13)

ハプニング(13)




「お先に失礼します」
「ご苦労」
 上司と部下の挨拶を交わして、薪は小池たちと一緒にモニタールームを出た。金曜日だし、軽く飲んでいくか、と誘われるのを大学時代の架空の友だちの協力で断り、みなが帰ったのを確かめてから研究室に戻る。
 噂の真偽を確かめるためだ。

 昨夜は思いのほか会合が長引き、青木が疲弊しているようだったから見送った。今朝は室長会議があって、慌しかった。電話やメールも考えたが、こういうことは面と向かって、いきなり切り出さないと相手は尻尾を出さないものだ。昔鈴木に浮気されたことがあるから良く分かって……ああ、くそ! 今思い出しても腹が立つ!
 鈴木だって決していい加減な男じゃなかったけど、男って浮気する生き物なんだ。心と下半身は別っていうか。
 僕だって青木の恋人やってるけど、視覚的に興奮するのは女性の裸体だし。本能的に、男が女を求めるのは仕方のないことだ。男の視床下部には、女性を求めるための細胞がつまってるんだから。
 
 だけど、人間は本能だけでは動かないから。本能的な衝動をも上回る、もっと強い情感があるから。
 それを伴うセックスは、本能だけで行うそれとは比較にならない快感があり、比較しようもない幸福感がある。青木の身体も僕の身体も、それを知っているはずだ。
 そう思うと訊くことも躊躇われるが、やはり青木の口からはっきりとした否定の言葉が欲しい。

『オレが愛してるのはあなただけです』
 考えてみたらこのセリフ、もう何日言われてないんだろう。

 研究室に戻ってみると、宇野が一人でMRIモニターとにらめっこをしていた。画面に映像ではなく英数字が並んでいるところを見ると、プログラムで遊んでいるのだろう。宇野はこうして新しいプログラムを開発しては、MRIを進化させている。いわば、MRIシステムの母親的存在だ。MRIも宇野に一番なついているようだし。
「どうした、青木」
「あ、室長知りませんか」
「薪さんならさっき出てったけど。鞄持ってなかったから、外の空気でも吸いに行ったんじゃないか?」
 どうやらすれ違いらしい。宇野に礼を言って、薪は第九を出た。

 広い研究所内で、自分の姿を探す。
 青木のイメージから、まずは職員食堂、次にティーラウンジ、さらには売店の自販機コーナーまで当たってみたが、どこにもいない。以前なら、このどこかに必ずいたものだが。
「あ、そうか」
 探索を終えてから、薪はようやく気付く。今日は、室長会の暑気払いの日だ。今からパーティでご馳走を食べる人間が、食べ物関連の施設に用事があるはずがない。同じ理由で、ジムや道場に行くはずもない。
 残るは、中庭の散歩か。

 中庭と言っても、これが広い。あちこち探し回って、ようやく自分の姿を見つけたときには、一年で一番長い6月の日が暮れかける頃だった。
 その光景を見て、薪は咄嗟に立ち木の後ろに隠れた。
 黒い瞳に映っているのは、自分と見知らぬ女性。ショートカットの可愛らしいぽっちゃり系で、薪の好みのタイプだ。向き合って立ったまま、何か話しているようだが良く聞こえない。青木の耳は、薪ほど性能が良くない。
 尚も様子を見ていると、ふたりはその距離を縮め、抱擁を交わした。

「な……」
 何やってんだ、僕の身体で! そりゃ、その娘は僕の好みだけど、彼女のやわらかい感触を味わってるのは青木じゃないか。納得できない!
 すぐに離れるならまだしも、青木は彼女を放そうとしなかった。つまり、双方の合意の上にこの抱擁はなされているということだ。
 まさかこの二人、すでに関係を持ってるのか? いや、小池の話では『色んな女性と』ということだった。その気になれば、薪は相手には不自由しない。真剣に付き合いたいという相手も、アソビの関係を持ちたいという相手も、向こうから押し寄せてくるのだ。選び放題だ。不自由なのは、薪の下半身だ。って、やかましい!!!

 亜麻色の頭が女性の肩から離れて、その大きな瞳が薪の方を見た。遠くて表情は良く分からないが、はっきりとした動揺が伝わってくる。女性の方はうっとりと目を閉じて、全く気付かない様子だが、青木は間違いなく薪に気付いている。
 その証拠に青木は彼女を放すと、なにやら言って聞かせ、穏やかに別れた。「また後で」とでも言ったのだろうか。

 一人になった自分の身体に向かって、薪は大股に近付いた。上から彼を見下ろして、厳しい眼で相手を威嚇した。
「どういうつもりだ。僕の身体で何をしているんだ!」
 恨みがましい声が出た。
 当然だ、怒ってるんだ。声を抑える理性も蒸発するほど。

 冗談じゃない。
 青木と特別な関係になってからだって、誘惑はたくさんあった。正直、僕の好みド真ん中のぽっちゃり系の小柄な娘だって何人かいたんだ、1度だけって言葉に乗っかりそうになる自分の中の雄を必死で抑えたことだって、何度もあったんだぞ。
 女性だけじゃない、どこかのオヤジにいきなりトイレの個室に連れ込まれそうになったり、若い男に物陰に引き摺って行かれそうになったり……。
 誰のために必死で守ってきたと思ってんだ!! それを当の青木にこんな!

 それよりなにより。

 僕が念願の5人斬りをやらなかったのは、元に戻った後のこととか青木の経歴に瑕がつくとか、そういうことも考えたけど一番の理由は。
 青木の身体を、誰にも触らせたくなかったから。

 だってこれは僕のものだ、今青木は僕の恋人なんだから、僕だけのものだ。だから誰にもさわらせたくない、僕以外のひとに触れて欲しくない。それが青木の意志じゃなかったとしても、絶対に嫌だと思った。
 青木も同じ気持ちだと思っていたのに。それは僕の勝手な思い込みだったのだろうか。

「薪さん、ごめんなさい。勝手なことをして」
 青木はあっさりと、浮気の事実を認めた。

 ちょっと待て、白状するの早すぎるだろう。言い逃れする気ないのか、おまえ。それはなにか、このまま僕と切れてもいいということか?
 いや、彼女たちと会うことは内緒にしていたのだから、別れるつもりはないのだろう。これはあくまで浮気だ。男の本能が理性に勝っただけだ、ただの生理現象だ。自分がAV見てヌクのと一緒だ、と薪は懸命に自分に言い聞かせ、努めて冷静な口調で言った。

「どうして、こんなことをしたんだ」
「不安で……どうしても、我慢できなかったんです」
 精神的な不安を一時の快楽で紛らわせていた、ということか。今の薪が相手をするわけにはいかないから、声を掛けてくる女性たちを相手に。
「元に戻ったとき、トラブルの元になるようなことはやめてくれ」
「そんなことにはなりません。ていうか、オレ……このままでもいいかなって」

 青木の言葉に、薪は驚愕する。
『このままでもいい』とはどういうことだ、元に戻れなくてもいい、ということか? このまま、薪剛としての人生を歩んでもいいと?
 たしかに、もう元に戻れない可能性もある。その身体は永久に青木のものになるのかもしれない。だったらどう使おうと自分の勝手、というわけか。
 元に戻れなかったら、僕たちはもう愛し合えない。気持ちだけでつながってたわけじゃない僕たちには、肉体関係のない恋人同士としてやり直すことは難しいだろうし、相手を愛しいと思うのは、その姿形もひっくるめて愛しいのだ。自分の姿をした人間に恋心を抱くなんて、僕にはできない。

 薪は劣等感が強い。自己評価も極端に低い。いくら中身は青木だと自分に言い聞かせても、自分の姿を目にした途端、咄嗟に嫌悪感を抱いてしまう。

 ――――― 自分なんて、愛せない。

「もういい! おまえがそのつもりなら、おまえとはこれで終わりだ」
 突然張り上げた大声に、亜麻色の瞳が大きく見開かれた。急変した薪の態度をどう受け止めていいのかわからないと言いたげに、つややかなくちびるが驚きの形に開かれる。
 呆然としている自分の身体に背を向けて、薪は急ぎ足でその場所から遠ざかった。慌てて青木が後ろから追いかけてくる。
「待ってください、薪さん。なんか誤解してます。オレは何も」
「うるさい!」
 掴まれた手を思い切り払ったら、薪の身体がびっくりするくらい遠くに吹っ飛んだ。自分から2mも離れた地べたにみっともなく突っ伏したその姿を、薪は臍を噛む思いで見つめた。

 なんて軽くて手ごたえの無い身体なんだろう。青木が本気になったら、僕なんか相手にもならない。
 青木はいつも、壊れ物を扱うみたいにやさしく僕を抱く。本能的な衝動に押し流されるときでさえ、彼の手が僕への気遣いを忘れたことはない。

「乱暴は止してください。これは薪さんの身体なんですから。怪我でもしたらどうするんです」
 起き上がってスーツについた土を払いながら、青木は悲しそうに言った。
 お人好しめ、いま痛いのはおまえだろうが。

「軽い打ち身だけですね。よかった」
 青木は愛おしそうに自分の身体を自分で触り、怪我のないことを確かめると、ふっと微笑した。
 その様子に、早とちりだったかも知れない、と薪は思った。
 はっきり「他の女と寝た」と言われたわけじゃない。ごめんなさいと謝られたから、てっきりやったんだと思ったけど、別のことで謝ったのかもしれない。抱擁の事実はこの目で見たけど、ホテルに入るところを見たわけでもないし、マンションに連れ込む様子を目撃したのでもない。証拠としては弱い。
 何より、こんなに僕の身体を大事にしてくれる青木が、一時の快楽のために僕の身体を使ったりするだろうか。
 いや、待てよ、逆かもしれないぞ。薪さんの身体にキモチイイコトしてやろう、なんてトンチンカンなことを思ってるのかもしれない。だってこいつってベッドの中じゃものすごくしつこくて、もうカンベンしてくれって何度も訴えてるのに「薪さんたら、まだ欲しいんですか」とか真逆のこと言ってくるし。
 そりゃ身体は反応してるけど、僕は本当に嫌なんだ! 一晩に何度も何度も、頼むから一回で済ませてくれ!

「薪さんの許可もなく、勝手なことをしたのは謝ります。これがオレの我儘だってことも分かってます。だけどオレ、どうしても我慢できなくて」
「薪さん、探しましたよ!」
 青木の供述を遮ったのは、第九研究室の副室長だった。緊急の事件かと身構えるが、岡部の手に握られているのは薪の鞄だ。
「みなさん、お待ちかねですよ。バスを待たせてるんですから、急いでください」
 今年の懇親会は、海の見えるホテルに1泊しての宴会だった。残念だ、今のこの身体で参加できたら、ホテルの豪華バイキングをたらふく味わえるのに。

 青木は岡部の手前を取り繕って冷静な表情を作ると、「話の続きは帰ってから」と薪に向かってきっぱり言い、いつも薪がするようにくるりとこちらに背を向けた。
「行ってらっしゃい。お気をつけて」
 薪は二人の背中に頭を垂れ、青木がここで言うであろう言葉を口にし、じっと自分の爪先を見つめた。



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ハプニング(12)

 こんにちは~。
 えらく間が空いてしまって、すみません~~。


 ブログ開設以来、お話の間が20日も空いたのは初めてです。
 もうなんの話だったか、書いてる本人も忘れそうなお話にお付き合いくださる女神さまが、この世に何人くらいいらっしゃるのかしら。
 しかも、あおまきすとさんに叱られそうな展開になってきて……。(^^;)(←またか)

 どうか広いお心でお願いします。 




ハプニング(12)





 最近の薪の楽しみは、アフターの焼肉屋だ。
 この身体になってから、やたらと肉が食べたくなるのだ。しかも大量に。その割にすぐお腹が空くし、まったく燃費の悪い身体だ。

「すいません、カルビ3人前とビール追加!」
「よく食うなあ、おまえ」
「若いですから、オレ」
 小池に曽我、宇野の3人が呆れ顔で見守る中、薪は10皿目のオーダーを入れた。
 第九の仲間たちとワイワイやりながら、ビールを片手に肉を焼く。室長という立場になってからは、こういうコミュニケーションからすっかり遠ざかってしまっていたが、こうしていると捜一の頃に戻ったみたいで、とても楽しい。室長の重責で苦しんでいる青木に悪いという気持ちもあるが、これまで通り仲間たちとの付き合いもこなしておかないと、元に戻ったときに青木も困るだろう、と自分を納得させて、アフターの時間を思い切りエンジョイしている。

「そういえば小池。二課の課長、あれからどうした?」
「ああ。なんか、諦めたみたいだ。何も言ってこなくなった」
 曽我と小池のやり取りを聞いて、薪は密かに安堵する。間宮にもらった資料を基に、差出人不明のメールを送っておいたのだが、どうやら効いたらしい。
「薪さんが裏から手を回してくれたのかな」
「まさか。俺、薪さんには何にも言ってないし」
 直接相談を受けなくても、部下の身に何が起こっているのか把握するのは室長の役目だ。職務上のことはもちろん、プライベートにおいても最低限のことは知っておく必要がある。どんな友だちと付き合っているか、結婚を予定している相手はいるか。警察官という立場上、切らなければならない付き合いもある。監査課あたりにすっぱ抜かれるまで部下の素行不良に気付かなかったら、室長の職を辞さなければならなくなる。

「薪さんに言ったところでさ、また嫌味言われるのがオチだしな」
「そうかあ? ちゃんと相談すれば、きちんと答えてくれるだろ」
「答えはくれるんだけどさ、言い方がきついんだよ。とにかく、あのひとの言葉ってグッサリ胸に刺さるんだよな」
 酒が入ると話題に上るのが、女の子の話と自分の話、つまり室長の陰口だ。
 こういう席での上司のこき下ろしは当たり前のことだし、薪は心が広いから何を言われても平気だが、とりあえずはいつ誰が何を言ったか、すべて記憶しておくことにしている。別に100倍にして返してやろうと決意しているわけではない。一応、念のためだ。

「こないだ射撃か柔道の訓練のコースに参加してみろって言われて、今のところ業務に使わないからって断ったら、薪さんに何て言われたと思う?」
 口火を切るのは大抵小池だ。……今度の土日のメンテ当番は小池に変更するよう、青木に指示しておこう。
「『向上心を持たない生き物を、僕は人間とは認めない』。こうだぜ」
「うわ、ひっでー」
「きっついなー」
 ……そんなこと言ったっけ?

「本当にそんなことを?」
「本当だよ。まあ、青木は俺たちの目から見ても努力してるからな。言われたことないだろうけど」
 あ、思い出した。たしかその後に、おまえなんかサル以下だ、って言った覚えがある。それは敢えて省いたのか、それとも忘れたのか。
「バカとかマヌケとかは、しょっちゅうですけどね」
 だって本当にバカなんだもん、こいつ。
 
「そうそう、一日に一回は『バカ!』って言われてるよな。……あれ? でもこの頃聞かないな」
「そうなんだよ。薪さん、近頃何となく元気ないんだよ」
「こないだも貧血起こしたしな。疲れが溜まってるのかな」
 彼らが倒れた自分を心配して代わる代わる仮眠室に訪れてくれたことを知っている薪は、気恥ずかしさにうつむいた。同情されるのではなく、もちろん義理立てでもなく、純粋に気遣われるのは、照れくさいようなこそばゆいような、不思議な気分だ。

「青木とやってた特捜のときも、気分悪くなってたろ? あの人が画に酔うわきゃないから、風邪でも引いてるのかと思ったんだけど」
 青木のヤツが未熟なんだ、と真実を口にすることもできず、薪は黙って箸を動かし続けた。
「最近は仕事も落ち着いてるし、薪さんも定時で帰ってるみたいだから、特に疲弊する要因は無いはずなんだけど。以前みたいな溌溂さがなくなったっていうか」

「仕事は暇でも、アフターが忙しかったりして」
 情報通の小池が、意味ありげな口調で思わせぶりなことを言う。
「アフター? もしかして、昇格試験の勉強でもしてるのか」
「ちがうちがう。もっと色っぽい話」
 小池の言葉に、周りの3人は顔を見合わせる。どの顔も、信じられないという表情だ。
 薪と艶話の取り合わせは、ありそうでないものの代名詞だ。
 あの容姿から推し量るに、さぞ豊富な恋愛経験を積んでいるかと思いきや、いざ蓋を開けてみると薪は第九の誰よりもオクテだったりする。もともと恋愛には興味がなく、どんなときでも仕事最優先。プライベートの時間が皆無に近い室長と恋をしようと思ったら、MRIのモニター画面にでも住み着くしかない。

「薪さん最近、色んな女の子と付き合ってるみたいだぜ」

 ……だれが!?
 その場の誰もが驚きの声を発する中、誰よりも驚いている薪本人は、声も出せずにいた。

「へえ? あの唐変木が?」
 覚えとくぞ、宇野。
「相手は生きてる女の子か?」
 どういう意味だ、曽我!
「似合わないよな、あのひとに女の子なんて――― 痛って! 青木、レモン目に飛んだぞ!」
 小池の細い目にヒットするとはナイスコントロールだ、ってそれどころじゃない!

「まさか。室長がそんなことするはずがないですよ」
 おかしな噂を立てられたら、戻ったときに苦労するのはこっちだ。ここは否定しておかないと。
 薪が保身から無責任な噂話を否定すると、3人の部下は苦笑して、
「青木の室長びいきが始まったよ」
 まずい、ここで庇うとやぶへびだ。
 それ以上、否定することもできず、事情を話すことはもっとできず、薪は自分の醜聞を聞く羽目になった。

 小池の話では、薪が女性と会っている姿が何度も目撃されているそうだ。その手の噂には尾ひれが付くものだから、この情報は当てにならないが、建物の陰で抱き合っていたとか、エレベーターの中でキスをしていたとか、中庭の茂みの中でその先の行為に及んでいたとか、僕がそんなことするかっ、間宮じゃあるまいし!
 職場だぞ!? 神聖な職場でそんなこと―――― したから、こうなったんだっけ……。

「小池、それくらいにしてやれよ。青木は純情なんだから」
 曽我の言葉に薪は一瞬、何もかも暴露してやりたい誘惑に駆られる。
 青木が純情だって?
 冗談じゃない、ベッドの中ではいやらしいことばかり言ってくるし、時と場所を選ばないし、以前なんか真っ昼間から台所で……明るいところであんな格好にされて……。
 
「真っ赤になっちゃって、カワイイねえ、青木くん。でもちょっと、知り合いの艶聞は生々し過ぎるよな」
 赤面の理由を取り違えた宇野と曽我が、からかう口調で小池のお喋りを止める。よし、おまえらボーナス査定プラス1だ。小池はマイナス1。
「毎日見てる顔だからな。想像してんだろ、このスケベ」
 想像じゃなくて、思い出してるんだ。

 あれからもう半月。この若い身体は渇きを覚えていて、そういう話題には敏感になっている。
 青木の身体は薪には理解しがたい構造になっていて、聖職者の暮らしが3日ともたない。オスの機能が一番盛んな10代ですら、その現象が週に1度くらいだった薪には、毎朝のように暴れる身体の中の問題児にどう対応して良いのかわからない。仕方ないので処理はするのだが、これがけっこう時間が掛かって、自分なら清掃込みで5分で済むのに面倒なやつだと、やっかみ半分でヤケクソに手を動かしている。
 これだけ欲求が強ければ、デートの度に求めてくるのは当然かと思い当たるが、そこを納得してしまうと自分が地獄を見るので、敢えて改善策は提示しないことにした。元に戻っても今までどおり、原則1ヶ月に2回のベースライン、後は臨機応変=仕事の状況と薪の体力に合わせる、ということで。
 そこまで考えて、薪はふと不安になる。

 噂を聞いた直後は、青木本人に確かめるのも馬鹿馬鹿しいと思ったが、自分の身体に入った青木が、以前と同じ貪欲さを持っているとしたら?
 性的な欲求には精神面が強く影響するから、可能性がなくはない。そこまでバカではないと思うが、引っ叩いても蹴り倒してもしつこく求めてくる青木を思い出すと、そして最終的には9割の確率で青木が目的を遂げている事実を鑑みると、嫌でも不安が募る。

 まさか青木のヤツ、言い寄ってくるのをいいことに、片っ端から食ってるのか? 外見は40のオヤジだけど、中身は28歳の男だ、それはやりたい盛りだろう、でも僕の身体だぞ!?
 僕だっておまえの身体を手に入れて、これなら栄光の5人斬りも夢じゃないと思ったけど、必死で堪えたんだぞ!

 いつ元に戻れるチャンスがあるかわからないから、なるべくふたりきりでいる時間を作ろうと最初は思ったものの、現実はこうして薪は青木の交友関係をこなし、青木は薪の義理を果たしている。青木は今日は田城所長と一緒に市民団体の会合に参加しているはずだ。予定では、あと2時間ほどでマンションに帰ってくるはず。それまではここで時間を調整しないと。この身体では自分の家に入れないのだ。
 戻った後のこと、そして想像したくはないが戻れなかったときのことを考えると、人間関係の保持は大切だ。さらには、不自然なまでにふたりきりだと、あらぬ疑いを掛けられる。そこに真実が含まれているとなると、これはもう完全なやぶ蛇だ。
 話し合いの上、3週目に入ってからはお互いに距離を取っていたのだが、こんな噂が出てくるなんて。

 青木に限って、そんなことはないと思うけど。好きな相手とじゃないとできない、って言ってたし。
 ……でも。

 一応本人に質しておくか、と心に決めて、薪は11皿目の牛カルビを追加した。




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ちょっとお休みします

 お知らせです。
 

 現在、公私ともにリアルがばたついておりまして、ブログに向かう余裕がありません。
 てな具合に、しづが私事にかまけている間に、カウンターが3万。
 きゃー、ありがたくも申し訳ないです。 更新してないのに、マメに覗いてくださる方がいらっしゃるということですよね。

 なので、ちゃんとお断りを。
 勝手で申し訳ありませんが、状況が落ち着くまでにしばらくかかりそうなので、しばらく更新をお休みします。

 多分、1、2週間くらいだと思います。 お話の続きを待ってくださってる方にはごめんなさいです。 (次の更新のときには、『これまでのあらすじ』を付けた方がいいかしら。 てか、一番わからなくなってるのは本人だったりして(^^;)

 誠にすみません。
 よろしくお願いします。

 
 

ハプニング(11)

 最近ですね、アクセスしてくださる方が増えたみたいなのですよ。
 とっても嬉しいのですけど、間違って来ちゃった方が多いのかな、って不安も大きかったりして(^^;
 で、検索キーワードを確認してみたら、殆どの方が『法医第10研究室』で来てくださってるみたいで安心しました。 
 一部、『警視庁 昇任試験』『一本背負いのコツ』で来て下さった方、スミマセン☆
 

 そうそう、一番面白かったキーワードは『一糸まとわぬ捜査官』
 どんな捜査官だよっ! と突っ込みたくなりましたが、身に覚えがありすぎて……自爆★





ハプニング(11)





 3度目にドアが開いたとき、薪はもう驚かなかった。
「青木。薪さんの具合、どうだ?」
 副室長までこの始末だ。小1時間の間に入れ替わり立ち替わり、第九はいつからそんなに暇な部署になったんだ。

「おまえ、薪さんに無理させてるんじゃないのか?」
「どういう意味ですか」
「おまえの若さと体力で押しまくったら、薪さんはこうなっちまうってことだ」
 岡部の誤解に眩暈を覚えながら、薪は首を振った。入れ替わってから10日以上、セックスどころかキスもしていない。自分相手にそんなことができるほど、ふたりとも自己愛が強くない。

「いいえ。薪さん、ちょっと風邪気味なんですよ。そのせいだと思います」
 適当な嘘を吐き、岡部の邪推を撥ね返すと、薪はせいぜい青木らしく笑って見せた。岡部は鋭いから、他の職員たちよりも注意が必要だ。
 薪が最も信頼している第九の副室長は、いくらか思案する素振りを見せたが、それ以上は追求しなかった。岡部はお節介だが、プライベートに立ち入り過ぎない大人の分別を持っている。
 
「それじゃ、今週の定例会もお流れだな」
 先週は特捜の最中だから、という理由で定例会は中止した。2週続けてのキャンセルに、岡部は少々がっかりするようだった。
「仕方ないですね。また来週ということで」
「来週はダメだ。室長会の暑気払いがある」
 そうだった。予定では、海辺のホテルに一泊して高級バイキング食べ放題……考えただけでヨダレが出そうだ。

「楽しみですね、バイキング」
「ははは、おまえも早く出世して室長になれば、参加できるかもな」
 このままだと青木が参加することになるのに気付き、宴席は体調不良を理由にキャンセルさせた方がいいか、と薪は考える。しかし、それまでに戻れれば自分が参加できるのだ。今の薪は、ホテルのディナーバイキングを逃すことには大いに不満がある。
 だって、海沿いのホテルだぞ。刺身の鮮度はバツグンだろうし、オプションで平目の活け造りとか食べられちゃうかもしれない。その機会を棒に振るなんて。
 食欲本能が突き抜けた青木の身体にいるうちに、薪はすっかり意地汚くなってしまった。売店のおにぎり一個で昼食を済ませ、昼休みの殆どを睡眠時間に充てていた昔の自分が信じられない。
 
 岡部がいなくなった後、仮眠室に二人きりになって、薪は見るともなく自分の顔を見る。
 連中は、何が楽しくてこんな顔を覗きに来たんだろう、と薪は思う。眠ってるわけだから変化もないし、面白いこともない。寝てる間に普段の仕返しをされるのかと思えば、そんなことはなかったし。

 我ながら可愛くないな、と薪は自分を嘲笑う。だけど、自分にはこんな考え方しかできない。

 だって。
 この身体の持ち主は、他者の愛情を受けるに値しない人間だから。

 それなりの地位と権力は持っている、仕事の面では部下を絶対服従させることができる。でも、それはあくまで仕事上のことだけだ。みんなに心配してもらえるような、そんな価値のある人間じゃないんだ。
 上司への義務的な見舞いならともかく、こんな意識が無い状態のときに見舞われて、起きたらあれを食べさせろだの、身体に気をつけてやれだのと親身な言葉を掛けられて。心配で堪らない眼で見られて、頬に赤みが差しただけで嬉しそうに微笑まれて。
 あいつらは、どうして学習しないんだ。なんで僕なんかに、そんなに――――。

「……ちくしょ。あいつら、まとめて減俸だ」
 思いがけず溢れてきた涙は、とても甘く。口汚く罵りながらも、薪はそれを止めることはできない。

 昔、青木にも言われたっけ。
『みんながあなたを大切にしてるんです。それを壊す権利は、あなたにはありません』
 あのときは、何を言ってるんだ、自分の身体をどう使おうと自分の勝手だと思ったけれど。今こうして青木の言葉の裏側に隠された真実を見せられれば、自身の安全を省みない薪の捜査方法に対する青木の怒りにも納得がいって、改めてあの時の自分は愚かだったと自省する。
 自分のことは世界一嫌いな薪だが、自分の大切な人たちがこんなに愛してくれるものを、そんなに嫌っては申し訳ないか、とほんの少しだけ思えるのは、流した涙の甘さに酩酊した扁桃体のミスか。

 大きな手が枕の上に散らばった亜麻色の髪に触れ、やさしく梳いた。サラサラとした手ざわり、青木が薪の髪を撫でるのが大好きだったことを思い出す。
 自分が今、この亜麻色の髪を、その持ち主を好ましいと思っているのは、青木の手の細胞に僕を愛した記憶があるからなのか。撫でられた僕の身体が喜びを覚えていると確信できるのは、僕の髪の細胞に彼のぬくもりが刻まれているからなのか。
 自分を慈しむ気持ちなんて、死ぬまで持てない、持っちゃいけないと思っていたのに。僕にそんな権利はないと、ずっと思っていたのに。
 彼らに愛されている自分を、誇らしく思うこの気持ちを捨てることができない。

 青木の眼から零れ落ちた薪の涙が、ふっくらと丸い頬に落ち、長い睫毛が微かに震えた。薪の見守る中で、類稀なる美貌が目を開けた。その亜麻色の瞳は果てしなく澄んで、夜空に輝く冬の星座のよう静謐だった。
「薪さん……どうなさったんですか?」
 急いで指で涙を拭くが、メガネが邪魔だった。慌てたものだから、耳から外れて床に落ちてしまった。床に屈んで眼鏡を拾う薪に、心配そうなアルトの声が降ってきた。
「大丈夫ですか?」
「こっちのセリフだ。いきなり倒れやがって」
 何とか平常心を取り戻して、薪は小さな椅子にどっかりと腰を下ろし、途端バランスを失って転びそうになった。仮眠室の椅子はもっと大きなものに取り替えるよう、総務に申請を出しておこう。

「オレ、倒れたんですか? はあ……貧血なんか、生まれて初めてです。吐き気がするんですね。知らなかった」
 青木にしてみれば、慣れないことの連続だ。薪には新人だった頃の記憶があるが、青木に室長の経験はないのだ。実際に室長の仕事をさせているわけではないが、その立場にいるだけでも気疲れして当然だ。
「色々、他人に言われることもあると思うけど、そんなに気にするな。あいつらはおまえに言ってるんじゃなくて、僕に言ってるんだ。聞き流しておけばいい」
「違います、彼らは薪さんに言ってるんじゃありません。第九の室長に言ってるんです。薪さん個人に対してあんなことを言われたら、オレ、とっくにキレてます。
 薪さんの方は大丈夫ですか? どこか、痛むんじゃありませんか?」
 相変わらずお人好しの青木は、心労で自分が倒れたというのにひとの心配ばかりする。

「人のことはいいから、まずはその青白い顔を何とかしろ。食欲がなくても、ちゃんと食べなきゃダメだ」
 岡部から耳にタコができるほど聞かされているセリフを自分が口にする滑稽さに、思わず笑いが込み上げてくる。ここで甘い顔を見せては駄目だと自分に言い聞かせ、薪は口元を引き締めた。
「すみません、ご迷惑かけました。岡部さんにも心配掛けちゃって」
「岡部に礼なんか言うことないんだ」
 そうだ、ここはきちんと言っておかないと。後で大変なことになる。
「あいつは本当にお節介なんだから。こないだなんか、ちょっと胃が痛いって言っただけで胃カメラ飲まされたんだぞ? あいつの言うことを全部実行してたら、病院の検査予約でスケジュール表が埋まっちまう。仕事してるヒマなんて無くなるぞ」

「岡部さんは、本当に薪さんのことが心配なんですよ」
 ……知ってる。
「岡部さんだけじゃなくて、みんなも」
 そう言って彼は、とても幸せそうに笑った。薪の身体で薪の顔で、薪がとうに忘れてしまった無垢な笑顔で。
 その笑顔を守りたいと思うこの気持ちは、一体何処から湧いてくるのだろう。

「……分かってるなら、僕の身体で貧血なんか起こすな。業務が停滞する」
 薪は、素っ気無く言い捨てて席を立った。
「弁当とアイス買って来てやる。それまで寝てろ」
 努めて不機嫌な態度を崩さずに、薪は部屋を出た。束の間、その場に立ち尽くす。
 仮眠室のドアを背に佇む薪の胸の中には、先刻の自分の笑顔が鮮明に残って、彼を微笑ませた。



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ハプニング(10)

ハプニング(10)




 特捜が終了し、第九に日常の風景が戻ってきた。研究室で青木が忙しく雑用をこなし、薪は室長室で職務に励む。
 入れ替わり生活も10日を過ぎた。
 青木の仕事の煩雑さと守備範囲の広さに初めは戸惑った薪だが、持ち前の器用さを存分に発揮して、程なく職員たちの期待に応えられるようになった。コーヒーの味だけは、青木のようには行かなかったが。
 責任の軽い数多くの仕事は熟考を要せず、すべてを片付けた後にはスポーツにも似た爽快感を味わえる。その感覚を楽しむことすら覚え始めている自分の順応性に呆れつつも、一日の終わりに飲むビールは最高に美味い。昔、捜一で羽佐間の下にいた頃は、毎日がこんな感じだったな、と懐かしさに駆られたりもしている。
 そんな具合に、薪の方は新人だった頃のことを思い出したりして楽しくやっているが、青木の方はそろそろ限界だろう。夜もよく眠れないらしく、日に日に顔色が悪くなっている。
 
「薪さん、最近顔色が優れないみたいですけど。いっぺん、医者に診てもらったらいかがですか」
 モニタールームで職員たちの捜査の様子を見回っていた薪に、岡部が声を掛ける。岡部のお節介が始まった、と薪は横目で彼らの様子を見やった。
 心配かけてすみません、と青木が頭を下げかけるのを眼力をぶつけて制し、らしく振舞え、と無言のプレッシャーをかける。
「いや、大丈夫だ」
「しかし」
「僕の身体のことは、僕が一番よくわかってる。余計な気遣いは無用だ」
 よしよし、なかなかいい受け答えだ。もうちょっと険のある声が出せれば満点なんだが。

 すげなくされて口を噤む岡部に、室長はにこりと笑って、
「岡部。心配してくれてありがとう」
 こら、それは余計だ! 岡部がびっくりして腰砕けになってるじゃないか。隣の宇野まで巻き込んで、床に椅子ごと倒れこんだぞ。こいつらまで入れ替わったらどうするつもりだ。

「本当におかしいですよ、室長。絶対に病院に行かなきゃダメですって!」
「熱でもあるんじゃないですか?」
 室長と一緒にモニターを覗いていた今井が、回転椅子を回して薪の額に手を伸ばす。払いのけろ、と目で指令を下すが、青木はじっとしたまま、と思ったら。
 細い膝が不意に崩れ、薪の身体が今井に向かって倒れた。

「やっぱり……調子悪かったんじゃないですか。無理するから」
 今井は薪の身体を支えて、青木の方を見た。少しの間青木の顔を見ていたが、やがて不思議そうに首を傾げると、薪の身体を抱き上げて椅子から立ち上がった。腕の中の青白い顔に眉をひそめ、仮眠室へと歩き出す。
 自分の身体が誰かに抱き上げられているのを見るのは、何だかフクザツな気分だ。青木に抱かれてるところは見たことがあるが、ていうか強制的に見せられたのだが、つまり鏡の前でムニャムニャ……。

「何やってんだ、青木。早くしろ」
「は?」
 早くしろ、と言われたが、別に今井から時間制限のある仕事を預かった覚えはない。
「ベッドの用意だよ。てか、薪さんが倒れたのにおまえが泡くって走ってこないって、おまえもどっか具合悪いのか?」
 ……バカか、あいつは! そんなあからさまな態度を取るなんて、僕たちの関係に気付かれたらどうするんだっ!

 頬が熱くなるのを感じながら、薪は仮眠室の扉を開け、ベッドを整えた。シーツを伸ばし、今井がそうっと寝かせた細い身体の上に、さっと毛布を掛ける。
 今井は腕を組んで、じっと室長の寝顔を見つめている。
 そんなに心配することはない、これは寝不足によるただの貧血だ。1、2時間も眠れば回復する。薪の身体は、薪が一番良く分かっている。
 さっさと仕事に戻れ、と言いたいのを我慢して、薪は仮眠室を出ようとする。自分の寝顔を見ているのも、気恥ずかしいものだ。

「青木、おまえがついてろよ。俺はやりかけの捜査があるんだから」
「ただの貧血でしょ? 付き添いなんて、大げさですよ」
「……薪さんとケンカでもしたのか?」
 踏み込んでいいものかどうか、逡巡が見える口調で今井は尋ねた。スマートで人付き合いの上手い、今井らしい気の回し方だった。薪が曖昧に頷くと今井はクスッと微笑を洩らして、組んだ腕を解き、右手を腰に当てた。

「大方、特捜の意見が合わなかったんだろ。あの死刑囚の生い立ちは俺も知ってる。おまえの性格なら、同情するだろうと思ってたよ」
 さすが今井。青木のヘタレを見抜いている。
「薪さんはああいう性格だから。凶悪犯には同情の余地無し、とでも言われたんだろ」
 ……僕の性格も見抜かれてるのか。
「でも、あのひとの口の悪さは今に始まったことじゃないし。薪さんの正義感の強さと、誰よりも犯罪を憎む気持ちの根底に何があるのか、おまえだって知ってるだろ?」
 今井は光の加減によっては青みがかっても見える魅惑を秘めた瞳で、青木の顔を射るように見た。鋭い眼だった。
「今日の薪さん、元気なかったぞ。目が覚めたら、美味いコーヒーでも淹れてやれ」
 そう言って、今井はモニタールームに戻っていった。

 取り残されて仕方なく、薪は自分の寝顔と向き合う。背もたれのない丸椅子に腰を降ろし、その座り心地の悪さと青木の体格とのアンバランスさに驚きつつ、こんな不快な環境で無為な時間を過ごすことへの苛立ちと焦燥を覚えながら、薪は広い肩を竦めた。
 いつ目覚めるかわからない他人の寝顔を見ているだけなんて、薪には考えられないくらい無意義な行為だ。見ていたからと言って、回復が早まるわけでもないだろう。無駄だ。

 そういえば。
 薪が目を覚ますと、たいてい誰かが側にいた。その誰かはほぼ100%の確率で、薪に叱られた。
『こんなところで何をしている。早く仕事に戻れ』
 何度叱り付けても次の時にはやっぱり誰かいて、どうしてこいつらは学習しないんだ、副室長なら僕がいない間はしっかり部下を見張っておけ、と岡部に当り散らしたこともある。岡部は素直にすみません、と頭を下げたが、その状況が改善されることはなかった。結局、薪が自分で貧血を起こさないように、仕事のペース配分を考え直さなくてはならなくなったのだ。

「青木。薪さん、大丈夫か?」
 仮眠室のドアを静かに開けて、宇野がこっそり入ってくる。「大丈夫です」と応えを返し、薪は席を立った。何か後輩に頼みたい用事があって来たのだろうと思い、指示を待つ。しかし宇野は後輩の顔さえ見ずに、懇々と眠り続ける室長を見ていた。
「うん。さっきより、顔色よくなってきたみたいだな」
 頬を緩ませて、微笑する。宇野のこんな顔は、あまり見たことがない。小池の影に隠れて目立たないが、宇野はけっこう辛辣で辛口批評が得意だ。素直に人を褒めないタイプだし、だからこそ宇野が勧める映画や本にはハズレがないのだが。
「薪さん、食が細いからな。青木、昼休みに薪さんの好きなハーゲンダッツのアフォガード買ってこいよ。その間、俺が見ててやるから」
 そう言って、宇野は仮眠室を出て行った。

 ……今、代わってくれるんじゃないのか? てか、自分で買ってくればいいだろう。今井も宇野も、なんで青木にばっかり僕の面倒を頼むんだ。コーヒーだのアイスだの、僕のために買ってこいって言うけど、僕の口には入らないんだぞ? 美味しい思いができるのは青木で、しかも青木はアフォガードよりクッキーアンドクリームが好きだし、ああ、なんか納得できない!

「青木。薪さん、どうした?」
 今度は曽我と小池のコンビだった。
 こいつら、僕がいないと本気でサボリやがって。全員、地獄のシステムチェック48時間ぶっ通しコースに叩き込んでやろうか。
「寝顔だけは可愛いよな。ずっと眠ってりゃいいのに」
 小池、チェックメンバー確定。
「薪さん、また少し痩せたか?」
「そうだなあ。青木、ちゃんと薪さんにメシ食わせてるのか?」
 なんだ、その質問は! 青木は僕の保護者か!!
 冗談じゃない、いつもこっちが作って食わせてやってるのに。なのにどうして、まるで僕の方が世話になってるみたいな言い方をされなきゃならないんだ!?

 憮然とした気持ちが表に出てしまったのか、曽我は少し怯んで、それでもいつもののんびりした口調で言った。
「薪さんさあ、おまえが一緒だと良く食べるんだろ? きっとおまえの食欲に釣られるんだって、岡部さんが言ってたぞ」
 岡部のやつ、余計なことを。
 
 その後、なんだかんだとどうでもいい雑談を交わして、ふたりは出て行った。まったく、何をしに来たのかさっぱりわからない。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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