ロジックゲーム(1)

 こんにちは。
 寒くなりましたね~。 みなさん、お風邪など召されていないとよろしいのですが。


 先日『クッキング』というお話を書き上げまして。
 わたしにしては珍しく、ホント赤い雪が降りそうなくらい珍しい、男女のラブコメでございます。 うちの男女のカップリングと言うと雪子さんと竹内しかおりませんので、これはその二人の馴れ初め話です。
 なんでこんなの書きたくなったのかというと、『君に届け』に嵌りまして。
 あのお話、すっごくいいですよね~。 いっぱい泣いて、いっぱい笑いました。 爽子ちゃん、かわいいです。 誰かにすっごくよく似てる。 あの奥ゆかしすぎる考え方が、誰かに。(笑)

 上記のSSは公開する気がないのでそれはどうでもいいのですけど、(だって誰も読みたくないだろうし) このお話でページ数が2000を超えたのですよ。 なので、ご報告をと思いまして。

 
 いつもご訪問、ありがとうございます。
 読んでくださる方々がいらっしゃるから、書き続けられるのだと思います。
 昔、ブログを開く前は、薪さんが好きで好きで書いてたんですけど、今はどうだろう。 もちろん薪さんが好きなことに変わりはないのですが、書くこと自体が楽しいのと、読んでくださる方がいる、と思えることが、より大きな原動力になっているような気がします。
 の、割には相変わらず独りよがりなお話ばっかりですけどね。(^^;


 引き続き、お付き合いくださいますよう。
 これからもよろしくお願いいたします。
  




 こちら、本編に戻りまして、ついでに時間も巻き戻りまして、2063年10月頃のお話です。 セカンドインパクトの前に前振りを入れておきたくて、後から書き足しました。
 甘いお話になったと思います。 てか、何も起きなくてつまんない?
 すったもんだは次の『スキャンダル』をお楽しみに。 うけけっ!(←アクマ)

 




ロジックゲーム(1)





調査報告書1

『ターゲットMに関する報告書(抜粋)』

 生真面目で職務に忠実。職務遂行中は常に冷静沈着だが、その反面、部下に対する指導は厳しく、行き過ぎた暴言もしばしば。部下の評判、極めて悪し。
 皮肉屋、冷血漢、高慢等の悪評多数。下階級のものには恐れられ、上階級のものには疎ましがられている。総じて、人付き合いは苦手。
 捜査に於ける推理能力は正に天才的。が、内容によっては上層部に反抗的な態度を見せることもあり、大いに問題視されている。その鋭敏さは警察機構に置いては諸刃の剣。


『ターゲットAに関する報告書(抜粋)』

 真面目で職務に忠実。上司の命令には無条件に従う従順さを持つ。大人しく、粘り強い性格である。
 明朗快活、温厚、気配り上手など、同僚の評判はすこぶる良い。人懐こく、年上に可愛がられるタイプ。友人は男女を問わず多数。
 争いを好まない平和主義者。気弱そうに見えるが、時に大胆。無謀ともいえる捜査方法で、周囲を唖然とさせた経歴あり。捜査能力に光るものはあるが、未だ未知数。


『MとAの関係に関する報告書(抜粋)』

 AはMのマンションを週2~3回の割合で訪問している。週末には泊ることもあるが、それは同じ部署の先輩Oと一緒のときであり、単独でMのマンションに泊まることは極めて稀である。
 職務中は、厳しい上司に従順な部下。それ以外の気配は読み取れない。プライベイト時にもふたりがそれらしき行動を取ったことはない。彼らの会話からは、少し砕けた友人同士以外のものは聞き取れなかった。観察中に身体的な接触を持ったことは一度もない。
 よって、ふたりの関係はすでに解消されているか、冷めている可能性が高い。



*****




「だから、大丈夫だって」
 受話器から聞こえる親友の心配そうな声音に、中園は少しだけうんざりしながら応えを返した。
『なにが大丈夫なんだよ』
 海を隔てた故郷にいる親友の声が、僅かに尖る。中園の声に含まれた面倒そうな響きを感じ取ったのかもしれない。鋭いやつだ。

『半年後にはぼくの憂いはなくなってるだろう、って言ったのはどこの誰だい。1年経っても、彼らの関係は続いてるよ。どうしてくれるんだ』
 どうしてくれる、と言われても。
「ちょっと待てよ。彼らが別れないのは僕のせいだって言うのか?」
『だっておまえが言ったんだよ。男同士のカップルなんか自然に冷めるのが当たり前だから、放っておいても大丈夫だって。全然大丈夫じゃないよ、なんとかしなさいよ』
「なんとかって」
 なんてあからさまな言いがかりだろう。手術前の医者の励ましの言葉を言質にとって裁判を起こす連中よりひどい。
 それでも、彼は中園の上司だ。上司に忠誠を尽くすのは警察官のさだめだ。

「じゃあ、僕がそっちで動けるように便宜を払って」
『それはできない。職務以外のことで人事を動かすわけにはいかない』
 相変わらず無茶苦茶な要求をするやつだ。
 現在、中園がいるのはロンドン。親友の憂いが存在するのは日本。互いの位置関係はそのままに、自分の憂いを払えと言う。

「小野田。僕は魔法使いじゃないんだよ?」
『おまえならどうにかできるだろ。調査報告書も何枚か、上がってる頃じゃないのか』
 まったく鋭いやつだ。ふたりにマークをつけていたことが、もうバレている。
 エージェントの手配をして、まだ1ヶ月ほどしか経っていない。しかも彼らはプロなのに。そのくらいでなければ、彼の役職は務まらないが。

「恐れ入りました。官房長のご慧眼、誠に素晴らしい」
 たっぷりと皮肉を含んだ口調で中園が言うと、小野田はいつものように無言で笑った。電話だから相手の顔は見えないが、中園には分かるのだ。
「お察しの通り、1回目の報告書が上がってきたところだ。報告書によると、彼らは冷めた関係になりつつある。放っておいても自然に別れるよ」

『本当かい? ぼくの眼には、そうは見えないけどなあ』
「おまえはこっちの方面は素人だから、彼らの実情が理解できないんだよ」
『でもさ、薪くんがとっても生き生きしてるんだよ。笑い顔も多くなったし、穏やかになったし。これって、恋人とうまく行ってる証拠じゃないのか』
「10年前の薪くんも、生き生きしてたよ。あの頃は、特定の恋人はいなかったはずだろ。恋人なんかいなくたって、友人と仕事で充分に満たされる。彼は昔からそういう子なんだろうよ」
『そうかなあ』
 調査報告書の中には、詳しい会話の記述もあった。職場でのものらしかったが、その中の薪のセリフは、ミスをした部下を必要以上に叱責する意地悪上司以外の何者でもなかった。
 どんなに公私混同をしない人間でも、意中の相手にはいくらか点が甘くなるものだ。ましてや恋人ともなれば、例え部下の手前厳しい言葉をぶつけたとしても、必ずフォローがあって然るべきだ。この報告書の記載が正しければ、フォローどころかトドメだ。青木くんとやらは、良く我慢している。

 時間の問題だろう、と中園は考えている。
 青木は若い。最初は年上の魅力にクラクラときても、やがて現実を知る。12歳も年上の男、趣味も合わないだろうし、セックスだって満たされないはずだ。年上の強みと言えば、大人の包容力と年長者ゆえの優しさだが、肝心の薪がこの調子では。青木の忍耐が切れるのも、そう遠くないだろう。
 
 中園は報告書に添付された2枚の写真のうち、1枚を取り上げて目の前にかざす。亜麻色の大きな瞳、意志の強そうなきりりとした眉。丸く幼げな頬とつややかに光るくちびる。10年前とまるで変わらない。
 この写真には驚いたが、中身は間違いなく38歳の男だ。肌の張りも身体の機能も、20代の青木が満足できるとは思えない。

 大丈夫だよ、と言いかけて、中園は報告書に記載された最後の一文を目に留めた。
『但し、これはあくまで観察可能な屋外における彼らの行動から推察される結果であり、密室の中の彼らの行動を視認したものではない』
 それからもう一度薪の写真を見て、諦めたように言った。

「おまえがそんなに心配なら、ちょっとだけ動いてみるよ」



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ジャンル : 小説・文学

折れない翼(17)

 ラストです。
 読んでくださったみなさま、ありがとうございました。




折れない翼(17)





 羽佐間が案内してくれた店は、K署に近い小料理屋で、刺身と日本酒が美味い店だった。さすが海を抱いた千葉県だ。刺身の鮮度は東京の比ではない。
「ほう。いけるようになったじゃねえか」
「羽佐間さんには敵わないです」
 何が昔ほど飲めるわけじゃない、だ。昔とちっとも変わってないじゃないか。
 羽佐間は相変わらずの酒豪だった。あの頃に比べたら酒宴の付き合いも増えた現在、自分もかなり飲めるほうになったと思っていたが、羽佐間の方が数段上だ。

「よし。じゃあ次は、カワイコちゃんのいる店に繰り出すか」
「す、すいません。一身上の理由で、羽佐間さんの好きなキャバクラはちょっと」
「なんだ。ユッコちゃんは、どっかの馬の骨に取られちまったんだろ?他に操を立てるような相手がいるのか」
 いる。
 しかも、ものすごくタチの悪い相手が。しかし、それはここでは言えない。

「実は警視監昇任の話があって。監査課にばれるとまずいんです」
 監査課に知れると拙いのは本当だが、薪が恐れているのはそこではない。薪の現在の恋人にバレたりしたら、ベッドの中でどんな目に遭わされるか。考えるだけで恐ろしい。
 こないだなんか、新しく第九に来た新人にMRIマウスの手ほどきをしてやっただけなのに、何を思ったのか朝までネチネチと……ワイシャツに口紅なんか付けて帰ったら、三日三晩やり倒されそうだ。

「ふーん。キャバクラくらい許せねえような了見の狭い相手なんざ、俺ならゴメンだが」
「すごくヤキモチ妬きなんですよ。僕がちょっとでも他の人間と、って、違いますよ! 監査の話をしてるんじゃないですか」
「ま、当人同士の問題だからな」
「違いますって!」
「薪。上に行きゃあ、嘘をつかなきゃならねえことも多くなるだろうから、教えといてやる。ウソ吐くときに、瞬きの数が多くなるんだよ、おめえは。ちょっと鋭いヤツにはすぐにバレるぞ」
「羽佐間さんが鋭すぎなんですよ……」

 その時、何度目かの着信が薪の胸ポケットを振るわせた。小池からだ。何か、新しい画が見つかったのかもしれない。
「薪だ。うん、じゃあ調べろ。前科者リストと照合するんだ」
『調べるって、全員ですか?』
「当たり前だろ。そこに共犯者が映り込んでるはずなんだから」
『だって500人は下らないですよ? 顔写真だけで照合するとなると、スキャンシステムを使っても、大変な作業で』
「なに寝言言ってんだ、バカヤロー! 1000人いようが2000人いようが、照合するんだ。さっさとやれ、今夜中にだ!!」
 ムリですよ~、という小池の泣き声が聞こえてくる。さすがに可哀想か。
 厳しくするばかりが指導ではない。アメとムチを上手く使わないと。
 よし。ここはひとつ、優しい声で激励してやろう。

「小池。おまえなら出来る。大丈夫だ、きっと見つかるから。おまえの実力なら、今夜中に報告書まで作れるんじゃないか?」
 突然聞こえた猫なで声に、電話口の相手が沈黙する。ここで、とどめだ。
「僕が帰ったときに出来上がってなかったら、どうなるか解ってるな?」
 がしゃん、と耳障りな音が聞こえた。小池が携帯を取り落としたのだ。
 真っ青になった部下の顔を想像して、薪はウキウキするような気持ちになる。小池を苛めるのは、けっこう楽しい。

『薪さん。あんまり意地悪しちゃダメですよ。小池さん、涙目になってましたよ』
「嬉し泣きだろ、きっと。やさしく励ましてやったから」
 小池の携帯電話から別の部下の声が聞こえてきて、薪は驚きつつも平然と答える。室長のお気に入りの部下に向かって、何とか取り成してくれ、と頼む小池の姿が目に浮かんだ。

『今夜は、そちらにお泊りになるんですか?』
「ああ」
 言いかけて、今日が金曜の夜だったことに気付く。明日は出張で大阪まで行かなくてはいけない。今週はもう、会えない。
「いや、帰る。遅くなるかもしれないけど、帰るから」
『わかりました。部屋でお待ちしてます』
「うん……」
 携帯電話に残る声の余韻を惜しむように、薪はフラップを閉じた。脳髄に木霊する、彼の声の甘さを感じる。多分今夜はどれだけ遅くなっても、青木は僕を待ってる。それからきっと、朝まで放してくれない。

「ヤキモチ妬きの恋人からか?」
 まずい。自然に口元が緩んでいたのを、羽佐間に見られただろうか。
 薪は咄嗟に室長の顔を取り繕った。
「違いますよ。部下です。捜査の進捗状況を連絡するように言ってあったんです」
「おまえの相手って、本当に自分の部下なのか。また、ヤバイ橋渡ってんなあ」
「違いますってば!」
 相変わらずひとの話を聞かない人だ。

「仕方ねえなあ、今日はここで引き上げるか。おまえも早く、帰りてえんだろ?」
「いえ。お付き合いしますよ」
「電話の相手が、部屋で待ってんだろ?」
「え!? なんで聞こえ……あっ」
 しまった。引っ掛かった。羽佐間お得意の誘導尋問だ。

 薪は白旗を掲げた。
 むかし、鈴木に思いを寄せていたことも、このひとには知られてしまっている。現在の薪の恋人が男だということも、第九の部下だということも、先刻の会話でわかってしまったのだろう。
 それでも、羽佐間の自分を見る目に変化はない。昔もそうだった。知られたらお終いだと思っていたのに、羽佐間との関係も捜一での薪の立場も、何も変わらなかった。
 羽佐間匡という男は、人間的にも捜査官としても、とても尊敬できる先輩だった。

 羽佐間の撤収命令に、薪は清算を済ませて店を出た。通りに向かって手を上げる。タイミングよく流れてきた一台のタクシーを停めて、羽佐間の身体を後部座席に乗せた。
「おめえは?」
「駅まで2,3分ですから。歩きます」
「そうか。じゃあ、ここでお別れだな」
「はい。羽佐間さん。色々ありがとうございました。今日は楽しかったです。また、一緒に飲みましょう」
「おうよ。今度はおまえのお気に入りの部下も、一緒にな」
「……はい」
 完全に、バレてる。

 薪の気まずそうな顔を見ながらニヤニヤと笑う、警察機構に一生を捧げた誇り高い男の退官を、薪は最敬礼で見送った。



―了―


(2010.8)



 冒頭にも書きましたが、このお話は、わんすけさんに捧げます。
 思ったよりも地味な話になってしまって、喜んでもらえたかどうか、かなーり不安なんですけど~(^^;
 すみません、感謝の気持ちだけでも受け取っていただけたらうれしいです。

 わんすけさん。
 今まで、たくさんの楽しい記事をありがとうございました。
 お腹痛くなるくらい、顔の筋肉が引き攣るくらい、いっぱいいっぱい、笑わせてもらいました。 

 これからも、コメント欄でお喋りしましょうね。
 よろしくお願いします。



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折れない翼(16)

折れない翼(16)






 情けなくも酔いつぶれた後輩を背負って、羽佐間は夜の歓楽街を歩いていた。最後の追い込みが効いたのだろう、何度揺すっても起きないから、仕方なく担いできたのだ。
 けばけばしいネオンが輝く通りで、キャバレーの呼び込みが声を張り上げ、看板娘が愛想を振りまいている、享楽的で猥雑な街並み。羽佐間の妻のような普通の女性には無縁の、汚らしささえ感じるであろうその場所を、しかし羽佐間はとても人間らしい空間だと認め、そこに生きる彼らを愛しいと思っている。
 
 羽佐間の背中で、後輩が「ううん」と唸り声を上げた。眼が覚めたらしいが、どうせ足に来て歩けまい。羽佐間はそのまま、薪を背負って駅への道を歩き続けた。
「薪坊。ちゃんとメシ食ってんのか? 店の女の子より軽いぜ」
「羽佐間さんの呼び出しがもう少し減ると、食事の時間も取れるんですけどね」
 背負ってもらっているくせに、口の減らないやつだ。
 羽佐間がそんなことを思っていると、薪は急に口調を改めて、羽佐間に礼を言った。

「羽佐間さん。さっきはありがとうございました」
「ああ?」
「立派な男だって言ってもらえて。嬉しかったです」
「なんだ、起きてやがったのか」
 狸寝入りだったのか。案外したたかなやつだ。
 そういえば、と羽佐間は薪が捜一に来たばかりの頃を思い出す。あの頃の薪は表情に乏しくて、人形みたいなやつだと思っていた。ポーカーフェイスも演技も、その場に応じて使えるやつなんだ。
 だた羽佐間の前では、特に職務以外では、もうそれは必要ないと、薪はそう思っているのだろう。

「おめえは見た目がそんなんだから、からかう連中も後を絶たねえだろうけどよ。気にするこたあねえ。言いたいやつには言わしときゃいい。それが男ってもんよ」
「いいえ、駄目です」
 捜一の中にも、薪の容姿を揶揄する輩はいる。軽い口調で言われるそれを、薪は全力で否定する。薪がむきになればなるほど相手はエスカレートして行くのだが、決して薪を蔑んでいるわけではない。むしろ親愛の情と言ったところだ。が、薪には我慢がならないらしい。

「僕のそんな噂を悲しむ人がいますから」
「オンナか?」
 お約束の言葉で冗談に紛らそうとして羽佐間は、背中に感じる薪の息苦しくなるような抑えた呼吸に、ここは逃げてはいけないところだと本能で察する。

「違うな。昔のオトコってとこか」
 あのクソのような週刊誌記事を読んだ後、薪が素の自分を曝け出した相手。一部始終を見ていた羽佐間には、薪の悪い噂を悲しむ人の正体が分かっていた。
「あいつか。背の高い、黒髪の……悪いな、立ち聞きと覗きは職業病でよ」
 薪は、羽佐間の言を否定しなかった。
 短い沈黙の後、控えめな声で、
「やっぱり羽佐間さんだったんですか。誰かの視線は感じてたんですけど……あの時は何かもう、どうでもよくなって」
 自嘲するように笑って一息つくと、羽佐間の背中に顔を埋めたまま、とつとつと語り始めた。

「彼を好きになったことを後悔するつもりはありません。でも、身体の関係は、持つべきじゃありませんでした」
 それは多分、ずっと昔のことなのだろう。少なくともこの一年、薪にそういう相手はいなかった。相手が男だろうと女だろうと、いれば分かる。好きな相手と一夜を過ごした翌日の人間の顔は、どこかしら満ち足りているものだ。

「同じように否定しても、身に覚えがあるのとないのでは、相手への伝わり方が違います。人の嘘を見抜くことに慣れている先輩方には、通用しないと分かっています」
「若いころのしょっぱい経験なんざ、誰にだってあらあな。若気の至りって言ってな」
「違います、そんな軽い気持ちで彼に抱かれたわけじゃない。先輩たちが言うような、いやらしい気持ちからでもありませんでした」
 静かな、でも強い口調で反駁されて、羽佐間は口を噤んだ。

「僕は真剣に彼を愛していて、彼のすべてが欲しかった。だから彼を抱きたかったんです。でもそれは僕の一方的な想いだったから。その気持ちを押し付けた上に、彼の身体まで傷つけるわけには行かなかった。だから受けるほうを選んだだけで、生まれつき男に抱かれるのが好きだったわけじゃありません」
 それは分かっていた。
 薪は基本的にはノーマルな男だ。羽佐間の知り合いにも何人か男しか愛せない男がいるが、薪と彼らは根本的に違う。薪は初心だが、女性の身体にはちゃんと興味を示す。同性愛者にはありえない反応だ。

「人に蔑まれるようなことをしたとは思ってません。それでも……彼とのことは、忘れなきゃいけないと思ってます」
「別にいいじゃねえか。何も忘れるこたあねえよ」
「彼とは今でも友だちなんです。おかしな噂が流れたら、彼にまで迷惑がかかる。それが辛いんです」
「かあ、見る目がねえなあ。それくれえのことでガタガタ抜かすような腑抜けなのか? おめえが惚れた男はよ」
 背中の後輩が、ハッと息を呑んだのがわかった。言葉を失くした後輩に、羽佐間はやさしく言った。
「おまえらは好き合ってねんごろになったんだろ。恥じることなんか、何にもねえよ」
 羽佐間はワイシャツの左の背に、温かい液体が染み込むのを感じた。ぎゅっと押し付けられた薪の顔が、微かに震えていた。





 数々の殊勲を立てて、羽佐間が新宿南署の強行犯課長として栄転になったのは、それから1年後のことだった。
 薪はそのとき25歳。何の障害もなく警視に昇任した薪は、羽佐間からの推薦と班全員の意向に副って羽佐間から班長を引き継ぎ、捜査一課第4班羽佐間班は、薪班へと名称を変えた。




*****


 うちの薪さんが男らしさに拘る理由って、結局これだったりして。
 鈴木さんに相応しくなりたいとか、迷惑掛けたくないとか、そんなことを考えて男らしくなろうと努力するうち、次第にそれがエスカレートして行って、現在のような暴力オヤジが出来上がったと☆
 薪さん、どんだけ鈴木さん好きなのよ?(笑)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

折れない翼(15)

 薪さんの身体に女性が触るのは許せない党の方々は、(いつの間にそんな派閥が?)
 こちらはご遠慮くださって。

 広いお心でお願いします。




折れない翼(15)





 犯人逮捕の祝杯を班の連中と空けた後、羽佐間は薪だけを二次会に誘い、強引にタクシーに乗せた。
「後輩が出来たからには、おめえも一人前だ。俺が一人前の男が行く店に連れて行ってやる」
 なんだか嫌な予感がして、薪はその場を逃げ出そうとしたが、羽佐間の太い腕に首を決められて、行くか死ぬかどちらか選べと言われたら、先輩の顔を立てるしかない。

 ほらここだ、と羽佐間に引き摺られて入ったところは薪の予想通り、露出度の多い服を纏った若い女性たちがひしめく、男にとっては楽園のような場所だった。

 薪は、こういう店は初めてだった。
 街で大胆な服装の女の子を見かければ自然に目がそちらに向くが、こういう店には興味がなかったし、大学時代に本当の恋を知ってからは、ますます縁遠くなってしまった。
 席についてお絞りで手を拭き、店の女の子が付いてくれるのを待つ間、薪は物珍しそうに店内を見渡した。いくつかの席に中年の男性がいて、その傍に女性がついて、他愛ないお喋りに興じている。思ったよりも明るい雰囲気で、たまに女性の胸や太腿を触っている客がいたが、それほど濃度の高いものではなく、これくらいならサークルの合コンでも見かけたな、と安心して薪はソファに背中を預けた。

「こんばんは~、羽佐間さん」
「よお」
 驚いたことに、羽佐間の周りには何人もの女の子が寄ってきて、にこやかに笑いかけてきた。羽佐間が女性にモテるとは、事実は小説よりも何とやらだ。
「こいつ、俺の後輩。こういう店は初めてだろうから、サービスしてやってくれ」
 余計なことを、と思いつつ、薪はぺこりと彼女たちに頭を下げる。こういう店から聞き及んだ情報が捜査の局面を開くことが多々ある、その事実を知っている身には、彼女たちに無愛想な態度もとれない。
と思ったのは束の間。

「なに、この子! かっわいい!」
「うっそ、男の子? きっれーい」
「こら、高校生がこんな店に来ちゃダメだぞ」
 口々に叫ばれるNGワードの連発に、薪は不愉快そうに眉をしかめた。

「あのですね、成人男性に向かってそういう言い方は、っ!?」
 一人が薪のネクタイを取り去ったかと思うと、何人もの女の手が伸びて、ワイシャツのボタンを外し始めた。きらびやかなネイルアートが薪の目の前で器用に動き、薪はあっという間に上半身をシャンデリアの光の下に晒す羽目になった。
「きゃあ。顔もきれいだけど、身体もきれい」

 なんだ、この店は!? キャバ嬢じゃなくて客が脱がされるのか!?

 剥ぎ取られたワイシャツで身を隠したい衝動に駆られて薪は、しかしそれをぐっと抑える。男なら、これくらいの事で恥ずかしがってちゃだめだ。捜一に入って1年半、それなりに筋肉もついている。羽佐間の前だし、ここは男の余裕を見せないと。
「まあ、特別なことをしなくても、職業柄自然に鍛えられるって言うか」
 本当は柔道も空手も、吐くほど訓練してきたんだけど。それを言わないのが男のカッコよさってもんだ。

「華奢な肩、かわいい~」
「ウエストほっそーい」
 こいつらには思いやりってもんがないのかっ! 気が付いても言わないでくれるのがやさしさってもんだろ!

「お肌しろーい、すっべすべ~~」
「きゃーん、可愛い乳首~。ピンク色で赤ちゃんみたい~、キスしちゃお」
「ちょっ、やめ……!!」
 遠慮の無い手にベルトを抜かれて、スラックスのボタンを外された。細い女の手とはいえ、何人もの力が合わさると、それはやはり大きなエネルギーを生み出すものだ。薪の体を簡単に持ち上げ、下着一枚のみっともない格好にして、ソファの上に容易く転がすほどの。

「きれいな足~、モデルみたい~~」
「スネ毛ないのね。ちゃんと脱毛してるんだ」
「内股なんかすべすべよお。ほらほら、触ってみて」
 両足を押さえつけられて、膝から上を何人もの手が這い回り―― なんだ、このセクハラ軍団はっ!

「何するんですかっ、止めてください!!」
 必死で叫ぶが、薪の抗議の声などどこ吹く風。
「コレも脱がしちゃえ~~!」
「きゃー、かわいいお尻~、プリップリしてる~!」
「わ―――――っっ!!!」
 男の余裕はどこへやら、薪はとうとう悲鳴を上げた。必死で下着を押さえて、羽佐間に助けを求める。

「助けて、助けてください、羽佐間さんっ!!」
「いいじゃねえか、見せてやれよ。減るもんじゃなし」
「イヤです、僕はみなさんのオモチャじゃな、きゃ――――っ!!!」
 文字通り身ぐるみ剥がされて、したたかなキャバ嬢集団にさんざんオモチャにされ、やっと解放されたときには、薪にはプライドのカケラも残っていなかった。

「もうやだ……女の人、こわい……」
 二度とこういう店には来たくない。こんな辱めを受けるくらいなら、キャバクラもスナックも知らなくていいっ!
「てめえがヘンに恥ずかしがるから、構われるんだよ。シャツ脱がされたくらいで、頬染めてちゃダメなんだよ」
「僕なりに頑張ったんですけど」
「まあ、おめえは正直だからな。思ってることが直ぐに顔にでる。でもなあ、薪坊。俺たちの職業には、心を表に出さない訓練ってのが必要なんだよ。俺たちを騙くらかして罪を逃れようとする連中の相手をするんだ、真っ向勝負ばかりじゃ通用しねえ。因果な商売だよ」
「……羽佐間さん、説得力ないんですけど」
 キャバ嬢の胸もみながら、ニヤけたツラで諭されても。

 ソファの陰でコソコソと服装を整えて、もうこのまま帰るまでここに隠れていたいと言う思いと、かつて経験したことのない恥をかいたことに対する羞恥でうずくまったまま立ち直れない薪の肩に、気安く女の手が置かれた。
「ほらほら、マキちゃん。飲んで飲んで」
「あ、僕、あんまりお酒強くなくて」
「や~~ん、どこまでかわいいのお? もう、あたしの妹にならない?」
「そうね。フリフリのドレスとか、似合いそう」
「ゴスロリとか。ね、姉妹ルックでアタシと歩きましょうよ」
「飲みますっ! 日本酒ガンガン持ってきてください!」
 ここで飲まないとまた女の子扱いされて、この人たちに掛かったら次は衣装まで取り替えられてしまうかもしれない。性根を据えて飲もうとして、しかし先刻の居酒屋でも飲んできた薪はすぐに酩酊状態に陥って、半時もしない間に隣に座った女の子の膝枕で健やかな寝息を立てていた。

「かわいい寝顔。天使みたい」
「それでいて、イロケもあるのよね。不思議」
「ねえ、この子ってさ。絶対にあっちの経験、あるよね」
「ミキもそう思った? 何となく分かるのよね~、こういう雰囲気って」
「まあ、この容姿なら仕方ないんじゃない?」
「この子も本当は、男の方が好きだったりして」
「ていうか、すっごく似合うんだけど、それ! 萌える!」
「あんた、腐女子だったの?」
 女の子たちの姦しいお喋りを止めたのは、気に入りのキャバ嬢の太腿に手を置いた羽佐間だった。

「失礼なこと、言うんじゃねえよ」
 やわらかい肉から手を離し、卓上のウイスキーのグラスを手に取る。ロックの氷がいい具合に溶けて、羽佐間の口中を心地よく刺激した。
「昔のことは知らねえよ。でも、今のこいつは立派な男だ。俺が保証してやらあ」
 羽佐間が目を細めて笑うと、女たちは素直に口を結んだ。
 タフでやさしくて、何よりも自分たちを蔑視しないこの男を、彼女たちは信用していた。その信用は、接客業の彼女たちに時として背信行為を行わせるほどに大きなものだった。

「で、そろそろ本題だけどよ。この店に出入りしてる坂本って男のことだが」
 眠ってしまった後輩の横で、胸ポケットから出した写真をテーブルに置き、羽佐間は事件の情報を収集し始めた。



*****


 一度書いてみたかった、女の子の集団に弄ばれる薪さん。
 あー、楽しかった☆


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ジャンル : 小説・文学

折れない翼(14)

折れない翼(14)





 闇に紛れるようにして道路端に停めてある車の助手席で、羽佐間は一軒のアパートを見張っていた。
「島田のやつ、本当に来ますかね」
 運転席に座った後輩が、ぽつりと溢した。無理もない、この張り込みは4日目だ。羽佐間自身、読み違えたかと自分の勘に疑いを持ってきている。標的の島田という男には情婦が2人いて、羽佐間はこちらに賭けた。
 
 羽佐間班に入ったばかりの新人がコンビニの袋を持って走ってきて、後部座席に素早く乗り込んだ。この新人は所轄上がりで、運転席の後輩よりも年は行ってるが、階級はずっと下だ。
「お待たせしました、どうぞ。羽佐間さん、薪さん」
 袋ごと差し出された張り込みのアイテムを受け取り、薪は自分の膝の上にそれを置く。視線は前方に据えたまま、適度な緊張を保っている。

「やっぱり向こうの女の方へ行ったんじゃないですか?」
 先輩の作戦にケチをつけつつ、生意気な後輩はコンビニ袋を探って中からアンパンと牛乳を取り出した。それを羽佐間のほうへ寄越すと、自分もパンの袋を破り、小さな口を大きく開いて、パンに齧りついた。
「話を聞く分にはよ、島田は絶対にこっちの女に惚れてると思ったんだが」
「いえ、僕が島田なら、あっちへ行きますね」
 小動物のように頬を膨らませてパンを食べながら、紙パックの牛乳にストローを差す。その姿に昔の彼を重ねて、羽佐間は感慨深いものを覚えた。

「どうしてそう思うよ?」
「だって、あっちの女のほうが胸が大きかったですから」
「……おめえ、時々すっげえバカなこと言うのな」
「えっ、どうしてですか? 女の子はまず胸でしょう?」
「なるほど、犯人に付き合っている女が二人いるときには、胸の大きな女のほうを張りこむと」
「吉井、メモは取らんでいい。てか、こいつのバカの証拠を残さんでくれ」
 捜一に入って2年、その若さで警視総監賞を二度も受賞した薪は、所轄の間ではちょっとしたヒーローになっていた。この吉井も、薪に憧れているクチだ。

 薪自身はそれを口にしたことは一度も無かったが、署内報に取り上げられた薪の記事には、彼が国家公務員Ⅰ種試験の首席合格者であること、東大の法学部を首席で卒業したことなどが経歴として記され、ならばこいつは本物の天才だったかと、捜一の仲間たちは改めて彼の飛びぬけた才能を思い知らされた。
 捜一は徹底した実力主義だ。犯人を挙げたものが偉いのだ。よって、捜一の人間で薪を誹謗するものは、今は誰もいない。

「薪。そいつあ何だ」
「何って、牛乳ですけど」
「俺の眼には妙に茶色く見えるが?」
「暗がりだからそう見えるんですよ」
「えっ? 自分は、薪さんにはちゃんとコーヒー牛乳を買って来ましたが」
 ギロッと冷たい眼で薪が後ろを振り向くと、吉井は慌てて口を閉ざした。口止めしてやがったな、この野郎。
「薪、おめえ」
 張り込みの退屈を紛らわすように、どうでもいい小ネタを仕掛ける。長時間の張り込みの間には、こんなことでもなければやってられない。

「何度言ったら分かるんだ? 張り込みには牛乳だって」
「だってキライなんですよ。紙パックの牛乳は特に臭くって」
「なるほど、薪警部は牛乳が苦手と」
「だからメモを取るなって。薪、そんなこっちゃいつまで経っても一人前になれねえぞ」
「刑事としての成長と牛乳に、何の因果関係があるんですか? そもそも牛乳は牛の乳なんだから、本来は牛が飲むものでしょう。僕だって人間の女性のものなら喜んで飲みますよ」
「なるほど、薪警部は巨乳好き、と」
「「メモを取るな! てか言ってない!!」」
 ふたりが一斉に後ろを向き、声を合わせたとき、吉井の目に人影が映った。

「来ました、島田です」
 そっとドアを開けて目的の人物に忍び寄り、猫背に歩くその男の前に羽佐間が回り込む。
「島田敦だな? 向井秀夫さんが殺害された事件について、ちょっと話を」
 羽佐間が威圧的な声を出すと、島田はパッと身を翻し、勢い良く駆け出した。後ろで待機していた薪が素早く足払いを食らわせ、現場の捕り物に慣れた吉井が「21時34分、公務執行妨害で逮捕」と罪状を言いながら手錠を掛ける。じたばたともがいていた島田は、手錠のガチャリという音を聞くと、急に静かになった。

「羽佐間さんの読みが当たりましたね」
「よく言うよ。おめえにだって分かってたろ」
「いいえ。僕だったら、絶対に彼女のところには来ません。一番好きなひとに罪を犯した自分を見られるのも、彼女を厄介ごとに巻き込むのも。僕だったら耐えられない」
「ま、おめえならそうかもしれねえな。だけどよ、世の中そんなに強い人間ばっかじゃねえからよ」
 滅多に言わない賛辞を相棒に投げてやると、薪はそれを喜ぶどころか、困惑した表情になって言った。

「僕は弱い人間ですよ。とても弱い人間なんです」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

折れない翼(13)

折れない翼(13)





「逢いたい」

 電話に出た相手を確かめもせず、自分の名前を名乗りもせず、唐突にそれだけ言って、薪は黙り込んだ。
 こんなことをしては駄目だ、と薪の中で警鐘を鳴らすのは、1年かけて培ってきた自立心。
 鈴木の親友に相応しい男になるために、ずっと努力してきたんじゃないのか。厳しい環境に身を置くことで強い精神力を養おうと思ったのは、彼に依存するのを止めて、一人の人間として対等に彼と付き合いたいと望んだからじゃないのか。

『いいよ。どこに行けばいい?』

 鈴木の声が聞こえて、薪の決心は脆くも崩れ去る。
 誰かに泣き言を言って慰めてもらおうなんて、男の考えることじゃない。かすかに聞こえた内なる声は、鈴木のやさしい声にかき消された。

 警視庁の裏庭で鈴木を待つ間、薪の中は相反する感情がせめぎ合っていた。
 鈴木に会いたい。彼にすべてを話して、慰めてもらいたい。だけど、それをしてしまったら、僕はまた鈴木に依存する駄目な男に戻ってしまう。
 後戻りしちゃいけない。ここが正念場だぞ、薪剛。
 呼び出した後で悪いけれど、鈴木には会わないで1課に戻ろう。捜査中の事件もあるし、気になっている未解決事件も―― そう思いながらも、薪の足は動かなかった。見えない楔で縫いとめられたように、約束の場所から離れることができなかった。

 執務時間中に職務を放棄しているという罪悪感からか、薪はふと、誰かに見られているような感覚に陥った。周りを見回すが、誰もいない。
 少し気になったが、鈴木が現れると同時に感覚は忘れ去られた。

 顔を見てしまったら、我慢できなかった。
 ここまで全速力で走ってきたらしい鈴木の紅潮した頬と弾んだ呼吸を感じれば、彼の胸に耳を当ててその事実を確かめずにはいられなかった。鈴木の顔を見た瞬間に亜麻色の瞳から溢れ出した感情の発露を隠すためにも、その行動は必要なことのように思えた。

 薪の両手は迷いもなく鈴木の背中を抱き、鈴木の大きな手は薪の背中と髪を撫でてくれた。
 鈴木の胸の温かさを肌で感じるのは、3年ぶりだった。

 あの頃とちっとも変わらない、広くて温かくて、僕を癒してくれる胸。限りなく甘えさせてくれて、我が儘を許してくれて、僕をどんどん弱くする。
 何があってもここへ逃げ込んでくればいい、ここにくれば僕は何度でも生まれ変わることができる、だけどそれは他の誰かのもの。
 でも思い切ることなんかできない、この気持ちを消すことはできない。

 彼とただの友だちに戻って一年、さらに一年。加えてこの一年は顔も見ないで過ごしたのに。想いは少しも変わらず、逢えなかった分だけ切なさを増して。
 放したくない、彼を放したくない。
 このままあの頃みたいに、僕を愛して欲しい。

 迸る涙と感情の渦に流されて、乱れた心がそれを求めたのは一瞬のことだったけれど。この一年の苦労は無駄だったと、薪に悟らせるのには充分だった。

 身体だけ離れても、何の効果もない。僕は今でも鈴木が好き。
 多分、永遠に彼が好き。




*****


 すずまき、さいこー。(あおまきすと??)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

折れない翼(12)

折れない翼(12)





 久し振りに見る友人の姿に、鈴木は驚きを隠せないでいる。
 見た目は全然変わらない。刑事という職業が果てしなく似合わない幼い顔。スレンダーでモデルのような体つき。警察官というよりはアイドルスターと言ったほうがしっくりくる。
 その彼が一心不乱に食べているのは男メシの代表、カツ丼。それをかき込むようにパクパクと。薪が丼ものを食べるだけでも似合わないのに、このがっつき方。まるで、肉体労働者の昼食風景のようだ。

「ちがう。こんなの薪じゃない」
「ん?」
 鈴木の呟きを耳にして、薪が丼に突っ込んでいた顔を上げる。お約束で、丸いほっぺたにご飯粒がついている。きょん、と丸くなった大きな瞳と合わせて、もうむちゃくちゃ可愛かった。
「いや。おまえってそんなによく食べるやつだっけ?」
 子供みたいにすべらかな頬に手を伸ばして、いやしんぼの証を取ってやる。自然に自分の口に運ぼうとした自分の手を、鈴木は理性で止める。さすがにここではまずいか。

 警察庁に隣接された科学警察研究所管理棟内の職員食堂。警視庁にも警察庁にも食堂はあるのだが、食べ比べの結果、研究所の食堂が一番美味かった。食事を人生の楽しみと考える鈴木は、いつもここまで足を運んでいるのだ。
「食べなきゃ持たないんだよ。現場は体力勝負なんだから」
 強く主張して大きく口を開け、カツを頬張る。こないだ雪子と食事をしたときにも、同じことを言われた気がする。本当にこのふたりは良く似ている。

「鈴木の方はどうなの? 順調に行ってる?」
「ああ、対外的な仕事はあまりないし。課内の人間関係さえ無難にこなせば」
 入庁から1年半、鈴木は所轄から警察庁に帰ってきた。配属先は生活安全局の地域課。内勤中の内勤だ。
 薪のいる警視庁とは隣同士だ。これから毎日、親友と会える。仕事中はともかく、昼休みやアフターは一緒に過ごせる、と鈴木は思っていたのだが。

「ふぐ、はひ!」
 口いっぱいに頬張った食べ物の処理に焦りつつ、薪は無粋に鳴りだした携帯電話を耳に付ける。「わかりました、すぐに行きます!」と言う元気な返事と共に席を立ち、鈴木のほうへ自分のトレイを差し出した。
「鈴木、これあげる。じゃねっ!」
 気前良く鈴木に食事のお裾分けをくれると、薪はカフェテリアを駆け出して行った。
「あげるって……ごはん粒しか残ってないんだけど」
 片付けといて、の間違いじゃないのか。

 外見以上に変わっていない親友の身勝手に呆れて、鈴木は笑う。
 鈴木の親友は多忙を極め、定刻に昼食が摂れるときなんて滅多にないのに、その数少ないチャンスですら、こうして突発事件に奪われていく。知らず知らず吐いてしまう、重いため息。

 こうして薪が現場に出て行くたびに、鈴木は心配でたまらなくなる。荒っぽい犯罪者に怪我をさせられやしないか、キャリア嫌いのノンキャリアの同僚に妬まれて苛められていないか。鈴木がいくら言っても、捜一から離れようとしない。薪の肌に合うとはとても思えない部署なのに、なぜ。

「ほんと、変わらないよな」
 薪は独特の思考形態を持っていて、鈴木は彼の考えが読めた試しがない。ただ、何をして欲しがっているかはよく分かった。薪の亜麻色の瞳は、自分の欲望にいつも忠実だった。その欲望がどうして生まれたのかという理由は分からなかったが。

 鈴木はじっと薪が走って行った方角を見やる。
 人ごみの中に紛れてとうに見えなくなった薪の背中を、黒い瞳がいつまでも追いかけていた。



*****


 只今戻りました、とお決まりの挨拶を口にして捜一のドアを潜ったとき、薪は違和感を感じた。
 何となく、遠巻きにされている感覚。自分の机に戻るまでに、普段なら何人かの同僚に声を掛けられるのに、今日は誰も薪の顔を見ようとしなかった。
 不思議に思いながらも席に戻り、事件の報告書をまとめ始める。事務仕事の苦手な羽佐間に代わって、書類を作成するのはもっぱら薪の仕事だ。

 現在捜査中の事件に90%、目先の報告書に5%の思考を向けて、薪はリズミカルにキーボードを叩く。その指はほんの僅かな淀みもなく、まるで熟練したタイピストのようだった。
 残りの5%で、薪は1課に漂う違和感の正体を突き止める。それは世良班の佐藤がこっそりと自分の背中に回した一冊の週刊誌だった。

 薪は作成した報告書を課長席に届けると、その足で世良班の机に向かった。薪が属する羽佐間班とは隣同士、何かと便宜を図ることも多い関係だが、今日の佐藤は頑なに薪の視線を拒んだ。そのくせ口はいつも通り軽く、薪を揶揄する態度も変わらなかった。
「何か御用ですか、姫」
「背中に隠したものを見せてください」
「別になんも隠してねえよ」
「じゃあいいです、売店に行きますから。10月5日発売の週刊××ですよね?」
 人ならざるもののように鋭すぎる薪の眼は、それを見逃してはくれなかった。観念した佐藤が、ため息混じりに薪に雑誌を手渡す。

 表紙に、覚えのある男の名前が書いてあった。薪が迷宮から引き出して、真実を白日の下に晒した事件の犯人の名前だ。
 これはとても古い事件だった。時効制度があった頃なら司法の裁きから逃れられるところまで、あと1年を残すだけとなっていた。何食わぬ顔で市井の人々に紛れて暮らしていた彼の過去を、薪は暴き立てた。それが薪の仕事だったからだ。
 
 彼の名前の隣には、『残された家族が一家心中』と書かれていた。

 週刊誌を開くと、そこには犯人側に同情的な文章が記載されていた。『苦しみ続けた20年、その果てに家族を襲った悲劇』という、まるで警察の非道を責めるような書き立て方だった。それは、時効制度の廃止によって生まれた悲劇を取り上げて読者の同情を惹こうという週刊誌側の戦略に過ぎなかったが。薪の行動によってひとつの家族が崩壊し、未来ある子供の命までも奪うことになったことは事実だった。
 それは罪ではない。ただそこにある、厳然たる事実だった。
「気にすんな、薪」
 黙って記事を読む薪に、世良がそっと声をかけた。
「おまえは間違ったことはやっちゃいねえよ」
「べつに。気にしてませんよ。僕は何も悪いことはしてませんから」
 ぱん、と本を閉じ、「くだらない」と捨てゼリフを残して、薪は部屋を出て行った。彼の背中はしゃっきりと伸びて、それを曇らせるものは何もないように見えた。

「かわいくねえな、あいつあ」
「そんなことないですよ。顔色も青かったし、声も震えてたじゃないですか」
 ぼそっと呟く世良を、部下の佐藤が嗜めるように言った。佐藤は薪のことを気に入っている。自分の部下の殆どがあの生意気なキャリアにほだされてしまっている事実を、班長として認めていいものかどうか。
「だからかわいくねえって言ってんだよ。坊のくせに強がりやがって」

 苦虫を潰したような顔で毒づく世良の視界の隅で、薪の指導員が席を立った。薪の後を追って部屋を出て行く。
 その姿を見て世良は、1年前の自分の選択を少しだけ後悔する。課長に、新人キャリアの指導員を羽佐間か世良のどちらかに担当して欲しい、と持ちかけられたとき、世良はその役目を羽佐間に押し付けた。あの時は、毎日キャリアの顔を見て過ごすなんざ冗談じゃない、と思ったのだったが、さて。

 捜一のエースの座を争うライバルの背中を眼で追いつつ、世良は薪が置いていった週刊誌を乱暴にゴミ箱に叩き込んだ。




 

テーマ : 二次創作:小説
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折れない翼(11)

折れない翼(11)






「薪坊! 藤堂が落ちたぞ!」
 吉報を持ってきた羽佐間に穏やかに微笑んで、薪はそれが当然のように頷いて見せた。
 入庁から1年が過ぎ、捜一の職務にも慣れ、本来の自信家の面が現れてきた後輩は、生意気さに拍車をかけると共に不思議な魅力を溢れさせていた。
「これで5つ目か? お宮から持ち出した事件は」
「そのうち『薪の前に迷宮なし』って言わせて見せますよ」
「抜かせ、この自信過剰の坊が!」
 怒鳴るように言って、羽佐間は薪の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた。
 他の人間がしたら反吐を吐きたくなるような高慢な態度が、何故だか許せる。最初の頃の澄ました優等生より、今の薪の方が羽佐間には数倍好ましい。

 未解決事件として葬られようとしていた事件を次々と解明し、その功績を認められた彼は、先日初めて班長職を任ぜられた。もちろん羽佐間がサポートに就くという条件の下であったが、入庁2年目の新人が班長を勤めるというのは異例のことだった。しかし、誰ひとりとしてその人事に異を唱えるものはいなかった。今の捜一に、彼の実力を認めないものはいなかった。
「おお、薪坊。またひと山当てたって?」
「よっ、捜査一課のシャーロックホームズ」
「やめろ。坊が図に乗る」
 他班の連中が囃し立てるのを抑え、羽佐間はニコニコと笑っている薪の横顔を見た。薪はどの班の人間にも請われれば自分の推理や知識を惜しみなく提供するから、他班との摩擦も減った。
 しかし、羽佐間以外の人間には、薪は軽口を叩かない。意外なくらい内向的で、心を許した人間以外には穏やかなポーカーフェイスを崩さない。向こうは薪と親しくなりたいようだが、薪は一定の距離を置きたがっているように見える。薪の真意がどこにあるのか、羽佐間には良く分からない。

「羽佐間。今日くらいは薪をお神輿に乗せてやれ」
 ワイワイと捜査に余裕のある連中が薪を囲んで騒いでいるのを咎めもせず、課長がこちらに歩いてきた。珍しいことに、いつも眉間に刻まれている縦皺が消えている。
「決まったぞ。警視総監賞」

 ぴたりと騒ぎが止み、次いでわっと歓声が上がった。
「僕にですか? どうして? だって僕は、実際に犯人を捕まえたわけじゃ、わ!」
 何本もの手が薪の身体に伸びた。男職場特有の荒っぽさで激励されあちこち小突かれ、もみくちゃにされて、でもそれは皆が彼の受賞を喜んでくれていることの証拠。普通は同僚が賞をもらったりすれば妬みが生まれて当然だが、薪の場合はそれはない。
 あまりにもレベルが違いすぎるのと、もうひとつ。
 彼らは、入庁したばかりの頃の薪の姿を知っている。平均より遥かに劣っていたはずの軟弱者の成長振りを見て、陰で行なわれたであろう彼の膨大な努力を察することのできない愚か者は、捜一にはいない。

 大きな手に次々と背中を叩かれて、薪は綺麗な顔をしかめていたが、その頬は紅潮し、大きな瞳はきらきらと輝いていた。



*****



『警視総監賞もらったんだって?』
「うん。今、同じ班の人たちがお祝いしてくれてる」
 行きつけの居酒屋で盛り上がる同僚たちの輪からこっそりと抜け出して、薪は鈴木からの電話に出た。歩きながら店の外に出る。秋口の宵は少し肌寒かったが、酔いの回った身体には心地よかった。
「だけど、あれは僕だけの手柄ってわけじゃないんだ。実際に捜査をしたのは捜一の先輩たちだし。僕は捜査資料を読んで、犯人の当たりをつけただけ。僕一人の力じゃ、何もできなかったよ」
『どうした、未来の警察庁長官が。えらくしおらしいじゃん』
 1年も前に言った自分の大言を返されて、薪は頬を赤らめる。あれは自分を鼓舞するための軽口だったのだが、きっと鈴木はそのことも知っている。

 鈴木には、薪の嘘は通用しない。強がりも泣き落としも効かない。薪が本当は何を望んでいるのか、幾重にも重ねた偽装工作をものともせず、鈴木は薪の本音をつかむ。

「鈴木のイジワル」
 拗ねた口調で薪が言うと、鈴木はクスクス笑って、
『でもさ、おまえの年で警視総監賞ってスゴイんじゃ?』
「1年以内に獲ろうと思ってたんだけど。予定を2ヶ月ほどオーバーしちゃったよ」
『あははっ、それでこそオレの薪だ』
 何気ない鈴木の言葉が、薪の胸を騒がせる。
 4年前にそのセリフを聞いたときは、ベッドの中で、彼は裸の僕を抱きしめていた……。
 キーワードに関連して脳内に甦った映像に、薪は慌ててかぶりを振った。こんなことをいつまでも考えてちゃダメだ、僕は鈴木の親友に相応しい男になるんだから。

『とにかく、おめでとう。オレも嬉しくてさ、所轄の連中に自慢しまくっちまった』
 受話器から聞こえてきた言葉に、亜麻色の瞳が大きく見開かれた。鈴木がそんなことをするとは思わなかった。自分のことを他人に話すなんて。
「本当に? 鈴木、僕のことを他人に自慢したのか?」
『あー、悪い。オレもちょっと舞い上がっちまって、つい』
「恥ずかしい奴だな。これから気をつけろよ」
 それだけ言って電話を切ると、薪は携帯のパネルをじっと見つめた。

 鈴木が、僕のことを他人に自慢した。僕が鈴木の自慢の種になった。

 うれしくてうれしくて、涙が出そうだった。やっと鈴木に相応しい人間になれた気がした。
 朗報をもたらしてくれた小さな通話機器に、薪はそっとキスをした。

「何やってんだ、主役がこんなところで」
 羽佐間に呼びかけられて、薪はびくっと背中を強張らせた。店の看板の陰に隠れて電話をしていたのに、本当に刑事というのは目敏い生き物だ。
「オンナか?」
「違います」
「嘘つけ、ニヤけた顔しやがって」
 
 本当に、刑事って生き物は。
 薪はぐっと顔を上げ、キッパリと言い切った。

「電話の相手は、僕の親友です」




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

折れない翼(10)

 こんにちは。

 新しい工事が決まりました。
 なんと、11月~3月までの夜間水道工事!! 1年で一番寒い時期の夜間工事! 
 がんばれ、オット! がんばれ、みんな!
 わたしは家でネットしてるからねっ!!(←非道)

 皆さん、今年は暖冬になるように祈っててください☆





折れない翼(10)





「どうだ、動いたか?」
「いえ」
 短く応えを返す後輩に、羽佐間はコンビニのビニール袋を手渡した。羽佐間の相棒は大きな瞳を前に向けたまま、ビニール袋を受け取り、中をゴソゴソと探った。
 羽佐間は助手席に乗り込むと、冷たい外気に痛みを覚えていた爪先を車のヒーターに当てて温め、ふう、と息をついた。もうすぐ年が変わろうかというこの季節、夜にはぐんと気温も下がって、路駐した車の中での張り込みも楽ではない。

「動くとしたら、真夜中だろうな。今のうち食っとけ」
 はい、と素直な返事が返ってきて、しかし後輩は一向に食べようとしない。見ると、牛乳パックを持った後輩の手が止まっている。
「どうした。食えよ」
「僕、牛乳キライで……」
「ああん!?」
「だって、臭いし」
「おおう!?」
「……いただきます」
 差し入れの食べ物にゴチャゴチャ言うなんざ、刑事のすることじゃない。こういうところはまだまだガキだ。

 ガガー、という雑音の後に無線で呼ばれて、羽佐間は送話器を手に取った。返事をすると、近くで強盗事件が発生したのでそちらの応援に1人回して欲しいとのことだった。
「おい、薪。おまえ行って、ってまだ食ってんのか?」
 何をやらせてもトロいやつだが、食うことまで遅いのか。羽佐間ならこんなもの、2分で完食だ。
 見れば、細い指が菓子パンを小さく千切っている。遅いわけだ。

「男のクセに、パンちぎってんじゃねえよ。かじれ」
「どんな食べ方しようと、僕の勝手じゃないですか」
「ったく、口だけはいっちょまえだな。ちゃんと見張ってろよ。ホシが動いたら、俺に連絡するんだぞ」
 多大な心配と共に未熟な後輩をそこに残して、羽佐間は強盗事件の現場付近のパトロールに向かった。
 
 張り込みをしていた場所から2キロほど離れて、路地の角を曲がったとき、鉢合わせた男の風体に羽佐間はピンと来た。無線の内容を思い返すまでもない、黒い帽子に黒いジャージ姿、夜だというのにサングラスをかけていればそれは絵に描いたような不審人物で、この状況で彼に声を掛けない刑事はいないだろう。
「この近くで強盗事件が発生しましてね。その鞄の中身、確認させてもらえますか?」
 相手の手を掴んでから手帳を出し、鞄を取り上げてから声を掛ける。少々順番が違うようだが、口より先に手が出てしまうのは江戸っ子のサガだ。何枚始末書を書こうとも、なかなか矯正できるものではない。
 鞄を取り上げられた時点で、男は逃げ出そうとした。その首根っこをがっちり掴み、羽佐間はその場に男を押さえつけた。足で男の身体を拘束し、鞄を開ける。中にはむき出しの紙幣がゴチャゴチャに入っていた。決まりだ。
「この鞄の中身の内容について、ちょっとお話を伺いたいんですがね?」
 そのとき、羽佐間の無線から後輩の声が聞こえた。

『羽佐間さん、中西が動きました』
 なんてタイミングの悪い。走っても10分は掛かる。
『ボストンバックを持ってます。身を隠すつもりかもしれません。聴取、行きますね』
「待て、薪。ひとりじゃ危ねえ。応援を呼べ」
『そんな余裕はないみたいです』
「おい、薪! 待っ」
 切りやがった。なんて勝手な野郎だ。

「あの野郎。道場で説教だ」
 羽佐間は男に手錠を嵌め、無線で強盗事件の容疑者を確保したと連絡を入れると、強盗犯を引き摺るようにして張り込みの場所に戻った。
 薪の姿はない。辺りを見回すが、どこにもいなかった。
「ちっ」
 強盗犯と駐車禁止の道路標識を手錠でつないで、羽佐間は手のかかる後輩を探しに出かけた。二人が張り込みをしていた中西には、連続殺人の容疑が掛かっている。こういう凶悪犯に対峙するときには、必ず二人以上で望むものだ。でないと。
 ――― こんなことになるからだ。

 羽佐間が横手の路地に二人を見つけた時、それは考えうる限りで最悪の状況だった。
 中西は左手に大きな鞄を持ち、右腕には羽佐間の後輩を抱えていた。薪の細い首にはナイフが突きつけられていた。
「何をやってんだ、このバカ」
「すみません」
「こいつの仲間か。逃走用の車と現金を用意しろ!」
 羽佐間を見て、中西が声を荒げる。

「だから待てって言っただろうが。なんで俺の言うこときかねえんだ」
「だって、逃げられちゃうと思って」
『車と現金だ、早く用意させろ!』
「それに、羽佐間さんの言いつけを守ったからこうなったんですよ」
「融通の利かねえやつだな。いいからさっさと片付けろ」
『おい、聞いてんのか?! くる』
 中西は、そこまでしか喋らせてもらえなかった。右足の甲に鋭い痛みが走り、呻いた瞬間世界が回っていた。気付いたときには綺麗な星空が見えたが、息も止まりそうな痛みが背中から襲ってきて、その美しさを楽しむ余裕は消え失せた。

 中西の手首に薪が手錠を掛けるのを横目で見ながら、羽佐間は呆れ返った口調で言った。
「いいんだよ。さっさと捕まえちまえば」
「だって、こないだこのパターンで始末書書かされたから」
「だからって人質になるこたねえだろうが」
「他にこの場に彼を引き止める方法を思いつかなかったんです」

 アパートから出てきた中西の前に廻りこみ、薪は高圧的に言った。
『中西だな? 諦めろ、おまえは既に包囲されている。あちらのビルには狙撃班も配置済だ』
 その言葉はもちろんブラフだった。連絡を入れる暇もなかったのだ。応援が来るわけがない。しかし、それによって容疑者が取るであろう態度は予想がついた。
 暗闇に紛れて見えないが、警官隊の包囲網を突破するのは至難の業だ。飛び道具でもあれば別かもしれないが、そんなものは持っていない。多勢に無勢だ、普通に逃げるのは不可能だ。そんな恐怖を味わい、次に自分にそれを告げた年若い刑事の外見を見て、犯人たちは一様に思う。
 こんな華奢で女みたいなやつ、簡単に押さえ込める。こいつを人質にして、逃走手段を確保すればいい。
 彼らの誤算はひとつ。見た目はひ弱そうに見えるこの青年が、鍛錬を積んだ警察官だということ。事実を知ったときには、その手に手錠が掛かっているという寸法だ。

 捜一に入って半年。薪はよく頑張っている。
 体力もついてきたし、柔道の腕も上がってきた。以前、自分で言っていたようにひ弱な外見を利用して犯人をおびき寄せ仕留める、という試みもまずまずの成功を収めている。まだ3割ほどは逃がしてしまうようだが、それでも新人には立派な数字だ。半年前は近年稀に見るほどのダメ新人だったのに、この成長振りは見事だ。
 何が彼をそんなに成長させたのだろうと羽佐間は考えて、しかし自分の指導力かと自惚れる気にはなれない。最初に一通りのセオリーは教えたが、指導と言えるような指導はしてこなかった。
 薪はひとに言われる前に自分で自分に必要なことを考え、それを得るために行動できる男だ。そして、普通だったら途中で放り出してしまいそうな、地道な努力を続けられる根性を持っている。諦めは、極めて悪い。

 中西と強盗犯を連行して署に戻ると、待ちかねた様子の世良が寄って来た。
「お疲れさまっす、薪坊借ります」
 羽佐間に一礼しつつ、薪の後ろ襟を掴む。そのままずるずると薪の身体を引き摺っていく。
「ちょっと世良さん。僕、これから中西の取調べが」
「面通しだけ。頼むわ」
 取調室に設置されたマジックミラーの裏側の部屋に薪を連れ込むと、世良は中を見るよう薪に促した。
 狭い部屋の中で世良の部下と向かい合っている容疑者の顔を見て、薪の瞳がきらりと輝く。強気な笑みを口元に浮かべて、世良の顔を見上げる生意気な後輩キャリアの憎らしいこと。

「ありがとうございます、世良さん。調べ直してくれたんですね」
 刑事らしからぬ幼い顔でにこっと微笑まれれば、今年8歳になる自分の娘にするように、抱き上げて頬を擦り付けたくなる。ったく、小憎らしいったらありゃしねえ。

 3ヶ月前まで強制的に資料室の整理をさせられていた薪は、現場に戻ってからも手の空いた時にその仕事を続け、ようやく最後の棚に行き着いた。そこには、迷宮入りを待つ未解決事件の資料が鎮座していた。それは捜査一課の、謂わば敗北の証だった。
 未解決の事件と知って、薪は貪るように資料を読んだ。かつての捜査本部の司令塔が諦めざるを得なかった事件、あるいは犯人の目星さえつかずに時間切れとなった事件。どれもこれも難解で、資料からは捜査が行き詰まる様子が読み取れた。
 しかし薪の眼には、その捜査は穴だらけに見えた。
 もっと調べるべきことが山のようにあると薪は思い、それを課長に進言した。
『犯人はおそらく被害者の甥です。調べ直してください』

 それを聞いた1課の刑事たちは、反乱軍の兵士たちのように怒号した。自分たちが汗水たらして捜査を続け、悔し涙と共に諦めざるを得なかった事件。その資料を読んだだけの新人にそんなことを言われたら、吼えずにいられないだろう。
 薪に詰め寄って彼の細い首を締め上げようとした十数人の捜査員たちを制止したのは、薪の指導員の羽佐間と、薪とは敵対していたはずの捜一のエース、世良義之だった。
『おまえ、ここに何人敵を作れば気が済むんだ』
 後ろ襟を掴んで、薪の身体を猫の子のように持ち上げ、世良はククッと笑った。
 未熟で口ばかり、頭でっかちではねっかえりの小僧。だが、そのポテンシャルは恐ろしいものがある。今はただの新入りだが、将来は大化けするかもしれない。

「課長に許可をもらえなかったから、諦めてました」
「例の借りを返そうと思ってよ」
 3月ほど前、薪の人間離れした記憶力のおかげで、世良班は難航していた事件を解決することができた。世良が言っているのはその件だ。
「貸しだなんて思ってません。それに、2回もお酒をごちそうになりましたし」
「酒ぐらいで消えるほど、小さな借りじゃあるめえよ」
 もちろん、それだけで課長の命に背いたわけではない。事件当初、世良もこの男に何かしら感じるものがあったのだ。しかし、彼のアリバイは確かなものだった。それを薪は捜査資料を読み返しただけで、彼の不在証明のわずかな矛盾点を見つけ出した。

「そう思っていただけるのは光栄ですけど、僕自身は何もしてませんよ。ただ、頭の中から記憶を引き出しただけです。だから、世良さんがそんな風に思われるのは的外れかと」
「相変わらずかわいくないね、おまえは」
「二十歳過ぎた男がかわいかったら、気持ち悪いでしょ」
「黙ってりゃ姫なのにな」
「なんか言いました?」
「いんや、べつに」
 自分より10歳も年下の、外見は20歳くらい若い後輩と軽口の応酬を楽しみながら、世良は薪が、あの当時の自分が崩せなかった犯人のアリバイをものの見事に看破した時の彼の顔を思い出す。その時も彼は、自慢もせず得意にもならず、どうしてこんなことに気付かないのか不思議でたまらないと言った表情をしていた。

『彼のアリバイを証明しているのは、自宅近くのコンビニの防犯カメラ。彼はここのコンビニで二時間近く立ち読みしてたってことになってますけど。
 この夜、この地域は事故のため、ほんの5分ばかりだが停電してる。店の自家発電に切り替わる間の1分間、暗闇のショットが防犯カメラのどこにもない。
 つまり、防犯カメラの映像は偽装工作』
 防犯カメラの映像で早々と容疑者から外れた彼は、当時の捜査網から見事に逃げおおせた。第一級の証拠品であるカメラ画像の真偽を疑うものはいなかった。
「意外と簡単にできるんですよ、PC接続型の防犯カメラの偽造って。店内の風景なんかそんなに変わるもんじゃないですからね。日付だけ操作してやればいいんです。もちろん、店員の中に協力者がいないと不可能ですけど」
「なんで別の日に写されたものだって気が付いたんだ?」
「僕が購読してる雑誌が写ってたんです。その雑誌の発売日は木曜日。事件当夜には、まだ店頭に並んでいないはずです」
「……カメラか、おまえの目は」
「僕は普通です。みなさんが節穴なんですよ」
「かー、絞め殺してやりてえ、このクソガキが」
 たまに羽佐間がするのを真似して、世良は薪の頭をくしゃくしゃと掻き回した。さらさらとした頭髪が指に心地よく絡む。

「おまえの愛読書って何よ?」
 キャリアの読むような本を自分が知っているとも思えなかったが、話の流れというやつだ。どうせ小難しい専門誌に違いない。それも世良が苦手なITなんとかとか、PCうんたらとか、横文字の。
「『ターザン』です」
 顔に似合わない雑誌名に、世良は思わず噴き出した。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

折れない翼(9)

折れない翼(9)





「薪坊、喜べ! 狩谷が自白ったぞ!」
 ばん! と資料室のドアを開けて、世良が飛び込んできた。
 反射的に、椅子の上で飛び上がろうとする身体を理性で押さえる。ただでさえ、なよっちいとかオカマくさい、とか陰で言われているのだ。自分は肝の据わった立派な男だ、というところを見せなければ。

「あの写真見せたら見る見る顔色が変わってよ、警察にはこういう写真が他にもあるってカマかけたら観念して……なんだ、嬉しくねえのか」
 キーボードを打つ手を止めて、世良の顔を見上げる。犯人が捕まったのは喜ばしいことだが、なぜそれをわざわざ言いに来たのだろう。自慢か、嫌味か?現場に出られない自分を嘲笑いに来たのか。
 1ヶ月前なら、そんなふうに考えていたかもしれないが。羽佐間が自分の鍛錬に力を貸してくれるようになった今では、自分はここにたった一人ではないのだと思えて、世良は単純に喜びを分かち合いたいと思って来たのだ、と自分を納得させることができる。
 ただひとつ、納得がいかないのは。

「いえ、事件が解決したのは喜ばしいことですけど。『坊』って、なんですか」
「知らねえのか? 小さい男の子のことを坊って」
「それは知ってます。僕が聞いてるのは、なんで僕がそんな子供みたいな呼び方されなきゃならないのかって」
「羽佐間さんがおまえのこと、そう呼んでるみてえだから」
 ……今日の訓練では、絶対に1本返してやる。この際、目潰しでも金的でも。
「うちの連中は姫って言ってるが。あっちの方がよかったか?」
 ……買出し当番のときに、世良班の弁当に下剤混ぜ込んでやる。
 姫ってなんだ、どういう意味だ、と考えるまでもない。完全にバカにされてる。くっそ、今に見てろよ、刑事は顔じゃない、と思うが、刑事に必要とされる体力も武術もまだ物にしていない。実力が伴っていればもっと強く言い返せるが、鍛錬はまだ始まったばかり。今の薪には、その不名誉な渾名を甘んじて受け入れることしかできなかった。

「今日は打ち上げだ。おまえも来いよ」
「どうして僕が」
「何言ってんだ。今回の功労賞はおまえじゃねえか」
「は? 僕は資料の整理をしてただけですよ? 犯人に手錠を掛けたのは、世良さんの班のひとでしょう」
「おまえがあの写真を見つけなかったら、もっと長引いてた。それは間違いねえ」
 驚いた。世良にこんなことを言ってもらえるとは思っていなかった。

「これは、おまえの手柄だ」
「……ありがとうございます。でも、今日は羽佐間さんと先約があって」
 約束しているのも本当だが、正直、反りの合わない世良班の連中とは飲みたくない。薪はあまりアルコールに強くないし、これ以上弱味を握られたくない。
 相手も社交辞令だったのだろう、無理強いはされなかった。じゃあ今度奢るから、と果たすつもりのない約束をして、部屋を出て行く。薪がPC画面に目を戻すと、世良は戸口のところで何かに気付いたように振り返って、
「そうだ。おまえのこと、現場に戻してもらえるように課長に頼んでおくからな」
 と、意外なことを言った。
「お気持ちは嬉しいですが。課長には、羽佐間さんが掛け合ってくれてますから」
 薪の指導員は羽佐間だ。薪の身の振り方のことで、世良に世話になる義理はない。
「あー、悪りい。おまえを資料室に閉じ込めろって課長に進言したの、俺なんだ。だから」
 決まり悪そうに頭を掻き、世良はその事実を告白した。世良は捜査一課のエースだ。発言力も強いし、同僚への影響力も大きい。課長も頷かざるを得なかった、というわけか。

「そうだ、これ使え。けっこう効くぞ」
 ひゅっと投げつけられたものを咄嗟には受け取れず、右の手のひらで弾くように止める。薪の手にぶつかったそれはキーボードを直撃し、PC画面の書類のレイアウトがピカソの絵のように崩れた。
 眉をひそめながら投げつけられたものを確認すると、筋肉痛用の塗り薬。キャップを外すと円形のスポンジが付いていて、薬液が染み出してくるタイプのものだ。
「僕が筋肉痛だって、よく分かったな」
 閉じられた資料室のドアに向かって、薪は呟くように言った。

 さすが刑事。みんな鋭い。階級は薪の下でも、実力は遥か上だ。
 その実力者が、自分を褒めてくれた。今回の白星は、自分の手柄だと言ってくれた。

 筒状の鎮痛薬を握り締めて、薪は世良の言葉を反芻し、踊りだしたくなるような気持ちになった。浮かれ気分の急くがまま、携帯電話を取り出す。
「鈴木? 今、大丈夫?」
『うん。どうした?』
「あのね、今日、先輩にお礼を言われた。僕が資料室で見つけた写真が、犯人逮捕の決め手になって」
 そこまで言いかけて、薪は鈴木に自分の現状を話していなかったことに気付いた。勇んで1課に来たものの、現場から外されて毎日資料の整理をしている、なんて言えなかった。恥ずかしかったし、鈴木に心配を掛けるのも嫌だった。

「えっと、とにかく、僕の手柄だって先輩に言われて」
 そこで薪は、また口ごもる。
 実際には、何の褒章を得たわけでもない。先輩にちょっと褒めてもらっただけだ。行く行くは警察庁のトップに立つ、なんて大言壮語を吐いていた人間が、それだけのことで電話をしてきたら訝しく思われるだろう。
 結局、薪は黙り込んだ。今まで鈴木に吐いてきた様々なウソを思い出すと、これ以上言葉を重ねることはやぶへびになる。

『よかったな、薪。初手柄、おめでと』
 素直な賞賛の言葉を聞いたとき、ああ、やっぱり鈴木だ、と薪は思った。
 鈴木は僕のことを、誰よりも理解してくれる。
 何を言っても、どんなことをしても、僕の本当の気持ちを分かってくれる。

 どきん、と薪の心臓が高鳴った。
 やっぱり、今でも僕は鈴木のことが……。

「ありがとう」
 切なさと嬉しさで一杯になりながら、薪は携帯を閉じた。




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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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