天国と地獄5 (1)

 こんにちは。

 天国と地獄シリーズも、ターニングポイントを迎えました。
 こっちのあおまきさんも最終的には恋人同士になるのでね、そろそろこういう話題も必要かなって。 
 でも、大人な内容、というよりか、オヤジな内容?
 仕方ないじゃん、男爵だもん。(笑)





天国と地獄5 (1)





「青木。いいもん見せてやろうか」
 薄いCDケースを人差し指と中指の間に挟んで、薪は意味ありげに青木を見た。下方からの目線、しかし見下されていると感じるのは、その目つきの悪さのせいか。
 なんですか?と応じると、薪はケースを青木に差し出し、デッキにセットするよう促した。DVDの裏面は真っ白で、ラベルも文字もない。
 それでも上司の命令だ。別に違法なものではないだろうと判断して、テレビの下に据え付けれたデッキにメディアを挿入する。

「うわっ!?」
 屈んだ姿勢のまま、何気なく画面を見ていた青木の身体が仰け反って、大きな身体が後方に引かれた。咄嗟についた両手も間に合わず、青木はその場に尻もちをついた。
「なんなんですか、これ!」

 42インチの液晶画面に映し出されたのは、大人しか見てはいけないヒメゴトの画。それもモザイクなしの無修正ものだ。
「見るの初めてか?」
「そうじゃないですけど……これ、違法ビデオですよね。どこからこんなもの」
「脇田課長が貸してくれたんだ。僕好みの娘が出てるからって」
 なんて不愉快なことをしてくれるんだ、あの鬼瓦は。巨大ハンマーで粉々にして、ガレキの塊にしてやりたい気分だ。

「本当だ、むっちゃ僕好みだ。やっぱり女の子はちょっとくらいぽっちゃりしてた方が……青木?」
 興味津々の顔つきで身を乗り出してくる上司の姿に、青木は思わず涙ぐむ。いくら外見がきれいでも、中身は普通の男。正常な男なら、これが当たり前の反応だ。なのに、その様子を見てると涙が出てくるのは何故だろう。
「感激して泣いてるのか?」
 ストーリー皆無のエロビデオの何処に感動の涙を流せと!?
「たしかに、この胸は感涙ものかもしれないな」
 ああ、涙が止まらない……。
「はあ、可愛いなあ。特にこの、太ももとお尻のむっちり感が」
 エロオヤジ全開の薪の発言が、青木の精神を蝕んでいく。どうしてこのひとは、顔と中身のギャップがこんなに激しいんだっ!

 キレそうな勢いで頭を巡らせた青木は、幼い美貌が微笑んでいる様子にたちまち骨抜きになる。
 青木の隣に正座して画面を凝視しているその横顔は、テレビのスピーカーから妖しげな音が響くこんな状況にあってもやっぱり可愛くて。どんな理由からでも、彼が笑ってくれることは嬉しい。仕事中は常に厳しく吊り上げられた彼の眉に、これほどやさしいカーブを描かせてくれるなら、画面の中の彼女をご苦労さまと労いたいくらいだ。彼の笑顔が増えるなら、それでいいじゃないか。
 
 と、天使のような考えを持てたのはほんの数分。
 可愛らしい顔でとんでもないものを見ていた薪は、ビデオが進むにつれ、次第にソワソワしだした。これは、多分あれだ。男特有の現象が起こりかけているのだ。
 薪はちらっと青木の方を見て、青木が平然としているのに眉を顰め、少し頬を染めて前を向いた。
 昔の青木だったら彼と同じことになっていたと思うが、薪に恋をした今では、画面の向こうの女性を一夜限りの恋人にする気は全然起きない。メリハリのきいた彼女のボディも、正直、肉の塊にしか見えない。
 
 画面に視線を戻した薪は、緩んでいた口元を引き締め、MRIでも見るような表情を取り繕った。年下の青木が平静を保っているのに、自分が興奮しているのがプライドに障ったのかもしれない。面倒なひとだ。
 しかし、薪が抑えようとしているのは謂わば生理現象。仕事の時ならともかく、オフタイムの彼に御しきれるはずがない。仕事モードの薪は人間の5大感性まで見事に押さえ込んで見せるが、プライベートモードの彼は基本のポーカーフェイスすら危ういのだ。

「……どちらへ?」
 黙って席を立った薪に、青木はやっかみ半分に問いかける。訊くのは野暮だと分かっていても、知らないふりはできなかった。

 だって、くやしい。
 当たり前だけど、薪は自分の裸体を見ても興奮してくれない。女の子の身体を持っているというだけで、実際に触れもしない映像だけで彼をこんな気分にすることができる彼女たちが、めちゃめちゃ羨ましい。
 もしも自分が女の子だったら、少しは可能性があっただろうか。器量よしでなくともいい、女性でありさえすれば、女の武器は備わっているはず。少なくとも『あなたが好きです』という言葉の意味は、正しく捉えてもらえたはずだ。
 ……真面目に性転換しちゃおうかな……。

「ちょっと、その」
 青木に呼び止められた薪は、その場に立ち尽くした。頬を赤くして、右手で口元を覆っている。恥じらいの理由はエロビデオによる男の事情という身も蓋も無いものなのに、なんでこんなにかわいいんだ、これは詐欺じゃないのか。
 パーカーの裾を引っ張って、ズボンの前を隠している。隠さなければいけない状況になっていると白状しているようなものだ。

 薪のその状態が自然に頭に浮かんで、途端に青木の下腹部は熱を持つ。
 夢の中で想像の中で、幾度も繰り返された薪の痴態。自分の下になって悶える夢の恋人と現実の薪が、ほんの少しだけ重なった。

「すぐ戻るから」
「薪さん、待ってください」
 くるりと翻った細い背中を、青木はもう一度呼び止めた。肩越しに顔だけ振り向いた薪に、恐々と申し出る。
「あの、良かったら……お手伝いしましょうか」

 言葉にした直後、青木は後悔した。薪の顔がひどく歪んだからだ。
「手伝うって、どういう意味だ?」
 プライベートのときにはついぞ聞いたことのない、冷たい声音。嫌悪感でいっぱいの表情。あまりにも明確な拒絶に、青木は声も出せなかった。

 気まずい沈黙が下りて、青木は俯いた。膝の上に置いた自分の手をじっと見る。女優のはしたない声が、空々しく響いている。
 薪はリモコンでビデオを止めると、スタスタと歩いてビデオデッキからDVDを取り出した。元通りケースに入れると、それを青木の前に置き、
「これ、貸してやるから。今日は帰れ」
 固く強張った背中で、薪は書斎に入ってしまった。追いかけて謝らなければ、と思ったが身体が動かなかった。
 どうしていいか分からず、狼狽えるばかりの青木の頭の中で、薪の冷たい亜麻色の瞳が悲しげに伏せられた。




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天国と地獄4 (4)

 こんにちはっ!!

 数日前から過去作品に拍手くださってる方々、ありがとうございますっ。
 毎日たくさんポチポチしてくださって、とってもうれしいです!

 お礼と同時に申し上げたいのは、
 こんなものを一気読みされてしまってご気分を悪くされてないかと……。
 大丈夫ですかー! 精神崩壊してないですかー! 貝沼脳になってませんかー!? (←読んでくださった方の精神的苦痛を慮らなきゃいけないようなものを、どうして書くかな)



 さてさて、お話の方は、
 この章でおしまいです。 
(えっ、こんな半端で? って声が聞こえる)

 ここまでお読みくださって……すみませんでしたっ。(>_<;)






天国と地獄4 (4)




 薪が携帯電話の画面に向かって微笑する、それはとても珍しい光景だった。
 仕上がった報告書を提出するために室長室を訪れた青木は、その様子を見た瞬間、薪のメールの相手を悟って暗鬱な気持ちになった。薪の笑みは、先週の日曜日、昔の恋人と運命的な再会を果たした彼が、彼女と楽しげに話をしていたときと酷似していた。

 青木が報告書を薪の机に置いて、黙って出て行こうとすると、澄んだアルトの声が青木を呼び止めた。早くも訂正箇所が、と冷や汗混じりに振り返ると、薪は携帯電話を持ったまま、
「日曜日、ネズミーシーに行くから6時に起きろ」
 え、と頓狂な声を発して固まって、青木は眼を瞠る。
「ちょっと早いけど、7時くらいの電車に乗って行った方がいいって岡部が」
 薪が何事か言っていたけれど、疑問符が渦を巻いている青木の頭には入ってこなくて、さもあらん、青木のキャパシティは自分の疑問を解決することだけでとっくに振り切れている。
 幸せそうに微笑んでメールを確認して、それは彼女と連絡が取れたからではないのか。なのに、どうして自分を誘ってくるのだろう。

「どうして?」
「車で行ったら、ビールが飲めないだろ?」
 いや、交通手段じゃなくて。
「どうしてオレなんですか?」
 携帯電話の画面を見つめていた薪の眼は、デート前の男の眼だ。青木にはわかる、薪に会う前夜、鏡の中の自分はいつもそんな表情をしている。傍から見たら危ない人に思われると分かっていても、抑え切れない口角の緩み。相手に会うのが楽しみで楽しみで、自然に頬が緩んでしまう。
 そんな表情をしておいて、どうしてオレ?

 もしかしたら、と青木は何百回目かの期待を胸に抱く。
 運命のように再会した彼女よりも、薪は自分を選んでくれた? 彼女と過ごした美しい日々よりも、今現在自分の心を占めているのは目の前にいるおまえだと、そう言ってくれるのだろうか?

「1ヶ月に数日しかない貴重な休日に暇を持て余している人間の心当たりが、おまえ以外なかった」
 ……期待したオレがバカでした。
「オレだって別に、暇を持て余してるわけじゃ」
「見栄を張るな。ヒマなんだろ? だから休みのたび、僕を誘って来るんだろ?」
「ヒマだから誘ってるんじゃありませんよっ!」
 青木が滅多に出さない大声を出したものだから、薪はとても驚いたようだったが、それをフォローする余裕は青木にはなかった。

 だって、と青木は心の中で我が侭な子供にように主張する。
 同期の飲み会どころか同窓会までキャンセルして、薪に休暇を合わせているのに。薪と同じ日に休暇を取るために、これまで青木が何回曽我と小池の残業を肩代わりしたか、数え切れないくらいなのに。
 そんな影の努力を知って欲しいなんて思わないけれど、でもだからって『ヒマ』の一言で片付けられるのは我慢できない。

 大きな声で全力否定する青木を、薪は不思議そうに見た。それから右手を口元に持っていき、長い睫毛を伏せる。それは薪が考え事をするときのポーズ。
 薪にとって、青木の言動は不可解なのだろう。一言言えば尻尾を振って付いてきたはずの部下が突然それを渋ったりしたら、面食らって当然だ。

「なんでオレなんですか?」
 彼女と行けばいいじゃないですか、と言いたいのをぐっと堪えて、青木は静かに訊いた。彼女の都合がつかなかったとか、どうせそういうことだろうと思った。薪がそう言ったら、身代わりはごめんです、と言い返してやろうと思っていた。
 でも。
 さらりと左に流れる前髪の下、寄せられた眉の更に下、青木の大好きな亜麻色の瞳に宿った微かな翳りを見て、青木は自分のとんでもない思い上がりに気付いた。
 
 薪の憂いを、今、正に自分が作っている。それは許されないことだ。

 ここはひとつ、薪の気持ちになって考えよう。薪は青木の気持ちを知らないのだ。正確には、何度告っても理解してもらえない、というのが正しい状況だが、それは置いといて。
 仲が良いと思っていた友人に誘いを掛けたら、手ひどく断られた。どうしてだろう、何か彼を怒らせるようなことを自分はしたかな、などとしなくてもいい自省を薪にさせている。その原因が自分にあるなんて、青木的に、ありえないことベスト3に入る失態だ。

 結論を出すより早く、青木は執務机に駆け寄っていた。きちんと積み上げられたレターファイルの左脇に手を付いて、
「すみません、薪さん。よろこんでお供しま」
「おまえと一緒にいると楽しい」

 せっかくの改心を遮られて、でも青木とってそれは福音。
 福音の発信者をまじまじと凝視すれば、彼はひとさし指を唇に当てたまま、軽く首を振った。
「て、それじゃおまえの休日を奪う正当な理由にならないよな。待ってろ、今ちゃんとした理由を考えるから」
 今度は腕を組んで背もたれにもたれ、苦手な牛乳を前にしたときのように唇を尖らせ、でも結局、さっきと同じように首を振った。
「ダメだ、思いつかない。明日まで待ってくれれば、きちんとした事由書を800字以内にまとめて」
「あのっ!」
 相手の言葉を遮ったのは、今度は青木の方だった。

「オレ、薪さんが好きです。すごくすごく、好きなんです」
 それは何十回目かの告白で、あらかじめ用意されたものではないから花束も豪華なディナーもなくて、第一、室長室なんかで告ったってこのひとには絶対に伝わらないという確信があったけれど、青木は言わずにいられなかった。
 そして薪は青木の予想通り、ホッとしたように微笑んで、
「じゃあ、これ頼む」
 さらさらとペンを走らせて、メモ用紙をピッと切り取る。細い指に挟まれた紙片には、食材の名称がずらりと並んでいた。

「そこにあるもの、買ってきてくれ」
「尾頭付きの鯛? 何かお祝いですか?」
「岡部からメールで、今日の定例会は鯛めしが食べたいって。酒は、岡部が出張先で地酒を調達したそうだ。僕は先に帰って、土鍋を探さなきゃならないから」
「土鍋?」
「鯛めしは、土鍋で炊いたほうが美味いんだ。でも土鍋なんか滅多に使わないから、クローゼットの中をひっくり返さないと」

 さっきのメールは岡部からだったのか。
 薪が上機嫌だったのは、岡部の出張が思ったより早く引けて、薪の好きな日本酒を土産に買ってきてくれることが分かったから。そんなことだったのか。
 それを、デートを楽しみにしている男の表情だ、なんて。自分の眼も当てにならない。

「福引きのお礼だからな。雛子さんの分も作って、土産に持たせてやらないと」
「雛子さんて、誰ですか? 福引きって?」
「おまえには関係ない。さっさと買い物してこい」
 しっしっ、と犬でも払うような調子で追い出された青木の、大きな背中がドアの向こうに消えてから、薪はもう一度携帯電話を開く。そこには岡部から、副室長としての連絡事項と、友人としての短い手紙が記されている。

『チケットが届きましたので、今日の定例会でお渡しします』

 くふっと笑って携帯を閉じ、薪は執務机を片付け始めた。



(おしまい)



(2011.4)



 きゃー、お見苦しいものをすみませんでしたー!
 もう、どんだけつっかえながら書いたんだ、てカンジですね。(^^;
 あまりにも書けないものだから、強制終了させたなってのがありありと分かって。 
 次の話は去年の7月に書いたものなので、もうちょっとマシだと……あ、あれ? あんまり変わらないかも? 
 それもなんだかなあ。(笑)



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天国と地獄4 (3)

天国と地獄4 (3)




 グラスの氷がもう一度音を立てて、が、今度は青木は動かなかった。
 うつ伏せたままの後輩の大きな背中を軽く叩き、岡部はため息混じりに彼を慰める。
「まだそうと決まったわけじゃないだろう。だいたい、俺のカンでは薪さんは」
 思わず口から出かかった言葉を、岡部は飲み込んだ。青木は真剣なのだ。軽はずみなことを言うべきではない。
 ……しかし。
 どう見てもあれは、と岡部は休日前の室長とのやり取りを思い出す。

『岡部。ネズミーランドって、行ったことあるか?』
 遠足前の子供のような瞳をして、薪はそう訊いてきた。第九の室長室という場所にそぐわしくない話題と顔つきだった。
「おふくろにせがまれて、何回か」
「雛子さん、かわいいもの好きだもんな。絶対に行ってると思ってた」
 意味ありげに微笑まれて、岡部は焦った。
 先日、ゲリラ豪雨に見舞われた薪を自宅に避難させた。もちろん、薪と母親を会わせる心算はなかった。その日、彼女には同窓会の予定が入っていた。だから自宅に連れてきたのだ。それが、出かけようとしたところにこの雨で、もともと雨に濡れるのが嫌いな彼女は突然の発熱による欠席を余儀なくされたらしい。
 人数を取りまとめる幹事の身にもなりなさい、と彼女を叱っているところを見ていた薪だったが、あの日を境に、岡部が母親のことを口にする度に、ニヤニヤ笑うようになった。

「どうして急に、ネズミーランドなんですか?」
「青木に誘われたんだ」
 あっけらかんとした口調で薪が言うのに、岡部はなるほど、と心の中で頷いた。それで遠足前の子供みたいな顔をしていたのか。
「僕、ネズミー初めてだから。楽しみでさ」
 初めての場所に浮かれているわけじゃないでしょう。青木が誘ってくれるなら、何処だって楽しみなんじゃないですか?
 彼女とのことをからかわれたお返しに、そう言ってやろうかと思ったが、やめた。
 薪にはまだ自覚がない。外野からつつくのは反則だ。

「どんなところなんだ?」
「でっかい遊園地みたいなもんですよ」
「ふうん。面白かったか?」
「おふくろは楽しそうにしてましたね」
 リピーターの中には年間パスポートを購入して、仕事が定時で終わったらパレードに間に合うように駆けつける、というツワモノまでいると聞く。ネズミーファンにとっては、そうまでして行きたい夢の国らしいが、正直なところ、何が面白いのか岡部にはよく分からない。
 いつ訪れても物凄く混んでいて、人気のアトラクションは2時間並んで乗車は5分、それを当たり前だと思う人々の神経が理解できない。ランドの中だけではなく、その近辺は常に混雑している。電車は鮨詰め状態だし、みやげ物で荷物が膨れる帰りはラッシュ時の満員電車より厳しい。
 が、まあ、あのひとの笑顔が見られるなら、自分は何処へでも行くが。

「電車で行くなら、早い時間に行かれることをお勧めしますよ」
「いや、車で行こうと思う」
「車は大変ですよ。渋滞が半端じゃないです。駐車場待ちの時間を考えたら、電車の方が早いですよ」
 遠方から来るのでなければ、電車の方が絶対にいい。時間帯によっては1時間以上も流れない地獄の交通渋滞より、電車は動くだけマシだ。

「でもあいつ、車の運転好きだから」
 経験から来る岡部のアドバイスを、薪は断った。青木の車好きは岡部も知っているが、あの渋滞に巻き込まれたら、どんなに気の長い人間でもうんざりするはずだ。
 ましてや薪だ。この気の短い人が、あの交通渋滞に怒り出さないはずがない。
「いや、普通じゃ考えられない渋滞なんですよ。朝は早く出てくれば平気かも知れませんが、帰りはみんな閉演のパレードと花火を見てから帰るから、一緒になっちゃって。1時間以上、進まないことだって」
「問題ない」
「失礼を承知で言いますけど。警察庁のエレベーターも待ちきれなくて、毎度毎度8階の官房室まで階段を駆け上がってる薪さんが、どうやって渋滞を乗り切るお心算で? まさか、高速道路を歩いて帰ってくる気じゃないでしょうね?」
「そんなことするわけないだろ。高速道路を歩くのは交通違反だぞ」
 薪は可笑しそうに笑って、こともなげに、
「大丈夫だ。青木が同じ車に乗ってるんだから」

 ……それは……渋滞しようが軽快に飛ばそうが、青木と一緒にいることには変わりないから、という意味ですよね? そこまで口にしておいて、どうして自覚しないんですか? 頭悪いんじゃないですか?
 馬に蹴られたくないから、言いませんけどね。

「気に入りのCDと、飲み物は用意していくといいですよ。あと、車に乗る前に必ずトイレを済ませておくこと」
「うん、わかった。雛子さんにお土産買ってくるから。黄色いクマの、なんてやつだっけ?」
 薪が買ってきてくれたクマのぬいぐるみは、岡部の車に積んである。
 彼女はアレが大好きなのだが、岡部にはさっぱり理解できない。あの間抜け面のどこがいいのか、だいいち、どうして熊が黄色? 突然変異にしても、黄色はありえないだろう。
 そういえば、彼女の気に入りのネズミーキャラクターを薪が知ったとき『クマつながりだな』と言っていたが、あれはどういう意味……。

「いいえ、確定です。薪さん、彼女と話してるとき、赤くなってたし」
 後輩の淀んだ声に、岡部の思考は現在に帰る。
「薪さんが?」
 女性と話をして頬を染める、そんな初々しいひとでもないと思ったが。
「若い頃の失敗談でも蒸し返されてたんじゃないのか」
「話の内容を聞いたわけじゃありませんけど。嬉しそうに、照れ臭そうに笑ってて」
 職場では付いたことのない頬杖を付いて、青木はやるせなく訴える。その時の薪の表情を思い出しているのか、遠い目をして、
「オレ、薪さんのあんな顔見たの初めてでした。やっぱり、男のオレじゃダメなのかなあ……」
 そうは思えない。
 土産の人形を受け取ったとき、「ランドは楽しかったですか?」と訊いた岡部に、薪は「あれは子供の行く所だな」とシビアに返し、でも、「だから今度はシーの方へ行こう、って青木に言ったんだ」と、それはそれは楽しそうに答えたのだ。

「そんなに悲観的になることもないんじゃないのか? その女と薪さんの間に、まだ何かあったってわけでもないのに」
「励ましてくださってありがとうございます。でも、いいんです。薪さんは、見た目はああだけどノーマルで、男のひとには興味ないって、初めに岡部さんに言われましたものね」
 くすん、と鼻を鳴らして、未練いっぱいの顔をして、それでも青木は気丈に言った。
「薪さんがあの人と付き合いたいなら、オレの気持ちは迷惑なだけですから。きっぱり諦めます」
「おい、青木」

 どうしたものか、この展開は。
 岡部のカンでは、このふたりはお互いに特別な感情を抱いている。でも、薪の方はまだ自分の気持ちに自覚がない状態だし、青木は薪のそんな心情に全く気付いていない。このまま放っておけば、自然に消滅する可能性が高い。
 正直なところ、岡部は二人の仲が進展することには反対だ。青木の愚痴を聞いてやるのはやぶさかではないが、上司と部下が男同士で恋仲なんて、そんなフクザツな環境で仕事をしたくない。だから岡部は素知らぬ振りで、日和ったアドバイスをするしかない。

「まあ、相手の出方次第だな。早まるなよ」
 当たり障りのないことしか言えずに、その日は家に戻った岡部だったが、玄関のドアを開けて自分を迎えてくれた若すぎる母親に、薪からの土産だと言ってありえない毛色のクマのぬいぐるみを差し出したとき、それを受け取った彼女の笑顔を見て、自分の間違いに気付いた。
 彼らよりも遥かに許されない恋をしている自分ですら、好きなひとの笑顔を見られるのがこんなに嬉しい。
 男同士が何だ、上司と部下がなんだ。全身が震えるような歓喜、この幸福感を味わってこそ、生きる価値があるというもの。彼らはふたりとも、岡部の大事な友人だ。だったら、彼らの喜びを応援するのは人として当たり前のことではないか。

 小さなピンク色のくちびるを窄めて、のほほんとしたクマの鼻先にキスをしている年下の母親を横目に、岡部は上司の携帯に電話を掛けた。
「俺です。土産をありがとうございました。おふくろ、すっごく喜んでました」
『そうか。よかった』
「それでですね、おふくろが礼に、ネズミーシーのチケットをどうですかって。商店街の福引の景品で、ペアチケットをゲットしたんだそうです。薪さん、行きたがってましたよね?」
『気持ちだけ貰っておく。息子さんと二人でどうぞ、って伝えてくれ』
「それが、ペアチケットは2組ありまして。1組は誰かに譲る気だったんですよ」
『そうなのか? じゃあ、ありがたく貰うよ』

 電話を切ると、母親がイタズラっぽい眼で岡部を見ていた。
「まあ、ネズミーシーのペアチケットを2組も。わたしって、福引の天才ですのね?」
「……すいません」
 無断で彼女をダシに使ったことを岡部が素直に謝ると、雛子は薪にもらったクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、
「ふふっ。上手く行くといいですねえ、薪さんと青木さん」
「さあ、どうですかね」
 そんな未来のことまで考えてはいない。ただ、好きなひとの笑顔が見られればうれしいだろうと、そんな単純な思い付きから出た余計なお節介だ。お節介は岡部の悪い癖だが、これがなかなか治らない。あの手のかかるひとが自分の上司でいるうちは、快癒は望めないかもしれない。

「それより、腹ペコです。今夜はなんですか?」
「靖文さんの食べたがってた鯛めしにチャレンジしてみました」
 雛子がとびきりの明るい笑顔でパカンと炊飯器の蓋を開けると、中にはぐずぐずに崩れた鯛の身と、ところどころ黒くなったごはん。炊飯器でごはんを焦がせるのは、彼女の類まれなる才能のひとつだ。

 岡部が先日、料理番組で見た鯛めしとは大分違うが、一応は鯛が入っているのだし、味はいいかも、なんて甘かった。
「猫の餌みたいですね」
 てか、鯛の骨が刺さって口の中血だらけなんですけど。
「そうですねえ。こういうものなんでしょう」
 標準とは少々異なった味覚を持っている彼女は平気のようだが、岡部は焦げたごはんは苦手だ。内臓もウロコも全部混じってるみたいだけど、これって取ったほうが美味いんじゃないかな。やたらと生臭いし、ウロコはジャリジャリ言うし……。

「テレビでは、内臓とウロコは除いてあった気がしますけど」
「ええ、そこは工夫したんですのよ。内臓のおかげでごはんにコクと、鯛の鱗の心地よい歯ごたえが加わりましたでしょう? 狙い通りですわ」
「……そうですか」
 少なくとも、骨はごはんに混ぜないほうが安全だと思うけど。
「栄養面にも気を配りましたの。靖文さんのお仕事は、ストレスが多いでしょう? ストレスの緩和にはカルシウムを摂るといいんですって。だから骨ごと食べられるように長時間熱を加えて、そうしたらごはんがこんな風におこげ状態になりましたの」
 ごはんのおこげというのは表面がキツネ色の段階のものを言うんじゃないのかな。これは単なる炭じゃないのかな。苦いし。

 悶々と胸のうちで疑問符を重ねる岡部に、彼女は自慢そうに、
「初めて作りましたけど、なかなか美味しくできたでしょう?」
「…………はい」
 にっこり微笑まれたら、何も言えない。
 ごはんに混ざった無数の小骨を噛み締めながら、岡部は今度の定例会では薪に鯛めしをリクエストしようと心に決めた。




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天国と地獄4 (2)

天国と地獄4 (2)





「なんだ。俺の勘違いか」
 カラン、とオンザロックの氷が立てる音で、青木は我に返った。
「よかったな、楽しく過ごせて。あの人も、きっと楽しかったんだろうよ。今日は機嫌がいいみたいだったぞ」

 公私共に頼りにしている同じ部署の先輩刑事が、無精ひげに見せかけた顎鬚を手でさすって、手入れの時期を計っている。今日一日、淀んだ空気を引き摺って仕事をしていた青木を気遣ってアフターの誘いをかけてくれた彼は、青木の話を聞いて、心配無用と判断したのだろう。
 そう、滑り出しは絶好調だったのだ。
 薪と並んで歩いて、手なんかつないじゃって、一緒にゴーカートなんか乗っちゃったりして。
 でも、二人で観覧車に乗ろうとしたとき。青木は悪魔に会ったのだ。

 幸せなデートから一転、地獄に突き落とされた時のことを思い出して、青木は今朝の陰鬱な表情に戻る。テーブルの上で組み合わせた自分の両手をじっと見つめて、日本海溝より深いため息をついた。
「薪さんの機嫌がよかったのは、オレの力じゃないです。彼女のおかげです」
「彼女?」
「元カノに会ったんです。薪さんの」
 薪の元カノと聞いて、岡部は黙り込んだ。普通にしていてさえ白目の多い三白眼の瞳をさらに小さく引き絞り、そのいかつい顔は驚きの表情に固まる。
「大学の頃、付き合ってたらしくて……薪さんの好みドンピシャで、小さくてかわいくて胸の大きい、うううう」

 思い出しただけで泣けてくる。
 観覧車乗り場で、二人は殆ど同時に互いの姿に気付いた。あの人ごみの中から、運命みたいに互いを探し出した。
 別れてから15年も経っているのに、一目でそれと気付く。それだけ付き合いが深かったのだろう、と青木は考えて、足元を掬われるような感覚に陥った。
 目の前が暗くなるほどのショックを受けた青木とは対照的に、岡部は「そんなことか」と言いたげな口調で、
「薪さんが大学の頃って、何年前の話だよ。とっくに別の男ができてるだろう」
「特定の相手はいないそうです。昨日も、女友だちと来てました」
 確かに、そう言っていた。
「あなたの方は?」と訊かれて薪は、「僕もまだ独り。仕事が忙しくて」と平凡な答えを返していた。

「観覧車の中で薪さんに聞いたんですけど。他に好きな人ができたとか、ケンカ別れしたとかじゃなくて、就職して忙しくなって、自然に離れちゃったみたいなんです。だからお互い未練があったみたいで、楽しそうにメアドの交換を……うああああんんっ!!」
「泣くことないだろう」
「だって薪さんがあの女とぉ……もしかしたら、結婚しちゃうかも……」
「メールくらいで、大げさな」
「メアドを交換したってことは、今度ふたりで会おうってことじゃないですか! 焼けぼっくいぼうぼうじゃないですか!!」
 岡部に危機感がないのは、仕方のないことだ。岡部は当事者ではないし、二人が再会した場面を目撃したわけでもない。何より、薪に特別な感情を持っている青木とは違うから、薪が女性と付き合うことになっても平気なのだ。

 善意で青木の愚痴を聞いてくれる岡部に当り散らすなんて、恩を仇で返すもいいところだと思ったが、青木には他に不安をぶつける相手がいなかった。
 何だか自分が情けなくなって、長い長い片恋の行方も絶望的なものに思われてきて、青木はテーブルの上に突っ伏してしまった。尊敬する先輩相手に非礼を重ねてしまいそうで、顔を上げる事ができなかった。




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天国と地獄4 (1)

 こんにちは~。

 天国と地獄シリーズ4作目、しかし書いたのはつい最近で、何を隠そうリハビリ第1作目でございます。
 日本語に不自由な人が目的もなく文字を綴ったかのような駄文になってしまったのは、そのためだと信じたい。

 わははー、1ヶ月ちょい休んだだけで、こんなに書けなくなるもんかー。
 ホント、使わない機能はどんどん衰えるんだねー。 おばさんはびっくりしたよー。(@◇@)
 

 日本語レベル低くてすみません、(あ、いつも?)
 その上、中途半端な内容ですみません、(これもいつも?)
 どうか大目に見てください。

 


 


天国と地獄4 (1)





 小さな町の住民がそっくり移動してきたのではないか、と疑いたくなるくらい大勢の人々に混じって、青木は右隣の人物の顔をこっそりと見た。
 青木の左で順番を待っている女子高校生らしき少女といくらも変わらない体つきの彼は、つばに英文字の刺繍が入った帽子を目深にかぶっていて、この位置関係だと口元しか見えない。よって青木の眼に映るのは彼の、普段通りつややかできれいなくちびるだけだが、いつもより少しだけ口角が緩んでいるように見えるのは、都合の良い錯覚だろうか。

 C県にある有名なアミューズメントパーク。その入場門の外に設えられた大きな広場は、見渡す限り人の頭で埋め尽くされている。親子連れ、恋人同士、友だち同士、みんな楽しそうに入場門へと歩いていく。
 尋常な数ではないから、その歩みはひどくゆっくりだ。気の短い彼が今にも怒り出すのではないかと、さっきから青木は冷や冷やしている。
 下調べが甘かった。正直、ここまで混むとは思わなかった。
 今日のデートは、申し込み6回目でOKしてもらったのだ。掛かった期間は約1ヶ月。入園前に終了したのでは哀しすぎる。

 遅々として進まない列に並び、少しでも早く順番が来るよう祈りながら、青木は彼に話しかけた。
「すごい人出ですね」
「ああ」
「いいお天気になってよかったですね」
「うん」
 二文字の返事しか返ってこないのはイエローカードだ、と青木は焦る。機嫌が良ければ、「そうだな」くらい付けてくれるはずだ。
 2文字が6文字になったところで変わらないと他人は言うかもしれないけれど、このひとに限っては天と地ほどの開きがある。とにかく、難しいひとなのだ。
「……すみません、お待たせして」
 とりあえず謝っておこう。何事も先手必勝だ。
「なんでおまえが謝るんだ?」
 おかしなやつだな、と皮肉に笑われて、青木はほっと胸を撫で下ろす。それほど怒っているわけではないらしい。

 ストリート系のファッションを楽しむ男子が好みそうなファンキーな帽子は、実年齢より常に20歳ほど若く見られる彼によく似合っているけれど、できれば外して欲しいと青木は思う。
 帽子のせいで、薪の表情がよく見えない。だから、彼のご機嫌が今ひとつ解らない。彼がまとう空気は、いつもより張り詰めていない。でもそれは今がプライベートだからで、この状況をどれくらい不快に思っているのか、微妙な判断がつかない。
 今日のデートだって、自分でも呆れるくらいしつこくしつこく誘ったから、断るのが面倒になって応じてくれたのか、「絶対に楽しいですから!」と青木が力説したのが効を奏して幾らかでも楽しみにしてくれていたのか、その辺もできれば確認したい。
 訊いても答えてはくれないだろうが、彼の瞳を見れば何となく分かる。基本的に彼は無口だけれど、その瞳は誰よりも雄弁で、見つめることさえ許してもらえれば、そこに様々な感情を読み取ることができる。
 でも、肝心の眼を隠されてしまったら。青木には何もわからない。

「薪さん、チケットです」
 自分たちの順番が近づいて来たので、青木はセカンドバックから入場券を取り出し、彼に手渡した。黙って受け取る彼の手はやさしかったけれど、
「後で清算するから。レンタカー代と合わせて、計算しておけよ」
 そんな風に言われてしまうと、まるで仕事で出張に来たみたいで、少々悲しくなる。
 青木はデートのつもりだが、薪にはそんな気はないのだろうな、と、それは分かっているはずなのに、やっぱりちょっとだけ胸が痛い。

 青木が何回好きだと言っても、薪は青木の言うことを信じてくれない。いや、信じないのではなく、理解できないのか。上司として、人間として好意を抱いていると、そんな意味合いだと思っているのだ。
 男が男に恋をするなんてありえない、と薪は頭から決め付けていて、同性に恋愛感情を抱くのは一部の特例だけだ、と断言する。その特例にしても彼のイメージは2世紀くらい前の遺物で、そういう方々は化粧をしてスカートを穿いているものだ、と訳知り顔で青木に教えてくれるから困る。
 自分が女になりたいとか男性に愛されたいとかじゃなくて、あまりにも相手のことが好きで、性別なんかどうでもよくなってしまう。そういう恋が存在することを、薪は認めてくれないのだ。
 そんな彼との関係は、膠着状態を絵に描いたようで。
 上司と部下の関係は超えて、友だちになったはいいけれど、この1年、そこから先には一歩も進まない。でも青木は諦めない。
 今はまだ、道の途中。そう思うことにしている。

 入場口の係員にチケットを渡して、スタンプを押してもらう。定員1名の金属製のバーを順繰りに回して、青木は薪の後ろから園内に入った。
 花で飾られた大きな噴水が、青木たちを出迎えてくれる。
 噴水の周りは広場になっていて、グループになった人々がさざめいている。その周りには二階建ての洋館がずらりと建ち並び、奥の通路へと続いている。園内の奥へと足を進めると、歩道には中世の時代を照らしたようなガス灯が等間隔に立ち、アミューズメントパークの売店とはいえ、ここまで造りに拘れば、それは立派な芸術だと青木は思う。

 素直に賞賛する青木に引き換え、薪はひねくれものだ。
 こんなものが何の役に立つんだとか、電飾パレードは電気の無駄だとか地球温暖化対策の敵だとか、絶対に言うだろうと思った。薪は理屈っぽいし、人の揚げ足を取りたがる性格なのだ。

「へえ。すごいな」
 いつ薪の毒舌が炸裂するのかと身構えていた青木は、その言葉に耳を疑った。
 目深にかぶっていた帽子のつばを上げ、額を覆った前髪の下から薪は、眼を大きく開いて装飾過多な通りを見ている。
「よく造ったもんだ」
 やっと見ることができた亜麻色の瞳は生き生きと輝いて、彼が今の状況を決して不快には思っていないことを青木に教えてくれる。ヨーゼフと遊んでいたときほどではないが、それなりに楽しそうだ。
 今度こそ青木は心底ホッとして、ガチガチに固まっていた肩の力を抜いた。

 大勢の人々に混じり、並んで歩く二人の間を、後ろから来た子供たちの集団が歓声と共に走り抜けていく。無遠慮に薪との間を割っていく彼らを、しかし青木は怒らなかった。あの薪が褒めるくらいだ。子供たちが夢中になるのも無理はない。
 子供たちの元気な背中を見送っていると、今度は真向かいから、しっかりと腕を組んだカップルがやってきた。蹴り飛ばしても離れそうになかったので、仕方なく薪と距離を取って、彼らを通してやった。
 カップルが通り過ぎたとき、薪はその場にいなかった。
「あ、あれっ? 薪さん!?」
「ここだ」
 気が付くと、薪は向かいの通りにいた。
「なんでそっちのほうに」
「人の波に乗ってたら、いつの間にかここへ」
 ほんの一瞬離れただけなのに。恐るべし、ネズミーパーク。

 身体の小さい薪は、簡単に人ごみに紛れてしまう。他人より頭ひとつ分高い青木を薪が見つけるのは容易いが、青木が小柄な薪を見つけるのは至難の業だ。解決策としては離れないようにするのが一番だが、その具体的な方法と言うと、言ったら殴られるかなあ、でも言っちゃお。
「あの……手をつなぎません?」
 迷子防止の一般的な予防策を提案した青木に、薪は予想通りの冷たい一瞥をくれた。
「べ、別にいやらしい気持ちじゃないんですよ。ここではぐれちゃったら、探すの大変だと思うから」
 そりゃ、オレは薪さんの手に触れたら嬉しいですけど。
 
 本音を言えば、さっきのカップルみたいに腕を組んで歩きたい。薪とそんな風に過ごせたら、死んでもいい。
 できることならその華奢な肩を抱き寄せて、自分の胸の中に囲い込むようにして歩きたい。薪が嫌がるからしないけれど、本当はいつも、彼の身体に触りたいと思っている。さわるだけじゃなくて、あんなことやこんなこと、薪が許してくれるならもっと先のことまで、ってそれはここではちょっと無理、てか誰も見てないところでも無理だけど……ネバーギブアップ! いつかきっと!

「それは歩き辛いと思うぞ」
「そうですね。足がぶつかっちゃいそ、えっ!?」
 頭の中の妄想に異を唱えられて、青木は焦る。
 なんで薪が自分の思考に答えるのだ? もしかして、いつの間にか脳内思考が駄々洩れに!?
「こ、声に出てました?」
 青木が心配そうに自分の失態を確認すると、薪は意地悪そうに嘲笑って、
「最後のは、聞かなかったことにしておく」
 最後ってどこ!? どこまで言っちゃってたんですか、オレ!?

「ほら」
 促す声に顔を上げると、薪の小さな手が差し出されていた。
 やらかしたばかりの失敗も忘れて、青木は舞い上がるような心持ちでその手を握った。細くて小さくて女のように華奢な手。でも、しっかりとした骨の感触と高い体温が、彼の性別を強調する。

 人前で手を握ったりして、これは一歩前進したと思ってもいいんじゃないか?

 薪に友情以上の気持ちがないことはわかっているけれど、こうしてつないだ手のぬくもりは、ランド名物の電飾パレードより遥かに青木の心を浮き立たせてくれる。
 嬉しくて、青木はぎゅっと手に力を入れた。
 向かいから来た高校生の集団が、二人の両脇を鰯の群れのように抜けていった。




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天国と地獄3 (7)

 こんにちは。

 ラストです。
 お付き合いいただきまして、ありがとうございました。(^^





天国と地獄3 (7)




「ううう……もう酒ヤメル……」
「その台詞、50回くらい聞いたような気がしますけど……アツツ……」
 亜麻色の頭を抱えるようにして薪は執務机にだらしなく突っ伏し、その傍らで岡部も喉元を押さえている。第九の室長と副室長ともあろうものたちが、揃いも揃って二日酔いとは、まったく嘆かわしい限りだ。

 ぐわんぐわんと頭の中で半鐘が鳴り響くような痛みに耐えかねて、岡部はこめかみを押さえた。右手のファイルを差し出そうとするが、どうにも身体が言うことをきかない。
「なんだ、岡部も二日酔いか?」
「すいません、実はあれからお袋と。朝方までつき合わされまして、潰されました」
「えっ、あのお母さんと飲んだのか?」
 おそらく、あれは息子の恋の絶望的な未来予想に裏打ちされた彼女なりの激励会のつもりだったのだろうが、本気で勘弁して欲しい。明け方まで粘られてとうとう、岡部の意中の人は他にいて、それはれっきとした女性だ、ということまで白状させられてしまった。これからどうやって彼女の追及を避わしていけばいいのか、正直者で不器用な岡部には見当もつかない。
「しかもおまえが潰され? すごいな、彼女」
「ははは。色々と規格外なんですよ、うちのお袋は」
 見かけによらず、雛子の内臓は異常に強い。そうでなければあの料理を食べて、病院の厄介にならずにいられるわけがない。

「まあ、がんばれ」
 薪の励ましに勤労意欲の向上以外の含みを感じて、岡部は悪心に曲げた顔を更に歪める。
「薪さん。まだ誤解してるわけじゃないですよね?」
「僕は誤解なんかしてない。案外、誤解してるのはおまえの方なんじゃないのか?」
 クスッと笑ったら、それが頭に響いたらしく、言葉にならない声を上げて薪は再び頭を抱えた。言い返そうとして岡部も、喉の奥から込み上げてくるものを必死で抑える。

「おはようございま、うっわ、何ですかこの部屋。ものすごくお酒臭いですよ!」
 朝のコーヒーを持ってきた青木が、慌てて窓を開ける。八月の熱い空気は朝から身体にまとわりつくようで、嘔気を増進させる。
 今だけはエコロジーに背を向けて、岡部はエアコンの温度を2度ほど下げた。壁のパネルを操作する岡部の視界の隅で、薪がアイスコーヒーのグラスを持ち上げ、ストローを咥えることなく自分の額に押し当てる。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない。おまえのせいでこんな、ううう」
「ええ~、オレ、もうやめた方がいいって何度も言いましたよね?」
「口で言われたくらいで止まれるなら、二日酔いに苦しむ人間なんかいないんだよ」
「じゃあ、どうしたらよかったんですか?」
「物理的、かつ強制的にアルコールから引き離して、ベッドに押さえつけてくれ。そうしたら僕は2分で眠るって、前に鈴木が言ってた」
「えっ!! そんなことしちゃっていいんですか!?」
「大きな声を出すな、頭に響くっ……僕が許す。次は頼むぞ」
「ま、薪さんの身体を強制的にベッド押し付けっ、ぐふぅっ!!」

 いつものように意識することなく青木の心を弄びながら、薪の一日が始まる。
 すべてこの世はこともなし。
 その平和な風景の連想から、すでに昨夜のアルコールを分解し終え、今時分は片付け物も終えて子猫に餌でもやっているであろう雛子の姿を想像して、岡部は帰りにキャットツリーを買っていこうと考えた。



(おしまい)



(2011.4)


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天国と地獄3 (6)

天国と地獄3 (6)




「俺は、彼女が新しい伴侶を見つけるまでの間、息子としてあのひとを守りたいだけです」

 岡部はカップを持って、テーブルの反対側に回った。薪の向かいに座って、黙ってコーヒーを飲むことに専念した。
「じゃあ、僕がモーション掛けてもいいのか?」
 驚いて顔を上げると、薪はコーヒーカップで顔の下半分を隠して、岡部を見据えていた。まだ、あの瞳をしている。岡部は用心深く応えを返した。

「胸の小さな女性は、好みじゃなかったんじゃないんですか?」
「それはベッドを楽しむとしたら、って意味だ。結婚相手はまた別だ」
「結婚?」
「彼女は朗らかで可愛くて、見ているだけで癒される。それでいて、突発的な事故にも動じない強い精神力を持っている。警察官にとって、理想の妻だ」
 薪の言う通りだ。彼女が警察官の妻としてどれだけ素晴らしい資質を秘めているか、岡部は嫌というほど知っている。ずっと見せ付けられてきたのだ。身に沁みて分かっている。

「もちろん、料理は僕が受け持つ。悪くないカップリングだと思うが?」
「駄目です」
 薪の提案を、岡部は即座に否定する。ふっと笑みを浮かべた薪に、釘を刺すようにきつい口調で、
「言っておきますけど、薪さんが考えているような意味合いじゃありませんよ」
 薪に嘘は通じないと悟って、岡部は本音を喋ることにした。ここで嘘を吐いたら、ますます誤解されるだけだ。

「俺は、あのひとを二度と警察官の妻にはしたくないんです」
 薪の瞳を見返して、岡部はキッパリと言った。

「俺の父は殉職です。強盗犯を追いかけて、犯人に射殺されました。そのとき、あのひとがどれだけ泣いたか。俺はもう二度と、彼女のあんな顔は見たくない」
 岡部が口を結ぶと、薪は少し考え込む様子だった。長い睫毛を下方に伏せてカップの縁に唇を寄せる様は、第九で年若い捜査官が淹れたコーヒーを片手に捜査報告書に記された事案を検証するときのように厳かだった。

「彼女はおまえが思っているより、ずっと強いひとかもしれないぞ」
 やがて薪はぽつりと言った。先刻までのからかうような調子は、失せていた。
「そうかもしれませんね。本当は、彼女は一人で自由に暮らしたいのかもしれない。女の一人暮らしは無用心だし、男手があった方が何かと助かると思っていたんですけど……俺のお節介に過ぎないのかもしれません」
 自分がいないほうが彼女の未来は拓けるかもしれないと、思いながらも目先の心配が先に立って、ずっと否定してきたもう一つの道を、岡部は自嘲気味に口にした。良かれと思ってしている事が、相手の可能性を奪っている。それもまた事実だと、岡部には分かっている。

「そういう意味じゃない」
 岡部の逡巡を切り捨てるように、薪はさっくりと言い、残りのコーヒーを飲み干した。空になったコーヒーカップをテーブルに置くと、卓上に肘をついて身を乗り出し、
「彼女は、なんて?」
「俺の嫁さんが見つかるまでは、母親として俺の世話をする、だそうです」
 父親の初七日が済んで、雛子とこれからのことについて話し合ったとき、彼女は岡部にそう言った。
『靖文さんに可愛いお嫁さんが来るまでは、わたくしが靖文さんのお世話係です』
 そう言われた。世話係なんかじゃない、あなたは俺のたった一人の母親です、と言ったら、涙ぐんでいた。彼女は岡部の本当の母親になりたがっていたから、その言葉が嬉しかったのだろう。

「ふふ。やっぱり強いな」
「何がですか?」
 薪が下した『強い』という評価が何に対して為されたものか皆目見当がつかず、岡部は戸惑った。岡部が不思議そうに聞き返すと、薪はゆっくりと首を横に振り、
「岡部。こういうことは、他人から教えられたんじゃ駄目なんだ。自分たちで進んでいかないと」
 と言って、教えてくれなかった。薪の思考は展開が速くて付いていけないときがある。今回もそういうことだろうか。

 二人の会話が途切れたタイミングを見計らったように、雛子が薪のスーツを抱えてダイニングに入ってきた。サニタリーの鏡を借りて着替えを済ませ、薪は腕時計を確認する。
 午後9時15分。初めて訪れた家を辞するには、遅すぎる時間だ。

「お世話になりました」
 母親にきちんと頭を下げて、玄関先に出る。雛子が手渡してくれた靴べらを使って靴を履いていると、岡部が薄手のジャケットを着て、薪を追いかけてきた。
「送りますよ」
「大丈夫だ。そろそろ迎えが来るはずだから」
 薪はポケットから携帯を出し、メール画面を岡部の顔の前に突き出した。小さな液晶画面に、業務連絡としか思えない文章が打ち出されている。

『岡部のマンションにいる。迎えに来い』

 いつもながらに素っ気無い、でもこれを受け取った人物にとっては、発信人の欄に薪の名前があるだけで、世界に名だたる文豪の傑作よりも感動するのだろう。
「どうして青木に迎えを?」
「あいつ、今日は代休で休みだろ。どうせやることなくて、ヒマしてるに決まってるんだから」
 青木はあなたからのメールだったら、地球の裏側からだって吹っ飛んできますよ。てか、薪さん、今日一日、何となく元気がありませんでしたよね? あいつの顔が見られなかったからじゃないんですか?
 雛子とのことを構われた腹いせに、そう言ってやろうかと岡部は思ったが、結局何も言わなかった。
 そう、薪の言うとおり。こういうことは、他人から教えられたのでは駄目だ。

「室長さん。またいらしてくださいね。今度はご馳走作って待ってますから」
「じっ、実は僕、糠漬けとお茶漬けが大好物なんですっ。次の機会がありましたら、ぜひそれでお願いしますっ!!」
「まあ、シンプルなお好みですのね。でもわたくし、こう見えてイタリアンが得意ですのよ。自慢のラザニア、室長さんに召し上がっていただきたいわ」
 眼で訊いてきた薪に、岡部は無言で首を振る。彼女のラザニアは、ボロネーゼソースに大量の唐辛子を入れてあり、ベシャメルソースにはたっぷりと砂糖が入っている。それをカチカチのラザニアに挟んで真っ黒になるまで焼き上げれば、高い殺傷力をもつ劇薬が出来上がる。あれは岡部でもヤバイ。

「すすすすみませんっ、僕、親の遺言でイタリアンは食べられないんですっ!!」
「まあ、お可哀想に。あんな美味しいものが食べられないなんて」
「お母さん。すみませんが、このシャツ明日着たいんです。アイロン掛けておいてもらえますか」
 はい、と襟衣を受け取って、雛子は薪に頭を下げ、奥の部屋に姿を消した。残された二人の男がホッと胸を撫で下ろしたとき、玄関のチャイムが鳴った。
 
 こんばんは、と青木の声がして、ちょうど三和土に立っていた薪がドアを開けた。
 薪の姿を認めた瞬間、青木はとても嬉しそうな顔をして、それはどう見ても休日の夜に上司に呼び出されて、彼の送り迎えを言いつけられた部下の顔ではない。分かりやすいやつだ。恋焦がれている相手に会えた、そう顔に書いてある。
 そして薪もまた。
 青木の方を向いているから、顔は見えない。見えないが、その背中はピンと潔く伸びて、肩は若々しく張っている。今日は感じられなかった躍動感が、身体中から迸るようじゃないか?

「じゃあ、岡部。明日研究室でな」
「はい。おやすみなさい。青木、薪さんを頼んだぞ」
「はい!」
 家まで送り届けるだけなのに、海外へバカンスに行くみたいにはしゃいじゃって。この世の春だな、青木。

「青木、岡部と飲みに行く予定がぽしゃったんだ。おまえ付き合え」
「えっ。オレ、車で来ちゃいました」
「なんで」
「いや、だって平日だし。迎えって言われたら普通は」
「うるさい、僕は飲みたい気分なんだ。おまえは横で見てろ」
「ええ~~~」

 いつものように青木に優しくない会話を交わしながら、二人はドアの向こうに消えていった。玄関に鍵を掛け、岡部が部屋に戻ろうとして振り向くと、リビング入口の暖簾に隠れるようにこちらを伺っていた雛子と目が合った。
 彼女は岡部に走りより、細い両手で岡部の無骨な手をぎゅっと握って、
「靖文さん。わたくしはあなたの味方ですけど、戦況を正確に把握することは必要だと思いますの。これからの作戦を立てる上で」
 …………こっちもまだ続いてたのか。

「ショックだと思いますけど、よおく聞いてくださいましね。あの、薪さんとおっしゃる方は、いま迎えに来られた男の方を」
「あー、いいです、聞かなくても分かってますから」
 やっぱりそう見えるか。まあ、こちらの方面にはとんと縁のない自分でさえ何となく感じるくらいなのだから、ロマンチック街道のド真ん中を行く彼女には、瞬時に分かるものなのだろう。
 岡部が両手を振って作戦参謀の提案を断ると、雛子は気の毒そうな顔になって、しかし力強く、
「だからって、諦めることはありませんのよ。ご自分に自信を持ってくださいな。靖文さんは、誰よりもステキですもの」
「……俺がですか?」
「ええ。靖男さんの息子ですもの」

 そう言って微笑した彼女の美しさは、初めて出会ったときと少しも変わらず。父に、新しい母だと言って彼女を紹介されたあの日、岡部の心に住み着いたその姿のまま、多分これからも色褪せることはない。
 そう。俺はあなたの息子です。出会ったときから、死ぬまでずっと。

「これからわたくしが、薪さんのハートを射止める作戦を考えて差し上げますから。靖文さんは、どうかそれを参考になさって」
 雛子は両手に恋愛小説と少女マンガを山ほど抱えて、どうやらそれが彼女の作戦のベースになるらしい。
「ほら、例えばこんな演出とか」
 彼女は多数の指南書の中から一冊の雑誌を取り出し、顔の半分が目玉という人類とは思えない顔をした少女が、海岸で性別不詳の人間(というのも、その人物には体毛が無くて男か女か岡部には判断が付かない)と一緒に砂山を作っている場面を指差した。誌面に広がる点描とハートの世界に、岡部は辟易しながら、
「それは青木に授けてやってください。薪さんのことは大事ですけど、俺と青木の感情は種類が違いますから」
「……そうなんですか?」
「はい。一度もそういう目で見たことはありません」
 岡部がキッパリと否定すると、雛子は複雑な顔になってマンガ雑誌を閉じ、それをぎゅっと胸に抱いて、
「まあ、残念。靖文さんの恋の応援ができると思ったのに」

 応援されても困ります、と岡部は心の中で呟き、天真爛漫な母親にそっとため息を吐く。彼女が鈍いおかげで自分はずいぶん助かっている、と岡部は思い、直ぐにそれを否定する。
 雛子は鈍くない。その証拠に、薪たちの微妙な関係を一発で見抜いたではないか。でも彼女は良識のある女性だから、思いもよらないだけなのだ。薪のような突拍子もないカンチガイは、彼女はしない。

「今夜は薪さんと、お酒を飲まれる予定だったんですね?」
「あなたが同窓会に出かけてると思ってましたんで」
「わたくしが代わりにお付き合いしましょうか?」
「!! い、いや、明日は平日ですし、お母さんの相手は土曜の夜にでもゆっくり」
「遠慮なさらないで。飲みたい気分なんでしょう? 今夜はわたくしに甘えてくださいな」
 青冷める岡部の前で、雛子はマンガ雑誌を一升瓶に持ち替えて、にっこりと笑った。



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天国と地獄3 (5)

 こんにちは~。

 過去作品を読んでくださってる方へ。
 毎日拍手をありがとうございます。 とってもうれしいです♪
 でも時々、ものすごい時間に拍手が入ってる事があって、(朝の2時から4時とか)この方、ちゃんと眠ってらっしゃるのかしら、と不安になったりします。(^^;
 10時から深夜2時までの間はシンデレラタイムと言って、お肌をすべすべにするホルモン (要は成長ホルモンなんですけど) が分泌される時間帯なんだそうですよ。 美容のためにも、夜は早めにお休みくださいね☆☆☆





天国と地獄3 (5)





「うっ……」

 テーブルの上に並んだシュールな物体に、薪は思わず息を呑んだ。
 なんで煮炊きしたはずの食材が、こんな不気味な色になるんだろう。どの皿からも劇薬のような匂いがするが、これはいったいなんだろう。どうやったらこんなものが一般家庭の台所で製造できるのだろう。まるで生物兵器の研究機関みたいだ。
「何もありませんけど、どうぞ召し上がってくださいな。見た眼はアレでも、お味はなかなかですのよ」
 ニコニコと給仕をする彼女の楽しそうな様子を見ていると、食事を断ることはとてもできなくて、仕方なく薪は箸を取る。岡部に到っては、すでに諦めたようだ。黙って味噌汁を啜っている。

「い、いただきます」
 家人に倣って汁椀を取り上げ、薪は再び固まった。
 この味噌汁、工業用水と廃油で汚染された沼の表面みたいな色なんだけど。飲んでも大丈夫なのか? ていうか、この具は!?
(岡部っ、味噌汁にゼリービーンズが浮いてるぞ!?)
(俺のお袋は料理下手だって、前から言ってあったじゃないですか)
(上手い下手以前の問題だろ!)
 雪子だって、ここまで独創的な料理は作らない。彼女は料理本の通りに食材を集め、料理をし、最終的には食べられないものを作り上げるという特技を持っているが、参考書を使っているため、基本から逸脱した食材は選ばない。

(これはなんだ? なめくじを炒めたみたいなビジュアルだけど)
(家庭菜園で採れた野菜の末路です。元になった野菜の種類は俺にも判別つきません)
(原材料はなんだ? 石油か、ゴムか?)
(だから野菜ですってば)
 嘘だ! この食感は野菜じゃないぞ、ゴムを噛んでるみたいに噛み切れないぞ?!

 恐ろしい。
 彼女は一般家庭に備え付けられた調理器具を使って、野菜という有機物を咀嚼することすらできない無機物に変えることができるのか。世界中の科学者よ、彼女にひれ伏して教えを請うがいい。

「いかがかしら、室長さん。お口に合いまして?」
「は、はい! とってもオイシイですっ。まるで口の中でN2爆弾が暴発したような、この刺激的な辛さがなんとも!!」
「まあ、うれしい。でも、お手柄はわたくしの料理の腕前じゃなくて、素材の持つ生命力だと思いますわ。旬菜に勝る美味はありませんもの」
 素材の持ち味をここまで殺せるとは、見事なクラッシャー精神だ。生でおいしく食べられるキュウリやトマトまで、油でベトベトの素揚げにされて。
 それを平気で口に運んでいる彼女の神経が分からない。ナメクジみたいな色合いの炒め物を噛み締めて、「やっぱりお茄子は味噌炒めに限りますわ」ってあれは茄子だったのか? どうやってあそこまで茄子の硬度を高めたんだ、魔法か!?

(おい、彼女の味覚はどうなってるんだ!?)
(俺だって知りませんよ)
(なんで分からないんだ、母親だろう?)
(彼女の遺伝子は、俺の中には入ってません。俺を産んでくれたお袋は、普通のお袋だったんです)
 たしかに彼女は普通の女性じゃない。天は二物を与えずというが、ここまで惨たらしく彼女の味覚を奪わなくてもいいのに。下手をすると、岡部の命に関わる。
 岡部は慣れているのか、自分に盛り分けられたおかずを黙々と食べている。が、薪はもう限界だ。特別にグルメな舌をしているわけではないが、そこいらの料理人よりずっと美味しいものが作れる彼は、不味いものを我慢して食べる訓練を積んでいない。

「あら。室長さんはずい分小食ですのね? だからそんなにスマートでいらっしゃるのかしら」
「あ、や、その、な、夏バテでちょっと」
 薪が苦しい言い訳をすると、岡部が彼の窮地を救うべく、
「お母さん。薪さんのスーツは乾きましたか?」
「ええ、もう少し。続きをしてきますわね」
 自分の分をさっさと食べ終えた彼女は、使った食器を食洗機に入れると、「ごゆっくり」と薪に声を掛けてダイニングルームを出て行った。

 彼女の姿が見えなくなると、薪はテーブルの上に突っ伏し、
「ううう……口の中が焼け爛れてる感じだ……」
 食感も凄かったが、味付けはその上を行く。どれだけ唐辛子が入っていたんだ、あのナメクジ料理。
「薪さん、これをどうぞ」
 岡部が冷蔵庫から、小鉢に盛られた漬物を持ってくる。きれいな紫色の、なんて美しいんだ、これだ、これが茄子という食物だ!

「美味い!」
 今まで食べたものがひどすぎたから、その比較で美味しく感じられるのかと思ったが、そうではない。口の中を麦茶で洗い流し、改めて味わってみたが、これには薪もシャッポを脱いだ。
「うちのおふくろ、糠漬けだけは上手いんです」
「今度おまえの家で夕飯をご馳走になるときは、糠漬けとお茶漬けをリクエストする」
「そうしてください」
 笑いながら立ち上がって、岡部はこれまた愛らしいウサギの絵が描いてある缶の蓋を開けた。ふわっといい匂いがして、中にはコーヒーが入っていたらしい。
 青木には敵いませんが、などと言いながら、コーヒーメーカーを使って薪のためにコーヒーを淹れてくれる。皿の上に載ったおぞましい物体の匂いを、コーヒーの香りが包み込んで消してくれた。

 テーブルの上をきれいに片付け、汚れた食器を食洗器にセットする。薪に振り分けられたノルマの殆どはディスポイザーが食べることになってしまったが、岡部はきれいに平らげていた。さすが岡部だ、胃袋も鋼鉄でできている。
「薪さんの服は、コーヒーを飲んでる間に乾くと思いますよ。お袋の家事能力はなかなかですから。――― 料理以外は」
 たしかに、部屋の中は掃除が行き届いているし、薪が借りているパジャマも毎日洗濯しているのだろう、せっけんの香りがする。思い出してみれば、岡部のワイシャツはいつも真っ白で、パリッとアイロンが掛けられていた。
「おまえが料理を覚えればいいんだ。そうしたら、みんな上手くいく」
「どうして俺が? あのひとが自分で身につけなきゃいけないことでしょう」
「別にいいんじゃないか? 男が料理をしちゃいけないって法律はないんだし。どっちかがやれば」

 岡部は二人分のコーヒーを両手に持って、テーブルに戻ってきた。片方を薪の前に置き、自分は立ったまま一口啜って、
「あのひとの再婚相手が、そういう考えの持ち主であってくれたらいいんですけどね」
「再婚? そういう話があるのか」
「いや、今のところは」
 岡部が正直に答えると、薪は何やら満足そうに頷いて、
「じゃあ、おまえは早いとこ料理上手になるべきだ。恋人は胃袋で捕まえろ、って言うだろ」
「あのですね、この際ハッキリ言っておきますが、たとえ薪さんの邪推が的中していたとしても、俺と彼女は結婚できません。どうやっても無理なんです」
「735条か」
 一度でも親子の関係になった男女が夫婦になることを、この国は許していない。これはモラルの問題で、血の繋がりは関係ない。薪だって知っているはずだ。なのに、
「大事なのは法律より、お互いの気持ちだと思うけどな」
 などと遵法者とも思えないことを言うから、岡部だってムキになる。

「いい加減にしてくださいよ。小説の世界じゃあるまいし、そんなことあるわけないでしょう」
 厳しく眉を吊り上げて、自分の怒りがダイレクトに薪に伝わるように、岡部は語気荒く言い放った。しかし薪はそれを恐れるどころか、じいっと岡部の目を見つめ返してきた。
 亜麻色の瞳は清冽に輝いて、どんな異変も見逃さない。わずかな違和感、些細な相違、そのすべてを見透かす天才の瞳。吸い込まれそうな、底知れぬ琥珀。
 脳髄の裏側まで読まれそうな気分になって、岡部は眼を逸らせた。

「俺は、彼女が新しい伴侶を見つけるまでの間、息子としてあのひとを守りたいだけです」


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天国と地獄3 (4)

天国と地獄3 (4)




 桜色に上気した素肌に借り物のパジャマを着て、薪はリビングに戻ってきた。白地に緑色の線が入った開襟のシャツは、彼の涼やかな佇まいになかなか良く似合っていたが。
 その裾から伸びた百合の茎のようにしなやかな曲線の、なんてきれいなことだろう。膝上10センチの奇跡。これを青木に見せたら大変なことになるな、と岡部は冷静に判断を下しつつ、素朴な疑問を薪に投げかけた。
「なんで上しか着てないんですか?」
「おまえの服は、僕には大きすぎる」
 尤もな疑問に尤もな答えが返ってきて、岡部はぽりぽりと頭を掻く。一つや二つのサイズ違いなら何とかなるが、Sサイズの薪が3Lサイズのパジャマを着たら、ズボンが落ちてしまうのだろう。

 母親のミスに気がついて、慌てて自分の持っていたものと差し替えたので、他の服を用意するヒマがなかった。 男のSサイズは女性のMサイズと同じくらいだから母親の服でぴったりなのだが、いかんせん、彼女はユニセックスな服は一枚も持っていない。フリルや小花や愛らしい動物などなど、どれも薪の怒りを買いそうなものばかりだ。
「服が乾くまでの間ですから。それで我慢してください」
「うん、これで充分だ」
 薪はソファに腰掛けて、そうするとますます女の子めいて見える。立っていても膝上まである上着は、座ると膝を覆い隠して、これは立派なワンピースだ。これを青木が見たら、以下略。

「悪いな、世話をかけて……ん?」
 薪は、何かに驚いたように声を上げた。見ると、彼の素足に身を擦り付けるようにしてじゃれる小動物の姿が。どさくさ紛れになって、捨ててくるのを忘れていた。
「うわ。ちいさいな、こいつ」
 薪の小さな両手でもすっぽりと包める子猫の身体を抱き上げて、薪はやさしく微笑んだ。薪は動物が大好きだ。一番好きなのは犬だと聞いた覚えがあるが、ネコも好きなのだろう。瞳が蕩けている。
 亜麻色の瞳を愛おしさに潤ませて、薪はソファのクッションにもたれかかり、至近距離で子猫と相対した。濃ピンクのクッションは薪の肌の白さを引き立てて、さすがの岡部も一瞬、彼の性別を忘れそうになる。

「岡部。こいつ、ここで飼えないのか?」
「無理です。俺もお袋も仕事を持ってるんですから」
「彼女、何処に勤めてるんだ?」
「近くの花屋です。パートタイマーですけど」
「パートなら、彼女に世話を頼めるんじゃないのか?」
 薪の言うとおり、その気になれば飼えないことはないのだが。いざ飼うとなると、部屋が無人になった際のことが心配だ。帰ってきて、壁が爪跡だらけになっているのも困るし、引っくり返した花瓶の水で床が水浸しになっていたらもっと困る。

 岡部がペットを飼いたくない理由を言うと、薪はなおも食い下がって、
「ちゃんと躾ければ大丈夫だろ。キャットツリーとか置いて、そこで遊ばせればいいんだ」
「俺にはネコの躾をする余裕はありません」
「彼女にやってもらえばいいじゃないか」
「無理ですよ。厳しいことの言えないひとなんですから」
 雛子が怒ったところを、岡部は見たことがない。人に何を言われても、何をされても、揶揄は親しみに受け取り、悪意はさらりと流して、まるで夢の世界に生きているようなひとなのだ。だから心配で、岡部は彼女を独りにできない。

「これくらい小さい頃から躾ければ、そんなに大変じゃないって聞いたぞ?」
 引かない薪に、岡部は違和感を覚える。薪は頑固だが、ひとに面倒を押し付けることはしない。この強力な勧誘には、裏があるはずだ。
「どうしてそんなに俺にこいつを飼わせたがるんですか?」
「おまえがいない間、雛子さんが寂しがってるんじゃないかと思ってさ。猫でもいれば、気が紛れるだろう?」
 …………まだ続いてたんですか、そのカンチガイ。

「いいのか? 彼女の心のスキマを他の男に埋められちゃっても」
「あのですね!!」
 岡部が薪の誤解を解こうと声を張り上げたとき、冷たい麦茶を持って雛子が現れた。風呂上りで喉が渇いていた薪は、ありがとうございます、とにこやかに笑って、子猫を膝に下し、それを美味そうに飲んだ。
 薪の膝の上で、子猫は大人しく蹲っている。雛子が手を伸ばし、その小さな頭を2本の指でやさしく撫でた。事情を知らない人間が見たら、仲の良い姉妹が一匹の子猫を可愛がっているようにしか見えないだろう。

「靖文さんも、お風呂に入ってきてくださいな」
「俺はいいです。自然に乾いちまいました」
 正確には自然に乾いたんじゃなくて、あんたらが俺の血圧を上げたからですけどねっ!
「大丈夫ですよ、室長さんのお話し相手なら、わたくしがさせていただきますから」
 ふと岡部は、自分がここからいなくなった後、彼女と薪の間で交わされるであろう会話を想像して青くなる。
 この二人は互いに互いを、岡部の想い人だと思い込んでいるのだ。二人きりになんかしたら、どこまで誤解が転がっていくか分かったものではない。

「いや、薪さんの相手は俺がします。お母さんはどうぞ、大好きなDVDでも見ててください」
「DVD? どういったものがお好みなんですか?」
 母親を自分の部屋に引き取らせようとする岡部に反して、薪は雛子を質問で引き止めた。
「この年になってお恥ずかしいんですけど。実は、ネズミーアニメが大好きで」
「あれはとても良くできたアニメだと思いますよ。キャラクターも魅力的ですし」
「そうなんですの。特に、『クマのぺー』シリーズに眼がなくて」
「ああ、なるほど。クマつながりなんですね」
「は? それはどういう」
 雛子が不思議そうに首を傾げると、薪はにっこりと笑って彼女の追及を封じた。相手が笑えば笑みを返すのが流儀の雛子もまたおっとりと微笑んで、そうしていると○姉妹真っ青の華やかさだ。
 美女2人に可愛い子猫のスリーショット。それが自宅のリビングで見られるというのは、男として喜ばしいことかもしれない。片方は自分の母親で、もう片方は同性の上司だという事実にさえ目を塞ぐ事ができれば。

 ふっ、と原因不明の虚脱感から岡部が乾いた笑いを洩らしたとき、災厄は訪れた。

「室長さん。よろしかったら、お夕食をいかがですか?」
「え。いいんですか」
 !!! しまった、薪に注意をしておくのを忘れていた!

「お母さん! 実は、薪さんと俺は外で済ませてきて」
 母親が恐ろしいことを言い出したので、岡部は焦って嘘を吐く。薪が不思議そうな顔でこちらを見ているが、説明している時間はない。

「あら、そう」
「お母さんの手料理が食べられないのは、非常に残念なんですが」
 ぐう、と二人の男の腹の虫が同時に鳴いた。嘘のつけない岡部と、身体だけは正直な薪らしい反応だった。
「まあ、靖文さんたら。自分の家で遠慮なんかするものじゃありませんわ。さ、室長さんもこちらにいらして。あ、猫は置いてきてくださいね」
 地獄の門が大きく開け放たれたことを悟ってがっくりと肩を落とす岡部を、薪と子猫が不思議そうに見ていた。



*****

 
 今頃かよ、と突っ込まれそうですが、
 こちらはアレです、8巻の表紙になった『借り物のパジャマを着て、ピンクのクッションの上で猫と戯れる薪さん』です。
 あのイラストを見たとき、すぐにこの設定が浮かびました♪(←パジャマが岡部さんのって。どうした、あおまきすと)



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

天国と地獄3 (3)

 こんにちは。

 お話の途中で2日ほど落ちちゃいました。
 コメントのお返事も遅くなりまして、すみませんでした。

 で、しばらくぶりに戻りましたら、 

 いつの間にやら4万ヒット!  
 みなさまのおかげです、ありがとうございます!!
(3,4日前だったのかな、気付かなくてすみません~。 お礼言うの遅れちった)

 文字ばっかりで退屈なブログに、今日もようこそおいでくださいました!
 感謝の気持ちを込めて、お話のつづきです。
 本日もバカバカしくってすみません……。







天国と地獄3 (3)




「………………………………………………………………………………お母さん?」

 長すぎる間は、彼女の言葉を理解するのにそれだけの時を要した、ということだ。
 薪の頭脳に搭載された超高性能ハードディスクは、網膜から入力されたデータと耳介から飛び込んできた言語の間に存在する乖離の大きさに、一瞬でクラッシュした。仕事用の頭脳が働かなくなった彼に残されたのは、ズレまくってる、とかつて何度も親友の失笑をかったプライベイト用のIC。それは時に常識を軽々と超えて、人々を驚嘆させる結論を導き出す。

 ――――― 彼女が岡部の母親?
 ありえない。10代で岡部を産んだとしても、岡部は現在38、ならば母親は50代後半のはずだ。
 色眼鏡の強度を割り増ししていくら年嵩に見ても、彼女は30代後半。それ以上は無理だ。でないと、己の常識が崩壊する。これが50代後半の肌だったら、彼女は人間じゃない。
 ……もしかして、魔女?
 夜な夜な若い娘の生き血を絞ったバスタブに身を沈めて、『わたくしに永遠の若さを』とかやってる? 岡部は彼女の魔力で操られてて、生贄の調達をさせられ――。

「ぼ、僕は男ですから! 僕の血に効き目はないと思います!」
「はあ?」
 緑がかった目とピンク色の唇をポカンと開けて、薪に相対した美女は返された言葉に呆然とする。
 彼女が点目になるのも無理はない。急に青冷めて、突然叫んだ薪の思考経路を読める者がいたとしたら、それは神さまかテレパシストか。
 いやいや、岡部副室長その人だ。

「お母さん。風呂を使いますから、着替えを用意しておいてくれますか?」
 岡部は薪の思考があさっての方向へ暴走しているらしいことを悟ると、機転を利かせて彼女をその場から去らせた。こんなスットンキョーなことを考え付く変人の下で自分が働いていると分かったら、彼女に要らぬ心配をさせてしまう。
 彼女が岡部の部屋に着替えを取りに行ったのを確認して、岡部は上司のあり得ない誤解を解きにかかった。

「薪さん、安心してください。おふくろは普通の人間です」
「嘘だ! あんな50代が存在してたまるか。いくら女性が化粧で化けるからって、実年齢より20歳は若く見えるぞ? 人間業じゃない」
「いや、あなたには言われたくないです」
 実年齢より20歳若く見えるのはお互いさま、ちがう、彼女は普通の人間だ。異常なのは薪だけだ。
「彼女は実の母親じゃありません。年齢は俺より下です」
 嫌々ながらも岡部家の事情を白状すると、薪は亜麻色の瞳を小さく引き絞って、「ああ、なるほど」と軽く手を合わせて頷いた。

「そうか、思いもよらなかった。事実は小説よりも奇なりというやつか」
「見た瞬間に分かるはずなんですけどね。全然似ていないし」
「そんなことはない、共通点はあるぞ。眼が二つで鼻が一つで口が」
「仕事が絡まないとその程度の顔認識能力しか発揮されないんですね……」
 不思議な人だ、仕事の時は顔認証システム真っ青の記憶力なのに。この人の頭の中ってどうなってるんだろう。

「なるほど、義理のお母さんか。て、おまえ、あんな美人とふたりきりで暮らしてたのか?!」
 言われると思った。だから会わせたくなかったのだ。
 彼女は今夜、同窓会の予定が入っていて、ここにはいないはずだった。だから薪を連れてきたのに、この雨と猫のせいで思惑が外れてしまった。彼女は雨に濡れるのが大嫌いで、可愛いものに目がないのだ。
 岡部が今の段階で取れる最上の策は、一刻も早く薪を家から追い出すことだ。余計なことを悟られないうちに。

「そんなことはどうでもいいでしょう。とにかく、早く風呂に入って身体を温めてください。夏とはいえ、風邪を引きますよ」
 この会話を打ち切りたい気持ちもあったが、それ以上に岡部は薪の身体を心配して、彼に風呂を勧めた。それなのに薪は、岡部の言葉に頷くこともせずに、
「よく理性保ってるなー」
 このっ、スットンキョー男爵がっっ!!

「なに言い出すんですか! 母親ですよっ!」
 西の鬼瓦と称されてマル暴関係者にも恐れられる鬼警部の恫喝に、薪は顔色ひとつ変えずに平然と嘯いて、
「彼女の名前は? なんていうんだ?」
「雛子ですけど」
「ふうん。ヒナコさん、て呼んでるのか?」
「…………風呂はあちらです」
 恐ろしい眼で薪を睨んだまま、岡部はバスルームの方向を指し示した。岡部は本気で怒っていたが、薪はニヤニヤ笑いを浮かべたまま、足取りも軽くリビングを出て行った。

 何だか、一番タチの悪いひとに秘密を知られたような気がする。
 薪は一旦思い込んだら、ちょっとやそっとのことでは考えを変えない。勘違いが得意なくせに、自分の間違いを認めようとしない。現実との辻褄が合わなくなれば、思惑に合うように事実を曲げて解釈するのが得意だ。
 あれでどうして百発百中の推理が展開できるんだろう。本当に不思議な人だ。

「靖文さん」
 薪と入れ替わりに、年下の母親がリビングに入ってきた。彼女は両手に岡部の寝巻きを持っており、それを岡部に差し出しながら、常になくしおらしい口調で不安げに尋ねた。
「もしかして、わたくし、お邪魔でした?」
「まあ、会わせたくはなかったですね」
 少々無愛想に彼女から着替えを受け取り、ワイシャツを脱ごうとして躊躇する。このひとの前で着替えるのは、まずいか。

 岡部が着替えのために自分の部屋に戻ろうとすると、彼女は頬に片手を当て、ひどく後悔する様子で、
「やっぱりそうでしたの。ごめんなさい、気が利かなくて。わたくし、自分の部屋でじっとしておりますから、どうかお気になさらず。ええ、それはもう、息も殺しておりますから。もちろん、靖文さんのお部屋の様子を伺ったり、夜中に突然ドアを開けたりしませんから、どうぞ朝までごゆっくり」
 ここにもスットンキョー男爵が!!

「ちょっと待ってください!! 何を誤解してるんですか、あなたはっ!」
「いいんですのよ。靖文さんも、いつまでも子供じゃありませんもの」
「あのひとは男ですよ!! 俺の上司です!」
「えっ?」
 岡部が事実を端的に告げると、彼女は自分の思い違いを恥じるように頬を染めた。薪のことを完璧に女性だと思いこんでいたらしい彼女は、まあ、と軽い驚きの声を洩らすと、
「わかりましたわ、靖文さん。気をしっかり持ってくださいね。世間の目になんか負けちゃ駄目。一番大事なのは、お互いの気持ちですからね。お母さんは、いつでも靖文さんの味方ですよ」
 ブルータス、おまえもかっ!!!

「いやですわ、靖文さんたら。母親が息子の恋を応援するのは当たり前のことですのに。感激のあまり、涙なんて」
「カンベンしてくださいよ……」
 勘違いの大玉ころがしは薪だけで間に合ってる、ていうか、持て余してるのに!

 誤解を解く気力を振り絞ろうにも、雨に打たれてブルーになった身体と薪に秘密を知られてしまったショックで、岡部の心は麻痺寸前だった。何だか膝の力まで抜けてきて、この場に座り込んでしまいそうだ。
 がっくりと俯くと、自分の身体から落ちた雨の雫が、リビングの床に敷かれた夏用のイグサで編まれたカーペットに染みを作っているのに気付いた。これはまずい、早く着替えてこないと母親の仕事を増やしてしまう。
「俺は部屋で着替えてきます。すみませんが、バスルームに薪さん用の着替えを」
「あ、それなら脱衣所に置いておきましたわ」
 さすが母親、きめ細かな気配りはお手の物だ。
 ありがとうございます、と礼を言ってその場を去りかけた岡部は、ある可能性に気付いて立ち止まった。短い髪から拭き取り切れていない水滴が飛び散るのを気にする余裕もなく、バッと後ろを振り返って、
「どんな服を?」
「わたくしのワンピースを」

 その言葉を聞き終える前に、岡部が猛スピードで脱衣所へ走ったのは言うまでもない。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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