緋色の月(16)

緋色の月(16)




 初めて見る天井だった。
 斑にぼやける意識の中で薪はそれを視認し、しかしすぐに彼の瞳は男の唇にふさがれた。

「薪さん、始めるよ」
 精神科医の声が聞こえた。声の方向に頭を倒すと、東条と目が合った。彼は床に屈み、リクライニングチェアに横たわっている薪に高さをあわせ、彼の顔をじっと見ていた。
 身体は動かせなかった。両手が肘掛けに包帯で縛られ、両足首は自分のベルトで一つに結わえられていた。声も出せなかった。布のようなものを口に押し込まれ、その上から紐のようなもので縛られていた。

 意識が明確になるに従って、薪は自分の置かれた状況を正確に理解し始めた。
 やばい。殺人犯に捕まった。

 自分を拘束した時点で、薪は東条の有罪を確信した。こいつが二人を殺したのだ。青木に罪を着せたのも、この男だ。
 おそらく彼は、自分たちが公園でしていたことを目撃していた。あの場所に、彼もいたのだ。そして自分たちが立ち去った後、草叢に落ちた青木の精液を手に入れた。それを被害者の女性に注入したのだ。
 彼は医者だ。急患に備えて、最低限の医療器具は常備しているのだろう。昨日薪と偶然会ったときも往診カバンを持っていたし、夕方からの聞き込みのときもカバンを手放さなかった。一昨夜も持っていたとして、不思議はない。

「最近、調子はどう?」
 診察室で訊くのと同じように尋ねられて、薪は不快感を露にする。猿轡をした相手にカウンセリングなんて、完全に遊ばれている。薪がくぐもった唸り声で不満を訴えると、東条は苦笑して、薪の呼吸を不自由にしている拘束物に手をかけた。
「そうだよね、これじゃお喋りできないよね。大きな声を出さないって、約束できる?」
 薪はコクコクと頷いて、でも大人しくする心算は毛頭ない。犯人を捕まえるためなら、薪は手段を選ばない。犯罪者との約束なんか破るためにあるのだ。
 が、次の瞬間、薪は心の中で自分の主張を必死で撤回する羽目になる。東条が、診療カバンから刃物を取り出したのだ。

「ちょっと強く縛りすぎちゃって、解けないから。じっとしててね、薪さん」
 それは、昨夜台所で使った万能包丁だった。自分が研いだ包丁の切れ味を自分の肉で試すなんて、冗談じゃない。
 東条は、薪の口を縛った紐をスパリと切り、薪の唇を解放すると、包丁を布に包んで診療カバンに戻した。薪の口を縛っていたものは包帯で、中に入っていたのはガーゼだったが、それもきちんと折りたたんでカバンに入れた。薪がここで拘束されていた証拠を残さないように、気をつけているらしい。
 警察の科学捜査を舐めるな、と言いたかった。風呂の排水溝に残った髪の毛一本からでも、自分のDNAは検出できる。この時代に完全犯罪なんかありえない。
 それを諭して、彼に自首を勧めようと思った。本音では死刑にしてやりたいけれど、自分は警察官だ。犯罪者に正しい道を示すのも、仕事のうちだ。

「おまえがやったんだな」
 薪が鋭く訊くと、東条は「なにを?」と無邪気に返してきた。
「空とぼけても無駄だ。公園内に落ちていたストラップは、鑑識に回すよう頼んでおいた。指紋の照合が済めば、警察がここに来るぞ」
「そうなんだ。じゃあ、あんまり時間はないんだね。残念だな」
 東条は不満そうに唇を尖らせ、肩を竦めた。これは犯行を認めたことになるのだろうか。
 警察が来ると聞いても焦った様子のない東条に、薪は不吉なものを感じた。捕まることを怖れていない、そういう犯罪者は厄介だ。彼らの半数は自棄になり、もう半数は何らかの覚悟を決めていることが多い。

「なぜだ」
 彼の心理状態を把握しようと、薪は東条に話しかけた。カウンセリングのスペシャリストに精神分析を試みようなんて、滑稽だが仕方ない。決定的な証拠はないのだから、東条の自白を取らなかったら青木は留置所から出られない。

「何故あんなことをした。彼らに何か恨みでもあったのか」
「別に。恨みなんかないよ。あそこで会うまで彼らの顔も知らなかった。ていうか、ごめん、今も憶えてないや」
「じゃあどうして」
「君があそこに残してくれたものを、彼らが台無しにしたからだよ」
 東条の指先が薪の襟元にかかり、ワイシャツのボタンを外した。慣れた手つきだった。

 なにをする気だろう、と薪は不思議に思い、訝しげに彼を見上げた。
 自分を殺す気なら、失神していた間にいくらでもやれたはずだ。そのほうが手間も掛からないし、確実に息の根を止められただろう。それをわざわざ薪が意識を取り戻すのを待って猿ぐつわまで解いて、もしかしたら東条はサディストなのかもしれない。薪が死の恐怖に怯える様を見て楽しみたいのかも。

 的外れな予想に、薪は身を硬くする。彼が自分に性的な欲望を抱いているとは、露ほども考えなかった。
 薪は人の好意に鈍感だ。昔、青木が半年もの間薪への気持ちを暖めていたのに、好きだと告げられるまで、ちっとも分からなかった。毎日顔を合わせる部下相手ですらその調子だったのだ。月に一度くらいしか接触を持たない精神科医の想いになど、気付くはずもなかった。

「あの夜の君は、とてもきれいだった。この世のものとも思えなかったよ」
 東条は夢でも見ているようにうっとりとした瞳をして、それはあと何時間かで警察が自分を捕らえにくるという追い詰められた彼の状況にまるでそぐわなかった。
「あそこには君の残像が、匂いが、息遣いが残っていたのに。それは君が僕に残してくれたものだったのに、あいつらはその上で汚らしくまぐわって」
 東条の言っていることは、薪には半分くらいしか理解できなかった。特に『君が残してくれたもの』の意味がわからない。自分があそこに捨てたのは、青木の精液と羞恥心だけだ。
 とにかく、東条は彼らが薪たちと同じ場所で行為に及んだことが許せなかったらしい。しかしそれは、薪には全く同調できない殺意の理由だった。

「そんなことで?」
「残像とはいえ、君を穢したんだよ。許せるはずがないだろう?」
 ワイシャツのボタンがすべて外され、彼の手が薪の胸にあてがわれた。心臓の場所を確認されているのだ、と薪は思った。
 きっと東条はさっきの包丁を用いて、薪の身体を切り刻もうとしているに違いない。人を生きたまま刻むには、大動脈を傷つけてはいけない。主要臓器も避けないと、出血のショックでそのまま死んでしまうことがある。だからシャツをはだけて血管と内臓の位置を確認しているのだ。

「近くにあった石で殴りつけたら、男は簡単に死んだ。女の方は、何が起きたか分からないみたいだった。下半身丸出しのみっともない格好で、ポカンとした顔して……何度思い出しても頭にくる。彼らは自分がどれだけ罪深いことをしたのか、分かってないんだ」
「よくもそんなことを!」
 自分が殺されるかもしれない状況にあって、彼を非難する言葉は勝手に出てきた。独りよがりな理屈で二人の人間の命を奪った東条を、薪は許せなかった。薪の中の正義感が、怒りになって彼の身を震わせた。

「あんな馬鹿女の体内に、君のものを入れたことは謝るよ。それだけは、本当に申し訳なかったと思う」
「僕のじゃない、あれは青木のものだ」
「ちがうよ。あれはきみのものだよ。君の中から出てきたんだから、きみのものだ。だから拾っておいたんだ。青木くんは、彼は重要ではない」
「拾っておいた」という東条の言葉に、薪は自分の思い違いを知る。
 順番が逆だ。殺人が先ではなく、体液の収集が先だったのだ。東条は捜査をかく乱するために、たまたま落ちていた青木の体液を利用したのではない。予め手に入れておいたそれを使ったのだ。

「きみは自分の身体からあれを草の上に出して、それは僕に残してくれたんだってすぐにわかった。僕があそこにいたの、きみは知っていたんだろう?」
 つまりそれは――――― どういう意味だ? 薪の身体から出てきた汚物が、東条にとっては価値のあるものだったとでも言うのか?

「きみが僕にくれたものは、全部取って置いてるんだよ。僕のコレクション、見る?」
 東条はこの二日、決して手放さなかった黒い診察カバンを持ってきて、その中身を取り出して見せた。
「いつも持って歩いてるんだよ。いつでも君を感じられるように」
 コルク栓をされた透明な広口瓶が、いくつも出てきた。その中身は、毛髪、汚れたティッシュ、爪など、誰が見てもゴミと判断されるものばかりだった。
「これはね、昨日入ったばかりのニューアイテム」
 それは薪の髪に落ちた桜の花びらと、薪が夕飯を食べるときに使った割り箸だった。

 おぞましかった。
 男に告られて不愉快な思いをしたことは何度かあったが、こんな人間はいなかった。彼の執着は異常だ。

「…………狂ってる」
「狂ってる? 僕が?」
 思わず出てしまった薪の呟きを逃さず、東条は薪を咎めた。
「君が悪いんじゃないか」
 両手で薪の頬を挟み、ぐっと顔を近づけて、すると彼の瞳には異常者特有の度を越した熱っぽさが宿っており、薪は彼の精神が限りなくあちら側に傾いていることを悟って唇を結んだ。下手なことは言わないほうがいい。

「君に出会うまで、僕の人生は光に満ちていた。家は貧しかったけど、周りの人々はみんな親切で、僕は彼らに感謝しながら自分を幸せな男だと思って生きてきた」
 東条の手が、薪のズボンにかかった。真ん中のフックを外されて、ファスナーが引き下げられる。下着の中に彼の手が入ってきて、薪はようやく東条の真意に気付いた。
「それが君に出会ってからは、君のことしか考えられなくなった。他の人間はどうでもよくなったんだ。君に会えない時間は世界が闇に閉ざされたようで……。
 なのに、君はあの男とあんなことをして!」
 東条は唐突に口調を変え、薪の脚の間で身を竦めているものを強く握った。薪は痛みに仰け反り、しかし声は上げずにじっと堪えた。この状況で相手を刺激するのは自殺行為だと分かっていた。

 痛みの中で、薪はやっと彼の闇を理解する。
 公園で東条が見た光景は、彼の心の均衡を突き崩した。彼は薪に恋情を募らせ、妄想に妄想を重ねて、それでも人間としてギリギリの範囲に留まっていたのだ。ところが彼は、恋焦がれた相手が公共の場所でふしだらな行為に及んでいるところを見てしまった。それが偶然か薪の後を付けていたことによる必然かは不明だが、彼が大事に守ってきた世界を壊す原因になったことは想像に難くない。
 それで、『君が悪いんじゃないか』か。

「僕はとても辛かったんだ、察して欲しい」



******


 この男、気色悪い、と書きながら思っているしづですが、
 もしかすると、
 薪さんが飲み残したコーヒーとかあったら飲んじゃうかも。
 薪さんが使った割り箸とか紙ナプキンとかあったら、こっそり持ち帰っちゃうかも。
 なんのかんの言って、東条もしづの分身のひとりなんですねえ。(--;


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緋色の月(15)

 こんにちは。

 秘密ファンなら誰しもが薪さんの無事を祈っているこの時期に、こんなキモチワルイ話の続きを公開してすみません。 
 広いお心でお願いします。




緋色の月(15)




 彼の眼は、いつも安らかに閉じられていた。
 長い睫毛が白い頬に影を落とす。物静かな鼻も、軽く結ばれたくちびるも、すべてが信じられないほどに美しく、東条は彼に触れずにはいられなかった。
 この顔で、彼は東条の質問に答えた。

「今日、君をここへ送ってきたのはだれ?」
「岡部と言って、僕の部下です」
「どんなひと?」
「とても優秀な捜査官です。僕は彼を一番信頼している」

 眼を閉じたときの彼は、とても正直だった。思ったことを素直に口にし、嬉しいことには微笑み、哀しいことには眦を下げ、悔しいことにはくちびるを噛んでみせた。
 
 Hシオンという薬品は睡眠剤の一種だが、効き始めが20~30分と短く、その間に上手く誘導すれば患者の本心を探る事ができる。東条はこれを飲み物に混ぜて薪に飲ませ、秘密裏にカウンセリングを行っていた。
 この薬品には一時的な健忘の効果もあり、眼が覚めたとき薪は、東条に質問を受け、自分がそれに何と答えたか、まったく覚えていなかった。
 東条がこのクスリを使ったのは、彼の心が健常であるかどうか確かめて欲しい、と警視総監に頼まれたからだ。東条は警視庁の専属カウンセラーだ。当然、彼のクライアントは警視総監だ。断ることはできなかった。
 
 何度か試してみて、彼の精神はとても安定していると思った。先輩医師の診断は、間違っていなかった。
 東条は、それを総監に報告しようとした。薪警視長の精神は安定した状態にあります、もう治療の必要はないでしょう。
 でも、と彼は思った。
 報告を終えたら、薪に会えなくなる。彼の姿を見ることができなくなる。

 迷った末、東条は報告書に、『ほぼ安定しているが経過観察の必要あり』と記載して提出した。その頃の東条は既に、薪に異様な執着を抱くようになっていた。

 薪と初めて会ったのは、3年前だ。
 先輩医師が体調を崩して退職し、カウンセリングを引き継いだ患者の中に彼がいた。
 最初に彼を見たとき、東条は純粋に驚いた。こんな美しい人が警察官で、しかも自分の診察室の回転椅子に座っている。それは俄かには信じがたいことだった。I県の片田舎で育った東条は、こういう特別な容姿を持った人間は、銀幕か液晶パネルでだけお目にかかれるものだと思い込んでいた。

「今度の先生は、えらくお若いんですね」
 初めましての挨拶の後、彼にそんなことを言われた。
「前の先生には、昔話ばかり聞かされたんですよ。カウンセリングを受けに来た患者の方が話を聞くって、おかしくないですか?」
 先輩医師が残したカルテには、現在薪の精神は健常者のそれと何ら変わりないことが記載されていた。しかし、彼にカウンセリングを命じている総監にそれを報告しても納得してもらえない、と彼は零していた。薪は官房長の派閥に属する人間で、警視総監とは敵対している。その辺の事情が絡んでいるのだろう、と先輩医師は推察していた。

 彼といろいろな話をするうち、彼がとても美しい心を持っていることに東条は気付いた。彼は純真で、真っ直ぐな理想をその精神の中枢に置いていた。それが彼をいっそう輝かせていることを知って、東条は彼に憧れを持つようになった。
 だから、診察中に彼が眠ってしまっても、その身体を自由にしたいとは最初は思わなかった。そんな冒涜は許されないと強く自分を戒めていた。生まれたままの彼の姿を夢見ないでもなかったが、東条の診断では、薪は自尊心が高く、男性的な精神の持ち主だった。そんな彼が男から受ける性的な奉仕を悦ぶとは考え難かった。

 箍が外れたのは、1年ほど前のことだ。
 その日は日曜日で、薪を送ってきたのは、若い男の部下だった。ヒゲの男ほど頻繁ではないが、今までも時々、彼の送り迎えをしていた。彼はとても背が高く、顔も良く、立派な体躯をしていた。薪と並ぶと実に絵になって、東条は微かに胸が疼くのを感じた。
「1時間後に迎えに来い」
 命令口調で言い放った薪に、はい、と返した彼の微笑が、何故かその日は蕩けそうに甘やかで、それが東条に疑惑を生じさせた。ちらっと彼を見上げた薪の視線が妙に艶めいていて、東条の疑惑は瞬く間に大きく膨れ上がった。

 しばらく中断していたHシオンを、その日東条は薪に投与した。
 薪が薬によるトランス状態に陥ったのを確認すると、東条は質問を開始した。

「今日、君を送ってきたのはだれ?」
「青木一行という男です」
「どういうひと?」
「彼は僕の」

 薪は口ごもった。
 彼が素直に答えないなんて、薬が効いていないのかと東条は焦ったが、ちがった。彼は自分の中に、彼を表わす言葉を捜していた。

「部下ではないの?」
「部下です……ああ、ちがう、彼は」

 はあ、と彼は悩ましげなため息を吐き、小さく首を振った。白い頬に朱が浮かび、それは彼の最上の喜びを表していた。

「かれは、なに?」
「彼は、僕の一番大事なひとです」

 そう言うと、彼はとても幸せそうな顔をした。

「だいじなひと?」
「大事です……かれが大事……なによりもだいじ……」
「彼を好き?」
「すきです。だいすき」

 嫌な予感がして東条は、眠りに落ちた薪の、シャツのボタンを外してみた。確認せずにはいられなかった。
 その光景は、東条にとっては晴天の霹靂だった。
 薪の白い肌に、赤い痣がいくつも残されていた。そちらの方面に疎い東条にもすぐに分かった。今日、彼はあの男に抱かれてきたのだ。
 ショックだった。東条は随分前から、彼を患者として見ていなかった。患者として見る事ができていたら、こんな衝撃は受けなかったに違いない。職業柄、隠された性癖を持つ人間は見慣れていたからだ。
 こんな彼を見たくない、現実を知りたくないと思うのに、東条は自分の手が彼の衣服を剥いでいくのを止められなかった。自分の目が、彼の身体にあの男との情事の証拠を探すのを止めることができなかった。

 休日らしくラフな服装をした彼の、ズボンを脱がせ、下着を取り去った。脚を開かせると、臀部に近い内腿にまで赤い刻印が為されていた。
 こんな場所にまで、あの男の唇が触れるのを許したのか。
 東条の脳裏に、年若い捜査官が彼の内股に顔を埋める画が浮かんだ。想像の中で薪は、脚を大きく開き、その間で動く男の黒髪に手指を埋めていた。切ない声を洩らし、腰をくねらせて、彼の口中に白濁した快楽の証を注いだ。

 残像のように流れていくその情景は、しかし東条に、薪に対する嫌悪や幻滅を抱かせなかった。それどころか、そのとき彼を訪れたのは歓喜に近い感情だった。
 東条は生まれて初めてとも思える、極度の興奮を味わっていた。彼の白い身体を彩る朱印をひとつひとつ指でなぞり、彼のやわらかい内股に手を這わせた。彼は深い眠りの中にいて、東条の指に反応することはなかったが、東条の興奮状態は続いた。
 
 目を閉じて身体の力を抜いて、自分からは一切動かず、東条の愛撫を受けるだけの彼。どこぞの女のように、浅ましく東条の身体を貪ったりしない。彼の性はとても慎ましいのだと東条は考えた。
 東条は自分のズボンを下ろし、下肢を露にした。東条のそこは、どんな女性を前にしたときよりも激しく昂ぶっていた。
 薪を送ってきた男が想像の中でしたことを、東条も彼にしてあげたいと思い、それを実行した。彼の肌に舌を這わせながら、東条は己が手で自分の欲望を擦り立てた。
 限界を感じると、東条は彼の上に乗り、自分の欲望を彼の慎ましやかなそれに押し付けた。途端、強烈な快感が東条の背中を駆け上り、夢中で擦り付けて、果てた。

 彼の白い肌に残された赤い痕跡、その上に自分の体液が散って、穢されたはずの彼はしかし、鮮烈に美しかった。それは東条の網膜に焼き付けられ、次第に彼の脳に浸透し、彼の精神を歪めていった。
 
 捻じ曲げられた感情は、東条に偏った思考を生じさせた。それは、薪も自分を好きなのではないか、という自分に都合の良い妄想だった。
 彼はこうして、カウンセリングのたびにその身を自分に預けてくれる。拒否したことは一度もない。もしかしたら彼も、この秘密のカウンセリングを楽しんでいるのではないか?
 その証拠に彼は、必ずと言っていいくらい夜遅い時間にカウンセリングを申し込んでくる。仕事の都合だと彼は言うが、本当は、看護師が帰る頃合を狙っているのではないか。自分と二人きりになりたいから、自分の愛撫が欲しいから、だから。

 ああ、そうだったんだね。
 きみの健気な恋心に気付いてやれなくて悪かった。僕がたまにしか相手をしてやれないからきみは寂しくて、それであんな男と。
 言ってくれれば、いつだって応じたのに。僕が忙しいから、気を使ったんだね?
 本当にすまなかった。
 もう、代用品なんかで済ませなくていいんだよ。僕はずっときみの側にいることにしたから。
 そう、ずっと一緒だよ。

 
 穏やかに開かれていた眉間がぴくりとうごめき、長い睫毛が震えた。んん、と低く呻いて、彼は眼を開けた。
 東条は彼の亜麻色の瞳に唇を寄せて、そっと囁いた。

「眼が覚めた? じゃあ、カウンセリングを始めようか」
 


*****


 相変わらず彼は美しい、と私は思いました。
 
 彼は大人しく、私の前に横たわっています。それは大そう眩しい光景でありました。窓から差し込む日の光が、彼の亜麻色の髪と白い頬を輝かせ、小さく結ばれた唇は薔薇の蕾のように可愛らしくありました。
 いつもと何も変わりません。診療室が自分の部屋になっただけのことです。でも、今日は時間の制約はありません。彼を迎えに来るものはおりません。私は、彼が目覚めるのをじっと待ちました。

 やがて彼は目を開けました。

 透明度の高い亜麻色の瞳が、ぼんやりと私を見ました。それはあの夜の、彼の様子に酷似しておりました。
 緋色の月の下、私以外の男に身を任せていた彼。
 美しかった、例えようもなく美しかった。でも、二度とあんなことがあってはならない。私以外の男の手が、彼に触れることは耐えられない。

 私はすでに、決意を固めておりました。
 まだ眠りから醒めきらない彼に、私はそっと囁きかけました。

「僕とお喋りしよう。薪さん」


*****


 うう、気持ち悪い、この男……。
 こんなんだったら間宮のほうがなんぼかマシだと思ってしまうわたしは、人として終わってるのかしら★


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緋色の月(14)

 今日はメロディの発売日ですよ。
 はあ~、どきどきします~。 
 あおまきさん、仲直りしたかな~。 (←そこかよ!)

 お話の方も、やっとドキドキしてきたかな。
 本日も広いお心でお願いします。(^^





緋色の月(14)





 彼が息を弾ませて東条家の門に走りこんできたとき、東条は二階の自分の部屋にいた。リクライニングシートに座り、背もたれにもたれて、銀白色の携帯電話を弄っていた。
 窓際のその席からは、家の前の通りがよく見えた。スプリングコートの裾をはためかせて走る彼は、活発な少年のようだった。平均的な成人男子よりも大分小さい、ユニセックスな身体。まるで彼に人としての穢れを許さない神が、純真な少年のまま彼の時を止めてしまったかのようだ。

 彼の姿を認めると東条は、階段を下りて玄関で彼を出迎えた。玄関に東条がいるとは思わなかったらしい彼はひどく驚いた表情をしたが、それは完璧な彼の美貌をほんの少し崩して、しかしその僅かなアンバランスが彼を最高に可愛らしく見せる。取り澄ました彼も魅力的だが、どちらかというと東条は、ふとした瞬間に見せる彼の素の顔をより好ましいと感じていた。

「お帰り。朝ごはん、目玉焼きとみそ汁でいい?」
 目玉焼きは周りの部分が少し焦げてしまったけれど、黄身を割らずに上手にできた。春玉ねぎの味噌汁は具を刻むときに誤って指を切ってしまったけれど、甘みがあって美味しい味噌汁ができた。きっと彼も喜んでくれると思った。
 しかし彼は、三和土から上がろうともせず、険しい顔で東条をじいっと見据えた。
 昨夜とは別人のような彼の態度を不思議に思って、東条は首をかしげた。昨夜、彼はとてもやさしくて可愛いかった。にこにこと笑いながら、東条に夕食を作ってくれた。なのに一晩経ったら彼の態度は豹変していて、東条は戸惑っていた。

「薪さん、どうしたの」
「先生。以前僕が差し上げた携帯ストラップを、今もお持ちですか?」
 それは東条が一昨日からずっと探していたものだった。彼が自分にくれた大事な贈り物。失くしたと知って、東条はとても悲しかった。

 彼が自分に贈ってくれたものはたくさんあるが、どれもみんな貴重だ。
 例えば、彼が診察用のベッドに横たわるときに使った紙製の枕カバー。寝台に落ちた彼の髪の毛。くちびるを拭ったティシュー。
 それらはみんな、彼を思い出す因にと彼が自らの意思で東条に残してくれたものだ。どれ一つとして、失っていいものはなかった。
 中でもこれは、いつでも東条と一緒にいたいと言う彼の気持ちの表れだと思った。携帯電話という常備品につけるアクセサリ。―― これを僕だと思って、いつもあなたの身につけていてください―― なんてかわいらしいことを考えるんだろう。彼の奥ゆかしい愛情表現に、東条は感激した。

「同じものを、この町で拾いました」
 そうか、彼が拾ってくれていたのか。
 運命だと思った。彼の想いが込められたアイテムは、それを所持すべき者の手に戻ってくる。彼の手を経て、また新たな愛情を注ぎ込まれて、ああでも、そんなアイテムに頼らなくても、もう彼は僕のもの。

「きみが拾ってくれたのかい? ありがとう」
「今は持っていません」
 礼を言って手を差し出した東条に、薪は素っ気無く首を振り、ストラップは別の場所に保管されていることを伝えた。
 彼の不機嫌の理由が分かった。自分が心を込めて贈ったものを失くされて、彼は腹を立てているのだ。子供みたいだ。本当に彼はどこまでかわいいのだろう。

「じゃあ、それはまた後でね。それより食事にしよう。お腹ぺこぺこだよ」
 薪を玄関口に残したまま、東条はキッチンに向かった。
 不機嫌を装いながらも黙って自分の後ろを付いてくる彼の従順を、東条は愛しく思う。素直で、愛らしくて、でも彼はとっても恥ずかしがり屋だから、自分の気持ちをはっきりと東条に告げたことはないけれど。ちゃんと分かっている、彼は僕を愛してる。それくらい分かってあげられなかったら、カウンセラーなんかやってられない。

 彼をダイニングテーブルに着かせ、味噌汁を温める。東条がごはんを茶碗によそろうとすると、自分は要らない、と薪に言われた。
 せっかく作った朝食を断られて、東条はがっかりした。でもすぐに自分の失態に気付いて、申し訳ない気持ちになった。彼は低血圧症だ。きっと、朝はいつも食事をしないのだ。彼の慣習を知らなかったことは残念だが、これから覚えればいい。明日は失敗しない。
 
 昨夜と同じ席に座り、薪は何事か考え込んでいる様子だった。
 亜麻色の瞳が、東条の一挙手一投足をずっと追いかけている。自分に纏いつく彼の視線に、熱いものを感じる。
 そうか、と東条は思う。
 昨夜は同じ屋根の下にいたのに、自分が何もしなかったから、彼は拗ねているのだ。昨日は朝から晩まで動き詰めで、彼も疲れているだろうと思って気を使ったつもりだったのだが、寂しい思いをさせてしまったらしい。せめて一緒の布団で寝てあげればよかった。

「薪さん。ごはん食べたら、ちょっとお喋りしようか」
 薪は少しの間をおいて、こくっと頷いた。
 やっぱりそうだ。彼は寂しかったのだ。『お喋り』という言葉に隠された秘密を僕と彼は共有している。それを承知で頷いたのだから、今日こそ彼は僕のものになってくれるのだ。
 
 先生、と小鳥が鳴くような声で呼びかけられて、東条は、うん、と返事をする。クッキングヒーターのスイッチを切って、味噌汁を汁椀に注ぎながら「なんだい?」とやさしく尋ねた。
「ストラップは、いつ失くされたんですか?」
 まだその話?
 やれやれ、よっぽど腹を立てているようだ。でも、彼のご機嫌を直す方法なら心得ている。朝食を済ませたら、彼の望むことをたっぷりしてやろう。

 目玉焼きを頬張りながら、東条はモゴモゴと答えた。
「こっちに着てからだから、昨日かな」
「そのストラップは、事件のあった公園の噴水の近くに落ちてました。警備の巡査が拾ったんです」
 硬いアルトの声が響いた。それは診察室ではついぞ聞いたことのない、事件に相対する際の彼の声音だった。
「事件の後、公園はすぐに閉鎖されました。今も警官が現場保存のために立っています。事件発生は二日前の深夜。昨日この町に着いた先生が、どうやって公園に落し物ができるんです?」
 薪がどうしてそんなにストラップに拘るのか、東条にはよく分からなかった。アイテムは大事だけど、それが本質じゃない。一番大事なものは、彼と自分の心の中にある。それを彼も知っているはずなのに、どうして突っかかるような言い方をするんだろう。

 少々面倒になって、東条はこの話題を切ろうとした。
「なら、それは僕のじゃないんだ。きっと、別のところに落としたんだね」
「あのストラップは限定品で、警視庁の職員かそれに関連のある人間しか持っていません。東京から3時間もかかるこの町に、そんな人物が二人もいるのは不自然ではないですか」
 言い争いを避けたいと思う東条の気持ちを知らぬ振りで、薪は食い下がった。
 突っ張る彼もかわいいけど、あんまりしつこいと興が冷める。恋人の嫉妬は愛情を強くするけど、ヒステリーは引かれる。それと同じだ。

「もうひとつ、気になっていることがあります。昨日の夕方、先生は僕に電話をくれたとき、一昨日の事件を『カップル殺し』と言いましたよね? 被害者が恋人同士だったという情報は、どこから得たんですか」
「そんなの、テレビのニュースに決まってるじゃないか。君は一日歩き回っていたから、テレビを見ていないんだろう」
「I署による報道規制で、この事件に関するニュースは差し止められていました。事実、夕方旅館で確認したニュースでも、夜この家で見たニュースでも、事件は報道されていなかった。この事件のニュースが流れたのは昨日の朝1度だけ、その時点では被害者は男女と報道されただけで、被害者の関係については言及されていませんでした。なのに先生は、それを知っていた」
「……清川さんに聞いたんだよ。警察署で」
「そう、僕もそう思い込んでいました。清川課長や、あるいは町の人々から情報が渡ったのかもしれないと。でも、もう一つの可能性があることに気付いた。
 先生は公園で彼らを見た。だから彼らが恋人同士だと知っていたのではありませんか?」
「やれやれ。一つの可能性とやらで疑われちゃ敵わないな」

 食事を終えて、東条はコーヒーを淹れた。
 これなら薪も喜ぶだろう。彼はコーヒーが好きなのだ。インスタントだけど、スーパーで一番高いのを買ってきた。東条にはこれで充分美味しい。

「薪さん、そんなに怖い顔しないで。これじゃカウンセリングにならない」
 愛を語ろうとしているのに、その口元はありえないと東条は思った。きりっと結ばれたくちびるも綺麗だけど、ふわっと笑っているいつもの彼のくちびるが東条は好きなのだ。
「もっとリラックスしてくれないと。はい、これ飲んで」
「けっこうです」
 懐柔策のコーヒーを断られて、東条は肩を竦める。これ以上突っ張る気なら、こちらにも考えがある。手荒な真似をする気はないけど、多少のお仕置きは必要かもしれない。一昨日の夜のことも、彼には反省してもらわなければならないし。

「まずはそのストラップの問題を解決しないと、カウンセリングは不可能みたいだね。仕方ない、真面目に探すか」
 多分、彼の方も引っ込みがつかなくなってしまったのだと思った。だからこれは、彼のため。素直になれない彼の言い訳を、僕が作ってあげるんだ。

「あ、あった!」
 クローゼットの隅に置かれた旅行鞄を広げて、東条は声を上げた。
「鞄から持ち出すときに、引っ掛かって紐が切れたんだね。中に落ちてたよ。ほら」
 鞄の底を指し示した東条の鼻先で、亜麻色の髪がさらりと揺れた。鞄を覗き込む薪の、長い長い睫毛。目を開いていても美しいが、伏せ目がちになると嘘みたいに綺麗だ。

 ああ、でも。一番きれいなのは彼が眼を閉じているとき。いつも僕に見せてくれる、きみのあの顔。睫毛がとてもきれいな、きみの可愛い顔。
 今日も見られるんだね。うれしいよ。

「先生、どこに」
 つややかなくちびるから洩れた言葉の続きは、白い布に吸い込まれた。薪は瞬時に退こうとしたが、後ろ頭を押さえられ、布に鼻と口を押し付けられた。
 東条の胸に倒れ込むように、彼はその身を投げ出してきた。安らかに眼を閉じて、彼は自分の腕の中。
 ああ、いつもの彼だ。

「さあ、薪さん。僕とお喋りしようね」



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(13)

 こんにちは。
 仕事であっぷあっぷしておりまして、レスが遅くなってます。 申し訳ありません。
 総合評価入札方式? なにそれ、おいしいの? どんどん面倒くさくなるなー。(言ってはいけない一言) 
 現在、資格審査のための資料作りに追われておりまして、レスはもう少し待ってくださいね。
 
 記事は5分でアップできるけど、レスは時間掛けたいし~。
 とっても大切だから、ちゃんとお返事したいんです。 だから待っててください。


 それで、お話の続きなんですけど。

 ………あのねっ、
 これをミステリー小説だと思って読んではいけません! 事件の鍵とか、一生懸命に探しちゃだめー!! 
 素人が書いてる二次創作なの。 しかも、筆者の脳は身長に比例して小学生並で、だから生ぬるく! 真夏の炎天下に30分置いたスイカのようにヌルく見てやってくださいっ!!
 どうかよしなにお願いします。




緋色の月(13)





「先輩に気付かれると厄介なんで、庭に出てもらっていいすか?」

 峰山は後ろ頭をポリポリと掻き、困惑したような眼で薪を見つめ返した。親指を立てて窓の外を示し、薪に建物の外に出るよう促した。
 素っ気無いコンクリート造の庁舎の陰で、二人は同僚に隠れて付き合っている恋人同士のようにコソコソと話をした。薪と話をしているところを先輩刑事に見つかったら、峰山がこっぴどく叱られることは想像がついた。いくら薪が捜査の指揮権を奪うつもりでも、後輩に対する指導までは口が出せない。守ってやれない以上、彼の保身を優先するべきだ。

「その、薪警視長殿は」
「薪でいい」
 薪は階級に拘らない。名前だけで充分だ。煩わしい敬称は好きではない。
「薪、さんは、心の病で病院に通われてるんですよね?」
「心の病? 僕が?」
 形だけだが、警視総監の命令でカウンセリングには通っている。それを知っている誰かが、そんな噂を吹聴しているのか。これも峰山の友人からの情報だろうか。二課で自分の人物像がどんなことになっているのか、ものすごく不安になってきた。

「薪さんは誇大妄想を患っているから、彼の言うことは一切信じるなって、この事件の捜査に入ってすぐに言われて」
「誇大妄想? だれがそんなこと」
 事件の捜査に入ってすぐ、と言うことは、二課の友人から今聞いたのではない。薪の証言が役に立たなくなるよう、警視長の権威が効力を失くすよう、あらかじめ捜査官たちに吹き込んだ人物がいたのだ。
「それは言えませんけど……でも、昨日、課長と薪さんが話してたの聞いて、おれ、とてもそうは思えなくて」
 峰山は真剣な顔つきで、薪の眼を真っ直ぐに見た。若く純粋な光が青木の黒い瞳を思い出させ、薪はそれをとても好ましく受け止めた。

「事件は数じゃないって、おれも同じこと思ってたから」
「賛同してくれて嬉しいよ。ありがとう」
 にこりと微笑むと、峰山はぽかんと口を開いた。呆けたようになって、それから急に頭をブンブンと振った。若くても夜勤明けは辛いのだろう、と薪は彼に同情し、それは薪のお得意のカンチガイだったが、この場は流しておくが正解だ。

「そうだ、これ」
 ふと思い出して薪は、コートのポケットを探った。白いハンカチを取り出し、手のひらに載せる。中を開くと、そこには可愛いマスコットのついたストラップがあった。
「昨日、公園を警備してた巡査から預かったんだ。公園の噴水のところで拾ったって。一課か鑑識の誰かのものじゃないかな」
 面倒だったら署内の落し物入れにでも入れておいてくれ、と薪が警官としては少々不謹慎な解決策をほのめかしたのに対して、峰山は嬉しそうにストラップをつまみあげ、子供のように目を輝かせた。

「うわあ、ピーピくんだ。うちの人間のものじゃないと思いますけど、レアグッズだから欲しがるやつ多いだろうなあ。一通り当たってみて落とした人がいなかったら、おれ、もらっていいすか?」
 おかしなことを言う。これは警察全体に配られたのだ。駐在までは行き渡らなくても、所轄の人間なら皆持っているはずなのに。それとも彼は、刑事になって間もないのか? そんな未熟な人物に、課長がマスコミの対応を一任するとも思えないが。

「君、持ってないの?」
「持ってませんよ。非売品て書いてあるじゃないですか」
 何年か前に総務部から配られた品物であることを薪が明かすと、峰山はますますそれが欲しくなったようで、このままガメちゃおうかな、と冗談交じりに笑った。
「だってこれ、警視庁のマスコットでしょ? 配られたのは東京都の警察署だけじゃないんですか?」
「警視庁のマスコット? ……それ、日本警察のイメージキャラクターじゃないのか?」
「ぶふっ。山下の言うとおりだ。薪さんは天才なのに、常識を知らないところがあるって」
 覚えておくぞ、二課の山下。この屈辱、100倍にして返してやる。
「マスコットは県警ごとに違うんですよ。これは、警視庁独自のマスコットです。だからきっと、持ってるのは警視庁関連の職員だけだと思いますよ」

 そんなバカな、と薪は思う。
 自分は東京都の人間だ。警視庁にも4年在籍し、その後は隣り合わせに建っている警察庁と科警研で仕事をしてきたのだ。こんな地方警察の若手刑事が知っていることを、知らないわけがない。
 しかし、たしかに薪は世事には疎いのだった。峰山が『ピーピくん』と呼んだマスコットの名も、実は知らなかった。

 こういうことは、小池が詳しい。あいつは事情通で、署内の噂話とか下馬評とかを仕入れてくるのが得意なのだ。
 薪は小池に電話を入れ、仕事の進捗状況を聞くついでに確かめてみることにした。本来ならこんなことをしている場合ではないのかもしれないが、峰山刑事が青木に会わせると約束してくれたこと、小野田に電話をするにはまだ時間が早く薪には当座の仕事がないことで、今のうちに東京の事件の経過を聞いておいたほうがよいと判断したのだ。

「小池か? 昨日の、一課からの協力要請はどうなった?」
 おはようございます、と元気な挨拶のあと、すでに解決済みです、と小池は得意気に答えた。
『証拠になる画を捜一に渡したのが、深夜3時ごろです。依頼から8時間のスピード解決でした』
「そうか、見つけたか。よくやった」
『夜中だったので、室長への連絡は朝になってからにしろって岡部さんが』
「岡部はどうした」
『家に帰りました。なんか、急な用事があるとかで』
「そうか」
 岡部に連絡が取れないのは残念だった。
 ここで捜査をするなら、薪はしばらく第九へ帰れなくなる。留守を頼めるのは岡部しかいない。岡部には、早いうちに事情を説明しておきたかった。

 この電話が済んだら岡部に連絡を入れることにして、薪は連絡相手に小池を選んだ理由を明らかにした。
「ちょっとおまえに聞きたいことがあるんだが。何年か前に、マスコット付きの携帯ストラップが総務部から配られただろう? あれって、警察全体のどの辺まで行き渡ったのか知ってるか」
『警視庁設立190周年記念のストラップですか? 警視庁のお祝いなんだから、警視庁だけに決まってるじゃないですか』
「えっ」
 まずい。20年近い薪の東京勤務が、地方警察の若造に常識で敗北しようとしている。

「しかし、第九にも配られただろ? 第九は科警研、警察庁の所属だぞ」
『あれは竹内さんが好意で持ってきてくれたんですよ。捜一で余りが出たからって……憶えてないでしょうね。薪さん、竹内さんが来るといっつも急に用事ができて外出するから』
「いや、でも、雪子さんや助手の女の子も持ってた気が」
『薪さん。いい加減に竹内さんと三好先生が婚約してること、認めたらどうですか?』
 うるさい、余計なお世話だ。あんな人間のクズに雪子さんが惚れてるなんて、僕は絶対に認めないぞっ!
 不愉快になって、薪は物も言わずに電話を切った。電話の向こうでは、小池が自分の失言にうろたえていることだろう。

 そうか、あれは竹内にもらったものだったか。不快な記憶だったから、自分で消してしまったらしい。
 もらったストラップはどこへやっただろう? 忌まわしい男の手に触れた呪われたグッズなんか、捨ててしまっているといいのだが。いや、公費で作られたものを捨てるわけにはいかないから、何か別の方法を考えたに違いない。きっと竹内も、公職に就く人間として税金で作ったものを捨てるわけにはいかないから第九へ持ってきたのだ。
 捨てずに自分の身から離す方法と言えば、例えばリサイクルとか。でなければ、だれか欲しがってるひとにあげたとか。
「…………あ」

 薪は竹内からもらったストラップの行き先を思い出し、そしてようやく昨日感じた違和感の正体に気付いた。
 東条の携帯電話には、何も付いていなかった。
 さらにもう一つ。彼の言葉には、僅かな矛盾点があった。
 どうしてあんな簡単なことに今まで気付かなかったのか、今回どれだけ自分が平常心を失っていたのか、薪は思い知った。青木が捕まったことで心が乱れた。それが今回の敗因だ。
 もう、しくじらない。

 薪は峰山の手からレアグッズを奪い返すと、ハンカチで丁寧に包み直した。それを再び峰山の手に握らせたときには、薪は厳しい捜査官の貌になっていた。
 亜麻色の瞳が、叡智に輝いている。その光の前には、誰もが言葉を失う。透明で深い、宝石のような瞳。周りを縁取る長い睫毛は、そのきらめきに華やかさを加える。
 絶対的で揺るがしようのない真理が彼の中に在って、それが彼を輝かせている。彼の美しさの本領は、姿形の美麗ではないのだと峰山は気付いた。

「このストラップの指紋、調べておいてくれないか」
「了解しました」
「それと、マスコミ対策について知りたい。君が担当しているんだったよね?」
「マスコミには報道規制を布いてます。昨日の朝のローカルニュースだけは間に合わなかったんですけど、それ以降はバッチリ」
 やはり。それで夕方のニュースでも夜のニュースでも、事件の報道が為されなかったのだ。

「わかった。ああ、これは無駄かもしれないけれど、旅館の近くにあるコンビニの店長から、事件の夜に青木を見なかったか、聞いておいてくれないか。できれば、防犯カメラの映像も」
「旅館近くのコンビニですか? わかりました」
 手帳に言われたことを書き付けて、峰山は頷いた。よくよく考えてみれば、部外者である薪の命令を聞く義務は彼にはなかったのだが、そこには思い至らなかった。彼の言いつけを守るのは、当たり前のことに思えた。

「じゃあ、青木さんのところへ案内しますね」
「いや。その前に、ちょっと調べたい事ができた」
 そう言ったとき、薪の爪先はもう、警察署の外に向かって歩き出していた。
「君から伝えてくれないか。僕を信じて待ってろって、それだけ」
 あれだけ会いたがっていた恋人への伝言を峰山に託して、彼の背中はどんどん小さくなっていく。峰山は思わず声を張り上げた。
「わかりました! 愛してるって付け加えときましょうか?」
 峰山が茶化すのに、薪は振り返って、
「それは自分の口で言う!」

 そう叫ぶと、あとはネズミを追いかける猫のごとく、脇目もふらずに走って行った。
 恋人の無実を信じて、彼は懸命に捜査をしている。男のクセに男を好きになるなんて、それは峰山には決して理解できない感情だが、大事な人のために力の限り尽力する、彼の誠実のどこが男女のそれと違うのだろう。
 薪が町民たちに聞き込みをしていたことを、捜査課の人間は知っている。旅館の主人から通報があったのだ。それは捜査課にとって、耐え難く迷惑な行為だった。だから主人に頼んで、薪を宿から追い出してもらった。泊まるところがなくなれば、尻尾を巻いて東京に帰るだろうと思った。
 でも、薪は帰らなかった。必ず助けてやるからと、あんな小さな身体で、あの熱意とパワーはどこから出てくるのか。
 その原動力が、あの二人を結ぶ絆なのだろうと、峰山は察しないわけにはいかなかった。

「すいません、シロさん。起こしちゃいました?」
「廊下であれだけ騒いでりゃ、うちのかみさんだって起きるよ」
 ガラッと後ろの窓が開いて、峰山とコンビを組んでいる年長の刑事が姿を見せた。シロさんこと城田刑事は峰山からハンカチに包まれた証拠品を受け取ると、大事そうに内ポケットにしまった。
「課長が来ないうちに済ませるよ、指紋照合」
「了解っす」

 城田が鑑識係を電話で呼び出す間に峰山は建物の中に入り、城田と合流した。捜査課への階段を上りながら、峰山は気になっていたことを先輩刑事に話した。
「マル被が公園から出てきたって証言したの、あの先生ですよね。警視庁の専属カウンセラーやってるって言う」
 城田は峰山の言葉に曖昧に頷いた。
「警視庁の専属だったら、それ、持っててもおかしくないですよね?」
「そうさな。先生の落し物かもしれないねえ」
「でも先生は、公園の中には入らなかったって言ってましたよね? 夜、眠れなくて散歩してたら、公園から慌てて走り去っていく男を見た。そういう証言でしたよね」
 廊下を歩きながら、峰山は話し続ける。昨日、峰山の意見を笑い飛ばした先輩は、今日は黙って峰山の話を聞いてくれた。

「第一発見者は、公衆電話からの匿名の通報でしたよね? この町で、夜の11時に目撃者が二人もいるのって、不自然じゃないですか? 薪警視長の病気のことだって、あの先生がカルテやら診療記録やら山ほど持ってきて、課長に」
「それ以上はやめとけ、峰」
 鑑識のドアの前に立ち、城田は厳格な表情で言った。
「お前さんが言ってるのは、ただの当て推量だ。あたしたちに推量は禁物だよ。まずは証拠だ」
 城田はそう言って、自分の胸ポケットの上をぽんと叩いた。



*****



 東条学は、探し物をしていた。
 一昨日からずっと探している。大事な人からの、大切な贈り物。それを彼は失くしてしまったのだ。

 彼からそれを贈られたのは、もう2年も前のことだったが、東条はそのときのことを克明に思い出すことができる。診察室の椅子に座って彼は、汚いものでもつまむように、たおやかな指先でその小さな装飾品を持ち上げて見せた。

『僕の大っキライな男が持ってきたんです。見るのも不愉快です』
 そうなの? じゃあ、僕がもらってもいい?
 どうぞ、と澄んだアルトの声が言い、白くて美しい手がそれを渡してくれた。偶然手に触れた彼の指を思わず握ると、彼は不思議そうな顔をして、でもすぐに笑ってくれた。
 
 東条はその場で自分の持ち物にその飾りを取り付け、贈り主に見せた。彼はにこりと笑って、
『先生、可愛いモノ好きなんですね』

 そうだ。かわいいものは大好きだ。
 とりわけかわいいのは ―――――。

 東条がこの世で一番可愛いと思うものを見たくなって、彼は携帯のフラップを開く。カメラモードに切り替えて保存されている画像を呼び出すと、東条は恍惚とした表情でそれを見つめた。
 彼の唇から、夢見るような呟きが洩れる。

「早く帰っておいで。薪さん」


*****




 ああっ、石を投げないでくださいっ。
 薪さんが阿呆なんじゃなくて、書いてるわたしが阿呆なんです、ごめんなさいっ。 

 でも薪さんて、こういうところあると思うのはわたしだけ?
 あのひと、難しいことはよく知ってるくせに、だれもが知っている当たり前のことを知らなかったりしそうな気がするんですけど~。 (暴言)
 特に芸能関係。 アイドル歌手の見分けがつかないとか、あ、それはMさんとこの薪さんか。
 よかった、わたしだけじゃなくて。 (Mさん、とばっちりすみません★)


  

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(12)

 ただいまです。 旅行から帰ってまいりました。
 お話の途中ですみませんでした。 今日から再開させていただきます。


 旅行先では、沿岸イルカウォッチングに参加して、船の上からスナメリというイルカを見て来ました。
 が、
 スナメリというイルカは背びれがなく、さらには曇天の日には身体が海と同じ色に見えるので非常に分かり辛く……。
 「前方にいます!」とガイドさんがおっしゃる度に眼を凝らすんですけどね、波だかイルカだか見分けがつかないんですよ★ 観察眼に優れた彼女たちには見えても、反射神経の鈍いわたしには難しかったです~~。
 これきっと、薪さんだったら動体視力が半端ないから簡単に見つけられるんだろうな、と思いました。 ガイドさんより先に、イルカの群れを発見しちゃったりして。 主催元の海洋研究所にスカウトされちゃったりして。

 第九を離れて薪さんの新しい就職先、イルカウォッチングの監視員でどうですか? ←ふざけるな。





緋色の月(12)





 I市警察署の門前に、薪は凛然と立っていた。
 4月の空は、まだ明けたばかり。遠くに薄雲がたなびいて、明け染めていく町並みが次第にその姿を顕かにしていく。昨夜の月と同じように、朝日も自分の仕事をしている。自分も自分の為すべきことを為そう、と薪は一歩を踏み出した。
 門の内側には、見事な桜の樹が2本並んでそびえ、薪の姿を見下ろしていた。亜麻色の髪にはらりと花びらが舞い落ちて、薪は昨日、東条に花びらを取ってもらったことを思い出した。

 満足な礼も言わずに出てきてしまった。事が済んだら、非礼を詫びに行こう。
 昨日の予定では青木と二人で礼を言うはずだったが、それはできなくなった。今日を限りに、多分青木とは会えなくなる。
 それは別に悲しいことではない。青木の人生と自分の恋情を秤に掛けたら、前者の方が重かった。それだけのことだ。

 薪が今からしようとしているのは、指一本で為すことができる、とても簡単なことだった。
 電話で事情を説明して、小野田に力を借りるのだ。署に圧力を掛けて、自分に捜査の指揮を取らせてもらう。それができれば、必ず真相を解明してみせる。正しい情報さえあれば、必ず真実に辿り着いてみせる。
 一警察官が個人的に管轄外の事件に介入することは許されない。それは組織を乱す行為として最も忌み嫌われるものだ。逆の立場になってみれば分かる。もしも第九の捜査に一課の人間が入ってきて我が物顔に仕切りだしたりしたら、彼を3階の窓から窓枠ごと突き落としたくなる。それくらい不愉快なことなのだ。
 薪はこれまで一度も他署のテリトリーを犯したことはなかったし、自分が破ることになるとは思いもしなかった。それは日本警察における絶対的なルールだった。
 しかし、それ以上に上の命令は強大だ。上層部の一言で、カラスも鳩になる。警察はそういうところだ。

 もちろん、小野田は只では動くまい。正当な職務に関することなら大概のことは叶えてくれるが、今回は不当な頼みごとだ。しかも、小野田にとっては甚だ不愉快なことだ。それでも自分の望みを叶えてもらいたいと思えば、それ相応の代価が必要になるだろう。
 交換条件は、青木と別れること。小野田の娘と結婚して、彼の籍に入ること。
 一生涯の忠誠を彼に誓い、自分の意志は一切持たず、彼の理想を果たすための人形になる。自分の残りの人生と引き換えに、彼の威光を貸してもらう。
 きっと小野田はこの条件を飲む。彼がどれだけ自分たちの関係を憂いているか、薪には痛いくらい解っている。

 警察署の玄関前の階段を昇り、薪は腕時計を確認した。
 6時前では、さすがに早すぎる。日曜日だからと言ってゆっくり休んではいられないのが小野田の役職だが、常識を弁えない時刻の電話は、成功率を低めると思った。

 自動ドアを潜ると、ロビーには誰もおらず、受付のカウンターにはカーテンが引かれていた。薪は勝手に奥へと足を進め、職員の姿を探した。1階には交通課と庶務課しかなかった。一課と取調室、留置所は2階らしい。古びて黒ずんだリノリウムの階段を、薪は躊躇なく昇った。

「ちょ、あんた。一般人はここは立ち入り禁止だよ!」
 鋭い叱責に振り返ると、若い刑事がドアから顔だけを出して、こちらを見ていた。峰刑事だ。廊下は薄暗くて顔は見えなかったが、特徴的なシルエットと声で判った。
「困るなあ、勝手に入って来られちゃ……あ」
 相手も薪の顔が良く見えなかったのだろう。近くまで歩いてきてようやく、侵入者が迷惑な同業者であることを知ったらしい。峰刑事の顔が困惑に歪むのを視認して、薪は此処に来た目的を告げた。
「青木のところへ案内してください」

 必ず助けてやるから、僕を信じて待ってろ。
 会ってそれだけ言えば、青木の心は折れない。どんなに絶望的な状況でも、希望を持てるはずだ。青木は自分を妄信している。自分はそれに応えなければならない。

 薪の無謀な要求に、峰刑事は呆れたように、起き抜けらしい乱れた頭をガリガリと掻いた。
「できるわけないでしょ、そんなこと」
「私に逆らわないほうがいいですよ。私のバックには、警察庁でも指折りの有力者がついているんです。その気になればこの警察署ごと、人員を総入れ替えすることもできる」
 この際だ、少しばかり前倒しで虎の威を借りてやれ。少々投げやりな気分で薪が嵩に懸かると、峰は嫌悪感いっぱいの表情で、「なんだよ、やっぱマジかよ」と唾棄する口調で横を向いた。

 彼が自分の言を信じていないことを感じて、それは当然だと薪は思い、しかし引くわけにはいかなかった。
「きみ、本庁に知り合いは?」
「警視庁の二課に、警察学校の同期がいますけど」
「じゃあ、その彼に聞いてみるといい。私の後ろ盾が何処の誰だか、知っているはずだ」
 小野田が薪に眼を掛けていることは、署内中に知れ渡っている。前代未聞の不祥事を起こした薪が第九の室長の座に留まることができたのは、彼の力によるものだ。何としても第九を潰したくない、薪の気持ちを小野田は理解してくれた。

「本当に聞いちゃっていいんすか? 本庁にダチがいるって、フカシじゃないですよ」
「確かに、ひとに電話をするには早すぎる時間だね。しかし、私はいささか急いでいる。君が友人に確認をとることで、私を部下のところへ案内してくれる気になるなら、君の友人には私から謝ろう」
「本当に? 困るのは、警視長さんじゃないんですか?」
 どうして自分が困ることになるのだろう、と不思議に思いながらも薪は鷹揚に頷いた。峰はポケットから携帯電話を取り出して、薪の顔を見ながら操作をし、画面にコールの表示が出ると耳にそれをあてがった。薪にくるりと背を向けて、彼は友人と砕けた調子で話し始めた。

「あ、山下? おれ、峰山。悪い、こんな朝早くから。ちょっと聞きたいことがあってさ」
 彼の本名は、峰山というのか。
 刑事同士は愛称で呼び合うことが多い。薪も捜一にいた頃は、坊だの姫だの名前に余計な尻尾を付けられて。本名を呼んでくれたのは、課長だけだった気がする。
「第九の室長やってる薪って警視長、知ってる? そうそう、女みたいな顔した背の小さい。そいつって、誰かお偉いさんに知り合いでもいる?」
「女みたいな顔」と「小さい」というキーワードに反応して、峰山刑事の背中を蹴り飛ばそうとする右足を薪は必死に押さえる。まったく、最近の若い者は口の利き方を知らない。電話が終わったら間違えた振りして階段から突き落としてやる。

「え!? ええええ!! マジで!?」
 峰山の驚愕で、友人との電話は切れた。
 振り返った彼の瞳は、驚きと懼れに満ちていた。どうやら薪の後ろ盾が官房長だと知って、自分のしたことが恐ろしくなったのだろう。彼の無礼をあげつらってどうこうするつもりはないが、それを言葉にして安心させてやる義理もない。
「どうやら私の言葉は証明されたようだ。案内してもらおう」
 警視長の威厳を持って、薪は胸を張る。すっきりと伸びた背筋には、迷いを捨てた者の静謐が宿る。
 しかし次の瞬間、薪の威厳は木っ端微塵に壊れた。

「お見それしました。まさか、官房長の愛人とは」
「ちょっと待って! それ、間違った情報だからっ!!」
 どこの二課に聞いたんだ! 詐欺捜査の専門家があり得ない噂に騙されてどうする!!
「しかも、次長の娘婿の警務部長まで抱き込んで、二人の実力者を手玉に取る姿は現代の貂蝉そのものという」
「誰が三国志演義で暴君董卓の愛人でありながら猛将呂布を色香で惑わし、彼の義父でもあった董卓を呂布に殺害させた稀代の美女かっ!」
「貂蝉は、本当は関羽が好きだったって説もあるんすよね」
「え、そうなんだ。まあ、彼女は義父の王允に『美女連環の計』を授けられて、それに従っただけだからな。他に好きな男がいても不思議はない、じゃなくて!」
 三国志ネタは好きだけど、今はそんな場合じゃない。夢中で首を振る薪の前で、峰山の口が軽やかに動く。

「女装が得意で、ミニスカートから伸びる脚線美で捜査一課を陥落し、チャイナドレスから覗く太ももで組対5課を骨抜きにして、今や『薪さんの女装を愛でる会』の会員は500人を超えてるとか」
「それ、僕じゃないから!! おとり捜査で女装はしたことあるけど、てか、『愛でる会』ってなに!?」
 薪が知らないだけで、『愛でる会』は実在する。二課の友人の情報で、これだけは真実だった。世の中には知らないほうが幸せなことはたくさんある。

「亜麻色の瞳で見つめればどんな男も意のままに操ることができる魔性の妖婦で、だから被疑者の自白なんかホイホイ取れちゃう。薪警視長の輝かしい重大事件解決の功績はすべてその蠱惑によるものだとか」
 いったいどこの悪女伝説!?
「君の友人の所属と氏名を言え! アラスカ支局に流してやるっ!!」
「いやあ、すごい方だったんですねえ。尊敬します」
「嬉しくないんだけど!!!」
 こんな不名誉な噂で尊敬されても!

 薪が何とかして峰山の誤解を解こうとするのに、峰山はぬけぬけと、
「3人も情人がいて、よくお身体がもちますね?」
「そんなわけないだろ! 青木一人で持て余してるよ!!」
 ついつい口を滑らせた薪に、峰山はニヤつきながら携帯をポケットに入れ、そのままの姿勢で薪に笑いかけた。
「ですよね。一晩にあれだけ励まれちゃ」
 瞬く間に、薪は真っ赤になった。
 思い出した、彼には旅館の屑篭を探られているのだ。一昨夜の自分たちの行為を、その動かぬ証拠を見られているのだ。

 峰山の友人のガセネタのせいで、薪のポーカーフェイスは崩れてしまった。薪はこちらの方面の打撃にはひどく弱くて、立て直すには時間が要る。
 耳まで赤くして俯いてしまった薪のつむじを、峰山は上から見下ろしていた。クセのないさらさらとした髪が、窓から差し込む朝日に奥ゆかしく輝いていた。

「実はおれも、ちょっとだけ腑に落ちない事があって」
 薪の髪の美しさに目を奪われながら、峰山は、先輩刑事に話して一笑に付された自分の疑問について語り始めた。
「司法解剖の結果、犯行に使用された凶器は公園に落ちていた石だと断定されました。と言うことは、今回の事件は衝動的な犯行だったわけです。で、女性の被害者が性的暴行を受けていたことから、犯人は性的に満たされていなかったと考えられます。要するに、カップルが深夜の公園でコトに及んでるのを見て、ムラムラっときてやっちゃったってことですよね」
 話が事件のことになったので、薪はそっと顔を上げた。隠し切れない恥じらいが彼の頬を薔薇色に染めて、峰山は不覚にも、生まれて初めて同性相手にときめきを覚えた。

「でも、室長さんの旅館の屑篭には性交渉の証拠が残ってたでしょ。それも、5回分。一晩に5回もヤッて満たされないって、殆ど異常者じゃないかと思うんですけど。そんな人が本庁の警視なんかになれるのかなって。しかも青木さん、幹部候補生なんでしょう? あれってすごいエリートしかなれなくて、素行調査もバッチリされるって」
 峰山の疑問を、薪は笑わなかった。一言も口を挟まず、真剣に聞いてくれた。それは被疑者の無罪を信じている彼には当然のことで、でも、自身の考察を誰かに聞いてもらうことは峰山の自尊心を満足させ、理解して頷いて貰えるのは単純に嬉しかった。
「先輩に話したら、男が二人なんだから被せる棒は二本あるだろ、って笑われて。あれって代わりばんこにやるもんなんですか?」
「そういうカップルもいるけど、僕たちは分担制で……あれは、全部彼の」
 消え入るような声で恥ずかしそうに、伏せた眼の縁に涙まで浮かべて、言いかけて耐え切れずに手で口元を覆う。奔放な性を満喫する若者が幅を利かせるようになった昨今の風潮の中で、こんなにピュアな反応は新鮮だと峰山は思った。

 二課にいる峰山の友人は、目の前の男を総評してこう言った。
『――――― とまあ、いろいろ噂はあるけど、仕事に関しちゃすごい人だよ』
 噂は凄いが、本人はとても純情で恥ずかしがり屋だ、と後で彼に教えてやろう。

「さっきの話、ガセなんですよね? 官房長の愛人とか、警務部長の情人とか。第九を自分のハーレムにしてるとか」
「ちょっと待て! なんかとんでもない噂が付け加えられてるぞ!?」
 恥辱のあまり涙目になっている亜麻色の瞳をそれでも怒らせて、薪は懸命に彼の疑惑を否定した。男しかいないのにハーレムってどういうことだ。自分にどんな疑いが掛けられているかを思うだけで、はらわたが捻じ切れそうだ。
「それは根も葉もない中傷だ!」
 それから薪は、ふっと肩の力を抜いて、
「僕には、青木だけだ」
 
 薪は正直に言った。
 どうせ峰山には自分たちの関係を知られているのだ。隠しても無駄だ。無駄だと分かってそれを繕うのは、馬鹿のすることだ。
 真実に勝る証言はない。峰山も刑事なら、薪の言葉の真偽が分かるはずだと、彼の刑事としての本能に賭けて、薪はじっと彼の目を見つめた。

「あの、ちょっといいすか?」
 薪の視線と峰山のそれとが絡み、先に眼を逸らしたのは峰山の方だった。
「青木さんには、こっそり会わせてあげます。でもその前に、確かめたいことがあるんです。先輩に気付かれると厄介なんで、庭に出てもらっていいすか?」




*****


 うちの薪さんて、つくづくギャグキャラだな~~。
 あー、楽しかった♪♪♪




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

緋色の月(11)

 こんにちは~。

 お話の途中ですが、明日と明後日お休みを、
 ちがうの~、いつものサボリ(←え)じゃないの~、お義母さんのお付き合いで温泉に行かなきゃで、
 でね、この宿が海っぺりに建ってて、ネットがつながらないの~~。 Eモバイルも入らなくて更新できないんです、許して。 

 えっ、予約投稿システムがあるだろうって?
 そ、それがその、まだこの先の推敲が終わってなくて、すみません~~。(←結局サボってる)

 携帯で記事を書いて更新しているブロガーさんもいると聞きますが、凄いなあ。 
 わたし、携帯ではメールも打てません。 だって、キーボードがないんだもん。 一つのキーでいくつもの文字を打つなんて、そんなフクザツなこと。(@@)

 と言うことで、次の更新は火曜日です。 よろしくお願いします。

 



緋色の月(11)




「青木君がどうしてるか、ちょっと聞いてみようか」
 食事が終わると、東条は軽い調子でそんなことを言い出した。東条の顔が警察にまで利くとは考えてもいなかった薪は、びっくりして問い返した。
「そんなことができるんですか?」
「うん、多分ね。課長さんとは、親父が仲良かったから。僕が小さい頃から面倒見てもらって……あ、清川さん? 学です」
 東条が課長と旧知の仲だというのは本当らしい。銀白色の携帯電話を耳に当てて、東条は天気の話でもするように気軽な口調で青木の様子を尋ねた。
「そう、昨夜のカップルが殺害された事件の。彼、どうしてるか気になって」

 ふと薪は、微かな違和感を感じた。
 東条が電話をしている、たったそれだけの光景なのに、何かが間違っているような気がする。それは海の中に落ちた針ほどに微細な感覚で、回遊する鰯の尾の一振りで消えてしまうほど小さな違和感だった。事実、薪はすぐにそれを忘れて、電話を切った東条から青木の様子を聞くために身を乗り出した。

「取調べは6時で終了して、今は留置所にいるって」
 今朝方青木が拘束されたのが5時だったから延々13時間、でも6時で解放してくれたなら良心的だ。地方の警察が生ぬるいのか警視庁が厳しすぎるのかは不明だが、これが竹内あたりだったら一晩中眠らせずに責め立てただろう。薪にはそれを非難するつもりはない。かつては自分も捜査一課に在籍していたのだ、事情は分かる。
 被疑者に気力を回復されたら取調べが長引く。物証さえ挙がっていれば、短期決戦に越したことはない。東京では、事件は次々に起こる。一つの事件に時間を掛けていられないのだ。だから持てる気力をすべてつぎ込んで、深く事件を探るしかない。時間の不足は熱意でカバーする。それが都市警察のやり方だ。

 青木と話がしたい、と薪は思った。
 何を言われて、何を訊かれたのか、どんなものが証拠として挙げられているのか、直接聞いて事件の真相を―― ちがう、それは本心じゃない。
 ただ、声が聞きたい。青木の声が聞きたい。
 音声だけでもいいからつながって、互いの存在を確かめ合いたい。

「薪さん。心配なのはわかるけど、そんなに思い詰めないで」
 テーブルの上に組み合わせた薪の両手に東条の手が重なり、薪は初めて自分の手が小刻みに震えていたことに気付いた。顔に出さずとも、身体の端々に見え隠れする己の弱さに、不安がどんどん膨れ上がっていく。こんな自分に、彼を救うことができるのか。

「明日も聞き込みに行くんだろう? だったら今日は早く休んで、明日に備えなきゃ」
 東条の気遣いに溢れた暗蒼色の瞳を見ると、いくらか落ち着いた。彼の手は温かく、医者らしい清潔さとやわらかさに満たされていた。
「お風呂たててくるから。温まってから休むといいよ」
 温かい湯に入ると、いっぺんに怠さを感じた。
 昨夜はロクに眠らせてもらえず、朝は5時から緊張続きで、夜の9時まで聞き込み調査。疲れを感じて当たり前だ。これで東条が声を掛けてくれなかったら、駅のベンチで眠っていたのだ。本当にありがたかった。彼には後でしっかり礼をしないと。
 お湯から出ると、客間に布団が敷いてあった。干しておかなくてごめんね、と申し訳なさそうに言う東条に首を振って、駅のベンチに比べたら天国です、と微笑んだ。

「先生、テレビつけてもいいですか?」
 11時のニュースにチャンネルを合わせて、薪は内容をチェックした。しかし、やはり事件に関する報道はされていなかった。携帯でネットもチェックしたが、片田舎の事件とあってかスレッドすら立っていなかった。
 そのうち東条は二階の自室に引き取り、薪は一階にひとりになった。これ以上することがないのに気付いて、ひとり呟く。
「……あとは明日か」

 布団に入って目を閉じるが、眠れそうになかった。身体は泥のように疲れているのに、眠気は訪れない。不安が薪の心を波打たせ、眠り方を彼に忘れさせた。
 薪は何度も寝返りを打ち、やがて諦めて起き上がった。布団の上に座った薪の左手に、窓から差し込んだ月明かりの物悲しい蒼白が佇んでいた。

 薪は布団から出て、広縁に向かって歩いた。窓辺に寄ると、月が見えた。昼間、空を埋め尽くしていた雲は夕方の風に払われて、春の夜には珍しい、くっきりとした月が天空に輝いていた。
 銀白色の、美しい月だった。昨夜公園で見たものと大きさも形も殆ど変わらず、その潔さは薪の心を洗い出すように清廉だった。

 心に隠れ棲む、不安、迷い、恐れ。
 人間なら誰もが持っているものだと知ってなお、薪はそこから眼を逸らそうとした。今、それらを自覚することは、自分の弱さを痛感することだと思った。弱気になっていては、彼を救えない。でも、薪のそれは誤魔化しようもないほどに大きくて、薪はその場に崩折れそうになる。
 決定的な物証、DNA鑑定を証言で覆せるのか。自分がしていることは、無駄ではないのか。薪は現場捜査の経験がある。実情を知るからこそ、それがどんなに無謀な試みか、嫌と言うほど解っていたのだ。

 捜査の常識、己の惰弱、警察機構の暗黙の掟。
 青木を助け出すために克服しなければいけないものの、なんて多いことか。
 しかし、自分がここで動かなかったら、青木の人生は葬られてしまう。それだけは何としても避けなければ。例え何を犠牲にしても、それが二人の未来にどんな影を落とそうと、今大切なのは青木を救い出すこと。

 薪は決意を固めた。
 何かを捨てなかったら、何も得られない。この世はそういうものかもしれない。

 悟ったような気持ちでもう一度夜空を仰ぎ見れば、月は薪の決心を咎めるでもなく嘲笑うでもなく、ただ静かにそこに在って、自分の為すべきことを淡々と果たしていた。月を美しいと感じられるのはこれが最後かもしれないと思いながら、薪は長いこと窓辺に立っていた。

 翌朝、東条が目覚めたとき、薪はもういなかった。



*****


 いつの頃からか、彼はセックスに積極的になりました。

 ずっと閉じたままだった目蓋を開いて、彼は熱い瞳で私を見つめました。私に微笑みかけ、愛の言葉を囁き、私の愛撫に応えて可愛らしい声を上げました。
 慎ましやかだった彼の面影は、何処にもありませんでした。でも、彼はとても美しかった。その細い背中を弓なりに反らせて果てるとき、私の名前を呼んでくれるのがうれしかった。
 それは私の誇りですらありました。私の愛情が、彼の性を目覚めさせたのです。

 ある時など、私が彼の中に自身を埋めると、彼はそれだけで達してしまいました。興奮しきっていたのです。吐精しながらも彼は腰を動かし続け、すると彼の性はまた硬くそそり立ち、彼はもう一度射精しました。それが何度も何度も繰り返され、私と彼はめくるめくような快感を味わったのです。

 行為が終わり、彼の亜麻色の髪を撫でながら、私は思いました。
 彼を誰にも渡したくない。彼の身体に、他の男が触れるのは我慢ができない。

 私の肩口に頭を持たせて眠ってしまった彼の、その長い睫毛を愛でながら、私は彼と死ぬまで一緒に生きる決意をしたのです。



*****




 とりあえず、薪さんの貞操の危機は去ったと言うことでご安心ください♪ 
 ふふ、みなさん、心配しすぎですよ~。 このわたしが可愛い薪さんに、そんな無体なことをするわけないじゃないですか~~。
 ん? 
 なんだろう、この微妙な空気。(笑)





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緋色の月(10)

 お盆も終わりましたので、本編に戻ります。 
 鈴木さん、また来年も薪さんのところへ帰ってきてねっ!!

 お盆休みをいただいている間に、拍手が15000を超えました♪
 本当に、いつもいつもお気遣いいただきまして、どうもありがとうございますっっ!!!
 キリですから、何かお礼のSSをと思ったんですけど、今の精神状態ではロクなものが書けそうにないので~、とりあえず、次のメロディを読んでからにしたいと思います。
 次のメロディが萌えられる内容でありますように。(←あの状況でどうやったらそんな展開が望めるのか)


 で、お話の続きです。
 コメントのお返事もまだ全部返し終わらないうちに更新して申し訳ないんですけど、みなさん薪さんの身の上を案じてらっしゃるので、早く安心させて差し上げたくて、こんな暴挙に出ました。
 こちらお読みになって、安心なさってくださいね~。



  

緋色の月(10)




 それから東条は、薪の聞き込みに同行してくれた。当然のように薪の旅行カバンの一つを引き受けてくれた上、効率的なルートで家々を案内してくれた。
 殺人事件の捜査に一般人を介入させるのは重大な規律違反なのだが、今回だけは目をつぶることにした。と言うのも、ここは東条の地元で、住民の殆どは彼の顔を知っており、彼には非常に好意的に話を聞かせてくれたからだ。

 青木が警察に被疑者として取調べを受けていることを知られているなら、下手に隠し立てしても仕方ないと思い、薪は彼に事情を話すことにした。東条はそれに、医師の守秘義務を引き合いに出し、「秘密を守るのは慣れてる」と微笑んでくれた。
 事件発生時、青木は自分と一緒に居た。だから絶対に無実である。なのに何故か現場に残された体液と青木のDNAが一致したこと、さらに自分の証言は部下を庇っていると解釈されて警察に信じてもらえないこと。ざっと経緯を説明し、部下のために有利な目撃証言を集めようとしているが、あまり上手く運んでいないことを正直に話した。

 偽警官と疑われて話を聞かせてもらえなかった家まである、と薪が自嘲すると東条は、やや強引に薪からその家を聞き出し、気軽に玄関の呼び鈴を押した。先程と同じように、薪を門前払いした無愛想な老人が出てきて、しかし彼は、薪に向けたのとはまるで違う明るい表情で東条の名前を呼んだ。
「学ちゃん!」
「ご無沙汰してます、坂田のおじさん。その節は、お世話になりました」
「なに水臭いこと言ってんだい、あんたはこの町の誇りなんだから。また何とかって賞を獲ったって言うじゃないか。その論文が載った本をヒトシのやつが図書館に入れてな、おれも見たよ。意味はさっぱりわからんがね」
「ありがとうございます。ヒトシ君は元気にやってますか?」
「ああ。もうすぐ帰って来ると思うから、上がって待って」

 弾んだ口調で東条を家の中に案内しようとして、坂田氏は薪の存在に気付き、声を失った。先刻の自分の無礼を思い出してか、気まずそうに、
「なんだ、学ちゃんの知り合いかい?」
「僕が東京で警視庁の専属カウンセラーをやってることはご存知ですよね。彼は科警研の職員で、れっきとした警察官です」
「そうか、そりゃあ悪いことしたな。いや、てっきりどこぞのガキが年寄りを騙くらかそうと、ニセ警官の真似をしちょるんだとばかり……だってよ、そいつ、どう見ても刑事にゃ見えんだろ? 生っ白い顔してよ」
「おじさん、科警研というところは研究者の集まりで、I署の刑事連中とは少し種類が違うんですよ。薪さんも、そんな怖い顔しないでね」
「年だって、あんた、おれの孫くらいだろ? I高校行ってるおれの孫」
「年は、ええっと、なんて言えばいいのかな……だから薪さん、その額に青筋立てるのやめてね」

 坂田氏と薪の間に入った東条の苦労は計り知れなかったが、とにかく、老人から話を聞くことはできた。しかし成果はなかった。夜の10時といえば年寄りにとっては夜中、もうとっくに床に就いた後だった。
 東条の幼馴染である老人の孫の帰りを待つよう引き止める彼に、他にも回らなければいけない所があるから、と頭を下げて、東条と薪は坂田家を辞した。老人は、此処にいるうちに必ず顔を出してくれと懇願し、さっきの話は息子にも訊いておくから、と言ってくれた。帰り際に、これはうちの畑で採れたんだ、と三掴みほどの絹さやをビニール製の手提げ袋に入れて東条に持たせ、玄関の外まで出てきて見送ってくれた。

 その調子で、東条が顔を出すだけで、町の人々は好意的に話を聞いてくれた。昨夜の記憶を引き出そうと試み、家族にも訊いてみるから、と家ぐるみで協力してくれた。
 東条は、この町ではちょっとしたスターだった。誰もが彼を歓迎し、夕食を一緒にと誘い、再会の約束をしたがった。これと言った収穫はなかったが、これだけ協力の輪が広がれば、そのうち誰かが有力な情報をもたらしてくれるのではないかと、薪はここに来て初めて微かな期待を抱くことができた。

「すごいですね、先生。これだけの家を回って、先生の顔を知らない人が一人もいないなんて」
「ここは小さな町だからね、町中みんな家族みたいなもんなんだ。それだけだよ」
「ご謙遜を。町中のひとに尊敬されてるんですね」
「とんでもない、逆だよ。僕は彼らに育ててもらったんだ、敬意を表さなきゃいけないのは僕のほうさ。僕の家は貧しくてね、大学に行くお金なんかなかった。医大はとにかくお金が掛かるから……それを町のみんながちょっとずつお金を出してくれて、僕に医師免許を取らせてくれた」
 東条の過去を聞いて、薪は感動した。
 都会では、他人同士の絆はひどく薄い。隣人の顔も覚えていない人間も珍しくない。それに比べてここは、なんて人情に溢れた町なんだろう。余所者の薪はその恩恵に預かることはできないが、此処では誰もが知り合いで、労わり合い慈しみ合い、他人の家の子供を自分の子供のように可愛がるのだ。
 東条は、ここで生まれ育ったのだ。彼の優れたカウンセラーの才能のルーツを知った気がする。

「だから皆さんへの恩返しのつもりでね、里帰りした時は警察とか役場とか、無料で職員たちのカウンセリングをしてるんだ。そこで君の部下を見たってわけ」
 薪は、その偶然に感謝した。岡部の手が借りられなくなった今、東条がいなかったら、この町での捜査は困難を極めただろう。協力を申し出てくれた東条には、ちょっとやそっとでは返せないくらいの恩ができてしまった。すべてのからくりが解き明かされ、青木が釈放された暁には、彼と一緒に礼を言いに行こうと薪は心に決めた。
 
 東条と二人で、旅館から徒歩で往復20分の圏内を虱潰しに当たり終えたときには、夜の9時を回っていた。東条は手に、往診カバンの他にたくさんのビニール袋を提げて、その中身は町民の好意の証である野菜や果物、食卓に並んだおかずの一品だった。
「毎回この調子でさ。僕は此処に帰って来ると、いつも2キロは太るんだ」
 きっと自分が一緒でなかったら、東条は旧知の人々と夕餉の膳を囲み、親交を深め合ったに違いない。滅多に会うことのできない父母との時間も、薪のために犠牲にして。
 薪はそのことに罪悪感を覚えたが、今だけは彼の親切に甘えることにした。今の薪には、彼の力が必要だった。受けた恩は必ず返そうと心に誓って、薪は街灯の少ない暗い田舎道を東条の後ろについて歩いた。

 住宅街から少し離れて、東条が立ち止まったのは一軒の小さな家の前だった。築10年と言ったところか、これまでに訪れた家々に比べたら近代的な住居で、他の家にはなかった二階の出窓が人目を引いた。
「ここが僕の家だよ」
 案内された東条の自宅には、明かりが点いていなかった。息子が帰ってきているというのに家人が留守とは、と薪は不思議に思いながら玄関を潜った。

「あの、お家の方は」
 上がり口に佇んでいる薪を振り返って、東条はにこっと笑った。
「両親に会ってくれるかい?」
 東条が視線で示した先には、扉の開かれた仏壇があった。二つ並んだ写真立てには、彼に良く似た壮年の男女が笑っていた。
「僕が医師としての収入を得られるようになって、2年も経たないうちに死んだんだよ。この家が建って、すぐだ。せっかく綺麗な家に住ませてあげられると思ったのに」
 マッチを擦って蝋燭に火を灯し、そこに線香をかざして、東条は寂しそうに微笑んだ。何と言っていいものか分からず、薪が黙って彼の顔を見ていると、東条は急に口調を変えて、
「おかげで僕は、誰も住んでない家のローンを未だに払ってるんだ。ひどい話だろ?」
 薪が微笑みを返すと、彼は安心したように暗蒼色の瞳を細めて、食事の用意をするために台所へ向かった。

 薪は畳の上に正座して、仏壇の前で手を合わせた。
 彼の境遇は、自分に良く似ていると思った。二親を亡くして、天涯孤独の身の上。でも、決して独りじゃない。周囲の人々に支えられて生きている。
 
 東条を徳の高い人間に育て上げてくれた彼の両親に心の中で礼を言い、薪は黙祷を続けた。目を閉じて静かに座っていると、突然凄まじい悲鳴が奥の部屋から聞こえてきた。続いて、ぐわわん! という金属音、また悲鳴。終いには動物が転げまわるような音まで聞こえてきて、これは只事ではないと音源の部屋に飛び込んだ薪の眼に映ったのは、床に這いつくばって懸命に何かを拾っている精神科医の姿だった。
 呆然と立ち尽くしている薪に気付くと、東条は気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いやあ、参った。ドジョウって、跳ぶんだねえ」
「そんな難しい食材を選ばなくても」
 てっきり、頂き物の中から調理済みのものを並べるだけだと思っていた。それで充分だと薪が言うと、東条は強く首を振って、
「僕ひとりだったらそれで済ませちゃうけど、せっかく薪さんが僕の家に来てくれたんだから。それに、どうせなら都会じゃ食べられないものをと思ってね。生きたドジョウを使った柳川なんか、食べたことないでしょう?」
 床の上で跳ね回る泥鰌を苦労して鍋に戻すと、東条は牛蒡の皮を剥き始めた。慣れない手つきで牛蒡にピューラーをあてがう彼を見かねて、薪は言った。

「良かったら、僕が作りましょうか」
「えっ。薪さん、料理なんかできるの?」
「少なくとも、ゴボウの皮を剥かないくらいの常識はあります」
「え。皮を剥かなかったらどうやって食べるの?」
「ゴボウは皮が美味しいんですよ。剥いてしまったら風味が失せてしまいます。今時期のゴボウは若いから、ほら、こうして汚れを落とせば充分ですよ。ドジョウは柳川にするんでしたよね? じゃあ、ゴボウはささがきにして水に放しておきましょう」
 包丁は、と辺りを見回すと、東条が万能包丁を薪に差し出した。

「大分刃が毀れてますね。砥石はありますか?」
 引き出しの奥に仕舞われていた砥石を水に浸し、刃先を手前に向けて研ぎ始める。斜め45度の角度を保ち、刃を押さえた指先には余計な力が入らないように気をつけて、リズミカルに前後に動かす。
「へえ。薪さんは器用だね」
「僕のは見よう見真似で。包丁研ぎは、岡部がすごく上手なんですよ。うちの包丁は全部彼に研いでもらってるんです。あ、岡部というのは僕の部下なんですけど」
「知ってる。無精ヒゲ君だろ? 体の大きい」
 青木がメガネ君なら岡部は無精ヒゲ君か。さしずめ小池は糸目君で曽我はメタボ君だな、と想像して、薪はくすりと笑った。

「ドジョウは火をつける前にお酒で酔わせるんです。ちょっともったいないですけど、この日本酒使いましょう」
 聞き込みに行った家から土産にもらった清酒の4号瓶を開けて、薪は泥鰌が入った鍋に向かった。鍋の蓋をほんの少しずらし、その隙間から日本酒を注ぎ込む。途端にバシャバシャと泥鰌が跳ねる音が聞こえる。すぐに鍋を密閉し、音がしなくなるまで蓋を押さえる。3分ほど待てば、酔っ払いドジョウの出来上がりだ。
「この状態で火にかければ、鍋から跳び出したりしませんよ」
 ドジョウは開くと味が落ちる。丸のまま煮た方が美味しいのよ、と昔鈴木の母親に教えてもらった。ささがきにして水に放しておいた牛蒡と一緒に火を通し、砂糖と醤油で味をつける。本当ならみりんを使うのだが、見当たらなかったので砂糖で代用することにした。
 生でも美味しい新玉ねぎをスライスし、半分は水にさらしてサラダに、もう半分は煮上がりを見定めて鍋に入れた。春の玉ねぎは柔らかくて、煮過ぎたら溶けてしまう。長時間の加熱は禁物だ。
 玉ねぎが透き通りかけたら火を止めて、ボウルに溶いた卵をふうわりと鍋に落とせば、薪風柳川鍋の出来上がりだ。鍋が煮える間に作っておいた新玉ねぎのサラダと絹さやの煮物、小松菜の味噌汁をダイニングテーブルに並べて、二人は席に着いた。

「すごい!! 僕の家のテーブルがこんなに賑やかなのは初めてだよ!」
「素人料理ですから。先生のお口に合いますかどうか」
「美味しい。薪さんて、何でもできるんだねえ」
 向かいの席に座った東条に、感心したように言われて薪は微笑する。自分でも美味いと思った。きっと野菜がいいのだ。甘みがあって、料理にコクが出る。泥鰌も泥臭さがない。きれいな砂地の河川で獲れたのだろう。東京のスーパーで手に入る養殖ものとは、一味も二味も違う。

「ねえ。僕のお嫁さんにならない?」
 この手の冗談は言われ慣れている。薪はさらりと切り返した。
「300回くらい生まれ変わって僕が女性になったら、ぜひ」
「300回はないだろう。せめて10回くらいで」
 薪の冗談に乗って、東条が大げさに嘆いてみせる。気を使ってくれているのだ、と分かった。
 
 東条はカウンセリングの時に、冗談なんか一度も言ったことはない。穏やかでやさしい人だが、相手を楽しませようとか笑わせようとか、そういうサービス精神のある男ではなかったように記憶している。それはカウンセリング以外に彼との接点がなかったせいかもしれないが、人間性と言うものは付き合いが長くなれば自然に分かってくるものだ。薪の眼から見て、今夜の東条は意識的に明るく振舞っているように見えた。
 部下が警察に捕まって、傷心している薪を元気付けようと心を砕いてくれている。手料理も、言い慣れない冗談も、全部薪のため。素直にありがたいと思い、そんな彼に嘘を吐いている自分の姑息を恥じた。

 青木の不遇を想えば心は千々にも乱れて、彼の元へと走り出したい衝動に駆られる。感情だけで動けるものなら、警察署の壁をダイナマイトでぶち壊してでも彼を救いたい。でも、それは表に出してはいけない。東条の前では、部下を案じる上司以上の感情を見せてはいけない。
 彼は秘密の恋人。誰にも知られてはならない。




*****

 ということで、薪さんは美味しいご飯を食べることができました。
 町のみんなが協力的になって、お腹が一杯になっただけでも一安心ですよね? ね? ね? 
 ……どうしてみなさん、そんな怖いお顔してるの?


 

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天国と地獄7 (3)

 こんにちはっ!

 おかげさまで、実家の初盆が終わりました~。
 田舎の初盆は地区中の人が集まるので、100人を軽く超えるお客さまで~。 強制的なスクワット運動のせいで、太ももの筋肉痛が半端ないデス☆

 足を引き摺りながら今朝、3日ぶりに管理画面に入りましたら『緋色の月(9)』 のコメント欄がとんでもなく面白いことになってるっ(≧∇≦)
 た~の~し~い~♪♪♪
 コメントに対するコメントも入ってて、こういうの楽しいですよねっ。 掲示板みたいで。
 うちはコメントはもちろん、楽しいツッコミも明るいフォローも大歓迎です♪ (すみません、コメントくださった方のご意見も伺わず。でもわたしはみんなでワイワイやるの、大好きなの~)
 このささやかなブログが、『秘密』を愛するみなさんの交差点になれたら幸せです。

 ご自分のブログを持ってらっしゃらない方でも、原作に関してのご意見はたくさんあると思います。 それをご自分の胸だけにしまっておくのが辛く感じたら、遠慮なさらずに当ブログのコメント欄へどうぞ。(^^



 で、お話のほうは、この章でおしまいです。 
「鈴木さんフェア」にしては内容が薄いですか? それでは、次の機会には 『言えない理由sideB』 を! (←非道 ←薪さんが鈴木さんに振られる話の鈴木さんバージョンなんか誰が読みたがるというのか)

 それでですね、
 このお話の翌朝の薪さんそのものだわっ、というイラストが、えあこさんのブログ 『擒』 にアップされてまして、(えあこさん、勝手に思い込んでごめんなさい(^^;))
 えあこさんにお許しいただいたので、こちら、URLでございます。
 読後、ぜひ ぽちっとな してください♪

 URLは、こちら 。
 ギャラリー 落書き3 の中の上から5番目、薪さんが鈴木さんのシャツを着て、青木さんの眼鏡を掛けているイラストでございます。

 ↑ 拝見した後のしづの感想。
 本当にねえ。
 もう二人に愛されちゃえばいいよ☆


 えあこさんは熱心なすずまきすとさんで、こちらのお二人のいちゃつきっぷりには思わず顔がにやけてしまいます。 
 あー、本当に、こんなに愛し合ってたのにどうしてあんなことに~~~~! (←えあこさんのイラストに洗脳されている)

 鈴木さんに愛されて幸せいっぱいの薪さんがご覧になりたい方は、ぜひぜひリンクから飛んでくださいね~。





天国と地獄7 (3)




 何が起きたのかわからなかった。いや、キスされたのは分かった。恋人同士になってから、薪さんは別れ間際と寝る前には必ずキスをしてくれる、いつものそれなのだと分かっていた。
 でも、なんで鈴木さんの前で!?

「どうしたんだ、青木。眼が出目金みたいになってるぞ」
「だ、だって。鈴木さんがいるのに、こんな」
「そうか、人前は嫌か。わかった、これから気をつける」
「いや、そうじゃなくて!」
 思わず出したオレの大声に、ふたりはびっくりしていたけれど、オレの驚きの方が何倍も大きいはずだ。

「薪さんは、鈴木さんのこと好きなんでしょう? だったらその人の前で、他の人間とキスなんかしたら誤解されちゃうじゃないですか」
「誤解? 何の誤解だ?」
 薪さんは不思議そうにオレを見上げた。本当に、オレの言葉の意味が分からないらしかった。

「おまえは僕の恋人だろ」
 薪さんの気持ちが理解できず、困惑するばかりのオレに、薪さんはハッキリと言った。
「ちゃんと言っただろ。鈴木はそういうのとは違うって」
 いや、信じられないです。この二時間の目撃情報がそれを激しく否定してます。
「でも……どう見ても、ラブラブカップルって感じで」
 本当はバカップル丸出しって言ってやりたかったけど、そこは我慢した。オレは薪さんが幸せならそれでいいから。

「僕と鈴木がおまえの目にどう映ったか知らないけど、僕は鈴木に、いま青木に対して感じてるような気持ちを持ったことはない」
 薪さんの言葉の真意を測りかねて、オレはますます困惑の度合いを深める。

 もしかしたら、こういうことか?
 鈴木さんは3日でいなくなる。その間は彼との生活を楽しみたいけど、その後は今までどおり、オレと付き合いたい。だから待ってろ、って、そういう意味のケアなのか?
 いやいや、そんな二股掛けた男を両方逃がしたくない女の子みたいな姑息な真似を、薪さんがするとは思えない。薪さんはとっても潔い人だし、第一、彼の人生の中で恋愛が占める割合なんか、せいぜい10%くらいのものだ。その上、探す気になれば、オレの代わりは掃いて捨てるほどいる。大して重要でもないオレとの付き合いのために、薪さんが気を使ってくれるとも思えない。
 でも薪さんは、オレのヒネた思い込みを払うように、
「おまえが他の女の子といると悲しくなるけど、鈴木が女の子と遊んでても気にならない。おまえには今みたいに、恋人のキスをしたいと思うけど、鈴木にはしたいと思わない」

 オレが大好きな薪さんの亜麻色の瞳は賢そうに輝いて、決して彼が当座の恋人に対する言い逃れでそれを口にしているわけではないことを悟らせる。
 それでも。
「でも、一緒のベッドで寝るんですよね? こないだオレとしかけたことの、あの先のこととか、するおつもりなんでしょう?」 
 それも仕事に差し障るほど。
「するわけないだろ! あんなキショイこと!」
 キショイって……鈴木さん、泣いちゃいますよ。

 薪さんはその気がないと言うけれど、じゃあ、さっきの鈴木さんの言葉は?
 どうしても薪さんの言葉が信じられなくて、オレはその確証を鈴木さんに求めて彼の様子を伺った。
 鈴木さんは、クスッと笑って伸びやかな肩を竦めると、つかつかとこちらへ歩いてきた。長い腕を伸ばして、オレにがばっと抱きつき、頬ずりをする。

「ひいいっ!」
 オレはゲイじゃない、薪さん以外の男なんか気持ち悪い。でも、このカエルが踏み潰されたような悲鳴は、そういう理由からではなかった。

 鈴木さんの身体は、ものすごく冷たかった。
 それは生者の感触ではなかった。はっきり言ってしまえば、死人の肌触り。よくよく考えればおかしくはない、鈴木さんは幽霊なのだ。

「こういうこと。一緒に寝たら身体が冷えて、薪が風邪を引くかもしれないだろ」
 鈴木さんは腕を緩めてオレを解放し、屈託なく笑った。
 そこで初めてオレは、目の前でいちゃついていたふたりの様子の不自然さに気付いた。
 相手の身体に触れるのは、いつも薪さんから。鈴木さんから薪さんに向けられたのは、笑顔と甘い言葉だけ。

 きっと鈴木さんは薪さんと同じくらい、いや、薪さんよりも強く、彼に触れたいと思っていたはずだ。だけど、できなかった。自分が人ならざるものであることを知っている彼は、そうするしかなかった。
 鈴木さんは薪さんのことを、深く深く、愛していた。彼に命を奪われても、彼のところにその魂を返らせるほどに。そして薪さんも。だから彼らにとって、最初のあの会話は悪ふざけでも何でもない、本気でそう思っているのだ。あれだけの出来事を、当人の生死すらも乗り越えられるほどに、彼らの絆は強いということだ。

 勝てる気がしなかった。鈴木さんは死んでも、薪さんの最愛のひとに変わりない。オレは一生、鈴木さんを超えられない。

「今夜は蒸し暑いから、冷房を切って寝れば丁度いいと思います」
 オレは何もできない。薪さんが一番望んでいることが分かっているのに、それを叶えてあげられない。鈴木さんを生き返らせることも、オレが鈴木さんになることもできない。だったらせめて、この3日の間だけでも。薪さんの望むことを全部叶えてあげたい。

「じゃあ、3人で寝よう」
 ええ、薪さんの望みなら何でも……はい!?
「たしかに僕一人じゃ冷えちゃうけど、青木が僕を暖めてくれればいい」
 さすが薪さん、それは名案、じゃない!どう考えてもおかしいでしょ、その構図。昔の恋人(薪さんは否定してるけど)と今の恋人に挟まれて寝るなんて。
「あ、いいな、それ。楽しそう」
 鶴の一声、鈴木さんが賛同した時点で、薪さんの無謀な提案は可決された。
 オレと鈴木さんで薪さんを挟んで……なんか不特定多数の人間に、ものすごく恐ろしいことを期待されているような気がするのは何故だろう。

 男3人が横になれるベッドなんかないから、床に来客用の布団を2組敷いた。真ん中に薪さんが寝て、左に鈴木さん、右にオレ。色っぽい雰囲気は全くなくて、飲み仲間の悪友たちと雑魚寝するのと変わりなかった。
 軽くアルコールも入っていた薪さんは直ぐに眠りに落ちて、安らかな寝息を立て始めた。薪さんの顔は鈴木さんの方を向いて、でもその手はオレの手をしっかりと握っていた。
 鈴木さんは慈しむような眼で薪さんの寝顔を見ていたが、やがて顔を上げてオレを見た。亜麻色の小さな頭越しに、囁く声が聞こえる。

「薪は、おまえのこと好きだぞ」

 鈴木さんの言葉を、オレは怪訝に思う。鈴木さんは、薪さんとオレの関係を否定したいはずなのに、手を出したらトリコロスとまで言われたのに、どうしてそんなことを言うのだろう。
「おまえが思ってるよりずっと、おまえのことが好きなんだ。親友のオレが言うんだから間違いない」
「そんなことないです。薪さんは、いつも鈴木さんのことを想ってます。毎日鈴木さんの写真に語りかけてるし、キスはしてるし。きっと今でも鈴木さんのこと」
「なんで薪の言うことを信じてやらないんだ。おまえ、薪の恋人なんだろ」
 鈴木さんの口から出た言葉に、オレは息を呑む。
「認めてくれるんですか? オレのこと」
「認めるも認めないも、薪がそう言ったんだから。オレにとってはそれが真実だ」

 鈴木さんはそれを当然のことのように宣言し、誇らしげに頷いた。最初に会ったときには敵意むき出しだった鈴木さんの、気持ちの変遷がオレには良く分からない。
「鈴木さんは薪さんのこと、愛してるんじゃないんですか? 友人としてじゃなく、つまりその、性愛の対象として」
 鈴木さんは静かに微笑んだ。とても魅力的な笑みだった。
「さあなあ。昔は悩んだこともあった気がするけど、今はどうでもよくなっちまった。オレは薪が幸せなら、それでいいよ」
 その気持ちは、すごく良く分かった。鈴木さんとオレは、立場も性格もまるで違うけれど、まるで双子みたいに似ていると思った。
「オレもです」

 オレは薪さんとつながった手に、ぐっと力を入れる。
 鈴木さんはありったけの愛情を込めて、彼を見つめる。

 その夜の薪さんは、朝まで穏やかに眠り続けた。



(おしまい)



(2010.9) 



 

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天国と地獄7 (2)

 お話の途中ですが、 
 今年は実家が初盆なので、3日ほどお休みをいただきます。
 15日には再開できると思いますので、よろしくお願いします。




天国と地獄7 (2)




「鈴木。何してるの?」
 いつもより幾分高い薪さんの声がして、オレと鈴木さんはそちらを振り向いた。振り向いて、うわあ、とオレは思わず小さな声を上げた。
 薪さんのエプロン姿はいつも魅力的だけど、今日はめちゃくちゃかわいい。喫茶店のボーイがしてるみたいな、腰から下の黒いエプロン。着ている服も普段のTシャツにジーパンじゃなくて、襟の立った半袖のプリーツシャツに蝶ネクタイをして、黒いスリムなスラックスを穿いている。レストランのホールスタッフみたいだ。

「相変わらずかわいいなあ、薪は」
「え~、やめてよ~、恥ずかしいよ~」
 なんすか、その嬉しそうな態度。前にオレがそのセリフ言ったら、薪さん怒りましたよね? バカにするな、とかってソッコー蹴り飛ばしましたよね?

「鈴木、そんなことしなくていいんだよ。こいつがやるから」
「でも青木が『あれだけ飲み食いしたんだから、少しは働いてください』って」
 言ってない!! いや、ちょっとは思ったけど、口には出してません!
「青木。鈴木はおまえの大先輩だぞ。もっと敬意を払え」
「オレはそんなこと一言も……っ!?」
 何かに首を絞められたような具合に息が止まって、オレは目を瞠った。嫌な予感がして鈴木さんを見ると、にっこりと天使の笑いを浮かべつつ、両手をスリーパーホールドの型に決めて、ってマジだよ! このひと、オレの息の根止める気だよ!

「鈴木。青木の言うことなんか気にしないで。鈴木は幽霊なんだから、働きすぎは身体に良くないよ」
 幽霊の健康に気を使う前に、オレの命の心配してくださいっ!
「薪、青木も悪気があったわけじゃないんだ。オレが飲み食いしたのは本当だし」
「もう、鈴木は本当にお人好しなんだから。そんなとこが好きなんだけど、あ、言っちゃった。(テレッ)」
「おいおい、部下の前でそんなこと言っていいのか? 明日、職場で噂になっちゃうぞ」
 オレに明日が来ればねっ!!

 窒息一歩手前で、鈴木さんは手を緩めてくれた。というか、自分のセリフに照れる薪さんが鈴木さんの胸に抱きついたせいで、ホールドが解けただけみたいだけど。
 薪さんはしばし鈴木さんの身体の感触を味わい、それに満足すると、右手の人差し指を立たせ、指の先で鈴木さんの胸をつんつんと突いた。嬉し恥ずかしといった表情で、
「噂になってもいいよ。鈴木となら」
「オレも」
 ……デキてるよね、これ。絶対にデキてるよね、このふたり。

 鈴木さんに対する気持ちは純粋な友情だったとか、普通の男同士に恋愛感情は生まれないとか、薪さんが今までさんざん言ってきたことは、オレの好意を受け入れられない彼の、単なる言い訳に過ぎなかったと知って、オレは泣きたくなった。
 でも、幸せそうに鈴木さんの胸に額を預ける薪さんを見ていると、それに水を差すような真似はできなくて。オレは仕方なく料理に専念する振りで、二人の姿を見ないようにした。

 その夜、食卓に並んだ薪さんの手料理は、いつにも増して見事なものだった。鰻ちらしにハマグリの吸い物、茄子のおろし煮に春雨のサラダ。仕事から帰ってきて後は寝るだけのいつもなら、ちらし寿司とインスタントの吸い物だけなのに、てか、オレはそれで充分だし不満に思ったことなんか一度もないけど、こうも差がつくと何かフクザツ。
 しかも、ダイニングテーブルで鈴木さんの隣に腰を下ろした薪さんは、
「はい、鈴木。あーん」
 やると思った、絶対にやると思った。
 なんてコテコテな人たちだろう。今時新婚二日目の夫婦だってやらないぞ。

「うん、美味い。相変わらず、薪の料理は絶品だな」
「本当? うれしい」
「ほんとほんと。ほら、お返し。あーん」
 ちょっと、やめてもらえます? テーブルひっくり返したくなっちゃうんですけど。
 オレはとりあえず頭の中で、鈴木さんがテーブルの下敷きになっているところを想像して苛立ちを解消しようとした。でも次の瞬間、鈴木さんは薪さんに助け出されて、何故かオレがテーブルの下敷きになり、さらには二人がオレの上に座って仲良く食事を始め……ああ、オレって自分の想像の中ですらピエロなんだ。

「はあ、この料理が毎日食べられたら幸せだろうなあ。そうだ、薪。オレのところに嫁にこない?」
「っ、げほっ、ごほっ!!」
 鈴木さんの言葉に、思い切りむせる。
 オレのところって何処ですか!?
 プロポーズは生きてるうちにっ! この世にいるうちにお願いします!
「うん、行く」
 即答だよ!
 行ったら帰って来れませんよ!! てか、関係ないんですよねっ、分かってますとも!

「でも僕、結婚しても仕事は辞めないからね。鈴木の所から、第九に通える?」
 世界一の遠距離通勤でしょうね……。
「それは無理だな。仕方ない、しばらくの間は単身赴任てことで」
 ふたりはチラッと目線を交わし、くすくすと笑い出した。
 なんだろう、よくわからない。この二人の間では、今のやり取りが笑えることなのだろうか。年が離れているせいか、笑いのツボがつかめない。

 その後も、薪さんと鈴木さんはオレにわからない昔の話をしていて、オレはずっと蚊帳の外だった。でもそれは仕方がない。鈴木さんには、現在の話は分からないのだから。
 そんな扱いを受けて、オレが悲しかったかというとそうでもない。何故かというと。

「そうだよ、あの時の鈴木ったら」
 鈴木さんの肩を軽く小突きながら、あはは、と子供みたいに無邪気に笑う薪さんの姿がそこにある。
 ずっと、こんな風に笑う彼が見たかった。鈴木さんのおかげだ。ああ、本当に鈴木さんがここに来てくれて良かった。
 食事の間中、オレは幸せそうな薪さんを満喫して、今日は人生最良の日だと思った。




*****




「あー、美味かった~。お腹いっぱいだ」
 満足そうに自分のお腹を撫でる鈴木さんの横で、オレは空になった皿を片付けた。重ねてシンクに運び、後片付けを始める。
 テーブルの上を拭いていた薪さんが、見事に盛り上がった鈴木さんのお腹に耳を当て、
「あ、今動いた」
「わかりますか~、パパでしゅよ~」
 それから顔を見合わせて、ケラケラ笑う。
 何がそんなにおかしいのかオレにはさっぱり分からないが、薪さんの笑い声がこんなにたくさん聞ける日は滅多とないので、なるべく二人の邪魔をしないように、こっそり手早く皿を洗った。

「青木、コーヒー淹れてくれ」
 寿司桶と汁椀を運んできた薪さんが、業務連絡みたいに素っ気無く命令だけを残して鈴木さんのところへ帰って行く。はい、と返事をしながら、ちょっとだけ寂しいな、と思い、それでも薪さんの瞳がキラキラ輝いているのを見ると、やっぱり嬉しい。

 眠りながら涙を浮かべていたあの人が。明かりの消えたモニタールームで頭を抱えていたあの人が、今宵はこんなに楽しげに。
 オレが薪さんに望んだのは、おこがましくも与えたいと思ったのは、正にこんな時間。第九の室長という重責を担い、心休まるときのない彼を癒したいと、たとえひと時でもいいから心から安らげる時間を持って欲しいと、だから彼の恋人になりたいと、この手で彼を幸せと安寧に包み込みたいと。
 だけど、それを彼にもたらすのはオレじゃなくてもいい。誰が為すかは重要ではなく、彼がそれを享受することが大切なのだ。

「鈴木。こいつ、コーヒー淹れるのだけは上手いんだ。飲んでみて」
「本当だ、美味い」
「でしょ?」
 オレが風呂の支度をしてリビングに戻ると、ふたりはソファに並んで座っていた。大学時代に通った喫茶店の話が一区切り付くのを待って、オレは風呂の用意ができたと告げた。

「鈴木、お風呂に入ったら?」
「薪も一緒に入る?」
「うん!」
 ……一緒に入るんだ。ふーん……。

「背中、流しっこしようね」
「背中だけじゃなくて、身体中洗いっこしようぜ」
「やだ、鈴木ってば~、えっちー」
 あんたたち、オレの存在忘れてるだろ。

 薪さんと鈴木さんは仲良く風呂に入っていき、さすがに心穏やかではいられないオレの耳に、やがて浴室から聞こえてきたのはふたりの笑い声。
『うひゃひゃひゃ! 鈴木、くすぐったい!!』
『遠慮なさらないで~、サービスいたしますわよ~~』
『よしよし、チップは弾むからよろしく頼むよ、って、きゃはははっ!!』
 ……なにやってんだか。

 サービスやチップなんて言葉が出るところをみると、これはあれだ。薪さんの大好きな歌舞伎町のお風呂屋さんの真似事だ。ホントにきわどい冗談が好きなんだ、このひとたち。
 
 きゃらきゃらという薪さんの明るい笑い声と、あははは、という鈴木さんのやさしそうな笑い声が止むと、ふたりは浴室から出てきた。夏だからドライヤーで髪を乾かすのが辛いらしく、濡れた髪をタオルで拭きながらエアコンの吹き出し口の前に並んで立っている。
 オレが心配した、というか下劣にも想像したような展開にはならなかったみたいで、ひとまずホッとした。
 もしかしたらオレの思いすごしで、今までのも全部彼らの冗談で、このふたりは本当にただの友だちだったのかもしれない。薪さんは決してオレに嘘を吐いていたわけではなくて、オレと知り合う前は本気で同性間の恋愛は成り立たない、と信じていたのかも。

「鈴木、そろそろ休もうか」
「ああ」
「ベッド、一緒でいいよね?」
「オレはいいけど。でも、薪の身体のこと考えるとな。今夜はよした方がいいんじゃないのか?」
 …………やっぱデキてんじゃん!!!

 先日、ついほんの数日前、「おまえと恋人のキスがしたい」とか自分から言い出しておきながら、キスまではいいけどその先はいやだ、と勝手きわまりない言い分で最後の一線を拒否している薪さんは、相手が鈴木さんなら地の果てまで許せるらしい。
 グロイだのキショイだの、さんざん言ってくれたけど、あれは結局ただの言い訳に過ぎなくて。そこまで許すほどオレのことを好きにはなれない薪さんの、拒否する理由のひとつに過ぎなかったと知った。

「明日の仕事に差し支えるかもしれないし」
 仕事に差し支えるって、どんだけやる気なんですか!?
 まあ、一年ぶりで楽しみなのはわかりますけど。

 それはきっとものすごく悲しいことで、だからオレはこの場合嘆くべきなのだと思ったけれど、悲しくも腹立たしくもならなかった。恋人として当たり前の反応をするには、オレはもう、薪さんを愛しすぎていた。あまりにも長い期間、夢中で彼の幸せを望んでいたせいか、それ以外のことはどうでもいいと思うようになってしまっていたらしい。
 薪さんがそれを望むなら。それはオレの望みでもあるんだ。

「オレ、今日は帰りますから。明日の朝、お迎えに上がります」
 ふたりが気兼ねしなくて済むように、オレは潔く鞄を持って立ち上がった。
「そうか? じゃ、気をつけてな」
 薪さんはあっさりと頷いて、鈴木さんはひらひらと手を振った。
 オレにとっても3週間ぶりの薪さんとの夜だったけど、このふたりにとっては一年ぶりの夜。もっと早くに、ふたりきりにしてやればよかった。

「あ、青木」
 玄関口で靴を履いているオレを、薪さんは呼び止めた。明日の迎えの時間を聞いてなかったことに気付いて、はい、と振り返る。
 ネクタイを掴まれて、ぐいっと下方に引かれ、視界がぶれると同時に唇をふさがれた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

天国と地獄7 (1)

 こんにちは!

 お話の途中ですが、毎年恒例の鈴木さんフェアの時期なので、こちらのお話を挟ませていただきます。

 去年、あずきさんのブログ 『竜の果実』 に公開された『帰ってきた男』というお話を拝読しまして、これがめちゃめちゃ笑えるお話で~~、だって鈴木さんが~~~!! 
(こちらから飛べますので、未読の方はどうぞ) 

 『帰ってきた男』

 他の記事やSSから推察するに、あずきさんはとても真面目で心優しい方だと思うのですけど、ギャグを書かれるときにはすみません、お人柄変わりますよね!(←褒めてます!) 
 もしもまだチェックがお済みでない方は、ぜひ!! 半端ないっていうか容赦ないっていうか、台風みたいなギャグです。 とにかく強烈です。 ギャグ好きのわたしには堪りません☆ 

 で、去年、『帰ってきた男』のコメ欄でですね、あずきさんに『じゃあわたしが鈴木さんのリベンジ話を書きましょう』とお約束してできたのがこの話です。 だから書いたのは去年の9月なんですけど、公開はお盆に合わせて、ということで、やっと約束を果たすことができました。
 みんなに笑ってもらえるといいなっ。

 鈴木さんが幽霊になって出てくる話なので、カテゴリは男爵でお願いします。
 ストーリー的には『天国と地獄6』の続きになってます。 「グロッ、キショッ、やっぱムリ!」の数日後です。
 あ、それと、うちの鈴木さんは黒いです。 お含みおきください。

 よろしくお願いします。

 



天国と地獄7 (1)





 家に帰ると、鈴木さんがいた。

「おかえり」
「ただいま戻りました」
「薪は?」
「あ、直ぐに来ると思います。今そこで、管理人さんと立ち話を……………はいいっ!?」

 鈴木さんはソファでくつろいでいた。
 雑誌やら小説やらがローテーブルの上に置かれていて、勝手に冷蔵庫を物色したのか、ビールの空き缶と数枚の小皿がテーブルの片隅に寄せられていた。

 この怪異現象に、どんな説明をつけたら良いのだろう。

 薪さんは毎日鈴木さんの写真を見て、話しかけたりキスしたり、そんなに彼のことを思っているのなら、いつか彼が見る幻は実体を持つかもしれないと考えたりもした。だけど、それが現実になるなんてバカなことが?
 そうか、これは幻だ。この頃仕事が忙しかったから。こんな時間に帰れたのも3週間ぶりくらいだし。疲れて幻覚を見ているんだ、きっと。
 例え幻覚でも、鈴木さんは第九の大先輩だ。ちゃんと挨拶をしておこう。

「鈴木さん、ですよね? 初めまして。オレ、薪さんの部下で青木一行と」
 オレが礼儀正しく挨拶をしようとすると、鈴木さんはいかにも『堅苦しい挨拶は抜きにして、一緒に飲もうぜ』とでも言うように、心安い笑顔で飲みかけの缶ビールを顔の高さに持ち上げ、
「知ってる。薪に惚れてる変態だろ」
 それが初対面の相手に言う言葉!?

 あまりの無礼に開いた口が塞がらないオレに向かって、鈴木さんはにっこり笑いかけると、
「茫然自失時間約3分。状況対応遅いな、おまえ。よくそんなんで第九の捜査官やってられるな? 薪の足を引っ張るのもいい加減にしろよ、トンチキヤロー」
 なんだこのひと! 言葉と表情が合ってないっ! さわやかな5月の風のような笑顔なのに、この容赦ない言葉選びは何事!?

 オレが絶句しながらも相手の非常識な態度を咎めるような顔をすると、鈴木さんは改まって床に正座をし、オレを見上げた。彼は慈愛に満ちた表情をしていた。彼ほどやさしい瞳を持った人物を、オレは今まで見たことがなかった。
 どうやら、今のはオレの聞き間違いだったようだ。こんな聖職者のように穏やかな顔つきのひとが、他人と諍いを起こすようなことを言うはずが―――。
「自宅の出入りを許されてるからって、良い気になるなよ。あくまでおまえは薪の部下兼ボディガードなんだからな。オレの薪に手ェ出したら、トリコロスぞ?」
 敵意むき出しだよ! 『オレの薪』とか言ってるし!!

 言葉どころか意識まで失いそうな酩酊感に襲われ、玄関口に立ち尽くしたオレの後ろでドアが勢いよく開き、オレの背中にヒットした。前のめりに突っ込んで床の感触を頬で味わっていたオレの耳に、薪さんの「あっ」と言う可愛い声が響いた。

「鈴木!!」
 ザッツ、アウトオブ眼中オレ! (予想はしてたけどねっ!)

 リビングの奥に置かれたソファセットに座っている鈴木さんより、上がり口に倒れているオレのほうが薪さんの目には入りやすいはずだとか、そんな理屈が通用しないことは百も承知だ。
 だって、鈴木さんだもの。薪さんが一日千秋の思いで待ち続けている人だもの。

 床に倒れたオレの背中をぴょんと飛び越えて、薪さんは鈴木さんに飛びついた。まるで犬が大好きなご主人様にじゃれつくような勢いだった。
「今年も来てくれたんだねっ、うれしい!」
「当たり前だろ」
「15日までは、ここにいられるの?」
「ああ、その日が限界だ。本音ではずっと薪の傍にいたいんだけどな」
 なに? この会話。常識が崩れそうなんですけど。

 今年もってことは、鈴木さんはお盆になると毎年薪さんのところに化けて出る、もとい帰ってくるのか。
しかし、化けて出るのか帰ってくるのかは、実際微妙なところだと思う。
 あれは確かに正当防衛、というか事故に近いものだったとオレは思っているけど、薪さんが鈴木さんの命を奪ってしまったことは事実なのだから、そこにはやっぱりわだかまりがあって当然だと―――――。

「も~、なんで鈴木ってば、幽霊なんかになっちゃったんだよ~。僕が淋しいじゃん」
「何言ってんだよ、こいつう。おまえが殺ったくせに~」
「てへっ、そうでした~」
 30過ぎのいい大人が、高校生カップルみたいな語尾を伸ばした喋り方やめてもらえます?
 てか、口調と話の内容に凄まじい違和感を感じるんですけど、オレの感性がおかしいんですか?

「ごめんね、あのとき撃っちゃって」
「いいっていいって。オレが頼んだんだし。気にすんなよ」
 軽っ! このふたりの会話、軽っ!!
「ありがと。やっぱり鈴木はやさしいね」
「惚れ直した?」
「も~、やだ、鈴木ったらあ」
 なに、このバカップル丸出しの会話!!
 夜中に夢で魘されてボロボロになってるどっかの誰かさんがバカに見えてきたよ!

「ところで薪。今夜のごはんは?」
「鈴木が来るかもしれないと思ったから、ちゃんと買い物してきたよ」
 そこで薪さんは、初めてオレのことを見た。
「青木。夕飯作るから手伝え」
 態度違いすぎません? 声のトーンが1オクターブくらい低いんですけど、しかも、なんでいきなり命令口調なんですか? 薪さんは今まで、職務時間外に上司風吹かせたこと無かったのに。鈴木さんの前だから?

「鈴木の好きなチラシ寿司つくるからね。ウナギの載ったやつ」
「そりゃ楽しみだな」
 薪さんは当たり前みたいに鈴木さんの頬にキスをすると、スキップでも踏みそうな軽い足取りでクローゼットに入っていった。普段着に着替えてくるのだろう。
 頬にキスなんて、オレはしてもらったことがない。
 薪さんにとってハグとキスまでは友だちの範囲内で、そこに特別な感情はないと知っているけれど。以前薪さんはオレに、鈴木さんに対する恋愛感情はなかった、とはっきり言ったけど、本当のところはどうなんだろう。

「そんなん決まってんじゃん。薪はオレに惚れてんの」
「でも、薪さんは」
 反論しようとして気付く。
 口に出さない疑惑に、どうして鈴木さんが答えを返してきたのだろう。もしかして鈴木さんは、オレの心が読める? いや、まさかそんな。
「オレは第九の神さまだぜ? おまえの考えてることなんかお見通しだよ」
 第九の神さまって……さすが親友。薪さんと考えることが一緒だ。

「オレが早くいなくなればいいと思ってんだろ。お生憎さま。オレは3日後にはいなくなるけど、これからも薪の心の中にずーっと」
「なんだ、ウソだったんですね? 本当に心が読めるのかと思っちゃいました」
「ん?」
 全く、性質の悪い冗談を言う人だ。心の中で薪さんに邪な願望を抱いたりしたら、その場で薪さんにバラされて、半殺しの目に遭わされるかも、なんて心配して損した。

「鈴木さんには、できればずっとここにいて欲しいです。薪さんのあんな幸せそうな顔、初めて見ました」
 あのひとのあんな顔が見られるなら、オレは何にもいらない。
 オレはずっとずっと、あの写真にあるような笑顔で薪さんが笑ってくれることを願っていた。それが今、叶えられたのだ。これ以上の喜びはない。

「……ヤなやつだなー、おまえ」
「え? なんか気に障りました?」
「オレ、天使くん苦手なんだよな」
 鈴木さんは意味の分からない言葉をブツブツ呟くと、身軽に立ち上がって台所へと歩いていった。オレも慌てて後を追う。夕食の手伝いをしないと、ごはんを食べさせてもらえなくなる。
 買ってきた肉や魚を冷蔵庫にしまい、葉物野菜は濡らした新聞紙に包んで、ビニル袋に入れて収納。毎日帰りが遅くて自炊ができないときのことを考えると、ひと手間掛けてもこうして長持ちするようにしてあげないと。

「おまえ、そんなことまでやらされてんの?」
「この食材の殆どは、オレの胃袋に入るものですから」
「ふうん。薪が他人にここまで踏み込ませるとはな」
「はい? 何か仰いました?」
 よく聞こえなかったから聞き返したけど、鈴木さんは答えてくれなかった。きっと大したことではなかったのだろう。

「手伝ってやるよ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
 礼は言ったものの、あれだけ飲み食いしたのだから当然だとも思った。オレが毎回楽しみに、少しずつ食べていた薪さんお手製の牛肉そぼろを一気食いしちゃって、それはちょっと頭に来たけど、鈴木さんが相手じゃ仕方がない。きっと薪さんは、鈴木さんにこそ食べて欲しくて料理の腕を磨いたのだろうから。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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