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破滅のロンド(8)

破滅のロンド(8)





「なんで勝手にタブを閉じたんだよ!」
 荒々しい声に岡部が振り返ると、冷静さが売りのシステムエンジニアが、仁王立ちになって怒っていた。珍しいこともあるものだ。
「切り替えの時には、必ず俺に声を掛けてくれって言っただろ?!」
「申し訳ない」
 宇野に怒声を浴びせられて滝沢は、それでも落ち着きを失わず、いつも通りの慇懃な態度で応えを返した。彼が第九に配属されて1週間。岡部はまだ、彼の焦った顔や困った顔を見たことがない。

「以前のシステムでは、タブが閉じる前に自動的に確認の画面が開いたものだから」
 滝沢が時々犯す旧システムとの相違による操作ミスは、ある程度仕方のないことと言えた。機械の操作法は、身体が習得しているものだ。頭で考える前に指が動いてしまうこともあるだろう。素早く処理をしようと思えば尚更のことだ。
 それは宇野も心得ている。問題は、滝沢のこの態度だ。申し訳ない、と言いながら、ちっとも悪びれる気配がない。口先だけで謝罪しているのが丸分かりだし、本人もそれを隠そうとしない。完璧に舐められている、と宇野が感じても仕方なかった。

「すまない。これからは気をつけよう」
「滝沢サン、あんたねっ!」
「宇野、落ち着け」
 宇野の激昂を嘲笑うような滝沢の横柄さを腹立たしく思いながらも、岡部は争いを収めようと二人の間に入った。四角いレンズを通した宇野の瞳が、常に無く凶悪な光を宿している。
「滝沢も、わざとやったわけじゃないんだから」
「それで済むなら警察要りませんよ! こっちは5日も掛かって入力したデータ、オシャカにされたんですよ?!」
「何の騒ぎだ」
 大声で怒鳴っていたものだから、薪の耳に入ってしまった。薪がこちらにやって来るのを見て、岡部はマズイと思った。岡部には薪がこの局面で、どんな態度を取るか分かっていた。それを受けた宇野がますます激怒するであろうことも。

 近付いて開口一番、薪は宇野に向かって、
「宇野。滝沢の指導員はおまえだが、滝沢はおまえより階級も年も上だ。頭ごなしに怒鳴ったりするものじゃない」
 岡部の予感は当たった。宇野の怒りは、2倍になったに違いない。普段はのっぺりとした彼の額に、幾本もの青筋が浮いたからだ。
 これまでの薪は完全な実力主義を貫いており、年齢や階級のことなど、一度も口にしたことがなかった。実績を上げたものが偉い。三つ子の魂百まで、初就任先の捜査一課で培われた彼の価値観は、研究室に於いても変わることはなかったのだ。そんな薪の方針を、第九の職員たちは恐れながらも支持してきた。それなのに。

「何があった。説明しろ」
 薪は宇野から事情を聞き、拳を握り締めて立っている宇野と、座ったままの滝沢を交互に見た。やおら腕を組み、軽くため息を吐く。くだらない、と口に出さんばかりだ。
「悪いのは宇野だ。このミスは、データ保存の手順を教えなかったおまえの責任だ」
「教えようとしましたよ! 切り替えの前に声を掛けてくれって、ちゃんと言いました! それを滝沢が勝手に」
「滝沢は悪くない。最初に手順を説明してから作業に入れば済んだ話だろう。おまえが説明を省いたのがそもそもの原因だ」
「そんなこと言われたって、画面を見ながらじゃないと説明できないし。目的の画面に進むまで、見てるわけにも行かないですよ。こっちにだって仕事があるんですから」
「指導と言うのはそういうものだろう。手を抜いたおまえが悪い」
「薪さん、なんでいっつもこいつのこと庇うんですか!?」
 一方的に叱責されて、宇野がキレた。この1週間、誰もが思って、でも言えずにいたことを、宇野は理性を失った人間特有の無遠慮さで叫んだ。

「別に、庇ってるわけじゃない。指導について僕の考えを述べただけだ」
 薪は本気でそう言ったのかもしれないが、逆上していた宇野には姑息な言い訳に聞こえただろう。宇野の形相は凄まじさを増し、それをさらに煽るように滝沢が口を挟む。
「薪。宇野警部の言うとおりだ。おれが悪かったんだ」
「なんでおまえは薪さんにタメ口なんだよっ! それが一番アタマに来るんだよ! 元同僚だか何だか知らないけど、職務中は敬語使えよ!!」
 正に決定打。それは岡部を始めとした部下たち全員の総意だった。
 鬼の室長として職員たちから遠巻きにされる薪に、滝沢は気の置けない友人のように話しかける。薪もそれを咎めることなく、終始和やかに応じる。それを目の当たりにすると、自分たちよりも滝沢、つまり旧第九の部下の方が薪と深い絆で結ばれているような気がして不愉快になるのだ。要は、ヤキモチだ。

「宇野さん、落ち着いてください。データの復旧作業、オレが手伝いますから」
 宇野を必死で宥めているのは、薪に関しては一番嫉妬深いはずの男だった。これまでに何度も彼は、薪の不公平な態度に憤る職員たちを慰めてきた。薪の立場を悪くすまいと、青木の努力は涙ぐましいほどだった。
 そんな彼の努力を蹴り飛ばすように、薪は滝沢の肩を軽く叩き、
「滝沢、気にするな。おまえの記憶力が良過ぎただけだ」
 などと世辞めいたことまで言った挙句、
「経験者とは言え、たった1週間で新しいシステムをここまで使えるようになったのは大したものだ。自信を持っていい」
 滅多に部下を褒めない薪の賞賛に、皆が目を剥いた。小池など「おまえが新人の時とはエライ違いだな」と青木の腹を肘で小突いた。それは皮肉屋の小池らしいリアクションで、しかし岡部には、滝沢に対する嫉妬心からの行動と思われた。
 滝沢には、心の病気だった過去がある。薪にしてみれば罪滅ぼしのつもりなのかもしれないが、あからさまな新人贔屓は他の職員の不満を煽る。これ以上は、第九全体のコミュニケ-ションに害を及ぼす。一言、注意を促しておくべきだ。

「薪さん。滝沢は完全に回復したと、医師が保証しています。薪さんが気を使われることはないと思いますが」
 室長室に戻った薪を追いかけて、岡部は進言した。話しかけられても薪は、岡部の顔を見ることもせずに室長席に座った。細い脚をスマートに組み、背もたれに寄りかかり肘掛に腕を置き、戯れにボールペンを回しながら薄く笑う。嫌な笑い方だと岡部は思った。
「昔なじみの贔屓は見苦しいと、正直に言ったらどうだ」
 岡部がせっかく包んだオブラートを無造作に剥がして、薪は嘯いた。
「分かってらっしゃるなら、どうして」
「僕は態度を改める気はない」
 突然厳しい口調になって、薪は言った。組んでいた脚を解いて、床にきちんとつける。背筋を伸ばして両手を机の上に置き、岡部の顔をしっかりと見据える。亜麻色の瞳は澄み切っており、彼の発言が確固たる意志の下に為されたものであることを証明していた。

「滝沢は優秀な捜査官だ。僕の目から見て、実力はおまえと五分。第九は実力主義だ。できる職員は優遇する」
 滝沢の実力は、岡部も認めていた。捜査資料を読み解くのも早いし、雑多な情報の中から重要なものを嗅ぎ分ける鋭い鼻を持っている。近年、科学警察に於いて非合理的なものは軽視される傾向にあるが、刑事の勘というやつは確かに存在する。それは豊かな現場経験から生まれるもので、一朝一夕に身に付くものではない。滝沢は、相当な場数を踏んでいるということだ。
「僕に眼を掛けて欲しけりゃ、腕を磨け。みんなにもそう言っとけ」
 話は終わりだ、と言う代わりに、薪は報告書のファイルを開いた。すかさず、岡部はその上にグローブのような手を滑り込ませる。A4判の中心に置かれたその手は書面の殆どを隠して、薪はうんざりしたように顔を上げた。

「滝沢が優秀な捜査官であることと、あなたのプライベートから青木を閉め出すことは、どう関係してくるんですか? 何故、同時なんです?」
「必要だったからしたまでだ」
「あなたに迷いがないと言うことは、仕事がらみですね?」
 これがプライベート、限定してしまえば恋愛問題なら、薪はもっと情緒不安定になる。以前、私的な懸念から青木を遠ざけようとしたときは、こちらが見ていられないくらい凹んでいた。その浮き沈みが今回は見られない。つまり、仕事だ。
 形の良い眉を思い切りしかめられて、岡部は安心する。ちっ、と行儀悪く打たれた舌打ちは肯定の証。薪が何かを隠し、決意し、一人で密事を為そうとしていることなど、岡部にはとうにお見通しだ。

「芝居なら芝居だと、青木に説明してやらないと。地球のコアまで落ちてましたよ。自分の姉に引き合わせようなんて、薪さんにプレッシャー掛けたから振られたのかもって」
「心配することはない。そのまま行けば、そのうち反対側に抜けるだろ」
「薪さん」
 岡部が非難がましい口調で名を呼ぶと、薪は肩を竦めた。少し苛々したときの癖で、人差し指で肘掛をトントンと叩きながら、
「別れようなんて言ってない。距離を置こうって言っただけだ」
「ほとんどイコールだと思いますけど」
「ぜんぜん違うだろ。プライベートでは会わない、職場でも仕事のこと以外は話さない、ってだけのことだぞ」
「……それ、事実上別れてますよね」
「えっ、そうなのか?」
 ズレているというか薪らしいというか。一般的な恋愛のニュアンスと薪のそれは、時に開いた口が塞がらないほど相違していて、しばしば相手に虚脱を感じさせる。

「説明してあげてください。他の連中は俺が何とか抑えますけど、青木のやつだけは薪さん本人の口からじゃないと聞きゃあしませんから」
「できない」
 自分の思い違いを認めてなお、薪は即答した。どうして、と訊こうとした岡部を遮って、薪の冷徹な声が響く。
「どんなことをしても、青木を巻き込むわけにはいかないんだ。これで青木が僕から離れるなら、そこまでの縁だったということだ」
 言葉面だけを追えば潔く切り捨てたように聞こえるが、薪に悲哀はない。青木が自分から離れることはない、と信じ切っているのか。岡部は薪の自信を頼もしく思ったが、残念ながらそれは違った。

「いつの間にそんなに自信家になったんです」
「自信なんかない」
 ニヤつきながら尋ねた岡部に照れ臭がる様子もなく、薪は硬い声で答えたのだ。
「共に過ごすより、もっと重要なことがあるだけだ」

 一番下の引き出しの奥から取り出した黒いファイルを抱え、薪はすっくと立ち上がった。殺人事件の捜査に挑むときと同じ声の響きに、岡部は表情を改める。薪は何かを考えている。そしてそれは、不退転の覚悟で挑まなければならないような厳しいものなのだと悟った。
「薪さん」
「警察庁へ行ってくる」
 一歩歩き出すと、小脇に抱えた黒いファイルから、挟み損ねたのか一枚の紙片が机上に落ちた。薪の細い手が素早くそれをさらう、その一瞬を岡部の眼は見逃さない。

 警察庁内に配布される広報誌の一部。『××年度 国家公安委員会』の文字がある事から半年ほど前のものと思われた。一瞬だったが、現在の国家公安委員長である大久保国務大臣、その下の欄に5人の委員たちの顔写真が名前入りで並んでいるのが見えた。
 どうしてそんなものを報告書に? 岡部が口を開きかけた時、薪の口から思いもよらない言葉が漏れた。

「岡部、滝沢を頼む」 
 下された命令に、岡部は顔をしかめた。室長が不在の折、第九を預かるのは副室長の岡部の役目だから薪は当然のことを言ったに過ぎないが、「研究室を」と言うところを個人名と言い間違えるなんて。どれだけ彼のことを気に掛けているのかと、咄嗟に反感を持ってしまったのだ。
「滝沢を、ですか?」
 やや皮肉な心持ちで岡部が間違いを指摘すると、薪は意外にもしっかりと頷き、
「ああ、そうだ。今日はどうしても滝沢を連れて行くことができないからな」
 言い間違えを恥じるどころか、開き直られてしまった。それから薪はモニターを睨むような眼で岡部を見上げ、顔を近付けて声を潜めた。

「絶対にやつから眼を離すな」



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破滅のロンド(7)

破滅のロンド(7)




 昼休み終了の10分前。室長室にコーヒーを運ぶ青木を、岡部は呼び止めた。

「室長なら留守だぞ。午後から警視庁で会議だ」
「え。食事先から直行で?」
 午後からの会議のことは、青木も知っている。それでもこうしてコーヒーを運んできたのは、いつも薪は青木のコーヒーを飲んでから会議に赴くからだ。今日のように、昼食を摂った店から会議室へ直行というのは珍しい。ましてや。
「……また滝沢さんと一緒か」
 お供の部下と一緒に食事をして、そのまま出掛けるなど。

 ホワイトボードに書かれた各人の予定を見て、青木が低い声で呟く。表情には出さないが、面白くないのだろう。その気持ちは岡部も一緒で、多分、他の職員たちも同じだ。
 薪はとても公正な室長だった。部下の中で特に誰かを疎んじることなく、可愛がることはもっとせず、平等に厳しく、公平に叱った。職員たちの不満は室長に集中し、仲間内でいざこざが起きることはなかった。
 それが、滝沢にだけは違った。モニタールームに入って来るたび、彼に必ず声を掛けた。自分が外に出ることがあれば、常に彼を同伴した。まだ見習い期間中の滝沢は受け持ちの事件を持っていないから、と言うのがその理由だったが、青木が新人だった頃は一度も指名された覚えがない。

「よかったら」とカップを差し出され、岡部は隣に立った男を見上げた。椅子を回転させ、彼の真面目そうな顔を検分する。何処となく疲れて、元気がなさそうだ。
「薪さんも、どういうつもりなんだろうな」
 岡部はそれを、カマを掛けたつもりで訊いた。青木は薪の恋人だ。薪が滝沢に気を使う理由を、本人から聞いて知っているはずだと思った。ところが。
「オレには分かりません」
 力なく首を振る、そこまではあり得ることだった。薪は意地っ張りだ。自分の弱みを、例え相手が恋人といえども隠そうとすることは、充分に考えられた。しかし。

「もしかしたら昔、恋人同士だったのかも」
「ぶっ!」
 後輩の口から予想もつかない答えが飛び出して、岡部はコーヒーにむせる。何を根拠にそんな疑いを持ったのか、さては恋人の勘違い癖が伝染したのかと、岡部が咳き込みながらも青木の疑惑を否定すると、青木は何とも情けない顔になって、
「じゃあどうしてオレ、薪さんに振られたんですかね」
「はあ?」
 岡部はポカンと口を開け、間の抜けた声を出した。そんなわけは無い、自分は薪から何も聞いていない。薪が、青木の姉に会う直前の精神安定のために岡部を呼び出したのは4日前だ。この急転直下のラブストーリーをどう理解したらいいのか。

 岡部が日曜日の薪の様子を話してやると、青木は悲しそうに眉根を寄せ、岡部の隣の席に腰を下ろした。
「そうですか、そんなに嫌がって……オレ、薪さんの気持ち、全然分かってなかったんですね」
「いや、薪さんは別に嫌がってたわけじゃ」
「オレ、実はすごく浮かれてて。姉に自分の彼女を紹介するような気分でいたんです」
 それはそうだろう。薪は青木の恋人なのだから、どこも間違っていない。
「だけど、薪さんにはプレッシャーだったんですね。そうですよね。オレだって、もしも薪さんの両親がご存命でいらして、お会いする機会があったら、緊張で食事なんか喉を通らないかも」
「まあ、プレッシャーはあったみたいだが。薪さんは、おまえのためにそれを乗り越えようとしてだな」
 懸命に、薪は自分を奮い立たせていた。悲惨な未来図を思い浮かべながら、それでも逃げ出さず、立ち向かおうとしていた。そんな薪が青木を疎んじる道理がない。

「だから、薪さんがおまえを嫌いになったなんてことはない。滝沢の方を優先したのは、薪さんにも理由があって」
「理由ってなんですか。滝沢さんが此処に赴任した途端、オレと距離を置かなきゃいけない理由ってなんですか。仕事中は仕事のこと以外話しちゃいけない、プライベートでは近付いてもいけない理由って?」
「それは、おまえたちの仲が発覚するのを怖れて」
 苦しいこじ付けだった。それを危惧するなら、今までだって同じではないか。このタイミングで薪の警戒態勢がレッドゾーンに入った理由は他にある。

「岡部さん」
 縋るような瞳で、青木が岡部の顔を見た。岡部は第九内でただ一人、彼らの関係を知っている人間だ。困り果てた青木が他に頼る者はいなかった。
 迷ったが、話すべきだと思った。
 他の職員はともかく、青木は薪にとって特別だ。他人の過去、それもかなりの割合で推測が入る話だが、青木の気持ちを落ち着かせるのは大切なことだ。青木は大人しそうな外見からは信じられないくらい無鉄砲な男で、思い詰めたら何をしでかすか分からない。滝沢に詰め寄って直接問い質す、なんてことを平気でしてくれるからコワイ。

「滝沢は、貝沼事件の生き残りだ」
 えっ、と驚きの声を上げて、青木が背筋を伸ばした。貝沼の名前が出ただけで、ゴクリと唾を飲む。2065年の今でも、かの事件を上回る猟奇犯罪は起きていない。6年という歳月を経てなお、貝沼事件は日本犯罪史の頂点に君臨していた。
「当時の第九の職員は室長を除いて死亡したが、一人だけ、精神病院に入院した職員がいただろう。それが滝沢だ。6年間療養して、ようやく現場復帰することができたんだ」
「それで薪さん、あんなに気を使って」
 薪が滝沢から目を離さない理由を知って、青木は深く頷いた。薪の性格を知っているものなら誰でも察しがつく、室長として部下の精神的疾病の責任を感じているのだ。

「この話は、他の連中には黙っててくれ。下手に気を回されると、余計うまくいかなくなる」
 岡部が青木に秘匿を促すと、青木はもう一度頷いて、
「薪さんが滝沢さんのこと、気に掛ける理由は分かりました。薪さんらしいと思います。でも、だからってオレと別れなくても」
 多分、違うと思った。薪はポーカーフェイスが得意だが、こういうことはすぐにバレる。背中に張りがなくなったり、話し方が淡々とし過ぎていたり。ボーっとしたり、ミスが増えたり、人の話を聞いていなかったり。そういった兆候が一切現れていないところを見ると、別れ話は青木の誤解の可能性が高い。
 そう言って岡部が慰めても、青木は俯いたままだった。こと恋愛に関して、他人から告げられる恋人の好意は意味を持たない。希望を持たせようと耳に心地良いことを並べている、そんな風に受け取られがちだ。
 直接薪に確かめるのが一番良いのだが、プライベートでは会ってもくれない。電話ですら、仕事以外のことを喋ろうとすると切られてしまうと言う。何を考えているのか知らないが、そこまで徹底しなくてもよさそうなものだ。青木が落ち込むのも当然だ。

「折りを見て、ちゃんと説明するように俺が薪さんに話してやるから」
 最終的に、お人好しの岡部が介入を約束させられて、青木の悩み相談室は終わった。広い肩を落として自分の机に戻る後輩を、岡部は溜息混じりに見送ったのだった。



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破滅のロンド(6)

 こんにちは。 

 今ね、わたしの大好きな人が新しい環境でがんばってるの。 遠いところにいるから彼女の健闘を祈ることしかできなくて、それがとっても歯痒い。
 自分では手の出せないことをあれこれ心配して、不安になって、そうすることに意味はない(直接彼女の役には立たない)と分かっているのに考えてしまうの。
 合理的でもない、建設的でもない愚かな思考、でも、
 こんなに他人のことを大事に思えるの、幸せなことだよね?
 今までも彼女はわたしにたくさんの幸せを与えてくれたけど、こうして彼女からのアクションが無いときでも、ちゃんと幸せは感じられる。 人を好きになるのって、本当に素敵なこと。
 今度はそういう話を書きたいなあ。


 あ、すみません。
 お話の続きはCさまとAさまの予想通り、めちゃくちゃひっくり返ってます☆
 どうか広いお心で~。





破滅のロンド(6)






 室長室で青木は、手に盆を下げたまましばらく立ち尽くしていた。
 約束を反故にされた件について、当然薪の方から詳しい説明があるものと思っていたのに、薪は何も言おうとしなかった。薪はとても潔い性格をしているから、事情を説明することは言い訳になると考えているのかもしれない。だから自分からは言い出しにくいのかもしれない、と青木は彼の立場を思いやり、譲歩する意味合いで尋ねた。
「昨日は、どんな用事だったんですか?」
「夕方、滝沢が此処に来て。飲みに行こうって誘われたから」
「それだけですか?」

 少々、咎めるような口調になってしまったかもしれない。それも無理からぬことだった。
 ものすごく素っ気ない断り方をされたから、急な仕事でも入ったのかと思い、姉にはそう説明した。もしも緊急の事件だったらと気になって折り返したが、薪は電話に出なかった。姉と別れてから何度も電話をしたのに、薪は一度も応えてくれなかった。幾度となく意図的に切られた携帯電話を見つめて、青木は眠れぬ夜を過ごしたのだ。

「オレ、昨夜何度も電話したんですけど」
「朝まで滝沢と一緒だったから。出られなかったんだ」
「朝まで?」
「久しぶりにロックなんか飲んだら足に来ちゃって。滝沢の部屋に泊めてもらったんだ」
 薪はそれを何でもないことのように告げたが、受け取る青木の方は到底平静ではいられなかった。滝沢は薪の昔の部下だと聞いているが、再会したその晩に部屋に泊まるほど仲が良かったのだろうか。
 薪が、朝のコーヒーを飲もうとしないのも気になっていた。薪はコーヒーが大好きで、だから青木は懸命に努力してドリップ技術を磨いたのだ。いつもなら飛びつくはずの室長専用ブレンドの香りにも、今日の薪は無関心だった。

「カンチガイするなよ? 別に何もないぞ」
 そこまで気を回したつもりはなかったが、恋愛の機微には鈍い薪がフォローを入れてくれたところを見ると、泣きそうな顔になっていたのかもしれない。
「安心しろ。世の中おまえみたいなヘンタイばかりじゃないから」
 薪さん、フォローになってません、と心の中で突っ込むが、これがこの人の気の使い方なのだ。このトゲの付いた鞭のようなフォローを有難く受け取れてこそ一人前だ。

「あの……姉は、薪さんに会えるの、とっても楽しみにしてたんです。オレ、姉には薪さんのこと、けっこう話してて。日本一の捜査官だからって、だから姉も薪さんのファンみたいになってて」
「青木。僕たち、距離を置こう」
 青木の言葉を遮るように、薪は唐突に宣言した。
「しばらくの間、プライベートでは会わない。職場でも仕事の話だけにしてくれ」
「何故ですか」
 反射的に飛び出した青木の問いに、薪は答えなかった。昨夜の電話と同じように、意図的に青木の気持ちを黙殺し、
「これは命令だ」
 冷たい声だった。まだ薪が遠い存在だったころ、彼の人となりを知らなかった頃の青木の耳に親しんだそれは、戦慄する過去からの呼び声のようだった。

「長居は無用だ。さっさと仕事に戻れ、青木警視」
 薪が階級を付けて部下を呼ぶときは、理性が吹き飛ぶほど怒っているか、命令に背くことは絶対に許さない、という強い意志が込められているかのどちらかだ。今回は、後者だ。
 青木は黙礼し、室長室を辞した。

 いったい、何があったのだろう。薪の気紛れには慣れているが、ここまで何の前触れもなく、直接的な言葉で遠ざけられたのは初めてだ。
 夕食を断った理由も、到底納得できるものではなかった。もしかしたらヤキモチだろうか。せっかくの週末だったのに、青木が姉を優先して、彼をほったらかしにしたから拗ねたのだろうか。だから自分も旧友を優先したと、そういうことか? しかし一昨日、「日曜の夜に姉と3人で食事を」と誘った時に彼は、「それは楽しみだ」と快諾してくれたのだ。多少緊張した声ではあったが、それが原因とはとても思えない。あるいは、自分の姉に会わせようなんて、結婚が決まった男女の段取りみたいなことをさせようとしたのがまずかったか。青木に深い考えはなかったが、薪にとっては重荷だったのかも。

 思わずドアの前で考え込んでしまった青木は、ふと、自分に向けられた視線に気付いた。
 興味、好奇心、それから、向けられる覚えのない敵意。じっとりと湿気を含んだ悪意に、ぞっと背筋が寒くなる。

 ハッとして顔を上げると、そこにはいつもの職場風景が広がっていて、自分を見ている者は誰もいなかった。ごく近い距離からの目線のように感じたのに、気のせいだったのだろうか。
 二日間、姉に引っ張り回されて疲れているのかと思った。まったく、我が姉ながらちゃっかりしている。舞が生まれてから初めての独り身だ、弟と時間は有効に使わなきゃ、と身勝手な理屈で土曜は夜中まで、翌日は朝の6時から東京中連れ回された。解放されたのは日曜の夜の9時過ぎだった。
 今週はしんどい週になりそうだ、と青木は思い、薪の笑顔が見られれば疲れなんか吹っ飛ぶのに、こんな時こそ癒して欲しいのに、と無い物ねだりの子供のように、つれない恋人のきれいな横顔を恨めしく思い出した。


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破滅のロンド(5)

 こんにちはっ。
 すっかり春ですね~。 
 大好きな季節です。 お花もきれいだし、緑がやわらかくて、ほっこりします。 何より、
 仕事がヒマだから怠け放題。 ←そこか。

 さてさて、滝沢さんリターンズのこの話、覚悟していた 「薪さんにヒドイことしないで」 というお声が聞こえてこなくて、ホッとしてます。
 いつもやさしく見逃してくださってありがとうございます。
 本当は心配で 「やーめーてー」 と言いたいのを我慢されてる方も、決して泣くような話じゃないので、どうか気を楽にしてくださいね。 でもって、最後まで読んでくださるとうれしいです。 この話がないと、薪さん負け犬のままだし、滝沢さんも可哀想なままだから。


 ではでは、お話のつづきです。




  


破滅のロンド(5)






 翌日。岡部と同い年の新人の来訪は、第九に波紋を起こした。
 朝礼の際、室長の隣に立った新人は、その風貌だけで職員たちをざわめかせ、次いでその雰囲気で言葉を失わせた。静寂を見定めて、薪が「おはよう」と朝礼開始の挨拶をする。

「今日から一緒に働くことになった、滝沢幹生警視だ。6年ほどブランクはあるが、元々2課の生え抜きだった男だ。MRI捜査にも精通している。6年の間に更新されたシステムの操作法さえ習得すれば、即戦力になれる実力を持っている。しっかり指導してやってくれ」
「滝沢です。先輩方、よろしくご指導願います」
 職員たちの心に広がった波紋は、薪が新人の肩を持つような紹介の仕方をしたことも理由の一つだったが、一番の原因はやはり本人にあった。
 鋭い目つきと大柄な体躯。尊大な雰囲気と上から目線の態度は、新人と言うにはあまりに威圧的で、人の好い曽我などは思わず敬語で挨拶を返してしまったくらいだ。

 こちらが先輩なのだから気を使う必要はない、と岡部が経験年数を盾に曽我の立場を守ろうとすると、滝沢は、
「岡部副室長のおっしゃる通りです。年は行ってますし、MRI捜査の経験もありますが、普通の新人として扱ってください」
 と、慇懃無礼に返してきた。言葉と雰囲気が全く合っていないのは、わざとか無意識か。悩むところだが、彼が長い間入院していたことを考慮すると、コミュニケーションは不得手だろうと察せられた。
 薪は朝礼が終わると直ぐに室長室へ引っ込んでしまったし、フォローするのは事情を知っている者の役目だ。岡部は、細い眼に不満を浮かべた小池の肩を叩き、
「ここでは新人だが、滝沢は現場経験が長い分、捜査官としてはおまえらよりも上だ。階級もな。敬語の必要はないが、学べるところは学ばせてもらえよ」

 滝沢の実力を勘案して、指導員は宇野に担当させることにした。本来なら新人の指導は青木の仕事なのだが、いかんせん若すぎる。自分より一回り以上年下の職員に教えを乞うのは、滝沢のプライドにも障ると思われた。
 指導と言っても、滝沢は既にMRI捜査の基本は押さえている。必要なのは、この6年の間に新しくなったシステムの使い方、つまり操作方法の説明だ。システムに一番詳しいのは宇野で、様々なショートカットを効率的に使いこなせるのも彼だ。そんな理由から、宇野に白羽の矢が立ったのだ。

「よろしく。言っときますけど、俺、二回同じこと教えませんから」
「はい。心して聞きます」
「青木に当たれば優しく丁寧に教えてもらえたと思うけど。残念ながら、俺はやさしい人間じゃないんで」
 好戦的な会話が耳に入って来て、岡部は焦る。これは選択を誤ったか。
 宇野は意外と気分屋だ。人の好き嫌いもはっきりしているし、IT人間ならではの合理的精神で多少言いにくいこともズケズケ言う。しかし、曽我では滝沢の雰囲気に呑まれてしまうだろうし、小池では絶対に喧嘩になる。今井なら適当にあしらうと思われたが、指導内容がシステムのことに限られるなら、捜査の中心たる今井を取られるのは避けたかったのだ。

「どのくらい使えるか見たいから。とりあえずこのテストデータ、ラーニングしてみてください」
 CDを渡してあっさり言うが、6年前とはシステム起動の方法も変わっているのだ。いきなりは無理だろう、とまたもやフォローの必要性を感じて岡部が二人のところへ足を向けると、盆に載せたコーヒーの馨しい香りと共に、宇野曰く「やさしい男」がやって来た。
「すみません、滝沢さん。明日から、ご自分のカップを持ってきてもらえますか?」
 二人の机にコーヒーを置きながら、にこやかに話しかける。何人新人が入って来ても、一番年若い捜査官として雑事をこなしている青木は、業務開始前にこうして全員にコーヒーを配って歩く。強制されているわけではないが、日課のようなものだ。皆もそれに慣れてしまって、彼が出張の日など、青木のコーヒーを飲まないと一日が始まらない、と嘆く職員もいる。

「カップ、ですか」
 太い首を訝しげに捻り、滝沢は低い声で訊いた。ニコリともしない新人に向かって、青木はあくまで友好的に、
「ええ。今日はお客さん用のカップに淹れましたから。はい、どうぞ」
「普通は紙コップを使うのでは?」
「そうしてる部署もありますね。でも、カップの方がエコだし、コーヒーの味が引き立ちますから」
「しかし、瀬戸物のカップを使ったら、いちいち洗わなければいけない」
「流しに置いといてください。オレが後でまとめて洗いますから」
 にこっと笑いかけられて、滝沢が黙った。人を和ませる青木の笑顔は、彼の最大の武器だ。あの顔に向かって正面から毒づけるのは、薪くらいのものだ。

「そうだ、宇野さん。渋谷の放火事件で見て欲しい画があって。ちょっと機械借りていいですか?」
 宇野の返事を待たず、青木はシステムを起動させた。と、宇野がセットしたテストCDが自動的にセットアップされ、選択の画面が現れる。
「あれ、何か入ってました? すみません、邪魔しちゃいましたね。オレのは後でいいです」
 焦った振りのクサイ演技を織り交ぜて、青木は身を引いた。選択画面まで行けば、取っ掛かりができる。青木らしいフォローだ。
 余計なことを、と宇野は眉根を寄せたが、宇野は青木を気に入っている。肩を竦めてコーヒーカップを持ち上げ、「今日も美味いな」と青木の特技を褒めた。

「呑気にカップを洗える職員がいるとは。今の第九はよっぽど暇なんだな」
 ぼそりと、だがしっかりと相手に聞こえるように洩らした滝沢の言葉に、青木は苦笑し、会釈でその場を去った。真っ直ぐ室長室へ向かって行く。薪のカップを最後にしたのは、昨夜受けたドタキャンの理由でも説明してもらう気でいるのか。
 その背中を、滝沢はずっと目で追っていた。
 青木の気遣いを彼はちゃんと分かって、しかし素直になれなかったのかもしれない。精神を病んだ経験がある人間は、人の好意に甘えることが怖いのかもしれない。岡部は滝沢の心中を慮り、彼を皆に溶け込ませるためには肌理細やかなフォローが必要になると考えて、少しだけ憂鬱になった。面倒だが、職員同士の調和を図ることは副室長の仕事だ。

 青木が室長室に入った後も、滝沢はじっとドアを見つめていた。まるで中で起きていることを見透かすように、彼はとても鋭い眼をしていた。
「滝沢サンもどうぞ。青木のコーヒーは絶品ですよ」
 しばし無言でいた滝沢に宇野はコーヒーを勧め、すると滝沢は思い出したようにコーヒーカップを口に運び、馨しい液体を啜った。
「ね。美味いでしょ」
「さあ。わかりませんね」
 無感動で平坦な声だった。コーヒー好きにはたまらない味と香りも、好みが違えばさほど感じ入ることもない。まるで水でも飲むように滝沢は残りのコーヒーを飲み干し、空になったカップを給湯室へ持って行った。戻ると直ちに画面に向かい、マウスをクリックして一つのデータを選択した。

「オーケー。じゃあ次、ここ、拡大してみてください」
「はい」
「へえ、やり方覚えてるんだ。滝沢サン、記憶力良いですね。でも今は、ワンクリックで出来るようになって、こう」
「素晴らしい。便利になりましたね。MRIシステムも進化しているんですね」
「まあね。じゃあ、今度はこの画像をこちらへ移動してみて」
 スムーズに指導が行われていくのを見て、岡部は胸を撫で下ろした。
 青木のやつ、なかなかやる。職場の融和と勤労意欲を増進させる雰囲気作り。あいつには副室長の素質がある、と岡部は青木を評価し、しかし同時に彼は、青木の行動はただ一人の人物のためのものであることを知っている。職場の人間関係が悪くなれば、職務に影響が出る。そうなったら困るのは室長の薪だ。青木の行動規範は、薪のためになるかならないか、だ。
 青木の副室長としての才覚は、薪が室長でないと発揮されないかもしれない。それも、二人の関係が友好的であるという条件付きで。何とも限定されたアビリティだが、今のところ、岡部はずい分助けられている。

 青木は室長室に入ったまま、まだ出て来ない。職務中にプライベートの話を長々とする薪ではないが、昨夜のフォローをしているのだろう。薪が一言謝れば、青木がそれを快く許すであろうことは眼に見えている。とにかく、青木は薪に心底参っている。それは薪だって。
 青木のコーヒーを一番楽しみにしている人物が、愛用のマグカップを手に眼を細めている姿を思い浮かべて、岡部は穏やかな気持ちで朝礼の記録簿を閉じた。



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ジャンル : 小説・文学

破滅のロンド(4)

破滅のロンド(4)






 カラン、と氷の溶ける音がした。
 地下ビルのバーという場所でありながら、低音で流れるリストのピアノ曲の中では、その音は異質だ。それを証明するかのように、年季が入って艶を帯びたカウンターの内側でバーテンダーがこちらを振り返る。その視線から連れを隠すように、滝沢は細長い台の上に肘を付き、薪の方へと身を乗り出した。

「本当に変わらんな。あの頃のままだ」
「おまえはますます態度がでかくなった」
 亜麻色の髪に伸ばした滝沢の手を、薪は耳の横でパシリと払った。冷ややかに言い放ち、ロックグラスを傾ける。6年前より酒も強くなったらしい。

「岡部は副室長だが、鈴木ほど穏やかな性格をしてない。彼の前であまり僕にべたべたすると、投げ飛ばされるぞ」
「それは残念だ。おれはおまえのことが大好きなのに」
「そういう冗談もNGだ。何て言うかその……色々あって。彼は少し、過敏になってるんだ」
 薪の言う「色々」の具体的な意味は分からなかったが、彼が眉根を寄せた所を見ると、つまびらかにされるのは避けたいようだ。後で聞きだしてやる、と滝沢は心に決め、薪が嫌がると解っている猫撫で声で、
「冗談なんかじゃない。おまえのことは本当に好きだぞ」

 ―――― 殺したいくらい。

 あからさまに眉を顰める旧友に、滝沢は含み笑いをこぼす。
「6年間、おまえのことばかり考えていた」
 嘘ではない、本当のことだ。死んだ彼女を想うより、彼を身の上を想像する方が多かった。彼女には一筋の変化も見出せなかったが、彼には空想の余地があった。
 あれから彼はどうしただろう? 最後に見たときには死人のようだったが、生き永らえているだろうか。自ら命を絶ったとしたら、どんな方法で?
 あそこまでの絶望に叩き込んでやったのだ。浮き上がれるはずがない。彼女を失った自分が二度と昔の自分に戻れなくなったように、ましてや薪はその手で自分の半身を殺したのだ。まともな人生など歩めるはずがない。彼に比べたら自分はまだマシだ。
 そう思っていたのに。

 雇い主に渡された資料には、滝沢が予想もしなかったことが書かれていた。現在の第九メンバーと室長である薪との間には強い信頼関係が築かれ、見事な連携プレイによって幾つもの難事件を解決している。滝沢がいる頃はどちらかと言うと孤立気味だった警察内の立場も改善され、昨今では天敵だったはずの捜査一課や組対五課と協力し合って犯人を逮捕することも多くなってきた。長官賞、局長賞、警視総監賞など主だった賞はとっくに制覇し、第九の名声は室長の薪警視長の威光と共に日本中に轟くようになった。
 警察機構トップの検挙率を武器に、第九は現在も躍進を続けている。その頂点に君臨するのが滝沢の隣に座った小男だ。滝沢が与えた絶望は何処へやら、いつの間にか階級も上がっているし、順風満帆の人生ではないか。

 それを知って滝沢は、ひどく寂しい気分になった。
 自分が彼に施したものを、6年の間に彼は忘れ去ってしまった。自分は一時たりとて、彼を忘れたことはなかったのに。
 ―――― 思い出させてやる。

「おれはおまえに会えて、本当にうれしいんだ。以前のように仲良くしてくれ、薪」
「以前のように?」
 薪の顔が訝しげに歪んだ。おまえと馴れ合った覚えはない、と言いたげだ。
 よかろう。思い出せないなら、新しく関係を築くまでだ。

「薪、おれはおまえを恨んじゃいない。おれが精神を病んだのは、自分を過信したせいだ」
 相手の罪悪感を喚起するには、やさしい言葉が効果的だ。ストレートな非難を受けた人間が抱くのは反発だけ、反発心から人間が自発的行動を取ることはない。自分の首は自分で締めさせる、それが滝沢の戦術だ。
「おまえがあれほど無理をするなと言ったのに、限界を超えて貝沼の画を見続けた。おまえの言いつけを破って悪かった、でもおれは、少しでもおまえの役に立ちたかったんだ」
 滝沢が誠実な言葉を重ねるほどに、薪の瞳は憂愁に包まれた。
 薪は責任感の強い男だ。少々、過ぎる嫌いがあるくらいだ。鈴木のことはもちろん、上野や豊村のことも、室長としての自分の責任を強く感じていることを滝沢は知っていた。ならば当然、精神病院に収容された滝沢にも引け目を感じているはずだ。

「できるだけのことはする」
 予想通りの言葉が薪の口から零れて、滝沢は心の中で快哉を叫ぶ。
「おまえが病院に入らなきゃならなくなったのは、室長である僕の責任だ。許されるとは思っていないが、僕にできるだけのことはする」
「うれしい言葉だ。おまえは相変わらずやさしいな」

 お人好しめ、そんなことだから部下を全部殺されて、その上自分の手まで汚すことになったんだ。恨むなら自分の甘さを恨め。
 そう嘲笑う側から、否、根源はそこではない、と打消しの声が上がる。そうだ、忌むべきは甘さではない。愚かしくはあるが、それは罪ではない。憎むべきは彼の罪。的を一点に絞って、滝沢は心中で薪を罵倒する。
 上層部の言うがままに秘密を飲み込んだ、その汚い心根を恨め。

 言葉にならない呪詛を繰り返し呟きながら、滝沢は尊大に笑う。俯き加減にグラスに口をつける、明日から自分の上司になる男に向かって昂然と言い放った。
「おまえの誠意に期待する」



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破滅のロンド(3)

 こんにちは~。
 毎度のお運び、ありがとうございます。

 おかげさまで、書類上がりました♪
 今日から再開させていただきます。


 公開作、過去作共に、たくさんの拍手をありがとうございます。(〃∇〃) 
 このお話、サンショウウオさんにしか読んでもらえないと思ってたんですけど(笑) 意外や意外、二桁の「よし行け」コールをいただけて、嬉しい限りです。(あ、ふざけるなコールだった?)
 全部で28章あるので、お気を楽にして、のんびりお付き合いください。






破滅のロンド(3)







「久しぶりだな、薪」

 男は田城の後方から、真っ直ぐに薪を見ていた。岡部のことなど気にも留めていない。自分をここに連れてきた田城の存在さえ無視して、まるでこの部屋には薪と自分の二人しかいないかのように、気安く薪に話しかけた。
「6年ぶりだ。懐かしいな」
 懐かしい、と男は微笑んだが、それはひどく冷たい笑みだった。細めた眼は恐ろしいくらいに笑っていない。年は、おそらく自分とそう変わるまい。対等な口を利いているところから、薪のキャリア仲間かと想像した。しかし。

「…………滝沢」
 押し殺したような薪の声には、怯えと怒りが混じっていた。両手を身体の脇に下し、ぎゅっと拳を握り、薪は睨みつけるように男を見た。男の、塗りつぶされた闇のような、底の知れない黒い瞳と、透明度の高い亜麻色の瞳がぶつかり合う。
 滝沢と呼ばれた男の背中から、禍々しいものが立ち上る気配がした。岡部が捜査一課で凶悪犯を追い詰めていた頃、何度も感じたあの気配。警察庁勤めのキャリアが、何をしたらここまでの殺気を持ちうるのか。この男、只者ではない。
 睨み合ったまま、二人は一言も喋らない。部屋を満たした極度の緊張に刺激され、岡部の後ろ首がチリチリと疼いた。

「ちょうど良かった、岡部くんも一緒だったんだね。滝沢くん、紹介しておくよ。副室長の岡部警視だ」
 場を取り持つ才覚に優れた田城の声で、部屋の緊張は一気に緩んだ。我知らず、ほっと息を吐いて、岡部は滝沢に視線を向ける。
「岡部くん、こちら滝沢幹生警視。明日から第九研究室の新しい一員になる」
 えっ、と声を上げたのは岡部だけではなかった。頭を巡らすと、薪が驚いた顔をしている。室長の薪が新しい人事を知らされていなかったなど、普通では考えられない。

「薪くんは昔なじみだから、紹介の必要はないよね」
 ええ、と頷いた滝沢は人を見下す目つきで岡部を見た後、形だけは丁寧に頭を下げた。
「明日からよろしくご指導ください。岡部副室長」
「こちらこそよろしく」と岡部が応えを返すのを見届けて、田城は部屋を出て行った。滝沢はモニタールームを見学するという名目で残り、しかしそれは明らかな方便だった。疑うまでもない、彼の目的はこちらだ。
 田城がいなくなると、滝沢はスタスタと薪の傍に歩み寄り、包み込むように薪の肩に手を置いた。

「またおまえの下で働けることになって、本当にうれしい。どうだ、これから旧交を温め合おうじゃないか」
 薄笑いを浮かべながら、薪の腕や背中を軽く叩く。瞬間的に、岡部は怒りを感じた。青木のように特別な感情を抱いているわけではないが、薪の身体に気安く触られるのは不愉快だ。自分は室長のボディガードだという自負があるからだ。
 それに、滝沢の態度は副室長としても許せない。室長の薪に対して砕け過ぎではないか。現在、薪の周りにこんなフランクな態度で彼に接する者はいない。小野田でさえ、必要以外には薪の身体には触れない。薪の身体に触りたがる者と言えば警務部長の間宮がいるが、あれは例外だ。薪も遠慮なく蹴り飛ばしているし。
 普通なら払いのけるはずの過剰なスキンシップを、何故か薪は耐えているようだった。飲みに行こうと誘われて、即座に断らないのも不思議だった。薪にはこれから、大事な約束があるのに。

「病院からは、いつ?」
「1週間程前だ。何度も見舞いに来てくれたのに、まともな応対ができなくて悪かった」
「最後に行ったのは1ヶ月前だ。ずい分急激に回復したな。喜ばしいことだ」
「ああ、おれも驚いている。おまえが陰に日向に、おれの回復を祈ってくれたおかげだ。感謝している。ありがとう」
 自分の細い手を握って礼を言う滝沢の大きな手を、薪はじっと見つめて、
「よく日に焼けているな。病院では、日光浴が日課だったのか?」
「生っちろいと、いかにも病み上がりみたいで周りが気を使うだろう。日焼けサロンに行ってきたんだ。少し、焼き過ぎたかな」
 ちっ、と舌打ちして、薪が引いた。表面的には和やかな会話だが、聞いているほうはヒヤヒヤする。見えない火花が散っているみたいだ。昔なじみと言っても、どうやらあまり友好的な関係ではなかったらしい。

 薪はじっと新しい部下の顔を見て、彼から視線を逸らさずに携帯電話を取りだした。待っていた電話が掛かってきたらしい。いいタイミングだ、これでスムーズに断れるはずだ。
 ところが。
「今日は行けなくなった。急な用事ができて」
 素っ気無い言葉で、薪は電話を切ってしまった。日曜日の朝に朝寝もできないくらい重大な用事だったのに、自分にできることは何でもすると決意していたのに、この豹変ぶりはどうしたことか。

「あちらの方が先約じゃないですか。せっかく大阪からいらしたのに」
 思わず岡部が口を挟むと、余計なことを言うなと言わんばかりの目つきで睨まれた。常なら引き下がるが、この選択は薪を窮地に追い込むと分かっていた。
「彼は明日からここに勤務するんでしょう? いつでも飲めるじゃないですか」
「うるさいな。行きたきゃおまえが行け。元々乗り気じゃなかったんだ」
「薪さん」
 あまりと言えばあまりな物言いに、岡部の声が棘を含む。それに気付かない薪ではない筈だが、彼の態度は変わらぬまま。ふい、と岡部から眼を逸らし、自分の肩を抱いたままの男を見上げる。

「滝沢、行こう」
「ああ」
 優越を含んだ目つきで新人に見られて、岡部の三白眼に力が入る。が、相手はどこ吹く風だ。ヤクザでさえ竦み上がる岡部の睨みにたじろぎもしないとは、豪胆と言うかふてぶてしいと言うか。相当の修羅場をくぐってきたと見える。

「店は任せる。なんせ、6年も病院に入っていたからな。この辺もすっかり変わっちまった。ここに来るときも、迷いそうになったんだ」
「方向音痴は相変わらずか」
 クスッと薪は笑って、でも眼が笑ってない。それに応えて笑みを浮かべる滝沢の瞳も、永久凍土の氷壁並みの冷たさだ。
「おまえも変わってない。ティーンエイジャーのままだ」
 滝沢は手のひらを薪の額に当て、前髪を弄ぶように撫で上げた。薪の人形のような額が顕になり、しかしそこには普段は見られない嫌悪が微かな皺となって浮かぶ。
「まるで人ではないようだな?」
 薪はそれには答えず、するりと滝沢の手を抜けて、自分の机に戻った。鞄を持ち、帰宅の準備をする。

「岡部。それ、片付けといてくれ」
 床に散らばった書類を指差し、薪は平然と命じた。まるで薪と初めて会った時、床の掃除を命じられたあの時のように、それは他人を寄せ付けない態度だった。岡部は理解しがたい思いで薪を見たが、彼の横顔は完全な無表情になっていた。もう何年も見たことがなかったのに、どうやら滝沢という男の存在は、岡部には踏み入らせたくない領域であるらしい。

 二人が肩を並べて研究室を出て行った後、岡部は薪が散らかした書類を片付けながら、明日から自分の部下になる男の顔を思い出していた。
 態度はやや尊大だが、穏やかだった。言葉も丁寧で、粗雑な感じは受けなかった。でも、嫌な眼をしていた。何を考えているのか分からない、底の知れない眼だ。
 決して彼のことを好いてはいない風なのに、どうして薪は彼との交誼を優先したのだろう。気を使わなければいけない相手なのか? 自分の部下になる男なのに?

「……そうか」
 思い当たって過去の人事データを調べてみると、やっぱりそうだ。滝沢幹生警視。貝沼事件の折、精神を患って入院した職員だ。
 薪が特別扱いするわけだ。彼が入院したのは自分の責任だとでも思っているのだろう。彼にできるだけのことはしてやらなければ、と考えているに違いない。何でも自分のせいにする薪の自責癖は矯正すべき悪癖で、岡部もしょっちゅう注意するのだが、これがなかなか治らない。自分のお節介と一緒だ。

「やっかいな新人が来たもんだな」
 と、その時の岡部は、他の職員たちと彼の調整に頭を悩ませたが、すべてが終わってから振り返るに、何と呑気なことを考えていたのだろうと、恥じ入るような気持ちになった。
 迷わず、引き留めるべきだったのだ。殴り倒してでも、薪と一緒に行かせてはならなかったのだ。
 自分は彼に、不吉なものを感じ取っていたはずだ。危険な男だと思ったのだから、抑えることはなかったのだ。
 その後彼が巻き起こす、警察庁全体を揺るがす未曾有の事件の予想を、しかし岡部は予想だにせず。薪に命じられたとおり会議録をファイルに閉じて、研究室を後にしたのだった。



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破滅のロンド(2)

 ある日の我が社の会話。

オット 「変更設計書、キターーー!!」
しづ  「ジャスドゥーイット! ダンジョンセレクト 『DA・I・KU』!」
オット 「作戦モード 『ガンガン行こうぜ』!」
しづ  「オーケェイ、我が命に代えても!」

(↑↑↑ 仕事中、いつもこんなアホをやっているわけではありません)

 今日の時点で、竣工検査が4月9日に決定しております。
 ので、4月8日までブログはお休みします。

 始まったばかりでぶった切ってすみません。
 その前に書類が上がれば再開しますので~、どうかよしなにお願いします。
 







破滅のロンド(2)






「岡部。今、何時だ?」
「18時35分22秒です」

 上司に時刻を尋ねられた岡部が秒単位で返してやると、薪はちょっと嫌な顔をした。が、文句は言わない。岡部の性質に似合わない嫌味な行為は、1枚の書類を精査し終えるごとに時刻を問うた自分に責任があると、頭では理解しているのだろう。なのに、次の書類を読み終えると同時に彼は、
「何時になった?」
「……お貸ししますから」
 舌打ちしたいのを堪えて、岡部は自分の腕時計を外した。6時を回ってから10回以上も訊かれているのだ。気が散って仕事にならない。
 岡部が差し出した時計を、しかし薪は受け取ろうとしなかった。亜麻色の瞳を困惑に曇らせ、書類で顔の鼻から下を隠すように覆う。報告書の活字に向かって彼は「悪い」と小さく呟き、見れば彼の細い手首にはオメガのビジネスウォッチが正確に時を刻んでいた。

「どうにも落ち着かなくて」

 6時までに片付けたい書類があるから手伝ってくれ、と頼まれて、岡部が日曜の研究室にやって来たのは午後4時。朝から仕事をしていたと思しき上司は、岡部の顔を見るとホッとしたように微笑んだ。
 よく来てくれた、コーヒーでも淹れるか、などと常にはあり得ない低姿勢で休日出勤の部下を労う彼の態度に岡部は多大な疑念を抱き、というのも薪は人生の最優先事項は仕事だと主張して憚らないワーカホリックタイプ上司の典型で、それを他人にも強制するという厄介な性癖を持っている。だから休日に仕事を言い付けたところで、部下にお愛想を言う訳がない。絶対に、何か裏がある。
 手渡された書類を見て、岡部の疑惑は確信に変わった。月末に目を通しても業務には支障のないような会議の議事録。休日の午後に職場に呼び出された理由がこれですか、と岡部が恨みがましい視線を向けると、薪はようやく白状した。

 一昨日、薪の恋人の姉が上京してきた。
 彼女は夫と一人娘の3人で大阪に住んでいるのだが、OL時代の友人の結婚式に出席するため、東京に出てきた。せっかくだからゆっくり羽を伸ばしてきなさいと言ってくれた寛大な夫に3歳になる娘を託し、単身で東京にやって来た彼女は、最新観光スポットのガイド役を依頼すべく、弟に連絡をしてきた。
 彼女の計画では、土曜日の昼に友人の式に出席し、その後は週末を利用して弟と東京見物などして過ごし、日曜の最終列車で大阪へ帰ることになっており、その話は岡部も彼女の弟から直接聞いて知っていた。薪の恋人というのは実は同じ研究室の捜査官で、岡部の部下でもあるからだ。基本的に研究室は週休二日制を採用しており、今のところ休日を返上しなければならないような事件もない。だから彼が姉孝行のために土日を当てることに、何ら問題はなかった。ところが。
 日曜日の夜、ぜひ薪と3人で食事を、と彼の姉が言い出したから大変だ。

「居ても立ってもいられなくて。仕事してるのが一番落ち着くから」
 そんな理由で日曜の朝から急ぎでもない書類の整理をしていた上司は、空調の効いた研究室が炎天下の路上でもあるかのように、パタパタと書類で顔を仰いだ。相手の顔も見ないうちから舞い上がっているらしい。
「でも、時間が迫ってきたら文字が頭に入ってこなくて。誰かいれば平常心を保てるかと思って」
 それで岡部が呼び出されたわけだ。まったく、はた迷惑なひとだ。
「6時ごろに、連絡をくれる約束だったんだ。もう30分も過ぎてる」
 鳴らない携帯電話を見つめ、薪はそっと息を吐き出した。青木は姉の希望に沿って観光スポットを巡っているのだろうし、業務連絡ではないのだ。30分くらいは誤差の範囲だと思うが。

「薪さんの方から、青木に連絡すればいいじゃないですか」
「電話なんかできるわけ無いだろ。お姉さんが一緒なんだぞ」
「別におかしくないでしょう。だって、これから三人で食事するんでしょう?」
「そうだけど……う」
 呻いて薪は、口元を左手で覆う。前かがみになって小さな肩を竦め、
「緊張のしすぎで胃にきた」
 上司の小心に、岡部は呆れる。緊張などと言う人並みの感覚が、この男にあったのか。警察大学の大講堂で何百人もの聴講生相手にMRIの講義をしたときも、警察庁の重鎮たちに第九の合法性を主張する説明会を開いたときも、平然とした顔でさらりとこなしていたのに。

「どうしてそんなに緊張するんです?」
「僕が彼女だったら、夕食に毒を盛る」
 物騒なことを言い出した上司に、岡部はたじろぎながらも尋ねる。
「毒を盛られるような覚えが?」
「だっておかしいだろ。どうして姉弟水入らずの席に僕を呼ぶんだ。青木のやつが何かヘマして、秘密がバレたに決まってる」
 薪は顎の下に右手をあてがい、肘を机について背中を丸めると、憂鬱そうに呟いた。彼らの関係は一般的に見ればマイノリティだ。薪の懸念は理解できなくもないが、卑屈な態度は相手に悪印象を与えてしまうだろう。要は気の持ちようだ。ダメだダメだと思っていると、本当にダメになってしまうこともあるではないか。

「薪さんのほうが、悲観的過ぎるんじゃないですか」
 もっとリラックスした方がいいですよ、と岡部がアドバイスをすると、薪はそれを跳ね返すように片手を突き出し、険しく目蓋を閉じて、
「僕には1時間後の未来が見える。席に着いた途端、コップの水をかけられて女狐とか罵られて、人の大事な弟に何てことを、ってめちゃめちゃに殴られて」
「どこの韓流ドラマですか」
 薪は映画やドラマに影響を受けやすいから、アクが強い韓流ドラマと任侠映画は見るなと言っておいたのに。岡部の忠告を守らなかったらしい。

「だったら行かなきゃいいじゃないですか。仕事じゃないんだし、強制される筋合いはないでしょう」
 青木の姉とて、薪の忙しさは弟を通じて聞いているはずだ。だから時間的余裕があったはずの金曜の夜ではなく、自分が帰らなければならない日曜の夜を指定してきたのだろう。全国的公休日なら薪の予定も空いている確率が高いと踏んだのだ。ならば、彼女の思慮深さに甘えさせてもらって、後は青木のフォローに期待してもよいのではないか。
「青木の身内に不愉快な思いはさせたくないんだ」
 断頭台に向かう罪人のような薪の表情から、一も二もなく飛びついてくるかと思ったが、彼は岡部の案には乗らなかった。盛大にしかめた眉を普段の凛々しい形に戻し、散らばった書類を机の上で揃えながら、
「どうしても譲れないことがあるから。だから、その他のことは何でも彼女の気が済むようにしてやりたい」
 カチリとホッチキスを握り、書類と一緒に自分の心も整理したかのように、薪は静かに言った。

 相手の身内に対する引け目や罪悪感。相手も合意の上なのだから、というか、青木の方から好意を寄せてきたのだから、そんなものを感じる謂われはないはずなのに。恋愛に関して、どちらか一方が悪いなどと言うことはあり得ないのに、年上の自分に責任があると独り決めしている。とにかく、薪は考え方が古いのだ。もはや化石だ。
 それでも。
 相手に対して誠実であろうと自分を奮い立たせる薪の姿に、岡部は心強さを覚える。「どうしても譲れない」と彼は言った。こちらの方面には限りなく後ろ向きだと思っていたが、それなりに成長しているようだ。

「ご機嫌伺いに、でっかい花束でも贈りますか」
「ラフレシアとか、スマトラオオコンニャクとか?」
 岡部の懐柔策はもちろん冗談だが、薪はくるっと眼を輝かせて、その話に乗ってきた。緊張の緩和には馬鹿馬鹿しいジョークが有効で、それは室長と副室長と言う役職をこなす二人の間でしばしば行われてきた試みだった。とかくストレスの多い管理職、冗談でも言わないとやってられないときもあるのだ。
「僕も考えたんだけど。今日、大阪に帰るなら荷物になるかなって」
「それもそうですね。じゃあ、かさばらなくて軽いもので、娘さんの洋服とか」
「僕が3歳の女の子の洋服を選ぶのか? カンベンしてくれよ」
 苦笑しつつ、薪は立ち上がった。書類に2穴パンチで穴を開け、ファイルに閉じるべく壁際の書類棚に向かって歩き出す。
 そのとき、室長室の扉がノックと共に開かれた。

「薪くん。いてくれてよかった」
「田城さん。なにか」
 言葉を飲み込むようにして、薪は口元を手で覆った。きれいな顔が、見る見る青ざめていく。取り落とした書類が床に散らばるのをそのままに、薪は強張った顔でドア口を見つめた。
 入ってきたのは田城所長ともう一人。ふくよかだが背は高くない所長の後ろから、大柄な男がドアを潜ってきた。

 すうっと、部屋の空気が変わった気がした。
 舞い降りる漆黒の羽ばたきを、確かに聞いたと岡部は思った。彼の放つ死臭を嗅いだと思った。長年、現場で鍛え上げた岡部の第六巻が告げていた。この男は危険だ。

「久しぶりだな、薪」



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破滅のロンド(1)

 こんにちは。
 春一番も吹き荒れまして、やっと春ですね。

 本日から公開しますお話は、心浮き立つ季節に相応しく~。
『破壊のワルツ』の続編、滝沢さんリターンズのクライムサスペンスでございます。
(おやあ? ふざけるな のお声があちこちで……)

 えっとね、
 話はハードかもしれないけど、この話は基本的にあおまきさんだから、根っこは明るくて、だから『破壊のワルツ』みたいに後味の悪い話ではないと思います。 「べるぜバブ」の主題歌をBGMに書いたくらいだし。
 ただクライムサスペンスなので、死んじゃう人はいるし、怪我をする人もいます。
 本誌が最終回を迎えようとしているこの時期、秘密ファンはみんな精神的に不安定になってると思う、ので、強くお勧めはできないのですけど。 うちの滝沢さんの決着として、原作とは切り離して楽しんでいただけたらと思います。

 なお、前作『破壊のワルツ』は、カニバリズム事件がメロディ本誌で飛行機事故だった頃に書いたものなので、続編のこちらもその設定が継続しています。 ご了承ください。




 

破滅のロンド(1)



 空港のロビーから一歩外へと踏み出した彼は、焼け付くような日差しに眼を細めた。
 今まで暮らしていた南国に比べれば故郷の太陽は春先の木漏れ日のように優しいはずだと予想していたのに、なかなかどうして、厳しい出迎えだ。彼がこの地を離れた6年前より、東京の温暖化は確実に進んでいるとみえる。

 タクシー乗り場へ向かうと、行列ができていた。一列に並び、雑誌や新聞を片手に大人しく順番を待っている人々を懐かしい思いで眺める。相変わらず行儀のよい国民だ。礼儀正しさと愚かしい従順を持ち合わせている。
 郷に入っては郷に従えだ、と自分に言い聞かせ、彼は列の最後尾に付いた。順番待ちの退屈な時間、彼は周りの人々のようにそれを紛らわす事を敢えてしなかった。
 彼にとって、無為な時間はとても貴重だ。こんな風にぼんやりとできて、かつ、命の危険を感じなくていいなんて。

 この数年、彼は異国の地で絶えず生命のやり取りをしてきた。工作員としての基礎を一から叩き込まれ、強制的に危険な任務に就かされた。
 平和な祖国に帰って来ることができて、彼は運が良かった。
 はずなのに。

 安息に満たされようとする彼の心に、それは唐突に投げ込まれる。水面に投じられた細い針のような、よって広がる波紋もさほど大きくはない。だが、その切っ先は鋭い。針は真っ直ぐに彼の一番深いところを目指して、その姿に似合わぬ威力でもって彼を切り裂いていく。
 乱れ破れた記憶の狭間から浮かび上がってくる雑多な映像。その多くはこの手で殺した人間の顔だ。新しいものから古いものへ、風景は南国の砂漠から都会のビル群に移り、やがては彼が最初に人を殺めた記憶へと行き着く。

 壁一面の大型スクリーンと、端末モニターだらけの部屋。スパコンのファンが回る音と、薄気味悪いくらいリアルな音の無い画。そこにいるのは4人の仕事仲間で、うち二人は彼が殺した。残る二人のうち、一人がもう片方の男を殺して、部屋にはたった一人が残された。
 独り生き残った男をこそ、彼は仕留めたかったのに。

 自分が未熟だった頃に仕損じた仕事を、そのターゲットの姿を、彼は鮮明に思い出すことができる。ターゲットは、一度会えば忘れられないような姿形をしていた。性別を超えた美しさとでも言うのか、見ようによっては人間ですらないような。
 でも、彼は知っている。あの綺麗な顔の裏には穢れきった脳みそが詰まっていて、その中には沢山の秘密が隠されている。彼が暴きたかった真実も、他の誰かの密事も、入り乱れて腐敗している。取り澄ました顔をして、でもその本質は吐き気を催すほどに汚らしい。

 その男を思い出した途端、鮮やかに甦る若い女性の姿。彼女は再び彼の名前を呼び、彼に手を振る。せっかく故郷に帰って来たのに、記憶の中の彼女は、やっぱり泣き顔しか見せてくれなかった。
 彼女の泣き顔を見ると、ポケットに忍ばせたナイフを己が胸に突き立てたくなる。
 彼女が泣くのは当然のことだ。6年前、必ず帰って真実を暴くと決意したものの、なかなかその機会は訪れず。生き残るだけに精一杯の毎日が、彼を当初の目的から遠ざけた。彼の中で次第に大きくなって行ったのは、事実の究明よりも失われてしまった命に対する罪悪感。
 彼女の死の真相を、自分は暴くことができなかった。悲しかろう、悔しかろう、すまないすまない。おれもそちらへ行くから。行っておまえに詫びるから。

 でも、生き残ってしまった。

 生きさらばえてこの国に帰ってきて、ならば必ず成し遂げて見せる。そのために、おまえはおれを彼の地で守ってくれたのだろう?

 彼の深慮は、上着ポケットの微震によって遮られた。携帯の着信を見ると、自分を母国に呼び戻した雇い主からだった。
「滝沢です。今ですか? まだ成田に着いたところですよ」
 雇い主の相変わらずの気短に、彼は苦笑する。
「ええ、そちらに着くのは午後になるかと。え、今日中に研究室へ? 今日は日曜ではなかったですか?」
 公休日にも関わらず、新しい職場へ行けと雇い主は言う。明日から彼が勤務する研究室の責任者は日曜日でも職場に出ている予定だからと、電話の後ろからは明るいモーツァルトが聞こえてきて、彼の雇い主は余暇を満喫している様子だ。
 いいご身分だ、と彼は皮肉に唇を歪め、しかし言葉は丁寧に承諾の意を示した。
「解りました。おれも早く、懐かしい顔に会いたいですし」
 そう、彼が赴くのは新しい職場ではなく、古巣だ。そこでは6年前と変わらず、壊し損ねたブラックボックスが室長を務めている。

 ―― 今度こそ、壊してやる。

 徹底的に破壊して、跡形もなく消し去ってやる。そうすれば、きっと。彼女は笑ってくれるに違いない。

 携帯のフラップを閉じ、薄く微笑みながら彼は思う。そのことを考えると、銃撃戦の最中に弾丸が耳の際を掠めたときのように、身体中の血が逆巻いた。

 そうだ。これが、生きるということだ。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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しづ

Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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