破滅のロンド(18)

 発売日ですねっ!

 最終回が気になって、昨夜は殆ど眠れなかったしづです。 ……眠いぞ……。

 今日は更新する予定じゃなかったのですけど、(みなさん、それどころじゃないと思う、てか、わたしがそれどころじゃない。(^^;)
 Mさんに、「ここで切らないで~」と仰っていただいたのが嬉しかったので、更新しちゃいます。
(レスはすみません、ちょっと遅れるかも~。 旅行から帰ってからにさせてください。)

 本日も広いお心で。 よろしくお願いします。

 





破滅のロンド(18)







 青白い月が正中する時刻、法医第九研究室には未だ明かりが点いていた。と言っても、それはたった一部屋、研究室の一番奥まった場所にある室長室であった。
 その明かりを目指して、がっしりとした体躯の男がモニタールームを横切って行った。部屋のドアをIDカードで開けたところを見ると、彼はここの職員であるらしかった。

 男は行き当たりのドアをノックもせずに開け放つと、部屋の主に向かって横柄に語りかけた。
「こんな夜更けに呼び出しとは。逢引きと解釈していいのか」
 ドア口と男の隙間から、室長室の明かりがモニタールームに差し込み、薪の姿がちらりと見えた。彼は腕組みをして、不機嫌そうに室長席に座っていた。
 パタンとドアが閉まり、部屋は密室になった。室長室のドアに窓は付いておらず、モニタールームで得られる情報は音声だけになった。

 男が室長室へ姿を消すと、モニタールームにはもう一人の男が現れた。きっちりと撫でつけた黒髪に銀縁眼鏡の几帳面な監察官、服部であった。
 服部は、薪が心配で堪らなかった。 
 今夜一晩だけ待ってくれ、と薪は言った。ということは、今夜中に滝沢に真相を問い質すつもりなのだろう。事務仕事ばかりしてきた服部の眼から見ても、滝沢は危険な男だ。
 薪を一人にはしておけない。万が一のことがあってからでは遅いのだ。服部は、退庁したふりをしてモニタールームに潜み、薪を見張ることにした。

「冗談を聞ける気分じゃない」
 服部の耳に、薪の声がハッキリと聞こえる。いつもの澄んだアルト。彼の声からは、焦燥も憤激も感じ取れなかった。
「滝沢、単刀直入に訊く。6年前の事件、豊村と上野の自殺について、おまえが知っていることを洗い浚い喋ってもらおう」
 単直にも程がある! と思わず服部は声に出そうになった。なんて無鉄砲な。
 それに応える滝沢の言葉もまた、実に直線的だった。
「聞きたいことがあるのはこっちの方だ。2057年のカニバリズム事件について、この薄汚い脳みそにしまい込んだことを吐き出してもらおう」
 声を聞きながら、服部は滝沢のクセを思い出した。きっと『この脳みそ』と言いながら、彼の髪に触れているのだろうと想像した。
 滝沢は薪の身体にやたらと触っては、薪が嫌がるのを楽しんでいるようだった。本人はスキンシップのつもりかもしれないが、服部の眼にはセクハラにしか見えない。いや、別に妬いているわけではなく、それは服部も薪の身体に触ってみたいと思ってはいたが、そう言えばさっき薪に手を握られた時はドキッとした……。

「人食いに興味があるのか?」
 薪の声に、服部は我に返った。滝沢と薪が深夜の室長室に二人きりでいることに妄想を掻き立てられて、危うくここに来た目的を忘れるところだった。
「だったらお勧めのDVDを教えてやるから、僕の質問に答えろ」
「人食いになぞ興味はない。おれが知りたいのは、飛行機事故の真実だ」
「真実? 事故原因のことか。あれは確か、機体が疲労限界を超えて」
「惚けるのは止せ。あの事故は人為的なものだ。公安と政府がグルになって隠した真実が、おまえの頭には仕舞われているはずだ」
 古い飛行機事故の話が始まって、薪は困惑しているようだった。話が見えない、という口振りで、
「何を言ってる。あの事故に事件性はない」
「どうでも口を割らない気か。だったら喋れるようにしてやる」
「何をする気だ……よせ、滝沢! ふざけるな」

 室長の危機だ、と服部は思った。矢も楯もたまらず、立ち上がって部屋に飛び込もうとする。その彼の腕を、別の誰かが掴んだ。服部の背中を押して床に屈ませ、「静かに」とその誰かは囁いた。
 服部は、心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。本気で喉元くらいまで飛び上がった気がする。それくらい驚いたのだ。声を出さなかったのは奇跡だ。

「今頃まで監査のお仕事ですか?」
「あ、青木さん」
 服部を止めたのは第九で一番年若い捜査官だった。と言っても経験年数は丸5年になる。立派に一人前だ。
 室長室の二人に聞こえないよう、服部は小さな声で、
「あなたこそ、どうしてこんな時間に」
「室長に呼ばれました」
「室長が? 何故あなたを?」
「オレ、室長のボディガードなんです。官房室から正式に任命されてます」
 服部は青木の履歴書を素早く頭の中でめくり、彼が柔道初段、剣道3段、AP射撃2段の腕前だったことを思い出す。なるほど、薪が強気だったのは彼を控えさせていたからか。

「もしかして服部さん、うちの室長を心配してここに?」
 服部がこくりと頷くと、青木は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げ、
「こちらも状況は把握してます。危なくなれば、室長から合図が来ることになってます。どうしても聞き出さなきゃいけないことがあるから、それまでは邪魔をしないように言われてます。服部さんも、堪えてください」
 耳元で囁くように喋る、青木もまた薪の危機を理解している。青木はまだ若いが、官房室のお墨付きと言うからには、それなりの修羅場も潜ってきたのだろう。

「しかし、今、薪室長の悲鳴が」
「え? オレには聞こえませんでしたけど」
「……聞こえたような気が」
「気のせいじゃないですか? 緊急信号は発信されてませんよ」
「ボタンを押せないように拘束されてるんじゃないですか? 私、耳はいいんです」
「大丈夫。室長はああ見えて、とても強いんですよ。柔道はオレよりも上なんですから」
「はあ」
 呑気なボディガードだ、と呆れながらも、服部は不承不承頷いた。薪の声は自分にしか聞こえないのだ。それをこの男に悟られるのはまずい。

 青木との会話の間にも、服部の耳には室長室のやり取りが届いている。
『この頭がどんなに汚れた秘密でも飲み込むように、この身体も、相手がどんな男でも受け入れるんだろう』
『安く見られたもんだな。僕を抱けるのは局長クラスの男だけだ。僕と寝たけりゃ出世して出直してこい』
 挑発的な言葉が聞こえて、服部の心臓はどきんと跳ねる。薪のあのきれいな顔でこんなことを言われたら、大抵の男は征服欲に火を付けられて理性を失ってしまうのではなかろうか。
「い、言われてみたい……」
「服部さん、なんか言いました?」
 無意識のうちに願望を呟いてしまったらしい。訝しげに首を捻る若い捜査官に、服部は曖昧に笑って見せた。

『やめとけ。おまえ、そんな趣味ないだろ』
『それらしき写真を撮ることくらいはできる。全世界にネット公開してやる。警察にいられなくなれば、秘密を守る義理もなかろう』
 滝沢の卑劣な計画を聞いて、服部の心に義憤が渦巻く。しかし、ここまで危険が迫っているのに薪が助けを呼ばないのは何かしら策があるからだと服部は考えた。仕事振りからも分かるように、薪は抜け目のない男だ。
『馬鹿馬鹿しい。ネット公開なんかしたら、おまえも外を歩けなくなるじゃないか』
『頭は良いのに、どうしてそう間抜けなんだ? 自分の顔には修正入れるに決まっているだろう』
 そのくらいのことは薪も分かっているはず、彼には何か滝沢を思い留まらせる切り札が。
『な、なんて卑怯な』
『普通だ』
 ……うん、薪室長はちょっと抜けてるところが可愛いんだな。放っておけないっていうか。

『ちょ、待て! おまえ、ホントいい加減にしろよ!』
 何をされているのかは想像するよりないが、薪の声には焦燥が滲み出ていた。衣擦れのような音がしている、ワイシャツくらいは脱がされてしまったのかもしれない、もしかしたらズボンまで、と考えるだけで服部は眩暈がしそうだ。
「服部さん? なんで鼻息荒くしてんですか?」
「いや、音声だけというのもなかなか……」
 はあ? とまたもや不思議そうに首を傾げる若い捜査官。ああもう、こいつ邪魔。

『わかった! おまえが僕の質問に正直に答えたら、僕も本当のことを言う!』
 薪が譲歩した。カニバリズム事件はレベル5の案件だ。一般の捜査官が知ることは許されない。その規則を破ることを薪は滝沢に約束し、すると滝沢は、
『おれの質問に答えるほうが先だ』
『いいや。こちらが先だ』
 どちらも譲らず、睨み合う光景が目に見えるようだ。それからしばらく続いた沈黙を破って、薪の厳しい声が響く。

『6年前、豊村と上野を殺したのはおまえか』
 ゴクリ、と服部の喉が鳴った。薪は核心に切り込んだ。果たして滝沢はどう出るか。
『今頃気付いたのか』
 拍子抜けするくらいアッサリと、滝沢は自分の罪を認めた。完璧な証拠を手に入れた、と服部は心の中で手を叩いたが、直ぐにひとつの危険を予知した。この自白を、降伏と取ってよいのだろうか。
 死人に口無しとか冥土の土産とか、不吉な言葉が服部の頭の中でぐるぐる回る。滝沢の両手が薪の細い首を締め上げている場面が脳裏に浮かび、服部は慌ててその画像を打ち消した。

『そうだ、あいつらはおれが殺した。おれがこの手で殺して、自殺に見せかけた』
『っ、貴様ぁ――――ッ!!!』
 がたん! と大きな音がした。隣で青木が身構えたが、手に持った受信機に救難信号の着信がないことを確認すると、再び床に片膝をついた。

『なぜそんなことをした! 同じ職場の仲間を殺すなんて』
『おれはおまえから飛行機事故の真実を聞き出すために、第九に入った。その過程で邪魔になったから殺しただけだ』
『なんだその言い草は! おまえ、それでも人間なのか!』
『おまえが悪いんだ! おまえが事故のことを隠したりしなければ、おれはそんなことはしなかった!』
『僕が隠したわけじゃない! 社会への影響を考えて、上層部が決めたことだ!』
 言い争いは激しくなり、取っ組み合いのような音まで聞こえてきた。あの体格差だ、力で来られたら薪に勝ち目はない。隣に無能なボディガードがいなければ、とっくに中に入っている所だ。
「大分揉めてるみたいですね。大丈夫かな、室長」
 争う物音が青木にも届いたらしい。服部はこっそりと、左耳に入れた受信機のボリュームを下げた。衣擦れの音まで拾える超高感度は有難いが、気を付けないと鼓膜を破られる。

『同じことだ。あんなむごたらしい事実を隠して。事故で死んだ100人もの乗客に、その遺族たちに申し訳ないと思わないのか』
『どうしてそんなにあの事故に拘る。だれか知り合いでも乗ってたのか』
『おれの恋人は、あの飛行機事故で死んだんだ』
 明かされた滝沢の動機に、薪はハッと息を呑み、それでも彼が口にできることは決まっていた。
『事故に関しては何も隠していない。情報を公開しなかったのは、人食いの事実があまりにも衝撃的だったからだ。本当にそれだけだ』
『あくまでもシラを切る気か』
 薪は嘘など吐いていない。それを服部は知っていた。

『最後の手段だ。おまえの脳を取り出して、MRIに掛けてやる』
『僕を殺す気か』
 嫌な予感が当たった。やはり滝沢は、初めから薪を殺すつもりだったのだ。
『それ以外、真実を知る術はない。覚悟しろ、薪!』
『やめろ、滝沢! 銃を下ろせ!』

 突然の大音量に、服部は一瞬、左の耳が聞こえなくなった。思わず耳を押さえた服部の横で、青木が室長室に飛び込んで行った。
 室長室に轟いたのは、紛れもない銃声だった。




*****

 そしてまた、こういう場面で切れるという。(笑)
 「ケンカ売ってんのかコラ」というMさんのお声が聞こえてきそうデス☆
 
 最終回を読んだ後でも、こういうギリギリの冗談が言える心境でいられますように……!! 切実に祈ってます。 
 薪さん、幸せになって!!

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

破滅のロンド(17)

 とうとう明日ですねっ。 みなさま、どきどきしてますか?

 こんな大事なときに、お義母さんが温泉に行こうって……薪さんが心配でそれどころじゃない、って言ったら分かってくれるかな? ←無理。
 28日~30日の予定なんですけど、オットに相談したら、
「行きがけに買って、温泉で読めば」
「読んだら廃人になるかもよ?」
「……オレがフォローしてやるから」
 えらい、オット、よく言った! 今回、お義母さんのお世話は君に任せた!
 耐え切れない展開だったら、わたし旅館の押入れに籠もるけど、フォロー宜しくねっ!!

 人前では読めないので(通報されちゃう)、どこか一人になれるところを探してこっそり読もうと思います。
 みなさまも、気をしっかり持ってくださいね! 健闘を祈ります!
 

 今回は海沿いの宿じゃないので、Eモバイル使えると思うので、お義母さんの目を盗んで(笑)元気だったら更新しますね。
 よろしくお願いします。




破滅のロンド(17)







「何とも間抜けな話ですね」

 即座に返ってくる薪の否定に、服部は乗り出していた身体を徐々に引き、終いにはソファの背もたれに預けた。やっぱり考え過ぎですかね、と照れ臭そうに笑う服部に、薪はふふと微笑み、
「コーヒーでも淹れましょうか」と席を立った。

 服部の考えは素人の妄想に過ぎない。おそらく彼は現場に出たことが無いのだろう、だが時に。
 素人の妄想は、発想の自由さと言う一点に於いて現場を踏んだ捜査官の推理を上回る。経験がない分、通例に縛られること無く想像の羽根を広げることができる。そして百万に一つの確率で、真実に近付いてしまったりするのだ。

 コーヒーを淹れながら、青木を残しておけばよかったかな、と薪は少し後悔したが、薪のコーヒードリップの腕前は第九のバリスタ直伝だ。ここの給湯室で薪が手を濡らすことは皆無に近いが、薪は第九で二番目に美味いコーヒーを淹れることができると自負している。だから大沢の表情は、薪には心外だった。無感動で上の空、香りを楽しむこともしない。まるで白湯でも飲むようにコーヒーカップを機械的に傾けるだけだ。
 第九にも一人、青木の超絶美味のコーヒーをこんな風に飲む男がいたな、と思い出して薪は、いささか不愉快になる。そんな薪の心中には全く気付くことなく、服部は無言のままコーヒーを飲み続けた。途中、カップをソーサーに置いて「ところで室長」と薪に話しかける。

「言えば何でもできるあいつと言うのは誰のことですか?」
「それは仕事とは関係のないことです」
 嘘は言ってない。自分の女装写真を破棄しただけだ、肖像権は自分にある、悪いことはしていない。
「では、仮眠室の盗撮カメラと言うのは?」
「友人の悪戯で。僕がヨダレ垂らして寝ているところを写真に」
 薪がヨダレを垂らして寝ている写真を撮られたのも嘘じゃない、別の意味で寝てただけで。

「室長のご友人には、遊び心に富んだ方がいらっしゃるんですね」
 薪の言い訳を素直に信じて、服部は銀縁眼鏡の奥の暗緑色の瞳をほころばせた。そんなに人の好いことで監査課の仕事が務まるのかと多少気になったが、彼は薪のファンだと言っていた。見逃してくれているのだろう。

「しかし、あの古い友人にはお気を付けください。私はあなたの身が心配で堪らないんです。彼があなたについて話すとき、彼の眼には凶悪な光が宿る。あなたのことを快く思っていない証拠です」
 服部は再び深刻な顔になって、両手を組み合わせた。彼の声は憂いに満たされて、本心から薪の身を案じているようだった。
「滝沢と、どんな話をしたんです?」
「それはお答えできません」
 聴取の内容について、監査官には守秘義務がある。それを曲げることはできないと、服部の言い分は尤もで、しかし薪はどうしても彼から滝沢の言を聞き出したかった。滝沢も人の子だ。薪には隠さなければいけないことも、部外者の彼には喋ったかもしれない。
 人は、あまりにも大きな秘密には耐えられないものだ。沢山の秘密を飲み込んできた薪には、それがよく解っている。時々、全部大声でぶちまけたくなる。そんな衝動に日夜駆られている人間にとって、絶対秘匿が条件とされる監査官との二者面談は格好の舞台ではないか。

「服部さん」
 薪は両手を伸ばし、固く組み合わされていた服部の手を自分の手で包み込むように握った。弾かれたように顔を上げる服部に、ぐっと顔を近付けて、
「あなたの立場は解っています。あなたがとても頭が良くて、慎重な人だということも。だから僕は、先刻のあなたの言葉に頷くことはできない」
 職種の割りにはゴツゴツと固い服部の手をそっと撫でながら、薪は下から彼の顔を覗きこむようにして、うっすらと微笑んだ。
「簡単な引き算ですか? そうじゃないでしょう。あなたのように優秀な人が、ただの想像で他人を犯罪者呼ばわりする訳がない。あなたは滝沢との面談で、何か彼の犯罪の確証になるようなことを耳にされたのではないですか」

 亜麻色の瞳に吸引されるように、服部の暗緑色の眼が薪の美しい顔に引き付けられる。そこから1センチたりとて視線を動かせないまま、服部は乾いた声で語り始めた。
「6年前、同僚を亡くされて悲しかったでしょう、と私が言うと、滝沢警視は『あいつらは見てはいけないものを見た、だから死ななければいけなかったのだ』と答えました。見てはいけないものとは貝沼清隆の記憶のことですか、と尋ねたら、首を振りました。では何ですか、と訊いたら、ニヤニヤ笑って返事をしないんです。どう考えても不自然でしょう」
 話を聞いて、薪は服部から手を離した。考え込むときのクセで、右手の拳を口元へと当てる。言葉を拳の中に埋めるように、薪は呟いた。
「それは……自白に取れないこともない……」
 来るべきときが来た、と薪は思った。今こそ、最終計画を発動させるときだ。

「服部さん。こうなったら正直に言います。実は僕も、ずっと彼を疑っていたんです」
 薪が本当のことを告げると服部は驚きの声を発し、どういうことかと薪に説明を求めてきた。そこで薪が語ったことはすべて事実で、彼がこの6年間、彼の事件の真実を追い続けていたことの証であった。

「滝沢は事件の後、精神を病んで病院に収容されましたが、彼がいつ発病したのか、僕には不思議でした。滝沢は、僕が鈴木警視を射殺する直前まで元気だったんです。少なくとも僕には、彼が狂いかけているようには見えなかった」
 薪はふと言葉を切り、辛そうに目蓋を閉じた。伏せられた長い睫毛が震え、それは彼の深い悔恨を表していた。
「でも僕は、先に自殺した豊村も上野も、そこまで追い詰められているとは気付かなかった。僕が狂気の兆候を見つけられたのは、鈴木警視だけでした」
 そのことで薪は、長い間心を痛めてきた。自分の注意不足で、彼らのSOSに気付かなかった。だから彼らは死んでしまったのだと、自分を責め続けてきた。
 薪の心痛を察して気の毒そうに頷く服部に、薪は言葉を続ける。

「自分の観察力の欠如によるものだと、その時は納得しました。それから何度滝沢の見舞いに行っても、彼と話をすることはできませんでした。彼は僕を見ると怯えて暴れて、手の付けようがなかった」
 薪はやりきれない瞳をしてくちびるを噛み、当時のことを思い出しているようだった。しかし次の瞬間、薪の瞳は清冽に輝き、服部の瞳を真っ向から見据えた。
「だけど、僕は見たんです。滝沢の顔をして入院している男が、部屋でのんびりと雑誌を眺めているのを」

「……彼の顔をした男、ですか」
 薪の言い回しに、服部は直ぐに気付いた。おそらく彼はこのカラクリを察しただろうと薪は思い、それでも賢明に口を噤む服部に感謝してその時のことを話した。
「その日は病院内で何か騒ぎがあったらしくて、受付のひとが不在でした。僕は時間に追われていて、だから無断で滝沢の病室へ行きました。そしたら、彼は楽しそうにロック系バンドの雑誌を読んでいた」
 滝沢の、滝沢らしからぬ行動。それを目の当たりにした時の衝撃と、瞬く間に膨れ上がった疑惑がもたらしたおぞましい感覚を、薪は昨日のことのように思い出せる。
「あの本は滝沢の趣味じゃない。滝沢はクラシックが好きで、ロックなんかに興味は無かった。本当にこの男は滝沢なのかと疑いました」
 確かめたのですか、と結論を急ぐ服部に、薪は細い首を横に振り、
「その日は彼に会わずに帰りました」
 服部は、詰めいていた息をホッと吐き出した。彼が緊張するのも無理はない、と薪は思った。薪の疑惑が真実なら、彼の恐ろしい空想も現実のものである可能性が高いのだ。

「でも、その次の機会に」
 緩和した空気を凍りつかせるような冷たい声で、薪は言った。
「彼の病室から、こっそりと彼の湯飲みを持ち帰りました」
 予め、滝沢が使用していた湯飲みと同じものを用意し、何食わぬ顔で病室を訪れた。いつものように滝沢が暴れ出し、看護師が彼を押さえている間に素早くすり替えた。
 何も出なければいいと願っていた。自分の思い違いであって欲しいと、たかが雑誌、たまたま病院に置いてあったものを手にしただけのことかもしれない。だが。

「室長はその湯飲みを」
「保管されていた滝沢の指紋と照合しました。結果は不一致でした」
 服部は、喉の奥で低く呻いた。血の気の引いた顔色が、彼の動揺を物語っていた。
「病院に入っていたのは、滝沢幹生の替え玉です」
「まさか……本当にそんなことが」
 薪の断定に、服部は逃げ腰になった。自分で言いだしておきながら、服部の顔は蒼白で、今にも気を失いそうだった。それも仕方のないことだ。現場に出たこともない人間に、この陰謀は大きすぎる。

「滝沢そっくりに整形手術を施され入院させられて、僕が来たら狂気を装うように、命令を受けていたんです。そうとしか考えられない」
「それが本当だとしたら、いったい誰がそんな命令を」
「それはまだ分かりません」
 薪は力なく首を振り、消沈して肩を落とした。幾ら手を尽くしても、本当に分からなかった。滝沢の背後には何者かの力が働いている。それは確実なのに、どの方向から辿って行ってもその糸は途中で切れてしまうか、こんな大掛かりな策謀を構えられるはずもない小物に行き着くばかりで、薪はその度に自分の無力さを痛感した。

「服部さん、僕は」
 だが、諦めたわけではない。諦めてはいけないと薪は思った。
「僕にとって、あの事件の記憶はとても辛いものです。できれば掘り起こしたくなかった。でも、こうして疑惑が証明された以上、滝沢を放ってはおけません」

 薪の話を聞き終えると、服部は考え込んでしまった。裏で糸を引いているのは、捜査官の替え玉を用意して、病院にまで詐偽を強要することができるくらいの権力を持つ何者かだ。下手につつくと自分の首が危なくなる。
「室長は、どうなさるおつもりですか」
「僕だって、藪を突いて毒蛇に噛まれたくはない。しかし、これは第九で起きた事件です。室長の僕が逃げるわけにはいかない。でもあなたは違う。この話は、聞かなかったことにしておいた方がいいでしょう」
「何をおっしゃいますか」
 服部は大きく頭を振った。決意を固めた眼をしていた。
「監査室に話を通して、滝沢を取り調べましょう。私の情報と室長の情報を合わせれば、ほぼ容疑は固まったも同然です」
「いいえ。まだ、滝沢の入院が偽装だと言うことが判明しただけです。彼が上野と豊村を殺した証拠は何もない」
「それを調べるのが監査室の仕事です」
 服部は携帯電話を取り出し、どこかへ連絡を取ろうとした。相手はおそらく直属の上司だと思われたが、薪はそれを決河の勢いで止めた。何を焦ったのか、服部の手から携帯を奪うという性急さだった。

「待ってください。監査課の取り調べを受ける前に、僕が彼に直接話を聞きます」
「な……彼は危険だと申し上げたのを聞いてなかったんですか」
「僕は第九の室長です!」
 張りのある声が響くと同時に、周囲の空気が震えた。服部は思わず身を引き、目の前の男をまじまじと見直した。こんな迫力のある彼を、初めて見た。
「滝沢は第九の職員、僕の部下だ。部下の不始末の責任はすべて僕にある」

 女のような顔の、女のように華奢な身体の、しかし彼はあらゆる意味で男だった。行く手に何が待ち構えようと勇気を持ってそれに立ち向かい、決して己の責務から逃げない。第九の職員たちが骨抜きになるわけだ。
「お願いです、今夜一晩でいい。僕に時間をください」
「薪室長……」
 服部は、頷くしかなかった。

「解りました。くれぐれも気を付けてくださいよ」
「ありがとうございます」
 ふわりと微笑みを浮かべて携帯を返して寄越した薪を、服部はやっぱり女性のようだと思い、その不可思議な魅惑に酩酊する自分を感じてゆるゆると首を振った。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

破滅のロンド(16)

 60000hit ありがとうございます!
 本当にみなさんマメに覗いてくださって~、うれしいです。 感謝しております。
 最終回を目前にして不安ばかりが募る最中、うちのホラ話が少しでもみなさまの慰みになればと……………(公開中の話の内容を考えてみた)
 いつもいつも恩を仇で返してすみません~~~!

 続きです。 怒らないでねっ。
 


  


破滅のロンド(16)






 監査が入って3日目、職員たちは監査官の聴取を受けた。
 聴取と言っても取り調べではなく、面談のようなものだ。職員たちは一人ずつ監査官と向き合い、自分が行っている業務について監察の立場から質問を受ける。緊張を強いられる談話だが、職員にはいいこともある。普段はなかなか口に出すことができない職場の不満を監査官に告げることによって、それが室長に伝わるからだ。当然ながら、不満の出所は完全に秘匿される。薪の圧政に虐げられている彼らにとって、これは自分たちの待遇を改善する絶好のチャンスだった。

「とにかく、部下を人間扱いしてくれないんですよ。忙しいときは、寝ないで仕事しろって言うんです。こないだの連続殺人の時なんか、みんな4日で8時間しか寝てないんですよ。1日2時間睡眠ですよ、信じられますか?」
「その労働体制は問題ですね」
「でしょう? しかも室長ときたら、自分は4日間一睡もしないで、事件解決と同時に貧血起こしてその後半日爆睡ですよ。どんだけ傍迷惑なんだか」
「はあ」
「どうしてあの人、あんなに無茶するんですかね? 俺たちがいくら言っても聞かないんですよ。査官さんから言ってやってくださいよ。でないと俺たち、おちおち仮眠も摂れません」
「……あなたもですか」
「は?」
「いえ、わかりました。私から室長に話しておきます。次の方、どうぞ」

 密室でそんなやり取りが繰り返されたことは、もちろん薪は知らない。面談室から出てきた監査官の雰囲気で何となく、米山副査が受け持った職員たちからは大したものは出なかったように感じただけだ。
 問題は主査の方だ、と薪はそっと溜息を洩らす。個別聴取が終わった6時、薪は服部から厳しい声で、話があるから研究室に残るようにと命じられたのだ。

 服部の面談相手は岡部、今井、宇野、滝沢の4人。正確に言うと、滝沢を除く3人が服部担当のメンバーだった。第九の職員は7人。副査と分担し、より階級が高く重要な職務を遂行していると思われる職員を主査の服部が受け持った。宇野は役職的には小池よりも下だが、システムの中枢を担っていることから選定されたのだろう。
 滝沢は日も浅く、まだシステムの操作もおぼつかない部分があることから、米山副査の聴取を受けるはずだった。が、一人になった米山は自分のペースを頑なに守り、曽我一人を相手に延々時間を捏ね回した。曽我の話では、途中、鼾が聞こえたとか聞こえなかったとか。そんな調子で、服部が3人目の聴取を終えた時にはまだ青木が面談室へ入ったばかりだった。これでは明日からの監査に差し支えると服部は判断し、米山が担当するはずだった最後の男、滝沢を自分で聴取することにしたのだ。

 室長室で主査を待つ間、服部が指摘してくるのはどの違反だろうと薪は考える。
 一番心配なのは宇野のことだ。あいつにはハッキングやらプログラムの違法改造やらサイバー犯罪まがいのこと(まがいではなく完全に犯罪なのだが)をさせてしまっている。と言うのも、薪は凶悪犯を捕まえるためなら多少の違法性には頓着しないという誤った潔さを持っており、宇野は優れたエンジニアであるが故に、しばしば薪の行き過ぎた捜査活動の犠牲になっているのだ。
 昔、署内ネットで回された女装写真を消去するために警察庁のメインコンピュータに侵入してデータを破壊したことがバレたら、宇野も自分も一貫の終わりだ。その他にも、捜一のバカが捜査資料の出し惜しみなんかしやがるから警視庁のコンピューターにハッキング掛けて自動的に第九へ情報が流れるように隠しルート組んだこととか、何かと薪に突っかかってくる二課の課長の弱みを握ろうとして警務部しか閲覧できない部類の人事データに侵入したこととか。
 思い当たることが多すぎて、薪は頭を抱える。ちょっと派手にやり過ぎたか、と反省するが、やってしまったことは戻せない。

「室長。大変なことが分かりましたよ」
「す、すみませんっ、僕も良くないとは分かってたんですけど! あいつ、言えば何でもできるもんだからついついエスカレートしてしまって!」
「はい?」
 銀縁眼鏡の奥の瞳はキョトリと瞬いて、薪の勇み足を知らせる。どうやら宇野のことではなかったらしい。
「大変なこととは?」
 薪は咄嗟に冷静な室長の仮面をつける。岡部や今井から得た情報なら、そう大きな減点になることはない。自分と同様監査の何たるかを理解している彼らなら、減点になるか勧告で済むかの境界は心得ている筈だ。

「本当に大変なことです。人払いをしていただきたい」
「人払い?」

 妙な話だと思った。通常、主査が室長に勧告を為すのはすべての監査が終わったあと、総合評価と共に下されるものだ。それが監査の中日で、それも人払いなんて。
「万が一にも他人に聞かれてはならない。職員たちが帰った後、私の話を聞いてもらいたい」
「定時を5分ほど過ぎていますから、部下たちは退室させますが。監査の事でしたら、副室長も一緒に」
「いいえ。室長お一人でお願いします」
 薪一人を指名するのもおかしいと思った。監査による勧告と言うものは、室長と副室長が雁首を揃えて主査と副査に叱られるのが普通ではないのか。

 不思議に思いながらも薪は、服部に言われた通り職員たちを全員研究室から追い出し、単身で室長室に戻った。そこには服部がやはり単独で待ち構えており、変わらぬ厳しい顔つきで薪を迎えた。
「全員、研究室から退去させました」
「けっこう。では早速」
 言いかけて服部は口を噤み、思案する顔になって声を落とした。

「この部屋の会話が盗聴される恐れは?」
「そこまで警戒されるとは、いったいどんな失点なんです」

 やっぱり宇野にやらせたことが全部バレたか、と心の中はパニック寸前に陥りながらも薪は盗聴器用のソナーを机から出し、スイッチを入れた。ピーと低い機械音がして、その音は部屋の何処へアンテナを向けても音程を変えることはなかった。
「安心されましたか」
「ええ。しかし、盗聴器ソナーが直ぐに出てくるとは。用意の良いことですな」
「第九では情報漏洩対策として、毎朝盗聴器や盗撮カメラ類のチェックをしています」
「なるほど。個人の情報を扱う第九にとって、情報漏洩は命取りになりますからな。素晴らしい心掛けです」
「いや、以前仮眠室に盗撮カメラを仕掛けられて大変なことになっ……ええ、まったくその通りで!!」
 自分ではパニックを寸前で食い止めた心算でいたが、とっくにパニックになっていたらしい。危うく宇野のサイバー犯罪以上の秘密を暴露しそうになって、薪は自分の舌を引っこ抜いてしまいたい気分だ。

「この通り、他人に聞かれる心配はありません。監査報告をどうぞ」
「監査報告ではありません」
「監査じゃない?」
 驚いて、薪は鸚鵡返しに尋ねた。
 監査官が室長を呼び出して、監査以外の何について話すと言うのだろう。訝しく思いながらも、薪は服部に椅子を勧めた。服部の深刻な表情から、腰を落ち着けて聞いたほうがよいと判断したのだ。勧められるままに服部はソファに腰を下ろし、向かいに座った薪の方に身を乗り出してきた。緊迫した声音で彼はようやく、話の内容を告げた。
「6年前の事件のことです」

 驚きを声にすることすらできず、薪は大きく眼を瞠った。6年前の事件に関して、大変なことが分かったと彼は言う。監査官の彼が、いったい何を掴んだと?

「滝沢警視の聴取で、私は6年前の事件について尋ねました」
「滝沢と、6年前の事件について話した?」
 無謀とも言える主査の行動に、薪は背筋が寒くなる。服部の質問を、滝沢はどう受け止めただろう。
「彼は怪しい」
「……怪しいとは?」
 木霊のように返してくる薪の質問に、服部は俯き、膝の上で握った拳をじっと睨みつけた。それから決心したように顔を上げ、大きく息を吸って、
「室長、私は恐ろしい想像をしているのですよ。6年前の第九崩壊を、裏で画策していたのは滝沢警視ではないでしょうか」

 ぎくりと薪の背中が強張った。それを相手に悟られないためには、仮面の厚さを2倍にする必要があった。幾重にも心の防壁を張り巡らせ、薪は冷静に応えを返す。
「画策と言われましても。旧第九の崩壊は貝沼事件に起因するものです。彼らは貝沼の画に引き摺られ、発狂し、自ら死を選んだ。痛ましい事故です」
 薪が沈痛な面持ちで苦渋を表すと、服部はいいやと首を振り、「果たして彼らは本当に自殺だったのでしょうか」と頑固に自分の主張を通そうとした。
「当時の第九が機能停止に陥るまで、わずか5日。1人目の職員が死んでからは何と3日で室長を残した全員が死亡或いは精神崩壊を起こしている。前にも言いましたが、このスピードは異常だ。むしろ、誰かが意図的に彼らを殺して行ったという方が自然ではないですか」
「何を言い出すんです」
 服部の言葉に、薪は失笑する。
「まるで小説の世界だ。現実はもっと散文的ですよ」

 6年前の部下たちの死を、連続殺人だと彼は考えているらしい。お堅い監察官かと思ったらこの男、大した想像力の持ち主だ。
「仮にですよ、あなたの言う犯罪が行われたとして、どうして滝沢なんです?」
「簡単な引き算です。5人いた職員のうち、生き残ったのはあなたと彼の二人。あなたが犯人でなければ、彼が犯人に決まっている」
「お話にならない。滝沢は事件の後、精神を患って入院してしまったのですよ」
「それこそ計算が狂ったのかもしれない。自分でもそれほどまでに貝沼の狂気に引き摺られるとは、予想していなかったのかも」
「熟練した警察官を二人も殺し、第九を壊滅させたほどの男がですか? 何とも間抜けな話ですね」



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破滅のロンド(15)

 こんにちは。

 迫ってきましたね~っ。
 落ち着かなくて記事が読み直せない、タイプミスのチェックなんかできやしない。<おい。
 だって文字が頭の中に入ってこないんだもんっ!!
 もう仕方ないからぶっつけで……。<こらこら。

 誤字脱字、ありましたらすみません。 落ち着いたらチェックし直します。 今はカンベンして下さい。




破滅のロンド(15)






 業務開始前、つまりMRIシステムを作動させる前、監察官が調べておかなければならない机がもう一つあった。室長のデスクだ。
 室長が扱う書類は、職員のそれとは比べ物にならないほど重要度が高い。自然、監察官の眼も厳しくなる。さらに、室長は部下を指導する立場にいる。先刻の中学生トリオのように職務に関係ないものが見つかったりしたら、それは減点の対象になる。上に立つものが規律を守るのは、励行ではなく責務だからだ。

「初めに言っておきますが、考え違いをされているようなら、直ちに訂正していただきたい。監査課が、いつまでもあなたや第九を特別扱いすると思ったら大間違いだ」
 職員たちの前では多少柔らかかった服部の口調は、室長室に入ると急に冷たくなった。薪はそれを当然のことと受け止め、誠実な態度で主査に相対した。
 階級が高い者ほど、受ける監査は厳しくなる。権限を持つ者こそが堅実でなければ、警察機構は瞬く間に腐敗する。それを防ぐのが監査課の仕事だ。服部の態度は、自分の職務に対する熱意の表れであり、彼が優れた監察官であることの何よりの証明だった。

「職員達の前では遠慮しましたが、薪室長。あなたには聞きたいことが山ほどある。6年前の事件も含めて」
 咄嗟には、声が出なかった。「6年前の事件」が何を指すのか薪は瞬時に理解し、それは薪の表情を強張らせたに違いない。服部は皮肉な笑いを浮かべ、銀縁眼鏡の縁に手を当てて、
「あなたが手塩に掛けて育てた部下たちは、みな優秀だ。あなたがいなくなっても、第九は存続できるでしょう。つまり、あなたの6年前の罪が明らかになった所で、困るものは誰もいない」
「もとより、捜査情報の秘匿以外で特別待遇を受けたいとは思っていません。厳正な監査をお願いします」
 薪は凛然と答え、すると服部は薪を睨みつけたまま副査を呼んだ。
「米山さんは、あちらのキャビネット類をお願いします。室長のデスクは私が」
 指示を受けた副査は、緩慢な動作で書類棚へ向かった。ひとつひとつ鍵を開けるのが、ひどくゆっくりだ。シニア職員では仕方ないが、その分、服部主査の仕事ぶりは嫌でも精力的に見えた。

「では始めます。引き出しを開けてください。……素晴らしい」
 薪の机には、仕事に関係しないものは一切入っていなかった。抜き打ち検査にも関わらず、隅々まできちんと整理された引き出しの状態は、まるで彼が監察官の襲来を予想していたかのようだった。
「この奥は?」
 室長の机の一番下の引き出しの奥には、シークレットボックスがついている。ここには部下たちの査定書や、室長しか閲覧してはいけない書類を入れてある、と説明する薪に、服部は箱を開けるように要請した。
 コンマ1秒で暗証番号を入れてロックを解除し、薪は箱の中身をすべて取り出した。ファイルに挟まれた査定書、官房室からの指示書、室長宛と明記された何通かの封書。それから。

「これは?」と服部が取り上げたのは、薄い冊子のアルバムだった。
「僕が殺した男の写真です」

 バサバサと、驚いてファイルを取り落としたのは、キャビネットの前にいた副査だった。
「す、すみません」
 米山は、気弱そうな眉をますます下げると、消え入るような声で謝った。薪は彼をちらりと見、すぐに目の前の主査に視線を戻した。亜麻色の瞳が強く輝く。
「時々見て、自分を戒めています。彼のためにも、第九を警察機構一の捜査機関にしたいと考えています」
「彼の写真が、あなたのモチベーション向上策というわけですか」
 薪はそれには答えなかった。主査の見解は正当でもあり、間違いでもあった。薪はまだ完全には、岡部が義母の写真を見るような気持ちで彼の写真を見ることができなかったからだ。

 薪の沈黙をどう捕らえたのか、服部はやにわに薪の両手を取り、
「やっぱりあなたは私が考えた通りの人だ」
 は? と思わず薪が首を傾げるのに、服部は、先刻まで冷静そのものだった銀縁眼鏡の奥の瞳に突如として熱っぽい光を宿し、大きく何度も頷いた。
 どういうことですか、と薪が尋ねると、服部はチラッと米山の背中を見た。米山の貧相な背中は丸められて一層小さく、キャビネットの扉に隠れてしまいそうだった。彼は相変わらずのんびりとファイルをめくっており、その姿はシニア職員特有の西から東精神の現れと思われた。当然、こちらの話など聞いていない。

 服部は、「他の職員には内密の話があります」と薪に耳打ちし、薪はチーム別のディスカッションに使う小会議室に彼を案内した。円卓の周りに置かれた椅子に並んで腰を下ろすと、服部はせっつくように、
「正直なところを申し上げますと、監査課は第九に対してあまりよい感情を持っていない」
「でしょうね。これまで、機密性を理由に監査を断り続けてきましたからね」
「その通りです。だから今回の監査には、監査課全体の期待が掛かっている。上司には、あなたを室長から引き下せるようなネタを掴んでこい、とまで言われました」
 そんな大事な監査を任されたと言うだけで、服部がどれほどの監察官なのか察しが付く。さぞ多くの部署の暗部を暴き出してきたのだろう。

 焦るでもなく媚びるでもなく、薪が冷静に服部の話に頷くと、服部は薪の潔さに感じ入ったようだった。監査を受ける当人に話すべきではないと思われる内容のことを、ペラペラと喋り始める。
「上司の中には、薪室長が監査を拒むのは何かしら後ろめたいことがあるのだろうと思う者もいます。6年前の事件のことも怪しいと。客観的に見ても、当時の第九が貝沼事件の捜査をしていたのはわずか5日。たった5日間の崩壊は急激過ぎる。どうしても隠滅したい何かがあって、室長が裏で糸を引いたのではないかと」
 薪は、立ち上がろうとした膝を両手で押さえつけて留め、ふざけるなと怒鳴ろうとした声帯はくちびるを噛んで止めた。事件当時、あらゆる中傷の嵐に晒された。中にはそんな内容のものもあった気がする。
 噂と言うのは掴みどころのない雲のようなもの、それでいて多分に悪意的だ。薪が耳にしたことのある最悪の噂は、「薪室長と鈴木副室長は表面上は仲が良かったが、陰では憎み合っていた。その端は副室長の婚約者を巡る三角関係にあり、室長が副室長を撃ち殺したのは計画的だった」という、三流週刊誌記者垂涎のゴシップだった。それでも。

 あの頃は、どんなに現実から外れた誹謗に対しても怒る気持ちなどなかった。何を言われても仕方ないと思った。処罰を下されなかった自分にとって、他人から貶められることは救いのようにすら感じられていた。
 怒りが湧くということは、少なからず回復した証だ。もう二度と立ち上がれないと、血を吐くほどに絶望しても、人間というのは存外図太くできている。

 微かに罪悪感すら感じる薪に、服部は熱心に続けた。
「しかし私は、あなたが彼らの言うような人間には思えなかった。6年前の事件で、あなたは何の利益も受けていないからです」
「計算が狂ったのかもしれませんよ」
 薪が皮肉に笑うと、服部は顔の前で否定の形に手を振り、
「それはない。あなたが何かを隠したかったのなら、生き証人はすべていなくなったはず。官房室への栄転を断る理由が見つからない」
 服部の言うことは正しい。薪があの時第九を離れれば、第九は存続することもできなかった。MRIシステムを扱えるものは他になく、研修施設も廃止され、警察内の立場も権威も地に落ちていた。凋落した研究室に居続けることは、エリートにとってはマイナスにしかならない。
 しかし、薪は第九を守り続けた。

「あなたは潰れかけた第九を必死で立て直した。その努力は正当に評価されるべきです」
 服部の言葉は、薪には複雑だった。他人の称賛が欲しくて為したわけではない。彼が遺した第九を守ることは自分の使命、否、あの頃の自分にとっては生きるための免罪符だった。他に進んでよい道など、猫一匹が通れるほどの小道すら見当たらなかった。

「ありがとうございます。しかし、6年前の不祥事はすべて室長たる僕の責任です。もっと僕が彼らの心のケアに努めていれば」
「自分を責めることはありません。あなたは出来る限りのことはした。あなたが一部の人間に疑われたのは、あまりにも急激な崩壊だったからです。たった三日の間に、三人死んで一人狂った。自然なこととは言い難い」
「もしも主査が仰るように、あれが誰かの陰謀だとしたら。僕はその人間を殺すかもしれない。そいつは部下たちの仇だ」
 亜麻色の瞳に暗い狂気が宿る。想像したこともなかった、彼らが誰かの手によってその命を奪われた可能性など。そんなことがあるはずはないと考えて、しかし現実にそんなことがあったなら、薪には自分を押さえ切れる自信はない。何を犠牲にしても、彼らの仇を討つだろう。

「失礼。警官にあるまじき発言でした。減点なさるならご自由に」
「なにを仰いますか。部下を大切になさるお気持ちがあってこその発言ではありませんか。男気に溢れた方だ、惚れ直します」
 おかしな言い方をされて、薪は目の前の男をおずおずと見る。薪と眼が合うと、服部は銀縁眼鏡の向こう側に暗緑色の瞳を輝かせて、
「はっきり言いましょう。薪室長、私はあなたのファンです」
「……それはどうも」
 ファンと言われても。自分はタレントではないが。

「女性のように美しい容姿を持ちながら、態度は毅然として立派だ。職務態度も業績も、非の打ちどころがない。私はあなたの完璧さに憧れているんです。あなたの要望なら、多少のことは見逃してあげても」
「結構です。監査は他部署と同様、厳正に行ってください。でないと、うちは監査課にずっと睨まれることになる。むしろ、適度なお土産は持って帰ってもらった方がいい」
「さすが室長。監査を分かってらっしゃる」
 完璧すぎるのは却ってよくない。交通課に交通違反者摘発の割り当てがあるように、監査課にもノルマがあって、指摘ゼロは彼らを意固地にするからだ。勧告止まりの軽微なものを2,3件、それがベストな成績だ。

「じゃあ、さっきの職員たちの机の私物は勧告に付けておきますね」
「いや、あれはちょっと。何か別のものでお願いします」
 実情はどうあれ、第九はエリート集団で通っている。その職員たちの机の中にゲーム機だのプラモだの、それは恥ずかしすぎる。せめて捜査メモの一枚でも紛れ込んでいたらよかったのだが、第九職員たちは薪の恐ろしさを知っている。仕事に関してほんの少しでも手を抜いたら、雷が落ちることが分かっているのだ。だから彼らは些細なことでも、決められたことはきちんと守る。

「では、室長の机のシークレットボックスの暗証番号があなたの誕生日になっていることにしておきますか。部下の査定書を保管する鍵にしては、安易すぎるということで」
「……僕の誕生日を?」
「ファンだと言ったでしょう」
 照れ臭そうに笑うと、服部は意外なくらい人懐こい雰囲気になった。対外的な場に立つとき薪が第九の室長という仮面を被っているように、服部もまた冷徹な監察官の仮面を付けているだけで、本当は人情味溢れる男なのかもしれない。

「さて。次は帳簿類を見せてもらいましょうか」
 赤くなった顔を隠すように素早く立ち上がった監察官の背中に、薪はクスリと小さな笑いを洩らした。



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破滅のロンド(14)

 お話はここから中盤です。(長い……)
 本当はメロディ発売前に終わらせたかったんですけど、ちょっと無理っぽい、てか、絶対ムリ。 やっとこさ半分だもん。(^^;
 最終回の後に公開の気力が残ってるといいな、と不吉なことを考えつつ~、
 お話の続きです。 よろしくお願いします。




破滅のロンド(14)






 尊大な新人が第九に入って、3週間が過ぎた頃。第九に新たな爆弾がやって来た。

「監察官主査の服部です。こちらは副査の米山。これから1週間、みなさんには監査に協力していただきます」
 監査課の人間らしくきっちりと撫で付けた黒髪に銀縁眼鏡を掛けた服部は、見るからに神経質そうな男だった。中肉中背でやや猫背気味、額は狭く、垂れ気味の眉は細い。もう一人の監察官、米山はシニア職員らしく、頭頂部が禿げ上がった小柄な老人だった。陰気で気弱そうな眼をして、黒い額縁眼鏡を掛けていた。
 薪のらしからぬ振舞いに、諦めという手段を用いて職員たちがようやく慣れてきた、ちょうどその頃合を見計らったかのようなタイミングだった。岡部は監察官に敬礼しながら、次の休みには神社に厄落としに行こうと心に決めた。

 監査とは、職員たちに不正がないか、職務が規則を逸脱せずに行われているか、公費の無駄遣いがないか、など、正しく職務が遂行されているかどうかを調べるものだ。監察官は帳簿や議事録を精査するため、1週間ほど対象部署に滞在する。捜査一課にいた頃、岡部も監査を受けたことがあるが、実に仕事がしづらかったのを覚えている。間違ったことはしていなくても、自分が為した仕事の正否を判断する人間にいつも見られているというのは、何となくソワソワするものだ。

 第九に監査が入るのは初めてだった。
 それは捜査の特殊性に因るものと思われた。人間の脳を見るという、人権擁護団体の槍玉に挙げられる捜査法。情報漏洩には最大限の注意を払う、そのため、MRIシステムが作動している間は防犯カメラも動かないし、他部署の人間は基本的に出入り禁止になっている。
「監査課としても、第九の特殊性は心得ています。よって我々は、捜査を行っている間は執務室には入りません。別室で、職員の皆さんから個別の聴取と、帳簿、記録簿等を見せていただきます」
 おそらく、その条件で薪が監査を受け入れたのだろう。監察官もたった2人、それも一人はシニア職員だ。普通よりもかなり緩い監査体制に岡部は、もしかしたらこれは形だけのものかもしれないと考える。
 監査を受けるのは誰だって苦痛だ。忙しく職務をこなしながら、監察官の命じる書類を揃え、聴取に応じ、大抵は何かしらの注意を受ける。ところが、第九は職務の特質性から監査を逃れている。不公平だ、と他部署から非難の声が上がるのは必至だ。それを抑えるため、簡易的監査で実績を作るつもりなのかもしれない。

「では、早速監査に入ります。最初に鍵類の保管状況を確認しますので、室長の立会をお願いします。次に皆さんの机の中も確認しますので、それまでは机に触れないように」
 金庫室や捜査書類を収納するキャビネットの鍵類は差し込み式のキーボックスに収納されており、室長または副室長のIDがないと取り出せないようになっている。職員達の机の鍵も毎日職務終了時に金庫室の中にしまわれ、個人が持ち帰ったりすることは許されない。

 2人の監察官と室長が金庫室へ入ると、職員たちは目に見えてうろたえ始めた。どうしよう、あれが見つかったら、などと小声で囁き合っているところから、保管場所は鍵の掛かるキャビネットと定められた捜査資料等を、自己の机に放置していたらしい。本当はいけないことだが、翌日もまた同じ資料を使う時にはついやってしまいがちなショートカットだ。こういうのは見つかる前に申告してしまうに限る。監察官も鬼ではない。隠し立てせずに正直に謝れば、減点せずに勧告だけで済ませてくれることも多い。
「おまえら。机の中にヤバイもんがあるなら、今のうちに俺に言え。こっちから報告したほうが、減点が少なくて済む」
 自分たちのミスを話しやすいよう副室長が穏やかに告げると、部下たちはわらわらと岡部の周りに集まり、
「昨日俺、机の中にゲーム機忘れて行っちゃったんですよ!」
「黒木メ○サの写真集が!」
「ガ○ダムのプラモが!」
「「「監察官に没収されちゃうんですか!?」」」
「…………おまえら、中学生か」

 ひときわ青い顔をしていたのは、一番年若い後輩だ。岡部を部屋の隅まで引き摺っていくと、誰にも聞こえないよう耳に口を寄せて、
「どうしましょう、岡部さん。オレ、あれがないと仕事にならなくて、だからつい」
 深刻そうに話すが、どうせ青木の「ヤバイもの」は食べ物だ。身体が大きい分食欲も旺盛な彼は、休み時間に栄養補給をしないと夜まで腹が持たないのだ。嫌味くらいは言われるかもしれないが、掠り傷ほどの失点にもならないはず。
「デートの時に撮った薪さんの超ビューティフルな写真が」
 致命傷だ。
「おまえ、そういうものを職場の机に、……あっ」
 言いかけて岡部は、自分の机の中のバクダンを思い出す。見る見る青くなる岡部の耳に、金庫室の確認を済ませた監察官が職員たちの机の施錠を解除する音が聞こえてきた。

「薪室長。これは」
 次々と出てくる玩具や雑誌を見て、薪の額に青筋が立った。中学生の持ち物検査ではあるまいし、いい恥さらしだ。
「申し訳ありません。私の指導不足で」
「まあ、息抜きも必要です。良しとしましょう」
 話の分かる監察官でよかった。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、3人の傍らを通りざま、薪が低い声で「没収」と呟いた。さめざめと泣き始める3人を哀れと思うが、岡部と青木は自分のことで手一杯だ。

「おや、これは」
「!! こ、これは宴会の余興でっ!」
 青木の机を開けた服部主査が、中の写真を手に取って感心したように眺めた。遠目に見えた、それは薪の女装姿だった。デートのときに撮ったとか言ってたけど、この二人、何をやってんだか。
 薪は必死で言い訳したが、主査は少し厳しい口調になって、
「研究室の宴席にコンパニオンを? それは公費の無駄遣いではないですか」
 監察官の眼をも欺くとは、さすが薪。服部の眼が節穴なのではなく、薪の女装が完璧過ぎるのだ。よほど彼に近しい者でなければ、目の前にいるスーツ姿のきりりとした男と、妖艶に微笑む写真の美女が同一人物だとは気付くまい。
「あ、いや、あの……こ、これは友人でして。謝礼等は払っていません」
「ふむ。まあ、今回は注意に留めておきましょう」
 はああ、と安堵の溜息を洩らす青木の傍らを通り過ぎた薪が、小声で「焼却」と囁いた。そんな、と情けない顔になった青木に同情している余裕は岡部にはない。次は自分の番なのだ。

「おや、こちらの机にも写真が」
 問題の写真は、引き出しを開けて直ぐに目に付く所に置いてある。見逃しようが無かった。主査に随行している薪も、それは同様だ。
「この机は誰の?」
「岡部警視です。副室長を務めています」
「さすが副室長ですな。モチベーションの上げ方を知っている。恋人の写真を見て意欲を増進させるというのは、実に有効な方法です」

 余計なことを言わないでくれ! と心の中で叫んでも、現実には何の効力も無い。岡部が一旦吸った息を吐き出さない間に、彼の周囲にはドッと部下たちが詰め寄り、
「「「恋人の写真!? 岡部さん、見せてくださいよ!!」」」
「ち、違う! 恋人じゃない!!」
「「「またまた、照れちゃって! どんな女性なんですか? どこで知り合って?」」」
 監査中だということも忘れて、タブロイド記者のように質問を浴びせる部下たちに聞こえるように、薪がフォローを入れた。

「服部主査、ひとつ訂正を。岡部警視のそれは、恋人ではなく母親です」
「「「なーんだ」」」
 母親と聞いて途端に興味を失くし、それぞれの机に戻っていく部下たちの背中に、岡部が心底助かったと室長に感謝したのも一瞬のこと。すれ違いざま薪に、
「雛子さんが服を着ている写真でよかったな?」

…………監査なんか大っきらいだっ!!




*****


 一応注記しますが、
 監査課による定例監査は創作上の作り話ですから信じないでくださいねっ。
 実際は内部告発でもない限り、監査課は動かないと思います。 警視庁は都警察ですから東京都の定例監査(会計検査)は受けますが、監査課が調べるのは基本的に問題を起こした職員とその事実関係ですから、業務内容そのものを確認をすることはまずないでしょうね~。
 でもほら、あったらあったで面白いでショ?<おい。
 
 何処の会社にも社内検査制度はあるんだし、科警研にあってもヘンじゃないと思うな~。 検査って気分的に嫌なもんだし、第九に検査が入ったらみんなどんな反応するかな~。
 竣工検査で検査官にイジメられながら、しづがこんな妄想をしていたのは、監督員にはナイショです☆

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

破滅のロンド(13)

 発売日まで10日を切りまして。 
 みんな同じ気持ちだと思うのですけど、どうにも落ち着きませんね~。
 でも、この感覚を味わうのも最後かと思うと、気を紛らわしたりせずに、いっそ味わい尽くそうという心持ちになってきます。

『秘密』自体は、まだ続くのかもしれない。 第九編が終わるだけで、新しい舞台で新しい話が紡がれるのかもしれない。 その可能性があることは分かっているのですけど、わたし個人は、
 第九編が終わってあおまきさんが誌面から姿を消したら、こんな気持ちで待つことはなくなると思うの。 仮に第九の未来が描かれたとしても、こんな居たたまれない気持ちにはならない。 薪さん個人でも青木さん個人でも、この気持ちは生み出されない。
 そう思うと、日常生活すら危ういこの状況が、失い難いものに思えてきます。

 今わたしたち、貴重な体験してますよね?








破滅のロンド(13)







 その日、薪は警察庁から直帰した。
 タクシーを降りてマンションに入ると、エントランスの隅に影法師のように大男が立っていた。人目に付かないように気を配ったつもりかもしれないが、その身長では何をやっても無駄だと言うことをそろそろ学習して欲しい。
 自動ドアを開けた途端に彼に気付いて、でも知らぬ振りをしてキーパネルに向かう薪を、彼はしょんぼりと見ていた。何か聞きたいことがあって来たのだろう。でも、プライベートでは薪に取り合ってもらえないことが分かっているから言い出せなくて、懸命に信号を送っているのだ。

「何の用だ」
 タッチパネルで玄関のロックを解除しながら、薪は低い声で訊いた。
「確かめたいことがあって」
「仕事のことだろうな?」
「……違います」
「では帰れ」
 冷たく突き放すと、青木はますますしょんぼりと項垂れた。節電対策で端まで行き渡らない照明のおかげでその姿はいっそう恨めしく、薪をげんなりさせた。

「オレ、薪さんに迷惑掛けてますか」
「ああ」
 薪は本心から頷いた。こいつがいなければ、自分はもっと潔くなれた。あの頃の自分なら、とっくに勝負をかけていただろう。例えこの身が滅ぼうとも、そうせずにはいられなかったはずだ。
 それがこの体たらく。
 青木と付き合いだしてから、自分はひどく欲張りになった。何も残されていなかったはずの人生に、多くのものを望むようになった。欲して与えられて望まれて差し出して、そんなことを繰り返すうち、時が過ぎるのを待つだけの人生は、いつの間にか楽しむものへと変わっていた。

「さっさと来い。人に見られたくないんだ」
「入ってもいいんですか」
 つくづく自分の甘さが嫌になって、薪は投げやりに言った。
「おまえも岡部も、どうせ僕を放っておいてくれる気なんかないんだろう?」

 薪は振り返り、だが青木がいる場所とは全く違う方向に顔を向けた。観葉植物の陰からぬうっと出てきた一人の男に、青木が驚きの声を上げる。
「お、岡部さん!? いつから」
「青木。張り込みの極意は気配を断つことだ。岡部によく教えてもらえ」
 言い捨てて、薪は玄関を潜った。その後ろに二人の部下が付き従う。薪の背中はしゃんと伸びて、でも、絶対拒絶のオーラはそこにはなかった。



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破滅のロンド(12)

破滅のロンド(12)





「何か質問でも?」

 男の視線を軽くいなしてバスタオルで身体を拭く。滝沢のこういう下劣な嫌がらせには慣れっこだ。
 薪は無礼な男を真っ直ぐに見据え、すると嫌でも彼の手に握られたものが目に入った。自分の携帯電話だ。迂闊だった、脱衣籠に放った上着に入れっぱなしだった。

「この携帯電話に保存された男の写真について、説明してもらおうと思ってな」
「断りも無しに他人の携帯を見るのはマナー違反だろ」
 そんなハッタリには引っかからない。滝沢は昔、自分の鈴木への気持ちを見抜いていたようだが、6年前のようにはいかない。もう、あの頃のように初心じゃない。
「部下の顔写真を保存しておくと、他部署の人間と打ち合わせするとき便利なんだ。事件担当者の顔を教えるのに、端末から人事データを引き出すより早い」
 二人で撮った写真にはロックを掛けてある。暗証番号なしに見られるのは、パブリックなものばかりだ。その中には部下たち全員の顔写真も含まれている。
「おれの写真が無いのは何故だ」
「……撮る機会が無かっただけだ」
 ふむ、と頷いて滝沢は、携帯のカメラを自分に向けてシャッターを切った。それからデータを保存フォルダに入れようとしてか、親指を何度か動かした。

「おい。勝手にいじるな」
「ゼロ発信は副室長かと思ったが、違うんだな」
 髪の毛を擦っていた薪の手が止まる。しまった、登録を変えておくべきだった。
「アイウエオ順に並べてあるだけだ」
「だったら2番目は宇野じゃないのか」
 咄嗟に返した理屈は通らなかった。滝沢は昔から、重箱の隅をつつくような捜査をする。供述の矛盾を拾うのは得意中の得意なのだ。ここは黙秘権発動だ。

 薪が無言になると、滝沢はククッと思い出し笑いをした。薪に携帯を返して寄越しながら、
「あの犬っころ、おまえからの電話だと思ったんだろうな。『薪さん、何か御用ですか』って異常なテンションだったぞ」
「僕の携帯を使って青木に電話したのか」
「ちょっと弄ってたら、偶然掛かっちまったんだ。わざとじゃない」
「他人の携帯を勝手に弄ること自体、偶然ですまされることではないと思うが」
 怒ったヤマアラシのように、薪はその声に無数の針を忍ばせる。薪が本気で怒っていることが伝わったのか、滝沢は突然素直になって、
「いや、すまなかった。おまえが今誰に関心があるのか、気になって仕方なかったんだ」
 いやらしい含み笑い。底の見えない黒い瞳は、標的を見つけたと言わんばかりの興奮に輝いている。
 見たばかりの悪夢がフラッシュバックする。目眩のような酩酊感に襲われ、薪はさりげなく脱衣篭で身体を支えた。膝が崩れそうになっているなんて、相手に気付かれてはならない。

「滝沢、おまえの誤解だ。僕と青木は何でも」
「関係ないわけがないだろ」
 一瞬で間合いを詰められて、薪は壁に押し付けられた。背中と後頭部を壁面に、細い首を男の大きな手ががっちりと留めている。動けなかった。気管を圧迫されて、息が苦しい。第九の室長がバスタオル一枚の姿で壁に張り付けとは何とも締まらない話だと、自分に向かって毒づいた。

「あれだけ鈴木に似てるんだ。おまえが平気でいられるわけがない」
 親友の名前を出されて、薪の額に青筋が立つ。一番深い傷を無造作に抉られて、思わず足の力が抜けた。
「虫も殺さぬような顔をして、大したタマだ」
 滝沢は薪の首を押さえたまま、もう片方の手で薪の顎を掴んだ。上向けさせ、触れ合わんばかりに顔を近付ける。滝沢の息が鼻先に掛かるのを不快に感じる。薪は苦労して顔を背けた。
「おまえが鈴木を殺した時も驚いたが、なるほどな、自分を捨てて女を選んだ鈴木を許せなかったってわけだ。その上でヤツに似た男を見つけてきて、破れた恋路を実らせたのか。それでおまえのプライドは保たれたのか?」
 刹那、目の前が赤くなるほどの怒りに囚われ、薪は爆発的な力でもって自分の顎に掛かった滝沢の手を払った。首を捉えた手も外そうとしたが、そちらは敵わなかった。圧倒的な力の差で、薪が最初に払いのけたと思った手も、滝沢の方から引いたのだと分かった。

「あの坊やは知ってるのか? 自分が鈴木の身代わりだってこと」
「黙れ」
「無駄だ。力じゃ敵うまい」
 薪の両手が無様に空を切るのを見下して、滝沢は勝ち誇った笑みを浮かべた。が、次の瞬間、その笑みは驚きの表情へと変わった。
「黙れと言ってる」
 ゴツリ、と腹に重い感触。滝沢は瞬時に理解する。銃口だ。

「おまえ、風呂場にまで銃を持ち込んでるのか」
「力じゃ敵わないからな」
 滝沢がゆっくりと両手を挙げ、少しずつ後ろに下がった。相手との間にできた距離を両腕を伸ばすことで補い、薪はしっかりと相手の胸に狙いを定める。
「僕を侮るな。6年前の僕じゃない」
 厳しい顔つきで威嚇するも、やっぱりタオル一丁じゃ締まらないな、と思う傍から滝沢に反撃された。覚悟はしていた。滝沢がこの6年間何処で何をしていたか、薪はとある筋からの情報を得ていた。
 滝沢の動きは素早かった。薪の優れた動体視力はそれを捕らえてはいたものの、身体の反応が間に合わなかった。迷わず撃鉄を起こして引き金を引けるほどには、薪は射撃訓練を積んでいなかった。

「そっくり返してやる。成長してるのは自分だけだと思うな」
 あっけなく床に引き倒され、上から押さえつけられた。拳銃を奪われ、逆に突きつけられた。が、滝沢はすぐにその銃の違和感に気付き、腹立たしげに舌打ちして壁に投げつけた。
「さすがだな。重さも本物と同じに作ってあるのに」
 自分に馬乗りになった男を、薪は下から皮肉った。腹の筋肉がひくひく震えた。笑えて仕方なかった。
「プロのおまえがアマチュアにモデルガンで脅されて、悔しいか」
 挑発は、平手打ちになって返って来た。意外と気の短い男だ。

「いい気なるなよ。おれがその気になれば、おまえもあの坊やも」
「おまえの目的は僕の命か? 違うだろう」
 叩かれた頬は腫れ上がって熱を持った。口の中が切れて血の味がした。腫れが引かなかったら、明日岡部がうるさいだろう。寝ぼけてベッドから落ちたことにでもしようかと、薪は呑気に考える。
「その気なら、会った初日に殺せたはずだ」
 久しぶりに会った部下に見栄を張りたくてオンザロックなど飲んだものだから、3杯目の途中で酔い潰れてしまった。足に来てしまって、結局は滝沢が仮住まいをしているホテルに泊めてもらったのだ。

「おれの目的を、おまえは知っていると言うのか」
「そんなことも知らずに、どうして僕がおまえを第九に受け入れたと思うんだ?」
 滝沢にとって薪の言葉は、よほど意外だったに違いない。肩を押さえた手を緩め、自分の身を浮かせて掛けていた重量を取り除くと、床に打ち付けられて傷んだ薪の背中に手を回して丁寧に抱き起した。

「滝沢。耳を貸せ」
 自分の背中と腕を支えた男の首に、薪は自分の右腕を回し、彼の頭を引き寄せた。きれいに刈り込まれた短髪から覗いた耳元にくちびるを寄せ、魔法の呪文を囁く。
「…………どうしてその名を?」
 呪文の効果は絶大だった。滝沢は軽々と薪の身を持ち上げ、床に立たせると、質問の答えを待った。
「僕だって6年間、無為に過ごしていたわけじゃない」

 予定よりは少し早いが、話すことにした。滝沢を抑えるのも限界に来ていた。部下たちに被害が及ぶようなことになってからでは遅いし、この辺が潮時だろう。
「おまえが千葉の倉庫で資料を探していた2057年の事件から、おまえの関係者を洗い出した。ひき逃げ事件の調書も見直した。彼は、っくしゅっ!!」
 裸でやりあっていたものだから、すっかり湯冷めしてしまった。薪はぶるっと身体を震わせると、振り向きざま滝沢に向かって、
「おまえのせいで湯冷めした。もう一回温まってくるから待ってろ」

 一人残されて滝沢は、再び浴室に戻ってしまった上司が落としたバスタオルを拾い、篭の縁にきちんと掛けた。それから床に転がっていたモデルガンを取り上げ、色々な角度からじっくりと検分した。
 実に精巧にできている。拳銃に慣れ親しんだ自分が見間違えたのだ。プロの目から見ても、外見だけではまずオモチャとは気付かない。このオモチャでプロを騙したのだから、薪の度胸は大したものだ。

「冷や汗をかいたの間違いじゃないのか」
 クスリと笑いを洩らした滝沢の耳に、風呂好きの上司が勢いよく湯船に飛び込む音が聞こえた。



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破滅のロンド(11)

破滅のロンド(11)







 固く冷たい床に、薪は跪いていた。
 強張って自分の意志では解けない両手の間に、黒く重い金属の塊が不規則に振動している。いや、動いているのは自分の腕だ。腕だけではない、身体中が振動している。息もまともにできない。声も出せない。筋肉も内臓も自律神経すらも、自分の役割を忘れて勝手気ままに振る舞い出したかのようだ。
 目蓋は限界まで開かれて、乾いた薪の瞳は痛みを覚える。眼を閉じればこの悪夢は消えるかもしれない、そう思うのに薪はどうしても瞬くことができない。目の前の惨劇から、一瞬たりとて眼を離すことができないのだ。

「大丈夫ですか、室長」
 浅く短い呼吸を繰り返す薪の肩に、誰かの手が置かれた。この声は聞き覚えがある。あの夏、第九で命を絶った部下のひとりだ。
 振り返って確かめようとするのに、薪の首は動かない。壊れたからくり人形のように震える薪の横に、男の顔が回りこんでくる。と同時に、薪の視界に見覚えのある西陣織のネクタイが下りてきた。やはり彼だ。顔を見なくても分かる、彼の首に食い込んで彼の気管を押し潰したネクタイは、薪の私物だ。親友と一緒に買い求めて、とても大切にしていた。

「大丈夫ですか?」
 豊村は心配そうに尋ねた。彼は薪の体に触れることなく、前に顔を回してきた。身体のバランスがおかしいと薪は思った。こいつ、こんなにリーチがあったか。
 そうだ、豊村は首を吊ったのだった。だから首が長いのか。
 首吊り遺体の首は20センチから30センチくらい伸びる。さほどの身長差のなかった豊村でも、それだけ首が伸びればこの体勢は不可能では――。

「―― っ!!」
 舌が上顎にぴたりと張り付いて、呻き声も出なかった。薪の背後にいた男はオールバックの黒髪にスクエアな眼鏡。それは豊村ではなかった。
 どうして、と薪は叫んだ。声にはならなかったが、叫んだつもりだった。
 あり得ない、こんな光景はあり得ない。彼は死んでない。死んだのは豊村だ、この映像は間違っている。

「こんな物騒なもの、いつまでも持ってちゃだめですよ」
 別の声に呼ばれて下を見ると、薪の両手をこじ開けるようにして、男の手が拳銃を取り去った。彼の手は血にまみれていた。手から上を辿ると、胸にナイフが突き刺さっていた。
 その彼も、やはり上野ではなかった。第九の資料室で発見された時と同じように、上野が気に入っていたブランドのネクタイを締め、胸を血で真っ赤に染めていたが、顔は薪の恋人の顔だった。
 薪は絶望して、自分が撃ち殺した親友の亡骸を見た。彼はゆっくりと起き上がって、こちらに歩いてくるところだった。3人の死者は、まったく同じ顔をしていた。

 胸にナイフを刺した男が、彼にピストルを渡した。ピストルを渡された男は、薪に銃口を向けた。背後にいた男が、首に絡んだネクタイを外した。それを薪の首に巻き付けた。最後に胸を真っ赤に染めた男が、自分の胸からナイフを引き抜いた。その切っ先を薪の胸にあてた。
「大丈夫ですか?」
 3人の青木は、にっこりと微笑んだ。




*****




 ハッとして薪は眼を覚ました。恐々と周囲に眼を走らせると、室長室の自分の席だった。うたた寝して、悪い夢を見たらしい。
 首に触れると、じっとりと汗をかいていた。寒気がして身体が震えた。汗を流して着替えないと風邪を引く、シャワーを浴びようと考えた。今、悠長に寝込んでいる暇はない。
 バスルームへ行くため室長室を出ると、モニタールームにはまだ明かりが点いていた。時刻を確認すると、9時を回っている。急ぎの事件もないのに誰が残っていたのだったか、と頭の中で職員たちのシフト表をめくるまでもない。そもそも、彼が残るから自分も残ったのではないか。

「滝沢。まだ頑張ってるのか」
「ああ、もう少し。どうもこの新型のマウスは感度が良すぎて」
「感応レベルを下げることはできるが、それだと折角の解析速度を落としてしまうからな。できるだけ慣れる方向でやってみてくれ」
 仕事熱心な新人に労いの言葉をかけ、薪はバスルームへ向かった。驚いたことに、湯船には湯が張ってある。多分、これは青木の仕事だ。帰り際に「まだお帰りにならないんですか」と訊かれたから「滝沢の練習に付き合う」と答えた。泊まりになるかもしれないと考えて、用意して行ってくれたのだろう。

 お湯は清潔で温かで、それはそのまま彼の温もりのようだった。
 落ち込んでいると岡部から聞いた。訳も分からず遠ざけられて、普通の男ならとっくに逆ギレのするか他の女性に目先を向けるかするだろうに、青木ときたら。薪の言い付けをきちんと守って、仕事以外では近付いてこない。でもこうして、彼はいつも自分のことを考えてくれる。きっと今も。

 湯船に浸かり、しばし頭を空にする。滝沢が来て2週間、緊張続きだ。あの男の相手は本当に疲れる。でも仕方ない。見張っていないと、滝沢は何をするか分からない。まだ確証は掴んでいないが、6年前あの男は――――。

 滝沢のことを考えると、自然と部下たちの死に顔が浮かぶ。滝沢と再会して記憶が刺激されたのか、最近、彼らの夢をよく見るようになった。だが、今日のような夢は初めてだ。
 夢の内容を思い出すと、吐き気がした。
 薪は思わず自分の肩を抱き、湯船の中で身体を縮こめた。眼を閉じてくちびるをぎゅっと噛み、しっかりしろ、と自分を叱咤する。

 一番恐れていることを夢に見る、だから悪夢と言うのだろうが、そんなものは自分に自信が無い人間が見るものだ。この期に及んで、そんなことでどうする。第九と部下たちには傷一つ付けない、そう大言してこの計画を発動させたのは自分だ。後戻りはできない。だったら最後までやり抜くしかない。

 身体が温まると、気力も湧いてくる気がした。よし、と誰にも聞こえない決意表明をして、風呂から上がる。以前、薪の平均入浴時間は1時間だったが、滝沢のことが気になって長風呂を楽しめなくなってしまった。これが最大のストレスだな、と失笑交じりにドアを開けると、脱衣所にストレスの原因が待ち構えていた。

「何か質問でも?」





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破滅のロンド(10)



破滅のロンド(10)







 薪が単独で警察庁に赴いた日の午後、青木は初めて滝沢と二人きりで話す機会を得た。それは給湯室で、シンクに重なったコーヒーカップをいつものように青木が片付けている時のことだった。

「悪いな、先輩」
 自分が使い終えたカップをシンクに置き、滝沢は見下すような視線を青木にくれた。それはひどく挑発的な行為にも思えたが、青木は微笑んで彼のカップを手に取った。階級こそ同じだが、年齢、経験共に滝沢の方が上だ。第一、このくらいのことで逆立つほど青木の神経は細くない。

「滝沢さん。明日には忘れず、ご自分のカップを持ってきてくださいね」
 これまで何度も繰り返された説得を、青木は辛抱強く試みる。ああ、と滝沢は生返事をして、無表情に頷いた。
 そのまま執務室に戻るのかと思ったが、滝沢はそこに立ったまま、青木をじっと見ていた。職場でカップを洗う警視が珍しいのだろう、興味深げな視線だった。
「あの、何か?」
 滝沢にとっては自分の好奇心を満たすための行動に過ぎなくても、見られている青木の方は落ち着かない。それでなくとも狭い給湯室、早く出て行ってください、と言外に含ませて、青木は滝沢の方へと顔を向けた。

「ああ、すまない。昔の仲間によく似ていたものだから」
「……鈴木さん、ですか」
 洗い上げたカップを布巾で拭きながら、青木はその名前を口にした。薪の心に永久に住み着いた、今は亡き薪の親友。何年か前までは、寝ぼけた薪によく彼と間違われた。
「薪から聞いたのか」
「ええ、まあ」
「そうか。薪が自分から鈴木のことを話すとは……あいつはおまえを気に入ってるんだな」
「室長に対して、その呼称はどうかと思いますけど」
 1週間前に第九に来たばかりの滝沢に、自分がおまえ呼ばわりされたことより、彼が薪をあいつ呼ばわりしたことの方が百倍癇に障った。6年前、滝沢がどれだけ薪に重用されていたとしても、鈴木ほどではなかったはずだ。その鈴木でさえ、執務室では薪を室長と呼んで敬語を使っていたと薪本人から聞いたことがある。滝沢の馴れ馴れしさは、少し異常だ。

「室長には敬語を使えと?」
「それが当たり前だと思います」
「今さら敬語と言われてもなあ。薪も、気持ち悪がると思うぞ?」
「でも、親しき仲にも礼儀ありって」
「親しい仲にも色々ある。おれと薪は特別なんだ」
「どう特別なんですか?」
 滝沢の使った『特別』という言葉が、青木の心を乱した。明らかに色事を匂わせる表情で、滝沢は嘯いた。

「多分、おまえが考えている通りだ」
 青木は思わずカップを取り落した。ステンレス板の震える音が、手狭な部屋に木霊する。
「再会した晩に確かめ合ったんだ。あいつの身体はおれを忘れちゃいない」
「嘘です! 薪さんは浮気なんかしてないって、はっきりオレに」
「やっぱりおまえが今の薪の恋人か」
「あっ……」
 露呈した事実に、青木は真っ青になる。誰にも知られてはならないと、知られたら自分たちの関係はお終いだと、普段から何度も何度も念を押されて過ぎるほどに警戒していたのに。この話が滝沢の口から薪に伝わったら、本当に自分たちは終わる。

「た、滝沢さんっ!!」
 青木は必死で滝沢に手を合わせた。恥もプライドも、あったものではない。
「泣くなよ。誰にも言わないから」
「絶対、絶対にですよ? 手帳に懸けて誓ってくださいねっ」
「わかったわかった」

「あのお……それで、さっきの話ですけど」
「安心しろ、おれが薪を抱いてたのは昔の話だ。今は関係してない」
 昔の話とは言え、それも青木には納得がいかなかった。自分には鈴木がいるからと、薪はずっと青木の求愛を退けていたのだ。鈴木が死んだ後も彼に操を立てていた薪が、ましてや鈴木の存命中に、他の男と関係を持ったりするだろうか。
 否、鈴木には雪子がいた。彼の愛を得られない寂しさを埋めるために、他の人間を求めた夜もあったかも。
 青木が深刻な顔になると、滝沢は大仰に肩を竦めて、陽気な外国人のように両手を広げて見せた。

「そんなことでいちいち目くじら立ててたら、あいつの恋人なんかやってられないだろう。あいつに過去の男が何人いるか、知ってるのか? 関係してたのはおれだけじゃないぞ。ベッドの中のあいつは、そりゃあすごくって」
「滝沢さん」
 滝沢の不愉快な長舌を遮って、青木は冷静に言った。一時の激昂は、既に治まっていた。
「ヘンな噂、立てないでくださいね。此処にいるみんなには通じる冗談も、薪さんを知らない人は本気にしちゃうかもしれませんから」
 どことなく当てが外れたような顔をしている滝沢を残して、青木は給湯室を出た。自分の席に着き、仕事の続きに戻る。
 滝沢が後ろから、自分の様子を伺い見ているのが分かる。幾らでも見るがいい。自分は薪を信じる。信じられる。
 モニターを見つめる黒い瞳は、何かを固く決意したのかのように、強い光に満たされていた。



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破滅のロンド(9)

 昨日は久しぶりに、行きつけ(?)の動物園に行ってきました。
 でも、すっごく風が冷たくて~、いつもみたいに動物とアイコンタクトが取れるまで柵の前に居座っていられませんでした。 桜はとってもきれいでしたけど、寒くて上見るの大変だった~。
 もっと暖かくなったら、また行こうと思います。
 




破滅のロンド(9)






 警察庁官房室は中央合同庁舎の八階に位置している。地図上ではその敷地は科学警察研究所の敷地とほぼ隣接しているものの、実際に歩いてみると10分ほどの距離がある。研究所の門と警察庁の門が対極にあることと、敷地の広さに因るものだ。
 国民の税金を費やして造られた警察庁の前庭に、無駄に大きい噴水やら前衛的なオブジェやらを置くのはいかがなものかと、中園紳一は今日も考える。八階の窓から下方を見下ろしつつ、仕立ての良いスーツのポケットに両手を突っ込んで、彼は独り言のように言葉を窓ガラスに放った。

「報告書と銘打つには推測部分が多過ぎる気がするけど。それでもまあ、よく調べたね」
「逃げっぱなしじゃ、男が廃りますから」
 背後から部下の硬い声が聞こえて、中園はふうむと唸る。
 6年前、自分が逃げたという自覚があるわけだ。その通り、彼は逃げた。親友を撃ち殺した衝撃から、自分の世界に逃げ込んだ。事件からも周囲の人間からも逃げて、彼との思い出が残る第九に閉じこもったのだ。
 その彼が長い雌伏のときを経て、中園の元へ持ち込んだ報告書には、驚愕すべきことが書かれていた。正式なルートを使わずにこれだけのことを調べ上げた彼の苦労は、並大抵のものではなかったはずだ。その根性だけでも、例の事件が彼にとってどれほど重大なものだったかが察せられる。何を失っても悔いはない、そんな覚悟で挑んだのだろう。

 遠からずキツネは動きます、と薪は言った。
 対するこちらの選択肢は二つ。狐に老鶏を与えて森へ帰らせるか、捕縛するかだ。前者を選択した場合、こちらの被害は最小限に留められる。問題はもう一つの選択肢だ。
 かなり危険な賭けだと思った。しくじれば無傷では済まないどころか、鶏の代わりに自分が噛み殺される可能性もある。しかし、事が上手く運んだときの利益は計り知れない。

「中園さん」
 呼びかけられたが、中園は振り向かなかった。まだ心が決まっていない。この状態で彼に口説かれるのは避けたい。感情に流されて冷静な判断を欠く可能性がある。
「どうして僕なんだい」
 前庭を歩いている職員たちを無感動に眺めながら、中園は尋ねた。
「小野田に直接頼めよ。僕を飛び越したからって、別に拗ねたりしないよ」
 官房長の小野田は、薪を気に入っている。彼の頼みなら大抵のことは叶えてやるし、人事や監査の面にも気を配ってやっている。もちろん、権限は参事官の中園よりも格段に上だ。動かせる人間も部署も比較にならない。彼に頼ったほうが、薪の目的は確実に達成されると思うが。

「小野田さんに知れたら、止められるに決まってますから」
 なるほど。それはありうる、というか絶対に止めるだろう。薪の立てた計画は、あまりにも危険過ぎる。不都合なことにその危険は小野田が一番大事にしている人間一人に集中し、つまりそれは薪自身だ。いつ死んでもおかしくない状況に大事な跡継ぎを置き続ける計画など、小野田が率先して潰すだろう。
「それで僕に?」
「中園さんなら、小野田さんにバレないようにフォローを入れた上で、僕のお願いを聞いてくれるでしょう?」
 甘いマスクをして、でも中身には激辛の香辛料がまぶされている。生クリームに包まれたハバネロみたいな男だ。騙されて噛みついたら口の中が焼けただれる。

「さて、どうしようかな。キツネ狩りは楽しそうだけど」
「いいえ、キツネ狩りはこちらでします。中園さんにお願いしたいのは、キツネの巣穴を壊すことです。できれば森ごと」
 中園は思わず振り向いた。畑を荒らす性悪狐にお灸を据えるだけでなく森ごと巣穴を壊そうなんて、そんな大それたことを考えていたのか。一研究室の室長風情が、身の程知らずもここまでくると笑い話だ。

「どうにも物騒な森らしいので。武力行使もやむを得ないと考えています。そこで中園さんのお力を」
「無理だ。この報告書だけでは、森には入れない」
「キツネの住処がその森であるという確たる証拠を掴めば、動いていただけますか」
 未だ証拠はないが、いずれキツネは動く。そこで証拠を掴んでみせると薪は豪語した。証拠さえあれば不可能ではない。不可能ではないが、しかし。

「大変なことになるよ?」
「でしょうね」
「社会的影響とか、ちゃんと考えてる?」
「失業率が何パーセント跳ね上がるか、とかですか? それを考えるのは僕の仕事じゃありません」
 抜け抜けと薪は言う。
「僕には第九を守ることが最優先です」
 一時的な打撃は大きいかもしれないが結果的には社会の膿を出すことになる、巨悪を見逃すわけにはいかない―――― そんな説得の仕方はしてこない。薪は中園と言う男を理解している。
 誉れ高き社会正義を、中園は信じない。人は常に利を考えて動く。自分も彼も、中園がすべてを託した男でさえ。勿論、利を得る人間は必ずしも自己ではない。尽力の還元先を自分に限定したいなら、警察なんぞを職場には選ばない。職務のため仲間のため社会のため。最終的には、己が信じるもののため。

「相変わらず薪くんは自分勝手だねえ」
 中園が呆れた顔をすると、薪は憎らしくなるほど綺麗に微笑んだ。
「いいのかな、小野田の信頼を裏切るような真似をして」
「裏切るなんてとんでもない。この計画が成功を収めれば、小野田さんの天下が来ますよ。中園さんなら分かるでしょう?」
「成功すればね。でもしくじったら、小野田も僕も窓際の席で一生日向ぼっこだ」
「そんなことにはなりません。途中で僕が死んだら、この計画はその時点で打ち切ればいい。中園さんにお願いしたいのは最後の幕引きだけですから。お二人に害が及ぶことは無いはずです」
 中園にとって大切なのは小野田だ。薪程度の部下はいくらでも替えが利く、そう思っていることを薪は知っている。自分が中園にとってどの程度の人間なのか、しっかり見極めた上で彼は駆け引きを持ち掛けてきたのだ。

 しかし、と中園は思う。
 薪は、裏切りの意味を履き違えている。自分の身を危険に晒すこと、それこそが小野田に対する裏切りだと、あと何回小野田に心配で眠れない夜を過ごさせれば、この男は理解するのだろう。

「もともと小野田にも僕にも、関係のない案件だと思うけど」
「関係はありますよ。第九の青写真を描いたのは小野田さんですから」
 薪はソファから腰を上げ、中園の机の前に立つと、中園が一読して放り投げた報告書をきちんと揃え、持ってきたときと同じようにファイルに挟み直した。
「第九の醜聞は小野田官房長の足を引っ張る。そうでしょう?」
 整理ついでに、いい加減な角度で重なり合った他の書類をきれいに重ね直しながら、
「それに、中園さんには彼個人に対する恨みもあるんじゃないですか? 中園さんを海外に飛ばした人間は、彼が警察庁に忍ばせた手駒だったんでしょう?」
 薪の言葉に、中園は反射的に眉を顰める。
 そこまで調べたのか。まったく、侮れない男だ。

「小野田は君の何処を見て、『薪くんは純真で困る』とかほざくんだろうねえ?」
「僕は順応性が高い人間なんです。どんな相手にも自分を合わせられる」
 机の上で紙の束を整えながら、薪はしゃあしゃあと言ってのけた。
「小賢しい人間には小賢しい知恵で対抗しようと?」
「そんなことは言ってません。ただ、秘密裏に事を進めるのが上手いのは、小野田さんより中園さんだろうなって。盗撮がご趣味のようですし」
 3ヶ月ほど前のことを当てこすられて、中園は肩を竦めた。何のことはない、これは体のいい脅しだ。薪は自分に、謝罪代わりに協力しろと言っているのだ。

「薪くん」
「はい」
「僕がデータを残してないとでも思ってるの?」
 ばさささっ、と盛大な音を立てて、中園の机の書類が床に散らばった。唯一無事だったのは、薪が持ってきた黒いファイルだけだ。咄嗟に薪がそのファイルで自分の顔を隠したので、中園の机の上は電話以外何もなくなった。中園の執務机が勤務中にこんなに綺麗になったのは、海外勤務の辞令が下った時以来だ。

「な、中園さ……!」
「冗談。データなんか残ってないよ」
 ファイルと前髪の隙間から亜麻色の瞳を覗かせて、わずかに見える肌は真っ赤になって、それでも薪は強気に眉を吊り上げて、動揺を抑え込んだ。
 苦手な分野の揺さぶりにも屈しない。強い決意が彼本来の気質をカバーしている。
 中園がにやりと笑いかけると、薪はたった一度の短い呼吸で顔色を元に戻して見せ、黒いファイルを中園の机の右端に置いた。中園はそれを机下のボックスにしまい、電磁ロックを掛けた。

「ま、君がそれくらい大人になれるなら勝算はありそうだ。協力しよう。まずは僕のほうで裏付けを取るから、それまでは軽はずみな真似は慎むように。いいね」
 はい、としおらしく返事をするが、亜麻色の瞳は彼の負けん気を隠し切れていない。成り行き次第だ、と考えているのがバレバレだ。
 仕方がない、と中園はとっておきのアイテムを机から取り出す。それを見た薪の眼が、大きく見開かれた。

「これ、持って行きなさい」
「中園さん。いくら官房室付の主席参事官でも、これはちょっと」
 当然の反応を示す部下に、中園はなおも執拗に、
「そう言わず。特注品なんだよ」
「いえ、僕はこんなものは、ちょ、あぶなっ!」
 要らない、と首を振る部下の手に強引に握らせて無理矢理引き金を引かせると、彼は2,3度眼を瞬いてからニヤッと笑い、
「お借りしてよろしいのですか。不自由されるのでは?」
「大丈夫。もう一個持ってるから」
 薪は何処かしら楽しそうにそれを弄り回していたが、ふと視線を外し、右横の何もない空間を見やった。つややかな唇に、コンマ2秒で浮かぶ微かな笑い。何か考え付いたな、と中園は思う。

「中園さん。もう一つの方もお借りできませんか」
「こっちもかい? いいけど、なるべく早く返してね」
「ありがとうございます。有効に使わせていただきます」
 薪は、借り受けたものをポケットに落とし込むと、文句のつけようがないくらい美しく敬礼して退室した。彼を飲み込んだ後、穏やかに閉じられたドアに向かい、中園は唇を尖らせる。

「ったく、小野田が甘やかすから。片付けて行けよ」
 床に散らばった大量の書類を見下ろして、中園は忌々しそうに舌を打ち鳴らした。



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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

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毎日たくさんの拍手をありがとうございます。励まされてます。
おかげさまで、しづは元気で仕事してます。(10/28)
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