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キセキ(4)

 おはようございます。

 オットが『XDAY』を観に行くんだって朝っぱらから騒ぎ始めたので拉致られてきます。 男爵の続き書きたかったなー。 ←薄情な相棒ですみません。







キセキ(4)






 日本の首都である東京都は大都会のイメージが強いが、郊外に出ると実に多くの自然が残されている。中でも奥多摩町は、その面積の殆どが森林指定されている。車窓からの風景は森と山に埋め尽くされ、東京都と称するのが躊躇われるくらいだ。
 薪が住んでいる吉祥寺から車で約2時間、ここには薪の好きなものがたくさんある。風に揺れる草木の青々しい匂い、樹々の心地良いお喋り。繁った葉の間から時折顔を覗かせる愛らしい小動物。街中で機械に囲まれた生活を送っていると、そういったものが恋しくなる。そんな心理も手伝って、青木が運転する車での奥多摩ドライブは、薪の楽しい休日の過ごし方ベスト3に間違いなくランクインしている。
 はずだった。

 ドライブなんか大嫌いだ、と後部座席で身を捩りながら、薪は歯軋りする。車に乗って他人の眼が届かなくなったら口のガムテープは外してもらえたが、手首の戒めはそのままだ。運転している青木に飛び掛ったら事故になるから、というのがその理由だった。人をケモノ扱いしやがって。
 前の席でくつろいでいる青年の、白い横顔が青木に何事か話しかける。山中の砂利道でタイヤの音がうるさく、地獄耳の薪にも内容は聞き取れないが、軽い戯言であったらしい。青木がアハハと笑ったからだ。……なんかムカつく。

 穏やかに微笑む青年を睨みつけ、薪は唇を噛み締める。
 そこは僕の席だ。周りの景色が良く見える助手席は僕の指定席、立場から言ってダイニングテーブルの上席も僕の、いや、席順の問題じゃない。
 青木の隣は僕の席だ。
 ずっと一緒に生きて行こうって決めたんだから。並んで歩いて行こうって約束したんだから。なのに、どうして別の人間が青木の隣で笑っているのだろう。見た目がそっくりだからって、あんなに簡単に騙されるなんて。真偽の見分けも付かない愚かな恋人の後頭部に、踵落しを決めてやりたい。そうしたら青木も思い出してくれるかもしれない。
 青木、僕たちは知っているはずだ。
 言葉なんかなくても、言葉以外のもので通じ合う術を。何年も重ね合ってきた想いの層が、その不可能を可能にする。量りきれない想いと数えきれない思い出、それらを共有することで、自分たちは互いに唯一無二の存在になっていたはずだ。それなのに。

 憂慮の中で薪は、先刻の寸劇の中に落とされた衝撃の事実を思い出す。
 彼は、アリスのことを知っていた。名前も、彼女が妖怪を捕縛する方法を知っていることも。あれは青木と自分だけの秘密のはずなのに、どうして?
 アリスの名前が彼の口から出る前に、青木と彼がその話をするチャンスはなかった。あの時あの森の中で、彼はどこからか自分たちの様子を見ていたのか? もしかして、彼もまた妖怪の仲間で、変身能力を用いて薪の姿に化けているとか?
 しかしあの時青木は、妹妖怪の変化を簡単に見破った。匂いが違うとか胸がドキドキしないとか、薪にはとんと分からない理由で、でもとにかく青木は騙されなかったのだ。それが今回は自分から抱きついて、キスまで。完全に薪本人だと思い込んでいるのだ。
 この矛盾は、どう解釈すればいいのだろう。

「青木」
 青年の声に、車が停まる。辺りはうっそうと繁る木々の群れ、かなり深いところまで来ている。奥多摩は常緑樹が多いから冬でも枯れ山にはならない。が、寒さは一緒だ。運転席のパネルに表示された外気温は、3度と出ている。
「この辺りでいいんじゃないか」
 この辺りで、って、何言ってんだこいつ。まだランチには早いぞ。
「そいつ、下ろしてやれ」
「みゃっ!?」
 冷酷な亜麻色の瞳が振り返る。その視線から逃げるように、薪の身体は自然と後部座席の隅にいざった。

 摂氏3度の森に人間を置き去りにしたら、それは未必の故意だ、立派な殺人だぞ。タクシー運転手が泥酔した客を下ろしたらその客が川に落ちて死んで損害賠償払わされた判例もあるの、知らないのか?
「ほら、近くに川も流れている。餌には不自由しないだろう」
 12月の川に入って魚を獲れと? どこの無人島生活だ、カメラは何処にあるんだ?
 なんてボケをかましている場合じゃない。こんなところで車から降ろされたら、半日も経たずに凍死体になる。
 そんな残酷なこと、青木はしないよな? と運転席を見やると、彼はにっこりと微笑んで、
「そうですね」
「みゃー!!」
 ヒトデナシ、と叫んだつもりが車中に響くのはネコの鳴き声。なんて緊迫感のない。

 青木の強い腕に抱えられ、薪は車から降ろされた。瞬く間に身体が冷えて、白い頬が青ざめる。それも当たり前、薪の格好は青木のシャツ一枚。ほぼ裸に近いのだ。
 冷えも強敵だけど、それより深刻なのは足だ。裸足で砂利の上に立つなんて、なんの拷問だ、なんでも喋るから許してくれって今はネコ語しか喋れないけどなっ。

「これ、あげるから。元気でね」
 青木はトランクから毛布を出して、薪に被せてくれた。毛布に包まれた薪は、車中ではピンク色だったくちびるを痛々しい葡萄色に変えて、悲しそうに青木を見つめた。
 最愛の恋人にまで裏切られて、薪はすっかり気落ちしていた。手首の戒めを解いてもらう為に後ろを向いた彼の背中は、まるで本物の猫のように丸まっていた。
「ああ、痕になっちゃった。ごめんね」

 するりと解けた緑色のリボンが道に落ちた瞬間、薪は身を翻した。ぴょんと飛び上がって、青木の首にぶら下がる。落下の危険を感じて回された青木の腕を支えに、彼の太い首を両腕で、胴体を脚で抱き、顔をぐっと近づける。
 しっかりと見つめる、青木の瞳。何度も何度もこの眼に見つめられた、彼の眼に刻んだ自分の顔を、彼が愛した亜麻色の瞳を、長い睫毛を小さな鼻をつややかなくちびるを。心を込めて、彼にもう一度差し出した。
 お願いだから受け取って。

「薪、さん……?」
 寒さに震える薪のくちびるが、青木のそれに触れ合わんばかりに近付いて、刹那。
 ゴン! と青木の額が大きな音を立てた。
『このあほんだら! 眼を覚ませッ!』
「あ痛ぁ! 薪さん、ひどいですよ、オレいま両腕使えないのに」
 薪の頭突きが決まって、青木は泣き声を上げた。やっといつもの調子が出てきた、やっぱり奴隷にはアメよりムチだ。

「青木。僕はこっちだ」
 車のドアを閉める音と共に、些少の不満を含んだ声が聞こえた。薪のよそ行きの革靴に砂利で小傷を付けながら、彼はこちらに歩いてきた。
「僕とそのバケモノを混同するなんて。それでもおまえは僕の恋人なのか」
「す、すみません、薪さん。でもこの仔、本当に薪さんに似てて……それに」
 叱責の言葉に、青木は少しだけ怯んだが、直ぐに体勢を立て直した。それから、薪がどうしても逆らえなくなる真っ直ぐな眼をして、
「この仔、ここに置いて行って大丈夫なんでしょうか。すごく寒そうに震えてるし、ちょっと裸足で立っただけで足の裏が擦り剥けてるし。こんなひ弱な仔がこの環境で生きられるとは、オレには思えません」
 恋人の意向に逆らいながら、青木は薪の身体を爪先まですっぽりと毛布でくるみ、傷ついた足を庇うように抱き上げてくれた。それから、氷のように冷たくなった足を擦って温め、トランクに常備してある薪のスポーツソックスとスニーカーを履かせてくれた。青木の手はやさしかった。大切なものを扱う手つきだった。

「それで。おまえはどうしたいんだ?」
「オレのアパートで」
 言いかけて、青木は言葉を止めた。理由は薪にも直ぐに分かった、青木のアパートはペット禁止だ。
「冬の間だけでも、薪さんの家に置いてもらえませんか? 世話はオレがしますから」
「……仕方ないな」
 亜麻色の髪の青年は、はあ、と溜息を吐き、薪が青木のバカさ加減に呆れた時にするように、細い肩を竦めた。よかったね、と笑いかける青木を見上げて薪が頬を緩めた、次の瞬間。薪は、強い力で青木の腕から地面に突き落とされた。

「貸せ。僕が捨ててくる」
「薪さん」
「少しは僕の気持ちも考えてくれ、青木。我慢できないんだ。自分そっくりに化けたキツネなんか、不愉快極まりない」
 偽者に腕を掴まれて、座ったまま引きずられた。薪は必死に抵抗したが、彼の力は圧倒的だった。鋭い砂利の角が、薪の剥き出しの下半身に傷を作る。その痛みに薪は呻いた。
 青木、助けて、と薪は何度も叫んだが、辺りに響くのはもはや聞き慣れたネコの鳴き声で、さすれば彼に伝わる道理がない。青木は困った顔で薪を見ていたが、ついに痛ましそうに眼を逸らした。青木はいつでも薪の命令には絶対服従で、その姿勢が乱れたことはない。彼の忠誠を薪は甘受していたが、立場が違えばそれは脅威になるのだ。

「おまえはここにいろ。こいつは狡猾だ。おまえの甘さを見抜いているんだ」
 着いてくることも止められて、青木はその場に立ち竦む。彼の姿がどんどん遠くなる、離れていく、見えなくなってしまう。堪らなくなって薪は叫んだ。
『青木!』
 ミャオウゥ、と言う悲しげな声が、青木の耳に細く響いた。





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ジャンル : 小説・文学

キセキ(3)

 こんにちは!

 今週末は天気が荒れるそうですね~。
 台風並みの警戒が必要とか、とりあえず、庭に干しっぱなしの漬物樽は倉庫に片付けておきます。 みなさんも注意なさってくださいね。


 私信です。

 Aさま。
 わたし、この辺はまだギャグのつもりで書いてたんですけど、すでに切ないですか? まあ実際、この後ものすごいドS展開になっ……Aさま、ファイト!




キセキ(3)





 絶望的な気分でキッチンの入り口に突っ立ったままの薪に、気遣いを見せたのは意外や意外、薪の偽者であった。
「青木。あいつにも何か食べさせてやったらどうだ。腹、空かしてるんじゃないのか」
「薪さん……」
 青木のことだから、恋人に遠慮していたのだと思う。青木は最初から皿の端にオムレツの一部分と野菜サラダを取り分けていたから。彼がいなくなってから、こっそり薪に食べさせてくれるつもりだったに違いない。その気持ちを分かってもらえたことが嬉しいのだろう、青木の黒い瞳はキラキラと輝いて、だから薪の心はいっそうジリジリする。そんな顔、僕以外の人間に見せるな、バカ。

 ケモノと化した薪の手を青木はやさしく握り、自分の隣の席に座らせた。薪が顔を上げると、向かいの席で自分の偽者が澄ました顔でコーヒーを飲んでいる。薪の椅子で薪のお気に入りのカップで、青木が淹れたコーヒーを、当然の顔をして味わっている。そのいけ好かない顔、この爪で引き裂いてやりたい。
「ね? オレが言ったとおり、薪さんはやさしいでしょ?」
 青木の自慢げな言い方も、薪の神経を逆撫でする。その苛立ちは、目の前に置かれた白い液体を見た瞬間、頂点に達した。
『僕が牛乳キライだって、何度言ったら分かるんだッ!』

 みゃッ! という鳴き声と共に、小鉢に入った牛乳が床に落ちた。ガチャン、と耳障りな音を立てて、美しい木目が白く汚れる。
「こらっ!」と声を荒げた青木を、射殺すような瞳で睨み上げてやる。彼が思わず身を引いたのを見て、薪は自分の失敗に気付いた。
 青木は敵じゃない。偽者の正体を暴くための、大事な相棒だ。彼の信用を失うような行動を取るなど、頭の良いやり方ではない。言葉以外の方法で青木に自分が本物の薪剛であることを悟らせるには、青木の気持ちを開かせることが重要だ。落ち着いて、穏やかに、理性的に……。

「よせ。彼が悪いんじゃない、躾をされていないだけだ。怒るヒマがあったら床を拭け。シミになるだろ」
「もう。本当に薪さんは、動物には甘いんだから」
 青木はむくれたように言ったけれど、本音では嬉しいのだ。薪がやさしい人だと、知ることで相手をもっと好きになる、心が躍り出す。休日の朝に、こんな浮かれ気分を形にしないなんて、それは青木のポリシーに反する。青木は手早く床の掃除を済ませると、薪の向かいに座ってコーヒーを飲んでいる美貌を後ろから抱きしめた。
 自分の前に回された腕を軽く抱き返して、偽者は嫣然と微笑む。優越に満ちた視線を薪にくれた、亜麻色の瞳が言っている、『ザマアミロ』。
 ブチブチブチッと音がして、側頭部の血管が一気に3本ほど切れた、その音を確かに聞いたと薪は思った。

「オレにもやさしくしてくださいよ」
「いつもやさしくしてやってるだろ? ベッドの中で。昨夜もあんなに」
 だからその青木回しの手管、どこで覚えてきたんだっ!
 いや、落ち着け、これは相手の作戦だ。薪の心を乱して、薪を自滅に誘い込んでいるのだ。ここで怒りのままに薪が暴れたら、青木は自分を敵と見做すだろう。その手に乗るものか。薪は冷静が売りの警察官僚。理性だ、理性を働かせるのだ。

「今夜も、やさしくしてくれるんですよね?」
 青木は腕に抱いた恋人の小さな顎を二本の指で上向かせ、彼と眼を合わせた。二人の間、何もないはずの空間にある種のエネルギーを感じる。べったべたに甘くて見ているだけで胸が悪くなる、この皿投げつけてやりたい、いやいや、それをしたら相手の思うつぼだ、ここは我慢だ、ありったけの理性で対抗し、あ、こら青木、何するつもりだ、背中を丸めて彼に覆いかぶさって、そんなに顔を近付けたら唇がくっついちゃうじゃないか、テーブル引っくり返してやりたい、いやいやいや、理性理性理性理性理性理性…………。

「それはおまえ次第……つっ!」
「薪さん! 大丈夫ですか?」
 二人の唇が触れ合う寸前、気が付いたらテーブルを飛び越して、偽者に掴みかかっていた。薪が猫爪で引っ掻いた彼の腕からは赤い血が滲んで、それは彼が人間であることの証。
「何てことを」
 恋人を傷つけられて憤った青木には、さっきまでの優しさはなかった。強い力で床に組み敷かれ、腕の関節を無理な方向に曲げられる。痛みに涙が出た。
「薪さんに謝りなさい!」
「みぎゃんみぎゃんみぎゃんっ!!」
 それは僕じゃないそれは僕じゃないそれは僕じゃない! なんで分からないんだ、青木のバカ!

 理性理性と繰り返していたら言葉が引っくり返って、ついでに薪の心も引っくり返った。
 青木に戒められた腕が痛くて、困ったような顔をしながらも瞳の奥で嗤っている偽者の顔が憎らしくて、ぼろぼろ涙がこぼれた。ちくしょう、バカヤロウ、と毒づいているつもりが、薪の口から発せられるのは「みゃーん」という弱々しい猫の鳴き声。
「青木、放してやれ」
「でもまた飛びかかってきたら」
「大丈夫だ。今度は僕も警戒してるから」
 薪の言うことはちっとも聞いてくれなかった青木は、彼の命令には嫌になるくらい素直だった。背中に載せられた青木の膝の重みが消え、涙を拭いながら起き上る薪を厳しい目線で牽制し、でも偽者には優しく微笑んで「傷の手当てをしましょうね」と救急箱を取りに行く。

 ダイニングには、偽者と薪の二人が残された。異様な緊迫感が居室を包む。『おまえは何者だ』と尋ねる薪の言葉を理解しているのかいないのか、相手は素知らぬ振りでコーヒーカップを持ち上げ、
「よくこんな不味いものが食えるな、おまえら」
 空いた方の腕を伸ばしてワイパーのように動かし、彼はテーブルに載った皿を全部床に落とした。瀬戸物の割れる音が、幾重にも重なる。
「何とか飲めるのは、こいつだけだ」
 次々と床に落ちる料理に、薪は呆然としていた。薪の眼から見ても、彼が作ったオムレツは見事な出来だった。青木が美味そうに食べていたから味も良かったと思われるのに、不味くて食べられないと彼は言う。もしかして、ものすごい金持ちで庶民の食事は口に合わないとか? そんなセレブが自分で料理をするだろうか。それに、彼がセレブであろうとなかろうと、薪に成り代わった理由の説明にはならない。

「あっ。またこんなことして!」
 後ろから怒鳴られて、薪はびっくりして振り返った。青木が険しい顔つきで立っている。
 しめた、青木にとって薪の料理は宝石と同価値だ。いかに青木が恋人に甘くても、それを台無しにされたら黙ってはいない。それに、本物の薪ならこんなことはしないと気付いてくれるはず、と明るい予想が浮かんだのも束の間。
「薪さんが一生懸命作ってくれたのに。悪ふざけもいい加減にしなさい!」
「みぎゃーっっ!!」
 僕がやったんじゃない!
 お約束過ぎて涙も出ない。薪は怒声と共に青木の脛を蹴り飛ばし、青木が痛みに跳ね上がった隙にリビングに走り込んだ。

「待ちなさい!」
「青木、違うんだ。これは彼の仕業じゃない。僕がやったんだ」
 偽者の自白に、薪は足を止める。ドアのないキッチンの入り口からそうっと中を伺うと、偽者は申し訳なさそうに項垂れていた。彼にも一片の良心とやらが残っていたと見える。
「その、手が滑って」
「薪さん」
 青木の訝しげな呼びかけは当然のことだ。白々しい言い訳だ。小皿一枚残さずに落としておいて、滑ったで済ませるつもりか。青木は警視、しかもエリート第九の捜査官だ。どれだけ恋人に心を奪われていても、彼の捜査官としての眼は、
「この仔を庇ってるんですね?」
 濁り過ぎ!! 青木、僕への愛に目が眩み過ぎだっ!
「違う。本当に僕がやったんだ」
「薪さん、なんてやさしい……惚れ直しちゃいますっ」
 青木のバカ――ッ!!! 
 もうどんだけ僕のこと好きなんだっ、ちょっとうれしい、けどそいつは僕じゃないから離れろ抱きしめるなキスは許さん!

 再び二人の間に割って入って、薪は髪の毛を逆立てる。フーフーと息を荒くする薪を、偽者はバカにしきった目つきで見下し、
「こいつ、僕たちにヤキモチ妬いてるみたいだ」
「ネコにヤキモチ妬かれるほど、オレたちラブラブってことですかね?」 
 腹立つ!! めっちゃ腹立つ!!
 いっそのことネコじゃなくてライオンにでもなればよかった、そうしたらこいつら二人まとめて八つ裂きにしてやったのに、と、どんどん危険思想に傾いて行く薪に、もはや青木の信用を回復する術はなく。青木もまた、一刻も早く闖入者を追っ払って恋人との甘い時間に浸りたいとの思いから、薪の身体を再び拘束する。阿吽の呼吸で偽者が差し出した紐で、手足を縛られた。皮肉なことにそれは昨夜、青木が買ってきた花束についていた緑色のリボン。

「じゃあ、今日は郊外の森へドライブってことで」
 上機嫌で自分を抱え上げる青木の腕に、噛みついてやろうとしたら口にガムテープを張られた。偽者の用意周到さには恐れ入る。敵ながらあっぱれだ。
 荷物のように駐車場まで運ばれ、車の後部座席に転がされた。青木のシャツ一枚という格好のまま、ていうか僕パンツ穿いてないんだけど!! これで外出って、ある意味犯罪じゃない!?

「あ、薪さん、ダメですよ。そんな薄着で」
 気付いてくれた、と思ったが違った。青木が気遣ったのは、助手席の恋人のことだった。彼は部屋着のままで、防寒具らしきものは何も手にしていなかった。
「部屋に戻るのは面倒だ」
「オレが取ってきて差し上げます。どの上着にしますか?」
「任せる」
 僕の下着も持ってきてくれ、とガムテープの下から叫ぶが、当然声にならない。青木はさっさと車を降りて、足取りも軽く部屋へと走って行った。
 2分も経たないうちに息を弾ませながら戻ってきた彼が手にしていたのは、白いダッフルコート。白い服は少しでも汚れると着られなくなるからあまり経済的ではないと思うのだが、青木に選ばせると必ず白っぽい方に軍配が上がる。彼の中で薪のイメージは白なのだそうだ。

「帰りに何か、美味しいものでも食べましょうね」
「そうだな。寒いから煮込みうどんとかいいな」
 そうして彼に向けられた気配りの十分の一も薪には与えられず。青木のシャツ一枚と言う格好で、暖房の効きの悪い後部座席に追いやられ。誘拐事件の被害者のように手足も口も封じられて、薪に許された抵抗はたった一つ、ただただ凶悪な瞳で、楽しそうに喋る前席の二人を睨みつけるだけだった。




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キセキ(2)

キセキ(2)





「あれ? 薪さんが二人?」
 薪と同じ顔をしたその人物は、薪が昨夜着ていたシャツの上に薪のエプロンをして、薪のズボンを穿き薪のスリッパで歩いていた。薪と同じアルトの声で、薪そっくりの居丈高な口調で、
「おまえ、どこに眼を付けてるんだ。どう見てもそれはネコだろ」
 と、薪を指差したからたまらない。根性で抑えたはずの薪のパニックはぶり返すだけでは収まらず、K点を超えて今や地球の引力を振り切りそうな勢いだ。

 息を飲み過ぎたせいで過呼吸寸前の薪に、青木は無慈悲にも背を向けて立ち上がり、薪の顔をした男の方へと歩いて行った。薪も後を追う。下着を付けていないから下半身がスースーして気持ち悪かったが、今は仕方ない。
 クローゼットからリビングに移動しながら、薪にそっくりの男と青木は話し始めた。
「オレの眼には、人間の身体に尻尾と耳が生えてるようにしか見えませんけど。てか、こちらは薪さんの御親戚か何かですか?」
「僕の親戚は現在東京都内にはいない」
 その通り、関東在住の薪の親戚は母方の叔母夫婦だけだが、彼らは現在アメリカにいる。そのことを彼は何故知っているのか、いやいや、ハッタリが偶然当たっただけだ。

「それ以前の問題として、僕の親戚にネコはいない」
「この子、猫と言うよりは狐に近い気がしますけど」
「なるほど、キツネか。妖術で人間に化けたわけだな」
 彼らの間で自分が人間として扱われていないことが、薪のプライドをいたく刺激する。が、鏡を覗けばすべからく無理もない。薪自身、このフォルムを人間のカテゴリに入れてよいものか、大いに悩むところだ。

「つまり、狐狸妖怪の類と言うわけか。妖怪のことならアリスちゃんの出番だな」
 男の口から「アリス」という聞き覚えのある女の子の名前が出て、薪は仰天した。あのことは、誰にも喋っていない。意識的に秘密にしたわけではなく、言っても信じてもらえないだろうという理由から誰にも話さなかったに過ぎないが、それでも彼女のことは青木と自分しか知らないはずだ。

 驚愕する薪を他所に、彼はズボンのポケットから薪の携帯電話を取り出した。慣れた手つきでタッチパネルを操作し、電話を掛ける。
 人のものを勝手に、と激昂した薪は彼に掴みかかったが、優秀なボディガードに取り押さえられた。薪の胴体を片手で拘束し、青木は会話に戻る。
「いつの間に彼女の携帯の番号を? あ、いたっ」
 爪を立てないで、と懇願されて、薪は自分に起きた次の変化に気付く。さっきまでは人間のものだったはずの手が、動物のそれに変化している。尖った固い爪と、掌には4つの肉球。
 やはり、この症状は進むのだ。驚愕と恐怖に震える薪の耳に、冷酷なアルトの声が響いた。

「そんなの知るわけないだろ。この世界のアリスちゃんと言えば、保健所に決まってる」
 どきん、と薪の心臓が跳ね上がった。野良犬扱いされて大人しくしている薪ではないが、今のこの姿では。
「ちょっと待ってください。保健所に渡したら、処分されちゃいますよ」
「仕方ないだろ。僕たちの勤務状態では動物を飼うことは不可能だし、飼い主を探すって言ってもこんな妖怪みたいな生き物。引き取り手があるとは思えない」
「でも、殺すのは可哀想です。今日は休みだし、車で郊外の森に連れて行ってあげましょうよ」
「自然に返す、ということか。……でも、そいつは納得しないみたいだぞ?」
 薪は必死で青木の腕に縋りつき、いやいやと首を振った。保健所でも森の中でも、結果は同じだ。薬で殺されるか凍え死ぬかの違いで、どちらにせよ生きてはいられない。
 板ばさみになって青木は、しかし彼が従う相手は決まっていた。恋人であり上司であり、命を懸けて守るべき相手の言葉に、彼が逆らえるわけがなかった。

「お願いです、薪さん。少しだけ猶予をください。オレが言い聞かせますから」
 青木が頼むと、彼は薪がいつもするように、大きな亜麻色の瞳でじっと恋人の眼を見た。それから華奢な肩を竦めて、
「おまえも僕も2ヶ月ぶりの休みなんだからな。間違っても明日の仕事に差し支えるような真似はするなよ」
 恋人の優しさに感動しつつも、その気持ちを億尾にも出さない。それはいかにも薪らしい、と言うよりは薪にしかあり得ないセリフ回しだった。薪が彼の立場だったら一字一句違わぬことを言ったに違いない、と本人が思うほどに。彼は完璧な『薪剛』だった。

「大丈夫だよ。あんなこと言ってるけど、薪さんは本当は優しい人だから。きみに危害を加える気なんてないんだよ」
 いや、それはどうだろう。動物には甘いけど、人間と妖怪には厳しいぞ?
 恋人の許可を得て、薪に笑顔を向けてくれた青木に、薪は心の中で言い返す。リビングの床に腰を下ろして青木は、子猫を抱くように薪を膝の上に載せた。
「いいかい。きみは大自然の中で生まれたんだ。だから、自然の中でのびのび暮らすのがきみの幸せなんだよ」
『僕が生まれたのは青山のN病院だ。人類の祖と言う観点で語るならおまえの言うことも間違いではないが、幸福の概念は人それぞれ。おまえに決め付けられる謂われはない』
「はい薪さん、すみません、て違う違う……きみの気持ちも分からなくはないよ。確かにきみはちょっと変わってるみたいだから。でもね、ここに居たら人々の好奇の目に晒されて、下手したら実験動物にされちゃうかも」
『そんな事態を防ぐ為におまえがいるんだろうが。何のためのボディガードだ、自分の責務を果たせ』
「すみません薪さん、申し訳ありません。っ、じゃなくて!」

 いかんいかん、と首を振り、青木は苦い顔をした。薪の顔を視界から外すようにふいっと横を向き、ぶつぶつと口の中で呟く。
「あー、どうもやりにくいな。薪さんの顔見ると自動的に奴隷モードに入っちゃって。責められるような顔されると、反射的に謝罪体勢に」
『本当のご主人さまが見抜けなくて何が奴隷だ。顔洗って出直せ』
「きみ、本来の姿に戻ってくれない?」
『戻れるもんならとっくにやってる!』
「それが無理なら、せめて他の人間に化けるとか。頼むから、薪さんの姿に化けるのはやめてくれないか」
『だから、あっちが僕に化けてるんだってば!!』
 薪は必死に訴えたが、聞こえてくるのは「ニャーニャー」という猫そっくりの鳴き声だ。声帯も変化してしまったらしい。当然、青木の耳にも同じように聞こえているだろう。

 このままでは埒が明かない。音声がダメなら筆談だ、と思いつき、薪は自分の仕事机に突進した。引き出しを開け、ペンを探す。メモ用紙に字を書こうとして、
 ……この手ではペンが持てない……。
 しかし薪は諦めなかった。字が書けなくても、人間には文明の利器がある。パソコンの電源を入れ、ワード画面を出して、
 ああっ、肉球が邪魔でキーボードが打てないっ!!
「みぎゃーっ!!」
 ヒステリーを起こした薪が上げた不満の叫びは、ネコの雄叫びそのものだった。

「だめだめ、そこは薪さんが仕事に使うところだから。悪戯したら怒られるぞ」
 それこそネコの子を摘み上げるように、青木は薪の身体をひょいと持ち上げ、デスクから遠ざけた。未だ変化の訪れない二本の足が、バタバタと空を泳ぐ。
 音声もダメ、筆談もダメ、出てくるのは猫の鳴き声だけ。この状態で自分が本物であることを証明するのは限りなく不可能に近い。
 薪がガックリと肩を落とすと、楽しげに笑う声が聞こえた。声の方向を見やれば、可笑しくてたまらないとばかりに身体を二つに折って笑い転げる自分の姿。
 なんて性格の悪い、さすが僕だ、ってなんで自分に笑われなきゃいけないんだ!

「薪さん、すみません」
「いや、動物相手に怒っても仕方ない。でも、これで飼えないことはハッキリしただろ。早く捨てて来い」
 さらりと最終通告を放って、薪の偽者は踵を返した。オムレツが冷めるぞ、と、聞けば青木は薪を放り出し、尻尾を振って彼に着いて行く。意地汚いやつめ、エサに釣られやがって。でもお腹は空いた。キッチンから漂ってくる美味しそうな匂いは、青木じゃなくても引き寄せられる。

「青木」と偽者はキッチンの入り口で立ち止まり、薪の恋人の名前を呼んだ。はい、と彼を見る青木に、先刻までの冷たい態度を一変させて甘く微笑む。
「二ヶ月ぶりの休日だ。帰ったら、二人きりでゆっくりしよう」
 こ、こいつ、いつの間に青木の扱い方を……!
「夜も。楽しみにしてるから」
「はいっ!!!」
 しかも僕より上手い?!

 ほくほく顔で朝食を頬張る青木の眼には、もう彼しか映っていなかった。それは薪がどんなに青木に愛されているかの証明ではあったけれど、この状況に於いては慰めにもならない。元に戻れる保証が無いのだ。




*****

「アリスちゃん」というのは、2066.2『秘密の森のアリス』に出てくる女の子の名前です。
 興味のある方はカテゴリからどうぞ。(^^

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キセキ(1)

 こんにちは。
 今日から公開しますこちらのお話、予告してから1ヶ月も経ってしまいました。 誠にすみませんです。


 お話を書いたきっかけとかって個人的なことなので、普段は説明しないのですけど、今回はちょっと事情があるので書かせていただきます。 

 このお話は、「ひみつの225」のにに子さんの「なんか生えた」という記事のコマ漫画に感銘を受けて書きました。 12月初旬のことです。

 にに子さんの記事はこちら→ 「なんか生えた」 (クリックすると飛べます) 

 みなさんもご覧になったと思うのですけど、あの続き、とっても気になりますよね。
 考え出したら妄想が止まらなくなってしまって~。 こうなったら(わたし的に)面白い、ああなったら(わたしだけが)面白い、という具合に、この手が勝手に動き始めてしまって。
 人様のネタ、それも未完なのに、これは反則だわ、と思いつつも誘惑に負けて書いてしまいました。 反省してます。 素材が秀逸過ぎるのがいけないんだと思います。 ←反省する振りして人のせい。
 
 単純に、薪さんに猫耳と尻尾が生えただけなら、こんな話を書きたいとは思わない。
 わたしが何に感銘を受けたのか、どういうことをテーマに書きたいのかをお話しましたら、にに子さんは、わたしがお話を書くことを快く許してくださいました。 どうもありがとうございました。 とっても感謝してます。
 公開のことも、おそるおそる申し出ましたら、「最初からそのつもりでしたよ~」とアッサリお許しいただきまして、本当に、
 にに子さんはリアル青木さん。 (わたしの中では「青木さん=天使」なんです)

 ドSのわたしが書いたので、にに子さんの描かれた「かわいい猫耳薪さんと青木さんが仲良くお昼寝してるサンクチュアリ」とは掛け離れた内容になってしまいました。 にに子さんファンの方には深くお詫び申し上げます。
 一応これ、原案者であるにに子さんに(勝手に送りつけて)読んでもらって、その上でお許しを得ていますので、どうか穏便にお願いします。 誓って言いますが、脅してません。 ←疑われてる気がする。


 それと、こちら、7万ヒットの御礼SSにさせていただきます。
 せめて7万台に公開しないとお礼にならない気もしますが、ていうか、そもそもこの話、ドS展開過ぎてお礼になるのかどうか怪しいんですけど、
 そうか、お礼SSにするからダメなんだ。 記念SSにしよう。 それなら間違ってないはず。 ←人として間違ってる。

 7万のキリ番リクエストくださったIさま。 大変お待たせいたしました。 
「岡部さんにヤキモチを妬く青木さん」 
 お応えできてるかどうか微妙なのですけど、これでカンベンして下さい。(^^;


 前置き長くてすみませんー。
 お話も長いですー。 79Pあるー。 次のメロディ発売までに公開終るかなー。
 開始する前から無理っぽいのですけど、どうか、のんびりお付き合いください。





キセキ(1)





 腰が重い。

 薪がその日、目覚めて一番に感じた違和感がそれだった。
 それは彼にとって、さほど珍しいことでも意外なことでもない。隣で眠っている男の存在を確認すれば不快の原因は嫌になるくらい明白で、相手も自分も服を着ていないことに気付けば身体のだるさも納得するしかない。さらには、彼の寝顔が眼に入っただけで自分の胸がきゅうんとひしゃげるのを感じれば、この疲労は彼の単独犯行ではなく、自分にも相応の原因があったものと思い知らされてしまう。

 今日は日曜日で、青木は当然のように薪のベッドにいる。
 半年ほど前、隣に横たわった長身の男は薪の家に自由に泊まる権利を獲得し、つい2ヶ月ほど前には部屋の合鍵まで手に入れた。
 失くしたとばかり思っていたマンション契約の変更書類を何故か直属の上司から手渡され、首を傾げながら内容を確認すると、そこには保証人になってくれた恩人の認印。「余計なこと言って怒らせないでね」と中園に忠告を受けたから、小野田にはそのことに対する礼は述べず、代わりに彼の好物の茶巾寿司を作って渡した。ありがとう、と尊敬する上司は微笑んだ。いつもと同じ、温かい笑顔だった。
 それに勢いを得て、青木の網膜認証登録を追加してくれるようマンションの管理人に頼んだのが2ヶ月前。それから青木は自由に薪の家に入れるようになった。
 ここまでくれば、後は本人の承諾を得るだけ。青木が薪の申し出を受け入れるであろうことは容易に想像がついて、しかし。
 いざとなったら、怖くなった。

 彼と一緒に暮らすということは、事実上、彼が此処に住むということだ。住所変更の事務手続きや引っ越しは面倒だが、憂慮するほどではない。問題は、職場と彼の家族への通知だ。
 男二人がこの年で一緒に暮らすって、どう考えても普通じゃない。薪が皆の立場だとしてもある種の疑念を抱くだろう、て、事実だからしょうがないんだけど。
 世間一般の人々に何を言われようとかまわない、と最近薪はやっと思えるようになって、でもそれが近しい人たちとなれば話は別だ。青木の家族にだって、なんと説明したらよいものか。
 彼と一緒に暮らしたいと言う気持ちは募るばかりだが、やっぱり実現するのは簡単ではない。下手をしたら職を失うことになるかもしれないし、青木に到っては親に勘当されるかも。
 そんなことになるくらいだったら、今のままでいい。今だって、十分過ぎるくらいに幸せなのだ。欲をかいて、今の幸せを壊したくない。

 ため息と共に、うつ伏せた上半身を起こす。腕を伸ばして背中を反らせた時、薪は気付いた。これは、珍しい。
 薪の寝相は基本的に仰向け、それも自己中で我が儘な性格を写したような大の字だ。うつ伏せのまま寝入ってしまっても、大抵は眠っているうちに仰向けになっている。こんな縮こまった姿勢で目覚めることはあまりない。
 寝返りも打てないほど疲弊したのか、と薪はその現実にもう一度ため息を吐く。正直な話、一回りも年下の男の相手は体力的に厳しくて。張りつめた糸が切れるように、行為が終わると途端に眠くなってしまう。昨夜もそうだったし、その前もだ。青木の方が先に寝入ってしまうなんてことは、まずない。12歳の年の差は超えがたい。
 同じ理由で目覚めが早い薪は、休日の朝は青木よりも先に起きて朝食の準備をするのが常だ。その日も普段の休日と何ら変わりなく、一日は始まるはずだった。
 ところが。

 立ってみて、薪は驚いた。なんだかやけに腰が重いのだ。それも後ろに引かれるような感覚があって、バランスが上手く取れない。
 訝しく思いながらも、裸のままでは寒いので床に落ちていた青木のシャツを着た。自分のシャツもどこかにあるはずだが、見当たらなかった。いつかのように、青木の下敷きになっているのかもしれない。
 彼のシャツを着てみたら、またもや不思議だった。膝近くまで来るはずの3Lサイズのシャツの裾が、太腿の中間にあるのだ。一夜にして背が伸びたのかと踊りだしたい気分になったが、昨夜はたまたま短めのシャツを着ていたのだろう、そんな夢みたいなことが起きるはずがない、と肩を竦めた。
 が、現実はもっと夢みたいだった。

「……?」
 異様な歩きづらさに首を傾げながらクローゼットに着替えを取りに向かった、その途中。尻の辺りの布地が妙に盛り上がっていることに、薪はようやく気付いた。これのせいでシャツの裾が持ち上がっていたのだ。
 手を伸ばして確認すると、動物の毛の感触。掴んで引き出したらずるりと伸びた、それはケモノのシッポ。
 薪はガックリと床に膝をつき、ふて寝したい気分に襲われる。恋人が寝ている隙にこんなものを尻に付けるなんて、青木の変態趣味もここまで来たか。本気で別れたくなってきた。

「――っ!!」
 引っこ抜いてやろうと引っ張ったら、ものすごく痛かった。怒りに任せて握った、その部位も痛い。猫のそれは急所だと聞いたことがあるが、こんな痛みが走るのだとしたら頷ける。
 思わず大事に抱え込んだ、毛の中に薪の鼻が埋まる。ケモノ臭い、と思った。薪は動物が大好きで、その匂いも気にならないのだが、何故か不快に感じられた。

 なんて、細かいことに拘っている場合じゃない。
 この異様な事態をどう理解したらいいのだろう、と普通の人間なら頭を捻るところだが、薪は推理の天才だ。彼の優秀な頭脳は、その答えを瞬時に見つけ出す。
 これは夢だ。
 エリート警察官として夢オチは短絡的過ぎる、と薪の中で何かが叫ぶが、それに対する答弁は既に用意されている。昨夜、ベッドに入る前に観ていたキタキツネ物語の影響だ、この尻尾の形状が何よりの証拠だ、以上、証明終わり。
 動物と遊ぶ夢は何度も見たことがあるけど、自分が動物になる夢は初めてだ、と現状に一応の理由を付けて、クローゼットのドアを開ける。蝶番が軋む音にも覚めない夢に、なかなかしぶといな、と思いつつ、いつもの調子で後ろ手にドアを閉めた。ら。

「みぎゃんっ!!」
 ドアに挟まった尻尾の痛みと言ったら、思わず野生に還りたくなるほど。悲鳴も言葉になんかならない、原始的な叫びだ。
 痛みのあまり零れそうになる涙を堪え、損傷した部分をそうっとなでる。血は出ていないけど、少し腫れたみたいだ。

 滑らかで長い毛を指先で割って患部を確認し、薪は唐突に気付いた。
 夢がこんなに痛いなんて、おかしくないか?
 いやいや、鈴木に殺される夢を見た時はすごく痛かった、おかしい事なんか何もない、と自分に言い聞かせる薪の瞳に、身体に合わないシャツを着て尻尾を抱える青年の姿が映った。クローゼットの鏡の中の自分を見て、薪の頭に素朴な疑問が浮かぶ。
 この尻尾、どんな風に身体に付いているんだろう?
 怖いもの見たさと好奇心が一緒になって、薪を愚行へと駆り立てる。幸い、ここは密室。青木も未だ起きてこない。第一、これは自分の夢ではないか。何を遠慮することがある。
 薪は鏡に自分の尻を向け、そうっとシャツの裾をめくり上げた。

 ……なんか生えた。

 それは尾てい骨の先端、きれいに上向いたお尻の割れ目の頂点からぶら下がっていた。しげしげと見つめて、不安になる。観察眼には自信のある薪が幾ら目を凝らしても、そこに人工物の特徴を見つけることができないのだ。この色、ツヤ、毛並み、さらには先刻嗅いだケモノの匂い。
 まさか、本物のシッポ?

 夢だ夢なんだ、と夢中で自分に言い聞かせながらも、薪の観察癖と理論構築はもはや職業病だ。夢に理屈なんてつけられないことは分かっているが、走り出す思考は止められない。
 夢のメカニズムは未だ正確には解明されていないが、最も有力な説は、脳が記憶を整理する際に派生する記憶断片の寄せ集めである、というものだ。眠っている間に人間の脳は、自分の記憶を保存すべきものとそうでないものとに仕分けする。その判断をするために色々な記憶を引き出す、その作業中に記憶の断片が交じり合って一つの夢が合成される。
 薬品を適当に混ぜ合わせた化学実験みたいなものだ、何が飛び出すか分からない。しかし素材はあくまでも自分の記憶、よってまったく知らないものは出てこないのが普通だ。
 薪は萌え系アニメには免疫がない。それらしき絵を見たことはあるが、興味が無いので細部までは記憶していない。動物は大好きだから彼らになる夢を見てもおかしくはないが、だったらこんな中途半端な姿にはならないと思う。人間の身体にシッポだけ生えてるなんて、これじゃバケモノだ。

 もしかして、夢じゃない?
 夢じゃないとなると病気の類か。しかし、薪の幅広い知識を持ってしてもこんな症例は見たことも聞いたこともない。似たような病で狼ヒト症候群と言うのがあるが、あれは全身の毛が伸びるのだ。尻尾だけ、それも一夜にしてこんなに伸びるなんて、あり得ない。
 あるいは、まだ発見されていない新種の病気かもしれない。未知のウィルスとか細菌とか、どこぞの科学者が開発してこの付近にばら撒いたのかも。いずれにせよ、自分の力ではどうにもならないと言うことだ。

 自身の思考に追い詰められて、薪はその場に膝をついた。
 どうしよう、こんな身体になってしまって。これじゃ外に出られない、てか、パンツも穿けないんだけど。成人男性としてそれは非常に困る。
 外科手術とかで取り除けるものなのだろうか。でも、新しい病気だったら即入院で検査漬けになったりして、そうしたら仕事もできないし青木とも引き離されて、下手すると鉄格子のはまった病院の中で一生を終えることに……。
 そんなの嫌だ、といつになくネガティブな考えに囚われた薪の、亜麻色の瞳が微かに潤む。時間と共に身体に馴染んできた尻尾を抱え込み、自分の弱さを隠すようにそこに顔を伏せた。

「薪さん?」
 呼びかけと共に後ろのドアが開き、薪は尻尾を抱えたまま飛び上がった。振り向かずとも、誰だか分かる。この家には薪の他に人間は一人しかいない。
「こんなところで何して、あ?」
 ドアを開けた青木は、休日の朝らしくグレーのシャツにジーンズ姿。彼には薪のような変化は見られない。となると、伝染病ではない。
 薪は縋るような瞳で青木を見上げたが、青木はクスッと笑って、
「珍しいですね。薪さんが朝からそんな冗談……え? あれ? あれれ?」
 休日のサプライズだと思ったらしい彼は、軽い笑いと共にシッポを撫で、不思議そうに首を傾げた。作り物ではない体温と質感に、幾度も驚きの声を上げる。

「あ。耳も生えてます」
 ――みみ!?

 さっきまでは無かったのに、まさか、と青木の言葉を疑うより早く、耳をつままれた感覚があった。青木の手は薪の頭上、本来の耳の位置よりはるか上空でその所作を行っていたのにも関わらず、だ。
「かっわいい……! 耳も尻尾も、もふもふですねっ」
 青木は薪のようにパニックに陥ることもなく、普段通りの暢気さで、薪の新しい耳の感触を楽しんでいた。この人並外れた柔軟な精神は彼の長所だ、てかバカだろ、おまえ。なにがモフモフだ、どうしてこの状況で笑っていられるんだ。
 パニック状態の頭で、薪は必死に考える。薪の頭脳は精巧にできている分、理屈で説明できない現象にはとことん弱い。自分が納得できる理由を見つけ出すまで、パニックから抜けられないのだ。

「薪さんて本当に、こういうの似合いますよね。オレ、きれいな薪さんも好きですけど、かわいい薪さんはもっと大好きなんで、ていうかたまんないんですけど、このケモ耳!」
 薪には理解できない理由でテンションを上げる青木をほったらかし、彼はその天才的な頭脳をフルに活用して思考を押し進めた。結果、とある仮説に辿り着いた。

 薪は、この変化が自分だけに起きた現象であることに着目した。そこから導き出される可能性の一つ、それは先祖返りだ。
 先入観無しに見た場合、この姿から連想されるのは、昔のマンガにあった『獣人』と呼ばれる怪物だ。何をバカなことを、と他人に聞かれたら失笑されそうな思いつきだが、薪はこの世に妖怪が実在していることを知っている。青木と一緒に、この眼で見たのだ。落下による失神から覚めた時にはその証はなくなっていたが、二人の記憶にはちゃんと残っていた。
 実在するなら、その子孫がいてもおかしくはない。遥かなる昔、その中には人間と交わった種もあっただろう。ならば、彼らの誰一人として薪の祖先にはいなかったと、誰が証明できるだろう。
 この身に人間以外の血が流れていることを想像したら、とてつもなく恐ろしくなったが、アキバオタク垂涎の萌え系アニメのヒロインと同一視されるよりナンボかマシだ。うん、先祖返りだな、間違いない。

 確証を得ると同時に、薪の中に新たな不安が生まれる。
 尻尾が生えて、次に耳が生えた。この変化は始まりに過ぎないのかもしれない。これから自分はどうなってしまうのだろう。

「あれ? 怒らないんですか、いつもみたいに」
 青木の疑問は無理もないが、今、薪は普通の状態ではない。昔見た妖怪の恐ろしくも醜い姿を思い出し、自分がこれからあのような姿に変貌していくのではないかという不安に押し潰されそうになっているのだ。青木の言葉なんか、殆ど耳に入っていなかった。
「さっきからカワイイって連発してるのに、殴らないし」
 そんな元気は無いし余裕も無い。とにかく早く医者に連れて行ってくれ、と言い掛けた薪の肩を青木は大きな手で包み、薪の顔を覗きこむようにして、
「……本当に、薪さんですか?」

 尋ねられて、涙が浮かんだ。
 すべてを捧げた恋人に、自己の真偽を疑われることの、なんて恐ろしい事だろう。
 自分自身、そのルーツに恐怖を抱いていたのに、もしもそれが事実でも世界中でたった一人だけは自分の味方になってくれるはず、そう信じていた相手に疑いを掛けられた。

 パニックに陥っていなかったら、もう少し冷静な対応ができたかもしれない。でもその時の薪には、細い眉を悲しそうに下げて、涙をいっぱいに溜めた瞳で青木を見上げることしかできなかった。
 果たして、薪の弱気な表情は逆効果だった。どんなときでも冷静で負けん気の強い薪ばかり見てきた青木には、彼が狼狽えて涙ぐむ姿は意外であり、その不信感に拍車を掛けた。と同時に、やさしい彼は泣いている者がいれば慰めずにはいられない。青木の心は不審と同情の狭間に瞬く間に落ちて、ひたすら困惑する。

 青木の眼差しからそれを読み取った薪は、持ち前の根性で恐怖を押さえ込んだ。ぐっと奥歯を噛み締める。
 まだ、化け物になると決まったわけじゃない。泣くのは後だ。何より、青木に心配を掛けたくない。
 まずはこの異常事態に対する自分の仮説を彼に話して、と考えた時、薪は初めてその事実に気付いた。

「う……」
 言葉が喋れない。
 僕は薪だ、薪剛本人だ、と言いたいのに、その口から出てくるのは「ああ」とか「うう」とか、赤子のような、いや、これはいっそ動物の鳴き声に近い。尻尾が生えて耳が生えて言葉が喋れなくなるなんて、どんだけお約束なんだ、と喚きたくなる。
 でも、と薪は思い直す。
 言葉などなくても、思いは通じる。そんな関係を、自分と青木は何年も掛けて培ってきた。手を握って見つめ合って、いつものようにキスをすれば僕だと分かるはず。
 薪が自分の信念を行動に移そうと、青木の膝に手を掛けたとき。開け放してあったドアに人影が差した。

「青木、何を遊んでるんだ。メシだぞ」
 涼やかなアルトの声。そこに立っていたのは、薪剛そのひとだった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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