キセキ(14)

 おはようございますー。
 晴れてうれしー♪






キセキ(14)






「どうやってこの部屋に」

 崩れた指先を元に戻し、彼は尋ねた。内側からロックを掛けたはず、いやその前に、彼のIDカードは自分が持っているのだ。第九の正面玄関すら通れないはずではないか。
『机の上に置きっぱなしだったぞ。駄目じゃないか、大事なIDカードを』
「そのカードは無効じゃ」
 言い掛けて、彼は自分の失策に気付く。IDカードが使えなかったのはモニタールームの入り口だ。それ以外の場所では試していない。もしも、リーダーの方に細工がしてあったとしたら。

 薄いセロファンのようなものをセンサー部分に挿入しておき、自分を足止めする。そこに「磁気が駄目になったから再発行を」と言って指紋や静脈認証を提出させ、それが合致しなかったと嘘を吐いて書類を差し戻す。偽者ではないのかと疑って見せ、自分がハッキングをするよう仕向け、その現場を押さえる。
 こいつ、岡部を抱きこんでいたのか。

「いつの間にそんな計画を」
『今朝だ。不測事態への対処が不十分になりがちだから、思いついたら即実行ってのは僕のスタイルじゃないんだが。今回ばかりはそうも言ってられなくてな』
 自分の立てた計画に満足が行かない様子の彼は、その不完全さを嘆くように肩を竦め、亜麻色の頭の上にピンと立てた獣の耳を肉球で引っかくように弾いた。

『長期記憶にファイリングされたら、おまえに筒抜けになる。こいつの役目はそういうことだろ?』
 ズバリと言い当てられて、彼は目を瞠った。甘く見ていた。彼が『端末』の役割を知るときが来るとは。

「さすがは人類代表の頭脳だ」
 賞賛の言葉をくれてやろう、と彼は嘯いた。真実に辿り着いた薪の優秀さは認める、だが、それがどうした。薪剛のパーソナリティは未だ自分の手にあるのだ。
「分かった所でおまえには何もできまい。そこで指を咥えて見てろ」
 再び彼はモニター画面に両手をかざし、指先を電子信号に変換して電脳世界に送り込んだ。目的の場所に進みながら、先刻のお返しとばかりに薪への皮肉を放つ。
「口の中に爪を立てないように気をつけろよ」
『待て、何をする気だ。データはおまえが書き替えたままだ。弄る必要は』
「あるさ。岡部は僕の正体を知った。彼をこのままにしておくことはできない。彼のデータを書き直して、偽者に仕立て上げて此処から追い出すんだ」
「やめてください!」

 今度こそ、彼はぎょっとして振り返った。そこには彼の恋人が、泣きそうな表情で身体を震わせていた。
「薪さんの顔で、薪さんの口で。そんなことを言わないでください」
 お終いだ、と彼は思った。彼には、青木にだけは知られてはいけなかったのに。もう自分を救ってくれるものはこの世界にはいない。ただのひとりも。
 青木が。青木だけが。自分の命を救い得るただ一人の人間だったのに―― 薪は、この男は、そこまで見抜いていたのか。

「こんなことをして、青木の身がどうなっても」
 無駄な脅しと分かっていた。岡部と同じで青木もこの男に取り込まれてしまったのだと。案の定薪は、さも可笑しそうにクスクスと笑い、
『そうなったら、僕と一緒に森の中で動物たちと暮らすとさ』
 薪の答えで分かった。やはり青木はすべてを知ったのだ。彼が自分を愛することは、もうない。
『な? バカには勝てないだろ』
 薪はせせら笑う口調で、でもその口元には幸せそうな笑みが浮かんで、それを見た途端、彼を支えていた最後の柱が折れた。
 それは僕が得るはずのものだったのに。そのために懸命に、優しい恋人を、理解ある上司を演じてきたのに。

「どうして」
 すっかり逆上した彼は、モニターから離した指を作り変えることもせず、青木に詰め寄った。青木の襟元を掴んだ彼の、第一関節で不自然に切れた指の断面には骨や血管と言った生体組織は何もなく、まるで漫画絵のようにつるんとした肌色の皮膚があるばかりだった。
「どうしてだよ。何故そいつにばかり与えるんだ。せっかくおまえが与えたものを、そいつは取りこぼしてばかりいるのに」
 薪の記憶を取り込んだとき、その中にちりばめられた青木の愛情の大きさに驚いた。なのに、それに対するリアクションの記憶はあまりにも薄くて、彼は青木が可哀想になった。薪はお世辞にも、良い恋人とは言えない。

「僕は、それがなけりゃ生きられないのに」
 青木の胸に顔を伏せて、彼は涙をこぼした。震える背中を、青木の大きな手が撫でてくれる。それだけでも彼の飢餓感は癒された。
「どういう意味ですか?」
「おまえの愛が必要なんだ。僕は、おまえに愛されていないと死んでしまう」
 それは事実だった。彼のエネルギー源、それは他者から向けられる愛情そのものだった。特に恋情、激しい情熱を伴うそれが、彼にとっては最高のごちそうだったのだ。

 彼には頭脳センサーの他に、他者へ流れる愛情の量を計測する能力がある。他者の愛情は彼にとっては食料、つまり犬がご馳走の匂いを嗅ぎつけるようなものだ。
 あの時、彼が検索を掛けた100キロ圏内でメーターを振り切るほどの膨大な愛情エネルギーの反応があった。辿ってみたらこの二人に行き着いた。観察するまでもなく、すぐに解った。あの桁外れの愛情エネルギーは、この身体の大きな男から小さな男へ流れていた。だから彼は薪を選んだ。この男の愛情を糧にするために。
 薪はそこまで見抜いて、だから青木を此処に連れて来たに違いない。青木が自分の命綱だと知っているのだ。

 彼は必死になって青木に取り縋った。命が懸っているのだ。みっともないとか情けないとか、そんな余裕はなかった。
 青木は彼の髪を撫でながら、穏やかな口調で言った。
「ずっと夢でした。こんな風に薪さんに頼ってもらえたら、どんなにか幸せだろうって。薪さんが望むなら、どんなことでもできるって思ってました」
 それなら、と明るい予想に彼は上を向き、憐憫を湛えた黒い瞳に出会う。そこにあるのは彼が求める愛情ではなく、同情と呼ばれる別種のエネルギーだった。
「やっぱりあなたは薪さんじゃないんですね。薪さんは意地悪だから。オレが望む台詞なんて、遺言ですら言ってくれないんです」
 青木は彼の肩を掴んで自分から引きはがし、悲しそうに首を振った。
「すみません。オレはあの人しか愛せません」

 彼にしてみれば、それは死刑宣告と同義だった。
「本気なのか? 彼をよく見ろ、バケモノだぞ。あんな姿の生物を一生愛して行けるのか」
「心配してもらわなくても大丈夫です。薪さん、ネコ耳めちゃめちゃ似合うし! ちゃんとエッチもできるって昨夜何回も確かめ、痛い、痛いです、薪さん! それ以上猫爪が額にめり込んだらマジで逝きます!」
「……青木、僕といた方が長生きできるんじゃないのか?」
 昨夜はあんなに悦んでくれたのに、とぼやいた瞬間に蹴り飛ばされた哀れな男に、彼は同情的に言った。
 痛い痛いと言いながらも嬉しそうな様子の青木に、彼は青木の本性を理解する。失敗した、こいつ真性のMだ。やさしくしてはいけなかったのだ――完全に誤っているが、この状況で誰が彼を責められよう。

 混乱の中で、彼は決意する。
 もう青木はダメだ。諦めるしかない。次の餌場を探したいが、自分の身体は衰えきっている。サーチ能力を発動するエネルギーすら残っていない。かくなる上は、この男を見つけた時に候補に挙がった他の人間の誰かに成り代わって――。

『観念しろ、偽者め。さっさと僕を元の姿に戻せ。そうすれば命だけは助けてやる』
 本当に生意気な男だ。サルと幾らも変わらない低脳のくせに。
「分かった。こっちへ」
 薪の頭上にそそり立った猫耳に手をかざし、彼は眼を閉じた。先刻、モニターに入り込んだときと同じように手のひらが瓦解して、黄金色の粒子が茶色い耳を覆う。彼の肉体の分解が手首にまで到達しようとした時、額から後頭部へと信じがたい衝撃が走った。

『今は未だ人間の身体なんだろう? 脳を破壊すれば死ぬよな?』
 彼の額に刺さったそれを、彼は見ることが叶わなかった。彼の額から後頭部に掛けて突き通されたのは、業務用のアイスピック。取っ手の部分だけが人間の額から突き出ている様子は、なかなかにシュールだった。
 開いた眼に、血が流れ込んでくる。視界が真っ赤に染まった。いみじくもそれは薪が野犬に襲われた場面を踏襲するかのように、しかし彼に助けは現れなかった。
 赤い視界で赤い唇が、憎々しく歪む。
『どうせ次の獲物を探す気だろう。だれが行かせるか』



*****


 よし、スッキリした。
 行ってきまーす。(^^


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ジャンル : 小説・文学

キセキ(13)

 こんにちはー。

 週末からゴールデンウィークに突入ですね。 楽しみですね~。
 わたしは明日の27日から3日間、恒例の家族旅行に行きます。 ので、その間はお休みします。 よろしくお願いします。

 帰ってきたらがんばろうと思うのですけど、メロディショックで落ちる可能性を考えると約束できないのがツライとこ。 秘密、おそるべし!!
 忘れもしない、去年のこの時期も旅行先でメロディ読んで、それが最終回だったものだからしばらく押入れから出てこれなくなry。 (その節は大変ご迷惑をおかけしました)

 こ、今回は大丈夫! リハビリ済みだし!
 

 ではでは行ってきます。(^^






キセキ(13)





 その日は朝からおかしなことばかりだった。
 出勤し、モニタールームに入ろうとしてIDカードを通したらエラーになった。何度かやってみたが、結果は同じだった。
 自動ドアの前で立ち往生していると、副室長が出勤してきた。事情を話すと岡部は、「磁気がいかれたんでしょう」と自分のカードでドアを開けてくれた。

 役に立たなくなったIDカードは再発行の手続きを取らなければならないが、その手続きはなかなかに煩雑なものらしい。岡部が言うには、再発行の依頼書はもちろん、指紋から声紋、静脈認証まで添付しなければならない。彼は憂鬱な気分になった。
「親指から小指まで、こちらのシートに押してください。それから静脈認証はこいつで読み取りを。書類は俺が総務に届けてきますから」
 指紋を採られるのは複雑な気分だが、まあいい。データは全部修正してある。万が一にも自分の正体がばれることはない。

 ところが不思議だった。提出した指紋も声紋も、保存されていたデータと合致しないのだ。職務開始直後に提出した書類が夕方には悉く返されてきて、彼は戸惑った。室長室の自分の席に腰を落ち着け、この不可思議な状況の裏側を探ろうと考えを巡らせる。
 何故だろう。ちゃんと自分のデータを上書きしておいたはずなのに。
 誰かに元に戻された? あいつには無理だ、キーボードを叩くこともできないようにしてやったのだから。警察庁のデータバンクに侵入できてデータを改竄できるような人間なんて、可能性としては宇野ぐらいしか思いつかないが、彼には動機がない。
 返却された書類の上に差した影に気付き、彼は顔を上げた。腹心の部下が、彼を厳しい眼で見下ろしていた。

「どういうことです、薪さん」
 いかつい見かけに依らず普段はとてもやさしい岡部は、今日に限って人が変わったようだった。
「指紋、声紋、静脈認証まで。これは今朝あんたから採取したものだ、俺が採ったんだ。それが全部合わないって、あんた一体」
 詰め寄られて、思わず席を立つ。ハッキリとした敵意が伝わってくる。身体中の力が抜けていくような気がした。
「しばらく前から様子がおかしいと思っていたが。あんた、薪さんの偽者じゃないのか」
 一番の部下に疑いの目を向けられて、彼は焦った。あの男が家から出て行って、ようやく自分の思い通りにことが運ぶと思った矢先に、なぜこんな。

「何を言い出すんだ、岡部。僕の顔を忘れたのか?」
「データは嘘を吐きません。それに顔なんか、整形手術でいくらでも変えられますよ」
 ばれるはずがないと高を括っていた。可能性があるとすればそれは、あの男が身も心も開いた恋人の青木だけ、しかし彼は一欠片の疑いすら持っていない。それを単なる職場仲間に暴かれるなんて。ありえない。

「やめろ、そんな眼で見ないでくれ。僕は」
 冗談じゃない。それでなくとも計画が狂って、充分なエネルギーが補給できていないのに。
 あの青木という男、とんだ見掛け倒しだ。期待していたのに、ろくに食べさせてもくれないで。仕方がないから女子職員からの差し入れで飢えを凌いでいた、でも差し入れのものは濃度が薄くて食べた気にならない。岡部を始めとした部下たちの信頼まで途切れたら、枯渇してしまう。

「念のためです。身柄を拘束させてもらいますよ」
 乱暴に腕を掴まれて、怖い顔で凄まれた。最初のうちはこの男も、彼にご馳走を食べさせてくれた。なのに、今は強い猜疑心が伝わってくる。彼を恐怖が襲った。
「岡部、頼む。やめてくれ」
「そんな弱腰、薪さんらしくないですよ。あの人が部下にこんなことをされたら即座に回し蹴りです」
 彼が哀願しても、岡部は頑なだった。憎しみすら籠もった眼で彼を睨みつけ、ドスの効いた声で、
「研究が足りないんじゃないですか、偽者さん」

 無我夢中で腕を払い、彼は逃げ出した。既に退庁時刻を回っていたこと、クリスマスイブと言うイベントも手伝って、モニタールームには誰もいなかった。今の話を他の部下に聞かれずに済んだことに胸を撫で下ろす。岡部の疑惑がみんなに伝染したら、吊るし上げられるところだった。
 洗面所に直行して鍵を掛け(第九の公共トイレは入り口に鍵が掛かる珍しい造りになっている)、彼は洗面台に取り縋った。落ち着け、と自分に言い聞かせて呼吸を整える。
 岡部は、仲間内では非常に信頼の厚い男だ。その影響力は脅威ですらある。一刻も早く、彼の信頼を取り戻さなければならない。
 さほど難しいことではない。保存データの書替えを行い、もう一度照合をやり直す。そうすれば自分が薪剛本人であることが立証されるはずだ。
 データバンクに侵入するには『端末』を使うか、本来の姿に戻らなければならない。『端末』は自分と同じ顔をした男に付けっぱなしにしてあるから、選択肢は一つしかない。他人に見られてはならない行為ゆえ職場で行うのは危険だが、今はスクランブル発動中だ。多少のリスクは止むを得ない。

 彼は決意を固めて顔を上げ、すると鏡に映った自分の顔が見えた。
「……っ!」
 反射的に退いた。そこに映っていたのは、ぱさぱさに乾いた白髪の、干からびたミイラのようになった男の姿だった。
 慌てて両手を見ると、爪が何枚か剥がれ落ちている。エネルギーが不足して、人間の形を保てなくなってきているのだ。

「くそっ、青木のせいだ」
 彼が一緒に居てくれないから、だからこんなことに。彼とは今朝電話で話したきり、電話じゃダメだ、現実に触れ合うことが肝要なのだ。
 この状態の自分を救えるのは青木しかいない。あの男が持っているものが一番大きくて良質なのだ。あれを食べることができれば、回復できる。
 データを修正して岡部の信頼を取り戻し、彼から当座のエネルギーを貰って、青木の所へ行こう。彼は今日は非番だが、構うことはない。電話で呼び出して、会いたくてたまらなかったと縋れば、いつものように抱いてくれるはずだ。

 服の下に隠れた部分に回していたエネルギーを顔面に集め、集中補修を施す。彼の顔は完璧な美貌を取り戻し、10枚の爪は元通りに細い指先を飾った。が、見えない部分では活力の枯渇による風化が始まっていた。
 本当にもう時間がない。彼は焦っていた。
 IDカードが使えなくなった彼は、カードなしでも入れるエリアに設置されたパソコンを探した。人目につきにくい場所で、できれば個室がいい。談話室にもパソコンはあるが、あそこは鍵が掛からない。
 うろうろと彷徨う彼の目に、信じ難い幸運が飛び込んできた。
 第4モニター室の扉の開放ランプが点灯している。中に誰かいるのかと様子を伺うが、人の気配はない。好都合だ、ここのパソコンのスペックならハッキングの時間も短縮できる。

 彼は素早く中に入り、内側からドアロックを掛けた。真っ直ぐにパソコンに駆け寄り、電源を入れる。モニター画面に両手を当てると、その明かりを吸い込むように彼自身の身体が発光した。
 画面に触れた指先から、彼の身体がバラバラと崩壊していく。細かく分解した彼の身体は机上に落ちることはなく、秩序を保った軍隊のように整然とモニターの中に侵入して行った。
『なるほど。そうやって電脳世界に入るのか』

 背中に掛かった声に、彼は飛び上がるほど驚いた。普通の人間の耳には猫の鳴き声にしか聞こえないその音声を世界でたった一人、彼だけは理解することができた。その声の持ち主は、彼のビジュアルのオリジナルパーソンだったからだ。
『記憶のサーチもその方法で? 便利な身体だな。特技、ていうか一発芸、いやいや、忘年会の余興という手も』
 あれだけいたぶって追い出してやったのに、彼はいつの間にか本来の不遜さを取り戻していた。ペンを持つこともできなくなった手を横柄に組んで、細い顎を高慢に上げている。半開きになった亜麻色の瞳は陰険に光っていて、それだけでも彼の悪辣な性質は予想が付いたが、その口から飛び出す毒の強さを目の当たりにすれば、彼から人間の言葉を奪った自分の行為は他人から賞賛を受けるべき善行のような気さえしてくる。
『ああ、邪魔して悪かった。続けろよ』
 鬼の首を取ったよう、という表現が正にピッタリだ。本当に性格の悪いやつだ。こんな男を選ぶなんて、青木の眼は腐ってる。

「どうやってこの部屋に」




*****


 あれっ、こんなとこで切れちゃった。 半端で落ち着かないですよね?
 明日の朝、時間取れたら続きアップします。 よろしくお願いしますー。


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キセキ(12)

 3日も持たない連続更新ですみませんー。 これ、仕事でやってたらとっくにクビになってる。(笑)

 このお話になってから、『ドS』って言葉が入ってるコメントがやたら多い気がするんですけどww。 困っちゃうなあ、そんなに褒められると照れます、てれてれ。(←カンチガイ女王)


 大変失礼しました。 お話の続きですー。





キセキ(12)





 薪が岡部の家に引き取られたのは、一年の最後の月も残すところ1週間ほどに迫った寒い夜のことだった。
 愛猫がいなくなって寂しがっている母親を慰めたいと言う岡部の申し入れに、青木はひどく困った顔をした。
「この仔はオレ以外には懐きません」
 それが彼の言い分だったが、薪が自ら青木の傍を離れ、岡部の大きな背中に隠れるように寄り添うのを見ると、その先を続けることができなくなった。
 あんなに世話してやったのに、と裏切られたような悲しげな顔をして、でも恋人にやさしく諭されて、彼は納得せざるを得なかった。「ずっと飼うことは不可能だ」と言われれば、その通りなのだ。春になったら森に返すしかないが、森には野犬のような危険が一杯だ。だったら近くで、信用できる人物に預かってもらった方が安心できる。

「顔を見たくなったらいつでも来い」
 岡部にそう言われて、青木は泣く泣く頷いた。
 本当のことは決して言うなと、岡部には口止めしておいた。青木は嘘が下手くそだ。真実を知って、それを彼に隠し通せるとは思えない。知らせないことが青木の身を守るのだ。

 帽子とコートを着せられて、薪は岡部と一緒にマンションを出た。前の通りを歩きながら自分の家を見上げると、窓から青木がこちらを見ていた。
 思わず、足が止まる。
 スクエアな眼鏡の奥の彼の瞳には涙が浮かび、頬が赤くなっていた。どうしてこんなに悲しいのか、彼自身わからなかったに違いない。抉られるような胸の痛みに耐えようと薪が奥歯を噛んだとき、青木の隣に細い人影が現れた。
 彼は後ろからそっと青木を抱きしめ、すると青木は後ろを向いて彼を抱き返した。思わず背けた薪の瞳の奥で、愛し合う彼らの残像が繰り返し甦る。

「薪さん。大丈夫ですか」
 よほど情けない顔をしていたのか、岡部に同情された。苦笑いする、自分の未練がましい性質に。

 こくっと頷き、薪はさっさと歩き出した。彼はもう、二度と振り返らなかった。




*****





 闖入者がマンションから消えて、青木は薪のマンションに居座る理由を失くした。自分の家に帰ろうとすると、薪に引き留められた。
「おまえさえよければ、ずっと此処に居ろ」

 心から愛した恋人にそう言われて、飛び上がるほど嬉しかった。……はずなのに。
 何故だか心は沈んだままで、浮き上がる気配もない。しなだれかかってくる恋人の華奢な身体も白い肌も、青木の心をときめかせてくれない。
 今まで味わったことがないくらい、それは大きな喪失感だった。
 あの仔は確かに可愛かった、でもそれは薪に似ていたから。薪が絶対にしてくれない格好や仕草に心を奪われただけ、青木が本当に愛しているのは今自分の腕の中にいる彼だ。
 なのに、その彼が色褪せて見える。

 まさか心変わり? あの仔に?
 バカな、と青木は失笑する。あの仔は人間ですらないのに。

「青木?」
 訝しげな恋人の声に、青木は我に返った。薪を抱きながら、他の人のことを考えていたのなんか初めてだ。こんな気持ちじゃ、薪に対しても失礼だ。
「やっぱり帰ります」
 気を付けてな、と薪は快く送り出してくれたけど。青木の気持ちは晴れなかった。

「さむっ」
 外は凍てつくような寒さだった。
 今年も後十日足らずで終わる。明日は薪の43回目の誕生日だ。プレゼントを用意して、二人でお祝いをして、心行くまでスペシャルな夜を過ごす。この時期になると毎年、その計画を立てることに夢中になっていたのに。今年はあの仔のおかげですっかり忘れていた。

 今からでも計画を立てようと青木は思い、でも直ぐに、あの仔に心が飛んでいく。
 あの仔は岡部の家でクリスマスを迎えるのだろうが、プレゼントくらいは用意してやろう。外出に必要な帽子とか、暖かいマフラーとか。フリースのズボンのお尻に尻尾を通す穴を開けて贈ってやってもいい。それからあの仔の好きなコーヒーとケーキ、尻尾用のブラッシングブラシもいいな。
 両手いっぱいにプレゼントを持って、彼の元を訪ねたら。彼は嬉しそうに笑って、彼の笑顔なんか一度も見たことはないのに何故か笑ってくれるような気がして、青木の心は少しだけ上向きになる。
 自分の心境の変化に気付いて、青木はその場に立ち止まった。身を竦めたはずの寒さの中に、しばし立ち尽くす。

 どうして? あの仔の笑顔を思い浮かべるだけで、どうしてこんなに心が弾む?
 そんなことがあるわけはないのに、打ち消せない、否定できない。自分の気持ちに嘘は吐けない。

 この寒さが、青木の眼を冷ましてくれたのかもしれない。青木は踵を返し、駅とは反対の方向に歩き去った。




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キセキ(11)

 昨日は拍手入るの早くてびっくりしましたー。 きっと、待っててくれた人いたんだな~。 ごめんなさい。
 これからはちゃんと更新します、つもりです、……できたらいいな。<おい。 





キセキ(11)





 翌週の月曜日。彼らが仕事に出掛けた後、薪はタンスの引き出しと悪戦苦闘していた。
 行く当てなどないが、着替えは必要だ。マンションを一歩出るのにも、この異形を隠さなくてはならない。必須アイテムは帽子とコートに手袋。冬の時期でよかったと言うべきか。
 人間の言葉が喋れないことから、夜、ホテルに宿泊できない可能性も考慮して、温かいセーターや厚手のトレーナー、裏地の付いたフリースなどの衣服を選ぶ。ズボンは尻の部分を切って穿けばいい。自分の服なのだ、遠慮することはない。
 裁縫箱の中から裁ち鋏を出そうとして気付いた。……鋏が持てない。
 この際、腰パンで通すしかない、と年齢に似合わない決心をして、薪はズボンのリフォームを諦めた。

 尖った爪で衣類を破らないように注意しながらボストンバックに詰めていると、ドアフォンを鳴らす音が聞こえた。
 不思議に思って立ち上がる。この家の玄関のチャイムを鳴らすことができるのは、この家の住人二人と、管理人と顔見知りになっている極々限られた人間だけだ。前者ならドアフォンを鳴らす必要はないし、後者に月曜日の午前中ぶらぶらしているような身分の者はいないはずだ。

『……なんで?』
 モニターを見て、薪はますます不可解になる。果たしてカメラに映っていたのは、先の金曜日にも此処を訪れた、薪の腹心の部下だった。
 同じ部署に勤めているのだから、岡部は薪の留守を承知しているはずだ。自宅から何かを取ってくる役目を仰せつかったのなら、管理人が一緒にいないとおかしい。

 不審がる薪の耳に、チャイムの音が連続で響く。薪が戸惑っていると、岡部は終いには、
「薪さん! いるんでしょう? 開けてくださいよ!!」と大声で叫んだ。
 ヤクザが震え上がるようなドラ声で怒鳴られたら、近所から苦情が来る。てか、完全防音のマンションの中に聞こえてくる肉声って、どんだけだ。
 仕方なくドアを開けた。この姿を見せて、黙って首を振れば家主の不在が伝わるだろうと、しかし薪の考えは間違っていた。ドアを閉めて玄関に鍵を掛けると、岡部はがしっと薪の両肩を掴み、
「薪さんですよね?」

 驚いた。心底、驚いた。
 恋人の青木ですら分からなかったのに。この奇想天外な真実を、妄想癖皆無の岡部が見抜くとは。

「なんでこんなことになっちまったんですか」
 岡部はそのいかつい顔をくしゃりと歪め、殆ど泣き出しそうになりながら、掠れた声で言った。「どうして分かった? いつ気が付いた? 彼に何かされたのか?」と矢継ぎ早に薪が尋ねるのに、岡部は頭痛でもしたかのようにゴリラそっくりの額を押さえる。
「頼みますから、ニャーニャー言わんでください。頭が痛くなる。これ、用意してきましたから」
 そう言って鞄から取り出したのは、A3の厚紙にサインペンで書かれた50音と、「はい」「いいえ」「わからない」の3択。ネコの手では指差すことが難しいので、そこにコインを載せる。
 ……コックリさん?

 急いで作ったらしく文字は乱雑だったけれど、意志を伝えるには充分だった。薪はコインを滑らせ、最初の言葉を示した。
『あぶらあげは?』
「この状況で男爵!? て、ああ、やっぱり薪さんなんですね。今の今まで半信半疑だったんですけどね、今のボケで決まりですね。なんてこった……」
 どういう意味だ。
『おまえ、仕事は?』
「今日は代休です。先週の日曜、メンテ当番でしたから」
 そうだった。薪がシフトを組んだのだった、すっかり忘れていた。
『なぜ彼が偽者だと分かった?』
「わかりますよ、何年付き合ってると思ってるんですか。出張から帰ってきた途端、突然物分りのいい大人になってて。ミスっても怒鳴らないわ、ムチャな残業は言いつけないわ、嫌味も皮肉も言わないわで、第九の連中はみんな気味悪がってますよ」
 ちょっと待て。僕ってそんなにヒドイ上司なのか?
 瞬間、薪の脳裏に100通りの部下をいたぶる方法が浮かんだ。人間に戻れないかもしれないことより、それを実行できないことの方が残念だ、と思う彼の性根こそがザンネン極まりない。

「小野田さんも中園さんも、何処か悪いんじゃないかって心配してます。青木だけですよ。『薪さんは本当はやさしい人ですから、あれが普通です』とかトンチンカンなこと言ってるのは」
 青木ならではの見解だ。こういう場合も惚れた欲目と言うのだろうか、恋がブラインドになって真実が見えなくなっているのだろう。
「まあ、青木のやつも違和感は持っていると思いますよ。室長の居場所を言い当てる特技、10連敗中ですから」
 心の奥では疑惑を抱いているのかもしれない。それでも、青木は薪をとても大切にしているから。「最近室長がおかしい」と仲間に言われれば、庇うのが当然だ。薪の立場を危うくするような噂はどんな小さなものでも摘んでしまいたい、と考えているのだろう。

「最初から説明してください。彼は何者で、あなたはどうしてこんな頓狂な姿になっちまったんですか」
「わからない」に、薪はコインを動かした。異星人だなんて、とても信じてはもらえないと思った。彼の話をどこまで信用していいのかも、未だ判断が付いていないのだ。
「それじゃ、あなたの推論を聞かせてください」
 確信が持てるまで自分の推理を話したがらない薪の性質を、岡部は誰よりもよく知っていたが、敢えて尋ねた。今はどんなにあやふやな糸でも手繰る必要がある。
「あなたが本物の薪さんなら。それが真実だと、俺は信じることができますから」
 あなたを信じています、と岡部のその言葉が、薪に勇気をくれた。彼がエイリアンであること、彼に姿を変えられてしまったこと、彼が薪の脳をトレースして薪の記憶を得たこと、その総てを、岡部の瞳に疑惑が浮かぶのを恐れずにコインで打ち明けた。
 不可思議な光景だったと思う。鬼瓦のような面のオヤジとネコミミの生えたオヤジが、真面目な顔でコックリさん。スクープでもされたら忽ち第九は警察中の、否、日本中の笑い者だ。

 薪がコインから手を離すと、岡部は三白眼の中心の黒点をますます小さくして、額には脂汗を浮かべていた。無理もない、薪だって当事者でなければ絶対に信じない類の話だ。
 しかし、岡部の薪に対する信頼は、彼の常識の枠を打ち破った。
「分かりました。頭が割れそうですけど、とにかく分かりました。で、そいつはなんです」
 最後の言葉だけを威圧的に言い放ち、岡部はじろっと薪を睨んだ。無骨な指が差していたのは、薪が荷物を詰めていたボストンバックだった。
「逃げ出す気ですか? 相手がとんでもない能力を持っているからって、戦いもせずに。あなたらしくもない」
『青木が人質になってる!』
「なんですって?」と岡部が聞き返したのは、薪が思わず叫んでしまったからだ。二人は今一度ボードに視線を落とし、薪が滑らせるコインを眼で追いかけた。

『青木を僕と同じ姿に変えることができると。僕さえ大人しく身を引けば』
 青木に危害は加えないと約束してくれた、とそれは確約ではないが、自分が青木の歓心を惹き続ける現状は彼を不快にしていると察しがつく。ここは潔く自分の存在を明け渡すことで、彼が約束を守る可能性は高まると薪は考えていた。
「あんた、またそうやって自分ばっかり犠牲になればいいと」
『他に方法がない』
「ちょっと待ってください、諦めが良過ぎやしませんか。例え元の身体に戻れなくたって、なんとかなる、と……ああ、ちくしょう」
 薪が考えた幾つかの解決策を思い浮かべて、でもその悉くがうたかたの泡になって消える虚しさを、岡部もまた味わっていた。やがて彼は溜息混じりに、ずっと俯いていたせいで凝り固まった首と肩をボキボキ言わせながらぐるりと回した。
「せめて、労災くらい下りませんかね」
『日曜日だったからな。難しいな』
 厄介な問題に突き当たったときには必ず交わされる、室長と副室長のとぼけたやり取り。そのおかげで薪は、半月ぶりに笑うことができた。

 トントン、とボードを叩いて、岡部の注意を再び文字に向けさせる。コインを手で押さえて、薪は慎重に動かした。
『頼みがある』
「……なんです」
『青木を守って欲しい』
 アオキという文字を綴るとき、薪の瞳がじんわりと潤った。零れ落ちることはなくとも亜麻色の瞳に張った水膜は、いつでも岡部を苦しくさせる。
『第九のみんなも、雪子さんも』
 白い猫毛に包まれた小さな手が、ゆっくりと文字を辿る。一文字一文字に命を吹き込むように、それは彼の心からの願い。
『僕の大切な人たちを、僕の代わりに守って欲しい』
 薪が岡部に彼らの安全を託したのは、彼らの前に姿を晒すことができないから、それだけの意味ではなかった。もっと確定的な意味合いで薪にはそれができなくなる、そういう意味だった。そこまでは知りようがなかった。岡部には、彼の異星人のような特殊能力は無いのだ。

「分かりました。ただし、条件があります」
 岡部は大きな手をぐっと握り締め、薪の頼みを引き受けた。と同時に、引き換え条件を提示する。
「此処を出るなら、俺の家に来てください」
 ちょうど猫がいなくなっちまって、おふくろが寂しい思いをしてるんです。
 そんな理屈をつけて、岡部は薪の身柄を引き受けることを申し出た。躊躇う薪の背中を押すように、悪戯っぽく笑って付け加える。
「おふくろなら大丈夫です。まあ、花柄のワンピースとか着せられちまうと思いますけど、そこは我慢してください」
 苦笑いを浮かべて、薪は頷いた。

 あっさりとした承諾に、気付くべきだった。自分が移り住むことで岡部家が被る迷惑を、薪が案じないはずがなかった。彼はそういう人間だったと後に岡部は気付いて、でも遅かった。
 薪の本当の決意を岡部が知ったのは、それから5日後。薪の存在が、完全にこの世から消えた後のことだった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

キセキ(10)

 こんにちはー。
 章の途中で開いてしまってすみませんー。
 
 違うんですよ、別に進撃の巨人とか読んでたわけじゃなくて、
 甥っ子が2巻まで買ってきて借りて読んだら続きが気になってその日の夜に本屋へ走って10巻まで買い揃えてすみません読んでました。
 あれ、はまるね!!!



 私信です。

 Iさま。
 リクエストいただいた「岡部さんに妬く青木さん」、この章辺りから始まります。 お楽しみいただけると嬉しいです。 

 でねっ、
「キセキ」のヤキモチは、なんかちょっとパンチが足りなかったんで、「もっとヤキモチ青木さん」の話をこないだ書いたんですよ~。
 こっちはスゴイの、もう青木さん子供みたいに妬いちゃって。 当然、薪さんは怒っちゃうし。 楽しかった~www。
 後で公開しますので。 美味しいネタ振ってくださってありがとうございました。(^^
 






キセキ(10)





 驚いたことに、金曜日の定例会を彼はキャンセルしなかった。青木が心配するのに、「岡部なら大丈夫だ」と、いかにも薪が言いそうな台詞で微笑んだ。多分、薪も同じことを言う。岡部は信頼できる。

「こりゃ驚いたな。本当に薪さんそっくりだ」
 薪を見て、岡部はぽかんと口を開けた。我が眼を疑う、と言った表情だった。初めて自分の姿を鏡で見た時の薪と同じ反応だ。やはり、青木の図太さが異常なのだ。
「だいぶ慣れたんで、今は大人しいですけどね。最初の頃は大変だったんですよ。お皿はみんな引っくり返しちゃうわ、薪さんには飛びかかるわで」
 苦笑いしながら、テーブルの上にコップや小皿を並べる青木に、岡部が土産に持ってきた日本酒を手渡す。秋田の地酒、そうだ、岡部は先週から東北に出張だったのだ。
「この人は岡部さんだよ。ご挨拶して」
 最初の日、朝食を台無しにしたのは自分じゃない、と反論したかったが、無駄だと分かっていた。薪は人畜無害を装って、素直に岡部に頭を下げた。

「ああ、こちらこそよろしく、って、言葉は分かるのか?」
「だいたいは通じますよ。言ってる事は分かりませんけどね。この仔はネコ語しか喋れないんで」
 言葉が分かると聞いて、岡部はコソコソと青木に内緒話を仕掛けた。が、薪には丸聞こえだ。元来の地獄耳に加えて、猫耳まで追加されているのだ。うっかりすると寝室のベッドが軋む音まで聞こえてしまって、辛い思いをしている。

「なんでおまえのシャツを着てるんだ?」
「尻尾が邪魔でズボンが穿けないんですよ。下着だけは薪さんのを何枚か拝借して、お尻の部分を切り取って穿かせてるんですけど」
「だからっておまえ、ありゃあ……目の毒じゃないか?」
「可愛いですよねっ。薪さん、絶対にあんな格好してくれないから。オレ、もう手放せなくって」
「おまえの変態趣味は聞いとらん。薪さんが嫌だろうと」
「初めは嫌がってましたけど。今はもう平気みたいですよ」
 平気どころか、優越感に浸りまくっている。彼は日々、完璧な薪剛に成りおおせていく、薪の存在を乗っ取って行く。取って代わられた薪は居場所を失い、萎縮し、弱気になって行く。その様子を楽しんでいるのだ。
 そのくらいは薪にも分かっている。自分の性格の悪さは自覚しているつもりだ。だから薪が大人しくしているのは彼を油断させるため、青木に危害を加えさせないためなのだが、日が経つにつれて演技と本心の境が曖昧になってきている。自分といたときより、今の青木の方が幸せそうに見えるからだ。
 もしかしたら彼は、青木に言ったのかもしれない。薪がどうしても言えずにいる言葉を。青木が心から待ち望んでいる言葉を。それを薪に宣言した時と同じように、揺るぎない瞳で告げたのかもしれない。
 最初は、比べることすら論外だと思っていたけれど。
 一生を共にする決意を表明してくれる彼と、何年経ってもそれを口にできない臆病者の自分。青木に幸福を与えられるのは、むしろ。

「今日はお友だちが美味しいお酒を持ってきてくれたんだ。此処で飲むから、きみは寝室で休みなさい」
 こくんと頷いて、薪はリビングの隅に畳んであった自分用の布団を寝室に運んだ。ドアを閉める際に、ほんの少し開けておく。彼らの様子を伺うためだ。
「……本人としか思えんな」
「ぷ。薪さんなら、こんなに聞き分けよくないですよ。秋田の美酔冠ですよ? 僕にも飲ませろって、大騒ぎに」
「いや、あの人はあれでけっこう」
 ふうむ、と唸って、岡部は座布団に腰を下ろし、「不思議なこともあるもんだ」と呟いて裂きイカの袋を開けた。

「驚いただろう」
 笑いを含んだアルトの声がして、バスルームから彼が出てきた。髪をタオルで拭きながら、岡部の隣に腰を下ろす。その様子は朗らかで、青木の眼が届かないところで薪に脅しを掛けてきたのと同じ人物とは思えない。抜け目のない彼は、勿論、今日の会合についても薪に釘を刺していた。寝室に入って息を殺していろ。そう言い渡されていた。
「あいつ、僕に耳とシッポが生えたようにしか見えないだろ。現実主義者のおまえには、到底信じられないんじゃないか?」
「そりゃあ、話を聞いた時には何の冗談かと思いましたがね。実際に見せられちゃ、あれは、ああいうモノだと思うしかないですよ」
「さすが岡部だ。賢明だな」
 うっとりするほど美麗に微笑んで、彼は日本酒の封を切った。岡部の酌で一口飲んで、美味い、と嬉しそうにぐい飲みを飲み干す。岡部は出張に出るたびに、薪の好みの地酒を探して来てくれる。彼の善意が詰まった酒が不味いわけがない。
「気に入りましたか?」
「ああ。おまえも飲めよ」
 彼の返杯を受けながら、岡部は上司にそっくりの不思議な生き物に話を戻した。

「ずっとここに置いておく気なんですか?」
「元気になったら森へ返す約束だったんだが、こいつがエライ熱の入れようでな。この2週間というもの、僕のことはそっちのけで、あのキメラに掛かりきりだ」
「だって可哀想で」
 恋人に当てこすられて、青木は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
 薪が此処に居られるのは、青木の我が儘のおかげだ。青木のアパートは動物禁止で、だから彼に場所の提供を頼み込んだわけだが、そのおかげで青木はずっと薪の家にいる理由を手に入れた。この状況は、薪にメロメロの青木にとってはつまり最高で、今ではどちらが目的だか怪しいものだ。

「あの仔はまだ子供なんです。一人じゃ生きていけませんよ」
「子供の眼じゃなかったがな」
 岡部が呟いた言葉に、偽者の眼が鋭く光った。薪の背筋がゾッと冷たくなる。
 岡部に真実を悟られるようなことになったら、彼まで被害に遭うかもしれない。ここで一緒に暮らしている限り青木には目が届く、が、岡部までは守りきれない。

 ――自分はいなくなった方がいいのかもしれない。

 自分がいなくなれば、彼の秘密は守られる。彼の言葉を信じるなら、薪さえ大人しくしていれば他の誰かに危害を加えることはない。まだ2週間くらいだが、その約束はきちんと守られていると言ってよかった。
 自分が姿を消せば、それこそ森の中に隠れ住めばよいのだろうか。それが彼らを守る方法なのだろうか。

「薪さん。何か腹に入れた方がいいですよ」
 空きっ腹に強いアルコールを入れたら胃が荒れます、と岡部は母親のように上司の世話を焼く。うるさい、好きに飲ませろ、と薪なら突っぱねる所だが、彼はそんなことはせずに、
「夕方、差し入れのケーキを食べたから。お腹が一杯なんだ」
「薪さんは本当に小食ですね。こないだも差し入れのミートパイを食べたから、夕飯が食べられないって。せっかくレストランに寄ったのに、オレ一人でスパゲティ食ったんですよ」
「そう言えば薪さん、この頃よく女子職員からの差し入れを食べてますよね。どういう心境の変化ですか? 以前は、よく知らない人間からの差し入れなんか何が入ってるか分からない、なんて言ってたじゃないですか」
「他人の好意に対してそんな態度はよくない、って言ったのはおまえだろ」
 仲の良い友人同士が酒の席で交わす他愛もない会話。それは、我が身の振り方について思案を重ねる薪から、今はなんて遠いのだろう。
 あそこは僕の居場所だったのに、と薪は幾度目かの嫉妬に胸を焦がす。岡部と青木と三人で、酒飲んでバカ言って、いつの間にかそれが普通になっていた。貴重なものだという認識も薄れていた、こんな風に失うなんて思わなかったから。薪があの場所に座ったのは3週間前、最後になると分かっていたら岡部の好きなちらし寿司を作ってやったのに。

「薪さん。先日の誘拐事件、お見事でした」
 岡部の口から事件の話が出て、薪は耳を澄ました。ケモノの耳が自然にピンと立つ。気付いて、失笑した。捜査に参加することもできないのに。刑事の習性は簡単には抜けない。
「身代金受け渡しの際に犯人が事故死して、誘拐された子供の居場所が分からなくなって。なのに、いくらMRIを見ても子供が出てこない。真犯人に頼まれて金を受け取りに来ただけだと判明したものの、肝心の真犯人が分からない。まさか、駅員だったとは」
「毎日顔を合わせるけど記憶には残らない。見えない犯人、てところだな」
 似たような事件は過去にもあった。彼は薪の記憶を網羅している上に、薪よりも優れた頭脳を持っているのだ。これまで以上に成果が上がって当然なのかもしれない。
「誘拐されてから日にちが経ってましたからね。子供の体力を考えると、命の危険もありましたよ。しかし、あれだけの視覚情報からよくあの駅員に辿り着いたと」
 岡部が彼の仕事ぶりに感服している様を見せ付けられるのは、青木の恋人としての立場を奪われたとき以上の悔しさだった。社会に於いて自分が無価値だと判断されることは、社会的な死を意味する。懸命に築いてきたキャリアを横から攫われ、恋人や仕事仲間まで根こそぎ奪われて。自分にはもう何も残っていない。こんな寂寥感は鈴木を失ったとき以来だ。

「薪さん、探し物得意ですものね」
 不謹慎だぞ、青木。誘拐事件の被害者をおまえのうっかり置き忘れと一緒にするな。
 薪だったらそう言って後ろ頭の一つも叩いてやるところだが、彼は穏やかに微笑んだまま、青木の軽口を聞き流した。彼は家では決してやさしい恋人の面を外さない。同じように、職場ではデキる上司の面を被っているのだろう。

「俺の家の探し物も、当たりを付けてもらえませんか」
 探し物と聞いて、岡部は思いついたように言った。
「何か無くなったんですか?」
「ネコが。いなくなっちまったんですよ」
「ネコって、あの子猫か? お母さんが拾ってきた」
 ええ、と岡部は頷き、青木は首を傾げた。青木は岡部の家に上がったことがないから、彼の家にいる年若い義母と子猫のことを知らない。薪の記憶を持つ彼は当然そのことを知っていて、だから岡部が彼に疑念を抱く理由は何もなかった。
「猫がいなくなるときって、その、自分の……」
「俺もそうだと思ったんだけど。おふくろが納得しないんだよ、あの人が拾ってきた猫だから。毎日、近所を探し回っててさ」
 青木が言い難そうに言うと、岡部はとっくにその可能性を視野に入れていたようで、あっさりと同意した。その傍らで薪の姿をした生物がぐい飲みを傾けながら、薪の記憶を基に自分の考えを述べる。
「あの猫、まだそんな年じゃないだろ。事故か何かじゃないのか」
「ええ、ですからね。早く見つけて、弔ってあげたいんですよ。その方があの人も落ち着くだろうし」
 相変わらずお母さん思いなんだな? と薪は心の中で岡部に意味深な笑いを送り、彼らの関係を微笑ましく思った。

「いなくなったのはいつ頃だ?」
「1週間前です」
「1週間か。どこかの民家にでも保護されているといいけどな」
 本物の猫なら、そんな風にしても生きていける。こんな中途半端な変化ではなく、いっそ本物の猫になってしまえば。
 そうしたら。

 この記憶も消えるのだろうか。
 鈴木のことも、青木と愛し合ったことも、今の忸怩たる思いも。みんなきれいに無くなって、目の前のネズミを追いかけることだけに熱中できる、そんな幸福な生活が送れるのだろうか。

 声もなく笑って、薪は肩を揺すった。
 冗談じゃない。
 忘れたくない、何もかも。辛かったことも苦しかったことも、今現在の煮え湯を飲まされたようなこの気持ちも。薪が薪でいるためには必要なものなのだと、薪は知っている。消せない過去が今の自分を作るのだと、その積み重なった過ちこそが人を輝かせるのだと、薪の人生を全肯定してくれた男が教えてくれた。だから忘れない。
 記憶は盗まれたけれど、自分の中から消えてしまった訳ではない。だから自分は、これからも薪剛として生きていく。愛する人々と同じフィールドにいられなくなっても。

 薪はその夜、一人で決意を固めた。2週間前の最初の日と同じように、たった一人で。




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キセキ(9)

 コメントのお返事返し終わってないの、すみませんです。
 でもほら、薪さんが可哀想だから早く先を、て、
 エスカレートしてく気がする。




キセキ(9)





「はい、次は」
 要求される前に、薪は右手を差し出した。
 湯煙が充満するバスルーム。向かいには青木がいて、薪の身体を洗ってくれている。いつもと何ら変わりない風景――薪の尻に尻尾さえ生えていなければ。

「驚いた。身体を洗う順番も薪さんと一緒だ」
 クスッと笑って、青木は楽しそうに薪の手を取る。彼の大きな手に載せられた薪の手はケモノのそれで、ボディタオルもバススポンジもつかめない。爪を立てると破れてしまうので、仕方なく青木の世話になっている。
 薪が唯一扱えるのは柄の付いたボディブラシで、これなら両手で挟むようにして動かすことができる。しかしそれは単純な動きに限られるし、片手では使えないから背中には届かない。結局、誰かに手を貸してもらわないといけないのだ。

 青木が鼻歌混じりに泡立てるボディソープに包まれていく肌は、日本人にしては過ぎるほどの白さ。目を凝らせばそれが、湯の火照りでごくごく薄い桜色に染まっているのが分かる。全体的に華奢で幼げな雰囲気なのに、ぽつんと赤い二つの乳頭と、身体の中心はすっかり大人で。頭部の猫耳とのギャップが見るものを惑わすのか、薪の裸を見慣れたはずの青木は、やに下がった顔つきで、
「こういうの、エロかわいいって言うんだよね。たまんないなあ。て、子供のきみには何言ってるか分からないよね、ごめんね」
 安心しろ。おまえが真性のヘンタイだと言うことはとっくに知ってる。

 やけくそになって薪は右脚を突き出し、青木の膝に投げるように載せた。「乱暴だな」と苦笑しながらも楽しくて仕方ないと言うように、青木は薪の脚を丹念に洗う。膝の裏とか内股とか、ちょ、そこから先はダメだろ、相手が本当に子供だったら犯罪だぞ。
 ぎょっとして足を閉じようとするのを大きな手が強引に阻み、力技で押し開く。無遠慮に伸びてくる指に、薪の髪の毛が逆立った。
「ここもキレイにしようね」
 いや、いい。そこは自分の手で、もとい、肉球で洗うから。
「恥ずかしがることないから」
 恥ずかしいのはおまえの鼻息だ、その締まりのない口元もどうにかしろ。ていうか獣人相手になんの冗談だ、その股間は。
「オレに任せて、ぎゃん!」
 不謹慎な箇所に思い切り蹴りを入れてやった。力加減なんか誰がするか。
「反応まで薪さんにそっくり、イタタ……」
 涙目になった青木にシャワーを掛けてもらい、湯船に入る。追っかけ青木も入って来ると、バスタブからざあっと湯が溢れた。

「気持ちいい? お風呂、好きなんだね」
 風呂好きの薪は、お湯に浸かると自然に笑みが零れる。好感情の波に便乗する形で、青木は先刻の狼藉をお湯と一緒に流す。蹴られたことなどすっかり忘れたように薪に笑いかけた青木を、狡いやつめ、と睨みつけるが心地よさに勝てない。
「薪さんも風呂好きでさ。きみ、本当に薪さんの親せきじゃないの?」
 青木の言葉を理解していない振りを装って、薪は眼を閉じた。自分が本人であることを彼に分からせるのは、今では危険な行為だったからだ。

 たった数日で、薪の身体はめきめき回復した。あれだけの大怪我だったのに、獣人に変えられたおかげで自然治癒力が向上したのかもしれない。
 青木の献身的な看病も、大いに薪を元気付けてくれた。薪に付き添うため、青木は月曜から連続で、有給休暇を取った。もともと第九では冬の閑散期に有給を消化する職員が多いのだが、何分急なことだったので、代わりに年末年始の待機当番を買って出たとかで、今年の除夜の鐘は第九で聞くことになりそうだと笑っていた。
 その話を薪は、熱に浮かされながら聞いていた。
「おまえは本当にお人好しだな」と彼が言うのに、青木は薪の額に浮いた汗を拭きながら、
「だって、薪さんと同じ顔なんですよ。放っておけるわけないじゃないですか」
 と、どこかしら嬉しそうに言って、盥の水にタオルを浸した。
 昔から青木は、薪が寝込むと張り切るのだ。僕が病気になるのがそんなに嬉しいのか、と皮肉を言いたくなるくらい。自分が薪の役に立つ、それが実感できることに喜びを感じているのだと、分かっていても思いついた皮肉は言わずにいられないのが薪の性格だ。今度ばかりは黙っているしかなかったが。

 風呂から出ると、彼がバスローブ姿で本を眺めていた。青木の姿に気付くと、ソファから立ち上がって、当然のように彼の手を取った。
「湯冷めしないうちに寝るんだよ」
 そう薪に言い置いて、青木は彼と一緒に寝室へ入って行った。言われた通り、薪はリビングに設えられた自分の寝床に入り、頭から布団を被った。

 バカバカしくてやってられない。風呂で僕の裸を見て欲情してたくせに、青木が実際に抱くのは彼だ。人を興奮剤代わりにして、僕はラブホテルのAVビデオか。
 言葉でいくら強がっても、薪の心は悲しみでいっぱいだった。青木が自分以外の誰かとベッドを共にするなんて、一度もされたことがなかったから。

 いくら耳を塞いでも、閨の音は聞こえてきた。ひどく辛かったが、それは薪には止めようがなかった。下手に邪魔をすれば青木の身が危ない。見ない振り、聞かない振りでやり過ごすしかなかった。
 寝具をリビングの隅、寝室から一番離れた場所に引っ張っていって、布団に埋没した。耳を押さえて、でも今の薪には耳が4つある。全部塞ぐには手が足りない。
 これから毎晩こうやって、二人が愛し合う声を聞きながら眠らなければならないのだろうか。青木が自分以外の人間を抱く姿を、嫌でも思い浮かべながら。

 気が狂いそうだと思った。

 青木の命が懸かっているのだ、こんなことは大したことではないと。何度自分に言い聞かせても、暴走する心を抑えることができない。感情が理性を蝕む。どうしようもなく歪んでいく。
 自覚はあったけれど、ここまで聞き分けの無い嫉妬心を持っていたとは。もしかしたらこの耳と尻尾は、獣じみた自分の独占欲に対する神さまの罰なのかもしれない。

「あ、やっぱり」
 さっと布団をめくられて、身体を丸めた薪の姿が常夜灯に照らされた。顔を上げると、青木が心配そうにこちらを見ていた。
「なんとなく泣いてる気がしたんだ。どこか痛むの?」
 薪は俯いたまま、首を振った。彼と愛し合った直後の、幸せに溢れた青木の顔なんか見たくなかった。

 僕は大丈夫だから彼のところへ戻れ、と薪は叫ぶように言った。青木に伝えたかったのではない、彼に聞こえるように言ったのだ。すると青木は慌てて人差し指を唇にあて、しいっと息を吐いた。
「静かに。薪さんが起きちゃう」
 セックスの後は墜落睡眠。そんなところまでトレースしたのか。青木に疑われないための作戦かもしれないが。
「さては一人じゃ眠れないんだな。おいで」
 子供扱いするなと、思ったけれど言えなかった。たった今、他の人を抱いたくせにと、彼には責のないことで彼を責めたくなったが我慢した。青木の温もりを、今の薪は猛烈に欲していた。
 青木の胸に飛び込んだ。青木はいつものように、ぎゅっと薪の背中を抱きしめてくれた。
 青木からは、彼の匂いがした。百合の香り――彼の移り香だ。
 それが自分の体臭だった頃は分からなかったけれど、今は羨ましい。現在の薪からは、獣の匂いがするからだ。

 それからは、それが習慣のようになった。
 青木は2日と空けずに彼と愛し合って、その後、薪のところへ来る。そのまま寝室で眠ってしまうこともあったが、だいたいはリビングで眠っている薪の傍に朝までいてくれた。
 偽者にとってこの状況は甚だ不愉快だと思われたが、彼は青木を非難したりしなかった。薪に、事態の改善を求めることもなかった。ただゆったりと構え、青木が珍しいペットに飽きて自分の所に戻ってくるのを待っていた。寛大な年上の恋人の姿そのものであった。

 他の日常についても、彼には文句のつけようがなかった。
 青木の生きがいとも言える毎日の食事も、彼は決して手抜きをしない。冷蔵庫にあるもので適当に拵えてしまう薪と違って、彼はきちんと計画を立てて過不足無く材料を揃え、レシピ通りの料理を作る。薪みたいに、やたらとピーマンが多い青椒肉絲とか三つ葉の代わりに春菊が載った親子丼なんか作らない。「腕上げましたね」と青木に褒められてにっこり笑った彼は、薪の眼から見ても理想の恋人だった。
 やさしくて料理が上手くて気が利いて、あっちの欲求にも素直に応じてくれる。拗ねる年下の恋人が可愛くてついつい苛めてしまう薪と違って、彼との生活は和やかに流れていくような気がするし、夜の生活に到っては、10日に1回応じるかどうかだった自分よりも青木の満足度は高いに違いない。

 一番の懸念だった仕事も、彼は上手くこなしていた。そのことを薪が知ったのは、この姿になって二度目の週末だった。






*****


 Aさんはじめ、あ、SさんとKさんもか、とにかく、
「青木さんは本物の薪さん以外とエッチしちゃダメ党」の方々、
 泣かないでー、しづを信じてー。(←どうやって?)



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キセキ(8)

 今日はいいお天気なので、桜を追いかけて北上してきます。
 薪さんがどんどん追い詰められてるのに、暢気でスミマセンです。

 
 


キセキ(8)






 夜半過ぎ、薪は人の気配に目を覚ました。
 誰かが自分を見ている。だれか、などと考えるまでもない。隣に敷かれた布団からは、もうすっかり耳が覚えた青木の寝息が聞こえるのだから、残るは彼に決まっている。薪は慎重に目を開いた。

『独りじゃ寂しくて眠れないのか』
 先制攻撃を仕掛ける。身体は思うように動かないが、気持ちだけでも負けてはダメだ。
「寝返りも満足に打てないくせに、生意気なヤツだ。命が助かっただけでもありがたいと思えよ」
 相手からも敵意のこもった応えが返ってくる。それは異様な光景だった。
 まったく同じ、美しい顔が二つ向かい合い、睨み合う。片方は傷ついて横たわり、もう片方はその傍らに片膝を立てて座っている。常夜灯がその緊迫感を演出するように、仄暗く光っていた。

『助けてもらってありがとう、とでも言って欲しいのか。僕はそんなにお人好しじゃないぞ』
「僕じゃない。青木が君を助けたんだ」
『解ってる、野犬を追い払ったのは青木だ。でも、青木をあの場所に連れてきたのはおまえだろう』
 青木は剣道4段、棒さえあれば野犬を追い払うことくらい朝飯前だ。が、森の中から薪を探し出すことはできなかったはずだ。あの場所に薪を連れて行ったのはこの男だし、薪の悲鳴を聞きつけたところで、それは動物の鳴き声でしかなかった。千里眼でもあるまいし、彼の道案内がなかったら不可能だ。
 しかし、事実は薪の予想を裏切った。

「君を見つけたのは彼だ」
 まさか、と薪は彼の言葉を鼻で笑い飛ばした。軽くいなされてプライドに障ったのか、彼はぎゅっと眉をしかめて、
「君の居場所が何となくわかるって。イヌか、あいつは」
 驚いた。青木にそんな特殊能力があったとは。
 そういえば昔、岡部にからかわれたことがある。あまりにも見事に薪の所在を言い当てるものだから、「青木のやつには薪さんに反応するセンサーでもついてるんですかね?」と。だがそれは職場内でのこと、あの広大な森の中でそのセンサーとやらが役立つとは、常識では考えられなかった。

「怪我が治るまでこの家に置いてやってくれって。青木が土下座して頼むから、仕方なく許したんだ。僕たちの邪魔をするな」
『あいにくだな。不当に恋人を奪われて、大人しくしているほど腑抜けじゃない』
 彼の目的が青木の中にある何かだと、いまや薪は確信していた。彼は青木に近づくために、薪の立場を乗っ取った。さっきのやり取りを見ても分かる、目的のために彼は、青木に嫌われるような行動が取れないのだ。
 青木に危害を加える気がないのなら、何も怖れることはない。当初の予定通り、自分が薪だと青木に分からせて、こいつを追い出すまでだ。

「本当に生意気なサルだな。僕にそんな口を利いていいと思ってるのか?」
 強気に出た薪に向かって彼は、背筋が寒くなるような冷ややかな視線をくれ、
「青木をおまえと同じ身体にすることもできるんだぞ」
 彼の脅迫に、薪の顔色が変わる。
 外見が人間でなくなっても、中身は変わらない。彼の目的が青木の中身なら、それでもいいのだ。むしろ好都合かもしれない。こんな身体にされたら仕事にも行けなくなる。必然的に彼に頼って生きなくてはならなくなるのだ。
『止めろ! 青木には手を出すな!』
「だから。それは君次第だって、何度も言っただろう? ホントに頭悪いな」
 青木の未来はおまえの言動に懸かっているのだと、迫られて薪は何も言えなくなった。破れるほどに唇を噛み、憎しみの籠もった瞳で自分と同じ顔を睨み上げる。

「何も心配することはない。僕は君が生まれる前から、こうして誰かに成り代わって生きてきた。人間の人生は何度も経験済みだ」
 今まで何人もの人生を食いものにしてきたと、彼は嘯いた。人間がどういう生き物か、薪より良く知っているし上手くやれる、そう言ってのけた。彼に己の存在を奪われた人間は、人知れず闇に葬られたのだろう。森の中で薪が、野犬の胃に納まる予定だったように。
「君さえ大人しくしていれば、君はこのまま僕たちのペットとしてのんびり暮らせるし、僕は一生青木を大事にする。3人で仲良くやろうぜ」
 友好的な、でも到底納得できない和睦条件に、薪は眼を伏せた。事実上の敗北宣言だった。

 青木を人質に取られたら、どうすることもできない。
 自分が本物の薪だと青木に伝えることができたとして、それでどうなる? 彼の正体を知った青木を、彼が放っておくわけがない。青木を今の薪と同じ、人間の世界では暮らしていけない姿に変えて、それで青木の信頼を失ったとしても、次のターゲットを捜せばいいだけの話だ。彼には何のリスクもないのだ。

 守らなければ、と薪は思った。
 彼と刺し違えても、青木の身を守らなければ。

 自分の身体をこのようにしたのが彼なら、元に戻せるのも彼だけだと、今では分かっていた。首尾よく彼を仕留めることができたとして、薪は人間に戻れなくなる。それでも。

 薪の沈黙を協定受諾の証に捕らえてか、彼は立ち上がった。それから薪の頭上を迂回し、眠っている青木の顔に、これ見よがしにキスをした。
「分かったな。もう、この男は僕のものだ」



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キセキ(7)

 こんにちは。

 薪さんのお怪我が心配だと思うので、急ぎ続きをアップしますー。
 しづ、いい子。






キセキ(7)





 長い夢から醒めて眼を開けると、薪の傍には青木が佇んでいた。場所は自宅のリビングで、薪はソファの上に寝ていた。うたた寝していたらしい。
 薪が起きたことに気付くと、彼はにこりと微笑んで、薪の額や髪を慈しむように撫でた。
 ああ、いつもの青木だ。
 酷い夢だった、しかもあの長さ。昨夜、寝る前に飲んだワインがまずかった、やっぱりワインは体質に合わないんだ、と薪は自分の行動を振り返り、悪夢に一応の理由を付けた。
 なんだか身体中が痛いのは、戯れに試したアクロバティックな体位のせいだ。あんな風に身体を開かされた上にがつがつ押し込まれたら、関節に痛みが出て当然だ。筋肉痛にしては裂傷のように激しく痛むのが不思議だけど、寝ていればそのうち治まるだろう。

『青木』
 誰かに呼ばれて、青木は振り向いた。この家には彼と自分しかいないはずなのに、いったい誰が、と眼を開ければ、ドアの向こうからもう一人の自分が彼を手招きしていた。
 なんてことだ、夢じゃなかった。
 青木はいそいそと走り寄り、彼の白い手を取った。
『青木。早く』
 まるで薪に見せつけるように青木の腰に手を回した彼は、見れば白いバスローブ姿で、今さらながらに気付けば青木もお揃いのバスローブを着ていて。二人が立ったまま抱き合っているのは寝室の入り口で、当然その奥にはベッドがあって。彼が青木に何をせがんでいるのか、嫌でも分かった。
 待ち切れなくなったように、彼は背伸びをして青木の唇にキスをした。ふっくらと少女めいたくちびるが青木の男性的な唇に包み込まれ、開いた口の隙間からお互いの口内を行き来する舌が嬉しそうに跳ねる様子が見えた。
 やがて息が続かなくなると、彼らは名残惜しそうに離したくちびるの代わりに、互いの手の指を組み合わせた。うっとりと青木を見上げる彼の美貌は、美酒に酩酊したアドニスさながら。そんな彼を愛おしそうに見つめる青木の瞳。銛でも打ち込まれたように、薪の胸がぎりぎり痛む。
 そんな風に、僕以外の人と指を絡めたりしないで。そんなに優しい目で彼を見ないで。それは僕じゃない。

 騙されるな青木、と何度も何度も叫ぶのに、薪の声は彼には届かない。否、音声は届いている、でも意味は伝わらない。忌々しい猫の声しか出せない、間に割って入りたくても身体が動かせない。今の薪に、彼らを止める術はなかった。
 寝室のドアが冷たく閉まる。薪の頬を悔し涙が伝った。

 青木のバカ青木のバカ青木のバカ。
 繰り返しながら身体を丸める、この体勢は大事なものを守ろうとする本能なのだと、薪は森の中で知ったばかりだ。彼らのことを考えると心が潰れてしまいそうだから、こうして守って、必死で守って、――ちがう。
 こんなことをやってる場合じゃない。大事なものはここにはない。
 彼は人間じゃない、青木が何をされるか分からない。青木を助けなければ。
 でも、身体が動かない。痛みも強いけれど、もっと別の何かが薪の動きを封じている。彼の特殊能力かもしれない。人間の姿を取ったら特別な力は無くなると彼は言ったが、真実とは限らない。この身体の重さは尋常じゃない。
 何かに縛られているみたいだ、と身を捩ればそれは現実のものとなって、薪の胴体は紐状のものでソファに括りつけられている。動物の毛のような、果たしてそれは薪の腰から生えた尻尾だった。ふさふさとした太目の尻尾は細く伸びてロープのような形状になり、薪の身体を縛り上げていた。
 何でも有りもここまで来ると反則だ。いい加減にしてくれ、と喚く薪の声が、広いリビングに虚しく響く。
 バカ青木、気が付け、外見に惑わされるな、それは僕じゃない、人間ですらない。僕はここだ、ここにいる。僕のところへ戻って来い、早く早く早く。

 ここまで力量差のある相手を敵に回したのは初めてだ。先の見えない戦いに翻弄される。その勝率の低さは薪を絶望に導き、ともすれば諦めてしまいそうになる自分を、薪は強く叱りつけた。
 僕が諦めてどうする。青木を助けられるのは自分しかいない、考えろ、考えるんだ。彼の目的は何で、青木にはどういった危険が迫っているのか。
 一番ハッキリしてるのは貞操の危機だけど、ちくしょうあの偽者僕の青木にキスなんかしやがって、って今それどころじゃないってば、ああでもムカつく!

 嫉妬心を腹の底に押し込んで、薪は彼の言葉を思い出す。
 青木の肉体は傷つけない、と彼は言った。生命エネルギーを吸い取るのでもないと。それが本当で、且つ、彼が薪と入れ替わった理由が薪の社会的立場と関係がないなら、むしろ彼の目的は青木にあるのではないか。
 青木から何かを搾取する。その為に、青木の恋人である薪に成り代わった。
 そこまで考えを進めた薪は、事件の謎を解くときのように、相手の立場になって物事を見直してみた。もしも薪に超常的な能力が備わっていて、青木から何かを奪い取るとしたら。

『……身長?』
 ないない、と薪の知らない場所から幾つもの声に突っ込まれた気がしたが、それ以外本当に思いつかなかった。青木にあって薪に無いものと言ったら身長以外は何もないような、ていうか、だったら青木に成り代われば済む話では?
 本当のことを言えば、青木の中には薪が憧れるものがたくさん詰まっている。形のあるものではないが、彼の行動の基盤となるもの、薪には真似のできない純粋さとか素直さとか、でも仮にそれが欲しいのだとしたら、身長と同じで青木になればよかったのだ。わざわざ薪の姿を取った理由が分からない。
 自由に姿を変えられるのに、なぜ彼は薪に変化したのか。なぜ青木と一生涯愛し合っていくと宣言したのか。
 考えがまとまらない。懸命に抑えているが、本音では寝室で彼らが何をしているのか、気になって仕方ない。どちらにせよ、こんな身体になってしまっては青木の相手はできないと思ったけれど、何も隣の部屋でイチャイチャしなくたって。手元にロケットランチャーがあったらブチ込んでやりたい。

 薪の攻撃的な思考を責めるように、身体に巻き付いた尻尾がぎゅっと締まった。野犬に噛まれた脇腹に食い込んで、すごく痛い。思わず呻くと、弱々しい猫の鳴き声が聞こえてくる。情けない限りだ。尻尾の締め付けは益々きつくなる。このまま尻尾に胴体を切断されて、死んでしまうのかもしれない。内臓が飛び散ったらソファは買い直しだ、気に入ってたのに、と薪は、死にゆく自分には全く関係のないことを憂いた。
 息をするのも苦しくなってきて、薪は身を捩る。と、とどめを刺すかのように、鼻と口を濡れた布のようなものでふさがれた。
 本気で息ができない。悲鳴も上げられない。頭に血が昇って、頬が熱い。

「あ、やば」
 心の叫びが肉声になって聞こえてくる。それは薪の声ではなかった。
「ちょっと眼を離した隙に、額のタオルが顔に落ちて……あんまり動くから」
 聞き慣れた声に眼を開ける。別の人と寝室に入ったはずの恋人の姿が瞳に映って、薪は混乱する。どうして青木がここに?
「やっぱりソファだと寝苦しいのかな。毛布が体に巻き付いちゃってるし。薪さん、床に布団敷いてあげてもいいですか?」
 バスローブ姿だったはずの二人は、今は部屋着を着ていた。では、さっきのは夢? それともあれから何時間も経っていて、日付が変わったのだろうか。だとしたら今日は月曜日、青木がここにいるはずがない。

「来客用の布団は勘弁してくれ。毛が付く」
「お願いします。来月のお給料出たら、新しいの買って返しますから」
「おまえ、土下座さえすれば僕が全部許すと思ってるだろ」
「そんなこと思ってませんけど、薪さんがやさしいのは知ってます」
 肩を竦めて、彼は薪の仕事机に向かった。薪が昨日読み掛けていた小説のページを、つまらなそうにめくり始める。人間が書いたものなんか読んで面白いのだろうかと疑問に思ったが、薪の記憶に残っていた物語は途中だったから、続きが気になったのかもしれない。

 青木はクローゼットから来客用の布団を一組持ってきて、床に延べた。固いと傷に障るだろうと、敷布団は二枚重ねにして、洗濯したシーツを被せる。
 床の用意ができると、青木はそうっと薪を抱き上げて、そこに寝せてくれた。身体に纏わりついていた毛布が外れて、薪はやっと、自分が包帯でグルグル巻きにされていることに気付いた。脚も腕も胴回りも、出血を止める為か、かなりきつめに巻いてある。それであんな夢を見たのか。

 青木は慎重に薪を運んでくれたが、それでも深手を負った身体には強い痛みが走った。思わず眉をしかめると、青木は気の毒そうな顔になって、薪の顔の汗をタオルで拭いてくれた。
「痛むかい? 怪我のせいで熱があるんだよ」
 ローテーブルの上に、風呂場で使っている盥が置いてあった。氷の破片が浮いた水の中でタオルを濯ぎ、絞って額に載せてくれる。先刻、薪の鼻と口を塞いだ犯人は、どうやらこいつだ。

「雪子先生に診てもらえれば安心なんだけど。まだ産休中だし」
 雪子は先々月女の子を出産したばかりで、現在は青森の実家に里帰り中だ。薪の生死が懸かれば生まれたばかりの子供を親に預けてでも駆けつけてくれるだろうが、それはもちろん薪が望むことではない。こんな出来損ないのSFみたいな話に、これ以上大事な人を巻き込みたくなかった。
「人間の薬、飲ませても大丈夫かな。薪さん、どう思います?」
「心配なら犬猫病院へ連れて行け」
「それは駄目です。研究材料にされちゃいます」
 冷酷に響く声音に、珍しくも青木は真っ向から逆らって、
「この仔はオレが守ってあげないと」と自分に言い聞かせるように呟いた。

 青木に撫でられた髪はべたついていて、申し訳ないと薪は思った。手が汚れてしまうから触らないでくれ、と言いたかったが、青木はやさしく薪の髪を撫で続けた。
 青木が薪のことばかり構っているのが面白くないのか、偽者は苛立たしげに本を閉じ、くるりと回転椅子を回して、
「青木。僕はおまえが泊まり込みで世話をするって言うから、そいつを家に上げたんだぞ」
 そんな条件を出していたのか。やはり、彼の目的は青木なのだ。
 彼の本心は分からないが、彼は青木と一緒に過ごす時間を増やそうとしている。慈悲深く振る舞うことで青木の信頼を勝ち取る、野犬から薪を救ったのはそういう目論見からだろう。この怪我では邪魔をすることもできまいと、計算した上で家に連れてきたのだ。

「おまえが泊まり込むってことは朝から晩まで一緒に居られるってことで、だから僕は」
 そいつのことが心配だったわけじゃない、おまえが傍にいてくれるのが嬉しいから、と彼が健気に訴えるのに、青木はにっこり笑って、
「はい、オレが24時間体制でこの仔の面倒は見ます。薪さんには絶対に迷惑掛けませんので、安心してください」
「……それは助かる」
 鈍い、鈍すぎる。なんだか偽者が可哀想になってきた。
 いつもの薪ならこんなことは口が裂けても言わないから、青木もそちらに考えが回らないのだろう。普段から冷たくしておいて正解だ。

「だが青木。もうそろそろ休む時間じゃないか?」
「そうですね。あ、お風呂沸いてますから。どうぞ」
「いや、たしか風呂は、いつも一緒に」
「こんなに汗をかいて可哀想に。ねえ薪さん、この薬、飲ませてもいいでしょう?」
「……僕に聞くな」
 量を加減すれば大丈夫だよね、と青木は何の根拠もないことを言って、錠剤を半分に割った。それを薪の口に含ませ、吸い飲みで水を飲ませてくれる。もう半分は自分が飲んで、見れば青木の手首には薪を助けた時に負傷したのだろう、大きな絆創膏が貼ってあった。野犬に噛まれたのなら、絆創膏などで済ませずに病院へ行くべきだ。日本では狂犬病ウィルスは撲滅されたはずだが、万が一と言うことがある。
 熱のせいで苦しい呼吸の下から薪は諭したが、青木には当然伝わらなかった。言葉を失うことの不自由さに歯噛みする薪に、青木はすっと顔を近付けて、
「大丈夫だよ、今夜はずっと付いててあげるから。安心しておやすみ」
 頬に、青木の温かい手を感じたら、急に眠気が差してきた。眼を閉じた薪の耳に、ぱたんとドアを閉じる音が聞こえた。



*****

 ふふふ~、S展開はこの後が本番だよ~。←悪い子。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

キセキ(6)

 薪さんの偽者は、この話では当然悪役です。 なのに、何故かみなさん「偽薪さん」とさん付けで呼ばれてるのが微笑ましいです。(^^ 
 薪さんと名が付けば、悪人でもさん付けしちゃいますよねww。


 さて、お話の続きです。
 果たしてネコ薪さんは野生化して森中の動物達を従え、エイリアンと全面戦争に持ち込むことができるのか! ←そんな話だっけ?





キセキ(6)







 彼の姿が見えなくなってから薪が最初にしたことは、自分の居場所を確認することだった。
 引き摺られてきた距離は1キロくらい、何度か横道に入ったけれど、それくらいは覚えている。この山道を通って先刻の公道に戻るには、半時ほど歩くことになるだろう。青木が靴を履かせてくれて助かった。
 公道に出れば車が走っている。できれば東京へ戻る車に乗せてもらいたいところだが、この身なりでは難しかろう。ましてや薪はいま、言葉が喋れない。
 よし、と気合を入れて、薪は道を選んだ。

 奥多摩から東京までは約50キロ。歩けない距離ではない。

 あんな危険な生物に青木を任せるなんて、とんでもない。
 危害は加えないと彼は言ったが、信用できない。何らかの目的があって、彼は青木の傍にいるのだ。薪の脳をトレースしたのなら解っているはず、「仕事が入った」の一言で青木は自分の家に帰る。なのに行動を共にしているのは、彼の目的とやらに青木が関与している証拠だ。

 東京へ戻って、まずは青木のアパートへ行く。合鍵の場所は知っているから、中へ入らせてもらう。それから何とかして、自分が薪であることを彼に分からせる。方法は模索中だが、きっと何とかなる。頭突きをお見舞いした時だって、惜しい所だった。あいつの邪魔さえ入らなければ、必ず道は開ける。
 相手を油断させるため観念した振りをしたが、ここで死ぬ気などさらさらない。そう簡単に諦められない。この命は、これまでに何度も周囲の人々に救われてきた命だ。彼らが必死になって守ってくれたものを、安直に投げ出すことはできない。

 傷ついた足がズキズキと痛む。その痛みで薪は昔を思い出し、頬を緩めた。
 8年前の自分と現在の、何という違いだろう。
 ずっと昔、薪は痛苦を拠り所に生きていた。毎晩自分で自分の身体を抉り、その痛みで正気を保っていた。あの頃は、自分が生きるために痛みが必要だったのだ。いま薪は、大事な人を守るために痛みに耐えている。なんて幸福なことだろう。
 痛いことに変わりはないけど、と薪は皮肉に笑い、青木の顔を思い浮かべた。

 頭突きでもう一歩のところだったのだから、いつもの回し蹴りを決めればあるいは、と薪が、青木にとっては甚だ嬉しくない自己証明の方法を考え付いたとき、薪の後ろで不吉な唸り声が響いた。
 ぎょっとして振り返る。嫌な予感は的中し、果たしてそこにいたのは数匹の野犬だった。
 東京の野良犬と森の野犬はまるで違う。季節に関係なく残飯が溢れている街中と違って、冬の森には食べ物が無いのだ。おそらくは血の匂いに引かれてやってきたのだろう、彼らはやせ細り、その目は血走っていた。
 彼らを見据えたまま、じりっと後ずさる。背を向けて走り出そうものなら、一斉に襲い掛かってくる。手探りで薪は、横に生えていた木の枝に手を伸ばした。野犬の数は5頭。素手で倒せる自信はなかった。

『悪いな。餌は他所で探してくれ』
 柔道の試合もそうだが、戦いにはハッタリも必要だ。薪は不敵に微笑み、威圧的な言葉を発した。薪の口から出たのはミ゛ャアと言う低い鳴き声だったが、なかなかどうして、ドスが効いている。
 やがて薪の手は棒術に適切な太さの枝を見つけ、それを折り取ろうとした。が。

『……あれ?』
 つかめないっ!

 ネコの手になったことを忘れていた。この手では樹の幹に爪を立てることはできても、枝を握ることはできない。かと言って、猫のように木に登ることもできない。この爪では人の体重を支えることは不可能だ。
『い、いやあの、今日のところは穏便に、きゃ―――っ!』
 脚は痛むが逃げるしかない、っていや無理! 怪我してなくても人間、犬より速くなんて走れないから!!

 必死で逃げたが、10mも走らないうちに追いつかれた。飛び掛ってきた最初の犬を避けて、道端のガサ藪に突っ込む。小枝が薪の身体に無数の傷を作る。新たな血の匂いが、野犬たちを煽り立てた。
『見逃してくれたら後で神戸牛をご馳走するから! もちろん骨付きの!』
 毛布に爪を引っ掛けて振り回し、次の犬を叩く。そばから別の犬が毛布に食らいつき、薪の手から唯一の防寒具を奪い去った。
『そうだ、可愛い女子を紹介しよう! 血統書付きの雌犬だ、出会いのチャンスだぞ!』
 ガウッと吠え立てられて、薪は焦った。高級和牛もステキ女子も、ワイルドな彼らにとってはさしたる魅力も無いと見える。ていうか、言葉が通じてないみたいなんだけど、それはちょっとヒドくないか? 人間の言葉が喋れなくなった代わりに動物と意思疎通できるようになるってのがファンタジーの王道だろうが、これだから異星人はっ。もっと地球の文化を勉強して来いよ!

『……ダメかも』
 思ったら負けだと分かっていたけれど、ついつい口に出てしまった。次の瞬間、彼らは集団で襲いかかってきた。
 彼らの眼には大層なご馳走に映ったのだろう、初めに噛まれたのは引き締まったふくらはぎ。太腿に二の腕、それからシャツが破けてむき出しになった脇腹。激痛に叫んだのは最初のうちだけで、すっかりはだけた肩に噛み付かれたときにはもう声も出なかった。
 腕を振り回して威嚇することすらできず、薪は小さく身体を縮こめた。人間は危機に瀕すると、生命に直結している急所を守るために心臓や頚動脈のある喉を庇おうと、身体を丸める習性がある。いかに薪が天才でも、こうなってしまったら本能に従うしかなかった。

 ろくな死に方はしないと思ってきたけれど、まさか野犬に噛み殺されるとは。しかも、こんな人外の格好で。
 痛みで気が遠くなる。寒さが半端ない、きっと血が流れ出てしまっているのだ。出血多量で死ぬときって、こんなに寒いのか。
 聴覚も失われてきているのか、犬の吼える声がどんどん遠くなる。噛み付かれているはずなのに、痛覚すらない。肩にのしかかっていた犬の、土まみれの足の重さも感じない。
 ふわりと身体が宙に浮く感覚。魂が肉体から離れる時は、こんなにハッキリと分かるものなのか。まるで青木に抱き上げられたみたいに、なんの不安もない。

「薪さん」

 青木の声が聞こえる。薄れかけた意識の中、それでも薪は疑問に思った。
 どうして青木の声なんだ、ここは鈴木のだろう。これから自分が行く場所にいるのは鈴木なんだから。そうでなければ青木は早くもエイリアンの餌食になったということに、それは困る!

 根性で眼を開けた。額から流れた血が眼に入ったらしく、薪の視界は犬のように真っ赤だったけれど。
 心配そうに薪を見る青木の顔があって、その向こうには師走の曇り空。下方に視線を落とせば、薪が折ろうとして諦めた木の枝とキャンキャン喚きながら逃げていく野犬たち。その後ろで、腕を組んで氷のような瞳でこちらを見据える麗人の姿があった。





*****

 野生化、しませんでした。

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

キセキ(5)

 こんにちは。
 過去作に拍手をありがとうございます。 先月の下旬くらいからかな、連日たくさんいただいてて。 読んでますよコメントくださった方も黙って読んでくださってる方も、どうもありがとうございます。
 昔の話は物騒じゃなかった気がします。 少なくとも、命の心配は要らなかったような……なんでこういう方向に走っちゃったかな……。(遠い目)

 
 猫薪さんと青木さんのお話の続きですー。
 ほのぼの話じゃなくてすみませんー。(^^;





キセキ(5)






 彼が足を止めたのは、奥多摩に数限りなく横たわる渓谷の一つであった。
 森の中、密生する下生えに打たれて、薪の身体は痣だらけだった。特に地面を引き摺られた脚は擦り傷まみれで、血の滲んでいない箇所を探すことすら難しい。
 満身創痍の薪を、彼は無造作に谷の突端に置いた。遥か下方に沢が見える。笹やシダ類に埋め尽くされた地面は急な傾斜になっており、足を滑らせたらノンストップで下の沢に、いや、下手をすると上に昇ってしまうかもしれない、魂だけになって。

「早く行けよ。何なら手伝ってやろうか?」
 自ら森への道を選べばよし、青木の所へ戻ろうとすればこの渓谷に突き落としてやるぞ。彼の真意を悟って、薪は険しく眉根を寄せた。
 野良犬に餌を放るように、彼が無造作に投げて寄越した毛布を身体に巻きつけ、せめてもの暖を取る。地面に座ったまま、薪は下から彼を見上げた。冷静な眼だった。

『わかった、もう抵抗はしない。でも最後に教えてくれないか。君は何者なんだ。何故こんなことをする?』
「やっと自分の立場を理解したみたいだな。素直に言うこと聞いてりゃ、痛い目見ずに済んだのに」
 猫語しか話せない自分と彼に会話が成り立つことに、薪は驚かなかった。言葉は、彼には伝わると思っていた、いや、分かっていた。
『僕の身体をこんな風にしたのも君の仕業なのか。いったいどうやって? 僕に成り代わって、何をする気だ?』
「質問が多いのは頭が悪い証拠だ。もう少し、まとめられないか」
 高慢に、彼は薪を見下した。薪がこの立場に立たされることは滅多とないが、まったく経験がないわけでもない。ある一方面に於いて、薪は自分より20歳以上も年下の中学生にこてんぱんにされたことがあるからだ。その時の悔しさに比べたら大したことはない。彼の望み通り、薪は質問を変えた。

『なぜ僕を選んだ?』
「なかなか上手い質問だ。それを説明するには、先程君が発した質問すべての解が必要だ」
 にやりと笑って彼は、薪の前に片膝を着いた。この位置関係で突き飛ばせば彼を渓谷に落とすことができる、しかしそれでは解決にならない。

「察しは付いていると思うが、僕は君たちと同じ人類ではない。知的レベルは猿とヒト程も違う。僕の目的のためには誰かと入れ替わることが必要だが、周りの人間に不審がられたのではそれは達成できない。だから、僕が瞬間移動できる半径1J、君たちの距離で言うと約100キロ圏内で、僕の頭脳に一番近い人間、成りすまし易い人間を探した。そうして君に行き着いた」
 彼の説明から、薪は幾つかのことを理解する。
 彼はヒト以外の生命体であること。超常的な能力を持っていること。他人の姿に化けられること。そして一番重要なのは、優れた頭脳を探して薪に行き着いたという事実だ。
 彼は、自分が入れ替わったことを周りに気付かれにくい人物として薪を選んだ。つまり、多少本来の自分が出てしまっても誤魔化せるような人間を見つけて化けた、ということだ。それを見極めるためには、その人間がどんな生活を送っているのかを知る必要がある。では、どうやってそれを調べたのか。
 細かな生活パターンだけではない、性格や言い回し、物の考え方など、完璧に調べ上げるには何ヶ月も掛かるはずだ。約100キロ圏内から探したと彼は言ったが、そこに住んでいる人間を一人一人? 彼は神の眼を持っているとでも? それよりはまだ、こう考えた方があり得るのではないか。

 彼は、他人の頭脳をハッキングできる。

 MRIシステムで死者の視界を見ることができるように、彼は生きている人間の頭脳を読むことができるのではないか。例え膨大な数でも、サーチだけなら可能だろう。
 対象となった人間の知識、記憶、周りの人々との関係、それらすべてをデータとして読み取る力がある。だから彼はアリスのことも知っていた。青木の扱いにも長けていた。全部、薪の脳から引き出したのだ。

 背筋が凍るような仮説は、寒さで色を失った薪の顔色が更に白さを増したことを見て取った彼の微笑みで、確証を得るに至った。教師が生徒の解答に満足する、それはそんな笑みだった。
「お見事。多分、当たってるよ」
 知識と記憶を突合させれば、その人間の行動パターンは浮き彫りになる。こういう質問にはこう答える、このような場合はこんな風に行動する、薪の過去すべての記憶を共有している彼は、オリジナルに限りなく近い言動を取ることができる。しかも外見は完璧な薪剛。青木が騙されるわけだ。

「付け加えるなら、僕には高精度の頭脳に反応するセンサーがあるんだ。センサーが弾き出した候補者は、君を含めて10人程度。中でも君がダントツだった」
 何でもアリか、と薪は心の中で吐き捨てる。頭脳センサーなんて反則だ。ハッキング能力がある時点でもうカオスって感じだけど、そんな理由で白羽の矢が立ったなら、真面目にやってきた自分がバカみたいだ。
「褒めてるんだよ。もっと嬉しそうな顔したら?」
 彼の顔つきは、ものすごく意地悪だった。薪の性格をトレースしているから自然とこういう顔になるのだろうと考えて、いやいや、自分はここまで性格悪く無いぞ、と思い直す。きっと彼には頭脳センサーの他に、意地悪センサーもあるに違いない。本来の自分の意地悪を隠さなくていいような相手を選んで、て、だから僕はそこまで性格悪く無いってば。

「まあ、君を選んだ一番の理由は他にあるんだけど」
『なんだ?』
 まさか本当に意地悪センサーのお導きだったらどうしよう、と一抹の不安を抱きながら、薪は首を傾ける。しかし彼は、亜麻色の瞳を陰険に細めて、
「教えない。君はバカのクセに生意気だから、教えてやらない。自分で考えな」
 にこやかに笑う自分そっくりの顔を、張り飛ばしてやりたくなる。同じ性格の人間は仲良くなれないって聞くけど、あれは本当だ。今の薪は、彼を谷底に突き落としたい衝動を抑えるのがやっとだ。

 薪は大きく息を吸い、背筋をぴんと伸ばした。12月の凍るような外気が、頭に昇った血を冷ましてくれる。
『聞かなくたって分かるさ』
 彼が薪を選んだもう一つの理由。それは、これより他に無い。薪は日本でたった一人、法医第九研究室室長という立場にあるのだ。彼の狙い、それはつまり。
『レベル5のデータだろう』
 レベル5は、室長の薪にのみ閲覧が許されたトップシークレットだ。そこに隠された事実は、現在の日本では表に出してはいけないものばかり。使い方次第では内閣を操れる。自分の都合の良いように、日本の政治を動かすことができるのだ。

『残念だったな。あれを開くには、僕の網膜認証が必要なんだ。君にデータを取り出すことはできない』
 不敵に笑って、薪は立ち上がった。やられっぱなしは性に合わない。今度はこっちが攻める番だ。
『君はさっき、自分のコートを青木に取りに行かせただろう。僕の行動パターンをすべてサーチしたなら分かるはずだ、僕なら自分で取りに行く。その間に青木に車を回させた方が合理的だからだ。何故君がそうしなかったのか、それは、外見はそっくりに化けられても、網膜のような生物レベルでの変化は完全にはできないからだ。よって、君にはマンションのドアが開けられなかった、だから青木に行かせた。ちがうか』
 勝ち誇ったように言葉を重ねる。人類を猿に例えるほど優秀な彼が、こんな初歩的なミスを犯しているのが滑稽だった。これだけのことをしておいて、彼の一番重要な目的は達成することができないのだ。ザマアミロだ。

『ちゃんと調べれば、いくらでもボロは出てくるぞ。網膜パターンだけじゃない、指紋、声紋、静脈認証にDNA。僕は警官だ、データは全部警察庁のデータバンクに保存されている。おまえのこの髪の毛を鑑識に回せば一発で』
「それは良いことを聞いた。では、警察庁のデータの方は修正しておくとしよう」
『え』
 修正? そんなことができちゃうの? ちょっとそれ、ずるくない?

「どうしてそんなにバカなんだ? 僕は君の脳をサーチしたんだぞ。レベル5の情報とやらも、とっくに引き出し済みだ」
 まったく同じ身長なのに、見下されている気がした。上から目線に心底腹が立つ。こんな性悪な男は見たことがない。
『そんなことは分かってる』
 バカにするなとばかりに、薪は強く言い返した。
『しかし、情報の開示を取引の材料に使おうとした場合、写真や動画と言った媒体が必要になるだろう。僕の眼が無かったら、データをアウトプットすることもできないんだぞ』
 だが、それもデータバンクのほうを書き替えてしまえば話は別だ。彼を止めなければ、日本中が大混乱になる。
 恐ろしい予感に身震いする薪を見て、彼は噴き出した。違う違う、と手を顔の前で振り、苦労して笑いを収めると、笑い過ぎで目端に浮かんだ涙を指で拭った。

「君の間違いは二つ。一つは、僕が君のデータを跡形なく消せること。警察庁のデータバンクごとき、書き替えるのは簡単だ。君たちの感覚で言うと、時計のネジを巻くのと大して変わらない。二つ目」
 そこで彼は言葉を切り、笑いを消し去った。酷く冷たい眼になって、薪の顔を憎々しげに見つめる。
「僕の目的はデータじゃない」

 自信があった推理を否定されて、薪は戸惑う。自分が選ばれた理由、その最重要項目を当の薪が分からないなんて。
 第九の室長と言う特別な立場の他に、自分に何があると言うのだろう。自分が他人よりも秀でているものといえば、この男らしさとか所謂男らしさとか溢れ出す男らしさとか。
「ちがう。何を考えているのか分からないけど、それだけは絶対に違う」
 何を考えてるのか分からないのにどうして断言できるんだ、やっぱこいつムカツク。

 得意のカンチガイループから薪を引き戻すように、彼は衝撃的な事実を暴露した。
「この星の文明は遅れている。MRIシステムだったか、あの程度の仕組みなら幼稚園の遊び道具にもあるぞ」
『星? ……まさか』
 思わず、腰が引ける。膝が震えているのは寒さのせいばかりではなかった。落ち着け、と強く自分に言い聞かせる。
 これはあれだ、昔の映画で観たことがある、未知との遭遇ってヤツだ。これから薪を自分たちの星へ観光旅行に連れて行ってくれるんだ、わーいウレシイな、って頼んでないからそんなの!!

「『まさか』ってなんだよ。宇宙に自分達しか知的生命体が存在していないなんて、そんな傲慢な考えがチラッとでも浮かぶこと自体、この星の生物が愚かな証拠だ」
 エイリアンなど、咄嗟には信じがたい。しかし、それが事実なら彼の目的は。
『地球を侵略に来たのか!?』

 薪は大真面目だったのに、なぜか彼は何もないところで躓いた。俗な言い方をすれば、コケた、ということだ。
「あほか。だったらおまえの所になんか来ないで、この星の要人とすり替わるだろ」
 それはそうだ。100キロ圏内だったら都庁も総理大臣官邸もある。
「頭がいいんだか悪いんだか、分からないやつだな……まあ、発想の飛躍は優秀な頭脳の副産物だからな、ある程度は仕方ないな」
 僕の脳をサーチしたなら少しは察してくれ、と薪は心の中で言い返す。もともと薪は、科学的に説明の付かない現象には打たれ弱いのだ。朝からそんなことの連続で、フリーズどころかクラッシュ寸前だ。まともな思考なんかできるわけがない。

「安心しろ。僕の星は衰退して、住人も数えるほどしか残ってない。侵略戦争なんか、仕掛けるだけの力はない。衰退の原因を聞くのか? そうだな、知力が進み過ぎたってことかな。あまりにも色々なことが分かるようになって、あらゆることを悟ってしまったせいで、星全体が機能しなくなったんだ」
 彼の声には、死に行く母星への哀惜は無かった。いかに悲しみ嘆いても、それで何かが変わるわけではない。だったらそれは無駄なことだと、でも切り捨てられないのが人間で、捨ててしまえる彼はやはり人ではないのだ。

「知的生命体がその知力を極めた先に、何が残ると思う? 少なくとも、物欲や金銭欲じゃない。それが僕の真の目的であり、君を選んだ本当の理由だ」
 森羅万象、すべての理を知る優れた知力が、最終的に求めるもの。それは究極の謎であろう、と薪は思った。宇宙の起源のような、突き詰めていけば判明しそうで本当の答えは誰にも分からない、そんな謎掛け問答のような、分かった所で実生活には何の役にも立たない真理。そういうものに夢中になって、彼らの星は衰退していったのかもしれない。
 では、彼は謎そのものを求めて薪に成り代わったのだろうか。第九に運び込まれる事件を目当てに?
 否、違う。他人の脳をハッキングできる彼には、事件の謎自体が成立しないのだ。生きた人間の記憶を調べることが出来る。そんな生き物に人類が与えられる謎などあり得ようか。

「ここまでヒントを出したんだ。後は、森の中でゆっくり考えな」
 思考のループに迷い込んだ薪を、彼はバッサリと切り捨てた。細い顎を反らせ、ふん、と鼻で嘲笑う。
「生き延びられたらね」
 それは薪の前に、最初に立ちふさがる絶望だった。毛布一枚で、12月の夜が越せるとは思えない。よしんば凍死を免れても、長くは生きられない。サバイバル生活などしたことがないし、岡部のように強靭な肉体も青木のように図太い神経も、薪は持ち合わせていないのだ。

『一つだけ頼みがある』
 覚悟を決めて、薪は言った。
『青木に危害を加えないでくれ。できれば、やさしくしてやって欲しい』
「ああ。たっぷりと可愛がってやるよ」
 嫌らしい言い方だ。性的な意味合いも含んでいることを、わざと薪に知らせようとしている。
「彼はとても旨そうだし。食べでがありそうだ」
 ぺろりと舌で下唇を舐める、下品な仕草にゾッとする。件の妖怪たちのように、やっぱり人間を食べるのか。
 顔色を変えた薪を見て、しかし彼は幾度目かの失笑を洩らした。
「食べると言うのは比喩だ。彼の肉体を傷つけたりはしない」
『じゃあ、生命エネルギーを吸い取るとか』
「君は人類の中では飛びぬけて頭がいいのに、どうして発想がそんなに漫画チックなんだ? 大人になっても漫画雑誌を買い漁っていたクチか?」
 うるさい、ほっとけ。

「安心するといい。僕は彼と一生涯愛し合って暮らしていく。君の代わりにね」
 薪の胸が、ずきりと痛んだ。『一生涯』なんて言葉は未だに薪の口からは出てこない。心には決めている、彼以外の人なんかもう考えられない。でも、それを公言する勇気は持てず、起こり得るであろう数多の艱難を彼に舐めさせることはもっとできず。青木が週の半分を薪の家で過ごすようになってさえ、二人の関係は進化を遂げることはなかった。
 普通の男女のように、自然な流れで先に進むことはできない。法的に結ばれることが許されない、自分たちはそういう関係なのだ。青木がそれを望んでいることは分かっていたが、それでもやはり。失うものが多すぎる。

「幸い、彼は単純な男だし。上手くやれそうだ」
『あまり甘く見ない方がいい。青木はバカだけど、鋭いぞ』
「心配してくれてありがとう。せいぜい気を付けるよ」
 皮肉られて、薪は口を噤んだ。これから死にゆく人間が他人の心配なんて、そう言わんばかりの口調だった。

「さてと。奥に来すぎたな。戻るのが大変だ」
『瞬間移動ができるんじゃなかったのか』
「この身体になったら、できることは君たちと同じだ。僕はもう君の考えも読めないし、空も飛べない。不自由なことだ」
 空まで飛べたのか。本当に何でも有りだ。
 だが、その利便性を失ってまで、彼は人間の姿を取っている。普通の人間が享受できるものなどたかが知れているのに、そうまでして彼が何を得ようとしているのか、薪には想像も付かなかった。

 高慢な笑みを残して、彼は踵を返した。薪を森の奥に置き去りにして去っていく華奢な背中はとても優美で、羽根でも翼でも思うままに生やして、今にも飛び立ちそうに見えた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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