夢のあとさき(17)
すみません。昨日、ちょっとフライングしちゃいまして。次の話、下書き保存したつもりが公開になってた☆
拍手が入ってたのに気付いて下げたんですけど、不完全な状態で公開してしまってすみませんでしたー。特に(3)、ワードからコピペしただけの状態で。読み辛かったでしょう?
ちゃんと体裁整えて公開し直しますので、少々お待ちください。
青薪さんは最終章ですー。
お付き合いくださってありがとうございました。
夢のあとさき(17)
怒っても宥めても青木の涙は止まらず、結局、次のサービスエリアで薪と運転を交代することになった。
「ったく。おまえのその泣き虫のクセはどうにかならないのか」
「す、すみませ、うっ、ううっ」
鬱陶しいからと後部座席に追いやられた青木は、ヘッドレストから少しだけ覗いた亜麻色の髪に向かって頭を下げた。
高速道路の両側に取り付けられた道路灯が、夢幻のように流れていく。時間が遅くなったせいか道路も空いたらしい。おかげで帰路は順調に進み、高速を下りて薪の自宅までは半時間ほど。ナビの到着予定時刻は午後9時を指していた。明日薪は仕事で、だから今日は薪の家には行けない。マンションの玄関まで見送って「さようなら」だ。
離れ難いのはいつものこと。その我が侭は青木には許されていない。時計と薪を交互に見て、ミラーの中でそっと溜息を吐く青木に、薪は軽く舌打ちした。
「泊まっていくか」
「いいんですか?」
「帰りに思い出し泣きされて事故って死なれたら寝覚めが悪い」
ひどい言われようだが、大事なのは言葉面ではなく、薪のほうから誘ってくれたという事実だ。ぴたりと涙を止めて笑顔になる青木をルームミラーで確認し、薪は苦笑した。
心のまま、人前でも素直に涙を流せる青木を薪は羨ましく思う。よほどのことがなければ、自分は他人の目があるところでは泣けない。涙を見せるのは弱さを曝け出すこと、そんな思いが感情を堰き止める。要は怖いのだ。自分の弱さを他者に知られるのが怖い。
付き合いの深い岡部や青木には、何度か情けない自分を見せてしまった。そのことも後悔している。そのせいで彼らが薪のために危険を顧みずに行動するようになってしまったのではないかと、ひどく申し訳ない気持ちになる。と同時に、彼らの安全のためにも自分は強くあらねばと思う。
昔、薪は自分のことが大嫌いだった。
人類の中で誰か一人を殺してよいと言われたら真っ先に自分を選んだ。薪が自分自身を殺さずにいたのは、鈴木の生き甲斐だった第九を守りたかったのと、死んだ方が楽だったからに他ならない。自分は罰を免れた罪人。楽な方を選んではいけないと思った。
刑法上の罰を受けることはできなかったが、人を殺しておいて何も報いを受けないなんて、そんなことは道理が通らない。近いうちに自分には天罰とやらが下るのだろう。だから自分がこの世に留まらなくてはいけないのは第九を軌道に乗せるまでだと、それはさほど長い時間ではなく鈴木の元へ逝けるだろうと。
そんな死生観を持って生きていたはずなのに、いつの間にか。薪には大事なものが沢山できていた。大切な人が、守りたい人が、たくさんたくさん。
鈴木がいなくなった世界には何も残っていないと思っていた。でも、そうじゃないと気付かされた。薪に殺された鈴木ですら、薪が生きるために大事なものを遺して行ったと教えられた。
――この男に。
青木は自分の部下であり恋人であり、鈴木の本心を見せてくれた恩人でもある。青木への薪の気持ちは、かつて鈴木に向けていたような純粋な恋愛感情ではない。恋心だけではない、様々な気持ちが混じっているのだ。
その上、問題も山積みだ。以前のように、恋人がいる男に片思いしているのなら現実的な問題は自分の心のケアだけだ。仕事に生き甲斐を感じていた薪にとって、それは耐え切れないほどの痛みではなかった。しかしこうして秘密の関係になってしまうと、自分だけの問題では済まなくなってくる。彼の肉親や友人や仕事仲間。否応なく多勢の人々を巻き込んで、その内の何割かは確実に彼を責めるだろう。自分の眼の届かない所で起きる彼への弾劾、それが辛い。
秘密を秘密のまま永久に。しておけるなんて夢みたいなことは思っていない。真実は滲み出るものだ。隠しても隠しても、ほんの僅かな隙間から染み出してくる。
とりあえず、一番大きな課題は。
1年後にこいつとどうやって別れるかだ。
青木と付き合い始めた頃に上司と約束した。5年のうちに彼と別れることは、さほど難しくないと思った。というより、初めからそんなに上手く行くとは考えていなかった。あの頃、まだ薪は鈴木に想いを残していて。いつも彼と鈴木を比べていた。もっと酷いことに、彼を鈴木を思い出す縁にしていた。自分のことでありながらそれが無意識に為されることに、当時の薪は深く絶望していた。
青木との始まりは、そんな薄ら寒い恋人関係だった。長く続くとは到底思えなかったのだ。
でも青木は諦めなかった。終いには「薪が誰を好きでもいい」と、自らの立場を否定するようなことまで言ってくれた。
それから色々なことがあって。何度も何度も壊れそうになるものを二人で守って、気がついたら。
どうしようもないくらい好きになっていた。
「別れてくれ」と薪が言えば、青木はきっと頷く。そのことで薪がのっぴきならない立場に陥ると分かれば、必ずイエスと言う。青木はあの子狐に負けないくらい純真だけれど、なりふり構わず相手にしがみつくほど子供ではない。
それに、本当のことを知ったら自分から離れて行くかもしれない。心からの愛情を捧げた相手が他の誰かと「彼とは5年のうちに必ず別れます」なんて約束をしていたと知ったら。お人好しの彼にも限界はあるだろう。
問題は自分だ。
どうやって彼に別れを切り出せばいいのか、見当もつかない。5年前から用意していた言葉はある。どんな状況になっていても対応できるよう、相手がどんな反論をしてきても封じられるようにシミュレーションを重ねてきた。が、それを口に出せるような雰囲気に持っていくこと、これが難しい。
青木といると楽しい。バカみたいに楽しい。
薪は知っている、いい夢は長く見れば見るほど目覚めが辛いこと。だからできるだけ短期間で終わらせるつもりだったのに。
彼の顔を見た瞬間、そんな気持ちはなくなってしまう。些細なことで笑いあって、ちょっとでも気分が盛り上がったら睦みあって。戯れた後はもっと彼のことが好きになってる。そんなことを繰り返していたら、あっという間に時が過ぎて、約束の日まであと1年を残すばかりになってしまった。
家に着いたら、今日を最後に別れようと切り出そうか?
無理すぎて笑える。同じ車中にいるだけで、こんなに浮かれた気分になれる相手と別れる術ばかり考えなきゃいけない。頭がおかしくなりそうだ。
「――ね、薪さん」
「え。なに?」
考え事をしていて彼の話を聞いていなかった。聞き返すと青木は上の空の恋人を責めもせず、身を乗り出して薪に近付いた。
「今日は手をつないで寝ましょうね、って言ったんです」
あと一月ほどで三十になる男が、なんて可愛いことを言うのだろう。道端に車止めて押し倒してやりたい。
――ほら見ろ、この有様だ。
ちょっとした彼の仕草や言葉に心を揺さぶられ、様々な感情が入り乱れる。愛しくて苦しくて嬉しくて切ない。まるで僕を愛した殺人鬼のように、自分では止めようのない激情の波に流されて行く。
僕は彼に恋をしている。夢中で恋をしている。
こんな状態で、頭の中で組み立てたシミュレーションが何の役に立つ?
「明日は薪さんが仕事だから。今夜はそれだけで我慢します」
薪の身体に負担が掛からないよう、気を使ったつもりらしい。薪の腹の底で天邪鬼の虫がむくむくと目を覚ます。
風呂上りに、バスローブ姿で誘惑してやろう。「今日はゆっくり眠らせてくれるんだよな?」と言い含めながら、彼の膝の上に座ってやろう。
青木の困惑顔を想像して、薪は意地悪く笑った。
―了―
(2013.6)
拍手が入ってたのに気付いて下げたんですけど、不完全な状態で公開してしまってすみませんでしたー。特に(3)、ワードからコピペしただけの状態で。読み辛かったでしょう?
ちゃんと体裁整えて公開し直しますので、少々お待ちください。
青薪さんは最終章ですー。
お付き合いくださってありがとうございました。
夢のあとさき(17)
怒っても宥めても青木の涙は止まらず、結局、次のサービスエリアで薪と運転を交代することになった。
「ったく。おまえのその泣き虫のクセはどうにかならないのか」
「す、すみませ、うっ、ううっ」
鬱陶しいからと後部座席に追いやられた青木は、ヘッドレストから少しだけ覗いた亜麻色の髪に向かって頭を下げた。
高速道路の両側に取り付けられた道路灯が、夢幻のように流れていく。時間が遅くなったせいか道路も空いたらしい。おかげで帰路は順調に進み、高速を下りて薪の自宅までは半時間ほど。ナビの到着予定時刻は午後9時を指していた。明日薪は仕事で、だから今日は薪の家には行けない。マンションの玄関まで見送って「さようなら」だ。
離れ難いのはいつものこと。その我が侭は青木には許されていない。時計と薪を交互に見て、ミラーの中でそっと溜息を吐く青木に、薪は軽く舌打ちした。
「泊まっていくか」
「いいんですか?」
「帰りに思い出し泣きされて事故って死なれたら寝覚めが悪い」
ひどい言われようだが、大事なのは言葉面ではなく、薪のほうから誘ってくれたという事実だ。ぴたりと涙を止めて笑顔になる青木をルームミラーで確認し、薪は苦笑した。
心のまま、人前でも素直に涙を流せる青木を薪は羨ましく思う。よほどのことがなければ、自分は他人の目があるところでは泣けない。涙を見せるのは弱さを曝け出すこと、そんな思いが感情を堰き止める。要は怖いのだ。自分の弱さを他者に知られるのが怖い。
付き合いの深い岡部や青木には、何度か情けない自分を見せてしまった。そのことも後悔している。そのせいで彼らが薪のために危険を顧みずに行動するようになってしまったのではないかと、ひどく申し訳ない気持ちになる。と同時に、彼らの安全のためにも自分は強くあらねばと思う。
昔、薪は自分のことが大嫌いだった。
人類の中で誰か一人を殺してよいと言われたら真っ先に自分を選んだ。薪が自分自身を殺さずにいたのは、鈴木の生き甲斐だった第九を守りたかったのと、死んだ方が楽だったからに他ならない。自分は罰を免れた罪人。楽な方を選んではいけないと思った。
刑法上の罰を受けることはできなかったが、人を殺しておいて何も報いを受けないなんて、そんなことは道理が通らない。近いうちに自分には天罰とやらが下るのだろう。だから自分がこの世に留まらなくてはいけないのは第九を軌道に乗せるまでだと、それはさほど長い時間ではなく鈴木の元へ逝けるだろうと。
そんな死生観を持って生きていたはずなのに、いつの間にか。薪には大事なものが沢山できていた。大切な人が、守りたい人が、たくさんたくさん。
鈴木がいなくなった世界には何も残っていないと思っていた。でも、そうじゃないと気付かされた。薪に殺された鈴木ですら、薪が生きるために大事なものを遺して行ったと教えられた。
――この男に。
青木は自分の部下であり恋人であり、鈴木の本心を見せてくれた恩人でもある。青木への薪の気持ちは、かつて鈴木に向けていたような純粋な恋愛感情ではない。恋心だけではない、様々な気持ちが混じっているのだ。
その上、問題も山積みだ。以前のように、恋人がいる男に片思いしているのなら現実的な問題は自分の心のケアだけだ。仕事に生き甲斐を感じていた薪にとって、それは耐え切れないほどの痛みではなかった。しかしこうして秘密の関係になってしまうと、自分だけの問題では済まなくなってくる。彼の肉親や友人や仕事仲間。否応なく多勢の人々を巻き込んで、その内の何割かは確実に彼を責めるだろう。自分の眼の届かない所で起きる彼への弾劾、それが辛い。
秘密を秘密のまま永久に。しておけるなんて夢みたいなことは思っていない。真実は滲み出るものだ。隠しても隠しても、ほんの僅かな隙間から染み出してくる。
とりあえず、一番大きな課題は。
1年後にこいつとどうやって別れるかだ。
青木と付き合い始めた頃に上司と約束した。5年のうちに彼と別れることは、さほど難しくないと思った。というより、初めからそんなに上手く行くとは考えていなかった。あの頃、まだ薪は鈴木に想いを残していて。いつも彼と鈴木を比べていた。もっと酷いことに、彼を鈴木を思い出す縁にしていた。自分のことでありながらそれが無意識に為されることに、当時の薪は深く絶望していた。
青木との始まりは、そんな薄ら寒い恋人関係だった。長く続くとは到底思えなかったのだ。
でも青木は諦めなかった。終いには「薪が誰を好きでもいい」と、自らの立場を否定するようなことまで言ってくれた。
それから色々なことがあって。何度も何度も壊れそうになるものを二人で守って、気がついたら。
どうしようもないくらい好きになっていた。
「別れてくれ」と薪が言えば、青木はきっと頷く。そのことで薪がのっぴきならない立場に陥ると分かれば、必ずイエスと言う。青木はあの子狐に負けないくらい純真だけれど、なりふり構わず相手にしがみつくほど子供ではない。
それに、本当のことを知ったら自分から離れて行くかもしれない。心からの愛情を捧げた相手が他の誰かと「彼とは5年のうちに必ず別れます」なんて約束をしていたと知ったら。お人好しの彼にも限界はあるだろう。
問題は自分だ。
どうやって彼に別れを切り出せばいいのか、見当もつかない。5年前から用意していた言葉はある。どんな状況になっていても対応できるよう、相手がどんな反論をしてきても封じられるようにシミュレーションを重ねてきた。が、それを口に出せるような雰囲気に持っていくこと、これが難しい。
青木といると楽しい。バカみたいに楽しい。
薪は知っている、いい夢は長く見れば見るほど目覚めが辛いこと。だからできるだけ短期間で終わらせるつもりだったのに。
彼の顔を見た瞬間、そんな気持ちはなくなってしまう。些細なことで笑いあって、ちょっとでも気分が盛り上がったら睦みあって。戯れた後はもっと彼のことが好きになってる。そんなことを繰り返していたら、あっという間に時が過ぎて、約束の日まであと1年を残すばかりになってしまった。
家に着いたら、今日を最後に別れようと切り出そうか?
無理すぎて笑える。同じ車中にいるだけで、こんなに浮かれた気分になれる相手と別れる術ばかり考えなきゃいけない。頭がおかしくなりそうだ。
「――ね、薪さん」
「え。なに?」
考え事をしていて彼の話を聞いていなかった。聞き返すと青木は上の空の恋人を責めもせず、身を乗り出して薪に近付いた。
「今日は手をつないで寝ましょうね、って言ったんです」
あと一月ほどで三十になる男が、なんて可愛いことを言うのだろう。道端に車止めて押し倒してやりたい。
――ほら見ろ、この有様だ。
ちょっとした彼の仕草や言葉に心を揺さぶられ、様々な感情が入り乱れる。愛しくて苦しくて嬉しくて切ない。まるで僕を愛した殺人鬼のように、自分では止めようのない激情の波に流されて行く。
僕は彼に恋をしている。夢中で恋をしている。
こんな状態で、頭の中で組み立てたシミュレーションが何の役に立つ?
「明日は薪さんが仕事だから。今夜はそれだけで我慢します」
薪の身体に負担が掛からないよう、気を使ったつもりらしい。薪の腹の底で天邪鬼の虫がむくむくと目を覚ます。
風呂上りに、バスローブ姿で誘惑してやろう。「今日はゆっくり眠らせてくれるんだよな?」と言い含めながら、彼の膝の上に座ってやろう。
青木の困惑顔を想像して、薪は意地悪く笑った。
―了―
(2013.6)
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